福井 Part2 生まれ育った福井のまちと、 ぼくらのこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

まちとデザインについて、ずっと考えてきたから。

山崎

たしか、3人は年齢もバラバラですよね。

出水

はい。ぼくがちょうどまん中で、山崎さんと同じ73年生まれです。
そのふたつ上が藤田さん、ふたつ下が内田です。

山崎

とすると、幼なじみでもなく……はじめは何で知り合ったんですか?

内田

スノボ仲間ですね。ショップの店員さんとお客さんの間柄で、
20歳そこそこからの付き合いです。

山崎

その後、仕事でも一緒に絡むことになるわけですね。藤田さんは?

藤田

当時所属していたデザインセンター(公益財団法人ふくい産業支援センターの
デザイン振興部)で、福井のデザイン展を開催するにあたって、
これまで協力してもらっていた団体でなく、
思い切って地元の若い人材に任せてみよう、というチャンスがあったんです。
この仕事を、内田くんにお願いしたのがきっかけですね。

山崎

それがずっと繋がって今がある、ということですか。

出水

そうですね。3人とも、それぞれに「まちとデザイン」ということについて、
ずっと考えてきた気がします。
同じ福井でも、山間部の池田町というところで
「日本農村力デザイン大学(*1)」というのが
開催されているのはご存知ですか?

山崎

そういえば、何かの媒体で見かけて、うちのスタジオのメンバーと
「いいコンセプトだな」「やられたねー」なんて言ってた記憶があります。

出水

2か月に1度のペースで講義があり、
まちのひとと東京からやってくる大学生が一緒になって、
とてもいいコミュニティを形成しているんです。
福井の中でもとても注目されているコンテンツなんですが……
ただ、やっぱりまだ「デザイン」という面で未熟なんですよね。
そういうのを見ると、ぼくらはつい「もったいない」っていう
ジレンマを感じてしまう。

*1 日本農村力デザイン大学:NPO法人農村力デザイン研究所(福井県今立郡池田町)が実施する講座。農村を中心に、自然や人間、社会といった様々なテーマについて考える。2005年7月から隔月で講座を開催。http://www.c-nord.com/

呉服町商店街

フラットビルがある、呉服町商店街。江戸期から戦前にかけて、福井でいちばん賑わったまち。

あのビルがあったらすべてが解決する、そう思った。

山崎

そんな日々のなかで、黒崎輝男さんに会ったり、
福井でもスクーリングのようなことをやりたいと
考えたりするようになるわけですね。

藤田

そうです。ぼくらはもうすでに内部爆発を起こす用意が整っていて、
さらに黒崎さんや山崎さんのような
外部からの仕掛け人の力も借りることができたら最高だな……と。

出水

そんなタイミングで、ぼくが理想としていた古ビルの物件が、
500万円で売りに出たんです。
それを知って「お金さえあればなあ」ってつぶやいていたら、
すかさず藤田さんが「お前に投資しようか」って言ってくれたんです。

山崎

おお! それは男前な発言だなあ。

内田

さすがは公務員!ってね(笑)。

出水

でしょ? めちゃくちゃ胸を打たれちゃったんですけど、
あまりに荷が重すぎてイエスとは言えなかった。

山崎

そりゃあ、そうですよね。

内田

それで、黒崎さんをお招きした勉強会の日の夜のことですよ。

藤田

そうそう。「ぼく、あのビル買います!」って、
宣言しちゃったんですよね。酒を飲んだ勢いで……。

山崎

なるほど。そのとき、ふたりは同じ夢を描いていたんですか?

藤田

ぼくはぼくで、カフェとセレクトショップとスタディルームがあり、
デザイン事務所も同居していて、自分がその最上階に暮らす、
というような夢を思い描いていたんです。
大阪のgraf(*2)のようなイメージですね。

山崎

そんな思いがぐっと高まっているところに、
古ビル活用のアイデアに満ちた友人が、格好のビルを見つけてきた。

藤田

ええ。あのビルがあったらすべてが解決する。そんな風に感じたんです。

山崎

それが3年ぐらい前のはなしになるのかな?

藤田

そうですね。2009年7月にビルを購入しています。
黒崎さんを福井に迎えた夜から、ちょうど半年後のことでした。

(……to be continued!)

*2 graf:家具・空間・プロダクト・グラフィックのデザインから食、アートにわたってさまざまなクリエイティブ活動を行う集団。大阪・中之島の古い5階建てビルを改装し、家具の製作・展示、カフェ、ギャラリーと複合的な店鋪展開をしている。http://www.graf-d3.com/

フラットビルのイメージイラスト

旧ビル解体前に描かれた、フラットビルのイメージイラスト(FLATブログより)。

座談会の様子

同世代の4人。あのころの夢や熱い思いが、まるで昨日のことのようにことばとなってあふれ出る。

information

map

FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

profile

SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

profile

KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

profile

HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

福井 Part1 始まりのはなし。 「ハートを打ち抜かれたんだ」

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
ここからは、古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

いくつもの勢いとタイミングが重なって、始まった。

山崎

うわぁ、いただきます!
カツ丼食べながら対談って、なんだか新しいですね(笑)。
……うん、おいしい!

藤田

どうぞ、どうぞ。
福井名物のひとつ、「ヨーロッパ軒総本舗」のソースカツ丼です。
それはそうと、せっかく取り上げていただくフラットビルがちょうど改装中で、
ホントにすみません。

山崎

いえいえ、そんないきさつも含めて、
おはなしが聞けたらいいなって思ったんですよ。
ところで、ここはどういう場所なんですか?

内田

わたしが代表をつとめるデザイン企画チーム「HUDGE」の事務所です。

出水

この場所から、ぼくらのフラット・プロジェクトが生まれたんですよ。

山崎

え? 始まりはここなんですか?

内田

窓の外に、福井を象徴する足羽山と足羽川があって、
片町という繁華街もすぐそばで。
そんなロケーションと物件に惚れてうちの事務所が入居したんです。
そうしたら、ご覧のようにワンフロア3部屋も取れるし、
ひとつをフリースペースとして利用して、
スクーリング・パッド(*)のような学びの場にできれば最高だなって。

山崎

なるほど。それが、さっき見せてもらった大きな部屋だ。

内田

ええ。でも、実際入居してみると、仕事優先で手が回らず、
ご覧の通りの倉庫状態ですよ(笑)。

出水

そんなときに、すぐ近くで今のフラットビルが売りに出たんです。

* スクーリング・パッド:デザイン、レストラン、映画、農業というテーマを掲げた4つの学部からなる、起業・独立・転職・スキルアップのための専門スクール。廃校を利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」を拠点にしている。http://www.schooling-pad.jp/

藤田茂治さん

その風貌からは予測不可能な、男気あふれる発言でまわりを驚かせる藤田茂治さん。

右・建築家の出水建大さん。左・デザイナーの内田裕規さん

右・建築家の出水建大さん。左・デザイナーの内田裕規さん。

東京には、ぼくらの夢をカタチにしているひとがいた。

山崎

藤田さんは公務員、出水さんは建築家、内田さんはデザイナー。
そもそも、この3人がコミュニティをつくることになった
きっかけを教えてください。

藤田

わたしが所属している
デザインセンター(公益財団法人ふくい産業支援センターのデザイン振興部)で、
黒崎輝男さん(IDEE、流石創造集団、スクーリング・パッド、自由大学等設立)を
お招きして、オープンセミナーをやったんです。

内田

もう、5〜6年前になるのかな。

出水

そのときに、スクーリング・パッドや
「IID 世田谷ものづくり学校」のはなしを聞いたらもう……。

藤田

ぼくら、すっかりハートを打ち抜かれてしまったわけですよ。

山崎

おお。具体的には、どの部分に?

出水

ぼくの場合、廃墟好きが原点なんです。
廃校や活用されていない古い建築物を、コミュニティ施設として再生できたら
どんなに素敵だろうって、自分でもずっと考えていたんです。

山崎

黒崎さんに出会う前から、夢があったんですね。

出水

そうですね。30歳ぐらいのころですかね。ちょうど、mixiがはやり出して、
思いのままに熱く日記を書き綴ったりしていました。

山崎

僕と出水さんは同い年だから……8年ぐらい前かな。

出水

それで、お役所に企画を持って行ったりするんですけど、
耐震性や経営上の問題がクリアできず、
どうしてもはじめの一歩が踏み出せずにいたんです。

山崎

その建築のプログラムが、公共的だったのはなぜなんですか?

出水

2年ほどカフェをやっていたこともあって、いろんな世代、
いろんな背景をもつひとたちが集まる場所で起こる化学反応みたいなことが、
もっと大きな規模で実現できれば、純粋におもしろいなって。

内田

健ちゃんのそんな熱いはなしを聞きながら、
じぶんもまた、クリエイターとのコミュニケーションを欲していたんですよね。
そうこうしているうちに、黒崎さんとの出会いをきっかけに、
3人の中でなにかが音を立てるように動き出しちゃって。

藤田

ぼくが思わず「じゃあ、あのビル買うよ」って言っちゃったんですよ。

山崎

えっ……?!

(……to be continued!)

山崎亮さん

この3人がひとつのプロジェエクトにたずさわっていくことになる課程に、興味がありますね。(山崎)

information

map

FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

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SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

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KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

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HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

勝山 Part4 少し先の未来の話。 こどもたちのために。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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旧城下町・勝山に暮らす染織作家の加納容子さん。
4回にわたり山崎さんとの対談をお届けします。

美しいデザインが、ひとびとをワクワクさせる。

山崎

そういえば、お向かいにすてきなお店ができてますね。

加納

はい。2月半ばにオープンしたばかりなんですよ。
自家製天然酵母と国産小麦のみを使用した、こだわりのパン屋さんなんです。

山崎

彼らは、どういうご縁でこのまちに?

加納

千葉の房総から移転を考えて、
「水のいい場所」を探し求めていらっしゃるときにお会いしたんです。
水はもちろん自慢できるし、まちのコンパクトさもちょうどいいし、
前の暮らしよりも都会的よ、なんてお話をさせていただいて。
さっそく遠方から車で買いにいらっしゃるファンもいらして、
早くも連日行列の人気ぶりですよ。

山崎

そんなに話題のパンなら、うちのスタッフにも買って帰らないと
叱られるだろうなあ(笑)。

加納

うふふ、それは間違いなく(笑)。

山崎

彼らのように、もともと地縁のない若い方が
暮らすことになるケースも増えているんですか?

加納

そうですね。ものづくりをするひとたちが少しずつ。
でも、空き家でも、まちのひとが個人で管理して非常に大切に保存しているので、
いざ「他人に貸してみよう」となるまでには、
やっぱり時間がかかることもありますね。

山崎

ここでもまた、無理をしない、と。

加納

ええ。縁つなぎはしますが、借り主と貸し主が
お互いによく納得してこそですからね。
決して「若者をジャンジャン呼び集めよう」というのではないです。

山崎

そこのところが徹底されていて、気持ちいいですね。
まちづくりは決して誰かの自己表現の場ではない、ということです。
ただあちこちからの声を寄せ集めただけでは、結局誰も満足しない。
そうではなく、ひとりひとりの声が反映されて、
個々の気概みたいなものが次第にまちをつくっていくのが心地いい。

加納

そのためにはまず、役割を担うわたしたちが楽しくないと。
たとえば、「自分のまちに、自慢のおいしいパン屋さんがあるなんて、
最高じゃない?」ってね。

山崎

そうです。さらには、それが「美しく」デザインされている、
ということも大切な要素。
ぼくたちがやっているコミュニティデザインの場合は、
「目に見えないもの」が多いけれど、加納さんたちの取り組みは、
美しいのれんや、新しい店やアトリエが増えること、お雛まつりの継続と、
住民参加のカタチが「目に見えるもの」だけに、
飛躍が実感できるのだと思います。

「パン屋タルマーリー」店内

2月にオープンしたばかりの「パン屋タルマーリー」。丁寧に作られた素朴な天然酵母のパンが愛らしく並ぶ。

「パン屋タルマーリー」のパン

水のすばらしさとまち並みが決め手となって、千葉県から移転。遠方から足を運ぶファンも多い。

こどもたちが、このまちを愛せるように。

山崎

「民」もしくは「私」のモチベーションが
ずっとつながっていった、という感覚がいいですね。
はじめは、好きなひとたちができる範囲でやりましょう、というのが
ひとつのポイントかもしれません。

加納

始まりこそ、行政があとからついてきた格好ではあるけれど、
そうなると、わたしたちも「やるからには成功しなくちゃ」とがんばる。
「みんなうれしいよね」ということを見せたくなる。
そんなことでやってきました。

山崎

楽しいことの延長としてそういうことができれば、最高ですよね。

加納

住んでいる人間が「まちのためにやる」って無理がないでしょう。
「ゴミゼロ」なんて謳わなくても、このまちが好きだったら、
誰だってまちをきれいにしたくなる。とってもシンプルです。

山崎

今、のれんのまちを楽しく動かしているのは、
加納さんの幼なじみあたりの世代とお伺いしましたが、
次の世代は育っているんですか?

加納

世代交代って、考えないようにしているんです。
息子や娘たちは、きっとまたあたらしい感覚で別のことをやるんじゃないかな。
それがいいねって。

山崎

なるほど。

加納

だって、わたしたちが楽しそうにやってると、
自然と寄りたくなったり、刺激されたり、するでしょう?

山崎

楽しそうなおとなの背中を見せる、と。

加納

そうですね。
いちばんはじめに「まちづくりが活動の目的じゃない」と言いましたけれど、
もしもなにか目的があるとすれば、それは
「こどもたちが戻って来たくなるまちであり続けるため」
ということなのかもしれません。

加納容子さん

「まちののれんを作るとき、わたしは作家でなく職人に徹して、役割を実行するという感覚なんです」(加納)

山崎亮さん

「なるほど。まちのひとりひとりの思いが、のれんというカタチになって、前に出てきているんですね!」(山崎)

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

さらにみんなからの投稿を待つ!

みんなで新しい「世界遺産」をつくろう!

どーも、みうらじゅんと申します。
先日、佐賀県・嬉野温泉の旅館でライブをしました。
うちらは「勝手に観光協会」っていうユニット、
タモリ倶楽部の空耳アワーの安斎肇さんと、
今回特別にギタリストとして山田五郎さん(といっても普段は美術評論家なんですが)
を招き、もうすっかりお客さんも酒が回ってきた夜の10時から、
日本各地で作ったオリジナルご当地ソングを大声張り上げて歌いました。

当然、翌朝は頭と体が痛くて、三人でフラフラ街を散策したのですが、
まるで香港のように道に向かってせり出す看板。
フーゾク店やマッサージ、しかも巨大な看板が
通行する車に当たりはしないかと心配になりました。
路地に入ると「マンダム」と書かれたスナック。
70年代、日本でも大ブームを巻き起こした米俳優、チャールズ・ブロンソンの
男性化粧品のCMと同じ字体、同じロゴがどーんと壁に描いてあってクラクラしました。
日本にはこのような、その地とは何ぁーんも関係性のない店が
放置という名のもとに保存されていることが多々あります。
もう、このマンダムも僕の中では堂々「世界遺産」入りです。

みなさんの身の回りでも、“いかにしてこの店は経営してるんだろう?”と、
大きなお世話な心配をしてしまう建物があるでしょ。
それも私の「世界遺産」として登録していただきたい。
それに加え、本来は外国の本当に有名観光地となっている世界遺産と同名の
「おいおい!イエローストーンって、美容室かよ!」といった、
腰砕けな店名でやってる店が存在するでしょ。
アクロポリス(本来はギリシャ)なのに群馬県の釣具屋とか、
ウェストミンスター宮殿という店名のペットショップとかさ、
赤の広場(本来はロシアなのに)というさいたまのキャバクラとかね。
そーいった店を撮影、送っていただくことで
プチ世界遺産をつくっていこうと思ってます。
どしどし送ってくださいな。

それと「いやげもの」、これは本当にもらってうれしくない土産物も募集してます。
要するに日常生活を営むうえで全く役に立たない情報ということです。よろしくです。
本当、一日が短く感じる年齢になりました。
みなさんはお体を大切に、一日、一日を大切に生きてくださいね。
それでは。

*みなさんが見つけた「世界遺産の店」「いやげもの」を募集しています! 
どこで見つけたかも書いて、たくさん投稿してくださいね。
(編集部より)

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

竜宮美術旅館とL PACK

廃墟のような建物を、人が集まる場所へ。

横浜黄金町の外れ、日ノ出町駅のすぐ近くに、
ひっそりと、しかし奇妙な存在感を放ち建っている「竜宮美術旅館」。
2012年3月18日まで開かれていた展覧会を最後に、
この不思議な建物は60年あまりの歴史に幕を下ろす。
戦後数年のうちに建てられ、増改築が繰り返されたと思われるこの建物は、
当初は旅館だったが、その後住宅として使われ、やがて倉庫となり、
いつのまにかほぼ廃墟と化していた。
2010年、黄金町にやってきたアーティストたちが、
気になるその建物で何かやろうと動き出す。
旅館でもギャラリーでも、単なるカフェでもなく、
何だかよくわからないけど、人が集まる場所をつくろうと、
彼らは建物に竜宮美術旅館という名前をつけて再生させた。

その中心にいたのが「L PACK」=小田桐奨さんと中嶋哲矢さんによるユニット。
カフェユニットとも呼ばれる彼らは、“コーヒーのある風景”をつくるというが、
ふたりはもともと大学で建築を学んでいた。
「卒業制作で、みんな架空の建物をつくるんですけど、
ゼロから建物をつくるということにリアリティが感じられなかったし、
興味が沸かなかった。
建築ってもっといきいきしているものなんじゃないかという疑問があったし、
人が集まれば、そこが建築になるんじゃないかと思っていて。
人が集まるための最小単位を考えたときに、
たまたまそのきっかけがコーヒーだったんです」(中嶋)
「建築は人が集まって使われていないと意味がない。
ここは放置されていたけど、面白い建物なので、
黄金町のシンボルにもなるだろうと考えたんです」(小田桐)
以来、彼らは竜宮美術旅館をNPO「黄金町エリアマネジメントセンター」と共同運営し、
さまざまなイベントを開催してきた。
最後の展覧会「RYUGU IS OVER!!」も、
キュレーターの宮津大輔さんとともにアーティスト選出から取り組み、
空間演出も手がけた。

何人もの職人や大工の手が入っている竜宮美術旅館。全14組のアーティストが個性を競う展覧会で、建物の最後を飾った。(photo:Yasuyuki Kasagi)

コタツが置かれた和室には、武田陽介さんの写真作品を展示。コタツの上には、浦島太郎にちなんだ絵本や書籍が。

浴室も展示会場になった。湯舟に映像が投影される志村信裕さんの作品や、壁の鏡には臼井良平さんの作品も。

まちの移り変わりとともに変わる、竜宮美術旅館の役割。

地域とアートの共存を通して、まちが生まれ変わることを目的とした
「黄金町バザール」は2008年に始まり、現在はその名も定着してきた。
L PACKのふたりが黄金町にやってきたのは第1回目のバザールが終わったあと。
竜宮美術旅館を拠点とする前は、かつて鉄板焼き屋だった場所を使い、
アーティストたちが集まる空間をつくった。

それから約3年、ふたりは黄金町の移り変わりを目の当たりにしてきた。
昔は堅気でない人や不法滞在者も多く、ダークなイメージも強い地域だったが、
しだいにその影はなくなり、2010年のAPECで、かなりクリーンになった。
「最初にここに来た頃はまちが面白くて、いつもドキドキしていました。
そういう雑多な部分が残っていたほうが面白いと思いますが、
住民の方でイメージを変えたい人も多かったようです」(中嶋)
実際、かつてはこのあたりの出身というだけで偏見もあったという。
地元住民でも積極的にまちに関わっている人と関わっていない人では、
思いも違うようだ。
「でもカフェのような場所だったら、どんな人でも関係なく入って来られる。
そういう場所をつくりたいと思ったんです」(小田桐)
「この辺でちょっと知られた名物のおばさんがいるんです。
なぜか警察官やこわい人たちとも仲がよくて。
その人、最初は僕らみたいなアーティストたちが
まちに入ってきたのを嫌がっていたんですけど、
僕らのスペースにようすを見に来て、通ってくれるようになったんです。
いろいろ話しているうちにだんだん変わってきて、
アートなんて嫌いだったはずなのに、いまは初めて来た人に
“このアーティストはね……”なんて解説してるんです(笑)」(中嶋)

まちが変わるにつれ、コミュニティも変化してきた。
以前は全部把握できるほどの小さなコミュニティだったが、
いまはお互い知らないアーティストも増えてきた。
竜宮美術旅館の役割も、当初はアーティストやまちの人たちが集まる場だったのが、
外から来る人の玄関口のようになってきたという。
取り壊しは、実はオープンとほぼ同時期に決まっていたが、
この建物は、ちょうどその役割を終えようとしているのかもしれない。
彼らも、黄金町を離れ、一歩引いてみることにした。

「僕らはこの建物自体にはほとんど手を入れてない。図面も引かず、美術施工の人やアーティスト7~8人が出入りしながら、みんなで話し合って改装しました」(中嶋)

「場所をもって活動するということは、まちの中で人とつき合っていくということなので、時間をかけないとできないようなことをやろうと思いました」(小田桐)

もうすぐ取り壊される壁には、最後の展覧会開催までの経緯が、日記のように綴られていた。

いま、この場所でやるべきことは何か。

彼らは黄金町と同時に、東京都豊島区でもプロジェクトを進行していた。
「L AND PARK」というそのプロジェクトは、
公共施設の中に「公園」をつくるというもの。
「としまアートステーション構想」の一環で、
もとは食堂だった場所でカフェをやってほしいという依頼だったが、
人が来るためのきっかけだけをつくろうと、屋内で「公園」を始めた。
コーヒーは淹れておいて、セルフサービスでそれぞれがカップに注ぐ。
あとはキヨスクのような売店があるだけ。
そもそも公園は何をしてもいい場所。
コーヒーを飲みながら本を読んだり、子どもたちが遊んだり。
L PACKは、そこに「wildman」と呼ばれるゲストを招いてワークショップを開いたり、
朝1時間だけ早く起きて公園で朝食を食べようという
「goodmorning」というイベントを開催し、それに合わせて新聞もつくった。
最近は人も増えてきたが、こちらも年度末で一旦プロジェクトを終え、
さらなる発展型のプロジェクトを考えているという。

彼らのユニークな活動は、まだまだ続く。
松本市でクラフトフェアと合わせて開かれるイベント「工芸の五月」に、
これまで3年連続参加。
地元の若手ガラス作家、田中恭子さんとのコラボレーションで、
松本の湧水を使った水出しコーヒーをつくった。
水出しコーヒーの装置をガラスでつくってもらい、
コーヒーが8時間かけて一滴一滴落ちるところを、
古い庄屋の蔵の中で展示するというインスタレーション。
それでできたコーヒーを実際にお客さんに飲んでもらうのだ。
松本は湧水が豊富で水道をひいていない家も多いそうだが、
そこでは7種類の湧水を使い、水の違いをコーヒーで味わってもらった。
地域の恵みをいかし、地域の作家とともに、
コーヒーを媒介にして人が集まる場をつくる。
今年は水出しコーヒーではなく、スツールを使った企画で参加する予定だ。

「その場所によっていろいろなことをやって、
それがつながっていくといいなと思っています。
横浜の人が松本に行ったり。松本にも面白い人がたくさんいますよ」(小田桐)
「いまこの場所でやるなら何か?と、いつも考えます。
その“いま”って5年も6年も続かないと思うんです。
黄金町にはわりと長くいたけれど、
短いスパンで動いていくのかなと思っています」(中嶋)
ふたりはこれからも、まちの中で人が集まる、面白い空間をつくっていくだろう。
建物はなくなっても、彼らがやってきたことは、多くの人の中に刻まれているはずだ。

「L AND PARK」で配る新聞には、イベントのレポートや朝食に関する記事などを掲載。かなり手が込んでいるが「これはほとんど趣味です」(中嶋)「この新聞は続けていきたい」(小田桐)

松本の古い庄屋、池上邸の蔵で行ったインスタレーション「池上喫水社」。細い管もガラスでできている。
(写真提供:L PACK)

アーティストの矢口克信さんがつくった、移動カフェセット。タンクが入っていて、蛇口をひねるとコーヒーが出るようになっている。バックパックのように背負えるが、かなり重そう。

勝山 Part3 やがて、お雛さまが似合うまちへ

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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旧城下町・勝山に暮らす染織作家の加納容子さん。
4回にわたり山崎さんとの対談をお届けします。

生まれ育って暮らすまちへの、お礼の気持ち。

山崎

加納さんたちの取り組みのすがすがしさこそ、
この連載で学ぶべき核心なんじゃないかなあって思うんです。
つまり、個人の「好き」や「やりたい」がいつしか集まって、
楽しくまちを動かすということなんですけど、
そのための仕組みみたいなことはあったんですか?

加納

……なんでしょうね。
資金に関しては、助成金以外に、おそばの売上金を当てたりしました。

山崎

そば?

加納

ええ。このプロジェクトに関わる男性たちはみな、そば打ちが好きなんです。
それで、町内のイベントに出かけては、そばを打って
稼いだお金をコツコツ貯めて、
そこから、1軒につき1万円ずつ補助をしているんです。

山崎

あはは。いいですね!

加納

加えてわたしも、まちの方たちへの販売は、
16年前からのれんの値段を上げていませんし。

山崎

ずっと?

加納

ええ。これは、まちのひとたちへのお礼の気持ちなんです。
みなさんがのれんを喜んで、しかもずっとかけ続けてくださるから、
わたしは酒屋を辞めて、今の商売で生きていけているわけですから。

山崎

うーん、なるほど。

加納容子さんと山崎亮さん

加納「のれんを値上げしないのは、まちのひとたちへのお礼の気持ち」

よそが羨むほど、元気になれるまちへ。

山崎

そうやってまちのひとたちが、楽しみながら
無理なく力を合わせられたってことがポイントですね。

加納

だって、山崎さん。年は多少違うとはいえ、
みんな幼なじみで、性格も知り尽くす長い付き合いですもの!

山崎

あ、そうか!(笑)

加納

だから、のれんの事業を続けていくうちに、
「子どものころに楽しかったことをやればいいんじゃないの?」
という考えに行き着くんです。

山崎

それではじまったのが「勝山のお雛まつり」というわけですか……。

加納

そうなんです。最初のアイデアをくださったのは九州の作家さんなんですけれど、
のれんと同様、やりたい人から参加してもらうことにしてきました。

山崎

ここでもやはり同じように、ですね。

加納

ええ。はじめてみると、初年度から
3月の5日間で5000人の観光客が来てくださったんですよ。

山崎

それはすごい!

加納

14年を経た今では、毎年だいたい4万人ベースです。
いちばんよかったのは、女性たちが元気になったことなんです。

山崎

うーん、わかるなあ。みんな、見せたかったんですね、きっと。

加納

このあたりは武家屋敷もあって、
かつては横柄なまちと言われたこともありました。
でも、表にのれんがあって、お雛さんもあって、
まちのひとと訪れたひとの間に自然と会話が生まれる。
そうするうちに、いつしか
「おもてなしのまち」と評価されるようになるんです。

山崎

なるほど。

加納

今では「このまちに来ると、なんだか癒されて元気が出る」
と言ってくださる方までいるから、うれしい限りですね。

(……to be continued!)

* 勝山のお雛まつり:ことしで14回目を迎えた「勝山のお雛まつり」では、3月の5日間、街並み保存地区・新町商店街の民家、商家などの軒先に、それぞれの家が大切にする、江戸時代から現代までの「お雛さま」を展示。まるで、秋の「勝山祭り(喧嘩だんじり)」と対を成すような女性らしさ、素朴でどこか懐かしい雰囲気が人気をよぶ、春のおまつり。

雛飾りの準備

2月下旬ごろから、まちのあちらこちらでお雛さまの準備が始まる。

建物の外からも見られる雛飾り

毎年たくさんのひとに愛でてもらえて、なんだかお雛さまもうれしそう。

お雛さま

それぞれの家の女性たちが「わが家のお雛物語」の語り部に。

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

勝山 Part2 のれんのまちは、こうして生まれた

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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旧城下町・勝山に暮らす染織作家の加納容子さん。
4回にわたり山崎さんとの対談をお届けします。

はじめは1枚、そして町内16軒にのれんがかかった。

山崎

ただブラブラと歩いてこんなに楽しく、気持ちのいいまちって、
なかなかないですよね。

加納

そうでしょう。これといった名物土産もないんですよ。
観光客向けに鎌倉の鳩サブレーみたいなのを作れば、というご提案も
時折いただくんですけど。

山崎

いや、このままがいいですよ(笑)。

加納

ね。わたしもそう思います。

山崎

たしか、のれんのまちが生まれたのも、観光のためではなかったんですよね。
以前に少し話をうかがったときに、そこがいちばん面白いなって……。

加納

ええ、そうなんです。

山崎

でも、何かしらきっかけはあったわけですよね。

加納

はい。勝山に戻ってしばらくして、こちらで染織のパートナーができ、
お酒の配達も子育てもしながら、ふたりで草木染めをするようになるんです。
そのときに、古い家だから表にのれんでもかけようかって、なんとなく気軽に。
そのときにデザインしたのが、今のうちののれんなんです。

山崎

なんと、そんなに自然に始まったんですね!

加納

そう。で、そうやって掲げられたうちののれんを見て、
同じ町内のYさんが、春夏秋冬ののれん4枚をオーダーしてくださったんですよ。

山崎

それはうれしい。

加納

うちのはデザインがひとつなんですけれど、彼のところは四季で変わるわけです。
それを見て近所のご婦人方がまた、あら、いいわね。なんて。

山崎

そりゃあ、町内で話題になりますよね。

アンティークカー柄ののれん

のれんの下のアンティークカーも看板代わり。

自転車ののれん

自転車屋さんには自転車ののれん。

お茶屋さんののれん

あれから16年。今では110枚ののれんが勝山のまちを彩る。

暮らすひとが、まちが、楽しくなるために。

山崎

けれど、のれんも決して安いものではないですよね。

加納

はい。はじめに「じゃあ、町内16軒で作ろうか」ということになったとき、
もちろんお金の話になりました。

山崎

どうやって解決していくんですか?

加納

件のYさんが、
「町並み保存地区なんだから、整備事業の助成金として申請してみよう」
と言い出したんです。外から見えるものだからって(笑)。

山崎

そうか、なるほど(笑)。
でも……ハードじゃないから、なかなかすんなりとは通らないでしょう?

加納

ところが、粘っているうちに「面白い」って言うひとが現れて、
うまくいったんです(笑)。
それで、はじめの16軒は資金の3分の1を助成してもらいました。

山崎

それはすごい。

加納

16軒にのれんがかかると、すぐにメディアが面白がって
取材してくださったんです。

山崎

ほう。それもラッキーでしたね。

加納

すると、うちも、うちもって少しずつ輪が広がって、
助成金の受け皿となるべく事業体も立ち上がって。

山崎

個人では助成金が取れないから、任意団体を作るわけですね。

加納

はい。ただ、プロジェクトといっても、
「やりたくなったらやる」というまちのみなさんの思いを尊重しようね、
というのがはじめからのコンセプトなんです。
観光のためにやるんじゃないよって。そこだけは大事にしたいって。

山崎

そこですよね。今までは、「観光まちづくりのために」とか
「一斉に」とか「みんなでルールを決めて」とか、
そういう風潮があったけれど、無理をするのはよくないんですよ。
やりたいと思い始めたひとがまず個人の意思でスタートして、
それが広がって楽しくなったね、というのがいちばんいい。

加納

つまり、このまちで暮らすわたしたち自身が、
疲れず楽しく仲良く生きていくために何をしようか、という気持ちが、
たまたまのれんに向かったということです。
だから、プロジェクト16年目にして、
ことし初めてのれんをオーダーするひともいる。それでいいんです。

山崎

いい話だなあ。
加納さんの話を聞いていると、すがすがしい気分になりますよ(笑)。

(……to be continued!)

山崎亮さん

山崎「わあ、これ好きだな。ユニークなのもあるんですね!」

加納容子さん

加納「みなさんに、うちののれんが一番!って思ってほしい」

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

勝山 Part1 このまちと家と、 染織作家・加納容子さんのこと

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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ここから4回にわたり、旧城下町・勝山に暮らす
染織作家の加納容子さんと山崎さんとの対談をお届けします。

「築250年の生家がわたしを待っていた」

山崎

こんにちは!
ここのところ雪が多くて、今日もお天気心配していたんですけど、
見事に晴れましたね。

加納

ええ。山間地だからよく心配されるんですけれど、
このあたりはとても気候がいいんですよ。

山崎

つい、散歩したくなりますね。

加納

そうでしょう。あとで、一緒に歩いてみましょう。

山崎

そもそもこの勝山にはどんな歴史があるんですか?

加納

かつては、日本海と瀬戸内を結ぶ旧出雲街道の要となるまちで、
家並みに沿って流れる旭川では、高瀬舟による交易も盛んだったそうです。
祖父の代には、ロシアから手風琴、ドイツからネジ回し、中国から金継ぎと、
いろいろな行商がやってきたと聞いています。

山崎

それに、勝山城の城下町という一面も持っていますよね。
お城は、もうないんでしたっけ?

加納

はい。お城そのものはもう残っていませんね。

山崎

で、加納さんは、こちらのご出身?

加納

この古い家で生まれ育ちました。

山崎

ここが生家なんですか? うわぁ、素敵だなあ。

加納

明和元(1764)年の建物なので……つまり、築248年になります。
ね、古いでしょう(笑)?

山崎

本物ですね。もとは造り酒屋、ですか?

加納

そうです。わたしが生まれたころには、もうお酒の小売りに変わっていましたが、
裏手にはまだ杉樽がたくさん残っていました。
そして、その家業を継ぐために、わたしは29歳でこのまちに帰ってきたんです。

勝山のまちなみ

かつては出雲街道の要衝として繁栄を遂げたまち、勝山。

ひのき草木染織工房

1997年に、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。

「わたしの楽しみが、いつしかまちを楽しくしていった」

山崎

それが何年前のことになりますか?

加納

35年前ですね。

山崎

染織にはどのタイミングで出会われたんですか?

加納

地元の高校を卒業して、東京の女子美(女子美術短期大学)に進学するのですが、
そこで出会いました。

山崎

そのあとしばらく東京というわけですね。

加納

機織りの師匠にあたる先生の教室に通ったり、出版社でアルバイトしたり。
結婚してからは自宅を開放して、女子美の後輩にあたる卒業生たちに
織物を教えたりしていました。
でも、母の病をきっかけに、家業を継ぐために
家族全員でこのまちに帰ってきたんです。

山崎

旦那さんも東京の仕事を辞めて?

加納

ええ。帰ったほうがいいと言ってくれたのは主人だったんです。
でも、しばらくすると結局、東京が恋しくなって、
彼だけ戻ってしまったんですけどね(笑)。
3人のこどもたちは今でも一緒にこのまちで暮らしています。

山崎

そうだったんですね。加納さんにとって、勝山ってどういうまちなんでしょう。

加納

はじめは正直、帰りたくないと思っていたの。
でも、帰ってみれば幼なじみもたくさんいるし、
秋の勝山まつりでは、伝統的な「喧嘩だんじり」のためにみんな帰ってくるし、
悪くないなって。
そのうち、ここに居場所を作ろうと「じぶんが楽しむため」にやることが、
自然とまちのためになっているということが起こってきて、
それが今はとても心地いいし、楽しいのかな。

山崎

ということは、加納さんの場合は……。

加納

そうなの。
「まちおこし」なんてことは、これまで一度も考えたこともないのよ!(笑)

(……to be continued!)

加納さんの作るのれん

古くから残る街並に、加納さんの作るのれんはよく似合う。

「街並み保存地区」として指定

昭和60(1985)年、岡山県初の「街並み保存地区」として指定された。

風情ある勝山の街並を散歩

土蔵、白壁、格子窓……風情ある勝山の街並を散歩。ふと心を癒される時間。

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

トム・ヴィンセントさん

日本の地域から、いいものを世界へ。

日本のいいもの、面白いものを世界に発信する
「トノループネットワークス」代表を務めるトム・ヴィンセントさん。
イギリス出身のトムさんは、経済産業省の地域活性の政策に関わるなど、
これまでさまざまな地域の活動に携わってきた。

もともと1996年頃から東京でウェブの企画制作の仕事を始め、
大日本印刷が運営するウェブマガジンの海外版編集長を経て、
大手企業のウェブサイトのデザインコンサルティングや
クリエイティブの仕事を数多く手がけた。
そのうち自分でウェブサイトをつくろうと、バイリンガルで
“東京発デザイン&ものづくりマガジン”『PingMag』を立ち上げる。

その斬り口は、当時は「え? これが面白いの?」と周囲に驚かれるような視点だった。
たとえば、八百屋さんに無造作に積まれた野菜や果物の段ボールのデザイン。
私たちにとってはとても見慣れた、ありふれたものだが、
その写真に海外から多くの反響があり、さまざまな言語で書き込みが相次いだ。
やがて東京だけではなく、日本全国の面白いものを取り上げようと、トムさんは
“日本発ものづくりインタビュー・マガジン”『PingMag MAKE』を立ち上げる。

ともに現在は更新されていないが、過去の記事を読むことはできる。
そこにはトムさんたちが全国で取材した、
ものづくりの職人たちの記事が掲載されている。

「ものではなくて、人が面白いんだよと、
ものをつくっている人にスポットを当てました。
これをやり始めたら、日本の田舎が面白くなってきたんです」

その後『PingMag MAKE』は終了してしまうが、
取材した鍛冶屋の職人さんの記事に、スコットランドの人が
「こういう鎌はもうスコットランドでは手に入らないんだ」
とコメントしていたのを見て、トムさんは
「そうか、日本のすぐれたものを売ればいいんだ」と思いつく。

そして立ち上げたのが、現在トムさんが運営する
“日本のローカルから世界へ マガジン&ショッピングサイト”『Loopto』だ。
ここでトムさんは、さまざまな地域のすぐれたものづくりをするメーカーが、
自分たちのウェブショップを開くことができるというシステムを提供している。

いいものをつくる人がいても、それを広く発信しなければ伝わらず、
買ってもらうチャンスを逃してしまう。
「日本の小さいメーカーは、誰が自分たちの商品を買っているか知らないんです。
日本には農業でも漁業でも組合があって、
組合を通して問屋に卸すという昔ながらのシステムが定着していました。
だからメーカーはつくるだけでよかった。

かつてはそのシステムが有効でしたが、
現在は問屋も機能しづらくなくなってきています。
でも組合を通さないで独自にやるのは、狭いコミュニティの中では難しい。
組合というのはみんながフェアに商売をするためのものでしたから。
だから多くの職人さんやメーカーは、直販をやったことがないし、
やりたくてもプレゼンがうまくないんです」

このプレゼンも大きな課題のひとつ。
どんなにすばらしいものづくりの腕を持っていても、
デザインの必要性がわかっていない場合がよくあるという。
どんな世界観とストーリーを持った商品で、
どんな写真とテキストとデザインでそれを伝えるか。
デザインの力というのは、こういうところにこそ必要なのではないか。
「Loopto」はその手助けとなっているように思える。

トノループが運営するウェブサイト「Loopto」。丁寧なものづくりから生まれた商品を取り扱う。メーカーは年間1万円からという低費用でウェブショップをつくることができるという画期的システム。「Magazines」では四国の「しまマガジン」など地域の記事が読める。

地域にいちばん必要なのは、人。そこで働き、暮らすこと。

地域にはまだまだ問題が山積している。
トムさんは仕事で何度も訪れた小豆島の醤油蔵「ヤマロク醤油」の
5代目の山本さんの話をしてくれた。

ヤマロク醤油のもろみ蔵は100年以上前に建てられた蔵で、
その土壁や蔵の中には100種類以上のさまざまな菌が生きているのだという。
まさにマンガ『もやしもん』の世界。
醤油を醸造する高さ2メートルもある大きな杉の木の樽は、
150年以上前のものとみられており、その樽、その蔵が、
そこでしか育まれない豊かな風味を生み出しているのだ。

ところが、この樽をつくれる職人が、日本にはもうほんのわずかしかいない。
山本さんの子どもの代までは大丈夫かもしれないが、孫の代になったら、
同じ味の醤油がつくれなくなってしまう。
奮起した山本さんは、小豆島の若い大工さんたちと3人で、
ほぼ日本で唯一となってしまった樽メーカーのところに修行に行き、
自ら樽づくりの技術を習得しようとしているそうだ。

「でもこういう話をしても、多くの人は無関心。
どうしてだろうと腹が立つことすらあります。
こういうことをなんとかしないと、100年後、
日本の各地にある醤油、お酒、酢、味噌はつくれなくなりますよ」

地域の活動に関して悩むことも多々あるというトムさんだが、
それでも、山本さんのように少しずつ全国で若い人たちが動き始め、
面白いことが起きているという。
トムさん自身は、このコーナーにも登場してもらった西村佳哲さんとともに、
以前から徳島の神山町でのプロジェクトに関わっており、
神山にサテライトオフィスを持っている。

「神山は東京よりもいち早くブロードバンドが整備されたので、
空いている古民家を使って、神山で仕事をしませんかという呼びかけを始めたんです。
いまは『三三』というITベンチャーなど数社が
神山にサテライトオフィスをおいたりして、面白くなってきていますよ。
そこでバリバリのITの仕事をして、
窓を開けたら牛小屋があって田んぼがあるという風景が広がっている(笑)。
面白いのは、彼らの専門業と、畑仕事をしているおじいさんやおばあさんの専門業が
対等だということ。これは正しいですよ」

地元の経済に参加することが重要だというトムさん。
それにはそこで仕事をし、生活するのがいちばんなのだ。

トムさんの仕事仲間のひとりである長岡真一さんは、
東京から神山へ移住し、結婚して子どもも生まれた。人口6000人くらいのまちで、
昨年生まれた3~4人の子どものうちのひとりだというから、
地域に大貢献していると言っていい。

結局、必要なのは、人だとトムさんは言う。
「人って、いろいろ面倒くさいですよね。でも地域には人が必要。
いま地域で面白い動きをしている人がパイオニアになっていくと思います。
そして重要だと思うのは、彼らはインターネットをうまく活用しているということ。
現代の技術を恐れず、ウェブやスマートフォン、SNSを楽しく使っている人が、
農家でも職人でも元気だと思います」

日本の地域の将来に、イギリス人であるトムさんが
これほど危機感を抱き、真摯に向き合っている。
日本人の私たちは……と考えると、背筋が伸びる思いだ。
トムさんは深い問題意識を持つと同時に、希望も捨てていない。
「神山で映像会社を立ち上げました。今後、長岡と一緒に、
東京やロンドンに負けないくらいの会社に成長させたいと思っています」

神山は、総務省の地域ICT利活用モデル事業によってブロードバンド化され、NPOグリーンバレーによってさまざまなプロジェクトが進められている。町屋を改装したトノループのオフィスも、短期的に仕事をしながら滞在したい人に貸し出している。http://www.in-kamiyama.jp