〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
editor's profile
Yu Ebihara
海老原 悠
えびはら・ゆう●エディター/ライター。埼玉県出身。海なし県で生まれ育ったせいか、海を見るとテンションがあがる。「ださいたま」と言われると深く深く傷つくくせに、埼玉を自虐的に語ることが多いのは、埼玉への愛ゆえなのです。
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撮影:在本彌生
地方部の人口減少が叫ばれるなか、増加に転じたまちがある。
徳島駅から車で40分ほどの山間部にある人口6300人のまち、徳島県神山町。
ここ神山は2011年度、転出者が139人に対し転入者が150人と、
町の制定以来初めて転出者が転入者を上回った。
こうして注目される神山の陰に、NPO法人グリーンバレーの姿がある。
神山への移住を希望する人を支援し、地域としっかりつなぐことが彼らの仕事。
神山に数多くある古い空き家を、グリーンバレーが移住希望者に紹介し、
安値で住居やオフィス、アトリエとして使ってもらう。
そのグリーンバレーを立ち上げたのが、理事長として神山で日々奔走する大南信也さんだ。
神山が注目される理由は、移住希望者と神山のユニークなマッチング方法にもある。
「特定の物件についてですが、将来まちにとって必要な働き手を呼び込むために、
“逆指名権”をグリーンバレーが持ちます。
例えば、“神山でIT企業を起こしませんか?”“パン屋を開業する人はいませんか?”と、
特定の職種を逆指名するんです」と大南さん。
それが「ワーク・イン・レジデンス」という規格。
仕事を神山で探すのではなく、
既にスキルを持った人が仕事ごと神山にやってくるというイメージだ。
田舎暮らしに憧れて、という理由で移住する人ばかりでは、
持続可能な地域を築くことは難しいと考える大南さんたちグリーンバレーが、
ちゃんと若い人たちに定住してもらうには、と思案した上での「逆指名権」だった。
行政では決してできない「逆指名権」をNPOであるグリーンバレーが有することで、
窯焼きのパン屋、IT企業のサテライトオフィスや研修施設、
特産である梅を使った料理が自慢のカフェなどの誘致に成功し、
2008年以降約70人が移り住んだ。
爆発的に増えることはないが緩やかに右肩上がりに伸びていく移住者数。
順調に政策が進んだ理由について大南さんは、
「1999年から始めた“アーティスト・イン・レジデンス”のノウハウがあったことが、
“ワーク・イン・レジデンス”の導入にうまくつながったんです」と言う。
神山で生まれた大南さんは、高校で徳島市内、大学で東京、
大学院ではアメリカへ渡ったことで、「神山を客観的にみる機会が多かった」と話す。
スタンフォード大学大学院を修了後、故郷神山で家業の土木建設業を引き継ぎ、
その仕事の傍ら神山の国際交流事業に携わる。
「戦前にアメリカから神山の小学校に送られた
青い目の人形の『アリス』を送り主に届ける、いわゆる“里帰り”させたのがきっかけで、
神山は世界に目を向けた地域づくりに舵をきり、
神山町国際交流協会が発足します。これがグリーンバレーの前身です」
神山を真の国際文化村に。大南さんはアートを基軸にした神山イノベーションに乗り出す。
1992年のことだった。なぜアートだったのか?
「補助金などの支援策で人をまちに呼び込もうとすると失敗してしまうでしょう。
なぜなら、移住希望者は各自治体で提示される“条件”で選んでしまうから。
条件に惹かれて移住してきたとしても、
それがまちの力になるかといったらそうではない。
“まちの空気が好き”“まちと相性がいい”と言ってもらえるような
まちの雰囲気づくりが大切。アートはその雰囲気づくりの力を持っていると思いました」
もちろん大南さんも町民もアート作品を評価する専門家ではない。
だから必然的にアートそのものではなく、
遠く海を越えてでも神山で活動をしたいという高い志を持つアーティストたちに期待を込める。
「アート作品の金銭的価値を高めるのではなく、
神山で活動するアーティスト自身の価値を高めることを神山ではやっていきたい」
と大南さんは力強く話す。
やってくるアーティストにも、ちゃんと神山に“イン”することを求める。
地域と真剣に向き合い、神山に新しい価値をもたらしてくれる。
そんなアーティストを神山は求めている。
こうしてアーティスト・イン・レジデンスが始まった1999年以降、
毎年8月から3か月間、日本国内や海外から3名のアーティストが神山町に滞在している。
作品を制作し、11月初旬に展覧会を開催。
もちろんプログラムが終わったあとも希望すれば神山に住み続けられる。
応募者の8割が欧米を中心とした海外からなのだという。
こうしてアーティスト・イン・レジデンスを成功させ、
神山に外から人を受け入れるという気風と体制をつくった功績が町から認められ、
グリーンバレーは移住政策も受託することとなった。
どんなに安く家やオフィスが借りられるとは言え、
それだけでは神山に移住したいという理由には直結しづらい。
それでもIT企業などからの熱視線が集まるのにはわけがある。
「ネットインフラは万全の状態で整えています。
神山では、全世帯高速光通信が使用でき、しかも都会みたいに回線が混雑することもない。
“こんな山のなかで光通信が使えるの!?” というプラスの意外性は感動につながるんです」
実は徳島県は2011年のケーブルテレビの普及率が
全国No.1というネットワーク王国の一面がある。
そのプラスの落差が神山の魅力でもあるのだ。
“落差”というところでもうひとつ話題にあがったのが、
神山の地域情報ウェブサイトの「イン神山」。
「イン神山のウェブサイトは、“デザインしすぎない”というのがコンセプトです。
ウェブデザインを依頼したリビングワールドの西村佳哲さんの
“イン神山のデザインモチーフはグリーンバレーの人たちそのもの”
という考え方がベースとなっています」
それでも神山で暮らす人々の健やかさを前面に出して
ウェブ上でそのままの姿を見せることにした。
その理由は、実際に神山に入ってきた人が、
ウェブで見た神山の様子との落差を感じてしまうからだと言う。
「イン神山は、“小窓”。神山に住んでいる人それぞれの生活が、
“小窓”を通してちらりちらりと見えるような感じです。
神山で生活している人の様子がここで見られるから、
実際に神山を見た感じとの落差がなく、見たままの神山を受け入れることができる。
だから、飾り立てする必要がないんです」
この“デザインしすぎない”という難しいウェブサイトの企画制作を手がけたのが、
西村佳哲さんや、トム・ヴィンセントさんだった。
彼らのアイデアやアドバイスを組み込んでできたサイトは、
グリーンバレーのスタッフによって毎日更新され、随所に人のぬくもりを感じる。
県外向けに特別なチラシもつくらない。海外向けの英語のパンフレットもつくらない。
神山の情報をぎゅっと集約させた「イン神山」が、
一番神山を知るのに最適なツールとなったのだ。
これから公募を始めるという古民家を見せてもらった。
ひと家族で住まうには充分すぎる広さ。使われ方はまだ構想中なのだと言う。
「過疎化、少子高齢化、経済の活性化という
地域の課題を解決できるような人に来てもらえれば」と大南さん。
これからこの家で、どんなファミリーがどんな将来設計を描き、
どう神山の人に迎えられるかが楽しみだ。
profile
SHINYA OMINAMI
大南信也
1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学院修了。1991年青い目の人形「アリス」の64年ぶりの米国への里帰りを実現。1998年より全国初となる「アドプトプログラム」実施や「神山アーティスト・イン・レジデンス」を相次いで始動。2007年より神山町移住交流支援センターを受託運営の結果、2011年度、神山町史上初となる社会動態人口増を達成。2010年以降、IT企業7社のサテライトオフィスの誘致を実現。多様な人が集う価値創造の場「せかいのかみやま」づくりとともに、的確な目標に向かって過疎化を進め、人口構成の健全化を目指す「創造的過疎」を持論に活動中。
http://www.in-kamiyama.jp/
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