人口減の山あいの暮らしを 次の世代につなげるには? Green Creative Inabe vol.2

三重県いなべ市では、「選ばれるまち」を目指して
市民参加型の地域活性化プロジェクト
〈Green Creative Inabe〉(グリーンクリエイティブいなべ)が進行している。
市民と行政が連動してつくっていくまちの未来とは?
vol.1で紹介した魅力的な移住者たちに出会ったあと、
取材班はいなべ市の北部、山間部に向かいました。

いなべの山は、知る人ぞ知るアウトドアの聖地

いなべといえば、関西ではかなり知られたアウトドアの聖地だ。
それは、花の百名山・藤原岳や竜ヶ岳のほか、
鈴鹿山脈で唯一、滝めぐりができる宇賀渓があるから。
さらには、アウトドア雑誌のランキングで常に1、2位の人気を誇る、
キャンプ場〈青川峡キャンピングパーク〉の存在が大きい。

藤原岳と竜ヶ岳の間、青川峡を流れる清流、青川に沿ってつくられた青川峡キャンピングパーク。その魅力はなんといっても、自然のままの景観の良さだ。

青川峡キャンピングパークは若いスタッフが多く、躍動感にあふれている。左から、今年からこちらに出向中のいなべ市役所の吉本将弓さん、青川峡キャンビングパークの金津拓哉さんと出口孟さん。

青川峡キャンピングパークを訪れると、スタッフのひとりがクッキーを焼いていた。
週末や大型連休などに数々のアウトドアイベントが
開催されているため、クッキーの出番も多いのだろう。
そうでなくとも、彼らのようなキャンプライフクリエイターは
何でも自分たちで手づくりすることがふだんから身についている。
そうやって人が生きていくための「学びの場」。
これまで、青川峡キャンピングパークはそこを目指して運営を行ってきた。
手づかみした魚を自分で調理したり、田植えをしたりと
数々のイベントに、県外から通ってくる人も多い。

設備が行き届いていて、清潔感のあるコテージ。

筆者が訪れた4月の平日にも、滋賀や名古屋などの車のナンバープレートが見られた。
山あいの幹線道路で車を走らせていると
ただ森や田畑だけが広がり、本当に何もなく、ひっそりとして見えるのだが
アウトドアを楽しむ人にとってはアクセスしやすい自然のフィールドなのかもしれない。

ありのままに、記録しておくことの大切さ

いなべの自然の豊かさを目の当たりにしつつも、
この土地はもともとどんな場所だったのだろう。
藤原岳の麓、坂本地区に住む、農業を営む藤井樹巳さんを尋ねた。
生まれ育ったまちの歴史を調査し、『藤原岳史』を編んでいる藤井さんの存在を知り、
地域の宝のような人なのではと思い、会いに出かけた。

「昔話や歴史の本が好き」
それだけの理由で50年間も地元の歴史を調査し続けているという藤井さん。
『藤原岳史』は、平成8年から始めた自分用の記録だ。
合計181冊。日々の出来事を日記として残している。
ぱらりページをめくると、新聞記事などのスクラップや写真を織り交ぜ、
どの時期に地域に何があったのかなど記されていた。

東員町と藤原町の町史編纂にも関わった藤井さんは、たくさん資料を展示する〈いなべまちかど博物館 史学庵〉を開いている。

畑を掘ると、石器などが出てくるほどこの地は
古くから人が暮らしを営んできた場所なんだそう。
藤井さんは、藤原岳の信仰、自然、人の営み、民話、産業などを
民俗学的な手法で調べ、記しているという。
「やり方は自己流なんですけどね、
藤原岳を中心とした人間の関わりを書いているんです」

坂本地区は、土石流が起きた過去がある。
藤原岳史では、その土石流の被害がどのようだったのか、まちの人間の反応までが書かれていた。
まちで起きた出来事は、事実と数値に現れる影響のみ新聞記事などに記事として残されるが、
藤原岳史では、そのときの住民のありようが淡々とつづられており、
価値観の変化と時代性が浮き彫りになっていた。
「民俗学調査は、狭い土地のことを深く掘り下げていくほうがよりよいわね。
でも、そうすると、個人情報保護の関係で調査をしても事実を残せないこともでてきた。
いま、歴史をやるのは本当に難しい。本当は悪いことも書かにゃいかんのだけど
それは書かないでと言われることもあるしね」とぽつり。

では、今進められているGreen Creative Inabeについてはどう思いますか、と聞いたら
「ええね、いい取り組みだね」と微笑んだ。
農家でもある藤井さんは〈屋根のない学校 田んぼと畑の学校〉で
子どもたちに農のある暮らしを教えている。
土地の恵みを生かして、生業にしながら、
次の世代へ伝えていくことの大切を誰よりも感じてきた。
藤井さんは、先人の知恵を後世につなぐ役割を担っているように見えた。

未来へ向かうためには、過去も見る必要がある。
藤井さんのようにこの土地の暮らしと密接に関わる
地域の歴史を研究する後継者を育成することも
Green Creative Inabeの重要な課題だといえるだろう。

発掘調査をした地元の畑から出てきた縄文の遺物、石器。歴史好きの藤井さんのもとに時空を超えてやってきた大切な宝物だ。

無職からのスタート? 神山町で設計を始めた理由。 坂東幸輔建築設計事務所 vol.1

坂東幸輔建築設計事務所 vol.1

はじめまして。
建築家の坂東幸輔です。

東京の吉祥寺に設計事務所を構え、京都の大学で教鞭をとるかたわら、
全国の過疎地域で空き家のリノベーションをしてまちづくりをしています。
この連載ではこれまで行ってきた
徳島県神山町や出羽島での「空き家再生まちづくり」の活動や、
現在進行中のほかの地域のフレッシュな活動を紹介していけたらと思っています。
みなさま、半年間のおつき合いよろしくお願いします。

全国で地域に残る古民家や空き家、廃校などをリノベーションして、
ゲストハウスにしたり、カフェにしたりと
いまでは、コミュニティを盛り上げるまちづくりが活発に行われています。
私が神山町で空き家再生の活動を開始したのは、
今ほど空き家の活用が盛んではなかった2010年からです。
それよりも少し時間を遡って、
まずはどうして私が日本の過疎地域に関わるようになったかということから
ご紹介したいと思います。

リーマン・ショックで大きく変わった価値観

ハーバード大学大学院デザインスクールの卒業式の様子。

私は2006年9月から2年間、
ハーバード大学大学院デザインスクールで建築の勉強をしました。
世界中の有名な建築家や優秀な学生たちが集まるハーバード大学の授業は
大変刺激的なものでした。
スラムの健全化や公害・災害復興の支援など
社会的な問題をデザインの力で解決しようという、
建築による社会貢献の精神が教育の根底にありました。
設計の授業でトルコやギリシャ、ブラジルを訪ね、
社会問題解決のために実践している建築デザインを、
現地の建築家に建築や都市を案内してもらいながら学んだ経験は、
今でも私の活動の糧になっています。

いつかは指導をしてくれた建築家たちのように、美術館や音楽ホールといった
大きな公共的な建築を都市の中に設計して社会の役に立ちたいという夢を持って
ハーバード大学を出ました。

ハーバード大学を出たら世界中の設計事務所で働けると思っていたので、
設計を指導してくれた先生のオフィスに入ろうと願書を送る前から、
先生のオフィスのあるニューヨークに引っ越しをしました。
2008年9月のはじめのことです。

しかし、引っ越しをした翌週にリーマン・ショックが起きてしまい、
ニューヨークの会社はどこもリストラの嵐。
建築家を数百人抱える大手設計事務所が大規模なリストラをするなかでの就職活動は
ひとつも実を結びませんでした。
2010年に東京藝術大学の助手になるまでの2年間、
私はほぼ無職の状態でした。

リーマン・ショックによって失った海外の設計事務所での経験、
この頃から大きな企業や組織といったものに頼って
生きることへの疑問を感じるようになりました。
そういう疑問を抱えながら出会ったのが神山町でした。

おいしさの秘密は和菓子の技術? 伝統をつなぐ〈高岡ラムネ〉

和菓子の技と米粉を用いた大人が楽しめるラムネ

富山県高岡市。古くから、商工業都市として発展してきたこのまちは、
独自の工芸技術や祭礼、伝統的建造物がいまなお数多く継承されている。
特に、旧北陸道に沿う〈山町〉は、長く商都としての繁栄を支えてきた。
そんな通称〈山町筋〉で170余年の歴史を刻むのが、老舗菓子屋〈大野屋〉だ。

かつて多くの卸問屋や商店が軒を連ねた土蔵造りの商人町〈山町筋〉の一角にある〈大野屋〉。

店頭に並ぶのは、
高岡に滞在した万葉の歌人・大伴家持の歌にちなんだ代表銘菓〈とこなつ〉や〈田毎〉、
地名に通じる〈山町筋〉など、地元にゆかりのある和菓子。
そのなかでもひときわ目を引く〈高岡ラムネ〉は、
カラフルなパッケージデザインもさることながら、
小さくて緻密で工芸品のような美しさだ。
食べ物とわかっていても、アート作品として飾っておきたくなるほど。
吉祥文様や季節を感じるモチーフも魅力的だ。

和三盆のように小さくて愛らしい〈高岡ラムネ〉。色鮮やかな祝儀袋風のパッケージに包まれている。

考案したのは、9代目である現社長・大野隆一さんの長女、悠さん。
もともと、金沢美術工芸大学を卒業し、
天然素材を使ったアパレルブランド〈ヨーガンレール〉の素材開発など、
生地のデザインに携わっていた。しかし、洋服の素材を追求していくなかで、
全国の織物の産地で培われた着物の技術が現在の服飾に通じていることを知り、
土地ごとに育まれた文化や技術を伝承するものづくりの大切さに気づいたという。
そしてあらためて家業を振り返ったときに、
米や布など商材の集散地としてかつて全国の情報が集まった高岡に根ざし、
昔から素材を大切にしつつ
地域のなかで守られてきたものづくりの文化があると感じたそうだ。

〈高岡ラムネ〉を開発した大野 悠さん。

「例えば、大伴家持が立山連峰を詠んだ歌にちなみ、
名づけられた〈とこなつ〉という和菓子は、
本来、お土産に使われることはないほど希少な備中の白小豆で作った餡を求肥で包み、
徳島の和三盆糖を振りかけたもので、
こだわった菓子作りを信条にしていた先祖が全国の素材を厳選して考案したものです。
このように家業で作っていたお菓子はまさに、
流通が盛んだった地域性と独自の歴史のあるこの高岡で育まれたものだったんです」

〈大野屋〉の看板商品のひとつ〈とこなつ〉。大きい菓子が主流だった時代において、ひと口サイズの菓子は最先端だったと想像できるという。2012年には悠さんが考えたパッケージにリニューアルした。

こう話す悠さんは、もともと家業を継ぐつもりはなかったが、
仕事が休みの日には店を手伝ったり、一部、商品のパッケージデザインも手がけていた。
そこで思いついたのが、店に代々伝わり、
日本の文化が詰まった“菓子木型”を使い、
若者を中心に需要が減りつつある和菓子を盛り上げるような「何か」を作ることだった。

「木型を使ったお菓子は、節句など季節ごとに大切にされ、
ハレの日や仏事のお供え物としても欠かせないものでした。
いまはその文化もだいぶ薄れてきていますが、
新たにはつくれない歴史のなかで育まれてきたものを
次の世代につなげていくことが大切だと感じたときに、
この“菓子木型”を使った新しいお菓子ができないかと考えたんです。
これなら、味の好みや趣味嗜好が変わってきた現代でも
造形的におもしろいものが作れるのではないかと思いました」

菓子木型は本来、落雁に使われることが多いが、
富山県西部や金沢市では昔から〈金華糖〉という和菓子作りにも使われてきた。
これは、鯛や野菜、果物の形をした砂糖菓子で、
主にお祝い事や節句の供え物として飾られることが多く、
現代ではひな祭りに供えられているという。
また、近年になると上生菓子も菓子木型で作られ、
〈大野屋〉では月餅も木型で抜いて作られている。

煮溶かした砂糖を木型に流し込み、食紅で彩色する〈金華糖〉。江戸時代から続く伝統菓子だ。

〈大野屋〉には代々使われてきた約800点もの菓子木型が残っている。

そこで悠さんは、大学時代の同級生で
日本のものづくりのプランニングディレクターである〈EXS Inc.〉の永田宙郷さんに相談し、
誰にとっても懐かしくて食べやすく、
若い人にも手に取って楽しんでもらいやすい「ラムネ」というキーワードを得たという。

「『ラムネ』と聞くと駄菓子のイメージがありますが、
和菓子屋が作るラムネということで、
素材にこだわり安心して食べられて大人も楽しめるものを考えました」

まず、口当たりをよくして素材の香りを生かすために、
一般的にラムネに使う片栗粉やコーンスターチではなく富山県産コシヒカリの米粉を使用。
味つけは、香料を一切使わず、ショウガやイチゴ、
高岡の〈国吉リンゴ〉や氷見産の〈稲積梅〉など、
地元素材を中心に吟味した国産材料を使った。
「ラムネと言っても、若い人たちが楽しめるような現代版の落雁のイメージです」
と悠さんは話す。

しかし、完成までには幾多の苦労があったという。

空き家と人のマッチングは どうしてるの? 一般社団法人ノオト vol.11

一般社団法人ノオト vol.11

こんにちは。第11回を担当します、ノオトの伊藤です。

いよいよ書き尽くされてきた感じがありますが、
今回は、これまでに語られた内容もピックアップしながら、
大阪→東京→兵庫へと移り住んだ自身の視点も交えて、
空き家とまち、空き家と人、そしてまち同士の結びつき方についてお話したいと思います。

地域が、もっとワクワク楽しくなるためには

vol.8の後半でも触れられていますが、ノオトが空き家活用の計画づくりを支援するときには、
空き家単体ではなく、必ず地域としての視点がセットになっています。

「Aさんの空き家」を「Bさん」が活用する、と考えるのではなく、
「地域の空き家群」を「地域」のために活用する、と考える。
集落をリノベーションする、城下町をリノベーションする……
vol.8より)

上記のとおり、目の前のひとつの建物だけを見て
「これは何に使えるか」と思案するだけでなく、
集落や小学校区といったひとつのまとまりのなかで、
複数存在している空き家をどう活用していけば、
その地区・地域がよりすてきになっていくかを考えています。

また、増え続ける空き家問題について、現在全国各地で声高に叫ばれている
「地域課題であり負の遺産である空き家問題をどう解決するべきか?」
というアプローチではなく、
「日本の文化を表現したすてきな建物がなくなっていくなんてもったいない。
どうすれば、この資産を生かしたすてきな場所にできるか?」
という視点をノオトでは、スタート地点としています。

vol.2でご紹介した集落丸山での取り組みは、
この集落の景観の美しさを残したい、
残すためには建物の内側から中身を充填しなくては、というところから
プロジェクトが始まっていたことは、ご紹介したとおりです。

集落丸山はウェディングパーティが行われるまでになりました。子どもが駆けまわる姿に、集落のみんなも思わず笑顔になっていました。

今では私もすっかりそういった視点で考えるようになりましたが、
最初にこの考え方を聞いた時には、あーなるほどなぁ……と思ったものです。
同じく連載されていた香川県の仏生山まちぐるみ旅館
「どうやったら、にやにやしながら暮らせるか」と表現されていますが、
着想は同じところにあるのだと感じています。

そして、たいていの地域でこのような視点で考えることができるはずですが、
どうしても「課題解決」というアプローチが主流になっており、
マイナスの視点からスタートすることが多いのは、とてももったいないことだと思います。

どうすればより楽しくなるかを考えるほうがワクワクしませんか?

視察で聞かれる、マッチングのこと

建物とまちを結びつけて考えて、それぞれの建物の活用イメージができ上がると、
次は、建物の中身を充填するために、不可欠な「人」のマッチングが
必要になっていきます。

庭にある共有スペースの役割とは? 〈藤棚のアパートメント〉。 IVolli architecture vol.6

IVolli architecture vol.6

こんにちは。アイボリィの永田です。
今回は僕らがアイボリィを設立するきっかけとなった
木造アパートの改修プロジェクトを紹介したいと思います。

僕らは今年でアイボリィを設立して3年目になるのですが、
このプロジェクトのお話をもらったのは3年以上も前です。
紆余曲折あり現在まさに、
というか、やっと進み始めた非常につき合いの長いプロジェクトです。

この木造アパートは横浜の戸部というエリアの、
5つの商店街が連なる藤棚町にあります。
藤棚町は名前の通り、藤棚が由来となっているのですが、
通行人のための憩いの場として設けた藤棚が評判となって町名になり、
今でもまちの入り口にその名残を見ることができます。

藤棚商店街。

藤棚商店街の藤棚。

藤棚町と、オーナーの川口ひろ子さんと僕との出会いは大学院の頃。
僕はその頃、建築家の西田司さんが設計された、
戸部にある〈ヨコハマアパートメント〉というシェアアパートに住んでいました。

オーナーの川口さんと。

〈ヨコハマアパートメント〉は1階に大きな共有部をもつ特徴的なアパートで、
定期的に展示が行われたり、書き初めや流しそうめんといった
季節に合わせた住民同士のイベントが行われたり、
日頃からさまざまな活動が行われている場所です。

ヨコハマアパートメントでの展示。

住民同士での流しそうめん。

学校に通いながら展示の企画や会場構成などを仲間とやったり、
学校の課題制作をつくったりしながら2年ほど住んでいましたが、
その間にオーナーさんとも仲良くなりました。
卒業が決まって引っ越しをすることになったときに
「いずれ今度はあなたにアパートをお願いするから!」と
送り出してもらったのを覚えています。

その後2年ほど上海で働いていたあるときに、
川口さんから「アパートの改修はいつやってくれますか?」と連絡が。
正直本当にやるとは思っていなかったのでとてもうれしく、
ちょうど前の事務所を退職したタイミングというのもあったので帰国を決意しました。
日本ではその頃原崎もひとりで仕事を始めていたところだったので、
帰国したときに声をかけてこのプロジェクトを始動、
これを機にアイボリィも設立することになりました。

ヨコハマアパートメントの大きな特長だった1階の共有部。
今回のアパートでもそのような活動のできる場所が欲しいというのが
オーナーさんの要望でした。
同じオーナーさんが同じ地域に2軒、このようなアパートを展開することで、
まちとの関わりに広がりが生まれます。
それはとてもおもしろいことなのでぜひやりましょうと、この計画はスタートしました。

ただ、藤棚町にあるこのアパートは、いわゆる風呂なしアパートで、居室は3部屋。
それといって特徴があるわけではなく、どちらかというとありふれた古い建物でした。

改修前のアパート。

風呂なしアパートだったかつての室内。

おまけに崖の下で境界線は曖昧、車は入らない。施工もなかなか大変そう。

震災から6年ぶりの海びらき! 新しい夏へ向けて 動き出したふたつの場所とは。

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
宮城でコロカルが向かったのは、七ヶ浜町。

東北一小さな海のまち、魚介の都

仙台市から東へ20キロにある、面積約13キロ平方メートルの、
東北一小さなまちは、わずかに海に突き出している半島がまちのすべて。
陸続きの西部地区以外、三方をぐるりと海に囲まれた、
そのまちの名は七ヶ浜(しちがはま)。
七つの浜に集落があったことからついた名です。

実は、観光客にはあまり知られていないけれど、
昔から海水浴を楽しむ海のまちとして地元の人にも思い出深い場所。
また、漁師のまちであるこのまちは、
ウニ、あわび、マコガレイ、ヒラメ、アイナメ、白魚、サヨリ、鯛、あなごといった
四季折々の新鮮な海の幸に恵まれています。

東日本大震災から5年が経ち、自然の恵みとひとの笑顔が溢れる場所へ、
まちと海は甦りつつあります。

たくさんの人に七ヶ浜へ来てもらえたらという思いを込めて、
2016年2月にオープンしたのは、まちの北東部、
花渕浜地区にある〈うみの駅 七のや〉。
オープン以来、多くのお客さんでにぎわい、活気に満ちています。
店にはその日その日のとれたての魚介類が並び、
目玉がきらきらして身がキュッと締まり、鮮度のよさを感じさせます。

花渕浜の〈うみの駅 七のや〉には、観光客はもちろん、舌の肥えた地元の人も足しげく通い、連日賑わっています。

海に囲まれたまちというだけあって、新鮮な魚が豊富に並びます。さより、メバル、鯛、マコガレイ。見ているだけでもワクワクをくれます。

ヒラメの刺身や、白魚の炊き込み御飯や、握り寿司などなど、
すぐに食べることのできるお総菜もいろいろあります。
茹で上げたばかりの殻付きのシャコエビなどは、
かたいその殻を丁寧に外していって、露わになったその剥き身をがぶっと頬張れば、
豊かな海の味が口の中にパッと広がり、反射的に「ビール!」と叫びたくなるでしょう。

食堂には定食や丼や季節の限定メニューが豊富にあって、
行列ができるほどの人気ぶりです。

七のや食堂にて。いくらがこぼれ落ちそうなくらいたっぷりと乗った特選海鮮丼、1980円。美しく、ボリュームも見事です。

七のやの隣の漁港にて、漁師さんが網の補修作業をしていました。カメラを向けると「ありゃぁ、まいったなぁ」とはにかみながら、「これは白魚漁で使う網。白魚はね、いまの季節が一番んまいよぅ」と笑って教えてくれました。

そして、魚介のおいしいこのまちには、地元客でにぎわっていた海岸がありました。

パワースポットの島と 戦国文化が息づくまち。 琵琶湖をめぐる旅へ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
滋賀でコロカルが向かったのは、〈竹生島〉と長浜のまち。

フェリーに揺られて、竹生島へ

日本一の広さを誇る、滋賀県の琵琶湖には、実は、いくつかの島があるらしい。
なかでもパワースポットとして知られるのが、〈竹生島(ちくぶしま)〉。
今津港や長浜港などからフェリーが出ていて、
湖畔からはフェリーや小船が行き交っている様子が見えました。
そんな湖の風景は、広大でまるで海のようです。
かの柿本人麻呂は

「淡海の海 夕波千鳥汝が鳴けば 情もしのに古(いにしへ)思ほゆ」
(万葉集)

と詠いましたが、なるほど琵琶湖が
“淡海=近江”の海のように見えるという表現は
いまもそのままに当てはまるようです。
朝一番に爽やかな湖風を感じながら、竹生島行きのフェリーへ乗り込みます。

広大な湖をかき分けるように進むフェリーは、デッキで過ごすのが気持ちいい。
紺碧の湖に吹く風はさらりと肌をすり抜けていく。

湖が「琵琶湖」という名称になったのは明治時代。
一説には、湖に浮かぶ竹生島の弁才天が持っている琵琶の形に似ているということから
その名がつけられたと言われています。
竹生島弁才天は神奈川の〈江島神社〉、広島の〈厳島神社〉と並ぶ、
「日本三大弁才天」のひとつ。
神の斎(いつ)く住居(すまい)として竹生島と名づけられた島だけに、
古来より琵琶湖の竜を鎮めた弁天様の棲む
聖なる島と崇められてきた場所でもありました。

そんな神秘の島へ、一歩足を踏み入れたら、土地のパワーを感じられるかも?
そうでなくても、水と風を感じながらきっと清々しい1日が過ごせるはず!

波のない穏やかな日。弁才天の安置されている竹生島の宝厳寺は第三十番札所のため、西国三十三所札所めぐりの方も多く乗船していました。

訪れたこの日、早朝から琵琶湖一帯は濃霧だったのが一転、
竹生島に到着した途端にみるみる霧が晴れて、
太陽が燦々と降り注ぐ初夏のような陽気に。
どうやら、弁天様は私たちを歓迎してくれたようです。

長浜港や今津港からはフェリーに乗って30分で竹生島へ。フェリーからは、琵琶湖のえり漁(小型定置網漁業)の風景が見られます。

寺社に続く長い階段を一段ずつ上がって振り返ると、
静かな琵琶湖と、長くたなびく雲の向こうに山影が連なっていました。
ここは、かつて長浜を含む北近江を治めた浅井氏が信仰していた島のため、
浅井家に関わりの深い石田三成にもゆかりがあります。
戦国時代以前から連綿と続く島のありように、
畏敬の念を持ちつつ一歩一歩踏みしめて歩いてみました。

クスノキ科の常緑広葉樹であるタブノキが大半を占めている「深緑竹生島の沈影」は、琵琶湖八景のひとつ。散りゆくヤマザクラと新緑とのコントラストもまた美しい。

弁才天を安置する宝厳寺の弁天堂に並んでいたのは、弁天様を模したかわいい姫だるま。
お願いごとを書いて、納めるのだそうです。

弁才天を安置する宝厳寺の弁天堂にあった小さな姫だるま。全国からやってきた人たちのお願いごとが山ほど! 

続いて、階段を下りて、隣接する都久夫須麻神社の龍神拝所へ。
鳥居に向かって願いごとを書いた土器を投げる“かわらけ投げ”は、
竹生島の名物ともいっていいほど知られた、いわば運だめしのアトラクションのようで
初めて竹生島を訪れたほとんどの人がチャレンジするそうです。
もちろん、筆者もかわらけを投げてみました。
その結果は……!

小さな島なので、30分もあれば一周できますが、
そうやっているうちに気がつけば帰りのフェリーまでの時間。
あっという間に島での時間は過ぎていきました。
帰りのフェリーでは、島での散策の疲れをいやすかのようにビールの缶をプシュッ!
なんだかとっても旅の気分になってきました。

竹生島をあとに、後ろ髪ひかれる思いで長浜へ。

地元農家が材料を持ち込む、 里山のパン屋さん 〈Sunny Side Kitchen〉

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
茨城でコロカルが向かったのは、奥久慈にある小さなパン屋さん。

里山で行列のできるパン屋さん

茨城県常陸大宮市にあるパン屋〈Sunny Side Kitchen(サニーサイドキッチン)〉。
久慈川に寄り添う奥久慈の山奥にあり、県内でとれた小麦と自家製酵母を使い、
こだわりのあるパンづくりをしているというのです。
そうと聞いては、行ってみたくなる。
時は春。桜は散りつつあるけれど、ピクニックをするにはぴったりの陽気です。
さっそく、噂のパン屋を目指して出かけました。

東京から北茨城へ車を走らせること、約3時間。
目的のお店は、小さな谷の周りに林や畑が広がる
集落の山間(やまあい)にありました。

県外からこのお店へ出かけるなら、ちょっと旅をする気分で。平原と田んぼが続く道を車でひた走り、地図を見ながら山道を入っていくといよいよ道が細くなり「本当にこの先にお店が?」と心配になってきます。

そのうちに山をひとつ越え、そろそろと坂道を下っていくと急に視界が開け、かわいらしい看板が現れました。

三角屋根、平屋造りの一軒家。庭には桜の木があり、桜の花びらが舞っています。
開店時間の少し前に着くと、すでに店の前には10人ほどのお客さんが待っていました。

開店時刻の正午を過ぎて店に入ると、使い込まれた木の空間の奥に
カウンターがあり、焼きたてのパンが並んでいます。

黒と白のカンパーニュ、パン・オ・ショコラ、クロワッサン、
ひまわりの種やクリームチーズがごろりと入ったパン、キツネ色のクリームパン。
どのお客さんもスタッフと話しながらゆっくりパンを選び、
トレイに山盛りのパンを買っていきます。

近所に住むおばちゃんや、世間話をしに立ち寄ったおじいさん、
ベビーカーを押して来たお母さん……
店内を見回すと、お客さんの年齢層はさまざま。
それにしても、年配の方が日本のやわらかいパンとかけ離れた
かたいパンを買っていく光景は、ちょっとカルチャーショックでもありました。

店主の金子康二さんに話を聞くと
「この辺りに住んでいる方たちの平均年齢は、80歳ぐらいです。
最初はつき合いでかたいパンを買ってくれていたりしたんですけど、
そのうちに『ほかのパンは食えねぇよなあ』という方が出始めて。
オープン後1、2か月は、お店を開けてから
すぐパンが売り切れてしまうという日が続きました。
最初は1日に3、4人ぐらいのお客さんしか来ないかなと思っていたんですけどね。
うれしい誤算です」と、あっけらかんと語ります。

〈カンパーニュ黒〉は、金子さんが「ドイツパンの入り口」としてつくっているパン。
かめばかむほど、石臼引きの小麦粉と全粒粉の素朴なおいしさが伝わってきます。
金子さんはこのフランス由来のパンを何とか日本風にできないかと考え、
茨城県内でとれた小麦と久慈郡大子町のリンゴから起こした酵母を使い、
このパンを焼いているといいます。たしかにこんなパンなら、毎日食べてもいい。
ご飯にも負けないぐらい、味わい深いパンです。

この場所にお店がオープンしたのは、2012年のこと。
これまでに金子さんがどうやって腕を磨いてきたのか、興味が湧いてきました。

カウンターではお客さんのリクエストを聞きながら、スタッフがパンをとってくれます。「うちのパンおいしいですよ、と押し売りをしたくない。まずは1枚食べて好みの味を見つけてもらえたら」という配慮から、量り売りのパンもたくさん。

旅をするようにパンを学んだ修業時代

高校卒業後、すぐにパンの道へ進んだという金子さん。
そのはじまりは、少々意外なきっかけでした。

「高校生のときに道端で話しかけてきた人が、たまたまパン屋のオーナーだったんです。
その人のもとで働いてみたいと思ったのが、パンの道に入ったきっかけです。
彼に惹かれて始めたところがあって、別にパンじゃなくてもよかったんですよね(笑)」

その後は、パンの道をまっしぐら。パンの講師を務めたり、
カンボジアでパンの学校をつくるプロジェクトに携わったり、
ドイツ、フランスを旅しながらパン屋に弟子入りしたり。
店をオープンするまで、金子さんの生活は常に旅と旅の狭間にありました。

〈サニーサイドキッチン〉店主の金子康二さん。

「あちこち旅をするのが好きなんですよね。
カンボジアにいたときもわりと自由な時間があったので、
粉を入れたリュックを背負って2か月ぐらい旅をしました。
そして行った先々で勝手に石窯をつくって、パンを焼くんですよ。
現地の人からしてみれば、誰だ?って感じですよね(笑)。
でも食べものって不思議なもので、パンを焼き始めると子どもが集まってくる。
そのパンを子どもたちに食べさせて『おいしい』という単語を聞き出す。
そうやって覚えた単語を連発していると、大人たちが集まってくるんですよ」

なんとも驚かされるエピソード。
金子さんの屈託のない、あっけらかんとした話しぶりに、
聞いているこちらの気分まで晴れてきます。

そうして日本の大手パン屋やドイツ、フランスの職人などから、
さまざまな影響を受けながらパンづくりの腕を磨いていった金子さん。
次第に自分の店を持ちたいと思うようになり、
2010年、茨城出身の奥さまとの結婚を機に、茨城県古河市で
移動販売のパン屋〈サニーサイドキッチン〉をスタートさせました。
店名には“陽の当たるところ”という意味があるのだそう。
それから2年後、教師をしている奥さまが常陸大宮市の学校に移ることになり、
周囲に「常陸大宮に店を開きたい」と話していたところ、
地元のブルーベリー農家さんが現在の物件を紹介してくれました。

「この家を見に来て大家さんと話しているうちに、気が合ってしまって。
窓から見える景色もいいなあと思って、その日のうちに契約してしまいました。
ここは以前、ピザとコーヒーのお店だったのですが、
改装はほとんどせず、そのまま使っています。
改装してまったく新しい家にしてしまったら
この辺りのおじいちゃんやおばあちゃんたちとの
間に垣根をつくってしまうような気がして」

「特別な」という意味のあるパン〈スペシャリテ〉は、
家を紹介してくれた農家さんのブルーベリーを使ったパン。(夏期限定)
それは、金子さんが初めて地元の材料ばかりを入れてつくったパンだったといいます。
現在この店で使っている小麦の9割は、茨城県産。
他の材料も、なるべく茨城県産のものを使用しています。

北海道民にとっては夏の定番、 〈配達ジンギスカン〉って?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
北海道でコロカルが出会ったのは、配達ジンギスカン。

電話1本で、手軽に楽しめる外焼肉

道民にとって夏の定番と言えば〈配達ジンギスカン〉。
なんと、お肉屋さんが、住宅街の小さな公園から自宅の庭先まで、
指定された場所ならどこへでもジンギスカンを届けてくれるのです。
焼き台や炭などの道具一式を無料で貸し出してくれて、
さらには火起こしから終わった後の回収まで、すべて行ってくれるというから驚きです。
グループでの焼肉はもちろん、町内会のお祭りや、高校の学園祭まで、
地域のさまざまなイベントでも利用されています。

気の合う仲間同士、はじめましての友だちも一緒に、わいわい楽しめるのがジンギスカン。

配達ジンギスカンは、昭和30年代に滝川市にある
〈松尾ジンギスカン〉が最初に始めたと言われています。
公園でお花見をしていた人たちに七輪を貸し、ジンギスカンを売り歩いたら、
それが評判を呼ぶようになったとか。
いまでは北海道全域で定番となっていて、
道民ならではのカルチャーとして根づいています。
地元の人たちはそれぞれお気に入りのお店があったりするのですが、
子どもの頃からその味で育った、近所の肉屋さんの味が一番という声も多いようです。

今回、注文したのは、北海道でも特に外焼肉が盛んな十勝地方・帯広市にある
まちの肉屋さん〈かんの精肉店〉。

創業以来変わらないおいしさとサービス

昭和40年の創業以来、〈かんの精肉店〉は、帯広市民に愛されるまちの精肉店。
現在の店主、2代目の菅野広見さんは料理人の経験を持ち、
寿司屋や和食店で培った感覚を大事にしながら、
食材の下処理や切り方、下ごしらえなど、丁寧な作業を心がけています。

かんの精肉店が〈配達ジンギスカン〉をするようになったのは、40年ほど前のこと。
「帯広では個人向けにうちの店が一番最初にやったんだって、
おやじがよく話していました」と菅野さん。

十勝のジンギスカンは、タレを絡めて味つきで袋に入っているものが主流。
同店のジンギスカンも、ファンが多い看板商品です。
その人気の秘密は、創業当時から変わらない秘伝のタレにあります。
青森県産ふじりんごや、高知県産のショウガなどの厳選した素材を使用。
ショウガの皮をたわしでひとつずつ丁寧に洗うなど、
タレをつくる専門の職人さんがひとつひとつ手作業で行うため、
一度に大量にはつくれません。
夏のオンシーズンには1日で使いきってしまうので、毎日タレを仕込むそうです。

ほかの肉屋さんが取らないような細かいスジまで取ってあったりと、食材に丁寧に向き合う姿勢には定評があります。

ほかにも、十勝産のお肉の販売に力を入れているという菅野さん。
お店では〈十勝和牛〉〈ナイタイ和牛〉〈豊西牛〉〈十勝野ポーク〉といった、
ブランド肉のさまざまな部位を購入することができます。
「十勝でもおいしいお肉をつくっているのに、
そうしたお肉は十勝の外に流通することがほとんどで、
地元の人たちが実はあまり食べていないんです。
もっと地元のお肉を食べてもらいたいと思っています」

かんの精肉店2代目・菅野広見さん。先代のジンギスカンの味を守りながら、十勝産のお肉を多数取り揃えるといった新しい試みも。

配達ジンギスカンを注文すると、さまざまなお肉をセットにできます。
今回お願いしたのは、おすすめの15000円(おおよそ10人前)おまかせコース。
ジンギスカンに加え、牛サガリ、こにく、ホルモンがセットになっています。
牛や豚も楽しめるのは、専門店ならではの豊富な品揃えがあってこそ。
配達は、基本は帯広市内。あとは注文金額との相談となります。

店の前で配達準備。軽トラで届けてくれます。一度に300人分(!)もの注文を受けたこともあったそう。生ビールサーバーも一緒に注文することもできるそうです。

夏のシーズンには、配達の予約が次々と入ります。
多い日には、1日10件以上の配達に市内を走り回ることも。
焼き台をセットして火起こしをして、
終わり次第すぐに次の配達場所へ向かうという忙しさ。
グループでの注文が多いので、30人前のお肉を届けるなんていうことも
ざらにあるとか。それでもこの配達ジンギスカンを続けるのは、
お客さんにお肉をもっと食べてもらい、外焼肉を楽しんでもらいたいという、
お肉屋さんの心意気あってのサービスなのです。

まちに生まれた 小さな客室の役割は? 仏生山まちぐるみ旅館 vol.6

仏生山まちぐるみ旅館 vol.6

こんにちは。
ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで、

建築の設計事務所と、仏生山温泉を運営しています。
ここでにやにやしながら暮らすために、まち全体を旅館に見立てる、

〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを10年がかりで進めています。

これまでの記事では、
仏生山地域のリノベーションを時系列で紹介してきました。
最後の回になるこの稿では2015年の11月に完成した、
まちぐるみ旅館にとって、ふたつめの客室となる、〈温泉裏の客室〉です。

場所は名前の通り、仏生山温泉の裏に隣接しています。
ほんとうに裏にあって、田んぼの横のあぜ道を通って行く感じ。

リノベーション前は平屋の住宅。見えているのは住宅の勝手口側、リノベーション後は正面玄関になる。

リノベーション前は平屋の住宅でした。
某プレファブ住宅メーカーの軽量鉄骨仕様、2LDKタイプです。
築年数は30年ぐらい、大きさは約70平米です。
持ち主の方が引っ越しをすることになり、
仏生山温泉が譲り受けることになりました。
しばらくそのままでしたが、リノベーションして宿泊施設にすることにしました。

リノベーション前の南側の外観。

リノベーション前のキッチン部分。

もともとある、〈縁側の客室〉(2012年開業)は
1棟貸タイプ、4名から10名まで宿泊できる家族やグループに適した客室です。
一方、今回の「温泉裏の客室」は、個人が気軽に利用できるように
1名または2名用のいわゆる個室タイプとしました。

建物の中には個室が4つ。
共同のお手洗い、洗面シャワー室が併設されています。
建物自体は小さいけれど、
となりにある仏生山温泉は出入り自由だから、
温泉の休憩室で、だらだらしたり、
本を読んだり、ちょっと仕事をしたりもして、
寝るときは〈温泉裏の客室〉に帰って、静かに過ごす。
そういう楽しみ方が多い。
もちろん温泉は入り放題だから、
(チェックイン前、チェックアウト後も含めて)
連泊して、ゆっくり湯治される方もたくさんいらっしゃいます。

料金は、

1名1部屋 ¥6,800

連泊の場合は2日目から¥5,800

2名1部屋 ¥9,800 

連泊の場合は2日目から¥8,800

寝巻やお風呂セットもついています。

施工にあたっては、前々回の〈TOYTOYTOY〉にも登場した、
〈gm projects〉のメンバーとして活動している小西康正さんが
中心になって行いました。
設計は、ぼくと、小西康正さん、松村亮平さんの3人チーム〈こんぶ西〉が担当しました。

新築の建物の場合、設計が先で施工が後っていう順番だけれど、
リノベーションは、やりながら考えるということもよくある。
もちろん建主に迷惑がかからないようにしないといけないけど、
今回の建主は仏生山温泉だから、そのへんは大丈夫。

とりあえず、内装の撤去から。
リノベーションは、
何を残して、何を新しくするか、
というところが勘どころなんだけど、
この物件は残念ながら、
もともとがメーカーのプレファブ住宅。
だからね、もう、何も残すところがない。
むしろ全撤去。

小西康正さんによる解体のようす。正面扉の奥の和室で寝泊まりしながらの作業。

屋根面に断熱材を再設置。

間仕切り壁や天井を撤去してみたら、
軽量鉄骨の柱があるのは周囲の外壁部分だけでした。
中のほうは、柱が1本もないワンルームになった。
これはよかった。
普通の木造住宅ならたくさん柱があって、
その柱に間取りの制約を受ける。
逆に柱のないこの状態なら自由に平面を計画できる。
ここにきて軽量鉄骨のプレファブ住宅に感謝。
そういう意味ではプレファブ住宅も
リノベーションに向いているかもしれません。

間仕切り壁がなくなってがらんどうの状態。室内に柱がない。

お手洗いは工事中も現役、撤去は一番最後。

叶えたいのは“ずっと着る” 手仕事から生まれる、 白田のニットとは。

山形との県境のまち、宮城県加美町は、
標高1000メートル級の山々が連なり、豊かな田園風景が広がる。
このまちに工房を構える〈有限会社シラタ〉は、
量産の工場では真似できないような、手仕事からニットを編んでいる。

鳴瀬川の近くに建つ工房を訪れると、
冬まっただなかの寒さだったけれど、
自然光がたっぷり入るプレスルームは暖かくて、
ニットや、カーディガンがかけられていた。
秋冬は、“白田のカシミヤ”
春夏は、“白田のコットン”、“白田のリネン”として、
季節に合わせた素材で編んでいる。

どれも、素材感が伝わるふんわりとした気持ちのよい触り心地。
特に、はおったときの着心地も抜群にいい。
空気につつまれるような軽やかさがある。
その秘密は、編み機にあると
代表でデザインを担当している、白田 孝さんが教えてくれた。

ビビッドなローズピンクがかわいい、カシミヤ70%、シルク30%のニット39000円(税抜)。シルクが入っているので少し光沢感があり、クールな風合い。

「うちは、手動で編む、“手横編み機”を使っています。
主流となっている自動編み機と比べると、
びっくりするような手間がかりますが(笑)、
編み上がりも着心地も全然違う。
特に力を入れているのが秋冬のカシミヤです。
初めてこの編み機から生まれるニットを見たとき、
僕もその編み目の美しさに感動しました」

そう話す白田さんも、かつてはこのニットのファンのひとりだった。

見たことのない編み機との出会い

白田が現在使っている手横編み機は、もともと譲り受けたもの。
東京で服飾の勉強をした白田さんは、
仙台に戻り、家業のカシミヤの輸入代理業を継ぐことに。
その際、勉強のためにと昭和27年創業のこの加美町の工場を訪ねた。
工業用自動編み機が主流となり始めていた当時、
初めて見る手動の編み機にカルチャーショックを受けたという。
「丁寧な、本物のものづくりをしていた。
その技術と完成度にびっくりして、
ここで5年、見習い職人として働かせてもらいました。
もう20年以上前のことですよ」

その後、家業へと戻った白田さん。
時代は、次第に量産の安価なものへ需要が移り、
2000年代に入り、社長から工場をたたむと連絡が入る。
「もったいないと思いましたね。
国内で編み機メーカーの製造は停止してしまっていたので、
この編み機はもう手に入らない。
だからこそ、ほかにはないニットを提供できるんじゃないかと」
そう考えた白田さんは、規模を縮小し、
手横編み機を譲り受けることにした。
しかし、現実はなかなか厳しい道のりだった。

2015-2016秋冬のカシミヤ100%のニット。左がmix42000円、右が38000円(ともに税抜)。白田はタグも残糸を使って、職人がひとつひとつ縫い付ける。

余った糸でつくられる小物もかわいい。すべてカシミヤなので気持ちよい触り心地。

最初は、有名百貨店の別注など、OEMを手がけていたが、
「相手はいかに安くできるかを求めてくるわけです。
でも、手を抜けないからつくる時間は変わらないんですよ。
利益をとると、職人を育成する余力はなくなります。
量産品と比べられたら工賃は歴然の差ですから。
10年前はまだ、手間をかけてつくることに
意味を感じでもらえなかった」と当時を振り返る白田さん。

そのうち大手の受注がストップしてしまい、
いよいよOEMが厳しくなってきた最中に起きた東日本大震災。
建物などへの被害は少なかったが受注経路が分断され、
注文が激減してしまったのだ。

荒れ放題の空き家が、 ここまで変わる? 子育てママにやさしい一軒家。 ASTER vol.5

ASTER vol.5

こんにちは、ASTERの中川です。
今回はこれまでと少し変わり、賃貸物件のご紹介をしたいと思います。
古くて不便な場所にあり、大家さんも困っていた空き家が、
新たな入居者によってセルフリノベーションで変化、いや進化し、
ママやパパが、子どもを連れて集まる憩いの場となっています。
そんな場所のお話です。

僕らは熊本で〈あんぐら不動産〉 という不動産物件紹介サイトを運営しています。
あんぐら不動産の“あんぐら”とは“アンダーグランド”の略。
熊本に眠っている、アンダーグランドで、マニアックで、
普通じゃないけどすてきな、
そして実際に住むこともできる、物件を紹介するWEBサイトです。

そこには普通じゃない物件を探している人からも、
普通じゃない物件を所有する人からも(笑)、連絡があります。
今回はそんな双方からの要望がちょうどマッチングできた事例だと思います。

リノベーションもしがたい木造平屋

ある日、
あんぐら不動産へある物件を所有するオーナーさんから相談がありました。
「自分の所有する物件が数年空き家で困っている。
築年数も古いし、内装は傷んでるし、場所も不便な所にあるので、
入居者が見つからない。どうにかしたい」とのこと。

さっそく見に行くと、まず場所がたしかに不便。
物件の住所は熊本市西区島崎。
熊本市内でも中心地から離れた金峰山という山の麓にあり、
最寄り駅からは徒歩20分以上かかり、車でしか行けない。
途中、坂を登って、下りて、すぐまたV字に角を曲がり、
車同士がすれ違えない道を進んだ突き当たり……という場所にありました。

外観はこんな様子でした。

その建物は築38年経った木造平屋のごく普通の家。
前入居者が退去して約4年も空いている状態でした。
たしかに建物は古い。内装もボロボロ。庭はすごいジャングル!

どうしましょうか……。

普通に貸すのは難しそうだ……
リノベーションしても結構費用がかかりそう……
とりあえず庭の剪定からでしょ……

いろいろと考えた結果、
デメリットだらけのこの物件もよく考えれば
庭もあるし、周辺環境も自然豊か。
戸建の賃貸物件で家賃もお手頃だし、どうにかなるんじゃないか?
と思い始めました。
このままじゃ普通にリフォームされるか、取り壊される運命。
それもなんか悲しいし。

そこで、水廻りなど最低限の設備と内装の下地までを僕らがつくり、
内装の仕上げは入居者が自由にDIYできる、
〈下地の家〉というコンセプトで募集することになりました。

オーナーにとってコスト軽減できるのと同時に、
入居者にとっても、自分の好きな内装にできるのが大きなメリット。
まだまだ熊本では少ないセルフリノベーション可能物件。
これなら不便な場所や古い内装のデメリットも解消できそうだと思いました。

そんな時期にちょうどあんぐら不動産へ、
今度は変わった物件を探している方から連絡が入りました。

昔の佇まいに戻すだけ? 古民家改修のすすめ。 一般社団法人ノオト vol.10

一般社団法人ノオト vol.10

第10回目となる今回は、〈篠山城下町ホテルNIPPONIA〉をはじめ、
ノオトの古民家再生物件のほとんどに建築家として関わっていただいている、
才本謙二さんに執筆をお願いしました。

才本さんは、一般社団法人ノオトのメンバーであるとともに、
篠山を本拠とする才本建築事務所の代表として、
兵庫県をはじめ数多くの古民家再生を実施してきた、古民家再生の第一人者です。

今回は、実際の古民家再生物件を数多く手がける建築家からみた、
古民家再生に対する考え方をお聞きできればと思っています。
以下、才本謙二さんにバトンタッチします。

一般社団法人ノオト 区切りのvol.10に登場しました才本です。
vol.9までの執筆者とともに古民家に関わって12年、約200件のリノベを計画し、
100棟近く触ってきました。
話のネタは、みなさまに書き尽くされてしまいました。
コーディネーターの星野さんから、
建築家の立場から古民家改修について書いてほしいと
リクエストをもらっていましたが、
あまり面白くないので、日頃思っていることを、したためることにしました。

リノベのススメタクナイ

リノベーションとは、
『家とインテリアの用語がわかる辞典』によると、

建築物の修理、改造のこと。耐震性や省エネ性などの機能を高める、
事務所用ビルを居住用マンションに変更するなど、
既存の建物を大規模改装し新しい価値を加えることをいう。
用途変更や時代の変化に合わせた機能向上を伴う点でリフォームと区別することが多い。

と定義付けられています。

私がやっていることは、機能向上もしていないし、
まして大規模に改造もしていないのです。
今は、「快適でおしゃれな住空間なんてまっぴらごめんだ」と思っています。
しかし最初は、みなさんがやられているような真っ白な漆喰壁に間接照明と
ピカピカの無垢の床で仕上げたおしゃれなものにあこがれていました。
またそれが常道だと思っていたので、薄汚れた壁を全面塗り替えるなど、
できる限り汚いものを排除していました。
でも排除すればするほど、古民家らしさが消え去り、
いやらしい作家性が表へ出てきてしまって、とても居心地の悪いものに感じました。
ただ、私がやる物件は予算工期がないのがほとんどで、
「お金ないから」「平成の修理とわかるように……」と言い訳しながらやっていました。

現在の趣を残す改修方法を「これでいいやん」と自分の中で確信に変わったのは、
ささらい〉(篠山市日置 中西家)からだったように思います。
ささらいは、古民家レストランとショップからなる複合施設ですので、
それなりに改修費がかかっていますが、どこを直したかわからなく仕上がりました。
気の毒なのは工務店さんで、
「何もしてないやないか、ぼろ儲けやな」と言われてしまいましたが、
それも、
昔の佇まいのように趣のあるかたちで直せる技術があり、手間と時間をかけている証拠。
私としては、「しめしめ」と心のうちで思ったりするのです。

ささらい改修中の様子。

ささらいの改修後。趣をできるだけ残し、昔からそこにあるような佇まいに。

「建物が最も輝いた時代(=創建当時)に戻す」
と声高らかに、仕事をしてきました。
ボードに合板、床板を剥ぐと創建当時のすばらしい部材が顔を出します。
黒光りする梁に、1尺(約30センチ)近くある大黒柱の力強さに圧倒されます。

でも最近、直近のこの家の人々にとって、
都会に一歩近づいた昭和の改造こそ、
最も輝いた瞬間であったのではないだろうかと考えるようになりました。
「産まれてずっと、すすけた天井を見て育ったんだ」
「風呂炊きが一番いやだった」
「個室が欲しかった、プライバシーなんてなかったから」……
だから、すすけた天井に白いボードを張って、ガスを引いていつでも風呂に入れる。
襖を取っ払って壁をつくったから、音楽だって大きな音で聴けるんだ。
「昔の状態に戻す? 何を言っているんだ。バカじゃなかろうか!」

昭和の改造の例。合板やボードで床・天井・壁をつくる。

そうなんです、創建当時に戻すことは、家人からすればきっとバカなんです。
性能は確実に低下しています。
すすけた真っ黒な天井に払っても払っても取れない壁の汚れ、キズだらけの柱、
家全体は昼間でも暗いし、隙間風も入ってきて寒い。
ガスを止めて囲炉裏に五右衛門風呂とおくどさん(かまど)、
炭や薪を熱源にするなんて呆れていることでしょう。
よくするのがリノベでしょ、全然よくなっていないじゃないか。

大規模な工事かというとそうでもありません。
家人からバカにされつつ、昭和を取り去り現れた梁と柱を何回も雑巾で拭き取る。
壁は全面修理することなく、
欠け落ちた部分をまったく違った色の地元の土でちょこっと手直しするだけ。
我々のやっていることは、どうも一般的に定義づけられたリノベでは、ないようですね。

ただ言えることは、
時空に振れ、機能を超えるもっと大事なものが潜んでいることに気づき、
価値観を司る部分を刺激していることは確かなようです。
人の営みをむやみに取り去ることは、昭和の改造と何ら変わりませんね。
リノベとは、新しい価値を加えることだけで十分なような気がします。

天井を剥ぐと現れる創建当時の部材(集落丸山)。

才本建築事務所内のおくどさん(かまど)。

無機質テナントがどう変わった? 間伐材を使って 森と都市をつなぐシェアオフィス。 IVolli architecture vol.5

IVolli architecture vol.5

アイボリィアーキテクチュアの原崎です。
前回に続き、ぼくたちがふだん活動している、
横浜で関わらせていただくことになったオフィス計画、
そして神奈川県西部の山北町に伺い、現地の林業についてお話させていただきます。

カーペットが敷かれた無機質なオフィステナントの改装のため、
材料に間伐材を活用することになり、
さらに山北町森林組合のみなさんのご協力のもと
実際に山へ入り、間伐作業を体験させていただいたのが前回までのお話
今度はその間伐した丸太をもって森林組合のご紹介で
近くにある製材所に持ち込み、製材をお願いすることになりました。

ぼくらの知っている“木材”のできるまで

ここは山北町の隣、南足柄市にある製材所〈木材工房あしがら〉。

この大きな木造の倉庫は、製材した木材を乾燥させるための乾燥機です。
その手前には、乾燥の終わったものとこれから乾燥させるものがあります。
丸太から四角に切り出したばかりの木材は
水分が多く強度が不十分でそのままでは使うことはできないので、
このなかで木を2週間ほど寝かせて、じっくりと乾燥させます。

乾燥機にて乾燥中の木材。

続いて木材の加工場へ。
大きな丸太をタテに転がして、大きな機械式のこぎりでカットしていく、
製材作業のメインといえます。こののこぎりは帯鋸といって、
丸太もズバズバ切れる機械なので、安全に、かつ慎重に作業が進められています。

丸太をかかえて帯鋸で切っているのは、〈木材工房あしがら〉の代表、小髙誠仁さん。

ぼくらもなにかお手伝いできることはないか、ということで、
機械を使うのではなく手作業の工程をやらせていただくことになりました。
それは“桟積み(さんづみ)”というもので、
のこぎりで切り出された木材を先ほどの乾燥機に入れて乾燥させるために、
木材1本1本の間隔を空けて桟と木材を交互に積み上げていきます。

桟と交互に木材を敷いていき、

まず一段できました。
これを繰り返して、最終的にはここまで積み上がりました。

この真ん中に積み上がった木材が、
このあとの乾燥と仕上げを経て横浜までやってきます。

「山北材」到着! 早速組み立て

そしてついに、横浜に木材が到着です!
こちらで指定した寸法通りの厚み、
長さに切り揃えられた木材が、オフィス内に積み上がりました。

間伐材が積まれたオフィス。

畑やアトリエを探して移住。 自分たちでつくる暮らしとは。 Green Creative Inabe vol.1

三重県いなべ市では、平成31年春に森のなかにオープンする
新市庁舎の建設にあわせ、地域がどんな場所になっていくべきかと
市民が考えながら参加していくプロジェクト
“Green Creative Inabe(グリーンクリエイティブいなべ)”が進行中だ。
市民と行政、それぞれが別の動きをしているなかで
連動してつくっていくまちの未来とは?

創造力あふれる移住者の存在と、いなべの未来

三重県北部に位置し、西は滋賀県、
北は岐阜県に隣接する三重県いなべ市。
この地域は古くから愛知県名古屋市と滋賀、岐阜を結ぶ
交通の要所として知られていた。

平成15年に行われた“平成の大合併”の際に、
藤原、大安、北勢、員弁(いなべ)と4つのまちが
合併して、いなべ市となって12年。
地の利を生かした企業誘致で人口も増え、雇用もある。
いなべはよくも悪くも、今は“そのまま”であることが
住人にとって平和なようにも見える。

太平洋と日本海が最も近い場所に位置し、鈴鹿山脈を望む風光明媚な景色が自慢のいなべ市。名前は、大和朝廷に使え、法隆寺などの建立にも携わった木工技術集団、猪名部氏が住んでいたことに由来している。

けれども、まちが未来に続いていくには、
将来の姿をイメージし、計画立案する必要がある。

いなべ市でも、平成31年春に森のなかにオープンする新市庁舎にあわせて
市民参加型のプロジェクト
“Green Creative Inabe(グリーンクリエイティブいなべ)”が進行しており、
現在、「グリーン」をキーワードにしたまちづくりを実現すべく
人の動きが活発化してきているという。

新市庁舎は、まちづくりの中心地でもあり、
都市からの玄関口という意味としてのハブとなる。
目に見えるもの=新市庁舎と
目に見えないもの=市民のライフスタイルの
両方を具体化していくプロジェクトだ。

いなべ市農業公園内にある〈梅林公園〉。およそ38ヘクタールの園内に植樹された4500本の梅林は3月中旬が見頃。梅祭りも開催される。果実や花を植樹することで水源地を手入れし、水源を守る役割も。すべて高齢者が植樹し、手入れを行っている。

コロカルは、このプロジェクトの全容と、
4年後に完成する市庁舎から始まる未来を見つめて
まずは、立ち上げの段階で取材を行った。

今回は、その1回目。
Green Creative Inabeが取り組んでいる
未来のいなべらしい暮らしのかたちのひとつ
「農とアート」をそれぞれ体現しているふた組の移住家族を紹介しよう。

食卓の素材はすべて自分たちでつくる。それができる場所を探して

Green Creative Inabeは、
市の資源を「グリーン」と定義づけている。
藤原岳、竜ヶ岳など鈴鹿山脈の東斜面に開け、
員弁川流域は肥沃な土壌であることから、
いなべは県内でも有数の穀倉地帯として知られる。
2013年に愛知県名古屋市からいなべ市に移住した
〈八風農園〉の寺園 風(てらぞの ふう)さんは、
藤原岳の麓にある藤原地区で畑を耕す専業農家だ。

八風農園を営む寺園風さん。鈴鹿山脈のひとつ、花の百名山で名高い藤原岳の麓を移住の地に決めた。

「幼い頃から自然が好きだったので、
将来、農家で生きていこうと農業高校に進学しました。
大学を出て勤め人になるのが
僕には何か楽しそうに思えなかったんです。
当時、テレビで環境問題がとりあげられていたのもあり、
何かやらなければと思っていました。
TOKIOが出演するテレビ番組〈DASH村〉が始まった頃でしたから
自分でもイチから生活をつくることをやってみたいと思ったんです」

風(ふう)という名前は
“アジアに風を起こす人”になるように、と名づけられた。
実際に、高校卒業後に2年間アジアを放浪し見聞を広めた風さん。
そこで、先進国に運ばれる食糧のために働く
地元の人たちの労働の問題を目の当たりにし、
帰国後は自分に何ができるのかと考えるように。

そこで、「自分たちの食べるものをできるだけ自給することで
食糧問題に少しは貢献できるのでは」と帰国後は
農と食に関わりながら生きてきた。

実家の空き家を大改修。 店も人も集まる、まちに開かれた 編集室〈四国食べる商店〉とは。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.5

仏生山まちぐるみ旅館 vol.5

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで、

建築の設計事務所と、仏生山温泉を運営しています。
ここでにやにやしながら暮らすために、まち全体を旅館に見立てる、

〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを10年がかりで進めています。

今回、ご紹介するのは〈四国食べる商店〉です。
場所は仏生山温泉から徒歩2分、北に100メートルほどのところにあります。
温泉の窓から見える(笑)。
オープンしたのは2015年の4月です。

店主の眞鍋邦大さんは、高松出身です。
大学進学時に高松を離れ、東京をはじめ県外で暮らしたあと、
香川県の小豆島に3年滞在し、
昨年生まれ育った仏生山にUターンしました。
四国食べる商店となった建物も、眞鍋さんの実家です。

隣接する農園で収穫する、眞鍋邦大さん。

四国食べる商店は、もともと
『四国食べる通信』という活動から派生しています。
食の情報誌でありながら、
食材が付録のように一緒に送られてくるユニークな仕組みです。
会員になると、2か月に1度、つくり手の想いが冊子+食材という
組み合わせとなって手元に届きます(詳しくはこちらでも)。
最初は東北から始まった、この『食べる通信』という取り組みは
全国に広がりつつあり、その四国地域の編集長を務めるのが眞鍋邦大さんです。

眞鍋さんのすてきなところは、
四国食べる通信の拠点をただの編集室にしないで、
商店という形式にしたことです。

四国食べる通信の仕事としては、
取材や編集、発送が中心だから、
ふつうの事務所のような感じでも大丈夫なんだけど、
商店という形式にすると、店になる。
それがとてもいい。
閉鎖的な事務所と、開かれた商店では
0と100ほどの違いがあります。
場所があってもみんなが日常的に利用できなければ、ないのと同じだからです。
まちのなかで、みんながその場所を利用できて、
価値の受益者になれる、ということがとっても大切です。
実際に四国食べる商店は、店として食材や調味料などを販売しているし、
食にまつわるイベントも不定期に開催しています。

さらに、商店の中には、
リンパドレナージュ(マッサージ)の〈巡舎〉(金・土曜日営業 予約制)、
グラノーラの量り売りカフェ〈寧日〉(月曜日営業)、
というふたつの店が場所の一部を借りて営業しています。
商店では場所を借りて、飲食や販売ができるようにもなっていて、
これからもそういうお店が増えていく予定です。
つまり、売る側、買う側、どちらにも開かれた自由な場所になっているのです。

これはもう、プラットフォームですね。
単に開かれた編集室、っていう感じではなくて、
四国食べる商店というプラットフォームがあって、
そのうえに、
①四国食べる通信の編集室と作業場、
②食材を販売する商店、
③〈巡舎〉〈寧日〉という独立したお店、
さらに段階的に整備しつつある四国食べる農園、
なども増え、さまざまな活動が乗り入れている。
そういう状況では新しい動きが偶発的に生まれやすくなります。

この、開かれてて、自由で、親しみやすい感じは、
おもしろいことに、眞鍋さんの人柄といっしょ。
店は人そのものって、よく言われていますけれど、
それは本当です(笑)。

すてきな店は、店の人の顔が見えること。
そういうお店が集まって、
人の顔が見えるお店が集まると、
すてきなまちができあがると思っています。

なので逆に、
人の顔の見えないチェーン店なんかは、いらないわけです。
暮らしのなかで、にやにやできませんから。

そんなわけで、なんでもできるような場所をつくりたいと依頼がありました。
リノベーションを行ったのは、
眞鍋さんが幼少のころ暮らしていた実家、2階建ての住居です。
現在ご両親は別のところで暮らされているので、
空き家になっていました。

改修前の土間部分。

改修前の居間。当時のジャージがそのまま残っています。

市内の湧水地は20か所以上。 知られざる北陸の水のまちの 新たなチャレンジとは。

地下水で生活するまち、大野

まちなかのいたるところに清水(しょうず)と呼ばれる湧水地があり、
水が豊かであることを感じさせる福井県大野市。
もともとは、織田信長に仕えた武将、金森長近によってつくられた
越前大野城の城下町である。
そのまちづくりの際に、南北に延びる一番通りから五番通りまでの、
5本の通りの道路中央部に上水道の機能をもつ水路が設けられ、
水量の豊富な本願清水の湧き水が水源になっていた。

現在でも、大野市の市街地の家庭では井戸を持っていて、
地下水を組み上げて生活用水として利用している。
もちろん無料だ。
大野というまちは、豊富で美しい水に育まれてきたといっても過言ではない。
大いなる自然の恵みを生活に取り入れる工夫をしたことで、
水は暮らしと一体となり、生活の糧となっているのである。
この地域の本質を見つめた人口減少対策のアクションとして、
いま、大野市では〈Carrying Water Project〉という取り組みが始まっている。

郊外の家庭の敷地には、農業用水が引かれている。

大野のおいしい水は、その地形が育んだものだ。
周囲を1000メートル級の山々に囲まれた盆地で、
有名な九頭竜川をはじめ真名川や清滝川などの一級河川が流れている。
地下100〜200メートルには岩盤があって、これが水を通さない。
その上に広がる小石や砂の砂礫層が、水をたっぷりと蓄えているのだ。
まるで大きな水がめのよう。

水循環の解析によると、この水は、山や川からはもちろん、
4割は田んぼから地下へ染み込んだものだという。
雨や雪が降って浸透した水が、30〜50年の滞留期間を経て、
大野人の元へと湧き出ているのだ。

周囲を山に囲まれる盆地であることがわかる。写真中央に流れるのは、地下水との関わりが深い真名川。

大野盆地に悠々とそびえる標高1523.5メートルの荒島岳。

まちにあるいくつかの水のスポットを巡ってみた。
まずは一番の観光スポットでもある〈御清水(おしょうず)〉。
かつて武士の米を炊くのに使われていたことから、
武家屋敷の住人が厳しく管理し、
上流から飲料水、果物を冷やす場所、野菜などの洗い場と定められていたという。
現在でもその名残りが、言葉にせずとも受け継がれている。
この澄んだ水がまちの中心にあることが、
大野の水文化の深さと歴史を物語っている。

717年創建といわれる篠座神社を訪れた。
境内にある弁天池からは、御霊泉が湧出している。
「大巳貴尊の御仁慈より眼病に苦しむ者を救はむとしてこの霊泉を湧出せしむ」とある。
「篠座目薬」とも謳われ、眼病に効くらしい。
目を清める場合は、左目、右目の順番で。
太古から、大野は水のまちであったことを感じさせる場所だ。

篠座神社の御霊泉。まさに湧き出ているという雰囲気。

一方で、山のエリア。荒島岳のふもと。
このあたりの民家は、地下水を得るためにはまちなかよりも深めに井戸を掘らなといけない。
しかし、九頭竜川から豊富な水量の農業用水を庭まで引いて、
夏になれば、野菜を冷やしたり、お茶をヤカンのまま冷やしたり。
稚アユを放したりもするそう。
荒島岳への登山道を少し登って行くと、〈慈水観音〉があった。
祠の前には豊かな湧き水。雪化粧のなかでひっそりと、しかしとうとうと流れていた。
「水を慈しむ」なんて、水への敬意が表れたステキな名前だ。

雪に覆われた慈水観音。

慈水観音の湧き水は、周囲が雪模様のなか、緑豊かに湧き出ていた。

食文化にも影響は大きい。
現在、大野市には酒蔵が4つもあり、味噌や醤油も有名。
豆腐屋さんも多く、厚揚げがおいしい。でっち羊かん(水ようかん)、そばも名産だ。
どれも、水が重要な産品。

風情あるまち並みが残る七間通りの一画にある〈南部酒蔵場〉。

それなのに、住民のなかでは、水はそこにあって当たり前、タダで当たり前、
という意識があるのも、また事実。

「本願清水をはじめ大野の湧水地には、イトヨという淡水魚が棲んでいます。
ここは陸封型イトヨ生息地の南限なんです。
しかし昭和40〜50年代にかけて、イトヨが絶滅しかけたことがありました。
みんなが水をムダ使いし過ぎて、地下水が低下して水不足になったんですね」
と話してくれたのは、
大野市役所 企画総務部 企画財政課 結の故郷推進室長の吉田克弥さん。

市の課題を真摯に見つめ、歴史文化を丁寧に教えてくれた結の故郷推進室長の吉田さん。

こうした事象をきっかけに、地下水保全条例が制定され、
みんなで水を大切にしていこうという機運も高まっていった。
それでも、まだまだだという。

「地下水や湧水をこれだけ活用できている例は、全国的にも希有だと思うんですよ。
本来だったらもっと誇りに思ってもいいはずです。
最近では、小学校や中学校の教育のなかで教わるので、
子どもたちの意識は高いかもしれません。
私たちの世代は、水があることを当たり前だと思って育ったような気がします」

外で使う生活用水。

リノベーションは不要!? 熊本最古の貸ビルに生まれた ギャラリー〈でんでん舎〉。 ASTER vol.4

ASTER vol.4

こんにちは。ASTERの中川です。
早くも第4回、後半に突入しました。
今回は熊本市で最古の貸しビルにできたギャラリーをご紹介したいと思います。

このなんとも萌える味のあるビル。
名称は〈早野ビル〉と言います。
1924(大正13)年に建てられた早野ビルは
熊本で最初の貸しビルだったそうです。
鉄筋コンクリート造3階建(一部4階建)で特徴的な外観。
築90年を超えた抜群の存在感は古ビルというより、まさにビンテージビル。
熊本の歴史をずっと前から見てきた早野ビルは
登録有形文化財にも登録されています。

場所は熊本市中心市街地から歩いて行ける練兵町というまちにあります。
熊本駅からも中心市街からも市電で10分くらいのところです。

早野ビルは現在も貸しビルとして現役です。
2、3階はデザイン事務所などが入居しています。

2階には、デザイン事務所〈JAM〉が入ります。

3階には同じくデザイン事務所〈PREO DESIGN〉のオフィス。

1階にあるのは、誰でも気軽に活版印刷を楽しめる〈九州活版印刷所〉。
この活版印刷のレトロ感とビルの雰囲気がとてもマッチしていて
ずっと前からここにあるような感じです。

明治より受け継がれてきた昔ながらの校正機を使っている九州活版印刷所。

活版印刷所の上にはまた別のWEBデザイン事務所〈media punta〉があります。

広々とした屋上は入居者みんなの共用スペース。
天気がいい日は昼寝も気持ちよさそうです。
床にはレトロなタイルも。

このようにいまは、主にデザイン事務所が多く入居する早野ビル。
さまざまなデザイナーやクリエイターが集まってきたキッカケは、
最初に入居しているデザイン事務所〈JAM〉の小山田さんの影響でした。

小山田さん。

参加者は延べ3000人。 市民の力で守ってきた、 もうひとつの古民家再生とは。 一般社団法人ノオト vol.9

一般社団法人ノオト vol.9

ノオトの連載も第9回目を迎えました。
今回は、前回の記事でも取り上げた、〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉(通称“町屋研”)
の理事長である酒井宏一さんに執筆をお願いしました。

町屋研は、我々の本拠地である兵庫県篠山市を中心に、
ボランティアの力を活用した古民家再生・活用や、
伝統的なまち並み景観の保全活動を行うNPO法人です。
町屋研にはノオトの社員が2名参画していることもあり、
ノオトとは物件情報の共有や人材の交流、物件状況に応じた役割分担など、
お互い連携しながら古民家再生・活用事業を行っています。

具体的には、所有者・事業者の意向や用途に応じ、
ボランティアを活用し低コストで時間をかけて改修する場合には町屋研、
プロの人材を活用して事業化や産業化を積極的に進める場合にはノオト、
といった役割にあることが多いです。
今回は、市民活動の立場から見た古民家再生の現場をご紹介できればと思います。
以下、酒井宏一さんにバトンタッチします。

古い町家を残すためには

こんにちは。〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉の酒井宏一です。
私たちは、「伝統的なまち並み景観や伝統的な建物は、歴史や文化と同じように、
大切に守らなければならない日本全体の財産である」という思いを持って、
ノオトとはゆるやかに連携しながら、
市民の力による伝統的なまち並みの保全、活用に取り組んでいます。

そのスタートは2004年。
丹波地方の地域づくり団体であるNPO法人たんばぐみの一部門(まちなみ景観部会)、
として〈丹波篠山古民家再生プロジェクト〉を立ち上げました。
その後、2010年に〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉として独立した団体です。

立ち上げから10年以上「伝統的な建物が壊されないようにする活動」
「伝統的な建物の活用」「古民家再生ボランティア活動」などを
ボランティアベースで続けています。

例えば、壊されそうな町屋があると聞くと飛んでいって
「なんとか壊さないでください」とお願いしたり、
景観上大切な建物が空き家になっていれば
具体的な保存・活用方法の提案などもお手伝いしています。

まずは、この活動を始めたきっかけを少しお話したいと思います。

私はなぜか昔から古いまち並みが好きで好きでしょうがなくて、
日本各地のまちを巡るのを最大の楽しみにしていました。
私にとっては理屈抜きに、古い建物や伝統的なまち並みはすごく大切なものだったんです。

ところが、訪ねた歩いたそれぞれのまちで、
久しぶりに行ってみると町家などの古い建物が壊されて、
ずいぶんとまち並みの雰囲気が変わってしまっていることもたびたびありました。
こんなときはすごくかなしいイヤな気分になってしまいます。
伝統的な建物が壊されて古いまち並みが失われるのは
私にとってもったいないという以上に、
何か大切なものを失った気持ちになり、落ち込んでしまうのです。

古いまち並みを守る仕組みとして、
国の制度である重要伝統的建造物群保存地区のような、
法令による規制や補助金制度があるのですが、
そのように国に守られる保存地区は日本の中でごく一部で、
そのほかの大部分の建物については、
壊されていくのを防ぐことが難しいのが現実です。

そんな風に古いまち並みが失われていくのがイヤで、
なんとか、規制や補助金以外に守る仕組みができないかといろいろと考えたのが、
現在の活動の原点です。

篠山市河原町の伝統的なまち並み。

市民の力でまち並みを守る「古民家再生ボランティア」

そのなかで、10年以上定期的に実施しており、
私たちの中心的な活動となっている「古民家再生ボランティア」の仕組みついて、
詳しくご紹介します。

「古民家再生ボランティア」とは、
古民家再生工事の現場で、プロの職人の指導のもとに、
市民ボランティアが、ワークショップ形式で行う取り組みです。
壁塗りや床張りをはじめとした大工仕事や、荷物の片付けなどを行います。

篠山を中心に、毎月2回の開催を継続的に続けており、今年で11年目となりました。
ボランティアの方は毎回10名程度で、これまでの実施回数は230回、
参加者は延べ3000人近くになっています。
最初はそこまで続くと思っていませんでしたので、
本当によく続いているものだと思います。

ワークショップで人気の土壁塗りの様子。

毎月第1・3土曜日に開催しているワークショップ。見学も自由です。

郊外と都心を間伐材でつなぐ、 シェアオフィス。 かながわの森と林業の現在。 Ivolli architecture vol.4

Ivolli architecture vol.4

アイボリィアーキテクチュアの原崎です。
vol.1vol.2vol.3では、横浜中心部にある特徴あるまちのなかで、
それぞれのもつ歴史的背景、あるいは現状をベースにどのような空間のあり方があるか、
その実践をいくつかご紹介しました。
今回は、明治から官民のオフィス街として続く横浜・関内にある、
新しいビジネスとその起業家を支えるインキュベーションセンターで行った
オフィススペースの内装計画についてと、
そこにつながる神奈川の森のことを、お話したいと思います。

地域とつながるシェアオフィスのつくりかた

まず、この施設〈mass×mass関内フューチャーセンター〉(以下マスマス)について
簡単に紹介します。
みなとみらい線・馬車道駅にもほど近い中心市街地のオフィスビル内に、
コワーキング、シェアオフィス、共用のワークショップスタジオをもつこのセンターは、
2011年春に開設。現在70社を超える企業やプロジェクトが入居するワークプレイスです。
こちらのクリエイティブディレクターである森川正信さんは、
以前から親しくさせていただいていて、お互いの職場を度々行き来していました。
そんななか2年前のある日、森川さんから、
「ビル内の空き室にマスマスのシェアオフィスを増床することになったので、
内装デザインを考えてほしい」とお誘いいただきました。
さっそくその空き室を調査のために見に行くと、
そこは、隣のビルが間近に迫り、
壁にはひとつだけしか窓がないため、時間感覚を取りづらく、
既存内装は賃貸オフィスの典型で、
壁天井は白塗装、床はタイルカーペットとちょっと退屈な空間。

終日、日光のほとんど入ってこない空き室。

シンプル、ではありますが、
いかんせん無機質で息苦しい空気感のこの部屋にどういったことができるのか……

ビルの規定上、内装施工に関しては
「基本現在の内装仕上げを維持したうえで、できるものでなければならない」という、
厳しいルールもありました。いわゆる通常の「原状回復義務」よりハードルの高いものです。

これらを勘案してぼくらは、
家具を並べるようにワークブースを組み上げて並べる、
もちろん既存の床壁天井にはビス止めなどの固定はしない方向性としました。
また、一般の貸オフィスと比べて短いスパンで入居者が入れ替わることを想像して、
状況に応じてワークブースはカスタマイズも可能ということを考えました。

初期の計画案の模型。

初期案は畳サイズのモジュールで木造架構を組み、
入居者の必要な面積に合わせて
柱と柱の合間に建具や間仕切りを入れて可変性をもたせる、というものでした。
しかし、設計検討を進める最中に、
事情により工事費を大きくカットすることになってしまったのです。

そのため、材料の造作や加工が多いものは省き、
できれば施工は僕らやマスマスのスタッフだけでもできそうなものを
再検討することになりました。

2棟の木造アパートをつないだら、 まちに生まれた心地よい場所。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.4

仏生山まちぐるみ旅館 vol.4

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。

建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、

まち全体を旅館に見立てる、
〈仏生山まちぐるみ旅館〉
という取り組みを進めています。

今回ご紹介する、
〈TOYTOYTOY(トイトイトイ)〉は雑貨店です。
場所は仏生山温泉から徒歩2分、西へ100メートルぐらいのところにあります。
店主の高柳敦史さんは、
2015年に家族で東京から移住、開業しました。
奥さんと、お子さんふたりの一家4人。
移住の大きなきっかけのひとつは震災でした。
そして高柳さんが仏生山を選んだのは、子育てがしやすい環境というのもあるし、
雑貨店を始めるにあたって、
まちぐるみ旅館という取り組みがとてもすてきだと思ってくれたことでした。
ぼくにとって、すごくうれしいことです。

左が店主の高柳敦史さん。右はダンボール作家の、しまづふゆき(カルトン)さん。ギャラリーでワークショップの準備中。

TOYTOYTOYは
デッキをはさんで雑貨店部分とギャラリー部分に分かれています。
雑貨店部分は、店内いっぱいに、めずらしい文具や衣類があります。
からくり人形や肉タオル、人工シャボン玉?(レインボースティック)もある。
店内をまわると、にやにやできる。
ぼくは、誰かに紹介するとき、
“変態雑貨を上品に売る店”と伝えたりしています(笑)。
ギャラリー部分では、アートやクラフト、プロダクトの展示を不定期に行っています。
大きい窓のある箱のような空間で、とても明るい。
2階に作家が滞在できる場所があって、そういうのがとてもいい。

変態雑貨が上品に販売されています。

TOYTOYTOYには、
大きな特徴がふたつあると感じています。
ひとつめは、
いわゆる雑貨店に行くと、
どこかで見たことがある、というものがたくさんあるんだけど、
ここでは、そういうことがほとんどないのです。
すべての商品は、店主の高柳敦史さんが自分の目で選んで
ほんとうに好きだと思ったものばかり。
雑誌に出ているようないわゆる「売れ線」商品は皆無なのです。
このことは、とても仏生山的で、
売れるからという理由が先にはならないというところ。
いいもの、いいこと、居心地がいい場所、
そういうものが先にあって、「結果」として、売れていくこと。
TOYTOYTOYをはじめ、仏生山ではそういう感じが空気として共有されています。

ふたつめは、販売の方法がユニークなのです。
名前をつけるとしたら、「好きだトーク販売」。
店主のトークがとてもおもしろいのです。
その内容は商品自体の説明でもあるのだけれど、
自分がどれだけ好きか、みたいな感じなのです(笑)。
そのうえ説明に、まったく圧力がなく何よりも楽しいし、心地よい。
受け取り方によって、トークショーを聞いているようでもあるし、
バックミュージックを聞いているようでもある。
お客さんはものを買うけれど、そういう楽しい体験もして帰ることができるのです。
これは高柳さんの人柄によるところがとても大きい。

リノベーションを行う前。手前が1棟1戸、奥が1棟2戸の木造賃貸住宅。

リノベーションを行う前は、築50年になる2棟3戸の木造賃貸アパートでした。
その3戸分を全部借りて、ひとつの店舗併用住宅としました。
おおまかには1階が店舗、2階が住居という分け方です。

住居部分の施工前。

翻訳事務所が夜はビールバーへ? 2事業を叶えたリノベ空間とは。 ASTER vol.3

ASTER vol.3

みなさまこんにちは。ASTERの中川です。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
vol.3ではvol.2でご紹介しました複合施設〈リバーポート9〉の中に誕生した
新しいお店の紹介をしたいと思います。

お店の名前は〈 voyager(ボイジャー)〉 
元駐車場だった地下スペースをリノベーションしてできたバーです。

熊本でもまだ珍しいクラフトビールが揃うバーで、
昨年のオープン以降、年齢層を問わず多くの人々が連日訪れる場所となっています。
しかもこのvoyager、ただのバーではなくオフィスも兼ね備える
オフィス&バーという形態の空間です。
オフィスの中にバー? バーの中にオフィス?
あまり聞いたことがない形態ですが、なぜこのふたつの異なる形態を
ひとつの空間につくったのか。
この場所をつくったふたりのオーナーは田島ミキコさんとジェイソン・モーガンさん。
バーvoyagerのオーナー兼、翻訳・通訳を専門に行う株式会社アドアストラ代表のふたりです。

左が田島さん、右がジェイソン。

ふたりとも既成概念にとらわれない自由な発想と
スピードある行動力でこの場所をつくりました。
その経緯とは? 

少しさかのぼること、約2年前。
もともとはそれぞれ別々に翻訳の仕事をやっていたふたり。
田島さんは13年間、ジェイソンは来日後4年間。
共通の知人を通して知り合ったふたりは翻訳以外でもさまざまな活動に興味があり、
同じ方向性を持っていることでビジネスパートナーとして活動をともにし始めます。

そして2013年、最初のチャレンジとして
熊本市中心市街地で定期的に開催されている〈Seedmarket〉に出店。
Seedmarketとはまちなかで出店意欲がある人や
いまから創業しようと計画している人がチャレンジしたり、
自店の顧客獲得につなげたりと、それぞれの目的で活用するマーケットです。
Seedとは「種を蒔く」という意味で、まちに新しい種を蒔き、
魅力あるまちをつくっていくという想いが込められているそうです。
いろいろな人やお店が持つ魅力を
まちの中心地で発揮し自己発信の場につなげてもらいたいという目的で開催されています。

シードマーケットの様子。

そこでまずふたりはそれぞれコレクションしていた古書や洋書を販売しました。
2回目からは本に加え、世界各国の珍しいビールも販売しました。
出店ショップ名は“Liquor&Spirits”
ビールと本の店〈Liquor&Spirits〉が現在のvoyagerの前身です。

そんな活動をしていくなかで2014年1月、共同出資で株式会社アドアストラを設立。
翻訳や通訳が専門の会社ですが、事業計画にはあらかじめバーの運営も入れていたそうです。
ちなみに設立資金は世界旅行のために貯めていた貯金をあてたそうです。

それからすぐにアドアストラの新拠点となる物件探しが始まりました。
オフィスだけど自分たちが好きなビールや本も販売したい。
それならオフィスで働きながらバーもできる空間を見つけようよと。
でもそんな空間ってなかなか見つからない。

過疎の集落も城下町も、 再生のカギは空き家とヨソ者? 一般社団法人ノオト vol.08

一般社団法人ノオト vol.08

皆さん、こんにちは。ノオト代表の金野(きんの)です。

前回は、理事で事務局長の伊藤が、
〈篠山城下町ホテルNIPPONIA〉にまつわる物語を紹介しました。
ファンドなどの難しい話が続いていたので、
彼女としては「箸やすめのつもりで気楽に書いた」らしいのですが、
たくさんの方に読んでいただいたようで、本人もご満悦です。

彼女は大阪府豊中市生まれ。東京のIT企業でばりばりと働いていました。
ある日のこと、いつものように左手のハンバーガーをかじりつきながら、
右手でキーボードをがりがり打っていて、
この数字を追いかける世界には終わりがなく、
その意味も行き先も見定めることができない、と気づきます。
パソコンから視線を上げると、
ガラスの向こうには、流れゆく雑踏と車列がありました。
彼女はさらに視線を上げて、空を仰ぎました。そして決断します。

まずは、香川県の仏生山、徳島県の神山、神戸市の岡本商店街、
岡山県の西粟倉を巡って薫陶を受けます。
信念を持って、こんなに生き生きと働いている大人たちがいる、
それをこんなに楽しそうに話す人たちがいる、
だいたい、働いているのか遊んでいるのかわからないじゃないか、
彼女はそのように感極まって、
岡 昇平さん大南信也さん、松田 朗さん、牧 大介さんの前で、
それぞれ泣き出したそうです。

それから、かつての上司が「地域づくり」をしている兵庫県の篠山へ、
ふらふらとやってきました。それが2年前のことで、
いまは、ノオトの事務局長、CCNJ(創造都市ネットワーク日本)事務局として、
ばりばり働いています。
前にも書いたようにノオトはフラットな組織なので、
私などは日々ダメ出しをいただいています。

ノオトは現在、理事4名、社員5名の9名で運営しています。
最近になって気がついたのですが、ノオトには勤務時間という概念がありません。
だから労務管理もありません。
事務所のほか、自宅、行きつけのカフェ、食堂、コンビニの駐車場が仕事場です。
9名のうち、伊藤や私を含む6名がIターン、2名がUターンで、
拠点としている篠山市においてもヨソ者の集団ということになります。

NOTE本社事務所から望む丸山集落の黒豆畑。

高齢化するドヤ街。 簡易宿泊所から生まれた ゲストルームとは。 IVolli architecture vol.3

IVolli architecture vol.3

こんにちは。アイボリィの永田です。
これまで2回にわたって僕らの拠点のある黄金町について
ご紹介しましたが、今回は少しだけ足を延ばして、
寿町というエリアでの仕事をお話したいと思います。

ドヤ街と呼ばれたまち

寿町はJR関内駅、石川町駅から徒歩5分ほどの場所にあり、
僕らの事務所のある黄金町からも自転車で10分ほどのところにあります。
黄金町が以前は特殊飲食店でにぎわっていたまちであることは
vol.2でお話してきましたが、
この寿町もまた、独特な歴史を持った地域です。
「寿町」と検索すればいろいろな話が出てくるのですが、
ここは日雇い労働者のための簡易宿泊所が集まる、
「ドヤ街」と呼ばれてきたまちです。
“ドヤ”とは簡易宿泊所のことを
「人が住むような宿(=ヤド)ではない」という意味から、
自嘲的に“ヤド”を逆さまに呼んだ名称のことで、
大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、横浜の寿町は
「3大ドヤ街」とよく言われます。

寿町の様子。(コロカルのエリアマガジンでも寿町を紹介)

簡易宿泊所というのは、名前の通り、
生活するのに最低限の設備しか整えておらず、
ひと部屋はとても小規模で、3〜4畳ほどの広さも珍しくありません。

部屋数は多く、廊下にたくさん扉が並んでいます。

ひと部屋は3〜4畳ほどの広さ。

寿町の現在

寿町は戦後、横浜港での荷役などを中心とした
労働者たちのための簡易宿泊所が100軒以上立ち並ぶようになり、
一時は港湾労働者たちで大変にぎわっていた時期もありました。
しかし時代とともに港湾を中心とした産業も経済も変化していき、
かつての労働者たちが職を失っていくようになりました。
治安の悪さなども目立ち、寿町のまちとしての印象は
とてもいいものではありませんでした。
現在では寿町の住民たちの高齢化が進み、
まちで暮らす人たちの8割近くが生活保護を受けながら暮らしています。
かつての日雇い労働者のまちは静かに福祉のまちに移り変わっています。

寿町には福祉サービスがたくさんあります。

では、そのような寿町と僕らの“改修”がどこで結びつくのでしょうか。