連載
posted:2012.6.4 from:岩手県陸前高田市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
2011年3月11日の東日本大震災によって見舞われた東北地方の被害からの復興は、まだ時間を要します。
東北の人々の取り組みや、全国で起きている支援の動きを、コロカルでは長期にわたり、お伝えしていきます。
editor's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
2012年4月22日、岩手県陸前高田市の高田小学校を会場にして
「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」が開催された。
主催したのは隣町である一関市の商工会議所青年部。
彼らは日本人の心のよりどころである桜を復興のシンボルとした
「桜プロジェクト」を立ち上げ、
陸前高田市で苗木の贈呈や植樹祭を開催するなど、復興の手伝いをしてきた。
「昨年のクリスマスは、サンタに扮してすべての保育所を回りました。
子どもたちひとりひとりにプレゼントを手渡ししたらすごく喜ばれたんです。
そこでこれからは、『桜プロジェクト』同様に、
子どもたちの笑顔を咲かせたいと思い、このお祭りを開催しました」
と話すのは、一関商工会議所青年部・復興支援委員長の今野公英さん。
とにかく子どもに楽しんでもらうという目的のお祭り。
ミニ四駆大会、ゲイビマンという地元戦隊モノのショー、
クラウンろっくによるマジック&パントマイムショー、フワフワすべり台など、
子どもたちが釘付けになるコンテンツが盛りだくさん。
実際の桜はこの日はまだ咲いていなかったけど、
いたるところで子どもたちがはしゃぎまわる声が響き渡り、笑顔の花は満開。
それを見ているお父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんにも、
自然と笑顔が咲き誇った。
一関市、平泉町など、岩手県周辺のスタッフを中心に開催されたこのお祭りだが、
食べ物の提供は東京からのボランティアグループも協力している。
なかでも「カレーライスプロジェクト」は、
震災後すぐに各被災地で炊き出しを行ってきた。
主宰の石部樹未さんと横塚拓也さんは、
音楽フェス出店やケータリングを生業にしている、いわば“炊き出しのプロ”。
初期メンバーは石部さんの「ナイスドリーム」、横塚さんの「クミンソウル」、
さらには周囲のケータリング仲間「キミドリ」と「プライマル」を誘った。
仲間たちと話しあった結果、
誰もが好きでみんなが食べられる日本のソウルフード=カレーを提供しようと、
クミンソウルのカレーを中心にした
「カレーライスプロジェクト」をスタートした。
「もともと自然のなかのフェスに行って、お店をつくっちゃうのが本業だから、
難しいことはそれほどありません。すぐに動けました」(石部さん)
「五徳も炊飯器もプロパンガスも、
何でも持っている僕たちがやらなきゃおかしくないですか?」(横塚さん)
と、震災から一ヶ月後には炊き出しに向かっていた。
「最初は避難場所を中心に回っていました。
一か所行くと、“次はうちに来てよ”とクチコミで次の場所が決まります。
そうやって何箇所か回っているうちに、
こちらのスタッフ側も参加者が増えていきました。
ロケバスのヒットロックスさんが毎回クルマを出してくれるようになりましたし、
立教大学のボランティアチームにも協力してもらえるようになりました」(石部さん)
当初、求められていたのはやはり炊き出し。
2011年の春から夏にかけて多くのカレーを提供した。
しかし震災から1年以上が経ち、物資が回り始めると、
少しずつ支援のカタチも、被災地が求めているものも変化してきた。
「炊き出しなんてもう必要ないのに、なんでやっているのか?
という声もたしかにあります。
しかし、いま必要なのはコミュニケーションだと思っています。
外の人間が現場に行って、現地の人の思いを発散させて、
少しでも気を紛らわせることができる。炊き出しということではなくて、
お祭りで食べるカレーと会話がコミュニケーションの媒体になるのなら、
いつでもどこでもカレーを持って行きます」(横塚さん)
たしかに単純な炊き出しはもう必要ない。
でも、この「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」のように
人が集まる場所が必要だ。お隣さんだった人や同じ町内に住んでいた人が、
いま同じ仮設住宅に住んでいるとは限らないし、
市外県外へ引っ越してしまった人もいるだろう。
それらの人が、出会い、コミュニケーションをとる場所を必要としている。
実際に“ひさしぶり〜”なんて手を振りながら、
ひとときの立ち話にふける人たちも多く見受けられた。
「どこかでまたつながりたいですね。数年後に東京で出会ったりしたい。
家は流されても、人のつながりは消えないので」(横塚さん)
と話すように、震災で人の和を断絶してしまうなんてもってのほかで、
むしろ和を広げていくべきだ。
特に陸前高田市は、残っている建物が少ないので、
日常生活のなかで人が集まる場所も少ない。
このお祭りのように人が集まる仕組みが必要だろう。
そこに子どもの笑顔が咲き乱れるのならば最高だ。
子どもたちの元気な姿は、大人たちも元気にさせる。
子どもは、みんなの未来!
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