連載
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
text&photograph
Masaya Ino
猪野正哉
いの・まさや●千葉県出身。ライター以外に千葉市で「たき火ヴィレッジ〈いの〉」を運営・管理し、焚き火の楽しさを伝える活動をする。
東京・三軒茶屋生まれ、三軒茶屋育ちが、
不思議な縁から長野県飯山市にIターン、しかも山伏として。
そこで気の合う仲間を得て、地元と東京をつなぎ始める。
2017年9月には自然体験イベント〈自然足りてますか?〉の第2回目も開催。
彼はどうやって飯山に新しい渦を起こしたのだろうか?
長野県飯山市と言われてもピンとこない人も多いだろう。
野沢温泉に向かう途中のまちといえば、少しはわかるはず……。
長野県の観光ガイドブックを見ても紹介されているページ数は少なく、
グッとくるスポットがないのが正直なところ……。
飯山市は長野県の最北部に位置し、
全国Iターンランキングで毎回首位を争う長野県のなかでも、
飯山市に移住する人は県内トップ。
しかしまち自体はそこまで盛り上がっていない。
長野新幹線の停車駅として乗降客数は多いものの、
観光客は隣町の野沢温泉へと直行してしまいがち。
停車駅としての知名度は高いが、「まちを知っている人」は少ない。
そんなまちに魅了され、住みたいまちランキングでも
常に上位に位置する東京・三軒茶屋からIターンで
この飯山に移住してきた人がいる。志田吉隆さんだ。
過去には芸能事務所で働き、六本木ヒルズなどの飲食店でマネージメントを経験。
「人が好きだから」
とあっけらかんと彼は言うが、それだけで移住してしまうものだろうか。
職を捨て、地位を捨て、ステータスを捨て、飯山に移住して1年。
地域おこし協力隊員として活動し、
徐々に地元の人にも受け入れてもらえるように。
Iターン移住者というと、聞こえはいいが、地域住民との問題はたくさんある。
行政がウエルカムでも、決してすべての地元住民が望んでいるわけではない。
自然環境などを理由に移住しても、
その後の暮らしの充実ぶりを左右するのは、結局は 「人とのつながり」だ。
都会のマンションなら、隣の住人を知らなくても構わず生活できるが、
田舎はそうはいかない。田舎には田舎のルールがあり、自身の対応力を試される。
そんななか志田さんは、持ち前の明るさと人懐っこい性格で新生活をスタート。
単身、静かな山間の集落で古民家を借り、テレビも置かず、自然の音を楽しんでいる。
移住を決断する前、ひょんなことから
修験で有名な出羽三山の星野先達さんと東京で出会うことに。
「修験とは山に身を置いて感じたことを考える哲学。
山伏とは山と里、神と人をつなげる存在」
などの山伏の話に魅了され、修験の道に入る。
震災以降、“食”に対しても、どこか都会的なシステムには違和感があり、
「まにまに(流れに逆らわず、あるがままに)」
という言葉を聞いたときに移住を決める。
移住先の飯山市小菅地区は、昔、修験の地として
多くの山伏がいたことも要因のひとつだ。
「このご縁を信じたことが始まりです。ノリ的なとこもありましたね(笑)。
『まにまに』って言葉が好きで、これからの流れって部分もあるけど、
いままでの自分の流れも大切にしています。
人と人がつながることができれば、地域には新たな流れができて、
おもしろいことがきっとできるはず」
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「東京しか知らない自分にとって、飯山は新鮮で、
人も温かく、どんどん好きになって。
あと本当においしいお米をたくさんの人に食べてもらいたい」
と話す志田さんは、移住前に飯山で開かれたプライベートBBQで、
飯山のお米のおいしさに度肝を抜かれる。
そのお米とは2015年に開催された
“米・食味分析鑑定コンクール”で4920のエントリーのなか、
見事、金賞を受賞した。そして、ギネス認定されている
東洋ライス〈世界最高米〉の原料米に選ばれた。
「志田さんと出会ったときは、まだ東京にも流通していなかったんです。
ちょうどその頃は、祖父から受け継いだ田んぼで、
新たな『ピロール農法』(ラン藻を活用することで土の中で酸素が放出され、
根が強く栄養価が高い稲が育つ)にチャレンジしていました。
いままでにない取り組みだったので、周囲からバカにされたり、
正直なところ自信もなかったです。でも、このコンクールでの受賞で、
間違っていなかったんだと、いまは確信しています」
そう語る飯山生まれの米農家、水野尚哉さんは、なんと米づくり3年目で受賞した。
「この地に生まれた以上、この場所で何ができるか? を思ったときに、
米をつくることで恩返しができればと思いました。
自然を相手にする仕事はやはり大変で、はじめはうまくいきませんでした。
でも、対自然を考えたときに、人間の欲求で自然を押さえつけるのではなく、
自然にあるものを引き出してあげられればと気づき、
それがピロール農法を導入するきっかけにもなったんです」
飯山特有の地形や水を生かすことで、メイドイン飯山を発信している。
「農業はイメージがあまり良くないけど、自分のライフスタイルやお米を通して、
結果的に飯山を知ってもらい、農業に興味を持ってほしい。
それをどう発信すればいいのか考えていたときに、東京から来た志田さんは刺激になったし、
自分のまわりに新たな風が吹いて、空気が変わった感じがしましたね。
この地域にいると仲間が限られてしまいがちだけど、
一緒に『何をするか』を話し合える友人が 増えた喜びもありました」
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「志田君を水野君に紹介されて、そのとき直感で同じ匂いがしたし、
こいつとは気が合うって思いましたね」
そう語るのは、飯山生まれの荻原啓司さん。
市内でローライダー、ホットロッドのカスタムといった
アメ車のカスタムなどを営む〈オアシス〉代表だ。
アメリカンカルチャーが好きなのが工場からもうかがえる。
また米農家・水野さんのガレージを制作した。
「何度か会ったときに、アウトドアイベントをしたいと言われたときは、
畑違いだし、協力できないと思いました。
でも、無理難題をぶつけられているうちに、職人魂に火が点きましたね(笑)。
昔からものづくりが好きで、いろいろなものをオリジナルカスタムしてました。
本業もあるけど、おもしろがって仲間とワイワイ、バカなことをするっていうか、
そんな忘れていた感覚を思い出させてくれましたね」
こうして気の合う仲間が3人集まり、まちおこしイベントを本格始動させる。
一見、ジャンルが違う人たちも、飯山という地域をアピールしたい気持ちは一緒。
イベントの象徴になる焚き火台とグリル台は、カスタム職人の荻原さんがつくることに。
「ゼロからのスタートだったんでワクワクしましたね。
もともとアメ車をつくって、本場のアメリカ人に評価されたいって気持ちがあったので、
このふたつもたくさんの人に評価されるようにつくりました。
あと、こういう場所がある飯山っていいなって言わせたいですよね」
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移住してからも昔からの仲間を大切にすることで、東京と飯山のパイプもつながる。
そこでラストピースは、20年来の悪友でもある北岡飛鳥さんだ。
大手町にある全農直営フレンチレストラン
〈ラ・カンパーニュ〉のフレンチシェフとして腕を振るう。
そんなふたりは、北岡さんがプロスケーターを諦め、
料理修業でフランスと日本を行き来していた頃、渋谷で出会う。
そのとき、志田さんは女優のマネージャーをしていた。
やんちゃだったふたりはすぐに意気投合し、
後に仲間とともに服のブランド設立などを行い、いまに至る。
「ダーシー(志田さん)が何かするときは
俺ができる範囲で助けるし、その逆も彼はしてくれる。
だから今回のイベントも昔のノリで快諾したし、
まだ知らない食材を調理するのは、シェフ冥利に尽きる。
相変わらず、詰めの甘いスタンスで声をかけてきましたけどね(笑)」
お互いの舞台は変われど、ふたりの関係は昔のままで、
損得勘定なしのフラットな関係は清々しい。
北岡さんもフレンチアウトドア料理という新ジャンルにチャレンジするわりに、
プレッシャーを感じておらず余裕があるのは、志田さんを信じているからだろう。
田舎ならではフィールドの広さや旬な食材は、
都心では絶対に味わうことができない。
イベントでは参加者自らがアスパラガスを採り、
豊富な種類のフレッシュハーブや高原野菜が
北岡シェフの手によって洗練された料理に変わった。
水野さんのお米は、素材の旨みを際立たせる
シンプルな塩おにぎりと北岡シェフのリゾットで食べ比べ。
4人以外にも地元の有志がアイデアや食材を持ち寄ることで、イベントは成功した。
東京からの参加者が多く、なかでもファミリーが目立っていた。
自然を求めているのは大人だけでなく、
子どもたちも真剣に楽しく自然と触れ合っていた。
25名ほどの小規模なイベントだが、
参加者全員、ストレスフリーな時間を楽しんでいた。
また一方通行な情報社会のなか、田舎で活躍する人、都会で活躍する人が
接点を持つことで、都市と農村の距離がグッと近くなる。
日本全国でさまざまなまちおこしが行われている。
ここ飯山でもこのイベント〈自然足りてますか?〉などがスタートしたが、
どこがゴールなのかはわからないはずだ。
でも、地元とIターン移住者がつながることで、
何かが動き始めたことには間違いない。
今後、この4人を中心に「次は、何する?」が楽しみだ。
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