いとうともひさvol.1
スケルトンの大型ビル1棟をDIY。
変幻自在のクリエイティブスペース
大阪の〈上町荘〉とは。

いとうともひさ vol.1

はじめまして、伊藤智寿と申します。
大工・ディレクター・インストラクターのような動きを並行して行う
株式会社いとうともひさを主宰しております。

大阪を拠点としていますが、日本各地に出向いて
その地域の方と協働するスタイルで活動しています。大工工事と並行して、
お客さんに工事の指導をしたり、設計業務に協力させていただいたり、
プロジェクトを企画したりしています。

具体的な業務は、現場で工事する、依頼主に予算内で使える材料・つくり方の提案をする、
全国の地域にある空き家の利用方法を考える、設計者とチームを組む、
DIYのサポートをする、場所を運営するなど、
家をはじめとした空間を一緒に考える・つくるという案件が多いような気がします。

第1回目は現在、拠点として運営に携わっている
シェアスペース〈上町荘(うえまちそう)〉の話をさせてもらおうと思います。
そこから見えるリノベーションのひとつのあり方を知ってもらえたらうれしいです。

スケルトンの大型ビルを、活動の拠点に

2014年大阪市中央区に誕生したシェアスペース、上町荘。
大通りに面した角地に建ち、3階建てで延べ床面積300平米超の大きな空間です。
1階はホールスペース92平米+工房スペース50平米、2階はライブラリスペース20平米に、
打ち合わせスペース10平米+オフィススペース50平米、
3階に85平米オフィスと45平米のオフィスといった構成になっており、
上町荘は入居以来、時間をかけてリノベーションし続けています。

2階オフィススペース各ブースにテーブル、棚が当てられた専有作業スペース。

2階吹き抜け部分の通路から交差点を見る。自動車ディーラー時代の面影を残した特徴のあるガラス面。

2階ライブラリースペース。

梅田・心斎橋・難波など大阪の主要部へのアクセスが便利なエリアにあり、
以前は自動車ディーラーの展示空間・オフィスでした。
ディーラー時代に車の見栄えが良いように設計され、
交差点に向かって大きなガラス面がはめられています。

もともとはオフィス兼倉庫をひとりで探していたのですが、
上町荘のようなビルをひとりで1棟借りするのは
大工が工房や倉庫として利用するには家賃が高すぎるし、選択肢になかった。
まともに考えると田舎でかつ、車の便がいい倉庫を借りるほうが断然現実的だったんです。
しかし今では思い切って地価の高いエリアに飛び込めたことの意味を感じています。
それはほかの人の利益になることをすれば、利益を受け取る人の数が多いため、
シェアする利益が大きいということ。
自分だけの空間として閉じてしまえばもったいない話なんだと思います。

広すぎるビルの使い方

上町荘に入ることになったきっかけは
建築家の白須寛規さん(designSU主宰)からのお誘いでした。
学生時代から、まちに開かれた活動をされていたのが魅力的で
白須さんの催したイベントに通い、いろいろなことを教えてもらったり、
さまざまな人を紹介してもらったりしていました。
そんな白須さんから「共同オフィスを一緒に探さない?」とお誘いをもらったのです。
以前から白須さんと仲が良かった山口陽登さん(シイナリ一級建築士事務所主宰)と、
3人で共同オフィスを探すところから始まりました。

エレベーターがない、駅から遠い、など大阪市内でも安くなりそうな条件で検索して、
とにかく広いビルを探しました。

写真中央右、濃灰色のビルが上町荘。

そんななか、大阪市中央区に100坪を超えるビルがあると山口さんから連絡をもらい、
3人で見に行くことにしました。

ユキノチカラの主役たち(2)
西和賀で人気の菓子店
×デザインで、
「みんなが欲しくなる」
商品ができた!

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
前回は、第1弾の〈ユキノチカラプロジェクト〉で誕生した
〈サンタランドのぽんせん〉、〈ゆきぼっこ〉、どぶろく〈ユキノチカラ〉と、
開発した商品への思いを紹介しました。後半に紹介する3事業者もまた、
大らかな西和賀の人らしい愛すべきキャラクターのみなさんです。

雅樹さんのホタル愛にあふれた 〈雪のようせい〉

雪国のだんご屋 団平×デザイナー/岩井澤大・堀間匠

最初は、湯本温泉近郊で餅やだんごの製造販売業〈団平〉を営む高橋雅樹さん。
西和賀で多く見られる名字「高橋」。ここでも「高橋さん」の登場だ。
社名の由来は、「親族に平のつく名が多く、団子の団と合わせてつけました」とのこと。

雪国のだんご屋〈団平〉の高橋雅樹さん。

独自の冷凍技術で東北全般にだんごを出荷する。

雅樹さんは団子屋の主人というだけでなく、
地元ではホタル博士としても知られているのだ。
店を訪ねると、そこにはホタルの写真がいくつも並んだファイルが置かれていた。
10年ほど前、仕事の合間に出かけた川で見かけたゲンジボタルの美しさに魅せられたそうで、
自宅でホタルを育てるばかりかエサとなるカワニナまで育て、
毎年300~600匹のホタルを自然に放しているそうだ。
「自分が放したホタルが見えるとね、嫁は見つかったか~、なんて話しかけてます」
と雅樹さん。
語り始めたらホタルの話は止まらない。
一生懸命に育てて自然に放してはいるものの、そう簡単には増えないのだとか。

そして、雅樹さん自慢の逸品も、
ホタルのはかなく美しい灯りをイメージしたお菓子だ。
ひと口サイズのわらび餅にとろり溶け出す餡が入った〈雪のようせい〉。
餡を包むのは、独特の弾力とつるんとした口触りのわらび餅だ。
西和賀産西わらび粉を使ったわらび餅は、
アクが少なく飴色のきれいな透明感があるのが特徴。
餡は2種類あって、地元の湯田牛乳を使った抹茶クリーム餡は、ホタルの美しい光をイメージし、
黒みつ餡は西和賀町の夜空をイメージしたと雅樹さん。
ホタルの舞う夏に似合うお菓子だけれど、
そのおいしさの秘密は、冬に掘り起こすわらびの根っこからつくるわらび粉にあるのだ。

練りあげの技術がわらび餅の食感を決める。

飴のような透明感をもつ、西わらび粉のわらび餅。

〈雪のようせい〉は、以前から商品として販売していたが
デザインプロジェクトを機に、パッケージデザインと名前も変更。
デザイナーとも相談しながら、包装個数をコンパクトにして、
買い求めやすく食べやすくしたという。
「通常のわらび餅のパックにも〈ユキノチカラ〉のラベルをかぶせたところ、
紙1枚で高級感が出ました。
西わらび粉はほかに負けない質の良さが自慢ですから、味に自信はありますが、
上質さを伝える方法としてデザインがいかに重要かを実感しています」
と、プロジェクトの成果を語る雅樹さん。

おいしいわらび餅を食べながら、美しい西和賀の初夏を彩るホタルの美しさを楽しんでほしい。
そんな雅樹さんの思いを込めたお菓子が〈雪のようせい〉なのである。

トミトアーキテクチャvol.3
横浜の木造アパートをまちに開く。
リノベーションの鍵は、
地域の家具や建具、ピンコロ石

トミトアーキテクチャvol.3

横浜市の丘の上にある、多国籍・多世代交流スペース〈CASACO(カサコ)〉。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。
vol.3は、建設について。前回紹介した近所から集められた地域の素材を生かし、
「いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」という思いをどう実現していったのか。

新しい発見を与えあう場所

地域素材を近所から集めたり、住民からまちの話を聞いたり。このように手間をかけながら、
住宅を開かれた場所にリノベーションしようとしている、
そもそもの理由を少しお話したいと思います。

フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの『過去のない男』という作品は、
日常が埃をかぶったような冴えない雰囲気の地域に、
「よそ者」が登場するところからストーリーが始まります。

記憶をなくした男がヘルシンキの貧しい港町にたどり着くと、
何かと地域の人が世話をしに絡んでくる。それがきっかけとなり、
止まっていた時間が動き始め、埃が払われるかのように、
まちが生き生きしていく様子を描いたコメディ映画です。

CASACOのことを考えるとき、僕はよくこの映画を思い出します。
CASACOはもともと地域にとってよそ者だった若者たちが始めた活動です。
旅人がローカルな場所に訪れて、観光地では味わえない「暮らし」を体験すると同時に、
地域に長く住む人が「こんなところがおもしろいんだ」と勇気づけられたりするような、
お互いが「他者」であることが、
新しい発見を与えあうことにつながる環境づくりを目指しています。

それが、「多世代多国籍の人々に開かれた場所」というCASACOの基本理念に通じています。
CASACOの地域に対する姿勢に対して、

「人のためによく頑張れるね」

と言われることがありますが、
実は、地域のために何かをすることはCASACOの目的ではありません。
むしろ、自分たちが楽しい住み方、住宅地の新しい楽しさを追求していくことが、
根っこにあります。楽しさの追求が結果的に公共性につながるかもしれないところに、
可能性を感じています。

さて、ここからはCASACOのリノベーションの詳細を見ていきます。
まずは前回お話しした「地域素材」の行方から。

延命された地域の記憶

「カーンカーンカーン」

CASACOの裏庭から、住宅地では聞き慣れない音が響きます。

ピンコロ石の整形作業現場。奥に積まれているのがモルタルを剝がした石で、散らばる小さなかけらは剝がされたモルタル。

近所の野毛坂に敷かれていた石畳のピンコロ石を、
横浜市から2トントラック2台分譲り受けました。
「1個ずつ」に分離された状態のピンコロ石を思い描いていたのですが、
届いてびっくり、ほとんどモルタルと一緒に固まったものでした。
遺跡発掘現場さながらの、ピンコロ石整形現場。
それから半年に及ぶ、CASACO自主施工シリーズの最初の一手となりました。

ピンコロ石の一生から

石畳が敷かれていた頃の野毛坂。野毛山動物園や野毛山公園に向かう人々が行き交う。

CASACOのある東ケ丘の麓に広がる飲屋街「野毛」から、
横浜市中央図書館の脇を抜けて動物園へと通じる坂道「野毛坂」には、
大正時代から石畳の風景がありました。近所の人々からも愛着をもたれていた風景でしたが、
振動などの理由からアスファルトに置き換わることが決まってしまいました。

石畳を剝がす作業している際の様子。

CASACO改修のサポートをしてくださっていた横浜市職員の方に相談したところ、
一部譲り受けることができました。2トントラック2台分のピンコロ石の固まりが、
CASACOの裏庭に運ばれてきました。石にとってみれば、
どこかの処分場に運ばれていくことよりも、幸せなことに違いありません。

2トントラック2台分、2000個近くのピンコロ石がCASACOの裏庭に運ばれてきた。

ピンコロ石についたモルタルは、ひとつずつ手作業で剝がしていく。

数個でひと塊になっているものを、大きなハンマーで分解していきます。
作業をしてみると石は非常に頑丈で、モルタルは打撃に弱いことがよくわかります。

それでもこびりついているモルタルを、今度は小さなハンマーで叩いていきます。
最初は苦戦しますが、慣れてくると「ツボ」が見えてきて、
一発で剝がすことも可能になっていきます。

繰り返される単純作業と重労働に心折れる人もいれば、
そのリズム感と剝がれた時の快感によって「ピンコロ中毒」になっていく人もいたり(笑)。
石1個にこれほど向き合い、愛着をもったこともないように思います。

部活帰りの中学生や、近所のお母さんが、その珍しい光景に引き寄せられ、
一緒に作業することもしばしばありました。
多くの人に手伝っていただきながら、すべてのピンコロ石の整形を終えたころには、
2週間ほど経っていました。

みんなで敷いたからこそ生まれた「歪み」

整形されたピンコロ石は、CASACOの前面道路側に新たに生まれる「軒下空間」に敷かれます。これを地域の方々に呼びかけした参加型の施工ワークショップとし、
CASACO改修のメインイベントとなりました。

棚田の再生活動からツアーへ! 
岡山県美作市の〈上山集楽〉から
〈上山ツーリズム〉が始まる

千年の歴史を刻む千枚田を再生させたい

岡山市内から北東へクルマで1時間ほど。
中山間地域ならではの、のどかな風景を眺めながら山道に入ると、
やがて視界が開け、小さな神社と大きな谷が姿を現します。
谷の斜面には棚田と、その間を縫うように走る狭い農道。
さらにその道沿いには民家が点在し、
春には桜、夏には蛍、四季折々の風景が広がります。

ここは岡山県美作市上山地区。
かつて、ここには奈良時代に拓かれたと伝わる、
日本最大級の「上山の千枚田」がありました。
その棚田の数は、実に約8300枚とも言われています。

上山地区のランドマークである上山神社。旧英田(あいだ)町による観光案内には「今でも『田毎の月』『耕して天に至る』と言った、農耕にまつわる風流な言葉が残っております」と紹介されています。

1970年代中頃まで、上山では棚田を中心にした昔ながらの生活が営まれ、
棚田の集落に独特の、伝統や文化が受け継がれていました。
しかし残念なことに、その後の減反政策や高齢化により、
千年の歴史を刻む“循環型の食料生産プラント”とも呼ぶべき千枚田は、
続々と耕作放棄されていきます。
やがて、一面の笹藪や竹藪、あるいは植林による杉林となり、
すっかり荒れた谷へと姿を変えてしまいました。

すっかり草や蔓に覆われてしまった棚田。2003年10月。(撮影:高田昭雄)

このままでは、千年の歴史も知恵も景観も二度と取り戻せなくなる。
上山の千枚田を再生させようというグループが現れたのが2007年。
やがて、2011年にNPO法人〈英田上山棚田団〉が結成されます。
「どうせ再生なんてできない」と眺めていた地元のお年寄りたちも、
竹藪を切り払い、野焼きを始めた彼らの姿に「本気」を感じ、
やがて懐かしい石積みの畦畔が現れたときには、彼らと一緒になって歓声をあげました。

上の写真と同じ場所に再生された棚田。耕作放棄された1枚の水田を掘り起こし、再び作付けできる状態にするには3~4年かかると言われています。2016年10月撮影。

2016年現在、若い移住者も増えて再生活動は加速し、
約60ヘクタールある農地の、17ヘクタールが再生され、
約4分の1の棚田が息を吹き返しています。とは言え、まだまだ先は長い。
かつての棚田を取り戻す活動は、これからが本番です。

自然に寄り添う暮らしと知恵を学ぶ、観光ツアーがスタート

一方で、再生活動を支える経済的な基盤もつくらなくてはなりません。
生産される米の収入だけでは、とてもおぼつかないからです。
そこで、米を酒造好適米に変えて、日本酒の製造、販売。
あるいは高齢化する住民たちの足として、超小型電気自動車の活用。
野菜や果物など、新たな農作物の開発。などなど、多くの取り組みが行われています。

2016年10月、全国のICT技術者たちが上山に集まって、農林業の課題に向き合った「上山集楽農業ハッカソン」を開催。

いずれも、かつての棚田を取り戻し、
棚田ならではの景観や文化を未来に残すための取り組み。
そんな、「未来の田舎」を目指す上山のようすは、
すでに多くの企業や自治体から熱い視線を浴び、
今では絶え間なく、視察や研修のツアーが開催されています。

野草の豊かな土地柄、視察や研修のツアーでは、野草料理やジビエが評判を呼んでいます。

であれば、このツアーを一般の観光客に向けて開放してはどうか?
千枚田の景観はもちろん、棚田での農業体験や、食材としての野草やジビエ、
晴天率の高い岡山県ならではの星空キャンプ、あるいは超小型電気自動車の体験試乗。
それは棚田千年の歴史を通じて培われてきた、“自然に寄り添う暮らし”を学ぶ観光です。

そんな〈上山ツーリズム〉が、この4月からスタートします。
具体的なツアーの内容は、次のページから。

捨てられる運命だった
飛騨のほうれん草を、
〈ミチナル〉が蘇らせる!

ほうれん草を年中出荷できる高山市で、
あえて「冷凍ほうれん草」にチャレンジした理由

飛騨の高山市は、ほうれん草の産地。
秋から冬にかけて旬の野菜であるが、高冷地という高山市の特色を生かし、
春から夏にかけても出荷が可能である。
特に他地域にほうれん草がないときに重宝され、
市町村レベルでは全国一の出荷量を誇っている。

この高山のほうれん草を冷凍にして発売しているのが、
2015年にスタートした食品加工会社〈ミチナル〉。
扱っているほうれん草は、すべて規格に合わせるために取ってしまう外側の葉、
つまり端材だという。

きっかけは代表取締役の山下喜一郎さんが、ほうれん草の畑を見学したときのこと。
「たくさんの葉が捨ててあったんです。
でも束になっていないだけで、通常のほうれん草と何も変わらないので
『持ち帰っていいですか?』と聞いたんです」

同じほうれん草ではあるが、農家にとっては捨てるもの。
しかし実際に持ち帰って食べた山下さんは、
「何の問題もなく食べられたので、何かに活用できないか」と考えた。

代表取締役の山下喜一郎さん。

副産物を処理するところまでが農業だ!

こうして〈ミチナル〉では端材を使った冷凍ほうれん草を発売し始めた。
工場では、契約農家からほうれん草の端材を仕入れ、
土や根などを洗浄し、茹でてカットしたのち冷凍する。
工場で製造工程を見ていても、普通のほうれん草と遜色ない。

要所要所で人の目による選別も欠かせない。

「“出てくる副産物を処理するところまでが農業である”と思っています」と言う山下さん。
そもそも端材ほうれん草の利用は、
端材やその背景にある規格への問題点を広めていき、
農業の変革を目指した取り組みのひとつである。

「農業界にも高齢化が進み、
これからは人の手間をかける作業が難しくなっていくと思います。
そうすると流通の仕組みや考え方などを変えていかなくてはならない。
ビジネスモデルが大きく変化していくと思います」

規格には流通を円滑にする役割があるが、その規格に合わせるために端材が出てしまう。
だから規格に対する意識に変化が起こり、
もしかたちを整えないままでいいような流通システムになれば、端材が出なくなる可能性がある。
当然、端材で商売している〈ミチナル〉にとっては
原材料がなくなるという側面では痛手だ。

しかし〈ミチナル〉がアプローチしているのは農業そのもの。
端材が生まれてこないようにするために、端材で商売をしているのだ。
一時的にはマイナスかもしれないが、長い目で見れば意味が出てくる。
その覚悟がある。

ほうれん草を茹でる工程では菌を殺す作用も。

「私たちがやっている意義が広まっていけば、実は端材が減っていく。
それでいいと思っています。課題は時代とともに、変わっていきます。
これから私たちに求められるものは食品加工だけではありません。
人口減少する世の中になって、これまでの市場が伸びてきた社会での原理は通用しません。
それに合わせて、こちらもどんどん変わっていくつもりです」

〈ミチナル〉は「ミチナル食品」という会社名にはあえてしなかった。
農業や食文化全体が新たなステージに移行していくなかで、
自分たちも、食品加工だけでなく、変わらなければならないからだ。
「変わっていけないのであれば、存続している意味がない」とまで、
山下社長は強い言葉で言う。

最終的にほうれん草を冷凍する機械はかなり大きい。

多くの工程を経て〈飛騨・美濃産 おいしいほうれん草〉という商品になる。

豊岡市民が綴る、豊岡の日常。 ポータルサイト 〈飛んでるローカル豊岡〉の 市民ライターに聞く

豊岡市民による、市民になりたい人への情報サイト

兵庫県豊岡市。日本海に面した兵庫県の北部にあるまちです。
大都市のような大きさや競争はないけれど、
コウノトリの野生復帰を行っていることや、独自の教育法を実施していること、
日本一のカバン産業をさらに成長させるために学校をつくったことなど、
このまちにしかない資産を生かし、また新たな価値を創造しています。
そんな豊岡市では、〈飛んでるローカル豊岡〉というスローガンのもとで、
移住定住事業を行っています。

2016年9月には、移住定住のポータルサイト〈飛んでるローカル豊岡〉がオープン。
一般のポータルサイトの記事のつくり方は、
編集やライターがネタを探し、ライターが取材しに行き、カメラマンが写真を撮り、
それを編集がまとめるというフローですが、
この〈飛んでるローカル豊岡〉は少し違います。

先輩移住者を中心とした市民が、自分でネタを探し、自分で執筆し、自分で写真を撮る。
編集はそれを監修したりアドバイスするという分担なのです。
移住メディアの雛形編集部とコロカル編集部がその編集役を担っています。

だから〈飛んでるローカル豊岡〉の記事は、市民だからこそ知っていることや、
地域と暮らしに根ざしたネタがたっぷり。
豊岡市民にとっては日常の話なのですが、驚きに満ちた情報を提供してくれます。
そこで、今回は〈飛んでるローカル豊岡〉で執筆をしているふたりの方に、
〈飛んでるローカル豊岡〉の市民ライターについて、どう感じているかを聞いてみました。

〈飛んでるローカル豊岡〉

〈飛んでるローカル豊岡〉編集会議の様子。

京都府北部の多様な移住スタイルを
「編集」するプロジェクトが始動!
「ひとつ先の京都へ」を掲げる
冊子と動画が登場。

多種多様な移住のカタチを伝える、
新しい移住・定住促進プロジェクト

京都府北部地域の福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町。
これらの7市町が広域連携し、
2016年に移住・定住促進プロジェクト「たんたんターン」が始まった。
このプロジェクトをサポートしているのが、
地域社会のブランディングを支援する「ロコブラ」などを手がける博報堂、
移住定住を推進するメディア『雛形』を運営するオズマピーアール、
そしてコロカル編集部が連携した「地域エディットブランディング」チームだ。
京都府北部にはどんな魅力や暮らしのスタイル、働き方があるのか。
移住者はどんな暮らしを営んでいるのか。
半年をかけてそれを探り、新しい価値を見つける活動を自治体とともに行ってきた。
ここには、想像以上に多種多様な移住のかたちがあり、
それを受け入れる地域のふところの深さがあった。

海のまちも、山のまちも、
都市とつながるまちも。

日本海沿いにある京丹後市、伊根町、宮津市、舞鶴市。
緑豊かな田園風景が広がる与謝野町、福知山市、綾部市。
これらの7市町までは、京都市内から車で1時間30分〜2時間程度。
“いわゆる京都”のちょっと先の場所に位置している。
この地域には今もなお、なつかしい里山の景色が残り、
ゆったりとしたリズムで穏やかな時間が流れている。

伊根町には〈舟屋〉と呼ばれる民家が伊根湾に沿って建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。舟屋は、230軒ほどがずらっと並び、その長さは5キロメートルにもわたる。

京丹後市にある八丁浜のビーチ。

海とともに暮らすまちにある壮大な景色。水がきれいで、心地よい浜風を浴びながら、
自由気ままなライフスタイルを過ごせる。
釣りはもちろん、サーフィンなどのアクティビティも充実。
また、海沿いにある公園は、夜になればきれいな星空の下、
友人たちと語らいの場としても使われることも。

棚田や民家など集落を含めた里山景観が注目される、宮津市の上世屋集落。四季折々に移ろう大自然のエネルギーを身近に感じられる。

舞鶴市の昔なつかしい日本家屋。伝統的なつくりを残しつつリノベーションで特別な空間に。

山には穏やかな空気が流れ、棚田や笹葺き屋根の家屋からは日本特有の情緒が漂う。
歴史文化も7市町に内在するキーワード。
景観、家のつくり、集落など、レトロでなつかしいまち並みが残り、
後世へと受け継がれている。
農業をしながら自給自足の生活を営む人もなかにはいて、
生きる工夫が生活の豊かさにつながっていく。
人それぞれ、十人十色の暮らし方がここにはある。

京丹後市のとれたての魚をネタにしたお寿司。ときには、みんなでお寿司づくりを楽しむパーティーが開催される。

海の幸、山の幸ともに充実し、旬の魚、野菜、果物をたらふく食べることができる。
今朝あがったばかりの魚、収穫したばかりの野菜や果物などを使った
贅沢なごちそうを常日頃から味わえる。水がきれいだからお米もおいしい。
そして、おいしいごちそうを一緒に食べる仲間に囲まれて、
楽しい団欒のひと時もこの地域の魅力のひとつ。

2015年には、京都府北部地域と京都市内をつなぐ自動車専用道路が開通された。
市内からさほど遠くなく、簡単に遊びに行けるため、住民たちの行き来も多くなっている。
なかでも、綾部市は京都市内へ通勤圏内という場所でもある。
適度にアクセスがよく、自然だけでなく伝統文化や食文化、
レジャーなど豊富な地域資源を使った楽しみもあるため、最近では観光業が発展してきている。

なにより人同士のつながりが強い京都府北部地域。
この地域のこれらの魅力に惹かれて、移住を決めた人たちがいる。
彼らがどういった経緯で移住を決心して、現在はどんな暮らしを送っているのか? 
「地域エディットブランディング」チームが、7人のキーパーソンの移住スタイルを追った。

古民家宿 LOOF vol.4
山梨の集落の宿に、国内外から
年間1000人以上が訪れた理由とは

古民家宿LOOF vol.4

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉という、
2棟の宿ができるまでを綴っていきます。

古民家宿LOOF〈澤之家〉が、解体、改修を経てようやく完成しました。
しかしすぐ迎える冬、大きな観光地でもない芦川町に、果たしてお客さまは来るのか。

床の間にプロジェクターで映画が映し出せる、床の間シアター。

茅葺きを眺めながら寝られる、2階に設けた就寝スペース。

2階建ての吹き抜けがある古民家宿LOOF澤之家。

ギリギリだった、お披露目の日

オープンは2014年10月15日。

その前に、お世話になったたくさんの方へお披露目として、
オープニングパーティーを行いました。
オープニングパーティーまでには準備がしっかり整っているはず……でしたが、
パーティー当日にまだ水道の蛇口が付いていない。
お祓いも終わっていない。パーティーの準備もできていない。
朝から水道工事が始まり、同時に古民家のお掃除、神主さんによるお祓いと、
ドタバタのオープンになりました。

オープン前の準備の様子。

地元の神主さんにオープン前のお祓いをしていただいているところ。

オープニングパーティーには、地域の方、お手伝いいただいたボランティアの方、
クラウドファンディングで支援してくださった方、
友人、議員さんなどたくさんの方にお越しいただきました。

オープニングパーティーの様子。

無事、お披露目も終了し、本格オープンは10月15日。
首都圏の20〜30代、海外のお客さまをターゲットに、
若い方にも古民家に気軽に泊まっていただけるように、
過ごしやすい空間づくりを徹底しました。

始める前は90パーセント以上の人に失敗すると否定されており、
私も観光地ではないこの場所に本当にひとりもお客さまが来なくても
不思議ではないと思っていました。

ただ、プレスリリースなどは行わず、お越しいただいたお客さまから
確実に口コミで広げていこうと特に大きな広告は打たずにオープンをしました。

しかしオープン直後、冬ということもあって、不安は募るばかり。

株式会社建大工房 vol.4
木材、布にガラス。
地元企業の廃材を組み合わせて、
ラーメン店にリノベーション!

株式会社建大工房 vol.4 
地元の廃材プロジェクトの始まり

一般的に、建築には人件費が一番高くつくといいます。
それを削減するためにどんどん工業化や簡略化が進み、
結果、職人不足になるというスパイラル。
今回は廃材やもらい物を使うことで安く上げるのではなく、
材料費で浮いた分を、あえて「職人の人件費に分配しよう」ということから始まりました。

今回の物件は廃材をふんだんに使ってつくったラーメン屋さん。
福井市に2店舗を構える人気店〈いちろくらーめん〉の新店舗で、
福井市内の空き店舗をリノベーションしました。
大きなコンセプトとしては廃材を利用するということですが、
ほかにもいろんな意味のあるプロジェクトになりました。

通常、店舗の内装工事であればできるだけ短期間で仕上げて店をオープンさせるところを、
廃材を使うなど、あえて手間と時間をかける。
1日十数万円売り上げる店舗が、逆にテナントの空家賃という余計な出費まで発生します。

そんなリスクを負ってまでこのプロジェクトを実現させてくれた、
〈いちろくらーめん〉山中与志一社長に感謝します。

業界トップシェア、地元ガラス商社との出会い

事の発端は僕の知人で、山中社長の友人でもある、
〈OOKABE GLASS HD〉(元大壁商事株式会社)の大壁勝洋社長が
このプロジェクトを発案したことでした。
このOOKABE GLASS HDという会社はインターネットで特殊なガラスを販売する、
業界トップシェアを誇る福井の企業で、建築業界だけではなく個人でも購入できます。
また、ネット販売でも電話での顧客対応サービスに特化していることで定評のある会社です。
同社の大壁社長が考えているのが自社で日々排出されるガラスの端材などを含め、
さまざまな産業から出る廃材の流通や活用法でした。

〈いちろくらーめん〉3店舗目の出店が福井市の繁華街でも目立つ中心部に決まった時に、
大壁社長が「どうせならおもしろいお店にしようよ!」ということで、
廃材を使ったデザインをするのが好きな僕に山中社長を紹介してくれたのが始まりでした。

閉鎖的な夜のお店が多い繁華街でガラス張りの壁。

なんもだー! 〈なんもダイニング!〉 秋田市民市場に新しい 命を吹き込むフードイベント

秋田ならではの「なんもだー!」精神でおもてなし

2月25日(土)、秋田市民市場にて「なんもだー!」を合言葉に
フード&マルシェイベント〈なんもダイニング!〉が開催されます。

これは、各地で争奪戦となったフリーマガジン『のんびり』を企画編集し、
天使の寒天、池田修三、いちじくいちなど、秋田のたからものに
次々と光をあててきたのんびり合同会社が、
秋田市民市場とタッグを組んで開催するもの。
第1回目となる今回は、秋田のおもてなし精神をニッポン中に届ける
学校のようなウェブマガジン『なんも大学』ともタッグを組みます。

会場となるのは「秋田の台所」と呼ばれる秋田市民市場。
市場には、季節ごとにハタハタやふぐ、岩牡蠣、蟹、じゅんさい、
あわび茸など、秋田、東北の旬の食材が並びます。
秋になれば、横沢曲りねぎ、山内にんじんなどの伝統野菜も!
こちらの市場、秋田駅から徒歩3分という立地にあり、周辺には宿泊施設もたくさん。
仕事や観光で秋田を訪れる方にもおすすめのスポットなんです。

Photo : 高橋希(オジモンカメラ)

当日は、市場の広場に巨大なテーブルが登場。
秋田の食材を肴に、昼間っから飲んで食べて楽しめます。
ライブやトークイベントなど、イベントもいろいろ。

じつはここには、最近まで買ったものを食べるスペースがなかったのだそう。
それを少しずつ変えてきたのが『のんびり』編集部の皆さん。
取材で訪れた際に「市場で買ったものをその場で食べられる場があれば」と
市場で買った食材で朝ごはんをつくって食べてみたり、
空き店舗をフリースペースに変えるというアイデアを企画・実行し

『のんびり』10号で紹介しました。

『のんびり』vol.10(2014)

その後も、市場を秋田の食の拠点として再生すべく、さまざまな試みを実施。
このたび初開催となる〈なんもダイニング!〉は、
市場で食べられるサービスが本格稼働する記念すべき日なのだとか。
これは盛り上がりそうですね。

〈あぜのあかり〉復活! 能登の棚田、白米千枚田から 被災者にエールを贈る

棚田に幻想的な光景が広がる!
3年半ぶりに〈あぜのあかり〉が復活

石川県輪島市白米町にある棚田、〈白米千枚田〉。
世界農業遺産である〈能登の里山里海〉の代表的な棚田として、
注目を浴びる名所です。

ここで2008年に始まった〈輪島・白米千枚田あぜの万燈(あかり)〉は、
稲刈りを済ませた棚田のあぜに、約3万個のキャンドルを灯すイベント。
1000枚あまりの棚田を舞台に、ゆらめく炎が幾何学的な模様を描く
幻想的な光景が広がるさまはため息が出るほど美しいもの。

2007年に発生した能登半島地震からの復興を祈念した催しでしたが、
2014年からは、LED灯による〈あぜのきらめき〉のみの開催となっていました。

幻想的な光景

この度、地震発生からちょうど10年にあたる2017年3月25日(土)、
3年半ぶりに〈あぜのあかり〉が復活します! 
18時に開会し、石川県輪島市、名舟町に伝わる無形文化財の
和太鼓〈御陣乗太鼓〉(ごじんじょだいこ)の実演や、
ファイヤーパフォーマンスなど、幻想的な明かりに合わせた
パフォーマンスが行われるのも楽しみなところ。

福井をのぞき見する ローカルメディア 『make.fUKUI / find.fUKUI WONDERS』オープン

2つの入り口から、福井を「のぞき見」するメディア

この度、福井のローカルメディア『make.fUKUI / find.fUKUI WONDERS』がオープン。
ウェブサイトを訪れると、左右で異なる入り口が用意されています(スマホ版では上下)。

ひとつめの入り口は、「福井の魅力と、未来をつくる」をコンセプトにした
『make.fUKUI WONDERS』
地域の未来をつくるプロジェクトを記録し発信するメディアです。

関東、関西、そして福井のデザイナーや建築家、編集者、金融関係者などが、
地域に根づく企業とパートナーとなり、新たな事業を生み出す、
小さな教室〈XSCHOOL〉をはじめ、並走する全5つのプロジェクトにおける
新たな地域×デザインの取り組みを紹介しています。

XSCHOOL 福井のパートナー企業へのフィールドワークの様子。

ふたつめの入り口は、新たな福井と出会う、見つける
『find.fUKUI WONDERS』
地元に暮らす人たちにとっては、あたりまえの日常となっているもの・ことに、
外からの視点で、新しい魅力を見出していくメディアです。

社長輩出率1位、子どもの学力No.1の福井ならではの社長の悩みごとに、
次期社長?! である子どもがアドバイスする〈社長はつらいよ〉コーナーや、
福井の夜の街に焦点を当てた〈夜遊びバンザイ〉コーナー、
全国の地方紙の中でトップの県内普及率(73%)を誇る、
福井新聞社の過去記事を掘り起こし、現在、そして未来を考える
〈タイムトリップ福井新聞〉など、ひと味違った切り口のコンテンツが並びます。

find.fUKUI WONDERS〈しごと道〉に登場する森岡咲子さん

こちらは、Uターンして、古民家を自らリノベーションした
福井初のゲストハウスをオープンした、森岡咲子さん。
福井でユニークな働き方をしている人にフォーカスする
〈しごと道〉コーナーで記事が公開されています。

森岡さんへのインタビューからは、自らゲストハウスという場を
持ったからこそ見えてくる働き方から、結婚、子育てといった
プライベートの話まで、福井ならではの生き方が浮かび上がってきます。

また、このプロジェクトでは、ウェブサイトのみならず、
タブロイド紙も発行! 同じく、make(つくる)とfind(見つける)の
2つの視点で楽しむことができます。

2部で1セット。findの表紙は油揚げが目印! makeの表紙は塗り絵も楽しめます。

findの特集では、油揚げ・がんもどき年間購入額1位の福井の郷土食、
歴史、社会的背景などを、油揚げから紐解いています。
タブロイド紙は、渋谷ヒカリエ d47や、アーツ千代田3331、HAGISO、
中目黒蔦屋書店をはじめとする都内の文化施設のほか、
大阪や京都、福井などでも多数設置されていますが、
ウェブサイトよりPDF版をダウンロードして、読むこともできます。

目指したのは、
ワインにも合うハード系パン!
「こんなパンあったらいいな」
を叶える西和賀のパン工房
〈Korva(コルヴァ)〉

西和賀にんげん図鑑Vol.4 bread&patisserie Korva(コルヴァ)

日々の食事は「ご飯食」で、パンを食べる機会はほとんどないのに、
ワインを飲む時だけは、パン、それもバゲットなどハード系のパンが食べたくなる、
という人は少なくない。
パンと焼き菓子の工房〈Korva(コルヴァ)〉を営む鈴木智之さんも、そのひとり。
平成28年5月に西和賀町北部の沢内地区で工房を開いたのも、それが理由だった。

鈴木さんは、同町南部にある湯川温泉郷の温泉宿の長男として生まれた。
小学5年生で弁当をつくるほど料理が好きで、東京の大学を卒業後は飲食店の厨房で働き、
調理技術を習得。実家の温泉宿を継ぐつもりだった。

その決意どおり、6年後に西和賀に戻って実家で働いていたが、
結婚を機に横手市に移住し、家業からも離職。
同市のホテルのレストランなどで勤めた。
再び西和賀に戻ってきたのは、3年後の平成21年。
地元・湯川温泉郷に新しくオープンする温泉宿のオーナーに、
「うちの料理長に」と請われたからだ。

「声をかけてくださったのは、〈山人(やまど)〉の高鷹(政明)さんです。
6歳年上ですが、昔から顔なじみで気心が知れていましたし、
料理に対する考え方の方向性も同じでしたので、お世話になることに決めました。
近所には実家の温泉宿がありましたが、すでに『開店休業状態』でしたから、
まあ気にしても仕方ないのかなと。
むしろ年をとった両親の近くで働ける、と前向きに考えました」

しかし、50歳を目前にした平成27年、また転機が訪れる。
実家の父親が転んで圧迫骨折したことがきっかけで、
親の寿命や自分の残りの人生を意識し、「自分のための仕事をしたい」と考えるようになった。
そして同じ頃、現在の建物でかつてパン店を営んでいた、という女性と出会う。
女性は建物の買い手を探していた。

「自分でパンをつくるようになって、ワインを飲む時以外もパンを食べるようになった」という鈴木さん。

「これまでパンを食べたいと思うことも、実際に食べることもほとんどなかったのですが、
唯一、ワインを飲んだときに、
ちょっとおいしいパンとチーズがほしいなと思うことがありました。
でも町内では、ワインに合う、バケットのようなハード系のパンは手に入らない。
それなら自分がつくろう! と、〈山人〉を辞めて、ここを譲り受けることにしたんです」

とはいうものの、パン作りは、〈山人〉で朝食用に手ごねパンを焼いていた程度。
そこで、専門書を買って独学した。
目指すは、ワインにも合う、ライ麦の香りが豊かな食べ応えのあるパン。
そして地元産の食材にもこだわりたい。
こうして試行錯誤で完成させたのが、現在の看板商品〈カンパーニュ〉だった。

ユキノチカラの主役たち(1)
開発した商品は、
“昔ながら”と“いま”がつまった、
人にすすめたい西和賀の味

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「雪」そのものを楽しむ、西和賀ならではのアクティビティについて。
過去の連載はこちらから。

少しずつカタチになる〈ユキノチカラ〉、そこから感じるものは?

2月に行われるツアーはもちろんだが、2015年のプロジェクトスタートと共に、
第1弾として取り組んできた食ブランド〈ユキノチカラ〉の商品開発。
すでに町内でも〈湯夢プラザ〉など3か所で販売されている。
2016年は「岩手博覧会」「いわてデザインデイ」(盛岡市)をはじめ、
県内外のイベントにも出展した。ブランドイメージの白を基調にしたブースは
ユキノチカラの存在感を、静かながらも明確に打ち出している。
そんなユキノチカラブランドに期待を寄せるのは
2015年4月から西和賀町地域おこし協力隊員として働く溝渕朝子さんだ。

13年ぶりに西和賀に戻り、6次産業推進センターで働く溝渕さん。

実は溝渕さん、もともと西和賀町の出身。
「子どもの頃は山でアケビを取って食べたり、川原で遊んだり。
冬は家の庭にかまくらをつくったり、そり遊びで雪まみれになったり。
中学生になると、裏山でクロスカントリーとか、自然を満喫して育ちました」
高校卒業後は神戸の大学へ。卒業後も東京都内の企業に就職し、
営業部署で忙しい社会人生活を過ごした。
西和賀に帰るのは、盆と正月の年2回のみだったが、
そのたびに見上げる夜空の美しさによって
無意識に「ふるさとの存在」を確かめていたのかもしれない、と振り返る。
そして、東京での暮らしも9年を経た一昨年のこと、
「帰省した時に見た星がきれいで……、ふと帰ろうと思ったんですよね」
ちょうどタイミングよく募集されていた地域おこし協力隊員に応募。
いまは、町役場でふるさと納税の受付や返礼品発注などに携わる傍ら、
町内のさまざまな活動に関わる。
ユキノチカラプロジェクトに携わるひとりでもあり、
「日本初の取り組みが西和賀で始まっているってすごいですね。
デザインがいかに大切かを実感しています。
デザイナーの皆さんと一緒に仕事すること自体を、個人的にも楽しんでいます」
と顔をほころばせる。
未来への可能性を感じるモノやコトは、若者たちをふるさとへ呼び戻すきっかけにもなる。

〈湯夢プラザ〉のブース前でカタチになったユキノチカラブランドをアピールする溝渕さん。

では、そのきっかけになり得る〈ユキノチカラ〉から生まれた商品には、
どんなアイテムがあるのか?
その特徴や開発に携わった6事業者の思いなど、2回に分けて紹介していきたい。

この美しい雪は何を育むのか、そこから生まれた商品は?

トミトアーキテクチャ vol.2
空き家を公共的な交流空間へ。
でも、誰の声を聞いて設計する?

トミトアーキテクチャ vol.2

横浜市の丘の上の住宅街に生まれた〈CASACO〉(カサコ)は、
木造二軒長屋を改修した、多国籍・多世代交流スペースです。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。

はじまりは、NPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
加藤 功甫さんからの依頼でした。
目的は「家をまちに開きたい」というもの。しかし、予算は0円。
前途多難ですが、まずは市や地域の協力者を募ることにしました。

若者 × 空家 = 不気味?

記念すべきワークショップ第1回。周到に準備をしたつもりが、近隣住民の参加はひとりだけでした。

さて、突然ですがこの写真、みなさんどう思いますか?
いろんな世代のご近所さんが集まって仲睦まじく交流している、
そんな印象を抱く方もいるかと思います。

カサコの改修計画をつくるにあたり、地域の人にも愛着をもって使ってもらうために、
ワークショップを開くことになりました。
近隣住民を招いて初めて開催したのはカサコをどんな風に使ってみたいかをヒアリングする
「お話を聴く会」。写真は、ワークショップのワンシーンなのですが、
実は肝心の「近隣住民」はピンクのシャツを着た元気な男の子ひとりだけ。
あとは全員、会を主催した側の人やその友人、つまり「内輪」なのです! チラシを配り、
楽しんでもらうための最強コンテンツ「流しそうめん」まで用意したのですが……。

5年以上空き家だった建物に突然若い人が移り住んできて、
次第に同じ世代の人が集まり、夜な夜なミーティングをしている。
大きなバッグを背負った外国人もたまに泊まりにきている。

「地域・子ども・旅人のみなさんのために家を開こうと思っているんです! 
ぜひ遊びにきてください!」

と目を輝かせながら言われても、近所の人には少し不気味に映ったことでしょう。
今振り返るとよくわかります(笑)。
しかし当時の僕らは「どうして集まらないんだろう」と、悩みました。

救世主は、横浜市のユニークな制度「まち普請」

問題はまだあります。カサコの改修予算は0円。スポンサーを募る? 寄付をお願いする? 
クラウドファンディング? どれも現実味がないなか、
横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」に出合いました。

この事業、全国でも珍しい取り組みなのです。

「普請」とは相互扶助による道や家の建設行為のこと。
現在の言葉では「DO IT WITH OTHERS」でしょうか。
市民自らが公共性をもつスペースの整備を企画し、
自分たちで運営をしていくという意志と持続可能性があるものについて、
その改修に関わる「ハード」整備費用を最大500万円まで市が補助するものです。

審査に1年かかり、そこから地域住民を巻き込みながら場所を整備することが求められるので、
2年以上かかるプログラムなのです。整備の内容ももちろん問われますが、
もっとも重視されるのは、地域の人が求めているか、どう思っているか、
持続的に運営できる内容かなどといった「ソフト」のほうなのです。

先ほどのワークショップの悩みは、まち普請事業の一次審査に通過した後、
運営や設計の計画を練っている頃にぶちあたったものでした。

やりたいことと動機を発信する

通りからよくみえる場所にある窓。しかし中は雑然としており、あまり入りたい雰囲気ではなかった。

アドバイザーに入っていただいていた〈コトラボ合同会社〉の岡部友彦さん
リノベのススメにも登場)に悩みを相談したところ、
「通りからの見え」を指摘されました。確かに、あまり入りたいとは思えない状況です(笑)。

通りを見通すことができる場所に位置する窓は、地域の人々とコミュニケーションを図る
絶好の道具であるにもかかわらず、そのポテンシャルに気づいていませんでした。
その指摘を受けた直後、窓辺を掃除し、改修後の姿をしめす模型をレイアウト。
自分たちがどんな思いで何をしたいのか伝えるために、
「道行く人へのプレゼンテーションコーナー」をつくりました。

窓を掃除し、模型をレイアウト。道行く人が覗いていくようになった。

この試み、じわじわと効果がでてきました。
「何をしようとしているのか、ちょっとわかった気がする」
と声をかけていただいたり、窓を介した挨拶も増えていきました。

何をしたいのか、なぜしたいのか。それをきちんと伝えること。

この重要性に気づいたカサコメンバーは、地域向けに新聞をつくることにしました。
東ケ丘での出来事やカサコでの活動を月一でA3版の新聞にまとめ、
町内会に協力いただくかたちで、町内約250世帯すべてに配布させていただいています。
最新号は34号。約3年が経つ現在も、継続して発行しています。

歴代の新聞を展示。ワークショップやイベントに顔を出してくださる住民も増えてきた。

丘のまちの住宅地の地域素材

このような取り組みを経て、無事まち普請事業に採択されて
改修資金の足がかりを得ることができましたが、改修する面積に対する費用の割合でいったら、
ほとんど不可能に近いような規模であり、改修費を抑えるための工夫が不可欠です。

その工夫のひとつとして僕らが考えたのが、地域素材を活用すること。
豊かな自然が近くにあるわけでもない住宅地のど真ん中で、地域素材とは一体どういうことか。

富山が誇る県産品が 東京・日本橋に大集合 〈とやまの誇り〜とやまブランドの ルーツに触れる7日間〜〉

東京にいながら富山旅行!?
〈とやまブランド〉の上質な品々が日本橋に集結

富山が誇る衣食住のアイテムをセレクトしたショップに、
地酒やおつまみが楽しめるバーラウンジやレストラン……。
富山に行かずして、小旅行気分に浸れる
アンテナショップ〈日本橋とやま館〉。
2016年6月、東京・日本橋にオープンして以来、
富山にまつわるさまざまなイベントが行われてきました。

〈日本橋とやま館〉

そんな〈日本橋とやま館〉で、2017年2月13日(月)から19日(日)まで、
〈とやまの誇り〜とやまブランドのルーツに触れる7日間〜〉が開催されます。

富山県が県産品の国内外に誇る県産品を集めた〈とやまブランド〉を通して、
“富山の上質”に触れてみませんか?

今回のイベントでは、「富山県推奨とやまブランド」の13品目を展示販売。
富山市内だけでも十数の店舗があるという〈ます寿し〉や、
大粒の三社柿を使った〈富山干柿〉、富山湾のブリ、シロエビ、
同湾産のホタルイカといった海の幸のほか、
チューリップの球根出荷量が日本一の〈とやまのチューリップ〉、
高岡市の伝統工芸品〈高岡銅器〉などをラインナップ。

〈ます寿し(鱒寿し本舗千歳)〉ます寿しにはごはんの炊き方、鱒の厚みや並べ方など、お店ごとにこだわりが。

個人的には、世界で最もセラピー効果のあるロボットとして、
ギネスブックに認定されたメンタルコミットロボ〈パロ〉に興味津々。

1993年から開発がはじまり、2004年に発売されたパロ。南砺市に本社を構える〈知能システム〉が販売している

〈富山県推奨とやまブランド〉認定に向けて、意欲的に取り組む事業者と
その県産品を育成支援対象として選定した〈明日のとやまブランド〉全27品目から
選りすぐりの10品目を展示販売。
富山の名品が一同に揃います。

そんな「名品」のつくり手たちが、どんな想いを胸に暮らしを営んでいるのか。
「ブランドは人が作る」をテーマに、つくり手へのインタビューを通じて
各ブランドのルーツに迫るパネル展も見逃せません。

古民家宿 LOOF vol.3 デザイン家具に薪ストーブ。 山梨に残る伝統建築を、快適な宿へ

古民家宿LOOF vol.3

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿の
オープンまでの経緯を綴っていきます。

vol.2では、澤之家の解体がひと通り終わり、ようやく建物をつくりあげていく段階へ。
大工の市田 仁さん指導のもと、
使ったことのない機械や道具を使って建物をつくり上げていきます。

床材・壁材を古民家に合わせた色に塗っているところ。

初めてインパクトを使用して、床を張っていきます。

改修は、下記のポイントを大切にしました。

1、古民家の良い部分は残す。

2、快適に過ごせるような空間にする。

3、モダンな内装にする。

ひとつ目に、古民家の良い部分はそのまま残すという点。
これはいろいろな古民家をリノベーションした宿やレストラン、カフェを見るなかで、
まったく手を加えていないそのままの古民家や、
手を加えすぎて古民家の良さがなくなってしまった現代的すぎる建物を見て、
ほどよく改修していこうと考えたからでした。

まずは、元の姿をとり戻す

芦川町の古民家の特長である “兜造り”の屋根はそのまま残し、
中の茅葺きがしっかりと映えるように、建物は吹き抜けにしました。

長年時間をかけて燻された梁はそのままに。燻された黒い梁の色に合わせて壁や床は同様の色に。

建物自体は築100年を超える建物ですが、すべてが当時のままだったわけではありません。

私たちがお借りする前に住んでいた方が住みやすいようにと
お風呂、キッチンなどの水回りは現代的に改修され、窓はアルミサッシに変わっていました。

改修前のキッチン。

解体前、窓はほとんどこのようなアルミサッシでした。

そこで、古民家の室内に浮いてしまっていた現代的な部分はすべて解体し、
キッチンスペースは土間のキッチンに、サッシはアルミから
すべて木枠のサッシに取り替えるような、逆に古く戻すという作業をしました。

カレッジの名に偽りなし! 岡山県備前市の 食と暮らしに会いにいく、 〈備前_暮らしカレッジ〉に 潜入してみた

備前市で『食と暮らし』をテーマにしたオープンカレッジが開講

『コロカル』内でひっそり「鴨方町六条院回覧板」を書いている赤星です。
ぼくの現在のホームタウンは
連載のタイトルからもおわかりのように、岡山県の浅口市鴨方町。
岡山県では西の端に近く、南は瀬戸内海に面している。
だから、同じく瀬戸内海に面しているとはいえ、
東の端にある備前市の制作物のオファーがきたときは、
「備前……遠い」という感想しかなかった。

その制作物の内容というのは、備前市内への移住者や起業者を増やすことを目的とした、
社会実験的な学校のPR用ポスターとチラシ。遠いうえに、馴染みが薄い。
しかも、移住者や起業者を誘致するための試験的な試みといっても、
いまの時代、さほど珍しいとは言いがたい。
正直、ピンと来ないまま話を聞いていた。
しかし、特定したキャンパスを持たず、備前市内を広く学びの場とすること、
補助金の種類や申請の実際等を教えるカリキュラムがあるなどの
学校の特色のレクチャーを受けている際に、聞き捨ててはおけない言葉が。

「この学校はですね、『食と暮らし』をテーマにしているんです」

この学校のいろいろをよどみなく説明してくれているのは
フードディレクターの久保陽子さん。
情報の疎さには自信があるぼくでも名前を知っているほど
精力的に活躍している方で、彼女がこの学校の運営団体の窓口になっている。
なるほど、道理で彼女なわけだ。
「食」がテーマと聞いて俄然気持ちが入ってきた。
ちなみにぼくは朝ご飯を食べながらその日のランチに思いをめぐらし、
いきおいで晩ご飯のメニューまで組み立ててしまうようなタイプである。

学校名を〈備前_暮らしカレッジ〉という。
今夏に開校を迎えるにあたり、1月から3月まで月に一度オープンカレッジを開催している。
以下はその第1回に同行したレポートだ。

Facebookや直接のメールで申し込みのあった20名が出席。全員が岡山県内からの参加だった。

集合場所はJR赤穂播州線の伊部(いんべ)駅。
このつつましい駅舎の一画にカフェがある。名前は〈UDO(うど)〉。
ダクトや配線がむき出しの天井に、壁紙をはいだままのコンクリートの壁。
このスケルトンの内装のみならず、
器からメニューにいたるまでセンスのよさを感じさせる。
郷愁をそそるような年季の入った駅舎に、
まさかこんなにクールなカフェがあろうとは。
しかし、それもそのはずなのだ。
店主は現在岡山県内で5店のコーヒーショップを展開している木下尚之クン。
ぼくがかつて〈マチスタ〉というコーヒースタンドをやっていた時代からのコーヒー仲間で、
まこと研究熱心な焙煎人であり、おまけに店舗のプロデュースにも定評がある。
実はこのオープンカレッジの講師のひとり目が、誰であろう木下クンなのだった。
彼は備前の西隣、瀬戸内市牛窓の出身。
伊部の地元の人たちからの要請があって、
もともと伊部駅にあった喫茶店の経営を継いだカタチだ。

オープンカレッジひとコマ目の場所はもちろんこの〈UDO〉。
岡山県内から集まった参加者20名が、
備前焼で供されたコーヒーを飲みながら、木下クンの話に熱心に耳を傾けている。
話を聞くだけでなく、ほとんど全員がメモをとっている。
場所がカフェだからか、学校というかたい感じは一切ない。
でも、だからといってくだけた感じでもない。
たぶん、参加している人たちの話を聞く姿勢にあるのだと思うけれど、
場の雰囲気には一種の緊張感さえあった。
学校に見えない。でも、「カレッジ」の名に偽りなし。
その雰囲気が伝わっていたのだろう、
木下クンも久保さんから投げかけられる質問に、
努めて言葉を選んで丁寧に話していた。
短めのつばのキャップをかぶった木下クンはいつもの感じだけど、
ウールの黒いジャケットが先生らしさというか、
若干フォーマルな感じを出そうとしている意図がうかがえる。
そんな真面目さも彼らしい。

思えば、木下クンと会っているときに、店づくりの話なんて聞いたことがない。
「この話を早く聞いておけば、もしかしたら〈マチスタ〉を閉めずにすんだかも」
とは思わなかったけど、個人的に興味深い話ばかりだった。
これから飲食で起業を考えていた人にはなおさらだったろう。

蛇足ではあるが、木下クンが話している間、
店の厨房では若い女性スタッフがひとり、
コンロや冷蔵庫、棚といったステンレスの厨房器具を
それこそピカピカに磨きあげていた。
その半端のない丁寧さに、木下クンの店づくりの一端を見た思いがした。

30歳で「キノシタショウテン」(瀬戸内市邑久町)を立ち上げた木下尚之さん。現在は異なるスタイルのコーヒーショップを5店経営している。カフェやコーヒー関連のお店のプロデュースも手がける。

オープンカレッジ、ふたコマ目は〈UDO〉から徒歩3分。
駅前通りの突き当たりにある備前焼の〈一陽窯〉へ。
講師はここの3代目、木村肇さん。
店を抜けた奥にある、前後に長く連なった巨大な窯の前で木村さんが待っていた。
開始の合図も、ちゃんとした自己紹介もなにもないまま、
そこからいきなり窯の説明を始めた木村さん。

「最初に火が入るこの窯を“運”ぶ“道”と書いて“運道(うど)”といいます。
みなさんがさきほどまでいた〈UDO〉の名前はここから来ているんです」

備前焼の作家というと重々しい印象があったけど、
木村さんはむしろ若々しくてカジュアルだ。
明るめのグリーンのダウンジャケットを羽織ったその姿は、
どちらかというと古着屋のお兄さんといった感じ。
そんな木村さんが、続けて窯の前で備前焼と伊部の歴史を語り始める。
備前焼の歴史は約1000年。ここ伊部の土を掘って粘土をつくり、
伊部の山に群生している赤松を燃やして長い時間をかけて焼き固める。
上(かみ)から下(しも)まで
伊部という狭いエリアで完結していたのが備前焼であり、
それは1000年経った現在もほとんど変わっていない、云々……。
次にろくろのある工房に案内してくれた。職人さんがひとり、
ろく座と呼ばれる、ろくろを仕込んでいる板間で作業をしていた。
工房にはろく座が5〜6席はあったと思う。
木村さんが子どもの頃は、このろく座がすべて埋まるぐらい大勢の職人さんが
ここで備前焼をつくっていたという。
木村さんはその職人さんたちから備前焼を教えられた。
「菊練り」と呼ばれる、成形前の粘土を練り上げる作業から始まり、
高校を卒業する頃には一通りの作業をこなせるようにまでなっていた。

2番目のプログラムでは一陽窯の3代目・木村 肇さんが講師を務めた。中国電力のテレビCMに出演しているので岡山県人にはお馴染みの人でもある。

ここで備前焼について簡単に述べさせていただく。
備前焼は瀬戸焼や信楽焼と並んで
日本六古窯のひとつに数えられる焼き物で、
瓶やすり鉢、徳利など、実用本意の庶民の器として普及していた。
土が緻密であり、千数百度の高温で長時間焼き固められることから、
落としても簡単に割れないような丈夫さが
大きな特徴のひとつとされている。
(焼きによってもたらされる「窯変」と呼ばれるさまざまな種類の表情も特徴のひとつ)。
茶器として使用されるようになった室町時代から桃山時代にかけて、
その芸術性が注目されるようになる。
現代においても備前焼の芸術としての評価は健在で、
金重陶陽や藤原啓などこれまで5人の人間国宝を輩出している。

〈一陽窯〉は伊部に現在も多い作家性を打ち出した窯ではなく、
暮らしに沿った器としての備前焼を提供している窯だ。
当然、3代目の木村さんもギャラリーで個展を開いて、という活動はしていない。
とはいえ、松屋銀座で毎年開催される
「銀座・手仕事直売所」というイベントに参加したり、
東京のシチリア料理店でのワインのイベント用に
備前焼のワイングラスをつくって参加したりと、
目にとまるようなオリジナルな活動をしている。

しかし、ぼくがとくに興味をそそられたのは
彼のつくるすり鉢だった。何かの雑誌かネットで見たのだ。
備前焼のすり鉢なんて見たことがなかった。
一見、なんてことのないすり鉢なんだけど、
写真からずっしりとした重量が手に伝わってくる感じがして、
なんとも具合がよさそうだった。
このすり鉢だけとっても、なんとなく人がわかるような気がした。
はたして木村 肇さんはぼくのにらんでいた通り、
紛うことなき「食」の人だった。

工房から場所を移し、ミーティングルームのような部屋で約30分のお話。
久保さんとのやりとりに、木村さんという人柄がよく表れていた。
当然、核には備前焼があって、
木村さんの話からは備前焼の知識を深めることができたのだけれど、
彼はピュアにその周辺にいろんな興味を持っていて、
それがまた備前焼に通じている。
そんな話が楽しくないはずがなく、
30分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
話が終わると同時、ぼくは急いで店舗に向かって、
念願のあのすり鉢をひとつ購入した。
思っていたよりも若干重いぐらいの重量があった。
買ってからまだ数日しか経っていないので一度も使っていないが、使うのが楽しみだ。
ちなみに、お店でこのすり鉢の説明をしてくれたのは
木村さんのお父さん、レジで会計してくれたのは木村さんのお母さんだった。

噛みあわなさ加減が絶妙におもしろかった木村さんとフードディレクター・久保さんとのやりとり。備前焼というとかたそうなイメージだけど、その日もっとも笑いを誘う楽しい話だった。

注目の教育法! 教育先進都市・豊岡市の 「コミュニケーション教育」を 都内で体験

“飛んでるローカル”こと兵庫県豊岡市から、
子どものコミュニケーション力を育むワークショップが登場!

2017年3月4日(土)に、
東京都目黒区にある〈ノアスタジオ 学芸大スタジオ〉で、
豊岡市が実践する演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」や
幼児期の子どもと親が一緒に行う「親子運動遊び」を
体験するワークショップが開催されます。

豊岡と言えば、城崎温泉や、片岡愛之助が毎年歌舞伎を仕掛ける芝居小屋「出石永楽館」、
カバンのまち豊岡などで有名ですが、もうひとつ注目すべきなのが、
演出家・平田オリザさんが芸術監督を務める
舞台芸術を中心としたアーティストインレジデンス「城崎国際アートセンター」です。

この施設は、世界から著名な劇作家やダンサーが滞在、制作し、
新しい演劇を生み出す場所ですが、
この演劇が、豊岡市内の小学校の教育で生かされ、
教育の先進的なまちとして注目されているところでもあるのです。

そのひとつが、演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」。
豊岡市は、演劇の役割として注目されている
「合意形成能力」「恊働性」「多様化への理解を育む」機能に着目し、
演劇的手法を用いた授業を行っています。
自分の役割をきちんと果たしたり、誰に何を伝えるかを意識したりする
“コミュニケーション能力”を、楽しみながら身につけ、
子どもたちの新たな可能性を引き出すことを目指しています。
現在、豊岡市では市内5つの小中学校のモデル校で授業が行われていますが、
平成29年度からは、市内の全小中学校の小学校6年生と
中学1年生のクラスで授業が行われます。
今回は、10歳から12歳のお子さんを対象に、
この「コミュニケーション教育」のワークショップが行われます。

また、もうひとつ体験できるのが、
2歳から6歳向けの「親子運動遊び」のプログラムです。
豊岡市の保育園・幼稚園で行われている、「親子運動遊び」。
幼児期の身体を動かす遊びや運動は、
丈夫な身体をつくるためだけでなく、
「脳」や「こころ」の発達にも大きく役立つことがわかってきました。

現在、子どもたちの遊びは「動的な」ものから「静的な」ものになっています。
そこで、豊岡市では、子どもたちが心身ともに健やかに成長できるよう、
幼児期における「親子運動遊び」を積極的に展開しています。

たとえば、鉄棒や跳び箱などのほかに、
クマさん歩き、ワニさん歩き、カンガルー跳びでいろいろな動物に変身したり、
身体を使ったゲームなどを行って、
日常生活ではあまり使われない筋肉を、楽しく遊びながら動かし、
支持力、跳躍力、懸垂力、逆さ感覚などの基礎体力や、
達成感、挑戦する意欲、友だちとのコミュニケーション能力を身につけています。
しかも驚くことに、豊岡市内のすべての保育園、幼稚園で、
この「親子運動遊び」が行われているのです。

今回体験できるワークショップのコースは、年齢ごとに分かれて3種類あります。

・「親子運動遊び 〜2、3歳児編〜」

・「親子運動遊び 〜4、5、6歳児編〜」

・演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」(10歳〜12歳が対象)

お子さんの年齢に合わせて選択してみてください。

日本の現代演劇界を担う劇作家、演出家の平田オリザさん。豊岡市の芸術文化参与も兼務しています。撮影:青木 司

今回のワークショップでは、
豊岡市で演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」の
指導にあたる平田オリザさんのほかに、
NPO法人PAVLIC、豊岡市親子運動遊び指導員の方々が、手ほどきをしてくれます。

参加費は無料。応募締め切りは3月1日。
定員は、親子運動遊びが各回15組30名で、
10歳から12歳を参加対象にする、演劇的手法を用いた
「コミュニケーション教育」は50名です。

最先端の教育手法に興味がある方は、
まずは、豊岡市の移住ポータルサイト『飛んでるローカル豊岡』
イベントエントリーフォームからお申し込みを!

information

飛んでるローカル 子どもワークショップ

日程:2017年3月4日

会場:ノアスタジオ 学芸大スタジオ(東京都目黒区碑文谷5-25-10 ノアビル22 3階Cスタジオ)

Web:飛んでるローカル豊岡

山口県周南市が 「しゅうニャン市」 になります?!

山口県の東南部にある周南市が、しゅうニャン市に改名?!
このたび、シティプロモーション推進事業として
“しゅうニャン市”という愛称をひろめる
〈しゅうニャン市プロジェクト〉を本格始動しました。

なぜしゅうニャン市に?!
それは、2016年4月1日に、周南市の市長が
「周南市はしゅうニャン市になります」と宣言したエイプリルフール動画から。
キャッチフレーズは“人がネコになれるまち”。

市民一人ひとりが、ネコのようにのびのびと自由に、
居心地よく暮らせるまちを共にめざし、
周南市への誇りと愛着を深めていく取り組みを行うのだそう。

今後は、2017年1月22日から公開されるスペシャルサイト
コンセプト動画やポスターなどのクリエイティブを展開。
地元企業とのコラボレーションを進める〈しゅうニャン市パートナーズ〉や、
市民によるプロジェクト支援〈しゅうニャン市サポーターズ〉募集など、
まち全体がひとつになるプロジェクトを行います。

しゅうニャン弁当

こちらは取り組みのひとつ、
周南市の旬の食材がぎゅっと詰まった〈しゅうニャン弁当〉!
プロジェクトではとくに“食”に関わる企画に力を入れ、
地場の食材のPRに繋げていくそうです。

株式会社建大工房 vol.3 海辺のボロボロの小屋が かわいいかき氷店に変身! パティスリー〈NUAGE〉

株式会社建大工房 vol.3

前回の最後に次回の記事は廃材で作ったらーめん屋さんと書いたのですが
諸々事情がありまして次回に回させていただきます。
そして今回紹介するのは、これまでこの連載で書かれた中では
恐らく最小の金額のリノベーション物件じゃないかと思います。
基本的な設備などのインフラ工事以外、建築の改装にかかった金額は20万円。
そして、こんな田舎の見捨てられたボロ小屋が
まさかの1日数十万円も稼ぐ店になるとは思ってもみませんでした。

改装前。目の前が海水浴場で風雨に耐え、いろいろ傾いていてギリギリ立っている感じ。最初は家の中まで植物が侵食してきていた。

夫妻の小さなパティスリー

住宅とは違って商業建築では一般的な話ですが、いくらSNSなどが発達したしたとは言え、
絶対的に観光資源や人口の少ない、高齢化の進む田舎のまちで、
個人が小規模で物販や飲食などの商売を始めるにあたって、
建築にかけることのできる予算は限られています。

尚かつ、田舎ならではのコミュニティや豊かな生活の知恵は多々あれど、
都会のようにアートやデザインに対して感度の高い人や
「質」にこだわったライフスタイルを送っている人もそうたくさんいるわけでもないのが現実。
ブランディングなどの「デザイン」に対する費用のかけ方も、
やはりその地域特有の絶妙なバランスがあると思います。
もちろん計算で数値化できるような単純なものでもないでしょうし、
僕個人としてはその限られた環境で
コアなファンをつくって細くとも長くお店を続けていくのが大事だと思っています。

ボロボロの木造平屋を超低予算でお店にしたい

最初に僕のところに話がきたのは4年近く前になります。
最初の写真のあのボロ小屋をかき氷屋さんにしたいとの依頼でした。
クライアントの出藏さんとはこのとき初めてお会いしたのですが、
もともと数年前は建築にもお金をかけて
こだわったパティスリーを福井県内で数店舗も経営されていた、地元では有名人だったので、
「何でいまさらこんなところで?」と最初は疑問だらけでした。

ただ、海水浴場の目の前という立地はおもしろい条件だったのと、
ボロ小屋が植物に侵されている感じがなんともかわいかったので、
僕としてはほぼ商売にはならない仕事でしたが快諾しました。
と言っても予算がかつかつなので、塗装して看板を付けただけの誰でもできる改装でした。

あまりに古すぎて、水と電気を通すのも近所の人に承諾を得て、
他人の敷地内を通って引っ張ってこないといけないとか、
装飾的な改装よりもインフラの整備のほうにお金をかけなければいけない状況で、
今まで誰も手をつけられなかったのも頷けました。

中もただペンキを塗っただけ。福井のガラス工房〈WATARIGLASS studio〉の作品が色を添えてくれています。

ここ三国町では毎年8月11日にある「三国花火」という海岸での花火大会が有名で、
その日は毎年県内外から20万人以上訪れると言われています。
人口80万人をきった福井県の人口から考えると化け物みたいなイベントですね。

オープンしたばかりのこのかき氷店、蓋を開けてみると、
花火当日は長蛇の列で1日で数十万円も売り上げる繁盛店になっていました。
かき氷もソースやトッピングに地元でとれる素材の果物を使ったり、
ほかにもクレープやアイスなど洋菓子店ならではのいろいろなスイーツが売っているので
この店構えだけで入ってきた人はビックリですよね。

いくらそれだけ人が集まるビッグイベントとは言え、まだまだ小さな田舎まち。
ほかに出店しているお店は一般的な露店なので、
そこに軒を連ねるようにこの個性的な店があれば確かに目を引くのは間違いありません。

地元の吹きガラスの作家さんや鉄工職人たちとコラボレーションして立ちあげたお店の名前は〈港町職人〉。屋根の棟の部分にこのお店のロゴでもある古い船の舵を。

毎年、海水浴シーズンの週末と花火の日だけのオープンなので、年間の稼働日はほんの数日。
もともと大家さんも壊そうとしていた物件だったので家賃も固定資産税程度。
ここだけの商売で考えると十分黒字です。
たぶん建物が朽ちるまでは商売続けられるんじゃないでしょうか。
やはり今まで数々のお店を出店してきた出藏さんだからこそ、
この場所に目をつけることができたのだと思います。

一時期は路面店、有名百貨店内の売り場などを合わせると
6店舗を切り盛りしながらスタッフも100人近くを抱えて手広く展開していた出藏さんですが、
今はすべて閉めて人も雇わずに、夫婦ふたりで黙々とスイーツをつくり続けています。
元来、こだわりの職人気質で人ともぶつかることが多かったみたいで、
ここに至る経緯も多分にあったと思うし、
聞けば1年くらい引き籠っていた時期もあったと言います。

〈みやぎ35市町村 地域愛新聞 総選挙〉 広告で競え宮城の地域愛!

加美町

広告で宮城の地域愛を表現する企画がスタート!

宮城県仙台市に本社を置き、宮城県を中心に朝刊45万部を発行している
新聞社〈河北新報社〉が、このたび創刊120周年を迎えました。

白石市

これを記念し、広告で宮城の地域愛を表現する企画
〈みやぎ35市町村地域愛新聞 総選挙〉がスタート!
宮城県内35市町村それぞれを題材に、地元中心のクリエーター35チームが
〈地域愛新聞〉を制作。人気投票を行います。

河北新報にて2017年1月17日と18日、前後編に分けて
発行されたのとともに、Web上でも投票を募っています。
是非Webサイトで、力作の数々をご覧ください。

角田市

制作の狙いは、故郷に対する思いや、
新鮮な視点も加わったこの「地域愛」広告により、
より多くのみなさまが各市町村を訪れてくれることだそう。

大郷町

〈八戸ブックセンター〉 本でまちを盛り上げる、 注目の市営書店! カンヅメブースもあり

本を楽しむ仕掛けが盛りだくさん!
八戸に誕生した注目の書店

青森県八戸市に、
市営の書店〈八戸ブックセンター〉がオープンしました。

実は八戸市は、本にゆかりのあるまち。
小説「忍ぶ川」で芥川賞を受賞し、長きに渡って芥川賞選考委員を
つとめた作家・三浦 哲郎を生んだところ。

そんな八戸市を「本のまち八戸」として育てていくため、
市民にもっと本を好きになって欲しいという想いからオープンした場所なんです。

店内には、自然科学や人文・社会科学、旅の本やアートブック、
洋書まで。各棚のコンセプトやテーマに合わせて、幅広いジャンルの本が置かれています。

〈フェア棚〉

注目は地域のもの・ひと・ことが活かされた〈フェア棚〉。
八戸の産業、文化、風土、自然環境など、さまざまなテーマのもとに編集された棚や、
八戸にゆかりのある人物がセレクトした棚、一般の人が選書した本を「〇〇さんの本棚」と
して展開する〈わたしの本棚〉など、まちとの距離がぎゅっと縮まる仕掛けが充実しています。

コーヒーやビールを購入できるカウンター

気持ちがよくて思わずうとうと……なんてことにならないように?!

読書スペースもユニークで、施設内で購入したコーヒーや
ビールを持ち込むことができ、ソファならぬハンモックの上で本を読めたり、
左右と後方に本が詰まった〈本の塔〉があったりと時間を忘れて本に没頭してしまいそう。

〈本の塔〉

勝手に作る商店街サンド: バラの香り漂う 広島県・福山駅前商店街

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる、一石二鳥の企画なのだ。

アクセスがよくなった広島県へ!

2016年3月に〈中国やまなみ街道〉が全線開通した。
瀬戸内海をのぞむ広島県尾道市から、日本海の見える島根県松江市がつながり
その間なんと約80分も短縮されたそうだ。

今回は、そんな交通の便がよくなった広島県の
福山市でオリジナルサンドをつくることにした。

福山市は広島で2番目に人口が多く、
世界最大規模の製鉄所〈JFEスチール〉があったり、
デニムなどの繊維業が盛んである。
また観光地としては、
かつて坂本龍馬率いる海援隊の〈いろは丸〉が沈没し、
交渉のために滞在したという鞆の浦(とものうら)が有名だ。

福禅寺から見た鞆の浦の景色。誰もが見とれる絶景ポイントです。

バラのまち福山市でサンドを作る!

また、福山市といえばバラのまちでもある。
市の中央エリアにある福山駅周辺は
至るところにバラが咲いているのだ。

これは、福山空襲でまちの8割が消失してしまった際、
「まちに潤いを与え、心に和らぎを取り戻そう」と
住民たちがバラを植えたのが始まりだそうだ。
そのためいまでは一年中バラが咲いてる。
なんてすてきな試みだろう。

福山駅前はバラがたくさん植わっている。今日一緒にまわってくれる福山商工会議所の藤本 邦明さんと。

駅の北側には徒歩0分のところに福山城、
そして、南側には大型デパート〈天満屋〉がシンボルとして建っていた。
その天満屋の奥に、割合大きな商店街が広がっている。

駅前のシンボル、天満屋。この奥に商店街が広がっている。

まちの印象としては昔ながらの風情、というのはほとんどない。
車利用が多いためか通りは広くとられていて、
とてもきれいに整えられたまちという感じだ。
商店街も同じく、きれいで落ち着いている。
夜から開くような飲み屋さんが多い通りもあるようだけれど
洋服店や雑貨店などもたくさん並んでいた。

案内していただきながらまわる。

カープファンが集まる居酒屋さん

しばし歩くと、赤い看板が目立つお店を発見。
広島東洋カープファンが夜な夜な集まるという〈いろはのゐ〉である。
(訪問時はセリーグ優勝を記念し、店名を〈カープのか〉に一時的に変更。)
中には大きなモニターがあり試合も見られるようだ。
黒田選手のヤンキース時代のユニフォームが飾られていたり、
カープの歴史が壁に書かれていたりして
ファンにはたまらないお店である。

広島らしいお店を発見!

中もとにかく赤。昨年25年ぶりにセリーグ優勝した時はさぞ盛り上がっただろう。

ちょうどランチタイムが始まったところのようで、
特別に持ち帰れそうなお惣菜をいただくことに。
出てきたのは、カープのお店らしく真っ赤な〈赤てん〉だった。

赤てんといえば、島根県の浜田市の名物で
赤唐辛子が入った魚の練り物である。(商店街サンド第1回に出てくる
きっとお隣の県ということで広島でも馴染みがあるのだろう。

大きい赤てんがでてきた。

カープのお店なので、島根のものよりも赤唐辛子が多めな気がする!

ちょうど、〈中国やまなみ街道〉でつながれた広島と島根がコラボしたかたちだ。
さっそくいいものをゲットできたぞ。