移住でなく「延住」?
地域密着型デザインで仕事が
切れない三好市のデザイナー、
肴倉由佳さん

地域おこし協力隊で、想定外の場所へ

2013年7月に三好市の地域おこし協力隊として東京からやってきた肴倉由佳さんは、
2年9か月の協力隊の任期終了後も、
デザインをなりわいにして三好に住み続けている。

肴倉さんは神戸市出身で、
山を愛する両親に、自然との共存をベースに育てられたという。
週末には郊外で借りていた畑に通い、
長い休みには家族全員で信州の山々へ、山登りに出かけるような家族だった。
ずっと山を愛し、しょっちゅう山に登りにいっていた肴倉さんは、
将来、両親の出身地である青森に近い、北のほうで田舎暮らしをすることを望んでいた。

京都の美大を卒業後、大阪にある会社のデザイン室で働き、
その後神戸を経て東京へ移り住む。
肴倉さんは、自分のやりたいことと、環境を寄り添わせるのに苦悩した時期だと振り返る。
30歳のときに、住み慣れた関西から東京に移ったのは、
「将来を見据え、少しでも北のほうへ移りたかったから」と話す。
東京で2年間の編集の仕事を終え、次の方向性を模索していた時、
三好市の地域おこし協力隊の説明会があることを知った。

「実は、四国へ行くことはまったく考えていませんでした。
でも、これ以上東京暮らしをするのは無理かなと思ったので、話を聞きに行ったんです」
肴倉さんに、東京暮らしのどのあたりが
無理だと思ったのか聞いてみると、こんな答えが戻ってきた。

「私、山歩きが好きなんです。東京でさあ山に行こうと出かけると
休日の高尾山などは、渋谷の通勤ラッシュよりも人が多くて驚きました。
また、信州などの遠方の高い山に行こうとすると交通費もネックで、
契約社員で働く自分は頻繁に行くことはできず、
山登りや自然と触れ合うことにもお金がかかるということに、
疑問を感じてしまったんです」

人間の根本にあるべき自然が、都会では贅沢品になってしまう。
一度抱いた違和感は拭えず、その違和感が肴倉さんの背中を押した。

協力隊時代から現在にいたるまで密にやりとりをしている山崎正さん。過疎集落の再生に日々取り組む山崎さんたち先住の人たちに学ぶことは多いという肴倉さんは、現在でもイベントの手伝いをしており、現地の人たちにかわいがられている。「ここの土地で何かやりたいことがある人が来てくれると、応援しがいがある」と山崎さん。

道の駅や地元のホテルなどで販売されている肴倉さんがデザインを手がけた地域密着型の商品。右の手ぬぐいは肴倉さんの屋号「さかなやデザイン」のオリジナル商品だ。

徳島県三好市の古民家・
空き家再生プロジェクト10選。
Iターン移住者が選んだ、
実践的リノベーション

三好では、大自然のなかの古民家が人気

三好市という市は知らなくても、
“池田町”や“祖谷(いや)”、“大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)”といった地名は
聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
徳島県三好市は、徳島の西側、四国の中央付近に位置し、
四国のどこのエリアに行くにも便利なまちです。
古くは、たばこ産業で栄え、賑わっていましたが、
産業の衰退とともに、空き家も増えてきました。
しかし一方で、その空き家を利用する移住者も現れ、
市民の憩いの場として、旅行者の旅の要所として、
そして移住希望者が立ち寄る拠点として、
空き家を上手に活用しているという印象が強いのが、ここ三好市です。

そこで、今回は徳島県三好市のIターン移住者である私が選んだ、
三好市の古民家・空き家再生プロジェクト10選を
古くから営んでいる順にご紹介します。

1 古民家宿 空音遊

自然菜食と田舎暮らしの古民家宿〈空音遊(くうねるあそぶ)〉。
築90年の古民家にコツコツと手を加えて再生。
移住の先駆けであり、日本で最初にできた古民家ゲストハウスとも言われています。
何より主人「のりさん」の話を聞きに宿泊するリピーターが多く、
人の生き方や暮らしの講義なども行っているとのこと。
また奥様のつくる菜食の食事が人気で、
このために世界中からやってくるお客さんも多いそうです。

information

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空音遊

住所:徳島県三好市西祖谷山村榎442

TEL:080-6282-3612

http://www.k-n-a.com/

2 モモンガビレッジ

築100年の古民家をセルフビルドでリノベーションした
トトロの家のような宿〈モモンガビレッジ〉。
祖谷大歩危観光や吉野川のラフティングに便利な場所にあり、
目の前を山や川に囲まれた昭和レトロな雰囲気が残る山里で
理想の休日が満喫できると定評のあるゲストハウスです。
ラフティングガイド歴20年近いオーナーが在籍していた
ラフティング会社の寮だった場所が、移転のため空くことになったため、
そこでゲストハウスをやろうと思い立ち、
2008年にモモンガビレッジがオープン。
年間2000人の宿泊者があり、そのうちの8割が外国人で
海外にもファンを着実に増やしています。

information

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モモンガビレッジ

住所:徳島県三好市山城町信正1153

TEL:0883-86-2334

http://momonga-village.com/

3 四国ゲストハウス おさかなくん家

築60年の古民家を改装したゲストハウス。
大阪生まれのオーナーの西坂洋樹さんが2007年に三好市に移住したのは、
リバースポーツのラフティングがきっかけで、
三好の大自然に魅力を感じ、移住することになったのだそうです。
西坂さんが感じた「ラフティング」と「自然」の魅力を
多くの人に伝えたいという気持ちから、古民家を利用した宿泊施設をスタート。
土壁の補修、漆喰塗り、古い蛇口の再利用、木目を生かした家具類、
五右衛門風呂など、改修は長い道のりでしたが、
手作業だからこその思い入れと愛着があります。

information

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四国ゲストハウス さかなくんち

住所:徳島県三好市山城町大月32

TEL:0883-86-2086

https://www.osakanakunti.com/

4 なこち LIFE SHARE COTTAGE

四国のまんなかの山奥、
徳島県東祖谷落合集落(重要伝統的建造物群保存地区)にある
食堂併設の交流スペース。
在住者と来訪者の垣根なく交流を楽しめるさまざまなイベントの開催や、
展示、体験プログラムなどを不定期で開催しています。
また、ここでは祖谷の旬の素材を使った食事と喫茶が楽しめます。
主に祖谷産のジビエ(猪肉・鹿肉)や、かたくて濃い味が自慢の石豆腐、
身のしまった小さなじゃがいも・ごうしいもなど、
旬の地場産食材を使用した料理を提供しています。
朝食のセットメニューは、事前予約制。
三好に来たら一度は味わっていただきたいです。

information

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なこち LIFE SHARE COTTAGE

住所:徳島県三好市東祖谷落合252

営業時間:10:00〜17:00

定休日:火・水・木

http://nakochi.jp/

5 スペースきせる

刻みたばこで栄えた三好市池田町で、
NPO法人マチトソラが管理する〈スペースきせる〉。
元呉服屋だった築150年の古民家をセルフリノベーションしたスペースです。
毎週金曜日には移住コンシェルジュによる、滞在中のおすすめプランの提案、
地域情報の提供、移住後の暮らしについての相談などが
行われていているほか、月一で地域おこし協力隊の加藤さんが
三好市の素材を活かした和菓子を販売しています。
徳島県内外からこだわりの食や
物品が集まるイベント〈うだつマルシェ〉
池田ジャズ横丁などの会場としても広く活用されています。

information

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スペースきせる

住所:徳島県三好市池田町マチ2467-1

TEL:050-3476-1769

営業時間:毎週金曜日 10:00〜16:00(月一和菓子の日は10:30~売り切れじまい)

https://www.facebook.com/spacekiseru/

燕三条のものづくりをリードする
〈玉川堂〉。1枚の銅板から
どうやって“急須”をつくる?

革新を繰り返すことで伝統を守る!

金属加工が有名な燕三条エリアは、
最近では、地域産業活性化のモデルケースのように語られることも多い。
なかでも2013年から行われている〈燕三条 工場の祭典〉は、
多くの工場が開放される催しで、たくさんの訪問客を全国から集めている。
創業202年。鎚起銅器の老舗として、
さまざまな取り組みをリードしているといえるのが〈玉川堂(ぎょくせんどう)〉だ。
過去にそのイベントにも参加したことがある
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの菅原晃さんとともに、
〈玉川堂〉を訪ねた。

〈玉川堂〉7代目の玉川基行さん(左)と、〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの菅原晃さん(右)。

〈玉川堂〉は創業202年。7代目にあたる現当主、玉川基行さんは、
大学卒業後、すぐに〈玉川堂〉に入社した。

「私が入社した頃は、バブル崩壊後で、経営はかなり厳しい状況でした。
だから先代である父親からも、『すぐに営業をしてほしい』と頼まれました」

本来は一定期間、社会で揉まれてから家業を継ぐつもりだったが、
そんなことを言っていられない切羽詰まった状況だったようだ。

当時、玉川さんが課題だと感じていたのが、
エンドユーザーであるお客様の声が聞こえてこないこと。
その理由は、中間業者が何社も入っていることだ。
さらに当時は新潟県内の贈答需要がほとんどで、
“自分で好んで買う”ものには至っていなかった。

「かつては、正直に言って、職人のひとりよがりで製作していた部分もありました。
お客様の声が聞こえてこないと、何をつくっていいかのわからないのです。
そこで百貨店に飛び込みで営業し、催事などをなんとか取りつけていきました」

銅板を打ち出し、丁寧に磨かれた〈玉川堂〉の看板。

そうすることで、お客様と直接的に触れ合うことができるようになる。
“中間業者を経由しない”。
言葉にすると簡単なことだが、地域で長く事業を行っていればいるほど、
それを実現するのは難しくなるだろう。
幸いなことに、当時の玉川さんは“社会を知らなかった”。

「よく考えれば、商売道徳上、そう簡単なことではありません。
しかし当時の私は、若さゆえ何も知らない。だからこそ実現できたこと。
父だったら、絶対にできませんよね」

玉川さんはこうして危機を乗り越えていった。
7代続くなかには、各代で倒産の危機があったようだ。
しかしそのたびに、新しいことに挑戦してきた歴史があるという。

「200年以上も継続してこられたのは、
“伝承”ではなく、“伝統”の気持ちがあったからです」

ここで、玉川さんの考える「伝承」と「伝統」の違いを説明する。
「伝承」とは先代と同じように受け継ぐこと、引き継ぐこと。
一方、「伝統」とは、革新の連続のこと。
新しいことに挑戦してこそ、伝統は続いていくという。

この革新の部分を担っているのが、終業以降の工場の開放であるという。
仕事は17:30に終わり、それ以降は職人が工場を自由に使用していい。
ここで行われるのは、練習、修業、商品開発。
自分のやりたいことに没頭できる時間だ。
仕事中はあくまで職人であるが、この時間は作家の感性が目覚める。

銅を叩くことが〈玉川堂〉のアイデンティティ。

雪に覆われても雰囲気のいい〈玉川堂〉本店。

松本〈風林火山〉
松本でも指折りの人気大衆酒場。
名物料理×レモンサワーで
幸せな時間を

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。

全国おすすめ酒場探訪記  長野・松本編
大人女子にも愛される大衆酒場の魅力とは?

今回の目的地は長野県の松本市。
冬の松本は気温こそ低くても雪が少ない印象ですが、
全国的な大寒波襲来で朝から雪が降り続いています。
いつもなら観光客で賑わっている松本駅前もとても静か。
「きょうは上雪(かみゆき)ですね」と、
仕事を終えて合流した案内人の島田浩美さん。
豪雪地帯の北信(長野市など)では降っていないのに、
南岸低気圧等の影響で中信(松本市など)や南信(飯田市など)が
大雪になることを、長野県内では“上雪”と表現するそうです。

国宝・松本城

島田さんは飯綱町(北信)の出身。里山に囲まれて育ったので、国宝・松本城のバックに北アルプスが輝く雄大な光景を初めて見たときの感動はいまでも忘れられないとか。あいにくの天気で北アルプスは望めませんが、このモノトーンの風情もいい感じ。“烏城”という愛称がぴったりの堂々たる姿です。

島田さんは長野市在住のライター・編集者で、
“旅とアート”をテーマにした小さな本屋さん
〈ch.books(チャンネルブックス)〉も営んでいます。
松本で過ごした大学時代に沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読み、
その内容に感化されて2年間世界中をひとりで旅して歩いた経験も。
「だから、居酒屋のひとり飲みも大丈夫。2年間の旅で度胸だけはつきました。
もちろん誰かと一緒に行ければベストですが、
仕事後の解放感で飲みたい気持ちには勝てません」

ずいぶん冷えてきたので、早く温まりましょうと、
島田さんが向かったのは松本駅のすぐ目の前。
“今日も一日おつかれ様”と書かれた赤提灯が揺れる、
昭和55年創業のローカル酒場〈風林火山〉です。

〈風林火山〉の入り口の暖簾

〈PRODUCT DESIGN CENTER〉
鈴木啓太さんが考える、
ものの歴史を一歩すすめる
デザインとは?

進化は発生と淘汰の繰り返し。どう未来へ受け継いでいくか

大量にあふれる「もの社会」のなかで、果たしてこれから必要なものは何か。
「ものの歴史を一歩進めたい」と語るのは、
〈プロダクト・デザイン・センター〉代表取締役である鈴木啓太さんだ。
〈相模鉄道20000系〉や〈富士山グラス〉など、数多くのプロダクトデザインを手がけ、
〈good design company〉の水野学さんや〈中川政七商店〉の中川淳さんたちとともに、
〈THE〉というブランドも仕掛けている。

〈貝印〉も今年110周年を迎えた、連綿とものづくりをしてきた企業。
そこで〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚淳さんと、
歴史あるものづくりにおける共通項を探りに、鈴木さんを訪ねた。

〈プロダクト・デザイン・センター〉という社名からも、
並々ならぬ「プロダクト愛」が感じられるように、鈴木さんはとにかく「もの愛好家」。
なんと弥生土器も個人で所有しているという。

〈プロダクト・デザイン・センター〉鈴木啓太さん(写真右)のコレクションを興味深く見る、〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。

「価格に関係なく、もの全般がとても好きで、たくさん所有しています。
とにかく手に入れて試してみたい。その傾向は子どものときから変わっていないようで、
今もよく家族に冗談にされています」と笑う。

しかし、プロダクトデザイナーとして
多くの製品に触れている、デザインの歴史を知っているという蓄積は、
発注側としては信頼に値するのではないか。
鈴木さんはこうしたものへの愛情から得た知識や体感を、
自身のデザイン哲学の中心に据えている。

「もののデザインは過去から着々と進化してきて、今の形に落ち着いています。
進化とは“発生と淘汰”の繰り返し。
今残っているデザインは、淘汰されずに生き残ってきた意味と強さを持っています。
だからこそ、過去を大いに参考にし、
未来にどのようにバトンを受け継いでいくかを考えています」

たとえば公共のベンチやイス。
イームズの名作もあれば、アノニマスであってもきちんと機能しているものも多い。
あるとき鈴木さんは〈相模鉄道〉から駅のベンチのデザインを依頼された。

事務所の玄関に置かれていた相鉄線のベンチのサンプル。

「改良すべき点はふたつ。着座率が低いということと、忘れ物が多いということでした。
そこで、各席の横に付いていた荷物置き場をなくし、
5席がつながっていたベンチを4席に減らしました。
すると1席あたりの面積が広くなり、
自然と荷物を自分の座席内に置くようになるので忘れ物は減ります。
さらに席の間隔も広くなるので、隣を気にせず4席すべてに座ってもらえるようになり、
着座率を向上させることができました。
特別、コンセプチュアルなデザインをしたわけではありません」

これが、鈴木さんが考える「ものの歴史を一歩進める」ということだ。
時代に合わせてアップデートし、次世代に受け渡すこと。
もしかしたらこの先、荷物など持たない時代がくるかもしれない。
そのときが来たら、次世代デザイナーがまた新しくデザインを進化させていくのだろう。

相鉄線の車両20000シリーズ。

鈴木さんの作品のなかで、貝印・大塚さんが好きなデザインは、
〈URUSHI Bathtub〉だという。花のフォルムを模した漆塗りのお風呂だ。

「昔、古伊万里の輪花皿を買ったことがありますが、
そういった昔ながらのディテールを今のプロダクトに落とし込んでいるデザイナーは、
意外と少ない」と好きな理由を教えてくれた貝印・大塚さん。

〈URUSHI Bathtub〉(写真提供:PRODUCT DESIGN CENTER)

それに対して鈴木さんは
「梅の花は、江戸時代から日本の美術で頻繁に使われてきたモチーフで、
日本のデザインの原型のひとつです。それを思いきって取り入れてみました」と答える。

さらに貝印・大塚さんは付け加えた。
「以前に〈PLUS〉のハサミをデザインしていましたよね。
あれも私にとっては新しい発想でした。
通常通りデザインすると、持ち手の外側をきれいに整えてから、
内側に穴を開けるという順序になってしまい、指がきつくなってしまいがちです。
しかしあのハサミは、ちゃんと内側のアールから発想していますよね。
その美しさが〈URUSHI Bathtub〉ともリンクしました」

西和賀の郷土料理「すし漬け」や
ツアーで感じる、
雪がもたらす「発酵パワー」

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回ご紹介するのは、雪がもたらす発酵文化のひとつ、「すし漬け」。
後半には2月に開催されるユキノチカラツアー2018「雪国の発酵をめぐる旅」の詳細を
お知らせしていますので、どうぞ最後までご覧ください。

魚を麹やご飯などと漬けて発酵させる「すし漬け」は、
西和賀の貴重な冬の動物性タンパク源。

これまでさまざまな「ユキノチカラ」を取り上げてきたが、
伝統的な発酵食の文化は、その中の最たるものではないだろうか。
麹によりデンプン質が糖分に分解されたあと、酵母・乳酸菌によってつくられる発酵食。
雪による低温多湿の気候は、この発酵食づくりに適しているといわれる。

しかも奥羽山系の山々に囲まれた盆地の西和賀の場合は、
一日あるいは四季の寒暖差が大きく、土も豊かで、水も空気もきれい。
今回の「ユキノチカラツアー」にも同行していただく発酵デザイナー・小倉ヒラクさんが、
「発酵に良い環境」として挙げている条件を、すべて網羅している。
西和賀の発酵文化が、今も脈々と受け継がれているゆえんだ。

近年ブームの甘酒は、アミノ酸たっぷりの発酵飲料。

そんな西和賀の代表的な発酵食が、「すし漬け」。
魚を貯蔵するためにご飯や麹、塩などと一緒に漬けて発酵させた保存食で、
西和賀の郷土料理でもある。
日本各地に伝わっている「なれずし」「飯ずし(いずし/いいずし)」と同じような料理、
といえばイメージできる人もいるだろう。
発酵により醸し出される、甘みと酸味が複雑に入り交じったその味わいは、
のどを通過しても口中に余韻が残るほど、力強い。
それだけに、好き嫌いの個人差も大きいという。

山に囲まれた西和賀の人々は、昔から隣の秋田県から魚を仕入れ、
冬の貴重な動物性タンパク源として「すし漬け」をつくり、食べていた。
この料理で岩手県の「食の匠」に認定された湯田地区出身・在住の高橋節子さんも、
母親がつくっていたことを鮮明に覚えている。
「子どもの頃、11月になると両親と一緒に隣の横手市にハタハタを買いに行ったものです。
母親はハタハタをすし漬けのほか、麹漬け、塩漬け、米ぬか漬けにしていました。
その頃はすし漬けが苦手で食べなかったですけど、
塩漬けのハタハタを焼いたものは好きで、毎朝食べていましたね」

「すし漬け」で岩手県の食の匠に認定された高橋節子さん。自宅の冷蔵庫には、塩を加えてつくる「塩麹」と、砂糖を加えてつくる「甘麹」の2種類を常備したり、もち米のおかゆに麹を加えて甘酒をつくったりと、発酵食の達人でもある。

そんな高橋さんがすし漬けを食べるようになったのは、嫁いでから。
お姑さんがつくるすし漬けがおいしく、開眼したそうだ。
ただし、魚はハタハタではなくホッケ。
昔はどの家庭でもすし漬けにはハタハタを使っていたが、
高橋さんが嫁いだ頃からハタハタが不漁で値段が高くなったため、
高橋家ではホッケなどほかの魚で代用するようになっていた。
「以来、私もホッケのすし漬けをつくるようになりました。
ほかに、サケ、イカ、生ニシン、身欠きニシン、サンマでもつくります。
ホッケを漬ける時にはカブも一緒に入れますが、
サケの時は赤カブ、イカの時はキャベツと、魚と相性の良い野菜を使います。
すし漬けは家庭料理なので、使う魚も野菜もつくり方も家によってさまざまですよ」

「食の匠」である高橋さんのすし漬けの主なポイントは3つ。
ひとつは、下漬けする時に酢を多めに使い、魚の生臭みを消すこと。
高橋さん自身が、魚の生臭さが苦手だからだという。
ふたつめは、材料を順序よく重ねて漬けること。
ホッケの場合、カブのほかに人参やフノリも使い、
それらを順番に重ねることで彩り良く仕上がる。
これは実家のお母さんから受け継いだやり方だ。
3つめもお母さん譲りで、衛生上の理由から、笹の葉を使うこと。
盛りつけた時も、笹の葉の緑で、見た目がいっそう美しくなる。

豊橋〈喜喜 よしき〉は、
“いつでもハッピーアワー”。
缶チューハイ&1000円セットで
ご機嫌な夜を!

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。

旅の醍醐味はローカル酒場!
全国おすすめ酒場探訪記  愛知・豊橋編
“豊橋LOVER”が集まる伝説の酒場とは?

豊橋市といえば愛知県東三河地方の中心都市。
東海道新幹線が停車するのはもちろんのこと、
愛知県内をくまなく結ぶ名鉄の名古屋本線終点で、
南信州の大動脈・JR飯田線や渥美半島へと伸びる豊橋鉄道の起点。
名産品の〈豊橋ちくわ〉が広く知られるようになったのも、
昭和初期に話題になった豊橋駅での立ち売りから。
いかにも交通の要所として栄えたまちというイメージです。

今回の案内人は豊橋市役所の吉開仁紀(よしがい・まさのり)さん。
まず案内してくれたのは「豊橋筆」の工房でした。
豊橋は奈良や熊野町(広島県)と並ぶ筆の産地で、
書道用の高級筆は全国生産量の約7割を占めているとか。
吉田藩の頃から続く伝統工芸品ですが、
豊橋市民でもその存在を知らない人が多いそうです。

中西由季さん、川合福男さん、吉開仁紀さん

川合福男さん(中)は豊橋に13名いる伝統工芸士のひとり。
豊橋筆の特徴は、分業をせず、原毛の選別から最後の仕上げまで
36工程を職人ひとりが手掛けること。
すべて緻密な手作業ばかりで、一人前になるには20年以上かかるそうです。
それだけに、書き心地、墨の含みが大量生産品とは全然違う。
あまりにも知られていないのはやはり残念だと川合さんは話します。

作業中の川合さん

そんな川合さんの希望の光が、8年前に弟子入りした中西由季さん(左)。
中西さんは伝統工芸大学校(京都府)で金属加工を専攻。
卒業後に伝統工芸が地元にあることを知り、何度も断られた末の弟子入りだとか。
豊橋全体でも20代の筆職人はふたりだけ。
しかも職人は男だけという慣習を打ち破った初の女性職人です。

「中西が一人前になるのを私は見届けられるかわからない。
せめて彼女が安心して働き続けられる環境を」
将来を案じる川合さんの言葉に吉開さん(右)は共感。
さらに、豊橋筆を知ってもらうだけではなく、
技の継承という未来を見据えた新たな挑戦を提案して川合さんは快諾。
“子どもを洗う世界一やさしい筆”をつくる
〈福筆 Fukufudeプロジェクト〉がスタートしました。

きょうのローカル酒場〈喜喜(よしき)〉は、そんな吉開さんのとっておきの一軒。
線路と道路の高架脇で周辺は真っ暗ですが、
夜空をバックに巨大な看板が招くように輝いています。

〈喜喜 よしき〉の看板

からくり人形はロボットの原点?
〈九代玉屋庄兵衛〉江戸時代から
続く人形師の家系の当主に聞く

名古屋に残るからくり人形

江戸時代初期から中期にかけて発展したからくり人形は、
お祭りにおいて山車の上で踊ったり、お座敷で遊ぶ玩具である。
江戸時代(享保年間)から続く、唯一のからくり人形師の家系である〈玉屋庄兵衛〉。
現当主は九代玉屋庄兵衛さんで、名古屋に工房を構える。
数多くの製造業者が拠点を構える名古屋を含む中部地方は、
ものづくりの精神が息づくエリア。
そんな地域に機械工学の原点のような技術が受け継がれていたとは関連性が深そうだ。
そこで同じく中部地方に本社を構える〈貝印〉の
商品本部デザイン室チーフマネージャーである大塚 淳さんと、
九代玉屋庄兵衛さんの工房を訪ねた。

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚淳さん、九代玉屋庄兵衛さん。

時をさかのぼって1733年。京都に住んでいたからくり人形師の庄兵衛は、
名古屋の城下で行われていた「東照宮祭」の山車のからくり人形を製作した。
翌年、玉屋町(現在の名古屋市中区)に移り住む。
その地名を取って玉屋庄兵衛を名乗ったのが、初代の玉屋庄兵衛だ。
現在でも愛知県には、150以上の「山車祭り」が残っている。
そのうち、からくり人形が舞い踊る山車は約140台。
それらの修理・復元の多くが、玉屋さんの元へやってくる。

九代玉屋庄兵衛さんは、オリジナルのからくり人形も製作。
まずは「茶運人形」が実際に動く様子を見せてもらった。

茶碗が「スイッチ」になっている茶運人形。

人形がお茶を持って“歩いて”くる。お茶を取り、飲んだ後に茶碗を戻すと、
Uターンして戻っていく。
1796年に細川半蔵頼直が残した『機匠図彙(からくりずい)』に記されていた機械図をもとに、
父親である7代目が復元したものだ。

『機匠図彙(からくりずい)』のレプリカ。

「図はかなり粗いものでしたので、7代目がかなりアレンジを施したようです。
一番難しいのは歯車。歯に対してタテの木目のみを使って、
8枚を貼り合わせていきます。横の木目だと、細い歯の先が割れやすい。
さらに木はその土地の湿度を受けて変化してしまうのので、影響を受けて変化しやすい」
と言う九代玉屋庄兵衛さん。

木目が美しく放射状に並んでいることがわかる。

木は部位に合わせて7種類を使用している。顔や手足はヒノキ、型枠や胴は山桜、
軸芯は赤樫、歯車はカリン、ほかに黒壇、柘植、竹と、強度や特性に合わせて木を選ぶ。
どのからくり人形も木製なので、当然、木に詳しくないといけない。

九代玉屋庄兵衛さんの代表作といわれるのが「弓曳童子」。
もともとは、江戸末期に田中久重が製作したものだ。
その図面は残っていなかったので、オリジナルを解体、採寸し、完全に復元した。
素材もすべて同じものを使用。製作には1年を要したという。

カタカタという音とともに、矢を1本1本親指と人さし指でつまみ、
弓につがえて狙いを定め、指を離して矢を放つ。
この淀みない一連の動きにはほれぼれしてしまう。
スムーズではあるが、リアルというのとはまた異なる味のある動き。
特に狙いを定めようと少し顎を上げたときの「表情」は、ぜひ動画を見てほしい。

指でしっかりと矢を掴む「弓曳童子」。

「からくりの機械構造は、動きを想定しながら考えるのですか?」
と貝印・大塚さんが聞く。

「理想は、人間の動きに近づけること。
たとえば、『乱杭渡り』は江戸時代からあるからくり人形で、
二枚下駄に乗って杭を上っていくというもの。
これを一枚下駄でつくることになりました。
人間が二枚下駄から一枚下駄になったときに、
どのようにバランスをとっていくかを考え、リアルな動きになるように考えました」

人間らしい動きをするから、愛嬌があるし、感情移入する。
目指すところは人間と同じ動きをすること。
現在のロボット開発がたどっている道筋と似ているような気がする。

「乱杭渡り」をする人形。

スケルトンになった茶運人形を見せてくれながら説明してくれた。

島での暮らし方と人生を考える。
先輩移住者は、
なぜ壱岐と対馬を選んだ?

移住者だからできる仕事の生み出し方

11月3日~5日、2泊3日のスケジュールで開催された、対馬と壱岐の移住体験ツアー。
長崎県が主催するこのツアーは、一般的な観光ツアーと異なり、
暮らすという視点で仕事や居住の候補となるような場所を見学し、
先輩移住者ともコミュニケーションを取ることのできる貴重な機会だ。

今回参加した6名は、どちらの島も初めて訪れる人ばかり。
韓国人観光客が増加している対馬で起業の可能性を探りに来た人、
海外で暮らした経験があり、家族で島暮らしをすることに興味を持っている人、
在宅勤務をしながら二拠点居住をゆくゆくはしたいと考えている人など、
参加の動機もさまざまだ。

羽田空港から飛行機でまず向かったのが、対馬市。
九州と朝鮮半島に挟まれた対馬海峡に浮かぶこの島は、
韓国の釜山まで直線距離でわずか50キロ弱。
気候条件によっては、釜山の夜景を目視できる「国境の島」だ。
到着早々、対馬名物の〈対州そば〉と、
醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉〈とんちゃん丼〉を堪能すると、
南北に長い島をバスで1時間ほど北上。
移動にかかる時間や景色の変化からも、島の広さを実感することができる。

対州そばは、原種に近いかたちで残っている対馬特産のそば。とんちゃん丼とともに。

最初の企業訪問は、上県町佐須奈にある〈一般社団法人MIT(ミット)〉。
代表理事を務める宮城県仙台市出身の吉野元さんが、
移住者ならではの客観的な視点やこれまでのキャリアを生かして、
対馬の資源や魅力を“みつけ・いかし・つなぐ”ことを目的に、
幅広い事業を展開している。
たとえば対馬にしか生息していないツシマヤマネコが、田んぼでエサを取ったり、
子育てしていることに着目して、減農薬米を〈佐護ツシマヤマネコ米〉としてブランド化。
吉野さんの奥様の由紀子さんが、
パッケージデザインや関連グッズを製作している。

2013年6月に創業したこの会社は、メンバーのほとんどが移住者。
吉野さんが、プロジェクターを使って説明してくれたのだが、自己紹介のあとに登場したのが、
タチウオ、ハガツオ、アナゴ、サバなど
思わず生唾を飲み込んでしまうような刺盛り写真の数々……。

「長崎のなかでも、対馬の魚が一番おいしいと思います!」と力説する吉野さん。
知り合いの漁師からこうした魚を日々おすそ分けしてもらえるだけでなく、
吉野さん自身も小さな舟を所有しているそうで、
仕事をしながら朝夕に釣りを楽しむ暮らしがここでは可能なのだとか。

ほかにも霞が関で20年以上働いていたという事務方のプロや、
漁師になりたくて移住した人、
ツシマヤマネコが好きすぎて早期退職して移住した人など、ユニークな人材ばかり。

「たとえば“半漁半MIT”じゃないですけど、MITの仕事をしながら趣味の釣りをしたり、
絵を描いたり、農業をしたり、ヤマネコを愛でたり……。
せっかく移住したのだから、好きなことを好きなだけやって新しい働き方を発信するのが、
私たちの使命なのかなと思っています」

対馬の暮らしを満喫しているMITのみなさん。霞が関で働いていたという冨永健さん(左)、吉野元さん(中)、吉野由紀子さん(右)。

急増する韓国人観光客。ビジネスチャンス到来!?

続いて訪れたのは、
対馬最北の比田勝でオープンを控える(取材当時。2017年11月オープン)
〈ホテルDAEMADO(テマド)比田勝〉。
船でやってくる韓国人観光客の多くは、比田勝港国際ターミナルで下船することもあり、
この辺りはハングルの看板がかなり目につく。
当ホテルもそんな観光客の利用を見込んでつくられたそうで、
「DAEMADO」は韓国語で対馬を意味している。

「韓国人にとって対馬は、最も近い海外旅行先。
今まで比田勝には大型の宿泊施設がなく、日帰りする方が多かったのですが、
今後は楽しみ方も変わってくると思います」
と、総支配人の豊福誠一郎さん。
急増する来島者数に対して宿泊施設などをはじめとする受け皿は
まだまだ足りていないそうで、
比田勝は今後発展していくであろう注目のエリアであることがうかがえた。

ホテルDAEMADO比田勝の開業を機に福岡から移住してきた、総支配人の豊福誠一郎さん。島の人の優しさに日々助けられているそう。

その晩行われた交流会には、MITの吉野元さんと由紀子さん、
そして同じくMITの理事を務める漁師の細井尉佐義さんが参加。
17年前に移住してきたという細井さんは、吉野さんたちも一目置く先輩移住者で、
一本釣りで生計が立てられる漁場を探して、対馬に辿り着いた“Iターン漁師”。
移住当初は第一次産業が今ほど注目されていなかったため、
漁師を取り巻く環境は厳しかったこと、
自然環境保全と資源保護を第一に考えた持続可能な漁業を対馬で実践していること、
そして対馬の暮らしの魅力などを熱く語ってくれた。

交流会は対馬でとれた刺し身と韓国料理で。

翌日は、最も人口の多い厳原地区にある〈対馬バーガーKiYo〉を訪問。
Uターンして2009年に同店をオープンした新庄清孝さんは、
ご当地バーガーブームの波に乗るかたちで、対馬バーガーを考案。
対馬の特産であるひじきを練り込んだパテと、
プリプリのイカを甘めのソースで絡めたハンバーガーなのだが、
韓国人観光客がブログやSNSに投稿したことがきっかけで、
日本よりも先に韓国で注目されるように。今では島内に2店舗、釜山に1店舗、
そして福岡にも移動式店舗を展開するほどの人気ぶりで、
対馬におけるビジネスチャンスをこんなふうに語ってくれた。

甘辛の和風ソースが絶妙な対馬バーガー。

「ほかの離島と違うのは、150キロ圏内に釜山や福岡などの大都市があること。
これらのエリアを含めてビジネスを考えると、いろんなチャンスが見えてきますし、
対馬で生まれたものを使って外で勝負するという意味では、
すごくおもしろい場所だと思います」

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀り、竜宮伝説が残る和多都美神社。

和多都美神社の背後にそびえる烏帽子岳の展望台から、対馬のリアス式海岸を一望。

天童〈宝(たから)〉
行きたくても行けない超人気酒場で
山形ローカルなつまみを
焼酎のロックで

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。

旅の醍醐味はローカル酒場!
全国おすすめ酒場探訪記  山形・天童編
将棋のまちで噂の酒場が愛され続ける理由とは?

山形県天童市は美しい姿の舞鶴山の麓に広がる、
織田信長の末裔が治めた天童織田藩の小さな城下町です。
将棋の駒づくりも下級武士の内職として始まったとか。
約100万セットが出荷された最盛期には及ばないものの、
いまでも国内生産の9割以上を占めており、
藤井聡太四段の活躍や、羽生善治竜王の永世七冠達成でいま再び将棋ブームの追い風が!
明治10年創業の高級駒製造元〈中島清吉商店〉でも、
一時は在庫がすべて売り切れてしまったそうです。

駒を手彫りする様子

40枚ワンセットの駒を手彫りするには根気と集中力が必要。「木地師(きじし)」「書き師」「彫り師」「盛り上げ師」などの職人さんは70代が中心。「お客さまをお待たせするのは心苦しいのですが」と4代目店主の中島正晴さん。伝統的工芸品でもある手づくりの駒はすぐに量産できるものではないのです。

柘植(つげ)を使った将棋駒セット

こちらは御蔵島産の柘植(つげ)を使った最高級品でお値段は60万円。木目の美しさにも注目を。安土桃山時代から時の権力者に愛されてきた書体・水無瀬(みなせ)を漆で盛り上げた“盛り上げ駒”は、まさに小さな芸術品です。

今回の案内人、イラストレーターの青山タルトさんも、
“中島さんち”のすぐ近所で漆の香りに包まれて育ちました。

「私が幼い頃は、道端のあちこちで駒を乾かす光景が見られ、
いかにも将棋の里らしい風情がありましたね。
ウチは和菓子屋だったので、アイデアマンの父が考えた
〈将棋もろこし(将棋の駒の形をした落雁のようなお菓子)〉が
評判になったのも懐かしい思い出です」

それだけに、職人の高齢化が進む「将棋の里」に、
とりあえず活気が戻ったのは素直にうれしいと、青山さん。
できればこの機会に天童をもっと知ってもらえればと思うそうです。

そこで紹介してくれたのが、きょうのローカル酒場〈宝〉。
昼間だと通り過ぎてしまうほどさりげない店構えですが、
青山さんがずっと気になっていた地元で噂の人気店です。

ローカル酒場〈宝〉の看板

故郷の酒場で旧交を温める

青山タルトさんと今村勝廣さん

東京在住の青山さん(左)が〈宝〉に呼んだのは、お店の常連で弟の親友・今村勝廣さん(右)。今村さんは仲間で神輿の会を立ち上げ、3年越しの交渉で建勲神社(祭神は織田信長公)への奉納にこぎつけた「熱い男」。青山さんとは昔からの仲で、地元ネタにも詳しい頼れる助っ人ですが、ふたりで飲むのはきょうが初めて。まずは再会を祝してスパークリング清酒で乾杯。メニュー選びに迷う青山さんに「ここに来たら魚を頼まなきゃ」と今村さんがさっそくアドバイス。

小雪が舞う外の通りには人影が見当たらないのに、
〈宝〉に一歩入ると50人は入るという奥の宴会場まで満杯。
人は多くてもなごやかで、和気藹々という言葉がぴったりです。

「僕も飲み会の日程が決まると、まずは〈宝〉に電話をかける。
子どもの親同士やクラス会、神輿の会、どんな集まりでもね。
予約が取れればみんな大喜び、ラッキーという感じ。
ふらりと寄りたくても早い時間はほぼ満席。
一度座ると居心地が良いから席がなかなか空かないし。
地元の僕でも行きたいのになかなか行けない店なんです」(今村さん)

「噂には聞いていたけどこの賑わいは想像以上。
お客さんがみんな笑顔なのもいいわね。
私は地元で飲む機会がないので、わくわくします。
それにしても、こんなに人気があるのはなぜ?」(青山さん)
料理が来ればわかるからと、今村さんは余裕の表情です。

本マグロのネギトロとあん肝

最初に登場したのは本マグロのネギトロとあん肝でどちらも650円。あん肝には山形県民偏愛の食用菊、通称“もって菊”がさりげなく添えられています。「菊は見るものではなく食べるもの」とふたりが口を揃えるように、しゃっきり繊細な食感がたまりません。

刺身盛合せ

今村さんイチオシの刺身盛合せはこのボリュームで1人前650円。きょうは本マグロ、サーモン、黒ソイの昆布締め、タコ、シメサバ、ヒラメのエンガワというラインナップ。ちなみに突き出しは、村山地方(山形市、天童市など)を代表する漬物・青菜(せいさい)漬けを塩抜きして炒め煮した、くきな煮。ふたりにはおなじみの家庭料理です。

ネギトロを食す青山さん

青山さんのこの表情!

ロックを飲む今村さん

喜ぶ青山さんを見て満足気な今村さん。お目当ての刺身と一緒に焼酎ロックも進みます。

「天童は内陸でも温泉街があるので
いい魚や食材が市場に集まると聞いてはいたけれど、
ここはおいしいだけじゃなくて、とても良心的なのね」(青山さん)

「まだ先代のオヤジさんが元気だった頃、
飲み放題コースなのに500円返してくれたことがあったんだよ。
もともとの値段自体が十分安いのに、そんなにもらうほど飲んでないだろうと言って。
いまの大将もオヤジさんのやり方をそばで見てきたから、
できるだけいいものを安く出したいとがんばっている。
地元の客はそれをちゃんとわかっていると思いますよ」(今村さん)

魚をさばく細谷敏也さん

ご主人の細谷敏也さんは天童の西隣にある寒河江市出身。〈宝〉は約40年前にお父さんが始めた店で、店名は出身地区名から。約70席が予約で連日埋まると毎朝の仕入れや仕込みも大変そうですが「仕入れの前に〈ゆぴあ〉(市内の温泉施設)に寄ることもありますよ」。どうりで敏也さんの肌はツヤツヤ。天童は県内でも降雪量が少なく、人柄も“開けている”ので、住み心地も上々だそうです。

山形県民のソウルフードとも呼べる芋煮は、
里芋と天然キノコがおいしい“芋煮シーズン”の秋だけ。
その代わりに夏には隣町・河北町の名物冷たい肉そばや、
おいしいと評判の地元産枝豆を。
寒さが厳しい時期は、庄内地方のどんがら汁を熱々でいただきます。
ご主人から料理の説明を聞いていると、
お客さんがいま求めているものを提供したいという強い思いを感じます。

「それはやはりオヤジの影響でしょう。
一緒に板場に立っていたときはわからなかったけど、
厳しく仕込まれたことが、全部あとで役に立っている。
やはりオヤジはすごいなと亡くなってから気がつきました」

5年前に店の敷地を広げたときも、先代と常連さんへの感謝の意を込めて、
カウンター周りはあえて元の店の状態で残しています。

女将の細谷絵理子さん

山形名物のだしは冷奴にかける、刺身に添えるなど一年中大活躍。このだしづくりが女将の細谷絵理子さんの担当で、毎日タライ1杯分のナスやキュウリを刻み続けるんだとか。大変な重労働に思えても「主人が包丁を毎晩研いでくれるので大丈夫」。フードプロセッサーは使わないというのがこだわりです。

そしてご主人の料理のいちばんのファンは、女将の絵理子さんかもしれません。
同じ高校出身の人がやっているおいしい店が天童にある。
そう聞いて〈宝〉に行ったのがご主人との出会いのきっかけ。

「まさか自分が居酒屋の女将になるとは。
いま思えば、彼の料理がおいしかったのが結婚の決め手だったのかも。
それは冗談だとしても、やはりお客さまに運ぶ料理が、
間違いなく喜ばれるとわかっているのは安心できますね。
さあ、行ってらっしゃい、という感じです」

家は? 仕事は?
現地の人に聞く
「島で暮らす、働く」ということ。
移住体験ツアーで長崎・五島列島へ

福岡からおよそ45分で、祈りの島・五島列島へ

「島暮らし」。なんてわくわくする言葉だろうか。
よくよく考えれば私たちは日本という島国で暮らしているのだけど、
ここでは「離島暮らし」について。

毎日満員電車に揺られ、あくせく働き、気づけば季節が巡っている。
「都会での生活を捨てて、自然豊かな島で暮らせたら」
そんな想いを巡らせたことのある人も少なからずいるだろう。
でも実際にそこで暮らすと考えると、仕事はあるのか、
どんな生活になるのか、気になることだらけ。

そうであれば、実際に現地の人に話を聞けばいい。
九州の最西端の島々である長崎県五島列島にて
2017年10月27日〜29日に開催された
「長崎のしまで暮らそう!働こう!移住体験ツアー」。
ツアーは島の職場見学から先輩移住者との交流、住まいの見学など
実際に五島列島で暮らすならどんな生活なのかを体験できる内容となっており、
島暮らしに興味を持つ20〜40代の関東在住の男女が参加した。

五島列島は長崎市の西方約100キロに位置する五島市福江島と、
150あまりの島々がある。
五島市、新上五島町、小値賀町の3つの市町と佐世保市、西海市の離島からなり、
合わせて約6万人が暮らしている。
海と山とが織りなす美しい景観により、一部が西海国立公園に指定され、
ダイナミックな自然を楽しむことができる。

また、五島列島は潜伏キリシタンの島としても知られている。
16世紀にキリスト教が日本に伝えられ、長崎は信仰の中心地となったが、
豊臣秀吉による禁教令が出され、キリシタンへの迫害が始まった。
その後、18世紀後半には約3,000名の潜伏キリシタンが
仏教徒を装って五島列島へと移り住んだ歴史があり、
現在も島のあちこちで美しい教会を目にすることができる。
その歴史を語る「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、
世界遺産候補となっている。

地元民から「かわいい」と愛されているプロペラ機。五島市の福江島にある五島つばき空港へは、福岡空港と長崎空港からアクセス可能。

福岡空港からプロペラ機に乗って45分、
あっという間に五島市の五島つばき空港に到着。
10時前に羽田空港を出発したばかりなのに、まだ13時。
離島って案外近いもんだなあ、なんて思いながら、
〈五島コンカナ王国 ワイナリー&リゾート〉の視察へ向かう。

滞在型リゾートである〈コンカナ王国〉には、宿泊施設だけでなく
レストラン、陶芸館、椿油を使用したエステ、鬼岳温泉、五島ワイナリーなどが揃う。
なかでも気になるのは、2014年からスタートしたという
長崎初のワイナリーである〈五島ワイナリー〉。
ブドウの栽培から醸造までを手がけており、コンカナ王国の敷地内で育った
ブドウを使用した純“王国産”のワインが楽しめる。2016年には3万本を出荷した。

8月に収穫を終えたブドウ畑。うかがった前週の大型台風によって、この畑まで潮をかぶったそう。キャンベル・アーリー、ナイアガラ、マスカット・ベリーAを育てている。

軽やかな味わいの五島ワイン。ワインの製造に携わる移住者も募集中だ。

次の訪問先へ向かう間に、福江島のシンボルである鬼岳へ寄り道。天文台もあり、晴れた夜には満天の星空が頭上に広がるという。毎年ゴールデンウィークには凧揚げ大会が催され、名物である五島ばらもん凧が空に舞う。

この冬の西和賀は、
演劇とアートがアツい!
〈ギンガク〉企画委員
髙野由茉さん

西和賀にんげん図鑑vol.8 髙野由茉さん(ギンガク企画委員)

「西和賀にんげん図鑑」vol.1の小堀陽平さんが運営に携わっている、
演劇専用の〈ギンガク(銀河ホール学生演劇合宿事業)〉は、来年の冬、7年目に突入する。
その企画委員として小堀さんとともに活動しているのが、髙野由茉さんだ。
日本大学芸術学部3年の時にギンガクに参加し、
その後、企画運営に関わって実家のある東京と行き来しているうちに、
「西和賀に住んだほうが、運営がスムーズかも」と、今年7月に移住。
11月中旬にはさっそく「豪雪」の洗礼を受けながらも、
これまでの経験や大学での学びを生かし、充実した日々を送っている。

「町内の人たちからはお米や野菜をいただくなど、本当にお世話になっています。町内産の野菜は味が濃くておいしいんですよ」と、西和賀の暮らしにすっかりなじんだ様子。

あったまる!
北国の知恵が生んだ
冬の定番料理、
西和賀流「納豆汁」

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、西和賀のローカルフード「納豆汁」を紹介。
また、「発酵」をテーマにしたツアーの案内もありますので、
雪国の暮らしに興味のある方は、ぜひ最後までご覧ください。

西和賀の冬、納豆汁が元気の源に

12月も半ばを過ぎると、西和賀町一帯はすっかり雪に覆い尽くされる。
長く厳しい冬を健康に過ごすための料理として、
この地域で昔から食べられてきたのが「納豆汁」だ。
納豆独特のねばりが味噌に溶けこんで、とろっとして冷めにくく
寒さで冷えた体を芯から温めてくれる。

納豆汁そのものは、西和賀町だけでなく秋田県や山形県など、
北国の冬料理としてなじみ深いのだが、
西和賀流の納豆汁は、納豆をすり鉢でしっかりすり潰してから入れるのが特徴。
果たして、どんな風につくるのか? まちの料理名人、山本郁子さんの家を訪ねた。

料理好きの山本さんは「ちまき料理」で岩手県から認定された食の匠。2017年には、厚生労働大臣賞食生活改善事業功労者の表彰も受けている。

出迎えてくれた山本さんが、さっそく納豆汁づくりに取り掛かる。
「昔から大きな鍋でたっぷりつくって、家族みんなで2〜3日かけて食べたりしたものです」
そう話しながら、手は休むことなく具材の下ごしらえを進めていく。
主役となる納豆は、すり鉢を使って丁寧につぶすのがポイントだ。
混ぜている間に、納豆の糸がきめ細かく泡立ってくるのだが、
よく混ぜることで納豆菌はより活性化し、
血液がサラサラになることで知られる「ナットウキナーゼ」が豊富になるという。
まちの自慢のワラビやキノコなどの具を、たっぷり入れた納豆汁は食べごたえも十分。
昔は、自家製の豆腐や納豆、味噌などを使うことも多く、
保存食を上手に生かした雪国料理のひとつとして、各家々に伝わってきたそうだ。
お隣の横手から嫁いできた山本さんがつくる納豆汁は、秋田県横手流。
定番料理だが、少しずつつくり方が違っているのも家庭料理らしい。

山本さんお手製の大根漬けとたまご寒天。寒天づくりが盛んな秋田県横手の食文化は、山を越えて西和賀にも健在!

【納豆汁のつくり方】※山本さん家の場合

■材料(約10人分)

納豆…2パック(1パック約100グラム)

煮干し…5〜6個

芋の子…大7〜8個

油揚げ…5枚

ワラビ水煮…1袋

豆腐…1丁

味噌…適量

サワモダシ、ナメコ…適量

ネギ…適量

1. 鍋に煮干しと人数分の水を入れ、適当な大きさに切った芋の子とともに火にかけて沸かす。

2. その間に、納豆をすり鉢で泡立つくらいにすり潰す。
少量のお湯を加えるとすり潰しやすくなる。

3. 油揚げを細切りにし、1のだし汁に加えて弱火で煮る。

4. 芋の子が煮えてきたら、1~2センチ程度に切った
ワラビ、サワモダシ(ナラタケ、ボリとも呼ばれる)やナメコを入れる。

5. ひと煮立ちしたら味噌を溶き入れ、サイコロ状に切った豆腐を入れる。

6. すりつぶした納豆をゆっくり回し入れ、沸騰する前に火を止めてできあがり。

7. お好みで刻んだネギなどを乗せていただく。

すりつぶした納豆が味噌と溶けあって、まろやかなコクを生み出している。

「最終的にはAIも喜ばせたい!」
どんな無理難題でも
受け付けてくれる〈ヘンカ〉流
デザインコンサルとは?

型にはまらない「やり方」を生み出す

ホームページを見てみると、
「これってヘンかな? でもオモシロくないですか?」
という会社コンセプトが示されている。
その「ヘンかな?」から取って〈ヘンカ〉という会社名。
ここからでもただものではない雰囲気を感じる。
その秘密を探るために、
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚淳さんとともに、
〈ヘンカ〉代表取締役の宇田川直哉さんを訪れた。

渡すその場でハンコを捺していく名刺。「ハンコの人と覚えてもらえればうれしい」

〈ヘンカ〉は平たく言えば、デザインコンサルティング会社だ。
しかしそのあり方は、世の中にたくさん存在する既存のそれとはまったく異なる。
宇田川さん自身も、前職はデザインコンサル会社に勤めていた。
だからこそ2013年に〈ヘンカ〉を立ち上げたとき、差別化が必要だと感じた。

「暗中模索と無理難題やります」
といきなりデザイン業界らしからぬワードを切り出してきた宇田川さん。
実際に無理難題な依頼が舞い込んでくるという。

「たとえば『社員にやる気がないのでどうにかしてほしい』
という依頼を受けたことがあります。
私たちは、これもデザインの範疇と考えています」

デザインコンサルは、
デザイン思考から生まれた作法などをビジネスに落とし込んで
企業に提示していく仕事。
その点では共通しているが、〈ヘンカ〉では既存のものではなく、
新しい視点や考え方を提示していく。
しかもクライアントに合わせたオーダーメイドなので内容も千差万別。
その都度、新しい「やり方」が生み出されるから、事例もそれぞれ特徴的になる。

何でも図式化して説明してくれるのでわかりやすい。

「スマートフォン関連の新しいアイデアがほしいという依頼を
ワークショップ形式で開催したときのこと。
場とみんなの頭がなかなかほぐれませんでした。
ちょうど男性しかいなかったので、
『みんなでガールズバーにでも行ってアイデア出しをしましょう』
と提案しました。
実際に訪れて、女性たちにデザインロジックの話をそのまましても、
当然通じません。そこで初めてリテラシーが違うことや、
ユーザーとの距離感を感じてもらうことができました。
自分たちだけでは絶対に出てこないアイデアも生まれましたよ」

クライアントに喜んでもらえるなら、どんなやり方でも構わない。
もうひとつの事例。

「放送チューナーをデザインする機会がありました。
担当の方がボタンの押し心地にすごくこだわっていました。
クライアントは押し心地のイメージは持っているようでしたが、
「ボタンのプロ」ではないし、感覚的なことを言語化するのは難しい。
『それではこちらもわからない』と言ってしまうのは、
簡単だけどまったく意味がありません。
それよりも『一緒に家電量販店の上から下まで
ボタンを押しまくりに行きましょう』と提案しました。
結局、すごく安いDVDプレイヤーの押し心地が最高って話になりましたが(笑)」

貝印・大塚淳さんと話す「感覚のデザイン」について。

こうした事例を聞いていると「そんなこと、すぐに簡単にできる」
と感じるのではないだろうか。
しかし、大企業になるほど「やらない」という選択をするだろう。
社内で真面目に「ガールズバー会議」や「家電量販店ツアー」を企画しても、
実現することはきっと少ない。
しかし外部のコンサル会社が提案してきたのであれば、
外部刺激として認められやすい。だからこそ、そこにチャンスが生まれる。

「私たちは既存の手法を利用するのではなく、
プロジェクトごとに生み出していきます。
もしその手法が企業内で確立されたら、
それはクライアントのオリジナリティになっていくと思います。
ゆくゆくは共通項を探りたいとは思っています」

UXを重視したサービスやアプリのデザインなども行っている。写真提供:HENKA

下田〈まとい〉。
地元民が隠しておきたい名酒場。
本物の下田の魚を
芋焼酎の炭酸割りで

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。
第1回 大阪〈天満酒蔵〉

旅の醍醐味はローカル酒場!
全国おすすめ酒場探訪記 静岡・下田編
移住した夫婦が見つけたローカル酒場とは?

熱海から伊東、伊豆高原を経て、伊豆大島を眺めながらさらに南へ。
美しい東伊豆の海岸線に沿っていくつものトンネルを潜り抜け、
標高約180メートルのかわいい“下田富士”が見えれば、終点・伊豆急下田駅に到着です。

きょうの案内人は、津留崎鎮生(しずお)さんと、
コロカルでも活躍するフォトグラファーの徹花(てつか)さん夫妻。
ふたりはこの4月に生まれ育った東京から下田に移住してきたばかり。
その暮らしぶりは夫妻交互に綴られる連載記事でわかってはいたものの
新しいホームタウン・下田で会うのはきょうが初めてです。

下田のひもの横町

ここは干物屋が軒を連ねる“ひもの横町”。下田のまちにはこんな懐かしい光景がそこかしこに残っています。写真が趣味の〈山田ひもの店〉のご主人と思わず話し込んでいるのが、きょうの案内人・津留崎夫妻。

下田といえば、南伊豆を代表する観光と漁業のまちですが、
津留崎夫妻の連載ではいわゆる定番の観光名所は出てきません。
そのかわり暮らしのなかのワンシーンに映り込んだ、
海や山のなにげない風景が驚くほど美しく、
下田というまちの豊かさが自然と伝わってくるのです。
ふたりがお気に入りのローカル酒場〈まとい〉も、
伊豆急下田駅のすぐ近くとはいっても国道沿いで、
観光客がそぞろ歩くエリアとは逆方向。
こんなところに酒場が? と思う地味なロケーションや、
そっけないようで、どこか粋な店構えは、
いかにも酒好き夫婦が行きつけにしそうな気配が漂っています。

まといの入り口には渋い暖簾が

お品書きを見るお二人

芋焼酎の炭酸割りを頼んでからお品書きを検討中。下田でのソトノミはいつも一緒という仲の良いふたりです。

もともとリゾートホテルより、民宿に泊まって、
地元の人と交流するのが好きだという津留崎夫妻。
移住先を探す旅や移住後の生活でも頼りになったのは、
行く先々で縁あって出会った人から得た情報でした。
「この店を訪れたのも、こども園のパパ友からの情報がきっかけで、
奇をてらわない料理をおいしく食べさせる、
酒好きの人じゃないと知らない店だよと教えてくれて」(鎮生さん)
「どんな店だろうとふたりで来てみたら、
“お父さん”がいきなり、このカツオの刺身、食うかって。
それがとてつもなくおいしくて驚いたんだよね」(徹花さん)

きょうも何を頼もうかと迷ってはみたものの
やはりご主人おすすめのものがいいと、おまかせすることに。
「ウチはありきたりのものしかないけどいいの?」と言いつつも
ご主人は丸のままのカツオを鮮やかにさばき始めます。

ご主人イチオシのきょうの刺身

ご主人イチオシのきょうの刺身はどちらも下田産で、カツオもアジも見事な色艶。下田では刺身で食べるのにちょうどいい、あっさりめのカツオが1年中とれるのです。刺身はどれも1人前800~1000円が目安。

渡辺利男さん

「やっぱりおいしい!」と喜ぶふたりを眺めるご主人の渡辺利男さん。「若いっていいなと、このふたりを見ていると思うよ。夫婦仲がいいしね。美しいよ」。ちなみに、ここの常連さんは60代がメイン。“下田一、入りにくい居酒屋”と言われることもあるとか。

子育てもワインづくりも諦めない!
愛するものを育むための移住。
井下奈未香さん

徳島県初のワイナリーを成功させる!

取材班との待ち合わせ場所にやってきた井下奈未香(いのした・なみか)さんは、
つなぎを身にまとい、長年農に従事する人といった出で立ちだった。
彼女の手がける作物は、ブドウ。といっても食べるためのものではなく、
ワインをつくるためのもの。
ワインに惚れ込んでソムリエの資格を取得し、
奈良市内でワインショップを営んでいた奈未香さんは
結婚を機に30代半ばで徳島県三好市に移住した。
現在、長年の夢だったワイナリー設立に向けてブドウ栽培をしている。

市役所やスーパーなどがある市の中心地から車で約20分。
山を上がったところにある集落にたどりつくと、
谷を挟んだ向かいの山の上にも人の営みが見えた。
3年前、彼女はそのような傾斜地の一角に、ワイン用のブドウを180本植樹した。

3年前、奈未香さんが奈良から徳島に引っ越すことを決めたとき、
ワイナリーを始めると周囲に伝えたら、無謀だと大反対されたそうだ。
なぜなら、これまで徳島県でのワイン用ブドウ栽培に関する前例がなく、
どの品種がこの土地で栽培できるのか予想がつかなかったから。
ブドウが苦手とする湿気の多い土地ということで、周囲には先の苦労が目に見えていたのだろう。

「絶対無理、やめとけと言われるほど、やる本人が無理とは言っていないから大丈夫、
と思うようにしました。確かに、カビ系の病気や虫とは日々格闘していますけどね」
奈未香さんは、まずはブドウを家族として扱い、ともに暮らしていく生活を目指した。
基本的に肥料や農薬は使わないが、病気の予防には気をつける。
「土もブドウも日々見続けていないと相性が良いとか悪いとかわかりません。
植えてしばらくのブドウは赤ちゃんと一緒なんです。
必要に応じて薬をあげるなど対応してあげないと。
だから、こういう育て方でこんなワインにしてやると決めつけないことにしています」

奈未香さんのブドウ畑の周囲には、牧歌的な風景が広がっている。雨が多いとされる三好でも、この場所はなぜか少ないと土地のおばさんは言い切るのだとか。

幸いなことに畑を借りた緩やかな傾斜地は、四季を通して寒暖差があり、
北東から風が抜ける。ブドウ生産の条件として、まったくダメというわけではない。
定植して3年目を迎えた今年は8月にヤマソーヴィニヨン15キロを収穫し、
10月初旬に試験醸造を終えた。
来年には、徳島県初のワインがリリースされる予定だ。
現在はたったひとりですべての作業を行う彼女だが、
どんな作業もうれしくてしょうがないと笑顔を見せる。
「ワインのためと思うと苦労は感じないですね。自分でやりたいことをやっているから」

25歳のときに出会ったワインで人生が変わったという奈未香さん。ワインとともに生きることを信条としている。ソムリエの資格取得のほか、大阪の飛鳥ワイン株式会社のワイナリーで研鑽を積む。「ワインに人生を溺れさせたいんです」

日本固有の品種、ヤマソーヴィニヨン。親に日本固有の品種が入っていると育てやすいかもしれないとのことで選んだ。そのほか赤ワインはピノ・ノワールも栽培。白は甲斐ブランとリースリングを植えている。1本の木からできるワインは1本半。ブドウのいのちはひと粒たりとも無駄にできない。

九州新幹線〈つばめ〉
生みの親・水戸岡鋭治が考える
足し算のデザインとは?

これまで5シーズンにわたって、
持続可能なものづくりや企業姿勢について取材をした〈貝印×コロカル〉シリーズ。
今回からは、刃物やキッチン用品などの
商品企画・デザインを手がける貝印株式会社のスタッフが、
コロカル編集部と共に日本全国の未来志向のクリエイターを訪ねて、
ものづくりの技術から、デザインフィロソフィー、
ビジネススキームの話まで引き出していきます。

公共デザインが感動体験の元になる

九州新幹線800系〈つばめ〉やクルーズトレイン〈ななつ星 in九州〉など、
JR九州の鉄道関連の仕事で有名なデザイナーの水戸岡鋭治さん。
最近では横浜駅から伊豆・下田まで走る豪華列車〈ザ・ロイヤルエクスプレス〉などの
デザインも手がけた。

昨年、長良川鉄道の観光列車〈ながら〉を手がけたときは、
食堂車の展示スペースに物販コーナーを設け、貝印の商品を陳列して販売した。
列車が走る場所の地域性を考える水戸岡さんだけに、
岐阜に拠点を置く貝印の商品は適していた。

週末を中心に運行している長良川鉄道の観光列車〈ながら〉。

〈ながら〉もり号の客室イメージイラスト。

「包丁などの製造から始まったメーカーだと思いますが、
今では美容ツールにも進化している会社ですよね。
うちでも鍋を使っていますよ」と水戸岡さん。

実際にその〈ながら〉に乗ったという
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さんは、
なんとお子さんが水戸岡さんの大ファン。
毎晩、水戸岡さんの著作『ぼくは「つばめ」のデザイナー』を読み聞かせしているという。
そこで、貝印としても、大塚さん個人としても縁の深い水戸岡さんを訪ねた。

大塚さんが持参した水戸岡さんの著作『ぼくは「つばめ」のデザイナー』。

2004年3月に生まれた九州新幹線800系〈つばめ〉。

水戸岡さんはもともとイラストレーター。
しかし次第にJR九州の車両デザインの仕事に携わるようになり、
以降、話題となる列車デザインを数多く手がけている。
水戸岡さんの話を聞いていると、すべてが当たり前のようで、だからこそ普遍的。
突き刺すようなことではなくボディブローのように効いてくる。
「ミュージシャンズ・ミュージシャン」ならぬ
「デザイナーズ・デザイナー」という言葉があるならば、
水戸岡さんのような人を指すのではないか。デザインの職人とも思える。

九州新幹線800系〈つばめ〉の木製シートを配したゆとりのある座席イメージ。

水戸岡さんのデザインは、いわく「自己表現ではなく代行業」。
すべては利用者や公共のためである。

「お客様にとっては、美しく、楽しく、おもしろく、
リーズナブルでなければなりません。
しかし、それらをただ積み重ねていくだけだと予算が膨らんでしまいます」

予算もスケジュールも決まっているなかでどうしていくか。
その答えは、自分たちでやること。そしてその能力をアップしていくこと。

「能力をアップするためには、まずは知ることです。
人より多くの色を知っている。多くの形を知っている。多くの素材を知っている。
多くの経験がある。長く生きている、とか(笑)」

いまでも全国を飛び回っている水戸岡鋭治さん。

たとえば電気屋さんは電気パーツや配線に詳しいし、
八百屋さんはたくさんの野菜や調理法を知っている。
同様に、デザイナーはデザインの要素(言語)を人よりたくさん知っていなければならない。

「経験といっても、ただの経験ではなく成功体験・感動体験でなくてはなりません。
その数がその人の感性に比例します。
人は感動体験を求めて生きています。思い出の量が人生の幸せをつくるといえます。
すると人にもいい思い出になる感動体験を提供したくなる」

利用者の立場に立つということを徹底している水戸岡さんだが、
それでも迷ったり、ブレてしまったりしそうなときは、
「子どもたちのため、次世代のため」と考える。

「子どものときにどういう環境だったか、
どういう人、コト、モノの経験をしたかというのは、
一生を左右する可能性があります。
無意識で見たもの、聞いたもの、感じたものが掘り起こされるのです。
ぼくたちは最高の舞台をつくる義務があるし、
子どもたちはそれを享受する権利がある。
人は感動的な舞台だと、おのずと演技をしてしまうものです」

人はいい環境を与えられると、みずから成長する。
するとその体験を伝えるため、次代にも好環境が整う。
こうしたスパイラルをつくるのもデザイナーの役割なのだ。

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。

旅の醍醐味はローカル酒場!
全国おすすめ酒場探訪記
大阪〈天満酒蔵〉
焼酎の水割りと
どて焼で上手にせんべろ

地元の人にこよなく愛される酒場はまちの宝もの。
ローカル色豊かなおいしいおつまみや、ご主人とお客さんの雰囲気、店の佇まいなど、
思い出すと心がほんのり温かくなるような店を
“酒場LOVE”な案内人の方々に教えてもらいました。
旅先のソトノミガイドとしてもご活用ください。

活気あるアーケード商店街が今宵のプロローグ

きょうのローカル酒場〈天満酒蔵(てんまさかぐら)〉がある天神橋筋商店街は、
大阪に夏を告げる天神祭で知られる大阪天満宮への参詣ルート。
南北約2.6キロの“日本一長いアーケード商店街”として有名ですが、
もともと天満は市場のまちとして大阪市民に親しまれてきました。
江戸期の青物市場由来という伝統を持つ「天満市場」も
通称“天五(テンゴ)”(天神橋筋5丁目)のビルの中に健在。
市場の周りは、いま大阪でも注目の居酒屋激戦地でもあるので、
夕方の天満駅界隈は、買い物客と飲み目当ての人々でものすごい熱気です。

天五商店街

「天五商店街」。JR大阪駅から電車でひと駅とは思えないローカルな雰囲気です

この賑わいのなかを歩いて間もなく〈天満酒蔵〉に到着。
いまや“飲み歩きが楽しいまち”としても知られる、
天満を代表する昭和44年創業の大衆酒場です。
表にはずらりと赤提灯が並び、まるで映画のセットのよう。
暖簾の奥にちらりと覗く長いカウンター席がいい感じです。

〈天満酒蔵〉の入り口の暖簾

カウンター席に座る岩瀬さん

到着した岩瀬さんはカウンター席でも“板場前”をさっそく確保。この席は“天満のフラットスリー(後述)”を見るための特等席。旧知の女将・岡 牧子さんにご挨拶。

この〈天満酒蔵〉の案内人は岩瀬大二(だいじ)さん。
お酒の楽しさを伝えるライター&ナビゲーターだけに
日本各地のローカルな酒場を数多く訪れていますが、
なかでも印象に残ったのがこの〈天満酒蔵〉だそうです。

「ここは最初、友人に連れてきてもらいましたが
第一印象としては“キレイ”だなと。
このカウンターもそうですし、暖簾もお品書きも清潔感がある。
大衆酒場にありがちな雑多で乱雑な印象がない。
確かに建物は古いでしょうけど、古臭くはない。
それでカウンターに座って、女将さんを見て納得したんです。
ああ、この人の店ならそれもわかるなと。
女将でもママでもない。マダムと呼びたいくらいですね」
そんな岩瀬さんの第一声に、女将の岡 牧子さんはあっさりと
「お母さんでも、おばさんでも、マダムでもお好きに呼んでくださいな」

岡牧子さん

岡 牧子さん。女将・板場担当。元は香川県のお菓子屋のお嬢さん。20歳で嫁いで大阪・天満の酒場の女将に。実家ではご飯も炊いたことがないのに、見様見真似でご主人・正夫さんをサポートして40年以上。4年前に正夫さんが足を痛めて引退後は、替わりに板場に立ち、的確な目配りと采配で全58席を切り盛りしている。伝票チェック用に大事な赤鉛筆を胸ポケットに入れ、ネックレスと眼鏡でさりげなくおしゃれに。

カウンター内の“フラットスリー”の機敏な動きが、居心地のよさを感じさせる

〈天満酒蔵〉は、地元の人が気軽に普段使いする大衆酒場。
ビール大瓶350円、おつまみ100円からという低価格で、
昼の11時から23時までノンストップの営業です。
イラチ(せっかち)な大阪人を相手にするからか、
オーダーを頼んでから出てくるまでが、驚くほどスピーディ。
いまはたまたま空いてはいるものの、全部で58席と大きい店が満杯になると、
どんなに慌ただしくなるのでしょうか。

「それがこの店だと満席でも不思議と慌ただしく感じない。
むしろお客さんも含め、非常にスムーズな印象です。
大阪の人の早めのテンポに合っているというか。
特に、この“板場前”の席から見える3人。
母、息子、娘の家族3人はカウンター内を完璧に守っている。
自分の持ち分をきっちり守る仕事ぶりと、
お互いを阿吽の呼吸でカバーし合うフットワークの見事さ。
この3人を眺めながら飲むのは本当に楽しい。
ここのカウンター席はスペシャルシートなんです」
3人をフラットスリー(サッカー・トルシエジャパンのDF戦術)と名付け、
岩瀬さんは密かにカウンター席から応援しているのです。

一升瓶のボトルキープがずらり

黒よかいち〈麦〉一升瓶のボトルキープがずらり。女将が100均で買ってきたかわいい目印が。これも素早くお客さんにボトルを渡すための工夫。

岡利信さん

岡 利信(としのぶ)さん。鉄板焼、関東煮(かんとだき・おでんのこと)担当。入口脇で黙々と仕事に専念する“お兄ちゃん”。その集中力は非常に高いが、お客さんと話すのはちょっと苦手。この店では焼き鳥も鉄板焼。「ウチは専門店でないし網で焼くより早くお客様に提供できるんです」(牧子さん談)。

〈巣鴨養蜂園〉髙橋正利さん
ふるさとでスタートした
第二の人生は、
ミツバチに捧ぐ

西和賀にんげん図鑑vol.7
〈巣鴨養蜂園〉髙橋正利さん

自然豊かな西和賀町の中でも特に山深い、南本内岳ふもとの本屋敷地区。
西和賀町湯田出身で、巣鴨養蜂園のオーナーである髙橋正利さんは、
春から秋にかけてここに数十箱の西洋ミツバチの巣箱を置き、はちみつを採る。

冬はミツバチを千葉県で越冬させ、自身も東京・巣鴨の自宅へ。
平日は千葉に通ってミツバチに給餌したり様子を確認し、
週末は販売担当の娘さんとともに都内のイベントに立つ。
西和賀と東京を行き来しながらの、娘さんとの二人三脚の日々に、苦労は少なくないが、
それ以上にやりがいや楽しさがあり、幸せも感じる。

周囲を森に囲まれた養蜂園。ミツバチたちは、桜の開花時期から11月頃まで、山桜、藤、トチ、クロバナエンジュ、菩提樹、アカシアなどの蜜を集める。

ひとつの巣箱に約4万匹の西洋ミツバチが入っている。

今から10数年前、「銀座ミツバチプロジェクト」に参加して
養蜂を勉強したことをきっかけに、趣味として自宅で日本ミツバチを飼い始めた。
そのうち、「多い年には15キロも採蜜できた」ほど、養蜂の腕前は本格的に。
一方で同じ頃、退職後の生き方を模索するようになっており、
「ふるさとの西和賀は森が豊かで養蜂に向いているので、生業にできるのはないか」
と考え始める。
ただ、採蜜量が少ない日本ミツバチだとビジネスとしては難しい。
そこで、プロジェクトで知り合った養蜂の仲間たちに西洋ミツバチの養蜂のやり方を教わり、
3年前、東京消防庁を早期退職して養蜂園を立ち上げたという。

巣鴨養蜂園のオーナーの髙橋正利さん

「自分ひとりでやるのだから、徹底的に質の高さにこだわったはちみつをつくりたい」
そう考えた髙橋さんは、「隔王板(かくおうばん)」を使った採蜜方法を取り入れた。
隔王板とは隙間の空いた板で、これで巣箱を上下に仕切り、
上の蜜採り専用箱と下の子育て専用箱に分ける。
身体の大きい女王蜂は上の箱に移動できないので、
上の箱に卵やさなぎ、ハチの子などが混ざることはなく、
また働き蜂ははちみつを上に貯める習性があるので、
上の箱には純粋なはちみつだけが貯まるという仕組みだ。
手間がかかり採れる蜜の量も少なくなるが、
ピュアなはちみつをつくるためにあえて選んだという。
また、せっかくピュアな蜜を採っても、
巣箱のある現場や屋外でそれを絞るとほかの昆虫が混ざる可能性があるので、
絞る作業は、巣箱がある場所から車で15分ほどの屋内作業場で行う。
これもまた、純粋で質の高いはちみつをつくるためのポイントだ。

巣箱から引き上げた貯蜜枠。隔王板の効果で、さなぎなどがついておらず、きれい。

歩いて、眺めて、満喫。
西和賀の山を
ベテランガイドとともに巡る

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、おいしい食べ物や美しい自然風景など、
私たちにさまざまな楽しみをもたらしてくれる「山」のお話。
山岳ガイドの方に、西和賀の山の魅力を教えていただきました。

春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉。
町内すべての山で、「ブナの原生林」が堪能できる

西わらびやビールなど、西和賀のおいしい食は、清らかな水によってもたらされる。
その清流の「母体」となるのが、奥羽山系にある町内の山々だ。
西和賀の山の魅力はバラエティに富んでいるが、
「すべてに共通するのは、ブナの原生林が楽しめること」と話すのは、
西和賀登山ガイドの会の駒ヶ嶺能弘さんと高橋勇一さん。
ともに登山歴数十年というベテランで、依頼に応じて、
ほかの会員と分担しながら町内の山のガイドを務める。
ふたりによると、ブナの原生林では、春のみずみずしい新緑、夏の繁みの深緑、
秋の錦絵のような紅葉と、季節ごとにさまざまな色が楽しめるという。

そして西和賀の山にはもうひとつ、
「標高はさほど高くないが、急勾配の箇所が多い」という共通点がある。
「ですから案内する登山客の中には、『こんなにキツイとは思わなかった』と
驚く人もいるんですよ」と駒ヶ嶺さん。
実はふたりに話を聞いた際、ほっとゆだ駅の裏手に位置する
〈カモシカハイキングコース〉を案内していただいたのだが、
名前のようなのどかなコースではなく急な坂道が続き、思いのほか汗が吹き出た。
これこそ西和賀の山の縮図なのかも……。
標高が高くなくても、油断は禁物、ということだろう。

「ハイキングコース」のイメージとはちょっと異なる坂道だが、駒ヶ嶺さんと高橋さんの足どりは軽い。

川尻保育園脇からスタートして5分ほど登った場所からの眺望。その眺めの良さに、道中の疲れが吹き飛ぶ。

西和賀登山ガイドの会の駒ヶ嶺能弘さんと高橋勇一さん。ともに若い頃から登山を趣味にしており、平成25年のガイド養成講座を受講後、翌年3月に発足した同会の会員として活動している。

ほかにはない、この山ならではの花も!
「お花畑」で高山植物を楽しもう

一方で、バラエティに富んだ魅力を持つ、西和賀の山々。
例えば、町の南端に位置し、栗駒国定公園内にある町内最高峰の南本内岳(1486メートル)は、
高山植物が咲き乱れる「花の山」だ。
夏でも一部に雪が残る中腹の「お花畑」では、ミズバショウ、ハクサンチドリ、
リュウキンカ、キヌガサソウ、ヒナザクラなどが咲き誇る。
そのうちキヌガサソウは、花びらと、花の周囲に生えている大きな葉の数が同じという
ユニークな植物で、町内ではここだけに自生するとのこと。
「花びらと葉の数は地域によって違うようで、ここは7枚。
南本内岳ならではの植物といえるでしょう」と駒ヶ嶺さん。
さらに山頂付近にも「お花畑」があり、そこではチングルマ、ミヤマダイコンソウなど、
中腹とは違う植物が楽しめるという。

南本内岳の高山植物「キヌガサソウ」「ハクサンシャジン」など  撮影:駒ヶ嶺さん

そんな花好きにはたまらない南本内岳だが、
「実は今から40数年前までは無名峰で、登山道もなかったんですよ」と
高橋さんが教えてくれた。
駒ヶ嶺さんが登山客を案内する際に使う
『西和賀の自然と文化シリーズ12 西和賀の高山植物102種』
(西和賀エコミュージアム 西和賀町企画課発行)によると、
昭和48年、当時の湯田山岳会会員が、
国土地理院が作成した地図に名前のない高い山があることに気づき、同会が現地調査。
その結果、前述のような美しいお花畑や頂上からのすばらしい眺望が報告され、
公募により〈南本内岳〉と命名されて登山道が整備されたという。

南本内岳の山頂から真昼岳〜和賀岳を望む。眺望がすばらしい。 写真提供:西和賀町観光協会

町内北部に位置し、国の自然環境保全地域に指定されている和賀岳(1439メートル)も、
高山植物が楽しめる山だ。
山頂付近の稜線では、7月上旬から8月上旬にかけてニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、
ツリガネニンジンなどの花畑を目にすることができる。

残雪の中の花畑  写真提供:西和賀町観光協会

また、登山口から1時間30分から2時間ほど歩いたところにあるのが、和賀川の源流。
ここから錦秋湖へと流れる和賀川は、渓流釣りやアユ釣りが楽しめる清流として知られる。
「西和賀の水の豊かさ、美しさを感じてほしいですね」と駒ヶ嶺さんはアピールする。

さらに、和賀岳のもうひとつのお楽しみが、山頂からの眺望。
太平洋と日本海の分水嶺となっているため、
天気が良ければ、北に岩手山や秋田駒ヶ岳、田沢湖、東に早池峰山、
南に鳥海山や月山まで一望できるという。

秋の和賀岳山頂からの展望  写真提供:西和賀町観光協会

和賀岳の北側は、高下岳、根菅岳、大荒沢岳、沢尻岳などの和賀岳山塊が取り巻いている。
「中級者以上なら、貝沢登山口から登って
沢尻岳、大荒沢岳、根菅岳、高下岳へと縦走するコースもおもしろいと思います」
沢尻岳では眺望を、大荒沢岳や根菅岳では高山植物を、
高下岳では東北一の胸高幹周を誇る大ダケカンバなどを楽しむことができるそうだ。

秘境・祖谷の地域問題の解決策!?
フォレストアドベンチャー・祖谷
がオープン

祖谷の自然と戯れる、新たな観光スポット誕生

日本有数の激流、吉野川の上流に位置する徳島県三好市の祖谷(いや)地区。
昨今、祖谷への外国人観光客は2014年から1万人ずつ増えているという。
シラクチカズラでつくったかずら橋が有名だが、
四国一の名峰、剣山や世界的に有名なラフティングの聖地、吉野川もある。
日本らしい原風景の残る秘境を求めて国内外から多くの観光客がやってくる、
それが現在の祖谷の姿だ。

吉野川の渓流で行われるラフティング。今秋には世界大会も行われる。(写真提供:馬場秀司さん)

アウトドア好きが高じて吉野川に魅了され、この地に移住をした馬場秀司さんは、
祖谷でラフティング会社〈ゴーゴーアドベンチャー〉を営んでいる。
クオリティの高いフィールド、そして安全性を求めて
世界中からゲストがやってくるため、
山城地区に彼らを受け入れるゲストハウス〈モモンガビレッジ〉までつくってしまった。
それだけでは飽き足らず、祖谷の自然を山から谷まで遊び尽くす
自然共生型アウトドアパーク〈フォレストアドベンチャー〉を誘致、
この夏、7月29日にオープンさせたのだ。
三好市山間部の魅力を知り尽くす馬場さんが始めた施設とのこと、
ここでしかできないようなおもしろい体験ができるに違いない。

ちなみに祖谷は、徳島空港、高知空港、高松空港からの
いずれからも車で1時間半ほどの移動でアクセスできるという非常にアクセスがよい場所だ。
〈フォレストアドベンチャー・祖谷〉は
ミュシュラングリーンガイド2つ星で紹介されている祖谷街道(県道32号線)沿い、
祖谷ふれあい公園内にあった。

まずは、大きなログハウスにある案内所で受付をし、トレーニングを受けたスタッフに安全器具を装着してもらう。スリル満点のコースだけに安全第一。山の向こうの手前に祖谷川を渡る橋がある。

森の中にあるアスレチックコースは5つ。
すべてのコースを回って、速い人でおよそ2時間かかる。
スケールや難易度も含め、いったいどんなものかわからないまま
祖谷川を渡ってフィールドに向かうのは、ミステリーツアーに参加する気分だ。
傾斜のある深い谷ならではの自然の地形を生かした本格的なアスレチックコースは
四国では初めてだとか。期待に胸は高まる!

“当たり前を疑う”のは難しいこと?
〈ヨシオグッドリッチデザイン〉は
いつものフォークをこう変えた

ハードルが高いとされていたカトラリーのデザインに挑戦

2010年に発売された〈DRESS〉というカトラリーのシリーズがある。
スプーンやフォーク、ナイフなど、
全体にデザイン柄が施された斬新なデザインで人気となっている。
この〈DRESS〉は〈ヨシオグッドリッチデザイン〉の吉冨寛基さんが手がけたものだ。

カトラリーは〈貝印〉でも展開している商品。
特に〈貝印〉の根幹である金属加工で
ユニークな商品を生み出しているアイデアの源泉を探るために、
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さんとともに吉冨さんを訪ねた。

「特に既存のカトラリーに不満があったわけではありません。
しかしもっと選択肢があってもいいのではないかと思っていました」と
〈DRESS〉誕生のきっかけについて語る吉富さん。
それまでもプリントや彫刻が施されたカトラリーはあったが、
すべて持ち手だけのデザインで、全体に施されているものはなかった。

「たしかに口に入れる先端部分にデザイン柄があるのは
なんとなくイヤという声はありました。でもやってみないとわからないので。
実際にやってみると一体感が出て、
ひとつの商品として溶け込んでいると思います」(吉冨さん)

〈ヨシオグッドリッチデザイン〉の吉冨寛基さん。

〈DRESS〉のフォークを手で触ってみても凹凸はほぼ感じない。

もちろん微細なレーザー加工なので、口に入れても違和感はない。
しかし“それまでになかった”という理由を打破するには、つくってみるしかない。
すると店頭で「キャッチーでかわいい」という反応がみられることがわかった。

この点は、大塚さんも感心していた。

「貝印でも、たくさんスプーンをつくっています。
女性をターゲットにしようとすると、ピンクにしてみたり、わかりやすくしがちです。
でもそうではなく、醸し出すかわいさも必要ですね。
狙ってない感じを表現するのは難しい」(貝印・大塚さん)

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。

「デザイナー的に考えると、
白バックでバシッと撮るとかっこいいというイメージがありますよね。
でも世の中でそんなシーンはめったにない。だから使われ方も考えないといけません。
ライフスタイルのワンシーンを演出する。
そこまでユーザーに寄った提案もアリですよね」(吉冨さん)

「たしかに弊社ではカトラリーも包丁もある。
でもそれぞれ単体のイメージ出しが強いかもしれません。
統一したブランディングでシーンを見せるようなやりかたをしていけば、
次世代の商品を提案していけるかもしれません」(大塚さん)

新潟県の燕三条でつくられている。

ライフスタイルを想定してもらうのは有効な手法。
実際に〈DRESS〉は飲食店でも採用され、
プレートと合わせたイメージをつくることにも成功している。
どれだけデザインにこだわっていたとしても、使ってこそカトラリーだから。

〈水をたべるレストラン〉の
すべてから感じた
〈ミズカラ〉の大野愛

市民ユニット〈ミズカラ〉を中心に練り上げた打波古民家の夜

ここ数年、プロジェクトやイベントなどで、
水への感謝を伝えてきた福井県大野市。
特に食に関しては〈水をたべるレストラン〉と称したプロジェクトで、
さまざまな大野の特産品を紹介している。
ここでより大野の水と食を体感してもらおうと、
一夜限りのリアル〈水をたべるレストラン〉が開催された。(詳細は前編

会場は打波地区にある古民家。

このイベントを成功に導いたのは、〈ミズカラ〉という市民団体だ。
グラフィックデザイナー/映像作家である長谷川和俊さんが、
〈水をたべるレストラン〉のリアル版を開催したいと
大野市から相談を受けたところから始まる。

「この話を聞きながらすでに、今のメンバーの顔が思い浮かんでいました。
その日のうちに、みんなに声をかけたんです。全員即OKでした」(長谷川さん)

ミズカラのリーダーである長谷川和俊さんと高見瑛美さん。

「“自ら”や“水から”という意味をかけています」と言うのは
〈モモンガコーヒー〉を営む牧野俊博さん。
「水」というのはもちろん、「自ら」という由来に、彼らのモチベーションを感じさせる。

モモンガコーヒーの牧野俊博さん(右)。小屋などの設計担当である印牧拓朗さん(左)。印牧さんは、「次回は川床をやりたい」と意気込む。

ほかにもイベント会社勤務の桑原圭さん、工務店勤務の印牧(かねまき)拓朗さん、
フードユニット〈nishoku〉としても活動している村上洋子さんと三嶋香代子さん、
臨床美術士の広瀬美香さん、歯科衛生士の山田緑さん、
鉢植え作家の高見瑛美さんと、さまざまな職能のメンバーが揃った。

この企画の全体プロデュースを担当したのは、
料理開拓人として大阪でfoodscape!、全国でEATBEAT!を展開している
堀田裕介さん。しかし堀田さんは一歩引いた立場を取っている。

料理開拓人の堀田裕介さん。渓流好きが高じて大野通いに(!?)

「現地に実行委員会を立ち上げて、
そこを中心に進めていくのがいいと思っていました。
長谷川くんと出会って、彼に任せておけばうまくいくのではないかという勘は
見事に当たりましたね」(堀田さん)

具体的な料理の内容については、堀田さんが全体的な構想を練り、
〈nishoku〉というフードユニットの村上洋子さんと三嶋香代子さんを中心に
仕上げていった。

「僕たちがすべてを考えてしまうと、
僕たちがいなくなったときに何も残らなくなってしまうので、
できるだけ現地の人たちがつくり続けたい、発信したいと思うものにしたい。
あくまで僕たちはサポートのつもりです」(堀田さん)

〈nishoku〉の村上洋子さん(右)と三嶋香代子さん(左)。

川のせせらぎを聞きながら、
大野市の恵みをいただく。
古民家で開催された
〈水をたべるレストラン〉

水とともにある福井県大野市の食文化

周囲を山に囲まれ、市内にある4本の一級河川には滔々と水が流れている。
水が豊富であることを感じさせる光景が広がっているのが、福井県大野市だ。
おいしい水で有名なまち。
その恵みをもらって食物が育ち、水を使って調理し、市民は生活を潤している。

大野市では〈水をたべるレストラン〉という取り組みを続けている。
すべての「おいしさ」の源には大野の水があり、
水の恵みを得た食を発信していくプロジェクトだ。
そば、米、醤油、水まんじゅう、まいたけ、コーヒーなど、
どれも大野自慢の一品である。

この度、〈水をたべるレストラン〉のリアル版、
つまり本物のレストランが一夜限定でオープンした。
まさに「水をたべる」と言えるもので、
大野の水への思いを存分に感じさせるイベントとなった。

会場となった打波古民家は、緑豊かで静かな上流域にある。

このイベントは大野市と、料理開拓人として大阪でfoodscape!、
全国でEATBEAT!を展開し、全国で食のプロジェクトを推進している
堀田裕介さん、そして大野市の若手有志団体〈ミズカラ〉により実現した。

料理開拓人の堀田裕介さん。

まずは、市内の“水の現場”を巡った。
一番の水どころである〈御清水(おしょうず)〉は、
かつて武士がお米を炊く水を汲む場所として使われていたという。
現在でも、大野市民のほとんどは家庭に井戸を持っていて、
地下水を生活用水として利用している。

「上水道はあまり普及しておらず、井戸が8000本以上あります」
と大野市の湧水再生対策室企画主査の荒矢大輔さんが教えてくれた。
この〈御清水〉でそれぞれの水を汲んで、ツアー中の飲み水にした。

大野にたくさんある湧水地のなかで一番有名な〈御清水〉。

次に朝市で有名な七間通りにある〈南部酒造〉を訪れて、
日本酒〈花垣〉の飲み比べをさせてもらった。120年の歴史がある。
当然、地下水を利用して日本酒を仕込んでいて、
県外からも「水がおいしいから」と買いに来るお客さんも多いという。

地下水仕込みの〈花垣〉を飲み比べた。

〈南部酒造〉のすぐ先にある〈伊藤順和堂〉では水まんじゅうを試食させてもらった。
夏を感じる清涼感のある和菓子で、大量の水と葛で固めてある。
店主の伊藤嘉健さんは「水を食べているようなものです」という。
水への感謝が詰まったお菓子といえよう。

〈伊藤順和堂〉の水まんじゅうは夏の風物詩。

まちなかから少し走ると、田んぼと、大きな葉が特徴の里芋畑が交互に広がる
上庄地区にさしかかった。大野の特産はこの里芋だ。
訪れたのは明治からこの場所で里芋をつくっているという〈中村農園〉さん。
里芋の収穫期は9月下旬からなので、訪れた8月はまだこれから大きく成長していく時期。

「ここ数日、雨が降らなかったので、今日は畑に水を流します。
明日の朝、陽が出る直前に水を抜きます。すべて水のおかげです」
という〈中村農園〉の中村勝利さん。

〈中村農園〉の中村勝利さんは、この道50年以上!

中村農園の里芋でつくった、煮っころがしを試食させてもらった。
里芋の収穫期は秋なので去年の里芋だったが、とてもおいしい。
醤油、砂糖、みりんで皮を剥かずに煮るだけのシンプルな煮物だが、
大野の里芋は身がしっかりとしまっていて歯ごたえがあるので、
煮くずれしにくいという。

目の前を流れる水路には、すごい勢いで水が流れている。
秋の収穫後になれば、この水路に里芋洗い機が設置され、
大野各地で湧水で里芋を洗う様子を見ることができるだろう。