〈ちょいのぞき気仙沼〉 毎週末開催! 宮城県の港まち ならではの仕事体験プログラム

じわじわ人気を集める、気仙沼の仕事体験プログラム

宮城県気仙沼市は、美しいリアス式海岸に〈気仙沼港〉を持ち、
カツオやマグロの水揚げ量は日本有数。
さらに日本一のフカヒレの生産地としても有名な港まちです。

そんな気仙沼で、“港まちならでは”のお仕事体験ができるプログラム
〈ちょいのぞき気仙沼〉がじわじわ人気を集めています。

もともと市内にランドマークや観光地が少なく、
「どうしたら気仙沼に足を運んでもらえるか」と課題を抱えていた気仙沼市。
そこでバラエティ豊かな水産業のお仕事内容に目をつけて、
「気仙沼の仕事を体験できるプログラムをつくろう!」と2015年にスタートしました。

体験場所は、造船所や水産加工場など、普段はなかなかお目にはかかれない場所ばかり。
親子で参加するのはもちろん、大人同士でも楽しめるプログラムが用意されています。

当初は月に1度限りの開催でしたが、回を重ねるごとに参加者が増え、
今年の4月からは毎週末に開催することが決定! 
今回は、レギュラー開催している人気のプログラムをピックアップしてご紹介します。

〈ちょいのぞき気仙沼〉MAP

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まず紹介するプログラムは、〈氷屋探検〉。毎日港にやってくる
魚の鮮度を保つのに必要不可欠な氷をつくる製氷所で、
重さ135キロの巨大氷がつくられる過程を見学します。

マイナス10度の貯冷庫に潜入したり、
ノコギリを使って、氷の切断にチャレンジできます。
その後は、自分でカットした氷からかき氷をつくり、
試食できるという大満足のプログラムです。

貯冷庫内、ずらりと並んだ巨大氷は迫力満点!

大きな氷はノコギリを入れるのも一苦労!

気仙沼産のイチゴを使ったシロップを贅沢にかけて、いただきます!

種類は日本一!? もちカルチャーをまとめた 岩手県一関市の冊子『もちのまち』

日本の伝統食としてしられる“もち”ですが、
一般的な食べ方は、あんこやきなこ、雑煮など。
しかし一関市を含む岩手県南地域には、ずんだもち、くるみもち、ごまもち、
しょうがもちなど、豊富なもち料理で知られています。

そんな郷土のもち食文化をまとめようと、
コロカルがお手伝いした冊子『もちのまち』がこの度、完成しました。

冊子では、歴史、暮らし、もち料理、市内へのアンケート結果、
もち食の雑学などさまざまな方向から一関のもちカルチャーについてまとめられています。

稲がたわわに実った一関市、萩荘地区の棚田の風景。

もちにまつわる雑学を集めたページ。デザインは、朴なおみさん。イラストは、表紙とともに、服部あさ美さん。

かつては、年中行事や冠婚葬祭のごちそう、冬季の保存食として親しまれ、
春はよもぎもち、夏はずんだもちや豆腐もち、秋はくるみもち……など、
季節の食材を使い、工夫を凝らしたもち料理が親しまれてきました。
地域や家族の最大の「おもてなし」だったもち料理ですが、
昔に比べてその機会もだんだんと減っているそうです。

結婚式には、庭で近所のみなさんが集まり、縦につく千本杵を使って大勢でついて祝ったそう。(写真:『年月のあしおと』より)

冊子では今も家族でもちつきを楽しんでいるという千葉さんご家族を取材。
特に千葉さんの住む花泉地区は、一関でももち料理がさかんなエリア。
7月に、日本一のもちつき大会というお祭りまで開催されているところです。

かまどでしっかり蒸したアツアツのもち米をついていきます。

千葉さんは、自家栽培のもち米〈コガネモチ〉で、
毎年お正月やイベントなどで杵と臼でついていて、
機械でつくのとは比べられないおいしさがあると言います。

〈天理駅前広場
CoFuFun(コフフン)〉
佐藤オオキデザインによる
古墳モチーフの広場が
フフン〜♪とオープン!

Photo : Takumi Ota

現代の古墳が誕生!〈天理駅前広場 CoFuFun(コフフン)〉

2017年4月、奈良県北中部にある天理駅前に
〈天理駅前広場 CoFuFun(コフフン)〉がオープンしました。

駅を降りると、目の前に芝生が広がり、不思議なかたちをした建物群が……
ここが、このたび完成したコフフン!

コフフンのメインエリア

Photo : Takumi Ota

円形の不思議なかたちが点在する広場のデザインを手がけたのは、
佐藤オオキさん率いるデザインオフィス〈nendo〉。

nendoがデザインのモチーフに選んだのは「古墳」でした。

ユニークなのは、古墳の使い方。
こうして建物にのせると大きな屋根に!

インフォ&ラウンジコフン

〈インフォ&ラウンジコフン〉Photo : Takumi Ota

逆さまにすると、まるで宇宙船のようなかたちに。

屋上に巨大トランポリンがある〈ふわふわコフン〉

屋上に巨大トランポリンがある〈ふわふわコフン〉Photo : Takumi Ota

古代大和時代にヤマト王権が形成された地、天理市には、
古くから連綿と続いてきた暮らしがあります。
市内には、なんと約1600基もの古墳が残っているのだそう。

その古墳のかたちを組み合わせ
起伏に富んだランドスケープをつくることで、
山々に囲まれた奈良盆地の地理的特徴を表したのだとか。

「古墳が複数の役割を果たし、まるで全体がカフェであり、
全体が遊具であり、全体が大きな家具に感じられるような、
そんなゆるやかな空間。
この広場はみなさんに自由に使っていただくのが正しい使い方です。
よそいきの時間じゃなくて、どんどん使ってどんどん関わっていただき、
日常のものにしていただけたら」とnendoの佐藤さん。

ふわふわコフン

Photo : Takumi Ota

コフフンという名前は、モチーフである古墳と、
思わず「フフン〜♪」と鼻歌を歌いたくなるような
心地良さを提供したいという気持ち、
そして市民のみなさんが「フフンッ」と自慢できるような
場所となってほしいという思いからつけたのだそうです。

このプロジェクトは、天理市が
天理駅前からにぎわいを広げていくため
3年前から進めてきたプロジェクト。
以前の駅前には人が憩う場がなく、少々寂しい場所だったそうですが、
コフフンオープン後は、駅前に子どもからお年寄りまでが集い、
とてもにぎわっています。

〈TAKIGAHARA FARM〉 農業のある暮らしを探求する 石川県滝ヶ原のファームハウスにて フェスティバルを開催!

都市は農を求め、農は都市を求めている

石川県小松市滝ヶ原町にて、農業のある
新しい暮らしを探求する活動が始まっています。

拠点は、古民家を改修したファームハウス〈TAKIGAHARA FARM〉。
発起人は、東京でファーマーズマーケットを運営する
NPO法人ファーマーズマーケット・アソシエーションのみなさん。
青山でマーケットを開催し、全国の農家さんやつくり手、
お客さんたちと接していくうちに
「都市は農を求め、農は都市を求めている」と確信したのだとか。

テーマは「Cultivate to Culture(すべては耕すことから始まる)」。
東京から移住したメンバーが畑に立ち、土を耕し、
「食べる」「働く」「生活する」を考え直し、農業の新しい可能性を探ろうとしています。

Photo:Yoichi Naiki

Photo:Yoichi Naiki

活動内容は農業だけではありません。
TAKIGAHARA FARMのみなさんが取り組んでいるのは
言葉や写真、映像を用いてアートやデザインの視点で
農的生活を情報化し、発信していくこと、里山と都市のあいだを橋渡しすること。

2016年に北陸古民家再生機構の協力を得てファームハウスを開設後、
地元の人や都心に住む人たちを呼び込み、さまざまなイベントを行ってきました。

今年のゴールデンウィークは、こちらのファームにて、
滝ヶ原の食材や自然が楽しめるフェスティバルが開催されます。

Photo:Tomohiro Mazawa

地元密着の材木店だからできること
大兵材木店の林洋見さん

木にまつわることのホームドクターとして

鈴鹿山脈の北部に位置するいなべ市では、
古くから木とともに人々の暮らしが成り立ってきた。
藤原町にある〈大兵(だいひょう)材木店〉は、そんな木と人間の営みをつないできた存在で、
材木店という名前ではあるものの、山から木を切り出す製材業から、
木造建築の設計・施工・リフォームまで幅広い業務を請け負っている。

「たとえば1枚だけめくれてしまった瓦を差し替えたり、
建具の立てつけが悪いと言われて見に行ったり。個人で所有している山の木や、
通学路で腐りかけている危険な木を切り出したり、
庭木が倒れているからなんとかしてほしいという依頼にも対応できるのは、
地域に密着しているからこそ。
木にまつわることのホームドクターみたいな役割を担っています」

と話す、林洋見さん。
家業として代々この仕事を受け継いできた大兵材木店の現在の社長は、
洋見さんの父・正廣さん。洋見さんと兄の雅樹さんは6代目にあたる。

「もともとは船材を扱っていて、この辺の山から切り出した木材でいかだを組んで、
員弁川を下って四日市まで運んでいたそうです。
建築を始めたのは、祖父の代からと聞いています」

いなべ市での伐採風景。(写真提供:大兵材木店)

一級建築士の資格を持つ林さんは、大学卒業後、
愛知の設計事務所で鉄筋コンクリートのマンションの設計などを行っていた。
しかしちょうどリーマンショックの煽りを受けていた頃で、
売れ残っているマンションがたくさんあるのに新築物件も減らないことや、
エンドユーザーの顔がまったく見えないことに違和感を覚えていた。

「新築は新築でもちろん大事だし、必要とされているのですが、
それよりも循環型に変えていくことが、僕らの世代がやるべきことのように思えたのです」

生まれ育った地域だからこそ取り組める、空き家対策

地域の空き家対策や古民家再生に興味を持ったのは、ごく自然な流れといえるだろう。
この連載で紹介している、廃屋になっていた古い旅館を
リノベーションした〈上木(あげき)食堂〉の設計・施工を担当したのも、林さんだ。

「最初は旅館を解体する依頼をいただいたのですが、
現在、上木食堂になっている道路沿いの棟に水場などがいい感じであったので、
『ここは残されたらどうですか?』と提案させてもらったんです。
そしたらタイミングよく、(オーナーとなった)寺園 風くんが
やりたいと手を挙げてくれて、うまくご縁がつながっていきました」

解体が終わったところ。(写真提供:大兵材木店)

旅館から食堂へのリノベーションは、「とてもやりがいがあった」と
振り返る林さん。旅館として使われていた時点ですでに修理を重ねていたため、
アルミサッシがはめ込まれているような場所もあったが、
そういう現代的なものはあえて取っ払い、解体した木製の建具などを再利用。

工事中盤。写真に写っているのは、休憩中のオーナーの寺園さんと、店長の松本耕太さん。(写真提供:大兵材木店)

天井を撤去し高窓を設けたことで、古い建物特有の薄暗さがなくなり、
明るく開放的な食堂になった。タイミングが後押ししてくれた部分は大きかったものの、
自分が提案した何気ないひと言に多くの人が賛同して、
結果的に地域活性化の拠点になるような場所が完成。
しかもその空間づくりを担うことができて、大きな手応えをつかんだようだ。

解体した旅館と切り離した部分に、破風板という材料を取り付けているところ。(写真提供:大兵材木店)

上木食堂は無事に、2016年11月にオープン。

少子高齢化や過疎化などにより、いなべにも空き家自体は多いのだが、
まったく知らない人に貸すことに抵抗があったり、
仏壇がそのまま残されていたりして、
空き家問題の解決にはまだまだ多くのハードルがあるのも事実。
しかしながら林さんは、地元で生まれ育った人ならではの縁を生かして、
こうした問題に取り組んでいきたいと思っている。

「空き家再生に取り組んでいるNPO法人は全国にもたくさんありますが、
いなべでも上木食堂でやったようなことをもっと仕組み化して、
継続していけるような組織がほしいですよね」

なぜ、地元山梨で
建築の仕事をするのか。
震災復興から学んだこと。
PRIME KOFU vol.1

PRIME KOFU vol.1

2014年に地元である山梨に設計活動の拠点を構え、
現在、建築デザイン事務所〈PRIME KOFU〉を主宰しています。

地元山梨に帰るつもりもなく、建築家として大都会で仕事をしたい。
そんな誰しもが思うあこがれにつき動かされながら、日本の大学、海外の大学院で建築を学び、
都内の設計事務所で建築と向き合ってきた日々。そんな僕が、なぜ3年前に空き家率No.1、
県庁所在地のある市町村で人口が最も少ない山梨にUターンしたのか。

「まちのリノベーション」をテーマに、山梨で建築を生業とすることのリアルな日常を
少しでもこの場でお伝えできればと思います。
第1回目は、山梨に戻ったきっかけについての話。

オランダで学んだ建築のこと

いわゆるスター建築家像にあこがれていた僕にとって、
建築に対する向き合い方に新たな視点を与えてくれたのは海外の建築教育でした。
僕が通った大学院は、オランダにある〈Berlage Institute〉(現Berlage)というところで、
世界中の企業や行政からプロジェクトを依頼され、
リサーチから提案までを行う教育機関でした。

扱うテーマもさまざまで、僕自身は、
パリの移民問題や人種差別などに向き合うプロジェクトなどに携わっており、
深刻な社会問題に対して、建築にはなにが可能か?
ということを試行錯誤する2年間でした。当時の日本の建築教育は、
建築のデザイン性について追求していく傾向が強かったなかで、
こういった教育現場に身を置いたことは、ある種ショッキングでもあると同時に、
建築の可能性や視野が広がった貴重な時間でした。

berlage instituteのスタジオ。各自、デスクが割り当てられ連日作業を行っている。

ユニットミーティング後の様子。

帰国してすぐに経験した大震災

社会に鋭くメスを入れ、建築を通して課題解決をしていこうという
海外の姿勢にいたく心を動かされつつも、いろいろなご縁やタイミングもあって帰国後、
東京の設計事務所で働くことになりました。
そして、帰国後わずか3か月、東日本大震災を経験することになります。

津波による建物の倒壊や見通しのつかない原発処理問題など
東北の状況が連日メディアによって伝えられ、
いたたまれない気持ちと先行きのない不安に押しつぶされそうになっていたことを
今でも覚えています。震災以降、建築に携わる身として、
この現状にどう向き合うべきか真剣に考える毎日。
半年が過ぎる頃、事務所のスタッフや他設計事務所の方、
デザイナー、大学生などと一緒に福島へ震災復興のため行くことを決めました。

被災地であり限界集落という二重性

まずはいくつかの仮設住宅に出向き、被災した方々のお話をうかがっていたのですが、
訪問した仮設住宅の多くは僻地に建設されており、
閉ざされた環境の中で生活を送らざるをえない被災者の方々がほとんどでした。
そんな状況の中でも、復興に向けて一致団結して
支えあっている被災者の方々が多く、逆に僕らが励まされている気がしたほどです。

その道中、たまたま知り合った現地のNPOの方から、
福島県いわき市にある空き家を仮設住宅に住む避難民や近隣住民の交流拠点として
改修してほしいというご相談をいただきました。

現地調査時の様子。

その空き家がある地域は、
もともと農作業と自営のお店などをされていた方々が多かったのですが、
被災する以前から限界集落という中山間地特有の問題を抱えており、
著しい過疎化に追い打ちをかけるように、
震災による原発の風評被害によって農作業もお店も続けられない、
そんな二重の課題に直面していました。

2階部分の連間。

そこで、僕らは仮設住宅に住む方々が、定期的に訪れながら地域住民と接し、
少しでもリラックスしていただける場所、さらに、周辺住民の方々を雇用することで、
単なる空き家再生に留まることなく、
限界集落に経済的な活動を少しずつ取り戻すことができるような、
応急的かつ中長期的な「まちのリノベーション」を提案させていただきました。

イメージパース。さまざまな内部、外部が連続した空間をイメージ。

建物自体のデザインは、年代を経て増築されており、
木造2階建て、木造平屋、鉄骨造平屋、中庭など異なった個性がつながった空間だったため、
その個性を最大限に生かすことと、最初から過度な内装デザインを施すのではなく、
徐々に地元住民の方々が自分たちで手を加えていけるような
余白のある空間にしようと努めました。

北海道・利尻の 現役おじいちゃん漁師が HIPHOPグループ結成!! 〈リーシリーボーイズ〉デビュー

北海道・利尻町のファンキーなプロモーション

北海道の北部に位置し、利尻昆布やウニで知られる
利尻町が、なんともファンキーなプロモーションをスタートしました。

それが、利尻町内在住の現役漁師3人によるHIPHOPグループ〈リーシリーボーイズ〉。
メンバーは78歳のガンゼ、77歳のめんこE、そして最年長、91歳のコンブアッペカッチャ。
3人合わせて246歳!

本日YouTubeにおいて、彼らが踊って話す
短編CMとプロモーションビデオが公開されました。

デビュー曲の名は『ウィーアーリーシリーボーイズ』! 
NONA REEVESの西寺郷太さんが作詞、HALFBYさんと西寺郷太さん作曲の、
ポップなラップチューンです。

「あぎらがすあぎらがすあぎらがすよりばふらめぐ
あぎらがすよりばふらめぐ」という謎のリリック。
あぎらがすとは“もてあます”、ばふらめぐとは“バクバクする”という意味だそう。

産直〈ふれあいの駅 うりぼう〉
とれたて野菜に、惣菜やお酒まで。
生産者と消費者をつなぐ場所へ

地域の農産物が地元の人に回るための場所を

その土地のおいしいものや食文化が知りたかったら、
農産物直売所に行ってみるのが手っ取り早いが、
いなべ市員弁町にある〈ふれあいの駅 うりぼう〉は、
置かれている商品の多彩さにまず驚かされる。

それもそのはず、いなべには全国的に知られているような特産品があるわけではないけれども、
少量多品目生産をしている農家が多いのだ。
地元の農産物などを扱う産直施設はいまや日本各地にあるが、
うりぼうはその先駆けといえる存在で、1989年に員弁町で始まった朝市を前身としている。

うりぼうの正面入口。開店時間から、多くのお客さんが訪れていた。

「朝市からふれあいの駅うりぼうになった2004年当時、
この辺りは三岐鉄道北勢線の大泉駅がぽつんとあるだけの寂しい場所でした」
と話すのは、農事組合法人うりぼうの代表理事を務める日紫喜淳さん。
農事組合法人とは、小さな農協のような組織。
もともと農協で営農指導をしていた日紫喜さんは、
地域の農業が活性化する方法をかねてから考えていて、
先述した朝市を立ち上げた人物でもあるのだ。

ほのかな甘みを感じ、一度食べたらクセになる〈さくらポーク〉は、うりぼうの売れ筋商品。〈松葉ピッグファーム〉は、いなべで唯一豚肉を生産している。

「四日市などの市場に出荷するためには、
ある程度の安定した生産量を確保しなければいけないけれども、
簡単なことではない。それならば地域の農産物が地元の人に回る、
つまり地産地消をするのが一番いい。地域おこしなんていうと大げさだけど、
旧員弁町は何もないところだったので、自分たちでどうにかしたいと思い、
生産者と協力してうりぼうを始めたのです」

「地域のため」を常に考えている日紫喜さん。

店内に並んでいるのは、野菜や肉などの生鮮食品だけでなく、お菓子や調味料、
お惣菜なども充実。6次産業という言葉が一般的になる前から、
ここでは地元の農産物を使った加工品も積極的につくってきた。

「今でこそ冬場でもいろんな農産物が揃っていますが、
昔はどうしても品薄になってしまったため、加工品にも力を入れてきた結果なんです。
たとえば黒米なんかはお酒をはじめとして、
これまで30種類くらいの加工品を商品化しましたよ。
今残っているもののほうが少ないですけどね(笑)」

売り場の隣にある厨房でつくられたばかりのお惣菜が、店頭に並ぶ。

販売している全商品に、生産者名が表示されている。

涙ぐましい努力と言えるが、うりぼうの店舗の前に2014年にオープンした
〈ジェラートの駅うりぼ~の〉のジェラートは、
近年のヒット作のひとつ。いちごやトマト、さつまいもなど、
いなべでとれた旬の野菜やくだものを使うのはもちろん、
良質なお茶の産地である大安町石榑の緑茶やほうじ茶のフレーバー、
黒米をリゾットにして練り込んだジェラートもあって、ついつい目移りしてしまう。

ジェラートも地産地消が基本。卵を使わず、低カロリーなのが特長。

いとうともひさvol.2
習いながら、施工する。
インストラクターDIYで空き家改修

いとうともひさ vol.2 
プロのサポートによる、DIY

自分の居場所になる空間を、自分でつくれたら生活の幅が広がると思います。
近年空き家の数が多くなって、治安の悪化につながる一因となったり、
また、人が住んでいないことで建物の劣化スピードも速くなります。

建物が空いているのはいい状況ではありませんが、DIYと空き家ってすごく相性がいいのです。
DIYが空き家問題を解決する糸口になるのではないかと考えています。
大きく手を加えることができるので、自分の描いたような空間となる。

しかし、DIYと言っても初心者にはなかなかハードルが高いもの。
そこで僕は、“DIYのインストラクター”といったことができないかと思っています。
プロの職人に任せるだけでなく、
自分たちだけでもない、プロの職人がインストラクターとなりながら、
DIYを進めていくかたちがいいと考えています。今回はそんな事例を2軒紹介します。

習うDIYで長屋をカレー屋店舗に

2017年2月の工事後の写真。コツコツと工事は進んでいます。(撮影:古市邦人)

大阪市東住吉区の連棟長屋にカレー屋店舗をつくりたいという相談です。
店名は、〈nimoalcamo〉(ニモアルカモ)。
依頼主の古市邦人さんは当初工務店への相談を考えていたのですが、
でき上がりがイメージできないということと、
作業するのが好きで自分も工事に参加できる方法はないかということで相談をいただきました。

古市さんの持っている空間のイメージを客観的に立ち上げるために、
DIYだけでもない職人だけの工事でもない、その真ん中のやり方として
僕がインストラクターとなり作業をレクチャーする立場で
工事に参加させてもらうことを提案して、こころよく了解してもらいました。

2016年7月、工事前にテープを貼って実測している様子。

空間を前に実測し、大きさのイメージを確認します。
アイデアを出し合い、予算を確認しながら
「手をつける場所と手をつけない場所」の選択をして一緒に輪郭をつくっていきます。

何気ない会話が、アイデアソースに

そのためにはまず現状の空間を褒めるところから始めます。

「この階段、華奢だけどかわいいよね」とか

「天井はこのまま見せてもカッコいいじゃない?」とか

「床のワイルドさ、こんな雰囲気を生かして全体をつくりたいね」

などが古市さんとの話のなかで浮き上がってきました。
これを最初の計画に組み込んで、床と天井と階段は手をつけないという選択をしました。
全体に手を加えることができなくても、
厨房に集中してアイデアを投入することで最大の効果が出せるように計画を進めます。

話をしているなかで「舞台装置のような厨房」というキーワードが出ました。
それをもとに天井を下げて床を上げて、
厨房がこの空間の中で浮き上がって見えるような演出を考え始めます。
この会話でふたりともイメージが膨らみ、ワクワクしたのを覚えています。

次に仕上がりの材質を選択します。
木なのか、鉄なのか、ペンキなのか、漆喰、モルタル、化粧パネル、ガラス……
どの部分にどの素材を使うかという選択は、
組み合わせで言うと星の数ほどありますので相談しながら決断していきます。
照明は現場用のライトの傘をひっくり返した造形をそのまま採用。

古市さんが製作した建具。右手に写っているのが現場用照明の傘をひっくり返したワイヤーシェード。(撮影:古市邦人)

やりたいことは無限に出てくるので、組み合わせを考えないと混乱してしまいます。
素材の選定から、前もって計画をしてから次の工程に進みます。

古市さんのイメージをもとにここではコンクリートの床の無垢な表情に合わせ
厨房の内部を仕上げるように素材をチョイスします。
コンクリートブロック、コンクリート補修塗料、
厨房内土間はコンクリートを金鏝(かなごて)で押さえて、
金額的にも予算内でクリアする見通しが立ったので次に進みます。

作業段階に移っても、選択だらけです。
「職人に任せる」or「自分でやる」という選択をひとつひとつしていき、金額に反映させます。
古市さんは、まず自分でやってみる。
わからなかったらインストラクターを呼ぶ、
または職人にお願いするような順番で作業を進めました。

手伝いに来てくれた知人にも作業をレクチャーし、工事してもらいます。(撮影:古市邦人)

結果、水道工事・電気工事・カウンターの製作や扉の吊り込みなどは僕が工事し、
それ以外の部分を古市さんが担当することになりました。
建具やスツールもつくってしまうこんなカレー屋さん、一度行ってみたくなりますよね。

古市さんがDIYで作ったスツール。足はガス管を切って組み合わせています。(撮影:古市邦人)

徳島県三好市の
うだつマルシェ&酒まつりは
子どもも大人も楽しめる
ワンダーランド!

“四国のへそ”に位置する徳島県三好市では、
夏と冬の2度、〈うだつマルシェ〉と〈四国酒まつり〉が開催されている
(夏の酒まつりは小規模開催)。
両イベントが行われるこの1日は人口2万7564人の三好市が
毎年、いきなり人口密度が高くなるという。
第16回うだつマルシェと第18回四国酒まつりが同時開催された
2017年2月18日は、なんと2万3000もの人が訪れたのだ。

一度参加するとクセになる?  年齢問わずにまちを遊ぶ1日!

「あら、東京から来たの? じゃあ、これ食べていきなさいよ」
到着早々、うだつマルシェ出店者のお母さんのつくったお餅をぱくりと試食。
なんと! もっちりつき立ての滋味深きおいしさよ。
「あんも手づくりなのよ〜」「へえ〜おいしいです!」
と、思わず頬も緩むようなやりとりをしながら、
うだつのまちを、イベント地図片手に歩いてみる。

連載第1回で訪れた三好市池田町のうだつのまち並みで開催されている
〈うだつマルシェ〉の賑わいについては以前から耳にしていたが、
いきなり出会った地元のグループ〈一輪一房〉のお母様方の
元気のいい笑顔と“おせったい”に、遍路文化の息づく徳島らしさを感じてほっとした。
池田町で繁栄した、刻みたばこ産業の歴史を感じさせる
うだつのあがっている家が立ち並ぶ本町通り沿いには
骨董品などの古いものやクラフト、フードなど
素材や製法にこだわったものを提供する“小商い”の出店が立ち並んでいる。
どよめきが起こったので、その方向へ向かったら、
大道芸人がパフォーマンスをしており、
周囲にはたくさんの人だかりができていた。
うだつマルシェの1日に合わせて、ちんどんや大道芸、ワークショップ、
映画上映などのイベントが開催されているのだ。
まるで、四国の真ん中の山あいのまちに、
ワンダーランドができたかのような賑わい。
子どもならずとも、大人も心が躍る。さあ、何を食べよう? 

大道芸人、みの吉さんのパフォーマンスは、12時、14時からと公演は2回だったが、どちらも人だかりができて賑わっていた。最前列の子どもたちの真剣な眼差しに注目!

ランチをどれにしようと探していたら、〈れんこんDELIつぴつぴ〉なる看板を発見。徳島名物のれんこんを栽培している農家自らが出店し、レンコン揚げを出していた。歯ごたえシャクシャク、おいしい!

築山さん一家は現在働く〈いただきます農園〉で栽培しているれんこんをコロッケやフライドれんこんにして提供している。〈れんこんDELIつぴつぴ〉の看板では、初出店。1年半前、大阪から徳島に移住し、自然農にも取り組み、新しいかたちでの農家経営を目指す。

神山町からやってきたタイラーメン店〈アジア麺あまくま屋〉で、まずはタイラーメンを一杯いただきます! やさしい味なので、子どもやお年寄りも食べられそう。

おいしそうなエクレアは、地元三好の出店者〈ハレとケ珈琲〉。食後のデザートは別腹!

ココナツ油で揚げているので軽い口当たりの〈七穀ベーカリー〉の豆乳ドーナツ。

大人気の豆乳ドーナツ屋〈七穀ベーカリー〉前で小さなお客さんふたりと。有機豆乳や国産小麦粉、きび砂糖、天日塩などを使用し、卵や乳製品不使用なので、小麦アレルギーなどがあるお子さんにも安心。お土産にたくさん買い求める人も。

77店舗の出店中、食べもの関係の出店は31店。
ひとつしかない胃袋で食べられるのは多く見積もっても3つばかりだろう。
一食も無駄にできまいと、お店を探すことに集中すると、
ほかではお目にかかることのないような特別感があるものが揃っていることに気づく。
個性あふれる出店者は、地元徳島をはじめ大阪や四国中から集まっているという。
工夫を凝らして丁寧につくられた商品をマルシェで売ると
お客さんの反応がじかに伝わるので、つくり手のメリットも多い。

大阪の寝屋川から車でやってきている〈七穀ベーカリー〉は、
ココナッツオイルで揚げた豆乳ドーナツが売りの出店者だ。
うだつマルシェだけではなく、高知のヴィレッジやおやつ神社など
人気のイベント常連の、知る人ぞ知る人気の出店者だ。
店主の山本洋代さんは、うだつマルシェの魅力をこう語る。
「まず、四国が大好きなので、四国のイベントには積極的に参加しています。
マルシェに参加することで出会える人たちがいて、
仲良くなった出店者が紹介してくれたりもします。
うだつマルシェは、地元の人や家族連れが多くて、のどかでいいですよね」。
確かに、見渡すと子どもがあちこちで駆け回っていた。
出店しているお店は大半が個人商店で、
どちらもこだわった素材を使っている職人気質のお店揃いだ。

そんななか、〈四国酒まつり〉の会場から流れてきた
酔っ払いが陽気に挨拶しながら歩いてくる。
知り合い同士で肩を組み、わきあいあい。楽しそうだ。
同じ通りでは、ご近所さんたちが立ち止まって挨拶していたり、
通りを子どもが駆け回っていたり。
ピースフルなひとときに、普段のまちの様子を想像した。

お餅を食べさせてくれた〈一輪一房〉のみえ子さんも、店番を頼んでお買い物を楽しんでいた。ふだんの〈一輪一房〉は古布を使ったリメイク教室をやっていて、ときどきマルシェに出店するのが楽しみなのだそう。

勝手に作る商店街サンド:
百合根がこんなにおいしいとは!
北海道帯広編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる、一石二鳥の企画なのだ。

真冬の帯広でサンドをつくる!

今回は北海道の帯広市にやってきた。
食料自給率1000パーセントを超えるといわれる食の宝庫、十勝地域にある。
世界で唯一のばんえい競馬場があったり、
縁起が良さそうと多くの人が訪れる〈幸福駅〉(廃駅だけど)、
豚肉を甘いタレで食べる〈豚丼〉で有名である。

そしてさすが北海道、冬となれば寒さも売りのひとつ。
夜はマイナス20度にもなり、
だからこそ見ることのできる幻想的な光景に出会える。

冬の帯広は純白の世界が見られる! 空気がキラキラと光るダイアモンドダストも。

まさに白銀の世界。

早朝に参加した十勝川の川下りでは、これまで見たことのないファンタジックな光景が見られた。▶︎協力:サムライプロデュースへリンク

そんな帯広での商店街サンド作り。
帯広観光コンベンション協会の中村 絵美さんに協力いただき、
マイナス7度のなかでスタートした。

中村さんはもともと東京出身だが、
大学がきっかけで帯広に住むようになってからは「もう東京には戻れない」という。
その魅力を聞きながら駅前の商店街を進んだ。

見事な十勝晴れ。十勝地方は雪以外、基本的に晴れらしい。

晴れor雪!

帯広の魅力のひとつに、とにかく天気がいいというのがある。
〈十勝晴れ〉と言うそうで、
梅雨はなく、一年を通して9割も晴れているのだそうだ。
残りの1割は? というと雪なのである。
雪は、はたけば落ちるから傘いらずの気候といえるかもしれない。
それだけでもうらやましい!

もう東京には戻れないですね、と中村さん

そして、このあたりは〈モール温泉〉という茶色に濁った温泉がわいている。
車で少しいけば、すばらしい眺めとおいしい食事が堪能できる温泉宿が多数あるのだが、
駅まわりのビジネスホテルや銭湯でも同じ温泉に入れちゃうそうだ。

帯広といえば豚丼だ。ここは駅前にある元祖豚丼のぱんちょうさん。サンドに入れられないので残念だけどスルー。

近くの精肉店は何かあるかな。

コロッケなどの加工品は売り切れていたが豚丼の特製ダレが売られているのを発見。豚丼のタレは店によって微妙に違うそう。

帯広は魚よりだんぜん肉!

少し歩いただけでも帯広名物の〈豚丼〉のお店や精肉店、
ジンギスカンが食べられるという焼き肉屋さんが見つかった。
帯広は肉料理が豊富なのだ。

逆に、海鮮料理屋さんは少ない。
北海道のなかでも内陸部にあって魚がとれないためだ。
なのに「北海道に来たら海鮮でしょ!」と
勘違いする観光客が多くいるそうだが、
帯広に来たら肉を食べるべきなのである。

海鮮がどうしても食べたいという人に案内するお店。帯広では貴重かも。

中村さんはほかにも、帯広にはおいしいものが多いことや、
春夏秋冬がしっかりと感じられるところが好きだと言っていた。
冬は確かに寒いけど、意外と苦ではないという。

夜に来たい、〈北の屋台〉。

帯広グルメの登竜門

商店街の一角には〈北の屋台〉そして、
車道を挟んだ向こう側には〈十勝の長屋〉へと続く、
小さな飲食店が並ぶ飲み屋街があった。
あわせて4〜50ほどの店がありそうだ。
昼なので開いていなかったけれど、夜は地元の人や観光客で賑やかになるという。
どこもすぐに満杯になってしまいそうな小さいお店は
とても居心地よさげに見えた。
隣の店で注文したものを食べてもOKというのもおもしろい。

ちなみに、ここに並ぶお店は老舗ではなく、どちらかというと
独り立ちをするための登竜門のようなものらしい。

お晩です=こんばんは。北海道でよく使われる方言なのだとか。

こちらはスナックが集まるビル。飲みどころには不自由しないまちだな。

ローカルメディアを つくりたいひと集合! 〈CIRCULATION KYOTO〉 まちの見方を180度変える メディアづくり

京都にて、地域の課題を考える新たなプラットフォーム
〈まちの見方を180度変えるローカルメディアづくり
CIRCULATION KYOTO(サーキュレーション キョウト)〉が始まります。

これは、ロームシアター京都と、京都市文化会館5館が
連携事業として行うもの。
参加クリエイターと公募で選ばれた参加者が
ワークショップを通して地域の課題や魅力を見つめ直し、
それを伝えるローカルメディアをつくっていくのだそう。

ディレクターは『ローカルメディアのつくりかた』編集者・影山裕樹さん

ディレクターは、全国各地で発行されるフリーペーパー、本、雑誌のつくり手を
取材した『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016年)の編集者、影山裕樹さん。
今回のプロジェクト立ち上げに際して、次のように語っています。

「CIRCULATION(サーキュレーション)という名前には、
山科区、伏見 区、西京区、北区、右京区の五区の地域を線でつなぎ、
そこから洛中に向かって発信される情報の流れを生み出したい、
という意図が込められています。
歴史あるまち、地域の人と人のつながりが強い京都だからこそ可能な、
ユニークなメディアのあり方がきっとあるはずです。

それは、紙やウェブといった従来のメディアのかたちにとらわれる必要はありません。
コミュニティラジオ、団地の回覧板……。
はたまた、かつて河原や辻など人の集まる公共の場に立て札を立て、
匿名で洒落の効いた社会批判を書き込んだ落首(らくしゅ)のように
“ローカルメディア”は古くからあらゆるかたちで存在してきた、と
考えてもいいかもしれません」

「CIRCULATION KYOTO では、“ローカルメディア”をキーワードに
京都らしい歴史とローカリティを参照し、
参加者が主体となってメディアを制作します。
その活動のプロセスそのものが、地域の人と人、
人と劇場や文化施設の新たなつながりを育むことでしょう。
この目に見えないネットワークを形成することこそ
“ローカルメディア”づくりの醍醐味のひとつでもあります。

また、ここで生み出されるメディアは、さながら映画や演劇の
脚本のような役割を持つかもしれません。
登場人物は京都に暮らす人、京都を訪れる人たちです。
彼・彼女たちはこのメディアを手に、バスや自転車、地下鉄や
自家用車に乗って弧を描くように京都を歩き、
これまでに気づかなかった風景やまちの意外な魅力を
発見することになるでしょう」(影山裕樹)

トミトアーキテクチャ vol.4
CASACOの日常のはじまり。
設計者として運営に関わること

トミトアーキテクチャ vol.4

2016年4月9日、今から1年ほど前に、横浜市の丘の上の住宅街に木造二軒長屋を改修した
〈CASACO〉(カサコ)は無事オープンの日を迎えました。
改修のお手伝いをしてくれた多くの方々や、
CASACOに期待を寄せてくださるまちの方々に見守られるなか、
これから始まる「日常」のことを思っていました。

オープン時のメンバー。 後方左から冨永美保、伊藤孝仁、濱島幸生、玉腰純、前方左から春日井省吾、柴田真帆、加藤功甫。(photo:大高隆)

オープニングイベントの際の様子。(photo:大高隆)

石をたたいたり、埃まみれになったり、壁を壊したり、ペンキを塗ったり。
「汚れてもいい格好」で過ごした6か月間の「非日常」な日々から、
突如として穏やかな日常へと切り替わる。正直なところ、あまり想像がつきませんでした。

オープンの日は、設計者にとってみれば、ある責任から解放される日です。
ただ私たちは、継続して運営にも関わっていくことに決めていました。

旅・教育・まちづくり・建築といったバックグランドをもつ7名のメンバーが
CASACOの運営を担っています。
週1回のミーティングと、ウェブ上での情報共有を基本に、
CASACOでの出来事や活動を整理し、時間や空間やお金のマネジメントをしています。
CASACOがどういう場所であるべきかを、
短期的・長期的な視点にたって試行錯誤しながら検討しています。

自分たちが設計した建物が、どのように使われ、どこに問題があり、
どういった工夫を経て誰かの居場所となる日常を獲得していくか。
空間に血が通っていくプロセスを最前列で体験することは、
私たちにとってこれ以上ない学びの機会でもあると思いました。

CASACOの大家さんにお願いをして、同じ敷地内の建物の一室を事務所としてお借りしました。
設計中ずっとお世話になった横浜の古民家(vol.1登場)を後にし、
窓からCASACOが見える場所へ。トミトアーキテクチャの活動を始めて、
2年が経った頃でした。

(photo:大高隆)

住宅と公共的なスペースを両立させる運営は可能?

CASACOの現在の使われ方は、1階と2階で異なるのが特徴です。
2階はシェアハウスの居住スペースで、4つの部屋があります。
そのうち1〜2室は海外から語学留学に来ている学生のための
ホームステイ用の部屋になっており、スペースの管理を担う住民が、
ごはんや日本語の勉強の世話をしています。大きな広間やキッチンがある1階は、
住民の共有空間でありつつ、時間によって住民以外のまちの方々にも使われるような、
広い意味での共有空間です。

地域住民の「日直さん」によって運営されるカフェやバーであり、
ママさんたちのクラブ活動の場であり、子どもが放課後に立ち寄れる児童館のようであり、
散歩中にふと立ち寄る休憩スペースであり、
旅人が観光地では味わえないローカルな体験ができる場所であり、
いろんな人が出会い、思い思いの時間を過ごす場所です。

月毎に発行しているカレンダー。日直さんの個性があらわれるプログラムが日替わりで実施されています。

住宅でありながら不特定多数の人にスペースを開くというのは、
実は相当にチャレンジングなことだなと日々痛感しています。
曜日や時間、登場する人物によって場所のキャラクターが変わりながら、
人が居心地よく時間を過ごすために、きめ細かい調整を行う運営が必要になります。

毎日のようにイベントが実施され、たくさんの人がCASACOに出入りをしていたら、
2階の住民の心が休まりにくいですし、
1階がいかにも家のようになってしまうと入りにくい雰囲気になってしまいます。
また、CASACOが持続的に運営していくために必要なお金を稼ぐ必要もあります。

住民とまちの人、よそから遊びにくる方の関係をよりよくするための、
空間と時間とお金のマネジメントの方法を、試行錯誤しながらつくっていっています。

日本初〈レストランバス〉 走るレストランで新潟の ガストロノミーツーリズムを体験!

1階がキッチン、2階がテーブル席の〈レストランバス〉

4月1日(土)〜6月28日(水)まで、
新潟を日本初の〈レストランバス〉が走ります。

レストランバスとは、1階がキッチン、
2階にテーブル席を備えた観光バス。
点在する地域の魅力をつなぎ、
食を通じて自然、歴史、文化などを知り、楽しむツアーです。
料理は、シェフが地域の食材から仕立てたコース料理というのもうれしい。

これは、新潟市が取り組んでいるガストロノミーツーリズム(※1)の
一環として行われるもの。

新潟市は、港まちとして発展した歴史の中で育まれた
料亭文化や地酒、発酵食など多彩な食の魅力をあわせもちます。

バスが向かう先は、酒蔵やワイナリー、港まち、田園、砂丘などなど。
天気が良ければ、オープンルーフ(※2)の席でご飯が楽しめます。
気持ち良さそうですね!

※1 ガストロノミーツーリズム:田園と港まちの共存による多様な食文化を活用し、食と農と文化を融合することで、地域活性化や交流人口の拡大につなげるため、食を通じて地域の自然、歴史、文化などを知り楽しむツーリズム。

※2 一部のテーブルの天井はオープンルーフではありません。

仕掛人は若い農家と料理人。
元旅館の空き家を再生した、
三重の〈上木食堂〉へ

店長と大家が仲良く働き、オーナーがふらりと訪れる食堂

ランチタイムは、小さな子どもを連れたママたちや、
ちょっぴりおめかしをした中高年の女性などが集い、
夜になるとボトルキープをしている常連のおじさんの横で
女子会が繰り広げられる〈上木(あげき)食堂〉。

のれんをくぐって引き戸を開けると広がる、ほっとするような懐かしい空間。
入り口横のコンパクトな厨房では、店長の松本耕太さんが立ち回り、
松本さんのつくる料理を、この建物の大家さんでもある林典子さんが運んでいる。

ランチは、2種類から選べる。この日の日替わりは八風農園の自然栽培の野菜をたっぷり使った本日のランチ「さわらとブロッコリーのフリット 甜醤油ソース」(1000円)。

クラシカルな家具が似合う店内。手前のテーブルにしている木箱は、旅館で使われていたもの。

2016年11月にオープンして以来、昼も夜もにぎわっているこの食堂は、
いなべ市のほぼ中心に位置する阿下喜(あげき)地区にある。
その昔、桑名市三ツ矢橋町からいなべ市藤原町山口へ続く、
約25キロの濃州街道の宿場町として栄えた阿下喜には、
趣きのある町屋が今も多く残っていて、上木食堂もそんな建物のひとつだった。

「ここはもともと100年以上続く旅館で、宿泊客のメインは行商の薬屋さんでした」

と、上木食堂の改修前を知る林さんは説明する。

店内には阿下喜地区にたくさんの人が訪れていた頃の写真が。上の写真には旅館だった当時の建物が写っていて、通りは、苗木市でにぎわっている。

行商の方はお見えになると、大抵3か月から半年くらいは滞在するんです。
入り口がこんなに広いのは、
お客様の使う自転車やバイクがここにずらりと並んでいたからなんです」

行商の衰退と、林さんのお父さんが亡くなったことを機に、
旅館を閉じたのは1990年。それからいつの間にか、長い年月が経ってしまっていた。

「建物の老朽化が進んでいたので、
近所にご迷惑をかけないためにも早く解体しなければと思い、
中に残っているものをようやく片付け始めていたんです。
そしたら息子の友だちから『壊すつもりなら、
改修して食堂にしたいと言っている人がいるんだけど、貸してもらえないか?』
という話がきたから、びっくりしちゃって」

改修前の上木食堂の建物。右の窓部分は現在、テイクアウトのコーナーになっている。

密かにそんな計画を練っていた人物は、
藤原町で農業を営んでいる〈八風農園〉の寺園風さん(移住インタビューはこちら)。
2013年に名古屋市から移住して自然農法で野菜を育てている寺園さんは、
自分が生産した野菜を使い、気軽に仲間が集えるような店が、
いなべにほしいと常々思っていたのだ。

「移住して、阿下喜の日帰り温泉によく行っていたのですが、
この辺りの雰囲気がよくてずっと気になっていたんです。
仕事の合間にここへ来てコーヒーをテイクアウトしたり、
ふらりと立ち寄ってみたら友だちがいるような場所があったらいいなって」

寺園 風さん。

とはいえそれは「いつかできたらいいな」という程度の、
漠然とした夢みたいなものだった。しかしこの物件に出会って、
行動せずにはいられなくなってしまった。

「初めてこの建物の中に入ったとき、高揚感を抑えたんです。
僕の今の仕事の状態では、お店をつくることなんて無理だと思っていたから。
でも何回か足を運ぶうちに、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね」

旅館当時の受付カウンターがそのまま残っており、おもしろいつくり。

農作業で忙しい寺園さんが、店につきっきりになるわけにはいかない。
店を任せられる適任者はいないかと、野菜を配達している車中で思い浮かんだのが、
当時、名古屋のカフェで働いていた松本さんだった。

上木食堂では、八風農園のとれたて野菜も販売されている。

移住と独立、両方する覚悟はある?

ふたりが出会ったきっかけは、松本さんが勤務していたカフェで企画した野菜の直売イベント。
出店者を探していた松本さんは、
たまたま同い年の若い農家がいることに興味を持って、寺園さんに声をかけた。

「当時から彼は週2ペースで名古屋に野菜を売りに来ていて、
そのイベント以降、うちの店で野菜を使わせてもらう関係が
2年くらい続いていたんです。そんななかで、僕がいつか独立したいと思っていることとか、
彼のいなべでの生活についてあれこれ聞いて、移住するのもありかななんて話もしていて、
それが彼の頭に残っていたんでしょうね。
『そういえば、あのときの話って生きてる?』って
この物件のことを教えてくれて、
『移住と独立、両方する覚悟があるなら来ない?』と言われたんです」

〈Voyage of night 3〉 大型客船を迎える岡山県・宇野港で 瀬戸内海の魅力いっぱいの マルシェイベント

大型客船とマルシェ!?

2017年4月16日(日)、岡山県玉野市の宇野港にて
入港イベント〈Voyage of night 3〉が開催されます。

これは、京都の舞鶴港を出港し、宇野港に到着する客船〈ロストラル〉の乗船客と、
宇野港に集う人たちが出会うイベント。マルシェやライブ、ワークショップが楽しめます。

主催は玉野市住民や大学生、高校生からなる
〈UNOICHI〉実行委員会のみなさん。
「みなとまちでつなげよう」をスローガンにミーティングを重ね、
瀬戸内海からおもしろいこと、おいしいものをセレクトし準備してきました。

おもてなしするのは、岡山と香川の高校生、大学生たち。
入港に合わせたマルシェとは、何ともロマンがありますね!

入港客船〈ロストラル〉(フランス船籍) 総トン数:10,700トン 全長:142メートル 船客定員:264名 クルー:140名

当日は、倉敷ふるさと大使のシンガーソングライター、吉永 拓未さんや
海の合うバンド〈tocamos!!〉、宮田武士さん、植田章敬さんによるライブ、
玉入れ競争、お手玉、ダルマ落としなどの催しを開催。
子供から大人まで楽しめそう!

野菜たっぷりの魯肉飯と季節のドリンクを提供する〈やさい屋ポッケ〉さん。

古民家宿LOOF vol.5
山梨の集落で2棟目の空き家を、
小さな子どもも安心の宿へ

古民家宿LOOF vol.5

山梨県笛吹市芦川町で運営している、
古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉ができるまでを綴ってきました。
前回までに紹介した1棟目の澤之家が完成後、
すぐにお借りできた2軒目の空き家は、
1棟目の澤之家から徒歩1分のところにありました。

改修を急ぐ理由

改修が本格的に始まったのは2016年1月からでしたが、
どうしても冬の間に改修をしたくて、
大家さんにも年末の忙しい中ドタバタで契約をさせていただいたのは、
お願いする大工さんのことがあってでした。

今回2棟目の改修をお願いしたのは
芦川町に10年以上住んでいる大工さんの根本則夫さん。
冬の間だけ狩猟をするため、芦川町に住んでいる方です。
毎年11月〜3月の狩猟期間だけ芦川町に来ては、
毎年どこかのお家の改修をお願いされて大工をしながら狩猟をしています。
私が芦川町に帰ってきてからすぐに知り合い、とても良くしていただいていた方で、
どうしても芦川町で改修をしていくなかで1棟はその方にお願いしたいと思っていました。

思いがけず早くに2棟目を始められることになり、
それならばぜひ根本さんにお願いしたいと
根本さんの滞在している冬の期間に合わせて改修を行うことにしました。

2棟目に借りられることになった古民家。

大家さんとまずは大そうじ

今回は夏前のオープンを目指したいと思い、宿づくりアカデミーは行わず、
基本的にはボランティアを入れずに行いました。
物件が決まってから始まるまではとても早く、お借りすることになってからすぐに
大家さんや親戚の方が大掃除に来てくださいました。

改修前の台所。

大家さんたちと大そうじ。

古民家を改修するのになによりも大変なのはゴミ捨て。
澤之家同様、今回もものすごい量のゴミが出てきました。

2棟目の物件はとても立派な大黒柱や天井板を使用しており、
大家さんからもできるだけそのまま使用してほしいとお願いされていました。
そこで今回はもともとあった立派な木材が生きるような内装にすることにしました。

大工の根本さんと打ち合わせ。右奥にあるのが、改修前の立派な大黒柱。

2棟目ということもあり、旅館にするための手続きなどは自分で行い、
施工も基本的には大工さんと私で行い、建築士さんは入れずに進めていきました。
ただ、なかなか大工さんに私の求めている内装を伝えるのは難しい。
写真などのイメージだけでは伝わりきれず、
やってみてはやり直しという作業が続いてしまいました。

山菜の栽培を研究して20年余り。
「山菜には夢がある!」と、
86歳の今も意欲を燃やす
小田島 薫さん

西和賀にんげん図鑑Vol.6
山菜栽培研究家 小田島 薫さん

西和賀の特産品、と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、山菜。
「西わらび」はその代表で、一般的なワラビよりも粘り成分が多く、
やわらかく、アクが少ないことから評価が高い。
町外から毎年食べに訪れるファンもいるほどだ。

西わらびに限らず、奥羽山系に位置する西和賀町の山菜は、アクが少ないのが特徴。
そしてそれは、〈母ちゃんの店わがや〉の記事にもあるとおり、
豪雪が温室の代わりとなって土や根を守り、
たっぷりの雪解け水が短期間の成長を促すから、といわれている。

そんな魅力的な西和賀の山菜だが、高齢化により山で採取する人は次第に減少。
そこで町では、山菜を特産品として安定供給するため、畑での栽培に取り組むことを決める。
その立役者のひとりが、「山菜栽培名人」として知られる御年86歳の小田島 薫さんだ。

長い年月をかけて研究し確立してきた技術を、惜しみなく披露する小田島さんの人柄を慕う人は多い。

平成3年に営林署を定年退職後、自宅裏の広大な畑で山菜栽培の研究を始め、
平成7年に町の農林課などとともに「ゼンマイ研究会」を発足。
その後平成13年から、町やほかの生産者とともにワラビの栽培にも取り組んだ。
「西和賀の土地や気候が山菜に適していることは確信していましたが、
初めての試みだったので、秋田県の阿仁町や山形県の朝日村(当時)などに出かけて
勉強したんですよ」と当時を振り返る。

ワラビを畑で栽培するためには、山で自生しているワラビの地下茎を掘り出し、
植え替えることが必要だ。
そして、商品価値の高い、太いワラビに育てるためには、
地下茎も太く大きく育てることが求められる。
そこで小田島さんたちは、春に畑の土に生たい肥を混ぜてやわらかくすることで、
地下茎が大きく育つよう工夫。
育てた株は「ポット苗」にして希望者に無料で提供し、栽培者を少しずつ増やしていった。
こうして町ぐるみで普及を進めた結果、平成21年には「西わらび」の商標登録が実現したのだ。

小田島さんはその後、黒系統(茎が紫色)のワラビの栽培にも取り組む。
ワラビには多くの系統があり、現在出回っている西わらびは緑系統。
しかし小田島さんによると、黒系統のほうが粘りが強く、
生で食べられるほどアクが少ないことが、食味試験で実証されたという。

小田島さんが自分の畑で栽培している西わらびは、すべて黒系統。「サラダで食べてもおいしいですよ」

滋賀とスウェーデンの意外な関係。
東近江市〈ことうヘムスロイド村〉で紡ぐ、ものづくりのストーリー

ヘムスロイド=手工芸の村ができるまで

滋賀県の南東部にある東近江市は、
1市6町が合併した琵琶湖から鈴鹿山脈まで広がる自然豊かな地域。
その東近江市の誕生前、湖東町と呼ばれていた場所に、
全国的にも珍しい、ものづくりの作家が集まる村がある。
その村は、〈ことうヘムスロイド村〉と名前もちょっと変わっているのだが、
立ち上がりの経緯を東近江市湖東支所の山川 恒さんはこう説明する。

「旧湖東町は稲作が盛んなまちなのですが、
一方で梵鐘をつくる鋳物師や宮大工が多く、匠の郷として知られてきた場所です。
伝統を守りつつ、現代のものづくりも推進することを目的として、
平成3年に『工芸と交流の里構想』が策定され、
平成5年3月にヘムスロイド村が完成しました」

東近江市湖東支所の山川 恒さん。

ものづくりの拠点となるような場所をつくるにあたってモデルにしたのが、
スウェーデンのダーラナ地方。
“スウェーデン人の心のふるさと”といわれるこのエリアは、
手工芸など昔ながらの伝統や文化が色濃く残っており、
スウェーデン語で「手工芸」を意味する「ヘムスロイド」と冠した店が
多数存在するそう。こうして田んぼに囲まれた森のなかにできあがった、
ことうヘムスロイド村は、北欧風の建築で朱色の屋根がかわいらしい工房4棟と、
ルンド(人が集まる場所、という意味)と呼ばれるセンターハウスで構成されている。

ちなみにヘムスロイド村が完成して間もなく、
ダーラナ県にあるレトビック市と湖東町は、ともに手工芸が盛んであることや、
地理的に湖の東に位置することなどから姉妹都市提携を結び、現在も交流が続いている。

以上がヘムスロイド村の概要なのだが、
気になるのは、どんな作家がものづくりを行っているか。
現在入居している5組6名の作家の工房と、
カフェとなっているルンドにそれぞれお邪魔してみることにした。

愛犬とともに出勤し、音を気にせず制作に没頭

木工工房〈tanaka wooden works〉の田中智章さんは、
湖東町と同じく現在は東近江市になった、木工の盛んな永源寺町出身。
ヘムスロイド村に入居したのは2015年9月で、
それ以前は東近江市杠葉尾町で制作活動を行っていた。

〈tanaka wooden works〉の田中智章さん。工房には機材も木材も数多く置かれているがどれも整理整頓されていた。田中さんはいつもお気に入りの音楽をレコードで流しながら作業に励む。

「ヘムスロイド村のことは前から知っていて、
どうすれば入居できるんだろうってずっと憧れていたんです」

何よりも憧れたのは、その制作環境。
「ここに来る前はごく普通の集落のなかにある、
住居の隣の小屋を工房にしていたので、大きな音をたてると気兼ねしてしまうし、
残業ができなかったんです。何回か工房を引っ越したのですが、
そのたびにここの存在がちらついていました」

田中さんの前に入っていた木工作家が退去することになり、
知り合いの大工さんからいらない機械を引き取らないかと言われ、
待ってましたとばかりに応募。
広々としたこの工房には木工作家が代々入居していたこともあり、
使い勝手のよさを感じている。

「広くて天井も高いので、大きな家具をつくるときもまったく苦になりません」と田中さん。

きれいな光が入るのでせっかくだからと、工房の一角に展示スペースを制作中。

車で片道30分の距離を、愛犬の縁(ユアン)も毎日出勤。
ヘムスロイド村に着いたらまず散歩をするのが日課だ。
「雷は怖がるんですけど、機械の音は落ち着くみたいで、
仕事中はずっと工房で寝てますね(笑)」

制作に没頭できるこの環境は、作家にとって理想的といえるだろう。

とても人懐っこい愛犬、縁(ユアン)と。

豊岡市×演劇×平田オリザさん
いま、全国で注目の教育法を
東京で体験

「飛んでるローカル」で、子どもも羽ばたく。
豊岡市の最先端のコミュニケーション教育が東京にやってきた!

兵庫県北部にある豊岡市には、子どもたちが楽しみにしている保育や授業がある。
脳や心の発達を促す「運動遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
幼児期から英語に触れる「英語遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
そして、演出家・劇作家の平田オリザさんが監修する
コミュニケーション教育の授業(小・中学生対象)。
これらは市内すべての幼稚園、保育園、こども園、小・中学校で行われる。
豊かな自然の中でコウノトリが羽ばたくまちとして知られる豊岡は、
実は子どもが羽ばたく準備を教育面から支える、教育先進都市でもあるのだ。

2017年3月、東京都内にて、豊岡市の教育を体験できるワークショップが行われた。
先生は平田オリザさんや、全国の舞台を中心に活躍する現役の演出家、俳優、
普段豊岡で運動遊びを実践している豊岡市教育委員会の指導員たちだ。

子どもたちは2〜3歳児、4〜6歳児、10〜12歳児クラスに分かれ、
それぞれ30分ほどのワークショップを体験する。
東京の子どもたちが、たったの数十分でどこまで変われるのだろう?
かくしてワークショップが始まると、
子どもたちの変化に驚かされることになった。

いよいよ運動遊びを体験!

当日の朝、9時半。会場のノアスタジオ 学芸大スタジオの一室に近づくと、
子どもたちの嬉々とした声が聞こえてきた。
広いフロアーに解放された子どもたちが、床の上を走りまわっている。
今日のひとコマ目は、2〜3歳児を対象とした運動遊びのクラス。
先生は、豊岡市教育委員会こども育成課の仲義 健(なかぎたける)さん。
颯爽とした体操のお兄さんといった雰囲気だ。
まずは教室の真ん中に集まり、レクチャーを受ける。

豊岡市教育委員会 こども育成課 仲義 健さん。

「昔は子どもが空き地で遊んでいて、
子ども同士の遊びのなかで身につけていたものがたくさんありました。
今の遊びは、ほとんどがゲームですよね。
このままではイカンということで、豊岡ではこんな取り組みをしています」

ここで仲義さんは、簡単な運動を教えてくれた。
右手は右へ回し、左手は左へ回し、交差するところで拍手。
それを数回繰り返したら、今度は逆回し。
単純な動きだけど、逆回しに戸惑ってしまった。

「体には400の筋肉があり、この筋肉を動かすのが、脳です。
その脳と筋肉をつないでいく作業、これが10歳までに完了します。
なので、この動きがすぐにできる人は10歳までにたくさん遊んだ人です」

運動遊びでは、こうした簡単な動きにはじまり、
楽しみながら運動をしていくうちに「動ける身体」をつくり、脳と心の成長を促していく。
松本短期大学教授の柳沢秋孝さんが考案しているプログラムをアレンジしている。
でも、なかには今日体験する運動遊びの動きをすぐにできない子もいるでしょう、と仲義さん。
そんなときの対処法も教えてくれた。

「子どもさんができなかったときは、見ているだけでいいです。
『なんでできないんだ』というのはNGです。
脳は人の動きを見ているだけでも、実際に体を動かすときと、同じところが活性化しています。
もし、家に帰ってから同じ動きをしたら、その時は思い切りほめてあげてください。
僕は11年間この仕事をしていますけれど、
笑顔、ほめる、触れあう。この3つが揃えば、子どもは間違いなく健やかに育つ、そう実感しています」

遊んでいる間に、スキンシップが生まれる

この後は、いよいよ実践。
手をつないで、部屋のなかをぐるぐるまわったり、
オムレツに見立てた子どもを床の上で揺すったり、軽くほうり投げて受けとめたり。
子どもたちのテンションはみるみる上がっていき、
親御さんたちも童心にかえったような顔をしている。

お父さん、お母さんに背負われておもいっきりダッシュ! 仲義さんはフェイントをかけて笑いを誘い、緊張を解きほぐしていく。

フライパンを揺すってオムレツをつくるように、子どもの足を持ってゆ〜らゆ〜ら。

最後はオムレツを腕の中で成形して……かぶりつく! 子どもたちのキャッキャと甲高い声が響く。

一番盛り上がったのは、動物に変身するゲーム。
四つん這いで歩くクマさん歩きや、ほふく前進のように進むワニさん歩き、
お父さんたちの腕に子どもがぶら下がる象さん歩き。
これらの運動が、自分の腕で体を支える力や、ジャンプ力、ぶら下がる力を身につけ、
「動ける身体」をつくっていくという。

象さん歩きは、支えるほうの体力も必要! お父さんお母さんにとってもいい運動になったようだ。

小さい子どもも少しずつ、一歩ずつ。できなくても注意せず、笑顔で楽しもうとすることがポイント。

ワニさん歩き。大人も子どもも楽しそうに床を這う。

楽しんでいるうちに逆上がりができた!

4〜6歳児クラスでは、もう少し難易度の高い運動が行われた。
感動的だったのは、懸垂の練習から始めた女の子が、逆上がりができるようになったこと。

「腕と脇の下に接着剤を塗ります。ペタペタ」と、逆上がりの一番のコツである、腕と胴体を離さないためのおまじないをかける仲義さん。

おまじないが効いた!? 簡単な補助で、逆上がりができた!

「懸垂とひっくり返る動きができれば、逆上がりができるようになります。
体重が30キロを超えると難しくなるので、小さいときから始めることが大事ですよ。
今日やった動きができるようになれば、跳び箱や側転もできるようになります。
親子でにこにこ遊んでいれば、できるようになるんです。
運動が脳の発達を促すというと、スポーツを強制しようとする親御さんがいるんですけれど、
大事なのは子どもが進んで遊ぶことです。
大人の役割はスポーツクラブに強制的に行かせるということではなく、
まずは一緒に遊んであげること。
豊岡では、そんな『運動遊び』を推進しています」

ワークショップの最中には、ぐずりだした子もいた。
でもその子は、最後までお父さんの膝に座って、みんなが遊んでいる様子を見ていて、
仲義さんにポンと頭を撫でられ帰っていった。
仲義さんはそういう子がいても、決してガミガミいわない雰囲気を大事にしているという。

「最初は消極的だった子も、続けていくうちに化けますよ。
そういう子がいかに『やってやろう』となれるか。
そういう機会をつくれるのが、運動遊びのいいところ。
幼稚園・保育園・こども園で行う運動遊びの時間だけではなく、
家に帰ってからも大事です」

こんなアクロバティックな動きも……!

豊岡では、現在37の幼稚園、保育園、認定こども園で、この運動遊びを取り入れている。
また、0〜15歳を一元的にとらえる施策も進められており、
幼稚園の子たちと小学生が一緒に遊ぶ試みなどが行われている。

名古屋市有松で、受け継がれ、
更新されていく。
伝統の〈有松・鳴海絞〉と
まちの進化

〈有松・鳴海絞〉が今もなお残っているという奇跡

JR名古屋駅から、電車で約20分で行くことができる名古屋市緑区有松。
旧東海道の両脇に当時の豪壮な旧家が今も残された有松のまち並みは、
2016年7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2017年1月、新たに2か所の観光案内処がオープンしました。

観光案内処は2か所つくられ、いずれも古い建物を利活用したリノベーション物件。

まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができる
古き良き景観だけがこのまちの魅力ではありません。

〈有松・鳴海絞〉と呼ばれる、400年の歴史を持つ染物産業が
今もなお、受け継がれ、日々進化を遂げているのです。

有松の歴史は江戸時代にまで遡ります。
もともと平地が少ない丘陵地帯であったこの土地は
耕作に向かず、農業は発展することがなかったため、
この地に住む人々は、名古屋城築城の際に九州から来た職人たちから、
絞りの技法を学び、伝承・工夫を重ね、
東海道を往来する旅人の土産物として手ぬぐいなどをつくり、商売を始めます。
そして、尾張藩の庇護のもと絞染の産地として発展を遂げたのです。

絞染の工程はいくつかに分かれます。
大まかな工程は、まず図版をつくる職人が下絵を描き、
括り職人が布に糸をきつく巻き付け、染色専門の職人が染め付け、その後糸を抜き、
広げると下絵のとおりの模様の布ができあがり。

有松・鳴海絞を使用した着物。

この有松・鳴海絞の最大の特徴は、下絵通りに染め上がるよう布に糸を巻き付ける
括り職人たちの技術力と、技法の豊富さにあると言われています。
括り方はなんと約100種類。そのうち75種類ほどが
現在でもこの有松地区には残っているというから驚きです。

多種多様な模様を生み出す技術力こそが、有松・鳴海絞の特筆すべき点。

全国各地に新興の絞産地が出現し、
その大半が時代の移ろいとともに昭和初期までに消えてしまいました。
有松・鳴海絞もまたそれぞれの時代において訪れる苦難を乗り越え、
今日までその伝統は守り抜かれてきました。

そこには、有松ならではの伝統を守り抜くための創意工夫の精神があったのです。
ほかでは真似ることができない数々の技法を生み出し、
現在では世界の絞研究者から注目を浴びている有松・鳴海絞。
そのキーパーソンたちを紹介していきましょう。

株式会社建大工房 vol.5
福井に、廃材ホームセンター
〈CRAFTWORK CENTER〉
ができるまで

株式会社建大工房 vol.5

ホームセンターが大好きです。
僕にとってはちょっとしたアミューズメントパークだと思っています。
もしホームセンター内に宿泊施設が併設されている所があったら間違いなく通います。
そして、「ホームセンター」という言葉は、
軽い力で開けられるものづくりの扉だと思っています。

今回はそんな僕が長年かけてコツコツつくってきた
廃材オンリーの自分のホームセンターの話です。
とは言え、実は今でもまだつくっている途中ですが、
必要な部分だけ完成したら、〈CRAFTWORK CENTER〉として4月中旬にオープンさせて、
それからもつくりながらしばらくは週末だけ営業していきます!

なぜホームセンター?

結婚してから中古の家を探しているときもホームセンターが近くにあるかが決め手だったので
家から車で3分の距離内にホームセンターが2軒もあります。ほぼ毎日行きます。
なんなら1日に数回行きます。(単に買い忘れが多いだけですが)
休みの日は家族でもよく行きます。何時間でもいられます。
僕がもしスタッフだったら相当売り上げる自信もあります。

そんな大好きな場所ですが、福井のホームセンターには、
機能的に必要なものは大体ありますが、
デザイン的にはまだまだ需要を満たしていません。最近は、店舗はもちろん、
住宅建築でも金物や照明、衛生器具、棚板にいたるまでが輸入品や一点ものなど、
こだわってつくる人が増えてきたので、雑貨屋さんで買うか
結局はネットで買うことになります。

そういうものを選ぶときに専門的な知識が必要なときもあります。
DIYでもどんどんマニアックな道具や商品の使い方も増えてきて、
ホームセンターでも実際に現場の知識があるスタッフも
まだまだ少ないのでアドバイスにも限界はあります。

職人なら当然知っているようなことでも、
DIYとなると基本、独学なのでいろいろな失敗もします。
あと、もちろん古材や中古の商品なども普通のホームセンターには売っていません。

「もっと個性的な商品を揃えているホームセンターがあっていいんじゃないか?」

「もっと建築や現場に寄せたものづくりの場所があっても」

ということで、僕の思いはどんどん膨らんでいき、
いつしか「欲しいものが揃っている自分のホームセンターを持ちたい!」
に変わっていきました。2013年頃のことです。

そんな矢先、テレビでオレゴン州ポートランドの建築建材のリサイクルショップ
〈リビルディングセンター〉の存在を知りました。

廃材をうまく流通させている取り組みです。これなら資本もそこまでかけずにできる!
その後、シリコンバレーから始まり、現在では
全米8か所にある、本格的な工作機器を備えるDIY工房〈TechShop〉などの存在も知り、
専門的なものづくりが誰でも身近にできる場所があることが斬新で、
なによりも楽しそうでした。

それらすべてに全部行ける機会が突然訪れたのが、この連載の第2回でも書きましたが、
2014年に黒崎輝男氏に連れていってもらった全米ツアーでした。

ずっと行きたかった、ポートランドのリビルディングセンター。

日本ではあまり考えられないけど、中古の浴槽や便器までたくさん。

サンフランシスコのTechShop。今はもう日本にもこういった場所は増えたが、当時はまだまだ目新しかった。木工、鉄工、布、皮、すべての道具も揃っているし、最新の3Dプリンターが何台も。

このリノベのススメでも散々書き綴ってきましたが、
DIYが好きで廃材が好き、そしてホームセンターが好き。
それを全部ひっくるめた場所をつくりたい。
その一角にはもちろん人が集まれるカフェもあって。
今まで経験してきたこと、自分の好きなこと、アメリカや各地で行われていること、
これから日本でも始まろうとしていること。
そしてそれらを、粛々とものづくりの精神が根づくこの北陸の福井でやること。
アメリカの旅ですべてが一気につながり、帰ってきて確信にかわりました。
ただ唯一見つかってないのがそれらをお金に換える方法でしたが……。

鳥取の郷土料理「こもどうふ」 を作る料理教室開催! フリーマガジン 『まなざし』編集部が主催

鳥取の郷土料理「こもどうふ(こも豆腐)」とは?

2017年3月26日(日)、鳥取駅前の商店街にて
「こもどうふ」という郷土料理をつくる会が開かれます!

「こもどうふ」は、豆腐と具材をわらで包みこんだものをそのまま茹でる、
とってもシンプルな料理。包みを紐とくと、わらのいい匂いが香ります。
鳥取では冠婚葬祭のときなどに振る舞われる、特別な料理なのだそう。
見た目もかわいらしい〜!

今から100年ほど前、魚があまりとれなかった鳥取では、
よく豆腐が食べられていました。豆腐は庶民の貴重なタンパク源だったのです。
でも、いつも豆腐ばかりでは飽きてしまう……というわけで
生まれたアイデア料理が「こもどうふ」でした。
身近にあるものでできて、香り豊かで、わくわくするひと皿。
すてきなアイデアですね。

主催は、大学生によるプロジェクト〈コトバのたび〉と
鳥取県庁が手がけるフリーマガジン『まなざし』。
コトバのたびは、日本全国の高校生が森や海、川の名手を訪ね、
その知恵や技術、人生そのものを聞き書きするプロジェクト
〈聞き書き甲子園〉の大学生版です。

『まなざし』では地域の方々から聞き書きしたことを、イベントや紙媒体、動画など、さまざまな形に変えて地域と共有していきます。

花巻市で愛された 〈マルカン百貨店〉の大食堂を 再建へ! レトロな魅力たっぷりの 写真集 『MARUKAN IMAGES』

岩手県花巻市で愛された、大食堂の再建を願って出版された写真集

2016年6月7日、岩手県花巻市で長いあいだ親しまれてきた
〈マルカン百貨店〉が惜しまれつつ閉店しました。
その百貨店の6階にあった大食堂の復活を願う声がやまず、
今年の2月に〈マルカンビル大食堂〉として再オープン! 
レトロな百貨店の大食堂を懐かしむ声が、ますます広がっているんです。

閉店間際までお客さんが押しかけたマルカン百貨店。
2016年8月には地元のクリエイターの皆さんが
写真集『MARUKAN IMAGES 〜思い出の写真集〜』を出版しました。

これは、思い出の風景を地元ならではの視点で記録するため、
そして、マルカン百貨店にあった大食堂の再建を願って出版された写真集。
収益の一部(一冊につき800円)は、
マルカン大食堂の存続に尽力している〈上町家守舎〉さんへ寄付されます。

写真集には市民の皆さんと全国のファンから寄せられたエピソードや、
43年にわたる歴史を写した写真を収録。
マルカン百貨店に思い入れがある方も、レトロ好きな方も楽しめる一冊です。

特にフォトジェニックなのは、6階の大食堂。

こちらの食堂はメディアにも取り上げられ、
全国からお客さんが訪れるほどの人気でした。
デパートの食堂って夢がありますね。

こちらは名物メニュー「10段巻きソフトクリーム」。
このソフトクリームは、なぜかお箸で食べるものなのだそう。

画像提供:上町家守舎 撮影:Real Creation