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佐藤 敬さん

ものづくりの現場
vol.008

posted:2012.7.4  from:栃木県芳賀郡益子町  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。

editor's profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。生まれも育ちも東京郊外。得意分野は映画、美術などカルチャー全般。でもいちばん熱くなるのはサッカー観戦。

credit

撮影:ただ(ゆかい)

人との出会いが、益子での作家生活を決めた。

益子で活動する陶芸作家、佐藤敬さん。
高校時代に陶芸に出合い、20歳頃から本格的に取り組むように。
最初は九州で唐津焼の窯元に弟子入りしたが長く続かず、
茨城の実家に小さな窯をつくり、ほぼ自己流で作家活動をスタート。
個展やグループ展もやったりしたが、少し行き詰まりを感じていたときに、
益子の作家、成井恒雄さんに出会う。
「このままだと自分のつくるものが、
機械的につくるものと変わらないんじゃないかと思い始めたときに
成井さんの器を見て、これは違うろくろだ、と思いました」
その頃、佐藤さんが使っていたのは電動ろくろ。
成井さんは、片足でろくろの台を蹴って回しながら挽く
「蹴ろくろ(けろくろ)」を使っていた。
蹴ろくろでつくった焼き物には、電動では出せない味や、あたたかみがあるという。

成井さんにお願いして弟子入りし、益子にやって来たのが25歳のとき。
弟子といっても、給料ももらわないし、月謝も払わない。
工房にはほかにも4~5人同じような人がいて、
成井さんが直接技術を教えてくれることもあるが、基本的には先輩たちが教えてくれた。
成井さんはそんなふうに自分のところに集まってくる人たちを
「仲間」と言っていたそうだ。
「あるとき成井さんが、
“君は蹴ろくろがやりたいからとか言ってるけど、本当はそうじゃなくて、
ほかでうまくいかなかったからここに来たんだろう?”とかおっしゃるんです(笑)。
そういう人が多かったんですね。
焼き物をやめていく人をたくさん見てきた成井さんは、楽しんで仕事をしていくこと、
焼き物をずっと続けていけるようにすることが大事だと、教えてくれました」
益子に来て11年。成井さんとの出会いがあり、そこでできた仲間がいるから、
いまも益子で焼き物を続けることができると感じている。

もうひとつ、大きな出会いがあった。
益子でギャラリーやカフェを展開し、クリエイティブなものづくりの拠点となっている
「スターネット」の主宰、馬場浩史さんだ。
「妻がスターネットが好きで、あこがれのお店でした。
僕のつくるものはおしゃれなところには合わないだろうと思っていたので、
まさか僕の茶碗がスターネットに並ぶとは、想像もつきませんでした」
成井さんとも親しかった馬場さんは、佐藤さんの器を気に入り、
3~4年前からスターネットでも扱うように。
いまは馬場さんがデザインしたスターネットオリジナルの商品もつくっている。

佐藤さんの作品には素朴な味わいがある。トップの写真は佐藤さんがつくるスターネットオリジナル。

いつか、本当にいい茶碗がつくれるように。

実際に、ろくろを回しながら作業するところを見せてもらった。
足でろくろを回しながら、繊細な手つきでなめらかに土を滑らせ、
かたちをつくっていく。
途中までは同じだが、上部の口の部分を広げればお皿に、狭めれば徳利に、
というように、あっという間にかたちができあがっていく。
多いときは、午前中だけで100個分のろくろを回すことも。
だいたい1週間くらいで窯焼き1回分の個数をつくり、
乾かしてから素焼きし、釉薬をかけて本焼きに入る。
土は益子のものを使っているが、益子の伝統的な釉薬を使っているわけではない。
益子焼きにこだわるのではなく、あくまで蹴ろくろの面白さを追求するのが
佐藤さんの焼き物だ。
また、工房の外には仲間たちとつくった登り窯がある。
登り窯だと、かたちが焼きでさらによくなったり、予想がつかない面白さがあるという。

仕事はすべての行程をひとりで行ってきたが、
この1年ほどは成井さんのもとで出会った“仲間”ふたりに
ろくろ以外の仕事を手伝ってもらっている。
そのほか賃挽きといって、たとえば同じ型のものを50個なり100個なり、
ろくろで挽くところまでの作業を、ほかの窯元から受注したりもする。
ろくろの習熟のためには賃挽きはもってこいだが、
蹴ろくろという古典的な手法で賃挽きを請け負う陶工は少ないそう。
「賃挽きはもうやめてもいいかなとも思うのですが、
昨年、一昨年つくったものと、今年つくったものとでは、
変わらないようで、少しずつよくなっているような気がするんです。
たくさんろくろを挽いて、もっといい茶碗がつくれるようになりたい。
自分が60歳、70歳になったときに、本当にいい茶碗が挽ければいいなと思っています」

何度か蹴っては回し、スピードが落ちる前に、また蹴る。手と足を巧みに使いながらろくろを回す。

かたちも厚みもすべて感覚で決まる。熟練の技だ。

バリエーションの異なるものが次々とできていく。

楽しみながら、益子で焼き物を続けていく。

師匠が教えてくれた、楽しんで仕事をすること、長く続けていくこと。
それには何が大切なのだろう。
「面白いと思える技術に出合うことだと思います。
続けていけるような態勢や環境を整えることも大事です。
それと僕は、使えるものをつくることを心がけています。
実際に使いやすくて値段もそれほど高くないもの。
5000円のごはん茶碗だと割っちゃったらどうしようって思いますよね。
そうではなくて、1000円くらいで、気楽に、
日常的に使ってもらえるようなものをつくりたいですね」
さすが、民芸の聖地、益子。
実際、佐藤さんのつくる器は気どらず、素朴で味わいがある。
そしてびっくりするほどリーズナブルなのだ。

益子は昔から、全国から人が入ってきたという土地柄のせいか、
地元の人も外の人を受け入れてくれる雰囲気があり、佐藤さんも地域になじめたという。
早朝から作業を始め、三食の食事は家族と一緒にとり、
子どもが保育園から帰ってくる夕方には作業は終える。
工房は自宅の隣にあり、働く環境は抜群だ。

佐藤さんにとって、いい茶碗とは? と聞くと、少し考えてから
「機械でつくったものは面白くないですね。
自分でろくろを挽いたときに面白いと思えるかどうか。
成井さんもよくおっしゃっていましたが、“面白い”というのは最高のほめ言葉ですよね」
その成井さんは、この取材の数か月前に他界してしまった。
「型ろくろで量をつくればコストも下がりますし、いい面もありますが、
蹴ろくろがなくなってしまってはいけない。
成井さんが亡くなったいま、技術を受け継いでいかなければと思っています」

友人たちと3か月ほどかけてつくった登り窯。震災で壊れてしまったが、近々直してまた使えるようにする予定。通常は登り窯を使うのは年に一度くらいで、このほかガス窯もある。

いろいろな釉薬や土を試して自分も楽しみながら、気楽に使ってもらえるようなものをつくりたいと話す佐藤さん。

profile

TAKASHI SATO
佐藤 敬

1976年長野県生まれ。中学卒業まで東京都や茨城県で過ごす。高校の授業で初めてろくろに触れる。アメリカの大学に1年間留学後、唐津で3か月修業し、茨城で作家活動を開始。25歳で益子の陶芸作家、成井恒雄に師事し、以来、益子で活動を続ける。作品はスターネットなどで販売している。

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