十和田 Part2 工芸から、 ひらかれたアートの実践へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

そして、ぼくはバブルの時代を逆行した。

山崎

藤さん、大学は京都でしたよね。京都市立芸大。どんな大学生だったんですか?

染織科唯一の男子学生。奄美大島の特産品に大島紬ってあるでしょう?
家族の仕事の関係で幼少のころから身近に大島紬があって、
紬の織柄のように「列んでいるもの」が無性に好きだったんです。

山崎

列んでいるもの……?

柄だけでなく何でも、列んでいるだけでいい、というくらいに好きでね。
空間に興味を持ったのも、京都の大学を選んだのも、
実は三十三間堂が始まりだったんです。

山崎

列んでますね(笑)。千手観音が1001体も!

でしょう。「なんだ、この空間は!?」って(笑)。
個々のモノよりも「どうしてこの仕組みが成立しているのか」が気になる。

山崎

そこはぼくも同じですね。

鴨川に勝手に自作の全長5メートルの鯉のぼりを
13点泳がせて騒動を起こした経験から、
まちに影響を与える、まちのなかの風景に何かをしかけることによって
動き、変化が起きるということに興味をもつようになりました。

山崎

ずいぶんユニークな大学生だったんですねえ。

おかげさまで、就職も引く手あまたでした。
だけど、80年代半ばの日本の生温い感じがすごくイヤだったり、
アートの枠からも離れてみたかったり。
そんなときにふと目についたのが、青年海外協力隊募集の雑誌記事。

山崎

まさか?

国を変えることで、
80年代からタイムスリップできるんじゃないかという気がしたんです。

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面。南部裂織から着想を得た、マイケル・リンの色鮮やかなペインティング作品。

前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」

通りに面した前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」。木の葉を切り出して菌床をつくりキノコを栽培する「ハキリアリ」を巨大化させた作品。

ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」

高さ4メートル近くもある、ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」。ディテールがリアルなのに対し、大きすぎるサイズが見るものに奇妙な感覚を与える。

覆された概念。その経験から、着想を得る。

ところが、赴任先がパプアニューギニアでね。

山崎

あ……そこまで?

そう、ちょっと遡りすぎた!(笑)

山崎

(笑)。現地ではなにをされていたんですか?

設立されたばかりの国立芸術大学で美術講師をやったんだけど、
ことごとく常識を覆された2年間でしたね。

山崎

たとえばどんなことですか?

まず、1年という概念がない。文字や記号も同じく。
儀式としてのペインティングや踊りは日常にあふれているけれど、
平面のキャンバスに絵を描くというような西洋芸術の概念はない。

山崎

なるほど!

現実の世界ではないところとつながって、
いわばコミュニティに意見する霊媒師の存在も興味深かった。

山崎

みんなが実は思っていることや言いたいことを、第3者に責任転嫁するわけですね。

そういうこと。いまで言う、山崎亮の役割。

山崎

こいつが言ってるから(しょうがないけど)やるか……といわれる役割(笑)。

たった2年のことだったけど、
ここで得た経験は、その後のぼくのプロジェクトに生きています。
たとえば2000年から続けている「かえっこ」プロジェクトは、
パプアニューギニア奥地での「1、2、3、あとはいっぱい!」という、
貨幣価値との互換性がない価値基準がアイデアのベースになっています。

山崎

「あとはいっぱい!」ですか。すごいなあ。
2年経って帰国されたら、日本は変わっていましたか?

1988年。地上げブーム真っ盛りで、まちがどんどん壊されていました。

山崎

その時代に、土地の再開発や都市計画に関わっていかれるんですよね。
そこのところ、とても興味深いのでおうかがいしたいです。

(……to be continued!)

藤浩志さん

独自の子ども通貨「カエルポイント」を使い、いらなくなったおもちゃなどを循環させるワークショップ「かえっこ」を各地で展開している藤さん。

山崎亮さん

「“どうしてこの仕組みが成立しているのか”が気になるのは、僕も同じです」(山崎)

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

十和田 Part1 十和田市現代美術館と 美術家、藤 浩志さんのこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

福岡県糸島市から青森県十和田市へ。

山崎

こんにちは。来ちゃいましたよ、藤さん!

ほんとだよねえ。はるばるありがとう。関西からだとずいぶん遠かったでしょう。

山崎

開館のときにも一度来ているんですけどね。

そうか、そうか。

山崎

この間、東京で会ったときに副館長就任のことをおうかがいして、
とにかく驚きました。

ぼく自身もびっくりしているからね(笑)。

山崎

これまで住まれていた糸島は、ひきはらって?

いや、糸島の海沿いに新築の家ができたばっかりで、
しばらくは、糸島と十和田を行ったり来たりの生活になるのかな。

山崎

福岡から青森……大移動ですね。

ところがね、青森の地域性って、ぼくが生まれ育った
鹿児島に近いんじゃないかなって感じてるんです。

山崎

あ、端っこと端っこ同士で?

そう! 日本地図をふたつに折り畳むとぴったり合いそうでしょう、
位置も県のカタチも(笑)。
日本の文化って同心円状に広がっているともいわれているから、
言葉のイントネーションや人柄も含め
「端っこ感」みたいなところに妙に親近感があるんですよ。

山崎

それは興味深いですね。

それに、なにより今は被災地が沈み込んでいるから、
周辺ががんばって東北全体が盛り上がっていかなきゃという気持ちがあります。
そういう意味でも、今は九州より東北を拠点にしていたいって思ったのが
大きなきっかけです。

十和田市現代美術館の廊下

美術館の設計は、西沢立衛。大小さまざまのいくつかの展示室が廊下でつながれていて、まるで双六(すごろく)盤のよう。

チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」

韓国を代表するアーティスト、チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」。美術館のある官庁街通りは別名“駒街道”といい、馬をモチーフにした彫刻作品が出迎えてくれる。

まずは種を集め、対話を重ねて「手当て」をする。

山崎

具体的にこのまちで、あるいは十和田市現代美術館で
「こんなことやってみよう」という案はすでにおありなんですか?

まだないよ!(笑)

山崎

今日はそこのところを聞きに来たんですけど……
来るのがちょっと早すぎましたか(笑)。

いや、なんとなくならあります。(笑)。

山崎

ぜひ、そこのところをお願いします。

最大の興味はやはり、この美術館がアートセンター、
つまり「拠点」として作られていること。
そして、観光、集客というレイヤーでみると、
今のところすでに成功している事例であるということ。
ただ、地域の活動を作っていくという点では多分まだうまくいっていない。
ここですね。これが、ぼくがこのまちに呼ばれた理由だと思っている。

山崎

なるほど。

そこで考えないといけないのは、どうやって興味や関心を集めて、
別の仕組みをつくるかということ。

山崎

そうですね。

鹿児島同様、この辺りはとにかく自然が深い。
そのなかに潜在する「種」のような価値を見い出して集まっているひとに
興味があるんです。

山崎

つまり、消費や流通といった視点の価値観ではないもの?

ええ。たとえば、自然、昆虫、苔、水、環境……
こういったことに興味をもって価値を見いだし、
実践的にここで生活を作ろうとしているひとがいる。
そんなひとたちのことばを聞き、対話を重ね、
彼らのやっていることが「大事だよね」ということをちゃんと確認したい。

山崎

十和田市現代美術館が、地域にひらかれた「アートセンター」として
どう機能できるか、というところですね。

美術館には、保存と普及という役割がありますからね。
日本全体も、これまでの右肩上がりじゃないこの時代、
これからどうやって地域を守りながら次の世代に繋いでのこすか、
ということについて対話したい。

山崎

なるほど。

むかしから個人的に活性化ということばが苦手なので、
「豊穣化」とか「なにかを醸し出す」と表現できる状況を作り出していければ、と。
そのために、まずは対話を重ね、いまの状況に「手を当てる」。
そんなことやってみたいと、いまは考えています。

(……to be continued!)

官庁街通り

十和田市現代美術館の構想は「官庁街通り全体を美術館に見立てる」というコンセプトから始まった。そんなはなしを聞きながら、まちを少し歩いてみる。

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

えがお咲く さんりく春の子どもまつり

子どもたちの笑顔が復興へのちから!

2012年4月22日、岩手県陸前高田市の高田小学校を会場にして
「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」が開催された。
主催したのは隣町である一関市の商工会議所青年部。
彼らは日本人の心のよりどころである桜を復興のシンボルとした
「桜プロジェクト」を立ち上げ、
陸前高田市で苗木の贈呈や植樹祭を開催するなど、復興の手伝いをしてきた。

「昨年のクリスマスは、サンタに扮してすべての保育所を回りました。
子どもたちひとりひとりにプレゼントを手渡ししたらすごく喜ばれたんです。
そこでこれからは、『桜プロジェクト』同様に、
子どもたちの笑顔を咲かせたいと思い、このお祭りを開催しました」
と話すのは、一関商工会議所青年部・復興支援委員長の今野公英さん。

とにかく子どもに楽しんでもらうという目的のお祭り。
ミニ四駆大会、ゲイビマンという地元戦隊モノのショー、
クラウンろっくによるマジック&パントマイムショー、フワフワすべり台など、
子どもたちが釘付けになるコンテンツが盛りだくさん。
実際の桜はこの日はまだ咲いていなかったけど、
いたるところで子どもたちがはしゃぎまわる声が響き渡り、笑顔の花は満開。
それを見ているお父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんにも、
自然と笑顔が咲き誇った。

お祭りとカレーライスでコミュニケーションの場所をつくる。
いま、求められる支援のカタチへ。

一関市、平泉町など、岩手県周辺のスタッフを中心に開催されたこのお祭りだが、
食べ物の提供は東京からのボランティアグループも協力している。
なかでも「カレーライスプロジェクト」は、
震災後すぐに各被災地で炊き出しを行ってきた。
主宰の石部樹未さんと横塚拓也さんは、
音楽フェス出店やケータリングを生業にしている、いわば“炊き出しのプロ”。
初期メンバーは石部さんの「ナイスドリーム」、横塚さんの「クミンソウル」、
さらには周囲のケータリング仲間「キミドリ」と「プライマル」を誘った。
仲間たちと話しあった結果、
誰もが好きでみんなが食べられる日本のソウルフード=カレーを提供しようと、
クミンソウルのカレーを中心にした
「カレーライスプロジェクト」をスタートした。

「もともと自然のなかのフェスに行って、お店をつくっちゃうのが本業だから、
難しいことはそれほどありません。すぐに動けました」(石部さん)
「五徳も炊飯器もプロパンガスも、
何でも持っている僕たちがやらなきゃおかしくないですか?」(横塚さん)
と、震災から一ヶ月後には炊き出しに向かっていた。

「最初は避難場所を中心に回っていました。
一か所行くと、“次はうちに来てよ”とクチコミで次の場所が決まります。
そうやって何箇所か回っているうちに、
こちらのスタッフ側も参加者が増えていきました。
ロケバスのヒットロックスさんが毎回クルマを出してくれるようになりましたし、
立教大学のボランティアチームにも協力してもらえるようになりました」(石部さん)

当初、求められていたのはやはり炊き出し。
2011年の春から夏にかけて多くのカレーを提供した。
しかし震災から1年以上が経ち、物資が回り始めると、
少しずつ支援のカタチも、被災地が求めているものも変化してきた。

「炊き出しなんてもう必要ないのに、なんでやっているのか?
という声もたしかにあります。
しかし、いま必要なのはコミュニケーションだと思っています。
外の人間が現場に行って、現地の人の思いを発散させて、
少しでも気を紛らわせることができる。炊き出しということではなくて、
お祭りで食べるカレーと会話がコミュニケーションの媒体になるのなら、
いつでもどこでもカレーを持って行きます」(横塚さん)

たしかに単純な炊き出しはもう必要ない。
でも、この「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」のように
人が集まる場所が必要だ。お隣さんだった人や同じ町内に住んでいた人が、
いま同じ仮設住宅に住んでいるとは限らないし、
市外県外へ引っ越してしまった人もいるだろう。
それらの人が、出会い、コミュニケーションをとる場所を必要としている。
実際に“ひさしぶり〜”なんて手を振りながら、
ひとときの立ち話にふける人たちも多く見受けられた。

「どこかでまたつながりたいですね。数年後に東京で出会ったりしたい。
家は流されても、人のつながりは消えないので」(横塚さん)
と話すように、震災で人の和を断絶してしまうなんてもってのほかで、
むしろ和を広げていくべきだ。

特に陸前高田市は、残っている建物が少ないので、
日常生活のなかで人が集まる場所も少ない。
このお祭りのように人が集まる仕組みが必要だろう。
そこに子どもの笑顔が咲き乱れるのならば最高だ。
子どもたちの元気な姿は、大人たちも元気にさせる。
子どもは、みんなの未来!

熱心にミニ四駆を組み立てる。なかには、子どもより必死になっているお父さんの姿も。

マジックとパントマイムを披露した「クラウンろっく」。子どもふたりによるコミカルな展開が楽しい。

ずっと行列して大人気だったフワフワすべり台。これはどうしても飛び出したくなる!

横塚拓也さん(右)と、石部さんと同じ会社で手伝っている高田篤実さん(左)。

バルーンアートを使って目の前で動物をつくってプレゼントしていた天才劇団バカバッカに所属する松原大輔さん。

星野佳路さん

星野リゾート・星野佳路さんは、
どう「日本の観光をヤバくする」のか?

アメリカの旅行情報専門誌、コンデナスト・トラベラー誌が
2012年の優れたホテルに贈る「HOT LIST 2012」。
この権威あるアワードに「星のや 京都」が選出された。
「星のや 京都」がエントリーされたのは「8 Favorite Hot List Hotels」という部門で、
「宿泊したエディターに“帰りたくない”と思わせた」ホテルに贈られるアワードだ。
世界中のセレブ垂涎のホテルと並ぶ日本の旅館。

その旅館を手がけたのは、「星のや」・「界」・「リゾナーレ」ブランドで、
全国28か所にホテルや旅館を展開する、星野リゾート社長の星野佳路さんだ。
地域の潜在力を信じ、既存のビジネスの枠組みを守りながらも新規拡大を続ける星野さんは、
観光庁が認定する「観光カリスマ」にも選ばれ、
日本の観光産業振興の鍵を握る経営者として注目されている。

その星野さんの目に、今の日本の観光はどう映っているのだろうか。
「日本の観光の良いところは、お客さんの満足度が高いところです。
細やかで繊細な心遣い、ホスピタリティは世界に誇れる観光資源です。
しかし、国内需要が20兆円あると言われているのに、実は生産性が低い。つまり儲からない。
ここが日本の観光産業の弱みと言って良いでしょう。
そこには構造的な課題があります。

ひとつめは、日本特有の休暇スタイル。
365日のうち、土日・ゴールデンウィーク・夏休み冬休みなどの
長期休暇の期間を足した100日しかホテル・旅館が稼働をしていないところが多いのです。
そのため、265日間は暇ができてしまう。
逆に100日間にお客さんは殺到するが、宿泊する部屋が足りず、断らざるを得なくなるため、
利益率が低くなってしまうのです。

ふたつめは、国内交通費が高いこと。
新幹線で東京から1時間で軽井沢に着くことができますが、
1時間あれば飛行機を使って青森や北海道にも行けるはずです。
かかる時間は一緒ですが、交通費は軽井沢だと5千円で行けるのに、
飛行機だと3万円かかりますよね。
結果、東京から遠い地域はどんなに魅力的でも努力をしていても
お客さんが来ないということになってしまいます」

星野さんの問題意識は、ホテルや旅館経営に留まらず、
休日の平準化、地方空港経営といったテーマを、行政に投げかけたりと、日々奮闘が続いている。

「HOT LIST 2012」に選ばれた、「星のや 京都」。選出したエディターからの評価には「ぼうっと夢見心地の気分」とある。こんな夕暮れの風景を見たのかもしれない。

「星のや 軽井沢」のある軽井沢は、星野さんが生まれ育った地でもある。自然との共生をテーマにし、親子で楽しめる「ピッキオ エコツアー」が人気。

“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”?
リゾート運営の達人が手がける、伊東の温泉旅館。

その土地、風土の魅力を引き出し、サービスに導入することも星野さんの哲学。
2012年4月1日に「いづみ荘」から名前を変え、誕生した「界 伊東」の試みも面白い。
戦後から温泉遊技場として栄えた伊東温泉にちなんで、
卓球場や射的場が、大人の社交場として賑わっていたころの風情を残した
「卓球ラウンジ」を設けた。

「旅館に求められるものは、おいしい食事、心地よい宿、温泉、それと、和の文化。
でもそれだと日本全国の旅館はどこも同じになってしまいます。
どこでも、海の幸山の幸を求めるし、いい温泉を求めるのは一緒。
温泉旅館が温泉で勝負していたら他との差別化ができないのです。
そのためにもっと強い地域色を出さないと」

星野リゾートのスタッフは、ホテルや旅館で働きながら、同時に、
その地域の文化を身につけるというミッションを背負っている。
例えば、青森県の「界 津軽」で働くスタッフは津軽三味線を習得し、
京都の「星のや 京都」で働くスタッフは庭師のノウハウを身につける。
“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”とは目から鱗だ。
それ以上に、“地域らしさ”を見出し、それをホスピタリティに換えて提供しようとする。

温泉と卓球は切っても切れない高相性。「今後卓球専用の部屋をつくりたいですね」(星野さん)

大切なのは目先の利益ではなく、長期的な集客プラン。

開発・流行・衰退を急ピッチで駆け抜けた国内のリゾートの例は枚挙にいとまがない。
「集客を昨年比何%プラスか、という目先のことで考えていくと、
ルールなき地域開発という罠に陥り、結果廃れてしまうということがあまりにも多いと思います。

私が考える“観光”とは、50年100年で集客を最大にするという
長期的な集客プランを実現するために、今なにをすべきかということ。
観光開発とはいかに地域ブランドのイメージを長く守るかだと思うんです。
そのためにはぜったいに観光開発のルールづくりが必要」

そんな観光のあり方を訴え続けていた星野さんのもとに、ある相談が持ちかけられる。
それは「島に土地を取り戻したい」という沖縄県竹富島からの相談だった。

「島には“竹富島憲章”という、島の憲法のようなものがあります。
『売らない』『汚さない』『乱さない』『壊さない』『生かす』。
島の人々はこれを何十年何百年と守り、暮らしてきた。
しかし戦後、アメリカから領土返還されるときに、一部の土地が本土企業に買収され、
近年、外資系ファンドが所有したり、転売するという動きになってきた。
これをどうにかしないとということで、
借金を返しながら土地を買い戻し、生かし、守っていく、
“竹富島方式”という計画を提案しました」

これはまず、竹富土地保有機構という会社をつくり、ここが土地を買い戻す。
ホテルはこの土地を借りるかたちで地代を払い、
それで借入金をなくしていくというシステム。
完済すれば、土地は島のものになる。

2005年に初めて訪れたときから、
持続可能性を持つ観光地として竹富島に注目していた星野さんが、
島のルールを守りながらも観光事業を通じて
この問題を解決できないだろうか、と考えた方式だった。

「島の文化や景観や生活様式を経済よりも優先的に守ろうとしてきたことで、
人口減少・経済的な衰退を招いてしまったのですが、
それでも大衆化せずに、竹富島だけは今ある島の文化を頑ななまでに守っていて、
そして島民たちは、これからも文化を“守る”モチベーションがあると感じたのです。
本当に大事なものを壊してまで集客しようという人たちではない。
ですから、持続可能な観光のあり方ができそうだと思いました」

だが、当初は島民からの反発もあったという。
「まず、一から島民と話し合うことを求められました。
ひとりひとりの名前を覚えて、婦人会や老人会に行って考えを聞いて。
企業としての信頼を得るために必死でした」

ときには島民と酒を酌み交わし、腹を割って話をした。
結果として、この時間をかけた対話が、
星野リゾート28軒目のリゾート施設である「星のや 竹富島」実現に結びつく。
6月1日にオープンとなった「星のや 竹富島」。
最初に相談を持ちかけられたときから、実に5年半の歳月が経っていた。
竹富島という土地に対する思い入れが強いだけに、星野さんにとっても特別な場所となりそうだ。

6月1日オープンの「星のや 竹富島」。7ヘクタールの敷地内には、48棟の客室が竹富島の伝統的なデザインマニュアルに合わせてつくられている。

この春、島内の話題は、竹富島の小学校に久しぶりに新入生がふたり入学することだったという。そのうちのひとりが、「星のや 竹富島」総支配人の澤田さんのご長男。「現時点での星野リゾート最大の貢献です」(星野さん)

豊富な観光資源、充実した交通インフラ、高いホスピタリティを誇る日本。
だが、実は世界的にみると日本の観光競争力は30位前後と振るわない。
「日本の観光をヤバくする」という星野リゾートのミッションには、
「日本の観光産業を世界のトップクラスへ」という野心もこめられている。

「海外旅行者は年々増え続けていて、年間1700万人もの人が渡航する一方で、
国内旅行は、集客の減少と生産性の低下という問題に突き当たっています。
もっと日本人に日本を旅してほしい。
そして、今までみたことのない日本を発見してほしいですね」

綾部 Part4 平和のまちで、ことばと未来を探して。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

求まれる“ローカルデザイナー”。

山崎

久しぶりにこうしておはなしをうかがったら、塩見さんのご活躍もあり、
綾部がとてもいい感じになってきているんじゃないかと感じます。

塩見

綾部を「人生探求都市」のメッカにしたいと目指して
10年ぐらいやってきましたが、
いまは「もうひとヒネリ」の段階にぶち当たっている気がします。

山崎

うーん。

塩見

デザインのチカラがまだ足りないんじゃないかと。

山崎

なるほど。

塩見

いまいちばん欲しい人材はデザイナーです。
空家を用意してでもデザイナーには来てほしい。

山崎

こんなに求められているのに、
世のデザイナーは全然違う方向を向いているのが現状ですね。
デザインを学ぶ学生は就職先がないと嘆いている。
綾部だけでなく、全国から求められているはずなのに、
そもそも、そこにアンテナさえ立っていないといえます。

塩見

はい。

山崎

ただ、覚悟はいる。

塩見

そうですね。

山崎

でも、コンセプトメーカーとしてすでに日本中で知られる塩見さんと
タッグを組む若手デザイナーが綾部にいる!となったら、確実に注目されますよ。
もちろん、ほかのまちでもしかり、です。

塩見

1集落に1デザイナーが欲しい……。

山崎

集落支援や地域おこし協力隊とはまた違って……
そうですね、ローカルデザイナー! 
ローカルデザイナー制度っていうのがあったらいいのかもしれない。

塩見

いいですね。ネーミングセンスも大事です(笑)。

山崎

そういうところにも、政策デザインやことばのデザインのチカラが必要ですね。

いま、再び「平和」と言ってみたい。

塩見

綾部って、お城も海もないんですが、グンゼ(*)や大本教の発祥の地だったり、
昭和25年に日本でいちばんはじめに「世界連邦宣言」をした
第1号都市でもあるんです。

山崎

ほぅ。

塩見

母校の豊里小学校の校歌にも「平和都市」というということばが入っていて、
そんなまちに生まれ育ったじぶんだからこそ、
世界に通用するモデルが作れるんじゃないか、という自負がどこかにあります。

山崎

なるほど。

塩見

それで、綾部高校にも「平和デザイン科」を作ってはどうかと
提案しているんですが。

山崎

お。いいじゃないですか。

塩見

でも、「就職先どこだ」って問われて(笑)。

山崎

言われますね、いまの時代(笑)。
でも、「平和」ってこれからキーワードになっていくような気がしますよ。
「幸福」の延長上として。

塩見

ええ。

山崎

終戦後はともかく、ここ50年ばかり
すっかり「平和」に慣れてしまっているわれわれの世代にとっては、
もはや平和って、空気みたいなことばになっていると思うんです。
でも、個々の幸福を成立させているのは、平和だということに、
そろそろあたらしい感覚で気づきはじめるんじゃないでしょうか。

塩見

いいですね。

山崎

「平和」ということばが、あたらしいもの、新鮮なもの、
カッコいいものとしてとらえられて、たとえば、若い子たちがピクニックしながら
「にしてもオレら平和だよね」
「やっぱ平和がいいよね」なんて言うようになったりして……。
幸福って自己実現の色合いが濃いけれど、
平和には、他者も含めてどうつながっていくか、
コミュニティの自己実現というイメージがありますから。
いまたいせつなキーワードが、ひとつ見つかった気がします。

* 創業時の社名は郡是製糸。当時、綾部は何鹿(いかるが)郡という名称で、社名は何鹿「郡」の「是(=コンセプト)」という意味だった。

旧豊里西小学校の校歌が木彫りされている

塩見さんの母校である旧豊里西小学校の校歌は、「平和都市」の4文字から始まっていた。

対談するお二人の様子

「平和。あらためて、大切なことばだと再認識することができました」(山崎) 「LOVE&PEACEを超える綾部の名キャッチフレーズを探し続けます」(塩見)

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part3 どこに暮らしても、じぶんのしごとをつくる。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

1集落、1移住者。積極集落と消極集落。

山崎

まちづくりのための塩見さんの手持ちの弾、まだまだありそうですね。

塩見

いま「かくまちBOOK」と平行して考えているのは、「2万アート@綾部」です。

山崎

2万アート?

塩見

綾部には約200の自治会(集落)あります。
それぞれの集落で100個のおもしろい宝物
(地域資源、アート的なものなど)を見つける。
合計2万個のおもしろいものを集める、というプロジェクトです。
たとえば、笑ってるように見えるトラクターとか、曲り具合が絶妙な曲り道とか。
しかも、これをひとりでやってみようと思っています。

山崎

それはインパクトありますねえ。そのココロは?

塩見

地域資源を可視化するのが目的です。

山崎

なるほど。地域のひとたちが綾部のよさを再認識するきっかけになるとともに、
あらたに綾部を訪れたり、移住してくるひとたちが
そのよさを知るための材料になる。両面の効果がありそうですね。

塩見

はい。お金をかけず、インパクトを狙おうと(笑)。

山崎

移住者について、塩見さんは以前、
「1集落1移住者」ということばを使っていらっしゃいましたが……。

塩見

ええ。

山崎

このことばの意味、集落へ行けば行くほどわかるんですよ。
現代の集落では、よそ者=誰かわからないひとを受け入れるのに
どうしても抵抗がある。つまり、最初の1人目が難しい。
でも、この1人目がうまく集落の活力になれば、
2人目、3人目は受け入れやすい、と。
だからまずは「1移住者」が肝心ということですよね。

塩見

ええ。綾部では、その考え方がうまく機能して、
すっかり空家が埋まってしまった集落もあります。

山崎

おお、それはすごいですね。

塩見

最近では、そういうところを「積極集落」、
反対に変われなくて衰退の一途をたどるところを「消極集落」と名付けています。
限界集落が二極化している。

山崎

そうなんですよ。
高齢化、戸数減の集落をひとくちに「限界集落」とくくってしまうのは、
実はとても不幸なことなんじゃないか、とぼくも思っています。

トラクター

笑っているように見えるトラクターも、おもしろい宝物=地域資源になる。

塩見直紀さん

「学生の力を借りるのは簡単だけど、ひとりで歩いてみようと思っています。民俗学者の宮本常一のように」(塩見)

「しごとがない」と言わないひと。

山崎

だから、移住者もだれでもいいというわけじゃない、
できれば面接したほうがいい、ということもおっしゃっていました。

塩見

そうですね。

山崎

結(ゆい)も講(こう)もない都会人が、ただ空家を埋めればいいわけじゃない。
この考え方にも共感しています。

塩見

ありがとうございます。

山崎

いまやインターネットを駆使すれば最先端の情報はどこでも入りますから、
クリエイティブな力をもっているひとであれば、
集落で暮らしながらはたらくことが可能になっています。
その稼ぎで、集落に少しでもお金を落とせば、集落全体の生活が変わりますからね。

塩見

ええ。むしろ、そういうことができないと、もう集落に入れないような時代ですね。

山崎

うーん。綾部、進んでますね!

塩見

しごとがないことを、まちや国のせいにしないひとでないと。
たとえば、お客さんが来ないのを
お客さんのせいにするレストランオーナーはマズいわけですし。

山崎

たしかに(笑)。

塩見

困っていることはたくさんあるので、センスさえあれば、
しごとはじぶんで生み出せるんです。

山崎

デザインと同じですね。社会的な課題がどこにあるのかを認識した上で、
みんなが共感してくれるようなカタチの美しいものとして生み出す。
しかも、ひとつでなくいくつかの課題を解決し、
みんなが欲しくなるような美しいモノ。
これを買えば買っただけ社会はよくなる……。
つまり、課題の本質にアタックして美しくデザインすることができれば、
政治家にもできないような解決策を出すことさえできる。

塩見

それが、はたらくということですよね。

山崎

はたらくとは、「はた」つまり隣で困っているひとを「らく」にすること。
これも、塩見さんに教わりました。
綾部には、解くべき課題がたくさんあるのだから、
しごととしてそれらを解決していけるひとが、綾部をよくしていく。
そういうことですね。

(……to be continued!)

ふるさと振興組合空山の里

「ふるさと振興組合 空山の里」は、農協がなくなり困った住民が、1戸につき2万円を出し合って作ったスーパーマーケット。このまち唯一の「お店」。

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 固定価格買取制度(FIT)

70以上の国と地域で採用されているFIT制度が、
日本で有効に機能するためには?

自然エネルギーには各種の発電
(太陽光発電、風力発電、地熱発電、水力発電、バイオマス発電など)や、
熱の利用(太陽熱、地熱、バイオマス)が含まれますが、
現在大量に供給されている化石燃料によるエネルギーに比べると、
これまではそのコストは高いと評価され、
国内の各種のエネルギー事業は
補助金や企業や個人の自主的な取り組みにより成り立ってきました。
しかしながら、そのような状況では、
あくまで一部の地域や分野での部分的な普及に留まり、
本格的な自然エネルギーの普及や
大幅な導入コストの低減には結びついていませんでした。
1970年代に米国で始まった
再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT: Feed in Tariffs)が、
欧州を中心に1990年以降本格的に導入され始め、
電力会社が法律に定められた発電種ごとの固定価格で、
20年間程度の長期間、
自然エネルギーにより発電された電力の全量を買取っています。
特にドイツのEEG法(自然エネルギー促進法)は、
このFIT制度に関する法律として、各国での制度導入のモデルとなっています。
2011年初めの時点で、世界中で70以上の国と地域でこのFIT制度を導入しており、
発展途上国を中心にさらに導入する動きが加速しています。
このFIT制度による自然エネルギー市場の拡大により、
風力発電や太陽光発電が欧州各国(ドイツ、スペインなど)や
中国・インドを中心に急速にその導入量を増やしています。
ドイツでは、自然エネルギーによる電気の割合が
2000年のFIT制度開始当初に6%程度だったものが、
2011年には20%に達し、2020年までに35%以上を目指すまでになっています。
一方、日本では2003年から固定枠買取制度(RPS法)がスタートし、
各電力会社が一定量の新エネルギーによる電気を調達することが
義務づけられています。
しかし、設定された電力会社への義務量はとても低く、
日本国内での再生可能エネルギーの本格的な普及にはつながりませんでした。

動きがあったのは2009年。
日本国内でも一部の太陽光発電の余剰電力かつ
非発電事業に対してFIT制度がスタートし、
太陽光発電の年間導入量は2010年度に初めて100万kWを超えました。
さらに、太陽光発電による発電事業用も含め、
発電した「全量」の電気を対象にして、風力・地熱・バイオマス・小水力発電など
実用化されている「全種」の再生可能エネルギーに対して
このFIT制度を広げることが求められていました。
東日本大震災以降のエネルギー政策の見直しにおいて、
自然エネルギーの本格的な普及拡大は重要なテーマとなっています。
自然エネルギーによる発電の本格的な普及拡大を可能とする
全量・全種の固定価格買取(FIT)制度が、2011年8月に国会で成立し、
2012年7月からスタートすることが決まりました。
(正式名称「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」)
しかし、このFIT制度が有効に機能するためには、
適切な買取価格や買取期間などを別途定める必要があり、
第三者機関である「調達価格等算定委員会」で審議が行われています。
さらに、優先接続と呼ばれる送電網への接続義務の徹底や
送電網の整備や各種の自然エネルギーに関する規制の改革なども求められており、
2012年3月には政府による
「エネルギー規制・制度改革アクションプラン」が決まっています。

図:固定価格買取制度(FIT)の仕組み

TOPIC 「御神火温泉」の温泉熱ヒートポンプ

まちの財政的な効果も促す、火山島・大島の新しい試みとは。

東京都の伊豆大島では、温泉熱を利用したヒートポンプが動いています。
大島町の地域エネルギー自給率
(域内の再生可能エネルギー供給量/民生・農林水産業用エネルギー需要量)は
3.97%(2009年度)と高くありませんが、
適用範囲が広い試みですので紹介したいと思います。
三原山を抱く大島は火山島のイメージがありますが、
意外なことに温泉には恵まれていませんでした。
しかし、1986 年の三原山大噴火の影響で、元町地区の井戸の温度が上昇して、
念願の温泉利用ができるようになったのです。
現在は、「元町浜の湯」と「御神火温泉」の2か所が営業しています。
温泉熱ヒートポンプが導入されたのは、
観光協会が運営する温泉施設「御神火温泉」です。
「御神火温泉」では、一時40℃を超えていた源泉温度は、徐々に落ち着き、
現在は33.5℃から34.0℃で推移しています。湧出量は毎分220リットルです。
「御神火温泉」では、従来は灯油を用いて
湯温を入浴に適する43℃程度まで上げていましたが、
2009年から2年間にわたって大島町が東京都の補助金を受け、
2011年4月1日から6台のヒートポンプを導入しました。
補助金総額は1億2600万円で、補助率は10分の10です。
なお、内訳にはヒートポンプ装置代以外の事業費も若干含まれています。
このヒートポンプは、入浴後のお湯から熱を回収するもので、
回収された熱は、入浴用の温泉の温度を上げることと、
炊事などに使用するため水道水の温度を上げることに使われています。
加熱能力は229.8kW、給湯能力は268.2kWとなっています。
導入後、一切灯油は使っていません。
ヒートポンプの指定管理者である観光協会の岡村さんのお話では、
ほぼ1年間運用して、
削減された灯油購入費とヒートポンプを回すために増加した電気代を総合すると、
およそ3分の1の経費削減となったということです。
光熱水料ベースでは、22%の削減になっています。
これにより、年間で約200トン(東京都80世帯分)の
二酸化炭素排出削減につながるということです。
今後、灯油価格が上昇することを考えると、
その財政的な効果はさらに大きくなると考えられます。
岡村さんによると、新しい試みなので、
これまでさまざまな試行錯誤を繰り返して運用を継続しているということでした。
たとえば、バルブの目詰まりが起こって交換することになったり、
冬になるとどうしても能力が不足するので、設定を調整したりしています。
また、灯油の場合は短時間で湯温を上げることができますが、
ヒートポンプの場合は徐々に湯温を高めざるを得ないので、
その対応も必要だったということでした。
「最初からヒートポンプで設計しておけばよいのだけれど」
と、「御神火温泉」の支配人はおっしゃっていました。
源泉温度が34℃と低くても温泉熱ヒートポンプを用いることができます。
全国にはもっと高い源泉温度の温泉がたくさんあります。
これまで無駄に捨てていた熱を、
化石燃料を燃やす代わりに有効に活用することを考える時代になっています。

御神火温泉

温泉熱ヒートポンプ装置

試行錯誤を重ねつつ運用を続けている様子

「東京田植え体験」参加者募集!

RICE475も3度目の米作りがスタートしました。
苗も順調に育っており、田植えももうすぐ。
今年も田植え体験募集です!!

今年はなんと、山本家の土と苗が上京します☆
みなさんと一緒に大都会・東京のど真ん中にミニ田んぼ!? をつくって、
田植えを楽しみたいと思います!

また、みなさんの愛情を田んぼに分けてもらうために、
みなさんのお家で要らなくなった物(洋服、ボロ布、新聞紙、何でもOKです)を
持ち寄っていただき、
田んぼを見守り豊作を願うカカシを作りましょう!

田植え体験以外にも、懇親会では魚沼の食を召し上がっていただいたり、
東京で魚沼を感じてもらえたら嬉しいです☆

そんな折、
なんと衝撃のニュースが飛び込んできました。

生産農家山本の長男ゆうと君(小学一年生)、将来の夢が自衛隊!
みなを守りたいという素晴らしい夢ですが……
えぇ! 農家じゃないのかっ~!
これは、RICE475の未来が危うい!

ということで、今年のRICE475の田植え体験の緊急裏テーマは「6代目覚醒計画」。
みなさんとつくったミニ田んぼを農家山本家6代目ゆうと君に託し、
初めてのお米作りにチャレンジしてもらいたいと思います。
まさに、農家英才教育!
パパは果たして息子に農業の魅力を伝えることが出来るのか?
ゆうと君の初稲作は成功するのか??
みなさん、一緒に未来の農家を育てましょう!

■ 場所  都内某所
■ 期日  6月3日(日)
■ 参加費 15,750円 (昼食、プログラム体験、お土産、親睦会費用)
■ 締切  定員に達し次第締切り 定員70名
■ 行程
11:00 集合
11:30 オリエンテーション&ランチ
13:00 ミニ田んぼ作り、田植え体験
14:00 カカシ作り
15:00 片づけ
15:30 中締め
16:00 親睦会スタート
18:00 終了 解散

■ 申し込み方法
下の応募ボタンからメールでお送りください。
件名を「RICE475農業体験」で、
お名前、ご住所、お電話番号、同伴者がいらっしゃる場合は同伴者の方のお名前をご記入の上、
ご応募ください。
受付状況や参加費のお振込先を返信いたします。(定員に達した時点で締め切ります)
また、参加費のお振込みをもちまして、受付完了とし、
受付完了の参加者様に当日の集合場所や持ち物などの詳細をご連絡致します。

みんなで楽しみながら農家や農業の未来を一緒に考えてみませんか?

三歩進んで二歩下がる?

今年のRICE475は、湛水直播栽培に挑戦!

魚沼にもようやく春が訪れました!
冬が長い分、春は本当に気持ちが弾みます☆
豪雪地域の魚沼は新潟県の中でも田植えの時期が遅く、
5月の中旬から末にかけてピークを迎えます。

冬に降り積もった雪は、山々のミネラルを含んだ豊かな雪解け水となって、
ごんごんと田んぼへ流れこみます。
夏でも冷たく清らかな水が土壌の温度上昇を抑えて、
根に活力を与えながら、稲の健やかな成長を促すそうです。
また、冬の間は雪の下で日光を遮られ、土が休まるそうです。
稲作においても雪は恵みなのです。

さてさて、
RICE475も田植えが始まりました!
前回のRICE475レターでも書きましたが、
今回は湛水直播(たんすいちょくは)栽培という、
田んぼに直接種をまくスタイルの田植えにも挑戦します!

一般的な苗を移植するスタイルの田植えよりも、
・ 省力化
・ 生産コストの低減
・ 気候条件に対応しやすい
・ 品質向上(一部地域調べ)
・ 減反率の緩和(直播栽培はまだ新技術の導入時期のため、
収量低下などのリスクが伴うこともあり、減反率が緩和されるのです。)

これらのメリットの反面、
・   稲と雑草が同時に育つため、雑草管理に十分な配慮が必要
・ 浅いとスズメ害や雑草害のリスクが大きく、深いと発芽不良のリスクが大きいため、
初期の水加減が難しい
・   発芽自体も不安定
・ 専用の機械が必要
・ 技術が確立されていない
などのデメリットも無視できず、なかなか浸透していないようです。

そんななか、直播栽培を重点強化している地域もあるようです。
僕の周りで試したことがあるという農家の方はちらほらいらっしゃいますが、
継続されている方は少ないです。
ですが、省力化や低コスト化は日本の農業における大きな課題ですので、
未来の農業を考えるRICE475生産農家山本としても是非やってみたいと。
挑戦する山本の一番の理解者である父と、農機具メーカーの中島さんの協力を得て、
今年挑戦してみることに!

選択した方法は、種子を鉄でコーティングすることでリスクを大きく軽減し、
地力向上にもなるという新しい方法です。

直播栽培の説明を受けた夜、資料を読みあさりながら、
「田んぼから芽が出てくるとか、たまんないなぁ」と、山本。
直接田んぼから芽が出て、稲が育つ姿を純粋に見たい様子。笑
小さな芽が大きな希望に変わるように、頑張ってくれよ!

お恥ずかしながら、新米米屋の僕は去年初めてこの方法を知りました。
ですが、初めて山本に聞いた時から、とても気になっていました。
種を播くという原始的な方法が見直され、
種子を鉄でコーティングするという先進的な技術で効率的に行うというのは、
今の時代にとても大切なことだと思います。
そういうことにどんどんチャレンジして、
次の世代に遺すべきものを探す作業が僕ら世代の役割だと感じています。
無農薬栽培に挑戦した1年目に言われた、
「最近、進んでいる農家が有機栽培を始めてきているけど、
昔はみんな無農薬でつくっていたんだよ。時代が進んでいるのか戻っているのかわからんね」
という山本父の言葉も思い出されます。
先進的な技術を持って自然との共存を考えること、
これは待っていれば大手企業が
画期的な技術開発をどんどん進めてくれるかも知しれませんが、
農業に携わったことで、自分自身に何ができるかを考えさせられました。

田んぼの話からはちょっと逸れてしまいましたが、
そんなことを考えながら、越後湯沢の大自然の中でノートPCを開き、
気持ち良く書いてみました。 笑
そのうち、木の葉っぱを頭に乗せて、ドロンと変身出来る時代が来るかもなぁ。

綾部 Part2 大失敗でも大成功でもない、 この10年について。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

「半農半X」と塩見直紀さんのこと。

山崎

初めてお会いしたのは、4年くらい前でしたか。

塩見

そうですね。雑誌「OSOTO」の取材でした。

山崎

本を読んで、どうしても会いたくて、綾部まで押しかけたんですよね。
田んぼにも入らせてもらって。

塩見

ええ。

山崎

半農半Xとは、小さな農のある暮らしをして、残りの半分の時間は「X」、
つまり自分のやりたいこと(ミッション)に費やすという生き方ですよね。

塩見

はい。でも、オリジナルではなくて、
作家の星川淳さんが著書のなかで使われた
「半農半著」というキーワードにひらめきを得たんです。

山崎

これ、サラリーマン時代にすでに発想されていますよね。

塩見

90年代半ばごろですね。
実は、社長にわがままを言って、ひとり部署のようなカタチで
「ソーシャルデザインルーム」というのをつくってもらったんです。
それが93年から95年くらいのことで……。

山崎

なんと、20年前にソーシャルデザイン!
どんなおしごとをされていたんですか。

塩見

おもに、会長秘書のようなしごとですね。
「地球サミット」関連、環境と教育をテーマにした海外フォーラムや
留学生を招いて「将来世代フォーラム」とか。
会社としても80年代後半から環境問題に取り組んでいたんですから、
ずいぶん先駆的ですよね。

山崎

ぼくらもいま、フェリシモさんと
「issue+design」というプロジェクトをやっています。
その感覚は、いまに脈々と受け継がれているということですね。

綾部市鍛治屋町の風景

故郷、綾部市鍛治屋町。お城も海も「なにもない」まちに、「なにか」を探究し続ける塩見さん。

誰かにとっての「次の行き先」を示す役割を担う。

山崎

塩見さんが33歳でUターンしたときの綾部市はどんな状況だったんですか?

塩見

限界集落に光をあてた四方 八洲男 前市長が就任されて1期2年目。
翌年の市制施行50周年に向けた市民企画を公募中。
母校の豊里西小学校が2か月後に閉校して空き地利用を模索……。

山崎

ものすごく、すっとなじんでいった感じですね。

塩見

そんな感じです(笑)。

山崎

四方さんは、全国でもかなり早い段階で
「限界集落」ということばに反応した方でしたよね。
そんなひとが市長になった、いわばエポックメイキングな時期に
塩見さんが帰ってきて、合流したようなイメージですね。

塩見

ほんとうに恵まれていましたね。

山崎

それで、最初に取り組まれたのが……?

塩見

母校の豊里西小の廃校利用ですね。
行政と二人三脚でNPO法人里山ねっと・あやべのスタートです。

山崎

民間とはやり方が違うでしょうから、
はじめはいろいろ勉強されたことと思います。

塩見

それはもうたくさん学ばせていただきました(笑)。
ときは里山ブームの中盤ごろのことなのですが、
大成功でもない大失敗でもなく「中の下、仕方がないかな」くらいのレベルで
10年なんとか継続してこれました。

山崎

うーん……。

塩見

3.11でもっと大きく日本は変わるかな、と思ったのですが、
世の中の状況はそれほど変わりませんでした。

山崎

そうですね。ローカルに興味はもつようになったけど、
まだ行動を起こせないでいるひとがほとんどです。

塩見

ええ。

山崎

でも、次に「万一なにかあったとき」に、
行き先が示されていることというのはとても大事なことだと思います。
塩見さんの半農半Xプロジェクトのなかにも、
そして、この「colocal」のなかにも。

塩見

だから、もっともっとたくさんのひとに伝えたいですね。
ぼく自身は3.11以降、企画や夢など自分の持ち弾は出し惜しみせず
どんどん撃っていこう、隠さず全部使っていこう、と思うようになりました。

山崎

そのひとつの弾が「書くこと」、というわけですね!

(……to be continued!)

廃校となった旧・豊里西小学校

1999年に廃校となった旧・豊里西小学校。NPO法人里山ねっと・あやべ事務局。教室に宿泊することもできる。

あやべ田舎暮らし情報センター

図書室のような風情の「あやべ田舎暮らし情報センター」。実は、もと保健室。塩見家からの寄贈書もたくさん。

まちを案内してくださる塩見さん

まちを案内してくださった塩見さん。よそものは思わず躊躇するような小径、わき道、曲り道を慣れた足どりですいすいと。

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part1 人生の〆切という発想。 50歳らしいしごととは。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

綾部を、かくまち=書くまちに。そのココロは?

山崎

こんにちは! 今日はわざわざうちの大学まで足を運んでもらってすみません。

塩見

いえいえ。声をかけていただいて、光栄です。

山崎

塩見さんの活動は、初めてお会いしてから興味深く拝見しているのですが、
ご著書もたくさん出されてますよね。

塩見

共著を入れると10冊ぐらいになります。
いちばんはじめに書いた『半農半Xという生き方』は、
台湾でも翻訳出版されているんですよ。

山崎

たしか、40歳までに何冊本を出すって、目標を決めていらっしゃったんですよね。

塩見

そうですね。そして今や「ひとり出版社」を立ち上げるまでになりました(笑)。

山崎

……というと?

塩見

実は、出版元の事情で『半農半Xという生き方』とその続編の『実践編』が
完売後もう手に入らなくなったので、ぼくが復刊しつつ、
せっかくなら、綾部近辺の印刷屋さんで刷ってもらおうと。

山崎

なるほど。流通は?

塩見

基本的には講演会などで販売しますが、
Amazonなどでも扱ってもらえるようにします。

山崎

いいですね。

塩見

半農半編集者とか、半農半カメラマン、装丁家など
「半農半X」で生きるひとのしごとになればいいなと。
コミュニティデザインの一貫として(笑)。

山崎

お。それは恐縮です(笑)。

塩見

その名も「半農半Xパブリッシング」。
半農半Xコンセプトに特化するスモール&ローカルな出版社です。
「それ以外は出さない!」心意気です。

山崎

うーん、素晴らしいなあ。

塩見直紀さん

今回の対談のために、山崎さんの勤務する京都造形芸術大学まで足を運んでくださった塩見直紀さん。

新装版『半農半Xという生き方 実践編』

新装版『半農半Xという生き方 実践編』は、5月10日完成。一冊1,000円(税別)。塩見さんのブログ(http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/)から購入できる(送料100円)。

めざすは「ことばによるまちづくり」。

山崎

過去に、ぼくたちも海士町で冊子をつくったことがあるけれど、
あれを地域にいるライターやカメラマンでつくれたら。
まちにしごとをつくり出すこともできるし、
あらたなチームができるということですよね。

塩見

ローカルな出版社としては小布施町の「文屋」とか。
沖縄にも小さな出版社が50社ほどあるんです。

山崎

それは知らなかった!

塩見

仙台にも、80年代に加藤哲夫さんという方がつくった
「カタツムリ社」というのがあって、はじめはみんなからお金を集めて、
集まった分だけ本を出す、というスタイルで始まったと聞きました。

山崎

たしか、日本デザインセンターの紫牟田伸子さんも
そんな方法を提唱されていた記憶があります。
欲しい本を、欲しい人のお金でつくる、というような。

塩見

むかし勤めていた「フェリシモ」でも、
この指とまれ方式で本を復刻するというのをやっていました。

山崎

うーん。これってきっと、
塩見さんがずっとやりたかったことのひとつでもありますよね。

塩見

ええ。しかも、かなり最終形ですね。

山崎

おいくつでしたっけ?

塩見

47です。だんだん「50らしいしごと」をしないといけなくなってきたかな、と。
33歳でUターンしたので、気持ちは永遠に33なんですけどね(笑)。

山崎

そういえば、初めてお会いしたときに
塩見さんからいただいた名刺に、内村鑑三のことばで
「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か」
と書いてありました。いまでもずっと印象に残っています。

塩見

ぼくも、20代であのことばに出会っていなければ、
フェリシモを辞めなかったと思います。原点ですね。

山崎

あ! あれもたしか、内村鑑三33歳のときの講演会でのことばでしたっけ?

塩見

ええ、そうなんです。
だからぼくにとっては「33」というのがひとつの人生の〆切だったんです。

山崎

それで、きっぱり辞職して地元に……。

塩見

わりと駆け足な人生ですけどね。

山崎

わりとね。

塩見

これといった特技もないぼくがフェリシモ時代に尊敬する先輩から
「塩見くんはことばがいいんじゃない?」というメッセージをもらったことでした。
この綾部で、ことばによるまちづくりができればいいなと。
いまはそんなことを考えています。

(……to be continued!)

対談の様子

「ローカルでの出版、海士町や島ヶ原でもできたらステキだなあ」(山崎)「ぼくは、ことばによるまちづくり。これでいきます」(塩見)

小冊子「かくまちBOOK」

「書く」という観点からのまちづくり10のワークを掲載した小冊子「かくまちBOOK」。

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

Rebirth 東北フードプロジェクト

本田さんの考える、東北の“食のブランド再生”とは?

東日本大震災において大きな被害を受けた
東北エリアの食材・食ブランドを応援する「Rebirth 東北フードプロジェクト」。
2011年11月よりスタートしたこのプロジェクトは、
丸の内エリアを中心に店舗を構えるレストランのシェフたちが
食に関する提案と発信を行うために立ち上げた
「丸の内シェフズクラブ」(会長:服部幸應氏)と
東北エリアのシェフたちが連携して新商品やメニューを開発し、
消費活動につなげていくことで、
東北の“食のブランド再生”を目指すべく活動を展開している。
「そもそも震災前にシェフズクラブの人たちと
丸の内で福島フェアをやったことがあったんです。
そのときのメインが相馬漁港の魚だったのですが、
震災の前と後とでは漁港の風景もまったく変わってしまって、
そうした窮状を心配したシェフズクラブの人たちが立ち上がってくれて、
『Rebirth 東北フードプロジェクト』は始まりました」
本田勝之助さんは、このプロジェクトにイベント運営統括として参画。
記念すべき第一回目の取り組みは、
昨年11月14日に「仙台ロイヤルパークホテル」で行われ、
東北エリアの生産者や加工者、食関係者をはじめ、
プロジェクトの趣旨に賛同した一般参加者も含めて
東北の食材を使った食事会を開催したのだった。
「東北エリアのシェフと丸の内シェフズクラブが考案したメニューを
ビュッフェスタイルで提供し、参加者同士が交流することで、
新たな食材のブランド化やメニュー化の可能性を探ろうというイベントです。
さらには、近隣の商業施設を会場にして
丸の内シェフズクラブによる料理セミナーも開催したほか、
施設内のレストランでは東北エリアの食材を活用したメニューを提供するなど、
地産地消の拡がりを広くアピールする場になったと思います」
第2弾は、今年2月に丸の内にて「はらくっつい 宮城食堂」を期間限定オープン。
第1弾で開発したメニューの一部をランチメニューとして提供し、
レシピを公開することで、宮城県食材の首都圏への流通促進や消費活動につなげた。

そして第3弾は、先頃4月16日に仙台ロイヤルパークホテルで開催。
「シェフの絆」をテーマに、1回目より参加している
丸の内シェフズクラブ4名と東北エリア3名のシェフに加えて、
新たに8名の東北エリアシェフが参加し、
宮城県産食材を活かしたメニューの共同開発を行った。
しかも、そこで開発されたメニューは後日レシピを公開し、
プロジェクトパートナーの協力を得て、県内飲食店を中心に展開されるという。
「第1弾はお披露目的な位置付けで、
今回の第3弾で本格的に始動した感じでしょうか。
現地のシェフとのきずなを深めようというのが今回のテーマなので、
東北エリアのシェフと丸の内のシェフがそれぞれパートナーを組み、
交流を図りながら宮城県産食材を活用したご当地メニューを考えてもらいました。
ここで生まれた新メニューは、この場限りではなく、
地元の飲食店でも食べられるようにします。
こういうことはやはり継続性が大事。食を通じた持続的な活動の輪を広げ、
『地産地消』を推進しながら、
地域の皆さんと一緒に食ブランドの再生を目指していくことが目的ですから」
丸の内をはじめとした首都圏エリアと東北エリアのネットワーク作りを積極的に図り、
食を通じたかたちで復興支援活動を推進する「Rebirth 東北フードプロジェクト」。
その活動はこれからも続く。

第一回目の「Rebirth 東北フードプロジェクト」で腕をふるった、「イル ギオットーネ」オーナーシェフの笹島保弘さん。

盛りつけも料理のうち。美しく盛りつけされた色とりどりの料理が、次々と来場者の前に並ぶ。

宮城県産茄子の山形県高畠ぶどう液のコンポート。

イベントの運営スタッフと打ち合わせる本田さん。この「Rebirth 東北フードプロジェクト」実現に向けて奔走した。

STUDY 風力発電とは

世界の自然エネルギー市場が成長を遂げる中で、最も成長している「風力発電」とは?

風力発電は、自然エネルギーによる発電の中でも、
世界中で水力発電の次に普及拡大が進んでいます。
人類は、古くから風の力を使って、オランダの風車に代表されるように、
さまざまな産業用の動力として活用をしてきました。
しかし、風力による発電は19世紀末からデンマークなど欧米諸国を中心に技術開発が行われ、
オイルショック等を経て紆余曲折の中で進歩してきました。
世界の自然エネルギー市場は近年、急成長を遂げていますが、
その中でも風力発電は最も成長している分野です。

世界の風力発電は、昨年(2011年)には前年比21%増加し、
2011年末には2億3835万kWに達しています。
(世界風力エネルギー協議会GWEC調べ)
2005年から2011年までの年間の平均成長率は
経済危機の影響もありながら26%に達しました。
世界の風力発電設備の導入のトレンドは下の図の通りです。
この近年の風力発電の急成長では中国が大きな割合を占めています。
中国国内での2011年風力発電の年間導入量は1800万kWに達しており、
2011年末には導入量が累計で6373万kWと世界一の導入国となっています。
第二位の米国では新規導入量が662万kWでしたが、
累計では4692万kWに達しており、
米国内の総発電量の2%以上を占めるまでになっています。
一方、ヨーロッパ全体では2011年には年間997万kWが新規導入され、
導入量の累計で約9662万kWとなっています。
国別の累積導入量ではドイツとスペインが二大導入国で、
それぞれ累計で2906万kW、2167万kWとなっています。
その他アジアでは、インドの新規導入量が302万kWで、
累計が1608万kWに達しています。
さらに、近年注目されている洋上での風力発電の設備容量はまだ小さいものの、
2010年末の時点で310万kWに達していますが、その大部分がヨーロッパです。
特にイギリスでの導入が進んでいます。
(出典:REN21『自然エネルギー世界白書2011』)

日本国内でも、北海道、東北、九州を中心に陸上あるいは洋上での風力発電には
大きな可能性があることが環境省などの調査でわかっています。
しかしながら、2010年度末までの累計の導入量は244万kWで、
基数は1700台以上ですが、年間の導入量は25.6万kWと低迷しています。
日本風力発電協会(JWPA)の推計では、2011年度の新規導入量は約8万kWまで落ち込み、
累計の導入量は252万kWとなり、
国の従来の導入目標である2010年までに300万kWの達成は、まったく困難な状況です。
地域別ではこれまでも風況の良い北海道、東北、九州での導入量が多い状況ですが、
現在、電力系統の制約により、これらの地域では接続が制限され、
風力発電の希望者に対する抽選や入札が行われています。
さらに、立地への各種制約や建築基準法の改正や環境アセスの法制化など
発電事業への負担が増大しており、新規導入量が低迷していますが、
2012年7月からスタートする固定価格買取制度を睨んで、
各地で新たな事業の計画も進み始めています。

世界各国の風力発電設備の導入トレンド(作成:環境エネルギー政策研究所)

TOPIC 苫前町の風力発電

エネルギー自給率439%の地域を支える風力発電。

北海道の北部日本海側に位置する苫前町は、風力発電の先進地として知られています。
苫前町は、人口約3600人、世帯数約1500戸で、
千葉大学と環境エネルギー政策研究所による「永続地帯」研究では、
地域的エネルギー自給率が439%で全国第10位となっています。
つまり、苫前町では、町内で消費する民生用と農林水産業用エネルギー量の
約4.4倍のエネルギーを再生可能エネルギーで生産していることになります。
苫前町のエネルギー生産のほとんどがウィンドファームによるものです。
苫前町では、1973年から凧揚げ大会を開催するなど、
厄介者の風を利用して地域活性化しようとする動きがありました。
1995年に山形県立川町の取り組みに刺激を受けた町長が
風力発電事業の立ち上げを発案して、95年から風況調査が行われ、
98年から2000年にかけて3基の風車が夕陽ヶ丘地区に建設されました。
これが町営の夕陽ヶ丘ウィンドファーム(出力2200kW)です。
総事業費(実施設計から風車建設まで)は約7億円でした。
また、苫前町共同利用模範牧場の敷地内に、
99年に1000kWの風車20基からなる苫前グリーンヒルウィンドパーク
(事業主体ユーラスエナジー苫前、総事業費約45億円、総出力20000kW)が、
2000年に1650kWの風車14基と1500kWの風車5基からなる苫前ウィンドビラ発電所
(事業主体ドリームアップ苫前、総事業費約65億円、総出力30600kW)が、
それぞれ運転を開始しました。
町営の夕陽ヶ丘ウィンドファームの稼働率は
2009年21.95%、2010年21.07%、2011年20.72%となっています。
電力は北海道電力に販売しており、
売電収入は2009年5292万円、2010年5096万円、2011年4839万円となっています。
年間を通じての稼働率は、風の強い冬期に30%を超える一方、
6月から8月には10%を大きく下回る月もあるという推移を示しています。
大規模なウィンドファームの先駆けとして苫前町の取り組みは全国各地の参考とされています。

苫前町役場前の熊のモニュメント

苫前町営の夕陽丘ウィンドファーム

国道232号線から見た上平の風車群

ユーラスエナジー苫前による苫前グリーンヒルウィンドパーク

福井 Part4 もう一度、わくわくしながら 続いていこう。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

10年先も「ヤバい」仕掛けを続けていたい。

山崎

今回のリニューアルには、なにかきっかけがあったんですか?

出水

はい。とりあえずプロジェクトがスタートしたものの、
動き出してみるとなかなか思い通りにいかない。そんな現状をなんとかしようと。
カフェも、コミュニケーション重視で経営を続けてきた結果、
客層はどんどん濃くなり、そうすると、そこに集うひとたちは
もちろん楽しいんだけど、どうしても横に広がっていかない。
正直、売り上げも伸びない(苦笑)。

山崎

なるほど。

出水

地域の方たちにも、ゆっくり時間をかけて認知されつつあるはずなんですが、
一方で、このままでは「若いひとたちの店」というレッテルを
貼られてしまいかねないんじゃないか、と……。

山崎

どんな風に変わるんでしょう。

出水

改装リニューアルを機に、ボクたちが感じている、
たくさんの小さなズレみたいなものも見直していけたらという思いがありますね。

藤田

具体的には、これまでのように「遊び場」としてだけでなく、
「ビジネスパートナー」として
フラットを見てもらえるような仕掛けも考えていきたいですね。
たとえばフリーペーパーのようなメディアを作って、
1万部規模で発行すれば、広がりが生めるんじゃないかとか。

出水

そうそう。地域のメディアになりたいですよね。

藤田

「こんなことが実現できたらヤバいよね」という
アイデアや妄想はまだまだあります(笑)。
これをずっとくり返していければ、おもしろいのかな。

山崎

始まりのモチベーションがソレだったわけですからね。
今あらたに、次の10年の「ヤバい」を見つける……。いいですね!

フラットビルの外観

3月末にリニューアルオープンしたフラットビル。次の10年に向けて、ますます「ヤバい」場所になりそう。(写真提供:FLAT)

1階のカフェスペース「フラットキッチン」

1階のカフェスペース「フラットキッチン」。内装に少しだけ手を加えて、スタッフのキモチも心機一転。(写真提供:FLAT)

フラットビルが「祭り」の場になればいい。

内田

ボクら、「ド」がつくローカルですから。
もっとそこを極めていけばいいのかもしれない。
同じ福井といっても、ひとつ山を越えればことばも違うし、うたも違う。
祭りの料理も通夜料理も、村ごとに味が違う。
そういうのをカフェで提案できてもおもしろいのかな。

藤田

北陸の郷土料理として知られる「呉汁」も、地域で異なるんですよね。

内田

祭りのときのお寿司の文化もおもしろい。

山崎

そんなワークショップができたら楽しいかもしれませんね。
「今月は、○○村の△△さんの手料理!」なんて、
きっちりデザインしたかっこいいフライヤーも作って。
そうしたら、「先月の集落には負けられないゾ!」って
みんなどんどん張り切りそうじゃないですか。

内田

想像するだけでたのしそう(笑)。

山崎

市内の中心部にあることを逆手にとって、福井のむかしながらの文化や伝統食、
アクティビティを紹介する場所になればいいのかもしれないですね。

内田

そうか。それで、市内に暮らす若いおかあさんたちに
「体験の感動」を通じて伝えていければ……。

山崎

つまり、フラットに来て作ることが「祭り」になればいいんですよ。

藤田

あ……言ってたね。そういえば。

出水

作るときに言ってたよね。「テーマは祭りでいこう!」って。……忘れてた。

山崎

行政のなか、大企業のなかで社会貢献や文化振興にたずさわるひとが、
枠のなかでは実現できないこと、位置づけられないこと、
でも「やらなくちゃいけないこと」を見つけちゃったときに、
まちにカフェのような「場」を作るケースが出てきましたね。
藤田さんのように、職場に片足を置いたままのひとも、
きっぱり辞めてしまうひとも両方いますが。
「あたらしい公共」っていうのが、その辺から生まれてきている気がします。

藤田

行政も、むかしと比べたらずいぶん寛大になりましたけどね。

出水

行政ばかりをたよりにはできない、
じぶんたちでも動くことも大事だと、みんなも気付いてきてるんじゃないかな。

山崎

公共性をたのしく実行すること。
でも、つい利益のこととかを考えてしまって
「このまま、たのしくなくなっちゃったらヤバいぞ!」と思ったから
リニューアルするわけですね?

出水

その通りです!

山崎

ということは、すでにキモチがもう一度、
わくわくし始めているということでしょう。……ヤバいですね。

三人

ほんっと、ヤバいですよ!(笑)

座談会の様子

「全国で、カフェをベースにボクたちのような活動をしているひとたちがいるはず。そんなひとたちとも繋がっていきたい」と藤田さん。

information

map

FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

profile

SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

profile

KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

profile

HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

素敵農業男子ファイル vol.1「米農家 山本克幸」

イケメン米農家の5代目は3児のパパ!

まだまだ雪の残る魚沼ですが、いよいよ今年のお米作りが始まりました!
我らRICE475も苗の種まきを開始。

なにやら今年のRICE475は一部の田んぼで、
湛水直播栽培(たんすいちょくはさいばい)にチャレンジする模様!
直播(ちょくは)とは、読んで字のごとく、直接種を播くという方法です。
通常、苗箱に種を播き、苗をある程度大きく育ててから、
田植え機で田んぼに移植するというのが一般的な稲作の方法です。
ですが、これは直接田んぼに種を播くスタイル。
果たして成功するのでしょうか!?
さまざまなメリットとリスクがあるようですが、詳しくはまた今度ご紹介しますね。

今回は、そんな最「幸」級米を目指すRICE475を育てる、農家山本君をご紹介。

山本克幸
1979年4月20日新潟生まれ A型
小さい頃から、米作りをする父や祖父のトラクターに乗せられ、遊び感覚で米作りを手伝う。
高校卒業後上京し、24歳まで東京で生活をしていたが、
いつもどこかで故郷を想い、自然の中での生活に戻りたいと魚沼に帰郷。
そして父親に教わりながら農業を始める。
一人前の百姓になるため、勉強中の日々。
今ではトラクターをも乗りこなしちゃう嫁との間に、3人の子どもが誕生

ご覧の通り、イケメンです☆
RICE475のイベント等でも、山本君はイイ男で人気があります。
だが、それだけではない!
仕事に対してとても真面目で、コツコツ積み重ねる努力を惜しまない。
そして、お米に対しての愛情に溢れ、本当に美味しいお米を育てます。
(愛情に溢れ過ぎていて、初めて無農薬でお米を育てた時には、
「売りたくない」と言い出す始末……)
容姿端麗、寡黙で誠実、奥さん綺麗、子ども3人……天は彼に与えすぎではないでしょうか!
さらに、発言と発想がなんか可愛いんですよ。小学2年生くらいの幼さというか。
(良く書きすぎて、山本には気持ち悪がられる&怒られるなぁ。)

僕は、そんな彼の真摯に作業をする背中を見て、
「こんなに大変な事を、真面目に地道に頑張る農家はもっと報われないといけない!
このままでは農業をやりたい人がいなくなってしまうのではないか?」
と勝手に農業の未来を案じ、
半信半疑の彼に無理矢理RICE475プロジェクトを依頼したのです。笑
結果、僕の無茶振りもなんのその、
強い責任感と探究心でRICE475は本当に美味しいお米に育っています。
そしてバタバタな僕はいつも怒られています……
山本君はまだまだ品質向上に燃えている様子。
今年のRICE475も本当に楽しみです☆

そんな山本君からも一言。

こんにちは、RICE475生産者の山本と申します。
長い冬が終わり、ようやくここ魚沼にも春が訪れました。
田んぼは、まだまだ雪に埋もれていますが……
RICE475の三年目の米作りが始まりました!
このプロジェクトは、
“農業の価値を高めたい”そして、“子どもたちが憧れるような職業にしたい”
という想いからスタートしました。
これまでに本当の多くの方々のご支援とご協力により、
作り手である農家が普段感じることのできなかった
喜び、楽しさを知る機会を得ることができました。
農業は農作物を生産し供給するというのが大きな目的です。
しかし、作り手としての想いを伝え、
そして楽しみながら食べ物を育てる魅力を知っていただくことで、
地球を考えるきっかけや食育に繋げるなど、
農業だからこそできる役割がたくさんあると思います。
僕は、今までとは違った価値観で満足していただける農業を目指します!

とは申しましても、私はまだまだ未熟者です。
皆様のお力をお借りし、RICE475プロジェクトを通して、
農業の楽しさ・大切さを感じていただき、
皆様と一緒に生産、流通、消費、地球すべてにとって幸せな未来の農業のあり方、
次の世代に残せる農業を模索して行きたいと思っております。
一年に一度しか作れないお米、一日一日を大切にどんどんチャレンジして行きます。
今年もみんなで最「幸」級米を作りましょう!

山本君の人柄、少しは伝わりましたでしょうか??
もっともっと知りたい方は、是非RICE475農業体験へ!
でも、良く考えたら、素敵農業男子って結構いるなぁ。
農家のイメージ向上を目論む僕としては、
これをシリーズ化して「農家カッコいい☆」というイメージに塗り替えたいと思います!

News 石巻に「コミかめ」がオープン

70年代の雑誌を見に行こう!

TOHOKU2020 #002でお知らせした、
石巻の新しい支援と情報発信の拠点となるコミュニティカフェ・かめ七、
通称「コミかめ」がオープンしました。
石巻商店街の老舗呉服店「かめ七」は、
もともと地域の方が大勢集まるコミュニティ機能を持ったお店でしたが、
災害直後も奇跡的にインターネットが繋がっていたこともあって、
多くのボランティアたちもここに集まり、支援活動の拠点となっていました。
震災直後は、店舗の再開も断念していた、と語るご主人の米倉さんですが、
ご夫妻の人柄に惹かれて集まってくる大勢のボランティアにも支えられて、
昨年秋にお店を再開されました。
そのかめ七呉服店店内の一画に今回オープンした「コミかめ」は、
石巻を中心に活動を続けるボランティア団体「石巻2.0」と、
日本雑誌協会とのコラボレートで運営されています。
「雑誌」をキーワードに、ひととひとのつながりを深め、
まちを活性化し、未来を切り開いて行こうという場所です。
「コミかめ」には、米倉さんが学生時代(東京の美大生だった)に集めた
70〜80年代を中心とした2000冊を越える雑誌と、
雑誌協会デジタルコンテンツ推進委員会が被災地向けに展開している
タブレット端末の電子雑誌があって、自由に閲覧できます。
DTP機能を持ったパソコンも設置されて、
ここから地域の情報発信につなげて行こうという計画です。
壁面いっぱいの棚に並べられた雑誌のジャンルはさまざまですが、
なかでも200冊以上と数が一番多いのが、弊社のポパイ。
米倉さんの青春時代とそのままシンクロするのでしょう。
石巻は仙台との間のJR仙石線が未だ一部区間不通で、
現在仙台からはバスでのアクセスになります。
でも、雑誌好きにとっては、とても魅力的な空間だと思います。
40年の時を越えた出会いと発見がきっとあります。
かめ七では、その他にもミニコンサートなどの催しも行われ、
いつも人の出入りが絶えず、未来への希望であふれています。
ぜひ一度、訪れてみてください。

創刊まもない頃のアンアン、改めて今見ても、ものすごいインパクトのある雑誌です。

コーヒーは100円でセルフサービス。入場料は、テーブル左上のかめのキャラクターのかめ七タオル、250円。これでいつでも何度でも入場可能です。

4月8日のオープニングには、地元の新聞やテレビなどの取材も大勢集まって、期待の高さを物語っていました。壁面では、3.11からこれまでのさまざまな活動の写真をパネル展示しています。

このロゴマークも米倉さんの作。アクセスや営業時間等、詳細は http://ishinomaki2.com/comikame/

福井 Part3 あれから3年。ぼくらが変われば FLATも変わる。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

そして生まれた、フラットビル。

山崎

2009年の7月に念願の古ビルを買ったあと、
思い描いた通りのプロジェクトが順調に進んでいくんでしょうか。

藤田

お金もないので、ワークショップ形式でみんなで作っていきましょう、と。

出水

そこでボクの出番です。仕事の合間をみつけて、
まずは内装の解体から、ボランティアスタッフを募って作業にあたりました。

山崎

そのときの参加者はどんなひとたちなんですか?

出水

もうほんとうにさまざまですね。
ほぼ、ブログだけを発信源として募集しました。毎回10名ぐらい。
ほとんど「ハジメマシテ」のひとたちばかりで、
でも、手作りのお弁当持ってきてくれたりして、
「あのときはほんとうに楽しかったね」って、
今でもしょっちゅう話題にのぼるぐらいです。

山崎

それで、事実上のオープンは?

出水

カフェがオープンできたのは、1年後の6月です。

山崎

そして、2階でスクーリングやワークショップを行っているということですね。

藤田

そうです。スクーリングでは、grafの服部滋樹さん、
映像ディレクターの菱川勢一さん(drawing and manual 代表)、
イラストレーターの黒田征太郎さん……と、
たくさんの方にお話をうかがってきました。
直近では、3月が松田龍太郎さん(株式会社オアゾ)でした。

山崎

あ、bank towadaの方。ボクもお会いしたかったなあ。

1階の「フラットキッチン」

古ビル購入から1年、やっとオープンにこぎつけた1階の「フラットキッチン」。店内の照明は、「エチゼンクラゲ」がモチーフ。

変わること、見えてきたこと。

山崎

1階がカフェ、2階がフリースペースでしょう? じゃあ、3階は……?

藤田

当初は独身のボクが住もうと思ってたんですけど、
3階の内装が後まわしになってるうちに、結婚しちゃいまして(笑)。

出水

そして、いまもまだ工事中です!

山崎

あ、それを今やってるってことでしたね(笑)。

内田

この3年でのいちばん大きな変化は、
藤田さんとケンちゃん、ふたりとも結婚したことなんじゃないかな。
リアルなはなしですが、やっぱり、独身30代と妻帯者では、
お金や時間のかけ方が変わってきます。
それに、この3年で時代が大きく変わった。

山崎

そうですね。

内田

当初はぼくらのなかに、
もっともっとクリエイティブさを求めるところがあったけど、
最近では食や子育てというようなことが、やっぱり気になったりして。

山崎

もう、酔った勢いでポーン!と「ビル買う」なんて言えませんものね。

内田

お子さんが生まれたのもあって、藤田さんの気持ちがいちばん変わりましたね。

藤田

はい。こどもをクリエイティブに育てることが福井の未来につながるし、
今は、そういうことに夢があるように感じています。

内田

ボク自身も、時代が変わって、正直、デザインデザインしたものに
興味がなくなってきたところがあります。

山崎

今、いわゆる「宴のあと」の時代に、
ちゃんとデザインのことを考えてるひとたちと会話をすると、
やはり同じはなしになりますね。
どこに、あるいは、なにに貢献するか、ということを考えながら
クリエイティブを発揮していきたいんですよね。

内田

はい。

山崎

世の中のひとのため、ってなかなか言いにくいけれど、
なんかちょっと「いいこと」したい。そんな気分なんだと思います。
「公共」と「ソーシャル」の間ぐらいのところで、クリエイティブに、
わくわくするような、「おしゃれな公共」みたいなのができるといいのかな。

藤田

そう。カッコイイって、言われたいですよね。

山崎

単に表層的な意味ではなく、「ちゃんとしている」という意味での、カッコイイ。
それ、とても大事ですね!

(……to be continued!)

「flat schooling 03」の様子

2010年の9月に行った「flat schooling 03」ゲストスピーカーは、grafの服部滋樹さん。40名が参加。(写真提供:FLAT)

カホン作りのワークショップ

3月に行われた、カホン作りのワークショップ。こどもも参加できるイベントが増えてきた。(写真提供:FLAT)

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FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

profile

SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

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KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

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HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 太陽熱

注目は高まりつつも、導入量は1980年代の20分の1まで下落。

太陽熱の利用は人類の自然エネルギー利用形態として
もっとも古くから行われてきました。
特に近代的な太陽熱利用機器の普及が進んだのは1970年代のオイルショックの後ですが、
それまでの化石燃料からの代替エネルギーとして世界中で導入が進んでいます。
その結果、現在でも、世界で利用されている自然エネルギーのうち水力発電、
風力発電の次にエネルギー生産量が大きいと言われています。
世界の太陽熱利用機器の設備容量は順調に増加しており、
2010年には前年比で16%増加して、
累計で185GWthに達しています(『自然エネルギー白書2011』による)。
2010年に導入された設備容量のうち80%以上のシェアを中国が占めており、
欧州の各国やトルコ、インド、オーストラリアなどがそれに続きます。
中国では経済発展による生活レベルの向上に伴うエネルギー需要の増加や、
エネルギー供給の不安定さを補うために、太陽熱の利用が急速に増加しており、
最近では都市から農村部に普及を進める政策なども取られています。
一方、欧州では2020年までにエネルギー供給量の
20%を自然エネルギーとする目標を定めており、
自然エネルギーによる熱利用の普及にも力を入れています。
自治体あるいは国単位での利用機器の設置義務や投資支援、
税制優遇など複数の政策を組み合わせて市場を拡大している国も多く、
ドイツでは機器の認証制度を整備することにより、
製品の信頼性を確保すると共に、2009年から自然エネルギー熱法を施行し、
設置義務なども始まっています。
日本国内においては、1970年代のオイルショック以降、
太陽熱利用機器は一時的に大きな市場となり、
1980年に導入のピークがありましたが、
その当時は太陽熱温水器が年間80万台以上、
ソーラーシステムが2.6万台ほど導入されていました。
その後、石油の価格が低下すると共に太陽熱利用機器の市場は縮小し、
2009年の導入量は太陽熱温水器4万台、
ソーラーシステムが3200台とピーク時の20分の1以下となっています。
その結果、これまでの導入量から機器の寿命を加味して差し引いた累積の導入量については
1994年ごろから減少を続けています。
そのため、多くの自治体において太陽熱利用機器に対する補助制度を実施していますが、
その中でも2008年度から補助制度をスタートした東京都では、
グリーン熱証書制度と組み合わせたユニークな試みとして注目されました。
また、東京ガスなどの都市ガス供給会社と
LPガス業界で構成する日本ガス体エネルギー普及促進協議会が中心となり、
ソーラーエネルギー利用推進フォーラムが2009年に設立され、
太陽熱利用機器とガス利用機器を組み合わせて利用する技術の調査や
普及の検討を行っています。
同じ時期に、太陽熱を対象としたグリーン熱の認証基準が整備され、
設備の認定が開始されました。
2010年7月にはマンションに設置された
セントラル方式の太陽熱利用システムの設備認定に引き続き、
10月には太陽熱による日本初のグリーン熱証書が発行されました。

太陽熱温水器・ソーラーシステム単年度導入量およびストック量(出典:『自然エネルギー白書2011』)

TOPIC 柳津西山地熱発電所

国内最大の地熱発電所。

国内最大級の河川水流量を有する阿賀野川に、
福島県喜多方市で合流する只見川は、その最大の支流であるとともに、
戦前から首都圏の電力需要を支えてきた国内最大の水力発電地帯です。
尾瀬を源流とし、年間降水量が3,000mmに達する多雨地帯にある只見川では、
明治の末頃から水力発電所の開発が計画され続けてきました。
戦後も、1951年に「只見特定地域総合開発計画」が策定されてからは、
次々と大規模水力発電所の建設が始まりました。
現在は、最上流部に国内第二位の貯水量を誇る人造湖、奥只見湖(銀山湖)と、
国内最大の水力発電所である奥只見水力発電所が稼働しています。
このような歴史を持つ只見川の流域に、福島県河沼郡柳津町はあります。
町内には、同総合開発計画で最初に建設された柳津発電所(出力75,000kW)があり、
さらに西山温泉のある西山地区には柳津西山地熱発電所(出力65,000kW)があります。
東北電力が運営する同地熱発電所は、
単独の発電施設として国内最大の出力を持ち、
1995年に運転を開始した国内では新しい地熱発電所です。年間発電電力量は、
直近3年間(2008~2010年)は約2.2~2.8億kWhで推移していて、
国内の再生可能エネルギーによって供給される電力の約1%を生産しています。
私は、2010年秋に現地を訪れ、この発電所を視察しました。
柳津町役場から車で40分近くかかる山中にある地熱発電所は、
通常無人で稼働していることから、道中にすれ違う車もありません。
現地では、発電所の稼働音だけが山中に響いていました。
ここでは、「シングルフラッシュ」という
熱水の蒸気だけを分離して発電する方式がとられていて、
発電所の周辺では地下1,500~2,600mまで掘削した、
生産井という蒸気を産出する井戸から立ち上る蒸気があちこちで見られます。
そして、23本ある生産井から発電所へと熱水を送り、
また水を地下へ戻す3本の還元井への導水管が、
山肌を這うように設置されています。
その設備の規模は、まさに国内最大の地熱発電所という言葉にふさわしいものでした。
わが国の地熱発電は、火山の周辺など有望な地熱開発地点の多くが
自然公園法による国立公園や国定公園に指定されているため、
開発に大きな制約がかけられています。
また、温泉地では地熱開発が温泉に与える影響への懸念などから、
反対が起きることもあります。
しかし、最近では、再生可能エネルギーへの関心の高まりと共に、
新たな地熱発電所の建設計画が立ち上がったり、
自然公園の開発規制が緩和されたりと、
停滞していた地熱開発が再開されようとしています。
古くからのエネルギー供給源である水力発電所と、
新しいエネルギー供給源である地熱発電所が稼働する柳津町は、
まさに日本の近代エネルギー政策の縮図といえるでしょう。

柳津西山地熱発電所

News 石巻カキ漁師新生プロジェクト、スタート!

Webサイト、ワインツーリズム……。
コミュニティの力を信じて始動した、
石巻カキ漁師新生プロジェクト。

日本では広島に次ぐ生産量を誇るカキの漁場として知られる宮城県。
とくにリアス式海岸という独特の地形、よい潮の流れ、
河川系水の混合などの好条件が相まって、「世界三大漁場」とも称される石巻湾では、
今シーズン、例年にも増して良質のカキが水揚げされています。

この石巻湾で4代に渡ってカキ漁にたずさわる後藤家は、
東日本大震災で大きな被害を受けた牡鹿半島の竹浜という集落で、
いまも暮らしています。
集落のほとんどの家が倒壊した中、奇跡のようにカタチが残った家。
そして、息子の「ごっちゃん」こと後藤章さんが
震災当日、決死の覚悟で守り抜いた漁船。
老人たちの豊かな知恵と機転で守られた、0歳から77歳までの8人家族の命。
もしもこれが「ちょっとした津波」なら、家族が、集落が、
たくましく力を合わせて乗り越えられるはずでした。
けれど、2011年のそれは、未曾有の大災害。
集落自慢のカキ作業小屋が跡形もなく流されてしまい、
漁港としての機能再開のメドが立たず、仲買業者も激減し、
さらに「東北産」というだけで買い控えの対象となる海産物は、
大手スーパーなどの契約打ち切りも甚だしい。
従来の流通の方法を頼っていては、生計が立てられないという
切実な現実に直面しています。

豊穣の海は、今日も自慢のカキを育ててくれているのに。
おとなたちは、働く気力と体力に満ちているのに。
こどもたちも曾ばあちゃんも、この浜にずっと暮らしたいのに。

そんな現状と、後藤一家の思いを知った、たった数名の
「ごっちゃんの友人」から始まった「石巻カキ漁師新生プロジェクト」。

「友人の友人」「そのまた友人」たちが、全国から「自分のできること」で、
ちいさな応援を始めました。
Webサイトを作れるひと、写真が撮れるひと、デザインができるひと、
文章が書けるひと、ワインとのマリアージュを提供できるひと、
同じく一次産業である農業にたずさわるひと、
カキをたくさん買ってパーティを主催できる友だちの多いひと……。
おそらく、震災発生直後のボランティアに必要だった、
体力や瞬発力や非常時における特別な知識などとはまた異なる、
1年後だからこその支援のカタチ。

従来の流通がダメなら、思い切ってあたらしい方法を。
ごっちゃんをはじめとする後藤家の人柄、
そしてなにより彼らの育てるカキのおいしさに惚れたひとたちの、
ゆるやかなコミュニティによって、まずはwebサイト「後藤家の食卓」が完成しました。
カキ漁が終了する、5月末頃まで、
通信販売で、後藤家から直接カキを購入することができます。
後藤家の食卓~GOTO’S OYSTER

そしてさらに、石巻カキと国産甲州ワインとの相性の良さに着目した、
山梨のワイナリーとのワインツーリズムも始動。
「来週カキパーティをするよ!」
「きのう、わが家で後藤家のカキをいただきました!」と報告しあう、
facebook上の『石巻の牡蠣で繋がる笑顔の日本地図づくり』も立ち上がりました。

「津波の後は海が栄養にあふれ、よいカキが獲れる」との先人たちの教えはほんとうで、
この冬〜春は、滋味あふれるカキが毎日海から収穫されています。
海流の早い湾で獲れる石巻カキは、泥臭さがなく、
脂肪分が少なくみずみずしいのが特徴。
殻付きのまま、シンプルにフライパンで蒸し焼きにして、
できればなにも足さずにそのまま召し上がれ!

福井 Part2 生まれ育った福井のまちと、 ぼくらのこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
福井編・目次

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山崎亮さんと一緒に訪れるまちは、早くも3か所目。
古いビルを地産地消カフェとスクーリング空間として再生させた、
福井市のフラット・プロジェクトについてうかがいます(全4回)。

まちとデザインについて、ずっと考えてきたから。

山崎

たしか、3人は年齢もバラバラですよね。

出水

はい。ぼくがちょうどまん中で、山崎さんと同じ73年生まれです。
そのふたつ上が藤田さん、ふたつ下が内田です。

山崎

とすると、幼なじみでもなく……はじめは何で知り合ったんですか?

内田

スノボ仲間ですね。ショップの店員さんとお客さんの間柄で、
20歳そこそこからの付き合いです。

山崎

その後、仕事でも一緒に絡むことになるわけですね。藤田さんは?

藤田

当時所属していたデザインセンター(公益財団法人ふくい産業支援センターの
デザイン振興部)で、福井のデザイン展を開催するにあたって、
これまで協力してもらっていた団体でなく、
思い切って地元の若い人材に任せてみよう、というチャンスがあったんです。
この仕事を、内田くんにお願いしたのがきっかけですね。

山崎

それがずっと繋がって今がある、ということですか。

出水

そうですね。3人とも、それぞれに「まちとデザイン」ということについて、
ずっと考えてきた気がします。
同じ福井でも、山間部の池田町というところで
「日本農村力デザイン大学(*1)」というのが
開催されているのはご存知ですか?

山崎

そういえば、何かの媒体で見かけて、うちのスタジオのメンバーと
「いいコンセプトだな」「やられたねー」なんて言ってた記憶があります。

出水

2か月に1度のペースで講義があり、
まちのひとと東京からやってくる大学生が一緒になって、
とてもいいコミュニティを形成しているんです。
福井の中でもとても注目されているコンテンツなんですが……
ただ、やっぱりまだ「デザイン」という面で未熟なんですよね。
そういうのを見ると、ぼくらはつい「もったいない」っていう
ジレンマを感じてしまう。

*1 日本農村力デザイン大学:NPO法人農村力デザイン研究所(福井県今立郡池田町)が実施する講座。農村を中心に、自然や人間、社会といった様々なテーマについて考える。2005年7月から隔月で講座を開催。http://www.c-nord.com/

呉服町商店街

フラットビルがある、呉服町商店街。江戸期から戦前にかけて、福井でいちばん賑わったまち。

あのビルがあったらすべてが解決する、そう思った。

山崎

そんな日々のなかで、黒崎輝男さんに会ったり、
福井でもスクーリングのようなことをやりたいと
考えたりするようになるわけですね。

藤田

そうです。ぼくらはもうすでに内部爆発を起こす用意が整っていて、
さらに黒崎さんや山崎さんのような
外部からの仕掛け人の力も借りることができたら最高だな……と。

出水

そんなタイミングで、ぼくが理想としていた古ビルの物件が、
500万円で売りに出たんです。
それを知って「お金さえあればなあ」ってつぶやいていたら、
すかさず藤田さんが「お前に投資しようか」って言ってくれたんです。

山崎

おお! それは男前な発言だなあ。

内田

さすがは公務員!ってね(笑)。

出水

でしょ? めちゃくちゃ胸を打たれちゃったんですけど、
あまりに荷が重すぎてイエスとは言えなかった。

山崎

そりゃあ、そうですよね。

内田

それで、黒崎さんをお招きした勉強会の日の夜のことですよ。

藤田

そうそう。「ぼく、あのビル買います!」って、
宣言しちゃったんですよね。酒を飲んだ勢いで……。

山崎

なるほど。そのとき、ふたりは同じ夢を描いていたんですか?

藤田

ぼくはぼくで、カフェとセレクトショップとスタディルームがあり、
デザイン事務所も同居していて、自分がその最上階に暮らす、
というような夢を思い描いていたんです。
大阪のgraf(*2)のようなイメージですね。

山崎

そんな思いがぐっと高まっているところに、
古ビル活用のアイデアに満ちた友人が、格好のビルを見つけてきた。

藤田

ええ。あのビルがあったらすべてが解決する。そんな風に感じたんです。

山崎

それが3年ぐらい前のはなしになるのかな?

藤田

そうですね。2009年7月にビルを購入しています。
黒崎さんを福井に迎えた夜から、ちょうど半年後のことでした。

(……to be continued!)

*2 graf:家具・空間・プロダクト・グラフィックのデザインから食、アートにわたってさまざまなクリエイティブ活動を行う集団。大阪・中之島の古い5階建てビルを改装し、家具の製作・展示、カフェ、ギャラリーと複合的な店鋪展開をしている。http://www.graf-d3.com/

フラットビルのイメージイラスト

旧ビル解体前に描かれた、フラットビルのイメージイラスト(FLATブログより)。

座談会の様子

同世代の4人。あのころの夢や熱い思いが、まるで昨日のことのようにことばとなってあふれ出る。

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FLAT

福井市呉服町にある古いビルを、ワークショップにより多くの人の創造力と行動力で再生したプロジェクト。1Fは「フラットキッチン」という名の地産地消カフェ、2Fはスクーリング空間、屋上には庭園を設け、このビルを拠点にふつうの価値観をクリエイティブな発想で転換し、よみがえった場所で生き方と学び方の再定義を行う。

住所:福井県福井市順化2-16-14

TEL:0776-97-5004

Web:http://www.flat-fukui.tv/

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SHIGEHARU FUJITA 
藤田茂治

1972年福井県福井市生まれ。1996年近畿大学大学院修士課程修了。ボタ山と自然が美しい福岡県飯塚市でクラフトを中心としたプロダクトデザインを学ぶ。その後、デザインスタジオに一瞬所属。1998年からデザインの研究職として福井県職員となり、デザイン振興全般、農林水産品の販路開拓等の職務に就く。現在、公益財団法人ふくい産業支援センターデザイン振興部勤務。

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KENDAI DEMIZU 
出水建大

1973年福井県福井市生まれ。海外での生活の経験や、田舎ならではの自然の中での遊びから今の地元福井の建築のあり方を模索中。2006年に建築会社、㈱建大工房設立。2010年6月、リアルに人が繋がれるコミュニケーションカフェ「FLATkitchen」オープン。まちなかの廃墟となった建築を再生させ、そこでのコミュニケーションを通じて、まちと人の可能性を引き出していきたい。

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HIROKI UCHIDA 
内田裕規

1976年生まれ。越前和紙の里・旧今立町の月尾谷で育つ。広告や宣伝に関わるさまざまなアートディレクションをする傍ら、FLATの立ち上げに参加。主にスクーリングやイベントの企画広報を担当。株式會社ヒュージ代表。http://www.hudge.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。