瀬戸内国際芸術祭 2013 大島「やさしい美術プロジェクト」

島そのものを見てもらうということ。

瀬戸内国際芸術祭が開催される12の島のうち、
大島は少しほかの島と事情が異なる。
大島は、島全体が国立ハンセン病療養所なのだ。
1909年に開園したこの「大島青松園」は、
全国に13ある国立療養所のうちのひとつで、唯一の離島。

ハンセン病の感染力はきわめて低く、治療法が確立されているが、
かつては誤った知識から不治の病とされ、長く差別の対象となってきた。
法律によって隔離され、子孫を残すことも禁じられた。
その誤った「らい予防法」が廃止され、
療養所に人が自由に行き来できるようになったのは1996年。
つい17年前のことだ。
療養所にいる人たちはすでに治療は終わっているので
「患者」ではなく「入所者」と呼ばれる。
大島には現在も約80人の入所者が暮らし、その平均年齢は80歳を超える。

この大島では、2010年の第1回芸術祭から、絵本作家で美術家の田島征三さんと、
「やさしい美術プロジェクト」が関わっている。
芸術祭の構想が立ち上がったとき、ぜひ大島でも開催したいと考えた
総合ディレクターの北川フラムさんは、いち早く大島を訪れた。
やさしい美術プロジェクトを手がけるアーティストの高橋伸行さんは、
北川さんに声をかけられ、2007年から大島に足を運ぶようになった。
だが、最初は何をしていいのかまったくわからなかった、と高橋さんは言う。
「何度も来るようになって少しずつ入所者のみなさんと交流できるようになりました。
そこで感じたのは、この島全体が発しているメッセージのようなもの。
でもそれが外に伝わっていないという気がして、
それを伝えていくようなことをやろうと思いました。
僕自身が作品を持ち込んで展示するのではなくて、
この島そのものをきちんと見てもらう。
そういうことに意味があるんじゃないかと思えてきたんです」

田島征三さん作の絵本『海賊』。「青空水族館」では、この海賊と人魚の物語の世界が、空間絵本として展開している。

やさしい美術プロジェクトが大島で取り組む{つながりの家}は、
大きく3つの柱からなる。ガイド、ギャラリー、カフェだ。
芸術祭ではほかのどの島も来島者が島内を自由に見て回るが、
大島ではガイドとともに島を見て回る。
島には入所者の居住区域もあるので、そういった配慮もあるが、
島の歴史を知ってもらい、見てもらうという意図がある。

来島者はまず、ここで亡くなっていったたくさんの入所者の遺骨を納める
納骨堂で手を合わせ、その魂を弔う「風の舞」というモニュメントを訪れる。
このガイドを担うのが、芸術祭のボランティアサポーターである「こえび隊」。
周辺地域の若い世代がその役割を担うことにも、大きな意味がある。

ギャラリーでは、亡くなった方の遺品や、捨てられていたものなど、
大島のさまざまなものを集めて展示している。
それらは単に資料としての展示ではない。
「資料的な価値があるかはわからないけれど、
僕らアーティストにとっては、何かを感じとらせてくれるもの。
そこで生きてきた人の息づかいや記憶、暮らしぶりが見えてくるようなものです」
と高橋さん。入所者の人たちが、昭和30年代に
園の許可をとってつくったという船なども展示している。

全国のハンセン病療養所には必ずある納骨堂。亡くなっても自分の家に戻ることのできなかった人たちのお骨が収められている。

1992年に1000人のボランティアによって建てられたモニュメント「風の舞」。魂が風に乗って自由に解き放たれるよう祈りを捧げる。

そして「カフェ・シヨル」は、来島者、入所者、療養所の職員などが
分け隔てなく集まる場所。高橋さんと一緒に活動する女性ふたりが運営する。
芸術祭会期中の土日、会期外も月に1度営業して、ランチやお菓子を提供している。
島には戦時中の食糧難の時代に、入所者たちが開墾した畑があり、現在も作物がとれる。
それらの野菜や果物を素材にとり入れ、ふたりが工夫して毎月メニューを考案。
とても評判がよく、ランチ目当てに島外からやって来る人もいるという。

ここで出すお菓子「ろっぽう焼き」は、かつて大島でつくられていたお菓子。
ルーツは大島にはないが、あんこをうどん粉で包んで焼いた焼菓子で、
これがおいしかったと懐かしそうに話す入所者が多く、再現してカフェで出すことにした。
「これは大島の人たちが自分たちの暮らしのなかで育んできた
小さな、知られていない文化。単なるお菓子ではなくて、
食べて味わうことで、入所者のみなさんの記憶を共有するという作品なんです」
島の外の人と入所者が一緒にお茶を飲んだりできるような場所が、それまではなかった。
カフェ・シヨルは2010年の芸術祭後も月に1度営業し、定着してきた。
準備期間も合わせると、月の半分くらいは大島にいるという彼女たちは、
入所者にもすっかりおなじみの存在だ。

空き室を利用してつくられた「カフェ・シヨル」。シヨルという名は「~しよる(する)」という香川県の方言から。

あんこをうどん粉で包み、六面体にして焼いた「ろっぽう焼き」。(写真提供:カフェ・シヨル)

見て、知って、感じて帰ってほしい。

大島自治会長の森和男さんと副会長の野村宏さんは、ふたりとも60年以上ここで暮らす。
当初は芸術祭や現代アートといっても、まるで見当もつかなかったという。
「そんなことをしてお客さんが来るんだろうかと半信半疑でした。
始まってみたら関東や九州から来る人も多い。まさかこんなににぎやかになるとは」
と野村さん。
なかには大島が療養所の島だということを知らずに来る人もいるが、それでもいい。
森さんは「これまでこの島は知られていなかったに等しい。
芸術祭の作品を見に来ることによって、大島の認知度が上がる。
たくさんの人が来てくれるのはいいことだと思います」と話す。

野村さんは高知県出身。大島に作品を展示している田島征三さんは
高知に疎開していたことがあり、年齢が近いこともあって、意気投合したのだそう。
「田島先生も高橋先生も、よくわからないものをいっぱい集めてきて展示したり、
突飛というか、我々が全然思いつかないようなことをされます。
こえび隊の人たちもたくさん手伝いに来て、みんな暑いのにようやるなと思います」
と楽しそうに笑う。アートなんてわからん、と言いつつ、やっぱり楽しいのだ。

野村さんが入所した昭和27年当時は、入所者は700人もいた。
けれどそれに対して介護する職員はたった20人ほど。
人手が足りないので、比較的症状の軽い軽症者が
さまざまな作業をしなければならなかった。
家や道路を直したり、畑仕事をしたりと、
半分、軽症者によって療養所が運営されていた時代もあったのだ。
また生活だけでなく、医療までもが隔離されていた。
らい予防法が廃止されるまでは、病気になっても
外の病院で治療を受けることもできなかったという。

ふたりはこれまで多くの仲間たちの死を見てきた。
「もっと早く法律が廃止になっていれば、こんなにも差別に苦しむことなく、
もう少し楽だったんじゃないかと思います。
いつのまにか年月が過ぎてしまいましたが、あまりにも長かった」と野村さん。
森さんも「芸術祭をきっかけに来てくれた人が、大島のことを知って、
何かを感じて帰ってくれるんじゃないか。それが大事なことだと思います」
と話してくれた。

野村さんの趣味は盆栽。みごとな鉢がいくつも並び、足を止める来島者と会話を交わすきっかけにもなる。

入所者たちが釣りをするために、庵治町の漁師につくってもらった船。あまり遠くまで行くことは許されなかったが、つかの間の解放感を味わったに違いない。下からも見上げて鑑賞できるようになっている。

船の下を掘ったときにできた土の山を、高橋さんのアイデアで畑に。トマトやすいかもたくさんできたという。

ここで暮らす人たちにとって当たり前のものが、実は当たり前じゃないんだと、
外の人間だから言えることがある、と高橋さんは語る。
「いままで入所者がとるに足らないと思い込んでいたものをあえて展示し、
大島を訪れた人々がそれらをじっと見つめる。
入所者のみなさんはその光景を見ていると気持ちが変わります。
誰にも見てもらうことがないと思っていた、自分たちの使ってきた生活用具などに
ほのかに刻まれた痕跡のようなものを、涙を流しながら見て感じてくれる人がいる。
そうすると、自分たちの生きてきた時間や記憶に、それまでなかった価値が与えられて、
少しずつ、生き抜いてきた自身への誇りが芽生えているように思います。
人としての存在価値さえ認めない隔離政策がとられてきたけれど、
そこには悲しみがあり痛みがあり、そして喜びもあったのだと。
つぶさに見ていくと、大島にあるどんな些細なものにも、
その背景には、ここで生きてきた人たちのストーリーがあるんです」

展示されているもののなかには、生々しくショッキングなものもある。
かつて実際に大島で使われていた解剖台だ。
浜辺にうち捨てられていたものを引き上げて、前回の芸術祭から展示している。
どのように、何を目的に解剖が行われたのかは、
詳しい調査が進んでいないのでわからない。
そのうえで展示するのはどうかという指摘もあるが、
実際に解剖台の上で遺体を洗ったり、
解剖の終わった遺体をお棺に移した経験のある入所者は多いそう。
高橋さんのなかでもまだ結論は出ないが、
これも島の歴史を伝える象徴的なものであることは確かだ。

高橋さんは、自身もだんだん島に溶け込んでいったせいか、
芸術祭によって島が大きく変化したとはあまり感じていなかったが、
森さんたちの口から、芸術祭から島が変わってきたんだという言葉を聞いた。
「たしかに、いまは僕やこえび隊の人が大島にいると、
久しぶりだね、なんて入所者の方がふつうに声をかけてくれます。
大島を訪れるようになった頃はそんな雰囲気ではなかったので、
いま思えばゆっくり変わってきたんですね。
部屋から出ることのなかった入所者の方が、カフェに行ってみたいと、
それを励みにしてお店に来てくれる方もいて。
そんなことがあるとすごくうれしいですね」

展示されていた碁盤。囲碁や将棋は入所者たちの数少ない娯楽のひとつ。手が不自由な人はスプーンをうまく使って碁石を並べたそう。

ハンセン病療養所には、歌集や詩集を自費出版していた歌人や詩人が多くいた。それらの本を集めていた入所者の蔵書も展示されている。

コンクリートでできた解剖台。浜から運び上げるときに割れてしまった。

高橋さんは、大島以外でも「やさしい美術プロジェクト」を各地で展開している。
もともと彫刻作品をつくっていたが、立体作品をつくる際に
空間や場所との関わりに目をつけることが多くなり、やがて人との関わりや、
人の背景にある地域や歴史も見つめながら作品をつくることを考えるようになった。
また兄を病気で亡くし、自身も交通事故で入院した経験から、
病院という場所で表現のかたちを探れないかという構想を持つようになった。
現在は、病院の緩和ケア病棟や老人福祉施設、
障害を持つ子どもが通園する施設などでプロジェクトを展開している。

「病院にいる人たちは楽しいことよりも、
辛い、苦しい、痛いということがほとんどです。
だからこそ意識から遠のかれてしまいがちですが、
あえてそういう場所から出発してみたい。
人の痛みを感じるというのは人間に備わった大切な能力だと思うんです。
人の痛みを感じることから始めて、何かをつくり出していく。
そういう創造性の積み重ねをしていくプロジェクトです」

大島で暮らす人々はみな高齢で、入所者は年ごとに少なくなっていく。
やがて誰もいなくなるという現実をしっかり見つめて、
この島をどうしていくかは今後の大きな課題だ。
「いまのうちにみなさんにできるだけいろいろなお話をうかがって、
何らかのかたちで継承していきたい。そのためにはまず、
たくさんの人がこの島に関わることが大事だと思います。
ここで生きてきた人たちのことを、僕たちは絶対に忘れない。
いまこの瞬間も、そして将来にわたっても、
この島を多くの人々が訪れる島にしたいという願いを持つ入所者がおられます。
これからもそこにずっと関わっていきたいと思っています」

やさしい美術プロジェクトは、美術という枠組みを超えた、
人と人とのつながりから何かが生まれていくような営み。
これが瀬戸内国際芸術祭の真のねらいではないだろうか。

娘さんと一緒に島を訪れていた高橋さん。「やさしい美術プロジェクト」はこれからも各地で続いていく。

profile

NOBUYUKI TAKAHASHI
高橋伸行

1967年愛知県生まれ。アーティスト、「やさしい美術プロジェクト」ディレクター、名古屋造形大学教授。彫刻作品を発表し、個展やグループ展に参加する傍ら、2002年から「やさしい美術プロジェクト」を開始。愛知県厚生連足助病院や新潟県十日町病院などで活動を続ける。
http://gp.nzu.ac.jp/

information

Setouchi Triennale 2013
瀬戸内国際芸術祭 2013

秋会期 10月5日(土)~11月4日(月)
会場 瀬戸内海の12の島+高松・宇野(直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、高松港・宇野港周辺)
http://setouchi-artfest.jp/

今日のグルメ:遂に登場! 愛知県岡崎市のかなりリアルな 「オカザえもん寿司」

あいちトリエンナーレ2013で盛り上がる愛知県岡崎市。
今日も「岡崎アート広報大臣」のオカザえもんは
西に東に飛び回って岡崎市の広報に励んでいます。

今日のおやつは、そんなオカザえもんをかたちどったお寿司!
岡崎市の和食屋さん「味波 岩津店」でテスト販売されるそうです。
すし飯の量、具の配置がとても難しい太巻ですが、
かなりオカザえもんに近いですね!

見て楽しく食べておいしい
グラフィカルな太巻きが最近とっても気になります。
先日コロカルでご紹介した千葉の太巻きもぜひ合わせてご覧ください。

瀬戸内国際芸術祭 2013 豊島「島キッチン」

瀬戸内国際芸術祭が開催されている島のうち、
小豆島、直島に続く人口となる約1000人が住む豊島。
島では水がとても貴重な資源だが、豊島は昔から水に恵まれ、
瀬戸内では米がとれる数少ない島のひとつ。
前回芸術祭が開催された2010年に、
美術家の内藤礼と建築家の西沢立衛による「豊島美術館」や、
クリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」が誕生し、
アートファンにはその名を知られる島となった。
そして今年もまた、芸術祭のシンボル的な作品が豊島に生まれた。
コンセプトから横尾忠則が手がけ、建築家の永山祐子とつくり上げた「豊島横尾館」だ。
古民家を改修し、平面作品だけでなく、
庭園や煙突のような塔でのインスタレーションなど、
横尾の壮大な世界観が表現されている。

世界中の人の心臓音が聴ける「図書館」というコンセプトのクリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」。(写真:久家靖秀)

夏会期からオープンした「豊島横尾館」。既存の建物の配置をいかし「母屋」「倉」「納屋」で構成される。塔のような建物では《滝のインスタレーション》を展示。

竹林の上に船のように浮かぶのは、アメリカのマイク+ダグ・スターンの作品「Big Bambu」。竹の道を歩いて船まで上がることもできる(ツアー制。条件などは芸術祭HPで要確認)。

島の恵みが味わえる場所。

この豊島で、前回の芸術祭からすっかり定着しているのが「島キッチン」。
安部良設計によるレストランで、島でとれた食材を使い、
東京・丸ノ内ホテルのシェフと島のお母さんたちがつくる料理が楽しめる場所。
シェフはレシピ開発や調理指導だけでなく、夏会期は島に常駐し、
お母さんたちと一緒にキッチンに立っている。

島キッチンで店長を務めているのは「瀬戸内こえびネットワーク」の藤崎恵実さん。
もともと豊島出身の藤崎さんは、島を出て岡山県で働いていたが、
島に帰ろうと考えていた頃、2010年に瀬戸内国際芸術祭が開催されることを知り、
島に戻って「こえび隊」に登録した。
「こえび隊」は瀬戸内国際芸術祭のボランティア組織で、
さまざまなかたちで芸術祭の運営をサポートしている。
瀬戸内海近隣はもちろん、全国各地から人が集まり、
週末だけ首都圏から参加する人や、アジアや欧米など海外から参加する人もいる。
年齢層も学生からお年寄りまで多彩で、家族で参加する人もいるという。

通常、こえび隊のメンバーは毎日違う会場で活動するが、
自宅も近い藤崎さんは会期中ずっと島キッチンに携わることに。
会期後も島キッチンは継続し、週末やGWなどに営業することになり、
島に住む藤崎さんが店長となった。
「島に帰って何をするかは決めていなかったんです。
でもなんとなくいつか帰りたいとずっと思っていました。
そもそもこの島が好きなんでしょうね。
自分らしくいられるのが、この島なんだと思います」と笑顔で話す。

半屋外の開放的な空間「島キッチン」。テラスでイベントが行われることも。

この日の「島キッチンセット」(1500円)。鯛を蒸したものに、野菜の天ぷら。島のレモンを使ったぽん酢がかけられている。ラタトゥーユに、鯛のすまし汁。お米は豊島でとれたもの。見た目も洗練され、素材のひとつひとつがおいしい。

マイナスのイメージを乗り越えて。

でも、最初から島にそんなに人が来るとは思っていなかった。
島の人たちはみんな半信半疑だった、と藤崎さん。それもそのはず。
それまで豊島といえば「ゴミの島」というイメージが強かったのだ。

豊島では1970年代から悪質な業者によって有害な産業廃棄物の不法処理が始まった。
住民たちの反対運動もむなしく、香川県が業者に事業許可を出したことから事態は悪化。
島外から運ばれた廃棄物を積んだダンプカーが島内を横行し、
有害物質のせいか、ぜんそくの子どもたちが増えたという。
ぜんそくに関してはその因果関係ははっきりとは立証されていないが、
藤崎さんも子どもの頃はぜんそく持ちだったそう。
また、処分場から猛毒のダイオキシンが検出され、
廃業を余儀なくされた漁業従事者もいた。
やがて住民たちは立ち上がり、
1993年に故・中坊公平弁護士を中心とする弁護団が結成され、公害調停を申請。
2000年にようやく香川県知事が謝罪し、調停が成立するに至った。
廃棄物は現在も直島の溶融処理場で処理が進められているが、
その量は膨大で、処理は2016年までかかるとみられている。

芸術祭には、そんなことを知らずに島にやって来る人もいるが、
なかには島全体がゴミの山だと思っていた人もいた、と藤崎さん。
「そういう面はごく一部であって、本当は自然豊かで緑が多く、
作物もいろいろなものがとれます。
アート作品もすばらしいものがたくさんありますが、
芸術祭がきっかけで島に来てもらって、
ゴミの島というイメージとは全然違うということを実際に感じてもらい、
また豊島に来たいとお客さんに言っていただけるのは、とてもうれしいです」

古い空き家を改築して食堂に。開店した途端、あっという間に席が埋まってしまうことも。

島が、自信を取り戻していく。

島キッチンの厨房で働く地元のお母さんたちのなかに、
藤崎さんのお母さん、藤崎令子さんもいる。
そもそも、藤崎さんに島キッチンの話を教えてあげたのが令子さんなのだ。
最初は、芸術祭なんて自分たちに関係ないと思っていた島のお母さんたちだったが、
総合ディレクターの北川フラムさんたちと話し合っていくうちに、
少しずつ変わっていったという。

「最初は私たちも困りました。でも物事って
そういう強い力がないとなかなか動かないんですよね」と令子さん。
もちろん、東京のシェフと一緒に作業するなんてことも初めて。
「シェフたちは島のお母さんたちが日頃食べているものを
全面的に受け入れてくださり、メニューに加えてくださいました。
島のお母さんたちは、料理本でしか目にしないプロの料理をシェフたちから教えてもらい、
その作り方や野菜の丁寧な取り扱いに感心させられました。
みなさんとてもいい方たちで、お母さんたちの個性を受け止めてくださり、
すばらしい出会いに恵まれたと思っています」

令子さんも、島にこれほど人がたくさん来るとは思ってもみなかったそうだ。
芸術祭が始まって、島も変わってきたと感じている。
「たくさんの人が島に来てくれて、ここがどんなにすばらしい島かということを、
みなさんが私たちに教えてくれました。
私たちがふつうに食べていたものをおいしいと言ってくれて、ああそうなんだ、と。
子どもたちの世代にも、こんなにおいしいものがとれて、景色がきれいで、
安心して暮らせる島なんだと、私たちの口からではなく、
第三者がそれを伝えてくれたことは、とてもよかったとしみじみ思うんです。
子どもたちも、自分たちの住んでいるところはすばらしいんだと、
堂々と胸を張れると思います」

令子さんは、若い世代が島の土地を守りながら農業をやってくれたら、と話す。
豊島はほかの島ではなかなかとれない米がとれる。昔の人たちが開墾した棚田もある。
住民が高齢化して荒れた田んぼも増えてきていたが、
芸術祭で人が来ることによって、景色のためにもと、
少しずつまたお米を作る人が増えてきたそうだ。
「後世も豊かな島でありたい」という令子さんの言葉が印象的。
島の人たちは、文字通り、豊島が豊かな島であり続けることを願っている。

島のお母さんたちが働くことで雇用を生むことにもなっている。

藤崎さん親子。「島の人たちにも、もっとたくさん島キッチンに来てほしい」

information

Setouchi Triennale 2013
瀬戸内国際芸術祭 2013

夏会期 7月20日(土)~9月1日(日)
秋会期 10月5日(土)~11月4日(月)
会場 瀬戸内海の12の島+高松・宇野(直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、高松港・宇野港周辺)
http://setouchi-artfest.jp/

information


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島キッチン

住所 香川県小豆郡土庄町豊島唐櫃1061
営業時間 10:00~16:30(L.O. 15:30)
*芸術祭の会期中は無休、会期と会期のあいだは土・日・月・祝のみ営業
http://shimakitchen.com/

世界のEAST・大阪から 国際水準のデザインを— 今年も「DESIGNEAST04」開催

来たる9月14 日(土)、15(日)、16 日(月・祝)の三日間に渡って、
大阪・名村造船跡地にてクリエイティブ・カンファレンス
「DESIGNEAST04」が開催されます。これは建築、プロダクト、音楽など
幅広いジャンルのゲストを招聘し、トークセッションやワークショップ、
マーケットから映像上映などまでを行う、イベントでありシンポジウムでもある
クリエイティブの祭典です。

「DESIGNEAST」は2009年にスタートしたイベント。
発起人は、世界を視界に入れながら、大阪を拠点に活動する
若手デザイナーたちです。
世界の“EAST(東)”に位置する大阪を
“国際水準のデザイン/思考の発信場”とし、
大阪の新たな可能性を見いだそうとしています。

5年目となる今年のテーマは「場への愛」。
従来のカンファレンスのような、プレゼンテーターが一方的に喋る
プレゼンテーションではなく、来場者間の双方向の
コミュニケーションに重きを置いた構成になるのだそうです。

それでは、豪華な出演者の一部をご紹介しましょう。
建築家の藤村龍至コーディネートによる議論の場には
なんと磯崎新、貝島桃代が登場!
最新オランダデザインでは何が起きているのかを語る
Anne Mieke Eggenkamp × Kirstie van Noort × C-Fabriekや、
高度情報化社会における建築についての対談 Kunlé Adeyemi ×南後由和にも注目。

またグラフィックデザイナー・大原大次郎ディレクションの企画
「発声と音声のタイポグラフィーパフォーマンス「TypogRAPy」」では、
3組のラッパーを招聘し、書き文字だけではないタイポグラフィの在り方を
彼らの音楽から掘り起こします。出演はイルリメ、蓮沼執太+大原大次郎、
DJみそしるとMCごはん、徳利ら!
他にもヌケメのショップからgrafと料理研究家の堀田裕介による
3日間限定のフードコートなどなど、数えきれないほどの催し物が行われます。
ぜひ大阪でお会いしましょう!

DESIGNEAST04

写真:増田好郎

福岡の「やまや」が 日本パッケージデザイン大賞。 創業者を描く「北海道産原料 きらり辛子明太子」

ただいま、松屋銀座7階・デザインギャラリー1953において、
「日本パッケージデザイン大賞2013」展が開催されています。
これは、日本パッケージデザイン協会が主催する
同名コンペティションの受賞作品展。
日本のうつくしいパッケージ・デザインが多数紹介されています。

今年、約1,160点の作品から大賞に選ばれたのは、
福岡県のメーカー「やまやコミュニケーションズ」の
「北海道産原料 きらり辛子明太子」。
北海道噴火湾で穫れた希少なスケトウダラの卵を使用した
高級明太子とたらこのセットです。

デザインを手がけたのは広告プロダクションのサン・アド。
「やまや」の創業者である山本夫妻のイメージを、
北海道札幌市出身の挿絵画家・装丁家、蓬⽥やすひろさんが
繊細に描きあげました。

これをさらに木箱で包み、
落ち着いた色調のリボンと社名ロゴシールで封をしてます。
これらによって、新鮮さと、製品にかける製造者の思いを表現しているのだそうです。
もらった人もうれしくなるような、品のある美しいパッケージですね。
受賞展は9月9日まで行われています。

北海道産原料 きらり辛子明太子

第697回デザインギャラリー1953企画展 「日本パッケージデザイン大賞2013」展

やまや クリエイティブスタッフ

クリエイティブディレクター/アートディレクター:大森清史

アートディレクター:島田陽介、徳田祐子、小林昇太

コピーライター:内藤零、公庄仁

営業プロデューサー:坂東美和子、橋本祐樹

Webディレクター:櫻井亮太郎

フォトグラファー:上原勇

書体デザイン:伊比由理恵

マチスタの赤星さんも登場! 千葉県松戸の「MAD City」が 3周年イベント開催

千葉県・松戸市で生まれた、クリエイターやアーティストなどによる
まちづくりのプロジェクト「MAD City(マッドシティ)」。
クリエイティブを通して創造的なコミュニティづくりを進め、
松戸をより魅力あるエリアに変えていくことを目的としています。

そんなマッドシティが、今年誕生から3年を迎え、
拠点も移転して新MAD City Galleryに代替わりしました。
これにちなみ、9月7日(土)に
3周年を記念した1日限りのイベント「ワンデーMAD City」が開催されます!
「今のMAD City」を多くの方々に体感してもらえる1日になるそうです。

以前行われた、商店街150メートルの路上を開放して行われる食文化とアートの祭典「高砂通り酔いどれ祭り」でのひとこま。

この3年の間で、MAD Cityエリアに拠点を移したアーティストや
クリエイターたちは約100人もいらっしゃるんです。
イベントでは、彼らによる企画がMAD Cityのあちこちで行われるほか、
新MAD City Galleryのお披露目、さらに松戸駅前に根付く独特の住民やお店など、
松戸駅前で丸一日楽しめることでしょう。

そしてなんと、コロカルの人気連載「マチスタ・ラプソディー
でお馴染みの、赤星豊さんがトークショーに対談出演されます!
対談のお相手はMAD Cityを運営する「まちづクリエイティブ」の赤星友香さん。
特に親戚などではないそうですが、以前もマチスタの赤星さんがイベントに出て、
「赤星繋がりでまた呼んでください」と言ったことを発端に今回実現しました。

ちなみにコロカルでは、10月以降にMAD Cityの連載がスタート予定。
こちらもお楽しみに!

ワンデーMAD City

岡山県「倉敷意匠」の ポップなガムテ。「ササキィ・ クラシキィ印のガムテープ」

なにかと出番の多い「ガムテープ」ですが、
主に力強さを期待されている存在なので、
あまり可愛らしいデザインを施されたものは見たことがないですよね。

でもやっぱり、ガムテープもオシャレなものを使いたい!
そう考えたイラストレーターの佐々木美穂さんと、
岡山県倉敷市の雑貨メーカー「倉敷意匠」がコラボレーション。
佐々木さんが日頃から「こんなものが欲しい」と思い描いていた
カラフルで楽しいガムテープを作りました。

その名も「ササキィ・クラシキィ印のガムテープ」。
ストライプやチェックなど、絶妙な色目が揃っていて、
包装が楽しくなりそう。
お値段はひとつ483円となっております。

ササキィ・クラシキィ印のガムテープ

YCAM10周年記念祭 〈アート〉〈環境〉〈ライフ〉

集合する知、そして開かれた知へ。

設立10周年を迎える山口情報芸術センターで開催中の「YCAM10周年記念祭」。
その全体のコンセプトは〈アート〉〈環境〉〈ライフ〉。
アーティスティックディレクターの坂本龍一さんは、そのテーマについてこう語る。
「こういうテーマを掲げたのは、東日本大震災が大きく影響しています。
震災が起きて、一個人としても、またアーティストとしても大きなショックを受け、
もう一度自分たちの生活、あるいはもっと大きな文明という枠組みについて
考え直すきっかけになりました。
人間の生活とアートの関係、人間とテクノロジーやメディアの関係。
いろいろなことが複雑に絡み合った現代社会というものを考え直し、
現在から未来にかけて新しいビジョンを提出できればと思っています」

坂本さん自身も、今回の10周年記念祭でいくつかの作品を発表する。
そのひとつが「Forest Symphony」。
以前から森林保護の活動もしている坂本さんが、
木との対話をモチーフとして展開するサウンドインスタレーションだ。
木の生態活動に反応する微量の生体電位を特殊なセンサーで感知し、
その長期的なデータの変化を音に変換。山口、宮崎、札幌のほか、
ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボなど、
海外も含め24本の木にセンサーを取りつけ、それぞれの音が
空中に吊られた多面体スピーカーから流れ出てシンフォニーを奏でる。

このプロジェクトの技術開発にあたり、坂本さんと一緒に作品をつくり上げたのが
YCAMの研究開発チームである「YCAM InterLab(インターラボ)」。
この作品に限らず、YCAMにはアーティストの作品を実現させるために
必要な技術を提供したり、日々、情報科学の研究開発をしている常駐のスタッフがいる。
彼らが作品の構想段階から関わり、アーティストとともに制作していく。
彼らが関わることによって、さまざまな展示やプロジェクトが可能になっているのだ。

またそこで開発された技術について、ジャンルを固定せずに
スタッフ同士が情報を共有し、スキルが集合的に蓄積されていく。
そしてまた別のプロジェクトにも応用されていくという循環構造になっている。
第一期で開催中の国際グループ展のタイトルは
「art and collective intelligence」だが、
collective intelligence=集合知という新しい概念は、
YCAMの根幹をなしているといえる。

「Forest Symphony」では、センサー自体を販売し、購入者が木に取りつけ、
そのデータを将来的にネット上に集めるという試みも進められている。
そのように、YCAMでは培った技術をオープンソースとして公開し、
多様な応用を促していくというのも大きな特徴だ。

坂本さんはこのほかにも、11月から始まる第二期で、
高谷史郎氏との共作の新作インスタレーション作品や、
メディアアートのインスタレーションを舞台にした
野村萬斎氏とのコラボレーションによる能楽パフォーマンスも発表する。

「Forest Symphony」では、木の生体電位を取得し専用のサーバに送るオリジナルのセンサーデバイスを、YCAM InterLabが開発。高谷史郎氏のビジュアルディレクションのもと、モニター上でデータを視覚的に表現。

14個の多面体スピーカーからさまざまなサウンドが。木が奏でる音楽を聴くサウンドインスタレーション。

創造し、体験する場所。

10周年記念祭では、子どもたちが思いきり参加できるプロジェクトもある。
「コロガルパビリオン」は、YCAMに隣接する
中央公園の屋外に設置された子どもたちの遊び場。
2012年にYCAMの館内に登場し人気を得た「コロガル公園」を、
建築家ユニット「assistant(アシスタント)」との協働でバージョンアップさせたもの。
この建築物には、反重力的な動きを触発するさまざまな波形の地面が設定され、
その空間のなかにスピーカーやマイク、LED照明などがしかけられており、
子どもたちは、空間と身体とメディアを組み合わせた遊び方を、
自身で発見していくことになる。
また会期中には「子どもあそびばミーティング」が開かれ、
子どもたちとYCAM InterLabが一緒に考えた遊びのアイデアが、
機能として追加されていく予定だ。

こういった活動は「教育普及」として、
「メディアアート」「パフォーミングアーツ」とともに、
YCAMの活動の三本柱のひとつとなっている。
YCAMでは随時、さまざまなオリジナルのワークショップを開催している。
1日開催のものから、アーティストを招いて
1年間の長期にわたり開催するものまで、その内容はさまざま。
メディアやテクノロジー、そしてそのモラルについて、
どう考え、どう使っていくのかを、体験を通して学んだり、
発想したりするようなものになっている。

こういったワークショップから生まれた作品も、10周年記念祭で展示される。
第二期では、YCAMで開催されたワークショップ
「walking around surround」をインスタレーションとして展示。
昨年夏に開かれたこのワークショップでは、
山口の海に近い小学校、山に近い小学校、まちの小学校と
3つの環境の異なる地域の小学生に参加してもらい、
自分たちの身の回りの音をフィールドレコーディングしてもらった。
小学生たちがディスカッションを経て、スピーカーを空間のなかに自由に配置することで、
環境の異なる音が混じり合うというサウンドインスタレーションだ。

ふたつの建物からなる「コロガルパビリオン」。こちらは円筒形の建物の真ん中に小さな吹き抜けの空間があり、傾斜のついた床がその周囲をぐるりと取り囲むようになっている。

もう一方は円形の庭の中に小さな部屋が設けられ、ジャングルジムのような構造物などがある。ふたつの建物の構造は対照的になっており、非日常的な身体感覚を発見できる。

アーティストのアイデアを現実的に作品に落とし込んでいったり、
ワークショップを通じて地域の人たちに参加してもらうといった活動からもわかるように、
YCAMは単に作品を展示する場所ではなく、
創造する場であり、教育や体験の場となっている。
そしてそれを支えているのは、YCAMに集まる優れた人材。
坂本さんも「YCAMにはアーティストのやりたいことを、
なんとか実現しようとする優秀な技術者やプログラマーがいます。
彼らほど優秀な人材が集まっているメディアセンターは日本ではここしかない」
と絶賛するほどだ。

そのような人材と施設が地域にもたらす影響は少なくない。
それは明確な数字に表れるようなものではないかもしれないが、
創造性を刺激された人や発想豊かな子どもは確実に増えているはず。
またこれはYCAMの活動とは直接関係ないが、
山口市内にあるふたつのオルタナティブスペースが、
ともにYCAMのスタッフによって運営されているというのも面白い。
おもに実験的なパフォーマンスの発表の場となっている「スタジオイマイチ」は、
YCAM InterLabの大脇理智さんが個人的に主宰するスペース。
またトークイベントなどを開催し、作家と市民がゆるやかにつながるスペースを
民家で展開するNPO「MAC」を運営するのは、
YCAMで教育普及を担当している会田大也さん。
こういった人たちが、YCAM以外でも地域を面白くしているのだ。

YCAMのスタッフはほとんどが山口県外からやってきた人たち。
チーフキュレーターでYCAM副館長の阿部一直さんは、
山口という地域性についてこう話す。
「坂本龍馬が長州と薩摩を取り持って維新が起きたように、
誰かがメディエートすることで、潜在的なエネルギーが出てくるのが
山口なのかなと感じています。
YCAMがあることで世界のいろいろな土地や考え方と、山口がつながっていく。
そうすることで、地域の人たちの自己表現能力、
国際コミュニケーション能力を高めてもらう。
それは日本にとってとても重要なことだと思います」

まだまだたくさんのプログラムを開催しながら、10周年記念祭は12月頭まで続く。
山口という土地から10年後、20年後の未来が見えてくるかもしれない。

昨年行われた「walking around surround」のワークショップ。地域の人たちが参加して行われるさまざまなタイプのワークショップをはじめ、教育普及はYCAMの活動の大きな柱のひとつとなっている。

奈良の森で、 福島と奈良をつなぐ物語。 写真家、鈴木心の 「写真店 かをるやま」

福島県郡山市出身の写真家、鈴木心さん。
コマーシャルやポートレイトなど幅広いジャンルで活躍するほか、
写真家を育成するためのワークショップを数多く開催し、
自らのWebサイトでは、数百枚にも及ぶ自分が撮影した写真を
著作権フリーでアップロードし続けるなど、現代的な感覚を
持ち合わせながら、写真という表現を真摯に追求されている写真家です。

そんな鈴木心さんが、奈良県にて個展「鈴木心 写真店 かをるやま」を開催します。
会場は奈良市で30年以上の歴史を持つ「くるみの木」の「秋篠の森」にある
ギャラリー「月草」。写真「展」ではなく「店」なのがポイントです。

展示のテーマは、古代からの奈良と郡山の物語。
鈴木心さんの視点で切りとられた福島の「今」を伝えます。
実は、奈良と福島は姉妹都市であり、郡山という同名の駅を持つほか、
両都市にて、福島県出身の釆女を主人公とする
悲劇「うねめまつり」が開催されているなど、深い縁を持つ土地なんです。
タイトルの「かをるやま」とは、福島を来訪した歌人が詠んだ歌にある言葉で、
「こおりやま」という地名の由来とも言われています。

会場では写真の展示のほか、奈良の古道具や、三春町でこ屋敷恵比寿屋の張子、
会津市三島町のまたたび細工など、福島と奈良の工芸品なども展示・販売します。

そのほか、8月24日(土)にはトークイベント「いままでとこれからの福島のこと」
や、「夜の写真塾」を。8月25日(日)には写真のワークショップ「見ること、見せること」
や、鈴木心さんによる「肖像写真撮影」なども行われるのでお近くの方はぜひ。
詳細は下記Webサイトにて。

鈴木心 写真店 かをるやま

クリエイティブユニット kvinaが宮城を旅する 「MI AMAS TOHOKU 海辺の街へ」

以前コロカルでもご紹介した
東京のクリエイティブユニット「kvina(クビーナ)」。
作家でアーティストの小林エリカさん、グラフィックデザイナーの田部井美奈さん、
写真家の野川かさねさん、イラストレーターの前田ひさえさんら4人のユニットです。

彼女たちは震災後、仙台の編集プロダクション「シュープレス」との
コラボレーション・プロジェクト「Mi amas TOHOKU(ミーアーマス トウホク)」
を行っています。エスペラント語で「東北が好き」を意味するこのプロジェクトで、
これまで2年間、東北を旅したり、ものづくりをしながら、
たくさんの人たちとの素敵な出会いや想いを積み重ねてきました。

kvinaがデザインし、気仙沼の「MAST帆布KESEN-NUMA」が製作。白地にワンポイントの青ボーダーがかわいらしい「Amo estas Bluaトートバッグ」

そんな彼女たちが、宮城県で展示とイベントを行うことになりました。
まずは8月24日から9月1日まで仙台の「BOITE」で行われる
kvinaの作品展「Mi amas TOHOKU 海辺の街へ」。
24日の14時からはkvinaが在廊し、
オープニングイベントとミニライブを開催。
陸前高田の野菜を使ったフィンガーフードと、
フルーツを使ったソーダパーラー「ソーダクヴォ」でおもてなしします。

そして23日から25日まで、塩釜のビルド・フルーガスにて、
「Mi amas TOHOKU 東北が好き -旅するスノードーム- 」展を開催。
25日には、kvinaと一緒にスノードームを作るワークショップが
行われます。陸前高田の野菜の特製サンドウィッチつきですよ。
ワークショップのお申込みなど、詳細は下記Webサイトにて。

MI AMAS TOHOKU 海辺の街へ

アルバス 酒井咲帆さん

写真の持つ機能。写真屋が担う役割。

『いつかいた場所』というのは、写真家の酒井咲帆さんが、
同じ子どもたちを、そしてその村の変化を、10年間、撮り続けた作品だ。

酒井さんが19歳のとき、ひとり旅で出かけたある村で、
友だちになった小学3年生と4年生の4人組。
声をかけてすぐに仲良くなり、その日、一緒に遊んだという。
それから手紙の交換も始まり、1年に1回、会いに行くようになる。

初めて会った年から数年は、写真という目的でもなく、
ただ“友だち”に会いに行っていただけ。
そのうちに、彼らの兄弟が登場したり、行動範囲も広がるようになる。
同時に、撮っていた写真から変化が見えるようになってきて、
次第に記録ということを意識して写真を撮るようになっていった。

あるとき、彼らの通っていた小学校が閉校することになり、
校長先生から酒井さんに撮影依頼がきた。
同時にこれまで撮りためていた写真の展覧会をさせてもらうことになった。
この準備を一緒に進めた“かつての小学生たち”は、もうハタチ過ぎ。
展覧会では彼らの親とも初めて会い、
「あなたの話を聞いていたのよ」と歓迎される。
地域のひとたちも、自分が写っているわけでもないのに、
写真を観て感動してくれた。
そこには村の懐かしい風景が写っていたのだ。

「この村がどうなっていくか、私にもわかりませんが、
見続けることに意味があると思っています。
削ぎ落とされていったなかに、大事なものがあるんじゃないかと想像しながら」

手紙がメールになり、迎えが車になり、会合が居酒屋になりと、
コミュニケーションのかたちは変わりながらも、
10年以上経った今でも交流は続いている。

写真屋という場所から広がる地域コミュニケーション。

酒井さんはこれらの活動と並行して、子どもとの関わり方を自身の主軸に据え、
大阪のギャラリーや九州大学で働いていた。

「子どもは、未来を担うひと。
社会全体で子どもたちを一緒に育てるということを
考えないといけないと思うんです」という酒井さん。
しかしそれに正解はない。
でも考え続けることが「生きていくこと」だという。

これまでの仕事から学んだことを通して、自分で出来ることを追い求めた結果、
福岡市内に写真屋「アルバス」をオープンした。
アルバスは、
お客様の撮影したフィルムやデジタルデータをプリントするラボと、
家族写真が撮れるスタジオがある。
でもラボは、普通とはちょっと違う。

「現像やプリントを受け付けるとき、
ひとりひとりのお客さんとなるべくじっくり話をします。
撮影時の気持ちを思い出してもらいながら、
そぉっとお客さんの心に入って行く感じで。
写真を焼くことは、
お客さんの思い出に色を乗せているような感覚でもあります」

プリントの注文を受けるときは、実際のサンプルをもとに、明るさや色味などの希望を聞いてくれるのでわかりやすい。

会話を重ね、実際に写真を焼くと、
マイナスの面が見えてきてしまうことだってある。
みんな悩んでいたり、問題を抱えていたり。

「問題を解決するということではないけど、
ちょっとでも寄り添って、受け入れて、
安心できるような場所でありたいなぁと。
そういう意味では、ひととしての関わりのなかから見えてくるものが多いので、
写真屋でよかったと思います」

中古カメラも販売されている。ハーフカメラなどのユニークなカメラもあってカメラ好きにはたまらない。

「写真」そのものを最大限に活用しているように思えるが、
酒井さんはあくまで「写真は手段だ」と言い切る。
「写真屋としての機能でありながらも、
まちづくりの一部として捉えています。
どうすれば暮らしやすくなるのか、この場所で考えていきたい」

たしかに写真は、
コミュニケーションの第一歩としては最適かもしれない。
そして写真屋という場所があることで見えてくることがたくさんあると話す。

「例えば、困ったときに助けてくれるのがお隣さんだったりするように、
アルバス自身が当たり前のことにちゃんと気がつける存在で
いられればと思っています」

黒板にチョークで書かれたメニュー表。フィルムやカメラのイラストがかわいい。

これからも酒井さんは、写真を手段として、広く活動していく。
特に子どものことを考えるのが酒井さんのモチベーションの原点であるため、
現在では、保育園の補助スタッフとしても働いている。

「写真、子ども、居場所ということを合わせて考えたいと思っています。
写真はあらゆる分野に寄り添えるような手段だと思うので、
写真の可能性を広げる意味でも、
多様な考えを持って携わっていきたいと考えています」

information


map

albus
アルバス

住所 福岡県福岡市中央区警固2-9-14
TEL 092-791-9335
営業時間 12:00〜20:00
http://albus.in/

profile

SAKIHO SAKAI
酒井咲帆

1981年兵庫県生まれ。写真家。株式会社アルバス 代表。
まちの人々との対話・交流、特に子どもを取り巻く風景を撮り続ける一方で、2009年福岡市警固に写真ラボ「albus|アルバス」を設立。アルバスとはアルバムの語源。「まちのアルバムとなるように」という想いの下に、写真にまつわる多様な活動を展開している。

竹内まりやが 故郷への想いを綴った唱歌 「愛しきわが出雲」リリース

今年は、出雲大社で60年に一度の「本殿遷座祭」が執り行われた年。
これにちなみ、出雲に生まれ育ったシンガーソングライターの
竹内まりやさんが、故郷への想いを綴った
唱歌「愛しきわが出雲」を出雲市に提供しました。
出雲を舞台に、優しい故郷を詩的に歌い上げる優しいうたです。

作詞作曲は竹内さん、編曲は山下達郎さん、
オーケストラ・アレンジは服部隆之さんという豪華ぶり。
この楽曲を市内の99名の合唱団と竹内さん、  
出雲市出身の岩谷ホタルさんが歌った
音源などを収めたCDが8月10日に発売されました。

このCD製作にあたっては、
CDジャケットのベースとなる作品を公募。
全国各地から多数の応募があり、竹内まりやさんと出雲市にて選考された
作品がジャケットとして使われています。

こちらのCDは出雲市役所、出雲観光協会観光案内所、
道の駅、国民宿舎、書店、ファミリーセンターなど
市内のさまざまな場所で販売されるほか、
ワーナーミュージック・ダイレクトで通信販売も行われています。
地元の歌を一流ミュージシャンが作ってくれるなんてうらやましい
ですね。地元の方も遠方の方も、ぜひ聞いてみてください。

愛しきわが出雲

世界文化遺産の宮島で、幻想的な 水中花火写真愛好家が集う 「宮島水中花火大会」

昨日、世界文化遺産の広島県は宮島で、
毎年恒例の「宮島水中花火大会」が開催されました。

その名の通り、水中花火(水中に向かって打ち込み、
水中で点火される花火)が目玉の花火大会です。
宮島では、点火した花火玉を、走行する船の上から
海中に投げ込んでいきます。花火の炸裂する迫力の大音響と、
幻想的に浮かび上がる嚴島神社の大鳥居や社殿の
コントラストにうっとりしてしまう大会です。

今年は200発の水中花火が瀬戸内の海と夜空を彩りました。
またシャッターチャンスを狙う写真愛好家の数も尋常ではなく、
沿岸にはびっしりと三脚が立ち並ぶのだそうです。
これほど美しい花火大会なら、愛好家さんたちが真剣になって
しまう気持ちもわかります。

・写真:IKAWAさん

※写真は昨年のものです

日本初!高松市で先端技術の アート展覧会「プロジェクション マッピングの世界 」開催中

プロジェクションマッピング、という技術があります。
ふつう、映像は平面のスクリーンなどに投影するものですが、
プロジェクションマッピングではビルの壁など立体物を
スクリーンとし、その立体物にぴったりと合った映像を投影することで、
まるでビルが動いているかのような、リアルとバーチャルのはざまのような
不思議な視覚効果を演出することができます。
東京駅や鶴ヶ城などに施されて話題になったので、
ご覧になったことがある方も多いかもしれません。

作品名:Inside of the shelf 作者:月眠(大阪)

そんなプロジェクションマッピングの作品だけを
集めた、日本初の展覧会
「プロジェクションマッピングの世界 ~デジタルアート表現の最先端~」
が四国は香川県の高松市にある「e-とぴあ・かがわ」で開催中です。
フランス、インドネシア、日本などからデジタル・アーティストが
集結し、最先端のプロジェクションマッピング作品が展示されています。

作品名:FUJI 作者:Joanie Lemercier (AntiVJ)

展覧会には、プロジェクションマッピングにおいて世界的な人気を誇る
アーティストユニット、AntiVJのJoanie Lemercier
(ジョアニー・ルメルシエ)さんらが出展。
ルメルシエさんの「FUJI」は、かぐや姫の物語をモチーフに、
富士山を表現した美しい作品です。
他にも、繊細なペーパークラフトに映像を投影した「Hunter」など、
大人も子どもも楽しめる作品がたくさん紹介されています。

作品名:Hunter (邦題:狩人) 作者:Davy & Kristin McGuire

最先端技術を使ったアートの展覧会が、四国の高松発信で
行われるのは興味深いですね。

プロジェクションマッピングの世界

YCAM10周年記念祭 「LIFE by MEDIA」

生活のなかで、メディアを捉え直す。

山口市にある山口情報芸術センター、通称「YCAM(ワイカム)」が
開館10周年を迎え、「YCAM10周年記念祭」が開催されている。
YCAMはメディアアートという言葉が浸透する以前から、
テクノロジーやメディアを使ったアート作品をいち早く紹介してきた、
公共の文化施設としては日本で唯一のメディアアートセンター。
多様な作品に対応できるように設計され、専門の制作技術チームが常駐し、
音響なども世界のアーティストたちが認めるすばらしい設備を誇る。

10周年記念祭は、アーティスティックディレクターに音楽家の坂本龍一氏を迎え、
展示やパフォーマンス、参加型作品など、多彩なプログラムが二期にわたって開催される。
YCAMは市立中央図書館を併設し、多くの市民が訪れる場所になっているが、
今回の10周年記念祭では、YCAMを飛び出し、まちなかでの展示プログラムもある。
公募企画「LIFE by MEDIA」は、山口駅にほど近い山口市中心商店街で
3つのプロジェクトが展開されている。
企画したYCAMの田中みゆきさんは
「館内だけではなくまちに出て行って、市民にYCAMが扱う
メディアという概念に触れてもらうことが大事だと考えました」と話す。

商店街でメディアを使って何ができるか。
作品を募集するにあたり、「メディア」について考える
きっかけになるような作品を集めたいと田中さんは考えた。
「メディアといっても、必ずしもパソコンを使わないとダメということではなく、
もう少し一般的に開かれたメディアというものを考えました。
自分を伝えるためのメディア、たとえば看板をどう置くのか、
どう振る舞うのかというのもメディアのひとつ。
そうやってメディアというものをもう一度捉え直してほしいと思いました」

「メディアによるこれからの生き方、暮らし方の提案」というテーマを設定し、
作品を公募。欧米やアジアなど10か国以上の国からさまざまなプランが寄せられ、
坂本龍一、建築家の青木淳、メディアアーティストの江渡浩一郎、
ファッションデザイナーの津村耕祐、コミュニティデザイナーの山崎亮、
「greenz」編集長の兼松佳宏の各氏が審査を務め、3つのプロジェクトが選ばれた。

「LIFE by MEDIA」の会場となっている商店街。市民の日常生活のなかに展示スペースが。

「PUBROBE」のレイアウトの方法はナイロビのマーケットからヒントを得た。

「PUBROBE(パブローブ)」は、個人の衣服や靴などの服飾品を集め、
誰もが利用可能な公共の「たんす」をつくり出すというプロジェクト。
東京とナイロビを拠点に活動するアーティストの西尾美也(よしなり)さんが、
ナイロビのマーケットに着想を得て考案した。
商店街のアーケードにある、広場のように少し開けた屋外のスペースが会場。
市内から集められた大量の古着が整然と並べられ、
その様子は一見するとフリーマーケット。
だがここは売買する場ではなく、気に入ったものがあればその場で着替え、
レンタルできるというスペース。
また洗濯機も用意され、洗濯して干したり、修繕できるスペースもある。
つまり服飾品が媒介となってさまざまなコミュニケーションが生まれる。

「実際に商店街を歩く人が、“なんだろう?”と近寄ってきてくれて、
“これいくら?”という言葉からコミュニケーションが始まることが多いです。
その場で服を着替えると本人の気分も変わりますし、まわりの人が
“お似合いですね”とか“これも試してみたら”などと声をかけるだけで
楽しい雰囲気になります。そうやって人が作品の一部になって
まちに帰っていくというだけで面白い」

西尾さんはこれまでも装いの行為とコミュニケーションの関係性に着目し、
服に関するアートプロジェクトを発表してきたが、
服がここまで実用的に人に使われるというのは初めての試み。
「もともとアートに感心のない人も巻き込みたいという思いがあって、
服を使って作品をつくってきましたが、
いちばんいろいろな人を巻き込める方法論が今回のプロジェクト。
人々の新しい“当たり前”になって広まっていったらいいなと思います」

単なるしくみではなく、見た目の美しさや面白さがポイント。古着は市報などで募集し、1~2か月で約2万点が集まった。

その場で着替えてもらうことで、作品の一部になってもらう。実際に全身コーディネートを楽しむ人も出てきた。

西尾さんは東京とナイロビを拠点に活動。2011年にはファッションブランド「FORM ON WORDS」を設立。

「スポーツタイムマシン」は、映像データベースに保存された
さまざまな人とかけっこ競争ができる装置。
登録されているデータから誰かを選ぶと、記録されたその影がスクリーンに投影され、
並んで走ることができるというもの。もちろん自分の姿も記録される。
商店街の奥行きのある広い空きスペースに設置され、連日子どもたちでにぎわっている。
制作したのはゲームクリエイターの犬飼博士さんと空間デザイナーの安藤僚子さん。
ふたりの仕事の領域は異なるが、日本科学未来館に2011年から常設されている
「アナグラのうた 消えた博士と残された装置」という空間情報科学に関する展示でも、
ふたりは共同でコンテンツディレクションを手がけている。

犬飼さんはゲームといっても
「eスポーツ(=エレクトリックスポーツ)」をテーマに活動する。
「コンピューターゲームをスポーツの歴史のなかで捉えています。
コンピューターゲームも遊びだし、スポーツも遊び。
スポーツがつくりたいと日々考えているんです」
スポーツタイムマシンは情報技術を駆使したものだが、
実際にからだを動かすフィジカルな運動でもある。
そこでポイントなのは、投影される映像が1分の1スケールだということ。
「情報科学をわかりやすく市民のみなさんに使ってもらうコツとして、
ライフサイズ=等倍ということが大事だと思っています」と犬飼さん。
小さな画面のなかでゲームをするのではなく、
等倍にすることで身体性をともない、わかりやすくなる。

データベースには、あらかじめ動物や地元のサッカー選手のデータなども用意して、
かけっこができるように準備していたが、意外と同じクラスの子や
身近な人のデータを見つけて一緒に走る子どもが多いという。
安藤さんは「放課後にほぼ毎日のように来る子もいます。
こっそりクラスの好きな子と走ったりとか(笑)。
より具体的でリアルな人の情報を選んでいるのが面白い。
まさにライフサイズのメディアになっています」と話す。

また「タイムマシン」というところにもポイントがある。
つまりいま一緒に走っているのは、過去に走った誰かの記録。
このデータが時間をかけて蓄積されていくと、
ここにしかない新しいアーカイブとなり、
たとえば10年後、20年後に、過去の自分と走ることもできる。
「お母さんが子どもに向かって、
“大きくなってこのデータと一緒に走れるといいね”
と言っているのを聞いて、まさにそれ! と思いました」と犬飼さん。
プロジェクトが作家たちの手を離れ、やがて市民のものになっていく。
山口で生まれたこのスポーツタイムマシンを、
何らかのかたちで山口に残せたら、とふたりは考えている。

過去の誰かと一緒にかけっこ競争ができる「スポーツタイムマシン」は子どもたちに大人気。

データが記録されたカードが壁一面に貼られ、参加者はこの中から選んだ相手と走ることができる。ここでいろいろな人がつながって情報が増えていくのは、まるでSNSのよう。

ゲームクリエイターの犬飼さんと空間デザイナーの安藤さん。デジタルとフィジカルなものが融合した作品になった。

そしてもうひとつは「とくいの銀行 山口」。
この「銀行」が扱うのはお金ではなく、人の「とくい」。
自分の得意とすることを預け、人の得意なことを引き出すことができるというもの。
たとえば、歌の上手な人がそれを預けておき、
それが誰かによって引き出されると、引き出した人のために歌を歌う、
というように、貨幣価値とは違う価値の交換が生まれる。
アーティストの深澤孝史さんが、茨城県の取手アートプロジェクトの一環として
取手市井野団地で展開した「とくいの銀行」を発展させたプロジェクトだ。
取手では団地という限られたコミュニティでの展開だったが、
今回はもっと開かれた、しかもお金で物が売買される
商店街という場所で展開するというのも面白い。

「これはあるしくみではあるんですが、僕はしくみそのものよりも
人の特性とか、クセとか、性格みたいなところに興味があるんですよね」と深澤さん。
実際に地域の人やYCAMのサポートスタッフのなかにも
いろいろな「とくい」を預ける人がいて、意外な一面を知ることも多いのだという。

昨年、深澤さんは浜松市のまちなかで、
参加者がさまざまなミッションをクリアしながら
ゴールをめざすという「しょうがいぶつマラソン」を行った。
そこでもまちや人の個性が浮き彫りになっていった。
「アーティストってしっかりした作家性を求められることが多いと思うんですけど、
僕はその逆で、作家性が前に出ていくよりは、
ほかの人が舞台に上がっていけるようなしかけをつくったり、
人を巻き込んでいくようなことがやりたいんです」

また、この商店街が7つに分かれていることにちなんで「ななつぼし商店街」と銘打ち、
お店の「とくい」を紹介するマップを制作中。
このお店ではこんなことを教えてくれるとか、
このお店の人は実はこんなこともできるといった、
本来のお店の業態とは別の、もうひとつの商店街。
約1か月このまちに滞在するという深澤さんは、
もうすっかりまちに溶け込んでいるようだった。

手づくりの「とくいの銀行」ATM。掲示板では預けられた「ちょとく」が見られるようになっている。奇しくも、この向い側には本物の銀行が。

コーラの一気飲みという「とくい」を引き出した人がちょうど誕生日だったので、「コーラいっきのみ大会」というユニークな誕生日会に。

山口の伝統工芸である「大内人形」の職人さんが、くす玉に大内人形を描いてくれた。残念ながらうまく割れなかったが、まちの人たちの「とくい」がいろいろなかたちで表れていく。

「LIFE by MEDIA」の審査員でもある坂本さんは、
実際に展示を見て回って、まちの印象を新たにしたと話す。
「日本各地、また海外にもアートフェスはありますが、
その楽しみのひとつは、地図を片手にあちこちの会場をめぐり歩くということ。
そのあいだにまちの様子を見たり、地元の人と話をしたりする。
まちなかにこういう場所があると、またYCAMへの親しみ方も
変わるのではないかと思います」

田中さんは「まさに“ライフ”という展示になったと思います。
10周年祭のコンセプトとして、多様性を採り入れ、
作品の見方が変わるようなことを目指していますが、
このプロジェクトはそれを体現しているのではと思います。
究極の目標としては、それぞれのプロジェクトを
市民の方たちが自ら継続したいと思ってもらえれば」
実は少しずつそんな声も聞かれ始めている。
会期中、時間の経過とともに、また市民が関わることによって
プロジェクトが変容していく。
「LIFE by MEDIA」は、そんな生きたプロジェクトだ。

糸島芸農

たんぼにアート!? 芸と農を地域がつなげる。

豊かな自然が残り、農業が盛んな土地、福岡県糸島市。
福岡市に隣接していて、最近では若者の移住も増えている注目の場所だ。
そんな場所で昨年、糸島芸農という芸術祭が開催された。

美しい田園風景のなかで車がクルクル回り、
ペットボトルのドラゴンボートが登場する。ある意味でシュールな光景だ。
外国人アーティストも多数参加し、いなかまちを闊歩する。

“耕し、芸す”というキャッチフレーズのもと開催されたこの糸島芸農は、
糸島在住の美術作家、松崎宏史さんが主宰するスタジオKURAによるもの。
松崎さんは、かつてベルリンを拠点に作家活動に励んでおり、
各国各都市のアーティスト・イン・レジデンスに応募し、
毎月のようにいろいろな場所で活動していた。
アーティスト・イン・レジデンスとは、
一定期間、アーティストがある土地に滞在して作家活動を行うことである。

「ヨーロッパでは、まちにひとつはアートの拠点となるような
ギャラリーや美術館、センターなどがあります。
大人のエンターテインメントとして、
夜はみんなで展覧会を見に行く文化がありますね」と、
みずからの体験から語る松崎さん。

それは、都会にだけあるわけではなく、
「ワインが有名で、ぶどう農家だらけのいなかでした」
というオーストリアのクレームスというまちでも、
アーティスト・イン・レジデンスに参加したことがあるという。
そのような土地で作家活動をしているとき、あることに気がついた。

「実家がもともと糸島の米農家で、当時、使われていない米蔵がありました。
そこを活用して、自分も日本で
アーティスト・イン・レジデンスができるのではないかと思ったんです」

こうして2年ほど実験的に開催した後、5年前から糸島に帰郷し、
本格的にスタジオKURAをスタートすることになる。
今では世界中から毎月2名ほどの作家がスタジオKURAに滞在し、
すでに来年末まで埋まってきているという。

こうして見知らぬ外国人が田んぼの真ん中を
自転車で走っている光景が頻繁に見られるようになり、地域住民も慣れてきた。

レジデンスに滞在中だったパレスチナ系アメリカ人のBissan Rafeさん(左)と、Studio Kuraスタッフのスペイン人Alejandro Cremadesさん(右)。

絵画教室が行われているアトリエ。レジデンスに滞在しているアーティストのワークショップが行われることも。

農業のサイクルに合わせたアート展示のカタチ。

「レジデンスをやっているうちに、
自然と面白いひとたちが集まるようになってきて、
地域の農家も興味を示すようになってきたんです。
糸島はそれほど地域の集まりがあったり、
共通する強い何かがあるわけでもない状況でした。
それなら、アートの力でみんなを集めることができないかと思ったんです」

そして始めたのが糸島芸農だ。
アートを媒体として、糸島の日常風景ともいえる食や農業などを表現し、
地域と作家がともにつくり上げていく。
昨年は、農業のサイクルに合わせて年4回、さまざまな作品が展示された。
5月は「アートの種まき展」、6月は「アートの草むしり」、
8月は「アートの夏休み」、9月は「アートの収穫祭」。
田植えのセレモニーで、
オランダ人作曲家、マルタイン・テリンガさんによる即興演奏が行われたり、
草むしりした草を使って草木染めワークショップが開催された。
さらには自然農の農家、村上研二さんを交えた座談会など、
農業や環境の未来を語るトークセッションなども行われた。

常に柔和な表情で控えめな松崎さん。糸島生まれで、家は代々米農家だった。

参加者のなかに、国内外の美術作家やクリエイターはもちろん、
農家やハンター、醤油製造会社などもクレジットされていて、
糸島という土地柄を感じさせる。
美術作家は、糸島に滞在して作品を制作するが、
その土地で感じたことが表現され、普段の作風とは少し違う作品が生まれる。
すると、地域を巻き込んだ制作になることも。

久保田弘成のパフォーマンス。タイトルは「伊都国稲作数え歌」。(写真提供:糸島芸農)

「久保田弘成さんは、車を大きく回転させようとしたんですが、
地域の鉄工所を借りて制作しました。
大掛かりな仕掛けのために木材を提供してくれたり、
ユニック(クレーン)を貸してくれたりと、
地域のみんなが協力してくれました。そうして協力してくれたみんなが、
今度は友だちを連れて展示を見に来てくれるんです。
制作に参加していると、その作品への理解が深まったり、思い入れが増しますよね。
このあたりには“アート”なんて概念がないので、
普通だったらやっていることの意味がわからないと思いますしね」

地域を結びつけるためにはさまざまな手法があるが、アートにもそれがある。
しかも松崎さんはそれをアートで行う利点を「無害」なことだという。
経済活動ではないし、優劣をつけるものでもない。
利害関係のない有機的なつながりが生まれるのかもしれない。

昨年、糸島芸農で田植えし、草取りし、刈り取ったお米。糸島芸農米として発売されている。品種はミルキークイーン。

アーティストは、人生もクリエイトすべきか。

「糸島に戻ってきたとき、山とか自然、歴史、ひと、
すべてが素材に見え始めました」といなかでの作家活動について語る松崎さん。
生きている場所で、できることをやっていくという生活の基本。
それはアートも例外ではないはず。
でもアートは“苦しい時期があって成功する”みたいなイメージがつきまとう。

「アートをやりながら、
なぜ自分の人生をクリエイトしてはいけないんだろうと思うんですよね。
バイトしながら、苦行的な制作活動するという生き方にはピンときません」
そうした思いにいたるには、
かつてアーティスト・イン・レジデンスの滞在先で出会った作家からの影響がある。
「25歳ごろに、矢作隆一さんという日本人作家が
メキシコで主催していたレジデンスに参加しました。
1階を日本料理店、2階をレジデンス、3階を自宅にしていたんです。
矢作さん自身もアーティストとして展覧会をやって、日本料理店をやって、
レジデンスもやって、大学で講師もして。
そんな生き方があるのかとビックリしました。
ほかにも、自分のクリエイティビティをすべて使って生きている、
アートだけでない生き方に共感することが多いです」

糸島芸農も、芸と農がひとつに融合した言葉。
この何十代も続く農家が多い土地柄で、農は必然。
しかし一緒の場所に存在していても、完璧にわかれてしまっていた。
「もっと出会う空間をつくって、なにか一緒につくることが芸農だと思います」と、
ネーミングにこめられた意味を話す。

その結果、農家がアーティストのようになったり、
アーティストが農家になったりしてもいい。ならなくてもいい。
その混ざり方もいろいろでいい。
半農半Xという言葉があるが、
松崎さんは「地域や社会自体が、半農半Xになればいい」と語る。
個人が両方やってもいいが、
地域全体として、農家もいればアーティストもいる土地。
半農半Xビレッジ。
農家のまちに、クリエイティブな血が混ざっていくことが面白い。

今年は大きなエキシビションは開催せず、エコミュージアムツアーと称して、
糸島地域を旅し、面白いひとに会いにいくツアーを開催するという。
より深く地域への理解を深め、作品へと反映させることができそうだ。
まだプレツアーが数回開催されただけだが、
これからは作家以外も募って開催するとのこと。
あらたな芸と農の出合いの場となり、新しい糸島の文化が創造されることだろう。

米蔵をそのまま使用しているギャラリー。電気をつけたくらいで、まったくリフォームなどはしていない。ホワイトキューブではない形状が外国人から見るとエキゾチック! 展示されている絵は、Bissan Rafeさんの作品。

information


map

Studio Kura
スタジオ クラ

住所 福岡県糸島市二丈松末586
http://studiokura.info/
糸島芸農 http://www.ito-artsfarm.com/

いま静かな古墳ブーム! 奈良うまれの 「古墳クッション」が人気

日本にはなんと16万もの古墳があるそうです。
日本の島の数は約6,800、駅の数は約10,000、山の数は約15,000、
コンビニの数は約44,000ということですから、古墳がいかに身近にあるものかがわかりますね。

そんな古墳がいま静かなブーム。
古墳をモチーフにした「古墳クッション」が人気です。
これは奈良市のデザイナー金田あおいさんと、
友人の椅子の張替え職人、福徳有男さんの作品。
一個一個手作りで作っています。

長さ44センチ、高さ9〜10センチの、見事な前方後円墳のフォルム。
カラーバリエーションは全部で5色で、
樹木が生い茂った古墳を表した
深緑色、雪、夜、春、建造時の古墳をイメージした茶色があります。
お値段は4,900円。
下記Webサイトよりお申込み可能です。
古墳クッションを抱えて、悠久の歴史に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。

古墳クッション 通信販売

福徳有男さん 宇宙椅子

尾道市民270人が 備後のデニムをエイジング 「尾道デニムプロジェクト〜 デニムでつなぐ物語」

数々の名画の舞台として知られる、広島県の尾道。
ここ中国地方の備後地区は、日本有数のデニムの生産地でもあります。
そんな尾道で、メイド・イン・ジャパンにこだわった
ブランド「RESOLUTE」のジーンズを尾道市民が1年間穿き続け、
人工の加工ではない本物のユーズドデニムを作る「尾道デニムプロジェクト」が
行われています。

RESOLUTEは、生産のすべてを備後地区の熟練の
デニム職人が担うブランド。
尾道市民が履くデニムは、染色をカイハラ株式会社が、
洗い専門工場は株式会社仁多産業が、裾上げは檀上被服が行います。

プロジェクトにおいては、尾道市民約270人に、デニムを2本ずつ配布。
このデニムは1週間ごとに穿き替えられ、設置されたデニムBOXに入れて提出。
専門の職人が洗いをかけて戻し、これを1年間続けることによって
"本物"のユーズドデニムを作っているのです。
このデニムが発売されるのは来年の2月。
公式facebookでプロジェクトの進行がレポートされています。

尾道デニムプロジェクトFacebook

尾道デニムプロジェクト公式Webサイト

高知県須崎市のハーブ&ドロシー?!浮世絵展「タマコレ 佐藤 玉 COLLECTION」

高知県須崎市の「すさきSAT まちかどギャラリー」は、
アートギャラリー、まちの観光案内所、
地域の方の憩いの場という3つの機能を兼ね備えた、ユニークな場所。
平成22年2月12日にオープンしました。

地元の名家「三浦邸」を改造し、土間や畳の間のある、
趣のある建物も特徴のひとつ。
アートの展覧会やライブなど、さまざまな催しが行われています。

ただいま、このまちかどギャラリーにて、2013/8/11まで
展覧会「タマコレ 佐藤 玉COLLECTION」が開催中。
これは、須崎市在住の佐藤玉さんが、亡き夫とともに集めた浮世絵と
貴重な画集の数々、国宝鳥獣人物戯画の複写を展示、紹介するもの。
実物の浮世絵も数点展示されます。

ご夫婦でコツコツとアートを収集していたなんて、
映画「ハーブ&ドロシー」さながらですよね。
ぜひ会場で、当時の木版画の技術の高さを間近で鑑賞してみてはいかがでしょうか。

すさきSAT まちかどギャラリー

栃木県宇都宮市にもシェアハウスブーム到来?釜川エリアのリビング「KAMAGAWA LIVING」

新しいスタイルとして東京を中心とした都市圏で定着しつつある、
仲間と住居をシェアする「シェアハウス」。

このたび、栃木県宇都宮市の釜川エリアにあたらしい
シェアハウス「KAMAGAWA LIVING」が誕生します。

シェアハウスでは、リビング、キッチン、バス・トイレなど
を共用し、各々の個室があるのが基本のスタイル。
仲間と一緒に料理をしたり、映画を見るなど楽しい時間を過ごすのと、
プライベートに過ごせる個人の部屋があり、
一人暮らしより住居費も抑えられるのがシェアハウスのいいところです。

「KAMAGAWA LIVING」には、約60帖ものリビングがあります。
釜川エリアのリビングの様に人が集まる場所にしたいという想いが
込められているそうです。入居の詳細については
下記Webサイトをご参照ください。

KAMAGAWA LIVING

長野県のまつもと市民芸術館が作り上げた観客参加型の「空中キャバレー」再上演

長野県松本市にある文化施設「まつもと市民芸術館」。
伊東豊雄による建築で、大小2つのホールや、
実験劇場などを擁するシアターです。

ただ劇を上演するだけでなく、企画・製作も行なっています。
これまでには、日本を代表する演出家の一人であり、
まつもと市民芸術館芸術監督の串田和美による
「K.ファウスト」を生み出してきました。

そのまつもと市民芸術館が作り上げたオリジナル作品 「空中キャバレー」が、
2013年07月19日(金)から松本に帰ってきます。

空中キャバレーとは、演劇とサーカスや音楽が融合したパフォーマンス。
舞台は劇場に作られた広場で、ステージはありません。

観客はビールや食べ物を片手に広場を歩きまわり、
そこで行われているマルシェやダイナミックな
空中ブランコ、綱渡りなどの出し物や大道芸を堪能します。

アコーディオン奏者・cobaによる音楽が演奏されるなか、
観客はいつのまにか独特な空気感に包まれて、いつしか舞台の参加者に。
松本市出身の女優・秋本奈緒美を中心とする
役者たちに誘われ、物語の世界へ入っていくのです。

果たして今回はどんなサーカスが繰り広げられるのでしょうか?
空中キャバレー2013の詳細は、まつもと市民芸術館Webサイトにて。

まつもと市民芸術館

山形県・肘折温泉の「ひじおりの灯」。湯治場とアートのコラボレーション

山形県最上郡大蔵村、霊場月山のふもとにある、
1200年の歴史を持つ湯治場、肘折温泉。

この温泉を舞台に、地元の肘折地区と山形市の東北芸術工科大学が協力し、
2007年から開催しているアートプロジェクト「ひじおりの灯」が
今年も7月27日より開催されます。

ひじおりの灯は、温泉街に学生たちが滞在し、宿や商店のリクエストに応えながら、
34個の灯籠絵を制作。出来上がった灯籠を夏の夜の温泉街に灯すお祭り。

肘折温泉郷の豊かな自然や、湯治の伝統を守る人々の、
たくましくもつつましい暮らしの情景が描かれた灯籠が、美しく湯治場を照らします。

今年は山伏でありイラストレーターの坂本大三郎さんを招待作家として招聘。
オープニングには電子音楽イベント「肘響」が開催されるほか、
8月10日には石倉敏明、KIKI、田附勝らによるトークショーも開催。
過去6年間で描かれた名作灯籠を選出して貼り直し、
木造の旧郵便局舎内で再点灯します。

湯治場とアートのコラボレーションを、肘折温泉で堪能してみてはいかがでしょうか。

ひじおりの灯

コロカルでのご紹介記事はこちら

月山若者ミーティング 肘折温泉vol.1今も残る美しい手仕事

「美術館ロッジ」作戦3

アーティスト鴻池朋子さんが中心となって、
秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」。
その全容を、プロジェクトスタッフの一員でもある
黒田由美さんのレポートで3回にわたりお届けします。

なぜ雪山にアートを運んだのか。

さて、今回はいよいよ一連の「作戦」のクライマックス、
リサーチを経て実際に創り上げられた鴻池さんのアート作品を、
標高1275メートルの森吉神社避難小屋に設置する「作戦3」のレポートです。

「どうして山小屋にアート作品なの?」という質問に即答できなかった私ですが、
「なぜわざわざ雪山に作品を設置しに登ったの?」という疑問には、
「そこに雪山があるから」
いえ、「雪山でないと、作品を頂上近くまで運べないから」と答えられます。

つまり、鴻池さんの作品を梱包した巨大なハコはゴンドラに乗りきれず、
そうするとピラミッドを建築したがごとく、
人力で運び上げるしかなくなるのですが、それはあまりにも非効率です。
が、雪が登山道はおろかアオモリトドマツをはじめ、
すべてを覆い尽くした雪山ではすべてがフラットになり、
巨大なハコもスノーモービルで一気に頂上近くまで運び上げることが可能になるのです。
南国育ちの私にとっては、世界がひっくり返るような大胆な作戦です。
そういえば、福井出身の同僚から
「冬は雪に埋まって道がなくなるから、小学校までまっすぐ最短距離で行ける」と聞き、
「よくわかんないけど雪国って、ある意味自由で革命的だな」と思った覚えがあります。
不自由さばかりが強調される豪雪ですが、
私はそこに別な可能性が開ける「フリー」を感じました。

雪山だから運ぶのです。

が、難関はやはりあります。
避難小屋はある程度雪が少なくなった作戦決行の3月でも、
搬入口の1階の入り口は雪に埋まっています。
新秋田県立美術館の会議室で、インストーラーの大森興太さんと打ち合わせをしながら
「これは6m ×6m ×6mは掘らないと無理ですね」
「つまり、この会議室くらい雪かきしないとダメってことですか?」
「そうですね……」
私たちは、無言で自分たちがいる会議室の広がりを天井まで見回しました。

標高1275メートルの雪山で「誰が雪かきをするのか」が大問題でしたが、
そこはなんと阿仁スキー場の頼もしいスタッフの方々が名乗りをあげてくださいました。
スノーモービルも阿仁スキー場の吉田茂彦さんに、何から何までお世話になりました。
そして今回の作戦3の、2013年3月12日から17日まで6日間にわたる山岳ガイドは、
前半は作戦2の福士功治さん、そして後半はなんと森吉山山岳会の会長、
森川鉄雄さんみずから務めてくださることになりました。もったいなや。

いま振り返ると、阿仁スキー場や森吉山山岳会の方たちが
参加してくださっているからこそ、山の神様は、
私たちの「美術館ロッジ」作戦を成功させてくれたのかな、と思います。
それほど、幸運に恵まれていたと言えますし、
何かを掛け違えただけで、絶対に実現できなかったプロジェクトでした。
この場を借りて、関係者のすべての方々に御礼申し上げます。

あ、ここでシめてはダメですね。まだこの項は始まったばかりでした。

雪かきの図。雪に埋まった避難小屋を発掘するイメージです。

そして、舟は山に登る。

いきなり、ネタばれしてますが、
鴻池さんがひとり埼玉の高麗のスタジオで制作していた作品は「舟」でした。
大きな惑星がその底にがっしりと喰いついた“飛ぶ舟”には、
女の子がオオカミらしき獣とともに乗りこんでいるようです。
“惑星”は作戦2で森吉山に登る前には出現していなかったらしいので、
「山組」のメンバーのあいだでは
「あれは“だまこ鍋”の“だまこ”の化身なのでは」とささやかれています。

この「舟」が、縦3メートル近くのハコに厳重に梱包されて
470キロの距離をトラックで運ばれ、阿仁スキー場のゴンドラ乗り場に到着したのが、
2013年3月14日。食堂横で一晩過ごし、鴻池さんの森吉山入りを待って
森吉神社避難小屋へ一気に運び上げます。

一方、あやぶまれていた「6m ×6m ×6m」の雪かきは、好天に恵まれ、
なんと3月12日の午前中だけですべてが完了してしまいました。
インストーラーの大森さんの報告によると
「まさかの1時間で開門状態に。今日がいかにコンディションが良かったか、
こんな日はまれだとみなで話し合いました」

そして、この「好天」は鴻池さん到着の15日まで続きました。
お山の上はまさに成層圏! 
スノーモービルはあっという間に森吉神社避難小屋近くまで
鴻池さんと作品を運び上げましたが、最後は人力となります。
スタッフのほかに、阿仁スキー場のツイッターを見たご夫婦が
わざわざ駆けつけてくださいました。
その光景は、まるで村のみんなで大量の収穫を祝うような、
あるいは王様の棺を天近くまで運び上げるような、
祝祭とも鎮魂とも言える不思議な様相を見せていました。

作品とともにスノーモービルに乗り込んだ鴻池さん。下向きなのでものすごく楽しかったそうです。

阿仁スキー場ゴンドラ乗り場を出発。ブリューゲルの絵みたいです。

一面真っ白。スノーモービルで一気に上ったあとは、みんなで運びます。

搬入時の森吉神社と冠岩。1275メートルだけど、成層圏みたいです。

このように非常に多くの方々に助けられて
無事、森吉神社避難小屋に届けられた作品ですが、
いよいよ設置作業が行われる3月16日はなんと再び雪。
新秋田県立美術館の林栄美子さん、VOLCANOISEの坂本里英子さん、
そして私はこの日から合流。「誰が雪女?」と軽口をたたいていられたのも最初だけ。
阿仁ゴンドラを降りると、そこは12月と同じような視界5メートルの真っ白な世界です。
森吉山山岳会の会長、森川さんを先頭にして粉雪の舞う中、
黙々と1時間半の道のりを歩きます。

後に5月3日の山開きにあたって、山岳ガイドの福士さんに
「作品を見に行く時のアドバイスをください」とお願いしたところ、
「天候が変わりやすいので、必ず雨具の準備を」とのことでした。
クマについてはほとんど心配することはないけれど、
天候だけには気をつけてほしい、それがいちばん重要なことだそうです。
この時も前日の真っ青に晴れ渡った山の景色がまるで別の時代のことのように、
灰色の空の下、雪が風をともなって横殴りに吹きつけてきました。

翌日は一転して雪模様。あまりに違い過ぎる森吉神社と避難小屋。やはり山はあなどれません。

冠岩と鴻池さん。

「舟」を飛ばす準備中の鴻池さんとインストーラーの大森興太さんと田沼智史さん。息が白いです。

森吉山山岳会会長の森川さんと、作品の一部となるオオカミ。

たどりつけない美術館。

余談ですが、この5月3日の山開きに設営時のカメラマン長谷川拓郎さんと
森吉神社避難小屋まで行こうとしましたが、季節外れの吹雪で果たせませんでした。
再会した森川会長も、「こんなことは経験したことがない」とおっしゃるほど、
まれなことだそうです。ひょっとして私が雪女? って話でもありますが、
それほど、人間の意志とは関係ない不確定要素が大きいということでもあります。
東京から新幹線で4時間、秋田市からさらに1時間半、それでもたどりつけない。

たどりつけない場所もあるということ、
それを自覚するのは大切なことなんじゃないかと思います。
「ああ、今回は見られなかったな」
そんな、七夕みたいな美術館が世界にひとつくらいあってもいい。

私は搬入時に実際の作品を細部まで見ていますが、
ゴウゴウ鳴る吹雪とマイナス5度の冷気の中を飛んで行った「舟」。
それは私の心の中ではまだその世界を飛び続けています。
ここにないけど、そこにあるもの。

飛んでいるかのような「舟」。

私の話を聞いて「雪山に登って作品を見たい」という
酔狂な方もいらっしゃるかもしれませんが、
山岳ガイドの方といっしょでない限り、絶対におすすめしません。
「帰るまでがアート」なので、必ず現実世界に生きて戻って来てください。
そしてこれから森吉山に行ってみたいという方、
夏と秋は本当に誰でも登れるやさしい山に変貌しますので、
ぜひ雨具持参でチャレンジしていただきたいです。

最後になりましたが、「どうして山小屋にアート作品なの?」という疑問に、
鴻池朋子さんがじきじきにお答えいたします。
かなり無茶ぶりですけれど。で、どうして山小屋なんですか?

「わしゃようわからん! というのが正直な気持ちかな。
結果がわかっていたらやりませんし。ただ、人は山に行って、
そしてまた家に帰って来るためなんだろうなということは感じました。
行って、ある地点を境に、再び帰って来る。
その折り返し地点に何かあるんでしょうね。
それについては、あと何回か、何年か、このプロジェクトが
時間をかけて続いていった先に、見えてくることなんだと思います。
でも、こんなに果てしなく、目的も見えず、貨幣価値での採算もとれない遊びを、
みんなが協力して興味を持って真剣にやる。
そういう自然な集まりこそ重要だと思います」

「わしゃようわからん」
秋田美人がだいなしです。
やはり山の獣、いえ、山の神が一部降りてきていらっしゃるのでしょうか。

この秋には、美大の学生たちの野外授業が、森吉山と阿仁周辺で行われるそうです。
また、森吉山をはじめ、秋田や東北の山々で、来年以降の「美術館ロッジ」も計画中です。

どうして山小屋にアート作品があるのか。
その答えは、月並みですが、あなた自身で見つけてみてください。
鬼が出るか蛇が出るか。
ちょうど今年の半分、半夏生の森吉山は、美しい花でいっぱいです。

こちらはヒナザクラ。森吉山は夏と秋は誰でも登れる山です。ぜひ、美術館ロッジへ。

藤原慎一郎さん

沼津愛で、デザインを豊かに。

16年前、静岡県沼津市に店舗・住宅のデザイン事務所を立ち上げた藤原慎一郎さん。
当時24歳。大手企業や有名な建築事務所でキャリアを積んだわけではなく、
“いきなり”立ち上げた。
もちろんすぐにうまくいくわけがないと、
デザイン事務所に「ケンブリッジの森」というカフェを併設した。
このカフェに来たお客さんに、
「仕事ください」と名刺を渡すという営業スタイルだった。

このカフェは、言ってみれば藤原ワークス第1号。
この空間が好きで集まるお客さんたちは、内装やインテリアなど、
すでに藤原さんのデザイン感覚と通じるお客さんということになる。
だからこの営業スタイルは、
自分のセンスを認めてくれるひとたちが最初から集まってくるという意味で、
効率的だし、コミュニケーションがすぐに取れて面白い。
当時の沼津にカフェはほとんどなく、それだけにケンブリッジの森には、
デザインを志向するひとが集まるようになった。

打ち合わせスペースには、藤原さんが集めたアンティークの家具やインテリアがたくさん置いてある。

藤原さんが手がけた店舗・住宅プロジェクトは、
いまでは静岡県内で100物件に届こうとしている。
しかもその多くは現在進行形。
「デザインして店舗ができあがったら終わり」という
仕事の進め方ではないからだ。
多くの店舗は、仕事、もしくは関係性が継続している。
「店舗をつくるだけが仕事ではありません。
その店を流行らせることが大切です」と、DMやウェブ、ショップカードなど、
ありとあらゆるデザイン面で協力していく。
そのおかげか、静岡東部の店舗はほぼ黒字だという。

雑誌などから切り抜いたページをまとめた、その名も「スーパーデザインファイル」は何冊もある。店舗デザインの歴史がひも解ける。

藤原さんにとって、店舗デザイン後の日々のつながりが大切なので、
遠く離れた場所の仕事はできない。
インタビュー中も藤原さんのケイタイが鳴った。
この取材が終わり次第、ある店舗の看板を直しに行くという。
このフレキシブルさと、それが可能な距離感。
ほとんどが静岡県内の仕事であるというこだわりは、ここからくる。
ローカルの特性を最大限に生かしたスタイルだろう。

例えばこんな話。
ある店舗が仕上がったが、
さらにここに“いいイス”を入れたらすごく空間がしまりそうだ。
しかし若い経営者には予算が足りないだろうと考慮し、
藤原さんの持ち出しでそこにイスを設置したりする。
それはもちろん買い取ってもらうのがベストだが、“貸す”というケースもある。
最近、5年前に貸したテーブルが返ってきたらしい(!)。

事務所前のスペースは日が当たる気持ちのいい空間。

また、藤原さんがデザインした店舗同士は、彼が媒介となることで、
つながりを持ち、仲良くなる(いまでは野球チームも発足!)。
たとえそれが競合となるライバル店であっても、
小さな店舗の場合は、仕入れ先を共有できたり、アドバイスを得たりと、
利点も多く生まれる。

それらの店舗には、藤原さんが手がけた他店舗のフライヤーが置いてあるので、
それを手に、藤原作品を見て回ることも可能だ。
こんな“自主デザインツアー”のような回遊がたくさん行われれば、
静岡のデザイン性の底上げにもなるし、なにより店舗の売り上げが伸びていく。
つながりを大切にする藤原さんの人柄が生み出した
ビジネスモデルかもしれない。

藤原さんが手がけた店舗のフライヤーたち。

脱・干物を目指した『THIS IS NUMAZU』。

沼津を愛する藤原さんが地元で活動する集大成のひとつとして、
「THIS IS NUMAZU」というイベントを昨年の夏に開催した。
沼津自慢フェスタという公園でのイベントの一角に、
彼が好きな“NUMAZU”を結集させた。
ひとつはバーテンダーを一同に集めた「NUMAZU BAR」。
もうひとつは和食、フレンチ、イタリアンなどの料理人が
腕を振るった「CENTER TABLE」。
流行のB級グルメではなく、あくまでA級沼津。
高級感のあるテーブルやイス、インテリアなどにもこだわり、
“公園のお祭り”という雰囲気とは一線を画したスタイリッシュな空間であった。

開催しようとした背景には、沼津の取り上げられ方が、
何十年も変わっていないことが上げられるという。
「干物、寿司、沼津港……。もちろんそれらは素晴らしいものなのですが、
雑誌もテレビもそればかり。だから“脱干物”みたいなことをしたかった(笑)」

そしてイベント自体は大成功。しかし……、
「イベントありきでがんばるのは好きでありません。
がんばっているひとが集まれば、いいイベントになるはず。
新しいことを目指したわけでもなく、
あるものをあるがまま、自然にやっただけ。
ぼくが好きなお店を集めただけだから、内容は無理していません」
自然にあるおいしい素材を、その味が活きるように料理しただけ。
さすが漁師町の沼津人らしく、素材の活かし方を知っている。

これに付随して、同じく『THIS IS NUMAZU』という冊子も編集・制作した。
沼津の誇れる場所とひとを訪ねて、丁寧に紡いでいる。
画家、野菜のセレクトショップ、家具作家、プロダクトデザイナー、
ビール工房など、藤原さんのフィルターを通した、予定調和にはない沼津だ。

沼津ローカルがたくさん登場する『THIS IS NUMAZU』。

沼津は百貨店なども撤退し、
沼津人自身があまり誇りに思っていない現状があるという。
中途半端に東京に近く、飲食店でもファッションでも、
都会的なものを求めるときは、東京に行けてしまう。
だから、沼津の必然性が薄れていってしまうのかもしれない。
一方で、藤原さんの沼津愛はすさまじい。
「どこに行っても、沼津沼津沼津……って連呼しますよ!」と言葉を強める。
当たり前かもしれないが、自分が生まれ育った土地であり、
これからも住み続ける地域を居心地よくしたい。
そして正当に評価されたいのだ。

ガンコなオヤジたちを粘り強く応援するおつき合い。

藤原さんがやっていることは、すでにコミュニティデザインといってもいい。
しかし「それは結果論」という。
コミュニティ作りや地域起こしなんてことは意識してない。
「なんとか流行るお店にしたいと、一生懸命、店舗をデザインしてきました。
そうした点が結果的に線になっただけ。
最近、結果論っていいなと思うんです」

藤原さんは、すべての話において、謙遜しているように感じる。
「東京に出たいとは思わない」し、「ビッグになりたいとも思わない」。
現在でも社員は自分を含めて2名だし、自分の手の届く範囲で、
人間対人間というヒューマンスケールなスタンスに重きを置いているのだ。

二階の住居へと向かうお利口さんの愛犬エフ。

「まちの先輩たちを盛り上げたいという、個人的な感情もありますね。
オヤジの友だちの店を盛り上げようと思うんですが、やはりその世代はガンコ。
『おまえのいうことなんてきかねえ』と(笑)。
でもいわれるほど燃えてくるので、
粘り強くDMつくったり、チケットをつくったりして。
もちろん材料費くらいしかもらえませんが、
そういうことは大切にしていきたいんです。
会ったらいつもご馳走してくれますしね」

ここに透けて見えるのは、ご近所づき合いの延長みたいなもの。
どんな大きなバジェットの仕事になったとしても、
藤原さんのような、“親兄弟のために、友だちのために、地元のために”という
感情が大切なのではないだろうか。

最後に、月並みだが、夢をきいてみた。
「夢は叶ってしまったので、もうないんですよね。
今度は、みなさんの夢を叶える番かもしれません。
会社を設立する、お店を持つ、家を建てる。そのサポートが一番楽しい」
どこまでも謙虚。そしてどこまでも熱い。

オープンしたばかりの〈キチトナルキッチン静岡〉の店舗。写真提供:ケンブリッジの森