滝川 Part3 アートが、まちの未来に どう関われるか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

そして、太郎吉蔵の修復が始まった。

山崎

日本に戻ってこられたきっかけは?

五十嵐

終の住処だと思ってロスに家も建てたのに、44年ぶりに北海道から声がかかってね。
故郷が呼んでくれているのだからと、先生と同級生に会いに来ました。

山崎

滝川へ? いつごろのことですか?

五十嵐

2000年です。

山崎

まちの印象は、ずいぶん変わってたはずですね。

五十嵐

ええ。大嫌いなまちになっていました。ゆたかな、自然の美しい場所だけれど、
2代前に開拓された地ですから、やはり文化がない。
でも、同級生との再会が運命を変えたんですね。

山崎

では、太郎吉蔵の修復も、仲間のみなさんからの提案だったんですか?

五十嵐

そうです。ぼくたち兄弟が祖父から相続していた古い蔵は、
次の冬にも崩れるぞという状態だったんですが、
修復してコンサートをやりたいねえ、と。

山崎

改修設計は中村好文さんですね。

五十嵐

改修の費用は見積もりで3400万円。
NPOを立ち上げて助成金を申請しても、行政から出るのは2分の1。
滝川ではほとんどお手上げだったのですが、道内外から、
半年のうちに寄付などで残りの1700万円が集まって。

山崎

それはすごい。

五十嵐

というわけで、アメリカの家をひき払うことになるんです。

修復されてよみがえった太郎吉蔵

修復されてよみがえった太郎吉蔵(1926年竣工)。重厚な木の扉は、五十嵐さんの作品。

アートとデザインと、まちの関わり方。

山崎

なるほど。そういういきさつがあって、
「アートチャレンジ滝川」が生まれるんですね。

五十嵐

駅前のシャッター街は、このまま放っておいても空き地になる。
それならいっそ、札幌の大通公園に負けない公園にしたらどうか。
風景、ランドスケープを観光資源にしよう! というのが当初のコンセプトでした。
でも、のちに山崎さんの本を読んで、おおいに反省することになるんです。

山崎

反省?

五十嵐

全国のメンバーと共有したはずのこの夢に、サークル活動のような
地元の種や芽や根をうまく乗っけることができてなかったんです。
反省すべき大半の原因はここにあると、いまでは思っています。

山崎

なるほど……。

五十嵐

「紙袋ランターンフェスティバル」など、
うまくいったプロジェクトもあるんですよ。
冬のまちが生き返るようになるイベントで、これは実行委員会が発足して、
すでにぼくたちの手を離れるまでに成長しました。

山崎

資料によると10年も続いていますね。なぜ、これはうまくいったんでしょう。

五十嵐

始まりが市民ワークショップだったんです。雪に閉じ込められる長い冬に
たっぷりの時間をかけて、ひとがひとにその手法を教えていく。とくに、
子どもたちの作品は、とてもすばらしい。まさに、まちのひとが生んだアートです。

山崎

では、太郎吉蔵デザイン会議はどこからアイデアが?

五十嵐

「アートチャレンジ滝川」の主たる事業として、五十嵐アート塾があります。
はじめは200人集まったこのアート塾も、
回を重ねるごとにやはり参加者は減っていく。
そこで、ひとが集まる魅力は何だろう、そのための仕組みはどうすればいいだろう、
と考え抜いて生まれたのがデザイン会議。
スピーカーが主役だから、自腹でもやってくる。いわば、聴衆はおまけ。
このあたりの発想は、リチャード・ソール・ワーマンが創設した
当初の「TED(*1)」に影響を受けています。

山崎

なるほど、TEDですか!

五十嵐

足を運んでくださる聴衆を、おまけなんて言ったら失礼だけど。

山崎

いえいえ。ぼくも初めは聴衆として参加したわけですが、
ここで原研哉さんにも会うことができたし、とてもよい刺激をいただきましたよ。

(……to be continued!)

*1 TED:T=テクノロジー、E=エンターテインメント、D=デザインの意。全世界500名の招待者限定のカンファレンスとして、1984年、情報建築家のリチャード・ソウル・ワーマンによってモントレーで開催されたのが始まり。五十嵐さんは、1990年に行われた「TED2」にスピーカーとして登壇しているほか、ワーマンからの依頼でTED10までのタイトルの数字をデザイン。その数字を含むタイトル映像が、毎回の会議のオープニングを飾った。

五十嵐威暢さん

「最近やっと、地元の若いひとの参加が増えてきたし、あたらしく、母校の改修のはなしもある。やめなくてよかった」(五十嵐)

山崎亮さん

「やめなくてよかったですね。でも、ロサンゼルスの自宅から通われていたころはさぞかし大変だったと思います」(山崎)

「第5回太郎吉蔵デザイン会議」で展示された、紙袋ランターン

「第5回太郎吉蔵デザイン会議」で展示された、紙袋ランターン。中に、ろうそくを灯す。(撮影:酒井広司)

information

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TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 導入ポテンシャル

自然エネルギーの宝庫、日本。

日本で自然エネルギーがどれだけ導入できる可能性があるのかを考えたとき、
可能性のある自然エネルギーには以下の様にさまざまな種類があります。
これらの自然エネルギーの可能性を考えると
日本はまさに自然エネルギー資源が豊富な国であることに気がつきます。

・太陽光発電
・太陽熱による熱利用および発電
・風力発電
・バイオマスの熱利用、発電および輸送燃料(バイオ燃料)
・水力発電(大規模なダム式の水力発電、小水力発電)
・地熱の熱利用および地熱発電
・波力などの海洋エネルギー

実際に、日本を地域別にみた自然エネルギーの導入ポテンシャル
(将来、導入が可能な発電設備の容量)は非常に大きいことが分かっています。
例えば、日本国内でも導入が進んでいる住宅用の太陽光発電では、
全世帯の7割程度の屋根に設置した場合、日本全体の発電量の10%程度に相当します。
さらに環境省による自然エネルギーの導入ポテンシャル調査では、
住宅用以外の太陽光発電、小水力発電、そして風力発電について
国内全域の導入ポテンシャルを推計しています。
太陽光発電については、工場やビルなどの屋根の上に太陽光パネルを取り付けるほか、
遊休地などさまざまな未利用の土地が日本全国で活用できることが示されています。
小水力については、水資源の豊富な全国の山間地域において導入が可能であり、
その導入可能量は1400万kWと推計されています。
風力発電については、従来から導入が進められてきた陸上について、
特に東北地域や北海道において導入ポテンシャルが大きく、
その導入可能量は、2億7300万kWと推計されています。
さらに現在、技術開発が世界中で進んでいる洋上風力については
北海道を中心とした地域で導入ポテンシャルが大きく、導入可能量は1億4100万kWと推計され、
陸上とあわせた導入可能量は4億kWを超えています。
これは、日本国内に現在ある発電設備の全設備容量を遥かに上回る量です。

この地域別の導入ポテンシャルを風力発電について見てみると、
北海道や東北そして九州に多くのポテンシャルがあることが、
さまざまな調査でもわかっています。
特に北海道では現在導入されている全ての発電設備(火力や原子力を含む)に対して、
30倍もの導入ポテンシャルがあるという調査結果となっていますが、
その豊富な自然エネルギーによる電力を、
エネルギー需要の大きい他の地域へ送る為の
インフラ(送電系統など)の整備が課題となっています。
その中で、陸上での導入に加えて洋上での風力発電の導入も期待されており、
日本国内でも技術開発や実証試験が始まっています。
さらに日本国内には、世界第三位の地熱資源による地熱発電や
地熱利用の大きな可能性があります。
産業技術総合研究所が2008年度に行った地熱資源量の評価結果では、
大規模な蒸気を利用した地熱発電の導入可能量が約2300万kWあります。
これは現在の設備容量の40倍以上に達します。
さらに日本には高温のため利用されていない温泉のエネルギーがあり、
それを発電に活用する温泉熱発電(バイナリー発電)の導入可能量は
約700万kWあると推計されています。

市町村別陸上風力ポテンシャル量と洋上風力ポテンシャルマップ(出典:一般社団法人 日本風力発電協会)

TOPIC GREENY岐阜

市街地民家における再生可能エネルギープロジェクト。

前回は、古民家における再生可能エネルギープロジェクトを紹介しましたが、
今回は、市街地の民家での再生可能エネルギープロジェクトを紹介します。
ともに、岐阜県が、環境省の委託費を得て行っている新エネルギーパークの事例となります。

GREENY岐阜と名付けられた実験施設は、岐阜駅から遠くない市街地の中にあります。
前回紹介した「電池三兄弟」、つまり、太陽電池、燃料電池、蓄電池の3つに加えて、
このサイトでは、小型風力発電を組み合わせていました。
管理を委託されているイビケン株式会社の服部哲幸さんにいろいろと説明いただきました。
まず、太陽電池は、2009年11月のコストで、
kWあたり60万円でSANYO三洋製のパネルを6.3kW購入したということです。
GREENY岐阜では、午後に電柱が常に太陽光パネルにかかっていて、
期待値の8割しか発電量が得られていないということです。
モジュールが直列になっているため、
一部に影がかかる場合でも全体の発電量が減少するということでした。
これから太陽光を設置する場合には、十分注意しなければならない点だと思います。
なお、最近は、モジュールを並列に組んでいる太陽光パネルも市場に出ているようです。
燃料電池のエネファームは、年間2000kWhで、
補助金85万円分を除いて100万円で購入ということでした。
ただ、燃料電池は蓄電池には直接つないでいません。
蓄電池は、太陽光パネルと小型風車の電力のみということになります。
太陽光パネルを付けている家庭では、燃料電池の使用によって電気代が減った分、
電力会社に売電できるので、
結果的に、間接的なインセンティブを与えることができるということになります。
リチウム蓄電池はSANYO製で、9.7kWh、500万円ということでした。
現在の価格水準は、4.15kWhで120万円くらいということです。
最大出力まで溜めて、使い切るという使用法だと耐用年数が短くなるため、
7割充電して止めて、使うという方法なら10年以上は持つようです。
つまり、耐用年数を考えると、7割までしか使えないということです。
この容量で、この建物で生活するためにぎりぎりのところということでした。
GREENY岐阜では、体験宿泊を受け入れているのですが、
最初の客に電力を使い切る可能性があることを伝えなかったところ、
蓄電池容量をすべて使ってしまったので、
その後のお客さんにはその可能性を伝えています。
そうすると、蓄電池容量を使い切るお客さんはいなくなったということです。
つまり、意識すればこの容量で生活できるということです。
ちなみに、照明はすべてLED照明で約3kWh。その他、テレビ、冷蔵庫、
パソコン、ゴパン(お米からパンをつくる装置)などが置かれています。
小型風力は、ゼファーのエアドルフィン4kWで160万円です。
しかし、年間27kWhしか発電していません。
年間500kWhくらい発電してくれると期待していたが、
屋根からの突き出し方が足りなかったということです。
また、小型風力を建物本体に付けてしまったので、
建物と共鳴して騒音が発生してしまったということです。
わたしが訪問したときも、
ほとんど発電していなかったのにもかかわらず、うるさく感じました。
太陽熱給湯器は置かれていませんでしたが、
太陽光パネルにたまった熱をファンで室内に持ってくる設備を設けています。
これは日中だけ使えることになりますが、
ファンで使う電力の10倍分くらい熱エネルギーが回収できるということでした。
全体をコントロールするHEMS(ホームエネルギーマネジメントシステム)は、約500万円です。
服部さんは、直流のままバッテリーから家電に流すことができれば、
もっと効率が良くなり、LEDも直流で点くため
DC家電(直流で動く家電)の整備が必要と指摘しています。
GREENY岐阜によって、約10kWhの容量の蓄電池があれば、
太陽光による昼間の充電で、一家族が一晩暮らすことができるということがわかりました。
蓄電池は高価ですが、現在、販売されているプラグインハイブリッド車に積まれた蓄電池は
かなり大きな容量が大きく、三菱アイミーブで16kWh、日産リーフで24kWhとなっています。
すでに車から家庭へ電力を供給するプラグも販売されています。
太陽電池とプラグインハイブリッド車の組み合わせで、
家庭のエネルギー自給を図ることが現実的になってきています。
岐阜県の事例では、太陽電池、燃料電池、蓄電池の「電池三兄弟」に注目した取り組みでしたが、
太陽熱給湯器、地中熱ヒートポンプ、薪・チップ・ペレットによる熱供給など、
熱にも注目して、建物単位・コミュニティ単位のエネルギー自給を進めていくことが
重要だと思います。

GREENY岐阜全景(左の電柱のおかげで太陽光発電量が2割減となっている)

GREENY岐阜の内部(窓際におかれている黒い装置が蓄電池)

河合 誠さん

山の中から発信されるバッグづくりとコミュニティ。

岡山の市街地から車で約30分。山道をくねくね上っていくと、napが現れる。
napはシュペリオール・レイバーというバッグブランドを中心に、
メンズ・レディスも扱うアパレルメーカーだ。
ここは本社であり工場。すべての機能が集約されている。
もともと本社は岡山市内にあった。
岡山はアパレル産業で有名だが、それでもやはりファッションの中心地は東京。
岡山市内でも不便はあっただろうが、もっと不便ともいえる山の中に、今年3月に引っ越した。

「海外のブランドってよく環境の良さそうな雰囲気のいい
アトリエを持ってるじゃないですか。
海外を相手にするときに、日本の田舎の雰囲気を大切にしながらものづくりをしないと、
同じ土俵に立てない気がしたんですよね。
それなら日本には里山文化というものがあるので、
懐かしい風景を織り交ぜて、それらを生かしてみようと。
ゆくゆくは、小さな会社であっても、
世界的な位置づけを持つ会社を目指していきたいと思い決断しました」
と語るのは、社長の河合誠さん。

懐かしさを残しながら、洋風にリノベーションされた校舎。校舎の前には校庭もある

この場所はまちから購入した小学校の廃校跡で、校舎を改築している。
それ以外にも、敷地内に2棟建てて、社長夫妻の自宅もつくった。

「初めてこの場所を見せてもらったときに、
“開拓魂”と書かれた紙が黒板にバンッと貼ってあったんです」

このあたりは戦後の開拓村で、
開拓者の子どもたちが通う小学校として昭和22年に開校。
一番最初に1軒だけ入植したのが、現在の住民会長の父親だ。
そのような背景にも共感し、自分たちもフロンティアスピリッツを
持ち続けていこうという心意気でこの場所を購入することにした。

「校舎は壊しても構わなかったけど、壊すと二度と古いものはつくれないし、
1991年まで使われていた学校ということは、今の30代以上のひとたちは通っていたんですよね。
それなら残しておくほうがいい」と、
校舎は雰囲気を残しながらリノベーションして利用することにした。

この地区に住んでいるのは現在、河合さん世帯を含め19世帯。
半径1kmにはひとが住んでいない。
「昨日も、朝、大声出してみたけど……(笑)」 もちろん反応ナシ。
そんな刺激が少ないと思われるような場所でクリエイティビティはどのように生まれるのか。

「例えば、何かものをつくるのに、
道具と材料があってやり方を教われば誰でもできると思うけど、
それでは工夫は生まれません。ここにくると、大工仕事とか電気工事とか、
ちょこちょこは業者には頼めないので、自分たちでやるようになります。
階段、石垣……、いろいろなものをつくりました。
僕個人的には、石にはまっていますね。ひとつひとつかたちが異なるものを組んで、
どうやったらきれいになるか、丈夫になるか工夫します。
こういう道具があればいいなと思えば、自分でつくってみる。
そのような創意工夫を、どのようにものづくりに落とし込めるか。
そういう姿勢を持って、都会暮らしのものづくりからは変わっていかなくてはなりません」

刺激は、ひとから与えられるだけではないということ。自ら生み出せる。

「アパレルの常識でものをつくっていたら、なんとなく違うだけで、
大きくは変わらない。違う仕事のいいところを、
どんどん自分の仕事に落とし込まないといけません」

これから色を塗るバッグにマスキング中。大胆な色使いがシュペリオール・レイバーの特徴でもある。

小さな財布に金具の取り付け作業。手仕事へのこだわりが強い。

旧校舎の内部は、バッグの組立を行っている工房。15人程度のスタッフが働いている。

各地の地域性を打ち出したnap village構想。

napは、nap villageという村構想を描いている。
アパレルメーカーとしてだけでなく、
飲食店やセレクトショップがあり、きれいな小川やガーデンがあり、あひる小屋も建設中。

「今はスタッフの平均が20代ですが、
これから数年後、会社としてアパレル以外の受け皿を考えておかなければなりません。
そういうときに、この場所はすごく可能性を感じる場所です。
行政と近いし、住民にももっと貢献できるような仕事があるんじゃないかと模索中です」

小学校にレザークラフトを教えにいったり、
吉備中央町からの要望でイノシシの革を使った商品開発をしたり。
まちとの関係はより密接になる。
そういったなかで生まれる新しいアイデアは、どんどん採用していきたい。

「よく、儲からないからダメ、といわれがちですが、
みんなで考えればできる方法はきっとあるはず。
いきなりNOとはいわずに、真剣に考える会社にしたいです」

この場所だからこそできるものづくりがある。
東京でなくても、まだまだ地域にはポテンシャルがあるはずだ。

「地方である程度成功すると、東京にショップを出したくなりますよね。
でも僕たちみたいなレベルだと、
恵比寿とか中目黒のはずれあたりにせいぜい15坪くらい。
そこで直接売っても大きな意味があるかどうかは疑問です。
それよりも、うちは何をすべきか考えた結果、工場をつくったんです。
岡山では業界が縮小して工場がドンドン倒産している時期だったので、
いろいろなひとに反対されました。
でも、新規参入するひとがいないので、逆にミシン屋さんは大喜びだし、
糸屋さん、生地屋さんも大歓迎でしたよ」

工場をつくったということは、ものづくりの方向に向いたということ。
シュペリオール・レイバーが今ファッション誌を賑わしている理由は、
デザイン性もさることながら、その姿勢によるところも大きいはずだ。

「世界観という言葉がありますね。でもそれはあくまで“観”にすぎない。
それよりも僕がここでつくりたかったのは“世界”。
たとえ片づけができてなくてゴチャゴチャしていても、
それが実際の僕たちの世界であって、ここに来てもらえばすべてがわかる」
世界観ではなくてリアルな世界。そこには強さがある。

このnap villageは地域性を強く打ち出している。
その象徴ともいえるのがショップ『& thingsハチガハナ』。
このショップはレストラン&セレクトショップで、自社の商品は置かない。
これを各地に展開する構想を抱いている。
そこで忘れたくないのがもちろん地域色。

地元の食材をつかった料理を提供。フランスの田舎料理風にジビエ料理なども。

「ハチガハナというのは、ここのピンポイントの地名なんです。
今後、このショップ形態で他の地域に出店して、その土地のいいもの、
おいしい食材を探して、それを打ち出すようなショップを展開したいです。
もちろんその場所の地名を店名に付けて」

単純にフランチャイズするのではなく、コンセプトのみを展開する。
そうすれば地域の特色を持った「& things ○○○」が増えていくだろう。
ファッション業界にも、東京発信ではない、
地域発信の小さなコミュニティが湧き上がる時代がくるかもしれない。

細部にも、ちょっとした気の利いたデザインがアパレルらしい。

information


map

& thingsハチガハナ(nap village内)

住所 岡山県加賀郡吉備中央町上田東字ハチガハナ2395-5
電話 0867-34-1133
営業時間 10:00 〜 18:00 土日祝のみ営業
http://www.nap-dog.com/
http://www.andthings-hachigahana.com/

profile

MAKOTO KAWAI
河合 誠

1966年にM.leatherを創業。古着の買い付けで世界を回り、レザー商品なども扱う。1999年、ペット用品店をオープン。オリジナルのレザーグッズなどを展開する。2006年に有限会社nap設立、2007 S/Sシーズンよりバッグを中心にしたブランド「THE SUPERIOR LABOR」をスタート。2010 S/Sよりレディスブランド「La rosa de la fabrica」を手がける。

滝川 Part2 仕組みを利用して、 遊びながら学んできた。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

太郎吉蔵会議のルーツは、小学生の作戦会議。

山崎

2009年の太郎吉蔵デザイン会議で初めてお会いして、
その後のメールや手紙のやりとりを通じて、
「なんておもしろい人生を歩んでる方なんだろう!」と、
五十嵐さんに魅了されたんです。ランドスケープという共通点もあって、
すぐにまたお会いしたくなり、アトリエまでお邪魔することに……。

五十嵐

うん。三浦半島まではるばるね。

山崎

そのとき制作されていたのも、このモチーフだったような記憶があるのですが?

五十嵐

そうだね。まったく同じものではないんですが、
日本に帰ってきてアトリエを構えてからつくり始めたシリーズなんです。
この夏から「かぜのび」のために、巨大なのを作る予定です。

山崎

「かぜのび」……たしか、小学校跡ですよね。

五十嵐

ええ。石狩川を渡って、滝川市の隣町、新十津川町にある、旧吉野小学校です。
3年前の春に廃校になり、いまはぼくのアトリエとギャラリーを中心とした
彫刻体験交流施設として運営されています。

山崎

小学生のころの五十嵐さんは、どんな子どもだったんですか?

五十嵐

この小さな田舎まちに生まれて、オモチャもろくにない時代なので、
「どういう遊びをするか」を仲間と相談するところから、遊びが始まったんです。
その作戦会議をした場所のひとつが、太郎吉蔵だった。

山崎

そうだったんですか! なるほど。

五十嵐

当時は、造り酒屋から食料品問屋になっていて、
塩やなにかが積んである倉庫だったんですが、両親はじめ、
まわりのおとなたちも、ぼくたちが自由に遊ぶのを許してくれたんですね。

山崎

それは素晴らしい。太郎吉蔵会議のルーツともいえる作戦会議ですね。

五十嵐

そういうことです(笑)。

館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている

103年の歴史に幕を下ろした小学校をリノベート。館内には、五十嵐さんの作品がゆったりと展示されている。

カフェスペース

教室も、ゆったりとした時間を過ごせるカフェスペースに。窓から見える田園風景や山並みが、ゆったり、のびのびすることを教えてくれる。

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館

巨大な作品制作がいよいよ始まる体育館。おふたりは、たまたま取材と同じ時間に「かぜのび」にいらした、吉野小学校の卒業生だというご兄弟。奈良の十津川村からこのまちに入植したというご両親のはなしは、おそらく明治時代のこと。「ほら、裏山のあの木は、わたしが植えたんですよ」と懐かしそうに指差す姿があまりにほほえましくて、写真を撮らせていただいた。

いくたびも、リセットを重ねてきた人生について。

五十嵐

作戦を練って、道具をつくって、遊ぶ。
人形芝居なんかは、ストーリーを考えて、人形だけでなく芝居小屋までつくって、
ちらしやポスターもつくって配る。こうなるともう、総合芸術ですよ(笑)。

山崎

スゴイ小学生ですね!(笑)

五十嵐

おとなを巻き込むと、さらに面白くてね。
たとえば防火週間にポスターをつくったりすると、
おとなが喜んで新聞社に電話してくれて、翌日の朝刊にぼくらの写真が載るわけ。
得意満面、してやったり(笑)。だから、いまも、デザイナー時代も、
やってることは小学校時代の延長で、ぼくにとっては「普通のこと」なんです。

山崎

仕組みを利用して、遊びながら学んでいたわけですね。

五十嵐

でも、家庭の事情で中学からは東京に引っ越して、カルチャーショックを受ける。
都会の田舎者として、すっかりおとなしく暮らすようになってしまうんです。

山崎

子どもの世界とはいえ、全然違いますものね。

五十嵐

中学では、母の期待に応えようと人生でいちばん勉強して、だから高校は
進学校に入れてしまうんだけど、入学してみたら、まわりは天才ばかり。
そこで、じぶんが勉強より美術に長けていることに気づいて、
別の高校にまた入り直して、同時に夜間のデザイン学校にも通い始めるわけ。

山崎

そうやって、多摩美へ?

五十嵐

そうです。

山崎

その後の70年代半ば〜80年代のデザイナーとしての五十嵐さんの活躍は、
ここで改めて言うまでもなく、世界的によく知られています。

五十嵐

日本の経済成長に、デザインがぴったりと寄り添った時代でしたからね。
仕事がありすぎて、「50歳になったらもうやめよう」って思ってましたよね。

山崎

そういうところが五十嵐さんらしいんですよね。
個人的には、途中何度か人生をリセットされているところがとても興味深いです。

五十嵐

なんだかね(笑)。
それで実際、50歳になったときには、プロダクトか、彫刻か……と。

山崎

アーティストはクライアントがいないし、デザイナーと違って、
じぶんがつくりたいものを素直につくれるというのが魅力的ですよね。

五十嵐

デザインの世界って、非常に論理的でしょう。
つまり、キャリアが長くなると、自然といろんなことが予測できてしまう。
じぶんのカテゴリーのなかに収まってしまうようになるから、
そうなると、面白くない。

山崎

うーん、いまのぼくが、ちょうどそんな状況かもしれませんね。
とてもよくわかります。

五十嵐

そうでしょう。意外性欠如といおうか(笑)。
出会いもしごとも、想像もしない展開をするから、面白いんだよ。

(……to be continued!)

2011年にできた「かぜのび」

北海道に点在する五十嵐さんの作品を紹介するヴァーチャルな美術館「風の美術館」の拠点となるのが、2011年にできた「かぜのび」。

対談の様子

第5回太郎吉蔵デザイン会議当日の朝。対談は「hotel miura kaen」内の「レストラン イル・チエロ」にて。インテリアとして、五十嵐さんの作品『こもれび』が印象的に使われている。

information

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かぜのび

住所:北海道樺都郡新十津川町字吉野100-4

開館時間:10:00 ~ 17:00(5月~10月のみ開館。月曜休館、祝日の場合は翌日)

Web:http://www.kazenobi.org/

information

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TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

古田秘馬さん

生産者と会える“食のライブハウス”。

東京・六本木のビルに囲まれた農園付きのレストラン
「農業実験レストラン 六本木農園」をプロデュースした古田秘馬さん。
ニューヨークでコンサルティングの会社を経営していた古田さんが、
東京に戻ってきたのが2002年。
仕事や友人の紹介などを通して、全国各地に足を運ぶうちに、
地域の豊かな食事情に古田さんの心が揺さぶられたことが、
「六本木農園」オープンのきっかけとなった。
「食に興味があったのは昔からなんですけど、
それに加えて食べ物の“物”としてのストーリーに惹かれたり、
食べる雰囲気、食べる仲間含めて、
食っていろいろなものとくっつきやすい“細胞”なんだなぁと気づきました」
その“細胞”を生かすレストランの構想は、この頃に立ち上がる。
「生産者の方々と話しているときに、
“生産者が生産までのこだわりやストーリーを語る場や、
生産者同士や生産者と消費者がくっつきやすい場所ってないよね”という話に。
じゃあ生産者に出会える“ライブハウス”をつくるのはどうだろうと考え、
六本木農園をオープンしました」
ライブハウスは本来新しい才能や、自分好みのミュージシャンに出会う場。
その食の生産者版があってもいいんじゃないかと古田さんは思ったのだと言う。
現在「六本木農園」では、
レストランで出している料理の生産者に来て語ってもらう「農家ライブ」を
週に2回ほどのペースで行っている。
「最近の農家さんは、iPadなどでプレゼンをしたり、
席をまわりながらプレゼンをしたりとアイデアの限りを尽くしてくれるし、
プレゼンがとても上手。
やっぱりこだわりを持ってつくる農家さんは、そのこだわりを話したいと思うし、
食べる方もどうせ食べるなら、なんでこれがおいしいのか、
どうやってつくられているのか知って食べたほうがより話が広がって、
おいしさも違うと思うんですよね」
話を聞いて味わって。
生産者の方を目の前にしてそのひとを想って食べるという機会は
普段なかなかないことに参加者は気づかされるそうだ。

「生産者と消費者、生産者と生産者が出会う、今まで農業業界がやって来なかったことを実験する場所」という意味で、「農業実験レストラン」と名付けた。

「六本木農園」は予約必須。週に2回ほど行われている「農家ライブ」やイベントの予定などは、ホームページをチェック。

トマトを農園内で栽培中。残念ながら料理にこのトマトが出ることはないそうだが、六本木のまちなかでトマトやハーブが栽培されていることに驚く。

「生産者と消費者をつなげましょうと言うのは簡単ですが、
実際は各地域にいる生産者と都心に集中する消費者という構図ができてしまっています。
その構図を変えてみせたい」と語る古田さん。
「食のライブハウス」は六本木だけではなく、全国各地で展開している。
「地産地消から地産継承へ」というキャッチコピーを掲げた
「にっぽんトラベルレストラン」は、
生産者たちに直接会いに行って、話を聞いて、料理人が調理して食す、
一日限りの出張レストランだ。
「集落で代々伝わっている製法などを地域で受け継ぐひとがおらず、
次の代に伝わっていない、ということが増えてきました。
地域で大切にされているものを“継承”していかないと、
“地消”もされなくなってしまいますよね」
参加者は、“継承”すべき生産者の現場を見、料理人が調理する様子を見、
そして舌で味わい語り合う。何とも贅沢なレストラン。
富山では、ホタルイカで有名な漁港に行き、漁師さんとともにホタルイカ漁に同行。
穫ったホタルイカをその場で炭火で焼いて食べた。
さらに、冬の新潟では、雪のテーブルをつくってそこで食べたのだという。
生産者も、料理人も、お客さんもイマジネーションが広がる体験となった。

丸の内で学ぶ。地域で実践する。

東京・丸の内で開講している、丸の内朝大学の「地域プロデューサーコース」は、
数多くある講座のなかでも人気の講座で、40名が朝7時15分からの講義に参加する。
丸の内朝大学の企画を構想し、
実際に「地域プロデューサーコース」の講師として自らも教鞭をとる古田さん。
そもそもこの「地域プロデューサー」の定義について
古田さんはどう考えているのか?
「ガバメントソリューションという行政の理論と、
マーケットソリューションという企業の理論、
そして、それだけでは成り立たないと気づいた3.11以降起きた、
ボランティアやNPOなどのコミュニティソリューション。
それぞれのレイヤーってそれぞれでつながっているだけで、
横軸を縦につなぐひとがいない。
行政でもない、企業人でもない、ボランティアのみをやっているひとでもない、
全てを縦につなげられるひとが“地域プロデューサー”です。
結果的に行政出身のひともいれば、民間企業に属するひともいるけど、
活動的にいろいろなものをつなげているひと、というのが特徴です」
この丸の内朝大学の「地域プロデューサーコース」に集まる“学生”は、
20代半ばから50代までで、職業もバックグラウンドもさまざま。
いずれは、自分の地域に戻って地域振興のための活動をしたいと思っているけれど
きっかけがなかったり、地域に戻ってなにができるのかというイメージができない
という悩みを抱えた学生たちが、ヒントときっかけを求め古田さんのもとに集う。
「地域プロデューサコース」の一番の醍醐味は、
古田さんと学生全員で参加するフィールドワーク。
地域にまず一緒に入ること、地域の風土を感じることを古田さんは学生に求める。
例えば、ある産業が廃れているのだけど、どうしたらマーケットに受け入れられるのか?
という地域の悩みを解決すべく、学生の中でチームをつくり、現地に行く。
行政や企業の担当者も一緒になって考え、古田さんはヒントを与える。
「コンテンツではなく、コンセプトを打ち出しましょう。
例えば、出雲大社になぜひとが集まるのかを考えてみて。
縁結びの神さまというコンセプトがあるわけで、
合コンなどのコンテンツがあるわけではない(笑)。
コンテンツ化の例だと、農業体験などが最近多いけれど、
単なる農業体験だったら、別にその地域でなくてもできること。
それでは、ひとは呼び込めません。
コンテンツ化するのではなく、地域をコンセプト化する。
そしてそのコンセプトに共鳴してもらわなくてはならないですよね」
こうしてカリキュラムを終えた学生は、
地域に戻るひともいれば、東京と地域をつなぐような役目に徹しているひともいる。
古田さんのもとで学んだ卒業生が活躍する姿を見られるのも
そう遠い日の話ではなさそうだ。

東京生まれ東京育ちの古田さんにとって「故郷」は憧れのようなものだと言う。
「地域に足を運ぶときって、観光客か地元民というステータスしかないですよね。
観光客か観光客じゃないかという言い方や、
行く側と迎える側という言い方では言葉に縛られすぎる気がします。
違うステータスをつくりたいですね」

富山の陶芸家のもとで土づくりの話を聞く古田さん。(写真提供:丸の内朝大学)

新潟のフィールドワークに参加する、丸の内朝大学「地域プロデューサーコース」受講者のみなさんと。(写真提供:丸の内朝大学)

profile

HIMA FURUTA
古田秘馬

プロジェクト・デザイナー。東京都生まれ。慶應義塾大学中退。山梨県・八ヶ岳南麓「日本一の朝プロジェクト」、東京・丸の内「丸の内朝大学」、日本中の素敵なソーシャルプロジェクトを紹介する「いいね!JAPANソーシャルアワード」などの数多くの地域プロデュース・企業ブランディングなどを手がける。2009年、農業実験レストラン「六本木農園」を開店。2011年、生産者とお客様をつなぐ現代版三河屋「つまめる食材屋七里ヶ浜商店」を開業。日本中の美味しいものを探して1年の半分は旅をしている。株式会社umari代表。
http://asadaigaku.jp/
http://www.roppongi-nouen.jp/

information


map

六本木農園

住所 東京都港区六本木6-6-15 TEL 03-3405-0684
営業時間
月 18:00 ~ 23:30(LO 22:30)
火~金 12:00 ~15:00 / 18:00 ~ 23:30(LO 22:30)
土~日 12:00 ~ 15:00 / 18:00 ~ 23:00(LO 22:00)
http://roppongi-nouen.jp/

東新町一丁目商店街

踊り手の熱気で満たされる商店街。

午後7時半。あたりの商店が店じまいをする頃、
甲高い鉦(かね)の音と、力強い太鼓の音とともに、
「やっとさー」「やっと やっと」と男女の声がアーケードに響く。
その音に誘われるように近所の人が集まり、帰宅途中の人は足を止め、
夜静まりかえるはずの商店街は、昼間以上の熱気を帯びてきた。
8月12日から始まる「徳島市阿波おどり」に向けて、
阿波踊り振興協会所属の阿呆連(あほうれん)が公開練習を行っているのは、
徳島市の中心街として古くから徳島市民の生活を支えてきた東新町一丁目商店街。
この場所で、踊り手とお囃子が1時間半ほどの練習で汗を流す。

透明屋根のアーケードは平成11年に完成。昼間はさんさんと太陽が降り注ぎ、商店街全体に明るい雰囲気を醸し出す。

阿呆連は、昭和23年に結成され、
数ある「連」(阿波踊りのチーム)の中でも2番目に結成が古い有名連。
その踊りは阿波踊りの「3大主流」のひとつと呼ばれ、
豪快で、躍動感あふれる挙動と、
江戸庶民の遊び、凧揚げの様子を模した「やっこ踊り」はオリジナル性が高く、
県内外のファンも多い。
その阿呆連が東新町商店街で練習を始めるようになったのは、およそ6年前。
商店街の活性化を願う東新町一丁目商店街と、
照明完備、雨が降ってもアーケードのおかげで練習ができる阿呆連のメリットが重なり、
本番間近の6月から週に一度、商店街で練習を行うようになった。
月曜日から木曜日までの普段の練習は、河原や公園などで行われるが、
その環境は抜群とは言い難い。
週に一度金曜日の商店街での練習は、
道幅が広くて長さもある商店街の利点を生かして通し練習ができる貴重な時間なのだ。

「商店街を通るお客さんがこうやって立ち止まって見てくれるんですよ。
お客さんとの距離も近いし、本番さながらのいい緊張感で練習ができます」
そう語るのは、高校3年で阿呆連に入連し、今年で21年目の宮村憲志さん。
お子さん2人もこの日の練習を見に来ていた。
「この商店街は庭みたいなものですね。
だからここで踊るのは桟敷で踊るより思い入れがあるかも」と目を細める。

高校時代には、野球部の練習が終わってからその足で阿波踊りの練習に参加するほどの入れこみ。いつか2人のお子さんと同じ衣装に身を包むことを夢見る。

この日、女踊りの指導にあたっていた宇津宮亜由美さんは、高校2年で入連し、今年で10年目。
徳島市内在住で、高校生の頃にはよくこの東新町一丁目商店街に遊びに来ていたのだと言う。
「商店街で練習していると、商店街のお店のひとと顔なじみになれたり、
つながりが持てるところがいいですね。
高校生の頃とはずいぶんお店も変わってしまったけど、
やっぱり思い出が詰まっているこの商店街で踊れるのは嬉しい」

厳しい経営状態や集客は東新町一丁目商店街も例外ではないが、
こうして、東新町一丁目商店街という場に愛着を持つ若い世代を増やすことが、
商店街の発展と存続に希望を持たせる。
本番に向けて練習もいよいよ大詰め。
力のこもった指導と練習で阿波の夜はいっそう熱さを増しそうだ。

自家用車で移動する人が多い徳島。商店街近くにはコインパーキングが多いため、通いやすいのだという。この日は踊り手とお囃子合わせて70名ほどが練習に参加した。

「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損」。未来の女踊りのセンターポジションの有望株。小さい子にも踊り手のDNAは刻まれている。

滝川 Part1 小さな北のまちに、 デザイナーたちが集まる日。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
滝川編・目次

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生まれ育った北海道滝川市にて、デザインとアートによるまちの再生にたずさわる
彫刻家・五十嵐威暢さんと山崎さんの対談を、4回にわたってお届けします。

「太郎吉蔵デザイン会議」という特別な1日。

山崎

今日はお招きいただき、ありがとうございます。

五十嵐

最近はどうですか?

山崎

本をいくつか出版しました。書きながら、五十嵐さんのことばのアレコレを
思い出す機会が多かったので、今日は久しぶりにお会いできて光栄です。

五十嵐

午後のデザイン会議には取材に入ってもらえなくて、申し訳ないですが。

山崎

いえいえ。マスコミは、初回から一貫してシャットアウトなんですよね。

五十嵐

そうなんですよ。山崎さんもはじめはたしか、
聞き手としていらしてくださったんですよね。

山崎

はい。第3回の2009年「太郎吉蔵デザイン会議(*1)」に、
聴衆として参加させていただきました。

五十嵐

なにがきっかけで?

山崎

その直前に、エレファントデザイン株式会社代表の西山浩平さんと
初めてお会いする機会があり、意気投合したんです。
そうしたら、1か月後に北海道で彼がしゃべる場があるという。
聞けば、その10人のパネリストたるや、原研哉さん、梅原真さん、
それに五十嵐さんと、そうそうたるもので、さらにユニークなのは、
聴衆だけでなく、彼らパネリストもみな手弁当。
しかも、会議後の質疑はナシ! それはなんとしても行ってみたいぞ、と(笑)。
それが、「太郎吉蔵デザイン会議」との出会いです。

五十嵐

そう。聴衆のためでなく、10人のパネリストが自分のために話をする場なんです。

山崎

日本では、なかなかないですよね。

五十嵐

ええ。本音で話す場にしたいから、取材もご遠慮いただいていると。
そういう次第です。

*1 太郎吉蔵デザイン会議:1926年に建設された歴史ある石蔵「太郎吉蔵」で行われる、パネリストによるパネリストのための円卓会議。パネリスト以外の90名の参加者は、議論の場に立ちあう聴衆となる。2007年に「アートフェスタタキカワ」のメインイベントとしてスタート。以降、今年で5回目を数えるデザイン会議。http://www.designconference.jp/

日本で3番目に長い石狩川

新千歳空港から直通電車で約90分。滝川市は、北海道の中空知地域の中心都市。市西部には、日本で3番目に長い石狩川が悠々と流れる。

本音でしゃべり、じぶんのことばを見つける。

五十嵐

ぼくも、お会いする前に、ローカルデザイン研究会の鈴木輝隆さんから
山崎さんのことを聞いていてね。ぜひ会わせたいと言われていたんだけれど、
ご覧の通り老人なものだから(笑)、なかなか行動力がなくて。
そんなときに会いに来てくださるというので、どうぞどうぞ、とお受けしたんです。

山崎

そうでしたか。ありがとうございます。

五十嵐

それでもそのときのぼくは、山崎さんのやっていることを
ほんとうには理解できていなくて。
その後ですね、すばらしいことをされているんだな、と。
だから、今日はぼくのほうが質問したいくらいなんですが(笑)。

山崎

いえいえ、とんでもない。

五十嵐

あのときも面白かったですよね。

山崎

ええ。めちゃくちゃ面白かったです。

五十嵐

デザイナーがビジュアルにたよらずに、
じぶんのことばでほんとうのことを上手にしゃべる。
その「練習の場」としてこのデザイン会議を立ち上げたんです。

山崎

そうだったんですか?

五十嵐

うん。日本人はそういうことに慣れていないでしょう?
やさしいから、相手に気を遣って本音が言えなかったり、自慢話に終始したり。
でも、そこからはなにも生まれませんから。そうではなく、
ここで感じたこと、経験したことを日常にもって帰ってもらいたいなと。

山崎

なるほど。

五十嵐

だから、3回で辞めようと思っていたんです。
みなさん、すばらしいリーダーたちなんだから。

山崎

練習の場だとすれば。

五十嵐

それが5回も続いて、どうしたものかと(笑)。

山崎

でも、3回目で終わっていたら、ぼくは今日ここに呼んでもらえていないので(笑)。

五十嵐

ああ、そうですね。楽しみだ。

(……to be continued!)

designshop takikawaの入り口ロゴ

五十嵐さんプロデュースによる「designshop takikawa」。小さな空間に、世界のグッドデザインプロダクトがそろう。滝川市内の「hotel miura kaen」内に併設。

五十嵐さんの作品「eki clock」

五十嵐さんの作品「eki clock」。「designshop takikawa」オープンとともに、壁掛時計と腕時計が発表された。

information

map

TAKENOBU IGARASHI 
五十嵐威暢

1944年北海道滝川市生まれ、多摩美術大学卒業、UCLA大学院修士課程修了。1970年イガラシステュディオを設立。国内外でグラフィック・プロダクト デザイナーとして活動し、その作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)をはじめ世界各国の美術館に永久保存されている。’94年より米国を拠点に彫刻制作に専念し’04年に札幌駅の時計デザイン、札幌駅JRタワー展望室の彫刻「山河風光」などを手掛け、帰国を決意。現在、故郷滝川市にて、デザイン/アートで町を再生するプロジェクト「NPOアートチャレンジ滝川」を設立し、「五十嵐アート塾」を主宰する。2011年4月から多摩美術大学学長に就任。

Web:http://www.igarashistudio.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 自然エネルギー100%シナリオ

長期的なエネルギーのビジョン

大量のエネルギーを消費する現在の社会や経済では、
そのエネルギーのほとんどを
将来は持続不可能な化石燃料(石炭、石油、天然ガス等)に依存しています。
特に日本はその化石燃料のほぼ全てを海外に依存しており、
エネルギー自給率は5%程度に過ぎません。
この化石燃料の削減とエネルギー自給率向上を主な目的に導入されてきた原子力発電も、
安全性や核廃棄物などの問題から大きな見直しを迫られています。
日本では、今まさにエネルギー政策全体の大幅な見直しが求められているのです。
エネルギー消費を抑制し、持続不可能な化石燃料と原子力をできるだけ減らし、
持続可能な自然エネルギーを増やすエネルギー政策が、
世界的にも求められるようになっています。
この持続可能なエネルギー政策を実現する重要な方法として、
エネルギーの消費量を抜本的に減らす省エネルギーと共に
本格的な自然エネルギーの利用があります。
この本格的な自然エネルギーの利用を考える際に重要になるのが、
将来のあるべき姿を考える長期的なエネルギーのビジョンです。
そこで、2050年頃までの長期的なエネルギーのビジョンとして、
さまざまな「自然エネルギー100%シナリオ」が提案されています。
例えば、2011年2月には国際環境NGOであるWWFより
自然エネルギー100%の世界シナリオ
「エネルギー・レポート~2050年までに自然エネルギー100%:
The Energy Report – 100% Renewable Energy by 2050」[1]が発表されました。
この世界シナリオでは、
2050年までに世界のエネルギー需要をすべて自然エネルギーで供給することが
経済的にも技術的にも可能であるという研究の成果が示されています。
日本が自然エネルギー100%へ転換するには、
まず、2020年や2030年など、その中期的な自然エネルギーの導入目標を定める必要があります。
日本では電力について現在およそ10%の自然エネルギー比率(大規模水力発電を含む)ですが、
これからの10年程度で30%以上に高めるという政策的な目標であれば、
実質的に自然エネルギーの導入で先行する欧州各国に匹敵する政策目標となります。
欧州各国では2020年までの自然エネルギー導入目標を定めています。
日本は今後、従来の中央集中型のエネルギーシステムを見直し、
省エネルギーや自然エネルギーを中心とする分散型のエネルギーシステムに転換し、
震災復興の柱とするだけでなく、
電力安定供給・エネルギー自給率・温暖化対策を柱とする
大胆かつ戦略的なエネルギーシフトをめざす必要があります。
環境エネルギー政策研究所(ISEP)が大震災後に発表した
「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」では、
中長期的に自然エネルギーを2020年頃には電力の30%以上とし、
さらに2050年頃までには自然エネルギー100%をめざすことを、提言しています。
電力だけではなく、エネルギーシステム全体を分散型に転換し、
熱利用や輸送燃料を含めたエネルギーの効率的な利用を進めることも重要です。
導入する自然エネルギーの種類としては、
日本国内での豊富な導入ポテンシャルなどを考慮して、
電力ではこれまでご紹介してきた太陽光発電、風力発電、地熱発電、小水力発電、
バイオマス発電などそれぞれの地域の特性に合わせて導入することを想定しています。

中長期的なエネルギーシフト(電力)のイメージ(ISEP,2011)

TOPIC 岐阜県明宝サイト

古民家における再生可能エネルギープロジェクト。

岐阜県では、環境省の委託費を得て、新エネルギーパークの運営事業を進めています。
全国と同じように、岐阜県でも民生用と運輸用部分のエネルギー需要が伸びています。
民生用のエネルギー需要の伸びに対処するため、
岐阜県では、太陽電池、燃料電池、蓄電池からなる
次世代エネルギーインフラを各家庭に導入していくことを計画しています。
岐阜県次世代エネルギー・産業技術推進室の千原さんは、
この三つを「電池三兄弟」を呼んでいました。
千原さんによると、次世代エネルギーインフラは
2030年に岐阜県の半数の30700世帯に入れる計画を立てているということです。
今回紹介する郡上市明宝の古民家サイトでは、
築110年の古民家に、太陽電池、燃料電池、蓄電池の「電池三兄弟」に
まきストーブと小水力発電を組み合わせて導入しています。
郡上市は、2005年の国勢調査の46000人から、2010年には3000人減少しました。
旧明宝村は2000人の人口です。
このまま何もしないと集落の存亡の危機を迎えるのではないかという危機感があり、
古民家の所有者で郡上市の職員でもある置田さんが中心となって、
2009年度から空き屋になっていた古民家を使って「栃尾里人塾」が始められました。
週末に受講生に参加してもらうかたちで、
受講料3800円(食費、宿泊費別、宿泊は雑魚寝なら古民家でただ)
農、森、自然エネルギーの三つのテーマですすめています。
このような活動があったところに、環境省の委託費7000万円が出て、
2011年3月に明宝サイトが完成しました。
今後、10年間の成果測定を県が実施する予定です。
太陽電池は、古民家の屋根ではなく、古民家前の空き地に置かれていました。
古民家の上に載せるには重すぎたということです。
この地区は雪が降るので、雪が落ちるように傾斜角度をつけて置かれていました。
ここに導入されている燃料電池は、ENEOSの試作機で900万円したということです。
エネルギー効率が70%から80%です。
今は、250万円でまだ価格の引き下げが図られていますが、
問題は、システム内部が900度まで上がるため、
常に動かしていることが求められることだということでした。
明宝サイトは需要がすくないため、結果的に過大な設備投資になってしまっていました。
LPガスの消費量が約10倍になってしまい、
この分が地域の負担になっているということでした。
明宝サイトに設置されたリチウムイオン電池10kWも試作機で、
300万円から400万円かかっています。
寿命は鉛蓄電池よりも長くて、約10年ということです。
蓄電池の容量で電力自給率が決まり、今は7割から9割ということでした。
小水力は、公称出力が0.5kWですが、通常の出力は50Wくらいということです。
これに500万円かかっています。
実際に見学すると騒音がかなりありました。
敷地内に入り込んでいる水なので、水利権の問題はなかったということです。
これらを制御するシステムは特注品で2000万円かかっています。
今は、ハウスメーカーがパッケージで650万円で販売しているということです。
千原さんは、栃尾地区は災害時に橋が落ちると孤立する集落なので、
コストはかかるが、避難所へのエネルギー供給としては有効ではないかとおっしゃっていました。
このような集落は、岐阜県の中でも500か所(2010年調べ)強存在するということです。

古民家の前のスペースに置かれた太陽光発電

古民家全景

薪ストーブ用の薪はたくさんあります

古民家の脇に設置された小水力発電

番外編「studio-L IGA」始動!

フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」をヒントに。

JR関西本線島ヶ原駅。
大阪と名古屋のほぼ中間に位置するこの小さな駅に停車する列車は、1時間に1本。
その駅前、徒歩0分の製材所のなかに、山崎亮さんが代表をつとめる
「studio-L」のあたらしい事務所が誕生した。
2007年からこの場所でスタートした穂積製材所プロジェクト、
通称「ホヅプロ」のことは、著書『コミュニティデザイン』のなかにも書かれている。

“70歳を目前に控えた穂積夫妻が経営するこの製材所は、
跡を継いで仕事を続ける人が見つからないため、閉鎖して駅前の公園にする予定だった。
地域の人が集まる場所になると嬉しいという。穂積家は、先代が20年間
島ヶ原村の村長を務めた家だった(現在は合併して伊賀市に統合)。
地域の人たちに大変お世話になったので、息子世代のふたりは地域に恩返しするために
公園をつくろうと考えたらしい。美しい話だ。”

ーー山崎亮著『コミュニティデザイン』より

「もともと、このプロジェクトのための事務所を作ろうというアイデアがあったのですが、
東北大震災を境に気持ちが逆転したんです」と山崎さん。

つまり、studio-L の事務所として、この伊賀がメインとなり、
大阪には数人だけ残ればいいのではないかという発想。
あたらしい事務所のL字のテーブルの奥は壁面がディスプレイになっていて、
Skypeなどの通信手段を使えば、大阪事務所、あるいは「今」山崎さんのいる
どんな場所とも常時つながることができる。

「インターン希望者が増えてきたので、学び舎としての機能をもてること。
ローカルを拠点とすることで、所得の少ない若い所員も生活費が軽減されること。
ただ学ぶだけでなく、地域に若い力が残せること。
そして、公園=ひとが集まる場を作りたいという夫婦の夢を叶えること。
こういった複数の役割を叶える場として、“studio-L IGA”が生まれました」

イメージしたのは、近代建築の三大巨匠と呼ばれるアメリカの名建築家、
フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」。
タリアセンは、ライトが生まれ故郷のウィスコンシン州に開設した、
仕事場と住まいを兼ねた場所だが、実際は、
若い建築家を育てるための工房として機能した。

“「ここは、完全な自給自足とまでは行かなくとも、せめて自足はしたかったので、
200エーカーの土地とシェルター、食糧、衣服、娯楽くらいは自前でまかなおうとした」
「タリアセンは、私の子供たちやそのまた子供たち、さらに多くの世代にとって、
クリエーションの場になるだろう」”

ーーフランク・ロイド・ライト

(『GA TRAVELER 002 Frank Lloyd Wright Taliesin』ブルース・ブルックス・ファイファーによる序文より)

「穂積夫妻の力もお借りして、製材所としての機能も取り戻したいと思っています。
“材を欲しいひと自身が動く”という発想で、
訪れるひとがじぶんの手を動かすための製材所。
端材をふんだんに使って studio-L のスタッフがじぶんたちだけで作りあげた
伊賀事務所は、そのショールームとしても役に立てそうです」

「木の家を建てることで、森林も元気になります。
木のよさを実感する経験を通じて、100人にひとりでも
“木の家に暮らしたい”と思ってくださったらうれしい。
加えて、地域の工務店さんや設計士さんがこの事務所に立ち寄って、
うちが所有する膨大な量の書籍や資料を目にしたり、
ぼくらとコミュニケーションすることで、よりカッコイイ家づくりや
グッドセンスなリノベートが島ヶ原内で可能になれば最高だな、
ということまで目論んでいるんです」

JR関西本線島ヶ原駅

JR関西本線島ヶ原駅。運行本数は少ないが、大阪からなら乗り換え1回、所用時間は100分と、意外に近い。

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所。継ぎ手の不在、業界の低迷という課題を「ホヅプロ」によって乗り越え、「製材所」としての90年の歴史をさらに未来につなぐ。

穂積製材所の代表、穂積享さんと山崎亮さん

穂積製材所の代表、穂積享さんと。「studio-L」スタッフやホヅプロに関わる学生たちにとって、「トオルさん」は、みんなのおとうちゃん的なあたたかい存在。

タリアセンについて書かれた書物

「studio-L IGA」の書棚で見つけた、タリアセンについて書かれた書物。

生活を豊かにしていくためのデザイン事務所。

「studio-L IGA」の始動は5月某日に行われた2泊3日の合宿。
studio-L の所員が一堂に会すのはこれが初めてだという。
これは、非営利株式会社というユニークなスタイルゆえ。

「中にいて外のしごとを受けるのもアリ、
外にいながら距離を置いてうちのしごとを受けるのもアリという
あたらしい働き方を模索しています。
モデルがあるわけではないので、ぼくらも試行錯誤なのですが」

創設メンバーの、山崎亮、醍醐孝典、神庭慎次、西上ありさの活躍に憧れる
スタッフ希望者はあとを断たない。
「この仕事は、ひととはなしができれば誰にでもできる」という山崎さんだが、
あらゆる課題への解決策に「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」の
質の高さを求めるのは、studio-L があくまでも「デザイン事務所」だから。

「醍醐、神庭、西上は、自由にのびのびとやっているように見えるけれど、
その背景をきちんと知ることが大事。全員が、設計や建築に長けているわけではないので、
他分野から関わってくるメンバーは、せめて専門用語を理解する必要性もある」

いまのプレゼンテーション、全然オモシロくないよ。笑うところがなかったもんね。
それに、フォントの使い方が全然なってないね……。
メディアでは、おおらかな笑顔が取り上げられることの多い山崎さんだが、
合宿の場において、その口から飛び出すことばはどれも的確で、
細かいけれど肝心な1点を刺すように指摘する。

「初めて訪れるまちでは、ぼくらはヨソモノ。
地元のひとにどんなに叩かれても、大声で帰れと言われても、
へこたれたり諦めたりするのではなく、すぐに次の新しい提案ができる。
そんな精神的なタフさが求められます。
だって、ぼくらは参加者ではなく、ひとを動かす、マネージメントをする側ですからね」

現場での厳しさをいくつも乗り越えてこそ、どんなときも笑顔で
「Yes, and……」と言えるのだ。
「まちのために活動してあげる」ひとではなはく、
「まちを使って楽しませてもらっている」と思えるひとを育てる。
山崎さん自身の経験に基づいているから、その芯は強く揺るぎがない。
「Life(生活/人生)こそが財産である」とは、
19世紀の美術評論家、ジョン・ラスキンのことば。

「個人のしあわせでなく、複数のひとが
相互にしあわせだなと思う気持ちを高めたいですね。
studio-L は、生活を豊かにしていくためのデザイン会社なのですから」

製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント

ホヅプロの第1弾プログラム「家具づくりスクール」を実行するため、宿泊場所として製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント。関西で活躍する建築家にデザインを依頼し、建てる作業には学生たちの参加を募った。

「studio-L IGA」での合宿の様子

「studio-L IGA」での合宿の様子。L字のテーブルを囲むメンバーは、仕事の付き合いは長いが初対面、という顔ぶれも多い。

NPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」

「studio-L」およびホヅプロスタッフの胃袋を支えるのは、同じ製材所敷地内にあるNPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」。

information

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studio-L IGA

山崎亮が代表をつとめる会社「studio-L」の5つめの事務所として2012年5月に開設。JR島ヶ原駅前の穂積製材所敷地内にあり、通信手段を通じて、常に大阪をはじめとするほかの事務所、山崎亮本人とつながることができる。

住所:三重県伊賀市島ヶ原5844

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

馬場浩史さん

自分の居場所と、持続可能な暮らしを求めて。

益子の古い市街地を抜け、焼き物や藍染めの店や工房が並ぶ一角を
もう少し奥へと進んでいくと、池沿いに「STARNET(スターネット)」が現われる。
自然と調和した暮らし、ていねいなものづくりを益子という地で実践する馬場浩史さんが
15年前に始めたギャラリーとカフェは、これまで多くの人々を、
時に客として迎え、また、“働く人”“つくる人”として迎え、持続してきた場所。
ここは、馬場さんが「思いをかたちにする」という実践を続けてきた、ひとつの聖地。

土地の新鮮な食材で提供されるオーガニックな食。益子伝統の手仕事に、
デザインや使い心地を追求してつくり上げられてきたオリジナルの陶器。
草木染めのオーガニックコットンやリネンの服。
靴や鞄もヌメ(草木のタンニンでなめす)の革を使った手仕事。
この場所でレコーディングされたスターネットレーベルの音楽……。
クラフト作家たちの発信の場となるギャラリーも併設している。
少し前には、オーガニックヘアサロンもできた。
ここでは、オーガニックのシャンプーなどを使い、
土地を汚さないようにと、カラーやパーマはやらない。
建物は、太陽光や太陽熱を使ったエネルギーの自給をめざして運営されている。
衣食住、そしてエネルギー。すべてが自分たちの仕事として、
ていねいに取り組まれている。これこそが、このスターネットの営み。

「下の須田ヶ池の手入れをしようかと思っていますよ。
山や川の状況が昔と変わったのでしょう。水が濁ってしまった。
いろいろな方法で、水をきれいにして、蛍が飛ぶ池にしたい」
馬場さんがそんな話をしてくれたのは、5月。
益子の夜はまだ少し肌寒く、土間になっているテラスに薪ストーブが焚かれ、
この家の守り犬、ハクが寝そべっている。
神様犬とみんなから呼ばれるホワイトシェパードだ。
屋外からは蛙や虫の鳴き声が聞こえる。
新じゃがの煮転がし、こんにゃくと厚揚げの煮物など、
パートナーである和子さんの手料理はもちろん地の野菜。どれも本当においしい。
きわめつけは、シンプルな梅のおにぎり。馬場さんは東京出張のときにも、
このおにぎりを持参して、みんなで食べながら打ち合わせをするそうだ。
「スターネットは、時間を経て、いろいろな人が関わりを持ち、
いま熟成してきたように感じます。独特の磁場に引き寄せられて、また人が集い始める。
逆に言えば、それぞれがもともと持っていて閉じていたものが、
スターネットとの出会いによって、開くのかもしれませんね。
そんな人が増えてきたと思います」

自然と調和した暮らしを実現するため、1998年に益子スターネットが誕生。

遠方からも多くの人が訪れるギャラリーとカフェ。地の食材を使った料理が味わえる。

馬場さんとスターネットの15年については、
多くの方がこれまでも伝え語ってきたことだが、少しだけ振り返っておくと。
馬場さんは、1980年代、ファッションブランド「TOKIO KUMAGAI」で
故・熊谷登喜男氏のもとで働いていた。しかし、グローバルな社会に違和感を感じ始め、
自分の居場所を求めて、37歳のとき益子へやって来る。
そして98年にスターネットをオープン。
デザイナーだった星恵美子さんが「キッチン」で料理を担当し、
あとはアシスタントがひとりという、ミニマムの態勢でのスタートだった。
ギャラリーでは、益子にない新しい文化を紹介しようと思い、
サウンドアートや写真、ペインテイングなどの展覧会を企画した。
やがてオーガニックに意識の高い人たちが、遠方からも駆けつけるようになり、
1年も経たないうちに改装して店を拡張するなど、経営が軌道に乗り始める。
当初は、ほかにもたくさんお店があるからと扱っていなかった焼き物にも、
しだいに目を向けるようになった。
「焼き物でも僕らの役割があると思ったんです。
ほかのお店にはないような編集で、自分たちでオリジナルもつくり、
新しい陶器のギャラリーを目指しました。そうやって少しずつかたちになってきました」

店内にはスターネットオリジナルの器や、益子で活動する作家の器がセンスよく並んでいる。

ていねいにつくられ、安心して食べられる食品を提供するスターネットフーズ。豆やお茶などもある。

「自然に調和する音」をコンセプトに掲げるレーベル「STARNET MUZIK」のCDも販売している。

からだで感じて、きちんと“手入れ”をしていく。

スターネットに惹かれて、益子に若手のクリエイターたちが集まってきたのは、
とても自然なことに思える。
2010年にスターネットに開設された工房「art workers studio」では、
陶芸や服飾など、若手作家たちとの共同作業による作品制作が行われている。
このインタビューの最中も、靴や鞄など、革を扱う作家の曽田耕さんが
隣で作業をしていた。彼はふだんは東京・浅草で活動しているが、
週一度スターネットに通い、馬場さんと制作を続けている。
「それぞれのクリエイターのなかにあるものを、僕は引き出す役割をしているのかな。
その人にとって自然な方向にクリエイティブを導いて、
その仕事が、スターネットとつながっていくのが理想。
いずれは、みんなが持ち寄ったものでスターネットができていくのがいい。
スターネットとしてのスタンダードはぶれちゃだめだけど、
一緒に仕事をしていくなかでつかんだ技術やセンスをうまく使いながら持続していけば、
僕がいなくてもやれるでしょう」

art workers studioで制作をする曽田耕さんも、スターネットに引き寄せられた作家のひとり。

黒板には、作品のデザインやスケジュールなどが書き込まれている。自由な発想が生まれる場所。

2011年2月、東京は馬喰町に、スターネットで生まれたものを紹介する
「starnet 東京」をオープンさせた。そこへ、3月にあの大震災。
私たちの生活の基盤を揺るがすような事態に、馬場さんはとてもショックを受けたという。
そのショックもあったのか、腰を痛めてしまい動けなくなってしまったそうだが、
それでもしばらくすると、大阪や倉敷へと足を運んでいた。
「ここでじっとして頭で考えてばかりいてはだめだと思った。
からだを拡張させるように、少し触覚を伸ばしてみたんです。
いろいろな人の話を聞いて、それぞれのまちの状況を聞くと、
感じ方が全然違うことがわかりました」
そうこうするうち、縁あって、大阪のとあるビルを借りることに。
場所は瓦屋町。その名のとおり江戸時代に瓦を焼いていたというまちだ。
「500年くらい続く鰹節屋さんがあったり、町家もたくさん残ってるんですよ。
土地にぐっと根を張って生きている人たちがいて、いきいきと暮らしている。
あんな状況でしたから、そこにいるときは、魂の休息になりました」

かくして「starnet 大阪」は、震災から1か月余りの4月23日にオープン。
そのスピード感には驚かされるが、やはり馬場さんが
すぐれた身体感覚の持ち主だということがわかる。
馬場さんはいつも、からだをアンテナにしているのだ。
「頭で考えていてもオーバースケールになっていくから、
自分のからだに立ち返ることが大事。からだをアンテナにして、何を感じるか。
そして感じたことに対して常に“手入れ”をすることが必要です。
部屋が汚れていて嫌だなと思ったら、きれいにして快適にしていく。
人に対する接し方に違和感を感じたら、きちんと手入れをしていく。
食べるものも身につけるものもそう。
僕はお肉を食べるとあまり調子がよくないから食べないし、
服も自然素材のものを使って全部自分でつくります。からだをアンテナにしながら、
これは気持ちいい、これは気持ちよくないからこうしよう、と考えていくと、
食べものも暮らしも、おのずと決まってきますよ」

ひとりひとりの感覚と、社会、地球はつながっているというのが馬場さんの根本的な思想。
気持ちいいことに正直に生きることの大切さと、必要以上の欲望を持たない、
過剰に求めないことのバランス。それがこれからの人間のセンスだと語る。
「僕は正しいと思うことに突き進んで、矛盾なく暮らしたい。
個人的には、自給自足の暮らしをするために、
外の何にも頼らない自活型の最小住宅を作って暮らすのが夢です。
でもまずは、もっと深くこの土地に根ざして暮らすことから。
植物や動物は自分が与えられた場所で生きていきます。
人間も、歩ける範囲で暮らすというのが本来の生き方だったはず。
そこから離れてしまったことに、そもそもの問題があるような気がします。
完璧にはいかなくても、それに近い暮らしを実現させるのが、未来を考えるうえで
いちばん大事。グローバルな社会からは、未来に希望は持てませんしね」

素焼きの器が並ぶ工房。シンプルで洗練されたデザインのスターネットオリジナル。

益子を、現代の聖地に。

馬場さんは、益子で開催される「土祭(ヒジサイ)」の総合プロデュースも手がけている。
古くから窯業と農業を営んできた益子の風土と文化を見つめ直し、
展示やワークショップ、セミナーなどさまざまなイベントが重層的に展開する土祭は、
2009年に第1回が開催され、2011年の「前・土祭」を経て、
2回目が今年2012年9月16日(新月)から30日(満月)まで開催される。
民も官も手を携え、まちをあげての一大行事だ。
「土祭をきっかけに、地域の力を呼び覚ましていくことができないか。
たとえば、このあたりには野仏がたくさんあるのに、
ほとんど手入れが行き届いていない。それをきれいにしてあげて、
野仏マップをつくったら面白いんじゃないかって提案したんです。
それに宿泊施設が足りないから、ひとり住まいのおばあさんの家に
民泊できるようにして、田舎料理を味わってもらうとかね。
ここにある歴史的な資源を発掘して、現代の桃源郷を演出できたら、
いまみんなの心が求めている世界ですから、それで成功です。
益子は古来、聖地であったわけだし、民芸の聖地でもあります。
だったら現代の聖地と考えるのも悪くない。
自然豊かで手仕事が残っていて、等身大の暮らしが実践されている、
美しい現代の聖地、桃源郷。それって面白いですよね」

スターネットは最終的な目標やゴールは設定しないという。
“いま”という瞬間にどれだけ真剣に向き合えるか。
その積み重ねで、スターネットを15年走らせてきた。
馬場さんは、もう何も欲しくないという。
「ここにいる限り、基本的にこの恵みのなかでやるということを考えています。
ここにあるもの、やり方で充分と考える。そうするとその結果、
ここにしかない独特のもの、スターネットでしか生まれないものになると思っています」

土祭の総合プロデュースも手がける馬場さん。「予算がないのって面白いですよ。予算があったらできないことができます」

本当の豊かさを探して。スターネットはこれからも続く。

information


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STARNET
スターネット

住所 栃木県芳賀郡益子町益子3278-1 TEL 0285-72-9661
営業時間 11:00 ~ 18:00 木曜定休
http://www.starnet-bkds.com/

profile

KOSHI BABA
馬場浩史

スターネット主宰。1958年生まれ。
12歳で真言宗の僧侶として得度するが、その後、体調を崩し、僧侶の道をあきらめる。

1980~88年
ファッションデザイナー故熊谷登喜男のパートナーとなり、パリ、ミラノ、東京を活動拠点にTOKIO KUMAGAIブランドのプロデユースを手がける。

1991年
「遊星社」設立。企業の宣伝美術のプランニングやプロデュースなどに携わりながら、舞台やインスタレーションなどの個人作品を発表もするなど、独自の活動を続ける。また恵比寿に手仕事や食(オーガニック)のためのギャラリー&カフェの運営も始める。

1998年
栃木県益子町にそれまでの活動の結晶化、STARNETをスタートさせる。オーガニックレストラン+ギャラリー、陶器やコスチュームの工房も併設。

2004年
馬場浩史環境設計事務所設立。工芸的な手法による建築や空間のプランニングやプロデュースをする。ZONEをオープン。展覧会やワークショップ、コンサートを開催する。

2007年
RECODEをオープン。民間療法による身体の手当を目的とした野草茶寮や鍼灸院の運営。手仕事を紹介するギャラリーも併設。STARNET MUZIK活動開始。「自然に調和する音」をコンセプトに、音作り(レーベル)を始める。

2009年
益子町全域に及ぶアートイベント「土祭」を総合プロデユース。

2010年
art workers studio(starnet内)開設。当スタジオでは、 陶芸、服飾などの若手アーテイストとのコラボレーションによって、ナチュラルで独自なクラフト制作を始める。

2011年
starnet東京、starnet大阪をオープン。art workers studioでの制作の成果を発表する。

仏生山 Part4 じわじわゆっくり 変わっていく強み。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「楽しい」と「好き」を10年がかりで増やしていく。

山崎

魅力的な「ひと」が魅力的な「まち」をつくる、という感覚はいいですね。
どんなひと、どんなお店が欲しいな、という具体的なイメージはありますか?

おいしいパン屋さん(笑)! あと、高松の市街地に
「しるの店 おふくろ」という家庭料理店があるのですが、あんな雰囲気の夜の店。

山崎

お店を始めるには、このくらいの規模のまちが実はいちばんですよね。
どうせなら、岡さんに続いて、パイオニアになれるひとがいいですね。
はじめのうちはお客さんが少なくても、
たとえば今の時代、売り上げの何割かをネットで稼ぐこともできます。
そういう方法の取れるひとなら、無理なくお店を始められそうです。

はい。

山崎

いちばんはじめに岡さんに会いに来たときに、
すでに「まちぐるみ旅館」の構想を描いたかっこいいパンフレットができていて、
ああ、いいなって思ったんですよね。

ありがとうございます。

山崎

でも、それをじわじわと時間をかけて進めているのがきっといいんですよ。
早急にやろうとすると、独裁者になってしまいかねない。

じわじわすぎるほどですけどね(笑)。
2009年からは、秋祭りの「仏生山大行列」のときに、
街道沿いの古い町家の軒先を借りて、こども、地域、手づくりを
テーマにしたお店を30店舗ぐらい出店してみる試みをはじめています。

山崎

行政でいう「社会実験」ですね。
つまり、街道が賑わうイメージをみんなで共有する。いいですね!

法然寺

讃岐高松藩初代藩主松平頼重が建てた、松平家の菩提寺「法然寺」。苔むした古い石段をゆっくりと歩いて案内してくださる岡さん。

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町。街道沿いの町家の軒下を借りて、約30のお店が出店する試みを実行している。

このまちの、グッドネイバーズとして。

山崎

古い町家に暮らしたいひとの募集やまちぐるみ旅館のプロモーションは
どんどんやっていくんですか?

うーん、やらないと決めているわけではないのですが、
ほんとうに少しずつ、ですね。

山崎

それでいいと思いますよ。

「まちづくり」っていう大層な旗を立てたくない、というか。

山崎

studio-Lも、実はそのことばをあまり使いませんね。
あくまで「コミュニティづくりのお手伝い」。
ぼくらの場合は、まちづくりの専門家でないという理由もありますが、
岡さんは、個人的な想いから発生している活動なので、
とくにそこが徹底していますよね。

「活性化」「まちおこし」も使わないキーワードです。

山崎

「まちづくり」ということばは、80年〜90年代、法廷都市計画に対して、
市民が主体となる都市計画のことをそう呼んで、
そのころはそれがカウンターパートになれたのですが、
ぼくらはさらにその後にまちと関わり出した世代。
「まちづくり」さえも、派閥を作ったり縄張り争いをしたりしていて、
窮屈だなぁと思ったり。
だからしっくりこないのかもしれないし、いま、ぼくらの世代が使うと、
あぁそっち派ですね、という理解になっちゃうのもある。
もちろん、世代論で簡単に片づけてしまえるような話ではないのですが。

慌てず、年1%計画でゆるやかに進めていけばいいかなと。
本来、まちのあり方ってそのくらいのペースだと思うんです。

山崎

そうですね。「まちづくりプロジェクト」と称してしまうと、
なかなかそうは言っていられなくなるのが現実。
岡さんの場合は、「ニヤニヤしたい」という個人のわがままが、
閉じていなくて公に開いている感じがあるので、気持ちがいい。
滅私奉公的なまちづくりではなく、そういうのを
グッドネイバーズ(GOOD NEIGHBORS)というのかもしれませんね。

対談の様子

「10年がかりで少しずつやっていきます」(岡) 「じわじわと変わっていけるのも、強みかもしれませんね」(山崎)

information

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

profile

SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part3 温泉の効能と 番台の役割について。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

父と温泉。その効能について。

山崎

岡さんて、ぼくにとっては「おもてなしの上手なひと」。
とくに、建築界では希有なほどのもてなし上手です。

実家が飲食業を営む環境だったからでしょうか。

山崎

おとうさまは、どうしてまた温泉を掘り始められたんですか?

ぼくで4代目ですから、当然父も同じ環境で育っていて、
父が幼いころ、つまり祖父の代では旅館も手掛けていたらしいんです。
そこで、子どもの役目が風呂焚き。
だから「焚かなくてもいいお風呂」は、父の夢だったそうなんです。

山崎

なるほど。焚かなくても温かいお風呂(笑)。

掘り当てたからよかったものの、家族はヒヤヒヤですよ(笑)。

山崎

そりゃあ、そうでしょうね(笑)。
低温で炭酸ガスを含んだお湯がたまらなくきもちよくて、
いつもすっかり長湯をしてしまうんですが、あれが非加熱の状態なんですよね。

そうです。非加熱のまま、33度の低温にゆっくり浸かっていただく浴槽を、
男湯、女湯ともひとつずつ設けてあります。

山崎

それにしても、偶然のタイミングとはいえ、
独立してすぐに仕事ができたというわけですね。

はい。建築家としては、ほんとうにラッキーでした。

山崎

浴場は、中庭を囲むように湯船や洗い場が配置された独特の空間ですが、
参考にしたケースはありますか。

とくにリサーチをしたわけではないのですが、従来の銭湯や温泉って、
ここで脱いでここで洗って……と誰も迷わないようにできている
「やりなさい建築」だと思うんですよね。
つまり、とても機能的だけど、窮屈。そこを突き抜けて、
伸びやかで自由度の高い利用を促せたら、という思いで設計しました。

仏生山温泉のフリースペース

仏生山温泉のフリースペース。「小さいこどもは必ず駆け出します」という広さ。訪れたひとが自由な時間を過ごせる空間。

浴場にもって入れる古本が並ぶ「仏小書店」

「本を読みながら湯浴みをしているひとが多いことに気づいて」浴場にもって入れる古本を置くようになった。その名も「仏小書店」。

番台に立ってわかってきたことは。

山崎

ふつうは設計したら終わりですが、岡さんの場合は、
そのまま経営者になってしまったわけですよね。

そうですね。

山崎

番台に立つことでまちへの関わり方に変化が生じた、というのは
とても興味深いです。

なんでしょうね。ひとをよく見るようになったのかもしれません。

山崎

「見る」?

ええ。うまく言えませんが、日々訪れてくださる方たちの表情を見ていて、
なんとなくお客さんの次の行動や希望されていることが
わかるようになってきたというか。
決して、ひとりひとりじっくり観察しているわけでもないんですけど。

山崎

それ、わかる気がします。ワークショップの経験を重ねてきて、
ぼくも同じような感覚を持っていますよ。
「あ、このひと、次はこんな発言するだろうな」
「こうしたいんだろうな」というようなことがだいたいわかってくるんですよね。

たぶん、一緒ですね(笑)。

山崎

それと、こどもができて変わったというのは、
彼らが大きくなった将来のまちのことを考えるようになったということですか?

それもありますが、基本的には「自分のため」ですね。
あくまでも、じぶんがいかにニヤニヤしながらこのまちで暮らしていけるか。
そのために、まちをどうにかしようと思い始めた。これが軸にあります。

山崎

うーん。この対談で岡さんのことばを読んで、救われるひとが多そうです。

……え?

山崎

なんていうのか、すごくない感じというか(笑)。
……高邁な理想を掲げない感じがとてもいいと感じます。

それで誰かが救われるなら、光栄ですよ(笑)。

(……to be continued!)

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷は、粉雪のようにふわふわ。岡さんのイチオシは、キウィのフレッシュシロップ。

仏生山温泉のフリースペースで対談中

「初めて取材で訪れたとき、ふたりで低温の湯船に寝そべって、ずいぶん語りましたよね」(山崎) 「それで、女性編集者さんをメチャクチャ待たせてしまったんですよね」(岡) 「そうでした!いやあ、あれは申し訳なかったな(笑)」(山崎)

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part2 ずっとこのまちで 暮らしていくということ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ニヤニヤしながら生きていきたい。

山崎

ぼくと岡さんは、同い年で同じ建築畑。だからとても親近感があるんです。
なぜ、建築家になろうと思ったんですか。

あはは。ずいぶん遡りますね。
じつは、高校生のころは物理をやろうと思っていたんです。

山崎

物理?

物理学者の寺田寅彦に憧れたんです。いい意味で変態というか、
ジャンルを超えて生きる感じとか、ニヤニヤした感じが好きで。

山崎

たしかに彼は変人ですよね。いい意味で(笑)。

でも、試験に受かったのが徳島大学の工学部建設工学科。
まあ、物理は大学院からという手もあるな、と考えてそのまま入学、
土木の世界に入っていきます。

山崎

お。土木からとは、知りませんでした。

でも、いざ就職のことを考える年ごろになってみると、
土木って、行政のしごとが100%だということがわかってくる。
そのことに気づいて、個人でも世界と戦える建築を目指して
大学院に進学しようと決めたのが大学4年の夏のことで……。

山崎

物理への志はもうすっかり忘れてたんですね(笑)。

その通りです! 我ながら、未成年ならではの責任感のなさがたまりません。

山崎

いい話だなあ。

でしょう(笑)。
とはいえ、建築の勉強もあんまりマジメにやってこなかったので、
いまでも自分のしごとを「作品」といわれるのは苦手なんです。

山崎

その感覚、わかります。ぼくもまったく同じですね!

就職して、初めて建築を学んだようなものです。

山崎

新卒で、「みかんぐみ」ですよね。

はい。5人のボスがいるから、5倍学べると思ったんです。

山崎

なるほど、それはいい。

「これがカッコイイ」とか「美しい」という感覚は、
「みかんぐみ」を辞める3年目になって、ようやくわかった気がしますね。

岡昇平さん

生まれ育ったまちにUターンしてちょうど10年。暮らすうち、年齢を重ねる間に、次第にまちとの関わり方が変わってきたという岡さん。

暮らして変わった「わたし」と「まち」の関係性。

山崎

3年で独立って、少し早いですね。

今から思えば(笑)。でも、東京は楽しいけれど、
じぶんにとって暮らしや生活の場ではないなという感覚はずっとあったんです。

山崎

もともと、ひとりで世界と戦うべく建築に入ったわけですから、
リアルな目標として独立を目指していたんですね。

そうですね。ちょうどそのころ、実家で父親が温泉を掘り当てるんです。

山崎

そこがすごい話なんですけど、そのタイミングは、
岡さんのUターンと示し合わせて?

いや、まったくの偶然です。それが2002年のことで、
4代目として家業を継ぎながら、設計事務所を立ち上げることになりました。

山崎

その当初から「まちぐるみ旅館」の発想はあったんですか?

いえ。まったく自分のことしか興味がありませんでしたよ(笑)。

山崎

でも、変わったんですね?

そうですね。そこには、番台に立つようになったこと、
こどもが産まれたことが大きく影響しています。

山崎

やはり、こどもを持つと変わりますか?

全然違いますね。
ぼくの場合は、愛情の拡張スイッチが「オン」になった、という感じでしたね。
じぶんのこどもだけでなく、他人のこどももかわいく思えてくる、みたいな感覚。

山崎

番台に立って変わった感覚は?

言い変えるとするなら、
パブリック性の高い場所にずっといる、ということでしょうか。
しかも、帰るときは、間違いなく誰もが気持ち良さそうな顔をしているでしょう?
風呂上がりで怒ってるひとはいない。

山崎

……あ!

このまちで、ニヤニヤして生きていきたい。再び、そう思うようになったんです。

(……to be continued!)

仏生山来迎院法然寺の門前町

まちぐるみ旅館が点在していくのは、仏生山来迎院法然寺の門前町。昔ながらのたたずまいを残す町屋造りの元商家も、まるであらたな役割が与えられるのを静かに待っているかのよう。

築約90年の町家を改装した「Cafe asile」

上の建物と同じ、古い街道沿いにある、築約90年の町家を改装した「Cafe asile」。週末ともなれば満席になる人気のカフェ。

対談の様子

「建築界において、岡さんほど人間的に“おもてなし”に長けているひとは、ほかにいないんじゃないかなあ。今日はそのルーツが知りたいんです」(山崎)

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part1 「仏生山まちぐるみ旅館」の はじまりについて。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

点と点でまちをつなぎ、まち全体を旅館に見立てる。

山崎

こんばんは! こんな遅い時間にすみません。

いえいえ、うれしいです。お待ちしていました。

山崎

この建物、以前に来たときは外から拝見しただけでした。
あのときはたしか、ひとが住まれていたんですよね。

はい。5年前に住宅として設計したのですが、ご家族が引っ越されたので、
今はぼくが賃貸で借りているんです。

山崎

それで、ここを仏生山まちぐるみ旅館の「客室」に?

ええ。「縁側の客室」と名付けて、宿泊施設として4月からオープンしています。

山崎

まちぐるみ旅館計画……とうとう動きだしましたねえ。

ようやく、です。

山崎

もとは、まちなみを残すために古い物件も使えれば、という計画でしたよね。

そうですね。基本的には今もそう考えています。
でも、ちょうど、改築なしですぐにオープンできるところが出てきたので(笑)。

山崎

なるほど。ここは旅館業法や消防法もクリアしているんですか?

はい。誘導灯の追加設置は覚悟していたんですが、
こんなに大きく外に開かれているので、それも必要ないと判断してもらいました。

山崎

たしかに(笑)どこからでも飛び出せますね。バスルームはこの扉の奥ですか?

あ、どうぞ。こちらです。

山崎

うーん、またちょうどいい感じにこぢんまりしてますね。
これは、仏生山温泉に行きたくなります。
両方が岡さんの設計ということで温泉の建物との意匠的な共通点もありますし、
こうして見ると、まるで最初からまちぐるみ旅館の「客室」のために
造られたようですね。

まったくの偶然ですが。

客室をまわりながら対談中

「基本的にはシャワールームとして設計しています」(岡)。「ぜいたくなバスルームにしなくて、よかったですね(笑)」(山崎)。

「一緒に遊んで楽しい」というあたらしいフィルター。

山崎

一方で、泊まれるモデルルームということもできますね。
「設計事務所岡昇平」としては。

あ、ほんとうですね(笑)。

山崎

ぼくもさっそく家族で泊まりに来たいなあ。

ぜひ! いつでもお待ちしています。

山崎

ここに泊まって、外湯に行く。その道中の商店街に、
小さなお土産物屋さんや食堂がある、そんなイメージですよね。

はい。そこから、楽しいひとの繋がりが生まれたらいいなと考えています。

山崎

このプロジェクトはすべてが岡さんの直営になるんですか?

いえ。複数に分散したいと思っています。
このまちで、一緒に遊んで楽しそうな人に、
ぜひ手を挙げてもらいたいと願っています。

山崎

この記事を読んで手を挙げるひとがいたとして、
物件はもう用意されているんですか?

はい。今、4軒あります。

山崎

さすがですね。岡さんが地元のひとだからこそだと思います。
どこのまちでも、よその人は物件を借りることさえ難しいですから。

そこは、このまちで生まれ育ったぼくの出番ですね。

山崎

いちばん大変なところをつないでくれるひと=岡さんだから、
「岡さんと一緒に遊んで楽しい」ひとがいいんですよね。
ただ「地方で暮らしてみたいひと」というだけじゃなく、
面接、面談のようなフィルターをかけることは、
大変だけどとても必要なことだと思います。

魅力的な「ひと」に来ていただいてこそ、
魅力的な「まち」になるんだと思っています。

山崎

あとは、温泉街の浴衣みたいに、泊まっているひとの目印があると楽しいですね。
たとえば大きな和傘のようなもの。

いいですね! 記号の発想。楽しそうです。

(……to be continued!)

ブルーモーメントの客室

ブルーモーメントの客室で久々の再会。同い年、同じ建築畑とあって、はなしは尽きない。

縁側の客室

仏生山まちぐるみ旅館の「縁側の客室」。施設使用料9800円+1名1泊につき4600円(1棟貸、定員2~10名。食事なし、仏生山温泉入浴無料、施設使用料は初日と4日目ごとにかかる)。予約・問い合わせ 087-889-7750

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

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山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

鯨本あつこさん

「島の情報は探しにくい」という気づきから生まれたメディア。

「日本には6852もの島があって、そのうちの約430島が有人島なんです。
こんなに日本に島があるなんて、ですよね。
まだまだ私たちが知らない島も多いんです」
そう話すのは、離島の情報を集めたウェブサイト『リトケイ』こと『離島経済新聞
と、タブロイド紙『ritokei』の発行人・編集長の鯨本あつこさん。

さぞかし島と縁深いのかと思いきや、意外にも生まれ育ちは大分県の内陸部だそう。
そんな鯨本さんが、なぜ「島」のメディアを?
「 福岡で地方情報誌の編集者、美容学校の非常勤講師、飲食店、
販売などの仕事を経験したのち、
上京して経済誌の広告ディレクターやイラストレーターとして働いていました。
さまざまな職種を経験するうちに、
自分が本当にやりたいことはなんだろう? と考えるようになりました。
スクーリングパッド*1 のデザインコミュニケーション学部に通いだしたのもこの頃です」
デザインや編集を学べると思って通い始めたが、
ここで出会った仲間たちと、広島県の大崎上島に行ったときに、
島人の穏やかな島暮らしに魅了されたのだと言う。
「しかし、大崎上島という島をネットで調べようとしても、情報が出てこない。
それどころか、全国の島の情報を検索するのは意外と難しいということに気づいたのです」
鯨本さんの言葉のとおり、「島」という字は地名だけでなく、
人名にも多く使われる上に、島の名は読みが難しく、正確に検索をかけることが難しい。
それなら、さまざまな島の情報を集めたサイトを自分たちでつくろう。と、
大崎上島へ行ったスクーリングパッドのメンバーとともに『リトケイ』を立ち上げたのが、
2010年の秋。
編集長である鯨本さん自身も取材や執筆を行い、
「島記者」と呼ばれる、全国の離島に住まう7名ほどのライターたちとともに、
ほぼ毎日記事を更新する。
例えば、鯨本さんが執筆した「島人インタビュー」は、島人の口調が反映された文章で、
のんびりとした島の空気も文章にとじ込められているかのよう。
こうして日々アーカイブされていく記事は、島人の話以上の情報量を運んでくれる。
なるほど、「島のことは、リトケイで。」のコピーはダテではない。

*1 廃校となった旧池尻中学校の校舎を再利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」で開催されている学生・社会人向けの学びの場。

リトケイ』トップページ。未踏の島に想いを馳せるもよし、情報収集して赴くもよし。
今年5月のサイトリニューアルで、いっそう島の情報がみつけやすくなった。

島のかたちはそれぞれ個性的で、有人島435島を並べてみると圧巻。
「離島出身者が自分の島をみつけたときに“うちの島”と呼ぶのですが、それが“うちの実家”と言うのと同じような感覚。本土のひとにはないことですよね」(鯨本さん)

紙とウェブ。ふたつの『リトケイ』がある理由。

いまでこそウェブと紙の二本柱で運営している『リトケイ』だが、
創刊した当初は、ウェブのみで展開していこうと思っていたと言う。
「紙ほどコストがかからないし、
無料で観てもらえるというウェブのメリットは、やはり魅力的。
でも、私たちはひとつひとつ大切なことをインタビューで聞き、
島人たちも真剣に話してくれているのに、
これをウェブという限定的な場だけにとどめておいていいの? と悩みました。
それに、パソコンはビーチには持っていけないし(笑)。
そこで、ウェブの『リトケイ』で公開していた、私たちが知っている島の素敵な情報を、
タブロイド紙『ritokei』で年に4回発行することにしたのです」
ウェブと紙面では、デザインも編集の手順も大きく異なるため、
両方発行すること、継続して情報を提供することはとても根気のいることのように思える。
「手間をかけて出版することで、“こちらも本気でこの情報を届けたいと思っているんだ”
という意思が伝えられればと思っています。
私たちが島々を取材しながら集める情報というのが、
島に住む人、島に興味がある人、
さまざまな人にとって大切な情報であるということを考えながら、
ふたつの『リトケイ』を制作しています」

季刊紙の『ritokei』は現在No.02まで発行されている。全国の書店、港などの売店、飲食店、雑貨店などで販売中。
(定価150円。※ノベルティ付きパッケージ定価300円〜500円)

「島本専用の本棚」を全国の書店へ。

現在、『リトケイ』は“出版社”や“メディア”という枠を越えた新しい試みに着手している。
それが、「島Booksプロジェクト」。
例えば、「料理」に関する本は雑誌も書籍もまとめて「料理本コーナー」に置かれているのに、
「島」に関する本は、雑誌も書籍もバラバラの場所に並べられていることを、
鯨本さんは以前から不思議に思っていた。
「島に関する本って、良質で数も豊富なのに、
“探したいけど探せない” “欲しいけどみつからない”
それに、つくり手としても“つくっても売る場所がない”という状況なんです。
そこで島の本やフリーペーパーが集まる場所を全国につくりたいと思いました」
そこで、クラウドファンディング「Ready For?」で、運営資金の一般募集を始めた。
目標は全国300店舗に島情報の専用本棚を設置すること。
応援してくれる人々の後押しを受けて、
離島に住む人と本島に住む人、
離島に住む人とまた別の離島に住む人、
島国日本に住むすべての島人を「情報」でつなぐべく、鯨本さんは今日も島々を渡り歩く。

STUDY バイオマス

最近では、「ごみ発電」も話題に。

バイオマスとは、生物由来の資源のことですが、その種類は多岐に渡ります。
その多くは植物由来の森林資源の木材や農作物の残渣などですが、
動物由来の畜ふん(牛、豚、鶏など)などもあります。
人類は古くからこのバイオマスをエネルギーとして用いてきました。
例えば森林資源として山から切り出した木材からの薪を利用して、
煮炊きをしたりお風呂を沸かしていました。
このように森林のバイオマスを熱利用する方式は、
薪やチップあるいはペレットを使ったストーブやボイラーとして現在も行われています。
森林のバイオマスを使う発電は、製材工場や製紙工場などで以前から行われていますが、
発生する熱を蒸気として工場内で利用したコジェネレーションが主流になっています。
最近では、生ごみなどのバイオマスを含む廃棄物を焼却処理する場合に、
熱を利用したり発電も行われており、「ごみ発電」と呼ばれて普及が進んでいます。
バイオマス発電の燃料となるバイオマス資源の種類もさまざまです。
森林を起源とする木質バイオマス、食料や畜産系のバイオマス、
建築廃材などの産業廃棄物系バイオマス、生ゴミなどの一般廃棄物系バイオマスなどがあります。
これらのバイオマス資源を直接燃焼、あるいはガス化やメタン発酵させ、
その熱エネルギーにより発電が行われています。
バイオマス発電の2010年度末の国内の累積の発電設備容量は326万kWとなっており、
1990年度比で約6.7倍増加しています。
発電設備の比率では自治体が処理している一般廃棄物発電が54.9%、
産業廃棄物発電が35.6%と合わせて全体の90%以上を占めており、
これまでは大多数がRPS制度の認定設備となっていました。
森林の木質バイオマスを活用した発電はこのうち約8%程度に留まっており、
林業の活性化や国産材の積極的な利用による森林バイオマス資源のカスケード利用が
強く望まれています。
バイオマス発電については、
利用するバイオマス資源の種類に応じてCO2削減効果やその持続可能性についての評価が難しく、
グリーン電力証書やグリーン熱証書の制度、
あるいは今年の7月からスタートする
固定価格買取制度などの関連でもより公正な評価が求められています。

日本国内でのバイオマス発電の導入状況と累積導入量

日本国内でのバイオマス発電の比率内訳(設備容量)
※石炭火力への混焼を除く

TOPIC 天栄村(2)再生可能エネルギーによる地域再生へ

伝統的再生可能エネルギーのその先へ。

村営の風力発電事業によって、風力発電の恩恵を受けてきた天栄村ですが、
一方で地元の意図しない大規模事業の到来という問題にも直面しています。
天栄村西部にある羽鳥湖高原で、
大手エネルギー事業者による大規模ウインドファームの建設が計画されており、
羽鳥湖周辺は温泉宿やペンション、キャンプ場などがあるリゾート地となっていることから、
大規模開発が周辺の自然環境や景観に与える影響が懸念されています。
再生可能エネルギーを利用する大きなメリットのひとつは、
住民自身の手で地域の自然環境からエネルギーをつくり、地域の中で利用していくことで、
地域外からエネルギーを買うために支払っていた経済的な負担を減らせることです。
しかし、地域の外からやってきた資本によってエネルギー利用設備がつくられ、
そのエネルギーも地域外に売却されてしまえば、
そこに住んでいる人たちにはほとんどメリットがありません。
これでは従来の化石燃料や核燃料を使ったエネルギー利用と、何ら変わらなくなってしまいます。
天栄村では、村営風力発電事業で収入を得るだけではなく、
「風の谷・こだまの森のTen-ei構想」を立案し、
村を「自然エネルギーの標本箱」と称して、
多様な再生可能エネルギー利用の可能性を模索してきました。
その中で、NEDOの地熱開発促進調査で掘削されたものの、
発電事業には適さないとされた地熱井の活用のほか、
地中熱、温泉熱などの地熱利用、木質バイオマスなどの
伝統的再生可能エネルギーを使うといった取り組みが進められてきました。
ここまでであれば、同じような事例はいくつもありますが、
天栄村は更に広がりを持った村づくりへと挑んでいます。
それは、EIMY(Energy In My Yard)という概念をもとにした、
「EIMY湯本プロジェクト」の立ち上げです。
このプロジェクトは、地域にある自然エネルギーを最大限に活かそうというものです。
地域にある再生可能エネルギーを探して活用していくことは、
地域の自然や伝統の再発見にもつながります。
水力発電に適した場所には昔も水車が置かれていたり、
バイオマス利用がしやすい山林も、
昔は薪を切り出してくるなど資源利用がされていたりすることが多々あります。
昔のエネルギーの利用技術を再現して、再び今の生活に取り入れたり、
エコツーリズムや環境教育に活用したりすることで、
村内に留まらないインパクトを与えていこうとしています。
今後、国内でも再生可能エネルギーを利用した地域おこしが活発化していくことが予想される中で、
単に発電や熱供給のツールとして見るのではなく、
地域に埋もれていた価値の再発見という意味で、
天栄村の取り組みは先進的なモデルとして注目されます。

鳳坂峠から臨む羽鳥湖

十和田 Part4 ピラミッド型から ネットワーク型の社会へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

仕組みと拠点をどうつくるか。

山崎

任期などもあるとは思いますが、こちらには何年ぐらい在籍される予定ですか。

いまのところ、1年、長くて3年の予定ですね。

山崎

組織に入ると見えてくるものもありますね。

美術家として、いかに美術館やホワイトキューブを離れて
地域のなかにプロジェクトをつくっていくかということをやってたのにね(笑)。
ここはその逆で、ホワイトキューブがまちに出ていこうとしているから、
そこのところが象徴的でおもしろいとは思うんだけど。

山崎

違う方向からやってきて、出会ってしまった感じですね。

地域にプロジェクトが発生するために、仕組みづくりと同時に、
両輪のように考えなければいけないのは、拠点づくりなんです。
プロジェクトがどちらを起点に生まれるかは、にわとりと卵だけれど。
ただ、やはり拠点がないと、どうしてもイベント性が高くなったり、
活動が恒常的に見えなかったり、制約が出てくるんですよ。

山崎

そうですね。

では、どういう拠点がいいかというと、
いかにオープンで、重石がなくて、つながっているか。
このことは、これまでどこでもずっと問題になってきたことなんです。
結果、拠点がないと、じぶんが全国をまわることになる。

山崎

いまのぼくもそうですね。

まあ、性格的には合ってるんだけどね(笑)。

山崎

なるほど。そういう経緯があって、
十和田市現代美術館という拠点のあるこのまちで水になってみようと。
「水のひと」としてできることを探ろうというわけですね。

展示会場のひとつ「松本茶舗」

十和田市現代美術館は、まちづくりプロジェクトArts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設としてつくられた。あるときは、アート作品が美術館を飛び出して、商店街のなかにも展示される。展示会場のひとつ「松本茶舗」。

先祖の古い写真でつくった、てづくりアート

松本茶舗の店主が、先祖の古い写真でつくった、てづくりアート。地域にすでにあるちいさな「種」や住民の活動を、おもしろがるひとをどう集めるか。

潜伏している種を発芽させるがごとく。

たとえば、まちにはそれぞれに歴史をはじめとするストーリーがありますよね。

山崎

ええ。

でもそれは、近代の貨幣経済中心の価値観、視点で語られ、編集されて
残っていることが多いと感じるんです。
これを異なる視点で再編集してみると、
また別の物語が浮かび上がって来るんじゃないかな、とか。
それを表現できるのは、どんなアーティストだろう、どんなデザイナーなんだろう、
ということを考えてみるのもおもしろいかなと思っています。

山崎

難しいですけど、おもしろそうですね。

社会学者に関わってもらってもおもしろそうです。

山崎

それをローカルに、地域ごとにあらためて発掘して語っていくときに、
アーティストの感性が関与していく仕組みですね。

そういったことで、いますでに潜伏している種が発芽するように、
元気になるひとが出てきたらいいなと思うんです。

山崎

ランドスケープや造園でぼくらが興味をもっている「埋土種子」ですね。

マイドシュシ?

山崎

落ち葉の下や土のなかで何年も生き続ける種子のことです。
これに光と水をあてることで活用し、植生の復元や緑化に活用するんですよ。

それですね、まさに(笑)。
あと、最後にもういちど時代のはなしに戻ると、
80年代後半、ぼくがまちに関わり始めた時期と
コンピュータやインターネットが成長、普及する時期が重なっているんですよね。
まちづくりや場のつくり方の考え方も、中央集権的なピラミッド構造から
ネットワーク型に移り変わってきたのもとてもいい影響ですよね。

山崎

藤さんとはひとまわりも年齢が違うのに、
こんなに共感、シンクロすることがあるというのはうれしい驚きです。
ありがとうございました。

「bank towada」のステッカー

十和田市中央商店街の空き店舗を利用したコミュニティ・センター「bank towada」が昨年オープン。十和田市現代美術館と商店街をつなぎ、十和田のさまざまな資産を広く発信していく。http://www.bank-towada.com/

bank towadaに設置された「まちなか展示」

9月2日まで十和田市現代美術館で行われている栗林隆の日本初個展「WATER >|< WAZZER」と連動して、bank towadaに設置された「まちなか展示」。東北復興をテーマにしたこのアートプロジェクトは、森林保全団体more trees、アパレルメーカー三陽商会とのコラボレーション。

藤浩志さんと山崎亮さん

「思い切って十和田まで藤さんに会いに来て、ほんとうによかったです。たくさんのヒントとキーワードをいただきました!」(山崎)

information

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十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

《MARE》ブランドに込められた想いとは

地域の豊かな食を伝える商品群をプロデュース。

「古来、日本では客人のことを“まれびと”と呼び、尊ぶ存在でした。
人をもてなす文化と、自然にもてなされているという感謝が日本の食の基盤です。
美味しくて、楽しくて、未来のためになることの真ん中に農業があったら、
それはきっと農家の希望になると私たちは考えています。
日本から世界に、東北から世界に。
ここ日本から、生産者とともにつくる新しい提案が始まります。
エンゲージ(結び)を楽しみながらクリエイトすること。
生む人(生産者)と、活かす人(生活者)を結ぶ。
そんな想いのかけ橋となる日本の食のブランド、それが《MARE》です」

こうした本田さんの想いから生まれた《MARE》は、
本田さんのジャパン・メイドのこだわりがぎっしりと詰まった商品群だ。
「各地域の生産者とともに食に関するさまざまな提案を行い、
それを《MARE》というブランドに集約して展開していきたいと考えています。
つまりは、地方産品のブランディングであり、商品群としての提案です。
1種類の売れる商品をつくるのではなく、
《MARE》ブランドの商品群をつくって売れるコーナーをつくるという発想ですね」

《MARE》ブランドは、次の5つの柱で構成される。

そして《MARE》ブランドの第一弾がこのたび誕生した。
福島県の生産者と、ドミニク・コルビ氏(『ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン』
エグゼクティブ・ディレクター)や、
萩原雅彦氏(カフェ・カンパニー総料理長)、
柿沢安耶氏(『パティスリーポタジエ』オーナーシェフ)などの有名シェフ7名がコラボして、
福島の豊かな食を伝える商品を新たに考案。その数なんと27品目。
「食をファッション化したかったんですよね。
ファッションって今日は何を着ていこうって、ワクワクして選ぶじゃないですか。
それと同じで今日は何を食べようというところから選ぶ。
“カレーにチャツネってどんな感じ?”とか、“シチューにジャムありかも”とか、
一緒に食べる人をイメージしながら、選んでほしいと思います」
この日、中国料理「美虎」のオーナーシェフ、五十嵐美幸氏がプロデュースした
レトルトの「野菜カレー」を試食させてもらった。
5つの柱のうちの「纏」に属するこの「野菜カレー」は、
福島県会津産のトマトとなすがふんだんに使われており、酸味と辛みが絶妙。
このようなかたちで都道府県ごとにどんどん《MARE》ブランドを立ち上げていきたいと
本田さんは語る。
「増えれば増えるほど、消費者にとっても面白くなってきますよね。
“私はコレとコレの組み合わせが好き”とか、
個々人の好みに合わせてセレクトできるわけですから。
楽しみながら、食を豊かにしていく。それが《MARE》で仕掛けたいことなんです」

あまずっぱい味わいの日本酒ベースの微発泡酒「しゅわりん」。アルコールも3度と低めで、ごくごく飲めるのどごしさわやかなお酒。こちらはカフェ・カンパニー総料理長 萩原雅彦氏のプロデュース。

十和田 Part3 風景は変わらない。 では、どうやって風景に入るか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

生活を変える。風景を変える。

山崎

どうして、藤さんが都市計画に関わることになるんですか?

奄美の喜界島出身だという地上げ屋社長に興味を持って、
彼のもとに就職したんですよ。でも、半年後に社長が突然
「ビッグバン作戦だ。全員解散!」って宣言して会社が終わってしまった。

山崎

倒産じゃなくて、解散?(笑)

そう。バブル崩壊で、解散。あとはじぶんたちで食っていけと(笑)。
面白い社長だったんです。
解散後は、そのときの仲間が立ち上げた会社に入って、
地図づくりとか怪しい物件の資料づくりとか、なんでもやった。

山崎

都市計画のことなら、時代感はわかります。
もちろん、そのころぼく自身はまだ高校生ですけれど。

でも、上からまちづくりをする時代だったから、違和感ばかり。
当時はまだワークショップの手法もなかったけれど、
もっと地元のひとと対話をしようよって思っていました。

山崎

ある日住民説明会が行われるだけの、勝手なまちづくりですよね。
藤さんとは世代的にタイムラグがありますが、それでもとても共感します。

そんな時代に嫌気がさして、地元の鹿児島へ戻り、
パブリックアートとして実家を改装したカフェをオープンしたりしながら
美術の世界に戻っていくんです。

山崎

アートとまちづくりがリンクしていくわけですね。

個人の立場で地域のひとたちとなにができるかを模索、
実践していくことになります。
90年代半ばだから、山崎さんたちが動き始める前の時代ですよね。

山崎

はい。

そのころには、地域系のアートプロジェクトも増えてきたりするんだけど、
これがただのデモンストレーションに終わってはいけないと、
それまでにぼくは学んできたわけです。

山崎

そうでしたね。

結局、どんなに面白いことをやっても、構造や仕組みに介在していかなければ、
風景は変わらない。そこにアートの手法が使えないかと考え始めるんです。

草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」

美術館向いにあるアート広場に恒久展示されている、草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」。

「種のひと」から「水のひと」へ。

山崎

ちょうどそのころ、ランドスケープデザインを学ぶなかで、
ぼくもそういったことに次第に気付いていきます。
どういうふうに木を植えるかということでは「風景」は変わりません。
ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかが積み重ねられ、
どうしようもなくできあがるのが「風景」なんです。

なるほど。

山崎

生活を変えるには、コミュニティ、
つまりひとびとの集まりのアクションを変えていかなきゃいけないと気づいて、
考え方をシフトし始めたのが阪神淡路大震災の後です。

95年の震災はたしかに大きく影響しているね。
同じころに同じ問題意識を抱えていたわけだ。

山崎

はい。ひとのつながりさえ正常であれば、
風景はもういちどつくり出せると実感したできごとでした。

一方で、ぼくは最近「風土」ということもよく考えるようになりました。

山崎

風土?

ええ。ひとを、風土に必要なものに例えるんです。
地域を育てるのが好きな「土のひと」、
面白い種を運んでくるのが「風のひと」、
メディアなどで紹介したりつなげたりする「光のひと」。
そして、いまいちばん注目しているのが「水のひと」。

山崎

それはどういう役割を担うひとですか?

面白いと思ったことを、ただ素直に「面白い」と言って、とどまるひと。
アイドルのファンみたいなものかな。面白くなくなれば、去って行く。

山崎

なるほど!

風土を語るときに、水の存在や状態、役割って大切でしょう。
超論であることを重々承知の上で言えば、
同様に、地域の活動をつくっていく上で、
どれだけそれに興味関心のあるひとを集められるか、
その流れをどうつくっていくか、
つまり水のコントロールが非常に重要なんじゃないかなと。

山崎

水の状態によって成長もするし、枯れもすると。

アーティストは種や風の役割をすることが多いのですが、
ここではぼくが「水のひと」になって地域にすでにある種を見つけて
「面白い!」と言うことで育てることができないかな、と考え始めています。

(……to be continued!)

街並みに溶け込む、美術館向いにあるアート広場

風景とは、ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかの積み重ねからできるもの。

対談の様子

「まちづくりには、もっと地元のひととの対話が必要だと感じていた」(藤) 「世代もフィールドも違うのに、ところどころで妙にシンクロしているのが不思議です」(山崎)

information

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十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 小水力発電

地域が主体となって運営する発電事業。

小水力発電は、水力発電の中でも比較的小規模なもので、
発電出力が一定の規模(例えば1万kW)以下で、
大規模なダムを使った水力発電とは区別されています。
大規模な水力発電は、大きな電力会社などが導入して運営していますが、
小水力発電は、各地域が主体となり、各地域のための発電事業として適しています。
水力発電は日本の電力を支える重要な国産のエネルギー源として戦後の一時期、
盛んに大型のダムを中心とした開発が行われてきました。
その結果、1960年頃までは
水力発電が日本の電力のかなりの割合を占めていた時期もありました。
しかし、最近ではダムを使わない「流れ込み式」などによる小水力発電の可能性が
各地で注目されています。
各地で小水力利用推進協議会が設立され活動を行っているほか、
地方自治体でも積極な取り組みが始まっています。
すでに水力資源が豊富な群馬県、富山県、山梨県、長野県、岐阜県、岡山県、徳島県、熊本県では
協議会の活動が始まっているほか、
水力資源が最も豊富な岐阜県と富山県が連携して規制緩和などを国に求めています。
さらに、農業用水の活用も各地で検討されています。
「流れ込み式」の小水力発電の原理はとても単純です。
ダムを使わず、水量の一部を使い、河川の高低差をそのまま利用して発電を行うため、
周囲の自然環境への負荷を最小限に抑えることができます。
河川に設置された取水施設で水を取り込み、除塵や沈砂した後に、
高低差を使った導水路に水を流して、発電所の水車を回し、発電をします。
発電後の水はそのまま川に戻す仕組みです。
日本国内にある出力1万kW以下の小水力発電は、
約1200基で約320万kWの設備容量で、
日本国内の水力発電設備全体の約7%程度になります(2010年度末)。
そのほとんどが1990年以前に導入された設備ですが、
この20年間に導入されたものは150基で約18万kW程度です。
これまでRPS制度の対象になった1000kW未満の小水力発電の数がある程度増えていましたが、
今年の7月からスタートする新しい固定価格買取制度では、
出力3万kWまでの水力発電が買取の対象となります。
特に出力1000kW未満、さらには200kW未満については比較的高い買取価格が定められ、
各地域の事業者による小水力発電の導入が期待されています。

TOPIC 天栄村(1)天栄村風力発電所

村おこしから始め、事業として風力発電を主力化させた天栄村の取り組み。

日本国内では1990年代以降、地方自治体が運営する風力発電所が数多くつくられてきました。
福島県の南部にある人口約6000人の天栄村も、
村営の風力発電所を持っている自治体のひとつですが、
特徴的なのは発電事業として安定した収入を得られていることです。
風力発電事業の経緯を見ていくと、
天栄村では村おこしの一環として風力発電所をつくろうと1996年に検討が始まりました。
当初は、村営のスキー場で使う電力をまかなう風車1基を建設する予定でしたが、
建設に向けた調査の過程で、計画予定地が風力発電の適地であることが判明したのです。
そこで、単にシンボルとして風車を建てるのではなく、
事業として風力発電に取り組もうということになり、合計4基を建設することになりました。
この天栄村の風力発電事業は、
1998年にNEDOの「地域新エネルギー等導入促進事業」に採択され、
総事業費の50%の補助を受けています。
そして、2000年12月に「天栄村風力発電所」の運転が開始されました。
天栄村風力発電所は、内陸山岳部に導入された国内初の風力発電所で、
出力750kWの風車4基による合計3000kWの発電能力を持ち、
年間約500万kW前後を発電しています。
天栄村の風力発電事業は、建設費用の村負担分を無借金でまかなった点が特徴です。
山間部の風力発電所建設では、風車本体の費用以外にも、
発電所建設地への道路敷設や電力会社の送電線に接続する高圧送電線の敷設など、
大きな費用がかかる工事を必要とします。
しかし、事業費をまかなうために村の借金となる地方債を発行しなかったことで、
将来的な利息負担がなく、風力発電事業による収入は全て村の歳入にすることができます。
その収入の中から、年間500万円を村内の新エネルギー導入促進のための基金として積み立て、
更に2000万円を一般会計の歳入として繰り入れ、活用してきました。
落雷による風車破損などの事故もあって、
現在は万が一に備えた積立金の割合を増やしているということですが、
風力発電事業は黒字運営が続いています。
風力発電事業への村の支出約4億7000万円に対して、
2011年度末時点で累計6億円以上の買電収入があったということです。
すでに天栄村風力発電所は、運転開始から11年が過ぎています。
村の担当者の方は、これからもしっかりとしたメンテナンスを行って、
20年でも30年でも出来る限り長くこの風車を使い続けていきたいと話していました。
地方自治体による再生可能エネルギー事業のモデル事例として、
天栄村の風力発電事業は数多くの自治体の参考にされているということです。

天栄村風力発電所