埼玉県熊谷市にて“素晴らしき日常”を堪能できる2日間「NEWLAND Days」開催!

9月20日(土)・21日(日)、
埼玉県熊谷市にある複合商業施設、NEWLANDに
おしゃれなお店やブランドが集まり「NEWLAND Days」を開催します。

昨年初開催され、大好評だった「NEWLAND Days」では、
広々とした敷地にオーガニックな野菜や食材、選びぬかれた洋服、
雑貨、手づくりお菓子などのポップアップストアが並び、
展覧会やワークショップなどのイベントを開催。
まさに、“素晴らしき日常” を堪能できる2日間です。

今年の参加店は、ハイセンスなセレクトショップ「stcompany」、
「アッシュ・ペー・フランス」による
「Tsé&Tsé associées(ツェツェ・アソシエ)」の2日間限定ストア、
静岡県沼津市のライフスタイルショプ「MissionBay」、
建築デザイナー、セキユウスケさんのラーメン制作チーム 「Soupreme」、
新たな定番を生み出すメンズブランド「FUJITO」、
映画から生まれるお菓子「cineca」などなど。

さらに、東京をベースとする
ファニチャーレーベル「E&Y」の特別エキシビジョンや
フルタヨウコさんのワークショップ 「その日にしかない果物の組み合わせで作るジャム」など、
見て、参加して楽しめるプログラムがいっぱい。

夜には花火のセレクトショップ「fireworks」による
小さな花火大会も開催され、
夏の終わりにぴったりな思い出ができそうです。

NEWLANDは、かつて大型クレーンの教習所として使われていた場所が
リノベーションによって生まれ変わった、熊谷屈指のおしゃれスポット。
敷地内には巨大な倉庫を改装したショッピングモールや
ワークショップのための施設、ドッグランなどがあります。
「NEWLAND Days」参加店のほか、
有機野菜や調味料などが並ぶ「Cotona」や、
上質な物と遊び心ををセレクトしたアパレルショップ「THREE」、
ハイセンスなインテリアショップ「Lol」など、常設店も見逃せません。
本当にすてきなお店ばかりが並ぶ、一度は訪れておきたいスポットです。
当日は熊谷駅南口から無料シャトルバスも運行。
埼玉県近郊の方も、ちょっと足をのばしてお出かけになってみてはいかがでしょうか。
NEWLAND
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盆の終わりに

お盆休みの最終日にあたる日曜日の朝。
タカコさんは台所で朝食の後片づけを、ぼくは隣の居間で洗濯物を畳んでいた。
娘のチコリとツツはというと、キッチンの奥にある部屋でブロック遊びに興じている。
ふたりの周囲には色鮮やかなブロックが散乱していた。
「またそんなに散らかして! チコリ、片づけなさい!」
洗いものをいったん中断して奥の部屋をのぞいたタカコさんが声を荒げた。
ぼくがいる場所からはタカコさんだけでなく、チコリとツツの後ろ姿も見えた。
チコリは黙々とブロックを積み上げ、
すぐ横でツツが床に座って嬉しそうにチコリがやることをじっと見ている。
ぼくには娘ふたりが仲良く遊んでいるようにしか見えなかった。
しかし、その朝のタカコさんにはそうは映らなかったようだ。
幼い子どものいる家庭で休日が3日も続けば親のストレスもたまってくるというもの。
後から考えたら、ぼくがそれなりのケアをしてやらなければいけなかった。
うちにはまだ乳飲み子のツツがいる。母親の負担は大きいのだ。
だが、そのときのぼくは最後の休日をどう過ごすかということで頭を使っていた。
(昨日は美咲町まで行ったから、今日は近場で勘弁してもらえるかな? 
児島にだってサブがいるから行かなきゃならない……)
そんな地味な思考はタカコさんの声で吹っ飛んだ。
彼女は再度洗いものを中断して部屋の様子を見るやいなや、チコリを叱りとばした。
「片づけなさいって言ってるでしょ! ブロック捨てるよ!」
タカコさんがチコリを叱るとき、ぼくは口を出さないようにしている。
必ず叱る理由があるからだ。しかし、そのときはなんら理由が見当たらない。
それでもぼくは口を出さずにいた。その時点まではぼくも冷静だった。
しかし、まさかその矛先がぼくに向けられるとは思いもしなかった。
「もう、チコリがいるとなんにもはかどらない! お父さん!」
「ん? オレ?」
「チコリとツツを連れてどっか行ってよ!」
「えええっ! なんでオレが……」
「それぐらい気を遣ってよ!」
抑えていたたががするっと外れた。
「自分だけが家事を背負い込んでるみたいな言い方して、オレだってやってるだろ! 
だいたい子どもたちがブロックをやってなんの妨げになるっていうんだよ! 
それにブロックなんて散らかして遊ぶもんなんだよ!」
言いたいことは言ったからそこで止めておけばよかったのだ。
でも、気持ちにも勢いというものがある。最後に吐き捨てるようにぽろりと口から出た。
「ホント小さいヤツだなあ、おまえは」
そのひと言がまったくいけなかった。瞬間、虎の尾を踏んでしまったと悟った。
間違えようがない。うちの虎はしっぽを踏まれても牙をむかず、唸りもせず、
静かにすっと牙を引っ込める。
そしてほのかに浅黒い顔色になって、
まっすぐ自分の服やら下着やらが入っている押し入れに向かうのだ。
これまで同じことが2度あった。引き止めてもまったくの無駄である。
ぼくは床に座って、なにごともなかったかのように無言で洗濯物を畳み始めた。
彼女の支度ができるまで5分とかからなかった。
無駄と知っていても、ぼくは言わずにいられなかった。
「そうゆう子どもじみたこと、もうやめてくれないかな」
ぼくの言葉は部屋にむなしく漂うだけだった。そして彼女はツツを連れて出て行った。

「なんでお母さんいないの?」
何度となくチコリが訊く。そのたびに、ぼくと喧嘩したこと、
チコリのせいじゃないことを言い聞かせた。
しかし、30分もすると「お母さん!」と言いながら顔を歪ませ、
ぼろぼろ涙を流して泣いた。ぼくじゃいけないらしい。
泣きながらしきりに「お母さんがいい!」と訴える。
「お母さん、いつ帰ってくるの?」
「そんなのオレにもわからないよ。今日帰ってくるかもしれないし、
帰ってこないかもしれない。ホントわかんないんだよ」
正直に言えばいいってもんじゃないのだ。説明にも慰めにもなっていない。
チコリは「いつ帰ってくるの?」と泣きながら同じことを繰り返した。
仕方ない、あれに頼るしかない。
「チコリ、マック行く?」
泣きながら、しかしチコリはぼくを見て首を縦に振った。決まりだ。
ぼくたちは早速車に乗って児島に向かった。
車中、チコリの機嫌はすっかり戻っていた。
さらに「ハッピーセット」(マクドナルドのおもちゃの景品付きセットメニュー。
おもちゃは男の子用と女の子用をセレクトできる)を買ってやると言うと、
機嫌の針は簡単にメーターを振り切った。

マックでのランチを終え、チコリと一緒に日曜日の午後を元浜倉庫で過ごしていた。
ぼくとチコリの姿に、「家に残された父と娘」の悲哀はかけらも見えなかったと思う。
チコリはこの半年近く、元浜倉庫に来るといつもそうしているように
<youtube>で『アナと雪の女王』関連の映像を見たり、
ミュージックビデオを見て大声で歌ったりしている。
ぼくは倉庫でCDを聴いたりサブとじゃれたりして時間をつぶしていた。
と、そこに東岡山に住んでいる友人のイーサンがやってきた。
彼からはマックにいるときにショートメールをもらっていた。
「今日児島に行くから、事務所にいたら寄るよ」と。
イーサンに会うのは半年ぶりだった。
彼が児島に住んでいた5年前まではしょっちゅう一緒に遊んだ仲なのだが、
ここ数年は年に数回しか会っていない。
お互いが住む家と家の間に距離ができたし、なによりふたりとも家族ができた。
彼には5歳になる息子のジョシュがいる。
その日も当然ジョシュが一緒だと思っていた。
ところが現れたのはイーサンひとりだった。

イーサンはぼくの知っている誰よりもアメリカ人的なアメリカ人だ。
フレンドリーでカジュアル。会話にはたっぷり冗談を盛り込んで、
しかもその冗談が俗っぽい。下のネタも当然アリとくる。
つまりは軽くて愉快、それにすごくいいヤツなのだ。
その日も会ってすぐから、倉庫の外にまで笑いがこぼれていたと思う。
家族の話になったとき、一瞬変な間を空けて躊躇してしまったのだが、
この男に隠す必要なんてない、ぼくは今朝のことを素直に話した。
イーサンは目をくりくりさせて「マジで?」と驚いたように言った。
続けざまに「うちもいま別居してるの、言ったっけ?」
「え、知らないよ、いつからだよ?」
「この春から」
「ジョシュはどうしてるの?」
「彼女とボクの間で一週間ずつ交互に一緒に暮らしてる」
人一倍子煩悩で、いつもジョシュと一緒だったイーサン。
そんな彼が日曜日にひとりで児島にやって来た理由がわかった。
今週はジョシュが母親と一緒にいる週なのだ。
「そうか、知らなかった。悪かった」
「いいんだよ。いま、ひとりで古民家に住んでるよ。写真、見る?」
そう言ってイーサンはスマートフォンの膨大なデータのなかにダイビングした。
いつも軽くて愉快なイーサン。
うつむいた彼の笑顔は少しも寂しそうには見えなかった。
でも、人はそうは見えなくても、いろいろを抱えているのだ。

児島にやって来てからというもの、チコリは泣くどころか、
「お母さん」と口にすることさえなかった。
だからといって、母親を思っていなかったと決めつけるのは早計だ。
チコリがどんな気持ちでいたかはチコリのみぞ知るである。
ぼくはというと、イーサンのことを聞いたというのもあって、
子どもたちと会えなくなることを初めてリアルに考えた。
イーサンの境遇と同じように、一週間会えない状態がしばらく続くと思うと、
それだけで気分が悪くなった。
ずっと会えなくなると考えたら、ぼくの人生にはもう意味なんてないと思った。
(そうなったら東京に戻るか。いや、いっそのこと海外でひっそり暮らそうか。
タイとかベトナムとか、お金があればハワイとか。
それはそれでなんとなく楽しそうな気もするけど、
はたして子どもたちなしでぼくはやっていけるのか?)
その場にいないツツが愛しかった。ツツの顔が早く見たかった。

夕方、イーサンと別れた後、チコリと一緒に児島でラーメンを食べて早島に戻った。
夜の9時を少し回った頃だった。玄関のドアの鍵が開く音がした。
チコリはテレビを見ていた。ぼくはなにをしていたのか憶えていないのだが、
タカコさんの顔を見ようとしなかったことは憶えている。
彼女が居間に入ってきて、抱っこひもを解いてツツを床に下ろした。
すぐさまハイハイしようとするツツをぼくは飛びつくようにして抱きかかえた。
ツツはぼくの腕のなかではしゃぐようにして笑った。
たったの半日だ。会えなかったのはたったそれだけなのに、
ツツの柔らかさと重みがカラダのなかに染みわたるようだった。
一方のチコリはというと、反応がぼくとまったく同じだった。
タカコさんが帰っても、玄関に迎えに行くでもなく、ずっとテレビに顔を向けたまま。
ぼくがそうしたように母親の顔を見ようとしなかった。
さて、問題のタカコさんである。彼女は疲れはてた顔をしていた。
ずっと行くところがなかったらしい。「ただしんどいだけだった」と言葉少なに言った。
ぼくたちはお互い、責めることはせず、かといって謝りもせず、
同じ空間で子どもたちと一緒にいられることにただただ安堵していた。

あれから2週間が経ったいまでは笑い話だ。
前の2回もそうだったように、
あと2、3か月もすればケンカの原因も憶えていないだろう。

チコリとツツは本当に仲がいい。彼らが一緒に仲良く遊んでいるのを眺めていると、ほのぼのと幸せを感じる。家族に恵まれたと感じる。その家族にはもちろんタカコさんも含まれている。

福島県相馬市に、震災で傷ついた子どもたちの心理的ケアの拠点「LVMH子どもアート・メゾン」オープン

2014年7月、福島県相馬市に、ドーナツ状の特徴的なかたちを持つ施設
「LVMH子どもアート・メゾン」がオープンしました。
ここは、震災で傷ついた子どもたちのPTSD=心理的外傷後ストレス障害を
癒やすためのところ。

施設は相馬市が所有する1500平方米の敷地に建設されました。
世界的な高級ブランド「LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン・グループ」が
建設資金を提供し、同社とつながりの深い建築家の坂茂さんが
ボランティアで設計を担当しています。
坂さんは別名「紙の建築家」と呼ばれる建築家。
安く軽量で手に入りやすく、リサイクル可能な「紙筒」を
建築に使用することで知られています。
この施設でも、内装からテーブル、椅子などに紙管が使われているのだそう。

内部には、約2,000冊の絵本を閲覧できる「絵本閲覧スペース」や
「多目的研修室」があるほか、子どもたちの相談を、
NPO法人「相馬フォロアーチーム」のカウンセラーが受ける体制があります。
また中学生を対象とした学習支援「相馬寺子屋事業」、エル・システマの「作曲教室」、
ボランティアによる「絵本の読み聞かせ」などの支援も行われます。

中庭には芝生があり、ヤマボウシの木が植えられています。ほか、水耕栽培の野菜棚を備えた多目的研修室も。 ©LOUIS VUITTON / Tadamasa Iguchi

図書室・閲覧室 ©LOUIS VUITTON / Tadamasa Iguchi

これまでにLVMHグループは、
震災により全壊した岩手県山田町「田の浜地区コミュニティセンター」の再建や、
宮城県気仙沼でおいしい牡蠣を育てるための「森は海の恋人運動」への
支援を行ってきました。
震災からはいまだ復興が進まないところも多く、これからが本当の勝負。
今後この施設は、相馬市によって運営されるそうです。

LVMH子どもアート・メゾン
住所:相馬市中村二丁目2-15
開館時間:9時~18時(休館日 12月29日~1月3日)

小豆島の夏が終わり、また秋が来る

夏のイベント、あれこれ。

せわしなかった8月が終わり、いよいよ9月。
今年の小豆島の夏はほとんど曇りか雨だったような気がします。
8月前半の台風通過から始まり、それ以後カラッと晴れた日はほんの数日。
心地良い風が恋しいです。

この夏、小豆島ではほんとにたくさんのイベントが開催されていました。
面白いのはそれが同じ場所に集中していないこと。
土庄町・迷路のまち、三都半島、醤の郷・坂手、福田など島内各地で毎週末イベント。
去年の瀬戸内国際芸術祭でつくられた作品や拠点も引き続き公開、
島外からアーティストの方々も再び訪れ、ワイワイと賑わっていました。

私たちが参加できたイベントはほんのわずか。
7月末、坂手港のエイカフェ - ei CAFEにて開催された
ドッペルツィマー 小豆島ライブ」。
その日は、料理人の今井義浩さんが私たちの育てた野菜を使って
ピザを焼いてくれました。
やさしい音楽とおいしいごはん、そして美しすぎる夕焼け。
夏の始まりの最高の夜でした。

ドッペルツィマーのおふたり。普段は閉まっているエイカフェですが、時々こういうイベントが開催されます。

料理人の今井義浩さんがピザを焼いてくれました。

トマトやオクラ、ナス、ズッキーニ、季節の野菜を使います。

私たちが育てた野菜がおいしいピザになるなんて、とてもうれしい。

この日の坂手港の夕景はたまらなかった。夕焼け色に染まる空と海。

そして、島の各地で夏祭り。
私たちの暮らす肥土山(ひとやま)でも毎年恒例の盆踊り。
まさに地元の人の地元の人による地元の人のための祭り。
2年前にコンドルズの近藤良平さんが肥土山の農村歌舞伎で
ワークショップ形式でつくった踊り「瀬戸内の踊り」も加わり、
「船こいで船こいでかーぶーきっ!」
と地元のおばちゃんの何とも言えない歌声にあわせて、
住んでる人、地元に帰ってきてる人、みんなで大きな輪をつくり踊りました。

肥土山の盆踊りは、入場から始まります! 地区内のエリアごとに分かれて踊りながら入場。

山々に囲まれた広場で盆踊りスタート。

みんなで踊った瀬戸内の踊り。地元のおばちゃんの歌声にあわせて。

あっという間に8月末、醤の郷地区にある馬木キャンプで
「旅するスパイス料理教室 in 小豆島」。
東京スカイツリーのお膝元、押上にあるスパイスカフェのシェフ伊藤一城さんが、
スパイスの種類、使い方を教えてくださり、実際にチキンカレーを作りました。
作ったカレーを囲んでみんなでいただきます!
馬木キャンプがスパイスの香りに包まれた夜でした。

スパイスカフェの伊藤一城さん。スパイスの使い方についていろいろ教えてくださいました。

実際にスパイスを使ってチキンカレー作り。

伊藤さんが作ってくれたカレーと食べ比べ。スパイスを使ったサラダも絶品。

みんなでいただきます!

都会で暮らしていたときよりも、
イベントやワークショップによく参加するようになりました。
それは、そういう機会がすごく身近にあるからなのかな。
島外の人との出会いがあったり、島の人と新たなつながりが生まれたり、
イベントは日常の暮らしに刺激を与えてくれるまさにスパイスのような存在。

田舎に暮らしていながらこういう経験ができる、いまの小豆島ってそんな場所。
9月もまだまだイベントが続きます。

名古屋の年に一度の晴れ舞台、 〈みなと祭〉を大フィーチャー。 『ぶらり港まち新聞』 No.09 なつ号

愛知県『ぶらり港まち新聞』

発行/港まちづくり協議会事務局

ぶらり港まち新聞【09】なつ号は、名古屋の港まちの年に一度の晴れ舞台、「みなと祭」を大フィーチャー。まちの人に愛される「みなと祭」をつくる地元のひとたち、大掛かりな屋形、祭りを盛り上げるリーダーの存在などをお伝えします!

ぶらり港まち新聞

http://www.minnatomachi.jp/shinbun/

発行日/2014.8

小豆島でカメラを通して人とつながる

写真展でのトークショーに参加。

写真を通して小豆島のいまを伝えるプロジェクト「小豆島カメラ」。
本格的な活動をスタートしてもうすぐ半年になります。

たった半年ですが、この活動を通してたくさんの人と知り合いました。
Tシャツやカメラストラップを制作するにあたって知り合った
島外のイラストレーターさんやデザイナーさん。
撮影をしていて仲良くなった地元のおっちゃんやおばちゃん。
カメラを通してほんとにいろんな人とつながっていきます。

現在開催中の小豆島カメラ写真展。土庄町の迷路のまち・陣屋跡で。見に来てくれた地元の方と地元ネタで盛りあがる。

迷路のまち・陣屋跡は、西光寺の参道沿いにあります。ふらっと立ち寄ったり、外の展示を見たり。

そして今回もまた嬉しいご縁。
東京を拠点に活動するフォトジャーナリストであり
ライターであるエバレット・ブラウンさん。
エバレットさんは現在小豆島のMeiPAM 02というギャラリーで
時代を超える情景」と題した企画展を開催しています。
その会場でのエバレットさんのトークショーに
小豆島カメラも参加させていただきました。

エバレット・ブラウンさん(写真左)は、千葉県いすみ市で古民家を再生させ、宿泊施設やカフェを併設する「ブラウンズフィールド」を主宰していらっしゃいます。

小豆島在住の妖怪絵師、柳生忠平さん(左から3番目)もエバレットさんと一緒にトークショーに参加。

約25年前から日本で暮らしているエバレットさんは、
日本の生活や風習、その根底にある自然や風土、精神性などについて考え、
その風景や人々の暮らしをカメラに収められています。
今回の企画展にあわせて小豆島にも数日間滞在され、
祭りや古民具を撮影されていました。

今回トークショーでは、カメラを通してどう小豆島を見るのか、
そしてどう切り取るか。そんなことを話しました。
エバレットさんは、湿板カメラという昔のカメラで、
時代を超えて存在し続ける風景や文化を。
私たち小豆島カメラは、ミラーレス一眼カメラという現代のカメラで、
いまの小豆島を。
その写真の雰囲気や切り取り方は違えど、
「小豆島では伝統や文化が非日常的なものでなく、
日常の暮らしの中に自然と残り続けている」
そう感じるのは同じでした。

エバレットさんは、11歳の頃に家族旅行で写真係となったことがカメラとの出会いだそう。

島内の写真好きの方々、島外からエバレットさんに会いに来られた方などたくさんの方がいらっしゃいました。

「農村歌舞伎は非日常的なものでなく、演者も友だちのお父さんだったりすごく身近なもの」と話す小豆島カメラの古川絵里子さん。

「まずは1日1枚の写真更新を1年間続けます。その積み重ねが将来的にはアーカイブとして残れば」と話す太田有紀さん。

エバレットさんの写真展「時代を超える情景」は、2014年10月13日(月)まで開催中です。

カメラを通して、世界のいろんな人たちと繋がっていく。
そこでまた新たな刺激をもらい、
自分たちの暮らし方、暮らす場所を見つめなおし、その写真を撮る。
また撮りたい小豆島が増えました。

さて、今日もカメラを持って小豆島のいまを撮りに行ってきます。

information


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MeiPAM

住所 香川県小豆郡土庄町甲405
TEL 0879-62-0221
開館時間 10:00~18:00(水曜休館)
http://meipam.net/

information


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HOMEMAKERS

住所 香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間 金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

会いにきてけらいん!全国の伝統こけしが大集合「第60回全国こけし祭り」

9月5日(金)〜7日(日) 、宮城県の鳴子温泉にて
「第60回全国こけし祭り」が開催されます。

今年で60回目を迎えるこのお祭りは、
全国11系統のこけしが揃う実演展示即売会や
パレード、コンクールなどが行われ、まち中がこけしに湧くイベント。
さらに温泉も楽しめてしまうという、
こけし好きにはたまらない3日間です。

ちなみにポスターに書かれている「会いにきてけらいん」という言葉は、
宮城の方言で「会いにきてください」という意味だそう。
何ともかわいらしいですね!

■こけし祭りの楽しみ方

目玉は、鳴子小学校の体育館で開催される
こけしの実演展示即売会。
土湯系の柿崎文雄さんや作並系の平賀輝幸さん、
弥治郎系の新山吉紀さんなど、各系統のこけし工人が絵付けを実演。
運が良ければリクエストにこたえてくれることもあるそうです。
今年は60回を記念し、こけし研究家の高橋五郎さんが監修した
最古の鳴子こけし復元作品の展示販売や、こけしフォーラムの開催も。
同時開催される鳴子漆器展も味わい深いです。

ぜひチェックしたいのはこけしコンクール。
全国の伝統こけし工人約150名、300点の出品作品から、
最高賞の文部科学大臣賞ほか、31の賞が選ばれます。

そしてハイライトは、こけしのはりぼてやお神輿が
温泉街をねり歩くフェスティバルパレード。

はりぼての中に入るのが、
一般募集で集まった方々というのもユニークです。

鳴子温泉駅前ゆめぐり広場には
東北や東京などのゆるキャラもお目見え。
鳴子温泉の「なる子ちゃん」や、
宮城県岩出山の「岩出山おっち(落ち武者くん)」、
東京都台東区のまもり神「台東くん」などが登場する予定です。

伝統こけしは、その土地土地の歴史や風土を反映する貴重な文化遺産。
ここでご紹介したほかにも、こけし奉納式や温泉神社祭典など、
さまざまな催しが予定されています。
こけし好きの方は、ぜひ鳴子温泉へお出かけになってみてください。
第60回全国こけし祭り

いま、町に本屋をつくるとしたら…… 後編

前編よりつづく)

札幌の名物書店「くすみ書房」の名を全国に知らしめたのは、数々の独創的な取り組みだ。
売れない文庫を集め、中高生のために本屋のおやじがおせっかいで本を選ぶ。
そうした取り組みの背景には、くすみ書房が直面する経営難があった。
それはくすみ書房固有の問題ではない。
全国の町の本屋に共通する、いわば本屋が抱える構造的な問題だった。

本屋を襲う三重苦

生々しい話の連続に、圧倒されていた夏葉社の島田さんが問いを投げかける。
1990年に3万軒近くあった本屋が、いまでは1万4,000軒にまで減っている。
町の本屋の経営を、そこまで追い詰めているのは何なのか――と。

くすみ書房の店主、久住邦晴さんの答えは明確だ。
雜誌購入者の減少、粗利の低さ、
そして在庫回転率の低さが、町の本屋の重しになっているという。
出版業界が売上のピークを迎えたのは1996年、そのときの売上は2兆6,000億円にのぼる。
それがいまや1兆8,000億円程度、そのうち、大幅に減ったのは雜誌の売上だ。
紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような、ナショナルチェーンと呼ばれる大規模書店は、
書籍、それも専門書の売上がかなりを占めるが、
町の中小規模の書店の多くは、雜誌の売上が店舗全体の売上の5~7割にもなる。
町の本屋にとって生命線とも言えるその雜誌が売上を減らし、休刊するものも少なくない。
しかも、コンビニも雑誌販売の強力なライバルとなっており、
町の本屋は雑誌に代わる稼ぎ頭を見つけ出せてはいない。

2フロアあるくすみ書房では、1階で雑誌やコミックを扱う。雑誌売上の低迷が、町の本屋の経営難と直結している。

粗利の低さは、本屋の商売を難しくしている一番の要因だと久住さんは言う。
本屋が取次から仕入れる価格は、おおまかに雑誌で定価の77%、書籍で78%、
1冊売って、本屋が手にする粗利は20%ちょっとでしかない。
(個別の取引でさまざまなパターンがあるようで、あくまで「おおまかに」である)
つまり、2,000円の本を売っても、本屋の取り分はだいたい400円。
それを1日で50冊、10万円分売ったとしても、粗利は2万円強。
そこから労賃と家賃を捻出しなければいけないわけで、人がひとり食べていくのに、
いったいいくら売らねばならないのかと、想像しただけで頭がくらくらする。
万引きでもされたら、積み上げた利益が吹き飛んでしまうわけで、たまったものではない。

さらに驚いたのは、在庫回転率の話だ。
在庫回転率とは、要するに仕入と売上のサイクルを何回まわせるかということ。
1,000万円の在庫を仕入れて3回転すれば、年間の売上は3,000万円。
回転率が低ければ、売上も低くなるということだ。

雜誌は、月刊誌であれば、毎月1回は必ず在庫が動く。
10冊仕入れて8冊売れれば、2冊は返品になっても、次の月には新しい号が入ってくる。
早い話が、月刊誌は年に12回は棚が回転する。
一方、単行本や文庫といった書籍は、年に1回も動かないものも少なくない。
書籍全体で均すと年に1~1.5回、
雜誌と書籍を平均しても、優良店で在庫が3回まわればいいほうだという。
だが、本屋以外の小売の常識では、在庫は10回転しないと採算が合わないと言われる。

粗利は低いし、在庫も回転しない。
小売としては厳しい経営環境で、かつて稼ぎ頭だった雑誌の縮小傾向も止まらない。
この三重苦に押しつぶされそうになっているのが、町の本屋の現状ということだ。

本屋をつくる思考実験

あまりに険しい現実に、本屋をやろうと思う気持ちが打ち砕かれそうになる。
前もって、知ったつもりになっていたこともあるけれど、
最前線で戦う人が語る生々しい言葉に、考えの甘さを突きつけられた。
町に本屋をつくるなど、軽々しく口走った自分を呪いたくなる。

だがそこは、幾度もの苦境を大胆な発想で切り抜けてきた久住さんだった。
絶望感に包まれつつあった会場に、希望の光りをもたらしてくれた。
それが、「いま、町に本屋をつくるとしたら」を実際にシミュレーションした思考実験だ。

いま、北海道に180ある市町村のうち、本屋のない自治体が60あるという。
人口1万3,000人強の浦河町はそのひとつ。
町には5つの小学校に生徒が660人、3つの中学校に400人の生徒がいる。
高校も看護学校も映画館もある。町には文化を受け入れる土壌があるのに、
かつては2店舗あった本屋も、数年前に店を畳んだ。
現状を憂えたまちづくり団体の人たちが、
町の活性化のために、本屋をつくる相談を久住さんに持ちかけた。
「子どもが走っていける距離に本屋があるべき」が、久住さんの持論。
北海道書店商業組合の理事長でもあった久住さんは、地域への思いも強い。
「それで、私なりに考えてみたんですよ……」と、笑みを浮かべて久住さんは言う。
思考実験とはいえ、リアリティも本気度もたっぷりである。
僕は、しぼみかけていた勇気を奮い立たせ、再び久住さんの話に耳を傾けた。

考えたプランは、2014年2月3日、浦河町の人たちに向けて発表、その様子が北海道新聞で取り上げられた(2月5日)。定員50名のところに70名の町民が集まり、「町の人たちの本屋への関心の高さを感じた」と久住さん。

町民による町民のための町民の本屋

いまの時代、本屋を始めるのは至難の業だ。
それが、ここ何か月か、本屋について勉強を始めて抱いた素朴な実感だ。
本屋には、大きく新刊書店と古書店がある。
新刊書店というのは、雑誌やコミック、文庫や新書、単行本を扱う、
要するに町で普通に見かける本屋のこと。
これをまともに正攻法で始めるには、
一坪あたり何十万円、ときには100万円を超えるお金がかかる。
店が大きければ、千万単位のお金がかかる。それなのに本の粗利は低い。
リスクは高いがリターンは低い。それが本屋という商売の現実だ。
お金をかけずに本屋をやる方法もあるにはあるけれど(古書店はそのひとつ)、
仕入れが制限され、品揃えは制約を受ける。
どちらの道を選ぶべきか、それが僕にとってひとつの大きな問題だった。

久住さんが示してくれたのは、「第三の道」とでも言える方法だ。
仕入れのルートを確保しつつ、リスクを小さく分散する。
と言うと、ドライでビジネス・ライクな言い方になるけれど、
多くの人を巻き込み、気持ちを少額の資金というかたちで提供してもらうやり方だ。

仮に、町の人500人が1万円ずつ、あるいは100人が5万円ずつ拠出くれたとしたら、
500万円の資金を集めることができる。
それを資本に本屋を始める。広さはせいぜい20坪、小さな本屋である。
内装は、地元の工務店の協力を仰ぐなどして極力お金をかけず、
500万円の初期投資のほとんどを、本の仕入れに充てる。
店の運営も町の人たちが担い、町の人たちに向けて本を売る。
町民による町民のための町民の本屋をつくるというアイデアだ。
久住さんの言葉を借りれば、「コミュニティ書店」である。

島田さんが、「そのやり方は、久住さんがやられてきたことですよね」と指摘する。
たしかに、友の会の「くすくす」やクラウド・ファンディングでやってきたことを、
町という地域に舞台を変えて行っていると見ればそのとおりだ。
なるほど、それが「コミュニティ書店」ということかと合点がいった。

おふたりの話に聞き入る、会場に集まった40名を超える人たち。「コミュニティ書店」のアイデアを、どう受け止めたのだろうか。

これはすごいアイデアだ――と、僕は思った。
広く出資を募るのは、株式会社の仕組みと何ら変わるところはない。
それは確かにそうなのだけれど、その方法で町の本屋を立ち上げる発想は僕にはなかった。
まさにコロンブスの卵。「第三の道」が開け、僕の視界はずいぶん明るくなった。

商売を諦め、「成長する本屋」を目指す

久住さん流「コミュニティ書店」を成り立たせるポイントは、
「本屋を商売として考えるのをやめる」というところにある。

本屋において、家賃と人件費はそれぞれ月商の1割程度に収めるのが定石とされる。
月に200万円の売上があったとして、160万円は仕入れの回収に充て、
40万円の粗利から家賃と人件費を払えば、それでも手元に残るものはほとんどない。
回収した160万円を再度仕入れに回しても、棚は元のサイズに戻るだけ、
同じ規模の棚を維持するのが精一杯だ。

商売として考えるのをやめると、そこにもう一手を加えることができる。
役場の空きスペースや町の未利用物件を無償で使わせてもらうことができれば、
家賃を浮かすことができる。そうすれば、その分を本の仕入れに充て、
棚に並ぶ本を毎月少しずつ増やし、本屋を成長させていくことができる。

これを可能にするのは、
「小さいけれども、町に本屋がある」ことに意義を見い出す町の人たちの意識だ。
本屋を「町に必要な機能」として捉え、町全体で運営をサポートする。
商売を諦めることで、町に本屋をつくり、本屋としての成長を目指す道がある。
それが久住さんの描いたシナリオだった。

僕が実際、どんな方法で本屋を立ち上げることになるかは自分でもまだ分からない。
久住さん方式にはとても大きな魅力を感じるけれど、
町の人の思いを、いきなり目に見える形で背負い込むのはちょっと怖い。
自分の力でもっと頑張ってみたい気持ちもあるし、商売としての可能性にも挑んでみたい。

久住さんからいただいたアイデアは、
むしろ、本屋を始めたあとでこそ活きてくるのではないかと感じている。
友の会にクラウド・ファンディング……。
本屋にできることはまだまだある、そう思うと、本屋の厳しい現実とも、
しっかり向き合っていけるような気がしてくる。

久住さんのにこやかな表情が印象的だ。
厳しい状況にあるはずなのに穏やかな物腰でいられるのは、
大勢の人に支えられ、何度も危機を乗り越えてきた自信のあらわれではないかと思う。
きっと、多くの人が本と本屋という場を必要としていることを、
危機に直面する最前線で実感し続けてこられたのだろう。
その姿に、僕はとても勇気づけられた。
本屋を巡る状況は厳しくとも、この思いを受け継いでいかねばならないと僕は感じた。

穏やかに力強く、本屋を守り続ける久住さん。力強い笑顔から、本屋でいられる喜びを感じずにはいられない。

冷めやらぬ興奮を胸に、島田さんと別れて札幌を後にする。
次に島田さんと訪ねたのは、広島の山間の小さな町で、
その名を全国に轟かせる「ウィー東城店」。
僕が本屋をつくろうとしている勝山から、クルマで1時間ほどの距離にある。
僕が見た田舎の本屋は、さながらレジャーランドのようであった。

information


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くすみ書房

住所 札幌市厚別区大谷地東3-3-20 CAPO大谷地(地下鉄東西線大谷地駅隣接)
電話 011-890-0008
営業時間10:00~22:00(2Fは21:00まで) 年中無休

いろんな人が集まり、学ぶ場所に

島でのフラワーワークショップ。

先日、HOMEMAKERSでお花のワークショップが開かれました。
小豆島の花屋、pensée(パンセ)さんのオープン2周年企画。

小豆島にはお花屋さんが何軒かあります。
パンセさんはそのうちのひとつで、東京出身で島に移住された
西脇美津江さんが2年前にオープンしたお店。
いつもとても素敵なお花や植物を届けてくれます。

この日はいろは(娘)もフラワーワークショップに参加。優しい眼差しで教えてくれてるのが、西脇美津江さん。

この日のレッスン主担当は、パンセスタッフの吉冨寛子さん(写真左上)。

島でフラワーワークショップ。はたしてどれくらいの人が
来てくれるのかなと少し不安でしたが、定員を超える申込み。
基本的には島内の人、それにたまたま島外から遊びに来ていた方も
参加してくださいました。

ワークショップスタート。皆さま集中。とても真剣で静かでした。

プリザーブド加工してあるバラにラメを。いろんなアレンジを教えてくれる。

当日はいつものHOMEMAKERSとは少し違う雰囲気。
パンセさんの用意してくださったプリザーブドフラワーと花器を使ってアレンジメント。
こんなふうに花について学べる時間が小豆島でもつくれるんだなあと、
また新しい島の魅力を発見したような気がします。

できあがった作品。店内のいろんなところに置いて撮影されてました。

いろはのアレンジメントも教えてもらいながらなんとか完成。

パッケージング。あっというまの1時間半でした。

ワークショップ後のお茶タイム。

私たちがこの場所を開いて半年。
自分たちの暮らす家であり、お野菜を販売するお店であり、カフェでもある。
そして、いろんな人が何かを学べる場になるといいなという思いもありました。

カメラやレンズ、写真の撮り方について学ぶ。
ウェブサイトやSNSでの情報発信について学ぶ。
旬のお野菜を使った料理を学ぶ。
おいしいコーヒーの淹れ方を学ぶ。
古い家の改修について学ぶ。

今回は思いもかけず、お花の扱い方、飾り方を学ぶ会を開くことができました。
ひとつひとつのそういう時間を通して、
島での暮らしがより楽しく豊かになればいいなと。
さて、次回の学びの場はどんなものになるのか、毎回楽しみです。

「山下商店」山下賢太さん

島の風景を取り戻すために。

ぴ〜ぷ〜と豆腐屋さんのラッパが鳴ると、
ザルやボウルを抱えたおばあちゃんたちがぞくぞくと集まってくる。
昔はよく見られた光景だが、この甑島(こしきじま)でもずっと続いていたわけではない。
2年ほど前に山下賢太さんが復活させたものだ。

山下さんは、豆腐屋であり、農業、商品開発、営業など
ひとりで何役もこなす「山下商店」の代表、自称「百姓」でもある。
さまざまな仕事をこなしながらも、ずっと一貫して追い続けているのは、
子どもの頃に見た“島の風景”を取り戻すこと。
かつてにぎやかだった島はどんどん寂しくなり、田畑は草で荒れている。
目に見えないものは忘れられやすい。
でもどれだけ時代が進んでも、人が幸せを感じる風景は変わらないのではないか。
そう信じる彼の視線の先に見えているのは、いったいどんな島の未来なのだろう。

島の風景。

鹿児島県薩摩川内市上甑島。
串木野新港から船で1時間20分ほどでたどり着くこの小さな島に、
山下さんがUターンで戻ったのは4年前の21歳の時。
島へ戻る決意をしたのには、こんなエピソードがある。
子どもの頃から大好きだった場所があった。
港に近い、ハトンダン(波止ん段)と呼ばれる場所で、大きなアコウの木の下に、
大人も子どもも集い、おしゃべりして、ゆっくりくつろいだ憩いの場。

「夕暮れどきになるとみんなが自然と集まってきて、
昨日はどこどこの船が大漁だったとか、今日は満月だとか。
近頃、誰かの顔が見えないから帰りに寄ってみようということになったり。
島の日常の交流の場が、そこにはありました。
高校で島を離れて久しぶりに帰省した時、そのハトンダンが港の改修工事で壊されていたんです。
さらにショックだったのは、その工事をしていたのが自分の父親だったことでした」

なぜ、と問う山下さんに、父親はひとこと「お前を育てるためだ」と答えたのだそう。
想いだけでは、島を守ることができないのだと思い知ったのがこのときだった。

初めての稲刈り。(Photo by KOSERIE)

自分にできることはないかと考えたあげく、
島へ戻り、まずは田んぼや畑を耕すことから始めた。
農業をやるのも初めてなら、野菜や米を売るのも初めて。
祖父にイチから教わりながらのスタートだった。

「初めての収入は、無人販売所の空き缶に入っていた800円のみ。
これが僕の原点です」

周囲の協力を得てやっとの思いで収穫した米。
販売する際には工夫をし、東北の米に比べれば、あまり美味しいイメージのなかった島の米を、
新米の時期のみに絞って「島米Shimagome」というブランドで売った。
つけあげ(さつま揚げ)や干物といった島の特産品と合わせて送るなど、
「あくまで自分の米は、ほかの島の美味しいものの引き立て役」だという。

さらに、古くから地域に伝わるさつまいもの郷土菓子、“こっぱもち”を
オリジナルでつくって販売。
オンラインをはじめ、東京や鹿児島市にも頻繁に足を運び、
それまで島にはなかった流通路を広げていった。
そして2012年5月、築100年を超える古民家を改修して豆腐屋を開業する。

里港からすぐの里集落にある「山下商店」。

店内は、開放的で明るい雰囲気。

島の日常風景の一部になりたい。

なぜ豆腐屋だったのだろう。そう尋ねると、こんな答えがかえってきた。

「幼い頃に僕が住んでいた家の両隣は、2軒とも豆腐屋さんというほど、身近なものでした。
朝できたての豆腐を買いに行くということは、僕にとって日常だったんです。
そして今、限界集落と呼ばれるようなところまで行商に行くのも、
島の人たちの暮らしを支えたいと考えているからです」

子どもの頃、朝起きると、湯気の立ちこめるなかで働いている大人が居た。
自分はその背中を見て育ったのだと、今改めて思う。
最近では、働く大人の姿を間近に見られる機会が減っているような気がする。
そうした島の日常のひとコマも、大切にしたい風景のひとつだ。

豆腐屋の朝は早い。深夜3時から工房に立つ。(Photo by KOSERIE)

冷たい水に手を浸し、できたての豆腐に包丁を入れる。(Photo by KOSERIE)

山下商店は、里港からすぐの、碁盤目のように民家が並ぶ里集落にある。
工房を併設した店は、周りの民家と違って、懐かしくて新しい独特の雰囲気。

窓が大きく開放的で、木のあしらいにデザインが効いている。(Photo by KOSERIE)

豆腐以外にもお土産品を置いている。窓の向こうには、島特有の石垣が見える。(Photo by KOSERIE)

「食べてみてください」とすっと出していただいたのが、お手製の豆腐。
ふわっと大豆の香りがする、しっかりとした味の豆腐で、瞬く間に平らげてしまった。
その後、午前中の行商に同行させてもらうことに。

ふわっと大豆の香る手製豆腐。オリーブオイルをかけていただくのもおいしい。

「山下商店」とロゴの入ったワゴン車にぎっしりと豆腐や厚揚げを積んで、島の各集落へと運ぶ。

車で15分ほど、山をひとつ超えた集落の一角に車を停める。
山下さんがおもむろに取り出したのは、昔ながらの豆腐屋さんのラッパ。
ぴ〜ぷ〜という音が「ト〜フ〜」に聞こえるといわれるアレだ。
誰もいないのではと不安に思うほど静まりかえっていた集落にラッパの音が鳴ると、
ひとり、またひとりと財布とボウルを抱えたおばあちゃんたちが姿を見せ始める。
ほぼ毎日同じ順路で周るので、大まかに同じ時間に同じ場所を訪れることになるのだろう。
みんな、山下さんの豆腐を毎日心待ちにしているのだ。

昔なつかしい豆腐屋さんのラッパの音。

ひとつひとつ、手渡す。

お客さん同士もお馴染みさんなので、
いつもの顔が見えないと「裏の畑いっとるんやね。呼んでこよか」と誘い合って来てくれる。
手づくり豆腐に加えて、厚揚げも人気。豆腐一丁が180〜350円と、
スーパーで買うのに比べて、決して安いとは言えないが、
その人気の秘密をひとりのおばあさんが教えてくれた。

「昔は自分の家でみんな豆腐は手づくりしとったでしょう。
だから私たちにしたら懐かしいんよね。
この豆腐は、昔ばあちゃんがつくってくれた味がするのよ。
今、手づくりの豆腐を食べたくてもスーパーにはないもんね」

「ばあちゃんの味がするって言われた」と嬉しそうに笑う山下さん。
おばあちゃんたちは、買い物のあとしばらくそばの石段に腰かけておしゃべりに興じる。
「ちょっと寄っていかんね」とお茶に呼ばれて、玄関でひとしきり話す間に、
天ぷらやらお茶菓子やらいろんなものがふるまわれた。
「ばあちゃんたちの顔見てたら、疲れが吹き飛ぶんですよね」と山下さん。

無邪気に笑う顔が少女のようで、思わずそう口にすると、「あんたいい娘やねぇ」としみじみ褒められた。

豆腐を買いに出たついでのおしゃべりも、楽しいひととき。

ふつうの島を、楽しんでほしい。

行商の帰りに山下さんが連れて行ってくれたのが、
どこまでも海岸の続く浜が見渡せる「長目の浜」の展望台。島で一番の名所だ。
「こういうガイドブックに載っているような観光スポットもいいのですが、
ふつうの集落で島の暮らしを垣間見ることができるツアーもやりたいと思っているんです」
すでに今の仕事の合間に、島ガイドも引き受けている。
2年ほど前には、鹿児島市内のマルヤガーデンズで、
島の日常を紹介する「島の食卓展」を行った。
食卓の先には、誰かの日常がある。
そんなコンセプトで山下さんらが企画からコーディネートまでを行い、
しっかりと島の人たちと向き合った。
地域のみんなと開発した「ごちそうサンド」はお客様の評判もよく、
できることならその後も販売していきたかったが、
求められる数を継続的につくることができない島の生産体制などがネックに。

島の人たちと。(Photo by KOSERIE)

島の従来の商売の仕方、考え方は尊重しなければならない。
でも一方で、根本の見方を少しずつ変えていかなければ、
これから先、島の暮らしは続けられない。
農家は日々田畑で汗水たらして生産することが当たり前だが、
この時代、それだけでは生き残れないと山下さんは感じている。
自分たちのしあわせの定義や地域らしさを見直した上で、情報発信することも大事。
島外での活動が続くと「ケンタは農業やると言って、ちっとも島におらん」という声も
ちらほら聞こえてくるようになった。

何をするにも、ひとりでは無理なのだと気付く。
今は正社員3人、パート6名を雇い入れ、新しい体制で運営を始めている。
前述のツアーの企画も本格的に実現しようとしているし、
ここへきて、加工品にも陽が当たり始めた。
昨年(2013年)新しく開発した「とうふ屋さんの大豆バター」が好評で、
大手メディアに取り上げられるなど順調に売上を伸ばしている。

山下商店の忘年会の様子。

人気の「とうふ屋さんの大豆バター」。(撮影:island company)

豆腐屋の朝は早い。冬は身体の芯まで冷える仕事だ。
行商の後は農作業や加工品の製造、週2日の休日も休みはなく、
彼はここ数年ずっと走り続けている。
それもこれも、“未来にある甑島のふつうの風景”を、思い描き続けているからだ。

人の運命を決めるのは何ものか。本人の意思、というのもあるだろう。
でももっと何か大きな力に導かれて、彼はこの仕事を引き受けているのではないか。
山下さんを見ていると、そんなことを感じる。

行商に同行した日の夜、翌朝も早いというのに、
島で星が一番きれいに見えるという丘へ連れていってくれた。
都市で見る夜空に比べれば、ずっとたくさんの輝きが広がっていたのだけれど、
雲がかかっていていつもはこんなものじゃない、と悔しがる山下さん。
この人は本当に、島のことが好きなのだ。

豪華絢爛な七夕飾りは、趣向を凝らした宮城の手仕事。竹と紙の祭典「仙台七夕まつり」

本日まで、宮城県仙台市にて「仙台七夕まつり」が開催されています。
仙台七夕まつりは毎年、通常の七夕の月遅れである8月6日から3日間の開催。
仙台駅前のメインストリートを含む、
中心部の商店街から周辺部商店街が会場となります。
いつもは買い物客で賑わう中央通り、一番町通りなどのアーケード街に、
地元の商店や会社、学校などが趣向を凝らして創りあげた
豪華絢爛な七夕飾りがずらりと並ぶ光景は圧巻です。

仙台七夕の飾りの主な材料は、和紙と竹。
和紙で短冊や折鶴などのモチーフを作り、
これを組み合わせて数メートルもの巨大な吹き流しに仕立てあげます。
吹流し5本1セットで飾るのが仙台流。
どんな飾りになるのかは、お祭りでのお披露目まで
企業秘密で絶対明かされません。
お祭りでは各商店街毎の審査が行われ、すぐれた飾りに
金賞、銀賞、銅賞が贈られます。
この壮大なお祭を見るために、訪れる観光客は毎年200万人あまり。
それでは今年の様子を写真でどうぞ!

こちらは2014年のおおまち商店街における金賞。「㈱白松がモナカ本舗」

2014年、一番町一番街商店街の金賞は笹かまの「㈱鐘崎一番町店」。

2014年、クリスロード商店街の金賞「㈲セザーヌ」 

市内189校の小中学校などの生徒たちによる大作。「手とてとテ」より 撮影:大河内英夫

地元の商店「大正園」による、支倉常長の遣欧使節出帆400年をテーマに作った飾り。真ん中が政宗公、その両脇に常長をイメージしています。「手とてとテ」より 撮影:大河内英夫 

ちなみに、七夕飾りは竹と紙なので雨には弱いのです。雨が降ってきた場合はビニールをかけて保護します。

こちらはアーケードの外、素朴な周辺商店街の七夕もすてきです。

江戸時代、伊達政宗公の時代にルーツを持つ仙台七夕。
いまのように盛大に行われるようになったのは、
昭和2年のこと。いまで言う商店街の有志達が、仙台商人の
心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させ、
戦後さらに発展しました。
毎年これだけの規模の飾りを新しくつくるのは本当に手間なこと。
地元の方の心意気と手仕事の見事さにもぜひご注目下さい。

仙台七夕まつり
仙台七夕まつり facebook
・「手とてとテ

「フェスティバルFUKUSHIMA!2014 納涼!盆踊り」今年も福島街なか広場にてドンと開催!

8月15日(金)、昨年初開催され、大反響を呼んだ
「フェスティバルFUKUSHIMA! 」が今年も開催されます。
福島市の街なか広場に、このお祭り名物の大風呂敷を広げ
「ええじゃないか音頭」や「あまちゃん音頭」、「新生相馬盆唄」などを踊ります。

主催は、震災後に「音楽や詩やアートの力で福島を盛り上げよう」と
福島ゆかりのアーティストたちの呼びかけによって
立ち上げられたNPO法人「プロジェクトFUKUSHIMA」。
総合ディレクターは大友良英さん。

撮影 地引雄一

出演アーティストは
大友良英さん、遠藤ミチロウさん、和合亮一さん、
長見順さん、岡地曙裕さん、
珍しいキノコ舞踊団、大友良英スペシャルビッグバンド、
オーケストラFUKUSHIMA!、などなど。

撮影 野々村文宏

撮影 梅原渉

昨年は、会場中が踊りの熱気に包まれました。

撮影 梅原渉

撮影 地引雄一

この盆踊りの名物は、会場に敷き詰められる大風呂敷。

撮影 遠藤貴也

この風呂敷は、福島市四季の里の6000平方メートルの芝生に、
全国から集めた風呂敷を1ヶ月かけて縫い合せ、敷きつめられたものです。
今年、「フェスティバルFUKUSHIMA!」は
7月には浅草すみだ川の祭り、フジロックフェスティバルでも開催され、
8月10日には札幌国際芸術祭でも開催予定となっていますが、
どこの会場にも、この大風呂敷が敷かれます。

今年は新曲「クダラナ庄助音頭」も登場し、また新たな伝説が生まれそう!
当日の模様はインターネットライブ配信プログラム「DOMMUNE FUKUSHIMA!」にて
ライブ配信され、遠方の方も楽しめます。

また、盆踊りのことをもっと知りたいという方には、
こちらの「盆おどる本 —盆踊りをはじめよう!」(青幻舎)がおすすめ。

盆踊りって何なんだ!?という疑問を解消すべく、
全国の盆踊りと盆踊り唄の話から
チャンキー松本さんの漫画「盆おどる」、
踊るために知っておきたい20のことなどのコンテンツを載せ、
盆踊りの世界をたのしく教えてくれます。

大友良英さんも
「突然盆踊りにはまった新参者の大友良英です。こんな本を心待ちしてました。
ヤバイです。ページをめくるたんびにウキウキします。」
と推薦!ぜひ合わせてチェックしてみてくださいね。

フェスティバルFUKUSHIMA!2014
盆おどる本 —盆踊りをはじめよう!

小豆島カメラ写真展「見たい 食べたい 会いたい」スタート!

みんなでつくり上げる展示。

7月27日、この日私たちは朝から小豆島ジャンボフェリーに乗り込み、写真展の設営。
いよいよその翌日の28日から、オリーブナビ小豆島と小豆島ジャンボフェリーで
写真展「見たい 食べたい 会いたい」のスタートということで、
数日間準備に追われていました。

小豆島カメラは、ウェブサイトや雑誌媒体、写真展などを通じて
全国に小豆島の魅力を発信する「地方×カメラ」のプロジェクト。
本格的に活動を始めたのが今年4月、ウェブサイトで毎日写真を更新スタート。
そして、夏には写真展&写真ツアーをやろうと計画。
ほんとに実現できるのかなと思いながら、
みんな仕事や家事の合間をぬって、打ち合わせをしたり準備をしたり。

展示で使うガーランドづくり。

島内島外の方々が端切れを提供してくれました。ありがとうございました。

子どもたちもお手伝い。ガーランドワークショップみたいになってました。

展示写真はA3も印刷できるプリンターEPSON EP-976A3で、写真用紙クリスピア(高光沢)にプリント。きれいにプリントされた写真を見るとテンションあがります。

あれよあれよと7月も後半。
連日夜遅くまで東京メンバーとテレビ電話で打ち合わせ、
メッセンジャーは常に誰かからピコピコ通知が来る状態(笑)。
掲示物を作成し、写真をプリントし。
なんとか会場に搬入できる状態に。

そして27日の朝、いよいよ設営開始。
まずは小豆島ジャンボフェリーの船内。
小豆島から高松への航海中にまず1そう目のこんぴら号。
そして船を乗り換え、高松から小豆島への帰路で2そう目のりつりん号。
動く船の中での設営。
写真の水平とれてるのかなとか思いつつ、なんとか完了。

小豆島ジャンボフェリーでの設営。オリンパスでフォトチューターをされているクキモトノリコさん(写真右)が助っ人に。

みんなでつくったガーランドを飾り付けるとすごく楽しげに。

ジャンボフェリーの展示では、船員さんたちの写真も展示。

なんとか設営完了。ここは小豆島ジャンボフェリー3階のロビーの展示です。

小豆島に着いた頃にはすっかり夕暮れとなり、今度はオリーブナビ小豆島での設営。
明日の朝までに間に合うかな、朝までコースかなと思いながら作業をしていると、
島の友人たちがわらわらと手伝いに来てくれました。

オリーブナビ小豆島での設営。ガーランドの飾り付け準備。

みんなでつくり上げる。

写真の展示順決め。水平を測って貼り付け、スポットライト合わせ。

それぞれのセンスがとてもいい感じ。ガーランドの麻ひもをクルッと巻いてとめる。

こういうみんなで一緒に何かをつくり上げる時間というのはほんとにたまらない。
たくさんの人が見に来てくれるといいなと思いながら、それぞれがいい感じで作業。
日が変わる前にはほぼ設営完了。
予定通り7月28日から島の中、船の中で写真展のスタートです。

今回の展示はほんとにみんなでつくり上げたもの。
東京・大阪メンバーのサポートはもちろん、メーカー、自治体、島の友人。
みんなのサポートがなければスタートできなかった。
いろいろな人の支えがあって無事に開催できた展覧会。

まだまだ始まったばかりの小豆島カメラプロジェクト。
地方と都会がつながりながら、この夏まだまだ活動します。

information

小豆島カメラ写真展
「見たい 食べたい 会いたい」

2014年7月15日~8月24日 graf(大阪)
2014年7月28日~9月15日 小豆島ジャンボフェリー船内
2014年7月28日~8月7日 オリーブナビ小豆島(小豆島)
2014年8月13日~8月31日 迷路のまち・石奉行陣屋跡(小豆島)
2014年10月24日~11月6日 オリンパスプラザ大阪(大阪)
お問い合わせ 小豆島観光協会 0879-82-1775(坊野)
http://shodoshima-camera.tumblr.com/

information


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HOMEMAKERS

住所 香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間 金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

仕事について

隣のアパートに、見た目絵に描いたようなヤンママがいる。
上の男の子がチコリの保育園のクラスメートとあって、
彼女の母親ぶりを目にする機会は少なくないのだが、
これが実によくできたお母さんで、日頃から感心して眺めることしきりなのである。
もちろん、顔を合わせればあいさつもするし話もする。
でも話題はまず子どものことで、
付き合って1年以上になってもプライベートな話は一切したことがなかった。
つい先日のことだ。夕方、アパートの前でチコリを遊ばせていたら、
そこに保育園から帰って来たばかりの例のヤンママと兄妹が加わった。
自然、ぼくと彼女は一緒に遊ぶ子どもたちを見守りながらの立ち話となった。
夏の夕暮れどき、昼と夜がじゃれ合うようなそんな時間帯のせいもあったと思う。
お互いにいつもよりもくつろいだような親しい感じがあって、
その質問も唐突なタイミングで降ってきた。
「チコリちゃんパパはヤキンですか?」
わけがわからなかった。唐突だし、チコリちゃんパパなんて呼ばれたのは初めてだったし、
それにヤキンがなんのことやらわからない。……冶金?
「……ヤキンって?」
「いや、いつもチコリちゃんの保育園の送り迎えをしてるじゃないですか。
それに普通に仕事してるようにないし」
野禽とも思ったが、ここは夜勤が本筋だろう。
ぼくが住んでいる早島は水島工業地帯の通勤圏なので、
夜勤や三交代で働く人は少なからずいる。
「広告を作ってるんです、児島で。労働時間はちょっと短めかな」
「そうだったんですか。いつも『なにやってる人だろう?』って思ってたんですよ。
これで謎が解けた!」
本当に「謎が解けました」という顔で彼女は気持ちよさそうに笑った。
ぼくの仕事の話はそれでおしまい。
でも、「広告を作っている」という説明だけで彼女がぼくをどう理解したのか、
いまいちよくわからないでいる。

元浜倉庫が開業して5年、元浜町界隈でもこれまでずっと謎の存在だったと思う。
小さな看板を掲げてはいるけど、社名を記してあるだけなので
なにをやっているのかさっぱりわからない。
生業を示すヒントがなく、
結果、なにやらうさん臭いと思われ続けていたのがこれまでの元浜倉庫だった。
今年の春に焙煎所がスタートしてからは、少しは風通しがよくなった。
少なくとも、コーヒーを買ってくれる近所のお客さんには、タカコさんが一言、
「奥の事務所では広告を作っているんです」と説明してくれている。
これで少しは怪しさも薄まってくれることを望んでいるんだけど、
人口7万人のこの小さな町では
「広告制作」という素性がさらにうさん臭さを増している可能性も否定できない。

なぜに広告制作なのかという話である。もともと広告は本業じゃない。
東京では15年以上フリーランスのライター・編集者として雑誌に携わってきた。
倉敷というローカルをテーマにした『Krash japan』というマガジンも
そのキャリアの延長線上にある。
この雑誌の発行を重ねるごとに地元の企業から広告制作のオファーが舞い込むようになり、
また縁あって新卒の女子を社員雇用し
デザイナーとして育てるというミッションを背負い込んだものだから、
広告制作を本業とするデザイン事務所に舵を定めざるをえなくなった、
というのがざっくりこれまでの仕事の経緯だ。
こうして5年ほど広告を専業でやってきたわけだけど、
広告が自分に合っているのかどうかはよくわからないでいる。
そもそもライターが合っていたのかどうかもわからない。
どちらもなりたくてなった職というわけじゃないのだ。
岡山市内で始めたコーヒースタンドもまさにそれで、
思えばどれもこれも巡り合わせや流れでそうなった。
これと自分が決めた職に就いて生涯を生きる覚悟をもっている人、
たしかにいる。同業者のなかにもたくさんいるし、
人間そうあるべきなのかもしれない。でも、現実、ぼくのような人間もいる。

つい先日のこと。会社の印鑑証明書をもらうために倉敷の法務局へと車を走らせていた。
前の週末に梅雨が明け、陽射しはトップギアに入った夏のそれだった。
敷き詰めた絨毯のような田圃の緑がまぶしい。気温は35℃くらいあったと思う。
それでも20年以上もエアコンの効かない車に乗っていたくせで、
ぼくは窓を全開にしてビュンビュン車を飛ばしていた。
そのときプリンスの曲がかかっていたのを憶えている。
ぼくは法務局の近くにあるケーキ屋さんのことを考えていた。
タカコさんが朝から熱を出して家で寝ているのでケーキでも買って帰ってあげようと。
そしてぼくのあてのない思考は、
タカコさんが6月のぼくの誕生日に買ってきたケーキにたどり着く。
それはホールサイズのバースデイケーキでベースはモンブランだった。
なぜにモンブランだったんだろう? 
彼女は知らなかったのか、ぼくはもともとモンブランが好きじゃないのだ。
そこで、ぼくはなぜモンブランが好きじゃないのかを人生で初めて考えてみた。
栗はまずまずの好物なのにモンブランが苦手。
……食感だ。食感がなくなると、途端に信用度が失墜するような感じ。
同じような例に思い当たった。つぶ餡は好きなんだけど、こし餡になるとまったくダメ。
赤福はあんの部分をへらで削ぐようにきれいに落としてから
おもちだけ食べる、といった具合だ。
そういえば、昔からかまぼこも好きじゃない……。
車中の気温は30℃台後半、聞こえるのは暑苦しいプリンスの曲。
つつと頬を伝い落ちる汗を首にかけたタオルで拭いながらその瞬間を迎えた。

(もしや、オレは加工ものが好きじゃないのか。
それも原型をまったく留めず、均一にならしたものが……)

車のなかというのは思考を巡らせるのにもってこいの空間である。
ぼくもこれまで車中いろいろな類の晴天の霹靂を迎えたが、
この「加工ものが好きじゃない」くらい見事なヤツは記憶にない。
人間、半世紀も生きていればなんでもわかっているような気になっている。
でも、案外わかってないものなのだ。とくに自分自身のことというのは。

去年の夏に先述の女の子の社員が辞め、またひとりになった。
仕事を見直すよい機会だった。もうデザイン事務所に固執することはないのだ。
そして、これまで長く断ってきていた執筆の仕事を受けることに決めた。
しかし、そう決めましたと公言する場所もなく、営業活動もまったくしないものだから、
ライター業を再開したことはいまもってほとんど誰にも知られていない。
しかし不思議なもので、今年に入って昔の友人から
「もしかしたら書いてくれたりする?」という控えめなオファーがあり、
東京の不動産系の会報誌のなかでほぼ定期的に旅ものの記事を書いている。
振り返ってこの手の仕事運にはこれまでも相当恵まれている部分があって、
ついこの間もまったく縁のなかった女性誌からオファーがあり、
近々取材に入ることになっている。

最後になったが、途中はさみこんだ青天の霹靂エピソードが
この回の話にどう関係しているのかよくわからないと言われるかもしれない。
おっしゃる通り。筆者としては、そこは深く考えないでいただけたらなと。
ぼくの仕事の話なんか人に聞かせるような話題でもないし、
だいたいこの回自体、豆腐がこんにゃくで書いたようなよくわからない話なので。

元浜倉庫の一角、コンクリートとブロック塀との間にあるわずか数センチの土の部分が天然のボタニカル園に。桐は年々デカくなり、テッポウユリは今年も大きな花をつけた。大家さんによると、住んでいる人の「気」が良くないとこうした植物は育たないのだとか。

近々の広告の仕事から、倉敷にある自動車教習所の2連ポスター。北欧チックなデザインと70年代ソウル風の両方のアプローチでビジュアルを制作し、結局前者で落ち着いた。アートディレクションとデザイン、コピーをぼくが担当。写真は岡山で活躍する池田理寛クン。なんだかんだいって、広告づくりは結構好きだな。

いま、町に本屋をつくるとしたら…… 前編

名物書店が迎えた激動の夏

小豆島を訪ねた1週間後、僕は北海道へ飛んだ。
4月とはいえ、空港からの道すがら、ところどころに雪が見える。
冬が色濃く残る札幌で、僕は、町の本屋が直面する厳しい現実を垣間見るのと同時に、
本屋のあり方についてのヒントを手にすることになった。

札幌を訪ねたのは、前回同様、
「町には本屋さんが必要です会議」(通称:町本会)に参加するためだ。
この日、町本会を主宰する夏葉社・島田さんが対談するのは、
札幌で70年近い歴史を持つ「くすみ書房」の久住邦晴さん(62歳)。
くすみ書房は、これまで数々のユニークな企画を手がけてきた。
売れ行きの悪い文庫ばかりを集めた「なぜだ!? 売れない文庫フェア」や、
中学生へのオススメ本を集めた「本屋のオヤジのおせっかい、中学生はこれを読め!」など、
その取り組みは新聞やテレビで広く紹介され、北海道のみならず全国にもファンを持つ。

そのくすみ書房が、閉店の危機に直面している――。
とのニュースが流れたのは、2013年6月のこと。
3か月後には、クラウド・ファンディングで300万円の資金を調達し、それも話題を呼んだ。

危機の発覚から10か月が経過した4月の半ば、
くすみ書房の店舗近くのカフェを借りきり、行われたイベントは、
会場にぎっしりと40名を超える人が集まった。
全国的な知名度を持つ書店が、どうして苦境に陥ったのか――。
夏葉社の紹介から穏やかに始まったふたりの話は、
島田さんのこの問いかけで、一気に核心へと入り込んだ。
会場に集まった人たちは、久住さんの話に固唾を呑んで耳を傾けていた。

にこやかに談笑する久住さん(左)と島田さん(右)。本の力、本屋という場の力を信じるおふたりの話に、僕もおおいに勇気づけられた。

3度目の危機

二代目の久住さんが、店を継いだのは1999年、
くすみ書房は、それから3度の危機を経験している。
最初の危機は、2003年に訪れた。当時、店を構えていた札幌市西区琴似(ことに)は、
地下鉄の延伸によって人の流れが変わり、店の業績が急激に悪化する。
客足がもっとも増える夕方以降の売上が、以前の3分の1に落ち込んだというから凄まじい。
打つ手が尽き、店を閉める覚悟が定まりつつあったとき、久住さんは、
『あなたの会社が90日で儲かる』(神田昌典著、フォレスト出版)という
一冊の本を手にする。
「この本で救われる人が必ずどこかにいるだろう」というコピーに、
騙されたつもりで読み始めると、目が醒める思いがしたという。
その本は、売上を求めるよりも、人を集めることの重要性を説いていた。

まだやれることはある――。

そう感じた久住さんは、人を集めるために、ほかの店と違うことをしようと考える。
そこで思いついたのが、先に紹介した「なぜだ!? 売れない文庫フェア」だ。
周りが売れる本を追い求めるなら、うちは売れない本を集めてみよう。
逆転の発想は見事に功を奏し、起死回生の策となった。新聞やテレビでフェアが紹介され、
集めた新潮文庫とちくま文庫の売れ筋下位1500点は、1か月も経たずに完売した。
「売れない」烙印を押されていた本たちが、光を浴びて次々と売れていった。
それを見たほかの出版社が、「うちのほうが売れていない」と企画を持ち込んできた。
フェアの大ヒットで、傾きかけた経営は持ち直すかに見えた。

いまではくすみ書房の顔となった「なぜだ!? 売れない文庫フェア」。ちくま文庫、ちくま学芸文庫、岩波文庫、中公文庫などの文庫が揃う。

ところが、2000年代後半に入ると、近隣に大型書店が相次ぎ出店、売上が再び急降下を始める。
2度目の危機は、大きな決断によって切り抜けた。
2009年、厚別区大谷地にある商業施設からの出店依頼をきっかけに、移転を決意。
新天地は、売り場が以前よりも広くなり、売上は2倍以上になった。
好評だったフェアも常設できるようになった。
だが、攻めの移転によって負った傷も小さくはなかった。
店舗の賃料とともに、在庫の仕入負担も増した。
移転費用や、琴似時代に抱えていた負債も、経営をじわじわと圧迫する。
こうして、3度目の危機に見舞われたのが、2013年のことだった。

6月中に一定額の支払いができなければ、取引を停止する。

本を仕入れる出版取次(出版販売会社、以下「取次」)から、そう通告を受けた。
取次とは、文字通り、出版社と本屋の間を取り次ぐ卸売業者(問屋)のことで、
大手二社が市場の7割を押さえている。
プレイヤーが少ない業界で、取引相手の本屋の経営状況はすぐに広まる。
一社と取引が途絶えたからといって、別の取引に乗り換えることは通常できない。
要するに、取次からの取引停止宣言は、本屋にとって死刑宣告に等しい。
6月はじめの時点で資金繰りの目処は立っておらず、
「さすがに今度こそダメだと思った」と久住さんは述懐する。

くすみが書房なくなる!?

救いの一手をもたらしたのは、長女でフォトグラファーのクスミエリカさんだった。
エリカさんは、店の窮乏を訴え、広く資金を募ることを提案する。
「くすみが書房なくなる!?」と題したウェブサイトを公開し、
2012年に始めた「くすみ書房友の会『くすくす』」への入会者をひとりでも増やし、
支払い資金に充てようということになった。
「くすくす」は、年会費1万円で、久住さん自身が選んだ7000円相当の書籍と、
手づくりの情報誌「くすくす」が届けられる会員サービスだ。

サイトを公開したのは2013年6月14日(金)。
直後から、ツイッターやフェイスブックを介して反響が広がる。
週末には店がごった返すほどの客が来店し、「くすくす」への入会申し込みは400名を超えた。
各方面からも支援が得られ、わずか2週間で必要額が集まった。
これで一件落着だと、久住さんも胸を撫で下ろした。

だが、待ち受けていたのは、予想もしない厳しい現実だった。
取次からは、6月はじめの時点で支払いの猶予を受けていたこともあり、
単行本や文庫など、書籍の出荷を停止するペナルティが課せられた。
雑誌の出荷を続けてくれたのは唯一の救いだったが、
本屋が本の入荷を止められてしまえば、戦場で兵糧の補給路を断たれたに等しい。
「なぜだ!? 売れない文庫フェア」や「中学生はこれを読め!」など、
店の顔とも言える棚も、
「去年の6月以来、売りっ放しで補充ができていない」と久住さんは言う。

もちろん、久住さんも打てる手は打っている。
東京・神田神保町には、中小規模の取次が集まる通称「神田村」と呼ばれる一画があり、
神田村の取次2社に打診し、新刊をいくらかは融通してもらえるようにはなっている。
だが、それで調達できる本は、店として仕入れたい量の3分の1にも満たないという。
書籍の補充は充分にできなくとも、取次への支払いは毎月続く。
クラウド・ファンディングで資金を募ったのも、店を存続させるための一手だった。
(後編へつづく)

くすみ書房の取り組みや3度の危機を乗り越えてきた経緯が、日経新聞で紹介された(2014年4月5日)。記事には、「小さな町の書店が淘汰されていく姿は嫌というほど見てきた。黙って閉店するぐらいなら、『大変だと声を上げるべきだ』との思いはずっと抱いていた」とある。

information


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くすみ書房

住所 札幌市厚別区大谷地東3-3-20 CAPO大谷地(地下鉄東西線大谷地駅隣接)
電話 011-890-0008
営業時間10:00~22:00(2Fは21:00まで) 年中無休

色とりどりの夏野菜

鮮やかで美しく、おいしい夏の野菜たち。

7月末、1年で最も暑い時期。
雨がほとんど降らなかった梅雨が終わり、はっと気づいたらもう夏真っ盛りです。

小豆島の夏はもちろん暑いけれど、都会の夏とは違う暑さ。
陽射しは半端なく強いけど、アスファルトの地面からの
モワモワとした熱気は少なく、海からの風が通り抜けることも。
田んぼの鮮やかな緑と空の青さがたまらない、ザ・日本の夏です。

この時期の田んぼは青々としてほんとに美しい。手前のひまわりの花の黄色も元気になる。

今年6月に収穫して漬けておいた梅の土用干し。紫蘇の色がしっかり入った。

そして私たちの畑もしっかり夏モード。
7月上旬くらいから、トマト、ピーマン、ナス、オクラ、ズッキーニなどの夏野菜を収穫。
夏野菜の色は鮮やかで美しく、ほんとに見ているだけで元気になります。

夏モードの畑。ズッキーニはこんなふうにできます。

ナスとピーマンの列。友人に畑作業を手伝ってもらってます。

うちでは、トマトとひと言でいってもいろんな種類のトマトを育てています。

ブラックチェリートマト
チャドウィックチェリートマト
ゴールデンクィーントマト
グリーンゼブラトマト

などなど。
トマトを描いてと言われれば、赤で塗ってしまいそうだけど、
黄色もあれば緑がかったものもあり、
赤でも深い黒っぽい赤から朱色のような赤までさまざま。

赤、黄、緑、いろんな色のトマトたち。

パッケージングするとこれまたかわいい。

ピーマンは緑?
緑なんだけど、黄色っぽい明るい緑から、深い緑まであって、1色では描けない。

ピーマンとズッキーニのいろんな緑。何色使えばこの絵を描けるかな。

赤オクラ。生のママ薄く輪切りにして醤油をちょっとたらすだけでうまい。

インゲン豆。緑だけじゃなくて、黄色や紫も。

自分たちで野菜を育てるようになり、
野菜はこんなに色とりどりなんだなとよく感じます。
その色はどれも本当に美しく、これが自然にできるんだからすごい。

この色とりどりの野菜を使ったサラダがまたすごく美しい。
思わず、わあーっと言ってしまう。

色とりどりのサラダ。食卓がにぎやかになる。

食べることを楽しむために、色とりどりの野菜を育てる。
まだしばらく夏野菜のサラダを楽しめそうです。

「天空の不夜城」高さ23メートルの灯籠が練り歩く、秋田の壮大な能代七夕

秋田にすごいお祭りがあるらしい!
それが、2014年8月3日と8月4日に秋田県能代市で行われる
能代七夕「天空の不夜城」です。
このお祭りは、なんと20メートルにも及ぶ大きさの、
色鮮やかで幻想的な灯籠がまちを練り歩く壮大なもの。
地元の人が力を合わせて作った巨大な灯籠の姿は圧巻です。
秋田といえば秋田市の「秋田竿燈まつり」が有名ですが、
能代の七夕も負けていません。

昨年の灯籠。キレイです。

人と比べるとその巨大さがわかります。

このお祭りの巨大灯籠は、2013年に百年振りに復活したもの。
かつて能代では、江戸時代の後期から、五丈八尺(17.6メートル)もの
大型灯籠を夜明けまで引き廻すお祭りが行われていたのですが、
現代では電線等の制約があり、最盛期の半分程の高さになってしまっていました。
それが、

「地域社会の活力が低下してきた今だからこそ、
大型灯籠を復活させ、地域の賑わいづくりにつなげたい。
私たちのまち能代を元気にしたい」

という地元のひとたちの思いで、巨大な灯籠を復活させることに。

小豆島ジャンボフェリーで写真展、 働く人たちを撮る

身近なフェリーで、写真展を開く。

小豆島と神戸とをつなぐ船「小豆島ジャンボフェリー」。
私たち家族もたびたびお世話になっています。

そんなジャンボフェリーで働く人たちの姿を
小豆島カメラ」のメンバーが撮影しに行ってきました。
はじまりは、小豆島カメラの写真展をジャンボフェリーでやりたい! 
とご相談したことから。
「写真展やりましょう! 小豆島の写真と合わせて、
ジャンボフェリーやそこで働く人たちの姿も展示しましょう!」
ということで、お仕事中の皆さんを撮らせていただけることになりました。

撮影当日、小豆島の坂手港からジャンボフェリーに乗り込み、まずは神戸へ。
他メンバーと合流して、いよいよ撮影。
神戸14:00出港に向けての準備風景から撮影スタート。

なんというかそのポーズだけでかっこいい。やっぱり働くお父さんはすてきです。

「NEVER STOP SAILING」

あちらにもこちらにも働く姿が。いつもは見過ごしてしまうようなシーン。

ジャンボフェリーへようこそ。チケットを確認する船員さん。

この日の運航スタッフは11人。
その名の通りジャンボな船を、ひとりが何役かこなしながら運航。
すごいです。

掃除中の船内や、貨物トラックが船に入るところなどを間近で撮影。
普段は入れない、エンジン室や操舵室、乗組員休憩室などにも潜入。

エンジン室に潜入。普段は入れない場所。(撮影:竹中あゆみ)

貨物トラックの固定も大事な仕事。間近で撮影。(撮影:kaoru kuwajima)

ふと、映画『天空の城ラピュタ』を思い出した。
ひとつの船をチームで動かして、目的地に向かって進んでいく。
操舵室には船長がいて、エンジン室で機械をメンテナンスしてるおっちゃんがいて、
厨房では船員たちのごはんを用意してくれる料理人がいて。
船で働く仲間というのはなんだかすてきだなと思いました。

小豆島ジャンボフェリー船長と船員の皆さん。

料理を作ってるのはチケットを確認していた船員さん。ひとり何役もこなす。

いろんなお仕事があります。うどん販売と船内アナウンスを担当。

今回のジャンボフェリーの撮影の様子は、
「地域×写真」をテーマにした無料のフォトマガジン
Have a nice PHOTO!」(7月21日発刊)でも紹介されます。
一部の駅や写真関連施設で配布されています。

今回ジャンボフェリーの撮影を担当した小豆島カメラのメンバー。左から坊野美絵、大川佳奈子、太田有紀。(撮影:kaoru kuwajima)

夕景の中のジャンボフェリー。また神戸へと向かいます。

そして7月28日(月)から、小豆島ジャンボフェリー船内で
見たい 食べたい 会いたい」と題して小豆島カメラの写真展を開催します。
旅行雑誌に載っている小豆島とはちょっと違う、暮らす場所としての小豆島の写真。
そんな写真を見ながら小豆島巡りの計画を立てていただければと思います。
今回撮影したジャンボフェリーで働く皆さんの姿ももちろん展示します。

小豆島カメラ写真展「見たい 食べたい 会いたい」、小豆島・ジャンボフェリー・大阪にて開催されます。

この夏、ジャンボフェリーに乗って、小豆島へ!

information

小豆島カメラ写真展
「見たい 食べたい 会いたい」

2014年7月15日~8月24日 graf(大阪)
2014年7月28日~9月15日 小豆島ジャンボフェリー船内
2014年7月28日~8月7日 オリーブナビ小豆島(小豆島)
2014年8月13日~8月31日 迷路のまち・石奉行陣屋跡(小豆島)
2014年10月24日~11月6日 オリンパスプラザ大阪(大阪)
お問い合わせ 小豆島観光協会 0879-82-1775(坊野)
http://shodoshima-camera.tumblr.com/

information


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HOMEMAKERS

住所 香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間 金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

日曜のお昼、お弁当持って海へ

行き先も決めず、ドライブに出発。

ある日曜日のお昼、お弁当を持ってピクニックに行くことに。
「島の中でどこかいい場所ないかな。木陰があって、風の気持ちのいいところ」

具体的な場所が決まらず、とりあえずお弁当を持って出発。
お弁当といっても、おにぎりと卵サラダとお茶とおやつのみ(笑)。
どこか途中で商店でも寄ってお惣菜を買っていこうと。

家から車で10分ほどの商店に立ち寄ると、偶然友人が。
どこかいい場所ないかなと聞くと「それなら白浜(しらはま)がいいよ」と。
「じゃあ、白浜に行こう!」というわけで、行き先決定。

白浜は、小豆島の真ん中あたりにある三都(みと)半島の先っぽにある砂浜。
この海岸から眺める夕陽はとてもきれいらしく
一度行きたいなと思っていたけど、なかなか行けず。
小豆島で暮らしていても、まだまだ行ったことないところだらけなのです。

三都半島はその大部分が山で、半島の付け根から先端まで約30分くらいの大きさ。
海岸線沿いにぽつぽつと集落があり、通過しながらドライブ。
このドライブがまた気持ちいい。

三都(みと)半島をドライブ。海岸沿いの道から見える景色。

三都半島の海岸沿いにはいくつかの集落がある。浜辺でそら豆やスナップエンドウを栽培。

白浜に着くと、砂浜のすぐ隣りに「釈迦ヶ鼻(しゃかがはな)園地」という
きれいな広場があり、そこでさっそくお弁当。
思った以上の場所。
木陰があって、海からの風が気持ちよくて、行き交う船が見えるところ。

砂浜のすぐ隣にある釈迦ヶ鼻園地からの眺め。船がすぐ近くを行き交う。

木陰で海を眺めながらお弁当。

砂浜へ抜ける緑のトンネル。こういうワイルドな感じがたまらない。

島の海は、凪いでいる(波が静かな)ところが多いのだけど、
白浜は少し雰囲気が違って、波がザブンザブンと打ち寄せる浜。
すぐ近くを大きな船が行き交い、ボーボーと船笛が聞こえる。

砂浜にある岩場でシーグラス拾い。

愛犬も一緒に。見慣れたフェリーもいつもと違う場所で眺めると新鮮。

波がザブンザブンと打ち寄せる浜。瀬戸内海の凪いだ海とは少し違った雰囲気。

島で暮らしていると、ついつい島を楽しむことを忘れてしまいがち。
お店や公園は少ないし、遊園地や動物園なんてもちろんない。
でもすぐ近くにずっと居たくなるような最高の場所がたくさんある。
また今週の日曜日も、お弁当持ってどこか気持ちのいい場所を探そう。

ニライカナイからミルク神がやってくる沖縄・黒島の「豊年祭」

7月20日(日)、日本最南西端の島々
八重山諸島にある黒島で、豊年祭が開催されます。

豊年祭は収穫の後に、
神さまに豊作の感謝と祈願を行うお祭り。

旧暦の5月から6月頃、
八重山一帯の各島で開催されます。

黒島は沖縄本島から石垣島に渡り、
石垣島からフェリーで30分ほど行ったところにある小さな島。

牧畜が盛んで、人口約200人に対して牛の数はその10倍以上という、
のどかな牧場の風景が広がる島です。
サンゴ礁が広がり、シュノーケリングも楽しめます。

■黒島「豊年祭」のみどころ

お祭りの舞台は、島の西側にある宮里海岸。

一番の見どころは、村対抗の「ウーニ・パーレー競争」(上写真)です。
この船の競争は、船漕ぎだけで勝ち負けが決まのではないそう。
船が岸に着いたら、ウーニーと呼ばれる足の速い青年が浜を走り、
長老のもとに先に到着した方が勝ちとなります。

もう一つの見どころは、
豊穣の神「ミルク神」がお出ましになる「ミルク行列」(一番上写真)や、
迫力ある「棒術」(下写真)などといった古式ゆかしい奉納舞踊。

沖縄には、海の向こうに神さまが住む
「ニライカナイ」という世界があるという言い伝えがあります。
豊年祭は、神さまがニライカナイからこちらの世界にやって来て、
幸せや豊穣をもたらしてくれるありがたいお祭りなのだそう。

豊年祭は、午前10時ごろから夕方にかけて、
ウーニパーレー、ミルク行列、各村による奉納舞踊、
船を浜にあげる儀式の順で開催されます。

八重山の島々では、それぞれに個性豊かなミルク神を迎える
豊年祭を行っています。

豊年を祈りつづけてきた島の人たちの思いと
素晴らしいロケーションにふれられるお祭りです。

伝統行事は、島の方たちの生活に密着した大切な神事。
島内には御嶽など、神聖な場所もあります。
観光でお越しの際は誤って入ることなどがないよう、
島のルールをお守りくださいね。

黒島 豊年祭
黒島

画像提供:竹富町役場

暮らしの中にある伝統行事「虫送り」

長く続く地域の行事に、今年も参加。

今年もまた7月2日がやってきました。
半夏生(はんげしょう)のこの日、
私たちの暮らす肥土山地区で「虫送り」が行われました。

半夏生とは、夏至から数えて11日目頃の日。
昔は、夏至からこの半夏生の頃までに田植えをしていたそうで、
田植えが無事に終わったこの時期に、虫よけと豊作を祈願して
虫送りが行われるようになったそう。
ちなみに最近は5月上旬頃に田植えが行われます。

江戸時代から続いてきて、かれこれ350年以上。
私たち家族が参加するのは、今年で2回目です。

今年も去年と同じように、6月末に地元の子ども会で集まって火手(ほて)作り。
火手は竹で作った松明で、基本形は竹の先端に
小さく切った木片とボロ布を詰め込んで針金でぐるぐる巻きに。
親と子で一緒に作るのですが、虫送りの最後まで火が消えないようにするために、
皆、一生懸命工夫しながら作ります。

地元子ども会で火手づくり。

基本の火手の作り方。

親子で一緒に作ります。

火手の先端に詰め込む木片とボロ布をぐるぐる巻いて。

完成した火手。これを自分の家に持って帰って虫送りの日を待ちます。

当日は、家からマイ火手を持って、歩いて肥土山離宮八幡神社へ。
暮れゆく田園の中、ぞろぞろと地域の皆が八幡さんに集まる様は、
ほんとにワクワクします。

虫送り当日、マイ火手を持って家を出発。

多聞寺さんから運んできた火を持って八幡さんへ。

八幡さんへ向かって田んぼのあぜ道をぞろぞろと。

午後7時、いよいよ虫送りスタートです。
小さい子たちから順番に火をつけてもらって出発。
お父さんやお母さんと1本の火手を一緒に持って、田んぼのあぜ道を歩いていきます。

火手作りから始まって、当日の虫送りまで、
特別な行事だけど地域の皆の日々の暮らしの中にある。
こんなに美しい行事が日常の中にあり、それに家族そろって参加できること。
なんとも幸せだなと。

同級生の友人たちと。

火手に火をつけてもらっていよいよ出発。

あぜ道を列になって歩いていきます。

また来年の7月2日も、家族と友人と一緒に火手を持って田んぼを歩こう。
虫送り、これから先10年、20年、100年と続いていくことを願います。

子育てⅡ(ツツ編)

チコリとふたりでいるときのぼくの姿がまわりの目にどう映っているかは微妙なところだ。
年齢のいったお父さんに見えるのか、それとも若めのおジイさんに見えるのか。
つい先日、早島町のアパートの近所をチコリとふたりで歩いていたときのこと。
あいさつをした初老の男性がのっけにこう切り出した。
「わたしにも孫がひとりいましてね」
もしかしたらオジさんにはそんなつもりはなかったかもしれない。
でも、その顔に浮かんだ笑みに、孫の可愛さを知っている
“同士”のような親しみが見え隠れしているように思えて仕方なかった。
その後、その孫の話を少し聞いただけで別れたので、
彼がぼくをどうとらえていたかはいまも謎だ。

こんな書き出しで始めておきながら、
本人、まわりからどう見られているかはさほど気にしていない。
それよりなにより、気になるのはこれからもっと先のこと。
チコリが二十歳のときにぼくは七十が近い。
その年齢で大学や専門学校の学費を払ったり、
仕送りをしたりできるだけの経済力があるのか。
そんな余裕のある自分というのものが、悲しいかなまったく想像できないのだ。
さらに気になるのはチコリが三十のときだ。
ぼくは平均寿命を迎え、生存の確率が五分。
ぼくだけでなくタカコさんもそのとき亡くなっていたら、
そしてチコリがそのとき未婚で家族もいないとしたら
(その可能性がどうも高いような気がしてならない)、
チコリは三十にして天涯孤独の身となってしまう————。
去年のお正月あたりから、
そんな心配が夏の雨雲のようにむくむくとカタチをはっきりさせてきたのだった。
しかし、二十年後の不安はそのままでも、三十年後のそれはいまや完全に払拭された。
去年の11月、次女のツツが誕生したのである。

乳児期のチコリの子育ては九分九厘が早島町のアパートだった。
田園に囲まれたまこと静かな環境で、大切に、大切に育てられたのが長女のチコリだ。
一方、ツツはというと早島町は五割といったところ。
残りの五割は児島元浜町、元浜倉庫が子育ての場となっている。
ぼくのデスクの横に簡易のベビーベッドが設置されたのは今年の3月だった。
元浜倉庫焙煎所のスタートと同時、ツツが生後4か月のときから
彼女の平日の昼の居場所はそこになった。
ツツは実に手のかからない赤ちゃんだった。
あまりにおとなしくて、いるのを忘れることもよくあった。
たまにぐずっても、抱き上げてちょっとあやすと機嫌はなおって、
なんともいえない笑顔を浮かべる。
仕事の邪魔になることはほとんどなかった。
しかし、そんな孝行はスーパーのオープン記念売り出しみたいなもので2か月と続かず、
5月の連休前後から急速に存在感を増すようになった。
静かにひとりでベッドのなかで遊ぶなんてことはまずない。
手足をバタつかせながら奇声をあげているのが普通だ。
抱き上げて膝の上に乗せるといっとき静かになるが、
パソコンに向かって作業しようものなら、
手にしているマウスをとろうとして暴れつづける。
まったく仕事にならないから、立ってあやしながら
事務所の外で焙煎作業にいそしむタカコさんにヘルプの目を向ける。
すぐに目と目が合って「あ、じゃあ代わろうか」という展開は十回に一回もない。
目と目が合っているのに、完全にスルーされることもままある。
正直、そんなときの心情が晴れた日の瀬戸内海のようにピースフルであるわけがない。
でも、我が子を邪魔なんて絶対思いたくないという気持ちも頑としてあるから、
ネガティブな思いをツツに対する愛で駆逐しようという、
そんな悪魔と天使のバトルみたいなことが胸の内で日に何度も展開しているわけだけれど、
結局どっちが勝つということはないし、仕事が進まないことにはまったく変わりがない。

いつになく仕事が進んだと思うと、
次の瞬間にはツツがおとなしくしてくれたおかげだと気づく。
同時に「あまりにおとなしすぎやしないか?」と思って隣のベッドに目をやる。
いない、ツツがそこにいない……。
(ツツ! どこだ、ツツ!)
2秒で発見。ツツは同じ事務所内でパソコンに向かっているユウコさんの膝の上にいる。
眠ってはいないが、ぼくの膝の上にいるときよりも数倍おだやかな表情で。
と、こんなことが元浜倉庫では日に二、三度繰り返されている。
昼間、タカコさんとぼくとの間でパスを回すようにツツを世話しているわけではなく、
実はそこにユウコさんというスーパーボランチがいて、
立派なトライアングル態勢が形成されているのだ。
彼女にはどれだけ助けられているかわからない。
あやしている時間もぼくよりも長いくらい。
しかも、だ。彼女だってあやしている間はデザインの仕事がほとんど進んでいないはずなのに、
誰にヘルプの目を向けるでもなく、
慈愛たっぷりのおだやかな笑顔でツツをあやしてくれるのである。
そんなユウコさんをツツが愛さないわけがなく、
「ツツはオレよりユウコさんの方が好きなんだよね」
というぼくの冗談はまったく冗談に聞こえない。
ここ最近何度かあったのが、
<あ、ツツがいない> → <ベッドにいない>
→ <あれ、ユウコさんのところにもいない>
→ <リュウくんが膝に乗せてパソコンに向かっている!>
というパターンだ。
子どもが3人もいるわりに生活感が希薄で、
子どもをあやしたりしているイメージのないクールなリュウくん。
じっと動かず真顔でパソコンに向かう彼の膝の上で
ツツがぐずぐず暴れているという光景はおなじみになりつつある。
こうして元浜倉庫ではツツを巡る態勢はトライアングルからスクエアへ。
さらにはお昼にほとんど毎日やって来る縫い子のフジタくんも面倒をみてくれるし、
元浜倉庫焙煎所のお客さんまでがコーヒーを飲みながらツツを抱いてあやしていたりする。
この一丸態勢のおかげだと思う。
ツツにはいまのところ人見知りの傾向が見られないでいるし、
これからも人見知りするようになるとは思えない。

昼間母親とマンツーマンで静かに日々を暮らしていたチコリとはあまりに違いすぎる環境に、
ツツに対しては常に申し訳ないという気持ちがある。
眠りたいときに眠れるだけ眠らせてやりたい、
はいはいしたければ疲れて動けなくなるまではいはいさせてやりたい。
それが親の心情だし、チコリにはそれができていたのだ。
だから、ツツには満足な子育てができていないと痛いぐらいに感じていて、
実際ツツに対して「ごめんな」と口に出して毎日何回も謝っていた。
しかし、数年ぶりに会った写真家の友人とチコリの話をしたことをきっかけに、
ぼくの考え方は少し変わってきた。
2週間ほど前のことだ。丸亀にやって来た彼女に家族を連れて会いに行った。
その帰り際、彼女にチコリの日々のわがままや振る舞いのひどさを話し、
「こんな子になるような育て方はしてこなかったんだけどね」とこぼしたときだ。
「そんなの、この子がもって生まれたものに決まってるじゃん」
竹に鉈を入れたような切れ味で彼女はそう言った。
そして、目の前でなにかのエクササイズかのように
両手を大きく振りながら歩くチコリを見ながら、
「手、振って歩きたいもんなあ。元気だよね、チコリは」
と笑いながら言ったのだった。
これだけのやりとりだとなにがなんだかわからないかもしれない。
でも、実際ほぼこれだけのやりとりで、ぼくは目から鱗が落ちるような思いがして、
さらには肩にのしかかっていた20kgぐらいの負荷がすっと消えたのだった。

そのときのやりとりを後に何度も反芻して感じたことを
いまはこんな言葉で表現することができる。

子どもは育てるのではなく育つということ。

親も子どももイーブンで受け入れるということ。

最後に子どもたちの名前について。チコリとかツツとか、
名前に意味がないと思われるかもしれない。
チコリについてはその通りで、響きのもつ愛らしさだけでつけた名前だ。
しかしツツには、父親の切なる願いが託されている。
我が家では母親のタカコさんは「ターちゃん」、チコリは「チーちゃん」。
ツツの名前は「ツーちゃん」の愛称ありきで考えられたというわけだ。
つまりその願いとは、「ター・チー・ツー」の女子3人が長く仲良くいてほしいな、と。
いまのところ3人の関係はすこぶる良好だ。
彼女たち女子3人がキャーキャーはしゃいで、というのは
日に何度もあって我が家ではありきたりな光景になっている。
まさに願ったり叶ったりの絵図が目の前にあるわけだが、
ぼくはというと、その光景を微妙な心的距離をもって眺めている。
女系家族のなかでの父親を絵に描いたような、
嬉しいんだけど一抹の淋しさもないではない、みたいな。
しかし、この一角の溝も「トーちゃん」だから仕方ないか。

ツツに対して「申し訳ない」という気持ちはちょっと薄らいだ。でも、焙煎しているタカコさんの背中でおんぶされているツツを目にすると、やっぱり申し訳なく思ってしまう。そして心のなかでつぶやく。「ツツ、すまん! でも、その分おまえは逞しくなるぞ!」

事務所の簡易ベッドのなかで。ぼくも人並みに親だ、暴れようが大声をあげようがツツがもうかわいくって仕方ない。ちなみに表面でキラキラしているのは畑の野菜用防護ネット。蚊帳代わりにベッドにかけてます。

女装姿でおもしろおかしく 厄を吹き飛ばす! 横浜・八坂神社の 「お札まき」

7月14日(月)、横浜市戸塚の八坂神社にて「お札まき」が開催されます。

「お札まき」は、氏子の男性たちが姉さんかぶりにたすきがけの女装をして、
町内を踊り歩くというお祭り。
顔を真っ白に塗り、赤い口紅をひいた男性たちのパフォーマンスが何ともユニークです。

八坂神社にまつられている牛頭天王は、
厄よけ、疫病よけのご利益があるといわれている祭神。
氏子がばら撒くお札をさずかると、
厄よけになるといわれています。

戸塚駅から八坂神社へと歩く道は、江戸時代の旅人が歩いた旧東海道です。
お祭りの日にはなつかしの屋台が並び、にぎわいます。

このお祭りは、横浜市の無形民俗文化財にも指定されている夏の風物詩。
江戸時代中期には、江戸や大阪で盛んに行われていたそうですが、
現在はこの地に残るのみだそう。
江戸時代の人たちは、こんなに楽しみながら厄払いをしていたんですね。

「お札まき」は、午後5半頃、神社の境内からスタートし、町内を一周します。
子どもやまちの人たちとはしゃぎながら、厄よけに興じてみてはいかが。

開催日 2014年7月14日(月)
開催時間 17:30 〜 20:00(予定)
開催場所 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4189 八坂神社
アクセス 最寄り駅 : JR「戸塚」駅 徒歩10分

八坂神社

小豆島カメラ、みんなで活動するということ

生い立ちも暮らし方も違う、7人のメンバーたち。

6月下旬のある晴れた日「小豆島カメラ」のメンバーが集まって、
集合写真を撮影しました。

小豆島カメラは、小豆島で暮らす女性7人と、
オリンパス、写真雑誌「PHaT PHOTO」を出版するCMS(株式会社シー・エム・エス)、
写真家MOTOKOが一緒になって進めている地方×カメラプロジェクト。
私たち島のメンバーが、それぞれの日常の暮らしの中で出会うシーンを
オリンパスのカメラで撮影し、Webサイトや雑誌などで発信しています。
夏には写真展と小豆島への写真ツアーを開催予定です。

去年末にメンバーが決まって、4月からはWebサイトFacebookページ
1日1枚写真を公開。
3か月が過ぎ、すでに100枚近い小豆島の毎日を写した写真が公開されています。

どんなメンバーがこの活動に取り組んでいるのかわかるように、
7人の集合写真を撮ろうと言い始めてかれこれ数か月。
島メンバー7人は、役場やホテルに勤めていたり、
フリーで仕事をしていたり、主婦だったり。
日中に全員が集まれる日はなかなかなく、活動し始めてから半年経って
やっと集合写真を撮影できました。

当日は朝から坂手港に集合。
梅雨時期ですが、見事な晴れ!
海、山、オリーブの木、小豆島の雰囲気が伝えられる場所を探して撮影しました。

坂手港にある岡村美紀さんが描いた壁画の前で。虹が最高。

海と空をバックに。

なんとこの日のために「小豆島カメラTシャツ」を制作。
イラストレーターのCHO-CHAN(チョーチャン)に描いてもらった“CAMERA”の絵。
小豆島の爽やかさ、みんなで活動する楽しさを感じさせてくれる、
着てるだけでとにかく元気になるTシャツ。
みんなかなりテンション高めでした。

集合写真を撮影してくれたのは、grafの小坂逸雄さん。夏のgrafさんでの写真展の打合せ&インタビューも。

Tシャツとあわせて、缶バッジとシールもCHO-CHANデザインで制作。缶バッジは、青(海)、緑(オリーブ)、茶(醤油)、黄(レモン)と、小豆島をイメージする色。

その日は集合写真の撮影とあわせて、とあるインタビューがあったのですが、
それぞれのメンバーの生い立ちや考えてることを改めて知る機会となりました。
私たち7人のうち3人は、小豆島で生まれ育ち、
大学進学などを機に一度島を出て再び帰ってきたメンバー。
残りの4人は、いろんな縁があって小豆島に移り住むことになったメンバー。
生い立ちも違えば、いまの暮らし方も違う
ほんとにバリエーション豊かなメンバーですが、
共通してるのは、いま小豆島で暮らしていること、
女性であること、島のことを何かしら考えていること。
そして写真が好きなこと。

みんなで集まって活動することで、より大きなパワーが生まれ、
遠くまで小豆島のことを届けられる。
もちろん島メンバーだけでなく、それをサポートしてくれる都会のメンバーもいるから。
ひとりじゃないことのすごさ、楽しさを感じた1日でした。

CHO-CHANにデザインしてもらった小豆島カメラTシャツを着て撮影。(撮影:牧浦知子)

オリーブの木の下で撮影した写真をチェック。(撮影:牧浦知子)

撮影終了後、坂手港近くの食堂「大阪屋」さんでみんなでごはん。

この夏、大阪、小豆島、それをつなぐフェリーで写真展を開催予定です。
そして8月末には、小豆島を撮影してまわる写真ツアーも。
今はその準備の真っ最中。
ぜひ、夏の小豆島へ遊びに来てくださいね。