秀衡塗、岩谷堂箪笥、太鼓、染物。
岩手県南の職人の工房へ 
新たな工芸プロジェクトも始動 

国内外に広く知られる伝統工芸の工房が集まる岩手県南地域。
全国的に継承者が減り続ける中、ここに拠点を構える若き職人たちが集い、
これからの伝統工芸や職人のあり方を模索し、
チャレンジする過程で生まれた〈平泉五感市〉。
2016年、2017年と開催されたこのイベントは工芸体験ができ、
郷土料理や各社の美しい工芸品も販売された。(vol.10参照)
今回は、現場さながらの体験ができるこのイベントの運営に携わる
職人たちの工房を訪ねました。

丸三漆器 
今の課題は、どこでどう売るのか

右から〈丸三漆器〉の5代目・青柳 真さんと塗師で弟の青柳匠郎さん。

vol.10の記事で紹介した平泉の〈翁知屋〉(おうちや)と共に、
平泉に伝わる漆器〈秀衡塗〉(ひでひらぬり)の工房〈丸三漆器〉。
明治37年、一関市大東町を拠点に御膳造りを主とした
「丸三漆器工場」として創業して以来、木地、下地、塗り、絵付けと
一貫した生産工程を持つ数少ない工房として知られている。

木地は、地元周辺の材料を中心に岩手県産材にこだわっている。

「今はうち1軒だけになってしまいましたが、
大東町はかつて何軒か工房が建ち並ぶ秀衡塗の産地だったんですよ。
その名残りもあり、うちはお碗のセットや重箱など平安時代から伝えられてきた
伝統的な商品を大切に継承しつつ、先代の時代からガラスの漆器づくりなど、
現代の生活様式にフィットする新商品の開発にも力を入れています」

そう話すのは、5代目の青柳 真さん。
塗師として工房を支える弟の匠郎さんと二人三脚で、
100年以上続く〈丸三漆器〉のこれから100年のあり方を日々模索し続けている。
現在いちばんの課題は、販路開拓と職人の確保。

敷地の中を川が流れていて風情がある。

「地元百貨店の売り場や全国の百貨店の催事での販売が中心でしたが、
百貨店自体の売り上げの低下などとあいまって、
売り上げは減り続けているのが現状なんです。
インテリアショップやエキナカなど新規販路の開拓、ホテルや飲食店への納入など、
僕を中心に販路の見直しに取り組んでいます。

それから、今はほぼ家族経営になってしまっているのですが、
若い職人希望の人にきてもらえるように、環境を整えていきたいですね。
秀衡塗は工房ごとにしか教える場所がないので、
平泉の〈翁知屋〉さんとも連携しながら、
職人になりやすい環境をつくっていければと思っています」

全国の漆塗り工房に先駆け、10年ほど前に先代が開発した〈漆グラスシリーズ〉。普段使いにも贈り物にも使え、同社を代表するヒット商品になった。ほぼ家族経営だった〈丸三漆器〉に6年前に新卒として入社した菊地優太さん。同社で一から技術を習得し、現在は塗師として活躍している。

岩谷堂タンス製作所 
大切なのは、続けること、伝えること、変化すること

10年ほど前に東京から帰郷して家業を継いだ〈岩谷堂タンス製作所〉の専務取締役・三品綾一郎さん。

〈秀衡塗〉と並び、もともと〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の
主要メンバーだった〈岩谷堂箪笥〉。
一関市や平泉町の北に隣接する奥州市に工房を構える
〈岩谷堂タンス製作所〉の13代目三品綾一郎さんは
現在、副会長として同イベントの運営に関わると共に、
自身の工房でも積極的に新しい取り組みを始めている。

ショールームには、伝統的な仕様から足付きの家具や照明器具など、多くの商品を実際に見ることができる。江戸時代には火事や洪水がおこると家財道具を箪笥にまとめて避難していたため、滑車がついていたというアンティークのものも展示。

工房は、大きく木工と塗りのふたつに分かれている。右手に並んでいるのは、これまで制作したすべてのタンスの寸法がわかる木の物差し。「やまびこ」など商品名が書かれていておもしろい。

小商いはスピリット!
鎌倉〈ポンポンケークス〉と
〈ザ グッド グッディーズ〉が
つくる循環の輪

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉のいまを象徴するふたつのお店

観光客で賑わう鎌倉のまちを隈なく歩いてみると、
個人経営の飲食店や雑貨店などを各所で見つけることができる。
これらのお店は、規模こそ決して大きくないが、
固定のファンを持ち、店主を中心にした多様なコミュニティが形成されている。

その営業スタイルもユニークで、
本業の傍ら、週の半分だけオープンする雑貨店から、
飲食店の一角を間借りして週末だけ現れる立ち呑み屋まで、
近年注目されている「小商い」を体現するようなお店も多い。

手づくりケーキをカーゴバイクに乗せて販売する行商スタイルからスタートした〈ポンポンケークス〉の立道嶺央さん。(photo:HIDEAKI HAMADA)

今回の登場人物のひとり、〈ポンポンケークス〉の立道嶺央さんもまた、
カーゴバイクに手づくりケーキを乗せ、
自らが育った鎌倉のまちなかで売り歩く行商スタイルが話題となり、
「小商い」を特集するメディアなどでたびたび取り上げられてきた。

一方、関西から鎌倉に移り住んだ内野陽平さんは、
当時アルバイトをしていた飲食店のスペースを借り、朝限定のカフェを始めた。
そして、立道さんとの出会いがきっかけで、鎌倉駅近くの御成商店街に、
コーヒースタンド〈ザ グッド グッディーズ〉をオープンした。

鎌倉駅西口を出てすぐの御成商店街の路地裏にある〈ザ グッド グッディーズ〉。

その2年後には、立道さんが鎌倉中心部から離れた梶原エリアに
〈ポンポンケークス ブールバード〉を、さらに2018年には、
お店で使う食材や道具などを販売する〈ポンポンパントリー〉を、
そのすぐそばにオープンしたばかりだ。

移動販売、朝限定のカフェからスタートし、
いまや鎌倉のまちに欠かせない人気店を営むに至ったふたりに話を聞いた。

鎌倉駅からバスに15分ほど揺られると、ポンポンケークス ブールバードがある梶原エリアに到着する。

徳島県三好市の古民家・
空き家再生プロジェクト10選。
Iターン移住者が選んだ、
実践的リノベーション

三好では、大自然のなかの古民家が人気

三好市という市は知らなくても、
“池田町”や“祖谷(いや)”、“大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)”といった地名は
聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
徳島県三好市は、徳島の西側、四国の中央付近に位置し、
四国のどこのエリアに行くにも便利なまちです。
古くは、たばこ産業で栄え、賑わっていましたが、
産業の衰退とともに、空き家も増えてきました。
しかし一方で、その空き家を利用する移住者も現れ、
市民の憩いの場として、旅行者の旅の要所として、
そして移住希望者が立ち寄る拠点として、
空き家を上手に活用しているという印象が強いのが、ここ三好市です。

そこで、今回は徳島県三好市のIターン移住者である私が選んだ、
三好市の古民家・空き家再生プロジェクト10選を
古くから営んでいる順にご紹介します。

1 古民家宿 空音遊

自然菜食と田舎暮らしの古民家宿〈空音遊(くうねるあそぶ)〉。
築90年の古民家にコツコツと手を加えて再生。
移住の先駆けであり、日本で最初にできた古民家ゲストハウスとも言われています。
何より主人「のりさん」の話を聞きに宿泊するリピーターが多く、
人の生き方や暮らしの講義なども行っているとのこと。
また奥様のつくる菜食の食事が人気で、
このために世界中からやってくるお客さんも多いそうです。

information

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空音遊

住所:徳島県三好市西祖谷山村榎442

TEL:080-6282-3612

http://www.k-n-a.com/

2 モモンガビレッジ

築100年の古民家をセルフビルドでリノベーションした
トトロの家のような宿〈モモンガビレッジ〉。
祖谷大歩危観光や吉野川のラフティングに便利な場所にあり、
目の前を山や川に囲まれた昭和レトロな雰囲気が残る山里で
理想の休日が満喫できると定評のあるゲストハウスです。
ラフティングガイド歴20年近いオーナーが在籍していた
ラフティング会社の寮だった場所が、移転のため空くことになったため、
そこでゲストハウスをやろうと思い立ち、
2008年にモモンガビレッジがオープン。
年間2000人の宿泊者があり、そのうちの8割が外国人で
海外にもファンを着実に増やしています。

information

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モモンガビレッジ

住所:徳島県三好市山城町信正1153

TEL:0883-86-2334

http://momonga-village.com/

3 四国ゲストハウス おさかなくん家

築60年の古民家を改装したゲストハウス。
大阪生まれのオーナーの西坂洋樹さんが2007年に三好市に移住したのは、
リバースポーツのラフティングがきっかけで、
三好の大自然に魅力を感じ、移住することになったのだそうです。
西坂さんが感じた「ラフティング」と「自然」の魅力を
多くの人に伝えたいという気持ちから、古民家を利用した宿泊施設をスタート。
土壁の補修、漆喰塗り、古い蛇口の再利用、木目を生かした家具類、
五右衛門風呂など、改修は長い道のりでしたが、
手作業だからこその思い入れと愛着があります。

information

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四国ゲストハウス さかなくんち

住所:徳島県三好市山城町大月32

TEL:0883-86-2086

https://www.osakanakunti.com/

4 なこち LIFE SHARE COTTAGE

四国のまんなかの山奥、
徳島県東祖谷落合集落(重要伝統的建造物群保存地区)にある
食堂併設の交流スペース。
在住者と来訪者の垣根なく交流を楽しめるさまざまなイベントの開催や、
展示、体験プログラムなどを不定期で開催しています。
また、ここでは祖谷の旬の素材を使った食事と喫茶が楽しめます。
主に祖谷産のジビエ(猪肉・鹿肉)や、かたくて濃い味が自慢の石豆腐、
身のしまった小さなじゃがいも・ごうしいもなど、
旬の地場産食材を使用した料理を提供しています。
朝食のセットメニューは、事前予約制。
三好に来たら一度は味わっていただきたいです。

information

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なこち LIFE SHARE COTTAGE

住所:徳島県三好市東祖谷落合252

営業時間:10:00〜17:00

定休日:火・水・木

http://nakochi.jp/

5 スペースきせる

刻みたばこで栄えた三好市池田町で、
NPO法人マチトソラが管理する〈スペースきせる〉。
元呉服屋だった築150年の古民家をセルフリノベーションしたスペースです。
毎週金曜日には移住コンシェルジュによる、滞在中のおすすめプランの提案、
地域情報の提供、移住後の暮らしについての相談などが
行われていているほか、月一で地域おこし協力隊の加藤さんが
三好市の素材を活かした和菓子を販売しています。
徳島県内外からこだわりの食や
物品が集まるイベント〈うだつマルシェ〉
池田ジャズ横丁などの会場としても広く活用されています。

information

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スペースきせる

住所:徳島県三好市池田町マチ2467-1

TEL:050-3476-1769

営業時間:毎週金曜日 10:00〜16:00(月一和菓子の日は10:30~売り切れじまい)

https://www.facebook.com/spacekiseru/

7年前の今日、 東日本大震災が発生しました。

7年前の今日、東日本大震災が発生しました。
“復興”に終わりはなく、今も被災地では仮設住宅入居者が
約20,000人(2017年現在)も残っているなど、
震災前の生活を取り戻せない人がたくさんいます。
震災を風化させず、継続的な支援を行うために……。
東日本大震災にまつわる現在進行型のプロジェクトたちをご紹介します。

全額寄付される日本酒〈特別純米生原酒 3.11 未来へつなぐバトン〉

こちらは、宮城県大崎市の酒蔵〈一ノ蔵〉が作るお酒、
〈特別純米生原酒 3.11 未来へつなぐバトン〉。
宮城県内で環境に優しい農業を行っている農家より購入した
原料米「蔵の華」を100%使用し、蔵人達が心を込めて醸した特別純米生原酒です。
この商品の売り上げの全額は、被災した子供たちへの支援基金「ハタチ基金」に寄付されます。
お値段は720mlで1,617円(税込)。購入はネット通販にて。

このお酒は、〈一ノ蔵〉で行っている
「未来へつなぐバトン 醸造発酵で子供たちを救おうプロジェクト」
の取り組み。「ハタチ基金」とは、東日本大震災時に0歳だった赤ちゃんが、
無事にハタチを迎えるその日まで、子供たちのサポートを継続的に行う
期限付き基金です。

「ハタチ基金」の支援の方法は、毎月の継続寄付と、
都合の良い時に、ご自由な金額を寄付する方法があります。
どなたでも、こちらから募金を行うことができます。

福島の漁業の現状を描く「ふくしまの海は、負けない。」

こちらは、福島県が公開した、福島の水産業の現状に
フォーカスしたWeb限定ムービー「ふくしまの海は、負けない。」

2011年3月11日。東日本大震災で福島の漁業は大きなダメージを受けました。
多くの船は津波で流され、漁港は、10港すべてに被害が及んでいます。
さらに、福島第一原発の事故の影響で、船があっても漁に出られない日々が続きました。
それでも、負けず嫌いな漁師たちは海と向き合うことをやめませんでした。

震災から1年3ヶ月が経った2012年6月、ついに試験操業を開始。
モニタリング検査で安全性が確認された魚種と海域に限り、
漁ができるようになりました。当初は3種のみだった漁獲対象種も、
2017年末の時点で、出荷制限魚種を除く全ての魚介類(約170種)に。
本操業に向けて、着実に歩みを進めています。

福島県が、東日本大震災翌年の2012年から公式YouTubeチャンネルに
アップロードし続けてきた公式動画は、1,400を超えます。
スペシャルサイト「FUKUSHIMA NOW」にて視聴できるので、ぜひチェックを。

東京・中野の中野マルイにて「高校生百貨店」開催

2018年3月17日(土)・18日(日)の2日間にわたり、
東京・中野区の〈中野マルイ〉にて、「高校生百貨店」が開催されます。

これは、東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻地域(宮城県石巻・女川・東松島)の
魅力ある商品を販売するポップアップショップ。
高校生がバイヤーとなり発掘した商品を、
生産者の想いや背景に触れ、販売会にて発信します。

東日本大震災以降、多くのお店や企業が事業を
再スタートさせて、地元の魅力が詰まった商品が溢れる石巻地域。
『高校生百貨店』が生産者の代わりに販売することで、
販路の拡大や商品のPRにつなげようという試みです。

「石巻を元気にしたい!!」との想いで作られた〈いしのまきのさんまカレー〉や
〈くじらの大和煮缶詰〉、〈ISHINOMAKI IPPINサバトマト煮〉など、
美味しいものがたくさん! 店舗の詳細は公式サイトにて。

いしのまきのさんまカレー、くじらの大和煮缶詰(高校生デザインラベル)

嬉野茶時(うれしのちゃどき)は 「食す」「飲む」「観る」 の三位一体が新しい! 極上のティータイムを体験

嬉野茶を飲んで、食べて、観て楽しむ

「嬉野茶」「肥前吉田焼」そして「温泉(宿)」。
佐賀県嬉野市はこの3つの伝統文化が息づく唯一無二の舞台です。

〈嬉野茶時 うれしのちゃどき〉は、この伝統を重んじ、
時代に合わせて新しい切り口で、「食す」「飲む」「観る」という空間を生み出し、
嬉野に住む7人の茶農家が、究極のもてなしをするプロジェクトです。
さらに、プロジェクト関係者全員が嬉野に暮らしているということで、
“メイドイン嬉野”、“嬉野から発信をしていく”という意気込みを感じます。

普段は佐賀県嬉野の和多屋別荘、旅館⼤村屋でのみ提供されている
嬉野茶時のティーセレモニーを、東京で体験できるとあって、
インターコンチネンタル東京を訪れました。

釜炒り茶発祥の地と呼ばれる嬉野。
霧深い山々に囲まれた盆地で、
澄んだ空気と清らかな水に恵まれたこの地だからこそできる、
甘みとうまみが凝縮された一杯は、
「こんなにも普段飲んでいるお茶と味が違うのか」と驚きの体験でした。

このお茶を淹れて、サーブしてくれたのは、
嬉野で茶葉の栽培をする副島園の副島仁さんほか、若手の茶農家・茶師の7名。
今回のティーセレモニーは、この7名が代わる代わる、
客前でお茶を淹れていくスタイルです。

茶葉を計る、茶釜で湯を沸かす、湯冷ましに湯を入れる、茶器を温める、と
普段の茶の淹れ方とは明らかに違う、むしろ省略してしまっていたような動作ですが、
そのすべての所作が茶の味を決めるのだと知りました。

茶葉を急須に入れ、適度に冷ました湯を注ぎ、若干の蒸らし時間を経て、器へ。
最後の一滴が最上のうまみと言わんばかりに、落ちきるまで急須をやさしく振り、
やっと一杯がサーブされます。

この所作を繰り返し、ひとりひとりに丁寧に淹れてくれるので、
“あなたのために淹れたお茶です”というメッセージを感じられ、
受け取った側も皆、お茶の味を噛みしめるようにいただいていたのが印象的でした。

茶殻も強い香りを放っていました。一人前でこれだけの茶葉を使うのだそう。

副島園の副島仁さん。

燕三条のものづくりをリードする
〈玉川堂〉。1枚の銅板から
どうやって“急須”をつくる?

革新を繰り返すことで伝統を守る!

金属加工が有名な燕三条エリアは、
最近では、地域産業活性化のモデルケースのように語られることも多い。
なかでも2013年から行われている〈燕三条 工場の祭典〉は、
多くの工場が開放される催しで、たくさんの訪問客を全国から集めている。
創業202年。鎚起銅器の老舗として、
さまざまな取り組みをリードしているといえるのが〈玉川堂(ぎょくせんどう)〉だ。
過去にそのイベントにも参加したことがある
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの菅原晃さんとともに、
〈玉川堂〉を訪ねた。

〈玉川堂〉7代目の玉川基行さん(左)と、〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの菅原晃さん(右)。

〈玉川堂〉は創業202年。7代目にあたる現当主、玉川基行さんは、
大学卒業後、すぐに〈玉川堂〉に入社した。

「私が入社した頃は、バブル崩壊後で、経営はかなり厳しい状況でした。
だから先代である父親からも、『すぐに営業をしてほしい』と頼まれました」

本来は一定期間、社会で揉まれてから家業を継ぐつもりだったが、
そんなことを言っていられない切羽詰まった状況だったようだ。

当時、玉川さんが課題だと感じていたのが、
エンドユーザーであるお客様の声が聞こえてこないこと。
その理由は、中間業者が何社も入っていることだ。
さらに当時は新潟県内の贈答需要がほとんどで、
“自分で好んで買う”ものには至っていなかった。

「かつては、正直に言って、職人のひとりよがりで製作していた部分もありました。
お客様の声が聞こえてこないと、何をつくっていいかのわからないのです。
そこで百貨店に飛び込みで営業し、催事などをなんとか取りつけていきました」

銅板を打ち出し、丁寧に磨かれた〈玉川堂〉の看板。

そうすることで、お客様と直接的に触れ合うことができるようになる。
“中間業者を経由しない”。
言葉にすると簡単なことだが、地域で長く事業を行っていればいるほど、
それを実現するのは難しくなるだろう。
幸いなことに、当時の玉川さんは“社会を知らなかった”。

「よく考えれば、商売道徳上、そう簡単なことではありません。
しかし当時の私は、若さゆえ何も知らない。だからこそ実現できたこと。
父だったら、絶対にできませんよね」

玉川さんはこうして危機を乗り越えていった。
7代続くなかには、各代で倒産の危機があったようだ。
しかしそのたびに、新しいことに挑戦してきた歴史があるという。

「200年以上も継続してこられたのは、
“伝承”ではなく、“伝統”の気持ちがあったからです」

ここで、玉川さんの考える「伝承」と「伝統」の違いを説明する。
「伝承」とは先代と同じように受け継ぐこと、引き継ぐこと。
一方、「伝統」とは、革新の連続のこと。
新しいことに挑戦してこそ、伝統は続いていくという。

この革新の部分を担っているのが、終業以降の工場の開放であるという。
仕事は17:30に終わり、それ以降は職人が工場を自由に使用していい。
ここで行われるのは、練習、修業、商品開発。
自分のやりたいことに没頭できる時間だ。
仕事中はあくまで職人であるが、この時間は作家の感性が目覚める。

銅を叩くことが〈玉川堂〉のアイデンティティ。

雪に覆われても雰囲気のいい〈玉川堂〉本店。

宮崎県えびの市MV 『忘れられない歌』 高校生と曽我部恵一、Boseらが つくった本当に忘れられない歌

宮崎県えびの市の高校生たちとサニーデイ・サービスの曽我部恵一さん、
スチャダラパーのBoseさんら豪華クリエイターがコラボし、
MV『忘れられない歌』をつくりました。

都会の夜、ひとりの女性がタクシーに乗り込むと、1通のメールが届きます。
開いてみると、そこには田園風景や高台から見える山々、
高校生たちの写真が映っていました。
そして1両編成の列車に乗って向かった先は、宮崎県えびの市の「えびの」駅。
人気が少ない駅、錆びついた看板、広々とした田んぼ。
もしかしたら、えびの市出身の方じゃなくても
なつかしさを覚えてしまう風景ではないでしょうか?

このMVは「霧島山の めぐみ めぐる えびの 山と水、米と肉。温泉と四季のまち。」を
キャッチコピーに掲げる宮崎県えびの市が
シティプロモーションの一環で企画したもの。

歌詞は生徒の皆さんから生まれたアイデアをもとに、
曽我部恵一さんと Boseさんがつくり、楽曲は曽我部さんが制作。
等身大の高校生たちの言葉とアイデアが、みずみずしい楽曲を生み出しました。

映像には、ワークショップに参加した生徒たちも出演しているそう。
主演は、宮崎県出身の女優、工藤綾乃さん。
都会で暮らす20代の女性と、高校生、子供を持った30代の3役を見事に演じています。

いなべ市と連携し、映像制作。
再発見した移住先の魅力とは?
ビデオグラファー
ウラタタカヒデさん

まちの魅力は「いいかげん」!?

「いいかげん」という言葉には、
ご存じの通り「ちょうどよい」と「でたらめ」という相反する意味がある。

文脈や受け取る側の印象によって、どちらにも取ることができてしまうわけだが、
三重県いなべ市は大胆にもこの言葉をテーマにプロモーションビデオ(以下、PV)を
つくってしまった。

(いなべ市プロモーションムービー『いいかげんな街 いなべ』より)

『いいかげんな街 いなべ』は、いなべの魅力を市内外に広くPRすることを目的に、
官民協働で制作されたPVだ。
撮影・演出などを担当したビデオグラファーのウラタタカヒデさんは、
愛知県弥富市の出身で、いなべに移住してきたのは7年ほど前。
それ以前は名古屋や京都にも住んでいたことがあり、
いなべにやってきたのもたまたまで、特にこだわりはなかったようだ。

「20代のときはスノーボードに夢中になって、冬場はずっと山にいて、
夏はスノーボードの練習施設で働くような生活をしていたのですが、
映像に興味を持ったのもスノーボードがきっかけでした。
最初は見よう見まねで撮影していたのですが、
サラリーマンをしながら知り合いの下で修業させてもらい、
3年前に会社をやめて独立したんです」

ビデオグラファーのウラタタカヒデさん。

移住してしばらくの間は、いなべに知り合いがほとんどいなく、
遊びも仕事も市外に出かけていて、なかなか地域に入り込む機会がなく、
意識も外に向いていたというウラタさん。

「映像の仕事に関しても、いなべには何もつてがなかったので、
修業させてもらった四日市界隈や伊勢のほうによく行ってました。
それで外の地域のプロモーションに関わらせてもらったとき、ふと思ったんです。
せっかくいなべに住んでいるのだから、僕自身ももっと知りたいし、
いなべをアピールしなきゃいけないんじゃないかなって」

今ではすっかり、地域と深くコミットしているように見えるが、
市民や行政とともに、一体どんなPVをつくったのだろう。
そして自分の暮らすまちに対する新たな発見はあったのだろうか。

藤原町古田地区で、田園風景を撮影するウラタさん。(写真提供:いなべ市役所)

「いいかげん」の裏にあるもの

「いいかげん」という言葉に込めた思いを、
いなべ市企画部広報秘書課の伊藤淳一さんは、こんなふうに説明してくれた。

「いなべは何もないところだと思われがちですし、実際に田舎なんですけど、
都会からもほどよい距離にある。
田舎過ぎず、都会過ぎないちょうどよさを打ち出したいと思いました。
官民協働というのも今回の大きなテーマで、
市民のみなさんに出演していただいていますし、
市内唯一の高校であるいなべ総合学園の放送部の生徒さんが、
メイキングムービーをつくっているんです」

いなべ市役所の伊藤淳一さん。

今回の映像の舞台となった3地区のひとつ、藤原町鼎(かなえ)地区。中央にあるのは映像にも登場する地域拠点〈○鼎家〉(かなえハウス)。(いなべ市プロモーションムービー『いいかげんな街 いなべ』より)

たしかにいなべには、全国的に有名な観光スポットもないし、
自然は豊富だけれどもそのスケールが突出しているわけでもない。
だけど、暮らすうえではその「何もなさ」がむしろちょうどいいのかもしれない。

「『いいかげん』というキーワードを行政の方から聞いたとき、
単純におもしろいなと思いました。だけど、
それを表現するのって実はすごく難しい。だって住んでいる人たちにしてみれば、
『自分たちはいいかげん(でたらめ)に暮らしているわけじゃない』
と思うのは当然じゃないですか。どうやって映像にしていくべきか悩んだのですが、
市役所の加藤さんを主役にすればいいと思ったんです。まさか本当に、
その案が採用されるとは思わなかったけど(笑)」(ウラタさん)

取材のこの日、映像制作に携わったメンバーに〈○鼎家〉に集まってもらった。

北海道・神恵内村と岩内町で始動。
ウニ養殖が未来の海を変えるかも?
天然と変わらないおいしさへ

試行錯誤で成長中! 2年目のウニ養殖

ウニといえば、北海道・積丹半島の夏を代表する高級食材。
しかし積丹半島の神恵内村と岩内町では、最近は冬でも食べられるらしい。
なぜならばウニの養殖に乗り出しているからだ。
2016年度から本格的に事業として乗り出し、2回目の冬を迎えた。

ウニ養殖の背景には深刻な「磯焼け」がある。
磯焼けとは、水中に生えている昆布などの海藻が生えてこない状態のこと。
その磯焼けをもたらしている要因のひとつが、ウニである。
本来は水温が下がり、ウニが昆布を食べない一定期間があるのだが、
年々高くなる水温が原因でウニの活性が収まらず、
昆布が生育する前の芽を食べてしまうという。
すると昆布がそれ以上育つことなく、「磯焼け」状態になってしまう。

海の中に昆布が生えていないと、海中の栄養状態も良くなく、
またニシンをはじめとしたさまざまな魚が産卵する場所がなくなり、
魚が戻ってくる場所がなくなってしまうのだ。
年々、漁獲量が減少している理由のひとつともいえる。

養殖ウニの引き上げ、ウニ剥きは冬に行うので雪があって当然の状況。

そこで、海中のウニを適正な個体数に戻すように試みることになった。
夏の通常のウニ漁が終了した後、過剰なウニを駆除する。
ただし廃棄するのではなく、その後に養殖していくことで
商品価値を高められる。後志地区水産技術普及指導所の調査・試験により、
養殖が可能だということがわかり、
神恵内(かもえない)村と岩内町が実際にウニ養殖に乗り出した。

とはいえ、まだ2年目。ウニ養殖は、全国的にも例が少ない。
どうすれば効率よく身入りがよくなるのか、
さまざまな実験を繰り返している試験段階でもある。

養殖ウニにエサを与えに出発。(岩内町)

ウニの養殖って?

まず、夏のウニシーズンが終わった9月、磯焼けしている漁場から
ウニをとってくる。この時期のウニは産卵を終え、
身がない状態なので商品価値はない。これをカゴにいれて、餌を与える。

ウニのカゴを力を合わせて引き上げる。(岩内町)

カゴも漁師たちの手づくり。直径60センチ×2メートル程度の円筒型カゴで、
現在はひとつのカゴに300個程度のウニを入れているが、
実際に何個入れれば効率的か、それも試験段階。

エサとなる昆布を運び込む。(神恵内村)

エサは昆布である。基本的に週2回程度与えている。
もちろんシケなどで海に出られないこともある。
養殖とはいえ、自然相手なことに変わりはない。
これも量、回数、間隔など給餌方法を少しずつ変えながら比較検討している。
積丹半島エリアは、昆布が水温の上昇とともに枯れてしまうため、
秋以降は使えない。そこでマコンブという昆布自体も養殖することにした。

カゴにエサを投入。(神恵内村)

昆布をエサとして与えるときは、
一度ボイルした昆布を冷凍しておき、適宜、与えている。
9月から12月まで養殖し、年末商戦に合わせた出荷を目指す。

一度ボイルし冷凍した昆布をエサに使用。(岩内町)

まだまだ試験的なことが多く、さまざまなパターンをデータとして記録しておく。(神恵内村)

〈JAPAN BRAND FESTIVAL 2018〉 日本生まれのジャパンブランドと つながる・広がる3日間! 原 研哉氏らの パネルディスカッションでは 海外の日本発信拠点 「ジャパン・ハウス」からの 新発表が!

日本には、全国各地に伝統を受け継ぐすばらしい技とプロダクトがあります。
2018年3月2日(金)〜4日(日)、東京・渋谷にて、
そんなジャパンブランドの未来をつくる人たちがつながり・広がるお祭り
〈JAPAN BRAND FESTIVAL 2018〉が開催されます。
また、2日(金)18:00からは外務省が手がける「ジャパン・ハウス」の
新たなプロジェクトの事業発表会が行われます。

JAPAN BRAND FESTIVALが目指すのは、
ここに出かければ何かがつかめる・何かがおこる場所。
3日間のあいだ、渋谷ヒカリエの8/ COURTとCUBEが
さまざまな人たちが組織や立場を超えてつながり、
新たな可能性を生み出していく「楽市楽座」に変わります。

期間中には、どなたでも参加できるトークセッションやプレゼンテーション、
アイデアソン、ハッカソン、展示を開催。
「実現したい」という思いや「課題を解決したい」という思いに応えるそう。

ものづくりに携わる方、これからジャパンブランドをつくっていきたいという方は
参加してみてはいかがでしょうか?

トークイベントで地域がつながるイメージを共有

本イベントのメインプログラムは、プラットフォームメンバー
19組によるトークセッションとプレゼンテーション。
それぞれの取り組みや展望を共有し、つながるイメージを具体的に共有することで、
ひとつでも多くのコラボレーションを生み出していくことを目指します。

初日の3月2日(金)は、ロフトワークの二本栁友彦さん、
カルチャージェネレーションジャパン堀田卓哉さんが登壇し、
オープニングセッションと記者会見、懇親会を開催。
2016年にスタートしたJAPAN BRAND FESTIVALの活動を振り返り、
今後の展開についても語ります。

このほかにも、丹波篠山が起こす農村イノベーション
「丹波焼・王地山焼の匠の技と篠山の美しい暮らし」や
徳島でLEDや⽊⼯、⾦属を活⽤し、海外デザイナーとともに
プロダクト製作に取り組んでいる〈Blue2@Tokushima プロジェクト〉による
「Blue2Tokushima - ジャパン・ブルーを世界へ」、
パリ市と京都市による「6年間にわたる協働の軌跡」など、興味深いプログラムがたくさん。
トークセッションの終了後には交流会も予定されています。

初日には「ジャパン・ハウス」の活動に関するトークセッションを開催

2日(金)18:00からは外務省が手がけるジャパン・ハウスの地域に焦点を当てた
新たなプロジェクトの事業発表会を開催。
ジャパン・ハウス総合プロデューサーである原 研哉さんが登壇して事業内容を発表します。

ジャパン・ハウスとは、外務省により立ち上げられた対外発信拠点。
日本の多様な魅力を発信しながら、
親日派・知日派の裾野を拡大していくことを目的としています。
昨年開館したサンパウロ、ロサンゼルスに続き、
年内には、ロンドンにもオープンすることが決定しています。
そして今回、日本の魅力のひとつとして、
地域の多種多様な姿を海外に積極的に発信していくことを目的に、
ジャパン・ハウスが日本の地域に焦点を当てたプロジェクトをスタート。

昨年開館したサンパウロのジャパン・ハウス。写真提供:ジャパン・ハウス サンパウロ事務局 / Rogerio Cassimiro

今回のトークイベントでは原さんによる、「ジャパン・ハウスとは何か」の解説から始まり、
ジャパン・ハウスにおける地域活性化プロジェクトで連携する最初の地域として、
新潟県の燕三条地域の紹介を兼ねたパネルディスカッションをする予定。
原さんと共に新潟県三条市長の國定勇人さんが登壇し、
さらには海外の視点と日本の視点を併せ持つ、
国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんを交えて、
これからの地域活性化のあり方や、その選択肢のひとつとしてのジャパン・ハウスの活用について
議論を深める場にしていければと考えているのだとか。
地域で活動する事業者の方は要チェックです。
全プログラムの詳細はこちらから!
このジャパン・ハウスの発表の模様は、後日コロカルでもレポートします。

四街道VS北海道による フリースタイルMCバトル。 健気な反撃に好感度 がじわじわ上昇!

最近、千葉県北部に位置する「四街道」市が
圧倒的な知名度を誇る「北海道」に挑む
地域対抗MCバトルが話題になっているようです。

MC“四街道”はこちら!

その第1弾「子育て」篇では、北海道が
「子育てするなら北海道、広大な大地 マザーシップ」と戦いを仕掛けてきます。
いったい四街道はどう応えるのでしょうか。

四街道市は「子どもファースト」!
中3まで医療費無料、小中学校エアコン完備などなど、子育ての手当てが厚いよう。
四街道と北海道による戦いはまだまた続きます。

第2弾は、「ロケーション」篇。

成田空港へのアクセスの良さを強調する四街道と、
札幌、函館、富良野……と名だたる観光地名を並べる北海道。
両者の掛け合いがなんともいえません。
そして第3弾で、四街道は無謀にも「自然」というテーマで北海道に挑みます。

〈CIRCULATION KYOTO〉 ローカルメディアで どんなことができるの? 制作発表記念トークを開催!

2017年春にスタートした京都のローカルメディアをつくるプラットフォーム
CIRCULATION KYOTO サーキュレーション キョウト〉がもうすぐ1年を迎えます。

2018年3月10日(土)、ロームシアター京都で、
ついにこのプロジェクトから生まれた
山科区、伏見区、西京区、北区、右京区の歴史と文化を映し出す
ローカルメディアの制作発表会が行われます!

「まちの見方を180度変えるローカルメディアづくり」を目指して
開催されたワークショップから、どんなメディアが生まれたのでしょうか?

その土地にふさわしい“メディアのかたち”とは?

本企画のプロジェクト・ディレクターは、全国各地で発行される
フリーペーパー、本、雑誌のつくり手を
取材した『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016年)などを
手がけた編集者であり、千十一編集室代表の影山裕樹さん。
この1年を振り返って、次のようにコメントを寄せてくださいました。

「2017年4月から、紙やウェブにとらわれず、
その地域にふさわしい“メディアのかたち”を考えて来ました。
この1年、僕たち運営サイドも、参加者のみなさんも、
地域の様々な人たちと関係を築いてきました。
アウトプットも大事ですが、このプロセスとつながりこそが財産だと、
いま振り返ってみて思います。
そして、この発表会で終わりではありません。
それぞれのチームのメディアが今後、京都のまちにどう根づいていくか。
これからの第2章が楽しみです。」(影山さん)

(c) Kai Maetani

制作発表会では、トークイベントも開催。
出演者は、ディレクターチームの影山さんとアートディレクターの加藤賢策さん、
編集者の上條桂子さん、建築家/リサーチャーの榊原充大さん、
ロームシアター京都の橋本裕介さんと武田知也さんです。

〈スクール・ナーランダ Vol.3〉 東京・築地本願寺にて開催! ゲスト講師にアン・サリーさん、 入來篤史さんら登場

2018年3月3日(土)、4日(日)、東京の築地本願寺にて
現代版寺子屋〈スクール・ナーランダ〉が開催されます。

スクール・ナーランダは、浄土真宗本願寺派が主催する新しい学びの場。
僧侶の方や科学・芸術・哲学などのさまざまな分野で活躍する人たちが講師となり、
現代を生き抜く智慧を双方向に学びます。
これまでに京都の西本願寺や、富山県高岡市の飛鳥山善興寺などで開催され、
好評を博してきました。

2017年に開催された京都・西本願寺でのスクール・ナーランダの様子

東京での開催は、今回が初めて。
講師は、音楽家であり医師でもあるアン・サリーさん、
日本を代表する脳科学者・入來篤史さん、ロボット開発者の林要さん(GROOVE X)、
映画『幼な子われらに生まれ』を手がけた映画監督・三島有紀子さん、
僧侶の小池秀章さん、葛野洋明さん。

映画監督の三島有紀子さん。『NHKスペシャル』『トップランナー』などのドキュメンタリーを企画・監督。2009年に『刺青〜匂ひ月のごとく〜』で映画監督デビュー。『しあわせのパン』(2012年)、『ぶどうのなみだ』(2014年)と、オリジナル脚本・監督で作品を発表。2017年、ステップファミリーの家族の変化をリアルに描いた『幼な子われらに生まれ』(主演・浅野忠信)は、第41回モントリオール世界映画祭審査員特別賞を受賞。

脳神経科学者の入來(いりき)篤史さん。専門は神経生理学、認知生物学。ヒトの知的高次認知機能の基盤とも考えられる象徴概念形成、推論/論理思考などの萌芽的機能について研究を行っている。著書に『Homo faber道具を使う サル』(医学書院)、『言語と思考を生む脳』(東京大学出版会)など。

音楽家/内科医のアン・サリーさん。2001年のデビュー以来、オリジナルアルバムの発表の他、日本全国やアジア地域で演奏活動を行うシンガー&ドクター。紅白歌合戦テーマ曲や映画の主題歌『おかあさんの唄』、CMの歌唱なども手掛ける。2017年秋には、7年ぶり7枚目となる新譜『Bon Temps(ボン・トン)』を発表。

テーマは、“「わたしのため」と「あなたのため」のバランス”。
いまの世のなかには、自分さえよければという自己中心的な生き方をしている人もいれば、
周りの目を気にし過ぎて、窮屈に感じている人もいます。

仏教では「仏の慈悲とは他者の喜びを自らの喜びとし、
他者の苦しみを自らの苦しみとすること」と表されるといいます。
今回のスクール・ナーランダでは、
どのように「わたしのため」と「あなたのため」のバランスをとり、
社会の中で共存してゆくのかを、科学・芸術・仏教、それぞれの知見から学ぶそう。

ユニークな先生がそろっているので、あっと驚くような話が聞けるはず。
また、お寺のイメージをくつがえす自由な雰囲気にも驚かされるかもしれません。

西和賀の郷土料理「すし漬け」や
ツアーで感じる、
雪がもたらす「発酵パワー」

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回ご紹介するのは、雪がもたらす発酵文化のひとつ、「すし漬け」。
後半には2月に開催されるユキノチカラツアー2018「雪国の発酵をめぐる旅」の詳細を
お知らせしていますので、どうぞ最後までご覧ください。

魚を麹やご飯などと漬けて発酵させる「すし漬け」は、
西和賀の貴重な冬の動物性タンパク源。

これまでさまざまな「ユキノチカラ」を取り上げてきたが、
伝統的な発酵食の文化は、その中の最たるものではないだろうか。
麹によりデンプン質が糖分に分解されたあと、酵母・乳酸菌によってつくられる発酵食。
雪による低温多湿の気候は、この発酵食づくりに適しているといわれる。

しかも奥羽山系の山々に囲まれた盆地の西和賀の場合は、
一日あるいは四季の寒暖差が大きく、土も豊かで、水も空気もきれい。
今回の「ユキノチカラツアー」にも同行していただく発酵デザイナー・小倉ヒラクさんが、
「発酵に良い環境」として挙げている条件を、すべて網羅している。
西和賀の発酵文化が、今も脈々と受け継がれているゆえんだ。

近年ブームの甘酒は、アミノ酸たっぷりの発酵飲料。

そんな西和賀の代表的な発酵食が、「すし漬け」。
魚を貯蔵するためにご飯や麹、塩などと一緒に漬けて発酵させた保存食で、
西和賀の郷土料理でもある。
日本各地に伝わっている「なれずし」「飯ずし(いずし/いいずし)」と同じような料理、
といえばイメージできる人もいるだろう。
発酵により醸し出される、甘みと酸味が複雑に入り交じったその味わいは、
のどを通過しても口中に余韻が残るほど、力強い。
それだけに、好き嫌いの個人差も大きいという。

山に囲まれた西和賀の人々は、昔から隣の秋田県から魚を仕入れ、
冬の貴重な動物性タンパク源として「すし漬け」をつくり、食べていた。
この料理で岩手県の「食の匠」に認定された湯田地区出身・在住の高橋節子さんも、
母親がつくっていたことを鮮明に覚えている。
「子どもの頃、11月になると両親と一緒に隣の横手市にハタハタを買いに行ったものです。
母親はハタハタをすし漬けのほか、麹漬け、塩漬け、米ぬか漬けにしていました。
その頃はすし漬けが苦手で食べなかったですけど、
塩漬けのハタハタを焼いたものは好きで、毎朝食べていましたね」

「すし漬け」で岩手県の食の匠に認定された高橋節子さん。自宅の冷蔵庫には、塩を加えてつくる「塩麹」と、砂糖を加えてつくる「甘麹」の2種類を常備したり、もち米のおかゆに麹を加えて甘酒をつくったりと、発酵食の達人でもある。

そんな高橋さんがすし漬けを食べるようになったのは、嫁いでから。
お姑さんがつくるすし漬けがおいしく、開眼したそうだ。
ただし、魚はハタハタではなくホッケ。
昔はどの家庭でもすし漬けにはハタハタを使っていたが、
高橋さんが嫁いだ頃からハタハタが不漁で値段が高くなったため、
高橋家ではホッケなどほかの魚で代用するようになっていた。
「以来、私もホッケのすし漬けをつくるようになりました。
ほかに、サケ、イカ、生ニシン、身欠きニシン、サンマでもつくります。
ホッケを漬ける時にはカブも一緒に入れますが、
サケの時は赤カブ、イカの時はキャベツと、魚と相性の良い野菜を使います。
すし漬けは家庭料理なので、使う魚も野菜もつくり方も家によってさまざまですよ」

「食の匠」である高橋さんのすし漬けの主なポイントは3つ。
ひとつは、下漬けする時に酢を多めに使い、魚の生臭みを消すこと。
高橋さん自身が、魚の生臭さが苦手だからだという。
ふたつめは、材料を順序よく重ねて漬けること。
ホッケの場合、カブのほかに人参やフノリも使い、
それらを順番に重ねることで彩り良く仕上がる。
これは実家のお母さんから受け継いだやり方だ。
3つめもお母さん譲りで、衛生上の理由から、笹の葉を使うこと。
盛りつけた時も、笹の葉の緑で、見た目がいっそう美しくなる。

豊橋〈喜喜 よしき〉は、
“いつでもハッピーアワー”。
缶チューハイ&1000円セットで
ご機嫌な夜を!

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。

旅の醍醐味はローカル酒場!
全国おすすめ酒場探訪記  愛知・豊橋編
“豊橋LOVER”が集まる伝説の酒場とは?

豊橋市といえば愛知県東三河地方の中心都市。
東海道新幹線が停車するのはもちろんのこと、
愛知県内をくまなく結ぶ名鉄の名古屋本線終点で、
南信州の大動脈・JR飯田線や渥美半島へと伸びる豊橋鉄道の起点。
名産品の〈豊橋ちくわ〉が広く知られるようになったのも、
昭和初期に話題になった豊橋駅での立ち売りから。
いかにも交通の要所として栄えたまちというイメージです。

今回の案内人は豊橋市役所の吉開仁紀(よしがい・まさのり)さん。
まず案内してくれたのは「豊橋筆」の工房でした。
豊橋は奈良や熊野町(広島県)と並ぶ筆の産地で、
書道用の高級筆は全国生産量の約7割を占めているとか。
吉田藩の頃から続く伝統工芸品ですが、
豊橋市民でもその存在を知らない人が多いそうです。

中西由季さん、川合福男さん、吉開仁紀さん

川合福男さん(中)は豊橋に13名いる伝統工芸士のひとり。
豊橋筆の特徴は、分業をせず、原毛の選別から最後の仕上げまで
36工程を職人ひとりが手掛けること。
すべて緻密な手作業ばかりで、一人前になるには20年以上かかるそうです。
それだけに、書き心地、墨の含みが大量生産品とは全然違う。
あまりにも知られていないのはやはり残念だと川合さんは話します。

作業中の川合さん

そんな川合さんの希望の光が、8年前に弟子入りした中西由季さん(左)。
中西さんは伝統工芸大学校(京都府)で金属加工を専攻。
卒業後に伝統工芸が地元にあることを知り、何度も断られた末の弟子入りだとか。
豊橋全体でも20代の筆職人はふたりだけ。
しかも職人は男だけという慣習を打ち破った初の女性職人です。

「中西が一人前になるのを私は見届けられるかわからない。
せめて彼女が安心して働き続けられる環境を」
将来を案じる川合さんの言葉に吉開さん(右)は共感。
さらに、豊橋筆を知ってもらうだけではなく、
技の継承という未来を見据えた新たな挑戦を提案して川合さんは快諾。
“子どもを洗う世界一やさしい筆”をつくる
〈福筆 Fukufudeプロジェクト〉がスタートしました。

きょうのローカル酒場〈喜喜(よしき)〉は、そんな吉開さんのとっておきの一軒。
線路と道路の高架脇で周辺は真っ暗ですが、
夜空をバックに巨大な看板が招くように輝いています。

〈喜喜 よしき〉の看板

映画『おだやかな革命』公開! 「エネルギー自治」から始まる 「幸せな経済」とは?

もし、この瞬間に大きな災害が起こったとして。
当たり前のように身近にあったはずの、
電気・ガス・水道・便利なライフラインが一切機能しなくなったら。
それらの復旧が困難な状況だとしたら。

そういった状況は、生涯に1度や2度、訪れるかもしれません。
忘れもしない東日本大震災、2016年の熊本地震、水害、噴火、豪雪など、
大小さまざまな災害や危機が、毎年のように日本各地で起こっています。

もしあなたがそれらの当事者なら、どうやってその状況を乗り越えますか? 
行政や大きなシステムに頼りっぱなしでしょうか? 
そもそも、あなた自身は“生きていく力”を備えていますか?

映画『おだやかな革命』を観ていると、
そんな問いかけをされているような気がします。

2012年、在来作物をテーマにしたドキュメンタリー映画
『よみがえりのレシピ』で話題を呼んだ渡辺智史監督の
新作映画『おだやかな革命』が、まもなく公開となります。

本当の豊かさを取り戻すために、自立を始めた4つの地域の物語

岐阜県の石徹白(いとしろ)地区に移住し、地元に伝わる伝統的な暮らしを実践する平野彰秀さん、馨生里さん夫妻。

東日本大震災の被災者や、各地の移住者がスタートさせた
「エネルギー自治」への取り組みと、その先に待っていた
「地域の新しい姿」を追ったドキュメンタリー映画『おだやかな革命』。

太陽光発電、小水力発電、身近にある資源活用など、
持続可能な再生エネルギーの導入や、事業の発足は、
地域が抱える切実な課題をクリアするきっかけや、成功事例となりつつあります。

4つの地域にフォーカスをあてたこの映画では、
エネルギー事業に関わる人々の想いや取り組み、暮らしのアイデアが記録されています。

岩手〈平泉五感市〉
“実演”から“体験”へ。
東北の新しい工芸イベント

平安より伝わる漆と彫金が美しい奥州市の〈岩谷堂箪笥〉、
同市の水沢地域でつくられてきた南部鉄器、
そして、平泉町を中心につくられてきた
伝統的な漆器〈秀衡塗〉(ひでひらぬり)……。
実は国内外に広く知られる多くの伝統工芸の工房が集まる岩手県南地域。
昨今業界の継承者が減っていく中、ここに拠点を構える若き職人たちが集い、
これからの伝統工芸や職人のあり方を模索しチャレンジしている。
その取り組みのひとつが、現場さながらの工芸体験ができる〈平泉五感市〉だ。
進化する伝統工芸職人たちが込める思いとは?

同地域との関わりも深いプロダクトデザイナーの石田和人氏による五感市のロゴ。イベント当日は、この「五」のマークに目を惹かれ、平泉観光に訪れていたお客さんも多く足をとめていた。

自らで未来を切り開くために

「各工芸の体験、職人による直接販売、品物を試用する、
芸術やデザインの勉強会などを通じて、岩手の工芸を五感で感じてもらうイベント」
として2016年に立ち上がった〈平泉五感市〉。2017年も10月14日・15日に
平泉の漆器工房〈翁知屋〉(おおちや)を会場に開催され、
岩手県内外からたくさんのお客さんが集まった。
工芸体験のほかにも、旬の郷土料理や各社の美しい工芸品も販売された。

伝統工芸の体験は、翁知屋の中庭、ショールーム、蔵の3会場で行われた。1日3社ずつ2日間に渡り合計6タイプの工芸体験をすることができた。

「2016年以上に人が集まり、ホッとしましたね。
リピーターの方も多く、我々の活動が少しずつ認知されてきたのかなと思います。
やっぱり直接お客さんと触れ合えるのはうれしいし、刺激になりますね」

そう話すのは、平安時代に平泉を拠点に栄華を極めた
奥州藤原氏ゆかりの技を受け継ぐ、漆器〈秀衡塗〉を150年以上もの間伝承し、
国内外から高い評価を得てきた翁知屋の4代目・佐々木優弥さん。
同イベントを主催する〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の前会長で、
若き伝統工芸職人たちの中心となり、
その立ち上げからプロジェクトを主導してきた。

佐々木優弥さん。翁知屋のショールーム2階の工房にて。

皇太子殿下への献上品や伊勢志摩サミットのG7各国首脳への贈呈品、
世界で活躍するデザイナー、マーク・ニューソン氏の作品への参加、
ミラノサローネへの出展、大手プロダクトメーカーとのコラボ……。
伝統の技術を生かしながらも全国のジャンルが違う職人仲間やデザイナーとの共作で
数々の作品を発表してきた佐々木さんは、伝統工芸の今を牽引する職人のひとり。

伝統的な秀衡塗から現代的なデザイン性の高いものまで、時代のニーズに合わせて広がった翁知屋の商品。

これからの時代にあった“職人の共通言語”とは

さまざまな仕事を手がけるなか、
岩手の伝統工芸業界への危機感を感じた佐々木さんは、
まず、もともとあった〈いわて県南エリア伝統工芸協議会〉の会長と交渉し、
次世代の若い経営者中心の組織に組み替えた。

「近年、富山や新潟辺りだと、
異業種工芸の職人たちが連携して工芸観光イベントを仕組んだり、
さまざまな商品を地域内の異業種間で開発したり、
“産地”として集団で攻めている流れがあるんです。
例えば職人を抱える事業者は若手デザイナーのデザイン案を商品化し、
売れたらデザイナーにロイヤリティーで還元。
若手デザイナーは自分のデザインを製品化でき、売れることで市場感覚が身につく。
事業者にとっても、初期投資を抑えて今までとは違うデザインの商品ラインを
揃えることができるという、今の時代にフィットするような試みを始めている。

それを目の当たりにしてきて、
『ちょっと岩手は遅れているぞ』という思いがありました。
もともとは秀衡塗・南部鉄器・岩谷堂箪笥の各事業者組合の
合同事業者組織として立ち上がったいわて県南エリア伝統工芸協議会は、
半ば休眠状態の組織になっていた。
そこで、僕たちの世代が中心になって、伝統工芸品製造事業所以外にも
県南地域の手工芸品を製造する企業も仲間にして、
新組織としてリスタートさせたんです」

北海道・岩内町〈石塚水産〉
漁師メシ発、絶品あわびの塩辛。
元バンドマンの販売戦略

肝もそのまま! 鮮度が命のあわび製品

積丹半島の秋を感じる海産物といえば、あわびといくら。
岩内町にある〈石塚水産〉でも、秋から冬にかけて、
あわびやいくらの加工品が最盛期を迎える。
特に同社の “あわびの塩辛”は、元は漁師飯から生まれた本場のおいしさ。
その製造過程を見せてもらいながら、
さらに、元バンドマンという経歴をもつ現社長が考えた、
販売戦略についても話は広がった。

まずは、あわびの加工現場を見せてもらった。

「あわびのシーズンは、9月末から12月まで。
一番いいのは11月〜12月頃ですね」と教えてくれたのは代表の石塚貴洋さん。

「いつも岩内町にあるあわび専門業者から仕入れています。今朝入荷したのは、
岩内から少し南に行ったところにあるせたな町のあわびです」

積丹半島周辺のあわびは、日本海側全般に棲息している
「黒あわび」の北方亜種とされる「蝦夷あわび」。
水温が低い地域で育つのであまり大型化しないが、その代わり、
身がギュッと締まって味や風味が濃いという。

石塚水産代表の石塚貴洋さん。

最初にあわびをサイズごとに分けていく。
大きめのものはやわらかさもそのまま味わってもらうために
お刺し身のようにスライスして〈お刺し身あわび〉に加工する。
小さいものは、逆にコリコリした触感を楽しめるので〈あわび塩辛〉に向いている。

まずあわびの殻をスプーンを使ってむく。

塩辛になるあわびは、塩で揉んで汚れなどを取り、水洗いする。
これを数回繰り返す。塩もみの効果ですごくコリコリになるという。
そして昆布とからめて重しを乗せ、
6時間ほど漬ける。すると水も抜けてギュッと締められていく。

塩もみをして汚れやぬめりなどをていねいに取る。

塩辛用はひとくち大に切る。

おいしさの秘密

「あわびはすごく足が早い。手の温度でもすぐにダメになってしまいます。
だから手早く作業しなくてはなりません」

この日作業していたのは石塚さんのお母さんである美雪さんと従業員の2名。
小さい規模ながら、ふたりとも集中していて作業が素早い。
加工場もとてもきれいに整理整頓されている。

「市場からの輸送中にダメになってしまうことがあるくらい、
あわびは温度管理がシビアです。実は夏場でもとれますが、
気温が高いのでとりません。うちくらいの規模だと、
その日のうちに届かないと鮮度が落ちてしまいます。
漁場が近くにあるまちだからできることです」

コンパクトできれいな作業場。

石塚水産の〈あわび塩辛〉の特徴は、肝が入っていること。
積丹地域では、肝のことをウロという。

「あわびのウロを固形状のまま生鮮加工品で使っているのは、
おそらく全国でも当社だけではないでしょうか。ウロがいちばん足が早いんです。
だからウロがそのままプルンと入っているのは鮮度のいい証です」

あわびと昆布を層にして、塩辛の一次漬け。

あわびの塩辛と聞けば、中高年のお酒のアテ?と思うかもしれない。
若者にとって水産加工品は「コンビニで買うかわきもの」くらいの認識しかなく、
まだまだおいしい食べ物としては普及していないことが残念だという。

「こだわりの一品がまだまだ地方にも埋もれていることを知ってほしいですね」

〈Tree Picnic Adventure IKEDA〉福井県池田町で 冬のジップラインがスタート。 地上高60mの森の上をダイブ!

福井県池田町にある〈ツリーピクニック アドベンチャー いけだ〉にて、
2018年1月20日(土)より冬の「ジップライン」が始まります。

ジップラインとは、体にハーネス(安全帯)をとりつけて
ワイヤーロープを滑り渡るアクティビティ。
ツリーピクニック アドベンチャー いけだでは、なんと最長510m、
最高地上高60mのメガジップラインが楽しめます。

通常、ジップラインのシーズンは、春から初冬にかけて。
真っ白な雪山を飛ぶことができるのは、国内ではこちらだけなのだとか!

ジップラインの料金は4500円(税込)。利用条件:身長140cm以上、体重90kg未満の方 所要時間:90分

ツリーピクニック アドベンチャー いけだは、樹上に広がる森のジャングルジム、
アドベンチャーボート、BBQやピクニックなどが楽しめる日本最大級の“冒険の森”。
2016年春にオープンしました。

こちらでは、もっと池田町の雪景色のうつくしさを知ってほしいと、
冬のアクティビティを提案しています。
下の写真は、百年杉の森を冒険する「スノーシューツアー」。
雪の上を歩くための靴「スノーシュー」をはいて森のなかを歩き、
動物の足跡や冬の植物を観察するツアーです。

スノーシューツアーの料金は子ども(5歳以上)3000円、中学生以上4000円。お子さんだけでも参加OK。所要時間:2時間程度

スノーシュー体験で鳥小屋観察をする子どもたち

ごはんは、施設内にある〈カフェピクニック〉で。
冬は米どころ、池田町自慢のお餅を使ったメニュー「いけだづくしのもちディップ」や
「池田牛バーガー」日替わりの「いけだを食べるスープ」などが登場します。

「いけだづくしのもちディップ」(1000円) 池田町の「やまびこ味噌」やトマトソース、町内産のあずき、きな粉のソースなどから好きなソースを3つ選び、お餅につけていただきます。

また、ウィンターシーズン初日の1月20日(土)は、
池田町特産のもち米「カグラモチ」を使った餅つき大会を開催するそう! 楽しそうですね。

農村DEキャンプセンター「白いかっぽう着」のスタッフの皆さん

クセになる爽快感!男子新体操部員 が西郷どん姿で華麗にダンス。 PR動画『維新 dancin’ 鹿児島市』

2018年1月からNHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』がスタートし、
注目度が高まっている鹿児島市から爽やかなPR動画が届きました。

その名も『維新 dancin’ 鹿児島市』!
リオ五輪閉会式のパフォーマンスで注目を集めた
鹿児島実業高等学校・男子新体操部の皆さんが
西郷どんになって、鹿児島を巡るPRムービーです。

男子高校生たちが巡るのは、桜島や仙巌園、温泉、黒豚しゃぶしゃぶ、
白くまなどといった、明治時代からやってきた西郷どんが知らない鹿児島。

男子部員扮する西郷どんは、実物とは違うともいわれている銅像や大きな観覧車に驚いたり、
生れ育った場所を懐かしんだりしながら、鹿児島のまちを巡ります。

主演の鹿児島実業高等学校・男子新体操部は数々の全国大会で
ユニークな演技が高く評価されている有名校。
同部の高い技術とユニークさを持ち合せた演舞は、テレビなどでも大きく取りあげられています。

じつは男子新体操は、日本発祥のスポーツなのだそう。
リオ五輪の閉会式では、次期開催都市・東京へ五輪旗を引き継ぐ
セレモニーでパフォーマンスが行われ、注目を集めました。

陸前高田を舞台にした映画 『あの街に桜が咲けば』 製作陣がクラウド ファンディングに挑戦!

岩手県陸前高田市を舞台にした映画『あの街に桜が咲けば』の製作スタッフが
新しい映画をつくるため、クラウドファンディングに挑戦しています。

『あの街に桜が咲けば』で焦点をあてたのは、津波到達地点に桜を植樹し、
後世に津波の被害を伝えていくことを目指す〈認定NPO法人 桜ライン311〉の活動。
桜ライン311のメンバーや戸羽太陸前高田市長をはじめとする方々へのインタビューを通して、
震災を経験した人たちの強く生きる姿を伝えています。
インディーズドキュメンタリー映画としては異例の全47都道府県上映を達成しました。
(予告編はこちらから)

新たに計画中の映画では桜ライン311のその後を追いながら、
東京、熊本などへも取材を重ね、ひとりでも多くの人に防災意識の
大切さを伝える映画をつくりたいと考えているそう。

監督は〈やろうよ!こどもぼうさい〉代表・防災士の山崎光さんと
『あの街に桜が咲けば』監督の小川光一さん。

〈やろうよ!こどもぼうさい〉代表・防災士の山崎光さん(左)と『あの街に桜が咲けば』監督の小川光一さん(右)。

おふたりが目指しているのは、恐怖心をあおらず、
自然と「大切な人を守るために、防災と向き合わなきゃ」と思えるような映画。
もともと「防災アレルギー」だったという山崎さんは、
映画『あの街に桜が咲けば』と出会って、そこから伝わってくる温かいメッセージに感動し、
「自分も防災映画を作りたい」と思い始めたといいます。

「地震を引き起こす原因となる活断層は、日本各地の下に約2000以上あるといわれています。
台風だって来るし、火山だってあります。災害大国と呼ばれる日本に住む以上、
“自分もいつか大災害に遭遇するかもしれない”と自覚する必要があります。
しかし、だからといって災害に怯える必要はないんです。
大切な人を失ってから後悔しないように、大切な人のために防災をする。
防災の動機は、恐怖でなく、もっと温かいものであるべきだと思います」(山崎さん)

新しい映画の企画は、そんな山崎さんが
小川さんに「一緒に映画をつくりましょう!」と声をかけられたことからスタートしたのだとか。

新しい映画の主題歌はロックバンド〈butterfly inthe stomach〉が手がけることに決定。

島での暮らし方と人生を考える。
先輩移住者は、
なぜ壱岐と対馬を選んだ?

移住者だからできる仕事の生み出し方

11月3日~5日、2泊3日のスケジュールで開催された、対馬と壱岐の移住体験ツアー。
長崎県が主催するこのツアーは、一般的な観光ツアーと異なり、
暮らすという視点で仕事や居住の候補となるような場所を見学し、
先輩移住者ともコミュニケーションを取ることのできる貴重な機会だ。

今回参加した6名は、どちらの島も初めて訪れる人ばかり。
韓国人観光客が増加している対馬で起業の可能性を探りに来た人、
海外で暮らした経験があり、家族で島暮らしをすることに興味を持っている人、
在宅勤務をしながら二拠点居住をゆくゆくはしたいと考えている人など、
参加の動機もさまざまだ。

羽田空港から飛行機でまず向かったのが、対馬市。
九州と朝鮮半島に挟まれた対馬海峡に浮かぶこの島は、
韓国の釜山まで直線距離でわずか50キロ弱。
気候条件によっては、釜山の夜景を目視できる「国境の島」だ。
到着早々、対馬名物の〈対州そば〉と、
醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉〈とんちゃん丼〉を堪能すると、
南北に長い島をバスで1時間ほど北上。
移動にかかる時間や景色の変化からも、島の広さを実感することができる。

対州そばは、原種に近いかたちで残っている対馬特産のそば。とんちゃん丼とともに。

最初の企業訪問は、上県町佐須奈にある〈一般社団法人MIT(ミット)〉。
代表理事を務める宮城県仙台市出身の吉野元さんが、
移住者ならではの客観的な視点やこれまでのキャリアを生かして、
対馬の資源や魅力を“みつけ・いかし・つなぐ”ことを目的に、
幅広い事業を展開している。
たとえば対馬にしか生息していないツシマヤマネコが、田んぼでエサを取ったり、
子育てしていることに着目して、減農薬米を〈佐護ツシマヤマネコ米〉としてブランド化。
吉野さんの奥様の由紀子さんが、
パッケージデザインや関連グッズを製作している。

2013年6月に創業したこの会社は、メンバーのほとんどが移住者。
吉野さんが、プロジェクターを使って説明してくれたのだが、自己紹介のあとに登場したのが、
タチウオ、ハガツオ、アナゴ、サバなど
思わず生唾を飲み込んでしまうような刺盛り写真の数々……。

「長崎のなかでも、対馬の魚が一番おいしいと思います!」と力説する吉野さん。
知り合いの漁師からこうした魚を日々おすそ分けしてもらえるだけでなく、
吉野さん自身も小さな舟を所有しているそうで、
仕事をしながら朝夕に釣りを楽しむ暮らしがここでは可能なのだとか。

ほかにも霞が関で20年以上働いていたという事務方のプロや、
漁師になりたくて移住した人、
ツシマヤマネコが好きすぎて早期退職して移住した人など、ユニークな人材ばかり。

「たとえば“半漁半MIT”じゃないですけど、MITの仕事をしながら趣味の釣りをしたり、
絵を描いたり、農業をしたり、ヤマネコを愛でたり……。
せっかく移住したのだから、好きなことを好きなだけやって新しい働き方を発信するのが、
私たちの使命なのかなと思っています」

対馬の暮らしを満喫しているMITのみなさん。霞が関で働いていたという冨永健さん(左)、吉野元さん(中)、吉野由紀子さん(右)。

急増する韓国人観光客。ビジネスチャンス到来!?

続いて訪れたのは、
対馬最北の比田勝でオープンを控える(取材当時。2017年11月オープン)
〈ホテルDAEMADO(テマド)比田勝〉。
船でやってくる韓国人観光客の多くは、比田勝港国際ターミナルで下船することもあり、
この辺りはハングルの看板がかなり目につく。
当ホテルもそんな観光客の利用を見込んでつくられたそうで、
「DAEMADO」は韓国語で対馬を意味している。

「韓国人にとって対馬は、最も近い海外旅行先。
今まで比田勝には大型の宿泊施設がなく、日帰りする方が多かったのですが、
今後は楽しみ方も変わってくると思います」
と、総支配人の豊福誠一郎さん。
急増する来島者数に対して宿泊施設などをはじめとする受け皿は
まだまだ足りていないそうで、
比田勝は今後発展していくであろう注目のエリアであることがうかがえた。

ホテルDAEMADO比田勝の開業を機に福岡から移住してきた、総支配人の豊福誠一郎さん。島の人の優しさに日々助けられているそう。

その晩行われた交流会には、MITの吉野元さんと由紀子さん、
そして同じくMITの理事を務める漁師の細井尉佐義さんが参加。
17年前に移住してきたという細井さんは、吉野さんたちも一目置く先輩移住者で、
一本釣りで生計が立てられる漁場を探して、対馬に辿り着いた“Iターン漁師”。
移住当初は第一次産業が今ほど注目されていなかったため、
漁師を取り巻く環境は厳しかったこと、
自然環境保全と資源保護を第一に考えた持続可能な漁業を対馬で実践していること、
そして対馬の暮らしの魅力などを熱く語ってくれた。

交流会は対馬でとれた刺し身と韓国料理で。

翌日は、最も人口の多い厳原地区にある〈対馬バーガーKiYo〉を訪問。
Uターンして2009年に同店をオープンした新庄清孝さんは、
ご当地バーガーブームの波に乗るかたちで、対馬バーガーを考案。
対馬の特産であるひじきを練り込んだパテと、
プリプリのイカを甘めのソースで絡めたハンバーガーなのだが、
韓国人観光客がブログやSNSに投稿したことがきっかけで、
日本よりも先に韓国で注目されるように。今では島内に2店舗、釜山に1店舗、
そして福岡にも移動式店舗を展開するほどの人気ぶりで、
対馬におけるビジネスチャンスをこんなふうに語ってくれた。

甘辛の和風ソースが絶妙な対馬バーガー。

「ほかの離島と違うのは、150キロ圏内に釜山や福岡などの大都市があること。
これらのエリアを含めてビジネスを考えると、いろんなチャンスが見えてきますし、
対馬で生まれたものを使って外で勝負するという意味では、
すごくおもしろい場所だと思います」

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀り、竜宮伝説が残る和多都美神社。

和多都美神社の背後にそびえる烏帽子岳の展望台から、対馬のリアス式海岸を一望。

西諸弁標準語化計画、進行中! 宮崎県小林市が 〈西諸弁ポスター素材写真 コンテスト〉を開催

地元の「西諸弁」をフランス語のように聞かせた
超個性派プロモーションムービー『ンダモシタン小林』や
高校生たちの不満と地元愛がつまったPRソング『田舎女子高生』で
話題の宮崎県小林市の〈てなんど小林プロジェクト〉が、写真コンテストを開催します。

このたび募集するのは、西諸弁のポスターに使用する写真。
たとえば「ずんだれ」(着ている服などがだらしなくたれているさま)や
「いしちゃ」(急な冷たさを感じたさま)などといった
西諸弁のシチュエーションにぴったりの写真を募集し、
最優秀作品をプロジェクトの公式ポスターとして採用します。

募集テーマは次の7つ。
各テーマごとに最優秀作品を決定します。

テーマ1:「いしちゃ」

意味:急な冷たさを感じたさま。天井から落ちてきた水が身体にかかったときなどに用いられる。

テーマ2:「おんじょんぼ」

意味:すっかり年期の入った夫婦。

テーマ3:「おぜ」

意味:怖さを感じたさま。最上級の怖さを表現するときは「おぜもおぜ」のように2回用いられる。

テーマ4:「ずんだれ」

意味:着ている服などがだらしなくたれている、またはよれているさま。

テーマ5:「てのっせ」

意味:一緒に。てのっせさるこ(一緒に行こう)などのように用いられる。※類義語:てなん、てなんで、てのっせえなど。

テーマ6:「いたしっばれ」

意味:披露宴。主に、披露宴が終わった後、親族や同じ常会の人々を新郎新婦の実家に招き、宴会をするさま。

西諸弁、知れば知るほど深くておもしろいですね。
人生の悲喜こもごもが味わい深くなります!
さらに、上記以外の西諸弁で応募できる「自由枠」もあります。
(※自由枠に応募できる西諸弁は、これまで発表されたポスターの言葉と異なるもの。
詳しくは募集要項をご覧ください)

〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉
一関のひつじをめぐる冒険!?
耕作放棄地の新たな活用へ

一関市萩荘地区。なかでも中山間地域に位置し、昔から棚田での稲作を中心とした
農業を営んできた34戸の農家が暮らす下大桑集落。
現在では、ほぼすべての農家の跡取りたちは兼業農家として
二足のわらじを履きながら、親が守ってきた農地の継承に向け、
休みなく汗を流している。しかし、採算に見合わなければ跡継ぎは減り、
耕作放棄地は増えていく一方だった。そこで、下大桑集落では、
耕作放棄地を羊の飼育地にあてるという新たな試みを始めたのだ。

もともと棚田が広がっていた耕作放棄地に生い茂った雑草を食む羊たち。

増える、耕作放棄地

「今までは、中山間地域の農地保全のために出ていた
国の交付金を利用して草刈りをしていたんです」

しかし、その草刈りをする農家の高齢化が進み
ひとり、ふたりと脱落していく。頼みの若い人は兼業で忙しい。

「どうにか解決できねぇもんか、
しかも少しでも所得の向上につながるような
いい知恵はねぇもんか、と集まるたびにタメ息ばかりでした。
ある時、知人の紹介で羊飼育を見学し目から鱗。
さっそく、雑草がボウボウに伸びていた耕作放棄地で羊を飼育してみんべ!
という話になったんです」

そう教えてくれたのは
〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉で事務局長を務める桂田勝浩さん。
実際、農地をほったらかしていると、
土が固まって地質が悪くなり、さらに生い茂った雑草が
隣接する耕作地にも悪影響を与えてしまうのだそうだ。
羊は、生い茂った雑草をおいしく食べ、糞をし、
適度に歩き回って土をほどよく管理してくれるのだ。

桂田さんの自宅にある納屋にいた子羊。成長するまでは、納屋で育つ。〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉の活動は、ここから始まった。

羊の飼育を始めた理由

なぜ、羊を飼って地域活性をしようとしたのかと尋ねると、
「まずはやはり、手間をかけずに処理したかった豊富な雑草を、
羊がおいしく食べてくれること。羊とはあまりリンクのなかった日本で、
岩手が数少ないゆかりの地であったこと。
日本では珍しく気候が羊の飼育にむいていること。
また、首都圏を中心に国産の生のラム肉などの需要が高まってきている
ことなどが主な理由です」と桂田さん。

最初に耕作放棄地につくられた山田ヒツジ牧場。

日本でも数年前に首都圏を中心に沸き起こったジンギスカンブームを除いては、
北海道と岩手県・遠野市の名物料理として食べられてきたくらいで、
たとえばスーパーで生の国産羊肉を購入することは難しく、
ほとんどが、ニュージーランドやオーストラリア産の冷凍物だった。
ただ昨今の女性を中心としたヘルシー食ブームの影響から、
ラムなどの羊肉への関心が高まっており、
首都圏の富裕層向けスーパーや健康食品店などでは、
ラムからマトン、ホゲットまで種類豊富に、
しかも冷凍物ではないフレッシュな食材を取り揃え始めているそうだ。
そんな状況から、国内生産に注目が集まり始めており、
桂田さんたちはそこに目をつけたのだった。

下大桑ヒツジ飼育者の会が飼育している羊のタグは、メンバーが手作りした畳の縁を再利用した首輪で付けられている。肌触りがよく、羊たちにも好評(?)の様子。