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港区芝〈東京港醸造〉
東京の水道水で酒をつくる?
一世紀の時を超え都会に蘇った酒蔵

Local Action
vol.118

posted:2017.12.12   from:東京都港区  genre:食・グルメ

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

text&photograph

Kiyoko Hayashi

林貴代子

はやし・きよこ●宮崎県出身。旅・食・酒の分野を得意とするライター・イラストレーター。旅行会社でwebディレクターを担当後、フリーランスに転身。お酒好きが高じて、唎酒師の資格を取得。最近は野草・薬草にも興味あり。

credit

写真提供:東京港醸造

オフィス街・田町に酒蔵が誕生!

JR田町駅で、電車を降りてみる。
改札の先には、西側に三田口、東側に芝浦口と、大きなふたつの出口が待ち構え、
スーツのきまったサラリーマンや、フォーマルスタイルのOLが早足で往来している。
より人通りの多い三田口を降りれば、第一京浜とも呼ばれる国道15号線が走り、
高層ビルがずらり。

そう、田町周辺はオフィス街として知られるエリア。
有名企業の本社や、税務署などの官公庁施設が数多く存在し、
赤レンガが美しい慶應義塾大学をはじめ、教育施設も多数。
ついでに、芝浦口の先には、かつて一世を風靡した〈ジュリアナ東京〉もあった。

そんなオフィス街、田町に、麹づくりから瓶詰め、販売に至るまで、
酒づくりのすべてをまかなう酒蔵が誕生した。
その名も〈東京港醸造〉。

4階建てのコンパクトなビルが酒蔵!?

第一京浜から一歩路地を入ると、辺りに酒のやわらかな芳香が漂い、
香りに導かれるままフラフラと行けば、上がり藤の家紋を染め抜いた暖簾と、
杉玉のかかるビルが。ここが「東京芝の酒 醸造元」と銘打つ、東京港醸造だ。

しかし周辺には、通常の酒蔵にあるような大きな蔵も煙突もない。
コンパクトな4階建てのビルがあるだけ。

「4階が麹室と蒸米のフロア、3階が洗米する場所と事務所、
2階が発酵・搾り・貯蔵の階で、1階が瓶詰めと販売所です」

そう説明してくださったのは、杜氏であり、蔵内部の設備設計を監督した寺澤善実さん。
酒蔵を立ち上げる際、一番はじめに考慮したのは、
この4階のビルでいかに効率よく作業できるか、ということ。
原料などを自分たちで上げ下げしなければならないため、
4階から1階に向かって工程が流れるような設計にしたという。

コンパクトな空間を有効利用するため、寺澤さんの工夫やアイデアが随所に反映された醸造所内。

東京港醸造でつくられる清酒は、精米歩合60%以下の純米吟醸酒のみ。
蔵の代表銘柄である〈江戸開城〉のほか、六本木・麻布・芝・銀座をイメージした、
味わいや香りの違う〈東京シリーズ〉も。ほかにはどぶろく、甘酒、リキュール、
ミード(蜂蜜からつくられるお酒)などを製造販売している。

各エリアをイメージしてつくられた東京シリーズ。左から、六本木、芝、麻布、銀座。

ちょっと斬新かも?〈東京港醸造〉の酒づくり

この蔵の日本酒には、いくつかのおもしろい特徴がある。

まずは、荒川水系の“水道水”を酒造用水に使っていること。
日本酒成分の約80%は水。よって、水の品質は酒づくりにとって非常に重要なもの。
多くの酒蔵は、名水と呼ばれる地下水を仕込み水に使うが、
こちらでは堂々と「東京の水道水を使用」と謳っている。

しかしそれは、東京の水道水は高度な浄水処理がなされているうえに、
京都伏見や、広島西条の水と硬度が近い、中軟水だから。
簡単なろ過はするものの、酒づくりに使うにはまったく問題ないのだという。

また醸造所内には、発酵タンクはあるが、貯蔵タンクはほぼない。
つくったらすぐに搾って瓶詰めし、出荷するのだという。
つまり、常にできたてのお酒がいただけるというわけだ。
その日のうちに搾った酒を、その日のうちに酒販店に卸す「直汲み今朝搾り」も対応。
東京の都心という地の利を生かした商品となっている。

また、多くの日本酒にほどこされる割水や炭素ろ過は一切行わず、
「原酒」として販売しているのも特徴。
酒づくりの工程を半分に減らすことにつながり、効率よく醸造し、販売ができる。
小さな酒蔵ならではのアイデアだ。

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なぜこんな都会で酒づくりを?

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一世紀ぶりに復活を遂げた酒造

そもそも、田町で酒づくりをしようと思ったのはなぜ?
東京港醸造の7代目、齊藤俊一さんに話を聞いてみた。

「実は約200年前に、私たちの先人がこの地で造り酒屋を始めたんです。
文化9年(1812年)、初代が信濃国(現在の長野県)からこの芝の地に居を移し、
〈若松屋〉という屋号で創業開始したと伝えられています。
当時は、飯田藩下屋敷、薩摩藩の上屋敷や蔵屋敷などが建ち並び、
芝浜の魚市場もあったことから、活気に満ちた界隈だったそうです」

続々と昔の資料が登場。〈若松屋〉の年譜も残っている。

場所柄、薩摩藩との関わりが深く、薩摩屋敷の御用商人として認められた若松屋。
店内の奥座敷には、西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟などが入り浸り、
彼らが飲み代の代わりに書き残していった書は、
いまも若松屋の親族宅にて大切に保管されているのだとか。

西郷隆盛が若松屋へ残したとされる書をプリントした前掛け。

その後、酒税法の改定や時勢の移り変わりにより、
明治43年(1910年)、やむなく廃業することになった若松屋。
4代目で蔵を閉じ、食堂や雑貨業を営んできたが、7代目の齊藤さんが一念発起。

「仕事で各地のシャッター街をいろいろと見てきたんです。
そんな衰退の進むまちの中でも、いい酒蔵や酒場にだけは人が集まっているんですよ。
ウチも100年前まで酒をつくっていたので、何かできないかなと。
また港区の中でも田町というエリアは、六本木や麻布などと比べれば知名度が低い。
もし田町エリアで酒蔵を復活させれば、人が集まり、地域が活性し、
“田町”というブランドがつくれるのではないか、と思ったんです」

7代目の齊藤俊一さん。自営の雑貨店や東京港醸造の代表を務めながら、港区観光協会の副会長などを兼任し、田町・三田エリアの活性化に努めている。

齊藤さんがそんな思いを抱き始めたのは約15年前。
しかし、酒蔵を復活させるには、酒造免許の取得や、
酒に精通した杜氏を迎える必要がある。
そんなとき、大手酒造メーカーを退職したばかりの寺澤さんと出会った。

「寺澤と出会って、酒蔵復活の可能性が出てきたとき、
もしやれるなら、私の人生、全部つぎ込もうと思いました」(齊藤さん)

清酒の製造免許取得への長い道のり

杜氏の寺澤さんは、かつて台場にあった、大手酒造メーカーがプロデュースした、
酒蔵兼レストランの立ち上げメンバーのひとり。しかし、惜しくも7年前に閉店へ。

「閉鎖というと、世間からは“失敗”というふうに映るんですが、
台場の醸造所で過ごした10年のなかで確実にできあがった技術があったので、
私自身は“成功”だと考えていました。だから、この消えかけた技術や
積み上げたものを、どこかに移しこみたいと思っていたんです」

京都伏見にある酒造メーカーや全国各地の酒蔵で、酒づくりの技術・経験を積み重ねてきた、杜氏の寺澤善実さん。

台場の醸造所をスタートさせる際、新規で清酒の製造免許を取得する必要があった。
しかし何十年ものあいだ、清酒の製造免許を取得した蔵はないと言われ、
新規で取得するのもあり得ない、とまで言われていたそうだ。
それでもなんとか国税局の協力を得、数年かけて清酒製造免許の取得にこぎつけた。

そんな経験をしてきた寺澤さんだからこそ、
齊藤さんに酒蔵復活の話を持ち掛けられたときは、不可能だと思った。
しかし、齊藤さんの覚悟と、熱心なアプローチに、だんだんと心が動いたという。

「雑貨店を営む会社が、まったくの新規で清酒製造免許を取得するんですから、
何年もかかるということを齊藤社長には幾度も伝え、スタートしました。
まずは、どぶろくやリキュールの製造免許の取得から始めましたが、
それでも2年かかりました。清酒の免許はその6年後。
なんだかんだで約8年かかりましたね」(寺澤さん)

清酒の製造が許可され、日本酒を販売できるようになったのは2016年。
齊藤さんと寺澤さんの熱意が、長い歳月をかけてようやくかたちになった。

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ふたりの次の夢は?

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東京港醸造が目指すもの

寺澤さんの目指す酒は「障りなく飲め、味わいのある酒」。

「お酒だけどんどん飲むというのではなくて、
食べ物や会話を邪魔しないものをつくりたいと思っています。
『特徴がない』というコメントをされる方もいるんですが、それでいい。
『酸っぱい、甘い、苦い』というコメントがないのは、逆に狙っているところなんです」

いただいた〈江戸開城 純米吟醸 原酒 秋酒〉は水のようにサラリとした飲み口で、時間とともに軽い酸が立ち、心地よい吟醸香に包まれる。

醸造所の1階にはワゴン車の角打ち(かくうち)バーがあり、東京港醸造の酒と、
寺澤さんが飲んでみたいと思った他社の酒をいただくことができる。

「ほかの銘醸蔵の酒と、私がつくる酒と、飲み比べしていただいて、
お客さんがどんな反応をするかを知りたいんです。
そうすることで、自分の立ち位置が見えてきたりします。
『高いな……』と思われたら私の負け、
逆に『安い!』と思われたら勝ちなのです」(寺澤さん)

店の横に設けられた角打ちバー。「角打ち」とは、酒屋の一角で立ち飲みすること。

酒づくりがおもしろくて仕方ない、と語る寺澤さん。
そんな寺澤さんの口からは「技術力」という言葉が頻繁に登場する。
酒づくりは、自然とのつき合い方も大切であるけれど、
安定した旨い酒を提供し続けるには技術力が欠かせないという。
東京港醸造の酒にも、これまで培った技術力が生かされている。

「自分がもともと大手酒造メーカーにいたから言えるのですが、
大手メーカーって、システム化されていても、決して手は抜いていません。
合理的に機械を使って、反復して同じ味を安定的に出すというのは技術力なんです。
それって本当にすごいことなんですよ」(寺澤さん)

角打ちバーは18時からオープンしており、日本酒は1杯400円~。甘酒を使ったスムージーなども販売中。

人口減少が確実に訪れる未来。酒のつくり手が減れば、酒蔵だって減る。
そんな酒蔵の衰退にも一手を打ちたいと考えている寺澤さん。
それは少人数でも効率よく酒がつくれる仕組みづくりだ。
具体的な構想はすでにあり、これを日本だけでなく世界にも広げていきたいと語る。

「日本酒は米と水だけでできていて、つくる段階においては花のような香りがして
……という酒ができるプロセスを、日本だけでなく世界の人の前で見せたい。
それをきっかけに日本酒への興味をさらに深めてもらい、
全国の日本酒を世界中の人に飲んでもらいたいんです」(寺澤さん)

これが実現できたなら、ミニブルワリーのひとつの進化だと話す。
そして、これらの寺澤さんの夢は、齊藤さんの夢でもある。

「寺澤がいるから、この東京港醸造があり、私の酒蔵復活の夢も叶いました。
寺澤の夢は、世界中に日本酒や酒づくりを広めること。
それを実現させ、名杜氏として世に出すことが、私の新たな夢ですね」(齊藤さん)

東京港醸造が考える、新しいミニブルワリーの構想が浸透すれば、
きっと、酒づくりの未来に大きな影響を及ぼすに違いない。

また、齊藤さんの願う田町エリアのブランド化の先には、
江戸時代中期に酒づくりが盛んだった江戸のまちのように、
東京での酒づくりが賑わいを取り戻す、そんな姿があるかもしれない。

information

map

東京港醸造

住所:東京都港区芝4-7-10

TEL:03-3451-2626

営業時間:11:00~19:00(土曜は~17:00)

定休日:日曜・祝日

http://tokyoportbrewery.wkmty.com/

*酒蔵見学は現在対応しておりません

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