MAD City vol.5: オーナーも住人も自らリノベ。 進化し続ける「ロッコーハイツ」

MAD City vol.5
オーナーのDIYから、昭和のハイツが生まれ変わる

築年数が古く、最上階だけれどエレベーターも無い。
僻地的な立地にあり、中は未リフォームというマンション。
一般的にはかなり厳しい条件の不動産ですが、
そんな物件もオーナーさんのバイタリティで生まれ変わらせることができる。

それを教えてくれたのが「ロッコーハイツ」です。

出会いはちょうど1年前。弊社スタッフ庄子渉からの紹介がきっかけでした。
「昔のバイト仲間が、
お父さんが持つ不動産について相談があるらしいんだよね」
そう言われて出会った「ロッコーハイツ」のオーナーのトシくんは、
元ダンサーで現在は家業の農園を手伝いながら
イベントオーガナイザーやDJとしても活動しているイイ感じのお兄さん。

トシくん。不思議と何かをやってくれそうな雰囲気をもっています。

トシくんは南房総に住んでいたけど、
つい最近、お父さんが営む梨農園を手伝いに松戸に戻ってきて、
今はロッコーハイツの管理人をしているとのこと。
トシくんの相談はロッコーハイツを改装可能な物件として
貸し出しできないかというものでした。

ロッコーハイツは昭和40年代に建てられた5階建てのエレベーター無しの
マンション、というよりもハイツ。
一応2路線利用が可能ですが、最寄り駅は東武野田線の六実駅か、
新京成線の元山駅といういずれもローカル線。
どちらの駅までも歩くと15分〜20分くらいで、
松戸駅からは車で20〜30分程度かかる場所にあります。

さらに、空き室が目立つ5階は、和室のみに旧式の風呂釜という
昭和の設備と内装のまま。
現代のライフスタイルに合うべく、リフォームしなくてはいけないけど、
そんなに大胆にかける費用は無い。
かと言って前から住んでいる人も居る手前、そんなに簡単に賃料も下げられない。
そうこうしているうちに空き室は増えるばかり。

そんな手詰まり感がある物件は残念ながら地方に散見していますが、
正直に言えば、ロッコーハイツもそのひとつで、
ご多分にもれず5階はすべて空室でした。
満室にするのは、もちろん簡単ではない。
ですが、不思議となんとかなりそうな気がしていました。
それは何よりもトシくんの存在。
トシくんはもともと「シラハマアパートメント」という、
南房総で多くの若者を惹きつける場所に滞在していました。

シラハマアパートメントの一室。

シラハマアパートメントはもともと企業の社員寮として使われていた、
築40年以上経っている建物をオーナー自らが改装して、
カフェやレンタルルームとして運営している場所。
トシくんはここに住んだことでリノベーションというものを知り、その時から
「親父が持っている古い物件で似たようなことできないかなあ」
と考え始めたそうです。

地元に戻ることが決まったトシくんは、
すぐにロッコーハイツの管理人になりました。
そして、最も状態の良くない部屋を自らリノベすることに。
「まだ未完成だから完成したら見に来てね」
最初の出会いの日にそう言われてから2か月後、
トシくんのリノベがある程度できたというので、ロッコーハイツを訪れました。

「壁は壊して白く塗ればいい」

シラハマアパートメントで習ったという、
シンプルなコンセプトに基づき、素人だけで開始されたリノベーション。
その結果、もともとちょっと怖い感じの和室だった部屋が、

トシくんや友人の手によって徐々に生まれ変わり

こんなにキレイになりました。

改装のお手伝いをしたことがあるとはいえ、
ここまでのリノベーションはトシくんも初めて。
「スマホを片手にググりながらやり方を調べたよ〜」
失敗してもその都度やり直しながら
約3か月をかけて部屋を完成させていきました。
こちらのお部屋は、現在はトシくんが使う管理人室ですが、
ゆくゆくはみんなのシェアスペースとして運営していくそうです。

初めてロッコーハイツを訪れた時にすっかりくつろぐ、僕と庄子。

さあ、ようやくこれで住人を募集ができる。本番はここからです。

募集にあたって僕らも考えました。
この物件のどこが一番の魅力なんだろう。
大胆に改装できる自由度も、もちろん魅力ですが、
考えた末に出た答えは何よりもトシくんの存在。
隣人に面白くてしかもリノベについていろいろ教えてくれそうな人がいるなら、
なんか安心だし楽しそう。

「共感してくれる人がきっといるはずだ」と思い、
募集を開始しましたが、問い合わせは芳しくない状態が約2か月続きました。

「まあ3年計画でいこう」
そう言ってくれていたトシくんも、だんだん、いてもたってもいられなくなり、なんと2番目に状態の悪い部屋のリノベーションに乗り出します。
その様子はトシくんがつくったロッコーハイツのホームページや、
Facebookページでもどんどん発信されていきました。
それでも問い合わせは増えない。

そんな状態に、光が差します。

MAD City不動産をTVで取材してもらうことになり、
その際に魅力的な物件としてロッコーハイツが紹介されることになったのです。
するとさっそく反響が。

TVを見て、見学に来てくれた松本さんという女性は、
海外では一般的に見られる部屋のDIYにずっと興味があったけど
日本では諦めていたそう。
ですが、ロッコーハイツからの景観、リノベの自由度、
そして隣にリノベ経験者のトシくんがいるという安心感が決め手になり、
ロッコーハイツの最初に入居者になってくれました。

人が入り始めると連鎖するのは不動産の不思議なところ。

松本さんの入居が決まった直後に、
工業高校で建築を学んでいた同級生同士の加藤くんと飯名くん、
続いてWEBデザイナーさんが入居し部屋は満室になりました。
そして、それぞれ自分のペースでリノベーションを始めていきます。

例えば、松本さんは週末に徹底したリノベ。
松本さんのリノベーションはもはやDIYのレベルを超えていて、
床はネダを組むところからやり直してフローリングに変更。

玄関は1枚1枚丁寧にタイル張り。

「何かあった時に周りに頼れる人がいるのは安心ですね」
その言葉通り、松本さんの友人はじめ、トシくん、
ロッコーハイツの入居者のみなさん、そしてMAD Cityで出会った人からも
一部協力を得ながら1年計画で現在もリノベ進行中です。

もう1組、高校で建築を学んでいた加藤くんと飯名くんはなんとも大胆な改装。
「とにかく自由にいじれるところに惹かれました」
というふたりは、一旦部屋をスケルトンに解体。
そして、エントランスの床は剥がしたままコンクリートむき出しにし、
バーカウンター風に。

室内は、ラウンジ風にアレンジ。

実は改装中、階下の方から騒音で注意されていたというふたり。
しかしいつのまにか、作業する度に挨拶に行くことで、
むしろ仲良くなっていき、今では部屋の見学にも来てくれるそう。
ふたりが改装中の部屋は友人たちにとっても居心地が良いみたいで、
今やこのあたりで、最も若者が集まる場所のひとつになっています。

既にロッコーハイツで生活を始めたふたりは、
少しずつ生活環境にも馴染み始めていて、
飯名くんはトシくんの友人が経営する地元のカフェでバイトも始めるなど、
地域コミュニティに溶け込み始めています。

ゆるやかに少しずつ進化をしているロッコーハイツですが、
トシくんは現状をどう思っているのでしょうか?
「最初は自分が部屋をつくるのに必死だったね〜」
というトシくんですが、自らの改装が終わり入居者が入ってくると
一抹の不安もあったそうです。

「何もないエリアだし、改装の自由度と、
その楽しさで人に来てもらうしかないと思って人を募集してきたけど、
いざ入居が始まると、部屋がどうなるかわからないし、心配もあったよね」
しかし、実際に入居者の方とコミュニケーションをとり、
時間を過ごしていくうちにお互いに信頼関係が生まれてきて、
「今は、本当に感謝の気持ちでいっぱいだよ」
と言うトシくん。今後についてもこう話します。

「住んでくれた人の意見によって変化し続けるアパートにしたい。
例えば、今5階の玄関の扉を塗り替えようと思っているんだけど、
何色がいいかは入居者のみなさんと相談しています」
改めてロッコーハイツ全体の構想を考え、
ゴミ置き場を整理したり、照明をやわらかい色のものに替えたり、
共有ルームをカフェテラスにできないか検討しているそうです。

ゴミ置き場への張り紙もちょっぴりおしゃれに。

実は、窓から一面に見渡せる景色が気持ちよくて、
近所には桜並木もあります。
松戸の僻地にあったはずの物件は、
都会に近いローカルとして魅力的と言ってもらえるようになり、
いつの間にかMAD City不動産にも
「ロッコーハイツのような場所はありませんか」
と問い合わせをいただくようにもなりました。

「窓を開けると本当に気持ちいい風が吹くし夜景もキレイなんだよね」とトシくん。

「今は空き部屋がなくてなんだか申し訳ないよ」
そう言うトシくんは現在改装中のお部屋もすぐに募集ができるよう、
ピッチをあげてリノベーションをしています。
管理人がきっかけとなり、それに共鳴するように
それぞれの入居者のみなさんが適度に助け合いながら、
少しずつ進化を続けているロッコーハイツ。
半年後、1年後、そしてその後も。
焦らずゆっくりと化学変化が起き続けるロッコーハイツを
MAD Cityは陰ながら見守っていきます。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.5: 倉庫をDIY、はたらく場所をつくる

ビルススタジオ vol.5
食・クリエイティブなど、多業種が集まる場に

「はたらく場所をつくろう」
自営の仲間との雑談中、あるときそんな話になりました。

宇都宮には、食べる場所、飲む場所、遊ぶ場所はそこそこあるし
居心地のよい気のきいた場所づくりがなされている。
住む場所の選択肢も増えてきてるし、その質も上がってきている。
しかし、はたらく場所がまだまだ足りない。
これはおかしいんじゃないか。
だって、ほとんどの時間をはたらいて過ごしているはずなのに
はたらく場所についてはおろそかになっている。
はたらくことは、国民の三大義務のひとつだと定められている。
義務的にはたらくのに環境うんぬんなんておこがましい、
ということなんでしょうか。

近年は、労働条件もだいぶフレキシブルになったし、
覚悟さえあれば自由に起業できる時代でもある。
多種多様な仕事も業務内容も成立する大都市圏では
とっくにはたらく場所に気をつかっているし、
より便利で快適なオフィス空間を求めている起業家たちは多い。

一方、地方都市・宇都宮で不動産業も営む私のところへは
ここ数年、オフィスを探しているお客さんは、ひとりも(!)来ていません。
こりゃまずい。営業所の撤退は別にいいとして、
新規の起業さえ起こってないんじゃないか。
という心配はありましたが、
実はデータ上では宇都宮市内の起業数はむしろ増えているらしい。
ホントか? という疑いは残るものの、
ではなぜオフィスを探している人が全くいないのか。
まわりの人を見回してみました。すると答えは簡単。
皆、自宅兼オフィス(俗に言うSOHO)で仕事をしているんです。
確かに、家賃が安くて広めのところに住めるこの栃木県。
別個にオフィスを借りるよりは安上がりでしかも落ち着いて仕事もできますしね。

しかし、個人事業者同士が集まれるワークスペースがあれば、
よりよい仕事が生まれるのではないか。
自宅でこもって仕事をしていたのではせっかくの起業もムダに終わってしまう。
仕事は、情報とその交換からいつもいろいろなアイデアが生まれている気がする。
多業種の情報を自然と共有できる「はたらく場所」の存在が
それらの起業を成長させ、
いずれはそれぞれの面白いオフィス空間が生まれていくのではないか。

ということで、早速物件を探すとJR宇都宮駅近くにこのこの空き倉庫がありました。

倉庫物件外観。町工場のような佇まいにも惹かれました。

非常にミニマルな佇まいですが、中は3フロアもあります。
ということは、
1フロアをフリーアードレスのデスクスペースにして、
もう1フロアをミーティングスペースにできるな。
じゃ、残りは?
そうだ、はたらく場所にはカフェがほしい。
飲食店もオーナーにとってはひとつのはたらく場所。
独立したい店主の卵が腕を試せる場所にしてしまおう。
そんな想いに共感した3社にて恊働し、
プロジェクトがスタートすることになりました。
3社それぞれの担当は、こんな感じ。
運営:マチヅクリ・ラボラトリー 村瀬正尊
飲食監修:日光珈琲・饗茶庵 風間教司
施設監修:株式会社ビルススタジオ 塩田大成

施設名はSOCO(ソーコー)。
SOHOでなく、SOCO。もちろん、ダジャレです……。

DIY前の3階。この、トラスの梁がかっこいい。倉庫ならではのリフトもありました。

それくらいゆるい決めごとだけで賃貸契約を結び、工事を始めました。
電気設備工事など、必要なところはプロに依頼しつつ、
基本はもちろんDIY。
猛暑のさなか、サウナのような室内で壁を塗り、
棚やワークテーブルを皆でつくり、最後はBBQをして帰る。
さらに、使う家具類を探してヤフオク巡り……。
そんな日々を過ごしました。

SOCO+ビルススタジオスタッフと仲間たちによる猛暑の中のペイント作業。クラクラしてきます……。

そして3か月後。
1階にテストキッチンスタジオ、2階と3階がコワーキングスペースとなった、
SOCO」がオープンしました。
オープニングには渋谷co-baの中村真広さん、
上田市ハナラボの井上拓磨さんという同業先輩方に来ていただき、
トークイベントを行い、花を添えてもらいました。

そして日常へ。
まず、キッチンスタジオ。入居期間は半年〜最長1年とし、
その間にメニューや経営の腕を試し、次のステップへの準備を行います。
第一弾入居者は関西や県内のカフェにて腕を振るった「HAPPY FIELD CAFÉ」が入り、
重ね煮のハンバーグなどの人気メニューが生まれたり、
クセの強いワインをお客さんへ勧めてみたりと、ファンが通うお店となりました。
2014年3月からは次の入居者が決まり、イタリアンベースのお店がスタートします。

1階のカフェの様子。

続いて、2階と3階のコワーキングスペース。
月契約かスポット利用の会員制にしました。
月契約者は現在まだまだですが、
スポット利用会員は100名弱とまずまず。
利用者は現在IT、WEB制作系の方が多く、スポット利用だと建築・住宅系の方がいたり。
利用者さんに話を聞いてみました。

コワーキング一角での打合せ風景。左;OPEN for上野翔平さん、中:OPEN for 五十嵐潤也さん。

経営コンサルティング、ウェブサイト制作を手がける、
株式会社OPEN forの代表・五十嵐潤也さん。

「独立にあたり安価なオフィスを探していたんです。
値段だけでは入居に耐える物件がいくつかあったものの、
場所や居心地、何よりコワーキングという可能性に惹かれ、利用しています。
良い所は他の入居者に気軽に意見を聞けることです。
検索すればすぐわかるような他愛もない知識から、デザインに対する意見だったり。
どうしても1社だけで考え込んでしまうとわからなくなってしまったり、
できることも限られている上に、人脈にも限界があったり。
自分の席で“こんな職種の人いないかなぁ〜”ってつぶやいたら、
隣のテーブルから“いるよ〜。紹介する?”って声掛けてくれたこともありました。

カフェが1階にあるのもいいです。
仕事のあと軽く飲めるし、音楽が聞こえてくるのもいい。
オーナーとも異業種だけど同志として仕事の話を軽く相談できる。
また、打ち合わせに来てもらいやすい、という効果もありますね。
あとはもっと入居者が増えれば間違いなくお互いのメリットも増えると思います。
デメリットは、吹抜けを通して良い匂いがしてくるので、お腹がすいてしまうことかな(笑)」

五十嵐さんたちはここで「Cafe Hakken」というカフェ検索アプリを開発しました。
開発の際、1階カフェのオーナーに意見を聞いたり、
デザイナーでもあるSOCOスタッフに依頼をしたり。
制作チームは男性4名。しかしユーザーは女性が多いはず。
その時に他入居者の女性の意見を気軽に聞ける環境も幸いしたとのことです。

アフェリエイト制作の合同会社cocuuの柿沼さんと松原さんふたりはいつもこの角の席。

その他に、入居者さん同士や外の人との交流を図るため、さまざまな企画が行われています。

>「PechaKucha Night Utsunomiya」
「PechaKucha Night」とは、2003年より六本木のSuper Deluxeで始まり、
今では世界400余りの都市で行われている、1人20枚のスライドを20秒ずつ、
合計400秒でプレゼンテーションするというシンプルなルールで行われるイベントです。
これからの栃木を創造してゆく人たちと出会い、繋がる機会をここで設けました。

「PechaKucha Night Utsunomiya」の様子。

>「Green drinks Utunomiya」
「Green drinks」とは東京やニューヨーク、中国からボツワナまで
世界の800都市以上で開催されているグリーンやエコをテーマにした飲み会のことです。
栃木県、宇都宮市をもっと知り、そしてつくり出すための飲み会をここで開催しています。

ここまでは起業家としても
「そうだよね、ネットワークが広がり、仕事に繋がる出会いの機会になりそうだよね」
というイベントだとは思います。
しかしそれだけにあらず。
ここではマルシェまで、開催してしまっています。

>SOCO MALL
コワーキングスペースを会場にマルシェを開く。
なんなんだそれは。
いや、これも栃木で新しいはたらき方を探す方々を応援するための機会です。
デスクワーク系だけではなく、
例えば、自分の手仕事やサービスでビジネスを考えている人が出店します。
服飾、雑貨、お菓子はもちろん、ネイル、はたまた不動産……。
さまざまなジャンルのはたらく人たちがここに集まります。
ちなみに、次回は3回目の開催。
3月16日(日)11:00〜16:00にSOCOが開放されます。

このように試行錯誤しながらも
ひとつの思いつきと空き倉庫が出会い、いろいろなことが動いています。
たとえ今はこの地域にはたらく場所の需要が少なかったとしても、
空いている物件に僕らの想いをのせて整備し、
ひとつの目に見える場所をつくりだす。
つくってしまったら、あとは覚悟を決めてやるしかない。
「ここはまだまだこれから」
そう思い込んで仕掛けを継続していきます。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

豪雪地帯に舞う花火! 幻想的な雪のアート祭 「大地の芸術祭の里  越後妻有2014冬」

世界有数の豪雪地・越後妻有地域(新潟県十日町市と津南町)を
舞台とする「大地の芸術祭の里」。
その760km2にもおよぶ広大な土地に
四季折々の自然をいかしたアートを表現し続け、
訪れる多くの人々を感動させています。

そしてこの冬、「大地の芸術祭の里 越後妻有2014冬」と題し
越後妻有の雪原を舞台に打ち上げられる「雪花火」や
里山の自然と調和する「雪アートプロジェクト」、
2万個以上の光(LEDライト)による幻想的な「光の花畑」、
現代美術館キナーレでの企画展「Lights in Snowland」、
また、それらに参加しながら雪国ならではの食事や
温泉を満喫できるツアーなど、
とにかく盛りだくさんなイベントを開催します。

雪の大地に光の花畑。高橋匡太さんによる“Gift for Frozen Village 2014” (撮影:中村脩)

老若男女が楽しむ雪の運動会。みんな真剣! (撮影:中村脩)

3mを超える雪に囲まれた世界も堪能 (撮影:中村脩)

越後妻有里山現代美術館[キナーレ]の企画展「Lights in Snowland」。こちらは美しく舞う雪を表現した、松尾高弘さんの"Snow Dance" (撮影:中村脩)

ツアー限定の雪見御膳。お料理と美味しい日本酒で集落の皆さんがもてなしてくれます

チケットについてくる光の種(LEDライト)を雪原にうめることで
高橋匡太さんによる夢のような世界“Gift for Frozen Village 2014”にも参加できます。
さまざまなアーティスト、または自分たちの手により、さらに魅力的にうつる里山や雪景色。
私たち人間も自然の一部なんだなと気づかせてくれる素敵なイベントです。
この冬の思い出づくりにぜひ!

『大地の芸術祭の里 越後妻有2014冬』

開催日:2014年1月1日(水)〜3月30日(日)

メインイベント:2014年3月1日(土)~2日(日) (冬の越後妻有満喫ツアー有り

場所:越後妻有里山現代美術館「キナーレ」、まつだい「農舞台」、ナカゴグリーンパーク

料金:越後妻有2014冬 共通チケット ※光の種(LEDライト)付き

前売り 大人2,000円 小中学生1,000円

当日 大人2,200円 小中学生1,200円

お問い合わせ:「大地の芸術祭の里」総合案内所

TEL:025-761-7767

越後妻有 大地の芸術祭の里

NO ARCHITECTS vol.4: 昔から流れる 日常のリズムに合わせて

NO ARCHITECTS vol.4
まちも建物も最大限に生かすスペースに。

今回は、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーションした、
「モトタバコヤ」という名前のスペースの紹介です。
場所は、このはなのど真ん中にあります。

大阪市此花区の梅香・四貫島エリアを舞台に、
地元の不動産会社と協働して、まちの再活性化プロジェクトを展開している、
「此花アーツファーム」の事務局として、2011年の9月オープンしました。

オープン時の告知のためのチラシです。デザイナーの後藤哲也さんにアドバイスいただきながらデザインしました。背景の写真は、表面が建物の外壁、裏面が内壁になっています。

1階には、2部屋あり、入り口を入った土間部分は、小さなカフェと、
地域で活動している作家などのシェアショップ、
奥にある和室は、イベントや寄合いのためのスペースです。
2階と隣の長屋「千鳥荘」は、このはなのまちの雰囲気を味わってもらう、
「お試し暮らし」の営業を始めました。

カフェの内観。近所に住む小学生が学校帰りに宿題をしに来たりします。

僕らが手を入れる前、2008年頃よりモトタバコヤという名前で、
お試し暮らしやアーティストの宿舎、寄合い・ミーティング、アトリエ、
まちなかイベント「見っけ!このはな」の受付などとして
活用され、愛されていた物件です。
「もっと日常的にまちに開放した場所にしたい」との依頼を受けて、
リニューアルオープンに向けて、プロジェクトが始まりました。

現場初日。ハンマーで壁を壊す大川さん。

施工は、毎度おなじみPOSの大川さんです。
モトタバコヤの運営自体も大川さんがすることになっていたので、
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えながら、
プランニングを進めていきました。

改装前の奥の和室です。おばあちゃんの家に来たようで、とても居心地が良いです(写真提供:此花アーツファーム)。

1階奥の和室は、雰囲気がとても素敵だったので、畳をきれいにしたり、
壁を塗りなおしたり、天井を手入れしたりと、
簡単なリフォームを施した程度です。
もともとあった朱色の大きなちゃぶ台もそのまま使っています。
生活の痕跡が色濃く残る台所も残したかったのですが、
カフェの機能を考え、大改造することになりました。
トイレも、収納をつぶして拡張し、和式から洋式に変えました。
収納の戸は、そのまま使っています。

入り口を入った土間部分は、道路に面している壁を、
柱を残してすべて解体しました。まちに対して開放的にするためと、
もともとのスペースが狭すぎたのでちょっとでも広くみせようと、
ガラス面をできるだけ多くとりました。
家具も必要最低限の範囲で、仮設のような作り方でデザイン。
使い方や機能を限定してしまうような余計なことは、
極力しないようにしています。

棚やカウンターなどの家具は、シェアショップの各店長と話し合いながら仕様を決めていきました。

現場に毎日通うと見えてくること

土間の工事をしていると、いろんな人が声をかけてくれました。
廃品回収のトラックからおばちゃんが「なんか捨てるもんあるか?」と、
元塗装屋だというおじいちゃんが、ペンキの塗り方を教えてくれたり、
隣に住む車いすのおばあちゃんが、毎日同じ時間に同じ話をしに来てくれたり、
作業がおして暗くなっても作業をしていると、
仕事帰りのお向いさんがおでんを買ってきてくれたり、
斜め向かいの銭湯が店じまいするからと、ずっと使っていたのれんをくれたり、
カランカランと鐘を鳴らしながら自転車に乗る豆腐屋さんが通りかかったり。
現場中にも何度もお世話になったのは、ラーメン屋さんの「イナリ軒」。
チャルメラを吹きながらゆっくり屋台をひいてきて、
話をしてみると50年も続けているとのこと。

挙げだすときりがないくらいに、毎日、同じ場所で、
さまざまな日常が繰り返されていました。
そんな心地良いリズムのような日常の中で作業をしていたら、
このまちに住んでみたいと思うようにもなりました(自宅改装はvol1参照)。

リニューアルオープン日に撮ってもらった集合写真。ぎりぎりまで作業していたので、みんなヘトヘト。

外観に手を入れたのは、シャッターボックスや
キッチン前の錆びついた格子を白く塗ったり、ポストを付けたくらいで、
ほぼそのままです。あと、看板も取り付けました。
以前、イベント時に描かれたモトタバコヤという文字が、
偶然にもgoogleのストリートヴューに残っていて、
素敵だったので、それをトレースして少し整えてロゴを作りました。

モトタバコヤの切り文字を、もともとたばこ屋の看板だった場所に取り付けました。

シェアショップのオープン当時は、
カフェ、古本屋、リメイク古着屋、
このはな界隈の作家がデザインしたTシャツ屋、
神戸芸術工科大学とのコラボガチャなど、でしたが、
今ではショップ数も増えて、アウトドアグッズ屋、木工雑貨屋、
アクセサリー屋なども増えて、
より何屋さんかわからない状態になってきて、良い感じです。
それぞれの店長さんたちによるイベントも定期的に開催され、
毎回賑わいをみせています。

2階の和室には、「見っけ!このはな2012」の際、木彫作家のムラバヤシケンジさんにつくっていただいた欄間があります(撮影:長谷川淳)。

「これからのモトタバコヤは、より一層イベントに力を入れるのはもちろん、
地域の情報を集めて発信していき、どんどん地域に関わっていきます。
子どもから若者、お年寄りまで、みんなが寄り合える場所にして、
梅香から此花区全体を楽しいまちにしていきたいです」
最近、事務所をモトタバコヤの2階に移した管理人の大川さんが、
抱負を語ってくれました。

2013年3月には、劇団 子供鉅人による散歩と観劇を兼ねたツアー演劇『コノハナ・アドベンチャー2』の舞台にもなり、スペースの活用の幅を広げつつあります(撮影:明地清恵)。

その場所で、昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重し、乱暴になりすぎないように、
新しいものや新しい人の流れをデザインすること。
まちに溶けこむ場所をつくる上で、とても大事なポイントだと思います。

このまちにふらっと訪れたひとが、モトタバコヤというお店を通して、
まちのリズムを感じることができる場所になっていけば良いなあと、
密かに願っています。

新春モトタバコヤまつり 第2回粉もんパーティ−の様子。地元の方もたくさん参加されていて、大賑わいでした。右端に写っている人は、お隣の千鳥荘に長期滞在されているマシューさん。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

information


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モトタバコヤ

大阪府大阪市此花区梅香1-18-28
http://konohana-artsfarm.net/mototabaccoya

山ノ家 vol.4: 雪下ろしと、プランづくり

山ノ家 vol.4
初めて体験する、豪雪地帯の雪下ろし

2012年1月。この年は3年に一度の
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催される年。
このタイミングに山の家をオープンできるのは、立ち上げで勢いがつく絶好の機会だ。
なんとかよいかたちで実現しよう。そんな新たな想いを抱く年明けとなった。

その前の年のクリスマス・イブ、外装工事が終わろうというときに
どんどん深くなる雪のため、十日町から脱出するかのように東京に戻って来た。
あの雪国での出来事は、幻だったのではないかと思うくらいにおだやかなお正月の東京。
しかし、今までとは確実に違う落ち着かなさが僕らの頭のすみっこにはある。
結局、工事は無事に終えたのだろうか? 仮設の囲いがとれた外観を早く見てみたい。
年末年始から本格的に降り積もるという、あの雪はどうなったのだろう。
「年明け早めには一度屋根の雪下ろしをしたほうがいい」
地元の若井さんからはそう言われていた、ような気がする。
どこかのタイミングでまつだいに行って、
教わりながら雪下ろしをしようということになっていたが、
やはり一度東京に戻ってしまうとなかなかスケジュールの調整をするのが難しい。
既に、あの幻のような世界へ行くにはちょっとした覚悟が必要であった。
そして、未知の雪下ろし。
早くやってみたい、やらねば、という気持ちと、
ちゃんとできるのか? 本当にあの屋根の上に登れるのだろうか?
という複雑な気持ちをかかえながらもようやく、
あの世界に行けたのは1月の半ばを過ぎてからだった。

ついに仮囲いがとれて、外観が! 屋根の上にいるのは若井さん。

外装工事は無事終わっていたようだ。
感慨にふけるのもそこそこに、屋根の上に怖々のぼり、
何もわからぬ僕らは、若井さんにやり方を教わりながら初めての雪下ろし。
まったく要領を得ず、効率が悪い。
地元の人が2人で1〜1.5時間で終わらせるものが、半日経っても終わらなかった。

屋根の上で雪下ろしをする若井さん、河村くん。

下から屋根を見上げたところ。あの、高くそびえる梯子を上って屋根に上がるのだ。

当人としては、慣れていないせいもあるかもしれないが、精神的にも体力的にも
結構しんどかった。
それでも1〜2月は可能な限り現地に行って、雪を下ろそうと思った。
雪のことで周りの方に迷惑をかけているのではないかと思うと、落ち着かなかったからだ。
あとで聞いた話だが、最初なかなか行けずに雪が降り積もる一方だった頃、
「あの家はつぶれるんじゃないか」と言われたりしていたそうだ……。
2月の末に何度目かの雪下ろしに行ったときに
「あとはまあ、そこまではひどくは降らないと思うよ」
と言われたときの安堵感は例えようも無いものだったが、
終わるどころか、僕らはまだ何も始まってもいないのだ。

いろいろな人とかたちにしていくこと

雪が溶けるまでの間、
東京での仕事を飛ぶようにこなし、合い間をぬって、山の家のプランニングや組織化の話、
何をやるのか、そして実際どの様にやるのか、といった打ち合わせを重ねていった。
年を越す前から、おおまかな機能のイメージは
gift_のクリエイティブ・ディレクターである池田(彼女はgift_のパートナーであり、
プライベートのパートナーでもある)がまとめていた。
図面によるプランや、運営の下書きの基本となる部分もできていた。

初期にまとめた機能的なイメージ草案。カフェ・宿泊・ショップ・レジデンス、そしてwifiなど「必要なものがある」。

プラン。1階はカフェ、もとあった和室と階段下の押し入れをぶち抜いてキッチン導線をつくる構想。2階は、2段ベッドの宿泊とレジデンス。

具体的な詰めももちろん必要だが、その前に根幹となる目的、想いを固めることも大事だ。
例えば比較的最初の頃に浮かんでいたキーワードのひとつは、
「都市と里山の日常をまぜ合わせる」というものだった。
僕らが大切にしたいと考えたことは、
この場所が誰にとっても極力違和感の無い場所になるということ。
都市から来る人にとっても、地元の人にも、
いろいろな世代や立場、境遇の人々が行き交うための場でありたい。
どちらが主体でも、受け身でもなく、観光というよりももっと、
特別でないはずの日常そのものがいつのまにか面白く歪んでしまうような事が起こる、
そんな場所にしたい。
カフェやドミトリーは、そのためのきっかけとしての機能なのだ。
現地に通い、交渉や外装工事などを行った中で出会い、話した人々や、
さまざまな出来事が重ね合わさっていくなかでさらにその感覚は強くなっていった。
機会あるごとに人にも話すことで客観性をつかみながら何度もその想いを検証していった。
そういったヴィジョンや方向性を現実のものにするべく、
たくさんの人に関わってもらう(または巻き込んでしまう)ことによって
ようやく本当の意味で理想のかたちになっていくのだと考えた。

前回の外装工事の時とは違い、
ソフトの立ち上げのためにも多面的に手伝ってくれる人が必要だ。
内部空間も自分たちで手がけるところは多く、もちろん施工のサポーターは必須。
さらに、飲食業や宿泊業の運営経験が皆無の僕らが
カフェやドミトリーを立ち上げようというのだから、
考えなくてはいけないことや、やるべき事はたくさんあった。
とにかくひとりでも多くの人に協力してもらいたい。

そこで、池田のほうでは運営立上げ準備チームをまずつくった。
4月ころに、立ち上げインターン募集の声かけや、
さまざまなto Doの整理を、ふたりの女性スタッフと共に進め始めたのだ。
そのうちのひとりはマユコさん。前出のCETや恵比寿の僕らの拠点gift_labの創業期から
さまざまな業務を手伝ってくれていた人で、オーガニックフードのカフェなどでも活躍していた。
彼女が、一緒に立ち上げに入ってもらってはどうか、と僕らに推薦してくれたのが、
もうひとりのメグミさん。アートや食やライフスタイルデザイン関連の仕事を重ねて、
奇跡的にも、ちょうど外装工事に入る直前くらいのタイミングで運命的に出会っていた。
その後彼女はgift_のスタッフとなり、そのまま山の家立ち上げの中心メンバーになった。
このふたりがいなかったら絶対に立ち上げられなかったと、
今でもよく池田はつぶやいている。

恵比寿のgift_labで、インターン説明会を行っている様子。奥のふたりがメグミさん、マユコさん。手前にいるのが池田。

5月中旬ころになると、運営母体となる会社を設立した。
山の家という名前も屋号として使うことが決まり、
僕らのコンセプトを表象するような「ロゴ」をつくりたかった。
早速、いつものようにDonny Grafiks(ドニーグラフィクス)の山本くんに相談した。
山の家という名前、十日町で新たなプロジェクトのこと、これまでの経緯や、
今思っているイメージを洗いざらい話した。
しばらくして山本くんがプレゼンしてくれたのがこれ。

もはや漢字ですら無い、文字以前のようなロゴが。こう来るとは……!

想定していた路線と違ったが、それが非常によかった。
さらに新たなイメージが広がりそうな予感がした。
このときに彼に気づかされたことがある。
山の家ではなく、山ノ家となっていること。
この表記ひとつで、さりげなく独自性が出た。
この瞬間に、僕らの中で仮称「山の家」と呼ばれていたこのプロジェクトは
「山ノ家」になった。
かたちになっていくということはこういうことだと思った。

またある日は、
運営立上げチームでカフェのメニューについての方向性について考えていた。
その後、カフェのキッチンを主に担当することになるミナコさんもちょうどこの頃に合流。
当初から地産地消で行きたい、できるだけ地元の素材を使用したいという考えはあったが、
いわゆる郷土料理的なものだと地元のお母さんたちにかないっこない。
地元の人にも気軽に利用してもらいたいという考えもあり、若井さんなどは
「いつも米は食べてるから、例えば本格的なパンとか、
もっとカフェらしいメニューとかが食べてみたい」
というのだ。なるほどそうかと思いながらも、とはいえカフェのプロでもないし
ではどうするべきか? と考えあぐねているときに、
偶然、諸用で訪れた知人がその時抱えていた本に「移民」という言葉があった。
その瞬間、また、その言葉がすっと心にささって落ちてきた。
そう、僕らはあの土地への「移民」なのだ。その地に生まれ育った訳ではないし、
日常の文化も違う。でも、縁あってその地で生活していこうとしている。
だから僕らはその土地の素材を使うけれど、僕らが日々作り慣れている料理法でいいんだ。
彼女たちはそのカフェメニューの路線を「移民のレシピ」と命名した。
ある土地で素材に出会い、手慣れた料理と混ぜ合わせて新しいエスニックをつくり出すような、
不思議な自由さと魅力のあるキーワードとなった。

自分が漠然と想像したもののなかから、
また別の視点が加わることで
新たな、そして理想の風景がつくり出されていく。
山ノ家がさまざまな人との関わりによってできていくのはとても興味深かった。

そして、5月も後半。
ようやくインターンや何かしら手伝ってもらえそうな人たちとともに、
現地のキックオフツアーを行った。
このとき初めて、東京(世田谷)から十日町までの無料バスを利用し、
みんなで行くことができた。なんと言うか、それだけでもちょっと嬉しかった。
新たな人々がここに集まっている、というだけでさまざまな想像が広がる。

でもまだその前にやらねばならないことがある。
現状はまだ、とても内装工事に入れる状態ではないのだ。
前の持ち主のあらゆるものが家中に詰まっている。とにかく大片付けが次の山場だ。
2回目のツアーで、一気にみんなで片付けを行った。
その中でも、流用できそうな物や気になるものは残しながらも、
どんどんまとめていかないと終わらない。

インターンのみんなのおかげで、片付けはだいぶはかどった。

トラックで市の処理場へ自分たちで持ち込み。これが一番リーズナブルな方法。結局二往復した。

ツアーの食事は、カフェで出すメニューの試作を兼ねて
地元の食材なども使いながらのご飯会。
知り合った地元の方を招いたりしながらとても楽しく有意義に行えた。

みんなでの食事は、ツアーの楽しみのひとつ。実際ここから生まれたメニューもあった。

東京ではない時間の流れに戸惑う

6月になった。来月後半にはもうトリエンナーレもいよいよ開始となる。
こちらも準備は進んでいた。
内装工事を進めるべく、設計を決めて、スタッフを確保。
外装工事で活躍したアキオくんにも声をかけ、運営立上げチームによって
手伝ってくれるインターンのシフトももうバッチリでき上がっていて、
あとは具体的なスケジュールを伝えれば、という感じ。
もうそろそろオープンに向けた内装工事にとりかかりたい。
そのためには地元工務店さんによる工事と僕らの作業と、同時並行で行う必要があった。
つまり、工務店さんに内装工事の正式発注をしなければならない。
そもそも突発的なきっかけで始まったこのプロジェクト。
当然ながら資金があったわけではない。
内装工事含め開業に必要な資金の調達に奔走し、
地元商工会の紹介で金融公庫に申請をしたのだが、
その融資の決定の返事がなかなか来ない。
当然返事をもらわねば工務店さんにGOサインは出せない……。
フライングして入りたい気持ちもあったが、
あまり手戻りになるような無駄な動きをするわけにもいかない。
工務店さんと打ち合わせの上で出てきた工程も、完成まで約1か月半となっていた。
ちょっと長いな、とも思ったが、自分たちの手でリノベーションする工程も
含まれているので(時間どおり終わらせる事ができるかは読めないので)
何とも言えないところもあった。
しかし、それでは完成する頃に芸術祭もほとんど終わりかけになってしまうし、
オープンする絶好のタイミングを逃してしまう……。
少し焦ってきた。
思い込みでもあったが「これが東京だったらもう少し早く物事が進むのに」
という感覚になり、さまざまな部分で、
東京ではない時間の流れのペースやコミュニケーションの感覚に戸惑っていた。
ここでまた、その土地のペースの中での手探りが続く。
なんとか工夫できる解決策を考えなければ……。

つづく

MAD City vol.4: ナホトカ食堂の人をもてなす 空間づくり

MAD City vol.4
リノベで、平屋の自宅をカフェのようなおもてなし空間へ。

わたしたちのオフィスからもてくてくと歩いて20分くらいの距離、
日当たりの良いのんびりとした住宅地に中村菜穂さんは住んでいます。
見た目は普通の平屋建て。でも玄関に入るととってもいい匂い。
そう、菜穂さんは、予約制のイベント「ナホトカ食堂」を、
この自宅で不定期に開催しているのです。

菜穂さんのお料理です。

とってもおいしいお料理をつくる菜穂さん。
実はお料理だけでなくおうちの内装だって自分でつくっちゃいます。
菜穂さんがDIYを始めたのはどういうきっかけだったんでしょうか。

「もともと小さいころから自分の部屋を変えてみたいと思っていました。
壁の色をこの色にしたらどうなるのかなーとかいろいろ妄想したりするのが好きで。
きっかけは10年くらい前、自分の部屋にちょうどいい家具を手に入れたくて
自作したのが始まりです」

そのときに自作した棚は今でも菜穂さんの家のリビングで活躍しています。

奥に見えるのがその棚。見せる収納としても優秀です。

「当時は今ほど情報がないし、インターネットもそこまで普及していなかったので
自分がピンとくるものをなかなか探せなかったんです。
それで、予算の兼ね合いもあって自分でつくることにしました。
棚の中に入れる収納を先に選んで、それに合わせたサイズの棚をつくったんです。
もちろん初心者だったので父にも手伝ってもらいました」

とは言え、菜穂さんは服飾の学校出身。
木工や内装の技術を専門的に学んだわけではありません。
卒業後、服飾系の会社に勤めた後思い切ってカフェに転職。
そのことが現在の活動のきっかけとなったそうです。

最初に勤めたカフェは古い家をリノベーションした建物だったそうです。
1階にカフェ、2階には、そのカフェをプロデュースしたデザイン事務所が入っていたそう。
「そこでの経験にはとても影響を受けています。
インテリアのスタイルもそうだし、お店のホスピタリティも学ぶところが多かったです」

菜穂さんにとっての理想の住まいの空間は「カフェ」。
インテリアでも「カフェ風」という言葉はよく使われます。
とはいってもカフェってシアトルスタイルのモダンな内装のものから、
古民家を改装した和のテイストを大切にしたものまでさまざまです。
菜穂さんの理想とするカフェ風とはどんなものなんでしょう。

「わたしが居心地が良いなと思える空間でお客さんをおもてなししたいと思っているので、
そのためには内装も、ホスピタリティも、お料理そのものもどれも大切な要素です。
デザインされて整った空間だけれどもメニューにはそこまで力を入れていなかったり、
ほどよく力の抜けたこだわりというんでしょうか。
例えば、インテリアとしては壁が漆喰などの天然素材で、
木が古くて、古道具の什器が置いてあるようなところ。
空間としてはホスピタリティがあって、ごはんもおいしくて、ゆったりくつろげる。
このゆったりくつろげる、というのが一番目指すところです」

結婚して台東区に住んでいた菜穂さんはその理想を叶えるために、
「ナホトカ食堂」という小さな予約制イベントを始めました。
友だちを呼んで自宅で開かれる小さな食堂。
食堂を続けていくうちに、もっと人を招きやすい空間に住みたいと思うようになったそうです。

「台東区では鉄筋の集合住宅に住んでいて、しかもエレベーターなしの5階だったんです。
集合住宅だから案内の掲示などもしにくかったし、お客さんに来ていただくのも大変だし。
しかもそのころおなかに赤ちゃんがいるのがわかったので、
思い切って実家のある松戸に戻ってみようかな? と思って物件を探し始めました」

菜穂さんと娘さんの木ノ果ちゃん。

物件を探し始めた菜穂さんが、MAD City不動産で取り扱っていた平屋に
お問い合わせをくれるまでにはそこまで時間がかかりませんでした。
菜穂さんが問い合わせてくれたのは平屋にしては新しくて、
築20年経たない3DKに小さな倉庫がついた物件。
お子さんひとりのご夫婦にはゆったりめの広さです。
食堂をやる菜穂さんにはこのゆったり感がベストマッチだったようです。

「まず平屋っていうのは絶対条件だったんです。それまでが集合住宅だったから、
平屋で小さいお庭がついていたら看板だって出しやすいので、
お客さんにとっても目印になりますし。そして人を招くということを考えると、
玄関から食堂への導線がシンプルでわかりやすいことも条件でした。
ちょうどこの家はその条件にぴったりあっていて、いいなって思ったんです。
改装ができることも大きなポイントでした」

菜穂さんは入居するとすぐさまお部屋の改装に取りかかりました。
友人の建築屋さんに頼んで大量の漆喰を購入。
助っ人にお友だちを呼んでの漆喰塗りでは、
いつも通り菜穂さんのごはんを振る舞ったそうです。

「ちょうど妊娠中だったけど、漆喰を塗るだけだったら大丈夫だし、
高くて脚立に上らなくてはいけないところは友だちにやってもらいました。
漆喰はコテで塗るとテクニックが必要なので
お風呂用のスポンジで塗っていくのがポイントです。
素人仕事だけどちゃんと漆喰の壁ができました」

ニュアンスのある壁が素敵。雑貨を飾って。

ちなみに以前住んでいたところでは改装ができなかったので、
大規模な改装はこれが初めてだったそう。
とはいってもお友だちと一緒にわいわいと塗ったので、
漆喰を塗り終わるのには3日もかからなかったそうです。

「初心者のくせに、なぜか一番お客さんに入っていただく食堂の部屋から
漆喰を塗り始めてしまったので、この部屋が一番塗り方がへたくそなんです!
そこから漆喰塗りは上達したんですが、いまでも改装に関してはわからないことが多いし、
情報収集は難しいなって思います。今後も壁に飾り棚をつけたり、押し入れの改造をしたり、
いろいろやりたいことはたくさんあるのでちょっとずつやっていきたいなーって」

改装がひと段落したところでまた食堂を再開した菜穂さん。
途中に出産と育児のためのお休みも挟み、
現在でも生活とのバランスを見て不定期ですが開催されています。
改装の甲斐あって、どこにでもある普通の平屋が大変身。
足を踏み入れると居心地の良い空間が広がります。
実はMAD City不動産のスタッフもたまにお呼ばれしてごちそうになるんです。
おいしいですよー。

食堂の日は菜穂さんこだわりの調理器具にお料理が詰まって登場します。

「カフェで働いていたときにいちばん勉強になったのは料理の段取りなんです。
そのことは今もナホトカ食堂としてイベントをするときにとてもためになっています。
でも他にも気づきがあって、いちばん楽しかったのは
カウンターに座っているお客さんと談笑しながら作業をすることだったんです。
だから自宅で食堂イベントをやるようになってからは、
わたしもお客さんも一緒に楽しめること、
そのためにもテーブルや導線の配置を工夫することをいつも考えています」

そんなコンセプトは、菜穂さんが時々開催する手作り市にも表れています。
お友だちのハンドメイド作家さんやミュージシャンを呼んで、
みんなでつくり上げる市は菜穂さんの人柄をよく表しています。

1月13日に開催されたばかりの「ななの市」。MAD CityのイベントスペースFANCLUBで開催してくれました。

自宅イベントの回数を重ねるごとに理想の姿が見えてきたという菜穂さん。

「娘も生まれたことで、自宅でイベントをやる難しさも見えてきました。
そろそろ自宅ではなくお店でお客さんをお迎えしたほうがいいタイミングかなと思っています。
もともと将来的には夫婦で食堂をやることが夢でしたし、
今後はそれを見据えていろいろ動いていこうかなと考えています」

子どもが生まれてお母さんになるということは
今までの生活ががらりと変わってしまうということだと思います。
菜穂さんは、それを制約と捉えずに新しいチャンスだと思っているそうです。

「今まで通りのやり方にこだわる必要はないと思うんです。
そのときそのときによって新しいやり方を探すほうがもっといいなと思っていて。
お店と言っても生活の延長だと思うし、
お客さんが来てくれることでハリのある生活ができることには変わりないので、
自分のできる範囲で挑戦できることを探してみればいいと思うんです」

すでにお店のディスプレイみたいにかわいい雑貨たち。

ちなみにお店を始めたら、内装は自分でやりたいですか?

「そうしたいなと思っています! 自宅とお店では内装はあんまり変わらないかもしれません。
なにぶん冒険ができないのですごいアイデアとかは湧かないんですけど……」

とは言いつつも、お客さんにくつろいでもらいたい、
一緒に楽しみたいという素敵なコンセプトを持っている菜穂さんのこと。
イベントも、将来の夢も、子育てもまだまだこれからいっぱい楽しむ予定。
そんな暮らしにしっかり寄り添うおうちを自分でつくり上げたのだから、
これからつくるお店だってきっと素敵になると思います。

information


map

MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

アーツ前橋

美術館が館外で展開するプロジェクト。

群馬県前橋市に誕生した「アーツ前橋」。
美術館構想が立ち上がってから約6年という長い準備期間を経て、
2013年10月26日にグランドオープンした美術館だ。
芸術文化施設のあり方についてたびたび議論が重ねられ、
2010年から美術館プレイベントがスタートし、開館に至っている。
現在は開館記念展として「カゼイロノハナ 未来への対話」が1月26日まで開催中で、
館外でも「地域アートプロジェクト」が展開中。
地域の人たちや日常の生活とアートの創造性との出会いから
何か新しいことが生まれていくようなプロジェクトが、
美術館の外で同時多発的に行われている。

商業施設だった既存の建物をコンバージョンし、美術館に生まれ変わった。屋上看板にはアーティスト廣瀬智央さんによるコミッションワーク(恒久設置作品)が。

そのうちのひとつ「きぬプロジェクト」は、かつて養蚕で栄え、
生糸のまちといわれる前橋にちなんだプロジェクト。
これまでも「装い」とコミュニケーションをテーマに活動してきた
アーティストの西尾美也さんと、彼が主宰するブランド「FORM ON WORDS」が、
2014年の秋に向けてアーツ前橋のユニフォームを制作中。
そのプロセスを公開しながら、1年間かけてワークショップを開催していく。

まちなかにある「竪町スタジオ」では、1月26日まで西尾さんの作品を展示し、
「ファッションの図書館」という参加型プロジェクトも行われている。
これは、市民の思い入れのある服飾品をエピソードとともに収集し、
それらを公共の衣装タンスとして無料で貸し出すというもの。
並べられた服には持ち主それぞれのエピソードがあり、
それを身にまとうことで服を着るということについて考えたり、
コミュニケーションが生まれるきっかけともなる。

市民から集められた洋服に関するエピソードはどれも味わい深い。

「ファッションの図書館」にある服は、無料で借りることができる。

「マチリアルプロジェクト」は、市民がまちの現状(=リアル)に向き合い、
人が集う場をつくりだすプロジェクト。
その拠点となっているのが「アーツ桑町」。
アーツ前橋が開館する前からアートスクールが開催されており、
その講師でもあったアーティストの藤浩志さんと受講生たちの発案により、
空き店舗を利用して活動ができる場がつくられた。
公民館のように誰もが利用できるのではなく、
登録したメンバーが創作の場として活用し、
ミーティングが行われたり、作品を制作したり発表できる場となっている。

アートが本業ではなくても表現活動に関わりたい人や、
これまで作品を発表したことのない人たちなど、
前橋で活動する市民団体の拠点となっていて、さながら部活動の部室のよう。
運営も美術館ではなく市民によって運営されており、
この地域プロジェクトの出発点ともいえるスペースだ。

ピンク色でひときわ目立つ建物が「アーツ桑町」。藤浩志さんとアートスクール受講生の発案からできたスペース。

2階は民家を改修したギャラリースペース。取材時は、今回が初個展となる高橋加代子さんの展覧会が行われていた。こういった展示も市民団体によって企画・開催されている。

ふたたび人が集まる場所に。

そしてもうひとつのマチリアルプロジェクトの事例が「磯部湯活用プロジェクト」。
磯部湯は戦後すぐの昭和21年創業で、煙突は前橋の戦後復興のシンボルだったという。
残念ながら2012年3月に営業を終えたが、
そのあとも経営者である堀清さん・政子さん夫妻が換気などの手入れを怠らなかった。
天井が高く、自然光もよく入り、不思議な空間の魅力を持つこの磯部湯で、
アートプロジェクトができないかという話が持ち上がったのは至極当然とも思える。
長く前橋市民に愛された場所は、別の役割を持ってよみがえった。

アーツ前橋館長の住友文彦さんはこう話す。
「銭湯は生活に身近な公共の場所。
前橋の多くの人が出入りしていて、この場所に関する記憶を持っている。
そういう場所でアーティストに滞在制作してもらい、
何らかのかたちで地域の人に興味をもってもらえたらと思いました。
一般の方は作品制作のようすを見る機会なんてないですし、
作家も地域の人たちと出会うことでいろいろなインプットがあるはず。
そんなことができたら、磯部湯という場所にふさわしいんじゃないかと」

磯部湯活用プロジェクトにはアーティストの伊藤存さんと幸田千依さんが招聘され、
10月下旬から12月上旬まで公開制作が行われた。
その作品は、磯部湯に展示されている(1月26日まで)。

修復を重ねながらずっと磯部湯を見守ってきた煙突。戦後の焼け野原で復興の象徴となった。

2013年12月15日には伊藤存さんと幸田千依さん、住友文彦館長によるトークイベントが開催された。

伊藤さんは、動植物や人をモチーフとした刺繍作品や映像作品で知られるアーティスト。
これまでも、一見何もないように見える風景のなかに、
実はさまざまな生き物が潜んでいることを
「見ない土地の建築物」というシリーズで表現してきた。
特に魚が好きという伊藤さんは、アーツ前橋の前に流れる
馬場川(ばばっかわ)という小さな川に目をつけ、リサーチを開始。
するとウグイや鯉、山女魚、ヤツメウナギなど、多くの種類の魚がいることがわかり、
静かに見えて、実はにぎやかな川のようすを作品に表現した。

浴槽に水はないが、水中をとらえた映像作品が。一瞬、生き物が見えることも。

前橋での動物の目撃情報を人に聞いて集め、人と動物が対面している場面を地図上に再現した粘土作品。こうして見る前橋のまちはどこかユーモラス。

通常は京都を拠点として活動し、海外の展覧会に出展することも多い伊藤さんだが、
滞在制作はあまり経験がなく、制作プロセスを見せることも初めてだったという。
「途中でいろいろな反応があって、それが面白かったです。
僕の作品はよくわからないと言われたりしましたが、
僕は何を言われてもわりと大丈夫なので。
めちゃくちゃなことを言われれば言われるほど、
もっと変なこと言ってくれないかなって」と伊藤さんは笑う。

脱衣所のスペースで制作していたが、だんだん下宿のような様相を帯びていき、
磯部湯の隣に住む堀さん夫妻は、ようすを見に来ては差し入れをしてくれたそうだ。
「銭湯って人がたくさん来る場所ですから、
営業をやめたら急に人が来なくなって寂しかったんだと思います。
もつ煮込みをつくってくれたりして、ありがたかったです」
偶然にも堀さんは手芸好きで、趣味でつくっていた刺繍作品が
以前から銭湯に飾られていた。その作品がそのまま飾ってあり、
作風はまったく違うが、磯部湯という場所がつないだ、
伊藤さんの作品とのコラボレーションのようだ。

トークを見に来ていた堀さん夫妻。奥さんの政子さんは「楽しかった。最近若くなったと言われました」

「お風呂で制作するというのは不思議な気分でした」と伊藤さん。

幸田さんは、アトリエで制作してギャラリーで発表するというより、
さまざまな土地に滞在し、そこで作品をつくるという活動が多く、
コロカルにもたびたび登場しているアーティスト。
「新しい場所に行くと、最初はいろいろな違いに驚いたりするんですが、
暮らしているうちにどこでも共通するものがあると気づく。
自分が気になるものを日々見つめていくと、
そんなに大きく変わらないんだと思いました」と幸田さん。

今回の滞在では、毎日朝7時半頃から夜は23時頃まで、磯部湯で制作に没頭した。
決まった時間に起き、滞在していた家と磯部湯を往復する毎日。
だから前橋のことは詳しくないが、毎日通う道がとても大事なものになったという。
磯部湯に描かれた壁画は、その道すがらの橋から見た風景だ。
「朝、東に向かうので朝日がすごくきれいだったり、
日に日に葉が黄色く色づいていったり。
毎日その変化を見るのが本当に楽しくて、毎朝写真を撮ったり、
そこで5分くらいぼーっと過ごしてから磯部湯に来るんです。
何の変哲もないんだけれど、行き帰りの道が
だんだん自分の風景になっていきました」

「2か月間、前橋に暮らしたということのたしかな実感は展示に表せたんじゃないかな」と幸田さん。

公開制作時にはいろいろな人が集まってきた。
脱衣所のスペースにはテーブルが置かれ、
そこでお茶を飲んだりおしゃべりする人が増えてきて
「お湯はないけど、磯部湯の温度が日増しに上がっているのを感じた」のだそう。
やがて幸田さんは風景だけでなく人の絵も描こうと思い立ち、
10枚あまりのキャンバスに次々と描いていった。

磯部湯のプロジェクトには群馬大学の学生たちが運営スタッフとして関わっている。
彼らがいることで、このプロジェクトはいっそう開かれたものになったようだ。
「最初はアーツ前橋のお客さんがアートを見に来るという感じだったのが、
だんだん地元の人に噂が広まったのか、
昔、銭湯に来ていた人がふらっと立ち寄ってくれたり、
アートにそれほど興味のない人も、居心地がよかったのか毎週来てくれたり。
ふだん同じまちに暮らしていてもなかなか関わらなかったり、
世代が違って話すこともなかった人同士が出会ったり、
いろいろな人が混ざり合うのが面白かった」

滞在終盤になるにつれ人が増えてにぎやかになり、
差し入れもどんどん増えていったそう。
学生たちにも慕われていた幸田さん。トークが終了しても、
みんな最後まで名残惜しそうにアーティストを囲んでいた。

通常、展示スペースに鏡があるということはまずないが、それも含めて空間の面白さがある。「今回は磯部湯という場所とどうつき合うかが大事だと思っていました」

滞在中は脱衣所のスペースでカレーを自炊していたが、具材の差し入れをしてくれる人までいたため、終盤は食費もほとんどかからなかったとか。

地域の人が支える美術館。

住友さんはキュレーターとして、これまでさまざまな地域で
展覧会やプロジェクトを手がけてきた。
地域でのアートプロジェクトの可能性や難しさについても熟知している。
「もともとアートプロジェクトは60~70年代に前衛がやっていたことで、
展示室の外に出ることで反権力や制度に対するアンチという意味があった。
いまでは地域おこしや芸術祭という動きもありますが、
なかなか歴史のなかで残されていかない。
でも美術館が関わることで、何らかのかたちで残すことができると思うし、
美術館は活動を継続していくことにこそ意味があると思っています」

さらに、美術館は地域の人に支えられなければいけないという。
「アーティストのネットワークではなくて、
地域の人や専門家ではない人たちが必要だし、
彼らが必要だと思ってくれることが重要。
開館の3年前からプレイベントをやってきて、
それに関わってきた人たちがこういうプロジェクトも手伝ってくれています。
ハードをつくるだけではなく、ソフトも同時につくっていったのが
アーツ前橋の特徴だと思います」

開館記念展では、地域と縁のある作家や作品を掘り起こし、
新しい作品も交えて丁寧に紹介している。
「有名な巨匠や欧米のコレクションなど、どこからか借りてきた価値基準ではなく、
前橋に縁のある作家だけで美術の歴史を振り返ることができるような展覧会を、
最初にやろうと思いました。そこから、新しく作品をつくる場所を組み立てられれば、
過去と未来をつないでいくようなことができるんじゃないかと思っています」

照屋勇賢さんによるコミッションワーク。照屋さんは東日本大震災発生時、前橋で滞在制作をしていた。つくられた階段の上に連なるように、既存の建物の非常階段が窓枠の外に見える。ここで定時に、震災直後に録音された群馬交響楽団による演奏が流れる。

アーツ前橋ができたことで、波及効果が出てきているのが面白い、と住友さん。
実際に、地元在住のアーティスト八木隆行さんが運営する
アートセンター「ya-gins(やーぎんず)」や、
アーティストやアーツ前橋の学芸員たちが運営する
アートスペース「Maebashi Works」など、
さまざまなクリエイティブスペースが周辺に生まれている。
今後もアーツ前橋を中心に、地域の人たちが主体となった面白い動きが期待できそうだ。

埼玉・大宮駅の待ち合わせスポット 「まめの木」改修工事のため お休みに

たくさんの人が利用するターミナル駅には欠かせない、
待ち合わせの目印になるモニュメント。
東京駅の「銀の鈴」、渋谷駅の「ハチ公」、池袋駅の「いけふくろう」、
仙台駅の「伊達政宗公騎馬像」(今はありません)など
それぞれの土地にいろんなモニュメントがあります。

埼玉県を代表するターミナル駅「大宮駅」の
待ち合わせ場所といえば、「まめの木」。

これは大宮駅の南北中央改札口に
1985年に設置された、造形家の伊藤隆道さんが
作った「行きかう・線」という金属オブジェの作品。
公募によって「まめの木」との愛称が付き、以後
埼玉県民の皆さんのあいだでは
「とりあえずまめの木集合」が合言葉になっているとか。

現在、そのまめの木が大宮駅の改修工事にともなって、
一時撤去されて話題を呼んでいます。
来年3月ごろ、またお目見えするそうです。
地元のひとに親しまれた待ち合わせ場所に
また会える日を楽しみにしています。

ビルススタジオ vol.04: シェアハウスこもごも

ビルススタジオ vol.04
居心地を自分たちでつくるシェアハウス

栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING(以下カマガワリビング)」が
オープンしてから早3か月が経ちました。

内覧会をしたのは、2013年8月のこと。
工事も無事終わり、お披露目の日です。
内覧会前のミーティング(vol.3参照)に参加した入居予定者は、5名。
この日はオーナーとともに、2階の共有スペースであるリビングにて、
彼らと一緒にお客さまをもてなしました。
来場者は、入居者の知人や家族、そして、このカマガワリビングの近所の方々、
不動産業者、記者の方々などさまざま。なかには入居に興味がある人がいたようで、
実は、この日来場された方のなかで、3名が入居を決定してくれました!

会がお開きになった後も入居者含めた関係者で呑んだくれ、終了は深夜3時……。
自分も含め、リビングの妙な居心地の良さに誰も帰らないという現象が起こってしまいました。
そして、この直後からそれぞれ引っ越してきて、入居がスタートしたのです。
現在14名の入居者さんたちがここで生活をしていますが、
この地方版シェアハウスではどのような日常が繰り広げられているか、
少し覗き見してみましょう。

50帖あるリビングでは色んな場所で小さいグループが。

まずは、ちょっと住民さんの部屋も覗いてみましょう。
6階建てのビルで、3階から5階までが個室のフロア。
3階の部屋たちは、そもそもどれも個性的。
天井高3m、コンクリート剥き出しの内装は当たり前のこと、
部屋によっては五角形だったり、メガホン型、5帖もあるベランダ付き、とさまざま。

サト氏の部屋は幅7mに奥行2.2mというバランスの悪い間取り。
しかし建築設計事務所に勤務する彼にはそのバランスの悪さがたまらなかったようです。
工事段階でのサト氏から要望があり、板床ではなく土間を広めにとり、作業場に。
入居後そこでコツコツ棚をつくっていると思ったら、
収納と階段そしてワークデスクを組み合わせたロフトができていました。

3mの天井高を活かした手づくりロフト+収納+デスクスペース。

その隣のゴロさんの部屋は先すぼみの間取り。
入口左に斜めにはしる壁はみかんの国和歌山県出身の彼の要望でオレンジ色に。
ある日彼のお兄さんが泊まりに来て
なにやらグリッド状にテープを貼っていると思ったら、
壁一面に世界地図ができあがっていました。
カリモク60の家具ともいい感じに合っていますね。

楽しいイベントもいろいろ

さらに、内覧会で実感したリビングの居心地のよさからか、
共有スペースでは、これまでさまざまなイベントも開かれています。
主催者は、当社だったり、オーナーさんだったり、入居者だったり。
例えば、こんなかんじです。

・2013年10月30日 ハロウィン
入居者さんたちそれぞれに仮装、ということで開催。
しかし、平日夜にそんなに人も集まらず、仮装の準備もできない人の多いなか、
3時間かけてひとり部屋で自分に包帯をまき続けた(そして力尽きた)
シン氏に拍手と涙をおくります。
手づくりの目玉のおやじはその後もさまざまな場所で活躍しています。

・2013年11月3日 餃子祭り
宇都宮市はいわずと知れた「餃子」のまち。
もともとの宇都宮市民の熱は実はそれほどないのですが、
市外から来た人の多いこのシェアハウスでは、かなり熱いのです。
この日は年1回開催する、12万人以上の来場者数を誇る「餃子祭り」が
ここからほど近い宇都宮城址公園で開催されていました。
なかでも入居者のゴロさんは前年に炊飯器片手に食べ歩いていた程の強者。
彼の発案で、同じ日にここカマガワリビングで独自に開催してしまおう、
ということで皆を誘い、餃子の買い出しに。

そして集めに集めた34店舗分、プラス手作り、約700個(140人前)の餃子たち……。
処理に困り、それぞれの友人を誘って食べ尽くすことにしました。
しかし焼き餃子だけでは何か物足りない。
そこで、流し水餃子(!?)を屋上で開催することになりました。
ホームセンターで雨樋を購入、餃子を茹で、屋上へ移動。
待ち構える総勢20名以上の餃子好きに向かって餃子を放流。
皆で餃子のまちの魅力を存分に楽しみました。
しばらくリビングも皆も臭いが消えなかったのは言うまでもありません……。

流し水餃子の様子。

・2013年12月14日 お料理道場
オーナーの友人でもある、料理家の越石直子先生に来ていただき、
入居者以外の方々にもシェアハウスに触れてもらう機会をつくってみました。
現時点、女性専用フロアのみ空いているので
女子限定のイベントです。料理に興味のある方(入居者含む)が参加。
主婦、学生、OL、飲食店スタッフなどなど。
シェアハウスならではの広めのキッチンスペースと道具類を存分に活用していました。

できたのは、砂肝とポテトのアンチョビソテー、アボカドとベーコンのクリームディップ、グリル野菜のパスタというワンプレート。美味しそうです。多めにつくり、入居者さんたちで相伴できるのも魅力です。

・2013年12月31日〜2014年1月1日 年越し
初めての年末年始。
例年は帰省していた入居者さんたちがなぜか皆帰らない……。
ということで、皆で年越し。
 ・年越し流し蕎麦:またもや屋上に雨樋設置。
 ・建物前で餅つき:水加減がうまくいかず、通りがかりのおばあさんに教えていただく。
 ・大掃除:なんとなく。
 ・宴会
 ・カウントダウン:気がつくと5分前。焦って皆で組み体操。完成せず。
 ・初詣:徒歩で宇都宮市の中心、二荒山神社へ。
 ・初日の出:屋上で。
 ・ニューイヤーボーリング:元気な人だけ。
かなり楽しく過ごしていたようです。
考えてみれば、地元ではなくて自分の住んでいる近所の人と過ごす年末年始は、
昔ながらの戸建てのあるまちに住んでいれば当たり前のことだったんですよね。
ちと元気過ぎる過ごし方でしょうけど……。

近所の子どもも興味深々な餅つきの様子。べっとべとな仕上りに……。

と、ここまで読まれている人は
シェアハウスってコトあるごとにパーティなどのイベントが開かれていて
“住んでいる人は毎日疲れてしまうのでは?”と感じてしまうかも知れません。
しかし、イベントは参加したい人、参加できる人だけ参加すればOK、というスタンス。
なので疲れていたり、テーマ的に乗り気じゃなかったり、起きられなかったりで
気ままに不参加でもいいんです。
その代わり、シェアハウス外の人も入居者の招待であれば参加OKの場合もあるし、
○○道場シリーズは一見さんでも参加OK、というように
会ごとに参加者の範囲、そして内容もバリエーション豊か。
気になるトコだけ参加しましょう。

個室は居心地よくカスタムできる。
共用部は充分な広さを持ち、他の住民さんと一緒に何かをやることも、
それぞれが好き好きに過ごしながら、他の住民と距離をとることもできる。
近所は地方都市とはいえども随一の商業地域。
3か月しか経っていませんが、
住民さんたちはここカマガワリビングの特徴を
上手に使いこなしてくれているようです。
良かったぁー。

さて、動き始めた「シェアハウス」という住まいの新しい選択肢。
しかしこのまちで生きていくためには当然働かなくてはいけません。
働かなくては家賃も払えませんしね。
そこで、私は仲間と一緒に新しいオフィスの選択肢もつくり始めました。

屋上からの初日の出。たった数か月前に出会った人たちで年を越す機会ってめったにないですよね。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

個性がにじみ出る年賀状の展覧会。 大阪・名古屋・埼玉で 「音楽と演劇の年賀状展」

送る人の個性が色濃くにじみ出る年賀状。
ただいま大阪のOZC GALLERYにて、ミュージシャンや役者さん、
音楽や演劇の現場にたずさわる方々から届いた年賀状を集めた
展覧会「音楽と演劇の年賀状展」が開催中です。

参加アーティストは、ダンサーのホナガヨウコさんや平井優子さん、
イラストレーターの小山健さんら。
天井からぶら下がる、個性豊かで趣向を凝らした年賀状が楽しい展覧会です。
主催は大阪のクリエイター、山口良太さん。
2011年から毎年お正月に開催していて、今回で4回目の開催になります。

会場では展示のほかにも、
キャラクター研究家・ケモノミミ作家のしんぽうなおこさん
による「ウマミミを作ろう!ワークショップ」、
広島の「ie-ie(イエイエ)」といっしょにブローチを
つくる「ie-ie ブローチワークショップ」などの催しも
開催されます。

本展覧会は大阪の後、1月25日から名古屋、2月17日から埼玉でも開催予定です。
詳細はWebサイトにて。

展覧会「音楽と演劇の年賀状展」

NO ARCHITECTS vol.3: 下町情緒と ホワイトキューブのつなぎ方

NO ARCHITECTS vol.3
このはなの建物から生まれた、ギャラリー空間

今回は、2013年3月にこのはなにオープンしたギャラリー、
「the three konohana(ザ・スリー・コノハナ)」の紹介です。
オーナーは、山中俊広さんという方です。
以前は、大阪の西天満にある「YOD Gallery」に勤められていて、
独立後は、インディペンデント・キュレーターとして、
美術に関わる展覧会の企画や執筆活動をしていました。
そして自分のギャラリーを持つという決意のもと、その場所を大阪市此花区と決めた山中さん。

「もともと、ギャラリー「梅香堂」へ訪ねたり、このはなは馴染みのあるまちでした。
このまちに決めた理由は、ひとつは此花で活動している人が比較的同世代であったこと。
ただの若気の至りで色々とやっているのではなく、
社会経験を踏まえた上で行動している人が多いというのは、
今後のこのコミュニティーの継続性という意味でも重要な要素でした。
もうひとつはこの下町風情のまち並みですね」
そんなご縁で、山中さんがオープンするギャラリーのリノベーションを
NO ARCHITECTSがお手伝いさせていただくことになりました。

建物の外観。看板の跡が残っていたので、銀色に塗装。

まずは、物件探しから一緒にスタート。
不動産屋さんに条件を説明し、良さそうな物件は手当たり次第、見て回りました。
そして、出会ったのがこの建物。
正面の玄関は大通りに面しながら、奥の勝手口を出ると、裏通りにも面していて、
そんな風にまちの中に溶けこむように建っているところに惹かれました。
もともとは不動産屋として使われていた物件だそうです。

物件が決まったあと、プランに入る前に、
山中さんが目指すギャラリーのコンセプトについて詳しく説明を聞き、
念入りにディスカッションをしました。建物の生かし方を考えながら、
つぶす部分・残すもの・新しくつくるものを検討していきました。
最初の段階で、明確なヴィジョンを共有していたので、
この先、ほとんど食い違うことなくスムーズに、計画案が決まっていきました。
僕らとしては、信頼関係が築けた状態で仕事ができて幸せでした。

入り口を入ってすぐ左手に、チラシ置きコーナーをつくりました。サイズのバラつきのあるチラシやDMなどをきれいに陳列しやすいように、各々の棚の高さをコントロールしています。

今回、ギャラリーへのリノベーションを手がけるうえで、
一番ていねいに計画すべきだと思ったことは2点。
まちとギャラリーのつながり、展示空間であるホワイトキューブと既存の和室のつなぎ方です。
特に外観のデザインは、山中さんのスタンスやギャラリーのコンセプトなど、
お客さんへの姿勢が顕著に表れてしまうので、最後まで悩みました。
ギャラリーとしての雰囲気は保ちつつ、たまたま通りかかって興味を持った方や、
展覧会を観に来る方が入りやすいようにデザインしています。
コピーライターでデザイナーの古島佑起さんがつくった素敵なロゴを、
ターポリンに印刷し看板をつくったり、
1階の空き部屋の窓にインフォメーションのコーナーをつくったりと、
合わせてサイン計画もやらせていただきました。

床の仕上げは、いろんな会社のPタイルのサンプルを取り寄せて、微妙な色味や質感も、一緒に確認しながら決めました。

入り口から直接2階へとつながる階段を上がると、
手前の部屋をメインの展示室としての真っ白いギャラリースペースに。
奥の和室は、そのまま残して第二展示室に。押入もそのまま備品などの収納として利用。
和室の脇にある、ギャラリースペースから奥へと続く通路は、
事務作業のスペースも兼ねました。

カーペットの下に眠っていた古いタイルを、コテを使って剥いでいるところ。粉まみれになりながらの作業です。

デザインしていない感じ

現場作業が始まると、まずは解体です。
床のタイルとカーペットを剥がして、壁を2か所抜いてます。
施工は、OTONARI(vol.2参照)と一緒で工務店のPOSさんと共同で行いました。
古い木造家屋のため、壁や床の歪みが激しかったのですが、
作品を展示したときになるべく影響がでないように、水平垂直を合わせる作業が必要でした。

リノベーションの工程の中で、歪みを補正する作業は、根気のいる作業のひとつです。左のオレンジのチューブは、光回線のケーブルを壁の中に通すためのものです。

展示空間を考慮し、壁の電源やエアコンなども、
極力目立たないよう、壁に埋もれるように取り付けています。
こうした新しくつくる壁の納まりや、既存部の色の塗り分けなどには、
デザインされていないように見せるデザインを徹底的に施しています。

山中さん自ら壁にペンキを塗っているところ。一緒にできる作業は、共有することが大事です。ちなみにとても上手でした。

既存の奥の和室や建物正面の独特のすりガラスを展示室としてそのまま残して活用することで、
ただ作品をホワイトキューブの中に展示するだけではない、
まちの雰囲気や地域性に対して、いかに作品を定着させるかということも、
作家に対して問いかけるように設計しています。
これも山中さんの意向ですが、そうすることで作家性や作品のもつ強度を、
明確に感じ取ることができます。

Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「”ただなか” にいること」2013年3月15日~5月5日 撮影:長谷川朋也

Konohana’s Eye #2 加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」2013年9月6日~10月20日 撮影:長谷川朋也

Director’s Eye #1 結城加代子「SLASH / 09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」2013年6月7日〜7月14日 撮影:長谷川朋也

そもそもギャラリーとは、作家による作品の「展示」、
ギャラリストが作品の説明をするなどの「接客」、
お客さんによる作品の「鑑賞」の3つの目的が考えられますが、
山中さんの場合、展覧会の企画や広報などとは別に、
インディペンデントなキュレーター業もされているので、
そのための事務所スペースが必要でした。

事務所スペースのカーテンの製作は、美術家の加賀城健さんによるものです。椅子は、オープン祝いにNO ARCHITECTSとPOSからプレゼントしました。

しかし、誠実な山中さんの性格上、お客さんを一番大事にされているように感じたので、
あえて部屋やブースでは区切らず、通路に机と棚をつくって、
カーテンのみで仕分けてスペースを確保しました。最近ではカーテンも開け放ち、
個人的なスペースにも作品を並べ、より日常的な雰囲気のなかでの作品鑑賞を演出。
作業スペースとしてだけでなく効果的な空間になっているようです。

Gallerist’s Eye #1 岡本啓展「Visible ≡ Invisible」2013年11月8日~12月23日 撮影:長谷川朋也

the three konohana と、ギャラリー名にもまちの名前が入っていますが、
山中さんのまちに対する姿勢や意識の高さは、
「KAMO」というイベントの企画からもうかがい知れます。
KAMOとは、Konohana Arts Meeting for Osaka の略称で、
山中さんと関西アートカレンダーの森崎幸一さんと安川エリナさん、
協力メンバーにデザイナーの後藤哲也さん、
もともと、このはな在住のダンサー大歳芽里さんの5人で運営されています。
月1回、アート関係者やデザイナーなどのゲストを招いてトークするというイベントです。
開催されている場所は、(前回の記事)で紹介した、
まちのインフォメーション兼寄合いのスペース「OTONARI」です。
自分のギャラリー内ではなく、より開かれた場所で行うことで、
このはなに訪れる美術関係の方と、
まちに住む人たちとの交流が生まれる仕掛けをつくっています。

僕らも二回目のKAMOにて、大川さんと一緒に此花アーツファームとしてトークさせていただきました。

下町の風情が残るこのはなに新しくできたthe three konohanaは、
まだ一年も経たないうちに、イベントでの連携や寄合いなどの交流で、
このまちに定着していっています。
それは、the three konohana というスペースの性格を超えた、
山中さんの人柄なのだろうと思います。

ちなみに、2014年9月5日~10月19日の期間、the three konohana にて
NO ARCHITECTSの展覧会をさせていただくことになっています。
このはなのリノベーション物件などを巡るツアーも計画中です。
ぜひ、このはなにお越しの際はthe three konohanaに、お立ち寄りください。

informarion


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the three konohana

住所 大阪府大阪市此花区梅香1-23-23-2F
電話 06-7502-4115
http://thethree.net/

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

高田賢三さんによる 震災復興のプロジェクト。 モチーフは福島・会津の 「起き上がり小法師」

福島県の会津地方に、400年前から伝わっている民芸品「起き上がり小法師」。
転んでもすぐに起き上がる張り子のおもちゃで、
会津民芸品の中では最古の品と言われています。

そんな歴史ある「起き上がり小法師」が、フランスでおしゃれになって、
東日本大震災復興支援に協力しました。
それが「オキアガリコボシ・プロジェクト・フロム・ヨーロッパ」。

俳優のジャン・レノさん、ファッションデザイナーのジャンポール・ゴルチエさんや
コシノヒロコさんらが賛同し、思い思いの起き上がり小法師を作りました。
2013年12月19日にパリ市庁舎で行われたチャリティオークションにて競売されました。

京焼の巨匠である陶芸家、小峠丹山さんの起き上がり小法師

発起人は、ファッションデザイナーの高田賢三さん。
被災地の方々に対して、福島・会津地方の伝統民芸品である
「起き上がり小法師」への絵付けをすることで応援したいというプロジェクトです。
フランスから日本から、たくさんの有名人が賛同しています。
リヨンで始まり、パリに巡回しました。

ジャン・レノさんの起き上がり小法師

シェフのポール・ボキューズさんの起き上がり小法師

ジャンポール・ゴルチエさんの起き上がり小法師

どの起き上がり小法師も趣向が凝らされていて、
協力者の方たちの被災地にたいする
思いやりのこころが伝わってくるようです。
Facebookページにて、たくさんの起き上がり小法師が紹介されています。

オキアガリコボシ・プロジェクト・フロム・ヨーロッパ

大阪が誇る「みんぱく」こと 国立民族学博物館が、 紙袋をポップにリニューアル!

大阪の繁華街から地下鉄で20分ほど。
「太陽の塔」で知られる万博記念公園の敷地内にある
博物館「国立民族学博物館」、通称「みんぱく」。
ここは世界中の民族、社会、文化に関する膨大な資料を有する研究所。
カルチャー好きの中では知られている名所です。

このたび、みんぱくの紙袋と
チケットホルダーがリニューアルしました!
手がけたのは、イラストレーターのBoojilさんと、
アートディレクターの岡本健さん。

みんぱくにある展示物の中からモチーフを選定し、
Boojil氏が描いたたくさんのイラストを岡本さんが
レイアウト。すごくポップで、持ってるだけで楽しいアイテムになりました。
いずれも非売品で、公開講演会などのイベント参加者に配布予定です。

とってもカワイイです。

そもそもみんぱくとは、
1977年の開館以来、全世界から資料を収集し続け、
現在では34万点の標本資料、7万点の映像・音響資料、
65万点の文献図書資料という途方もない知のアーカイブが
収蔵されているのです!訪れるだけで世界一周気分が
味わえる、知的刺激に満ちたスゴイところ。

常設展だけでなく、企画展も意欲的に開催し、
いつ行っても、何回行っても楽しめる博物館になっています。
ぜひ大阪にお寄りの際には立ち寄ってみてはいかがでしょう!

国立民族学博物館

山ノ家 vol.3: 外装工事と雪

山ノ家 vol.3
未知の不安に“挑む”覚悟で

この空き家を利用するための、複雑で長い最初の一歩を乗り越え、
結局11月も後半を迎えるという時期にまで引っ張ってしまった外装工事。
ついに、建物に手を入れるときが来た。
今回の外装工事にあたって、
地元の工務店さんの下請けというかたちで僕らができる限りの作業を行い、
プロでないと、という部分は大工さんが入るということになっていた。

気持ちは少しだけ焦っていた。
12月20日くらいには終わるようにおおよその段取り、工程は工務店さんと決めたものの、
完成できる実感が全くといっていいほど想像できない。いつから、どれくらい雪が降って
どんな風になるのかも読めない。早い時は12月の初旬から降る、という話もあるし、
本格的に降るのは12月後半からだ、という人もいる。
僕らは東京でこなさなければならない予定もあるが、
とにかく現場に行かないとコトが進まないだろう。

離れた地でのリノベーション。しかも、外装工事。
今までに経験のないことで、どうなるのかわからない。
「なんでこんな大変なことを選択したのだろう」
と思ったこともあったが、とにかく今はやるしかない。
妄想をかたちにしていくのは、その後だ。
それにやるべきことがひとつある、それは自分たちで行う作業のための人材の確保だ。
とにかく、体を動かして手伝ってくれる若者(特に男子)が必須だった。
そして、こういうどうなるかわからないような、
しかし面白そうな新しいことを始めるときには必ず声を掛ける相談相手がいた。

スズキアキオくん。
彼はアートの設営を主体に、内装などまで幅広く「bibariki」という屋号で活動をしている。
前出のCET(セントラルイーストトーキョー)などのプロジェクトを一緒にやり遂げたり、
ある種同じ価値観をもてる貴重な協力者だ。
今までの経緯と、これからの展望を彼に話すと、やはり興味を持ってくれ、
一緒に動けそうな人も探せそうだと言う。とても心強い。

彼と何度か打ち合わせをして、今後のスケジュールなどを組み立てていった。
時間が限られているので、とびとびでも行けるタイミングにはなるべくまとめて行き、
作業を進めることが必要。そのために、地元の若井さんにも協力を仰ぎ、
現地に行っているときに寝泊まりできる場所の確保などをお願いした。
僕も、できる限りスケジュールを調整してこの外装工事に挑むつもりでいた。
最初に空けられるのはやはり週末くらい。しかしそれでは終わらないので、
12月は平日も空ける調整をし続けた。
年末に向けて忙しい時期に予定を調整するのは至難の業だった。
アキオくんから声を掛けて反応してくれた人たちが、
12月中旬から1週間くらいなら十日町に入っても大丈夫そうだ、という。
このタイミングで一気に片付けてしまいたい。
寒い外部での作業になるであろうことを考え、
防寒と作業効率の良さそうな上着を入手したりもした。

物件に仮囲いと足場が組まれた。

11月19日、撤去最初の日。手前がアキオくん。シャッターを解体中。

とにかく、覚悟は決まっていた。
ただ、どこまで続ければ終わるものなのかは正直見当がつかなかった。
ちなみに、僕らが行うことになっている、主な作業は以下のような感じ。

・外部仕上げ材の解体撤去
・透湿・防水シート貼り
・縦胴縁(たてどうぶち)取付け
・下見板塗装・取付け
・外壁材取付け
(古民家風意匠としての)付け柱・付け梁取付け

文字にするとこれくらいしか無いのだが、それぞれ必要な作業量が想像以上に多い。
この建物の大きさは、正面が7.5m弱、奥行きが10m、高さが約6m(軒下)、
背面は助成対象外ということもあり、今回は手を付けないのだが、それを除いても
これだけの外壁に手を施すということは冷静に考えると結構なボリュームになる。

少しでも早く終わらせようとかなり気合いを入れて現場に挑んだ。

建物側面のサイディングを撤去。意外といいペース。河村くんと、興味を持って参加してくれたアーティストのカミヤさん。

12月1日、正面の外壁撤去。これはかなり高さがあり怖く感じた。一番上の破風板(屋根の正面を塞ぐ板)は6.5m超えの位置。

12月に入ってからようやく、連泊での作業を開始した。
朝は7時に起床。朝ご飯を食べ、身支度をして、8時過ぎくらいに現場へ。
ラジオ体操をしてから、その日の作業を確認し、それぞれが動き出す。
休憩は10時と3時にきっちりとる。昼食後には少し横になって午後の作業に備える。
作業の集中力と体力をキープするためにはこのリズム感は欠かせない。
そして5時から5時半くらいまでで片付けをしてその日の作業は一旦終わりにする。
宿泊時の食事は自分たちでつくる。さながら合宿(何の?)である。
アキオくんは楽しむつもりで、
レシピ本を持参でかなりちゃんと計画的に食事の段取りも組んでくれた。

ある日の夕食。メインは妻有ポークのショウガ焼き!

はじめが比較的いいペースで進行できたこともあって
このペースでいけば案外早く終わらせることができたりするかもしれない
という気持ちも芽生えてきていたところで、一時的に東京へ戻る。
次の週(12月の中旬)に行く時からは、ヘルプメンバーも来るし、大工さんも入る。
ここで一気にできていく事を期待……。

工事という「日常」と、雪ほりという「日常」を通じて

12月の中旬から、作業を追い上げるべく、いよいよ大工さんが加わる。
僕らのほうも、1週間滞在してくれる応援部隊が入り、現場は一気に人が増えた。

縦胴縁に、下見板を取付ける為の隅出し(基準線をつけること)。ずっと滞在してくれたスタッフ、カキハラくん、ササキくん、モミーくん(愛称しか憶えていない)。

この物件に入った大工さんは3人。僕らと挨拶は交わしてくれるものの、
各自の役割をプロとして遂行することに集中していてなかなか話しかけづらい雰囲気だった。
彼らからしてみれば、訳のわからないシロウト若者たちが
現場に入ってどこまでやれるのだろう、というような心持ちだったと思う。

僕らにしてみても、工務店の現場担当の人と
次に何をするのかを話しながら作業はしているのだが、
今までの経験とはちょっと違う雰囲気に戸惑いながらで、とてもぎこちない。
ミリやセンチではなく尺寸でやり取りされることだったり、
インパクトドライバーでビスを止める、ではなく、げんのうで釘を打つ、ということだったり。

大工さん達の背中が現場の緊張感を語っている。彼らは入り口の建具枠をつくっているところ。

何をやるべきか、どのようにやるべきかが、今までと勝手が違いかなり手探りであった。
現場の雰囲気に気を使うことも増えて、
飛ばし気味でマイペースで行けた最初と少し状況が変わった。

休憩時間に、缶コーヒーを手渡したりしているうちに、
次第に打解けて少しずつ会話ができるようになっていった。
そうして休憩を取るごとに、大工さんたちは僕らが知らないこの地のこと、
昔のことなどををぽつぽつと語ってくれた。
「20〜30年前くらいまでは、この通りは本当に賑わっていた」
「冬は本当に雪が深くて身動きが取れなくなるし、
仕事もできなくなるので関東に出稼ぎにいっていた」
「だんだん人が少なくなっていくので、
外から人に来てほしいからということで鉄道と国道をつくったら、
それによって人はまちから外へ出やすくなったことで逆に人がもっと少なくなっていった」
そんな風に自然と口をついて出てくる言葉がとても深くて、染み入った。

休憩時の写真。奥のふたりが大工さん。向かいの地元の方はストーブを貸してくれたり、お菓子を持ってきてくれたりと、本当にお世話になった。

そのうち、大工さんもいろいろと細かく工事のときに
コツをアドバイスしてくれたりするようになり、作業の連携もとれるようになってきた。
コミュニケーションも取りやすくなったことで、
ようやく全体がいい感じのチームワークで進み始めた。
ちょうどそんな頃だったと思う。
ついに雪が降ってきた。
東京のようにすぐにとける雪ではなく、みるみるうちに積もっていく。

その日から、朝の日課が新しくひとつ増えた。雪ほり、流雪溝への雪流しだ。
エリアごとに時間帯が区切られているので、通り沿い数件が一斉に始める。
これによってえも言われぬ一体感を体験した。
これを日々行うことが、ここでの日常。
こうしてコミュニティはつくられていくのだということを実感した。

雪ほりのこつを教えてもらったり、見かねて手伝ってくれたり。
「大変だろー。いやになるだろ」と声をかけてくれたり。
まだまだ僕らには新鮮だったので、
嫌になるということは無かったが、楽しんでいる余裕もなかった。
若者たちが無邪気に楽しんでいるのはちょっと救われた気分だった。
彼らは最初、1週間の滞在という約束だったがこの調子では到底終わらない。
無理を承知で相談してみると、みんな「まだ続けたいので大丈夫です」と。
涙が出るほど嬉しかった。
「カップルであふれる、キラキラした東京にはむしろ帰りたくない!」
という冗談も飛び出した。
意外に居心地よかったのもあるかも知れないが、
実際のところは、ここまでつくったのに中途半端では帰りたくなかったのだと思う。

それから何日かおきに雪が降ってはやみ、だんだんとまちが白くなっていく。
道路に雪が積もってくるたびに、除雪車も稼働していた。
そのさなかにも作業を続ける。最初の頃は暗くなったら終わり、
という感じだったが日が沈んでも照明をつけながら作業を続けた。
なにより、高所作業のために組んである仮設の足場で行う作業は先に済ませないとならない。
雪が本格的に積もったら重みで大変なことになるのでその前に外さねばならないからだ。

ついに下見板が貼り上がった。この光景は感動的でさえあった。

付け柱や付け梁を取付ける。また高所作業。怖い、その上、部材がものすごく重たい! 上手に仮止めを利用する智慧なども授かりながら。大工さんはこれをひとりでつけたりもしていたのだが。

高い場所での作業に終わりが見えてきたころには、雪はかなり本格的に降り続けてきた。
河村くんに借りていた乗用車にチェーンをつけて、
なんとか食材の買い出しなどをしていたのだが、
夜中降り続けた12月24日の朝、車が完全に埋もれていた。

ある程度雪を掘って救出してから現場作業に入ろうとしたが、これがかなりの重労働。
なんとか終わらせて作業に戻った。
これではまたすぐに身動きが取れなくなると思いお昼の休憩時間に
車をどこかへ避難させようとしたときに、道路の真ん中でチェーンが外れた。
見かねて手伝いにきてくれた近所の方いわく、
「こんな車だとここではもうこの先動けなくなる。
また降り始める前にすぐにまつだいを出たほうがいい。
そうでないとこの冬中車をここに放っておくことになる」と。

現場の終わりはほぼ見えていた。あともう一歩というところだったが、
この言葉を聞いたら、みんなを乗せてこのまま戻らなければどうなるかわからない。
残りの部分をお願いすることを工務店の担当の方に連絡し、皆と車で東京へ戻ることにした。
とてもつらい選択だったが、そうせざるを得なかった。
しばらく過ごせた日常と、地元の人々の温かさのなかに垣間見た、自然の厳しさ。

皆にも事情を話し、急ぎ荷物をまとめてもらって高速へ向かった。
そのときの帰り道の風景の綺麗さに、とても複雑な思いを感じながら、東京へと。

つづく

砂漠で掘り起こされた 古代石ジュエリーに、 藍染の木の器。独創的な 鹿児島職人が東京にやってきた!

できるだけたくさんの人々に
隠れた才能ある人を知ってもらいたい。
あるいは新しい視点を獲得してもらいたい。
そんな想いで東京都港区愛宕に新しくオープンした
“CURATOR’S CUBE”ではいま、
鹿児島で活動をされているジュエリーブランドのsamuloと、
ウッドターナー盛永省治さんの展示会が行われています。

samuloの扱うジュエリー作品は
一つ一つが個性的で、他にあまり見ないような、
かわいらしくも面白いものばかり。
砂漠で掘り起こされた古代の石や銀貨、
19世紀の教会のミサに集まった人々に配られたガラスなど
珍しい素材で作られているそうです。

木工作家の盛永省治さんの今回のテーマは「Blue Work」。
宮崎のAulicoさんという方に藍染めをしてもらった美しいインディゴボウルは
今年1年をかけ試作を重ねてきたという自信の作品です。
それ以外にも約100点、ぬくもりある木工品が並びます。

それぞれの素材を生かしながら、
型にはまらない試みを続けるお二人。
26日までの開催期間中、samuloは12月22日まで、
盛永省治さんは12月16日まで会場にいらっしゃるそうです。
ぜひ鹿児島で活躍されるお二人の作品に触れてみてください!

CURATOR’S CUBE

住所:東京都港区愛宕 1-1-9

Tel:03-6721-5255

Open:12:00 - 19:00 不定休

samulo(サムロ)

2007年、宮本和昌により設立。鹿児島に直営店をオープン。

2012年、ジュエリーブランド「semeno」もスタート。

http://www.samulo.com

盛永省治(モリナガ ショウジ)

木工作家。1976年生まれ。大工、家具職人を経て、独立。
2007年に鹿児島に工房兼ショップ「Crate」を設立する。
現在はオリジナルの木工品や注文家具を製作している。
Playmountain(東京)、dieci(大阪)、tortoise(ロサンゼルス)など国内外で個展多数。
2012年、高岡クラフトコンペティション奨励賞受賞。

http://www.crate-furniture.net

MAD City vol.3: 騒音オフィスを快適な ものづくりスペースに

MAD City vol.3
無茶ぶりこそ、新たな可能性のヒント!

僕らMAD Cityに声をかけてくださるお客さまは、
一般の不動産屋さんにはご相談できない内容を持ってきてくれることが、ほとんどです。
例えば、アーティストの西岳拡貴さんからのご相談もそうでした。

「倉庫か工場に住んでみたいんだけど、
そんなとこあるかな? 家を出たらすぐにアトリエみたいな、アトリエ兼住居がいいんだよね」
西岳さんは普段は高校の先生として美術を教えながら、
アーティストとしても活躍していて、今年の「あいちトリエンナーレ2013」に
招待アーティストとして参加されるほどの実力の持ち主。

あいちトリエンナーレ2013のキッズトリエンナーレでのワークショップの様子。右から2番目の赤いシャツが西岳さんです。

さすがパンチが効いたご相談内容で、こちらもワクワクします。
ただし、残念ながらハードパンチすぎて、すぐには対応できませんでした。

クラフトユニット「cLab」の橋本 翼さんたちからのご相談もなかなかユニークでした。

「友だちと数人で、ものづくりの場をつくろうとしていて、
丸ノコで木を切ったり、金槌で鉄を叩くような作業など、
思いっきり音を出しても怒られない場所を探しているんです!」
橋本さんは、「C−products」というブランドを立ち上げ、
樹脂などを使って釣具のルアーを手作りする作家さんです。
動物のモチーフを中心としたアクセサリーブランド「Animateras」の宮本 厚さんなど、
ものづくりに携わる仲間たち数人で、
ものづくりを追求できるアトリエを探しているところでした。

橋本さんがつくったブラックバス用のバルサ製ハンドメイドルアー。

「できれば改装も自分たちでしたくて。たくさん不動産屋さんを回ったんですけど、
どこの不動産屋さんにも相手にしてもらえなかったんです。
でもMAD Cityさんなら、なんとかなりそうな気がするんです」
と橋本さんたち。ありがとうございます! 改装可能な物件ならあります!
でも音出しがOKな物件は結構厳しく、
結局なかなか良い物件には巡り会えませんでした。

そんな折、とあるオーナーさんから相談を受けました。
「あの〜また困っちゃってる場所があるんですよ〜」

それはオーナーさんが所有する建て壊し寸前だった住宅を、
アーティストのご兄弟に借りてもらう契約をした後のこと。
何年も埋まっていない2階の事務所物件もあるから、
そちらも募集してもらえないかと相談されました。
さて、どんな物件でしょうか。

オーナーさんの事務所物件。

それはそれは不動産屋さん泣かせな物件でした。
線路沿いにあるだけでなく、
1階はビニールの加工工場となっているため、いつでも絶賛騒音中。

(上)窓をあければそこは線路。(下)1階にはビニールを加工する工場があります。

室内もキレイではなく、部屋はふたつなのに出入口はひとつしかないので、
分割して、家賃を安くしようにもできない間取り。

間取り図。西棟には東棟を通過しないと入れない構造。

さらには、なぜか付いているシャワールームが事務所の面積を減らしていました。

隅っこにぽつんと置いてあります。

見ればみるほど事務所として貸せなさそうな条件を揃えている物件。
それなら、事務所以外の方法で貸すしかありません。
そこで改めて物件を見てみると……
あれ、線路沿いってことは、逆に音出し放題だな。
待てよ、ここ倉庫みたいなのにシャワーがあるから住めるな。

あ!!!!

僕は急いで西岳さんに連絡しました!
「住めそうな倉庫が出たよ!!」
(もう二度と発しないであろうセリフです)

そして橋本さんたちにも連絡しました!
「音出し放題の場所があるよ!!」
(怖くて普段は言えないセリフです)

2組とも部屋はすぐ気に入ってくれました。しかしネックは家賃。
もともと両方のスペースを1部屋として募集しているため、
このまま契約するとどちらかが、使わない部分の家賃を支払うことになってしまうのです。
もちろんどちらかが契約をして、2組でシェアハウスにできれば問題は解決しますが、
知らない者同士でシェアハウスをすると、どうしても契約者に支払いリスクが生じてしまう。

そこでオーナーさんに交渉し、それぞれの部屋ごとの契約を了承してもらいました。
そして、入居後にトラブルにならないよう、
初対面の2組にお見合いのように会ってもらう日をつくり、
部屋の出入り、駐車スペースの使用方法、
そしてキッチン部分のシェアのルールを決めて契約しました。
無事特殊な契約条件がまとまり、ここから2組のリノベーションはスタートします。

自分にとって居心地が良い場所にいじっちゃう

東棟を借りた橋本さんたちはまずは床から着手。
歩くとフワフワして、なんとなく抜けそうな恐怖感にかられる床に、
コンパネを敷いて塗装。足場を固めたあとは、壁面を塗装し、道具の棚を設置。
さらには作業机もDIYでつくりました。

元々は事務所スペース。

現在はこんな感じ。雑多な感じが、アトリエ感を醸していて素敵です。

橋本さんは普段はこのように作業しています。

線路沿いという環境も重宝しているそう。
「夜中に音を出す作業をする時は常磐線の通過に合わせています。
夜、音出し作業をする時は、早く常磐線来ないかな〜っていう気持ちになりますね!」
おかげで、これまで音については、近隣の住民から一度も怒られたことはないそうです。

一方の西岳さんのリノベーションはこれまたユニーク。
見た瞬間に「ここしかない!!」と惚れ込んだこのスペースを
理想的にリノベーションするため、まずはスペースの中にテントを張って宿泊し、
イメージをふくらませたそうです。

その結果、このだだっ広い作業スペースの中に

小屋を建てて、その中で生活するようになりました。小屋in倉庫です。

小屋は住みながら、サイズを調整できるように、
全ての柱を1800ミリの垂木に合わせて組み立てたそうです。
ちなみに小屋の上はあがれるようになっており、本人曰く「中2階」なんだそうです。

小屋の中はテレビ、ベッド、テーブルがあって普通に快適です。

小屋の外はアトリエになっています。

それぞれの感性で自分の空間をまるでレゴブロックのように遊びまくっている2組。
シェアすることで、さまざまなメリットもあるそうです。

例えば、橋本さんたちはアトリエを借りてから初めてDIYにチャレンジしたため、
当初は机がグラグラしてしまったりとうまく作れなかったのだそう。
そんなとき「足と足の間に一本、柱をつけると全然違うよ」
との西岳さんのアドバイスで、解決したそうです。

そんな西岳さんは工具を購入するときに
「実はお隣りにあるものは買わないことにしている」と笑います。
壁面の棚も、橋本さんたちの棚からヒントを得てつくったそうで、
自然と助けたり、助けてもらったりという関係が生まれているようです。

自分たちの目的を叶えてくれつつあるこの空間。
次第にこのスペース自体に対する夢が膨らんできたそうです。
それは、「ものづくりに関わるさまざまな人が集まったり、出入りできたりする
場所にしたい」ということ。

スペースの将来について企画中の橋本さん(右)と西岳さん(左)。

「情報、人脈、技術をシェアできて、作家がここにくれば何でもつくれる場所にしたいです。
ものづくりに関わる人の楽園のような場所に」と言う橋本さん。
西岳さんは「僕は、教師としての日々や、あいちトリエンナーレで行った、
子どもたちとのワークショップを通じてアートを伝えていくことに関心が湧きました。
例えば近所の子どもたちと集まってここでワークショップをしたい。
一般の人に来てもらえる場所にできたら」と、今後の希望を話してくれました。

この物件は、事務所としては決して優良物件ではありません。
それが条件や見方を変えただけで、
少なくともこの2組にとっては理想の物件に変化しつつあります。

それは2組が場所に適応しているから。
その様子はまるで地球環境が変化するたびに、
ことごとく進化し生き延びてきた、生物の本能にさえ見えてきます。
動物が巣をつくるように、今いるところを居心地よく変化させていく。
それが本来のリノベーションの姿なのかもしれません。

実は、この取材がきっかけとなり、
来年に向けて2組で、人に訪れてもらえる企画も進行中なのだとか。
ハードはもちろん使い方さえもリノベーションしていこうという、
2組の進化はまだまだ続いていきそうです。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

吹けば飛んじゃう?極小芸術! 黄門さまや干支をコメに描いた 水戸工芸「米粒人形」

小さい小さい米粒をつかった、表現豊かな「米粒人形」。
茨城県常陸太田市の故 高橋都山さんが
昭和20年代に考案したそうです。

米粒人形のヒントとなったのは
TVドラマでおなじみの黄門さまこと、徳川光圀が建てた
久昌寺の僧侶が、「南無妙法蓮華経」と書いた
お米を参拝者に配ったという故事から。
今は2代目の岡崎ゆき子さんがその技を受け継ぎ
わずか5ミリの米粒に、大名行列や十二支などの
愛らしい表情を描き入れています。

台紙に糊付けしているので、吹いても飛びません!

使われるお米もまた茨城県でとれた白米。
作業工程は綺麗な形をした米粒を選ぶところから始まります。
狐の柔らかい毛筆を使いひと粒ひと粒、肉眼で見ながら丁寧に。

岡崎さんはひと粒に10本もの線を入れられるとか。ただ塗りつぶすだけでも集中力使いそうなのに…!

大きい芸術品を目の当たりにすると興奮しますが、
このような極小芸術にもまた日本人の繊細さが伝わり感動を覚えます。
水戸といえば納豆ですが、その納豆の美味しさを引き立てるお米を使った
工芸品もあったんですね!

観光いばらき

ムーミンと佐賀の有田焼がコラボ。 幽玄の世界がうかびあがる 「moomin × amabro SOMETSUKE」

これまで接点がなかったあるものを、
組み合わせてみたら意外にも相性バツグンだった!
そんなうれしいコラボが、佐賀県有田町の有田焼と、
北欧のキャラクター「ムーミン」で生まれました。
ムーミンの世界観を有田焼の染付で表現した絵皿、
「moomin × amabro(ムーミン×アマブロ)
SOMETSUKE」です。

アマブロは、アーティストの
村上周(むらかみ あまね)さんを主体に、
「表現の再構築」というコンセプトのもと、
ものづくりを行っているブランド。

SOMETSUKEにおいては、
有田焼の最も古い伝統技法の
ひとつ「呉須(ごす)」を用い、
手作業でひとつひとつ染め付けしています。
呉須とは、酸化コバルトを主成分とした、
伝統的なコバルトブルーの絵付け。最初期の
有田焼から使われている歴史ある技法です。

ひとり、こっちを見ているこがいますね!

繊細な藍色で描かれたムーミンのキャラクターたちは、
まるで昔から日本画の世界に彼らがいたかのよう。
新しくも懐かしい、幽玄の世界観が魅力的です。
amabro online storeにて発売中です。

MOOMIN×amabro SOMETSUKE

ビルススタジオ vol.03: シェアハウスの始まり。

ビルススタジオ vol.03
始めてから、考える。

ある日、突然森さん(仮名)という方が当社に相談に来ました。
聞けば、現在は宇都宮市の中心商業地の分譲マンションに住んでいるのだが
極力その便利な立地を変えずに独立した自宅を手に入れたい、とのこと。

さて……まず考えられるのは、
 ア)更地を買って、新築。
 イ)中古住宅を買って、リノベーション。
この辺りでしょうか。

ア、イとも、せいぜい2〜3階建ての建物。
そうすると、商業地にはもっと高さのある建物があるので
日当たりは良くないし、庭もないし、プライバシーも確保しにくい。
その割に、総予算が高くつきます。

ということは、周辺に4〜5階建てが多ければ
それ以上の高さ(15m位)に地面を持ち上げて、その上に平屋の家でも建てられれば
立地もよく、日当たりもよく、プライバシーも守れる自宅が手にはいりますよね〜。

……っと、待てよ。ということは、
ビルを買って最上階に住めれば、同じ話じゃん。

というわけで、売りビル探し。しかし、これに関してはさほど苦労しませんでした。
こちらは日常から空きビルを見つけては「あれいーなー、これいーなー」と
指をくわえて見ていた立場だったもので、
およそ主な空きビルは把握できているんです。

元のビル。スナックなどが密集するエリアにそびえ立つ、とりたてて特徴のないビルでした。

その中で、6階建ての元ホテルという物件が。
さっそく森さんと内見しました。
幸い、最上階はもともとオーナーの住居仕様。
眺めもばっちりだし、さらには屋上もあります。
「こりゃあ、いいな」となったのですが、
「下の5フロア、どうすんの?」と、しごく当然のご質問を頂きました。
で、いったん持ち帰り。

元カプセルホテルだったフロア。半解体状態、、。でも、天井が高い!

そうだなぁ……、ビルの現状からすると、
 A)ホテル
 B)マンション(賃貸住宅)
 C)店舗・オフィステナント
と、この辺りが考えられます。
しかしここは地方都市、宇都宮。
ビル上階のテナントはことごとく空いているのがまちの現状です。
ホテルにしても安価できれいな新築のビジネスホテルがそこそこ飽和状態。
ましてやホテルとなると、他社に運営を委ねなければいけない。リスキーだなぁ……。
そうなるとBか。
確かに、商業地への住宅需要はまだなんとかありそう。
でも需要があるということは、新築でいけちゃう巨大投資のできる競争相手がいる。
そんな中、果たしてこちらに入居してもらえるのか。

さらに、普通の賃貸住宅だと、
当然キッチン・バスなどの水廻りを各部屋に設置しなくてはいけない。
それだけでもなかなかの投資が必要となってきます。
とは言え、入居者に受け入れてもらえそうな家賃設定を考えると、
クオリティの低い住環境しか提供できない……。

じゃあ、いっそ水廻りを部屋数分用意せずに、共用にしてみよう。
どうせ法的理由から住戸にできない2階部分は住民みんなで使えるリビングにしよう。
その代わり、各部屋のリビングも広めにとり、共用の家具・設備は
ひとり暮らしではなかなか使えないレベルの品揃えにしてみよう。
あれ……? これって「シェアハウス」だ。

ということで森さんにご提案。
意外にあっさりとOKを頂けてしまいました。
そんなこんなで売買契約が成立しました。

で……、シェアハウスってどうやるんだ?
まずはそこからのスタートです。

事業として行っているシェアハウスは
すでに政令指定都市などの大都市圏にたくさんあり、
事例にはことかかない状況でしたが、そこはプライベートな生活の場所。
のきなみ見学は断られ、ほとんどの事例研究は
ネットや本のみ、というありさまでした。
数少ない見学できたシェアハウスも何十人という大規模なものであり、
入居者さんたちは都内への通勤の便の良さが最大唯一の決定理由、とのこと。

こりゃあ、いち地方都市でしかない宇都宮市で
シェアハウスを運営するのは大きなチャレンジとなりそうだと
ようやく実感しはじめました。

シェアハウスのメリットとは?

まずは、「利便性の良い場所ながら割安で住まいを借りられる」ということ。
テレビや雑誌で言われる「他の入居者たちとのつながり」については他の入居者次第。
実はそこが入居決定動機ではない、と都内の運営者が念を押していたのでした。

さて、「利便性」か……。
通常は「駅からの距離」なのですが、ここは宇都宮市。
電車で通勤通学する人はあまりいません。
気付けばまる1年電車に乗っていないなんて、ざらです。
もちろん住まいを探すのに駅からの距離なんて気にしません。
気にするとすれば「職場からの距離」(通常の場合、宇都宮では車通勤がベース)。
ちなみに、物件には駐車場はとれていません。

しかし当然ですが、ここも近隣に職場のある人にとっては利便性がいいと言えそうです。
(商業地とはいえ、そんなに勤め先は多くないですが)
あれ、そうか、ここは商業地だ。
仕事帰り(いったん帰ってからでも!)に休日に近所で遊べる。
これって利便性だよね? たぶん。うん、たぶん。

うーーーーん、、、
わからない。もうわからないから募集かけちゃおう。
ここでシェアハウス。何がいいのか、
そしてどういう状況をつくればいいのか。
実際に入居する人を集めて、一緒に考えよう。
と、まだ工事は始まってもいない状況でしたが、
ひとまず募集をかけてみました。

すると1か月ほどの間に連絡がちらほら。
なんと5名もの奇特な方々が見もせずに(!)入居を決めてくれました。

理由はさまざま。
テル氏は近所に職場がある、営業マン。
出身は愛媛ですが宇都宮生活はもう長く、
何よりもシェアハウスのある釜川エリアを呑み庭としている方。
職場も遊び場も近い、まさにうってつけの方でした。

メーカさんは、オーナーの森さんと親交の深い会社(これも近所)の
ショップスタッフとして入社することが決まっていて、
初めてのひとり暮らし場所を探しているところでした。

シン氏も職場が近く、決めてくれた方。
実家から通っていたものの、
車で毎日40分かかる通勤に辟易していたところでした。
かつてはバックパッカーとして各国をさまよっていたらしく、
旅先のドミトリー生活で共同生活は慣れていました。

サト氏は宇都宮大学院を卒業し、
自転車で通える距離にある職場に就職が決まっていました。
実家から通うには遠く、
なかなか帰れない仕事状況になることも目に見えていたため、
入居を決めてくれました。

ウミさんは少々事情が違いまして、、、
端的に言えばうちのスタッフです。
そして当シェアハウス物件の担当者でもあります。
決して、なし崩し的に入居させられたわけではなく、
海外でも日本でもシェアハウスでの生活経験があったんです。
特に、今回は建物ができたら完成ではなくて、
人が生活し始めてからが本当のスタート。
ならば実際に生活しながら関わっていく必要があるだろうし、
そうしないと中でどんなことが巻き起こっているのかが
あまりわからないまま、というのも非常に悔しいわけです。
ね、それじゃ悔しいよね?
で、入居となりました。
いや、決して会社命令ではありません。

背景、出身や属性は多種多様でしたが、
ここで「FIRST 5」が出揃いました。
実は入居希望時にそれぞれの方々には
「シェアハウスを始めるといっても、オーナーも当社も未経験なんです。
何を用意すればいいのか、入居者さんが何を望んでいるかも、さっぱりわかりません。
だから5人くらい揃ったら、みんなで決めましょうね。いや、決めてくださいね」
という、何とも不安なリクエストをしていました。
(ホント、よく決めてくれたなぁ、、、といつも思います)

はじめてのミーティングの様子。まだ緊張感がみてとれます。

で、当事者の「FIRST 5」とオーナー、当社スタッフなど交えて、
初めてミーティングが開かれました。
各入居者さん同士はもちろん、オーナーさんも初対面です。
なんかドキドキです。
ここにいる方々がこれから同じ建物で一緒に生活することになるのか。
うまくやっていってくれそうかな、
生理的に苦手な人がいたりしないかな、
そもそも会話は成り立つのかな、
目を見て話ができているかな、
主語述語はしっかりしているかな、
……といらん心配が膨らんでいましたが
そんな心配をよそに、なかなか和やかな時間が流れていました。

まずは(今さらですが……)どんな建物になるかの説明。
それから、シェアハウス経験者による良かれ悪しかれの体験談。
で、ここからが投げっぱなし。
何が欲しいか、どんなルールが必要か、壁の色はどうしたいか、
不安な点(だらけだろうけど)は、無いか。
好き勝手に出し合ってもらいつつ、
話し合いもそこそこにして皆でお肉を食べに行きました。

以下、出た意見の例です。
・たこ焼き機が欲しい
・テレビは100インチがいい
・カーシェアしたい
・プロジェクターで映画が見たい
・バルセロナチェアーが欲しい
・料理人の住人がいてほしい
・外国人の住人がいてほしい
・みんなで過ごさなくてはいけないのか
・部屋に鍵はあるのか
・フロは誰が洗うのか

何度目かのミーティング。白熱と小ボケの渦。

こんな風に話し合いを何度か進めていきながら、
徐々に入居者さん同士も打ち解けていき、
ボケ・ツッコミやまとめ役、マスコット的存在などなどのポジションがはっきりしてきました。
結局、要望やルールづくりについてはざっくりと、
差し障りの無い程度に抑えることになりました。
そうできたのも、何度も会っているなかで打ち解けながらもしっかり話は進み、
以降もみなさんが、都度大人として話し合いながら
決めていけそうだな、と確信を持てたからです。
これから決まってゆく入居者さんについても、
この方たちと自然と対話できる人柄かどうかを気にしながら
当社にて判断をしていけばいいんだなと、ひとつ基準が見えました。

余談ですが、ある人がシェアハウスに向いているか、
向いていないかという、見分け方を教えてくれていました。
それは「兄弟が、特に異性の兄弟がいるかどうか」。
この点についても入居者さんにはまあまあばらつきがあります。
真偽については現在検証中です。

このシェアハウス、実は2013年9月に無事オープンしまして、現在14名が生活しています。
付かず離れずの生活を目指したものの、現実はどうか。
地方版シェアハウスではどんな日常と非日常が繰り広げられるのか。
果たして運営上の問題は本当に話し合いで解決されてゆくのか。
彼女を連れ込む時はお互いどう対応しているのか。
見られたくない食事をするときはどうしているのか。
……などなどを次回はお伝えできると思います。

ビルからの眺め。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

NO ARCHITECTS vol.2: このまちにとって必要な場所

NO ARCHITECTS vol.2
観光案内所のような

NO ARCHITECTSでは、
昭和の風情が色濃く残る大阪市此花区梅香の物件の設計にいくつか関わっています。
その中のひとつ、今やコミュニティの中心的な場所「OTONARI(おとなり)」を紹介します。
ここは、『まちのインフォメーションと寄り合いのスペース(HPより抜粋)』。
オーナーは、おうち料理研究家の溝辺直人さんと、詩人で写真家の辺口芳典さんで、
ふたりはもともと2009年より此花区梅香にて黒目画廊という、
住居兼ギャラリースペースを運営されていました。

僕たちが、初めてお話を頂いたのは2011年の11月頃。
黒目画廊とは別に、まちのインフォメーションスペースと寄合所をつくりたいとのこと。
「年齢や職種を越えて交流を持つというのが、すごく面白いことだなと感じていて、
それを可能にする方法として案内所ってアイデアが出てきたんです。
内側と外側、ベテランとニューカマーをつなぐ存在があれば、
少しずつ広々としたコニュニケーションが得られるはずだって。
ローカルにもグローバルにも目を向けて、
それぞれの身の丈に合った発見と発信を続けている場所っていうのが、
僕らの考える案内所です」(辺口さん)

その考えを自分たちで実行し、
維持していこうという志の高さに、深く感銘を受けました。
最寄りの西九条駅前を見渡してみても、
道路の両脇に2軒とも同じコンビニがあったりします。
まちに住む人からすると、おそらく求められていないもの。
各々の個人的な理由でまちがつくられていってしまう現状に、あきあきしていました。

西九条駅から歩いてきて橋を渡ると、大きな窓から店内の光が溢れているのが、目にとまります。

場所は、梅香エリアの北東のはじっこで、まちの入口です。
建物自体は、木造2階建てのバラック。
同じ建物のなかの1階と2階の隣の部屋は、
以前から梅香堂というギャラリーが入っています。

外装は、銀色に塗りこまれたトタンの波板に包まれています。OTONARIは、大通りに面した2階の部屋です。

梅香堂のお隣さんということで、OTONARI(おとなり)と名付けたそうです。
もともとは紙屋さんの倉庫として使われていた建物で、住居に改装され、
元の住人が引っ越し、長い間、空き物件になってしまって、朽ち果てた状態でした。

窓の納まり、カウンターの高さ関係、板の貼り分けと塗装のイメージ、カウンタースツールなどのスケッチ。

みんなでつくるということ

図面やスケッチで、カウンターの配置、建具のデザインなどの検討をし、
大体のプランニングの方向性が決まったら、最初は解体作業です。
NO ARCHITECTSと事務所をシェアしている工務店の大川 輝さんを中心に、
溝辺さん辺口さんと共に、
ホコリをかぶりながら床を剥いだり壁を抜いたりと進めていきました。
リノベーションは解体がとても大事で、
発掘作業のように残す部分と壊す部分を、その場で判断しながらの作業になります。

解体作業の様子です。解体してみないと解らないことも多いです。

解体が終わってトイレを除いて、ワンルーム状態に。
念入りに掃除をした後、床や壁を貼っていきます。
劣化がひどかった道路側の壁も、コの字型に壁を立てて、補強しています。

床は、構造補強のため、既存の床の上に根太(ねだ)を組んで断熱材をはめ込み、その上に厚めの構造用合板を貼っています。

天井も低く、こぢんまりとした部屋だったので、部屋を広くみせるためと、
窓はできるだけせり出させて、出窓のようにしています。
立食イベントの時など、窓辺がカウンターテーブルにもなるようにと考えました。
さらに言えば、外から見たときに入って来やすいように、
内部はちゃんとリノベーションしていますよ! とアピールするための出っ張りでもあります。

材料のひとつひとつは溝辺さんが楽器を売ったお金で買っています。無駄な装飾や設えは省いて最低限の施しが基本です。

もともと浴室だったところからお風呂の桶だけを取りはずし、
床の防水と排水だけは、洗い場として再利用。
シンクや壁の防水材などは、知り合いの不動産屋さんにご提供いただきました。
使っていないからと、元惣菜屋の空き物件から
ステンレス板を剥ぎ取らせてもらったりもしました。
そして、吊り戸棚、換気扇なども提供してもらい、取り付けていきました。
換気扇のフードは溝辺さんの手作りで、
展開図を描いてトタンの平板を切って作っています。

オープニングの様子です。日野浩志郎さん率いる「彼方」のライブ。

まちに入り込む

年末年始を挟んだ極寒の中での作業ではありましたが、
大川さんの頑張りもあって、
2012年1月7日のオープンの日にはどうにか間に合い、営業がスタートしました。
オープンしてからは、定期的にライブやトーク、
持ち込みイベントなどで、週末ごとに賑わいをみせています。
最近では、辺口さんによる「Wonder Town ツアー」があったり、
近所に住む常連のお父さんによる懐メロDJタイムがあったりと、
日々進化し、まちに定着していっています。

此花区内にある福祉作業所と一緒に作っている広報誌『此花◯◯通信vol.3』にて辺口さんの「Wonder Town ツアー」を特集したページです。 

「OTONARIをやってみてもうすぐ2年が経つけど、
実際、年齢や職種を越えて(人種も越えたりして)、
想像していた以上の交流が日々生まれている実感があります」という辺口さん。

最近お子さんが生まれたという溝辺さんも、世代を越える交流について、こう話します。
「案内所では、この地域で家族を持ち、生活してきた年上の先輩方の話を聞くことができます。
下町ならではの人情や、人生の厳しさを経験している人々の考えからは学ぶことは多い。
案内所での体験をとおして、まちと人との関係が見えてくるこの地域で
子どもを育てたいなと思う気持ちが強くなってきたことが、
この2年間で大きな自分自身の変化です。今後は案内所が、まちでの暮らしを
考えるきっかけになるメディアとして成長していければと考えています」

「今後も交流の軸になれるように、詩の創作や暮らしを楽しみながら、
身の丈に合った発見と発信を続けていきたいと思っています」
と辺口さんも今後の展望を教えてくれました。

これからのOTONARIの展開に、ますます期待が高まります。

このはなに生まれつつある新しいコミュニティの中の内輪な関係を
深めたり広げていくだけではなく、
まちに開放し共有できるスペースをつくることで、
もともとの地域に根付いたコミュニティに接続でき、
より豊かな人間関係を築いていけるということを、OTONARIを通して学びました。

このはなに来られる際は、まずはOTONARIにお立ち寄りください。
イケメンのお兄さんふたりと、気さくな常連さんが、やさしく出迎えてくれて、
今のこのはなを案内してくれますよ。

小田島等さんの大きな絵があったり、辺口さんの写真が貼られていたり、地元の家具作家の宮下昌久さんのテーブルや椅子が並べられたり、見どころいっぱいです。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

information


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OTONARI

住所 大阪府大阪市此花区梅香1−15−18 2階
https://www.facebook.com/otonari.konohana

山ノ家 vol.2: 僕らはメッセージボトルを 受け取り、そして…

山ノ家 vol.2
空き家をめぐるストーリー

まつだい(新潟県十日町市)にまでやってきた。妄想も広げた。
物件も見た。軽いショックも受けた。
しかし、そもそも僕たちは一体どういう関わり方になるのだろう?
この地にコミットしつつ、
あらたな拠点を得て活動を展開するということに対する可能性を感じながらも、
改めて考えると不思議な話で、いろいろと確認したいことだらけだ。

物件1Fは土間になっており、奥は一般的な小上がり床になっている。もとはどういう用途だったのだろう?

物件1F、入り口側。上のほうを見るとガラス窓になっている。元は店舗だったようにもうかがえる。

2Fに上がってみた。写真ではそんなに散らかっていないように見えるが、実際は結構ものが散乱している。

まずは、この時点での登場人物を整理したほうが良いだろう。
この話を僕らに持ってきてくれた知人は、河村和紀さん。
彼は映像制作を基点にしながらソーシャルな活動にも多く参画していて、
そのうちのひとつでもある恵比寿での活動がきっかけで共に知りあった。
もうひとり、佐野哲史さん。
もともとは、地元で古民家再生事業を手がけていた彼のもとに、
地元の方から相談があって、河村くんもそこに加わっていき、
その後、空間をどうつくるかで話が僕のところに来たというわけだ。
そして、その地元の方というのが、若井明夫さん。
穏やかな面持ちの中に、確固たる熱い大志をもち、
このまちを面白くしていくために日々奔走している。

若井さんは、測量技師で有機農家。
貸し民家を営み、ドブロクや味噌も生産している。
その上、越後妻有の「大地の芸術祭」の一部施設の運営をするNPOの理事でもあり……
など、知り合っていくうちに、次から次へといろいろな肩書きが出てきた。
書き出すとキリが無いくらいパワフルに活動をしている、
地元の地域活性のキーパーソン。

この人が「空き家を好きに……」という話の発起人である。

若井明夫さん。彼がこのストーリーのカギをもつ人物。

なぜ、若井さんが地域外の人にこの空き家の相談を持ちかけたのか?
という経緯にもひとしきり、ストーリーがあったようだ。
そのきっかけ、「まちなみ助成事業」について話しておく必要があるだろう。
この十日町の地に20年来住み、
ほくほく通りに事務所を構えるカール・ベンクスさんという方がいる。
日本の古い木造建築の美しさに魅了され、
この地に移り住んだというほど、古民家を愛する建築家。
彼はこのほくほく通りを古民家の外装が並ぶ通りにしたら
観光地として人が訪れるのではないかと考え、
想像図としてのスケッチを描き、十日町市長にみせたところ、
「ぜひそれを実現しましょう」ということになったようだ。

カール・ベンクスさんによる「ほくほく通り」のまち並みを古民家風ファサードに変えていくという提案スケッチ。上は現在の状態。

そうして市の助成制度ができた。
古民家風外装にするということが前提条件のようだが、
そのための工事費の7割を補助するというのはなかなかすごい。
ただ、地元の人々にはピンと来なかったのか、あまり情報が伝わらなかったのか、
残りの3割を負担してまでも「それをやろう」と手を上げる人が最初はいなかったようだ。

若井さんは「このまちが変わるせっかくのきっかけになるかもしれないのに、
このまま誰もやらずにこの助成制度が流れてしまってはもったいない」と考え、
この通りで数年来空き家となってしまっている家に目をつけ、その家主に談判しながら、
「例えば東京などから誰かが来て、ここを使って何かやってくれたらいいなあ」
と考えたようだ。

彼はピンとくる人に会うたびにこの想いを相談していて、
それを僕らが佐野さん、河村くんつてに聞いたというわけだ。
なんだか、メッセージの入ったボトルを海に放った人がいて、
それを受け取ったような心持ちになっていた。

状況を聞き、僕らのなかで、この空き家を使えるための条件をざっくりと整理してみた。

・ 助成制度を利用する前提だから、そのための布石として、外装を変えることが必須。
→それはそれで、かえって面白くできるかもしれない。
・ そして、空き家なので中身はどう使っても良い。
→なるほど。制度を活用するにしても、そこでかかる負担を軽減する工夫が必要そうだ。
・ いまから8か月後(次の年の3月)に完成していることが条件。しかし豪雪地帯なので結局は雪が降る前に終わっていないと間に合わない。
→いまは7月(となるとあと4〜5か月くらい?)、
まあ、さすがにそれにはなんとか間に合うだろう……でも急がねば。
・条件とは関係ないが、どうやら世田谷区から十日町まで、無料のバスが走っているらしい。
→これはすごいポテンシャル!

比較的、楽観的に考えていたとは思う。

進みながら考える

しかし、現実はかなりの決断を要するものだった。
どうやら若井さんの話を要約すると、
助成事業で行う外装というきっかけがあるだけで、
他には特に何も後ろ盾があるわけではなく、彼の想いがあるのみ。
地元で尽力できる限りの協力はするが、特に資金があるわけではない。
結局は、それでも僕らにここで事業の主体者になってもらいたいということだった。
うすうす想像してはいたが、やはりそうなのか……。
デザインや企画のアドバイスのような「仕事」ではなかった……。

そして、外装に関してもカール・ベンクスさんが監修するということで、
こちらがデザインをすることは制度の条件上、原則できない。
やはり、古民家風なのか……。
ここで、僕らが外装まで好きにしたいなどと言い出したらきりがないし、
そもそもこの土地にいきなりよそものがくるわけだから、
そこは「郷に入れば、郷に従え」というところで、よしとするべきだろう。
(文脈的には納得できるけど……、色味くらいは相談させてもらいたい)

そのかわり、中に関しては一切だれも関与しないので、好きに使ってほしいという。
家賃も相当安くいけそう。そこだけは唯一の救い。
しかしそのための資金もなんとかしなければならないだろう。

唯一主体的にしかけられる動きとして、
この案件を囲むメンバー全員で組織をつくろうという話になった。
そして、若井さんにもその仲間として協力していただこうと僕らは考えていた。
「私が仲間に入ってしまってもいいの? 私でいいのであれば」
と遠慮気味だが、快諾してくれた。
いやいや、むしろ若井さんがいなかったら僕らにはなにもできない。

工事に関しては、若井さんが紹介できる工務店があるという。
「そこの会長は俺の幼なじみだから、多少相談に乗ってもらえると思うよ」
それをふまえ、古民家再生で実績のある、佐野さんが「僕に考えがある」と。
助成金対象外となる、外装工事費3割の負担についてだ。

「一部セルフビルドとして僕らが行える工事を、
工務店さんの下請けというかたちで請け負う」という。
すごいアイデア。でも、無理なく始めるにはそれしかない。

というような感じで、話を前に進めるためのおおよそ具体的な条件、状況が見えてきた。
実は、事情が複雑で、案外自由ではない条件があることがわかっても
「無理だ」とか「やめよう」という気にはなれず。
とはいえ、「決断」というには中途半端のまま、ことを進めていったのであった。

車で来たときに見えた景色。霧が立ちこめる神憑った風景を何度も見た。

常に「最悪どうしても折合いがつかないことがあったら、降りることも考えよう」
という札も同時に持ちながらも、
決断の先に広がるであろう大きな可能性の何か、に関しては感じていた。
そしてとにかく、
今までに踏み入れたことの無い領域に入ろうとしていることは明らかだった。
その後も、このプロジェクトを進めるべく何度かミーティングを重ねた。

ほくほく線から見える景色がとても雄大。このアングルは機会あるごとについ撮ってしまう場所。

そうして2か月くらい経った頃、「山の家」という仮のプロジェクト名ができた。
雪の降る時期を避けて、季節限定で活動する場所、
いわゆる「海の家」の「山版」というのが最初の思いつきだった。
仮でも名前が決まると、何やら実態ができたような感じになってきた。
しかし、まだまだ工事着手実現までの道のりは遠く、かなり紆余曲折あった。

この空き物件の持ち主の大家さんに会って契約を取りつけたり。
この物件の「借り主」として、地元商工会にプレゼンをしたり。
地元工務店さんとの見積もり検証、確認、
そしてなにより、下請け的なかたちで入らせてもらうことを交渉したり。
カール・ベンクスさんに会って、お互いの仕様に対する考えをつき合わせていったり。

カール・ベンクスさんによるこの物件のファサードスケッチ。実際は木材や壁の色をコントラストのある白黒にしたりして、少しニュートラルな方向にさせてもらった。主な部材寸法や、製材前の粗い木を使うことなども確認しあった。

すべては、地元の「ルール」の中での手探り。
とは言え、決まっていないことばかりで、結局は会いに行って話し合うしかない。
そうして結局、何度現地に足を運んだだろうか。
ときには車で、ときには新幹線で、数時間の打ち合わせのためだけに日帰りで。
その行きすがらの風景を繰り返し見るたびに、
季節の移り変わりや、空の広さ、雲の変化の多さ、気持ちのよい空気などが、
じわじわと心にしみ込み、何とも清々しい気持ちになる。

さまざまな心の迷いや、不安などが小さく感じられ、
この風景を見続けていくことが何か大きなものにつながるような気がしてくるのだった。
決断しなければならないと思っていたことが、そうではない別の思考に変わっていく。
それは「進みながら考える」ということ。

そのこと自体が、最も大切なものなのではないか?
そう思いながら、ひとつひとつ、
ややこしい手続きとしての「道のり」をクリアしていった。

これは最近の写真だが、最も気に入っている視点のひとつ。山ノ家の目の前の坂を下るときに広がる、山とまちが一体となった風景。

そして何度か東京とまつだいの往復をしているうちに、夏が終わり秋が過ぎ、
制度の申請や工事の内容決定、契約、段取りなどを済ませて着工となり、
足場がかかり、ようやく解体工事が始められたときは、
気づけばもう11月も終わろうという時期になっていた。

「やばい、このままでは雪が降る季節にさしかかる……」
その前に外装工事を終わらせられるのだろうか?

つづく

日本をぎゅっと詰め込んだ イラストが1000点! 八重樫王明さんの本 「ニッポン素材集」

コロカルのマスコット、だるま忍者コロカルくんや
「おでかけ」シリーズのペナントを手がけるイラストレーター、
オキミさんこと八重樫王明(やえがし きみあき)さんが、
書籍「NIPPON CLIPART ニッポン素材集」を発売されました!

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定価:2,499円(本体2,380円+税)DVD-ROM1枚 著者:八重樫王明

NIPPON CLIPART ニッポン素材集(BNN新社)

MAD City vol.2: 笠井くんと「やっちまえアトリエ」

MAD City vol.2
リノベーションが、教えてくれたこと。

まちづくり屋さん兼不動産屋さんをやっていると、
それはそれはいろいろな電話がかかってきます。彼からの電話もそう。

「あの、そちらで、『やっちまえアトリエ』という、物件を、お借りしている」

妙に文節の途切れた口調には読点があまり似合いません。

「ta-reという、集団の、笠井という者なんですが」

笠井 嶺くんからの電話はいつもなんだか困った声をしています。

ta-re(タレ)というのは笠井君がメンバーに加わっているものづくり集団のこと。
それぞれいろいろなものづくりの仕事をしています。
代表の竹内寿一さん(以下とっくん)は個人としてのデザインの仕事をはじめ、
「渋さ知らズオーケストラ」での舞台美術を担当していたりします。
とっくんは人脈が広いのでいろいろな仕事を頼まれるそう。
最近では代官山蔦谷書店の「丸若屋×モリワキ展」の什器制作なども担当したそうです。

「ta-reの、代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼から家賃をお渡しに行けと言われております」

いい電話です。ぜひ来てください。家賃ほしいです。という感じです。
別の日の電話はこうでした。

「改装でご相談があるのですが、ちょっと伺ってもいいですか……」

これはちょっと大変そう。
MAD City 不動産は改装可能物件をたくさん扱っている不動産屋さんですが、
改装自体は、スタッフですら
自分の家で試行錯誤を繰り返しているような段階です(vol.1参照)。
わたしたちでご相談に乗れるのかしら……と思いながら、
その日はとりあえずお話を聞くことにして、事務所に来ていただきました。

あまり困っていない顔のときの笠井くんです。

「柱がないんです」

登場した笠井くんのひと言はたいそう衝撃的でした。

「ta-reの代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼に言ったら、おまえが考えろと言われてしまいまして」
毎回とっくんの紹介をわざわざしてくれる笠井くんは面白いのですが、
お話の内容は面白いどころではありません。
柱がないってどういうことなんでしょう。

調べてみたところ、床下で柱が腐食してしまっていたことがわかりました。これは修繕だねと言ってオーナーさんに連絡しました。

そう、「やっちまえアトリエ」という、
ちょっとそれ適当なんじゃないですか……という名前の物件は
物件自体もけっこうものすごく、わたしたちスタッフ間でも
「これはリアル廃墟だ!」と言い合ったようなふるーいアパートなんです。

これが入居者募集当時の写真です。なんていうかボロボロ。そのかわりいくらでも改装していいよという条件でした。

ta-reがやっちまえアトリエを借りてくれてから早いものでもう1年以上経ちました。
廃墟からのアトリエ兼事務所へ。
旗振り役は代表とっくんですが、
改装経験も全くないのにハードな仕事を頑張ったのがメンバーの笠井くんです。

改装当時の笠井くん。防塵マスクで最強装備です。

今回この記事を書くために久しぶりにやっちまえアトリエを訪れました。
久しぶりに会った笠井くんは以前よりも滑らかに喋るようになっていました。

「ta-reのアトリエを探そうという話になって、
とっくんから格安で借りられるアトリエ物件を見つけたって言われたんです。
嫌な予感しかしなくて。実際来てみて、うわーほんとにこれ来ちゃったか、って思いました」

謎の染みがついた畳。畳を剥がして根太を張り直し、フローリングを上から貼っていきました。

「でも当時はなんだかハイだったので、イエーイやっちゃえ!
ってどんどん壊してどんどんやっていったんです。
とっくんからはそこまで壊さなくてもよくない?とか言われたんですけど」

どんどん壊した結果がこちら。もう廃墟には見えません。

「自分で作品をつくりたいっていう欲望みたいなものは無いんです。
仕事はなんでもいい。けどやっていて意義を感じられないことはしたくないですね。
この夏にはいきなり原型制作の仕事を頼まれて」

上記でご紹介した「丸若屋」さん。今年の夏、ta-reは新商品の開発のお仕事をしたそうです。「firefirefire」というろうそくのシリーズで、笠井君は日本の焼き物のかたちを型にとる作業を担当しました。

ta-reでやることには意味を感じられると笠井くんは言います。
「製品を大量生産するための型をつくる作業なんですけど、
そんなのやったことないんですよ。
でもとっくんに『え?できるでしょ?美大出てるならやれるでしょ?』って挑発されて。
ムッカー、と思ってやりました。夏の暑い中に。ここクーラーないのに、
1か月間ひとりで黙々とシリコン流しては固まるのを待って、ダメ出し食らってはまた流して、
そのうち型に傷がつくので傷を補修してはまた失敗して」

つらくなかった?

「ta-reはリハビリ施設なんです。心のリハビリ施設。
あとなぜ辞めないかっていうと、僕自身には主体性がないからじゃないですかね」

リハビリ! 仕事とかじゃないんだ。ずいぶん客観的に自分を見ていますね。

「就職できてないまま美大出て、自分は何がしたいのかとか、
何ができるのかとか、わからなくなりまして。
『家にいてもやることないから』くらいの理由でとっくんに呼ばれてta-reに入って。
そんな時期にひたすら手を動かす作業ができたことで気分が少し楽になりましたね。
やることがあるって大事で、やっていること自体はなんだかよくわからないんだけど。
いいリハビリでした。この夏もシリコンが固まるのを待ってるときってヒマじゃないですか、
そういうちょっとした時間に本を読んだりニュースを見たりして、
政治とか経済とか歴史とか思想とか、
今まで無視してきた世の中の成り立ちをなんとなく眺めて、
これから世の中どうなっていくんだろうということを考えていましたね。
『これからは第一次産業アツいな』とか。
住むところだってこれからどんどん変わるんでしょうね。
家を新築で建てることが少なくなって、リノベーションする人たちも増えるだろうし」

笠井くんみたいにね。笠井君自身はこれからどうするつもりですか?

「決まっていません。自分では何も決めないことを決めたんです。
ただ流されるだけにしようと。
いろいろ自分で決められてどんどん道を進める人もいるけど、
僕はそうじゃないってわかったんで。
あ、これ合わないな、だめだなって思ったら離れる、
意味を感じられたら留まるっていう風にしたい。
それに気づくのに時間がかかりました」

主体性がないっていうことが笠井くんの個性になったんだね。
ta-reでやっていたことが実になったのかな。

「リハビリの効果が出たってことじゃないですかね。
将来実になるかっていうと、
同じような仕事をしないかぎり役に立たないことのほうが多いとは思います。
でも、最近気づいたんですが僕は肉体労働が好きなんです。
これは声高に言いたい。僕は肉体労働が大好きなんです」

声高に。体を動かすことによって心身が整理されることってあるよね。

「もともと掃除が大好きなんです。
リノベーションも、基本的にはとっくんが出すプラン通りに作業するだけなんです。
だけどあまりにもボロボロなので、これだけボロボロのものを
どこまで使えるようにするのかって試されている感じがして、燃えましたね」

久しぶりに会った笠井くん、ほんとに楽しそうでした。
ta-reでものづくりの仕事をして、
アトリエをつくるところから自分たちでやって、
なんというか世界観みたいなものがちょっと変わったんじゃないかな、
と傍目には感じられました。

実にならないんじゃないか、と言っているta-reでの経験だって、
きっと得るところはあったはず。
たとえば解体の仕方にしても、床の張り方にしても、
やったことがなければどうやって始めればいいのか、
どういう工具が必要なのかまったくわかりません。
でも一回体験してみれば同じことを次に自分ひとりでやることができます。
それにどういう仕組みで建物がつくられているのかがわかってくるから、
やったことのない作業でもだいたいの見当がつくようになったり。

「最初はほんとにやったことがなかったからなにもわからなかったんです。
でも構造がわかれば自分でつくったりもできるようになりました」

基本を知るって重要だよね。どこを支点にして考えるかにも繋がるし。

「ta-reにいることでいろいろ価値観がひっくり返りましたね。
とっくんと最初はぜんぜん話が合わなくて。
言ってることがわからないんですよ。
わからないけどわからないなりに家に帰ってから考えるんです、
もしかしてこの男は自分の知らないことを知っているんじゃないだろうかって」

陳腐な言い方だけど、そうやって自分の世界をもう一度見つけた笠井くん。
これからどんな生き方をしても、ごちゃごちゃの中から
自分の世界を再生するっていうことをし続けることができるんじゃないかなと思います。

リノベーションするってそういうこと、
ただ単に古い建物をつくり替えてキレイな空間をつくりたいわけじゃない。
自分の手足の届く範囲の心地よさをつくり出したいなって思うときに、
いまあるものを壊して0からやるのじゃなくて、
いまあるものとゆるく共存しながらやっていくということなんだと思います。
笠井くんはもともとそんなことを思ってもいなかったのに、
やりながら気づいちゃった。
自分は流されればいい、
無理に自分で決めようと頑張らなければきちんと落ちつくべき場所に落ちつくはず。
これってけっこうすごいことだと思います。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

金沢21世紀美術館「島袋道浩:能登」

能登で出会った人、見つけたもの。

金沢21世紀美術館で開催中の「島袋道浩:能登」。
若者たちがアーティストとの共同制作を通じ、
社会参加や文化活動をしていくことを目的に同美術館が行っている
「金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム」の第7弾で、
今年4月27日から来年3月2日までの約1年間の長期プログラム。
18歳から39歳までの男女を募集し、今回は25名がメンバーとして参加。
島袋(しまぶく)道浩さんとメンバーたちのこれまでの活動を集約した後期展示が、
9月28日から行われている。

島袋さんは、世界中を旅しながら、そこで出会った人やものをきっかけにして
作品を制作してきたアーティスト。
その島袋さんが今回のプログラムを主導するにあたり選んだテーマは「能登」。
以前から能登に関心があったという島袋さんの興味の入り口は「くちこ」だったという。
くちことはなまこの卵巣を干した珍味で、能登の特産品。
「こんな変わったものをつくる人がいる能登という場所は、きっと面白いだろうと思った」
という島袋さんの予想は、まさに的中したということが、展示から伝わってくる。

くちこは滑りやすく、翌日、全部下に落ちてしまっていることもあるそう。くちこ職人の森川仁久郎さんいわく「くちこづくりは地球との戦いだ」(撮影:島袋道浩)

島袋さんは昨年11月から何度か能登をリサーチで訪れ、
4月からはメンバーも一緒に能登でさまざまなことを見聞きし、体験してきた。
そのひとつが「間垣(まがき)」の制作。
間垣とは、日本海から吹きつける強風と塩害から家を守るため、
竹をびっしりと並べた垣根。
能登の冬の風物詩で、間垣が家の壁に沿って長く続いている光景は壮観。
実際には寒くなる11月頃からつくられるそうだが、
メンバーたちは4月に輪島市の大沢と上大沢に間垣を見学に行き、
毎年間垣をつくっている「田中屋旅館」の方の協力を得て、
この間垣を美術館の中に再現。
金沢市内で竹を採取するところから始まり、
つくり方を教わりながら実寸の間垣を展示室に制作した。

現在では、間垣をつくっている家はそう多くはない。
というのも、高齢化して人手が足りず、つくるのが困難になっているのだ。
今回のことがきっかけで、つくり方を覚えたメンバーたちが、
実際の間垣づくりを手伝いに行くことができるかもしれない。
そうすれば能登の人たちも大助かりだろう。

展示室には立派な間垣が。《能登、大沢の田中さんと作った間垣》(撮影:斎城卓)

展示室には、島袋さんが能登に興味を持つきっかけとなったくちこも展示されている。
これをつくったのは、くちこ職人の森川仁久郎さん。
薄い三角形のくちこ1枚をつくるのに、なまこが100匹も必要になることもあるという。
非常に手間と時間がかかるくちこづくりについて、
美術館に森川さんを招いてのトークも行われた。
くちこづくりは決まって2月と3月に行われ、メンバーたちは来年、
森川さんのところでくちこづくりに挑戦する予定だ。

くちこづくりが限られた時期にしかできないのなら、
森川さんはそれ以外はどうしているのだろう。
そんな島袋さんの問いに対する森川さんの答えは「鉄をつくる」。
くちこをつくる人がなぜ鉄をつくるのか、
そもそも鉄という素材そのものをつくるとはどういうことだろう? 
島袋さんは好奇心を抑えられず、森川さんに鉄づくりも教えてもらうことに。

メンバーとともに4回ほど森川さんの作業場を訪れ、鉄づくりに挑戦。
鉄分の含まれた土を集めて蒸し焼きにし、
森川さんいわく「鉄を絞る」という工程を経て鉄をつくっていく。
手間と時間のわりに、できるのはほんのわずかだったり、
失敗してできないこともある。
そもそも、このやり方が正統なのかどうかわからないが、
そんなことは構わないと島袋さんは思っている。
「本に載っていないことを、こういう人に口とからだで教えてもらうことが面白い。
森川さんみたいな人に出会うことが作品みたいなことかなと思っています」

森川さんの自宅作業場を訪れた《鉄をつくる》制作風景。

展示室には実際に森川さんとの鉄づくりに使った道具が並べられ、その工程が紹介されている。《鉄をつくる》(撮影:島袋道浩)

そのほかメンバーは、能登の奇祭を撮り続けている写真家、
渋谷利雄さんに話を聞き「あばれ祭り」などの祭りを見学したり、
豊作を祈る「ゾンベラ祭り」に使われる、稲を模した松の葉の束を制作するなど、
ワークショップやツアーを通して、能登に触れていった。

展示ではこのほかにも、かねてから島袋さんと交流のある
音楽家の小杉武久さんが、能登で身近な道具を使って
音を奏でる様子をとらえた映像も展示されている。
「小杉さんを能登に連れて行きたかった。まだ出会えていないものを出会わせて、
そこでどういう化学反応が起きるのか興味がありました」
という島袋さんによる、絶妙なキュレーションだ。

2月に行われる「ゾンベラ祭り」の様子。田植えを模して豊作を祈願する。(撮影:島袋道浩)

金沢と能登をつなぐ。

今回の展示は料理のようだ、と島袋さん。
「能登の素材を使ってフルコースをつくるような感じ。
目で食べる、お寿司の盛り合わせをつくったと思っています」
その言葉どおり、島袋さんは能登にあるものにほとんど手を加えず、
素材そのものをいかした展示になっている。
ただその料理は、アーティストの視点が隠し味となっている。

「アーティストってツーリストガイドみたいなところがあると思っています。
面白いものやきれいな場所を知っていて、
それが人に見えるように角度を変えてあげたり、
そこに人が行けるように橋を架けてあげる。そういう仕事かなと思うんです」

能登半島を横断するのには1時間もかからないが、
内海と外海では表情が違うのだそう。風景が違うと文化も違う。
能登の豊かな自然と、そこに生きる人たちの暮らしを肌身で感じた。
能登では自分でものをつくるということが根底にある、と島袋さんは話す。
「都会に暮らしていると、なんでも買うことが基本。
それもひとつのライフスタイルだと思うけれど、能登の人たちは、
ないものは自分たちでつくるということが基本にある。それが面白い」

いろいろな出会いから作品が生まれていくという島袋さんのスタイルは、
それが「楽しいから」そうなったという。
「自分がすでにできることをより研ぎすまして見せるというよりは、
自分が行きたいところに行って、新しいことを習ったり、
知らないものを見たい。そしてそれを人と共有したいんです」

金沢と能登ではもともと藩が違うので、同じ石川県でも地域性が異なる。
金沢の人もあまり能登に行かないが、能登の人も金沢にはあまり来ないようだ。
だが今回の後期展示のオープニングには、能登からたくさんの人が駆けつけた。
展示に協力してくれた人、島袋さんが能登で出会って仲良くなった人。
そんな人たちが集まるということが、この展覧会の本質を物語っているようだ。

海の中にプールがつくってあるのを発見。海のプールとはユニーク。(撮影:島袋道浩)

プロジェクトメンバーの高出真妃さんは、
過去にも2度「金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム」に参加し、
楽しみながら自分が成長できたと感じて今回もメンバーに。
金沢市在住だが、父親の実家が能登で、
親近感はあるものの、よく知らない土地だったという。
「いままではお盆の時期に行く程度でしたが、
能登でもいろいろなところがあるんだと知って面白いです。
あばれ祭りもまた行ってみたいと思いました」と話す。

夫婦で参加している勝島隆史さん、則子さんは富山市在住。
もともと能登に興味があり、ときどき訪れていた。
島袋さんの作品にも関心があったので、このプログラムを知ったときには
「これは参加するしかない」と思ったそうだ。
「奥能登には人があまりいなくて、けばけばしい商業施設とか嫌なものがないんです。
何もないから、すごくいい風景があったりする」と則子さん。
則子さんは新潟県出身だが、結婚し富山で暮らすようになってからは、
毎年夫婦で能登に泳ぎに行ったりしていたそう。

また会場で展示されている、いまでは珍しい一升瓶の蛸壺は、
勝島さん夫妻がもらってきたもの。
能登には規模の小さいところも含めると漁港が100か所くらいあるが、
ほぼ全部をまわって、いろいろな蛸壺を発見。
その素材はプラスチックや長靴、瓦など、地域というより、
つくる人によってさまざまだという。
そんな蛸壺探索は、プログラムとは別の「自主活動」。
行く先々で面白い人に出会ったり、変なものを見つけたりするのが
楽しくなってしまったそうだ。
「能登では暮らしの根本的な考え方が違うような気がします。
都市生活をしていると、自分で工夫して何かをつくりだすということが
あまりないけれど、能登ではいろいろなものを工夫してつくったりしている。
そういうところにも魅力があるのかなと思います」と隆史さん。

能登は七輪の一大産地。島袋さんとメンバーたちは、
能登を訪れるたび、能登の七輪で能登の魚介を焼き、浜辺などで食べた。
メンバーにとって忘れ難いそんな体験こそが、重要なのだと思えてくる。

今回のプログラムを担当する学芸員の鷲田めるろさんは、
最初は金沢で活動しようと考えていたが、島袋さんからの提案があり、
金沢から少し離れた能登を舞台にするのも面白いと思ったと話す。
「大阪から参加している人もいますが、メンバーはほぼ金沢と富山の人。
能登は行こうと思えばすぐ行ける距離なので、このプロジェクトが終わっても、
これがきっかけとなって、お世話になった人を訪ねたり、
メンバーが継続的に能登と関わりを持つようなことが生まれていくといいなと思います」

今後もプログラムは3月まで続いていく。
終了まで、美術館の内外でいろいろなことが起こりそうだ。

島袋さんとメンバー、見附島にて。

profile

MICHIHIRO SHIMABUKU
島袋道浩

1969年兵庫県神戸市生まれ。ベルリン在住。1990年代より世界中を旅しながら、そこに生きる人々やコミュニケーションに関するパフォーマンス、インスタレーション作品などを制作。国内外で多くのグループ展や国際展に参加している。金沢21世紀美術館では2009年、開館5周年記念展「愛についての100の物語」に出品。

information


map

SHIMABUKU:NOTO
島袋道浩:能登

2013年4月27日~2014年3月2日
会場 金沢21世紀美術館
撮影:島袋道浩
http://www.kanazawa21.jp/