レコードはカッティングが命。 レコード屋&バー 〈SMOKIN’ FISH RECORDS〉の 溝にまつわる深いお話

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
神奈川県横浜市。

レコード棚の仕分けでわかるマニアックなこだわり

コロンボ(以下コロ): 世の中、マニアックな店ってまだまだあるもんだね。

カルロス(以下カル): 感慨深めにどうしました? 
ボクらが行く店って、そもそもマニアックだけど。

コロ: ここ横浜、吉田町にある〈SMOKIN’ FISH RECORDS〉って店、
レコード屋でもあり、カフェや飲み屋でもあるんだけどさ、
レコード・ストックの棚の仕分けが超マニアックなわけ。

カル: アーティストやジャンルとかじゃないんだ。

コロ: それももちろんあるんだけど、お店の入口で待ちかまえている棚が、
マスタリングスタジオ別なんだよ。

カル: マスタリングスタジオって
レコードの音質を司るカッティングエンジニアなんかが関わるところだよね。

石川県小松市の秘境、 滝ヶ原町で開催される 音楽、食、アートの祭典〈ishinoko〉

美しい山々に囲まれたまち、石川県小松市の秘境・滝ヶ原町

地域の食や音楽、アートの祭典〈ishinoko〉は、
石川県小松市の秘境、滝ヶ原町で開催されている。
会場はのどかな場所で、自然を満喫しながら、
ローカルのおいしいものを食べたり、音楽やアートを体感できる。

オーガナイザーはイギリス、デンマーク、大阪とインターナショナルな若者たちで、
地元住民と一緒に楽しく過ごす姿を見ていると、
なんだか不思議な空間に感じる。

オーガナイザーの若者たちは、
滝ヶ原町の豊かな自然と地域コミュニティからインスピレーションを受け、
地域に暮らす若いアーティストやクリエイター、友人グループを集め、
独自の祭典を始めた。

簡易なテントと1台のステージから始まったishinokoは、
2023年に4回目を迎え、国内外から約520人の来場者を集める国際的な祭典となった。

2023年、ishinokoでの様子。

2023年、ishinokoでの様子。(写真提供:Hiro Yamashina

小松市・滝ヶ原町はもともと、採石、九谷焼、炭焼き、紙すき……、
さまざまな工芸文化と手仕事の生活が受け継がれ、
町民は米や野菜を自給し、隣人と助け合いながら暮らす地域。

豊かな自然と文化が息づくこのまちで行われている〈ishinoko〉とはどんなものか。
元来、地域と深く結びついているはずの「日本の祭りの精神」への
リスペクトから生まれた祭典。
目指すのは滝ヶ原町の自然と調和した未来の地域づくりだという。

映画監督・松本花奈の旅コラム 「出会いを大切に。 友人との絆が深まった宮城夏旅」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第40回は、映画監督の松本花奈さん。
東日本大震災の復興支援にまつわるツアーへ。
仙台〜南三陸町〜亘理町〜塩釜市へと、
知っていたようで知らないことを目の当たりにし
風化させないように心に留めておく体験になった。

ツアーへは、中学校の同級生たちと一緒に行った。
このメンバーとは“小さなすれ違い”があったというが、
はたして旅はどうなったのだろうか?

中学時代の親友と行く、復興支援ツアー

2年前の夏、友人と宮城県へ旅に出た。
友人の名前は、“きなり”と“かめあり”。
中学の同級生で、中3のときにクラスが同じになり、仲良くなった。
きなりは面倒見が良く、姉御肌。それでいてとても繊細で、唯一無二の感性を持っている。
ちなみに、きなりは漢字で“生也”と書く。生きる也。なんていい名前なのだろう。

かめありは飄々としていて、とても知的。
穏やかなように見えて、たまに斜め上の角度から毒を吐いてくるところがまたおもしろい。
私は、きなりとかめありのことが大好きだ。
10年前から変わらずずっと、会うたびにお腹がよじれるほど大爆笑できるのは
このふたりしかいない。
ふたりに出会えたことで、 私の人生はとても豊かになっている。

“きなり”と“かめあり”と自分。

“きなり”と“かめあり”と3人で。

〈DEPT〉オーナー・eriの旅コラム 「旅でも安心したい。 美瑛の山小屋でリラックスしたもの」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第39回は、ヴィンテージショップ〈DEPT〉のオーナーであり、
さまざまな環境や社会活動もしているeriさん。
大好きな旅ではあるが、
旅を存分に楽しむには、自分の心身が安心していることが重要。
そんなときに必要な
リラックスアイテムを紹介してくれる。
今回はまさに旅先、北海道の美瑛からお届けする。

家を飛び出したいけど、家にいるみたいに安心していたい

わたしは旅に出るのが大好きです。
見たことも聞いたことも嗅いだことも感じたこともないことが、
旅先には星の数ほどちりばめられていて、
そのひとつひとつの瞬きに心を揺さぶられるから。

自分の人生に新しいひらめきを与えたり
新鮮な喜びを感じたいがために、
住み慣れたまちを飛び出す……
その一方で、
旅をするにあたって
"旅先でいかにリラックスできるか"というのが
わたしの最重要ポイント。

家を飛び出したいけど家にいるみたいに安心していたい……というわがままな旅人は
そのために不可欠なアイテムたちを
旅行鞄のなかにつめこむのです(とにかく荷物が多いのが難点)。

そしてこれを書いているわたしはまさに今旅の途中で、北海道の美瑛に滞在しています。

友人たちと借りた小さくもコージーな山小屋に到着。
最初に取り出した安心アイテムその①は
半年ほど前にステイしていたチェンマイで買い込んできた薬草。
さまざまな薬効のある葉や木の皮が調合されていて、
チェンマイでハーバルスチームサウナに使われているものをわけてもらいました。

ワサワサと乾燥した薬草を袋から取り出し、
北海道の冷たい水とともに鍋に入れ火にかけることから今回の滞在はスタート。
やがてぐつぐつと沸きたち、青く爽やかな香りがたちのぼると
どこかよそよそしかった山小屋のなかいっぱいに親しみが湯気とともに満ちていく。
これだけでずっと居心地が良くなった気分。
火から下ろした鍋にバスタオルをかぶせて
深呼吸すれば薬草スチームに。
これは鞄のなかで軽くてかさばらないのに、効果は絶大!

「おいしいビールを届ける」まちづくり 和歌山県有田川町にある 国際色豊かな〈Nomcraft Brewing〉

300種類以上のビールをつくりだしてきた

海が近く、年中温かくて雨が少ない和歌山県有田川町は古くから続くみかんの名産地。
見渡す限りのみかん畑の中に佇む〈Nomcraft Brewing〉は
2019年に誕生したクラフトビールの醸造所だ。

〈Nomcraft Brewing〉が入居するのは、元保育園をリノベーションした複合施設〈THE LIVING ROOM〉。

〈Nomcraft Brewing〉が入居するのは、元保育園をリノベーションした複合施設〈THE LIVING ROOM〉。

メンバーは「シセロン」というビールソムリエの国際認定資格を持つ
シカゴ出身の醸造長アダムさん、
有田川に移住して18年のイギリス人ギャレスさん、
ドイツの醸造・精麦マイスターの資格を持つドイツ人のマークさん、
イギリスで研鑽を積んだジュンヤさん、
そして海外生活のなかでクラフトビールに出合い
〈Nomcraft Brewing〉の創設に関わることになった金子巧さん。
実に国際色豊かな顔ぶれであることに加えて、全員が移住者だ。

左から右に、代表の金子巧さん、有田川町に移住して18年のギャレスさん、醸造長のアダムさん、醸造・精麦マイスターの資格を持つマークさん。

左から右に、代表の金子巧さん、有田川町に移住して18年のギャレスさん、醸造長のアダムさん、醸造・精麦マイスターの資格を持つマークさん。

〈Nomcraft Brewing〉のクラフトビールは
ホップにフォーカスしたアロマ豊かなアメリカンスタイルの味わいが特徴。
また、和歌山県が都道府県別・国内生産量1位を誇る有田みかんや、
同じく国内生産量1位を誇るぶどう山椒といった
和歌山・有田川町ならではの農作物を使用した香り高いビールなど、
創業以来300種類のビールを生み出してきた。

 (写真左)軽快な飲み心地の「Nomcraft Lager」。(写真右)ホップとアロマの苦味をしっかりと堪能できる「Nomcraft IPA」。

(写真左)軽快な飲み心地の「Nomcraft Lager」。(写真右)ホップとアロマの苦味をしっかりと堪能できる「Nomcraft IPA」。

醸造に欠かせない水は、世界遺産高野山と同じ水系に属す伏流水を使用。
「プレーンな水は、あらゆるスタイルのビールの可能性を
最大限に引き出す麦汁へとデザインすることができます。
それに和歌山のいろんなフルーツやスパイスの風味をきれいに
引き出すことができるんです」と金子さんは言う。

ソウルのストリートカルチャー溢れる 〈Good Morning Record Bar〉が 京都にあった

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
京都府京都市。

朝はのどかでも、陽が落ちればゴリゴリのレアグルーブ

コロンボ(以下コロ): 〈Good Morning Record Bar〉って
名前からしてよくない?

カルロス(以下カル): レコードではじまる朝なんて、余裕がありそうだし、
丁寧な暮らしそう。やっぱりパット・メセニーって感じかな?

コロ: ボクだったらジョージ・ベンソンの『ブリージン』かな。
そんな気持ちいい朝はなかなかないけど。

カル: いずれにしてもフュージョン感……、
朝に対するイメージが貧困じゃない? 2020年代だよ。

高瀬川沿いに佇むガラス張りのポップな店がまえ。夜ともなると加熱気味なグルーブを発する。

高瀬川沿いに佇むガラス張りのポップな店がまえ。夜ともなると加熱気味なグルーブを発する。

コロ: お店的にはレアグルーブが多いんだって。

カル: 朝から?

コロ: いやいや、賑わってくる日没後だけど。
レアグルーブっていえば、カルロスの守備範囲じゃない?

カル: うーむ、レアグルーブ、難しいね。ジャンルでもないし定義が微妙。

コロ: あえて定義するとどうなの? 
やはりDJ文化というか、ヒップホップ以降というイメージだけど。

カル: サンプリングや元ネタという、人が注目しないところに美学を感じる
「レコード掘り師」の文化かな。
自分に照らし合わせてみると、レアグルーブは広すぎて
コンピレーションやDJミックスで知っていくものだったかも。
橋下徹選曲の「FREE SOUL」シリーズとかね。

『リノベのススメ』のその後の話。 まちづくりへの新たな視座と視点を。 富山・新湊内川沿いから広がる波と 〈マチザイノオト〉プロジェクト

2013年にスタートした、コロカルの人気連載『リノベのススメ』。
全国各地のリノベーション事例を、物件に携わった当事者が紹介する企画だ。
今回の月刊特集では『エリアリノベのススメ』と称して、
1軒の建物のリノベーションをきっかけに、
まちへ派生していく“エリアリノベーション”を掘り下げていく。

『リノベのススメ』担当編集の中島彩さんにインタビューしたvol.001では、
リノベーションの潮流を踏まえつつ、過去の連載を振り返ってきた。
そのなかで登場した過去の執筆陣に、「その後」を聞いてみることにした。
前々回vol.002は〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さん、
前回vol.003は〈ミユキデザイン〉末永三樹さんに
「その後」を執筆してもらった。

今回は、2018年から19年のあいだ、
計8回にわたり執筆していた
〈グリーンノートレーベル〉の代表、明石博之さんが手がける
富山県射水市の新湊内川地区を実際に訪れた。

連載当時のまちの変化をセカンドウェーブとするならば、
現在はサードウェーブの流れが生まれつつあるようだ。
連載から6年経った今、
新湊内川というまちにはどのようなエリアリノベーションが行われ、
これからどんなことが起ころうとしているのか。
川沿いを歩きながら、「その後」をうかがった。

自らが地域のプレイヤーになり、当事者になるということ

まちに貢献する場づくりを行う会社、
〈グリーンノートレーベル〉の代表を務める明石博之さんが
富山県に移住したのは14年前のこと。

移住という選択は、自身の暮らしを見つめるというだけでなく、
地域の社会課題に主体的にコミットしたいという気持ちが強かったからだ。
富山県内を車でひと通り見て回ったあとに辿り着いたのは、射水市の新湊内川地区。
妻・あおいさんの故郷という縁はあったものの、
当時はこのまちが自分たちの拠点になるとは考えもしなかったという。

「日本のベニス」といわれる新湊内川エリア。両岸には漁船が係留されている。まちの中心を流れる「内川」は全長約3.4キロ。

「日本のベニス」といわれる新湊内川エリア。まちの中心を流れる「内川」は全長約3.4キロ。両岸には漁船が係留され、港町の風情が漂う。

2010年に富山県に移住し、2018年より新湊内川地区に拠点を構える〈グリーンノートレーベル〉の明石博之さんのポートレート。5年前には長年広島でお好み焼き屋を営んでいた父・富男さんも内川エリアへ移住しお店を営んでいる。

2010年に富山県に移住し、2018年より新湊内川地区に拠点を構える〈グリーンノートレーベル〉の明石博之さん。5年前には長年広島でお好み焼き屋を営んでいた父・富男さんも内川エリアへ移住しお店を営んでいる。

広島県尾道市(旧因島市)出身の明石さんは、大学時代から計19年間を東京で過ごし、
卒業後はまちづくりのコンサルティング会社に就職。
東京から全国各地に赴くなか、いつしかある思いを抱くようになっていた。

「東京に拠点がある以上、
まちづくりのプロデューサーやコーディネーターといいながら
自分はそこにいないわけじゃないですか。
俯瞰視点だけじゃなくて、もっと自分が普段接している生活圏や文化圏で
主体的に関わっていきたいと思ったんです。
実際にそこに立ったときに見えてくるものを大切にしたかったというか」

銀座から京都へ。 外国人ツーリストを魅了する ザ・レコードバー〈ビートルmomo〉

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
京都府京都市。

夜な夜な外国人客でごった返す京都屈指のレコード酒場

コロンボ(以下コロ): 今回は〈ビートルmomo〉というレコード酒場。

カルロス(以下カル):  四条、高瀬川沿いという絶好のロケーションだから、
桜の季節ともなれば外国人客でごった返しているんだろうね。

コロ: ごった返しているもなにも、いまはお客さんの9割が外国人なんだって。

カル: 桜とも関係なしに?

コロ:  桜の時期は特に。お店の窓から見る高瀬川の夜桜はサイコーだよ。
コロナまでは地元のお客さんや日本人の観光客、
たまに外国人客って感じのしっとりとしたリスニングバーだったけど、
コロナを機に外国人寄りのお店へと振り切ったんだってさ。

カウンター主体のお店から外国人ツーリストを意識してテーブル席などを追加。

カウンター主体のお店から外国人ツーリストを意識してテーブル席などを追加。

カル: 店主の肥田博貴さん、
もともとは銀座8丁目の路地裏で〈beatle lane〉っていう
イカしたお店をやっていたんでしょう。

コロ: 酔っぱらって行ったら2度と辿りつけない迷路みたいな小径の
小さなレコードバー。
というか、レコードをかけるバーって感じ。
朝6時までやっていたので、入稿明けによく行ったなー。

カル: わー、昭和。不適切にもほどがある。

コロ: そうは言っても2017年閉店だから、平成後期だよ。

カル: その銀座が立ち退きで惜しまれつつ閉店し、京都に?

コロ: そうみたい。
外国人のお客さんと日本人のお客さんは音楽の聴き方が違うから、
次第に相容れなくなっていったようだよ。

カル: 日本人がレコードバーに求めるものって、
外国人にとってのそれとはかなり違うからね。

コロ: 日本スタイルのレコードバーが
ニューヨークやロンドンで増えてきたっていうけど、
まだまだその辺のムードまでは浸透していないみたい。

カル: オープンでフレンドリーなPUB文化というか、
おとなしく飲むって意識が少ない外国人が、
肥田さんのかける音楽をちゃんと聴いてくれているのだろうか?

コロ: はじめのうちはおとなしく聴いていて、
「あなたのかける曲はグレートだ」とか言ってくれるんだけど、そのうちに騒ぎ始める。
バーに来た外国人に「静かにしてくれ」っていうのも野暮かなと、
最近は意識を改めたんだってさ。

沖縄でハワイを感じる小さなホテル。 移住者夫婦がセルフビルドで完成させた 〈The Guava Shack〉

「何もしない豊かさ」を楽しむ場所

沖縄本島のほぼ中央、サンセットが美しい西海岸に位置する恩納村。
ダイビングスポット〈青の洞窟〉やビュースポット〈万座毛〉で知られる、
旅行者に人気の地域だ。

リゾートホテルが立ち並ぶ海岸沿いから離れて、高台の静かなエリアへ。
坂道の先に、青空に映える真っ白なフラットハウスが立っている。
〈The Guava Shack〉は、1日1組限定の貸し切り型ホテルだ。

植物に包まれたプライベートガーデンと屋根のあるテラス。

道路から見えない位置にある、植物に包まれたプライベートガーデンと屋根のあるテラス。鳥の声と風に癒されながらくつろいでいると、時間の流れも忘れてしまう。

室内にはリビングとベッドルーム、バスルーム、キッチンやランドリーも揃い、
長期滞在するゲストが多い。
敷地の奥に広がるのは、ココヤシにバナナ、ハイビスカスといった
南国植物にぐるりと彩られたプライベートガーデン。
沖縄の太陽と風の下、誰の目も気にせず、自宅のようにリラックスできる。

予定を詰め込んであちこち観光するのではなく、
「ここで過ごして、“何もしない豊かさ”を感じられる場所を目指しました」と、
オーナーの望月亮さん、真希さん夫妻は話す。

庭を眺められる大きな窓際にあるキッチン。

庭を眺めて料理ができるキッチンは朝日が気持ちいい。庭のテーブルで食事を楽しむゲストも。

白を基調に、ハワイの雑貨やオブジェをディスプレイしたベッドルーム。

ベッドルームは白を基調に、ハワイの雑貨やオブジェをディスプレイ。エキストラベッドを使って最大4人が宿泊可能。

外部が見えないように、バナナリーフやココヤシ、マダガスカルジャスミンなどハワイでも沖縄でも育つ植物に囲まれたガーデン。

バナナリーフやココヤシ、マダガスカルジャスミンなどハワイでも沖縄でも育つ植物に囲まれたガーデンは、外部が見えない非日常空間。

日差しから守られる屋根つきテラスでビールを飲んだり、
地元商店で買ってきた食材で料理をしたり。
徒歩圏内のビーチで泳いで帰ったら、テラスで昼寝が気持ちいい。
小さな子どもがいるファミリーなら、庭のプールで思う存分遊ぶのも最高だ。

いつもの暮らしも沖縄の太陽と風のなかで過ごすと非日常で、
土地の魅力がじんわり伝わってくる。

ハワイ特有の建築様式ラナイ(屋根のあるテラス)を踏襲したオープンエアの空間にハンギングチェアが揺れる。

ハワイ特有の建築様式ラナイ(屋根のあるテラス)を踏襲したオープンエアの空間にハンギングチェアが揺れる。

庭にはオーナーみずから製作したプールとテーブル。

庭にはオーナーみずから製作したプールとテーブル。海に出かけなくても楽しめる。

土地に根ざした持続可能な農業を。 島原半島で種を守り継ぐ 〈竹田かたつむり農園〉

ミネラル豊富で、肥沃な土地に根ざす伝統野菜

その土地になじんで育ってきた野菜の種を採りながら、
長い歳月をかけて、守り継がれてきた伝統野菜。

種を蒔き、収穫し、種を採って……と繰り返しながら、
人々が種をつないでいくことで、
風土や気候を記憶し、ひとつひとつ個性ある色や形、
異なる味わいや風味を持った、エネルギーに満ちている。

長崎県雲仙市・国見町で〈竹田かたつむり農園〉を営む、
種採り農家の竹田竜太さんは、雲仙普賢岳のふもと、
島原半島の温暖な気候と、火山灰でできた黒ボク土という
肥沃な土地で育った伝統野菜、そして種を守り継いでいる。

〈竹田かたつむり農園〉竹田竜太さん・真理さん夫婦。畑のある有明町は、豊かな土壌を裏づけるように、農業生産額は県内トップクラスを誇る。

〈竹田かたつむり農園〉竹田竜太さん・真理さん夫婦。畑のある有明町は、豊かな土壌を裏づけるように、農業生産額は県内トップクラスを誇る。

竹田かたつむり農園の畑を訪れた3月下旬は、「端境期(はざかいき)」と呼ばれる、新しい芽吹きや野菜の成長を待つ時季。畑には竹田さんが育てる「雲仙こぶ高菜」が花を咲かせていた。

竹田かたつむり農園の畑を訪れた3月下旬は、「端境期(はざかいき)」と呼ばれる、新しい芽吹きや野菜の成長を待つ時季。畑には竹田さんが育てる「雲仙こぶ高菜」が花を咲かせていた。

農家になる前は、特別支援学校の教員として、10年間働いていた竹田さん。
学校では露地野菜を育てる活動に携わり、そのうちの2年は、
青年海外協力隊の野菜隊員、サモアの高校の農業教師として、
現地で野菜栽培の指導を行うなかで、
「持続可能な農業こそが主流となるべきだ」と考えるようになった。

実家のある雲仙市国見町では、父親がイチゴやメロンなどの
ハウス栽培をしており、竹田さんもその跡を継ぐかたちで一度は就農。

転機となったのは、新婚旅行中に雲仙の種採り農家・岩﨑政利さんの
「黒田五寸人参の種を採り続けて30年」という記事を、
たまたま見つけたことだった。

「こんなにすばらしい取り組みをしている方が地元にいたなんて」と、
感銘を受け、帰省してすぐに岩﨑さんの勉強会に参加。
それから2年が経過し、2016年に種採り農家として再スタートした。

竹田かたつむり農園では「在来種・固定種」の野菜を中心に年間約60品目以上を栽培している

竹田かたつむり農園では、農薬や化学肥料を利用せず、
種が採れる「在来種・固定種」の野菜を中心に、西洋野菜、
黒米や種じゃがいもなど、年間約60品目以上を栽培している。
そのうちの9割で種採りを行っており、
雲仙こぶ高菜、黒田五寸人参、九条ネギ、
イギリスの在来種・アーリースプリング パープルブロッコリーなど、
初めて見聞きするような伝統野菜も多く扱っている。

採れた種は乾燥剤とともに瓶やプラスチック容器に保存し、冷蔵庫の中で5℃以下に保つ。そうすることで発芽率を保てるそうだ。

採れた種は乾燥剤とともに瓶やプラスチック容器に保存し、冷蔵庫の中で5℃以下に保つ。そうすることで発芽率を保てるそうだ。

竹田かたつむり農園で栽培されている、長崎県大村市が発祥の「黒田五寸人参」。

竹田かたつむり農園で栽培されている、長崎県大村市が発祥の「黒田五寸人参」。

「種を採るには人参の場合、100本ほどの母本を選定します。
色や形を見るために、その人参を土から一度引き抜き、植え替えて、
花が完熟するまで待ち、そこから種を採ります」

黒田五寸人参の種には細かな毛がびっしりと生えているが、
これは種を守るとともに、発芽時に水分を吸い寄せる役割も担っている。

竹田さんがひとつひとつ手作業で毛を取り除いた「黒田五寸人参」の種。毛があると播種機を使って、均一に蒔くうまく蒔くことができないため、1粒ずつ取り除く作業を行う。

竹田さんがひとつひとつ手作業で毛を取り除いた「黒田五寸人参」の種。毛があると播種機を使って、均一に蒔くうまく蒔くことができないため、1粒ずつ取り除く作業を行う。

竹田かたつむり農園で育てた野菜は、
オンラインショップでの販売を行っている。

「こうして自家採種をして栽培する伝統野菜は、
同じ品種でも育ち方や成長スピードが異なります。

だからどうしても安定した収穫、流通を行うのは難しいのですが、
農園の名前にある『かたつむり』のように、
ゆっくりでも続けることが野菜を、この種を、
未来につなぐことにつながると信じている。
かたつむりの渦の形に、持続可能な農業を重ねています」

竹田かたつむり農園

そのまっすぐな思いは確実に広がりをみせており、
国見町のイタリアンレストラン〈villa del nido (ヴィッラ デル ニード)〉
をはじめ、地元の飲食店などでの取り扱いも少しずつ増えている。
また、地元第一を掲げると同時に、
「保育園や学校など、子どもたちにも伝統野菜を伝えていきたい」と、
次世代を見据えた取り組みを続けてきた。

写真家・中川正子の旅コラム 「豊島美術館には行かなかった。 民泊で暮らしを旅する」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第38回は、写真家の中川正子さん。
東京から岡山に移住してきてから
豊島美術館に数多く通っていた。
しかし美術館に行かない「豊島」を体感することに。
島の暮らしから何を感じたのだろう?

80代なんてまだ若者。島の元気なおばあちゃんたち

豊島のことは知っているつもりでいた。
世界でいちばん好きな美術館は〈豊島美術館〉であると公言していたくらいなのだ。
2011年に東京から岡山市に移り住んでからは、
県外からの友人を何人連れていったことか。
フェリーのデッキで海風を浴び、レンタサイクルで美術館を目指す。
巨大な空間を堪能し、いくつかほかのアートも鑑賞する。
おいしいごはんを食べてまた船に乗り込み、岡山へ帰る。
それがわたしの豊島の旅だった。

でも、島の暮らしの気配は、ぜんぜん知らなかった。
ただの通りすがりの旅人だったのだ。単なる美術館好きの。

航跡波

そんな折、友人に紹介されたのがレイコちゃん。
豊島で生まれ、10代で故郷を飛び出しオーストラリアへ。
パートナーと出会い、息子が生まれ、
30代で家族を連れ島に戻ってきた明るいエネルギー溢れる人だ。
古民家を再生したすてきな一棟貸しの宿〈とくと〉を営むかたわら、
地元の個性豊かな民泊を紹介する活動もしている。
彼女に、豊島の魅力を伝える写真をお願いできないかと頼まれ、喜んで引き受けた。

手を振るレイコちゃん

泊まったのは民泊のひとつ、ヤマネさんの家。
戦前生まれのヤマネさんがひとりで営む宿だ。レイコちゃんがニコニコ紹介してくれる。
がらがらとドアを開けると部屋は掃除が行き届いて気持ちがいい。
三角巾をきりりと巻いたヤマネさんは背筋が伸びていて笑顔が最高にチャーミング。
テキパキと動く姿には働き者の気配がある。さっと出してくれたお茶を飲む。
おばあちゃんちみたいでほっとする。

ヤマネさん

夜はレイコちゃんをはじめ、宿で地元の友だちと宴になった。
ヤマネさんのつくってくれたごはんは
食卓からはみ出んばかりに山盛りでお腹がはちきれそう。
楽しい夜はふけ、準備してもらったふかふかの布団で眠った。

雲仙に根ざした在来種野菜が揃う、 農家と食べ手がつながる。 オーガニック直売所〈タネト〉

多様な在来種が根づく、雲仙に惹かれたワケ

長崎県南部の島原半島に位置する雲仙市。
雲仙在住の種採り農家、岩﨑政利さんをはじめ、
地元の生産者によって守り継がれる、在来種野菜に魅了されて、
市内で取り扱う飲食店が増えたり、
都心部から話題のレストランが移転してきたり、
近年、雲仙の食文化はさらなる盛り上がりを見せている。

穏やかな橘湾に臨む小浜温泉。古くから温泉観光地として親しまれてきた。

穏やかな橘湾に臨む小浜温泉。古くから温泉観光地として親しまれてきた。

そんな小浜エリアの隣町である、
雄大な自然に囲まれた千々石町(ちぢわちょう)には、
まちに根ざしながら、地元の人だけでなく、
県内外の多くの人々を惹きつける場所がある。

オーガニック直売所 〈タネト〉

店主の奥津爾さんが、2019年に始めたオーガニック直売所 〈タネト〉。
地域の気候風土に適応し、毎年種を採りながら何代にも渡って、
守り継がれる「在来種野菜」を軸に、半径20キロ圏内で生産された
農薬・化学肥料不使用の野菜を取り扱っている。

タネトの店主、奥津爾さん。

タネトの店主、奥津爾さん。

奥津さんは、もともと夫婦で東京・吉祥寺で料理教室や、カフェを運営する
〈オーガニックベース〉を主宰しながら、2013年からへ雲仙へ移住、
吉祥寺と雲仙を行き来しながら2拠点生活をしていた。

6年という時間をかけ徐々に雲仙に重心を移し、
2019年に地域のいいものに出合える、この直売所をオープンした。
この移住という大きな決断をした背景にあったのは、
雲仙で在来種野菜の種を守り継いでいた岩﨑政利さんの存在だった。

雲仙の種採り農家、岩崎政利さん。(photo:繁延あづさ)

雲仙で種を守り継ぐ農家、岩﨑政利さん。2020年から種と農、風土をテーマに多様な在来種が根づく雲仙を起点に、オーガニックベースが企画運営する『種を蒔くデザイン展』。(写真提供:オーガニックベース photo:繁延あづさ)

「岩﨑さんは40年以上も前から、50種以上の在来種の野菜を、
自家採種しながら育て、守り続けている。
おそらく世界中、歴史上で誰もやったことがないことを、
成し遂げている唯一無二の存在です。

2013年に東京で岩﨑さんの講演を聞いたときに衝撃を受けて、
岩﨑さんの畑を訪れたら、それは言葉にできない美しさでした。
黒田五寸人参の花が一面に咲き誇り、その甘い香りに誘われてミツバチが飛んでいて……。

その景色に心を打たれて『ここで暮らそう』と。
具体的に何をするかは決めずに、その3ヶ月後には雲仙に引っ越していました」

しかし移住後、地元で岩﨑さんの野菜が買えないことに気づいた奥津さん。

「岩﨑さんの野菜に惹かれて雲仙に来たのに、
どこにも販売されていないし、取り扱っているお店もない。
それどころか、地元でつくったオーガニック野菜のほとんどが、
都市部に出荷されていて、地元の人が買えないという状況でした」

タネトの店内

「この土地で暮らす人たちに在来種野菜を届ける場が必要だ」
と考えた奥津さんは、地元農家と消費者をつなぐ拠点をつくることに。

1200種を超える、日本の風土が生んだ 多彩な「古来種野菜」の世界。 〈warmerwarmer〉高橋一也

種をつないできた、果てしない時間軸と多様性

種を蒔き、芽が出て花が咲き、種を採り、そしてまたその種を再び蒔く。
長い歳月をかけて、何世代も受け継ぎ、
地域の豊かな風土や自然のなかで生まれた「古来種野菜」を届ける八百屋
〈warmerwarmer〉を営む、高橋一也さん。

その始まりは、2011年3月の東日本大震災から数日がたった頃。
福島県浪江町で先祖代々農家を営んでいる、
種採り農家からの1本の電話だった。

「受け継いだ種を子どもたちに引き継ごうとしていたのに、
福島第一原発の事故で、畑も種もなくなってしまった」と。

その土地に、家族に寄り添うように、受け継がれてきた種。

そこで種を補償してもらえないかと相談をしたら、
電力会社に「たかが種でしょ」と言われてしまったと聞いて、
世の中にとって種の重要性はまったく理解されていない。
このままではマズイと身震いしたという。

その土地に、家族に寄り添うように、受け継がれてきた種。
また震災や災害によって、種が途絶えてしまったら……。

高橋さんはこの現状と向き合い、その年に会社を辞め、
日本に昔からあるこの野菜の多様性を、そして種の大切さを、
語り継ぐ八百屋として、次代へつなげていくと決めた。

〈warmerwarmer〉高橋一也さん(写真右)、船久保琴恵さん。

〈warmerwarmer〉高橋一也さん(写真右)、船久保琴恵さん。

現在スーパーマーケットなどに流通している野菜の99%はF1種。
一代限りだが、大きさや味が均一、日持ちもするなど、
大量生産に適しているため、現在の市場で大半を占める。

それに対して、品種改良されず、
代々受け継がれてきた種から育つ「古来種野菜」。
成長した野菜の種を採り、その種を蒔いて育て、また種を採る。
こうして何十年、何百年もくり返されながら、
その土地の風土に合った野菜へと定着していく。

品種改良されず、代々受け継がれてきた種から育つ「古来種野菜」。

その数は1200種を超えるといわれるほど、多種多様だ。
しかし、極めて収穫量が少なく、
流通するには効率的でないという理由で、
現在は市場に1%しか存在しておらず、認識されていない。

「それでも、こうして代々種が受け継がれてきたのは、
自然の摂理に寄り添った農法でつくられ、風土に馴染む
種の生命力と、先人たちの思いがあったからこそ。

一般的には固定種、在来種、伝統野菜などと呼ばれ、
生産者などのつくる側、国や自治体などの守る側によっても、
その定義はさまざまです」

一般的には固定種、在来種、伝統野菜などと呼ばれ、その定義はさまざま

warmerwarmerでは、それらすべての種、
そしてその思いを総称したものを「古来種野菜」と呼んでいる。

「現在は流通が発達し、種の交換会も開催されていることから、
この定義を一言では言い表せないのも現状です。
そこで、私たちは“古来からずっと続いている”ということに
定義をしぼり、『古来種』という造語で呼びはじめました」

あの〈Technics〉が 京都にカフェをオープンしたとは 聞き捨てならない話かも。

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
京都府京都市。

ハイエンド・オーディオで聴く「プラスティック・ラブ」の衝撃

カルロス(以下カル): 〈Technics〉がカフェをオープンしたとは
聞き捨てならないね。それも京都なんでしょう?

コロンボ(以下コロ): 京都も京都、四条通り沿いのど真ん中。
昨年の12月6日、音楽の日にオープンしたんだ。

カル: 音楽の日?

コロ: エジソンが発明したフォノグラフの録音、再生が
初めて成功した日らしいよ。1877年の出来事。

カル: 世界中のDJが使い続けるターンテーブルの名機、
あの「Technics SL-1200」シリーズが発売されたのが1972年だから、
誕生のほぼ100年前だね。当然、このカフェのタンテもそうなんでしょう?

コロ: DJブースのものはもちろんだけど、
メインとなるオーディオユニットはハイエンドの「SL-1000R」。
より正確でなめらかな回転を追求し、
あらゆる振動を遮断・制御する強靭な構造らしいよ。

カル: 42キロ以上とかなり重いんだってね。
放送局用のユニットとして採用されるものもわかるね。

コロ: このカフェに鎮座する
パナソニックならでは垂涎のオーディオユニットの総額は700万円だってさ。

カル: TOYプレイヤーから始まったボクのレコード人生、
ここまで登り詰められればいいんだけどな(笑)。

コロ: 最近のレコードブームで、
入口はたしかにTOYプレイヤーからなんだけど、
たいがいそれじゃ物足りなくなくて、次のフェーズに向かうんだってね。
まあ、そりゃそうだけど。

カル: 広々としたカフェはガラス張りで天井もやたら高い。
シンプルかつソリッドな空間なんだけど、
これはデザインだけでなく音響への配慮とかもあるのかな?

コロ: すべてに音響的配慮があるそうだよ。
あえてテーブルを置いてなかったり、植栽が吸音の役割を果たしたりとね。
空間設計を担当した関祐介さんもSL-1200シリーズのユーザーで、
「デザインされているけれど主張しないところが」が気に入っているらしい。

カル: まさにその思想が空間設計にリファインされているね。
コーナーに積み上がった〈M&M Furniture〉の椅子を
お客さんがそれぞれ持って来て座るというシステムも新しいね。
そもそもなんで京都につくったのかな?

コロ: 京都の文化と
学生やインバウンドのツーリストが多いのもポイントだったみたい。

カル: 文化庁も京都に移転したしね。
テクニクスといえばグローバルブランドだから外国人にも親和性が高い。

コロ: そのおかげか、シティポップがすこぶる人気なんだ。
インバウンドの人たちのリクエストは
圧倒的かつダントツに竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」らしいよ。

カル: ハイエンド・オーディオどころか、
レコードで聴いたことない日本の若い子も多いだろうしね。
たしかにここで聴くと
山下達郎さんのいかしたギター・カッティングはもちろんのこと、
ストリングスがいかにきれいな鳴りかがよくわかる。ゾクゾクするね。

コロ: だよねー、別次元。
ヴィンテージ・オーティオショップの名店〈ジュピターオーディオ〉で
『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いて以来の衝撃。
いままで聴いていた『クリムゾン・キングの宮殿』は
なんだったんだろうって(笑)。

シティポップのアンセム「プラスティック・ラブ」はダントツの人気。ハイエンド・オーディオの鳴りでぜひ!

シティポップのアンセム「プラスティック・ラブ」はダントツの人気。ハイエンド・オーディオの鳴りでぜひ!

30代のカヌーガイドふたり、 写真家で弟子屈町在住。 「自然の感じ方」と幸福感に惹かれて

(photo:Tomoki Kokubun)

國分さんが感じる13の瞬間

3月下旬、朝の気温は相変わらず氷点下だけど、
雪面を照らす春の光が、たまらなく美しい。

「雪が解けて、当たり前に春がやってくる」

2月に行われたイベント「ボクらの阿寒摩周国立公園」というトークショーで、
「季節が変わってただ過ぎていくのがとても美しい。
ここで暮らしていて本当に幸運だなって思うんです」
と語ってくれたカヌーガイドがいる。
弟子屈町・屈斜路湖畔に居を構える國分知貴さんだ。

「自分らしい写真を1枚!」とのリクエストに送られてきた、ナイスショット。愛犬・KAIと一緒に昼寝の図。(写真提供:Tomoki Kokubun)

「自分らしい写真を1枚!」とのリクエストに送られてきた、ナイスショット。愛犬・KAIと一緒に昼寝の図。(写真提供:Tomoki Kokubun)

トークショーのテーマは、今年指定90周年を迎える〈阿寒摩周国立公園〉。
その魅力を尋ねたら、國分さんは13枚の写真を用意してくれた。

「身の回りに起きた出来事をどんどん撮っている」

そんななかからセレクトされた、13回もの美しい瞬間。
そのうちの数枚を紹介させてもらおう。

凍った屈斜路湖の上で遊ぶ、放課後の子供たち。(写真提供:Tomoki Kokubun)

凍った屈斜路湖の上で遊ぶ、放課後の子供たち。(写真提供:Tomoki Kokubun)

まずは、イベント開催と同時期、2月に撮影された写真だった。

「先日友人から電話がかかってきて、『スケートしません?』って。
行ってみたら、近所の家族がスケート靴を履いて野球しているんです。
そこに夕日が沈んでいく感じとか、めちゃくちゃすてきで、
自然の中で幸せに暮らすってこういうことだよな、と思って撮りました」

國分さんはガイドのかたわら、写真家としても活躍している。

家の周りに自生する“食べ頃”のコゴミ。(写真提供:Tomoki Kokubun)

家の周りに自生する“食べ頃”のコゴミ。(写真提供:Tomoki Kokubun)

次の写真は春ならではのひとコマ。

「屈斜路に暮らしていると、市街地が離れているので、買い物が億劫なんです。
だからこの時期は、『野菜ないな』って思ったら、コゴミを探す。
雪が解けて春が来て、その辺に食べられるものがあるなんて、幸せです」

7月中旬に撮影された、ウグイの群れ。カヌーガイドの拠点である釧路川にて。(写真提供:Tomoki Kokubun)

7月中旬に撮影された、ウグイの群れ。カヌーガイドの拠点である釧路川にて。(写真提供:Tomoki Kokubun)

「夏になると、たくさんのウグイが遡上する。毎年、必ず来る! 
これってすごいと同時に、異変があったらこういうところから影響が出るのでは、
と気になるんです」

その後、夏と秋の風景が続き、季節外れのイソツツジの花の写真へ。

本来は6月中旬〜7月上旬に花を咲かせるイソツツジを、10月に撮影。(写真提供:Tomoki Kokubun)

本来は6月中旬〜7月上旬に花を咲かせるイソツツジを、10月に撮影。(写真提供:Tomoki Kokubun)

「去年は夏が暑くて、秋になってもまだ暑い日があって、
そしたら10月だというのにイソツツジの花が咲いて、そこに霜が降りていた。
こんなこと、今後も続いてしまうのか……、
わからないけど記録しておくべきだと思って」

そして季節は巡り、また冬へ。
最後の1枚は初雪の日。

奥さんと愛犬と家路につく。國分さんの幸せが詰まった一枚。(写真提供:Tomoki Kokubun)

奥さんと愛犬と家路につく。國分さんの幸せが詰まった一枚。(写真提供:Tomoki Kokubun)

「12月、初めて雪が降った日の帰り道。
初雪ってやっぱりうれしいし、幸せな気分になるし、
そんなときに家族が家に向かっていく姿が愛おしくて」

そう言って、「こういう1年間って、
なんてすばらしいんだろう、って感じているんです」と締め括った。

散髪されながらレコード鑑賞。 すこぶるトリッキーな 〈レコード音楽床屋セキ〉

音楽好きコロンボとカルロスがリスニングバーを探す巡礼の旅。
今回は特別編。
リスニングバーから飛び出し、
東京都西東京市の床屋へ。

まさにレトロな昭和ノスタルジック・ミュージアム

コロンボ(以下コロ): 今回はすごいよ、意外性たっぷり。
レコードバーじゃなくてレコードバーバー。

カルロス(以下カル): えっ、床屋さん?

コロ: 〈レコード音楽床屋セキ〉、レコードをかけながら散髪してくれるんだ。

カル: 店構えからイカしてるね。貼り紙のコラージュ!
《アナログレコード再生中です》だとか
《ビートルズを3音源で聴けます》だとか。

コロ: 3音源を貼り紙のまま説明すると、
①王道のレコード(ノイズ、歪みを含め熱い音で再生)
②スピーディなCD(好きな曲を選んで素早く聴けます)
③マニアックなUSENで(全曲大好きというマニアには
ランダム再生のUSENが最高)
だってさ。

カル: USENにビートルズ・チャンネルってあるね。
たしかになにがかかるかわからないのは楽しみ。本人は何が好きなの?

コロ: 店主の堰(セキ)信太郎さん的には
アルバムは『Please Please Me』で、楽曲だとほぼ全部なんだって。
「Now and Then」はありますか? って聞いたら、
聴いたけど、買ってないってさ。ビートルズは4人揃ってこそだと。

レコード推しのエントランス。取材時は小澤征爾さんや篠山紀信さんが撮影した南沙織さんのジャケットを飾り、追悼。

レコード推しのエントランス。取材時は小澤征爾さんや篠山紀信さんが撮影した南沙織さんのジャケットを飾り、追悼。

カル: たしかにね。微妙といえば微妙。
ところで、どうしてこんなトリッキーな床屋の形態になったの?

コロ: 創業は昭和41年だから、そろそろ60年。
レコードをかけるようになったのは、ここ15年くらい。

カル: 元々はUSENがメインだったんでしょう。

コロ: 家のオーディオやレコードが、家族に邪魔者扱いされて、
それじゃお店に置こうってことがはじまりだとか。

カル: たしかにオーディオって、関係ない人には邪魔だったりするよね。
スピーカーは箪笥みたいでかさばるし。

コロ: レコードも最初はラックに行儀よく並んでいたのが、
どんどん増えて、今じゃバーバー・チェアにも侵食して、
3つのうち2つを占領。1000枚は軽くあるかな。
とはいえ、レコードの半分はお客さんからのいただきものなんだってさ。

カル: だからいろんなジャンルがあるんだ。映画音楽も豊富。
サウンドトラックとは違って、
昔懐かしい、LP12枚組の映画音楽大全集があったり。

“くだものの里”に根付くシードル文化。 醸造所〈VinVie〉がつなぐ ユニークなりんご農家のコミュニティ

地域や農家ごとの特徴が表れたシードル

全国屈指のりんごの産地として知られ、国内2位の生産量を誇る長野県。
高い育種技術でさまざまなオリジナル品種も数多く生み出しているほか、
近年は、りんご果汁の醸造酒・シードルが盛り上がりを見せている。
県内で新進気鋭の醸造所が続々と開業し、生産者数は80を超えるとも。
酒蔵やワイナリーが多い土地柄もあって、
地域や品種の個性を生かした多彩な味わいのシードルが生まれている。

銘柄数は日本一ともいわれる長野県のシードル。

銘柄数は日本一ともいわれる長野県のシードル。

なかでも注目を集めるのが、県南部にあたる南信州地域。
とりわけ「くだものの里」として知られる松川町は
シードルづくりに意欲的に取り組むりんご農家が多く、
それぞれが独自のブランドを立ち上げて製造・販売する
ユニークなシードル文化が根づいている。

その一翼を担うのが、2018年に創業した株式会社〈VinVie(ヴァンヴィ)〉。
自社畑で育てたりんごとブドウを使ったシードルやワインの製造・販売、
そしてりんご農家からの委託醸造も引き受けている。

3000メートル級の南アルプスを正面に臨む高台に位置する〈VinVie〉。

3000メートル級の南アルプスを正面に臨む高台に位置する〈VinVie〉。

社名でありブランド名でもある〈VinVie〉は、フランス語でワインを意味する「Vin」と、
生命や人生、生活などを意味する「Vie」を合わせた造語だ。
普段の生活や地域に根ざし、
飲む人すべてを幸せにするやさしいワインとシードルづくりを通じて、
地域の発展や活性化も目指したいとの思いが込められている。

〈VinVie〉の発起人であり代表の竹村暢子さん(左)と醸造責任者の竹村剛さん(右)。名字は同じ「竹村」でも親族関係ではない。

〈VinVie〉の発起人であり代表の竹村暢子さん(左)と醸造責任者の竹村剛さん(右)。名字は同じ「竹村」でも親族関係ではない。

開拓者精神が息づく意欲的な生産者の営み

そもそも松川町で本格的に果樹栽培がはじまったのは、約100年前の大正4(1915)年。
町の中央を流れる天竜川の河岸段丘と扇状地に開けた自然豊かな地で、
水はけのよい土壌と、
日照時間が長く昼夜の寒暖差が大きいという果樹栽培に適した環境を生かし、
りんごやナシの集団生産地として農業が発展した。

〈VinVie〉のある増野(ましの)地区を中心に農地の開墾も進み、
現在の数多くの果樹園の下地に。
今ではブドウやさくらんぼ、ブルーベリーなど、さまざまな種類の果樹が栽培されている。

至るところに果樹園がある町内。春のさくらんぼから冬のりんごまで季節ごとに多彩な風景が広がる。取材時は農閑期で、12月に収穫を終えた松川町の〈VInVie〉のりんごは落葉し、剪定の時期に突入していた。

至るところに果樹園がある町内。春のさくらんぼから冬のりんごまで季節ごとに多彩な風景が広がる。取材時は農閑期で、12月に収穫を終えた松川町の〈VInVie〉のりんごは落葉し、剪定の時期に突入していた。

くだもの狩りができる観光農園も多く、
直売所運営、自社製品の開発や独自の販売ルートの開拓など
意欲的な農家が多いのもこのまちの特徴だ。

「観光農園は自分たちで価格を決められますし、
固定客がつくなど収入が安定しやすいので、若い世代も事業承継しやすいんです。
特に、1975年に町内に高速道路のICが開かれたことで、
それぞれの農園ごとにオリジナリティを出す農家が多かったことが
背景にあると思います」と〈VinVie〉代表の竹村暢子さんは言う。

レコード屋にバーを併設。 〈LIVING STEREO〉は とびきりのコンプレックス

音楽好きコロンボとカルロスが リスニングバーを探す巡礼の旅、
次なるディストネーションは 福岡県福岡市。

どこでもドアを開けるとそこはとびきりのアンビエント・ワールド

カルロス(以下カル): なんだか、ドラえもんのどこでもドアみたいな入口だね。

コロンボ(以下コロ): カラフルなだけではなくて、これドア全体も回るんだよ。
回転ドアと普通のヒンジドアの2WAY。

カル: ここレコードも買えるんでしょう? 
お酒が飲めて、レコードも買えるお店があるといいなと思ってたんだ。
福岡にあったとは。

コロ: その手のお店って、ありそうでないよね。
伝説のレコ屋、青山の〈パイド・パイパー・ハウス〉も
最初の頃はコーヒーが飲めたりしたけど。

カル: 〈LIVING STEREO〉はレコ屋なの? カフェなの? バーなの?

コロ: お客さんは入ってくるなり、レコードコーナーを一周してから、
バーカウンターにって流れだから、建てつけとしてはレコ屋なのかな? 
うーむ…。

カル: 飲めて、買えるんじゃ、滞留時間が長くなりそうだね。

コロ: エスプリの効いた品揃えからもわかるように、
お客さんもその辺はわきまえてて、平均1時間くらいらしい。

カル: レコードの基本ラインナップはどんな感じなの?

コロ: 9割が中古だけど、新譜のセレクトがとんがってていいんだ。

カル: ミッドセンチュリーの空間に、面出しのレコードが華やかでいい感じだね。

コロ: 店内のデコレーションとしても面出しにはこだわっているそうだよ。
どこでも売っているものより、
とんがった〈LIVING STEREO〉ならではのものを仕入れる方針らしい。

カル: だからOgawa & Tokoro推しなんだ。バレアリックの日本人デュオだよね。
やわらかくて気持ちいい。

コロ: そう、かなり狭いところだけど、センスのいいところを突いてる。
新譜に関してはアンビエントやラウンジ系など、気分ものが中心で、
サバービアな感じかな。

カル: 韓国のアンビエントデュオのサラマンダもちゃんとフックアップしている。

コロ: LAベースのローレル・ヘイローの新譜『ATLAS』も推してたりね。

カル: 目利きの賜物だ。

コロ: アンビエントといえばブライアン・イーノくらいの薄い知識だからなー。
12.1.4chの空間オーディで聴いた
彼の『FOREVERANDEVERNOMORE』はすごかったぞ。
まさに音が降ってくるようだった。

カル: ボクはダンスミュージック流れのアンビエントは好きかな。
フェスや野外パーティで日の出とともに寝そべって聴いてるとたまらなく気持ちいい。

コロ: たしかに。朝のアンビエントもいい。

食痕から野生動物との 共生について考える。 真冬の北海道の森が教えてくれること

「今日の森にはどんな発見があるだろう?」

北海道の東側、阿寒摩周国立公園の中にある、弟子屈町・川湯温泉。
温泉街の入り口には、いまなお噴煙を上げ続ける硫黄山があり、
その麓には、アカエゾマツの森が広がっている。

標高508メートル。弟子屈町の「特定自然観光資源」に指定されている硫黄山。

標高508メートル。弟子屈町の「特定自然観光資源」に指定されている硫黄山。

北海道を代表する木、アカエゾマツは、
火山灰が降り積もった酸性の土壌でも生育できる樹種。

国立公園の中にあるこの地では、
樹齢約200年にもなるアカエゾマツの純林が、
「アカエゾマツの森」として保護されている。

川湯ビジターセンターの裏には「アカエゾマツの森散策路」がある。マップ中、赤いラインがロングコース(約2.2キロ)、緑のラインが今日歩くショートコース。

川湯ビジターセンターの裏には「アカエゾマツの森散策路」がある。マップ中、赤いラインがロングコース(約2.2キロ)、緑のラインが今日歩くショートコース。

2月中旬の雪に包まれたアカエゾマツの森。
午前9時30分、現在の気温はマイナス10度。
約0.8キロのショートコース、通称「ゴゼンタチバナコース」を往く。

今シーズンは12月中旬にどっさり雪が降り、
その後も何度か重なって、積雪は20センチを超えるだろうか。

最初の標識まできたら、ここでまず深呼吸。
今日の森には、どんな発見があるだろう?

森の入り口には、アカエゾマツの丸太を利用した手づくりの標識がある。

森の入り口には、アカエゾマツの丸太を利用した手づくりの標識がある。

最初の直線コースは、名付けて「稚樹(ちじゅ)ロード」

長い年月をかけて高さ30〜40メートルにもなるアカエゾマツだが、
ここには高さ1メートルにも満たない木が並んでいる。
それでも樹齢15年ほど。人間にたとえれば中高生くらいだろうか。

「アカエゾマツの森」の中で、いちばん日当たりのいい場所が「稚樹ロード」。

「アカエゾマツの森」の中で、いちばん日当たりのいい場所が「稚樹ロード」。

手が届く高さに葉っぱがあるので、ここを通るときは
その先をつまんで擦って、アカエゾマツの香りを楽しむことにしている。

ほっとする木の香り。

ところどころにトドマツの稚樹もあるので、
嗅ぎ比べてみる。

トドマツは、もう少し爽やかな印象。

長野県飯田市のシンボル〈りんご並木〉 中学生が守り、 地域で育むまちづくりの循環

〈りんご並木〉誕生秘話

長野県の南端に位置する飯田市。
東西に南アルプスと中央アルプスがそびえ、その中央を天竜川が貫く自然豊かな地だ。

明治期以降は、天竜川によって形成された日本有数の河岸段丘と
豊富な日照量や内陸性気候を生かし、果樹栽培も盛んだ。
とくに長野県が生産量全国2位を誇るりんごは飯田市が日本の栽培地の南限に当たり、
陽光をたっぷりと浴びた南信州産のりんごファンも多い。

市のロゴマークにも使われるほど飯田市民にとって身近なりんご。地域の基幹産業でもある。

市のロゴマークにも使われるほど飯田市民にとって身近なりんご。地域の基幹産業でもある。

そんな飯田市のシンボルのひとつが、
碁盤の目のような市街地の大通りに連なる〈りんご並木〉だ。
南北約300メートルにわたって12種類26本のりんごの木が植えられており、
地域を象徴するシンボルロードとして地域の人たちに親しまれている。

2023年で誕生70周年を迎えたこの〈りんご並木〉、
実はかつて中学生たちの強い熱意によって誕生したものだ。
当時から現在に至るまで、代々、生徒たちの手によって管理され、
今では毎年1万個以上のりんごが実を結んでいる。

プレートの整備など、飯田東中学校を中心とした〈りんご並木〉への取り組みが行われている。

プレートの整備など、飯田東中学校を中心とした〈りんご並木〉への取り組みが行われている。

ルーツは、昭和22(1947)年までさかのぼる。
当時、戦後日本最大の市街地大火といわれた「飯田大火」で市中心部の3分の2が焼失。
要因のひとつが、狭い道路幅と木造建築物の密集だった。

翌年からはじまった本格的な復興事業では、広い道路を設けることで延焼を防ぎ、
防火機能の拡充を図るまちづくりが進められた。
一方で、焼け野原となったまちは少しずつ復興していくものの、
城下町のまち並みは一変し、無機質で殺風景な風景が広がっていった。

大火から5年を経た昭和27(1952)年、
被災時に避難所となった飯田東中学校の第2代校長・松島八郎先生が、
北海道で開かれた全国中学校学校長会に出席。

札幌の道路の広さや街路樹の美しさに感銘を受け、帰校後の全校朝会でその光景を語った。
さらに、ヨーロッパには美しいりんごの並木があること、
落ちたりんごの実はまちの人が備え付けのかごに入れ、
盗む人はいないという話も生徒たちに伝えた。
そのうえで、まだまだ焼け跡が残る飯田市のまちにも街路樹が必要なことを話した。

2024年現在の校長は、滝澤勇一先生が務めている。

2024年現在の校長は、滝澤勇一先生が務めている。

その講話に素直に心を打たれた生徒たちが発案したのが、
寂しくなった市街地の防火帯である大通りに、自分たちの手でりんごの木を植える計画だ。
この計画が行政に上申され、市で検討されることに。
予算不足や、病害虫の被害を受けやすいりんご栽培の難しさの問題、
盗難による犯罪者増加の懸念、さらには市民の冷ややかな目などもあったが、
「並木でまち並みを美しくするだけではなく、まちの人々の心も美しくしたい」
という生徒たちの熱意が行政と人々の心を動かした。

そして、翌年の昭和28(1953)年、約2カ月にわたる生徒たちの手作業により、
とうとう大通りにりんごの苗木が植樹され、〈りんご並木〉が誕生。
生徒たちが維持管理に励んだ結果、大火からの復興のシンボルとして愛されるようになり、
今では飯田市のシンボルとして広く知られる存在になっている。

〈福田パン〉 創業76年のコッペパン専門店が 盛岡のソウルフードになるまで

地元で愛され続ける理由

直営店のカウンターに並ぶ具材は約50種。シングルでも注文できるが、
パンの片側ずつに異なった具材を塗る「ミックス」、
上下に異なった具材を塗る「半々」を合わせると、
味の組み合わせは2000種にもおよぶといわれる〈福田パン〉は、
盛岡市を中心に愛されている岩手県のご当地パンだ。

具材の種類は数あれど、それを挟んでいるパンは1種類。
きつね色の、大人の顔の長さほどに大きくふっくら膨らんだコッペパンが福田パンの顔だ。

岩手県内のスーパーやコンビニにも、袋詰めされた福田パンは毎日並び、
お盆やゴールデンウィークなど、多いときには1日2万個、
平日でも1日約1万個の売り上げを誇っている。

業務用も含めて3サイズあるが、125グラムの生地を膨らませたこのサイズが、おもに直営店と、コンビニ、スーパーなどに流通している。

業務用も含めて3サイズあるが、125グラムの生地を膨らませたこのサイズが、おもに直営店と、コンビニ、スーパーなどに流通している。

創業は、戦後間もない1948年。3代目の現社長 福田潔さんの祖父・留吉さんが、
国産イーストの開発に取り組んでいた大手製パン業者・マルキ号製パンの
〈マルキイースト菌研究所〉の勤務を経て、パン屋を始めた。

留吉さんは、花巻市生まれ。貫郡立稗貫農学校(現・花巻農業高等学校)に進学し、
当時教師だった宮沢賢治の教え子となる。
卒業後は、学費が払えなかったため学問を諦めようとしていたが、
賢治の紹介で盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)へ。
発酵や醸造を専門とする教授の助手となり、働きながら学んでいたという。

開業当初は、パン屋を名乗りながらも、ジャムや乳酸菌飲料をつくって販売するなど、
生計を立てるために食に関わる事業にはさまざま挑戦したそうだ。
パンに具材を塗るスタイルも、初期の頃からだと潔さんは話す。

3代目社長の福田潔さん。

3代目社長の福田潔さん。

「昔はこのスタイルのパン屋は全国にいっぱいあったそうですよ。
デニッシュとかクロワッサンとか、今はいろんな種類のパンをつくることができますが、
当時はそれができなかったんでしょうね。
だからパンは1〜2種類だけど、中身を変えてレパートリーを増やしていた。
世の中にだんだんそういうスタイルがなくなってきたけど、うちはこのかたちが人気で、
残ったんですね」

正確な時期は記録に残っていないが、開業してまもなく、留吉さんは、
母校・岩手大学でパンの販売を始める。それが現在のコッペパンの原型。
当時は砂糖や油脂など、パンを柔らかくする材料が入手できなかったこともあり、
生地はソフトフランスパンだったが、福田パンを象徴する大きなパンは、
「学生にお腹いっぱい食べてもらいたい」という想いから生まれた。

直営店の注文カウンターの奥に並ぶ具材のペーストは見るだけでワクワクする。

直営店の注文カウンターの奥に並ぶ具材のペーストは見るだけでワクワクする。

また、留吉さんは、岩手の小学校でパン給食が始まった際に創設された、
〈岩手県パン工業組合〉の初代メンバーでもあるそう。
給食用のパンのレシピは指定されており、福田パンの製法とは異なるものだったが、
県内の小学校へ届ける量産ラインを徐々に構築していった。

そうして1970年代に始まったのが、高校での出張販売。
潔さんの母校でもある盛岡商業高等学校を皮切りに、
市内のほぼすべての高校に福田パンが並ぶようになる。

「すごかったですよ。まだコンビニが普及していない時代でしたからね。
だいたいみんな、お弁当は2時間目の後に食べ終わってしまうので、
昼休みに福田パンが販売に来ると、人だかりができていました。
盛商(盛岡商業高等学校)だけで、1日500個くらい売れていたんです」

出荷用の箱はグレーと決まっている。この箱に見覚えがある盛岡市民も多いのだろう。「福田製パン」は初代、赤い「フクダパン」は先代、黒い「フクダパン」は潔さんの代のもの。「赤字は嫌だな、黒字がいいなと思って黒にしました」と潔さんは笑う。

出荷用の箱はグレーと決まっている。この箱に見覚えがある盛岡市民も多いのだろう。「福田製パン」は初代、赤い「フクダパン」は先代、黒い「フクダパン」は潔さんの代のもの。「赤字は嫌だな、黒字がいいなと思って黒にしました」と潔さんは笑う。

盛岡市で高校時代を過ごした人なら、
たぶん一度は食べたことがあると想像できるエピソード。
福田パンがソウルフードとして定着してきた大きな理由のひとつは、
この高校での出張販売だろう。

「若い頃、お腹を空かせていたときの味って思い出深いですからね」と潔さん。
自身も授業を抜け出し、真っ先に買いに行っていたそうだ。

また、同社の製造の98%はコッペパンだが、業務用で食パン、ドックパン、
ハンバーガーのバンズ、テーブルロールなどもつくり、
盛岡市内を中心とした喫茶店や惣菜店、病院、幼稚園・保育園の給食、
老人ホームなどに卸している。
形は変わっても、生地はほぼコッペパンというこれらのパンを、
知らず知らずに食べ慣れていることも、
福田パンをローカルフードにしているゆえんかもしれない。

甲斐みのりの 「いま食べたい、もう一度食べたい、 何度でも食べたい地元パン®️」

著書での紹介は200点超え。
全国のパンを食べてきたなかでも衝撃を受けた「地元パン®️」は?
また食べたい! 何度でも食べたい! と心躍る「地元パン®️」は?
エッセイストで『地元パン手帖』著者の甲斐みのりさんが
「地元パン®️」との出合いを綴ります。

それぞれのパンに、豊かな物語が潜んでいる

主には昭和20年~30年代に創業した店や、地域の学校給食を手がけ、
戦後の食糧難の時代から地元の食を支えてきた店がつくるパン。
それから、材料、かたち、ネーミング、パッケージに、
地域性や時代性があらわれていたり、独特の趣があるパン。
これらを「地元パン®️」と呼称し、研究や採集を始めてから20年近くが経ちました。
その間、『地元パン手帖』や『日本全国 地元パン』などの本を出版したり、
実在する地元パンのミニチュアカプセルトイや地元パン文具の監修、
講演会やワークショップの機会も増えてきたため、
「地元パン」で商標登録も行いました。

もともとは、和菓子でも洋菓子でも、日本各地に根づく郷土菓子が好きで、
味や素材だけでなく、成り立ちや意匠、パッケージのデザインにも魅力を感じ、
“お菓子の旅”と称して全国を巡りながら、独自に研究を重ねていました。
旅先では、チェーン店から個人店まで大小の菓子店、百貨店、スーパー、道の駅に立ち寄り、
新たなお菓子を探し出すことができると心が満たされます。
そうするうちに地域の老舗パン屋も、
和洋の菓子を販売していることが多いため訪れるようになったのですが、
そこで日本には、その土地土地に根づくパンがあり、
それぞれのパンには豊かな物語が潜んでいると気がついて、
ローカルパンに魅了されていきました。

甲斐みのりさんの著書『日本全国地元パン』(エクスナレッジ刊)、『地元パン手帖』(グラフィック社刊)。

甲斐みのりさんの著書『日本全国地元パン』(エクスナレッジ刊)、『地元パン手帖』(グラフィック社刊)。

日本のパン屋は世界に誇れる多様な技術を身につけています。
ただパンを焼くだけでなく、
サンドイッチに挟むポテトサラダやトンカツなどの惣菜も自家製。
パンとともに販売する、プリンやクッキー、まんじゅうや
羊羹までも手づくりのものを並べています。
関東の昔ながらのパン屋でときどき見かける、
もはやパンというよりお菓子といえる、
カステラで羊羹を挟んだ明治時代から親しまれる「シベリア」を見つけたときには、
日本のパンの“菓子パン”というジャンルは、
世界的に見て大変珍しいのでは? と思い至りました。
どうやら日本において、菓子とパンは親戚関係にあるようだ……
とますますパン研究にのめり込み、そのうち甘辛の垣根を越えて、
惣菜パンや袋パン……土地土地で長年愛されるパンの研究に没頭していったのです。

日本に初めてパンが伝わったのは、鉄砲伝来と同じ安土桃山時代。
しかし当時のパンは非常にかたくて日本人の口に合わず、
実際に食べていたのは外国人の商人や宣教師に限られていたそうです。
その後、日本人による日本人のためのパンを最初につくったのは、
日本のパンの祖といわれる軍学者・江川太郎左衛門。
携帯しやすく日持ちがする兵糧としてパンの生産を行いましたが、
それもまたかたくておいしさとはほど遠く、日常食として根づくことはありませんでした。

やがて開国した港町・横浜に、外国人がつくる外国人に向けたパン屋が誕生します。
それを見て「これからの日本はパンの時代がやってくる」と先を見越して、
明治2年に日本人初のパン専門店を開いたのが、〈木村屋總本店〉の創業者。
日本人でも食べやすい食感となるように、
酒まんじゅうに着想を得て酒種酵母菌で発酵させた生地にあんこを合わせ、
あんぱんを売り出しました。
そうしてあんぱんは、「文明開化の味がする」と大流行。
日本のパン食文化の幕開けはあんぱんにあるように、
日本でパンとお菓子は、切っても切れない縁があるというわけです。

とはいえ第二次世界大戦前は、まだまだパンは贅沢品。
私たちが今のように、朝や昼、ときに夜の食事として、
当たり前にパンを食べるようになったのは戦後から。
食糧難の時代に学校給食制度が導入され、
子どもたちの昼食にコッペパンが配膳されたのが大きな契機となりました。
学校給食用のパンを焼いたり、地域の人々の食生活を支えるため、
和菓子店・洋菓子店はじめ、さまざまな業種の人たちがパン屋に転業し、
各地にパン屋が急増。戦後まもまく創業したパン屋に、
和菓子や洋菓子を販売しているところが多いのも、こんな歴史につながっています。

地元パンのたのしみは、材料、かたち、ネーミング、パッケージを知るほかにも、
日常を豊かに彩るさまざまな広がりがあります。
ここからは私が日々心躍らせる、地元パンを楽しむ視点を紹介します。

パンのふんわりとした風合いまで再現された地元パンのカプセルトイ。

パンのふんわりとした風合いまで再現された地元パンのカプセルトイ。

編集者・ルーカスB.B. 焼津を第2の拠点に、新たな旅を始める

焼津での生活は予期せぬものだった

ルーカスB.B.。伝説的なユースカルチャー雑誌『TOKION』を創刊した人であり、
現在も20年以上続くトラベル・ライフスタイル誌『PAPERSKY』の編集長を務める、
“つくり続けている”人だ。

東京を拠点に各地を旅するように活動するルーカスさんが、
静岡県焼津市との二拠点生活を始めたと聞いて、焼津にある彼の家へと向かった。
日本各地を取材で訪れるルーカスさんは、なぜ焼津を第2の拠点としたのだろうか。

民家が並ぶ道路を走っていると、
突如ほかの民家とは明らかに異なる前庭を持つ民家が現れた。
明るい白系の石が敷き詰められた駐車場、庭にはミモザやオリーブの木が植えられ、
タイルで囲われた小さなプールもある。一目でそれとわかるルーカスさんの家だ。

ルーカスさんが住む焼津の家。家の正面左に見えるガラスの扉を開けると、ルーカスさんのオフィススペースがある。

ルーカスさんが住む焼津の家。家の正面左に見えるガラスの扉を開けると、ルーカスさんのオフィススペースがある。

「僕はカリフォルニア出身だけど、庭はその雰囲気に寄せてるんだよね。
サボテンやソテツもある。
オフィスの窓を開けるとそこから植物の様子がよく見えていいんだよ」

出迎えてくれたルーカスさんは、異国情緒あふれる庭のこだわりを語ってくれた。
ルーカスさんがスケッチを書き、
庭師さんに見せてイメージを共有しアイデアをもらうというキャッチボールを繰り返した。

石の間には本当はクローバーを敷き詰めたいのだそう。「それはまだまだこれからだね」。

石の間には本当はクローバーを敷き詰めたいのだそう。「それはまだまだこれからだね」。

庭の植物

ルーカスさんのこだわりと遊び心はこの庭だけでなく、
どうやら家の随所に生かされているようだ。
家の中にお邪魔すると、新しくリノベーションを施した部分と、
もともとの日本家屋の雰囲気が見事に調和した空間となっている。

そもそもこの家は、ルーカスさんのパートナーの香織さんの実家だというが、
どうして焼津と東京の二拠点生活を始めることになったのか。
ルーカスさんに案内されたオフィススペースをインタビュー場所に、
まずはその経緯を訊ねた。

「この家には妻の父親と祖母がもともと住んでいたんだけど、
おとうさんが脳梗塞になってしまって、介護施設に入ることになったんだ。
だけどそうなるとおばあちゃんひとりになってしまうから、
僕らが一緒に住もうということになったんだよね。
妻は実家に戻ることをあまりイメージしてなかったみたいだけど、
僕はいいんじゃないかと思った。それがだいたい3年ぐらい前かな」

ルーカスさんの横顔

そうして東京と焼津を行き来する生活が始まったが、あるひとつの問題が浮上した。

「この家には近所の人やおばあちゃんの友だちがやってくるのね。
僕は玄関横の部屋でよく仕事をしていたんだけど、
みんな僕が仕事していると思ってないから、
おばあちゃんたちの話し声とか笑い声がすごい(笑)。
リモートで打ち合わせしてるときにもその声が入っちゃったりするから、
家の中で問題なく仕事できる場所がほしかったんだ」

築70年近く経っていた家の改装と合わせて、
ルーカスさんは焼津における自らの快適な仕事場をつくろうと考えた。

木のノート〈Shiki Bun〉 に どんな言葉を綴りますか? 伊那の森と暮らしをつなぐ 〈やまとわ〉の活動

「変化することが美しい」

「経木」の実物を見たことのある人は、そう多くないかもしれない。
木を薄く平らに削ってつくる経木は、
その名の通り、かつてはお経を書き記す媒体だったという。
以降は特に食の場面で使われた。おにぎりを包んだり、落し蓋にしたり、
揚げ物の下に敷いたり、まな板代わりにして肉や魚を切ったり……。

「経木は、ビニール製品ができる50年くらい前までは、
食べ物を包んだりするメジャーな包装資材でした。ただ、現代は食生活が違う。
だから時代にあった使い方を提案しているんです」と語るのは、
長野県伊那市に事務所を構える〈株式会社やまとわ〉の代表取締役・中村博さん。
同社は伊那のアカマツを素材にした現代版の経木〈信州経木Shiki〉を製造販売している。

〈株式会社やまとわ〉の代表取締役・中村博さん。

〈株式会社やまとわ〉の代表取締役・中村博さん。

〈信州経木Shiki〉の乾燥工程。生木を伐ってから3週間以内に削り、1日〜1日半かけて乾燥させる。

〈信州経木Shiki〉の乾燥工程。生木を伐ってから3週間以内に削り、1日〜1日半かけて乾燥させる。

〈信州経木Shiki〉。右から2番目の Lサイズは長さ48センチと大きいが、これは素材となるアカマツの節から節の長さに応じてつくられた結果だ。

〈信州経木Shiki〉。右から2番目の Lサイズは長さ48センチと大きいが、これは素材となるアカマツの節から節の長さに応じてつくられた結果だ。

「例えば経木でパンを包むと、アカマツの調湿作用で焼き立てのパンの汗を吸収したり、
冷凍保存してもカピカピにならなかったり。
県内外のパン屋さんのユーザーが増えています」

そのほかにも納豆の包装、スーパーの調理用生魚のドリップの吸収シート、
さらに照明やビールのラベルの資材など、用途は多彩だ。

極めつけは〈信州経木Shiki〉をもとにつくられた木のノート〈Shiki Bun〉だろう。
同じ伊那市にある美篶堂が手製本で綴じ、
表紙と1ページ目には同県松本市の藤原印刷が印刷を施した。
添加物などを一切使用していないため日焼けや反りなど経年変化していくが、
「むしろ変化するのが美しい」という嗜好のユーザーに爆発的に受け、
制作中に予約で完売することも多いという。

〈信州経木Shiki〉でつくられた木のノート〈Shiki bun〉。美篶堂の手製本で綴じられている。

〈信州経木Shiki〉でつくられた木のノート〈Shiki bun〉。美篶堂の手製本で綴じられている。

「親子の交換日記とか、大切な人に言葉を書いて贈る人が多い。使われ方が美しいんですよ」と中村さんは笑う。

「親子の交換日記とか、大切な人に言葉を書いて贈る人が多い。使われ方が美しいんですよ」と中村さんは笑う。

「僕らも手作業で削るし、美篶堂さんも手製本だから、
大量生産して流通に乗せるような商品ではないかもしれない。
でもこれらの商品、特に〈信州経木Shiki〉は、僕らの考える、
もっとも本質的な意味をユーザーさんの食卓にまで届けてくれるんです」