勝山 Part3 やがて、お雛さまが似合うまちへ

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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旧城下町・勝山に暮らす染織作家の加納容子さん。
4回にわたり山崎さんとの対談をお届けします。

生まれ育って暮らすまちへの、お礼の気持ち。

山崎

加納さんたちの取り組みのすがすがしさこそ、
この連載で学ぶべき核心なんじゃないかなあって思うんです。
つまり、個人の「好き」や「やりたい」がいつしか集まって、
楽しくまちを動かすということなんですけど、
そのための仕組みみたいなことはあったんですか?

加納

……なんでしょうね。
資金に関しては、助成金以外に、おそばの売上金を当てたりしました。

山崎

そば?

加納

ええ。このプロジェクトに関わる男性たちはみな、そば打ちが好きなんです。
それで、町内のイベントに出かけては、そばを打って
稼いだお金をコツコツ貯めて、
そこから、1軒につき1万円ずつ補助をしているんです。

山崎

あはは。いいですね!

加納

加えてわたしも、まちの方たちへの販売は、
16年前からのれんの値段を上げていませんし。

山崎

ずっと?

加納

ええ。これは、まちのひとたちへのお礼の気持ちなんです。
みなさんがのれんを喜んで、しかもずっとかけ続けてくださるから、
わたしは酒屋を辞めて、今の商売で生きていけているわけですから。

山崎

うーん、なるほど。

加納容子さんと山崎亮さん

加納「のれんを値上げしないのは、まちのひとたちへのお礼の気持ち」

よそが羨むほど、元気になれるまちへ。

山崎

そうやってまちのひとたちが、楽しみながら
無理なく力を合わせられたってことがポイントですね。

加納

だって、山崎さん。年は多少違うとはいえ、
みんな幼なじみで、性格も知り尽くす長い付き合いですもの!

山崎

あ、そうか!(笑)

加納

だから、のれんの事業を続けていくうちに、
「子どものころに楽しかったことをやればいいんじゃないの?」
という考えに行き着くんです。

山崎

それではじまったのが「勝山のお雛まつり」というわけですか……。

加納

そうなんです。最初のアイデアをくださったのは九州の作家さんなんですけれど、
のれんと同様、やりたい人から参加してもらうことにしてきました。

山崎

ここでもやはり同じように、ですね。

加納

ええ。はじめてみると、初年度から
3月の5日間で5000人の観光客が来てくださったんですよ。

山崎

それはすごい!

加納

14年を経た今では、毎年だいたい4万人ベースです。
いちばんよかったのは、女性たちが元気になったことなんです。

山崎

うーん、わかるなあ。みんな、見せたかったんですね、きっと。

加納

このあたりは武家屋敷もあって、
かつては横柄なまちと言われたこともありました。
でも、表にのれんがあって、お雛さんもあって、
まちのひとと訪れたひとの間に自然と会話が生まれる。
そうするうちに、いつしか
「おもてなしのまち」と評価されるようになるんです。

山崎

なるほど。

加納

今では「このまちに来ると、なんだか癒されて元気が出る」
と言ってくださる方までいるから、うれしい限りですね。

(……to be continued!)

* 勝山のお雛まつり:ことしで14回目を迎えた「勝山のお雛まつり」では、3月の5日間、街並み保存地区・新町商店街の民家、商家などの軒先に、それぞれの家が大切にする、江戸時代から現代までの「お雛さま」を展示。まるで、秋の「勝山祭り(喧嘩だんじり)」と対を成すような女性らしさ、素朴でどこか懐かしい雰囲気が人気をよぶ、春のおまつり。

雛飾りの準備

2月下旬ごろから、まちのあちらこちらでお雛さまの準備が始まる。

建物の外からも見られる雛飾り

毎年たくさんのひとに愛でてもらえて、なんだかお雛さまもうれしそう。

お雛さま

それぞれの家の女性たちが「わが家のお雛物語」の語り部に。

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

News 飯館村の卒園式・卒業式

リバース・プロジェクトの打ち出す“元気玉プロジェクト”で福島県飯舘村の子どもたちに卒業式を!

卒業式ができていない飯舘村の子どもたちのために!
すべてはこの思いから、プロジェクトが始まった。
そして2011年12月25日、
飯館村の2つの幼稚園の卒園式と3つの小学校の卒業式は9か月遅れで実現した。

そもそものきっかけは2011年8月、大阪のチャリティーイベントで
寄せられた義援金を福島県飯館村に届けたときのこと。
飯舘村の教育長・廣瀬要人氏から子どもたちの卒業式が行われていないことを聞き、
リバース・プロジェクトを率いる伊勢谷友介代表は「手伝わせてほしい」と申し出た。
福島県飯舘村は、2011年3月11日の震災と福島第一原発の事故により
計画的避難区域に指定。
現在、住民は村を離れてバラバラに暮らしている。
放射能の影響が考慮され、両親と遠く離れて暮らす子どもたちも。
そうした混乱から、村の幼稚園と小学校では卒業式ができていなかったのだ。

伊勢谷氏をはじめリバースのメンバーは、自衛隊の除洗作業が続く飯舘村を視察。
村の有志のスタッフと福島県でミーティングを重ね、
卒業式に向けてタイムカプセルの制作、サプライズのコンサートを提案した。
東京では、震災で被災した家の古いガラスとアンティークの時計を使い、
クリエイターたちがオリジナルのタイムカプセルを制作。
また趣旨に賛同してくれた音楽プロデューサーのYANAGIMAN氏、
シンガーソングライターの岡本真夜さんとともにコンサートの内容をつめていった。

そして卒業式当日。
タイムカプセルに20歳の自分宛ての手紙を入れ、子どもたちが入場。
幼稚園の卒園生54名、小学校の卒業生58名、
父兄と先生方、村の有志のみなさんによる卒業式が始まった――。

卒業式では、校長先生が子どもたちや飯舘村への思いを込めて祝辞を贈り、
生徒たちひとりひとりの席を回って、卒業証書を手渡しで授与。
卒業生と父兄たちは笑顔で、涙ぐみながら、それぞれの思いをかみしめる。
草野小学校卒業生代表の中川昭くんは
「一度は諦めかけた卒園・卒業式ができると聞いたときには本当にうれしく、
今日の日を心待ちにしていました」と壇上で思いを語った。

そしてサプライズ企画へ。
藤原竜也さんやテリー伊藤さんからVTRでお祝いメッセージが流れ、
“卒業おめでとう!&メリークリスマス!”コンサートへ。
YANAGIMAN氏と伊勢谷氏がMCをつとめ、岡本真夜さんが登場。
ヒット曲「TOMORROW」を歌い上げ、会場は一体に!
卒業式とコンサートの後、子どもたちは再会を喜び合い、夢中で話し続け、
会場を去りがたい様子でいつまでも集まっていた。
最後に、企業や団体から寄せられたケーキやミニトートなどのギフトが
伊勢谷氏らリバースのメンバーから、卒業生ひとりひとりに手渡しで贈られた。

(左)壇上でMCをつとめる伊勢谷氏 (右)「TOMORROW」を歌う岡本真夜さん

今回は村の予算に加え、
リバースが打ち出すマイクロ・パトロンのシステム“元気玉プロジェクト”を利用し、
主旨に賛同する個人が少額から出資できる仕組みとした。
それにより、272人から262万円超の支援が全国から寄せられ、多くの思いと支援が届けられた。
伊勢谷氏は語る。
「みんなが望む企画をみんなが自由に立ち上げて、みんなの力が少しずつ集まっていく。
支援する側とされる側が互いにつながれば、みんなで大きなことができる。
それが元気玉プロジェクトを立ち上げた理由です」

現在中学1年生の中川昭くんは「やっと中1になれた感じ」と話し、
廣瀬教育長は「しばらくぶりにあんな笑顔を見ました。
これからの長い避難生活の糧になるのではないでしょうか」と顔をほころばせた。
タイムカプセルは卒業生たちの成人式まで、飯舘村の飯舘中学校に保管。
再びそれぞれの避難先へと戻っていった飯舘村の人たちは、
7年後、13年後、大人になった彼らとともに集うことになるだろう。
みんなの力を結ぶ元気玉プロジェクトをひっさげ、
リバースの挑戦はこれからも続く!

源じろうさん

改めて気づいた、和歌山の海の景色の美しさ。

昨年11月に和歌山市の片男波公園で開催された
アート&クラフトイベント「満潮祭」で大会委員長を務めた、源じろうさんこと、半田雅義さん。
本業はリノベーションカフェのオーナーだが、
和歌山市で発行される情報誌『アガサス』に連載を持ったり、
イベントを行ったり、和歌山カルチャーを発信しているひとりだ。
ちなみに、「源じろう」とは、最初のお店の屋号で、
知人たちの間で呼ばれているうちにいつのまにかそれを通称にしてしまっているのだそう。
満潮祭は、『アガサス』の25周年記念の特別イベントとして開催されたもので、
和歌山という土地の美しさと、和歌山でものづくりをする作家のことを
多くの人に知ってほしいというのがコンセプト。
和歌山県内の陶芸家やアーティストのお店のほか、
ミュージシャンの七尾旅人やU-zhaanの無料ライブも開かれ、当日は多くの人が詰めかけた。
「和歌山にもこんなに面白いものをつくる人がいたんだってわかれば、
地元の人も“和歌山も捨てたもんじゃないな”って自信がつくと思ったんです。
それくらい、やっぱり今、まちの元気がなくなってきていると思う」

カウンター上部に取り付けた彩やかな色が美しいスポットライト。

和歌山市から海岸に沿って1時間ほど南下した有田市にある「rub luck cafe」は、
源じろうさんが和歌山の美しい景色をもっと多くの人に知ってほしいと、
リノベーションを手がけたカフェだ。
「和歌山の自然がありのままに見られるカフェをつくりたかったんです。
有田市に訪れてみると、海の景観がすばらしくきれいだったんですね。
この海の景色は昔から何も変わってないんやろうなって思ったんです。
以前、器を売る店を営んでいたとき、焼き物が好きで、
ずっと器を売ってきたんですが、自分の店の商品は、
他の店とどこに違いをつければいいのかわからなかった。
京都の器を扱えばいいのか、いや違う。
東京で流行った新しいものを取り入れればいいのか、いや違う。
そんな葛藤がずっとあった。
ある日、和歌浦に夕日が沈む景色を見ていて
これは和歌山の財産やないかなぁって。
和歌山の持っているもんで勝負したい。
そう、思うようになっていったんです」
そうして、源じろうさんは、海に面した倉庫を借りて、カフェを開くことを決めた。
「まわりからは反対されましたけど(笑)、人が来るのかとか、大丈夫かとか」
そう話す、源じろうさんの明るい口調からは、不安があったことなど全く感じられなかった。
きっと本人は、rub luck cafeから見える景観に自信があったのだろうし、
さらに、信頼できる多くのスタッフが支えてくれたのだと教えてくれた。
「rub luck cafeの建物は、もとは除虫菊を保存していた倉庫らしいんです。
カフェに来たお客さんが“昔、ここで働いてたんです”って教えてくれた。
そこから、有田市はもともと除虫菊の栽培が有名で、蚊取り線香発祥の地だって知って。
海に魅せられてオープンした店だったんですけど、
ここに来たことは、和歌山を勉強することにつながっていった。
場所がつくられることによって人と人とが出会って、
文化が紡がれていくって、いいなあと思いましたね。
自動販売機では人と人は出会えへんですから。
その頃から、ぼくのなかで、『場所をつくる』ということが
大きなひとつのテーマになり始めたんです」

訪れた日は、rub luck cafeでマイク槙木さんのライブが開催される当日。proyect g oficinaにもポスターが。

和歌山で使われていたものを活かし、魅力ある「場所」をつくる。

源じろうさんは、最近、和歌山市内に、
リノベーションカフェ&バー「proyect g oficina」をオープンさせた。
まちなかにオープンさせた理由は、
若い人たちがカルチャーを発信していく場所が必要だと思ったから。
それくらい、市内は中心地が閑散としていると源じろうさんは嘆く。
このカフェの特長は、住宅などの解体現場から
拾ってきた廃材だけを使ってできているということ。
手間ばかりかかる廃材を使う理由を聞くと、
さらなる源じろうさんのこだわりが出てきた。
「『魔女の宅急便』に出てくるまち並みって、みんなの憧れだと思うんです。
あんな美しいまちに住みたいと思ってますよね?
それなのに、何でも新しく塗り替えられていくじゃないですか、今の日本って。
長い歴史のなかで大切にしてきたものをだんだん削りながら、身売りしてしまっている。
和歌山市だって、もとは、紀州藩の城下町として歴史ある建物がたくさんあったはず。
戦火もあったとは思うけど、歴史ある建物がどんどん変えられてしまっている気がするんです。
だから、ぼくは和歌山が培ってきたものを捨てずに、
まち並みをつくっていけたらなぁと思って、廃材をひらってきたんです。
誰もやらんなら、ぼくがいっこいっこ、つくってこかなって思ってるところなんです(笑)」
和歌山が持っている自然景観を楽しむことから、
もともとあるものを使って新しいカルチャーを編みはじめた源じろうさん。
みんなが自慢したくなるようなまち並みに、少しずつ変わっていくのかもしれない。
源じろうさんの言葉の熱さから、そんな期待を抱かせる。

冗談を交えながら、ときに熱く語る源じろうさんの話に終始ひきこまれてしまった。

最後に、源じろうさんに今後のプランを伺うと、わくわくするような答えが返ってきた。
「和歌山の田舎のほう行ったらね、いい物件がめちゃくちゃ空いてるんですよ。
それをリノベーションして安く1泊2,000円くらいのドミトリーをつくりたいですね。
それくらい、みんなが訪れたら惚れ込んでしまうような面白さが和歌山にはたくさんあると思う。
もともと和歌山が持ってたものを使って、新しい魅力をつくっていけたら楽しいですよね」
モノから場所、そして人のつながりへと、
和歌山の魅力を伝えてきた源じろうさんの挑戦はこれからも進化しながら続いていくようだ。

proyect g oficinaの店内には、アンティークの自転車やインテリア、古書などが置かれ、まるでNYのカフェのような雰囲気。

proyect g oficinaの入り口。看板や内装などはアーティストのウッキー富士原さんと一緒にすすめたという。

STUDY グリーン電力証書

自然エネルギーの普及の後押しへ。

グリーン電力証書は、太陽光や風力など自然エネルギーの持つ環境価値を
証書の形で取引することのできる仕組みです。
自然エネルギーの発電設備を持たない企業や個人が、
自然エネルギーの電力を選択できる仕組みとして導入されました。
法律などで定められた制度ではなく、最近は国がある程度のガイドラインを定めていますが、
自然エネルギーを普及させるために10年ほど前から始まった民間の仕組みです。
自然エネルギーが持つ環境価値として、地球温暖化対策としての二酸化炭素削減の効果のほか、
大気汚染防止、放射性廃棄物減少、地域の活性化、
エネルギー自給率の向上、新規産業の育成など、
自然エネルギーを普及させる理由として、さまざまな価値を認めています。
このグリーン電力証書を利用することにより、
普及の進んでいない国内の自然エネルギーを積極的に選択し、
その普及の後押しをすることができます。
そして、その自然エネルギーの持つさまざまな価値をアピールすることにより、
グリーン電力証書を利用した企業自体のイメージも向上することができます。
グリーン電力証書の設備や電力が、自然エネルギーに由来するものであり、
その環境価値が正しく扱われるために、第三者による認証制度が運用されています。
認証機関としては、グリーンエネルギー認証センター(日本エネルギー経済研究所内)があり、
グリーン電力証書を発行する会社が
この認証制度を利用して発電設備の認定を受け、グリーン電力証書の発行をしています。
グリーン電力証書を購入した企業は、普段使用している電気と合わせて
このグリーン電力証書を利用することにより、
自然エネルギーによる電気の使用をアピールすることができます。
この国内の自然エネルギーを対象として
民間レベルで実施されたグリーン電力証書制度の歴史は比較的古く、
2001年に国内の風力発電からの電力の環境価値を
民間企業が自主的に利用する仕組みとして誕生しました。
その後、グリーン電力の対象となる発電設備が数多く認定され、
証書を発行する会社も徐々に増えてきており、2010年末で50社を超えています。
グリーン電力の種類としては、当初は、風力発電が主流でしたが、
その後、バイオマス発電が増えはじめ、さらに太陽光発電や地熱発電まで広がっています。
グリーン電力証書の発行量は増え続けており、2010年度は2億4000万kWhとなりましたが、
これは日本全体の電力量の約4000分の1に相当します。
グリーン電力証書の利用形態も当初は、
大企業が社内の事業活動自体で使用する電力を
グリーン電力化するケースが多かったようですが、
次第にイベントなどでの利用や製品の製造工程への利用が中小企業にも広がり、
製品の販売と組み合わせた個人向けグリーン電力証書の利用など、
多彩な利用形態が増えてきています。

グリーン電力証書の仕組み(エナジーグリーン社資料より)

TOPIC 山梨県北杜市 小水力発電

小水力発電、北杜市の試み。

八ヶ岳連峰と甲斐駒ヶ岳に囲まれた北杜市は、
その豊かな水資源を活用して小水力発電にも取り組んでいます。
小水力発電とは、ダムを造らずに水の流れを利用した発電で
国際的にはおおむね出力1万kW未満のものを指します。
年間降水量世界第6位の日本は、
地形が急峻でダムを造らずとも発電に必要な落差を得ることができるため、
小水力発電に適した国といえます。
2007年4月に運転を開始した「村山六ヶ村堰水力発電所」は、
古くからある農業用水の水を活用して、
直径60cmの水管を農業用水脇に1.27km敷設し、
85mの落差を利用し、発電しています。
建設費用が4億4000万円かかっていますが、設置以来の稼働率は90%を超えており、
きわめて効率よく発電が行われています。
平成22年度の稼働率は96.3%ということでした。
出力が320kWの小水力ですが、稼働率が高いため、
年間の発電量はおおむね220万kWhです。
この数字は、前回紹介した「北杜サイト太陽光発電所」の約200万kWhを上回る数字です。
このように、再生可能エネルギー設備は、出力のみで比較できないところがあります。
稼働率が異なる(六ヶ村堰小水力90%超、北杜サイト太陽光約14%)ため、
この小水力は、見た目の出力は小さくとも、年間発電量で比較すると、
メガソーラーと同等かそれ以上の電気が生み出されるのです。
この成功をふまえて、丸紅が村山六ヶ村堰に
さらに3か所の小水力発電所(計650kW)を設置する工事を進めています。
昨年8月に現地を見学したところ、
建物の内部にチェコ製のフランシス型の水車が設置されていました。
内部では騒音がありますが、建物の外ではさほど気になりません。
農業用水など開水路を利用した小水力発電は、
落ち葉やごみなどの流れ込みが問題となりますが、
この小水力発電所では、取水口に自動巻あげ式の落ち葉・ごみ除去装置が設置されていました。
水流を利用して、落ち葉やごみをもとの流れに戻す仕組みです。
このような工夫が稼働率の高さを支えています。
この小水力発電所で作られた電気は、近くの浄水場に供給されます。
つまり、浄水場で節約された電気料金分が収入ということになります。
2011年度の年間売電収入は、2,000万円を見込んでいるということでした。

建物前景:小水力発電データベース

建物内部:筆者撮影

取水口部分:筆者撮影

勝山 Part2 のれんのまちは、こうして生まれた

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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旧城下町・勝山に暮らす染織作家の加納容子さん。
4回にわたり山崎さんとの対談をお届けします。

はじめは1枚、そして町内16軒にのれんがかかった。

山崎

ただブラブラと歩いてこんなに楽しく、気持ちのいいまちって、
なかなかないですよね。

加納

そうでしょう。これといった名物土産もないんですよ。
観光客向けに鎌倉の鳩サブレーみたいなのを作れば、というご提案も
時折いただくんですけど。

山崎

いや、このままがいいですよ(笑)。

加納

ね。わたしもそう思います。

山崎

たしか、のれんのまちが生まれたのも、観光のためではなかったんですよね。
以前に少し話をうかがったときに、そこがいちばん面白いなって……。

加納

ええ、そうなんです。

山崎

でも、何かしらきっかけはあったわけですよね。

加納

はい。勝山に戻ってしばらくして、こちらで染織のパートナーができ、
お酒の配達も子育てもしながら、ふたりで草木染めをするようになるんです。
そのときに、古い家だから表にのれんでもかけようかって、なんとなく気軽に。
そのときにデザインしたのが、今のうちののれんなんです。

山崎

なんと、そんなに自然に始まったんですね!

加納

そう。で、そうやって掲げられたうちののれんを見て、
同じ町内のYさんが、春夏秋冬ののれん4枚をオーダーしてくださったんですよ。

山崎

それはうれしい。

加納

うちのはデザインがひとつなんですけれど、彼のところは四季で変わるわけです。
それを見て近所のご婦人方がまた、あら、いいわね。なんて。

山崎

そりゃあ、町内で話題になりますよね。

アンティークカー柄ののれん

のれんの下のアンティークカーも看板代わり。

自転車ののれん

自転車屋さんには自転車ののれん。

お茶屋さんののれん

あれから16年。今では110枚ののれんが勝山のまちを彩る。

暮らすひとが、まちが、楽しくなるために。

山崎

けれど、のれんも決して安いものではないですよね。

加納

はい。はじめに「じゃあ、町内16軒で作ろうか」ということになったとき、
もちろんお金の話になりました。

山崎

どうやって解決していくんですか?

加納

件のYさんが、
「町並み保存地区なんだから、整備事業の助成金として申請してみよう」
と言い出したんです。外から見えるものだからって(笑)。

山崎

そうか、なるほど(笑)。
でも……ハードじゃないから、なかなかすんなりとは通らないでしょう?

加納

ところが、粘っているうちに「面白い」って言うひとが現れて、
うまくいったんです(笑)。
それで、はじめの16軒は資金の3分の1を助成してもらいました。

山崎

それはすごい。

加納

16軒にのれんがかかると、すぐにメディアが面白がって
取材してくださったんです。

山崎

ほう。それもラッキーでしたね。

加納

すると、うちも、うちもって少しずつ輪が広がって、
助成金の受け皿となるべく事業体も立ち上がって。

山崎

個人では助成金が取れないから、任意団体を作るわけですね。

加納

はい。ただ、プロジェクトといっても、
「やりたくなったらやる」というまちのみなさんの思いを尊重しようね、
というのがはじめからのコンセプトなんです。
観光のためにやるんじゃないよって。そこだけは大事にしたいって。

山崎

そこですよね。今までは、「観光まちづくりのために」とか
「一斉に」とか「みんなでルールを決めて」とか、
そういう風潮があったけれど、無理をするのはよくないんですよ。
やりたいと思い始めたひとがまず個人の意思でスタートして、
それが広がって楽しくなったね、というのがいちばんいい。

加納

つまり、このまちで暮らすわたしたち自身が、
疲れず楽しく仲良く生きていくために何をしようか、という気持ちが、
たまたまのれんに向かったということです。
だから、プロジェクト16年目にして、
ことし初めてのれんをオーダーするひともいる。それでいいんです。

山崎

いい話だなあ。
加納さんの話を聞いていると、すがすがしい気分になりますよ(笑)。

(……to be continued!)

山崎亮さん

山崎「わあ、これ好きだな。ユニークなのもあるんですね!」

加納容子さん

加納「みなさんに、うちののれんが一番!って思ってほしい」

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

雪国PR

埼玉の子どもたちに雪を届けてきました!

先日、魚沼から埼玉の「ららぽーと新三郷」さんへ10t近くの雪を運び、
かまくらと雪遊び広場をつくって参りました。
雪と触れ合っていただき、雪国に興味を持っていただこうという観光PRの一環で
毎年いろいろな商業施設にお邪魔しています。
初めて雪を見る子どもたちも多く、大はしゃぎ!
雪だるまを作ったり、かまくらに穴を開けたり、やりたい放題☆
事故もなく、皆さんに楽しんでいただき、大成功に終わりました!
お家に帰ってから、お父さんとお母さんに「また雪で遊びたい☆」と、
ちゃんとおねだりしてくれたでしょうか?笑

縄文時代から豪雪地帯に住む魚沼には雪を「恵み」に変えるさまざまな知恵があります。
雪室という雪の貯蔵庫に野菜、お米、お酒などを保存すると
野菜やお米は甘みを増し、お酒はまろやかな口当たりになるそうです。
また、最近では建物の倉庫や地下などに冬の間に降った雪を貯めておき、
夏には冷房として使う事もできるそうです。
建物の構造、生活インフラなどのいたるところに、
雪と共に暮らすための知恵が使われています。
雪国の人間の「忍耐力」も雪の恵みのひとつでしょう。

今年は大々的にTVなどで大雪が報じられました。
大雪によるさまざまな弊害が全国に知られました。
僕の携帯電話にも雪害を心配する方々から、ご連絡をいただきました。
ご心配ありがとうございます!

今年の大雪は確かに大変な思いをされた方も多くいらっしゃいました。
ですが地元の人からは、
「昔はもっともっと降った」
「毎年3m積もる雪が4m積もってもそんなに変わらない」
など、たくましい発言もチラホラ。
雪により、恩恵を受けている方もたくさんいるんです!

TV中継の方々はまちじゅうを走り回って困っている人ばかりを探されていたような……。
雪害の報道を見て、雪まつりや旅館の予約キャンセルが相次いだそうです。
津南町には「まちに入れますか?」という、お問い合わせも。笑

僕たち、元気に暮らしてますからぁ~!!!

大雪でも豪雪地域魚沼は元気です☆
次の大雪の年には、たくましく雪と共に暮らす、魚沼人の素晴らしさを報道してくださ~い!

今年は6月までスキーができるかな?
遊びに来てください☆

勝山 Part1 このまちと家と、 染織作家・加納容子さんのこと

山崎亮 ローカルデザインスタディ
勝山編・目次

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ここから4回にわたり、旧城下町・勝山に暮らす
染織作家の加納容子さんと山崎さんとの対談をお届けします。

「築250年の生家がわたしを待っていた」

山崎

こんにちは!
ここのところ雪が多くて、今日もお天気心配していたんですけど、
見事に晴れましたね。

加納

ええ。山間地だからよく心配されるんですけれど、
このあたりはとても気候がいいんですよ。

山崎

つい、散歩したくなりますね。

加納

そうでしょう。あとで、一緒に歩いてみましょう。

山崎

そもそもこの勝山にはどんな歴史があるんですか?

加納

かつては、日本海と瀬戸内を結ぶ旧出雲街道の要となるまちで、
家並みに沿って流れる旭川では、高瀬舟による交易も盛んだったそうです。
祖父の代には、ロシアから手風琴、ドイツからネジ回し、中国から金継ぎと、
いろいろな行商がやってきたと聞いています。

山崎

それに、勝山城の城下町という一面も持っていますよね。
お城は、もうないんでしたっけ?

加納

はい。お城そのものはもう残っていませんね。

山崎

で、加納さんは、こちらのご出身?

加納

この古い家で生まれ育ちました。

山崎

ここが生家なんですか? うわぁ、素敵だなあ。

加納

明和元(1764)年の建物なので……つまり、築248年になります。
ね、古いでしょう(笑)?

山崎

本物ですね。もとは造り酒屋、ですか?

加納

そうです。わたしが生まれたころには、もうお酒の小売りに変わっていましたが、
裏手にはまだ杉樽がたくさん残っていました。
そして、その家業を継ぐために、わたしは29歳でこのまちに帰ってきたんです。

勝山のまちなみ

かつては出雲街道の要衝として繁栄を遂げたまち、勝山。

ひのき草木染織工房

1997年に、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。

「わたしの楽しみが、いつしかまちを楽しくしていった」

山崎

それが何年前のことになりますか?

加納

35年前ですね。

山崎

染織にはどのタイミングで出会われたんですか?

加納

地元の高校を卒業して、東京の女子美(女子美術短期大学)に進学するのですが、
そこで出会いました。

山崎

そのあとしばらく東京というわけですね。

加納

機織りの師匠にあたる先生の教室に通ったり、出版社でアルバイトしたり。
結婚してからは自宅を開放して、女子美の後輩にあたる卒業生たちに
織物を教えたりしていました。
でも、母の病をきっかけに、家業を継ぐために
家族全員でこのまちに帰ってきたんです。

山崎

旦那さんも東京の仕事を辞めて?

加納

ええ。帰ったほうがいいと言ってくれたのは主人だったんです。
でも、しばらくすると結局、東京が恋しくなって、
彼だけ戻ってしまったんですけどね(笑)。
3人のこどもたちは今でも一緒にこのまちで暮らしています。

山崎

そうだったんですね。加納さんにとって、勝山ってどういうまちなんでしょう。

加納

はじめは正直、帰りたくないと思っていたの。
でも、帰ってみれば幼なじみもたくさんいるし、
秋の勝山まつりでは、伝統的な「喧嘩だんじり」のためにみんな帰ってくるし、
悪くないなって。
そのうち、ここに居場所を作ろうと「じぶんが楽しむため」にやることが、
自然とまちのためになっているということが起こってきて、
それが今はとても心地いいし、楽しいのかな。

山崎

ということは、加納さんの場合は……。

加納

そうなの。
「まちおこし」なんてことは、これまで一度も考えたこともないのよ!(笑)

(……to be continued!)

加納さんの作るのれん

古くから残る街並に、加納さんの作るのれんはよく似合う。

「街並み保存地区」として指定

昭和60(1985)年、岡山県初の「街並み保存地区」として指定された。

風情ある勝山の街並を散歩

土蔵、白壁、格子窓……風情ある勝山の街並を散歩。ふと心を癒される時間。

profile

YOKO KANOU 
加納容子

1947年岡山県勝山生まれ。女子美術短期大学デザイン科、生活美術科卒業後、29歳で勝山にUターン。1996年に勝山町並み保存地区にて、のれん制作開始。翌年、生家にて「ひのき草木染織工房」を立ち上げる。染織作家/「勝山文化往来館ひしお」館長。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

トム・ヴィンセントさん

日本の地域から、いいものを世界へ。

日本のいいもの、面白いものを世界に発信する
「トノループネットワークス」代表を務めるトム・ヴィンセントさん。
イギリス出身のトムさんは、経済産業省の地域活性の政策に関わるなど、
これまでさまざまな地域の活動に携わってきた。

もともと1996年頃から東京でウェブの企画制作の仕事を始め、
大日本印刷が運営するウェブマガジンの海外版編集長を経て、
大手企業のウェブサイトのデザインコンサルティングや
クリエイティブの仕事を数多く手がけた。
そのうち自分でウェブサイトをつくろうと、バイリンガルで
“東京発デザイン&ものづくりマガジン”『PingMag』を立ち上げる。

その斬り口は、当時は「え? これが面白いの?」と周囲に驚かれるような視点だった。
たとえば、八百屋さんに無造作に積まれた野菜や果物の段ボールのデザイン。
私たちにとってはとても見慣れた、ありふれたものだが、
その写真に海外から多くの反響があり、さまざまな言語で書き込みが相次いだ。
やがて東京だけではなく、日本全国の面白いものを取り上げようと、トムさんは
“日本発ものづくりインタビュー・マガジン”『PingMag MAKE』を立ち上げる。

ともに現在は更新されていないが、過去の記事を読むことはできる。
そこにはトムさんたちが全国で取材した、
ものづくりの職人たちの記事が掲載されている。

「ものではなくて、人が面白いんだよと、
ものをつくっている人にスポットを当てました。
これをやり始めたら、日本の田舎が面白くなってきたんです」

その後『PingMag MAKE』は終了してしまうが、
取材した鍛冶屋の職人さんの記事に、スコットランドの人が
「こういう鎌はもうスコットランドでは手に入らないんだ」
とコメントしていたのを見て、トムさんは
「そうか、日本のすぐれたものを売ればいいんだ」と思いつく。

そして立ち上げたのが、現在トムさんが運営する
“日本のローカルから世界へ マガジン&ショッピングサイト”『Loopto』だ。
ここでトムさんは、さまざまな地域のすぐれたものづくりをするメーカーが、
自分たちのウェブショップを開くことができるというシステムを提供している。

いいものをつくる人がいても、それを広く発信しなければ伝わらず、
買ってもらうチャンスを逃してしまう。
「日本の小さいメーカーは、誰が自分たちの商品を買っているか知らないんです。
日本には農業でも漁業でも組合があって、
組合を通して問屋に卸すという昔ながらのシステムが定着していました。
だからメーカーはつくるだけでよかった。

かつてはそのシステムが有効でしたが、
現在は問屋も機能しづらくなくなってきています。
でも組合を通さないで独自にやるのは、狭いコミュニティの中では難しい。
組合というのはみんながフェアに商売をするためのものでしたから。
だから多くの職人さんやメーカーは、直販をやったことがないし、
やりたくてもプレゼンがうまくないんです」

このプレゼンも大きな課題のひとつ。
どんなにすばらしいものづくりの腕を持っていても、
デザインの必要性がわかっていない場合がよくあるという。
どんな世界観とストーリーを持った商品で、
どんな写真とテキストとデザインでそれを伝えるか。
デザインの力というのは、こういうところにこそ必要なのではないか。
「Loopto」はその手助けとなっているように思える。

トノループが運営するウェブサイト「Loopto」。丁寧なものづくりから生まれた商品を取り扱う。メーカーは年間1万円からという低費用でウェブショップをつくることができるという画期的システム。「Magazines」では四国の「しまマガジン」など地域の記事が読める。

地域にいちばん必要なのは、人。そこで働き、暮らすこと。

地域にはまだまだ問題が山積している。
トムさんは仕事で何度も訪れた小豆島の醤油蔵「ヤマロク醤油」の
5代目の山本さんの話をしてくれた。

ヤマロク醤油のもろみ蔵は100年以上前に建てられた蔵で、
その土壁や蔵の中には100種類以上のさまざまな菌が生きているのだという。
まさにマンガ『もやしもん』の世界。
醤油を醸造する高さ2メートルもある大きな杉の木の樽は、
150年以上前のものとみられており、その樽、その蔵が、
そこでしか育まれない豊かな風味を生み出しているのだ。

ところが、この樽をつくれる職人が、日本にはもうほんのわずかしかいない。
山本さんの子どもの代までは大丈夫かもしれないが、孫の代になったら、
同じ味の醤油がつくれなくなってしまう。
奮起した山本さんは、小豆島の若い大工さんたちと3人で、
ほぼ日本で唯一となってしまった樽メーカーのところに修行に行き、
自ら樽づくりの技術を習得しようとしているそうだ。

「でもこういう話をしても、多くの人は無関心。
どうしてだろうと腹が立つことすらあります。
こういうことをなんとかしないと、100年後、
日本の各地にある醤油、お酒、酢、味噌はつくれなくなりますよ」

地域の活動に関して悩むことも多々あるというトムさんだが、
それでも、山本さんのように少しずつ全国で若い人たちが動き始め、
面白いことが起きているという。
トムさん自身は、このコーナーにも登場してもらった西村佳哲さんとともに、
以前から徳島の神山町でのプロジェクトに関わっており、
神山にサテライトオフィスを持っている。

「神山は東京よりもいち早くブロードバンドが整備されたので、
空いている古民家を使って、神山で仕事をしませんかという呼びかけを始めたんです。
いまは『三三』というITベンチャーなど数社が
神山にサテライトオフィスをおいたりして、面白くなってきていますよ。
そこでバリバリのITの仕事をして、
窓を開けたら牛小屋があって田んぼがあるという風景が広がっている(笑)。
面白いのは、彼らの専門業と、畑仕事をしているおじいさんやおばあさんの専門業が
対等だということ。これは正しいですよ」

地元の経済に参加することが重要だというトムさん。
それにはそこで仕事をし、生活するのがいちばんなのだ。

トムさんの仕事仲間のひとりである長岡真一さんは、
東京から神山へ移住し、結婚して子どもも生まれた。人口6000人くらいのまちで、
昨年生まれた3~4人の子どものうちのひとりだというから、
地域に大貢献していると言っていい。

結局、必要なのは、人だとトムさんは言う。
「人って、いろいろ面倒くさいですよね。でも地域には人が必要。
いま地域で面白い動きをしている人がパイオニアになっていくと思います。
そして重要だと思うのは、彼らはインターネットをうまく活用しているということ。
現代の技術を恐れず、ウェブやスマートフォン、SNSを楽しく使っている人が、
農家でも職人でも元気だと思います」

日本の地域の将来に、イギリス人であるトムさんが
これほど危機感を抱き、真摯に向き合っている。
日本人の私たちは……と考えると、背筋が伸びる思いだ。
トムさんは深い問題意識を持つと同時に、希望も捨てていない。
「神山で映像会社を立ち上げました。今後、長岡と一緒に、
東京やロンドンに負けないくらいの会社に成長させたいと思っています」

神山は、総務省の地域ICT利活用モデル事業によってブロードバンド化され、NPOグリーンバレーによってさまざまなプロジェクトが進められている。町屋を改装したトノループのオフィスも、短期的に仕事をしながら滞在したい人に貸し出している。http://www.in-kamiyama.jp

STUDY 地熱発電

火山大国・日本の地熱の有効活用。

地熱発電は、地球内部のマグマのエネルギーを活用し、
地上に噴き出た高温の蒸気あるいは熱水により発電を行う自然エネルギーの一種です。
火山大国である日本には、豊富な地熱資源があり、
その資源量はアメリカやインドネシアに次ぐ世界第三位と言われています。
実際に日本国内には多くの温泉があり、熱利用が盛んです。
地熱発電については、1966年に国内初の地熱発電所が運転を開始してから、
これまで導入された地熱発電所の設備容量は約55万kWに留まっています。
これは、2010年末の段階でアメリカの310万kW、フィリピンの190万kW、
インドネシアの120万kW、メキシコの100万kW、イタリアの90万kW、
ニュージーランドの80万kW、アイスランドの60万kWに次ぐ
世界第8位の規模になります。
その一方で、海外の地熱発電の設備の多くには日本の技術や製品が生かされています。
現在、世界の24か国で地熱発電所が稼働しており、
全世界で約1100万kWの発電設備が稼働しています。
ひとり当たりの発電容量ではアイスランドが世界のトップで、
アイスランド国内の発電量の約26%を占めるまでになっています(日本は0.3%程度です)。
日本では、1970年代のオイルショック後に地熱開発の機運が高まり、
民間主導で地熱発電設備が導入されました。
その後、1990年からは国の主導するさまざまな政策で発電設備の導入が進みましたが、
1999年の八丈島への導入を最後に新たな地熱発電の設備の導入が進まず、
「失われた10年」と呼ばれるような状況となっています。
これまで、大部分の地熱発電は、
エネルギー政策の中で特に支援が必要な「新エネルギー」として位置づけられておらず、
その普及を支援するRPS法の対象にもなっていませんでした。
最近、新しい固定価格買取制度や自然公園などでの規制の緩和などにより、
地熱発電の普及に向けた政策の見直しが始まっています。
日本国内で大きな地熱の資源ポテンシャルがあることから、
国内産業育成や温泉と共存したかたちでの地域の活性化などの観点から注目されています。
高温の蒸気ではなく、熱水を用いる地熱発電を、温泉熱発電あるいはバイナリー発電と呼びます。
比較的小型で、発電出力の規模も数10kW程度からあり、
高温の源泉を持つ温泉がある地域で、その導入が検討されています。
発電した電気やお湯を有効活用できればと、
地熱発電と温泉が共存できる新しい仕組みとしても注目されています。
日本国内で地熱発電が多い都道府県として、
九州地方の大分県や鹿児島県、東北地方の秋田県や岩手県などがあります。
大分県では、家庭やオフィスで使う電気のうち、
20%程が地熱発電による電気でまかなわれている計算になります。
市町村の中には、大分県の九重町や福島県の柳津町のように、
地熱発電によって発電された電気の量で、
計算上その地域の全ての電力をまかなえるような地域もあります。

民間ホテルの地熱発電所(提供:九重観光ホテル)

TOPIC 山梨県北杜市 メガソーラー

メガソーラーのまち、北杜市の取り組み。

山梨県北杜市は、山梨県の北西部に位置する人口4万4千人の市です。
北に八ヶ岳連峰、西に甲斐駒ヶ岳に囲まれ、釜無川をはじめとする多数の川が流れています。
水資源が豊かで、サントリーの白州工場もこの地に立地しています。
また、雨の日が少なく、日本で一番長い日照時間を誇る土地としても知られています。
住宅用太陽光パネルで発電された電気の余剰分を固定価格で買い取る制度が
2009年11月に導入されましたが、
今年7月から住宅用太陽光パネル以外にも対象を拡張した
新しい固定価格買取制度が導入されることになっています。
このため、全国各地でメガソーラーへの関心が高まっています。
北杜市は、長い日照時間を生かして、
その先駆けとなるメガソーラーを2006年から運営しています。
このメガソーラーは、
系統連系時に電力系統側へ悪影響を及ぼさないシステムの実現を目指した実証実験設備として、
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託によって設置されました。
実証実験の終了にともない、
2011年4月からは市営の「北杜サイト太陽光発電所」となっています。
中央高速道路脇に設置されたこのメガソーラーには、
さまざまな種類の太陽光パネルが合計1840kW設置されています。
面積は約10haで、事業費は約32.3億円でした。
年間発電量は約200万kWhで、2008年度の設備利用率は15.16%、
2008年4月から2010年4月の期間における設備利用率は14.26%と良好な結果を残しています。
このサイトでは、大規模な太陽光パネルシステムを支える
大容量パワーコンディショナの開発を行うとともに、
さまざまな種類の太陽光パネルの性能評価やモジュールの設置角度の検討などが行われました。
北杜市ではメガソーラーの見学会も行っています。
メガソーラーサイトには、展望台と説明パネルが設置されており、
見学会に参加しなくても概要を把握することができます。

北杜サイト全景:北杜市北杜サイト太陽光発電所HP

近景:筆者撮影

小布施 Part4 図書館から、まちをデザインする

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小布施編・目次

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小布施の図書館「まちとしょテラソ」で館長を務める
花井裕一郎さんを訪ねた山崎さん。
4回にわたりお二人の対談をお届けします。

コミュニティのある図書館、僕もやりたいな(笑)。

山崎

静かにしなくちゃダメ、みたいな制約が、
図書館をつまらなくさせているところ、ありますよね。

花井

ありますね。

山崎

以前、とあるまちで「全体としてはにぎやかだけど、静かな部屋がある」
という図書館を提案したことがあるんですけど、
残念ながら実現しなかったんです。

花井

うちは、館内ワンフロアがテーマなので、そこをクリアするために、
タイムシェアリングしてるんですよ。

山崎

タイムシェアリング……?

花井

そうです。たとえば夕方は学校帰りのこどもたちが集うので、
比較的にぎやかな時間。でも、18時を過ぎれば、自然と静かになるんです。
まちのひとたちが、そこをわきまえて利用してくれるようになっています。

山崎

なるほど!

花井

でしょ?

山崎

ここまできたら、ひとつ、告白していいですか。

花井

え、なんですか?

山崎

実は大学3年のときに「読書園」というのを考えたことがあるんです。
テニスしながらテニスの本が読めて、
さらにまちじゅうにある小さな小屋みたいなところのどこにでも
本が返却できるっていう……。

花井

それ、僕らも同じようなこと考えてます(笑)。
造り酒屋に酒の本があったら、
そこにはさらに酒のプロフェッショナルもいるわけだから、
より豊かな体験ができる。まちがまるごと図書館になる仕組み、みたいな。

山崎

そこにコミュニケーションが発生しますよね。

花井

まちを歩くきっかけにもなるはずです。

山崎

ああ、やっぱり、僕もやりたいなあって今でも思いますね。
そういう、コミュニティのある図書館!

花井

こどもたちのさわぎ方も、度が過ぎれば叱ることもありますから、
子育ての場でもあります。

山崎

いずれにしても、始まりにしっかりとした
「町民力」があったからこそできるていることですね。

花井

はい。町民ひとりひとりに「じぶんたちが責任を負っている」という
自覚を促すことが大事なんだと。山崎さんの本にも書いてありましたね。

窓にあしらわれたロゴデザイン

「TERRA」にはラテン語で地球、大地の意、「SOW」には種を蒔くという意味も。

まちとしょテラソ館内

日中は、陽が燦々と射し込む、開放的で明るい空間。

まちとしょテラソが、まちを変える。まちを元気にする。

山崎

とくに進歩的な取り組みなどはありますか?

花井

文書が文書を探し出す「連想検索」というシステムの導入したり、
アップルコンピューターを複数台設置して
デザインのワークショップを行ったり……。

山崎

これがうわさの連想検索ですか! すごいですね。

花井

本がまんなかにあって、衛星的に企画があり、
再び本に戻っていくようなイメージでしょうか。

山崎

書籍購入の注文も受けたって聞きましたけど。

花井

ええ。なにを隠そう、このまちには本屋さんがないんです!
だから、今年からの新たな取り組みとしてライブラリーショップも併設しました。
D&Departmentのようなセレクトショップが、
この場所でならできると思うんです。
あと、「出張まちとしょテラソ」とかね。

山崎

え、まさかよそのまちに行ったり?

花井

そうですね。まちとしょの「まち」には「待ち」の意もあるんですが、
これからの僕らは、待ってるだけじゃないぞって(笑)。

山崎

うーん、アグレッシブだなあ(笑)。
でも、そのアグレッシブさは、間違いなく
まちを元気にしていく大きなチカラです。
今後がますます楽しみになりました!

着物で読みたい本を、まちとしょテラソのスタッフが選書

「高遠・本の町をつくる会」に「出張まちとしょテラソ」が参加。着物で読みたい本を、まちとしょテラソのスタッフが選書。(写真提供:まちとしょテラソ)

山崎亮さん

僕も、コミュニティのある図書館がやりたくなってきましたよ。(山崎)

information

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まちとしょテラソ

「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとで建築された小布施町立図書館。「本を貸し出す業務」だけにとどまらず、この場で未来を担うこどもたちが世界を感じ、飛び立っていくための支援や、なにかを創り出すひとの支援を通じ、町内外のひとびとの生涯学習の拠点としての「図書館」を目指している。

住所:長野県上高井郡小布施町小布施1491-2

TEL:026-247-2747

開館時間:9:00 〜 20:00

休館日:火曜

Web:http://machitoshoterrasow.com/

profile

YUICHIRO HANAI 
花井裕一郎

1962年福岡県筑豊生まれ。テレビディレクターからスタート。2000年、東京から小布施町に拠点を移し、本来の人間の姿、生き方を模索し創作。2009年より、小布施町立図書館・まちとしょテラソ館長。図書館を交流の場、ワクワクする情報を提供する場として演出している。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

桜坂劇場

「映画館」から「劇場」へ。

那覇市民の台所、マチグヮー(牧志公設市場)のにぎわいを横手に外れると、
桜坂と呼ばれる細く急な坂がある。
アメリカの施政権下にあったときにはキャバレーやスナック、
バーが並び色街として栄えたが、
今はスナックが少々残る程度でかつての面影はない。

その桜坂のてっぺんに建つのが、桜坂劇場。
1952年に開業した「珊瑚座」という芝居小屋から歴史は始まる。
1953年に映画館に転身し「桜坂琉映館」と改称。
1986年11月に「桜坂シネコン琉映」としてリニューアルする。
そもそも沖縄は、映画興行の文化や歴史が、他の地域とは大きく異なる。

戦後しばらくの間、沖縄では、昭和初期の無声映画と、
新しいアメリカ映画が同時に上映され、多くの人が映画に親しんだ。
その後、沖縄を題材にした多くのインディーズ作品の台頭と流行を経て、
最近は沖縄国際映画祭が開催されるといった、
独自の映画文化を築きあげてきたという背景がある。
しかし、まちの小さな映画館だった「桜坂シネコン琉映」は、
2005年4月にとうとう力尽きてしまう。

なんとか那覇市内に映画館を存続させたいという想いを持った
県出身の映画監督・中江裕司さんを中心とする5人の仲間が
2005年7月に「桜坂劇場」をオープンさせた。
現在は、3つのスクリーンを擁し、年間300本上映するまちの映画館はそのままに、
カフェ「さんご座キッチン」と、
雑貨・本・沖縄クラフトを販売する「ふくら舎」も同時に運営しており、
さまざまな年代のお客さんでにぎわっている。

モーニングを食べられる店が意外と少ない沖縄で重宝するカフェ。
沖縄在住の工芸作家の作品が多く並べられるショップ。そして映画館。
ゆったりとした沖縄タイムに身をゆだねられる空間がつくりあげられた。

「映画だけでなく、音楽のライブがあったり、雑貨や本があったり。
経営側の都合ではなく、“お客さんは何を求めているのか”という視点でセレクトします。
一方でお客さんも、従来の映画館の枠組みを越えて、楽しみ方をセレクトするのです」
と話すのは、桜坂劇場を運営する株式会社クランクの上原力(つとむ)さん。
ショップにセレクトされているものも、沖縄の映画の歴史書や、
やちむん(沖縄陶器)の重鎮の作品、若手のテキスタイル作家の作品など。
どれも一般の土産物屋では手に入らないような個性的で手に取りたくなる品々だ。

映画館の薄暗いイメージを払拭する、明るく開放的なロビー。

沖縄の手しごとが集まるふくら舎。

沖縄の海を想起させる青い壁紙が印象的なホール。

市民大学を劇場で。

桜坂劇場の大きな特徴のひとつは「桜坂市民大学」という、
体験型のワークショップを主催していることだ。
「情報をただ消耗するだけではなく、情報を“つくる”ことも大切だという意識で、
従来にはない劇場のかたちをつくりあげていきました」
と上原さんは語る。

150ほどの講座が随時開かれており、市外や県外からも参加する人が多い。
それもそのはず。講座は、「おじーおばーのウチナーグチ(古くからの沖縄の方言)講座」や
「ウチナー芝居」といった沖縄の文化継承の講義から、
「映画の学校」や「脚本講座」という、映画館の特性を活かした講義もあり、
まさに、ここ桜坂劇場でないと受講できないものが多いのだ。

例えば、「おじーおばーのウチナーグチ講座」について、
「沖縄にくる方には“リアル”と“驚き”という二通りの体感の目的があるのですが、
ここ桜坂劇場は、沖縄の“リアル”の部分なのです。
つまり、ウチナーグチを使いたいという人が学びにくるのです」と上原さん。
なので、桜坂市民大学ではしっかりと使う場も与える。
桜坂市民大学学園祭と称し、講義終了後に成果発表の場が設けられ、
講師も生徒も鍛錬するそうだ。
その様子たるや「単に習いにきているという感覚ではなく、修行ですね」とのこと。
卒業生の中にはウチナー芝居の役者として活躍する人や、
実際に職業として身を立てる人もいるほど。その、講師と生徒の真剣さも人気のゆえんだ。

通常であれば、公民館やそれに準ずる場所で行われることの多い市民大学が、
まちの映画館で行われるということはとても珍しいのでは?
「珍しいどころか、映画館が文化発信の中心になるということ自体、
お手本がなかったのです。もう映画館単体では
人を呼び込むことは難しいと考えた代表の中江裕司が、
日本だけでなく世界中のスクリーンを視察してよい試みを吸収し、
“映画館”ではなく、総合的な“劇場”にしようと。そうしてできたのが桜坂劇場でした」
また、上原さんは、“開かれた場所”という言葉をキーワードとしてあげた。

「映画館は元来クローズドな場所で、
まず入り口にあるチケット売り場でチケットを買ってから
中に入らなければならなかったのです。
でも桜坂劇場では、チケットを持っていなくても中に入れ、利用できます。
映画館という場を“開かれた場”にし、さまざまな人に自由に出入りしてもらい、
いつも誰かがいる空間にする、という考えは新しいかもしれません」

その取り組みもあり、今では、桜坂劇場の会員は1万人に達した。
これは全国的にみても大成功と言える。
「本当に会員・リピーターに支えられています」と笑う。
運営に悩む全国のミニシアターも手本にしたいのでは? 
という問いに、上原さんはこう答えた。

「その土地に合ったやり方というのが必ずあるはずです。
沖縄は地域との結びつきや郷土愛がとても強いし、
興行などの一般的なランキングに左右されず自分の楽しみは自分で選ぶという意識が強い。
沖縄映画の歴史的、文化的な背景もありますし、この場所も昔からあった。
それが良かったのかもしれませんね」

赤い手すりの階段を上ったところは元々会社の事務所だった。今は桜坂市民大学の教室として使用されている。

桜坂市民大学。この日はヨガのクラスが開講中。若い男性も多い。

桜の見頃は2月上旬。桜坂の名にふさわしい光景が見られるという。

小布施 Part3 「演出家」としての図書館長

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小布施編・目次

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小布施の図書館「まちとしょテラソ」で館長を務める
花井裕一郎さんを訪ねた山崎さん。
4回にわたりお二人の対談をお届けします。

45歳で図書館長に。未知の世界への挑戦でした。

山崎

ところで、花井さんは長年、
東京で映像演出家として働いていらっしゃったんですよね。
図書にまつわる知識や資格みたいなものをお持ちだったんですか?

花井

いいえ。ありません。45歳までまったく未知の世界!
そもそも、40歳をすぎて公務員になるなんて、
自分でも思ってもいませんでしたよね。

山崎

そっか、公務員なんだ!

花井

そうなんですよ。こう見えても(笑)。町の教育部門という位置づけになります。
全国から25名の応募があって、選んでいただきました。

山崎

いまは何名で運営されているのですか。

花井

僕を含め正職員3名、臨時雇用者10名で運営しています。

山崎

館長の任期は。

花井

今のところは5年で再任なし。
なんとかならないかなあって少しあがいているところです(笑)。

山崎

あと1年かぁ……。もちろん、こういうプロジェクトは、
見直しのタイミングも大事なんですけどね。

まちとしょテラソ館内

蔵書は約7万6000冊。

建物周囲の植栽プロジェクト

建物周囲の植栽プロジェクトも、町民主体で行われる。

ここにいても、演出家としての力が生きている。

花井

僕は元々、ひとりの町民としてこの町に暮らしているわけですよ。
だからある日を境に「公務員」になったからといっても、
町民としての思いは一緒。
設計事務所、行政、町民が、それぞれの立場でそれぞれ不器用に、
ことば足らずに発するネガティブな意見を聞きながら、
それが「ワクワクする気持ち」に変わるように、
あるいは「じぶんたちがなにがしたいのか」を明確にしてみせるために、
やっぱり「演出家」としてそこにいたような気がしているんです。

山崎

それ、わかります。僕らが日本全国の現場でやっていることも、
まったくそういうことですよ!

花井

開館してからも、その立ち位置は変わりませんね。
たとえば、誰かにオススメの本を押し付けるのではなく、
そのひとがきっと読みたいだろうな、と思う本をさりげなく並べておくんです。
そうすると「じぶんで見つけた!」と思ってもらえて、
より豊かな図書館体験になるんじゃないかと考えているんですよね。

山崎

それって、まったく「ファシリテーション*」ですよね(笑)。
本人が思ってもいなかったことを「ほんの少しだけ」ピックアップして
目の前に提示すると、とても新鮮な発見として、ワクワクにつながる。
自ら「また明日も!」と思ってもらえるための、重要な仕掛けです。

花井

ターゲットは「これまで図書館に来なかったひと」なのかなって。

山崎

うん。講演を行うとき、デパートの再生を任されたときなど、
僕も同じこと考えますね。
植物園にエンターテイメント性を見事にプラスした、
イギリスの「エデン・プロジェクト」なんかはとても参考になります。

花井

仕掛けのヒントはいろんなところにある、と。

山崎

ワークショップでの会話のルール「Yes、and……」と、
花井さんの「演出力」はイコールなわけだ。

花井

おっしゃる通り! コミュニティが「なにを欲しているのか」を考えて、
演出していかなければならないと思っています。

(……to be continued!)

*ファシリテーション:グループ活動が円滑に行われるように、中立的な立場から支援、舵取りを行うこと。またはそのための技術のこと。「促進する」「容易にする」「円滑にする」「スムーズに運ばせる」が原意。

山崎亮さん

僕らが日本全国の現場でやってることと同じですね。(山崎)

花井裕一郎さん

ターゲットは「これまで図書館に来なかったひと」。(花井)

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まちとしょテラソ

「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとで建築された小布施町立図書館。「本を貸し出す業務」だけにとどまらず、この場で未来を担うこどもたちが世界を感じ、飛び立っていくための支援や、なにかを創り出すひとの支援を通じ、町内外のひとびとの生涯学習の拠点としての「図書館」を目指している。

住所:長野県上高井郡小布施町小布施1491-2

TEL:026-247-2747

開館時間:9:00 〜 20:00

休館日:火曜

Web:http://machitoshoterrasow.com/

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YUICHIRO HANAI 
花井裕一郎

1962年福岡県筑豊生まれ。テレビディレクターからスタート。2000年、東京から小布施町に拠点を移し、本来の人間の姿、生き方を模索し創作。2009年より、小布施町立図書館・まちとしょテラソ館長。図書館を交流の場、ワクワクする情報を提供する場として演出している。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

RICE475収穫祭レポート(後編)

いざ、収穫祭BBQへ!

1日目のオリエンテーションで仲間になり、2日目早朝から座禅で精神状態を整え、
着々とRICE475の新米を食すコンディションを整える、
<RICE475収穫祭>にご参加のみなさん。
次に向かった先は魚沼が誇る銘酒「鶴齢」でおなじみの青木酒造さん。

通常、酒蔵見学を行っていない酒蔵ですが、
なんと特別に酒蔵見学をさせていただきました!
魚沼の美味しい水、美味しいお米から造られる地元自慢のお酒は、
また改めてじっくりレポートさせていただきたいと思います。

その後、冬野菜の収穫を体験させてもらいに、南魚沼市の石打農園へ。
さっそくおじいさんご指導の下、でっかい大根とでっかい白菜を収穫。
泥まみれの虫だらけが、野菜の本来の姿なのですね。
貴重な農園での収穫体験に、みなさんとても良い表情をされていたのが印象的でしたよ!

そしていよいよ、メインイベントの収穫祭BBQ!

まずは、豊作を祝して鏡割り☆
もちろん「鶴齢」で。青木酒造さんありがとうございました!
淡麗ながら、やさしいお米の甘みを感じる「鶴齢 純米吟醸」をすすりつつ、
小山流の方々による、津軽三味線の演奏を堪能しました。
演奏していただいた小山流3代目、小山豊さんは、
紅白歌合戦やレコード大賞などでも演奏され、古典的な演奏だけでなく、
バンド形式での演奏も多く、枠にとらわれない独自のスタイルでご活躍されています。
共演者には北島三郎さんからナオト・インティライミさんまで。幅広いですね!
素敵な演奏ありがとうございました!

鏡割り、三味線と縁起物を楽しんだ後は……
腹ごしらえのみ!!

八色しいたけ、自然薯、神楽南蛮、採れたて大根……旬の野菜満載のBBQ。
もちろんお肉は越後もち豚です!
きのこたっぷりの芋煮は、鶴齢の酒粕を使った醤油ベースと関興寺の味噌ベースの2種!
さらに、皆で収穫を祝して餅つきをしました!

とどめに、田植えや除草など、皆さんと一緒に育てた
無農薬栽培の南魚沼産コシヒカリ「RICE475無農薬無化成肥料栽培米」の新米を、
ぬか釜で炊飯!!!
ぬか釜とは、籾殻と杉の葉を燃料に羽釜で炊飯するスタイルです。
昔はどこの農家でもぬか釜で炊飯していたそうです。
直火でお釜で炊飯する訳ですから、美味しくない訳が無いです!
重い木の蓋を開けたときに、蒸気の奥から現れる、つやつやご飯、
思い出すだけでヤバイ……

地元の旬の食材をおかずに、
獲れた産地で、生産者の方と共に食べるご飯。
しかも、福岡からご参加いただいた方から、本場の明太子のお土産が!
なんとも最高の贅沢☆

今年のRICE475は豊作でした。
そのうえ、甘みも強く、お米自身の味がしっかりしています。
参加者の方からも、
「今まで食べたお米の中で一番美味しい!」
「お米に味があるのを初めて知りました!」
「実はお米はあまり好きじゃないけど、コレは好き!」
など、嬉しい感想を沢山いただきました☆
中には、
「美味しくて食べ過ぎて太ります」
と、うれしいクレームも。笑
みなさんに魚沼フルコースをドーンとご堪能いただけたかと思います!

ほぼ寝てない上に、満腹でみなさんが動けなくなったところで、収穫祭も無事に終了☆
迷アテンドではありましたが、本当にみなさんと一緒になって楽しませていただきました!
収穫の感謝はもちろんでしたが、
まだまだ手探りなRICE475を応援し続けてくださるみなさんと一緒にお祝いできたことに、
感謝の気持ちで一杯になりました。

驚いたのはその後。
数日後に参加者のみなさまから何通もメールをいただきました。
その内容は、「楽しかった」「美味しかった」の先にある、
僕らが目指す「農家の価値向上」に対するメッセージに溢れていました。

「大きな組織ではなかなかできない大切なことをされていると思うので、
大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。
いつか、大きな実を結ぶことを期待しています☆」
「今後の農業の発展に向けて頑張ってください!
農業をした事が無く分らない事だらけだけど
自分なりに考えつつ生活をしてみようと思っています」
「6次産業化が目指す、地方が持つ魅力を活かしたスケジュールで感動しました」
などなど。

たった2日間の、しかも迷アテンドで、みなさんにそこまで想像していただけたことがうれしく、
また前進する僕らの活力になりました!

新米農家と新米米屋ではありますが、リバース・プロジェクトと共に、
僕らだからこそ出来るアクションを起こし続けます!
そして、農家の価値を高めることで、日本の未来に貢献できるよう、
日々前進して行きたいと思います!

みなさまも機会がありましたら、ぜひ魚沼を体験しにいらしてください☆

小布施 Part2 まちのひとたちでつくる、まちの図書館

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小布施編・目次

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小布施の図書館「まちとしょテラソ」で館長を務める
花井裕一郎さんを訪ねた山崎さん。
4回にわたりお二人の対談をお届けします。

本を基軸に、遠まわりをしようよ。

山崎

そういえば、昨年は「Library of theYear 2011大賞」を受賞されたんですよね。
おめでとうございます。

花井

ありがとうございます。
なんでも町民と一緒に決めていくやり方が評価されたように感じています。

山崎

新図書館建設運営委員会にいたメンバーと同じひとたちが、
ひき続きその役割を担っているんですか?

花井

いいえ、そのチームは内覧会終了後に一旦解散し、こんどはプロジェクトとして
「運営」を一緒にやってくれるひとを改めて募りました。

山崎

どんなことをやるんですか?

花井

本にまつわるあらゆる企画、です。

山崎

なんでもあり?

花井

基本的には。でも、まちとしょテラソ“らしく”
企画をブラッシュアップしてから実行しています。

山崎

うん。大切なステップですね。

花井

本に直結するよりも、あれこれ考えているうちに本にたどり着く。
そんな、ちょっとした遠回りもまた楽しいかなって。

山崎

つまりそれが、まちとしょテラソらしさ、ですね。

花井

館内のiPadがすべて貸し出し中だったときに、こどもが
「しょうがねーな、本でも読むか」って言ったことがあるんです。
そういうのがいいかなって(笑)。

山崎

心のなかでガッツポーズですね(笑)。
これまでにどんな企画が実現されたのか教えてもらえますか?

花井

たとえば、さまざまなジャンルのアーティストを講師に招く「美場テラソ」では、
美術館で行われるようなワークショップをやります。
変わったところでは、多目的室を使って
小さなこどもが「転ぶ」練習なんかもやりましたね。

山崎

図書館の概念を変えましたね……。

花井

いやあ、ここにたどりつくまで、そりゃあ大変だったんですよ。
海外の事例もいろいろとひっぱってきて提示しながら、
町民に理解を深めてもらいつつ、一方では行政を説得、説得の日々ですよ。

山崎

ペットボトルの持ち込みOK 、カフェコーナーの円卓では軽食の飲食可なんて、
相当画期的です。

花井

カフェスペースがあるのも、僕の席がカウンターの中に設けられているのも、
すべて町民によって決められたシステムなんです。

山崎

え、館長室みたいなものがないってことですか?

花井

ないんです(笑)。

なぜか人気のある「隅っこ」

なぜか人気のある「隅っこ」。会議や打ち合わせが行われることも。

ワークショップ「美場テラソ」

アートにまつわるワークショップ「美場テラソ」の光景。(写真提供:まちとしょテラソ)

ここができるまで、なにをしていたんだろう。

山崎

話を伺っていると、館内を多目的に使える感じがとてもいいですね。

花井

読書だけでなく、図面書いているひと、会議しているひと、
シンポジウムを開催しているひと……。

山崎

会話もOKなんですね!

花井

ええ。情報を共有するため、コミュニケーションには必要な行為ですからね。
ほかにも、なにやらひたすらに歩き回っている数学者とか……。

山崎

そのひと、なにしてるんですか?

花井

僕もずいぶん怪しいと思って、声をかけたんです。
そうしたら、数式を解くのに、ここでうろうろ歩き回るのが
いちばんいいんだとおっしゃって(笑)。

山崎

おもしろいなあ。ここができて、まちが変わったという実感はありますか?

花井

ありますね。最近は利用者に
「ここができるまで、なにをしてたんだろうねえ」
なんて言ってもらえて、それはもう、館長としてはうれしい限りです。

(……to be continued!)

山崎亮さん

既存の図書館の概念を変えましたね。(山崎)

花井裕一郎さん

まわり道の楽しさも伝えることができたら。(花井)

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まちとしょテラソ

「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとで建築された小布施町立図書館。「本を貸し出す業務」だけにとどまらず、この場で未来を担うこどもたちが世界を感じ、飛び立っていくための支援や、なにかを創り出すひとの支援を通じ、町内外のひとびとの生涯学習の拠点としての「図書館」を目指している。

住所:長野県上高井郡小布施町小布施1491-2

TEL:026-247-2747

開館時間:9:00 〜 20:00

休館日:火曜

Web:http://machitoshoterrasow.com/

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YUICHIRO HANAI 
花井裕一郎

1962年福岡県筑豊生まれ。テレビディレクターからスタート。2000年、東京から小布施町に拠点を移し、本来の人間の姿、生き方を模索し創作。2009年より、小布施町立図書館・まちとしょテラソ館長。図書館を交流の場、ワクワクする情報を提供する場として演出している。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 太陽光発電

太陽光発電の特徴と国の取り組み。

枯渇しない再生可能なエネルギー源として、
地球に降り注ぐ太陽光を太陽エネルギーとして直接利用する発電です。
シリコンなどの半導体から作られる太陽電池を用いて、
太陽光のエネルギーを直接、電気に変換する方式が主流になっています。
開発当初は高価だったため、人工衛星の電源や電卓などの電気製品に用いられて来ましたが、
日本国内では、1970年代からスタートした国のサンシャイン計画での技術開発、
民間での研究開発や大量生産技術の確立に伴い、
次第に電力供給を目的とする太陽光発電のシステムが確立してきました。
同じ1970年代に技術開発が行われた、
太陽光を集光し熱に変換して発電する太陽熱発電とは区別されます。

日本国内では、これまで住宅用の太陽光発電が比較的多く導入されてきました。
1990年代に電力会社が、太陽光発電による余剰電力を買い取る自主的な取り組みがスタートし、
電力を供給する配電網に太陽光発電設備を接続する系統連系の技術が標準化されました。
1994年度からは国による住宅用太陽光発電導入促進に対する補助金制度が始まり、
2005年度まで12年間実施され、
電力会社による自主的な買取制度と、この住宅用発電設備への補助金制度により、
2005年度末までに住宅用太陽光発電システムが累積で約100万kWまで導入されました。
その時点で日本は世界のトップランナーとして
導入量、生産量ともに世界第1位の座を得ましたが、
2005年度以降の住宅用の補助金制度廃止などにより、
単年度導入量は約20万kW程度で低迷しました。

その結果、2004年に自然エネルギー法(EEG)を改正したドイツに、
単年度導入量を抜かれた上に、
2010年までの累積導入量では1700万kWを超えたドイツ、さらにはスペインにも抜かれ、
世界第3位の約360万kWとなり、大きく差がついてしまうこととなったのです。

太陽光発電(長野県飯田市)
写真提供:おひさま進歩エネルギー(株)

TOPIC 葛巻町(2)バイオマス利用

再生可能エネルギーのまち、葛巻町のバイオマス利用。

岩手県葛巻町は、風力発電のみで町内の総電力需要の2倍以上に達する
再生可能エネルギー生産がありますが、酪農と林業が盛んであることを活かして、
バイオマス資源の利用にも積極的に取り組んでいるのです。
このことが、「再生可能エネルギーのまち」として注目される
一番の理由となっています。

酪農からは乳牛の糞尿などの畜産廃棄物が出され、
林業からは集成材工場・パルプ工場などから端材など木質系の廃棄物が出されます。
まちではこれらを利用したさまざまな再生可能エネルギー利用を取り入れています。
例えば、第三セクターである葛巻町畜産開発公社が運営するくずまき高原牧場内には、
畜産バイオガスシステムがあり、
牧場内で産出される畜産廃棄物と町内の生ごみから発生するバイオガスを利用して、
発電と熱供給を行うとともに、残余物も堆肥として活用しています。

また、林業から発生する木質系の廃棄物を使って木質ペレットを生産し、
町内4施設で稼働しているペレットボイラーの燃料の全量を町内でまかなっており、
さらに、一般家庭への薪ストーブやペレットストーブの普及も進んでいるのです。
その他、公共施設における太陽光発電設備や太陽光・風力ハイブリッド型の街灯など、
さまざまな再生可能エネルギー利用設備が各所に導入されています。

葛巻町の再生可能エネルギー利用のうち、特にバイオマス資源の利用は、
農林業や酪農業といった地場産業とリンクすることによって
エネルギーを確保しようという試みがあります。
これによって、既存の産業の活性化や、
雇用の増加といった経済的波及効果が期待され、
ひいてはまちの税収の増加にもつながる可能性があるのです。
地域産業と連携したかたちで再生可能エネルギーを普及させ、
地域産業の活性化につなげていくことができるのか。
葛巻町はその試金石として注目すべき場所なのです。

くずまき高原牧場の畜産バイオガスプラント。

森のこだま館のペレットストーブ。

町立葛巻中学校の太陽光発電設備。

小布施 Part1 「まちとしょテラソ」と 館長・花井裕一郎さんのこと

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小布施編・目次

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プロローグ的な前回に続き、今回からは4回にわたり、
小布施の図書館「まちとしょテラソ」で館長を務める
花井裕一郎さんと山崎さんとの対談をお届けします。

まちとしょテラソはこうして生まれた。

山崎

ようやく来ることができました。なんとも気持ちのいい空間ですね!

花井

ありがとうございます。
建築のプロである山崎さんにそう言ってもらえるなんて、とても光栄です。

山崎

設計はたしか、建築家の古谷誠章(STUDIO NASCA代表、
早稲田大学理工学部教授)さんでしたよね。
小布施町とはとくに縁故のない方だと思うのですが、
どのような経緯で古谷さんが手がけることになったのですか?

花井

プロポーザル方式(企画、提案型)のコンペで、
166名の候補者のなかからファイナリストに選ばれたのが
NASCAの古谷さんだったんです。

山崎

その審査は誰が?

花井

建築家、図書館関係者、町民2名で審査を務めました。

山崎

お。町のひとも入ってるんですね。

花井

そうなんです。実はそれより以前に
旧図書館建て替えプロジェクトがスタートしていて、
一緒に新図書館(仮称)をつくりたいひと!って町民に募集がかかったんです。
そうしたらなんと50人も集まっちゃって(笑)。
町民による新図書館建設運営委員会が生まれたんです。
かくいう僕もそのひとりだったわけですけどね。

まちとしょテラソ外観

建築デザインは、古谷誠章(STUDIO NASCA代表)。

まちとしょテラソ内観

夕方、学校帰りの子どもたちが集う、ほんの少し賑やかな時間。

なんだ、こりゃ? まちとひとに心奪われた。

山崎

花井さんは、そのときにはもう小布施町の住民だったんですか?

花井

はい。ちょうど10年前、40歳のときに小布施に移住しました。

山崎

なぜ、小布施町だったんですか?

花井

フリーの映像演出家として、取材で訪れたのが最初のきっかけでした。
小布施の町おこしの立役者と称されるセーラ・マリ・カミングス
(株式会社桝一市村酒造場取締役、株式会社小布施堂取締役)を
取材しに来たんですが、セーラさんだけでなく、
彼女のまわりのひとたちの「熱さ」に触れて、「なんだ、こりゃ?」と
すっかり心を奪われてしまったんです(笑)。

山崎

そんな人間の熱さこそが、花井さんの感じていらっしゃる
「オブセリズム=目に見えないけれど、そこにあるエネルギー」の
源みたいなものなんでしょうか。

花井

その通りですね。

山崎

あ、窓の外、陽が落ちてきました……。

花井

ね! この時間もなかなかいいでしょ? 
夜は8時まで開いているのも、うちの自慢なんです。

山崎

テラソ、というネーミングもそこから?

花井

設計段階から、建物自体が暗闇を照らすあんどんのように……
という考えがあり、「照らそう」から「テラソ」が生まれました。
また、「TERRA」にはラテン語で地球、大地の意、「SOW」には種を蒔く、
という意味も込められています。

山崎

うーん、いい名前だ!

花井

山崎さんの著書『コミュニティデザイン』のなかにも書かれていましたが、
「また来たい」と思ってもらえる町、そして図書館でありたいんです。
だから「わくわく」と「おもてなし」をテーマに、
この図書館を“演出”するのが僕の使命だと思っています。

(……to be continued!)

天井部の建築デザイン

木の枝のような大きな柱が屋根を支える有機的なデザイン。

ライトアップされたまちとしょテラソ

夜のまちとしょテラソ。まるで、子供たちの未来を照らす行灯のよう。(写真提供:まちとしょテラソ)

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まちとしょテラソ

「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとで建築された小布施町立図書館。「本を貸し出す業務」だけにとどまらず、この場で未来を担うこどもたちが世界を感じ、飛び立っていくための支援や、なにかを創り出すひとの支援を通じ、町内外のひとびとの生涯学習の拠点としての「図書館」を目指している。

住所:長野県上高井郡小布施町小布施1491-2

TEL:026-247-2747

開館時間:9:00 〜 20:00

休館日:火曜

Web:http://machitoshoterrasow.com/

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YUICHIRO HANAI 
花井裕一郎

1962年福岡県筑豊生まれ。テレビディレクターからスタート。2000年、東京から小布施町に拠点を移し、本来の人間の姿、生き方を模索し創作。2009年より、小布施町立図書館・まちとしょテラソ館長。図書館を交流の場、ワクワクする情報を提供する場として演出している。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

山崎亮ってどんな人?

全国各地で引っ張りダコ、日本中を駆け回る男の仕事とは

人を入れるハコモノばかりがあふれ、ハコに入る人がいない地域。
それがおかしなことと気づきながらも、次の手が思いつかない行政。
今必要な行動は“ものづくり”ではなく、
“人がつながる仕組み”をつくることだと見定めて、
「コミュニティデザイナー」という不思議な肩書きを持って
地方再生のさまざまなプロジェクトを展開させる山崎亮は、
国が右往左往しているこの時代の寵児とも言える。

彼が人のつながりに興味を持ったきっかけは、
ランドスケープを学ぶ学生時代、阪神淡路大震災での経験だった。
「崩れ果てた街の中で、人々が結びつき、
自分たちの力で非常事態の街を使いこなす状況に圧倒されました。
また、ランドスケープ=生活自体であると痛感。
ならば、人のつながり自体が重要ではないかと考えました」

ものづくりから、つながりづくりへとシフトチェンジした彼は、
過疎化、少子化、高齢化など地域社会が抱えるさまざまな課題に対し
“震えるくらい美しい形で”解決することを命題とする
「コミュニティデザイン」という仕事を編み出した。
住民ひとりひとりの声を拾う中で地域課題を的確に見抜き、
人と人との良質なつながりを生み、つながった人々の意欲に火をつけ、
能力をつけ、チームワークの力で問題を解決していく。
そんな美しきチームプレーが、
地域コミュニティの活動でも実現できることを示したのである。

ただし、彼自身がプレーに加わることはなく、
人材を育て適切な指示を出す監督の立場を貫く。
未来を担う人材は地域の中で育成し、
十分に力が備わったらそっと身を引き、陰で寄り添う。
下に紹介した5つのプロジェクトは、
山崎監督が残した名試合ともいえるものだ。
「こんな仕事がなくていい世の中が理想なのにね」と笑う山崎は、
コミュニティデザインの伝道に、今日も全国を飛び回る。

山崎亮を読み解く5つのプロジェクト

  • いえしまプロジェクト

    ここから今の山崎が始まった!

    「いえしまプロジェクト」

    (2002年~)

    兵庫県姫路沖、家島諸島でのまちづくりプロジェクト。外部の若者が見た家島の魅力を島民に伝え島の将来を語り合う「探られる島プロジェクト」は5年続き、NPO法人いえしま設立後は、空き家を外国人の宿泊に利用する「ゲストハウスプロジェクト」や特産品販売を通じた都市部との交流などの活動を精力的に続けこの島のファンを増やしている。報酬のない公益事業ながら地域の課題を探りプロジェクトを起こすという貴重な経験を得る。

  • 有馬富士公園プロジェクト

    パークマネジメントの好例

    「有馬富士公園プロジェクト」

    (1999年~2007年)

    公園の集客に重要なのはデザイン以上に開園後のマネジメントであるとし、「楽しい公園」をつくる仕組みを考えたプロジェクト。兵庫県三田市の県立公園に来園者を積極的に誘い出すプログラムを組み込んだ。プログラムを提供する側(キャスト)に50以上ものコミュニティが参画しゲストをもてなすというもので、キャストもゲストも楽しめることから開園以来入場者数が増加し続ける。延岡駅周辺整備プロジェクトにもこの手法を導入。

  • コミュニティづくりのきっかけをつくった「土祭−ヒジサイ−」

    コミュニティづくりのきっかけをつくった

    「土祭−ヒジサイ−」

    (2009年)

    栃木県益子町で行われる土祭を一過性の祭りに終わらせず、その後のまちづくりにつなげていったプロジェクト。益子の土をテーマにした20余りのプログラムを16日間にわたり展開するという大きな祭りの後、参加したボランティアメンバーが集まって「ヒジノワ」(土祭を契機にして出来上がった輪の意味)という団体を立ち上げた。地域と商店街に開いたその活動に刺激を受け、商工会も中心市街地の活性化に乗り出した。

  • 子ども笠岡諸島振興計画

    大人が動かぬなら子供を動かそう!

    「子ども笠岡諸島振興計画」

    (2009年~)

    将来の人口減少が目に見えるにもかかわらず危機感の薄い島民の心を動かすため、未来を背負う子供たちとタッグを組んで進めたプロジェクト。岡山県の笠岡諸島の7島に住む子供たちと連携して離島振興計画を作成し、隣島とは協力できないしワークショップ参加も不可能、などと動かない大人たちへ提出。「この計画を実行してくれなければ、私たちは島に戻りません!」という子供たちの声が良質な脅しとなり、大人の本気を引き出した。

  • 穂積製材所プロジェクト

    この製材所が森の荒廃や人離れを食い止める!?

    「穂積製材所プロジェクト」

    (2007年~)

    民営の製材所を地域の都市農村交流の拠点として開き、そこでの活動から連鎖的に地域の課題解決の糸口を見いだしていくプロジェクト。伊賀の里、三重県は島ヶ原の駅前にある閉鎖直前の穂積製材所を、木工制作活動の場として公共的に活用することを考案。製材所内には建築家らが設計した「寝どこ」があり、週末には各地から集まった人々がここで寝泊まりしながら家具をつくり、材を生む森を学ぶ。写真は伊賀忍者の格好で講演した山崎。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

地域プロデューサー・本田勝之助のしごと

会津発、地域を経営するという視点。

古くから東北の要所として栄え、激動の幕末期には戊辰戦争の舞台となり、
白虎隊の悲劇や新撰組との関わりなど、数多くの歴史ロマンに彩られた会津若松。
そこかしこに重厚な時間の堆積を感じさせるこのまちはまた、
恵まれた農業資源を背景に豊かな食文化が花開き、
会津漆器をはじめとしたさまざまな伝統工芸品の産地としても知られる。

本田勝之助さんは、その会津若松を拠点に活動する地域プロデューサーである。
大正時代から続く青果商の家に生まれ、
大学卒業後は会津と東京を拠点にしたIT関連会社を起業し、
順調に業績を伸ばしていたが、
父親の勝美さんが病で倒れたのを機に家業を継ぐ意思で、
2004年に食と農業のプロデュースを行う「会津食のルネッサンス」を設立した。
「僕は経営が専門なので、この仕事を始めるにあたって重要視したのは、
地域を経営するという視点でした。
会津にはたくさんの特産品がありますが、
県外、ひいては海外にも通用するポテンシャルを持っているものは何かと考えたとき、
それは農業、しかもお米だと思ったんです。
お米ならすぐに賞味期限が切れることはないから、1年かけてじっくりと売ることができる。
幸い父が青果市場の経営者だったこともあり、農業関係の人たちをたくさん知っているし、
わからないことがあればすぐに聞けるので、その点も心強かったです」
米づくりを始めるにあたって、勝之助さんはまず何よりも土にこだわった。
よい土をつくることで、稲は健康に育ち、美味しいお米ができるとの思いからだ。
そのことを父の勝美さんに相談すると、旧知の信頼できる農家を紹介してくれた。
勝美さん自身、40年来、青果の流通に従事してきたプロフェッショナルであり、
みずからが組織して「会津の伝統野菜を守る会」を立ち上げるなど、
地域の食文化の継承と発展に尽力してきた頼れる先達である。
「勝之助が考えたように、美味しい米をつくるためには土づくりは欠かせません。
そしてその土をつくるのは人です。
知り合いの農業家の中には、
高い技術を持ってマジメに農業に取り組んでいる人たちがいるから、
お互いをつないであげました。
私も長いあいだ流通をやってきて、消費者が何を求めているのか、
どうしたら消費者に買ってもらえるのか、ずっと考えてきたので、
彼がやろうとしていることの意義はよく理解できたし、頑張ってほしかった」
こうして5年の月日をかけ、丹念に土づくりを行って2007年に生まれたのが、
「会津継承米 氏郷」である。
そもそも会津は、財団法人日本穀物検定協会が行う米の食味ランキングで
最高値「特A」を得ている地域だが、
その中でも甘さとモチモチの食感を兼ね備えた「氏郷」の評価は高く、
今や寿司の名店「銀座久兵衛」や老舗料亭の「金田中」が、
こぞって採用するほどの人気ブランドとなった。

そのぶんチャンスは限りなく大きくなった。

お米から始まった勝之助さんの事業は、同様にお酒やりんごなどにも広がっていき、
近年はホテルや伝統産業のプロデュースやコンサルティングといった分野にまで及ぶ。
「お米をやろうと決めたときから、これからのものづくりは、
“もの”自体のコンテンツよりも、“もの”が生まれた地域やバックグラウンドを含めた物語、
コンテキストが大事になってくるだろうと考えていました。
だとしたら、地方にはコンテキストがいっぱいあるんですよね。
それらを地域経営の視点からきちんとデザインして、
あわせてひとつひとつのコンテンツもしっかり磨き上げていけば、
マーケットは必ず開かれていくはずです。
おかげさまで、ここ数年で取り扱うものはかなり増えましたので、
まずは会津でモデルケースをつくって、それを他の地域にも応用し、
そのうえで地域間のコラボレーションなど、大きく展開していければと思っています」
さらに3.11の震災を経て、東日本の食の復興が関心事となっている現在、
勝之助さんの活動は以前にも増して重要な役割を担うようになり、
そのフィールドも加速度的に拡大している。
「震災の問題はやはり重たいです。
特に福島にはいろいろな課題がどーんとのしかかってきています。
ただ、見方を変えれば、そのぶんチャンスは限りなく大きくなったとも言えます」
実際、個人や企業を問わず、「福島だからこそ力になる」との声は多く、
復興に向けたプランは次々と動き出しているという。
この地域から次の社会のあるべき姿を創り上げていく。
その思いを胸に、勝之助さんは今日もどこかで奔走中。

会津の名産「緋の衣」を使ったリンゴジュース「復古三兄弟」も、勝之助さんがプロデュースしたもののひとつ。

ワークショップで話す勝之助さん。手にしているのは、からむし織(昭和村の特産)で、日本を代表する帽子デザイナー平田暁夫氏が復興支援のために制作した帽子。

Profile

KATSUNOSUKE HONDA 
本田勝之助

ほんだ・かつのすけ●福島県会津若松市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。会津食のルネッサンス代表取締役。ヒルサイドコネクション代表取締役。地域を経営するという視点で、会津地方や福島県内を中心に食やモノづくりのプロデュース、ならびに伝統産業のコンサルティングやリノベーション事業を展開している。福島復興のキーパーソン。

会津食のルネッサンス http://www.a-foods.jp/

株式会社ヒルサイドコネクション http://hillsideconnection.jp/

RICE475 収穫祭レポート(前編)

はじめまして、ガクハリです!

はじめまして、RICE475の覺張と申します!
RICE475とは、株式会社リバースプロジェクトと
日本有数の米どころ南魚沼の農家山本と廣新米穀で取り組む農業プロジェクトです。
「美味しいお米を作り、農家の価値を高めたい!」という想いから始まり、
南魚沼産コシヒカリを栽培しながら、
魚沼での農業体験や都内での様々なイベント、ウェブなどで情報発信を行っています。
農家のことを少しでも知っていただき、
皆さんと一緒に農家の未来を考えていけたら幸いです。
生産者・流通者・消費者の全てが幸せになれるお米、
最「幸」級米を目指します!

この場では、新潟県魚沼地方から地域のヒト・モノ・コトを
ご紹介させていただきたいと思います。そんな第1回は、
「魚沼を満喫し、贅沢にRICE475を味わいながら、収穫に感謝しよう!」
という趣旨のもと開催された、
「RICE475 収穫祭 祝・豊作ツアー」をご紹介します。

11月22日、23日の2日間で行われたこのツアー、
遠くは九州から近くは地元魚沼の方々に、
温泉・観光・酒・旬の味覚・新米と魚沼を存分に味わっていただきました!
そんな旅の始まりは、なんと温泉宴会スタート☆
今回お世話になったお宿は、「雪国の宿 高半」さんです。

川端康成が滞在し、「雪国」を執筆し、物語の舞台となったことでも有名な、
約900年の歴史を誇る温泉なんです。
RICE475の田植えや農業体験後は必ずこの温泉です!
歴史もさることながらお湯が素晴らしい!
お肌ツルツルのアルカリ性で湧き出し温度も奇跡の42度。
37代目湯守いわく「源泉に本当に何も手を加えず、そのままなので、
赤ん坊を放り込んでも安心」とのことです。
放り込まれた赤ん坊はさぞ不安でしょうが。。。

そんなお宿で、37代目湯守高橋五輪夫さん(通称プリンス)を囲んで、
魚沼の深雪マスやお漬物や新米おにぎりをツマミに
銘酒「鶴齢」で美味しく愉快な宴を過ごしました。

僕があのひとことを告げるまでは。。。

…そう、わたくし重要な伝達事項をすっかり伝え忘れておりました。

覺張:「明日の座禅ですが、朝5:40にロビーに集合してください。」

そのひとことで場の空気が一変。
皆さん:「えっ。。。これからお風呂に入って、なんだかんだで2時。起床は4時半。。。」
覺張:「いやぁ、修行ですから、ねぇ。。。すいません!」
ってな感じで、即撤収、即就寝、即起床。

皆さんの怒りが座禅で静まるといいなぁという、淡い期待を胸に向かった先は、
関興寺さん。魚沼では「雲洞庵」に並ぶ位の高いお寺です。
上杉家に縁のあるお寺で、謙信の没後の相続争いの兵火で諸堂が火災になった際に、
住職が謙信から譲り受けた経本を味噌の中に入れて火から守ったそうです。
それ以来、「関興寺の味噌なめたか」と言って、
関興寺の味噌をなめるとご利益があるとされています。

まだ薄暗く、気温の低いお寺で、住職から説明を受け、皆でお経を唱えた後に座禅体験。
機械の音を無くすため、ストーブも電気もすべて消し、調身、調息、調心。
姿勢を整え、呼吸を整えることで心が整う。
カラスの鳴き声、キツツキが木を叩く音、かなりの寒さでしたがそれすら心地よく、
地球と一体となっているような感覚を体験しました。
普段、機械音に囲まれて生活していることを実感すると同時に、
自然界の音だけに囲まれることがこれほど気持ちの良いことだと知りました。

初めて体験される方も多かったのですが、「スッキリした!」と、大変好評でした。
また、「住職の袈裟が素敵だった!」とおっしゃる方も。
デニム素材の袈裟は本当に素敵でしたよ!

こうして、これからの旅の安全祈願と、
RICE475をおいしく食べるまでのコンディションを整え、朝食のために宿へ戻りました。

そして、前夜の僕の失敗は忘却の彼方へ。(良かった良かった。)

つづく。

六角橋商店街

老舗商店街のもうひとつの顔は、サブカルイベントのメッカ。

東急東横線・白楽駅を降りると、華やかなアーチの看板が見えてくる。
住宅地に囲まれている六角橋商店街は、
約500mのメインストリート「六角橋大通り」と、
それに平行する裏路地アーケード通り「仲見世通り」、
さらに、多数の小さな路地で構成されている。
近くには神奈川大学もあるため、通学途中の学生や、
商店街にやってくるたくさんの人で通りはにぎわっている。

六角橋商店街の歴史は古く、横浜市内でも戦前から続く老舗商店街。
第二次世界大戦中には、延焼を防ぐため
ほとんどの建物はつぶされてしまったというが、
戦後、たくさんの商店が並んだ。
なかには、戸板で闇物資を売るものも。こうして、今の商店街が始まった。

乾物を扱う足立商店も戦後すぐにお店を構えた。
「昔は、商売が楽しくってね。なんでって、そりゃ、売れるからさあ。
サラリーマンなんかやってるより、ずっと面白かったよ」
ご主人の隆さんは当時を懐かしそうに話す。
開店当時から変わらない足立商店のレトロな看板が、心をくすぐる。
そんな歴史ある六角橋商店街では、
近年「ヤミ市」というイベントでにぎわいを見せているらしい。
一体、ヤミ市とは……?

ガラスケースに並ぶ、揚げたての唐揚げに思わず立ち寄る高校生の姿も。

新聞に目を通しながら店番なんて、なんだか昭和のドラマみたいです。

「20年くらい前かな、閉店する店が増えてしまったから、
客引きのためのイベントをいろいろ考えたんです。そしたら、
シンボルイベントの大道芸が失敗。お客さんは来たんだけどね。
結局、野毛(※)の二番煎じにしかならない。
もっと六角橋らしいものは何かと、考えた結果、
アジアのナイトマーケットのようなフリマをしようと。
それなら、近隣住人たちでライブもしようってなったんです。
この街にはミュージシャンたちが結構住んでいましたから。
しかも、場所は店が閉まった後の仲見世通りの路上。これがウケましてね」
このアイデアの発案者で、現在、六角橋商店街の販売促進部長を務める
石原孝一さんが、真相を教えてくれた。

以来14年ほど、夏季(4月〜10月)限定で、
「ヤミ市」と称して、フリマの他にもさまざまなイベントが、
夜な夜な開催されているのだ。
20時以降、しかも路上だからか、開催されるイベントはどれも個性的!
南陀楼 綾繁さんの一箱古本市、
パフォーマンスアーティスト・ギリヤーク尼崎さんの公演など、
サブカル好きにはたまらない有名人たちの名前も。
さらには、チャリティー野宿、ストリート結婚式など、
あの狭い道幅で、どんな風に開催されるものなのか興味惹かれる。
「基本、誰でもウェルカムですからね!
おもしろいことをしてくれれば、それでいいんです」

ヤミ市の様子。古本市とかっぱのダンサー・おいかどいちろう氏のパフォーマンス。

左から専務理事の糸井勇さんと、石原孝一さん。

TOPIC 葛巻町(1)ウインドファーム

再生可能エネルギーのまち、葛巻町の取り組み。

人口7,300人余り、酪農と林業を基幹産業とし岩手県北部に位置する葛巻町は、
おそらく日本で最も有名な「再生可能エネルギーのまち」でしょう。
千葉大学と環境エネルギー政策研究所が試算しているエネルギー永続地帯指標で見ると、
葛巻町のエネルギー自給率は200%以上と高く、
町が独自に試算している自給率でも180%以上なのです。
いずれも非常に高い数値であり、
この数字を支えているのは町内にある広大なウインドファーム(風力発電所)と、
酪農と林業から得られる豊富なバイオマス資源、
その他太陽光発電など多様なエネルギー利用にあります。
今回は、葛巻町の最大の再生可能エネルギー供給源である風力発電について紹介しましょう。

町内には「エコ・ワールドくずまき風力発電所」と
「グリーンパワーくずまき風力発電所」の2ヵ所の風力発電所があります。
発電設備はエコ・ワールドくずまきが出力400kWの風車3基で1,200kWの出力を持ち、
年間推定発電量は200万kW。
一方、グリーンパワーくずまきは出力1,750kWの風車12基で21,000kWの出力を持ち、
年間推定発電量は5,400万kWです。
推定発電量から見ると、エコ・ワールドは設備利用率が19%、
グリーンパワーは同29%となるので、風況が比較的良い場所であると推測できます。

両発電所合計で生産される年間5,600万kWの電力によって、
総世帯数2,664世帯の葛巻町内の電力需要に対して、
なんと2倍以上の電力を供給できます。
この大規模なウインドファームによる再生可能エネルギー生産が、
葛巻町のひとつの特徴なのです。

エコ・ワールドくずまき風力発電所(出典:葛巻町公式ホームページ)。