羊とりんごと一本ねぎ。
長野市産の食材でつくる
〈長野市の定食〉

「長野市といえば」を集めた定食をつくろう!

山好きが高じて大阪から長野市に移住し、
善光寺近くで〈小とりの宿〉を営む福田舞子さん。
山と同じくらい好きなのが、おいしいものを食べること、つくること、
そして、それを誰かに食べてもらうこと。

1日1組限定の小さな宿は、料理がおいしいと評判で、
火曜から木曜のランチ限定で〈小とり食堂〉として営業し、
宿泊客でなくとも舞子さんの料理をいただくことができます。

会社勤めをしていた頃に山の魅力にとりつかれ、退職後は山小屋で働きながら、海外へも遠征する日々を送っていた。客の胃袋をつかむ料理の腕前は、かつて通っていた料理教室や、日々ごはんをつくっていた山小屋で培った。やわらかな関西弁を話す人。

善光寺から北へ徒歩5分ほど。静かな住宅街のなかにある平屋。古い民家の飴色の柱や建具などはそのままに、無垢材を多用して改装した。

広い庭に面した縁側に出ると、水路を流れる水の音、鳥のさえずりが聞こえる。

山を下り、山に囲まれた長野に腰を据え、自分の居場所を構えた舞子さん。
この地を訪れる人、この地に住む人を、この地が育んだ食材でもてなしたい。
そんな思いから、長野市の食材を生かして定食をつくろうと、
生産者のもとを巡りました。
まずは、集めた食材と生産者のみなさんをご紹介します。

信州サフォークを育てる峯村元造さん

メインの食材にと考えたのが、長野市信州新町で飼育されている羊、
ジンギスカンでおなじみの「サフォーク肉」です。
峯村元造(もとなり)さんは、長野市内で
400頭のサフォークを飼育・繁殖させている人。
峯村さんの育てたサフォークの肉は臭みがなく、
脂に甘みがあると定評があり、全国の飲食店から注文が寄せられます。

それにしても、つぶらな瞳の羊たちのかわいいこと。
思わずもれる「かわいい」のつぶやきに、峯村さんは
「料理人たちは『おいしそう』って言いますよ」

さらに重ねて舞子さんは
「私の料理の師匠は、魚の切り身を見て『かわいい』って言います」
いやはや、上には上がいます。

峯村さんが手塩にかけたサフォーク肉は、ほとんどが飲食店向けに出荷され、
市場には出回りません。
そんななか、せっかくの特産品を地元で買えるようにしたいと、
サフォーク肉の小売に力を入れているのが〈フレッシュトップ田中屋〉です。

とはいえ、一頭買いが基本のため、欲しい部位を欲しい量だけ買いたい、
という要望を叶えるのは難しいのが現状です。
「それでも、まずはご相談ください」という店長の田中利加子さんの心意気を買って、
舞子さんは肉を注文するのでした。

減農薬有機のりんごをつくる〈羽生田果樹園〉

続いての「長野市といえば」は、りんごです。
羽生田果樹園〉の羽生田春樹さんは、
20年以上前から減農薬有機栽培に取り組んでいます。
その技術を学ぶため、国内外から研修生がやってきます。

妻の寿子さんは、畑を手伝いつつ、果樹の加工に力を入れます。
うす切りのりんごはパリパリのチップスに、
くし切りのりんごはモチモチとした「天日干しりんご」に。
りんごのほかにもイチジク、柿、プルーンなど、さまざまな果物を加工しています。
また〈小布施ワイナリー〉に委託醸造するシードルも人気があります。

秋に収穫したりんごは、大型冷蔵庫や戸隠の雪中で保存され、春まで出荷されます。
舞子さんも、冷蔵庫に眠るりんごを寿子さんから受け取りました。

信州伝統野菜「松代一本ねぎ」をつくる〈カネマツ倶楽部〉

「松代一本ねぎ」は、長野県が認定した信州伝統野菜のひとつ。
肉質はやわらく、火を通すと甘さが増し、さらにトロみが出ます。
城下町・松代では古くから栽培されていましたが、
原種を守ってきたのは1軒の農家のみ。
野菜のカネマツ〉5代目の小山修也(のぶや)さんは、
その種を受け継ぎ、仲間の農家とともに育てています。

冬の寒さにあたる頃が一番おいしくなりますが、
雪が降れば畑は凍りつき、掘り起こすことはできません。
地下部は越冬するので、雪解けとともにふたたび収穫されます。
野菜を通じて地域の文化や伝統を守ろうと活動する小山さんが
「焼きねぎ、すき焼き、鍋にぴったり」と推す地元のねぎを、
舞子さんはどう料理するのでしょうか。

地釜で豆を炊く豆腐屋さん〈デンショウとうふ店〉

いまでは日本に数軒しかない地釜で豆を炊く豆腐屋さん〈デンショウとうふ店〉。
長野県産の大豆のみで、消泡剤や乳化剤といった添加物を加えずにつくる豆腐は、
大豆本来の甘みや旨みがきちんとします。

店を営むのは伝田敬康(ゆきやす)さんと恂子さんご夫妻、
そして長男のお嫁さんのかお里さん。
昔ながらの実直な豆腐づくりに、お嫁さんの感性が加わって、
味良しセンス良し、唯一無二のお店となりました。

豆腐屋さんが食べる豆腐の料理に、興味津々の舞子さんでしたが、
「うちはあんまり食べないのよ」と、恂子さん。
「食べるとしても冷や奴とか、そのまんまかな」と、かお里さん。
それでも話すほどに、炒り豆腐や、おぼろ豆腐でつくるけんちん汁など、
料理のヒントをうかがうことができました。

若手杜氏が醸す蔵元〈西飯田酒造店〉

花酵母で日本酒を醸す蔵元〈西飯田酒造店〉の9代目であり、
杜氏も務める飯田一基さん。
昭和59年度生まれの酒蔵跡取り息子から成る〈59醸〉メンバーのひとりとして、
以前コロカルでもご紹介しました。

飯田さんの搾った酒粕を料理に加えたいと、お訪ねしたのは酒造り真っ盛りの頃。
少々お疲れ気味ながら、快く酒粕を分けてくださいました。

「板粕に砂糖をふって焼くとおやつになるそうで」
そんな話をすると、
「酒粕は、酵素が生きているので、発酵が進んでゆるみます。
搾りたてはかたいので、焼くのにもいいですよ」とのこと。
後日、搾りたての板粕まで分けていただき、
舞子さんのもとに大量の酒粕が届けられました。

長野産はちみつのオリジナルブランド〈なごみつ〉

東京から帰省の際に、父親の趣味の養蜂を手伝ってきた小泉徹司さんは、
脱サラして〈北信濃養蜂場〉を起業し、
オリジナルブランド〈なごみつ〉を展開しています。

「はちみつには殺菌・抗菌作用がある」
「ミツバチは自己組織化の進んだ生き物で、子育て、掃除、採ミツなどを分担している」
「働きバチの寿命は1、2か月で、一生のうちに採ミツできる量はスプーン1杯程度」
などなど、興味深い話の数々。極めつけは
「ご存知ですか。長野県は、はちみつ生産量が全国第1位なんです」
知りませんでした!

この記事のタイトル「羊とりんごと一本ねぎ」に、
「そして、はちみつ」と加筆訂正いたします。

受け継いでいく小豆島の伝統行事
「肥土山農村歌舞伎」

300年以上続く、肥土山農村歌舞伎の光景

毎年5月3日に開催される「肥土山農村歌舞伎」。
300年以上続く小豆島の伝統行事です。

歌舞伎舞台まわりのモミジの新緑がとても美しい。

今年も無事にこの日を迎えられました。いよいよスタート。

去年おととしと雨やら暴風やら悪天候が続きましたが、今年は3年ぶりに晴れ!
気持ちのいい新緑の中で開催されました。

歌舞伎は15時半にスタート。20時頃まで続きます。

今年の子ども歌舞伎に出演したのは幼稚園年長から中学2年生まで12名。

今年は天気もよく、たくさんのお客さんが見に来てくれました。

私たちにとって、今年は5年目の農村歌舞伎になります。
小豆島に引っ越してきてから半年後、何もわからずに勢いで参加したのが1年目。
3年目からはたくちゃん(夫)といろは(娘)は役者として舞台に立たせてもらい、
今年もふたりそろって、それぞれの演目で役を演じました。

去年よりセリフも所作も増え、難しい役に挑戦したたくちゃん。

いろはは今年も腰元役。

北海道に山を購入して2度目の春!
自分たちの山で山菜採り

北海道に移住して気づいた、春という季節の喜び

真っ白いこぶしの花が終わりを迎え、各地で桜が開花する頃になると、
北海道に色鮮やかな季節がやってくる。
桜と一緒に梅も桃も花をつけ、庭には水仙、チューリップ、桜草などが咲き乱れ、
茶色一色だった大地が一気に緑におおわれる。

植物の営みをこれほど美しいと感じるのは、
半年にもおよぶ重苦しい冬の季節があるからかも。
都会では感じることのなかった、心の底から解放されるような喜びがあり、
春は本当にうれしい気持ちでいっぱいになる。

そんななかで4月の末は、仕事で東京に1週間ほど滞在した。
「ああ、北海道の春を満喫したいのになあ」
残念な気持ちとともに、わたしには実はとても気がかりなことがあった。
それは昨年2月、北海道にエコビレッジをつくりたいという
自分の目標に近づくために購入した山のことだ。

購入の経緯はこの連載でも何度か書いたように、
買った山というのは木が伐採されたあとの荒れ地だったのだが、
植物図鑑を片手に、週末「山活!」と称して、友人たちと山遊びをしているうちに、
「あれ、これはウド?」「あそこにはワラビやタラの木もある?」と、
いろいろな植物が生えているのがわかるようになっていったのだった。

北海道は今年は例年になく春が早く、ときには20度を超す陽気も。
「ああ、このままでは山菜の旬が終わってしまうんじゃ……」
気を揉みながら東京滞在の日々を過ごしていたが、
ようやくゴールデンウィークに入り、待望の「山活!」を行うことができた。

木が伐採されていてはげ山のようになっている。木を運搬するためにブルドーザーが通った道は、土がむき出しになっていて砂漠のよう。

春の訪れを教えてくれるのは植物だけではない。虫たちが活動を始めるとカエルも冬眠から目覚める。

山菜の中でも一番気になっていたのはタラの芽。
道南の地域では、すでに2週間ほど前からタラの芽が採れると聞いていたので、
半ばあきらめかけていたのだが……。
探してみると、あった! しかも、まだまだ芽は小さく、
あと1週間くらいは待たないといけないような感じがして、ひと安心。

タラの芽は、木が伐採された跡地によく育つ山菜らしい。何本もの芽を見つけることができた。

山野草がそこかしこに! 山の営みを実感

ひと安心したものの、それではいま採れる山菜ってなんだろう?
そんなわたしの疑問に答えてくれる、心強い助っ人が「山活!」に参加してくれた。
山を共同購入した農家の林さんのお母さんだ。

植物のことが大好きな様子のお母さんは、山道を歩きながら
「ほら、ボンナがあるわよ!」と指差した。
まったく聞いたことのない名前「ボンナ」。
調べてみると、正確にはヨブスマソウというもので、
北国の山菜としてはポピュラーなものらしい。

「こうやって葉っぱをとって、茎を食べるのよ。
ゆでて真水にさらして、水が茶色くなったら取り換えてみてね」

ヨブスマソウはキク科の多年草。キク科ということもあり、シュンギクのような味がするという。

そのほかお母さんが見つけてくれたのが、根曲がり竹。笹の仲間で、北海道でタケノコといえばこれのこと。まだ新芽は出ておらず、楽しめるのは6月になってから。

料理ユニット〈つむぎや〉がつくる
干しえのき、昆布、いりこを使った
土と緑のSUNDAYスープ

自然の力を取り入れた、春らしいスープ

1年でもっとも気持のいい季節になりました。
野山はまぶしいほどの緑。植物は一気に芽吹き、
夏にかけて勢いよく伸びようとするエネルギーに満ちています。

そんな自然の力を体にも取り入れたい! 
と料理家の〈つむぎや〉さんにお願いしたのは「土と緑」がテーマのスープ。
菜の花や新ごぼう、新じゃがなど季節の野菜を用いて、
味のベースには干しえのきに昆布、いりこなどの和だしを使います。
うまみはしっかり、でもやさしい味わいのスープができました。

つむぎやは金子健一さんとマツーラユタカさんのおふたりからなる料理ユニット。
「もともと仲間うちで集まったときによくふたりで料理していたのが始まりです。
つくるのも好きだったし、その場で食べた人から
おいしい! って反応がダイレクトに得られるのがうれしくて。
とにかくふたりで料理しまくってました(笑)」

ごく自然に料理が仕事になっていったというおふたりは、今年で活動12年目。
雑誌やイベントなどに引っ張りだこです。
日本各地で行われる展示会などにも声がかかるようになると、
食材との出会いも多くなりました。
とくに3年前、金子さんが長野県松本市の奥さんの実家に住まいを移して以来、
生産者の知り合いも増え、つむぎやで扱う食材の幅もぐんと広がったのだとか。

昨年1年かけて松本、安曇野の生産者や木工作家のもとをまわり、
その人たちの食材や調理道具を使って料理のイベントを行ったという金子さん。

「直接生産者の方々に話をうかがうことで、新しい料理のアイデアが浮かんだり、
試食した野菜に合った調理法を考えてみたり、思考が広がります。
イベントには生産者の方もお呼びして、お客さんと交流してもらうことで、
近くに無農薬でいい野菜をつくっている農家さんがいることや
その思いを知ってもらうきっかけにもなりました」

4家族で始めた放課後預け合い。
課題は、のびのび遊べる環境づくり

親が持ち回りで子どもを見守る預け合い、実際始めてみて……

4月に入り、ついに息子も新1年生。
娘は幼稚園に入園と慌ただしい日々が始まった。
わが家が移住を予定している、岩見沢の中山間地・美流渡(みると)の古家は
まだ改装途中ではあるが、息子が通う小学校は移住先の学区と決めた。
現在の住まいからは車で約30分かかるため、
6時30分に起きて7時30分には学校へ送る生活が始まった。

立て続けに学校と園の行事が重なり、4月は目の回るような忙しさ。
前回リポートした札幌でのイベント〈みる・とーぶ〉展に加え、
日々の編集者としての締め切りも迫り……。

そんななかで人口が少なく児童館もないこの地域で、
同じ小学校に通う4家族でスタートすることとなった
〈美流渡放課後あずかりの会〉の活動は、本当に本当にありがたいものだった。
毎週、火曜日から金曜日まで。
美流渡にあるコミュニティセンターの一室を借り、
4家族の親が持ち回りで子どもたちを見守るというもの。
4月11日より開始して約2週間が経ったところだ。

入学式には教室にさまざまな飾りつけがしてあった。在校生である、6年生と3年生の2名と先生とで準備をしてくれたのだろうか。

地元の新聞『プレス空知』では、1面で大きく入学式の写真が! 美流渡地区では6年ぶりの2名以上の入学として話題となった。

預け合いの始まった最初の1週間は、
担任の先生がコミュニティセンターまで引率してくれた。
息子が通う小学校は、山あいにあり全校生徒はわずか6名。
そのうち新1年生は4名で、預け合いに半数以上が参加していることもあり、
先生がきめ細やかな対応をしてくれたのだった。

放課後も一緒に遊ぶことができて、子どもたちも満足そうな様子。
1年生に加えて、3年生のお姉さんも参加しており、
面倒をみてくれたり遊びを教えてくれたりと、頼もしい存在。
しかも3年生は、学期早々から宿題があり、
まずコミュニティセンターについたら率先して勉強に励んでおり(エラい!)、
つられて1年生たちも椅子に座って絵を描いたり、図鑑を見たり。
その後に、みんなで縄跳びや演劇ごっこ(?)などの遊びが始まって、
預け合いの活動は、とても順調なもののように思えたが……。

縄跳びをしたり、鬼ごっこをしたり。

演劇ごっこ(?)。子どもたちは物語の世界に没入し……。

1週間が経とうとする頃から、子どもたちの様子に変化が起こってきた。
子どもたちが、「たいくつ〜」とつぶやく場面が増えてきたのだ。
コミュニティセンターは20畳ほど。
東京生まれのわたしにしてみれば申し分ない広さだが、
子どもたちが充分に走り回れる大きさとは言いがたい。

あるとき学校で参観日があり、子どもたちが体育館ではしゃぐ様子を見て、
預け合いに参加しているお母さんのひとりが、
「このくらい広ければ、もっとのびのび遊べるのにね」と語っていたように、
そんなに広くない空間に、ずっと閉じ込められていることに、
子どもたちは次第に窮屈さを感じるようになっていた。

天井も高くある程度の広さもあるが、子どもたちのパワーはこの場所では収まりきらない?

地元のお米でみそづくり、
小豆島に来てから始めたこと

毎日食べるおみそ、どうやってつくる?

小豆島に引っ越してきてから始めたこと。
農業もそうだし、カフェもそう。
軽トラマニュアル車の運転もこっちに来てからするように(笑)。
それまでの暮らしでは体験しなかったことを、たくさんしています。

そんななかのひとつが、みそづくり!
今年でようやく3年目になります。

おみそにはいろんな種類がありますよね。
スーパーの棚には、田舎みそ、信州みそ、八丁みそ、白みそ、赤みそ、だしみそ……、
何種類ものおみそが。
その違いもよくわからず、いつもなんとなーく選んで買っていました。

おみそに対してはずっとそんな感じだったのですが、
小豆島で暮らすようになり、自分たちで野菜や調味料などいろいろつくるようになり、
自然とおみそもつくりたいなという気持ちになってきました。
といってもどうやってつくるかも知らず、ひとりではなかなかきっかけもなく、
何もしないまま1年、2年……。

そんなときに声をかけてくれたのが、近所の友人。
「おみそ一緒につくらへん?」

私が暮らしている地区には〈大鐸(おおぬで)味噌作り友の会〉という
有志のグループがあります。
主に婦人会のお母さんたちが参加していて、
毎年地元のお米でおみそをつくり、秋に開催される収穫祭で販売したり、
そのおみそを使ったおいしい豚汁をふるまってくれたりします。

そのグループが管理している共同のおみその加工場があり、
そこを貸してもらっておみそをつくることができます。
友人とふたりで、その場所を借りておみそをつくることに。

お米を蒸すところから、みそづくりスタート。

一斗(約15キロ)のお米を蒸します。

蒸したお米に麹菌をふりかけて、米麹づくり。

最初の年はつくり方がまったくわからず、味噌作り友の会のお母さんに、
それこそ手取り足取り教えてもらってつくりました。

私たちがつくるおみそは「米みそ」。
まずは蒸したお米に麹菌をふりかけ、米麹をつくります。
あ、お米はもちろん小豆島・肥土山産。
その米麹と煮た大豆、塩、大豆の煮汁を混ぜてミンチにして樽に詰めていきます。
あとは半年から1年待てば、おみそのできあがり。

大鍋で大豆を焚きます。いい香り~。

やわらかくなった大豆と米麹、塩などを混ぜてミンチにします。

ミンチになったおみそのもと。

岩見沢の山里の“森”が
札幌市資料館に出現!
〈みる・とーぶ〉展スタート

ついに開催! なんとか準備は間に合いました

4月11日、これまで何度か準備の様子を連載で書いてきた、
〈みる・とーぶ〉展がついに札幌市資料館のギャラリーで開催となった。
もうすぐ、我が家族が移住を予定している岩見沢の中山間地一帯は、
東部丘陵地域と呼ばれており、「東部」を「見る」で「みる・とーぶ」。
地元でとれるリンゴをモチーフに、みんなで縫い上げたポーチや、
この地域で制作を行っている工芸家やアーティストの作品が集まり、
最終的に出品数は500点を超えることに!

リンゴポーチにつくった地図を入れて、会場のいたるところに飾りつけた。

手前は、さまざまな木を組み合わせた模様が特徴の木工作家〈遊木童〉の作品。奥は〈陶工房 睦〉の陶芸作品。そして棚は、リンゴ箱を利用した什器で、札幌の建築グループ〈三木佐藤アーキ〉が出品してくれた。

ギャラリー空間は、作品を並べるだけでなく装飾にも力を入れることができた。
美流渡に昨年オープンした花屋〈Kangaroo Factory〉の大和田さん夫妻が、
まるで岩見沢の山里の森が札幌に出現したかのような、
インパクトのあるデザインを考えてくれた。

なんと! 白樺の木を山から切り出し、中央に大胆に配置。
そこにブドウの蔓で編んだボールや松ぼっくりをリズミカルに飾り、
ギャラリーの雰囲気を一変させるような空間が生まれることとなった。

山で白樺の木を切って会場へ。ギャラリー中央に木を組んだ巨大オブジェをつくってくれた。

ブドウの蔓でつくったボールや松ぼっくりを飾ると、森の中にいるような感覚に。

Kangaroo Factoryの作品も展示。岩見沢の山里でとれた木の実や枝などと花を組み合わせたアレンジメントやリースが並ぶ。

果たして展示はできるのか。不安のなかでのはじまり

思い返せば準備を始めたのは昨年秋。最初に集まったメンバーは、
岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんと上井雄太さん。
そして、東部丘陵地域のひとつ、毛陽地区で
〈東井果樹園〉をご主人が営む東井永里さんと私。
4人はこれまで、自分で作品をつくって売るという経験がほとんどなかったため、
イベントが開けるのかと不安も大きかった。

まずは、月に何度か集まって、札幌市資料館での展示に誘ってくれた、
私の長年の友人でアクセサリーデザイナーの岩切エミさんのデザインによる、
リンゴ型のポーチの制作から始めてみることにしたわけだが、
1個つくるのにも数時間がかり、しかもあんまり上手にできず……。
加えて資料館の会場費の捻出方法や行政や
地元団体との連携をどうするかなど問題も浮上していた。

ただ、そんななかでも集まったメンバーはいつでも前向き。
リンゴポーチづくりもだんだんとコツをつかみ、
ワイワイおしゃべりしながら楽しく制作をすることができた。

そういう雰囲気がよかったからか、
次第にリンゴポーチづくりを手伝ってくれる人たちが集まり、
なんとひとりで20個も仕上げてくれる心強い友人も。
また、メンバーのひとり東井さんが家族総出でものづくりにチャレンジするようになり、
お姉さんが実は切り絵がとても上手だったり、
お母さんが麻ひもでカゴをたくさん編んだりと、
短時間に多数の作品をつくってくれたのだった。

地域おこし推進員の吉崎さんも、
地域の工芸家やアーティストにどんどん声かけをしてくれて、
陶芸家3名、木工作家3組の作品が会場をにぎわせることとなった。

岩見沢の山里にいる動植物がモチーフ。シカや鳥の羽根などが、緻密な切り絵で表現されている。成田佳奈美さんの作。

毛陽地区の果樹園の花からとれた蜜蝋でキャンドルとワックスも制作。東井さんと吉崎さんが試行錯誤を重ねながらつくった手づくりの品。

みんなで農業を楽しむ。
畑で生まれるコミュニティ

ともに働き、ともにごはんを食べる

暖かくなったり、寒くなったり。
今年は春がなかなかやって来ないですが、もう4月。
生姜の植つけの季節です。

私たちは年間通して70種類くらいの野菜を育てています。
その中のひとつが生姜。
ほかの野菜に比べて、栽培面積も大きく、生姜としてそのまま売るだけでなく、
加工してジンジャーシロップやドレッシングとしても販売しています。
私たちHOMEMAKERSにとって、いまやなくてはならない存在です。

去年収穫した生姜。

年に数回イベントに出店して、生姜、柑橘、旬野菜、シロップやドレッシングを販売してます。

去年は、生姜を使ったサラダドレッシングもつくりました。

その生姜の植つけを毎年4月上旬にしています。
種となる生姜を適度な大きさにカットし、土の中に埋めていく作業。
単純な作業ですが、とにかく量が多く時間がかかります。
なので、友人たちに声をかけて、今年もみんなで生姜の植つけをしました。

約300キロの生姜を植えていきます。作業スタート。

生姜を適度な大きさに切っていきます。

生姜を植える畑には、冬の間にもみがらや雑草をたっぷりすき込みました。
きれいに畝立てされた畑、草刈りされた畑のまわりのあぜ道や石垣。
ここまでの準備が大変で、予定通り植つけの日を迎えられてほんとによかった。

植つけ当日、風はひんやりしてても、日差しは完全に春夏モード。
そんな日差しと青空のもと、約10人体制で一気に植えていきました。

一定間隔で土に穴をあける人、生姜をカットする人、生姜を運ぶ人、生姜を埋める人。
人のパワーってすごい。役割分担して、どんどん作業が進んでいきます。
5日くらいかかるかなーと思っていましたが、1日でほぼ完了。
途中、植える間隔を間違えていたという思わぬハプニングもありましたが(汗)、
なんとか対処し無事に終わりました。ほっ。

一定間隔で穴をあけていきます。このとき気づいていれば……。穴の間隔が間違っていたことにあとから気づいて大変なことに(笑)。

生姜をひたすら土の中に埋めていきます。

種になる生姜も自分たちが育てたものをいつかは使いたい。

初めて住むまち、訪れるまち。
地域とのつながりはどこでつくる?
歴史を紡ぐ〈壱之町珈琲店〉で
今日も生まれる、新しい出会い

昨年の秋から約半年間、飛騨地域で〈未来の地域編集部 準備室〉が立ち上がった。
これからは地域自らが発信すべく編集部の立ち上げを目指し、
コロカル編集部がお手伝い。
その一環として「編集・ライターワークショップ」が開催された。
そのなかで参加者が実際に取材して書き上げた記事を公開する。
地域に暮らしているからこそ書ける取材内容は、
地域発信における「未来の姿」だといえる。

常連が感じる〈壱之町珈琲店〉の「あいまいな境界線」

岐阜県の北部、小さなまち、飛騨古川には、
築100年以上の古民家を改装したカフェ〈壱之町珈琲店〉があります。
この小さなカフェは、今から18年前にオープンしました。
毎日たくさんの人が訪れます。0歳の赤ちゃんから90歳を超えたおばあちゃんまで。

この小さなまちの小さなカフェに、どうして毎日
これほど多彩な人が訪れるのでしょうか。
このお店をいつも訪れる常連さんと、店主の方にお話をおうかがいしました。

まずお話をおうかがいしたのは、東京から飛騨へ移住してきた松本剛さんです。
松本さんは、全国で森林の事業をしているトビムシという会社で、
飛騨の木を使った商品の開発をしています。
東京の本社に勤めながら全国のさまざまな地域に関わっているなかで、
地域で暮らしながら仕事がしたいと思うようになり、
2011年9月、飛騨古川に移住しました。
現在は飛騨を拠点に、東京やその他の地域を行ったり来たりしながら仕事をしています。

松本さんにとってこのお店はどんな場所なのでしょうか。

「家とかではできない考えごとをしたいときや、
ぼーっとしたいときにひとりで来るんだけど、
実は“ひとりになりたいけれど、ほんとにひとりにはなりたくはないとき”なんだよね。
それが都会のカフェとは違うところ」

本当にひとりになりたいときは、ここは不向きだから、と松本さんは言います。

「この場所は、自分のキャラクターに合っているのかもしれない。
僕はみんなでわいわい話すというのはそんなに得意じゃなくて、
基本的にひとりがいいんだけど、本当にひとりぼっちだと寂しくなっちゃう。
このお店では、知り合いに会えば軽く挨拶はするけれど、
会っちゃったから話さなきゃいけないという感じではないんだよね。
会った人と話したいことがあったら話し込んだりもするし、挨拶だけのときもある。
そういうこのお店の空気感が自分の感覚と合っているのかもしれない。

(店主の森本)純子さんは、お客さんに声をかけてもくれるし、
放っておいてもいてくれる。そういう感じだから、
このお店に来るお客さんもそんな感じの空気感。
温度と湿度がきちんと調整されている空間みたい。
心地がいい、程よい距離感。なかなかない場所だよね」

店内にある大きな一枚板のテーブル席。お客さんは思い思いの席に座ります。ほかのお客さんと近すぎず、離れすぎない距離感も、このお店が持つ心地よい空気感をつくっているのかもしれません。

仕事で飛騨を訪れるお客さんを連れてくることもあるのだそうです。

「仕事のお客さんにこのまちを紹介するとき、
〈壱之町珈琲店〉は必ず見てもらいたい場所だと思っている。
古川というまちの魅力を体現していて、
これが『僕の好きな飛騨古川だよ』って自慢したい場所のひとつ。

古川の魅力って、美しく伝統的なまち並みと、
その家ひとつひとつをちゃんと住む場所として人が使っていて、
みんなが心地よく暮らしているところ。
このお店は建物も古川らしい伝統的な建物だし、
お客さんとお店の人との距離感にも、古川らしい魅力がそのまま感じられる。
程よい暮らしや人間関係など、全部入っている場所だよね。

初対面のお客さんに対しても、
純子さんはいつもの感じでやわらかく接してくれるでしょ。
古川に初めて来た友だちや仕事相手に『あ、いいとこ住んでるね』って
言ってもらいたいから絶対連れてくる」

店主の森本純子さんと話すというより「会いたくて」、お店を訪れる人も多いようです。

あたたかいのに近すぎない距離感。
このお店が18年も続いている陰には、
実は見えない「純子さんの気持ち」が隠れているのかもしれません。

「お店をやっていくときに、『常連さんさえ来てくれればいい』とか
『商売と割り切ってドライに』とか決めて営業する方が楽なんだろうけれど、
このお店は、開店以来18年の間、いい塩梅であることを諦めずに、
ずっとチューニングし続けてきた結果、この雰囲気を保っているんだろうなと思う。
それを維持していくことは意識的にがんばらなきゃできないこと。
だからこそ、その心地よさを壊さないように、お客さんも自然と協力したいと思える。

地元の人も、旅行者も、移住者も、みんな誰もがここに来ると、
誰かと出会うことができる場所。
そういう場所をつくることって、実はすごく難しいと思う」

店内には古民家のつくりを生かしたお座敷席も。赤ちゃんや小さなお子様連れに人気です。

お店の人の暮らしも、お客さんが大切に思う。そんな関係性がそこにはありました。

「前にね、連休中の稼ぎ時にもかかわらず、
店先に『親族が集まるBBQに参加するのでお店休みます』って
臨時休業の理由が書いてあったことがあって。この商売っ気のなさ。
東京とかだと、売り手と買い手という関係になってしまうけれど、
ここではお店の人とお客さんという線引きがすごく曖昧。
『あ、BBQなら仕方ないですよね』って思えるお店なんだよね。
お店の人だって人間だし、その人の暮らしもあるから。
顔の見える範囲で経済が回っている古川の雰囲気と、
このお店の持っている雰囲気がそうさせるのかな。

前に東京のイベントでカレーを何十人分もつくることになったとき、
道具とかオペレーションについて純子さんに相談したことがあったんだけど、
惜しげもなく〈壱之町珈琲店〉のカレーのレシピを教えてくれたことがあったんだよ。
カレーはこのお店の看板メニューのはずなのに、材料の銘柄まで全部教えてくれて。
それも関係性の話につながる気がする。
お客さんとお店側という線引きがないことのいい例だよね」

壱之町珈琲店の看板メニュー、カレーライス。これを目指して来るお客さんも多くいます。

松本さんは、このまちに引っ越してきて、
このお店のどんな場面を見てきたのでしょうか。

「自分が見て来た範囲でしかないけど、
この数年間でこのまちで生まれた新しい取り組みのなかには、
〈壱之町珈琲店〉がなかったら生まれなかったものも
あるんじゃないかなと思ってしまうんだよね」
と語る、松本さん。

「都会のコワーキングスペースのように、
『こんなものがあります』みたいなわかりやすいことは言えないけど、
ここはむしろ、じんわりと小さな変化が生まれる場所だと思う。
UターンやIターンの人たち、地元の人や移住者の人、
毎日いろんな人たちがこのまちで暮らしながらいろんなことに挑戦するなかで、
その出会いや話し合いの場所のひとつに必ずこの場所があって。
いろんな人の人生を変えているんだろうけれど、そんなたいそうな言い方よりも、
毎日の暮らしやその暮らしが少し変化するきっかけの場面には、
実はこのお店の存在があったという方がしっくりくる。
そういう場所があるまちって意外と少ないんじゃないかな」

自身も、新しいことに挑戦するときはいつも、
このお店でそっと背中を押される気がするという松本さん。
このお店に立ち寄ることで、前向きな気持ちになれる人は多いのかもしれせん。

台湾の人気旅ブロガー
キャロル・リンが
震災前の熊本を行く。

台湾の旅ブロガーの中には、日本の地方を記事にする人も少なくない。
彼女たちは私たち日本人が驚くほどの情報通。
キャロル・リンさんは2003年より活躍する人気旅ブロガーで、
いつも私も彼女の記事から日本のいろいろな情報や視点を教えてもらいます。
そんな台湾と日本の距離感から生まれる、日本通の台湾人と
台湾通の日本人の交流はおもしろいと思います。
今回お届けする記事はキャロル・リンさんが
震災前の熊本を訪れ感じた、日本のローカルの姿。
(by LIP)

台湾の人気旅ブロガー・キャロルの見た、
震災1週間前の熊本の美しい記憶

2016年4月、熊本地震が発生したその夜、
私はテレビで馴染みの地名を聞きながら、心苦しくなりました。
上益城郡、山都町、南阿蘇、地震の1週間前に行った場所ばかりです。
熊本についての美しい記憶は、質素で活力のある、山のように落ち着いた印象でした。

通潤酒造

〈通潤酒造〉に初めて行ったときはわくわくしていました。
ゲームやアニメに特別詳しいわけではないですが、
ファンの間ではこの地の聖地巡礼がブームになるほど、
ゲーム『刀剣乱舞』の人気の高さは前から聞いていました。
通潤酒造で熊本の名刀「蛍丸」にちなんでつくられた日本酒にファンが殺到し、
話題を呼んだこともありました。そのため、通潤酒造に行ける機会があって、
少しだけファンの気持ちがわかりました。

通潤酒造は創業240年の小さな酒蔵です。
地産の山都米と阿蘇山脈の地下水で生産し、
定番酒の〈大吟醸 通潤〉は地元山都の地酒として輝き続けています。
いまでも酒蔵には200年の歴史のある木造倉庫があり、
時代を刻んだ酒づくりの器具などが保存されています。

近年、時代の流れに合わせて、新しいお酒を開発し続けるほか、
観光客向けに酒蔵見学ツアーも始まりました。
100年の歴史ある蔵と工場を見学できるほか、売店ではお酒の試飲もあり、
近年は「蛍丸」人気もあって観光客がたくさん集まるようになりました。

お酒のパッケージデザインと発想もとてもすばらしく、
例えば淡麗辛口の純米吟醸〈蝉〉、純米酒〈雲雀〉、
女性向けにつくった深い香りの純米吟醸〈SOIGNER ROSE〉などがおすすめです。
私は純米酒〈雲雀〉と「蛍丸」をモチーフにしたお猪口をお土産にしました。

通潤酒造の規模は大きくないですが、ネットのおかげで
ローカルのご当地ブランドとして脚光を浴びました。
酒蔵を継いだ12代目蔵元には、次の100年に向かって
自社ブランドを発展させる決意が見られます。
熊本地震の影響で販売中止になった品目も少なくないですが、
2017年に通常生産が再開するように祈ります。

清和文楽館

次に紹介するのは清和村の道の駅〈清和文楽邑〉です。
清和村は人口4000人未満の小さな村ですが、一番の名所が
九州唯一の「文楽人形浄瑠璃」専門劇場の〈清和文楽館〉です。
清和文楽浄瑠璃は江戸末期に始まって、160年の歴史があると言われています。
ここでは劇場のほか、文楽資料館、熊本ご当地物産館と道の駅が統合し、
総合的公共文化施設になっています。

この日、ちょうど研修団体の発表会があり、
演目『傾城阿波の鳴門』を観ることができました。
文楽はとても重要な日本伝統芸能とは知っていましたが、
実際鑑賞するのはこれが初めてです。

文楽には3つの重要な要素があります。
浄瑠璃太夫、三味線奏者、人形遣いです。
文楽人形のサイズは私が想像していたよりはるかに大きくて、
大人の半分くらいの高さがあり、手、足と頭部に滑らかな動きを出すため、
操るには3人が必要です。人形遣いとして舞台に立てるようになるには
10年以上の修練が必要と言います。

ここで実際に文楽を鑑賞できたことがうれしいだけでなく、
私は文楽館の建物にも魅かれていました。

案内の方に聞いた情報と資料確認によると、この文楽館は
70年代の重要な建築家、石井和絃が手がけたものです。
香川県の直島を何回か訪れたことがあり、
彼が設計した直島町役場と直島小学校を見たことありますが、
熊本でも彼の作品を見られるとは思いませんでした。

清和文楽館は「くまもとアートポリス」のうちのひとつです。
建物は「舞台棟」「客席棟」「展示棟」からなり、
特にすごいのは劇場とつながっている客席棟です。
木材を美しく組んだ「騎馬戦組み手工法」でつくり上げられ、
観客が頭を上げれば豪華な天井が見られます。
また、展示棟も、天井は木材で正十二角形に組み合わせた美しい形で、
このふたつの建物だけでも見応えがあります。

幸い熊本地震は文楽館の建物に大きな被害をもたらしていませんでした。
このような災害が少ない地区は積極的に地震後の復興に力を入れ、
熊本を守る力になりました。

小豆島の霊場を歩く卒業遍路。
歩くことでわかる島のこと

この春、中学・高校を卒業した学生たちのお遍路

「お遍路」といえば四国が有名ですが、実は小豆島にも「八十八ヶ所霊場」があり、
お遍路されてる方がたくさんいます。
私もいままでに「女子へんろ」という企画に参加したりして、
歩いて何か所かの霊場(お寺や庵)をまわりました。

お遍路は年配の方がされるもの、宗教的なものというイメージがあったりして、
私たち世代にとってはなかなか身近に感じられないものかもしれません。
都会で暮らしていたら、お遍路さんを見かける機会もほとんどないですしね。
私もその言葉しか知らず、まさか自分が歩いて霊場をまわるなんて
思ってもみませんでした。

小豆島で暮らすようになってからは、お遍路が身近なものになりました。
島は四国本土に比べたらぐっと狭く、その狭い島の中に八十八ヶ所の霊場があるので、
普段の暮らしのなかでお寺の前を通ったり、お遍路さんを見かけたりします。
同世代の「おじゅっさん(お寺の住職さんや副住職さん)」も何人かいて、
普段からつながりがあったりするので、そういう意味でもお寺やお遍路が身近です。

この3月は、お遍路する機会が2回ありました。
ひとつは、とある雑誌の取材で一緒に歩くことに。
すごくおもしろい特集になると思うので、お楽しみに!
そしてもうひとつは「卒業遍路」。
私は撮影スタッフとして一緒に歩いてきました。

小豆島のお遍路は山や海など自然のすぐ近くを歩くコースが多く、歩いてるだけで楽しい。

山の中の遍路道。先達さんについて歩きます。

卒業遍路実行委員会のメンバーのひとり、常光寺副住職の大林慈空さん。

卒業遍路は、島の有志メンバー(卒業遍路実行委員会)による企画で、
今年で3回目の開催となります。この3月に小豆島の中学・高校を卒業した
学生さんたちを対象とした歩き遍路行事です。
その目的は、こんなふうに書かれています。

春、卒業シーズンになると鈴の音を鳴らしながら、
白装束のお遍路さんが近所のお寺をお参りしている光景を目にします。
一体彼らは何者で何をしているのでしょうか? 
自分達には関係の無い存在。そう思ってしまえばそれまでなのですが、
遠方から10時間以上かけて、或いは50年欠かさず、
毎年小豆島を巡礼される人たちがいます。

卒業遍路はたった一日の行事ですが、本格的な遍路行をすることで、
その理由の一旦に触れ、わたし達が生まれ育った場所を知り、
自らの言葉で語れる機会にしたいと思っています。
卒業という人生の大きなターニングポイントにおいて、
この経験が今後の人生を有意義にしてくれるはず!
そう信じて小豆島に根付いていく行事にしたいと想っています。

小豆島歩き遍路通信てくてく』より

自分が生まれ育った場所のことを、自分の言葉で語れるようにする。
それってすごくすてきなことだと思います。

私は生まれ育った場所のことをほとんど知らずに出てしまいました。
離れてみて、時々人から話を聞いたりして、
あー、岡崎(私の地元です)ってそんなところだったんだなと
あらためてその魅力を知ることが多いです。

同じ部活の仲間と一緒に。

山の中で休憩。中学3年生のみんな。

今回の卒業遍路には、中学3年生が22人、高校3年生が14人の計36人が参加。
島の遍路コースの中でもかなり険しい道のりである、
島北東部の土庄町小部から小豆島町吉田、福田地区までのコースを歩き、
小豆島霊場81~85番札所をまわりました。

島出身、島で働く先輩たちの話を聞く時間も。

洞窟の中で護摩焚き。こんな経験はなかなかできない。

子ども移住者のホンネ。
両親に連れられ
家族で飛騨に移り住んだ、
ある兄弟へのインタビュー

昨年の秋から約半年間、飛騨地域で〈未来の地域編集部 準備室〉が立ち上がった。
これからは地域自らが発信すべく編集部の立ち上げを目指し、
コロカル編集部がお手伝い。

その一環として「編集・ライターワークショップ」が開催された。
そのなかで参加者が実際に取材して書き上げた記事を公開する。
地域に暮らしているからこそ書ける取材内容は、
地域発信における「未来の姿」だといえる。

子どもにとって、移住とは?

のんびりとした暮らしや子育て環境に憧れて、
田舎への移住が気になる方も多いのではないでしょうか。
移住先での暮らしについて、よくある大人の感想はさておいて、
あまり表に出てこない、子どもの目からの体験談を聞いてみました。

インタビューの相手は、飛騨古川に住む
森本時蔵(ときぞう)くん(9歳・小学3年生)と
多良(たら)くん(8歳・小学2年生)の兄弟。
そしてお母さんのおりえさんです。

飛騨生活は4年目。
兵庫県西宮市からそれぞれが6歳と5歳のときに引っ越してきて、
近所の保育園に編入しました。現在は、小学校に通っています。

ーーどうして飛騨に引っ越して来たの?

時蔵(以下「兄」): 知らない。とーちゃんとちゃーちゃんが行くって言うから。

多良(以下「弟」): 気がついたら飛騨にいた。

おりえ(以下「母」): 我が家も例に漏れず、飛騨の豊かな自然と文化に惹かれて
移り住んで来ました。ただそれまで、主人以外は誰も飛騨に来たことがなく、
私自身も知らない国を旅するような新鮮な気持ちでした。
長男の小学校入学に間に合わせるタイミングを選びました。

ーー冬は雪が積もるけど大丈夫?

兄: 毎朝、雪かきしてから学校に行く。タラは寝ぼすけでやらないけど。
屋根に雪が積もりすぎると、家がゆがんで戸が開かなくなる。

弟: 学校にもスキーウェア着てブーツ履いて行く。
校庭には除雪した雪で大きな滑り台ができるし、
体育の授業は近所のスキー場に行くよ。

母: 移住初日には、子どもたちは雪でカマクラをつくったり大はしゃぎでしたが、
数日すると道の雪かきや屋根の雪下ろしなどの大変さがわかり、喜ばなくなりました。
「雪またじ」は人手がかかるので、ふたりはすでに我が家の大事な戦力です。

雪またじとは雪かきのこと。飛騨方言で片づけの事をまたじ、
あと片づけをあとまたじ、 雪かきを雪またじ、といいます。

転入届けを出しに行った2013年1月。その月は森本家の分だけ人口減少が緩やかになったはず。

ーーふたりが通う小学校のことを教えて。

弟: 家から歩いて5分。1クラス25人で、2年生は3クラス。

兄: 3年生も同じ。遠い子はバスで通ってる。飛騨市で一番大きな小学校やで。

母: 偏見ですが、もっと生徒数の少ない木造校舎の学校に
通わせるのではないかと思っていたので、
都会と変わらないサイズで少々拍子抜けしました。
ただやはり、同じ飛騨市でも、山之村の小学校では全校生徒が6人です。

ふたりが通う小学校。約10年前に改築された近代的な建物。

ーー遠足や社会見学はどこに行った?

兄: 黒内果樹園や安国寺とか。
果樹園で教えてもらったからリンゴの種類に詳しくなったよ。

弟: 高山バスセンターとかスーパー駿河屋とか。
同じクラスの友だちのお父さんが働いてた。

母: 時蔵が行った安国寺の経蔵は国宝、隣町の高山は人気の観光地ですし、
すばらしい目的地が近所にたくさんあって飛騨は文化的教育も恵まれています。

毎年9月下旬の運動会。稲刈りと重ならないように、また冬が早いので運動会も少し早め。

ーーほかに都会の学校と違うことある?

弟: 〈古川祭〉の日は、学校が休みになるで。

兄: 運動会のとき、椅子はお酒のケースやし、
天神様(応援歌)は友だちのじいちゃんのときから歌ってるって言ってた。

母: 4月19、20日の古川祭では、子どもたちも囃子や歌舞伎などで活躍、
1か月ほど前から毎晩、公民館に集まって練習します。
大人や中高生に混ざって励み楽しむ様は、
学校とはまた別の世界で、子どもたちを大きくしてくれます。

初めての飛騨での冬に時蔵がつくったカルタ。よっぽど寒かったんだね。

児童館がなければどうする? 
子どもが少ない地域の工夫、
放課後預け合い

困っているお父さんお母さんと協力し合ってつくる場

例年より少し早く、北海道にも春の気配がやってきた。
雪が解けた地面から、ふきのとうがちょこんと
顔を出しているのを見かけるようになった。

来月には息子もいよいよ小学1年生。
いま、4月からの生活について具体的に考える時期にさしかかっている。
春に岩見沢の中山間地・美流渡へ移住するにあたり、息子は在校生8人の小学校に通う。
学校のことについては以前にも書いたが、
入学にあたって私の頭を悩ませている問題があった。

美流渡地区の人口は400人。
子どもの数も少ないため、小学校から歩いて行ける距離のところに、
児童館など放課後に子どもを預かってもらえる施設がない。
これまで息子は幼稚園の制度を利用して、夕方まで預かってもらっていたが、
これから帰ってくる時間は早まることになる。
特に4月は午前中で終わる週もあることを考えると、
このままでは午後は仕事ができなくなる予感……。

私の本業は編集者。自宅で原稿を書いたり編集をしたりしているので、
ある程度は時間の融通がきくのだが、締め切りが重なる時期などは、
いくら時間があっても足りないような状態になってしまう。
さて、どうしようかと考えていたところ、
同じような悩みを抱えている人たちがいることを知った。

また、地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんや上井雄太さんによれば、
美流渡で子どもを預けることができる場がほしいという声は、
ずっと以前からあったという。
ならば、困っているお父さんお母さんと何か行動を起こすことができるんじゃないか、
そんなふうに思い、話し合いの場を設けてみることにした。

雪のあいだから顔を出すふきのとう。ようやく北海道に春が来た!

2月に一度開いた話し合いには、わが家を含め、
今年、美流渡小学校の1年生になる親子が3組と3年生になる親子のほか、
地域の保育園に通う親子や保育士の女性などが集まった。
また、私が誘ったのが、これまで岩見沢市街地で活動を続けてきた
プレーパークを主宰するふたり。

プレーパークとは「ケガと弁当は自分持ち」を合い言葉に、
子どもが自発的に遊ぶ場のことで、これまでの経験から、
何かヒントをもらえるんじゃないかと思い参加をお願いした。

話し合いには子どもたちも参加。何人か集まると大騒ぎ!

自分たちのできる範囲で一歩を踏み出してみたい

それぞれの家の事情をまず聞いてみると、
私と同じく仕事を持ち、放課後の子どもの預け場所があったらと
考えているお母さんがいることがわかってきた。
また、17、18年前に美流渡に移住したという地域の保育士さんからは、
自身の子どもが小学生だったころ、学童保育をできる場をつくれないかと
活動したこともあったというが、実現には至らなかったそうだ。

つねに、この地域では放課後子どもを預かる場所が必要という話は
持ち上がっているようだが、組織だった動きにはならず、
親戚や近所の人を頼ったりしながら、そのときそのときで
なんとかやりくりをしていたというのが現状らしい。

私としては、まずは自分たちのできる範囲で、
小さな一歩を踏み出せたらという想いがあった。
ゆくゆくは行政などの力を借りることも必要だろうが、
手を差し伸べてくれるのを待っているだけでは、何も事は動かない。

例えば、困っている親子が数名集まって、自分のできる範囲で
ローテーションが組めれば、小さな預け合いの場をつくることができるんじゃないか。
そんな提案をしてみたところ、うれしいことに
3人のお母さんの賛同を得ることができたのだった。

この春、1年生になる息子と友だち。学校に入る前から、すでに仲良し。

ただ、同時に不安の声もいくつかあった。
一番大きい心配は、もし子どもがケガや事故にあってしまったらというもの。
その責任の重さを考えると、預け合いをしたくても躊躇してしまうという意見だ。
これは、私も立ち上げに関わった岩見沢のプレーパーク活動でも
議論の的になった問題だ。

このときはプレーパーク開催時に救急箱をつねに携帯すること、
また子どもが自らの責任で遊ぶ場であることを、
参加者みんなに周知していくなどの意見が出された。

岩見沢のプレーパークでの様子。木登りやロープ遊びは定番。

泥んこもOK。何をやっても基本子どもの自由。大人は細かいことに口出しせずに、温かく見守るのがプレーパークの精神。

今回話し合いに参加してくれた、プレーパークの代表・林睦子さんの体験談を聞くと、
2014年に活動をスタートして以来、ヒヤッとした出来事は2回。
子どもが木登り中に足を滑らせて落ちてしまったこと。
足をくじいて病院に行った子どもがいたこと。
しかし、いずれも大事にはいたらなかったという。

100パーセント安全ということは、なかなか難しいが、
プレーパークのように「ケガや事故はお互い様」の精神を持って、
それに共感してくれる人たちと会をつくっていこうということで話はまとまった。

3月で開催50回を迎えた岩見沢プレーパーク。今春から新しいポスターを制作。ちなみにデザインを私が担当。

飛騨に移住した人たちに聞く
「コミュニティ」
薬草、鮎、野菜、里山。
自然とともにある営みが
つながりを生み、地域資源となる

飛騨市の畦畑地区に移住し薬草の文化を広めている塚本夫妻、
そして下呂市の馬瀬地区に移住し
「里山ミュージアム」ガイドとして活動する吉永夫妻に、
飛騨でのコミュニティについて聞いた。

飛騨の自然を生かした暮らし方がコミュニティを生む

塚本浩煇さん・東亜子さん夫妻は18年ほど前に
飛騨市古川町の畦畑(うねはた)地区に移住してきた。
そもそも浩煇さんの母親が陶芸を趣味にしており、この地に移住していた。
横浜に住んでいた浩煇さんたちは、母親のもとに遊びに来たときに、
現在の家を見て気に入り、購入することになった。

「買った当時は、徐々に直しながら、別荘のような感覚でした」
しかし何度も訪れているうちに「飛騨のほうがいい」と移住することになる。
「まさか住むことになるなんて」という東亜子さん。

塚本浩煇さんと東亜子さん。

横浜と飛騨を行き来していた期間は約3年間。
その間に、飛騨の人たちとも少しずつ顔見知りになっていく。
そのおかげで、移住時も違和感なく地域に入れたようだ。
助走期間というのは、移住にとって案外いいのかもしれない。

かなり雪深いエリアで、家の前もこの積雪。

「私はバブル時代を経験したから(笑)、野菜の旬も知らないような都会人でした。
だからここへ来たら、まちではできない、都会の人が羨ましがるようなことを
しなくちゃいけないと思っていたんですね」と東亜子さんはいう。
自然の中で暮らしていることで、「四季」というものを強く感じるようになる。
周りは農家が多く、本来、野菜は採れる季節が決まっていることを知る。

リースづくりをしてみたが東亜子さんいわく「すぐ飽きちゃったのよね(笑)」

「あるとき、食べられそうなトマトがたくさん捨ててあったんですよ。
それを見て、“欲しければあげるよ”と農家に言われて。
3ケースも4ケースももらったので、
それでトマトソースやホールトマトをつくったりしていました」

農家は規格外のトマトを捨ててしまう。
利用価値のないものであり、何かに加工しようなんて思わなかったようだ。
しかし「何かやりたい」東亜子さんにとってもらえるトマトは宝の山。
そのうち周りの人もつくり始め、地域の婦人会で一緒につくって売るようになる。

「捨てるようなものとか、その辺にあるもので、
いろいろなものがつくれちゃうことがわかったんです。
スカンポもそう。このあたりでは“イッタンダラケ”ともいいます」

スカンポ(イタドリ)とは、竹に似た見た目で、食用や薬草としても使える植物だ。

商品化された「スカンポジャム」。砂糖とブランデーで煮詰める。

東亜子さんは、以前にルバーブを育てて、ジャムにしたことがあった。
その酸味が野生のスカンポに似ていると感じた。
試しにスカンポでジャムをつくってみると予想通り。
すごくおいしいジャムができた。ルバーブとスカンポのジャムは、
古川のまちにある〈壱之町珈琲店〉で商品化することもできた。
飛騨の山奥に住みながら、そこにあるもので楽しく生活することができているようだ。

月に2〜3回訪れては長居しているという〈壱之町珈琲店〉。店主の森本純子さんとのトークに花が咲く。

みんなで薬草を学び、料理し、広めていく

飛騨の山には薬草がたくさんあるという。
あるとき、薬草の権威である村上光太郎先生が、薬草を調べに飛騨にやってきた。
そのときの拠点として塚本邸に寝泊まりすることになったのだ。
当然その間に、村上先生から薬草のことを初めて学ぶことになる。
それ以来、塚本夫婦は薬草にはまっていった。

浩煇さんが山に入り、薬草を摘んでくる。それをふたりで処理していく。
クズの花、烏梅(うばい)、ドクダミ、キハダ、メナモミ、野ブドウなどは
毎年手がけているものだ。

キハダを見せてくれた。8月20日頃じゃないと、この皮はうまく剥けないという。

烏梅は痛み止めになる。毎年5月に40度をキープしながら
煙で青梅を燻し続け、全工程で1週間以上かかる。これを煎じて飲む。
クズは、花びらだけを丁寧に分けて、乾燥させて粉にする。
その後ハチミツを使って丸薬にする。
肝臓にいいので、塚本家でお酒を飲むときは、まずこちらが供されるらしい。
野ブドウは焼酎につけて、蚊に刺されたら塗るかゆみ止め用。
コブシのつぼみを焼酎につけたものはボケ防止にいいという。
その代わり、雪山を分け入って採ってこなくてはならない。

「こういうことをやっていると1年が楽しいですね」

梅を燻してつくった烏梅。

クズの花を粉にし、丸薬に。肝臓にいい。

ほかにもたくさんの薬草を加工している。しかしこれらは販売用ではない。

「自分たちのためなので、実際に使ってみていいと思ったものしかつくりません。
自分で飲んだり、人にあげたり」と浩煇さん。

「良かったものは材料やつくり方の知識などをみんなと共有しています」
と言う東亜子さんは、女性の薬草の会である
〈山水女(さんすいめ)〉というグループに入っている。
おもなメンバーは古川の農家たちだ。
みんなで薬草を使った料理を研究したり、ケーキをつくったり。

「せっかく山に囲まれた地域に住んでいるので、
暮らしのなかに薬草を取り入れる生活を自然体で楽しめればと思っています。
そういった暮らしを、みんなで一緒に楽しめればなと」

ナツメ、山ブドウ、マタタビ、コブシなどをお酒に漬けている。

〈薬草で飛騨を元気にする会〉というNPO法人も発足している。
〈山水女〉としても、薬草を広める活動ならばと協力を惜しまない。
飛騨市で薬草事業に力を入れていくほどに、
「学びたい人がいて、そこで人とつながる」と薬草を介するコミュニティは
どんどん広がっていくようだ。

■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓

生活に薬草を。より良い暮らしを紡ぐ
飛騨のローカルデザイン

創作のまち真鶴の原点。
『世界近代彫刻シンポジウム』と
小松石の物語

真鶴だけでとれる小松石という素材

羽田空港、皇居、美空ひばり……。
一見関係のなさそうなこの三者に、実は共通しているものがある。
それが「小松石」と呼ばれる石だ。

世界で神奈川県真鶴町でだけ採掘される小松石は、
いまから約20万年から15万年前、箱根火山の活動と連動して
この地で噴火した溶岩が固まったものだ。
青みがかって落ち着いた風合いは墓石に適しており、
一番古いもので奈良時代のお墓に使用されていたことがわかっている。
有名なものとしては、皇族や代々の徳川家、美空ひばりのお墓にも使われている。

小松石が産業として発展したのは江戸時代。
その頃から石垣や建築材としても使用され、
皇居の石垣や二重橋、羽田空港の埋め立てにも使われているという。

「一般的な石に比べると、小松石は加工の手間がすごくかかるんです。
その分、性質はすぐれていて、かたくて粘り強く、火に強い。
例えば御影石という白くてつぶつぶのある石に比べ、角が飛びにくいんです」

そう語るのは、真鶴にある〈竹林石材店〉の竹林智大(ともひろ)さんだ。
竹林石材は昭和16年に始まり、現在3代目。
だいぶ減ってしまったとはいえ、真鶴に石材業者はまだ20社程度あるが、
採石から加工までの工程すべてを行うところは珍しいという。

竹林石材店の竹林智大さん。社長ながら会社では一番若い。

竹林さんは石の魅力についてこう語る。

「コンクリートのほうが安いので使われることが多いですが、
本当は石のほうがかたくて丈夫なんです。
石は何百年ともちますが、コンクリートは50年ぐらいでヒビが入ってきます。
石のほうが地震にも強く、例えば護岸工事に使っても、
自然のものなので魚や海の生物にとってもいいんです」

山から墓石ができるまで

小松石を「石材」として使うまでには長い工程がある。
竹林さんにその工程を案内してもらった。
まず案内してもらったのは採石場。真鶴駅から海とは反対方向に向かって、
車で20分程度山を登ったところにそれはあった。

その圧倒的な光景に取材陣一同息を飲む。ダイナマイトで崩すこともあるが、石が傷つく可能性もあるので重機を使うことが多いという。

「江戸時代は海岸沿いを手で掘っていましたが、
いまでは重機を使って山から切り崩すのが主流です。
あんまり下まで掘ると石が細かくなってきて、そうすると“終わり”なんです。
町有地を借りているので、掘ったらその分、土を埋めて返すことになります」

小松石には3色あり、色によって値段が変わる。
最も安いものが赤みを帯びたもの。次がグレー。最高級品が青みを帯びたものだ。
青いものは全体の3~5%しかないという。

「色によって性質が変わるわけではなく、
基本的には赤や青が混じっていることがほとんどなんです。
ただそれは割ってみないとわからないですね。墓石の場合、
色を1色に統一させないといけないので高価になるんです」

次に向かったのは、重機で山から採った石を割る工場。
ここでは昔ながらの方法で石を割っていた。
ドリルで開けた穴に「セリ矢」と呼ばれる鉄製の道具を入れる。
そしてそれを上からハンマーで叩きつけていく。
いとも簡単にふたつに割れたように見えたが、知識と経験がないとできないものだと、
担当していた川ノ辺創(かわのべはじめ)さんは言う。

セリ矢を打ち込んで、叩いて割る。大昔からこのやり方は変わらないそう。

「修業っていうと大げさだけど、一人前になるまでは5年ぐらいはかかりますね。
やっぱり危ないから。いまみたいにふたつに割るのでも、
木こりが木を倒すのと一緒でどっちの方向に倒すかを決めているんだよね。
知らない人がやって自分の体のほうに落ちたら大変。
『覚える』っていうと違うんだけど、体験を重ねていかなきゃわからない。
理屈も大事だし、体も大事」

真鶴出身の川ノ辺創さん。この仕事を始めて25年になる。

ハンマーとセリ矢。なんと道具は自分で熱して叩きながら改造していくという。「自分のやり方にぴったりあった自分の道具をつくらないと。鍛冶屋までできて初めて石屋は一人前になる」と川ノ辺さん。

「この仕事にはものをつくるおもしろさがあるんです。
石を見て、良いか悪いか判断して、少しずつ割っていく。最終的にはお墓になる。
車や冷蔵庫と違ってつくる過程で機械もほとんど使わないし、
自分の手で、自分の判断で全部できるのはおもしろいね」
と川ノ辺さんは語る。

最後に訪れたのは、割った石を加工する工場。
ここでは大型の重機も動いていたが、やはり手を使って加工している職人がいた。
竹林石材は全盛期は20人ほど職人を抱えていたというが、
安価な中国産の石の増加や、職人の高齢化に伴い、いまでは7、8人になったという。

慣れた手つきで「コヤスケ」という道具を使って石を整える職人。「中学を出てからやっているので、今年で37年やっています」

いまも墓石に使われることが多い小松石だが、建材用に加工しているものもある。

社長である竹林さんは言う。
「小松石は本当にいいものだと思うし、需要が少なくなってきたとは言っても、
小松石が好きな人はいるので、なくさないようにやっていかないといけないと思います」

真鶴にローカルベンチャーを!
〈西粟倉・森の学校〉
井上達哉さんと語る、真鶴の未来

“森好き”が考える「お林」のゆっくりとした過ごし方

神奈川県真鶴町に生まれる〈真鶴テックラボ〉は、
3Dプリンターやレーザーカッターなどのテクノロジーを使ったものづくり体験のほかに、
新たな事業を立ち上げたり、起業を目指す人への支援も進めていこうという施設だ。

同じように小さな自治体で、たくさんのローカルベンチャーの起業実績がある
岡山県英田郡西粟倉村。この村の事例を学ぶために、
〈西粟倉・森の学校〉代表取締役社長である井上達哉さんを招き、
西粟倉村の歴史と現状、森の活用、そして会社の事業内容や
インキュベーションについてのワークショップが、
真鶴テックラボを企画するスタッフにより開催された。

真鶴には、誇るべき「お林」がある。
“森大好き人間”を自負する井上さんにとっても、
初めて訪れた真鶴の森は魅力的に映ったようだ。

「400年以上守られてきた照葉樹林のお林。
あんなに壮大なクスノキの枝ぶりを真下から見ることはなかなかありません。
今日は感動を覚えています」

「お林」のクスノキを見上げる。

まずは森と社会を重ね合わせて、外部からの視点でお林のすばらしさを語ってくれた。

「お林も最初は人工林だったんですよね。
でも400年も経つとどんどん更新されて、もう天然林になっていると言ってもいい。
『松が枯れている』という話を聞きましたが、
寿命をまっとうする木があるから新しい木が育つので、枯れても構いません。
そういう更新されている森は、全体のバイオマス量は一定になります。
僕たちはつい1年や3年、10年という期間で判断してしまうけど、
森は100年単位で考えないといけません。
現実社会でも、目先の人口が減ったりしても、長い目で見れば一定に保たれている。
そういう“森”や“社会”が健全だと思います」

真鶴町の人たちとお林を見学した井上さん。

参加者から「お林をどう有効活用したらいいか」という質問があった。
西粟倉村は95%が森だが、森を間伐して生まれる間伐材を有効活用してきた。
真鶴のお林とはそもそものあり方が違う。だから井上さんの提案は「観光」だ。

「土を直接踏むと傷んでしまうので、ウッドデッキで遊歩道をつくれたらいいですね。
森の中で何かイベントをやってもいいけど、
常に行けるカフェなどがあると行きやすくなりそう。
夜はおいしい魚介とワインが飲めたり。観光化は難しい部分もありますが、
なるべくこのままの雰囲気で進んでいってほしいです。
大きく新しいことをやるよりも“このまま”を
しっかり守っていけばいいのではないでしょうか」

西粟倉にある体験型の事例には学ぶべきものがあると
紹介してくれたのは、ファシリテーターを務めたコロカルの及川卓也編集長だ。

「森の学校が発売している木の床材〈ユカハリタイル〉も、
商品自体を売りながら、床を貼るという体験を売っているとも言えます。
また、半完成品である〈ヒトテマキット〉も
最後に自分の手でスプーンを削って仕上げるという体験を与える。
いまコロカルで連載している『真鶴半島イトナミ美術館』でも、
アート体験に見立てながら、真鶴を紹介するという試みをしています。
だからお林も、いわゆる観光ではなく、体験をつくってあげることが重要ですよね」

真鶴周辺から10名程度の参加者が集まった。コロカルの及川卓也編集長(左)がファシリテーターを務めた。

そして周囲を大きな観光地に囲まれている真鶴としては、差別化という意味でも、
「暮らし」に紐づいたアイデアが求められているのかもしれない。

小さな港町に、世界とつながる
〈真鶴テックラボ〉誕生

Uターンしたら、まずは仲間を見つける

のんびりとした漁港のまち真鶴に、
なんとファブリケーション施設が生まれようとしている。
〈真鶴テックラボ〉だ。
3Dプリンターやレーザーカッターなどを使って、
自分たちの手でものづくりをすることができるという「ファブリケーション」。
世界的にもその流れは広がっていて、特別な技術がなくても使えることから、
カフェと併設されているようなスペースも増えている。

昨年11月から試行を続け、真鶴港が眼前に広がる空き家を利活用して、
新年度に本格稼働の段階を迎える真鶴テックラボは、
真鶴町観光協会の柴山高幸さんが中心になって進めてきた。

柴山さんは真鶴生まれで、都心部でシステムエンジニアとして働いていた。
あるとき、大きなプロジェクトを終えて憔悴してしまったという。
そのときにこれからの生き方を考え直し、Uターンすることを決断した。

「だけど、真鶴のまちの状況なんてまったく知りませんでしたね。
自分が通っていた小学校は統合されてしまってもうなくなっているし、
そこに向かう“メインストリート”は、お肉屋さんも、魚屋さんも、駄菓子屋さんも、
すべてなくなっていました」

大好きな釣りの話を始めたら止まらなくなる柴山高幸さん。

そんな状況を目の当たりにしても、Uターン当初は「自分にできることはない」と、
何かアクションを起こそうとは考えなかった。
しかし、次第に観光協会や行政に同級生や先輩後輩など、同世代がいることに気がつく。
「ひとりではできないけど、仲間がいれば何かが起こせるのではないか」
という気持ちになっていった。

まずは、自分自身が真鶴を出ていってしまった理由を振り返ってみた。

「ひとつは、若い人の意見があまり受け入れられなかったこと。
同様に外から来た人に対しても冷ややかで、
当時、移住者のことを“新住民”と呼んでいたりして。
よく考えればお嫁に来てくれた人だって移住者じゃないですか。
移住者はたくさんいるのに……」

かつて自分が感じていた息苦しさを払拭するために、
移住者や若者も含めてみんなで楽しめる〈真鶴なぶら市〉を立ち上げた。
補助金などに頼らず、すべて自分たちの手弁当で運営。
月1回の開催で、今年で3年目を迎える。

漁師も料理人も石材職人も、“エンジニア”である

なぶら市とともに着手した一手が、新たな仲間との出会いとなった。
2014年6月に〈スタートアップウィークエンド(週末起業体験)〉を真鶴で開催。
ハスラー・ハッカー・デザイナーでチームを組み、
必要最低限のビジネスモデルをつくり上げる。
世界の700都市で開催され、週末の54時間でアイデアをカタチにする方法論を学び、
スタートアップをリアルに経験できるイベントだ。

日本では都心部で開催されることがほとんどで、
真鶴のような小規模のまちで行われることは国内ではあまりない。
そのユニークさも手伝って、さらなる感性の似た人たちと出会うことができ、
「ひとりじゃない」という感覚を得る。
そのメンバーのなかにジェフ・ギャリッシュさんがいた。

ジェフ・ギャリッシュさんは佐世保生まれで、日本人とアメリカ人のハーフ。

ジェフさんは、日本やアメリカなど各地に住んでいたが、
現在は小田原在住で、行政や観光関係などの英語コンテンツを制作する仕事をしている。

「もともと真鶴が好きで、人や自然、東京との距離感など、
すごく可能性があるなと思っていました」と話すジェフさん。

スタートアップウィークエンドで意気投合したふたりは、
住むまちは違えども同じ志向を持つ者同士、協力して活動していく。
ジェフさんは、その後真鶴で行われた3回目のスタートアップウィークエンドでは
運営側にも回っている。

「僕自身はシステムエンジニアが本職ですが、やはり真鶴ではITはハードルが高い。
スタートアップウィークエンドでは、3日間でプロダクトをつくりあげますが、
アイデアはもちろん、実際に組み立てられるエンジニアがいるから可能なことです。
このエンジニアという領域を広く捉えれば、町内の料理人も、石材加工も、
漁師や海士も入れられて、敷居を低くできるのではないかと」(柴山さん)

次のスタートアップウィークエンドへ向けて。

まちの人に開かれた美術館。
〈真鶴町立中川一政美術館〉から
生まれる新たな息吹

美術館にまた来たくなる体験を

真鶴半島先端に豊かに生い茂る「お林」に寄り添うように佇む
〈真鶴町町立中川一政美術館〉。そこに新しい息吹が次々と吹き込まれている。

日本を代表する洋画家のひとりである中川一政。
戦後まもなくから1991年に没するまで真鶴にアトリエを構え、
油彩だけでなく書や陶芸など多くの作品を残し、
溢れんばかりの情熱で創作活動に情熱を注ぎ込んだ。
その作品650点余りを所蔵するのが、真鶴町立中川一政美術館だ。

美術館には、全国各地、また海外からも一政のファンが訪れる。
その美術館がいま、地域に根づき、町民に愛される場所となるよう、
新たな歩みを踏み出している。

2017年2月18日、19日には、書家の川尾朋子さんを招いて
「書に触れる」イベントが開催された。
生命感あふれる絵画に加え、一政の「書」という新たな魅力を開拓する試みの一環で、
18日には川尾さんによる書のライブパフォーマンスと、
真鶴町の小学生を対象にした書道教室が、
19日には美術館にあるお茶室で、川尾さんと美術館の指導員であり
生前一政の秘書を務めた佐々木正俊さんのトークショーが行われた。

川尾さんの書のパフォーマンスに、子どもたちも魅入られていた。

書道教室には、町内の小学生10名ほどが参加。
川尾さんが墨のすり方や基本的な筆遣いを教えるだけでなく、
半紙に円を何重にも書いてもらったり、
子どもたちを周囲に集めて間近で文字を書いてみせたりなど、
学校などの習字の時間とは少し違ったワークショップに、
子どもたちも目を輝かせていた。

最後に、子どもたちに今年の目標を一文字で書いてもらうということになり、
「紙からはみ出すように書いてください」と川尾さんが言うと、
子どもたちの顔つきが変わり、のびのびと一文字を書き上げていた。

これまでも子ども向けのワークショップをしたことがあるという川尾さんは、
毎回自分にとっても発見があると話す。

「子どもたちは想定外のことをしてくれるので、私も勉強になります。
習字は美しい文字を習うことなので、それもとても大事なことですが、
書道では、はみ出してもいいんだよということを教えたかった。
そうでないとみんな同じになってしまいます。ものづくりをするうえで、
ちょっとはみ出してみると、こんなにおもしろい世界があるよ、
ということを知ってもらえたらと思います」

子どもたちにとっても、川尾さんにとっても有意義な時間になったようだ。
参加した小学生のひとりが、翌日のイベントにも来たいと言って帰って行った。
このように、町民が美術館にまた来たくなるような、
そんな体験の場づくりが始まっている。

子どもたちの五感を刺激する
〈真鶴未来塾〉の
フィンガーペインティングイベント

手で、足で! 体を使って描く感覚を養う

真鶴町にある公共施設〈コミュニティ真鶴〉を管理している
一般社団法人〈真鶴未来塾〉は、スタートアップ支援など
さまざまなイベントや講座などを開催しているが、
子どもに向けた催しにも力を入れている。

2月26日に開催されたのは「フィンガーペインティングを体験しよう」というもの。
この日集まったのは10人の子どもたちと保護者たち。
会場には壁一面と床に大きな白い紙が貼られ、なんだか自由な空間が広がっている。

「絵の具だまり」に素足で進入!

この日の講師は、真鶴出身の友人に誘われて参加したイラストレーターのユウナラさん。
普段は、自らが住んでいる団地のパーティなどで子どもたちと接しているという。
もうひとりは、真鶴で似顔絵作家・グラフィックデザイナーとして
活動している山本知香さん。
自らが開催するイベントでもよく子どもたちとふれあっていて、
真鶴の子どもたちにはよく知られているお姉さん的存在。

しかし講師といっても特別なことを教えるわけではなく、
先頭になって一緒に楽しむ係だ。

山本知香さん(左)とユウナラさん(右)。

まずは山本さんのレクチャーが行われた。
「今日は、筆ではなく、自分の体で描いてください。
手のひら、腕、足で描いてもいいよ」と、普段、家でやったら怒られることを
やってもいいと許されたことでワクワクする子どもたち。

まずは床に貼られた紙をキャンパスにして描いていく。
フィンガーペイントといっても、指だけでなく体全体を使っていいみたいだ。

手のひらでベターっと。何が描かれるのだろう?

ここからは、子どもたちの自由な感性が爆発する。
手のひらいっぱいに絵の具をつけて縦横無尽に動き回る子、
座り込んで1か所に絵の具の層ができるかと思うくらい色を塗り重ねている子、
足の裏に絵の具をつけてすべって転びまくっている子。
みんな髪の毛や顔にも絵の具がついて楽しそう。
この日ばかりは、洋服を汚したってお母さんに怒られない。

泥遊び感覚の子どもたち。握った指の間から出る絵の具の感触がたまらないようだ。

「普段、学校の授業などで絵を描くと、ウマイ・ヘタという差が出てきてしまいます。
絵があまり上手ではなく、萎縮してしまう子もいると思うんですね。
でもここはウマイ・ヘタという価値基準ではない。
みんなどんどん描いてくれてよかったです」と主催である真鶴未来塾の奥津秀隆さん。

お母さんたちも協力して描くけど、子どもたちのほうが思いっきりがいい!

お化粧のように、きれいに手のひらにピンクの絵の具を塗れました。

30分ほど自由に描いてもらって、絵の具の使い方を理解してもらった。
「フィンガーペイントは絵を描くというよりは、
指や体を使うという五感を鍛える目的が大きいです」と言う山本さん。
いまでは機会の少なくなった泥遊びなど、手足で直接素材をさわるという感触。
そして体のいろいろな箇所を使って表現していくという感覚を鍛える。

〈札幌国際芸術祭2017〉は
もう始まっている!?
雪まつり会場をにぎわせた
『トット商店街』の秘密

札幌国際芸術祭2017の公式プログラムとして開催

2月に入れば東京では春の気配が感じられるが、札幌は冬のまっただ中。
そんな雪が降り積もる季節に行われる一大イベントが〈さっぽろ雪まつり〉だ。
国内外からの観光客や市民が多数訪れ、期間中の来場者は200万人以上となる。

このイベントのメイン会場となった札幌大通公園には、
毎年工夫を凝らした大雪像が並ぶのだが、なかでも今年ひときわ異彩を放っていたのが、
スタディストという独自の肩書きで活動する岸野雄一さんが芸術監督を務めた
『トット商店街』と名づけられた雪像だ。

高さ約12メートルと大迫力のこの雪像は、今年の8月から行われる
〈札幌国際芸術祭=SIAF(サイアフ)2017〉の公式プログラムとして制作。
中央には巨大なテレビ画面、両脇には商店街のまち並みが彫刻され、
その上に天女に見立てられた黒柳徹子さん(トットちゃん)が鎮座し、
どことなく祭壇を思わせるつくりとなっている。

雪像づくりのエキスパートである元自衛隊メンバーも参加して制作を行っており、
像を見るだけでも見応え充分だが、その真価が発揮されるのは
夜のパフォーマンスと言えるだろう。

大通公園5丁目東に『トット商店街』はつくられた。天女となった黒柳さん。雪像をよく見ると、目の部分にはアクセントとして氷が使われている。

日暮れとともに会場に突如として響くのは、黒柳さんのナレーション。
その声に惹きつけられるように、雪まつりに訪れていた人々が次々と足を止め
雪像のまわりには黒山の人だかりが生まれていった。

中央にある巨大なテレビ画面には影絵が映し出され、
春は農夫が畑を耕し、夏はトウモロコシの収穫があるなど、
日本の四季折々の暮らしが描かれていく。

このパフォーマンスは「影絵劇」仕立てになっているが、
その見どころのひとつは、影絵という枠にとどまらない表現だ。
実際に役者が動かす影絵人形とアニメーションがミックスされ、
そのなかで農夫に扮した岸野さんと、これまでも岸野さんのステージに
たびたび登場しているジョン(犬)がパフォーマンスを繰り広げ、
ときには生中継の映像が挿入されるなど、さまざまな展開が起こっていく。

雪まつり期間中、日没後に毎日4回の公演が行われた。芸術監督:岸野雄一、雪像デザイン:梅村昇史、音楽:海藻姉妹、振付:東野祥子ほか多数のスタッフが参加してパフォーマンスがつくられた。

12分間の『トット商店街』のパフォーマンスは、大人も子どもも楽しめる
エンターテイメント性にあふれていたが、芸術監督の岸野さんによれば
「見終わったあとに反芻して考えると、さまざまなことが見えてくる」という。

バックグラウンドにあるのはメディア史

岸野さんは、音楽家や著述家などさまざまな活動を行い、
それらを包括する名称として「スタディスト(勉強家)」と名乗っている。
現在、〈ワッツタワーズ〉や〈ヒゲの未亡人〉といったユニットで活躍し、
ライブやDJ、パフォーマンスなど数々のショーも行っている。

今回の『トット商店街』は、映像やパフォーマンス、音楽など
多彩な要素がギュッと凝縮された岸野さんらしいステージであり、
雪像やアニメーションのモチーフは、スタディストという名にふさわしく、
入念なリサーチのうえにつくられたものとなっていた。

岸野さんは、1963年、東京生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科、美学校などで教鞭をとり、音楽家や著述家など多岐にわたる活動を行っている。

「何気なく楽しく見られる影絵劇ですが、コンセプトは非常に練られているんですよ。
まず、バックグラウンドにあるのはメディア史です。
影絵というすごく原初の表現から始まって、そこにアニメーションであるとか、
実写であるとか、生中継のライブ映像が入ってきている。
さらに部分的にはアフターエフェクツのような最新のデジタル技術も
使っているということで、メディアの進化の過程も織り込まれています」

岸野さんは、メディア史の象徴として、日本のテレビ放送が始まった
1950年代から、テレビ女優として活躍していた黒柳さんを、
「天女」というかたちで雪像のモチーフとした。

また発想のもうひとつのきっかけとなったのは、
今回岸野さんにこのプログラムをやってほしいとオファーした、
SIAF2017ゲストディレクターの大友良英さんの存在だ。

大友さんは、映画やテレビ音楽の作曲を多数手がけており、
昨年はNHK土曜ドラマ『トットてれび』の音楽を担当した。
黒柳さんのエッセイをドラマ化したこの番組に岸野さんは非常に感銘を受けたそうで、
「大友さんと一緒にやるなら黒柳さんをテーマにしたものを」
という想いもあったのだという。

「黒柳さんに、雪像をつくらせてほしいとうオファーをしたら、
すごく喜んでいいただけて、『雪像に登りたい!』という話があったほどでした(笑)」

雪像のモチーフとして登場するとともに、
『トット商店街』のナレーションにも黒柳さんは参加している。
岸野さんは『徹子の部屋』の控え室で声を収録。
そのとき「歩いているお客さんを呼び止めるような感じでお願いします」
と依頼したという。

こうしてとられた黒柳さんの声は、まさに「天女」が空から語っているかのように
会場に響きわたり、テレビの草創期、街頭テレビに人々が集まり、
みんなでひとつの画面を共有していた時代へとタイムスリップする
スイッチのような役割を担っているかのようだった。

「僕が幼稚園のときに使っていたお弁当箱が『ブーフーウー』
(NHKで放映されていた着ぐるみ人形劇)でした。
そのウーの声をやっていた黒柳さんとご一緒できるなんて
夢のようでした」と岸野さん。今回は天女としたが、
「黒柳さんは、本当はもっと身近な存在であってほしい」とも考えたそうだ。

町医者のような大工さん。
真鶴の家をつくる〈原田建築〉

海の見える小さな小屋で

神奈川の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島に、岩海岸という小さな海岸がある。
人気の少ないこの海岸の目の前に、ひっそりとたたずむ小屋がある。
ここは「下小屋(したごや)」と呼ばれる、大工が材料を加工したりするための場所だ。
ここで日々仕事に励むのが〈原田建築〉の原田登さんだ。

「普通の大工さんの下小屋の10分の1ぐらいの大きさですよ(笑)。
でも最近の若い大工だと、下小屋を持っていない人がほとんどじゃないですかね。
最近はワンボックスカーに全部材料が乗ってて、それを組み立てるだけ。
材料も木じゃないんですよ」

下小屋の目の前はすぐに海岸がある。

たくさんの木材が置かれている下小屋。奥に作業をするスペースがある。

大工、というと職人気質で、寡黙な人が多そうなイメージがある。
しかし、原田さんはとても自然体で、肩の力が入っていない人だ。
それは原田さんのブログにもよく表れる。
手がけた仕事の話ももちろんあるが、自分の子どもの話や趣味の熱帯魚の話など、
大工とは関係のない記事が多い。
眺めているだけでほっこりするような明るいブログだ。
このブログを見るだけでも、まずこわい人ではなさそうな印象を持つ。

「ブログはなるべく大工に関係ないところも出して、内面を出すようにしているんです。
そうすると依頼するときに構えないで済むじゃないですか。
でも本当は、口コミだけで成り立つのが目指すところ。
『職人が必要なら、とりあえず原田に聞いとけば』って」

原田登さん。持っている椅子は、夏休みの工作教室で子どもたちとつくったもの。

大工としての腕を試すために

原田建築は、東京・木場の材木屋から始まった。
2代目のおじいさんのときから真鶴で大工を始め、
現在は3代目のお父さんが社長を務める。原田さんは4代目。
手がける案件はほとんどが地元・真鶴に立つ住宅。最近はリフォームが多く、
トイレや風呂場など、劣化の早い水周りの修理が多いという。

「家が八百屋だったら八百屋やってたと思いますよ(笑)。
でも大変ですよ。仕事が少ないんで。一度、親にも『辞めたい』って
言ったこともあります。ほかに行きたいんだけどって。
でも『行かないでくれ』って言うから、しょうがねえなって」

「しょうがねえな」と言いながらも、大工の話をする原田さんは楽しそうだ。
「大工をやるからにはどんなものか試したくて」、
大工が腕を競い合う、技能競技大会にも出ている。

大会では、決められた課題に対して、制限時間内に図面の書き起こしから
木材の加工、組み立てを行い、その正確さを競う。
原田さんは昨年まで、〈青年技能競技大会〉という
35歳以下対象の大会に出場していた。
神奈川県の予選を勝ち抜くと、全国から75人ほどが集まる本戦がある。
一昨年、そこで原田さんは銅メダルを獲得した。

「青年技能競技大会は毎年課題が同じで、
『四方転び踏み台脚立』っていう脚立をつくるんです。
すごい緊張感で。人によってスピードも違う。
図面を紙の表裏に書くんですけど、自分がまだ表を書き終わらないうちに
紙をめくる音がフワッって聞こえたり……」

大会の課題となる「四方転び踏み台脚立」。脚が直角ではなく斜めについており、四方に広がっているので強度があるのが特徴。ネジは使わずにつくる。

斜めの脚に階段を水平につける必要があるため、高度な技術が必要なのだという。

普段仕事をしているだけでは、自分の大工としての腕前が
どのぐらいか知ることはできない。
最近は材料が事前に用意されていることも多くなったので、
現場でノミなどを使う機会も減ってきた。
だから原田さんは、年齢制限のかかる昨年まで8年間、
勉強のために出場していたという。

「この脚立はもう100台以上つくってるかな。
何か月も練習して、最後の最後で大会に出るんです。
大工でも勉強しないとこんなのつくれないですよ(笑)。
実はお寺の鐘つき堂とか東屋はこれと同じ構造なんです。
兒子(ちご)神社の手洗い場も同じ構造で、うちでやらせてもらいました」

岩海岸からすぐ近くにある兒子神社を案内してもらった。ここの手洗い場を原田建築が手がけた。脚をよく見ると四方に広がっている。

小豆島暮らし5年目。
1年のリズム、1週間のリズム

自分たちの暮らしをつくるリズム

3月、まだまだ寒い日が続きますが、それでもやっぱり陽射しや空気、
草たちが春を感じさせてくれます。
長ーい冬休みを経て、2月末からカフェも営業再開。
ゆったりと過ごしていた1、2月が嘘だったかのように、
いろんなことが一気に動き出して、ちょっとあたふたしています。
あー、春が来る!
毎年こんな感じで冬から春に季節が変わっていきます。

2か月間冬休みだったカフェも営業再開。

いつもの島の方々が訪れてくれます。うれしいなぁ。

小豆島での暮らしも5年目になるのですが、
ようやく私たちの1年のリズムができあがってきました。

1、2月はいろんなもののメンテナンス期間。
暮らす環境のメンテナンス、働く環境のメンテナンス、自分たちの体のメンテナンス。
カフェもお休みして、いつもよりはスローペースというか、
いろんなものに振りまわされずに自分たちのペースで時間を過ごします。

そして3月、カフェ営業再開、春夏野菜の準備と急に忙しくなります。
さらに、毎年5月に行われる「肥土山農村歌舞伎」の準備もこの頃から本格的に始まり、
平日の夜は演目の練習、週末はリハーサルなど、頭の中も半分くらいは常に歌舞伎。

そんななか、4月は生姜の植付け。
友人たちにも手伝いに来てもらって何百キロもの種生姜を植えます。

肥土山農村歌舞伎が終わり、ちょっとホッとしたら、
もう秋までは一気に毎日が過ぎていきます。
畑では草刈り、水やり、収穫を繰り返し、金土曜日はカフェ。
汗かいて働いて、ビール飲んで寝て、そんな日々。

暑さが落ち着き、10月には「秋の太鼓まつり」。
10月頭から中旬にかけては島全体がお祭りモードになります。

それが終わると、私たちは生姜の大収穫祭!
私たちふたりではやりきれない作業なので、
もうお祭りみたいにして、みんなに収穫してもらいます。
掘って、洗って、ジンジャーシロップにするために加工します。
それが11月から12月にかけて続いていきます。
1年で一番人の出入りが多い賑やかな時期かも。

生姜の作業が終わって年末最後の大仕事が玉ねぎの植付け。
夏から育ててきた1万本以上の苗を一気に植えます。
これが終わってようやくお正月休み。心底ほっとします(笑)。

これが私たちのいまの1年のリズム。
自分たちの暮らしをつくる、仕事をつくるっていうのは、
このリズムをつくっていくことなのかなとふと思う。

人によってそれはさまざまで、毎年リズムが違う人もいるだろうし、
ひとつの周期が1年じゃない人もいるんじゃないかな。
農業をしている私たちにとっては「季節」というのが絶対的な周期で、
それにあわせて自分たちがどう歌おうか、そんな感じ。

3月限定、白菜のナバナ。

さっと茹でただけ。これに好みのドレッシングをかけていただきます〜。

棚田の再生活動からツアーへ! 
岡山県美作市の〈上山集楽〉から
〈上山ツーリズム〉が始まる

千年の歴史を刻む千枚田を再生させたい

岡山市内から北東へクルマで1時間ほど。
中山間地域ならではの、のどかな風景を眺めながら山道に入ると、
やがて視界が開け、小さな神社と大きな谷が姿を現します。
谷の斜面には棚田と、その間を縫うように走る狭い農道。
さらにその道沿いには民家が点在し、
春には桜、夏には蛍、四季折々の風景が広がります。

ここは岡山県美作市上山地区。
かつて、ここには奈良時代に拓かれたと伝わる、
日本最大級の「上山の千枚田」がありました。
その棚田の数は、実に約8300枚とも言われています。

上山地区のランドマークである上山神社。旧英田(あいだ)町による観光案内には「今でも『田毎の月』『耕して天に至る』と言った、農耕にまつわる風流な言葉が残っております」と紹介されています。

1970年代中頃まで、上山では棚田を中心にした昔ながらの生活が営まれ、
棚田の集落に独特の、伝統や文化が受け継がれていました。
しかし残念なことに、その後の減反政策や高齢化により、
千年の歴史を刻む“循環型の食料生産プラント”とも呼ぶべき千枚田は、
続々と耕作放棄されていきます。
やがて、一面の笹藪や竹藪、あるいは植林による杉林となり、
すっかり荒れた谷へと姿を変えてしまいました。

すっかり草や蔓に覆われてしまった棚田。2003年10月。(撮影:高田昭雄)

このままでは、千年の歴史も知恵も景観も二度と取り戻せなくなる。
上山の千枚田を再生させようというグループが現れたのが2007年。
やがて、2011年にNPO法人〈英田上山棚田団〉が結成されます。
「どうせ再生なんてできない」と眺めていた地元のお年寄りたちも、
竹藪を切り払い、野焼きを始めた彼らの姿に「本気」を感じ、
やがて懐かしい石積みの畦畔が現れたときには、彼らと一緒になって歓声をあげました。

上の写真と同じ場所に再生された棚田。耕作放棄された1枚の水田を掘り起こし、再び作付けできる状態にするには3~4年かかると言われています。2016年10月撮影。

2016年現在、若い移住者も増えて再生活動は加速し、
約60ヘクタールある農地の、17ヘクタールが再生され、
約4分の1の棚田が息を吹き返しています。とは言え、まだまだ先は長い。
かつての棚田を取り戻す活動は、これからが本番です。

自然に寄り添う暮らしと知恵を学ぶ、観光ツアーがスタート

一方で、再生活動を支える経済的な基盤もつくらなくてはなりません。
生産される米の収入だけでは、とてもおぼつかないからです。
そこで、米を酒造好適米に変えて、日本酒の製造、販売。
あるいは高齢化する住民たちの足として、超小型電気自動車の活用。
野菜や果物など、新たな農作物の開発。などなど、多くの取り組みが行われています。

2016年10月、全国のICT技術者たちが上山に集まって、農林業の課題に向き合った「上山集楽農業ハッカソン」を開催。

いずれも、かつての棚田を取り戻し、
棚田ならではの景観や文化を未来に残すための取り組み。
そんな、「未来の田舎」を目指す上山のようすは、
すでに多くの企業や自治体から熱い視線を浴び、
今では絶え間なく、視察や研修のツアーが開催されています。

野草の豊かな土地柄、視察や研修のツアーでは、野草料理やジビエが評判を呼んでいます。

であれば、このツアーを一般の観光客に向けて開放してはどうか?
千枚田の景観はもちろん、棚田での農業体験や、食材としての野草やジビエ、
晴天率の高い岡山県ならではの星空キャンプ、あるいは超小型電気自動車の体験試乗。
それは棚田千年の歴史を通じて培われてきた、“自然に寄り添う暮らし”を学ぶ観光です。

そんな〈上山ツーリズム〉が、この4月からスタートします。
具体的なツアーの内容は、次のページから。

岩見沢の山里を知ってほしい。
地域PRプロジェクト
〈みる・とーぶ〉いよいよ開催!

開催まであと1か月。だけど準備はまだまだ……

この春移住する岩見沢の美流渡(みると)をはじめとする
中山間地をピーアルするために、4月11日から札幌で展示を計画している。
これは〈Go North〉というイベントの一環として行われるもので、
私たちとともに、東京、札幌、福岡で活動をする作家が参加し、
札幌市資料館の展示ギャラリーで、それぞれの手しごとの品が販売される。

企画の中心となったアクセサリーデザイナーの岩切エミさんが、
昨年、美流渡でワークショップを開催したことがきっかけとなり、
この企画に私たちも参加することとなったのだ。

このイベントに合わせて考えた、私たちが行う展示のタイトルは〈みる・とーぶ〉。
岩見沢の中山間地は、東部丘陵地域と呼ばれており、
この地域をもっと見てもらいたいという想いからそう名づけ、
昨年より地域のみんなと準備を進めている。

イベントのDM。ブランド〈E・I〉でアクセサリーを制作する岩切エミさん、福岡を拠点に活動するキルト作家のこうの早苗さん、札幌のフェルト作家Chicoさんとともに、私たち〈みる・とーぶ〉チームも参加。

この連載で、進行状況について何度か書いてきたが、
いよいよ開催まであと1か月となってしまった。
準備の進み具合いを考えると、かなりまずい……。黄色信号点滅状態になっている。

私がやらなければならないのは大きくふたつ。
地域の人々の顔を掲載した地図づくり
昨年買った山をテーマにした本の制作だ。

地図は、この地域を知ってもらうための最重要ツール。
現在、岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)のふたりが、
地元を足でまわってひとりひとりのポートレートを写真に収めているところ。
それを私が似顔絵にして地図に落とし込んでいるのだが、
これはかなり地道な作業!(終わらない……)

さらに、山をテーマにした本については、
いまだにまったく手がつけられていない状態!!(ああ、どうしよう……)

私自身はこんな状態なのだが、このイベントを一緒に運営しているメンバーは
心強い面々で、全体の準備はかなり進んでいることが、本当にありがたい。
まず、ロゴのデザインが完成し、HPができあがった!

ロゴを制作したのは〈ea〉。私が長年仕事をともにしてきたデザイン事務所で、この地域をイメージするモチーフを散りばめたデザインとなった。

また、展示物で一番のメインとなるのはリンゴのポーチ。
東部丘陵地域の特産のひとつであるリンゴをかたどったポーチの中に、
地域の地図を入れ、それを会場のあらゆる場所につり下げて
空間をつくっていこうと考えている。
岩切エミさんのデザインをもとに、地元のみんなで縫い上げたもので、60個ほど完成! 
布と糸、リボンの組み合わせはひとつとして同じものはなく、
気に入ったものを来場者が選んで持って帰ってくれたらと考えている。

東部丘陵地域には果樹園が多いことから、リンゴがモチーフになった。

果樹園を営むメンバーが「リンゴの葉っぱも飾りたい!」と、葉っぱ型のアクリルたわしをつくってくれた。こんなアイデアの広がりも楽しい。

このほかリンゴのお手玉も制作中で、リンゴモチーフのものが会場をにぎわす予定。