築50年の古い物置が大変貌。 店がつなぐ居心地よい関係とは? 仏生山まちぐるみ旅館 vol.3

仏生山まちぐるみ旅館 vol.3

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。

建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる、

〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを進めています。


ぼく自身の、まちぐるみ旅館との関わり方はとっても簡単で、
「まち全体が旅館です」
と、ただそう言っているだけです。

まちぐるみ旅館とは、
まちを変えるのではなくて、まちの見方を変えることだからです。

積極的に店を誘致するわけでもなく受動的な感じ。
まちぐるみ旅館に賛同してくれる人が、
そのことを魅力だと感じてくれる人が、
たまたまご縁あって、まちに店を開くという流れになっています。

もちろん実際に店を開くという段階になれば、
土地、建物、経営、企画など、いろいろ相談にのります。
その関わり方は、物件によってさまざま。
共通して大切にしていることは、店がちゃんと自立し、継続できる状態になることです。
健康的な自立があって初めて、
まちとして機能するための、役割分担、相互補完の関係が生まれるからです。

仏生山のまちにある店のいくつかは、
ぼく自身が運営に関わっているところもあります。
今回ご紹介する〈へちま文庫〉はそのひとつです。
へちま文庫は古書店です。
多くの本は表紙が見えるように置かれています。
雑貨や家具も、ちょっとあって、販売しています。
おいしいコーヒーも飲めたりします。
ぼくは、濃厚なアイスカフェラテがお気に入りです。
今は週に1回だけど、水曜日においしいカレーが食べられます。
カレーはチキンだったり、白身魚だったり、毎週違っていて楽しい。
そして、いろいろな人と一緒に、
ジャンルを問わず、いろいろなものづくりをしていく、そういう場所でもあります。

へちま文庫カレー900円、コーヒーセット1200円(ともに税別)

下平晃道さんによる、色を描く似色絵ワークショップの様子。

前回ご紹介した〈仏生山天満屋サンド〉から半年後、
2014年11月にゆっくり開業しました。

場所は仏生山温泉から200メートルのところにあります。
熊野神社の参道沿いにあるので、
何となく空気もさわやかで場所の雰囲気がいい。

もともとは、木の戸や、木のガラス窓など建具をつくる木工所でした。
もう、何年も使用されていない状態で、物置のようになっていました。

リノベーション前の様子、ものがたくさんある。

木造平屋建て、床面積は約95平米なので、小さな住宅ぐらいの規模です。
建物の年齢は約50歳。

建物はある一定の年数を経ると、ガタがくるというか、空気が淀んできます。
ここもそうでした。

古い邸宅を複合施設に再生。 昭和建築を活用できた理由は? ASTER vol.2

ASTER vol.2

みなさまこんにちは。ASTERの中川です。
今回はvol.1でご紹介しました僕らの店“9GS”がある
熊本市九品寺エリアに新しく誕生したコンバージョン複合施設の紹介をしたいと思います。
僕自身、この場所ができたことでまちへの想いと期待が高ぶりました。そんな場所です。

九品寺というまちは僕の地元。
小さい頃から学校の帰り道に毎日“ケイドロ”という遊びをしていた場所。
どうでもいいですが、ケイドロというのは警察と泥棒に分かれてやる鬼ごっこのことです(笑)。
最初に教室、次に校庭、そしてまちへと範囲がどんどん広がり、
僕らにとって、小さい頃から家と学校の間にあった
この九品寺のまち全体がケイドロの遊び場でした。
中心市街地にも歩いて行ける立地で熊本でも人気のあるまち。
でもラブホテル街もあるし教会もあるし公園もたくさんある。
カオスなエリア。

そんなエリアに昔から誰もが知る大きな邸宅がありました。
川沿いで角地という立地抜群で存在感のあるその邸宅は
最近ではずっと空き家になっていました。

この邸宅が現在では熊本でも話題の複合商業施設に生まれ変わり、
連日大勢の人が訪れるようになりました。

どういった経緯でそうなったのか。

まずはこの複合施設の紹介をしたいと思います。
名称は〈RIVER PORT9(リバーポートナイン、以下リバーポート9)〉

九品寺にある川沿いの船着き場という意味です。
築50年のRC造3階建ての邸宅をコンバージョンし、
レストラン、カフェ、アパレルショップ、ブライダルショップ、アンティーク家具店、
バーなどさまざまなショップが入る複合商業施設として、
2014年にオープンしました。
僕もオープンまでにアドバイザーのひとりとして参加させてもらったり、
リバーポートナイン9に入っているお店のひとつをASTERが手がけています。

この複合施設を企画からリーシングまで
トータルでプロデュースしたひとりの不動産屋さんがいます。
(株)トラスト・アンド・フィーリングス代表の久保貴資さん。
久保さんは熊本で不動産の売買や賃貸管理事業を行いながら、
複合ビルブランディングなどの商業施設の企画と運営をされています。
また、古い建物のコンバージョンやリノベーションの企画もされている、
感度の高い不動産屋です。

トラスト・アンド・フィーリングスの久保さん。

はじめ、この邸宅のオーナーさんは長く空き家になっている状態をどうにかしたいと、
いろいろな不動産屋へ相談されたそうです。
でも軒並み来る提案はどれも建物を壊して新築賃貸マンションか駐車場への提案ばかり。
そんななか、久保さんが出した提案は建物の歴史と素材価値をなるべく残し、
このロケーションをみんなで共有できる複合施設へのコンバージョン案。
もともとが母屋であり、
なるべくなら建物を残したいというオーナーさんの強い想いと一致し、
この建物の再生を請負うことになったそうです。

建物から見た風景。熊本市の中心を流れる白川が目の前に。橋の向こうは中心市街地。

しかしプロジェクトを進めていくにあたり、いろいろな問題がでてきます。
そもそもこの九品寺エリア、商業エリアとしては微妙な場所でした。
住宅のほかに、近くにラブホテル街もあり、近隣に駐車場も少ない。
そして熊本市中心市街地から川を渡り
10分か15分ほど歩かないといけない微妙な距離。
なかなか歩く習慣が少ない熊本の人にとって
中心市街地からわざわざ川を渡って
九品寺エリアに買い物に来るなどあまり考えられませんでした。

でも建物の重厚なつくりや
窓から見える川の景色などこの建物のポテンシャルに魅力を感じた久保さんは
この場所でしかできないことを考えていきました。

まず、複合型の商業施設という形態をとること。
大きな1店舗にするのではなく、複数の個性あるお店が混在することで
集客の相乗効果を生み出そうと考えたそうです。
そして時間軸も考え、せっかく来てもらうのであれば
施設に3〜4時間は楽しんで滞在してもらえるような動線イメージで
テナント構成を企画しました。

そこで知り合いの飲食店や物販店などに声をかけ候補のお店を集めることに。
当初順調にテナント候補は集まっていきましたが、
ひとつのテナントがNGになると、
決まっていたほかのテナントもすべてNGになってしまったそうです。

話は振り出しに戻ってしまいました。

黄金町の狭小長屋をアトリエに再生。 〈旧劇場〉の日常と、 まちとのつながり。 IVolli architecture vol.2

IVolli architecture vol.2

アイボリィアーキテクチュアの原崎です。
前回のvol.1は、僕らの事務所のあるシェアスタジオ〈旧劇場〉が
どういった経緯で生まれたのかを主にお話しました。
今回はこの旧劇場での日常と、ここから展開している活動をお伝えします。

劇場内での連携した働き方

旧劇場のメンバーは、
みな個人でそれぞれの職能でそれぞれの仕事をしています。
建築事務所は2チームですが、
木工職人、現代美術家、写真家、フリーライター、アーティストとばらばら。
ふつうは、そんなメンバーが同じ空間で働くことはなかなか想像できないと思います。
ただ、以前いたシェアスタジオの頃から、
お互いがそれぞれの技術や知識、経験などを
部分共有することができるということは少し経験していました。
それは本や道具を貸し借りするというちょっとしたことから、
共同プロジェクトを立ち上げるということまで、共有の度合いはさまざまです。
例えば、ある物件を僕らが設計して、
職人が施工して、写真家が撮影して、ライターがリリースに合わせて記事を書く、
といったリレー形式になることもあります。
そんなことをしていると、
この不思議な共同体に興味を持ってくれた近隣の方々が
少しずつ声をかけてくれるようになりました。

旧劇場の打ち合わせスペース。

まず声をかけてくれたのが、通りの向かいにお住まいのみなさん。
お話をうかがうと、ここがストリップ劇場になる前からいらっしゃるそうで、
「劇場が閉まって、次は一体どうなるのかと思っていたら、
若い人たちがたくさん来てくれてよかった」
「夜は周りが暗くて怖かったけど、
顔のわかる人たちが遅くまで近くにいてくれると安心する」
と、うれしい言葉をもらっています。
それどころか、ことあるごとに食べ物の差し入れなどをいただいてしまっています。
恐縮です……。

町内から話はすぐ伝わるようで、その後に知り合ったのが、
すぐ隣のまちなかにある伊勢佐木町商店街で、
明治に創業したお茶屋〈川本屋〉の川井喜和さん。
まちに若い担い手の少なくなった状況を変えるために、
商店街近隣を中心に行う屋台市〈ザキ祭り〉を企画・実行するなどとてもパワフルな方で、
僕らと同年代ということもあり、意気投合するのに時間はかかりませんでした。
その流れで、川本屋の上階にある住戸の部分改修も手がけさせていただくことになりました。
ただ、これはアイボリィが請けたのではなく、旧劇場として請けていて、
今回は設計施工をぼくらと大工の〈LIU KOBO〉劉 功眞くんと協働しました。

伊勢佐木町商店街にあるお茶屋さんの川本屋。

まちの人との関係はこれにとどまりません。

複数の古民家を ひとつのホテルに再生。 城下町篠山の歴史をつなぐ 新しいかたちとは。 一般社団法人ノオトvol.7

一般社団法人ノオト vol.7

ノオトがこの連載を始めて7回目になります。ついに順番が回ってきてしまいました。
一般社団法人ノオト理事の伊藤と申します。
当初の予定では、出番はまだ先のはずだったのですが、繰り上げ登板することになりました。

今回は、2015年10月にオープンした
〈篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア)〉のリノベーションの経緯や、
ホテルの詳細についてご紹介、ということなのですが、
ノオトって何する人たち?という方や、
初めましての方は、ぜひバックナンバーをご覧ください。

vol.1 古民家から考える地域の未来

vol.2 集落丸山が教えてくれたこと

vol.3 再生された元酒蔵で生まれた、たくさんの縁

vol.4 歴史ある銀行建築の再生から始まった、新しい地域づくり

vol.5 投資ファンドで実現する古民家再生の未来(その1)

vol.6 投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その2)

この原稿を書いている段階では、
vol.5、vol.1、vol.6の順番でFacebookいいね!数が多いですね。
やはり、みなさん気になる資金面の話を、よく読んでいただいているようです。

さて、本題です。篠山城下町ホテルNIPPONIAは、vol.6でも紹介されたとおり、
篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想のもと、
江戸時代から明治時代に建てられた空き家4棟を改修し、11室の客室としたホテル事業です。

時間を重ねた歴史ある建物の中に生まれた客室、
丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、
既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、
「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、
地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設となっています。

篠山城下町ホテルNIPPONIAのONAE棟にあるフロント。カウンターは古家具をリメイクしたもの。

ホテルのメインの建物となっているONAE(オナエ)棟は、
明治期の建築で、元銀行経営者の住居でした。
古地図によると西の城門正面に位置し、城門がなくなった現在では、
篠山城跡方面から西向きに伸びている道路の突き当りに位置しており、
西町というエリアのシンボルになっている建物です。
建物自体も篠山城下町の町家の特徴を色濃く残しており、
まち並み景観として大きく貢献していると評価され、
篠山市景観重要建造物の指定を受けています。
そのONAE棟を中心に、リノベーションの経緯をご紹介したいと思います。

ONAE棟外観。

古い建物を残すことの価値

私が初めてこの城下町ホテル構想を代表の金野、理事の藤原から聞いたのは、
2013年の8月頃でした。
恥ずかしながら、そのときは「あぁおもしろい発想だなぁ」という程度にしか理解しておらず、
よもやこんなに早く実現するとは思ってもいませんでした。
構想からは実に5年がかりのプロジェクトですが、プロジェクトが大きく動き始めたのは
2014年に入ってからで、この頃に第1弾としてオープンする物件候補が絞られていきました。

現在ONAE棟となっている古民家には、
当時90歳のおじいちゃんがお住まいでしたが、
ひとりで住むには広すぎるため、売り物件として、
通常の物件と同じように不動産情報が公開されていました。
しかし、その情報を見て訪れるのは、既存の建物は潰してしまって、
新しく集合住宅などを建てようとする人ばかりだったそうです。
そこへ、
「今の建物にこそ価値があるので、再生をして活用していきたい」と、
提案にうかがったところ、大変喜んでくださったことから、
NIPPONIAプロジェクトの第1弾物件候補となりました。

ONAE棟と同じ通りに面して北側に位置するSAWASIRO棟、
篠山城を挟んで反対側の河原町通りに位置するNOZI棟は、
それぞれの所有者の方が、建物自体を大切に思い残されていたのですが、
何かまちのために使われるのであれば、貸したり、売ったり……ということも
検討したいと前々からご相談をいただいておりました。
そこで、NIPPONIAプロジェクトにて、宿泊棟として活用しようということになりました。

NOZI棟と同じく河原町にあるSION棟は、
もともと、とある企業保養施設として運用されていましたが、
篠山城下町ホテル構想にご賛同いただいたことで、第1弾物件に加わりました。

こうして、第1弾物件の4棟が出揃いました。

改修前のONAE棟外観。

江戸時代の商家建築に生まれた まちのサンドイッチ屋さん。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.2

仏生山まちぐるみ旅館 vol.2 
大好きなパンづくりから生まれた店

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。
建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる、
〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを進めています。
まちぐるみ旅館にとって、仏生山温泉から徒歩数分のところに、
おいしいお店がオープンするのはとてもうれしい。
2014年、〈天満屋呉服店〉の隣にオープンした〈仏生山天満屋サンド〉もそのひとつです。

〈天満屋呉服店〉は江戸時代からある老舗です。
建物も江戸時代後期に建てられ、
その後増改築を繰り返しながら現在にいたっています。
法然寺を中心とした門前町である仏生山のなかでは、
代表的な商家建築です。南北に間口の長い木造2階建、
虫籠窓(むしこまど)や、南西の隅には鏝絵が施された“うだち”があり、
これまでの歴史を伝えるような趣ある店構えです。

リノベーションする前の天満屋呉服店外観。

リノベーションを行うまでは、
半分は呉服店として、
もう半分はご主人である佐藤誠治さん夫婦が洋服店を運営していました。

リノベーション前の洋服店だったときの内観。

今回のリノベーションはご両親が経営する呉服店はそのままにして、
佐藤さん夫婦の洋服店を
サンドイッチを提供するカフェにすることでした。

佐藤さんの奥さん、美香さんは、
おいしいものを食べるのが大好き。
とくにパンが好きで、洋服店を経営するかたわら、
ときどき自分自身でパンを焼いては近所にお裾分けをしていました。

そのうち、友人たちを通じて、パンがおいしいと評判になり、
友人を招いたパンの食事会や、注文を受けてつくったりしていました。
そういうことが数年続いたのち、
ある日、「えいっ」
と業態変更したのが、〈仏生山天満屋サンド〉の始まりです。

客人、暮らし、新旧の建物が寄り添うカフェ空間とは

リノベーションの計画を進めるにあたって、
最も大切にしたのは、
100年以上の時間を経た天満屋呉服店の既存の建物に
新しくつくられる空間がしっかり寄り添いながら、
これからの何十年かの時間を
共にしていける存在になれるかということでした。

説得に3年。 元資材置き場が生まれ変わった。 〈KUHONJI GENERAL STORE〉 ASTER vol.1

ASTER vol.1
妄想を、最高のかたちにする。

みなさまはじめまして。ASTERの中川と申します。
僕たちASTERは熊本市を拠点に活動している内装屋です。
個人住宅、賃貸物件、店舗などのリノベーションを主に
デザイン、設計、施工まで行っています。

この連載では僕らがこれまで実際に関わってきた物件事例をベースに
僕らが思う熊本の魅力的な建物、場所、人を紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

まず初回なので僕が今の仕事をすることになった経緯と
今僕らで運営している店をつくった話をしたいと思います。

僕はもともと建築の知識や興味があったわけではありません。
二十歳ぐらいの頃、建設現場でのアルバイト経験をきっかけに、
その後熊本市内の新規オープンの家具屋へ就職しました。
はじめは家具の配送と接客をやっていて、
後に住宅のリフォームコーナーへ配属になりました。
この頃から内装にも徐々に興味がわいてきたのだと思います。

ようやく仕事にも慣れたころ、
実家から仕事を手伝ってくれとの連絡が。
僕の実家は熊本市内にある畳屋。
畳屋といってもつくるのではなく、
畳をつくる畳屋に材料を卸す畳資材の卸売業をやっていました。
内装工事部門もあり、そこの人手が足りないということで、
僕は実家に戻ることになりました。
まあ内装の仕事はインテリア関係だからいいかと。
それが現在のASTERです。

理想と現実のギャップ

戻ってきたからには、
やる気を出して頑張ろう! カッコいい空間をつくるぜ!
と奮起していましたが、そんな気合いは空回りしました。
当時の仕事は地場の工務店や不動産屋の下請け業務。
特に賃貸アパートの原状復帰がメインでカッコいい空間とはほど遠く、
どれも同じ内装ばかり。
毎日決まった同じ品番の壁紙の張り替えを、
職人さんへ依頼することが僕の仕事でした。
仕事だから文句は言えないけど、さすがにずっとそれじゃつまらない。
部屋に合わせて壁紙を選ぶことなど現在では当たり前ですが、
当時はもとの壁紙と同じ柄を探す行為が、唯一壁紙を選ぶというものでした。

いつか自分たちで自由に考えたカッコいい空間をつくってみたい。
でもやり方がわからない。
そんな想いを常に抱いて日々過ごしていました。

リノベーションとの出会い

たまに県外などへ行ったときはいろんなショップ巡りをするのが
当時の僕の楽しみでした。
そして2003年。
たまたま大阪のインテリアショップでみつけたフライヤーに
こんな言葉が書いてありました。
「STOCK×RENOVATION」
大阪を拠点に活動されている業界の先駆者、
〈アートアンドクラフト〉が開催していたリノベーション展のフライヤーでした。
古い空間が魅力的に改修されていて、とにかくカッコいい。
「コレばい!」と直感的に思い、冊子『STOCK×RENOVATION』も取り寄せました。

アートアンドクラフトが2003年に出版した『STOCK×RENOVATION』の冊子。

実家の仕事に違和感を感じていたなかで、
初めて知った“リノベーション”という方法。
「僕がやりたかったのはこんな空間づくりだ!」
と、リノベーションについてすぐに調べ始めました。
そうして知ったのがデザインだけでなく、
日本は欧米に比べ、家の平均寿命がとても短いことや、
年々空き家が増えて家が余っていることなど、
日本の住宅事情について、このとき初めて知りました。

そしてリノベーション事業の草分け会社である、
東京の〈ブルースタジオ〉を知り、
パイオニア的存在であるこの2社に憧れ、
このときをきっかけにただの内装会社から、
物件の価値を高めることができる
リノベーション専門の内装屋へなることを目指しました。

もちろん最初はほとんどリノベーションと言える仕事はなく、
内装の手直し工事やリフォームばかりでしたが、
目指すところがあると俄然日々の仕事もやる気がでます。
その後、徐々に熊本にもリノベーションという言葉が露出し始め、
2007年ごろから僕らも少しずつですが仕事の依頼が来るようになってきました。

僕らがリノベーションをするとき、
使用する建材やパーツに特にこだわります。
建材店や近くのホームセンターには好みの建材やパーツが売っていないこともあるので、
インターネットで建材をよく買っていました。
そしてスタッフとともにいつも言っていました。

「近くにこんなお店あったらいいよね」と。

それでだんだんと欲求が高まり、
僕らが使いたい建材やパーツをストックして置く場所がほしい。
いや、いっそのことショップにして販売もしよう!
と、自分たちの店をつくる目標ができ、熊本市内で突如物件探しが始まりました。

岩崎ビルとの出会い

僕らの事務所は熊本市内の九品寺というまちにあります。
熊本城やアーケードがある中心市街地から徒歩圏内にあり、
学校なども多いエリアです。
数年前、いつも通る道路で信号待ちをしていて、
ふと横を見ると、とても魅力的な建物が。
ずいぶん昔からあったようけど特に気に留めることもなかったビル。
ただじっくり見るとなんとも魅力的なビルでした。
築48年。RC造3階建で、建築資材屋さんが所有する〈岩崎ビル〉でした。

施工前の岩崎ビル外観

外壁に貼ってある渋いブラウンのタイルや
2階部分のスチールサッシなど
48年前の建材がそのまま残っている建物はほかにない味わいがあり、
ここで僕らの店ができたら最高だなと勝手に妄想が始まりました。
そうして僕は居ても立ってもいられず
大家さんのところへこの場所を貸してくれないかと交渉に行きました。

もともとは建材屋さんの資材置場だった。

投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その2)。 一般社団法人ノオト vol.6

一般社団法人ノオト vol.6

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼
株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原(ふじわら)です。
株式会社NOTEリノベーション&デザインは一般社団法人ノオトと
REVIC(株式会社 地域経済活性化支援機構)が出資するファンドのための
SPC(Special Purpose Company)です。

今回は、vol.5につづき、投資ファンドと古民家再生についてお話したいと思います。

日本初!〈篠山城下町ホテル NIPPONIA〉の取り組み

2015年10月3日にオープンしたばかりの篠山城下町ホテル NIPPONIA(ニッポニア)は
投資ファンドを使った古民家再生事業であると同時に
国家戦略特区を活用した日本初の取り組みです。
まずは、事業概要を簡単にご説明したいと思います。

NIPPONIAの4つのホテルのうちのひとつ、ホテルONAE(オナエ)棟の受付ロビー。

NIPPONIAの事業コンセプト
「我々が再生したのは宿やホテルではない。
日本の暮らし文化を体験するように泊まれる空間である。
400年の歴史に、とけこむように泊まる」
約400年の歴史を持つ篠山城は、兵庫県篠山市の中心に位置する城跡で、
国の史跡に指定されています。
篠山城下町ホテルNIPPONIAは、
この篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想です。
城下町に点在している空き家となった古民家を、
歴史性を尊重しながら客室・飲食店・店舗として再生し、
篠山の文化や歴史を実感できる宿泊施設としてオープンしました。
時間を重ねた歴史ある客室、
丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、
既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、
「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、
地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設です。

ONAE棟:蔵をリノベーションした客室。

事業体制について

この事業は各分野のエキスパートが参画しています。
全体プロデュースに関してはプロデューサー、デザイナー、
クリエイター、プロモーションを担当するプロフェッショナルや個人や団体。
マネジメントでは、セールス、アセットマネジメント、
オペレーションマネジメントを担う専門企業や団体。
ファイナンスでは、ファンド・キャピタル会社、銀行。
建築においても、もちろんヘリテージマネージャーを取得した一級建築士をはじめ、
大工さん、左官屋さん……。行政では地方自治体や中央官庁。

こういったあらゆるプロが集結し、実現することができました。
しかし、これらの体制は急に立ち上がったのではありません。

このプロジェクトに先駆けて2年前からベースとなる準備組織をつくってきました。
地域資産活用協議会(OPERA)」といいます。
我々は7年間で30棟以上の古民家を再生してきた実績によりノウハウだけでなく、
各分野のプロフェッショナルとつながりをもつことができました。

投資会社〈観光活性化マザーファンド〉とは

NIPPONIAは国家戦略特区を活用した古民家を活用した宿(ホテル)として
日本初の取り組みとなります。
本プロジェクトは、国家戦略特区(関西圏)の特区事業に認定されていて、
旅館業法の玄関帳場(フロント)設置義務についての規制緩和などを受けています。
これにより、複数の分散した古民家の宿泊施設を、
一体化して運営管理することが可能になっています。

今回の古民家再生におけるファンドの仕組みは図1のようになります。
一般社団法人ノオトとマザーファンドが、
共同出資の会社(株式会社NOTEリノベーション&デザイン)を設立し、
その会社を通じて物件を買い取って、改修を行います。
改修した物件を事業者に貸し出すことで、全体の収益構造をつくっています。
(なぜ、ファンドと連携することになったかは、vol.5にて)

図1:ファンド方式

今回、投資決定いただいたのは〈観光活性化マザーファンド〉といいます。
地域の観光活性化を目的として株式会社地域経済活性化支援機構、
株式会社日本政策投資銀行、株式会社リサ・パートナーズの3社で組成された、
マザーファンドです。

〈観光活性化マザーファンド〉の概要。

※株式会社地域経済活性化支援機構についてはこちらより。

ストリップ劇場が 「旧劇場」になるまで。 IVolli architecture vol.1

IVolli architecture vol.1

はじめまして。〈アイボリィアーキテクチュア〉の永田賢一郎 と申します。
アイボリィアーキテクチュアは横浜市の黄金町というまちを拠点に
活動している設計事務所です。
2014年にもともとストリップ劇場だった建物を仲間と改修し、
〈旧劇場〉というシェアスタジオを立ち上げて活動をしています。
アーティストや木工職人、カメラマンやライターといった
異なる分野の人間たち9人でつくった場所で、
それぞれ個々に活動しながらも、ときに協働したりしながら動いています。
今回より6回にわたって、このスタジオができるに至った経緯や、
拠点を持ったことで生まれた地域との関わりについて、
またスタジオをシェアする仲間たちとの協働プロジェクトなどについて
紹介していきたいと思います。

まずはじめに私たちについてですが、
アイボリィアーキテクチュアは永田賢一郎と原﨑寛明のふたりで活動しています。
もともと上海と横浜という別々の場所で働いていたのですが、
僕が上海より帰国した際に、大学時代の同期だった原﨑に声をかけて活動を始めました。
大学が横浜にあったこともあり、
学生時代に過ごしていた場所も横浜だった僕らは、
自然と活動の拠点を横浜にしていたのですが、
そのなかでも、もとから黄金町に縁があったわけではなく、
事務所を始めたばかりの頃は横浜市内の別の場所で活動していました。

始まりはハンマーヘッドスタジオ

2013年当時、みなとみらいの新港埠頭に
〈ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」〉という巨大なシェアスタジオがあり、
そこの一区画を僕らは借りていました。
ここには50組以上のアーティストやクリエイターが入居していて、
毎日スタジオに通うだけで実に多様な人たちに触れ合うことができました。
年齢もジャンルも超えたフラットな空気感がそこにはあり、
常に刺激をもらえる環境がありました。

ハンマーヘッドスタジオ。たくさんの方々が日々制作をしていました。© BankART1929 photo Tatsuhiko Nakagawa

残念ながらハンマーヘッドスタジオは2年間限定のスタジオだったので、
2014年の4月には解体されてしまいましたが、
横浜の関内外エリアという場所は
以前から多くのクリエイターやアーティストが拠点を持って活動しているエリアなので、
スタジオ解体後もまちの中に拠点を移しやすい環境ではありました。
これだけ多くの人がシェアしているスタジオがあるということ自体奇跡的でしたが、
それ以上に、多数のアーティストやクリエイターが
一度にまちに拡散していくという状況が生まれたことが大変特殊な出来事でした。

ひとつの大きな場所からたくさんの小さな拠点となって、
まちの中にアーティストやクリエイターが散らばっていくことがどんな影響を及ぼすのか。
そもそもまちの中に拠点を構えるとはどういうことなんだろうか、
とスタジオ解体までの間よく話していました。
実際にはほかの地域へ移られる方もいましたし、
新たに自分で横浜に拠点を持つ方もいました。
そういった状況のなかで、僕らと同世代のメンバーは
「自分だけで場所を賄う体力はまだあまりないけども場所は必要」
と境遇も近かったので、自然と共同で場所を借りようという話になりました。

次は自分たちで拠点をつくる

集まったメンバーは建築事務所2組4人、
ライター、木工職人、現代美術家、アーティスト、カメラマンの計9名。
それぞれ仕事の仕方も違うし、必要な場所のスペックも予算も違いました。

木材を搬出入できる天井の高い場所が必要。
音が出る作業ができる空間がいい。
絵が描ける環境にしたい。
建築模型をつくれるだけの広さは欲しい。
1階だとなおいい。
スタジオ内でも地域とも交流が持てる環境がつくりたい……と、
それぞれの仕事場として最低限の必要な条件と、
その場所がどうなってほしいかを毎日のように話し合いながら、
拠点としてふさわしい場所はどこなのかを模索していました。

それぞれ分野の異なる仲間が集まりました。

物件ありきで後からシェアを募るのではなく、
最初からメンバーと具体的な使い方を固めてから
共同で場所を使うという流れができていたので、
不動産市場では埋もれてしまうような特殊な物件などでも
積極的にその使い方を考えていました。
そしてそんな最中、僕らは黄金町にあった元ストリップ劇場という、
とても魅力的な建物に出会うことになりました。

黄金町とストリップ

ご存知の方も多いかもしれませんが、
横浜市の黄金町と言えばかつては違法風俗で栄えた歓楽街で
今でもまちを歩けば250件もあった売春宿の一部を名残として見ることができます。
10年ほど前からは地域住民によって環境浄化運動が始まり、
2009年には〈特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター〉も設立されて、
黄金町というまちのイメージは刷新されてきています。

かつての売春宿はアーティストの活動拠点やイベントスペースに。

独特な歴史がもたらすまちの空気感が個性的な場所を多く生み出し、
ドラマ『私立探偵濱マイク』の舞台などでも使われていました。
僕らが出会った建物もそのような黄金町の真ん中にあり、
つい最近までは「黄金劇場」という名前のストリップ劇場で、
近くを走る京急線からも大きな看板が目立っていました。

黄金劇場があったころの様子(画像提供: 三日画師)。

高松市ののどかな郊外で、 始まったこと。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

こんにちは。
ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。
建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる〈仏生山まちぐるみ旅館〉という、取り組みを進めています。
今回の連載企画では、仏生山というまちとそれぞれの建物が、
どのような関わり方をもってリノベーションされているかということを
お伝えできればと思っています。

仏生山町は高松市の中心市街地から南に8キロ、車で20分ぐらいのところにあります。
私鉄の〈ことでん(琴平電気鉄道)〉だと高松駅から仏生山駅まで15分ぐらいです。
江戸時代の初期に高松藩の菩提寺として、〈法然寺〉とその門前町がひらかれました。
今でも当時の建物が少しだけ残り、その雰囲気を感じることができます。
住宅と田んぼが混ざり合う、のどかな地域で
1.5キロ四方に8,000人ぐらいの人が暮らしています。

法然寺の仁王門(左)と五重塔。

ぼく自身はこの仏生山で生まれ育ち、大学進学と共に県外に出ました。
東京での設計事務所勤務を含めると10年ほど仏生山から離れていました。
その後、家業の飲食、宴会施設の跡を継ぐのと同時に
設計事務所を始めるつもりで仏生山に戻りました。
当初ぼくが思っていた予定と少し違っていたのは父が温泉を掘ったことでした。

仏生山のまちの風景。

仏生山はもともと温泉街ではなく、どこにでもあるような普通の郊外です。
父は以前から温泉を掘りたいと言っていましたが、家族全員が冗談だと思っていました。
しかし、仏生山の下にある高松クレーター(現在は砂や水が堆積していてかたちは見えない)が
発見されたのを機に本当に温泉を掘削し始めたのです。

温泉を掘っているところ。

僕が仏生山に戻って来たら、ちょうど掘り終わって温泉が湧いていた、
という絶妙なタイミングでした。
温泉を掘るということは、かなりのリスクを伴います。
温泉が出るまでの間はとても不安でしたが、
出てきた源泉は、湯量、泉質、温度ともに申し分なく、
今となっては父の決断に感謝するばかりです。
そこから計画を進め設計事務所としても初めての仕事になる、
〈仏生山温泉〉が2005年に開業しました。
仏生山温泉は、宿泊のない日帰り入浴施設です。
家業に温泉業が加わり、ぼくは仏生山温泉番台を名乗ることになりました。

仏生山温泉の入り口。

仏生山温泉の浴場。

温泉の仕事を始めて何年か経ってみると、
運営の大切なことは現場の空気をちゃんと見ていくことだということに気づきました。
そうなると、もうこの仏生山というまちから、ちがう場所に移り住むことや、
ちょっとした旅行にもなかなか行きにくいということがわかりました。
いかに自分の住むまちを今よりも楽しい場所にして、
どうやったら、にやにやしながら暮らせるかということを考え始めました。
楽しい場所にする、と言ってもそんなに大それた望みがあるわけではありません。
毎日でも通いたいおいしい定食屋さんとか、
ゆっくり読書ができる居心地のいいコーヒー屋さんとか、
自分が行きたいと思えるお店がその場にあって、
毎日楽しくすごすだけで、
十分にやにやできると思いました。

仏生山温泉の休憩場。

そのお店を増やすための取り組みが〈仏生山まちぐるみ旅館〉です。

ドライなまちづくりと 時間をつなぐリノベーション  403architecture [dajiba]  vol.6

403architecture [dajiba] vol.6

最終回となる今回は、浜松市の市街地をベースにした地元不動産、
〈丸八不動産株式会社〉の若社長、平野啓介さんにお話をうかがいました。
これまで幾度も登場している〈カギヤビル〉という4階建ての古いビルを購入し、
現在の姿につくりあげた仕掛人です。
vol.5の三展ビル同様、
このカギヤビルにもdajibaのプロジェクトはいくつかあり、
この建物が現在のような場所になった経緯や、
共同事業でもある〈ニューショップ浜松〉の運営についてなど、
お話はさまざま展開しました。

辻: 平野さんは現在、この連載で何度か紹介した、
カギヤビルのオーナー会社の社長として、
dajibaともいくつかのプロジェクトでご一緒させていただいていますよね。
僕らと関わり始めたきっかけですが、
僕が記憶しているのは、
最初は"海老塚の段差"に内見にきてくださったときだと思うんですけど、
合ってます?

平野: そうそう、ゴリさん(〈手打ち蕎麦 naru〉の石田貴齢さん、vol.2に登場)に
勧められたのかな。おもしろいことやってる若いやつらがいるよと。
それでネットで調べてお邪魔して、
世の中にはおもしろいことやってるやつがいるもんだと知ったというか。

辻: カギヤビルを購入されたのは2012年でしたっけ?
たしかその直前までは、
2階の一部でKAGIYAハウス(vol.3で登場)として運営されていた
ギャラリースペースと、
既存のお店の数店舗以外は空きが目立っていたと思います。

平野: 今年で丸3年だから2012年だね。

辻: その後、カギヤビルはいまや全国的にも知名度があるほどの
クリエイティブスポットに生まれ変わりました。
ここまでの経緯は、僕が知る限りでは、
社長の感性でひたすら店子を一本釣りをしまくるという認識だったんですけど、
具体的にどういう風に場所づくりをしていこうと思われたんですか。

平野: 買う理由というのは、いまも当時も変わらないんだけど、
はじめからリノベーションをしておもしろいことをしようというより、
ごくごく普通の不動産屋の発想として、
建物ではなく、あくまでも魅力的な土地を取得していきたいという考えだね。
不動産の開発をするうえでは囲碁や将棋と同じで
まず角をおさえるのが基本というか、交差点に立地していたし。
もちろん、以前から、
なかなか面構えのいいビルだなとはずっと思っていたこともあったけどね。
だから構想があったかというと購入した時点では何もなかったのね。
で、とりあえず買いましたと。

当然社内では、
「ボロボロだし貸すなんて無理ですよ”」とか、
あるいは極論を言えば
「取り壊して駐車場のほうがいいんじゃないか」
という意見のほうが普通にたくさんあった。
ただ、僕はそうは思わなかった。
なかに入って一部解体してみたら
二度とつくれない、時間が刻まれた味わいがあって、
簡単に言えば、これいけんじゃねというのがあったんで、スタートさせた。
究極的には、こういうボロいビルをおもしろがって使える人は絶対いると。
だからともかく掃除して解体して天井外して、
電気ガス水道のインフラだけ
使えるようにしてくれればいいからと言って始まった。

そこで勉強したのは、
ボロビルの再生というのは安上がりにはできないということ。
思ったより金がかかる(笑)。
スケルトンにしてインフラを引き直すだけで
安上がりだと思われるかもしれないけど意外とコストがかかる。

こちらが平野さん。インタビュー場所はニューショップ浜松。

辻: そうだったんですね。とにかく始めたと。
でもリーシング(テナント誘致)に関しては戦略的な印象を受けましたけど、
その辺りはいかがですか。

平野: そう、そこは、ある程度戦略的に考えないといけなかった。
どうしたもんかというときに、写真家の若木信吾さんの存在があって。
若木さん自身もプロフィールに静岡県“浜松市“出身と書くくらい
浜松に愛着がある人で、当時からカギヤビルの近くで
小さなお店を持たれていたんで話を持ちかけたんです。
興味を持ってくれたので、
それで2階に若木さんの店、
4階にギャラリーをつくろうという話ができて、それでいまの方向性ができた。

あとは家賃ありきというか、
そこは浜松の同級生の起業家にヒアリングして、
コスト感、広さ感はつかめたんで、
もともとの部屋割りはいまよりもゆったりしていたから、
それじゃあそれくらいのサイズで区切るだけ区切ろうかと。
そこからは若木さんの知名度ももちろん手伝って、数珠つなぎに。

辻: 2階に若木さんのお店の〈BOOKS AND PRINTS〉、
4階の〈KAGIYAギャラリー〉ができて、
残りのスペースを割る、適正な広さに
テナントスペースを仕切り直すところまでは主導されたということですね。
各部屋の内装も少し手を入れていますよね?

平野: 2階から4階までの各部屋で、
天井を解体して、床もコンクリートのまま、
壁は間仕切りしてクロスなどは貼らず、
ガス水道は共用部まで、電気は各部屋の分電盤までしかやりませんと。
ただ、あとは勝手に、入居者さんが何をやっても構いません、
現状回復もなしという条件にして。

その代わりと言っていいかわからないけど、
一般的に家主がやるべきこと(俗にいうA工事)の一部をやってないわけだから、
工事期間中のフリーレント(家賃なし)くらいはみましょうと。
あとは保証金もとりませんよと。それで募集をかけた。

辻: あらためて聞くと、新しい一歩を踏み出したい若者にとっては、
かなり参入しやすいですね。
いま実際、3年ちょっと運営されて、手応えはありますか?
現在のような状況は想像してなかったという話なので、
想像を超えていたかどうかもわからないかもしれないですが、
結果的にいまはほとんど満室じゃないですか。

平野: おかげさまでそうなんだよね。
世の中ではメディア上で
リノベーションされた古くていい感じのビルが数年前から流行ってて、
それは見聞きしている人は浜松にも絶対いる。
そういうところに自分も事務所を持ちたい、
お店を始めたいという人は浜松市の人口80万人中、
0.5%とかそのくらいはいるだろうという想定はあった。
仮に4000人いたとして、そこにアナウンスができれば
10人くらいはくるでしょ?と思ったわけ。

ゴリさんや美容室〈enn〉の林さん(vol.1で登場)のような存在が
既にいるわけだし、そこは割り合いの問題、という考え方だね。
だからこの建物と同じ規模だったり、雰囲気だったりするビルが
5棟も10棟も浜松にあったら確実に空くと思うんだよね。
常にものごとは需給だから。

辻: この規模なら売り手市場になる目算が立っていたんですね。
リーシングの基準は決めていたんですか?

平野: 厳密ではないけど、
できれば若い人にやってもらいたいというところがひとつ。
あとはおもしろかったり、センスがいいという部分。
目標というか、志していたことは、
まちなかに若い人が集まるコミュニティができてほしいということがあった。
テナントさん同士の相互間のやりとりが広がるようなビルであってほしい、
近所づき合いを超えた何かがあるといいなと。
その意味でいうと、この人はほかのテナントさんとうまくいくかな?
という方は、遠慮いただくこともある。

ただ、類は友を呼び過ぎるとおもしろくないので、
近しいけどご縁がなかったという人たち同士を意図的に入れたというか、
そういう部分はすごく意識した。
例えばゴリさんも林さんのことも知らないみたいな方も、
積極的に入ってもらったほうがいいと思って。

辻: その辺りのバランス感覚がすごいですね。
コミュニティ礼賛でもなく、経済合理性ありきでもない。

平野: というのも、あまり僕が常連さん商売が得意じゃないからかもしれない。
ただまさか結果的にこうなるとは本当に思ってもいなかった。
いまカギヤビルにあるシェアオフィスにしても、
ゲストルームにしてもライブハウスにしても。

辻: 各テナントは本当に多様ですね。そのひとつでもあり、
dajibaと丸八の共同事業でもあるこの〈ニューショップ浜松〉は、
仕組み自体は最初の提案から変わっていないですけど、
何度かプロジェクトの場所も動いていて、
結局ここに落ち着いたって感じで、構想がかなり長かったですよね。

©kentahasegawa

「ニューショップ浜松/鍵屋の敷地」

105角のスギ材と100角のタイルを組みあせた什器を
一本あたり100円/月で貸し出す場所貸しの仕組みと内装を提案。
店鋪運営は〈メディアプロジェクト・アンテナ〉。

辻: そもそも発注の形式が、
売り子つきのショップインショップを
カギヤビルでやりたいというものでしたけど、
詳しい部分は一緒に考える感じだったかと思います。
こういう形式で僕らにお願いしようと考えられたきっかけはあったんですか?

平野: 正直、こういうよくわからない話に、
いいアイデアを持ってきてくれるのはdajibaなんじゃないかって
直感的に思っただけなんだよね。

投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その1)。 一般社団法人ノオト vol.5

一般社団法人ノオト vol.5

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼
株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原です。
本シリーズ5回目となり、連載の中盤ということもあり
「古民家再生分野におけるビジネス的な観点」を含め、
今秋にオープンする、投資ファンドを利用した事例
〈篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア)〉に関するお話をしていきたいと思います。

まずは本編「その1」では全体的な概要をお話したいと思います。

そもそもなぜ「投資ファンド」を利用しようと考えたのか?

約3年前となる2012年頃の話です。
きっかけは、いつものように代表の金野とふたりでご飯を食べながら
NOTEの目標について語っている時でした。

金野: 国内には約149万棟の歴史的建築物(古民家)があるんだよ。

藤原: けっこう、ありますね~。

金野: すべては残せないと思うけど2割ぐらいは残せるんじゃないかな~。
今にも潰れそうな古民家が大半だろうから30年以内にやらないと残せないよね。

藤原: ということは30万棟を30年間で実現するということですね。
わかりました。今の体制では、それを実現するための
「人」「金」「もの(手法)」も足りないと思うので考えてみます。

と……何気なく「30万棟/30年」という目標が決まりました。

篠山市の後川新田原集落にあった改修前の古民家。

愚直な私は30万棟を30年間でやる仕組みを夜な夜な考えました。
計算では1日30棟が再生していくペースです。
1棟の再生に3,000万~4,000万円の資金が必要になります。
年間1万棟を行うとなると、
必要となる資金は3,000~4,000億円が必要になるという計算です。
これは公共・行政の補助事業だけでは不可能だし、
やっぱり民間産業として確立するしかないと思いました。
民間事業として活性化する場合、そのために必要なビジネススキームと
お金の流れ(資金調達から返済フローまで)をつくらないといけません。
当時、銀行も古民家に投融資することも難しい状況でした。

そこでまずは、
「投資家に古民家再生事業の魅力を伝え、投資ファンドで資金調達しよう!」
という考えに至ったわけです。

ファンドと収益化と産業化

古民家への投資ファンドを活用するにあたり、
投資家に伝えていくためには、事業計画や収益モデルが重要になってきます。
つまり、投資ファンドが成立するということは、
投資家にとって十分な収益があるという判断を得ることになります。
それが古民家再生事業の産業化への近道でもあると言えます。

その反面、古民家を活用した収益化で苦しんでいる地域がたくさんあります。
古民家を利用した田舎暮らし・レストラン・宿をしたいという方にとっても
最も大切になってくるのが“収益”になってきます。

我々も十分な収益が現時点で取れているかというと、
収益化できているものと、そうでないものが混在しています。
しかし、過去7年間で60軒以上もの古民家再生を行ってきた結果、
得られた知見やノウハウを元に収益を上げながら、
産業化していくためのヒントを得ることができました。

〈集落丸山〉の内観。

1.リノベーション・改修費用をかけ過ぎない。
※投資回収が難しくなる。
2.直し過ぎて歴史がつくり上げた風合いを損ねない。
※直し過ぎると、一般的な和風建築物と同じになる?。
3.新しい市場を開くためのマーケティング戦略が必要。
※新しい価値観を普及させるためのブランド・広報戦略。
単一事業の繰り返しではなく、ストック型のビジネスモデル。

これらのことを踏まえながら、
投資家に対して事業ごとの収益状態や経営状態をひとつひとつ丁寧に説明し、
我々の事業をデューデリジェンス(※注釈1)していただきました。

<一例>
●集落丸山(篠山市)は限界集落の農家民宿型ホテル(vol.2で紹介)。
採算は稼働率30%で黒字化するモデルであるということ。
●旧木村酒造場EN(朝来市)は竹田城下町ホテル(vol.3で紹介)。
人通りの少ない空き家の目立つ城下町にありながら平均70%稼働であるということ。

旧木村酒造場ENの、客室の内観。

東京から何度もデューデリジェンスに足を運んでいただいた投資担当の方々は、
驚きを隠せないようでした。
それは僻地ともいえる過疎地域で、
このような採算性のある事業ができていたのか?! ということです。
しかも、社会的な事業性は高く、投資家の心にも響かせることができる。

結果「これなら投資できる!」と言ってもらうことができました。

※注釈1:投資を行う際に、本当にその投資対象に十分な価値があるのか、
またリスクはどうなのかを詳細に調査する作業のこと。

困った空き家をカリアゲる。 新事業をスタート。 ルーヴィス vol.6

ルーヴィス vol.6

皆さま、こんにちは。
ルーヴィスの福井です。
最終回は2015年から新たに始めた「カリアゲ」というサービスについてお話します。

僕がこの仕事を始めた理由は以前お話ししましたが、
「家具は直せば価値が上がるのに、不動産はなんでだめなんだろう?」
という疑問があったからで、賃貸物件の空室をどうやって減らしていくかが、
自分の中で最も興味のあることのひとつでした。

この10年間いくつもの賃貸物件にたずさわる機会を得て、
リノベーションは空室改善に効果的な手法であることを確信しましたが、
空き家は統計調査ごとに増え続けており、
現在は東京都でも約81.3万戸の空き家があります。
空き家が社会問題化している昨今でも、
オーナーの不安である「こんなに古い物件を直して本当に入居者がいるかの?」とか
「数百万もかけて、資金は回収できるのか?」という疑問は拭い去ることはできず、
建物の老朽化や費用負担がオーナーの大きな不安となっているならば、
そのリスクをこちらで負うことにして、空き家を活用していこうと思い、
始めたのが「カリアゲ」というサービスです。

まず、このサービスは「築30年以上で1年以上空いている空き家」を対象にしたもので、
リノベーション後の想定賃料の42か月分(3年半)まで、
リノベーション費用を弊社で全額負担します。

その条件のもと、オーナーから借り上げ、入居者に転貸する取り組みです。
1年以上空いている空き家を対象としているのは
「1年以上空いている=打つ手がなく放置されてしまっている」と定義したためです。
現在の対象エリアは空き家が最も多い東京都内を対象としていますが、
少しずつ対象エリアは広げていこうと考えています。

第一号の「カリアゲ」についてお話ししていきます。
この物件は目黒区下目黒にある2階建ての空き家です。

元水路に面している、築年数不明の戸建。1階が住居で2階が下宿だったようです。

何年空いていたかもわかりませんが築年数は不明で、
この建物は元水路に面し、公道には面していないため、
建て替えることのできない、再建築不可の物件です。

建物は傾いていて、基礎と土台は白アリ被害や経年劣化で腐食し溶け落ちており、
建物自体が壁で支えられているような状態でした。
再建築不可物件が多くあるような住宅密集地において、
このような建物を放置し続けることは、建物倒壊のリスクがあり、
放置したまま空き家にしておくことは、放火による延焼など、
建物単体のリスクではなく地域全体のリスクとなっており、
第一号案件としては難易度が高いけれど、
モデルケースとしてはちょうどよく、チャレンジすることにしました。

解体前の1階です。傾きがあるものの、ある程度は綺麗な状態でした。

解体前の2階です。2階は4部屋に仕切られており、残置物も多く厳しい状態でした。

モデルケースとしては、ちょうどいいのですが、
実際のところ、放置された空き家の改修は結構大変です。
流通している不動産は古くても商品ですので、多少の劣化があったとしても管理されています。
空き家の場合は、ほぼ放置されてしまっているので、
建物に気を払う人が誰もいない状態のまま年数が経っていった結果、
見えないところからボロボロになり、内部へも影響が出てきます。
改修プロセスは以下の写真のとおりです。

内装は全解体しました。

ジャッキアップ:建物の傾きを補正するために、建物全体を1.5メートルほど持ち上げました。

柱を足して建物全体を補強しています。

断熱材が入っていなかったので、断熱材を敷き詰めています。

屋根もかなり厳しかったのではり替えます。

請負の場合は、クライアントの意向もあり、仕上げなど見栄えする所に
コストをかけることも多いのですが、今回は耐震や断熱など、
建物の基本性能をアップすることに重点を置いた結果、
仕上げにかけるコストが少なくなってしまったため、
本来見せ場になる部分は入居者に委ねることにしました。

小山薫堂さん(放送作家) × 北村恵子さん (BEAMS fennicaディレクター) 手仕事を未来につなぐには。

BS朝日で放送中の『アーツ&クラフツ商会』(提供:セキスイハイム)の監修を務める、
小山薫堂さんと、〈BEAMS fennica〉(以下fennica)のディレクターとして、
日本の伝統工芸の職人とコラボレートした商品づくりを行ったり、
世界各国のクラフトをバイイングしたりしている北村恵子さん。
日本の手仕事にフォーカスするという共通項を持ちながら、
違うアプローチでそのよさを多くの人に伝えているおふたりが、
今回、初めて顔を合わせました。

放送作家としてさまざまな番組を手がけてきた小山さんが、
伝統工芸のものづくりを番組テーマにした理由とは?
そして北村さんはどのようにして、
愛される別注の工芸品を生み出しているのでしょうか。

多くの人に、手仕事のよさを知ってもらうために

小山: 僕はいままで、いろいろな職業にスポットを当てたTV番組をつくってきました。
古くは料理人にスポットを当てた『料理の鉄人』、
そのあと美容師にスポットを当てた『シザーズリーグ』。
『ニューデザインパラダイス』という番組ではデザイナー、
『おくりびと』という映画では納棺師……。
メディアって、世の中にスポットライトを当てる仕事だと思うんです。
それで「次は、何にスポットを当てようか」と考えたんですね。
いまは日本の手仕事や伝統工芸に注目が集まっていますし、
僕もそれらが人々の関心を呼ぶといいなという思いがあった。
それで生まれたのが『アーツ&クラフツ商会』(提供:セキスイハイム)という番組です。

なぜテレビがいいかというと、どれくらい大変な思いでこのクラフトが生まれたのか、
といった、その背景にある物語を伝えやすいから。
そうすれば、見た人が職人さんやクラフトに感情移入できます。
いままで何気なく見ていたものでも、背景を知ることによって、より魅力的に映る。
それが“素敵”という気持ちや“好きだ”という思いを生み出す、
すべての元になると僕は考えているんです。
番組ではさらに、伝統的な技術をいまにマッチさせるために〈ニュー・クラフツ〉といって、
新しいプロダクトを生み出しています。

北村: なるほど、そうなんですね。

小山: それでちょうど番組を企画しているときに、
僕が教鞭をとっている東北芸術工科大学に訪ねていらっしゃった仙台市の方が、
お土産で〈インディゴこけし〉をくださったんですよ。
「これいいですねえ」って言うと「BEAMSさんがつくられているんですよ」とおっしゃって、
「なるほど、こういうものがあったか」と。
これを、北村さんが企画されていたんですよね?

遠刈田系こけしをはじめとした木地挽物を手がける、仙台木地製作所が制作したインディゴこけし。日本独特の染料である“藍”を使ったもの。仙台、宮城の手仕事を伝えるwebサイト『手とてとテ』でも紹介されている。

北村: ええ。きっかけは、私のパートナーで、
一緒にfennicaのディレクターを務めているエリス(テリー・エリス氏)なんです。
縁あって、仙台市との伝統工芸のプロジェクトに参加させていただくことになったんですが、
準備期間が決まっていて、7か月ととても短かったんですね。
そこで、仙台、宮城県内の伝統工芸の中から、
まずは自分たちの興味のあるもの、好きなものを選ぼうということで、
染物、こけし、和紙、焼き物の4つにカテゴリを絞り込みました。
とりあえず、それらがつくられている現場を見せていただきたいと思って工房を訪ね、
そこからひとつひとつ、職人さんと相談しながらつくっていったのです。

なぜ青いこけしが生まれたかというと、エリスが日本の藍染めが大好きだったから。
そこで、こけし職人である佐藤康広さんに
何気なく「青いこけしってないんですか?」と聞いたら
「そういえばないですね」という返事が返ってきて。
「日本にこれだけ藍があったのに、どうして青いこけしができなかったんでしょうね」
という話から「ちょっと試してみていただけますか?」という流れになったんです。

その場に黄色と紫の染料はあったので、混ぜて何種類か青をつくり、
試作の絵付けをしていただきました。それが、とても素敵だったんです。
佐藤さんも「案外いいじゃないですか」とおっしゃって。
本藍は紫外線に弱いので退色して白くなってしまうのですが、
「そういうビンテージ感もいいかもしれないから、
経年変化を楽しむような感じで本藍も試してみていただけますか?」
というところからこれが完成しました。

小山: そうだったんですね。いま思えばこのこけしも、
僕が番組をつくるときのひとつのヒントになっていたかもしれないです。

こちらも仙台市のプロジェクトのひとつ。佐藤紙子工房の丈夫な白石和紙でつくられたiPadケース。江戸から続く伝統の型を使いながら、現代の感覚に合うよう色は新しくつくっていただいたものもあるそう。

北村: 私たちが大切にしているのは、職人さんとのコミュニケーション。
だからいきなり何かお願いするということはほとんどなくて、
お付き合いしていって「ちょっと私たちのことを信頼していただけたかな」
というタイミングから始めることがほとんどです。

あとは、今までその職人さんや師匠がつくってきたものを、必ず遡って見るようにしています。
案外、忘れられてしまっているものや「そういえばしばらく、これつくってないね」
というものの中に、いま提案したらすごくいいんじゃないかなというものが結構あるんですよ。
そうすると職人さん側も、今までつくっていたものと丸っきり違うものではないので、
制作に入りやすいですよね。
そこからいろいろなかたちに進化させたり、発展したりということが多いです。

北村さんからは職人さんひとりひとりの技術や思いが次から次へとあふれ出てくる。

編集部: 同じ伝統工芸でも、時代によって違う部分はありますか。

北村: 普段使いするものに関しては、
60~70年前にデザインされたものがいま使えるかというと、
やっぱり生活様式が違いますから、同じものでも少しずつ変わってはきています。
でも、それはそれで自然なことですよね。
時代を振り返ってみて「いまだからあえてこっちをやってみる」
というタイミングもあるかもしれませんし、
つくり手さんのほうでいまの時代に合わせようと悩んでできる作品もあるんです。

その作品からちょっと何かを引き算するだけで、すごくすっきりする場合もあるんですよね。
私たちはデザイナーではないので新しいものをデザインするということはできませんが、
そういう提案をすることはあります。

小山: 僕らは番組として毎回新しいものをつくるというフォーマットがあるので、
いまの北村さんのお話と真逆かもしれない。
締め切りがあって、新しいクラフトを月にふたつずつ、つくるわけです。
でもものづくりがゴールではなく、
その仕事や歴史を紹介することが一番の本筋です。

ニュー・クラフツはつくりますが、売ることが前提ではなく、
職人さんたちに「こういうやり方もあるのか」と感じてもらったり、
刺激になったりすればいいなと思っているんです。
何らかのきっかけを番組がつくってあげられたら、最大の使命を果たせるのかな、と。
商品として売るためには
「販売価格はどうするんだろう」
「それに対する労働時間はどうなんだろう」
などと考えなければいけないので、何でもかんでも商品にできるわけではないですしね。
むしろ、そこが一番難しいだろうなと思いますね。

北村: つくったからには少しでも多くのお客さまに見ていただきたいし、
楽しんでいただきたいので、
私たちには“手のとどく価格帯の中で”という問題が必ずつきまといますね。
ちなみにこのこけしは3000円、小さいものだと2000円、1500円程度です。
焼き物も3000~4000円、大きいもので5000円くらいなんですよ。

小山: 手に取りやすい価格ですね。

北村: そうなんです。

小山: ……ところで、これはふんどしですか?

テーブルにあった商品を手にとる小山さん。

自らリスクを負って、 まちに関わるということ。 WORKVISIONS vol.6

WORKVISIONS vol.6

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村 浩です。
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5と話を進めてきましたが、
今回でいよいよ連載も最終回。
vol.1のワークヴィジョンズの東京オフィスのリノベーションの話から始まり、
vol.2では、初めて市民の方々との協働で取り組み、
ひとつの建物を越えて、
“まちのリノベーション”という考え方を意識した、
三重県の鳥羽のプロジェクトについて、
そしてvol.3以降は、
私の故郷佐賀のまちなか再生のプロセスを紹介してきました。
最終回では、これまでの経験を通じて、
ほんの少しみえてきた地方都市のにぎわい再生のコツのようなものを、
僕なりに整理をしてみたいと思います。

どうしたら、小さな小さな建物のリノベーションが、
大きなまちのリノベーションの物語につながっていい連鎖と循環をつくれるか。
そのヒントになるような話になれば、最終回らしい締めができるかな?(笑)
僕と同じように、
全国各地で故郷を元気にしようとがんばっている方々に向けて、
少しでも参考になればうれしいです。

自ら、まちのプレイヤーになる

ひとりの市民の方からの1本の電話をきっかけに、
かなり疎遠になっていた故郷佐賀に
東京から足を運ぶようになったのが2008年。
その後、佐賀市からの依頼で、
佐賀市のまちなか再生に取り組むようになって数年が経ち、
ありがたいことに佐賀でも民間の建築や
リノベーションの仕事もいただけるようになっていきました。
そうなると、僕やスタッフが東京から佐賀にうかがう頻度もかなり多くなるわけで、
当然のことながら、飛行機代や宿泊費なんかの経費が
びっくりするほどかかるようになりました(汗)。
これでも僕は一応経営者なので(笑)、
佐賀の仕事の経費削減に頭を悩ませることに……。
それを解決するための答えは、
東京とは別に佐賀にも仕事の拠点を持つことでした。
ここから、僕の2拠点での働き方が始まりました。
そこで、さっそくオフィスの場所探しから始めました。
まちなか再生に取り組むわけですから、希望はまちのど真ん中。

ところが、ネットで検索していてわかったことは、
佐賀でも意外に家賃が高いことと、
僕らのような小規模起業のスタイルに合う適当な広さの物件が
とても少ないということでした。
また、佐賀市のまちを歩くとシャッターだらけの状態にもかかわらず、
賃貸物件自体もとても少ない。
これにはいくつかの理由があって、
シャッターが閉まっていても不動産オーナーの方が奥に住んでいるとか、
知らない人に貸すのはめんどくさいと感じているとか、
相続関係の手続きが進んでいない……、
単純に貸し手と借り手のミスマッチだけではなさそうだということもわかりました。

そこで、最終的には空き地を借地して、〈わいわい!!コンテナ〉と同じように、
コンテナを使って、自分たちの場所をつくっちゃおう!
ということになりました。

それが佐賀市呉服元町に誕生した、
http://co-cotoco.jp/〉というスペースです。
ガラスの多い建物ですから、内部の様子が外からよく見え、
まちのにぎわいにもつながるしかけになっています。
僕も佐賀に行くと、気持ちのよい窓際で仕事をすることが多いのですが、
外からよく見えるので、知り合いが僕を見つけてよく立ち寄ってくれます。
ただ、おかげで、なかなか仕事がはかどらなくて
困ることもあるんですけど(笑)、とてもうれしいことです。

商店街の空き地を借地してつくったまちのタマリバ。

そして、これで僕も不動産オーナーになってしまったわけで、
当然、借金をして投資をして、この場所を得たわけですから、
お金を稼ぐことを考えなければなりません。
そこで、ここには、ワークヴィジョンズの佐賀オフィスのほか、
マチノシゴトバとしてのコワーキングスペースと、カフェを併設しました。

カフェとコワーキングスペースの様子。

また、さまざまなイベントや市民活動の場としても活用してもらっています。
COTOCO SAGA 215というスペースがまちに生まれて、
ようやく1年が過ぎたところですが、
人と人のつながりをつくり、
さまざまな市民活動やまちの情報が集まる場として、
少しずつ認知されてきたように思います。

さまざまな市民活動やイベントの様子。

子どもたちも遊びにくるようになってきた。

小さなリノベーションを 繰り返すことで、見えてくる都市。 403architecture [dajiba] vol.5

403architecture [dajiba] vol.5

第5回目となる今回は、浜松の中心市街地、ゆりのき通りにある〈三展ビル〉にて
〈EE〉というセレクトショップを営む、松尾龍一さんに話をうかがっています。
第1回を担当した、橋本健史がインタビューしてきました。

三展ビルには、第1回でインタビューした林さんの美容室〈enn〉、
EE、さらにもうひとつ手がけたプロジェクトがあるので、
僕たちのプロジェクトが合計3つも同居しているビルでもあります。

また、松尾さんは、三展ビルのリノベーションの前に、
僕らが浜松市内のマンションの一室をリノベーションした、
プロジェクト〈海老塚の段差〉に入居していたということもあって、
場所も人もさまざまにつながっています。

©kentahasegawa

「海老塚の段差」

不動産のマネージメント会社から依頼で、築40年のRC造3階建のマンションの一室をリノベーション。もともとは小さな4つの部屋にわかれていたが、壁をなくし、さらに床の半分を取り壊してスキップフロアのワンルームとした。天井高の高いフローリングのエリアと、一般的な天井高のコンクリート平板を敷き詰めたエリアがある。松尾さんが入居後は、セレクトショップ<EE>として、オープンしていた。

橋本: まずは僕らが〈海老塚の段差〉と呼んでいる、
物件に入居された経緯からお話いただけますか?

松尾: 結婚を機に夫婦ふたりで住むための部屋を探していたときに、
知り合いから「こんな物件があるよ」って教えてもらったのがきっかけかな。
普通に住むためだけの物件をいろいろ探してたんだけど、
まぁ、どこも変わり映えしないし、自分の気に入った家は、半ばあきらめてた。
でもあの物件を見たら、そのとき副業として、
週末だけカフェの一角で服を売ってたんだけど、
ここなら、店もやれるんじゃないかと思って。

入居前。©kentahasegawa

入居後。©kentahasegawa

橋本: じゃあ、最初から店舗兼住宅を探していたわけじゃなかったんですね。

松尾: そうだね。物件に出会って、思いついた。

橋本: 入居後、店舗用にいろいろご自分で手を入れてましたよね?
水道管を加工して、天井から吊り下げたハンガーラックとか。
天井に穴をあけて、ラックをつくるなんてかなりの技術が必要ですよ。

松尾: 入居初日から天井に穴を開けたら、上の階の人から怒られた(笑)。

橋本: 天井ってコンクリートですからね(笑)。
コンクリートとなると、専用の道具が必要ですけど、ハンマードリルとかは持ってたんですか?

松尾: ennの林さんに借りた。
ハンマードリルじゃなくて振動ドリルだったから、時間もかかるし音もすごいし。

橋本: あと、スキップフロアの下に設置していた、木の階段を移動させてましたよね。
あれって、もともとは床を支えてた梁材というか、大引っていうんですけど、
かなりしっかりした部材を切断して積み上げたものだったので、めちゃくちゃ重いんですよ。
プラン的に動かす可能性があるので、あえて床に固定はしてなかったんです。
ただ、つくってみたら重すぎで、誰も動かせないかもと思ってたんですが、
まさかスキップフロアの上に持ち上げられるとは予想外でした。

松尾: あれねえ、ほんとに重すぎて、俺うんこもらしたもん(笑)。

橋本: (笑)。

松尾: 超がんばったよ。

松尾さんが天井に取り付けた水道管のハンガーラック。移動した階段は、シューズディスプレイとして転用されている。©kentahasegawa

橋本: あと、寝室と店舗を仕切るカーテンも自作されてましたね。

松尾: もともとあったカーテンは、ちょっと透け気味だったから。

橋本: カーテンの奥が寝室になってましたからね。
初めてお店にうかがったときに、使いこなし方にはびっくりしました。
まずもって水道管をこんなに自由に扱えるというのは、
明らかに僕らよりも技術があるというか。カットしてちゃんとネジも切っていて……。

松尾: 水道管ラックのネジ切りは人に頼んだんだよ。
周りにそういうことをやってくれる業者さんがいるから。

橋本: はじめはスキップフロアの上のほうだけがお店で、
下のほうは住宅として使っていたじゃないですか。
その後、全体がお店になりましたよね。あれはなぜそうなったんですか?

松尾: だんだん販売スペースが手狭になってきたのと、
住むスペースとしてもやっぱりちょっと狭かったから。
そしたらちょうど、弟夫婦が住んでた、実家の隣の一軒家が
まるまる空いたっていうのもあって、住む場所だけ引っ越した。

橋本: なるほど。マンションの一室で、洋服屋さんをやるっていうのは、
この辺だとあんまりないっていうか、駅から車で15分とやや離れてますし、
知ってる人じゃないとまず行けない場所でしたけど、そのあたりはどう考えてましたか?

松尾: もともと浜松で雇われで服屋さんをやってたから浜松のお客さんが多いんだけど、
浜松のあと、車で40分くらいの掛川市のカフェで、週末営業していて。
それでもまぁまぁ浜松から来てくれた。
そういう経験があったから、どこでもいいってわけじゃないけど、
アクセスのよさよりは、おもしろいとこでやるのがいいんじゃないかと思って。
雇われてたときは路面店だったんだけど、
そのあとカフェの一角でやって、マンションでやって、
いまここは2階だしね。あんまり誰でも入りやすいような感じにはしたくなくて。

©yoichirosuzuki

橋本: ふらっと入ってくる人はほとんどいないっていうか、
基本的には知り合いが来る感じですよね。

松尾: まぁ、そんなにウチで扱ってる服って、安いとは思わないし、
やっぱり誰かからの紹介で来る場合のほうが、買ってくれる確立も高いわけ。
お店も狭かったから、あんまり回転させるというイメージがなくて、
それだったらじっくりひとりひとり接客したいなと。

ennは、美容院だし基本1対1じゃない。
ああいう感じで、予約こそしないけど、
かなりプライベート感のある空間にしたかったというのはある。
あと、あそこはキッチンもあったから、
そういう商品も扱って、生活空間が見せられるからこその提案もできたし。

©kentahasegawa

橋本: 洋服を売るお店として使う場合、キッチンがあると邪魔になりそうなものですが、
逆にキッチン関連の商品も扱うようにするっていう発想がすごいですよね。

僕としても、使われている状況を見たときは相当衝撃的で。
というのも、海老塚の段差では、段差の上にあたるコンクリート平板を敷き詰めたところと、
段差の下の天井高の高いフローリングの場所とをつくっているんですが、
これがそれぞれどういう使われ方をするかは、一応いろいろ想定しているわけです。
ダイニングテーブルを配置するならこういうパターン、
SOHOとしてデスクが置かれるならこういう感じとか、
ベッドはどちらにも置くパターンがありえるとか。

基本は住むことが前提で、プラスアルファで仕事をしたり、
なにかものをつくったりする人が入ることを想定はしていたんですが、
実際に使われている状況は、想像をまったく超えていて。まさか店を開いちゃうとは。

入居前。写真右のコンクリート平板の下は、収納スペースになっている。©kentahasegawa

松尾: そうなんだ(笑)。あの場所だから、お店ができるなと思ったんだけどね。

橋本: そうなんです。
そういう、使い手が空間から影響を受けることによって何か発想が起きて、
その使い手の想像力に影響を受けて、またつくり手が新しい発想を得るというのが、
健全な関係というか。使いたい通りにつくらせるとか、つくった通りに使わせるとか、
そういう一方的なものではなくて、空間を通したコミュニケーションが起こることが、
創造的なことだと思うんですよ。

海老塚の段差から出て、ここ三展ビルに移転して来たのは、どういう理由からですか?

松尾: 正直、別に全然出ようと思ってなかったんだけど、
三展ビルが空いたってennの林さんに聞いて。
それまでも何回かennをイベントで使わせてもらったりしてたから、
お客さんにも場所にもなじみがあったし、
〈海老塚の段差〉が手狭になってきたっていうのもあったから。
家賃的なこととかも林さんがかけあってくれたり。
それだったら、移転してみようかなと。
三展ビルの雰囲気とか、ennの内装とかは好きだったけど、
まさか自分が入るとは思ってなかったけどね。

橋本: そうして僕らに設計を依頼していただいてできたのが、
この〈三展の天井〉なわけですね。
インテリア全体をつくり込んでいくというよりは、バックルームをどうつくるか、
という相談って感じでしたね。それ以外は、結構入れ変わるし、
什器もご自分で選んだものがあるからと。

©kentahasegawa

「三展の天井」

古いRC造のビル〈三展ビル〉にある、セレクトショップ。30ミリ角の木材とスチール角パイプが格子状に組まれ、天井から吊られている。バックルームとしてストックなどを収納するほか、ハンガーを直接かけたり、照明の取付、配線スペース、ディスプレイのガイドなど、入れ替わりの激しい店舗としての運営をサポートする。

中古ビルの セルフリノベーションをサポート。 家族でつくる個性光る家。 ルーヴィス vol.5

ルーヴィス vol.5

みなさま、こんにちは。ルーヴィスの福井です。
今回は〈途中の家〉と名付けた、
現在も進行中のプロジェクトについて
施主のメッセージも交えながら紹介します。

このプロジェクトが始まったのは、2012年の夏頃だと記憶しています。

ある日、まだ20代だった高田陽介さん、尚子さんご夫婦が事務所に相談に来ました。
「RC地下1階地上3階建の事務所ビルを買ったのでリノベーションしたい」
いつもの相談と少し違ったのは
「自分たちでできる限りDIYしながらやりたいので、
できない部分をお願いしたい」ということでした。

その頃、“塗装は自分たちでやりたい!”というクライアントも増えていた時期。
ただ、日常の関係で挫折してしまう人も多く、
一瞬、不安を覚えましたが、陽介さんと尚子さんは、
初回の打ち合わせで自分たちが子どもの頃から思い描いていた
理想の家をものすごい熱意で話してくれました。
背景をうかがっていくと、陽介さんの両親は、
「理想の住まいを追い求めているうちにセルフビルドで一軒家を建ててしまった」方たち。
さらに、尚子さんは、
「子どもの頃に読んだ『三匹の子豚』の物語が忘れられず、
ひとつずつレンガを積んで家を建てるのが夢」と言います。
とにかく「自分たちの住む家は、自分たちの手でつくりたい!」
という熱意は人一倍感じたのを覚えています。
ふたりのあまりの熱意に
「なんとかなるんじゃないですか?」と返事をしたものの、
少し半信半疑だったのも正直なところでした。

工務店というのは現場を管理するのはもちろんですが、
工程どおりに職人を現場で動かしつつ、
クライアントが求める日までに適正なクオリティで
工事を完了して引き渡すことが求められます。
施主が通しで工事に参加することは、
スケジュール通りに工事が進行しないリスクを受け入れることになります。
直前で工程をリスケすることは職人の生活にも直結します。

どのような取り組み方がいいのかを考えた結果、
「施主と工務店の工事区分をしっかりとしたうえで、完成を前提としない」ことにしました。
当時、工務店が工期を明確にしないというのは、
建設業者として社会的には、疑念を抱かれるかもと思っていましたが、
高田夫妻の理想を実現するために、
そのリスクを負い、竣工しないことを肯定することにしました。
施主が途中でリタイアして、職人を入れたとしても費用が莫大に増えない、
もしくはあとからでも施主が対応可能な仕様を
仕上げとして逆算しながらプランを考えました。

工事スタート

陽介さんと尚子さんの「自分たちでできる限りDIYしたい」という話を信頼し、
まずはふたりに解体をお願いしました。

「壊すことから始まった家づくり。壁の石膏ボードはコンクリートの躯体にがっちりと接着されていて、開始早々苦戦を強いられることに」(陽介さん)

「学校の教室に貼ってありそうなプラスチックのタイルは、ペッカーという見たこともない機材をレンタルしてひたすら削り取りました」(尚子さん)

「大量に出た瓦礫を外に運び出す作業は、想像以上に重労働でした……」(陽介さん)

「躯体のコンクリートの素材感が気に入った部分は、壁をつくり直すのを止めて、グラインダーで表面を整えたまま内装として残すことにしました」(陽介さん)

慣れない解体作業に苦闘するふたりの様子は、facebookにアップされていき、
僕らは見守るだけでした。

「真夏の解体作業は過酷でしたが、
丸裸の家を見れたおかげでどこに何がついているかよくわかりました。
それに“夢のマイホーム”だからと言って買ったまま大事にとっておく必要はなくて、
むしろ家も暮らしの道具だと思ってどんどん使い込めばいいんだ、
と割り切った気持ちでスタートできたのはよかったと思います」(陽介さん)

解体作業終了まで、もうすぐ。

正直、解体作業って大変です。
粉塵まみれになるし、ケガもしやすい。
特に夏場は汗に粉塵がまとわりついて不快指数も上がります。
陽介さんと尚子さんのfacebookの写真を見て、
「もしかして、このふたりならこのままいけるかも」と僕は思い始めていました。

さらに驚いたのは陽介さんのお父さんのプロ並みの技術です。
多少スケジュールがずれたりもしましたが、
こちら側の工程進行に支障がないように少しずつ確実に進んでいくのです。

「すごく心強かったのが父の存在。僕の父は、母と力を合わせて独学でマイホームを建ててしまった“家づくりの師匠”とも呼べる人です」(陽介さん)

「壁の下地を組み、断熱材を入れて、石膏ボードを貼る。そういった内装の基礎はすべてお父さんに教わりながら進めていきました」(尚子さん)

「父に工具の使い方を教わっているときは、
子どもの頃に戻ったようでちょっと懐かしい気分でした」(陽介さん)

「父に教わりながら、リビングのフローリング用に合板で捨て張りをしていきます」(陽介さん)

歴史ある銀行建築の再生から始まった、新しい地域づくり。 一般社団法人ノオト vol.04

一般社団法人ノオト vol.04

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオトの星野新治です。
vol.1に引き続いて担当します。

今回は兵庫県豊岡市の中心市街地を舞台として、
歴史的建築物の再生から動き出す、地域づくりについてお話していきます。

北但大震災から復興したまち、豊岡。

豊岡市は兵庫県北部に位置する但馬地域の中心都市で、
国の天然記念物「コウノトリ」を再生し、共に暮らすまちとして全国的に知られています。
そのほか、風情ある外湯めぐりの「城崎温泉」や、
歴史的城下町の景観が残る出石地区などの観光名所から、
地場産業の「カバン製造」など、さまざまな顔を持っています。
そして何よりも、カニなど日本海の海の幸から、神戸牛のルーツである但馬牛、
豊かな土壌が育む農産物までが揃う「豊かな食の宝庫」のまちです。

兵庫県立コウノトの郷公園で行われているコウノトリの飼育。

城崎温泉のまち並み。

多様な魅力を持つ豊岡ですが、
実は今から90年前、1925年の北但大震災により、壊滅的な被害を受けました。

M6.8・最大震度6の巨大地震は、
豊岡市街地や城崎を中心に、大半の建物が焼失するなどの被害をもたらしました。
現在の豊岡や城崎は、その壊滅的な状況から復興して築いてきた、
大切な「まち並み」や「生業」なのです。

当時の人々は復興に際して、
災害に強いまちを目指して、道路拡大や耐火建築の促進に取り組み、
復興建築として鉄筋コンクリートの建物が数多く建設されました。

そのひとつとして1934年に建てられたのが、〈兵庫県農工銀行豊岡支店〉です。
当時の洋風建築の要素を取り入れた、ルネッサンススタイルの重厚な銀行建築で、
長年の間銀行として活躍したのち、市役所の南庁舎別館として利用されていました。
登録有形文化財にも登録されている「近代化遺産」です。

その古き良き建築物を未来へつなげ、新たな地域づくりの拠点として再生する、
それが〈豊岡1925〉のプロジェクトです。

1934年に建設された兵庫県農工銀行豊岡支店の竣工当時の外観。

兵庫県農工銀行豊岡支店の竣工当時の内観。

復興建築から、新たな地域拠点へ。

豊岡1925のプロジェクトは、2012年にスタートしました。

開発の手法は、vol.3でご紹介した朝来市の〈旧木村酒造場 EN〉と同様に、
新しい公民連携の仕組みが取り入れられました。

豊岡市が施設の整備計画を公募し、運営事業者が選定されます。
その整備計画に基づいて、市は、施設整備(設計/工事)を実施。
そして、管理運営は、選定された運営事業者が整備計画に基づいて実施する、
という方式です。

豊岡1925の整備運営手法(豊岡市HP「豊岡市役所南庁舎 運営事業者の募集」より作成)。

豊岡市は2012年10月に運営事業者の公募を開始。
その結果、ノオトの提案が採用運営者として選定されました。

ホテル、レストラン&カフェ、ショップ、ギャラリーなど
市民や観光客をはじめとしたさまざまな人々が、
交流・観光拠点として気軽に利用できるような新しい用途を加えながら、
収益も確保できるような、持続可能な機能を持たせることで、
歴史ある建築を次の時代へつなげていく試みを提案しました。

また、お菓子の神として古事記や日本書記にも記されている、
〈田道間守(タジマノモリ)〉が祀られる総本社・中嶋神社が豊岡にあることから、
スイーツショップを設置し「お菓子のまち」としての要素を取り入れました。

リノベーションにあたっては、
当時の銀行建築の古き良き趣をできるだけ生かすように、
天高の高い窓口・ホール部分は、開放感のあるカフェやスイーツショップとして、
趣のある執務室は、宿泊施設やレストランの個室などとして、
重厚な金庫は、ギャラリーや倉庫として活用しています。

そして、2014年4月に〈豊岡1925〉としてオープンしました。

豊岡1925の外観。

豊岡1925のスイーツショップとカフェ。

豊岡1925のホテル客室。

人が集まるところに市が立つ。 状況が一気に好転するリアリティ。 WORKVISIONS vol.5

WORKVISIONS vol.5

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村 浩です。
vol.1vol.2vol.3vol.4に引き続き、佐賀のまちなか再生のお話です。

全6回なので、残すところ、あと2回。
vol.3vol.4では、まちなかの遊休地を地域の方々の手で
芝生の「原っぱ」に変えていくお話や、
中古の海上輸送用コンテナのリノベーションで、
まちなかに市民の活動の場をつくる、
「わいわい!!コンテナプロジェクト」について紹介をしてきましたが、
今回は、そういった「点」のしかけから、
佐賀のまちなか商店街が
少しずつ変わっていった様子を紹介したいと思います!

子どもたちの声がまちなかの雰囲気をがらっと変えた

前回紹介しましたが、わいわい!!コンテナプロジェクトも、
今年で5年目に入り、ようやく認知度も高まって、
子どもたちからお年寄りまで多様な世代の人々が
日常的に集まり、憩い、活動する場所になってきました。
特に、子どもたちが集まる場所になったことは、
なかなか元気のない商店街の雰囲気を大きく変えました。
地元新聞記事に掲載された小学生たちのコメントには、
「いままでは、学校が終わったら、
ゆめタウン(近くの大型ショッピングモール)に行っていたけど、
いまは、いつも友だちがいるここ(わいわい!!コンテナ)に来るようになった」
というような言葉がありました。

そうなんですよね。
いままで、まちなかに子どもたちが来なかったのは、
まちなかに居場所がなかっただけなんですよね。
安全で楽しい場所さえあれば、子どもたちも集まってくる。
子どもたちは、自分たちだけの楽しい場所を見つけるのが
とても上手なように思います。

そしてなにより、商店街が明るくなった!
車だらけの夜の飲み屋街になりつつあったまちなかの商店街が、
夕方学校が終わるころになると子どもたちの声がするようになったのです。
わいわい!!コンテナの中で、本を読んだり勉強をしたり、
外では芝生を走り回り、虫取り網でとんぼを追いかける子もいました。

子どもたちで賑わうわいわい!!コンテナ2。

ある日、みんなで芝生を張った原っぱで、
サッカーをやる子どもたちを偶然見かけたことがあります。
ここは、商店街のど真ん中です(笑)。
なんとも不思議な気持ちになりました。
そして、この話には続きがあります。
とてもいい風景だったので、僕も写真を撮ろうとした瞬間、
子どもたちが勢いよく蹴ったサッカーボールが、
柵を越えて隣の駐車場に飛び、運悪く車に“ボッコン”と……(汗)。
まちなかの空き地、そんなに広くはないから、仕方ないですよね。
そして、残念ながら僕のカメラのシャッターが捉えたのは、
サッカーの様子ではなく、ばつの悪そうな子どもたち(笑)。

まちのど真ん中の商店街でサッカーを楽しんでいる(はずの)子どもたち。

そんな子どもたちのサッカー顛末を見ていて、
実は少し懐かしい気持ちになりました。
僕らも子どもの頃、家の近くの空き地で野球をやっていて、
お隣さんの庭にボールが入ってしまったり、
時にはガラスを割ってしまって、
思いっきり怒られたりしたことがありました。
おそらく、僕と同じ世代の方々は、
「そうそう!」と頷かれているんじゃないかと思います。
今や、住んでいる人が少なくなってしまった中心市街地ですが、
昔は、みんなまちなかに住み、
そして空き地は子どもたちの大切な遊び場だったんですよね。
子どもたちの周りには必ず大人が見守っていて、
そこに自然に地域の濃厚なコミュニティが存在していたわけです。

佐賀市のまちなかに生まれた、わいわい!!コンテナと原っぱは、
まちの中に昔ながらの人々の活動とコミュニティを
取り戻すきっかけになっているように思います。

古いビルの1室につくられた 宙に浮かぶゲストルーム。 403architecture [dajiba] vol.4

403architecture [dajiba] vol.4 
「自分のため」の空間を「誰かのため」に開くこと

第4回は、辻 琢磨がインタビュアーを務めます。
僕らの最新プロジェクトが、2015年4月に竣工した「鍵屋の階段」。
アトリエだった場所を、ゲストルームとしても使えるように改修しました。
今回は、その施主であるマシュー・ライアンさんにお話をうかがいます。
オーストラリア出身のマシューさん。
浜松のカルチャーの発信拠点として、
シェアオフィスやショップが入る築40年以上のカギヤビル(vol.3に登場)は、
かつては、空き室だらけでした。
地元不動産によるリニューアルを契機に、
カギヤビルに入居したマシューさんは、
4階の約25平方メートルのワンルームを自らのDIYで改修し、
映像制作などの創作活動をしたりしていました。

英会話教室も開いていましたが、
基本はマシューさん自身のためのアトリエ空間。
でも、浜松のまちの人との交流が始まるようになったことで、
この部屋をもっと多くの人を呼び込めるゲストルームとしても使えないかと
マシューさんは考え、僕らdajibaに相談がきたのです。
もともとマシューさんがDIYでつくり上げた空間はとてもすばらしいもので、
そこを生かすには、どんなゲストルームをつくればよいのか……
議論を重ねていくうちに、設計が決まるまでに要した期間はなんと7か月。
でもおかげで、お互いが納得いく空間となりました。

「鍵屋の階段/The Stairs of Kagiya」

築40年以上経つコンクリート造の共同ビルの1室の、ゲストルームへの改修計画。
コンクリートの既存の梁から箱形の空間を吊ることで、下部には無柱空間ができ、
箱の中には寝室となるロフトスペースが生まれている。

カギヤビルにつくった居心地のよいアトリエ。

辻: そもそもなんで、この小さな空間に、
ゲストルームをつくりたいと思ったの?

マシュー: iN HAMAMATSU.COMという、
浜松の観光プロモーションサイト運営に携わっているから、
観光に興味があったというのはあるんだけど、
中国にいたときにユースホステルを運営していた経験があって、
屋上でパーティしたり、
いろいろな人とのコミュニケーションが生まれていた。
何かそういうことをつなげたいとも思っていたんだ。

辻: なるほど。中国に数年いて、中国語も話せるんだったよね。
そもそもマシューはどんな縁で浜松に来たの?

マシュー: オーストラリアには、大学までいて。
そのときは、芸術史を専攻していたよ。
あと、お金を貯めてヨーロッパへたくさん旅行もした。
本物は本より大事なんだ。
オーストラリアでは、全部本の中でしか歴史に触れられなくてさ、
すべてのオーストラリアの建物は200歳より若くて、古い建物がない。
日本にあるお寺は600歳だったりするわけでしょう。
実際に、経験することで物事は本当に理解できるから、
僕にとって旅は、教育そのものだよ。

辻: それは僕も感じるよ。それで紆余曲折あって中国にたどり着いたと。
そこで今の奥さん(マシューの奥さんは日本人)と出会って、
日本に来ることになったんだよね?
でも、カギヤビルのこの部屋はどうして借りようと思ったの?
自分で決めたわけでしょう?

マシュー: ただ気に入ったんだよ。
僕が入った2012年頃は、ちょうど丸八不動産株式会社
平野啓介さん(第6回インタビュー予定)たちがカギヤビルを買った直後で。
それまであった昔ながらの喫茶店や洋服屋さんはいくつか入っていたけど、
ほかは空っぽのビルだった。

辻: リニューアルしてから、
マシューが最初の入居者ってことなの?

マシュー: 新規では、そうだね。
でも、浜松出身の写真家・若木信吾さんがオーナーを務める、
本屋「ブックスアンドプリンツ」と同じくらいじゃないかな。
ブックスアンドプリンツは、すばらしい場所だね。

マシュー: 僕は今まで、この部屋をアトリエや
英会話レッスンのためのスタジオに使っていたんだ。
最初は、コンクリートで囲まれた何もない空間だったけど、
英会話教室をするのに必要だったし、
自分でクリエイティブな活動をしたいのもあって、
DIYで部屋をつくり始めたんだ。

おかげでここは、僕の空間でとてもリラックスできる。
ここにいて、何かつくって、何か読んで。それだけで居心地がいい。
自分の「家」は子どももいて、とても忙しいからというのもあるけど(笑)。

でも、当時若木さんがよく来てくれたことは大きかったなぁ。
いつもおもしろい話をしてくれて。彼は英語も話せるし、会話がうまい。
インターナショナルなセンスがあって、いい関係を築けているよ。

そのときに彼が連れて来る知り合いがおもしろい人ばかりで、
教わったり、刺激をもらったり、次のものをつくって、また次をつくって、
と続けているうちに、空間ができあがっていって。
まずは、床を貼ることから始めたんだけど、
それから、西日が強かったからカーテン替わりにいい感じの布を窓に設えたり、
大きなテーブルをつくったり。
何でも描ける黒板を壁にかけたり、
あとは自分の好きな雑誌や作品やレコードが少しずつ増えていった感じで、
気づいたらできてた(笑)。

辻: 僕らより全然DIY上手いよ(笑)。
床の張り方も目地をずらして工夫しているし、
DIYでつくるところとそうでないところをしっかり見極めている。
素材の選び方のセンスもとってもいい。
この空間に散りばめられている家具、
レコードや昔の雑誌といった小物に至るまで、
古いものもあれば新しいものもあって、
でもなんとなく統一感がある、それがマシューらしさを表現していると思うな。

マシュー: とにかく、この部屋を通していろんなおもしろい人たちに出会った。
特に、まちの新しい使い方を見つけてくれた、
Camp Garden」のイベントはおもしろかったな。
カギヤビルの屋上でキャンプ場を皆でつくってたやつね。
そこで、初めてdajibaとも会ったんだと思う。 
そのときはdajibaが建築家なのかもわからなかったけど。

Camp Gardenの様子。403architecuture [dajiba]やennの林さん(vol.1に登場)、手打ち蕎麦naruの石田さん(vol.2に登場)、ブックスアンドプリンツの広報・写真家でもある中村陽一さんらが恊働して運営したイベント。2013年9月に開催された。©yo-ichi nakamura(BOOKS AND PRINTS)

辻: Camp Gardenを通して、
浜松の人たちとの交流が一層深まっていったんだね。

マシュー: そうだね。みんなフラッとこの部屋にやってくるんだよね。
例えば、ブックスアンドプリンツの中村陽一さんも、ただここに来て、
何も言わずに帰っていくような人でね。会話なく。僕も仕事して帰る。

でも、僕はここにいつもいるわけじゃないし、
いなかったら、ただのデッドスペースにもなるわけでしょう。
もっと生きた、みんなにとってもいい空間の使い方があるんじゃないかって。

辻: 自分で、自分のためにつくったはずの空間を、
まちに開いていくことの可能性を感じたんだね。

増築ならぬ、“減築”で 暮らしやすさを手に入れる。 ルーヴィス vol.4

ルーヴィス vol.4

皆さま、こんにちは。
ルーヴィスの福井です。
今回は、「減築」のお話です。
僕らは2008年頃からホームページに「減築」というコンテンツをつくっていました。
減築というのは、わかりやすくいうと「増築」の反対です。
かつて人口が増加傾向にあった頃は、
より床面積を広げようとする「増築」が求められていました。
一方、「減築」はそれとは真逆の考え方。
床面積を減らして、効率のよい生活をすることに価値をおいています。
クライアントは、オオツボデザインの大坪正佳・文恵さん。
今回の住まいは、彼らと共同設計しましたので、
大坪さん自身にも寄稿いただきました。

中古物件を減築して、機能的な住環境に

こんにちは。施主兼設計のオオツボデザインの大坪です。

私たち家族はもともとは東京に家を借りていましたが、
気持ちのいい環境で自邸を持ちたいと考え、
2年間ほどかけて都内~湘南にかけて土地やビンテージマンション、
古家などを探していました。

私たちは土地を買って新築を設計するか、
古家を大規模にリノベーションしようと考えて物件を探していましたが
そんな時に古家はタダ同然になっていることにかすかな疑問を感じていました。
味わいがあって改装したらよくなるはずの古家なのに
タダ同然で値付けされているのを見ると、さみしい気持ちになっていました。
昔の住宅のほうが、今の住宅よりも味わいがあったり、建材などがよい場合もあり、
まだ十分住まいとして活用できる、むしろ気持ちのいい住宅が実現できるのに
解体されてしまうのはもったいないと思っていました。
そして、住宅のリノベーションのデザインをして
自分たちで手をいれながら暮らしてみたい! と考えて始めていました。

鎌倉市内の高台に建つ、今回リノベした物件。

7年前にこの物件を見たときは、まさにリノベーション向きの住宅だと思いました。
場所は鎌倉の裏が山になっている静かな住宅地です。
しかし築50年の木造住宅なので古くなりすぎていて
正直なところ、汚くて住めないと思う部分がありました。
でもロケーションはよい上に値段も安く、古家自体も悪くないデザインだったので
思い切って直しながら住んだら面白そうだなと考えました。
もし、リノベーションをできないという条件なら、ここで暮らそうとは思わなかったでしょう。

建物は、大部分は平屋建で、一部2階建となっています。
まずは、引っ越す前に、奥の住まい部分と水回りは大々的に改装しました。
住みながら改築したのは、手前の平屋部分。
まず、2部屋あった和室の仕切りを取り払い、
天井も取って、廊下との仕切りも取り、空間を広くしました。
更に床を無垢のフローリングに入れ変えてみたら、明るく気持ちがよい空間になりました。

もともと和室(書斎)だった部屋をリビングルームにリノベしました。

以前の住人は小説家であったため、前述の和室以外にも
玄関をあがったすぐのところに編集者の待合室のある間取りで、
面積は広いのに生かしきれずデッドスペースになっていました。
しばらくは、そのまま住んでいましたが、
2年ほど前に近くに借りていた駐車場が取り壊されることになってしまい、
新しい場所を探さなくてはいけなくなったんです。
その時に、玄関まわりの建物を少し削るようなリノベーションをして、
駐車場をつくってはどうかと思い、設計を始めました。
施工をどなたにやっていただこうかと考えているときに思い出したのが、
以前から仕事でお付き合いのある福井さん。
彼のホームページに「減築」と書いてあったと思い出しました。
まさに私たちが計画している考えだったのです。
さっそく、福井さんには施工の相談をさせてもらいつつ、
予算が限られているために安く上がる工法の提案も合わせて出してもらいました。

そして今回のリノベーションでは、玄関先の建物を少し削り取ることにしました。

次は、減築の工事のプロセスを福井さんが説明してくれます。

神藤タオル

明治40年創業の老舗が育む、新しいタオル

朝起きてから夜眠るまで、人の肌に触れる「タオル」という存在。
何気なく使う人も多い中で、最近はその質にこだわる人も増えている。
そんな中、注目を集めているのが、神藤タオル株式会社だ。
実は日本のタオル産業発祥の地と言われる大阪府泉佐野市・泉州地域で、
明治40年から製造工程や原料にこだわった上質なタオルを生産している。
そこには、伝統技術を守り続ける職人たちと、
使い手の目線で新たな商品を企画する若手社長の姿があった。

工場に入ると、あちこちからガシャン、ガシャンと大きな音が聞こえる。
ここで日々せわしなく働いているのは、新旧3種類の織機だ。
最新のエアー織機を半年前に導入したことで
量産にも対応できるようになったが、古株の織機もフル稼働。

古株のシャットル織機。これを現役で使っているタオル工場は少ない。唯一調整できる工場長の日根野谷さんは74歳で、勤続半世紀。

「工場最古のシャットル織機は、主力商品のひとつである
インナーパイル専用になっています。
これはダンボールのような構造で、
中にパイルが入っているタオルなんです」
そう話すのは、弱冠29歳の社長・神藤貴志さん。
社長職に就いて1年半、業界8年目の若手である。

シャットル織機で、横糸を飛ばす時に使われるのが、この木製の「シャットル」。

通常、綿には油分やロウなどの不純物が入っていて、その状態では水を吸わない。
そこで、タオルの場合はそれらを取り除くために「さらし」という工程を経る。
糸の状態で先にさらしをかけることを「さきざらし」、
タオルのかたちに仕上げたばかりの「なま生地」をさらしにかける工程を
「あとざらし」と呼ぶ。このあとざらしが、泉州タオルの特徴だ。
織り上がったあとにさらしにかけることで吸水性が上がり、肌触りの良さが際立つ。

縦糸がパイルになる糸、下の糸が地組織になる糸。そこに横糸を1本、2本と通し、3本目でギュッと打ち出すとパイルができる。

もともと神藤タオルは、神藤さんのおじいさんが経営していた。
お父さんが東京で会社勤めをしていたため、神藤さん自身も関東で育ったのだという。
「東京の大学に通っていた3年生の頃、祖父が東京に出てきて
『どうする? 継がんのやったら、たたむ準備するけど』と言うんです。
自分の名字がついている会社ですし、祖父の思い入れが強いことも知っていたので
100年も続いている会社を終わらすのはもったいないという気持ちから
卒業後、ここで修業することに決めました」と神藤さん。

タオルがどういう工程を経てつくられるのか何も知らなかった神藤さんは、
製造や検品などの現場で、昔の職人気質な「見て覚える」過程を経て、
商品の名前や重さ、規格などの細かな知識を身につけたあと、営業職に就いた。
そこで、今までになかった新しい商品の企画をすることになる。

社長の神藤貴志さん。

再生された元酒蔵で生まれた、 たくさんの縁。 一般社団法人ノオト vol.3

一般社団法人ノオト vol.3

日本100名城のひとつで、雲海の上にそびえ立つ光景から
近年「天空の城」、「東洋のマチュピチュ」などと紹介され、
全国的にもその名前が知れ渡った「竹田城跡」の麓、
兵庫県朝来市和田山町竹田地区。

歴史的なまちの中心にある元酒蔵が、
観光交流拠点として再生され、
一躍人気観光地となった竹田城跡のブームとともに
順調に運営してきました。
しかし、それもひと段落。
すると、地域が抱える課題が見えてきました。
再生された元酒蔵で生まれた、たくさんの縁は広がり、
面白い動きが始まっています。

かつては地域の中心だった大屋敷

「子どもの頃、みんな入るのも怖いくらい、
緊張感漂う由緒ある酒蔵で、ここは遊んではいけない場所だった」

地元の人がそう回想していたのは、本瓦に本卯建を上げた、
城下町の中でもひときわ目をひく重厚な商家、「木村酒造場」。

1625(寛永2)年創業、約400年の歴史を誇る酒蔵でしたが、
1979年に日本酒販売不振のため、醸造業を停止。
以来、建物の老朽化が進み、土壁が落ち、屋根が崩れるほど傷みの
激しかった大屋敷を、城下町の新たな観光交流拠点として
生まれ変わらせるプロジェクトがスタートしました。

今から3年前、2012年の春のことです。
自己紹介が遅れましたが、一般社団法人ノオトの中原と申します。
現在、主に朝来市を中心に但馬・丹波エリアの古民家再生を入口とした
まちづくりの取り組みに関わっています。

半年ほど前にノオトの一員に加わったばかりのルーキーなので、
改修の経緯から現在に至るまで、当時の関係者の話にも耳を傾けながら、
これを機会に私もこの事例を振り返ってみようと思います。

さて、話を3年前に戻しましょう。

大規模な古民家再生プロジェクトがスタート

改修前の様子。元発酵蔵の周辺は屋根や壁が崩れて危険な状態でした。

1998年に兵庫県の歴史的景観形成地区に指定された竹田地区は、
2005年より国土交通省の「街なみ環境整備事業」を活用して、
伝統的な建物を整備する計画をスタート。
竹田城跡が注目される以前から、
木村酒造場は地域の重要なシンボルとして利活用の議論が重ねられていたところでした。

木村酒造場を買い取った朝来市は、約3億6千万円を投じ、
ホテル、レストラン、カフェ、観光案内所などの機能を備えた、
複合観光交流施設の立ち上げを計画。
というのも、普通に文化財として整備し、公開施設にすると、
イニシャルコストとランニングコストばかりがかかってしまうので、
観光交流施設の指定管理者自身がビジネスを行いながら
施設の維持管理を行っていくという、
委託料ゼロ円での指定管理者を全国に公募しました。

これは、自治体が文化財保護の観点から建物改修のイニシャルコストを負担し、
民間が管理運営することでイニシャルコストの一部とランニングコストを負担するという、
自治体が持っている文化財的な古い建物を利活用するための新たな方法でした。

その頃のノオトは、前回紹介した集落丸山の宿泊事業に続き、
地元の篠山市で古民家を改修、サブリース方式で事業者を誘致して
地域の活性化につなげる取り組みで実績を積み重ねていました。
古民家改修を入口とした地域づくりにたしかな手応えを感じ始めていた矢先、
今回の木村酒造場のプロジェクトに出会ったのでした。

これまでのノウハウを結集したノオトの提案が認められ、
木村酒造場の指定管理者に選ばれることとなりました。
地域の観光振興、まちづくりの拠点として人と人との縁を結ぶ場所になってほしい。
そんな願いを込めてこの施設を「旧木村酒造場 EN(えん)」と名付けました。

見上げると竹田城跡、裏手には寺町通り。竹田城下町の中心にある由緒ある酒造場です。

新しい公民連携のカタチ

今回のプロジェクトでは、事業主である朝来市が指定管理者である当社の
古民家再生ノウハウに基づき、地元の松本一級建築士事務所が設計、
株式会社阿野建設が施工を行い、ホテル・レストラン・カフェの運営は、
全国15か所に上る歴史的建築物の婚礼会場、レストランの管理運営実績のある、
バリューマネジメント株式会社が担うという、手法としては新しい、
全国でもほかに例のない公民連携の取り組みとなりました。

木村酒造場の指定管理までの流れ。

これまでは、行政が先行して建物をつくってから、
指定管理者を公募する進め方が一般的でしたが、
設計の段階から構造・間取り・仕上げ・デザインなど、
運営する事業者の意見を取り入れながらも、
竹田城下町のまちなみ景観と建物の歴史性を尊重するかたちで、
可能な限り「そのまま」にリノベーション。
4室の客室に地元の新鮮な食材を使った本格的な
フレンチレストランを併設し、1泊2食付きで2万円台。
心を込めたおもてなしとともに昔ながらの日本の生活空間を体験できる
ホテル・レストラン・カフェに生まれ変わりました。

ホテルの部屋とレストランの内装。

そこに竹田城の魅力と歴史に触れることができる観光案内所と、
地元の農産品やお土産品などが購入できる2軒のチャレンジショップ、
どぶろく醸造所が加わり、2013年11月に旧木村酒造場ENがオープンしました。

ノオトは指定管理者として、古民家の再生活用のノウハウを提供するだけに留まらず、
運営においては、施設に誘致した複数の事業者と、事業主である朝来市や、
地域住民の方々との橋渡し役として、城下町への誘客を促すイベントの企画や、
施設全体のマネージメントを担っていくことになります。

朝来市のまちづくりの1プレイヤーとして現場に飛び込んでいく、
そんな新たな挑戦が始まりました。

竹田城の歴史を紹介する資料館や、朝来市の観光案内所が併設されています。

過熱気味の竹田城跡ブーム

ENがオープンした頃の竹田城跡は、登城者数が3年続けて前年比200%以上と急増し、
年間50万人に届く勢いでした。秋の雲海シーズンの真っただ中、
これまでに経験したことのない多くの観光客をいかにトラブルなく受け入れるか、
とにかくそれに対応するのに精一杯という状況でした。
そんな幸運なタイミングでオープンしたENは、
城跡やJR播但線の車窓からも望める好立地ということもあり、
登城者を城下町や市内へ誘導する呼び水として
予想以上の反響をいただくことができました。

雲海に包まれた竹田城跡は「天空の城」と謡われ、訪れる者を圧倒する迫力があります。(写真提供:吉田利栄)

以降は、宿泊やレストランも順調に予約が入り、
厳しい寒さの但馬の冬も何とか乗り越えて、
オープン1周年には過去最高の来場者と売上を記録。
一見すると全てが順風満帆に進んでいるかのように思われました。

そんな中、ENオープンから2回目の冬に、
朝来市は増え続ける登城者による降雪時のトラブルや、
文化財保護の観点から、冬季期間(12月~3月)限定の
入山禁止措置に踏み切りました。

半年前の2014年12月のことです。
ENの運営は大変なことになりました。

山に囲まれ、綿を育てる。 産地発の新しい服づくり 「hatsutoki(ハツトキ)」

日本のへそ、西脇

2012年から、
僕は国内の繊維産地と呼ばれる地域を巡る活動を始めました。
東北から九州まで
生地を織ったり編んだりする工場や、
染める工場、縫う工場。
大小さまざまな日本各地の産地を訪れてきました。

そんな活動の中で、過去最多で訪れているのが
綿織物の国内最大の産地である兵庫県西脇市です。

西脇には「日本へそ公園」という不思議な公園があり
日本列島の東西と南北のほぼ中央に位置していることから
へそ公園という名前になったそうです。

西脇に行くには、兵庫県を南北に走るJR加古川線が便利です。
高速バスを使えば大阪と京都から1時間半ほどで市内に入ります。

既製品だと、なかなか生地が「どの産地でつくられた」
という情報までは表に出ませんが
シャツやスカート、ランチョンマットまで
西脇産の生地は、意外と身近なものに使われています。

西脇市を含める「北播磨地域」で織られた
先染めの薄地織物は「播州織」と呼ばれます。

綿の状態や、生地や服のかたちになってから
染めるケースもあるのですが、
この地域では200年以上にわたり、
糸を先に染めてから織る「先染め」の技法で
シャツ生地の生産に特化してきました。

色の表現力、製織技術が高く
肌触りの良い生地が播州織の特徴です。

繊維産地として栄えた地域の多くは、
大きな川が通っていて
豊かな水に恵まれています。

西脇も四方を山々に囲まれていて、
一級河川の加古川がまちを横断しています。

初めて西脇を訪問した時は、美しい風景の連続が衝撃的でした。

そんな豊かな自然や
そこでゆっくりとじっくりとものづくりに向き合う人たち。
優しいコットン素材に惹かれて
僕はたびたび足を運ぶようになったのです。

四季を感じながら、産地の技術を生かす

生まれも育ちも西脇の小野圭耶さん。
一方、東京生まれ東京育ちの村田裕樹さん。

左が小野圭耶さん。右が村田裕樹さん。

ふたりが、在籍する島田製織株式会社で、
力を入れるのが自社ブランドの「hatsutoki(ハツトキ)」。
西脇産地で長年培ってきた、生地づくりのノウハウを生かした
シャツとストールに特化したブランドです。
産地の中にいるからこその職人さんたちと近い距離で
糸づくり、生地づくりを行う工場に頻繁に足を運び、
服づくりに情熱を注いでいます。

糸染色工場でのワンショット。無数の色見本の中から、色を決めていきます。

小野さんと村田さんがhatsutokiに込める思いとは?

中古の海上輸送用コンテナの リノベーションで、 市民の憩いの場をつくる。 WORKVISIONS vol.4

WORKVISIONS vol.4

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村浩です。
vol.1vol.2vol.3に引き続き、
僕の故郷佐賀のまちづくりについてお話したいと思います。
前回は、佐賀市のまちなかの空き地に芝生を張って原っぱをつくり、
元気のない地方都市の新陳代謝を活発化して、
人の活動を呼び起こすいい循環に繋げるという、
「空き地のリノベーション」についてでしたが、
今回は、芝生の原っぱづくりと一緒に実践してきた、
「わいわい!!コンテナプロジェクト」についてです。

とりあえずやってみるという新たな都市計画手法

このプロジェクトは、
「まちにどういうコンテンツがあれば、
なかなか元気のないまちなかに市民が足を運んでくれるか」
ということを検証するための“社会実験”として始まりました。
まちなかに増え続ける空き地のひとつを借地して、
そこに芝生を張って原っぱをつくり、木製のデッキでテラスをつくりました。
さらに、中古の海上輸送用コンテナをリノベーションした建築を設置して、
そこを雑誌図書館にしてみることから始めました。
場所は佐賀市内の商業地のど真ん中。昔は人で溢れていた商店街ですが、
今は、夜の飲屋街になっていて、昼間にはほとんど人の姿が見えないような場所です。
利用料は無料です。
そして、あくまでも実験ですから、
とりあえず1年間限定のプロジェクトのはずでした。

そもそも、なぜ実験なのか?
それは、まちなか再生に効果的な方法が何なのか、
誰にも確信が持てないからなのです。
一般市民の方々は当然のこと、建築や都市計画といった専門家でさえも、
今の疲弊し続ける地方都市を救えるような特効薬を知らないのです。
なぜなら、20世紀には右肩上がりに増え続けてきた人口が、
2005年をピークに急激な減少局面に入りましたが、
これまでに人口減少局面の社会を経験したことがある人間は、
今の子どもたち以外に、この日本中にひとりもいないからです。
もちろん、20世紀にもまちづくりや
地域活性化のプログラムは実践されてきましたが、
あくまでも人口が増えている時代の出来事であって、
価値観が大きく変わったこの現代に、
その時代に編み出されたまちづくりや都市計画の手法をトレースしても、
効果が出ないことは明らかです。
人口やそれに伴う経済規模が縮退する時代に生きた人がいないわけですから、
すべての人々にとって未知の世界であり、だからこそ「やってみる」という
チャレンジが必要な時代が到来していると思っています。

ただし、あくまでも実験であり、成功も失敗もあるわけですから、
大きなリスクを負ってのチャレンジは、当然やめたほうがいい。
20世紀に編み出された「再開発」とか「巨大な公共施設」なんかは、
右肩上がりの時代には成功事例もあったかもしれませんが、
今は、ただの大きなリスク。
だからこそ、小さなチャレンジをたくさん繰り返して、
軌道修正しながら道筋を探す手法こそが、
これからの新しい都市計画手法だと思うのです。
佐賀市のまちなかで実践している「わいわい!!コンテナプロジェクト」は、
まさに、21世紀の都市計画に相応しい、
最先端の小さな小さなチャレンジなんです。

ぼろぼろの中古コンテナが見違えるような空間に

さて、このプロジェクトで使用したコンテナは、
神戸で購入し輸送してきた中古品です。
中古コンテナ自体の価格は、輸送費は別途かかりますが、驚くほど安価です。
佐賀では、20ftと40ftのコンテナを使用しました。
中古なので、サビが出てたり、鉄板がボコボコにへこんでいたり、
外装の鉄板には海上輸送会社のロゴやコンテナの製造情報が
表面に記載されていたりしていますが、そういったコンテナの履歴が、
逆になかなかのいい雰囲気をつくりだしてくれるように思います。
まさに、一般の建築同様に、
古さと新しさを重ね合わせることがリノベーションの醍醐味だと思います。

郊外の作業場に並べられた中古コンテナ。

ここからは、この中古コンテナを利用目的にあった、
空間に仕立てていくプロセスについて紹介します。
まずは、現地ではなく、郊外にある広い作業場に中古コンテナを搬入し、
そこでサッシを取り付けるための開口部や、
コンテナを連結する部分の処理など、
コンテナ自体の加工を事前に行います。
鉄板部分の切断や溶接による工事音はかなり響くので、
この騒音に対する配慮が必要なことと、
敷地が狭いと複数のコンテナの切り回しが難しいことなどから、
今回のわいわい!!コンテナプロジェクトの敷地のように
中心市街地のど真ん中のような場合には、
別の広い敷地で基本的な加工を済ませてから、
敷地に搬入して据え付けることをおすすめします。

とはいえ、僕自身もコンテナを扱うのは初めての経験で、
まさにやってみないとわからないことだらけでした(笑)。
ですから、ひと言にコンテナといっても
製造メーカーによって微妙にディテールが違うことが納品後に発覚したりして、
違うディテールのコンテナを連結するのに、結構苦労したりしました。
購入時に、できるだけ同じディテールのコンテナを選定することが
大事なポイントだと学びました。

加工中の中古コンテナ。

サッシ取り付けのために開口部の穴あけなどの基本的なコンテナの加工が終わると、
コンテナをまちなかの設置現地へトレーラーで搬入して、定位置に据え付けます。
後は、通常の建築と同様の手順で、サッシの取り付けや仕上げを行い、
コンテナ建築の完成です。

現地に設置された仕上げ前の中古コンテナ。

佐賀では、仕上げが終わっていないボコボコにへこんだ中古コンテナが
設置場所に搬入された姿を見た市民の方々から、
「こんなぼろぼろのコンテナでほんとに大丈夫?」
と心配の声をたくさんいただきました。

しかし、内外の塗装をして、木製の家具の搬入が終わって完成した際には、
「いやー、中古のコンテナでもこんなにいい空間になるんだー!」
とうれしい悲鳴をいただく結果となりました。

中古コンテナのリノベーションで、完成したわいわい!!コンテナ1。300種類の雑誌と絵本、漫画を自由に読める雑誌図書館として2011年6月にオープン。ここは2012年1月末までの実施しでしたが、現在も別敷地にて「わいわい!!コンテナ2」が継続中。