北海道で身近な野草、
イタドリを絵本に。
15冊限定の小さな本づくり

北海道の植物をテーマにした絵本づくり

野草のイタドリをテーマにした絵本をつくり始めたのは、およそ5年前のこと。
私は〈森の出版社 ミチクル〉という出版活動を行っていて、
そのなかで『ふきのとう』という、北海道ではお馴染みの植物をテーマにした絵本を制作した。
この絵本は、造本作家である駒形克己さんにアドバイスをもらいながら、
娘の駒形あいさんにデザインを仕上げてもらった。

絵本『ふきのとう』。半透明の紙を使った切り絵で表現。

絵本『ふきのとう』。半透明の紙を使った切り絵で表現。

そして私はすぐに次回作をつくろうと考えた。
ふきのとうとともに、北海道の広範囲に生息するイタドリを取り上げたいと思った。
 
物語の骨子は、すぐに浮かんだ。
私の周りで見かけるイタドリは、オオイタドリという種類で、
ぐんぐん伸びて、あっという間に2メートルほどになる植物だ。
空き地や土手に群生し、畑ではジャマ者扱いをされることも。
調べてみると国際自然保護連合(IUCN)が発表した
「世界の侵略的外来種ワースト100」に選定されていて、
欧米ではイタドリが生えていると地価を左右するという事例もあるようだ。

我が家のまわりに生えているオオイタドリ。

我が家のまわりに生えているオオイタドリ。

その一方で、イタドリは日本に古くから生息していて、さまざまに活用されてきた。
「痛みをとる」が語源となっているそうで、その葉には止血作用があり、
また根などは生薬として利用されることも。
 
春には若芽を炒めて食べたり、ジャムにしたり。
またイタドリという名以外に、
スカンポ、イタンポ、ドングイ、スッポン、ゴンパチなど、地方によって呼び名も多彩。
なにより、青々と茂っていく姿は生命力に満ちていて、
荒地を再生しようと頑張っているかのように私には見えるのだ。

「ジャマ者って思われているけれど、案外いいやつなんじゃないか……」
 
そんな想いを物語として展開してみた。
絵本の判型は縦長。
黒い紙を切って貼りつけた切り絵の技法で、長く伸びていくイタドリを表した。

絵本の試作。

絵本の試作。

小豆島をSUPの島へ。
内海湾に集合した
約80艇のSUPボード

オリーブビーチで開催されたSUPイベント

最高に天気のいい初夏の日曜日、
小豆島で『内海湾をSUPでいっぱいに』というイベントが開催されました。
 
内海湾(うちのみわん)は、小豆島の南東にある、
ふたつの半島に囲まれたとても穏やかな湾です。
ぐるりと陸で囲まれているので、風がない日は水面が鏡みたいで、静かな湖のよう。
この湾のなかに「オリーブビーチ」という海水浴場があり、
穏やかな海と白い砂浜が人気で、夏になるとたくさんの人たちで賑わっています。
今回のイベントはそのオリーブビーチで行われました。

上空から見るオリーブビーチ。(写真提供:cubic_tt)

上空から見るオリーブビーチ。(写真提供:cubic_tt)

観光スポット「オリーブ公園」のすぐそばにあるオリーブビーチは、アクセスしやすく人気の海水浴場。

観光スポット「オリーブ公園」のすぐそばにあるオリーブビーチは、アクセスしやすく人気の海水浴場。

SUP(サップ)というのは、
「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略で、
ボードの上に立ってパドルを漕いで、海・川・湖などの水面を進んでいく
アウトドアアクティビティ。
スーイスーイと海の上を進んでいけるのがとても気持ちいい、
子どもも大人も気軽に楽しめる遊びです。
 
今回イベントを企画したのは、小豆島の小部オートキャンプ場を拠点に活動する
〈シマアソビ〉の大川大地くん。
小豆島出身の大地くんは2014年に島にUターンし、
キャンプ場の運営、SUPインストラクターとしての活動などをしています。

今回のイベントの企画者、大川大地くん。写真中央でSUPレースを中継しています。

今回のイベントの企画者、大川大地くん。写真中央でSUPレースを中継しています。

今回のイベントのためにつくられたチームユニフォーム。(写真提供:大川大地)

今回のイベントのためにつくられたチームユニフォーム。(写真提供:大川大地)

小豆島をSUPの島にしたい!
それを実現するための第一歩として、島中のSUPボードを集めて、
島中のSUP好きの人を集めて、もちろん島の外からも人を呼んで、
内海湾をSUPで埋め尽くそうというのが今回の企画。

島のあちこちから運び込まれたSUPボードがオリーブビーチに並びます。

島のあちこちから運び込まれたSUPボードがオリーブビーチに並びます。

当日の朝、オリーブビーチには80艇ほどのボードがずらり。
今、小豆島にあるレンタルボード、個人が所有しているマイボード
すべてが集まったんじゃないかなと(笑)。
ライフジャケットを着て、乗り方や漕ぎ方のレクチャーを受けて、いざ海へ!
みんなで一斉に漕ぎ出しました。

浜から一斉に海へ。ボードに乗ってパドルを漕いで。(写真提供:cubic_tt)

浜から一斉に海へ。ボードに乗ってパドルを漕いで。(写真提供:cubic_tt)

海の上で1列になって撮影。1列になるのはほんと大変でした(笑)。(写真提供:cubic_tt)

海の上で1列になって撮影。1列になるのはほんと大変でした(笑)。(写真提供:cubic_tt)

80艇ほどのボードが集まった内海湾のその光景は、
すでに小豆島はSUPの島だ! と思わせてくれるものでした。
純粋にみんな小豆島の海を楽しんでいる感じがとてもよかった。
あ、もちろん私もそのなかのひとりとして海に浮いています!
5月の海水は少しひんやりしていましたが、この日は最高気温30度ほど。
最高のSUP日和でしたね。

オリーブビーチにある海の家からの眺め。海からの風が気持ちいい。

オリーブビーチにある海の家からの眺め。海からの風が気持ちいい。

海の家で食べられるアイランドバーガー。海で遊んで大迫力のバーガーを食べるのは最高です!

海の家で食べられるアイランドバーガー。海で遊んで大迫力のバーガーを食べるのは最高です!

植物のエネルギーをお茶に込めて。
旧美流渡中学校で始まった
『魔女のお茶会』

撮影:佐々木育弥

校舎の花壇でハーブを育て、季節にあったお茶を楽しむ

昨年から旧美流渡(みると)中学校の校舎を生かして、
さまざまな取り組みをスタートさせた。
春には『みる・とーぶ展』『みんなとMAYA MAXX展』を行い、
4月から10月まで月1回ペースで開催する連続ワークショップも立ち上げた。
 
アフリカ太鼓や日本舞踊など、地域の仲間が講師となった教室がいくつかあり、
今回はそのなかで、万字(まんじ)地区で〈麻の実堂〉という名で
ハーブティーブレンドの販売を手がける
笠原麻実さんが開いているワークショップについて書いてみたい。
 
タイトルは『魔女のお茶会』。
校舎の花壇でハーブを育て、毎回季節に応じたハーブティーを飲むというもの。

笠原麻実さん。校舎のある美流渡地区から山間へと車を走らせると万字地区があり、ここで夫の将広さんと息子さんと暮らしている。(撮影:佐々木育弥)

笠原麻実さん。校舎のある美流渡地区から山間へと車を走らせると万字地区があり、ここで夫の将広さんと息子さんと暮らしている。(撮影:佐々木育弥)

「“魔女”は特別なものではなくて、身近なお母さんのようなそんな存在です」
 
お茶会に“魔女”とつけた麻実さんは、そう語る。
魔女の歴史を紐解けば、自然界にあるものを生かして
病気や怪我の治療にあたっていた存在だ。
 
それは子どもが風邪を引いたら梅干し番茶を入れたり、
怪我をすれば傷口に手を当てたり。
親が子どもに行ってきたケアに近い感覚といえるのかもしれない。
さまざまな効能のあるハーブを暮らしに取り入れて、
日々健やかに生きていく力にできればと麻実さんは考えている。

2回目のワークショップ。校舎の花壇にスペアミントを植える。「この環境で無理なく育つ、生命力の強いハーブを選んでいます」。

2回目のワークショップ。校舎の花壇にスペアミントを植える。「この環境で無理なく育つ、生命力の強いハーブを選んでいます」。

ワークショップは全7回。これまで2回が開催された。
朝晩の気温が低くてもすくすく育つ、スペアミントやタイム、
ミツバやアサツキなどの苗を麻実さんは用意。
参加者と一緒に花壇に植えていった。
 
1時間ほど汗をかいたら、そのあとにお茶会。
2回目となった5月14日は「Green witch’s tea time」と題し、
できたてホヤホヤのホーステイル&バンブーのブレンドティーが振る舞われた。

ホーステイルとバンブーをブレンドしたお茶。

ホーステイルとバンブーをブレンドしたお茶。

夏野菜第1弾、ズッキーニ!
炒めものからお味噌汁まで、
レシピいろいろの万能野菜

5月から採れ始める夏野菜、ズッキーニ!

爽やかな風が吹き抜ける5月の小豆島。
カラッと晴れた日は本当に気持ちよく、絶好の畑日和です。

そんな5月上旬に採れ始める野菜があります。
それは、ズッキーニ!!
一番はじめに収穫できる夏野菜です。

ズッキーニの畑。5月の畑仕事は気持ちがいいです。日によってすでに暑くて汗ばみますが。

ズッキーニの畑。5月の畑仕事は気持ちがいいです。日によってすでに暑くて汗ばみますが。

うちでよく育てているのは緑の縦縞のズッキーニ。いろいろな品種があって、深緑色や黄色のズッキーニもあります。

うちでよく育てているのは緑の縦縞のズッキーニ。いろいろな品種があって、深緑色や黄色のズッキーニもあります。

最近はスーパーでもよく見かけるズッキーニですが、
どうやって食べたらおいしいのか、ちょっと悩みますよね。
でもこのズッキーニ、炒めものからお味噌汁まで幅広く使える万能野菜だったりします。

おいしい食べ方を紹介する前に、
そもそもズッキーニがどんな野菜なのかをお伝えしたく!

ズッキーニはウリ科の野菜です。
カボチャやスイカ、キュウリなどの仲間で、ゴワゴワした緑の葉っぱと黄色い花が特徴。
ウリ科は夏が旬で、これからの季節はウリ科の野菜の収穫がどんどん増えていくのですが、
〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉ではズッキーニが
夏野菜の第1弾として登場します。
あー、夏が始まるなーと気づかせてくれる野菜です。

夏の畑ではだいたいこのウリ科の黄色の花が咲いていて、ゴワゴワの大きな緑の葉っぱが広がります。

夏の畑ではだいたいこのウリ科の黄色の花が咲いていて、ゴワゴワの大きな緑の葉っぱが広がります。

ちなみにこのウリ科の野菜の黄色い花には、雌花と雄花があって、
ぱっと見た感じは同じに見えますが、よーく見ると花の中身も違いますし、
雄花の付け根は茎ですが、雌花の下には実が育っていきます。

この雄花の中の花粉を雌花の中の雌しべにつけてあげる(受粉させる)と
実がしっかりと大きく育っていきます。
ミツバチなど虫が花粉を運んでくれたり、
ときには雄花をちぎって人の手で雌花に受粉させることもあります。

雄花と雌花って中学生くらいに理科の授業で勉強したことが、
この歳になって生きてくるわけです……。
というか、ほとんど忘れているのでもう一回勉強し直していますが。

ズッキーニの雌花の中で花の蜜を集めるミツバチさん。しっかり花粉を運んでおくれ〜。

ズッキーニの雌花の中で花の蜜を集めるミツバチさん。しっかり花粉を運んでおくれ〜。

雌花つきのズッキーニ。花の中にチーズなどを詰め込んで衣をつけて揚げた「花ズッキーニのフリット」なんて料理もあります。

雌花つきのズッキーニ。花の中にチーズなどを詰め込んで衣をつけて揚げた「花ズッキーニのフリット」なんて料理もあります。

雨が続いたときなど自然に受粉しにくいときは、人の手で受粉させることもあります。

雨が続いたときなど自然に受粉しにくいときは、人の手で受粉させることもあります。

日南市〈PAAK HOTEL 犀〉後編
設計事務所が営む古民家宿で、
地域ならではの体験を

PAAK DESIGN vol.9

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。
 
築100年の日本中どこにでもあるような、しかし徐々になくなりつつある古民家を
リノベーションし、宿として自社で運営を行うまでのお話です。
前編のハード部分の設計・改修に続き、後編では、
オペレーションの構築から、地域の宿としての満足度向上を狙った
ソフトコンテンツのデザインについてご紹介します。

まちに開いた場所にしたい

2017年4月、パークデザインを立ち上げ、飫肥城下町に事務所を構えて
間もない頃にこの物件と出合いました。
当時はまだ古民家の活用方法や改修方法など何も習得できていなかったのですが、
せっかく歴史ある飫肥城下町に事務所を構えたのだから、
自分でも何かまちの風景を残すプロジェクトにしてみたいなと思い、
勢いあまって6月には購入してしまいました。
 
敷地面積が181.81平米(55坪)、床面積が109.74平米(33坪)と
飫肥エリアにある古民家のなかでも現代の住宅規模に近い小ぶりな建物で、
自分でもなにかできそうだと感じたのも取得した理由のひとつです。
最初は住宅とするアイデアが浮かんだのですが、
あくまで住宅はプライベートなものなので、いろいろな人に使ってもらえる
「まちに開いた」拠点の方がいいのではないかと考えました。

既存の床の間の様子。表面上の痛みは少なかったが、床については大規模に補強し直した。

既存の床の間の様子。表面上の痛みは少なかったが、床については大規模に補強し直した。

どんな事業をやるか妄想する

私は建築デザインという職業柄、空間もさることながら、
そのなかで起きることに想像をめぐらせるのが得意であり、
いろんなパターンをシュミレーションしました。
 
例えば、住宅として改装して賃貸にする場合。
外装の自己負担分(一部は文化庁の補助金を活用)と内装費を合わせると
概算で1500万円かかることを踏まえ、賃料を算出すると7~8万円になりそうでした。
33坪から27坪に減築する予定もあり、住宅として貸す場合は
地域の相場からすると少し小さい割に高くなります。
 
オフィスとするなら賃料は適正ですが、古民家ということもあって
使えるスペースが少なく使い勝手もあまり良くなさそう。
カフェやバーなどの飲食店も考えましたが、駐車場を多く確保できない敷地で、
エリア的にも閑静な住宅街だったためあまりイメージができませんでした。
 
そこで浮かんだのが、1棟貸しの宿です。
駐車場がたくさん確保できなくても、繁華街から離れてポツンとあっても、
賃料同等以上の収益が確保できる可能性があり、僕らの強みである
「空間デザイン」で勝負できる。こうして「宿泊事業」にたどり着きました。

子どもが心から楽しいと思える
場所をつくりたい。
美流渡に生まれた「ぼうけん遊び場」

撮影:佐々木育弥

ゴールデンウイーク中、子どもを見ながらイベント運営できる?

4月23日から5月8日まで開催した『みる・とーぶ展』。
舞台となったのは3年前に閉校した、北海道・旧美流渡(みると)中学校。
普段は人影のないこの場所に、16日間で1950名もの人が訪れた。
来場者のなかで目立ったのは親子連れ。
会場で一日中過ごす人や、何度も遊びに来る人も多かった。

地域のつくり手の作品を発表した『みる・とーぶ展』。

地域のつくり手の作品を発表した『みる・とーぶ展』。

『みる・とーぶ展』は地域の作家の作品発表が中心となったイベントだが、
校舎の体育館と図書室で開催した「ミルトぼうけん遊び場」も人気のスポットとなった。
体育館には滑り台や跳び箱などを設置し、ボール遊びもできるようにし、
図書室にはビーズやボタン、工作できる道具などを置き、
ものづくりを楽しめる場にしつらえた。

体育館につくった「ミルトぼうけん遊び場」。

体育館につくった「ミルトぼうけん遊び場」。

この遊び場ができた経緯は、『みる・とーぶ展』に参加したメンバーの声だった。
 
「ゴールデンウィーク中は子どもが家にいるので、
つきっきりで売り場に立つのは難しいかもしれない」
 
子どもが3人いる、わが家も同じ状況。
イベントの主催団体の代表を務める私は、16日間出ずっぱりとなる。
さて、どうしたものかと考えていたところ、あるときパッとひらめいたことがあった。
 
校舎に子どもの遊び場をつくったらどうだろう?
 
そして次の瞬間、ある友人の顔が浮かんだ。
岩見沢市の農家で、プレーパークの活動を行っていた林睦子(はやし むつこ)さんだ。
プレーパークはまたの名を「冒険遊び場」といって、
子どもが主体となって遊ぶ場をつくる活動のこと。
日本では1970年代に東京・経堂で取り組みがスタートし、
現在では全国にこの取り組みが広がっている。
 
睦子さんは2015 年に「岩見沢プレーパーク研究会」を発足。
市内の公園や森林を借りて3年ほど定期的に活動を続けた経験がある。

林睦子さん。2011年に私は東京から岩見沢市へ移住し、ほどなくして睦子さんと知り合った。(撮影:佐々木育弥)

林睦子さん。2011年に私は東京から岩見沢市へ移住し、ほどなくして睦子さんと知り合った。(撮影:佐々木育弥)

さっそく、睦子さんに
「メンバーの子どもたちが遊べる場づくりに協力してもらえませんか?」
と声をかけたところ快諾!(やったー!!)
 
メンバーの子だけではなく、展覧会に来場した子どもたちも遊べる場所を
一緒につくってもらえることとなった。

1枚の古写真を手がかりに
明治初期の建物を復元。
函館市〈港の庵〉

富樫雅行建築設計事務所 vol.2

北海道函館市で設計事務所を営みながら、施工や不動産賃貸、店舗経営など、
幅広い手法で地域に関わる、〈富樫雅行建築設計事務所〉富樫雅行さんの連載です。
 
今回のテーマは、解体の危機にあった明治の米穀海産物委託問屋〈旧松橋商店〉。
1枚の古写真を手がかりに市民有志の手でリノベーションして復元し、
この場所を基点にスペインのバスク地方に伝わる美食倶楽部
「ソシエダ」が函館に誕生したお話をお届けします。

魅力を秘めた古い建物を救いたい

前回の〈常盤坂の家〉のリノベを2年半もかけてコツコツやっていると、
いろいろな人が訪ねてきてくれました。
そのなかのひとりが西部地区で生まれ育ち、お土産屋さんを営みながら、
函館の外国人居留地を研究する清水憲朔(しみず けんさく)さん。
「常盤坂を下ってすぐのご近所に、もうすぐ壊されてしまいそうな建物があり、
一度見てほしい」と相談を受け、2013年の夏、見に行くことになりました。

新島襄の石碑と緑の島を結ぶ新島橋。木立の上から見えているのは、2018年に函館出身のGLAYが5万人を動員した野外ライブのセット。

新島襄の石碑と緑の島を結ぶ新島橋。木立の上から見えているのは、2018年に函館出身のGLAYが5万人を動員した野外ライブのセット。

その建物は、函館港に突き出た「緑の島」への入口前にありました。
「緑の島」の橋の横には同志社の創立者である新島襄(にいじま じょう)が
ここからアメリカに密出国した記念碑があります。
周りはヨットハーバーになっていて、地元の釣り人がいたり、
花火大会があったり、屋外イベントなどにも親しまれるエリアです。

最近まで倉庫と事務所として使われていたそうで、どこにでもあるような外観の建物。
研究熱心な清水さんも元は何の建物だったかわからなかったようで、
「ひとまず解体は待ってほしい」と東京にいる所有者から借り受け、
私のところに建物の調査依頼がきたという流れでした。
 
中に入ると、幅約9メートルの空間を支える大きな梁に圧倒されました。
彫刻が施された階段を上がると、立派な床の間のある広間があります。
1階の奥には蔵前戸があり、ここが店蔵だったことがわかりました。

1階の奥に抜けると大きく重厚な観音扉の蔵前戸がある。この横だけ1枚積みのレンガが現れていた。

1階の奥に抜けると大きく重厚な観音扉の蔵前戸がある。この横だけ1枚積みのレンガが現れていた。

玄関を見返すと、ドリス式の鋳鉄の柱が大きな梁を支えていました。
この店蔵を抜けると通り土間が続き、木造2階建ての家屋と、
さらに奥には土蔵が残っていました。
私もこの建物が何だったのか、ますます知りたくなりました。

小豆島の重要有形民俗文化財
『肥土山の舞台』が新しい茅葺きに。
5月3日、農村歌舞伎を開催

小豆島に伝わる農村歌舞伎って?

5月3日、新緑が美しいこの日に毎年開催されてきた
小豆島の伝統行事『肥土山(ひとやま)農村歌舞伎』。
その歴史は300年以上、江戸時代から続いています。

2018年の肥土山農村歌舞伎。舞台前の桟敷にはたくさんのお客さんが歌舞伎を楽しみながらお弁当を食べたりビールを飲んだり。

2018年の肥土山農村歌舞伎。舞台前の桟敷にはたくさんのお客さんが歌舞伎を楽しみながらお弁当を食べたりビールを飲んだり。

そもそも農村歌舞伎ってなんでしょう?
江戸時代中期、小豆島の人たちの楽しみのひとつが歌舞伎を観ることでした。
今の私たちが映画やドラマ、音楽を楽しむのと同じですね。
 
当時、島の人たちは一生に一度、お伊勢参りをするのが夢で、
その道中、上方(今の大阪あたり)に立ち寄って、
歌舞伎などの芸能を観るのが楽しみだったそうです。
 
島に帰っても、その楽しかった歌舞伎のことが忘れられず、
上方の歌舞伎役者を島に呼んで歌舞伎を楽しんでいたそう。
現代でいうと、ミュージシャンを島に呼んで
ライブしてもらっているみたいですね(笑)。
 
そのうち観るだけじゃなくて、自分たちでも歌舞伎を演ずるようになりました。
毎回、遠方から歌舞伎役者を招くのは大変だったでしょうからね。
江戸時代の農村で暮らす人たちが演じた歌舞伎、
それが『農村歌舞伎』の始まりです。

歌舞伎を演ずるのは地元の人たち。化粧や衣装、舞台の準備などもすべて地元の人たちの手でつくりあげます。

歌舞伎を演ずるのは地元の人たち。化粧や衣装、舞台の準備などもすべて地元の人たちの手でつくりあげます。

その当時、肥土山集落では、農業用の水不足を解消するために、
集落から3キロメートル離れた山の上に大きなため池の工事を行っていました。
それはそれは大変な工事だったと思います。
 
工事開始から3年、1686年に「蛙子池(かえるごいけ)」として完成し、
その水が〈肥土山離宮八幡神社〉の横に流れてきたのを喜び、
境内に仮小屋を建てて盛大に歌舞伎を開催したそう。
その後、毎年開催されるようになったのが、現在も続く『肥土山農村歌舞伎』です。

〈肥土山離宮八幡神社〉の境内に歌舞伎舞台があります。

〈肥土山離宮八幡神社〉の境内に歌舞伎舞台があります。

歌舞伎舞台の周囲は美しい田園。蛙子池の水を使っています。

歌舞伎舞台の周囲は美しい田園。蛙子池の水を使っています。

ちなみに最盛期の明治・大正時代には、小豆島全体で歌舞伎舞台が30以上、
役者が約600人もいたといわれています。
現在は、肥土山農村歌舞伎舞台と中山農村歌舞伎舞台のふたつが残るのみ。
そのふたつの舞台では、今も農村歌舞伎が毎年開催されています。
 
私たちは、その残っている舞台のひとつ、
肥土山農村歌舞伎舞台がある肥土山という集落で暮らしていて、農業をしています。
300年前とスタイルは大きく違えど、今も蛙子池から流れてきている水を使って
農業をしていて、私たちも農村歌舞伎の役者として参加したり、
裏方仕事を手伝ったりしています。
歴史は続いているんだなぁ。

2019年、いろは(娘)が小学6年生の時、子ども歌舞伎の役者として(写真左)。

2019年、いろは(娘)が小学6年生の時、子ども歌舞伎の役者として(写真左)。

MAYA MAXXの新たな挑戦。
年に3回、美流渡の廃校舎で新作発表!

いつどんなときでも絵筆を取って

4月23日から旧美流渡(みると)中学校で『みんなとMAYA MAXX展』と
地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』が開催となった。
主催するのは私が代表を務める〈みる・とーぶプロジェクト〉。
地域の仲間と一緒につくりあげていった展覧会だ。
 
前回の連載では『みる・とーぶ展』ができるまでをレポートした。
今回は、2020年夏に東京から美流渡地区へ移住した、
画家・MAYA MAXXさんによる『みんなとMAYA MAXX展』について書いてみたい。

『Deer in the Forest 1~3』2021年 北海道に移住して、たびたび目にすることになった鹿が描かれた。

『Deer in the Forest 1~3』2021年 北海道に移住して、たびたび目にすることになった鹿が描かれた。

メインとなる会場は校舎3階の3教室。
閉校前、ここは山あいの小規模な学校で1学年1クラス編成。
それぞれの学年が教室として使っていた場所に絵を展示した。
 
階段を登るとすぐに見える1室目には、昨年1月に札幌で発表された
鹿の連作『Deer in the Forest』が展示された。
奥深い森の中に佇む鹿たちは、
首から上だけが画面に浮遊するかのように描かれている。
いずれもじっとこちらを向いているが、その焦点は定まっておらず、
ただならぬ気配がある。

『Deer in the Forest 4~6』 2021年

『Deer in the Forest 4~6』 2021年

この作品が描かれたのは昨年の11月。
MAYAさんは、美流渡にある商店のシャッターに絵を描こうとして
足場台から落下し、右肩を骨折した
そのため肩から肘にかけては固定されていて、かろうじて右手首が動く状態だった。
 
「調子のいいときだけじゃなくて、すごく悲しいときや
体調が悪いときにも絵を描いています。
そのときにしか描けない絵があるから、どんなときでも描くんです」

骨折していた時期のMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

骨折していた時期のMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

不自由ななかでMAYAさんは絵筆を取った。
以前に描き、発表することなくアトリエに置いてあった
240×120センチメートルの風景を描いたパネル作品の上に鹿を描くことにした。
腕を振り上げることは難しいため、パネルを床に敷いて、
自分の体を移動させることによって少しずつ形を描いていったという。

『Deer in the Forest 4』の部分

『Deer in the Forest 4』の部分

「自分が怪我をしたり、熱があったり、
とても疲れていたりという状態にあるときには、
その“たいへんである”というフィルターを外すと、
案外動くことができるんですね」
 
MAYAさんによると、骨折という状態が引き金になって、
あらゆることがうまくいっていないように感じることがあるが、
実は手が動かないという部分的な問題があるだけ。
訓練をすることによって、“たいへんである”という気持ちを
脇に置いておけるようになるのだという。

初日のギャラリートーク。山あいの過疎地が活気に包まれた。

初日のギャラリートーク。山あいの過疎地が活気に包まれた。

〈瀬戸内国際芸術祭2022〉開催中。
男木島で立ち寄りたい、
〈ダモンテ商会〉と〈象と太陽社〉。

〈瀬戸内国際芸術祭2022〉、春会期がスタート

3年に一度開催されるアートイベント〈瀬戸内国際芸術祭2022〉。
春・夏・秋の3会期に分けて開催されますが、
4月14日より春会期が始まっています。
舞台となる瀬戸内の島々と高松港、
宇野港ではさまざまな作品が公開されていて、
訪れる人々で賑わっています。
 
今回の芸術祭、新型コロナウイルスの影響でどうなるのか、
島で暮らす私たちも直前までわからないことばかりでしたが、
今はざっと以下のような状況です。

・予定通り、春会期(2022年4月14日~5月18日)が開催されています。

・スタートから4日間の来場者数は、前回開催時の2~4割ほどで穏やかに始まった感じです。

・海外の作家さんの作品など、まだ制作中のものもいくつかあります(公開スケジュールは芸術祭の公式Webサイトで確認できます)。

・屋内の作品など有料作品を鑑賞する場合、検温・体調確認済の専用リストバンドを掲示する必要があります。リストバンドは検温スポットでしか受け取れないので、事前に検温スポットの場所を確認しておくのをおすすめします。

来る人も、迎える人もいろいろ心配なことがあるかもしれませんが、
感染対策&鑑賞マナーを守って、芸術祭の作品、そのまわりの風景、
島での時間を積極的に楽しんでいただけたらいいなと私は思っています。
春会期は、とても気持ちのいい季節ですよ~。

日南市〈PAAK HOTEL 犀〉前編
築100年の素朴な古民家を宿泊施設に

PAAK DESIGN vol.8

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。
 
築100年の日本中どこにでもあるような、
しかし徐々になくなりつつある古民家をリノベーションし、
宿として自社運営するお話です。
 
このプロジェクトでは、ハード部分として古民家の改修をするとともに、
自社で運営するにあたってソフト部分の設計・構築も行いました。
前編では、ハード部分の設計から
古民家のリノベーションが完成するまでをお届けします。

物件との出合い

この古民家との出合いは、意図せず訪れました。
2017年、新卒入社したスタッフが他県から日南市に移住するにあたって、
住まいを探していたときでした。
最初はウェブで賃貸アパートを探していたのですが、
「せっかく田舎にきたんだから一軒家を借りて過ごすのもいいな」と、
日南市が運営する空き家バンクを見ていたところ、
売買物件であるこの古民家を見つけたところから始まります。
 
スタッフが「この物件、なにか活用できたりしますか?」と見せてきたとき、
敷地や建物規模も大きすぎず、
「建物の状態によっては、なにか活用できるのでは……」と思いました。
すぐ市に連絡して所有者にアポをとってもらい、物件を見に行ってみることに。

道路側から見た既存の外観。敷地面積:181.81㎡(55坪)/床面積:109.74㎡(33坪)

道路側から見た既存の外観。敷地面積:181.81㎡(55坪)/床面積:109.74㎡(33坪)

実際に見てみると、外壁はもともと木張りだったものが老朽化し、
上から木目調のトタンが張られ、屋根は昭和後期にのせ替えられたであろう
質の良くないコンクリート瓦が葺かれていました。
風呂、台所、トイレなどの水回りも、昭和後期に
母屋にとってつけたかのように増築され、ベニアなどで質素に仕上げられた様子。

既存の内観。

既存の内観。

しかし、約20年近く空き家で放置されていたにもかかわらず、
雨漏りしていなかったこともあり、室内は空き家独特の湿った感じも少なく、
カラッとした空気感がありました。
私には、長い間誰にも見つけてもらえなかった宝物のような、
眠れる獅子が起こされるのを今か今かと待っているような、そんな感覚を覚えました。

既存内部(床の間)。床の間と縁側は状態が良く損傷も少なかった。床はところどころ床下地が老朽化して、今にも床が落ちそうな状態だった。

既存内部(床の間)。床の間と縁側は状態が良く損傷も少なかった。床はところどころ床下地が老朽化して、今にも床が落ちそうな状態だった。

当時の所有者からは「飫肥城下町にある古い建物であり、
自身や先祖の思い出が詰まっているので、建物の持ち味をなるべく生かしてほしい」
との要望がありました。
日本中どこにでもある、だけどどんどん失われていく古き良き文化が詰まった建物と
このまちの風景を自分の手で残してみたいと思い、
2017年6月中旬、ちょうどパークデザインを創業した時期に
この築100年の古民家を購入することにしました。

地域のみんなが心を寄せて廃校が蘇る。
春に始まる『みる・とーぶ展』

今年は校舎で展覧会を3回開催! 準備が始まって

北海道に遅い春が訪れる頃、冬期の間にお休みをしていた、
旧美流渡(みると)中学校の活用プロジェクトを再開した。
美流渡中学校は3年前に閉校し、昨年から私が代表を務める地域PR団体
〈みる・とーぶ〉が、校舎の試験活用の窓口となっている。

昨年秋にはふたつの展覧会を開催した。
ひとつは地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』
もうひとつは、2020年に美流渡地区へ移住した画家・
MAYA MAXXさんの展覧会『みんなとMAYA MAXX展』

展覧会は好評で、札幌などからも人が訪れ、15日間で1000人の来場者を記録した。
 
目立った観光地もないこの場所に多くの人が訪れ、
展覧会に参加したつくり手のみんなも大きな手応えを感じたようだった。
 
「来年は、年3回展覧会をやろうよ」
 
会期終了後に参加メンバーが集まる機会があり、その席でMAYAさんはそう呼びかけ、
2022年は、4月、7月、9月に開催をすることにした。

昨年12月、MAYAさんと校舎に入った。この時点ですでに膝上の積雪。

昨年12月、MAYAさんと校舎に入った。この時点ですでに膝上の積雪。

第1回の開催はゴールデンウィークにかかる4月23日~5月8日。
しかし、春の開催には不安もあった。
なるべく早く校舎で準備を始めたいが、美流渡地区は大変な豪雪地帯。
3月末になっても入り口付近には雪がたっぷり。
これをなんとかしなければ校舎には入れないため、
ヤキモキしながら、私は毎日校舎を見つめていた。

中学校の隣にある旧美流渡小学校。昨年MAYAさんは1階の窓板に絵を描いた。屋根にはたくさんの雪が積もっている。

中学校の隣にある旧美流渡小学校。昨年MAYAさんは1階の窓板に絵を描いた。屋根にはたくさんの雪が積もっている。

そんなある日、入り口付近に道が現れていた。
驚いたことに、ホイールローダーが駐車場の雪を脇に寄せてくれたのだ。
除雪をしてくれたのは、校舎の向かいに建つ安国寺(あんこくじ)の住職だった。
次の日も、また次の日も除雪をしてくれて、車が十数台、停められるようになった。

校内入り口付近の雪がなくなり、道ができていた!

校内入り口付近の雪がなくなり、道ができていた!

ボランティアで安国寺の住職とその息子さんが学校の駐車場の除雪にあたってくれた。(撮影:佐々木育弥)

ボランティアで安国寺の住職とその息子さんが学校の駐車場の除雪にあたってくれた。(撮影:佐々木育弥)

住職のおかげで、校舎に入ることができるようになり、
4月2日には校舎内の清掃とグラウンドの雪割りを行うことができた。
SNSなどで参加者を呼びかけ、集まったのは25名(!)。
展覧会初日に行うイベントで、ポニーの馬車がグラウンドを走る予定になっていたため、早く雪をとかしたいと、グラウンドのそこかしこに穴を開けていった。
土が出てくると、そこが太陽の熱で温められて、雪どけが早く進むからだ。

グラウンドの雪を割っていく。

グラウンドの雪を割っていく。

展覧会初日の4月23日(雨天なら翌日)、厚真町で馬を使った林業を行っている西埜将世さんが、ポニーの馬車を走らせてくれることになった。

展覧会初日の4月23日(雨天なら翌日)、厚真町で馬を使った林業を行っている西埜将世さんが、ポニーの馬車を走らせてくれることになった。

その4日後、今度は1階の職員室で『みる・とーぶ展』を行うために、
机や棚の入れ替え作業を行った。
事務机や棚をすべて動かし、学校の美術室などに残されていた
味わいのある木の机や棚を運び入れた。
閉校してからエレベーターが稼働していないため、
階段の登り降りは予想以上の大変さだった。
この日も22名もの人が集まってくれて、みんなで汗を流した。

事務机の移動。昨年、みる・とーぶ展は3階の教室で開催したが、今年は場所を広くとるため1階の職員室で開催することにした。

事務机の移動。昨年、みる・とーぶ展は3階の教室で開催したが、今年は場所を広くとるため1階の職員室で開催することにした。

机がすっかり入れ替わった職員室を見て、本当にうれしさでいっぱいになった。
わずか数名で始めた校舎活用プロジェクト。
こんなに大がかりな机や棚の移動は、昨年だったらできなかったに違いない。
人の輪が日に日に広がっていくことを実感し、
活用が始まる前に感じていた不安は、いつしか消えていた。

机の移動が完了。おつかれさまでした!

机の移動が完了。おつかれさまでした!

函館市〈常盤坂の家〉
痕跡をたどるリノベーション。
和洋折衷の古民家を建築家の自宅へ

富樫雅行建築設計事務所 vol.1

北海道の函館市で設計事務所を営む富樫雅行です。
事務所を立ち上げ、施工や不動産賃貸、店舗など小さく広く挑戦して10年。
この連載では、函館市西部地区を中心とする活動についてお届けしていきます。
 
まずは独立するにあたって、最初に基礎を築いた自邸、
〈常盤坂の家〉についてご紹介します。

ここにしかない景観

私は愛媛生まれの千葉育ちで、大学から北海道の旭川に渡りました。
学生時代にはインターンで東京の事務所に通ったのですが、
多忙すぎる仕事と都市生活に「ここでは暮らせない」と、北海道に残る決意をしました。
 
北海道では誰が何をやっているか顔が見える規模で
人口20~30万くらいの都市に絞ろうと、古いまち並みの残る函館で就職。
ところが紆余曲折あり一度函館を離れ、その後また戻って
建築家・小澤武氏の元で修業し、32歳で独立することができました。
(独立までの長い道のりについてご興味のある方は、
ウェブメディア『IN&OUT』のインタビューをご覧ください)

いわゆる“THE 観光地”の金森赤レンガ倉庫群前の七財橋から函館山方向を見る。右が函館港。

いわゆる“THE 観光地”の金森赤レンガ倉庫群前の七財橋から函館山方向を見る。右が函館港。

独立するなら、函館のなかでも旧市街地の西部地区に居を構えようと決めていました。
函館も西部地区を離れて郊外に行けば、日本のほかのまちと変わらない風景が続きます。
ところが西部地区は函館山の麓に広がるエリアで、津軽海峡と函館港の海に囲まれ、
その向こうには駒ヶ岳が望めます。
 
まちには路面電車やロープウェーが走り、
開港都市として西洋文化の香るレトロな建物群もあり、
多様な要素によってつくりあげられた、“ここにしかない景観”が広がるまちなのです。

西部地区の課題:人口減とまち並みの変化

長い坂道が続く常盤坂の上から函館港を見下ろす。“THE 観光地”から少し外れた素朴な日常の暮らしの風景がまちの魅力に厚みを増す。左の古民家はのちにリノベした〈ごはんおやつシプル〉。

長い坂道が続く常盤坂の上から函館港を見下ろす。“THE 観光地”から少し外れた素朴な日常の暮らしの風景がまちの魅力に厚みを増す。左の古民家はのちにリノベした〈ごはんおやつシプル〉。

僕にとっては魅力溢れるまちですが、
地元の人にとっては雪国で坂道というダブルパンチで、
郊外への移転は増加傾向にあります。
所狭しと建てられた建物の越境問題や隣家に屋根の雪が落ちる問題もあり、
多くの建物は上手く継承されずに解体されていくのが現状です。
 
そもそも函館はペリーが来航し、横浜・長崎とともに
日本で最初に開港したまちとして有名です。
それ以前には北前船の寄港地として栄え、明治以降は北洋漁業の基地として栄え、
当時は函館が東京以北最大の都市であり、その中心が西部地区でした。
 
いまも多くの貴重な建物が残っていますが、
それらは観光地化された見世物としてではなく日常の暮らしと共存していて、
そんな素朴な雰囲気が気に入っています。
 
とはいえ、高度成長期後に建てられたのはマンションと建て売りの住宅ばかりで、
函館の個性を生かした建物は少なくなってきています。
古き良き時代の建物が残っていても、空き家が目立ち活用されるのはわずかで、
誰も見向きもしない。
 
「なぜ誰もやらないんだ」という思いから、
「それならば、独立をきっかけに自分がやろう。
西部地区で建築をやるからこそ意味がある」
と、そんな思いも西部地区に根を張るきっかけとなりました。

春の新玉ねぎサラダ、辛味を抑えて
おいしく食べられる切り方は?

春だ! 新玉ねぎの季節だ!

今年の3月は、暖かくなったり寒くなったり、気温の変化が激しくて、
もう春? まだ冬? 今日は何を着たらいい?
と困りましたが、4月に入りようやく本格的な春に!
いま、小豆島では島中あちらこちらで桜が満開です。春ですね~。

近所の桃畑。桃の花も満開です。

近所の桃畑。桃の花も満開です。

そんな季節に登場するのが「新玉ねぎ」。
 
〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉でも毎年育てていて、
ファンが多い野菜です。
毎年春が近くなってくると
「そろそろ新玉ねぎ、出始める~?」
と楽しみにしている方たちからお声がけいただきます。

今年は3月下旬から新玉ねぎの収穫スタート。

今年は3月下旬から新玉ねぎの収穫スタート。

まだ若い新玉ねぎは、玉の部分から茎まで丸ごと食べられます。

まだ若い新玉ねぎは、玉の部分から茎まで丸ごと食べられます。

そもそも、新玉ねぎって何でしょ?
普通の玉ねぎと、どう違うんでしょ?
 
スーパーなどで年中売られている玉ねぎは、
長期間保存できるよう、収穫後に1か月ほど乾燥させてから出荷されたものです。
玉ねぎって冷蔵庫で保管しなくても、
涼しいところに置いておけばすぐには腐らず長持ちしますよね。
水分が少ないからです。
この乾燥させて皮が茶色のものが、いわゆる玉ねぎです。

玉ねぎをしっかり乾燥できれば長期保存できて、一年中使える。

玉ねぎをしっかり乾燥できれば長期保存できて、一年中使える。

一方、新玉ねぎは3月~4月頃に収穫したものを
そのまま乾燥させずにすぐに出荷したものです。
水分が多くとてもみずみずしいです。
一般的な玉ねぎの収穫は6月頃なので、
早く育って収穫できる早生(わせ)品種の玉ねぎを
新玉ねぎとして育てます。

収穫後すぐに出荷する新玉ねぎはとってもみずみずしい。

収穫後すぐに出荷する新玉ねぎはとってもみずみずしい。

ちなみにHOMEMAKERSでは毎年3種類の玉ねぎを育てています。
3月頃に収穫できる早生品種の新玉ねぎ。
続いて5月頃に収穫するのが赤い皮の赤玉ねぎ。
6月に入って最後に収穫できるのが貯蔵用の玉ねぎ。
 
貯蔵用の玉ねぎはしっかり乾燥させないといけないのですが、
ちょうど6月頃は梅雨の季節。
専用の乾燥設備がないと長期保存できる状態まで
乾燥させるのが難しかったりします。

収穫した赤玉ねぎをしばって吊るせるように。

収穫した赤玉ねぎをしばって吊るせるように。

風通しのいいところに赤玉ねぎを吊るして乾燥。

風通しのいいところに赤玉ねぎを吊るして乾燥。

さて、新玉ねぎ、どう食べるのがおいしいか。
まず試してほしいのが、
早採りした新玉ねぎを茎まで丸ごとオーブンでロースト。
 
若い玉ねぎは茎の部分もみずみずしくておいしいので、
新玉ねぎが採れ始めの頃はそうやって茎まで全部楽しみます。
縦に半分か四等分にカットして、天板に並べてオリーブオイルを塗って、
180~190度で20~30分。

根っこまでまるまるロースト。

根っこまでまるまるロースト。

アチアチトロトロ~で最高なんです。

同じ野菜でも、そのときの状態、大きさでいろんな料理を楽しみます。これはシーズン最初に試し採りした、超早採りのネギみたいな新玉ねぎ。

同じ野菜でも、そのときの状態、大きさでいろんな料理を楽しみます。これはシーズン最初に試し採りした、超早採りのネギみたいな新玉ねぎ。

赤字だったバス路線が廃止……。
MAYA MAXXがペイントした
コミュニティバスが誕生!

人口減少によるバス路線の廃止。住民の足はどうなる?

美流渡(みると)地区は、岩見沢駅より車で30分ほどのところにある。
運転が苦手な私にとって、地域と駅を結ぶ路線バスは、
1~2時間に1本と本数は少ないながらも重要な交通手段となっていた。
 
この路線は、人口減少が進み利用客が少なく、
市からの補助によってなんとか運行してきたが、昨年夏に、
「2022年3月末で廃止される」というニュースが飛び込んできた。
日頃バスを利用している私にとって、たいへんショックな記事だった。
しかし、同時に「代替交通手段が検討されている」とも書かれていた。
 
この代替交通の内容について詳しく知ることができたのは、昨年末のこと。
市の担当者から、こんな連絡を受けたからだった。
 
「これまでのバス路線の廃止にともない、
新しくワゴンタイプの車両が運行されることになったので、
ラッピングのデザインをMAYA MAXXさんにしてもらえませんか?」

ワゴンタイプの新車両。

ワゴンタイプの新車両。

一昨年に美流渡地区に移住した画家のMAYAさんと、
さまざまな活動をともにしてきたことから、
私に連絡が入り、間をつなぐこととなった。
 
代替交通の内容としては、
これまで〈北海道中央バス〉が運行してきた「万字線」を廃止し、
代わって地元のタクシー会社である〈日の出交通〉が
コミュニティバスを運行するというもの。
 
大型バスから10人乗りのワゴンタイプの車両へと変更し、
地域住民のニーズに沿ったダイヤを設定。
これまでより運賃を低く抑える計画となっていた。
 
市の担当者によると、今回、MAYAさんにラッピングデザインを依頼したのは、
地域の人たちの声があったからという。
昨年、MAYAさんが旧美流渡中学校の窓に張られた板に描いた絵を見て、
バスにも愛らしい絵があったらいいのではと思ったそう。

3年前に閉校した旧美流渡中学校の板に絵を描くMAYAさん。

3年前に閉校した旧美流渡中学校の板に絵を描くMAYAさん。

この話を聞いてMAYAさんは、
「デザインをしたシートを貼るんじゃなくて、車体に直接絵を描きたい」と提案。
3月に約1週間かけてペイントを行う段取りとなった。

10年以上前に、MAYAさんは京都府立私立幼稚園連盟による「えほんのじどうしゃ」の車体に絵を描いたことがある。

10年以上前に、MAYAさんは京都府立私立幼稚園連盟による「えほんのじどうしゃ」の車体に絵を描いたことがある。