仏生山 Part2 ずっとこのまちで 暮らしていくということ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ニヤニヤしながら生きていきたい。

山崎

ぼくと岡さんは、同い年で同じ建築畑。だからとても親近感があるんです。
なぜ、建築家になろうと思ったんですか。

あはは。ずいぶん遡りますね。
じつは、高校生のころは物理をやろうと思っていたんです。

山崎

物理?

物理学者の寺田寅彦に憧れたんです。いい意味で変態というか、
ジャンルを超えて生きる感じとか、ニヤニヤした感じが好きで。

山崎

たしかに彼は変人ですよね。いい意味で(笑)。

でも、試験に受かったのが徳島大学の工学部建設工学科。
まあ、物理は大学院からという手もあるな、と考えてそのまま入学、
土木の世界に入っていきます。

山崎

お。土木からとは、知りませんでした。

でも、いざ就職のことを考える年ごろになってみると、
土木って、行政のしごとが100%だということがわかってくる。
そのことに気づいて、個人でも世界と戦える建築を目指して
大学院に進学しようと決めたのが大学4年の夏のことで……。

山崎

物理への志はもうすっかり忘れてたんですね(笑)。

その通りです! 我ながら、未成年ならではの責任感のなさがたまりません。

山崎

いい話だなあ。

でしょう(笑)。
とはいえ、建築の勉強もあんまりマジメにやってこなかったので、
いまでも自分のしごとを「作品」といわれるのは苦手なんです。

山崎

その感覚、わかります。ぼくもまったく同じですね!

就職して、初めて建築を学んだようなものです。

山崎

新卒で、「みかんぐみ」ですよね。

はい。5人のボスがいるから、5倍学べると思ったんです。

山崎

なるほど、それはいい。

「これがカッコイイ」とか「美しい」という感覚は、
「みかんぐみ」を辞める3年目になって、ようやくわかった気がしますね。

岡昇平さん

生まれ育ったまちにUターンしてちょうど10年。暮らすうち、年齢を重ねる間に、次第にまちとの関わり方が変わってきたという岡さん。

暮らして変わった「わたし」と「まち」の関係性。

山崎

3年で独立って、少し早いですね。

今から思えば(笑)。でも、東京は楽しいけれど、
じぶんにとって暮らしや生活の場ではないなという感覚はずっとあったんです。

山崎

もともと、ひとりで世界と戦うべく建築に入ったわけですから、
リアルな目標として独立を目指していたんですね。

そうですね。ちょうどそのころ、実家で父親が温泉を掘り当てるんです。

山崎

そこがすごい話なんですけど、そのタイミングは、
岡さんのUターンと示し合わせて?

いや、まったくの偶然です。それが2002年のことで、
4代目として家業を継ぎながら、設計事務所を立ち上げることになりました。

山崎

その当初から「まちぐるみ旅館」の発想はあったんですか?

いえ。まったく自分のことしか興味がありませんでしたよ(笑)。

山崎

でも、変わったんですね?

そうですね。そこには、番台に立つようになったこと、
こどもが産まれたことが大きく影響しています。

山崎

やはり、こどもを持つと変わりますか?

全然違いますね。
ぼくの場合は、愛情の拡張スイッチが「オン」になった、という感じでしたね。
じぶんのこどもだけでなく、他人のこどももかわいく思えてくる、みたいな感覚。

山崎

番台に立って変わった感覚は?

言い変えるとするなら、
パブリック性の高い場所にずっといる、ということでしょうか。
しかも、帰るときは、間違いなく誰もが気持ち良さそうな顔をしているでしょう?
風呂上がりで怒ってるひとはいない。

山崎

……あ!

このまちで、ニヤニヤして生きていきたい。再び、そう思うようになったんです。

(……to be continued!)

仏生山来迎院法然寺の門前町

まちぐるみ旅館が点在していくのは、仏生山来迎院法然寺の門前町。昔ながらのたたずまいを残す町屋造りの元商家も、まるであらたな役割が与えられるのを静かに待っているかのよう。

築約90年の町家を改装した「Cafe asile」

上の建物と同じ、古い街道沿いにある、築約90年の町家を改装した「Cafe asile」。週末ともなれば満席になる人気のカフェ。

対談の様子

「建築界において、岡さんほど人間的に“おもてなし”に長けているひとは、ほかにいないんじゃないかなあ。今日はそのルーツが知りたいんです」(山崎)

information

map

仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part1 「仏生山まちぐるみ旅館」の はじまりについて。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

点と点でまちをつなぎ、まち全体を旅館に見立てる。

山崎

こんばんは! こんな遅い時間にすみません。

いえいえ、うれしいです。お待ちしていました。

山崎

この建物、以前に来たときは外から拝見しただけでした。
あのときはたしか、ひとが住まれていたんですよね。

はい。5年前に住宅として設計したのですが、ご家族が引っ越されたので、
今はぼくが賃貸で借りているんです。

山崎

それで、ここを仏生山まちぐるみ旅館の「客室」に?

ええ。「縁側の客室」と名付けて、宿泊施設として4月からオープンしています。

山崎

まちぐるみ旅館計画……とうとう動きだしましたねえ。

ようやく、です。

山崎

もとは、まちなみを残すために古い物件も使えれば、という計画でしたよね。

そうですね。基本的には今もそう考えています。
でも、ちょうど、改築なしですぐにオープンできるところが出てきたので(笑)。

山崎

なるほど。ここは旅館業法や消防法もクリアしているんですか?

はい。誘導灯の追加設置は覚悟していたんですが、
こんなに大きく外に開かれているので、それも必要ないと判断してもらいました。

山崎

たしかに(笑)どこからでも飛び出せますね。バスルームはこの扉の奥ですか?

あ、どうぞ。こちらです。

山崎

うーん、またちょうどいい感じにこぢんまりしてますね。
これは、仏生山温泉に行きたくなります。
両方が岡さんの設計ということで温泉の建物との意匠的な共通点もありますし、
こうして見ると、まるで最初からまちぐるみ旅館の「客室」のために
造られたようですね。

まったくの偶然ですが。

客室をまわりながら対談中

「基本的にはシャワールームとして設計しています」(岡)。「ぜいたくなバスルームにしなくて、よかったですね(笑)」(山崎)。

「一緒に遊んで楽しい」というあたらしいフィルター。

山崎

一方で、泊まれるモデルルームということもできますね。
「設計事務所岡昇平」としては。

あ、ほんとうですね(笑)。

山崎

ぼくもさっそく家族で泊まりに来たいなあ。

ぜひ! いつでもお待ちしています。

山崎

ここに泊まって、外湯に行く。その道中の商店街に、
小さなお土産物屋さんや食堂がある、そんなイメージですよね。

はい。そこから、楽しいひとの繋がりが生まれたらいいなと考えています。

山崎

このプロジェクトはすべてが岡さんの直営になるんですか?

いえ。複数に分散したいと思っています。
このまちで、一緒に遊んで楽しそうな人に、
ぜひ手を挙げてもらいたいと願っています。

山崎

この記事を読んで手を挙げるひとがいたとして、
物件はもう用意されているんですか?

はい。今、4軒あります。

山崎

さすがですね。岡さんが地元のひとだからこそだと思います。
どこのまちでも、よその人は物件を借りることさえ難しいですから。

そこは、このまちで生まれ育ったぼくの出番ですね。

山崎

いちばん大変なところをつないでくれるひと=岡さんだから、
「岡さんと一緒に遊んで楽しい」ひとがいいんですよね。
ただ「地方で暮らしてみたいひと」というだけじゃなく、
面接、面談のようなフィルターをかけることは、
大変だけどとても必要なことだと思います。

魅力的な「ひと」に来ていただいてこそ、
魅力的な「まち」になるんだと思っています。

山崎

あとは、温泉街の浴衣みたいに、泊まっているひとの目印があると楽しいですね。
たとえば大きな和傘のようなもの。

いいですね! 記号の発想。楽しそうです。

(……to be continued!)

ブルーモーメントの客室

ブルーモーメントの客室で久々の再会。同い年、同じ建築畑とあって、はなしは尽きない。

縁側の客室

仏生山まちぐるみ旅館の「縁側の客室」。施設使用料9800円+1名1泊につき4600円(1棟貸、定員2~10名。食事なし、仏生山温泉入浴無料、施設使用料は初日と4日目ごとにかかる)。予約・問い合わせ 087-889-7750

information

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

佐藤 敬さん

人との出会いが、益子での作家生活を決めた。

益子で活動する陶芸作家、佐藤敬さん。
高校時代に陶芸に出合い、20歳頃から本格的に取り組むように。
最初は九州で唐津焼の窯元に弟子入りしたが長く続かず、
茨城の実家に小さな窯をつくり、ほぼ自己流で作家活動をスタート。
個展やグループ展もやったりしたが、少し行き詰まりを感じていたときに、
益子の作家、成井恒雄さんに出会う。
「このままだと自分のつくるものが、
機械的につくるものと変わらないんじゃないかと思い始めたときに
成井さんの器を見て、これは違うろくろだ、と思いました」
その頃、佐藤さんが使っていたのは電動ろくろ。
成井さんは、片足でろくろの台を蹴って回しながら挽く
「蹴ろくろ(けろくろ)」を使っていた。
蹴ろくろでつくった焼き物には、電動では出せない味や、あたたかみがあるという。

成井さんにお願いして弟子入りし、益子にやって来たのが25歳のとき。
弟子といっても、給料ももらわないし、月謝も払わない。
工房にはほかにも4~5人同じような人がいて、
成井さんが直接技術を教えてくれることもあるが、基本的には先輩たちが教えてくれた。
成井さんはそんなふうに自分のところに集まってくる人たちを
「仲間」と言っていたそうだ。
「あるとき成井さんが、
“君は蹴ろくろがやりたいからとか言ってるけど、本当はそうじゃなくて、
ほかでうまくいかなかったからここに来たんだろう?”とかおっしゃるんです(笑)。
そういう人が多かったんですね。
焼き物をやめていく人をたくさん見てきた成井さんは、楽しんで仕事をしていくこと、
焼き物をずっと続けていけるようにすることが大事だと、教えてくれました」
益子に来て11年。成井さんとの出会いがあり、そこでできた仲間がいるから、
いまも益子で焼き物を続けることができると感じている。

もうひとつ、大きな出会いがあった。
益子でギャラリーやカフェを展開し、クリエイティブなものづくりの拠点となっている
「スターネット」の主宰、馬場浩史さんだ。
「妻がスターネットが好きで、あこがれのお店でした。
僕のつくるものはおしゃれなところには合わないだろうと思っていたので、
まさか僕の茶碗がスターネットに並ぶとは、想像もつきませんでした」
成井さんとも親しかった馬場さんは、佐藤さんの器を気に入り、
3~4年前からスターネットでも扱うように。
いまは馬場さんがデザインしたスターネットオリジナルの商品もつくっている。

佐藤さんの作品には素朴な味わいがある。トップの写真は佐藤さんがつくるスターネットオリジナル。

いつか、本当にいい茶碗がつくれるように。

実際に、ろくろを回しながら作業するところを見せてもらった。
足でろくろを回しながら、繊細な手つきでなめらかに土を滑らせ、
かたちをつくっていく。
途中までは同じだが、上部の口の部分を広げればお皿に、狭めれば徳利に、
というように、あっという間にかたちができあがっていく。
多いときは、午前中だけで100個分のろくろを回すことも。
だいたい1週間くらいで窯焼き1回分の個数をつくり、
乾かしてから素焼きし、釉薬をかけて本焼きに入る。
土は益子のものを使っているが、益子の伝統的な釉薬を使っているわけではない。
益子焼きにこだわるのではなく、あくまで蹴ろくろの面白さを追求するのが
佐藤さんの焼き物だ。
また、工房の外には仲間たちとつくった登り窯がある。
登り窯だと、かたちが焼きでさらによくなったり、予想がつかない面白さがあるという。

仕事はすべての行程をひとりで行ってきたが、
この1年ほどは成井さんのもとで出会った“仲間”ふたりに
ろくろ以外の仕事を手伝ってもらっている。
そのほか賃挽きといって、たとえば同じ型のものを50個なり100個なり、
ろくろで挽くところまでの作業を、ほかの窯元から受注したりもする。
ろくろの習熟のためには賃挽きはもってこいだが、
蹴ろくろという古典的な手法で賃挽きを請け負う陶工は少ないそう。
「賃挽きはもうやめてもいいかなとも思うのですが、
昨年、一昨年つくったものと、今年つくったものとでは、
変わらないようで、少しずつよくなっているような気がするんです。
たくさんろくろを挽いて、もっといい茶碗がつくれるようになりたい。
自分が60歳、70歳になったときに、本当にいい茶碗が挽ければいいなと思っています」

何度か蹴っては回し、スピードが落ちる前に、また蹴る。手と足を巧みに使いながらろくろを回す。

かたちも厚みもすべて感覚で決まる。熟練の技だ。

バリエーションの異なるものが次々とできていく。

楽しみながら、益子で焼き物を続けていく。

師匠が教えてくれた、楽しんで仕事をすること、長く続けていくこと。
それには何が大切なのだろう。
「面白いと思える技術に出合うことだと思います。
続けていけるような態勢や環境を整えることも大事です。
それと僕は、使えるものをつくることを心がけています。
実際に使いやすくて値段もそれほど高くないもの。
5000円のごはん茶碗だと割っちゃったらどうしようって思いますよね。
そうではなくて、1000円くらいで、気楽に、
日常的に使ってもらえるようなものをつくりたいですね」
さすが、民芸の聖地、益子。
実際、佐藤さんのつくる器は気どらず、素朴で味わいがある。
そしてびっくりするほどリーズナブルなのだ。

益子は昔から、全国から人が入ってきたという土地柄のせいか、
地元の人も外の人を受け入れてくれる雰囲気があり、佐藤さんも地域になじめたという。
早朝から作業を始め、三食の食事は家族と一緒にとり、
子どもが保育園から帰ってくる夕方には作業は終える。
工房は自宅の隣にあり、働く環境は抜群だ。

佐藤さんにとって、いい茶碗とは? と聞くと、少し考えてから
「機械でつくったものは面白くないですね。
自分でろくろを挽いたときに面白いと思えるかどうか。
成井さんもよくおっしゃっていましたが、“面白い”というのは最高のほめ言葉ですよね」
その成井さんは、この取材の数か月前に他界してしまった。
「型ろくろで量をつくればコストも下がりますし、いい面もありますが、
蹴ろくろがなくなってしまってはいけない。
成井さんが亡くなったいま、技術を受け継いでいかなければと思っています」

友人たちと3か月ほどかけてつくった登り窯。震災で壊れてしまったが、近々直してまた使えるようにする予定。通常は登り窯を使うのは年に一度くらいで、このほかガス窯もある。

いろいろな釉薬や土を試して自分も楽しみながら、気楽に使ってもらえるようなものをつくりたいと話す佐藤さん。

「本当のいやげ物」 結果発表第1弾

いったい誰がこれを欲しがるのか……というモノ募集!

今回は、もらっても全然うれしくない土産物=いやげ物について、
みうら所長から講評いただきます!

ろっぷさんの投稿:どちらも、夫が父親からもらったものだそうです。
どこのお土産かは、今となってはわかりません。
ライターは、点火するとおっぱいの先とパンティーが赤く点滅します。
耳掻き裸婦像は、全長7.5センチ竹製です。
なんとなく困惑したかんじで、いつも引き出しのなかで耳掻きタイムを待っています。
産地:不明

みうら:通称エロライターって呼ばれてるものですが、手に握りしめると
不思議に馴染むものです。

みうら:オレもコレを数本持ってますが、一度も使ったことはないです。
少し上目遣いな表情がソソる。やっぱり明け透けより隠しておいたほうがグッときます。

なじらさんの投稿:「江ノ島最後の二個だよ」との事です。
いやげもの、ヤシやん 大切に保護しております。(^_^)v
産地:神奈川県

みうら:たまにミッキー、ポパイ、グーフィーか? ってものもあり、
並べるとコレがドナルドに見えてくるかもしれないね。

マナサビイさんの投稿:これぞ、懐かしく正しい昭和の置物センス。
夫婦岩のモチーフと合ってない、言葉のチョイスがまたいいっ♪ 買って帰りました。
産地:三重県伊勢市

みうら:根性と夫婦岩の関連性なんですが、子作りくらいしか思い当たりませんね。
白木のフレームがまた買う気をなくさせていいですね。

なかPさんの投稿:ひとつは湯の峰温泉に行ったときに買った「南紀白浜めぐり」
と書いてあるキーホルダーで、弟にあげようとしたら拒否された物です。
現在私の手元にあります。
もうひとつは、後日弟が有馬温泉に行った後、くれたもので、
私は大喜びだったので正確には「いやげ物」ではありませんね。
産地:和歌山県、兵庫県

みうら:ズッシリ重いですからね、この手のキーホルダーは。
たぶん県の形なんでしょ、コレ。
千年後、土中から発見されたら重要文化財になるでしょ。

なかPさんの投稿:弟夫婦が休日遊びに出かけたらしく、
おみやげを買って来てくれました。
滋賀県のリサイクルショップで400円だったそうです。
本当にいらなかったので写真だけ撮って返しました。
産地:滋賀県

みうら:サインは直筆じゃないですか! 
ちなみに「のりお・よしお」さんですが、”本当にいらなかった”というあなたの文面、
リアル過ぎ。笑いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
うちの仕事場にはくだらないものがいっぱいあって、
来訪者は必ずそれらをジロジロ見て何ともいえない表情をする。
だから僕は「本当、くだらないでしょ」と先に言って
来訪者の気を少しでも軽くしてあげる。
もう、どれがくだらなくて、どれがくだらなくないのか僕にはわからないけれど、
来訪者はホッとして「くだらないものだらけですねぇ」などと言う。
本当はここ以外にもくだらないものはいっぱいあるんだけど、
僕はもうそこには行く気がない。
イベンターの事務所の倉庫に数年前、ラフォーレミュージアム原宿で催した
『みうらじゅんの大物産展』の展示品すべてがあって、
僕はいつ返却を言い渡されるのかと日々ドキドキしてる。
先日、打ち合わせしたとき
「また、くだらないもの集めての展覧会できませんかねぇ?」と、
僕は後ろめたさもあって言った。
「来年くらいやりますか」ってことになったので、
君のまちに僕のくだらないコレクション展が行ったら是非、見に来てほしい。
くだらないと世間でされてるものも、量がハンパじゃない場合、
「スゲーッ!」と、人に感動を与えることだってあることを、僕は知ってるんだ。

編集部より
くだらないものも、たくさん集まれば人を感動させる!
みなさんが見つけたすばらしい「いやげ物」「世界遺産の店」「ヌー銅」の投稿を
お待ちしております。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

十和田 Part4 ピラミッド型から ネットワーク型の社会へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

仕組みと拠点をどうつくるか。

山崎

任期などもあるとは思いますが、こちらには何年ぐらい在籍される予定ですか。

いまのところ、1年、長くて3年の予定ですね。

山崎

組織に入ると見えてくるものもありますね。

美術家として、いかに美術館やホワイトキューブを離れて
地域のなかにプロジェクトをつくっていくかということをやってたのにね(笑)。
ここはその逆で、ホワイトキューブがまちに出ていこうとしているから、
そこのところが象徴的でおもしろいとは思うんだけど。

山崎

違う方向からやってきて、出会ってしまった感じですね。

地域にプロジェクトが発生するために、仕組みづくりと同時に、
両輪のように考えなければいけないのは、拠点づくりなんです。
プロジェクトがどちらを起点に生まれるかは、にわとりと卵だけれど。
ただ、やはり拠点がないと、どうしてもイベント性が高くなったり、
活動が恒常的に見えなかったり、制約が出てくるんですよ。

山崎

そうですね。

では、どういう拠点がいいかというと、
いかにオープンで、重石がなくて、つながっているか。
このことは、これまでどこでもずっと問題になってきたことなんです。
結果、拠点がないと、じぶんが全国をまわることになる。

山崎

いまのぼくもそうですね。

まあ、性格的には合ってるんだけどね(笑)。

山崎

なるほど。そういう経緯があって、
十和田市現代美術館という拠点のあるこのまちで水になってみようと。
「水のひと」としてできることを探ろうというわけですね。

展示会場のひとつ「松本茶舗」

十和田市現代美術館は、まちづくりプロジェクトArts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設としてつくられた。あるときは、アート作品が美術館を飛び出して、商店街のなかにも展示される。展示会場のひとつ「松本茶舗」。

先祖の古い写真でつくった、てづくりアート

松本茶舗の店主が、先祖の古い写真でつくった、てづくりアート。地域にすでにあるちいさな「種」や住民の活動を、おもしろがるひとをどう集めるか。

潜伏している種を発芽させるがごとく。

たとえば、まちにはそれぞれに歴史をはじめとするストーリーがありますよね。

山崎

ええ。

でもそれは、近代の貨幣経済中心の価値観、視点で語られ、編集されて
残っていることが多いと感じるんです。
これを異なる視点で再編集してみると、
また別の物語が浮かび上がって来るんじゃないかな、とか。
それを表現できるのは、どんなアーティストだろう、どんなデザイナーなんだろう、
ということを考えてみるのもおもしろいかなと思っています。

山崎

難しいですけど、おもしろそうですね。

社会学者に関わってもらってもおもしろそうです。

山崎

それをローカルに、地域ごとにあらためて発掘して語っていくときに、
アーティストの感性が関与していく仕組みですね。

そういったことで、いますでに潜伏している種が発芽するように、
元気になるひとが出てきたらいいなと思うんです。

山崎

ランドスケープや造園でぼくらが興味をもっている「埋土種子」ですね。

マイドシュシ?

山崎

落ち葉の下や土のなかで何年も生き続ける種子のことです。
これに光と水をあてることで活用し、植生の復元や緑化に活用するんですよ。

それですね、まさに(笑)。
あと、最後にもういちど時代のはなしに戻ると、
80年代後半、ぼくがまちに関わり始めた時期と
コンピュータやインターネットが成長、普及する時期が重なっているんですよね。
まちづくりや場のつくり方の考え方も、中央集権的なピラミッド構造から
ネットワーク型に移り変わってきたのもとてもいい影響ですよね。

山崎

藤さんとはひとまわりも年齢が違うのに、
こんなに共感、シンクロすることがあるというのはうれしい驚きです。
ありがとうございました。

「bank towada」のステッカー

十和田市中央商店街の空き店舗を利用したコミュニティ・センター「bank towada」が昨年オープン。十和田市現代美術館と商店街をつなぎ、十和田のさまざまな資産を広く発信していく。http://www.bank-towada.com/

bank towadaに設置された「まちなか展示」

9月2日まで十和田市現代美術館で行われている栗林隆の日本初個展「WATER >|< WAZZER」と連動して、bank towadaに設置された「まちなか展示」。東北復興をテーマにしたこのアートプロジェクトは、森林保全団体more trees、アパレルメーカー三陽商会とのコラボレーション。

藤浩志さんと山崎亮さん

「思い切って十和田まで藤さんに会いに来て、ほんとうによかったです。たくさんのヒントとキーワードをいただきました!」(山崎)

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」展

金沢で、オリーブ的感性にふれる。

金沢21世紀美術館のデザインギャラリーで、
いま「Olive 1982-2003 雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」が開かれている。
『オリーブ』は、1982~2003年にマガジンハウスが発行し、
「オリーブ少女」とよばれる多くのファンを生み出した伝説的な雑誌。
美術館で雑誌の展覧会とはちょっと珍しいのだが、
この企画展は学芸員の高橋律子さんの熱意によって実現したもの。
もともと「金沢湯涌夢二館」という竹久夢二の美術館の学芸員をしていた高橋さんは、
大正時代、夢二の絵が掲載された雑誌を見た少年少女たちのあいだで
「夢二式」が大流行したことから、雑誌とファッションやカルチャーの関係を考える、
この企画を思いついたそう。

高橋さん自身、高校生の頃『オリーブ』を愛読していて、
「自分の人生を振り返ってみると、夢中になって読んでいた『オリーブ』という雑誌が、
自分の感性をつくってくれたと思っています。
そして、その『オリーブ』で培われた感性が、
クリエイティブな仕事に就きたいという夢にもつながっていたり、
仕事に生かされると感じる場面が多くあります。
そして、同じように感じている元オリーブ少女は
決して少数ではないという確信がありました」という。

展覧会のアートディレクションは、『アンアン』の立ち上げに関わったほか、
『オリーブ』など多くの雑誌のアートディレクターを務めた新谷雅弘さんが担当。
高橋さんは『オリーブ』という雑誌そのものを見せたいと考え、バックナンバーを収集。
最終的に8冊足りないものの、434冊を集め、会場で閲覧できるようにした。
雑誌がボロボロになってしまうのではないかという懸念もあったが、
すでに3万人以上の来場者があるのに、みんなていねいに扱ってくれて、
その愛情のありようがうかがえるという。

反響もとても大きく、遠方から足を運ぶ人も多い。
「展覧会のついでに、金沢のおいしいお寿司を食べたり、まち歩きをしたり。
その発想こそが『オリーブ』っぽいように感じています。
『オリーブ』がきっかけで、金沢のまちの楽しさを感じていただけているようです」
と高橋さん。
もちろん、地元のファンも多くつめかけ、しかも何度もリピートするという現象も!
「先日、スタイリストの大森伃佑子さんが立ち上げられたブランド
『double maison』の展覧会で、フォトグラファーのシトウレイさんにお会いしました。
そのとき初めて知ったのですが、石川県出身のシトウさんも、
地元で憧れながら『オリーブ』を読んでいた女の子のひとりだったそうです。
金沢にも多くのオリーブファンがいたんですね」

442冊のうち、434冊のバックナンバーを集め、来場者に自由に読んでもらえるようにした。

本物のアートディレクターによるデザインワークショップ。

4月14、15日には、新谷さんによる「『オリーブ』流 雑誌デザイン・ワークショップ」
が開かれ、2日間のワークショップに15人が参加した。
1日目の午前中は、新谷さんによる「雑誌デザイン」についての講義。
雑誌はページをめくるたびに世界が変わっていくので、
見開きごとに世界観を伝えられるようなデザインをすることが大切、と新谷さん。
参考として、マガジンハウス時代のデザイン原稿と、
アメリカ旅行のスクラップブックも披露してくれた。

午後からは、いよいよレイアウトの作業。A3の紙の中央にA4サイズの枠をつくり、
そのなかに、見開き2ページをつくる。
レイアウトといっても基本は切り紙。色紙や包装紙を手でちぎりながら貼っていく。
こうすると、絵が苦手な人でも、それなりにかたちがつくれるのだそう。
参加者たちは思い思いにページをつくっていく。

B2サイズほどもある大判のスクラップブックには、たくさんの写真、切符や包装紙、そして新谷さんのコメントがぎっしり詰め込まれていて、雑誌そのもの。

新谷さんの見本レイアウト。切り紙にしたのは新谷さんのアイデア。枠の周囲には、全体のイメージやイラストの指示など、細かいことを書き込んでいく。

2日目も前日に続き、レイアウト作業。
それぞれが読みたいページをつくり上げ、
「元オリーブ少女の夏休みの過ごし方」
「お誕生日にしたい5つのこと」
「新谷雅弘さんへの100の質問」
「わんぱくキッズのスニーカーコレクション」
「シャンソンを歌おう」
「山へ行こう! 準備の基本教えます」などなど、面白そうな企画がいっぱい。

そして午後からは本に仕上げていく作業。
みんながつくったページが、1冊の面白い本になるように
新谷さんが構成を考え、製本していく。
製本といっても、大判セロテープでページをつなぎあわせていくという、
新谷流の大胆なつくり方。
全ページを人数分コピーし、それぞれが大判セロテープで製本し、
それを持ち帰ることができる。
手づくりの楽しさがたくさんつまった1冊を手に、参加者たちは笑顔で帰っていった。

かつてオリーブ少女だった人や、いまもオリーブ的感性を持った人が、
金沢という地で出会う、クリエイティビティあふれる展覧会だ。

全ページを床一面に並べ、新谷さんがページ構成を決定。読者が飽きることのないように、アートディレクターの視点で考える。

東京や名古屋から参加した人や、デザインや編集に携わっている参加者も。刺激的で楽しいワークショップとなった。

十和田 Part3 風景は変わらない。 では、どうやって風景に入るか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

生活を変える。風景を変える。

山崎

どうして、藤さんが都市計画に関わることになるんですか?

奄美の喜界島出身だという地上げ屋社長に興味を持って、
彼のもとに就職したんですよ。でも、半年後に社長が突然
「ビッグバン作戦だ。全員解散!」って宣言して会社が終わってしまった。

山崎

倒産じゃなくて、解散?(笑)

そう。バブル崩壊で、解散。あとはじぶんたちで食っていけと(笑)。
面白い社長だったんです。
解散後は、そのときの仲間が立ち上げた会社に入って、
地図づくりとか怪しい物件の資料づくりとか、なんでもやった。

山崎

都市計画のことなら、時代感はわかります。
もちろん、そのころぼく自身はまだ高校生ですけれど。

でも、上からまちづくりをする時代だったから、違和感ばかり。
当時はまだワークショップの手法もなかったけれど、
もっと地元のひとと対話をしようよって思っていました。

山崎

ある日住民説明会が行われるだけの、勝手なまちづくりですよね。
藤さんとは世代的にタイムラグがありますが、それでもとても共感します。

そんな時代に嫌気がさして、地元の鹿児島へ戻り、
パブリックアートとして実家を改装したカフェをオープンしたりしながら
美術の世界に戻っていくんです。

山崎

アートとまちづくりがリンクしていくわけですね。

個人の立場で地域のひとたちとなにができるかを模索、
実践していくことになります。
90年代半ばだから、山崎さんたちが動き始める前の時代ですよね。

山崎

はい。

そのころには、地域系のアートプロジェクトも増えてきたりするんだけど、
これがただのデモンストレーションに終わってはいけないと、
それまでにぼくは学んできたわけです。

山崎

そうでしたね。

結局、どんなに面白いことをやっても、構造や仕組みに介在していかなければ、
風景は変わらない。そこにアートの手法が使えないかと考え始めるんです。

草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」

美術館向いにあるアート広場に恒久展示されている、草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」。

「種のひと」から「水のひと」へ。

山崎

ちょうどそのころ、ランドスケープデザインを学ぶなかで、
ぼくもそういったことに次第に気付いていきます。
どういうふうに木を植えるかということでは「風景」は変わりません。
ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかが積み重ねられ、
どうしようもなくできあがるのが「風景」なんです。

なるほど。

山崎

生活を変えるには、コミュニティ、
つまりひとびとの集まりのアクションを変えていかなきゃいけないと気づいて、
考え方をシフトし始めたのが阪神淡路大震災の後です。

95年の震災はたしかに大きく影響しているね。
同じころに同じ問題意識を抱えていたわけだ。

山崎

はい。ひとのつながりさえ正常であれば、
風景はもういちどつくり出せると実感したできごとでした。

一方で、ぼくは最近「風土」ということもよく考えるようになりました。

山崎

風土?

ええ。ひとを、風土に必要なものに例えるんです。
地域を育てるのが好きな「土のひと」、
面白い種を運んでくるのが「風のひと」、
メディアなどで紹介したりつなげたりする「光のひと」。
そして、いまいちばん注目しているのが「水のひと」。

山崎

それはどういう役割を担うひとですか?

面白いと思ったことを、ただ素直に「面白い」と言って、とどまるひと。
アイドルのファンみたいなものかな。面白くなくなれば、去って行く。

山崎

なるほど!

風土を語るときに、水の存在や状態、役割って大切でしょう。
超論であることを重々承知の上で言えば、
同様に、地域の活動をつくっていく上で、
どれだけそれに興味関心のあるひとを集められるか、
その流れをどうつくっていくか、
つまり水のコントロールが非常に重要なんじゃないかなと。

山崎

水の状態によって成長もするし、枯れもすると。

アーティストは種や風の役割をすることが多いのですが、
ここではぼくが「水のひと」になって地域にすでにある種を見つけて
「面白い!」と言うことで育てることができないかな、と考え始めています。

(……to be continued!)

街並みに溶け込む、美術館向いにあるアート広場

風景とは、ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかの積み重ねからできるもの。

対談の様子

「まちづくりには、もっと地元のひととの対話が必要だと感じていた」(藤) 「世代もフィールドも違うのに、ところどころで妙にシンクロしているのが不思議です」(山崎)

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 佐藤卓さん×深澤直人さんインタビュー

東北から、日本のものづくりを見直す。

東北に脈々と受け継がれる「手間」と「ひま(=時間)」がたっぷりかけられた、
ていねいなものづくり。
たくさんの行程を重ね、繰り返し続けられる手作業によって生み出されたものの数々が、
東京・港区の21_21 DESIGN SIGHTで開催中の
「テマヒマ展〈東北の食と住〉」に展示されている。
ここでは昨年、東日本大震災を受けて
「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」が開催された。
その「衣」に続き、今回は「食と住」がテーマ。
ディレクションを、グラフィックデザイナー佐藤卓さんと、
プロダクトデザイナー深澤直人さんが手がけている。

展覧会制作にあたり、佐藤さんや深澤さんらは実際に東北を訪れた。
会場には、佐藤さんが仙台で訪ねた明治時代から続く駄菓子屋さんの駄菓子や、
会津の農家の寒干し大根、深澤さんが青森で出合ったりんごの剪定鋏、
そのほかさまざまな保存食、道具など、東北6県の55種の品々が、美しく展示されている。
アクリルケースの上から照明が当てられ、その影を利用したユニークな見せ方など、
展示方法にも趣向が凝らされている。
中庭の吹き抜けに高く積み上げられた青森のりんご箱は、
まるで現代美術のインスタレーションのようにも見えるが、
これは現地でもそのように積み上げられているそう。
映像展示もあり、熱い鋼を何度もたたいて強くしながら剪定鋏をつくる熟練の職人の手や、
きりたんぽや麩をみごとな手つきでつくっていくおばあさんたちの笑顔も印象的。
長い時間をかけたものづくりを、コンパクトに編集した映像は秀逸だ。

色鮮やかな麩。こうしてみるとお菓子のよう。このほかにも油で揚げてつくる「油麩」など、東北にもさまざまな種類の麩がある。

青森県下北地方に伝わるいわしの焼き干し。頭と内蔵を取り除いて天日干ししてから串に刺して焼き、その後3日間乾かす。串に刺したように見える展示もユニーク。

展覧会スタート翌日の4月28日。
佐藤さん、深澤さん、企画協力で参加しているフードディレクターの奥村文絵さん、
ジャーナリストの川上典李子さん、それに東北芸術工科大学文化研究センターの
共同研究員である岸本誠司さんによるオープニングトークが開催された。
佐藤さんは
「われわれはデザインの仕事をしていて、
この施設にもデザインという名前がついていますが、
デザインというのはまだまだ誤解されているところがあります。
かたちや色をあたえることももちろんデザインですが、それ以前のことがすごく重要。
戦後、日本は高度経済成長によって物をたくさんつくって売り、
その過程で合理的であることが何より求められてきた。
でも実は、それによって失われてしまったものも多い。
では何を大切にしなくてはいけないのかということが、
震災後あらためて問われていると思います」と、
ものづくりの原点に立ち戻る重要性について話すと、深澤さんは
「ここに展示されているものは、人に売るためにつくられたものではなく、
自分たちが生活していくためにつくられたものです。
夏のあいだに蓄え、あるいは冬の寒さを利用してつくる。
そうしないと冬が越せないというところから始まっています。
大量生産ではなく、まず自分たちの生活から始まっているんです」と話した。
また、川上さんが
「ていねいにつくられたものは長くもちます。
りんご箱も、回収されて再利用されています。
長い目でみると、それはとても合理的なものづくりですよね」と言うと、佐藤さんも
「本来の合理性というのは、そういうことを指すのでしょうね。
近代の合理主義とは違う、理に適ったという意味での“合理性”がありますね」と
賛同するなど、この展覧会がさまざまな議論を重ねながら
構成されたことをうかがわせた。

弘前でいまも昔ながらの手打ち式でつくられるりんごの剪定鋏。明治中期に開発された剪定鋏が、りんごの生産性を高めた。部品の影が顔のようにも見えて愛らしい。

青森でりんごを出荷する際に使われるりんご箱。段ボールが主流だが、木箱は再利用され、りんごの色づきもよくなるという。名人は1日に100箱ほどつくり上げる。

東北で感じたことを展示する。

今回の展覧会では新たに知ることが多く、
驚きの連続だったという佐藤さんと深澤さんに話を聞いた。

――それぞれ東北を旅されたということですが、
特に印象深かったことを教えてください。

深澤

ほとんど意図を持たずに東北に行きました。
現地で起きたことに対して自分たちがどう反応するかという偶発性がないと、
その驚きを伝えることができないと思ったんです。
そうしたら、すごいものが出てきたので、
あとはそれを肉付けしていくというやり方でした。
手間がかかる作業や同じことの繰り返しをしている人たちに、
なんでもっと便利なやり方を考えないのか、というような意地悪な質問をすると、
間があるんですよ。

佐藤

簡単に言葉にしたくないんじゃないですか。

深澤

それよりももっと、なんでそんな質問するんですか?みたいな感じ(笑)。
彼らにとっては当たり前のことなんです。
こちらが朝早くお邪魔しても、お茶を出してもてなしてくれて、
最後は仲良くなって、ものを買って帰ってくる。
そんなインタラクションを崩さず表現するというのが、
この展覧会においていちばん重要でした。

佐藤

僕は仙台の駄菓子をつくっているお店に行きました。
駄菓子といっても和菓子の原型のようなものです。
みなさん黙々と繰り返し繰り返し作業をされていて、
話しかけるタイミングがわからなかった。
でもある瞬間に声をかけたら、そのまま作業を続けながらお話してくれました。
身体に動きが染みついているんですね。
どうして毎日これができるんでしょう、
もっと別のことをやりたいと思わないんですか、と聞くに聞けませんでした。

深澤

東北は生きていくうえで、経済的というより、気候など環境的な厳しさがある。
そうすると欲望の前に、クリアしないといけないものがあるのでしょう。

佐藤

でも同じことを繰り返しているように見えて、
実は、編んでいるざるの外側の線を2本にしてみたりとか、
改良を加えて微妙に進化しているんです。
会津の干し大根の農家でも、先代はこれとこれをつくっていたけど、
私はこれはつくり続けるけど、これはやめて花をつくるんですとか、変化もある。
厳しい自然環境とともに生き延びていくための工夫が、
現在進行形であるのを感じました。

駄菓子は、江戸時代から水飴や黒砂糖を用いてつくられる庶民のおやつ。仙台駄菓子は京都伝来の製法で、種類の多さは日本一という。

凍みと乾燥を繰り返してつくられる寒干し大根は、古くから東北でつくられてきた。輪切り、縦割りなど地域によって形態はさまざまなだが、福島県会津地方では1本まるまるのかたち。

十和田 Part2 工芸から、 ひらかれたアートの実践へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

そして、ぼくはバブルの時代を逆行した。

山崎

藤さん、大学は京都でしたよね。京都市立芸大。どんな大学生だったんですか?

染織科唯一の男子学生。奄美大島の特産品に大島紬ってあるでしょう?
家族の仕事の関係で幼少のころから身近に大島紬があって、
紬の織柄のように「列んでいるもの」が無性に好きだったんです。

山崎

列んでいるもの……?

柄だけでなく何でも、列んでいるだけでいい、というくらいに好きでね。
空間に興味を持ったのも、京都の大学を選んだのも、
実は三十三間堂が始まりだったんです。

山崎

列んでますね(笑)。千手観音が1001体も!

でしょう。「なんだ、この空間は!?」って(笑)。
個々のモノよりも「どうしてこの仕組みが成立しているのか」が気になる。

山崎

そこはぼくも同じですね。

鴨川に勝手に自作の全長5メートルの鯉のぼりを
13点泳がせて騒動を起こした経験から、
まちに影響を与える、まちのなかの風景に何かをしかけることによって
動き、変化が起きるということに興味をもつようになりました。

山崎

ずいぶんユニークな大学生だったんですねえ。

おかげさまで、就職も引く手あまたでした。
だけど、80年代半ばの日本の生温い感じがすごくイヤだったり、
アートの枠からも離れてみたかったり。
そんなときにふと目についたのが、青年海外協力隊募集の雑誌記事。

山崎

まさか?

国を変えることで、
80年代からタイムスリップできるんじゃないかという気がしたんです。

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面。南部裂織から着想を得た、マイケル・リンの色鮮やかなペインティング作品。

前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」

通りに面した前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」。木の葉を切り出して菌床をつくりキノコを栽培する「ハキリアリ」を巨大化させた作品。

ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」

高さ4メートル近くもある、ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」。ディテールがリアルなのに対し、大きすぎるサイズが見るものに奇妙な感覚を与える。

覆された概念。その経験から、着想を得る。

ところが、赴任先がパプアニューギニアでね。

山崎

あ……そこまで?

そう、ちょっと遡りすぎた!(笑)

山崎

(笑)。現地ではなにをされていたんですか?

設立されたばかりの国立芸術大学で美術講師をやったんだけど、
ことごとく常識を覆された2年間でしたね。

山崎

たとえばどんなことですか?

まず、1年という概念がない。文字や記号も同じく。
儀式としてのペインティングや踊りは日常にあふれているけれど、
平面のキャンバスに絵を描くというような西洋芸術の概念はない。

山崎

なるほど!

現実の世界ではないところとつながって、
いわばコミュニティに意見する霊媒師の存在も興味深かった。

山崎

みんなが実は思っていることや言いたいことを、第3者に責任転嫁するわけですね。

そういうこと。いまで言う、山崎亮の役割。

山崎

こいつが言ってるから(しょうがないけど)やるか……といわれる役割(笑)。

たった2年のことだったけど、
ここで得た経験は、その後のぼくのプロジェクトに生きています。
たとえば2000年から続けている「かえっこ」プロジェクトは、
パプアニューギニア奥地での「1、2、3、あとはいっぱい!」という、
貨幣価値との互換性がない価値基準がアイデアのベースになっています。

山崎

「あとはいっぱい!」ですか。すごいなあ。
2年経って帰国されたら、日本は変わっていましたか?

1988年。地上げブーム真っ盛りで、まちがどんどん壊されていました。

山崎

その時代に、土地の再開発や都市計画に関わっていかれるんですよね。
そこのところ、とても興味深いのでおうかがいしたいです。

(……to be continued!)

藤浩志さん

独自の子ども通貨「カエルポイント」を使い、いらなくなったおもちゃなどを循環させるワークショップ「かえっこ」を各地で展開している藤さん。

山崎亮さん

「“どうしてこの仕組みが成立しているのか”が気になるのは、僕も同じです」(山崎)

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十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「世界文化遺産の店」 結果発表第1弾

あなたのまちにも世界遺産が眠っている!

みなさんから寄せられた「世界遺産の店」。
日本各地には、まだまだこんな隠れた遺産があるんですね……。
引き続き、投稿をお待ちしています。
では、みうら所長による講評です!

hommyさんの投稿:2008年8月に信州の渋温泉で発見しました。
素晴らしい文化遺産だと思います!
撮影場所:長野県下高井郡山ノ内町

みうら:店に「寄れ寄れ」と、酒に酔って「よれよれ」とのWミーニングとみました。
たばこ屋はつぶれたんですね。禁煙ブームですから仕方ないです。

Deco☆さんの投稿:千葉の鴨川で見かけた一枚。
撮影場所:千葉県鴨川市

みうら:あくまで幻は幻であって、復活するなんてまさかのことでしょう。
しかもビッグではなくビックリ。何の説明にもなってないところがスゴイです。
僕はきっと食べません。

姐さん さんの投稿:小田急線喜多見駅の近くで発見しました。
世界遺産の日本代表として日本の粋を是非登録願います。
撮影場所:東京都世田谷区、喜多見駅付近

みうら:粋を守るって、どういうことでしょう?
二十年間、客から「粋だねぇー、やっぱふみの部屋は」って
言われ続けたってことでしょうか。
で、何をしてるとこなんですかね? ふみの部屋って。

姐さん さんの投稿:職場の社内研修の際、昼休みに見つけました。
やっぱりものすごいブスなホステス揃いなのか?
ホステスがウソをつくのか? スナック自体ウソなのか?
逆にものすごい美人がいたりして……と気になってしまい、
午後からの研修内容はまったく覚えていません。
撮影場所:神奈川県厚木市

みうら:電飾のかけ方、どうなんですか?
うそつきはドロボーの始まりといいますけどね。

イノーさんの投稿:餃子店のキャラクターらしいけど、
まったくもってそぐわないと思います。
撮影場所:宮城県仙台市

みうら:もはやマズイでしょ、このキャラ。
帽子が餃子の皮でできてるのかもね。

イノーさんの投稿:アメリカの首都の名を冠した何ともいかがわしい感じの店です。
あまりのいかがわしさに入ったことはありません。
が、年に1度ワシントン祭りなる催しをやります。
かなりユルイ祭りです。
お隣の「かなりナウいショップ」もワシントンと読みます。
撮影場所:茨城県水戸市

みうら:かつては条約を交わしたとこだろ、ここ。
いまはしめ縄を張って魔物が入り込めなくしているようだ。
当然、写ってる3人はワシントンの人でしょ。

キッサンさんの投稿:五月晴れの日曜日、散歩の途中で覗き込んだ路地で見つけました。
レンガをふんだんに使用した英国風のような感じのお店です。
このお店が面している通り、ロードという感じはあまりしませんでした。
世界遺産などとは大それたことかもしれないと悩みましたが、
ロックの殿堂あたりには入れて頂けるのではないかと思い報告させて頂きます。
撮影場所:東京都三鷹市

みうら:かつてはビートルズが4人、並んでこの道を歩いたもんだ。
たぶんこの店の2階がアビーロード・スタジオなんじゃないかと思う。

yotecoさんの投稿:わたしの住んでるまちにフェニックスがいました。
意外とこんな感じの生き物なのだと驚きました。
知人に見せまくったところ、「こいつはサギだ」
「エクトプラズム的に魂を表現した力作」など物議をかもしています。
撮影場所:福岡県北九州市門司区

みうら:フェニックスって、こんなんだっけか?
とうとうUMA(未確認動物)が発見されたって発表しているのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら
先日、スカイツリーに登ったら、人間どころかまち全体が小さかった。
そんな小さな中でさらに小さな人間が
ちっぽけな淋しさについてあーだこーだ言って悩んでる。
どうなんだ? 生きるっていうことはそんなに淋しいものなのか?
オレはそんなことより、タワーにはあって然るべきなメダリオンの機械を捜してた。
メダリオンとは、搭乗記念のメダルにその日の日付や己の名を刻むマシーンのこと。
刻んでるとき、恥ずかしいくらい“バン バン バン!”と、音がする。
それがどこを捜してもない。
これじゃ登ったことにならんじゃないか!と、少し憤慨し、
オレは数秒で634メートルを降下するエレベーターに乗り込んだ。
下のショップもシャレこいだグッズばかりで脱力グッズは排除されてた。
それでもひとつだけ、“これはいらんでしょ”という
スカイツリーの絵皿を手にレジに向かった。

どんどん世の中がシャレこぎ出してる。完璧に昭和センスは絶滅。
本コーナーは、そんな世でもこっそり隠れ細々なりにもサバイブしようとしているモノ、
または店をみなさんに捜し出してもらおうというもの。
是非、参加してくださいませ。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

十和田 Part1 十和田市現代美術館と 美術家、藤 浩志さんのこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

福岡県糸島市から青森県十和田市へ。

山崎

こんにちは。来ちゃいましたよ、藤さん!

ほんとだよねえ。はるばるありがとう。関西からだとずいぶん遠かったでしょう。

山崎

開館のときにも一度来ているんですけどね。

そうか、そうか。

山崎

この間、東京で会ったときに副館長就任のことをおうかがいして、
とにかく驚きました。

ぼく自身もびっくりしているからね(笑)。

山崎

これまで住まれていた糸島は、ひきはらって?

いや、糸島の海沿いに新築の家ができたばっかりで、
しばらくは、糸島と十和田を行ったり来たりの生活になるのかな。

山崎

福岡から青森……大移動ですね。

ところがね、青森の地域性って、ぼくが生まれ育った
鹿児島に近いんじゃないかなって感じてるんです。

山崎

あ、端っこと端っこ同士で?

そう! 日本地図をふたつに折り畳むとぴったり合いそうでしょう、
位置も県のカタチも(笑)。
日本の文化って同心円状に広がっているともいわれているから、
言葉のイントネーションや人柄も含め
「端っこ感」みたいなところに妙に親近感があるんですよ。

山崎

それは興味深いですね。

それに、なにより今は被災地が沈み込んでいるから、
周辺ががんばって東北全体が盛り上がっていかなきゃという気持ちがあります。
そういう意味でも、今は九州より東北を拠点にしていたいって思ったのが
大きなきっかけです。

十和田市現代美術館の廊下

美術館の設計は、西沢立衛。大小さまざまのいくつかの展示室が廊下でつながれていて、まるで双六(すごろく)盤のよう。

チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」

韓国を代表するアーティスト、チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」。美術館のある官庁街通りは別名“駒街道”といい、馬をモチーフにした彫刻作品が出迎えてくれる。

まずは種を集め、対話を重ねて「手当て」をする。

山崎

具体的にこのまちで、あるいは十和田市現代美術館で
「こんなことやってみよう」という案はすでにおありなんですか?

まだないよ!(笑)

山崎

今日はそこのところを聞きに来たんですけど……
来るのがちょっと早すぎましたか(笑)。

いや、なんとなくならあります。(笑)。

山崎

ぜひ、そこのところをお願いします。

最大の興味はやはり、この美術館がアートセンター、
つまり「拠点」として作られていること。
そして、観光、集客というレイヤーでみると、
今のところすでに成功している事例であるということ。
ただ、地域の活動を作っていくという点では多分まだうまくいっていない。
ここですね。これが、ぼくがこのまちに呼ばれた理由だと思っている。

山崎

なるほど。

そこで考えないといけないのは、どうやって興味や関心を集めて、
別の仕組みをつくるかということ。

山崎

そうですね。

鹿児島同様、この辺りはとにかく自然が深い。
そのなかに潜在する「種」のような価値を見い出して集まっているひとに
興味があるんです。

山崎

つまり、消費や流通といった視点の価値観ではないもの?

ええ。たとえば、自然、昆虫、苔、水、環境……
こういったことに興味をもって価値を見いだし、
実践的にここで生活を作ろうとしているひとがいる。
そんなひとたちのことばを聞き、対話を重ね、
彼らのやっていることが「大事だよね」ということをちゃんと確認したい。

山崎

十和田市現代美術館が、地域にひらかれた「アートセンター」として
どう機能できるか、というところですね。

美術館には、保存と普及という役割がありますからね。
日本全体も、これまでの右肩上がりじゃないこの時代、
これからどうやって地域を守りながら次の世代に繋いでのこすか、
ということについて対話したい。

山崎

なるほど。

むかしから個人的に活性化ということばが苦手なので、
「豊穣化」とか「なにかを醸し出す」と表現できる状況を作り出していければ、と。
そのために、まずは対話を重ね、いまの状況に「手を当てる」。
そんなことやってみたいと、いまは考えています。

(……to be continued!)

官庁街通り

十和田市現代美術館の構想は「官庁街通り全体を美術館に見立てる」というコンセプトから始まった。そんなはなしを聞きながら、まちを少し歩いてみる。

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part4 平和のまちで、ことばと未来を探して。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

求まれる“ローカルデザイナー”。

山崎

久しぶりにこうしておはなしをうかがったら、塩見さんのご活躍もあり、
綾部がとてもいい感じになってきているんじゃないかと感じます。

塩見

綾部を「人生探求都市」のメッカにしたいと目指して
10年ぐらいやってきましたが、
いまは「もうひとヒネリ」の段階にぶち当たっている気がします。

山崎

うーん。

塩見

デザインのチカラがまだ足りないんじゃないかと。

山崎

なるほど。

塩見

いまいちばん欲しい人材はデザイナーです。
空家を用意してでもデザイナーには来てほしい。

山崎

こんなに求められているのに、
世のデザイナーは全然違う方向を向いているのが現状ですね。
デザインを学ぶ学生は就職先がないと嘆いている。
綾部だけでなく、全国から求められているはずなのに、
そもそも、そこにアンテナさえ立っていないといえます。

塩見

はい。

山崎

ただ、覚悟はいる。

塩見

そうですね。

山崎

でも、コンセプトメーカーとしてすでに日本中で知られる塩見さんと
タッグを組む若手デザイナーが綾部にいる!となったら、確実に注目されますよ。
もちろん、ほかのまちでもしかり、です。

塩見

1集落に1デザイナーが欲しい……。

山崎

集落支援や地域おこし協力隊とはまた違って……
そうですね、ローカルデザイナー! 
ローカルデザイナー制度っていうのがあったらいいのかもしれない。

塩見

いいですね。ネーミングセンスも大事です(笑)。

山崎

そういうところにも、政策デザインやことばのデザインのチカラが必要ですね。

いま、再び「平和」と言ってみたい。

塩見

綾部って、お城も海もないんですが、グンゼ(*)や大本教の発祥の地だったり、
昭和25年に日本でいちばんはじめに「世界連邦宣言」をした
第1号都市でもあるんです。

山崎

ほぅ。

塩見

母校の豊里小学校の校歌にも「平和都市」というということばが入っていて、
そんなまちに生まれ育ったじぶんだからこそ、
世界に通用するモデルが作れるんじゃないか、という自負がどこかにあります。

山崎

なるほど。

塩見

それで、綾部高校にも「平和デザイン科」を作ってはどうかと
提案しているんですが。

山崎

お。いいじゃないですか。

塩見

でも、「就職先どこだ」って問われて(笑)。

山崎

言われますね、いまの時代(笑)。
でも、「平和」ってこれからキーワードになっていくような気がしますよ。
「幸福」の延長上として。

塩見

ええ。

山崎

終戦後はともかく、ここ50年ばかり
すっかり「平和」に慣れてしまっているわれわれの世代にとっては、
もはや平和って、空気みたいなことばになっていると思うんです。
でも、個々の幸福を成立させているのは、平和だということに、
そろそろあたらしい感覚で気づきはじめるんじゃないでしょうか。

塩見

いいですね。

山崎

「平和」ということばが、あたらしいもの、新鮮なもの、
カッコいいものとしてとらえられて、たとえば、若い子たちがピクニックしながら
「にしてもオレら平和だよね」
「やっぱ平和がいいよね」なんて言うようになったりして……。
幸福って自己実現の色合いが濃いけれど、
平和には、他者も含めてどうつながっていくか、
コミュニティの自己実現というイメージがありますから。
いまたいせつなキーワードが、ひとつ見つかった気がします。

* 創業時の社名は郡是製糸。当時、綾部は何鹿(いかるが)郡という名称で、社名は何鹿「郡」の「是(=コンセプト)」という意味だった。

旧豊里西小学校の校歌が木彫りされている

塩見さんの母校である旧豊里西小学校の校歌は、「平和都市」の4文字から始まっていた。

対談するお二人の様子

「平和。あらためて、大切なことばだと再認識することができました」(山崎) 「LOVE&PEACEを超える綾部の名キャッチフレーズを探し続けます」(塩見)

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NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part3 どこに暮らしても、じぶんのしごとをつくる。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

1集落、1移住者。積極集落と消極集落。

山崎

まちづくりのための塩見さんの手持ちの弾、まだまだありそうですね。

塩見

いま「かくまちBOOK」と平行して考えているのは、「2万アート@綾部」です。

山崎

2万アート?

塩見

綾部には約200の自治会(集落)あります。
それぞれの集落で100個のおもしろい宝物
(地域資源、アート的なものなど)を見つける。
合計2万個のおもしろいものを集める、というプロジェクトです。
たとえば、笑ってるように見えるトラクターとか、曲り具合が絶妙な曲り道とか。
しかも、これをひとりでやってみようと思っています。

山崎

それはインパクトありますねえ。そのココロは?

塩見

地域資源を可視化するのが目的です。

山崎

なるほど。地域のひとたちが綾部のよさを再認識するきっかけになるとともに、
あらたに綾部を訪れたり、移住してくるひとたちが
そのよさを知るための材料になる。両面の効果がありそうですね。

塩見

はい。お金をかけず、インパクトを狙おうと(笑)。

山崎

移住者について、塩見さんは以前、
「1集落1移住者」ということばを使っていらっしゃいましたが……。

塩見

ええ。

山崎

このことばの意味、集落へ行けば行くほどわかるんですよ。
現代の集落では、よそ者=誰かわからないひとを受け入れるのに
どうしても抵抗がある。つまり、最初の1人目が難しい。
でも、この1人目がうまく集落の活力になれば、
2人目、3人目は受け入れやすい、と。
だからまずは「1移住者」が肝心ということですよね。

塩見

ええ。綾部では、その考え方がうまく機能して、
すっかり空家が埋まってしまった集落もあります。

山崎

おお、それはすごいですね。

塩見

最近では、そういうところを「積極集落」、
反対に変われなくて衰退の一途をたどるところを「消極集落」と名付けています。
限界集落が二極化している。

山崎

そうなんですよ。
高齢化、戸数減の集落をひとくちに「限界集落」とくくってしまうのは、
実はとても不幸なことなんじゃないか、とぼくも思っています。

トラクター

笑っているように見えるトラクターも、おもしろい宝物=地域資源になる。

塩見直紀さん

「学生の力を借りるのは簡単だけど、ひとりで歩いてみようと思っています。民俗学者の宮本常一のように」(塩見)

「しごとがない」と言わないひと。

山崎

だから、移住者もだれでもいいというわけじゃない、
できれば面接したほうがいい、ということもおっしゃっていました。

塩見

そうですね。

山崎

結(ゆい)も講(こう)もない都会人が、ただ空家を埋めればいいわけじゃない。
この考え方にも共感しています。

塩見

ありがとうございます。

山崎

いまやインターネットを駆使すれば最先端の情報はどこでも入りますから、
クリエイティブな力をもっているひとであれば、
集落で暮らしながらはたらくことが可能になっています。
その稼ぎで、集落に少しでもお金を落とせば、集落全体の生活が変わりますからね。

塩見

ええ。むしろ、そういうことができないと、もう集落に入れないような時代ですね。

山崎

うーん。綾部、進んでますね!

塩見

しごとがないことを、まちや国のせいにしないひとでないと。
たとえば、お客さんが来ないのを
お客さんのせいにするレストランオーナーはマズいわけですし。

山崎

たしかに(笑)。

塩見

困っていることはたくさんあるので、センスさえあれば、
しごとはじぶんで生み出せるんです。

山崎

デザインと同じですね。社会的な課題がどこにあるのかを認識した上で、
みんなが共感してくれるようなカタチの美しいものとして生み出す。
しかも、ひとつでなくいくつかの課題を解決し、
みんなが欲しくなるような美しいモノ。
これを買えば買っただけ社会はよくなる……。
つまり、課題の本質にアタックして美しくデザインすることができれば、
政治家にもできないような解決策を出すことさえできる。

塩見

それが、はたらくということですよね。

山崎

はたらくとは、「はた」つまり隣で困っているひとを「らく」にすること。
これも、塩見さんに教わりました。
綾部には、解くべき課題がたくさんあるのだから、
しごととしてそれらを解決していけるひとが、綾部をよくしていく。
そういうことですね。

(……to be continued!)

ふるさと振興組合空山の里

「ふるさと振興組合 空山の里」は、農協がなくなり困った住民が、1戸につき2万円を出し合って作ったスーパーマーケット。このまち唯一の「お店」。

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NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part2 大失敗でも大成功でもない、 この10年について。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

「半農半X」と塩見直紀さんのこと。

山崎

初めてお会いしたのは、4年くらい前でしたか。

塩見

そうですね。雑誌「OSOTO」の取材でした。

山崎

本を読んで、どうしても会いたくて、綾部まで押しかけたんですよね。
田んぼにも入らせてもらって。

塩見

ええ。

山崎

半農半Xとは、小さな農のある暮らしをして、残りの半分の時間は「X」、
つまり自分のやりたいこと(ミッション)に費やすという生き方ですよね。

塩見

はい。でも、オリジナルではなくて、
作家の星川淳さんが著書のなかで使われた
「半農半著」というキーワードにひらめきを得たんです。

山崎

これ、サラリーマン時代にすでに発想されていますよね。

塩見

90年代半ばごろですね。
実は、社長にわがままを言って、ひとり部署のようなカタチで
「ソーシャルデザインルーム」というのをつくってもらったんです。
それが93年から95年くらいのことで……。

山崎

なんと、20年前にソーシャルデザイン!
どんなおしごとをされていたんですか。

塩見

おもに、会長秘書のようなしごとですね。
「地球サミット」関連、環境と教育をテーマにした海外フォーラムや
留学生を招いて「将来世代フォーラム」とか。
会社としても80年代後半から環境問題に取り組んでいたんですから、
ずいぶん先駆的ですよね。

山崎

ぼくらもいま、フェリシモさんと
「issue+design」というプロジェクトをやっています。
その感覚は、いまに脈々と受け継がれているということですね。

綾部市鍛治屋町の風景

故郷、綾部市鍛治屋町。お城も海も「なにもない」まちに、「なにか」を探究し続ける塩見さん。

誰かにとっての「次の行き先」を示す役割を担う。

山崎

塩見さんが33歳でUターンしたときの綾部市はどんな状況だったんですか?

塩見

限界集落に光をあてた四方 八洲男 前市長が就任されて1期2年目。
翌年の市制施行50周年に向けた市民企画を公募中。
母校の豊里西小学校が2か月後に閉校して空き地利用を模索……。

山崎

ものすごく、すっとなじんでいった感じですね。

塩見

そんな感じです(笑)。

山崎

四方さんは、全国でもかなり早い段階で
「限界集落」ということばに反応した方でしたよね。
そんなひとが市長になった、いわばエポックメイキングな時期に
塩見さんが帰ってきて、合流したようなイメージですね。

塩見

ほんとうに恵まれていましたね。

山崎

それで、最初に取り組まれたのが……?

塩見

母校の豊里西小の廃校利用ですね。
行政と二人三脚でNPO法人里山ねっと・あやべのスタートです。

山崎

民間とはやり方が違うでしょうから、
はじめはいろいろ勉強されたことと思います。

塩見

それはもうたくさん学ばせていただきました(笑)。
ときは里山ブームの中盤ごろのことなのですが、
大成功でもない大失敗でもなく「中の下、仕方がないかな」くらいのレベルで
10年なんとか継続してこれました。

山崎

うーん……。

塩見

3.11でもっと大きく日本は変わるかな、と思ったのですが、
世の中の状況はそれほど変わりませんでした。

山崎

そうですね。ローカルに興味はもつようになったけど、
まだ行動を起こせないでいるひとがほとんどです。

塩見

ええ。

山崎

でも、次に「万一なにかあったとき」に、
行き先が示されていることというのはとても大事なことだと思います。
塩見さんの半農半Xプロジェクトのなかにも、
そして、この「colocal」のなかにも。

塩見

だから、もっともっとたくさんのひとに伝えたいですね。
ぼく自身は3.11以降、企画や夢など自分の持ち弾は出し惜しみせず
どんどん撃っていこう、隠さず全部使っていこう、と思うようになりました。

山崎

そのひとつの弾が「書くこと」、というわけですね!

(……to be continued!)

廃校となった旧・豊里西小学校

1999年に廃校となった旧・豊里西小学校。NPO法人里山ねっと・あやべ事務局。教室に宿泊することもできる。

あやべ田舎暮らし情報センター

図書室のような風情の「あやべ田舎暮らし情報センター」。実は、もと保健室。塩見家からの寄贈書もたくさん。

まちを案内してくださる塩見さん

まちを案内してくださった塩見さん。よそものは思わず躊躇するような小径、わき道、曲り道を慣れた足どりですいすいと。

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NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part1 人生の〆切という発想。 50歳らしいしごととは。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

綾部を、かくまち=書くまちに。そのココロは?

山崎

こんにちは! 今日はわざわざうちの大学まで足を運んでもらってすみません。

塩見

いえいえ。声をかけていただいて、光栄です。

山崎

塩見さんの活動は、初めてお会いしてから興味深く拝見しているのですが、
ご著書もたくさん出されてますよね。

塩見

共著を入れると10冊ぐらいになります。
いちばんはじめに書いた『半農半Xという生き方』は、
台湾でも翻訳出版されているんですよ。

山崎

たしか、40歳までに何冊本を出すって、目標を決めていらっしゃったんですよね。

塩見

そうですね。そして今や「ひとり出版社」を立ち上げるまでになりました(笑)。

山崎

……というと?

塩見

実は、出版元の事情で『半農半Xという生き方』とその続編の『実践編』が
完売後もう手に入らなくなったので、ぼくが復刊しつつ、
せっかくなら、綾部近辺の印刷屋さんで刷ってもらおうと。

山崎

なるほど。流通は?

塩見

基本的には講演会などで販売しますが、
Amazonなどでも扱ってもらえるようにします。

山崎

いいですね。

塩見

半農半編集者とか、半農半カメラマン、装丁家など
「半農半X」で生きるひとのしごとになればいいなと。
コミュニティデザインの一貫として(笑)。

山崎

お。それは恐縮です(笑)。

塩見

その名も「半農半Xパブリッシング」。
半農半Xコンセプトに特化するスモール&ローカルな出版社です。
「それ以外は出さない!」心意気です。

山崎

うーん、素晴らしいなあ。

塩見直紀さん

今回の対談のために、山崎さんの勤務する京都造形芸術大学まで足を運んでくださった塩見直紀さん。

新装版『半農半Xという生き方 実践編』

新装版『半農半Xという生き方 実践編』は、5月10日完成。一冊1,000円(税別)。塩見さんのブログ(http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/)から購入できる(送料100円)。

めざすは「ことばによるまちづくり」。

山崎

過去に、ぼくたちも海士町で冊子をつくったことがあるけれど、
あれを地域にいるライターやカメラマンでつくれたら。
まちにしごとをつくり出すこともできるし、
あらたなチームができるということですよね。

塩見

ローカルな出版社としては小布施町の「文屋」とか。
沖縄にも小さな出版社が50社ほどあるんです。

山崎

それは知らなかった!

塩見

仙台にも、80年代に加藤哲夫さんという方がつくった
「カタツムリ社」というのがあって、はじめはみんなからお金を集めて、
集まった分だけ本を出す、というスタイルで始まったと聞きました。

山崎

たしか、日本デザインセンターの紫牟田伸子さんも
そんな方法を提唱されていた記憶があります。
欲しい本を、欲しい人のお金でつくる、というような。

塩見

むかし勤めていた「フェリシモ」でも、
この指とまれ方式で本を復刻するというのをやっていました。

山崎

うーん。これってきっと、
塩見さんがずっとやりたかったことのひとつでもありますよね。

塩見

ええ。しかも、かなり最終形ですね。

山崎

おいくつでしたっけ?

塩見

47です。だんだん「50らしいしごと」をしないといけなくなってきたかな、と。
33歳でUターンしたので、気持ちは永遠に33なんですけどね(笑)。

山崎

そういえば、初めてお会いしたときに
塩見さんからいただいた名刺に、内村鑑三のことばで
「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か」
と書いてありました。いまでもずっと印象に残っています。

塩見

ぼくも、20代であのことばに出会っていなければ、
フェリシモを辞めなかったと思います。原点ですね。

山崎

あ! あれもたしか、内村鑑三33歳のときの講演会でのことばでしたっけ?

塩見

ええ、そうなんです。
だからぼくにとっては「33」というのがひとつの人生の〆切だったんです。

山崎

それで、きっぱり辞職して地元に……。

塩見

わりと駆け足な人生ですけどね。

山崎

わりとね。

塩見

これといった特技もないぼくがフェリシモ時代に尊敬する先輩から
「塩見くんはことばがいいんじゃない?」というメッセージをもらったことでした。
この綾部で、ことばによるまちづくりができればいいなと。
いまはそんなことを考えています。

(……to be continued!)

対談の様子

「ローカルでの出版、海士町や島ヶ原でもできたらステキだなあ」(山崎)「ぼくは、ことばによるまちづくり。これでいきます」(塩見)

小冊子「かくまちBOOK」

「書く」という観点からのまちづくり10のワークを掲載した小冊子「かくまちBOOK」。

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NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「ヌー銅セクシー・コンテスト」 結果発表第2弾

セクシー・ヌー銅はあなたのまちにもいるはず!

お待たせしました!
ニッポン民俗学研究所「ヌー銅セクシー・コンテスト」第2弾です。
みうら所長からコメントが届きました! どれにグッときたのでしょう?
どうぞ!

miyamoさんの投稿:どんな時も恥じらいは忘れません。
撮影場所:秋田県田沢湖(辰子像)

みうら:たぶん親御さんの教育がよかったんでしょうね。

ブタキタルさんの投稿:洞爺湖の「黒川さん」が有名ですが、
鳥取県倉吉市の「黒川さん」も雪の中、ハダカでがんばっています。
交通量の多い橋のたもとに立っているんですが、
通行者からはイチモツは見えないアングルに設置されており、
地元でも素っ裸だと気づいていない人が多いです。
以前「彼も寒かろう」とサンタクロースの衣装が着せられていて
話題になったこともあります。
撮影場所:鳥取県倉吉市

みうら:先日、この橋のたもとに行ってきました。
かなり高台に黒川さん(作者名)は立っておられましたね。
夕日が落ちるとき、とてもヌードサックスが感動的でした。

みうみうさんの投稿:セクシーかは微妙ですが(笑)
場所はかっぱ橋の近く、隣の説明書には「台東区のまん中」とのこと。
で、なんでこのポーズ?
撮影場所:東京都台東区のまん中

みうら:カッパは人間の尻から魂を抜き取るといいます。
誰かに抜かれたのではないでしょうか。

tracyさんの投稿:ストレッチしているわりに、下っ腹がぽっこりしてるのは
まだまだ鍛えようが足りないからでしょうか?
ウエストは「カーヴィダンス」の成果が出ているように思えます。
撮影場所:広島県福山市

みうら:これは胃下垂ですね。
パンティはかなりセクシーでいいですけどね。

さぶさんの投稿:太もものあたりから飛びだした乳首がポイントです!
撮影場所:岡山市、西川緑道公園

みうら:二プレスを貼ったほうがよかったかもしれませんね。
寒いですからね、乳首もツンとしちゃいます。
作者の「夢」なので仕方ありませんね。

ミヤさんの投稿:タイトルは「出会い」だそうです。
出会える為の条件としてジーパンはビショビショになります。
出会い刑とゆうやつでしょうか。
覚悟が足りなかった自分が情けない。
三笠公園への道はやたら銅像が多く銅像ストリートになっていて、非常に良いです。
撮影場所:神奈川県横須賀市、三笠公園近く

みうら:この出会い、プレイの一環でしょうね。
かなり従順な彼女ですね。
グッときました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら:“温故知新”って、何かの響きに似てるなって思ってたらウンコチンチンだった。
古きを知ることは今とのズレを楽しむことであり、
今もいずれズレていくことを覚悟することだ。
たぶん意味、違うと思うけど。
スカイツリーの入場予約券が当たった。
たいして興味はないけれど、気になることは初日の入場者。
当然、関西の神社みたく“福男”狙いが現れるに違いない。大変なことになるぜ。
みんなが開門と同時に全速力でエレベーターに向かって走り出す図。
きっとツルツルのフロアーで何人もが滑って転倒するでしょ。
そんなこともいずれ笑い話になるときがくる。温故知新だもの。
みなさんのまわりにそんな現場があればどしどし送ってくれよな。

編集部:引き続き、みなさんからの投稿お待ちしています!
「いやげもの」「世界遺産の店」も募集中ですので
どこで見つけたかも教えてくださいね。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

福井 Part4 もう一度、わくわくしながら 続いていこう。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

10年先も「ヤバい」仕掛けを続けていたい。

山崎

今回のリニューアルには、なにかきっかけがあったんですか?

出水

はい。とりあえずプロジェクトがスタートしたものの、
動き出してみるとなかなか思い通りにいかない。そんな現状をなんとかしようと。
カフェも、コミュニケーション重視で経営を続けてきた結果、
客層はどんどん濃くなり、そうすると、そこに集うひとたちは
もちろん楽しいんだけど、どうしても横に広がっていかない。
正直、売り上げも伸びない(苦笑)。

山崎

なるほど。

出水

地域の方たちにも、ゆっくり時間をかけて認知されつつあるはずなんですが、
一方で、このままでは「若いひとたちの店」というレッテルを
貼られてしまいかねないんじゃないか、と……。

山崎

どんな風に変わるんでしょう。

出水

改装リニューアルを機に、ボクたちが感じている、
たくさんの小さなズレみたいなものも見直していけたらという思いがありますね。

藤田

具体的には、これまでのように「遊び場」としてだけでなく、
「ビジネスパートナー」として
フラットを見てもらえるような仕掛けも考えていきたいですね。
たとえばフリーペーパーのようなメディアを作って、
1万部規模で発行すれば、広がりが生めるんじゃないかとか。

出水

そうそう。地域のメディアになりたいですよね。

藤田

「こんなことが実現できたらヤバいよね」という
アイデアや妄想はまだまだあります(笑)。
これをずっとくり返していければ、おもしろいのかな。

山崎

始まりのモチベーションがソレだったわけですからね。
今あらたに、次の10年の「ヤバい」を見つける……。いいですね!

フラットビルの外観

3月末にリニューアルオープンしたフラットビル。次の10年に向けて、ますます「ヤバい」場所になりそう。(写真提供:FLAT)

1階のカフェスペース「フラットキッチン」

1階のカフェスペース「フラットキッチン」。内装に少しだけ手を加えて、スタッフのキモチも心機一転。(写真提供:FLAT)

フラットビルが「祭り」の場になればいい。

内田

ボクら、「ド」がつくローカルですから。
もっとそこを極めていけばいいのかもしれない。
同じ福井といっても、ひとつ山を越えればことばも違うし、うたも違う。
祭りの料理も通夜料理も、村ごとに味が違う。
そういうのをカフェで提案できてもおもしろいのかな。

藤田

北陸の郷土料理として知られる「呉汁」も、地域で異なるんですよね。

内田

祭りのときのお寿司の文化もおもしろい。

山崎

そんなワークショップができたら楽しいかもしれませんね。
「今月は、○○村の△△さんの手料理!」なんて、
きっちりデザインしたかっこいいフライヤーも作って。
そうしたら、「先月の集落には負けられないゾ!」って
みんなどんどん張り切りそうじゃないですか。

内田

想像するだけでたのしそう(笑)。

山崎

市内の中心部にあることを逆手にとって、福井のむかしながらの文化や伝統食、
アクティビティを紹介する場所になればいいのかもしれないですね。

内田

そうか。それで、市内に暮らす若いおかあさんたちに
「体験の感動」を通じて伝えていければ……。

山崎

つまり、フラットに来て作ることが「祭り」になればいいんですよ。

藤田

あ……言ってたね。そういえば。

出水

作るときに言ってたよね。「テーマは祭りでいこう!」って。……忘れてた。

山崎

行政のなか、大企業のなかで社会貢献や文化振興にたずさわるひとが、
枠のなかでは実現できないこと、位置づけられないこと、
でも「やらなくちゃいけないこと」を見つけちゃったときに、
まちにカフェのような「場」を作るケースが出てきましたね。
藤田さんのように、職場に片足を置いたままのひとも、
きっぱり辞めてしまうひとも両方いますが。
「あたらしい公共」っていうのが、その辺から生まれてきている気がします。

藤田

行政も、むかしと比べたらずいぶん寛大になりましたけどね。

出水

行政ばかりをたよりにはできない、
じぶんたちでも動くことも大事だと、みんなも気付いてきてるんじゃないかな。

山崎

公共性をたのしく実行すること。
でも、つい利益のこととかを考えてしまって
「このまま、たのしくなくなっちゃったらヤバいぞ!」と思ったから
リニューアルするわけですね?

出水

その通りです!

山崎

ということは、すでにキモチがもう一度、
わくわくし始めているということでしょう。……ヤバいですね。

三人

ほんっと、ヤバいですよ!(笑)

座談会の様子

「全国で、カフェをベースにボクたちのような活動をしているひとたちがいるはず。そんなひとたちとも繋がっていきたい」と藤田さん。

information

map

FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

profile

SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

profile

KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

profile

HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

福井 Part3 あれから3年。ぼくらが変われば FLATも変わる。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

そして生まれた、フラットビル。

山崎

2009年の7月に念願の古ビルを買ったあと、
思い描いた通りのプロジェクトが順調に進んでいくんでしょうか。

藤田

お金もないので、ワークショップ形式でみんなで作っていきましょう、と。

出水

そこでボクの出番です。仕事の合間をみつけて、
まずは内装の解体から、ボランティアスタッフを募って作業にあたりました。

山崎

そのときの参加者はどんなひとたちなんですか?

出水

もうほんとうにさまざまですね。
ほぼ、ブログだけを発信源として募集しました。毎回10名ぐらい。
ほとんど「ハジメマシテ」のひとたちばかりで、
でも、手作りのお弁当持ってきてくれたりして、
「あのときはほんとうに楽しかったね」って、
今でもしょっちゅう話題にのぼるぐらいです。

山崎

それで、事実上のオープンは?

出水

カフェがオープンできたのは、1年後の6月です。

山崎

そして、2階でスクーリングやワークショップを行っているということですね。

藤田

そうです。スクーリングでは、grafの服部滋樹さん、
映像ディレクターの菱川勢一さん(drawing and manual 代表)、
イラストレーターの黒田征太郎さん……と、
たくさんの方にお話をうかがってきました。
直近では、3月が松田龍太郎さん(株式会社オアゾ)でした。

山崎

あ、bank towadaの方。ボクもお会いしたかったなあ。

1階の「フラットキッチン」

古ビル購入から1年、やっとオープンにこぎつけた1階の「フラットキッチン」。店内の照明は、「エチゼンクラゲ」がモチーフ。

変わること、見えてきたこと。

山崎

1階がカフェ、2階がフリースペースでしょう? じゃあ、3階は……?

藤田

当初は独身のボクが住もうと思ってたんですけど、
3階の内装が後まわしになってるうちに、結婚しちゃいまして(笑)。

出水

そして、いまもまだ工事中です!

山崎

あ、それを今やってるってことでしたね(笑)。

内田

この3年でのいちばん大きな変化は、
藤田さんとケンちゃん、ふたりとも結婚したことなんじゃないかな。
リアルなはなしですが、やっぱり、独身30代と妻帯者では、
お金や時間のかけ方が変わってきます。
それに、この3年で時代が大きく変わった。

山崎

そうですね。

内田

当初はぼくらのなかに、
もっともっとクリエイティブさを求めるところがあったけど、
最近では食や子育てというようなことが、やっぱり気になったりして。

山崎

もう、酔った勢いでポーン!と「ビル買う」なんて言えませんものね。

内田

お子さんが生まれたのもあって、藤田さんの気持ちがいちばん変わりましたね。

藤田

はい。こどもをクリエイティブに育てることが福井の未来につながるし、
今は、そういうことに夢があるように感じています。

内田

ボク自身も、時代が変わって、正直、デザインデザインしたものに
興味がなくなってきたところがあります。

山崎

今、いわゆる「宴のあと」の時代に、
ちゃんとデザインのことを考えてるひとたちと会話をすると、
やはり同じはなしになりますね。
どこに、あるいは、なにに貢献するか、ということを考えながら
クリエイティブを発揮していきたいんですよね。

内田

はい。

山崎

世の中のひとのため、ってなかなか言いにくいけれど、
なんかちょっと「いいこと」したい。そんな気分なんだと思います。
「公共」と「ソーシャル」の間ぐらいのところで、クリエイティブに、
わくわくするような、「おしゃれな公共」みたいなのができるといいのかな。

藤田

そう。カッコイイって、言われたいですよね。

山崎

単に表層的な意味ではなく、「ちゃんとしている」という意味での、カッコイイ。
それ、とても大事ですね!

(……to be continued!)

「flat schooling 03」の様子

2010年の9月に行った「flat schooling 03」ゲストスピーカーは、grafの服部滋樹さん。40名が参加。(写真提供:FLAT)

カホン作りのワークショップ

3月に行われた、カホン作りのワークショップ。こどもも参加できるイベントが増えてきた。(写真提供:FLAT)

information

map

FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

profile

SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

profile

KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

profile

HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

News 石巻カキ漁師新生プロジェクト、スタート!

Webサイト、ワインツーリズム……。
コミュニティの力を信じて始動した、
石巻カキ漁師新生プロジェクト。

日本では広島に次ぐ生産量を誇るカキの漁場として知られる宮城県。
とくにリアス式海岸という独特の地形、よい潮の流れ、
河川系水の混合などの好条件が相まって、「世界三大漁場」とも称される石巻湾では、
今シーズン、例年にも増して良質のカキが水揚げされています。

この石巻湾で4代に渡ってカキ漁にたずさわる後藤家は、
東日本大震災で大きな被害を受けた牡鹿半島の竹浜という集落で、
いまも暮らしています。
集落のほとんどの家が倒壊した中、奇跡のようにカタチが残った家。
そして、息子の「ごっちゃん」こと後藤章さんが
震災当日、決死の覚悟で守り抜いた漁船。
老人たちの豊かな知恵と機転で守られた、0歳から77歳までの8人家族の命。
もしもこれが「ちょっとした津波」なら、家族が、集落が、
たくましく力を合わせて乗り越えられるはずでした。
けれど、2011年のそれは、未曾有の大災害。
集落自慢のカキ作業小屋が跡形もなく流されてしまい、
漁港としての機能再開のメドが立たず、仲買業者も激減し、
さらに「東北産」というだけで買い控えの対象となる海産物は、
大手スーパーなどの契約打ち切りも甚だしい。
従来の流通の方法を頼っていては、生計が立てられないという
切実な現実に直面しています。

豊穣の海は、今日も自慢のカキを育ててくれているのに。
おとなたちは、働く気力と体力に満ちているのに。
こどもたちも曾ばあちゃんも、この浜にずっと暮らしたいのに。

そんな現状と、後藤一家の思いを知った、たった数名の
「ごっちゃんの友人」から始まった「石巻カキ漁師新生プロジェクト」。

「友人の友人」「そのまた友人」たちが、全国から「自分のできること」で、
ちいさな応援を始めました。
Webサイトを作れるひと、写真が撮れるひと、デザインができるひと、
文章が書けるひと、ワインとのマリアージュを提供できるひと、
同じく一次産業である農業にたずさわるひと、
カキをたくさん買ってパーティを主催できる友だちの多いひと……。
おそらく、震災発生直後のボランティアに必要だった、
体力や瞬発力や非常時における特別な知識などとはまた異なる、
1年後だからこその支援のカタチ。

従来の流通がダメなら、思い切ってあたらしい方法を。
ごっちゃんをはじめとする後藤家の人柄、
そしてなにより彼らの育てるカキのおいしさに惚れたひとたちの、
ゆるやかなコミュニティによって、まずはwebサイト「後藤家の食卓」が完成しました。
カキ漁が終了する、5月末頃まで、
通信販売で、後藤家から直接カキを購入することができます。
後藤家の食卓~GOTO’S OYSTER

そしてさらに、石巻カキと国産甲州ワインとの相性の良さに着目した、
山梨のワイナリーとのワインツーリズムも始動。
「来週カキパーティをするよ!」
「きのう、わが家で後藤家のカキをいただきました!」と報告しあう、
facebook上の『石巻の牡蠣で繋がる笑顔の日本地図づくり』も立ち上がりました。

「津波の後は海が栄養にあふれ、よいカキが獲れる」との先人たちの教えはほんとうで、
この冬〜春は、滋味あふれるカキが毎日海から収穫されています。
海流の早い湾で獲れる石巻カキは、泥臭さがなく、
脂肪分が少なくみずみずしいのが特徴。
殻付きのまま、シンプルにフライパンで蒸し焼きにして、
できればなにも足さずにそのまま召し上がれ!