「フィギュ和」 結果発表第1弾

ついに新ネタ投稿の発表!

各地で見られる昭和の香り漂う人形「フィギュ和」。
みなさんから寄せられたフィギュ和について、みうら所長からコメントが届きました。
所長のお眼鏡にかなう逸品を、みなさんも探して送ってみてください。

yotecoさんの投稿
馬らしき生き物の首の角度が印象的。
産地:宮崎県のみやげ物

みうら:テンコ盛りかあ。
いらないけど、誰かが手に入れとかなきゃヤバイんじゃないの?

masakoさんの投稿
伊勢神宮のお参りの帰りに出会った2点。
伊勢志摩と言えばやっぱり真珠!
産地:三重県伊勢市

みうら:コレを買って堂々、部屋に置ける勇者になってみたいな、いつか。

みうら:うーん、この値段もスゴイね。
モノの価値観がいまとは違い過ぎ。

渡部優子さんの投稿
衣装におもいっきり大と書いてあるのに、
大黒様ではなくざっくり「福の神」として売られていました。
子どもが手伝わされて嫌々書いたような髭です。
産地:島根県松江市

みうら:うーん、これもスゴイね。
この値段でコレ、福が来るに決まってるね。

渡部優子さんの投稿
松江に仕事で寄った際、安来節系の土産を物色している時に見つけました。
意外にも安来節ものはふざけた土産がなく、これぐらいでした。
顔が溶けかけてて酷いと思いましたが、今見ると手足も酷いです。
産地:島根県松江市

みうら:コレ、持ってるよ。
でもハンドメイドだから微妙に違うのね。
買っとくなら、いまでしょ!

つつみさんの投稿
タイトルは「親孝行の源丞内」です。
閉店したみやげ屋に数体ディスプレイされてました。
少し分かりにくいですが、彼の職業はきこりだそうです。
産地:岐阜県養老町

みうら:コレはマジ欲しいっス。
集めてるフィギュ和の一種だから。

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みうら所長より
“海女”が流行ってるでしょ、朝ドラ『あまちゃん』のおかげで。
昨年の年末くらいだったかなぁ、宮藤官九郎さんと対談してたとき、出たんだよその話。
「いま、海女をモデルにしたドラマの脚本、書いてんスよ」って。
オレ、そのとき、心の中で“やったァー!!”って叫んだよ。
遂に、遂に、海女がブームになるんだもの。
第一期、海女ブームはさ、1950年代に起こってるんだよ。
石川県輪島市の舳倉(へくら)島の海女はフンドシ一丁で潜ってたんだ。
それを取材した外国人記者の本が出たり、新東宝で海女モノの映画が撮られてた。
そして70年代には日活ロマンポルノが引き継いだ。
これら映画は当然、セクシーものであって当時の殿方たちを喜ばせたものなんだけどね。
さっそく宮藤さん家にこれらのDVDを送りつけたんだけど、
「それじゃないっスから」って、笑ってた。
千葉の海女まつりに始まり、日本各地の海女ゾーンでさ、
海女に関するグッズも手に入れた。
みんな、とってもプリティでグッとくるものばかり。
海女人形はたいがい、貝があしらってあって、
ポロポロとその破片が落ちるんだよね。本当、困るんだ。

君のまちの土産物屋の片隅にもまだ、あるんじゃないだろうか? 
是非、今度「あまちゃんグッズ特集」をやりたいので送ってくださいよ。
「じぇじぇ」とはまったく関係ないけどね。

編集部より
というわけで、この『あまちゃん』ブームを逃す手はありません。
海女に関するグッズを大募集します!
どこで見つけたかも教えてくださいね。
あまちゃん以外の「フィギュ和」も、引き続きお待ちしています。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

身近に果樹がある生活

旬の果物を、楽しく、美味しく。

曇り空が続くここ数日。
四国地方は例年よりも9日早く梅雨入りしたそうです。
ここのとこ全然雨が降っていないので、そろそろしっかり降ってほしいところ。
畑のお野菜たちのためにも、自分たちの体を休めるためにも(笑)。

「晴耕雨読」という言葉があります。
晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家に引きこもって読書する、というような意味。
まさにいまはそんな暮らしで、晴れの日は基本的に畑。
事務作業は夜でもできるし、晴れてるなら畑であれしよ、これしよっと思ってしまう。
なので、あまりにも晴れの日が続くと体が疲れてきて雨が恋しくなってきます。

そして待望の雨。
そんな日は家の中で、事務作業をしたり、料理をしたり。
体を休めながら、気になってることをあれこれとします。

あれやらなきゃこれやらなきゃといつもいろいろなことが気になってるのですが(笑)、
その中のひとつ、ご近所さんからいただいた夏みかんやいちごでジャム作り。
食べてしまえる量ならいいんだけど、あきらかにそんな量じゃなくて、
30キロ用の米袋に夏みかんどっさり。それを4袋とかそういう量。
放っておくとすぐに傷んでしまうので、
なんとかしなきゃといつも頭の片隅で気になってる。

隣のおばちゃんの畑で収穫した無農薬の路地イチゴ。小さいサイズがジャムにするのにちょうどいい。

隣のおっちゃんはみかん農家。ネーブルオレンジやスイートなどいろいろな種類のみかんを栽培しています。

私たちが暮らしている小豆島の肥土山では、
村人全員といってもいいほど皆、畑仕事をされています。
もちろん家庭菜園レベルから専業農家まで幅は広いけど、皆何かしら作っている。
だから風景の中に普通に畑や田んぼがある。
そしてこっちに来て印象的だったのは、果樹の多さ。
道を歩けば、みかんやダイダイ、レモン、柿、梅、
サクランボ、ビワ、ザクロなどの木があって、実がなっている。
こういうのは何も特別じゃなくて昔は普通だったのかもしれない。
学校の帰り道にザクロを採って食べたり。プチプチ酸っぱい感じ。
それがまだ残っているだけなのかも。
でも名古屋から引越してきた私たちにとって、それはとても印象的な風景。

集落のいたるところで、こんなふうにして果物が実っている。

「みかん持って帰りー」と通りすがりのおばちゃんがおすそ分けしてくれます。

引っ越してすぐの10、11月頃は、ちょうど早生の温州みかんの収穫が始まる時期。
家の目の前も小さなみかん畑で、近所のおばちゃんが収穫したみかんをくれたり、
いろはも一緒に収穫したり。
わざわざフルーツ園などに行かなくとも、ここで暮らせば
毎日「みかん狩り」ができるなーと思った記憶がある。

金柑の収穫。実を収穫する行為は宝物をかき集めてるみたいでいろはも楽しいらしい。

収穫した金柑をさっそくジャムに加工。とても綺麗な色。

種を抜き取る作業。ジャム作りはこういう地道な作業が多くて大変だったりもする。

こうして年中、何かしらの果物が収穫できるこの場所で暮らしていると、
常に家にも何かしらの果物があって、自然とそれを加工して
ジャムやシロップ、ジュース、ポン酢などを作るようになった。
最初に作ったのはイチジクのジャム、続いてレモン&オレンジシロップ、
そして金柑ジャム、ダイダイポン酢、夏みかんジャム、サクランボジャム、
サクランボ酒、イチゴジャム、イチゴの酵素シロップ……と
次々とその季節に採れる旬の果物で挑戦してみている。
作ることが楽しくなってきて、たくさん作っては友だちやご近所さんにおすそ分け。
「この前は夏みかんをありがとう」と言って、
もらった夏みかんで作ったジャムをお礼に。
こうやって果物を通して自然とコミュニケーションが生まれたり。

イチゴジャム作り中。なんとも言えない甘い香りが台所中に漂います。

瓶に入れて、パソコンで作ったラベルを貼れば立派なジャムに。小豆島肥土山産の「夏ミカンジャム」の完成。

「果物離れ」という言葉を聞いたことがある。
すぐに食べられるお菓子の種類が豊富となり、
皮を向かなきゃ食べられない、日持ちしない、値段が高い果物を
食べる機会が減っているそう。
確かに名古屋にいる頃の我が家も果物離れしていたと思う。
だけど肥土山で暮らすようになり、格段に果物を食べる機会が増えました。
身近に果樹があり、それに少し手間を加えて食べる時間があるからなのかも。

イチゴシロップを炭酸で割ってレモンの輪切りとミントを添えて。色がとっても綺麗で飲むのが楽しい。

果物が育っていく様子を日々見られる。
自分たちが収穫できる。
旬の果物を知ることができる。
身近に果樹がある生活は、子どもにとっても大人にとっても楽しくて、
何より美味しく学べるのがうれしい。

SNSが地方と都会を繋いでくれた

SNSからリアルな繋がりへ。

小豆島で暮らすようになって半年。
この半年間で本当にいろいろな人たちと出会いました。
そのまま名古屋で働いていたら出会わなかったであろう人たち。
当たり前なのかもしれないけど、住む場所、暮らし方を変えると、
関わる人もがらっと変わるものだなと実感します。

実は小豆島で暮らし始める前から、何人かの島の人たちとはFacebookやTwitterなどの
SNS(ソーシャルネットワークサービス)で繋がっていました。
おじいちゃんの家に戻ってくるとはいえ、
島で暮らしたことがない私たちには知り合いがほとんどおらず。
なので、FacebookやTwitterで「小豆島」や「移住」などのキーワードで探して、
面白いことをしてる人、楽しそうな写真を投稿している人、
自分と考え方が似ていそうな人たちをフォロー。
小豆島の人たちはSNSの利用がとても活発で、島に住んでいなくても
島の生の情報を名古屋にいながらキャッチしていました。

そして移住半年前には小豆島まで足を運び、何人かの人に直接会ってお話を聞きました。
島でどんな生き方、働き方ができるのか、具体的なことをいろいろ相談。
その時お会いした中のひとりが、オリーブオイルソムリエであり
オリーブ栽培もしている「i's Life(イズライフ)」の堤 祐也さんです。
堤さん自身も9年ほど前に小豆島へ移住され、
小豆島に住むご親戚の会社の新事業としてイズライフを立ちあげ、
オリーブやレモンの栽培を行なわれています。

イズライフのグリーンレモンオリーブオイル(左)とエキストラバージンオリーブオイル(右)は100%小豆島産。

お会いすることになったきっかけは、堤さんのFacebookに投稿された子ヤギたちの写真。
これは会いたい!(子ヤギたちに、笑)と調べてみると、
ヤギを飼っているのは農業体験できる宿であることがわかり、
さらに堤さんのオリーブ畑の目の前。面白そうだから泊まってみることに。
堤さんはヤギさんたちのごはんとなる剪定したオリーブの枝を持って登場。
引越して来ることを話すと、びっくりしながらも、
オリーブについてや島での仕事の話などいろいろ教えてくれました。

イズライフの堤さんと。子ヤギさんたちにオリーブの葉をあげながら、島での仕事についてなど相談。

そして小豆島に引越してすぐに再会し、2週間後には堤さんの畑でオリーブ収穫体験。
3日間ひたすらオリーブを収穫しました。
収穫体験というより収穫の仕事(笑)。
この3日間で身をもってオリーブについて学ぶことができ、
さらに一緒に収穫をお手伝いした島の方々とお話でき、一気に人の輪が広がりました。

去年の11月、堤さんのオリーブ畑で収穫のお手伝い。

収穫袋いっぱいになったオリーブの実。この3日間でオリーブが一気に身近になりました。

その堤さんが、オリーブオイルのお店をオープンすることに。
お店のオープン準備やWebサイトの制作などに私も関わらせていただけて、
とてもワクワクしました。
自分たちでものをつくり、それを売るためのお店や
情報を発信するためのWebサイトをつくる。
なんともエキサイティングな時間。

お店のオープン前にWebサイト用の写真を撮影。こういう期間は大変だけど一番楽しい。

グリーンレモンオリーブオイルのリーフレット用の撮影。島に住む料理上手の友人がレシピを考え作りました。

そして今年2月、小豆島土庄町のオリーブ通りに
オリーブオイル専門店「i's Life(イズライフ)」をオープン。
白い壁に描かれた大きなオリーブの絵がとても素敵なお店です。
お店ではイズライフのオリジナル商品であるエキストラバージンオリーブオイルや
グリーンレモンオリーブオイルを購入できるほか、
オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイルや
小豆島産のお素麺やお塩などを購入できます。

オリーブ通りにあるイズライフ。ここだけちょっと都会の香りがします(笑)。

坂手港待合所に「小豆島縁起絵巻」を描いた岡村美紀さんによるオリーブの木。

オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイル。味やどんな料理に向いているか話しながら購入できます。

小豆島産のお素麺。作り手と直接繋がっている堤さんだからこそのセレクト。

ほんの数年前までは、都会にいながら
離れた地方の生の情報を得ることは難しかったと思う。
でもいまはFacebookやTwitterなどのSNSがある。
自分の工夫次第で必要な情報を得ることができ、
直接コミュニケーションをとることもできる。
イズライフのお店にも「Twitterを見て来ました」というお客さんが
何人かいらっしゃるそうです。

人と繋がることで、地域のことを教えてもらえたり、
新しい仕事が生まれたり、また繋がりが広がっていったり。
地方で楽しく生きていくためには、人との繋がりは不可欠だと思う。
インターネット上の繋がりからリアルな繋がりへ。
こうやって少しずつ輪を広げていければいいなと思う。

「地上に」 内藤礼 旅の記録 奥・その3

書籍『O KU 内藤礼 地上はどんなところだったか』

この連載をまとめた書籍「O KU」が刊行されました。

また、東京都庭園美術館で12月25日(木)まで開催されている
内藤礼さんの個展「内藤礼 信の感情」にて、
2013年にコロカルで限定公開した映像作品「地上はどんなところだったか」が上映されます。
本展覧会にも登場する、きぼうの方に向く《ひと》が、沖縄の村落「奥」を旅する映像作品です。
上映の日程は、2014年11月29日(土)、12月6日(土)、12月13日(土)、12月20日(土)。12月20日(土)には内藤礼さんのアーティストトークも行われます。
時間の積層と人が過ごした気配を感じる本館と、
新館のホワイトキューブの空間に、内藤礼さんの新作たちが命と色を吹き込みます。

詳細はこちら

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈後編〉

5月11日から19日まで、栃木県益子町で開催された
鹿児島の工芸や食の「よかもん」を伝える展示、さつまもの。
後編では、メイン会場となったスターネットの展示作家と
「鹿児島との再会」を楽しみにしていた益子・笠間の作家との出会いをレポートします。

さつましこ 3
陶芸家 城戸雄介(さつま)meets 陶芸家 鈴木稔(ましこ)

益子スターネットの丘の上、recodeで展示をした作家のひとり、
「ONE KILN CERAMICS」の城戸雄介さんは、
今回の益子への旅で楽しみにしていたことがあった。
益子の陶芸家、鈴木稔さんの工房を訪ねること。
鈴木さんも、益子での城戸さんとの再会を心待ちにしていた。
というのも、今年の2月にワークショップのために鹿児島を訪れた時、
ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんから、
紹介したい陶芸家がいると連れて行かれた先が城戸さんの工房だったのだ。
そして実は、それより前に、鈴木さんは城戸さんのウェブサイトに出会い、
「仕事もウェブもかっこいい。それに、合同展示会のストッキストにも出ている!」と、
「気になる20歳年下の陶芸家」としてブックマークをした、
まさにその人だったという経緯がある。
繋がるべくして繋がったふたりのお話を、鈴木さんの工房でうかがった。

「僕が訪ねた時、彼は引き出物の梱包をやっていたんだけど、
特注の箱に自分でつくったスタンプを押して、リーフレットもセンスよくつくってあった。
そのひとつひとつがかっこよくて、器だけじゃなくて周りのものにもデザインを入れて、
ちゃんと考えてやっている。それが衝撃的だったね」と、鈴木さん。
鹿児島市の都心部の高台、分譲住宅地の自宅の裏に仕事場があることも
新鮮な驚きだったと言う。
益子の鈴木さんの工房は、初めて訪れる人は「この先に家があるの?」と
不安になるような、林の中にある。

この道を行くと鈴木さんの工房が見えてくる。益子では駅から続く通りに陶芸店やギャラリーが軒を並べ、周辺の緑豊かな里山の中に窯を築き工房を構えている作家が多い。

鈴木さんの工房は、林を切り拓いた広い敷地の中、
自宅の横につくられた2棟の作業場と窯場からなる。
その裏には、震災で全壊して、再建の途上にある煉瓦の薪窯が、
近々窯職人さんの手が入るのを待っている。
鈴木稔工房の印象はいかがですか?と尋ねると、
城戸さんは目を輝かせながらひとこと。
「THE 陶芸家って感じですね」
「あまりにも雑然としていて、恥ずかしいよ」と照れながら鈴木さんが受ける。

鹿児島でつくること。益子でつくること。

ふたまわりほど世代が違うふたりだが、
どちらも石膏の型を使い、フォルムにこだわり器をつくる。
鈴木さんは埼玉出身。土も釉薬も、そして、人との繋がりも、
縁ができて移り住んだ益子という土地で作陶することを大切に考えている。
城戸さんはデザインを学び、佐賀の有田で修業した後、
故郷の鹿児島に戻って独立した。
機能的で洗練されたデザインに、桜島の灰を用いた灰釉を使うなど、
地域性も大切にしたものを生み出している。

有田で作陶を続ける道もあったのでは?
これは、よく聞かれる問いだという。
城戸さんにとって、自分が生まれた場所に戻って作陶するということは、
ごく自然で当たり前のことで、それ以外の理由はなかった。
ただ、結果的に、歴史のある焼き物の産地を離れて鹿児島に戻ったことで、
やりたいように、つくりたいように、自由に器と向き合えるようになった。
有田にいたら「そげなやり方じゃいかんよ」と
一蹴されるような窮屈さがあったかもしれない。
鹿児島では、「型でつくる人は少ないから、楽しみだね」
「磁器? いいよね」と、温かい声が迎えてくれた。
同世代の違うジャンルの作家も多くいて、コラボもできる。
今回、同じrecodeで展示をした「RHYTHM」の飯伏正一郎さんとは、革と陶のコラボ。
仁平古家具店で展示をした「Roam」の松田創意さんには、
珈琲ドリッパーのスタンドをつくってもらった。
「有田にいたら、全部焼き物で済ませようとしていたかもしれません。
僕は、磁器も陶器もひとつの素材として考えているから、
自由にやれる空気はありがたいです」という城戸さんに、
鈴木さんが鹿児島に滞在した時の感想を伝える。
「鹿児島の人はおおらかだし、みんな誇らしげに生きている感じがしましたね」

灰釉の色合いが、recodeの土壁にしっくりなじむ。

城戸さん(左)と鈴木さん(右)。会うのがまだ2度目だと思えないほど話が弾む。

民藝とプロダクトと。これからのこと。

ふたりとも型を使って器をつくるが、生み出すスタイルには基本的な違いがある。
デザインを学び、大量生産の窯元で修業をした城戸さんは、
ひとつのアイテムに5個の型をつくり、同時に成形を進めて数をこなす。
アイテムによっては設計図を描くこともあり、
まるでプロダクトメーカーのような仕事を、
分譲住宅地の一角で、ひとりで淡々と進めている。
一方の鈴木さんは、ひとつのアイテムをつくるのに型をひとつしかつくらない。
そして数種類のアイテムをひとつずつ同時に成形していく。
形も、その時の感覚や気分で変わってしまうことが多いという。
「鈴木さんは、民藝寄りですよね?」という城戸さんに、
鈴木さんは、ちょっぴり苦笑い。
「僕はオーソドックスな昔ながらの器作家のスタイルから入ったし、
昔は轆轤もひいていたけど、いまは、民藝とプロダクトの中間にいると思う。
ある意味、中途半端。でもだからこそ思うことがある。
例えばイッタラやヒース・セラミクスなどの海外のものも好きで、
ライフスタイルへの意識が高い。
だけど日本の焼き物には興味がないという若い人も増えてきているでしょ?
そんな層に切り込んで、日本の焼き物の質感の良さみたいな魅力を
伝えていきたいと思っている」
声のトーンを少し上げて語り始めた鈴木さんに、
城戸さんも感じるところがあったのか、「これから」のことを語ってくれた。
「鹿児島で焼き物をやりたいという若い人に、なかなか出会わないんです。
気軽に型を使って焼き物がつくれることを知ってもらって、
興味を持つ人が増えればいいなあと思っています」

そして、次の益子訪問のプランで盛り上がるふたり。
鈴木さんは、震災から2年を過ぎて、全壊していた薪窯を新しくつくり直すことにした。
その話を聞いて城戸さんの中に芽生えた思い。
「次は、僕がいつも鹿児島でつくっている土と桜島の灰釉を持って益子に来ます。
鈴木さんの家にしばらく滞在させてもらっていいですか? 
薪窯で灰釉を焼いてみたい。どんなふうに窯変していくのか、とても楽しみです」
「もちろん大歓迎。そして益子で展覧会までやりましょう」と鈴木さん。

相手の中に自分と同じものを見い出すと、人は安心して歩み寄る。
自分とは違う部分もあると知り、それを新鮮に感じたら、さらに惹かれていく。
同じことと、違うこと。
その比重が絶妙なバランスで混ざり合った城戸さんと鈴木さん。
それぞれが、次のステップへと進んで行く時に、世代と1500kmの距離を超えて
いい影響を与え合っていくのだろう。

さつましこ 4
陶芸家 竹之内琢(さつま)meets 陶芸家 額賀章夫(笠間)

益子から車で30分ほど。茨城県の笠間市は、益子焼より少し古い歴史を持つ窯業の地。
益子の作家や販売店とも縁が深い笠間の陶芸家、額賀章夫さんも、
昨年9月に鹿児島で展覧会を行ったこともあり、
「さつまもの」の初日に駆けつけてくれた。
スターネット recodeで展示をした宋艸(そうそう)窯の竹之内琢さんとは同世代。
初対面ながら焼き物談義に花が咲いた。
会話から、本当に焼き物が好きでたまらないという空気が伝わってくる。

この日、初対面の竹之内さん(右)と、額賀章夫さん(左)。

「この赤は?」の問いに「マット釉に銅を入れて……」と、竹之内さんこだわりの釉薬について密度の濃い会話が続く。

自分の中でバランスをとりながら、日々続けていく創作。

今回、展示された竹之内さんの器は、
柔らかい色味ながら、一度見たら印象が強く残るものばかり。
額賀さんは器を手に取りながら、土や色、釉薬のことなどなど、質問を重ねていく。
ふたりの話は、鹿児島の焼き物産地の分布のこと、焼き物の販売のしくみのこと、
それぞれが参加している地元の陶芸イベントのことにまで広がっていく。
長いキャリアを持つふたりでも、
陶芸とそのまわりのことへの興味は尽きることなく、本当に楽しそう。

竹之内さんの器は、熊本・天草の土(磁土)と信楽のブレンドだそう。
「焼き上がりがしっかりとした印象がありますね。
質感の柔らかい釉薬を使いながら、裏の土見せのところは硬質な焼き上がりで、
器の力強さも感じます。
器から、とても誠実なお仕事ぶりがうかがえて勉強になります」と額賀さん。
「実は、使い手のことを気遣いながら轆轤でつくり続けていると、たまに嫌になって、
自分の表現だけに没頭したくなる時があるんですよ」と、竹之内さん。
そんな時は、手びねりで花器などをつくり、
自分の中でバランスをとるようにしている、と。
花器にしても、使う人が活けやすい形ではなく、
自分の気持ちとつくりたい形を優先させる。
「それはぜひ、次の機会に見たいですね。今回の展示を見ていたら、
また鹿児島にも行きたくなりました」と、額賀さん。
竹之内さんも、益子には、またゆっくり訪れたいと思っているそう。
もちろん笠間にも。
「ものづくりは、続けていける環境と、続けていく姿勢が大切だと思っています。
益子のまちと人には、そのどちらも感じます」
竹之内さんも額賀さんも1962年と63年早生まれの同級生。
続けていくことの重みを抱えながら、作品や展覧会などの活動を通して
鹿児島でも関東でも、若い世代に、その大切さを伝えている。

さつましこ 5
木工作家 盛永省治(さつま)meets 木工作家 高山英樹(ましこ)

「まさに、衝撃的な工房ですね」
高山英樹さんの工房を訪ねた鹿児島の木工作家、盛永省治さんの、最初のひと言。
陶芸家の城戸さんと鈴木さんが、お互いの創作環境の違いが新鮮に映ったように、
盛永さんも軽い衝撃を隠せない様子だ。ただ、その衝撃の中味は、
「自動カンナもないし……、いや、それだけじゃなくて、
家具をつくるのに必要だと思われる工具が何もないんですね」ということ。
まさに目を丸くした表情の盛永さんの横で、高山さんが笑い声をあげながら釈明する。
「ハンディタイプの小さな道具しかないでしょ? 
これで木工家具作家だなんて言わないでくれって怒られそうだけど、
これでも大人6人でも持てないようなテーブルもつくるんだよ」

衝撃の工房で。高山さん(左)と盛永さん(右)。

お互いのことは人づてに聞いて知っていたという、木工作家のふたり。
盛永さんは、大工、家具工房勤務を経て独立。
いまは、陶芸で言うところの轆轤、木工旋盤で木を回転させながら成形する手法で、
ウッドボウルなど食卓の器を中心に創作を続けている。
高山さんは石川県出身。都内で服飾の仕事をしていたが、
益子に移り住んだ12年前から、扱う素材が木に変わり、
古材を使った家具製作や建築プロジェクトに参加している。

盛永さんのスターネット zoneでの展示スペースで目を引くのが、
虫食いの跡を活かした造形。
「日本の木工では、節があるものや虫食いの跡があるものは使わないで、
材料を吟味して選んできれいに仕上げることに気を遣うのが主流です。
僕もそうだったけど、カリフォルニアに行ってから、変わりました。
2011年に2か月間、木工作家の手伝いをしながら
自分の作品もつくるという機会に恵まれたんです。
向こうのつくり手たちは、僕たちと気の遣いどころが違って、とても新鮮でした。
材料に節があっても虫が食っていようと気にしない。
それは、そういうものとして受け入れて自分の作品にしていくんです」

「いろんな人から話をよく聞いていて、あこがれだった益子のスターネットでの展示だから、今回は、とても気持ちが入ったものになりました」と盛永さん。

やわらかい光が入る白い空間に、虫食いの輪郭が美しく映える。

盛永さんの話を受けて、高山さんが自身の創作の話をしてくれた。
100年前の家を解体してみると、チョウナで削った跡が残っているところや
節や虫食いの面は、見えないようにして使われていることが多いと言う。
そういった部材を解体して高山さんが家具に再生する時は、
見せるものとして使いたい、と。
「見えないようにしてあったところには、
昔の大工さんの手の跡が残っているものも多くて。
そういうところを、いまの暮らしの中に、今度は見せるかたちで表してあげるのも
僕の役割じゃないかって思っているから」

暮らしとともに育ちゆく器。

樫の生木でつくったという作品もある。
てのひらを表面に沿わせると、
削られてもなお呼吸を続けているような、みずみずしさ。
「これからきっと、いい感じに形が変わっていくね」と、
高山さんは手にとって眺めながら、
益子の陶芸家で昨年の3月に亡くなった成井恒雄さんのことを盛永さんに伝えている。
成井さんは、70歳を過ぎても轆轤を回し続けていて、
轆轤をひきたての焼く前のもの、生の粘土の状態が一番好きだと言っていたそう。
「窯で焼かれて、完成したものを使っていると、使うほどに器の色も変化してくる。
長年使いこんだ時に、みずみずしさがよみがえって、
轆轤をひきたての時のイメージに戻ることがある。
成井さんは、そんな言葉を残しているんです」

樫の生木を削り出した器に見入る高山さん(右)。

高山家の暮らしの真ん中にあるテーブル。古材を組み合わせて丁寧に磨かれてつくられる高山さんの家具。

高山さんの工房と隣り合う自宅には、
高山さんがつくったテーブルや椅子が中心にある。
そこでお茶をのみながら、盛永さんは、
鹿児島の家族のことを思い浮かべていた。
「自分たち家族で使う家具を、僕はあまりつくっていないなあ。
いつもはどうしても仕事に追われて、我が家のことは後回しになってしまうし。
仕事場も自宅から車で40分離れている。
益子の作家さんたちのように、生活と創作の距離が近くない気がします」

そして、鹿児島に戻った盛永さんからメールが届いた。
「スターネットと高山さんの自宅や工房で過ごして、あらためて思ったことは、
自分が好きなものを揃えて使って暮らしていくうちに、
自分がつくるものにも思想が生まれてくるのではないかということです。
いつかそう遠くないうちに、高山さんのように自分の住まいと工房をセルフビルドしたい。
その夢が、今回の旅で持ち帰った、自分へのお土産です」

暮らしの中で使われることで変化し続ける、木や土の器。
つくり手の暮らしの中から生まれたものが、使い手のもとへ引き継がれ、
その暮らしの中でゆっくりと育っていく。
鹿児島の暮らし。益子の暮らし。100年前の暮らし。いまの暮らし。
つくったものを売るということは、人の暮らしと暮らしを繋いでいくこと。
さつまの作家たちが、ましこに旅をして出合ったのは、
ギャラリーやつくり手の人たちと、その背景にある、それぞれの暮らし。

最終日の搬出を終え、鹿児島に帰る作家たちを見送る時、
益子の人たちとの間で「次は鹿児島で」という声が飛び交っていた。
地域と地域、つくり手とつくり手、遠く離れた暮らしと暮らしが、
ダイレクトに結びついた交流の場。
さつまとましこの、あるいは、さつまとどこかの新しい土地と。
これからの展開が楽しみだ。

メイン会場 スターネット、
サブ会場 仁平古家具店益子店での展示風景。

zoneでは、「Crate」(盛永省治さん、写真左側)の他に、「CHIN JUKAN POTTERY」(写真右側)、空間に吊るした鹿児島の軽石にアクセサリーを展示した「samulo /semeno」(宮本和昌さん)が作品を並べた。

沈壽官窯とランドスケーププロダクツが共同で制作を行う。

古代の石やガラスを用いてアクセサリーをつくるsamulo / semeno。

recodeでは、 城戸さん、竹之内さんの他に、革の「RHYTHM」(飯伏正一郎さん、写真)、「INDUBITABLY」(西ひろみさん、有村りかさん)が展示を行った。

INDUBITABLYは、1900年代前半のフランスと日本の布やパーツを用いてアクセサリーやバッグなど布のアイテムをつくっている。

サブ会場となった仁平古家具店では、売り場奥のスペース(左)が展示会場となり、「Roam」(松田創意さん)、植物を中心に創作活動を展開する「ARAHEAM」(前原良一郎さん、宅二郎さん)が展示を行った。

Roamの松田さんは、木と鉄などを素材に家具をつくる。

「地上に」 内藤礼 旅の記録 奥・その2

書籍『O KU 内藤礼 地上はどんなところだったか』

この連載をまとめた書籍「O KU」が刊行されました。

また、東京都庭園美術館で12月25日(木)まで開催されている
内藤礼さんの個展「内藤礼 信の感情」にて、
2013年にコロカルで限定公開した映像作品「地上はどんなところだったか」が上映されます。
本展覧会にも登場する、きぼうの方に向く《ひと》が、沖縄の村落「奥」を旅する映像作品です。
上映の日程は、2014年11月29日(土)、12月6日(土)、12月13日(土)、12月20日(土)。12月20日(土)には内藤礼さんのアーティストトークも行われます。
時間の積層と人が過ごした気配を感じる本館と、
新館のホワイトキューブの空間に、内藤礼さんの新作たちが命と色を吹き込みます。

詳細はこちら

農のある暮らし、小豆島ひとやまの春

自分たちの食べるものを、自分たちの手で。

陽射しが強くなり、日中は暑いくらいのここ数日。
田んぼに水が入り、稲の苗が植えられ、夜はカエルの合唱。
ここで暮らしていると季節の移り変わりをはっきりと感じます。
そう、すっかり季節は春となりました。

お友だちと一緒に田んぼでカエル探し。結局泥だらけになって帰りました(笑)。

私たちが小豆島に引っ越してからやろうと思っていたことのひとつに「農業」があります。
自分たちがどんな風に生きていきたいのかを考え、いろいろな本を読んでいた時に、
「半農半Xの種を播く」(塩見直紀著)という本の中で、

Familyという英語はラテン語のFamiliaから派生したもので、
今は「家族」と訳されるこの言葉の語源をさかのぼっていけば、
「一緒に耕す者たち」すなわちFarmerに通じている

という一文がありました。
まさにこれだ! とすごく感動した記憶があります。
自分たちの手で自分たちの食べるものを作りたい、
子どもと一緒に家族で野菜を育てたい、
育てた美味しいものをみんなで食べたい。
そして将来的には農業をベースにした生活を成り立たせたいという思いから、
引越して半年、少しずつ畑で野菜を育てています。

家族でしょうがの植え付け。ちゃんと植え方を教えてもらいながら。

自給率100%のサラダ。この春収穫した野菜たちで朝ごはんのサラダを作ります。

幸い、私たちにはおじいちゃんの残してくれた畑がいくつかありました。
ただそのほとんどが休耕地になっていて、雑草だらけ、木は伸び放題。
プランターでトマトを育てたことくらいしかない私たちにとって、
おじいちゃんの農機具がいくつかあってもそれをどう使っていいのかわからず、
さらに何から手をつけていいのかまったくわからず、そんな状態。
ただ気持ちはあったので、隣の家のおっちゃん、おばちゃん(遠い親戚)や、
島で有機農業を営んでいる有機園のおっちゃん、おばちゃんに
とにかくやりたいことを話していました。

ちょうど一年前の畑。雑草だらけの休耕地。

するととてもありがたいことに引越して1か月もしないうちに、
隣のおっちゃんがトラクターで雑草だらけの畑の土をおこしてくれて、
おばちゃんがレタスやネギの苗を持ってきてくれて植え方を教えてくれました。
そして有機園のおっちゃんが堆肥の作り方やチェンソーの使い方を教えてくれたり、
年明けに麦を植えたり。
2月には私の父がやってきて、畑の伸び放題の木々を伐採。

隣の家のおっちゃんと。トラクターで雑草だらけの畑の土をおこしてくれました。

隣の家のおばちゃんの畑。畑のことから地域のことまで、いつもいろいろ教えてくれる先生です。

私たち(30代)の親やその上の世代は本当にすごいなと改めて感じた。
このおっちゃん、おばちゃんたちの知識やパワーを借りなければ、
私たちだけでは何もできない。
こうやって素直に教えてもらいながら、助けてもらいながら、
少しずつ畑で野菜を収穫できるようになってきました。

ニンジンと麦。少しずつ畑らしくなってきました。

引越して半年後の春、去年の秋に植えた
玉ねぎ、レタス、キャベツ、エンドウ豆、そら豆、イチゴなどを収穫。
そして新たに、ニンジン、ゴボウ、ジャガイモ、トマトなどを植え付け。
庭では、おじいちゃんが残してくれたサクランボの木にたくさんの実がなり、
それを収穫してチェリー酒やジャム作り。
もうすぐ梅を収穫して、梅酒や梅シロップを作ろうかと。

サクランボの収穫。とても綺麗な赤い実。ジャムとチェリー酒を作りました。

農業で生計を立てていくことは、とても難しいことだと思う。
課題はたくさんあり、まだ始まったばかり。
でもそんな日々は楽しくもあり、やりがいもある。
そしてここには、農のある豊かな暮らしがあります。

森をひらくこと、T.O.D.A.

さまざまな人が訪れる森に。

那須塩原の駅から北西に約10km。
街道から少し入ったところに広がる森の中に
「森をひらくこと、T.O.D.A.」と名づけられた場所がある。
日本各地でよく見られるような、木々や草花が生い茂る森だが、
少し切りひらかれたところに、かわいらしい建物がふたつ建っている。
こんなところに、と一瞬目を疑ってしまうようなちょっと不思議な印象は、
やがて微笑んでしまうような安心感に変わる。
なんというか、心地よい空気が充満しているのだ。

「遠いところ、よくおいでくださいました」
と笑顔で迎えてくれたのは、戸田香代子さん。
この場所は、戸田さんの先祖が明治時代に開拓した土地。
このあたりの地名も戸田というほど広大な土地だ。
かつて戸田農場と呼ばれる農場を開墾しようとしたが、
植林して林業へ方向転換し、やがて林業がすたれると、
人が入らない森になってしまった。
全部で30ヘクタールもの土地だが、その10分の1ほどの3ヘクタールを切りひらき、
もう一度、人が入れるような森にしようとしたのがこの場所。
ふたつの彫刻のような建物は、イベントやワークショップなど
さまざまな目的に使える「OPEN PLACE」と、
森の恵みを味わうことのできるカフェ「KITCHEN PLACE」。
このプロジェクトのディレクターである豊嶋秀樹さんがコンセプトを手がけた。
豊嶋さんは大阪を拠点とするクリエイティブ集団「graf」のメンバーとして活動し、
2009年からは「gm projects」のメンバーとして、
さまざまなプロジェクトを手がけるクリエイティブディレクター。

戸田さんと豊嶋さんの出会いは
「スペクタクル・イン・ザ・ファーム」というイベントがきっかけだった。
那須の牧場や旅館、カフェなどを舞台に、
音楽、ファッション、アート、演劇などさまざまなイベントを展開。
東京でファッションブランド「THEATRE PRODUCTS」を主宰する
金森香さんらが企画し、2009年と2010年に、それぞれ2日間行われた。
戸田さんは2009年に実行委員の手伝いをしていたが、
2010年には本格的にイベントに関わることに。

もともとこのイベントとは別に、戸田さんは那須地域で障害を持ちながら
絵を描いている作家たちの展覧会「つながるひろがるアート展NASU」を、
那須のリゾートホテル「二期倶楽部」や「山水閣」、
人気カフェ「1988 CAFE SHOZO」などを会場にして開催してきた。
この展覧会をスペクタクル・イン・ザ・ファームの関連企画として、
同時期に開催することに。
さらに、切りひらいた戸田の森にあった古い廃屋を、
スペクタクル・イン・ザ・ファームの会場のひとつとして
使わせてほしいという要望があった。
これをきっかけに人が来てくれるならと、戸田さんは快諾。
「つながるひろがるアートの森・TODA」として、
そこでインスタレーションを制作、展示したのが豊嶋さんだった。

スペクタクル・イン・ザ・ファームは、行政主導ではない、
民間の人たちでつくりあげたイベント。当初は懐疑的だった地元の人たちも、
実際にたくさんの人が訪れたことで盛り上がり、2年目はより多くの協力者を得て、
1日で約8000人の観客を呼ぶという大成功をおさめた。
このイベントで、地域の結束力は高まったという。
「それまでは市や観光協会がやってくれるという雰囲気でしたが、
まず自分たちで考えようという意識が強くなりました。
いまでは自分たちが動かして、そこへ行政がついてくるという、
理想的なかたちになってきたと思います」と戸田さん。

「OPEN PLACE」は展示やワークショップなど、さまざまなイベントができる多目的スペース。レンタルも可能。三角屋根の上には噴水がついている。

こちらは「KITCHEN PLACE」。なんと屋根には柿の木がある。OPEN PLACEもKITCHEN PLACEも、壁面はフラットではなく、凹凸があって彫刻のようなテクスチャー。最初の模型は紙粘土でつくり、それをそのまま大きくしたような建物。

豊かな森と、森に住む動物たちを守りたい。

ふたたび話を森に戻そう。戸田さんが森をひらこうと思ったのはなぜか。
「山や森は人が手を入れないと荒れてしまう。この森もだいぶ荒れてしまっていたんです。
いま日本では木を切ってもお金になるばかりか、お金がかかる一方で、
手がつけられない山はたくさんあります。
でも木がやせ細って病気が蔓延し、木がだめになってしまうと、
そこに住む動物たちもいなくなってしまいます。そういうことに胸を痛めていました」
この森にはたくさんの動物たちが住んでいる。
ムササビ、ウサギ、キツネ、なんとツキノワグマもいるという。
ときおり顔を見せる動物たちに、豊かな自然を感じる一方、
山が荒れてしまっているために、動物たちが家畜の餌を狙うなど、問題もある。
動物たちのためにも、森の手入れが必要なのだ。

広大な土地に目をつけられ、これまで多くの開発業者に開発を持ちかけられた。
アウトレットやショッピングモール、ゴルフ場……。
戸田さんが、いまある木を残して、自然の景観をいかした開発ができるのであれば、
と言うと、業者は諦めていき、やがてそんな話はこなくなったそうだ。
現在は、そんな戸田さんの考えに共鳴してくれる人も増え、地元の森林組合とともに、
この森をモデルになるような雑木林に変えようと取り組んでいる。
毎年草刈りをしたり、今後もさらに森を間伐して、少しずつひらいていく予定だ。

もともと戸田さんはこの土地の生まれではない。
鎌倉で生まれ、子ども時代は名古屋、そのあとは東京暮らしが長かった。
30年ほど前に、戸田家の土地に戸田調整池というため池をつくることになり、
その事業のために引っ越してきた。不便に感じることもあるが、
ここに残る自然に毎日触れていると、東京には戻れないと笑う。

山と、山に住む動物を守りたい。
そしてその自然とともにある暮らしというものが、
もともとここにあったはずだと戸田さんは言う。
グリーンツーリズムという言葉はいまでは珍しくないが、
いち早くグリーンツーリズムの考え方に感銘を受けた戸田さんは、
ヨーロッパにも数回渡って勉強した。
「地産地消という言葉は、グリーンツーリズムから入ってきたと思っています。
もともと那須にあるお野菜や川魚を、よそから来た人に食べてもらう。
そういうことによってこの地域の経済圏が成り立つ。
そのためにあるのがグリーンツーリズムです。
もともと地域にあるものを保存して大切にしながら、次の世代につなげていく。
そういうことをやりたいと思っています」

KITCHEN PLACEは、人が集うためのカフェ。地元のお客さんが多い。

KITCHEN PLACEの2階の窓から森を眺める。

「森のボウルミール」(1100円)。たくさんのお野菜を掘っていくと、下にはクスクスが。いろいろなおいしさがつまった一品。このほかチーズや半熟目玉焼きが乗ったクロックマダム「森のマダム」などのメニューがある。

ゆっくり少しずつ、ひらかれていく森。

ディレクターの豊嶋さんは、この「森をひらくこと、T.O.D.A.」というプロジェクトに、
明確なゴールはないと話す。
「まずはいろいろな人にここを訪れてもらって、
森と人との新しい関係をつくっていく……ということを考えることを目的にしたい。
そのこと自体を『森をひらくこと』と呼ぼうと。
いろいろな人に関わってもらうなかで、
だんだんとこの場所ができていくといいなと思っています」

考えることが目的。そのために、まずは人が集える場所と、
みんなで食べたり飲んだりできる場所が必要だということで
「OPEN PLACE」と「KITCHEN PLACE」をつくった。
OPEN PLACEは、使い方を限定しない、多目的スペース。
展覧会もできるし、結婚式の会場として使ってもいい。
「ひとつひとつの建物が器のようになればいいなと思っています。
そのときによって違う料理が乗っているお皿のような存在にしたい」と豊嶋さん。

この場所がオープンした2012年9月には、ゲストを招き、
毎週連続でワークショップやレクチャー、ライブが催された。
森についての話をしてもらうのではなく、
ジャンルを横断して活躍しているような人や、
ちょっと変わった新しい活動をする人たちに、
この森に来てもらうことが大事だったという。
「この森がどんどん横に展開していくようなイメージ。
ここに人がいる状況で、この森がどう移り変わっていくのか。
そういうことを楽しんでくれそうな人に声をかけました。
同じことでも、東京でやるのとこういう環境でやるのは、
また違うできごとになったのではないかと思います」

現在は、OPEN PLACEで佐々木 愛さんの展覧会「Landscape Stories」を開催中。
佐々木さんも、豊嶋さんが当初からここで何かやってほしいと考えていた
アーティストのひとり。
佐々木さんは、これまでさまざまな場所に滞在しながら、
インスタレーションやペインティングの作品を制作してきた。
その土地の風景や、土地にまつわるストーリーからイメージを膨らませて、
制作していくというスタイル。
展示している新作は、制作中の絵画作品を持ち込み、
ここに滞在しながら完成させていった。
またこれまで世界各地で訪れた森を想い、『森をはこぶ』という
すてきなビジュアルブックを制作。その原画も展示されている。

「ここには数回来ていたのですが、制作に来てみたらやはりイメージが違いましたし、
毎日森の中にいて、自分の気持ちも少し変わりました。
だから新作は、全体のトーンをこの場所に合わせて調整したという感じ。
こういう贅沢な展示はなかなかできないですよね」
この場所の空気が絵に入り込む。自然とそうなってしまうと佐々木さん。
「近所に住んでいる人や、そこにあるものに影響されてしまう。
わりと単純に環境に左右されるほうかもしれません。
冬に八甲田に滞在していたら、雪山の絵ばかり描いていました(笑)」

OPEN PLACEの扉を開くと、天井が高く明るい空間が広がる。ここで初の展覧会開催となる。

当初は作品を仕上げてから持ってこようと考えていた佐々木さんだが「光が違うだろうなと思って」ここで滞在しながら作品を完成させた。

この展覧会に合わせて制作したビジュアルブック『森をはこぶ』の原画。佐々木さんはこれまで、都会より山や森に近い場所で滞在制作することが多かったそう。

壁画など巨大な作品を、時間をかけて制作することも多い佐々木さん。この場所では、砂糖を使った「ロイヤルアイシング」という技法のワークショップも開催した。

戸田さんや豊嶋さんたちは、今後「NEST PLACE」の建設を企画中。
NEST=巣、つまり滞在できるスペース。
少しずついろいろな場所ができてくることによって、
関係性や新しい要素が見えてくる、と豊嶋さん。
「滞在できる場所が増えたりすると、またいろいろなことがつながったり
起こったりするんじゃないかと思います」
生きている森のように、有機的にいろいろなことが生まれ、広がっていく。
まさにこの森は、多くの人にひらかれた場所なのだ。

ディレクションするにあたって、なんとなく学校のようなイメージがあったという豊嶋さん。その理由は「戸田さんは学校の理事長さんみたい。校長先生というより理事長」。「この数年間は人生がギュッと凝縮されたように充実しています」と戸田さん。

小豆島 Part4 桶を守れば、小豆島がうるおう!?

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

祖父が島に残してくれた、たからもの。

山崎

伝統産業も伝統工芸も生態系と同じで、
さかのぼってつながるすべてのものが健全でないと、うまくいかない。

山本

そこに気づかないと、ある部分がふと抜け落ちてしまうんですよね。
むかしながらのいいものが、どこかで手を抜かざるを得なくなってしまう。
しかもそれが根っこの部分だった場合は、もう致命的です。

山崎

ぼくたちにとって大事なものを未来にきちんと残していくためには、
まわりの環境も整えてホンモノを保たないと、続いていかないということですね。

山本

実はさきほど、箍(たが)を編んでいると言いましたが……。

山崎

組んだ樽を固定している、竹で編んだ縄のような輪っかの部分ですね。

山本

この19石(*1)の大きな樽用の箍を編むには、
13メートル以上の長さのあるマダケが必要なんです。
だけどこれもまたなかなか希少なものでね。
だけど、京都の山から切り出してその場で削り、
さらに小豆島までフェリーで運ぶには、丸めざるを得ない。
そうするとどうしても型がつく。そこで、桶屋がこう言うんです。
「むかし、島に桶屋がおったんやったら、
マダケの薮があるはずやから、探してみろ」と。

山崎

ほぅ……。

山本

言われるがままに探してみたら、近所のひとがこう言うんです。
「箍を編むマダケやったら、将来のことを考えて、
お前のじいさんと一緒にあそこの山に植えたぞ」って……。

山崎

すごい!

山本

でしょう。ぼくもさすがに、涙が出ました。

*1 石(こく):お米を表す単位のひとつ。1石は約180.39リットル。

山本康夫さん

「まさか、うちの祖父が島内にマダケを植えてくれていたなんて、ほんとうに奇跡のようなはなしです」と山本さん。

木樽づくりが島の暮らしの生態系につながる。

山本

うちみたいなちいさな醤油屋は、大手と競ってもしかたがないですから、
とことん丁寧にやるだけです。
小豆島の醤油屋は木樽をつかっているところが多いですから、
それをぼくら自身が修繕できるというのは、ものすごい強みになるはずなんです。

山崎

しっかり足下を見るのがいちばんですね。

山本

島全体で木樽づくりに注力すれば、
きっと醤油のブランド価値があがると思っているんです。
すると、その醤油でつくる佃煮もそうめんもうまい、ということになる。
小豆島は食品産業の従事者がいちばん多いですから、
すなわち島のうるおいにつながるはずなんです。

山崎

お、道具から、ものづくりだけでなく、島の生活まで繋がりましたね。
「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざもありますが、
まさにそんなイメージですね。産業、あるいは暮らしの生態系ですね。

山本

つながる理由があるから、つなげる。

山崎

ローカルデザインとは、つまりそういうこと。
どこかでぶつ切れになっていたら、成り立たない。

山本

ひとりでやろうとしないこと。
ぼくは40歳になって、樽のことをやろうと思った。
あとに続くまわりの20代、30代も、それをみて、
じぶんができることをやろうとしてくれる。
そうやっていけば、いいつながり、いいスパイラルが生まれるはずなんです。

山崎

そうですね。「小豆島のなかで一番」を競い合うのではなく、
「小豆島は醤油の島だ」ということを
みんなで盛り上げていけたらいいんだと思います。

山本

醤油って、ひと樽つくるのに4〜5年かかりますからね。
醤油屋やってると「長い目でものを見る」感覚が養われるのかもしれません(笑)。

山崎

小学生の息子さんたちが6代目になるころのことが、
ぼくもたのしみになってきました。
父親のこれほどの本気を受け継ぐんですから。

山本

娘もいれて、3人もいますから。
長男が醤油屋を継いで、次男が桶屋になってくれたら言うことなしです!(笑)

ヤマロク醤油の軒先でいただける「アイスクリームの鶴醤かけかけ」

ヤマロク醤油の軒先でいただける「アイスクリームの鶴醤かけかけ」300円。バニラの甘さと醤油のほどよい味わいがバランスよく。

木樽の中で二人並んで写真を一枚

ひとつひとつの木樽の大きさを実感。「小豆島全体で、未来に向けて木樽仕込みの醤油を守り継げるといいですね」

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈前編〉

ふたつの地域をつなぐ展示。

山桜の季節も終わり、田には水が張られて田植えも終わったというのに、
花冷えの戻りのような冷たい風の日が続いていた栃木県益子町。
一転して朝から気温が上がり始めた5月9日、夏日に近い陽ざしを連れて、
1500キロ離れた鹿児島から「さつまもの」の作家たちがやって来た。

「さつまもの」は、さまざまな分野でデザイン活動を展開している
「ランドスケーププロダクツ」の代表・中原慎一郎さんが
故郷の鹿児島で出会った魅力的なプロダクトや食のアイテムを
薩摩の「よかもん」として紹介しているプロジェクト。
展示イベントとしては、2009年から、
旭川、神戸、高松、ロサンゼルスなど国内外各地で開催され、
今回の益子開催は、中原さんとスターネット主宰の
馬場浩史さんとの繋がりから企画がスタートした。
5月11日から19日まで、スターネットをメイン会場に、
益子のつくり手たちが共同で運営している「ヒジノワCAFÉ&SPACE」と
仁平古家具店益子店の3会場で開催されることになった。

中原さん(右)と同郷の坂口修一郎さん。ふたりは、益子と笠間(茨城県)の作家や工房が80以上も参加した2011年秋の「KASAMA∞MASHIKO」展(伊勢丹新宿店)も手がけ、益子のつくり手たちとの親交も厚く、「ホームのような土地(坂口)」。

つくったものを携えて知らない土地へ旅をしよう。

「さつまもの」では、作品や商品だけをアウェイの地に送り込むのではなく、
作家も「旅」をする。
作家が現地に行き在廊することは、もちろん他の展覧会でも行われているが、
中原さんは「さつまもの」への参加を誘う時、「旅をしよう」と作家に声をかける。
今回、ヒジノワに出展した「Lanka」の大山愛子さんも、
鹿児島のイベント会場で、中原さんに誘われた時の言葉は
「栃木の益子に行ってみない?」だったそう。

旅をしよう。その言葉の意味を中原さんにうかがった。
「作家活動って基本は個人的なものだけど、集まることも単純だけど大切なこと。
集まることは、知り合うこと。
新しい土地と知り合う、今まで出会えなかった人と知り合う。
それは自分が動いて地元から出て行かないと体験できないものだし、
もともと、僕自身、まず動きながら考えるタイプで、
動くことで得られたものはプラスになっていることばかり。
そんな感覚や体験を若い作家たちにも感じてほしいと思って声をかけています。
旅って、その場ですぐに結果が出なくても、その後、じんわりと何かに繋がっていったり、
新しいことが始まるきっかけになったりします。
みんなも、そう信じてついて来てくれているみたいです。
旅をしていくなかで何かを感じて、そこからはそれぞれが何かに繋げていく。
そして自分のまわりの若い作家にも、動いて知り合うということを伝えてほしい。
そんな展開がどんどん繋がっていったら、もっと面白くなります」

薩摩の作家たちが栃木の益子に旅をして出合ったもの、知り合った人。
これからの自分へ、お土産として持ち帰る、何か。
迎え入れた益子の土地から2回にわたってレポートします。

さつましこ 1
イラストレーター江夏ジュンイチ(さつま)meets
濱田庄司記念益子参考館(ましこ)

江夏さんは、鹿児島を拠点に都内からも仕事を受け活躍するイラストレーター。
今回は、ヒジノワCAFÉ&SPACEで、
アクリル画やペンで描いたイラスト作品を中心に展示を行い、
来場者の「ちょっと似ている似顔絵」を描くワークショップも。
似顔絵は、以前出展していたイベントで、手持ち無沙汰な時に、
何かできないかな? と、さらりと描き始めたとのこと。そんな話を聞くうち、
「陶芸の文様も好きなんですよ。だから益子に来るのを楽しみにしていました」
と江夏さん。
「それでは、益子の陶芸と民藝の聖地、益子参考館に行きましょう!」
益子チームの提案に顔をほころばせる江夏さんに
「濱田庄司のお孫さんで陶芸家の友緒さんがいらっしゃるかもしれません。
せっかくですから似顔絵でもさらりといかがですか?」と続けると、
「ちょっと緊張しますね」
「展示してある写真をたよりに濱田庄司の似顔絵もどうでしょう?」
「人間国宝ですよね。僕の絵のせいで、鹿児島県民が
さんぽうかんに出入り禁止にならないようにしないと……」
緊張が高まったのか、「さんぽうかん」と言い間違えてしまい、
周囲にネタにされてしまう江夏さん。

スターネット recodeで展示をしている陶芸家の竹之内琢さんも一緒に参考館を訪ねると、
鹿児島からのお客さまということで、濱田友緒さんが案内してくださることに。
参考館は、全国から寄せられた寄付をもとに、
この3月に震災で被災した石蔵などの修復工事が終了し、
リニューアルオープンしたばかり。
大正時代に作られた2号館と3号館の石蔵は、震災で大きく亀裂が入り、
古い手掘りの大谷石の中に新しく修復した色味が違う石が混じる。

「鹿児島には、こんなに古く立派なまま残っている建物は少ないです。台風の被害が大きいからですかね」と竹之内さん(左)。「益子に来てから、立派な堂々とした古い建物がたくさん目につきますよね」と江夏さん(右)。中央が濱田友緒さん。

1号館では、濱田庄司の大皿作品や、富本憲吉、バーナード・リーチ、河井寛次郎など、
庄司と親交があった作家たちの作品を見る。
庄司の晩年の作であるという、釉薬を流し掛けした大皿もある。
「庄司は筆も早いし轆轤も早い。釉薬をかけて指でさっと掻き落とすなど、
一瞬で決める即興的な仕事が特徴でもありました」という友緒さんの説明に、
江夏さんは感慨深げに頷いている。
庄司の釉薬の流し掛けは、柄杓ですくって、一瞬でさっと掛ける。
「飛び散る釉薬がもったいない、という声もあったようです」
という友緒さんの話に江夏さんの目が輝く。
「皿から地面に飛び散った釉薬って、下に紙を敷いておいたら
アートとして成立したかもしれませんね。見たかったなあ! 
ものづくりの人が作業しているところや、
作業した痕跡みたいなものにとても興味があります」

長期滞在した沖縄で見た、どこまでも続くさとうきび畑に心を動かされた濱田庄司。濱田作品で代表的な文様になった「唐黍紋」に見入る江夏さん。

「ほんの数秒」を大切にした濱田庄司の気持ち、わかります。

2号館、3号館を見学した後、
庄司が暮らしていた頃から「上ん台」と呼ばれていた4号館へ。
1942年に隣町から移築した庄屋作りの大きな民家で、
国内外に交友関係が広かった庄司のゲストハウスとして使用されていた。
益子の陶芸仲間や後進たちだけでなく、庄司を慕ってくる旅人を迎え、
ともに食卓を囲んでいた空間で、江夏さんは友緒さんと向き合い、
「ちょっと似ている似顔絵」を描くことに。

似顔絵を描く江夏さんを友緒さんがスマホのカメラで撮影する。

友緒さんからは、「実物よりいいですね」と嬉しいひと言。

江夏さんは、「ちょっと」似ていることにこだわり、
ほんの2〜3分、ペンを無心に動かして似顔絵を仕上げる。
時間をかけて人の顔を書くと、雑念が入って「余計なこと」をしてしまうから。
「今日、濱田庄司が釉薬を流し掛けする時の話を聞いて、
おこがましいかもしれないけど、一瞬で決めようとする気持ちは
僕にもわかると思いました」

「15 SECONDS + 60 YEARS」
震災で被災した益子参考館再建のために地元の窯元や陶芸家、販売店などが
チャリティで制作販売したTシャツに描かれたキャッチコピーだ。
15秒プラス60年。
これは、濱田庄司の流し掛けにまつわるエピソード。
15秒ほどで決めてしまう流し掛けに、
「15秒では物足りないのでは?」と訊ねた客に
「プラス60年と考えてはどうでしょう」と庄司は答えている。
一瞬で決める仕事の背景にある長い年月の研鑽の積み重ねは、
多くの出会いの積み重ねでもあった。
庄司は、神奈川に生まれ、京都、沖縄、益子、そしてイギリスなど海外での滞在も長く、
その60年は、旅先で知りあう人々や心惹かれる風景や造形との出会いの繰り返し。
そのすべての上に立ち、雑念を除き無心に釉薬を汲んだ柄杓を動かした。
江夏さんが気持ちを重ねようとした、濱田庄司が作品を生み出した手の軌跡。
益子で江夏さんが出会った、庄司が遺した軌跡や言葉は、
ひとつの旅を終えた江夏さんの表現活動のなかで、
小さな芽吹きを繰り返していくのだろう。

展示写真を手がかりに描いた、ちょっと似ている濱田庄司。

さつましこ 2
サカキマンゴー(鹿児島出身)× 高山源樹(益子在住)

初日11日にはレセプションイベントとして、
アフリカの民族楽器「親指ピアノ」奏者・サカキマンゴーのライブも開催された。
さつまものの作家も益子側のスタッフや作家も、
それに益子のお隣の陶芸のまち笠間(茨城県)の作家も集まり、
さつまものの食と音楽を楽しみながら、またとない交流の場となった。
マンゴーさんは、アフリカツアーから帰国してすぐの益子入り。
長旅の疲れも見せず、軽妙な鹿児島弁も駆使するマンゴーさんの演奏とMCに
会場の観客は湧き、時にじっくりと耳を傾ける。
もっとも盛り上がったのが下の写真のシーン。
ミュージシャンとしてのキャリアも長い、ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんが、
益子の高校生ジャンベ奏者、高山源樹くんに声をかけ、
さつま × ましこのセッションが実現した。
高山くんは、小学校2年生の頃から
自宅にあったジャンベを自己流でたたき始め、かなりの腕前。
小さいころから両親と国内外の旅を重ねていることもあり、感度が高い。
坂口さんもトランペットで参加し、3人で「茶わんむしのうた」を演奏。
この歌は、大正時代に鹿児島の田舎町で小学校の学芸会の劇中歌としてつくられ、
歌い継がれているもので、マンゴーさんがラテンのリズムにアレンジしている。
マンゴーさんと高山くんは、この日が初の出会い。
それにもかかわらず、リハーサルなしで息の合った演奏となったのは、
旅や新しい出会いを求めるお互いの波長が、ぴったりと合ったからなのかもしれない。

サカキマンゴーさん(左)、坂口修一郎さん(中央)、高山源樹(右)さん。スターネット recodeにて。

サブ会場 ヒジノワCAFÉ&SPACEでの展示風景。

ヒジノワのスペースでは、個人作家と工房あわせて7つの展示が行われた。
江夏さんは、アクリル画やイラスト作品などのほかに、
鹿児島の奄美地方の菓子、ピーナッツに黒糖をからめた
「がじゃ豆の作り方」という部数限定の手づくり本も販売している。
失敗した時のための本物のがじゃ豆(黒糖ピーナッツ)付き。
手づくりのがじゃ豆をプレゼントする時に使えるという、
イラスト入り袋も用意してある。
自分自身も楽しみながら、さつまのよかもんを益子で伝えたい。
そんなぬくもりを感じる表現のカタチだ。

江夏さんの「がじゃ豆のつくり方」ブック。

白い壁のスペースでは、江夏さんの他に、やまさき薫(イラストレーター)、ぺーパークラフトの「サルビア工房」上原かなえ、就労支援のNPO法人「Lanka」の天然素材石けんなどのプロダクツを展示。

黒い壁のスペースでは、木工の「AkihiroWoodworks アキギロジン」、秋廣琢、アクセサリーの「YUKO HODATE」の作品を展示。

後編では、木工作家、陶芸家たちの交流をレポートします。

「世界文化遺産の店」 結果発表第6弾

富士山だけじゃない。

ついに富士山が世界遺産に登録されるとのこと。
そんな動きとはまったく関係なく、
勝手に世界遺産に認定していこうというこのコーナー。
では、今回もみうら所長の講評です。

なかPさんの投稿
近所のたこ焼屋さんです。
老舗のユルイ店の空気感出してますけど、
実は建物が古いだけで最近できた店であること。
銀色のタコは電動で動いていることなどから
実はマーケティングや戦略がきちんと練られた店なのではないか? と睨んでいます。
撮影場所:京都市

みうら:雨戸を開けたとき、タコはどうなるのだろうか?

tala・laさんの投稿
トルコと姫の関連性を教えて下さい。
撮影場所:長野県松本市

みうら:どんな姫なのか? 想像するとコワイ。

小作人さんの投稿
藤岡弘、隊長もブッシュマンを見つけやすくなったと思います。
撮影場所:兵庫県川西市

みうら:いまこの表記、マズイみたいよ。
だから「コイサンマン」に早く替えなきゃ。

yotecoさんの投稿
この医学院、食中毒に特化してそう。
撮影場所:北九州市門司港

みうら:医学ということは担当は薬師如来だね。
それにしても大きく出たね。釈迦族じゃないのに。

ライレイさんの投稿
「ふみきり屋」?「踏切や!」???
撮影場所:三重県紀北町 紀伊長島駅近くの踏切横

みうら:どこでふみきりを手に入れたか? そこが知りたい。

ウンナンテラダさんの投稿
チョンマゲはいいとしても、ナウい髪型は頼む勇気が……。
撮影場所:島根県大田市

みうら:もう、この時点で入るのやめるよね。

つつみさんの投稿
木を切る
要領でやってもらっちゃ困る。
撮影場所:北海道札幌市

みうら:そもそも与作の担当は”木“だもんね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
まちでおかしなモノを見つけたときって、本当はおかしいわけじゃなく、
おかしいとしか言いようがないっていうか、自分にはちょっと理解出来ない、
笑って誤魔化すしかないってことなんだよね。
もし自分が店を出すとして、こんな名前じゃとか、
こんなメニューは無しでしょみたいなこと。
こんな土産物、一体誰が買うんだ? って、
そもそも企画段階で止めなきゃダメじゃんと思う自分って、
つまらないほどマトモ人間であって。
だからこそ、そーゆー、一見して役に立たないとか、価値がないとか、
いらないものが分かってしまう自分って、どうなの? って、思うことがあるよ。
そんな人やそんな物ばかり笑ってないで、
こちらも世間から笑われるよう仕向けたほうがいい。
無駄と即、思うものをかなりの金かけて出すとか。
頼まれてもいない絵を描き続けるとかさ、
何でそんなに長く髪伸ばしてんの? レベルでも意味さえ無ければいいんだ。
出来る限り意味のない人生を。
こっちは一生懸命やってんのに結果はいつも空回り、を目指して
日々、修業なんだな。レッツ! 空回り。

編集部より
まちで見かけた意味不明なモノたち。
「世界遺産の店」「いやげ物」「ヌー銅」「フィギュ和」を送ってください。
いまならみうら所長の最新著書『キャラ立ち民俗学』を抽選でプレゼントします。
投稿お待ちしています!

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

村人がつくり楽しむ農村歌舞伎

皆で一緒に楽しむために。

あっという間に終わってしまったゴールデンウィーク。
今年はお天気にも恵まれ、とても気持ちのいい連休でした。

その連休のまんなか、5月3日に毎年恒例の「肥土山農村歌舞伎」が開催されました。

5月3日に開催された肥土山農村歌舞伎。お天気にも恵まれ桟敷席はお客さんでいっぱい。

肥土山農村歌舞伎は、300年以上続く肥土山地区の伝統芸能。
その昔、肥土山は毎年のように水不足。
困った百姓たちを救おうと、時の庄屋太田伊左衛門典徳さんが
3年の歳月と私財を投じて蛙子池を完成させ、
その水が伝法川を伝って肥土山へ流れてきたのを大変喜んだ村人たちが、
肥土山離宮八幡神社の境内に仮小屋を建てて、芝居をしたのが始まりと言われています。
なんとも昔話に出てきそうなお話。
それがこんなに身近にあるから驚きです。

太田伊左衛門典徳さんが造成した蛙子池。現在もこの池からの水を肥土山の農家さんたちは利用しています。

今年は私たちが初めて住民として参加する農村歌舞伎。
実は見るのも初めて。
そしてさらに歌舞伎の演目と演目の間の舞踏に、
いろは(5歳の娘)が参加することになったので、
初めての農村歌舞伎ながらいきなり深く関わることに。
3月2日の「練固め(ねりがため)」という顔合わせから始まって、
5月4日の「どうやぶち」という打ち上げまでの2か月間、
どっぷり歌舞伎な日々でした。

「練固め」の日の子どもたち。子ども歌舞伎や舞踏を担当します。緊張しながら皆さんに挨拶。

踊りの練習。同じ幼児園のお友だちとふたりで先生に教えてもらいます。

本番までの1か月間は、ほぼ毎日踊りの練習。
幼児園が終わってから、そのままお稽古。
「お願いします」
「ありがとうございました」
踊りはもちろん、始まりと終わりの挨拶など礼儀作法まで、
島に住む踊りの先生がとても丁寧に教えてくださいました。
そして家でもお友だちと自主練。
子どもと一緒にひとつの目的に向かって一生懸命頑張ることはとても楽しい。

先生の顔をしっかり見て「お願いします」の挨拶。当たり前のようでなかなかできない礼儀作法を教えてもらいました。

こんなふうにして、役者から大道具、着付けなど
すべてを肥土山で暮らす人々が担当し、当日に向けてつくりあげていく。
別にお金をもらってるわけでもないのに、皆が責任感をもち、
いいものにしようと自然と頑張れるこの雰囲気は本当にすごいなと感じました。
こんな田舎に、むしろ田舎だからこそなのか、
理想的なプロジェクトの進め方がしっかりと存在してる!

本番の舞台で位置合わせ。肥土山のおっちゃんたちが舞台の設置や準備をしてくれます。

そして当日15:30から開演。
夕方から夜にかけて、舞台うしろの暮れゆく風景を眺めながらの歌舞伎は
本当に最高だった。
農村歌舞伎は全然難しいものじゃなくて、
同じ地域に住むあの人、あの子が演じているのを見るのはとても楽しかった。
地元ネタなどのアドリブもあって、観覧席からどっと笑いも起こっていました。

お化粧と着付けを完了していよいよ本番。大勢の観客の前で初めて踊ります。

地元ネタのアドリブがところどころに入っていて、とても面白かった。(撮影:MOTOKO)

だんだん日が暮れていき夜になっても歌舞伎は続きます。この暮れゆく風景が本当に美しい。

今年は例年に比べて若い世代の人たちがたくさん見に来ていたそうで、
大盛況だったみたいです。
私の知人も、島外島内からたくさん来てくれました。
家で作ってきた割子弁当を一緒に食べながら、皆昔からの友人のような雰囲気で。

朝から急きょ準備した割子弁当。古くから伝わる郷土料理で農村歌舞伎を見物する際に、家族の弁当を入れて背負っていく木箱。これを20人分作りました。(撮影:MOTOKO)

島内島外の知人たち。この日初対面の人もたくさん。東京から来てくださったカメラマンのMOTOKOさんが撮影してくれました。(撮影:MOTOKO)

肥土山農村歌舞伎というのは、こんなふうにして
親戚や友だちと一緒に楽しむことができるお祭りなんだなとひしひしと感じました。
来年もその次の年もこのお祭りが開催され続けるように、
肥土山で暮らす家族として少しでも貢献できるといいなと思います。
来年も皆でつくり、皆で楽しめるといいな。

アートと自然を楽しむ春の遠足

子どもと過ごす時間を増やし、地域の中で育てていく。

5月になりました。
うちのすぐ横の水路にも水が流れ始め、いよいよ田植えシーズンです。
日に日にまわりの景色の彩度が上がっていくのを感じますが、
これでまた肥土山はグーンと緑になります。
秋に引っ越してきたわたしたちにとって、肥土山の春、夏はまだ未経験。
すごくワクワクする。

そんな初めての春の週末に、幼児園の親子遠足がありました。
いろは(うちのひとり娘、5歳)は、去年から地元の幼保一体の幼児園に通っています。
同じ年の子は5人、全園児24人の小さな幼児園。
山々に囲まれ、すぐ横に田んぼや畑が広がる本当に自然豊かな場所にあります。

幼児園のテラスで遠足出発の準備。この日はとても暖かくまさに遠足日和。

遠足の行き先は、瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)のアート作品「小豆島の光」。
肥土山のお隣の集落「中山」にある、地元産の約5000本の竹で組んだ巨大ドームです。
台湾のワン・ウェンチー(王文志)さん の作品で、
棚田で囲まれた中山地区の谷間にどーんと構えるその様は圧巻。
すごい存在感なのに、不思議と中山の風景の中に溶け込んでいる、そんな作品。
ちなみに幼児園のみんなは「竹のいえ」と呼びます。

中山の風景に溶け込むワンさんの「小豆島の光」。この棚田の風景は本当に美しい。

幼児園から竹のいえまでは、歩いて約2キロ。
40分くらいかけて、親子で手をつないで、
田んぼのあぜ道や森の中の道を歩いて行きます。

実は子どもたちは竹のいえの完成前にも歩いて見に行ったことがあります。
ここの幼児園はとにかくよく歩く。
何もない普通の日でも往復で2時間くらい散歩することがあり、
ある意味ほぼ毎日遠足(笑)。
その歩く道も平坦な道路じゃなくて登り坂、下り坂が多く、
未舗装の道、ちょっと危ない川に落ちそうな道もあったり。
そして何より、そこにはたっぷりの自然があり、
畑があり、お寺があり、おっちゃんおばちゃんがいる。
散歩の途中で、畑に寄ってみかんを収穫したり、お寺に寄ってお茶をもらったり、
そういう風景が普通にあるのはとても素敵だなーと思います。

山々に囲まれた畑の中を歩きます。

幼児園のみんなにとっては見慣れたヤギさんたち。肥土山にはヤギを飼っている農家さんがちらほらいます。

棚田の中を歩いていきます。こんな坂道を毎日登ったり下ったり。

途中でイタチを発見! わぁっとみんなが駆け寄ります。

さらに今年は瀬戸芸の年なので、そこにアート作品が加わる。
幼児園のすぐ近くに、長澤伸穂さんの「うみのうつわ」、
齋藤正人さんの「猪鹿垣の島」があり、そして少し歩けば「小豆島の光」、
秋には武蔵野美術大学わらアートチームによる「わらアート」も登場します。

アートと自然を楽しむことができる遠足、
ここならではのとても素敵な遠足だなと感じました。
子どもたちにとってはアートも自然も同じで、構えることなくただ楽しむ。
歩いてる途中にイタチを発見して「わぁぁぁ!」と走り寄ったり。
竹のいえの中でも、ごろごろしたり、走り回ったり。
竹の匂いを嗅いで「バニラのにおいがするー!」とみんなできゃっきゃしたり。

地元の竹5000本で作られた「小豆島の光」は近くで見るとすごい迫力、中に入ると落ち着きます。

竹の間から差し込む光の中でゴロゴロ。みんなで温泉気分です。

友だちのお父さんにみんなで抱っこしてもらう。

そして帰り道、肥土山離宮八幡神社の横にある農村歌舞伎舞台の桟敷でお弁当。
300年以上続く伝統芸能の舞台を身近で感じながら。

普段から自由に見学できる肥土山農村歌舞伎の桟敷。木陰でお弁当の時間。

こんな風景のある小豆島の里山で子どもを育てる。
わたしたちが引っ越してきた理由のひとつでもあります。
一緒に過ごす時間を増やし、地域の中で育てていく。
リタイア後に田舎で暮らすのも素敵ですが、子育て世代こそ面白いのかもしれません。
もちろん大変なこともたくさんありますが(笑)
これから子どもがどんなふうに成長していくのか楽しみです。

小豆島 Part3 ぼくが木樽をつくることにした理由。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

戦後初めて、醤油屋として新樽をオーダー。

山崎

こちらが、5代目の建てたあたらしい蔵ですね。

山本

そうです。建て替えるわけにいかないので、蔵を半分だけ直す。
上部で空間がつながっているので、浮遊菌で発酵させているわけです。
これを続けると、孫の代くらいでこちらにもじゅうぶんないい菌がつく。
そのころまた、孫かあるいは次の代があちらを直す。
そういうふうにできているんです。
ぼくはたまたま、そういう代にあたった、と(笑)。

山崎

やっぱりはなしが100年単位なんですね……。
こちらは、ならんでいる樽もあたらしく見えます。

山本

2009年に仕込んだ12本のうち、新樽が9本、あとの3本は、
さきほどおはなししたように削って組み直したリユース樽です。

山崎

なるほど。組み直して、リユース。

山本

醤油屋として桶屋に新樽を発注したのは、うちが戦後初だそうです。

山崎

ええっ!? 戦後初? 知らないことばかりだなあ。

山本

木樽で醤油をつくってるところ自体が少ないですからね。
うちが発注しているのは大阪堺市の桶屋さんなんですが、
2000年に戦後初めて新樽をつくったんだそうです。

山崎

戦後55年もつくらなかったのに、その年になにかきっかけがあったんでしょうか。

山本

長野県小布施町の「枡一市村酒造場」で、
セーラ・マリ・カミングスさんが「なぜ木樽で日本酒をつくらないのか」と、
木樽仕込みの限定醸造をはじめたことがきっかけです。

山崎

セーラさんだったんですね。

山本

それ以降はほかの酒造も木樽仕込みをはじめるところが出てきて、
件の桶屋さんは現在、年2〜3本の新樽をつくり、
20〜30本の組み直しをしているそうです。

山崎亮さん

「戦後55年も新樽がつくられなかったなんて、ほんとうに驚きです。山本さんのおはなしは、知らなかったけれど、知らなければならないことばかりです」(山崎)

子、孫、ひ孫のことを考えると今がタイムリミット。

山崎

いい醤油をつくるためには、桶屋さんも続いてもらわないと困りますもん。

山本

そうなんです。もしも桶屋さんがなくなって技術が途絶えたら、
うちはたとえば50年後、子孫ひ孫の代に困るわけです。

山崎

後継者もなかなか難しいでしょうしね。

山本

それなら、なんとか続けてもらえるようにしごとをお願いしなければと、
2009年に借りられるだけのお金を借りて、うちも新樽を発注したんです。

山崎

なるほど。

山本

でもその桶屋の職人さん兄弟ももう60代なので、
「じぶんでも組み直せるようにしとけよ」と言われて。

山崎

それでじぶんでも?

山本

はい。大工さんと一緒に修行に行きました。
いまは竹で箍(たが)を編む訓練をしていますが、これがなかなか難しくて。

山崎

職人技ですもんね。一筋縄ではいかないはずです。

山本

大工さんたちはともかく、ぼくは人生初カンナがけからの修行ですからね(笑)。
しかもさらにこんどは、竹を割る道具をつくる鍛冶屋さんが86歳で廃業。
さすがに鍛冶屋はできないので、さいごの客として必要な道具、
銑(せん)を譲ってもらったんですが、
いよいよそういう時代になってきたのかという危機感で、
いわば悔しさをバネに樽づくりに挑んでいるという調子です。

(……to be continued!)

山本康夫さん

人生初めてのカンナがけから樽づくりに挑戦している山本さん。「桶職人さんに怒鳴られて、悔しくて、でもそれをバネにしてがんばっています」

木樽の前で対談中

「この樽は、職人さんに教わりながら、ぼくたちが組み立てました。孫の代には、いい樽に育っていてほしい。……というか、まず、漏れないことを祈りたい(笑)」と、ほがらかに笑う山本さん。

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

取手アートプロジェクト「サンセルフホテル」

郊外の団地で行われるアートプロジェクト。

茨城県取手市で、市民と取手市、東京藝術大学が共同で行っている
「取手アートプロジェクト(=TAP)」。
1999年の発足よりフェスティバル型の現代美術の野外公募展、
在住作家を紹介するオープンスタジオを主要事業として行ってきたTAPが、
活動形態をシフトして2010年から継続的に行っているのが「アートのある団地」だ。
2000戸を超える巨大な取手井野団地を舞台に、
アーティストと団地内外の住民がさまざまなプロジェクトに取り組んでいる。
郊外の団地では軒並み高齢化が進み、既存の自治組織が弱体化していくなかで、
20~40代の若い世代、また高齢になりリタイアした世代が、アートを通して、
もう一度自分たちの手で地域に魅力的なコミュニティをつくり出すことができないか、
と考えられたのが、この「アートのある団地」なのだ。

この一環で行われた「サンセルフホテル」は、
アーティスト北澤 潤さんが主導するプロジェクト。
団地の空き部屋の一室を、プロジェクトメンバーであるホテルマンたちが
手づくりでホテル化し、外から宿泊客を迎えるというもの。
「団地の風景を見ながら、このなかにホテルという特異な場所が生まれたら
面白いなと思いました。いちばん大事なのは、ここに人が来るということ。
ほかにないような活動をすることによって、
郊外に新しい価値観を生み出すことができると思います」と北澤さん。

北澤さんはこれまでも、さまざまな地域でアートプロジェクトを行ってきた。
放課後にもうひとつの学校をつくる「放課後の学校クラブ」や、
まちの空き店舗に居間をつくり出してしまう「リビングルーム」など、
その発想はユニーク。
また震災直後から福島県新地町の仮設住宅で行っている
「マイタウンマーケット」については、ローカルアートレポートの
「3.11とアーティスト」の記事内でも触れた。
彼が一貫して行っているのは、日常にあるものを、
自分たちの手でもう一度つくってみようという試み。
そうすることによって日常を捉え直したり、
人やものとの関係性を見直すということを意図している。

サンセルフホテルには、自分たちの手でホテルをつくるということと同時に、
もうひとつ、サン=太陽という重要な要素も加わる。
昼間、宿泊客とホテルマンたちが一緒にソーラーワゴンを押して
団地内と団地周辺を歩き、その太陽光発電の電力で一夜を過ごす。
また、夜にはLED電球を入れた太陽バルーンをあげ、
自分たちでつくった太陽で団地を照らすというのが、サンセルフホテルの特徴だ。

今回のプロジェクトには、自然の要素を取り入れたかったと北澤さんは話す。
「震災後、自然と関わり直すことが必要だと思いました。
僕はいままで、まちや居間を手づくりでつくってきましたが、
自然の要素も自分たちでつくれないかと思ったんです。
太陽光を歩きながら集めるのは自然を捕まえるような作業。
それでつくり出した電力で夜空に太陽をつくる。
サンセルフホテルは、太陽とホテル、つまり自然と社会を
小さなかたちで再構成するようなものだと考えています」

2000戸を超える取手井野団地には約4000人の人が暮らすが、上層階には空き室も多い。

活動拠点となっている「いこいーの+Tappino」。空き店舗を馬場正尊さん率いる「OpenA」が改装した。団地型の天井は、以前「みかんぐみ」が施工を手がけたTAPの拠点でテーブルの天板として使われていたもの。

テーブルクロスには団地のシルエットが。

みんなでつくり上げたホテル。

サンセルフホテルのプロジェクトが実質的に始まったのは、2012年の9月。
まずはソーラーワゴンづくりからスタートした。
「アートのある団地」の拠点であり、団地住民の憩いの場であるカフェ
「いこいーの+Tappino」に2週間に1度、やがて週に1度集まり、活動を続けてきた。
ホテルにあるものって何だろう? 
お客さんを迎えるためには何が必要だろう? 
北澤さんを中心に、プロジェクトメンバーみんなでアイデア会議を重ね、
アメニティの石けんや、部屋のカーテン、ランプシェードなどをつくっていった。
食事のメニューを考え、試作と試食会もした。
毎回参加する人もいれば、たまに参加する人もいる。
参加を強要することはなく、参加者たちの主体性にまかせているが、
ものづくりの面白さを体感したメンバーたちが徐々に集うようになり、
最終的に約30名がホテルマンとなった。

集まったホテルマンは世代もさまざまで、なんと下は1歳から上は88歳まで! 
井野団地に住んでいる人が約3分の2、残り3分の1ほどの人は、
TAPのメンバーだったり、団地外の近隣の地域からも参加している。
ホテルマンは、受付やソーラーワゴンを担当する「コンシェルジュチーム」、
部屋の準備をする「ルームチーム」、
調理の得意な人たちで食事を用意する「調理チーム」に分かれ、
それぞれの役割を果たすために準備を進めた。

サンセルフホテルの太陽を思わせるような石けんも手づくり。

タオルやトートバッグ、スリッパにも刺繍が施されていた。

約30名のホテルマンのうち、最年少はなんと1歳の女の子。

そして4月13日。
サンセルフホテルに記念すべき最初のお客さんがやって来た。
ウェブサイトと、3月に行われた六本木アートナイトでの
ショールームで募った宿泊希望者から選ばれたのは、
東京は浅草に住む定金ひとみさん、来音(らいと)くん親子と、
ひとみさんの母・影山みはるさん。
13時前、団地に到着した3人をホテルマンたちが出迎え、部屋へと案内。
すると手づくりのホテルに、ひとみさんもみはるさんも感激しきり。
こんなに喜んでくれるなんて、とホテルマンたちの顔にも笑みがこぼれる。

少し休んでから、ソーラーワゴンを押しながら団地の周辺を散歩。
おやつに調理チームが用意したプリンを食べ、
その後もう少し団地内を散歩しながら蓄電。
この頃には5歳の来音くんと子どもホテルマンたちはすっかり仲良くなって、
あちこち走り回っていた。
夕方、いよいよ太陽バルーンの準備。
ヘリウムを入れて、人の背丈よりかなり大きい、
2メートル50センチほどに膨らませ、上空へ。
真下と四方に延びたヒモで固定しようとするが、風がありなかなか安定しない。
高さを予定より少し下げて、なんとか打ち上げに成功。
緊張感が走ったが、ホテルマンたちのチームプレーで乗り切った。

客室にも昼間蓄電したバッテリーを運び、点灯。
発電電力は予定より少なめの150Whだったが、
宿泊客自らが電気の使い方を考え、節電しながら一夜を過ごすことに。
やがて部屋に夕食が運ばれた。
メニューは、茨城名産の蓮根を使った筑前煮をはじめ、
鮭のホイル焼き、ロールキャベツ、菜の花辛子和えなど。
素朴だがボリュームたっぷりで、ひとみさんたちは味にも大満足だったよう。
その後はお風呂に入って、ルームサービスのマッサージを受け、24時頃消灯。
無駄な電力を使わなかったせいか、結局電力は余ったという。

ルームチームがお部屋へご案内。

お茶うけは井野団地を模した手づくりの芋ようかん、その名も「いのようかん」。これもホテルマンたちのアイデア。

ひとつひとつ手づくりのホテルに感激。カーテンもホテルマンたちが絞り染めしたもの。

陽の当たる場所を求めて、ソーラーワゴンと一緒に団地内を散歩。

LED電球を入れた太陽バルーン。団地の多くの部屋から見えたはず。

ひとみさんは、団地に対するイメージが変わったと話す。
「団地というと灰色の要塞のようで外の人は入り込めない場所というイメージでしたが、
みなさん親しみをもって迎えてくれました。
しかも私たちのために丁寧に準備をしてくださっていて、本当にうれしかったです。
エネルギーは当たり前にあるものではなく、限りあるものなんだと子どもに伝えたくて、
それを実際に感じることができるいい機会になるのではと思って参加しました。
太陽のありがたみ、人のあたたかさを感じることができました」

翌朝はホテルマンも揃ってみんなでラジオ体操。
いこいーので、ビュッフェスタイルの朝食をみんなで楽しんだ。
朝10時、チェックアウトしようとすると、来音くんの表情が曇る。
帰りたくないのだ。
ホテルマンから手づくりのおみやげも手渡され、いよいよお別れの時間が近づくと、
子どもたちとぎりぎりまで遊んでいた来音くんは泣き出してしまった。
それでもホテルマンみんなでバス停まで見送ると、
最後は笑顔で手を振って帰って行った。
この瞬間、ホテルマンたちはみんな胸を熱くしたに違いない。

朝食はビュッフェスタイルで、ホテルマンたちと一緒に。

泣き出してしまった来音くんに、子どもホテルマンから絵のプレゼント。

バスが見えなくなるまで、みんなで手を振ってお見送り。

住む理由になるようなアートプロジェクトをめざして。

ホテルマンのリーダー的存在である本橋幹夫さんは、井野団地ができて1年目に入居。
以来43年間ここで暮らしてきた。
団地でアートプロジェクトがスタートして、楽しくなったという。
「昨年の夏にはゴーヤのカーテンをつくって市のコンクールで2位をとったりね。
そうやってこの団地の認知度が高まるのはいいこと。
今回はどうなるかと思ったけど、お客さんがあんなに喜んでくれるなんてうれしかった。
みんながニコニコできればいいと思う」
ホテルマンたちからは、またやりたいという声もちらほら。
サンセルフホテルは今後も不定期に開催されていく予定だ。

アートには人を動かす力があると北澤さんは考えている。
「アートが直接社会を変えるのではなくて、人の気持ちや感情を動かす。
それによって、何かが少し変わるかもしれない。
アートはそういう可能性を導いたり、こういう道もあるんだという
選択肢を広げることができると思っています。
メッセージやしくみの重要性もありますが、ものをつくる楽しさをみんなが感じてくれて、
活動自体を面白がってくれているのが大切。
単に太陽光パネルを設置して、ホテルのようなしつらえをすれば
同じようなことはできますが、自分たちでつくることによって、
日常と違うところに飛躍するような体験が大事だと思います」

取手アートプロジェクト事務局長の羽原康恵さんは
「顔の見える」アートプロジェクトをめざしたいという。
「不特定多数に向けたアートや、フェスティバル型のアートプロジェクトは
全国に増えてきましたが、ここでは顔の見えるプロジェクトができたらと思っています。
それはアーティストと住民、住民と住民かもしれませんが、
特定の誰かとつくる、誰かのための芸術表現。
新しいアートプロジェクトのかたちがそこから見えてくるのではないかと思っています」
何年もかけて、丁寧に団地の住民たちと関係をつくってきたからこそできる、
地域の日常に寄り添うようなアートプロジェクト。
羽原さん自身、2008年にこの団地に引っ越してきた。
学生時代にTAPに関わり、その後は静岡県の文化財団で仕事をしていたが、
子どもができたのをきっかけに、血縁はなくても
知人が多くいる取手で暮らそうと思ったそうだ。
「自分の発想をいかしてコミュニティに関わるというしくみが、
徐々にできてきている気がします。
それが、30~40代の世代がここで暮らす理由になり得るかもしれない。
アートプロジェクトがその地域にあるからそこに暮らすという、
住む理由になるようなアートプロジェクトをめざしたいです。
東京まで消費に出かけなくても、地域で文化や芸術活動も
享受できるようなしくみを、この取手でつくれたら。
次の世代につなげていくためのアートプロジェクトになっていったらと思います」

小豆島ひとやま 寺カフェ、地域のサロンとして

お寺を人が集まる場所に。

小豆島で暮らしていると、白衣(びゃくえ)を着て
杖をついて歩いているお遍路さんをよく見かけます。
お遍路とは、弘法大師空海が開いたとされる88か所の霊場を巡拝すること。
小豆島には「小豆島八十八ヶ所」があり、
四国のお遍路に比べて行程が短く(約10分の1)、
海や山など美しい自然に囲まれた霊場が多いことから、
多くのお遍路さんが訪れるそう。
お遍路については以前からなんとなく知っていたけど、
小豆島に移住してからお遍路がより身近な存在となり、
いつかまわってみたいなと思うようになりました。

私の暮らしている肥土山にも、小豆島八十八ヶ所のひとつ
「小豆島霊場第四十六番札所 護法山多聞寺」があります。
肥土山の集落を見渡せる高台にあり、この時期、
お遍路さんが鳴らす鐘の音がうちまでよく聞こえてきます。

小豆島霊場第四十六番札所 護法山多聞寺。山門の前に「小豆島ひとやま 寺カフェ」の看板。

境内のお庭からは、肥土山の集落とその向こうの山々を眺められる。

うちは昔から多聞寺さんの檀家(だんか)。
こっちに引っ越してきたとき、まず最初に挨拶に行きました。
考えてみると、名古屋で暮らしているときは地元のお寺に行ったことなんて一度もなし。
お寺というと、綺麗に手入れされたお庭を観光として見に行くとかその程度で、
普段の生活ではほぼ関わることのない場所でした。
それが一転、ここ肥土山では毎日家からお寺が見え、
鐘の音が聞こえ、お遍路さんも見かける。
急に近い存在に。

そして偶然にも、現在の多聞寺のご住職(こちらでは、おじゅっさん! と呼びます)は
私たちと同年代、さらに子ども同士も同年代。
お寺と檀家としての関わり、同年代の子どもを持つ親同士の関わり。
自然と会う機会が増えていき、いろんな話をしていく中で、
今回の「小豆島ひとやま 寺カフェ」の企画が生まれました。

各テーブルに寺カフェのメニューと季節のお花を飾って。

おじゅっさんの奥さまである藤本奈々恵さんは、小豆島で育ち、
東京で学生時代を過ごし、再び小豆島に帰ってきた女性。
自分が嫁いだ「お寺」でできることをやろう! ということで、
お寺でことわざ、俳句教室を開いたり(まさに寺子屋!)、
オリーブの木の念珠ブレスレットづくりのワークショップをしたり、
お寺でヨガをしたり、いろいろな「寺活」をしています。

そんな彼女からの「寺カフェやってみない?」のひとことで始まりました。
もともと自分たちの家を改修してカフェをオープンする予定の私たちにとって、
それはこの肥土山という場所でどんなふうにお店を構えることができるのか、
予行演習ともなり得る貴重な機会。
挑戦してみよう! ということで、企画から1か月、
営業許可申請、食器や什器の準備、メニュー決め、Webサイト、チラシの作成など、
ひとつずつ進めていきました。

コーヒーは一杯一杯ドリップで。オリジナルの小豆島ブレンドコーヒー。

キッズメニュー。子どもたちが楽しんでごはんを食べてくれるように。

小豆島産の無農薬レモンを使ったレモンスカッシュのポップを作成する娘。

もろもろの準備と同時に、肥土山の人々にとって大事なお寺を使わせてもらうため、
こんなことがしたいということをきちんとお話しました。
肥土山の皆さんあっての小豆島ひとやま 寺カフェだから。
そして、4月7日の「肥土山の火まつり」で、お遍路さんや地元の方々に
コーヒーを無料で提供しながら、寺カフェのお知らせ。
その1週間後の4月13日にいよいよオープン。

お寺でカフェを開くことで、
お寺をもっと身近に感じてほしい、気軽に足を運んでほしい、
そしてそういう風景のある小豆島肥土山という集落をいいなと感じてほしい
という思いからオープンした寺カフェ。

瀬戸内国際芸術祭のついでに立ち寄ってくださった島外からの方々、
Facebookを見て来ました! という小豆島在住の女の子たち、
仕事のお昼休みに来てくれた地元のおばちゃんグループ、
畑作業をし終えてそのまま一服しに来てくれた友だち家族、
様子を見に来てくださった瀬戸芸関連のクリエイターさんたち、
いろいろな方々が来てくれています。

小豆島について語ってます(笑)。左からたくちゃん、瀬戸芸で「小豆島カタチラボ」を展開されているgraf代表の服部滋樹さん、多聞寺の藤本奈々恵さん、わたし。カメラマンの桑島薫さんが撮影してくれました。

天井が高く、奥に手入れされたお庭が広がる客殿、
美しい里山の風景を眺められる境内のお庭。
もともと素敵な場所であるお寺に、
カレーのスパイスやコーヒーの美味しい香り、心地良い音楽が加わることで、
ゆっくりと居ることができる場所のできあがりです。

天井が高く、奥に手入れされたお庭が広がる客殿。

外の席で日向ぼっこしながらホットコーヒーを。最高のロケーション。

さてさて、予定している7営業日のうちすでに4営業日が終わりました。
残すは4月29日(月・祝)、5月4日(土)、5月5日(日)の3日間、
いろいろな方々との出会いを楽しみたいと思います。
ちなみに小豆島では、4月21日に春会期を終えた
「瀬戸内国際芸術祭2013」で展示されていたアート作品を、
夏会期までの間も観賞できるよう「小豆島まだ春会期」と題して現在も作品公開中です。
アートとあわせてお寺で美味しいひとときをどうぞ。

東京でも大阪でもなく、小豆島で出会える

小豆島で出会い、「関係」が生まれる。

3月20日から始まった「瀬戸内国際芸術祭2013」(以下、瀬戸芸)。
あっという間に春会期が終わってしまいました。
今回の瀬戸芸は、春、夏、秋の3つのシーズン。
それぞれが1か月から1か月半くらいの期間開催されるのですが、
「始まったねー」と思っていたらあっという間に1か月経ち、
ひとつめのシーズンが終了。
始まった頃はまだ冬の寒さが残っていたのに、
すっかり春になり新緑がまぶしい季節です。

暖かくなり一気に黄緑になっていく山々。木陰で畑仕事の休憩。

小豆島は、ぐるっと海岸線を走ると約120キロくらいの大きさの島で、
人口約3万人、小豆島町(しょうどしまちょう)と土庄町(とのしょうちょう)の
ふたつの行政からなる島。
たぶん多くの人が想像しているよりも大きな島で、こっちに移住してからわかったことは、
ひと言で小豆島といっても場所によって雰囲気がかなり違うということ。
北と南では気温や降水量も異なり、住む人の話し方(方言)や性格も違うらしい。
なんだか日本の縮図のような島。

今回の小豆島での瀬戸芸は、大きく分けて、
土庄港・迷路のまち、肥土山・中山、三都半島、醤の郷・坂手、福田の
5つのエリアで展開。
島の中では比較的都会(?)な「土庄港・迷路のまち」。
「肥土山・中山」は山に囲まれた田舎、「三都半島」は海が近い田舎。
醤油蔵が建ち並ぶ観光地「醤の郷」とその南にある「坂手港」。
島の北側にある漁村「福田港」。とてもざっくり書くと
そんなイメージの5エリア(ざっくりすぎ! と怒られそうな…笑)。
それにしても、これだけ性格の違うエリアが
ひとつの島の中に存在するというのはすごく面白い!

醤の郷、「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」醤油のたれ瓶で作ったグラデーションが美しい壁。

肥土山、齋藤正人さんの「猪鹿垣の島」幼稚園の帰りに寄れるのは住民の特権(笑)。

それぞれの場所で、クリエイターさんたちが
そこにある建物やまち並みを生かしたその場所らしいアートを展開しています。
作品だけじゃなくて、ガイドマップやWebサイトも制作されています。
エリアによって特色があってこれまた面白い!
そして、いろいろな活動も行われています。

各エリアごとのガイドマップ。それぞれ特色があって面白い。

たとえば醤の郷・坂手エリアでは、「観光から関係へ」とコンセプトをかかげ、
「醤の郷+坂手港プロジェクト」を展開。
原田祐馬さん率いる「UMA/design farm」と
多田智美さんが代表を務める「MUESUM」が運営する
クリエイター・イン・レジデンス「ei」では、
10組のさまざまなクリエイターさんが各10日間滞在し作品を制作していきます。
その制作過程を毎日公開し、公開インタビューもあったり。
島の食材を使ったごはんを食べられるカフェ、
まちの中を歩くこと自体を作品としたプロジェクトなど盛りだくさん。

2組目のクリエイター(吉行良平さん、大植亜希子さん、戸田祐希利さん)の公開インタビュー。

eiカフェで島産そうめんを使ったエイヌードルを食べる高校男児たち。うしろに「ようこそ小豆島へ」の看板。

そこではつくっている人たちがとても近くにいて、
直に話をすることもでき、本当にワクワクする。
まさに人と人とが出会うことで生まれる「関係」がそこには存在する。
島に住んでいる人にとっても、島外から瀬戸芸を見に来る人にとっても、
これは瀬戸芸のひとつの醍醐味なんじゃないかな。
移住する前は雑誌やインターネットなどのメディアでしか見たことがなかった人たちが、
いまの小豆島ではそこにいる。
東京でも大阪でもなく、面白いものをつくっている人たちに、小豆島で出会える。
瀬戸内海のひとつの島でこんなことが起こっているというのは、
けっこうすごいことだなと改めて思います。

クリエイターさんたちと地元の高校生がコラボしてひとつの作品をつくる。

そんなこんなで新しい出会いにワクワクしつつ、春会期は終わってしまった。
島に住んでいてもなかなか全部のアートをまわりきれない。
それくらい小豆島は広く、たくさんのアートやイベントが展開されています。
小豆島では会期外でも見られる作品がたくさんあるので、
作品鑑賞パスポートのスタンプを集めるべく、
ぼちぼちと作品を見に、人に会いに行こうと思います。

番外編 瀬戸内国際芸術祭2013 「小豆島町コミュニティアート プロジェクト」レポート

ヒアリングを重ねて、地域の課題をみつける。
島でいらないものを尋ね歩いて、素材として集める。
「アーティストじゃない」山崎さん率いるstudio-Lが、
まちづくりと同じ手法でつくりあげたコミュニティアートで
小豆島町のみなさんと一緒に「瀬戸内国際芸術祭2013」に参加しています。
会期直前に行われた最後のワークショップのようすを取材しました。

ぼくたちはアーティストじゃない。

2012年6月、ある夜の居酒屋にて。
現代美術家の椿昇さんとの講演会を終えた山崎さんが、打ち上げの席で
アートやコミュニティアートについての思いを語りはじめました。
ふだんはそういう場で滅多にじぶんのはなしをしない山崎さんにしては、
ほんとうに珍しく。

「そのうちにわくわくしてきて、気がついたら『やりましょう!』と言っていたんです」
それがこのプロジェクトの始まりだったということは、studio-L のメンバーも、
ワークショップに参加したメンバーも、みんな知っています。

「でも、ぼくはアーティストではありませんから」

山崎さんとstudio-L は、「いつもの」じぶんたちのやり方で、
アートに関わることにしました。

「コミュニティデザイナーとして、
地域のみなさんと一緒にアートをつくりたかったんです」

studio-L のメンバーは、いつもあたらしい地域に入るときにそうするように、
まちのみなさんへのヒアリングから活動をスタート。
ヒアリングの結果から浮かび上がった「島でいらないもの」のなかに、
醤油のたれ瓶がありました。お弁当の隅っこに入っているちいさなアレです。

「たとえば、弁当の新商品が出るたびに、たれ瓶の大きさやカタチも少しずつ変わるので、
旧タイプがどんどん在庫になるんだそうです」

果たしてそんな必要があるのかどうかつくづく不明だけれど、
そんな理由でつくるたびに生まれる不要品。
「これを素材として、なにをつくろうか」というところから、
まちのみなさんにもアイデアを求め、ぐんぐんと巻き込んでいきます。

「醤油の壁」

お弁当用の醤油のたれ瓶に、濃度の違う醤油を詰めて、8万個ずらり並べた「醤油の壁」。光のグラデーションが美しい。(写真提供:studio-L)

ふたに記した番号は、醤油の濃度をあらわす

ふたに記した番号は、醤油の濃度をあらわす。数字の順にならべると、見事な醤油のグラデーションができあがる。

「醤油の壁」の美しい光のグラデーション

醤油の一升瓶を運ぶ木箱が、テーブルや椅子に

醤油の一升瓶を運ぶ木箱が、テーブルになったり椅子になったり。町にあるものを、できるだけ使う。

町に生まれた関係性こそが、いちばんのアート。

濃度の異なる醤油を詰めたたれ瓶を8万個、規則正しく並べたインスタレーション。
濃度を変えて光を透かすヒントになったのは、小豆島で醤油づくりに関わるひとたちが、
醤油の瓶を陽にかざして新旧を見極める、そのしぐさ。

「はじめに、これをつくろうと決めたとき『何個いるんや?』と問われて、
ぼくたちが『8万個』と答えたときは、一斉にひかれたけれど(笑)、
こうしてできあがったのは、みなさんのちからの集大成です」

たれ瓶詰めに関わった人数、350名。
老人ホームのおばあちゃんや幼稚園児にも手伝ってもらいました。
醤油を詰める作業も、たれ瓶をアクリル板に並べて貼る作業も、
重くなったアクリル板を立てる作業も……。
若いstudio-L のメンバーが途方にくれたりへこたれたりするたび、
人生経験豊富なまちのみなさんの知恵や知識や効率的な提案が窮地を救ってくれました。

「床に置いて作業を終えたアクリル板を、起こしてまっすぐ立てるのも
ひと苦労だったのですが、実際に作業をしてみると、
古い建物自体がゆがんでいるという事実に直面して、
またそこに別な大変さが待ち受けていたりね(笑)」

会場は、昭和の初期に建てられた旧醤油会館。
さすがに古ぼけてくすんだ壁をじっと見つめていた山崎さんが、
「これ全部、薄いグレーに塗ろうか」とぽつりとつぶやきます。
瀬戸内国際芸術祭開始まであと10日。
作品は完成したけれど、古くてどこか愛おしいこの空間は
まだまだこれからグレードアップしそうです。

夜には、第5回目/最終回となるワークショップが開かれ、
約25名の参加者が展示チーム、屋外チームなどの班にわかれて
「会期開始までにやること」「会期が始まってからやること」を洗い出していきます。
和気あいあいとして、老いも若きも、表情がとても生き生きとしています。
そんなみなさんに、山崎さんから、会期前のラストメッセージです。

「偶然の出会い、あのひとにはあんな能力があるんだ、という発見、結束力。
その関係性がいちばんのアートじゃないでしょうか。
せっかくですから、芸術祭が終わったらハイ解散! ではなく、
瀬戸芸以降も今回生まれた関係性をつなげていってもらうことが
“ずっと息の長い作品”になるんだと思います。
終わったあとに“もっとやりたい”と思ってもらえたら、
最初のきっかけを少しだけお手伝いさせていただいた僕らはとてもうれしいです。
どうか、いまできかけている作品=関係性を、
もっともっとつよく、大事にしていってください」

久しぶりに会場を訪れた山崎亮さん

芸術祭の開催日まであと10日。久しぶりに会場を訪れた山崎さんが、気付いたことを次々とstudio-Lのメンバーに伝えていく。「まだまだこれから!」

内海電工の宮谷さん

困ったことがあるたびに、救世主のようにひょっこりあらわれて課題を解決してくれる、内海電工の宮谷さん。

ワークショップの模様

第5回ワークショップのようす。しごとを終えたまちのひとたちが集う。

模造紙とマジックペンを使って、やることを洗い出して行く

模造紙とマジックペンを使って、やることを洗い出して行く。屋外グループは、紙にひと文字も書かないまま、実務作業に入っていくなど、ミーティング時間の使い方にもグループごとの個性がはっきり。

山崎亮さん

「どうか、いまできかけている作品=関係性を、もっともっとつよく、大事にしていってください」

information

map

旧醤油会館(会場番号 83番)

住所:香川県小豆郡小豆島町馬木36-2

開館時間:9:30〜17:00

瀬戸内国際芸術祭2013

Web:http://setouchi-artfest.jp/

※芸術祭の会期外もオープンしています。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

小豆島 Part2 親に「やめとけ」と言われた 家業を継いだ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

「売らせてくれ」と言われる側になろうと思った。

山崎

ヤマロクを継がれたのはおいくつのときですか?

山本

うちに帰ってきたのは29歳のときです。

山崎

小さいころから、じぶんが継ぐんだって思いながら育ってこられたんでしょうか。

山本

いいえ。だって、子どものころしばらく、
うちが醤油屋とも気づいていませんでしたから。

山崎

ええ? そんなことってありますか?(笑)

山本

樽の中に落ちたら危ないから、蔵に入れてもらえなかったんだと思います。
小学校の中学年になって
「友だちのお父さんは働きに行くけど、そういえばうちはどうなってるんや?」
とようやくぼんやりと気づいたんです(笑)。
その後、ふつうに進学してもとくに何になりたいというのはなく、
大学卒業のときに「継ぐわ」と言ってみたものの、オヤジに
「儲からんし、継がんでエエわ。給料出せんし、外で働いてこい」と言われて、
地元の佃煮メーカーに就職しました。
阪神・淡路大震災(1995年)の直前のことです。

山崎

そのタイミングで一度、お父さんに「継がなくていい」と言われてるんですね。

山本

その会社では営業職に就くんですが、東京で担当になった大手スーパーでは、
ぼくが持っていく無添加の商品がなかなか認められなくて、
バイヤーはボリューム、価格、パッケージデザインのことしか言わない。
売り場にまともな食べ物がなくて、
バイヤーには値段のことばかり言われるということに辟易して、
「ここへ売りに来るのではなく、『売らせてくれ』と言わせる側になろう」
と決意したわけです。

山崎

で、言わせたんですか?

山本

もちろん数年はかかりましたが、
そのバイヤーから「サンプルちょうだい」とオファーがきて
「イヤです!」ときっぱり断ったときには、どれほど胸がすいたことか……!(笑)

ヤマロクの醤油が醸造される蔵

ヤマロクの醤油はすべて天然醸造。太陽の光の当たり方や、菌が多く住む土壁からの距離……樽にもひとつひとつ個性があり、同じ年月を経たからといって、同じものができるというわけではない。マニュアルはない。

「継いでも食べていけん」は、ほんとうだった。

山本

とはいえ、帰ってすぐに決算書を見て
「あ、しまった! オヤジの言う通りや。これではオレ、食べていけん!」
と青ざめるところからのスタートだったわけですが。

山崎

ははは。さっきの小学生のころの家業のはなしといい、
いろいろなことに気づくのが遅いから
がんばれているのかもしれませんね、山本さんは(笑)。

山本

人間、切羽詰まると、がんばらざるを得ないですからね(笑)。

山崎

それが、11年前。

山本

はい。島のタクシー会社が親戚だったこともあり、
父の代から観光客の見学を受け入れていて、
その際、お土産などを発送するのにいただいていた
約100人分の顧客名簿だけが手元にありました。
これをなんとか広げられないかと。
添加物を使っていた銘柄はキッパリと辞めて
「鶴醤」と「菊醤」の2銘柄に絞り、1リットル瓶も辞めて小瓶に賭ける。
そんなふうに、とにかく直販への仕掛けを考えてきました。

山崎

それが成功しているわけですね。

山本

まともにまわるようになったのはここ5年ですね。
11年で売上げは約6倍に伸びました。

山崎

それはすばらしい。そういった康夫さんの取り組みに対して、
お父さんは何かおっしゃってますか?

山本

帰ってきて3年目にオヤジが病気で倒れてしごとできなくなったので、
喧嘩もせずにスパッと代替わりしたんです。
それからはひとことも口を出しませんね。
ただ、周りから聞くと、「なにを考えとるか、ようわからん」と言うてるようです。
「けど、前を向いて進んでるから、まあエエんちゃうか」と……。

山崎

なるほど。しっかり前を向いていること、
実はちゃんと見ていらっしゃるんですね。

(……to be continued!)

ヤマロク醤油ボトルのフォルムやラベルもどんどんスタイリッシュに革新中

先代にはほかにもたくさんあった銘柄を「菊醤」と「鶴醤」のみに絞って販売ボトルも145mlと500mlのみに。1リットル醤油を必要とする大家族より、単身者や核家族にターゲットをすえた。ボトルのフォルムやラベルもどんどんスタイリッシュに革新中。

山本康夫さんと山崎亮さん 

同世代ということもあり、はなしが弾む山崎さんと山本さん。「醤油って日本人には欠かせない基本の調味料だから、こうやってむかしながらにつくられるのが当たり前なんだと思い込んでいたけど、現代ではほとんどがステンレスのタンクで大量生産されたり、味つけだけして出荷されたりしているのだと知って、驚きました」と山崎さん。

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

小豆島の里山から

生き方を変えるために。

2012年10月31日、私たち家族は小豆島に移住してきました。
たくちゃん(夫36歳)、いろは(娘5歳)とわたし(33歳)の3人家族。
それにペコ(犬)、こまめ(ハムスター)も連れて、
夜中の1時神戸発のジャンボフェリーに乗っていざ小豆島へ。
そこから小豆島暮らしが始まりました。

ここ数年、「移住」「自給自足」「地方がおもしろい」
そんな言葉をよく目にする気がします。
すごく楽しそうで魅力的な言葉で、移住する前は、
そういう見出しの雑誌を見つけては読んでいました。
小豆島に来る前は、名古屋でIT企業勤め。
核家族、共働きだったため、子どもを毎日保育園に預けて通勤という
都会にはよくあるスタイル。
お金に困ることもなく、お店や遊ぶ場所もすぐ近くにたくさんある快適な生活。
でも、せわしない毎日、消費する毎日になんとなく違和感を感じ、
豊かに生きるってなんだろうとしばしば考えたり。
だから、生き方を変えるとか移住とかそういう言葉がよく目についたのかも。

そんな中で、日本を襲った大きな震災、わたし自身の体調不良など、
いろいろなことが重なった2011年。
よし、生き方を変えよう! と決心。
消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。
そして運良くたくちゃんも同じように考えていて、家族の気持ちが固まれば、
アクションを起こすことは思ったよりも簡単で、物事は一気に進んでいき、
1年後には8年間勤めていた仕事を辞め、生まれ育った愛知県を出ることとなりました。

いま暮らしているのは、小豆島の肥土山(ひとやま)という、
山々に囲まれた盆地にある集落。
その盆地の斜面に建つ、義父が若い頃に住んでいた築120年の農村民家で、
わたしたち家族は生活しています。

知人のオリーブ畑でオリーブの実を収穫、自宅の庭で自家製オリーブオイルづくり。

移住して早々、祖父が残してくれた畑で収穫したレモンとイチジク。

島だけど、海というより山という場所。
段々畑や田んぼが広がるのどかな里山。
現在の世帯数は200程度で、人口600人くらいの規模。
多くの田舎と同様に超少子高齢化の集落で、
小学校は8年前に廃校となり、同学年の子どもは2、3人。

盆地に広がる肥土山の集落。

それだけ書くとよくある少し寂しい田舎のようですが、
肥土山の人のつながりは異様に強く、行事もとても多い。
映画『八日目の蝉』にも出てきた、田んぼの畦道を松明を持って練り歩く「虫送り」や、
300年以上も続く「肥土山農村歌舞伎」、
つい先日もお寺で「肥土山の火まつり」がありました。
そんな昔からの行事や風景が残り続けている場所です。

多聞寺で行われた「肥土山の火まつり」。

その肥土山でも、3月20日から「瀬戸内国際芸術祭2013」が始まりました。
瀬戸内国際芸術祭、略して「瀬戸芸」。

「瀬戸内国際芸術祭2013」の青い大きなフラッグと背後に広がる肥土山の集落。

ところどころに展開されるアート作品や、瀬戸芸の青と白の旗、
島外から来ている人たちを目にして、ここに暮らす人たちも
なんとなくいつもと違う空気を感じてワクワクしています。
実際に作品づくりの手伝いをしたり、その制作過程を身近で見ることができたり、
またなかなか会えないであろう海外からのアーティストと直接お話をしたり、
ワクワクすることが多い毎日です。

ニューヨークを拠点に活躍する長澤伸穂さんのアートトークがあり、その後ご本人が作品紹介。

まだ小豆島で暮らし始めて半年。
少しずつ島の人とのつながりも増え、移住後に始めた畑でも
野菜を収穫できるようになってきました。
そしてこれから築120年の自宅の改修工事に入る予定です。
そんな小豆島肥土山での暮らしや、瀬戸芸の様子、島の面白い人たちのことなど、
いま小豆島でどんなことが起こっているのか、
実際にここで暮らす小豆島人として毎週レポートしていきます。

瀬戸内国際芸術祭2013 春

島の四季を舞台に繰り広げられるアート。

瀬戸内海の島々と港で開催中の「瀬戸内国際芸術祭 2013」。
3年に1度開催されるトリエンナーレの2度目となる今回は、大幅にスケールアップ。
直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島に加え、
沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島という西の5つの島が加わり、
合計12の島と高松港、宇野港周辺の広域で開催されている。
会期も、春、夏、秋と3つに分け、瀬戸内の四季に触れてもらおうというのがねらいだ。
前回から継続する43作品を含め、約200を超える作品が展示・発表される。

もはや現代アートの聖地として知られるようになった直島は、
安藤忠雄建築の地中美術館と李禹煥美術館、
アーティストたちが家を丸ごと作品にした「家プロジェクト」など、
建築と現代美術の宝庫。夏には「指輪ホテル」の公演も行われる。

豊島は内藤礼と西沢立衛による豊島美術館や、
クリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」が島の目玉となっているが、
この夏にまたひとつ大きな見どころが。
建築家の永山祐子による、横尾忠則の美術館「豊島横尾館」だ。
三連の大作絵画をメインにした独創的な建築が誕生する。
また建築家の石上純也も、夏・秋会期にプロジェクトを展開。
そして島の豊かな食材を使った地元のお母さんたちの料理が楽しめる「島キッチン」も、
会期中無休で営業する(会期と会期のあいだは土日・月・祝日のみ営業)。

女木島では、休校中の小学校の庭に、大竹伸朗が「女根/めこん」という作品を展開。
杉浦康益は、かつて段々畑だった場所に約400個の陶のブロックを設置し、
一大パノラマをつくる。そのほか愛知県立芸術大学のプロジェクトなどが行われる。

男木島は、映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台ともなった男木島灯台がある島。
2012年に結成された「TEAM男気」は、大漁旗や祝い旗などで
男木島の漁師たちの男気を視覚化する「男気プロジェクト」を展開。
また会田誠、有馬純寿、大岩オスカール、小沢剛、
パルコキノシタ、松蔭浩之の「昭和40年会」のメンバーは、
休校中の校舎で滞在制作やインスタレーションを発表する。

杉浦康益の「段々の風」は集落と海が見渡せる場所に設置。

「男木の男気」をイメージした絵を大漁旗にあしらい、漁船に掲げる「男気プロジェクト」。

淡路島に次いで、瀬戸内海で2番目に大きい小豆島は、見どころも多い。
ヤノベケンジは、坂手港に巨大作品「ザ・スター・アンガー」を設置するほか、
ビートたけしとのコラボレーションによる彫刻作品も。
UMA/design farmの原田祐馬とMUESUMの多田智美は、気鋭のクリエイターを招き、
滞在制作と展示などを行うCreator in Residence「ei」を構える。
建築チームgrafは、小豆島にある「カタチ」を検証しながらデザインを考える
「小豆島カタチラボ」を展開。
そのほか、コロカルに連載中の山崎亮さんによる
「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」は、連載でも紹介する。

大島は、高松港の北東に浮かぶ小さな島。1909年にハンセン病の療養所が設立され、
多くの患者が隔離政策によってそこで暮らすことを余儀なくされた。
現在は入所者の介護や支援、ハンセン病を正しく理解するための啓蒙活動が行われている。
ここでは、入所者の人たちと交流を深めてきた
「やさしい美術プロジェクト」による「つながりの家」や、
画家で絵本作家の田島征三が、療養所だった建物に作品を展示する
「青空の水族館」などが展開する。

銅製錬所の遺構を保存、再生した美術館
「犬島精錬所美術館」がシンボルになっている犬島では、
新たに「家プロジェクト」もスタート。
キュレーターの長谷川祐子がアートディレクターを務め、
SANAAの妹島和世の設計により、名和晃平や荒神明香らのアーティストが参加する。

田島征三による「青空の水族館」は、春に人魚の部屋が公開。夏、秋と徐々に海の世界が広がっていく。

今回から新たに加わるのが、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島の西の5つの島。
春に開催される沙弥島では「三つの白」をテーマに、
神戸芸術工科大学がプロジェクトを展開。
またEAT & ART TAROが、沙弥島、伊吹島、本島の
島ごとのスープをつくる「島スープ」を考案する。
伊吹島では、夏に建築グループ「みかんぐみ」が
伊吹島名産のいりこにまつわる展示をするほか、
本島、高見島、粟島でも、秋会期にさまざまなプロジェクトが行われる。

島だけでなく、高松港と宇野港、その周辺でもプロジェクトが展開する。
野外でのアートプロジェクトに参加するのは珍しい荒木経惟が参加し、
その作品で車体を覆った「アラーキー列車」が
JR予讃線と土讃線を走り、話題となっている。
また高松では、夏にバングラデシュから約100人ものアーティストや
ものづくりに携わるアルチザンがやって来たり、
秋にはパレードとダンスが繰り広げられる一大イベント
「現代源平屋島合戦絵巻」が行われる。

宇野港周辺では、デイヴィッド・シルヴィアンによるサウンドインスタレーションや、
荒木経惟+デイヴィッド・シルヴィアン、
佐内正史、野村佐紀子らによる「街中写真プロジェクト」などが行われ、
サウンドアートや写真作品も見どころのひとつとなっている。

沙弥島で戸矢崎満雄が展開する「名もなき遠き島より」。沙弥島の浜に打ち寄せられたものを使ったインスタレーション。

荒木経惟の作品で車体をラッピングした「アラーキー列車」は予讃線と土讃線を走る。宇野線の車内をアラーキーの写真が埋め尽くす「PARADISE」も。

島の人たちが元気になる芸術祭を。

瀬戸内国際芸術祭は「地域の活性化」と「海の復権」を掲げる。
かつては航路が発達し、さまざまな産業が盛んだった島々も、現在は過疎化が進む。
「いちばんの目標は、島のおじいさんやおばあさんに元気になってもらうこと」
と総合ディレクターの北川フラムさん。
北川さんは新潟県越後妻有地域の「大地の芸術祭」を成功に導いたアートディレクターだ。
狭義のアートを見せるではなく、人が生活していくうえで生まれる
さまざまなものづくりにアートの根源があると考え、その面白さを伝えたいと話す。
「できるだけ生活に密着したようなことができるアーティストを選んでいるつもりです。
島の人たちが面白がってくれるのも、そういうことにあると思います」

越後妻有や瀬戸内の芸術祭は、世界からも注目されている。
ここ数年、北川さんはたびたび海外から招聘され、講演に赴くことも増えた。
「世界的に、地域という問題に関して切実な思いがあります。
世界中のいろいろな場所が大切だし、
都市が地方を引っ張っていくという時代ではないと思います。
海外から瀬戸内や越後妻有に視察に来ていた政治家もいました。
特にアジアは大きな関心を持っています」

今回の芸術祭では、アジアがつながるというのもひとつの特色。
高松でのバングラデシュのプロジェクトは、かなり大がかりなものになりそうだ。
「バングラデシュという国は、生活ときわめて密接にものづくりをしている国。
生活美術ともいうべきものが根づいていて、とても面白い。
所得は低くて貧しい国だけれど、
ワーキングシェアは世界でもトップレベルで、幸福度も高い。
彼らと日本の人たちが協働することによってアジアがつながるということと、
ものづくりの現場を見せたいというふたつのコンセプトがあります」

島の人たちの笑顔が最大のテーマ。(撮影:中村脩)

現在は芸術祭のサポーター“こえび隊”の登録者は3600人を超え、
大阪での説明会には定員の倍以上の人が集まったそう。
「それだけ地域に関わりたいと思っている人が増えているということです。
これは都市の欲求と言ってもいいかもしれませんが、知識や情報偏向で、
身体性が弱まっていることに対する、現代の都市に暮らす人たちの直感的な何か、
あるいは無意識の表れではないでしょうか」
人が住んでいるところで大切でない場所などない。
地域とそこに住む人が本当に大事なんだという信念を持ち、丁寧に関係をつくってきた。
「本当に島の人が面白くなきゃ困るんだと、私が思っているということが、
なんとか伝わり始めたのではないかと思います」

まだ課題もあるが、アートにはある種の力があると北川さんは信じている。
「アートって直接的にはあまり生活の役に立たない。
でも動機はナチュラルなものだし、現代の価値観に合わなかったり、
違和感を持った人がアーティストになっていたりする。
そういうことが、いいなと思うんです。
あらゆるものがスタンダード化、グローバル化するなかで、
他人と違っていて褒められるのは、アートくらいでしょう」
瀬戸内国際芸術祭は始まったばかり。
春、夏、秋のいずれかでも、すべての会期で違う風景を楽しむのもいいかもしれない。

information


map

Setouchi Triennale 2013
瀬戸内国際芸術祭 2013

春:3月20日(水)~4月21日(日)
夏:7月20日(土)~9月1日(日)
秋:10月5日(土)~11月4日(月)
会場:瀬戸内海の12の島+高松・宇野(直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、高松港・宇野港周辺)
http://setouchi-artfest.jp/

profile

FRAM KITAGAWA
北川フラム

1946年新潟県生まれ。アートディレクター。97年より新潟県十日町地域ニューにいがた里創プラン事業総合コーディネーターとして越後妻有アートネックレス整備構想に携わり、2000年から開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」総合ディレクターを務める。10年に初開催された「瀬戸内国際芸術祭」でも総合ディレクターに。4月20日から29日まで開催される「徳島LEDアートフェスティバル2013」ではスーパーバイザーを務める。
2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、2007年度国際交流奨励賞・文化芸術交流賞受賞。2010年香川県文化功労賞受賞。2012年オーストラリア名誉勲章・オフィサー受賞。
(photo:Yuichi Noguchi)

小豆島 Part1 島の醤油屋に150年以上続くもの。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

杉樽仕込みの醤油蔵。その魅力とフシギ。

山崎

こんにちは! お邪魔します。

山本

お待ちしておりました。

山崎

何度見ても、迫力がありますね、この杉樽。

山本

そうですよね。
現代の醤油は、タンクで大量生産されるのがほとんどなので、珍しいと思います。
いまでも杉樽仕込み醤油で使われる杉樽の2分の1か3分の1は、
小豆島にあると聞いたことがあります。

山崎

いちばん風格のある古い杉樽が、たしか150年くらい前からの現役だと
おっしゃっていましたが、年数はどこでわかるんですか。

山本

樽屋さんに見てもらったんですけど、どうやら、
100年ちょっと前に電気の製材機が登場しているので、
それより以前のものと明確に区別がつくようです。

山崎

なるほど。

山本

それより前は木を割ってつくったみたいですね。
まずは分厚くつくっておいて、削っていくんです。

山崎

削る?

山本

はい。まず20〜30年は酒蔵で酒を仕込むのに使った後、
いちどバラして内側をカンナで削って、また組み合わせるんです。
そして、次に味噌や醤油、漬け物用へとリユースされるんですよ。

山崎

そうなんですか!

山本

そうやってそもそも長く使うものではあるんですが、
ことにうちのこの樽はもともと醤油のためにつくられたので、
一度も削ってないらしいんです。
だから、木が分厚いまま、まだまだ使い続けられそうです。

山崎

まわりについてる、このカビのようなものがいい酵母を育てるから、
うっかり触ったり掃除したりしちゃダメなんですよね……。

山本

そうなんです。母が嫁いで来た当初、あんまり汚いからと
掃除しかけたことがあって、「コラーッ!」って大声で叱られたそうです(笑)。

ヤマロクの醤油を育てる蔵

こちらが、ヤマロクの醤油を育てる蔵。「隠すものはなにもないから」と、観光客も見学自由に。代々積み重ねられた歴史の長さを感じる空間。

大杉樽の表面

樽職人さんが「150年は前につくられたもの」だという大杉樽の表面には、乳酸菌や酵母菌など、おそらく専門家も解明できないであろう良質な「菌」がたくさん。

100年前と100年先に思いをはせて。

山崎

でも、女性が蔵に入ると酵母が喜ぶんだって、前回聞いたような気がします。

山本

その通りです。いまは時期的に酵母が静かにしていますが、
暖かくなる5月頃には発酵がぐんぐんすすみ、
表面にプツプツと気泡があがってくるんです。
そのシーズンに女性が多く見学にいらっしゃると、そのプツプツがぐっと増えて、
酵母が喜んでいるのが如実にわかるんですよ(笑)。

山崎

いまこうしていると全然わからないけど、ほんと、生きてるんだなあ(笑)。

山本

そうですね。夏になると、
蔵じゅうの生きている菌が発酵する音が、音楽のように聞こえます。

山崎

それはすごいな。樽だけでなく、この蔵全体が呼吸しているということですね。

山本

ヤマロクの創業は江戸時代の終わり頃〜明治のはじめ頃で、
当初はもろみ屋なのですが、その頃から数えると
100年以上前に建てられた蔵ということになります。
もちろん木造、床は土間、壁は土壁ですから、樽に限らず、
蔵全体におそらく何百種という酵母菌や乳酸菌がずっと長いあいだ生き続けていて、
これが「ヤマロクの醤油」をつくってくれるんです。

山崎

なにものにも代え難い財産ですね。

山本

だから、蔵を大きくすることはあっても、建て替えることはできませんね。
わたしの代であちらに増築しましたが、空間としてつながっているので、
おそらく孫の代くらいには、あちらにもいい菌が移り住んでくれることでしょう。

山崎

100年先のことを考えたモノづくりですね。ほんとうに勉強になります。

(……to be continued!)

発酵が進み表面にぷつぷつと泡が浮かび始める

大豆、小麦、塩、水を混ぜ入れ、1年から4年寝かせてから搾る。暖かくなる5月頃からは発酵が進むので、まるで生きているように表面にぷつぷつと泡が浮かび始める。

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。