からくり人形はロボットの原点?
〈九代玉屋庄兵衛〉江戸時代から
続く人形師の家系の当主に聞く
名古屋に残るからくり人形
江戸時代初期から中期にかけて発展したからくり人形は、
お祭りにおいて山車の上で踊ったり、お座敷で遊ぶ玩具である。
江戸時代(享保年間)から続く、唯一のからくり人形師の家系である〈玉屋庄兵衛〉。
現当主は九代玉屋庄兵衛さんで、名古屋に工房を構える。
数多くの製造業者が拠点を構える名古屋を含む中部地方は、
ものづくりの精神が息づくエリア。
そんな地域に機械工学の原点のような技術が受け継がれていたとは関連性が深そうだ。
そこで同じく中部地方に本社を構える〈貝印〉の
商品本部デザイン室チーフマネージャーである大塚 淳さんと、
九代玉屋庄兵衛さんの工房を訪ねた。

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚淳さん、九代玉屋庄兵衛さん。
時をさかのぼって1733年。京都に住んでいたからくり人形師の庄兵衛は、
名古屋の城下で行われていた「東照宮祭」の山車のからくり人形を製作した。
翌年、玉屋町(現在の名古屋市中区)に移り住む。
その地名を取って玉屋庄兵衛を名乗ったのが、初代の玉屋庄兵衛だ。
現在でも愛知県には、150以上の「山車祭り」が残っている。
そのうち、からくり人形が舞い踊る山車は約140台。
それらの修理・復元の多くが、玉屋さんの元へやってくる。
九代玉屋庄兵衛さんは、オリジナルのからくり人形も製作。
まずは「茶運人形」が実際に動く様子を見せてもらった。

茶碗が「スイッチ」になっている茶運人形。
人形がお茶を持って“歩いて”くる。お茶を取り、飲んだ後に茶碗を戻すと、
Uターンして戻っていく。
1796年に細川半蔵頼直が残した『機匠図彙(からくりずい)』に記されていた機械図をもとに、
父親である7代目が復元したものだ。

『機匠図彙(からくりずい)』のレプリカ。
「図はかなり粗いものでしたので、7代目がかなりアレンジを施したようです。
一番難しいのは歯車。歯に対してタテの木目のみを使って、
8枚を貼り合わせていきます。横の木目だと、細い歯の先が割れやすい。
さらに木はその土地の湿度を受けて変化してしまうのので、影響を受けて変化しやすい」
と言う九代玉屋庄兵衛さん。

木目が美しく放射状に並んでいることがわかる。
木は部位に合わせて7種類を使用している。顔や手足はヒノキ、型枠や胴は山桜、
軸芯は赤樫、歯車はカリン、ほかに黒壇、柘植、竹と、強度や特性に合わせて木を選ぶ。
どのからくり人形も木製なので、当然、木に詳しくないといけない。
九代玉屋庄兵衛さんの代表作といわれるのが「弓曳童子」。
もともとは、江戸末期に田中久重が製作したものだ。
その図面は残っていなかったので、オリジナルを解体、採寸し、完全に復元した。
素材もすべて同じものを使用。製作には1年を要したという。
カタカタという音とともに、矢を1本1本親指と人さし指でつまみ、
弓につがえて狙いを定め、指を離して矢を放つ。
この淀みない一連の動きにはほれぼれしてしまう。
スムーズではあるが、リアルというのとはまた異なる味のある動き。
特に狙いを定めようと少し顎を上げたときの「表情」は、ぜひ動画を見てほしい。

指でしっかりと矢を掴む「弓曳童子」。
「からくりの機械構造は、動きを想定しながら考えるのですか?」
と貝印・大塚さんが聞く。
「理想は、人間の動きに近づけること。
たとえば、『乱杭渡り』は江戸時代からあるからくり人形で、
二枚下駄に乗って杭を上っていくというもの。
これを一枚下駄でつくることになりました。
人間が二枚下駄から一枚下駄になったときに、
どのようにバランスをとっていくかを考え、リアルな動きになるように考えました」
人間らしい動きをするから、愛嬌があるし、感情移入する。
目指すところは人間と同じ動きをすること。
現在のロボット開発がたどっている道筋と似ているような気がする。

「乱杭渡り」をする人形。

スケルトンになった茶運人形を見せてくれながら説明してくれた。