STUDY 太陽光発電

太陽光発電の特徴と国の取り組み。

枯渇しない再生可能なエネルギー源として、
地球に降り注ぐ太陽光を太陽エネルギーとして直接利用する発電です。
シリコンなどの半導体から作られる太陽電池を用いて、
太陽光のエネルギーを直接、電気に変換する方式が主流になっています。
開発当初は高価だったため、人工衛星の電源や電卓などの電気製品に用いられて来ましたが、
日本国内では、1970年代からスタートした国のサンシャイン計画での技術開発、
民間での研究開発や大量生産技術の確立に伴い、
次第に電力供給を目的とする太陽光発電のシステムが確立してきました。
同じ1970年代に技術開発が行われた、
太陽光を集光し熱に変換して発電する太陽熱発電とは区別されます。

日本国内では、これまで住宅用の太陽光発電が比較的多く導入されてきました。
1990年代に電力会社が、太陽光発電による余剰電力を買い取る自主的な取り組みがスタートし、
電力を供給する配電網に太陽光発電設備を接続する系統連系の技術が標準化されました。
1994年度からは国による住宅用太陽光発電導入促進に対する補助金制度が始まり、
2005年度まで12年間実施され、
電力会社による自主的な買取制度と、この住宅用発電設備への補助金制度により、
2005年度末までに住宅用太陽光発電システムが累積で約100万kWまで導入されました。
その時点で日本は世界のトップランナーとして
導入量、生産量ともに世界第1位の座を得ましたが、
2005年度以降の住宅用の補助金制度廃止などにより、
単年度導入量は約20万kW程度で低迷しました。

その結果、2004年に自然エネルギー法(EEG)を改正したドイツに、
単年度導入量を抜かれた上に、
2010年までの累積導入量では1700万kWを超えたドイツ、さらにはスペインにも抜かれ、
世界第3位の約360万kWとなり、大きく差がついてしまうこととなったのです。

太陽光発電(長野県飯田市)
写真提供:おひさま進歩エネルギー(株)

TOPIC 葛巻町(2)バイオマス利用

再生可能エネルギーのまち、葛巻町のバイオマス利用。

岩手県葛巻町は、風力発電のみで町内の総電力需要の2倍以上に達する
再生可能エネルギー生産がありますが、酪農と林業が盛んであることを活かして、
バイオマス資源の利用にも積極的に取り組んでいるのです。
このことが、「再生可能エネルギーのまち」として注目される
一番の理由となっています。

酪農からは乳牛の糞尿などの畜産廃棄物が出され、
林業からは集成材工場・パルプ工場などから端材など木質系の廃棄物が出されます。
まちではこれらを利用したさまざまな再生可能エネルギー利用を取り入れています。
例えば、第三セクターである葛巻町畜産開発公社が運営するくずまき高原牧場内には、
畜産バイオガスシステムがあり、
牧場内で産出される畜産廃棄物と町内の生ごみから発生するバイオガスを利用して、
発電と熱供給を行うとともに、残余物も堆肥として活用しています。

また、林業から発生する木質系の廃棄物を使って木質ペレットを生産し、
町内4施設で稼働しているペレットボイラーの燃料の全量を町内でまかなっており、
さらに、一般家庭への薪ストーブやペレットストーブの普及も進んでいるのです。
その他、公共施設における太陽光発電設備や太陽光・風力ハイブリッド型の街灯など、
さまざまな再生可能エネルギー利用設備が各所に導入されています。

葛巻町の再生可能エネルギー利用のうち、特にバイオマス資源の利用は、
農林業や酪農業といった地場産業とリンクすることによって
エネルギーを確保しようという試みがあります。
これによって、既存の産業の活性化や、
雇用の増加といった経済的波及効果が期待され、
ひいてはまちの税収の増加にもつながる可能性があるのです。
地域産業と連携したかたちで再生可能エネルギーを普及させ、
地域産業の活性化につなげていくことができるのか。
葛巻町はその試金石として注目すべき場所なのです。

くずまき高原牧場の畜産バイオガスプラント。

森のこだま館のペレットストーブ。

町立葛巻中学校の太陽光発電設備。

小布施 Part1 「まちとしょテラソ」と 館長・花井裕一郎さんのこと

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小布施編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-002, tpc-thi-yamazaki-003, tpc-thi-yamazaki-004, tpc-thi-yamazaki-005"]

プロローグ的な前回に続き、今回からは4回にわたり、
小布施の図書館「まちとしょテラソ」で館長を務める
花井裕一郎さんと山崎さんとの対談をお届けします。

まちとしょテラソはこうして生まれた。

山崎

ようやく来ることができました。なんとも気持ちのいい空間ですね!

花井

ありがとうございます。
建築のプロである山崎さんにそう言ってもらえるなんて、とても光栄です。

山崎

設計はたしか、建築家の古谷誠章(STUDIO NASCA代表、
早稲田大学理工学部教授)さんでしたよね。
小布施町とはとくに縁故のない方だと思うのですが、
どのような経緯で古谷さんが手がけることになったのですか?

花井

プロポーザル方式(企画、提案型)のコンペで、
166名の候補者のなかからファイナリストに選ばれたのが
NASCAの古谷さんだったんです。

山崎

その審査は誰が?

花井

建築家、図書館関係者、町民2名で審査を務めました。

山崎

お。町のひとも入ってるんですね。

花井

そうなんです。実はそれより以前に
旧図書館建て替えプロジェクトがスタートしていて、
一緒に新図書館(仮称)をつくりたいひと!って町民に募集がかかったんです。
そうしたらなんと50人も集まっちゃって(笑)。
町民による新図書館建設運営委員会が生まれたんです。
かくいう僕もそのひとりだったわけですけどね。

まちとしょテラソ外観

建築デザインは、古谷誠章(STUDIO NASCA代表)。

まちとしょテラソ内観

夕方、学校帰りの子どもたちが集う、ほんの少し賑やかな時間。

なんだ、こりゃ? まちとひとに心奪われた。

山崎

花井さんは、そのときにはもう小布施町の住民だったんですか?

花井

はい。ちょうど10年前、40歳のときに小布施に移住しました。

山崎

なぜ、小布施町だったんですか?

花井

フリーの映像演出家として、取材で訪れたのが最初のきっかけでした。
小布施の町おこしの立役者と称されるセーラ・マリ・カミングス
(株式会社桝一市村酒造場取締役、株式会社小布施堂取締役)を
取材しに来たんですが、セーラさんだけでなく、
彼女のまわりのひとたちの「熱さ」に触れて、「なんだ、こりゃ?」と
すっかり心を奪われてしまったんです(笑)。

山崎

そんな人間の熱さこそが、花井さんの感じていらっしゃる
「オブセリズム=目に見えないけれど、そこにあるエネルギー」の
源みたいなものなんでしょうか。

花井

その通りですね。

山崎

あ、窓の外、陽が落ちてきました……。

花井

ね! この時間もなかなかいいでしょ? 
夜は8時まで開いているのも、うちの自慢なんです。

山崎

テラソ、というネーミングもそこから?

花井

設計段階から、建物自体が暗闇を照らすあんどんのように……
という考えがあり、「照らそう」から「テラソ」が生まれました。
また、「TERRA」にはラテン語で地球、大地の意、「SOW」には種を蒔く、
という意味も込められています。

山崎

うーん、いい名前だ!

花井

山崎さんの著書『コミュニティデザイン』のなかにも書かれていましたが、
「また来たい」と思ってもらえる町、そして図書館でありたいんです。
だから「わくわく」と「おもてなし」をテーマに、
この図書館を“演出”するのが僕の使命だと思っています。

(……to be continued!)

天井部の建築デザイン

木の枝のような大きな柱が屋根を支える有機的なデザイン。

ライトアップされたまちとしょテラソ

夜のまちとしょテラソ。まるで、子供たちの未来を照らす行灯のよう。(写真提供:まちとしょテラソ)

information

map

まちとしょテラソ

「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとで建築された小布施町立図書館。「本を貸し出す業務」だけにとどまらず、この場で未来を担うこどもたちが世界を感じ、飛び立っていくための支援や、なにかを創り出すひとの支援を通じ、町内外のひとびとの生涯学習の拠点としての「図書館」を目指している。

住所:長野県上高井郡小布施町小布施1491-2

TEL:026-247-2747

開館時間:9:00 〜 20:00

休館日:火曜

Web:http://machitoshoterrasow.com/

profile

YUICHIRO HANAI 
花井裕一郎

1962年福岡県筑豊生まれ。テレビディレクターからスタート。2000年、東京から小布施町に拠点を移し、本来の人間の姿、生き方を模索し創作。2009年より、小布施町立図書館・まちとしょテラソ館長。図書館を交流の場、ワクワクする情報を提供する場として演出している。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

山崎亮ってどんな人?

全国各地で引っ張りダコ、日本中を駆け回る男の仕事とは

人を入れるハコモノばかりがあふれ、ハコに入る人がいない地域。
それがおかしなことと気づきながらも、次の手が思いつかない行政。
今必要な行動は“ものづくり”ではなく、
“人がつながる仕組み”をつくることだと見定めて、
「コミュニティデザイナー」という不思議な肩書きを持って
地方再生のさまざまなプロジェクトを展開させる山崎亮は、
国が右往左往しているこの時代の寵児とも言える。

彼が人のつながりに興味を持ったきっかけは、
ランドスケープを学ぶ学生時代、阪神淡路大震災での経験だった。
「崩れ果てた街の中で、人々が結びつき、
自分たちの力で非常事態の街を使いこなす状況に圧倒されました。
また、ランドスケープ=生活自体であると痛感。
ならば、人のつながり自体が重要ではないかと考えました」

ものづくりから、つながりづくりへとシフトチェンジした彼は、
過疎化、少子化、高齢化など地域社会が抱えるさまざまな課題に対し
“震えるくらい美しい形で”解決することを命題とする
「コミュニティデザイン」という仕事を編み出した。
住民ひとりひとりの声を拾う中で地域課題を的確に見抜き、
人と人との良質なつながりを生み、つながった人々の意欲に火をつけ、
能力をつけ、チームワークの力で問題を解決していく。
そんな美しきチームプレーが、
地域コミュニティの活動でも実現できることを示したのである。

ただし、彼自身がプレーに加わることはなく、
人材を育て適切な指示を出す監督の立場を貫く。
未来を担う人材は地域の中で育成し、
十分に力が備わったらそっと身を引き、陰で寄り添う。
下に紹介した5つのプロジェクトは、
山崎監督が残した名試合ともいえるものだ。
「こんな仕事がなくていい世の中が理想なのにね」と笑う山崎は、
コミュニティデザインの伝道に、今日も全国を飛び回る。

山崎亮を読み解く5つのプロジェクト

  • いえしまプロジェクト

    ここから今の山崎が始まった!

    「いえしまプロジェクト」

    (2002年~)

    兵庫県姫路沖、家島諸島でのまちづくりプロジェクト。外部の若者が見た家島の魅力を島民に伝え島の将来を語り合う「探られる島プロジェクト」は5年続き、NPO法人いえしま設立後は、空き家を外国人の宿泊に利用する「ゲストハウスプロジェクト」や特産品販売を通じた都市部との交流などの活動を精力的に続けこの島のファンを増やしている。報酬のない公益事業ながら地域の課題を探りプロジェクトを起こすという貴重な経験を得る。

  • 有馬富士公園プロジェクト

    パークマネジメントの好例

    「有馬富士公園プロジェクト」

    (1999年~2007年)

    公園の集客に重要なのはデザイン以上に開園後のマネジメントであるとし、「楽しい公園」をつくる仕組みを考えたプロジェクト。兵庫県三田市の県立公園に来園者を積極的に誘い出すプログラムを組み込んだ。プログラムを提供する側(キャスト)に50以上ものコミュニティが参画しゲストをもてなすというもので、キャストもゲストも楽しめることから開園以来入場者数が増加し続ける。延岡駅周辺整備プロジェクトにもこの手法を導入。

  • コミュニティづくりのきっかけをつくった「土祭−ヒジサイ−」

    コミュニティづくりのきっかけをつくった

    「土祭−ヒジサイ−」

    (2009年)

    栃木県益子町で行われる土祭を一過性の祭りに終わらせず、その後のまちづくりにつなげていったプロジェクト。益子の土をテーマにした20余りのプログラムを16日間にわたり展開するという大きな祭りの後、参加したボランティアメンバーが集まって「ヒジノワ」(土祭を契機にして出来上がった輪の意味)という団体を立ち上げた。地域と商店街に開いたその活動に刺激を受け、商工会も中心市街地の活性化に乗り出した。

  • 子ども笠岡諸島振興計画

    大人が動かぬなら子供を動かそう!

    「子ども笠岡諸島振興計画」

    (2009年~)

    将来の人口減少が目に見えるにもかかわらず危機感の薄い島民の心を動かすため、未来を背負う子供たちとタッグを組んで進めたプロジェクト。岡山県の笠岡諸島の7島に住む子供たちと連携して離島振興計画を作成し、隣島とは協力できないしワークショップ参加も不可能、などと動かない大人たちへ提出。「この計画を実行してくれなければ、私たちは島に戻りません!」という子供たちの声が良質な脅しとなり、大人の本気を引き出した。

  • 穂積製材所プロジェクト

    この製材所が森の荒廃や人離れを食い止める!?

    「穂積製材所プロジェクト」

    (2007年~)

    民営の製材所を地域の都市農村交流の拠点として開き、そこでの活動から連鎖的に地域の課題解決の糸口を見いだしていくプロジェクト。伊賀の里、三重県は島ヶ原の駅前にある閉鎖直前の穂積製材所を、木工制作活動の場として公共的に活用することを考案。製材所内には建築家らが設計した「寝どこ」があり、週末には各地から集まった人々がここで寝泊まりしながら家具をつくり、材を生む森を学ぶ。写真は伊賀忍者の格好で講演した山崎。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

地域プロデューサー・本田勝之助のしごと

会津発、地域を経営するという視点。

古くから東北の要所として栄え、激動の幕末期には戊辰戦争の舞台となり、
白虎隊の悲劇や新撰組との関わりなど、数多くの歴史ロマンに彩られた会津若松。
そこかしこに重厚な時間の堆積を感じさせるこのまちはまた、
恵まれた農業資源を背景に豊かな食文化が花開き、
会津漆器をはじめとしたさまざまな伝統工芸品の産地としても知られる。

本田勝之助さんは、その会津若松を拠点に活動する地域プロデューサーである。
大正時代から続く青果商の家に生まれ、
大学卒業後は会津と東京を拠点にしたIT関連会社を起業し、
順調に業績を伸ばしていたが、
父親の勝美さんが病で倒れたのを機に家業を継ぐ意思で、
2004年に食と農業のプロデュースを行う「会津食のルネッサンス」を設立した。
「僕は経営が専門なので、この仕事を始めるにあたって重要視したのは、
地域を経営するという視点でした。
会津にはたくさんの特産品がありますが、
県外、ひいては海外にも通用するポテンシャルを持っているものは何かと考えたとき、
それは農業、しかもお米だと思ったんです。
お米ならすぐに賞味期限が切れることはないから、1年かけてじっくりと売ることができる。
幸い父が青果市場の経営者だったこともあり、農業関係の人たちをたくさん知っているし、
わからないことがあればすぐに聞けるので、その点も心強かったです」
米づくりを始めるにあたって、勝之助さんはまず何よりも土にこだわった。
よい土をつくることで、稲は健康に育ち、美味しいお米ができるとの思いからだ。
そのことを父の勝美さんに相談すると、旧知の信頼できる農家を紹介してくれた。
勝美さん自身、40年来、青果の流通に従事してきたプロフェッショナルであり、
みずからが組織して「会津の伝統野菜を守る会」を立ち上げるなど、
地域の食文化の継承と発展に尽力してきた頼れる先達である。
「勝之助が考えたように、美味しい米をつくるためには土づくりは欠かせません。
そしてその土をつくるのは人です。
知り合いの農業家の中には、
高い技術を持ってマジメに農業に取り組んでいる人たちがいるから、
お互いをつないであげました。
私も長いあいだ流通をやってきて、消費者が何を求めているのか、
どうしたら消費者に買ってもらえるのか、ずっと考えてきたので、
彼がやろうとしていることの意義はよく理解できたし、頑張ってほしかった」
こうして5年の月日をかけ、丹念に土づくりを行って2007年に生まれたのが、
「会津継承米 氏郷」である。
そもそも会津は、財団法人日本穀物検定協会が行う米の食味ランキングで
最高値「特A」を得ている地域だが、
その中でも甘さとモチモチの食感を兼ね備えた「氏郷」の評価は高く、
今や寿司の名店「銀座久兵衛」や老舗料亭の「金田中」が、
こぞって採用するほどの人気ブランドとなった。

そのぶんチャンスは限りなく大きくなった。

お米から始まった勝之助さんの事業は、同様にお酒やりんごなどにも広がっていき、
近年はホテルや伝統産業のプロデュースやコンサルティングといった分野にまで及ぶ。
「お米をやろうと決めたときから、これからのものづくりは、
“もの”自体のコンテンツよりも、“もの”が生まれた地域やバックグラウンドを含めた物語、
コンテキストが大事になってくるだろうと考えていました。
だとしたら、地方にはコンテキストがいっぱいあるんですよね。
それらを地域経営の視点からきちんとデザインして、
あわせてひとつひとつのコンテンツもしっかり磨き上げていけば、
マーケットは必ず開かれていくはずです。
おかげさまで、ここ数年で取り扱うものはかなり増えましたので、
まずは会津でモデルケースをつくって、それを他の地域にも応用し、
そのうえで地域間のコラボレーションなど、大きく展開していければと思っています」
さらに3.11の震災を経て、東日本の食の復興が関心事となっている現在、
勝之助さんの活動は以前にも増して重要な役割を担うようになり、
そのフィールドも加速度的に拡大している。
「震災の問題はやはり重たいです。
特に福島にはいろいろな課題がどーんとのしかかってきています。
ただ、見方を変えれば、そのぶんチャンスは限りなく大きくなったとも言えます」
実際、個人や企業を問わず、「福島だからこそ力になる」との声は多く、
復興に向けたプランは次々と動き出しているという。
この地域から次の社会のあるべき姿を創り上げていく。
その思いを胸に、勝之助さんは今日もどこかで奔走中。

会津の名産「緋の衣」を使ったリンゴジュース「復古三兄弟」も、勝之助さんがプロデュースしたもののひとつ。

ワークショップで話す勝之助さん。手にしているのは、からむし織(昭和村の特産)で、日本を代表する帽子デザイナー平田暁夫氏が復興支援のために制作した帽子。

Profile

KATSUNOSUKE HONDA 
本田勝之助

ほんだ・かつのすけ●福島県会津若松市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。会津食のルネッサンス代表取締役。ヒルサイドコネクション代表取締役。地域を経営するという視点で、会津地方や福島県内を中心に食やモノづくりのプロデュース、ならびに伝統産業のコンサルティングやリノベーション事業を展開している。福島復興のキーパーソン。

会津食のルネッサンス http://www.a-foods.jp/

株式会社ヒルサイドコネクション http://hillsideconnection.jp/

RICE475 収穫祭レポート(前編)

はじめまして、ガクハリです!

はじめまして、RICE475の覺張と申します!
RICE475とは、株式会社リバースプロジェクトと
日本有数の米どころ南魚沼の農家山本と廣新米穀で取り組む農業プロジェクトです。
「美味しいお米を作り、農家の価値を高めたい!」という想いから始まり、
南魚沼産コシヒカリを栽培しながら、
魚沼での農業体験や都内での様々なイベント、ウェブなどで情報発信を行っています。
農家のことを少しでも知っていただき、
皆さんと一緒に農家の未来を考えていけたら幸いです。
生産者・流通者・消費者の全てが幸せになれるお米、
最「幸」級米を目指します!

この場では、新潟県魚沼地方から地域のヒト・モノ・コトを
ご紹介させていただきたいと思います。そんな第1回は、
「魚沼を満喫し、贅沢にRICE475を味わいながら、収穫に感謝しよう!」
という趣旨のもと開催された、
「RICE475 収穫祭 祝・豊作ツアー」をご紹介します。

11月22日、23日の2日間で行われたこのツアー、
遠くは九州から近くは地元魚沼の方々に、
温泉・観光・酒・旬の味覚・新米と魚沼を存分に味わっていただきました!
そんな旅の始まりは、なんと温泉宴会スタート☆
今回お世話になったお宿は、「雪国の宿 高半」さんです。

川端康成が滞在し、「雪国」を執筆し、物語の舞台となったことでも有名な、
約900年の歴史を誇る温泉なんです。
RICE475の田植えや農業体験後は必ずこの温泉です!
歴史もさることながらお湯が素晴らしい!
お肌ツルツルのアルカリ性で湧き出し温度も奇跡の42度。
37代目湯守いわく「源泉に本当に何も手を加えず、そのままなので、
赤ん坊を放り込んでも安心」とのことです。
放り込まれた赤ん坊はさぞ不安でしょうが。。。

そんなお宿で、37代目湯守高橋五輪夫さん(通称プリンス)を囲んで、
魚沼の深雪マスやお漬物や新米おにぎりをツマミに
銘酒「鶴齢」で美味しく愉快な宴を過ごしました。

僕があのひとことを告げるまでは。。。

…そう、わたくし重要な伝達事項をすっかり伝え忘れておりました。

覺張:「明日の座禅ですが、朝5:40にロビーに集合してください。」

そのひとことで場の空気が一変。
皆さん:「えっ。。。これからお風呂に入って、なんだかんだで2時。起床は4時半。。。」
覺張:「いやぁ、修行ですから、ねぇ。。。すいません!」
ってな感じで、即撤収、即就寝、即起床。

皆さんの怒りが座禅で静まるといいなぁという、淡い期待を胸に向かった先は、
関興寺さん。魚沼では「雲洞庵」に並ぶ位の高いお寺です。
上杉家に縁のあるお寺で、謙信の没後の相続争いの兵火で諸堂が火災になった際に、
住職が謙信から譲り受けた経本を味噌の中に入れて火から守ったそうです。
それ以来、「関興寺の味噌なめたか」と言って、
関興寺の味噌をなめるとご利益があるとされています。

まだ薄暗く、気温の低いお寺で、住職から説明を受け、皆でお経を唱えた後に座禅体験。
機械の音を無くすため、ストーブも電気もすべて消し、調身、調息、調心。
姿勢を整え、呼吸を整えることで心が整う。
カラスの鳴き声、キツツキが木を叩く音、かなりの寒さでしたがそれすら心地よく、
地球と一体となっているような感覚を体験しました。
普段、機械音に囲まれて生活していることを実感すると同時に、
自然界の音だけに囲まれることがこれほど気持ちの良いことだと知りました。

初めて体験される方も多かったのですが、「スッキリした!」と、大変好評でした。
また、「住職の袈裟が素敵だった!」とおっしゃる方も。
デニム素材の袈裟は本当に素敵でしたよ!

こうして、これからの旅の安全祈願と、
RICE475をおいしく食べるまでのコンディションを整え、朝食のために宿へ戻りました。

そして、前夜の僕の失敗は忘却の彼方へ。(良かった良かった。)

つづく。

六角橋商店街

老舗商店街のもうひとつの顔は、サブカルイベントのメッカ。

東急東横線・白楽駅を降りると、華やかなアーチの看板が見えてくる。
住宅地に囲まれている六角橋商店街は、
約500mのメインストリート「六角橋大通り」と、
それに平行する裏路地アーケード通り「仲見世通り」、
さらに、多数の小さな路地で構成されている。
近くには神奈川大学もあるため、通学途中の学生や、
商店街にやってくるたくさんの人で通りはにぎわっている。

六角橋商店街の歴史は古く、横浜市内でも戦前から続く老舗商店街。
第二次世界大戦中には、延焼を防ぐため
ほとんどの建物はつぶされてしまったというが、
戦後、たくさんの商店が並んだ。
なかには、戸板で闇物資を売るものも。こうして、今の商店街が始まった。

乾物を扱う足立商店も戦後すぐにお店を構えた。
「昔は、商売が楽しくってね。なんでって、そりゃ、売れるからさあ。
サラリーマンなんかやってるより、ずっと面白かったよ」
ご主人の隆さんは当時を懐かしそうに話す。
開店当時から変わらない足立商店のレトロな看板が、心をくすぐる。
そんな歴史ある六角橋商店街では、
近年「ヤミ市」というイベントでにぎわいを見せているらしい。
一体、ヤミ市とは……?

ガラスケースに並ぶ、揚げたての唐揚げに思わず立ち寄る高校生の姿も。

新聞に目を通しながら店番なんて、なんだか昭和のドラマみたいです。

「20年くらい前かな、閉店する店が増えてしまったから、
客引きのためのイベントをいろいろ考えたんです。そしたら、
シンボルイベントの大道芸が失敗。お客さんは来たんだけどね。
結局、野毛(※)の二番煎じにしかならない。
もっと六角橋らしいものは何かと、考えた結果、
アジアのナイトマーケットのようなフリマをしようと。
それなら、近隣住人たちでライブもしようってなったんです。
この街にはミュージシャンたちが結構住んでいましたから。
しかも、場所は店が閉まった後の仲見世通りの路上。これがウケましてね」
このアイデアの発案者で、現在、六角橋商店街の販売促進部長を務める
石原孝一さんが、真相を教えてくれた。

以来14年ほど、夏季(4月〜10月)限定で、
「ヤミ市」と称して、フリマの他にもさまざまなイベントが、
夜な夜な開催されているのだ。
20時以降、しかも路上だからか、開催されるイベントはどれも個性的!
南陀楼 綾繁さんの一箱古本市、
パフォーマンスアーティスト・ギリヤーク尼崎さんの公演など、
サブカル好きにはたまらない有名人たちの名前も。
さらには、チャリティー野宿、ストリート結婚式など、
あの狭い道幅で、どんな風に開催されるものなのか興味惹かれる。
「基本、誰でもウェルカムですからね!
おもしろいことをしてくれれば、それでいいんです」

ヤミ市の様子。古本市とかっぱのダンサー・おいかどいちろう氏のパフォーマンス。

左から専務理事の糸井勇さんと、石原孝一さん。

TOPIC 葛巻町(1)ウインドファーム

再生可能エネルギーのまち、葛巻町の取り組み。

人口7,300人余り、酪農と林業を基幹産業とし岩手県北部に位置する葛巻町は、
おそらく日本で最も有名な「再生可能エネルギーのまち」でしょう。
千葉大学と環境エネルギー政策研究所が試算しているエネルギー永続地帯指標で見ると、
葛巻町のエネルギー自給率は200%以上と高く、
町が独自に試算している自給率でも180%以上なのです。
いずれも非常に高い数値であり、
この数字を支えているのは町内にある広大なウインドファーム(風力発電所)と、
酪農と林業から得られる豊富なバイオマス資源、
その他太陽光発電など多様なエネルギー利用にあります。
今回は、葛巻町の最大の再生可能エネルギー供給源である風力発電について紹介しましょう。

町内には「エコ・ワールドくずまき風力発電所」と
「グリーンパワーくずまき風力発電所」の2ヵ所の風力発電所があります。
発電設備はエコ・ワールドくずまきが出力400kWの風車3基で1,200kWの出力を持ち、
年間推定発電量は200万kW。
一方、グリーンパワーくずまきは出力1,750kWの風車12基で21,000kWの出力を持ち、
年間推定発電量は5,400万kWです。
推定発電量から見ると、エコ・ワールドは設備利用率が19%、
グリーンパワーは同29%となるので、風況が比較的良い場所であると推測できます。

両発電所合計で生産される年間5,600万kWの電力によって、
総世帯数2,664世帯の葛巻町内の電力需要に対して、
なんと2倍以上の電力を供給できます。
この大規模なウインドファームによる再生可能エネルギー生産が、
葛巻町のひとつの特徴なのです。

エコ・ワールドくずまき風力発電所(出典:葛巻町公式ホームページ)。

STUDY 自然エネルギー

「自然エネルギー」というキーワードの意味と可能性。

自然エネルギーは、太陽から降り注ぐ膨大なエネルギーや
地球が本来持っている地熱エネルギーを利用して、
遠い将来にわたって人類が活用できる持続可能な非枯渇性のエネルギーで、
再生可能エネルギー(Renewable Energy)とも呼ばれます。
自然エネルギーの利用形態としては
各種の発電(太陽光発電、風力発電、地熱発電、水力発電、バイオマス発電など)や、
熱の利用(太陽熱、地熱、バイオマス)、
燃料としての利用(バイオ燃料など)が含まれます。
太陽エネルギーは、太陽光として地表に降り注ぐだけでなく、
地表を温めて風をおこし、蒸発した水は雨となって川を流れ水力となり、
森林や農作物など植物(バイオマス)を成長させます。
地熱は、日本のように火山が多い国では温泉として古くから活用され、
高温の蒸気としても活用することができるのです。

産業革命以降、人類がエネルギー資源として依存してきた
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料は、
将来は利用ができなくなる枯渇性のエネルギー資源であるため、
すでに供給のピークを過ぎたものも出はじめており、
その価格は将来にわたって高騰することが想定されます。
さらに利用時に温室効果ガスを排出して地球温暖化の原因となっており、
気候変動による異常気象が世界各国ですでに頻発しています。
化石燃料の代替エネルギーとして導入が進んで来た原子力発電についても、
核燃料使用後に生まれる処分が困難な放射性廃棄物の問題や、
原発事故発生時の危険性が非常に大きいことが明らかになってきています。

これに対して自然エネルギーは、
化石燃料や原子力に代わる持続可能な未来のエネルギーとして注目され、
産業革命やIT革命に続く第4の革命として、世界中でその利用が急成長しています。
特にエネルギー自給率が数パーセントと非常に低いレベルにある日本にとっては、
近い将来の高騰や海外からの調達リスクが懸念される化石燃料や
深刻な事故を起こしている原子力発電に代わって、
持続可能な国産のエネルギー資源として位置づけることが可能です。
また、温室効果ガスの排出量が非常に少なく、
国や地域のエネルギー安全保障につながるなど、
新たな産業・雇用の創出や地域経済の活性化の切り札としても
本格的な導入が期待されています。

日本国内の発電量に占める自然エネルギーの割合(出典:自然エネルギー白書2011)。

西村佳哲さん

「地方で生きる」人たちに出会う旅

デザインオフィス「リビングワールド」代表であり、
『自分の仕事をつくる』などの著書で、働き方研究家としても知られる西村佳哲さん。
震災後に東北と九州をめぐり、地域と密接に関わりながら
働く人たちへのインタビューを中心に綴った『いま、地方で生きるということ』は、
どこで働くか、ひいてはどこで生きていくかという、
私たちの生活基盤そのものを考え直させるような著書だ。

「この本を書くきっかけを作ってくれたのは、出版社ミシマ社の三島邦弘さんです。
たとえば出版というビジネスも東京中心に成り立っているところがあるけれど、
もうそういう時代でもないはず。
取次会社が決めた本をまちの本屋に置いて売れるかといったらそうじゃない。
三島さんが東京というものに象徴しているのは、
そういった形骸化したシステムや思考習慣で、
それらに拠らない場所という意味で“地方”という言葉を使っていると思います。
つまり東京の中にも地方はあるし、地方にも東京がある。
そして、どこで生きるかというのは、僕のテーマでもありました」

この本には、地域のファシリテーター、プランナー、デザイナーなど
さまざまな人たちが登場するが、生き方は違えど、彼らはみんな自分の役割と仕事を、
自分の生きている場所にきちんと見出している人たちだ。

「彼らの共通点は何かというと、考えながら話すということ。
自分が感じていることを確かめながら話すというか、
実感を大事にしているんだろうなと思うんです。

実感を大事にするということは、
一方で違和感をスルーしないということでもあると思います。
それって人間としてすごく健やかですよね。
ある意志や意図を持って自分の人生の時間を埋めていこうとする。
違和感のあるものに囲まれて生きていると、
僕は自分のある部分が死んでいく感じがするんですが、
彼らは、そういう違和感が自分の人生にたくさんあることには
耐えられない人たちだと思います」

いまこそ、モダニズムをもう一度

西村さんは東京生まれ、東京育ち。
それでもなぜかずっと東京以外のところで暮らしたいという気持ちがあるという。

「自分でもなぜだかよくわからないんですけど。
でもそれは、僕が30歳のときに会社を辞めたことと密接に関係していると思います。
僕が会社を辞めた理由のひとつは、このままずっと会社勤めを続けていると、
会社から仕事をもらう能力しかトレーニングされないと思ったから。

会社にいないと仕事が手に入らなくなるというのは実はこわいことで、
仕事を自給自足できるようになりたいと思ったんです。
それと東京を離れてみたいという気持ちはすごく近いものがあって。
都市の人たちは毎日ドリルのように買い物という行為を反復していて、
何かを自分で作って手に入れるというトレーニングをしていない。
生きていくために必要な水とか食べ物が、
ひとつのチャンネルでしか手に入れることができないのは、とても危うい。
生きていくうえで、サブシステムが必要だと思うんです」

西村さんは現在、東京以外の拠点となる場所を具体的に探しているところだという。
都市部と離れたところでものを作ったり、暮らしを作っていくときには、
都市のシステムの中では見えなかった、自分の暮らしの全体像が見えてくる。
それが、地方で暮らすことの最大の利点だと西村さんは考えている。

「いまの時代って“モダニズムをもう一度”だと思うんです。
モダニズムは近代合理主義と訳されていますが、
そこには非合理なものに対する怒りがあったんですよね。

なんで僕らは猫足の椅子に座らなくちゃいけないんだ?というように、
形骸化してしまった習慣や意匠に対して異議申し立てというか、
ゼロから見直そうということをやったから、一旦シンプルになったわけです。
装飾を排することが目的ではなくて、いま一度考え直そうという動き。
いまはまた、これまでの当たり前を
もう一度見直そうというタイミングなのではないかと思います」

たしかに、震災後は誰しも自分の暮らしについて
見直す機会が増えているのではないだろうか。
また西村さんは、全国のいわゆる限界集落といわれる地域を回った年下の友人の言葉が、
とても印象的だったと話す。

「彼は旅に出る前は地域活性をテーマにしていたんですが、
行ってみたら、地域はなかったと。あったのは家族だったというんです。

ところどころに感動的な家族がいて、
その家族は個人では持ち得ないようなエネルギーを持っている。
いい家族がいると周りもいい影響を受けていて、
ひとつひとつの家族の集まりが地域を形成しているように見えたそうです。
だから地域のコアにあるのは、家族なのかもしれないなと感じています」

西村さんの仕事

  • 『自分の仕事をつくる』

    『自分の仕事をつくる』

    ちくま文庫(2009)

    柳宗理やパタゴニア社など、西村さんが尊敬するつくり手の仕事の現場を訪ね、彼らの働き方やライフスタイルを探った記録。文庫版には馬場浩史さん、甲田幹夫さんのインタビューも収録。

  • 『「四国らしさ」ってなんだろう?ノート』

    『「四国らしさ」ってなんだろう?ノート』

    四国経済産業局(2010)

    徳島「イン神山」プロジェクトとの関わりがきっかけとなり制作した冊子。気候も風土も違う4つの県が集まった四国について、四国に住む人たちと考え、意見を交換しながらつくり上げた。

  • 『いま、地方で生きるということ』

    『いま、地方で生きるということ』

    ミシマ社(2011)

    震災後、東北と九州を旅しながら、西村さんが気になる活動をしている人たちにインタビューしていく。働いて生きていくことと、場所との関係を考えていく新機軸の著書。

  • 『わたしのはたらき』

    『わたしのはたらき』

    弘文堂(2011)

    西村さんの最新著作。奈良の図書館で開催してきた、働き方に関するフォーラムをまとめたシリーズの最終巻。「森のイスキア」主宰の佐藤初女さん、編集者の伊藤ガビンさんらが登場。

profile

YOSHIAKI NISHIMURA 
西村佳哲

にしむら・よしあき●1964年、東京都生まれ。デザインオフィス「リビングワールド」代表。プランニングディレクター、働き方研究家。公共空間のメディア作りや、デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションなどを手がける。多摩美術大学、京都工芸繊維大学非常勤講師。

http://www.livingworld.net/