トミトアーキテクチャ vol.4
CASACOの日常のはじまり。
設計者として運営に関わること

トミトアーキテクチャ vol.4

2016年4月9日、今から1年ほど前に、横浜市の丘の上の住宅街に木造二軒長屋を改修した
〈CASACO〉(カサコ)は無事オープンの日を迎えました。
改修のお手伝いをしてくれた多くの方々や、
CASACOに期待を寄せてくださるまちの方々に見守られるなか、
これから始まる「日常」のことを思っていました。

オープン時のメンバー。 後方左から冨永美保、伊藤孝仁、濱島幸生、玉腰純、前方左から春日井省吾、柴田真帆、加藤功甫。(photo:大高隆)

オープニングイベントの際の様子。(photo:大高隆)

石をたたいたり、埃まみれになったり、壁を壊したり、ペンキを塗ったり。
「汚れてもいい格好」で過ごした6か月間の「非日常」な日々から、
突如として穏やかな日常へと切り替わる。正直なところ、あまり想像がつきませんでした。

オープンの日は、設計者にとってみれば、ある責任から解放される日です。
ただ私たちは、継続して運営にも関わっていくことに決めていました。

旅・教育・まちづくり・建築といったバックグランドをもつ7名のメンバーが
CASACOの運営を担っています。
週1回のミーティングと、ウェブ上での情報共有を基本に、
CASACOでの出来事や活動を整理し、時間や空間やお金のマネジメントをしています。
CASACOがどういう場所であるべきかを、
短期的・長期的な視点にたって試行錯誤しながら検討しています。

自分たちが設計した建物が、どのように使われ、どこに問題があり、
どういった工夫を経て誰かの居場所となる日常を獲得していくか。
空間に血が通っていくプロセスを最前列で体験することは、
私たちにとってこれ以上ない学びの機会でもあると思いました。

CASACOの大家さんにお願いをして、同じ敷地内の建物の一室を事務所としてお借りしました。
設計中ずっとお世話になった横浜の古民家(vol.1登場)を後にし、
窓からCASACOが見える場所へ。トミトアーキテクチャの活動を始めて、
2年が経った頃でした。

(photo:大高隆)

住宅と公共的なスペースを両立させる運営は可能?

CASACOの現在の使われ方は、1階と2階で異なるのが特徴です。
2階はシェアハウスの居住スペースで、4つの部屋があります。
そのうち1〜2室は海外から語学留学に来ている学生のための
ホームステイ用の部屋になっており、スペースの管理を担う住民が、
ごはんや日本語の勉強の世話をしています。大きな広間やキッチンがある1階は、
住民の共有空間でありつつ、時間によって住民以外のまちの方々にも使われるような、
広い意味での共有空間です。

地域住民の「日直さん」によって運営されるカフェやバーであり、
ママさんたちのクラブ活動の場であり、子どもが放課後に立ち寄れる児童館のようであり、
散歩中にふと立ち寄る休憩スペースであり、
旅人が観光地では味わえないローカルな体験ができる場所であり、
いろんな人が出会い、思い思いの時間を過ごす場所です。

月毎に発行しているカレンダー。日直さんの個性があらわれるプログラムが日替わりで実施されています。

住宅でありながら不特定多数の人にスペースを開くというのは、
実は相当にチャレンジングなことだなと日々痛感しています。
曜日や時間、登場する人物によって場所のキャラクターが変わりながら、
人が居心地よく時間を過ごすために、きめ細かい調整を行う運営が必要になります。

毎日のようにイベントが実施され、たくさんの人がCASACOに出入りをしていたら、
2階の住民の心が休まりにくいですし、
1階がいかにも家のようになってしまうと入りにくい雰囲気になってしまいます。
また、CASACOが持続的に運営していくために必要なお金を稼ぐ必要もあります。

住民とまちの人、よそから遊びにくる方の関係をよりよくするための、
空間と時間とお金のマネジメントの方法を、試行錯誤しながらつくっていっています。

日本初〈レストランバス〉 走るレストランで新潟の ガストロノミーツーリズムを体験!

1階がキッチン、2階がテーブル席の〈レストランバス〉

4月1日(土)〜6月28日(水)まで、
新潟を日本初の〈レストランバス〉が走ります。

レストランバスとは、1階がキッチン、
2階にテーブル席を備えた観光バス。
点在する地域の魅力をつなぎ、
食を通じて自然、歴史、文化などを知り、楽しむツアーです。
料理は、シェフが地域の食材から仕立てたコース料理というのもうれしい。

これは、新潟市が取り組んでいるガストロノミーツーリズム(※1)の
一環として行われるもの。

新潟市は、港まちとして発展した歴史の中で育まれた
料亭文化や地酒、発酵食など多彩な食の魅力をあわせもちます。

バスが向かう先は、酒蔵やワイナリー、港まち、田園、砂丘などなど。
天気が良ければ、オープンルーフ(※2)の席でご飯が楽しめます。
気持ち良さそうですね!

※1 ガストロノミーツーリズム:田園と港まちの共存による多様な食文化を活用し、食と農と文化を融合することで、地域活性化や交流人口の拡大につなげるため、食を通じて地域の自然、歴史、文化などを知り楽しむツーリズム。

※2 一部のテーブルの天井はオープンルーフではありません。

仕掛人は若い農家と料理人。
元旅館の空き家を再生した、
三重の〈上木食堂〉へ

店長と大家が仲良く働き、オーナーがふらりと訪れる食堂

ランチタイムは、小さな子どもを連れたママたちや、
ちょっぴりおめかしをした中高年の女性などが集い、
夜になるとボトルキープをしている常連のおじさんの横で
女子会が繰り広げられる〈上木(あげき)食堂〉。

のれんをくぐって引き戸を開けると広がる、ほっとするような懐かしい空間。
入り口横のコンパクトな厨房では、店長の松本耕太さんが立ち回り、
松本さんのつくる料理を、この建物の大家さんでもある林典子さんが運んでいる。

ランチは、2種類から選べる。この日の日替わりは八風農園の自然栽培の野菜をたっぷり使った本日のランチ「さわらとブロッコリーのフリット 甜醤油ソース」(1000円)。

クラシカルな家具が似合う店内。手前のテーブルにしている木箱は、旅館で使われていたもの。

2016年11月にオープンして以来、昼も夜もにぎわっているこの食堂は、
いなべ市のほぼ中心に位置する阿下喜(あげき)地区にある。
その昔、桑名市三ツ矢橋町からいなべ市藤原町山口へ続く、
約25キロの濃州街道の宿場町として栄えた阿下喜には、
趣きのある町屋が今も多く残っていて、上木食堂もそんな建物のひとつだった。

「ここはもともと100年以上続く旅館で、宿泊客のメインは行商の薬屋さんでした」

と、上木食堂の改修前を知る林さんは説明する。

店内には阿下喜地区にたくさんの人が訪れていた頃の写真が。上の写真には旅館だった当時の建物が写っていて、通りは、苗木市でにぎわっている。

行商の方はお見えになると、大抵3か月から半年くらいは滞在するんです。
入り口がこんなに広いのは、
お客様の使う自転車やバイクがここにずらりと並んでいたからなんです」

行商の衰退と、林さんのお父さんが亡くなったことを機に、
旅館を閉じたのは1990年。それからいつの間にか、長い年月が経ってしまっていた。

「建物の老朽化が進んでいたので、
近所にご迷惑をかけないためにも早く解体しなければと思い、
中に残っているものをようやく片付け始めていたんです。
そしたら息子の友だちから『壊すつもりなら、
改修して食堂にしたいと言っている人がいるんだけど、貸してもらえないか?』
という話がきたから、びっくりしちゃって」

改修前の上木食堂の建物。右の窓部分は現在、テイクアウトのコーナーになっている。

密かにそんな計画を練っていた人物は、
藤原町で農業を営んでいる〈八風農園〉の寺園風さん(移住インタビューはこちら)。
2013年に名古屋市から移住して自然農法で野菜を育てている寺園さんは、
自分が生産した野菜を使い、気軽に仲間が集えるような店が、
いなべにほしいと常々思っていたのだ。

「移住して、阿下喜の日帰り温泉によく行っていたのですが、
この辺りの雰囲気がよくてずっと気になっていたんです。
仕事の合間にここへ来てコーヒーをテイクアウトしたり、
ふらりと立ち寄ってみたら友だちがいるような場所があったらいいなって」

寺園 風さん。

とはいえそれは「いつかできたらいいな」という程度の、
漠然とした夢みたいなものだった。しかしこの物件に出会って、
行動せずにはいられなくなってしまった。

「初めてこの建物の中に入ったとき、高揚感を抑えたんです。
僕の今の仕事の状態では、お店をつくることなんて無理だと思っていたから。
でも何回か足を運ぶうちに、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね」

旅館当時の受付カウンターがそのまま残っており、おもしろいつくり。

農作業で忙しい寺園さんが、店につきっきりになるわけにはいかない。
店を任せられる適任者はいないかと、野菜を配達している車中で思い浮かんだのが、
当時、名古屋のカフェで働いていた松本さんだった。

上木食堂では、八風農園のとれたて野菜も販売されている。

移住と独立、両方する覚悟はある?

ふたりが出会ったきっかけは、松本さんが勤務していたカフェで企画した野菜の直売イベント。
出店者を探していた松本さんは、
たまたま同い年の若い農家がいることに興味を持って、寺園さんに声をかけた。

「当時から彼は週2ペースで名古屋に野菜を売りに来ていて、
そのイベント以降、うちの店で野菜を使わせてもらう関係が
2年くらい続いていたんです。そんななかで、僕がいつか独立したいと思っていることとか、
彼のいなべでの生活についてあれこれ聞いて、移住するのもありかななんて話もしていて、
それが彼の頭に残っていたんでしょうね。
『そういえば、あのときの話って生きてる?』って
この物件のことを教えてくれて、
『移住と独立、両方する覚悟があるなら来ない?』と言われたんです」

〈Voyage of night 3〉 大型客船を迎える岡山県・宇野港で 瀬戸内海の魅力いっぱいの マルシェイベント

大型客船とマルシェ!?

2017年4月16日(日)、岡山県玉野市の宇野港にて
入港イベント〈Voyage of night 3〉が開催されます。

これは、京都の舞鶴港を出港し、宇野港に到着する客船〈ロストラル〉の乗船客と、
宇野港に集う人たちが出会うイベント。マルシェやライブ、ワークショップが楽しめます。

主催は玉野市住民や大学生、高校生からなる
〈UNOICHI〉実行委員会のみなさん。
「みなとまちでつなげよう」をスローガンにミーティングを重ね、
瀬戸内海からおもしろいこと、おいしいものをセレクトし準備してきました。

おもてなしするのは、岡山と香川の高校生、大学生たち。
入港に合わせたマルシェとは、何ともロマンがありますね!

入港客船〈ロストラル〉(フランス船籍) 総トン数:10,700トン 全長:142メートル 船客定員:264名 クルー:140名

当日は、倉敷ふるさと大使のシンガーソングライター、吉永 拓未さんや
海の合うバンド〈tocamos!!〉、宮田武士さん、植田章敬さんによるライブ、
玉入れ競争、お手玉、ダルマ落としなどの催しを開催。
子供から大人まで楽しめそう!

野菜たっぷりの魯肉飯と季節のドリンクを提供する〈やさい屋ポッケ〉さん。

古民家宿LOOF vol.5
山梨の集落で2棟目の空き家を、
小さな子どもも安心の宿へ

古民家宿LOOF vol.5

山梨県笛吹市芦川町で運営している、
古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉ができるまでを綴ってきました。
前回までに紹介した1棟目の澤之家が完成後、
すぐにお借りできた2軒目の空き家は、
1棟目の澤之家から徒歩1分のところにありました。

改修を急ぐ理由

改修が本格的に始まったのは2016年1月からでしたが、
どうしても冬の間に改修をしたくて、
大家さんにも年末の忙しい中ドタバタで契約をさせていただいたのは、
お願いする大工さんのことがあってでした。

今回2棟目の改修をお願いしたのは
芦川町に10年以上住んでいる大工さんの根本則夫さん。
冬の間だけ狩猟をするため、芦川町に住んでいる方です。
毎年11月〜3月の狩猟期間だけ芦川町に来ては、
毎年どこかのお家の改修をお願いされて大工をしながら狩猟をしています。
私が芦川町に帰ってきてからすぐに知り合い、とても良くしていただいていた方で、
どうしても芦川町で改修をしていくなかで1棟はその方にお願いしたいと思っていました。

思いがけず早くに2棟目を始められることになり、
それならばぜひ根本さんにお願いしたいと
根本さんの滞在している冬の期間に合わせて改修を行うことにしました。

2棟目に借りられることになった古民家。

大家さんとまずは大そうじ

今回は夏前のオープンを目指したいと思い、宿づくりアカデミーは行わず、
基本的にはボランティアを入れずに行いました。
物件が決まってから始まるまではとても早く、お借りすることになってからすぐに
大家さんや親戚の方が大掃除に来てくださいました。

改修前の台所。

大家さんたちと大そうじ。

古民家を改修するのになによりも大変なのはゴミ捨て。
澤之家同様、今回もものすごい量のゴミが出てきました。

2棟目の物件はとても立派な大黒柱や天井板を使用しており、
大家さんからもできるだけそのまま使用してほしいとお願いされていました。
そこで今回はもともとあった立派な木材が生きるような内装にすることにしました。

大工の根本さんと打ち合わせ。右奥にあるのが、改修前の立派な大黒柱。

2棟目ということもあり、旅館にするための手続きなどは自分で行い、
施工も基本的には大工さんと私で行い、建築士さんは入れずに進めていきました。
ただ、なかなか大工さんに私の求めている内装を伝えるのは難しい。
写真などのイメージだけでは伝わりきれず、
やってみてはやり直しという作業が続いてしまいました。

山菜の栽培を研究して20年余り。
「山菜には夢がある!」と、
86歳の今も意欲を燃やす
小田島 薫さん

西和賀にんげん図鑑Vol.6
山菜栽培研究家 小田島 薫さん

西和賀の特産品、と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、山菜。
「西わらび」はその代表で、一般的なワラビよりも粘り成分が多く、
やわらかく、アクが少ないことから評価が高い。
町外から毎年食べに訪れるファンもいるほどだ。

西わらびに限らず、奥羽山系に位置する西和賀町の山菜は、アクが少ないのが特徴。
そしてそれは、〈母ちゃんの店わがや〉の記事にもあるとおり、
豪雪が温室の代わりとなって土や根を守り、
たっぷりの雪解け水が短期間の成長を促すから、といわれている。

そんな魅力的な西和賀の山菜だが、高齢化により山で採取する人は次第に減少。
そこで町では、山菜を特産品として安定供給するため、畑での栽培に取り組むことを決める。
その立役者のひとりが、「山菜栽培名人」として知られる御年86歳の小田島 薫さんだ。

長い年月をかけて研究し確立してきた技術を、惜しみなく披露する小田島さんの人柄を慕う人は多い。

平成3年に営林署を定年退職後、自宅裏の広大な畑で山菜栽培の研究を始め、
平成7年に町の農林課などとともに「ゼンマイ研究会」を発足。
その後平成13年から、町やほかの生産者とともにワラビの栽培にも取り組んだ。
「西和賀の土地や気候が山菜に適していることは確信していましたが、
初めての試みだったので、秋田県の阿仁町や山形県の朝日村(当時)などに出かけて
勉強したんですよ」と当時を振り返る。

ワラビを畑で栽培するためには、山で自生しているワラビの地下茎を掘り出し、
植え替えることが必要だ。
そして、商品価値の高い、太いワラビに育てるためには、
地下茎も太く大きく育てることが求められる。
そこで小田島さんたちは、春に畑の土に生たい肥を混ぜてやわらかくすることで、
地下茎が大きく育つよう工夫。
育てた株は「ポット苗」にして希望者に無料で提供し、栽培者を少しずつ増やしていった。
こうして町ぐるみで普及を進めた結果、平成21年には「西わらび」の商標登録が実現したのだ。

小田島さんはその後、黒系統(茎が紫色)のワラビの栽培にも取り組む。
ワラビには多くの系統があり、現在出回っている西わらびは緑系統。
しかし小田島さんによると、黒系統のほうが粘りが強く、
生で食べられるほどアクが少ないことが、食味試験で実証されたという。

小田島さんが自分の畑で栽培している西わらびは、すべて黒系統。「サラダで食べてもおいしいですよ」

滋賀とスウェーデンの意外な関係。
東近江市〈ことうヘムスロイド村〉で紡ぐ、ものづくりのストーリー

ヘムスロイド=手工芸の村ができるまで

滋賀県の南東部にある東近江市は、
1市6町が合併した琵琶湖から鈴鹿山脈まで広がる自然豊かな地域。
その東近江市の誕生前、湖東町と呼ばれていた場所に、
全国的にも珍しい、ものづくりの作家が集まる村がある。
その村は、〈ことうヘムスロイド村〉と名前もちょっと変わっているのだが、
立ち上がりの経緯を東近江市湖東支所の山川 恒さんはこう説明する。

「旧湖東町は稲作が盛んなまちなのですが、
一方で梵鐘をつくる鋳物師や宮大工が多く、匠の郷として知られてきた場所です。
伝統を守りつつ、現代のものづくりも推進することを目的として、
平成3年に『工芸と交流の里構想』が策定され、
平成5年3月にヘムスロイド村が完成しました」

東近江市湖東支所の山川 恒さん。

ものづくりの拠点となるような場所をつくるにあたってモデルにしたのが、
スウェーデンのダーラナ地方。
“スウェーデン人の心のふるさと”といわれるこのエリアは、
手工芸など昔ながらの伝統や文化が色濃く残っており、
スウェーデン語で「手工芸」を意味する「ヘムスロイド」と冠した店が
多数存在するそう。こうして田んぼに囲まれた森のなかにできあがった、
ことうヘムスロイド村は、北欧風の建築で朱色の屋根がかわいらしい工房4棟と、
ルンド(人が集まる場所、という意味)と呼ばれるセンターハウスで構成されている。

ちなみにヘムスロイド村が完成して間もなく、
ダーラナ県にあるレトビック市と湖東町は、ともに手工芸が盛んであることや、
地理的に湖の東に位置することなどから姉妹都市提携を結び、現在も交流が続いている。

以上がヘムスロイド村の概要なのだが、
気になるのは、どんな作家がものづくりを行っているか。
現在入居している5組6名の作家の工房と、
カフェとなっているルンドにそれぞれお邪魔してみることにした。

愛犬とともに出勤し、音を気にせず制作に没頭

木工工房〈tanaka wooden works〉の田中智章さんは、
湖東町と同じく現在は東近江市になった、木工の盛んな永源寺町出身。
ヘムスロイド村に入居したのは2015年9月で、
それ以前は東近江市杠葉尾町で制作活動を行っていた。

〈tanaka wooden works〉の田中智章さん。工房には機材も木材も数多く置かれているがどれも整理整頓されていた。田中さんはいつもお気に入りの音楽をレコードで流しながら作業に励む。

「ヘムスロイド村のことは前から知っていて、
どうすれば入居できるんだろうってずっと憧れていたんです」

何よりも憧れたのは、その制作環境。
「ここに来る前はごく普通の集落のなかにある、
住居の隣の小屋を工房にしていたので、大きな音をたてると気兼ねしてしまうし、
残業ができなかったんです。何回か工房を引っ越したのですが、
そのたびにここの存在がちらついていました」

田中さんの前に入っていた木工作家が退去することになり、
知り合いの大工さんからいらない機械を引き取らないかと言われ、
待ってましたとばかりに応募。
広々としたこの工房には木工作家が代々入居していたこともあり、
使い勝手のよさを感じている。

「広くて天井も高いので、大きな家具をつくるときもまったく苦になりません」と田中さん。

きれいな光が入るのでせっかくだからと、工房の一角に展示スペースを制作中。

車で片道30分の距離を、愛犬の縁(ユアン)も毎日出勤。
ヘムスロイド村に着いたらまず散歩をするのが日課だ。
「雷は怖がるんですけど、機械の音は落ち着くみたいで、
仕事中はずっと工房で寝てますね(笑)」

制作に没頭できるこの環境は、作家にとって理想的といえるだろう。

とても人懐っこい愛犬、縁(ユアン)と。

豊岡市×演劇×平田オリザさん
いま、全国で注目の教育法を
東京で体験

「飛んでるローカル」で、子どもも羽ばたく。
豊岡市の最先端のコミュニケーション教育が東京にやってきた!

兵庫県北部にある豊岡市には、子どもたちが楽しみにしている保育や授業がある。
脳や心の発達を促す「運動遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
幼児期から英語に触れる「英語遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
そして、演出家・劇作家の平田オリザさんが監修する
コミュニケーション教育の授業(小・中学生対象)。
これらは市内すべての幼稚園、保育園、こども園、小・中学校で行われる。
豊かな自然の中でコウノトリが羽ばたくまちとして知られる豊岡は、
実は子どもが羽ばたく準備を教育面から支える、教育先進都市でもあるのだ。

2017年3月、東京都内にて、豊岡市の教育を体験できるワークショップが行われた。
先生は平田オリザさんや、全国の舞台を中心に活躍する現役の演出家、俳優、
普段豊岡で運動遊びを実践している豊岡市教育委員会の指導員たちだ。

子どもたちは2〜3歳児、4〜6歳児、10〜12歳児クラスに分かれ、
それぞれ30分ほどのワークショップを体験する。
東京の子どもたちが、たったの数十分でどこまで変われるのだろう?
かくしてワークショップが始まると、
子どもたちの変化に驚かされることになった。

いよいよ運動遊びを体験!

当日の朝、9時半。会場のノアスタジオ 学芸大スタジオの一室に近づくと、
子どもたちの嬉々とした声が聞こえてきた。
広いフロアーに解放された子どもたちが、床の上を走りまわっている。
今日のひとコマ目は、2〜3歳児を対象とした運動遊びのクラス。
先生は、豊岡市教育委員会こども育成課の仲義 健(なかぎたける)さん。
颯爽とした体操のお兄さんといった雰囲気だ。
まずは教室の真ん中に集まり、レクチャーを受ける。

豊岡市教育委員会 こども育成課 仲義 健さん。

「昔は子どもが空き地で遊んでいて、
子ども同士の遊びのなかで身につけていたものがたくさんありました。
今の遊びは、ほとんどがゲームですよね。
このままではイカンということで、豊岡ではこんな取り組みをしています」

ここで仲義さんは、簡単な運動を教えてくれた。
右手は右へ回し、左手は左へ回し、交差するところで拍手。
それを数回繰り返したら、今度は逆回し。
単純な動きだけど、逆回しに戸惑ってしまった。

「体には400の筋肉があり、この筋肉を動かすのが、脳です。
その脳と筋肉をつないでいく作業、これが10歳までに完了します。
なので、この動きがすぐにできる人は10歳までにたくさん遊んだ人です」

運動遊びでは、こうした簡単な動きにはじまり、
楽しみながら運動をしていくうちに「動ける身体」をつくり、脳と心の成長を促していく。
松本短期大学教授の柳沢秋孝さんが考案しているプログラムをアレンジしている。
でも、なかには今日体験する運動遊びの動きをすぐにできない子もいるでしょう、と仲義さん。
そんなときの対処法も教えてくれた。

「子どもさんができなかったときは、見ているだけでいいです。
『なんでできないんだ』というのはNGです。
脳は人の動きを見ているだけでも、実際に体を動かすときと、同じところが活性化しています。
もし、家に帰ってから同じ動きをしたら、その時は思い切りほめてあげてください。
僕は11年間この仕事をしていますけれど、
笑顔、ほめる、触れあう。この3つが揃えば、子どもは間違いなく健やかに育つ、そう実感しています」

遊んでいる間に、スキンシップが生まれる

この後は、いよいよ実践。
手をつないで、部屋のなかをぐるぐるまわったり、
オムレツに見立てた子どもを床の上で揺すったり、軽くほうり投げて受けとめたり。
子どもたちのテンションはみるみる上がっていき、
親御さんたちも童心にかえったような顔をしている。

お父さん、お母さんに背負われておもいっきりダッシュ! 仲義さんはフェイントをかけて笑いを誘い、緊張を解きほぐしていく。

フライパンを揺すってオムレツをつくるように、子どもの足を持ってゆ〜らゆ〜ら。

最後はオムレツを腕の中で成形して……かぶりつく! 子どもたちのキャッキャと甲高い声が響く。

一番盛り上がったのは、動物に変身するゲーム。
四つん這いで歩くクマさん歩きや、ほふく前進のように進むワニさん歩き、
お父さんたちの腕に子どもがぶら下がる象さん歩き。
これらの運動が、自分の腕で体を支える力や、ジャンプ力、ぶら下がる力を身につけ、
「動ける身体」をつくっていくという。

象さん歩きは、支えるほうの体力も必要! お父さんお母さんにとってもいい運動になったようだ。

小さい子どもも少しずつ、一歩ずつ。できなくても注意せず、笑顔で楽しもうとすることがポイント。

ワニさん歩き。大人も子どもも楽しそうに床を這う。

楽しんでいるうちに逆上がりができた!

4〜6歳児クラスでは、もう少し難易度の高い運動が行われた。
感動的だったのは、懸垂の練習から始めた女の子が、逆上がりができるようになったこと。

「腕と脇の下に接着剤を塗ります。ペタペタ」と、逆上がりの一番のコツである、腕と胴体を離さないためのおまじないをかける仲義さん。

おまじないが効いた!? 簡単な補助で、逆上がりができた!

「懸垂とひっくり返る動きができれば、逆上がりができるようになります。
体重が30キロを超えると難しくなるので、小さいときから始めることが大事ですよ。
今日やった動きができるようになれば、跳び箱や側転もできるようになります。
親子でにこにこ遊んでいれば、できるようになるんです。
運動が脳の発達を促すというと、スポーツを強制しようとする親御さんがいるんですけれど、
大事なのは子どもが進んで遊ぶことです。
大人の役割はスポーツクラブに強制的に行かせるということではなく、
まずは一緒に遊んであげること。
豊岡では、そんな『運動遊び』を推進しています」

ワークショップの最中には、ぐずりだした子もいた。
でもその子は、最後までお父さんの膝に座って、みんなが遊んでいる様子を見ていて、
仲義さんにポンと頭を撫でられ帰っていった。
仲義さんはそういう子がいても、決してガミガミいわない雰囲気を大事にしているという。

「最初は消極的だった子も、続けていくうちに化けますよ。
そういう子がいかに『やってやろう』となれるか。
そういう機会をつくれるのが、運動遊びのいいところ。
幼稚園・保育園・こども園で行う運動遊びの時間だけではなく、
家に帰ってからも大事です」

こんなアクロバティックな動きも……!

豊岡では、現在37の幼稚園、保育園、認定こども園で、この運動遊びを取り入れている。
また、0〜15歳を一元的にとらえる施策も進められており、
幼稚園の子たちと小学生が一緒に遊ぶ試みなどが行われている。

名古屋市有松で、受け継がれ、
更新されていく。
伝統の〈有松・鳴海絞〉と
まちの進化

〈有松・鳴海絞〉が今もなお残っているという奇跡

JR名古屋駅から、電車で約20分で行くことができる名古屋市緑区有松。
旧東海道の両脇に当時の豪壮な旧家が今も残された有松のまち並みは、
2016年7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2017年1月、新たに2か所の観光案内処がオープンしました。

観光案内処は2か所つくられ、いずれも古い建物を利活用したリノベーション物件。

まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができる
古き良き景観だけがこのまちの魅力ではありません。

〈有松・鳴海絞〉と呼ばれる、400年の歴史を持つ染物産業が
今もなお、受け継がれ、日々進化を遂げているのです。

有松の歴史は江戸時代にまで遡ります。
もともと平地が少ない丘陵地帯であったこの土地は
耕作に向かず、農業は発展することがなかったため、
この地に住む人々は、名古屋城築城の際に九州から来た職人たちから、
絞りの技法を学び、伝承・工夫を重ね、
東海道を往来する旅人の土産物として手ぬぐいなどをつくり、商売を始めます。
そして、尾張藩の庇護のもと絞染の産地として発展を遂げたのです。

絞染の工程はいくつかに分かれます。
大まかな工程は、まず図版をつくる職人が下絵を描き、
括り職人が布に糸をきつく巻き付け、染色専門の職人が染め付け、その後糸を抜き、
広げると下絵のとおりの模様の布ができあがり。

有松・鳴海絞を使用した着物。

この有松・鳴海絞の最大の特徴は、下絵通りに染め上がるよう布に糸を巻き付ける
括り職人たちの技術力と、技法の豊富さにあると言われています。
括り方はなんと約100種類。そのうち75種類ほどが
現在でもこの有松地区には残っているというから驚きです。

多種多様な模様を生み出す技術力こそが、有松・鳴海絞の特筆すべき点。

全国各地に新興の絞産地が出現し、
その大半が時代の移ろいとともに昭和初期までに消えてしまいました。
有松・鳴海絞もまたそれぞれの時代において訪れる苦難を乗り越え、
今日までその伝統は守り抜かれてきました。

そこには、有松ならではの伝統を守り抜くための創意工夫の精神があったのです。
ほかでは真似ることができない数々の技法を生み出し、
現在では世界の絞研究者から注目を浴びている有松・鳴海絞。
そのキーパーソンたちを紹介していきましょう。

株式会社建大工房 vol.5
福井に、廃材ホームセンター
〈CRAFTWORK CENTER〉
ができるまで

株式会社建大工房 vol.5

ホームセンターが大好きです。
僕にとってはちょっとしたアミューズメントパークだと思っています。
もしホームセンター内に宿泊施設が併設されている所があったら間違いなく通います。
そして、「ホームセンター」という言葉は、
軽い力で開けられるものづくりの扉だと思っています。

今回はそんな僕が長年かけてコツコツつくってきた
廃材オンリーの自分のホームセンターの話です。
とは言え、実は今でもまだつくっている途中ですが、
必要な部分だけ完成したら、〈CRAFTWORK CENTER〉として4月中旬にオープンさせて、
それからもつくりながらしばらくは週末だけ営業していきます!

なぜホームセンター?

結婚してから中古の家を探しているときもホームセンターが近くにあるかが決め手だったので
家から車で3分の距離内にホームセンターが2軒もあります。ほぼ毎日行きます。
なんなら1日に数回行きます。(単に買い忘れが多いだけですが)
休みの日は家族でもよく行きます。何時間でもいられます。
僕がもしスタッフだったら相当売り上げる自信もあります。

そんな大好きな場所ですが、福井のホームセンターには、
機能的に必要なものは大体ありますが、
デザイン的にはまだまだ需要を満たしていません。最近は、店舗はもちろん、
住宅建築でも金物や照明、衛生器具、棚板にいたるまでが輸入品や一点ものなど、
こだわってつくる人が増えてきたので、雑貨屋さんで買うか
結局はネットで買うことになります。

そういうものを選ぶときに専門的な知識が必要なときもあります。
DIYでもどんどんマニアックな道具や商品の使い方も増えてきて、
ホームセンターでも実際に現場の知識があるスタッフも
まだまだ少ないのでアドバイスにも限界はあります。

職人なら当然知っているようなことでも、
DIYとなると基本、独学なのでいろいろな失敗もします。
あと、もちろん古材や中古の商品なども普通のホームセンターには売っていません。

「もっと個性的な商品を揃えているホームセンターがあっていいんじゃないか?」

「もっと建築や現場に寄せたものづくりの場所があっても」

ということで、僕の思いはどんどん膨らんでいき、
いつしか「欲しいものが揃っている自分のホームセンターを持ちたい!」
に変わっていきました。2013年頃のことです。

そんな矢先、テレビでオレゴン州ポートランドの建築建材のリサイクルショップ
〈リビルディングセンター〉の存在を知りました。

廃材をうまく流通させている取り組みです。これなら資本もそこまでかけずにできる!
その後、シリコンバレーから始まり、現在では
全米8か所にある、本格的な工作機器を備えるDIY工房〈TechShop〉などの存在も知り、
専門的なものづくりが誰でも身近にできる場所があることが斬新で、
なによりも楽しそうでした。

それらすべてに全部行ける機会が突然訪れたのが、この連載の第2回でも書きましたが、
2014年に黒崎輝男氏に連れていってもらった全米ツアーでした。

ずっと行きたかった、ポートランドのリビルディングセンター。

日本ではあまり考えられないけど、中古の浴槽や便器までたくさん。

サンフランシスコのTechShop。今はもう日本にもこういった場所は増えたが、当時はまだまだ目新しかった。木工、鉄工、布、皮、すべての道具も揃っているし、最新の3Dプリンターが何台も。

このリノベのススメでも散々書き綴ってきましたが、
DIYが好きで廃材が好き、そしてホームセンターが好き。
それを全部ひっくるめた場所をつくりたい。
その一角にはもちろん人が集まれるカフェもあって。
今まで経験してきたこと、自分の好きなこと、アメリカや各地で行われていること、
これから日本でも始まろうとしていること。
そしてそれらを、粛々とものづくりの精神が根づくこの北陸の福井でやること。
アメリカの旅ですべてが一気につながり、帰ってきて確信にかわりました。
ただ唯一見つかってないのがそれらをお金に換える方法でしたが……。

鳥取の郷土料理「こもどうふ」 を作る料理教室開催! フリーマガジン 『まなざし』編集部が主催

鳥取の郷土料理「こもどうふ(こも豆腐)」とは?

2017年3月26日(日)、鳥取駅前の商店街にて
「こもどうふ」という郷土料理をつくる会が開かれます!

「こもどうふ」は、豆腐と具材をわらで包みこんだものをそのまま茹でる、
とってもシンプルな料理。包みを紐とくと、わらのいい匂いが香ります。
鳥取では冠婚葬祭のときなどに振る舞われる、特別な料理なのだそう。
見た目もかわいらしい〜!

今から100年ほど前、魚があまりとれなかった鳥取では、
よく豆腐が食べられていました。豆腐は庶民の貴重なタンパク源だったのです。
でも、いつも豆腐ばかりでは飽きてしまう……というわけで
生まれたアイデア料理が「こもどうふ」でした。
身近にあるものでできて、香り豊かで、わくわくするひと皿。
すてきなアイデアですね。

主催は、大学生によるプロジェクト〈コトバのたび〉と
鳥取県庁が手がけるフリーマガジン『まなざし』。
コトバのたびは、日本全国の高校生が森や海、川の名手を訪ね、
その知恵や技術、人生そのものを聞き書きするプロジェクト
〈聞き書き甲子園〉の大学生版です。

『まなざし』では地域の方々から聞き書きしたことを、イベントや紙媒体、動画など、さまざまな形に変えて地域と共有していきます。

花巻市で愛された 〈マルカン百貨店〉の大食堂を 再建へ! レトロな魅力たっぷりの 写真集 『MARUKAN IMAGES』

岩手県花巻市で愛された、大食堂の再建を願って出版された写真集

2016年6月7日、岩手県花巻市で長いあいだ親しまれてきた
〈マルカン百貨店〉が惜しまれつつ閉店しました。
その百貨店の6階にあった大食堂の復活を願う声がやまず、
今年の2月に〈マルカンビル大食堂〉として再オープン! 
レトロな百貨店の大食堂を懐かしむ声が、ますます広がっているんです。

閉店間際までお客さんが押しかけたマルカン百貨店。
2016年8月には地元のクリエイターの皆さんが
写真集『MARUKAN IMAGES 〜思い出の写真集〜』を出版しました。

これは、思い出の風景を地元ならではの視点で記録するため、
そして、マルカン百貨店にあった大食堂の再建を願って出版された写真集。
収益の一部(一冊につき800円)は、
マルカン大食堂の存続に尽力している〈上町家守舎〉さんへ寄付されます。

写真集には市民の皆さんと全国のファンから寄せられたエピソードや、
43年にわたる歴史を写した写真を収録。
マルカン百貨店に思い入れがある方も、レトロ好きな方も楽しめる一冊です。

特にフォトジェニックなのは、6階の大食堂。

こちらの食堂はメディアにも取り上げられ、
全国からお客さんが訪れるほどの人気でした。
デパートの食堂って夢がありますね。

こちらは名物メニュー「10段巻きソフトクリーム」。
このソフトクリームは、なぜかお箸で食べるものなのだそう。

画像提供:上町家守舎 撮影:Real Creation

真鶴にローカルベンチャーを!
〈西粟倉・森の学校〉
井上達哉さんと語る、真鶴の未来

“森好き”が考える「お林」のゆっくりとした過ごし方

神奈川県真鶴町に生まれる〈真鶴テックラボ〉は、
3Dプリンターやレーザーカッターなどのテクノロジーを使ったものづくり体験のほかに、
新たな事業を立ち上げたり、起業を目指す人への支援も進めていこうという施設だ。

同じように小さな自治体で、たくさんのローカルベンチャーの起業実績がある
岡山県英田郡西粟倉村。この村の事例を学ぶために、
〈西粟倉・森の学校〉代表取締役社長である井上達哉さんを招き、
西粟倉村の歴史と現状、森の活用、そして会社の事業内容や
インキュベーションについてのワークショップが、
真鶴テックラボを企画するスタッフにより開催された。

真鶴には、誇るべき「お林」がある。
“森大好き人間”を自負する井上さんにとっても、
初めて訪れた真鶴の森は魅力的に映ったようだ。

「400年以上守られてきた照葉樹林のお林。
あんなに壮大なクスノキの枝ぶりを真下から見ることはなかなかありません。
今日は感動を覚えています」

「お林」のクスノキを見上げる。

まずは森と社会を重ね合わせて、外部からの視点でお林のすばらしさを語ってくれた。

「お林も最初は人工林だったんですよね。
でも400年も経つとどんどん更新されて、もう天然林になっていると言ってもいい。
『松が枯れている』という話を聞きましたが、
寿命をまっとうする木があるから新しい木が育つので、枯れても構いません。
そういう更新されている森は、全体のバイオマス量は一定になります。
僕たちはつい1年や3年、10年という期間で判断してしまうけど、
森は100年単位で考えないといけません。
現実社会でも、目先の人口が減ったりしても、長い目で見れば一定に保たれている。
そういう“森”や“社会”が健全だと思います」

真鶴町の人たちとお林を見学した井上さん。

参加者から「お林をどう有効活用したらいいか」という質問があった。
西粟倉村は95%が森だが、森を間伐して生まれる間伐材を有効活用してきた。
真鶴のお林とはそもそものあり方が違う。だから井上さんの提案は「観光」だ。

「土を直接踏むと傷んでしまうので、ウッドデッキで遊歩道をつくれたらいいですね。
森の中で何かイベントをやってもいいけど、
常に行けるカフェなどがあると行きやすくなりそう。
夜はおいしい魚介とワインが飲めたり。観光化は難しい部分もありますが、
なるべくこのままの雰囲気で進んでいってほしいです。
大きく新しいことをやるよりも“このまま”を
しっかり守っていけばいいのではないでしょうか」

西粟倉にある体験型の事例には学ぶべきものがあると
紹介してくれたのは、ファシリテーターを務めたコロカルの及川卓也編集長だ。

「森の学校が発売している木の床材〈ユカハリタイル〉も、
商品自体を売りながら、床を貼るという体験を売っているとも言えます。
また、半完成品である〈ヒトテマキット〉も
最後に自分の手でスプーンを削って仕上げるという体験を与える。
いまコロカルで連載している『真鶴半島イトナミ美術館』でも、
アート体験に見立てながら、真鶴を紹介するという試みをしています。
だからお林も、いわゆる観光ではなく、体験をつくってあげることが重要ですよね」

真鶴周辺から10名程度の参加者が集まった。コロカルの及川卓也編集長(左)がファシリテーターを務めた。

そして周囲を大きな観光地に囲まれている真鶴としては、差別化という意味でも、
「暮らし」に紐づいたアイデアが求められているのかもしれない。

葉山発、食のプロジェクト 〈SEE THE SUN〉 ベジタリアンも アレルゲンフリーもおいしく!

海山に囲まれた神奈川県・葉山町を拠点に、
世界規模の展開を見据えた食のプロジェクト
〈SEE THE SUN(シーザサン)〉が始まります。

食物アレルギー、グルテンフリー、ベジタリアンに対応した食事って
あんまりおいしくないと感じたことはありませんか? 
このプロジェクトが提案するのは、
健康で安全なものをおいしく食べる、幸せな暮らし。

全国の生産者とつながりながら、
食の多様化に対応する代替食品を開拓し、新しい食のブランドを提案していきます。
全国のパートナーや産官学と連携しながら展開していくので、
新しい食の価値観が広がっていきそう。

2017年5月には、葉山の歴史ある別荘に拠点をオープン。
ここでは新しい商品や葉山の食材を生かしたレシピの研究開発を行うほか、
地元の方たちの交流の場としても活用していきます。

拠点となる葉山町は、財界人、文化人の別荘地として、文化と歴史が重ねられてきたまち。
美しい海山もあり、都心からワンデイトリップでいくにもおすすめです!

子どもたちの五感を刺激する
〈真鶴未来塾〉の
フィンガーペインティングイベント

手で、足で! 体を使って描く感覚を養う

真鶴町にある公共施設〈コミュニティ真鶴〉を管理している
一般社団法人〈真鶴未来塾〉は、スタートアップ支援など
さまざまなイベントや講座などを開催しているが、
子どもに向けた催しにも力を入れている。

2月26日に開催されたのは「フィンガーペインティングを体験しよう」というもの。
この日集まったのは10人の子どもたちと保護者たち。
会場には壁一面と床に大きな白い紙が貼られ、なんだか自由な空間が広がっている。

「絵の具だまり」に素足で進入!

この日の講師は、真鶴出身の友人に誘われて参加したイラストレーターのユウナラさん。
普段は、自らが住んでいる団地のパーティなどで子どもたちと接しているという。
もうひとりは、真鶴で似顔絵作家・グラフィックデザイナーとして
活動している山本知香さん。
自らが開催するイベントでもよく子どもたちとふれあっていて、
真鶴の子どもたちにはよく知られているお姉さん的存在。

しかし講師といっても特別なことを教えるわけではなく、
先頭になって一緒に楽しむ係だ。

山本知香さん(左)とユウナラさん(右)。

まずは山本さんのレクチャーが行われた。
「今日は、筆ではなく、自分の体で描いてください。
手のひら、腕、足で描いてもいいよ」と、普段、家でやったら怒られることを
やってもいいと許されたことでワクワクする子どもたち。

まずは床に貼られた紙をキャンパスにして描いていく。
フィンガーペイントといっても、指だけでなく体全体を使っていいみたいだ。

手のひらでベターっと。何が描かれるのだろう?

ここからは、子どもたちの自由な感性が爆発する。
手のひらいっぱいに絵の具をつけて縦横無尽に動き回る子、
座り込んで1か所に絵の具の層ができるかと思うくらい色を塗り重ねている子、
足の裏に絵の具をつけてすべって転びまくっている子。
みんな髪の毛や顔にも絵の具がついて楽しそう。
この日ばかりは、洋服を汚したってお母さんに怒られない。

泥遊び感覚の子どもたち。握った指の間から出る絵の具の感触がたまらないようだ。

「普段、学校の授業などで絵を描くと、ウマイ・ヘタという差が出てきてしまいます。
絵があまり上手ではなく、萎縮してしまう子もいると思うんですね。
でもここはウマイ・ヘタという価値基準ではない。
みんなどんどん描いてくれてよかったです」と主催である真鶴未来塾の奥津秀隆さん。

お母さんたちも協力して描くけど、子どもたちのほうが思いっきりがいい!

お化粧のように、きれいに手のひらにピンクの絵の具を塗れました。

30分ほど自由に描いてもらって、絵の具の使い方を理解してもらった。
「フィンガーペイントは絵を描くというよりは、
指や体を使うという五感を鍛える目的が大きいです」と言う山本さん。
いまでは機会の少なくなった泥遊びなど、手足で直接素材をさわるという感触。
そして体のいろいろな箇所を使って表現していくという感覚を鍛える。

平井俊旭さん
(雨上(あめあがる)株式會社)
いいものをつくっているという
市民の自信が、
高島市のブランドをつくる

地方にはディレクターが不足している

琵琶湖の北西に位置する、滋賀県高島市をご存じだろうか。
市が行った調査によると、822名の回答のうち、東京での認知度はわずか5%余り。
隣の京都でさえ、6割ほどの人しか知らなかった。
この数字は少々極端かもしれないが、土地の魅力に反して認知度が低いのは否めない。
そこで外の人にもその魅力を知ってもらおうと、ひとりの男性が立ち上がった。
といってもその人自身は、もともと高島に縁もゆかりもなかったのだが。

比良山地や野坂山地など、森林が広がる自然豊かなまち。棚田も美しい。撮影:三上紀顕

琵琶湖のなかに大鳥居が立つ高島市鵜川の白鬚神社は、近江最古の神社と言われている。今も昔も琵琶湖は高島に多大な恩恵をもたらしている。写真提供:平井さん

平井俊旭さんが、スープ専門店チェーン〈Soup Stock Tokyo〉を運営する
株式会社〈スマイルズ〉に、デザイナーとして加わったのは2001年のこと。
ブランドのグラフィックや店舗テザイン、食器類のプロダクトなどに携わっていたが、
2008年、同ブランドが事故米の不正転売事件に巻き込まれてしまう。

「とある問屋が食用ではないもち米を食用と偽って、
Soup Stock Tokyoがスープの製造委託をしている工場などに転売していたのです。
原料がどこから来ているのか、会社としてきちんと追うことの重要性を痛感しました」

同じ頃、店舗の内装などに使う木材も
海外から違法に流入しているものが含まれている可能性を知り、
国産の木材を積極的に使うように。
食材と木材、このふたつに着目して北海道から沖縄まで
いろんな地域を見て回ると、ある共通点が浮かび上がってきた。
それはディレクションをする人が不足しているという事実だった。

「いろんな魅力があるのに、
それらをうまく表に出すことのできていない地域が、圧倒的に多い印象を受けました。
スマイルズの場合、社長の遠山正道が
Soup Stock Tokyoを企画する段階でブランドイメージを明確にしていたので、
自分のようなデザイナーがインハウスでやっていました。
地方も理屈は同じはずなのですが、それ自体が何らかの利益を生まない仕事は、
なかなか価値が認められにくい。
だけど誰にどうやって売るのかを考えないと、仕事も生まれないし、
人も地域に入ってこない。都市に集中せず、人がもっと分散して、
それぞれの地域のよさを生かせたらいいのにと思ったんです」

地域が抱える問題を感じ始めたとき、たまたま高島市にも縁ができた。
「国産の木材を使うようになったのは、
三重県紀北町の〈速水林業〉との出会いがきっかけです。
速水 亨代表が主宰している林業塾に毎年参加させていただくようになり、
岡山県の〈西粟倉・森の学校〉(当時)の代表である牧大介さんと知り合いました。
牧さんは高島で林業6次産業化のコンサルティングをしていた時期があったのですが、
彼がやるくらいならおもしろい場所に違いないと。
自分がもし地域で何かやるなら、都市にある程度近いところがいいと思っていました。
おもしろそうだからちょっと行ってみようかな、
と都市から気軽に足を運べる範囲がよかったというか。
その点、高島は京都から車で1時間足らずでアクセスできる。
しかも立地的なメリットがあるわりには、
よさを発信しきれていない印象を受けたんです」

長く勤めた会社での立ち位置や、自分がやれることについても、客観的に考えていた。
「自分が入った創業間もない頃、
Soup Stock Tokyoは事業として行き詰まっていて、
いつなくなってもおかしくないような状況でしたが、
逆にいろんな可能性を感じられて、商売としては厳しかったのですが、
新しいブランドをつくるという仕事として実は一番おもしろかったりもしました。
地域が置かれている状況もそれに近くて、
もしかしたらこのまま人口が減少して立ち行かなくなってしまうかもしれないけども、
誰かが動かなければいけない。
自分が民間企業でやってきた経験を地域で生かしてみたい、と思ったんですよね」

2014年のゴールデンウィークに日帰りで初めて高島を訪れ、
7月に再訪したときは1泊して、周辺の地域も見て回った。
そのうえで問題点を洗い出し、
「別に求められてもいないのに、牧さんに高島市の職員だった清水安治さんを
ご紹介いただきに勝手に企画を提案した」のが、10月のこと。

「12月には〈雨上(あめあがる)株式會社〉を登記し、
年が明けて4月に高島に引っ越してきました。
提案はしたものの具体的な仕事は、何ひとつ決まっていなかったんですけどね」

オフィスにて。平井俊旭さん。

暮らしている地域を自慢できるようになるために

移住後、コンペを経て平井さんに課せられたミッションは、主にふたつ。
高島の交流人口と定住人口を増やすことと、高島の農業を活性化させることだ。

「高島をもっと知ってもらうために、
まずは市民の人が高島を自慢できるようになることが重要だと考えました」

平井さんがお手本にしたのは、博報堂の「属ブランディング」という考え方。
「ブランドはそれをつくりたいと思う人の志が先にあって、
そこにデザインや仕組みができて、ファンがついてくるものです。
Soup Stock Tokyoをつくっていくなかで経験があったからわかるのですが、
窮地に陥ったとき、
自分たちはいいものをつくっているのだという揺るぎない信念がないと、
途端にうまくいかなくなるんですよね。
人から言われたからやっているというスタンスだと、
やめる選択肢があっさり出てきてしまう。
ブランドは一朝一夕でできるものではないので、
市民が本当に高島をいいと思ってブランド化しない限り、
自分みたいに外から来た人間がロゴや仕組みだけをつくったところで、
うまく機能しないと思うんです」

そして市民が自分たちの地域を知ることを目的に、
平井さんが立ち上げたのが「高島の食と人 –3つの◯◯−」というウェブサイト。
ここでは高島で食材がつくられて食べられるまでの一連の流れを、
3章立てのストーリーで紹介している。
2016年1月から秋冬編と春夏編として計36話を掲載して、
3月に一旦終了するのだが、ずらりと並んだストーリーからは、
高島の多彩な食材と、それらをさまざまなかたちで提供したり、
味わったりする人たちの豊かさが伝わってくる。

「高島の食と人 –3つの◯◯−」

山羊のチーズの商品化を目指す中嶋さんの紹介記事。撮影:古田絵莉子

「テーマは僕が選んでいるのですが、
カメラマンもライターも地元の人たちにやっていただいています。
そうすると取材した側もされた側も、自分ごととしてとらえてくれるんですよね。
地元の人は地元のことを意外と知らなくて、
外から来た自分が人や情報をジョイントさせることで、
直接やり取りをするようになったケースもあります」

上野の銭湯“日の出湯”が学び舎。 REBIRTH PROJECT 〈はだかの学校〉スタート

銭湯のお風呂のなかで授業!?

いま失われつつある銭湯文化を後世に残したい。
このたび、東京・上野の銭湯〈日の出湯〉にて、
REBIRTH PROJECTとアサツー ディ・ケイの協同による
〈はだかの学校〉プロジェクトをスタートします。
なんと、銭湯のお風呂のなかで、授業が行われる学校です。

日の出湯 内観

〈はだかの学校〉は、銭湯を地域の学びの場として捉える試み。
入浴(入学)試験もなし、学費も無料。通常の入浴料のみで、授業を受けることができます。

講師・生徒ともに地域の住民が中心で、授業内容についても
老若男女問わず参加できる、地域や銭湯にゆかりのあるものを開催。
地域の活性化につながることを目指しています。

プロジェクト発起人 田村祐一(日の出湯オーナー/〈SAVE THE 銭湯〉代表)

プロジェクトの発起人は、日の出湯オーナーの田村祐一さん。
田村さんは東京・蒲田にある〈大田黒湯温泉第二日の出湯〉の4代目で、
銭湯の跡取りとして生まれ育ちました。

大学卒業後、家業である有限会社日の出湯に就職し、2012年5月より
創業の地である浅草にある日の出湯のマネージャーとして、銭湯経営再建に着手しました。
その後設備投資なしで業績回復に成功し、現在は銭湯を日本の未来に残すプロジェクト
〈SAVE THE 銭湯!〉の代表も務めています。

別府市の〈湯〜園地〉計画始動! 2017年7月、本当に本当に、 温泉テーマパークがオープン!

別府市の〈湯〜園地〉計画が着々と! 支援総額は1000万円突破

大分県別府市が発表した、
温泉につかりながらジェットコースターに乗れる!? という、
遊園地ならぬ“湯~園地”計画が、
なんと実現に向かって動き出しました!

今年の7月29日、30日、31日の3日間、、温泉につかりながら、
ジェットコースターや観覧車に乗ることができる遊園地〈湯〜園地〉が、
実際に別府市内に誕生します。

〈湯〜園地〉が画期的なのは、市のプロジェクトなのに、
税金を一切使わずに実現させようとしていること。
現在寄付やクラウドファンディング〈CAMPFIRE〉で、
賛同者を集めて実現のための資金を集めています。
クラウドファウンディングでは最低目標額の1000万円を達成。
既に1,600万円以上が集まり、下記アトラクションが設営決定となりました

最終目標金額は1億円。
集まった金額に合わせアトラクション数が増えるなど、
遊園地の内容をより充実させるために使用されるそう。

支援者には、〈湯〜園地〉の優先入園券や貸切券など、
ここでしか手に入らない返礼品が用意されていますので、
ご興味のある方は是非支援されてみてはいかがでしょうか?

いとうともひさvol.1
スケルトンの大型ビル1棟をDIY。
変幻自在のクリエイティブスペース
大阪の〈上町荘〉とは。

いとうともひさ vol.1

はじめまして、伊藤智寿と申します。
大工・ディレクター・インストラクターのような動きを並行して行う
株式会社いとうともひさを主宰しております。

大阪を拠点としていますが、日本各地に出向いて
その地域の方と協働するスタイルで活動しています。大工工事と並行して、
お客さんに工事の指導をしたり、設計業務に協力させていただいたり、
プロジェクトを企画したりしています。

具体的な業務は、現場で工事する、依頼主に予算内で使える材料・つくり方の提案をする、
全国の地域にある空き家の利用方法を考える、設計者とチームを組む、
DIYのサポートをする、場所を運営するなど、
家をはじめとした空間を一緒に考える・つくるという案件が多いような気がします。

第1回目は現在、拠点として運営に携わっている
シェアスペース〈上町荘(うえまちそう)〉の話をさせてもらおうと思います。
そこから見えるリノベーションのひとつのあり方を知ってもらえたらうれしいです。

スケルトンの大型ビルを、活動の拠点に

2014年大阪市中央区に誕生したシェアスペース、上町荘。
大通りに面した角地に建ち、3階建てで延べ床面積300平米超の大きな空間です。
1階はホールスペース92平米+工房スペース50平米、2階はライブラリスペース20平米に、
打ち合わせスペース10平米+オフィススペース50平米、
3階に85平米オフィスと45平米のオフィスといった構成になっており、
上町荘は入居以来、時間をかけてリノベーションし続けています。

2階オフィススペース各ブースにテーブル、棚が当てられた専有作業スペース。

2階吹き抜け部分の通路から交差点を見る。自動車ディーラー時代の面影を残した特徴のあるガラス面。

2階ライブラリースペース。

梅田・心斎橋・難波など大阪の主要部へのアクセスが便利なエリアにあり、
以前は自動車ディーラーの展示空間・オフィスでした。
ディーラー時代に車の見栄えが良いように設計され、
交差点に向かって大きなガラス面がはめられています。

もともとはオフィス兼倉庫をひとりで探していたのですが、
上町荘のようなビルをひとりで1棟借りするのは
大工が工房や倉庫として利用するには家賃が高すぎるし、選択肢になかった。
まともに考えると田舎でかつ、車の便がいい倉庫を借りるほうが断然現実的だったんです。
しかし今では思い切って地価の高いエリアに飛び込めたことの意味を感じています。
それはほかの人の利益になることをすれば、利益を受け取る人の数が多いため、
シェアする利益が大きいということ。
自分だけの空間として閉じてしまえばもったいない話なんだと思います。

広すぎるビルの使い方

上町荘に入ることになったきっかけは
建築家の白須寛規さん(designSU主宰)からのお誘いでした。
学生時代から、まちに開かれた活動をされていたのが魅力的で
白須さんの催したイベントに通い、いろいろなことを教えてもらったり、
さまざまな人を紹介してもらったりしていました。
そんな白須さんから「共同オフィスを一緒に探さない?」とお誘いをもらったのです。
以前から白須さんと仲が良かった山口陽登さん(シイナリ一級建築士事務所主宰)と、
3人で共同オフィスを探すところから始まりました。

エレベーターがない、駅から遠い、など大阪市内でも安くなりそうな条件で検索して、
とにかく広いビルを探しました。

写真中央右、濃灰色のビルが上町荘。

そんななか、大阪市中央区に100坪を超えるビルがあると山口さんから連絡をもらい、
3人で見に行くことにしました。

ユキノチカラの主役たち(2)
西和賀で人気の菓子店
×デザインで、
「みんなが欲しくなる」
商品ができた!

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
前回は、第1弾の〈ユキノチカラプロジェクト〉で誕生した
〈サンタランドのぽんせん〉、〈ゆきぼっこ〉、どぶろく〈ユキノチカラ〉と、
開発した商品への思いを紹介しました。後半に紹介する3事業者もまた、
大らかな西和賀の人らしい愛すべきキャラクターのみなさんです。

雅樹さんのホタル愛にあふれた 〈雪のようせい〉

雪国のだんご屋 団平×デザイナー/岩井澤大・堀間匠

最初は、湯本温泉近郊で餅やだんごの製造販売業〈団平〉を営む高橋雅樹さん。
西和賀で多く見られる名字「高橋」。ここでも「高橋さん」の登場だ。
社名の由来は、「親族に平のつく名が多く、団子の団と合わせてつけました」とのこと。

雪国のだんご屋〈団平〉の高橋雅樹さん。

独自の冷凍技術で東北全般にだんごを出荷する。

雅樹さんは団子屋の主人というだけでなく、
地元ではホタル博士としても知られているのだ。
店を訪ねると、そこにはホタルの写真がいくつも並んだファイルが置かれていた。
10年ほど前、仕事の合間に出かけた川で見かけたゲンジボタルの美しさに魅せられたそうで、
自宅でホタルを育てるばかりかエサとなるカワニナまで育て、
毎年300~600匹のホタルを自然に放しているそうだ。
「自分が放したホタルが見えるとね、嫁は見つかったか~、なんて話しかけてます」
と雅樹さん。
語り始めたらホタルの話は止まらない。
一生懸命に育てて自然に放してはいるものの、そう簡単には増えないのだとか。

そして、雅樹さん自慢の逸品も、
ホタルのはかなく美しい灯りをイメージしたお菓子だ。
ひと口サイズのわらび餅にとろり溶け出す餡が入った〈雪のようせい〉。
餡を包むのは、独特の弾力とつるんとした口触りのわらび餅だ。
西和賀産西わらび粉を使ったわらび餅は、
アクが少なく飴色のきれいな透明感があるのが特徴。
餡は2種類あって、地元の湯田牛乳を使った抹茶クリーム餡は、ホタルの美しい光をイメージし、
黒みつ餡は西和賀町の夜空をイメージしたと雅樹さん。
ホタルの舞う夏に似合うお菓子だけれど、
そのおいしさの秘密は、冬に掘り起こすわらびの根っこからつくるわらび粉にあるのだ。

練りあげの技術がわらび餅の食感を決める。

飴のような透明感をもつ、西わらび粉のわらび餅。

〈雪のようせい〉は、以前から商品として販売していたが
デザインプロジェクトを機に、パッケージデザインと名前も変更。
デザイナーとも相談しながら、包装個数をコンパクトにして、
買い求めやすく食べやすくしたという。
「通常のわらび餅のパックにも〈ユキノチカラ〉のラベルをかぶせたところ、
紙1枚で高級感が出ました。
西わらび粉はほかに負けない質の良さが自慢ですから、味に自信はありますが、
上質さを伝える方法としてデザインがいかに重要かを実感しています」
と、プロジェクトの成果を語る雅樹さん。

おいしいわらび餅を食べながら、美しい西和賀の初夏を彩るホタルの美しさを楽しんでほしい。
そんな雅樹さんの思いを込めたお菓子が〈雪のようせい〉なのである。

トミトアーキテクチャvol.3
横浜の木造アパートをまちに開く。
リノベーションの鍵は、
地域の家具や建具、ピンコロ石

トミトアーキテクチャvol.3

横浜市の丘の上にある、多国籍・多世代交流スペース〈CASACO(カサコ)〉。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。
vol.3は、建設について。前回紹介した近所から集められた地域の素材を生かし、
「いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」という思いをどう実現していったのか。

新しい発見を与えあう場所

地域素材を近所から集めたり、住民からまちの話を聞いたり。このように手間をかけながら、
住宅を開かれた場所にリノベーションしようとしている、
そもそもの理由を少しお話したいと思います。

フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの『過去のない男』という作品は、
日常が埃をかぶったような冴えない雰囲気の地域に、
「よそ者」が登場するところからストーリーが始まります。

記憶をなくした男がヘルシンキの貧しい港町にたどり着くと、
何かと地域の人が世話をしに絡んでくる。それがきっかけとなり、
止まっていた時間が動き始め、埃が払われるかのように、
まちが生き生きしていく様子を描いたコメディ映画です。

CASACOのことを考えるとき、僕はよくこの映画を思い出します。
CASACOはもともと地域にとってよそ者だった若者たちが始めた活動です。
旅人がローカルな場所に訪れて、観光地では味わえない「暮らし」を体験すると同時に、
地域に長く住む人が「こんなところがおもしろいんだ」と勇気づけられたりするような、
お互いが「他者」であることが、
新しい発見を与えあうことにつながる環境づくりを目指しています。

それが、「多世代多国籍の人々に開かれた場所」というCASACOの基本理念に通じています。
CASACOの地域に対する姿勢に対して、

「人のためによく頑張れるね」

と言われることがありますが、
実は、地域のために何かをすることはCASACOの目的ではありません。
むしろ、自分たちが楽しい住み方、住宅地の新しい楽しさを追求していくことが、
根っこにあります。楽しさの追求が結果的に公共性につながるかもしれないところに、
可能性を感じています。

さて、ここからはCASACOのリノベーションの詳細を見ていきます。
まずは前回お話しした「地域素材」の行方から。

延命された地域の記憶

「カーンカーンカーン」

CASACOの裏庭から、住宅地では聞き慣れない音が響きます。

ピンコロ石の整形作業現場。奥に積まれているのがモルタルを剝がした石で、散らばる小さなかけらは剝がされたモルタル。

近所の野毛坂に敷かれていた石畳のピンコロ石を、
横浜市から2トントラック2台分譲り受けました。
「1個ずつ」に分離された状態のピンコロ石を思い描いていたのですが、
届いてびっくり、ほとんどモルタルと一緒に固まったものでした。
遺跡発掘現場さながらの、ピンコロ石整形現場。
それから半年に及ぶ、CASACO自主施工シリーズの最初の一手となりました。

ピンコロ石の一生から

石畳が敷かれていた頃の野毛坂。野毛山動物園や野毛山公園に向かう人々が行き交う。

CASACOのある東ケ丘の麓に広がる飲屋街「野毛」から、
横浜市中央図書館の脇を抜けて動物園へと通じる坂道「野毛坂」には、
大正時代から石畳の風景がありました。近所の人々からも愛着をもたれていた風景でしたが、
振動などの理由からアスファルトに置き換わることが決まってしまいました。

石畳を剝がす作業している際の様子。

CASACO改修のサポートをしてくださっていた横浜市職員の方に相談したところ、
一部譲り受けることができました。2トントラック2台分のピンコロ石の固まりが、
CASACOの裏庭に運ばれてきました。石にとってみれば、
どこかの処分場に運ばれていくことよりも、幸せなことに違いありません。

2トントラック2台分、2000個近くのピンコロ石がCASACOの裏庭に運ばれてきた。

ピンコロ石についたモルタルは、ひとつずつ手作業で剝がしていく。

数個でひと塊になっているものを、大きなハンマーで分解していきます。
作業をしてみると石は非常に頑丈で、モルタルは打撃に弱いことがよくわかります。

それでもこびりついているモルタルを、今度は小さなハンマーで叩いていきます。
最初は苦戦しますが、慣れてくると「ツボ」が見えてきて、
一発で剝がすことも可能になっていきます。

繰り返される単純作業と重労働に心折れる人もいれば、
そのリズム感と剝がれた時の快感によって「ピンコロ中毒」になっていく人もいたり(笑)。
石1個にこれほど向き合い、愛着をもったこともないように思います。

部活帰りの中学生や、近所のお母さんが、その珍しい光景に引き寄せられ、
一緒に作業することもしばしばありました。
多くの人に手伝っていただきながら、すべてのピンコロ石の整形を終えたころには、
2週間ほど経っていました。

みんなで敷いたからこそ生まれた「歪み」

整形されたピンコロ石は、CASACOの前面道路側に新たに生まれる「軒下空間」に敷かれます。これを地域の方々に呼びかけした参加型の施工ワークショップとし、
CASACO改修のメインイベントとなりました。

棚田の再生活動からツアーへ! 
岡山県美作市の〈上山集楽〉から
〈上山ツーリズム〉が始まる

千年の歴史を刻む千枚田を再生させたい

岡山市内から北東へクルマで1時間ほど。
中山間地域ならではの、のどかな風景を眺めながら山道に入ると、
やがて視界が開け、小さな神社と大きな谷が姿を現します。
谷の斜面には棚田と、その間を縫うように走る狭い農道。
さらにその道沿いには民家が点在し、
春には桜、夏には蛍、四季折々の風景が広がります。

ここは岡山県美作市上山地区。
かつて、ここには奈良時代に拓かれたと伝わる、
日本最大級の「上山の千枚田」がありました。
その棚田の数は、実に約8300枚とも言われています。

上山地区のランドマークである上山神社。旧英田(あいだ)町による観光案内には「今でも『田毎の月』『耕して天に至る』と言った、農耕にまつわる風流な言葉が残っております」と紹介されています。

1970年代中頃まで、上山では棚田を中心にした昔ながらの生活が営まれ、
棚田の集落に独特の、伝統や文化が受け継がれていました。
しかし残念なことに、その後の減反政策や高齢化により、
千年の歴史を刻む“循環型の食料生産プラント”とも呼ぶべき千枚田は、
続々と耕作放棄されていきます。
やがて、一面の笹藪や竹藪、あるいは植林による杉林となり、
すっかり荒れた谷へと姿を変えてしまいました。

すっかり草や蔓に覆われてしまった棚田。2003年10月。(撮影:高田昭雄)

このままでは、千年の歴史も知恵も景観も二度と取り戻せなくなる。
上山の千枚田を再生させようというグループが現れたのが2007年。
やがて、2011年にNPO法人〈英田上山棚田団〉が結成されます。
「どうせ再生なんてできない」と眺めていた地元のお年寄りたちも、
竹藪を切り払い、野焼きを始めた彼らの姿に「本気」を感じ、
やがて懐かしい石積みの畦畔が現れたときには、彼らと一緒になって歓声をあげました。

上の写真と同じ場所に再生された棚田。耕作放棄された1枚の水田を掘り起こし、再び作付けできる状態にするには3~4年かかると言われています。2016年10月撮影。

2016年現在、若い移住者も増えて再生活動は加速し、
約60ヘクタールある農地の、17ヘクタールが再生され、
約4分の1の棚田が息を吹き返しています。とは言え、まだまだ先は長い。
かつての棚田を取り戻す活動は、これからが本番です。

自然に寄り添う暮らしと知恵を学ぶ、観光ツアーがスタート

一方で、再生活動を支える経済的な基盤もつくらなくてはなりません。
生産される米の収入だけでは、とてもおぼつかないからです。
そこで、米を酒造好適米に変えて、日本酒の製造、販売。
あるいは高齢化する住民たちの足として、超小型電気自動車の活用。
野菜や果物など、新たな農作物の開発。などなど、多くの取り組みが行われています。

2016年10月、全国のICT技術者たちが上山に集まって、農林業の課題に向き合った「上山集楽農業ハッカソン」を開催。

いずれも、かつての棚田を取り戻し、
棚田ならではの景観や文化を未来に残すための取り組み。
そんな、「未来の田舎」を目指す上山のようすは、
すでに多くの企業や自治体から熱い視線を浴び、
今では絶え間なく、視察や研修のツアーが開催されています。

野草の豊かな土地柄、視察や研修のツアーでは、野草料理やジビエが評判を呼んでいます。

であれば、このツアーを一般の観光客に向けて開放してはどうか?
千枚田の景観はもちろん、棚田での農業体験や、食材としての野草やジビエ、
晴天率の高い岡山県ならではの星空キャンプ、あるいは超小型電気自動車の体験試乗。
それは棚田千年の歴史を通じて培われてきた、“自然に寄り添う暮らし”を学ぶ観光です。

そんな〈上山ツーリズム〉が、この4月からスタートします。
具体的なツアーの内容は、次のページから。

捨てられる運命だった
飛騨のほうれん草を、
〈ミチナル〉が蘇らせる!

ほうれん草を年中出荷できる高山市で、
あえて「冷凍ほうれん草」にチャレンジした理由

飛騨の高山市は、ほうれん草の産地。
秋から冬にかけて旬の野菜であるが、高冷地という高山市の特色を生かし、
春から夏にかけても出荷が可能である。
特に他地域にほうれん草がないときに重宝され、
市町村レベルでは全国一の出荷量を誇っている。

この高山のほうれん草を冷凍にして発売しているのが、
2015年にスタートした食品加工会社〈ミチナル〉。
扱っているほうれん草は、すべて規格に合わせるために取ってしまう外側の葉、
つまり端材だという。

きっかけは代表取締役の山下喜一郎さんが、ほうれん草の畑を見学したときのこと。
「たくさんの葉が捨ててあったんです。
でも束になっていないだけで、通常のほうれん草と何も変わらないので
『持ち帰っていいですか?』と聞いたんです」

同じほうれん草ではあるが、農家にとっては捨てるもの。
しかし実際に持ち帰って食べた山下さんは、
「何の問題もなく食べられたので、何かに活用できないか」と考えた。

代表取締役の山下喜一郎さん。

副産物を処理するところまでが農業だ!

こうして〈ミチナル〉では端材を使った冷凍ほうれん草を発売し始めた。
工場では、契約農家からほうれん草の端材を仕入れ、
土や根などを洗浄し、茹でてカットしたのち冷凍する。
工場で製造工程を見ていても、普通のほうれん草と遜色ない。

要所要所で人の目による選別も欠かせない。

「“出てくる副産物を処理するところまでが農業である”と思っています」と言う山下さん。
そもそも端材ほうれん草の利用は、
端材やその背景にある規格への問題点を広めていき、
農業の変革を目指した取り組みのひとつである。

「農業界にも高齢化が進み、
これからは人の手間をかける作業が難しくなっていくと思います。
そうすると流通の仕組みや考え方などを変えていかなくてはならない。
ビジネスモデルが大きく変化していくと思います」

規格には流通を円滑にする役割があるが、その規格に合わせるために端材が出てしまう。
だから規格に対する意識に変化が起こり、
もしかたちを整えないままでいいような流通システムになれば、端材が出なくなる可能性がある。
当然、端材で商売している〈ミチナル〉にとっては
原材料がなくなるという側面では痛手だ。

しかし〈ミチナル〉がアプローチしているのは農業そのもの。
端材が生まれてこないようにするために、端材で商売をしているのだ。
一時的にはマイナスかもしれないが、長い目で見れば意味が出てくる。
その覚悟がある。

ほうれん草を茹でる工程では菌を殺す作用も。

「私たちがやっている意義が広まっていけば、実は端材が減っていく。
それでいいと思っています。課題は時代とともに、変わっていきます。
これから私たちに求められるものは食品加工だけではありません。
人口減少する世の中になって、これまでの市場が伸びてきた社会での原理は通用しません。
それに合わせて、こちらもどんどん変わっていくつもりです」

〈ミチナル〉は「ミチナル食品」という会社名にはあえてしなかった。
農業や食文化全体が新たなステージに移行していくなかで、
自分たちも、食品加工だけでなく、変わらなければならないからだ。
「変わっていけないのであれば、存続している意味がない」とまで、
山下社長は強い言葉で言う。

最終的にほうれん草を冷凍する機械はかなり大きい。

多くの工程を経て〈飛騨・美濃産 おいしいほうれん草〉という商品になる。

豊岡市民が綴る、豊岡の日常。 ポータルサイト 〈飛んでるローカル豊岡〉の 市民ライターに聞く

豊岡市民による、市民になりたい人への情報サイト

兵庫県豊岡市。日本海に面した兵庫県の北部にあるまちです。
大都市のような大きさや競争はないけれど、
コウノトリの野生復帰を行っていることや、独自の教育法を実施していること、
日本一のカバン産業をさらに成長させるために学校をつくったことなど、
このまちにしかない資産を生かし、また新たな価値を創造しています。
そんな豊岡市では、〈飛んでるローカル豊岡〉というスローガンのもとで、
移住定住事業を行っています。

2016年9月には、移住定住のポータルサイト〈飛んでるローカル豊岡〉がオープン。
一般のポータルサイトの記事のつくり方は、
編集やライターがネタを探し、ライターが取材しに行き、カメラマンが写真を撮り、
それを編集がまとめるというフローですが、
この〈飛んでるローカル豊岡〉は少し違います。

先輩移住者を中心とした市民が、自分でネタを探し、自分で執筆し、自分で写真を撮る。
編集はそれを監修したりアドバイスするという分担なのです。
移住メディアの雛形編集部とコロカル編集部がその編集役を担っています。

だから〈飛んでるローカル豊岡〉の記事は、市民だからこそ知っていることや、
地域と暮らしに根ざしたネタがたっぷり。
豊岡市民にとっては日常の話なのですが、驚きに満ちた情報を提供してくれます。
そこで、今回は〈飛んでるローカル豊岡〉で執筆をしているふたりの方に、
〈飛んでるローカル豊岡〉の市民ライターについて、どう感じているかを聞いてみました。

〈飛んでるローカル豊岡〉

〈飛んでるローカル豊岡〉編集会議の様子。