連載
posted:2022.4.22 from:宮崎県日南市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Junzo Onitsuka
鬼束準三
おにつか・じゅんぞう●PAAK DESIGN株式会社代表取締役。1983年宮崎県日南市生まれ。大学進学とともに東京に移住し、大学院、設計事務所を経て、独立したのち、Uターンで故郷に帰る。商店街活性化のための取り組みをしていた〈油津応援団〉を経て、2017年、日南市の飫肥城下町にある建築デザイン事務所〈PAAK DESIGN〉を設立。地域資源を生かした循環型の仕組みをつくることを常日頃考えている。自転車いじりとコーラづくりが趣味。
https://paak-design.co.jp/
credit
写真提供:ワタナベカズヒコ/パークデザイン株式会社
編集:中島彩
宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。
築100年の日本中どこにでもあるような、
しかし徐々になくなりつつある古民家をリノベーションし、
宿として自社運営するお話です。
このプロジェクトでは、ハード部分として古民家の改修をするとともに、
自社で運営するにあたってソフト部分の設計・構築も行いました。
前編では、ハード部分の設計から
古民家のリノベーションが完成するまでをお届けします。
この古民家との出合いは、意図せず訪れました。
2017年、新卒入社したスタッフが他県から日南市に移住するにあたって、
住まいを探していたときでした。
最初はウェブで賃貸アパートを探していたのですが、
「せっかく田舎にきたんだから一軒家を借りて過ごすのもいいな」と、
日南市が運営する空き家バンクを見ていたところ、
売買物件であるこの古民家を見つけたところから始まります。
スタッフが「この物件、なにか活用できたりしますか?」と見せてきたとき、
敷地や建物規模も大きすぎず、
「建物の状態によっては、なにか活用できるのでは……」と思いました。
すぐ市に連絡して所有者にアポをとってもらい、物件を見に行ってみることに。
道路側から見た既存の外観。敷地面積:181.81㎡(55坪)/床面積:109.74㎡(33坪)
実際に見てみると、外壁はもともと木張りだったものが老朽化し、
上から木目調のトタンが張られ、屋根は昭和後期にのせ替えられたであろう
質の良くないコンクリート瓦が葺かれていました。
風呂、台所、トイレなどの水回りも、昭和後期に
母屋にとってつけたかのように増築され、ベニアなどで質素に仕上げられた様子。
既存の内観。
しかし、約20年近く空き家で放置されていたにもかかわらず、
雨漏りしていなかったこともあり、室内は空き家独特の湿った感じも少なく、
カラッとした空気感がありました。
私には、長い間誰にも見つけてもらえなかった宝物のような、
眠れる獅子が起こされるのを今か今かと待っているような、そんな感覚を覚えました。
既存内部(床の間)。床の間と縁側は状態が良く損傷も少なかった。床はところどころ床下地が老朽化して、今にも床が落ちそうな状態だった。
当時の所有者からは「飫肥城下町にある古い建物であり、
自身や先祖の思い出が詰まっているので、建物の持ち味をなるべく生かしてほしい」
との要望がありました。
日本中どこにでもある、だけどどんどん失われていく古き良き文化が詰まった建物と
このまちの風景を自分の手で残してみたいと思い、
2017年6月中旬、ちょうどパークデザインを創業した時期に
この築100年の古民家を購入することにしました。
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既存の屋根裏。普段なかなか見ることのできない風景。古い電線や碍子も残っている。
この古民家の目の前には、〈旧藩校・振徳堂(しんとくどう)〉という市が所有・管理し、
観光客も訪れることのできる施設があります。
この敷地も文化庁が選定する「重要伝統的建造物群保存地区」内にあり、
外観は行政の指導する仕様にして風景を保存する必要があります。
まずはその仕様に沿った外観改修設計から取りかかりました。
屋根は、なるべく古い風合いを生かすために、
内部から見える垂木(たるき)と野地板(のじいた)(※)は古いまま残し、
その上から新しい垂木と断熱材を施し、もう1枚新たに野地板を敷いて
シートで防水層をつくり、その上に市が指定する「飫肥瓦」を葺きました。
※野地板とは、瓦などが置かれる屋根の下地板。 屋根をつくる際は、垂木という骨組みの上に野地板をのせて、さらにその上にルーフィングという防水用の建材を敷く。
外壁は、既存のトタンを剥がした際に出てきた杉材を重ねながら横張りしていく、
飫肥城下町でよく見られる「下見板張り」を復元。
さらに、土壁は伝統的な風景としてできるだけ残す計画とし、
通常のグラスウールでは断熱できない部分は
シート状の断熱材を採用しながら補修しました。
土壁は繊細で、工事の振動で損傷する恐れがあったので、
工事前にあらかじめ土壁を固める塗装を施しながら作業を進めていきます。
窓については、枠の仕様をそのまま復元しました。
昭和後期にアルミサッシに入れ替えられた部分は、
飫肥の古民家でよく使われている窓枠をサンプリングし、
この建物全体の様式美に合うようリデザインしました。
外壁に貼ってあった木目調のトタンと、さらに以前から残っていた老朽化した板張りを外し、中の土壁があらわになった様子。
そのほか昭和後期に施された増築や、つくり替えられた部分は、
母屋部分と比べて、ベニアやペンキ、トタン、セメント瓦など、
安価な工業製品が使われており、築年数の古い母屋よりも劣化が進んでいました。
「離れ」として母屋に増築されていた水回りを中心に、
庭にあった納屋もすべて撤去しました。
こうした作業を積み重ねることで、100年前に佇んでいた母屋だけの姿になり、
本来の清々しい伝統様式の姿に戻すことができました。
既存のコンクリート製の瓦をはがし、古いルーフィングがあらわになった様子。下地も古くなっていて補修の必要があった。
当時はコンクリートの基礎がなく、地震の際にずれる可能性が高いため、土間コンクリートを打ち、全体の基礎石をつなぎ合わせるように補強した。
減築のビフォーとアフターの平面図。庭にあった納屋と、昭和後期に増築された水回りを減築し、最も古い母屋部分だけ残した。
外観の完成。外装はすべて建築当時の仕様に復元。ガラス扉はなかったが、周辺の建物を参考にガラス扉をつくった。
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外観の設計と工事が終わり、本来ならすぐに内装工事に着手するのですが、
ここで一旦ストップせざるをえない状況となりました。
内装の設計が終わっていなかったのです。
本来は内部と外部が一体となった設計をするのですが、
ここまで老朽化した古民家に携わるのが初めてだったこともあり、
外観を復元するための仕様や補強方法などの検討、文化庁への申請にも手間がかかり、
内装の検討が進まなかったためです。
外観工事を終えたこのタイミングで、自社で運営するにあたって
改めてイチからこの建物の活用方法を検討し、立地や事業収支とのバランスを考えて
「宿泊施設」とすることに決めました(その思考のプロセスは次回に紹介します)。
初めてのことばかりで検討に時間がかかりながら、
運営方法や動線などを設計要件として落とし込んでいきました。
改装後のリビング・ダイニング・キッチン。古くなってこぼれ落ちそうな砂壁は削り、中の土壁を仕上げとした。床の間・縁側の間取りはそのままとした。
玄関から見た土間部分。左側が洗面と浴室、右側が床の間。土間→洗面→浴室→床の間の順で、徐々に床レベルが上がっていくスキップフロアの構成とし、昔の床の高さを体感できるようにした。
いつもクライアント案件で行っているように、
今回もコンセプトメイキングを行いました。
飫肥城下町の風情や、古き良き古民家の様式をどうやったら体感してもらえるか。
建築家としてどのような空間を表現できるのか。
長い期間をかけて、とことん考えてみました。
出てきたのは「差異」というコンセプトでした。
100年前の伝統美を体感してほしい一方で、
100年前と今とでは行動様式が違います。
宿として快適に過ごしてもらうためには現代的な様式にも配慮する必要があり、
「現在に残す古民家の在り方」を考えていきました。
間取りを変える際、一部取り替えた土壁はあえてほかと同調させずに
違う色の漆喰にしたり、新設した壁も違う色に仕上げたりしました。
新しく挿入したものは新しく見せることで、
既存の土壁の質感を強調させることが狙いです。
建具についても、「古民家の室内は暗い」という課題を解消するため、
空間全体に光が届くよう襖(ふすま)から障子に変更。
既存の障子と並べたときに違和感が出ないよう、
材料モジュールや格子のピッチはしっかり揃えました。
キッチンとダイニングスペース。既存土壁と新規漆喰の壁が共存。襖から障子に取り替えて空間に光を取り入れた。
各部屋の領域も伝統的な尺間を強調するために、
床仕上げを各部屋にまたがるような切り替えで仕上げました。
また、古民家は夏仕様となっており、床下の通風を確保し、
湿気からも建物を守るため、地面から床までがずいぶん高くなっています。
玄関には階段がありましたが、そこには土間をつくり、
部屋ごとに徐々に段差をつけていくステップフロアとしました。
そうすることで、床が高いことや、鴨居が低いことを一歩ずつ
徐々に体感できるようになっています。
もともとの伝統的な様式でつくられた素朴な雰囲気を守りながら、
空間を快適にアップデートする、現代の設計事務所が
次の100年に歴史をつなぐプロジェクトになりました。
新規平面図。水回りは昭和以降、母屋の横に増築されていたが、今回はそれを減築し、現代の生活様式に沿って母屋に配置した。
庭側からみた土間部分。土間は庭の延長として扱い、枯山水の要素を取り入れた。
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2021年2月末、試行錯誤を経てようやく完成を迎えました。
工事中に何ができるのかと声をかけてくれた地域の人にも一度見ていただきたく、
ささやかな内覧会を開くことに。
以前の所有者で現在は宮崎市在住の宮下貴次さんも、
わざわざ遠くから見にきてくださいました。
開催中には、テレビモニターで既存の写真をスライドショーで流していたところ、
貴次さんのお母さんが当時の建物のことや周辺エリアの思い出を聞かせてくれました。
思い返せば上棟式のときにも、屋根裏に残してあった棟札を大工の棟梁が見つけて
床の間に飾り、そこに貴次さんのお父さんの名前が書いてあるのを見て
お母さんが涙を流して感謝していただいたというエピソードもありました。
ほかにも地域の人がいろいろな言葉をかけてくださって、
「毎日目の前の道路を利用しているけど、こんな建物があったなんて知らなかった」
という声があったり、近所のおばあちゃんが
「子どもの頃は毎日のようにこの家に遊びにきて、この部屋で遊んでいたよ」
と教えてくれたり。
ささやかな内覧会になるはずが、
25坪ほどの小さな小さな古民家がごった返しの状態で、
2日間で200人を超える地域の人たちにきていただきました。
こうしてまちの人たちにもなんとか受け入れられながら、
オープンを迎えることができました。
次回は建築設計事務所が初めて宿の運営を手がける、
そのソフトの構築とオープンから現在の様子をお伝えします。
2階ベッドルーム。室内のガラス窓から母屋の小屋組を見ることができる。
洗面と浴室。浴室は通常、日の当たらない奥の方に配置するが、広く明るい窓際に配置し、使用していない時間も光取りの役割を担う仕様とした。
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