〈アウトクロップ〉栗原エミルさん 映像制作と場づくりで、 秋田の雪解けを担う

〈ロフトワーク〉創業者で、現在は、地方と都市の新たな関係性をつくることを目的とする
〈Q0〉を率いる林千晶さんが推薦するのは、秋田県秋田市の映像制作会社
〈アウトクロップ〉の代表取締役CEO兼プロデューサー栗原エミルさんです。

推薦人

林千晶さん

林千晶

Q0代表取締役社長

Q. その方を知ったきっかけは?

雪降る夜、ふと気づくとエミルくんの秋田オフィスの前を歩いていた。エミルくんは秋田を変えていこうと仲間と飲み会を開いていたというのだから驚き。あのときのワクワク感は今でも消えていない。

Q. 推薦の理由は?

「見えない物語を魅せる」、そんなモットーを掲げる〈アウトクロップ〉代表取締役のエミルくん。ハーフで秋田への移住組でもある。彼らが映像を通じて描こうとする世界が、シンプルに格好いい。伝統、食文化、祭、その豊かさの片鱗を映像化できたら、世界に発信することができる。そんな想いがプンプン伝わってくるのだ。2024年には〈アトレデルタ〉という宿泊もできる複合拠点もオープンさせた。そんなこと、あり? と一瞬耳を疑ってしまうようなサービスを、これからもつくっていってほしい。

映像制作と場づくりの両輪で

横殴りの雪が吹きつける秋田駅で下車し、車で10分。
コーヒーハウス〈マチノミナト〉の明かりがぼんやりと見えてくる。
その建物の4階で、栗原エミルさんが待っていた。
林千晶さんは推薦文のなかで、雪の日にオフィスで栗原さんと会ったというが、
奇しくも同じような状況で彼に話を聞くこととなった。

栗原さんの活動は多岐にわたる。
まずは、ドキュメンタリーからフィクション、TVCM、プロモーション映像、映像教材、
2D・3Dアニメーションなど、
幅広く映像制作を行う〈アウトクロップ〉の代表取締役CEO兼プロデューサー。
宿泊施設〈DELTA HOSTEL〉、
ランチ営業から夜のバー営業まで行う飲食店〈マチノミナト〉、
ワークスペース・スタジオ〈CREATORS’ GARAGE〉を有する
複合施設〈Atle DELTA(以下、デルタ〉の企画と運営。
そして、秋田市内の古民家をリノベーションした
月1上映のミニシアター〈アウトクロップ・シネマ〉の運営。
栗原さんは、映像制作と場づくりというふたつの武器を持って、
秋田の若者や企業を巻き込んで切磋琢磨している。

アウトクロップシネマ

秋田市中心街にあるアウトクロップシネマ。

ドイツで生まれ、京都で育った栗原さんは、公立の国際教養大学への進学を機に、
2015年に秋田へ移住した。国際教養大学を選んだのは、
中嶋嶺雄先生(初代学長)の本を読んだことがきっかけだったという。

「こんな大学が地方にあるんだ、すごいなと思ったのが第一印象です。
どちらかというと“何が学べるか”よりも、
“どんな人と一緒に4年間過ごせるか”が自分にとっては大事だったのですが、
秋田という利便性がいいとはいえない地に国内外から人が集まってくるって、
どんな魅力的な場所なんだろうと惹かれました」

受験前までは秋田がどこにあるかもよくわからなかったというが、
進学後は栗原さんが決め手にしていた「人」に恵まれる。
在学中の2019年に大学の後輩である松本トラヴィスさんと共に、
秋田の伝統野菜で“いぶりがっこ”の原料となる沼山大根を主題とした
短編映画『沼山からの贈りもの』を制作し、
「全国地域映像団体協議会グランプリ2020」において学生部門の最優秀賞である
文部科学大臣賞を受賞。翌年に松本さんとともにアウトクロップを創業した。

短編映画『沼山からの贈りもの』

短編映画『沼山からの贈りもの』

『沼山からの贈りもの』より。

卒業後も秋田を拠点とした理由は、こうした映像制作を通して見えてきた地域課題にある。
「東京での可能性よりも、秋田でのチャレンジのほうが
自分にとってわくわくする選択でした。
それに地域社会へのインパクトも秋田のほうが大きいと考えたのです。
秋田の見えない価値を掘り起こして伝えたいという想いと、
映像という手段が合致して起業しました」
立ち上げ当初は映像制作を軸に栗原さんは動き出した。

推薦人の林千晶さんとの出会いは、国際教養大学の先輩が、
林さんが創業した東京のクリエイティブカンパニー〈ロフトワーク〉で
働いていた縁だったという。
その後、秋田の20代の若者が集まって、
酒を飲みながら自分たちがやっていることやこれからチャレンジしたいことを発表し合う、
栗原さん主催の「夢を語る会」の会中に、
オフィス前ですれ違うかたちでたまたま林さんと再会。
栗原さんから会の主旨を聞いた林さんは飛び入り参加をし、
黙って後方で見守っていたそうだ。
そこで栗原さん含む秋田の若者の熱量にほだされ、
次の開催時には、コミュニティデザインのパイオニア〈スタジオL〉の山崎亮さんを伴って
参加したのだという。

 「夢を語る会」の集合写真

「夢を語る会」の集合写真。左から2番目が栗原さん。3番目が林さん。5番目が山崎さん。

「私もデルタの構想や、今後やろうとしていることの話をしましたが、
まさに山崎さんの専門分野であるコミュニティデザインのことなので、
さまざまなお話をうかがいました。
その際、収益性の話よりも、『秋田という場所において
その場がどういう役割を果たすのか?』と山崎さんから尋ねられました。
映像をつくる過程で、いろんな人に取材をするなかで、
秋田にこういう場所があったらいいなとか、
秋田に熱い人がたくさんいるけども点と点でなかなか交わる機会がないといった、
自分たち目線での課題感や、もう少しこうなったらわくわくするよなという考えはあって。
その思いは、山崎さんや林さんと話したときから今も変わっていないです」

これを契機に栗原さんは林さんと連絡を取り合うようになり、
現在も事業にまつわるアドバイスをもらっている。

湧くで温泉津! まちも人もアツアツに湧く温泉街で キャリアなしの私が 7つのゲストハウスを開業するまで

ただの主婦でしかなかった私、近江雅子が
温泉津に移住して12年が過ぎようとしています。

「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読む、
島根県の小さな温泉と港町のタグラインは「湧くで温泉津!」。
温泉も、まちも、ここで暮らす人々もアツアツに湧き上がる温泉街です。

前編では先ずは自己紹介とこのまちへ移住してきてから、
事業をはじめるきっかけについてお話します。

2013年3月末に僧侶の夫、中学入学を控える長女、小学校4年生になる次女の
家族4人でまちの小さなお寺に移住してきました。

最初は大反対していたこのまちへの移住でしたが、
いざ住み始めると毎日が楽しく刺激的で……。
ゲストハウスを7軒も開業することになるとは。
田舎町は日本全国にたくさんあるけど、ここでの生活文化はここにしかなく、
そんな温泉津の暮らしについてお話したいと思います。

後編の記事はこちら:一度訪れた旅人が移住者になる温泉街・温泉津の不思議な引力

2013年に温泉津にやってきて10年。末っ子は温泉津生まれ。

2013年に温泉津にやってきて10年。末っ子は温泉津生まれ。

自力でアメリカの高校に入学
大学1年で結婚、20歳で第一子出産

1979年10月に島根県江津(ごうつ)市という田舎町に生まれ、
中学まで江津市で育ちました。
中学3年生の秋に、アメリカのボストン郊外にある公立高校を受験し、
見事合格をしまして、先生や友だちからの反対(心配)もありましたが、
高校1年からは単身アメリカに渡りホームステイをしながら高校に通いました。

帰国後は日本の京都のある大学に入学し、
生活を謳歌していた大学1年生の冬に東京の大学に通う今の主人と出会い、
半年で結婚を決意。秋に大学を中退し東京へ引っ越し結婚することに……。
親の大反対も聞かず結婚すると決めたのでした。

移住当時の近江さん一家。

移住当時の近江さん一家。

留学も結婚も、とにかく決めたら即行動。
人の反対には揺るがない性格だということがわかっていただけるかと思います。

20歳で長女を産み、資格や経験もないので子供育てしながら、
パートタイムでスーパーのレジ打ちや清掃の仕事に就き、
夫は大学を卒業して学生時代からお世話になっていた青山にあるお寺で勤務。

そのまま、一生東京で暮らすものだと思っていましたが、
ある日夫から「島根の温泉津にあるお寺の住職になる」という話を聞き、大反対。

娘だって慣れ親しんだ地域で友だちもたくさんいるし、家だって購入したのに……。
行くならひとりで行けばいい!
田舎のお寺なんて絶対大変だし、私にはそんなことはできない!
とだいぶ長い間話を聞こうともしませんでした。

旦那さんが住職を務める西念寺。1571年建立。

旦那さんが住職を務める西念寺。1571年建立。

そんなとき東日本大震災が起こり、
大きな揺れのなか、どうやって我が家まで帰ろうか……。
携帯電話もつながらず心が引き裂かれそうな不安な時間でした。

何とか帰宅し、娘たちを探しに行くと、
親切なお友だちのお母さんが次女と犬も一緒に預かってくれていました。

スーパーからも物がなくなり、いつもすぐ乗れる電車もなかなか乗れなくなり……。
そんな震災後の都会の生活を経験したことで、
田舎での暮らしも考えられるようになりました。
「よし、温泉津に行こうか!」。主人の変わらぬ思いにようやく心が動きました。

暮らしの困りごとから本気のDIYまで。 築50年の団地をサポートする 「グッデイさん家」とは?

名島団地内のやや奥まった場所に位置する「グッデイさん家」。「どこでもドア」風のフォトスポットが目印。

昭和30〜40年代の高度経済成長期から今にいたるまで、
日本各地で多くの家族が生活を営んできた「団地」。
現在では、設備の老朽化や空き家問題を解決するべく、
全国でさまざまな取り組みが行われています。
九州大学箱崎キャンパス跡地の再開発に期待が集まる福岡市東区でも、
「ホームセンター×団地」という異色のプロジェクトが始まっています。

団地の一軒家が「DIYのコンビニ」に!

昭和50年代に1号店がオープンしてから今にいたるまで、
福岡のDIYシーンを牽引してきたと言っても過言ではない
ホームセンター「グッデイ」。福岡に住んだことのある人なら、
一度は足を運んだことがあるのではないでしょうか。
そんなグッデイが2024年9月、福岡市東区にある名島団地の敷地内に
くらしサポートセンター「グッデイさん家」をオープンしました。

訪れてみると、現れるのは完全に普通の一軒家。
「団地なのに、なんで一軒家が?」と不思議に思いますよね。
この物件は団地の敷地内にもともと建てられていた家で、
空き家になった数年前から維持管理や活用のしかたについて
検討が重ねられていたのだそう。

「グッデイさん家」店内

DIY製品と日用品に加え、駄菓子もならぶ「グッデイさん家」。

DIYのコンビニエンスストアのような品揃えでありながら、
昭和の駄菓子屋さんを彷彿とさせる「グッデイさん家」。
グッデイのベテラン社員である佐瀬さんが「家主」となり、
名島団地に住む人たちの「生活の困りごと」を解決するため、
さまざまな製品やアイデアでサポートしてくれます。

くらしサポートセンター「グッデイさん家」はどのように誕生し、
なぜここまで愛されるようになったのでしょうか。
福岡県住宅供給公社の井上さん、グッデイ広報の島村さん、
「グッデイ団地プロジェクト」担当の塚本さんにお話を伺いました。

築50年の団地に活気を生み出すDIY

12棟330戸の名島団地。

12棟330戸の名島団地。建物の間隔が広く、開放的な敷地内。

築50年を超える名島団地は、全国の他の団地と同様、
住民の高齢化や空き家問題などに直面しています。
それらの問題を解決し、地域コミュニティを活性化するため、
ホームセンター「グッデイ」と福岡県住宅供給公社がタッグを組み、
2023年の秋、「グッデイ団地プロジェクト」が始まりました。

リノベーションルームの玄関ドア

リノベーションルームの玄関ドアには「グッデイ団地プロジェクト」のロゴが。

「エレベーター付きの集合住宅と違い、階段のみの団地は
4階以上の居室の借り手が少なく、入居率が低下しています。
小さなお子さんがいるような若い世代の家族にも入居してもらうため、
以前から『DIYが可能な賃貸物件』と打ち出してはいたものの、
なかなか浸透しない、という状況でした。そこで、
グッデイさんに力を貸していただくことになったんです」
(福岡県住宅供給公社・井上さん)

リノベーションルーム室内

リノベーションは床と壁のみ。天井や建具はそのまま使われている。

最初のプロジェクトは、2つの居室のリノベーション。
ほぼ同じ間取りの2室が、DIYでまったく違う雰囲気のお部屋に
生まれ変わりました。この2室はDIYモデルルームとして、
またワークショップ用のスペースとして活用されています。

DIYで和テイストなプロヴァンス風に生まれ変わった団地の和室。

DIYで和テイストなプロヴァンス風に生まれ変わった団地の和室。訪れた人も思わずくつろいでしまうとか。

リノベーションを担当したのは、グッデイのスタッフさんたち。
「ホームセンターの社員とはいえ、中にはもちろん
『DIYしたことないです』というスタッフもいまして(笑)。
初心者がペンキ塗りに失敗したり、貼った壁紙も微妙にシワが
残ったりしたとしても、それもDIYの『味』なんですよね。
『完璧にキレイにしなくてもいいんだ』と思ってもらうことで、
DIYに対する心理的なハードルを低くしたいんです」
(グッデイ団地プロジェクト担当・塚本さん)

〈OF THE BOX〉追沼翼さん 建築、カフェ経営、地域の情報発信、 “一専多能”な新しいまちづくり

建築家で東北芸術工科大学教授の馬場正尊さんが推薦したのは、
山形市で建築プロジェクトを行う〈OF THE BOX〉の追沼翼さん。

推薦人

馬場正尊さん

馬場正尊

オープン・エー代表取締役/
建築家/東北芸術工科大学教授

Q. その方を知ったきっかけは?

山形にある東北芸術工科大学で彼が学部3年生(建築・環境デザイン学科)のとき、僕の研究室の学生として入ってきました。大学院在籍中に起業。僕の仕事を手伝ってもらったり、彼の仕事をサポートしてみたり、いろんなトライを横で見守っていました。

Q. 推薦の理由は?

彼のようなタイプを、「新しい日本人」と呼んでいます。なんだか行動のモチベーションがサラサラしているんですよね。周りの人を楽しませながら自分も走っている、というような。仕事のつくり方や進め方も、僕らの世代とはまったく違う。仕事の内容も場所も、横断的かつ離散的。
例えば、カフェをやりながら、設計事務所を並行して経営していたり。プロジェクトを動かすとき、クラウドファウンディングで数百万円集めることから始めたり。
クライアントが全国にいて、ほとんどのコミュニケーションをオンラインでこなしていたり。なんだかよくわからないけど、でもそれらの活動はちゃんとつながっていて、なおかつ時代の要請に素直に対応している。
軽やかで、しなやかで、でもちゃんと経営につなげていく。そんな感性を持った人たちを「新しい日本人」と呼んでしまっているのですが。追沼くんは僕の身近にいる人のなかで、その代表選手かな。

大学の課題「リノベーションの妄想」が現実に

東北芸術工科大学在学中から、
大学のある山形市を中心にまちの課題を解決するようなプロジェクトを展開。
現在は日本各地にその舞台が広がっている、追沼翼さん。
推薦者の馬場正尊さんは、彼の進路を方向づけたひとりといえる、大学時代の恩師だ。
その推薦文を読んだ追沼さんは、「新しい日本人」という言葉に反応した。

「馬場さんからはよく、『宇宙人』って言われていたんですよね。
もう少しやさしい言い方にすると、こうなるのかな(笑)」

仙台市出身の追沼さんは、大学進学を機に山形市へ。
そもそも専攻した建築・デザイン学科は第一志望ではなかったが、
未知の世界だったからこそ、可能性は四方八方に散らばっていた。

「〈みかんぐみ〉の竹内昌義さんが学科長だったこともあり、
全国の大学でも珍しいんですけど、
エコハウスやエネルギー関連の授業に力を入れていたんです。
ほかにも、自分たちの食べているものが、
どこから来ているのかを考える哲学寄りの授業があったりして、
建築に徐々に興味を持つようになっていきました」

まちや地域のコミュニティに入り込むきっかけとなったのが、
大学3年生のときに馬場さんのゼミで取り組んだ夏休みの課題。
「空き物件のリノベーションを妄想せよ」というテーマを与えられて選んだのが、
山形市七日町の通称「シネマ通り」にある〈郁文堂書店〉だった。

かつての〈郁文堂書店〉

かつての〈郁文堂書店〉

リノベーションブームの先駆けといえる〈とんがりビル〉の隣で、
ひっそりとシャッターを閉ざしていたこの書店を、
ブックカフェにするアイデアがまず浮かぶ。

オーナーにヒヤリングを行うと、閉店してすでに10年ほど経つこと、
シネマ通りはかつて映画館が6つも立ち並ぶ文化の拠点だったこと、
斎藤茂吉や井上ひさしなど名だたる文化人が足を運び、
「郁文堂サロン」と 呼ばれていたことなどが判明。
そんな夢のような空間が現代に蘇ったら……と希望を抱いた追沼さんは、
妄想を妄想のままで終わらせず、ブックカフェの案を練り直すことに。

「あのときまちの人たちと接して、
山形を知ることができたのは大きかったと思っています。
オーナーの原田さん(故人)は、僕らが出会った頃すでに80代でしたが、
界隈で知らない人はいないくらい顔が広く、
住民との関係の築き方を教えてもらいました。
結局、半年くらいほぼ毎日、片付けなどに通ったのですが、
表からは見えにくい地道な活動の積み上げが大事だというのも、
実践しながら学ばせてもらいました」

2016年9月、山形ビエンナーレで書店の1日限定オープンを成功させたあと、
追沼さんたちは郁文堂サロンの本格的な復活を目指す。

その際に活用したのが、当時はまだ認知度の低かったクラウドファンディングだった。
資金力のない学生ゆえにたどり着いた選択ではあったが、
お遊びでやっていると思われたくないプライドや、
周りに迷惑をかけたくないというプレッシャーが交錯。
不安をよそに目標金額を達成できたことは、自信と励みになっていく。

「設計料や活動費を自分たちで集めていくようなやり方は、
このときの経験が原点になっているのだと思います」

店舗からストリートへ、エリアリノベーションを展開

電気工事など専門的なところは職人にまかせ、
それ以外の部分は学生とまちの人たちのDIYによって完成した〈郁文堂書店TUZURU〉。
書店とサロンの機能を持つ、まちに開かれた空間は、
メディアなどに取り上げられて注目が集まり、住民にも喜ばれた。

書店とサロンの機能を持つ〈郁文堂書店TUZURU〉

書店とサロンの機能を持つ〈郁文堂書店TUZURU〉。(撮影:斎藤哲平、吉木綾)

「一方で、学校で勉強しているだけでは接点を持てなかった人たちと出会い、
それぞれの世代ごとに抱えている課題が具体的に見えてきたことで、
まちについてもっと真剣に考えたいと思うようになりました。
それが〈山形ヤタイ〉や〈シネマ通りマルシェ〉の
プロジェクトへとつながっていったんです」

山形ヤタイは、木枠にレジャーシートの屋根を張った、
シンプルかつおしゃれな佇まいの屋台。
ホームセンターで揃えられる材料と工具で、
DIY初心者でも簡単につくることができるのがポイントだ。
チャレンジショップのようなビジネス利用から、町内のイベント、
あるいは庭先でのピクニックでも活躍する汎用性の高さが受けて、
設計やつくり方を実践的に学ぶワークショップを全国で展開する。

その山形ヤタイを活用したのが、2017年~19年に年2回のペースで開催された、
シネマ通りマルシェ。コーヒー、パン、野菜、アクセサリーなど、
毎回2~30店舗が出店し、多いときは約2000人が来場。
さらにマルシェに合わせて山形リノベーション協議会の協力のもと
「空き物件ツアー」を行い、新たな実店舗の開業へとつながる動きも生まれた。

汎用性が高い〈山形ヤタイ〉。

汎用性が高い〈山形ヤタイ〉。

シネマ通りマルシェの様子。

シネマ通りマルシェの様子。東北芸術工科大学と山形大学の有志も協力した。

2018年、大学院に進学した追沼さんは、
こうしたプロジェクトを行ってきた〈OF THE BOX〉を法人化。
さらにその翌年には〈株式会社デイアンド〉を設立して、店づくりにも着手する。
山形駅近くの通称「すずらん通り」に、
コーヒースタンド〈Day & Coffee〉をオープンさせたのだ。

安土桃山時代から続く老舗呉服店〈とみひろ〉の旧本社ビル

安土桃山時代から続く老舗呉服店〈とみひろ〉の旧本社ビルを、2019年にフルリノベーション。1階がコーヒースタンド、1、2階がオフィス、2、3階がメゾネット住居になっている。

〈とみひろビル〉の奥に立つギャラリー。

〈とみひろビル〉の奥に立つギャラリー。山形副市長の定例朝会などに利用されている。

「Day & Coffeeが入っているのは、老舗呉服店の本社ビルだった建物で、
10年くらい使われていなかったんです。
オーナーさんが芸工大の理事だったこともあり、
学生やまちの人と関わりながらリノベーションして、
若者が来るような場所にしたいという相談が大学にあって。
芸工大の先輩である〈リトルデザイン〉代表の佐藤あさみさんから声をかけてもらい、
プロジェクトに参加することになりました」

Day & Coffee

Day & Coffeeのコンセプトは「すべての日に特別なひと時を」。特別感のあるリボンをモチーフにロゴをデザインしてもらった。

Day & Coffee 店内

世界各地の豆を丁寧に店内で焙煎し、ハンドドリップなどで提供。テイクアウトもOK。

ハンドドリップしている様子

そして、すずらん通りもかつては様相が違っていたことを、
プロジェクトを通して知るように。

「もともとは文房具屋さんや呉服屋さんなどが立ち並ぶ商店街だったのですが、
僕が山形に来た頃には
夜の繁華街のイメージが強くなっていました。
もちろんそれも悪くないのですが、駅から徒歩数分の立地なので、
昼間、外から訪れた人には暮らしが見えないうえに、
お店も開いていないので、“何もない場所”という印象になってしまう。
僕自身も外から来た人間だから、もったいないなと思ったんです」

暮らしの息づかいが聞こえるような、
昼夜問わず人がいる状態をつくりたいと考えた追沼さんたちは、
オフィスと飲食、住居の機能を持ち合わせたビルにリノベーション。
まちに新たな人の動きを生み出した。
ちなみにオープン時からカフェの店長を務めている北嶋孝祐さんも、
芸工大の出身者だ。

「彼は高校時代からスペシャルティーコーヒーの店でバイトして、
バリスタトレーニングを受けるほどのコーヒー好きなんです。
もともとの出会いは、
郁文堂書店の再生プロジェクトを手伝ってくれたからなんですけど、
コーヒーの道具を現場に持ってきて、
毎日いろんな種類のコーヒーを振る舞ってくれました。
『自分が受けた感動を味わえるような、
スペシャルティーコーヒーの店が山形にもあったらいいのに』
と話していたのが印象に残っていて、一緒にお店をやることになりました」

一方、学生時代から追沼さんを見てきた北嶋さんは、その印象をこう語る。

「理想と現実のバランスがいい人だと思います。
社会がこうなったほうがいいという理想をしっかり持ちつつ、
理想のままで終わらせないというか、
現実的に自分ができることを常に考えて、継続してアクションを起こしている。
いろんな活動をしているので、一貫性がないように見えるかもしれないし、
たぶん本人もそう言われがちだと思うのですが、
理想に対して一歩ずつ近づいている印象は、そばで見ていて変わりません。
一見飄々としていますけど、内側には熱いものを持っているんですよね」

Day & Coffeeの店長 北嶋孝祐さん

芸工大の後輩で、Day & Coffeeの店長を務める北嶋孝祐さん。コーヒーが飲めなかった追沼さんを、コーヒー好きにした人物でもある。

いま能登のためにできる支援。 思いを届け、人や文化をつなぐ 9つのプロジェクト

2024年元日に起きた能登半島地震から、早1年。
復旧・復興は少しずつ進んではいるものの、復旧業者やボランティアの不足、
さらには9月の豪雨で再び被災するなど、その歩みは決して順調とは言えません。
まだまだ支援が必要です。

支援したくても能登へ行くのはなかなか難しい……
そんなあなたに、「能登へ行かなくてもできる支援の方法」をご紹介します。

今回ピックアップしたのは、能登の人々の声を伝えたり、
文化の保護に尽力する9つのプロジェクト。
このままでは失われるかもしれない能登の豊かな文化を守り、
人から人へと“思い”をつないでいく活動を紹介。
離れた地からでも彼らを応援することは、きっと能登を支える力になるはずです。

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発災直後の気持ちを綴ったZINE『地震日記』

「揺れが収まったときには心が透明で、何も感じないような心になっていた。
ここに自分が生きているという感覚はなく、ちいさく震えていた」――。
能登半島地震発災から5日間の出来事や、心の動きをつぶさに記録した
鹿野桃香さんのZINE『地震日記』。避難先の金沢で手作業で製本した1冊から、
いまでは約1800冊が人の手に渡っている。

『地震日記 能登半島地震発災から五日間の記録』鹿野桃香 著。

『地震日記 能登半島地震発災から五日間の記録』鹿野桃香 著。

鹿野さんは2017年、奥能登国際芸術祭に携わるため石川県珠洲市に移住。
地域おこし協力隊などを経て珠洲市での暮らしにすっかり馴染んでいた。
そこに起きた2024年元日の地震。

「日常のなかで地震が起き、人生がひっくり返るように変わりました。
自分のなかでこんなに大きな出来事があったのに、
避難先の金沢ではみんなが普通に生活していた。
そういった、経験している人としていない人に起きる意識の“違い”を
少しでも埋めたいと思い、私の経験を声に出していこうと思いました」
と鹿野さんは語る。

日記には、鹿野さんが撮影した珠洲市の風景も載せられている。

日記には、鹿野さんが撮影した珠洲市の風景も載せられている。

鹿野さんは『地震日記』の販売や朗読会を通じて、能登の現状を伝え続けている。
春にはこの1年を記録した続編の出版を目指す。

「東日本大震災からもうすぐ14年が経ちますが、
やっと自分の家に住めたという話も聞きました。
きっと能登も、これから長い道のりが待っている。
ありのままの出来事や葛藤を記録に残し、日記というかたちで
より身近に珠洲を感じてもらい、伝えられたらと考えています」

『地震日記』の売り上げは、増刷と、
能登半島地震や珠洲市に関するイベント企画などに充てられる予定。

information

地震日記

Web:Kano momoka

東京と能登を往復し、能登の声を集めた『あれから1年』展

東京・墨田区の銭湯〈電気湯〉で、能登の声を集めた『あれから1年』展が開かれている。
主催するのは、東京都出身・在住の浅見風さん。
能登半島地震発災後は3月から毎月、珠洲市や輪島市でボランティアに参加し、
東京で仲間と支援金を集め、また能登へと戻る。

浅見風さん。『あれから1年』展が開かれる〈電気湯〉前にて。

浅見風さん。『あれから1年』展が開かれる〈電気湯〉前にて。

これまでに東京・清澄白河と東村山で2度の展示を行い、
能登の現状を東京に届けてきた浅見さんだが、
『あれから1年』展では、能登の暮らしや日常を届けたいという。
SNSで能登に住む人や出身者から話を募り、
取材チームが能登へ行き、話を聞いて回った。

能登に行ったことがないけれど、インタビューのテープ起こしをしながら
行きたくなるメンバーもいる。展示の準備をしながら、能登へ思いを馳せる人も。
浅見さんを中心に、思いがつながっていく。

銭湯の浴槽に貼り出された能登の風景と、能登の声。

銭湯の浴槽に貼り出された能登の風景と、能登の声。

会場は、下町の日常の場である銭湯。
待合室や脱衣所、シャワーの上、浴槽など、いたる所に、風景写真や文章が貼られている。
震災前後のさまざまなカットが水平線でつなげられた展示は圧巻だ。
「湯に浸かりながら、能登の人が綴った文や写真を見てほしい」と浅見さん。

いつもの銭湯で、ご近所さんと何気ない会話をするように。
展示は2025年1月31日まで。

information

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『あれから1年』展

会期:2025年1月5日(日)~1月31日(金)

会場:電気湯(東京都墨田区京島3-10-10)

営業時間:15:00~24:00(最終受付23:30)※日曜 朝風呂8:00〜12:00

定休日:土曜

入浴料:大人550円、小学生200円、乳幼児100円

Instagram:@mikikisurunoto

青森県田舎館村の 〈スノーアーティスト集団It’sOK.〉 逆境から生まれた田んぼの二毛作アート

田んぼアートで有名な田舎館村

青森県南津軽郡の田舎館村(いなかだてむら)は、
桜の名所である弘前市の隣に位置する津軽平野の米どころ。
田んぼに色とりどりの稲を植えることで広大な絵を描く
「田んぼアート」のパイオニアだ。
今でこそ田んぼアートは全国各地でつくられているが、
1993年に初めて田んぼアートを制作した歴史を持つ田舎館村のそれは、
見るものを圧倒する緻密さを誇る。
人口およそ7200人の村で、田んぼアートは30万人を超す観光客を集めてきた。

2023年田んぼアート第1会場『門世の柵と真珠の耳飾りの少女』。

2023年田んぼアート第1会場『門世の柵と真珠の耳飾りの少女』。7色10種類の稲を植え分けて緻密なアートを描いている。

夏は田んぼアートで盛り上がる田舎館村で、
2016年から新しいプロジェクトが始まった。
田んぼアートと同じ会場で、一面の雪原に幾何学模様を描くスノーアートだ。
閑散期だった冬の津軽平野に展開されるスノーアートは
「冬の田んぼアート」として「アートの二毛作」とも呼ばれている。

スノーアートを制作する〈スノーアーティスト集団It's OK.〉の
代表・田澤謙吾さんにその経緯をうかがった。

最初は1枚の写真から

2014年秋、青森県庁若手職員による研究会では、
津軽地域の課題である冬の観光アイディアを探していた。
春は弘前公園の桜、夏は青森ねぶた祭り。
国内外から数百万人を集める春夏に比べ、どうしても冬の観光客は少なくなる。
交通の便が乱れ、住民は雪かきに追われる世界有数の豪雪地帯。
しかし、雪は美しさ、アクティビティともに、
魅力的な観光コンテンツにもなるのではないか。
いろいろな案は出るものの、なかなか決め手になるような目玉が見つからない。
何度もミーティングを持ち、リサーチをするなか、
ひとりの職員が不思議な写真を見つけた。
「これ、すごくないですか?」

幾何学模様が描かれた雪原の写真。

幾何学模様が描かれた雪原の写真。

雪面に描かれた万華鏡のような幾何学模様。
その光と影のコントラストの美しさに、みんな息を呑んだ。
いったい誰がどうやってつくっているのか?
調べていくと、
イギリス人のサイモン・ベック(Simon Beck)というアーティストが、
フランスのスキー場などで制作しているらしい、
サッカーコート2〜3面分あるらしい、
と『らしい』ばかりだった。

もしこれを青森で実現するとしたら?
スノーアートの制作には広い雪原と、観覧には高さのある展望台が必要。
……田舎館村の田んぼアート会場ならぴったりなのでは?
田んぼアート第2会場のためにつくられた展望台は、
冬には田んぼとともに休眠していた。

2017年に制作された田んぼアート第2会場『桃太郎』。

2017年に制作された田んぼアート第2会場『桃太郎』。第1会場に比べ、田んぼが横長に広い。

田んぼアート第2会場のために建てられた弥生の里展望所。

田んぼアート第2会場のために建てられた弥生の里展望所。『道の駅いなかだて弥生の里』の敷地内にある。

さっそく田舎館村に相談したところ、
もしサイモン氏が協力してくれるのであれば、
と条件付きながらも前向きな反応があった。

そう、このスノーアートプロジェクトは、
田んぼアート会場の冬季活用が先にあったのではなく、
津軽の冬の観光コンテンツの開発から生まれたものだったのだ。

輪島塗を未来につないでいく。 塗師・赤木明登さんがつくる器と 輪島の景色

いち早く動いた「小さな木地屋さんプロジェクト」

2024年12月21日から26日まで、東京・西麻布にある器と工芸のギャラリー〈桃居〉で、
輪島塗の塗師(ぬし)・赤木明登さんの新作「合鹿椀(ごうろくわん)」の
展示受注会が開かれた。
赤木さんは工芸に関心のある人なら知らない人はいないほどの人気作家で、
この合鹿椀も、店頭での直売分とオンラインでの受注分、
合わせて130個がほぼ初日に完売してしまった。

輪島市の中心部から車で20分ほどのところに工房を構える。

輪島市の中心部から車で20分ほどのところに工房を構える。

合鹿椀は能登に古くから伝わる椀で、一度は途絶えたものの、
1970年代にふたたび注目されるようになったという。
今回の合鹿椀受注会は「小さな木地屋さんプロジェクト×赤木明登」と銘打たれており、
売り上げは「小さな木地屋さん」存続のための資金となる。

その「小さな木地屋さん」とは、赤木さんの椀木地を挽いていた木地師のうち
最高齢だった86歳の池下満雄さんのこと。
2024年元日に起きた能登半島地震のあと、赤木さんがいち早く再建に動いたのが
この「小さな木地屋さん」だった。

輪島塗をはじめ、漆器づくりは基本的に分業制で、
いろいろな専門の職人の手を経てつくられていく。
木地師は漆器のベースとなる木地をつくるという最初の工程を担い、
とても重要な仕事だが、従来、工賃が安いという問題があった。
そのため継ぐ人がなかなかおらず、担い手は減る一方。

木地師だけでなく、どんどん職人がいなくなり、このままでは産地が成り立たなくなる、
なんとかしなくてはと赤木さんが常々思っていたところに、地震が起きた。

元日、赤木さんは群馬県の温泉で休暇を過ごしていたが、
4日になんとか輪島の自宅兼工房へ戻ってきた。
幸い大きな被害はなく、6日に輪島の中心地まで行き、
池下さんの工房を見に行くと、建物はほぼ全壊で池下さんはいなかった。

近所の人に聞くと、池下さんは地震直後、工房の前に呆然と座り込んでいたのだという。
津波がくるから逃げるように促されてもそこを動こうとせず、2日間座り込み、
3日目についに意識を失って病院へ搬送されたそうだ。

「そのときの池下さんの胸中を想像するに、
“71年間ここで職人をやってきて、最後がこれか”と絶望したんじゃないか。
その絶望した状態のまま死なせられないと思って、まずここを再建しようと決めました」

赤木明登さん。自宅兼工房は被害は少なかったが、金沢に2次避難し、4月に輪島に戻って来た。

赤木明登さん。自宅兼工房は被害は少なかったが、金沢に2次避難し、4月に輪島に戻って来た。

能登・和倉温泉の復興を まちづくりとともに考える。 多田健太郎さんが描く未来

いち早く復興に動いた和倉温泉

1200年の歴史があるといわれる、能登半島最大の温泉地、七尾市の和倉温泉。
七尾湾に面して旅館が立ち並ぶが、2024年元日の能登半島地震で
護岸が崩壊するなど甚大な被害を受け、21軒ある旅館のうち、
12月現在で営業再開できた旅館はわずか4軒にとどまる。

「最初の1か月くらいは生きるということで必死でした」

そう話すのは、明治18年創業の旅館〈多田屋〉6代目の多田健太郎さん。
多田屋もほかの多くの旅館と同じく営業再開のめどは立っていないが、
多田さんは多田屋の再建と並行して、
「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」の代表も務め、
和倉温泉の復興に奔走する日々を送っている。

〈多田屋〉代表取締役社長の多田健太郎さん。ウェブメディア『能登つづり』で能登の魅力を発信するなどの活動は、コロカルでも2015年に記事で紹介した。

〈多田屋〉代表取締役社長の多田健太郎さん。ウェブメディア『能登つづり』で能登の魅力を発信するなどの活動は、コロカルでも2015年に記事で紹介した

元日、多田屋には120名余りの宿泊客がいた。
地震が起きてから全員の無事を確認し、まず客を避難させた。
周辺の旅館からも観光客が避難したため、避難所となった小学校は
受け入れ可能な人数のおよそ5倍の2000人もの人であふれたという。

なんとかひと晩を過ごし、客は全員無事帰ることができたが、
「本来なら旅館が避難所にならないといけない。
その役目が果たせなかったのがショックでした」と多田さんは振り返る。

現在の多田屋は1972年に建てられたため、旧耐震基準の建物。
館内は段差ができてしまったり、ひびが入ってしまった場所、
壁が剥がれたところもあり、損傷は大きい。

全体が広く複数の建物が入り組んだ構造で、
詳細な調査をしたうえで使える部分と解体すべき部分を
見極めることにしているが、その調査にも時間がかかるという。
能登全域がそのような状態にあるのだから無理もないが、その分、復興が遅れてしまう。
それでも応急措置で済ますのではなく、
きちんと安全性を担保して再開したいと多田さんは考えている。

館内には段差ができてしまった箇所も。揺れの大きさを物語っている。

館内には段差ができてしまった箇所も。揺れの大きさを物語っている。

個々の旅館の復旧のめどが立たないなか、和倉温泉ではいち早く復興に向け動きだした。
能登の復興の鍵を握るのは、やはり人を呼ぶことができる温泉だ。
そこで2040年に向けた「和倉温泉創造的復興ビジョン」策定のため、
次代を担う若手経営者によるワーキング委員会が発足。
多田さんはその委員長に任命された。

これまで和倉温泉では、70代以上の経営者たちがまちづくりを牽引してきたが、
多田さんは自分たちがビジョンを策定するのであれば、
実行までやらせてほしいと訴え、承認を得た。

備品を保管してあった部屋。壁が剥がれてしまっていた。

備品を保管してあった部屋。壁が剥がれてしまっていた。

2月8日に第1回会議が開かれ、数回の討議を重ね、
アドバイザーからのアドバイスも受けながら、2月29日に復興ビジョンを発表。
その後、ビジョンを具体的なまちづくりの計画に落とし込むため、
策定会議を引き継ぐかたちで、委員会が
「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」となり、
多田さんはその代表を務めている。

奥能登国際芸術祭がつないだ縁。 〈サポートスズ〉と 〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉

芸術祭がきっかけとなり移住

能登半島の最北端に位置し、能登半島地震の甚大な被害を受けた珠洲市。
それまで珠洲という地名を知らなかった人も多いかもしれないが、
アートに関心のある人たちには知られていた。
2017年から珠洲市を舞台に〈奥能登国際芸術祭〉が開かれていたからだ。

「さいはての地に最先端の美術を」と始まった芸術祭は
3年に1度開催するトリエンナーレ形式で、
2020年はコロナ禍のため翌年開催となったが、2023年までに3回開催された。
芸術祭を訪れ、アートだけでなく、その圧倒的な自然や美しい里山里海の風景、
そして巨大な行燈の山車が引き回されるキリコ祭りなど独特の文化に触れ、
この地に魅了された人は多い。筆者もそのひとりだ。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

芸術祭を機に、珠洲に移り住んだ若者たちもいる。
芸術祭実行委員会とともに運営に関わる仕事をしたり、
会期後も作品のメンテナンスなどをする一般社団法人〈サポートスズ〉の一員である
小菅杏樹さんと西海一紗さんも、2022年に珠洲に移住してきた。

小菅さんは、2021年の芸術祭「奥能登国際芸術祭2020+」で
実行委員会事務局で活動していた姉を訪ねて珠洲に遊びにくるうち、
自身も芸術祭に関わりたいと移住。
西海さんは東京で働いていたが、違う場所で暮らしたいと思っていたときに
サポートスズの求人を見つけ、面接のため訪れたのが初めての珠洲だった。
そのときに「ビビッときた」そうで、面接にも合格して移住してきたのだという。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

それからは芸術祭の準備で忙しい日々を送り、
2023年9月23日から11月12日まで開催された芸術祭を駆け抜け、
会期後も後処理などであっという間に年の瀬を迎えたところに、地震が起きた。

元日、西海さんは珠洲にいた。たまたま友人の家にいたが、自分の家は全壊。
1月10日に珠洲を出て、金沢から小松空港へ向かい、北海道の実家へ。
それから3月までは実家で過ごした。

小菅さんは実家の奈良にいたが、珠洲に置いてきた猫の様子を見るため
地震からまもなく珠洲を訪れると、地域の人たちが猫を保護してくれていた。
猫を救出していったん奈良に戻り、3月は新潟県の越後妻有〈大地の芸術祭〉の
運営チームであるNPO法人〈越後妻有里山協働機構〉に1か月間出向したという。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

周囲の人たちも被災し、この先どうなるかわからず、不安と混乱の日々が続いたが、
東京ではいち早く、芸術祭の総合ディレクターを務める北川フラムさんが
〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉を発足。

「ヤッサー」は珠洲のお祭りで使われる掛け声。
芸術祭で生まれた縁を大事にしながら復興の力となるため動き始め、
芸術祭の作品制作を担う〈アートフロントギャラリー〉のスタッフが
毎週のように珠洲を訪れ、地域の手伝いや作品の状況を確認していったという。

〈Oriori〉代表・藤川かん奈さん みんなで笑って助け合う、 地域という名の学校を

Next Commons Lab/paramitaを率いて、
地方からポスト資本主義的な新しい社会をつくることを目指す林篤志さんが推薦するのは、
山形県遊佐町で着物や反物からプロダクトを制作する〈Oriori〉の代表、藤川かん奈さんです。

推薦人

林篤志さん

林篤志

Next Commons Lab/paramita
代表

Q. その方を知ったきっかけは?

プロジェクトをご一緒したことがきっかけ。

Q. 推薦の理由は?

地域おこし協力隊として活動された後、ヴィンテージ織物や着物のブランドを立ち上げ、その後は地域の高校魅力化プロジェクトなど教育分野にも積極的に関わっている方です。まさに地域の顔として、かん奈さんによって多くの人が巻き込まれ、彼女を通じて新たなプロジェクトや取り組みが次々と動き出しています。その一方で、周りの皆がいつも楽しそうにしています。不思議な魅力で、次世代のローカルを牽引する人です。

遊佐の土地と人に、恋に落ちて

山形県の形はよく、人の横顔にたとえられる。その「おでこ」に位置する最北部の遊佐町は、
日本海と鳥海山という雄大な自然をのぞむ、人口1万3000人弱の小さなまちだ。

京都で生まれ育った藤川かん奈さんは、移住して10年ほど経つこの遊佐町で、
ヴィンテージ反物・着物をリメイクするブランド〈Oriori〉を立ち上げ、
廃校の危機に瀕した公立高校の魅力化を図り、豊かさを享受するだけではない
まちづくり・人づくりを実践している。

山形県と秋田県をまたいでそびえる鳥海山。手前は、遊佐町唯一の公立高校である遊佐高校。

山形県と秋田県をまたいでそびえる鳥海山。手前は、遊佐町唯一の公立高校である遊佐高校。

縁もゆかりもない遊佐町にたどり着いた経緯を尋ねると、
「高3のとき、国連に入りたいと思ったんです」と語り始めた。
なぜ国連から遊佐町になったのか、そこには壮大な冒険と発見があった。

「大学進学後、世界の貧困について知らなければいけないと思い、
バックパックひとつで発展途上国を旅していました。
だけど、どうして貧困が起こるのか考えても無力感しかわかず、
私にできることなんてないとショックを受けていたのですが、
あるとき全然違う問いがバーンと降ってきたんです。
電気も水道も整っていないような環境で、裸足で着るものさえ満足にないのに、
どうしてこの人たちは笑顔なんだろう。何が彼らを生かしているんだろうって。
そしてその答えは、ひとつしかないと思いました。
地域の助け合いが、この人たちを笑顔にしているんだって」

対して、京都市内の一軒家で生まれ育った自分は、ご近所さんの名前もほとんど知らない。
玄関を開けようとして、誰かが通りを歩いている気配を感じたら、
扉の内側で通り過ぎるのをじっと待つような生活だった。

「もしこの村が経済発展したら、今みたいな温かさや助け合いがなくなって、
私が育ったようなよそよそしいところになってしまうのかもしれない……。
そんな想像をしたら、やばい! と思って。
それから旅をやめて、国連に入りたい気持ちもすこーんとどこかに行っちゃって、
地元の京都で現代の日本に合った温かいコミュニティをつくろうと思ったんです」

地元に戻って立ち上げたのが、「笑学校(しょうがっこう)」という地域コミュニティ。
京都市内の寺や廃校になった学校、あるいは鴨川の河川敷などを教室に見立て、
年齢を問わず先生にも生徒にもなれる学校の“校長先生”になったのだ。

「たとえば、紙飛行機について長年研究しているおじいさんが先生になって、
めちゃくちゃ飛ぶ紙飛行機のつくり方を教えたり、
マイケル・ジャクソンが大好きな小学4年生の男の子がダンス講座をやったり。
好きをこじらせてセミプロみたいになっちゃった人を発掘して、声をかけていったんです。
学校という名前をつけたのは、教員一家で私自身も先生になりたかったから」

「教育」は藤川さんのライフワークといえるような軸になっていくのだが、
その話はまた追って。
大学卒業後も企業などに属さず、
多世代のコミュニティづくりに奮闘する藤川さんの活動に感銘を受けた人が、
遠く山形にいた。

「山形大学の学生だったんですけど、
東北の学生50人くらいを集めてソーシャルキャンプをするから、
講師として来てほしいってお誘いを受けたんです。
そのとき初めて、山形の庄内地方を訪れました」

2泊3日の滞在には、恋愛というおまけもついていた。
そこで出会った地元の男性に恋をしてしまったのだ。そして2週間後には移住を決意。
3年続けてきた笑学校は、自分がいなくなっても、
地域の人たちのつながりがすでにできているから心配ないと思えたのも大きかった。

〈日本草木研究所〉古谷知華さん 日本の森林は、もっとおいしい。

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが推薦するのは、
里山に眠る「食べられる植物」の活用を考える
日本草木研究所の古谷知華さんです。

推薦人

小倉ヒラクさん

小倉ヒラク

発酵デザイナー

Q. その方を知ったきっかけは?

イベントでご一緒したのをきっかけに、僕のお店〈発酵デパートメント〉に遊びに来てくれるようになりました。僕の住む山梨にも遊びに来てくれて、フットワークの軽さが印象的でした。

Q. 推薦の理由は?

広告代理店というメディア業界の出身にもかかわらず、土と密接に関わる世界に飛び込んだのが素晴らしいなと思います。しかも単なる伝え手ではなく実体を扱う事業として責任を背負っているのを頼もしく思っています。生来のセンスの良さを活かして、21世紀の本草学が復活することを期待してます!

里山を巡り、可食植物を蒐集・記録し、活用する

品川区の五反田駅から歩いて10分ほどの閑静な住宅街。
古い屋敷の隣には、大きなクスノキがそびえ立っている。
敷地内には広い庭があり、土を踏みしめながら歩く。

「食べられる庭」にはさまざまな木々が生い茂る。

「食べられる庭」にはさまざまな木々が生い茂る。

「ここにノビルが出てますね。
これはシナモンの木で、こっちには金柑の木もあります。
足元にあるのはヨモギで、これはワサビの葉っぱです」

ここでは根の部分は育たないというが、ワサビの葉っぱがあった。

ここでは根の部分は育たないというが、ワサビの葉っぱがあった。

話しながら庭を案内してくれたのは、〈日本草木研究所〉の古谷知華さん。
日本の里山に眠る「食べられる植物」を研究し、
それらを使ったドリンクや調味料といった自社ブランドの製品も手がけている。

「食べられる庭」には、もともと植わっていた木と新たに植えた植物とが入り混じっている。古谷さんは仲間と共同管理している敷地の一角にショールームを構え、2年ほど前から庭の管理を担当するようになった。

「食べられる庭」には、もともと植わっていた木と新たに植えた植物とが入り混じっている。古谷さんは仲間と共同管理している敷地の一角にショールームを構え、2年ほど前から庭の管理を担当するようになった。

親子や学生も楽しみながら AIやDXを体感できる オープンイノベーションの拠点 〈STATION Ai 〉が名古屋に誕生!

今やAIやDXといった言葉を見ない日がないほど、デジタルイノベーションが進んでいます。
その一方で、ITに精通していない人にとっては、まだまだ踏み込めない世界でもありますよね。
そんな人たちに朗報なのが、〈STATION Ai〉の誕生のニュース。
名古屋駅から電車で7分、歴史ある鶴舞公園に隣接した、
日本最大級のオープンイノベーションの拠点です。

愛知県が進める「Aichi-Start up戦略」の中核として、
ソフトバンクの子会社であるSTATION Ai株式会社が運営を手がけています。
今回は、〈STATION Ai〉で体験できることを紹介していきます!

モノづくり王国・産業イノベーションの歴史を持つ愛知

愛知県を中心とした東海圏は、産業イノベーションや
伝統工芸の集積地であり、モノづくりにすぐれたエリア。
名古屋の中心に、スタートアップを支援する拠点ができるのは、
自治体の方向性ともマッチし、企業からも熱い視線を集めています。

なかでも、この施設がすばらしいのは一般に開放されていること。
現在、各地に企業が運営するオープンイノベーションは増えていますが、
B to Bが中心のため、一般の人が利用できる施設ではないのが現状です。

オープンな雰囲気を感じさせるエントランス。両側にはフリースペースで飲食もできる。

オープンな雰囲気を感じさせるエントランス。両側にはフリースペースで飲食もできる。

親子でも気軽に行ける飲食店やホテル、フリースペースが充実

ここ〈STATION Ai〉は1階にはフードラウンジ、2階には展示室や、
打ち合せスペース、カフェ、7階にはホテルが入っており、誰でも気軽に利用できます。
フードラウンジでは、海外からの利用者も多いことから、丼にハンバーガー、
ベトナム料理、インド料理、ベジタリアンと、バラエティ豊かな多国籍料理が並んでいます。

ベトナム料理〈OHAYO SAIGON 鶴舞店〉は朝8時半からモーニングが、〈丼物語〉は完全予約制で朝食が食べられるなど、朝活にも利用できる。

ベトナム料理〈OHAYO SAIGON 鶴舞店〉は朝8時半からモーニングが、〈丼物語〉は完全予約制で朝食が食べられるなど、朝活にも利用できる。

1階はフリースペースになっているため、ビジネスランチをしている会社員や、
PCを開いて打ち合せしている起業家に混じって、
ランチやティータイムを楽しめるのもこのスペースのおもしろいところ。
また、イベントスペースでは、会員でなくても、学校やサークルの行事の発表や
講座などを、リーズナブルな価格で利用できるのだとか。
まさに開かれた施設といえそうです。

一般の人も利用できる1階のイベントスペース。

一般の人も利用できる1階のイベントスペース。

前橋市議会議員 岡 正己さん スタイリストから市議会議員へ。 前橋を芽吹かせる“B面”の活動

ジンズホールディングス代表取締役CEOの田中仁さんが推薦するのは、
ファッションスタイリストやFMラジオ局を経て、
地元で前橋市議会議員として活動している岡 正己さんです。

推薦人

田中仁さん

田中 仁

株式会社ジンズホールディングス
代表取締役CEO

Q. その方を知ったきっかけは?

私が主宰する群馬イノベーションスクールに3期生として入学したことで知り合いました。

Q. 推薦の理由は?

もともとは東京でスタイリストをしていたのですが、地元に帰郷しFM局で働いているときに群馬イノベーションスクールに入学し今後の人生を考えるキッカケが生まれ、前橋市をカッコ良くしたいという思いが強くなり一念発起し、市議会議員選挙に立候補し当選。そして前橋市をカッコ良くするため現在もさまざまな活動をしていることから推薦します。

地元の衰退に責任を感じていた

「東京は狭くて、苦しい」

ファッション雑誌や広告など、
東京でさまざまな媒体でスタイリストとして活躍していた岡正己(まさみ)さんが
地元の前橋に戻ろうと決めたのは、
ふたり目のお子さんが生まれるタイミングで奥さまが発した
そんな言葉がきっかけだった。

30歳になる手前で前橋市にUターン移住。
高校卒業以来、約10年ぶりの前橋での生活が始まった。
岡さん自身、帰省するたびに感じる地元の衰退をなんとかしたいという思いが、
年々強くなっていたという。

「高校生の頃、スタイリストになろうと思って前橋を出ていったときは、
まさか戻ってくるとは思っていませんでした。
むしろ『こんなところ出ていってやる!』みたいな感じでした(笑)。
でも正月やお休みで帰省するたびに、まちが廃れていくのが目に見えてわかって。
自分もこのまちを出ていったひとりとして責任を感じてたんですよね。
それからだんだん地元に興味を持つようになったんです」

前橋市議会議員 岡正己さん

前橋に戻ってからしばらくは東京に車で通いながらスタイリストの仕事を続けていたが、
同時に寂れた地元を活性化させるために何をすればいいかとずっと考えていたという。
銀座にある群馬県のアンテナショップ〈ぐんまちゃん家〉に
自分のアイデアをいきなりプレゼンしに行くなど、破天荒な行動にも出た。

ある日、前橋にラジオ局〈まえばしCITYエフエム〉が開局するという
知らせを聞いた岡さん。
「これだ!」と思い、すぐにラジオ局へ応募し、入社が決まった。
ラジオ局では営業として、スポンサー集めから番組制作までさまざまな業務をこなした。
そうしてラジオ局の仕事に勤しむと同時に、
岡さんは仕事を通じて培った自身のネットワークを活かして
まちを盛り上げるためのイベントを企画するようになっていた。

「ラジオ局ってすごく便利。
メディアだから取材と称して誰にでも会いに行けちゃうんです。
それでいろいろな前橋のおもしろい人に会って、
どんどん自分のコミュニティを広げていきました。
そういうネットワークも使って、自分なりのまちおこしをやり始めました。
潰れたスナックやビリヤード場を貸し切って音楽イベントをやったり、
市民参加型の部活動『前橋〇〇部』の共同発起人として立ち上げるなど、
とにかくいろんなことをやりましたね」

撮影中、岡さんの姿を見かけたまちの人たちが声をかけている。

撮影中も岡さんの姿を見かけたまちの人たちが声をかけ楽しそうに喋っていた。

岡さんの精力的な活動の裏には、
スタイリスト時代の経験が大いに活きていると岡さんは語る。

「自分のスタイリストの師匠は岡部文彦さん。
当時、アシスタントの自分が
スタイリングのプレゼンテーションをすることがザラにあったんです(笑)。
今では考えられないですけど、『この服の組み合わせが絶対合います!』って
20歳そこそこの奴がCMの衣装合わせとかで説明してるんですよ。
でもその経験がラジオ局の営業としてもそうだし、
まちおこしのイベントを考える際にも相当活きたと思います。

スタイリストは服を扱いますけど、
前橋に帰ってからはまちを洋服に見立てて考えるようになりました。
前橋にはどんな機能が必要なのか、どこを見せたほうがいいのか、
そういう考え方ができるようになったのも
アシスタント時代を含めてスタイリストの経験があったからこそです」

スイーツやおつまみにも!? 高栄養価、低カロリーの サボテングルメが食べられる、 愛知県春日井市の飲食店3選

輸入植物としてのイメージが強いサボテンなどの多肉植物ですが、
愛知県春日井市では、古くからサボテンの栽培を行っています。
全国有数の実生サボテン生産地である同市では、鑑賞用のサボテンはもちろん、
現在、食用サボテンにも着目し、〈サボテングルメプロジェクト〉を実施。

市役所内には、食用サボテンのPRを行う〈観光・サボテン担当〉という部署も
2022年から設置されており、さまざまな取り組みを行っています。

市内で栽培されている実生サボテン。

市内で栽培されている実生サボテン。

サボテンの一大生産地、春日井サボテン

春日井市がサボテンの栽培を始めたのは、1953(昭和28)年ごろと、
歴史も古く、果樹栽培の副業として始めたのがきっかけでした。
1959(昭和34)年には、一帯の果樹が被害を受けたことから、サボテン栽培へと
移行する農家が増え、市内に広く普及。
春日井市のサボテン栽培の大きな特徴は、種から育てる「実生栽培」。
温室の構造を工夫するなど独自の栽培方法を生み出し、実生サボテンの
大量生産を可能にするとともに、一帯の農家が連携して分業体制を
とることで、安定した栽培を確立させました。

昭和のサボテン栽培の様子。

昭和のサボテン栽培の様子。

春日井の特産品、サボテンでまちおこしを

春日井市役所で、観光・サボテン担当として活躍する産業部経済振興課の
柴田知宏さんは、食用サボテンの魅力をこう語ってくれます。

「過酷な状況でも育つサボテンは、食糧危機にも強いといわれ、
SDGsの一貫として、世界的にも注目が集まっています。
サボテンは、栄養価も高く、β-カロテンなどの抗酸化成分やカルシウムや
マグネシウムといった野菜と果物が持つ両方の栄養素が含まれているので、
万能食材といわれているんです。また、豊富な食物繊維は整腸作用や
ダイエット効果が期待されます」

〈サボテングルメプロジェクト〉で市民にとっても身近なサボテン

今年の夏には市内のサボテンを扱うお店を巡る
〈春日井サボテンスタンプラリー〉を開催し、市内41の飲食店と小売店が参加。
多くの市民がサボテングルメを楽しみました。
そのメニューも、スイーツにラーメン、パンやピザなど、
幅広いサボテングルメが登場しています。
また、春日井市では、2007年から、年に3回程度、小中学校の給食にも登場し、
子どもたちにも、「サボテンを食べる文化」が広がっています。

サボテンのイメージキャラクターをはじめ、絵本やマンガ、レシピカードに、「育てる春日井サボテン」キットも登場。

サボテンのイメージキャラクターをはじめ、絵本やマンガ、レシピカードに、「育てる春日井サボテン」キットも登場。

池袋駅周辺に 「循環&ネイバーフッド」を テーマにした魅力的なブースが集結! 〈IKEBUKURO LIVING LOOP〉 スペシャルマーケットが開催

池袋を歩いて楽しむ4日間

11月1日から4日までの4日間、池袋駅周辺で
〈IKEBUKURO LIVING LOOP〉スペシャルマーケットが開催されます。

〈IKEBUKURO LIVING LOOP〉はnest、グリップセカンド、
サンシャインシティ、良品計画の4社によるプロジェクト。

「まちなかリビングのある日常」をコンセプトに、豊島区や池袋を拠点とする
企業や店舗と連携し、マーケットの開催やストリートファニチャーの常設化に
向けた社会実験などの取り組みを行っています。

目指すのは、リビングのように居心地よく、歩きたくなるまち。

IKEBUKURO LIVING LOOP

IKEBUKURO LIVING LOOPは、2024年グッドデザイン賞で「グッドデザイン・ベスト100」と「グッドフォーカス賞 [地域社会デザイン](日本商工会議所会頭賞)」をW受賞。

そんな池袋で、この度開催される「スペシャルマーケット」は
年に1度の特別な4日間として、グリーン大通りや南池袋公園に
池袋文化圏をはじめ、全国のつくり手・生産者が一堂に会します。

「循環」をテーマにしたブース

なかでも、見どころは「循環」をテーマにしたブース。

リユースカップやコンポスト、洋服の回収、ウォータースタンドなどのブースが並び、
消費し続けるマーケットではなく、循環するマーケットを目指します。

リサイクルボックス

また、昨年の開催時に集めた生ごみを堆肥にして育てた野菜でつくるパエリアも販売。

マーケットのなかで生まれている「循環」もアピールしていきます。

昨年の開催時に集めた生ごみを堆肥にして育てた野菜でつくるパエリア

もうひとつの見どころは、“健全な猥雑性”をキーワードに
個性豊かな飲食店やDJブースなど、池袋とその周辺に拠点を持つ
ネイバーフッドな人々が集結する「池袋人人横丁」。

“人と人の交差点”になるような場を目指し、まちなかやストリートでの
新たな過ごし方を実験しながら提案していくと言います。

ネイバーフッドな人々が集結する「池袋人人横丁」

そのほか、パンや焼き菓子、ランチボックスといったフードメニューをはじめ、
コーヒー、ワイン、クラフトビールなどのドリンク類、さらには手づくり雑貨や洋服、
こだわりの本やアンティーク家具などの出店ブースも目白押し。

手づくり雑貨出店ブース

ワークショップやパフォーマンス、トークセッションも多数企画されており、
盛りだくさんの4日間となりそうです。

パフォーマンスの様子

これまでの旅とは異なる。 何度も地域に通う旅、帰る旅。 「第2のふるさとづくりプロジェクト」

コロナ禍を経て、旅のスタイルに変化が起きました。
長期的に地域との交流を育み、「何度も地域に通う旅、帰る旅」。
1度きりの旅行では味わうことができない、豊かで新しい旅体験を、
求めている人も増えています。

現在、観光庁が取り組んでいる「第2のふるさとづくりプロジェクト」では、
新たなコンセプトとして『まちが わたしが 育つ旅。「いくたび」』を掲げ、
2024年9月26~29日の4日間、東京・有明の東京ビッグサイトで行われた
『ツーリズムEXPOジャパン2024』にも参加。
この「第2のふるさとづくり」とは、一体どんな取り組みなのでしょうか?

『観光庁「いくたび」のブース。

『ツーリズムEXPOジャパン2024』に出展した観光庁「いくたび」のブース。

10 回目の開催となった今回のテーマは、「旅、それは新たな価値との遭遇」。
国内外から1384 もの企業や団体が参加し、会場には外国や日本の自治体、
観光にまつわる事業者によるブースが並び、
多数の来場者が訪れて賑やかに開催されました。

観光庁のコーナーでは、新たな旅のスタイルを普及、定着させることを推進する
プロジェクト「第2のふるさとづくり」に関するブースも。

人口減少や高齢化が進む地方で、
各地域が抱える課題への取り組みにも関わりながら、
その土地を繰り返し訪れ、地域との関係性の構築につなげる
このプロジェクトは、令和4(2022)年度から始動し、
令和6(2024)年6月時点で、
北海道から沖縄まで36の地域が参加しました。

いつか「森の番人」になる
〈トーヤの森〉プロジェクト

北海道の南西部に位置する洞爺湖に面する〈トーヤの森〉も
「第2のふるさとづくりプロジェクト」に参加しています。
ユネスコ世界ジオパークにも指定されている洞爺湖周辺の
美しい景観は多くの人を魅了してきました。

トーヤの森から一望できる洞爺湖。

トーヤの森から一望できる洞爺湖。

一方で、そのカルデラの湖と周辺の森を維持していくために、
必要な担い手不足が地域の課題になっています。

トーヤの森は、洞爺湖に面した約72ヘクタール、
東京ドーム15個よりも広い森です。
森を舞台に、人をつなぎ未来を創造する「トーヤの森プロジェクト」として、
令和6(2024)年度に大きく4つのイベントを企画し、
第1回では森林作業道づくりをテーマにした1泊2日のイベント
「森と街のがっこうinトーヤの森2024」を7月に実施しました。
ほかにも山主の渡辺大悟さんが森をガイドする企画も。

第2回「もりであそぼうinトーヤの森」サップ体験

9月に行われた第2回「もりであそぼうinトーヤの森」では、森歩きやバーベキュー、サップ体験などを通して、環境に与えるインパクトを最小限にして、アウトドアを楽しむ、「LEAVE NO TRACE(リーブ ノー トレース)」の考えを共有。

第3回は10月に木こり、家具職人、木工作家といった、
木材で仕事をする人たちと一緒に森を巡り、
第4回は雪が積もる12月以降にスキーやスノーシューを履いて行う
森遊びと山の観察を予定しています。

トーヤの森がある洞爺湖は、新千歳空港から車で1時間半ほど。
札幌からは車で2時間強の距離です。
北海道在住者を中心に何度も通っているファンもいます。

「もりであそぼうinトーヤの森」

「もりであそぼうinトーヤの森」では、参加者が洞爺の自然を感じながら、トーヤの森でのさまざまな体験を通じて、森との結びつきを強化。

山主である渡辺大悟さん自身も、
洞爺湖から車で1時間半ほど離れた北広島市に住んでいます。
渡辺さん一家にとって洞爺湖は、
家族で休暇を過ごすたびに訪れる、まさに“第2のふるさと”のような場所です。

渡辺さんは、精密機械や美術品など貴重な品物を木材で梱包する会社を経営し、
この事業で扱う木材は、輸送が完了すると廃棄されることに課題を感じていました。
そのため、若い頃から山を買って林業も行いたいという目標を持ち、
2019年にトーヤの森となる山を購入して夢を実現。

所有している森が健全に保たれるためにはどうしたらいいかと、
林業の専門家からアドバイスを受けたことが、
今回のプロジェクトの一環でもある森林作業道づくりにつながっています。

トーヤの森の伐採の様子。

トーヤの森の伐採の様子。

トーヤの森 道づくり

森が健やかに育つように手入れを行い、機材や人が入るための道が必要。北海道で林業に従事する人のなかでも経験者が少ない道づくりは、トーヤの森でもまだ始まったばかり。

今回のプロジェクトは、トーヤの森での道づくりを
本気で学びたい人がメインターゲットとされ、
今後イベント企画や案内ができる
「森の番人」が生まれることも期待されています。

今回『ツーリズムEXPOジャパン2024』に参加した渡辺さんの妻であり、事業の事務局を務める紗智子さん。

今回『ツーリズムEXPOジャパン2024』に参加した渡辺さんの妻であり、事業の事務局を務める紗智子さん。森のなかには道だけでなく、トイレなど水回りも整備されていないことが課題のひとつだとか。

プロジェクトを通して、旅行だけでは味わえないトーヤの森の魅力に触れ、
森への理解が深まり、何度も通いたくなる場所に育っていくことを目指しています。

人口約1万人の新潟県田上町で 竹を使う驚きのイベント 〈たがみバンブーブー〉

田上町のまちの宝は竹

新潟県の田上町は、板橋区よりもほんの少し狭い面積31.7平方キロメートルで、
約1万人が住んでいます。
小さなまちには竹林がたくさんあり、
その面積はなんと約17ヘクタール、東京ドーム3.6個分!
春になると町外から多くの人がたけのこを買いにやってくるので、
地元のみなさんは、竹こそがまちの宝、名物だと思ってきました。
一方で、高齢化に伴って手入れされない竹林が増えていることも地域の課題です。

田上町マップ

稲作のほか、ル・レクチェや梅などの農業や工業が田上町の主な産業です。

まちの人たちの宝であると同時に課題でもある竹を使って盛り上げようと
2022年に始まったイベントが〈たがみバンブーブー〉です。
1か月のイベント期間中、人口1万人の町に、約2万人が訪れるという人気ぶり。
3回目となる〈たがみバンブーブー2024〉は
9月14日から10月14日まで開催され、
竹を使ったさまざまな演出に来場者が驚かされました。

荒れかけた竹林が会場に。竹を使った屋外インスタレーション

〈たがみバンブーブ-竹林〉の入り口。

〈たがみバンブーブ-竹林〉の入り口。トンネルで気分が盛り上がります。

〈たがみバンブーブー2024〉は、
2か所の有料会場と1か所の無料会場の合計3か所で構成。
有料会場は、手入れが行き届いていなかった竹林を整備した〈たがみバンブーブ-竹林〉と
大正時代に地元の豪農が建てた館の〈椿寿荘〉で、
無料会場は2020年にオープンした〈道の駅たがみ〉です。

メイン会場といえるたがみバンブーブ-竹林では、
3人のアーティストがそれぞれに制作した竹と光を使ったインスターレションを巡ります。

『たがみの輪』

『たがみの輪』周辺は、竹が雪の重みでしなってドーム状になっています。

第1エリアにあるのは、
熊本を拠点に竹あかり演出を行うユニット、CHIKAKENによる作品『たがみの輪』です。
竹を組み合わせて空間にたくさんの竹まりが吊るされていて、幻想的な雰囲気が漂います。

『星空のドーム』

『星空のドーム』周辺は、非日常感を演出。

第2エリアは、新潟市出身の空間デザイナー小出真吾さんによる『星空のドーム』。
よく見ると五角形と三角形が繋がって、たくさんの星がドームに散りばめられています。
児童公園の遊具のようなドーム型のオブジェと、星の形と光が組み合わせられて、
幼い頃に見た景色が思い起こされるような夢のあるエリアでした。

『まきまき竹あんどん』

『まきまき竹あんどん』は光の色が赤や緑に変わります。

第3エリアは美術家の髙橋匡太さんが
地元の小学生たちと一緒に制作した『まきまき竹あんどん』。
布をつくる過程で出た切れ端を新潟県内の企業から譲り受け、
小学生たちがその場所に生えている竹に巻きつけました。

フィリックス・コンランさん、 東吉野での暮らしはいかがですか?

「都会が恋しくなることはないですか?」

そんな少し意地悪な質問をすると、
「絶対にそれはないですね」とフィリックス・コンランさんは笑う。
そして、都会暮らしから田舎暮らしへの移行をこう表現する。

「これまで、都会暮らしにストレスや疲れを感じていました。
平和な村の暮らしのほうがずっと好きなんです。
それでもこの小さな村では毎日膨大なやるべきことがあって、
『あぁやらなきゃ』と焦燥感を抱くこともあります。
そんなときこそ、愛犬と散歩にでかけるのですが、突然、
別の“肺”がそこにあるかのように深呼吸ができて、
より頭がクリアになるのを感じるのです。常にリセットされているようなものですね」

〈SUZUKI〉ジムニーとフィリックス・コンランさん。

愛車は〈SUZUKI〉ジムニーのフィリックス・コンランさん。

憧れだった日本での暮らしは築150年の古民家とともに

〈ザ・コンランショップ〉の創設者で実業家の、テレンス・コンラン卿の孫として生を受け、
ロンドン、シドニー、ニューヨーク、ロサンゼルスといった
経済の中心地での活動を経て、
フィリックスさんは、幼少期からの憧れだった日本の田舎暮らしを手に入れた。
場所は、山々と3本の川に囲まれた自然豊かな立地で、
ノスタルジックなまち並みを残す奈良県東吉野村だ。

ここでフィリックスさんは、デザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げ、
建築とプロダクトのデザイナーとして、
古民家のリノベーションなどを手がけていく。

一緒に来日したフィリックスさんのパートナー、エミリー・スミスさんは、
東吉野の中心人物になりつつある。
彼女の母は日本で生まれ育ったこともあり、
自身のルーツである日本への興味と理解を深めていったことも、
フィリックスさんの背中を押した。

イギリスでドキュメンタリー映像制作の仕事をしていたエミリーさんは、
東吉野で地域おこし協力隊に就任。
東吉野の野山に自生する山菜やきのこの種類の多さやおいしさに魅了され、
豊かな自然とその産物をInstagram(@down2forage)で県内外や海外へ発信していたが、
ついに移住半年で〈東吉野きのこ協会〉を立ち上げたのだ。

11月1日から開催される、村在住の36組のクリエイターによる
オープンアトリエと作品展示、『はじまりの東吉野オープンアトリエ』にも参加予定。
活動の幅を徐々に広げている。

地元のお祭りのステージで日本語の歌謡曲を披露するエミリーさん。

地域のコーラス隊に参加し、地元のお祭りのステージで日本語の歌謡曲を披露するエミリーさん(左)。

そんなフィリックスさんとエミリーさんが暮らすのは、
村の中心部である小川から車で15分ほどの集落にある築150年の古民家だ。

招かれて入った先にはまず広い土間。前の住民が煮炊きをしていたかまども残されていた。
そして、和室には、フィリックスさんがデザインした照明とソファが鎮座する。

床の間にはフィリックスさんの父親の古い友人だというアーティスト、
デビッド・バンドの絵が飾られている。
「私がオーストラリアで生まれたときから、いつもデビッドのアートが家にありました。
だから私にとって、この絵は故郷のようなもの」とフィリックスさん。
この絵は、フェリックスさんが以前経営していたデザイン・スタジオのロゴに
インスピレーションを得たもので、フィリックスさんの原点を表した場所だ。

料理が好きだというふたりのこだわりのキッチンは、クリエーションの舞台であり、
実験室でもある。畑で採れた野菜や、
エミリーさんが採ってきた山菜やきのこをふたりで調理しては舌鼓を打つ毎日。
調理道具も調味料も和洋さまざまなものを取り揃えている。

「山菜やきのこを文化や食の伝統のなかで
長い間大切にしてきた日本人が好きなんです」とエミリーさん。

フィリックスさんは和食も好きで、とりわけ蕎麦がお気に入り。
すでにいきつけのお店もあるそうだ。

〈Forest house〉外観

彼らは、もともと家だった敷地の最も古い部分で、
85年前に牛舎に改築された場所のリノベーションに着手している。
東吉野や日本の伝統的な素材を使った新居、通称〈Forest house〉を建築中だ。
旧家の梁を残して新しく生まれ変わろうとしているが、
「忘れ去られた古い建物を現代的で魅力的な家に生まれ変わらせる」のだと、
フィリックスさんは改修の目的を話す。

コンラン家のDNAともいえる目利きの技。
それが生きたフィリックスさんのプランはこのとおりだ。

① 玄関からシンボルツリーである柿の木が見えるように窓を配置する。いわゆる借景の考え方。

② 床材は部屋ごとに吉野桧と吉野杉の木製ブロックを使い分け、バスルームは緑色のタイルを敷き詰める。また、屋根には金属を用いている。

③ ごくプライベートな空間以外ドアをつくらず、フローリングの種類や段差でゆるく部屋を区切る。

④ 自分たちで裁断した巨大な岩をテーブルにする。

⑤ キッチンとは別にアウトドアキッチンを設ける。日本の土間に着想を得たアウトドアキッチンで、料理好きで人を招くのが好きなふたりが和気あいあいと料理できる環境に。

⑥ リビングスペースの中心に現代的な囲炉裏をデザインする。

ご近所の方々や友人を招いて、ホームパーティーをすることも。〈丹生川上神社〉の鳥居からインスピレーションを得た東屋は、フィリックスさんが友人の手を借りて、地元の木材を使用し建てたもの。「日本の美しい建物、美しい木材への愛と感謝、敬意を示しています」とフィリックスさん。

ご近所の方々や友人を招いて、ホームパーティーをすることも。〈丹生川上神社〉の鳥居からインスピレーションを得た東屋は、フィリックスさんが友人の手を借りて、地元の木材を使用し建てたもの。「日本の美しい建物、美しい木材への愛と感謝、敬意を示しています」とフィリックスさん。

三重県松阪市の里山で、 新たなまちづくりを展開する 古民家カフェ〈奥松阪〉が、 宿泊施設をオープン

松阪の中山間地域に位置

三重県松阪市の南西部に位置する、飯高町(いいたかちょう)。
豊かな自然が残る一方で、道の駅や、大型商業リゾート〈VISON〉も近く、
のどかな空気とにぎわいが共存するエリアです。

そしてこの地域で人気を集める飲食店が、〈奥松阪〉。

〈奥松阪〉では「何気ない日常に幸せを」をコンセプトに、
地元の食材をふんだんに使った料理やデザートを多数提供。
開業以来、多くの人々が訪れています。

店主は、デザイナーとしても活動する高杉亮さん。

店主の高杉さん。

店主の高杉さん。

もともとは名古屋市内に事務所を構えていましたが、
数年前に松阪市の地域おこし協力隊へ就任し、家族とともに移住。
その活動の一環で訪れた古民家にひと目惚れし、
大家から譲り受けて2023年1月に〈奥松阪〉を開店しました。

現在は〈奥松阪〉の経営のほか、
松阪市の特定地域づくり事業協同組合の理事長兼事務局長など、
いくつもの活動を行っています。

地産の食材を使ったランチとスイーツを提供

日替わりランチ(1350円)に登場する「松阪極豚のトンカツ&とっとき味噌ダレ」。

日替わりランチ(1350円)に登場する「松阪極豚のトンカツ&とっとき味噌ダレ」。

〈奥松阪〉で味わえるのは、県産ブランド鶏「みえ錦爽とり」や
松阪市産の野菜など、地元の食材をたっぷり使ったランチ。
日替わりランチをはじめ、毎日3種類ほどの料理を用意しています。

「ケーキプレート」850円。

「ケーキプレート」850円。

カフェタイムには、デザートやドリンク類を提供中。
コーヒに合うケーキや焼き菓子、豆花(トウファ)や愛玉子(オーギョーチイ)といった
台湾系のスイーツなどを、ゆっくり楽しめます。
一度に数種類の食べ比べをしたいなら、「ケーキプレート」もおすすめです。

さらに、デッドストックの食器や雑貨、焼き菓子やコーヒーなども。
古き良き、日本の暮らしまわりの道具を手頃な価格で販売しています。

地域発信の本がおもしろい! それぞれの編集長が推す ローカルブックス7選

ローカル情報一辺倒ではない、誌面づくり

出版への物理的・経済的なハードルが下がったこともあり、
ローカルにおいても、
個人や小さな会社からたくさんの雑誌や書籍が発売されている。
そしてそのクオリティはどんどん高まっている。

そこでローカルをベースにしながら出版されている本を紹介したい。
ひとつ共通しているのは、距離の近さだ。
物理的な近さはもちろん、人と人との心理的な近さも内容に大いに影響しているようだ。
その「距離感」をどう捉えて誌面にしているのだろうか。

本の紹介文は、それぞれの編集長が自ら、思いを込めて書いてくれた。

世界遺産のあるまちで、 “アートの秋”を楽しむ。 「宗像みあれ芸術祭」10月から開催

篠田ゆき「雲プロジェクト ‒ 宗像大社に雲を浮かせる」

世界遺産のあるまちとして有名な宗像市で、芸術祭が開催されます。
メイン会場は、まさにその世界遺産の一部である宗像大社辺津宮。
宗像で生まれ育った新進気鋭のアーティストから、
脳科学者として活躍している中野信子さん(招待作家)まで、
個性豊かなアーティストによる作品が展示されます。

「神宿る島」として世界遺産に登録

世界遺産のあるまちとして有名な宗像市

古代の国際交流の拠点であり、大陸から伝わる
最先端の技術・文化が交差する地域であった宗像。
宗像大社は日本最古の神社のひとつとして知られており、
国の安寧を祈願する宗像三女神の信仰については
「古事記」や「日本書紀」にも記されています。

そんな宗像の歴史を背景にはじまったのが「宗像みあれ芸術祭」です。
「宗像の魅力、再発見」「子どもたちに開かれた美術体験」をテーマに、
地域の未来につながる祭典を目指し、作品の展示をはじめ、
さまざまなワークショップやイベントを開催。
アートを通して、宗像の新しい文化を紡いでいきます。

「みあれ祭」とは?

「みあれ祭」

宗像みあれ芸術祭は、宗像大社の「みあれ祭」と同時期に開催されます。
みあれ祭は、秋季大祭の最初に行われる大切な祭事。
沖ノ島にある「沖津宮」と大島にある「中津宮」の御神璽(みしるし)を、
本土にある「辺津宮(へつぐう)」にお迎えする神事で、
10月1日には約100隻の漁船が集まり、海上神幸を行います。
船に掲げられた大漁旗が海上にはためく様子は、華やかで壮観!

10月1日に行われる海上神幸

旅に行ったら、 まずは本屋さんに行きたい! 地域に愛される、全国の本屋さん12選

全国の旅先で、本屋さんに行きたい

全国にはたくさんの本屋さんがあり、多様化している。
大型書店とはまた違うセレクトだったり、何かのジャンルに特化していたり、
立地が独特だったり、店構えが本屋さんの域を超えていたり。

実際に足を運べば何かに出合える、それは本だけでないかもしれない。
知れば行ってみたくなる、そんな本屋さんたち。

そこで北は北海道から南は沖縄まで、
ローカルにあり、特徴のある本屋12店をお届けする。

〈小鳩書房〉(長沼町)
「岩波少年文庫」のみを取り扱う本屋

2023年に北海道・夕張郡長沼町の農場にオープンした
「岩波少年文庫」のみを取り扱う本屋。
世界の古典文学シリーズが古本、新刊問わず並ぶ古民家は、
北海道の雄大な山々と夕張川を背にして、
見渡す限りなにもない土地に建つ。

小鳩書房の鍵がかかった扉を開けるには、まず農場内にひっそりと佇むこの小さな小屋で鍵を受け取ろう。

小鳩書房の鍵がかかった扉を開けるには、まず農場内にひっそりと佇むこの小さな小屋で鍵を受け取ろう。

敷地内でハーブ農家を営む店主の柴田翔太さんが本屋を始めたのは、
数年前に祖父の本棚から見つけた古い岩波少年文庫の巻末にあった
「岩波少年文庫発刊に際して(1950年)」という文章に感銘を受けたことが
きっかけだった。

「世界でいちばん岩波少年文庫が揃う書店」を標榜する同店だが、コロカルで連載を持つ來嶋路子さんの『家の庭』など、地元作家のリトルプレスの取り扱いも。

「世界でいちばん岩波少年文庫が揃う書店」を標榜する同店だが、コロカルで連載を持つ來嶋路子さんの『家の庭』など、地元作家のリトルプレスの取り扱いも。

小鳩書房に入るには、まず農場内にある小屋で鍵を受け取る。
来店者が自身で鍵を開け、誰にも干渉されずひとりで本を選ぶ、
自分だけの時間を過ごすことができるようになっているのだ。
ここへ来てから帰路に着くまでのすべてが
「1冊の本を買った体験」として来店者に刻まれそうだ。

information

map

小鳩書房

住所:北海道夕張郡長沼町東5線北18 白銀荘農場内

営業時間:13:00〜17:00

営業日:土・日・月曜(白銀荘の営業日と連動)

Instagram:@kobato_shobou

ブックコーディネーター・ 内沼晋太郎さんに聞く 「世界をより良くしていくための」 本と本屋

大型書店が姿を消し、増える独立系書店

「本が売れない時代」だといわれて久しい。
本の売り上げは1996年をピークに右肩下がりを続け、
日本出版インフラセンターの統計によると、
この10年で全国の書店数は3分の2に減少。
全国の市町村の4分の1以上が「書店ゼロ」のまちになっているという。

一方で、個人オーナーによる独自セレクトの小規模な独立系書店は
全国各地で次々と開店しているという驚きの事実もある。
たとえば2023年には全国で80店以上が新規開業しているというデータも。
つまり独立系書店は、
新しいかたちの「まちの本屋」として、着実にその存在感を発揮しているのだ。

こうしたムーブメントの背景にあるものはなんだろうか。
そして、その流れやスタイルは、都会とローカルとで違いがあるのだろうか。

そんな問いを抱いて訪ねたのが、現在、東京と長野県御代田町で
二拠点生活を送るブックコーディネーターの内沼晋太郎さんだ。

大開口から注ぐ光が心地よい内沼さんの御代田町の住まい。

大開口から注ぐ光が心地よい内沼さんの御代田町の住まい。

ドクダミ、ヨモギ、センブリ…… 飛騨地方で伝わる薬草生活を体験! 岐阜県飛騨市で9月7日(土)に 薬草フェスティバルを開催

岐阜県飛騨市にて、2024年9月7日(土)に
〈全国薬草フェスティバル in ひだ〉が開催されます。
毎年開催している〈飛騨市薬草フェスティバル〉から名称変更し、
今回が第1回の開催となります。

飛騨地方で昔から伝わる“薬草生活”で地域の活性化

飛騨市役所 商工観光部 まちづくり観光課 今村彰伸さん。

飛騨市役所 商工観光部 まちづくり観光課 今村彰伸さん。

イベントを担当する今村彰伸さんは、飛騨市出身で、
高校卒業後に地元を離れたのちに、7年前Uターン。
以前は自然に関わる仕事をしていたこともあり、
自然資源である薬草にも興味をもち、
飛騨市役所 商工観光部 まちづくり観光課として、
薬草活用のプロジェクトに参画しています。

薬草を採取する様子

「飛騨市では、昔から身近にある薬草を生活に取り入れてきました。
地元でくらす高齢者の話の中にもドクダミ、ヨモギ、ゲンノショウコ、
センブリ、ナツメ、エゴマなどの薬草の話がよく出てきます」

薬草の活用法

「家族により活用頻度などは異なりますが、
薬草を使用したお茶や料理などは地域全体で伝わっています。

しかし、西洋医学の普及に伴い、飛騨でも
民間薬的なものは使われなくなっているのが実情です」

集合写真

「今回のイベントは、昔の知恵を残すことも目的のひとつですが、
地域資源を掘り起こし、その価値を見直すことが、
地域住民のシビックプライド醸成につながり、
地域の活性化に寄与するという考えのもと活動しています」と今村さん。
薬草を柱に地域交流やまちおこしなどに注力しています。

フェスティバルの名を変更して新たなる薬草普及を目指す

薬草フェスティバルの様子

これまでの薬草フェスティバルは地域住民への薬草普及を大きな目的としていましたが、
イベント名を〈全国薬草フェスティバル〉に改名したのは、
飛騨市が全国の薬草関係者の受け皿となり、
薬草好きが交流する場を提供したいという思いからです。

薬草を選ぶ

この交流が地域の健康意識向上にもつながることを信じ、
地元の老舗料理旅館、全国と交流を深める薬草絵手紙メンバー、
飛騨市に移住してきた若者たちなど、官民が一体となってイベントを盛り上げていきます。