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ISHINOMAKI2.0
傾いた空き家、
どうやって改修する?
忍者屋敷がアトリエに

リノベのススメ
vol.128

posted:2016.11.23   from:宮城県石巻市  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

profile

ISHINOMAKI 2.0

東日本大震災を契機にジャンルに縛られない多種多様なプロジェクトを実現。地域のリソースを丁寧に拾い上げ、全国のありとあらゆる才能と結びつけて今までになかった新しいコミュニケーションを生み出しています。石巻のバージョンアップが、日本のバージョンアップのモデルになることを目指しています。

writer profile

Kuniyoshi Katsu

勝 邦義

ISHINOMAKI2.0理事/設計事務所主宰。1982年名古屋生まれ。2007年東京工業大学卒業。2009年ベルラーへ・インスティチュート修了。山本理顕設計工場、オンデザインを経て、2016年自身の設計事務所を設立。

ISHINOMAKI2.0 vol.5

第5回目となる今回は、私、勝 邦義の古巣である
横浜の建築設計事務所〈オンデザイン〉が担当します。オンデザインは2011年の5月、
まだガレキが残る石巻のまちなかで1冊のフリーペーパーをつくることからスタートした
〈ISHINOMAKI2.0〉の誕生から、活動を支えてきました。

当時駐在していたスタッフに加えて、私が関わるようになったのが2012年。
そして2013年、私の次に関わるようになった、
オンデザインのスタッフ湯浅友絵さんが今回の執筆者です。徳島県出身の元気娘として、
石巻のまちに飛び込み取り組んだふたつのリノベーションを紹介します。

石巻の現場で大工さんと打ち合せするオンデザイン代表の西田司さん(左)とスタッフの湯浅友絵さん(右)。

こんにちは、オンデザインの湯浅友絵です。
今回は私が石巻で関わっているリノベーション事例をふたつ紹介します。
ひとつは空き家をアーティストインレジデンス&ギャラリーに変えた事例で、
もうひとつは空き地を、中古屋台を使ってコミニュケーションスペースに変えた事例です。

少し自己紹介から。私は横浜の建築設計事務所オンデザインで働きながら、
ISHINOMAKI2.0の取り組みをさまざまなかたちで協働してきました。
私が石巻に初めて行った2013年頃は、
まちはすでに東日本大震災によるガレキの片づけなどは済んでいて、
復旧ではなく自分たちの手で、震災前より魅力あるまちにしようと、
復興フェーズになっていました。

すでにオンデザインの先輩である勝さんは石巻に住みながら、
さまざまな取り組みをしていました。私は入社してすぐに、
「横浜から石巻へ行かないか」と代表の西田から言われ、とんとん拍子に、石巻へ移住。

勝さんから、いろいろと話は聞いていましたが、想像と実際に住むのでは、大違い。

石巻に初めて行った時に撮った写真。

ガレキなどは片づいたとはいえ、当時の石巻のまちには住む場所がなかなか見つかりません。
不動産屋へ行っても、当時ひとり暮らしの空き部屋がない状況でした。

今まで自分が生活してきたまちとはまったく違う環境だったということもありますが、
まちなかは空き地、空き家が目立ち、どこか寂しく感じました。
仮住まいとして寝泊まりをしていた復興民泊も、シャワーブースにトイレ、
二段ベッドという生活するのに、必要最低限のものが用意されているという状況でした。

そんな環境で何よりの励みになったのは、石巻のまちの人のあたたかさです。

家がなくても、「うちに泊まればいいよ!」と、
2か月の間に商店街の呉服店さんの和室や、
電気屋さんの屋根裏部屋、ISHINOMAKI2.0の先輩の家の空き部屋など、
スーツケースひとつでまちのなかを転々としながら、暮らしていました。

あのときの本音を言えば、
「横浜の設計事務所に入ったはずなのに……」と最初は思っていましたが、
石巻のまちで実際生活し、1日に3〜50人の人に出会い、
まちの人に触れ、あたたかく受け入れられる感覚は、都会では味わえない生活でした。
昼になると、まちの呉服店にお腹を空かせた若者が集まり、
そこで昼食を食べてコミュニケーションをとったり、
事務所で仕事をしていると、まちの人がやってきて、石巻の歴史について語ってくれる。
石巻という場所は、横浜に戻ってきた今でも通い続けたくなる魅力溢れるまちです。

新しい総合芸術祭の開催に向けて

では、ここから本題のリノベーション事例を紹介します。

ひとつ目は空き家の改修です。ただ住めるようにするだけでなく、2017年に開催する
〈Reborn-Art Festival 2017〉(リボーンアートフェスティバル)のために、
アートスペースとして利用することが求められていました。

Reborn-Art Festivalとは、東日本大震災から5年、
ここまで歩んできた現地の方々の「生きる力」や「生きる術」に共感した
さまざまなジャンルのアーティストが、東北の自然や豊かな食材、
積み重ねられてきた歴史と文化を舞台に、そこに暮らす人々とともに繰り広げる、
いままでになかった総合祭(Reborn-Art Festival HP抜粋)のこと。2017年夏開催予定。

このプロジェクトが動き出したきっかけは、ISHINOMAKI2.0と、
震災後継続して石巻を支援している、一般社団法人ap bank(以下ap bank)との出会いです。

2011年の震災後、ap bankの代表理事であり、
音楽プロデューサーとしても有名な小林武史さん自らが被災地へ足を運び、
〈NPO法人ETIC.〉が主催する、東北へ地元には少ない能力やスキルを持った人材を派遣する
「右腕プログラム」など、さまざまなかたちで復興支援をしていました。

そんななか、小林さんは石巻にも幾度も来られていました。
ap bankとして、継続できるかたちでも、何か支援ができないかと考えられていたそうです。
ちょうどその時期、新潟の越後妻有地域で行われていた『大地の芸術祭2012』に行き、
さまざまなアーティストやサポーターが
芸術を介して地域の力を底上げしていることに感銘を受け、
「被災して地力が弱まっている石巻で、
自分も地域に軸足をおいて一緒になにかをつくりあげることができないか」と思ったそうです。
(コロカルでも小林さんにインタビューしています

その後、ISHINOMAKI2.0との出会いがありました。
石巻のまちを世界で一番おもしろいまちにしようと活動しているISHINOMAKI2.0は、
Reborn-Art Festivalの考え方に共感し、中心市街地での会場、
まちのキーパーソンからのヒアリングや、
アーティストとまちの人をつなぐ役割を担うこととなりました。それから地域の人々や、
自治体、観光協会、商工会議所、地域市民団体、企業などと対話を重ね、
少しずつ構想をかたちにしていき、2015年7月に地域と共同で
「Reborn-Art Festival実行委員会」を発足し、
音楽やアートや食など総合的な地域芸術祭開催に向け、動き出しました。

2016年夏に石巻港雲雀野地区で実施されたReborn-Art Festival×ap bank Fes 2016の会場での様子。会場のところどころにはアーティストが制作した作品が展示されていました。(photo:中野幸英)

そこでアートキュレーターで参加されている〈ワタリウム美術館〉の和多利浩一さんと
石巻のまちなかで震災前まで電気屋を営んでいたオーナーさんとの出会いがありました。

もともと、石巻のまちをもっと良くしたいという強い想いがあったオーナーさん。
ふたりは意気投合し、石巻の未来について、
アートという側面から、どうまちに場をつくっていくかなど、話が盛り上がったそうです。
そのなかで、オーナーさんが、使い方がわからず、
手もつけられないまま放置している1軒の空き家を所有しているという話になり、
後日、建物を見た和多利さんが、とても気に入り、アーティストが滞在し、
アート制作、居住を目的とする拠点にリノベーションし、
会場として利用させてもらえないか、とオファーしました。

空き家は、JR石巻駅から10分程歩いたことぶき町通りという商店街にあります。

ことぶき町通り。

忍者屋敷を、アーティストインレジデンスへ

ことぶき町通りを歩いていると、家がないのに、玄関扉のような扉がある敷地があります。
一見、この扉は通りに面しているため、誰かの家の玄関かなと思うのですが、
そこを開けると、細い小道が現れます。

その細い小道を歩いていくと、見えてくる1軒の空き家。
築80年以上になるこの建物を、今回改修することになりました。

(photo:鳥村鋼一)

裏から見た、改修前の外観。

この建物、以前から気になってはいましたが、誰も住んでいない空き家ということもあり、
どこか近寄り難い雰囲気があったとまちの人々は言います。
通称「忍者屋敷」と呼ばれていました。

かつては、1階は縫製工場として使われ、2階には働く人が住んでいたそうです。
実際、現地調査をしてみると、1階は天井が高く、天井からコンセントが垂れ、
ここでミシンを踏んでいたのではないかと想像できました。
この1室を取り囲むようにトイレ、階段、土間があり、浴室はありません。
階段を登ると、中2階に和室が1間、さらに階段を登ると、和室が2間ありました。

階段が変わっていて、中2階で登りきり、上がってきた階段の吹き抜けに板をパタンと倒して、
通路にし、そこからしか上階へ上がれないという、
まさに忍者屋敷のような設えとなっていました。

改修前、中2階から見た階段部分。

さらに、建物の中にいると平衡感覚を失うくらい家が傾いているのがわかりました。

詳しく調査してみると、築80年以上のこの建物は、
震災で傾いたのではなく、震災前に傾きがすでにあったようです。
また、昔は平屋であった建物に無理やり中2階、2階部分を増築していたことがわかり、
そのため階段があんな感じに取り付いていたのだと、納得しました。

柱も細く、増築部分は乗っているだけで、
よく東日本大震災を耐え抜いたものだと、感心させられました。
ちなみに余談ですが、東北の建物はほかの地域と比べると、
華奢なものが多く軽いのだそうです。軽いからこそ、逆に、震災にも負けず倒れず、
しなやかに生き永らえたのかもしれないと大工さんが教えてくださいました。

ただ、生き永らえた、とは言え、平衡感覚を失うほど傾いているこの家です。
調査を進めるほど、どう改修を進めていくかの、課題は山積みです。

この建物の傾きを直せる……のか?

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考えた結果……

Page 2

今回依頼の大前提としてあったのは、移住してきたアーティストがこの場所で暮らし、
そして制作活動を地域の人と交流しながら行っていくというものでした。

こんな斜めの床の上で生活をするのは、ちょっと現実的ではなく、
とは言え、建物の傾きを根本的に直すには、建物の柱や基礎からやり直す必要があり、
予算的に建て直すのと変わらないくらいで、それも現実的でないこともわかりました。
そこで私たちは芸術祭のキーワード「Reborn-Art=人が生きる術」にならい、

・東日本大震災が起きたこの場所で「人が生きる術」を考えること
・建物は、人が生きてきた術を語っている場所そのものであるということ

以上の2点を前向きに捉え、もともとあった外壁も斜めに倒れている柱も、
これまでここで生活してきた人の歴史として残し、斜めのまま構造補強を行い、
その内側に新しく水平な床をつくり、生活空間をつくることを考えました。

1階は、津波の影響をかなり受けており、床もところどころ浮いていたため、構造のみを残し、
ほかはすべて新しくし、アーティストの制作場としても、
ギャラリーとしても利用できるような設えとしています。

改修前の1階部分です。

対して、2階の生活空間はできるだけ手を加えず、
当時の面影をできるだけ残すようにしようと提案しました。震災も耐え抜き、
この場所で培われてきた生活の跡と、新しくここに住むアーティストの生活が重なることで、
今回のプロジェクトのコンセプトとつながるのではないかと期待しました。

Reborn-Art Festivalの目指している「自創の場」となるように。

改修中の様子。

いよいよ着工です。

実際に、解体が始まってみると、
基礎のコンクリートも大部分が朽ちており、構造設計の方とも相談し、
1階は制作スペースとなることから、コンクリートを打設し、土間空間としてつくりつつも、
既存の基礎に沿わせるかたちで補強しようという話になりました。

2階部分も、かつて増築した際に梁が切断されていたり、
なんとも言えないバランスで建っている建物だということがわかってきて……。
これでは、人が住む空間にはならないのではという話になり、現場で大工さんと緊急会議。
2階の梁と床はすべて撤去し、床を新設。
梁を新設し構造補強し、屋根も雨漏りが激しかったため、新設しました。

新しいことと古いことが混在する現場のなかで
(それも古いものが悪影響になっていることもあり)、
いかにこの建物が培ってきた空間と新しい補強が重なるか、
どううまく残していくかを常に考える状況が続きました。

120日間の工事を経て 完成です。

(photo:鳥村鋼一)

改修後の写真。土間空間よりアーティスト制作空間を見た様子。(photo:鳥村鋼一)

改装後、オーナーさんと、この場所で制作滞在するアーティストと一緒に名前を考えました。
この建物はトタンに覆われていることから、
トタンは英語で、“galvanized sheet metal”と書きます。

galvanize(ガルバナイズ)の意味は、
~を亜鉛めっきする。~電気を通す。~電気治療する。という意味のほかに、
~を奮い立たせる、駆り立てる、活気づける、活性化する、元気づけて~させる。

という意味があり、復興はもちろん、オーナーの仕事(電気屋さん)にもつながります。
そこから、「ガルバナイズ ギャラリー(通称ガルギャラ)」に決定しました。

今後この場所で、アーティストが移住して、制作滞在し地域の人々と交流し、
体験しながら現代アートを感じられる「自創する場」を目指していきます。
単にきれいな立派な施設をつくろうということではなくて、
古い営み、歴史、文化を汲み上げて新しい価値を創出していくRe-born Art Festivalのなかで
この場所を拠点としてなにか新しい価値を創出するきっかけとなることを期待しています。

2階の和室改修後の様子。床を新設した際に畳をはがし、構造用合板仕上げとしています。土壁の朽ちた部分は巾木をまわし、床と連続させています。(photo:鳥村鋼一)

まちなかの空き地を活用したい

オンデザインが、もうひとつ石巻のまちなかで携わった、
空き地を、中古屋台を使ってコミュニケーションスペースに変えた事例を紹介します。
橋通り商店街に位置する〈橋通りCOMMON〉。

2014年9月にスタートしたこのプロジェクトの事業主は
石巻中心市街地でまちづくりを行っている〈株式会社街づくりまんぼう〉。
街づくりまんぼうの苅谷智大さんは、震災後石巻へ移住したひとりです。

石巻の特徴である川湊で川を生かしたまちづくりをしたいと思ったが、川にはなにもない。
じゃあ川の近くでなにかしたい、川からまちへと回遊してもらいたいと思っていた苅谷さんは、
川とまちをつなぐ橋通りの空き地へ目をつけたそうです。

橋通りにあった空き地。震災前は店があったが、震災後駐車場として使われていた。

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空き地をどう生かしたらいいのか

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ただ、この空き地を生かしたいと思っても、なにをしたらいいかわからない。
そんな時、震災後から関わっていた、日建設計の方に相談をしたところ、
東京・表参道にあった、飲食店や雑貨店などの屋台が集まるコミュニティ型商業空間〈246COMMON〉閉店の際に、
そこにある屋台のいくつかをうまく使えばいいのではないかというアドバイスをもらい、
その屋台を石巻へ移設することが決定しました。

どういった手続きが必要で、配置をどうすればいいかなど、
悩んでいた苅谷さんから相談を受け、
オンデザインがこのプロジェクトに携わることとなりました。

この場所がまちにとってどんな場所となったらいいか、まちの人へヒアリングをしたり、リサーチをしたり、コンセプトブックを考えたり。まちに住む若手が中心となって急ピッチに進んでいきました。

アイデアを共有しながら、各店主もDIY

石巻で一番寒い冬に着工しました。
橋通りは特に風が強く、厳しい寒さは今でも忘れられません。

全体的な屋台改修、インフラ整備などの部分は、石巻へ移住して、
さまざまな場所をつくっている若手大工さんと一緒に、つくっていきました。
屋台ひとつひとつの改修でやったことは、必要最低限の補修。水廻りの補修や、
屋根の新設、床、壁の補修など。すでに出店が決まっていた店主さんは、
この時期から自分たちで大工さんと一緒に工事を開始しました。

中学生から大人までが集まってこの場所のどこになにができたらおもしろいか現場でワークショップをしました。

たまたま通りかかったまちの人も巻き込んで屋根の形状についてデザイン会議をしている様子。

工具を借りたり、教わったりしながら、
DIYで自分のお店をつくっていく環境をつくることができました。
また、できるだけ、場所をつくっていく過程でさまざまなファンを増やしたいと思いました。
実際に着工してから、ここでなにができたらいいかというワークショップを実施したり、
屋台をつくる作業自体を地元の高校生に手伝ってもらったり、散歩で通りがかったみんなで
この屋根の形状がどうなったらいいかというデザイン会議を始めてみたり、
できるまでの間にさまざまな人に関わっていただきました。

学生ボランティアのみなさんが現場作業を手伝ってくれました。

出店が決まっていた店主の要望を聞きながら一緒につくっている様子。

2015年4月にオープンイベントとともに、橋通りCOMMONがオープン。
誰もが愛着をもてる場所にしたいという想いから始まったプロジェクトでしたが、
ただ実際、オープンしてみると、想像以上に、
パブリックスペースというのは運営がとても難しいことがわかったと苅谷さんは言います。

橋通りCOMMONオープン時の様子。(photo:古里裕美)

橋通りCOMMONがオープンして1年経つと、屋台の出店者が入れ替わるなど、
新陳代謝が起こることにより、全体が刺激され、いい関係性が生まれてきています。

その光景はまるで商店街の縮図を見ているようで、日々発見なんだそうです。
石巻は震災後1年間で延べ28万人ものボランティアが訪れ、
そこから移住した人も100人を超えると言われています。
彼らが石巻でずっと暮らしていけるように生業をつくるための場所にしたいという、
苅谷さんの想いがようやくかたちになって現れています。

橋通りCOMMONがオープンして、いろんなつながりが生まれていくのを目の当たりにし、
この場所で、移住してきた人たち同志で交流をとりながら、また明日から頑張ろうと思ったり、
移住してきた人と地元の人が出会い、交流することで、
また新しいことがまちに起こっていく感じがとてもおもしろく、
自分自身の仕事の幅が広がっていくのを実感したという苅谷さんは、「これからも
人とのつながりが自然とできていくような場所をこの石巻につくっていきたい」そうです。

2016年でまちなかへ出店した店舗は2店舗。ここから、石巻で、
生業をつくっていける環境を橋通りCOMMONはつくっています。

冬に向けて準備をする現在の橋通りCOMMONの様子。

小さな出来事が、まちの風景をつくっていく

私たち、オンデザインが東日本大震災後、石巻に関わり始めてもうすぐ6年になります。
最初は、泥かきからスタートし、ISHINOMAKI2.0に携わり、
ひとりが現地に移住して、まちの人々と一緒にさまざまなプロジェクトを立ち上げてきました。
次の年には、またひとり、その次の年にはまたひとりと、
石巻へ横浜から所員が移住しその都度、建築、
まちづくりという目線からまちの人と一緒にできることはなにかということを考え、
行動してきました。

1年目は、建物を設計するということより、まちのなかで起こる出来事の仕組みづくりや、
まちの人の声を拾い上げ、ヒアリングを行い、まちの声を『石巻voice』として冊子にしたり、
商店街の80店舗の歴史や、
そのお店の売りなどを写真20枚程度集めポスターにして
それを店先に掲示してもらう〈オープンイシノマキ〉というまちなか展示を行ったり。

一見、建物を設計するという建築とは、ほど遠いと思われるようなことをやっていますが、
店先にポスターを貼ることで、そこが展示空間になり、
まちなかに広がるその風景をつくることは、
空間をつくるという意味で考えると、とても建築的だと私たちは感じています。

石巻に人を誘致するために観光的視点から石巻の良さを伝える
〈トラベルレストラン〉というプロジェクトでも、
やっていることは観光ツアーなのですが、そこにたどり着くまでの、
地元の人たちへのヒアリング、まちの魅力を教えてもらったり、
そこで行われている仕事だったり、
食材の良さなど、そこで紡がれてきたストーリーをうまくつないでツアーをつくっていくことも、
場や、空間を設えるという意味で建築の設計と、とてもよく似ています。

ご紹介したふたつの事例にも言えることですが、
石巻で起こっているさまざまな出来事に継続的に関わっていると、
最初は点でしかなかった出来事が次第に広がり、面になりつながっていくことがわかります。

それは、まちに起こる小さな出来事が
まちを変えていく要素になり得るのではないかと思わせてくれます。
毎日の呉服店での昼食や、まちの人が事務所を訪れてお茶を飲むことなど、
そういった日常の出来事から、イベント、場づくりなど非日常的な出来事も含め、
石巻のまちなかで起こっている日々の挑戦が、
全国的に地方が衰退していると言われているなかで、
未来へのヒントへつながるのではないかと、私たちは石巻に関わりながら実感しています。

profile

オンデザイン

使い手の創造力を対話型手法で引き上げ、さまざまなビルディングタイプにおいてオープンでフラットな設計を実践する設計事務所。主な仕事として、「ヨコハマアパートメント」(JIA 新人賞、ベネチアビエンナーレ日本館招待作品)、「ISHINOMAKI2.0」(グッドデザイン復興賞、地域再生大賞特別賞)、島根県海士町の学習拠点「隠岐国学習センター」など。著書は『建築を、ひらく』『おうちのハナシ、しませんか?』。
http://ondesign.co.jp/

information

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