STUDY 自然エネルギー100%シナリオ

長期的なエネルギーのビジョン

大量のエネルギーを消費する現在の社会や経済では、
そのエネルギーのほとんどを
将来は持続不可能な化石燃料(石炭、石油、天然ガス等)に依存しています。
特に日本はその化石燃料のほぼ全てを海外に依存しており、
エネルギー自給率は5%程度に過ぎません。
この化石燃料の削減とエネルギー自給率向上を主な目的に導入されてきた原子力発電も、
安全性や核廃棄物などの問題から大きな見直しを迫られています。
日本では、今まさにエネルギー政策全体の大幅な見直しが求められているのです。
エネルギー消費を抑制し、持続不可能な化石燃料と原子力をできるだけ減らし、
持続可能な自然エネルギーを増やすエネルギー政策が、
世界的にも求められるようになっています。
この持続可能なエネルギー政策を実現する重要な方法として、
エネルギーの消費量を抜本的に減らす省エネルギーと共に
本格的な自然エネルギーの利用があります。
この本格的な自然エネルギーの利用を考える際に重要になるのが、
将来のあるべき姿を考える長期的なエネルギーのビジョンです。
そこで、2050年頃までの長期的なエネルギーのビジョンとして、
さまざまな「自然エネルギー100%シナリオ」が提案されています。
例えば、2011年2月には国際環境NGOであるWWFより
自然エネルギー100%の世界シナリオ
「エネルギー・レポート~2050年までに自然エネルギー100%:
The Energy Report – 100% Renewable Energy by 2050」[1]が発表されました。
この世界シナリオでは、
2050年までに世界のエネルギー需要をすべて自然エネルギーで供給することが
経済的にも技術的にも可能であるという研究の成果が示されています。
日本が自然エネルギー100%へ転換するには、
まず、2020年や2030年など、その中期的な自然エネルギーの導入目標を定める必要があります。
日本では電力について現在およそ10%の自然エネルギー比率(大規模水力発電を含む)ですが、
これからの10年程度で30%以上に高めるという政策的な目標であれば、
実質的に自然エネルギーの導入で先行する欧州各国に匹敵する政策目標となります。
欧州各国では2020年までの自然エネルギー導入目標を定めています。
日本は今後、従来の中央集中型のエネルギーシステムを見直し、
省エネルギーや自然エネルギーを中心とする分散型のエネルギーシステムに転換し、
震災復興の柱とするだけでなく、
電力安定供給・エネルギー自給率・温暖化対策を柱とする
大胆かつ戦略的なエネルギーシフトをめざす必要があります。
環境エネルギー政策研究所(ISEP)が大震災後に発表した
「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」では、
中長期的に自然エネルギーを2020年頃には電力の30%以上とし、
さらに2050年頃までには自然エネルギー100%をめざすことを、提言しています。
電力だけではなく、エネルギーシステム全体を分散型に転換し、
熱利用や輸送燃料を含めたエネルギーの効率的な利用を進めることも重要です。
導入する自然エネルギーの種類としては、
日本国内での豊富な導入ポテンシャルなどを考慮して、
電力ではこれまでご紹介してきた太陽光発電、風力発電、地熱発電、小水力発電、
バイオマス発電などそれぞれの地域の特性に合わせて導入することを想定しています。

中長期的なエネルギーシフト(電力)のイメージ(ISEP,2011)

TOPIC 岐阜県明宝サイト

古民家における再生可能エネルギープロジェクト。

岐阜県では、環境省の委託費を得て、新エネルギーパークの運営事業を進めています。
全国と同じように、岐阜県でも民生用と運輸用部分のエネルギー需要が伸びています。
民生用のエネルギー需要の伸びに対処するため、
岐阜県では、太陽電池、燃料電池、蓄電池からなる
次世代エネルギーインフラを各家庭に導入していくことを計画しています。
岐阜県次世代エネルギー・産業技術推進室の千原さんは、
この三つを「電池三兄弟」を呼んでいました。
千原さんによると、次世代エネルギーインフラは
2030年に岐阜県の半数の30700世帯に入れる計画を立てているということです。
今回紹介する郡上市明宝の古民家サイトでは、
築110年の古民家に、太陽電池、燃料電池、蓄電池の「電池三兄弟」に
まきストーブと小水力発電を組み合わせて導入しています。
郡上市は、2005年の国勢調査の46000人から、2010年には3000人減少しました。
旧明宝村は2000人の人口です。
このまま何もしないと集落の存亡の危機を迎えるのではないかという危機感があり、
古民家の所有者で郡上市の職員でもある置田さんが中心となって、
2009年度から空き屋になっていた古民家を使って「栃尾里人塾」が始められました。
週末に受講生に参加してもらうかたちで、
受講料3800円(食費、宿泊費別、宿泊は雑魚寝なら古民家でただ)
農、森、自然エネルギーの三つのテーマですすめています。
このような活動があったところに、環境省の委託費7000万円が出て、
2011年3月に明宝サイトが完成しました。
今後、10年間の成果測定を県が実施する予定です。
太陽電池は、古民家の屋根ではなく、古民家前の空き地に置かれていました。
古民家の上に載せるには重すぎたということです。
この地区は雪が降るので、雪が落ちるように傾斜角度をつけて置かれていました。
ここに導入されている燃料電池は、ENEOSの試作機で900万円したということです。
エネルギー効率が70%から80%です。
今は、250万円でまだ価格の引き下げが図られていますが、
問題は、システム内部が900度まで上がるため、
常に動かしていることが求められることだということでした。
明宝サイトは需要がすくないため、結果的に過大な設備投資になってしまっていました。
LPガスの消費量が約10倍になってしまい、
この分が地域の負担になっているということでした。
明宝サイトに設置されたリチウムイオン電池10kWも試作機で、
300万円から400万円かかっています。
寿命は鉛蓄電池よりも長くて、約10年ということです。
蓄電池の容量で電力自給率が決まり、今は7割から9割ということでした。
小水力は、公称出力が0.5kWですが、通常の出力は50Wくらいということです。
これに500万円かかっています。
実際に見学すると騒音がかなりありました。
敷地内に入り込んでいる水なので、水利権の問題はなかったということです。
これらを制御するシステムは特注品で2000万円かかっています。
今は、ハウスメーカーがパッケージで650万円で販売しているということです。
千原さんは、栃尾地区は災害時に橋が落ちると孤立する集落なので、
コストはかかるが、避難所へのエネルギー供給としては有効ではないかとおっしゃっていました。
このような集落は、岐阜県の中でも500か所(2010年調べ)強存在するということです。

古民家の前のスペースに置かれた太陽光発電

古民家全景

薪ストーブ用の薪はたくさんあります

古民家の脇に設置された小水力発電

番外編「studio-L IGA」始動!

フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」をヒントに。

JR関西本線島ヶ原駅。
大阪と名古屋のほぼ中間に位置するこの小さな駅に停車する列車は、1時間に1本。
その駅前、徒歩0分の製材所のなかに、山崎亮さんが代表をつとめる
「studio-L」のあたらしい事務所が誕生した。
2007年からこの場所でスタートした穂積製材所プロジェクト、
通称「ホヅプロ」のことは、著書『コミュニティデザイン』のなかにも書かれている。

“70歳を目前に控えた穂積夫妻が経営するこの製材所は、
跡を継いで仕事を続ける人が見つからないため、閉鎖して駅前の公園にする予定だった。
地域の人が集まる場所になると嬉しいという。穂積家は、先代が20年間
島ヶ原村の村長を務めた家だった(現在は合併して伊賀市に統合)。
地域の人たちに大変お世話になったので、息子世代のふたりは地域に恩返しするために
公園をつくろうと考えたらしい。美しい話だ。”

ーー山崎亮著『コミュニティデザイン』より

「もともと、このプロジェクトのための事務所を作ろうというアイデアがあったのですが、
東北大震災を境に気持ちが逆転したんです」と山崎さん。

つまり、studio-L の事務所として、この伊賀がメインとなり、
大阪には数人だけ残ればいいのではないかという発想。
あたらしい事務所のL字のテーブルの奥は壁面がディスプレイになっていて、
Skypeなどの通信手段を使えば、大阪事務所、あるいは「今」山崎さんのいる
どんな場所とも常時つながることができる。

「インターン希望者が増えてきたので、学び舎としての機能をもてること。
ローカルを拠点とすることで、所得の少ない若い所員も生活費が軽減されること。
ただ学ぶだけでなく、地域に若い力が残せること。
そして、公園=ひとが集まる場を作りたいという夫婦の夢を叶えること。
こういった複数の役割を叶える場として、“studio-L IGA”が生まれました」

イメージしたのは、近代建築の三大巨匠と呼ばれるアメリカの名建築家、
フランク・ロイド・ライトの「タリアセン」。
タリアセンは、ライトが生まれ故郷のウィスコンシン州に開設した、
仕事場と住まいを兼ねた場所だが、実際は、
若い建築家を育てるための工房として機能した。

“「ここは、完全な自給自足とまでは行かなくとも、せめて自足はしたかったので、
200エーカーの土地とシェルター、食糧、衣服、娯楽くらいは自前でまかなおうとした」
「タリアセンは、私の子供たちやそのまた子供たち、さらに多くの世代にとって、
クリエーションの場になるだろう」”

ーーフランク・ロイド・ライト

(『GA TRAVELER 002 Frank Lloyd Wright Taliesin』ブルース・ブルックス・ファイファーによる序文より)

「穂積夫妻の力もお借りして、製材所としての機能も取り戻したいと思っています。
“材を欲しいひと自身が動く”という発想で、
訪れるひとがじぶんの手を動かすための製材所。
端材をふんだんに使って studio-L のスタッフがじぶんたちだけで作りあげた
伊賀事務所は、そのショールームとしても役に立てそうです」

「木の家を建てることで、森林も元気になります。
木のよさを実感する経験を通じて、100人にひとりでも
“木の家に暮らしたい”と思ってくださったらうれしい。
加えて、地域の工務店さんや設計士さんがこの事務所に立ち寄って、
うちが所有する膨大な量の書籍や資料を目にしたり、
ぼくらとコミュニケーションすることで、よりカッコイイ家づくりや
グッドセンスなリノベートが島ヶ原内で可能になれば最高だな、
ということまで目論んでいるんです」

JR関西本線島ヶ原駅

JR関西本線島ヶ原駅。運行本数は少ないが、大阪からなら乗り換え1回、所用時間は100分と、意外に近い。

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所

島ヶ原駅前すぐの穂積製材所。継ぎ手の不在、業界の低迷という課題を「ホヅプロ」によって乗り越え、「製材所」としての90年の歴史をさらに未来につなぐ。

穂積製材所の代表、穂積享さんと山崎亮さん

穂積製材所の代表、穂積享さんと。「studio-L」スタッフやホヅプロに関わる学生たちにとって、「トオルさん」は、みんなのおとうちゃん的なあたたかい存在。

タリアセンについて書かれた書物

「studio-L IGA」の書棚で見つけた、タリアセンについて書かれた書物。

生活を豊かにしていくためのデザイン事務所。

「studio-L IGA」の始動は5月某日に行われた2泊3日の合宿。
studio-L の所員が一堂に会すのはこれが初めてだという。
これは、非営利株式会社というユニークなスタイルゆえ。

「中にいて外のしごとを受けるのもアリ、
外にいながら距離を置いてうちのしごとを受けるのもアリという
あたらしい働き方を模索しています。
モデルがあるわけではないので、ぼくらも試行錯誤なのですが」

創設メンバーの、山崎亮、醍醐孝典、神庭慎次、西上ありさの活躍に憧れる
スタッフ希望者はあとを断たない。
「この仕事は、ひととはなしができれば誰にでもできる」という山崎さんだが、
あらゆる課題への解決策に「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」の
質の高さを求めるのは、studio-L があくまでも「デザイン事務所」だから。

「醍醐、神庭、西上は、自由にのびのびとやっているように見えるけれど、
その背景をきちんと知ることが大事。全員が、設計や建築に長けているわけではないので、
他分野から関わってくるメンバーは、せめて専門用語を理解する必要性もある」

いまのプレゼンテーション、全然オモシロくないよ。笑うところがなかったもんね。
それに、フォントの使い方が全然なってないね……。
メディアでは、おおらかな笑顔が取り上げられることの多い山崎さんだが、
合宿の場において、その口から飛び出すことばはどれも的確で、
細かいけれど肝心な1点を刺すように指摘する。

「初めて訪れるまちでは、ぼくらはヨソモノ。
地元のひとにどんなに叩かれても、大声で帰れと言われても、
へこたれたり諦めたりするのではなく、すぐに次の新しい提案ができる。
そんな精神的なタフさが求められます。
だって、ぼくらは参加者ではなく、ひとを動かす、マネージメントをする側ですからね」

現場での厳しさをいくつも乗り越えてこそ、どんなときも笑顔で
「Yes, and……」と言えるのだ。
「まちのために活動してあげる」ひとではなはく、
「まちを使って楽しませてもらっている」と思えるひとを育てる。
山崎さん自身の経験に基づいているから、その芯は強く揺るぎがない。
「Life(生活/人生)こそが財産である」とは、
19世紀の美術評論家、ジョン・ラスキンのことば。

「個人のしあわせでなく、複数のひとが
相互にしあわせだなと思う気持ちを高めたいですね。
studio-L は、生活を豊かにしていくためのデザイン会社なのですから」

製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント

ホヅプロの第1弾プログラム「家具づくりスクール」を実行するため、宿泊場所として製材所内に設置された「ねどこ」こと、木製テント。関西で活躍する建築家にデザインを依頼し、建てる作業には学生たちの参加を募った。

「studio-L IGA」での合宿の様子

「studio-L IGA」での合宿の様子。L字のテーブルを囲むメンバーは、仕事の付き合いは長いが初対面、という顔ぶれも多い。

NPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」

「studio-L」およびホヅプロスタッフの胃袋を支えるのは、同じ製材所敷地内にあるNPO法人「伊賀・島ヶ原 おかみさんの会」。

information

map

studio-L IGA

山崎亮が代表をつとめる会社「studio-L」の5つめの事務所として2012年5月に開設。JR島ヶ原駅前の穂積製材所敷地内にあり、通信手段を通じて、常に大阪をはじめとするほかの事務所、山崎亮本人とつながることができる。

住所:三重県伊賀市島ヶ原5844

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

馬場浩史さん

自分の居場所と、持続可能な暮らしを求めて。

益子の古い市街地を抜け、焼き物や藍染めの店や工房が並ぶ一角を
もう少し奥へと進んでいくと、池沿いに「STARNET(スターネット)」が現われる。
自然と調和した暮らし、ていねいなものづくりを益子という地で実践する馬場浩史さんが
15年前に始めたギャラリーとカフェは、これまで多くの人々を、
時に客として迎え、また、“働く人”“つくる人”として迎え、持続してきた場所。
ここは、馬場さんが「思いをかたちにする」という実践を続けてきた、ひとつの聖地。

土地の新鮮な食材で提供されるオーガニックな食。益子伝統の手仕事に、
デザインや使い心地を追求してつくり上げられてきたオリジナルの陶器。
草木染めのオーガニックコットンやリネンの服。
靴や鞄もヌメ(草木のタンニンでなめす)の革を使った手仕事。
この場所でレコーディングされたスターネットレーベルの音楽……。
クラフト作家たちの発信の場となるギャラリーも併設している。
少し前には、オーガニックヘアサロンもできた。
ここでは、オーガニックのシャンプーなどを使い、
土地を汚さないようにと、カラーやパーマはやらない。
建物は、太陽光や太陽熱を使ったエネルギーの自給をめざして運営されている。
衣食住、そしてエネルギー。すべてが自分たちの仕事として、
ていねいに取り組まれている。これこそが、このスターネットの営み。

「下の須田ヶ池の手入れをしようかと思っていますよ。
山や川の状況が昔と変わったのでしょう。水が濁ってしまった。
いろいろな方法で、水をきれいにして、蛍が飛ぶ池にしたい」
馬場さんがそんな話をしてくれたのは、5月。
益子の夜はまだ少し肌寒く、土間になっているテラスに薪ストーブが焚かれ、
この家の守り犬、ハクが寝そべっている。
神様犬とみんなから呼ばれるホワイトシェパードだ。
屋外からは蛙や虫の鳴き声が聞こえる。
新じゃがの煮転がし、こんにゃくと厚揚げの煮物など、
パートナーである和子さんの手料理はもちろん地の野菜。どれも本当においしい。
きわめつけは、シンプルな梅のおにぎり。馬場さんは東京出張のときにも、
このおにぎりを持参して、みんなで食べながら打ち合わせをするそうだ。
「スターネットは、時間を経て、いろいろな人が関わりを持ち、
いま熟成してきたように感じます。独特の磁場に引き寄せられて、また人が集い始める。
逆に言えば、それぞれがもともと持っていて閉じていたものが、
スターネットとの出会いによって、開くのかもしれませんね。
そんな人が増えてきたと思います」

自然と調和した暮らしを実現するため、1998年に益子スターネットが誕生。

遠方からも多くの人が訪れるギャラリーとカフェ。地の食材を使った料理が味わえる。

馬場さんとスターネットの15年については、
多くの方がこれまでも伝え語ってきたことだが、少しだけ振り返っておくと。
馬場さんは、1980年代、ファッションブランド「TOKIO KUMAGAI」で
故・熊谷登喜男氏のもとで働いていた。しかし、グローバルな社会に違和感を感じ始め、
自分の居場所を求めて、37歳のとき益子へやって来る。
そして98年にスターネットをオープン。
デザイナーだった星恵美子さんが「キッチン」で料理を担当し、
あとはアシスタントがひとりという、ミニマムの態勢でのスタートだった。
ギャラリーでは、益子にない新しい文化を紹介しようと思い、
サウンドアートや写真、ペインテイングなどの展覧会を企画した。
やがてオーガニックに意識の高い人たちが、遠方からも駆けつけるようになり、
1年も経たないうちに改装して店を拡張するなど、経営が軌道に乗り始める。
当初は、ほかにもたくさんお店があるからと扱っていなかった焼き物にも、
しだいに目を向けるようになった。
「焼き物でも僕らの役割があると思ったんです。
ほかのお店にはないような編集で、自分たちでオリジナルもつくり、
新しい陶器のギャラリーを目指しました。そうやって少しずつかたちになってきました」

店内にはスターネットオリジナルの器や、益子で活動する作家の器がセンスよく並んでいる。

ていねいにつくられ、安心して食べられる食品を提供するスターネットフーズ。豆やお茶などもある。

「自然に調和する音」をコンセプトに掲げるレーベル「STARNET MUZIK」のCDも販売している。

からだで感じて、きちんと“手入れ”をしていく。

スターネットに惹かれて、益子に若手のクリエイターたちが集まってきたのは、
とても自然なことに思える。
2010年にスターネットに開設された工房「art workers studio」では、
陶芸や服飾など、若手作家たちとの共同作業による作品制作が行われている。
このインタビューの最中も、靴や鞄など、革を扱う作家の曽田耕さんが
隣で作業をしていた。彼はふだんは東京・浅草で活動しているが、
週一度スターネットに通い、馬場さんと制作を続けている。
「それぞれのクリエイターのなかにあるものを、僕は引き出す役割をしているのかな。
その人にとって自然な方向にクリエイティブを導いて、
その仕事が、スターネットとつながっていくのが理想。
いずれは、みんなが持ち寄ったものでスターネットができていくのがいい。
スターネットとしてのスタンダードはぶれちゃだめだけど、
一緒に仕事をしていくなかでつかんだ技術やセンスをうまく使いながら持続していけば、
僕がいなくてもやれるでしょう」

art workers studioで制作をする曽田耕さんも、スターネットに引き寄せられた作家のひとり。

黒板には、作品のデザインやスケジュールなどが書き込まれている。自由な発想が生まれる場所。

2011年2月、東京は馬喰町に、スターネットで生まれたものを紹介する
「starnet 東京」をオープンさせた。そこへ、3月にあの大震災。
私たちの生活の基盤を揺るがすような事態に、馬場さんはとてもショックを受けたという。
そのショックもあったのか、腰を痛めてしまい動けなくなってしまったそうだが、
それでもしばらくすると、大阪や倉敷へと足を運んでいた。
「ここでじっとして頭で考えてばかりいてはだめだと思った。
からだを拡張させるように、少し触覚を伸ばしてみたんです。
いろいろな人の話を聞いて、それぞれのまちの状況を聞くと、
感じ方が全然違うことがわかりました」
そうこうするうち、縁あって、大阪のとあるビルを借りることに。
場所は瓦屋町。その名のとおり江戸時代に瓦を焼いていたというまちだ。
「500年くらい続く鰹節屋さんがあったり、町家もたくさん残ってるんですよ。
土地にぐっと根を張って生きている人たちがいて、いきいきと暮らしている。
あんな状況でしたから、そこにいるときは、魂の休息になりました」

かくして「starnet 大阪」は、震災から1か月余りの4月23日にオープン。
そのスピード感には驚かされるが、やはり馬場さんが
すぐれた身体感覚の持ち主だということがわかる。
馬場さんはいつも、からだをアンテナにしているのだ。
「頭で考えていてもオーバースケールになっていくから、
自分のからだに立ち返ることが大事。からだをアンテナにして、何を感じるか。
そして感じたことに対して常に“手入れ”をすることが必要です。
部屋が汚れていて嫌だなと思ったら、きれいにして快適にしていく。
人に対する接し方に違和感を感じたら、きちんと手入れをしていく。
食べるものも身につけるものもそう。
僕はお肉を食べるとあまり調子がよくないから食べないし、
服も自然素材のものを使って全部自分でつくります。からだをアンテナにしながら、
これは気持ちいい、これは気持ちよくないからこうしよう、と考えていくと、
食べものも暮らしも、おのずと決まってきますよ」

ひとりひとりの感覚と、社会、地球はつながっているというのが馬場さんの根本的な思想。
気持ちいいことに正直に生きることの大切さと、必要以上の欲望を持たない、
過剰に求めないことのバランス。それがこれからの人間のセンスだと語る。
「僕は正しいと思うことに突き進んで、矛盾なく暮らしたい。
個人的には、自給自足の暮らしをするために、
外の何にも頼らない自活型の最小住宅を作って暮らすのが夢です。
でもまずは、もっと深くこの土地に根ざして暮らすことから。
植物や動物は自分が与えられた場所で生きていきます。
人間も、歩ける範囲で暮らすというのが本来の生き方だったはず。
そこから離れてしまったことに、そもそもの問題があるような気がします。
完璧にはいかなくても、それに近い暮らしを実現させるのが、未来を考えるうえで
いちばん大事。グローバルな社会からは、未来に希望は持てませんしね」

素焼きの器が並ぶ工房。シンプルで洗練されたデザインのスターネットオリジナル。

益子を、現代の聖地に。

馬場さんは、益子で開催される「土祭(ヒジサイ)」の総合プロデュースも手がけている。
古くから窯業と農業を営んできた益子の風土と文化を見つめ直し、
展示やワークショップ、セミナーなどさまざまなイベントが重層的に展開する土祭は、
2009年に第1回が開催され、2011年の「前・土祭」を経て、
2回目が今年2012年9月16日(新月)から30日(満月)まで開催される。
民も官も手を携え、まちをあげての一大行事だ。
「土祭をきっかけに、地域の力を呼び覚ましていくことができないか。
たとえば、このあたりには野仏がたくさんあるのに、
ほとんど手入れが行き届いていない。それをきれいにしてあげて、
野仏マップをつくったら面白いんじゃないかって提案したんです。
それに宿泊施設が足りないから、ひとり住まいのおばあさんの家に
民泊できるようにして、田舎料理を味わってもらうとかね。
ここにある歴史的な資源を発掘して、現代の桃源郷を演出できたら、
いまみんなの心が求めている世界ですから、それで成功です。
益子は古来、聖地であったわけだし、民芸の聖地でもあります。
だったら現代の聖地と考えるのも悪くない。
自然豊かで手仕事が残っていて、等身大の暮らしが実践されている、
美しい現代の聖地、桃源郷。それって面白いですよね」

スターネットは最終的な目標やゴールは設定しないという。
“いま”という瞬間にどれだけ真剣に向き合えるか。
その積み重ねで、スターネットを15年走らせてきた。
馬場さんは、もう何も欲しくないという。
「ここにいる限り、基本的にこの恵みのなかでやるということを考えています。
ここにあるもの、やり方で充分と考える。そうするとその結果、
ここにしかない独特のもの、スターネットでしか生まれないものになると思っています」

土祭の総合プロデュースも手がける馬場さん。「予算がないのって面白いですよ。予算があったらできないことができます」

本当の豊かさを探して。スターネットはこれからも続く。

information


map

STARNET
スターネット

住所 栃木県芳賀郡益子町益子3278-1 TEL 0285-72-9661
営業時間 11:00 ~ 18:00 木曜定休
http://www.starnet-bkds.com/

profile

KOSHI BABA
馬場浩史

スターネット主宰。1958年生まれ。
12歳で真言宗の僧侶として得度するが、その後、体調を崩し、僧侶の道をあきらめる。

1980~88年
ファッションデザイナー故熊谷登喜男のパートナーとなり、パリ、ミラノ、東京を活動拠点にTOKIO KUMAGAIブランドのプロデユースを手がける。

1991年
「遊星社」設立。企業の宣伝美術のプランニングやプロデュースなどに携わりながら、舞台やインスタレーションなどの個人作品を発表もするなど、独自の活動を続ける。また恵比寿に手仕事や食(オーガニック)のためのギャラリー&カフェの運営も始める。

1998年
栃木県益子町にそれまでの活動の結晶化、STARNETをスタートさせる。オーガニックレストラン+ギャラリー、陶器やコスチュームの工房も併設。

2004年
馬場浩史環境設計事務所設立。工芸的な手法による建築や空間のプランニングやプロデュースをする。ZONEをオープン。展覧会やワークショップ、コンサートを開催する。

2007年
RECODEをオープン。民間療法による身体の手当を目的とした野草茶寮や鍼灸院の運営。手仕事を紹介するギャラリーも併設。STARNET MUZIK活動開始。「自然に調和する音」をコンセプトに、音作り(レーベル)を始める。

2009年
益子町全域に及ぶアートイベント「土祭」を総合プロデユース。

2010年
art workers studio(starnet内)開設。当スタジオでは、 陶芸、服飾などの若手アーテイストとのコラボレーションによって、ナチュラルで独自なクラフト制作を始める。

2011年
starnet東京、starnet大阪をオープン。art workers studioでの制作の成果を発表する。

仏生山 Part4 じわじわゆっくり 変わっていく強み。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「楽しい」と「好き」を10年がかりで増やしていく。

山崎

魅力的な「ひと」が魅力的な「まち」をつくる、という感覚はいいですね。
どんなひと、どんなお店が欲しいな、という具体的なイメージはありますか?

おいしいパン屋さん(笑)! あと、高松の市街地に
「しるの店 おふくろ」という家庭料理店があるのですが、あんな雰囲気の夜の店。

山崎

お店を始めるには、このくらいの規模のまちが実はいちばんですよね。
どうせなら、岡さんに続いて、パイオニアになれるひとがいいですね。
はじめのうちはお客さんが少なくても、
たとえば今の時代、売り上げの何割かをネットで稼ぐこともできます。
そういう方法の取れるひとなら、無理なくお店を始められそうです。

はい。

山崎

いちばんはじめに岡さんに会いに来たときに、
すでに「まちぐるみ旅館」の構想を描いたかっこいいパンフレットができていて、
ああ、いいなって思ったんですよね。

ありがとうございます。

山崎

でも、それをじわじわと時間をかけて進めているのがきっといいんですよ。
早急にやろうとすると、独裁者になってしまいかねない。

じわじわすぎるほどですけどね(笑)。
2009年からは、秋祭りの「仏生山大行列」のときに、
街道沿いの古い町家の軒先を借りて、こども、地域、手づくりを
テーマにしたお店を30店舗ぐらい出店してみる試みをはじめています。

山崎

行政でいう「社会実験」ですね。
つまり、街道が賑わうイメージをみんなで共有する。いいですね!

法然寺

讃岐高松藩初代藩主松平頼重が建てた、松平家の菩提寺「法然寺」。苔むした古い石段をゆっくりと歩いて案内してくださる岡さん。

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町

秋には、「仏生山大行列」で賑わう門前町。街道沿いの町家の軒下を借りて、約30のお店が出店する試みを実行している。

このまちの、グッドネイバーズとして。

山崎

古い町家に暮らしたいひとの募集やまちぐるみ旅館のプロモーションは
どんどんやっていくんですか?

うーん、やらないと決めているわけではないのですが、
ほんとうに少しずつ、ですね。

山崎

それでいいと思いますよ。

「まちづくり」っていう大層な旗を立てたくない、というか。

山崎

studio-Lも、実はそのことばをあまり使いませんね。
あくまで「コミュニティづくりのお手伝い」。
ぼくらの場合は、まちづくりの専門家でないという理由もありますが、
岡さんは、個人的な想いから発生している活動なので、
とくにそこが徹底していますよね。

「活性化」「まちおこし」も使わないキーワードです。

山崎

「まちづくり」ということばは、80年〜90年代、法廷都市計画に対して、
市民が主体となる都市計画のことをそう呼んで、
そのころはそれがカウンターパートになれたのですが、
ぼくらはさらにその後にまちと関わり出した世代。
「まちづくり」さえも、派閥を作ったり縄張り争いをしたりしていて、
窮屈だなぁと思ったり。
だからしっくりこないのかもしれないし、いま、ぼくらの世代が使うと、
あぁそっち派ですね、という理解になっちゃうのもある。
もちろん、世代論で簡単に片づけてしまえるような話ではないのですが。

慌てず、年1%計画でゆるやかに進めていけばいいかなと。
本来、まちのあり方ってそのくらいのペースだと思うんです。

山崎

そうですね。「まちづくりプロジェクト」と称してしまうと、
なかなかそうは言っていられなくなるのが現実。
岡さんの場合は、「ニヤニヤしたい」という個人のわがままが、
閉じていなくて公に開いている感じがあるので、気持ちがいい。
滅私奉公的なまちづくりではなく、そういうのを
グッドネイバーズ(GOOD NEIGHBORS)というのかもしれませんね。

対談の様子

「10年がかりで少しずつやっていきます」(岡) 「じわじわと変わっていけるのも、強みかもしれませんね」(山崎)

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

Facebook:http://www.facebook.com/machigurumi

【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

Web:http://busshozan.com/

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SHOHEI OKA 
岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

Web:http://ooso.busshozan.com/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part3 温泉の効能と 番台の役割について。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

父と温泉。その効能について。

山崎

岡さんて、ぼくにとっては「おもてなしの上手なひと」。
とくに、建築界では希有なほどのもてなし上手です。

実家が飲食業を営む環境だったからでしょうか。

山崎

おとうさまは、どうしてまた温泉を掘り始められたんですか?

ぼくで4代目ですから、当然父も同じ環境で育っていて、
父が幼いころ、つまり祖父の代では旅館も手掛けていたらしいんです。
そこで、子どもの役目が風呂焚き。
だから「焚かなくてもいいお風呂」は、父の夢だったそうなんです。

山崎

なるほど。焚かなくても温かいお風呂(笑)。

掘り当てたからよかったものの、家族はヒヤヒヤですよ(笑)。

山崎

そりゃあ、そうでしょうね(笑)。
低温で炭酸ガスを含んだお湯がたまらなくきもちよくて、
いつもすっかり長湯をしてしまうんですが、あれが非加熱の状態なんですよね。

そうです。非加熱のまま、33度の低温にゆっくり浸かっていただく浴槽を、
男湯、女湯ともひとつずつ設けてあります。

山崎

それにしても、偶然のタイミングとはいえ、
独立してすぐに仕事ができたというわけですね。

はい。建築家としては、ほんとうにラッキーでした。

山崎

浴場は、中庭を囲むように湯船や洗い場が配置された独特の空間ですが、
参考にしたケースはありますか。

とくにリサーチをしたわけではないのですが、従来の銭湯や温泉って、
ここで脱いでここで洗って……と誰も迷わないようにできている
「やりなさい建築」だと思うんですよね。
つまり、とても機能的だけど、窮屈。そこを突き抜けて、
伸びやかで自由度の高い利用を促せたら、という思いで設計しました。

仏生山温泉のフリースペース

仏生山温泉のフリースペース。「小さいこどもは必ず駆け出します」という広さ。訪れたひとが自由な時間を過ごせる空間。

浴場にもって入れる古本が並ぶ「仏小書店」

「本を読みながら湯浴みをしているひとが多いことに気づいて」浴場にもって入れる古本を置くようになった。その名も「仏小書店」。

番台に立ってわかってきたことは。

山崎

ふつうは設計したら終わりですが、岡さんの場合は、
そのまま経営者になってしまったわけですよね。

そうですね。

山崎

番台に立つことでまちへの関わり方に変化が生じた、というのは
とても興味深いです。

なんでしょうね。ひとをよく見るようになったのかもしれません。

山崎

「見る」?

ええ。うまく言えませんが、日々訪れてくださる方たちの表情を見ていて、
なんとなくお客さんの次の行動や希望されていることが
わかるようになってきたというか。
決して、ひとりひとりじっくり観察しているわけでもないんですけど。

山崎

それ、わかる気がします。ワークショップの経験を重ねてきて、
ぼくも同じような感覚を持っていますよ。
「あ、このひと、次はこんな発言するだろうな」
「こうしたいんだろうな」というようなことがだいたいわかってくるんですよね。

たぶん、一緒ですね(笑)。

山崎

それと、こどもができて変わったというのは、
彼らが大きくなった将来のまちのことを考えるようになったということですか?

それもありますが、基本的には「自分のため」ですね。
あくまでも、じぶんがいかにニヤニヤしながらこのまちで暮らしていけるか。
そのために、まちをどうにかしようと思い始めた。これが軸にあります。

山崎

うーん。この対談で岡さんのことばを読んで、救われるひとが多そうです。

……え?

山崎

なんていうのか、すごくない感じというか(笑)。
……高邁な理想を掲げない感じがとてもいいと感じます。

それで誰かが救われるなら、光栄ですよ(笑)。

(……to be continued!)

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷

お風呂上がりにイートインスペースで食べられるかき氷は、粉雪のようにふわふわ。岡さんのイチオシは、キウィのフレッシュシロップ。

仏生山温泉のフリースペースで対談中

「初めて取材で訪れたとき、ふたりで低温の湯船に寝そべって、ずいぶん語りましたよね」(山崎) 「それで、女性編集者さんをメチャクチャ待たせてしまったんですよね」(岡) 「そうでした!いやあ、あれは申し訳なかったな(笑)」(山崎)

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

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【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

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1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

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山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part2 ずっとこのまちで 暮らしていくということ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ニヤニヤしながら生きていきたい。

山崎

ぼくと岡さんは、同い年で同じ建築畑。だからとても親近感があるんです。
なぜ、建築家になろうと思ったんですか。

あはは。ずいぶん遡りますね。
じつは、高校生のころは物理をやろうと思っていたんです。

山崎

物理?

物理学者の寺田寅彦に憧れたんです。いい意味で変態というか、
ジャンルを超えて生きる感じとか、ニヤニヤした感じが好きで。

山崎

たしかに彼は変人ですよね。いい意味で(笑)。

でも、試験に受かったのが徳島大学の工学部建設工学科。
まあ、物理は大学院からという手もあるな、と考えてそのまま入学、
土木の世界に入っていきます。

山崎

お。土木からとは、知りませんでした。

でも、いざ就職のことを考える年ごろになってみると、
土木って、行政のしごとが100%だということがわかってくる。
そのことに気づいて、個人でも世界と戦える建築を目指して
大学院に進学しようと決めたのが大学4年の夏のことで……。

山崎

物理への志はもうすっかり忘れてたんですね(笑)。

その通りです! 我ながら、未成年ならではの責任感のなさがたまりません。

山崎

いい話だなあ。

でしょう(笑)。
とはいえ、建築の勉強もあんまりマジメにやってこなかったので、
いまでも自分のしごとを「作品」といわれるのは苦手なんです。

山崎

その感覚、わかります。ぼくもまったく同じですね!

就職して、初めて建築を学んだようなものです。

山崎

新卒で、「みかんぐみ」ですよね。

はい。5人のボスがいるから、5倍学べると思ったんです。

山崎

なるほど、それはいい。

「これがカッコイイ」とか「美しい」という感覚は、
「みかんぐみ」を辞める3年目になって、ようやくわかった気がしますね。

岡昇平さん

生まれ育ったまちにUターンしてちょうど10年。暮らすうち、年齢を重ねる間に、次第にまちとの関わり方が変わってきたという岡さん。

暮らして変わった「わたし」と「まち」の関係性。

山崎

3年で独立って、少し早いですね。

今から思えば(笑)。でも、東京は楽しいけれど、
じぶんにとって暮らしや生活の場ではないなという感覚はずっとあったんです。

山崎

もともと、ひとりで世界と戦うべく建築に入ったわけですから、
リアルな目標として独立を目指していたんですね。

そうですね。ちょうどそのころ、実家で父親が温泉を掘り当てるんです。

山崎

そこがすごい話なんですけど、そのタイミングは、
岡さんのUターンと示し合わせて?

いや、まったくの偶然です。それが2002年のことで、
4代目として家業を継ぎながら、設計事務所を立ち上げることになりました。

山崎

その当初から「まちぐるみ旅館」の発想はあったんですか?

いえ。まったく自分のことしか興味がありませんでしたよ(笑)。

山崎

でも、変わったんですね?

そうですね。そこには、番台に立つようになったこと、
こどもが産まれたことが大きく影響しています。

山崎

やはり、こどもを持つと変わりますか?

全然違いますね。
ぼくの場合は、愛情の拡張スイッチが「オン」になった、という感じでしたね。
じぶんのこどもだけでなく、他人のこどももかわいく思えてくる、みたいな感覚。

山崎

番台に立って変わった感覚は?

言い変えるとするなら、
パブリック性の高い場所にずっといる、ということでしょうか。
しかも、帰るときは、間違いなく誰もが気持ち良さそうな顔をしているでしょう?
風呂上がりで怒ってるひとはいない。

山崎

……あ!

このまちで、ニヤニヤして生きていきたい。再び、そう思うようになったんです。

(……to be continued!)

仏生山来迎院法然寺の門前町

まちぐるみ旅館が点在していくのは、仏生山来迎院法然寺の門前町。昔ながらのたたずまいを残す町屋造りの元商家も、まるであらたな役割が与えられるのを静かに待っているかのよう。

築約90年の町家を改装した「Cafe asile」

上の建物と同じ、古い街道沿いにある、築約90年の町家を改装した「Cafe asile」。週末ともなれば満席になる人気のカフェ。

対談の様子

「建築界において、岡さんほど人間的に“おもてなし”に長けているひとは、ほかにいないんじゃないかなあ。今日はそのルーツが知りたいんです」(山崎)

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

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【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

TEL:087-889-7750

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岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。物理学者を目指したのに、なぜか徳島大学工学部建設工学科に入学、卒業のころには志をすっかり忘れて日本大学大学院芸術学研究科修士課程に進学、建築を学ぶ。建築設計事務所「みかんぐみ」を経て高松へ戻り、2002年「設計事務所岡昇平」設立。仏生山温泉番台。

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山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

仏生山 Part1 「仏生山まちぐるみ旅館」の はじまりについて。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
仏生山編・目次

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高松市仏生山町に暮らし、仏生山温泉の番台を務める岡 昇平さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

点と点でまちをつなぎ、まち全体を旅館に見立てる。

山崎

こんばんは! こんな遅い時間にすみません。

いえいえ、うれしいです。お待ちしていました。

山崎

この建物、以前に来たときは外から拝見しただけでした。
あのときはたしか、ひとが住まれていたんですよね。

はい。5年前に住宅として設計したのですが、ご家族が引っ越されたので、
今はぼくが賃貸で借りているんです。

山崎

それで、ここを仏生山まちぐるみ旅館の「客室」に?

ええ。「縁側の客室」と名付けて、宿泊施設として4月からオープンしています。

山崎

まちぐるみ旅館計画……とうとう動きだしましたねえ。

ようやく、です。

山崎

もとは、まちなみを残すために古い物件も使えれば、という計画でしたよね。

そうですね。基本的には今もそう考えています。
でも、ちょうど、改築なしですぐにオープンできるところが出てきたので(笑)。

山崎

なるほど。ここは旅館業法や消防法もクリアしているんですか?

はい。誘導灯の追加設置は覚悟していたんですが、
こんなに大きく外に開かれているので、それも必要ないと判断してもらいました。

山崎

たしかに(笑)どこからでも飛び出せますね。バスルームはこの扉の奥ですか?

あ、どうぞ。こちらです。

山崎

うーん、またちょうどいい感じにこぢんまりしてますね。
これは、仏生山温泉に行きたくなります。
両方が岡さんの設計ということで温泉の建物との意匠的な共通点もありますし、
こうして見ると、まるで最初からまちぐるみ旅館の「客室」のために
造られたようですね。

まったくの偶然ですが。

客室をまわりながら対談中

「基本的にはシャワールームとして設計しています」(岡)。「ぜいたくなバスルームにしなくて、よかったですね(笑)」(山崎)。

「一緒に遊んで楽しい」というあたらしいフィルター。

山崎

一方で、泊まれるモデルルームということもできますね。
「設計事務所岡昇平」としては。

あ、ほんとうですね(笑)。

山崎

ぼくもさっそく家族で泊まりに来たいなあ。

ぜひ! いつでもお待ちしています。

山崎

ここに泊まって、外湯に行く。その道中の商店街に、
小さなお土産物屋さんや食堂がある、そんなイメージですよね。

はい。そこから、楽しいひとの繋がりが生まれたらいいなと考えています。

山崎

このプロジェクトはすべてが岡さんの直営になるんですか?

いえ。複数に分散したいと思っています。
このまちで、一緒に遊んで楽しそうな人に、
ぜひ手を挙げてもらいたいと願っています。

山崎

この記事を読んで手を挙げるひとがいたとして、
物件はもう用意されているんですか?

はい。今、4軒あります。

山崎

さすがですね。岡さんが地元のひとだからこそだと思います。
どこのまちでも、よその人は物件を借りることさえ難しいですから。

そこは、このまちで生まれ育ったぼくの出番ですね。

山崎

いちばん大変なところをつないでくれるひと=岡さんだから、
「岡さんと一緒に遊んで楽しい」ひとがいいんですよね。
ただ「地方で暮らしてみたいひと」というだけじゃなく、
面接、面談のようなフィルターをかけることは、
大変だけどとても必要なことだと思います。

魅力的な「ひと」に来ていただいてこそ、
魅力的な「まち」になるんだと思っています。

山崎

あとは、温泉街の浴衣みたいに、泊まっているひとの目印があると楽しいですね。
たとえば大きな和傘のようなもの。

いいですね! 記号の発想。楽しそうです。

(……to be continued!)

ブルーモーメントの客室

ブルーモーメントの客室で久々の再会。同い年、同じ建築畑とあって、はなしは尽きない。

縁側の客室

仏生山まちぐるみ旅館の「縁側の客室」。施設使用料9800円+1名1泊につき4600円(1棟貸、定員2~10名。食事なし、仏生山温泉入浴無料、施設使用料は初日と4日目ごとにかかる)。予約・問い合わせ 087-889-7750

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仏生山まちぐるみ旅館

客室や食堂や大浴場など、さまざまな役割がまちの中に点在し、まち全体で旅館の機能を担う取り組み。既存の店やあらたに誘致する店と、時間をかけて魅力的な地域をつくり、楽しい人のつながりをつくる。現在は、「縁側の客室」と「仏生山温泉」などがオープン中。

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【仏生山温泉】

住所:香川県高松市仏生山町乙114-5

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鯨本あつこさん

「島の情報は探しにくい」という気づきから生まれたメディア。

「日本には6852もの島があって、そのうちの約430島が有人島なんです。
こんなに日本に島があるなんて、ですよね。
まだまだ私たちが知らない島も多いんです」
そう話すのは、離島の情報を集めたウェブサイト『リトケイ』こと『離島経済新聞
と、タブロイド紙『ritokei』の発行人・編集長の鯨本あつこさん。

さぞかし島と縁深いのかと思いきや、意外にも生まれ育ちは大分県の内陸部だそう。
そんな鯨本さんが、なぜ「島」のメディアを?
「 福岡で地方情報誌の編集者、美容学校の非常勤講師、飲食店、
販売などの仕事を経験したのち、
上京して経済誌の広告ディレクターやイラストレーターとして働いていました。
さまざまな職種を経験するうちに、
自分が本当にやりたいことはなんだろう? と考えるようになりました。
スクーリングパッド*1 のデザインコミュニケーション学部に通いだしたのもこの頃です」
デザインや編集を学べると思って通い始めたが、
ここで出会った仲間たちと、広島県の大崎上島に行ったときに、
島人の穏やかな島暮らしに魅了されたのだと言う。
「しかし、大崎上島という島をネットで調べようとしても、情報が出てこない。
それどころか、全国の島の情報を検索するのは意外と難しいということに気づいたのです」
鯨本さんの言葉のとおり、「島」という字は地名だけでなく、
人名にも多く使われる上に、島の名は読みが難しく、正確に検索をかけることが難しい。
それなら、さまざまな島の情報を集めたサイトを自分たちでつくろう。と、
大崎上島へ行ったスクーリングパッドのメンバーとともに『リトケイ』を立ち上げたのが、
2010年の秋。
編集長である鯨本さん自身も取材や執筆を行い、
「島記者」と呼ばれる、全国の離島に住まう7名ほどのライターたちとともに、
ほぼ毎日記事を更新する。
例えば、鯨本さんが執筆した「島人インタビュー」は、島人の口調が反映された文章で、
のんびりとした島の空気も文章にとじ込められているかのよう。
こうして日々アーカイブされていく記事は、島人の話以上の情報量を運んでくれる。
なるほど、「島のことは、リトケイで。」のコピーはダテではない。

*1 廃校となった旧池尻中学校の校舎を再利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」で開催されている学生・社会人向けの学びの場。

リトケイ』トップページ。未踏の島に想いを馳せるもよし、情報収集して赴くもよし。
今年5月のサイトリニューアルで、いっそう島の情報がみつけやすくなった。

島のかたちはそれぞれ個性的で、有人島435島を並べてみると圧巻。
「離島出身者が自分の島をみつけたときに“うちの島”と呼ぶのですが、それが“うちの実家”と言うのと同じような感覚。本土のひとにはないことですよね」(鯨本さん)

紙とウェブ。ふたつの『リトケイ』がある理由。

いまでこそウェブと紙の二本柱で運営している『リトケイ』だが、
創刊した当初は、ウェブのみで展開していこうと思っていたと言う。
「紙ほどコストがかからないし、
無料で観てもらえるというウェブのメリットは、やはり魅力的。
でも、私たちはひとつひとつ大切なことをインタビューで聞き、
島人たちも真剣に話してくれているのに、
これをウェブという限定的な場だけにとどめておいていいの? と悩みました。
それに、パソコンはビーチには持っていけないし(笑)。
そこで、ウェブの『リトケイ』で公開していた、私たちが知っている島の素敵な情報を、
タブロイド紙『ritokei』で年に4回発行することにしたのです」
ウェブと紙面では、デザインも編集の手順も大きく異なるため、
両方発行すること、継続して情報を提供することはとても根気のいることのように思える。
「手間をかけて出版することで、“こちらも本気でこの情報を届けたいと思っているんだ”
という意思が伝えられればと思っています。
私たちが島々を取材しながら集める情報というのが、
島に住む人、島に興味がある人、
さまざまな人にとって大切な情報であるということを考えながら、
ふたつの『リトケイ』を制作しています」

季刊紙の『ritokei』は現在No.02まで発行されている。全国の書店、港などの売店、飲食店、雑貨店などで販売中。
(定価150円。※ノベルティ付きパッケージ定価300円〜500円)

「島本専用の本棚」を全国の書店へ。

現在、『リトケイ』は“出版社”や“メディア”という枠を越えた新しい試みに着手している。
それが、「島Booksプロジェクト」。
例えば、「料理」に関する本は雑誌も書籍もまとめて「料理本コーナー」に置かれているのに、
「島」に関する本は、雑誌も書籍もバラバラの場所に並べられていることを、
鯨本さんは以前から不思議に思っていた。
「島に関する本って、良質で数も豊富なのに、
“探したいけど探せない” “欲しいけどみつからない”
それに、つくり手としても“つくっても売る場所がない”という状況なんです。
そこで島の本やフリーペーパーが集まる場所を全国につくりたいと思いました」
そこで、クラウドファンディング「Ready For?」で、運営資金の一般募集を始めた。
目標は全国300店舗に島情報の専用本棚を設置すること。
応援してくれる人々の後押しを受けて、
離島に住む人と本島に住む人、
離島に住む人とまた別の離島に住む人、
島国日本に住むすべての島人を「情報」でつなぐべく、鯨本さんは今日も島々を渡り歩く。

STUDY バイオマス

最近では、「ごみ発電」も話題に。

バイオマスとは、生物由来の資源のことですが、その種類は多岐に渡ります。
その多くは植物由来の森林資源の木材や農作物の残渣などですが、
動物由来の畜ふん(牛、豚、鶏など)などもあります。
人類は古くからこのバイオマスをエネルギーとして用いてきました。
例えば森林資源として山から切り出した木材からの薪を利用して、
煮炊きをしたりお風呂を沸かしていました。
このように森林のバイオマスを熱利用する方式は、
薪やチップあるいはペレットを使ったストーブやボイラーとして現在も行われています。
森林のバイオマスを使う発電は、製材工場や製紙工場などで以前から行われていますが、
発生する熱を蒸気として工場内で利用したコジェネレーションが主流になっています。
最近では、生ごみなどのバイオマスを含む廃棄物を焼却処理する場合に、
熱を利用したり発電も行われており、「ごみ発電」と呼ばれて普及が進んでいます。
バイオマス発電の燃料となるバイオマス資源の種類もさまざまです。
森林を起源とする木質バイオマス、食料や畜産系のバイオマス、
建築廃材などの産業廃棄物系バイオマス、生ゴミなどの一般廃棄物系バイオマスなどがあります。
これらのバイオマス資源を直接燃焼、あるいはガス化やメタン発酵させ、
その熱エネルギーにより発電が行われています。
バイオマス発電の2010年度末の国内の累積の発電設備容量は326万kWとなっており、
1990年度比で約6.7倍増加しています。
発電設備の比率では自治体が処理している一般廃棄物発電が54.9%、
産業廃棄物発電が35.6%と合わせて全体の90%以上を占めており、
これまでは大多数がRPS制度の認定設備となっていました。
森林の木質バイオマスを活用した発電はこのうち約8%程度に留まっており、
林業の活性化や国産材の積極的な利用による森林バイオマス資源のカスケード利用が
強く望まれています。
バイオマス発電については、
利用するバイオマス資源の種類に応じてCO2削減効果やその持続可能性についての評価が難しく、
グリーン電力証書やグリーン熱証書の制度、
あるいは今年の7月からスタートする
固定価格買取制度などの関連でもより公正な評価が求められています。

日本国内でのバイオマス発電の導入状況と累積導入量

日本国内でのバイオマス発電の比率内訳(設備容量)
※石炭火力への混焼を除く

TOPIC 天栄村(2)再生可能エネルギーによる地域再生へ

伝統的再生可能エネルギーのその先へ。

村営の風力発電事業によって、風力発電の恩恵を受けてきた天栄村ですが、
一方で地元の意図しない大規模事業の到来という問題にも直面しています。
天栄村西部にある羽鳥湖高原で、
大手エネルギー事業者による大規模ウインドファームの建設が計画されており、
羽鳥湖周辺は温泉宿やペンション、キャンプ場などがあるリゾート地となっていることから、
大規模開発が周辺の自然環境や景観に与える影響が懸念されています。
再生可能エネルギーを利用する大きなメリットのひとつは、
住民自身の手で地域の自然環境からエネルギーをつくり、地域の中で利用していくことで、
地域外からエネルギーを買うために支払っていた経済的な負担を減らせることです。
しかし、地域の外からやってきた資本によってエネルギー利用設備がつくられ、
そのエネルギーも地域外に売却されてしまえば、
そこに住んでいる人たちにはほとんどメリットがありません。
これでは従来の化石燃料や核燃料を使ったエネルギー利用と、何ら変わらなくなってしまいます。
天栄村では、村営風力発電事業で収入を得るだけではなく、
「風の谷・こだまの森のTen-ei構想」を立案し、
村を「自然エネルギーの標本箱」と称して、
多様な再生可能エネルギー利用の可能性を模索してきました。
その中で、NEDOの地熱開発促進調査で掘削されたものの、
発電事業には適さないとされた地熱井の活用のほか、
地中熱、温泉熱などの地熱利用、木質バイオマスなどの
伝統的再生可能エネルギーを使うといった取り組みが進められてきました。
ここまでであれば、同じような事例はいくつもありますが、
天栄村は更に広がりを持った村づくりへと挑んでいます。
それは、EIMY(Energy In My Yard)という概念をもとにした、
「EIMY湯本プロジェクト」の立ち上げです。
このプロジェクトは、地域にある自然エネルギーを最大限に活かそうというものです。
地域にある再生可能エネルギーを探して活用していくことは、
地域の自然や伝統の再発見にもつながります。
水力発電に適した場所には昔も水車が置かれていたり、
バイオマス利用がしやすい山林も、
昔は薪を切り出してくるなど資源利用がされていたりすることが多々あります。
昔のエネルギーの利用技術を再現して、再び今の生活に取り入れたり、
エコツーリズムや環境教育に活用したりすることで、
村内に留まらないインパクトを与えていこうとしています。
今後、国内でも再生可能エネルギーを利用した地域おこしが活発化していくことが予想される中で、
単に発電や熱供給のツールとして見るのではなく、
地域に埋もれていた価値の再発見という意味で、
天栄村の取り組みは先進的なモデルとして注目されます。

鳳坂峠から臨む羽鳥湖

十和田 Part4 ピラミッド型から ネットワーク型の社会へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

仕組みと拠点をどうつくるか。

山崎

任期などもあるとは思いますが、こちらには何年ぐらい在籍される予定ですか。

いまのところ、1年、長くて3年の予定ですね。

山崎

組織に入ると見えてくるものもありますね。

美術家として、いかに美術館やホワイトキューブを離れて
地域のなかにプロジェクトをつくっていくかということをやってたのにね(笑)。
ここはその逆で、ホワイトキューブがまちに出ていこうとしているから、
そこのところが象徴的でおもしろいとは思うんだけど。

山崎

違う方向からやってきて、出会ってしまった感じですね。

地域にプロジェクトが発生するために、仕組みづくりと同時に、
両輪のように考えなければいけないのは、拠点づくりなんです。
プロジェクトがどちらを起点に生まれるかは、にわとりと卵だけれど。
ただ、やはり拠点がないと、どうしてもイベント性が高くなったり、
活動が恒常的に見えなかったり、制約が出てくるんですよ。

山崎

そうですね。

では、どういう拠点がいいかというと、
いかにオープンで、重石がなくて、つながっているか。
このことは、これまでどこでもずっと問題になってきたことなんです。
結果、拠点がないと、じぶんが全国をまわることになる。

山崎

いまのぼくもそうですね。

まあ、性格的には合ってるんだけどね(笑)。

山崎

なるほど。そういう経緯があって、
十和田市現代美術館という拠点のあるこのまちで水になってみようと。
「水のひと」としてできることを探ろうというわけですね。

展示会場のひとつ「松本茶舗」

十和田市現代美術館は、まちづくりプロジェクトArts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設としてつくられた。あるときは、アート作品が美術館を飛び出して、商店街のなかにも展示される。展示会場のひとつ「松本茶舗」。

先祖の古い写真でつくった、てづくりアート

松本茶舗の店主が、先祖の古い写真でつくった、てづくりアート。地域にすでにあるちいさな「種」や住民の活動を、おもしろがるひとをどう集めるか。

潜伏している種を発芽させるがごとく。

たとえば、まちにはそれぞれに歴史をはじめとするストーリーがありますよね。

山崎

ええ。

でもそれは、近代の貨幣経済中心の価値観、視点で語られ、編集されて
残っていることが多いと感じるんです。
これを異なる視点で再編集してみると、
また別の物語が浮かび上がって来るんじゃないかな、とか。
それを表現できるのは、どんなアーティストだろう、どんなデザイナーなんだろう、
ということを考えてみるのもおもしろいかなと思っています。

山崎

難しいですけど、おもしろそうですね。

社会学者に関わってもらってもおもしろそうです。

山崎

それをローカルに、地域ごとにあらためて発掘して語っていくときに、
アーティストの感性が関与していく仕組みですね。

そういったことで、いますでに潜伏している種が発芽するように、
元気になるひとが出てきたらいいなと思うんです。

山崎

ランドスケープや造園でぼくらが興味をもっている「埋土種子」ですね。

マイドシュシ?

山崎

落ち葉の下や土のなかで何年も生き続ける種子のことです。
これに光と水をあてることで活用し、植生の復元や緑化に活用するんですよ。

それですね、まさに(笑)。
あと、最後にもういちど時代のはなしに戻ると、
80年代後半、ぼくがまちに関わり始めた時期と
コンピュータやインターネットが成長、普及する時期が重なっているんですよね。
まちづくりや場のつくり方の考え方も、中央集権的なピラミッド構造から
ネットワーク型に移り変わってきたのもとてもいい影響ですよね。

山崎

藤さんとはひとまわりも年齢が違うのに、
こんなに共感、シンクロすることがあるというのはうれしい驚きです。
ありがとうございました。

「bank towada」のステッカー

十和田市中央商店街の空き店舗を利用したコミュニティ・センター「bank towada」が昨年オープン。十和田市現代美術館と商店街をつなぎ、十和田のさまざまな資産を広く発信していく。http://www.bank-towada.com/

bank towadaに設置された「まちなか展示」

9月2日まで十和田市現代美術館で行われている栗林隆の日本初個展「WATER >|< WAZZER」と連動して、bank towadaに設置された「まちなか展示」。東北復興をテーマにしたこのアートプロジェクトは、森林保全団体more trees、アパレルメーカー三陽商会とのコラボレーション。

藤浩志さんと山崎亮さん

「思い切って十和田まで藤さんに会いに来て、ほんとうによかったです。たくさんのヒントとキーワードをいただきました!」(山崎)

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

《MARE》ブランドに込められた想いとは

地域の豊かな食を伝える商品群をプロデュース。

「古来、日本では客人のことを“まれびと”と呼び、尊ぶ存在でした。
人をもてなす文化と、自然にもてなされているという感謝が日本の食の基盤です。
美味しくて、楽しくて、未来のためになることの真ん中に農業があったら、
それはきっと農家の希望になると私たちは考えています。
日本から世界に、東北から世界に。
ここ日本から、生産者とともにつくる新しい提案が始まります。
エンゲージ(結び)を楽しみながらクリエイトすること。
生む人(生産者)と、活かす人(生活者)を結ぶ。
そんな想いのかけ橋となる日本の食のブランド、それが《MARE》です」

こうした本田さんの想いから生まれた《MARE》は、
本田さんのジャパン・メイドのこだわりがぎっしりと詰まった商品群だ。
「各地域の生産者とともに食に関するさまざまな提案を行い、
それを《MARE》というブランドに集約して展開していきたいと考えています。
つまりは、地方産品のブランディングであり、商品群としての提案です。
1種類の売れる商品をつくるのではなく、
《MARE》ブランドの商品群をつくって売れるコーナーをつくるという発想ですね」

《MARE》ブランドは、次の5つの柱で構成される。

そして《MARE》ブランドの第一弾がこのたび誕生した。
福島県の生産者と、ドミニク・コルビ氏(『ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン』
エグゼクティブ・ディレクター)や、
萩原雅彦氏(カフェ・カンパニー総料理長)、
柿沢安耶氏(『パティスリーポタジエ』オーナーシェフ)などの有名シェフ7名がコラボして、
福島の豊かな食を伝える商品を新たに考案。その数なんと27品目。
「食をファッション化したかったんですよね。
ファッションって今日は何を着ていこうって、ワクワクして選ぶじゃないですか。
それと同じで今日は何を食べようというところから選ぶ。
“カレーにチャツネってどんな感じ?”とか、“シチューにジャムありかも”とか、
一緒に食べる人をイメージしながら、選んでほしいと思います」
この日、中国料理「美虎」のオーナーシェフ、五十嵐美幸氏がプロデュースした
レトルトの「野菜カレー」を試食させてもらった。
5つの柱のうちの「纏」に属するこの「野菜カレー」は、
福島県会津産のトマトとなすがふんだんに使われており、酸味と辛みが絶妙。
このようなかたちで都道府県ごとにどんどん《MARE》ブランドを立ち上げていきたいと
本田さんは語る。
「増えれば増えるほど、消費者にとっても面白くなってきますよね。
“私はコレとコレの組み合わせが好き”とか、
個々人の好みに合わせてセレクトできるわけですから。
楽しみながら、食を豊かにしていく。それが《MARE》で仕掛けたいことなんです」

あまずっぱい味わいの日本酒ベースの微発泡酒「しゅわりん」。アルコールも3度と低めで、ごくごく飲めるのどごしさわやかなお酒。こちらはカフェ・カンパニー総料理長 萩原雅彦氏のプロデュース。

十和田 Part3 風景は変わらない。 では、どうやって風景に入るか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

生活を変える。風景を変える。

山崎

どうして、藤さんが都市計画に関わることになるんですか?

奄美の喜界島出身だという地上げ屋社長に興味を持って、
彼のもとに就職したんですよ。でも、半年後に社長が突然
「ビッグバン作戦だ。全員解散!」って宣言して会社が終わってしまった。

山崎

倒産じゃなくて、解散?(笑)

そう。バブル崩壊で、解散。あとはじぶんたちで食っていけと(笑)。
面白い社長だったんです。
解散後は、そのときの仲間が立ち上げた会社に入って、
地図づくりとか怪しい物件の資料づくりとか、なんでもやった。

山崎

都市計画のことなら、時代感はわかります。
もちろん、そのころぼく自身はまだ高校生ですけれど。

でも、上からまちづくりをする時代だったから、違和感ばかり。
当時はまだワークショップの手法もなかったけれど、
もっと地元のひとと対話をしようよって思っていました。

山崎

ある日住民説明会が行われるだけの、勝手なまちづくりですよね。
藤さんとは世代的にタイムラグがありますが、それでもとても共感します。

そんな時代に嫌気がさして、地元の鹿児島へ戻り、
パブリックアートとして実家を改装したカフェをオープンしたりしながら
美術の世界に戻っていくんです。

山崎

アートとまちづくりがリンクしていくわけですね。

個人の立場で地域のひとたちとなにができるかを模索、
実践していくことになります。
90年代半ばだから、山崎さんたちが動き始める前の時代ですよね。

山崎

はい。

そのころには、地域系のアートプロジェクトも増えてきたりするんだけど、
これがただのデモンストレーションに終わってはいけないと、
それまでにぼくは学んできたわけです。

山崎

そうでしたね。

結局、どんなに面白いことをやっても、構造や仕組みに介在していかなければ、
風景は変わらない。そこにアートの手法が使えないかと考え始めるんです。

草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」

美術館向いにあるアート広場に恒久展示されている、草間彌生の「愛はとこしえ 十和田でうたう」。

「種のひと」から「水のひと」へ。

山崎

ちょうどそのころ、ランドスケープデザインを学ぶなかで、
ぼくもそういったことに次第に気付いていきます。
どういうふうに木を植えるかということでは「風景」は変わりません。
ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかが積み重ねられ、
どうしようもなくできあがるのが「風景」なんです。

なるほど。

山崎

生活を変えるには、コミュニティ、
つまりひとびとの集まりのアクションを変えていかなきゃいけないと気づいて、
考え方をシフトし始めたのが阪神淡路大震災の後です。

95年の震災はたしかに大きく影響しているね。
同じころに同じ問題意識を抱えていたわけだ。

山崎

はい。ひとのつながりさえ正常であれば、
風景はもういちどつくり出せると実感したできごとでした。

一方で、ぼくは最近「風土」ということもよく考えるようになりました。

山崎

風土?

ええ。ひとを、風土に必要なものに例えるんです。
地域を育てるのが好きな「土のひと」、
面白い種を運んでくるのが「風のひと」、
メディアなどで紹介したりつなげたりする「光のひと」。
そして、いまいちばん注目しているのが「水のひと」。

山崎

それはどういう役割を担うひとですか?

面白いと思ったことを、ただ素直に「面白い」と言って、とどまるひと。
アイドルのファンみたいなものかな。面白くなくなれば、去って行く。

山崎

なるほど!

風土を語るときに、水の存在や状態、役割って大切でしょう。
超論であることを重々承知の上で言えば、
同様に、地域の活動をつくっていく上で、
どれだけそれに興味関心のあるひとを集められるか、
その流れをどうつくっていくか、
つまり水のコントロールが非常に重要なんじゃないかなと。

山崎

水の状態によって成長もするし、枯れもすると。

アーティストは種や風の役割をすることが多いのですが、
ここではぼくが「水のひと」になって地域にすでにある種を見つけて
「面白い!」と言うことで育てることができないかな、と考え始めています。

(……to be continued!)

街並みに溶け込む、美術館向いにあるアート広場

風景とは、ひとが日々をどう暮らし、どう行動するかの積み重ねからできるもの。

対談の様子

「まちづくりには、もっと地元のひととの対話が必要だと感じていた」(藤) 「世代もフィールドも違うのに、ところどころで妙にシンクロしているのが不思議です」(山崎)

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十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 小水力発電

地域が主体となって運営する発電事業。

小水力発電は、水力発電の中でも比較的小規模なもので、
発電出力が一定の規模(例えば1万kW)以下で、
大規模なダムを使った水力発電とは区別されています。
大規模な水力発電は、大きな電力会社などが導入して運営していますが、
小水力発電は、各地域が主体となり、各地域のための発電事業として適しています。
水力発電は日本の電力を支える重要な国産のエネルギー源として戦後の一時期、
盛んに大型のダムを中心とした開発が行われてきました。
その結果、1960年頃までは
水力発電が日本の電力のかなりの割合を占めていた時期もありました。
しかし、最近ではダムを使わない「流れ込み式」などによる小水力発電の可能性が
各地で注目されています。
各地で小水力利用推進協議会が設立され活動を行っているほか、
地方自治体でも積極な取り組みが始まっています。
すでに水力資源が豊富な群馬県、富山県、山梨県、長野県、岐阜県、岡山県、徳島県、熊本県では
協議会の活動が始まっているほか、
水力資源が最も豊富な岐阜県と富山県が連携して規制緩和などを国に求めています。
さらに、農業用水の活用も各地で検討されています。
「流れ込み式」の小水力発電の原理はとても単純です。
ダムを使わず、水量の一部を使い、河川の高低差をそのまま利用して発電を行うため、
周囲の自然環境への負荷を最小限に抑えることができます。
河川に設置された取水施設で水を取り込み、除塵や沈砂した後に、
高低差を使った導水路に水を流して、発電所の水車を回し、発電をします。
発電後の水はそのまま川に戻す仕組みです。
日本国内にある出力1万kW以下の小水力発電は、
約1200基で約320万kWの設備容量で、
日本国内の水力発電設備全体の約7%程度になります(2010年度末)。
そのほとんどが1990年以前に導入された設備ですが、
この20年間に導入されたものは150基で約18万kW程度です。
これまでRPS制度の対象になった1000kW未満の小水力発電の数がある程度増えていましたが、
今年の7月からスタートする新しい固定価格買取制度では、
出力3万kWまでの水力発電が買取の対象となります。
特に出力1000kW未満、さらには200kW未満については比較的高い買取価格が定められ、
各地域の事業者による小水力発電の導入が期待されています。

TOPIC 天栄村(1)天栄村風力発電所

村おこしから始め、事業として風力発電を主力化させた天栄村の取り組み。

日本国内では1990年代以降、地方自治体が運営する風力発電所が数多くつくられてきました。
福島県の南部にある人口約6000人の天栄村も、
村営の風力発電所を持っている自治体のひとつですが、
特徴的なのは発電事業として安定した収入を得られていることです。
風力発電事業の経緯を見ていくと、
天栄村では村おこしの一環として風力発電所をつくろうと1996年に検討が始まりました。
当初は、村営のスキー場で使う電力をまかなう風車1基を建設する予定でしたが、
建設に向けた調査の過程で、計画予定地が風力発電の適地であることが判明したのです。
そこで、単にシンボルとして風車を建てるのではなく、
事業として風力発電に取り組もうということになり、合計4基を建設することになりました。
この天栄村の風力発電事業は、
1998年にNEDOの「地域新エネルギー等導入促進事業」に採択され、
総事業費の50%の補助を受けています。
そして、2000年12月に「天栄村風力発電所」の運転が開始されました。
天栄村風力発電所は、内陸山岳部に導入された国内初の風力発電所で、
出力750kWの風車4基による合計3000kWの発電能力を持ち、
年間約500万kW前後を発電しています。
天栄村の風力発電事業は、建設費用の村負担分を無借金でまかなった点が特徴です。
山間部の風力発電所建設では、風車本体の費用以外にも、
発電所建設地への道路敷設や電力会社の送電線に接続する高圧送電線の敷設など、
大きな費用がかかる工事を必要とします。
しかし、事業費をまかなうために村の借金となる地方債を発行しなかったことで、
将来的な利息負担がなく、風力発電事業による収入は全て村の歳入にすることができます。
その収入の中から、年間500万円を村内の新エネルギー導入促進のための基金として積み立て、
更に2000万円を一般会計の歳入として繰り入れ、活用してきました。
落雷による風車破損などの事故もあって、
現在は万が一に備えた積立金の割合を増やしているということですが、
風力発電事業は黒字運営が続いています。
風力発電事業への村の支出約4億7000万円に対して、
2011年度末時点で累計6億円以上の買電収入があったということです。
すでに天栄村風力発電所は、運転開始から11年が過ぎています。
村の担当者の方は、これからもしっかりとしたメンテナンスを行って、
20年でも30年でも出来る限り長くこの風車を使い続けていきたいと話していました。
地方自治体による再生可能エネルギー事業のモデル事例として、
天栄村の風力発電事業は数多くの自治体の参考にされているということです。

天栄村風力発電所

十和田 Part2 工芸から、 ひらかれたアートの実践へ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

そして、ぼくはバブルの時代を逆行した。

山崎

藤さん、大学は京都でしたよね。京都市立芸大。どんな大学生だったんですか?

染織科唯一の男子学生。奄美大島の特産品に大島紬ってあるでしょう?
家族の仕事の関係で幼少のころから身近に大島紬があって、
紬の織柄のように「列んでいるもの」が無性に好きだったんです。

山崎

列んでいるもの……?

柄だけでなく何でも、列んでいるだけでいい、というくらいに好きでね。
空間に興味を持ったのも、京都の大学を選んだのも、
実は三十三間堂が始まりだったんです。

山崎

列んでますね(笑)。千手観音が1001体も!

でしょう。「なんだ、この空間は!?」って(笑)。
個々のモノよりも「どうしてこの仕組みが成立しているのか」が気になる。

山崎

そこはぼくも同じですね。

鴨川に勝手に自作の全長5メートルの鯉のぼりを
13点泳がせて騒動を起こした経験から、
まちに影響を与える、まちのなかの風景に何かをしかけることによって
動き、変化が起きるということに興味をもつようになりました。

山崎

ずいぶんユニークな大学生だったんですねえ。

おかげさまで、就職も引く手あまたでした。
だけど、80年代半ばの日本の生温い感じがすごくイヤだったり、
アートの枠からも離れてみたかったり。
そんなときにふと目についたのが、青年海外協力隊募集の雑誌記事。

山崎

まさか?

国を変えることで、
80年代からタイムスリップできるんじゃないかという気がしたんです。

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面

十和田市現代美術館のカフェスペースの床面。南部裂織から着想を得た、マイケル・リンの色鮮やかなペインティング作品。

前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」

通りに面した前庭に展示されている椿昇の彫刻「アッタ」。木の葉を切り出して菌床をつくりキノコを栽培する「ハキリアリ」を巨大化させた作品。

ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」

高さ4メートル近くもある、ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」。ディテールがリアルなのに対し、大きすぎるサイズが見るものに奇妙な感覚を与える。

覆された概念。その経験から、着想を得る。

ところが、赴任先がパプアニューギニアでね。

山崎

あ……そこまで?

そう、ちょっと遡りすぎた!(笑)

山崎

(笑)。現地ではなにをされていたんですか?

設立されたばかりの国立芸術大学で美術講師をやったんだけど、
ことごとく常識を覆された2年間でしたね。

山崎

たとえばどんなことですか?

まず、1年という概念がない。文字や記号も同じく。
儀式としてのペインティングや踊りは日常にあふれているけれど、
平面のキャンバスに絵を描くというような西洋芸術の概念はない。

山崎

なるほど!

現実の世界ではないところとつながって、
いわばコミュニティに意見する霊媒師の存在も興味深かった。

山崎

みんなが実は思っていることや言いたいことを、第3者に責任転嫁するわけですね。

そういうこと。いまで言う、山崎亮の役割。

山崎

こいつが言ってるから(しょうがないけど)やるか……といわれる役割(笑)。

たった2年のことだったけど、
ここで得た経験は、その後のぼくのプロジェクトに生きています。
たとえば2000年から続けている「かえっこ」プロジェクトは、
パプアニューギニア奥地での「1、2、3、あとはいっぱい!」という、
貨幣価値との互換性がない価値基準がアイデアのベースになっています。

山崎

「あとはいっぱい!」ですか。すごいなあ。
2年経って帰国されたら、日本は変わっていましたか?

1988年。地上げブーム真っ盛りで、まちがどんどん壊されていました。

山崎

その時代に、土地の再開発や都市計画に関わっていかれるんですよね。
そこのところ、とても興味深いのでおうかがいしたいです。

(……to be continued!)

藤浩志さん

独自の子ども通貨「カエルポイント」を使い、いらなくなったおもちゃなどを循環させるワークショップ「かえっこ」を各地で展開している藤さん。

山崎亮さん

「“どうしてこの仕組みが成立しているのか”が気になるのは、僕も同じです」(山崎)

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十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

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HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

十和田 Part1 十和田市現代美術館と 美術家、藤 浩志さんのこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
十和田編・目次

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今年度から青森県の十和田市現代美術館副館長に就任した
美術家の藤 浩志さんと山崎さんとの対談をお届けします(全4回)。

福岡県糸島市から青森県十和田市へ。

山崎

こんにちは。来ちゃいましたよ、藤さん!

ほんとだよねえ。はるばるありがとう。関西からだとずいぶん遠かったでしょう。

山崎

開館のときにも一度来ているんですけどね。

そうか、そうか。

山崎

この間、東京で会ったときに副館長就任のことをおうかがいして、
とにかく驚きました。

ぼく自身もびっくりしているからね(笑)。

山崎

これまで住まれていた糸島は、ひきはらって?

いや、糸島の海沿いに新築の家ができたばっかりで、
しばらくは、糸島と十和田を行ったり来たりの生活になるのかな。

山崎

福岡から青森……大移動ですね。

ところがね、青森の地域性って、ぼくが生まれ育った
鹿児島に近いんじゃないかなって感じてるんです。

山崎

あ、端っこと端っこ同士で?

そう! 日本地図をふたつに折り畳むとぴったり合いそうでしょう、
位置も県のカタチも(笑)。
日本の文化って同心円状に広がっているともいわれているから、
言葉のイントネーションや人柄も含め
「端っこ感」みたいなところに妙に親近感があるんですよ。

山崎

それは興味深いですね。

それに、なにより今は被災地が沈み込んでいるから、
周辺ががんばって東北全体が盛り上がっていかなきゃという気持ちがあります。
そういう意味でも、今は九州より東北を拠点にしていたいって思ったのが
大きなきっかけです。

十和田市現代美術館の廊下

美術館の設計は、西沢立衛。大小さまざまのいくつかの展示室が廊下でつながれていて、まるで双六(すごろく)盤のよう。

チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」

韓国を代表するアーティスト、チェ・ジョンファの「フラワー・ホース」。美術館のある官庁街通りは別名“駒街道”といい、馬をモチーフにした彫刻作品が出迎えてくれる。

まずは種を集め、対話を重ねて「手当て」をする。

山崎

具体的にこのまちで、あるいは十和田市現代美術館で
「こんなことやってみよう」という案はすでにおありなんですか?

まだないよ!(笑)

山崎

今日はそこのところを聞きに来たんですけど……
来るのがちょっと早すぎましたか(笑)。

いや、なんとなくならあります。(笑)。

山崎

ぜひ、そこのところをお願いします。

最大の興味はやはり、この美術館がアートセンター、
つまり「拠点」として作られていること。
そして、観光、集客というレイヤーでみると、
今のところすでに成功している事例であるということ。
ただ、地域の活動を作っていくという点では多分まだうまくいっていない。
ここですね。これが、ぼくがこのまちに呼ばれた理由だと思っている。

山崎

なるほど。

そこで考えないといけないのは、どうやって興味や関心を集めて、
別の仕組みをつくるかということ。

山崎

そうですね。

鹿児島同様、この辺りはとにかく自然が深い。
そのなかに潜在する「種」のような価値を見い出して集まっているひとに
興味があるんです。

山崎

つまり、消費や流通といった視点の価値観ではないもの?

ええ。たとえば、自然、昆虫、苔、水、環境……
こういったことに興味をもって価値を見いだし、
実践的にここで生活を作ろうとしているひとがいる。
そんなひとたちのことばを聞き、対話を重ね、
彼らのやっていることが「大事だよね」ということをちゃんと確認したい。

山崎

十和田市現代美術館が、地域にひらかれた「アートセンター」として
どう機能できるか、というところですね。

美術館には、保存と普及という役割がありますからね。
日本全体も、これまでの右肩上がりじゃないこの時代、
これからどうやって地域を守りながら次の世代に繋いでのこすか、
ということについて対話したい。

山崎

なるほど。

むかしから個人的に活性化ということばが苦手なので、
「豊穣化」とか「なにかを醸し出す」と表現できる状況を作り出していければ、と。
そのために、まずは対話を重ね、いまの状況に「手を当てる」。
そんなことやってみたいと、いまは考えています。

(……to be continued!)

官庁街通り

十和田市現代美術館の構想は「官庁街通り全体を美術館に見立てる」というコンセプトから始まった。そんなはなしを聞きながら、まちを少し歩いてみる。

information

map

十和田市現代美術館

青森県十和田市が推進するアートによるまちづくりプロジェクト、Arts Towada(アーツ・トワダ)の拠点施設として、2008年4月に開館した現代美術館。アート作品が街に対して展示されているかのような開放的な空間構成を持ち、まちづくりプロジェクトの拠点施設としてつくられた特徴ある美術館となっている。

住所:青森県十和田市西二番町10-9

TEL:0176-20-1127

Web:http://towadaartcenter.com/

profile

HIROSHI FUJI 
藤 浩志

1960年鹿児島生まれの美術家。京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了し、翌年よりパプアニューギニア国立芸術学校講師、建築企画・都市計画コンサルタント勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。対話と地域実験の場を作る美術類のデモンストレーションを実践。2012年4月より十和田市現代美術館副館長に就任。

Web:http://geco.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

えがお咲く さんりく春の子どもまつり

子どもたちの笑顔が復興へのちから!

2012年4月22日、岩手県陸前高田市の高田小学校を会場にして
「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」が開催された。
主催したのは隣町である一関市の商工会議所青年部。
彼らは日本人の心のよりどころである桜を復興のシンボルとした
「桜プロジェクト」を立ち上げ、
陸前高田市で苗木の贈呈や植樹祭を開催するなど、復興の手伝いをしてきた。

「昨年のクリスマスは、サンタに扮してすべての保育所を回りました。
子どもたちひとりひとりにプレゼントを手渡ししたらすごく喜ばれたんです。
そこでこれからは、『桜プロジェクト』同様に、
子どもたちの笑顔を咲かせたいと思い、このお祭りを開催しました」
と話すのは、一関商工会議所青年部・復興支援委員長の今野公英さん。

とにかく子どもに楽しんでもらうという目的のお祭り。
ミニ四駆大会、ゲイビマンという地元戦隊モノのショー、
クラウンろっくによるマジック&パントマイムショー、フワフワすべり台など、
子どもたちが釘付けになるコンテンツが盛りだくさん。
実際の桜はこの日はまだ咲いていなかったけど、
いたるところで子どもたちがはしゃぎまわる声が響き渡り、笑顔の花は満開。
それを見ているお父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんにも、
自然と笑顔が咲き誇った。

お祭りとカレーライスでコミュニケーションの場所をつくる。
いま、求められる支援のカタチへ。

一関市、平泉町など、岩手県周辺のスタッフを中心に開催されたこのお祭りだが、
食べ物の提供は東京からのボランティアグループも協力している。
なかでも「カレーライスプロジェクト」は、
震災後すぐに各被災地で炊き出しを行ってきた。
主宰の石部樹未さんと横塚拓也さんは、
音楽フェス出店やケータリングを生業にしている、いわば“炊き出しのプロ”。
初期メンバーは石部さんの「ナイスドリーム」、横塚さんの「クミンソウル」、
さらには周囲のケータリング仲間「キミドリ」と「プライマル」を誘った。
仲間たちと話しあった結果、
誰もが好きでみんなが食べられる日本のソウルフード=カレーを提供しようと、
クミンソウルのカレーを中心にした
「カレーライスプロジェクト」をスタートした。

「もともと自然のなかのフェスに行って、お店をつくっちゃうのが本業だから、
難しいことはそれほどありません。すぐに動けました」(石部さん)
「五徳も炊飯器もプロパンガスも、
何でも持っている僕たちがやらなきゃおかしくないですか?」(横塚さん)
と、震災から一ヶ月後には炊き出しに向かっていた。

「最初は避難場所を中心に回っていました。
一か所行くと、“次はうちに来てよ”とクチコミで次の場所が決まります。
そうやって何箇所か回っているうちに、
こちらのスタッフ側も参加者が増えていきました。
ロケバスのヒットロックスさんが毎回クルマを出してくれるようになりましたし、
立教大学のボランティアチームにも協力してもらえるようになりました」(石部さん)

当初、求められていたのはやはり炊き出し。
2011年の春から夏にかけて多くのカレーを提供した。
しかし震災から1年以上が経ち、物資が回り始めると、
少しずつ支援のカタチも、被災地が求めているものも変化してきた。

「炊き出しなんてもう必要ないのに、なんでやっているのか?
という声もたしかにあります。
しかし、いま必要なのはコミュニケーションだと思っています。
外の人間が現場に行って、現地の人の思いを発散させて、
少しでも気を紛らわせることができる。炊き出しということではなくて、
お祭りで食べるカレーと会話がコミュニケーションの媒体になるのなら、
いつでもどこでもカレーを持って行きます」(横塚さん)

たしかに単純な炊き出しはもう必要ない。
でも、この「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」のように
人が集まる場所が必要だ。お隣さんだった人や同じ町内に住んでいた人が、
いま同じ仮設住宅に住んでいるとは限らないし、
市外県外へ引っ越してしまった人もいるだろう。
それらの人が、出会い、コミュニケーションをとる場所を必要としている。
実際に“ひさしぶり〜”なんて手を振りながら、
ひとときの立ち話にふける人たちも多く見受けられた。

「どこかでまたつながりたいですね。数年後に東京で出会ったりしたい。
家は流されても、人のつながりは消えないので」(横塚さん)
と話すように、震災で人の和を断絶してしまうなんてもってのほかで、
むしろ和を広げていくべきだ。

特に陸前高田市は、残っている建物が少ないので、
日常生活のなかで人が集まる場所も少ない。
このお祭りのように人が集まる仕組みが必要だろう。
そこに子どもの笑顔が咲き乱れるのならば最高だ。
子どもたちの元気な姿は、大人たちも元気にさせる。
子どもは、みんなの未来!

熱心にミニ四駆を組み立てる。なかには、子どもより必死になっているお父さんの姿も。

マジックとパントマイムを披露した「クラウンろっく」。子どもふたりによるコミカルな展開が楽しい。

ずっと行列して大人気だったフワフワすべり台。これはどうしても飛び出したくなる!

横塚拓也さん(右)と、石部さんと同じ会社で手伝っている高田篤実さん(左)。

バルーンアートを使って目の前で動物をつくってプレゼントしていた天才劇団バカバッカに所属する松原大輔さん。

星野佳路さん

星野リゾート・星野佳路さんは、
どう「日本の観光をヤバくする」のか?

アメリカの旅行情報専門誌、コンデナスト・トラベラー誌が
2012年の優れたホテルに贈る「HOT LIST 2012」。
この権威あるアワードに「星のや 京都」が選出された。
「星のや 京都」がエントリーされたのは「8 Favorite Hot List Hotels」という部門で、
「宿泊したエディターに“帰りたくない”と思わせた」ホテルに贈られるアワードだ。
世界中のセレブ垂涎のホテルと並ぶ日本の旅館。

その旅館を手がけたのは、「星のや」・「界」・「リゾナーレ」ブランドで、
全国28か所にホテルや旅館を展開する、星野リゾート社長の星野佳路さんだ。
地域の潜在力を信じ、既存のビジネスの枠組みを守りながらも新規拡大を続ける星野さんは、
観光庁が認定する「観光カリスマ」にも選ばれ、
日本の観光産業振興の鍵を握る経営者として注目されている。

その星野さんの目に、今の日本の観光はどう映っているのだろうか。
「日本の観光の良いところは、お客さんの満足度が高いところです。
細やかで繊細な心遣い、ホスピタリティは世界に誇れる観光資源です。
しかし、国内需要が20兆円あると言われているのに、実は生産性が低い。つまり儲からない。
ここが日本の観光産業の弱みと言って良いでしょう。
そこには構造的な課題があります。

ひとつめは、日本特有の休暇スタイル。
365日のうち、土日・ゴールデンウィーク・夏休み冬休みなどの
長期休暇の期間を足した100日しかホテル・旅館が稼働をしていないところが多いのです。
そのため、265日間は暇ができてしまう。
逆に100日間にお客さんは殺到するが、宿泊する部屋が足りず、断らざるを得なくなるため、
利益率が低くなってしまうのです。

ふたつめは、国内交通費が高いこと。
新幹線で東京から1時間で軽井沢に着くことができますが、
1時間あれば飛行機を使って青森や北海道にも行けるはずです。
かかる時間は一緒ですが、交通費は軽井沢だと5千円で行けるのに、
飛行機だと3万円かかりますよね。
結果、東京から遠い地域はどんなに魅力的でも努力をしていても
お客さんが来ないということになってしまいます」

星野さんの問題意識は、ホテルや旅館経営に留まらず、
休日の平準化、地方空港経営といったテーマを、行政に投げかけたりと、日々奮闘が続いている。

「HOT LIST 2012」に選ばれた、「星のや 京都」。選出したエディターからの評価には「ぼうっと夢見心地の気分」とある。こんな夕暮れの風景を見たのかもしれない。

「星のや 軽井沢」のある軽井沢は、星野さんが生まれ育った地でもある。自然との共生をテーマにし、親子で楽しめる「ピッキオ エコツアー」が人気。

“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”?
リゾート運営の達人が手がける、伊東の温泉旅館。

その土地、風土の魅力を引き出し、サービスに導入することも星野さんの哲学。
2012年4月1日に「いづみ荘」から名前を変え、誕生した「界 伊東」の試みも面白い。
戦後から温泉遊技場として栄えた伊東温泉にちなんで、
卓球場や射的場が、大人の社交場として賑わっていたころの風情を残した
「卓球ラウンジ」を設けた。

「旅館に求められるものは、おいしい食事、心地よい宿、温泉、それと、和の文化。
でもそれだと日本全国の旅館はどこも同じになってしまいます。
どこでも、海の幸山の幸を求めるし、いい温泉を求めるのは一緒。
温泉旅館が温泉で勝負していたら他との差別化ができないのです。
そのためにもっと強い地域色を出さないと」

星野リゾートのスタッフは、ホテルや旅館で働きながら、同時に、
その地域の文化を身につけるというミッションを背負っている。
例えば、青森県の「界 津軽」で働くスタッフは津軽三味線を習得し、
京都の「星のや 京都」で働くスタッフは庭師のノウハウを身につける。
“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”とは目から鱗だ。
それ以上に、“地域らしさ”を見出し、それをホスピタリティに換えて提供しようとする。

温泉と卓球は切っても切れない高相性。「今後卓球専用の部屋をつくりたいですね」(星野さん)

大切なのは目先の利益ではなく、長期的な集客プラン。

開発・流行・衰退を急ピッチで駆け抜けた国内のリゾートの例は枚挙にいとまがない。
「集客を昨年比何%プラスか、という目先のことで考えていくと、
ルールなき地域開発という罠に陥り、結果廃れてしまうということがあまりにも多いと思います。

私が考える“観光”とは、50年100年で集客を最大にするという
長期的な集客プランを実現するために、今なにをすべきかということ。
観光開発とはいかに地域ブランドのイメージを長く守るかだと思うんです。
そのためにはぜったいに観光開発のルールづくりが必要」

そんな観光のあり方を訴え続けていた星野さんのもとに、ある相談が持ちかけられる。
それは「島に土地を取り戻したい」という沖縄県竹富島からの相談だった。

「島には“竹富島憲章”という、島の憲法のようなものがあります。
『売らない』『汚さない』『乱さない』『壊さない』『生かす』。
島の人々はこれを何十年何百年と守り、暮らしてきた。
しかし戦後、アメリカから領土返還されるときに、一部の土地が本土企業に買収され、
近年、外資系ファンドが所有したり、転売するという動きになってきた。
これをどうにかしないとということで、
借金を返しながら土地を買い戻し、生かし、守っていく、
“竹富島方式”という計画を提案しました」

これはまず、竹富土地保有機構という会社をつくり、ここが土地を買い戻す。
ホテルはこの土地を借りるかたちで地代を払い、
それで借入金をなくしていくというシステム。
完済すれば、土地は島のものになる。

2005年に初めて訪れたときから、
持続可能性を持つ観光地として竹富島に注目していた星野さんが、
島のルールを守りながらも観光事業を通じて
この問題を解決できないだろうか、と考えた方式だった。

「島の文化や景観や生活様式を経済よりも優先的に守ろうとしてきたことで、
人口減少・経済的な衰退を招いてしまったのですが、
それでも大衆化せずに、竹富島だけは今ある島の文化を頑ななまでに守っていて、
そして島民たちは、これからも文化を“守る”モチベーションがあると感じたのです。
本当に大事なものを壊してまで集客しようという人たちではない。
ですから、持続可能な観光のあり方ができそうだと思いました」

だが、当初は島民からの反発もあったという。
「まず、一から島民と話し合うことを求められました。
ひとりひとりの名前を覚えて、婦人会や老人会に行って考えを聞いて。
企業としての信頼を得るために必死でした」

ときには島民と酒を酌み交わし、腹を割って話をした。
結果として、この時間をかけた対話が、
星野リゾート28軒目のリゾート施設である「星のや 竹富島」実現に結びつく。
6月1日にオープンとなった「星のや 竹富島」。
最初に相談を持ちかけられたときから、実に5年半の歳月が経っていた。
竹富島という土地に対する思い入れが強いだけに、星野さんにとっても特別な場所となりそうだ。

6月1日オープンの「星のや 竹富島」。7ヘクタールの敷地内には、48棟の客室が竹富島の伝統的なデザインマニュアルに合わせてつくられている。

この春、島内の話題は、竹富島の小学校に久しぶりに新入生がふたり入学することだったという。そのうちのひとりが、「星のや 竹富島」総支配人の澤田さんのご長男。「現時点での星野リゾート最大の貢献です」(星野さん)

豊富な観光資源、充実した交通インフラ、高いホスピタリティを誇る日本。
だが、実は世界的にみると日本の観光競争力は30位前後と振るわない。
「日本の観光をヤバくする」という星野リゾートのミッションには、
「日本の観光産業を世界のトップクラスへ」という野心もこめられている。

「海外旅行者は年々増え続けていて、年間1700万人もの人が渡航する一方で、
国内旅行は、集客の減少と生産性の低下という問題に突き当たっています。
もっと日本人に日本を旅してほしい。
そして、今までみたことのない日本を発見してほしいですね」

綾部 Part4 平和のまちで、ことばと未来を探して。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

求まれる“ローカルデザイナー”。

山崎

久しぶりにこうしておはなしをうかがったら、塩見さんのご活躍もあり、
綾部がとてもいい感じになってきているんじゃないかと感じます。

塩見

綾部を「人生探求都市」のメッカにしたいと目指して
10年ぐらいやってきましたが、
いまは「もうひとヒネリ」の段階にぶち当たっている気がします。

山崎

うーん。

塩見

デザインのチカラがまだ足りないんじゃないかと。

山崎

なるほど。

塩見

いまいちばん欲しい人材はデザイナーです。
空家を用意してでもデザイナーには来てほしい。

山崎

こんなに求められているのに、
世のデザイナーは全然違う方向を向いているのが現状ですね。
デザインを学ぶ学生は就職先がないと嘆いている。
綾部だけでなく、全国から求められているはずなのに、
そもそも、そこにアンテナさえ立っていないといえます。

塩見

はい。

山崎

ただ、覚悟はいる。

塩見

そうですね。

山崎

でも、コンセプトメーカーとしてすでに日本中で知られる塩見さんと
タッグを組む若手デザイナーが綾部にいる!となったら、確実に注目されますよ。
もちろん、ほかのまちでもしかり、です。

塩見

1集落に1デザイナーが欲しい……。

山崎

集落支援や地域おこし協力隊とはまた違って……
そうですね、ローカルデザイナー! 
ローカルデザイナー制度っていうのがあったらいいのかもしれない。

塩見

いいですね。ネーミングセンスも大事です(笑)。

山崎

そういうところにも、政策デザインやことばのデザインのチカラが必要ですね。

いま、再び「平和」と言ってみたい。

塩見

綾部って、お城も海もないんですが、グンゼ(*)や大本教の発祥の地だったり、
昭和25年に日本でいちばんはじめに「世界連邦宣言」をした
第1号都市でもあるんです。

山崎

ほぅ。

塩見

母校の豊里小学校の校歌にも「平和都市」というということばが入っていて、
そんなまちに生まれ育ったじぶんだからこそ、
世界に通用するモデルが作れるんじゃないか、という自負がどこかにあります。

山崎

なるほど。

塩見

それで、綾部高校にも「平和デザイン科」を作ってはどうかと
提案しているんですが。

山崎

お。いいじゃないですか。

塩見

でも、「就職先どこだ」って問われて(笑)。

山崎

言われますね、いまの時代(笑)。
でも、「平和」ってこれからキーワードになっていくような気がしますよ。
「幸福」の延長上として。

塩見

ええ。

山崎

終戦後はともかく、ここ50年ばかり
すっかり「平和」に慣れてしまっているわれわれの世代にとっては、
もはや平和って、空気みたいなことばになっていると思うんです。
でも、個々の幸福を成立させているのは、平和だということに、
そろそろあたらしい感覚で気づきはじめるんじゃないでしょうか。

塩見

いいですね。

山崎

「平和」ということばが、あたらしいもの、新鮮なもの、
カッコいいものとしてとらえられて、たとえば、若い子たちがピクニックしながら
「にしてもオレら平和だよね」
「やっぱ平和がいいよね」なんて言うようになったりして……。
幸福って自己実現の色合いが濃いけれど、
平和には、他者も含めてどうつながっていくか、
コミュニティの自己実現というイメージがありますから。
いまたいせつなキーワードが、ひとつ見つかった気がします。

* 創業時の社名は郡是製糸。当時、綾部は何鹿(いかるが)郡という名称で、社名は何鹿「郡」の「是(=コンセプト)」という意味だった。

旧豊里西小学校の校歌が木彫りされている

塩見さんの母校である旧豊里西小学校の校歌は、「平和都市」の4文字から始まっていた。

対談するお二人の様子

「平和。あらためて、大切なことばだと再認識することができました」(山崎) 「LOVE&PEACEを超える綾部の名キャッチフレーズを探し続けます」(塩見)

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

綾部 Part3 どこに暮らしても、じぶんのしごとをつくる。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
綾部編・目次

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作家・星川淳さんのライフスタイル「半農半著」にインスパイアされ、
「半農半X(はんのうはんエックス)」という生き方のスタイルを提唱する塩見直紀さん。
5月は、京都府綾部で暮らす塩見さんの「いま」のおはなしをうかがいます(全4回)。

1集落、1移住者。積極集落と消極集落。

山崎

まちづくりのための塩見さんの手持ちの弾、まだまだありそうですね。

塩見

いま「かくまちBOOK」と平行して考えているのは、「2万アート@綾部」です。

山崎

2万アート?

塩見

綾部には約200の自治会(集落)あります。
それぞれの集落で100個のおもしろい宝物
(地域資源、アート的なものなど)を見つける。
合計2万個のおもしろいものを集める、というプロジェクトです。
たとえば、笑ってるように見えるトラクターとか、曲り具合が絶妙な曲り道とか。
しかも、これをひとりでやってみようと思っています。

山崎

それはインパクトありますねえ。そのココロは?

塩見

地域資源を可視化するのが目的です。

山崎

なるほど。地域のひとたちが綾部のよさを再認識するきっかけになるとともに、
あらたに綾部を訪れたり、移住してくるひとたちが
そのよさを知るための材料になる。両面の効果がありそうですね。

塩見

はい。お金をかけず、インパクトを狙おうと(笑)。

山崎

移住者について、塩見さんは以前、
「1集落1移住者」ということばを使っていらっしゃいましたが……。

塩見

ええ。

山崎

このことばの意味、集落へ行けば行くほどわかるんですよ。
現代の集落では、よそ者=誰かわからないひとを受け入れるのに
どうしても抵抗がある。つまり、最初の1人目が難しい。
でも、この1人目がうまく集落の活力になれば、
2人目、3人目は受け入れやすい、と。
だからまずは「1移住者」が肝心ということですよね。

塩見

ええ。綾部では、その考え方がうまく機能して、
すっかり空家が埋まってしまった集落もあります。

山崎

おお、それはすごいですね。

塩見

最近では、そういうところを「積極集落」、
反対に変われなくて衰退の一途をたどるところを「消極集落」と名付けています。
限界集落が二極化している。

山崎

そうなんですよ。
高齢化、戸数減の集落をひとくちに「限界集落」とくくってしまうのは、
実はとても不幸なことなんじゃないか、とぼくも思っています。

トラクター

笑っているように見えるトラクターも、おもしろい宝物=地域資源になる。

塩見直紀さん

「学生の力を借りるのは簡単だけど、ひとりで歩いてみようと思っています。民俗学者の宮本常一のように」(塩見)

「しごとがない」と言わないひと。

山崎

だから、移住者もだれでもいいというわけじゃない、
できれば面接したほうがいい、ということもおっしゃっていました。

塩見

そうですね。

山崎

結(ゆい)も講(こう)もない都会人が、ただ空家を埋めればいいわけじゃない。
この考え方にも共感しています。

塩見

ありがとうございます。

山崎

いまやインターネットを駆使すれば最先端の情報はどこでも入りますから、
クリエイティブな力をもっているひとであれば、
集落で暮らしながらはたらくことが可能になっています。
その稼ぎで、集落に少しでもお金を落とせば、集落全体の生活が変わりますからね。

塩見

ええ。むしろ、そういうことができないと、もう集落に入れないような時代ですね。

山崎

うーん。綾部、進んでますね!

塩見

しごとがないことを、まちや国のせいにしないひとでないと。
たとえば、お客さんが来ないのを
お客さんのせいにするレストランオーナーはマズいわけですし。

山崎

たしかに(笑)。

塩見

困っていることはたくさんあるので、センスさえあれば、
しごとはじぶんで生み出せるんです。

山崎

デザインと同じですね。社会的な課題がどこにあるのかを認識した上で、
みんなが共感してくれるようなカタチの美しいものとして生み出す。
しかも、ひとつでなくいくつかの課題を解決し、
みんなが欲しくなるような美しいモノ。
これを買えば買っただけ社会はよくなる……。
つまり、課題の本質にアタックして美しくデザインすることができれば、
政治家にもできないような解決策を出すことさえできる。

塩見

それが、はたらくということですよね。

山崎

はたらくとは、「はた」つまり隣で困っているひとを「らく」にすること。
これも、塩見さんに教わりました。
綾部には、解くべき課題がたくさんあるのだから、
しごととしてそれらを解決していけるひとが、綾部をよくしていく。
そういうことですね。

(……to be continued!)

ふるさと振興組合空山の里

「ふるさと振興組合 空山の里」は、農協がなくなり困った住民が、1戸につき2万円を出し合って作ったスーパーマーケット。このまち唯一の「お店」。

profile

NAOKI SHIOMI 
塩見直紀

1965年京都府綾部市生まれ。大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。33歳で退社して故郷にUターン。「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプトを提唱し、NPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして綾部の可能性や21世紀の生き方、暮らし方としての「里山的生活」を市内外に向けて発信している。

Web:http://www.towanoe.jp/xseed/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY 固定価格買取制度(FIT)

70以上の国と地域で採用されているFIT制度が、
日本で有効に機能するためには?

自然エネルギーには各種の発電
(太陽光発電、風力発電、地熱発電、水力発電、バイオマス発電など)や、
熱の利用(太陽熱、地熱、バイオマス)が含まれますが、
現在大量に供給されている化石燃料によるエネルギーに比べると、
これまではそのコストは高いと評価され、
国内の各種のエネルギー事業は
補助金や企業や個人の自主的な取り組みにより成り立ってきました。
しかしながら、そのような状況では、
あくまで一部の地域や分野での部分的な普及に留まり、
本格的な自然エネルギーの普及や
大幅な導入コストの低減には結びついていませんでした。
1970年代に米国で始まった
再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT: Feed in Tariffs)が、
欧州を中心に1990年以降本格的に導入され始め、
電力会社が法律に定められた発電種ごとの固定価格で、
20年間程度の長期間、
自然エネルギーにより発電された電力の全量を買取っています。
特にドイツのEEG法(自然エネルギー促進法)は、
このFIT制度に関する法律として、各国での制度導入のモデルとなっています。
2011年初めの時点で、世界中で70以上の国と地域でこのFIT制度を導入しており、
発展途上国を中心にさらに導入する動きが加速しています。
このFIT制度による自然エネルギー市場の拡大により、
風力発電や太陽光発電が欧州各国(ドイツ、スペインなど)や
中国・インドを中心に急速にその導入量を増やしています。
ドイツでは、自然エネルギーによる電気の割合が
2000年のFIT制度開始当初に6%程度だったものが、
2011年には20%に達し、2020年までに35%以上を目指すまでになっています。
一方、日本では2003年から固定枠買取制度(RPS法)がスタートし、
各電力会社が一定量の新エネルギーによる電気を調達することが
義務づけられています。
しかし、設定された電力会社への義務量はとても低く、
日本国内での再生可能エネルギーの本格的な普及にはつながりませんでした。

動きがあったのは2009年。
日本国内でも一部の太陽光発電の余剰電力かつ
非発電事業に対してFIT制度がスタートし、
太陽光発電の年間導入量は2010年度に初めて100万kWを超えました。
さらに、太陽光発電による発電事業用も含め、
発電した「全量」の電気を対象にして、風力・地熱・バイオマス・小水力発電など
実用化されている「全種」の再生可能エネルギーに対して
このFIT制度を広げることが求められていました。
東日本大震災以降のエネルギー政策の見直しにおいて、
自然エネルギーの本格的な普及拡大は重要なテーマとなっています。
自然エネルギーによる発電の本格的な普及拡大を可能とする
全量・全種の固定価格買取(FIT)制度が、2011年8月に国会で成立し、
2012年7月からスタートすることが決まりました。
(正式名称「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」)
しかし、このFIT制度が有効に機能するためには、
適切な買取価格や買取期間などを別途定める必要があり、
第三者機関である「調達価格等算定委員会」で審議が行われています。
さらに、優先接続と呼ばれる送電網への接続義務の徹底や
送電網の整備や各種の自然エネルギーに関する規制の改革なども求められており、
2012年3月には政府による
「エネルギー規制・制度改革アクションプラン」が決まっています。

図:固定価格買取制度(FIT)の仕組み

TOPIC 「御神火温泉」の温泉熱ヒートポンプ

まちの財政的な効果も促す、火山島・大島の新しい試みとは。

東京都の伊豆大島では、温泉熱を利用したヒートポンプが動いています。
大島町の地域エネルギー自給率
(域内の再生可能エネルギー供給量/民生・農林水産業用エネルギー需要量)は
3.97%(2009年度)と高くありませんが、
適用範囲が広い試みですので紹介したいと思います。
三原山を抱く大島は火山島のイメージがありますが、
意外なことに温泉には恵まれていませんでした。
しかし、1986 年の三原山大噴火の影響で、元町地区の井戸の温度が上昇して、
念願の温泉利用ができるようになったのです。
現在は、「元町浜の湯」と「御神火温泉」の2か所が営業しています。
温泉熱ヒートポンプが導入されたのは、
観光協会が運営する温泉施設「御神火温泉」です。
「御神火温泉」では、一時40℃を超えていた源泉温度は、徐々に落ち着き、
現在は33.5℃から34.0℃で推移しています。湧出量は毎分220リットルです。
「御神火温泉」では、従来は灯油を用いて
湯温を入浴に適する43℃程度まで上げていましたが、
2009年から2年間にわたって大島町が東京都の補助金を受け、
2011年4月1日から6台のヒートポンプを導入しました。
補助金総額は1億2600万円で、補助率は10分の10です。
なお、内訳にはヒートポンプ装置代以外の事業費も若干含まれています。
このヒートポンプは、入浴後のお湯から熱を回収するもので、
回収された熱は、入浴用の温泉の温度を上げることと、
炊事などに使用するため水道水の温度を上げることに使われています。
加熱能力は229.8kW、給湯能力は268.2kWとなっています。
導入後、一切灯油は使っていません。
ヒートポンプの指定管理者である観光協会の岡村さんのお話では、
ほぼ1年間運用して、
削減された灯油購入費とヒートポンプを回すために増加した電気代を総合すると、
およそ3分の1の経費削減となったということです。
光熱水料ベースでは、22%の削減になっています。
これにより、年間で約200トン(東京都80世帯分)の
二酸化炭素排出削減につながるということです。
今後、灯油価格が上昇することを考えると、
その財政的な効果はさらに大きくなると考えられます。
岡村さんによると、新しい試みなので、
これまでさまざまな試行錯誤を繰り返して運用を継続しているということでした。
たとえば、バルブの目詰まりが起こって交換することになったり、
冬になるとどうしても能力が不足するので、設定を調整したりしています。
また、灯油の場合は短時間で湯温を上げることができますが、
ヒートポンプの場合は徐々に湯温を高めざるを得ないので、
その対応も必要だったということでした。
「最初からヒートポンプで設計しておけばよいのだけれど」
と、「御神火温泉」の支配人はおっしゃっていました。
源泉温度が34℃と低くても温泉熱ヒートポンプを用いることができます。
全国にはもっと高い源泉温度の温泉がたくさんあります。
これまで無駄に捨てていた熱を、
化石燃料を燃やす代わりに有効に活用することを考える時代になっています。

御神火温泉

温泉熱ヒートポンプ装置

試行錯誤を重ねつつ運用を続けている様子