名古屋市有松で、受け継がれ、
更新されていく。
伝統の〈有松・鳴海絞〉と
まちの進化

〈有松・鳴海絞〉が今もなお残っているという奇跡

JR名古屋駅から、電車で約20分で行くことができる名古屋市緑区有松。
旧東海道の両脇に当時の豪壮な旧家が今も残された有松のまち並みは、
2016年7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2017年1月、新たに2か所の観光案内処がオープンしました。

観光案内処は2か所つくられ、いずれも古い建物を利活用したリノベーション物件。

まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができる
古き良き景観だけがこのまちの魅力ではありません。

〈有松・鳴海絞〉と呼ばれる、400年の歴史を持つ染物産業が
今もなお、受け継がれ、日々進化を遂げているのです。

有松の歴史は江戸時代にまで遡ります。
もともと平地が少ない丘陵地帯であったこの土地は
耕作に向かず、農業は発展することがなかったため、
この地に住む人々は、名古屋城築城の際に九州から来た職人たちから、
絞りの技法を学び、伝承・工夫を重ね、
東海道を往来する旅人の土産物として手ぬぐいなどをつくり、商売を始めます。
そして、尾張藩の庇護のもと絞染の産地として発展を遂げたのです。

絞染の工程はいくつかに分かれます。
大まかな工程は、まず図版をつくる職人が下絵を描き、
括り職人が布に糸をきつく巻き付け、染色専門の職人が染め付け、その後糸を抜き、
広げると下絵のとおりの模様の布ができあがり。

有松・鳴海絞を使用した着物。

この有松・鳴海絞の最大の特徴は、下絵通りに染め上がるよう布に糸を巻き付ける
括り職人たちの技術力と、技法の豊富さにあると言われています。
括り方はなんと約100種類。そのうち75種類ほどが
現在でもこの有松地区には残っているというから驚きです。

多種多様な模様を生み出す技術力こそが、有松・鳴海絞の特筆すべき点。

全国各地に新興の絞産地が出現し、
その大半が時代の移ろいとともに昭和初期までに消えてしまいました。
有松・鳴海絞もまたそれぞれの時代において訪れる苦難を乗り越え、
今日までその伝統は守り抜かれてきました。

そこには、有松ならではの伝統を守り抜くための創意工夫の精神があったのです。
ほかでは真似ることができない数々の技法を生み出し、
現在では世界の絞研究者から注目を浴びている有松・鳴海絞。
そのキーパーソンたちを紹介していきましょう。

株式会社建大工房 vol.5
福井に、廃材ホームセンター
〈CRAFTWORK CENTER〉
ができるまで

株式会社建大工房 vol.5

ホームセンターが大好きです。
僕にとってはちょっとしたアミューズメントパークだと思っています。
もしホームセンター内に宿泊施設が併設されている所があったら間違いなく通います。
そして、「ホームセンター」という言葉は、
軽い力で開けられるものづくりの扉だと思っています。

今回はそんな僕が長年かけてコツコツつくってきた
廃材オンリーの自分のホームセンターの話です。
とは言え、実は今でもまだつくっている途中ですが、
必要な部分だけ完成したら、〈CRAFTWORK CENTER〉として4月中旬にオープンさせて、
それからもつくりながらしばらくは週末だけ営業していきます!

なぜホームセンター?

結婚してから中古の家を探しているときもホームセンターが近くにあるかが決め手だったので
家から車で3分の距離内にホームセンターが2軒もあります。ほぼ毎日行きます。
なんなら1日に数回行きます。(単に買い忘れが多いだけですが)
休みの日は家族でもよく行きます。何時間でもいられます。
僕がもしスタッフだったら相当売り上げる自信もあります。

そんな大好きな場所ですが、福井のホームセンターには、
機能的に必要なものは大体ありますが、
デザイン的にはまだまだ需要を満たしていません。最近は、店舗はもちろん、
住宅建築でも金物や照明、衛生器具、棚板にいたるまでが輸入品や一点ものなど、
こだわってつくる人が増えてきたので、雑貨屋さんで買うか
結局はネットで買うことになります。

そういうものを選ぶときに専門的な知識が必要なときもあります。
DIYでもどんどんマニアックな道具や商品の使い方も増えてきて、
ホームセンターでも実際に現場の知識があるスタッフも
まだまだ少ないのでアドバイスにも限界はあります。

職人なら当然知っているようなことでも、
DIYとなると基本、独学なのでいろいろな失敗もします。
あと、もちろん古材や中古の商品なども普通のホームセンターには売っていません。

「もっと個性的な商品を揃えているホームセンターがあっていいんじゃないか?」

「もっと建築や現場に寄せたものづくりの場所があっても」

ということで、僕の思いはどんどん膨らんでいき、
いつしか「欲しいものが揃っている自分のホームセンターを持ちたい!」
に変わっていきました。2013年頃のことです。

そんな矢先、テレビでオレゴン州ポートランドの建築建材のリサイクルショップ
〈リビルディングセンター〉の存在を知りました。

廃材をうまく流通させている取り組みです。これなら資本もそこまでかけずにできる!
その後、シリコンバレーから始まり、現在では
全米8か所にある、本格的な工作機器を備えるDIY工房〈TechShop〉などの存在も知り、
専門的なものづくりが誰でも身近にできる場所があることが斬新で、
なによりも楽しそうでした。

それらすべてに全部行ける機会が突然訪れたのが、この連載の第2回でも書きましたが、
2014年に黒崎輝男氏に連れていってもらった全米ツアーでした。

ずっと行きたかった、ポートランドのリビルディングセンター。

日本ではあまり考えられないけど、中古の浴槽や便器までたくさん。

サンフランシスコのTechShop。今はもう日本にもこういった場所は増えたが、当時はまだまだ目新しかった。木工、鉄工、布、皮、すべての道具も揃っているし、最新の3Dプリンターが何台も。

このリノベのススメでも散々書き綴ってきましたが、
DIYが好きで廃材が好き、そしてホームセンターが好き。
それを全部ひっくるめた場所をつくりたい。
その一角にはもちろん人が集まれるカフェもあって。
今まで経験してきたこと、自分の好きなこと、アメリカや各地で行われていること、
これから日本でも始まろうとしていること。
そしてそれらを、粛々とものづくりの精神が根づくこの北陸の福井でやること。
アメリカの旅ですべてが一気につながり、帰ってきて確信にかわりました。
ただ唯一見つかってないのがそれらをお金に換える方法でしたが……。

鳥取の郷土料理「こもどうふ」 を作る料理教室開催! フリーマガジン 『まなざし』編集部が主催

鳥取の郷土料理「こもどうふ(こも豆腐)」とは?

2017年3月26日(日)、鳥取駅前の商店街にて
「こもどうふ」という郷土料理をつくる会が開かれます!

「こもどうふ」は、豆腐と具材をわらで包みこんだものをそのまま茹でる、
とってもシンプルな料理。包みを紐とくと、わらのいい匂いが香ります。
鳥取では冠婚葬祭のときなどに振る舞われる、特別な料理なのだそう。
見た目もかわいらしい〜!

今から100年ほど前、魚があまりとれなかった鳥取では、
よく豆腐が食べられていました。豆腐は庶民の貴重なタンパク源だったのです。
でも、いつも豆腐ばかりでは飽きてしまう……というわけで
生まれたアイデア料理が「こもどうふ」でした。
身近にあるものでできて、香り豊かで、わくわくするひと皿。
すてきなアイデアですね。

主催は、大学生によるプロジェクト〈コトバのたび〉と
鳥取県庁が手がけるフリーマガジン『まなざし』。
コトバのたびは、日本全国の高校生が森や海、川の名手を訪ね、
その知恵や技術、人生そのものを聞き書きするプロジェクト
〈聞き書き甲子園〉の大学生版です。

『まなざし』では地域の方々から聞き書きしたことを、イベントや紙媒体、動画など、さまざまな形に変えて地域と共有していきます。

花巻市で愛された 〈マルカン百貨店〉の大食堂を 再建へ! レトロな魅力たっぷりの 写真集 『MARUKAN IMAGES』

岩手県花巻市で愛された、大食堂の再建を願って出版された写真集

2016年6月7日、岩手県花巻市で長いあいだ親しまれてきた
〈マルカン百貨店〉が惜しまれつつ閉店しました。
その百貨店の6階にあった大食堂の復活を願う声がやまず、
今年の2月に〈マルカンビル大食堂〉として再オープン! 
レトロな百貨店の大食堂を懐かしむ声が、ますます広がっているんです。

閉店間際までお客さんが押しかけたマルカン百貨店。
2016年8月には地元のクリエイターの皆さんが
写真集『MARUKAN IMAGES 〜思い出の写真集〜』を出版しました。

これは、思い出の風景を地元ならではの視点で記録するため、
そして、マルカン百貨店にあった大食堂の再建を願って出版された写真集。
収益の一部(一冊につき800円)は、
マルカン大食堂の存続に尽力している〈上町家守舎〉さんへ寄付されます。

写真集には市民の皆さんと全国のファンから寄せられたエピソードや、
43年にわたる歴史を写した写真を収録。
マルカン百貨店に思い入れがある方も、レトロ好きな方も楽しめる一冊です。

特にフォトジェニックなのは、6階の大食堂。

こちらの食堂はメディアにも取り上げられ、
全国からお客さんが訪れるほどの人気でした。
デパートの食堂って夢がありますね。

こちらは名物メニュー「10段巻きソフトクリーム」。
このソフトクリームは、なぜかお箸で食べるものなのだそう。

画像提供:上町家守舎 撮影:Real Creation

真鶴にローカルベンチャーを!
〈西粟倉・森の学校〉
井上達哉さんと語る、真鶴の未来

“森好き”が考える「お林」のゆっくりとした過ごし方

神奈川県真鶴町に生まれる〈真鶴テックラボ〉は、
3Dプリンターやレーザーカッターなどのテクノロジーを使ったものづくり体験のほかに、
新たな事業を立ち上げたり、起業を目指す人への支援も進めていこうという施設だ。

同じように小さな自治体で、たくさんのローカルベンチャーの起業実績がある
岡山県英田郡西粟倉村。この村の事例を学ぶために、
〈西粟倉・森の学校〉代表取締役社長である井上達哉さんを招き、
西粟倉村の歴史と現状、森の活用、そして会社の事業内容や
インキュベーションについてのワークショップが、
真鶴テックラボを企画するスタッフにより開催された。

真鶴には、誇るべき「お林」がある。
“森大好き人間”を自負する井上さんにとっても、
初めて訪れた真鶴の森は魅力的に映ったようだ。

「400年以上守られてきた照葉樹林のお林。
あんなに壮大なクスノキの枝ぶりを真下から見ることはなかなかありません。
今日は感動を覚えています」

「お林」のクスノキを見上げる。

まずは森と社会を重ね合わせて、外部からの視点でお林のすばらしさを語ってくれた。

「お林も最初は人工林だったんですよね。
でも400年も経つとどんどん更新されて、もう天然林になっていると言ってもいい。
『松が枯れている』という話を聞きましたが、
寿命をまっとうする木があるから新しい木が育つので、枯れても構いません。
そういう更新されている森は、全体のバイオマス量は一定になります。
僕たちはつい1年や3年、10年という期間で判断してしまうけど、
森は100年単位で考えないといけません。
現実社会でも、目先の人口が減ったりしても、長い目で見れば一定に保たれている。
そういう“森”や“社会”が健全だと思います」

真鶴町の人たちとお林を見学した井上さん。

参加者から「お林をどう有効活用したらいいか」という質問があった。
西粟倉村は95%が森だが、森を間伐して生まれる間伐材を有効活用してきた。
真鶴のお林とはそもそものあり方が違う。だから井上さんの提案は「観光」だ。

「土を直接踏むと傷んでしまうので、ウッドデッキで遊歩道をつくれたらいいですね。
森の中で何かイベントをやってもいいけど、
常に行けるカフェなどがあると行きやすくなりそう。
夜はおいしい魚介とワインが飲めたり。観光化は難しい部分もありますが、
なるべくこのままの雰囲気で進んでいってほしいです。
大きく新しいことをやるよりも“このまま”を
しっかり守っていけばいいのではないでしょうか」

西粟倉にある体験型の事例には学ぶべきものがあると
紹介してくれたのは、ファシリテーターを務めたコロカルの及川卓也編集長だ。

「森の学校が発売している木の床材〈ユカハリタイル〉も、
商品自体を売りながら、床を貼るという体験を売っているとも言えます。
また、半完成品である〈ヒトテマキット〉も
最後に自分の手でスプーンを削って仕上げるという体験を与える。
いまコロカルで連載している『真鶴半島イトナミ美術館』でも、
アート体験に見立てながら、真鶴を紹介するという試みをしています。
だからお林も、いわゆる観光ではなく、体験をつくってあげることが重要ですよね」

真鶴周辺から10名程度の参加者が集まった。コロカルの及川卓也編集長(左)がファシリテーターを務めた。

そして周囲を大きな観光地に囲まれている真鶴としては、差別化という意味でも、
「暮らし」に紐づいたアイデアが求められているのかもしれない。

葉山発、食のプロジェクト 〈SEE THE SUN〉 ベジタリアンも アレルゲンフリーもおいしく!

海山に囲まれた神奈川県・葉山町を拠点に、
世界規模の展開を見据えた食のプロジェクト
〈SEE THE SUN(シーザサン)〉が始まります。

食物アレルギー、グルテンフリー、ベジタリアンに対応した食事って
あんまりおいしくないと感じたことはありませんか? 
このプロジェクトが提案するのは、
健康で安全なものをおいしく食べる、幸せな暮らし。

全国の生産者とつながりながら、
食の多様化に対応する代替食品を開拓し、新しい食のブランドを提案していきます。
全国のパートナーや産官学と連携しながら展開していくので、
新しい食の価値観が広がっていきそう。

2017年5月には、葉山の歴史ある別荘に拠点をオープン。
ここでは新しい商品や葉山の食材を生かしたレシピの研究開発を行うほか、
地元の方たちの交流の場としても活用していきます。

拠点となる葉山町は、財界人、文化人の別荘地として、文化と歴史が重ねられてきたまち。
美しい海山もあり、都心からワンデイトリップでいくにもおすすめです!

子どもたちの五感を刺激する
〈真鶴未来塾〉の
フィンガーペインティングイベント

手で、足で! 体を使って描く感覚を養う

真鶴町にある公共施設〈コミュニティ真鶴〉を管理している
一般社団法人〈真鶴未来塾〉は、スタートアップ支援など
さまざまなイベントや講座などを開催しているが、
子どもに向けた催しにも力を入れている。

2月26日に開催されたのは「フィンガーペインティングを体験しよう」というもの。
この日集まったのは10人の子どもたちと保護者たち。
会場には壁一面と床に大きな白い紙が貼られ、なんだか自由な空間が広がっている。

「絵の具だまり」に素足で進入!

この日の講師は、真鶴出身の友人に誘われて参加したイラストレーターのユウナラさん。
普段は、自らが住んでいる団地のパーティなどで子どもたちと接しているという。
もうひとりは、真鶴で似顔絵作家・グラフィックデザイナーとして
活動している山本知香さん。
自らが開催するイベントでもよく子どもたちとふれあっていて、
真鶴の子どもたちにはよく知られているお姉さん的存在。

しかし講師といっても特別なことを教えるわけではなく、
先頭になって一緒に楽しむ係だ。

山本知香さん(左)とユウナラさん(右)。

まずは山本さんのレクチャーが行われた。
「今日は、筆ではなく、自分の体で描いてください。
手のひら、腕、足で描いてもいいよ」と、普段、家でやったら怒られることを
やってもいいと許されたことでワクワクする子どもたち。

まずは床に貼られた紙をキャンパスにして描いていく。
フィンガーペイントといっても、指だけでなく体全体を使っていいみたいだ。

手のひらでベターっと。何が描かれるのだろう?

ここからは、子どもたちの自由な感性が爆発する。
手のひらいっぱいに絵の具をつけて縦横無尽に動き回る子、
座り込んで1か所に絵の具の層ができるかと思うくらい色を塗り重ねている子、
足の裏に絵の具をつけてすべって転びまくっている子。
みんな髪の毛や顔にも絵の具がついて楽しそう。
この日ばかりは、洋服を汚したってお母さんに怒られない。

泥遊び感覚の子どもたち。握った指の間から出る絵の具の感触がたまらないようだ。

「普段、学校の授業などで絵を描くと、ウマイ・ヘタという差が出てきてしまいます。
絵があまり上手ではなく、萎縮してしまう子もいると思うんですね。
でもここはウマイ・ヘタという価値基準ではない。
みんなどんどん描いてくれてよかったです」と主催である真鶴未来塾の奥津秀隆さん。

お母さんたちも協力して描くけど、子どもたちのほうが思いっきりがいい!

お化粧のように、きれいに手のひらにピンクの絵の具を塗れました。

30分ほど自由に描いてもらって、絵の具の使い方を理解してもらった。
「フィンガーペイントは絵を描くというよりは、
指や体を使うという五感を鍛える目的が大きいです」と言う山本さん。
いまでは機会の少なくなった泥遊びなど、手足で直接素材をさわるという感触。
そして体のいろいろな箇所を使って表現していくという感覚を鍛える。

平井俊旭さん
(雨上(あめあがる)株式會社)
いいものをつくっているという
市民の自信が、
高島市のブランドをつくる

地方にはディレクターが不足している

琵琶湖の北西に位置する、滋賀県高島市をご存じだろうか。
市が行った調査によると、822名の回答のうち、東京での認知度はわずか5%余り。
隣の京都でさえ、6割ほどの人しか知らなかった。
この数字は少々極端かもしれないが、土地の魅力に反して認知度が低いのは否めない。
そこで外の人にもその魅力を知ってもらおうと、ひとりの男性が立ち上がった。
といってもその人自身は、もともと高島に縁もゆかりもなかったのだが。

比良山地や野坂山地など、森林が広がる自然豊かなまち。棚田も美しい。撮影:三上紀顕

琵琶湖のなかに大鳥居が立つ高島市鵜川の白鬚神社は、近江最古の神社と言われている。今も昔も琵琶湖は高島に多大な恩恵をもたらしている。写真提供:平井さん

平井俊旭さんが、スープ専門店チェーン〈Soup Stock Tokyo〉を運営する
株式会社〈スマイルズ〉に、デザイナーとして加わったのは2001年のこと。
ブランドのグラフィックや店舗テザイン、食器類のプロダクトなどに携わっていたが、
2008年、同ブランドが事故米の不正転売事件に巻き込まれてしまう。

「とある問屋が食用ではないもち米を食用と偽って、
Soup Stock Tokyoがスープの製造委託をしている工場などに転売していたのです。
原料がどこから来ているのか、会社としてきちんと追うことの重要性を痛感しました」

同じ頃、店舗の内装などに使う木材も
海外から違法に流入しているものが含まれている可能性を知り、
国産の木材を積極的に使うように。
食材と木材、このふたつに着目して北海道から沖縄まで
いろんな地域を見て回ると、ある共通点が浮かび上がってきた。
それはディレクションをする人が不足しているという事実だった。

「いろんな魅力があるのに、
それらをうまく表に出すことのできていない地域が、圧倒的に多い印象を受けました。
スマイルズの場合、社長の遠山正道が
Soup Stock Tokyoを企画する段階でブランドイメージを明確にしていたので、
自分のようなデザイナーがインハウスでやっていました。
地方も理屈は同じはずなのですが、それ自体が何らかの利益を生まない仕事は、
なかなか価値が認められにくい。
だけど誰にどうやって売るのかを考えないと、仕事も生まれないし、
人も地域に入ってこない。都市に集中せず、人がもっと分散して、
それぞれの地域のよさを生かせたらいいのにと思ったんです」

地域が抱える問題を感じ始めたとき、たまたま高島市にも縁ができた。
「国産の木材を使うようになったのは、
三重県紀北町の〈速水林業〉との出会いがきっかけです。
速水 亨代表が主宰している林業塾に毎年参加させていただくようになり、
岡山県の〈西粟倉・森の学校〉(当時)の代表である牧大介さんと知り合いました。
牧さんは高島で林業6次産業化のコンサルティングをしていた時期があったのですが、
彼がやるくらいならおもしろい場所に違いないと。
自分がもし地域で何かやるなら、都市にある程度近いところがいいと思っていました。
おもしろそうだからちょっと行ってみようかな、
と都市から気軽に足を運べる範囲がよかったというか。
その点、高島は京都から車で1時間足らずでアクセスできる。
しかも立地的なメリットがあるわりには、
よさを発信しきれていない印象を受けたんです」

長く勤めた会社での立ち位置や、自分がやれることについても、客観的に考えていた。
「自分が入った創業間もない頃、
Soup Stock Tokyoは事業として行き詰まっていて、
いつなくなってもおかしくないような状況でしたが、
逆にいろんな可能性を感じられて、商売としては厳しかったのですが、
新しいブランドをつくるという仕事として実は一番おもしろかったりもしました。
地域が置かれている状況もそれに近くて、
もしかしたらこのまま人口が減少して立ち行かなくなってしまうかもしれないけども、
誰かが動かなければいけない。
自分が民間企業でやってきた経験を地域で生かしてみたい、と思ったんですよね」

2014年のゴールデンウィークに日帰りで初めて高島を訪れ、
7月に再訪したときは1泊して、周辺の地域も見て回った。
そのうえで問題点を洗い出し、
「別に求められてもいないのに、牧さんに高島市の職員だった清水安治さんを
ご紹介いただきに勝手に企画を提案した」のが、10月のこと。

「12月には〈雨上(あめあがる)株式會社〉を登記し、
年が明けて4月に高島に引っ越してきました。
提案はしたものの具体的な仕事は、何ひとつ決まっていなかったんですけどね」

オフィスにて。平井俊旭さん。

暮らしている地域を自慢できるようになるために

移住後、コンペを経て平井さんに課せられたミッションは、主にふたつ。
高島の交流人口と定住人口を増やすことと、高島の農業を活性化させることだ。

「高島をもっと知ってもらうために、
まずは市民の人が高島を自慢できるようになることが重要だと考えました」

平井さんがお手本にしたのは、博報堂の「属ブランディング」という考え方。
「ブランドはそれをつくりたいと思う人の志が先にあって、
そこにデザインや仕組みができて、ファンがついてくるものです。
Soup Stock Tokyoをつくっていくなかで経験があったからわかるのですが、
窮地に陥ったとき、
自分たちはいいものをつくっているのだという揺るぎない信念がないと、
途端にうまくいかなくなるんですよね。
人から言われたからやっているというスタンスだと、
やめる選択肢があっさり出てきてしまう。
ブランドは一朝一夕でできるものではないので、
市民が本当に高島をいいと思ってブランド化しない限り、
自分みたいに外から来た人間がロゴや仕組みだけをつくったところで、
うまく機能しないと思うんです」

そして市民が自分たちの地域を知ることを目的に、
平井さんが立ち上げたのが「高島の食と人 –3つの◯◯−」というウェブサイト。
ここでは高島で食材がつくられて食べられるまでの一連の流れを、
3章立てのストーリーで紹介している。
2016年1月から秋冬編と春夏編として計36話を掲載して、
3月に一旦終了するのだが、ずらりと並んだストーリーからは、
高島の多彩な食材と、それらをさまざまなかたちで提供したり、
味わったりする人たちの豊かさが伝わってくる。

「高島の食と人 –3つの◯◯−」

山羊のチーズの商品化を目指す中嶋さんの紹介記事。撮影:古田絵莉子

「テーマは僕が選んでいるのですが、
カメラマンもライターも地元の人たちにやっていただいています。
そうすると取材した側もされた側も、自分ごととしてとらえてくれるんですよね。
地元の人は地元のことを意外と知らなくて、
外から来た自分が人や情報をジョイントさせることで、
直接やり取りをするようになったケースもあります」

上野の銭湯“日の出湯”が学び舎。 REBIRTH PROJECT 〈はだかの学校〉スタート

銭湯のお風呂のなかで授業!?

いま失われつつある銭湯文化を後世に残したい。
このたび、東京・上野の銭湯〈日の出湯〉にて、
REBIRTH PROJECTとアサツー ディ・ケイの協同による
〈はだかの学校〉プロジェクトをスタートします。
なんと、銭湯のお風呂のなかで、授業が行われる学校です。

日の出湯 内観

〈はだかの学校〉は、銭湯を地域の学びの場として捉える試み。
入浴(入学)試験もなし、学費も無料。通常の入浴料のみで、授業を受けることができます。

講師・生徒ともに地域の住民が中心で、授業内容についても
老若男女問わず参加できる、地域や銭湯にゆかりのあるものを開催。
地域の活性化につながることを目指しています。

プロジェクト発起人 田村祐一(日の出湯オーナー/〈SAVE THE 銭湯〉代表)

プロジェクトの発起人は、日の出湯オーナーの田村祐一さん。
田村さんは東京・蒲田にある〈大田黒湯温泉第二日の出湯〉の4代目で、
銭湯の跡取りとして生まれ育ちました。

大学卒業後、家業である有限会社日の出湯に就職し、2012年5月より
創業の地である浅草にある日の出湯のマネージャーとして、銭湯経営再建に着手しました。
その後設備投資なしで業績回復に成功し、現在は銭湯を日本の未来に残すプロジェクト
〈SAVE THE 銭湯!〉の代表も務めています。

別府市の〈湯〜園地〉計画始動! 2017年7月、本当に本当に、 温泉テーマパークがオープン!

別府市の〈湯〜園地〉計画が着々と! 支援総額は1000万円突破

大分県別府市が発表した、
温泉につかりながらジェットコースターに乗れる!? という、
遊園地ならぬ“湯~園地”計画が、
なんと実現に向かって動き出しました!

今年の7月29日、30日、31日の3日間、、温泉につかりながら、
ジェットコースターや観覧車に乗ることができる遊園地〈湯〜園地〉が、
実際に別府市内に誕生します。

〈湯〜園地〉が画期的なのは、市のプロジェクトなのに、
税金を一切使わずに実現させようとしていること。
現在寄付やクラウドファンディング〈CAMPFIRE〉で、
賛同者を集めて実現のための資金を集めています。
クラウドファウンディングでは最低目標額の1000万円を達成。
既に1,600万円以上が集まり、下記アトラクションが設営決定となりました

最終目標金額は1億円。
集まった金額に合わせアトラクション数が増えるなど、
遊園地の内容をより充実させるために使用されるそう。

支援者には、〈湯〜園地〉の優先入園券や貸切券など、
ここでしか手に入らない返礼品が用意されていますので、
ご興味のある方は是非支援されてみてはいかがでしょうか?

いとうともひさvol.1
スケルトンの大型ビル1棟をDIY。
変幻自在のクリエイティブスペース
大阪の〈上町荘〉とは。

いとうともひさ vol.1

はじめまして、伊藤智寿と申します。
大工・ディレクター・インストラクターのような動きを並行して行う
株式会社いとうともひさを主宰しております。

大阪を拠点としていますが、日本各地に出向いて
その地域の方と協働するスタイルで活動しています。大工工事と並行して、
お客さんに工事の指導をしたり、設計業務に協力させていただいたり、
プロジェクトを企画したりしています。

具体的な業務は、現場で工事する、依頼主に予算内で使える材料・つくり方の提案をする、
全国の地域にある空き家の利用方法を考える、設計者とチームを組む、
DIYのサポートをする、場所を運営するなど、
家をはじめとした空間を一緒に考える・つくるという案件が多いような気がします。

第1回目は現在、拠点として運営に携わっている
シェアスペース〈上町荘(うえまちそう)〉の話をさせてもらおうと思います。
そこから見えるリノベーションのひとつのあり方を知ってもらえたらうれしいです。

スケルトンの大型ビルを、活動の拠点に

2014年大阪市中央区に誕生したシェアスペース、上町荘。
大通りに面した角地に建ち、3階建てで延べ床面積300平米超の大きな空間です。
1階はホールスペース92平米+工房スペース50平米、2階はライブラリスペース20平米に、
打ち合わせスペース10平米+オフィススペース50平米、
3階に85平米オフィスと45平米のオフィスといった構成になっており、
上町荘は入居以来、時間をかけてリノベーションし続けています。

2階オフィススペース各ブースにテーブル、棚が当てられた専有作業スペース。

2階吹き抜け部分の通路から交差点を見る。自動車ディーラー時代の面影を残した特徴のあるガラス面。

2階ライブラリースペース。

梅田・心斎橋・難波など大阪の主要部へのアクセスが便利なエリアにあり、
以前は自動車ディーラーの展示空間・オフィスでした。
ディーラー時代に車の見栄えが良いように設計され、
交差点に向かって大きなガラス面がはめられています。

もともとはオフィス兼倉庫をひとりで探していたのですが、
上町荘のようなビルをひとりで1棟借りするのは
大工が工房や倉庫として利用するには家賃が高すぎるし、選択肢になかった。
まともに考えると田舎でかつ、車の便がいい倉庫を借りるほうが断然現実的だったんです。
しかし今では思い切って地価の高いエリアに飛び込めたことの意味を感じています。
それはほかの人の利益になることをすれば、利益を受け取る人の数が多いため、
シェアする利益が大きいということ。
自分だけの空間として閉じてしまえばもったいない話なんだと思います。

広すぎるビルの使い方

上町荘に入ることになったきっかけは
建築家の白須寛規さん(designSU主宰)からのお誘いでした。
学生時代から、まちに開かれた活動をされていたのが魅力的で
白須さんの催したイベントに通い、いろいろなことを教えてもらったり、
さまざまな人を紹介してもらったりしていました。
そんな白須さんから「共同オフィスを一緒に探さない?」とお誘いをもらったのです。
以前から白須さんと仲が良かった山口陽登さん(シイナリ一級建築士事務所主宰)と、
3人で共同オフィスを探すところから始まりました。

エレベーターがない、駅から遠い、など大阪市内でも安くなりそうな条件で検索して、
とにかく広いビルを探しました。

写真中央右、濃灰色のビルが上町荘。

そんななか、大阪市中央区に100坪を超えるビルがあると山口さんから連絡をもらい、
3人で見に行くことにしました。

ユキノチカラの主役たち(2)
西和賀で人気の菓子店
×デザインで、
「みんなが欲しくなる」
商品ができた!

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
前回は、第1弾の〈ユキノチカラプロジェクト〉で誕生した
〈サンタランドのぽんせん〉、〈ゆきぼっこ〉、どぶろく〈ユキノチカラ〉と、
開発した商品への思いを紹介しました。後半に紹介する3事業者もまた、
大らかな西和賀の人らしい愛すべきキャラクターのみなさんです。

雅樹さんのホタル愛にあふれた 〈雪のようせい〉

雪国のだんご屋 団平×デザイナー/岩井澤大・堀間匠

最初は、湯本温泉近郊で餅やだんごの製造販売業〈団平〉を営む高橋雅樹さん。
西和賀で多く見られる名字「高橋」。ここでも「高橋さん」の登場だ。
社名の由来は、「親族に平のつく名が多く、団子の団と合わせてつけました」とのこと。

雪国のだんご屋〈団平〉の高橋雅樹さん。

独自の冷凍技術で東北全般にだんごを出荷する。

雅樹さんは団子屋の主人というだけでなく、
地元ではホタル博士としても知られているのだ。
店を訪ねると、そこにはホタルの写真がいくつも並んだファイルが置かれていた。
10年ほど前、仕事の合間に出かけた川で見かけたゲンジボタルの美しさに魅せられたそうで、
自宅でホタルを育てるばかりかエサとなるカワニナまで育て、
毎年300~600匹のホタルを自然に放しているそうだ。
「自分が放したホタルが見えるとね、嫁は見つかったか~、なんて話しかけてます」
と雅樹さん。
語り始めたらホタルの話は止まらない。
一生懸命に育てて自然に放してはいるものの、そう簡単には増えないのだとか。

そして、雅樹さん自慢の逸品も、
ホタルのはかなく美しい灯りをイメージしたお菓子だ。
ひと口サイズのわらび餅にとろり溶け出す餡が入った〈雪のようせい〉。
餡を包むのは、独特の弾力とつるんとした口触りのわらび餅だ。
西和賀産西わらび粉を使ったわらび餅は、
アクが少なく飴色のきれいな透明感があるのが特徴。
餡は2種類あって、地元の湯田牛乳を使った抹茶クリーム餡は、ホタルの美しい光をイメージし、
黒みつ餡は西和賀町の夜空をイメージしたと雅樹さん。
ホタルの舞う夏に似合うお菓子だけれど、
そのおいしさの秘密は、冬に掘り起こすわらびの根っこからつくるわらび粉にあるのだ。

練りあげの技術がわらび餅の食感を決める。

飴のような透明感をもつ、西わらび粉のわらび餅。

〈雪のようせい〉は、以前から商品として販売していたが
デザインプロジェクトを機に、パッケージデザインと名前も変更。
デザイナーとも相談しながら、包装個数をコンパクトにして、
買い求めやすく食べやすくしたという。
「通常のわらび餅のパックにも〈ユキノチカラ〉のラベルをかぶせたところ、
紙1枚で高級感が出ました。
西わらび粉はほかに負けない質の良さが自慢ですから、味に自信はありますが、
上質さを伝える方法としてデザインがいかに重要かを実感しています」
と、プロジェクトの成果を語る雅樹さん。

おいしいわらび餅を食べながら、美しい西和賀の初夏を彩るホタルの美しさを楽しんでほしい。
そんな雅樹さんの思いを込めたお菓子が〈雪のようせい〉なのである。

トミトアーキテクチャvol.3
横浜の木造アパートをまちに開く。
リノベーションの鍵は、
地域の家具や建具、ピンコロ石

トミトアーキテクチャvol.3

横浜市の丘の上にある、多国籍・多世代交流スペース〈CASACO(カサコ)〉。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。
vol.3は、建設について。前回紹介した近所から集められた地域の素材を生かし、
「いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」という思いをどう実現していったのか。

新しい発見を与えあう場所

地域素材を近所から集めたり、住民からまちの話を聞いたり。このように手間をかけながら、
住宅を開かれた場所にリノベーションしようとしている、
そもそもの理由を少しお話したいと思います。

フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの『過去のない男』という作品は、
日常が埃をかぶったような冴えない雰囲気の地域に、
「よそ者」が登場するところからストーリーが始まります。

記憶をなくした男がヘルシンキの貧しい港町にたどり着くと、
何かと地域の人が世話をしに絡んでくる。それがきっかけとなり、
止まっていた時間が動き始め、埃が払われるかのように、
まちが生き生きしていく様子を描いたコメディ映画です。

CASACOのことを考えるとき、僕はよくこの映画を思い出します。
CASACOはもともと地域にとってよそ者だった若者たちが始めた活動です。
旅人がローカルな場所に訪れて、観光地では味わえない「暮らし」を体験すると同時に、
地域に長く住む人が「こんなところがおもしろいんだ」と勇気づけられたりするような、
お互いが「他者」であることが、
新しい発見を与えあうことにつながる環境づくりを目指しています。

それが、「多世代多国籍の人々に開かれた場所」というCASACOの基本理念に通じています。
CASACOの地域に対する姿勢に対して、

「人のためによく頑張れるね」

と言われることがありますが、
実は、地域のために何かをすることはCASACOの目的ではありません。
むしろ、自分たちが楽しい住み方、住宅地の新しい楽しさを追求していくことが、
根っこにあります。楽しさの追求が結果的に公共性につながるかもしれないところに、
可能性を感じています。

さて、ここからはCASACOのリノベーションの詳細を見ていきます。
まずは前回お話しした「地域素材」の行方から。

延命された地域の記憶

「カーンカーンカーン」

CASACOの裏庭から、住宅地では聞き慣れない音が響きます。

ピンコロ石の整形作業現場。奥に積まれているのがモルタルを剝がした石で、散らばる小さなかけらは剝がされたモルタル。

近所の野毛坂に敷かれていた石畳のピンコロ石を、
横浜市から2トントラック2台分譲り受けました。
「1個ずつ」に分離された状態のピンコロ石を思い描いていたのですが、
届いてびっくり、ほとんどモルタルと一緒に固まったものでした。
遺跡発掘現場さながらの、ピンコロ石整形現場。
それから半年に及ぶ、CASACO自主施工シリーズの最初の一手となりました。

ピンコロ石の一生から

石畳が敷かれていた頃の野毛坂。野毛山動物園や野毛山公園に向かう人々が行き交う。

CASACOのある東ケ丘の麓に広がる飲屋街「野毛」から、
横浜市中央図書館の脇を抜けて動物園へと通じる坂道「野毛坂」には、
大正時代から石畳の風景がありました。近所の人々からも愛着をもたれていた風景でしたが、
振動などの理由からアスファルトに置き換わることが決まってしまいました。

石畳を剝がす作業している際の様子。

CASACO改修のサポートをしてくださっていた横浜市職員の方に相談したところ、
一部譲り受けることができました。2トントラック2台分のピンコロ石の固まりが、
CASACOの裏庭に運ばれてきました。石にとってみれば、
どこかの処分場に運ばれていくことよりも、幸せなことに違いありません。

2トントラック2台分、2000個近くのピンコロ石がCASACOの裏庭に運ばれてきた。

ピンコロ石についたモルタルは、ひとつずつ手作業で剝がしていく。

数個でひと塊になっているものを、大きなハンマーで分解していきます。
作業をしてみると石は非常に頑丈で、モルタルは打撃に弱いことがよくわかります。

それでもこびりついているモルタルを、今度は小さなハンマーで叩いていきます。
最初は苦戦しますが、慣れてくると「ツボ」が見えてきて、
一発で剝がすことも可能になっていきます。

繰り返される単純作業と重労働に心折れる人もいれば、
そのリズム感と剝がれた時の快感によって「ピンコロ中毒」になっていく人もいたり(笑)。
石1個にこれほど向き合い、愛着をもったこともないように思います。

部活帰りの中学生や、近所のお母さんが、その珍しい光景に引き寄せられ、
一緒に作業することもしばしばありました。
多くの人に手伝っていただきながら、すべてのピンコロ石の整形を終えたころには、
2週間ほど経っていました。

みんなで敷いたからこそ生まれた「歪み」

整形されたピンコロ石は、CASACOの前面道路側に新たに生まれる「軒下空間」に敷かれます。これを地域の方々に呼びかけした参加型の施工ワークショップとし、
CASACO改修のメインイベントとなりました。

棚田の再生活動からツアーへ! 
岡山県美作市の〈上山集楽〉から
〈上山ツーリズム〉が始まる

千年の歴史を刻む千枚田を再生させたい

岡山市内から北東へクルマで1時間ほど。
中山間地域ならではの、のどかな風景を眺めながら山道に入ると、
やがて視界が開け、小さな神社と大きな谷が姿を現します。
谷の斜面には棚田と、その間を縫うように走る狭い農道。
さらにその道沿いには民家が点在し、
春には桜、夏には蛍、四季折々の風景が広がります。

ここは岡山県美作市上山地区。
かつて、ここには奈良時代に拓かれたと伝わる、
日本最大級の「上山の千枚田」がありました。
その棚田の数は、実に約8300枚とも言われています。

上山地区のランドマークである上山神社。旧英田(あいだ)町による観光案内には「今でも『田毎の月』『耕して天に至る』と言った、農耕にまつわる風流な言葉が残っております」と紹介されています。

1970年代中頃まで、上山では棚田を中心にした昔ながらの生活が営まれ、
棚田の集落に独特の、伝統や文化が受け継がれていました。
しかし残念なことに、その後の減反政策や高齢化により、
千年の歴史を刻む“循環型の食料生産プラント”とも呼ぶべき千枚田は、
続々と耕作放棄されていきます。
やがて、一面の笹藪や竹藪、あるいは植林による杉林となり、
すっかり荒れた谷へと姿を変えてしまいました。

すっかり草や蔓に覆われてしまった棚田。2003年10月。(撮影:高田昭雄)

このままでは、千年の歴史も知恵も景観も二度と取り戻せなくなる。
上山の千枚田を再生させようというグループが現れたのが2007年。
やがて、2011年にNPO法人〈英田上山棚田団〉が結成されます。
「どうせ再生なんてできない」と眺めていた地元のお年寄りたちも、
竹藪を切り払い、野焼きを始めた彼らの姿に「本気」を感じ、
やがて懐かしい石積みの畦畔が現れたときには、彼らと一緒になって歓声をあげました。

上の写真と同じ場所に再生された棚田。耕作放棄された1枚の水田を掘り起こし、再び作付けできる状態にするには3~4年かかると言われています。2016年10月撮影。

2016年現在、若い移住者も増えて再生活動は加速し、
約60ヘクタールある農地の、17ヘクタールが再生され、
約4分の1の棚田が息を吹き返しています。とは言え、まだまだ先は長い。
かつての棚田を取り戻す活動は、これからが本番です。

自然に寄り添う暮らしと知恵を学ぶ、観光ツアーがスタート

一方で、再生活動を支える経済的な基盤もつくらなくてはなりません。
生産される米の収入だけでは、とてもおぼつかないからです。
そこで、米を酒造好適米に変えて、日本酒の製造、販売。
あるいは高齢化する住民たちの足として、超小型電気自動車の活用。
野菜や果物など、新たな農作物の開発。などなど、多くの取り組みが行われています。

2016年10月、全国のICT技術者たちが上山に集まって、農林業の課題に向き合った「上山集楽農業ハッカソン」を開催。

いずれも、かつての棚田を取り戻し、
棚田ならではの景観や文化を未来に残すための取り組み。
そんな、「未来の田舎」を目指す上山のようすは、
すでに多くの企業や自治体から熱い視線を浴び、
今では絶え間なく、視察や研修のツアーが開催されています。

野草の豊かな土地柄、視察や研修のツアーでは、野草料理やジビエが評判を呼んでいます。

であれば、このツアーを一般の観光客に向けて開放してはどうか?
千枚田の景観はもちろん、棚田での農業体験や、食材としての野草やジビエ、
晴天率の高い岡山県ならではの星空キャンプ、あるいは超小型電気自動車の体験試乗。
それは棚田千年の歴史を通じて培われてきた、“自然に寄り添う暮らし”を学ぶ観光です。

そんな〈上山ツーリズム〉が、この4月からスタートします。
具体的なツアーの内容は、次のページから。

捨てられる運命だった
飛騨のほうれん草を、
〈ミチナル〉が蘇らせる!

ほうれん草を年中出荷できる高山市で、
あえて「冷凍ほうれん草」にチャレンジした理由

飛騨の高山市は、ほうれん草の産地。
秋から冬にかけて旬の野菜であるが、高冷地という高山市の特色を生かし、
春から夏にかけても出荷が可能である。
特に他地域にほうれん草がないときに重宝され、
市町村レベルでは全国一の出荷量を誇っている。

この高山のほうれん草を冷凍にして発売しているのが、
2015年にスタートした食品加工会社〈ミチナル〉。
扱っているほうれん草は、すべて規格に合わせるために取ってしまう外側の葉、
つまり端材だという。

きっかけは代表取締役の山下喜一郎さんが、ほうれん草の畑を見学したときのこと。
「たくさんの葉が捨ててあったんです。
でも束になっていないだけで、通常のほうれん草と何も変わらないので
『持ち帰っていいですか?』と聞いたんです」

同じほうれん草ではあるが、農家にとっては捨てるもの。
しかし実際に持ち帰って食べた山下さんは、
「何の問題もなく食べられたので、何かに活用できないか」と考えた。

代表取締役の山下喜一郎さん。

副産物を処理するところまでが農業だ!

こうして〈ミチナル〉では端材を使った冷凍ほうれん草を発売し始めた。
工場では、契約農家からほうれん草の端材を仕入れ、
土や根などを洗浄し、茹でてカットしたのち冷凍する。
工場で製造工程を見ていても、普通のほうれん草と遜色ない。

要所要所で人の目による選別も欠かせない。

「“出てくる副産物を処理するところまでが農業である”と思っています」と言う山下さん。
そもそも端材ほうれん草の利用は、
端材やその背景にある規格への問題点を広めていき、
農業の変革を目指した取り組みのひとつである。

「農業界にも高齢化が進み、
これからは人の手間をかける作業が難しくなっていくと思います。
そうすると流通の仕組みや考え方などを変えていかなくてはならない。
ビジネスモデルが大きく変化していくと思います」

規格には流通を円滑にする役割があるが、その規格に合わせるために端材が出てしまう。
だから規格に対する意識に変化が起こり、
もしかたちを整えないままでいいような流通システムになれば、端材が出なくなる可能性がある。
当然、端材で商売している〈ミチナル〉にとっては
原材料がなくなるという側面では痛手だ。

しかし〈ミチナル〉がアプローチしているのは農業そのもの。
端材が生まれてこないようにするために、端材で商売をしているのだ。
一時的にはマイナスかもしれないが、長い目で見れば意味が出てくる。
その覚悟がある。

ほうれん草を茹でる工程では菌を殺す作用も。

「私たちがやっている意義が広まっていけば、実は端材が減っていく。
それでいいと思っています。課題は時代とともに、変わっていきます。
これから私たちに求められるものは食品加工だけではありません。
人口減少する世の中になって、これまでの市場が伸びてきた社会での原理は通用しません。
それに合わせて、こちらもどんどん変わっていくつもりです」

〈ミチナル〉は「ミチナル食品」という会社名にはあえてしなかった。
農業や食文化全体が新たなステージに移行していくなかで、
自分たちも、食品加工だけでなく、変わらなければならないからだ。
「変わっていけないのであれば、存続している意味がない」とまで、
山下社長は強い言葉で言う。

最終的にほうれん草を冷凍する機械はかなり大きい。

多くの工程を経て〈飛騨・美濃産 おいしいほうれん草〉という商品になる。

豊岡市民が綴る、豊岡の日常。 ポータルサイト 〈飛んでるローカル豊岡〉の 市民ライターに聞く

豊岡市民による、市民になりたい人への情報サイト

兵庫県豊岡市。日本海に面した兵庫県の北部にあるまちです。
大都市のような大きさや競争はないけれど、
コウノトリの野生復帰を行っていることや、独自の教育法を実施していること、
日本一のカバン産業をさらに成長させるために学校をつくったことなど、
このまちにしかない資産を生かし、また新たな価値を創造しています。
そんな豊岡市では、〈飛んでるローカル豊岡〉というスローガンのもとで、
移住定住事業を行っています。

2016年9月には、移住定住のポータルサイト〈飛んでるローカル豊岡〉がオープン。
一般のポータルサイトの記事のつくり方は、
編集やライターがネタを探し、ライターが取材しに行き、カメラマンが写真を撮り、
それを編集がまとめるというフローですが、
この〈飛んでるローカル豊岡〉は少し違います。

先輩移住者を中心とした市民が、自分でネタを探し、自分で執筆し、自分で写真を撮る。
編集はそれを監修したりアドバイスするという分担なのです。
移住メディアの雛形編集部とコロカル編集部がその編集役を担っています。

だから〈飛んでるローカル豊岡〉の記事は、市民だからこそ知っていることや、
地域と暮らしに根ざしたネタがたっぷり。
豊岡市民にとっては日常の話なのですが、驚きに満ちた情報を提供してくれます。
そこで、今回は〈飛んでるローカル豊岡〉で執筆をしているふたりの方に、
〈飛んでるローカル豊岡〉の市民ライターについて、どう感じているかを聞いてみました。

〈飛んでるローカル豊岡〉

〈飛んでるローカル豊岡〉編集会議の様子。

京都府北部の多様な移住スタイルを
「編集」するプロジェクトが始動!
「ひとつ先の京都へ」を掲げる
冊子と動画が登場。

多種多様な移住のカタチを伝える、
新しい移住・定住促進プロジェクト

京都府北部地域の福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町。
これらの7市町が広域連携し、
2016年に移住・定住促進プロジェクト「たんたんターン」が始まった。
このプロジェクトをサポートしているのが、
地域社会のブランディングを支援する「ロコブラ」などを手がける博報堂、
移住定住を推進するメディア『雛形』を運営するオズマピーアール、
そしてコロカル編集部が連携した「地域エディットブランディング」チームだ。
京都府北部にはどんな魅力や暮らしのスタイル、働き方があるのか。
移住者はどんな暮らしを営んでいるのか。
半年をかけてそれを探り、新しい価値を見つける活動を自治体とともに行ってきた。
ここには、想像以上に多種多様な移住のかたちがあり、
それを受け入れる地域のふところの深さがあった。

海のまちも、山のまちも、
都市とつながるまちも。

日本海沿いにある京丹後市、伊根町、宮津市、舞鶴市。
緑豊かな田園風景が広がる与謝野町、福知山市、綾部市。
これらの7市町までは、京都市内から車で1時間30分〜2時間程度。
“いわゆる京都”のちょっと先の場所に位置している。
この地域には今もなお、なつかしい里山の景色が残り、
ゆったりとしたリズムで穏やかな時間が流れている。

伊根町には〈舟屋〉と呼ばれる民家が伊根湾に沿って建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。舟屋は、230軒ほどがずらっと並び、その長さは5キロメートルにもわたる。

京丹後市にある八丁浜のビーチ。

海とともに暮らすまちにある壮大な景色。水がきれいで、心地よい浜風を浴びながら、
自由気ままなライフスタイルを過ごせる。
釣りはもちろん、サーフィンなどのアクティビティも充実。
また、海沿いにある公園は、夜になればきれいな星空の下、
友人たちと語らいの場としても使われることも。

棚田や民家など集落を含めた里山景観が注目される、宮津市の上世屋集落。四季折々に移ろう大自然のエネルギーを身近に感じられる。

舞鶴市の昔なつかしい日本家屋。伝統的なつくりを残しつつリノベーションで特別な空間に。

山には穏やかな空気が流れ、棚田や笹葺き屋根の家屋からは日本特有の情緒が漂う。
歴史文化も7市町に内在するキーワード。
景観、家のつくり、集落など、レトロでなつかしいまち並みが残り、
後世へと受け継がれている。
農業をしながら自給自足の生活を営む人もなかにはいて、
生きる工夫が生活の豊かさにつながっていく。
人それぞれ、十人十色の暮らし方がここにはある。

京丹後市のとれたての魚をネタにしたお寿司。ときには、みんなでお寿司づくりを楽しむパーティーが開催される。

海の幸、山の幸ともに充実し、旬の魚、野菜、果物をたらふく食べることができる。
今朝あがったばかりの魚、収穫したばかりの野菜や果物などを使った
贅沢なごちそうを常日頃から味わえる。水がきれいだからお米もおいしい。
そして、おいしいごちそうを一緒に食べる仲間に囲まれて、
楽しい団欒のひと時もこの地域の魅力のひとつ。

2015年には、京都府北部地域と京都市内をつなぐ自動車専用道路が開通された。
市内からさほど遠くなく、簡単に遊びに行けるため、住民たちの行き来も多くなっている。
なかでも、綾部市は京都市内へ通勤圏内という場所でもある。
適度にアクセスがよく、自然だけでなく伝統文化や食文化、
レジャーなど豊富な地域資源を使った楽しみもあるため、最近では観光業が発展してきている。

なにより人同士のつながりが強い京都府北部地域。
この地域のこれらの魅力に惹かれて、移住を決めた人たちがいる。
彼らがどういった経緯で移住を決心して、現在はどんな暮らしを送っているのか? 
「地域エディットブランディング」チームが、7人のキーパーソンの移住スタイルを追った。

古民家宿 LOOF vol.4
山梨の集落の宿に、国内外から
年間1000人以上が訪れた理由とは

古民家宿LOOF vol.4

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉という、
2棟の宿ができるまでを綴っていきます。

古民家宿LOOF〈澤之家〉が、解体、改修を経てようやく完成しました。
しかしすぐ迎える冬、大きな観光地でもない芦川町に、果たしてお客さまは来るのか。

床の間にプロジェクターで映画が映し出せる、床の間シアター。

茅葺きを眺めながら寝られる、2階に設けた就寝スペース。

2階建ての吹き抜けがある古民家宿LOOF澤之家。

ギリギリだった、お披露目の日

オープンは2014年10月15日。

その前に、お世話になったたくさんの方へお披露目として、
オープニングパーティーを行いました。
オープニングパーティーまでには準備がしっかり整っているはず……でしたが、
パーティー当日にまだ水道の蛇口が付いていない。
お祓いも終わっていない。パーティーの準備もできていない。
朝から水道工事が始まり、同時に古民家のお掃除、神主さんによるお祓いと、
ドタバタのオープンになりました。

オープン前の準備の様子。

地元の神主さんにオープン前のお祓いをしていただいているところ。

オープニングパーティーには、地域の方、お手伝いいただいたボランティアの方、
クラウドファンディングで支援してくださった方、
友人、議員さんなどたくさんの方にお越しいただきました。

オープニングパーティーの様子。

無事、お披露目も終了し、本格オープンは10月15日。
首都圏の20〜30代、海外のお客さまをターゲットに、
若い方にも古民家に気軽に泊まっていただけるように、
過ごしやすい空間づくりを徹底しました。

始める前は90パーセント以上の人に失敗すると否定されており、
私も観光地ではないこの場所に本当にひとりもお客さまが来なくても
不思議ではないと思っていました。

ただ、プレスリリースなどは行わず、お越しいただいたお客さまから
確実に口コミで広げていこうと特に大きな広告は打たずにオープンをしました。

しかしオープン直後、冬ということもあって、不安は募るばかり。

株式会社建大工房 vol.4
木材、布にガラス。
地元企業の廃材を組み合わせて、
ラーメン店にリノベーション!

株式会社建大工房 vol.4 
地元の廃材プロジェクトの始まり

一般的に、建築には人件費が一番高くつくといいます。
それを削減するためにどんどん工業化や簡略化が進み、
結果、職人不足になるというスパイラル。
今回は廃材やもらい物を使うことで安く上げるのではなく、
材料費で浮いた分を、あえて「職人の人件費に分配しよう」ということから始まりました。

今回の物件は廃材をふんだんに使ってつくったラーメン屋さん。
福井市に2店舗を構える人気店〈いちろくらーめん〉の新店舗で、
福井市内の空き店舗をリノベーションしました。
大きなコンセプトとしては廃材を利用するということですが、
ほかにもいろんな意味のあるプロジェクトになりました。

通常、店舗の内装工事であればできるだけ短期間で仕上げて店をオープンさせるところを、
廃材を使うなど、あえて手間と時間をかける。
1日十数万円売り上げる店舗が、逆にテナントの空家賃という余計な出費まで発生します。

そんなリスクを負ってまでこのプロジェクトを実現させてくれた、
〈いちろくらーめん〉山中与志一社長に感謝します。

業界トップシェア、地元ガラス商社との出会い

事の発端は僕の知人で、山中社長の友人でもある、
〈OOKABE GLASS HD〉(元大壁商事株式会社)の大壁勝洋社長が
このプロジェクトを発案したことでした。
このOOKABE GLASS HDという会社はインターネットで特殊なガラスを販売する、
業界トップシェアを誇る福井の企業で、建築業界だけではなく個人でも購入できます。
また、ネット販売でも電話での顧客対応サービスに特化していることで定評のある会社です。
同社の大壁社長が考えているのが自社で日々排出されるガラスの端材などを含め、
さまざまな産業から出る廃材の流通や活用法でした。

〈いちろくらーめん〉3店舗目の出店が福井市の繁華街でも目立つ中心部に決まった時に、
大壁社長が「どうせならおもしろいお店にしようよ!」ということで、
廃材を使ったデザインをするのが好きな僕に山中社長を紹介してくれたのが始まりでした。

閉鎖的な夜のお店が多い繁華街でガラス張りの壁。

なんもだー! 〈なんもダイニング!〉 秋田市民市場に新しい 命を吹き込むフードイベント

秋田ならではの「なんもだー!」精神でおもてなし

2月25日(土)、秋田市民市場にて「なんもだー!」を合言葉に
フード&マルシェイベント〈なんもダイニング!〉が開催されます。

これは、各地で争奪戦となったフリーマガジン『のんびり』を企画編集し、
天使の寒天、池田修三、いちじくいちなど、秋田のたからものに
次々と光をあててきたのんびり合同会社が、
秋田市民市場とタッグを組んで開催するもの。
第1回目となる今回は、秋田のおもてなし精神をニッポン中に届ける
学校のようなウェブマガジン『なんも大学』ともタッグを組みます。

会場となるのは「秋田の台所」と呼ばれる秋田市民市場。
市場には、季節ごとにハタハタやふぐ、岩牡蠣、蟹、じゅんさい、
あわび茸など、秋田、東北の旬の食材が並びます。
秋になれば、横沢曲りねぎ、山内にんじんなどの伝統野菜も!
こちらの市場、秋田駅から徒歩3分という立地にあり、周辺には宿泊施設もたくさん。
仕事や観光で秋田を訪れる方にもおすすめのスポットなんです。

Photo : 高橋希(オジモンカメラ)

当日は、市場の広場に巨大なテーブルが登場。
秋田の食材を肴に、昼間っから飲んで食べて楽しめます。
ライブやトークイベントなど、イベントもいろいろ。

じつはここには、最近まで買ったものを食べるスペースがなかったのだそう。
それを少しずつ変えてきたのが『のんびり』編集部の皆さん。
取材で訪れた際に「市場で買ったものをその場で食べられる場があれば」と
市場で買った食材で朝ごはんをつくって食べてみたり、
空き店舗をフリースペースに変えるというアイデアを企画・実行し

『のんびり』10号で紹介しました。

『のんびり』vol.10(2014)

その後も、市場を秋田の食の拠点として再生すべく、さまざまな試みを実施。
このたび初開催となる〈なんもダイニング!〉は、
市場で食べられるサービスが本格稼働する記念すべき日なのだとか。
これは盛り上がりそうですね。

〈あぜのあかり〉復活! 能登の棚田、白米千枚田から 被災者にエールを贈る

棚田に幻想的な光景が広がる!
3年半ぶりに〈あぜのあかり〉が復活

石川県輪島市白米町にある棚田、〈白米千枚田〉。
世界農業遺産である〈能登の里山里海〉の代表的な棚田として、
注目を浴びる名所です。

ここで2008年に始まった〈輪島・白米千枚田あぜの万燈(あかり)〉は、
稲刈りを済ませた棚田のあぜに、約3万個のキャンドルを灯すイベント。
1000枚あまりの棚田を舞台に、ゆらめく炎が幾何学的な模様を描く
幻想的な光景が広がるさまはため息が出るほど美しいもの。

2007年に発生した能登半島地震からの復興を祈念した催しでしたが、
2014年からは、LED灯による〈あぜのきらめき〉のみの開催となっていました。

幻想的な光景

この度、地震発生からちょうど10年にあたる2017年3月25日(土)、
3年半ぶりに〈あぜのあかり〉が復活します! 
18時に開会し、石川県輪島市、名舟町に伝わる無形文化財の
和太鼓〈御陣乗太鼓〉(ごじんじょだいこ)の実演や、
ファイヤーパフォーマンスなど、幻想的な明かりに合わせた
パフォーマンスが行われるのも楽しみなところ。

福井をのぞき見する ローカルメディア 『make.fUKUI / find.fUKUI WONDERS』オープン

2つの入り口から、福井を「のぞき見」するメディア

この度、福井のローカルメディア『make.fUKUI / find.fUKUI WONDERS』がオープン。
ウェブサイトを訪れると、左右で異なる入り口が用意されています(スマホ版では上下)。

ひとつめの入り口は、「福井の魅力と、未来をつくる」をコンセプトにした
『make.fUKUI WONDERS』
地域の未来をつくるプロジェクトを記録し発信するメディアです。

関東、関西、そして福井のデザイナーや建築家、編集者、金融関係者などが、
地域に根づく企業とパートナーとなり、新たな事業を生み出す、
小さな教室〈XSCHOOL〉をはじめ、並走する全5つのプロジェクトにおける
新たな地域×デザインの取り組みを紹介しています。

XSCHOOL 福井のパートナー企業へのフィールドワークの様子。

ふたつめの入り口は、新たな福井と出会う、見つける
『find.fUKUI WONDERS』
地元に暮らす人たちにとっては、あたりまえの日常となっているもの・ことに、
外からの視点で、新しい魅力を見出していくメディアです。

社長輩出率1位、子どもの学力No.1の福井ならではの社長の悩みごとに、
次期社長?! である子どもがアドバイスする〈社長はつらいよ〉コーナーや、
福井の夜の街に焦点を当てた〈夜遊びバンザイ〉コーナー、
全国の地方紙の中でトップの県内普及率(73%)を誇る、
福井新聞社の過去記事を掘り起こし、現在、そして未来を考える
〈タイムトリップ福井新聞〉など、ひと味違った切り口のコンテンツが並びます。

find.fUKUI WONDERS〈しごと道〉に登場する森岡咲子さん

こちらは、Uターンして、古民家を自らリノベーションした
福井初のゲストハウスをオープンした、森岡咲子さん。
福井でユニークな働き方をしている人にフォーカスする
〈しごと道〉コーナーで記事が公開されています。

森岡さんへのインタビューからは、自らゲストハウスという場を
持ったからこそ見えてくる働き方から、結婚、子育てといった
プライベートの話まで、福井ならではの生き方が浮かび上がってきます。

また、このプロジェクトでは、ウェブサイトのみならず、
タブロイド紙も発行! 同じく、make(つくる)とfind(見つける)の
2つの視点で楽しむことができます。

2部で1セット。findの表紙は油揚げが目印! makeの表紙は塗り絵も楽しめます。

findの特集では、油揚げ・がんもどき年間購入額1位の福井の郷土食、
歴史、社会的背景などを、油揚げから紐解いています。
タブロイド紙は、渋谷ヒカリエ d47や、アーツ千代田3331、HAGISO、
中目黒蔦屋書店をはじめとする都内の文化施設のほか、
大阪や京都、福井などでも多数設置されていますが、
ウェブサイトよりPDF版をダウンロードして、読むこともできます。

目指したのは、
ワインにも合うハード系パン!
「こんなパンあったらいいな」
を叶える西和賀のパン工房
〈Korva(コルヴァ)〉

西和賀にんげん図鑑Vol.4 bread&patisserie Korva(コルヴァ)

日々の食事は「ご飯食」で、パンを食べる機会はほとんどないのに、
ワインを飲む時だけは、パン、それもバゲットなどハード系のパンが食べたくなる、
という人は少なくない。
パンと焼き菓子の工房〈Korva(コルヴァ)〉を営む鈴木智之さんも、そのひとり。
平成28年5月に西和賀町北部の沢内地区で工房を開いたのも、それが理由だった。

鈴木さんは、同町南部にある湯川温泉郷の温泉宿の長男として生まれた。
小学5年生で弁当をつくるほど料理が好きで、東京の大学を卒業後は飲食店の厨房で働き、
調理技術を習得。実家の温泉宿を継ぐつもりだった。

その決意どおり、6年後に西和賀に戻って実家で働いていたが、
結婚を機に横手市に移住し、家業からも離職。
同市のホテルのレストランなどで勤めた。
再び西和賀に戻ってきたのは、3年後の平成21年。
地元・湯川温泉郷に新しくオープンする温泉宿のオーナーに、
「うちの料理長に」と請われたからだ。

「声をかけてくださったのは、〈山人(やまど)〉の高鷹(政明)さんです。
6歳年上ですが、昔から顔なじみで気心が知れていましたし、
料理に対する考え方の方向性も同じでしたので、お世話になることに決めました。
近所には実家の温泉宿がありましたが、すでに『開店休業状態』でしたから、
まあ気にしても仕方ないのかなと。
むしろ年をとった両親の近くで働ける、と前向きに考えました」

しかし、50歳を目前にした平成27年、また転機が訪れる。
実家の父親が転んで圧迫骨折したことがきっかけで、
親の寿命や自分の残りの人生を意識し、「自分のための仕事をしたい」と考えるようになった。
そして同じ頃、現在の建物でかつてパン店を営んでいた、という女性と出会う。
女性は建物の買い手を探していた。

「自分でパンをつくるようになって、ワインを飲む時以外もパンを食べるようになった」という鈴木さん。

「これまでパンを食べたいと思うことも、実際に食べることもほとんどなかったのですが、
唯一、ワインを飲んだときに、
ちょっとおいしいパンとチーズがほしいなと思うことがありました。
でも町内では、ワインに合う、バケットのようなハード系のパンは手に入らない。
それなら自分がつくろう! と、〈山人〉を辞めて、ここを譲り受けることにしたんです」

とはいうものの、パン作りは、〈山人〉で朝食用に手ごねパンを焼いていた程度。
そこで、専門書を買って独学した。
目指すは、ワインにも合う、ライ麦の香りが豊かな食べ応えのあるパン。
そして地元産の食材にもこだわりたい。
こうして試行錯誤で完成させたのが、現在の看板商品〈カンパーニュ〉だった。

ユキノチカラの主役たち(1)
開発した商品は、
“昔ながら”と“いま”がつまった、
人にすすめたい西和賀の味

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「雪」そのものを楽しむ、西和賀ならではのアクティビティについて。
過去の連載はこちらから。

少しずつカタチになる〈ユキノチカラ〉、そこから感じるものは?

2月に行われるツアーはもちろんだが、2015年のプロジェクトスタートと共に、
第1弾として取り組んできた食ブランド〈ユキノチカラ〉の商品開発。
すでに町内でも〈湯夢プラザ〉など3か所で販売されている。
2016年は「岩手博覧会」「いわてデザインデイ」(盛岡市)をはじめ、
県内外のイベントにも出展した。ブランドイメージの白を基調にしたブースは
ユキノチカラの存在感を、静かながらも明確に打ち出している。
そんなユキノチカラブランドに期待を寄せるのは
2015年4月から西和賀町地域おこし協力隊員として働く溝渕朝子さんだ。

13年ぶりに西和賀に戻り、6次産業推進センターで働く溝渕さん。

実は溝渕さん、もともと西和賀町の出身。
「子どもの頃は山でアケビを取って食べたり、川原で遊んだり。
冬は家の庭にかまくらをつくったり、そり遊びで雪まみれになったり。
中学生になると、裏山でクロスカントリーとか、自然を満喫して育ちました」
高校卒業後は神戸の大学へ。卒業後も東京都内の企業に就職し、
営業部署で忙しい社会人生活を過ごした。
西和賀に帰るのは、盆と正月の年2回のみだったが、
そのたびに見上げる夜空の美しさによって
無意識に「ふるさとの存在」を確かめていたのかもしれない、と振り返る。
そして、東京での暮らしも9年を経た一昨年のこと、
「帰省した時に見た星がきれいで……、ふと帰ろうと思ったんですよね」
ちょうどタイミングよく募集されていた地域おこし協力隊員に応募。
いまは、町役場でふるさと納税の受付や返礼品発注などに携わる傍ら、
町内のさまざまな活動に関わる。
ユキノチカラプロジェクトに携わるひとりでもあり、
「日本初の取り組みが西和賀で始まっているってすごいですね。
デザインがいかに大切かを実感しています。
デザイナーの皆さんと一緒に仕事すること自体を、個人的にも楽しんでいます」
と顔をほころばせる。
未来への可能性を感じるモノやコトは、若者たちをふるさとへ呼び戻すきっかけにもなる。

〈湯夢プラザ〉のブース前でカタチになったユキノチカラブランドをアピールする溝渕さん。

では、そのきっかけになり得る〈ユキノチカラ〉から生まれた商品には、
どんなアイテムがあるのか?
その特徴や開発に携わった6事業者の思いなど、2回に分けて紹介していきたい。

この美しい雪は何を育むのか、そこから生まれた商品は?