いち早く復興に動いた和倉温泉
1200年の歴史があるといわれる、能登半島最大の温泉地、七尾市の和倉温泉。
七尾湾に面して旅館が立ち並ぶが、2024年元日の能登半島地震で
護岸が崩壊するなど甚大な被害を受け、21軒ある旅館のうち、
12月現在で営業再開できた旅館はわずか4軒にとどまる。
「最初の1か月くらいは生きるということで必死でした」
そう話すのは、明治18年創業の旅館〈多田屋〉6代目の多田健太郎さん。
多田屋もほかの多くの旅館と同じく営業再開のめどは立っていないが、
多田さんは多田屋の再建と並行して、
「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」の代表も務め、
和倉温泉の復興に奔走する日々を送っている。

〈多田屋〉代表取締役社長の多田健太郎さん。ウェブメディア『能登つづり』で能登の魅力を発信するなどの活動は、コロカルでも2015年に記事で紹介した。
元日、多田屋には120名余りの宿泊客がいた。
地震が起きてから全員の無事を確認し、まず客を避難させた。
周辺の旅館からも観光客が避難したため、避難所となった小学校は
受け入れ可能な人数のおよそ5倍の2000人もの人であふれたという。
なんとかひと晩を過ごし、客は全員無事帰ることができたが、
「本来なら旅館が避難所にならないといけない。
その役目が果たせなかったのがショックでした」と多田さんは振り返る。

現在の多田屋は1972年に建てられたため、旧耐震基準の建物。
館内は段差ができてしまったり、ひびが入ってしまった場所、
壁が剥がれたところもあり、損傷は大きい。
全体が広く複数の建物が入り組んだ構造で、
詳細な調査をしたうえで使える部分と解体すべき部分を
見極めることにしているが、その調査にも時間がかかるという。
能登全域がそのような状態にあるのだから無理もないが、その分、復興が遅れてしまう。
それでも応急措置で済ますのではなく、
きちんと安全性を担保して再開したいと多田さんは考えている。

館内には段差ができてしまった箇所も。揺れの大きさを物語っている。
個々の旅館の復旧のめどが立たないなか、和倉温泉ではいち早く復興に向け動きだした。
能登の復興の鍵を握るのは、やはり人を呼ぶことができる温泉だ。
そこで2040年に向けた「和倉温泉創造的復興ビジョン」策定のため、
次代を担う若手経営者によるワーキング委員会が発足。
多田さんはその委員長に任命された。
これまで和倉温泉では、70代以上の経営者たちがまちづくりを牽引してきたが、
多田さんは自分たちがビジョンを策定するのであれば、
実行までやらせてほしいと訴え、承認を得た。

備品を保管してあった部屋。壁が剥がれてしまっていた。
2月8日に第1回会議が開かれ、数回の討議を重ね、
アドバイザーからのアドバイスも受けながら、2月29日に復興ビジョンを発表。
その後、ビジョンを具体的なまちづくりの計画に落とし込むため、
策定会議を引き継ぐかたちで、委員会が
「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」となり、
多田さんはその代表を務めている。





































































































