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「さつまもの」鹿児島 × 益子〈後編〉

Local Action
vol.023

posted:2013.5.23   from:栃木県芳賀郡益子町  genre:ものづくり / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

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ヤノミノ

写真:矢野津々美
やの・つつみ●栃木県出身。
文:簑田理香
みのだ・りか●熊本県出身。
益子町を拠点に活動する写真と文の企画編集ユニット。
地域コミュニティ「ヒジノワCAFÉ&SPACE」の企画運営メンバーとしても活動中。

5月11日から19日まで、栃木県益子町で開催された
鹿児島の工芸や食の「よかもん」を伝える展示、さつまもの。
後編では、メイン会場となったスターネットの展示作家と
「鹿児島との再会」を楽しみにしていた益子・笠間の作家との出会いをレポートします。

さつましこ 3
陶芸家 城戸雄介(さつま)meets 陶芸家 鈴木稔(ましこ)

益子スターネットの丘の上、recodeで展示をした作家のひとり、
「ONE KILN CERAMICS」の城戸雄介さんは、
今回の益子への旅で楽しみにしていたことがあった。
益子の陶芸家、鈴木稔さんの工房を訪ねること。
鈴木さんも、益子での城戸さんとの再会を心待ちにしていた。
というのも、今年の2月にワークショップのために鹿児島を訪れた時、
ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんから、
紹介したい陶芸家がいると連れて行かれた先が城戸さんの工房だったのだ。
そして実は、それより前に、鈴木さんは城戸さんのウェブサイトに出会い、
「仕事もウェブもかっこいい。それに、合同展示会のストッキストにも出ている!」と、
「気になる20歳年下の陶芸家」としてブックマークをした、
まさにその人だったという経緯がある。
繋がるべくして繋がったふたりのお話を、鈴木さんの工房でうかがった。

「僕が訪ねた時、彼は引き出物の梱包をやっていたんだけど、
特注の箱に自分でつくったスタンプを押して、リーフレットもセンスよくつくってあった。
そのひとつひとつがかっこよくて、器だけじゃなくて周りのものにもデザインを入れて、
ちゃんと考えてやっている。それが衝撃的だったね」と、鈴木さん。
鹿児島市の都心部の高台、分譲住宅地の自宅の裏に仕事場があることも
新鮮な驚きだったと言う。
益子の鈴木さんの工房は、初めて訪れる人は「この先に家があるの?」と
不安になるような、林の中にある。

この道を行くと鈴木さんの工房が見えてくる。益子では駅から続く通りに陶芸店やギャラリーが軒を並べ、周辺の緑豊かな里山の中に窯を築き工房を構えている作家が多い。

鈴木さんの工房は、林を切り拓いた広い敷地の中、
自宅の横につくられた2棟の作業場と窯場からなる。
その裏には、震災で全壊して、再建の途上にある煉瓦の薪窯が、
近々窯職人さんの手が入るのを待っている。
鈴木稔工房の印象はいかがですか?と尋ねると、
城戸さんは目を輝かせながらひとこと。
「THE 陶芸家って感じですね」
「あまりにも雑然としていて、恥ずかしいよ」と照れながら鈴木さんが受ける。

鹿児島でつくること。益子でつくること。

ふたまわりほど世代が違うふたりだが、
どちらも石膏の型を使い、フォルムにこだわり器をつくる。
鈴木さんは埼玉出身。土も釉薬も、そして、人との繋がりも、
縁ができて移り住んだ益子という土地で作陶することを大切に考えている。
城戸さんはデザインを学び、佐賀の有田で修業した後、
故郷の鹿児島に戻って独立した。
機能的で洗練されたデザインに、桜島の灰を用いた灰釉を使うなど、
地域性も大切にしたものを生み出している。

有田で作陶を続ける道もあったのでは?
これは、よく聞かれる問いだという。
城戸さんにとって、自分が生まれた場所に戻って作陶するということは、
ごく自然で当たり前のことで、それ以外の理由はなかった。
ただ、結果的に、歴史のある焼き物の産地を離れて鹿児島に戻ったことで、
やりたいように、つくりたいように、自由に器と向き合えるようになった。
有田にいたら「そげなやり方じゃいかんよ」と
一蹴されるような窮屈さがあったかもしれない。
鹿児島では、「型でつくる人は少ないから、楽しみだね」
「磁器? いいよね」と、温かい声が迎えてくれた。
同世代の違うジャンルの作家も多くいて、コラボもできる。
今回、同じrecodeで展示をした「RHYTHM」の飯伏正一郎さんとは、革と陶のコラボ。
仁平古家具店で展示をした「Roam」の松田創意さんには、
珈琲ドリッパーのスタンドをつくってもらった。
「有田にいたら、全部焼き物で済ませようとしていたかもしれません。
僕は、磁器も陶器もひとつの素材として考えているから、
自由にやれる空気はありがたいです」という城戸さんに、
鈴木さんが鹿児島に滞在した時の感想を伝える。
「鹿児島の人はおおらかだし、みんな誇らしげに生きている感じがしましたね」

灰釉の色合いが、recodeの土壁にしっくりなじむ。

城戸さん(左)と鈴木さん(右)。会うのがまだ2度目だと思えないほど話が弾む。

民藝とプロダクトと。これからのこと。

ふたりとも型を使って器をつくるが、生み出すスタイルには基本的な違いがある。
デザインを学び、大量生産の窯元で修業をした城戸さんは、
ひとつのアイテムに5個の型をつくり、同時に成形を進めて数をこなす。
アイテムによっては設計図を描くこともあり、
まるでプロダクトメーカーのような仕事を、
分譲住宅地の一角で、ひとりで淡々と進めている。
一方の鈴木さんは、ひとつのアイテムをつくるのに型をひとつしかつくらない。
そして数種類のアイテムをひとつずつ同時に成形していく。
形も、その時の感覚や気分で変わってしまうことが多いという。
「鈴木さんは、民藝寄りですよね?」という城戸さんに、
鈴木さんは、ちょっぴり苦笑い。
「僕はオーソドックスな昔ながらの器作家のスタイルから入ったし、
昔は轆轤もひいていたけど、いまは、民藝とプロダクトの中間にいると思う。
ある意味、中途半端。でもだからこそ思うことがある。
例えばイッタラやヒース・セラミクスなどの海外のものも好きで、
ライフスタイルへの意識が高い。
だけど日本の焼き物には興味がないという若い人も増えてきているでしょ?
そんな層に切り込んで、日本の焼き物の質感の良さみたいな魅力を
伝えていきたいと思っている」
声のトーンを少し上げて語り始めた鈴木さんに、
城戸さんも感じるところがあったのか、「これから」のことを語ってくれた。
「鹿児島で焼き物をやりたいという若い人に、なかなか出会わないんです。
気軽に型を使って焼き物がつくれることを知ってもらって、
興味を持つ人が増えればいいなあと思っています」

そして、次の益子訪問のプランで盛り上がるふたり。
鈴木さんは、震災から2年を過ぎて、全壊していた薪窯を新しくつくり直すことにした。
その話を聞いて城戸さんの中に芽生えた思い。
「次は、僕がいつも鹿児島でつくっている土と桜島の灰釉を持って益子に来ます。
鈴木さんの家にしばらく滞在させてもらっていいですか? 
薪窯で灰釉を焼いてみたい。どんなふうに窯変していくのか、とても楽しみです」
「もちろん大歓迎。そして益子で展覧会までやりましょう」と鈴木さん。

相手の中に自分と同じものを見い出すと、人は安心して歩み寄る。
自分とは違う部分もあると知り、それを新鮮に感じたら、さらに惹かれていく。
同じことと、違うこと。
その比重が絶妙なバランスで混ざり合った城戸さんと鈴木さん。
それぞれが、次のステップへと進んで行く時に、世代と1500kmの距離を超えて
いい影響を与え合っていくのだろう。

さつましこ 4
陶芸家 竹之内琢(さつま)meets 陶芸家 額賀章夫(笠間)

益子から車で30分ほど。茨城県の笠間市は、益子焼より少し古い歴史を持つ窯業の地。
益子の作家や販売店とも縁が深い笠間の陶芸家、額賀章夫さんも、
昨年9月に鹿児島で展覧会を行ったこともあり、
「さつまもの」の初日に駆けつけてくれた。
スターネット recodeで展示をした宋艸(そうそう)窯の竹之内琢さんとは同世代。
初対面ながら焼き物談義に花が咲いた。
会話から、本当に焼き物が好きでたまらないという空気が伝わってくる。

この日、初対面の竹之内さん(右)と、額賀章夫さん(左)。

「この赤は?」の問いに「マット釉に銅を入れて……」と、竹之内さんこだわりの釉薬について密度の濃い会話が続く。

自分の中でバランスをとりながら、日々続けていく創作。

今回、展示された竹之内さんの器は、
柔らかい色味ながら、一度見たら印象が強く残るものばかり。
額賀さんは器を手に取りながら、土や色、釉薬のことなどなど、質問を重ねていく。
ふたりの話は、鹿児島の焼き物産地の分布のこと、焼き物の販売のしくみのこと、
それぞれが参加している地元の陶芸イベントのことにまで広がっていく。
長いキャリアを持つふたりでも、
陶芸とそのまわりのことへの興味は尽きることなく、本当に楽しそう。

竹之内さんの器は、熊本・天草の土(磁土)と信楽のブレンドだそう。
「焼き上がりがしっかりとした印象がありますね。
質感の柔らかい釉薬を使いながら、裏の土見せのところは硬質な焼き上がりで、
器の力強さも感じます。
器から、とても誠実なお仕事ぶりがうかがえて勉強になります」と額賀さん。
「実は、使い手のことを気遣いながら轆轤でつくり続けていると、たまに嫌になって、
自分の表現だけに没頭したくなる時があるんですよ」と、竹之内さん。
そんな時は、手びねりで花器などをつくり、
自分の中でバランスをとるようにしている、と。
花器にしても、使う人が活けやすい形ではなく、
自分の気持ちとつくりたい形を優先させる。
「それはぜひ、次の機会に見たいですね。今回の展示を見ていたら、
また鹿児島にも行きたくなりました」と、額賀さん。
竹之内さんも、益子には、またゆっくり訪れたいと思っているそう。
もちろん笠間にも。
「ものづくりは、続けていける環境と、続けていく姿勢が大切だと思っています。
益子のまちと人には、そのどちらも感じます」
竹之内さんも額賀さんも1962年と63年早生まれの同級生。
続けていくことの重みを抱えながら、作品や展覧会などの活動を通して
鹿児島でも関東でも、若い世代に、その大切さを伝えている。

さつましこ 5
木工作家 盛永省治(さつま)meets 木工作家 高山英樹(ましこ)

「まさに、衝撃的な工房ですね」
高山英樹さんの工房を訪ねた鹿児島の木工作家、盛永省治さんの、最初のひと言。
陶芸家の城戸さんと鈴木さんが、お互いの創作環境の違いが新鮮に映ったように、
盛永さんも軽い衝撃を隠せない様子だ。ただ、その衝撃の中味は、
「自動カンナもないし……、いや、それだけじゃなくて、
家具をつくるのに必要だと思われる工具が何もないんですね」ということ。
まさに目を丸くした表情の盛永さんの横で、高山さんが笑い声をあげながら釈明する。
「ハンディタイプの小さな道具しかないでしょ? 
これで木工家具作家だなんて言わないでくれって怒られそうだけど、
これでも大人6人でも持てないようなテーブルもつくるんだよ」

衝撃の工房で。高山さん(左)と盛永さん(右)。

お互いのことは人づてに聞いて知っていたという、木工作家のふたり。
盛永さんは、大工、家具工房勤務を経て独立。
いまは、陶芸で言うところの轆轤、木工旋盤で木を回転させながら成形する手法で、
ウッドボウルなど食卓の器を中心に創作を続けている。
高山さんは石川県出身。都内で服飾の仕事をしていたが、
益子に移り住んだ12年前から、扱う素材が木に変わり、
古材を使った家具製作や建築プロジェクトに参加している。

盛永さんのスターネット zoneでの展示スペースで目を引くのが、
虫食いの跡を活かした造形。
「日本の木工では、節があるものや虫食いの跡があるものは使わないで、
材料を吟味して選んできれいに仕上げることに気を遣うのが主流です。
僕もそうだったけど、カリフォルニアに行ってから、変わりました。
2011年に2か月間、木工作家の手伝いをしながら
自分の作品もつくるという機会に恵まれたんです。
向こうのつくり手たちは、僕たちと気の遣いどころが違って、とても新鮮でした。
材料に節があっても虫が食っていようと気にしない。
それは、そういうものとして受け入れて自分の作品にしていくんです」

「いろんな人から話をよく聞いていて、あこがれだった益子のスターネットでの展示だから、今回は、とても気持ちが入ったものになりました」と盛永さん。

やわらかい光が入る白い空間に、虫食いの輪郭が美しく映える。

盛永さんの話を受けて、高山さんが自身の創作の話をしてくれた。
100年前の家を解体してみると、チョウナで削った跡が残っているところや
節や虫食いの面は、見えないようにして使われていることが多いと言う。
そういった部材を解体して高山さんが家具に再生する時は、
見せるものとして使いたい、と。
「見えないようにしてあったところには、
昔の大工さんの手の跡が残っているものも多くて。
そういうところを、いまの暮らしの中に、今度は見せるかたちで表してあげるのも
僕の役割じゃないかって思っているから」

暮らしとともに育ちゆく器。

樫の生木でつくったという作品もある。
てのひらを表面に沿わせると、
削られてもなお呼吸を続けているような、みずみずしさ。
「これからきっと、いい感じに形が変わっていくね」と、
高山さんは手にとって眺めながら、
益子の陶芸家で昨年の3月に亡くなった成井恒雄さんのことを盛永さんに伝えている。
成井さんは、70歳を過ぎても轆轤を回し続けていて、
轆轤をひきたての焼く前のもの、生の粘土の状態が一番好きだと言っていたそう。
「窯で焼かれて、完成したものを使っていると、使うほどに器の色も変化してくる。
長年使いこんだ時に、みずみずしさがよみがえって、
轆轤をひきたての時のイメージに戻ることがある。
成井さんは、そんな言葉を残しているんです」

樫の生木を削り出した器に見入る高山さん(右)。

高山家の暮らしの真ん中にあるテーブル。古材を組み合わせて丁寧に磨かれてつくられる高山さんの家具。

高山さんの工房と隣り合う自宅には、
高山さんがつくったテーブルや椅子が中心にある。
そこでお茶をのみながら、盛永さんは、
鹿児島の家族のことを思い浮かべていた。
「自分たち家族で使う家具を、僕はあまりつくっていないなあ。
いつもはどうしても仕事に追われて、我が家のことは後回しになってしまうし。
仕事場も自宅から車で40分離れている。
益子の作家さんたちのように、生活と創作の距離が近くない気がします」

そして、鹿児島に戻った盛永さんからメールが届いた。
「スターネットと高山さんの自宅や工房で過ごして、あらためて思ったことは、
自分が好きなものを揃えて使って暮らしていくうちに、
自分がつくるものにも思想が生まれてくるのではないかということです。
いつかそう遠くないうちに、高山さんのように自分の住まいと工房をセルフビルドしたい。
その夢が、今回の旅で持ち帰った、自分へのお土産です」

暮らしの中で使われることで変化し続ける、木や土の器。
つくり手の暮らしの中から生まれたものが、使い手のもとへ引き継がれ、
その暮らしの中でゆっくりと育っていく。
鹿児島の暮らし。益子の暮らし。100年前の暮らし。いまの暮らし。
つくったものを売るということは、人の暮らしと暮らしを繋いでいくこと。
さつまの作家たちが、ましこに旅をして出合ったのは、
ギャラリーやつくり手の人たちと、その背景にある、それぞれの暮らし。

最終日の搬出を終え、鹿児島に帰る作家たちを見送る時、
益子の人たちとの間で「次は鹿児島で」という声が飛び交っていた。
地域と地域、つくり手とつくり手、遠く離れた暮らしと暮らしが、
ダイレクトに結びついた交流の場。
さつまとましこの、あるいは、さつまとどこかの新しい土地と。
これからの展開が楽しみだ。

メイン会場 スターネット、
サブ会場 仁平古家具店益子店での展示風景。

zoneでは、「Crate」(盛永省治さん、写真左側)の他に、「CHIN JUKAN POTTERY」(写真右側)、空間に吊るした鹿児島の軽石にアクセサリーを展示した「samulo /semeno」(宮本和昌さん)が作品を並べた。

沈壽官窯とランドスケーププロダクツが共同で制作を行う。

古代の石やガラスを用いてアクセサリーをつくるsamulo / semeno。

recodeでは、 城戸さん、竹之内さんの他に、革の「RHYTHM」(飯伏正一郎さん、写真)、「INDUBITABLY」(西ひろみさん、有村りかさん)が展示を行った。

INDUBITABLYは、1900年代前半のフランスと日本の布やパーツを用いてアクセサリーやバッグなど布のアイテムをつくっている。

サブ会場となった仁平古家具店では、売り場奥のスペース(左)が展示会場となり、「Roam」(松田創意さん)、植物を中心に創作活動を展開する「ARAHEAM」(前原良一郎さん、宅二郎さん)が展示を行った。

Roamの松田さんは、木と鉄などを素材に家具をつくる。

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