MIO TABLE
日本の美しいグラスと
スパークリング清酒でおもてなし
千葉のグラスとピーナッツで
2月のおうちデート

和酒の楽しさを誰かとシェアしたくなる食卓。
それがコロカルの思う「MIO Table」です。
パーティというほど大げさではないけれど
お気に入りのグラスや食器を選び、日本各地の素材にこだわり、
シンプルでも気持ちが華やぐようなおつまみを用意。
相方は誰もが飲みやすい泡の和酒
スパークリング清酒〈澪〉をよく冷やしておきましょう。
グラスもメイドインジャパンのフルート型で。
それが「MIO Table」のこだわりのひとつです。

今回のテーマは「おうちデート」。
春の気配はあるものの、まだまだ寒い時期なので
ちょっと特別な日やバレンタインはおうちで乾杯してみては。
料理つくりやセッティングも、ふたり一緒ならイベント感覚で楽しめそうです。
きょうのメニューはパテとパスタに加え、
優しい甘さのピーナッツブラウニーもスタンバイ。
そこにエレガントなデザインのグラスを用意すれば、
いつもの食卓が心浮き立つデート仕様に変わります。

そんなときに選びたいのが、どこかあたたかみ、しなやかさが感じられる、
ハンドメイドのシャンパングラス。
きょうのグラスは〈エリカ〉と名付けられていて、これはイタリア語で「螺旋」の意味だとか。
きらきらと輝く螺旋状のこのステム。
しっくり手になじんで持ちやすいと思ったら、
実は驚くほど高度な職人技でつくられていたのです。

日々の暮らしにハンドメイドの輝きを

このグラスはハンドメイドのガラス食器〈sghr(スガハラ)〉ブランドで知られる、
千葉県九十九里町にある菅原工芸硝子のオリジナル。
広報担当の菅原加代子さんによると、〈sghr〉のシャンパンやワイングラスのステムは
カップの底からステム部分を引き出していく、「引き足」という技法でつくられているそうです。
この「引き足」自体、日本でもできる職人が、10人にも満たないほど難しい技なのに、
〈エリカ〉の場合はデザインが螺旋状。
カップ底のガラス溜まりに切れ目を入れて、
くるっとねじりながら垂直に伸ばして狙ったかたちにしますが、
1400度の高温でどろどろに溶けたガラスが相手なだけに、
いかに道具を意のままにあやつれるか。職人の勘だけが勝負の世界です。

この〈エリカ〉の発案者は、直営店の女性スタッフ。
ステムだってデザインしてあげたい。
そんなアイデアをきちんとかたちにできるのも、高い技術力を持つ職人集団だからこそ。
しかも商品は“日常使いができるもの”というのが大前提。
使い勝手がいいのはもちろんのこと、日々の暮らしで使ってもらうために
技を盛り込みすぎないという配慮まであるそうです。

もともと菅原工芸硝子がハンドメイドならではの、オリジナルデザイン商品に特化したのは、
1970年代のオイルショックがきっかけ。
当時の慣例だった受注生産では景気に翻弄されるうえ、
職人の感性が生かせる場がありませんでした。
これからは、本当につくりたいものを自由につくろう。
その先代の決意を後押ししてくれたのが、
グラスの口を斜めに切り落としたような大胆なかたちの器でした。
当時流行していたコーヒーゼリーを、もっと食べやすくと自分でデザインしたものですが
これがオリジナル商品として初の大ヒットに。
シンプルでモダン、しかも使いやすくて美しい。
〈sghr〉の原点のようなこの器は、発売から45年たったいまも愛されるロングセラーです。

泡を閉じ込めたり金属風の光沢を施したり。
毎年発表される数々の新作もロングセラーも
職人が巻き取ったひとつのガラスの“たね”から生まれます。
「それがハンドメイドならではの魅力でしょうね。
〈エリカ〉のようなステムウェアなら、繊細なラインにつくり手の思いを感じていただければ」
変幻自在な“たね”に人が命を宿らせたグラスは、
日々の暮らしをきっと輝かせてくれるはずです。

彼女がキッチンにいる間に、食器の準備やセッティングを済ませておいて。食後のデザートまでゆっくり楽しむためにもお互いの協力が不可欠。いつもの食事ではなく「おうちデート」なのをお忘れなく。

用意が整ったらまずは乾杯! 普段とは違う場所、たとえばリビングのテーブルで食事をするのも気分が変わっておすすめ。おもてなし用の食器を使ったり、本格的なデザートを用意するなど、“ちょっと違う”ポイントをつくるのが「おうちデート」のコツ。

●きょうのMIOグラス

sghr スガハラ(菅原工芸硝子) エリカ 9000円

住所:千葉県山武郡九十九里町藤下797

TEL:0475-76-3551

http://www.sugahara.com

※九十九里の工房と東京・青山のショールームに併設カフェあり。
グラスなどの使い心地が体感できる。

カレッジの名に偽りなし! 岡山県備前市の 食と暮らしに会いにいく、 〈備前_暮らしカレッジ〉に 潜入してみた

備前市で『食と暮らし』をテーマにしたオープンカレッジが開講

『コロカル』内でひっそり「鴨方町六条院回覧板」を書いている赤星です。
ぼくの現在のホームタウンは
連載のタイトルからもおわかりのように、岡山県の浅口市鴨方町。
岡山県では西の端に近く、南は瀬戸内海に面している。
だから、同じく瀬戸内海に面しているとはいえ、
東の端にある備前市の制作物のオファーがきたときは、
「備前……遠い」という感想しかなかった。

その制作物の内容というのは、備前市内への移住者や起業者を増やすことを目的とした、
社会実験的な学校のPR用ポスターとチラシ。遠いうえに、馴染みが薄い。
しかも、移住者や起業者を誘致するための試験的な試みといっても、
いまの時代、さほど珍しいとは言いがたい。
正直、ピンと来ないまま話を聞いていた。
しかし、特定したキャンパスを持たず、備前市内を広く学びの場とすること、
補助金の種類や申請の実際等を教えるカリキュラムがあるなどの
学校の特色のレクチャーを受けている際に、聞き捨ててはおけない言葉が。

「この学校はですね、『食と暮らし』をテーマにしているんです」

この学校のいろいろをよどみなく説明してくれているのは
フードディレクターの久保陽子さん。
情報の疎さには自信があるぼくでも名前を知っているほど
精力的に活躍している方で、彼女がこの学校の運営団体の窓口になっている。
なるほど、道理で彼女なわけだ。
「食」がテーマと聞いて俄然気持ちが入ってきた。
ちなみにぼくは朝ご飯を食べながらその日のランチに思いをめぐらし、
いきおいで晩ご飯のメニューまで組み立ててしまうようなタイプである。

学校名を〈備前_暮らしカレッジ〉という。
今夏に開校を迎えるにあたり、1月から3月まで月に一度オープンカレッジを開催している。
以下はその第1回に同行したレポートだ。

Facebookや直接のメールで申し込みのあった20名が出席。全員が岡山県内からの参加だった。

集合場所はJR赤穂播州線の伊部(いんべ)駅。
このつつましい駅舎の一画にカフェがある。名前は〈UDO(うど)〉。
ダクトや配線がむき出しの天井に、壁紙をはいだままのコンクリートの壁。
このスケルトンの内装のみならず、
器からメニューにいたるまでセンスのよさを感じさせる。
郷愁をそそるような年季の入った駅舎に、
まさかこんなにクールなカフェがあろうとは。
しかし、それもそのはずなのだ。
店主は現在岡山県内で5店のコーヒーショップを展開している木下尚之クン。
ぼくがかつて〈マチスタ〉というコーヒースタンドをやっていた時代からのコーヒー仲間で、
まこと研究熱心な焙煎人であり、おまけに店舗のプロデュースにも定評がある。
実はこのオープンカレッジの講師のひとり目が、誰であろう木下クンなのだった。
彼は備前の西隣、瀬戸内市牛窓の出身。
伊部の地元の人たちからの要請があって、
もともと伊部駅にあった喫茶店の経営を継いだカタチだ。

オープンカレッジひとコマ目の場所はもちろんこの〈UDO〉。
岡山県内から集まった参加者20名が、
備前焼で供されたコーヒーを飲みながら、木下クンの話に熱心に耳を傾けている。
話を聞くだけでなく、ほとんど全員がメモをとっている。
場所がカフェだからか、学校というかたい感じは一切ない。
でも、だからといってくだけた感じでもない。
たぶん、参加している人たちの話を聞く姿勢にあるのだと思うけれど、
場の雰囲気には一種の緊張感さえあった。
学校に見えない。でも、「カレッジ」の名に偽りなし。
その雰囲気が伝わっていたのだろう、
木下クンも久保さんから投げかけられる質問に、
努めて言葉を選んで丁寧に話していた。
短めのつばのキャップをかぶった木下クンはいつもの感じだけど、
ウールの黒いジャケットが先生らしさというか、
若干フォーマルな感じを出そうとしている意図がうかがえる。
そんな真面目さも彼らしい。

思えば、木下クンと会っているときに、店づくりの話なんて聞いたことがない。
「この話を早く聞いておけば、もしかしたら〈マチスタ〉を閉めずにすんだかも」
とは思わなかったけど、個人的に興味深い話ばかりだった。
これから飲食で起業を考えていた人にはなおさらだったろう。

蛇足ではあるが、木下クンが話している間、
店の厨房では若い女性スタッフがひとり、
コンロや冷蔵庫、棚といったステンレスの厨房器具を
それこそピカピカに磨きあげていた。
その半端のない丁寧さに、木下クンの店づくりの一端を見た思いがした。

30歳で「キノシタショウテン」(瀬戸内市邑久町)を立ち上げた木下尚之さん。現在は異なるスタイルのコーヒーショップを5店経営している。カフェやコーヒー関連のお店のプロデュースも手がける。

オープンカレッジ、ふたコマ目は〈UDO〉から徒歩3分。
駅前通りの突き当たりにある備前焼の〈一陽窯〉へ。
講師はここの3代目、木村肇さん。
店を抜けた奥にある、前後に長く連なった巨大な窯の前で木村さんが待っていた。
開始の合図も、ちゃんとした自己紹介もなにもないまま、
そこからいきなり窯の説明を始めた木村さん。

「最初に火が入るこの窯を“運”ぶ“道”と書いて“運道(うど)”といいます。
みなさんがさきほどまでいた〈UDO〉の名前はここから来ているんです」

備前焼の作家というと重々しい印象があったけど、
木村さんはむしろ若々しくてカジュアルだ。
明るめのグリーンのダウンジャケットを羽織ったその姿は、
どちらかというと古着屋のお兄さんといった感じ。
そんな木村さんが、続けて窯の前で備前焼と伊部の歴史を語り始める。
備前焼の歴史は約1000年。ここ伊部の土を掘って粘土をつくり、
伊部の山に群生している赤松を燃やして長い時間をかけて焼き固める。
上(かみ)から下(しも)まで
伊部という狭いエリアで完結していたのが備前焼であり、
それは1000年経った現在もほとんど変わっていない、云々……。
次にろくろのある工房に案内してくれた。職人さんがひとり、
ろく座と呼ばれる、ろくろを仕込んでいる板間で作業をしていた。
工房にはろく座が5〜6席はあったと思う。
木村さんが子どもの頃は、このろく座がすべて埋まるぐらい大勢の職人さんが
ここで備前焼をつくっていたという。
木村さんはその職人さんたちから備前焼を教えられた。
「菊練り」と呼ばれる、成形前の粘土を練り上げる作業から始まり、
高校を卒業する頃には一通りの作業をこなせるようにまでなっていた。

2番目のプログラムでは一陽窯の3代目・木村 肇さんが講師を務めた。中国電力のテレビCMに出演しているので岡山県人にはお馴染みの人でもある。

ここで備前焼について簡単に述べさせていただく。
備前焼は瀬戸焼や信楽焼と並んで
日本六古窯のひとつに数えられる焼き物で、
瓶やすり鉢、徳利など、実用本意の庶民の器として普及していた。
土が緻密であり、千数百度の高温で長時間焼き固められることから、
落としても簡単に割れないような丈夫さが
大きな特徴のひとつとされている。
(焼きによってもたらされる「窯変」と呼ばれるさまざまな種類の表情も特徴のひとつ)。
茶器として使用されるようになった室町時代から桃山時代にかけて、
その芸術性が注目されるようになる。
現代においても備前焼の芸術としての評価は健在で、
金重陶陽や藤原啓などこれまで5人の人間国宝を輩出している。

〈一陽窯〉は伊部に現在も多い作家性を打ち出した窯ではなく、
暮らしに沿った器としての備前焼を提供している窯だ。
当然、3代目の木村さんもギャラリーで個展を開いて、という活動はしていない。
とはいえ、松屋銀座で毎年開催される
「銀座・手仕事直売所」というイベントに参加したり、
東京のシチリア料理店でのワインのイベント用に
備前焼のワイングラスをつくって参加したりと、
目にとまるようなオリジナルな活動をしている。

しかし、ぼくがとくに興味をそそられたのは
彼のつくるすり鉢だった。何かの雑誌かネットで見たのだ。
備前焼のすり鉢なんて見たことがなかった。
一見、なんてことのないすり鉢なんだけど、
写真からずっしりとした重量が手に伝わってくる感じがして、
なんとも具合がよさそうだった。
このすり鉢だけとっても、なんとなく人がわかるような気がした。
はたして木村 肇さんはぼくのにらんでいた通り、
紛うことなき「食」の人だった。

工房から場所を移し、ミーティングルームのような部屋で約30分のお話。
久保さんとのやりとりに、木村さんという人柄がよく表れていた。
当然、核には備前焼があって、
木村さんの話からは備前焼の知識を深めることができたのだけれど、
彼はピュアにその周辺にいろんな興味を持っていて、
それがまた備前焼に通じている。
そんな話が楽しくないはずがなく、
30分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
話が終わると同時、ぼくは急いで店舗に向かって、
念願のあのすり鉢をひとつ購入した。
思っていたよりも若干重いぐらいの重量があった。
買ってからまだ数日しか経っていないので一度も使っていないが、使うのが楽しみだ。
ちなみに、お店でこのすり鉢の説明をしてくれたのは
木村さんのお父さん、レジで会計してくれたのは木村さんのお母さんだった。

噛みあわなさ加減が絶妙におもしろかった木村さんとフードディレクター・久保さんとのやりとり。備前焼というとかたそうなイメージだけど、その日もっとも笑いを誘う楽しい話だった。

グラフィックに文具店、出版業も。 〈リトルクリエイティブセンター〉 のデザインは、 岐阜のまちの人への恩返し

〈アラスカ文具〉から始まったローカルデザインの道

岐阜駅から10分ほど歩いた場所に、〈アラスカ文具〉がある。
間口は狭いが、奥に広い。
すっきりと白い店内に、たくさんの色とりどりの文具が映える。

「海外のポップな文具と、日本に昔からある定番文具を中心に取り扱っています。
見ていてワクワクするものが好きですね」と言うのは店主の横山七絵さん。
オリジナル商品も展開していて、小さくてちょっとユニークなものばかり。
ほっこりするようなプロダクトには横山さんの人間性が表れているようだ。

両側の壁の棚に文具がギッシリ!

このアラスカ文具を運営しているのは〈リトルクリエイティブセンター〉
岐阜が地元で、同じ高校・大学に通っていた仲間3人で2011年に立ち上げた。

右から今尾真也さん、横山七絵さん、石黒公平さん、臼井南風さん。

「僕は岐阜のデザイン系の高校出身で、名古屋の芸術大学に進みました。
今一緒に働いている石黒公平と横山七絵も、同じ高校なんです。
大学時代に3人でデザインユニットみたいなものを始めたのが、
この会社に至るきっかけです」と教えてくれたのは、
クリエイティブディレクターの今尾真也さん。
大学卒業後は、それぞれの道を歩んでいった。しかし25歳頃、また仲間が集結する。

「正直にいうと、当時は何か大きな野心があったわけではなく、
このままだとマズイという漠然とした不安のほうが大きかったです」

アラスカ文具の4階が事務所。やはり細長いので横並び。

3人はグラフィックデザイナーであったので、当然、デザインの仕事をしていきたい。
しかしすぐに仕事があるわけではなかった。
そこで自分たちのデザインを外にアピールしつつ、売り上げも出していくために、
〈アラスカ文具〉としてオリジナル商品を開発していく。

「当初は紙もののグラフィックが中心でしたが、
自分たちがつくったものを全国に卸すことができれば生計も成り立つかなと思いました」

クマのメモブロック。端材を使っているので、それぞれ枚数がバラバラ。

薄紙でできたオリガミ。カラフルなストライプ。

当時は、岐阜のまちにも“シャッター”が増え、遊び場が減っていた。
そこで自分たちで場をつくるためにも、文具の卸しだけでなく店舗を構えることにした。
まずはたくさんの小さな店舗の集合体であった〈やながせ倉庫〉に出店。
その後、柳ケ瀬商店街に移転する。

この2か所に出店することで自分たちの認知度があがり、
デザインの仕事が少しずつ舞い込んでくるようになる。
当初は、名刺やパッケージのデザインなど平面のグラフィックが中心だった。
しかしローカルでは、制作にまつわるすべてを頼まれることがよくある。

「お菓子のお土産のパッケージデザインの仕事をいただきました。
でも、まずはお店のブランディングから始めたほうがいいと思い、
ロゴマークなども制作しました。
始めに依頼をもらったものとは、
最終的に違うものをつくるということはよくあります。
こっちのほうが必要なんじゃないかと、
ブランドや店舗のことを考えることはすごく楽しいです」

レトロなイラストの荷札シール。

文具柄のぽち袋。

また地域密着していれば、相手のことがよくわかる。
なるべくなら性格や人間性まで知りたいという。

「たとえば地域の個人店だと、
自分たちでスタンプを捺すようなショップツールをつくることも多いんです。
そういう場合も、相手の性格に合わせたものにしたいですね。
まっすぐ捺さなくても良しとしちゃうような、
めんどくさがり屋さんもいますからね(笑)。
極力、お話してどんなタイプか把握するようにしています」

パッケージデザインが変われば売れるという単純な話ではない。
経営者、売り手、つくり手の意識まで変えていくようなことができれば、
それこそが、デザインの力と呼べるのかもしれない。

看板も白ベースでスタイリッシュ。

ひもの形をした一筆箋。折っても良し、開いても良し。

最近では、リトルクリエイティブセンターはたくさんのイベントに関わるようになった。
〈サンデービルヂングマーケット〉〈ハロー! やながせ〉〈マーケット日和〉などに、
積極的に参加している。
もちろんデザイン面で関わっていくのだが、
立ち上げから最終的にはやはり運営面にも協力することになる。

「本当にデザインが必要だから呼ばれているというわけではないと思うんです。
日頃の関わりのなかから、
デザイナーというよりもまちの一員として“何かやろうよ”という流れです」

まちのスタッフとして、その役割がデザイナーだったというわけだ。
しかしそこにデザイナーという存在がいるかいないかでは大きく異なる。
「まちの専属デザイナー」とはいわないが、
よろず相談のようなポジションにデザインの力が及べば、いい変化が起きそう。

「まちとがっつり関わりながら仕事しているので、
僕たちがおもしろくなれば、まちもおもしろくなる。
まちがおもしろくなれば、僕たちにまた仕事がくる。
そんな相乗関係にあると思います。
クリエイティブの力でまちに刺激を与えていきたいです」

今尾真也さん、柳ケ瀬商店街のレッドカーペットを歩く。

「うだつ」があがるまち!? 徳島県三好市をぶらぶら歩き

東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接する、
ボーダレスカルチャーが魅力の三好市

徳島県三好市ってどんな場所?と聞かれると
きっと旅行で訪れた人ならば、
景勝地である大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)のある祖谷(いや)や温泉など
徳島の奥地だからこそ出会える秘境の美しさについて話すはずだ。

ところが実際に三好に暮らしている住人たちは、こう答える。
「四国の真ん中にあって、あちこち行くのに便利なんですよ」。
旅人の四国行脚の拠点として滞在を勧めるあたりは
さすが、「おせったい」のお遍路文化が息づく徳島県人だ。
と決めつけてかかると、
「そうはいっても、自分たちは “徳島県人”というアイデンティティ意識は
薄いかもしれない」と地元人から戻ってきた。
なぜなら、隣県のあちこちに通勤している人も多いことから使う方言はバラバラ。
県外から三好に働きに来る人、引っ越してきた人もいる。
三好は四国4県の市町村の中でもっとも大きな面積を持ち、
東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接しているから
ボーダーレスな感覚の人が多いのかもしれない。

筆者は以前、高知龍馬空港から祖谷方面に入ったことがある。
吉野川をたどりながら池田町に向かう際には、徳島阿波おどり空港からだった。
今回は、ピンポイントで池田町に一番近い空港といわれている高松空港を利用。
到着寸前まで、なぜか高知に到着すると勘違いしていた。
まあ、それほどまでにアクセスの選択肢も多いということだ。

標識は、徳島行きやら、高松行きやら。反対方向から見ると松山行きになってしまうのだから、四国の交差点のような場所というのもうなずける。

三好市池田町のメインストリート、駅前通り。平日昼間はひっそりとしているが、夏になると入りきらないほど人が集まり、阿波踊りが繰り広げられる。

2006年に6町村が合併して三好市となるまで、
現在の三好市役所のある池田町は、三好郡池田町だった。
全国高校野球選手権大会優勝3回、準優勝2回の実績があり、
「やまびこ打線」「さわやかイレブン」で知られるあの池田高校のある池田だ。

土讃線 阿波池田駅から続くアーケード商店街、駅前通りを歩く。
個人商店の看板や風情に、どことなく昭和の残り香が漂い、
右へ左へと立ち寄りたくなってしまう。
なかでもひときわ目をひくのは、喫茶〈21世紀〉。
20世紀の時代には、21世紀というと遠い未来のように感じたのが、
すでに21世紀となってしまった今、このネーミングを目にするだけで、
急に昭和の時代へとタイムスリップさせてくれる。

駅前通りにある、ひときわ目をひくショーウインドウ。オムライスやミックスフライ定食など、洋食好きにはたまらないメニューがずらり。

笑顔が素敵な看板娘の内田貴子さん。「一押しメニューはチキン南蛮です」。ちなみに21世紀というネーミングは創業した1979年創業当初に21世紀まで続けられますように、という店主の願いから名づけられた。

おすすめのチキン南蛮は手前のお皿。見よ! このボリューム! お腹をすかせたティーンエイジャー(池田高校生)の聖地だけあり、ボリュームたっぷり。

〈母ちゃんの店 わがや〉 母の味に、県内外からお客が殺到! 滋味深い西和賀の郷土食が味わえるお店

西和賀にんげん図鑑Vol.3 〈母ちゃんの店 わがや〉

山菜、そば、きのこ、寒干し大根……。
町内にはこれら西和賀ならではの味を楽しめる店がいくつかあり、
〈母ちゃんの店わがや〉もその一軒だ。
驚くことに、この店は1年間に町の人口と同じ約6000人もの客が訪れる。
しかも、12月から3月の冬季は休業なのに、である。

同店が町内北部の沢内貝沢地区にオープンしたのは2009年4月。
カタクリの群生地そばに建つ店舗は築100年以上の古民家で、
太い梁や柱、壁に飾られた民具、野の花の生け花など郷愁感あふれる。
店名のとおり、自分の家に帰ってきたような、ゆったりくつろげる空間だ。

店内の一画では、地域のお母さんたちがつくった編み細工を展示販売している。

この雰囲気と並ぶ、同店のもうひとつの魅力が、料理。
町内産そば粉100%の十割そばと、やはり町内産の食材を使った
煮しめや、季節の天ぷらなどの郷土料理が自慢で、
「添加物を使わない」「できるだけつくりたてで提供する」ことにこだわる。

町内産のそば粉と山菜を使った〈山菜そば〉(800円)。「つくりたて」にこだわり、そばは注文後に生地をこねる。

達人の案内で歩く! スノートレッキングで 西和賀の雪を満喫

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「雪」そのものを楽しむ、西和賀ならではのアクティビティについて。
過去の連載はこちらから。

のべ9000人が参加! 西和賀ならではの「雪の楽しみ方」を達人に教わる

年間累積降雪量が10メートルにもおよび、
時には1日の積雪量が2メートルを超えるという西和賀。
そんなまちの個性づくりに欠かせない雪と、
雪がもたらす風景・食・文化を体感できる1泊2日の〈ユキノチカラツアー〉が、
2月11日~12日に実施される。
ツアーは、町の一大イベント〈雪あかりinにしわが〉の日程に合わせたもの。
雪像やかまくらをつくり、その中にキャンドルをともす〈雪あかり〉は幻想的な美しさで、毎年町民はもちろん多くの観光客をも魅了している。

昨年の〈雪あかりinにしわが〉。町民参加型のイベントとあって、町内のあちこちで幻想的な光景が広がる。

ツアーではこの雪あかりのほかにも多彩なメニューを揃えており、
雪あかりとならび西和賀の雪の魅力を体験できるとして人気なのがスノートレッキングだ。
案内するのは、自然観察指導員・写真家で、西和賀の自然をこよなく愛する瀬川強さん。
瀬川さんは隣接する花巻市の出身だが、
29歳の時、渓流釣りで訪れた西和賀でカタクリの花の群落を見て感動し、移住を決意。
最初は電気のない作業小屋でひとりで暮らし、
その後1989年に家を建てて家族とともに定住した。

瀬川強さんと奥様の陽子さん。

ヒマラヤに2度も行くなど国内外のさまざまな自然を目にしてきた瀬川さん。
そんな瀬川さんが移住を決意するほど感動したというカタクリの花には、
どんな魅力があるのだろうか。
「カタクリは群がって咲く花で、群落はまるでピンク色の絨毯のようでした。
しかもこの花は咲くまでに7~9年間もかかるので、
その群落があるということは一帯の自然環境が何十年も変わらず守られているという証拠。
日本にもこんなすばらしい場所があるのだと感動したんです」

自然保護や古民家保存などの活動にも携わる瀬川さん。西和賀に移住して30年近く経つが、行政の協力もあって町内の自然環境に大きな変化はないという。

瀬川さんが撮影したカタクリの群落の写真。町内には群生地が数か所ある。雪解けとともに咲くカタクリは、西和賀に春の訪れを告げる花だ。写真:瀬川さん提供

〈GOCCO.(ゴッコ)〉 岐阜・大垣の 注目ベンチャー企業が提案する、 ちょっと先の 「たのしい未来」とは?

IAMASで学んだこと、得た仲間

“楽しさぞくぞく開発中”という、ワクワクするキャッチフレーズを掲げている、
クリエイティブカンパニー〈GOCCO.(ゴッコ)〉は、
岐阜県大垣市にある4階建てのビルをまるごと1棟リノベーションして
シェアオフィスにしている。3階にGOCCO.が入り、2階は〈南原食堂〉
4階は建築設計事務所〈TAB〉と、仲間の企業や飲食店が入っている。

2階にはデジタルファブリケーション機器も設置してある。

代表取締役である木村亮介さんは名古屋出身。
教育大学の美術科を卒業し、印刷会社に入社。
パンフレットやウェブサイトなどの制作ディレクターとして働いていた。

「その会社では3年半くらい働きました。
でもどうしても海外に行きたくなってしまって、お金を貯め始めたんです。
飲み会も断り、ボロボロな車に乗って(笑)。
お金が貯まったので、いわゆる海外放浪に出ました。
行き当たりばったりで1年半。帰国後、やはり日本を客観的に見るようになるんですね。
そうすると課題とか問題点がたくさん見えてくる。
それに対して自分は何がしたいのか、何ができるのか。
そこでもう一度学び直したいと思って、
〈IAMAS(岐阜県立情報科学芸術大学院大学)〉に入学しました」

GOCCO.代表取締役の木村亮介さん。

〈IAMAS〉とは、先端メディアと芸術的創造を学ぶ学校。
専門的な教員陣がいて、芸術系大学を卒業した学生や一度社会で働いた学生など、
幅広いジャンルが集まってくる。
木村さんはこのとき29歳。

「入学したら、思った以上に、おもしろい人たちに出会うことができました。
海外と同じくらい多種多様で、動物園みたいに個性的(笑)。
年齢のこともあって、ただ学ぶだけではなく、
自分から動いて挑戦していかないといけないという焦りもありました」

入学してすぐ出会ったのが現パートナーともいえる森 誠之さん。
すぐに意気投合し、1年生の夏には、一緒に会社を立ち上げることを決めた。

「生きてきた道やジャンル、考え方は少し違うけど、目指すものが一緒だったんです。
だからスムーズに話をすることができました」

1階エントランスはいきなりグラフィカル。

GOCCO.はみんなバラバラで個性的

クリエイティブカンパニーとして、GOCCO.はさまざまなジャンルの仕事をしている。
中心にあるのはスマートフォンアプリの開発だ。
とはいえ、どれも小難しいものではなく、
子どもたちがドキドキするような楽しさにあふれている。

「 “楽しさぞくぞく開発中”というキャッチフレーズは、
学生の頃に考えてから変わっていません。
ちょっと先の未来にこんなことができたらおもしろいんじゃないかということを
提案することが僕たちの役割。中心メンバーはIAMAS出身ですが、
みんな個性的でやりたいことがバラバラだったりします。
でもそれを逆手に取ればいろいろなことができるし、
技術や知識を結集させれば新しいものが生まれます。
今後、世の中がどうなっていくかということを考えながら、
いま、自分たちがやらなければならないことを見つけていくという
プロセスを大切にしています」

楽しそうな仕事の作品などが並ぶ。

最近では、子どもたちへ向けた取り組みを盛んに行っている。
まずは働き方。大人が楽しく働いていないと、子どもへは響かない。

「日本は仕事に対してのマイナスイメージが強い。
ブラックとか、社蓄とか、サビ残(サービス残業)という言葉が社会で躍っていますよね。
本来、仕事しないと生きていけないし、多くの時間が割かれるもの。
仕事がおもしろくなかったら、人生おもしろくない。
それは働き方であり、内容であり、仲間であると思います」

GOCCO.では、みずからそうした「仕事」をやっている姿を見せる。

「たとえば、『こういういいビルがあったらまるごと借りてリノベーションしちゃうよ』
というのもひとつ。
お父さんが楽しく働いていなかったら、
子どもは仕事に対していいイメージを持てないし、将来社会に出たくなくなる。
『ゴメン、お父さん、楽しいから仕事行くわ』くらい言ってほしい。
そこに遊び心があれば続けていけると思います」

1棟まるごと借り切っているSTUDIO3ビル。

子どもたちに対する直接的な取り組みとしては
〈ミニフューチャーシティー〉というプロジェクトがある。
子どもたちが運営する小さなまち。仕事を考えてお店を開き、売買活動をする。
その際「LITコイン」という端末システムを使用する。

ひとりひとつずつコイン型端末を持っており、
それぞれの端末のボタンを押すとLEDが光る仕組みになっていて、
その光のパターンをアプリが認識し、必要な情報を呼び出すもの。
すべてのお店での支払い、ATMでのチャージ、仕事管理、会社の立ち上げ・廃業など、
会場中にあるiPadと連携して行うことができる。

コイン型端末のLEDを光らせて、iPadに認識させるシステム。

「僕たちが会社をつくったときの感覚を
子どもたちにも体感してほしいというワークショップです。
デジタルネイティブである子どもたちのほうが、直感的に使い方を理解しますね。
“こういう考え方をするんだ” “この機能が使いにくいんだ”
“誰もこの機能は使ってないね”など、子どもたちから学ぶところがたくさんあります」

子どもたちが自ら考え、選んで、体験する。
そこから得た学びで、また次の仕事に向かう。こうした体験ができる小さな未来のまち。
その未来にあるであろうICTシステムを活用していく。

GOCCO.が独自開発した特殊インクを使った印刷物をiPadなどの端末に触れることで認識させることができるPITシステム。その一例である〈POCARI MUSIC PLAYER〉は紙を当てるだけで、音楽再生ができる。

理想のライフスタイルを 追い求めて、選んだのは 西和賀町でした

西和賀にんげん図鑑Vol.2 
渡辺農園 渡辺哲哉さん

西和賀町に移住する人も、岩手に移住して初めて農業を始める人も、
いまでは珍しくなくなった。
でも渡辺哲哉さんのように、「西和賀町で農業を始める人」はけっして多くない。
しかも当時住んでいた東京から移住したのは、
「Iターン」という言葉がまだ一般的でない、20年前のことだ。

農業を始める人のきっかけが、「こんな作物をつくりたい」
「自分でつくった作物を食べたい」「こんなスタイルの農業に挑戦したい」というなかで、
渡辺さんのそれは、「『耕す暮らし』を追究したい」だった。
「大学生の時に哲学者ハイデガーの現代思想と出合い、
『自由な存在のあり方を取り戻せる、理想のライフスタイルとは何か』ということへの
関心が高まった。行き着いたのが『耕す暮らし』だったんです」

宮沢賢治の世界観のイメージもあって、就農する場所として岩手県は有力候補だったが、
「平野が広がる内陸筋は、ある意味関東圏と違いが少ないような気がした」ことから、
奥羽山系や北上山系がいいと思っていた。
そんなとき、知人の紹介で西和賀町沢内を訪れ、
茅葺き屋根が似合う田舎らしい景観に魅了されて移住を決意。
農業で生計を立てている専業農家が多い点も、新規就農者としては安心だった。

とはいうものの、当時から今まで、苦労は数え切れないほど多い。
自然相手のことなので、思うようにいかないのは当たり前。
また、移住当初は独身だったので生活はシンプルだったが、
結婚して子どもが生まれると経済面の悩みや子育てなどの家仕事も加わり、
冬場家族を置いての他県への出稼ぎの辛苦も味わった。
そんななかでありがたかったのは、
まちの人たちが渡辺さんを「地域の人」として受け入れてくれ、見守り、
困った時には助けてくれたこと。
「移住当時、田畑を借りていた家の70歳過ぎのおばあちゃんが
隣の集落から自転車で毎日通ってきて、農作業を手伝ってくれ、
地元に生きる術を授けてくれたことは忘れられないですね」と懐かしむ。

りんどう畑。写真:渡辺さん提供

たらの木。芽は山菜として人気がある。写真:渡辺さん提供

里山十帖・岩佐十良さんによる 新たな視点を取り入れ、 〈ユキノチカラ〉は 「つくる」から「売る」の ステージへ

岩手県の山間部にある西和賀町。 積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。

クリエイティブ・ディレクター岩佐十良さん、晩秋の西和賀を訪ねる

2014年5月のオープン以来、コンセプトや宿泊客満足度、
部屋稼働率などあらゆる面から注目を集めている新潟県の温泉宿〈里山十帖〉。
それを運営しているのが、
クリエイティブ・ディレクターで雑誌『自遊人』編集長の岩佐十良さんだ。
ほかにも移住先の新潟県南魚沼市で米づくりを行うだけでなく、
オーガニック食品の企画・商品化、
さらには市の委員や広域観光圏のアドバイザーなども務めるという、
多忙を極める岩佐さんが西和賀町を訪れたのは、晩秋の色濃い11月の半ばのことだった。

実は今年度〈ユキノチカラプロジェクト〉は、次のステージへ一歩踏み出すことになった。
ユキノチカラをキーワードにした地鶏のブランディングと、
「ユキノチカラ=西和賀の魅力」を体感してもらうモニターツアーの実施だ。
雪国の食と文化を伝える観光の視点から、アドバイザーとして指名されたのが、
岩佐さんだった。

新潟県南魚沼市の温泉宿「里山十帖」。写真:岩佐さん提供

岩佐さん自らつくった米を味わうことができる。写真:岩佐さん提供

「岩佐さんには、西和賀の雪国文化をまちの魅力としてどのように生かしていくかを
一緒に考えていただきたいとお願いしました。
岩佐さんにお願いしたのは、デザイン・クリエイティブの価値をよく知り、
自らそれを生かしてビジネス展開している実践者だからです。
また、岩佐さんのような方にプロジェクトに参加していただくことで、
外部地域とつながったり、プロジェクト全体の視野を広げることができればと考えています」と、プロジェクトの運営や広報をとりまとめる日本デザイン振興会の鈴木紗栄さんは期待する。

鈴木さん(右から3人目)と、ユキノチカラプロジェクトのデザイナー6人。デザイナーは普段それぞれの事務所で仕事をしているので、西和賀でのプロジェクト会議は、顔を合わせる貴重な場だ。

健康落語が 弘道館にやってきた! 水戸 養命酒薬用ハーブ園 vol.2

《連載第1回はこちら》

茨城県水戸市と薬用養命酒でおなじみの養命酒製造株式会社が
薬草を活用するプロジェクトをこの夏から開始しました。
まずは、植物公園敷地内に〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉を
2017年4月にオープンします。
水戸藩に古くから残る薬草・生薬文化と、
400年以上も前に創製された薬酒を継ぐ養命酒製造株式会社によって
新たな薬草文化の価値を今に伝えていく、官民協働の新しい取り組みのかたち。
コロカルでは、プロジェクトの重要な部分を担う
市民向けのワークショップやイベントをレポートしていきます。

水戸学の拠点、弘道館で カジュアルに落語を聞く

都内では、寄席に並ぶ行列が連日のように続き
江戸時代以来ともいわれる平成落語ブーム到来の折、
江戸末期(1841年)に日本最大の藩校としてつくられた水戸の弘道館に
落語家、立川らく朝さんがやってきました。

水戸市と養命酒製造の協働事業のための
ワークショップに、なぜ弘道館で落語を?
その疑問は追々解決するとして、まずは落語の様子から。

寄席に集まったのは、中高年を中心とした約80人のみなさん。
聞けば、地元にある生涯学習サークルに属している人が多く、
常時、市内でのおもしろそうなイベントには参加するように
チェックしているそうです。

特に、前回に訪れた水戸市植物公園の西川綾子園長の講座は
人気があり、固定ファンもいるくらい。
「水戸市は生涯学習が盛んな土地なんです。
なんたって日本最大の藩校、弘道館のある土地ですから」
と前回のワークショップの際に西川園長が言っていたのを思い出しました。

今回は、水戸藩9代藩主 徳川斉昭公がつくった歴史的建造物、
重要文化財の弘道館で落語を聞けるとあれば、
多くの方が集まるのも納得です。

トトトン、という出囃子とともに高座に上がったらく朝さん、
まずはまくらにご自身の話など。
らく朝さんは46歳で立川流に入門される前は内科の医者でした。
そんならく朝さんオリジナルの健康落語は、全国各地でひっぱりだこなのです。

「医者と落語家も、政治家も振り込め詐欺も口だけの商売」と軽やかに噺す、らく朝さん。

徳川慶喜公が幼少期に学んでいたという、至善堂での寄席。らく朝さんが羽織を脱ぎ、本題に入ってからは、皆、集中して聞き入っています。

医学的に説明すると難しそうな内容も立て板に水を流すように噺す、らく朝さん。
ガンからメタボまで、生活習慣病予防の
参考になるような話には熱心にメモをとる人の姿も。
そんな参加者の姿を見て、
「笑うだけでガンにならないんですよ」とひと言。

「いやね、健康落語なんぞをしているとですね、
らく朝さん、体に一番いいことってなんですか? とよく聞かれるんですよ。
そういう質問には、笑いくらい体にいいものはないですよと答えます。
私たちの体のなかでは、毎日がん細胞ができているんです。
でもね、笑うと、いいんですよ。
笑うだけでがん細胞を攻撃する
NK(ナチュラルキラー)細胞が体内に増えるんですからね。
本日も難しい顔をして下を向かずに、
大いに笑っていってください」

さて、まくらから本日の演目へ。
らく朝さんが選んだのは、「代脈」という演目。
間抜けな医者見習いの落語です。
アドリブで、どのような状態の患者にも葛根湯を勧める医者の話
「葛根湯医者」についても織り交ぜた話にしてくれます。
医者になるまでの過程にあった自身の経験を交え、
江戸時代の診療をテーマにした古典落語をセレクトしました。
葛根湯はクズの根が主成分の伝統的な漢方薬。
クズは古くから知られた薬用植物なので、
そういった観点から聞くと興味深い小咄です。

あっという間に落語に集中した時間が過ぎ、
最後はみなさんでにっこりと記念撮影しました。

中央は立川らく朝さん。右には、本日の司会を務めた水戸市植物公園・西川園長が。念願の「葛根湯医者」を聞けてうれしそう。

「水戸のみなさんは、反応が良くて心地よかったですね。
なんといっても病気にならないためには
ストレスを溜めないことが重要ですから、
どうやって発散するかということです。
ストレスを溜める一番の原因は、病院に行くことですよ」
らく朝さんの言葉に、最後にまた笑いが起こりました。

MIO TABLE 日本の美しいグラスと スパークリング清酒でおもてなし 福井のグラスと鯖で 年末年始のパーティーテーブル!

和酒の楽しさを誰かとシェアしたくなる食卓。
それがコロカルの思う「MIO Table」です。
パーティというほど大げさではないけれど
お気に入りのグラスや食器を選び、日本各地の素材にこだわり、
シンプルでも気持ちが華やぐようなおつまみを用意。
相方は誰もが飲みやすい泡の和酒、
スパークリング清酒〈澪〉をよく冷やしておきましょう。
グラスもメイドインジャパンのフルート型で。
それが「MIO Table」のこだわりのひとつです。

今回のテーマは「年末年始のおもてなし」。
おなじみの料理にサプライズを少し加えて、
おうち忘年会や新年会を開いてみませんか。
たとえば、ほんのり紅色ご飯の鯖寿司や、牡蠣と里芋の和風グラタン、
クミン風味のにんじんと杏のサラダなど、
気負わなくても簡単につくれるものばかりです。

食器は普段使いのものだとしても、
漆塗りのものを何かひとつでもプラスできれば、
それだけで不思議と晴れがましい雰囲気に。
きょうは越前塗りのステムを持つシャンパングラスを選びましたが
このステム部分は木製なのでとても軽い。
でもお酒を注ぐと絶妙な安定感が生まれ、
指先にもしっくりとなじみます。
漆器のことを英語では“JAPAN”とも呼びますが、
この〈JAPAN Glass〉はまさに名前どおりなんですね。

漆器の奥深さをステムで表現

このグラスを考案したのは山本泰三さん。
越前塗りの里・福井県鯖江市にある山久漆工の3代目ですが、
お話をうかがうと本当にさまざまなことに取り組まれています。

あらゆる漆器の修理を引き受け、
いまの暮らしに合うデザインの商品を開発。
最近では、北陸の古民家再生プロジェクトや、
福井の新しいものづくり拠点〈CRAFT BRIDGE〉にも参加。
ロンドンで漆を使った金継ワークショップを主催するなど、
その活動範囲の広さは驚くほど。
家業を継いだ10年前から漆器の“居場所”を求めて、
あらゆる試行錯誤を繰り返してきたそうです。

漆器は木地つくりから塗りや研ぎ、蒔絵など、
非常に細かい分業制のため、どの職人が欠けてもつくれない。
漆器の良さは使ってもらって初めてわかるのに、
高度な職人技で仕上げた商品は高価になり、
使うのがためらわれるという側面もある。
そのジレンマを解消し、職人の技を次世代に引き継ぐためにも、
伝統的な技法で身近なものをつくりたい。

そこで山本さんが思いついたのが、漆器×ガラスのグラス。
どんなかたちなら自分でも使いたくなるだろうか。
そう考えるとすらすらとステムのデザインが描けたそう。
このデザインをもとに、かたくて丈夫なケヤキの木をロクロで挽き、
伝統的な塗りの技法を駆使して仕上げたのが、このステム。
ガラスと異素材の接着方法も、
陶器×ガラスを成功させていた九谷焼の窯元に、
「同じ伝統工芸の世界ですし、むしろ大歓迎です」と、
驚くほどこころよく協力してもらえたのだとか。

溜漆、白漆、拭き漆、とぎかすり、蒔絵。
塗りの技法ごとに異なる表情を持つグラスは、
特に海外では、暮らしに欠かせないものだけに、
日本の技と融合したのは驚きだと高い評価を受けました。
「JAPANと呼ばれる漆器が、この国から消えることのないように、
少しでも興味を持ってもらえればうれしいですね。
その選択肢を広げる努力は惜しみませんから」
山本さんのその言葉は、漆器の世界だけではなく、
日本の伝統を明日へとつなげたい人、共通の思いのはずです。

ケヤキの木目が美しい拭き漆と、艶やかな溜漆のシャンパングラス。シックなグラスに合わせて、ブラウン系を基調にコーディネイト。温かみが伝わる「MIO Table」は、親しい人を迎える冬のおもてなしに。お花とひざ掛けもお忘れなく。

●きょうのMIOグラス

山久漆工 JAPAN Glass
拭き漆12000円、溜漆14000円

住所:福井県鯖江市河和田町20-4-6

電話:0778-65-0101

http://www.yamakyu-urushi.co.jp

CRAFT BRIDGE

住所:福井県福井市中央3-5-12

http://craftbridge.jp/

※コロカル「リノベのススメ」でも紹介

https://colocal.jp/topics/lifestyle/renovation/20161125_85534.html

トライ&エラーを重ねてできた 〈mikketa(ミッケタ)〉の 毛糸のプロダクト

発見と工夫がつまったプロダクト

綿織物などを石の上に置いて木の棒で叩くと表面がなめらかになって艶が出てくる。
こうした「艶つけ業」として1887年に始まったのが、
現在の〈三星テキスタイルグループ〉
糸や生地をつくったり、染色や加工などを含め、多角的に展開している。
現社長の岩田真吾さんは5代目。
異業種の他社で会社員を経験後、2009年に三星に戻ってきた。

「業界的に素人目先で工場を歩いていると、
もちろん商品となる美しい柄の生地などがたくさんあるわけですが、
一方で、短くなった糸もきれいだなと感じたんです」

細かい糸や綿ぼこりが袋に集められる。

商品をつくる過程で生まれてしまう端材やゴミ。
しかし岩田さんの目にはきれいなものだと映った。
のちに〈mikketa〉というブランド/プロジェクトになる原点だ。

「こうしたものはもちろんリサイクルとして使われることもあります。
しかし、ただリサイクルすればいいという気持ちにはなれませんでした。
それでは、“美しいな”という感情がどこかにいってしまいますから。
つまり価値が下がってしまうと思ったんです」

美しいものを、美しいまま活用したい。
ただリサイクルするのではなく、おもしろいことがしたい。
そう思っていたときに、IAMS(情報科学芸術大学院大学)の小林 茂教授を介して
〈TAB〉の山下 健さん、横山将基さんに出会った。TABは建築設計事務所。
住宅、オフィス、店舗などの設計や改装などのほかに、
家具やインテリアなども手がけている。
だから毛糸というやわらかい素材にはあまり馴染みがなかった。

「樹脂や和紙などに毛糸を混ぜ込むことができるのではないかと思いました。
ゴールは見えていなくても、まずは板状にすれば、後々、加工がしやすいですからね」
と言う横山さん。
樹脂製作は羽島市のプロスパー、和紙製作は美濃市の丸重製紙に依頼した。

「商品化は見越していましたが、実際にどうなるかわかりませんでしたから、
とにかくおもしろがってトライしてみる環境が必要でした。
そういう意味では横山さんをはじめ、話を受けてくれた職人さんたちも、
新しい取り組みの心意気を感じてくれる人たちです。
樹脂もたくさんの種類を試したし、毛糸もいろいろな含有量を試しました。
丸重製紙さんには『これ本当だったら異物混入ですよ』と笑われたり。
一緒につくり上げていく精神を持った人たちでよかったです」(岩田さん)

和紙の折り紙。

樹脂でできた一輪挿し。お花は折り紙で折ったものだ。

結果的に、材料も製造も、岐阜県内で賄えた。
岩田社長いわく「閉じているつもりはまったくない」が、
岐阜にはそれだけものづくりの素地が集積しているということだろう。
特にトライ&エラーを重ねる必要がある段階で、
しかもそれが実際のプロダクトである場合には、距離的な近さは意味を持つ。

「近いからすぐに確認しやすいし、細かな修正もしやすかったです。
みなさん、その場で『もうちょっと毛糸増やしてみる?』って、
すぐにやってくれますからね」(横山さん)

岐阜県立森林文化アカデミーの和田賢治先生につくってもらったナラの木のイスとコラボ。座面は布のようにデザインされているが樹脂である。

左から三星毛糸の伊佐友美子さん、代表取締役社長の岩田真吾さん、TABのデザイナー横山将基さん。

計算できない毛糸の動きがつくる一点もの

毛糸の色と分量は調整できるが、柄となる毛糸の動きはコントロールできない。
うまく分散することもあれば1か所にかたまることもある。
「意図(いと)できない。糸(いと)次第」と岩田社長。
だから同じ商品はふたつとない。
気に入った柄を見つけたときは、「みっけ!」と言って買ってほしい。

バングルやペンダントなどのアクセサリーは、伊勢丹との共同開発。一緒にブレストしながらつくり上げていった。

ペンスタンドは糸の巻き芯を利用している。
柄はつくったものではなく、もともとの巻き芯の柄のままである。
不思議とユニークで“使える”柄が揃っている。

「巻き芯の工場がわざわざデザインしているわけではないと思うんですよね。
おそらくこれ自体も余った紙を再利用していると思います。
でもストライプとかハートとか、かわいい柄があるんです」(横山さん)

不思議とポップでかわいい柄が多い巻き芯を利用したペンスタンド。

創立65年の劇団と 演劇専用ホールをもつ “地域演劇のふるさと”西和賀

西和賀にんげん図鑑Vol.1 
小堀陽平さんと妻の結香さん
(ギンガク実行委員会・企画委員)

東京で生まれ育った小堀陽平さんが、このまちに移住して、もうすぐ3年目を迎える。
現在は、西和賀町地域おこし協力隊として
演劇専用ホール〈銀河ホール〉の運営やまちの広報活動に関わるが、
もともと西和賀に特別な縁があったわけではない。

きっかけは、日本大学大学院芸術学研究科に在籍していた晩秋のことだった。
「東日本大震災の後、かつて銀河ホール館長を務めた芸術プロデューサーと
西和賀町の旅館組合の組合長から、湯田の温泉宿を使って
演劇学生たちの合宿をやれないものか? と声をかけられて」

西和賀町には、古くから演劇文化がある。
戦後まもなく地元住民によって結成された〈劇団ぶどう座〉は
中央演劇界とのつながりも深く、60年以上も活動を続けているそうだ。
そうした素地のもと、1993年に演劇専用施設として建てられた〈銀河ホール〉は、
地域演劇祭から国際的な演劇交流まで幅広く活用されてきた。

「このまちには劇団ぶどう座と銀河ホールが積み重ねてきた、
新旧さまざまな地域行事や伝統芸能があるし、ほかの地域にも誇れる設備や環境がある。
せっかくなら、合宿だけでなく演劇祭を開きたいと伝えました」

小堀さんの提案をうけ、まちでは、師走の多忙な時期からコトがパタパタと動きだす。
1月末に合宿実施のめどが立つと、小堀さんが学生たちに声をかけ、
東京都内3団体による滞在型演劇祭の開催が決定。
3月上旬上演に向けて慌ただしく小堀さんがまちを訪れたのは、
西和賀町が最も雪に覆われる2月の真っただ中だ。

「初めて訪れた西和賀がその時期。
特に雪の多い年だったらしいのですが、比較対象を知らなかったおかげで、
純粋に、東北の冬ってこういうものなんだなと思いましたよ(笑)」

それは、逆転の発想から始まった。 地方創生の新しいカタチ、 〈ユキノチカラ〉が動き出す!

西和賀ならではの食ブランド、誕生

雪がもたらす岩手県西和賀町の魅力あるコンテンツを
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉
住民にとって厄介な存在だった雪を、しっかりタカラモノとしてアピールしていくため、
マイナスを逆手にとった発想、そして、これまでにない枠組みによってスタート。
小さなまちで生まれた〈ユキノチカラ〉は、
いま、全国のデザインプロジェクトの手本となる大きなムーブメントになろうとしている。

2016年3月22日、23日、東京ミッドタウンで開催された〈復興デザインマルシェ2016〉。
東北地方と茨城県から集まった35事業者のアイテムがずらり並ぶなか、
岩手から参加した西和賀町のブースには、2日間途切れることのない人の列ができた。

ブースの前には、1年がかりで立ち上げた新しい食ブランド〈ユキノチカラ〉の商品を
興味深く手にとってほおばるお客たち。
その様子を心配そうな面持ちで見守るのは西和賀町役場の高橋直幸さん、
〈ユキノチカラ〉プロジェクトの推進役だ。

高橋直幸さんは西和賀で生まれ育って、18歳で役場に入庁。以来、観光や農林、防災、県庁出向まで20 年間で約10 部署を経験してきたミスター西和賀!「西和賀食ってみでけろ隊」の立ち上げなどにも関わる。

〈ユキノチカラ〉とは、雪がもたらす西和賀の魅力あるコンテンツを
全国へ発信していくためのブランドコンセプト。
「西和賀は冬場の積雪量が10メートルにも及び、
2メートル近く雪が積もることもあります。
昔から雪は住民にとって厄介な存在でした」と直幸さん。

生活者にとってはマイナス要素の大きな「雪」だが、
それは西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくる重要な要素。
それをしっかりタカラモノとしてアピールしていくための考え方が
〈ユキノチカラ〉なのだ。

1年前から始動したこの取り組みの注目すべき点は、
マイナスを逆手にとった発想、そして、
これまでにない枠組みによるスタートだということ。
その経緯を少し振り返ってみよう。

〈未来工業〉 日本一幸せな会社をつくった、 「常に考える」精神

「97%の逆を行く」、創業時の発想

“日本一幸せな会社” “超ホワイト企業”などというキャッチフレーズが踊る企業がある。
岐阜県にある未来工業だ。
電設資材や管工機材を中心に製造するメーカーで、
そのひとつ、電気のスイッチボックスは100種類以上発売されており、
国内シェア約70%を誇っている。

スイッチボックスの数々。

1965年創業。現社長である山田雅裕社長の父である山田昭男氏が創業者である。
創業当初は「食べていくのが精いっぱい」。
ブラックだホワイトだと言っている場合ではなかったが、夢は大きかった。
山田雅裕社長が先代の創業当時を語る。

「大垣は戦前から工業のまちでした。
そこで創業メンバーは下請けはやめて、メーカーとして勝負していこうと考えたようです。
そして国の発表している高額所得法人に名を連ねる企業を志したと聞いています」

この高額所得法人は当時、法人総数の3%程度であったという。
しかし創業メンバーはその3%の真似をするのではなく、
「残り97%がやっていないことをやろう」と考えた。
成功モデルといえども、真似はしたくない。ユニークな発想である。
97%の逆張りをするということは、他社と同じことはやらないということ。
大多数が持つ常識や慣習など、すべてを疑っていく。

山田雅裕代表取締役社長。派手な柄シャツには意味がある。

山田昭男氏のよく知られている逸話がある。

「高級料亭などに行っても、靴を脱ぎっ放しにして揃えないんです。
それは自分がやることではないと。
バカと言われようが、変人と言われようが、徹底して人と違うことをやり続ける。
そういう生き方で未来工業を守ってきたんです」

山田昭男氏は夏はじんべえ、冬は作務衣を着ていたという。
一方、山田雅裕社長は、いつもアロハシャツを着ている。トレードマークだ。
取材日は秋を意識して茶系のシャツだったが、それでもハデな総柄シャツ。

山田雅裕社長の代になって4年。変えたことはあるのだろうか。

「何も変えていません。むしろ守ることに尽力しています。
放っておくと、人間はどんどん普通になっていくと思うんです。
そうならないために、いかにそこを引っ張りもどすか。
それが自分の仕事だと思っています」

普段から人と違うことをしていることで、
会社としてもライバルと差別化をつけていくことができるという哲学だ。

工場ではキャップ着用。

電気ケーブルが通るPVKボックスの仕上げ工程。

社内のルールは「常に考える」のみ

未来工業を語るうえで欠かせない、いくつもの有名な社内ルールがある。
“ホウレンソウ”禁止、残業禁止、ノルマ禁止など。
しかし未来工業のなかでは、報告・連絡・相談は普通に行われている。
それらがないとコミュニケーションが成り立たないだろう。

「“ホウレンソウ”をしなさいというキャンペーンや、
会社からの押し付けはやらないという意味です。
上司が部下に対して『なぜ報告しないんだ』と怒ることもありません。
そんな人は上司の資格なし」

ちょっと勘違いして世間に伝わっている部分もある。
明文化されているわけでもないし、
山田雅裕社長いわく「父が勝手にしゃべっただけ」という。
だから本当はルールではない。
しかしそれはきちんとした意味をともなって、今でも未来工業に伝わっている。
ノルマ禁止も世間のイメージとは少しニュアンスが違った。

「生産計画に基づく、売り上げ目標や計画はありますよ。
ただしそれを達成できなかったとしても、ペナルティはありません。
うちは毎年、新商品がたくさん発売されます。
全盛期は年間1000個以上、今でも500個は発売されていて、
期待値はとても大きいと言えます。
なぜそんなにたくさん発売できるかというと、お客様から情報を集めているから。
未来工業の営業マンは、“商品を売ること” “情報を集めてくること”。
このふたつが仕事なんです。
ノルマを取り入れて、売り上げに固執すれば、みんな一生懸命売ると思いますよ。
それでも数年はいいでしょう。でも情報収集がおろそかになります。
すると10年後、20年後、新商品を出すことができない。
そんな未来工業は、もしかするとこの世にいないかもしれません」

たくさんの製品が並ぶショールーム。一般にはお目にかからないものばかり。

こうしたルールの根底にあるのは、社是でもある「常に考える」。
会社を訪問するとわかるが、社内のいたるところにこの社是が掲示されている。
本当に右を向いても左を向いても、この言葉が視界に飛び込んでくる。

「中途採用が多いのですが、
転職組は過去の会社で叱られたり、命令されて仕事をしてきた経験があります。
未来工業に来て『好きにやっていい』と言われて、最初はとまどうみたいですが、
慣れると楽しくなってくるようです。
うちは何をしても怒られない。失敗して怒るのはとても簡単です。
管理職は命令も禁止。説得して納得させます。
子どもに対するのと同じようなアプローチで命令するのはかっこ悪いですよ」

だから山田社長は自信を持って言う。
「未来工業では、“常に考える”ことしか社員に要求しません」

「常に考える」ばかり見ていると……

「常に考える」癖がつく。

〈やっとかめ文化祭〉開幕! 伝統芸能と歴史文化だけじゃない、 名古屋のまち そのものを体感する祭

やっとかめ(久しぶり)! 今年はどう楽しむ? 名古屋文化の祭典

名古屋のまちを舞台に、名古屋の歴史、伝統文化を
新しい感覚で楽しむことができる一大イベント〈やっとかめ文化祭2016〉が、
今年も10月29日(土)~11月20日(日)までの約1か月間、名古屋市内各所で開催中。
いまでこそ自動車産業を中心とした
工業都市というイメージの強い名古屋(及び愛知県)ですが、
実は江戸時代から尾張徳川家のもとで豊かな文化を育んできた、“芸どころ”でもあります。
やっとかめ文化祭は、その名古屋文化に裏づけられた優れたコンテンツを一堂に集めた祭典。
4年目となる今回はさらにプログラムも充実しています。狂言のストリートライブ〈辻狂言〉、
都心の真ん中にモダンな茶室が出現する〈街茶〉、有名料亭での〈お座敷ライブ〉、
まちなかで歴史やカルチャーを体験する〈まちなか寺子屋〉〈まち歩きなごや〉など、
約150もの企画がさまざまな場所で同時多発的に開催されます。
担当するのは、初回からずっと関わってきた名古屋市職員の吉田祐治さんです。

そして、もうひとりのキーパーソンが、
名古屋のまち中をキャンパスとして活動する団体〈大ナゴヤ大学〉学長の加藤幹泰さん。
彼は、名古屋市の中心部に位置する名古屋テレビ塔周辺のまちの活性化を図る
〈ソーシャルタワープロジェクト〉などにも携わってきた、名古屋のまちをおもしろくする、
若きリーダーのひとり。
これまでどおり、歴史・文化を掘り起こしその魅力にあらためて気づかせてくれるだけでなく、
さらに、さまざまなイベントが行われる、
いわばこの文化祭の舞台となる名古屋のまちの魅力を見つめ直すきっかけをつくりたい……。
そんな主催者たちの思いがこのイベントには込められているようです。
やっとかめ文化祭の人気イベントのひとつである〈まち歩きなごや〉。
実際は、それぞれのまちのガイドさんがちょっと誇らしげに
自らのまちを案内するツアー企画となっていますが、
今回は、吉田さん、加藤さんそれぞれがおすすめのコースをチョイス。
まずはおふたりにまち歩きガイドをしてもらい、
その後やっとかめ文化祭にかけるその熱い思いについて語ってもらいました。

写真左がやっとかめ文化祭の主催者・吉田祐治さん。右が大ナゴヤ大学学長・加藤幹泰さん。

1200体以上の円空仏が眠る荒子観音寺

まず、最初に訪れたのは〈まち歩きなごや〉のコースのひとつに含まれる荒子観音。
名古屋市中川区荒子町にある天台宗の寺院で、
世界中にファンを持つ円空仏が1200体以上保管されていることでも有名です。

吉田: こちらの多宝塔、実は名古屋市内で一番古い木造建造物なんですよ。
この塔の中から円空仏が発見されて、現在保管、展示がされているんです。

加藤: 円空ファンの間では有名なお寺で、
円空仏を彫るワークショップも行われていたりするそうですね。

実際に、円空仏を見せてもらうため、寺の奥へと進んでいくふたり。

荒子観音寺の住職から、円空がなぜそこまで人々を惹きつけるのか、
お話を聞かせてもらいました。

住職: 円空像は庶民のための仏像であることがまず大前提にあります。
生涯において、全国さまざまな土地へ赴き、村人たちの声を聞き、
その悩みを解決するために仏像を彫っては手渡していたと言います。
円空と交流が深かったこの荒子観音には、数多くの木彫が残されていました。

加藤: なるほど。円空仏を見るポイントはありますか?

住職: 本来、仏様は高いところに祀られます。
なので、下から見上げるような角度で見るといいです。
円空ならではとも言える、髪の毛が逆だった怒りに満ちているような木彫も、
口角が上がっていることがわかります。この独特とも言える、
微笑みの表情が円空仏最大の魅力です。

加藤: 本当だ! 角度によって、怒っているようにも笑っているようにも見えるんですね。
引き込まれそうな深い魅力がありますね。

吉田: こちらに展示されている円空仏は、
木片からつくられたわずか2センチの小さな木像から、
大木を彫ったであろう3メートル級の木像までバラエティ豊かで、
円空仏の魅力に一度で触れることができるんですよ。

住職: 円空は、一本一本すべての木の中に神様が宿っているとし、
ひとつひとつ彫り出しています。
小さな木片から生まれた木像は、子どもたちのためにつくられたものだそうです。

第2土曜はこれらの円空仏が一般開放されています(団体の場合は要予約)。

10月30日(日)には、荒子観音寺にて編集工学研究所所長・松岡正剛と、名古屋市出身の歌人・岡井隆による 〈ナゴヤ面影座〉が開催された。

お参りを済ませたふたりは、寺のすぐ近隣に店を構える老舗和菓子店〈もち観〉さんへ。

創業90年を数えるこちらの店は、もともと荒子観音寺の門前通りにあった、
古くから地域に愛されてきた和菓子店。
そして、おみやげとしても人気なのが、この〈円空大黒天もなか〉です。

〈円空大黒天もなか〉1個110円〜販売中。

ほどよい甘みのあんが口の中に広がります。
あんにこだわり、菓子によって、あんの種類や炊き方も変えているそうです。
ちなみに、店主・野呂憲司さんの楽しみは、名古屋市内の和菓子青年会の集まりなのだそう。
「名古屋和菓子業界は、他県から不思議がられるほど、同業種同士で仲がいいんです」
と野呂さん。
そんな店主との会話も楽しみつつ、和菓子をほおばるふたり。

草もちも定番の人気商品。中にたっぷりと詰まったあんは、ほぼ毎朝炊いているのだそう。

こんな風に、直接まちの人と対話できるのも、まち歩きなごやの醍醐味。
ただ何となく歩いて見ているだけではわからない小さな発見の連続は、
知的好奇心をくすぐるはず。

豊岡の聴こえない音、 観えない光景を巡るアートツアー

おしゃべり禁止のツアー!?

最近はさまざまな趣向を凝らしたパッケージツアーがあるけれども、
兵庫県豊岡市で10月22日~23日に行われた『Silent Seeing Toyooka』は、
ユニークかつ摩訶不思議という意味で、群を抜いているかもしれない。

但馬空港推進協議会、城崎国際アートセンター、全但バス株式会社が主催した
この企画はひと言で言うと、“観光とアートを組み合わせたツアー”。
豊岡市内の観光スポットを1台のバスで回りながら、
その都度パフォーミングアーツを楽しむのだが、
最大の特徴は、Silent Seeing(静かな観光)であること。
一部の場所や自由時間などを除いて、基本的におしゃべりが禁止されているのだ。

このツアー形式のパフォーマンス作品の総合演出を担当したのは、
大阪を拠点に活動する公演芸術集団dracomのリーダー・筒井 潤さん。
「最初は各所でダンスと演奏があるというイメージくらいしかなかったのですが、
それだと普通すぎておもしろみがない。
もうひとつ何か要素がほしいと思っていたとき、
出石永楽館の下見に行かせてもらったんです。
ちょうど団体観光客が賑やかに見学していたのですが、
彼らがいなくなった途端、シーンと静まり返って。
こういう静けさのなかでアートを楽しみながら
観光地を回ったらおもしろいのではないかと、
そのとき思いつきました」

総合演出を担当した演出家・劇作家の筒井潤さん。

パフォーマンスの舞台となる豊岡市は、関西屈指の名湯・城崎温泉や、
復活した近畿最古の芝居小屋である出石永楽館、
一時は絶滅したものの、市民によって野生復帰を成功させたコウノトリなど、
観光資源が豊富に揃っている。
これらの観光地をバスで巡るのだが、ツアー参加者に知らされているのは、
サウンド・アートの先駆者的存在である鈴木昭男さんと、
ダンス、音、美術などの表現の間で創作を行うダンサーの宮北裕美さんが、
それぞれの場所で何かしらのパフォーマンスを行うということだけだ。

参加者はもちろん、スタッフでさえどう転ぶのか予測がつかない、
ツアーがいよいよ幕を開けた。

豊岡のシンボル、コウノトリ。ツアーで訪れたコウノトリの郷公園にて。

近畿最古の芝居小屋で観る、五感を刺激する音と踊り

コウノトリ但馬空港に降り立った人たちが、
もの珍しそうにプロペラ機の外観を撮影している。
空港のデッキでは、全身白い服を着た男女が、遠巻きに手を振っていた。
顔は無表情で、人形のようにゆっくりとした動き。誰かのお出迎えだろうか。
気になりつつもロビーに出ると、バスガイドさんが待っていたのだが、
彼女の様子もどこか変。
ひとことも発せず無表情のまま、旗を掲げて参加者をバスへと誘導する。
空港に降りた時点から“開演”していたことに、参加者はようやく気づき始めた。

空港のデッキでお出迎えする、白い男女。その存在に気づく人も、気づかない人も。

JR豊岡駅でも参加者をピックアップすると、
先ほど空港で見かけた白い男女もゆっくりとした動きで最後にバスに乗り込んできた。
どうやら彼らもツアーに参加するらしい。
車内は静まり返り、一体これから何が起こるのか、
それぞれに様子をうかがっている感じが無言ながら伝わってくる。
バスガイドさんが立ち上がってこちらを向いたものの、表情はやはりなく、
録音されたアナウンスが抑揚のない調子で車内に流れる。
再び静かになる車内。車窓には、豊岡盆地を緩やかに蛇行する円山川が広がり、
時間が止まっているかのように流れも止まっている。
置かれているシチュエーションも相まって、
この世ではない世界へバスが向かっているような錯覚を抱いてしまう。

バスの中でも基本的におしゃべり禁止。バスガイドさんも終始無言&無表情。

円山川を眺めながら、最初の目的地、出石へと向かう。

こちらの心配をよそに、バスは城下町・出石に到着した。向かったのは出石永楽館。
この芝居小屋は1901年に開館し、歌舞伎だけでなく新派劇や寄席なども上演。
但馬の大衆文化の中心として栄えたものの、1964年に閉館してしまう。
大改修を経て2008年に復活し、
手動の廻り舞台や奈落、スッポン(妖怪や幽霊などが登場する、花道の昇降装置)など、
昔ながらの貴重な設備が現在の公演でも使われている。

思い思いに見学していると、突然劇場が暗転した。
舞台上にぼんやり浮かび上がる人影。
暗闇に目が慣れてきた頃、鈴木昭男さんと宮北裕美さんのパフォーマンスが始まった。
宮北さんの歴史ある場の空気を慈しむような静かなダンスと、
鈴木さんの奏でる楽器という概念を覆すような素朴で研ぎ澄まされた音。
やがてパフォーマンスが終わると、白い男女が舞台へ近づき、おひねりを投げた。
それに倣って参加者たちも、配られたおひねりを舞台に向かって投げる。
木の床に落ちる音が、拍手の代わりに鳴り響いた。

永楽館での鈴木昭男さんと宮北裕美さんのパフォーマンス。

おひねりを投げる参加者たち。

出石のまちに出ると自由時間となり、ここにきて初めておしゃべり解禁。
参加者は出石名物のそばを食べようと三々五々に散ったが、
散策中に偶然出会った白い男女は、相変わらず無表情にSilent Seeingを続けていた。

出石のまちをさまよう白い男。白い女を見失ってしまったらしく……。

翌日の城崎温泉街での自由時間も彼らだけは素に戻ることなく、
同じようにまちを歩いていたのだが、
筒井さんは白い男女の存在をこんなふうに解説してくれた。

「自由時間になっても、アートがまとわりついているような感覚を
お客さんに持ってほしかったんです。
彼らが常にいることを頭の片隅に起きながら行動してもらうことで、
こちらの演出から離れられない状況に置くのが狙いでした。
こちらの予想以上に、ふたりは目立っていたようでしたけど(笑)。
それと町中で彼らを見つける感覚が、
田んぼの真ん中でコウノトリを見つける感覚に少し似ていると思ったんです。
バスに乗っていて『あ、いたいた!』っていうのと同じように、
ちょっとだけうれしく思ってもらえたらいいなって」

翌日、城崎の温泉街でも白い女を見失ってしまった白い男。どんどん溶けていくソフトクリームが切ない。

MIO TABLE 日本の美しいグラスと スパークリング清酒でおもてなし 新潟のグラスと 秋の味覚でグランピング

和酒の楽しさを誰かとシェアしたくなる食卓。
それがコロカルの思う「MIO Table」です。
パーティというほど大げさではないけれど
お気に入りのグラスや食器を選び、日本各地の素材にこだわり、
シンプルでも気持ちが華やぐようなおつまみを用意。
相方は誰もが飲みやすい泡の和酒
スパークリング清酒〈澪〉をよく冷やしておきましょう。
グラスもメイドインジャパンのフルート型で。
それが「MIO Table」のこだわりのひとつです。

今回のテーマは「グランピング」。
爽やかな秋の休日を存分に楽しむなら
ちょっと“グラマラスなキャンプ”気分で
「アウトドアごはん」をいただきませんか。
ダッチオーブン版アヒージョとおとなのポテトサラダ
下味に凝ったBBQチキンがきょうのメニュー。
おうちのテラスや庭でも
秋晴れのときに試してみてくださいね。

そんなおもてなし用にストックしておきたいのが
台座部分がはずせてコンパクトに収納できる
アイデア賞もののシャンパングラス6客セット。
割れにくいプラスチック製なのに
その透明感と艶やかさは驚くほど。
ぱっと見ただけでは、とてもプラスチックには思えません。
このグラス、どうしてこんなに美しいのでしょうか。

独創性を重んじる風土が生んだ傑作

曙産業のデザイナー・佐藤弘幸さんにうかがうと、
やはりこのグラスは透明度やデザインに特別こだわったのだとか。
というのも、友人たちを自宅に招いたとき、
せっかくのおもてなしなのに普通のコップしかなくて残念だった。
そんな自分の体験が開発のきっかけだったので、
なんとか来客用として恥ずかしくないものをとまず思ったそうです。
しかし、そのために選んだ樹脂は成形が難しく、
水分量など成分の微調整が日々欠かせない。
また樹脂を流し込む金型にもクオリティが左右されてしまう。
特にこの金型の“磨き”はとても大切で、
技量が高いプロの職人が手掛けないと狙った透明感や艶が出ない。
これはもう手間を惜しんではいけない商品だなと佐藤さんも覚悟したそうです。

ただ、曙産業がある新潟県燕市は江戸期の「燕鍛冶」を起源とし
カトラリーなど金属加工で知られる“ものづくりのまち”。
安い輸入品に対抗し、自社製品の価値を高めるためにも、
身近なアイデアやひらめきをどうかたちにするか。
そんな気概に満ちた町工場がひしめいているので
いわゆる企業城下町とは全然雰囲気が違う。
佐藤さんはほかのまちの人からそう聞いてなるほどと思ったそうです。
曙産業も、商品の企画から金型設計、成形まで
自社で一貫製造しているプラスチックメーカー。
大ヒット商品の“ごはんがくっつかない”マジックしゃもじも、
現会長が長野冬季五輪でカーリングを観戦し、
氷上に傷をつけることで自在にストーンをあやつる様子を見て、
ダブルエンボス加工を思いついたとか。
「アメリカンドリームになぞらえて“燕ドリーム”と呼ぶ人もいますし、
もともと独創性を非常に重んじる風土なのかもしれませんね」
問題の“磨き”も他社で実力をつけた若手が戻ってきてクリア。
こんな燕市ならではの人のつながりにも助けられ、
組み立て方法やデザインも含め1年あまり試行錯誤を続けた結果
プラスチックの機能性×ガラスのような美しさ
「グラスティック」なシャンパングラスが実現したのです。

そういえば燕・三条など新潟県県央エリアは、
スノーピークやユニフレームなど
個性的なアウトドア用品メーカーがあることでも知られています。
こんなのがあったらいいな、という無数のひらめきと
金属加工という地場産業でつながっている人の熱気が、
“燕ドリーム”を支えているんでしょうね。

グランピング風のおもてなしなら食器にもひと工夫。ホーローのお皿など、手持ちのお気に入りを上手に活用して。シックなモノトーンのグラスは泡がキレイに見えて気分も上がりますね。組み立ても台座にグラス本体をしっかり差し込むだけ。乳児や医療部品用の樹脂なので繰り返し使っても安心安全です。

グランピング用の設備が整ったキャンプ場はいま大人気。でも遠くまで行かなくてもグランピングやアウトドアごはんが楽しめるスペースも増えています。きょうの撮影もJR川崎駅から徒歩5分で行けるビルの屋上。しつらえに凝ったテントやBBQコンロなども揃っていてグランピング気分に浸れます。

●きょうのMIOグラス

曙産業 グラスティック スタック(6客セット) 2000円

住所:新潟県燕市南1-2-11

電話:電話:0256-63-5071(代)

http://www.akebono-sa.co.jp

●きょうのロケーション

ロックヒルズガーデン

住所:神奈川県川崎市幸区中幸町3-8-1

電話:044-589-4333

http://upbbq.com

チコリの夏

前の晩に申し合わせでもしていたかのように、
村のあちこちで彼岸花がいっせいに咲いた。その時期、まさにお彼岸。
それから1週間後、今度はキンモクセイがいっせいに黄色い花を咲かせる。
こうした自然界のルーティンを目の当たりにするのが田舎の生活だ。
でも、この秋はふたまわりめ、昨年と感じ方がちょっと違っていたりする。
驚きや感動の度合いは低いものの、
この手の自然の営みをしみじみ味わう余裕があるというか。
ここ鴨方町六条院での暮らしも、二度目の夏を経てずいぶん肌に馴染んできた。
子どもたちはというと、もうすっかり村の子だ。
チコリもツツもこの夏でまたひとまわり逞しくなった。

梅雨に入る少し前あたりだった。
唐突にチコリの、「今日からひとりで寝ます」の宣言があった。
これまでは八畳の和室にシングルの布団を二組敷き並べ、
広縁に近い障子の側から、ぼく、チコリ、ツツ、タカコさんの順で寝ていた。
早島のアパートのときもそう。
ツツが生まれた2013年の秋以来、このオーダーが崩れたことはない。
つまり30か月もの長きにわたって、ぼくはチコリとひとつの布団で寝ていたのだった。
「なになに、おとうさんと一緒に寝たくない、と?」
「そうじゃないの」
「じゃあなんでだよ、普通そういうのってもっと先じゃないの?」
ちなみにチコリは宣言当時、5歳と5か月。
「いいじゃん、ひとりで寝たいの!」
「あ、そう。なんか寂しいな。おとうさんチームは解散か?」
「冬になったらまた一緒に寝てあげるから」
「………」
そしてその夜から、チコリは八畳間のすみっこ、
襖と襖の角地にひとりだけの安息の地を見つけ、
保育園で以前使っていた子ども用の小さな布団をそこに敷いて寝るようになったのだった。

父親のぼくが言うのもどうかと思うが、チコリは結構なおとうさんっ子だ。
ぼくが出張で家を空けるときは、夜寝るときに無言でしくしく涙をこぼすらしい。
タカコさんが「こっちで一緒に寝よう」と言っても布団から移ることはせず、
ぼくのパジャマを抱きしめたままひとり眠りにつくという。

いまから思うと、ほぼ同じ時期だった。これまたチコリから唐突に、
「お迎えをもっと遅くして」と言われた。
これまで早い時間に迎えに行く「早迎え」がリクエストの常だった。
ぼくも小学校に上がるまで保育園に預けられた口で、
早く迎えにきてほしい気持ちはよくわかる。
しかし、遅いお迎えとは……理由はさっぱりわからない。
チコリにたずねてもはっきり言おうとしない。
釈然としない気持ちを抱えたまま夏本番を迎え、そしてとある日の夕方。
その日は遅迎えのリクエストを無視して、閉園1時間前の午後5時に迎えに行った。
それまでもぼくの都合で何度か5時前後に迎えに行ったことはあったが、
その日は車のなかで「今日のお迎え、早かった!」と
軽からずのクレームがあった。
遅迎えの要望の度合いがそこまで強いとは思っていなかった。
ぼくは再度理由を聞きただした、なぜにそんなに遅いお迎えがよいのかと。
手を替え品を替えで、何度か聞き方を変え、
重たい口をようやく開かせることができた。
「……一緒に遊びたいの」
「うん? 誰と? あゆみちゃん? あやかちゃん?」
「ううん……Iくん」
そのとき父親は車を運転しながら冷静に状況把握に努めていた。
(誰だ、Iくんというのは? まったく顔が浮かんでこない、
それにしてもチコリのこの恥じらいようはなんだ? 
まるで恋をしている乙女のような……我が娘が、恋をしている?)
午後5時とはいえまだ陽は高い。窓の外は瀬戸内の真っ青な海。
運転席の隣で、壊れたおもちゃのようにツツが『海』をエンドレスで歌っている……。

チコリの告白から2週間ほどして、保育園の夏祭りがあった。
チコリもツツも前から楽しみにしていたイベントであるが、
ぼくの関心ごとはただひとつ、「Iくんはどいつだ?」
わりと早い時間帯で判明した。
チコリが担当している屋台を一緒になってふたりで店番していたのがIくんだった。
体格のいい子だった。男前とはいえないが、男の子らしい顔をしていた。
しっかりとした顔の骨格、小さな目、でも乱暴な感じはない。
ふたりのやりとりを眺めていると、チコリへの物言いが紳士的でさえある。
チコリは表情に出していないが、父親のぼくには手にとるようにわかる。
一緒にいるのがうれしいのだ。そうか、チコリの恋の相手はこの子だったか。

その夜、子どもたちは昼のお祭りで疲れていたのだろう、布団に入ると速攻で寝た。
ぼくとタカコさんは、普段は子どもたちよりも先に寝てしまうことも少なくなく、
寝る間際の会話というのがほとんどないのだが、
その夜は眠っている子どもたちを間に挟んで久々に話した。
話題はもちろんIくんだ。
「なんか、いい子みたいだな」
「うん、すごく優しいよ、チコリにも」
「チコリはあれかな、男っぽい子がタイプなんかな?」
「そうね、そうかもね」
「オレは案外冷静に見れたよ」
「なんのこと?」
「いや、Iくんのこと。ほら、娘の父親だからさ、オレは」
「そんなのあたりまえじゃん」
タカコさんはぼくの父親心情なんかどうでもよろしいようで。
素っ気なくそう言うと、くるりと背を向け眠ってしまった。

9月に入って、チコリはひとり寝をやめ、またぼくと一緒に寝るようになった。
遅いお迎えはいまだ継続中。でも、Iくんの名前はほとんど耳にしなくなった。
チコリとIくんとの間にとくになにがあったというわけではなく、
たんに女の子の友達と遊ぶのが楽しくなったようだ。
いまは女の子の友達との間で手紙のやりとりに夢中だ。

ツツと一緒に使っている本棚。最近までまったく気にならなかったが、そこにある絵本やおもちゃが急にチコリには幼すぎるように見え始めた。

離れの前にあるザクロの樹。昨年はまったく実がつかなかったのに、今年はどういうわけかたわわに実がついた。すっきりとした甘みがあり、酸味もさわやか。いっぺんでザクロが好きになった。

アートとワインと満月と。 城崎にて、ワインと パフォーミングアーツに 酔いしれた日

温泉、文学、そしてアートのまち、城崎

古今東西、特別な日とされてきた満月の夜。
その満月が空に浮かぶ9月17日、兵庫県豊岡市の城崎で、
おいしい料理とワインとともにパフォーミングアーツを楽しむ
「アートとワインと満月と。」というイベントが開催された。
城崎といえば、志賀直哉の『城の崎にて』の舞台となっている、
全国的に有名な温泉を有するまちだが、
パフォーミングアーツはこの地でいま、温泉並みに“ホット”なトピックなのだ。

羽田空港から伊丹空港で乗り継ぎ、コウノトリ但馬空港へ。
豊かな緑と円山川の緩やかな流れを横目にバスで40分ほど走ったところに、
突如広がる温泉街。
しだれ柳が揺れる川沿いに木造の温泉旅館が連なり、
浴衣姿の人たちが下駄をカランコロンと鳴らしながらそぞろ歩いている様は、
まさに古きよき温泉街の佇まい。
タイムスリップしてしまったような錯覚すら起こしてしまう。

伊丹空港~コウノトリ但馬空港間は、1日2往復就航。豊岡市上空からの円山川の眺め。

コウノトリ但馬空港に到着。城崎温泉までは空港からの直通バスが便利。

宿泊客が浴衣姿で外湯めぐりを楽しむ城崎温泉。

その温泉街を抜けたまちの外れにあるのが、
今回の会場となる〈城崎国際アートセンター〉だ。
大会議場を改装して、豊岡市が運営するこの施設は、
日本ではまだ珍しい舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンス。
国内外のアーティストが最短3日間、最長3か月間滞在しながら、
24時間自由に創作活動に没頭できる夢のような場所だ。
しかもアートセンターから一歩出れば、
観光客や地元の人と同じように城崎温泉の名物である7つの外湯を堪能でき、
まちに溶け込むことのできる気安さは、ほかにはないと評判になっている。

城崎国際アートセンターは、日本最大級を誇る舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス。

黄門様と薬草の関係って? 親子で触れる、初めての薬草 水戸 養命酒薬用ハーブ園 vol.1

茨城県水戸市と薬用養命酒でおなじみの養命酒製造株式会社が
薬草を活用するプロジェクトをこの夏から開始しました。
まずは、植物公園敷地内に〈水戸 養命酒薬用ハーブ園〉を2017年4月にオープンします。
水戸藩に古くから残る薬草・生薬文化と、
400年以上も前に創製された薬酒を継ぐ養命酒製造株式会社によって
新たな薬草文化の価値を今に伝えていく、官民協働の新しい取り組みのかたち。
コロカルでは、プロジェクトの重要な部分を担う
市民向けのワークショップやイベントをレポートしていきます。

薬草ってなに? 体験して実感してみよう

夏から秋に変わる9月中旬の休日。
水戸市植物公園を訪れると、たくさんの子どもたちが
マイク越しに話す女性の話を熱心に聞いていました。
今日は、「水戸 養命酒薬用ハーブ園プロジェクト」の第1回ワークショップ
「薬草を愉しむオリジナル水府提灯を作ろう!」の開催日。
植物公園の中の薬草園で、気に入った植物を採取することができる特別な日です。

園長の西川綾子さんの指導のもと、子どもたちは薬草・ハーブを好きなように採取し、
その後の水府提灯(すいふちょうちん)づくりに使います。
「みんな、南天って知ってる?
“難”を“転”じるから“南天”っていうの。
お赤飯を腐らせないように南天の葉を敷いたそうだよ」
西川園長のガイドで薬草の名前のいわれや
日頃どうやって使ったらいいかを教わりながら
子どもたちは薬草に触れていきます。
薬草といっても、普段なんとなく目にしているようなものもあり、みんな、興味津々。

ふだん通い慣れた植物公園の薬草園に、何かしらエピソードがあることを知って真剣に話を聞く子どもたち。ちなみに、西川園長はNHK『趣味の園芸』の講師をしており、テレビでもおなじみ。親しみやすい語り口で親子を魅了します。

現在、水戸市植物公園の中にある薬草園には
水戸藩ゆかりの薬草が植栽されています。
水戸徳川家第2代藩主である水戸黄門、水戸光圀公は
当時、病気になっても貧しくて医者にかかれないような人たちに
入手しやすい薬を、と身近な植物での処方について
藩医の鈴木宗与に編纂させました。
それが、日本最古の家庭療法の本ともいわれる『救民妙薬』です。
その『救民妙薬(きゅうみんみょうやく)』に出てくる薬草が
この薬草園の主役なのです。

2代藩主光圀公、9代藩主斉昭(なりあき)公が医学に関心を寄せ、自らも学んだこと
が水戸藩の医学の基礎につながりました。そんな経緯もあり、薬草園の入り口には、斉昭公のつくった藩校(今でいう総合大学)、弘道館の瓦がこのように敷き詰められています。弘道館は水戸の日本遺産にも指定されています。

藍染でおなじみのアイは、“河豚に酔いたるによし(フグ毒にあたったときの処方によい)”と『救民妙薬』に記された薬草のひとつ。解毒や解熱、虫刺されなどに効能があるとされています。

西川園長に後ろについて薬草園からハーブ園へと移動すると
ミントやローズマリー、オレガノ、タイムなど、
なじみのある食用ハーブが、こんもりと茂っていました。
どのハーブも色が濃く、葉先までピンと張って元気いっぱい。
西川園長は、その1枚を触らせました。
「持って帰りたいくらいフワフワ〜」と
子どもたちが頬につけてうっとりするのは
葉の周りを白い毛に包まれたラムズイヤー。
「薬草って見かけが地味でしょう?
でも、こうやって触ったり、香りを嗅いだりすると興味を持ってくれるのよね」
西川園長は子どもたちを植物に親しむ入り口へとガイドします。

自分で好きなだけ採ってみよう! と促され、きれいなかたちの葉を探す子どもたち。こうやって、自然観察をする力をつけていきます。

バジルなどの葉をちぎって香りをかいで香りを嗅いでみます。「スパゲッティバジリコのにおいだ!」

参加したお母さんに「植物公園には、よく来ていますか?」と声をかけると、
ふだんから子どもと一緒に遊びに来ているけど、
大きな植物や温室の中の熱帯植物に目がいって
薬草園には足を運んだことはなかったといいます。
だから、植物公園で実際に植物に触れるのは初めて、という人もいました。

〈SAKUZAN〉 大量生産の美濃焼のなかで 少数でも提案し続ける窯元

変化し続けて3代目

岐阜県の美濃地方でつくられる陶器、美濃焼は
全国で4割以上のシェアを誇っている。しかしこの30年ほどで、
950軒ほどあった窯元が350軒程度にまで落ち込んでしまった。
そのなかでモダンなデザインで特色のあるものづくりをしているのが、
土岐市にある〈SAKUZAN〉だ。

〈Riz〉という耐熱のシリーズ。

現在SAKUZANを牽引する代表取締役の髙井宣泰さんは、3代目にあたる。
髙井さんの祖父の代はまだ窯元ではなく、
〈山作陶苑〉として上絵つけなどの二次加工業に勤しんでいた。
父の代では窯元となり、新たに〈山作陶器〉という会社も立ち上げた。
そんな先々代、先代の背中を見て育った髙井さんだったが、
若い頃はその道を継ぐ気はなかったという。

「親父たちの苦労を間近に見てきたし、
当時はバブル時代で3Kのような職があからさまに敬遠されていた時代。
僕も継ぐ気はなくて、名古屋芸大のデザイン科に進み、
その後アパレル関係のプランニング会社で働き始めました。
でもすぐに、父の体調が悪くなって実家に戻ることにしたんです」

こうして土岐に戻り、山作を反対にして〈作山窯〉という会社を立ち上げた。
それぞれの代で、ただ父の会社を継ぐだけでなく、新しい会社を立ち上げている。
進化していかなくてはならないという思いは、髙井家のDNAのようだ。

作山窯代表取締役の髙井宣泰さん。

エントランスではかわいい焼き物ロゴがお出迎え。

大量生産の美濃焼のなかで、少量多品種のSAKUZAN

美濃には土が豊富にあり、技術も髙いので、
量産できるのが美濃焼の特徴ともいえる。
土もいろいろなものをつくってしまうし、釉薬も同様。
日本の陶器技術が集約した地だという。
技術の高い美濃は良くも悪くも、なんでもできてしまう。
それによって、美濃焼の伝統を受け継ごうとする「作家」と、
大量生産の「工場」という正反対の側面が生まれる。
父の代までは量産のメーカーだった。
現在のSAKUZANではその両方のいいとこ取りを目指した。

「最初はまったくうまくいきませんでしたね。
何をつくっていいのかがわからない。
それは自分の理想が高い位置にあるということではなく、
市場がわかっていなかったということです。
茶碗のサイズ、湯呑みの色合い、重さ……」

デザインの問題ではなく、市場が無意識に受け入れてきた手の感触があるはずだ。
それをはずしてしまうと、まったく受け入れてもらえない。

「3年目くらいから、やっと少しずつものづくりというものがわかってきました」

石膏型に土を流し込んだあと、乾燥させている状態。

お皿も同様に。

髙井さんが初めてジレンマを感じたのは流通の問題。
まず、美濃に産地問屋がある。その先に東京などの消費地問屋。
その後に店舗に並んだり、飲食店で使われたりする。
しかしこれではエンドユーザーの求めているものがわからない。
そこで15年ほど前から年に1回、東京で展示会を始めた。

「地場産業ですし、3代もお世話になっているので、
問屋を介しても構わないのですが、
自分たちのやっていることをちゃんとみんなに見てほしかったんです」

SAKUZANは実に多くの陶器をつくっている。
髙井さん自身も「少量多品種です。何種類あるかわかりません」と笑う。

「土や釉薬、焼き方などの技術的な伝統は大切にしながら、
せっかく美濃焼はいろいろなことができるので、
もっと表現していったほうがいいと思っています」

どこかで人の手が必ず入る。

「並んで仕事をしているとスタッフ同士で教えあうからいい」と髙井さん。

多くのメーカーは使う土が決まっている。
しかしSAKUZANでは土は13種類、焼き方は6種類、
釉薬にいたっては100種類以上あり、それらを使い分けている。

「提案型のメーカーでありたいんです」

生産性は悪くてもいろいろな提案ができるから、
使われるお店やシチュエーションを想定したものづくりにつながる。
髙井さんはあくまで作家ではなく、職人でありたいという。
日常使いのうつわは、市場のニーズあってこそ。

「小売りのお店にもカラーがあります。
このお店ならこういうマグカップが売れるなとか、
この照明の飲食店ならこんなお皿が映えるなとか」

SAKUZANの提案型のひとつとして、モダンなデザインのシリーズが挙げられるだろう。
飲食店などで多く使われているというだけあって、洗練されたデザイン。
でもどこかに100%マシンメイドとは違うあたたかみが残っている。

「陶器は磁器に比べても割れやすく、汚れやすい。
デメリットがたくさんあります。
でも木製品もテキスタイルも、世の中には同様のものがたくさんあります。
使えば傷つくし、色も落ちるもの。
だからそれを逆に生かせるような土の素材感を意識したい。
陶器は割れやすいから厚めにつくるのが常識です。
でも薄くしてシャープにしてみようと」

素焼きの窯。

素焼き後のうつわ。ここから釉薬をかけたり、絵付けをする。

〈STRIPE〉シリーズ。これから釉薬などの2次加工がされる。

ほとんどのデザインを担当しているのは髙井さん自身だ。

「インテリアの意匠をデザインの参考にすることが多いですね。
月に1回、東京に営業に行くのですが、
陶器はなるべく見ないようにしています。
先入観を植えつけられてしまいますから」

数年後に突然ヒットする商品もあるという。

「3〜5年後に急にヒットしたシリーズもあります。
市場のものは過去のものですから、
それを追っていてもこなしているだけになってしまいます。
常に数年後を見据えていきたいです」

市場で売れるものと、提案型のものをしっかりと使い分けているのだ。
こんな話を聞いた。

「ある有名なシェフにお皿を提案したら、“使えない”と即答されて。
食い下がって1枚お渡しするので使ってみてくださいと渡しました。
そうしたら数日後、そのお皿を使いたいと連絡が来たんです」

まさに提案が招いた逆転勝利。
お客さんには、若手のフレンチや創作料理など、飲食店も多い。
そうした場合、発注はどうしても少ない数になってしまう。

「細かくて対応が難しい場合もありますが、できるかぎりやりたい。
“土”屋さんも“釉薬”屋さんも、同様に大変なので、一緒にがんばっていきたい。
もちろん商売なので数字が大切ですけど、
そればかり追求したら僕がやりたいことではなくなってしまいます。
縁でも会社が成り立つんです。
大きなメーカーだったらそんなこと言ってられないと思うけど、
うちくらいの規模だったらちょっと工夫すれば仕事はいくらでもあります」

〈SENSE〉というシリーズのなかで、このカラーは料理店用。

びっちりと毎日効率良く焼いています。

絵付けの真剣な眼差し。

〈はじまりのローカル コンパス〉 ナビゲーターに聞く 「益子町/栃木市の魅力って なんですか?」

「暮らしにローカルを10%プラスする」という発想

ローカルで暮らすことや移住することを選択し、
独自のライフスタイルを切り開く人が増えるなか、
移住をサポートするさまざまな取り組みが各都道府県で行われている。
そんななか「あなたの暮らしに、ローカルを10%プラスする」というコンセプトのもと、
都市部に住みながら栃木と関わりを持つ暮らしを提案しているのが、
栃木県と若者の社会参画を後押しする
NPO法人とちぎユースサポーターズネットワークとの協働により
2015年に開始された〈はじまりのローカル コンパス〉という取り組み。

現在このコンパスでは、10月8日に行われる
東京でのオリエンテーションを皮切りとした
2016年度の体験ツアー〈ひととまちとつながる旅〉の参加者を募集中。
「実際にとちぎとつながる」をテーマとしたこのツアーでは、
益子町と栃木市のいずれかを訪れ、地域プロジェクトを行っている方々をナビゲーターに、
栃木での暮らしや仕事を体感するという内容。
各地域のナビゲーターとして参加される方々に、彼らが行っている地域プロジェクトや、
暮らしているまちの魅力についてうかがった。

ものづくりたちが集まるまち、益子町

焼きものや陶器に詳しくない人でも、一度は耳にしたことがあるであろう益子焼。
その産地であり、焼きもののまちとして知られる益子町の地域ナビゲーターとなるのは、
2009年に町で開催されたアートイベント
〈Earth Art Festa 土祭(ひじさい)〉をきっかけに誕生した地域コミュニティ
〈ヒジノワ〉に参加している3人。

土祭以降、カフェやギャラリースペースとして活用されている〈ヒジノワ CAFE & SPACE〉。手仕事作家のマーケットも開催されている。

「土祭では築100年の古民家を改修して展示会場にしたのですが、
土祭が終わったあとにそこを閉じてしまうのはどうかと思ったんです。
そこで『みんなで何かやろうよ』と始まったのがヒジノワです」と話すのは、
ヒジノワの立ち上げから参加している大工の高田英明さん。

宇都宮市の南にある、上三川出身の高田さん。益子にあるギャラリー・カフェとの出会いをきっかけに益子で暮らしはじめた。

現在は30人程度のメンバーがいるというヒジノワだが、
その8割近くが県外から益子にやってきた人たち。
「県外や都内に暮らしていて、
月に1〜2回ヒジノワ CAFE & SPACEで日替わりのカフェを出店する方もいます。
メンバーも陶芸家や建築家といったものづくりをしている人だけでなく、
役場の職員さんや茨城でスケート教室の先生をしている人もいる。
世代もバラバラで、大学を卒業して間もない若い人もいれば、80歳近い方もいます」

元は焼き肉屋だったという建物を改装した高田さんのご自宅。家具も手製のものが多い。ティピはお子さんへのクリスマスプレゼントなのだとか。

「大工の修業であちこちの地域に通っていた時期も含めれば、
益子に暮らして17〜18年になります。
でもヒジノワに入るまでは職場と自宅の往復だけだったので、
地域とのつながりはそんなになかったんですよ。
ヒジノワを通してさまざまな人と接点を持つようになり、だいぶ生活が変わりました」
と高田さん。

高田さんと奥さまの純子さん。宇都宮出身の純子さんも「かつて益子はおじちゃんやおばちゃんが行く場所というイメージでしたが、いまはおしゃれな人が来るようになりましたね」と、まちの変化を感じている。

窯業と農業のまちとして知られる益子での暮らしは、
さぞかしゆったりとしたものかと思いきや
「イベントが多かったり、意外とゆったりしてない」のだそう。
移住をするにせよ二拠点居住にせよ、地域とのつながりを持つと持たないとでは、
ライフスタイルに大きな違いが生じるようだ。

MIO TABLE 日本の美しいグラスと スパークリング清酒でおもてなし 東京・下町のグラスと渋谷生まれの チーズでおとな女子会

和酒の楽しさを誰かとシェアしたくなる食卓。
それがコロカルの思う「MIO Table」です。
パーティというほど大げさではないけれど
お気に入りのグラスや食器を選び、日本各地の素材にこだわり、
シンプルでも気持ちが華やぐようなおつまみを用意。
相方は誰もが飲みやすい泡の和酒
スパークリング清酒〈澪〉をよく冷やしておきましょう。
グラスもメイドインジャパンのフルート型で。
それが「MIO Table」のこだわりのひとつです。

今回のテーマは「おとな女子会」。
まだまだ残暑が厳しいきょうこの頃ですが
フレッシュチーズやトマトをたっぷり使ったおつまみと、
女同士の気兼ねのないおしゃべりで
溜まった夏の疲れを解消しようという趣旨の食卓です。

そのテーマに合わせて選んだ日本のグラスは
美しいフォルムと艶やかな白のステムが印象的ですが
この「白」が実はポイントなのです。

すばらしい職人技に新たな価値をプラス

このグラスをプロデュースしたのは
東京・台東区にある硝子食器問屋、木本硝子社長の木本誠一さん。
開口一番こう聞かれました。
「日本一のガラス産地ってどこだと思います?」
正解はなんと東京なのだとか。
東京のガラスは江戸末期からの伝統を持ち
特に江戸切子の卓越した職人技は下町の町工場で脈々と受け継がれてきました。
その技術を絶やしてはいけない。
現場の若い人たちのモチベーションを高めるためにも
まったく新しい発想で世界に打って出なければ。
その一念で木本さんは10年前から大きく方向転換。
伝統の技にデザイナーの斬新な発想をプラスした
いまのライフスタイルに合う江戸切子をプロデュースすることに。
世界初の、漆黒の江戸切子〈KUROCO〉は、
ニューヨークのセレクトショップなどで高く評価。
日本より先に海外で話題になったそうです。
黒と白を美しく発色させるのは技術的には非常に難しく、
「白」の江戸切子はいまだテスト段階だとか。
そう聞くと、この白のステムはとても貴重なのがわかります。

今回選んだシャンパングラスは、モノトーンのグラスでウィークエンドを
とびきりお洒落に過ごしてほしいというコンセプトでつくったもの。
初めて外部のクリエイターとコラボした
木本さんにとっても思い出深いシリーズだそうです。
このフルート型もひとつひとつ「型吹き」という技法でつくり
特にステム部分との接着部分は職人技の見せどころ。
「クオリティの高さなら日本製。それが海外での常識なので、
実際に使っていただき、それを多くの人に感じてほしいです」
“Made in Tokyo”を謳うこのグラスには
木本さんの使命感や職人さんへのリスペクトなど
さまざまな思いが込められているのですね。

「白」のグラスは主張し過ぎないのに確かな存在感。どんなスタイリングにも自然と溶け込みます。食卓のアクセントカラーにした〈澪〉ブルーともしっくり。ノスタルジックな白×青の組み合わせで、去り行く夏をどこか惜しむ季節の「おとな女子会」を表現しています。

人数分の取り皿や、キャンドル、お花、紙ナプキンも用意して、あとは来客のタイミングでブルスケッタを熱々に焼き上げるだけ。「MIO Table」の準備が整いました。

●きょうのMIOグラス

木本硝子 KIKI 8Days style+ フルート白 3500円

住所:東京都台東区小島2-18-17

電話:03-3851-9668

http://kimotoglass.tokyo/