連載
posted:2024.2.23 from:長野県飯田市 genre:食・グルメ / 活性化と創生
PR 「南信州みんなの日本一発掘プロジェクト」長野県 南地域振興局
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Hiromi Shimada
島田浩美
しまだ・ひろみ●編集者/ライター/書店員。長野県飯綱町出身、長野市在住。信州大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に「旅とアート」がテーマの書店〈ch.books〉をオープン。趣味は山登り、特技はトライアスロン。体力には自信あり。
photographer profile
Kenta Sasaki
佐々木健太
ささき・けんた●1983年長野県中川村生まれ。東京綜合写真専門学校卒業後、スタジオアシスタント、広告制作会社撮影部アシスタントを経てフリーランスへ。結婚を機に長野県中川村へ拠点を移す。現在中川村を拠点に活動中。
長野県の南端に位置する飯田市。
東西に南アルプスと中央アルプスがそびえ、その中央を天竜川が貫く自然豊かな地だ。
明治期以降は、天竜川によって形成された日本有数の河岸段丘と
豊富な日照量や内陸性気候を生かし、果樹栽培も盛んだ。
とくに長野県が生産量全国2位を誇るりんごは飯田市が日本の栽培地の南限に当たり、
陽光をたっぷりと浴びた南信州産のりんごファンも多い。
そんな飯田市のシンボルのひとつが、
碁盤の目のような市街地の大通りに連なる〈りんご並木〉だ。
南北約300メートルにわたって12種類26本のりんごの木が植えられており、
地域を象徴するシンボルロードとして地域の人たちに親しまれている。
2023年で誕生70周年を迎えたこの〈りんご並木〉、
実はかつて中学生たちの強い熱意によって誕生したものだ。
当時から現在に至るまで、代々、生徒たちの手によって管理され、
今では毎年1万個以上のりんごが実を結んでいる。
ルーツは、昭和22(1947)年までさかのぼる。
当時、戦後日本最大の市街地大火といわれた「飯田大火」で市中心部の3分の2が焼失。
要因のひとつが、狭い道路幅と木造建築物の密集だった。
翌年からはじまった本格的な復興事業では、広い道路を設けることで延焼を防ぎ、
防火機能の拡充を図るまちづくりが進められた。
一方で、焼け野原となったまちは少しずつ復興していくものの、
城下町のまち並みは一変し、無機質で殺風景な風景が広がっていった。
大火から5年を経た昭和27(1952)年、
被災時に避難所となった飯田東中学校の第2代校長・松島八郎先生が、
北海道で開かれた全国中学校学校長会に出席。
札幌の道路の広さや街路樹の美しさに感銘を受け、帰校後の全校朝会でその光景を語った。
さらに、ヨーロッパには美しいりんごの並木があること、
落ちたりんごの実はまちの人が備え付けのかごに入れ、
盗む人はいないという話も生徒たちに伝えた。
そのうえで、まだまだ焼け跡が残る飯田市のまちにも街路樹が必要なことを話した。
その講話に素直に心を打たれた生徒たちが発案したのが、
寂しくなった市街地の防火帯である大通りに、自分たちの手でりんごの木を植える計画だ。
この計画が行政に上申され、市で検討されることに。
予算不足や、病害虫の被害を受けやすいりんご栽培の難しさの問題、
盗難による犯罪者増加の懸念、さらには市民の冷ややかな目などもあったが、
「並木でまち並みを美しくするだけではなく、まちの人々の心も美しくしたい」
という生徒たちの熱意が行政と人々の心を動かした。
そして、翌年の昭和28(1953)年、約2カ月にわたる生徒たちの手作業により、
とうとう大通りにりんごの苗木が植樹され、〈りんご並木〉が誕生。
生徒たちが維持管理に励んだ結果、大火からの復興のシンボルとして愛されるようになり、
今では飯田市のシンボルとして広く知られる存在になっている。
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現在も全校生徒でりんごの世話をする飯田東中学校で、
剪定や草取り、摘果、収穫など、毎月の作業の指揮を取るのが並木委員会だ。
令和5年度の委員長を務める宮下悠雅(ゆうが)さんは、
〈りんご並木〉で収穫したりんごの加工品販売のボランティア活動に参加し、
地域の人たちに感謝されたことで、
もっと〈りんご並木〉の活動に携わりたいと委員会に加わったという。
「地元の人から『ありがとう』という言葉を聞いたときに初めて、
〈りんご並木〉が地域で本当に必要とされているんだなと実感できましたし、
並木のために何かしたいという思いが湧きました」
奇しくも、委員長に就任した2023年は〈りんご並木〉誕生70周年。
新しいことにチャレンジしたいという思いから、
新たにInstagram(@namiki70th)を立ち上げ、
〈りんご並木〉に関する情報発信をはじめた。
また、古くなった並木看板の更新費用を集めるために
取り組んだクラウドファンディングでは、
目標額の170万円を大きく上回る約290万円が集まった。
「金額という数字で現れることでも、〈りんご並木〉のことを
思ってくださっている方が多いと感じられて印象的でした」
昭和40年代には飯田市の都市化に伴い、〈りんご並木〉の駐車場化の声が浮上。
しかし、市民のモニターアンケートで7割近くの反対意見があがり、計画は中止となった。
昭和50年代に入ると、並木の老木化も問題になり、
平成の時代には生徒も参加して、市民と行政の協働で〈りんご並木〉の再整備を検討。
歩行者を優先する公園化事業が進められた。
それとともに〈りんご並木〉の管理に飯田東中学生や職員以外も参加するように。
今では保護者や卒業生、地域の小中学生、
交流を図る他校の生徒、地域住民などが作業に加わり、
地域に開かれた〈りんご並木〉として、持続可能な保存活動を進めている。
「生徒のなかには祖父母の時代から3世代にわたって並木活動に関わっている人もいますし、
『懐かしい』と言いながら作業に加わる保護者や卒業生もいます。
世代が違っても共通の話ができるのも〈りんご並木〉です」
こう話すのは、生徒たちの活動を取りまとめる教頭の伊藤栄勇(えいゆう)先生だ。
県内他市の出身である伊藤先生にとって、
まちなかの道路の真ん中に〈りんご並木〉が連なる光景は驚きだったとか。
だからこそ、並木の維持管理を地域とともに進めていきたいと話す。
「〈りんご並木〉が誕生した昭和28年当時は約1500人いた全校生徒が、
今では190人ほどに減ってしまいました。
少子化をどう乗り切っていくか。協力し合いながら活動を続けていきたいですね」
宮下さんの思いも同じだ。
「今は生徒数の減少により作業の負担も大きくなっているため、
地域と一体となって〈りんご並木〉を管理していくことが理想です」(宮下さん)
収穫した実は、お世話になった地域の人たちや市内の福祉施設に配布するほか、
先述のように加工品にして地域の行事などで販売。
また、かつて大火の復興を支えた経緯から、各地のさまざまな災害の復興支援として、
東日本大震災の被災地などにも送っている。
「日本中を見渡しても、まちなかに〈りんご並木〉が広がる光景はあまりありません。
多くの人に飯田に足を運んでもらい、
この存在を広く知ってもらえたらうれしいです」(宮下さん)
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まちに広がる〈りんご並木〉への思いは、飯田の事業者も同じだ。
まさに〈りんご並木〉の目の前に、
地域特産のりんごを生かした飯田市唯一のシードル専門の醸造所
〈りんご並木醸造所APPO(アッポ)〉はある。
「大型店舗の郊外進出などによって中心市街地の賑わいが減っているなか、
〈りんご並木〉のある場所で地元のりんごを使った新しい名産品をつくり、
まちを元気にしたいと思っていました」
こう話すのが〈APPO〉創業時に醸造責任者を務めていた宮島洋平さんだ。
母体の〈株式会社マツザワ〉は、
長野県内を中心に土産品の企画や製造、卸、販売などを手がけており、
この建物も、かつては観光客向けに、和菓子文化が根付く飯田市のさまざまな銘菓を集め、
製造の実演販売も行うセレクトショップだった。
「近年、盛り上がりを見せる南信州のシードル醸造の流れに乗って、
私たちも挑戦したいと考えるようになりました」
そして南信州飯田果実酒特区制度(※)を活用して、
「マイクロシードルリー」の立ち上げへと至った。
原料の仕入れも、これまでの土産品製造のネットワークを生かして
地域のりんご農家に依頼。特徴のひとつが、
摘果リンゴ(良質なりんごを育てるために夏に間引く幼い果実)を使っていることだ。
というのも、もともと同社では、10数年前から
摘果リンゴを使ったオリジナル菓子製造をしていた経緯がある。
さらなる新商品をつくりたいと思っていたことも
シードル醸造に至った経緯だと宮島さんは話す。
「摘果リンゴを使えば、生産者は収穫期の秋だけでなく夏にも収入が得られ、
落としたままの摘果リンゴが作業の邪魔になる問題も解決できると喜ばれていました。
加えて、本来なら捨ててしまうものなので、食品ロスの問題も解消できます。
シードルの味わいとしても、未熟果である摘果リンゴを使えば
渋みが余韻として残り、風味に個性が生まれます」
農協の技術指導のもと残留農薬などにも配慮し、
生産者の協力もあって安心安全な原料を使えていることは
自信にもなっていると宮島さん。
さわやかで飲みやすいと評判で、
自社の販路によって県内各地の土産店で販売することで、
飯田市のシードル自体の広がりも少しずつ感じているという。
「私たちは生産量は少ないですが、
小規模の醸造所で手づくりしている価値を多くの人に感じてもらい、
この醸造所自体の認知度を高めて、
少しでもまちに人を呼ぶことで地域活性化の力になれたら」
そのためにもシードル醸造はもちろん、
まちのシンボルである〈りんご並木〉の管理も協力し、
中学生と一緒に地域で取り組んでいきたい。
そうした願いは宮島さんだけでなく、多くの地元住民の思いでもあるだろう。
りんご、シードル、焼肉と、ユニークな魅力がゆるやかにつながる飯田の文化。
その背景にあるのは、穏やかな気候のようにおおらかな人々の気質にもあるように感じる。
そして、その人柄を育む土壌になっているのは、
やはり〈りんご並木〉から広がる地元愛だろう。
地域を愛するまちづくりの思いは人々の心に根ざし、豊かに広がっている。
information
りんご並木醸造所APPO
住所:長野県飯田市通り町2-23 発光ビル1F
TEL:0265-52-6188
営業時間:10:00〜17:00
定休日:水曜日(年末年始を除く)※併設ショップ
Web:りんご並木醸造所APPO
Instagram:@appo_cidre
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