「美術館ロッジ」作戦1

アーティスト鴻池朋子さんが中心となって、
秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」。
その全容を、プロジェクトスタッフの一員でもある
黒田由美さんのレポートで3回にわたりお届けします。

なぜ、山小屋にアートなのか。

「どうして山小屋にアート作品なの?」と、
ご自分でも山に登られる喫茶店のオーナーの方から、カウンター越しに尋ねられました。
ここは武家屋敷と桜で有名な秋田県の角館。
春まだ遠い2012年12月、すっぽりと雪に覆われた角館の駅前で、
私たちは秋田内陸縦貫鉄道から秋田新幹線への乗り継ぎを待って
コーヒーを飲んでいるところでした。

「美術館ロッジ」作戦1・2を終えてホッとしていた私と
企画元のVOLCANOISEの坂本里英子さんは、この誰もが抱くであろう疑問に対して
「どうやったらズバリ説明できるのか」と一瞬躊躇し、緊張し、そして呆然としました。
ひと言ではうまく説明できなかったのです。

私もスタッフとして参加している「美術館ロッジ」は、
アーティストの鴻池朋子さんを中心に、秋田の山々にある山小屋に作品を設置し、
その場所にひとつの美術館という機能を持たせることによって、自然と人間のあり方や、
「なぜ人間はものをつくるのか」という根本的な謎を、それぞれの風土から探ってゆく、
まったく新しい「美術館」をつくりだすためのプロジェクトです。

1997年から絵画、彫刻、アニメ、絵本などさまざまな手法で、
現代の神話を物語るような作品を発表している鴻池さんは、
日本や海外で個展やグループ展に出品し続けているうちに、
いわゆる「美術館」というハコの中にだけ自分の作品を展示することに
疑問を持ち始めていました。
作品とその周縁の場に起こる雑音や匂い、
気配や神秘性などを感じる感覚が無視されていることや、
ハコによって作品が無意識に擁護され、
何か重要な強度が失われてゆくことに気づいていたのです。

同時に、東北という未知の領域に、
表現のフィールドとして、太古の血が騒ぐような、直感的な興味を抱いていました。
自身の中にある「観客」の存在を常に意識している鴻池さんは、
作品に出会う過程である「旅」、
そして作品に出会ったときに個人の中に生まれる何ものか、
そのこと自体を尊重したいと考えています。

2009年の大規模個展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」は、観客が想像力を働かせ、地球の中心へと旅するような展覧会でした。神話のような世界のクライマックスで《アースベイビー》に出会います。

2012、13年の2回にわたり、あきたアートプロジェクト「東北を開く神話」展が開催されました。そのもようは「ローカルアートレポート 東北を開く神話」でも掲載。

「美術館ロッジ」作戦1・2は、そんな新しい「美術館」をつくりだすための第一歩。
2012年12月18、19日にかけて、秋田県北秋田市の森吉山、
標高1275メートルにある山小屋、森吉神社避難小屋を美術館に定め、
作品制作から設置までを担当する作戦1の「山組」、
山麓の内陸線一帯を新たな視点で探索する作戦2の「村組」に分かれて、
その一部始終をツイッターとフェイスブックにより
リアルタイムで中継しました(その中継が私の役割のひとつでもあります)。

私は「山組」のひとりとして、積雪80センチを超える森吉山に登り、
猛烈なブリザードの中、マイナス15度になる森吉神社避難小屋で
鴻池さんや5人のスタッフとともに一夜を明かしました。
まだ、作品が生まれる前のことです。
この体験を抜きにして、おそらくこの「美術館ロッジ」を語ることはできません。
そして角館でぬくぬくとコーヒーを飲んでいたその時の私は、
その前日の経験が生々しすぎて「なぜ山小屋なのか」への答えも
体内でただゴウゴウと白く渦巻くばかりでした。

いまなら多少、整理してお話しすることができるかもしれません。
しばし、おつきあいくださいませ。

積雪量、山頂80cm! ツイッターで見ていたら、前夜の積雪が全国1位でした。そんな日にわざわざ登山。何かを持っている。

もともとが「異界」だった、森吉神社避難小屋。

その年(2012年)9月にも、鴻池さん、新秋田県立美術館の林栄美子さん、
VOLCANOISEの坂本さん、そして私の4人は夏の森吉山に登っています。
山小屋の中に作品を設置できるのかどうか、下見に出かけたのです。
スキー場のゴンドラが山頂近くまで設置されている森吉山は、
小学校のキャンプ以来1000メートル級の山に登っていない私にも、
いったんゴンドラで上がってしまえば、「ハイキング気分で楽しめる」優しい山です。
「花の百名山」に入っているほど、さまざまな美しい高山植物が咲き乱れ、
アオモリトドマツの森はまるで北欧にいるみたいに(行ったことないのですが)
ロマンチックな気持ちにさせてくれます。

しかし、山頂近く、ゆったりとした尾根の向こうに姿を現した
森吉神社避難小屋の風景は、私の想像をはるかに超えていました。
だって、小屋の隣には屋根の高さほどそびえる巨大な岩があるのです。

「この光景は見たことある!」

私の胸は高鳴りました。
実は私は「聖地」マニアなのです。神社があれば、必ず立ち寄ります。
開けた本殿のはるか奥にある「本宮」を訪ねて険しい山道を登ります。
はるばるフランスの山の中、ル・ピュイというスペインへの巡礼の出発地まで、
電車とバスを乗り継いでひとりで行ったことがあります。
そしてそこの教会は、巨大な岩の真上に建てられていました。
上か隣にあるかの違いだけで、「巨岩と聖地」の関係としては、
みごとに森吉山と同じ構造でした。
ここは本物の聖地だ。それは本当にうれしい発見でした。

(そもそも、鴻池さんがこの山小屋に作品を設置しようとした理由も、
数年前にこの地でみずから不思議な体験をしたことにあります。
そのお話はまた別の機会に……)

森吉神社避難小屋は、白木で作られたごくシンプルなログハウスでした。
隣には神社と巨岩がありますが、小屋自体は1階と2階に分かれて
のんびり休憩ができる、調度も何もないからっぽの小屋です。
ここに鴻池さんの作品が設置される。
まわりの空はあくまでも青く、深い緑の中を風が渡っていくだけで、
何の予感もおとずれません。ただ幸福な感触だけが、ただよっていました。

夏の森吉神社避難小屋と冠岩。

森吉神社避難小屋と鳥居、神社。

リンドウが咲いていました。

「山組」の冒険。

それからほぼ4か月後。
真冬の森吉山は、夏とはまったく違った様相を見せていました。
山岳ガイドの福士功治さんがいなければ、どこに進んでよいのか、
道すら見つけられません。
長靴にスノーシューをつけ、新雪にひざまで埋もれながらラッセルして進みます。
寝袋や一泊分の荷物をすきまなくパッキングしたリュックはずっしり肩に食い込みます。
が、そんなことを気にするひまもなく、ただただ遅れないようにと歩を進めます。
途中何枚か写真を撮りますが、iPhoneのバッテリーが
寒さのせいで何度も落ちてしまいます。

アオモリトドマツは凍りついた雪で覆われ、
よく蔵王の写真で見るような氷のモンスターの風情です。
学生時代スキーで遊んでて良かった、と心から思いました。
山頂で日が暮れかかって、泣く思いでひとりコブの斜面を
滑って行ったことなどが走馬灯のようによみがえります。
1時間ちょっとかけてようやくたどり着いた避難小屋は、
1階は完全に埋まっていました。神社の鳥居も、ほぼ雪の中です。
夏にははるか上方に見えた2階の窓から、ひとりずつ、
まるで茶室のにじり口から席入りするように、からだひとつで入っていきます。
地上の世界とはこれでお別れです。

阿仁スキー場のゴンドラ乗り場に向かう「山組」の5人のスタッフと鴻池さん。

ゴンドラはスイス製で可愛い。

アオモリトドマツとたわむれる鴻池さん。

鳥居が埋まっています!

小屋の中は、凍っていました。

不思議な夜でした。
「この小屋はきっと飛んでいるよ」
鴻池さんのそんな言葉が、信じられました。
福士さんが事前に運び上げてくれた石油のおかげで、ストーブの火は赤々と燃え、
ログビルダーの小野修生さんが兵士のようにかついできた大鍋の中で
秋田名物「だまこなべ」がぐつぐつと煮えていました。
外は完璧なホワイトアウト。
パウダースノーが横なぐりに舞い、風の音がゴーゴーと鳴っています。

外界と完璧に隔てられた小屋の中。
2階はあたたかですが、扉の底の地下ともいえる1階はマイナス15度。
複数の世界が併存し、ときには浸食しあう真冬の山の夜。

私は子どものころに読んだ童話『森は生きている』を思い出していました。
ロシアの真冬、継母に言いつけられて春に咲く待雪草を探していた少女は、
「12月の精たち」12人が集うたき火へと誘われます。
そこは時の存在しない世界。
吹雪の中の山小屋も、完璧に時空の外にあるように思えました。

この山小屋に、春になる頃、鴻池朋子さんの作品が設置されます。
この夜を体験したことによって、私の中にも何かの種がまかれました。
この山小屋で鴻池さんの作品と対峙するとき、いったい何が私の中に芽生えるのか。
非常に楽しみに思いながら、翌朝さらにひどくなったブリザードの中を、
再び5人(と1匹。いえ、鴻池さん)とともに道のない森吉山を降りて行きました。

(つづく)

ヘッドランプをつけて秋田名物「だまこ鍋」を囲む図。

一夜明けて、サラダ菜を「花」に見立てて「とらや」のようかんで山小屋茶会をやりました。

ゴンドラ乗り場まで降りてきてほっこりしてる図。

益子の「森」「土」「人と祭」を伝える「EARTH ART MASHIKO HIJISAI」開催

東京・渋谷の商業施設、ヒカリエ。
その8階にあるクリエイティブスペース「8/」内のギャラリー「CUBE」にて、
栃木県益子町による「EARTH ART MASHIKO HIJISAI(アース・アート・フェスタ土祭/ヒジサイ)」
エキシビションが開催されます。
会期は2013年5月29日より6月10日まで。

ヒジサイは益子の地で2009年、2012年と開催され、次は2015年に開催を予定するイベント。
開催のようすはこれまでコロカルでもお伝えしてきました(記事はこちら)。

このエキシビションでは、土祭で表現している世界観をベースにして、
益子の奥行のある魅力を伝えていきます。

展示の内容は、益子の「森」「土」「人と祭」を表現した作品。
益子で採取した自然音などをモチーフに作成したサウンドインスタレーションや、
立体作品を展示します。展示台はすべて、益子の土を左官仕事で塗った、
「土の展示台」を用います。

2013年6月9日(日)には、
益子の多彩なジャンルの工芸作家たちの作品と、
パンやジャム、ハチミツなど益子の食を販売する
「益子の食卓」市も開催されます。

また同じく8階にある「d47食堂」では、展示の会期中、
益子の器と食材を用いた「益子定食」をご提供。
ビルマ汁、白米にピーナツ味噌、かんぴょうの卵とじ、
益子の野菜のサラダ、濱田庄司由来の濱田家に伝わる
ブルガリアヨーグルトとハチミツなどが頂けます。
益子の魅力を是非体験してみてください。

イベントの詳細はこちらから。

関連記事

「さつまもの」レポート

レポート前編 レポート後編

「地上に」 内藤礼 旅の記録 奥・その3

書籍『O KU 内藤礼 地上はどんなところだったか』

この連載をまとめた書籍「O KU」が刊行されました。

また、東京都庭園美術館で12月25日(木)まで開催されている
内藤礼さんの個展「内藤礼 信の感情」にて、
2013年にコロカルで限定公開した映像作品「地上はどんなところだったか」が上映されます。
本展覧会にも登場する、きぼうの方に向く《ひと》が、沖縄の村落「奥」を旅する映像作品です。
上映の日程は、2014年11月29日(土)、12月6日(土)、12月13日(土)、12月20日(土)。12月20日(土)には内藤礼さんのアーティストトークも行われます。
時間の積層と人が過ごした気配を感じる本館と、
新館のホワイトキューブの空間に、内藤礼さんの新作たちが命と色を吹き込みます。

詳細はこちら

大阪・新世界で開催中!あまりにも濃すぎるクリエイティブ・フェスティバル「ツムテンカク」

本日まで、大阪の新世界エリアを舞台にした
地元密着型のクリエイティブなフェスティバル
「ツムテンカク 2013」が開催されています。
アーティスト・デザイナー・パフォーマー・地元の人など、
多くのキャスト、来場されたゲストと一緒に創り上げるビッグフェスティバルです。

今年のテーマは「街ナカ巡回型イベント」。
新世界全域からスパワールド前広場・新世界市場・
ルナストリート・ゲートボール場などなどを舞台に
デザインやアート作品の展示・販売、ワークショップなどの
イベントが行われています。

その内容はかなり濃ゆいもので、
新世界エリアを100人のゾンビが練り歩いて踊る「ゾンビアワー」。
宮大工、キリ金師、仏具彫刻家ら、
日本の職人技が冴え渡るクリエイターワークショップ。
宮大工さんがその場で小屋を立て、
その空間でダンサーがパフォーマンスをする「時計仕掛けの表現者」も。

ほかにも、フラれた悲しい実話を弾き語りにし、
涙が流れ落ちないようにプラネタリウムに投影される星を眺めながら聴くイベント
人間 / フラレタリウム feat. 鼻毛の森」も謎すぎて気になります。

ちなみにこの写真は、タマノイ酢株式会社による「すしのこマン」。
勝負して、勝てば商品をもらえるらしい。
大阪の魂が詰まったてんこ盛りのフェスティバル「ツムテンカク」、ぜひ訪れてみて下さい。

ツムテンカク

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈後編〉

5月11日から19日まで、栃木県益子町で開催された
鹿児島の工芸や食の「よかもん」を伝える展示、さつまもの。
後編では、メイン会場となったスターネットの展示作家と
「鹿児島との再会」を楽しみにしていた益子・笠間の作家との出会いをレポートします。

さつましこ 3
陶芸家 城戸雄介(さつま)meets 陶芸家 鈴木稔(ましこ)

益子スターネットの丘の上、recodeで展示をした作家のひとり、
「ONE KILN CERAMICS」の城戸雄介さんは、
今回の益子への旅で楽しみにしていたことがあった。
益子の陶芸家、鈴木稔さんの工房を訪ねること。
鈴木さんも、益子での城戸さんとの再会を心待ちにしていた。
というのも、今年の2月にワークショップのために鹿児島を訪れた時、
ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんから、
紹介したい陶芸家がいると連れて行かれた先が城戸さんの工房だったのだ。
そして実は、それより前に、鈴木さんは城戸さんのウェブサイトに出会い、
「仕事もウェブもかっこいい。それに、合同展示会のストッキストにも出ている!」と、
「気になる20歳年下の陶芸家」としてブックマークをした、
まさにその人だったという経緯がある。
繋がるべくして繋がったふたりのお話を、鈴木さんの工房でうかがった。

「僕が訪ねた時、彼は引き出物の梱包をやっていたんだけど、
特注の箱に自分でつくったスタンプを押して、リーフレットもセンスよくつくってあった。
そのひとつひとつがかっこよくて、器だけじゃなくて周りのものにもデザインを入れて、
ちゃんと考えてやっている。それが衝撃的だったね」と、鈴木さん。
鹿児島市の都心部の高台、分譲住宅地の自宅の裏に仕事場があることも
新鮮な驚きだったと言う。
益子の鈴木さんの工房は、初めて訪れる人は「この先に家があるの?」と
不安になるような、林の中にある。

この道を行くと鈴木さんの工房が見えてくる。益子では駅から続く通りに陶芸店やギャラリーが軒を並べ、周辺の緑豊かな里山の中に窯を築き工房を構えている作家が多い。

鈴木さんの工房は、林を切り拓いた広い敷地の中、
自宅の横につくられた2棟の作業場と窯場からなる。
その裏には、震災で全壊して、再建の途上にある煉瓦の薪窯が、
近々窯職人さんの手が入るのを待っている。
鈴木稔工房の印象はいかがですか?と尋ねると、
城戸さんは目を輝かせながらひとこと。
「THE 陶芸家って感じですね」
「あまりにも雑然としていて、恥ずかしいよ」と照れながら鈴木さんが受ける。

鹿児島でつくること。益子でつくること。

ふたまわりほど世代が違うふたりだが、
どちらも石膏の型を使い、フォルムにこだわり器をつくる。
鈴木さんは埼玉出身。土も釉薬も、そして、人との繋がりも、
縁ができて移り住んだ益子という土地で作陶することを大切に考えている。
城戸さんはデザインを学び、佐賀の有田で修業した後、
故郷の鹿児島に戻って独立した。
機能的で洗練されたデザインに、桜島の灰を用いた灰釉を使うなど、
地域性も大切にしたものを生み出している。

有田で作陶を続ける道もあったのでは?
これは、よく聞かれる問いだという。
城戸さんにとって、自分が生まれた場所に戻って作陶するということは、
ごく自然で当たり前のことで、それ以外の理由はなかった。
ただ、結果的に、歴史のある焼き物の産地を離れて鹿児島に戻ったことで、
やりたいように、つくりたいように、自由に器と向き合えるようになった。
有田にいたら「そげなやり方じゃいかんよ」と
一蹴されるような窮屈さがあったかもしれない。
鹿児島では、「型でつくる人は少ないから、楽しみだね」
「磁器? いいよね」と、温かい声が迎えてくれた。
同世代の違うジャンルの作家も多くいて、コラボもできる。
今回、同じrecodeで展示をした「RHYTHM」の飯伏正一郎さんとは、革と陶のコラボ。
仁平古家具店で展示をした「Roam」の松田創意さんには、
珈琲ドリッパーのスタンドをつくってもらった。
「有田にいたら、全部焼き物で済ませようとしていたかもしれません。
僕は、磁器も陶器もひとつの素材として考えているから、
自由にやれる空気はありがたいです」という城戸さんに、
鈴木さんが鹿児島に滞在した時の感想を伝える。
「鹿児島の人はおおらかだし、みんな誇らしげに生きている感じがしましたね」

灰釉の色合いが、recodeの土壁にしっくりなじむ。

城戸さん(左)と鈴木さん(右)。会うのがまだ2度目だと思えないほど話が弾む。

民藝とプロダクトと。これからのこと。

ふたりとも型を使って器をつくるが、生み出すスタイルには基本的な違いがある。
デザインを学び、大量生産の窯元で修業をした城戸さんは、
ひとつのアイテムに5個の型をつくり、同時に成形を進めて数をこなす。
アイテムによっては設計図を描くこともあり、
まるでプロダクトメーカーのような仕事を、
分譲住宅地の一角で、ひとりで淡々と進めている。
一方の鈴木さんは、ひとつのアイテムをつくるのに型をひとつしかつくらない。
そして数種類のアイテムをひとつずつ同時に成形していく。
形も、その時の感覚や気分で変わってしまうことが多いという。
「鈴木さんは、民藝寄りですよね?」という城戸さんに、
鈴木さんは、ちょっぴり苦笑い。
「僕はオーソドックスな昔ながらの器作家のスタイルから入ったし、
昔は轆轤もひいていたけど、いまは、民藝とプロダクトの中間にいると思う。
ある意味、中途半端。でもだからこそ思うことがある。
例えばイッタラやヒース・セラミクスなどの海外のものも好きで、
ライフスタイルへの意識が高い。
だけど日本の焼き物には興味がないという若い人も増えてきているでしょ?
そんな層に切り込んで、日本の焼き物の質感の良さみたいな魅力を
伝えていきたいと思っている」
声のトーンを少し上げて語り始めた鈴木さんに、
城戸さんも感じるところがあったのか、「これから」のことを語ってくれた。
「鹿児島で焼き物をやりたいという若い人に、なかなか出会わないんです。
気軽に型を使って焼き物がつくれることを知ってもらって、
興味を持つ人が増えればいいなあと思っています」

そして、次の益子訪問のプランで盛り上がるふたり。
鈴木さんは、震災から2年を過ぎて、全壊していた薪窯を新しくつくり直すことにした。
その話を聞いて城戸さんの中に芽生えた思い。
「次は、僕がいつも鹿児島でつくっている土と桜島の灰釉を持って益子に来ます。
鈴木さんの家にしばらく滞在させてもらっていいですか? 
薪窯で灰釉を焼いてみたい。どんなふうに窯変していくのか、とても楽しみです」
「もちろん大歓迎。そして益子で展覧会までやりましょう」と鈴木さん。

相手の中に自分と同じものを見い出すと、人は安心して歩み寄る。
自分とは違う部分もあると知り、それを新鮮に感じたら、さらに惹かれていく。
同じことと、違うこと。
その比重が絶妙なバランスで混ざり合った城戸さんと鈴木さん。
それぞれが、次のステップへと進んで行く時に、世代と1500kmの距離を超えて
いい影響を与え合っていくのだろう。

さつましこ 4
陶芸家 竹之内琢(さつま)meets 陶芸家 額賀章夫(笠間)

益子から車で30分ほど。茨城県の笠間市は、益子焼より少し古い歴史を持つ窯業の地。
益子の作家や販売店とも縁が深い笠間の陶芸家、額賀章夫さんも、
昨年9月に鹿児島で展覧会を行ったこともあり、
「さつまもの」の初日に駆けつけてくれた。
スターネット recodeで展示をした宋艸(そうそう)窯の竹之内琢さんとは同世代。
初対面ながら焼き物談義に花が咲いた。
会話から、本当に焼き物が好きでたまらないという空気が伝わってくる。

この日、初対面の竹之内さん(右)と、額賀章夫さん(左)。

「この赤は?」の問いに「マット釉に銅を入れて……」と、竹之内さんこだわりの釉薬について密度の濃い会話が続く。

自分の中でバランスをとりながら、日々続けていく創作。

今回、展示された竹之内さんの器は、
柔らかい色味ながら、一度見たら印象が強く残るものばかり。
額賀さんは器を手に取りながら、土や色、釉薬のことなどなど、質問を重ねていく。
ふたりの話は、鹿児島の焼き物産地の分布のこと、焼き物の販売のしくみのこと、
それぞれが参加している地元の陶芸イベントのことにまで広がっていく。
長いキャリアを持つふたりでも、
陶芸とそのまわりのことへの興味は尽きることなく、本当に楽しそう。

竹之内さんの器は、熊本・天草の土(磁土)と信楽のブレンドだそう。
「焼き上がりがしっかりとした印象がありますね。
質感の柔らかい釉薬を使いながら、裏の土見せのところは硬質な焼き上がりで、
器の力強さも感じます。
器から、とても誠実なお仕事ぶりがうかがえて勉強になります」と額賀さん。
「実は、使い手のことを気遣いながら轆轤でつくり続けていると、たまに嫌になって、
自分の表現だけに没頭したくなる時があるんですよ」と、竹之内さん。
そんな時は、手びねりで花器などをつくり、
自分の中でバランスをとるようにしている、と。
花器にしても、使う人が活けやすい形ではなく、
自分の気持ちとつくりたい形を優先させる。
「それはぜひ、次の機会に見たいですね。今回の展示を見ていたら、
また鹿児島にも行きたくなりました」と、額賀さん。
竹之内さんも、益子には、またゆっくり訪れたいと思っているそう。
もちろん笠間にも。
「ものづくりは、続けていける環境と、続けていく姿勢が大切だと思っています。
益子のまちと人には、そのどちらも感じます」
竹之内さんも額賀さんも1962年と63年早生まれの同級生。
続けていくことの重みを抱えながら、作品や展覧会などの活動を通して
鹿児島でも関東でも、若い世代に、その大切さを伝えている。

さつましこ 5
木工作家 盛永省治(さつま)meets 木工作家 高山英樹(ましこ)

「まさに、衝撃的な工房ですね」
高山英樹さんの工房を訪ねた鹿児島の木工作家、盛永省治さんの、最初のひと言。
陶芸家の城戸さんと鈴木さんが、お互いの創作環境の違いが新鮮に映ったように、
盛永さんも軽い衝撃を隠せない様子だ。ただ、その衝撃の中味は、
「自動カンナもないし……、いや、それだけじゃなくて、
家具をつくるのに必要だと思われる工具が何もないんですね」ということ。
まさに目を丸くした表情の盛永さんの横で、高山さんが笑い声をあげながら釈明する。
「ハンディタイプの小さな道具しかないでしょ? 
これで木工家具作家だなんて言わないでくれって怒られそうだけど、
これでも大人6人でも持てないようなテーブルもつくるんだよ」

衝撃の工房で。高山さん(左)と盛永さん(右)。

お互いのことは人づてに聞いて知っていたという、木工作家のふたり。
盛永さんは、大工、家具工房勤務を経て独立。
いまは、陶芸で言うところの轆轤、木工旋盤で木を回転させながら成形する手法で、
ウッドボウルなど食卓の器を中心に創作を続けている。
高山さんは石川県出身。都内で服飾の仕事をしていたが、
益子に移り住んだ12年前から、扱う素材が木に変わり、
古材を使った家具製作や建築プロジェクトに参加している。

盛永さんのスターネット zoneでの展示スペースで目を引くのが、
虫食いの跡を活かした造形。
「日本の木工では、節があるものや虫食いの跡があるものは使わないで、
材料を吟味して選んできれいに仕上げることに気を遣うのが主流です。
僕もそうだったけど、カリフォルニアに行ってから、変わりました。
2011年に2か月間、木工作家の手伝いをしながら
自分の作品もつくるという機会に恵まれたんです。
向こうのつくり手たちは、僕たちと気の遣いどころが違って、とても新鮮でした。
材料に節があっても虫が食っていようと気にしない。
それは、そういうものとして受け入れて自分の作品にしていくんです」

「いろんな人から話をよく聞いていて、あこがれだった益子のスターネットでの展示だから、今回は、とても気持ちが入ったものになりました」と盛永さん。

やわらかい光が入る白い空間に、虫食いの輪郭が美しく映える。

盛永さんの話を受けて、高山さんが自身の創作の話をしてくれた。
100年前の家を解体してみると、チョウナで削った跡が残っているところや
節や虫食いの面は、見えないようにして使われていることが多いと言う。
そういった部材を解体して高山さんが家具に再生する時は、
見せるものとして使いたい、と。
「見えないようにしてあったところには、
昔の大工さんの手の跡が残っているものも多くて。
そういうところを、いまの暮らしの中に、今度は見せるかたちで表してあげるのも
僕の役割じゃないかって思っているから」

暮らしとともに育ちゆく器。

樫の生木でつくったという作品もある。
てのひらを表面に沿わせると、
削られてもなお呼吸を続けているような、みずみずしさ。
「これからきっと、いい感じに形が変わっていくね」と、
高山さんは手にとって眺めながら、
益子の陶芸家で昨年の3月に亡くなった成井恒雄さんのことを盛永さんに伝えている。
成井さんは、70歳を過ぎても轆轤を回し続けていて、
轆轤をひきたての焼く前のもの、生の粘土の状態が一番好きだと言っていたそう。
「窯で焼かれて、完成したものを使っていると、使うほどに器の色も変化してくる。
長年使いこんだ時に、みずみずしさがよみがえって、
轆轤をひきたての時のイメージに戻ることがある。
成井さんは、そんな言葉を残しているんです」

樫の生木を削り出した器に見入る高山さん(右)。

高山家の暮らしの真ん中にあるテーブル。古材を組み合わせて丁寧に磨かれてつくられる高山さんの家具。

高山さんの工房と隣り合う自宅には、
高山さんがつくったテーブルや椅子が中心にある。
そこでお茶をのみながら、盛永さんは、
鹿児島の家族のことを思い浮かべていた。
「自分たち家族で使う家具を、僕はあまりつくっていないなあ。
いつもはどうしても仕事に追われて、我が家のことは後回しになってしまうし。
仕事場も自宅から車で40分離れている。
益子の作家さんたちのように、生活と創作の距離が近くない気がします」

そして、鹿児島に戻った盛永さんからメールが届いた。
「スターネットと高山さんの自宅や工房で過ごして、あらためて思ったことは、
自分が好きなものを揃えて使って暮らしていくうちに、
自分がつくるものにも思想が生まれてくるのではないかということです。
いつかそう遠くないうちに、高山さんのように自分の住まいと工房をセルフビルドしたい。
その夢が、今回の旅で持ち帰った、自分へのお土産です」

暮らしの中で使われることで変化し続ける、木や土の器。
つくり手の暮らしの中から生まれたものが、使い手のもとへ引き継がれ、
その暮らしの中でゆっくりと育っていく。
鹿児島の暮らし。益子の暮らし。100年前の暮らし。いまの暮らし。
つくったものを売るということは、人の暮らしと暮らしを繋いでいくこと。
さつまの作家たちが、ましこに旅をして出合ったのは、
ギャラリーやつくり手の人たちと、その背景にある、それぞれの暮らし。

最終日の搬出を終え、鹿児島に帰る作家たちを見送る時、
益子の人たちとの間で「次は鹿児島で」という声が飛び交っていた。
地域と地域、つくり手とつくり手、遠く離れた暮らしと暮らしが、
ダイレクトに結びついた交流の場。
さつまとましこの、あるいは、さつまとどこかの新しい土地と。
これからの展開が楽しみだ。

メイン会場 スターネット、
サブ会場 仁平古家具店益子店での展示風景。

zoneでは、「Crate」(盛永省治さん、写真左側)の他に、「CHIN JUKAN POTTERY」(写真右側)、空間に吊るした鹿児島の軽石にアクセサリーを展示した「samulo /semeno」(宮本和昌さん)が作品を並べた。

沈壽官窯とランドスケーププロダクツが共同で制作を行う。

古代の石やガラスを用いてアクセサリーをつくるsamulo / semeno。

recodeでは、 城戸さん、竹之内さんの他に、革の「RHYTHM」(飯伏正一郎さん、写真)、「INDUBITABLY」(西ひろみさん、有村りかさん)が展示を行った。

INDUBITABLYは、1900年代前半のフランスと日本の布やパーツを用いてアクセサリーやバッグなど布のアイテムをつくっている。

サブ会場となった仁平古家具店では、売り場奥のスペース(左)が展示会場となり、「Roam」(松田創意さん)、植物を中心に創作活動を展開する「ARAHEAM」(前原良一郎さん、宅二郎さん)が展示を行った。

Roamの松田さんは、木と鉄などを素材に家具をつくる。

「地上に」 内藤礼 旅の記録 奥・その2

書籍『O KU 内藤礼 地上はどんなところだったか』

この連載をまとめた書籍「O KU」が刊行されました。

また、東京都庭園美術館で12月25日(木)まで開催されている
内藤礼さんの個展「内藤礼 信の感情」にて、
2013年にコロカルで限定公開した映像作品「地上はどんなところだったか」が上映されます。
本展覧会にも登場する、きぼうの方に向く《ひと》が、沖縄の村落「奥」を旅する映像作品です。
上映の日程は、2014年11月29日(土)、12月6日(土)、12月13日(土)、12月20日(土)。12月20日(土)には内藤礼さんのアーティストトークも行われます。
時間の積層と人が過ごした気配を感じる本館と、
新館のホワイトキューブの空間に、内藤礼さんの新作たちが命と色を吹き込みます。

詳細はこちら

二本の縦笛を鼻で吹き鳴らす魔術師!兵庫県の元校長・梶谷正治さん

学校で誰もが習う縦笛(リコーダー)。
その縦笛を芸術?の域にまで高めたアーティストがいらっしゃいます。
それが、兵庫県三田市の梶谷正治さん。

この写真でお分かりのとおり、口だけでなく鼻でも
2本の縦笛を操って「聖者が町にやって来る」などを吹きこなしてしまう名人です。
2本同時にハーモニーを付けたり、メロディーに伴奏を付けられるのがスゴイです。

梶谷さんは、大阪音楽大学の音楽学部で学んだ後、
38年間音楽教師として中学・高校で教鞭をふるいました。
兵庫県立有馬高等学校校長で定年を迎えた後、TV出演や地域の施設への訪問など、
演奏家・音楽講師として活躍されています。

鼻で笛を吹くのは見た目以上に難しく、鼻息を短くしなければならないし、
口で演奏するように舌を使うこともできない。

梶谷さんは「音楽は種も仕掛けもない手品」として日々練習をされているそうです。
その超絶技巧は動画共有サイトでも見ることができます。

梶谷正治

森をひらくこと、T.O.D.A.

さまざまな人が訪れる森に。

那須塩原の駅から北西に約10km。
街道から少し入ったところに広がる森の中に
「森をひらくこと、T.O.D.A.」と名づけられた場所がある。
日本各地でよく見られるような、木々や草花が生い茂る森だが、
少し切りひらかれたところに、かわいらしい建物がふたつ建っている。
こんなところに、と一瞬目を疑ってしまうようなちょっと不思議な印象は、
やがて微笑んでしまうような安心感に変わる。
なんというか、心地よい空気が充満しているのだ。

「遠いところ、よくおいでくださいました」
と笑顔で迎えてくれたのは、戸田香代子さん。
この場所は、戸田さんの先祖が明治時代に開拓した土地。
このあたりの地名も戸田というほど広大な土地だ。
かつて戸田農場と呼ばれる農場を開墾しようとしたが、
植林して林業へ方向転換し、やがて林業がすたれると、
人が入らない森になってしまった。
全部で30ヘクタールもの土地だが、その10分の1ほどの3ヘクタールを切りひらき、
もう一度、人が入れるような森にしようとしたのがこの場所。
ふたつの彫刻のような建物は、イベントやワークショップなど
さまざまな目的に使える「OPEN PLACE」と、
森の恵みを味わうことのできるカフェ「KITCHEN PLACE」。
このプロジェクトのディレクターである豊嶋秀樹さんがコンセプトを手がけた。
豊嶋さんは大阪を拠点とするクリエイティブ集団「graf」のメンバーとして活動し、
2009年からは「gm projects」のメンバーとして、
さまざまなプロジェクトを手がけるクリエイティブディレクター。

戸田さんと豊嶋さんの出会いは
「スペクタクル・イン・ザ・ファーム」というイベントがきっかけだった。
那須の牧場や旅館、カフェなどを舞台に、
音楽、ファッション、アート、演劇などさまざまなイベントを展開。
東京でファッションブランド「THEATRE PRODUCTS」を主宰する
金森香さんらが企画し、2009年と2010年に、それぞれ2日間行われた。
戸田さんは2009年に実行委員の手伝いをしていたが、
2010年には本格的にイベントに関わることに。

もともとこのイベントとは別に、戸田さんは那須地域で障害を持ちながら
絵を描いている作家たちの展覧会「つながるひろがるアート展NASU」を、
那須のリゾートホテル「二期倶楽部」や「山水閣」、
人気カフェ「1988 CAFE SHOZO」などを会場にして開催してきた。
この展覧会をスペクタクル・イン・ザ・ファームの関連企画として、
同時期に開催することに。
さらに、切りひらいた戸田の森にあった古い廃屋を、
スペクタクル・イン・ザ・ファームの会場のひとつとして
使わせてほしいという要望があった。
これをきっかけに人が来てくれるならと、戸田さんは快諾。
「つながるひろがるアートの森・TODA」として、
そこでインスタレーションを制作、展示したのが豊嶋さんだった。

スペクタクル・イン・ザ・ファームは、行政主導ではない、
民間の人たちでつくりあげたイベント。当初は懐疑的だった地元の人たちも、
実際にたくさんの人が訪れたことで盛り上がり、2年目はより多くの協力者を得て、
1日で約8000人の観客を呼ぶという大成功をおさめた。
このイベントで、地域の結束力は高まったという。
「それまでは市や観光協会がやってくれるという雰囲気でしたが、
まず自分たちで考えようという意識が強くなりました。
いまでは自分たちが動かして、そこへ行政がついてくるという、
理想的なかたちになってきたと思います」と戸田さん。

「OPEN PLACE」は展示やワークショップなど、さまざまなイベントができる多目的スペース。レンタルも可能。三角屋根の上には噴水がついている。

こちらは「KITCHEN PLACE」。なんと屋根には柿の木がある。OPEN PLACEもKITCHEN PLACEも、壁面はフラットではなく、凹凸があって彫刻のようなテクスチャー。最初の模型は紙粘土でつくり、それをそのまま大きくしたような建物。

豊かな森と、森に住む動物たちを守りたい。

ふたたび話を森に戻そう。戸田さんが森をひらこうと思ったのはなぜか。
「山や森は人が手を入れないと荒れてしまう。この森もだいぶ荒れてしまっていたんです。
いま日本では木を切ってもお金になるばかりか、お金がかかる一方で、
手がつけられない山はたくさんあります。
でも木がやせ細って病気が蔓延し、木がだめになってしまうと、
そこに住む動物たちもいなくなってしまいます。そういうことに胸を痛めていました」
この森にはたくさんの動物たちが住んでいる。
ムササビ、ウサギ、キツネ、なんとツキノワグマもいるという。
ときおり顔を見せる動物たちに、豊かな自然を感じる一方、
山が荒れてしまっているために、動物たちが家畜の餌を狙うなど、問題もある。
動物たちのためにも、森の手入れが必要なのだ。

広大な土地に目をつけられ、これまで多くの開発業者に開発を持ちかけられた。
アウトレットやショッピングモール、ゴルフ場……。
戸田さんが、いまある木を残して、自然の景観をいかした開発ができるのであれば、
と言うと、業者は諦めていき、やがてそんな話はこなくなったそうだ。
現在は、そんな戸田さんの考えに共鳴してくれる人も増え、地元の森林組合とともに、
この森をモデルになるような雑木林に変えようと取り組んでいる。
毎年草刈りをしたり、今後もさらに森を間伐して、少しずつひらいていく予定だ。

もともと戸田さんはこの土地の生まれではない。
鎌倉で生まれ、子ども時代は名古屋、そのあとは東京暮らしが長かった。
30年ほど前に、戸田家の土地に戸田調整池というため池をつくることになり、
その事業のために引っ越してきた。不便に感じることもあるが、
ここに残る自然に毎日触れていると、東京には戻れないと笑う。

山と、山に住む動物を守りたい。
そしてその自然とともにある暮らしというものが、
もともとここにあったはずだと戸田さんは言う。
グリーンツーリズムという言葉はいまでは珍しくないが、
いち早くグリーンツーリズムの考え方に感銘を受けた戸田さんは、
ヨーロッパにも数回渡って勉強した。
「地産地消という言葉は、グリーンツーリズムから入ってきたと思っています。
もともと那須にあるお野菜や川魚を、よそから来た人に食べてもらう。
そういうことによってこの地域の経済圏が成り立つ。
そのためにあるのがグリーンツーリズムです。
もともと地域にあるものを保存して大切にしながら、次の世代につなげていく。
そういうことをやりたいと思っています」

KITCHEN PLACEは、人が集うためのカフェ。地元のお客さんが多い。

KITCHEN PLACEの2階の窓から森を眺める。

「森のボウルミール」(1100円)。たくさんのお野菜を掘っていくと、下にはクスクスが。いろいろなおいしさがつまった一品。このほかチーズや半熟目玉焼きが乗ったクロックマダム「森のマダム」などのメニューがある。

ゆっくり少しずつ、ひらかれていく森。

ディレクターの豊嶋さんは、この「森をひらくこと、T.O.D.A.」というプロジェクトに、
明確なゴールはないと話す。
「まずはいろいろな人にここを訪れてもらって、
森と人との新しい関係をつくっていく……ということを考えることを目的にしたい。
そのこと自体を『森をひらくこと』と呼ぼうと。
いろいろな人に関わってもらうなかで、
だんだんとこの場所ができていくといいなと思っています」

考えることが目的。そのために、まずは人が集える場所と、
みんなで食べたり飲んだりできる場所が必要だということで
「OPEN PLACE」と「KITCHEN PLACE」をつくった。
OPEN PLACEは、使い方を限定しない、多目的スペース。
展覧会もできるし、結婚式の会場として使ってもいい。
「ひとつひとつの建物が器のようになればいいなと思っています。
そのときによって違う料理が乗っているお皿のような存在にしたい」と豊嶋さん。

この場所がオープンした2012年9月には、ゲストを招き、
毎週連続でワークショップやレクチャー、ライブが催された。
森についての話をしてもらうのではなく、
ジャンルを横断して活躍しているような人や、
ちょっと変わった新しい活動をする人たちに、
この森に来てもらうことが大事だったという。
「この森がどんどん横に展開していくようなイメージ。
ここに人がいる状況で、この森がどう移り変わっていくのか。
そういうことを楽しんでくれそうな人に声をかけました。
同じことでも、東京でやるのとこういう環境でやるのは、
また違うできごとになったのではないかと思います」

現在は、OPEN PLACEで佐々木 愛さんの展覧会「Landscape Stories」を開催中。
佐々木さんも、豊嶋さんが当初からここで何かやってほしいと考えていた
アーティストのひとり。
佐々木さんは、これまでさまざまな場所に滞在しながら、
インスタレーションやペインティングの作品を制作してきた。
その土地の風景や、土地にまつわるストーリーからイメージを膨らませて、
制作していくというスタイル。
展示している新作は、制作中の絵画作品を持ち込み、
ここに滞在しながら完成させていった。
またこれまで世界各地で訪れた森を想い、『森をはこぶ』という
すてきなビジュアルブックを制作。その原画も展示されている。

「ここには数回来ていたのですが、制作に来てみたらやはりイメージが違いましたし、
毎日森の中にいて、自分の気持ちも少し変わりました。
だから新作は、全体のトーンをこの場所に合わせて調整したという感じ。
こういう贅沢な展示はなかなかできないですよね」
この場所の空気が絵に入り込む。自然とそうなってしまうと佐々木さん。
「近所に住んでいる人や、そこにあるものに影響されてしまう。
わりと単純に環境に左右されるほうかもしれません。
冬に八甲田に滞在していたら、雪山の絵ばかり描いていました(笑)」

OPEN PLACEの扉を開くと、天井が高く明るい空間が広がる。ここで初の展覧会開催となる。

当初は作品を仕上げてから持ってこようと考えていた佐々木さんだが「光が違うだろうなと思って」ここで滞在しながら作品を完成させた。

この展覧会に合わせて制作したビジュアルブック『森をはこぶ』の原画。佐々木さんはこれまで、都会より山や森に近い場所で滞在制作することが多かったそう。

壁画など巨大な作品を、時間をかけて制作することも多い佐々木さん。この場所では、砂糖を使った「ロイヤルアイシング」という技法のワークショップも開催した。

戸田さんや豊嶋さんたちは、今後「NEST PLACE」の建設を企画中。
NEST=巣、つまり滞在できるスペース。
少しずついろいろな場所ができてくることによって、
関係性や新しい要素が見えてくる、と豊嶋さん。
「滞在できる場所が増えたりすると、またいろいろなことがつながったり
起こったりするんじゃないかと思います」
生きている森のように、有機的にいろいろなことが生まれ、広がっていく。
まさにこの森は、多くの人にひらかれた場所なのだ。

ディレクションするにあたって、なんとなく学校のようなイメージがあったという豊嶋さん。その理由は「戸田さんは学校の理事長さんみたい。校長先生というより理事長」。「この数年間は人生がギュッと凝縮されたように充実しています」と戸田さん。

ロンドンのストリート・アートが静岡市に!stikと街をポップにしよう

ストリートアートに興味がある方ならきっと見たことがある棒人間くん。

この作者である、東ロンドンの有名なストリートアーティスト「stik」さん
がただいま静岡市に滞在中。静岡市クリエーター支援センター(CCC)を舞台に、
ストリートアート・プロジェクトを行っています。

その内容は、約50メートルの壁に、
現代の東海道を旅する子どもたちをペインティングする子ども向けワークショップや、
静岡のための巨大な壁画の作成などなど。

ストリートアートを、街を彩るアート作品として
まちおこしに使うアイデアがすてきですね。

ペイントやワークショップ、ライブパフォーマンスは
今週末の5月18日(土)、19日に開催。詳細はCCCのWebサイトにて。

STIK「静岡ストリートアート・プロジェクト」

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈前編〉

ふたつの地域をつなぐ展示。

山桜の季節も終わり、田には水が張られて田植えも終わったというのに、
花冷えの戻りのような冷たい風の日が続いていた栃木県益子町。
一転して朝から気温が上がり始めた5月9日、夏日に近い陽ざしを連れて、
1500キロ離れた鹿児島から「さつまもの」の作家たちがやって来た。

「さつまもの」は、さまざまな分野でデザイン活動を展開している
「ランドスケーププロダクツ」の代表・中原慎一郎さんが
故郷の鹿児島で出会った魅力的なプロダクトや食のアイテムを
薩摩の「よかもん」として紹介しているプロジェクト。
展示イベントとしては、2009年から、
旭川、神戸、高松、ロサンゼルスなど国内外各地で開催され、
今回の益子開催は、中原さんとスターネット主宰の
馬場浩史さんとの繋がりから企画がスタートした。
5月11日から19日まで、スターネットをメイン会場に、
益子のつくり手たちが共同で運営している「ヒジノワCAFÉ&SPACE」と
仁平古家具店益子店の3会場で開催されることになった。

中原さん(右)と同郷の坂口修一郎さん。ふたりは、益子と笠間(茨城県)の作家や工房が80以上も参加した2011年秋の「KASAMA∞MASHIKO」展(伊勢丹新宿店)も手がけ、益子のつくり手たちとの親交も厚く、「ホームのような土地(坂口)」。

つくったものを携えて知らない土地へ旅をしよう。

「さつまもの」では、作品や商品だけをアウェイの地に送り込むのではなく、
作家も「旅」をする。
作家が現地に行き在廊することは、もちろん他の展覧会でも行われているが、
中原さんは「さつまもの」への参加を誘う時、「旅をしよう」と作家に声をかける。
今回、ヒジノワに出展した「Lanka」の大山愛子さんも、
鹿児島のイベント会場で、中原さんに誘われた時の言葉は
「栃木の益子に行ってみない?」だったそう。

旅をしよう。その言葉の意味を中原さんにうかがった。
「作家活動って基本は個人的なものだけど、集まることも単純だけど大切なこと。
集まることは、知り合うこと。
新しい土地と知り合う、今まで出会えなかった人と知り合う。
それは自分が動いて地元から出て行かないと体験できないものだし、
もともと、僕自身、まず動きながら考えるタイプで、
動くことで得られたものはプラスになっていることばかり。
そんな感覚や体験を若い作家たちにも感じてほしいと思って声をかけています。
旅って、その場ですぐに結果が出なくても、その後、じんわりと何かに繋がっていったり、
新しいことが始まるきっかけになったりします。
みんなも、そう信じてついて来てくれているみたいです。
旅をしていくなかで何かを感じて、そこからはそれぞれが何かに繋げていく。
そして自分のまわりの若い作家にも、動いて知り合うということを伝えてほしい。
そんな展開がどんどん繋がっていったら、もっと面白くなります」

薩摩の作家たちが栃木の益子に旅をして出合ったもの、知り合った人。
これからの自分へ、お土産として持ち帰る、何か。
迎え入れた益子の土地から2回にわたってレポートします。

さつましこ 1
イラストレーター江夏ジュンイチ(さつま)meets
濱田庄司記念益子参考館(ましこ)

江夏さんは、鹿児島を拠点に都内からも仕事を受け活躍するイラストレーター。
今回は、ヒジノワCAFÉ&SPACEで、
アクリル画やペンで描いたイラスト作品を中心に展示を行い、
来場者の「ちょっと似ている似顔絵」を描くワークショップも。
似顔絵は、以前出展していたイベントで、手持ち無沙汰な時に、
何かできないかな? と、さらりと描き始めたとのこと。そんな話を聞くうち、
「陶芸の文様も好きなんですよ。だから益子に来るのを楽しみにしていました」
と江夏さん。
「それでは、益子の陶芸と民藝の聖地、益子参考館に行きましょう!」
益子チームの提案に顔をほころばせる江夏さんに
「濱田庄司のお孫さんで陶芸家の友緒さんがいらっしゃるかもしれません。
せっかくですから似顔絵でもさらりといかがですか?」と続けると、
「ちょっと緊張しますね」
「展示してある写真をたよりに濱田庄司の似顔絵もどうでしょう?」
「人間国宝ですよね。僕の絵のせいで、鹿児島県民が
さんぽうかんに出入り禁止にならないようにしないと……」
緊張が高まったのか、「さんぽうかん」と言い間違えてしまい、
周囲にネタにされてしまう江夏さん。

スターネット recodeで展示をしている陶芸家の竹之内琢さんも一緒に参考館を訪ねると、
鹿児島からのお客さまということで、濱田友緒さんが案内してくださることに。
参考館は、全国から寄せられた寄付をもとに、
この3月に震災で被災した石蔵などの修復工事が終了し、
リニューアルオープンしたばかり。
大正時代に作られた2号館と3号館の石蔵は、震災で大きく亀裂が入り、
古い手掘りの大谷石の中に新しく修復した色味が違う石が混じる。

「鹿児島には、こんなに古く立派なまま残っている建物は少ないです。台風の被害が大きいからですかね」と竹之内さん(左)。「益子に来てから、立派な堂々とした古い建物がたくさん目につきますよね」と江夏さん(右)。中央が濱田友緒さん。

1号館では、濱田庄司の大皿作品や、富本憲吉、バーナード・リーチ、河井寛次郎など、
庄司と親交があった作家たちの作品を見る。
庄司の晩年の作であるという、釉薬を流し掛けした大皿もある。
「庄司は筆も早いし轆轤も早い。釉薬をかけて指でさっと掻き落とすなど、
一瞬で決める即興的な仕事が特徴でもありました」という友緒さんの説明に、
江夏さんは感慨深げに頷いている。
庄司の釉薬の流し掛けは、柄杓ですくって、一瞬でさっと掛ける。
「飛び散る釉薬がもったいない、という声もあったようです」
という友緒さんの話に江夏さんの目が輝く。
「皿から地面に飛び散った釉薬って、下に紙を敷いておいたら
アートとして成立したかもしれませんね。見たかったなあ! 
ものづくりの人が作業しているところや、
作業した痕跡みたいなものにとても興味があります」

長期滞在した沖縄で見た、どこまでも続くさとうきび畑に心を動かされた濱田庄司。濱田作品で代表的な文様になった「唐黍紋」に見入る江夏さん。

「ほんの数秒」を大切にした濱田庄司の気持ち、わかります。

2号館、3号館を見学した後、
庄司が暮らしていた頃から「上ん台」と呼ばれていた4号館へ。
1942年に隣町から移築した庄屋作りの大きな民家で、
国内外に交友関係が広かった庄司のゲストハウスとして使用されていた。
益子の陶芸仲間や後進たちだけでなく、庄司を慕ってくる旅人を迎え、
ともに食卓を囲んでいた空間で、江夏さんは友緒さんと向き合い、
「ちょっと似ている似顔絵」を描くことに。

似顔絵を描く江夏さんを友緒さんがスマホのカメラで撮影する。

友緒さんからは、「実物よりいいですね」と嬉しいひと言。

江夏さんは、「ちょっと」似ていることにこだわり、
ほんの2〜3分、ペンを無心に動かして似顔絵を仕上げる。
時間をかけて人の顔を書くと、雑念が入って「余計なこと」をしてしまうから。
「今日、濱田庄司が釉薬を流し掛けする時の話を聞いて、
おこがましいかもしれないけど、一瞬で決めようとする気持ちは
僕にもわかると思いました」

「15 SECONDS + 60 YEARS」
震災で被災した益子参考館再建のために地元の窯元や陶芸家、販売店などが
チャリティで制作販売したTシャツに描かれたキャッチコピーだ。
15秒プラス60年。
これは、濱田庄司の流し掛けにまつわるエピソード。
15秒ほどで決めてしまう流し掛けに、
「15秒では物足りないのでは?」と訊ねた客に
「プラス60年と考えてはどうでしょう」と庄司は答えている。
一瞬で決める仕事の背景にある長い年月の研鑽の積み重ねは、
多くの出会いの積み重ねでもあった。
庄司は、神奈川に生まれ、京都、沖縄、益子、そしてイギリスなど海外での滞在も長く、
その60年は、旅先で知りあう人々や心惹かれる風景や造形との出会いの繰り返し。
そのすべての上に立ち、雑念を除き無心に釉薬を汲んだ柄杓を動かした。
江夏さんが気持ちを重ねようとした、濱田庄司が作品を生み出した手の軌跡。
益子で江夏さんが出会った、庄司が遺した軌跡や言葉は、
ひとつの旅を終えた江夏さんの表現活動のなかで、
小さな芽吹きを繰り返していくのだろう。

展示写真を手がかりに描いた、ちょっと似ている濱田庄司。

さつましこ 2
サカキマンゴー(鹿児島出身)× 高山源樹(益子在住)

初日11日にはレセプションイベントとして、
アフリカの民族楽器「親指ピアノ」奏者・サカキマンゴーのライブも開催された。
さつまものの作家も益子側のスタッフや作家も、
それに益子のお隣の陶芸のまち笠間(茨城県)の作家も集まり、
さつまものの食と音楽を楽しみながら、またとない交流の場となった。
マンゴーさんは、アフリカツアーから帰国してすぐの益子入り。
長旅の疲れも見せず、軽妙な鹿児島弁も駆使するマンゴーさんの演奏とMCに
会場の観客は湧き、時にじっくりと耳を傾ける。
もっとも盛り上がったのが下の写真のシーン。
ミュージシャンとしてのキャリアも長い、ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんが、
益子の高校生ジャンベ奏者、高山源樹くんに声をかけ、
さつま × ましこのセッションが実現した。
高山くんは、小学校2年生の頃から
自宅にあったジャンベを自己流でたたき始め、かなりの腕前。
小さいころから両親と国内外の旅を重ねていることもあり、感度が高い。
坂口さんもトランペットで参加し、3人で「茶わんむしのうた」を演奏。
この歌は、大正時代に鹿児島の田舎町で小学校の学芸会の劇中歌としてつくられ、
歌い継がれているもので、マンゴーさんがラテンのリズムにアレンジしている。
マンゴーさんと高山くんは、この日が初の出会い。
それにもかかわらず、リハーサルなしで息の合った演奏となったのは、
旅や新しい出会いを求めるお互いの波長が、ぴったりと合ったからなのかもしれない。

サカキマンゴーさん(左)、坂口修一郎さん(中央)、高山源樹(右)さん。スターネット recodeにて。

サブ会場 ヒジノワCAFÉ&SPACEでの展示風景。

ヒジノワのスペースでは、個人作家と工房あわせて7つの展示が行われた。
江夏さんは、アクリル画やイラスト作品などのほかに、
鹿児島の奄美地方の菓子、ピーナッツに黒糖をからめた
「がじゃ豆の作り方」という部数限定の手づくり本も販売している。
失敗した時のための本物のがじゃ豆(黒糖ピーナッツ)付き。
手づくりのがじゃ豆をプレゼントする時に使えるという、
イラスト入り袋も用意してある。
自分自身も楽しみながら、さつまのよかもんを益子で伝えたい。
そんなぬくもりを感じる表現のカタチだ。

江夏さんの「がじゃ豆のつくり方」ブック。

白い壁のスペースでは、江夏さんの他に、やまさき薫(イラストレーター)、ぺーパークラフトの「サルビア工房」上原かなえ、就労支援のNPO法人「Lanka」の天然素材石けんなどのプロダクツを展示。

黒い壁のスペースでは、木工の「AkihiroWoodworks アキギロジン」、秋廣琢、アクセサリーの「YUKO HODATE」の作品を展示。

後編では、木工作家、陶芸家たちの交流をレポートします。

「地上に」 内藤礼 旅の記録 奥・その1

一章 旅の前に

はじめて世界を見たときのことを、ひとはおぼえてはいない。
視る力を授けられた者であれば誰にでもあったはずの、そのとき。
まぶたをひらき、おろしたての目で見た景色はどんなふうだったのだろう。
それは、慈しみに満ちた母の笑顔。
あるいは、その膝に抱かれて見あげた空の無限だったのか。
あまりに幼くて、あまりに生まれたてで。

生きてる係

内藤礼さんが「地上はどんなところだったか」と題した作品を
はじめて発表したのは2005年の春、ギャラリー小柳での個展だった。
99mm×22mmの横長の長方形の紙片。
淡いブルーに塗られたそれは、全面くまなく針で穴があけられている。
紙片はアクリルボードに入って天井から天蚕糸で吊り下げられ、
それを通して向こうを見ると景色がぼんやりとした光と影だけになり、
色もかたちもすべてがおぼろになる。
その淡い陰影のなかで、光のありかだけがはっきりとわかる。
明るいものがたしかにあることが感じられ、その明るいほうを見てしまう。
———もしも死んだひとが、地上はどんなところだったかと思い出すとしたら、その風景はこんなふうに見えるんじゃないか。
作品の深奥には、そんな思いがあったようだ。
————死者以外にも、地上という生の外側に存在する者たち、これから生まれくるひとや、精霊、あるいはもしかして動物たちの目にも。
遠くから見る地上は距離に祝福されてやさしく滲みあう。
境界も摩擦も溶けて薄らぎ、そのぜんたいが灯されたように明るい。
それはどんなにか平穏で、やすらかな世界だろう。

————地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか。
内藤さんの作品のおおもとにあるのは、つねにそのシンプルな問いである。
つまりは、生きているとは、それだけでよろこびであるのか、と。
そして彼女は、みずからのその問いに対し、
つねに熱烈に「イエス」と答えたがっているように見える。
死んだひとに問うて「イエス」と聞き、
これから生まれくるひとに「だから、おいで」とやさしく耳うちをする。
それは生の属性である汚れや苦悩を見ぬふりしてのきれいごとではけしてない。
彼女の細い指は、どれほど深い闇からも朝露のような生の輝きをすくいとることができる、
特別な指のようにわたしにはうつる。
そして、ほらね、とうれしそうに手のひらにのせ、
はかなくふるふると光る粒をわたしたちに見せてくれるのだ。

「地上にひとつの場所を」1991年 佐賀町エキジビットスペース、東京(撮影・畠山 直哉 提供・ギャラリー小柳)

1991年。佐賀町エキジビットスペースで発表された個展「地上にひとつの場所を」は、
わたしの人生で最善の体験だったといってもいい。
うす闇に乳白色の布で囲われた卵形の空間が発光しながら浮かび、鑑賞者は靴を脱いで、
ひとりずつそこに入っていく。
足もとには毛羽立ったフランネルが敷きつめられて、綿の国のように柔らかだ。
わたしは顔をあげ、ひらけた光景に呆然とした。
ちいさいもの、かぼそいもの、愛らしいもの、透きとおっているもの。
糸や針金や竹ひごや、種やガラスや粘土でできた、名状しがたい、いや、はなから言葉になどならない見たことのない、信じられないほどのかそけさで存在する光の小兵隊のようなものたち。
ふだんは何かに隠れ、ひそみ、そんなあわいのかけらたちが、注意深くこしらえられた安全地帯に無防備に現出している。黙っているなら見ても(いても)いいよと、やすらいで。
その神聖さを天界にたとえるのは容易だが、
個展のタイトルにあるように、そこはまぎれもない地上なのであった。
胸の奥でことりと、重いふたがひらくのを感じた。
柔らかく閉じられて立ちあがり、ふくらんでいくものがあった。
こうして言葉にほどけるのも長い時が経ったからで、
そのときはただ、包まれていただけだった。
ひたすらにやさしく、あたたかい何かに。

「地上にひとつの場所を」1991年 佐賀町エキジビットスペース、東京(撮影・小熊 栄 提供・ギャラリー小柳)

「わたしはたまたま生きてる係なの」
そう言ってひっそり笑うひとは、地上に、わたしの隣にいながらにして、
同時にいくつもの異次元を往還する、羽のようなまなざしをもっているらしい。
あの青い紙片を通さずとも、
すでにこの世を去ったひととして、あるいは、これから生まれくるひととして、
遠くから地上を俯瞰しているような感覚が、いつの頃からかずっとあるのだと言う。
それを決定づけたともいえるできごとが、
ある秋の日の夕暮れどき、夕焼けに惹かれてふと出た
自宅のベランダから、なにげなくふりむいた瞬間、
部屋の中にいる自分自身を目撃してしまったという超常的な体験である。
そのとき一瞬にして、走馬灯のように、みずからの生の全貌も見てしまった。
唯一の居場所である小さな自分の部屋にいて、
仕事をしたり寛いだり、よろこんだり泣いたり、それが自分の生でそれ以外ではない。
死の予告ともされるドッペルゲンガー(自分の写し)現象を連想させるこのできごとを経て、
まなざしの飛翔はより自在になった。
ピンで穿たれたような強烈な生の受容とひきかえに。

わたしが内藤さんにはじめて会ったときの印象は、まぶただった。
(あそこにたくさんの秘密が隠されている)
そのとき自分は近寄りがたく、そんなふうに思ったものだ。
佐賀町の個展時の短いインタビューだったが、何を話したかはおぼえていない。
ひとりずつ鑑賞するという画期的な様式は長蛇の列を呼び、
繊細な作品のメンテナンスのために会場に
つきっきりで詰めていた作家は、疲弊もあってか作品同様、
とてもフラジャイルで透明な存在に見えた。
わたしは、このしんとしたひとをそっとしておいてあげたい、
強くそう感じたことをおぼえている。
いま思えばあの気持ちは、ふらりと入った教会の翼廊の薄闇に跪いて
懸命に祈るひとを見てしまった、
そのときの罪悪感にも近い感情だったかもしれない。
沈黙の重さにおののき、それを侵さないようにと、息をひそます。
それから20年後に一緒に旅に出るなんて、
そのときの自分には思いもよらないことだった。

透明な枕

1991年の個展以降もしばらくは、外界を遮断して、ひとりきりで
自分の内側の階段を降りていくような作品を発表し続けた内藤さんが、
2005年に「地上はどんなところだったか」を発表するまでのあいだには
いくつかの作家的転換点があった。それについて、少し記しておきたいと思う。

「Being Called」1997年 カルメル会修道院、フランクフルト(撮影・Axel Schneider 提供・ギャラリー小柳)

〈自己〉(深い内省)から死者も含む〈他者〉へとまなざしが移行した
最初の作品ともいえるのが、1997年にフランクフルトの古い修道院を舞台に
制作されたインスタレーション「Being Called」である。
会場となった石造りの空間には
16世紀のドイツ・ルネサンス画家の手で描かれた宗教壁画の断片が残り、
内藤さんはひとりでそこに籠って数日を過ごすうち、絵に描かれた聖人や使徒(=死者たち)がかつて自分と同じ命をもっていた存在として、親しくありありと感じられるようになっていく。
さらには、過去にそこで実際に生きて死んでいった修道僧たちや、これからそこにやって来るはずの存在、自分がいなくても連綿とそこにある絶えまない命の連続性への気づきが、
それまでもちえなかった至福感につながっていく。
「壁画に描かれた人数を数えたら、だいたい304人。彼らにひとつずつ、手のひらにのるようなちいさい枕をつくりました。この作品も(空間に)ひとりずつ入ったのですが、他の人の気配、存在を感じるために7つの席を用意して。実際に誰かそこにいるかもしれないということではなく、世界には自分以外の人間がいるということを思い出してみたかったのだと思います」
(「ART IT 第23号」インタビューより抜粋)
死者という他者を「発見」し、彼らのためにできることをと考えたとき、
彼女がとったのが、たましいを休息させる枕をつくるという行為だった。
慣れ親しんだ素材であるシルクオーガンジーを用い、
一個一個、糸と針でぷっくり寝心地よさげに縫いあげられた304個のちいさな透明の枕は、
死者たちに捧げるように壁画前に半円弧状の列に並べられた。

「Being Called」1997年 カルメル会修道院、フランクフルト(撮影・Axel Schneider 提供・ギャラリー小柳)

「世界には自分以外の人間がいる」という表現は、あまりにあたりまえすぎて、
滑稽に聞こえるかもしれない。
しかし、世界には自分以外の人間がいるし、いたのだということを、
はたしてわたしたちは自分自身の身体的実感として「知って」いるのだろうか?
知識や常識として頭で知っていることと、実際の体験として出会い、自己の深部に滲みわたるように知る「気づき」とはまるで別物であって、内藤さんはそのふたつをけして混同しない。
「どんなにちいさなことでも、自分で気づいたというのは幸福なこと」と彼女が言うとき、
それは、気づきが訪れる心の奇跡的な静けさをよろこんでいるのである。
その区別の厳格さと、自分は何も知らないという(おそらく)生来の謙虚さが、純度の高い気づきを生み、それが作品としてつくるものの高さとなっていることを、
私は今回の旅でまのあたりにして納得することになる。
この世界には自分以外のひとがいる。
自分がいなくても世界は存在したし、これからも続いていくのだと知ることで、
内藤さんは開け放たれた。
砦を出て外へと限りなくひろがっていく、後ろ楯を得たのである。

すでに与えられている

「このことを」2001年 家プロジェクト『きんざ』、直島(写真・小熊栄 提供・ベネッセホールディングス)

1999年。打ち捨てられた古い民家を与えられ、空間をまるごと作品にする直島の家プロジェクト「きんざ」の制作にとりかかる内藤さんは、
フランクフルトで得た命の連続性の感覚をより強めていくことになる。
朽ちた床を剥いで現れた黒く濡れそぼった土の感触。かつて幾十ものひとが生きて死んだ場に永続して対流する大気、風、光、ちいさな生きものの気配など、
ひとの時間を超越した自然の生気(アニマ)のようなものとの出会いも果たしていく。
「そこにいて私は泣いた」と内藤さんは書き記している。
すべてがすでに与えられているというのに、
(自分は)なぜそれに触れようとしているのだろうか、
なぜ、ものを置こうとしているのか、と。

この世界にあるものとあったもの、そしてまだないものと助け合うとはどんなことだろう。私は、この世界にはほんとうはあるのに、何かのかげになって見えなくなっている名づけられぬ純粋といえるものが、ふいに人のそばに顕われてくるのを、それがどんなになにともわからないものであっても、いやむしろそれだからこそ、疑うことなくこの眼で見ようと思う。そして、それが本来、人とけっして無縁ではないことを知ろうと思うのだ。このとき、神秘はよろこび、私の中心にその幸福はしみわたる。
(作品集『このことを』ベネッセホールディングスより抜粋。傍点筆者)

作品を体験したひとであればわかるだろう。
孤独に悩みぬいたすえに内藤さんは、そこに新しい何かではなく、
すでにそこに与えられているもの、たゆたう闇に凝縮されてある何かを顕在化する、
顔なしの媒介者のようなものたちを深沈と配置していく。
風で揺れてはじめて気づく微細な糸が垂れている。
さっきは見えなかったのに、次にふりかえるとうっすら輪郭から見えてくる平らな石がある。
天候や時間のうつろいとともに刻々変化する生きもののような闇。
ふっと生の外側に出てしまい、自分自身を見る体験をしたのは、
ちょうどこの作品を制作している頃だったという。
この空間にもひとりずつ入る。
しかし、壁下の空隙からは外を歩く他者の足が見え、車の騒音やくぐもった人の声も聞こえてきて、自分がこの世界でひとりきりにされない存在であることを静かに思い知るのだ。
わたしは時々、あの闇の隅でひかえめに光を発していた白い石のことを思うことがある。
つやつやとすべらかに磨かれていた、冬の月のようなあの石。

「このことを」2001年 家プロジェクト『きんざ』、直島(写真・森川昇 提供・ベネッセホールディングス)

『このことを』から抜粋した文章の「助け合う」という表現は、非常に内藤さんらしいものだと思う。
場にしても、あばかれることを望んでいるとは限らない。
そおっと近寄り、ひとかたまりの時間を過ごして親しくなり、触れることを許されてから触れる、
という律儀なスタンスを、内藤さんは自分以外のあらゆる対象に対して守り続けているようにわたしには見える。
直島以降、活躍の場はしだいに外へ、大自然へと向かい、
作品のスケールもひろがりを見せていくのだが、それに比例するようにスタンスは洗練され、
作家が手をくわえる領域はミニマムに高精度に収斂されていく。
2006年に佐久島で発表した野外作品は海の水や風がその重要な一部を担い
(「タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)」)、
2008年の横浜トリエンナーレでは、一本のリボンが、下に置かれた電熱器の熱と窓からの風が起こす対流に身をまかすように空中で運動しているだけ、という大胆さを見せた。
完全に透明な仲介役に徹したこの作品を、中沢新一氏は
「環境の中から作品が自生しているようだ」
と評したが、まさに圧倒的な生命力をもって自生する作品として、
現時点で最大級のものといえるのが2010年に完成した豊島美術館だろう。
そこに満ちる粒子のひとつぶひとつぶが、すべて笑っている。
そこにいると、自分の中で湧いているのに、
場所のわからなかった泉にたどりつくことができる。
あんなに大きな宝石を、わたしは見たことがない。

「母型」2010年 豊島美術館(写真・鈴木研一 建築・西沢立衛 提供・公益財団法人 福武財団)

「ひと」の誕生

そろそろ、この旅の話に入らなければいけない。
旅に出たいと言ったのは、内藤さんからではない。
世界の各所で場に関わる作品を手がけてきた内藤さんだが、
そのすべてが与えられた場であり、ひとや縁に導かれての遠出であった。
知らない場所に呼びだされるのは、おおいにうれしい。それが作品のためであれば。
しかし、個人的に旅に出ることはなく、
そもそも「旅に出たいと思ったことがない」と聞かされたときには耳を疑った。
「旅に出る習慣もないし、訓練もしていないし、ひとりで知らないところなんか行ったら二度と家に帰ってこれないような気がする」
旅がきらい、なのではなく、恐い、のだそうだ。
用事がなければ、家から出ることすらあまりない。
朝、目を覚まし、起きているあいだは何かをつくり、夜になれば、
その日につくったものを眺めながら幸福な眠りにおちる。
それが内藤さんのやすらかな日常なのである。
そんなひとが、この曖昧な旅に出ることを決めたのは、いったいなぜか。

「ちいさな変化がある」
2011年12月。
約20年ぶりに再会した内藤さんは昔と同じしんとした空気をまとい、
たったいちど会っただけのわたしのこともおぼえていてくれた。
そして、まだうまく言葉にできない様子ではあっても、
饒舌に何かを語りたがっていた。
自分でもなんだかわからないものが、その年の春に忽然と生まれてきていたのである。
前ぶれもなくやってきて、それから毎日、生まれ続けている。
それが「ひと」である。

最初の「ひと」が生まれてきたのは6月だった。
木に触れた手が動き、気づいたら、ちいさな姿で手のひらにのっていた。
いわゆる具象の立体物が内藤礼から生まれてきたのははじめてのことである。
おとならしき「ひと」、こどもらしき「ひと」、死んでる「ひと」に未来の「ひと」、
あらゆる次元の「ひと」が脈絡なくまじりあって生まれてきた。
なかには聖人らしき「ひと」もいて、
それは、彫っているうちに身体がきらきらと光りだすのでわかるのだそうだ。
2011年といえば、夥しい死者が出た大惨事があった年である。
なんらかの遠因がそこにあるか尋ねたかったが、そのときはまだ憚られた。
この世界は、あんなことが起きてもなお、「おいで」とささやくに値する世界であるのか。
内藤さんが自分自身に、あらためてその問いを突きつけたのは想像に難くない。

ちいさきものは、ただそれだけで祝福されている、と言ったのは誰だったか。
「ひと」も、そのちいささにおいて、すでに胸を打たれるものがある。
ただの木片が「ひと」に変わる瞬間、はなたれるものがあると内藤さんは言う。
「自分が『ひと』をつくるようになって、『ひとがた』をしたものというのは、古代の土偶にはじまって仏像、お人形さん、こけしとか、これまであらゆる理由のもとに無数の人間がつくり続けてきたものであることに気づきました。私は、その連続性に参加できること、過去の誰かと同じ行為をしているということが無性にうれしいんです。考えてみたら『ひとがた』というのは地上で人間だけに与えられている形状で、そのこと自体が尊いと思うようになりました」
頭と胴体だけの単純な「ひとがた」を見ても、ひとはそれを人間と認識する。
その形状に対したとき、生身の人間のほうで引きだす感情があることに内藤さんは注目している。
「道端のお地蔵さんに毛糸の帽子をかぶせるのは、
いったい誰なんだろうって、いつも思うんです」
お地蔵さんは石でできているとわかっていても、
頭に雪をのせていれば、わたしたちの心が「寒そう」と感じる。
ひとの、「ひとがた」をした無生物への無条件の愛着は、
いったいどこから来るのだろうか。幼い赤ん坊でも、その感情はあるのである。

さらには、目、である。
目があるものは、たとえそれが無生物であってもぞんざいにはできないし、
ときにわたしたちは、それに畏れさえ抱くことがある。
「ひと」は、頭と身体と絵の具で描いたふたつの目をもつだけの存在である。
絵の具は木目に滲んで、筆をさした本人の意志からも離れた不測の表情が立ちあらわれてくる。
生まれた瞬間から、「ひと」は、すでに作家とは切り離された一個の存在なのだ。
「ひと」は、なんのために地上に生まれてきたのか。
「ひと」は、その目で、何を見ようとしているのか。
それを知りたいという内藤さんを、旅に誘った。
この旅が、「ひと」の出現の意味を知る旅になるかもしれない。ならないかもしれない。
「ぼうけん」と、内藤さんはいたずらっぽく、ちいさな声でつぶやいた。
(つづく)

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展覧会情報
colocal exhibition「地上はどんなところだったか」 内藤 礼

会期:2012年12月2日 〜 2013年5月5日

会場:奥共同店(沖縄県国頭郡国頭村113)

『ひと』2012年 木にアクリル絵の具 21×10.5×54mm

協力:奥共同店/宮城吉邦/糸満盛也/ギャラリー小柳

主催:colocal

佐渡島で、トキがデザインされた カワイイ牛乳パックが発売!

新潟県の佐渡島といえば、
絶滅が危惧されている貴重な鳥の「トキ」。

このトキを大胆にあしらった牛乳パックが、地元のメーカー佐渡乳業さんから登場!

これまではミルクの王冠をあしらったシンプルなデザインだったのをリニューアルしました。
冷蔵庫を開けるたびにトキと目があって、思わず微笑んでしまいそうです。

佐渡乳業さんは、佐渡の酪農家が生産した生乳だけを使用し、
牛乳・乳製品をつくっているメーカー。売上金の一部を、佐渡市を通して
「トキの森づくり」活動に寄付しているそうです。

地元の方もこの粋なリニューアルにとても喜んでおられるようです。
こんな牛乳がおうちにあったら楽しいですね。

佐渡乳業

写真:ご縁の宿伊藤屋番頭さんブログより

「地上はどんなところだったか」 内藤礼 旅 その1 沖縄県国頭村奥 2013年

2013年5月12日(日)までの限定公開

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展覧会情報
colocal exhibition「地上はどんなところだったか」 内藤 礼

会期:2012年12月2日 〜 2013年5月5日

会場:奥共同店(沖縄県国頭郡国頭村113)

『ひと』2012年 木にアクリル絵の具 21×10.5×54mm

協力:奥共同店/宮城吉邦/糸満盛也/ギャラリー小柳

主催:colocal

取手アートプロジェクト「サンセルフホテル」

郊外の団地で行われるアートプロジェクト。

茨城県取手市で、市民と取手市、東京藝術大学が共同で行っている
「取手アートプロジェクト(=TAP)」。
1999年の発足よりフェスティバル型の現代美術の野外公募展、
在住作家を紹介するオープンスタジオを主要事業として行ってきたTAPが、
活動形態をシフトして2010年から継続的に行っているのが「アートのある団地」だ。
2000戸を超える巨大な取手井野団地を舞台に、
アーティストと団地内外の住民がさまざまなプロジェクトに取り組んでいる。
郊外の団地では軒並み高齢化が進み、既存の自治組織が弱体化していくなかで、
20~40代の若い世代、また高齢になりリタイアした世代が、アートを通して、
もう一度自分たちの手で地域に魅力的なコミュニティをつくり出すことができないか、
と考えられたのが、この「アートのある団地」なのだ。

この一環で行われた「サンセルフホテル」は、
アーティスト北澤 潤さんが主導するプロジェクト。
団地の空き部屋の一室を、プロジェクトメンバーであるホテルマンたちが
手づくりでホテル化し、外から宿泊客を迎えるというもの。
「団地の風景を見ながら、このなかにホテルという特異な場所が生まれたら
面白いなと思いました。いちばん大事なのは、ここに人が来るということ。
ほかにないような活動をすることによって、
郊外に新しい価値観を生み出すことができると思います」と北澤さん。

北澤さんはこれまでも、さまざまな地域でアートプロジェクトを行ってきた。
放課後にもうひとつの学校をつくる「放課後の学校クラブ」や、
まちの空き店舗に居間をつくり出してしまう「リビングルーム」など、
その発想はユニーク。
また震災直後から福島県新地町の仮設住宅で行っている
「マイタウンマーケット」については、ローカルアートレポートの
「3.11とアーティスト」の記事内でも触れた。
彼が一貫して行っているのは、日常にあるものを、
自分たちの手でもう一度つくってみようという試み。
そうすることによって日常を捉え直したり、
人やものとの関係性を見直すということを意図している。

サンセルフホテルには、自分たちの手でホテルをつくるということと同時に、
もうひとつ、サン=太陽という重要な要素も加わる。
昼間、宿泊客とホテルマンたちが一緒にソーラーワゴンを押して
団地内と団地周辺を歩き、その太陽光発電の電力で一夜を過ごす。
また、夜にはLED電球を入れた太陽バルーンをあげ、
自分たちでつくった太陽で団地を照らすというのが、サンセルフホテルの特徴だ。

今回のプロジェクトには、自然の要素を取り入れたかったと北澤さんは話す。
「震災後、自然と関わり直すことが必要だと思いました。
僕はいままで、まちや居間を手づくりでつくってきましたが、
自然の要素も自分たちでつくれないかと思ったんです。
太陽光を歩きながら集めるのは自然を捕まえるような作業。
それでつくり出した電力で夜空に太陽をつくる。
サンセルフホテルは、太陽とホテル、つまり自然と社会を
小さなかたちで再構成するようなものだと考えています」

2000戸を超える取手井野団地には約4000人の人が暮らすが、上層階には空き室も多い。

活動拠点となっている「いこいーの+Tappino」。空き店舗を馬場正尊さん率いる「OpenA」が改装した。団地型の天井は、以前「みかんぐみ」が施工を手がけたTAPの拠点でテーブルの天板として使われていたもの。

テーブルクロスには団地のシルエットが。

みんなでつくり上げたホテル。

サンセルフホテルのプロジェクトが実質的に始まったのは、2012年の9月。
まずはソーラーワゴンづくりからスタートした。
「アートのある団地」の拠点であり、団地住民の憩いの場であるカフェ
「いこいーの+Tappino」に2週間に1度、やがて週に1度集まり、活動を続けてきた。
ホテルにあるものって何だろう? 
お客さんを迎えるためには何が必要だろう? 
北澤さんを中心に、プロジェクトメンバーみんなでアイデア会議を重ね、
アメニティの石けんや、部屋のカーテン、ランプシェードなどをつくっていった。
食事のメニューを考え、試作と試食会もした。
毎回参加する人もいれば、たまに参加する人もいる。
参加を強要することはなく、参加者たちの主体性にまかせているが、
ものづくりの面白さを体感したメンバーたちが徐々に集うようになり、
最終的に約30名がホテルマンとなった。

集まったホテルマンは世代もさまざまで、なんと下は1歳から上は88歳まで! 
井野団地に住んでいる人が約3分の2、残り3分の1ほどの人は、
TAPのメンバーだったり、団地外の近隣の地域からも参加している。
ホテルマンは、受付やソーラーワゴンを担当する「コンシェルジュチーム」、
部屋の準備をする「ルームチーム」、
調理の得意な人たちで食事を用意する「調理チーム」に分かれ、
それぞれの役割を果たすために準備を進めた。

サンセルフホテルの太陽を思わせるような石けんも手づくり。

タオルやトートバッグ、スリッパにも刺繍が施されていた。

約30名のホテルマンのうち、最年少はなんと1歳の女の子。

そして4月13日。
サンセルフホテルに記念すべき最初のお客さんがやって来た。
ウェブサイトと、3月に行われた六本木アートナイトでの
ショールームで募った宿泊希望者から選ばれたのは、
東京は浅草に住む定金ひとみさん、来音(らいと)くん親子と、
ひとみさんの母・影山みはるさん。
13時前、団地に到着した3人をホテルマンたちが出迎え、部屋へと案内。
すると手づくりのホテルに、ひとみさんもみはるさんも感激しきり。
こんなに喜んでくれるなんて、とホテルマンたちの顔にも笑みがこぼれる。

少し休んでから、ソーラーワゴンを押しながら団地の周辺を散歩。
おやつに調理チームが用意したプリンを食べ、
その後もう少し団地内を散歩しながら蓄電。
この頃には5歳の来音くんと子どもホテルマンたちはすっかり仲良くなって、
あちこち走り回っていた。
夕方、いよいよ太陽バルーンの準備。
ヘリウムを入れて、人の背丈よりかなり大きい、
2メートル50センチほどに膨らませ、上空へ。
真下と四方に延びたヒモで固定しようとするが、風がありなかなか安定しない。
高さを予定より少し下げて、なんとか打ち上げに成功。
緊張感が走ったが、ホテルマンたちのチームプレーで乗り切った。

客室にも昼間蓄電したバッテリーを運び、点灯。
発電電力は予定より少なめの150Whだったが、
宿泊客自らが電気の使い方を考え、節電しながら一夜を過ごすことに。
やがて部屋に夕食が運ばれた。
メニューは、茨城名産の蓮根を使った筑前煮をはじめ、
鮭のホイル焼き、ロールキャベツ、菜の花辛子和えなど。
素朴だがボリュームたっぷりで、ひとみさんたちは味にも大満足だったよう。
その後はお風呂に入って、ルームサービスのマッサージを受け、24時頃消灯。
無駄な電力を使わなかったせいか、結局電力は余ったという。

ルームチームがお部屋へご案内。

お茶うけは井野団地を模した手づくりの芋ようかん、その名も「いのようかん」。これもホテルマンたちのアイデア。

ひとつひとつ手づくりのホテルに感激。カーテンもホテルマンたちが絞り染めしたもの。

陽の当たる場所を求めて、ソーラーワゴンと一緒に団地内を散歩。

LED電球を入れた太陽バルーン。団地の多くの部屋から見えたはず。

ひとみさんは、団地に対するイメージが変わったと話す。
「団地というと灰色の要塞のようで外の人は入り込めない場所というイメージでしたが、
みなさん親しみをもって迎えてくれました。
しかも私たちのために丁寧に準備をしてくださっていて、本当にうれしかったです。
エネルギーは当たり前にあるものではなく、限りあるものなんだと子どもに伝えたくて、
それを実際に感じることができるいい機会になるのではと思って参加しました。
太陽のありがたみ、人のあたたかさを感じることができました」

翌朝はホテルマンも揃ってみんなでラジオ体操。
いこいーので、ビュッフェスタイルの朝食をみんなで楽しんだ。
朝10時、チェックアウトしようとすると、来音くんの表情が曇る。
帰りたくないのだ。
ホテルマンから手づくりのおみやげも手渡され、いよいよお別れの時間が近づくと、
子どもたちとぎりぎりまで遊んでいた来音くんは泣き出してしまった。
それでもホテルマンみんなでバス停まで見送ると、
最後は笑顔で手を振って帰って行った。
この瞬間、ホテルマンたちはみんな胸を熱くしたに違いない。

朝食はビュッフェスタイルで、ホテルマンたちと一緒に。

泣き出してしまった来音くんに、子どもホテルマンから絵のプレゼント。

バスが見えなくなるまで、みんなで手を振ってお見送り。

住む理由になるようなアートプロジェクトをめざして。

ホテルマンのリーダー的存在である本橋幹夫さんは、井野団地ができて1年目に入居。
以来43年間ここで暮らしてきた。
団地でアートプロジェクトがスタートして、楽しくなったという。
「昨年の夏にはゴーヤのカーテンをつくって市のコンクールで2位をとったりね。
そうやってこの団地の認知度が高まるのはいいこと。
今回はどうなるかと思ったけど、お客さんがあんなに喜んでくれるなんてうれしかった。
みんながニコニコできればいいと思う」
ホテルマンたちからは、またやりたいという声もちらほら。
サンセルフホテルは今後も不定期に開催されていく予定だ。

アートには人を動かす力があると北澤さんは考えている。
「アートが直接社会を変えるのではなくて、人の気持ちや感情を動かす。
それによって、何かが少し変わるかもしれない。
アートはそういう可能性を導いたり、こういう道もあるんだという
選択肢を広げることができると思っています。
メッセージやしくみの重要性もありますが、ものをつくる楽しさをみんなが感じてくれて、
活動自体を面白がってくれているのが大切。
単に太陽光パネルを設置して、ホテルのようなしつらえをすれば
同じようなことはできますが、自分たちでつくることによって、
日常と違うところに飛躍するような体験が大事だと思います」

取手アートプロジェクト事務局長の羽原康恵さんは
「顔の見える」アートプロジェクトをめざしたいという。
「不特定多数に向けたアートや、フェスティバル型のアートプロジェクトは
全国に増えてきましたが、ここでは顔の見えるプロジェクトができたらと思っています。
それはアーティストと住民、住民と住民かもしれませんが、
特定の誰かとつくる、誰かのための芸術表現。
新しいアートプロジェクトのかたちがそこから見えてくるのではないかと思っています」
何年もかけて、丁寧に団地の住民たちと関係をつくってきたからこそできる、
地域の日常に寄り添うようなアートプロジェクト。
羽原さん自身、2008年にこの団地に引っ越してきた。
学生時代にTAPに関わり、その後は静岡県の文化財団で仕事をしていたが、
子どもができたのをきっかけに、血縁はなくても
知人が多くいる取手で暮らそうと思ったそうだ。
「自分の発想をいかしてコミュニティに関わるというしくみが、
徐々にできてきている気がします。
それが、30~40代の世代がここで暮らす理由になり得るかもしれない。
アートプロジェクトがその地域にあるからそこに暮らすという、
住む理由になるようなアートプロジェクトをめざしたいです。
東京まで消費に出かけなくても、地域で文化や芸術活動も
享受できるようなしくみを、この取手でつくれたら。
次の世代につなげていくためのアートプロジェクトになっていったらと思います」

水都徳島市のハイテク芸術祭 徳島LEDアートフェスティバル2013開催!

阿波踊りで有名な徳島県。実は、世界最大の
LED(発光ダイオード)生産拠点なんです!!

その徳島で、LEDとアートを組み合わせた
斬新なお祭り「徳島LEDアートフェスティバル2013」
が開催されます。

コロカルでも紹介した「瀬戸内国際芸術祭2013」の
総合ディレクター、北川フラムさんが
スーパーバイザーとして関わっているだけあって、
国内外で活躍しているアーティストの作品が
約50点展示される充実したアートのお祭りです。

水都徳島市の象徴である、川の中洲「ひょうたん島」周辺に
LEDを使った作品がきらめきます。

なかでも注目しているのは、
これまでにLEDを使った素晴らしいアート作品を
たくさん手がけてきた、ダムタイプの藤本隆行さんと、
ライゾマティクス石橋素さんによる作品
Echoes Link(共鳴の輪)」。

城山公園の一本の梅の古木を中心に、
数本の樹々に付けられた光の輪が、
お互いに発光しながら繋がっていくというものです。

展示される作品の詳細などは
Facebookで見ることができます。
アートのほかにも、音楽祭、食のイベントなどもあり、
徳島の春の美しい夜を満喫できるでしょう。

徳島LEDアートフェスティバル2013

写真提供:徳島LEDアートフェスティバル実行委員会

Excelで日本画を描くスゴイ画家、堀内辰男さん

いま皆さんがオフィスや家庭で
表計算などのために使っているソフト、
Excel。このExcelで日本画を描いてしまう画家がいらっしゃいます。

それが上田市真田町出身、
現在は群馬県館林市にお住まいの堀内辰男さん(1940年生まれ)。

堀内さんがExcel日本画を始めたのは12年前。
定年退職し、新しいことを始めたいと
思ってパソコンを購入。
Excelでグラフを作っている人を見て、
これなら自分にも絵が描けるかも、と思って始めました。

堀内さんはそれまでパソコンを使ったこともなく、
また絵の具などの道具で絵を描いたこともありませんでした。
Excelをツールに選んだのは、
パソコンに最初からインストールされていたし、
ツールで線や形を描く機能"オートシェイプ"が良く出来ていたから。

現在は、インクジェットプリンタで印刷した
A3判の作品を手作業でつなぎ合わせて
A1〜B1〜A0サイズの作品をつくっては
地元の美術展に出品したり、
絵本を図書館に寄贈しているそうです。

椿に目白。これがExcelで描かれているとはびっくり。

これからやってみたいことは?と堀内さんに
お聞きしたところ、
「本物の絵を描きたい」
というお答えをいただきました。

堀内さんのWebサイトにて、描き方が紹介されています。

堀内辰男さん個人Webサイト

異文化のまち横浜に、世界一カラフルな〈Holi Festival of Rainbow〉がやってくる

昔から貿易港として、異文化の窓口になってきたまち、横浜。
そんな横浜のベイサイド横浜赤レンガ倉庫にて、
本日3月12日から14日までの3日間、カラフルなお祭り
「Holi Festival of Rainbow」が開催されます。

これは、インド・ネパールで
いろとりどりの色粉や色水を掛け合って
春の訪れを祝う、「ホーリー祭」の輸入版。

これまでに、コロカルでも不思議なお祭りを
紹介してきましたが、これもなかなかの奇祭ですね。

会場ではライブやトーク、ワークショップや
「飲むカレー」の出店など盛りだくさん。
14日には、現地とおなじく、
お互いに色粉を塗り合うイベントが行われます。

このパウダーはとてもいい香りなのですが、
水に濡らした状態で皮膚に着くと、
5日も落ちなかったりするほど強力なんだそうです。

※粉かけは専用の場所で行われるので、
遊びに行っていきなり粉をかけられることはないのでご安心を。
体験したい方は、着替えやボディペーパー、
ゴーグルの持参が推奨されています。
Webサイトなどの注意事項をご参照のうえご参加ください。

お祭りを運営するのは、何年間も実現のために準備してきた
実行委員会と、関東の学生団体SWITCHさんたち。
春のおとずれとともに、異国情緒を感じられるイベントになりそうです。

Holi Festival of Rainbow in Yokohama2013

瀬戸内国際芸術祭2013 春

島の四季を舞台に繰り広げられるアート。

瀬戸内海の島々と港で開催中の「瀬戸内国際芸術祭 2013」。
3年に1度開催されるトリエンナーレの2度目となる今回は、大幅にスケールアップ。
直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島に加え、
沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島という西の5つの島が加わり、
合計12の島と高松港、宇野港周辺の広域で開催されている。
会期も、春、夏、秋と3つに分け、瀬戸内の四季に触れてもらおうというのがねらいだ。
前回から継続する43作品を含め、約200を超える作品が展示・発表される。

もはや現代アートの聖地として知られるようになった直島は、
安藤忠雄建築の地中美術館と李禹煥美術館、
アーティストたちが家を丸ごと作品にした「家プロジェクト」など、
建築と現代美術の宝庫。夏には「指輪ホテル」の公演も行われる。

豊島は内藤礼と西沢立衛による豊島美術館や、
クリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」が島の目玉となっているが、
この夏にまたひとつ大きな見どころが。
建築家の永山祐子による、横尾忠則の美術館「豊島横尾館」だ。
三連の大作絵画をメインにした独創的な建築が誕生する。
また建築家の石上純也も、夏・秋会期にプロジェクトを展開。
そして島の豊かな食材を使った地元のお母さんたちの料理が楽しめる「島キッチン」も、
会期中無休で営業する(会期と会期のあいだは土日・月・祝日のみ営業)。

女木島では、休校中の小学校の庭に、大竹伸朗が「女根/めこん」という作品を展開。
杉浦康益は、かつて段々畑だった場所に約400個の陶のブロックを設置し、
一大パノラマをつくる。そのほか愛知県立芸術大学のプロジェクトなどが行われる。

男木島は、映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台ともなった男木島灯台がある島。
2012年に結成された「TEAM男気」は、大漁旗や祝い旗などで
男木島の漁師たちの男気を視覚化する「男気プロジェクト」を展開。
また会田誠、有馬純寿、大岩オスカール、小沢剛、
パルコキノシタ、松蔭浩之の「昭和40年会」のメンバーは、
休校中の校舎で滞在制作やインスタレーションを発表する。

杉浦康益の「段々の風」は集落と海が見渡せる場所に設置。

「男木の男気」をイメージした絵を大漁旗にあしらい、漁船に掲げる「男気プロジェクト」。

淡路島に次いで、瀬戸内海で2番目に大きい小豆島は、見どころも多い。
ヤノベケンジは、坂手港に巨大作品「ザ・スター・アンガー」を設置するほか、
ビートたけしとのコラボレーションによる彫刻作品も。
UMA/design farmの原田祐馬とMUESUMの多田智美は、気鋭のクリエイターを招き、
滞在制作と展示などを行うCreator in Residence「ei」を構える。
建築チームgrafは、小豆島にある「カタチ」を検証しながらデザインを考える
「小豆島カタチラボ」を展開。
そのほか、コロカルに連載中の山崎亮さんによる
「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」は、連載でも紹介する。

大島は、高松港の北東に浮かぶ小さな島。1909年にハンセン病の療養所が設立され、
多くの患者が隔離政策によってそこで暮らすことを余儀なくされた。
現在は入所者の介護や支援、ハンセン病を正しく理解するための啓蒙活動が行われている。
ここでは、入所者の人たちと交流を深めてきた
「やさしい美術プロジェクト」による「つながりの家」や、
画家で絵本作家の田島征三が、療養所だった建物に作品を展示する
「青空の水族館」などが展開する。

銅製錬所の遺構を保存、再生した美術館
「犬島精錬所美術館」がシンボルになっている犬島では、
新たに「家プロジェクト」もスタート。
キュレーターの長谷川祐子がアートディレクターを務め、
SANAAの妹島和世の設計により、名和晃平や荒神明香らのアーティストが参加する。

田島征三による「青空の水族館」は、春に人魚の部屋が公開。夏、秋と徐々に海の世界が広がっていく。

今回から新たに加わるのが、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島の西の5つの島。
春に開催される沙弥島では「三つの白」をテーマに、
神戸芸術工科大学がプロジェクトを展開。
またEAT & ART TAROが、沙弥島、伊吹島、本島の
島ごとのスープをつくる「島スープ」を考案する。
伊吹島では、夏に建築グループ「みかんぐみ」が
伊吹島名産のいりこにまつわる展示をするほか、
本島、高見島、粟島でも、秋会期にさまざまなプロジェクトが行われる。

島だけでなく、高松港と宇野港、その周辺でもプロジェクトが展開する。
野外でのアートプロジェクトに参加するのは珍しい荒木経惟が参加し、
その作品で車体を覆った「アラーキー列車」が
JR予讃線と土讃線を走り、話題となっている。
また高松では、夏にバングラデシュから約100人ものアーティストや
ものづくりに携わるアルチザンがやって来たり、
秋にはパレードとダンスが繰り広げられる一大イベント
「現代源平屋島合戦絵巻」が行われる。

宇野港周辺では、デイヴィッド・シルヴィアンによるサウンドインスタレーションや、
荒木経惟+デイヴィッド・シルヴィアン、
佐内正史、野村佐紀子らによる「街中写真プロジェクト」などが行われ、
サウンドアートや写真作品も見どころのひとつとなっている。

沙弥島で戸矢崎満雄が展開する「名もなき遠き島より」。沙弥島の浜に打ち寄せられたものを使ったインスタレーション。

荒木経惟の作品で車体をラッピングした「アラーキー列車」は予讃線と土讃線を走る。宇野線の車内をアラーキーの写真が埋め尽くす「PARADISE」も。

島の人たちが元気になる芸術祭を。

瀬戸内国際芸術祭は「地域の活性化」と「海の復権」を掲げる。
かつては航路が発達し、さまざまな産業が盛んだった島々も、現在は過疎化が進む。
「いちばんの目標は、島のおじいさんやおばあさんに元気になってもらうこと」
と総合ディレクターの北川フラムさん。
北川さんは新潟県越後妻有地域の「大地の芸術祭」を成功に導いたアートディレクターだ。
狭義のアートを見せるではなく、人が生活していくうえで生まれる
さまざまなものづくりにアートの根源があると考え、その面白さを伝えたいと話す。
「できるだけ生活に密着したようなことができるアーティストを選んでいるつもりです。
島の人たちが面白がってくれるのも、そういうことにあると思います」

越後妻有や瀬戸内の芸術祭は、世界からも注目されている。
ここ数年、北川さんはたびたび海外から招聘され、講演に赴くことも増えた。
「世界的に、地域という問題に関して切実な思いがあります。
世界中のいろいろな場所が大切だし、
都市が地方を引っ張っていくという時代ではないと思います。
海外から瀬戸内や越後妻有に視察に来ていた政治家もいました。
特にアジアは大きな関心を持っています」

今回の芸術祭では、アジアがつながるというのもひとつの特色。
高松でのバングラデシュのプロジェクトは、かなり大がかりなものになりそうだ。
「バングラデシュという国は、生活ときわめて密接にものづくりをしている国。
生活美術ともいうべきものが根づいていて、とても面白い。
所得は低くて貧しい国だけれど、
ワーキングシェアは世界でもトップレベルで、幸福度も高い。
彼らと日本の人たちが協働することによってアジアがつながるということと、
ものづくりの現場を見せたいというふたつのコンセプトがあります」

島の人たちの笑顔が最大のテーマ。(撮影:中村脩)

現在は芸術祭のサポーター“こえび隊”の登録者は3600人を超え、
大阪での説明会には定員の倍以上の人が集まったそう。
「それだけ地域に関わりたいと思っている人が増えているということです。
これは都市の欲求と言ってもいいかもしれませんが、知識や情報偏向で、
身体性が弱まっていることに対する、現代の都市に暮らす人たちの直感的な何か、
あるいは無意識の表れではないでしょうか」
人が住んでいるところで大切でない場所などない。
地域とそこに住む人が本当に大事なんだという信念を持ち、丁寧に関係をつくってきた。
「本当に島の人が面白くなきゃ困るんだと、私が思っているということが、
なんとか伝わり始めたのではないかと思います」

まだ課題もあるが、アートにはある種の力があると北川さんは信じている。
「アートって直接的にはあまり生活の役に立たない。
でも動機はナチュラルなものだし、現代の価値観に合わなかったり、
違和感を持った人がアーティストになっていたりする。
そういうことが、いいなと思うんです。
あらゆるものがスタンダード化、グローバル化するなかで、
他人と違っていて褒められるのは、アートくらいでしょう」
瀬戸内国際芸術祭は始まったばかり。
春、夏、秋のいずれかでも、すべての会期で違う風景を楽しむのもいいかもしれない。

information


map

Setouchi Triennale 2013
瀬戸内国際芸術祭 2013

春:3月20日(水)~4月21日(日)
夏:7月20日(土)~9月1日(日)
秋:10月5日(土)~11月4日(月)
会場:瀬戸内海の12の島+高松・宇野(直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、高松港・宇野港周辺)
http://setouchi-artfest.jp/

profile

FRAM KITAGAWA
北川フラム

1946年新潟県生まれ。アートディレクター。97年より新潟県十日町地域ニューにいがた里創プラン事業総合コーディネーターとして越後妻有アートネックレス整備構想に携わり、2000年から開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」総合ディレクターを務める。10年に初開催された「瀬戸内国際芸術祭」でも総合ディレクターに。4月20日から29日まで開催される「徳島LEDアートフェスティバル2013」ではスーパーバイザーを務める。
2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、2007年度国際交流奨励賞・文化芸術交流賞受賞。2010年香川県文化功労賞受賞。2012年オーストラリア名誉勲章・オフィサー受賞。
(photo:Yuichi Noguchi)

伊東豊雄さん、プリツカー建築賞受賞でプリッツを配布

世界的にその名を轟かせる建築家、伊東豊雄さん。
仙台の「せんだいメディアテーク」や、
表参道の「トッズ表参道ビル」などを手がけた建築家です。

そんな伊東さんの功績をたたえ、作品を展示する
「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」が
愛媛県今治市にあります。

このミュージアムは、広島県尾道と愛媛県今治を
島々が結ぶ「しまなみ海道」にあります。
伊東さん自身による設計の建物のなかに、
プロジェクト図面などが収蔵されています。

今年、伊東さんは「建築のノーベル賞」といわれる
プリツカー建築賞を受賞!
同賞は優れた建築家に毎年贈られるもの。
これまでに丹下健三氏、安藤忠雄氏、SANAAらが受賞しています。

ミュージアムではこの受賞を記念し、
なんとスナック菓子の「プリッツ」を配ったそうです。
日本人ならだれもが考えるダジャレかと思いますが、
実際にやってしまうお茶目さがステキですね。

今治市伊東豊雄建築ミュージアム

今治市伊東豊雄建築ミュージアム・ブログ

怖いほどのゆるさ!! 愛知県岡崎市のアートなゆるキャラ 「オカザえもん」

近頃のゆるキャラには、
ただユルいだけでなく、ツッコミどころの多さも
求められるようになりました。
ハイテンションな「ふなっしー」がテレビの人気者になるなど、
もはやゆるキャラには芸人としての素養も
求められているのかもしれません。

そんな今、ゆるキャラ界でアツい注目を集めているのが、
愛知県岡崎市のゆるキャラ「オカザえもん」。

岡という漢字を顔に刻んだ特異な出で立ち。
全身を包む、部屋着の如くルーズな純白の衣装。

そのシュールな容貌に、地元の新聞では
「子供が泣く」というゆるキャラらしからぬ称号を頂く。
「砂ん丘」(サンキュー)「レ鰹」「ルバンガ!!」
という謎の口癖もますますあやしい。

春の鎌倉・浄智寺で上演。ルートカルチャーmeets鶴田真由「花音:Canon」

多くの芸術家や文人から愛されるまち、鎌倉。
この鎌倉ゆかりの二人芝居「花音:カノン」が、
2013年5月18日(土)・19日(日)の2日間にわたって、
春の鎌倉、浄智寺にて上演されます。

仕掛け人は、鎌倉で結成されたクリエイティブチーム/NPOの
ルートカルチャー。
鎌倉に根を張った文化的交流の場づくりを
目指して、2007年に発足したグループです。
鎌倉のお寺で音楽ライブ「sense of “Quiet”」を開催したり、
神奈川県立近代美術館でカフェ「rencon」を運営したり(カフェは2013年3月で閉店)、
ジャンルを問わないユニークな活動をされています。

二人芝居を演じるのは、鎌倉出身の女優、鶴田真由。
そしてルートカルチャーの一員でもある井上幸太郎。
脚本は明神慈(ポかリン記憶舎主宰)の書きおろし。
鎌倉の名前の由来になったとも言われる、
藤原鎌足の鎌の神話などを取り入れた、
鎌倉発の新しい演劇作品です。

鎌倉公演を皮切りに、このお芝居が全国で上演されるために、
CAMPFIREにてクラウドファウンディングを行なっています。
支援した金額に応じて、サイン入りの台本やフォトブックなどが
プレゼントされる仕組みです。
気になる方は是非、CAMPFIREのWebサイトにて支援メニューの詳細をご覧ください。

鶴田真由さんは、「花音:Canon」公演に
参加した想いをこう語ってらっしゃいます。

「"何か面白きことをやりたい"と思っている人たちが、自分の地元に帰って、そこから何かを発信していけたら、そういうポジティブなエネルギーが日本国中からポコポコ出て来て繋がっていけたら、日本はきっときっと、もっと大きなエネルギーに満ちてくるように思うのです。"面白きこと"は自分たちでクリエイトしていかれるのだ!みんなで繋がっていかれるのだ!ということを自分も実感していきたいし、多くの人とも共有していきたい、そんな思いで今回参加しました。」

公演のチケット予約受付は4月10日から行われる予定となっています。
鎌倉お散歩がてらの観劇もステキですね。

■ルートカルチャー meets 鶴田真由 「花音:Canon」公演

CAMPFIREの支援

ルートカルチャーWebサイト内公演詳細ページ

写真撮影:志津野雷

川反中央ビル

自分が生まれた土地で、文化を発信/享受したい。

秋田市の飲食店街、川反(かわばた)地区の入り口にある古いビル「川反中央ビル」。
市内を流れる旭川の川沿いにたたずむこのビルは、もともと印刷工場だったが、
現在は1階にギャラリー「ココラボラトリー」、
2階にカフェ「Cafe Epice」、
3階に本と雑貨のセレクトショップ「まど枠」と
Tシャツショップ「6 JUMBO PINS」が入居している。
それぞれの店の個性が溶け合って、居心地のいい空気が流れる。

この場所に人が集まってきたきっかけをつくったのは、ココラボラトリーの笹尾千草さん。
高校まで秋田で過ごし、京都の美大に進学。
卒業して3年半ほど京都で働いてから、地元の秋田に戻ってきた。
「京都には、ものづくりをしている人たちが集まっていて
情報交換できるようなカフェなどがよくありました。
秋田にもこういう場所をつくりたいなと、当時から漠然と考えていたんです」
京都はとても魅力的なまちだったが、そもそも言葉や習慣など、
自分が育ってきた秋田とは生活のベースの部分が違う。
そういったことに、自分でも気づかないうちに
エネルギーを使っているのだということに気づいた。
「そのエネルギーを、地元で別のことに使えないかなとふと思いました。
生まれた土地で、もう一度暮らしてみたいと思ったんです」

秋田に帰ってきてからは、いい出会いに恵まれた。
知り合った同世代のカメラマンの人に、ものづくりをしている人を紹介してもらい、
さまざまな人とつながっていった。
「とてもすてきなデザインをしていたり、いいものをつくっている人たちに出会いました。
私は県外に出てしまったけれど、この土地で暮らし続けながら、
こうしていいものをつくっている人たちがいるんだということに感動しました」
ただ彼らは、もっと自由に発表したり、集まって話したり、情報を得る場所がなかった。
笹尾さんは、彼らに出会ったことでそういう場所をより具体的にイメージすることができ、
スペースをつくろうと決心したという。

印刷工場に使われていた古いビル。独立した店舗が入居するのにちょうどいい構造だった。

頭の中で思い描いていたことが実現できたきっかけとなったのは、
県が主催する起業セミナー。実際に起業するかはさておき、
笹尾さんは自分のやりたいことを一度整理しようとセミナーに参加。
セミナーでは事業計画書を作成し、
実際に助成金を申請するための書類を提出して終了となる。
講師には、ギャラリーという事業形態であることや、
笹尾さんがギャラリーに務めた経歴もないことなどから、
かなり難しいだろうと言われていたが、なんと実際に申請が通ってしまった。
これには笹尾さん自身もびっくりしたが、周囲の人たちのすすめもあり、
ギャラリースペースとデザイン事務所を立ち上げることに。
こうしてココラボラトリーが誕生したのが2005年のことだった。

場所を探すと、川沿いのこのビルがなんとなく気になった。
中を見て、これぞ求めていた空間だと直感。
ボロボロだったが安く借りることができ、自分たちで改装した。
笹尾さんが借りたのは1階。
2階と3階には、近くの工事現場の事務所が一時的に入っていたが、
工事が終了すればいなくなってしまう。
このスペースを遊ばせておくのはもったいない。
そこで、ココラボのスペースの一部を使って開店していたショップ「まど枠」、
ウェディングドレスの工房「トワル.rui」、
そして秋田の別の場所でお店を開いていた喫茶店「石田珈琲店」の3店に
入居してほしいと頼み込んだ。
「その店の人たちのセンスに惚れていたので、
こんな人たちがいてくれたらいいなと思って、お願いしに行きました。
面白い空間なので、どうか入ってくださいって。勇気が要りましたけど(笑)」
場所を面白くするために、自分の力だけでなく、人の力を借りる。
3年がかりで、川反中央ビルに個性豊かな店が集まった。

現在は、トワル.ruiは東京に進出し、石田珈琲店は札幌にお引っ越し。
ココラボ、まど枠、Cafe Epice、6 JUMBO PINSが、現在の顔ぶれだ。

ギャラリーであり劇場でありライブハウスでもある。「表現活動ならなんでもできる空間」(笹尾さん)というココラボラトリー。週替わりでさまざまな展示をしている。(写真提供:ココラボラトリー)

思いを共有できる人たちがいるという心強さ。

まど枠の伊藤幹子さんは笹尾さんと同い年で、
偶然だが笹尾さんと同じ京都の美大に通っていた。
当時はお互いに知らなかったが、帰郷して知り合ったふたりは意気投合。
センスやイメージを共有することが自然とできた。
京都の書店でアルバイトしていた伊藤さんは、
少部数でも丁寧に手づくりされている
リトルプレスを売る店があったらいいなと考えていたという。
まど枠は、当初は書籍のみ扱っていたが、
現在では本だけでなく、地元の作家によるプロダクト、雑貨、
この場所にライブをしに来てくれるアーティストのCDなど、
さまざまなものを扱うセレクトショップになっている。
「クラフトは、若手作家のものから70代の名工の方のものまで扱っています。
若い人たちは一緒に成長していくような感覚もありますし、
年配の方はみなさん器が大きくてやさしい。いろいろな人たちとつながってきました」
と伊藤さん。

本も絵本から小説までセレクトされたタイトルが並ぶ。

秋田公立美術工芸短大で鋳金を学んだ「nishikata chieko」のジュエリー。卒業後も仕事をしながら制作を続け、鍛金のジュエリーなど新たな表現に挑戦している。http://nishikatachieko.com/

地元イラストレーター渡部哲也さんのイラストでつくったオリジナルポストカードと便せん。伊藤さんが絵を描いたものも。

渡部さんによるロゴマークの入ったオリジナルトートバッグ。お隣の6 JUMBO PINSでプリントしている。

まど枠の伊藤さんは、ココラボの一角でお店をスタート。イメージを共有できる人がそばにいたのがとてもよかったという。

6 JUMBO PINSの京野 誠さんは、東京、千葉、埼玉など、
おもに関東方面でさまざまな職を経験。
6年前に秋田に帰ってきたが、なかなか仕事が見つからず、
それならば自分で仕事をつくろうと、趣味でつくっていたTシャツの店を開くことに。
「ここにはふつうに遊びに来ていたのですが、
スペースが空いていたので入居させてもらいました。
ココラボは週替わりで展示が変わるのでいろいろな人が訪れるし、
2階のカフェに来たお客さんがこちらものぞいていってくれるので、
いろいろな人が来てくれますよ」と話す京野さん。
自身、この場所をとても楽しんでいるように見える。

オリジナルTシャツが1枚からつくれる。お客さんは老若男女さまざま。

折しも、架空のバンドグッズを販売する「妄想ロックフェス」というイベントを開催中だった。アーティストのCDジャケット(もちろん架空)も展示するというユニークな企画。

趣味が高じてTシャツ屋さんに。デザインは自己流で学んだという京野さん。

Cafe Epiceは、もともと石田珈琲店で働いていた高坂千代子さんのお店。
もし自分でお店をやるなら地元の秋田で、と考えていた高坂さん。
お菓子づくりから接客まで、ほぼひとりでこなす。
「笹尾さんも伊藤さんもお互い気心の知れた仲間だったので、
この場所でなら心強いと思いました」
ココラボで展示した作家さんの器を店で使ったり、
イベントにちなんだデザートをつくったりすることも。
お互い影響し合いながら、場をつくっているようだ。

カウンターの窓からは、外を流れる川が見える。お店では、フラワーアレンジメントのワークショップや、ライブなどイベントを開催することも。

「epice」はフランス語でスパイスの意。日常にひとさじのスパイスを、という思いがこめられている。高坂さんが日々つくる焼き菓子は販売もしている。

お店のコーヒーはすべて「石田珈琲店」の豆を使用。石田珈琲店のお客さんも引き継ぎつつ、若い女性客も増えた。県外からのお客さんも多いという。

いろいろなお店をブラブラできる、そんなまちにあこがれがあったと笹尾さんは話す。
「路面店でそれをやるのは難しいので、関西でよく見かけた、
雑居ビルのなかに個性的なお店が入っていて、上に行ったり下に行ったり
回遊できるような場所だったらできるかもしれないと思いました。
それならカフェと本屋さんがあったらいいなと」
ココラボで展示をする作家は8割くらいが秋田の作家だが、
必ずしも秋田にこだわっているわけではない。
「どこかよくわからない空気を醸し出しているのがいいかなと思っています。
でもちょっとだけ秋田がにじみ出ているような」

伊藤さんも、地元作家のものを多く扱っているが
「秋田だけを特別扱いするのではなくて、
同じように扱うことに意義があると思っています。
それで秋田のものが評価されるとすごくうれしいですね」と話す。
まど枠は、盛岡、弘前、秋田という3つのまちの、カフェや雑貨屋など
小さな店がつながる「さんかく座」という展示会にも参加している。
毎年3か所の持ち回りで開催され、5回目の今年は弘前で開催される。
点が線になる、本当に小さな星座のような活動。

「面白い人たちがたくさんいて、そういう人たちの存在や活動に光を当てて、
外の人たちに伝える。それで面白いねと言ってもらえて、
その人たちが輝くのが、いちばんの喜びです。
やっていてよかったなって思います」
そう話す笹尾さんも、ひときわ輝いて見えた。

「ここでの人たちとの出会いは財産です」という笹尾さん。ココラボでは年間70ほどの展示が催されるという忙しい日々。「昔はヒマだったから、ココラボで1日中おしゃべりしてたんですけどね(笑)」

笹尾さんがつけていたブローチは、まど枠で扱う「湊七宝工房」の七宝ブローチ。伝統的な七宝の技法を用いながら、日常になじむデザイン。

information


map

川反中央ビル

住所 秋田市大町3-1-12
テナント数:6(不定営業店舗、事務所のみの使用も含む)
職種:ギャラリー、デザイン事務所、飲食、書籍、雑貨販売、服飾、有線放送
起業資金:
◎6 JUMBO PINSの場合
約20万円(リノベーション済み)
◎ココラボラトリーの場合
約250万円(リノベーション、備品購入など。うち秋田県創業支援助成金125万円)

information

ココラボラトリー

営業時間 11:00~19:00 月・火定休
http://cocolab.jugem.jp/

information

まど枠

営業時間 11:00~19:00 月・火定休
http://madowaku-books.com/

information

6 JUMBO PINS

営業時間 12:00~19:00 月・火定休
http://6jumbopins.web.fc2.com/

information

Cafe Epice

営業時間 11:00~19:00 月・火定休
http://cafe-epice.tumblr.com/

あきたアートプロジェクト 「東北を開く神話」

秋田の地図の上に描かれた、不思議な呪文と「第二の道具」。

秋田県で、地域と芸術文化活動の活性化をめざし、
さまざまなプログラムを展開している「あきたアートプロジェクト」。
秋田県立美術館で展示されている「東北を開く神話 第2章」は、
昨年の「第1章」に続き、美術家の鴻池朋子さんが
地元秋田在住の作家たちとつくりあげた展覧会だ。
秋田の「作家」といっても、必ずしもアートを生業としているということではない。
学生から主婦まで、職業も年齢もさまざまだが、
しっかりとこの土地に根を下ろして生きながら、ものをつくっている人たち。

作品づくりは会期の7か月ほど前、カードを使ったゲームから始まった。
集まった作家たちは3枚のカードを引く。
1枚目のカードに書かれているのは、秋田の地名。
秋田には、なかなか読めないような、不思議な地名がたくさんある。
頭無森(かしらなしもり)、神屋敷(かみやしき)、強首(こわくび)、
不戻沢(ふもどりざわ)、約束沢(やくそくざわ)などなど。
2枚目と3枚目には、アイヌのことわざや伝承を分解したものが書かれている。
東北地方にはアイヌの言葉も多く残っており、
それは古代、東北地方に蝦夷(えみし)が住んでいたという証でもある。
3枚を組み合わせると、たとえば
「頭無森に伝わる 村中の墓に紐を巻き付けて 吠えながら噛み付いてくるもの」
といった具合に、筋は通らないが、呪文のような不思議な文章ができ、
想像力がかき立てられる。
作家たちはそれぞれの文章にインスピレーションを得て、作品づくりに取り組む。

秋田の地名とアイヌのことわざの一部が書かれたカード。第1章では秋田の民話を使った。鑑賞者も入り口でカードを引き、神話の世界へ迷い込む。

「雪車町(そりまち)に伝わる 近くへ針を刺し、遠くへ針を刺して 腹ばかりでかいもの」。陶芸作家の田村 一さんは、自分なりのイメージからたくさんの「針」を磁器でつくった。秋田県出身で益子で活動し、一昨年秋田に戻ってきたという田村さんは、ふだんは天草の土で器をつくっている。

作品には、それぞれ作家が引いたカードの呪文が添えられていて、イマジネーションが広がる。

作家たちがつくるのは「第二の道具」とされる指人形。
はて、第二の道具とは?
このキーワードは、第1章を開催したときに、地元の骨董商の方から
「鴻池さんのやりたいことは、もしかしたらこういうことかな?」
と手渡された1冊の本にヒントを得たという。
それは、縄文時代について書かれた考古学の本。
縄文時代には狩猟や生活していくために必要な「第一の道具」があり、
それとは別に、土偶や呪術に使う石棒など、実用的な機能を持つわけではないが、
困難な状況を打開してくれたり、ある種の力を想像させてくれる
「第二の道具」があったという一節があった。
この展覧会では、誰もが遊んだことのある指人形を、
現代における第二の道具として定義し、アーティストたちが自由につくることで、
神秘的でイマジネーションあふれる世界を表出させた。

会場にあるのは、大きな指人形と小さな指人形の2種類。
カードゲームからつくられるのは大きな指人形で、
会場全体に大きな秋田の地図が描かれ、呪文の地名と符合するように展示されている。
指人形といっても作品は多様なかたちをしており、指人形には見えないものもある。
ただ、どれも触れることができ、指を入れたりしながら、
感触も愉しみながら作品を鑑賞できるようになっている。
小さな指人形のほうは、指にかぶせて遊べるようないわゆる指人形で、
鑑賞者はそれらのうち、ひとつを持ち帰ることができる。
けれど、どれを持ち帰るかは選べず、くじをひき、
そこに書いてある地名の指人形を持ち帰ることになる。
小さな指人形だけ制作した作家も含め、全32組のアーティストが参加している。

視覚だけでなく、指を使って体感する作品が並ぶ。

障子に指で穴をあけ、そこから覗いてみる。

見た目と感触のイメージの違いにハッとする作品も。

この土地で生きる人たちが、表現するもの。

鴻池さんは、現在は東京を拠点に活動しているが、秋田県出身。
以前からあきたアートプロジェクトを運営する「ココラボラトリー」の人たちと、
いつか一緒に何かできればと漠然と話していたことはあったが、
それが具体化したのは東日本大震災のあと。
震災が直接関係しているわけではないが、社交辞令のようなやりとりではなく、
やらないといけないという自然な気持ちから、
お互いやりたいことについて素直に話ができるようになり、
展覧会がかたちになっていったという。

「ココラボラトリーの方たちは、最初は私の個展のようなことを
イメージしていたのかもしれませんが、
この秋田という風土のなかでやるからには、ここで育ってきた生き物=作家たちが、
ものをつくるということを見せたいと思いました。
土地と表現するものというのは、すごく密接に関わってきます。
言語とか風土とか季節といったものと、そこに住んでいる人たちとの、
ものをつくっていく関係性を展示で見せられないかと思ったのです」と鴻池さん。
ココラボラトリーを運営する30代の女性たちの存在も大きかったようだ。
「彼女たちは自ら進んでこの地を選んでいます。
東京にいられなくて、というネガティブな選択ではなく、
こちらのほうが豊かだと素直に思える。それは新しくて、
でも素直な地方の見方で、そういう視点があったのは大きかったと思います」

会場全体に秋田の大きな地図が縄で描かれ、地名に合わせて作品が展示されている。

秋田から出土した土偶が、現代の作家たちの作品と地続きで展示される。

展示まで2回の相談会を開き、鴻池さんはすべての作家と作品づくりについて話をした。
だが、アドバイスすることはあっても、
それは作品制作を指導するようなものではなかったそう。
「近所のおばちゃんに相談するみたいな(笑)。
あれもやりたい、これもやりたい、といろいろなものを見せてくれるんです。
私がしたのは、その人がやりたいことについてきちんと耳を傾けて、
ものにしてあげることに協力するようなことでした。
何をやりなさい、ではなくて、全部出してみたら? という感じ。
相談会で自分が作家たちひとりひとりと会っている様は、
まるで難問を出してくる八百万の神様と対話をしているようで、
なんだ神話とはこういうことだったのかと、まるごとわかりました。
ごちゃごちゃっと、いろいろな魑魅魍魎が人間という生きものから出てくるんですけど、
私がそれを開示してしまったのかもしれません」

アートの根源は、アーティストという特殊な人にのみ備わっているのではないはず。
美やその感覚を人から引き出す能力を持つ人のこともまた、
アーティストと呼べるのかもしれない。

毎日感じたことを日記のように編み物にしているという作品。鴻池さんは「作品に日々を生きている感じがそのまま表れている」という。

なくわ みれなさんの作品は、加茂青砂(かもあおさ)という港町にちなんだ作品。美しい海に、昭和57年に起きた津波の悲しい物語があることを知り、思いをこめてつくった。

この展覧会は、作品が展示されただけでは完成しない、と鴻池さんは話す。
会場にたくさんの人が訪れて、ああでもないこうでもない、と秋田弁が飛び交う。
それで初めて、展覧会になるのだという。
「美術館の展覧会って静かなものというイメージで、
美術品に対する絶対的なヒエラルキーがある。
でもこの土地には、すべてが渾然一体となって空間をつくるような
面白さがあるんです。それと、外の雪がすごいですよね。
雪のなかを歩きながらここまで来るということが、
関係ないようでいて、実はある。
たとえば息を吸い込むだけで冷たい空気がすっと入ってきたときの、
からだの反応だとか、いろいろな感覚が目覚めているはずなんです。
外からやってきて異人として足を踏み入れることも重要だし、
異人とここの人とのエネルギーのやりとりも面白い」

秋田県立美術館の向かいには、新・秋田県立美術館がオープン。現・美術館は老朽化のため取り壊しが決まっている。

屋外には「隠れマウンテン登山」。雪の道を歩くのも楽しい。

鴻池さんは、単に美術館に作品を展示するということとは、
少し違うことに興味を持ち始めているようだ。
「各地の美術展に呼ばれていろいろなところに行くんですが、
いつも同じことを要求されるんです。でも、私はこらえ性がないので、
九州に行っても北海道に行っても海外に行っても同じ展示をするということに、
集中力が持てなくなってしまって。
それでわざわざ、飛行機ではなくて電車で行ってみるとか、
帰り道にどこかに寄ってみるということを、作品と関係なくやり始めたんです。
同じような空間で同じ展示をするけれど、一方で、一歩外に出れば、
こんなに違う場所でこんなに違う人たちとのやり取りがある。
そういうことを、表現できないかと思うようになってきたんです」

入場料の200円と引き換えに、小さな指人形がもらえる。バラエティ豊かで思わず選びたくなるが、自分の意志では選べない。

手先を使うものでありながら、明確な機能があるわけでもなく、人間のかたちをした指人形を「第二の道具」と見立てた。

鴻池さんはこの展覧会のほかに、奥羽山脈の北に位置する秋田県森吉山にて
「美術館ロッジ作戦」というプロジェクトも行っている。
山へ登り、山村を探索しながら、半年間かけて山小屋に作品を設置するというもの。
「作品を見ることが重要というよりは、東京から出てきてローカル線に乗ったりして、
雪が降って足止めされたりしながら、ある場所になんとか行って帰るということが、
その人にとってすごく重要な出来事であり、冒険だと思います。
その人が、少しだけいきいきと再生するようなことのために、
折り返し地点に作品があるというだけでいいのかもしれない。
いまはそういうことに興味を持ち始めています。
これは体感型とか参加型といわれるようなものではなくて、
臨終に立ち会うように、個人がその場に立ち会ってしまうような、
そういうことで自分の居場所を確認したり、
感覚を再生したりするようなことなのではないかと思うのです。
たとえば、それが失恋した直後の旅だったら、作品はそのように見えてくるし、
個人のなかでその人だけの何かが起こる。
そういうことを尊重したいし、それを含めて表現だと思うんです」

鴻池さんのアニメーション作品も展示されている。

大事なことを直感で感じとってはいるが、まだよくわからないこともある、と素直に語ってくれた鴻池さん。「厄介なことをやり始めているなという感覚はあるんですけどね」

profile

TOMOKO KONOIKE
鴻池朋子

1960年秋田県生まれ。東京藝術大学美術学部日本画専攻卒業後、玩具と雑貨の企画デザインの仕事に携わり、97年より作品制作を開始。国内外で数多くのグループ展に参加、個展を開催。作品は、アニメーション、絵本、巨大な襖絵、インスタレーションなど多岐にわたる。

information


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東北を開く神話 第2章
「第二の道具 指人形」

2013年1月19日(土)~2月3日(日)
現・秋田県立美術館 美術ホール
http://akita-art-project.net/

河原町繊維問屋街プロジェクト

シャッター街が、ユースカルチャーの発信地に

JR熊本駅から路面電車で5分ほどのところ、
駅から中心街へと向かう、ちょうど中間地点。
ほかの地方都市と変わらないまちなみの一画に突如あらわれる、河原町繊維問屋街。
昭和に建てられた店舗が問屋街ごとそのままの姿で残っていて、
その建物の古さからか、東南アジアの露店街のような、
まるで日本とは思えない、不思議な空気をまとっている。
基本、1軒の建物の広さは、3坪ほど。
トタン屋根のアーケードのなかに、
2メートル幅の路地が5つ(裏に行けばもうふたつ)あり、
コンクリート造の建物が長屋のように連なる。
繊維問屋街と言っても、それはかつての名で、
近年は、繊維業者が去った建物に
若い人がカフェや古着屋を始めたり、イラストレーター、
建築家やグラフィックデザイナーが入り、アトリエとして活用している。

昼間は明るい問屋街。狭さゆえ対面する店舗とも近いからコミュニケーションもおのずと生まれる。

「この問屋街にクリエイターが集まり始めたのは、10年ほど前からです。
多くの繊維関連の業者が立ち退いて、
この問屋街はずっと、シャッター街となっていたようなんです。
そこで、若いクリエイターを誘致しようという計画が立ち上がりました」
そのときからここで、カフェギャラリー・GALLERY ADOを開き、
いまは、この問屋街の自治組織・河原町文化開発研究所の代表を務める黒田恵子さん。
「わたし自身、熊本市で育ちましたが、ここの存在は全く知りませんでした。
当時、知人づてに聞き、見に来たんですが、この異空間に惹かれてしまって。
ここならクリエイターたちが集まるまちになるなと。
だったら、表現の場にもなるカフェギャラリーを始めようと思ったんです。
今は、ここに、25前後のアトリエや店舗が入っていますよ」

GALLERY ADOのカウンターに立つ黒田さん。店内には地元の作家の作品が飾られている。

市街地から離れているとは言え、周辺には高いマンションも立ち並ぶ河原町。
問屋街も土地開発の例外ではないはずだが、
どうしてここだけ昭和の遺跡のように残ったのか。

この問屋街に事務所を構える、建築家の長野聖二さんはこう話す。
「第2次世界大戦後に焼け野原となった河原町には、
闇市がベースとなった店舗が多く立ち並びました。
しかし、昭和30年代に大火があり、店などがすべて燃えてしまった。
そこで、その翌年、共同出資でこの繊維問屋街が建てられたと聞いています」
共同で建てたから、この問屋街の店舗の大家はすべて異なる。
さらに、路地も何分の1ずつと、利権が細分化されているため、
管理の所有区分がとても複雑で、売却しようにも話がまとまらない。
「だから、この問屋街は、
残ってしまった場所と言ったほうが正しいかもしれませんね。
ちなみに僕の事務所は、真ん中の壁をとっぱらって
2軒分を借りているのですが、大家はそれぞれ異なるんです(笑)」

事務所わきにあるベンチにすわる、長野さん。

安さゆえ、古い建物を自分でカスタマイズ。

クリエイターが集まってくるもうひとつの理由は家賃の安さ。
熊本市内の中心地の約4〜5分の1の賃料で借りられるという。
それゆえ、なかには、雨漏りするほど老朽化している建物もある。
だから、大家さんと交渉しながらそれぞれ自分の好きなように
カスタマイズして、活用していくというわけだ。
「僕の事務所の建物は、以前喫茶店だったようですけど、
入るときは、すでに数年使用されていない廃墟だったんです」
と長野さんは言うが、当時が想像できないほどに、
リノベーションされて、モダンでシンプルな内装だ。
2階は事務所としてスタッフが数名働いており、
真っ白に塗られた1階の空間はギャラリースペースになっている。

左手にあるのが長野さんの事務所。廃墟だったとは思えないかっこいい空間。

黒田さんのカフェギャラリーは、かつては洋品店だった建物。
問屋街の表の通りに面していることもあり、約12坪と広い。
「借りるときは洋品店のなごりで、服をかけるラックが置かれていましたね。
まず、1階は、床にコンクリートを流して整え、カウンターをつくりました。
2階は板貼りの床をそのまま生かした、展示空間になっています」
建物の歴史を物語っているようなあめ色の床は、何とも言えない趣がある。
2年前くらいからは、この空間を気に入ったという劇団の方が増え、
月に1〜3回、小規模の演劇が上演されているのだという。

グラフィックデザイナーの石井克昌さんも、
問屋街の一番奥にある、組合事務所だった部屋を借り、
素色図画工作室IROMURAというワークショップスペースにしている。
奥の壁には自作の黒板があり、まるで小学校の図工室のような空間。
もとは後輩が借りていたスペースだったのだという。
「後輩が借り続けるのが難しくなったと言うので、そのまま引き継いだんです。
この場所に自分が可能性を感じていたので。
ぼろぼろだった天井や壁など、少しずつ時間をかけて自分で修復して、
ふさがれていた天窓も自力であけたんですよ」

今年31歳という石井さんは、熊本で育ち、熊本でデザインを学んだ。
今は、熊本市現代美術館の広報物など、
地元でグラフィックデザイナーとして、活動している。
グラフィックデザイナーを志すなら、都会に出たほうが仕事も多いのでは? と伺うと
「ぼくは、大きな会社のデザインを手がけたいという気持ちよりも、
自分の生活と身近なところにあるデザインの仕事をしたかった。
もちろん、グラフィックの仕事が少ない分、金銭的に苦しいこともありますが(苦笑)。
でも、ここの問屋街には、いろいろなつくり手がいて、
自分の好きなことを本気で頑張っている人が集まっている。
生活がうまくやりくりできるようなかたちで、
いろいろな企画が生まれればいいなと思っています」

石井さんはここで、「おくりもの学校」と称して、いろいろなつくり手さんと一緒に、さまざまなワークショップやイベントを提案している。

河原町繊維問屋街では、毎月第2日曜日、
「河原町アートの日」というイベントを開催している。
参加者はイラストやクラフトなど、自分の作品を出店している。
徐々に参加者や常連客が増え、平均25組が毎回参加しているという。
さらに、ここでは、さまざまなワークショップも開かれる。
熊本市現代美術館主催で行われた、
現代美術家の淺井裕介さんのワークショップもそのひとつ。
いまも、そのときの浅井さんの作品が問屋街に刻まれている。

現代美術家の淺井裕介さんの作品が問屋街の路地に刻まれている。

ほんの数軒から始まったクリエイターのまちは、
少しずつカルチャーの発信地として認知され、進化をとげているようだ。
「何かしたいけど、何がしたいか分からないって若い人たちが結構いて、
そういった子たちが、自分自身に刺激があるような場所は必要。
いろいろな人が出会える場所になったらいいですね」(長野さん)
「自分のやりたいことだけを受け入れてもらう場所になるのではなく、
より広い世界へ向けて、スキルアップにつながるような
出会いが増えていくといいなと思っています。
そのためには、この河原町全体の発信力も強めていきたいですね」(黒田さん)

information


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河原町繊維問屋街

住所 熊本市中央区河原町2
活動クリエイター数:約12名(店舗数は25〜30店[不定営業店舗も含む])
職種:イラストレーター・アクター・ミュージシャン・美容師・能楽
家賃相場:1.5万円〜6万円/月

information

GALLERY ADO

電話 096-352-1930
営業時間 Cafe15:00~18:00、Gallery11:00~18:00 木曜休
http://galleryado.com

information

長野聖二・人間建築探検處

電話 096-354-1007
http://www.fieldworks.biz

infotmation

素色図画工作室IROMURA

電話 070-5818-1671
motoshiki@gmail.com