〈 この連載・企画は… 〉
全国にはどれぐらいの商店街があるのだろう? シャッター通りとか地域の課題もあるけれど、
知恵と元気とみんなの協同で生き生きしている、ステキな商店街を全国行脚します。
editor’s profile
Kanako Tsukahara
塚原加奈子
つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。
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撮影:渡邊有紀
東急東横線・白楽駅を降りると、華やかなアーチの看板が見えてくる。
住宅地に囲まれている六角橋商店街は、
約500mのメインストリート「六角橋大通り」と、
それに平行する裏路地アーケード通り「仲見世通り」、
さらに、多数の小さな路地で構成されている。
近くには神奈川大学もあるため、通学途中の学生や、
商店街にやってくるたくさんの人で通りはにぎわっている。
六角橋商店街の歴史は古く、横浜市内でも戦前から続く老舗商店街。
第二次世界大戦中には、延焼を防ぐため
ほとんどの建物はつぶされてしまったというが、
戦後、たくさんの商店が並んだ。
なかには、戸板で闇物資を売るものも。こうして、今の商店街が始まった。
乾物を扱う足立商店も戦後すぐにお店を構えた。
「昔は、商売が楽しくってね。なんでって、そりゃ、売れるからさあ。
サラリーマンなんかやってるより、ずっと面白かったよ」
ご主人の隆さんは当時を懐かしそうに話す。
開店当時から変わらない足立商店のレトロな看板が、心をくすぐる。
そんな歴史ある六角橋商店街では、
近年「ヤミ市」というイベントでにぎわいを見せているらしい。
一体、ヤミ市とは……?
「20年くらい前かな、閉店する店が増えてしまったから、
客引きのためのイベントをいろいろ考えたんです。そしたら、
シンボルイベントの大道芸が失敗。お客さんは来たんだけどね。
結局、野毛(※)の二番煎じにしかならない。
もっと六角橋らしいものは何かと、考えた結果、
アジアのナイトマーケットのようなフリマをしようと。
それなら、近隣住人たちでライブもしようってなったんです。
この街にはミュージシャンたちが結構住んでいましたから。
しかも、場所は店が閉まった後の仲見世通りの路上。これがウケましてね」
このアイデアの発案者で、現在、六角橋商店街の販売促進部長を務める
石原孝一さんが、真相を教えてくれた。
以来14年ほど、夏季(4月〜10月)限定で、
「ヤミ市」と称して、フリマの他にもさまざまなイベントが、
夜な夜な開催されているのだ。
20時以降、しかも路上だからか、開催されるイベントはどれも個性的!
南陀楼 綾繁さんの一箱古本市、
パフォーマンスアーティスト・ギリヤーク尼崎さんの公演など、
サブカル好きにはたまらない有名人たちの名前も。
さらには、チャリティー野宿、ストリート結婚式など、
あの狭い道幅で、どんな風に開催されるものなのか興味惹かれる。
「基本、誰でもウェルカムですからね!
おもしろいことをしてくれれば、それでいいんです」
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「よかったことは、このイベントがきっかけでこの商店街で
お店を開きたいって言ってくれる人がいることなんです」
歴史ある商店街とはいえ、代々受け継がれていくお店ばかりではない。
さまざまな理由で経営を断念するケースもあるという。
そんなとき、六角橋商店街を知っている人が
新しく店を始めてくれるのは、双方にとってうれしいことなのだ。
確かに、六角橋商店街を歩くと、肉屋や八百屋という昭和風情ある店の他に、
風変わりな古本屋など、キッチュなお店もちらほら見られる。
輸入雑貨や手作り雑貨を扱う「チャカナ」もヤミ市が縁でお店をオープン。
「六角橋商店街には面白い人が多いからか、
新しい私たちも自然に溶け込めちゃう懐の深さがあるんですよね」
店主の近江由美子さんはそう話す。
シャッター街となってしまう商店街は後を絶たない現在だが、
六角橋商店街のように、土台となる人がしっかりと次の人を受け入れていけば、
そこには自然と新たな歴史が紡がれていくのかもしれない。
「これからも新しいお店とこれまでのお店が影響を受けながら、
続けていけるといいですね。
ゆるいのととんがっているのがいい感じにまざりあいながらね」(石原さん)
※横浜市野毛町では「野毛大道芸」というお祭りが20年以上近く続いている。
information
六角橋商店街
住所(事務所):横浜市神奈川区六角橋1-10-2
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