注目の教育法! 教育先進都市・豊岡市の 「コミュニケーション教育」を 都内で体験

“飛んでるローカル”こと兵庫県豊岡市から、
子どものコミュニケーション力を育むワークショップが登場!

2017年3月4日(土)に、
東京都目黒区にある〈ノアスタジオ 学芸大スタジオ〉で、
豊岡市が実践する演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」や
幼児期の子どもと親が一緒に行う「親子運動遊び」を
体験するワークショップが開催されます。

豊岡と言えば、城崎温泉や、片岡愛之助が毎年歌舞伎を仕掛ける芝居小屋「出石永楽館」、
カバンのまち豊岡などで有名ですが、もうひとつ注目すべきなのが、
演出家・平田オリザさんが芸術監督を務める
舞台芸術を中心としたアーティストインレジデンス「城崎国際アートセンター」です。

この施設は、世界から著名な劇作家やダンサーが滞在、制作し、
新しい演劇を生み出す場所ですが、
この演劇が、豊岡市内の小学校の教育で生かされ、
教育の先進的なまちとして注目されているところでもあるのです。

そのひとつが、演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」。
豊岡市は、演劇の役割として注目されている
「合意形成能力」「恊働性」「多様化への理解を育む」機能に着目し、
演劇的手法を用いた授業を行っています。
自分の役割をきちんと果たしたり、誰に何を伝えるかを意識したりする
“コミュニケーション能力”を、楽しみながら身につけ、
子どもたちの新たな可能性を引き出すことを目指しています。
現在、豊岡市では市内5つの小中学校のモデル校で授業が行われていますが、
平成29年度からは、市内の全小中学校の小学校6年生と
中学1年生のクラスで授業が行われます。
今回は、10歳から12歳のお子さんを対象に、
この「コミュニケーション教育」のワークショップが行われます。

また、もうひとつ体験できるのが、
2歳から6歳向けの「親子運動遊び」のプログラムです。
豊岡市の保育園・幼稚園で行われている、「親子運動遊び」。
幼児期の身体を動かす遊びや運動は、
丈夫な身体をつくるためだけでなく、
「脳」や「こころ」の発達にも大きく役立つことがわかってきました。

現在、子どもたちの遊びは「動的な」ものから「静的な」ものになっています。
そこで、豊岡市では、子どもたちが心身ともに健やかに成長できるよう、
幼児期における「親子運動遊び」を積極的に展開しています。

たとえば、鉄棒や跳び箱などのほかに、
クマさん歩き、ワニさん歩き、カンガルー跳びでいろいろな動物に変身したり、
身体を使ったゲームなどを行って、
日常生活ではあまり使われない筋肉を、楽しく遊びながら動かし、
支持力、跳躍力、懸垂力、逆さ感覚などの基礎体力や、
達成感、挑戦する意欲、友だちとのコミュニケーション能力を身につけています。
しかも驚くことに、豊岡市内のすべての保育園、幼稚園で、
この「親子運動遊び」が行われているのです。

今回体験できるワークショップのコースは、年齢ごとに分かれて3種類あります。

・「親子運動遊び 〜2、3歳児編〜」

・「親子運動遊び 〜4、5、6歳児編〜」

・演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」(10歳〜12歳が対象)

お子さんの年齢に合わせて選択してみてください。

日本の現代演劇界を担う劇作家、演出家の平田オリザさん。豊岡市の芸術文化参与も兼務しています。撮影:青木 司

今回のワークショップでは、
豊岡市で演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」の
指導にあたる平田オリザさんのほかに、
NPO法人PAVLIC、豊岡市親子運動遊び指導員の方々が、手ほどきをしてくれます。

参加費は無料。応募締め切りは3月1日。
定員は、親子運動遊びが各回15組30名で、
10歳から12歳を参加対象にする、演劇的手法を用いた
「コミュニケーション教育」は50名です。

最先端の教育手法に興味がある方は、
まずは、豊岡市の移住ポータルサイト『飛んでるローカル豊岡』
イベントエントリーフォームからお申し込みを!

information

飛んでるローカル 子どもワークショップ

日程:2017年3月4日

会場:ノアスタジオ 学芸大スタジオ(東京都目黒区碑文谷5-25-10 ノアビル22 3階Cスタジオ)

Web:飛んでるローカル豊岡

山口県周南市が 「しゅうニャン市」 になります?!

山口県の東南部にある周南市が、しゅうニャン市に改名?!
このたび、シティプロモーション推進事業として
“しゅうニャン市”という愛称をひろめる
〈しゅうニャン市プロジェクト〉を本格始動しました。

なぜしゅうニャン市に?!
それは、2016年4月1日に、周南市の市長が
「周南市はしゅうニャン市になります」と宣言したエイプリルフール動画から。
キャッチフレーズは“人がネコになれるまち”。

市民一人ひとりが、ネコのようにのびのびと自由に、
居心地よく暮らせるまちを共にめざし、
周南市への誇りと愛着を深めていく取り組みを行うのだそう。

今後は、2017年1月22日から公開されるスペシャルサイト
コンセプト動画やポスターなどのクリエイティブを展開。
地元企業とのコラボレーションを進める〈しゅうニャン市パートナーズ〉や、
市民によるプロジェクト支援〈しゅうニャン市サポーターズ〉募集など、
まち全体がひとつになるプロジェクトを行います。

しゅうニャン弁当

こちらは取り組みのひとつ、
周南市の旬の食材がぎゅっと詰まった〈しゅうニャン弁当〉!
プロジェクトではとくに“食”に関わる企画に力を入れ、
地場の食材のPRに繋げていくそうです。

株式会社建大工房 vol.3 海辺のボロボロの小屋が かわいいかき氷店に変身! パティスリー〈NUAGE〉

株式会社建大工房 vol.3

前回の最後に次回の記事は廃材で作ったらーめん屋さんと書いたのですが
諸々事情がありまして次回に回させていただきます。
そして今回紹介するのは、これまでこの連載で書かれた中では
恐らく最小の金額のリノベーション物件じゃないかと思います。
基本的な設備などのインフラ工事以外、建築の改装にかかった金額は20万円。
そして、こんな田舎の見捨てられたボロ小屋が
まさかの1日数十万円も稼ぐ店になるとは思ってもみませんでした。

改装前。目の前が海水浴場で風雨に耐え、いろいろ傾いていてギリギリ立っている感じ。最初は家の中まで植物が侵食してきていた。

夫妻の小さなパティスリー

住宅とは違って商業建築では一般的な話ですが、いくらSNSなどが発達したしたとは言え、
絶対的に観光資源や人口の少ない、高齢化の進む田舎のまちで、
個人が小規模で物販や飲食などの商売を始めるにあたって、
建築にかけることのできる予算は限られています。

尚かつ、田舎ならではのコミュニティや豊かな生活の知恵は多々あれど、
都会のようにアートやデザインに対して感度の高い人や
「質」にこだわったライフスタイルを送っている人もそうたくさんいるわけでもないのが現実。
ブランディングなどの「デザイン」に対する費用のかけ方も、
やはりその地域特有の絶妙なバランスがあると思います。
もちろん計算で数値化できるような単純なものでもないでしょうし、
僕個人としてはその限られた環境で
コアなファンをつくって細くとも長くお店を続けていくのが大事だと思っています。

ボロボロの木造平屋を超低予算でお店にしたい

最初に僕のところに話がきたのは4年近く前になります。
最初の写真のあのボロ小屋をかき氷屋さんにしたいとの依頼でした。
クライアントの出藏さんとはこのとき初めてお会いしたのですが、
もともと数年前は建築にもお金をかけて
こだわったパティスリーを福井県内で数店舗も経営されていた、地元では有名人だったので、
「何でいまさらこんなところで?」と最初は疑問だらけでした。

ただ、海水浴場の目の前という立地はおもしろい条件だったのと、
ボロ小屋が植物に侵されている感じがなんともかわいかったので、
僕としてはほぼ商売にはならない仕事でしたが快諾しました。
と言っても予算がかつかつなので、塗装して看板を付けただけの誰でもできる改装でした。

あまりに古すぎて、水と電気を通すのも近所の人に承諾を得て、
他人の敷地内を通って引っ張ってこないといけないとか、
装飾的な改装よりもインフラの整備のほうにお金をかけなければいけない状況で、
今まで誰も手をつけられなかったのも頷けました。

中もただペンキを塗っただけ。福井のガラス工房〈WATARIGLASS studio〉の作品が色を添えてくれています。

ここ三国町では毎年8月11日にある「三国花火」という海岸での花火大会が有名で、
その日は毎年県内外から20万人以上訪れると言われています。
人口80万人をきった福井県の人口から考えると化け物みたいなイベントですね。

オープンしたばかりのこのかき氷店、蓋を開けてみると、
花火当日は長蛇の列で1日で数十万円も売り上げる繁盛店になっていました。
かき氷もソースやトッピングに地元でとれる素材の果物を使ったり、
ほかにもクレープやアイスなど洋菓子店ならではのいろいろなスイーツが売っているので
この店構えだけで入ってきた人はビックリですよね。

いくらそれだけ人が集まるビッグイベントとは言え、まだまだ小さな田舎まち。
ほかに出店しているお店は一般的な露店なので、
そこに軒を連ねるようにこの個性的な店があれば確かに目を引くのは間違いありません。

地元の吹きガラスの作家さんや鉄工職人たちとコラボレーションして立ちあげたお店の名前は〈港町職人〉。屋根の棟の部分にこのお店のロゴでもある古い船の舵を。

毎年、海水浴シーズンの週末と花火の日だけのオープンなので、年間の稼働日はほんの数日。
もともと大家さんも壊そうとしていた物件だったので家賃も固定資産税程度。
ここだけの商売で考えると十分黒字です。
たぶん建物が朽ちるまでは商売続けられるんじゃないでしょうか。
やはり今まで数々のお店を出店してきた出藏さんだからこそ、
この場所に目をつけることができたのだと思います。

一時期は路面店、有名百貨店内の売り場などを合わせると
6店舗を切り盛りしながらスタッフも100人近くを抱えて手広く展開していた出藏さんですが、
今はすべて閉めて人も雇わずに、夫婦ふたりで黙々とスイーツをつくり続けています。
元来、こだわりの職人気質で人ともぶつかることが多かったみたいで、
ここに至る経緯も多分にあったと思うし、
聞けば1年くらい引き籠っていた時期もあったと言います。

〈みやぎ35市町村 地域愛新聞 総選挙〉 広告で競え宮城の地域愛!

加美町

広告で宮城の地域愛を表現する企画がスタート!

宮城県仙台市に本社を置き、宮城県を中心に朝刊45万部を発行している
新聞社〈河北新報社〉が、このたび創刊120周年を迎えました。

白石市

これを記念し、広告で宮城の地域愛を表現する企画
〈みやぎ35市町村地域愛新聞 総選挙〉がスタート!
宮城県内35市町村それぞれを題材に、地元中心のクリエーター35チームが
〈地域愛新聞〉を制作。人気投票を行います。

河北新報にて2017年1月17日と18日、前後編に分けて
発行されたのとともに、Web上でも投票を募っています。
是非Webサイトで、力作の数々をご覧ください。

角田市

制作の狙いは、故郷に対する思いや、
新鮮な視点も加わったこの「地域愛」広告により、
より多くのみなさまが各市町村を訪れてくれることだそう。

大郷町

〈八戸ブックセンター〉 本でまちを盛り上げる、 注目の市営書店! カンヅメブースもあり

本を楽しむ仕掛けが盛りだくさん!
八戸に誕生した注目の書店

青森県八戸市に、
市営の書店〈八戸ブックセンター〉がオープンしました。

実は八戸市は、本にゆかりのあるまち。
小説「忍ぶ川」で芥川賞を受賞し、長きに渡って芥川賞選考委員を
つとめた作家・三浦 哲郎を生んだところ。

そんな八戸市を「本のまち八戸」として育てていくため、
市民にもっと本を好きになって欲しいという想いからオープンした場所なんです。

店内には、自然科学や人文・社会科学、旅の本やアートブック、
洋書まで。各棚のコンセプトやテーマに合わせて、幅広いジャンルの本が置かれています。

〈フェア棚〉

注目は地域のもの・ひと・ことが活かされた〈フェア棚〉。
八戸の産業、文化、風土、自然環境など、さまざまなテーマのもとに編集された棚や、
八戸にゆかりのある人物がセレクトした棚、一般の人が選書した本を「〇〇さんの本棚」と
して展開する〈わたしの本棚〉など、まちとの距離がぎゅっと縮まる仕掛けが充実しています。

コーヒーやビールを購入できるカウンター

気持ちがよくて思わずうとうと……なんてことにならないように?!

読書スペースもユニークで、施設内で購入したコーヒーや
ビールを持ち込むことができ、ソファならぬハンモックの上で本を読めたり、
左右と後方に本が詰まった〈本の塔〉があったりと時間を忘れて本に没頭してしまいそう。

〈本の塔〉

勝手に作る商店街サンド: バラの香り漂う 広島県・福山駅前商店街

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる、一石二鳥の企画なのだ。

アクセスがよくなった広島県へ!

2016年3月に〈中国やまなみ街道〉が全線開通した。
瀬戸内海をのぞむ広島県尾道市から、日本海の見える島根県松江市がつながり
その間なんと約80分も短縮されたそうだ。

今回は、そんな交通の便がよくなった広島県の
福山市でオリジナルサンドをつくることにした。

福山市は広島で2番目に人口が多く、
世界最大規模の製鉄所〈JFEスチール〉があったり、
デニムなどの繊維業が盛んである。
また観光地としては、
かつて坂本龍馬率いる海援隊の〈いろは丸〉が沈没し、
交渉のために滞在したという鞆の浦(とものうら)が有名だ。

福禅寺から見た鞆の浦の景色。誰もが見とれる絶景ポイントです。

バラのまち福山市でサンドを作る!

また、福山市といえばバラのまちでもある。
市の中央エリアにある福山駅周辺は
至るところにバラが咲いているのだ。

これは、福山空襲でまちの8割が消失してしまった際、
「まちに潤いを与え、心に和らぎを取り戻そう」と
住民たちがバラを植えたのが始まりだそうだ。
そのためいまでは一年中バラが咲いてる。
なんてすてきな試みだろう。

福山駅前はバラがたくさん植わっている。今日一緒にまわってくれる福山商工会議所の藤本 邦明さんと。

駅の北側には徒歩0分のところに福山城、
そして、南側には大型デパート〈天満屋〉がシンボルとして建っていた。
その天満屋の奥に、割合大きな商店街が広がっている。

駅前のシンボル、天満屋。この奥に商店街が広がっている。

まちの印象としては昔ながらの風情、というのはほとんどない。
車利用が多いためか通りは広くとられていて、
とてもきれいに整えられたまちという感じだ。
商店街も同じく、きれいで落ち着いている。
夜から開くような飲み屋さんが多い通りもあるようだけれど
洋服店や雑貨店などもたくさん並んでいた。

案内していただきながらまわる。

カープファンが集まる居酒屋さん

しばし歩くと、赤い看板が目立つお店を発見。
広島東洋カープファンが夜な夜な集まるという〈いろはのゐ〉である。
(訪問時はセリーグ優勝を記念し、店名を〈カープのか〉に一時的に変更。)
中には大きなモニターがあり試合も見られるようだ。
黒田選手のヤンキース時代のユニフォームが飾られていたり、
カープの歴史が壁に書かれていたりして
ファンにはたまらないお店である。

広島らしいお店を発見!

中もとにかく赤。昨年25年ぶりにセリーグ優勝した時はさぞ盛り上がっただろう。

ちょうどランチタイムが始まったところのようで、
特別に持ち帰れそうなお惣菜をいただくことに。
出てきたのは、カープのお店らしく真っ赤な〈赤てん〉だった。

赤てんといえば、島根県の浜田市の名物で
赤唐辛子が入った魚の練り物である。(商店街サンド第1回に出てくる
きっとお隣の県ということで広島でも馴染みがあるのだろう。

大きい赤てんがでてきた。

カープのお店なので、島根のものよりも赤唐辛子が多めな気がする!

ちょうど、〈中国やまなみ街道〉でつながれた広島と島根がコラボしたかたちだ。
さっそくいいものをゲットできたぞ。

トミトアーキテクチャ vol.1 横浜市の多国籍・多世代交流施設 〈CASACO〉ができるまで。

トミトアーキテクチャ vol.1

はじめまして。伊藤孝仁と申します。冨永美保とふたりで
tomito architecture〈トミトアーキテクチャ〉という設計事務所を共同主宰しています。
横浜の“東ケ丘”という丘に広がる住宅地に事務所を構えており、
設計を行った地域拠点型シェアハウス〈CASACO〉(カサコ)の運営にも関わっています。

CASACOとは?

CASACOは、築65年以上の木造二軒長屋を改修したスペースです。
2階には語学留学中のホームステイゲストを含む国際色豊かなメンバーの居室が集まり、
1階はシェアスペースです。ただ居住者だけが使うシェアスペースではなく、
地域の多世代や外から来た人々にも広く開かれているのが特徴です。

CASACO 、そして東ケ丘という何の変哲もない住宅地が、この連載の主役です。
設計から運営へと地続きに連続する3年の間の、さまざまな出来事を振り返りながら、
住宅地の片隅に生まれつつある新しい生活のかたちについて考えていきたいと思います。
とはいえ、あまり肩肘張らず気楽に。どうぞお付き合いください。

はじまりは、若者のある想いから

改修前のCASACOの外観。緩やかにカーブする尾根道沿いにあり、通りからよく見える。

「DIYで家を住み開きしたいっていう若者がいるんだけど、相談に乗ってもらえない?」
私たちの共通の知り合いであり、
横浜で長く子どもの居場所づくりの活動をしている今井嘉江さんから声をかけていただき、
東ケ丘に初めて訪れたのは2014年の2月でした。

当時私は設計事務所を退職した後で、
横浜の関内を拠点にフリーランスとして設計活動を行っており、
冨永は大学で研究室の助手をしながら設計活動をしていました。
横浜国立大学のY-GSA(Yokohama Graduate School of Architecture)で同じ釜の飯を食い、
ときたまコンペなどを一緒にやっていた私たちは、卒業以来久しぶりの再会でした。
依頼者である若者、加藤功甫さんは同世代で同じ大学の出身。
自転車でユーラシア大陸を横断した経験をもち、
子どもの教育や旅にフォーカスしたNPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
パワフルでオープンな人物です。 相談の内容はだいたいこんな感じでした。

「賃貸で借りている物件だけど、大家さん曰く好きにいじっていいと」
「自宅兼NPOの事務所として、いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」
「予算は0円。DIYだったらどうにかなりますか?」

予算は0円でも関わろうと決めた3つの理由

おそらく普通の設計事務所であれば、
「おもしろそうな活動ですね、陰ながら応援します、頑張ってください!」と、
やんわりフェイドアウトするのが常でしょう(笑)。
しかし私たちは、仕組みづくりから関わることを決めました。その理由は3つあります。

ひとつは、「家を開きたい」という彼の飾らない意思と人柄に、公共性を感じたからです。
まるで風通しのいい空間に出会ったような感覚です。彼が旅の間訪れた先々で、
温かく迎え入れられたエピソードを聞くことで、
その人柄が形成されていった過程をうかがい知ることができました。

ふたつめは、見るからにボロ屋ではあるその建物の、
ぴょこっと道に顔を出しているような佇まいに惚れたことです。
建築は普通、中に入ることで経験されるものですが、
建築が生まれ変わることでまちへ与えるインパクトは、必ずしもそれだけではありません。
遠くから眺めたり、横を通り過ぎるのも建築の経験だと考えると、
非常に可能性を秘めた場所だと思えたのです。

3つめは、空間の使い方が漠然とした依頼内容だったからこそ、
ソフトとハードを一緒に考えられるのではと思えたからです。
建築設計の依頼は通常、ソフトがガチガチに決まった状態で降りてきます。
主に経済的な枠組みに従って、機能や部屋の種類や数、面積などの
ガイドラインが与えられたなか、
ソフトを最高の状態で実現するハードを一生懸命に考えるわけです。しかし建築の可能性を、
ソフトを受け止める「箱」という役割の中だけに見るのは悲しいことです。

ソフトとハードは相互に影響するもの。
例えば子どもは、野性的な感覚で「遊び場」をまち中に見つけだし、
ときにはその空間の特徴から「新しい遊び」を発明します。
これはハードをきっかけに生まれるソフトのひとつの事例でしょう。
空間の使い方や仕組みと建築のかたちを、一緒に考えなければ生まれないような、
新しい場所のあり方をデザインしたいと強く思いました。

「お掃除大会」をきっかけに、古民家の離れを借りる

さて、プロジェクトができたものの、私たちには事務所がありません。
模型製作や打ち合わせをするような、
ふたりで共同で使える空間はありませんでした。なかなかの見切り発車です。
そこで、プロジェクトの紹介をしてくださった今井さんに相談をしてみました。
「倉庫として借りている古民家があるんだけど、ちょっと遊びにこない?」
横浜駅から15分ほど歩いた、旧東海道沿いの閑静な住宅街の中に、その古民家はありました。

「稲葉邸」と呼ばれる、古民家という言葉があまり似つかわしくない、
「邸宅」とでも呼びたくなる佇まいに驚きました。
敷地内には蔵と庭、井戸や稲荷まであります。

稲葉邸の空間を体験し感嘆の声を漏らしながら、
密かに目をつけたのは「離れ」と呼ばれる計10畳ほどの空間。
建物の中にはたくさんの物がありましたが、
整理整頓をすればこの「離れ」のサイズくらいの空きスペースはつくれるのでは、
という予感がしました。また、 表庭と裏庭の両方に開口をもち、
いかにもいい風が通り抜けていきそうで、魅力的でした。

そこで、大胆な提案をしてみることにしました。
「大掃除と効率的な収納空間づくりをさせてください。
そして、空いた離れのスペースを間借りさせてもらえないでしょうか」
若いクリエイターを応援したいと思ってくださっていた今井さんは、快諾。
この瞬間ほどワクワクしたことはないかもしれません。

庭を埋めつくす物の大群。時間をかけながら捨てる/残すを考える今井さんの姿と「人生を整理するいい時間だった」という言葉が印象的でした。

かくして、偶然に偶然が重なって、すてきな事務所を手にしてしまった私たちは、
その空間の雰囲気や応援してくださる方々に後押しされるようなかたちで、
トミトアーキテクチャを名乗るようになりました。

〈母ちゃんの店 わがや〉 母の味に、県内外からお客が殺到! 滋味深い西和賀の郷土食が味わえるお店

西和賀にんげん図鑑Vol.3 〈母ちゃんの店 わがや〉

山菜、そば、きのこ、寒干し大根……。
町内にはこれら西和賀ならではの味を楽しめる店がいくつかあり、
〈母ちゃんの店わがや〉もその一軒だ。
驚くことに、この店は1年間に町の人口と同じ約6000人もの客が訪れる。
しかも、12月から3月の冬季は休業なのに、である。

同店が町内北部の沢内貝沢地区にオープンしたのは2009年4月。
カタクリの群生地そばに建つ店舗は築100年以上の古民家で、
太い梁や柱、壁に飾られた民具、野の花の生け花など郷愁感あふれる。
店名のとおり、自分の家に帰ってきたような、ゆったりくつろげる空間だ。

店内の一画では、地域のお母さんたちがつくった編み細工を展示販売している。

この雰囲気と並ぶ、同店のもうひとつの魅力が、料理。
町内産そば粉100%の十割そばと、やはり町内産の食材を使った
煮しめや、季節の天ぷらなどの郷土料理が自慢で、
「添加物を使わない」「できるだけつくりたてで提供する」ことにこだわる。

町内産のそば粉と山菜を使った〈山菜そば〉(800円)。「つくりたて」にこだわり、そばは注文後に生地をこねる。

達人の案内で歩く! スノートレッキングで 西和賀の雪を満喫

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「雪」そのものを楽しむ、西和賀ならではのアクティビティについて。
過去の連載はこちらから。

のべ9000人が参加! 西和賀ならではの「雪の楽しみ方」を達人に教わる

年間累積降雪量が10メートルにもおよび、
時には1日の積雪量が2メートルを超えるという西和賀。
そんなまちの個性づくりに欠かせない雪と、
雪がもたらす風景・食・文化を体感できる1泊2日の〈ユキノチカラツアー〉が、
2月11日~12日に実施される。
ツアーは、町の一大イベント〈雪あかりinにしわが〉の日程に合わせたもの。
雪像やかまくらをつくり、その中にキャンドルをともす〈雪あかり〉は幻想的な美しさで、毎年町民はもちろん多くの観光客をも魅了している。

昨年の〈雪あかりinにしわが〉。町民参加型のイベントとあって、町内のあちこちで幻想的な光景が広がる。

ツアーではこの雪あかりのほかにも多彩なメニューを揃えており、
雪あかりとならび西和賀の雪の魅力を体験できるとして人気なのがスノートレッキングだ。
案内するのは、自然観察指導員・写真家で、西和賀の自然をこよなく愛する瀬川強さん。
瀬川さんは隣接する花巻市の出身だが、
29歳の時、渓流釣りで訪れた西和賀でカタクリの花の群落を見て感動し、移住を決意。
最初は電気のない作業小屋でひとりで暮らし、
その後1989年に家を建てて家族とともに定住した。

瀬川強さんと奥様の陽子さん。

ヒマラヤに2度も行くなど国内外のさまざまな自然を目にしてきた瀬川さん。
そんな瀬川さんが移住を決意するほど感動したというカタクリの花には、
どんな魅力があるのだろうか。
「カタクリは群がって咲く花で、群落はまるでピンク色の絨毯のようでした。
しかもこの花は咲くまでに7~9年間もかかるので、
その群落があるということは一帯の自然環境が何十年も変わらず守られているという証拠。
日本にもこんなすばらしい場所があるのだと感動したんです」

自然保護や古民家保存などの活動にも携わる瀬川さん。西和賀に移住して30年近く経つが、行政の協力もあって町内の自然環境に大きな変化はないという。

瀬川さんが撮影したカタクリの群落の写真。町内には群生地が数か所ある。雪解けとともに咲くカタクリは、西和賀に春の訪れを告げる花だ。写真:瀬川さん提供

〈コミュニティ真鶴〉で 〈真鶴未来塾〉が まちづくりのためにできること

『美の基準』を体現する〈コミュニティ真鶴〉

神奈川県の南西部に位置する真鶴町。
真鶴駅から海岸方面に延びるメインストリート大道商店街を歩いていると、
独特なオーラを放つ建物が目に飛び込んでくる。
車道から奥の建物の入り口へと続くスロープ、棟を結ぶ渡り廊下、
建物の外壁に至るまで、形の異なる石がふんだんに使われ、
一度見たら忘れられないほどのインパクトだ。

〈コミュニティ真鶴〉の看板。真鶴駅からは徒歩10分ほどの距離にあたる。

石材業はまちの主要産業のひとつ。真鶴特産の小松石などを大量に使っている。「石尽くし」といってもいいほどの存在感。

ここ〈コミュニティ真鶴〉は、平成6年に真鶴町のまちづくり条例である
『美の基準』に基づき建てられた公共施設。
ロビーと第1会議室、第2会議室、和室〈無名庵〉を備える3棟が、
中庭をぐるりと囲むように位置している。

当時『美の基準』の策定に関わった設計事務所に設計を依頼し、
まちの職人らも加わって建てられたというこの建物は、
「美の基準を具現化する存在であるように」という町民の願いから、
粋な工夫が随所に見られる。

例えば、石を使った大胆な装飾は、石材業が盛んなこのまちならではのモチーフ。
地元で採れた小松石を砕いた際に出る端材などを使用しているそうだ。
ほかにも漁師が漁で使用する縄や、鶴や魚をかたどった細工などは
写真に収めたくなるほどの愛らしさがある。

小松石の端材が随所に使われている。

鶴のシルエットをした避雷針。まるで鶴が空を飛んでいるかのように見える。

2階の第1会議室の扉にも鶴のモチーフが。

2016年6月から、この場所を管理している一般社団法人
〈真鶴未来塾〉の代表理事・奥津秀隆さんの話によると、
かつては町役場があった敷地であり、その後は更地から公民館になるなど、
まちの中での役割は短いスパンで変化していたのだという。

コミュニティ真鶴としてオープンしてからは、
文化活動を通してまちづくりをする拠点ならびに
地域活動の交流の場として使用されてきたものの、
財政難が原因で管理がままならなくなり、
2013年度末には一時閉鎖に追い込まれたという寂しい過去も。

その後、2014年12月から、それまで施設を利用していた団体や
地域住民による運営協議会によって自主運営というかたちで新たなスタートをきり、
真鶴未来塾が協議会に参加したのを機に現在の管理体制に落ち着いたのだとか。

「まちづくりは行政の専売特許ではないと思う」と言う真鶴未来塾の奥津秀隆さん。〈コミュニティ真鶴〉を拠点に、まちを活性化させるアクションを仕掛けていく。

〈真鶴みんなの家〉で起きたこと。 アーティストと地元の若者による ものづくりワークショップ

都心からJR東海道線で約1時間半。
真鶴駅から商店が建ち並ぶ通りを歩くこと約10分ほどで、
道路にまで人が溢れる一軒家を見つけた。
中をのぞくと、右手には手づくりされた真鶴の地図、
左手には住民の顔の切り絵が壁を埋め尽くしている。
中央のスクリーンには「真鶴みんなの家」の文字。

お試し暮らしができる一軒家〈くらしかる真鶴〉では、
2016年10月18日~10月29日の間、一般公開・参加型のワークショップ
〈真鶴みんなの家プロジェクト〉が行われた。

このワークショップは、くらしかる真鶴を拠点に、
未来の真鶴を担う若者たちと外部のアーティストたちが集い、
寝食をともにしながらディスカッションをし、ものづくりで交流するというもの。
いままさに、住民を前に各自の成果物を発表する会が始まろうとしていたところだった。

プロジェクトを軌道にのせた切り似顔絵

オープニングを飾ったのは、チャンキー松本さんによる
和紙を使った貼り絵を紹介する映像作品。
真鶴らしい風景を貼り絵で表現し、絵や写真では表現できない素朴さと
リアルさが同居した仕上がりに、会場からも声が上がる。

チャンキーさんは、東京を拠点に絵本作家や
イラストレーターとして活躍しているアーティスト。
期間中は週末を除き、ほとんどの時間を真鶴で過ごした。
真鶴の印象は、「瀬戸内海の風景とよく似ていて懐かしい印象を持ちました。
僕は香川県の生まれで、仕事で尾道にもよく行くのでね」とのこと。

今回は、「人と景色、その両方がないとまちは成立しない」という考えから、
住民100人の切り似顔絵にも挑戦。
目の前に座った相手の顔を、わずか5分ほどで切り抜いていく。
特徴をよく捉えていて、とにかくそっくり。
この切り似顔絵をきっかけに、このプロジェクトを知った人がとても多かったそう。

「珍しい芸やし、初めて訪れたまちでは挨拶代わりにもなる。
待っていても始まらないので、最初はこっちから出かけて行きましたよ。
斜め向かいのお茶屋さんにふら~っと入って、挨拶をさせてもらって
『実は切り絵をするんです』と。
90歳になろうかというおばあさんの切り絵を切らせてもらいました。
幼稚園や敬老会(デイサービス)も訪問して、キャラクターを切ったり、
おめでたい切り絵を切ったりね」

発表会を前にチャンキーさんの切り似顔絵は99人分に到達していた。
「やっと完走できた気分」と清々しい表情だ。

右がチャンキーさん。左は地元チームとしてワークショップに参加した遠藤日向さん。貼り絵の映像作品につけた音楽も遠藤さんが担当した。

憧れのまち真鶴を歩き、写し、言葉をそえる

次に始まったのは神戸の塩屋からやってきた森本アリさんらによる〈ちいきいと〉。
〈ちいきいと〉は、まちの写真を使った大喜利合戦で、
神戸~阪神間を中心に、“ジモトを愛しジモトを極めた「まちの顔」たちが集結”し、
テーマに沿った写真とトークを発表する会のこと。

その名前は、地域を糸で結ぶという意味と、神戸にある元生糸検査所を
リノベーションした〈デザイン・クリエイティブセンター神戸〉(通称KIITO)で
開催されたことに端を発する。今回は、その真鶴版をやってみようというわけだ。

塩屋と真鶴には共通点が多いという森本さん(右下)。真鶴のまちをくまなく歩き回り、このワークショップが終わる頃には地元の人のように歩いていた。

ここで登場したのは「背戸道」「生きている屋外」「ほどよい駐車場」などの
『美の基準』にも登場するキーワードのほか、
真鶴というまちを浮き彫りにする「つる」「路地」「守り神」「ベンチ」「海」などの
言葉をテーマに撮影された写真の数々。

森本さんと真鶴のメンバーがまち歩きをして撮影し、選定されたものに、
住民や外から訪れた人々から公募された写真も加えられ、
撮影者によりその場でコメントが加えられ発表された。

会場からは写真が切り替わるたびに「ここどこ?」
「あ、○○さん家の近くね」など、質問と共感と、
ときに愛のあるツッコミが入り混じる賑やかな雰囲気に。
終了後は「住んでいると見失いがちな、なんでもないことの貴重さ、おもしろさが、
ほかの人のフィルターを通して見直すことで見えてきた」など、
うれしいコメントが寄せられた。

森本さんは、塩屋の洋館〈旧グッゲンハイム邸〉で催しの企画・運営を行っている。
ときに楽団の団長として、ときに塩屋のまちづくりメンバーとして、
幅広く活動している。真鶴は塩屋ととてもよく似ていながらも特別なまちだと話す。

「すり鉢状で、山と海が近くにあって、高低差がある。
塩屋と真鶴はまちの規模と地形がそっくりで見分けがつかないくらいです。
僕が真鶴を知ったのは、塩屋のまちを守るためにまちづくり条例の勉強をするなかで、
『美の基準』が取り上げられたことがきっかけ。すごいところがあるんだなと。
僕みたいなまちづくりを学んでいる人間からすると、真鶴は憧れのまちなんです」

その後、知人のつながりで真鶴からも塩屋に訪れている人がいることを知り、
「あ、向こうからも注目してもらえてるんや」と親近感をもったそう。

「昨日ね、美の基準をつくった三木邦之元町長さんがここに来られて、
お話できたんです。塩屋でもまちづくりガイドラインをつくろうとしているのですが、
つくるうえで、生の声を聞くことができて本当によかったです。
深く響くものがありました」

古民家宿 LOOF vol.2 経験ゼロの古民家改修。 遊んで学べる、 宿づくりアカデミー始動

古民家宿 LOOF vol.2

山梨県笛吹市芦川町で、
古民一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿を経営しています。
vol.1では、どうして私が芦川町で古民家の宿を始めようと思ったのか。
全国の宿や、古民家プロジェクトなどを見学に行き、地元の方の理解を得て、
実際に古民家を借りるところまでを書きました。今回は、いよいよ古民家に手を入れます。

改修方針を決めるマーケティングリサーチ

築100年の古民家を改修するにあたって、
改修する前にいろいろ勉強に見学に行ったところでわかったことは、
やはり古民家の改修にはお金がかかるということ。
何千万、何億の費用がかかるということがわかりました。

クオリティは高いものをつくりあげたいけど、費用を下げたい。
そこで、「プロ×セルフDIYでイニシャルコストを徹底的に抑える」方法を考えました。
完全にプロに任せては費用がかかってしまうので、
私も実際に作業に加わることにし、さらに手伝ってくれるボランティアの人を集めようと。

ただ単純にボランティアで手伝ってもらうのでは、参加してくれた方は楽しくない。
ボランティアの方にも意味のあるものにするためには、どうしたらいいか。
考えたのが、「宿づくりアカデミー」です。

建築の勉強をしているけど、実際の作業をあまりできていない建築学科の学生さん、
古民家に興味のある方、宿に興味のある方が、ただ手伝うだけでなく、
その方にもプラスになるようにプロに学びながら古民家の宿を実際につくり上げていきます。

今回、プロフェッショナルの先生としてお願いしたのが、
一級建築士の斎藤 透さんと、山梨県古民家再生協会に所属している大工さんの市田 仁さん。
アカデミーの内容は、部活動のようなかたちにし、3つのチーム分けを行いました。

1、マーケティング企画部

2、設計・デザイン部

3、建築・ものづくり部

マーケティング・企画部はまず、「コンセプトメイキング」。
宿企画の軸となる部分。“誰に何を売るのか?”を明確にします。
3C分析として、Customer(顧客)Company、(自社)、Competitor(競合)の分析。
SWOT分析として、Strengths (強み)、Weaknesses (弱み)、Opportunities (機会)、
Threats (脅威)の分析。
5P戦略として、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、
Promotion(プロモーション)など基本的なフレームワークを基に、
コンセプトを明確にし、具体的なところまで落とし込んでいくことを考える。
そして企画・販売戦略立案として、コンセプトが決まり、それに沿った内装が決まった後に、
今度はそれをいくらで、どのようにして、
認知してもらい商品を買ってもらうかを明確にします。

次に、設計・デザイン部。
現地調査・図面おこしを建築士の斎藤さんと行い、
古民家の現状調査をはじめ、まずは図面におこし、
問題点・修正箇所を明確にしていきます。
その後、コンセプトから具体的になった内装イメージを基に、
完成図面をおこし、空間スケッチを作成し、施工業者に見積もりを依頼します。

最後に建築・ものづくり部。
ここは実際に手を動かす作業。まずは、古民家内にある荷物のゴミなどをまとめ、
使用するもの・捨てるものに区別し整理整頓をします。
その後、解体作業が始まります。変更やつくり直しが決まったところに関しては、解体し、
使える資材などをまとめていきます。整理整頓が終わったら、古民家の改修。
実際に大工の市田さんと一緒に改修するとともに、
古材を使用しながらインテリアを作成していきます。

宿づくりアカデミー始動

最初に始まったのは、2014年2月に始まった、マーケティング・企画部。
このチームは単発の参加ではなく、しっかりコミットできる人員である必要があり、
さらに外部からの視点・内部からの視点の両軸が必要でした。
内部の視点として、芦川育ちの私と、山梨出身の友人、
プランナーの宮川しおりさんに協力してもらい、
外部の視点として、東京で出会った友人の丸谷篤史さんと関口照輝さん、
本間めぐみさんに協力してもらい、
ニーズ・シーズ目線からコンセプトをつくり上げていくことに。
それぞれ「自分を知ろうチーム」と「外部を知ろうチーム」に分かれ、
まずは情報を集めていきます。

全く新しい学びの場 〈スクール・ナーランダ〉 京都・西本願寺&富山・高岡で 内藤礼らをゲストに開講

京都・西本願寺&富山・高岡で、
僧侶や豪華クリエイターに学ぶ!

2017年、10~20代に向けた、
新しい学びの場〈スクール・ナーランダ〉が開講!

京都市にある歴史あるお寺、本願寺(西本願寺)と、
ものづくりのまち・富山県高岡市を舞台に、
僧侶や豪華クリエイターらを講師に招き、
科学、芸術、哲学、経済学、社会活動、仏教、等々、
分野を縦横断する講義やフィールドワーク、ワークショップが行われます。

2017年2月4日(土)・5日(日)に開催される京都・本願寺でのスクール。
テーマは『わけへだてと共感』。
参加する僧侶は、浄土真宗本願寺派の天岸淨圓さんと小池秀章さん。
ゲスト講師は、

ラッパー/音楽家の環ROYさん、

映像人類学者の川瀬慈さん、

認知科学者の高橋英之さん、

アートディレクターの森本千絵さん。

ユネスコ認定の世界遺産であり、国宝や国の重要文化財を数多く有する
本願寺を会場に、非公開の建造物をめぐる特別解説ツアーも行います。

本願寺 伝道院

本願寺 書院

2017年3月4日(土)、5日(日)に
富山県高岡市・飛鳥山善興寺で行われる富山会場。
こちらのテーマは、『「土徳 - 土地からのいただきもの」が育むものづくり』。
開催されるスクールに参加されるのは、

真宗大谷派僧侶の太田浩史さん、

浄土真宗本願寺派僧侶の飛鳥寛静さん、

美術家の内藤礼さん、

天文学者の観山正見さん、

金属鋳物メーカーの能作克治さん、

鍛金職人の島谷好徳さん。

本願寺 書院の下

飛鳥山善興寺

富山県高岡市は、400年以上続く鋳物技術で日本の仏具の95%を製造する“仏具の里”。
富山の民藝ゆかりの場所や、伝統産業に従事する職人たちの工房も訪問します。

シマタニ昇龍工房

IVolli architecture vol.7 土地に難あり、風呂なしの 小さな木造アパートが、 新しいコミュニティの拠点へ。

IVolli architecture vol.7

アイボリィアーキテクチュアの永田です。
半年ぶりの掲載になります。

だいぶ期間が空いてしまいましたが、前回は僕らの最初のプロジェクトである、
横浜の木造平屋のアパートの改修計画「藤棚のアパートメント」が
どのように始まっていったのかを紹介しました。

実はこの物件、最近になって、やっと竣工にたどり着きました。
今回は竣工に至るまでの長い道のりを紹介します。

オーナーさんがもつ別の物件〈ヨコハマアパートメント〉に僕が住んでいた縁で、
アイボリィが、この物件の改修をすることになりました。
僕らが、独立したばかりの2013年頃のことです。
もとは、いわゆる風呂なし、木造平屋アパートで、居室は3部屋。
ここに、共有スペースをもりこんで改修できないかというのです。

びっくりした、土地の境界

きっかけは、定期借地であった土地がオーナーさんのもとに帰ってきたことから始まります。
すぐ後ろに崖を背負った場所にあり、
あたりは古くからの木造家屋がいくつか残っているエリアです。
横浜というと港のイメージが強いですが、
歴史を遡ると埋め立てによってつくられた場所が多く、
少し内陸に入ると起伏に富んだ、崖や坂道の多い地形が特徴です。

例えば、「野毛」という地名も、古くは「崖」を意味する言葉だったようなので、
まさに「崖」そのものとも言えるまちです。

西横浜にある〈願成寺〉横の坂道。

オーナーさんのもとに木造平屋のアパートがそのまま残った状態で返ってきたうえに、
庭までついてきたので、初めての設計仕事としては
申し分ないくらいにおもしろくなりそうだとワクワクしていたのですが、
蓋を開けてみるといくつも高いハードルが待っていたのです……。

まず最初に僕らが驚いたのは、オーナーさんのもとに返ってきた土地と、
隣地との境界線がアパートの中にあるということでした。
どういうことかというと、

建物の建っている場所の4分の1くらいを削るように境界線(赤丸部分)が引かれています。
(これじゃ建物が完全に越境してる……)
どうやら過去に何度かを土地を分筆、合筆を繰り返すうちに、
建物だけが宙ぶらりの状態で残ってしまい、分筆された分の土地が返ってきたようです。

つまり、老朽化したアパートを改修して再生するには、
プランを変更して減築し、適法な状態にする必要がありました。ただ、減築をするとなると、
建物のひと部屋分くらいは減らさないといけないことになります。
お風呂もなく小さなトイレがついただけの長屋形式の建物でしたので、
減築してしまうと部屋の数もふたつしか残らず、
それぞれの部屋の床面積も大幅に減ってしまいます。これではお金をかけて工事をしても、
賃貸アパートとして貸し出せる部分がかなり少なくなってしまいます。

この風呂なし部屋の半分以上は削らないといけなさそうです。

庭も共有スペースとして生かす

老朽化も進んでいるので、いっそ建て替えるのが賢明かと
新築案も視野にいれてオーナーの川口さんと話し合いもしましたが、
最終的に予算的に可能な建物減築案を僕らは受け入れることにしました。

部屋の面積が減ってしまう代わりに、
増えた外部空間を部屋の延長として使う道を探そうという方針です。
部屋の面積を最小限にして、家の外にも部屋のような場所があれば、
自然と暮らしの中に外部空間と触れ合う場所が生まれそうです。

そしてそこがアパートの隣室の人や、隣家の方とのコミュニケーションの場になれば、
このような木造密集地でも新しく良好なコミュニティが育まれるのではと考えました。

狭い居室を補うように外部に居場所をつくる。

前回の記事にあるように、
藤棚とブロック塀による外部環境の提案が生まれたのはこの時期です。

建物の中と同じように、「庭の間取り」を考える。
寸法や壁位置、柱間隔も既存の建物にならって決めていき、
上空には梁と対応するように藤棚をかける。
「パンチのある、見たことがないアパート」を望んでいたオーナーの川口さんも、
この外部空間を活用する藤棚の提案には満足していただけました。

建物の構造に合わせて、外部空間をつくっています。

敷地にもともとある植物を切らずに屋根をかけるには藤棚が最適でした。

室内の狭さを払拭するために外部まで空間が広がっています。

方針が決まるころ、ちょうど夏真っ盛りの時期だったので、
この外部空間がどんな場所になるのかを、塩ビパイプで壁を組み立て、
実際の見えや、使い方を検証しながらBBQで利用してみました。

庭にある植物の位置や、お隣さんとの距離感など実地で検証しました。

前に進まない工事。その理由は?

さて、プランも定まり、意気揚々と工務店に見積もりをお願いする段階へと進みました。
予想外の「減築工事」が入ることになったため、予算はかつかつ。
当時まだ独立したばかりだった僕らには頼める工務店さんというのがあまりいませんでした。
それでも知人や前職のつながりで紹介してもらい、
何社か依頼できそうだったので、見積もりをお願いすることに。

通常見積もり調整は工務店からの金額をチェックして減額する部分を調整して、
という作業を何度か交わして最終的な金額に落ち着かせていきます。
あまり予算もない工事でしたが、
ある工務店の監督さんが「任せろ」と快く引き受けてくださり、
金額も予算に収める方向でまとめてくれることになりました。

ただ、ここで僕らは大きな失敗をしてしまいます。

予算的に一番現実味のある見積もりを出してくれた工務店がひとつしかなく、
そこ頼みで見積もりを進めていたので、
次第に相手のスケジュールに振り回されていくようになってしまいます。

「来週まで工事が忙しいからそのあと見積もり出します」

「夜間現場で1か月いません」

「3週間待って」

ことあるごとにリスケされ、見積もり調整のやりとりも延び延びになってしまい、
次第に連絡も取れなくなっていきました。数か月近くの時間が取られ、
さすがにまずいとその間ほかの工務店にも相談に乗ってもらいましたが、
やはり金額が合わず……。計画自体が暗礁に乗り上げてしまいました。
そして恥ずかしい話ですが、実は同じようなことがこの後2、3社続きました。

最初は快諾してもらえるのですが、どこも次第に連絡が取れなくなっていきます。
設計の精度や進め方など、こちらの経験不足が露呈し、
かなり訝しがられていたのだと思います。
未経験から始めたことによる「洗礼」をこの時受けました。

「待つ」時間ばかりで一向に前に進まず、
この時点で、改修の話をいただいてから2年半ほどの時間が経ってしまっていました。

限定1組! 国宝 松江城の天守で 結婚式を挙げたい カップルを募集

「結婚式、どこで挙げよう?」

そんな悩みを抱えている皆さんに朗報です。
せっかくの節目ですもの、松江城で江戸時代に
タイムスリップしたかのような結婚式を挙げるのはいかが?

松江城といえば、1611年の完成以来、400年以上の歴史を誇り、
全国に現存する12天守のひとつ。
松江城二之丸にある松江神社から、築城当時の祈祷札が
見つかったのが決め手となり、2015年7月には天守が
国宝指定となったことでも話題を集めました。

1611年に完成した松江城。2015年には天守が国宝に指定された。

今回の募集内容は、2017年3月4日(土)に
一般公募で選ばれたカップル1組が天守最上階の〈天狗の間〉で
結婚式を挙げられるというもの。

当日、新郎は甲冑、新婦は打掛、さらに参列する親族も
時代衣装に身をつつみます。
松江城の築城とその城下町の建設を開始し、
事業の実現に尽力したと伝えられる「松江開府の祖」堀尾吉晴公を
なぞらえているんだとか。

〈天狗の間〉に向かうまでは、お城の周りを囲む堀を
遊覧船で移動する〈花嫁船〉や、大手前広場から
城山公園二之丸、本丸天守入口までを甲冑武者姿の松江武者応援隊が、
ほら貝・笛・太鼓を奏で、祝福する〈花嫁時代行列〉も行われます。

〈花嫁船〉

〈花嫁時代行列〉の様子。その場に居合わせた一般客からも祝福を受けられる。

里山十帖・岩佐十良さんによる 新たな視点を取り入れ、 〈ユキノチカラ〉は 「つくる」から「売る」の ステージへ

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。

クリエイティブ・ディレクター岩佐十良さん、晩秋の西和賀を訪ねる

2014年5月のオープン以来、コンセプトや宿泊客満足度、
部屋稼働率などあらゆる面から注目を集めている新潟県の温泉宿〈里山十帖〉。
それを運営しているのが、
クリエイティブ・ディレクターで雑誌『自遊人』編集長の岩佐十良さんだ。
ほかにも移住先の新潟県南魚沼市で米づくりを行うだけでなく、
オーガニック食品の企画・商品化、
さらには市の委員や広域観光圏のアドバイザーなども務めるという、
多忙を極める岩佐さんが西和賀町を訪れたのは、晩秋の色濃い11月の半ばのことだった。

実は今年度〈ユキノチカラプロジェクト〉は、次のステージへ一歩踏み出すことになった。
ユキノチカラをキーワードにした地鶏のブランディングと、
「ユキノチカラ=西和賀の魅力」を体感してもらうモニターツアーの実施だ。
雪国の食と文化を伝える観光の視点から、アドバイザーとして指名されたのが、
岩佐さんだった。

新潟県南魚沼市の温泉宿「里山十帖」。写真:岩佐さん提供

岩佐さん自らつくった米を味わうことができる。写真:岩佐さん提供

「岩佐さんには、西和賀の雪国文化をまちの魅力としてどのように生かしていくかを
一緒に考えていただきたいとお願いしました。
岩佐さんにお願いしたのは、デザイン・クリエイティブの価値をよく知り、
自らそれを生かしてビジネス展開している実践者だからです。
また、岩佐さんのような方にプロジェクトに参加していただくことで、
外部地域とつながったり、プロジェクト全体の視野を広げることができればと考えています」と、プロジェクトの運営や広報をとりまとめる日本デザイン振興会の鈴木紗栄さんは期待する。

鈴木さん(右から3人目)と、ユキノチカラプロジェクトのデザイナー6人。デザイナーは普段それぞれの事務所で仕事をしているので、西和賀でのプロジェクト会議は、顔を合わせる貴重な場だ。

健康落語が 弘道館にやってきた! 水戸 養命酒薬用ハーブ園 vol.2

《連載第1回はこちら》

茨城県水戸市と薬用養命酒でおなじみの養命酒製造株式会社が
薬草を活用するプロジェクトをこの夏から開始しました。
まずは、植物公園敷地内に〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉を
2017年4月にオープンします。
水戸藩に古くから残る薬草・生薬文化と、
400年以上も前に創製された薬酒を継ぐ養命酒製造株式会社によって
新たな薬草文化の価値を今に伝えていく、官民協働の新しい取り組みのかたち。
コロカルでは、プロジェクトの重要な部分を担う
市民向けのワークショップやイベントをレポートしていきます。

水戸学の拠点、弘道館で カジュアルに落語を聞く

都内では、寄席に並ぶ行列が連日のように続き
江戸時代以来ともいわれる平成落語ブーム到来の折、
江戸末期(1841年)に日本最大の藩校としてつくられた水戸の弘道館に
落語家、立川らく朝さんがやってきました。

水戸市と養命酒製造の協働事業のための
ワークショップに、なぜ弘道館で落語を?
その疑問は追々解決するとして、まずは落語の様子から。

寄席に集まったのは、中高年を中心とした約80人のみなさん。
聞けば、地元にある生涯学習サークルに属している人が多く、
常時、市内でのおもしろそうなイベントには参加するように
チェックしているそうです。

特に、前回に訪れた水戸市植物公園の西川綾子園長の講座は
人気があり、固定ファンもいるくらい。
「水戸市は生涯学習が盛んな土地なんです。
なんたって日本最大の藩校、弘道館のある土地ですから」
と前回のワークショップの際に西川園長が言っていたのを思い出しました。

今回は、水戸藩9代藩主 徳川斉昭公がつくった歴史的建造物、
重要文化財の弘道館で落語を聞けるとあれば、
多くの方が集まるのも納得です。

トトトン、という出囃子とともに高座に上がったらく朝さん、
まずはまくらにご自身の話など。
らく朝さんは46歳で立川流に入門される前は内科の医者でした。
そんならく朝さんオリジナルの健康落語は、全国各地でひっぱりだこなのです。

「医者と落語家も、政治家も振り込め詐欺も口だけの商売」と軽やかに噺す、らく朝さん。

徳川慶喜公が幼少期に学んでいたという、至善堂での寄席。らく朝さんが羽織を脱ぎ、本題に入ってからは、皆、集中して聞き入っています。

医学的に説明すると難しそうな内容も立て板に水を流すように噺す、らく朝さん。
ガンからメタボまで、生活習慣病予防の
参考になるような話には熱心にメモをとる人の姿も。
そんな参加者の姿を見て、
「笑うだけでガンにならないんですよ」とひと言。

「いやね、健康落語なんぞをしているとですね、
らく朝さん、体に一番いいことってなんですか? とよく聞かれるんですよ。
そういう質問には、笑いくらい体にいいものはないですよと答えます。
私たちの体のなかでは、毎日がん細胞ができているんです。
でもね、笑うと、いいんですよ。
笑うだけでがん細胞を攻撃する
NK(ナチュラルキラー)細胞が体内に増えるんですからね。
本日も難しい顔をして下を向かずに、
大いに笑っていってください」

さて、まくらから本日の演目へ。
らく朝さんが選んだのは、「代脈」という演目。
間抜けな医者見習いの落語です。
アドリブで、どのような状態の患者にも葛根湯を勧める医者の話
「葛根湯医者」についても織り交ぜた話にしてくれます。
医者になるまでの過程にあった自身の経験を交え、
江戸時代の診療をテーマにした古典落語をセレクトしました。
葛根湯はクズの根が主成分の伝統的な漢方薬。
クズは古くから知られた薬用植物なので、
そういった観点から聞くと興味深い小咄です。

あっという間に落語に集中した時間が過ぎ、
最後はみなさんでにっこりと記念撮影しました。

中央は立川らく朝さん。右には、本日の司会を務めた水戸市植物公園・西川園長が。念願の「葛根湯医者」を聞けてうれしそう。

「水戸のみなさんは、反応が良くて心地よかったですね。
なんといっても病気にならないためには
ストレスを溜めないことが重要ですから、
どうやって発散するかということです。
ストレスを溜める一番の原因は、病院に行くことですよ」
らく朝さんの言葉に、最後にまた笑いが起こりました。

国宝・彦根城築城410年祭の PR動画『彦根に集え!』が 相当カッコいい! 人気ミュージシャンが集結。

人気ミュージシャンをフィーチャーした
スタイリッシュな時代活劇ムービーが公開!

2017年に滋賀県彦根市で開催されるイベント〈国宝・彦根城築城410年祭〉
のプロモーションムービー『彦根に集え!』が公開されました。
国宝である彦根城で撮影を行い、人気ミュージシャンをフィーチャーした
スタイリッシュな活劇エンターテイメントムービーになっています。

ひこにゃん誕生から10年後の滋賀・彦根城

ムービーの舞台は、滋賀県彦根市のキャラクター“ひこにゃん”誕生から10年後の彦根城。
築城410年祭に向けて新しいシンボルを産みだそうと活気立つ、殿様や家臣達が
国宝の彦根城天守や、歴史ある能舞台でパフォーマンスを繰り広げます。

殿様を演じるのは、人気ラッパーの鎮座DOPENESSさん。
シンガーのKeycoさんやブレイクビーツユニットのHIFANAらが
出演し、アニメーションを多用したグラフィカルな映像は
まるでミュージックビデオのようです。

鎮座DOPENESSさん

Keycoさん

監督は、京都と東京に拠点を置くクリエイティブチーム〈CEKAI〉
の井口皓太さん。楽曲プロデュースはHIFANA、アートディレクションはMAHARO。
音楽やエンターテインメント界で活躍するクリエイターたちによって、
これまでにない地方創生コンテンツが完成しました。

北海道・大樹町の 〈ワークステイプログラム〉 とりあえず、住んでみる?

いきなり「移住」はハードルが高い…。そこで!

地方暮らしに興味はあっても、いきなり〈移住〉は大変、、
仕事や家庭にどんな影響が出るのか、
まずは住んで体験してみたい、という方に。

北海道の大樹町でスタートした〈ワークステイプログラム〉は、
地域に足りない、デザイン・ITなどの専門的なスキルを持つ方や、
まちづくりや地域貢献に興味がある方を対象に行う、お試し暮らしサービスです。

いろいろな働き方が考えられます

住宅使用料は1ヶ月35,000円と格安。
町が光熱水費、放送受信料、寝具借上料、
インターネット回線使用料及び利用料などを負担。
滞在の最後に、まちづくりに関する企画書または提案書などを作成し、
町に提出した場合には、謝礼金35,000円が支払われます。

こちらが住宅

対象となる方は、
まちづくりや田舎暮らしに興味がある方、
デザインやWEBなどの場所を選ばない働き方ができる方、
都市部の仕事をテレワークで受注する企業や個人事業主の方、
都市部から住居を移し起業しようとする方などなど...。
レンタカー利用料の助成もあるそう。

〈吉野杉の家〉 Airbnb×吉野町の 泊まれるコミュニティハウス

空いている部屋を貸し出し出来るサービス〈Airbnb〉。
世界中で人気のこのサービスが、奈良県吉野郡吉野町とコラボレーション。
このたび吉野町に、コミュニティハウス〈吉野杉の家〉がオープンしました! 
2017年1月18日からAirbnbにて宿泊予約がスタートします。

〈吉野杉の家〉は、〈Airbnb〉の社内デザインスタジオ
〈Samara(サマラ)〉が企画し、吉野町とともに作り上げた地域活性化の取組み。
吉野杉を使い、吉野川沿いの立地に馴染むようデザインされています。

建物は2階建て。
1階は居住スペースとコミュニティセンターが一緒になった場所。
開放的なリビングで、地元の人たちの集まりにも活用されます。
階段を上がるとロフトのような落ち着いたベッドルームがある
〈朝日の部屋〉と〈夕日の部屋〉が。2つの部屋に、最大7人が宿泊可能となっています。

設計を手掛けたのは、東京を拠点に活躍する建築家の長谷川豪さん。
コンセプト設計から最終的な建築まで、すべての段階で地元の技と人を取り込みました。

この地域ならではの家づくりの手法を活かし、
建材には吉野の山から伐り出した木を使っています。
木材を組み上げたのは、地元の匠の大工さんと職人さん。
この地域に伝わる伝統の素晴らしさや、
地元の人たちが受け継いできた伝統文化を取り入れて作られました。
吉野のコミュニティが作り上げた、吉野コミュニティのための家です。

吉野町に住み、働く人々が集まり運営

このプロジェクトは、高齢化や都市化の拡大によって急速に過疎化が進み、
伝統や経済的な安定が失われていく、
日本の地方の現状に対処するための取組みのひとつ。

Airbnbを通じて宿泊予約が行われると、収益は直接、
地域コミュニティや文化的な遺産を守るための資金として寄与されます。
ゲストが宿泊する毎に97%が、吉野町のホストコミュニティの元にわたり、
その後、コミュニティ投資基金を介して地域へと
もたらされる仕組みになっているのだそう。

坂東幸輔建築事務所 vol.7 補助金なし改修なしで、 港の空きレストランを再生

坂東幸輔建築事務所 vol.7

みなさん、空き家再生してますか、建築家の坂東幸輔です。

今回は丸亀市で行った〈港のカフェPIER39〉プロジェクトの様子を紹介します。
瀬戸内国際芸術祭2016秋会期の開催に合わせて、
丸亀フェリーターミナル2階の空きテナント〈PIER39〉を再生して
5日間だけウィークエンド・カフェを開催しました。

ようこそPIER39へ。

講演会などで徳島県神山町の話をすると、
「神山町に関わるようになったきっかけは何ですか」
という質問をよくいただきます。
神山町のようにドラマティックに変化を遂げたまちに関わることになった
最初のきっかけにみなさん興味があるようです。
海のカフェPIER39の場合は、私が空間に惚れ込んでしまったのです。

港のカフェPIER39は、空き家を使って
まちづくりのきっかけをつくってしまおう、というプロジェクトです。
ただし空き家の改修工事は一切なし、予算をかけず掃除するだけで使い始めました。

カフェとして再生するのは、自分?

PIER39と出会いは2015年9月の「リノベーションまちづくりシンポジウム」の
パネラーのひとりとして参加したときのこと。シンポジウムの後で、
高松の建築家カワニシノリユキさんに
とっておきの空き家があるからと案内してもらったうちのひとつが
丸亀フェリーターミナル2階にある空きテナントPIER39でした。
PIER39は1984年にオープンした喫茶店でした。
フェリーの待ち時間や地域の方のランチにと活用されていたそうなのですが、
利用客の減少により閉店。20年近く空きテナントとなっていました。
もともと市の所有の建物なのですが、借り手がずっと見つからなかったそうです。

リノベーションまちづくりシンポジウムの登壇者。左から、私、ポンさんこと真鍋邦大さん、R不動産の馬場正尊さん、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて。

丸亀フェリーターミナル。瀬戸内国際芸術祭の会場となっている本島のほか、牛島、児島、広島、小手島、手島行きの船が出ています。この建物の2階にPIER39があります。

窓から覗いた印象ではかなり丁寧に内装がデザインされています。
その頃、出羽島のプロジェクトに関わり始めたばかりで(vol.4vol.5参照)、
海の近くや港といった場所に興味のあった私は
PIER39にすぐに惚れ込んでしまいました。

高い窓に手を伸ばしてiPhoneで撮影した写真。内装や家具の雰囲気を見て、使えると思いました。

いい空き家が見られてウキウキしながら、年に行われた瀬戸内国際芸術祭で、
土日のフェリーターミナルに長蛇の列に並んだ経験のある私は
「瀬戸芸の期間にPIER39でかき氷屋さんでもやれば儲かりますね。
誰かやればいいのに」という雑談を一緒にいた人たちとしていたのですが、
はっと気がついてしまいました。

「その誰かは自分なんじゃないか」

この連載の中でも、地域でのまちづくりは
「何をするかではなく、誰がやるか」だ、ということを書きましたが、
PIER39の「誰か」は自分なんじゃないかと運命を感じてしまったのです。

徳島県内では神山町と出羽島でまちづくりの活動をしていましたが、
瀬戸芸や地域の美術館に育てられた
アートカルチャーのある地域で活動してみたいということも動機のひとつになりました。
猪熊弦一郎美術館のある丸亀は文系女子やサブカル女子が闊歩しています。
同じ四国でも徳島にはそういった女子は一切いないので
初めて見た時は衝撃を受けました(笑)。

埃まみれの空間を大掃除

自分でPIER39を再生しようと決心した後、
シンポジウムに私を呼んでくださった地域のキーマンである、
『四国食べる通信』編集長の真鍋邦大さんに相談し、
丸亀市の若手職員の方たちをご紹介いただいたことで、
瀬戸内国際芸術祭2016の期間中のPIER39の使用許可をいただきました。

今回のプロジェクトは私の場所への興味から始まった、ごく個人的なプロジェクトです。
市からは場所の無料提供をしていただきましたが、資金的な援助はもらっていません。
個人的に応募した第一生命財団の研究助成金をもらって、
研究として行っているため、自由に活動することができました。

港のカフェPIER39プロジェクトの本格的なスタートは2016年4月末からでした。
閉店してから約20年間使われていなかったPIER39の掃除を
京都工芸繊維大学の学生の垰田ななみさんや市役所の若手職員の皆さんと行いました。
埃まみれだった空き家が、ゴミを捨て、床をモップがけして、
窓や家具をきれいに拭くと見違えるようになりました。

ファブリックの汚れやカウンターの傷みなど、掃除ではどうしょうもない箇所もありましたが、
気にしなければすぐに使える状態になりました。
さっそく、丸亀市の方たちがゴールデンウィークにまちづくりのイベントを開催してくれました。

丸亀市若手職員の皆さんとPIER39の掃除。

港の景色を見ながら窓ふき。

掃除をしただけでかなりきれいになりました。

今回の港のカフェPIER39プロジェクトのように
ぜひ皆さんにもまちにある空き家も掃除をして使い始めてみてほしいのですが、
その際に注意したいのは、漏電と漏水です。
古くなった配線・配管に電気や水を流すと、事故が起こる可能性があります。
素人が大丈夫だと判断をせず、必ず電気屋さんや水道屋さんに相談するようにしてください。

掃除を終えた後は、毎月丸亀に通い、少しずつプロジェクトを進めていきました。

香川大学の学生を中心に、丸亀の商店街の空きテナントで
カフェを行っている〈るるるカフェ〉のメンバーたちが
PIER39のプロジェクトに協力してくれることになりました。
プロジェクトは私が非常勤講師として教えている、
京都工芸繊維大学や研究室のある京都市立芸術大学の京都の大学生チームと
香川の大学生チームのコラボレーションに発展しました。

香川と京都の学生のミーティングの様子。

PIER39で販売するフードメニュー開発を香川の学生、
内装やユニフォームのデザイン・制作を京都の学生が担当し、
準備を進めていきました。丸亀市役所の若手職人の皆さんの多大な協力もあり、
10月8日の瀬戸内国際芸術祭秋会期の開催に合わせて
〈港のカフェPIER39〉を5日間の限定オープンさせることができました。

開催を5日間の限定にしたのは、
京都から毎週通うことが難しかったこともありますが、私たちがいない間も
カフェをオープンしてくれる人が現れる余白をつくりたかったからです。

PIER39のユニフォームのデザインについての打ち合わせ。

〈秀吉のクリスマスツリー〉 プラントハンター 西畠清順さんによる 巨大ツリーが登場!

大阪府大阪市の中心部、
大阪城に隣接する〈ホテルニューオータニ大阪〉。
このたび、ホテル開業30周年を記念し、特別なクリスマス・イベントを開催! 

世界的に活躍するプラントハンターの西畠清順さんとコラボレーションした
『秀吉のクリスマスツリー』が、2016年12月25日(日)まで、
ホテルのアトリウムロビーに設置されています。

西畠清順さんとツリー

『秀吉のクリスマスツリー』のサイズは屋内・関西最大級11メートル! 
プラントハンター西畠さんが、1年がかりで探した木。
豊臣秀吉が大阪城を築城修築した際に採出した飛騨材・木曾材、
その中から選定された、生木のクリスマスツリーです。
樹齢はちょうど約30年、重さはなんと500キロ。

飛騨の木材は、安土桃山文化を代表する大阪城を始め、
聚楽第、伏見城など、幾多の名城を築く際に使われてきました。

豊臣秀吉が当時、巨木を調達するために、
飛騨高山から飛騨川・木曽川を通じて“川下げ”し、
大阪まで巨木を運んできたのだそう。
西畠さんは1年前から調査を重ね、飛騨の山で唯一発見した
樹齢約30年、樹高11mに及ぶトウヒの木を発掘しました。

植林された山は、間伐などで人の手を入れないと活かすことができません。
今回のプロジェクトは、木材で町興しをしている飛騨市にも喜ばれたのだそう。
ツリーの役割を終えたのちには、堆肥として土に還る予定です。

古民家LOOF vol.1 育った山梨の集落で、村おこし。 イベント赤字から抜け出すには?

古民家LOOF vol.1

みなさま、はじめまして、〈古民家宿LOOF〉の保要(ほよう)佳江です。
山梨県笛吹市芦川町で古民一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿を経営しています。
築100年の兜作りの古民家を生かした内装になっている澤之家と、
大きな囲炉裏が特徴の坂之家。都内の20〜30代の女性、外国人観光客をターゲットに、
1日1組限定の宿として営業しています。

2014年にオープンした澤之家の特徴の“兜造り”とは、屋根の形状からそう呼ばれ芦川地域に見られる古民家の様式。小屋裏に広い空間が取られています(topの写真)。写真は改修後の小屋裏部分。ほかにも若い世代にも古民家を身近に感じてもらいたいと、水回りはきれいに、快適に過ごせるよう改修しています。

2016年にオープンした、2軒目の古民家宿、坂之家。

芦川町に戻り、古民家宿を始めるまで

芦川町は、東京から約1時間半の場所にあるのに、
“山梨のチベット”と呼ばれる秘境です。
そんな、人口400人もいない限界集落は、私の育ったまち。

東京と神奈川出身の両親が子どもは田舎で育てたいと選んだのがこの芦川町でした。
2歳でこのまちに移住し、高校生までの間をこのまちで過ごし、
大学・就職と東京に出て以来10年ぶりに地元に帰って活動を始めました。
当時は何もない、このまちから早く出たいといつも思っていました。

芦川町の風景。

戻ってきたきっかけとなったのは、大学の時の友人からの言葉でした。

「身近なことも変えられないのに世界は変えられない」

幼少期に田舎に住んでいた反動だったのか、
ずっと世界で活動することを目標に生きていた私にとって衝撃的な言葉でした。

ちょうど同じタイミングで偶然見つけた本『限界集落』に
出身地である芦川町が限界集落であることが書いてありました。

「これだ!!!」と直感的に思いました。

写真家・梶井照陰著書『限界集落ーMarginal Village』(FOIL)。写真がメインのこの本は、芦川の風景が掲載されていたりと、とても懐かしい気持ちになりました

それまでは、ずっと海外での仕事に就くことを目標に、大学では留学をしたり、
休学をして勉強をしたり、国際協力の仕事をするために活動をしていましたが、
大学4年生のときに芦川町の「村おこしをしたい!」と
方向性を変えて生きて行くことにしました。

そこで、就職活動などは一切せず、「村おこし」=農業かなと考え、
地元に戻って農業の勉強をしようかと模索していたところ、
友人からおもしろい会社があると聞き、たまたま説明会に行ったのが、前職の農業関連の会社。

入社前の面接で社長に「村おこしがしたい」と話すと、
「うちの会社を踏み台にして、自分のやりたいことに進みなさい」
と言われ、そのまま入社することにしました。
配属された飲食部門でトップまで行って、結果を出してから辞めようと決め、4年間勤務。
並行して周囲に「村おこしがしたい」と言い続けていました。
3年目に、まずはできることから始めてみようということで、飲食関係の友人に手伝ってもらい、
地元の食材を使用して芦川にある古民家でフレンチ料理を提供する、
週末レストラン「囲炉裏フレンチ」というイベントを開催しました。

イベントのときにつくったチラシ。

村おこしって何だろう?

毎回イベントはすべて満席。とても好評で1年間続けましたが、収支はずっと赤字。
これではいけないと悶々としていましたが、
そもそも“村おこし”ってなんなのか? を考えずに、
突っ走っていたため最終的にどうなることが理想の“村おこし”なのかを
イメージできていなかったのです。

そこで、一旦考え直し、「なにかしてあげよう」という考えから
「地域の人が抱えている問題を、自分のやりたいことを通じて解決していこう」と、
自分に軸を置いて活動をしていこうと決めました。

私のやりたいことを考えた時に辿り着いたのは、
「トカイもイナカもある暮らし」の実現。

ありのままの自分を出せる場所=イナカ

背伸びした自分をつくる場所=トカイ

イナカ過多、トカイ過多な人が多いけど、私は両方がほしい。

そして地域の人が抱えている問題を解決したい。
その頃ちょうど芦川の地域全体で行うワークショップが開催されており、
地域の一番の課題が「空き家の問題」という結果に行き着きました。
300軒ほどある建物のうち、3分の1の100軒が空き家という事実。

私のやりたいことと、地域の抱えている課題の2点に加え、
私は必ず入れないといけない視点として考えたことが、ふたつあります。

①まずは「しっかり稼ぐ」ということ。

②地域の課題を「おもしろく解決する」ということ。

少ない収入でも暮らせるのがイナカなのかもしれないけれど、
それが個人の希望とは合わないこともあります。
実際、私の周りの同世代の友人も、地元に戻りたいと思っている人は
たくさんいました。しかし、みんな共通して戻らない理由が
「仕事がない」ということと、「魅力的な仕事がない」ということ。
選択肢の多いトカイから抜け出すのはなかなか勇気のいること。
だから、私は芦川に戻ってくるときに、
「おもしろいこと」しかしないということと、
「トカイ以上に稼ぐ」ということを決めました。

そこで私のミッションは
「地方に持続可能なビジネスモデルをつくり、
集落に残る日本の生活文化を継承する」こと。

そして意識する点として、「おもしろく社会問題を解決する」と考えました。

そこから具体的に芦川町で何をしようか考え始めました。
この地域だからこそできる強みとはなんなのか、
ほかのイナカでなく、この地域だからこそできることってなんなのか。

創立65年の劇団と 演劇専用ホールをもつ “地域演劇のふるさと”西和賀

西和賀にんげん図鑑Vol.1 
小堀陽平さんと妻の結香さん
(ギンガク実行委員会・企画委員)

東京で生まれ育った小堀陽平さんが、このまちに移住して、もうすぐ3年目を迎える。
現在は、西和賀町地域おこし協力隊として
演劇専用ホール〈銀河ホール〉の運営やまちの広報活動に関わるが、
もともと西和賀に特別な縁があったわけではない。

きっかけは、日本大学大学院芸術学研究科に在籍していた晩秋のことだった。
「東日本大震災の後、かつて銀河ホール館長を務めた芸術プロデューサーと
西和賀町の旅館組合の組合長から、湯田の温泉宿を使って
演劇学生たちの合宿をやれないものか? と声をかけられて」

西和賀町には、古くから演劇文化がある。
戦後まもなく地元住民によって結成された〈劇団ぶどう座〉は
中央演劇界とのつながりも深く、60年以上も活動を続けているそうだ。
そうした素地のもと、1993年に演劇専用施設として建てられた〈銀河ホール〉は、
地域演劇祭から国際的な演劇交流まで幅広く活用されてきた。

「このまちには劇団ぶどう座と銀河ホールが積み重ねてきた、
新旧さまざまな地域行事や伝統芸能があるし、ほかの地域にも誇れる設備や環境がある。
せっかくなら、合宿だけでなく演劇祭を開きたいと伝えました」

小堀さんの提案をうけ、まちでは、師走の多忙な時期からコトがパタパタと動きだす。
1月末に合宿実施のめどが立つと、小堀さんが学生たちに声をかけ、
東京都内3団体による滞在型演劇祭の開催が決定。
3月上旬上演に向けて慌ただしく小堀さんがまちを訪れたのは、
西和賀町が最も雪に覆われる2月の真っただ中だ。

「初めて訪れた西和賀がその時期。
特に雪の多い年だったらしいのですが、比較対象を知らなかったおかげで、
純粋に、東北の冬ってこういうものなんだなと思いましたよ(笑)」