滝川 Part4 第5回太郎吉蔵デザイン会議 を終えて。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

少しずつ、間接的に。でも確実にまちへ沁み出していく。

山崎

大きな蔵のなかに何人かのデザイナーが集まって
「あーでもない、こーでもない」と本音でしゃべる。
聴衆を意識したり、喜ばせたりしようと努力する必要がなく、
ただそこに集まったパネリストとの対話を楽しむだけでいい。
これは気が楽でいい。のびのびと、対話を楽しませてもらいました。
でも、蔵の外からは、なかで何が行われているのかわからないし、
この会議はそもそも滝川のまちに影響を与えようと意図されたものでもありません。
では、まちにまったく何の影響もないのかというと、そうでもないと思うのです。

会議には毎回、地元のデザイナーや起業家、活動家が呼ばれます。
そして、まず彼らの基調講演を受けて、
全国から集まったデザイナーたちが語り始めます。
彼ら地元の基調講演者、加えて地元の聴衆者が、
この場の対話の内容をそれぞれの日常へ持ち帰ることで、間接的とはいえ、
蔵の中で話し合われたことが少しずつまちへと沁み出していくことになるでしょう。

そして、毎年全国からデザイナーが集まって
蔵のなかで話をしているという事実は、
回を重ねるほど地元の人たちにもその存在が認知されるようになるはずですね。
「なぜ自費で?」「なぜ滝川で?」「なぜ蔵のなかで?」
こうした疑問は、じぶんたちのまちの価値や
今後のあり方を改めて考えるよいきっかけになると思います。

「地域の未来を考える会」「地元の元気を取り戻すために」と銘打った
シンポジウムや講演会も一定の価値を持つことは確かです。
でも、それをくり返せばくり返すほど、住民が受け身の姿勢になってしまい
「地元がお客さんになる」危険性も内在しています。
ところが、太郎吉蔵デザイン会議はそうじゃない。
住民が自ら動き出さなければ、情報が手に入らない。
それはほんの一部の人かもしれないけれど、
主体的で力強い行動が生まれる可能性を内在しているといえます。
こんな会議、どこにでもあるわけじゃないですからね。

第5回を数えた太郎吉デザイン蔵会議の会場

第5回を数えた太郎吉デザイン蔵会議。パネリストがじぶんたちで会場の椅子をセッティングするのもユニーク(写真左端は原研哉さん)。

会議中の山崎亮さん

参加申し込みはインターネットの告知のみで、2週間で定員に達したという。「のびのびと好きなようにしゃべれて、たのしかった」(山崎)

小さな田舎の小さな会議。その大きな希望と可能性。

五十嵐

今回も、議論には素晴らしいものがありました。
特に、山崎さんによる「つくることとつくらないこと」の真実、
この視点が議論に持ち込まれたことが
今年の議論の広がりと深さをつくりあげたと思います。
人と人がつながったときの力、激変する世界のスピードに対する態度、
さらにアジアの近未来についても、
情報と知恵と思考の大きな広がりと可能性に思いをはせることができました。
たくさんのおみやげが、心のなかに積み重なった濃密な2日間でした。

山崎さんのおっしゃる通り、
会議は地域の活性化を目指すために開催しているわけではありません。
「NPOアートチャレンジ滝川」としてはそういう活動をしていますが、
その一部である太郎吉蔵デザイン会議は、日本や世界が抱える問題、
本質的な問題についてデザインで解決できる方法、理念について、
滝川のような田舎で話し合われることの健康さを目指しているといえます。
とはいえ、昨年の基調講演者の金道泰幸さんが今年は事務局を手伝い、
新十津川町のお母さんたちが昼食を用意、
滝川の野口翔吾さんが野菜とお米の販売を始めるなど、
運営サイドも生き生きと成長し拡大しています。このような人たちを通じても、
私たちの思いがじわじわと地域につたわることも期待しています。

一方で、新滝川市長、教育長も昨年に続いてのご参加、
地元企業や滝川市と新十津川町の教育委員会の支援もいただき、
ある意味、会議は小さいながらもピークに達した感があります。
今後は、新しい魅力的な仕組みを考えるタイミングにあると考えています。
もちろん、パネリスト自身のための会議だという基本は変わりませんが、
小さな田舎の小さな会議であるから可能な仕組みと議論の高い質を維持しながら、
本音で話ができる環境をひき続き実現したいと話し合っているところです。

帰り際に原研哉さんが、この会議はかなり重要な会議になるかもしれないと
希望の言葉を残してくれました。
この希有な小さな会議を新陳代謝しながら、みなさんと共に、
さらなる高みを目指したいと思っています。

五十嵐威暢さん

真剣な表情で、デザイナーたちの意見交換に聴き入る五十嵐さん(写真奥)。

五十嵐威暢さん、山崎亮さん

パネリストと参加者が平等に交流しながら全員でつくる会議。「こんな会議はほかにはありませんね!」(山崎)(撮影:山口徹花)

information

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TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

滝川 Part3 アートが、まちの未来に どう関われるか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

そして、太郎吉蔵の修復が始まった。

山崎

日本に戻ってこられたきっかけは?

五十嵐

終の住処だと思ってロスに家も建てたのに、44年ぶりに北海道から声がかかってね。
故郷が呼んでくれているのだからと、先生と同級生に会いに来ました。

山崎

滝川へ? いつごろのことですか?

五十嵐

2000年です。

山崎

まちの印象は、ずいぶん変わってたはずですね。

五十嵐

ええ。大嫌いなまちになっていました。ゆたかな、自然の美しい場所だけれど、
2代前に開拓された地ですから、やはり文化がない。
でも、同級生との再会が運命を変えたんですね。

山崎

では、太郎吉蔵の修復も、仲間のみなさんからの提案だったんですか?

五十嵐

そうです。ぼくたち兄弟が祖父から相続していた古い蔵は、
次の冬にも崩れるぞという状態だったんですが、
修復してコンサートをやりたいねえ、と。

山崎

改修設計は中村好文さんですね。

五十嵐

改修の費用は見積もりで3400万円。
NPOを立ち上げて助成金を申請しても、行政から出るのは2分の1。
滝川ではほとんどお手上げだったのですが、道内外から、
半年のうちに寄付などで残りの1700万円が集まって。

山崎

それはすごい。

五十嵐

というわけで、アメリカの家をひき払うことになるんです。

修復されてよみがえった太郎吉蔵

修復されてよみがえった太郎吉蔵(1926年竣工)。重厚な木の扉は、五十嵐さんの作品。

アートとデザインと、まちの関わり方。

山崎

なるほど。そういういきさつがあって、
「アートチャレンジ滝川」が生まれるんですね。

五十嵐

駅前のシャッター街は、このまま放っておいても空き地になる。
それならいっそ、札幌の大通公園に負けない公園にしたらどうか。
風景、ランドスケープを観光資源にしよう! というのが当初のコンセプトでした。
でも、のちに山崎さんの本を読んで、おおいに反省することになるんです。

山崎

反省?

五十嵐

全国のメンバーと共有したはずのこの夢に、サークル活動のような
地元の種や芽や根をうまく乗っけることができてなかったんです。
反省すべき大半の原因はここにあると、いまでは思っています。

山崎

なるほど……。

五十嵐

「紙袋ランターンフェスティバル」など、
うまくいったプロジェクトもあるんですよ。
冬のまちが生き返るようになるイベントで、これは実行委員会が発足して、
すでにぼくたちの手を離れるまでに成長しました。

山崎

資料によると10年も続いていますね。なぜ、これはうまくいったんでしょう。

五十嵐

始まりが市民ワークショップだったんです。雪に閉じ込められる長い冬に
たっぷりの時間をかけて、ひとがひとにその手法を教えていく。とくに、
子どもたちの作品は、とてもすばらしい。まさに、まちのひとが生んだアートです。

山崎

では、太郎吉蔵デザイン会議はどこからアイデアが?

五十嵐

「アートチャレンジ滝川」の主たる事業として、五十嵐アート塾があります。
はじめは200人集まったこのアート塾も、
回を重ねるごとにやはり参加者は減っていく。
そこで、ひとが集まる魅力は何だろう、そのための仕組みはどうすればいいだろう、
と考え抜いて生まれたのがデザイン会議。
スピーカーが主役だから、自腹でもやってくる。いわば、聴衆はおまけ。
このあたりの発想は、リチャード・ソール・ワーマンが創設した
当初の「TED(*1)」に影響を受けています。

山崎

なるほど、TEDですか!

五十嵐

足を運んでくださる聴衆を、おまけなんて言ったら失礼だけど。

山崎

いえいえ。ぼくも初めは聴衆として参加したわけですが、
ここで原研哉さんにも会うことができたし、とてもよい刺激をいただきましたよ。

(……to be continued!)

*1 TED:T=テクノロジー、E=エンターテインメント、D=デザインの意。全世界500名の招待者限定のカンファレンスとして、1984年、情報建築家のリチャード・ソウル・ワーマンによってモントレーで開催されたのが始まり。五十嵐さんは、1990年に行われた「TED2」にスピーカーとして登壇しているほか、ワーマンからの依頼でTED10までのタイトルの数字をデザイン。その数字を含むタイトル映像が、毎回の会議のオープニングを飾った。

五十嵐威暢さん

「最近やっと、地元の若いひとの参加が増えてきたし、あたらしく、母校の改修のはなしもある。やめなくてよかった」(五十嵐)

山崎亮さん

「やめなくてよかったですね。でも、ロサンゼルスの自宅から通われていたころはさぞかし大変だったと思います」(山崎)

「第5回太郎吉蔵デザイン会議」で展示された、紙袋ランターン

「第5回太郎吉蔵デザイン会議」で展示された、紙袋ランターン。中に、ろうそくを灯す。(撮影:酒井広司)

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TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part2

人と場所から生まれる作品の数々。

大地の芸術祭は、里山現代美術館のある十日町のほか、
川西、松代、松之山、中里、津南の6つの広大な地域で繰り広げられている。
すべての作品を見て回るのはかなりの時間を要するが、
自分が気になる作品を選んで見て回るだけでも楽しい。
ここでは2012年の新作から、いくつかの作品をレポート。

アメリカの著名な美術家アン・ハミルトンは、津南の田中という集落の空き家と
『ドラゴン現代美術館』の2か所でインスタレーションを発表。
ドラゴン現代美術館は、中国福建省の登り窯を移築し再生させた
蔡國強(ツァイ・グオチャン)の作品で、毎回、蔡國強がキュレーションして
作家が展示を行っており、今回はハミルトンが作品を展示。
芸術祭スタートの数日前、空き家で制作中の作家に会うことができた。
その家はかつて金物の職人が住んでいたそうで、作品タイトルも『金属職人の家』。
「ギャラリーというよりも、かつて職人が生き、
暮らしていたスペースとして見せたいと思っているの」とハミルトン。
空き家に再び息を吹き込むこの作品でポイントになったのは、音と空気。
この家はかつては金属の音が響いていたはずだし、
窯も、本来は火を入れて空気を送り込めば、パチパチと音をたてて燃えさかるもの。
作品では、アコーディオンを分解した“ふいご”の部分と、管楽器などでよく使われる部品
リードを使い、空気を送り込んで音を出す仕掛けをつくった。
「音というのは不思議なもので、持てないし、目に見えない。
でも、たとえば風鈴のように、風が通ることで音が鳴り、涼しく感じるように、
聴いた音で気分も変わってくるし、ほかの人と共有することもできるでしょう?」

この場所で制作を進めるうちに、いろいろなアイデアがひらめいてきて、
だんだんやることが明確になってきたという。
「全然違うかたちだったり関係ないと思っていたものが、どこかでつながっていたりする。
アートというのは、そういう関係を見つけていくのが面白いし、
作品は時間をかけて感じ、経験することが重要なの」
世界中で個展を開催してきた彼女だが、大地の芸術祭はほかと違うという。
滞在している旅館の人が毎朝あたたかく送り出してくれたり、
集落の人たちは常に彼女を気遣ってくれる。
近所の人たちのバーベキューにも呼ばれたそう。
「彼らが楽しんでくれるような作品をつくりたいと思ってるわ」

「アートは自分が面白いと思ったところに寄り添っていくのがいい」と話すアン・ハミルトン。

分解したアコーディオンを使って音を出す。2か所のインスタレーションは関連している。

風が通ることで音が出るリード。思いがけない組み合わせから作品が生まれる。

同じく津南の外丸(とまる)という集落には、西アフリカのベナン出身で
現在はアムステルダムで活動するアーティスト、メシャック・ガバの作品がある。
取材時は作家本人は不在だったが、集落の有志たちでつくるグループ
「八本杉」のメンバーが、着々と準備を進めていた。
この作品はヨーロッパではよく知られる「ミカドゲーム」にヒントを得たもの。
バラバラに重なり合った棒を、ほかの棒を動かさないようにして抜き取るという
シンプルなゲームで、日本ではなじみがないが、語源は日本語の「帝」とも言われる。
ガバは、このテーブルゲームを巨大化し、人と同じくらいの大きさの棒で、
鑑賞者がからだを使って遊べるような作品にした。
集落を訪れたガバは、八本杉というグループ名の由来でもある
杉の大木がある神社の境内を、作品の舞台に選んだ。
八本杉の代表者、湧井稔章さんは
「大地の芸術祭では以前からほかの集落で手伝いをしていたのですが、
自分たちの集落でも作品をつくってほしかった。今回、それが実現して楽しいです。
こういうことがないとあまり話をしないような人たちが、
夜みんなで集まってお酒を飲んだりして仲良くなりました。
外丸に外国人のアーティストが来るなんて初めてだと思いますが、
言葉は話せなくてもコミュニケーションできましたし、子どもたちもすぐ仲良くなって、
みんな次に来る日を楽しみにしていますよ」と目を輝かせる。
遊び方の紹介ビデオも、集落の子どもたちが出演してつくられた。
この集落では、アーティストは「ガバさん、ガバさん」と、すっかり人気者のようだった。

外丸の人たちを見守るように凜と立っている八本杉。集落の子どもたちにも、この杉のように大きく真っ直ぐに育ってほしいという願いがある。

『ミカドゲーム』の制作を手伝う八本杉のメンバー。右から2番目が湧井さん。

日本人のアーティストと外国人のアーティストの共同プロジェクトもある。
小沢剛とフィリピンのアーティスト、キドラット・タヒミックは、2015年に向けて、
十日町の下条地区とフィリピンの小さな村イフガオの交流プロジェクトをスタート。
イフガオも美しい棚田が多くある地域で、タヒミックはイフガオの人々とともに来日。
今回は、少数民族がつくる伝統的な住まいなど、
3つのミニチュアハウスを下条につくって展示している。
彼らはどんな山の中にでも家の部品を運び、組み立て式の家をつくってしまうのだという。
下条の子どもたちも壁などになる部品を一緒に運び、
イフガオの人たちの家づくりに触れた。
一過性のものでなく、地域が長期的に交流していくことで何が生まれるか。
ここで展開するプロジェクトが楽しみだ。

子どもたちも一緒に、家のパーツを持って練り歩く。にぎやかなパレードのよう。

民族衣装のふんどし姿のイフガオの人たち。くぎは使わずにほぞで組み立て、植物の蔓などで固定する。

すぐ近くの下条駅前には、建築グループ「みかんぐみ」+神奈川大学曽我部研究室の『下条茅葺きの塔』がある。

松代にある清水・松代生涯学習センターに、前回2009年に開設された
「CIAN(地域芸術研究所)」は、これまでの芸術祭や地域の活動を
アーカイヴする研究施設。
芸術祭のアドバイザーを務め、2011年に亡くなった美術評論家、
中原佑介の蔵書も加わり、約3万点を収蔵する巨大アーカイヴとなった。
そしてこのCIANのなかに、川俣正による『中原佑介のコスモロジー』が登場。
中原の蔵書を使った、故人の頭の中を表現するようなインスタレーション。
生命や空間に限りはあっても、人間の頭脳や精神というものは、
まるでバベルの塔のように、果てしなく広がっていくかのよう。
現在は閲覧はできないが、並べてある書物を見ているだけでも、豊かな知の散歩ができる。

内側にも同じように書物がズラリ。構造設計もきちんと計算されている。

デザイン書、画集、評論など貴重な本も。まさに宇宙のよう。

ここでしか体感できないパフォーマンスも。

大地の芸術祭では、演劇やダンス、パフォーマンスなどのイベントも多数行われる。
アメリカの美術家ミエレル・レーダーマン・ユケレスは、
13台の除雪車を使ったパフォーマンス『スノーワーカーズ・バレエ』を披露する。
これは「ロミオとジュリエット」をモチーフにした“バレエ”で、
2003年にも1度上演され、今回は新演出による上演。
操縦するのは、実際に越後妻有で働く除雪車のドライバーたち。豪雪地域では
除雪車がいないと生活がままならないほど、彼らは地域にとって重要な労働者。
だが夏のあいだは、その存在も忘れられがち。
越後妻有の生活のなかからアートを生み出したいと考えたユケレスは、
彼らにスポットを当てようとこの作品を思いついた。
彼女は「みんなでつくり上げるプロセスが重要」と、
ドライバーたちとミーティングを重ね、練習に臨んでいた。
セリフがなくても、感動的なまでに表現が伝わってくるという
伝説のパフォーマンスの再演。
公演回数は少ないが、里山現代美術館でも、その制作風景などの映像を紹介している。

信濃川の河川敷で練習。配役がわかりやすいように、除雪車に色を塗った。

ダンスや映像、音楽、美術など複数のアーティストで作品をつくり上げる
ダンスカンパニー、ニブロールは、中里の倉俣地区にある『ポチョムキン』と、
少し離れたところにある矢放神社でパフォーマンスを行う。
『ポチョムキン』は、カサグランデ&リンターラ建築事務所のデザインによる、
鋼の壁が屹立したコンセプチュアルな空間だが、
ブランコや東屋などもあり、地域の人々のちょっとした憩いの場になっている。
ニブロールはここで、横浜でも上演した『see / saw(シーソー)』
という作品を披露するが、横浜公演とはまったく別物になりそうだ。
映像を担当する高橋啓祐さんは
「ニブロールがこの芸術祭に参加するのはこれで3度目。
これまでは東京でやったものを公演するというかたちだったんですが、
今回はもう少し“大地の芸術祭”とよばれるこの芸術祭でやる意味を考えて、
地域から発生されるイメージを作品に取り込みたいと思いました」と話す。
メンバーは、倉俣に伝わる民話や伝承を聞いて回り、イメージを膨らませた。
また美術のカミイケタクヤさんは、一軒一軒を訪ね歩き、
いらなくなったものを集めて神輿をつくった。公演では、村の人たちに参加してもらい、
ポチョムキンから矢放神社までの農道を、その神輿を担いで歩いてもらう。
ほかにもこの地域に伝わる「からす踊り」や太鼓を取り入れたり、
地域の小学生に朗読してもらうなど、かなり地域の人たちを巻き込んだものになりそうだ。

ニブロール主宰であり振付家の矢内原美邦さんはこう話す。
「祭りというのは地域にとって重要な行事ですし、芸術祭も現代のお祭り。
農耕民族のダンスはもともと奉納や祭りとも深い関わりがありますし、
祭りを強調するようなパフォーマンスを考えています。
もともと『see / saw』という作品は、日本に起きた突然の出来事を、
私たちがどう記憶し、それを身体に残していけるかということをテーマにしています。
今回はいろいろなものを使いますが、そこからわき上がってくる記憶を
身体に落とし込んだり、ものが持つ記憶ということにも挑戦してみたいと思っています」
倉俣地区を回って話を聞いたり廃品を集めたりするときも
「大地の芸術祭で……」というひと言で、みなさん「ああ」と受け入れてくれたそうで、
それだけ芸術祭が浸透していることをあらためて感じたという。
自分たちの作品が越後妻有の地でどう変わっていくのか、
メンバー自身も楽しみにしている。

右から、矢内原美邦、スカンク(音楽家)、カミイケタクヤ、高橋啓祐。8月24、25日に公演がある。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 奥村文絵さんインタビュー

東北の人たちが受け継いできたものを伝えるために。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」には
東北の「食」と「住」がさまざまなかたちで展示されている。
それは単に名産を紹介するのではなく、東北に受け継がれてきた文化の展示。
この展示の立役者となったのが、企画に携わった
フードディレクターの奥村文絵さんだ。
奥村さんは、何度も東北に足を運んで「食」に関する取材とリサーチを行い、
東京で展覧会ディレクターの佐藤卓さんや深澤直人さん、
「住」のリサーチを担当した川上典李子さんらとミーティングを重ねた。
「東北の震災以降、どんなかたちで貢献できるだろうかと考えていたので、
この企画に参加できて、うれしくてたまりませんでした。
フードディレクターという仕事は、食べものを専門とするアートディレクターですが、
ディレクターとは基本的に人と人とのあいだに立つ仕事。
どんなふうに食を表現するか、どんなものを展示しようかとアイデアを出し合ったり、
こんな食文化が残っていますよと紹介したり。
取材に行くと、卓上に手づくりのお漬け物やお茶が次々と出てくるんですね。
人のやさしさや、人とつながることのうれしさをたっぷり感じることができました。
東北の方たちの“伝えてね”という思いを託されたような気がして、
どんなふうに見せたらみなさんの思いを伝えられるかと、何度も考えました」
個人的な印象からではなく、あくまでも客観的な視線で展覧会をつくることを心がけた。
ノスタルジックになったり、いまの私たちはこうすべきだ、というような
恣意的な表現をするのではなく、見た人に何かを感じて持ち帰ってもらえるような
展示にしたかったという。

実際には展示物の2倍以上の取材をしており、紹介できなかったものもあれば、
取材自体できなかったところもある。
そのひとつが、稲庭うどんの製法を確立した稲庭吉左衛門氏。
寛文5年の創業から現在の16代目に至るまで、
約350年間、一子相伝で古来の製法を守っている。
会場には秋田県湯沢市の稲庭うどんが展示されているが、
稲庭氏のつくるうどんは取材させてもらえなかったそうだ。
「稲庭うどんの歴史をたどると、秋田県南部、雄勝郡稲庭村の稲庭吉左衛門さんが
佐竹藩の御用うどん製造元、つまり宗家なのです。
最終的にお宅で少しだけお話を聞くことができたのですが、
製造については非公開ということで、一切取材させていただけませんでした。
ただ印象的だったのが、製法はすべて口伝だということ。つまり、書かない。
書いてあるとそれをなぞってしまうけれど、
書かれていないことは、自分で研究するでしょう。
それが伝えるということなんだと稲庭さんはきっぱりとおっしゃった。
当代ができなければ次の代、次の代ができなければ、また次の代に託していく。
あらためて歴史の深さを思い知らされました」

一方で、広く知ってもらいたい、アピールしたいという生産者もいる。
たとえば、山形県の庄内地方に伝わる伝統食の笹巻き。
「笹巻きの生産者さんのことは以前から知っていました。
彼女たちは毎年『笹巻きサミット』を開催して、地元に郷土の味を伝えていく
という活動をしているんですが、県外の人たちにどうやって伝えればいいのか、
長いあいだ模索していました。それで今回の企画にぴったりだと思ったのです。
映像作家の山中有さん、トム・ヴィンセントさんが制作してくださった
ショートフィルムを見て、涙が出そうになりました。
こうやって、ひとつ伝えられる手段ができてよかったと思います」

酢の物などに使われる干し菊は、青森の定番食材。92℃の釜で45秒蒸し、60℃で10時間乾燥させ、鮮やかな黄色に。温度調節が決め手となる。

小さくて売り物にならない馬鈴薯を加工して保存食にした「凍みイモ」。凍っては溶け、を約2か月半も繰り返す。岩手県九戸郡野田村でたったひとりでつくっているおばあさんに会えたが、もうほとんどつくっている人はいない。

稲庭うどんは、江戸時代半ばまで佐竹藩のみに納められ、庶民は口にすることができなかった。右は岩手県南部の郷土食で、そば粉をこねてつくる「かっけ」。

時間をかけて、ローカルと向き合っていく。

奥村さんは日頃からフードディレクターとして、企業のブランディングのほか、
地域の特産物の商品化や、地域ブランドの企画など、
地域の食と関わりの深い仕事を手がけている。
仕事をしていて感じるのは、食の価値は地域によって多様性を持っているということ。
「東京ではほぼすべての食べものをお金で買うので、
食の価値が貨幣価値と直接つながっています。
でも産地に行けば、それとは違う多様な食の価値に出合います。
たとえば、私が以前関わったプロジェクトで、
お餅のパッケージをつくったことがありました。
美しい紙で、洗練されたデザインのパッケージでしたが、
産地では安くておいしい食べものがたくさんありますから、
包装にかかる手間を生産者に理解してもらうのに苦労しました。
すてきなパッケージに入った高い商品が必ずしも価値ある商品にはならない、
地域にあった食の価値があるということを、その仕事を通じて実感しました。
ですから、ものをつくるだけではなくて、売る人がどういう環境でどう売れば
ハッピーなのかということまで、私たちが一歩足を踏み入れて考えていかないといけない。
私はそこに時間をかけたいと思う。まさにテマヒマです(笑)」

たとえば、奥村さんが手がける「800 for eats」というプロジェクトは、
地域の特産物を生産者とともに商品化して、東京から世界に発信してきた。
「大量生産できず小ロットだけれど、たくさんの方々に知ってほしい
ストーリーがある食べものだけを選んで紹介しています。
東京の自給率は1%で、99%はほかの地域か海外から入ってきています。
情報発信基地でもあり巨大なマーケットである東京で何が選ばれるかは、
生産者にとっても重要な意味を持っています。だからこそ、東京を拠点にする側が、
誠実なものづくりに懸ける生産者を紹介していくことに意味があると思っています」

奥村さんは、自分と同じような仕事をする人が、
地域にもっと出てきてほしいと思っている。
「デザインに携わるいろいろな機能が地域にあるべき。
すべてが都市に偏重して新しい商品がつくられるのではなく、
グローバルな手法とローカルな手法を対話させながら
ものがつくれるようになるといいと思います。
地域行政や民間企業に、同じ考えを持った仲間が増えることを期待していますし、
私たちデザインする側も一度のインパクトで何かを変えようとするのではなくて、
継続して向き合っていくことが大事。
デザインというのは色やかたちを決めることだけではなくて、
人と人とのつながりや場の持ち方も含め、プロセスをどうつくりあげていくか。
それがデザインの仕事なんだと思います」

大豆や青大豆をつぶして乾燥させた「打ち豆」は東北全域でつくられる。保存食として冬のタンパク源になるが、ひとつひとつつぶすのは、まさに手間と時間がかかる。

氷点下の気温と寒風を利用して東北で広くつくられる「凍み餅」も、凍みと溶けを繰り返してつくる保存食。戦後は、砂糖味や、ごま、大豆、小豆入りなどバリエーションが増えた。

山形県東根市六田地区に伝わる「車麩」は、木の棒に生地を巻き上げ、焼いてつくる。そのかたちはまるでフランスパンのよう。

Information


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テマヒマ展〈東北の食と住〉

住所:東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内

TEL:03-3475-2121

2012年4月27日(金)~ 8月26日(日) 21_21 DESIGN SIGHT

11:00 ~ 20:00(入場は19:30まで、火曜休館)

http://www.2121designsight.jp/

Profile

FUMIE OKUMURA
奥村文絵

東京都生まれ。フードディレクター。2008年にフーデリコを設立し、ブランドコンセプトの開発や商品開発、パッケージ、空間デザインなど、さまざまな食にまつわるブランディングを手がける。http://www.foodelco.com/

「ヌー銅セクシー・コンテスト」 結果発表第3弾

ヌー銅は、今日も裸でたたずんでいます。

暑いですね。夏ですから。
でも、ヌー銅は季節に関係なくいつも裸!
投稿いただいたヌー銅に、みうら所長からコメントをいただきました。

まっつんさんの投稿
河川敷で桃を掲げた少年の、桃尻をたたいてみたら、文明開化の音がしました。
撮影場所:岡山県岡山市

みうら:子どもにしてはしっかりしたモノをお持ちだ。

yotecoさんの投稿
こんなにセクシーな銅像を見たのは初めてです。
どう見ても後背位を誘ってるとしか思えません。
撮影場所:山口県下関市

みうら:赤ちゃんといえど、このバックの突き上げ、公然にはアウトでしょ。
オムツくらいはけよ。

餅さんの投稿
姉妹ヌー銅です。そして弟も。
撮影場所:広島県福山市 広島県立歴史博物館前

みうら:どんなことにも角が立つんだろうね、この姉妹。
オカッパしかないしね、似合うヘアスタイル。
弟は何ていうの? このヘアスタイル? 鳩まで角ばってんじゃないか。

かのさんの投稿
「ちょっと部屋に入るときはノックぐらいしてよ」という声が聞こえてきそうです。
撮影場所:鳥取県米子市

みうら:何年待ち合わせしてるんだろうね?

歯痛さんの投稿
後ろから撮るのはさすがに気が引けましたので。
撮影場所:長崎県佐世保市

みうら:白髪ってこんなところから始まるってね。

khao-changさんの投稿
親子ヌー銅です。タイトルは「陽光」とありました。
父ヌーだけ半端な感じの……。
撮影場所:多摩市聖蹟桜ヶ丘の九頭龍公園

みうら:遊びすぎだろ、この親子。確実に捕まるね、このあと。

utamaさんの投稿
このガニ股が大地を表しているのでしょうか?
撮影場所:滋賀県長浜

みうら:コレ、知ってる! 滋賀県でしょ。
僕はその時、車中だったけどいろんなことに「何で?」って思ったよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
今回はかなりグッとくるヌー銅写真、ありがとうございます。
設置された当初は近隣住人から「何よコレ?」とか、「アソコが丸出しじゃないか!」
など、いろいろ意見もあったことと思いますが、人間って怖いね。
忘れちゃいはしないまでも慣れちゃって、そんなことどーでもよくなっちゃうってね。
ヌー銅にツベコベ言ってる暇あったら、ちゃんと働け! なんて
逆に叱られたりもするから。
基本、ヌー銅は不自然だよね。ボーッと立ってちゃ目立たないから、
それなりにアピールしてくるんだけど動きが大げさなもんだから。
あの子どもを真ん中にしてのヌー銅夫婦も、本来なら即、タイホだもんね。
でも、それは芸術、アートと呼べばかなりのことは許されるのが世の中ってやつだ。
「王様は裸だ!」と、子どもが指摘するまでもなく「ヌー銅は裸だ!」。
それに気づく暇もないほど世間って忙しいんでしょ。何にそんな忙しいのかね。

ヌー銅は、というか銅像全般がいま、不況でまちに出回らないんだってさ。
バブルの時期はバンバン飛び出していたらしいけど。
と、いうことは今後も不況が回復しない限り飛び出す可能性はないってことだ。
いまはヌー銅に代わり、ゆるキャラがやたら飛び出してるでしょ。
ヌー銅に比べりゃコストも安いし、第一、子どもにも人気でしょ。
こりゃ困ったな、ヌー銅。このコーナーで盛り上げて、
「これはないでしょ!?」っていうヌー銅、いつか作ってまちに飛び出させたいね。
今後のヌー銅ウォッチング、よろしく頼んます!

編集部より
というわけで、このコーナーで勝手にヌー銅を盛り上げていきましょう!
「世界遺産の店」「いやげもの」も、どしどし送ってくださいね。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 山中有さんインタビュー

テマヒマかけたものづくりを、映像で表現する。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」では、メインの展示室の手前にもうひとつ展示室があり、
展示された食べ物や工芸品がつくられる現場をとらえた映像が流されている。
奥会津のマタタビ細工、庄内地方の笹巻、青森のりんご箱、秋田のきりたんぽ、
会津木綿、宮城県の油麩、弘前のりんご剪定鋏。
7本の映像は、東北の人々の黙々と作業する姿やあたたかい笑顔に、
ときおり美しい自然が挿入され、静かに心を打つすばらしい映像に仕上げられた。
トム・ヴィンセントさんプロデュースのもと制作を担当したのが、
映像作家の山中有さん。
何を撮影するかは事前に企画チームと相談し、実際の撮影から編集までを手がけた。

「真冬に撮影に入ったのですが、例年にも増して豪雪だったので大変でした」
ひとつのテーマを撮影するのにかかるのは、3日から5日間。
初日は撮影はしない。挨拶に始まり、企画を説明して作業を見せてもらいながら、
どう撮るかを考える。2日目からようやく撮影が始まる。
「一緒にお茶を飲んだり、ごはんを食べたりもしました。
秋田県鹿角のきりたんぽ製造の若旦那は、僕と同じくらいの歳の方だったんですが、
せっかく来たんだから鹿角のことを好きになってもらいたいと、
地元のおいしいもつ焼き屋や居酒屋など、3軒くらいはしごして連れて行ってくれました。
うち解けてからでないと、撮られるほうは構えてしまいますからね。
できるだけ自然な表情を撮りたいと思いました」
映像には、ものをつくるようすだけでなく、風景が印象的に映し出され、
そこに流れる時間や空気が伝わってくる。
「展覧会ディレクターの佐藤卓さんや深澤直人さんとも事前に相談したのですが、
実景は必ず入れることにしました。
やはり東北の文化は、気候や地形など風土によるところが大きいですから。
ふつうは人を撮影する合間に風景を撮るのでしょうけど、
今回は、人を撮影するのと同じくらい風景も撮っています。
どこでも1日か2日はひたすら風景を撮っていました」
撮影には、フルHD動画撮影機能搭載のデジタル一眼レフカメラを使った。
テレビカメラのような大型なものではなく、通常のサイズのカメラだったことも、
相手を緊張させず、自然に撮影するのに功を奏した。

撮影時間は、ひとつのテーマにつき、最長で8~9時間くらい。
それを5分ほどの映像に編集するのもかなり大変だったはずだ。
「見るだけで1日かかりました。実際の編集作業はその次の日から。
ドキュメンタリーとしてはもっと長いほうがいいかもしれませんが、
今回は展示ということを考えて」
映像は淡々と作業を映し出し、そこに出てくる人たちは、ほぼ何も語らない。
実はインタビューもしたそうだが、ほとんど使わなかったそうだ。
「東北の人々や職人さんって、謙虚な方が多かったり、
もともと話すのがあまり得意じゃない。
いろいろな思いや苦労があるけれど、それを言葉で表現するのは難しいですよね。
だったら手や仕草で語ってもらったほうが印象が強くなるし、
しゃべらないほうが、いろいろなことがわかると思いました」

7本の映像のうち、工程がいちばん長いのがりんご剪定鋏。鋼を熱して叩く、の繰り返し。2日間くらいかかる工程を、コンパクトな映像にまとめるのも至難の業。

食品は真空パックにして展示。きりたんぽはつぶしたご飯を杉の木串に巻いて炭火で焼く。右は塩3、麹5、餅米8の割合でつくる漬け物「三五八」。

会津は東北では貴重な綿の産地。藍染めは仕込みだけで約1か月。染めから織りまで、長い時間と手間がかけられている。(Photo: Yusuke Nishibe)

東北人の気質に触れて。

7本の映像のうち、ひとつだけほかとちょっとトーンが違うのがりんご箱。
ブルージーな音楽が流れ、リズミカルにトントンと金槌を叩いて
箱をつくっていくようすが、スピーディに描かれる。
「あれは最後に編集したのですが、ちょっと悩みました。
ほかの6本を仕上げたところで、変化がほしいなと思ったのです。
ずっと淡々としていると、眠くなってしまう(笑)。
りんご箱は工程もとても短くて、あっという間に1箱できちゃうんです。
弘前周辺ではりんご箱の早打ち大会みたいなものもあるらしくて、
1箱をどれだけ早くつくるかがちょっとした勝負。
そんな競い合いや意地の張り合いみたいなところを見せたくて。
ほかと表現するものが違うので、編集の仕方も少し変えてみました」

東北という土地柄からくる人間性にも興味を惹かれた。
たとえば、青森では「情張り(じょっぱり)」という言葉をよく耳にしたそう。
「“強情っ張り”と似たような言葉だと思うんですけど、青森の人たちは
その言葉が好きみたいで、まち中に“居酒屋 情張り”とか“情張りラーメン”とかあるんです。
自分たちの気質なんでしょうね。いい意味で頑固者。
それが、雪国だと気持ちがいい響きに聞こえました。
職人さんはどこでもそうかもしれませんが、東北の人たちには
独特の頑固さがあると思いましたし、そこからくる強さを感じました。
それと、コミュニティがしっかりしていて絆が固いと感じました。
それは、お互い力を合わせないと、厳しい気候を乗り切れないという
背景があるからだと思います。インタビューをしても、
“それではみんなが困る”というように、“みんな”という言葉をよく聞きました。
自分より家族や親戚、まちや村のために、という気持ちが強い気がします」

東北で出合った風景で印象的だったのは、
笹巻の映像に出てくる山形県遊佐町の十六羅漢岩だという。
日本海の荒波で命を失った漁師たちの供養のために、
吹浦海禅寺の和尚が1864年に発願し、地元の石工たちにつくらせたもの。
十六羅漢と、釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢菩薩、観音、舎利仏、目蓮の6体、
合わせて22体が岩に彫られている。
「現地を案内してくれた方に、あそこが撮りたいと言ったら、
ちょっと不思議な顔をされてしまいました。
もっと違う観光スポットを紹介したかったようなのですが、
ああいう海の岩で彫ったものって、ほかにあまりないと思います。
僕らが面白いなと思っても、生まれたときからあると、
地元の人はなかなか意識できないんでしょうね」
外からの視線だから、気づくこともある。
笹巻の映像の最初のカットには、こういうものも大切にしてほしいという思いをこめた。ぜひ多くの人に見てもらいたい映像だ。

Information


map

テマヒマ展〈東北の食と住〉

住所:東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内

TEL:03-3475-2121

2012年4月27日(金)~ 8月26日(日) 21_21 DESIGN SIGHT

11:00 ~ 20:00(入場は19:30まで、火曜休館)

http://www.2121designsight.jp/

Profile

YU YAMANAKA
山中 有

1976年山梨県生まれ。映画やドラマ、CF、ミュージックビデオなど幅広く映像の仕事に携わり、2010年「ブルードキュメンタリー」を設立。ドキュメンタリー映像のディレクターとして活躍中。

滝川 Part2 仕組みを利用して、 遊びながら学んできた。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

太郎吉蔵会議のルーツは、小学生の作戦会議。

山崎

2009年の太郎吉蔵デザイン会議で初めてお会いして、
その後のメールや手紙のやりとりを通じて、
「なんておもしろい人生を歩んでる方なんだろう!」と、
五十嵐さんに魅了されたんです。ランドスケープという共通点もあって、
すぐにまたお会いしたくなり、アトリエまでお邪魔することに……。

五十嵐

うん。三浦半島まではるばるね。

山崎

そのとき制作されていたのも、このモチーフだったような記憶があるのですが?

五十嵐

そうだね。まったく同じものではないんですが、
日本に帰ってきてアトリエを構えてからつくり始めたシリーズなんです。
この夏から「かぜのび」のために、巨大なのを作る予定です。

山崎

「かぜのび」……たしか、小学校跡ですよね。

五十嵐

ええ。石狩川を渡って、滝川市の隣町、新十津川町にある、旧吉野小学校です。
3年前の春に廃校になり、いまはぼくのアトリエとギャラリーを中心とした
彫刻体験交流施設として運営されています。

山崎

小学生のころの五十嵐さんは、どんな子どもだったんですか?

五十嵐

この小さな田舎まちに生まれて、オモチャもろくにない時代なので、
「どういう遊びをするか」を仲間と相談するところから、遊びが始まったんです。
その作戦会議をした場所のひとつが、太郎吉蔵だった。

山崎

そうだったんですか! なるほど。

五十嵐

当時は、造り酒屋から食料品問屋になっていて、
塩やなにかが積んである倉庫だったんですが、両親はじめ、
まわりのおとなたちも、ぼくたちが自由に遊ぶのを許してくれたんですね。

山崎

それは素晴らしい。太郎吉蔵会議のルーツともいえる作戦会議ですね。

五十嵐

そういうことです(笑)。

館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている

103年の歴史に幕を下ろした小学校をリノベート。館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている。

カフェスペース

教室も、ゆったりとした時間を過ごせるカフェスペースに。窓から見える田園風景や山並みが、ゆったり、のびのびすることを教えてくれる。

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館。おふたりは、たまたま取材と同じ時間に「かぜのび」にいらした、吉野小学校の卒業生だというご兄弟。奈良の十津川村からこのまちに入植したというご両親のはなしは、おそらく明治時代のこと。「ほら、裏山のあの木は、わたしが植えたんですよ」と懐かしそうに指差す姿があまりにほほえましくて、写真を撮らせていただいた。

いくたびも、リセットを重ねてきた人生について。

五十嵐

作戦を練って、道具をつくって、遊ぶ。
人形芝居なんかは、ストーリーを考えて、人形だけでなく芝居小屋までつくって、
ちらしやポスターもつくって配る。こうなるともう、総合芸術ですよ(笑)。

山崎

スゴイ小学生ですね!(笑)

五十嵐

おとなを巻き込むと、さらに面白くてね。
たとえば防火週間にポスターをつくったりすると、
おとなが喜んで新聞社に電話してくれて、翌日の朝刊にぼくらの写真が載るわけ。
得意満面、してやったり(笑)。だから、いまも、デザイナー時代も、
やってることは小学校時代の延長で、ぼくにとっては「普通のこと」なんです。

山崎

仕組みを利用して、遊びながら学んでいたわけですね。

五十嵐

でも、家庭の事情で中学からは東京に引っ越して、カルチャーショックを受ける。
都会の田舎者として、すっかりおとなしく暮らすようになってしまうんです。

山崎

子どもの世界とはいえ、全然違いますものね。

五十嵐

中学では、母の期待に応えようと人生でいちばん勉強して、だから高校は
進学校に入れてしまうんだけど、入学してみたら、まわりは天才ばかり。
そこで、じぶんが勉強より美術に長けていることに気づいて、
別の高校にまた入り直して、同時に夜間のデザイン学校にも通い始めるわけ。

山崎

そうやって、多摩美へ?

五十嵐

そうです。

山崎

その後の70年代半ば〜80年代のデザイナーとしての五十嵐さんの活躍は、
ここで改めて言うまでもなく、世界的によく知られています。

五十嵐

日本の経済成長に、デザインがぴったりと寄り添った時代でしたからね。
仕事がありすぎて、「50歳になったらもうやめよう」って思ってましたよね。

山崎

そういうところが五十嵐さんらしいんですよね。
個人的には、途中何度か人生をリセットされているところがとても興味深いです。

五十嵐

なんだかね(笑)。
それで実際、50歳になったときには、プロダクトか、彫刻か……と。

山崎

アーティストはクライアントがいないし、デザイナーと違って、
じぶんがつくりたいものを素直につくれるというのが魅力的ですよね。

五十嵐

デザインの世界って、非常に論理的でしょう。
つまり、キャリアが長くなると、自然といろんなことが予測できてしまう。
じぶんのカテゴリーのなかに収まってしまうようになるから、
そうなると、面白くない。

山崎

うーん、いまのぼくが、ちょうどそんな状況かもしれませんね。
とてもよくわかります。

五十嵐

そうでしょう。意外性欠如といおうか(笑)。
出会いもしごとも、想像もしない展開をするから、面白いんだよ。

(……to be continued!)

2011年にできた「かぜのび」

北海道に点在する五十嵐さんの作品を紹介するヴァーチャルな美術館「風の美術館」の拠点となるのが、2011年にできた「かぜのび」。

対談の様子

第5回太郎吉蔵デザイン会議当日の朝。対談は「hotel miura kaen」内の「レストラン イル・チエロ」にて。インテリアとして、五十嵐さんの作品『こもれび』が印象的に使われている。

information

map

かぜのび

住所:北海道樺都郡新十津川町字吉野100-4

開館時間:10:00 ~ 17:00(5月~10月のみ開館。月曜休館、祝日の場合は翌日)

Web:http://www.kazenobi.org/

information

map

TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part1

生まれ変わった、芸術祭の拠点。

3年に1度開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」が
7月29日よりスタートした。
2000年に始まり、今回で5回目を迎えるこの芸術祭は、
現在は各地で行われている地域と人を結ぶ芸術祭の先駆けであり、
この地域では住民のあいだにもすっかり定着してきた。
新潟県の十日町を中心に、川西、松代、松之山、中里、津南と6つのエリアを舞台に、
44の国と地域から約320組のアーティストが参加し、約360点の作品が点在。
そのうち、約180組のアーティストによる作品が今回の新規参加作品というのだから、
そのスケールアップには目を見張るばかり。
数々の注目すべき新規プロジェクトがあるが、目玉のひとつは
「越後妻有里山現代美術館」としてリニューアルした施設「キナーレ」。
温泉を併設するこの施設は、交流館として2003年にオープン。
今回、芸術祭の入口となるような場所として、
常設展示を持つ現代美術館として生まれ変わった。

回廊式の建築の中央吹き抜け部分は企画展のスペースになり、
その初回を飾るのは世界的作家クリスチャン・ボルタンスキー。
建物に足を踏み入れると、目の前の光景に圧倒される。
ボルタンスキーは過去にもこの芸術祭で、使われなくなった小学校を舞台に
『最後の教室』という壮大なインスタレーションを発表しているが
(ジャン・カルマンと共作、恒久展示)、ここでは、2010年にパリで発表し、
ミラノ、ニューヨークと巡回してきた『Personnes(ペルソンヌ)』という作品の
越後妻有バージョン『No Man's Land』を展示。
タイトルは「誰のものでもない、誰もいない土地」という意味で、
20トンという膨大な量の古着を使った巨大インスタレーションだ。
「不在」「記憶」といったテーマで作品をつくり続けてきた作家の大作は、
多くの人の生と死を思わせる。
また会場には、ボルタンスキーが世界中で採取しアーカイブしている心音が鳴り響く。
心音はひとりひとり異なるものであり、それぞれの生の証。
古着が人の不在を思わせる一方、
心音は、存在が忘れ去られるのに抵抗しているかのようだ。

ボルタンスキーの巨大インスタレーション『No Man's Land』は会期中しか見られない企画展。

ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー『ゴースト・サテライト』はいろいろなものが浮遊するインスタレーション。

越後妻有の日常の暮らしで使われていたものをつなぎ合わせ、新たな生命を吹き込む。

常設の展示も充実している。
以前、このコーナーでも紹介したスイスのアーティストユニット、
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーは、
吹き抜けのスペースでインスタレーションを展示。
タイトルの『ゴースト・サテライト』は、管制から解き放たれた人工衛星を意味している。
中央のコントロールの及ばないところで、独自の軌道を描く
ローカルの文化を象徴しているかのよう。
地元の建設業者の廃品、空き家に残されていた生活用品、
織物のまちとして栄えた十日町を象徴する織物の道具など、
ふたりはいつものように、地域にまつわるさまざまな素材を作品へと昇華させた。
いろいろなものが浮遊し、見ていて楽しくなるような作品だ。

山本浩二の『フロギストン』は、越後妻有地域の広葉樹からつくった彫刻を
炭化して並べた作品。彫刻は炭化することで普遍化され、
越後妻有の木々の多様な表情を見ることができる。
また会場にはこの地域で見られる32種の生木があり、
まるで森の中を歩いて作品に出合うような体験ができる。
美術館に生きた植物があるというのもユニークで、
これこそが越後妻有にしかない里山の現代美術館だ。

瓶の中身がきれいなグラデーションになるように並べられているのは、栗田宏一の作品。
これらは全部、新潟の土。新潟県全域で採取した土の数はなんと576。
田んぼや畑、崖などから採取し、乾燥させて余分なものを取り除いただけで、
彩色も何も手を加えていない。ふだん気にも留めない足もとに、
こんなにもきれいでさまざまな色があることに驚かされる。
この多様性こそが、豊かさなのだ。

クワクボリョウタは、インスタレーション『10番目の感傷(点・線・面)』の
越後妻有バージョン『LOST#6』を展示。
まっ暗な展示室の中で、鉄道模型につけられたLEDのライトが、
周りに置かれたさまざまなものの影を映し出しながら情景を浮かび上がらせる作品で、
今回は越後妻有の織物にまつわる道具を使っている。体感してその面白さがわかる作品だ。

この地域によく見られるかまぼこ型倉庫とトンネルを組み合わせたユニークな作品はレアンドロ・エルリッヒによるもの。ほかにエルムグリーン&ドラッグセット、カールステン・ニコライなどの作家の作品が展示されている。

山本浩二の展示スペースには、縄文時代の火焔型土器のレプリカも展示されている。これも土器の破片。現代の表現と4500年前の表現が同居するのも、里山現代美術館の特徴。

栗田宏一は新潟の全市町村で採取した土を展示。新潟県だけでこれほど色の幅がある。

市町村、集落の名がひとつひとつ記されている。「みんな同じように見えても少しずつ違うのは、人と同じ」と栗田さん。

美術の持つ力を信じて。

「これまで開催してきた4回分の蓄積として
里山現代美術館という拠点、芸術祭のゲートができたと思います」
と話すのは、大地の芸術祭総合ディレクターを務める北川フラムさん。
第1回の開催前、1996年から越後妻有に入り、芸術祭のために尽力してきた。
最初は現代美術に抵抗があったり、外から入ってきた人間が本気で地域のために
取り組むわけがないと考えていた地域の人たちも、少しずつ変わってきたという。
いまでは、みんなが芸術祭をお祭りのように楽しんでいる雰囲気が感じられる。
それも、北川さんが実際に現地に何度も足を運び、人に会って話すということを
繰り返しながら、ていねいにこの芸術祭をつくりあげてきたからだろう。
「作品だけできた、というのでは何の意味もない。
はじめから思ったとおりにはいかないですが、
土地の持っている力をいかしたらどういうことがありえるかという
展望を持ちながらやってきて、少しずつできてきたところです」

昨年は、豪雪、震災、そして水害がこの地域を襲った。
それでも、翌年に開催を控えた芸術祭に向けて動き出さなければという意識が、
地域にはあったという。
「人が前向きで元気なんですよ。芸術祭があるのとないとでは、大きな差がある。
ひとつの希望になっていたと思います」
芸術祭が人々の希望になりうる。それはすごいことだ。
日本の限界集落で、希望を持てない人たちは現実に多くいる。
それでいいわけがない。北川さんはまた、現代のグローバリズムに異議を唱える。
「世界中どんな場所でも、そこに人が生活するというのは大変な意味と価値があります。
それが均質化していってどこも同じなんてことはありえない。
それは地球上に生きているということを無視した話で、そうはいかないぞと思っています。
自然というのはあらゆるものを超えて決定的。私たちは自然と折り合って生きていて、
でも自然はそれを超える不可避な運命を与えてくる。そのなかでどうやって生きていくか。
そういうときに、美術というのはそれなりのはたらきを持てるはずだと思っています」

芸術祭の作品の多くは“鑑賞”というより“体感”する作品。
越後妻有の地で、その環境も含めて作品を体感してほしい。
北川さんは、現代美術が難しいとか、よくわからないものと思われるのが悔しいという。
「美術というのは“こんなのでいいの?”と思われることが重要だと思っています。
今回もものすごい作品の点数があって過剰だと言われますが、なぜそうするかというと、
美術の根源は、みんな違うということにあるから。美術ってほかの学科と違って
正解も平均値もないし、唯一ほめられる可能性があるでしょう(笑)。
みんなひとりひとり違うバックボーンを持っているから多様なものがあっていいんです。
特に子どもたちや若い人には、ぜひ大地の芸術祭に行ってほしい。
面白い体験になると思いますよ」
来年は、北川さんがディレクターを務める「瀬戸内国際芸術祭」もある。
大地の芸術祭も、もう次の開催に目を向けている。
「作品がなくても、自分の集落にお客さんが来て、
“こんにちは”と挨拶するだけでも、集落の人は全然気分が違うと思う。
そういうことがいいなと思うんです。着地点はまだまだ先。
これからも少しずつ面白くなっていくといいと思います」

田んぼの美しい風景が広がる越後妻有。「できるだけゆっくり見て回ってほしい」と北川さん。

滝川 Part1 小さな北のまちに、 デザイナーたちが集まる日。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

「太郎吉蔵デザイン会議」という特別な1日。

山崎

今日はお招きいただき、ありがとうございます。

五十嵐

最近はどうですか?

山崎

本をいくつか出版しました。書きながら、五十嵐さんのことばのアレコレを
思い出す機会が多かったので、今日は久しぶりにお会いできて光栄です。

五十嵐

午後のデザイン会議には取材に入ってもらえなくて、申し訳ないですが。

山崎

いえいえ。マスコミは、初回から一貫してシャットアウトなんですよね。

五十嵐

そうなんですよ。山崎さんもはじめはたしか、
聞き手としていらしてくださったんですよね。

山崎

はい。第3回の2009年「太郎吉蔵デザイン会議(*1)」に、
聴衆として参加させていただきました。

五十嵐

なにがきっかけで?

山崎

その直前に、エレファントデザイン株式会社代表の西山浩平さんと
初めてお会いする機会があり、意気投合したんです。
そうしたら、1か月後に北海道で彼がしゃべる場があるという。
聞けば、その10人のパネリストたるや、原研哉さん、梅原真さん、
それに五十嵐さんと、そうそうたるもので、さらにユニークなのは、
聴衆だけでなく、彼らパネリストもみな手弁当。
しかも、会議後の質疑はナシ! それはなんとしても行ってみたいぞ、と(笑)。
それが、「太郎吉蔵デザイン会議」との出会いです。

五十嵐

そう。聴衆のためでなく、10人のパネリストが自分のために話をする場なんです。

山崎

日本では、なかなかないですよね。

五十嵐

ええ。本音で話す場にしたいから、取材もご遠慮いただいていると。
そういう次第です。

*1 太郎吉蔵デザイン会議:1926年に建設された歴史ある石蔵「太郎吉蔵」で行われる、パネリストによるパネリストのための円卓会議。パネリスト以外の90名の参加者は、議論の場に立ちあう聴衆となる。2007年に「アートフェスタタキカワ」のメインイベントとしてスタート。以降、今年で5回目を数えるデザイン会議。http://www.designconference.jp/

日本で3番目に長い石狩川

新千歳空港から直通電車で約90分。滝川市は、北海道の中空知地域の中心都市。市西部には、日本で3番目に長い石狩川が悠々と流れる。

本音でしゃべり、じぶんのことばを見つける。

五十嵐

ぼくも、お会いする前に、ローカルデザイン研究会の鈴木輝隆さんから
山崎さんのことを聞いていてね。ぜひ会わせたいと言われていたんだけれど、
ご覧の通り老人なものだから(笑)、なかなか行動力がなくて。
そんなときに会いに来てくださるというので、どうぞどうぞ、とお受けしたんです。

山崎

そうでしたか。ありがとうございます。

五十嵐

それでもそのときのぼくは、山崎さんのやっていることを
ほんとうには理解できていなくて。
その後ですね、すばらしいことをされているんだな、と。
だから、今日はぼくのほうが質問したいくらいなんですが(笑)。

山崎

いえいえ、とんでもない。

五十嵐

あのときも面白かったですよね。

山崎

ええ。めちゃくちゃ面白かったです。

五十嵐

デザイナーがビジュアルにたよらずに、
じぶんのことばでほんとうのことを上手にしゃべる。
その「練習の場」としてこのデザイン会議を立ち上げたんです。

山崎

そうだったんですか?

五十嵐

うん。日本人はそういうことに慣れていないでしょう?
やさしいから、相手に気を遣って本音が言えなかったり、自慢話に終始したり。
でも、そこからはなにも生まれませんから。そうではなく、
ここで感じたこと、経験したことを日常にもって帰ってもらいたいなと。

山崎

なるほど。

五十嵐

だから、3回で辞めようと思っていたんです。
みなさん、すばらしいリーダーたちなんだから。

山崎

練習の場だとすれば。

五十嵐

それが5回も続いて、どうしたものかと(笑)。

山崎

でも、3回目で終わっていたら、ぼくは今日ここに呼んでもらえていないので(笑)。

五十嵐

ああ、そうですね。楽しみだ。

(……to be continued!)

designshop takikawaの入り口ロゴ

五十嵐さんプロデュースによる「designshop takikawa」。小さな空間に、世界のグッドデザインプロダクトがそろう。滝川市内の「hotel miura kaen」内に併設。

五十嵐さんの作品「eki clock」

五十嵐さんの作品「eki clock」。「designshop takikawa」オープンとともに、壁掛時計と腕時計が発表された。

information

map

TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

番外編「studio-L IGA」始動!

フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」をヒントに。

JR関西本線島ヶ原駅。
大阪と名古屋のほぼ中間に位置するこの小さな駅に停車する列車は、1時間に1本。
その駅前、徒歩0分の製材所のなかに、山崎亮さんが代表をつとめる
「studio-L」のあたらしい事務所が誕生した。
2007年からこの場所でスタートした穂積製材所プロジェクト、
通称「ホヅプロ」のことは、著書『コミュニティデザイン』のなかにも書かれている。

“70歳を目前に控えた穂積夫妻が経営するこの製材所は、
跡を継いで仕事を続ける人が見つからないため、閉鎖して駅前の公園にする予定だった。
地域の人が集まる場所になると嬉しいという。穂積家は、先代が20年間
島ヶ原村の村長を務めた家だった(現在は合併して伊賀市に統合)。
地域の人たちに大変お世話になったので、息子世代のふたりは地域に恩返しするために
公園をつくろうと考えたらしい。美しい話だ。”

ーー山崎亮著『コミュニティデザイン』より

「もともと、このプロジェクトのための事務所を作ろうというアイデアがあったのですが、
東北大震災を境に気持ちが逆転したんです」と山崎さん。

つまり、studio-L の事務所として、この伊賀がメインとなり、
大阪には数人だけ残ればいいのではないかという発想。
あたらしい事務所のL字のテーブルの奥は壁面がディスプレイになっていて、
Skypeなどの通信手段を使えば、大阪事務所、あるいは「今」山崎さんのいる
どんな場所とも常時つながることができる。

「インターン希望者が増えてきたので、学び舎としての機能をもてること。
ローカルを拠点とすることで、所得の少ない若い所員も生活費が軽減されること。
ただ学ぶだけでなく、地域に若い力が残せること。
そして、公園=ひとが集まる場を作りたいという夫婦の夢を叶えること。
こういった複数の役割を叶える場として、“studio-L IGA”が生まれました」

イメージしたのは、近代建築の三大巨匠と呼ばれるアメリカの名建築家、
フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」。
タリアセンは、ライトが生まれ故郷のウィスコンシン州に開設した、
仕事場と住まいを兼ねた場所だが、実際は、
若い建築家を育てるための工房として機能した。

“「ここは、完全な自給自足とまでは行かなくとも、せめて自足はしたかったので、
200エーカーの土地とシェルター、食糧、衣服、娯楽くらいは自前でまかなおうとした」
「タリアセンは、私の子供たちやそのまた子供たち、さらに多くの世代にとって、
クリエーションの場になるだろう」”

ーーフランク・ロイド・ライト

(『GA TRAVELER 002 Frank Lloyd Wright Taliesin』ブルース・ブルックス・ファイファーによる序文より)

「穂積夫妻の力もお借りして、製材所としての機能も取り戻したいと思っています。
“材を欲しいひと自身が動く”という発想で、
訪れるひとがじぶんの手を動かすための製材所。
端材をふんだんに使って studio-L のスタッフがじぶんたちだけで作りあげた
伊賀事務所は、そのショールームとしても役に立てそうです」

「木の家を建てることで、森林も元気になります。
木のよさを実感する経験を通じて、100人にひとりでも
“木の家に暮らしたい”と思ってくださったらうれしい。
加えて、地域の工務店さんや設計士さんがこの事務所に立ち寄って、
うちが所有する膨大な量の書籍や資料を目にしたり、
ぼくらとコミュニケーションすることで、よりカッコイイ家づくりや
グッドセンスなリノベートが島ヶ原内で可能になれば最高だな、
ということまで目論んでいるんです」

JR関西本線島ヶ原駅

JR関西本線島ヶ原駅。運行本数は少ないが、大阪からなら乗り換え1回、所用時間は100分と、意外に近い。

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所。継ぎ手の不在、業界の低迷という課題を「ホヅプロ」によって乗り越え、「製材所」としての90年の歴史をさらに未来につなぐ。

穂積製材所の代表、穂積享さんと山崎亮さん

穂積製材所の代表、穂積享さんと。「studio-L」スタッフやホヅプロに関わる学生たちにとって、「トオルさん」は、みんなのおとうちゃん的なあたたかい存在。

タリアセンについて書かれた書物

「studio-L IGA」の書棚で見つけた、タリアセンについて書かれた書物。

生活を豊かにしていくためのデザイン事務所。

「studio-L IGA」の始動は5月某日に行われた2泊3日の合宿。
studio-L の所員が一堂に会すのはこれが初めてだという。
これは、非営利株式会社というユニークなスタイルゆえ。

「中にいて外のしごとを受けるのもアリ、
外にいながら距離を置いてうちのしごとを受けるのもアリという
あたらしい働き方を模索しています。
モデルがあるわけではないので、ぼくらも試行錯誤なのですが」

創設メンバーの、山崎亮、醍醐孝典、神庭慎次、西上ありさの活躍に憧れる
スタッフ希望者はあとを断たない。
「この仕事は、ひととはなしができれば誰にでもできる」という山崎さんだが、
あらゆる課題への解決策に「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」の
質の高さを求めるのは、studio-L があくまでも「デザイン事務所」だから。

「醍醐、神庭、西上は、自由にのびのびとやっているように見えるけれど、
その背景をきちんと知ることが大事。全員が、設計や建築に長けているわけではないので、
他分野から関わってくるメンバーは、せめて専門用語を理解する必要性もある」

いまのプレゼンテーション、全然オモシロくないよ。笑うところがなかったもんね。
それに、フォントの使い方が全然なってないね……。
メディアでは、おおらかな笑顔が取り上げられることの多い山崎さんだが、
合宿の場において、その口から飛び出すことばはどれも的確で、
細かいけれど肝心な1点を刺すように指摘する。

「初めて訪れるまちでは、ぼくらはヨソモノ。
地元のひとにどんなに叩かれても、大声で帰れと言われても、
へこたれたり諦めたりするのではなく、すぐに次の新しい提案ができる。
そんな精神的なタフさが求められます。
だって、ぼくらは参加者ではなく、ひとを動かす、マネージメントをする側ですからね」

現場での厳しさをいくつも乗り越えてこそ、どんなときも笑顔で
「Yes, and……」と言えるのだ。
「まちのために活動してあげる」ひとではなはく、
「まちを使って楽しませてもらっている」と思えるひとを育てる。
山崎さん自身の経験に基づいているから、その芯は強く揺るぎがない。
「Life(生活/人生)こそが財産である」とは、
19世紀の美術評論家、ジョン・ラスキンのことば。

「個人のしあわせでなく、複数のひとが
相互にしあわせだなと思う気持ちを高めたいですね。
studio-L は、生活を豊かにしていくためのデザイン会社なのですから」

製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント

ホヅプロの第1弾プログラム「家具づくりスクール」を実行するため、宿泊場所として製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント。関西で活躍する建築家にデザインを依頼し、建てる作業には学生たちの参加を募った。

「studio-L IGA」での合宿の様子

「studio-L IGA」での合宿の様子。L字のテーブルを囲むメンバーは、仕事の付き合いは長いが初対面、という顔ぶれも多い。

NPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」

「studio-L」およびホヅプロスタッフの胃袋を支えるのは、同じ製材所敷地内にあるNPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」。

information

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studio-L IGA

山崎亮が代表をつとめる会社「studio-L」の5つめの事務所として2012年5月に開設。JR島ヶ原駅前の穂積製材所敷地内にあり、通信手段を通じて、常に大阪をはじめとするほかの事務所、山崎亮本人とつながることができる。

住所:三重県伊賀市島ヶ原5844

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

馬場浩史さん

自分の居場所と、持続可能な暮らしを求めて。

益子の古い市街地を抜け、焼き物や藍染めの店や工房が並ぶ一角を
もう少し奥へと進んでいくと、池沿いに「STARNET(スターネット)」が現われる。
自然と調和した暮らし、ていねいなものづくりを益子という地で実践する馬場浩史さんが
15年前に始めたギャラリーとカフェは、これまで多くの人々を、
時に客として迎え、また、“働く人”“つくる人”として迎え、持続してきた場所。
ここは、馬場さんが「思いをかたちにする」という実践を続けてきた、ひとつの聖地。

土地の新鮮な食材で提供されるオーガニックな食。益子伝統の手仕事に、
デザインや使い心地を追求してつくり上げられてきたオリジナルの陶器。
草木染めのオーガニックコットンやリネンの服。
靴や鞄もヌメ(草木のタンニンでなめす)の革を使った手仕事。
この場所でレコーディングされたスターネットレーベルの音楽……。
クラフト作家たちの発信の場となるギャラリーも併設している。
少し前には、オーガニックヘアサロンもできた。
ここでは、オーガニックのシャンプーなどを使い、
土地を汚さないようにと、カラーやパーマはやらない。
建物は、太陽光や太陽熱を使ったエネルギーの自給をめざして運営されている。
衣食住、そしてエネルギー。すべてが自分たちの仕事として、
ていねいに取り組まれている。これこそが、このスターネットの営み。

「下の須田ヶ池の手入れをしようかと思っていますよ。
山や川の状況が昔と変わったのでしょう。水が濁ってしまった。
いろいろな方法で、水をきれいにして、蛍が飛ぶ池にしたい」
馬場さんがそんな話をしてくれたのは、5月。
益子の夜はまだ少し肌寒く、土間になっているテラスに薪ストーブが焚かれ、
この家の守り犬、ハクが寝そべっている。
神様犬とみんなから呼ばれるホワイトシェパードだ。
屋外からは蛙や虫の鳴き声が聞こえる。
新じゃがの煮転がし、こんにゃくと厚揚げの煮物など、
パートナーである和子さんの手料理はもちろん地の野菜。どれも本当においしい。
きわめつけは、シンプルな梅のおにぎり。馬場さんは東京出張のときにも、
このおにぎりを持参して、みんなで食べながら打ち合わせをするそうだ。
「スターネットは、時間を経て、いろいろな人が関わりを持ち、
いま熟成してきたように感じます。独特の磁場に引き寄せられて、また人が集い始める。
逆に言えば、それぞれがもともと持っていて閉じていたものが、
スターネットとの出会いによって、開くのかもしれませんね。
そんな人が増えてきたと思います」

自然と調和した暮らしを実現するため、1998年に益子スターネットが誕生。

遠方からも多くの人が訪れるギャラリーとカフェ。地の食材を使った料理が味わえる。

馬場さんとスターネットの15年については、
多くの方がこれまでも伝え語ってきたことだが、少しだけ振り返っておくと。
馬場さんは、1980年代、ファッションブランド「TOKIO KUMAGAI」で
故・熊谷登喜男氏のもとで働いていた。しかし、グローバルな社会に違和感を感じ始め、
自分の居場所を求めて、37歳のとき益子へやって来る。
そして98年にスターネットをオープン。
デザイナーだった星恵美子さんが「キッチン」で料理を担当し、
あとはアシスタントがひとりという、ミニマムの態勢でのスタートだった。
ギャラリーでは、益子にない新しい文化を紹介しようと思い、
サウンドアートや写真、ペインテイングなどの展覧会を企画した。
やがてオーガニックに意識の高い人たちが、遠方からも駆けつけるようになり、
1年も経たないうちに改装して店を拡張するなど、経営が軌道に乗り始める。
当初は、ほかにもたくさんお店があるからと扱っていなかった焼き物にも、
しだいに目を向けるようになった。
「焼き物でも僕らの役割があると思ったんです。
ほかのお店にはないような編集で、自分たちでオリジナルもつくり、
新しい陶器のギャラリーを目指しました。そうやって少しずつかたちになってきました」

店内にはスターネットオリジナルの器や、益子で活動する作家の器がセンスよく並んでいる。

ていねいにつくられ、安心して食べられる食品を提供するスターネットフーズ。豆やお茶などもある。

「自然に調和する音」をコンセプトに掲げるレーベル「STARNET MUZIK」のCDも販売している。

からだで感じて、きちんと“手入れ”をしていく。

スターネットに惹かれて、益子に若手のクリエイターたちが集まってきたのは、
とても自然なことに思える。
2010年にスターネットに開設された工房「art workers studio」では、
陶芸や服飾など、若手作家たちとの共同作業による作品制作が行われている。
このインタビューの最中も、靴や鞄など、革を扱う作家の曽田耕さんが
隣で作業をしていた。彼はふだんは東京・浅草で活動しているが、
週一度スターネットに通い、馬場さんと制作を続けている。
「それぞれのクリエイターのなかにあるものを、僕は引き出す役割をしているのかな。
その人にとって自然な方向にクリエイティブを導いて、
その仕事が、スターネットとつながっていくのが理想。
いずれは、みんなが持ち寄ったものでスターネットができていくのがいい。
スターネットとしてのスタンダードはぶれちゃだめだけど、
一緒に仕事をしていくなかでつかんだ技術やセンスをうまく使いながら持続していけば、
僕がいなくてもやれるでしょう」

art workers studioで制作をする曽田耕さんも、スターネットに引き寄せられた作家のひとり。

黒板には、作品のデザインやスケジュールなどが書き込まれている。自由な発想が生まれる場所。

2011年2月、東京は馬喰町に、スターネットで生まれたものを紹介する
「starnet 東京」をオープンさせた。そこへ、3月にあの大震災。
私たちの生活の基盤を揺るがすような事態に、馬場さんはとてもショックを受けたという。
そのショックもあったのか、腰を痛めてしまい動けなくなってしまったそうだが、
それでもしばらくすると、大阪や倉敷へと足を運んでいた。
「ここでじっとして頭で考えてばかりいてはだめだと思った。
からだを拡張させるように、少し触覚を伸ばしてみたんです。
いろいろな人の話を聞いて、それぞれのまちの状況を聞くと、
感じ方が全然違うことがわかりました」
そうこうするうち、縁あって、大阪のとあるビルを借りることに。
場所は瓦屋町。その名のとおり江戸時代に瓦を焼いていたというまちだ。
「500年くらい続く鰹節屋さんがあったり、町家もたくさん残ってるんですよ。
土地にぐっと根を張って生きている人たちがいて、いきいきと暮らしている。
あんな状況でしたから、そこにいるときは、魂の休息になりました」

かくして「starnet 大阪」は、震災から1か月余りの4月23日にオープン。
そのスピード感には驚かされるが、やはり馬場さんが
すぐれた身体感覚の持ち主だということがわかる。
馬場さんはいつも、からだをアンテナにしているのだ。
「頭で考えていてもオーバースケールになっていくから、
自分のからだに立ち返ることが大事。からだをアンテナにして、何を感じるか。
そして感じたことに対して常に“手入れ”をすることが必要です。
部屋が汚れていて嫌だなと思ったら、きれいにして快適にしていく。
人に対する接し方に違和感を感じたら、きちんと手入れをしていく。
食べるものも身につけるものもそう。
僕はお肉を食べるとあまり調子がよくないから食べないし、
服も自然素材のものを使って全部自分でつくります。からだをアンテナにしながら、
これは気持ちいい、これは気持ちよくないからこうしよう、と考えていくと、
食べものも暮らしも、おのずと決まってきますよ」

ひとりひとりの感覚と、社会、地球はつながっているというのが馬場さんの根本的な思想。
気持ちいいことに正直に生きることの大切さと、必要以上の欲望を持たない、
過剰に求めないことのバランス。それがこれからの人間のセンスだと語る。
「僕は正しいと思うことに突き進んで、矛盾なく暮らしたい。
個人的には、自給自足の暮らしをするために、
外の何にも頼らない自活型の最小住宅を作って暮らすのが夢です。
でもまずは、もっと深くこの土地に根ざして暮らすことから。
植物や動物は自分が与えられた場所で生きていきます。
人間も、歩ける範囲で暮らすというのが本来の生き方だったはず。
そこから離れてしまったことに、そもそもの問題があるような気がします。
完璧にはいかなくても、それに近い暮らしを実現させるのが、未来を考えるうえで
いちばん大事。グローバルな社会からは、未来に希望は持てませんしね」

素焼きの器が並ぶ工房。シンプルで洗練されたデザインのスターネットオリジナル。

益子を、現代の聖地に。

馬場さんは、益子で開催される「土祭(ヒジサイ)」の総合プロデュースも手がけている。
古くから窯業と農業を営んできた益子の風土と文化を見つめ直し、
展示やワークショップ、セミナーなどさまざまなイベントが重層的に展開する土祭は、
2009年に第1回が開催され、2011年の「前・土祭」を経て、
2回目が今年2012年9月16日(新月)から30日(満月)まで開催される。
民も官も手を携え、まちをあげての一大行事だ。
「土祭をきっかけに、地域の力を呼び覚ましていくことができないか。
たとえば、このあたりには野仏がたくさんあるのに、
ほとんど手入れが行き届いていない。それをきれいにしてあげて、
野仏マップをつくったら面白いんじゃないかって提案したんです。
それに宿泊施設が足りないから、ひとり住まいのおばあさんの家に
民泊できるようにして、田舎料理を味わってもらうとかね。
ここにある歴史的な資源を発掘して、現代の桃源郷を演出できたら、
いまみんなの心が求めている世界ですから、それで成功です。
益子は古来、聖地であったわけだし、民芸の聖地でもあります。
だったら現代の聖地と考えるのも悪くない。
自然豊かで手仕事が残っていて、等身大の暮らしが実践されている、
美しい現代の聖地、桃源郷。それって面白いですよね」

スターネットは最終的な目標やゴールは設定しないという。
“いま”という瞬間にどれだけ真剣に向き合えるか。
その積み重ねで、スターネットを15年走らせてきた。
馬場さんは、もう何も欲しくないという。
「ここにいる限り、基本的にこの恵みのなかでやるということを考えています。
ここにあるもの、やり方で充分と考える。そうするとその結果、
ここにしかない独特のもの、スターネットでしか生まれないものになると思っています」

土祭の総合プロデュースも手がける馬場さん。「予算がないのって面白いですよ。予算があったらできないことができます」

本当の豊かさを探して。スターネットはこれからも続く。

information


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STARNET
スターネット

住所 栃木県芳賀郡益子町益子3278-1 TEL 0285-72-9661
営業時間 11:00 ~ 18:00 木曜定休
http://www.starnet-bkds.com/

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KOSHI BABA
馬場浩史

スターネット主宰。1958年生まれ。
12歳で真言宗の僧侶として得度するが、その後、体調を崩し、僧侶の道をあきらめる。

1980~88年
ファッションデザイナー故熊谷登喜男のパートナーとなり、パリ、ミラノ、東京を活動拠点にTOKIO KUMAGAIブランドのプロデユースを手がける。

1991年
「遊星社」設立。企業の宣伝美術のプランニングやプロデュースなどに携わりながら、舞台やインスタレーションなどの個人作品を発表もするなど、独自の活動を続ける。また恵比寿に手仕事や食(オーガニック)のためのギャラリー&カフェの運営も始める。

1998年
栃木県益子町にそれまでの活動の結晶化、STARNETをスタートさせる。オーガニックレストラン+ギャラリー、陶器やコスチュームの工房も併設。

2004年
馬場浩史環境設計事務所設立。工芸的な手法による建築や空間のプランニングやプロデュースをする。ZONEをオープン。展覧会やワークショップ、コンサートを開催する。

2007年
RECODEをオープン。民間療法による身体の手当を目的とした野草茶寮や鍼灸院の運営。手仕事を紹介するギャラリーも併設。STARNET MUZIK活動開始。「自然に調和する音」をコンセプトに、音作り(レーベル)を始める。

2009年
益子町全域に及ぶアートイベント「土祭」を総合プロデユース。

2010年
art workers studio(starnet内)開設。当スタジオでは、 陶芸、服飾などの若手アーテイストとのコラボレーションによって、ナチュラルで独自なクラフト制作を始める。

2011年
starnet東京、starnet大阪をオープン。art workers studioでの制作の成果を発表する。

仏生山 Part4 じわじわゆっくり 変わっていく強み。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「楽しい」と「好き」を10年がかりで増やしていく。

山崎

魅力的な「ひと」が魅力的な「まち」をつくる、という感覚はいいですね。
どんなひと、どんなお店が欲しいな、という具体的なイメージはありますか?

おいしいパン屋さん(笑)! あと、高松の市街地に
「しるの店 おふくろ」という家庭料理店があるのですが、あんな雰囲気の夜の店。

山崎

お店を始めるには、このくらいの規模のまちが実はいちばんですよね。
どうせなら、岡さんに続いて、パイオニアになれるひとがいいですね。
はじめのうちはお客さんが少なくても、
たとえば今の時代、売り上げの何割かをネットで稼ぐこともできます。
そういう方法の取れるひとなら、無理なくお店を始められそうです。

はい。

山崎

いちばんはじめに岡さんに会いに来たときに、
すでに「まちぐるみ旅館」の構想を描いたかっこいいパンフレットができていて、
ああ、いいなって思ったんですよね。

ありがとうございます。

山崎

でも、それをじわじわと時間をかけて進めているのがきっといいんですよ。
早急にやろうとすると、独裁者になってしまいかねない。

じわじわすぎるほどですけどね(笑)。
2009年からは、秋祭りの「仏生山大行列」のときに、
街道沿いの古い町家の軒先を借りて、こども、地域、手づくりを
テーマにしたお店を30店舗ぐらい出店してみる試みをはじめています。

山崎

行政でいう「社会実験」ですね。
つまり、街道が賑わうイメージをみんなで共有する。いいですね!

法然寺

讃岐高松藩初代藩主松平頼重が建てた、松平家の菩提寺「法然寺」。苔むした古い石段をゆっくりと歩いて案内してくださる岡さん。

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町。街道沿いの町家の軒下を借りて、約30のお店が出店する試みを実行している。

このまちの、グッドネイバーズとして。

山崎

古い町家に暮らしたいひとの募集やまちぐるみ旅館のプロモーションは
どんどんやっていくんですか?

うーん、やらないと決めているわけではないのですが、
ほんとうに少しずつ、ですね。

山崎

それでいいと思いますよ。

「まちづくり」っていう大層な旗を立てたくない、というか。

山崎

studio-Lも、実はそのことばをあまり使いませんね。
あくまで「コミュニティづくりのお手伝い」。
ぼくらの場合は、まちづくりの専門家でないという理由もありますが、
岡さんは、個人的な想いから発生している活動なので、
とくにそこが徹底していますよね。

「活性化」「まちおこし」も使わないキーワードです。

山崎

「まちづくり」ということばは、80年〜90年代、法廷都市計画に対して、
市民が主体となる都市計画のことをそう呼んで、
そのころはそれがカウンターパートになれたのですが、
ぼくらはさらにその後にまちと関わり出した世代。
「まちづくり」さえも、派閥を作ったり縄張り争いをしたりしていて、
窮屈だなぁと思ったり。
だからしっくりこないのかもしれないし、いま、ぼくらの世代が使うと、
あぁそっち派ですね、という理解になっちゃうのもある。
もちろん、世代論で簡単に片づけてしまえるような話ではないのですが。

慌てず、年1%計画でゆるやかに進めていけばいいかなと。
本来、まちのあり方ってそのくらいのペースだと思うんです。

山崎

そうですね。「まちづくりプロジェクト」と称してしまうと、
なかなかそうは言っていられなくなるのが現実。
岡さんの場合は、「ニヤニヤしたい」という個人のわがままが、
閉じていなくて公に開いている感じがあるので、気持ちがいい。
滅私奉公的なまちづくりではなく、そういうのを
グッドネイバーズ(GOOD NEIGHBORS)というのかもしれませんね。

対談の様子

「10年がかりで少しずつやっていきます」(岡) 「じわじわと変わっていけるのも、強みかもしれませんね」(山崎)

information

map

仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

「世界文化遺産の店」 結果発表第2弾

まだまだある、奥深い世界遺産の店。

もはや絶滅危惧種のように貴重なお店を
「世界遺産の店」として認定していこうというこのコーナー。
今回もみうら所長の講評からスタートです!

ハイパークリーミーさんの投稿
規模を大部縮小し、下町で細々と運営していたようです。
秘密結社的な佇まいかと思いきや、意外と主張の強い看板に驚きです。
撮影場所:東京都大田区

みうら:ここで発表があれば大変なことになりますね。

歯痛さんの投稿:私の街の太陽の子は、どうもマッサージで生計を立てているらしい。
撮影場所:長崎県佐世保市

みうら:気持ちよければ何でもいいです。

yotecoさんの投稿:わたしの住むまちには、幻のフェニックスのほかに天国も存在します。
現在、天女の求人募集中のようです。
撮影場所:福岡県北九州市

みうら:何のマニアなのかが重要なのにね。

yotecoさんの投稿:下関へひとり遊びに行きました。
ムービースター御用達の店を発見いたしました。
撮影場所:山口県下関市

みうら:ムービースターは来んでしょ。

うみさんの投稿:今のところ入店できていません。
撮影場所:大阪市都島区

みうら:気が楽ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
結局、このコーナーは『VOW』になってしまいましたね。私の力が及ばずスイマセン。
でも『VOW』以外で何か? って、言われれば難しいもんです。
それはよーくわかっておるつもりです。
私も9月に渋公で「スライドショー12 今度は見物記SPかよ!」って
イベントをやるんですけど、『VOW』的なものから離れることは大変です。
もはやこのイベントも20年近くやっとるんですが、
当初から『VOW』離れがテーマでした。
そもそも『VOW』ってコーナーも私らがやってきたものだったので、
それ以外で違うネタを見つけるのは一苦労。
もはや『VOW』狙いで看板を描く人すら現れましたので、
何が本当に“ヘン”なのかはわかりません。
そんなものを必死で見つけてるほうが“ヘン”だったりして困りますね。

私はよく警察の方に呼び止められることがあります。
平日の午後、いい歳をした大人(しかも長髪)がプラプラ、
カメラを持って歩いているので、変質者と間違えられても仕方ありません。
相手は「どうしました?」と近づいてきて、
どうもしてない私にいろいろと聞いてくるのです。
「どうもしてないですよ」と、何度も言うのですが、
あるときは交番に連れて行かれたこともありました。
“ヘン”なモノを見つけているだけでは、やはりその人物が“ヘン”となってしまいます。
気をつけてくださいね。

編集部より
みなさんもヘンな人と思われないように、気をつけて写真を撮ってくださいね。
「ヌー銅」「いやげ物」も、投稿をお待ちしております。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

マチスタの逆襲

コーヒー屋によくある光景。

まるで挨拶ごとのように、会話の冒頭でマチスタの経営状態を
たずねられるのが常となっている。
「やあ、元気?」みたいな感じで「マチスタはどう?」と。
ぼくも「まあまあだよ」くらいでやり過ごせばいいんだけど、
「あんまりよくないね」なんて正直に答えるものだから、
相手はさてどうしたものかとその場で考えを巡らせて改善策めいたものをひねり出し、
ぼくはといえば、明らかに疑問符がつくような類いのものであっても
「今度試してみるよ」と社交辞令的に適当な返事をして、
相手には一抹の申し訳なさを感じるということがよくあるのだった。
つい最近のトーマスとのやりとりもそんな感じだった。
トーマスはこの春から京都の中学校に単身赴任しているアメリカ人の友人で、
先週も3連休を使って岡山に帰省していた。
「そうか、それは問題だな」
そう言うとトーマス、しばし真剣な様子で考え込んだ。
場所はマチスタの近くの小さなバー。
彼の目の前には、「オー、メン! こんなに美味いジントニックは初めてだぜ!」
と言いながら、ものの30秒で飲み干してしまった空のグラスがあった。
「そうだ、こんなのはどう?」
トーマスが切り出した改善策は、それまでぼくが聞いたアイデアの中でも、
なんと言ったらいいか、ストレートに言うと最高にくだらなかった。
「日本のコーヒーは熱いんだよ。歩きながら飲もうとしたらヤケドしちゃう。
そんなことない?」
「……だから?」
「ぬるいコーヒーを出すんだよ。めちゃめちゃぬるいコーヒー、どう? 
絶対ウケると思うな」
「…………」
「ところで、コールド・コーヒーがあるのは日本だけだよね? 
ほかの国では見たことがないな。それって面白くない?」
「たいして面白いと思えないね」
「そうか………ここのジントニックはホント美味いな、次は何をたのもうかな」
先に改善策を提示してくれた相手に対して「一抹の申し訳なさを感じる」と書いたが、
トーマスの場合は申し訳なさを感じなかった例として挙げさせてもらった。
まあ、そんなこともある。

ここのところ毎回登場している冊子の仕事、「富士ヨット学生服」を製造・販売している
明石被服興業(倉敷市児島)の80周年記念誌の制作がようやく手を離れた。
先週末に最後の30数ページを校了し、
昨日(7月18日)、冊子を納めるブックケースのデザインを入稿した。
企画を考え始めてからほぼ1年、取材・撮影を始めてからも8か月かかった。
5月の連休が明けて以降、ずっと続いていた深夜帰宅もやっとこれで終わり。
久々に電車通勤してみたら、ついこの前田植えをやっていた田んぼが一面青々として、
車窓からの眺めは完全に夏のそれに変わっていた。

いわずもがな、岡山の夏は暑い。
東京と比べると太陽が近くて、じりじりと肌を焦がすような感覚。
コントラストがはっきりした雲や、迫ってくるような山の緑もあいまって、
夏が獰猛な感じなのだ。でも、東京の夏のような不快感はほとんどなく、
ストレートの直球でどんどん押してくる剛胆な感じは
むしろ好ましくさえある(まあ、しんどいのはしんどいんだけれど)。
そんな岡山の夏、マチスタでは新メニューのコーヒースカッシュとゆず茶シェイクが
ともにスマッシュヒットを飛ばしている。
「ここ何日か、コーヒースカッシュとゆず茶シェイク、
それにアイスコーヒーばっかり作ってるんです」
梅雨明け宣言があった翌日、のーちゃんがいつもの笑顔でそう言った。
アイスコーヒーをドリップで淹れているとはいうものの、
ホットコーヒーのオーダーがあまりに少ないので、
ハンドドリップで淹れる機会が激減しているらしい。
「『コーヒー屋なのにね』とコイケさんと話しているんです」
なるほど。店に入ったらまずコーヒーの良い匂いがして、
それから店主がポットを手にゆっくりとドリップにお湯をたらしている姿が目にとまる。
コーヒー屋さんというとまさしくそんなイメージで、
マチスタも開店以来そんな光景が常であったはず。
(それが夏の間様変わりするのは仕方ないんだろうか……)
さらに深いところへと思いを巡らせる。
(うすうす思っていたけど、夏にアイスを売ろうというのは安直すぎないやしないか? 
むしろ、「夏にあえてホットで」、それぐらいとんがったほうが
マチスタらしいのでは?)
そこまで考えたところで、5月にやった「モーニング•ブレンド」に次ぐ
第二弾のキャンペーンの構想へと結びついた。
夏にホットコーヒー、うん、悪くない。
早速、この週末にもコイケさんたちと相談して構想を固めてからビラ作りだ。
ビラを作るとなったら、俄然テンションも高くなってきた。
『マチスタの逆襲』のシナリオはきっとここから始まるのだ!

JR瀬戸大橋線の車窓から。茶屋町(倉敷市)あたりの田園風景がまこと美しいです。通勤途中、電車の窓からの眺めが見飽きないのも田舎のいいところ。

ヒトミちゃんがデザインしたコーヒースカッシュのポップ。喫茶店の軒先にある「氷」の旗の配色をなにげに基調色としています。夏らしくてナイスね。

夏限定のマチスタスペシャル、ゆず茶シェイク。キツい岡山の夏にはまさにぴったりです。この夏、岡山でブームになったりしないかなあ。

仏生山 Part3 温泉の効能と 番台の役割について。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

父と温泉。その効能について。

山崎

岡さんて、ぼくにとっては「おもてなしの上手なひと」。
とくに、建築界では希有なほどのもてなし上手です。

実家が飲食業を営む環境だったからでしょうか。

山崎

おとうさまは、どうしてまた温泉を掘り始められたんですか?

ぼくで4代目ですから、当然父も同じ環境で育っていて、
父が幼いころ、つまり祖父の代では旅館も手掛けていたらしいんです。
そこで、子どもの役目が風呂焚き。
だから「焚かなくてもいいお風呂」は、父の夢だったそうなんです。

山崎

なるほど。焚かなくても温かいお風呂(笑)。

掘り当てたからよかったものの、家族はヒヤヒヤですよ(笑)。

山崎

そりゃあ、そうでしょうね(笑)。
低温で炭酸ガスを含んだお湯がたまらなくきもちよくて、
いつもすっかり長湯をしてしまうんですが、あれが非加熱の状態なんですよね。

そうです。非加熱のまま、33度の低温にゆっくり浸かっていただく浴槽を、
男湯、女湯ともひとつずつ設けてあります。

山崎

それにしても、偶然のタイミングとはいえ、
独立してすぐに仕事ができたというわけですね。

はい。建築家としては、ほんとうにラッキーでした。

山崎

浴場は、中庭を囲むように湯船や洗い場が配置された独特の空間ですが、
参考にしたケースはありますか。

とくにリサーチをしたわけではないのですが、従来の銭湯や温泉って、
ここで脱いでここで洗って……と誰も迷わないようにできている
「やりなさい建築」だと思うんですよね。
つまり、とても機能的だけど、窮屈。そこを突き抜けて、
伸びやかで自由度の高い利用を促せたら、という思いで設計しました。

仏生山温泉のフリースペース

仏生山温泉のフリースペース。「小さいこどもは必ず駆け出します」という広さ。訪れたひとが自由な時間を過ごせる空間。

浴場にもって入れる古本が並ぶ「仏小書店」

「本を読みながら湯浴みをしているひとが多いことに気づいて」浴場にもって入れる古本を置くようになった。その名も「仏小書店」。

番台に立ってわかってきたことは。

山崎

ふつうは設計したら終わりですが、岡さんの場合は、
そのまま経営者になってしまったわけですよね。

そうですね。

山崎

番台に立つことでまちへの関わり方に変化が生じた、というのは
とても興味深いです。

なんでしょうね。ひとをよく見るようになったのかもしれません。

山崎

「見る」?

ええ。うまく言えませんが、日々訪れてくださる方たちの表情を見ていて、
なんとなくお客さんの次の行動や希望されていることが
わかるようになってきたというか。
決して、ひとりひとりじっくり観察しているわけでもないんですけど。

山崎

それ、わかる気がします。ワークショップの経験を重ねてきて、
ぼくも同じような感覚を持っていますよ。
「あ、このひと、次はこんな発言するだろうな」
「こうしたいんだろうな」というようなことがだいたいわかってくるんですよね。

たぶん、一緒ですね(笑)。

山崎

それと、こどもができて変わったというのは、
彼らが大きくなった将来のまちのことを考えるようになったということですか?

それもありますが、基本的には「自分のため」ですね。
あくまでも、じぶんがいかにニヤニヤしながらこのまちで暮らしていけるか。
そのために、まちをどうにかしようと思い始めた。これが軸にあります。

山崎

うーん。この対談で岡さんのことばを読んで、救われるひとが多そうです。

……え?

山崎

なんていうのか、すごくない感じというか(笑)。
……高邁な理想を掲げない感じがとてもいいと感じます。

それで誰かが救われるなら、光栄ですよ(笑)。

(……to be continued!)

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷は、粉雪のようにふわふわ。岡さんのイチオシは、キウィのフレッシュシロップ。

仏生山温泉のフリースペースで対談中

「初めて取材で訪れたとき、ふたりで低温の湯船に寝そべって、ずいぶん語りましたよね」(山崎) 「それで、女性編集者さんをメチャクチャ待たせてしまったんですよね」(岡) 「そうでした!いやあ、あれは申し訳なかったな(笑)」(山崎)

information

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

profile

SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

小林智行さん

何よりも、使う人のことを考えたものづくり。

栃木県茂木町でオーダーメイドの靴をつくっている小林智行さん。
小林さんのつくる靴は、とても履き心地がいい。
足に圧迫感を与えず、靴底の曲線はやさしく足になじむ。
サンプルを履かせてもらっただけでそう感じるのだから、自分だけの、
自分にぴったりの靴をつくってもらえたら、さらに驚きの履き心地がするだろう。
「どんなにいい靴でも、足やからだに合わなかったり、生活に合わなかったら
結局履かないですよね。僕は暮らしに合った、最適なかたちの靴をつくっています」
強い信念をもって靴づくりをする小林さんは、デザインの勉強をしたことはない。
大学では経済学部に属していたが、趣味で靴づくりの学校に通ううち、
ものをつくる仕事に就きたいと考えるようになった。

やがて師匠となる人に出会い、その人にあこがれて大阪の義肢装具制作会社に就職。
それまで、何をするにも“教科書通り”だった小林さんにとって、
道具からつくってしまうその師匠の発想と創造力は感銘以外のなにものでもなく、
頼み込んでその会社に入ったそうだ。
そこでは義足だけでなく、骨折した人のリハビリに必要なものなど、
不自由な生活を少しでも快適にするための、あらゆるニーズに応える
オーダーメイド製品をつくっていた。
「自由な発想じゃないとだめ。用途もそれぞれ違うので、素材から何から、
毎回その人に合ったものを考えに考えてつくるという作業をしていました。
僕の師匠は、ただ利益を追求するとか努力せずに結果を出そうとかいうことを、
まったく考えない人。純粋につくる楽しさを教えてくれました。
楽しく仕事をしていたい。僕にとってのものづくりの原点はそこです」

4年ほどして、より使う人の目線に立ったものづくりをしようと、
靴に絞った制作活動を決意し「てのひらワークス」を鎌倉で立ち上げる。
「いつのまにか、加工しやすい素材を使うとか、つくる側の目線でつくっていたんです。
使う人にしてみたらこんな薬品の匂いが強い素材は嫌だよなと思ったら、続けられなくて。
お客さんに対してどれだけ真摯に考えて、柔軟につくっていけるか。
コンセプトはそれくらいでスタートしました」
まず、自分が履きたいと思う靴をつくった。それから知り合いの美容師さんに、
髪の毛が靴の中に入らないような靴をつくってほしいと言われてつくった。
小林さんのつくった靴を見て、こんな靴がほしいという人に、またつくった。
そうやって、いまもオーダーメイドの靴をつくり続けている。

服をあつらえるように、その人に最適の靴をあつらえる「あつらえ靴」。ロゴマークは奥さんがデザイン。

まず最初に、どんな靴がほしいのか、話を聞く。それから医療用の石膏で足型をとる。

からだを整え、気づかせる靴。

小林さんに靴をオーダーする人は、だいたい困っていることがあったり、
悩みを抱えているという。
「まず会って、どんな悩みなのか、どういうときに履きたい靴なのか、
その人がどういう仕事をしているのか、そんな話をします。
そしてサンプルを見せながら、靴のかたちを決め、足型をとります。
それから試作をつくってフィッティングを確認してから、仕上げていきます」
こうして1足の靴をつくるのに、だいたい1~2か月かかる。
できあがった靴も、原則として配送はしておらず、取りに来てもらう。
履き方のアドバイスをして、直接渡すところまでが、最後の仕上げなのだ。
傷の補修などの修理や、1~2年での定期的なメンテナンスもしており、
型をとってあるので2足目からは少し安くつくることもできる。
靴の学校で出会った奥様と二人三脚で仕事をしているが、
人を増やそうとは思っていない。
けれど、小林さんのワークショップに参加して、
靴づくりを本格的にやりたいという人も出てきているという。
「将来的には、のれん分けみたいに、
僕と同じ考えでつながった人たちがあちこちで靴づくりをして、
あそこでもつくれるよ、というふうになっていったらいいですね」

足が変形してしまっている人や、歩くのに困難を抱える人の靴もつくるが、
小林さんの靴は、歩き方や姿勢を矯正するような靴ではない。
「靴を見れば歩き方のクセもわかりますが、
こういうクセがありますよということは伝えながら、
それを無理に変えようとする靴ではないです。
無理な力を加えようとするとからだが歪んでしまいますし、からだを治そうというのは、
食べものなど生活態度からすべて変えていかないと、靴だけでは無理。
ただ、失われているからだの調整機能を取り戻すような靴ではあると思っています。
からだについて、いろいろなことに気づかせる靴ではあるんじゃないかと」

足型から、石膏の靴型をつくる。それをもとに樹脂で複製をつくり、革で補整する。2足目からはこの樹脂型でつくることができる。

1枚の革を伸ばしながらかたちをつくっていく。工房にはさまざまな種類の革が用意されていた。

インソールにはコルクと麻を使っているので通気性がいい。自然素材を使っているからか、かかとの角質の荒れが改善されたというお客さんも。

新しい靴を、新しい拠点から発信。

2012年4月に、小林さんは拠点を鎌倉から茂木に移した。
茂木に決めたのは、隣町の益子に「スターネット」があることが大きい。
2年ほど前、自分の靴づくりに共感してくれるところから発信したいと、
スターネットを主宰する馬場浩史さんに相談したところ、
馬場さんもちょうど、自分のほしい理想の靴を考えていたところだったという。
「ちょっとつくってみて」と言われたのがきっかけで、
馬場さんの靴をつくるようになった。
「馬場さんは靴の感想を聞くうえでは最適の人ですね。
とても身体感覚に長けた方なので、たとえば1ミリ底が高くなるだけで
からだが変わるということを、馬場さんは実感できるんです。
これまで馬場さんに何足かつくったんですが、そのたびに、
“かかとをもう2ミリくらい上げて”とか、“土踏まずをもうちょっと手前にずらして”
というように、それくらいの差なんですが、同じオーダーがきませんでした。
“今日はこれを履こう”と、その日のからだの調子に合わせて靴を選んで履く。
それは新しい靴の選び方ですよね」

この約2年間で、馬場さんに5~6足の靴をつくった小林さんは、
スターネットで展示会やワークショップも開催してきた。
そしてついに、馬場さんと一緒にスターネットで靴をつくることに。
自然素材を使った手仕事のプロジェクト「organic handloom」の靴を、
馬場さんのディレクションのもと、つくることになったのだ。
「スターネットから発信していくことで、
世界観や靴に対する取り組みをちゃんと伝えていけると思ったので。
自然素材を使って、オーダーした人にとって本当にいいものをつくっていきたい」
足は第二の心臓とよばれるくらい、健康と深く関わる部分。
馬場さんは、足からからだの健康をつくり、それが心の健康につながり、
それが暮らし方や社会について考えることにもつながっていく、という考えの持ち主。
小林さんがスターネットで靴づくりをするのは、必然だったのかもしれない。
「僕がやっているのは、ただ足りないものを補うとか物欲に応えるものづくりではなくて、
その人も気づいていないようなところでその人を支えるようなものづくり。
自分にうそをつかず、からだで考えて、気持ちよく仕事をしたい。
それで周りにいい影響を与えたり、同志が増えていけば、
いい社会ができていくのかなと思います。
それを教えてくれたのが、スターネットのやり方でした」
organic handloomの靴がスタートすることになり、
馬場さんはそれに合わせてメンズの洋服をつくる予定だという。
このクリエイティブな連鎖が、まさにスターネットらしい。

小林さんは東京出身だが、東京でものづくりをする気にはなれなかったという。
「馬場さんも東京に行くと具合が悪くなるとおっしゃっていましたが、
僕も東京にいられなくて(笑)」
開放的な空間の工房とすぐ隣の自宅は緑に囲まれ、裏山にも自然が広がっている。
以前から場所を探していた小林さんは、ここが見つかって移住を決めたそうだ。
いいものをつくるために、まず自分が健康であって、健康な社会の一部でありたいという。
「いい仕事をしたなと思うのは、相手が元気になったとき。
僕の靴でないと歩けないのではなくて、僕のつくった靴がいい誘導をして、
いままで履けなかった靴も履けるようになって、それで元気になってくれたら最高ですね」

ガレージのような建物を工房として改装。「organic handloom」の靴のオーダーサロンはスターネットに開くが、通常はこの工房で作業。

明るく開放的な空間。作業場からの眺めはとても気持ちがいい。

数々の道具が並ぶ。師匠にならって自分で工夫してつくった専用の道具や機械もある。

工房の裏手にはすぐ野山が。子どもと散歩をしたり、家族で過ごす時間も大切にしている。