アーティストのような農家
〈キレド〉の野菜でつくる
フルタヨウコさんの北欧スープ

アーティストようで、博士のような農家

「これ、ちょっと食べてみてください」
差し出されたのは真っ青な唐辛子。
えっ……おそるおそる口にすると、あ、辛くない。
「スイートハラペーニョです、タネまで食べられるんですよ。甘いでしょう? 
次はこれ、かじってみてください」
割いたナス。生のまま……? なんと、甘くてみずみずしい。
「水ナスの元祖で、生でも食べられる泉州水ナスです。こっちはヒモナス。
もともと中国のもので水分を吸収するので炒めたり、麻婆ナスにぴったりなんですよ」

この日うかがったのは、千葉県四街道市にある農家〈キレド〉の畑。
お洒落な帽子を被った一見農家らしからぬこの男性が、キレドの栗田貴士さん。
1ヘクタールほどの畑で年に150種類もの野菜を育てています。
オーソドックスな野菜から見たこともない西洋野菜やハーブまで、畑にはさまざまな野菜が。

野菜の話をするのが楽しくて仕方ない様子の栗田さん。

栗田さんは美しい野菜をつくるアーティストのようであり、
野菜にとことん詳しい博士のようでもあり……そして何より“くいしんぼう”。
うまいもの好きが高じて農家になったという筋金入りで、畑にいると
「食べてみてください」「かじってみて」の連続。
どの部位をどんな風に食べるのがおいしいか、逐一教えてくれます。

それに負けないくらいおいしいもの好きの料理家、
フルタヨウコさんとともにキレドの畑を訪れ、採れたて野菜でスープをつくっていただきます。
キッチンは畑の一角に建つキレドの小屋。これぞファーマーズキッチンです。

千葉県の四街道駅から歩いて20分ほどの場所にあるキレドの畑。野菜はそのまま丸かじりしてもみずみずしくておいしい。

栗田さんの畑は野菜づくりの実験場

到着早々、畑を見てスープの材料を決めようと一同で畑へ。
夏真っ盛りの畑にはナスにトマト、オクラなど夏野菜が目白押しです。

まず目に入ったのは、黒い粒がつやつやと光っていてきれいなナス。
「これはブラックビューティー」と栗田さん。ナスだけで3種類。
真っ赤な赤オクラに緑のオクラ、巨大なトランペットズッキーニに、
ひょうたんのようなバターナッツ、と珍しい野菜に目を奪われます。

「生で食べてもおいしい」「アクの出ない野菜を」が、栗田さんの野菜づくりの基本。
肥料を与えすぎずミネラルを豊富に与えて野菜の本来の力を最大限に引き出すことを考えます。
手はかけすぎず、目をかけること。ピーマンを丸ごとかじりながら
「生で食べてもエグミがなくタネまで食べられるってすごいですよね」とフルタさん。

さらには「野菜の一生をみる」としてタネからつぼみ、
花も根っこもおいしければ食べる対象に。タネも根っこもそれぞれ、
その野菜本来の味がするのです。
エディブルガーデンならぬ、エディブルファーム。
栗田さんの畑は野菜づくりの実験場のようでもあります。

栗田さんは次々にその場で食べさせてくれる。美しい赤オクラ。生で食べられる。

茂みのようになるまで伸ばして育てる珍しい栽培方法。真っ赤なトマトが実る。

この日スープのために収穫した野菜たち。赤オクラ、ビーツ、水なす、ひもなす、バターナッツかぼちゃ、トランペットズッキーニ、フェンネル、ホーリーバジル、じゃがいも、ルバーブ。

〈スマイルズ〉遠山正道さんが
実践する、
人の熱意を大切にした
経営デザインって?

「自分のやりたいことをやる」ことが、ビジネスの処世術

食べるスープの専門店〈スープストックトーキョー〉や
セレクトリサイクルショップ〈パスザバトン〉、ネクタイブランド〈ジラフ〉など、
数々の事業やプロジェクトを仕掛ける〈スマイルズ〉。
代表取締役社長の遠山正道さんには、
経営者でありながら「クリエイティブマインド」を感じる。
そこからたくさんのユニークなアイデアは生まれているのではないか?
そこで〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さんとともに、
遠山さんを訪ねた。

〈スマイルズ〉代表取締役社長の遠山正道さん。

スマイルズはスープストックトーキョーから始まった。
今でこそ、「体験を売る」という手法は当たり前のように語られているが、
スープストックトーキョーでは
1999年の第1号店オープン当初から共感を軸にしたビジネスをベースにしていた。
遠山さんの著書『スープで、いきます 商社マンがSoup Stock Tokyoを作る』は
「『なんでこうなっちゃうの?』という世の中に対する疑問やいらだちから
Soup Stock Tokyoは生まれました」という一節から始まる。

「飲食業界をなんとかしたい、というような大きな目的ではなく、
自分だったらこうするという個人的な思いから始まっています。
もちろんスープは提供しますが、それ以前にあるべき“共感”をつくりたかったんです。
スープを軸にして集まってきた仲間とのいい関係性。そしてそれが次に広がっていく。
共感を得られる一番はじめの場所です」(遠山さん)

極端に言えば、それが共感の手段になっていれば、スープでなくても良かった。
遠山さんが感じていた「疑問やいらだち」は、
当時の飲食業界が共感の場ではなかったことだったようだ。

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。

「問題意識があって、自分ならこうするという考え方は、今も変わりませんか?」
という貝印・大塚さんの問いに、
「変わりませんね。ビジネスありきではありません」と遠山さんは答える。

「かっこつけているのではなく、ある種の処世術として大切なことだったんです。
当然、これまでもうまくいかなくて苦労してきた側面が多々ありますが、
そういう状況に『儲かるって聞いたから』『流行っているらしいから』という理由では
太刀打ちできません」(遠山さん)

「スマイルズのある1日」と題された事業計画書。

トラブルが起きたり、うまくいかないときに、
「なんでやっているんだろう?」「いつまでやるんだろう?」という
弱気が頭をもたげてくる。それを打破するのが個人の思い。

「両足を突っ込んで『オレがやる!』という人がいれば、事業も始めることができます。
絶対にコレだと言い切る力。
四六時中そのことを考えて、当事者になってやり切る人がいるかどうか。
理屈では超えられないこともありますよね」(遠山さん)

「貝印もものづくり自体には歴史もあり、プライドも持っていますが、
経験や共感というような“曖昧なもの”を
確固たる事業にしていくプロセスを強化していきたいですね」(貝印・大塚さん)

「結局、何をやっても仕事は大変です。だからこそ、ときめくものじゃないと。
『あいつ、めちゃくちゃ楽しそうにプレゼンしていたよね』ということが大切。
その仕事を一番楽しめる人は誰か、ということです」(遠山さん)

「事象」だけあって、担当者を後から決めるというやり方はではうまくいかない。
肝心なのは「言い出しっぺ」なのだ。
それが当事者となり、ジブンゴト化していくから。

美術・アート系の本が多いオフィスの本棚。

飛騨ネットワークを
東京で生かす手助けをしたい!
居酒屋〈蔵助〉オーナー
仲谷丈吾さん

飛騨の酒があって、蔵元が来る。
蔵元とお客さん、お客さん同士の交流もある居酒屋

こも豆腐、朴葉味噌焼き、赤巻きかまぼこ、揚げ漬け、明宝ハム、漬け物ステーキ。
飛騨の食は個性豊かだ。飛騨地方と呼ばれる、飛騨市・高山市・下呂市は、
富山からの食文化も影響を受けていて、かまぼこをよく食すのも特徴だ。
少し味が濃いこれらの料理に欠かせないのが地酒。
県内で50蔵あるなかで、そのうち飛騨市が3蔵、高山市が7蔵、下呂市が2蔵。
計12蔵が飛騨高山地域に所在している。
そんな飛騨の料理と酒が気軽に食べられる店、東京・御茶ノ水の居酒屋〈蔵助〉にて、
4月某日、「第41回 蔵の会」が行われた。

「蔵の会」とは、東京岐阜県人会が発端の、東京在住の岐阜県民、
あるいは、岐阜にゆかりのある人が集まる会だ。
1時間ほどの催しのあとに行われる懇親会では、
岐阜の酒蔵が毎回1棟参加して、これぞという自慢の酒を振る舞い、
みな岐阜の郷土食に舌鼓を打つ。

この日の催しは、下呂市出身の中島淳さんによる、「街道歩きおもしろ講座」。東京・日本橋から京都・三条大橋まで中山道を踏破した中島さんの紀行話は大盛況。過去には飛騨市出身のお笑い芸人・流れ星のライブや、フルートの演奏なども行われたという。

みんなで乾杯!

飛騨の美食に箸と酒が止まらない。漬物ステーキや、朴葉味噌など飛騨を代表する料理は、通常営業の蔵助でもいただける。

飛騨高山地域は〈ひだほまれ〉という酒造最適米があるうえに水がおいしいため、
酒蔵の数も多いが、この日参加した天領酒造は1680年創業の老舗中の老舗酒蔵だ。
9代目の上野田又輔さん自らがお客さんにお酌をする。
見る見る間に手元の盃が空になると、また次のお酒をなみなみと注いでくれる。
ひやおろし、純米、純米吟醸、と飲み比べも楽しい。
「普段の営業の蔵助では、ひやおろしや新酒が人気ですね。
清潔で品質管理もしっかりしていて規模も大きい。すてきな蔵ですよ!」
と、上野田さんの隣で同じくお客さんのお酌をしながら語るのは、
〈蔵の会〉主催で、蔵助オーナーの仲谷丈吾(なかたに・じょうご)さんだ。

左から、蔵助オーナーの仲谷丈吾さん、天領酒造上野田又輔さん。

この日出たのは、(左から)スパークリング日本酒〈すますま〉、無濾過生酒〈ささにごり〉、特別純米酒〈飛切り〉、純米吟醸〈天領〉、大吟醸酒〈吟〉。辛口の味わいは味の濃い飛騨料理とも相性抜群。

鎌倉レンバイの
野菜と果物で夏バテをのりきる。
中川たまさんのつくる
トマトとスイカの恵みのスープ

夏バテに欠かせない食材、スイカ

いよいよ夏本番。
毎日暑い日が続くと食欲も落ちて、火を使うのも億劫になりますが、
「旬のものを取り入れるだけで、料理がマンネリ化しないですよ」
と教えてくれたのは、中川たまさん。

中川さんは旬の野菜、果物を活かした料理やジャムなどの保存食が得意な料理家さん。
著書『暦の手仕事』では、苺や梅、びわ、ハーブ、枝豆といった
季節の食材を生かした料理がどれも美しく、おいしそうだったのが印象的でした。

中川さん自身、夏はあまり得意でなく、数年前に軽い熱中症にかかったことがあるのだそう。
辛くて仕方なかったときに、すいかを食べると生き返った心地がしたと言います。
スイカは意外にビタミンやリコピンなど栄養価も高いのです。

そこで、今回はほとんど火を使わずに、スイカを使ってつくるフルーツスープを教わります。
野菜にはトマトに玉ねぎ、セロリ。
ミキサーにかけて酸味の効いた食欲をそそるガスパチョ風のスープ。
とても簡単なので、夏休みにお子さんと一緒につくるのもお勧めです。

旬の食材を仕入れに鎌倉レンバイへ

日頃から食材はできるだけ地場の旬のものを使いたいと、
中川さんは逗子や鎌倉の市場へよく買い物に出かけます。
中川さんのお宅は逗子にあり、近くに魚介の市場も多く、
旬な食材を揃えるにはとてもいい環境なのだそう。
この日は、鎌倉駅から歩いて5分ほどにある、鎌倉市農協即売所(通称、レンバイ)へ。

近隣の生産者がその日に収穫した野菜を販売しに集まる、
こぢんまりとした市場ですが、
必ず毎週5〜6軒が入れ替わり立ち代わり販売しているのでとても便利。

鎌倉のレンバイは地方のいわゆる産直所と少し雰囲気が違っていて、
どことなくお洒落です。同じいんげんでも紫いんげん、さやいんげん、黄いんげんと
色とりどり。フェンネルなどのハーブや、珍しい野菜も数多く並びます。

中川さんは次々に品定めしてフェンネルと黄いんげん、トマトを購入。

量り売りのトマトを購入すると「半端分はおまけしとくよ」と目くばせしてくれたお母さん。
こんな風に生産者と直接言葉を交せるのも、直売の楽しみのひとつ。

「この販売所は自分でつくったものを売るのがルールで、仕入れは一切なし。
だからこの辺りの農家が採ったばかりの新鮮なものばかり揃ってるんです。
このトマトも新しいよ」と教えてくれました。

おいしいパン屋や雑貨屋も市場内にあり、ぶらぶら物色するだけでも楽しい。

〈TAKT PROJECT
タクトプロジェクト〉が考える、
「戻るデザイン」とは?

これまで5シーズンにわたって、
持続可能なものづくりや企業姿勢について取材をした〈貝印×コロカル〉シリーズ。
今回からは、刃物やキッチン用品などの
商品企画・デザインを手がける貝印株式会社のスタッフが、
コロカル編集部と共に日本全国の未来志向のクリエイターを訪ねて、
ものづくりの技術から、デザインフィロソフィー、
ビジネススキームの話まで引き出していきます。
今回は、東京のデザイン会社〈TAKT PROJECT(タクトプロジェクト)〉を訪ねました。
連載第1回:“おせっかいな”デザイナー〈minna(ミンナ)〉が語る、デザインの意味って?

「いちデザイナーとして社会とどう関われるか?」

かつて〈COMPOSITION(コンポジション)〉というプロダクトを見て、
デザイン会社〈TAKT PROJECT(タクトプロジェクト)〉に興味を持ったという
〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。
そこで大塚さんとともに、〈TAKT PROJECT〉の吉泉 聡さんを訪ねた。

吉泉さんはデザイン事務所の〈nendo〉に3年間勤めた後、
メーカーである〈ヤマハ〉のデザイン研究所に5年ほど勤めた。
その後、独立して2013年にTAKT PROJECTを立ち上げる。
一方で貝印の大塚さんも、デザイン事務所から現在の貝印へと職場を移した経歴を持つ。
ともに外部デザイナーからインハウスデザイナーへという共通の流れがあった。

「どの企業も同じですが、インハウスデザイナーはまずその会社の社員であることが前提。
でもそれ以前に“いちデザイナー”として社会にどう関われるか?
というところから考えてみたいと思っていました」
と独立の経緯を話してくれた吉泉さん。

〈貝印〉商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん(左)と〈TAKT PROJECT〉の吉泉 聡さん。

TAKT PROJECTでは、クライアントから受けた仕事以外に、
自ら発信していくことを大切にしている。
そのひとつが前述した〈COMPOSITION〉である。

〈COMPOSITION〉は電子部品と透明なアクリルを混ぜ合わせて固めたもの。
電子部品同士は極細の特殊な電気導線で接続されており、家電としてきちんと機能する。
「どこまでが素材で、どこからがプロダクトか?」という
境界線への問いに対するプロトタイプである。

不思議な形だがちゃんと電気は通っているCOMPOSITION。

大塚さんはこのプロダクトの「異素材ミックス」に特に興味持った。

「貝印も来年110周年を迎える歴史のある企業です。
これまでずっと刃物をつくってきたコア技術を使って、
これから何を提案していくかを考える時期にきていると思います。
たとえば、『COMPOSITION』を拝見したときに、
当社の金属とほかの素材をミックスすることも可能ではないかと思いました。
そのような広がりが今後必要になってくると思います」(貝印・大塚さん)

異素材が混合(=COMPOSITION)されたユニークなプロダクト。

「新しいものをつくるときには『どこまで戻れるか』が重要だと思っています。
デザイナーが入れるのは、よくても企画からですよね。
製造方法に入りこむことは難しい。
しかし製造技術が決まっていると、当然つくるものがある範囲で決まり、
企画も決まってくる。
だから製造技術まで戻ってみると、すべてが変わる可能性があり、
ビジネスモデルも変わる可能性があります」(吉泉さん)

逆にいえば、製造技術からデザイン的な視点を持って変えていかないと、
本質的な意味では変わらない。それが「戻る」ということ。

「決められた枠の中では、おもしろいことは生まれにくいと思います。
みんなが同じ目的なので」(吉泉さん)

ものづくりには「すでに価値観が決まっていることに対してより洗練していくこと」、
「まったく違う価値観を生み出すこと」のふたつの方向性があるという。

前者は、少しずつアップデートしてよりよくなっていくこと。

「インハウスデザイナーは、本当に職人のようなスキルを持っている人が多いですよね。
そのデザインを洗練させていくスキルには驚くべきところが多々あります。
しかし洗練という価値観だけだと、
その延長線上ではバリエーションしか生まれにくいというジレンマがあります」(吉泉さん)

「特にインハウスデザイナーだと、
なんとなくわかっている領域内で解決法や方向性を探してしまいがち。
実は答えもある程度わかっている」(貝印・大塚さん)

もちろんそれ自体は大切なことだが、新しいものは生まれにくい。
しかし外部デザイナーだと少し役割が変わってくる。
別のやり方もあったほうが広い目で見たらおもしろい。
どちらがいいということではない。

一方、後者は提案型だ。
これまでは課題に対するソリューションがデザインの大きな役割とされていたが、
これからは課題そのものを提案していくこと、良質の課題を見つけていくことが大切だ。

「みんなが一生懸命に集中している場所から少しズレたところにも、いいものがあるはず。
それを見つけてたくさんの選択肢をつくることができれば、
より豊かな社会になると思います。それが課題発見です」(吉泉さん)

「たとえばあまり売れていない包丁があったとして、
それは単純に使いにくいからという理由ではなくて、
まったく違う場所に課題が潜んでいるかもしれない。
そういう視点ですね」(貝印・大塚さん)

視点をずらすこと、フレームをずらすこと。
そして延長線上ではなく、別の土俵をつくることも大切だということ。
それが得意なのがデザイナーという職業であり、
吉泉さんはそこにフォーカスした活動を行っている。

眠っていた学校を起こそう!
教えて、
How to休廃校再活用

少子化に伴い、全国各地で学校の統廃合が進んでいる。
廃校になるということは、大きな校舎が空っぽのまま地域に存在するということだ。
使わない建物は人の気配をなくし、放置のままに荒廃していく。
校舎を壊すだけでもずいぶんな予算もかかり、
できれば治安の問題も含めて校舎は有効活用できたほうが望ましい。
一方、お金をかけずになるだけそこにあるものを利用して、
新たな生き方やビジネスを模索したい人たちもいる。
廃校カフェ&ゲストハウスとして人気の、
徳島県三好市の旧出合小学校〈ハレとケデザイン舎〉は、
地域と移住者、双方のニーズのマッチングがうまくいった廃校活用の好例だ。

移住、開業、子育て……
難関をクリアしてひらめきをかたちに!

3年前、徳島県三好市へ移住した
ハレとケデザイン舎代表の植本修子さんは
ひょんなことから三好市の休廃校活用アイデア募集を知った。
そこですぐに現地に足を運んでいくつかの学校を見学。
すると、いろんなアイデアが湧いてきたという。
東京でデザインの仕事をしていた植本さんにとって
大きな空間を自由に使うことを許されるということは
無限大の可能性を持つクリエイティブな作業で、
校舎の内装から湧く未来のイメージにわくわくしたそうだ。

「先々の苦労を想像するよりも、おもしろそう、
やってみたい! と思う気持ちのほうが大きかったですね」
当時を振り返り、植本さんはそのときのモチベーションは現在にも続いていると語る。
「使える廃校があるならば、まだまだやりたいこと、
できることはたくさんあるのでやってみたいんです」

植本さんの話を聞くと、あたかも軽やかに実行してきたように見えるが
実際に、休廃校活用の事業案を採択され、
ビジネスやコミュニケーションの場とするには、複雑な認可のプロセスが重要だった。
「終わってみると、大変なことは忘れてしまうのよね」と笑う植本さんに、
彼女が行った廃校を再生し、開業するまでの手順を聞いてみた。

まずは現地に足を運び、物件との出会いの印象を大切にし、そこから事業のイメージを広げた植本修子さん。 「三好市の廃校活用事業が始まって間もないところでここに来ることを決めたので、申請方法などわからないことなどが山積み。市役所の方に確認しながら事業計画書を作成しました」

出合小学校に案内された植本さんが抱いた第一印象は、中庭の風景の心地よさ。「ここに案内されたとき、中庭に立ち、川のせせらぎが聞こえて、あ、すてきなところだなと感じられたんです」。鳥小屋やカブトムシ小屋のたたずまいも気に入った。それなのに、これまで誰も手をつけていないことに驚いたという。そこで、2回足を運んでここでの開業と移住を決めた。

自治体、事業者をデザインの力と
ビジネス面で支える
〈高鍋デザインプロジェクト〉が
宮崎・高鍋町でスタート

事業者とデザイナーのマッチングで、
より手に取りたくなる商品づくりを!

宮崎空港を降り立ち、車で北に向かうこと約1時間。
到着したのは宮崎県のほぼ中央にある高鍋町だ。
43.80平方キロメートルという県内一面積の小さな自治体だが、
江戸時代にさかのぼれば、高鍋藩の城下町として栄えたという歴史あるまちである。
現在、このまちは児湯地域の中核都市で、
行政、商業、教育といった機能が集中。東は海に面し、
山手には田畑が広がる自然豊かな土地であり、野菜や茶の栽培、畜産業が盛んだ。

のどかな景色が広がる高鍋町。海にも山にも近いロケーションだ。

なぜ高鍋町に向かったのか。
その目的は、2017年1月にスタートした
地方創生事業〈高鍋デザインプロジェクト〉の船出を見届けるためだ。
高鍋町が中心となり、〈公益財団法人日本デザイン振興会〉が企画運営。
そして高鍋町の事業者、宮崎県内のデザイナーたちが協働し、
高鍋町で育まれてきた地域資源を生かした商品・ブランドをつくり、
高鍋町の魅力をPRしようという取り組みだ。

肝になっているのが、この地方自治体(高鍋町)と事業者、
県内のデザイナーによる協働を
〈高鍋信用金庫〉〈信金中央金庫〉〈宮崎県工業技術センター〉
〈日本デザイン振興会〉といった外部機関が、
ビジネスとデザインの両面からサポートしている点。
つまり「つくったら終わり」ではなく、
商品・サービスが消費者に届くまでの流れを支えることで、
持続的な活性を目指している。

このプロジェクトは岩手県西和賀町の
西和賀デザインプロジェクト〈ユキノチカラ〉に次ぐ、
〈地方創生地域づくりデザインプロジェクト〉の第2弾。
九州では初の事例ということで、関心が集まっている。

2017年1月16日、〈高鍋デザインプロジェクト〉の立ち上げを記念する記者発表会が
高鍋町役場で実施された。

〈まんぷくTAKANABE〉ブランドのオフィシャルロゴ。まあるく、思わず心がほぐれるこの人懐っこいロゴは、今回のプロジェクトに参加するデザイナー・平野由記さんが手がけた。

冒頭、高鍋町長小澤浩一さん(当時)が、
「農業にしても、商業にしても、人と人との連携が必要です。
そこに今回、包括的な連携の相談があり、デザインの力が加わります。
若手の事業者を支援し、まちにおける稼ぐ力の最大化を目指したい。
それが町内外へのPRになります」と力強く宣言。
続けて企画運営を担当する〈公益財団法人日本デザイン振興会〉の
鈴木紗栄さんが「事業者と県内デザイナーのマッチングによって
クリエイティビティが生まれる環境づくりに取り組んでいきたい。
信用金庫とともに、デザインの力がビジネスの活性につながるよう、
バックアップします」と語った。

左から〈オノコボデザイン〉小野信介さん、〈ヤミー フードラボ〉谷口竜一さん、〈高鍋信用金庫〉理事長・池部文仁さん、前高鍋町長・小澤浩一さん

参加事業者を代表して、食品の加工・卸を営む〈ヤミー・フードラボ〉の谷口竜一さんは
「このまちにはすばらしい農作物があるのに、それを県外、
そして世界に発信する力が不足しています。
消費者に届けたら終わりではありません。
その商品を2度、3度とリピートしてもらうことが必要です。
その時に重要なのが、デザインの力。
おいしい商品はパッケージ、デザインも記憶に残るものです。
私はデザインの力を信じています。
みなさんの協力とともに、世界に広がる商品をつくっていきたい」
と決意を新たにすると、その言葉を受け、
デザイナー陣を代表して延岡のデザイン事務所〈オノコボデザイン〉の小野信介さんが
「デザインはカッコよさ、かたちを飾るのが仕事だと思われがちですが、
モノ、コトの本質を見極めて、それを可視化できるよう外に出すのが仕事です。
グラフィックデザインだけをつくればいいのではなく、
売り方の仕組みを考えることもデザイナーの役目だと思っています。
もちろん、簡単なことではありません。
これを機に、事業者たちと膝を突き合わせて、長い目でがんばっていきたい」
と続けた。

〈ひょっとこ堂〉の打ち合わせ風景。今回誕生したフルーツや野菜を原料としたシロップ〈おやたんこみる〉はマンゴー、日向夏、トマト、ブルーベリー、キャベツの5つの味がある。親は炭酸で割って、子どもはミルクで割って、家族みんなで楽しめるシロップにしたいという願いを込めて、その頭文字をとってネーミングされた。このように、今回生まれたすべての商品に、事業者の思いが詰まっている。

こうして〈まんぷくTAKANABE〉プロジェクトによって産声を上げた新商品たち。
3月に実施された地元・高鍋町のお祭り、
そして4月には宮崎市内にある山形屋百貨店でテスト販売され、
4月27日、晴れてお披露目となった。

4月27日のお披露目会は〈Bridge the blue border〉 ( http://bridgetheblueborder.jp/ )で催された。普段はレンタルハウスとして利用されている施設で、高台にあるこの場所からは雄大な海を望むことができる。

“おせっかいな”デザイナー
〈minna(ミンナ)〉が語る、
デザインの意味って?

これまで5シーズンにわたって、
持続可能なものづくりや企業姿勢について取材をした〈貝印×コロカル〉シリーズ。
今回からは、刃物やキッチン用品などの
商品企画・デザインを手がける貝印株式会社のスタッフが、
コロカル編集部と共に日本全国の未来志向のクリエイターを訪ねて、
ものづくりの技術から、デザインフィロソフィー、
ビジネススキームの話まで引き出していきます。

デザイナーという職能の現在位置

〈minna(みんな)〉というポップでユニークな名前を冠したデザイン会社がある。
この社名には、会社として、そしてデザイナーとして目指す方向性が示されている。
「みんなのためにみんなのことをみんなでやっていきたい。」
というコンセプトに込められた3つの「みんな」が柱だ。

今回、minnaに取材にうかがったのが、
貝印商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。
大塚さんは、3つのデザイン賞(ジャーマン・デザイン・アワード、
レッド・ドット・デザイン賞、グッドデザイン賞)を受賞した
〈Pure Komachi〉というグレーターなども担当しているデザイナーだ。

貝印商品本部デザイン室チーフマネージャーの大塚 淳さん。

大塚さんがデザインを手がけたもののひとつ〈Pure Komachi〉。

同じデザイナーという職種でありながら、インハウスと外部という違いがある両者。
まずは上記の3つのコンセプトについて話が始まった。

美術大学在学中の3年生の当時から、先輩と共同でデザイン会社を立ち上げ、
卒業後もそのまま働いていたminnaの長谷川哲士さん。
卒業して1年ほどで独立したが、多くの人が「一旗揚げたい」と思って独立するのに反して、
独立自体が目的ではなかったという。
「デザイナーとして達成したい目標、
そして社会に対して提供したいバリューについて自問自答を繰り返すなかで、
これは独立しないと目標に近づけないかも……と思ったんです。
角田と話し合い、考えを深めていき、
最後に残った言葉が『みんな』というシンプルな3文字でした。
これを僕らの社名にしたいと心底思ったんです」(長谷川さん)

仲むつまじいminnaのふたり。

公私ともにパートナーの角田真祐子さんもこう話す。

「学生時代から、見た目ばかり重視していては、
社会に機能するデザインにならないのではないかと、もどかしく思っていました。
社会に出たときにどう機能していくのかイメージできないと
意味がないと感じていました」

こうした想いを練り上げていった結果、前述したminnaのコンセプトにつながった。
たとえば「みんなのために/for everyone」。
まだまだ世の中にデザインが届いていないという思い。

「デザイン業界にいると、みんなデザインに興味があるし、
世の中のものが何かしらデザインされなくてはいけないということを理解できますが、
役所や病院など、普段の生活を振り返ると、
デザインされていない側面がたくさんあることに気がつきます」(長谷川さん)

まだまだデザインされていない場所やものが、たくさんあるということ。
そしてもうひとつは、そもそもデザインという仕事がどんなものか認知されていないこと。

「地元の友だちに“デザイナー”をやっていると言うと、
『ファッションをやっているの?』と聞き返されます。
デザイナーはもっと広いジャンルに関わっているのに、それくらいにしか認識されていない。
それはデザインの意味や必要性が伝わってないということ。
逆に、僕たちがきちんと伝えられていないということでもあります。
どちら側の問題でもあるけど、
デザイナー側から歩み寄って解決できることも相当にあると思っています」(長谷川さん)

髪型が変わったら一大ニュースの似顔絵アイコン。

ふたりの母校である武蔵野美術大学の広報物。

〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉
いよいよ開園!
シャクヤクがつなげた、
水戸と駒ヶ根の縁

茨城県水戸市と薬用養命酒でおなじみの養命酒製造株式会社が、
2016年夏からスタートした官民協働の新たな試み、
薬草活用プロジェクトのシンボルガーデンがついに完成。
それが、この4月29日、開園30周年記念事業の一環として
水戸市植物公園内にオープンした〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉です。

珍しいハーブがたくさん!
市民の憩いの場としてオープンした〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉

薬草に親しんでもらいたい。
そして先人の知恵の結晶ともいえる薬草文化を、いまの暮らしに役立ててもらえれば。
そんな願いが込められた薬用ハーブ園の薬草の一部は
ふたつのアルプスが見えるまち・長野県駒ヶ根市から届けられました。
初夏に美しい花を咲かせるシャクヤクもそのひとつ。
今回は、薬用ハーブ園に関わった裏方さんを紹介します。

薬草園と聞くと地味なイメージがあるけれど、
4月29日にオープン記念セレモニーでお披露目された、
〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉は、憩いの場という言葉がぴったり。
まるでイングリッシュガーデンのような雰囲気です。

「西川綾子園長が描いたイメージを再現しただけで、
私はそのお手伝いや下準備しかしていませんが」
そう前置きしつつも話してくれたのは
入庁4年目の若手技師ながら、ガーデンの設計を任された
水戸市建設部建築課の園岡 藍さん。
いままでの仕事は公共建築物の修繕が主だっただけに、
園長からぜひ手伝ってほしいとの依頼に驚いたとか。
「あなた、名前が薬草よね、と誘われて」
未体験の仕事にチャレンジすることに。
藍染めの染料“藍”は水戸藩ゆかりの薬草でもあると聞き、
この仕事に不思議な縁を感じたのです。

思わず座りたくなる? 快適なウッドデッキと園岡さん。シンボルツリーのキハダも樹皮に抗菌作用がある薬木。

そこで考えたのが、自分のように薬草を知らない人でも
心地よくくつろげる空間にしたいということ。
なかでもシンボルツリー・キハダを囲む円形ウッドデッキは、
“憩いの空間”らしい印象的なデザイン演出ですが、
これは地元の大工さんからのアドバイス。
「直線的な形状にするつもりで相談したら、
放射状に板を並べたほうがキレイだし長持ちするんだよと」
ただし扇型に1枚ずつ板を加工するのは大変な作業。
それをこころよく職人さんに引き受けてもらい、
予想以上に見事な出来映えに園岡さんも感動したそうです。

柔らかな曲線を描く石積み看板。蜂蜜色の自然石は、美しい村々で知られるイギリス・コッツウォルズ地方から。

また、特に思い入れがあるのが自然石を積み上げた看板。
これはドライストーンウォーリングと呼ばれる、
セメントなどを使わない英国伝統の技法ですが、
実は、このモニュメントの構想がまとまったのは、開園4か月前というぎりぎりの時期。
「私自身が最終的な段階で煮詰まってしまって」
この薬用ハーブ園ならではの何か。それって何だろうと思い悩む園岡さんに、
“バラの先生”が教えてくれたのがこの石積み。
英国といえば料理にはもちろんのこと、
ホリスティックな医療など、さまざまなシーンでハーブを活用してきたお国柄。
旧水戸藩校・弘道館の古瓦をあしらった、
隣接する“江戸時代の水戸藩にまつわる薬草エリア”とも好対照。
この看板が決まるとあとはとても順調に進み、
オープニングの日を無事に迎えることができたのです。

薬草ではトップクラスの美しさ。シャクヤクは女性の味方のような効能を持つ生薬でもあるのです。

「ただ、こうして完成した薬用ハーブ園を見ると、やはり主役は薬草なんだなと。
2週間前のがらんとした状態とは見違えるようです。
美しく咲いてくれたこのシャクヤクとか、“花を添える”という言葉通りですね」

駒ヶ根から水戸へ、遠路はるばるようこそ。薬用ハーブ園誕生を祝うかのように花開いたシャクヤクと園岡さん。

こんなにいい空間になったのも、薬草を大切に育ててくださった方々のおかげ。
この園岡さんの言葉を聞いたら、駒ヶ根にいる“あの人”はきっと安心するはず。
伝えてあげたいなと思うと同時に、ふたつのアルプスを望む広い畑を思い出しました。

徳島県三好市の
うだつマルシェ&酒まつりは
子どもも大人も楽しめる
ワンダーランド!

“四国のへそ”に位置する徳島県三好市では、
夏と冬の2度、〈うだつマルシェ〉と〈四国酒まつり〉が開催されている
(夏の酒まつりは小規模開催)。
両イベントが行われるこの1日は人口2万7564人の三好市が
毎年、いきなり人口密度が高くなるという。
第16回うだつマルシェと第18回四国酒まつりが同時開催された
2017年2月18日は、なんと2万3000もの人が訪れたのだ。

一度参加するとクセになる?  年齢問わずにまちを遊ぶ1日!

「あら、東京から来たの? じゃあ、これ食べていきなさいよ」
到着早々、うだつマルシェ出店者のお母さんのつくったお餅をぱくりと試食。
なんと! もっちりつき立ての滋味深きおいしさよ。
「あんも手づくりなのよ〜」「へえ〜おいしいです!」
と、思わず頬も緩むようなやりとりをしながら、
うだつのまちを、イベント地図片手に歩いてみる。

連載第1回で訪れた三好市池田町のうだつのまち並みで開催されている
〈うだつマルシェ〉の賑わいについては以前から耳にしていたが、
いきなり出会った地元のグループ〈一輪一房〉のお母様方の
元気のいい笑顔と“おせったい”に、遍路文化の息づく徳島らしさを感じてほっとした。
池田町で繁栄した、刻みたばこ産業の歴史を感じさせる
うだつのあがっている家が立ち並ぶ本町通り沿いには
骨董品などの古いものやクラフト、フードなど
素材や製法にこだわったものを提供する“小商い”の出店が立ち並んでいる。
どよめきが起こったので、その方向へ向かったら、
大道芸人がパフォーマンスをしており、
周囲にはたくさんの人だかりができていた。
うだつマルシェの1日に合わせて、ちんどんや大道芸、ワークショップ、
映画上映などのイベントが開催されているのだ。
まるで、四国の真ん中の山あいのまちに、
ワンダーランドができたかのような賑わい。
子どもならずとも、大人も心が躍る。さあ、何を食べよう? 

大道芸人、みの吉さんのパフォーマンスは、12時、14時からと公演は2回だったが、どちらも人だかりができて賑わっていた。最前列の子どもたちの真剣な眼差しに注目!

ランチをどれにしようと探していたら、〈れんこんDELIつぴつぴ〉なる看板を発見。徳島名物のれんこんを栽培している農家自らが出店し、レンコン揚げを出していた。歯ごたえシャクシャク、おいしい!

築山さん一家は現在働く〈いただきます農園〉で栽培しているれんこんをコロッケやフライドれんこんにして提供している。〈れんこんDELIつぴつぴ〉の看板では、初出店。1年半前、大阪から徳島に移住し、自然農にも取り組み、新しいかたちでの農家経営を目指す。

神山町からやってきたタイラーメン店〈アジア麺あまくま屋〉で、まずはタイラーメンを一杯いただきます! やさしい味なので、子どもやお年寄りも食べられそう。

おいしそうなエクレアは、地元三好の出店者〈ハレとケ珈琲〉。食後のデザートは別腹!

ココナツ油で揚げているので軽い口当たりの〈七穀ベーカリー〉の豆乳ドーナツ。

大人気の豆乳ドーナツ屋〈七穀ベーカリー〉前で小さなお客さんふたりと。有機豆乳や国産小麦粉、きび砂糖、天日塩などを使用し、卵や乳製品不使用なので、小麦アレルギーなどがあるお子さんにも安心。お土産にたくさん買い求める人も。

77店舗の出店中、食べもの関係の出店は31店。
ひとつしかない胃袋で食べられるのは多く見積もっても3つばかりだろう。
一食も無駄にできまいと、お店を探すことに集中すると、
ほかではお目にかかることのないような特別感があるものが揃っていることに気づく。
個性あふれる出店者は、地元徳島をはじめ大阪や四国中から集まっているという。
工夫を凝らして丁寧につくられた商品をマルシェで売ると
お客さんの反応がじかに伝わるので、つくり手のメリットも多い。

大阪の寝屋川から車でやってきている〈七穀ベーカリー〉は、
ココナッツオイルで揚げた豆乳ドーナツが売りの出店者だ。
うだつマルシェだけではなく、高知のヴィレッジやおやつ神社など
人気のイベント常連の、知る人ぞ知る人気の出店者だ。
店主の山本洋代さんは、うだつマルシェの魅力をこう語る。
「まず、四国が大好きなので、四国のイベントには積極的に参加しています。
マルシェに参加することで出会える人たちがいて、
仲良くなった出店者が紹介してくれたりもします。
うだつマルシェは、地元の人や家族連れが多くて、のどかでいいですよね」。
確かに、見渡すと子どもがあちこちで駆け回っていた。
出店しているお店は大半が個人商店で、
どちらもこだわった素材を使っている職人気質のお店揃いだ。

そんななか、〈四国酒まつり〉の会場から流れてきた
酔っ払いが陽気に挨拶しながら歩いてくる。
知り合い同士で肩を組み、わきあいあい。楽しそうだ。
同じ通りでは、ご近所さんたちが立ち止まって挨拶していたり、
通りを子どもが駆け回っていたり。
ピースフルなひとときに、普段のまちの様子を想像した。

お餅を食べさせてくれた〈一輪一房〉のみえ子さんも、店番を頼んでお買い物を楽しんでいた。ふだんの〈一輪一房〉は古布を使ったリメイク教室をやっていて、ときどきマルシェに出店するのが楽しみなのだそう。

日本の岐阜から世界の「GIFU」へ
〈SEBASTIAN CONRAN
GIFU COLLECTION〉

岐阜のものづくりが世界へと羽ばたく日

日本の地域から世界へとすぐれた製品を羽ばたかせる“Local to Global”。
それには海外志向の製品開発やデザインが重要になる。
岐阜県では、これまでも県内の品質の高いものづくり企業と
海外のデザイナーをマッチングさせる努力を続けてきた。

そのひとつとして実ったのが〈SEBASTIAN CONRAN GIFU COLLECTION〉だ。
世界的なデザイナーであるセバスチャン・コンラン氏と、
岐阜県内の飛騨木工、美濃和紙、美濃焼、関刃物などの業界から
10社がコラボレーションしてプロダクトを生み出した。
1月にパリで開催された国際見本市〈メゾン・エ・オブジェ〉で、
すべての製品が発表され好評を得た。
その1社として参加しているのが刃物を中心にビューティ、調理器具などの
日用品を取り扱う〈貝印〉の製造部門である〈カイ インダストリーズ〉だ。

開発部 部長の宮崎宏明さん(左)とデザイン室チーフマネージャーの大塚淳さん。

「こちらからは最初にピーラーやネイル用のやすりなども提案しました」という
貝印刃物開発センターの開発部部長の宮崎宏明さんは、
最初にコンラン氏が訪れたときに打ち合わせをした担当者だ。
実はコンラン氏は、〈貝印〉のハサミやナイフを普段から使っているユーザーだったという。
そのなかで結果的に製品としてつくることになったのは、
ハサミとグレーター(おろし金)だった。

今回、コラボで開発されたハサミ。

コンラン氏は、美濃市や高山市などに残る古いまちなみなどを見たインスピレーションから、
「格子」をコレクションのメインモチーフにしている。
特に〈貝印〉創業の地である岐阜県関市は刃物のまちであり、
ものづくりの「野鍛冶の精神」を受け継ぐ企業だということを知り、
刀や甲冑の要素をデザインに盛り込んだ。

ハサミは、貝印にすでに存在する7000番シリーズのハサミがベースになっている。
コンラン氏が気に入っていたというステンレス刃のマットな質感、
そしてハンドルに使われているシボ加工の繊細なテクスチャーをそのまま採用。
そして刀の鞘をイメージしたケースが付けられた。

海外向けに製造されている7000番シリーズのハサミ。

グレーターも甲冑を思い起こさせるデザイン。
これにもベースとなる〈Pure Komachi〉というグレーターがあり、
3つのデザイン賞(ジャーマン・デザイン・アワード、レッド・ドット・デザイン賞、
グッドデザイン賞)を受賞した商品だ。

「グレーターの刃に施されるエッチングの技術を、
もっといろいろな製品に使ってみたいと思っていたんです」という
貝印のデザイン室 チーフマネージャーの大塚 淳さん。

「最初は折りたたみ式のグレーター案だったのですが、
実際に使うときは開閉時の危険性があったり、汚れを落としにくい構造だったので、
刃物メーカーとして安全性のあるデザインの提案をしました」

2面使えるグレーターを開発。

ロゴもしっかり刻印。

山菜の栽培を研究して20年余り。
「山菜には夢がある!」と、
86歳の今も意欲を燃やす
小田島 薫さん

西和賀にんげん図鑑Vol.6
山菜栽培研究家 小田島 薫さん

西和賀の特産品、と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、山菜。
「西わらび」はその代表で、一般的なワラビよりも粘り成分が多く、
やわらかく、アクが少ないことから評価が高い。
町外から毎年食べに訪れるファンもいるほどだ。

西わらびに限らず、奥羽山系に位置する西和賀町の山菜は、アクが少ないのが特徴。
そしてそれは、〈母ちゃんの店わがや〉の記事にもあるとおり、
豪雪が温室の代わりとなって土や根を守り、
たっぷりの雪解け水が短期間の成長を促すから、といわれている。

そんな魅力的な西和賀の山菜だが、高齢化により山で採取する人は次第に減少。
そこで町では、山菜を特産品として安定供給するため、畑での栽培に取り組むことを決める。
その立役者のひとりが、「山菜栽培名人」として知られる御年86歳の小田島 薫さんだ。

長い年月をかけて研究し確立してきた技術を、惜しみなく披露する小田島さんの人柄を慕う人は多い。

平成3年に営林署を定年退職後、自宅裏の広大な畑で山菜栽培の研究を始め、
平成7年に町の農林課などとともに「ゼンマイ研究会」を発足。
その後平成13年から、町やほかの生産者とともにワラビの栽培にも取り組んだ。
「西和賀の土地や気候が山菜に適していることは確信していましたが、
初めての試みだったので、秋田県の阿仁町や山形県の朝日村(当時)などに出かけて
勉強したんですよ」と当時を振り返る。

ワラビを畑で栽培するためには、山で自生しているワラビの地下茎を掘り出し、
植え替えることが必要だ。
そして、商品価値の高い、太いワラビに育てるためには、
地下茎も太く大きく育てることが求められる。
そこで小田島さんたちは、春に畑の土に生たい肥を混ぜてやわらかくすることで、
地下茎が大きく育つよう工夫。
育てた株は「ポット苗」にして希望者に無料で提供し、栽培者を少しずつ増やしていった。
こうして町ぐるみで普及を進めた結果、平成21年には「西わらび」の商標登録が実現したのだ。

小田島さんはその後、黒系統(茎が紫色)のワラビの栽培にも取り組む。
ワラビには多くの系統があり、現在出回っている西わらびは緑系統。
しかし小田島さんによると、黒系統のほうが粘りが強く、
生で食べられるほどアクが少ないことが、食味試験で実証されたという。

小田島さんが自分の畑で栽培している西わらびは、すべて黒系統。「サラダで食べてもおいしいですよ」

ユキノチカラの主役たち(3)
“雪の力”の恩恵を受けた、
西和賀の農作物で新商品づくり

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
昨年度の第1弾に続き、今年度も第2弾として4事業所による新商品が誕生しました。
西和賀ならではの気候や自然、食文化がぎゅっと詰まった味わいです。

「地元の野菜や特産品の西わらびをもっと活用したい!」 そんな熱い想いをカタチに

2月半ばのその日は、西和賀の冬では珍しい雨模様の天気だった。
アスファルトの道路は、所どころがシャーベット状。
でも脇の田畑には、厚い雪がこんもりと積もっている。
「昨年の12月中旬から1か月間ほど、この雪の下に人参や大根、
白菜などの野菜を保存していたんですよ」と説明するのは、
〈西和賀産業公社〉の副部長兼生産加工課長の廣瀬稔さんだ。

〈西和賀産業公社〉の廣瀬稔さん。

昨年度にどぶろく〈ユキノチカラ〉を開発した同社では、
今年度は地元の野菜を使って、
漬け物以外の、付加価値の高い加工品をつくりたいと考えていた。
そこで着目したのが、「雪」。
野菜を雪の中に保存して糖度を高め、「雪下野菜」として差別化し、
さらにその風味を生かしたドレッシングをつくることを思いついたのだ。

12月中旬から1月中旬の雪の中の温度は0度前後。ここに保存されることで、野菜の甘みは増す。

このドレッシング〈ユキノチカラ 生ドレ〉は、
〈雪下ばっけ〉〈山ぐるみ〉〈雪下人参〉〈雪下野菜〉の4種類。
「ばっけ」とは「ふきのとう」の方言で、
〈山ぐるみ〉には県内で採れたくるみを使っている。
4種類ともそれぞれの素材の味を生かすため、
化学調味料を使っていない点もこだわりだ。

〈ユキノチカラ 生ドレ〉4種。どれもとろみがあるので、ドレッシングとしてはもちろん、ディップや肉料理のソースとしてもおすすめ。

今年度開発したもうひとつの商品が、〈西わらびピクルス〉。
「当社ではすでに、西わらびの加工品として
〈西わらび水煮〉を製造・販売していますが、
年々生産量が増えている西わらびの用途を拡大するためにも、
西わらびを使って別の加工品をつくれないだろうかと考えていました。
水煮はおひたしなど和風のイメージなので、
今回は洋風のピクルスに決まったんです」と、
同社の統括部長・藤原勝さんは開発の経緯を振り返る。

黒胡椒が効いたスパイシーなおいしさの〈西わらびピクルス〉。西わらびならではの食感や色を重視し、塩蔵した西わらびを戻して使っている。

そのほか同社では、すでに商品化している
〈寒ざらしそば〉〈西わらび水煮〉もパッケージをリニューアルした。
前者は、ソバの実を冷水に浸したあと寒風にさらして、アクや雑味を抜いたもの。
ひと手間もふた手間もかけただけあって、
できたそばは甘みと風味が強く、喉ごしが良い。
また、アクが少なくやわらかく粘りのある西わらびを、
一年中楽しませてくれるのが後者。
どちらの商品もすでに安定した人気を獲得しているが、
今回パッケージのリニューアルによって「ユキノチカラブランド」に組み込み、
ブランド強化を目指している。

〈寒ざらしそば〉や〈西わらび水煮〉の味わいは、西和賀の冬の寒さや雪が育くんだもの。

滋賀とスウェーデンの意外な関係。
東近江市〈ことうヘムスロイド村〉で紡ぐ、ものづくりのストーリー

ヘムスロイド=手工芸の村ができるまで

滋賀県の南東部にある東近江市は、
1市6町が合併した琵琶湖から鈴鹿山脈まで広がる自然豊かな地域。
その東近江市の誕生前、湖東町と呼ばれていた場所に、
全国的にも珍しい、ものづくりの作家が集まる村がある。
その村は、〈ことうヘムスロイド村〉と名前もちょっと変わっているのだが、
立ち上がりの経緯を東近江市湖東支所の山川 恒さんはこう説明する。

「旧湖東町は稲作が盛んなまちなのですが、
一方で梵鐘をつくる鋳物師や宮大工が多く、匠の郷として知られてきた場所です。
伝統を守りつつ、現代のものづくりも推進することを目的として、
平成3年に『工芸と交流の里構想』が策定され、
平成5年3月にヘムスロイド村が完成しました」

東近江市湖東支所の山川 恒さん。

ものづくりの拠点となるような場所をつくるにあたってモデルにしたのが、
スウェーデンのダーラナ地方。
“スウェーデン人の心のふるさと”といわれるこのエリアは、
手工芸など昔ながらの伝統や文化が色濃く残っており、
スウェーデン語で「手工芸」を意味する「ヘムスロイド」と冠した店が
多数存在するそう。こうして田んぼに囲まれた森のなかにできあがった、
ことうヘムスロイド村は、北欧風の建築で朱色の屋根がかわいらしい工房4棟と、
ルンド(人が集まる場所、という意味)と呼ばれるセンターハウスで構成されている。

ちなみにヘムスロイド村が完成して間もなく、
ダーラナ県にあるレトビック市と湖東町は、ともに手工芸が盛んであることや、
地理的に湖の東に位置することなどから姉妹都市提携を結び、現在も交流が続いている。

以上がヘムスロイド村の概要なのだが、
気になるのは、どんな作家がものづくりを行っているか。
現在入居している5組6名の作家の工房と、
カフェとなっているルンドにそれぞれお邪魔してみることにした。

愛犬とともに出勤し、音を気にせず制作に没頭

木工工房〈tanaka wooden works〉の田中智章さんは、
湖東町と同じく現在は東近江市になった、木工の盛んな永源寺町出身。
ヘムスロイド村に入居したのは2015年9月で、
それ以前は東近江市杠葉尾町で制作活動を行っていた。

〈tanaka wooden works〉の田中智章さん。工房には機材も木材も数多く置かれているがどれも整理整頓されていた。田中さんはいつもお気に入りの音楽をレコードで流しながら作業に励む。

「ヘムスロイド村のことは前から知っていて、
どうすれば入居できるんだろうってずっと憧れていたんです」

何よりも憧れたのは、その制作環境。
「ここに来る前はごく普通の集落のなかにある、
住居の隣の小屋を工房にしていたので、大きな音をたてると気兼ねしてしまうし、
残業ができなかったんです。何回か工房を引っ越したのですが、
そのたびにここの存在がちらついていました」

田中さんの前に入っていた木工作家が退去することになり、
知り合いの大工さんからいらない機械を引き取らないかと言われ、
待ってましたとばかりに応募。
広々としたこの工房には木工作家が代々入居していたこともあり、
使い勝手のよさを感じている。

「広くて天井も高いので、大きな家具をつくるときもまったく苦になりません」と田中さん。

きれいな光が入るのでせっかくだからと、工房の一角に展示スペースを制作中。

車で片道30分の距離を、愛犬の縁(ユアン)も毎日出勤。
ヘムスロイド村に着いたらまず散歩をするのが日課だ。
「雷は怖がるんですけど、機械の音は落ち着くみたいで、
仕事中はずっと工房で寝てますね(笑)」

制作に没頭できるこの環境は、作家にとって理想的といえるだろう。

とても人懐っこい愛犬、縁(ユアン)と。

豊岡市×演劇×平田オリザさん
いま、全国で注目の教育法を
東京で体験

「飛んでるローカル」で、子どもも羽ばたく。
豊岡市の最先端のコミュニケーション教育が東京にやってきた!

兵庫県北部にある豊岡市には、子どもたちが楽しみにしている保育や授業がある。
脳や心の発達を促す「運動遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
幼児期から英語に触れる「英語遊び」(幼稚園・保育園・こども園児対象)、
そして、演出家・劇作家の平田オリザさんが監修する
コミュニケーション教育の授業(小・中学生対象)。
これらは市内すべての幼稚園、保育園、こども園、小・中学校で行われる。
豊かな自然の中でコウノトリが羽ばたくまちとして知られる豊岡は、
実は子どもが羽ばたく準備を教育面から支える、教育先進都市でもあるのだ。

2017年3月、東京都内にて、豊岡市の教育を体験できるワークショップが行われた。
先生は平田オリザさんや、全国の舞台を中心に活躍する現役の演出家、俳優、
普段豊岡で運動遊びを実践している豊岡市教育委員会の指導員たちだ。

子どもたちは2〜3歳児、4〜6歳児、10〜12歳児クラスに分かれ、
それぞれ30分ほどのワークショップを体験する。
東京の子どもたちが、たったの数十分でどこまで変われるのだろう?
かくしてワークショップが始まると、
子どもたちの変化に驚かされることになった。

いよいよ運動遊びを体験!

当日の朝、9時半。会場のノアスタジオ 学芸大スタジオの一室に近づくと、
子どもたちの嬉々とした声が聞こえてきた。
広いフロアーに解放された子どもたちが、床の上を走りまわっている。
今日のひとコマ目は、2〜3歳児を対象とした運動遊びのクラス。
先生は、豊岡市教育委員会こども育成課の仲義 健(なかぎたける)さん。
颯爽とした体操のお兄さんといった雰囲気だ。
まずは教室の真ん中に集まり、レクチャーを受ける。

豊岡市教育委員会 こども育成課 仲義 健さん。

「昔は子どもが空き地で遊んでいて、
子ども同士の遊びのなかで身につけていたものがたくさんありました。
今の遊びは、ほとんどがゲームですよね。
このままではイカンということで、豊岡ではこんな取り組みをしています」

ここで仲義さんは、簡単な運動を教えてくれた。
右手は右へ回し、左手は左へ回し、交差するところで拍手。
それを数回繰り返したら、今度は逆回し。
単純な動きだけど、逆回しに戸惑ってしまった。

「体には400の筋肉があり、この筋肉を動かすのが、脳です。
その脳と筋肉をつないでいく作業、これが10歳までに完了します。
なので、この動きがすぐにできる人は10歳までにたくさん遊んだ人です」

運動遊びでは、こうした簡単な動きにはじまり、
楽しみながら運動をしていくうちに「動ける身体」をつくり、脳と心の成長を促していく。
松本短期大学教授の柳沢秋孝さんが考案しているプログラムをアレンジしている。
でも、なかには今日体験する運動遊びの動きをすぐにできない子もいるでしょう、と仲義さん。
そんなときの対処法も教えてくれた。

「子どもさんができなかったときは、見ているだけでいいです。
『なんでできないんだ』というのはNGです。
脳は人の動きを見ているだけでも、実際に体を動かすときと、同じところが活性化しています。
もし、家に帰ってから同じ動きをしたら、その時は思い切りほめてあげてください。
僕は11年間この仕事をしていますけれど、
笑顔、ほめる、触れあう。この3つが揃えば、子どもは間違いなく健やかに育つ、そう実感しています」

遊んでいる間に、スキンシップが生まれる

この後は、いよいよ実践。
手をつないで、部屋のなかをぐるぐるまわったり、
オムレツに見立てた子どもを床の上で揺すったり、軽くほうり投げて受けとめたり。
子どもたちのテンションはみるみる上がっていき、
親御さんたちも童心にかえったような顔をしている。

お父さん、お母さんに背負われておもいっきりダッシュ! 仲義さんはフェイントをかけて笑いを誘い、緊張を解きほぐしていく。

フライパンを揺すってオムレツをつくるように、子どもの足を持ってゆ〜らゆ〜ら。

最後はオムレツを腕の中で成形して……かぶりつく! 子どもたちのキャッキャと甲高い声が響く。

一番盛り上がったのは、動物に変身するゲーム。
四つん這いで歩くクマさん歩きや、ほふく前進のように進むワニさん歩き、
お父さんたちの腕に子どもがぶら下がる象さん歩き。
これらの運動が、自分の腕で体を支える力や、ジャンプ力、ぶら下がる力を身につけ、
「動ける身体」をつくっていくという。

象さん歩きは、支えるほうの体力も必要! お父さんお母さんにとってもいい運動になったようだ。

小さい子どもも少しずつ、一歩ずつ。できなくても注意せず、笑顔で楽しもうとすることがポイント。

ワニさん歩き。大人も子どもも楽しそうに床を這う。

楽しんでいるうちに逆上がりができた!

4〜6歳児クラスでは、もう少し難易度の高い運動が行われた。
感動的だったのは、懸垂の練習から始めた女の子が、逆上がりができるようになったこと。

「腕と脇の下に接着剤を塗ります。ペタペタ」と、逆上がりの一番のコツである、腕と胴体を離さないためのおまじないをかける仲義さん。

おまじないが効いた!? 簡単な補助で、逆上がりができた!

「懸垂とひっくり返る動きができれば、逆上がりができるようになります。
体重が30キロを超えると難しくなるので、小さいときから始めることが大事ですよ。
今日やった動きができるようになれば、跳び箱や側転もできるようになります。
親子でにこにこ遊んでいれば、できるようになるんです。
運動が脳の発達を促すというと、スポーツを強制しようとする親御さんがいるんですけれど、
大事なのは子どもが進んで遊ぶことです。
大人の役割はスポーツクラブに強制的に行かせるということではなく、
まずは一緒に遊んであげること。
豊岡では、そんな『運動遊び』を推進しています」

ワークショップの最中には、ぐずりだした子もいた。
でもその子は、最後までお父さんの膝に座って、みんなが遊んでいる様子を見ていて、
仲義さんにポンと頭を撫でられ帰っていった。
仲義さんはそういう子がいても、決してガミガミいわない雰囲気を大事にしているという。

「最初は消極的だった子も、続けていくうちに化けますよ。
そういう子がいかに『やってやろう』となれるか。
そういう機会をつくれるのが、運動遊びのいいところ。
幼稚園・保育園・こども園で行う運動遊びの時間だけではなく、
家に帰ってからも大事です」

こんなアクロバティックな動きも……!

豊岡では、現在37の幼稚園、保育園、認定こども園で、この運動遊びを取り入れている。
また、0〜15歳を一元的にとらえる施策も進められており、
幼稚園の子たちと小学生が一緒に遊ぶ試みなどが行われている。

名古屋市有松で、受け継がれ、
更新されていく。
伝統の〈有松・鳴海絞〉と
まちの進化

〈有松・鳴海絞〉が今もなお残っているという奇跡

JR名古屋駅から、電車で約20分で行くことができる名古屋市緑区有松。
旧東海道の両脇に当時の豪壮な旧家が今も残された有松のまち並みは、
2016年7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2017年1月、新たに2か所の観光案内処がオープンしました。

観光案内処は2か所つくられ、いずれも古い建物を利活用したリノベーション物件。

まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができる
古き良き景観だけがこのまちの魅力ではありません。

〈有松・鳴海絞〉と呼ばれる、400年の歴史を持つ染物産業が
今もなお、受け継がれ、日々進化を遂げているのです。

有松の歴史は江戸時代にまで遡ります。
もともと平地が少ない丘陵地帯であったこの土地は
耕作に向かず、農業は発展することがなかったため、
この地に住む人々は、名古屋城築城の際に九州から来た職人たちから、
絞りの技法を学び、伝承・工夫を重ね、
東海道を往来する旅人の土産物として手ぬぐいなどをつくり、商売を始めます。
そして、尾張藩の庇護のもと絞染の産地として発展を遂げたのです。

絞染の工程はいくつかに分かれます。
大まかな工程は、まず図版をつくる職人が下絵を描き、
括り職人が布に糸をきつく巻き付け、染色専門の職人が染め付け、その後糸を抜き、
広げると下絵のとおりの模様の布ができあがり。

有松・鳴海絞を使用した着物。

この有松・鳴海絞の最大の特徴は、下絵通りに染め上がるよう布に糸を巻き付ける
括り職人たちの技術力と、技法の豊富さにあると言われています。
括り方はなんと約100種類。そのうち75種類ほどが
現在でもこの有松地区には残っているというから驚きです。

多種多様な模様を生み出す技術力こそが、有松・鳴海絞の特筆すべき点。

全国各地に新興の絞産地が出現し、
その大半が時代の移ろいとともに昭和初期までに消えてしまいました。
有松・鳴海絞もまたそれぞれの時代において訪れる苦難を乗り越え、
今日までその伝統は守り抜かれてきました。

そこには、有松ならではの伝統を守り抜くための創意工夫の精神があったのです。
ほかでは真似ることができない数々の技法を生み出し、
現在では世界の絞研究者から注目を浴びている有松・鳴海絞。
そのキーパーソンたちを紹介していきましょう。

平井俊旭さん
(雨上(あめあがる)株式會社)
いいものをつくっているという
市民の自信が、
高島市のブランドをつくる

地方にはディレクターが不足している

琵琶湖の北西に位置する、滋賀県高島市をご存じだろうか。
市が行った調査によると、822名の回答のうち、東京での認知度はわずか5%余り。
隣の京都でさえ、6割ほどの人しか知らなかった。
この数字は少々極端かもしれないが、土地の魅力に反して認知度が低いのは否めない。
そこで外の人にもその魅力を知ってもらおうと、ひとりの男性が立ち上がった。
といってもその人自身は、もともと高島に縁もゆかりもなかったのだが。

比良山地や野坂山地など、森林が広がる自然豊かなまち。棚田も美しい。撮影:三上紀顕

琵琶湖のなかに大鳥居が立つ高島市鵜川の白鬚神社は、近江最古の神社と言われている。今も昔も琵琶湖は高島に多大な恩恵をもたらしている。写真提供:平井さん

平井俊旭さんが、スープ専門店チェーン〈Soup Stock Tokyo〉を運営する
株式会社〈スマイルズ〉に、デザイナーとして加わったのは2001年のこと。
ブランドのグラフィックや店舗テザイン、食器類のプロダクトなどに携わっていたが、
2008年、同ブランドが事故米の不正転売事件に巻き込まれてしまう。

「とある問屋が食用ではないもち米を食用と偽って、
Soup Stock Tokyoがスープの製造委託をしている工場などに転売していたのです。
原料がどこから来ているのか、会社としてきちんと追うことの重要性を痛感しました」

同じ頃、店舗の内装などに使う木材も
海外から違法に流入しているものが含まれている可能性を知り、
国産の木材を積極的に使うように。
食材と木材、このふたつに着目して北海道から沖縄まで
いろんな地域を見て回ると、ある共通点が浮かび上がってきた。
それはディレクションをする人が不足しているという事実だった。

「いろんな魅力があるのに、
それらをうまく表に出すことのできていない地域が、圧倒的に多い印象を受けました。
スマイルズの場合、社長の遠山正道が
Soup Stock Tokyoを企画する段階でブランドイメージを明確にしていたので、
自分のようなデザイナーがインハウスでやっていました。
地方も理屈は同じはずなのですが、それ自体が何らかの利益を生まない仕事は、
なかなか価値が認められにくい。
だけど誰にどうやって売るのかを考えないと、仕事も生まれないし、
人も地域に入ってこない。都市に集中せず、人がもっと分散して、
それぞれの地域のよさを生かせたらいいのにと思ったんです」

地域が抱える問題を感じ始めたとき、たまたま高島市にも縁ができた。
「国産の木材を使うようになったのは、
三重県紀北町の〈速水林業〉との出会いがきっかけです。
速水 亨代表が主宰している林業塾に毎年参加させていただくようになり、
岡山県の〈西粟倉・森の学校〉(当時)の代表である牧大介さんと知り合いました。
牧さんは高島で林業6次産業化のコンサルティングをしていた時期があったのですが、
彼がやるくらいならおもしろい場所に違いないと。
自分がもし地域で何かやるなら、都市にある程度近いところがいいと思っていました。
おもしろそうだからちょっと行ってみようかな、
と都市から気軽に足を運べる範囲がよかったというか。
その点、高島は京都から車で1時間足らずでアクセスできる。
しかも立地的なメリットがあるわりには、
よさを発信しきれていない印象を受けたんです」

長く勤めた会社での立ち位置や、自分がやれることについても、客観的に考えていた。
「自分が入った創業間もない頃、
Soup Stock Tokyoは事業として行き詰まっていて、
いつなくなってもおかしくないような状況でしたが、
逆にいろんな可能性を感じられて、商売としては厳しかったのですが、
新しいブランドをつくるという仕事として実は一番おもしろかったりもしました。
地域が置かれている状況もそれに近くて、
もしかしたらこのまま人口が減少して立ち行かなくなってしまうかもしれないけども、
誰かが動かなければいけない。
自分が民間企業でやってきた経験を地域で生かしてみたい、と思ったんですよね」

2014年のゴールデンウィークに日帰りで初めて高島を訪れ、
7月に再訪したときは1泊して、周辺の地域も見て回った。
そのうえで問題点を洗い出し、
「別に求められてもいないのに、牧さんに高島市の職員だった清水安治さんを
ご紹介いただきに勝手に企画を提案した」のが、10月のこと。

「12月には〈雨上(あめあがる)株式會社〉を登記し、
年が明けて4月に高島に引っ越してきました。
提案はしたものの具体的な仕事は、何ひとつ決まっていなかったんですけどね」

オフィスにて。平井俊旭さん。

暮らしている地域を自慢できるようになるために

移住後、コンペを経て平井さんに課せられたミッションは、主にふたつ。
高島の交流人口と定住人口を増やすことと、高島の農業を活性化させることだ。

「高島をもっと知ってもらうために、
まずは市民の人が高島を自慢できるようになることが重要だと考えました」

平井さんがお手本にしたのは、博報堂の「属ブランディング」という考え方。
「ブランドはそれをつくりたいと思う人の志が先にあって、
そこにデザインや仕組みができて、ファンがついてくるものです。
Soup Stock Tokyoをつくっていくなかで経験があったからわかるのですが、
窮地に陥ったとき、
自分たちはいいものをつくっているのだという揺るぎない信念がないと、
途端にうまくいかなくなるんですよね。
人から言われたからやっているというスタンスだと、
やめる選択肢があっさり出てきてしまう。
ブランドは一朝一夕でできるものではないので、
市民が本当に高島をいいと思ってブランド化しない限り、
自分みたいに外から来た人間がロゴや仕組みだけをつくったところで、
うまく機能しないと思うんです」

そして市民が自分たちの地域を知ることを目的に、
平井さんが立ち上げたのが「高島の食と人 –3つの◯◯−」というウェブサイト。
ここでは高島で食材がつくられて食べられるまでの一連の流れを、
3章立てのストーリーで紹介している。
2016年1月から秋冬編と春夏編として計36話を掲載して、
3月に一旦終了するのだが、ずらりと並んだストーリーからは、
高島の多彩な食材と、それらをさまざまなかたちで提供したり、
味わったりする人たちの豊かさが伝わってくる。

「高島の食と人 –3つの◯◯−」

山羊のチーズの商品化を目指す中嶋さんの紹介記事。撮影:古田絵莉子

「テーマは僕が選んでいるのですが、
カメラマンもライターも地元の人たちにやっていただいています。
そうすると取材した側もされた側も、自分ごととしてとらえてくれるんですよね。
地元の人は地元のことを意外と知らなくて、
外から来た自分が人や情報をジョイントさせることで、
直接やり取りをするようになったケースもあります」

進化することで伝統もつなぐ
岐阜県八百津町〈内堀醸造〉
の酢づくり

八百津で酢専業になったワケ

日本の料理における基本調味料、「さしすせそ」。
そのなかで酢のみを丹念に製造している企業が、岐阜県加茂郡にある〈内堀醸造〉だ。
明治9年創業。現在も本社を構える八百津(やおつ)という地域は、
“八百のものが出入りする”海運で栄えたまち。
中津川で伐採された木が木曽川を下って、一旦、八百津まで来る。
ここで筏を組んで、また伊勢まで下っていく。
だから男手が集まる地域で、酒屋ができ、酒どころにもなっていった。
「酢」という漢字は「酒へん」に「作る」と書き、実際に酢は酒からできる。
内堀醸造(当時の屋号は〈丸十〉)も酢や醤油、たまりなどの問屋から始まり、
その後、醸造も行うようになった。

3代目となる内堀信吾会長。

戦後は物資不足から合成された酢が多く、現在の主流である醸造酢は少なかったが、
当時から内堀醸造は醸造酢にこだわっていた。だから酢の評判が良かったのだ。
そこで現会長である内堀信吾さんの代から、酢一本にしぼった。

「ご先祖がやってきたことを辞めるにはすごく抵抗があって、
本当に申し訳ないと思っています。私のおじいさんは命をかけて仕事していましたから」
という内堀信吾会長。

「ただ、人間の頭には限りがあると思うので、ひとつに絞ったほうが、
明けても暮れても酢のことを考えるという意味でわかりやすいのではないかと思い、
酢に特化しました」

現在、酢をつくっている会社は日本に200社程度。
トップ5社で9割ほどのシェアを占めている。内堀醸造の販売シェアは第2位。
その中で、酢だけを専門でつくっているのはかなりユニークな存在といえる。

エントランスには重厚な書が。

工場入り口に大きく掲示してあるコンセプト。

進化を恐れない酢づくり

「伝統と技術革新という考え方がある」と言うのは、総務課長の浅川和也さん。
新卒で入社して約20年。その期間は、内堀醸造が大きく成長していく期間と重なる。

「守っていかなければならない製法などはもちろんあります。
ただし、さまざまな分野で技術革新が起こっています。
そうした新しい技術を酢づくりに取り入れることによって、
生産性も品質も向上していくと思っています」

管理部総務課長の浅川和也さん。

酢づくりはかつて「静置発酵」が主流だった。
空気を好む酢酸菌が、液体の表面に菌を形成し、
アルコールに変えながら酢になっていくという製法。
これは空気に触れる広い表面積が必要なので、大きな桶などでつくっていた。

しかし内堀信吾会長の代で、いち早く「通気発酵」という製法を取り入れた。
あえて空気を送りエアバブルがたくさんできると、液体中に空気との表面積が増える。
そのなかで酢酸菌が空気とアルコールを食べながら酢に変えていく。
この製法のおかげで、より純度が高く安定した酢がつくれるようになり、
他社とはひと味違った酢として評判になっていった。

お米は蒸したのち、麹菌をつける。

伝統的な商品でありながら、新しい技術なども積極的に取り入れられるのは、
酢の専業である強みであり、酢に対して誠実に向き合っているからだろう。
品質を高めるためには努力を惜しまない。

「酢専業なので、酢に関わることで負けたくはありません。
社長や会長はいつも“本物の酢づくりとは何か”と問うてきます。
しかし“シェアがどう”とか、“売り上げがどう”という話をされたことはありません。
経営者というよりは技術者という印象です」

酒(酢もろみ)をつくる発酵タンクの様子。

内堀醸造の主力製品のひとつ〈美濃特選本造り米酢〉。
ブランドを代表するような商品でも、実は内容をどんどん変えていっているという。

「香りを良くしようとしたり、よりふっくらさせたり。
逆にキレを追求したり、芳醇にしたり。極端には変えませんが、
少しずつ変化することで品質を高めていくということをやり続けています」

主力商品の〈臨醐山黒酢〉と〈美濃特選本造り米酢〉。

140年以上続いてきた企業。
その代表商品の味を変えていくことに恐怖や不安はないのだろうか。

「ありませんね。ずっと一緒であり続けることのほうが恐い。
時代のニーズや嗜好に合わせて変化していくことが、伝統をつなげていくことになります。
一旦、達成したものでも、より高めるためには、次に何が必要とされているのか。
もちろんリセットではなく、積み重ねです」

品質管理は抜かりなく。

とにかく酢づくりが好き、そんな社風がある。
会長本人が開口一番「私は酢づくりを楽しんでいるんだね」と言う。

「酢づくりは生物化学。人間の生き様とまったく同じ。
つまり道理を考える楽しみを持っているということです。
そして答えはすぐに出ないから、まずは間違えのなさそうな伝統に準拠する。
もうひとつ、生物化学は風土に非常に影響を受けます。
それは人間の努力を超えること。
せっかく日本は世界のなかでも独特の伝統と風土を持っているので、
何とかそれを生かしていきたい」と語る内堀信吾会長。

八百津に会社が興ったのは偶然だったのかもしれないが、風土という意味では、
その土地である意味を生かしたものづくりを心がけてきたということだろう。

「一にも二にも、清冽な水と空気。要するに風土です。
風土が違うと微生物が違いますから」

試作品の開発中。

酢づくりには麹菌が重要だ。
麹菌は日本の風土特有のもので、そこから発酵文化が生まれた。

「日本の麹菌は、世界のなかでも特異的に酵素力があります。
麹菌を苦心してつくって、いわゆる醸造ということをやるのが日本の文化だと思っています。
小さな分野ですけど、日本の伝統の麹菌をさらに勉強して、酢づくりをしていきたい」

〈WARANOUE(ワラノウエ)〉
西和賀の木で器づくりを。
手にした人にしかわからない、
器を「育てる」喜び

西和賀にんげん図鑑Vol.5
木工旋盤〈WARANOUE(ワラノウエ)〉藤原 隼さん

ブナ、カエデ、ホオ、山桜などさまざまな木の木目や色を生かした、薄手のプレートやボウル。
しかも、シンプルなオイル仕上げなので、その美しさがより際立つ。
藤原 隼(じゅん)さんが旋盤を使ってつくるこれらの木の器は、
ウレタンのコーティングと異なり、使うほどに味わいが出てくるという。
でも何より目を引くのが、そのゆがんだフォルムだ。

生木は「動き」があるので、使うタイミングが重要だ。

このフォルムは、材料の「生木」がつくりだしている。
藤原さんは、切って間もない生木を手に入れ、乾燥させずにそのまま使うので、
つくっている途中に水分が抜けてかたちが変わっていく。
できあがるのは、「世界にひとつだけの器」だ。
「木工作家の須田二郎さんが生木でつくる器をインターネットで見つけて、
こんな器をつくってみたいと始めたんです。
木の器づくりを始めて半年くらい経った頃だと思います。
須田さんについては、作品はもちろん考え方も好き。
ブログを何年も前にさかのぼって読んでいるくらいです」

ほぼ毎日8時から20時頃まで作業する。忙しい時には、2~3日間そのまま工房に泊まることも。

神奈川県で農業と山仕事をしていた須田氏は、獣害で農業を辞めたあと、
木工旋盤を買って独学で器づくりを始めた人だ。
山仕事をしていただけに、森林保護の観点から、切り出した障害木を主に使う。
生木のまま使うので、木がゆがむことをある程度計算しながらつくり、
動きが止まった時点で不安定な部分だけを修正する、というやり方だそう。

西和賀に工房を構えてから町内外の人と知り合う機会が増えた、と喜ぶ。

2011年に、自宅のある紫波町で本を見ながら
手彫りの木の器をつくり始めた藤原さんだったが、須田氏の作品や考え方に出会い、
さっそく木工旋盤を購入。
同町にある岩手県森林組合から、材木として売れない生木を仕入れて器をつくり始めた。
最初に手に入れたのはケヤキ。
それで、ボウルをつくったという。

「薪やキノコのほだ木にしかならないような木が器になる、というのがいいと思うんです。
仕入れた木はできるだけムダにしないよう、木取りなどにも気を遣っています」
それでも、つくっているうちに節や虫くいの跡が出てくることもある。
そこでそうした器は、自ら企画した無償レンタルシステム〈うつわbank〉で利用する。
できるだけ有効に利用したいという、木への深い愛情がうかがえる。

もうひとつ、藤原さんのこだわりが、オイル仕上げだ。これも、須田氏ゆずりである。
木製の器は、実用性を考えてウレタンでコーティングされることが多いが、
藤原さんは「手間ひまかけて化学物質を塗る必然性がない」と言い切る。
汚れの付着やカビの発生が気になるが、
「使ったらすぐに洗う、長時間水に浸したり濡らしたまま放置しないなど、
少しだけ気を遣って使ってもらえれば問題ない」そうだ。
逆に、コーティングされていないから盛り付けた料理の油が自然に染みこんで、
使いこむうちにいい味になる。
もし表面がカサカサになってきたら、サラダ油やオリーブ油を塗ればいいとのこと。
そうやって「器を育てる」楽しみもあるということなのだろう。

藤原さんの工房。

「仕入れた木を見ながら、『これを何にしようかなあ』と考えている時間が一番楽しい」と話す藤原さん。

ユキノチカラの主役たち(2)
西和賀で人気の菓子店
×デザインで、
「みんなが欲しくなる」
商品ができた!

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
前回は、第1弾の〈ユキノチカラプロジェクト〉で誕生した
〈サンタランドのぽんせん〉、〈ゆきぼっこ〉、どぶろく〈ユキノチカラ〉と、
開発した商品への思いを紹介しました。後半に紹介する3事業者もまた、
大らかな西和賀の人らしい愛すべきキャラクターのみなさんです。

雅樹さんのホタル愛にあふれた 〈雪のようせい〉

雪国のだんご屋 団平×デザイナー/岩井澤大・堀間匠

最初は、湯本温泉近郊で餅やだんごの製造販売業〈団平〉を営む高橋雅樹さん。
西和賀で多く見られる名字「高橋」。ここでも「高橋さん」の登場だ。
社名の由来は、「親族に平のつく名が多く、団子の団と合わせてつけました」とのこと。

雪国のだんご屋〈団平〉の高橋雅樹さん。

独自の冷凍技術で東北全般にだんごを出荷する。

雅樹さんは団子屋の主人というだけでなく、
地元ではホタル博士としても知られているのだ。
店を訪ねると、そこにはホタルの写真がいくつも並んだファイルが置かれていた。
10年ほど前、仕事の合間に出かけた川で見かけたゲンジボタルの美しさに魅せられたそうで、
自宅でホタルを育てるばかりかエサとなるカワニナまで育て、
毎年300~600匹のホタルを自然に放しているそうだ。
「自分が放したホタルが見えるとね、嫁は見つかったか~、なんて話しかけてます」
と雅樹さん。
語り始めたらホタルの話は止まらない。
一生懸命に育てて自然に放してはいるものの、そう簡単には増えないのだとか。

そして、雅樹さん自慢の逸品も、
ホタルのはかなく美しい灯りをイメージしたお菓子だ。
ひと口サイズのわらび餅にとろり溶け出す餡が入った〈雪のようせい〉。
餡を包むのは、独特の弾力とつるんとした口触りのわらび餅だ。
西和賀産西わらび粉を使ったわらび餅は、
アクが少なく飴色のきれいな透明感があるのが特徴。
餡は2種類あって、地元の湯田牛乳を使った抹茶クリーム餡は、ホタルの美しい光をイメージし、
黒みつ餡は西和賀町の夜空をイメージしたと雅樹さん。
ホタルの舞う夏に似合うお菓子だけれど、
そのおいしさの秘密は、冬に掘り起こすわらびの根っこからつくるわらび粉にあるのだ。

練りあげの技術がわらび餅の食感を決める。

飴のような透明感をもつ、西わらび粉のわらび餅。

〈雪のようせい〉は、以前から商品として販売していたが
デザインプロジェクトを機に、パッケージデザインと名前も変更。
デザイナーとも相談しながら、包装個数をコンパクトにして、
買い求めやすく食べやすくしたという。
「通常のわらび餅のパックにも〈ユキノチカラ〉のラベルをかぶせたところ、
紙1枚で高級感が出ました。
西わらび粉はほかに負けない質の良さが自慢ですから、味に自信はありますが、
上質さを伝える方法としてデザインがいかに重要かを実感しています」
と、プロジェクトの成果を語る雅樹さん。

おいしいわらび餅を食べながら、美しい西和賀の初夏を彩るホタルの美しさを楽しんでほしい。
そんな雅樹さんの思いを込めたお菓子が〈雪のようせい〉なのである。

「発酵」でつながる滋賀の酒と食!
ワイナリー×日本酒蔵元による
醸造家座談会

みんな、発酵してる?

「発酵」といえば、近年注目のローカル的キーワード。
自然志向や健康志向の高まりなどから、
食生活に「発酵」を取り入れる人もいる一方で、
地域の食文化としての「発酵」の多様性や、
その文化的な奥行きにも関心が集まっている。

そこで今回は、数ある発酵食のなかから「日本酒」と「ワイン」という、
和洋の民俗的な発酵文化に着目。
日本における「地物」としての日本酒とワインは、
その土地のなかでどのようにしてつくられ、親しまれているのか。
またそれらはどのように交錯し、「地元の酒」としての未来を描けるのか。
ひとつの実験として、日本酒の蔵元とワイナリーによる座談会を企画した。

舞台は、日本一の面積を誇る湖・琵琶湖を擁する滋賀県。
琵琶湖のふなを塩漬けにし、
米とともに発酵させた伝統の発酵食〈ふなずし〉で知られるこの土地は、
諸説あるが、古くは奈良時代、またはそれ以前から
保存食としてのふなずしに親しんできたと言われる。
富山や和歌山のなれずしと同様に、
奥深い発酵の歴史を持つ土地であるということが、
現代の酒づくりに新しいイメージを与えている可能性にも期待したい。

座談会に集まったのは、
県内のワイン製造の先駆けでもある〈琵琶湖ワイナリー〉(栗東市)と、
個性的なにごりワインで注目される〈ヒトミワイナリー〉(東近江市)、
創業1805年の老舗酒蔵〈浪乃音酒造〉(大津市)のつくり手たち。

さらに、今回は明治初期に「近江牛」を全国に広めた
老舗レストラン〈松喜屋〉(大津市)より、
土地のグルメを知り尽くしたソムリエが、
お酒にぴったりのスペシャル発酵料理を携えて参加した。
滋賀の酒と食は、どんなマリアージュをみせるのか。
ボーダーレスなローカル座談会にご期待あれ!

※1ふなずし:琵琶湖の固有種であるニゴロブナを塩漬けにし、炊いた米に漬けて乳酸発酵させる伝統の保存食。全国各地に伝わる「なれずし」(サンマやサバなどさまざまな魚が使われる)の一種。

というわけで、まずは参加メンバーの紹介からスタート。

【エントリーNo.1】浪乃音酒造 中井 孝さん

中井 孝さんは、創業1805年の老舗酒蔵〈浪乃音酒造〉の10代目社長。
三兄弟で酒づくりをしており、長男の孝さんは社長業の一方で、
蒸釜の管理を主に担う「釜屋」を務めている。
酒づくりの最高責任者である「杜氏」は次男が担当。
三男は「麹屋」として、日本酒の仕込みに欠かせない米麹をつくっている。

磨いた米。

新酒の仕込みは10月中旬〜2月中旬までの寒い時期に行う。
これがいわゆる「寒づくり」だ。
気温が低い時期は、雑菌の繁殖が少なく、微生物(酵母)の活動も弱まるため、
きめ細やかで風味のいいお酒ができるとされている
(年間を通じて醸造できるようにしている蔵もある)。

アルコール発酵が進むタンクの中。耳をすませるとプクプク、パチパチと音がする。微生物が生きている証拠だ。

「冬の朝、タンクをのぞきこんで、『寒がってるな』と感じたら、タンクの腰(下方)を温めてやるんです」と、我が子のように慈しむ中井さん。

「僕らが酒をつくってるんやなくて、
このタンクのなかにいる酵母たちが酒をつくってるんやね。
僕らはその活動をサポートしているだけ。
生き物相手だからむつかしいけど、自分の子どもみたいに思えるときもあるし、
やっぱり酒づくりはおもしろいよね」と中井さんは話す。

量り売りの日には地元の人や飲食店の人が列を成す、浪乃音酒造の店頭。

浪乃音酒造では、毎月第4金曜・土曜に、日本酒の量り売りも実施。
きれいな味わいとされる、中汲み(※1)だけを抽出したお酒や、
新酒と熟成酒のブレンド酒、各種酒米のブレンドによってつくったお酒など、
「そのときにしか飲めないスペシャルなお酒」が地元の人に好評だとか。

※1 お酒を搾ったときに、最初に出る濁り酒を「新走り」、それがだんだん透明になっていったところが「中汲み」、最後にプレスして出てきたのを「責め」という。

今回の座談会にご提供いただいた日本酒。右〈純米吟醸 浪の音(斗びん取り)〉/左〈新走り 浪の音〉

【エントリーNo.2】ヒトミワイナリー 山田直輝さん

続いてご紹介するのは、〈ヒトミワイナリー〉の山田直輝さん。
同ワイナリーの独創的なワインづくりに惹かれて4年前に入社した。
現在はワインづくりの責任者として、ブドウ栽培から醸造、
ラベルのデザインまでを一貫して手がけている。

〈ヒトミワイナリー〉のワインは、
ブドウの食物繊維や酵母を取り除くために濾過する一般的なワインと異なり、
それらを“旨みのもと”としてあえて残す「無濾過」が特徴。
自然志向のワインづくりにファンも多い。

ロッジのような三角形の屋根がかわいらしいヒトミワイナリーの本社屋。

創業は1984年。もともとはアパレルメーカーだったが、
ワインを愛する創業者の図師禮三(ずしれいぞう)氏が、
自分でもワインをつくりたいとの思いを抱き、60歳を機に事業を方向転換。
すべてゼロからのスタートで自家農園のブドウ畑やワイナリーを立ち上げた。

撮影は2月。ちょうどブドウの枝の剪定の時期だった。例年になく積雪量が多かった東近江市。寒空の下、山田さんたち醸造家は毎日畑に繰り出す。

自社農園では現在、マスカットベリーA、カベルネ・ソーヴィニヨン、
シャルドネなど約10種類のブドウを生産。
カベルネサントリー(ブラッククイーン×カベルネ・ソーヴィニヨン)という
珍しい品種もあり、これは全国でも現在、〈ヒトミワイナリー〉でしか
生産していないものだとか。
農園の面積は約1.5ヘクタール。年間6〜7トンのブドウを収穫する。

建物内の販売コーナーには、各種にごりワインがずらり。このほか、パン売り場とイートインスペース、イギリスの陶芸家バーナード・リーチのコレクションを展示する〈日登美美術館〉も併設。

「うちのワインは、濾過をするのが当たり前になっている世界のワインのなかでいうと、
少し外れているかもしれません。
でも『発酵』という大きな視点でみれば、
にごったワインもそうでないワインも、同じ自然から生まれたお酒。
発酵文化のひとつに、こういうワインがあってもいいですし、
さらにそれがこの土地の食を彩るものになってくれたらとてもうれしいですね」
と山田さん。

今回の座談会にご提供いただいたワイン。右から〈ShindoFuni AOKI 2015 赤〉、〈h3 IKKAKU 2016 赤・微発泡〉、〈Barrique Merlot 2013 赤〉

【エントリーNo.3】琵琶湖ワイナリー 北尾真英さん

最後は、琵琶湖の南東、湖南アルプスの麓にある〈琵琶湖ワイナリー〉の北尾真英さん。
観光農園の畑作業のスタッフとして11年前に入社した。
現在はワイナリーの工場長として、自家栽培のブドウに愛情を注いでいる。

平成23年に完成した新工場。まるで美術館のようなこちらのモダンな建物が今回の座談会の会場となる。

琵琶湖ワイナリーは、草津市に本社を持つ
総合酒類メーカー〈太田酒造〉の一部門として、
昭和21年にブドウ栽培をスタート。
少しずつ規模を拡大しながら、昭和50年には農園の中腹にシャトーを構えて、
ブドウ栽培から醸造・瓶詰めまでの工程をすべて自社で行えるようにした。

琵琶湖ワイナリーのブドウ園。

約7.5ヘクタールの広大な敷地では、マスカットベリーAや
ヤマ・ソーヴィニヨンをはじめ、
「日本のワインの父」とも呼ばれる川上善兵衛氏が創業した
〈岩の原葡萄園〉(新潟・上越市)と、琵琶湖ワイナリーでしか生産していない
希少品種レッドミルレンニュームなどを有機栽培。

自社農園のブドウでつくるワインは、
土地の名前を取って〈浅柄野〉の名前で販売している。
年間25~300トンを生産する。

工場内にある熟成室。温度は年間を通じて14度。湿度は60%程度に保っている。

「ワインはブドウのできですべてが決まるといってもいいほど、
原料としてのブドウが大事です。
自分たちの畑でどれだけいいブドウをつくり、それをおいしいワインにしていくか。
世の中のニーズも見極めながら、
さまざまな可能性にチャレンジしてきたいですね」と北尾さんは話す。

今回の座談会にご提供いただいたワイン。右から〈浅柄野レッドミルレンニューム 白〉〈浅柄野ヤマ・ソーヴィニヨン 赤〉〈浅柄野セミヨン樽熟成 白〉

捨てられる運命だった
飛騨のほうれん草を、
〈ミチナル〉が蘇らせる!

ほうれん草を年中出荷できる高山市で、
あえて「冷凍ほうれん草」にチャレンジした理由

飛騨の高山市は、ほうれん草の産地。
秋から冬にかけて旬の野菜であるが、高冷地という高山市の特色を生かし、
春から夏にかけても出荷が可能である。
特に他地域にほうれん草がないときに重宝され、
市町村レベルでは全国一の出荷量を誇っている。

この高山のほうれん草を冷凍にして発売しているのが、
2015年にスタートした食品加工会社〈ミチナル〉。
扱っているほうれん草は、すべて規格に合わせるために取ってしまう外側の葉、
つまり端材だという。

きっかけは代表取締役の山下喜一郎さんが、ほうれん草の畑を見学したときのこと。
「たくさんの葉が捨ててあったんです。
でも束になっていないだけで、通常のほうれん草と何も変わらないので
『持ち帰っていいですか?』と聞いたんです」

同じほうれん草ではあるが、農家にとっては捨てるもの。
しかし実際に持ち帰って食べた山下さんは、
「何の問題もなく食べられたので、何かに活用できないか」と考えた。

代表取締役の山下喜一郎さん。

副産物を処理するところまでが農業だ!

こうして〈ミチナル〉では端材を使った冷凍ほうれん草を発売し始めた。
工場では、契約農家からほうれん草の端材を仕入れ、
土や根などを洗浄し、茹でてカットしたのち冷凍する。
工場で製造工程を見ていても、普通のほうれん草と遜色ない。

要所要所で人の目による選別も欠かせない。

「“出てくる副産物を処理するところまでが農業である”と思っています」と言う山下さん。
そもそも端材ほうれん草の利用は、
端材やその背景にある規格への問題点を広めていき、
農業の変革を目指した取り組みのひとつである。

「農業界にも高齢化が進み、
これからは人の手間をかける作業が難しくなっていくと思います。
そうすると流通の仕組みや考え方などを変えていかなくてはならない。
ビジネスモデルが大きく変化していくと思います」

規格には流通を円滑にする役割があるが、その規格に合わせるために端材が出てしまう。
だから規格に対する意識に変化が起こり、
もしかたちを整えないままでいいような流通システムになれば、端材が出なくなる可能性がある。
当然、端材で商売している〈ミチナル〉にとっては
原材料がなくなるという側面では痛手だ。

しかし〈ミチナル〉がアプローチしているのは農業そのもの。
端材が生まれてこないようにするために、端材で商売をしているのだ。
一時的にはマイナスかもしれないが、長い目で見れば意味が出てくる。
その覚悟がある。

ほうれん草を茹でる工程では菌を殺す作用も。

「私たちがやっている意義が広まっていけば、実は端材が減っていく。
それでいいと思っています。課題は時代とともに、変わっていきます。
これから私たちに求められるものは食品加工だけではありません。
人口減少する世の中になって、これまでの市場が伸びてきた社会での原理は通用しません。
それに合わせて、こちらもどんどん変わっていくつもりです」

〈ミチナル〉は「ミチナル食品」という会社名にはあえてしなかった。
農業や食文化全体が新たなステージに移行していくなかで、
自分たちも、食品加工だけでなく、変わらなければならないからだ。
「変わっていけないのであれば、存続している意味がない」とまで、
山下社長は強い言葉で言う。

最終的にほうれん草を冷凍する機械はかなり大きい。

多くの工程を経て〈飛騨・美濃産 おいしいほうれん草〉という商品になる。

目指したのは、
ワインにも合うハード系パン!
「こんなパンあったらいいな」
を叶える西和賀のパン工房
〈Korva(コルヴァ)〉

西和賀にんげん図鑑Vol.4 bread&patisserie Korva(コルヴァ)

日々の食事は「ご飯食」で、パンを食べる機会はほとんどないのに、
ワインを飲む時だけは、パン、それもバゲットなどハード系のパンが食べたくなる、
という人は少なくない。
パンと焼き菓子の工房〈Korva(コルヴァ)〉を営む鈴木智之さんも、そのひとり。
平成28年5月に西和賀町北部の沢内地区で工房を開いたのも、それが理由だった。

鈴木さんは、同町南部にある湯川温泉郷の温泉宿の長男として生まれた。
小学5年生で弁当をつくるほど料理が好きで、東京の大学を卒業後は飲食店の厨房で働き、
調理技術を習得。実家の温泉宿を継ぐつもりだった。

その決意どおり、6年後に西和賀に戻って実家で働いていたが、
結婚を機に横手市に移住し、家業からも離職。
同市のホテルのレストランなどで勤めた。
再び西和賀に戻ってきたのは、3年後の平成21年。
地元・湯川温泉郷に新しくオープンする温泉宿のオーナーに、
「うちの料理長に」と請われたからだ。

「声をかけてくださったのは、〈山人(やまど)〉の高鷹(政明)さんです。
6歳年上ですが、昔から顔なじみで気心が知れていましたし、
料理に対する考え方の方向性も同じでしたので、お世話になることに決めました。
近所には実家の温泉宿がありましたが、すでに『開店休業状態』でしたから、
まあ気にしても仕方ないのかなと。
むしろ年をとった両親の近くで働ける、と前向きに考えました」

しかし、50歳を目前にした平成27年、また転機が訪れる。
実家の父親が転んで圧迫骨折したことがきっかけで、
親の寿命や自分の残りの人生を意識し、「自分のための仕事をしたい」と考えるようになった。
そして同じ頃、現在の建物でかつてパン店を営んでいた、という女性と出会う。
女性は建物の買い手を探していた。

「自分でパンをつくるようになって、ワインを飲む時以外もパンを食べるようになった」という鈴木さん。

「これまでパンを食べたいと思うことも、実際に食べることもほとんどなかったのですが、
唯一、ワインを飲んだときに、
ちょっとおいしいパンとチーズがほしいなと思うことがありました。
でも町内では、ワインに合う、バケットのようなハード系のパンは手に入らない。
それなら自分がつくろう! と、〈山人〉を辞めて、ここを譲り受けることにしたんです」

とはいうものの、パン作りは、〈山人〉で朝食用に手ごねパンを焼いていた程度。
そこで、専門書を買って独学した。
目指すは、ワインにも合う、ライ麦の香りが豊かな食べ応えのあるパン。
そして地元産の食材にもこだわりたい。
こうして試行錯誤で完成させたのが、現在の看板商品〈カンパーニュ〉だった。

ユキノチカラの主役たち(1)
開発した商品は、
“昔ながら”と“いま”がつまった、
人にすすめたい西和賀の味

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「雪」そのものを楽しむ、西和賀ならではのアクティビティについて。
過去の連載はこちらから。

少しずつカタチになる〈ユキノチカラ〉、そこから感じるものは?

2月に行われるツアーはもちろんだが、2015年のプロジェクトスタートと共に、
第1弾として取り組んできた食ブランド〈ユキノチカラ〉の商品開発。
すでに町内でも〈湯夢プラザ〉など3か所で販売されている。
2016年は「岩手博覧会」「いわてデザインデイ」(盛岡市)をはじめ、
県内外のイベントにも出展した。ブランドイメージの白を基調にしたブースは
ユキノチカラの存在感を、静かながらも明確に打ち出している。
そんなユキノチカラブランドに期待を寄せるのは
2015年4月から西和賀町地域おこし協力隊員として働く溝渕朝子さんだ。

13年ぶりに西和賀に戻り、6次産業推進センターで働く溝渕さん。

実は溝渕さん、もともと西和賀町の出身。
「子どもの頃は山でアケビを取って食べたり、川原で遊んだり。
冬は家の庭にかまくらをつくったり、そり遊びで雪まみれになったり。
中学生になると、裏山でクロスカントリーとか、自然を満喫して育ちました」
高校卒業後は神戸の大学へ。卒業後も東京都内の企業に就職し、
営業部署で忙しい社会人生活を過ごした。
西和賀に帰るのは、盆と正月の年2回のみだったが、
そのたびに見上げる夜空の美しさによって
無意識に「ふるさとの存在」を確かめていたのかもしれない、と振り返る。
そして、東京での暮らしも9年を経た一昨年のこと、
「帰省した時に見た星がきれいで……、ふと帰ろうと思ったんですよね」
ちょうどタイミングよく募集されていた地域おこし協力隊員に応募。
いまは、町役場でふるさと納税の受付や返礼品発注などに携わる傍ら、
町内のさまざまな活動に関わる。
ユキノチカラプロジェクトに携わるひとりでもあり、
「日本初の取り組みが西和賀で始まっているってすごいですね。
デザインがいかに大切かを実感しています。
デザイナーの皆さんと一緒に仕事すること自体を、個人的にも楽しんでいます」
と顔をほころばせる。
未来への可能性を感じるモノやコトは、若者たちをふるさとへ呼び戻すきっかけにもなる。

〈湯夢プラザ〉のブース前でカタチになったユキノチカラブランドをアピールする溝渕さん。

では、そのきっかけになり得る〈ユキノチカラ〉から生まれた商品には、
どんなアイテムがあるのか?
その特徴や開発に携わった6事業者の思いなど、2回に分けて紹介していきたい。

この美しい雪は何を育むのか、そこから生まれた商品は?