〈岐阜県立森林文化アカデミー〉 森に新しい価値を与え、 卒業生が自由に羽ばたくアカデミー

森と人のつながりを、もう一度

ユニークで先進的な取り組みをしている森や木工などの事業者が、
〈岐阜県立森林文化アカデミー〉の卒業生であるという話をよく聞くようになった。
しかも岐阜県のみならず全国各地で。
「森林文化を学ぶ」とは、一体どんな学校なのだろう。

森林文化アカデミーは岐阜県美濃市にあり、
森林のことを総合的に学べる珍しい学校だ。しかも県立である。
前身は1971年にできた日本で最初の林業短期大学校。
当時は、現場で木を伐る技術者や森林組合、
製材所などで働くための技術を学ぶ学校であった。
しかし時代の変化をとらえて、木を実際に使う家具、木造建築など、
「森林県」である岐阜の宝を余すことなく使えるようにと、
2001年、岐阜県立森林文化アカデミーとして新たな船出となった。

学内には木工房や木材乾燥施設も備わる。

川尻秀樹副学長が開学当時の思いを教えてくれた。

「以前は、川上と川下が有機的につながっていませんでした。
つまり山側と、その木を使う職人たちが同じ意識を持っていなかったのです。
たとえば飛騨にはたくさん家具職人がいます。
しかしその多くが、岐阜にたくさんの森があるにもかかわらず、
外国から木材を買っています。
広葉樹がないと思っている、もしくは幅の広い木じゃないとダメだと思っている。
一方、山の人は、広葉樹はすべて一緒くたにして雑木扱い。
売れる価値がないと思っているのです。
こうしたことに学生が気づいて、
学校から何かを発信していってもいいと思っているのです」

木を伐る人と使う人、この両者がつながれば、お互いの意識が変わるはず。
「この学校から輩出した人材で、社会の固定概念を変える方法もある」と
川尻副学長は言う。

川尻秀樹副学長。美濃生まれ美濃在住の、生粋の美濃人。

副学長の部屋の前に貼ってあった標語。

〈岐阜県立森林文化アカデミー〉には
エンジニア科とクリエーター科のふたつの学科がある。
エンジニア科には高校を卒業した学生が多く入学し、
前身の学校の内容を引き継ぐ林業系を学ぶ。

そしてこの学校の大きな特徴といえるのが、クリエーター科である。
ここを目指してくる学生は、一度社会人を経験している人が多い。
それだけに、明確な目標を持って入学してくる。
今までの最高齢はなんと70歳卒業だそうだ。

「開学当初に比べて現在は、入試を受ける前から、
木育、自然環境、地域課題などの意識を持っている学生が多くなりました」

主に岐阜県産のスギが使われている校舎。

学生は全部で80人ほど、それに対して教員は常勤だけで17人。
かなり濃密な授業ができる。それだけにかなり実践的なことを学べるのだ。

「投資効率は悪いかもしれませんが(笑)、
こんなにすごい卒業生がいると、胸を張って言えるほうがいいと思っています」

通常の大学、そして大学の延長線上にあるのではなく、
研究や勉学そのものが主目的ではない。
卒業後にどんなことができるか。社会のなかでの役割が重要なのだから。

周囲の里山の風景に馴染むデザイン。

さらには、学生へ寄り添う姿勢も徹底している。
学生が望むのならば、教員と一緒に調査に行ったり、
自分の専門外であれば専門の先生を呼んできて横断的に授業をつくり上げたり。

中庭から、木を削っている音がしてきた。
見ると、学生の田中菜月さんがひとりでスギの木を削りチップ状にしている。
見守るのは伊佐治彰祥先生。どうやら彼女は燻製の課題研究をしているらしい。
どんな木を、どんな状態で使うと、仕上がりにどう影響するのか。

「一見くだらないように見えるし、林業という視点で言うとあり得ないけど、
新しい木材利用の観点や、価値を提案できればいいと思います。
どんなことでも柔軟に考えていきたい」

いつの時代も「あり得ない」ことから、新しい発想や価値は生まれるもの。
それを一蹴せずに「まずはやってみよう」という姿勢が、
教員たちの間にも浸透しているようだ。

まずはスギのカンナ屑を燻製用チップに利用する実験。

岐阜の豊かな植生が、 世界一のアロマの産地になる!

香りの原点は裏山に!

国産アロマブランド〈yuica〉は、
木工家具をつくっている〈オークヴィレッジ〉の敷地内にある。
かつて俳優の菅原文太さんが住んでいたという建物が事務所だ。
yuicaの代表は、オークヴィレッジと同じく稲本 正さん。

かつて日本中の森を回ってその魅力を
『森の旅 森の人 —北海道から沖縄まで日本の森林を旅する』という
本にまとめた稲本さん。
これが好評で、次は世界20か所の森を回り、『森の惑星』を執筆することになった。
そこで世界の森のどこへ行けばいいかと相談したのが、
当時イギリスの〈キューガーデン〉園長だったサー・ドクター・プランス氏だった。
そのときに、プランスさんから
「木が100年、1000年と、どうして長く生きているのか?」と問われた。
その答えがアロマだという。
つまり、木はアロマを出して、自分にとって悪い害虫ははねのけ、良い虫は引き寄せる。
その話を聞いて、稲本さんはアロマにも注目することになった。

yuica代表の稲本正さん。陽が入る事務所の裏山にて。

稲本さんの著作。日本と世界の森を回った。

yuicaの香りの原点は裏山だ。つまり身近な森。そこには多様な木が生えている。
まずはそれらを採取し、簡単な機械で精油(エッセンシャルオイル)を抽出し始めた。
とにかくたくさんの木々を試した。もちろん失敗したものも多い。
プランスさんは
「世界の森のなかでも、日本は温帯林として一番生態系が豊かである」という。
もちろんアマゾンも生態系は豊かだが、熱帯だ。
やはり温帯の人間には、温帯由来のものが合う。

「日本は国土の7割近くが森林で、森林率世界3位です。
実は日本はアロマをつくるのにすごく適しているのです」という稲本さん。

かつて日本人も香りに敏感であった。
yuicaというブランド名は「結馨(ゆいか)」という造語が由来だ。
「馨」には、声という文字が入っている。
日本には“香りを聞く”と表現する聞香(もんこう)という豊かな伝統文化も残っている。
しかし戦後の海外からの香水やアロマ文化の流入、そして無臭の流行から、
日本人の香りに対する意識は次第に薄れていった。

「本当は、においというものはそこらじゅうにあるんです。
だから無臭という概念はそもそも矛盾しています」

こうしてyuicaが誕生。国産であり、和のアロマはまだ珍しい。
身近な森の原材料から抽出された精油は、合成香料ではなく天然のものだ。
飛騨の森がぎゅっと凝縮されている。

和のアロマウォーター。

yuicaは開発段階から、単に香りがいいというだけでなく、
香りが体に及ぼす影響などのエビデンスも研究、集計している。

「五感のなかで、視覚は脳の大脳新皮質を働かせます。
一方、嗅覚は大脳辺縁系を働かせます。
悪い菌を抑える免疫機能、消化液などが働く内分泌など、
無意識に行われている機能は大脳辺縁系が司っているんです。
ところが現代社会では、視覚から入ってくる情報が圧倒的。
つまり大脳新皮質ばかり活性化させてしまって、大脳辺縁系が弱まりがち。
どんなに頭のいい人でも、気分がすぐれないときには情報は入ってきません。
両方のバランスが大切なのです」

香りは予防医学になる。パソコンやスマートフォンを見ることの多い現代生活において、
視覚だけでなく嗅覚も駆使して脳のバランスを取ることで、
漢方のように生活習慣のなかから病気を予防する。

敷地内を歩いていると差し入れのスイカを切っていた。従業員みんなが寄ってくる。

菅原文太さんが手入れした明るくて美しい森。

アマゾンと飛騨に、同じ香りがあった

yuicaでは、ヒノキやスギ、モミ、アスナロなど、
日本人になじみのある木のアロマがラインナップされている。
なかでもyuicaを代表する香りとなっているのが、
クロモジ、ニオイコブシ、サンショウだ。
サンダルウッドやローズウッドとは違い、どれも一般的に日本に生育しているもの。

クロモジという木は、楊枝に使われる木として知られる。
高級な和菓子などで、皮がついたままの楊枝が付いていることがあるが、
あれはクロモジの枝を削ったもの。
特に西日本などでは、お茶の席での楊枝のことをクロモジと呼ぶくらい。
わりとどこでも生えている木だが、アロマを取ってみるととても香りがいい。

この成分を調べてみると、リナロールという成分が多く含まれていた。
これはアマゾンに生えているローズウッドに含まれる成分と同じで、香りがよく似ていた。

「よくよく考えると同じクスノキ科なので、似ていてもおかしくないのですが、
アマゾンの木とうちの裏山の木に、同じ成分が含まれているとは驚きました。
ローズウッドは、かつてマリリン・モンローが使っていて有名になった香水
〈CHANEL N°5〉の主成分でした」

実際のクロモジの木を手に取り、斑点があることから「黒文字」という名前になったと説明してくれた。

集められた木々は、すべてトレーサビリティに対応。

甘酸っぱい香りのするニオイコブシを調べると、
“世界で一番いい香り”と言われるゲラニアールという成分が含まれていた。
これは成分名からも推測できる通り、
フランスの高級ブランド〈GUERLAIN(ゲラン)〉の香水にも使われているものだ。
シャネル、そしてゲランの香水と、
同じ成分が取れるという飛騨の森は、なんとも豊潤で不思議だ。

またサンショウは、yuicaが世界で初めて精油の抽出に成功したものだ。
サンショウはミカン科。
実が緑色の若いときに種ごと擦りつぶしたものが、うなぎなどに使う粉山椒。
しかし時間が経って赤くなってくると、種が硬くなって山椒としては使えない。
yuicaの精油は、そのときのわずかな赤い皮だけを集めて精油を取っている。
だから大量にはつくれない。

それほど大きくない抽出機のように見えるが、この規模は日本では最大級。

たとえペットボトルに入っていても、取れたての貴重なオイル。

森から採られてきた木や枝葉は、原材料ごとに粉砕される。
そして水蒸気蒸留法で精油を抽出。精油は重量比で0.1%程度しか取れない。
クロモジもニオイコブシも、群生ではなく点々と生えているため、
原材料が集まりにくく、しかもオイルが取れにくい。
かなり手間のかかる作業だ。

「うちは飛騨のものしか使いません。
なんで柑橘系をやらないかといえば、このあたりに柑橘がないから。
たとえば北海道にはラベンダーでやっているところもありますし、
四国では柑橘を使っているところもあります。
どうせなら、そういった地場を大切にしているメーカーと組んだほうがいいですね」

土地の財産を使っていくという思いをyuicaでも守っていく。
そうすれば特色のある日本各地のアロマが増えていくだろう。

「これから国産アロマも増えていくと思いますよ。日本は香りの宝庫ですから」

裏の山にあるツリーハウスは、木々の間から見える眺望も最高!

事務所の前には、アロマで使う木々の苗が。

組木にIoT!? 飛騨の森で行われている “Fab”な試み

木の常識をアップデートしていく

森に囲まれ、水路がいたるところにあり、吸い込む空気も気持ちよく感じる。
古い建物が残る情緒ある小さなまち、飛騨古川。
2015年、ここを拠点にした〈飛騨の森でクマは踊る〉という会社が、
ロフトワークトビムシ、そして飛騨市の2社1自治体によって設立された。
代表に就任した林 千晶さんは、ロフトワークの代表取締役でもある。

「ロフトワークがやっていることは、“常識のアップデート”だと思っています。
いま、当たり前だと思っていることでも、
更新したほうがいいコトや場所がたくさんあるんです。
そのなかで、森をアップデートすることに特化したのが
“ヒダクマ”(飛騨の森でクマは踊る)です」

水や空気をつくり出している森。
その森を更新していくというのはどういうことか。

「森の価値を更新するには、まず木材の価値や使い方、
買い方などを再発見する必要があります。
例えば、家具を出来上がったものとして買うのではなく、
自分で木を選ぶところから始めてみる。
すると、樹種によって触ったときの風合いや木目が
大きく異なることに気づきます。
『木』という一般名詞が、ブナ、ナラ、クルミ、桜といった
固有の存在に変わる。そんな風に木の活用法を変えることによって、
森と人間の関係も更新していけるのではないかと思っています。
日本には豊かな森がある。
そろそろ本気で、その恵みを享受し活用することに取り組んでもいいのではないでしょうか。
そんな挑戦こそ、クリエイティブなものだと感じています」

〈FabCafé Hida〉はこんな外観。

世界から学生が集結する飛騨の学びの場

こうした活動を展開するのに、飛騨はうってつけだ。岐阜は言わずとしれた森林率の高い県。
なかでも飛騨地域は、かつてより京都や奈良などの木造建築技術を支えてきた土地。
まちには組木職人が暮らし、美しい木造建築が軒を連ね、
豊かな木工文化が息づいている。

今年の6月、〈SMART CRAFT STUDIO in Hida 2016〉が行われた。
木工技術とIoT(Internet of Things)をテーマに、
アメリカのParsons School of Design、カナダのトロント大学、台湾の国立交通大学、
日本からは東京藝術大学、慶應義塾大学SFC、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)
などの学生たちが3週間、寝食を共にし、組木などの木工技術やプログラミングを学び、
最終的にはグループごとに実際の制作に取り組んだ。

各グループは同じ大学の学生同士でまとまるのではなく、シャッフルされた。
異国の地で、育ってきた文化の違う学生たちがどんな化学反応を起こすのか。

その最終日、集大成として成果のプレゼンテーションが、〈FabCafe Hida〉で行われた。
外からみると端正な木造建築の日本家屋。しかし一歩足を踏み入れると、無国籍状態だった。
各国の学生たちが、アチコチせわしなく動き回り、発表の最終調整に入っていた。
ここが新幹線も通っていなければ、空港もない飛騨古川だとは思えない。

水路上に置いた水力発電でLEDを灯すことのできるベンチ。
キツツキを模して、森のなかで動きを感知して音を出すもの。
スマートフォンでまちの情報を手に入れられるベンチ。
ほおずき型ランタンは電気を点けるとその場所がクラウドの地図上でマッピングされる。
組木と生け花をダイレクトに取り入れたオブジェなど、
すべて木工とIoTを組み合わせたプロダクトだ。
完成度の高いもの、アイデアにあふれるもの、将来性を感じるもの。
いろいろな未来の方向性を感じた。

デモンストレーションしながらプレゼンテーションする学生。

随所に組木が取り入れられていた。

学生にとって、そして先生たちにとっても有意義な学びがあったようだ。
「『こんな経験はいままでしたことがない』とある学生が言うんです」と、
林さんは振り返ってくれた。

「『最初は毎日楽しかったけど、中盤を過ぎると、
あと数日で帰らなければならないと思って寂しくなってきた』と。
『いつか移住したい』と言い出す学生までいました。
これを聞いて、短期的にはプロトタイプの開発が目的だったけれど、
長期的に考えてみると、彼らが将来プロダクトデザイナーや建築家になったときに、
このキャンプが原体験となり、木材や組木に注目したり、
日本とのつながりを考えるようになってくれるのではないかなと。
数値にはできない、そのような期待も感じました」

このように発表の内容は、ほぼすべて、地域性が取り入れられていた。
当初は、「木工×IoT」だけがテーマであったはずだ。
しかしフタを開けてみれば、飛騨のまちの文化や資源とリンクしたものばかり。

学生たちは、まちを歩く。すると地域のことが見えてくる。
まちの人にやさしくしてもらい、交流を深めていく。
そのなかで自然と、「ここでやるべきこと」というイメージが芽生えたようだ。

このイベントの発起人である〈Loftwork Taiwan〉代表のTim Wongさんは、
東京や大阪ではなく、地方と海外を直接つなげたかったという。
なかでも飛騨は、Timさんの目におもしろく映った。

「飛騨は文化が保存されています。
歴史的な遺産には直接、触れられませんが、文化というものは現在進行形で、
触れて変化を加えることができます。
そこに自分が持っているものをミックスして、
インタラクション(相互作用)することができます。
つまり組木や木工は入り口に過ぎません」

〈Loftwork Taiwan〉代表のTim Wongさん。

Parsons School of DesignのKan Yang Kyle Li教授も、飛騨独特の文化に触れた。

「キャンプ期間中に、木製家具メーカーの飛騨産業でワークショップをしました。
職人の方たちから、木の特徴を活かすことや、
美観のための木目などディテールを整える視点・ノウハウを学びました。
しかもそれが、実際の飛騨のまちで体現されている。そのことに感動しました」

国立交通大学のJune-Hau Hou教授も、
テクノロジーと地域が融合したイベントの成果を感じている。

「これまで台湾で行われていたワークショップでは、
デザインとテクノロジーの繰り返しばかり。
しかしそれでは新しいアイデアは生まれません。
今回は、伝統的な技術を持つ職人がいたりして、環境が特別でした。
こうして地域で行われることで、
地域性を生かしたコミュニティや産業が生まれる可能性を感じました」

国立交通大学のJune-Hau Hou教授。

最終プレゼンテーションの席では、あるおばあさんが参加していた。
そしてほおずきをアイデアの元にしたプロダクトにいたく感動していた。
そのおばあさんと学生が、何やら話している。
まったく言葉は通じていないのだが、
不思議とプロダクトを通じて何かわかりあえているように見えた。
このキャンプのひとつの本質を表している光景だった。

今回のイベントでは「スマートクラフト」という言葉が使われている。
特別、一般名詞化している言葉ではないが、これから使われていきそうな言葉でもある。
その定義づけを考えるイベントになったという側面も感じた。

「『スマートクラフト』は可能性のある言葉です。
何をやりたいか、どういうことを社会に伝えていきたいかと、
自分次第でスマートという言葉の使い方も変わってくると思います。
みんな、どんな結果が生まれるか想像していなかったけど、今終わってみて
改めてその可能性に興奮しています」
と言うのは、Kan Yang Kyle Li教授。

Parsons School of Design のKan Yang Kyle Li教授。

IAMASの小林 茂教授は、IoTを教える授業に講師として参加した。

「スマートというと、産業界ではすでに効率化のために取り入れられています。
では私たちのライフスタイルにおいて、どう関わってくるのか。
ビジネスシーンだけでなく学生の回りにも、
それらを考えていけるような環境が整いつつあります。
たとえ今回は難しかったとしても、
こうした木工技術や考え方があるということを持ち帰ってまた取り組んでみてほしい。
これはゴールではなくスタートです。
今回のキャンプで、そこにはたどり着いたのではないでしょうか」

情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の小林 茂教授。

すべて英語によるプレゼンテーション。英語がわからない地元のお客さんには、隣にスタッフがついて通訳していた。

亀の保護活動

車のなかではラジオでなく、もっぱらCDを聴いている。
今週のCDをセレクトして、小洒落たケースにきちんと並べて……なんてことは
生まれ変わった次の人生でもたぶんない。
車の収納やシートの上のあちこちに10枚ほどをほぼ置きっぱなしだ。
そんなCDのなかに、友人のタナカさんが貸してくれた
70〜80年代ポップスのコンピレーションがある。
バラードというくくりはあるもののセレクトは無節操で、
ヒット曲を右から左に並べたような雑な構成だけど、
どういうわけかしばらくこのCDを入れっぱなしにしてある。
6月のその日の朝も、このアルバムを聴きながら車を運転していた。

2曲目に入っているのがジャーニーの『Open Arms』。
生まれ変わった次の人生では
ドン・ヘンリー イーグルスの声で生まれてきたいとかねがね思っているが、
スティーヴ・ペリー ジャーニーも悪くない。
しかし、この曲に関しては声の魅力うんぬんより、
やっぱり彼の歌唱力に尽きる。この人、ほれぼれするくらいに歌がうまいのだ。
そして、曲の余韻は3曲目のイントロで完全にかき消される。
ワムの『Careless Whisper』。実はジョージ・マイケルは嫌いじゃない。
なにより、同い年のうえに生まれ月も同じという理由で、
ほかのどんなアーティストよりも親近感がある
(映画界ではジョニー・デップがそうです)。
でも、『Careless Whisper』はいただけない。
この曲がかかっているときだけは絶対に事故を起こしたくない。
想像してみてほしい。接触した相手の車が大破して、
慌ててかけよった車からこの曲が流れているシーンを。
エアバッグに血がべったりついて、鼻が折れ曲がってうめき声をあげていたとしても、
ぼくなら「大丈夫ですか!」と声をかけながらこみあげる笑いをこらえきる自信がない。

6月のその日の朝、チコリとツツを保育園に送ったあと、
ぼくは笠岡まで海沿いの道をドライブして銀行へと向かっていた。
保育園の帰りに娘たちとよく立ち寄る青佐海岸の少し手前、
車中の曲が例の『Careless Whisper』に移った直後だった。
片側一車線の県道のほぼ中央に黒っぽい塊を見つけた。
一瞬でそれが亀だとわかった。
首を精一杯伸ばして必死で道路を渡ろうとしている。
ぼくはすぐに車を道の脇に寄せた。前後とも視界に車はなし。
車から降りて、無謀な横断を試みている亀にかけより甲羅に手をかけた。
超ビッグなヤツだった。軽自動車のハンドルぐらいはあった。
ぼくはスピードを出した車が突然現れやしないかとヒヤヒヤしながら、
同時に開け放した車の窓から聞こえる『Careless Whisper』を
誰かに聞かれやしないかとやきもきしながら、
海側に広がっている原野のような茂みに足を踏み入れたそのときだった。
この亀クン、お尻の側から大量のおしっこを一気に吹き出した。
コップ一杯ほどもあったかもしれない。
避ける間もなく、まともに下半身に浴びた。お気に入りの麻のパンツが台無しだ。
それでもぼくは道路に出ちゃいけないと、茂みの奥のほうまで行って放してやった。

銀行での支払いよりも着替えである。
ぼくはまっすぐ家に帰ってパンツを脱ぎ、洗面所のシンクで手洗いした。
外で洗濯物を干していたタカコさんが入ってきて、
パンツを洗っている下着姿のぼくを見た。
「どうしたの?」
「どうしたと思う?」
「また漏らしちゃったの?」
「おいおい、オレいつお漏らししたよ?」
「じゃあどうしたのよ?」
「ちょっと長めの話になるんだけどね−−−−」
案外短く伝えることができた。
「そんなことがあるのねえ」
「東京じゃまずないね。今年は恩を徒で返される年だな」
言いながら、パンツを干そうと外に出た。
「赤星さん、竜宮城に連れて行ってくれるかもよ」
タカコさんはそう言ってひとり笑った。断言しよう、ヤツはウミガメじゃない。
サイズはデカいが、普通に池にいるヤツだった。池に竜宮城は、ない。

倉敷で亀の本を書いている人がいる。著者は古書店〈蟲文庫〉の田中美穂さん、
タイトルは『亀のひみつ』(WAVE出版)。
この本のなかに登場する、彼女が飼っている亀の一匹に、
「児島にいる知り合いが犬の散歩中に保護した」という紹介がなされている。
その「知り合い」というのがなにを隠そうぼくのこと。
あのときはまわりに放すような場所がなかったので、
救いを求めるかのように彼女のもとに届けたのだった。
そういえば、彼女には拾った子猫を数日預かってもらったこともある。
なにかと動物系の困りごとで助けてもらっている田中さんなのだが、
冒頭のCDを貸してくれたタナカさんとは別人である。

町内会でつくったというゴキブリ団子が配られてきた。市販のものよりも効果があるらしい。容器が瓶の蓋というのがシブい!

今年初めて挑戦したマイ畑。春に耕した3畳ほどのスペースに、ホームセンターで買った種とか苗をかなりいい加減に植えている。手前にあるボリューミーな緑はすべてパクチー。その向こうの白い花はルッコラ。ほかにセロリ、ズッキーニ、トマトなどが夏の有望株。

今帰仁(なきじん)で手に入れた 家とカフェ、そして野菜 〈カフェこくう〉

高台からの眺望は最高! 長居したくなるカフェをつくった夫婦

ちょっと不安になるくらいクネクネと山道をクルマで上って行く。
しばらくすると突然パッと開ける場所に出る。
山の上に分譲住宅地があって、まだすべては埋まってはいないが、
そのなかでも海を一望できる一等地ともいえる場所に〈カフェこくう〉がある。
沖縄っぽい雰囲気がありながらもモダンな建物が目印だ。

真冬以外は大きな窓も開け放して、風がよく通る。
海へ向かうカウンター席もあって、
たとえ家族連れでも横並びでそちらに座ってみたくなる。
それだけ、この眺望は格別だ。

自宅併設のカフェを夫婦で営む。

木で溢れる店内。

お店がオープンしたのは2012年。
店を営む熊谷祐介さんと友紀子さん夫婦は、2008年に沖縄に移住してきた。
まずは那覇の都心部に住む。でもそれは仮住まいで、長く住むつもりはなかったのだという。

「小さなお店をふたりでやりたいねと話していました。
でも土地勘がないので、まずは那覇に住みながら沖縄をすべて見て回ったんですよ。
南城市も読谷村もステキだったんですが、
やはりココ今帰仁村(なきじんそん)が気に入りましたね」と話す熊谷祐介さん。

カフェは自宅を隣に併設している。
当初は古民家に憧れていて、移築して住みたいと思っていた。
しかしなかなかいい物件もなく、
建築士さんに「沖縄は風も日差しも強いから、数年で古民家みたいになるよ(笑)」
と言われ、新築を建てることに。

とにかく抜けが最高!

実際に施工を担当したのは宮大工さん。
すでに沖縄にも宮大工は2社しか残っていないという。
建物は沖縄らしい工夫がつまっているものになった。
ボルトなどの金属は使わず、木だけで組み上げている。
家を建てる土地に小さな家を建て、
時間ごとの日差しを計算したり、沖縄の自然環境に合わせて親身になって教えてくれた。
だから土地を購入してから実際に建物が完成するまでに、3年かかったという。
建物は台風などで風に揺れて、どんどん締まっていくという。
台風のたびに強くなる建築なんて、なんとも沖縄らしい。

じっくりとていねいに。
沖縄時間なんてよくいわれるが、それは熊谷さん夫婦のリズムにも合っているようだ。
いまは少しずつ色の変化や味を楽しみながら育てている段階。
沖縄特有の強い風と日差しで、どのように経年変化していくのか楽しみだ。

かわいい色の瓦が目印。

シャクヤクよ、棚田に咲き誇れ。 限界集落がつないだ100人以上の 「大家族」の挑戦

「棚田をシャクヤクでいっぱいに!」
とある夫婦と100人の若者たちは、どう耕作放棄地をよみがえらせたか

高知県大豊町。
四国のほぼ中央に位置し、高知随一の豪雪地帯としても知られる。
平均標高450メートルの山岳地帯に位置する大豊町は、平地がとても少ない。
代わりにここの人たちが先祖代々つくりあげてきたのが、
急勾配の山の斜面に延々と続く棚田である。
田植えの時期は青々とした水田が、稲刈りの時期は黄金色の稲穂が、
冬には積もった雪が、季節ごとに色を変えて棚田をパレットのように染める。
フィリピンでは、山肌に沿って空まで続く棚田のことを「天国への階段」と表現するが、
なるほど確かに言い得て妙だ。

大豊町は四国有数の豪雪地帯。雪が積もると棚田は白い階段に装いを変える。

その大豊町で、耕作放棄地となった棚田に
シャクヤク(芍薬)を咲かせるプロジェクトが始まっている。
発起人のひとりが、8年前に大豊町に移住をしてきた大谷一夫・咲子ご夫妻だ。
「山が好きだったから、登山に来たことが最初のきっかけ。
来てみたら、すっかりこの棚田の風景に惚れ込んでしまって。
ちょうどお父さんの主治医から、
空気のいいところに引っ越した方がいいって言われたこともあって移住を決めたの」

しかし、大豊町は四国で最初に限界自治体を迎えたまちでもある。
「だんだん、集落の人も年をとっていって、野良仕事が難しくなっている。
人が入らなくなくなった棚田は、耕作放棄地になって、すぐに崩れていく。
この美しい棚田の景色に惚れ込んできたのに、それがなくなっていくことが悲しくてね。
なんとかできないかって集落の人たちと作戦会議をしたの」

大谷一夫さん(左)と咲子さん(右)。この日は咲子さんの誕生日を祝って大学生がケーキを持ってきていた。

大谷さんご自慢の家からの景色。この景色を見ながら、ふたりに会いに来た若者とごはんを食べるのが恒例行事。

耕作放棄地となった棚田(左)と、農作地の棚田(右)。放棄地となった棚田は、草木が生い茂り、土砂崩れなどの原因にもなる。

高知大学の教授や、地域の要人が集まった会議で、棚田をどのように生かせるか、
どうしたら大豊の棚田を残せるかを話し合った。
人もいない、予算もない、でもなんとかしたい。
そんななかで、プロジェクトは咲子さんのひと言で決まった。
「棚田をシャクヤクでいっぱいにしよう」

咲子さんに聞くと、
「シャクヤクにしようと言ったのは、この辺りに準絶滅危惧種の
ヤマシャクヤクが自生してるっていうのもあるんだけど……
しんどいことは嫌! と思ったから(笑)。
ほかの花と違って、シャクヤクは1株植えたら毎年花を出してくれる。
もちろんお世話は必要だけど、
これだったら人がいないこの土地でもみんなの力でできると思った。
私たちの力で、私たちの土地を守っていけるって」
そして2013年、〈大豊シャクヤクの会〉は誕生した。

準絶滅危惧種に指定されているヤマシャクヤクの花。

耕作放棄地となった棚田にシャクヤクを咲かせるべく、毎週のように開墾作業や会議を続けた。
高知大学の浜田和俊先生と集落のつながりもあって、大学生ボランティアも徐々に増えていった。
ここでも中心になったのは一夫さん。
農機具の使い方や生活の知恵に至るまで、大学生と一緒に畑に立って、
ひとつひとつ手ほどきをしながら教えた。
民間の助成金や寄付金を募る傍ら、
クラウドファンディングにも挑戦して全国から120万円の資金も集めた。
地元民の力、地域の大学生の力が合わさって、
限界集落に少しずつシャクヤク畑が広がっていった。
1年目は500平米だった畑も、2016年の今年は2000平米へと広がった。

シャクヤクの植えつけ作業をする高知大学生団体MBのメンバー。

与謝野発、織物の可能性を みんなで作り考える 京都・与謝野町 〈YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT〉

Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がける
クリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする
「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。

7回目は、織物の新しい可能性をみんなで作り考える、
京都府与謝野町を舞台とした〈YOSANO OPEN TEXITLE PROJECT〉。
本プロジェクトのクリエイティブディレクターの国広からお届けします。

YOSANO OPEN TEXTILE PROJECTとは?

「ガシャガシャガシャ……ガッチャン……ガシャガシャガシャ……」

初めて与謝野町を訪れたとき、最も印象的だったのが
路地裏から聞こえる機織りの音でした。

丹後半島のつけ根にある与謝野町は、
古くから丹後ちりめんをはじめとする織物産業で栄えたまち。
ただ昭和40年代の全盛期に比べると織物産業の勢いが徐々に衰え、
若い継ぎ手の方も少なくなってきているという問題に直面していました。

そこで、次世代の織物産業を担う20〜30代の若き織物職人を対象に、
それぞれが持つものづくりの力と、
これまで直接的に出会うことの少なかったクリエイティブの世界が出会うことにより、
誰も考えなかった織物の未来を、共に考え、つくってみよう!
という目的で2016年1月より始まったのが、
〈YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT(ヨサノオープンテキスタイルプロジェクト)〉です。

・異業種のクリエイターたちと若手織物職人がコラボレーションし、一緒に悩みつつ、
新しい「織り」の可能性を感じられるプロトタイプをつくる。

・それ自体が完成品ではなく、「何これ(笑)!」「おもしろいね」「私ならこうする」など、
あーだこーだ言える、議論のタネになるようなものを目指す。

・そしてそのプロセスをオープンにすることで、
多くの方に与謝野町の「織り」の技術や文化を伝えていく。

そんな思いを込めたプロジェクトにしたい! と考え、
ゲレンデが溶けるような熱い3か月間がスタートしました。

ちなみに私は、その実現のために「どういうメンバーで取り組み」
「どういう機会をつくり」「どういう発信をしていくか」を考え、
参加される方がワクワクできるような舞台づくりに奔走しました。

“しさく”を通じて“たいわ”する

このプロジェクトは「商品開発」ではありません。
外からきた人“だけ”で決めず、“みんなで”できる限り可能性を探索し、
答えを出していくコミュニケーションの過程こそが大切だと考えました。

そのため、アイデアの創出からプロトタイプづくりに至るまで、
「自発的に取り組んでいけるくらい楽しいプロジェクト」を目指しました。
ワークショップ、Webサイト、展示会など、プロジェクトに関わる織物職人、
クリエイター、一般の方たちが同じ視点でコミュニケーションできる場をつくっていきました。

例えば、アイデア創出のワークショップでは職人たちに
「マイフェイバリット」なモノを持ち寄ってもらいました。
これはアイデアをつくっていく際に、自分の好きなエッセンスを盛り込むことで
「自分ごと化」できるメリットがあります。
そこにクリエイターが機場を視察するツアーで得た気づきやアイデアの種をかけ合わせ、
さらに一般の方の視点も組み込みながらアイデアを練っていきました。

ワークショップ後、アイデアをもとに実験を行っていくチームを3つに分けました。
頻繁に会うこともできないため、チームごとに実験結果をFacebookやTumblrで共有。
小さくても手を動かし、失敗も含めた気づきを共有しあうことで、
「失敗しちゃった(笑) → じゃあこうしてみよう!」
「この構造が再現できるかわからない → じゃあ私が試してみる!」など
フランクなコミュニケーションが生まれました。

このプロセスはすべてオープンにしているので、この実験用Tumblrで見ることができます。
いろんな感情が入り混じるカオスな実験の模様を、ぜひご覧になってみてください。

各チームの実験がかたちになってきた段階で、
「うまくいったところ」「うまくいかなかったところ」を全員で共有しあう
中間報告会を実施。いろんな角度からの意見を取り入れ、さらにアイデアを磨いていきます。
日々の概念をとっぱらって、アイデアを飛躍させていくのは大変な作業ですが、
各チームのディスカッションでずっとやりとりを続けてきたからこそ、
みんなから笑顔がこぼれていました。

また試行錯誤のプロセスを多くの方に知ってもらうために、
実験したモノや与謝野の〈織り〉を構成する道具などをレイアウトした特別展示も行いました。
私も普段なかなか接することのできないカイコを20匹育て、
どう成長していくか、どう繭をつくっていくかを、
来場された方が目で見て学んでもらえるように工夫しました。

さらに一般の方で興味を持っていただいた方には、サポーターメッセージとして、
プロジェクトや与謝野の〈織り〉についてコメントをいただきました。

マムシとムカデ

早島町のアパートで暮らしていた当時のこと。
アパートのすぐ前は私有地で車の通りもほとんどなかった。
でも、まったくないかというとそうでもなく、
奥に2棟あるアパートの住人たちが駐車場の出入りで行き来する。
子どもたちはそんなことはおかまいなしだ。
アパートを出るなり駆け出そうとするから、大声で「走っちゃダメ!」と叫ぶことになる。
児島の元浜倉庫も歩道があるもののすぐ前が道路。
子どもたちを連れて来た日には「走っちゃダメ!」と何度も叫ぶ。
この「走っちゃダメ!」が、存外気が滅入る。
というのが、ダメと叫びながら同時に「子どもって走るもんだよ」との思いもあって、
これが苦々しい。親なら誰もが子どもたちには存分に走らせてやりたいのだ。
現在の家はそれができる。家を出て走り出そうがなにしようが放ったらかしだ。

浅口市の通達や広報誌、JAからの通知といった、
回覧板として回ってくるいろいろのなかに『パトロール遙照』なるものがある。
発行しているのは浅口市を管轄とする玉島警察署(倉敷市)。
主には地域の犯罪状況の報告や防犯の啓発を目的としたもので、発行は月1回、
A4サイズのペラもの2枚程度で構成されている。
4月初旬に回ってきたそれのタイトルは
「気をつけよう! コミュニティサイトに潜む危険」。
平成26年度は15件だったネット関連の被害件数が、
平成27年には37件と急増しているとあった。
子どもたちがこの手の犯罪に巻き込まれるケースも多いようで、
携帯電話回線のフィルタリングや無線LANのフィルタリング、
アプリ用のフィルタリングの利用を勧めていた。
「フィルタリング」が重要なキーワードであることは間違いないが、
フィルタリングそれ自体がどういうものかの説明はそこになかった。
たぶん、ぼくの住んでいる六条院西T村で
フィルタリングについて知っている人はほとんどいないだろう。
だからといって調べることもないと思う。
ぼくの村では、未成年者はうちの子たち以外ひとりしかいない。

鴨方町六条院西、通称「西六(にしろく)」地区の最大の脅威。
それはネット犯罪じゃないし空き巣でもない。米や野菜の盗難でもない。
これからの時期、その脅威は日に日に増すことになる……マムシである。
「ハミィ、出たんか!」
近所のおじさんが血相変えてうちに来た。
あれは六条院西に引っ越す前、去年の5月だったと思う。
10年以上手をつけていない荒れ放題の畑を草刈り機で刈っていた。
そのとき、茂みにいたヘビを草刈り機の刃ではじいてしまい、
千切れた胴体がはじかれた勢いでそのまま畑の向こうの道路まで飛んで行った。
うちに血相を変えてやってきたのは、そのヘビの死骸を見た近所のおじさんだ。
「すいません! 何かはみ出てました?」
「いや、ハミ、出たんじゃろう?」
「………?」
「ハミじゃ、ハミ。マ・ム・シ」
この西六ではマムシと呼ぶ人はいない。みんながみんな、「ハミ」と呼ぶ。
「気をつけられえよ、子どもは長靴はかさんといけんで」
おじさんが帰った後にまじまじと見た。マムシを見るのは生まれて初めてだった。
体長はたぶん20センチほど、案外小さい。
背中には畳の縁にあるような丸い文様があって、かなり和な感じがする。
その後半年の間で3度見た。そしてその半年の間に、
すぐ近所のおばあちゃんが夜家を出たところでマムシに噛まれ、救急車で運ばれた。
その時期、村の話題を独占するような大事件だった。
幸い、昨年の被害件数はそれ一件だけ。そう頻繁に遭遇することもないようだ。
それにしては、村の人たちのマムシに対する恐れと嫌悪は尋常でない。
それが村の合い言葉でもあるかのように、
ふたことめには「気をつけられえよ」といまもって言われる。

昨年の夏のことだ。夜、洗い物をしていたタカコさんが突然悲鳴をあげた。
うずくまっている彼女のすぐ横、
炭を混ぜたコンクリでうった真っ黒な土間の表面を
20センチほどの長い物体がもぞもぞとはっている。
目にした瞬間、さっと血の気が引いた。マムシにやられた、そう思ったのだ。
でも、次の瞬間、引きあげた血がどっと戻った。
マムシじゃなかった、ムカデだ。マムシに比べればかわいいものだ。
それにしても見事なムカデだった。太さといい長さといい、
魚拓にでもとりたくなるような。漆黒の胴体に照明の加減で紫の色目が浮き出る。
そのカタチ、色みの美しさに反して、おびただしい脚の数と動きのおぞましいこと。
神様は実にヘンテコな生き物を作ったものだと感心しながらも、
子どもが噛まれたら大変という親の思いが押し寄せ、
「すまぬ、許せよ!」と心のなかで叫びながら箒で退治した。
それからタカコさんの手当。噛まれた足の一か所に5分ほど熱いお湯をかけ流す(約50℃)。
いつか児島の友人のフジタくんが教えてくれた処置を聞いたとおりに施した。
その手当の効果のほどには、ぼくもタカコさんも驚いた。
痛みはすぐにひき、その後の腫れもまったくなかった。
人生なにが起こるかわからないので、この治療法は是非憶えておいてもらいたい。
ちなみに、フジタくんは家でサラダを食べようとして、
葉ものにくっついていた小さなムカデに唇を噛まれたという。

去年の夏は、ぼくが蜂に刺されるという小事件もあった。
さほどの蜂でもないと思うんだけど、痛みと腫れがひどく、
最後はかゆみになって長く残った。
かように、田舎暮らしには田舎暮らしなりの脅威がある。

子どもたちは、ヘビであれムカデであれ、
それが死体であっても目にした途端に色めき立って興奮状態になる。
ぼくはそんな彼女たちに言い聞かせるようにしている。わからなくても言い聞かせる。
「こいつらだって悪いことをしようと思って生きてるわけじゃない、
むしろ臆病なんだよ。噛むのは自分の身を守るためだ。だから無闇に殺しちゃダメだよ」
彼女たちの目の前で殺し、その死骸を前にして言うのだから
伝わりづらいことこのうえなし。
でも、機会があるごとにずっと言い続けてきているから、
最近のチコリは少しだけわかってきたかもと感じることもある。
少なくとも、見つけたらすぐさまつぶしていたダンゴ虫は、
家のなかで見つけると外に逃がしてあげるようになった。

ぼくの娘たち、チコリとツツは自然の脅威に囲まれて育っていくことになる。
都市部の脅威から子どもたちが得るものはない。
でも、この田舎の脅威からはすごく大切なことを学ぶことができるとぼくは思っている。

春が来たら、寒々しかった裏庭と裏山が一気に気持ちのいい場所になった。なだらかに下る裏山もこれからの季節は子どもたちの遊び場。チコリとツツにはいつかツリーハウスをつくってやりたい。

左側にあるのはうちの山から切り出したクヌギ、右側がついこの間まで使っていた薪。冬にはあれだけ必要としていたストーブの暖かさが、ある日突然不要のものとなる。薪もこれだけ余らせてしまった。

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 最終回: 奥津家の3拠点生活

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
長崎滞在最終日。雲仙市に到着したテツカ。
奥津さん一家に移住前後の生活の変化についてうかがいました。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】はこちら

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】

「人生で、いまが一番幸せです」

東京から雲仙へ移住した奥津典子さんは、
すっとこちらを見ながら、そう話してくれた。
「東京の生活で失ってきたものを、取り戻すことができたんです」

人が移住するのには、さまざまなきっかけがある。
自然に魅了されたから、人との出会いに恵まれたから、
そして、“働き方や暮らし方を変えたい”という強い思い。

今回お話をうかがったのは、奥津 爾(ちかし)さん、典子さんご夫婦。
おふたりは、日本の在来種の野菜や種に関するイベントの企画、
マクロビオティックの教室やカフェなどを手がける
〈オーガニックベース〉を運営している。
その拠点を、東京から雲仙へと移したのは2013年のこと。
彼らが移住を決断したのには、どんな思いがあったのだろうか。
そして、暮らしはどのように変わったのか。
キャンピングカーの旅も、今回が最終章。
長崎県雲仙市の小浜町よりお届けします。

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島原半島には3つの市がある。
北東には島原市、南東には南島原市、そして北西に位置するのが、
今回訪ねた雲仙市。
雲仙市は、雲仙普賢岳や雲仙地獄などの険しい表情を見せる火山地帯と、
穏やかな有明海や橘湾に囲まれている。
私にとって、移住する上で大きな魅力のひとつが温泉。
雲仙には、全国的にも有名な雲仙温泉や小浜温泉などの温泉地がある。
共同浴場や旅館の立ち寄り湯も多いので、温泉三昧の日々が楽しめる。

まずは、雲仙市の移住相談窓口ご担当、中村昌太さんにうかがいました。
雲仙市【Q&A】 !

Q 子育に関する支援はありますか?

A 第2子以降が保育所や認定子ども園に入園した時、保育料が無料になります。
また、中学生までの児童を養育している家庭に対して、
5千円~1万5千円の児童手当てを支給いたします。
※「児童手当」の支給については、所得の状況、子どもの年齢、人数により
支給額が変わります。
詳しくは雲仙市健康福祉部子ども支援課までお問合せください。

Q 雲仙のおススメポイントは?

A 古くから湯治場として庶民に愛されてきた〈海の小浜温泉〉と、
日本最初の国立公園として認定された〈お山雲仙温泉〉というふたつの温泉があります。

Q 住宅補助金などはありますか?

A 住宅取得に対する補助金を整備してます。
雲仙市定住促進奨励補助金(新築住宅取得補助金)
→次の①と②の合計金額を5年間交付します。
①取得した住宅に係る固定資産税の2分の1相当額(上限10万円)
②18歳以下の子ども1人につき1万円
雲仙市定住促進小弟補助金(中古住宅購入補助金)
→次の①と②の合計金額を1回交付します。
①定額10万円
②18歳以下の子ども1人につき1万円
また、平成28年度より、空き家バンクを活用し、
賃貸借契約を締結した空き家のリフォーム工事に対し補助金を支給します。
詳しくは、雲仙市総務部政策企画課秘書政策班にお問合せください。

Q 食べ物でおいしいものはなんでしょうか?

A 雲仙市では「地元産の食材」を、方言で「じげもん」と言います。
農産物も海産物でも、とびきりおいしい「じげもん」があります。
これからの季節だと、じゃがいもが特におすすめです。
年に2回「春じゃが」と「秋じゃが」と呼ばれる新じゃがが取れますが、
どちらも風味と香りがともに豊かで、フワフワとやわらかく、
何度食べてもおいしいなーとしみじみ思う逸品です。

Q 保育園はすぐに入れますか?

A 待機児童は、いまのところいないようです。
他市に比べ比較的に入園しやすいと思います。
※希望する保育園に必ず入園出来るということではありません。
ご理解ください。

Q 中村さんが好きな場所はどこでしょうか。

A 高校生の時から、落ち込んだときなどに足を運ぶ場所があります。
何の変哲もない防波堤なんですが、そこから海に沈む夕日を眺めていると、
夕日と海が接する瞬間、海面上に光の橋が渡り、
夕日と自分が繋がっているように感じられます。
なんとなく元気になれる私なりのパワースポットです。

まるで“食”と“農”の体験型テーマパーク! 今治ならではのおいしさと 楽しさあふれる 大型直売所 〈さいさいきて屋〉

今治の“食”のすべてが一堂に集まる〈さいさいきて屋〉

2015年11月より連載してきた〈愛媛県 × colocal えひめスイーツコレクション〉。
これまで愛媛県産フルーツの生産者さんを中心にさまざまな記事をお届けしてきましたが、
最後にご紹介するのは愛媛県を訪れた際にぜひ足を運んでいただきたいスポット。
この連載を読んでくださった“食”やおいしいものに興味があるみなさんなら
100%満足いただけると思う、今治市の〈さいさいきて屋〉です。

〈さいさいきて屋〉の直売所。1枚の写真ではおさまりきれないほどの広さ!

越智今治農業協同組合の運営する直売所を中心とした複合施設〈さいさいきて屋〉。
初めて訪れた人がまずビックリすると思うのが、売り場の広さ。
“直売所”という言葉のイメージから大きくかけ離れた、
まるで大型スーパーのような売り場の面積は直売所としては日本一なのだそう。
この売り場に並ぶのは果物や野菜などの生鮮食料品をはじめ、
お肉や魚に卵、乳製品、飲料、ジャムやお茶などの加工食品、お惣菜、パンなど、
毎日の食卓に欠かせないものばかり。そしてなんと、その8割が今治産のものなのです。

訪れた10月下旬はみかんの旬が始まったばかり。

みかんひとつとっても、さまざまな品種が。

「今治市の農協には、そこまでこれという産地品がないんですよ。
例えばみかんだと、愛媛県でいったら南宇和のほうには負けてしまう」
と話してくれたのは、越智今治農業協同組合の武内 玄さん。
「でもいろいろなものが生産されていて、
直売所にこれだけたくさんのものを揃えることができるというのがうちの特徴なんです。
ここまでさまざまなものを取り扱っている道の駅も珍しいと思いますね」

精肉コーナー。「お肉もできるだけ今治産のものを置いています。一頭買いをしているので、国産の良質なものを手頃な価格で販売できるんです」と武内さん。

「今治の鶏肉は〈媛っこ地鶏〉という地鶏しかないのですが……」。いえ、地鶏がいいんです、地鶏が。

牛・豚・鶏だけでなく、イノシシも。

加工肉の品揃えも充実。どれも本当においしそう。

鮮魚コーナーは今治市内の漁業協同組合が出資して設立された企業が運営。こちらも、もちろん今治産のものが中心。

店内にずらりと並ぶ、見るからにおいしそうな食べ物の中には、
県外の人間にとっては珍しいものもたくさん。
おいしいもの好きの方なら、テンションが上がってしまうこと間違いなしです。

そんな〈さいさいきて屋〉ならではの特徴は、野菜や果物といった生鮮食品の新鮮さ。
「大体のスーパーで売られている野菜は、まず収穫されたものが農協に行き、
農協から市場へ行き、市場から卸に行って、そこからスーパーへ行く。
なので店頭に並ぶまでかなりの時間がかかるんですよ」と武内さん。
「でもうちは毎朝、生産者さんに売れるだけ直接搬入してもらうかたちをとっているので、
野菜なんかは朝採りや前日に収穫されたものを売ることができるんです。
で、売れ残ってしまったものは、その日に引き下げてもらっているので
毎日新鮮なものを店頭に置けるんです」

野菜コーナーも充実。

有機農産物コーナーも。ちなみに〈さいさいきて屋〉には残留農薬検査室もあり、生産者さんが農薬基準をきちんと守っているか抜き打ちで検査もしています。

そして目を見張るのが、その価格。特に都市部に住んでいる人であれば、
“採れたてのものが、このお値段!?”と驚かずにはいられないほど、どれもがお手頃価格。
どうしてそんな価格設定ができるかというと
「生産者さんに直接お店まで持ってきてもらっているので、
流通コストがかからないからです」と武内さん。
「あと今治も島があって、一番遠いところだと
ここまでくるのに橋をふたつ、3つ渡らないといけなくて橋代がかかってしまう。
なので島の人をうちで雇って、出勤しながら品物を集めてもらい、
売れ残ってしまったものは帰宅しながらお返ししてもらうようにもしています」

「実が小さいものや大きさが揃っていないB品みたいなものも売れるのが、直売所のいいところですね」と武内さん。

さらには「陸地部でも高齢で車を運転できなくなってしまった生産者さんがいるんですよね。
そんな方々のなかでも品質のいいものをつくり続けている方や、
ここで売りたいと言ってくださる方もいるので、
陸地部でも朝に回って品物を集めることを始めています」と、
近年問題となっている生産者の高齢化にも対応しているのだそう。

柑橘王国の愛媛、コーナーも充実しています。

価格は店舗側ではなく生産者さん自身がつけるというシステムということもあり、
同じ品種のものだと「生産者さん同士で競争になってしまうので、
安売りはできるだけしないように指導もしています。
“高くても、ものが良ければ売れるよ”って」と武内さん。
商品に貼られたシールには価格だけでなく生産者さんのお名前も印字されており
「誰がつくったかがわかるようにしているので、
同じみかんでも味がいいものをつくる生産者さんにリピーターがつくんですよ。
ここでは生産者さん、ひとりひとりがブランドなんです」

なかには市場になかなか出回らない、珍しい野菜や果物も。

珍しい野菜や果物には、食べ方や調理方法を紹介するチラシも置かれているという親切設計。

新鮮な食品が手頃な価格で手に入れられることもあり、
観光客だけでなく地元の人でも賑わう〈さいさいきて屋〉。
市場にほとんど出回ることがない糖度の高いニンジン〈おんまくキャロット〉、
愛媛県で開発された新品種のサトイモ〈媛かぐや〉、
さらにイタリア野菜や珍しい食材なども扱っていることもあってか
「朝は仕入れにやってくる割烹着やエプロンを着けた料理人の方が多いですね。
9時開店なのですが、どうしてもいいものは午前中に売り切れてしまうので」

惣菜やお弁当のコーナーも充実。そのどれもが生産者さんがつくられたもの。
「生産者さんが栽培しているものをお惣菜にしてもらっているのですが、育ててないものはうちで仕入れるようにしてもらっています」。お惣菜の食材も今治産に徹底されているのです。

それでもどうしても出てしまうのが、商品の売れ残り。
この売れ残りをゼロにするために、
〈さいさいきて屋〉ではいくつもの工夫がされていました。

京の伝統工芸が、食が、芸能が、 次々とつながるおもしろさ。 GO ON 後編

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世界から京都に来てもらう〈Beyond Kyoto〉

京都の伝統工芸や伝統芸能に光を当て、新たな動きを起こしている〈GO ON(ゴオン)〉。
まずは〈Japan Handmade〉というプロジェクトを起こし、
西陣織の〈細尾〉、竹工芸の〈公長齋小菅〉、木工芸の〈中川木工芸〉、
茶筒の〈開化堂〉、金網工芸の〈金網つじ〉、茶陶の〈朝日焼〉の、
若手後継者たちで海外向けに商品開発し、成功を収めた。
それでもプロデューサーの各務(かがみ)亮さんは、まだまだ先を見据える。

「確かな手応えは感じていますが、それで50年後、100年後、
京都に伝統工芸がきちんと残るのに十分かといえば、そうとも言えません。
そこで〈Beyond KYOTO〉というサービスも開始しました。
さきほどの6社は、毎年のようにミラノに行ったり、パリに行っています。
しかし、行くよりも来てもらったほうが、
もっと踏み込んだ京都や、いろいろな京都に巻き込めるのではないかと思ったんです」

簡単に言うと、観光コンシェルジュ。
京都には約3,600社の工芸会社があるというが、「見学できる工房が少ない」というのだ。
Beyond KYOTOでは、
GO ONメンバー自らの工房を見てもらうことはもちろん、
京都で活動している人たちだからこそできるおもてなしで迎える。

「工房などを見てもらいながら、文化的背景もお伝えしたいと思っています。
たとえば西陣織も、お茶やお花、そしてお寺などの文化と連携して案内すれば、
西陣織がどう使われ、育まれたのかなど、より深い魅力を感じていただけると思います」

これまで海外の文化人やセレブリティなども訪れているという。
彼らに工房を案内すると「道具の使い方が美しい」など、
自分たちでは気がつかないような視点も教えてくれて勉強になることもある。
しかしもっとも重要なのは、やはり人間関係だ。

「彼らにとって、京都人とつながりができることが一番ではないかと思います。
京都で何百年と築かれてきた伝統文化の後継者たちと、友だちになれるんですから」

そこで得たものや築いた関係性は、“京都を越えて”いく。
これは京都を踏み台にしているということではなく、
革新こそが伝統を守るとGO ONは信じているのだ。こうして京都の文化が拡張していく。

GO ONのほか、京都でさまざまな仕掛けを試みる各務 亮さん。

華やかなりし京文化、太秦江戸酒場

GO ONでは、さまざまな取り組みをしながら、
伝統をどう未来へつなげるかということに挑戦している。
その思いを理解してもらって、同じ未来を見据える仲間を増やすことが、
これからのGO ONのミッションといえる。
そこで〈Beyond KYOTO〉体験版として、
各務さんに京都の若手の仲間たちを紹介してもらった。

より大きな枠組みでとらえたイベントが〈太秦江戸酒場〉。
太秦映画村のセットで時代劇のなかに迷い込み、京都の伝統工芸・芸能を体感できる催し。
昨年秋に3回目が開催された。
〈いづう〉や〈中村楼〉といった老舗食事処のほか、
京都の24の酒蔵の日本酒が楽しめたり、
東映の役者が営む浪人BAR、新選組BAR、丁半BARなどもある。
もちろん伝統工芸の職人たちが教えてくれるワークショップや展示も。
京都のさまざまな伝統文化を、
タイムスリップして楽しめるエンターテイメントパークとなっている。

時代劇が、目の前で、ライヴで行われる。写真提供:太秦江戸酒場

お寺で行われた京焼インスタレーション

〈太秦江戸酒場〉内では、
〈京・焼・今・展2015〉と〈RIMPA400 Project〉の展示も行われた。
このふたつも、各務さんがプロデュースを手がけた。

〈京・焼・今・展2015〉は、毎年異なるテーマで、京焼の“いま”を伝えていくものだ。
昨年のテーマは“琳派”。ユニークなのはその会場で、〈建仁寺山内 両足院〉で行われた。
6人の作家が両足院のひと部屋ずつを使って、
自らの世界をつくっていくインスタレーションだ。
副住職の伊藤東凌さんもキュレーターのひとりとして名を連ねている。

「かつてお寺も一緒に“その当時の現代アート”に取り組んできたら、
それがいま、伝統と呼ばれるものになっているのです。当時は挑戦だったわけです。
千利休にしても、世阿弥にしても、アバンギャルドですよね。
きっと批判も大きかったことでしょう。
いまというものの捉え方によって、表現方法や伝え方は変わっていかないといけませんね。
昔からの伝統行事をそのまま引き継ぐだけではなく、
いまから新しい行事が生まれていって、
それが未来には伝統になっているとすごくすてきなことだと思います」と言う伊藤東凌さん。

“いまは”伝統であっても、“かつては”伝統ではない。
だから結局、いまを一生懸命やる以外にない。

「これは目新しいことではありません。
本来、お寺は、学校や美術館のような、学びの場としても機能していたのです。
いまそれらはほかで満たされているので、
それならばお寺ならではの学び方もできるのではないかと考えています。
それは、はっきりとした答えを出すことではなく、“良質な問い”を出し続けること。
京焼とは何か? 琳派とは何か? 答えは出ないわけです。
ただし、そこに問いがあることによって、自分たちの才能がぶつかり、発揮できる。
お寺はその受け皿としてもあるべきです」(伊藤東凌さん)

〈両足院〉副住職の伊藤東凌さん。

凛とした空気のなかで、坐禅体験も行っている。

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 その4: 波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】はこちら

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】

【その5:奥津家の3拠点生活】はこちら

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前回に引きつづき、波佐見町よりお届けします。
「あ! これがあのキャンピングカーですか!」などと声をかけられながら、
車はさらに走り続けます。
細いあぜ道もなんのその。さらに奥へ奥へと進みます。
今回訪ねたのは、山形県から移住した陶芸家の長瀬 渉さん。
そして、とっておきのたまごを販売している〈峠自然塾〉です。

ここでまず、波佐見について【Q&A】
波佐見町役場の朝長哲也さんに質問です!

Q 波佐見の人って、どんな人柄ですか?

A 面倒見がよくて世話焼き! そしてノリがいいです。

Q 賃貸で家を借りる場合、相場はどれくらいですか?

A 家族向けであれば5万円前後、ひとり暮らしであれば3万円前後です。
仕事場としては、〈空き工房バンク〉に登録されている物件があるので、
低価格で借りることもできます。
http://hasami-akikobo.com/

Q 病院はありますか?

A 波佐見町にも14か所の病院がありますし、車で15分の佐賀県の嬉野市には、
救急総合病院もあります。

Q 長崎で唯一海がない市町村ですが、おいしいお魚は食べられますか?

A 大丈夫です!
海に面してはいませんが、近場の海まで車で20分ほどですし、
〈シルクロード〉という居酒屋でもおいしい魚が食べられます。
ご主人が毎日仕入れにいっているので、とびきり新鮮です!

Q 波佐見のオススメポイントは?

A 結(ゆい)の文化です。
波佐見の人たちは、常日頃から互いを支え合って暮らしています。
「隣保班(りんぽはん)」という波佐見らしい制度もあるのですが、
これは、自治会に加入したご近所同士でグループをつくり、
冠婚葬祭のときなどに助け合うものです。
都会にはない安心感が、この波佐見にはあると思います。

TOYOOCOME! 豊岡に来て、暮らして。 その3:都市との“違い”こそが 豊岡市が持つ個性

これからの豊岡を一緒につくってくれるひと、集まれ!

豊岡市では、さまざまな移住推進の政策を打ち出しているが、
特徴的なのは、窓口が「大交流課」に一本化されていること。
特に2016年4月からは、住居、職、暮らしのことなど移住に関する
すべての情報が集約されるので、
気になるあれこれに応えてくれて、移住後のフォロー体制も万全だ。

豊岡市役所。手前のヨーロッパ風の建物は〈豊岡稽古堂〉という名で、市議会議場や市民交流センターがあり、市民に親しまれている。

豊岡市大交流課の宮垣均さん。

豊岡市大交流課。

移住にあたって気になるのは、やはり住まいのことだろう。
空き家バンクには、賃貸・売買を含め40軒以上の登録があり、
2015年からは問い合わせ件数も増加しつつある。
大交流課に相談すれば、ニーズにあわせた物件の紹介や、
リノベーションに関する相談、
耐震強度の検査の手続き方法など、細やかなフォローをしてくれる。

豊岡市内にある空き家の一例。写真提供:豊岡市

また、いなか暮らしを1日から気軽に体験できる「豊岡暮らし体験施設」も整備。
ここでは、日常生活に必要なものは揃えられていて、
担当者によると「身ひとつで来てもらえる」住居だ。
家族でも宿泊できる広さは、十分にあるので、一度トライしてみるといいかもしれない。

そして、移住の根幹となるのが仕事のこと。
豊岡市では、〈ジョブナビ豊岡〉という情報サイトを運営し、
最新の求人情報を調べられるほか、企業ガイドブックも発行し、
移住希望者と地元企業とのマッチングもしっかり行っている。

また、就農を希望している人におすすめなのが、〈豊岡農業スクール〉だ。
市が委託する米農家や野菜農家、畜産農家等で1年間本格的に“修行”し、
農業技術や経営のノウハウを学ぶことができる。
年間3名と競争率は高いが、市から月額10万円の給付金が支給されるほか、
4月からは、市外からのスクール生には家賃補助も行われる。

豊岡農業スクールの様子。写真提供:豊岡市

豊岡のまちづくりに“共感”するひとたちを待っている

移住者を迎え、地域で働き、暮らし、子育てをしてもらう。
全国の自治体で移住への取り組みが展開されているが、
豊岡市は多くの政策の中でも、移住を特に重要と考え、
総合戦略でも
「暮らすなら豊岡と考え、定住する若者が増えている」
という言葉を掲げている。
どういう思いで取り組んでいるのかを中貝宗治市長に聞いた。

目指すは生産量日本一! 愛媛県松山市ですくすく育つ 国産アボカドとライム

偶然の産物から始まったアボカドづくり

みかんをはじめとする柑橘類、イチゴ、柿、栗など
さまざまな愛媛の銘産をご紹介してきたこの連載。
キウイフルーツやグレープフルーツなど、“日本の気候でも育つんだ!”
と驚いてしまうものもありましたが、愛媛県で育つ意外な国産フルーツはまだあります。

そのフルーツとは、愛媛県松山市が生産量日本一を目指し、
産地づくりに取り組んでいるアボカド。
いまやすっかりなじみのある存在となったアボカドですが、
原産はメキシコや中央アメリカ。まだ日本ではほとんど生産されていないため、
市場に流通しているアボカドの99%が輸入されたものなのだそう。

そんな中、松山市では2008年からアボカドの産地づくりに取り組み始め、
苗木の供給や栽培指導などの支援を行ったり、
2015年11月には第1回「日本アボカドサミット」を市内で開催しました。
現在では市内で約70名の方がアボカドを栽培しており、
その栽培面積は3ヘクタールにまで拡大し、全国有数のアボカド産地となっています。

風光明媚な森さんの広大な園地。この写真はほんの一角。

県内外でも注目されている松山市のアボカド産地づくりですが、
実は取り組みへのきっかけを生んだのが、20年以上前に植えられたというアボカドの木。そのアボカドの木が育つ、森茂喜さんの園地を訪れました。

松山市のアボカド産地づくりのきっかけとなった木。この大きさ、伝わるでしょうか?

松山市高浜にある森さんの園地。
その地名からもわかるように、海に面した園地です。
この園地の中腹に近いところに育っているのが、ご覧の立派なアボカドの木。
取材に訪れた10月下旬、大きな実がいくつも生っていました。
「これは〈フェルテ〉という品種で、来月の収穫までにもう少し大きくなります」
と園地を案内してくれたのが、環境にやさしい農業生産の発展を目指し、
愛媛県の農家が集まってできた〈のうみん株式会社〉の原田博士さん。
「この品種に関しては油分も多くてトロッとしているだけでなく、
アボカド特有のえぐみや苦味が少ないんですよ」

立派に実ったアボカド。「虫除けとなる樟脳の原料であるクスノキ科に近いので、あんまり虫がつかないんですよ」と原田さん。

そんなおいしい実をつけるこのアボカドの木ですが、
実は栽培を目的に植えられたものではなかったのだそう。
「平成4年に台風がきたとき、海からの潮風の影響で園地の木が一面枯れてしまって。
その後、木を植え替えたときに、記念樹としてアボカドの木を植えたそうです。
それから20年ほどして実がなっているのを当時の松山市の農林水産課の方が見て、
アボカドの産地化に取り組もうということになったんです」と原田さん。

あけびを思わせる、小さな実。「小さいのは未熟で、種がないんですよ」と原田さん。

園主の森 茂喜さん。広大な園地を、ほぼひとりで管理されています。

「植えた当時は実がならないと思っていたんですよ、寒さで冬は朽ちてしまうかなって。
本当に手入れを何もしてないのに実がなりだしてのでビックリしましたね」と園主の森さん。
園地には〈フェルテ〉だけでなく〈ピンカートン〉という品種のアボカドの木もあり、
松山市ではこの2本の木から穂木をとり、苗木をつくったのだそう。
「でも今の品種は木が大きくなりすぎるし、寒さにも弱い。
あと結実性ももうちょっと安定しないと商業生産は
ちょっとしんどいやろうなというのがあって。
私は日本にあった品種をなんとかつくりたいなという想いでやっているんですよ」と森さん。
「研究者の方に聞いたらね、柑橘の新しい品種は
1,000〜10,000本にひとつしか出ないんだけど、
熱帯果樹は使える品種が出る確率が高いらしくて。
100〜1,000本で1系統は出ると思うし、日本でできた品種だと
日本の気候にやっぱり合うでしょうからね」

木の上のほうにも、いくつもの実が。

そんな森さんや、アボカドの産地づくりに参加している農家さんたちによって
生産量が少しずつ増えている松山市育ちのアボカド。
また、のうみんでは松山大学と共同開発した、
アボカドのエキスとオイルの無添加の美容石鹸〈媛肌せっけん・鰐梨〉も
製造販売しているのだそう。

実に広大な森さんの園地。取材中、まるでハイキングをしているような気分に。

今後さらなる注目を集めそうなアボカドですが、
松山市が産地づくりに力を入れているもう青果がもうひとつあります。
その青果も森さんの園地で育てられていたことがきっかけとなり、
産地づくりへの取り組みが始まったのです。

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 その3: 移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの 移住体験話を聞く

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
長崎滞在2日目。波佐見町に到着。
そこで出会った〈モンネ・ルギ・ムック〉の岡田浩典さんも移住者。
波佐見町のことを「おもしろいまちだな〜って」と話すその理由とは?

【その1:キャンピングカーを借りてみる】はこちら

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】はこちら

移住したその先のことを考えてみる。
新たな暮らしや生き方への期待がふくらみ、
今の生活から早くスライドしたいと気持ちがはやる。
その一方で、ふと湧いてくる不安。本当にうまくやっていけるのか。
不安の中身は大きく分けるとふたつ。
まず、仕事が軌道に乗って収入を得られるかどうか。
そして、地域の人とうまくやっていけるのかということ。
おそらく、後者がうまくいかないと、前者もうまく回らないのだと思う。
だとすると、どうしたら地元の方とうまくおつき合いできるのだろうか。

先日平戸市でお会いしたレムコーさんは、
こんなことを話してくれた。

・人を判断しないこと

・すぐにシャットアウトしないこと

・自分だけ突っ走らないこと

そして、長崎旅・2日目の波佐見町でも、
移住者の方からたくさんのヒントをいただくことができた。
お話をうかがったのは、地元の方と移住者との
潤滑油のような存在と言うべきおふたり。
陶芸家の長瀬 渉さんと、
〈モンネ・ルギ・ムック〉というカフェを営む岡田浩典さん。
移住してからこれまで、おふたりは何を感じ、
どんなことを心がけてきたのだろうか。

今回は、400年の伝統が息づく焼き物のまち、東彼杵郡波佐見町を
キャンピングカーで巡ります。

鴻ノ巣展望所から見下ろした波佐見盆地。写真提供:波佐見町

まずは、波佐見町役場のワンストップ窓口(各市町村の移住相談専用窓口)を訪ねた。
私の移住相談を担当してくださったのは、企画財政課の朝長哲也さん。
はじめに、波佐見町についてお話をうかがった。

波佐見は焼き物のまちで、
町内の就業人口の約3割が、窯業に関係した仕事についているのだそう。
「波佐見以外でも、佐世保市まで出ればほかにも仕事はあります。
佐世保までは車で30分ほどなので、
ベットタウンとして波佐見に移住してくる方も多いですよ」

仕事が見つけやすいというのは、とても心強い。
「移住して飲食業を始める方が増えているのですが、
陶器市での集客がやはり大きいようですね。
毎年ゴールデンウィークに開催される波佐見陶器まつりには、
30万人が訪れるんですよ」
ということは、ゲストハウスをやりたい我が家にとっても、好条件ではないか。

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波佐見は長崎県で唯一、海に面していないまち。
西に佐世保市、北には有田焼で有名な有田町。
そして、東側は温泉地として名高い佐賀県の武雄市と嬉野市に隣接している。
海に行きたければ西へちょいと走り、温泉につかりたければ東へ向かう。
そんな暮らし、いいに決まっている。

さらに、高速道路を使えば長崎空港まで1時間弱、
福岡空港にも1時間半で行けるというのも魅力のひとつ。
東京との二拠点生活を考えている人にとっても、
アクセスしやすい場所と言えそうだ。

鬼木棚田と彼岸花。写真提供:波佐見町

朝長さんから見て、波佐見の魅力ってどんなところにありますか?
「まちにも人にも活気があるところですかね。
最近になって、20代や30代の若い人たちが
家業を継ぐために戻ってきたりしているんです。おもしろいですよ〜、みんな」
それも、地方ではなかなか聞かない話。

「みんな“ムック”で集まったりしてますよ。
そこで交流することで、新たなつながりが生まれているようです」
“ムック”というのは、今回取材させていただく岡田浩典さんが営むカフェ、
〈モンネ・ルギ・ムック〉の通称。
「みんなが集まれる場所でもあり、情報発信基地でもありますね、あの店は。
お昼時ですし、そろそろ行きましょうか」
ということで、ランチを兼ねてムックへ行くこととなった。

朝長哲也さん。みんなから“テッチャン”の呼び名で親しまれ、頼りにされている。

リファインされた京都の伝統工芸が ヨーロッパで人気に。 GO ON 前編

ヨーロッパ目線のデントウコウゲイ

京都で伝統工芸や芸能に横串を通し、新しい動きを生み出している〈GO ON〉。
そのプロデューサーとして活動しているのは、各務(かがみ)亮さんだ。
広告代理店に勤務し、かつては海外に赴任。
日本の大手メーカーの商品をPRする役割を担っていた。

「10年間、海外、特にアジアで働いていました。
行った当初は、クルマが増えることで移動が自由になるとか、
冷蔵庫があることで食の安全が保たれるといった、
その国における日本のものづくりの意義を感じていました。
でもだんだんと国が発展してきて、状況が変わってきたんです。
これからの日本はクルマや家電を届けるだけはなく、
世界に対して新しい役割を果たすべきなのではないかと感じるようになりました」

そんなタイミングで日本に帰国することになった各務さん。
京都に赴任し、これまで海外で感じていたような、
これからの日本の役割を具現化する〈GO ON〉(ゴオン)というプロジェクトを
2012年に始める。それは日本、特に京都の伝統工芸に光をあてること。
京都であっても、日本全国と同様に、伝統工芸は衰退気味。
呉服などは、この20〜30年の間に10分の1規模まで落ち込んでいるような現状がある。

GO ONのプロデューサーである各務 亮さん。さまざまなプロジェクトを企画している。

〈Japan Handmade〉の商品。(写真提供:GO ON)

まずはGO ONのなかで、海外向けの商材をつくる
〈Japan Handmade〉というプロジェクトを、6社の職人たちへ提案した。
西陣織の〈細尾〉、竹工芸の〈公長齋小菅〉、木工芸の〈中川木工芸〉、茶筒の〈開化堂〉、
金網工芸の〈金網つじ〉、茶陶の〈朝日焼〉の6社で、
なかでも若手後継者で構成されている。
それぞれ個別には海外に打って出たり、現代的解釈の商品なども開発していた。
それでも、各務さんのような外部の存在には、構えてしまうのが京都人。

「金網つじの辻くんからは、“最初に話をもらったときは、あり得ないと思った”
と言われましたよ」

それでも地道に活動して、6社の気持ちを揃えていった。
つくられた商品は、たとえば中川木工芸のスツールや、公長齋小菅のiPhoneケース、
開化堂のティーポットやプレートなど。

「海外に持っていくときは、海外のライフスタイルに溶け込むように編集しないと」
と各務さんが言うように、
日本の技術を使い、ミニマルな美意識をうまく海外向けにアレンジしている。
プロダクトのデザインは、デンマークのデザインスタジオ〈OeO〉が参画している。
各務さんとOeO、そして職人さんと3者ですり合わせていった。

「最優先しているのは、職人や工芸会社が何をしたいのか、ということ。
本人がどうなったら一番ハッピーだと思っているのか。
5年後、10年後、100年後、どういう会社になっていきたいのかという挑戦への
第一歩になっていないと意味がないと思っています」

中川木工芸のスツールとシャンパンクーラー。(写真提供:GO ON)

まずは、当時勢いのあった上海に進出する。
ラグジュアリーなホテルに、部屋に6社のすべての商品を置き、
全部まとめて購入できるような仕掛けにした。

「でも、結果的に中国よりも、
そこに来るヨーロッパのバイヤーたちが興味を示してくれることが多かった。
そこで軸足をヨーロッパに移していきました」

現在ではミラノやパリなどに発表の場を移している。

開化堂のティーポットやウォーターピッチャー。(写真提供:GO ON)

TOYOOCOME! 豊岡に来て、暮らして。 その2:豊岡移住のリアル 鞄職人・中野ヨシタカさんの場合

【その1:豊岡市ってどんなまち? はこちら】

いなか暮らしをしながら、手に職をつけたい

鞄職人の中野ヨシタカさんが、神戸市から豊岡市へ移住したのは、1996年のこと。
神戸で、奥様とのふたり暮らしでサラリーマンとして働いていた中野さんは、
「いなかでものづくりをしながら暮らし、自然が豊かな環境で子育てをしたい」
という漠然とした思いを持つようになっていったという。
「どうしようかと考えていた時期に、阪神・淡路大震災(1995年)が起きました。
震災が、移住しようという気持ちにスイッチを入れたんです」

では、なぜ豊岡だったのか?

「見知った土地であったことがまず大きかったですね。
学生時代、竹野海岸に海水浴に来たり、神鍋高原でスキーをしたり、
城崎温泉にも友だちと遊びに来ていました。
それと、実家のある神戸からの距離感。
ほどよく近くて、ほどよく遠い。
豊岡が持つ、まちとしてのイメージも、ちょうどいい“いなか感”でした」

中野さんが最初にしたことは、当然、仕事探し。
いずれ“職人”として生計を立てていきたいと思っていた中野さんが選んだ仕事は、
豊岡のとなり町、養父市八鹿町にある和菓子屋さんだった。
奥様とアパートに暮らし、見習いとして働き始めた。

和菓子職人の仕事は、充実はしていたが、
行事・祭事に繁忙期を迎える職業ゆえ、
世間が休みの時に忙しく、祝日・お盆・正月休みなどはもちろんない。

「子どもが生まれ、家族が増えていくなかで、
豊岡の豊かな自然の中で家族と暮らしを楽しみたいとか、
当然、休日の子どもの行事にも参加したいと思う。
でも、いまの仕事ではそれが難しいかもしれない。
家族のかたちに訪れた変化によって、
仕事、暮らし、子育てという、
移住を選んだ原点にもう一度立ち返るときが来たんです」

一念発起して飛び込んだ、鞄職人の世界

移住から5年が経った31歳、中野さんは転職を決意。
神戸に戻ることも一瞬頭をよぎったが、
豊岡での暮らしは捨てがたくなっていた。
次の仕事を選ぶ条件は、子育てのためにも休日がとれて、
そして、ものづくりができること。
家族を養うためには、事業の安定性や福利厚生も確かなところにしたかった。

仕事を探すなか、中野さんは
豊岡の地場産業である、鞄メーカーで働くことも選択肢のひとつと考えるようになる。
しかし、今から15年ほど前は、豊岡は鞄の産地であるものの、
ほとんどがOEM生産。いわば“黒子”として、鞄をつくるのが主流で、
〈豊岡鞄〉というブランドはまだない時代だった。

「あまり豊岡と鞄が結びついていなかったんです。
ところが、当時爆発的な人気ブランドの鞄が豊岡でつくられていた!
誰もが知っているブランドのものをつくれるのは、おもしろそうだなぁと」

そうして中野さんが門を叩いたのは、
1971年に創業し、業界では名の知れた〈株式会社 由利〉。
「当時社長だった由利総太郎さん(現会長)と由利昇三郎さん(現社長)にお会いしたら、
“君、おもしろいからおいで”と誘っていただいたんです」

鞄のエキスパートを養成する専門校〈Toyooka KABAN Artisan School〉。

こうして、中野さんの鞄職人としての歴史がスタート。
現在では〈豊岡鞄〉として全国区になり、
日本各地から職人を目指して豊岡へ移住してくることも少なくないが、
2000年当時は、移住して鞄の仕事につくという
中野さんのような存在は珍しかった。

風味も見た目も、 フレッシュで爽やか! 緑色のハウスレモンと グレープフルーツ

グリーンの果皮は、フレッシュな〈ハウスレモン〉の証し

料理や飲みものに爽やかな風味をプラスしてくれるだけでなく、
彩りも鮮やかにしてくれるレモン。
四季を通して食卓に登場するレモンは、
普段の暮らしにおける一番なじみ深い柑橘とも言える存在。
その果汁と果実だけでなく、果皮も料理や製菓などに使われるレモンですが、
家庭で調理するときにどうしても気になってしまうのが農薬。
輸入されたレモンは輸出時に防カビ剤などの
ポストハーベスト農薬がかけられていることもあり、
家庭でレモンを使うときは国産のものを選んでいる人も少なくないと思います。

愛媛県農業指導士でもある山崎章吉さん。手にしているのが今回ご紹介する〈ハウスレモン〉。

国産のレモンと聞いて瀬戸内をまずイメージされるかもしれませんが、
柑橘王国である愛媛県でもレモンの栽培はもちろん行われています。
そのなかでも伊予灘に面した伊予市双海町(ふたみちょう)にある、
愛媛県農業指導士の山崎章吉さんの園地で栽培されているレモンには、さまざまな驚きが。
普通のレモンとはひと味もふた味も違う、
おいしさと驚きたっぷりの〈ハウスレモン〉をご紹介します。

その名前が示すように、ハウスで栽培される〈ハウスレモン〉。
その一番の特徴は、ご覧の鮮やかな緑色の果皮。
レモンといえば黄色、というイメージが強いですが
「レモンは熟しすぎると皮が黄色くなるんです」と山崎さん。
「そして熟しすぎると香りが薄くなる。
レモン本来の香りが出るのは、皮が緑色のときなんですよ」

つややかな美しい果皮の〈ハウスレモン〉。「ハウス栽培だと雨を遮断するから、黒点がまったくつかないんです」と山崎さん。

“果皮が緑色なのに熟している……?”と不思議に思っていると
「葉っぱに隠れていて収穫し忘れたのがあるから、話の種に切ってみましょうか」と、
まだ熟していない若い実、ちょうど食べごろの実、そして熟しすぎた実と、
3つの異なる状態の〈ハウスレモン〉を山崎さんが持ってきてくれました。

果皮の色が異なった状態の〈ハウスレモン〉。一番おいしいのはどれだと思いますか?

背景に見えるのが山崎さんのハウス。その高さは4メートル近くもあります。

「じゃあ、まだ熟してないのから切ろうか」と、まず山崎さんが手にしたのは、
まだ実が小さく、皮の表面がゴツゴツしている濃い緑色のレモン。
小さめな実からレモン特有の香りはするものの、
カットされた断面を見ると果実の粒に水気が感じられなく、見るからにパサついた状態。
「この皮が鮫肌のはまだ果汁がのってなくて、皮も厚いんですよ。
レモンにも若取り(野菜や果物を、まだ若いうちに収穫すること)があるんですが、
僕はこの手のレモンは絶対に出荷しない」と山崎さん。

手前がまだ熟していないもので、奥が熟したもの。肌の違いは見てあきらか。

ちなみに取材後に調べたところ、
日本に輸入されるレモンの多くは熟しきっていない状態で収穫したものを
エチレンガスで追熟させ、果皮の色を黄色くしてから出荷されたものなのだそう。
「消費者の方が一番嫌うのは、しぼっても果汁が出ないレモンなんですよ。
果汁がのったものだけを出荷することに、僕はこだわりを持っているんです」

カットされると果実だけでなく、香りにも明らかな違いがあるのがわかります。

続いて山崎さんが切ったのが熟したてという果皮が緑色のレモン。
丸々とふとり、皮の表面がなめらかに整ったレモンがカットされた瞬間に
ふわっと立ち上ったのは、未熟のレモンとは比べものにならない爽やかな香り。
レモン特有の清涼感がありながらも、ツンとするような刺激は強すぎず、
さらに香りそのものからみずみずしさが感じられるほどのもの。
そんな香りを放つ断面を見ると、
果実の粒のひとつひとつがはちきれんばかりに膨らんでいて、見事なまでにつややか。
“レモン=黄色”のイメージをくつがえされて驚いていると
「僕らは飴色っていうんだけど、
皮が緑じゃなくてちょっと飴色のときが出荷のタイミングで。
皮も薄いし、果汁もたっぷり入ってる。
焼酎のレモン割りをするなら、こっちやな(笑)」と山崎さん。

そして最後に切られたのが、熟しすぎて果皮が黄色くなったレモン。
果実もふっくらとしていて、見た目はみずみずしいのですが、異なっていたのが香り。
レモンとしての香りはしっかりするのですが、
熟したてのレモンが放つ鮮烈な香りに比べると少しぼんやりとしていて、
良くも悪くも香りが落ち着きすぎている印象が。
最高の状態での香りを知ってしまったら、どうしても物足りなさを感じてしまいそう。
この切り比べを通して、レモンの緑色の果皮はとれたての証しであることを
実感させられました。

四季咲きで、花が一年中咲くレモン。園地を訪れた10月下旬に咲いていた花は、5月に出荷される実へと成長します。

果皮が緑色のレモンは双海町だけでなく、県内のほかの地域でも栽培されているのですが、
その多くの収穫時期は秋から春先にかけて。
でも山崎さんが育てる〈ハウスレモン〉は夏にも収穫ができるのだそう。
その理由は露地ではなく、温かなハウスで栽培しているから。

「ハウス栽培の一番の特徴は、夏場の暑いときに青いレモンで出せることだな。
ハウスの中に暖房を入れなかったら収穫できるのは11月だけになるけど、
12月にも暖房を入れれば6月にも収穫できる。
輸入された黄色いレモンもたらふくある夏場に
果汁がのったグリーンのレモンを持っていくと、すごい人気になる。
やっぱり緑色の皮に清涼感があるからだろうね。
あと都会の方では塩レモンブームとかあるらしいな? それも追い風になったな」

「開花して、弁がおちるとレモンの赤ちゃんになるんですよ」と山崎さん。よく見ると、すでに小さな実が。

実は山崎さんの本業はハウスみかんの栽培。
1972年に就農した際は露地みかん栽培をしていましたが、
1982年からハウスみかん栽培に切り替えたのだそう。
その長年にわたり培ったハウス栽培の知識とキャリアは、
2008年に農林水産省に〈農業技術の匠〉として選定されたほどの高さ。
そんな“ハウス栽培のプロフェッショナル”ともいえる山崎さんだからこそ
夏場にも出荷できる〈ハウスレモン〉を育てることができるのです。

同じハウスの中で育てられている〈ハウスレモン〉とルビーグレープフルーツ。「必要なのは太陽と光。ハウスみかんを育てるには寒暖差がいるけど、レモンとグレープフルーツには温度の差というのは逆にマイナスなる」と山崎さん。

そして山崎さんがその高い技術を生かして〈ハウスレモン〉とともに取り組んでいるのが、
ルビーグレープフルーツの栽培。
“日本でもグレープフルーツが育てられるの!?”と驚く人もいそうですが
「愛媛県だったら南のほうにいけば露地栽培できるかもしれないな」と山崎さん。
「ただ輸入されるグレープフルーツに負けないものを育てようとするなら、
やはりハウス栽培での暖房はどうしても必要だと思う。
いろいろと試験してみたところ、積算温度が足りないと果実が薄い桜色になるから、
ハウスで暖房しないと本来のルビー色が出てこないっていう結論になったんですよ」

枝もたわわに実ったグレープフルーツたち。

〈ハウスレモン〉と同じく、山崎さんが育てるグレープフルーツも人気が高く
「もうリピーターの方が固定していて、
予約だけで収穫したもののほとんどが出てしまう」らしく、
一般の流通にのることがないほど。
取材に訪れた10月下旬、2月の出荷時期に向けて成長中のグレープフルーツを
「まだ酸っぱくて、十分な状態じゃないけど……」と山崎さんがカットしてくれました。

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 その2: 平戸市のレムコーさんに聞く 人づき合いのヒント

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
長崎滞在1日目。平戸市にやってきたテツカが出会ったのは、
古民家を改築してゲストハウスを開業しようとしている、フロライク・レムコーさんです。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】はこちら

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】はこちら

濃厚な絶品ちゃんぽんを堪能したあとは、長崎自動車道をひとっ走り。
まずは北西に位置する平戸市を目指した。
青い海を眺めながらのドライブ、BGMは娘の鼻歌。
助手席に乗る4歳の娘は、初めて経験するキャンピングカーが気に入った様子。

今回お借りしたキャンピングカーについて、ここで少し説明を。
長崎県の移住先探しで借りることができたのは、
〈インディ727〉という軽自動車のキャンピングカー。
大型のキャンピングカーの運転となると躊躇してしまうけれど、
この軽キャンであれば普通自動車と変わりなく運転できるので安心。
入り組んだ場所や細いあぜ道でもラクラク走れるので、
気の向くままに旅することができる。
また、シートアレンジによってフルフラットになるので、車内での宿泊も可能。
ポップアップルーフを使えば大人2名と子ども2名まで寝られる。
今回は4歳の娘とふたりだったので、シート部分でゆったりと寝ることができた。

テーブルもあるので、ゆっくり食事ができます。電源やTV、小さめのシンクもあります。写真提供:長崎県

ポップアップルーフは、大人が寝られる広さです。写真提供:長崎県

娘はフラットシートで爆睡!

遠くに見える赤い橋が、東西を結ぶ平戸大橋。

1639年建造のオランダ商館倉庫を復元した資料館。写真提供:平戸市

田平天主堂。写真提供:平戸市

長崎空港から2時間弱で、平戸の玄関口である田平地区に到着した。
平戸市は長崎県の北西部に位置し、平戸島、生月島、大島、度島、高島の有人島と
九州本土北西部に位置する田平と周辺の多数の島々で構成されている。

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大航海時代、世界地図にFirand(フィランド)と記され、
日本で最初の国際貿易港として栄えた歴史あるまちで、
今でも当時の面影を彷彿とさせる建物や史跡が残っている。
また、平戸を散策していると出会うのが、はっとするような美しい教会。
世界遺産の候補になっている田平天主堂をはじめ、
14のカトリック教会が今でも息づいている。
東京で生活している私にとって、
教会やコバルトブルーの海に囲まれているこの環境だけでもワクワクしてしまう。
もしここで生活したら、朝は教会へ行き、昼は釣りをしながら子どもと戯れ、
そして釣った魚を家族みんなで食べる……すてきすぎるじゃないか。
そんな妄想を抱きながら、まずは市役所を訪ねた。

今回の、長崎県による〈キャンピングカーでラクラク移住先探し〉では、
移住先探しメニュー」を選択することができる。
私が選択したメニューは、「市町担当者への移住相談」と
「先輩移住者への移住相談」。
そして「空き家の見学」「市場などの見学」の4つの項目。

まずは「市町担当者への移住相談」をするため、
市役所の「ワンストップ窓口」を訪ねた。
「ワンストップ窓口」というのは、移住希望者の相談のための専用窓口で、
平戸市のほか県内の21市町すべてに設けられている。
今回、私の移住相談を担当してくださったのは、地域協働課の内野愛子さん。
平戸市の概要や移住支援制度について説明をしていただいた。
そんな内野さんに、私も質問をぶつけてみた。

Q 保育園はすぐに入れますか? 待機児童はいますか?

A 待機児童はいないですよ。
市内には認可の保育所が18か所、認可外が5か所あります。
すぐに入れる状況です。

Q 小学校から高校まで、公立の学校はあるのでしょうか?

A ありますよ。
小学校が17校、中学校が9校あります。
高校は3校あって、うち1校は農業高校です。

Q 食べ物はなにがおいしいですか?

A うーん、どれっていうのが難しいですね。
海の幸はなんでもおいしいし、
平戸牛も平戸米も、野菜もとにかく新鮮でおいしいくて……絞れないですね。
珍しいものでいうと、「ウチワエビ」というのがあります。
半分に切ってお味噌汁に入れたら絶品ですよ、伊勢エビみたいな味わいです。

Q そのほか、平戸のイチオシ! を教えてください

A 平戸の本土からフェリーで30分から40分くらい行ったところに、
大島村という離島があります。
大島村は杉の木が少ないので、花粉症の症状が解消されるんです。
花粉症のひどい方には移住先としておすすめです!

そのあと、私たちへのヒアリング。こちらの現状をお伝えした。
家族3人暮らしであることや、現在の仕事の状況、希望の生活スタイル。
それらに沿った内容で、内野さんが平戸市を案内してくださった。

最初に向かったのは市場。
移住するうえでとにかく気になるのは、家族の体を支える食の環境。
平戸の地形を見る限り、魚天国であることはまず間違いなさそうだ。
肉より魚好きな我が家、期待が高まる。
内野さんが案内してくれたのは〈平戸瀬戸市場〉。
どーんと構えた大きい建物の中へ入ると、奥のほうに「魚」という文字が。
娘の手を引きながら魚売り場へ直行すると、氷の上にはピカピカの魚がずらり。
尾頭付きの鯛、大粒のサザエ、ぶりんとしたヒラマサの刺身。
しかもすべてが近海でとれた天然もの。

サザエは5個で860円! 黒アワビは980円!

平戸産天然のマダイ、1750円!

テツカ「内野さん、天然ものばっかりー! しかも安い!」
興奮気味な私に対して、内野さんは首をかしげる。
内野「普通、天然じゃないんですか?」
平戸生まれ平戸育ちの内野さんにとっては、天然ものが当たり前。
なんとうらやましい環境。
内野「テツカさん、すごいテンション上がってますね」
と微笑まれ、少し正気に戻った。
今後の予定を考えると、生ものは買えない……。
テツカ「内野さん、今度来たらバーベキューしたいです。魚いっぱい買って」
内野さんがやさしく頷いてくれた。
日持ちのする干しトビウオなどをたくさん買い込み、市場をあとにする。

乾物も充実しています。

平戸はかまぼこの名産地。いろんな種類があり、どれを買おうか迷います。

生け簀の中をのぞかせようと、娘を抱きかかえてくれる内野さん。

移住相談窓口のご担当、おっとりとした口調ながらも頼もしい内野愛子さん。こういう方の存在は、移住するうえでとても心強いと感じました。

ひそやかな愉しみ

3月に入って俄然春めいてきたと思ったら、うぐいすが鳴き始めた。
最初にそれと聞き分けたのはタカコさんだった。
週末の午後、子どもたちと一緒に庭にいたときのこと。
さっき、うぐいすが鳴いた、と。
「ほんと? 違う鳥じゃない?」
最初に聞いたのがぼくじゃないという悔しさもあって。
「いや、うぐいすだった」
しばしふたりで耳をすませる。らしき鳴き声はついぞ聞こえない。
「絶対うぐいすだって!」
結果から言って、それはうぐいすに違いなかった。
翌朝、サブとハティの散歩の最中何度も聞いた。
日中にも我が家の庭先で幾度となく。
初めて知ったが、彼らはいっせいに鳴き始めるのだ。
それこそ春を待ち構えていたかのように。
ちなみに、うぐいすは一般に春の鳥というイメージがあるけど、
去年は夏の間もずっと鳴いていた。秋になっても鳴き声を聞いた。
そのわりに姿はほとんど見ることがないのがうぐいすという鳥である。

さて、春とともにやってきた回覧板は、
浅口市役所の非常勤職員・臨時職員募集のお知らせだった。
全部で12の職種があり、それぞれの業務内容や
勤務時間帯、賃金、などを記したプリントがバインダーに挟んであった。
やたら漢字が多いそのリストを漫然と眺めていると、あった。
ぐいと心をもっていかれるようなのが。

文化振興課
職種/学芸員
主な業務内容/天文博物館学芸員として業務および一般事務職業務
(プラネタリウム・展示物の解説、
企画物や発行物の立案・実施、講座・出前授業等の講師)
勤務時間帯/8:30〜16:45(月〜金曜日)
賃金/月額18万円
募集人員/1名

わが町には、遙照山という山の頂に〈岡山天文博物館〉なる施設がある。
敷地内には日本最大級の口径を誇る反射望遠鏡を備えた
国立天文台岡山天体物理観測所もある。
つまりは、星がきれいに見えるところなのだ。
しかも瀬戸内特有の気候で晴天が多いものだから天体観測にはもってこい。
ぼくも昨夏ここ鴨方町に移住してから、よく夜の空を見上げるようになった。
ここで見つけたひそかな愉しみと言っていい。
空気が澄んだ夜は、それこそ見とれるくらいに星々が美しい。
いまから星のことを勉強して、子どもたちに星のことを教えてあげる。
こんな近所にそんなすばらしい仕事があるなんて。
しかも、「発行物の立案、実施」、即戦力だ。
回覧板にこんなに心躍らせるのは初めてのことだった。
が、心が躍ったのもほんの一瞬。以下、リストの資格欄にあった内容。

大学等において天文学、自然科学を専攻した者で、
次の1)2)3)のいずれかに該当するもの。
1)学芸員 2)博物館等での2年以上の実務経験をもつ者 
3)天文学の専門家と判断できる経歴を有する者

大谷のストレートを打席で見た中学生の心境だ。
かするどころか、バットも出やしない。浅口市の人口が約3万5000人。
3つの条件のひとつでも該当する人が何人いるのやら。

ここ鴨方町に移ってきて、タカコさんは新たな愉しみを見つけた。
家の庭や近所の山で花や草木を摘み、家のあちこちに飾るのだ。
だいたいが週末だ。しばらく顔を見ないと思ったら、剪定ばさみを片手に、
もう片方の手にはその日の収穫物を手にして戻って来る。
満たされた顔をして。「楽しい?」と聞くと、「楽しい」と答える。
日頃から目をつけているものを採りに行くこともあるが、
あてもなく山に入ることのほうが多いらしい。
「そっちのほうが楽しいんだよね」
華道の経験は皆無、完全な自己流である。
生けた花に彼女の人間性がよく出ている。羨ましいくらいに、彼女は自由だ。

長女のチコリは目下『サザエさん』のかるたに夢中だ。
ひと月ほど前、隣町の矢掛町にあるごくごく普通の文具店で買った。
絵札のヴィジュアルはアニメではなく、
長谷川町子さんの描いた絵だから味わいがあってレトロ感もたっぷり。
文字札のオリジナルの文章もおもしろい。

「みっかぼうずが ことしも日記」
「しょうじのあなから おきゃくのていさつ」
「うまもおめかし はつにがとおる」

チコリにしつこくせがまれ、平日にも日に一度は家族で札を囲む。
あんまり頻繁にやるものだから、彼女は文章を完全にまる暗記してしまった。
あろうことか、2歳のツツまでが文字札の半分ぐらいを言えるようになった。
「子どもの記憶力って、そらおそろしいね」とタカコさんとよく言うのだが、
そんなことを言っている間にほかのかるたを買えという話だ。
というのも、この「サザエさんかるた」の読み句を記憶しても
なんの役にも立たない。
「しょうじのあなから……はい、ツツ!」
「おきゃくのてーしゃつ!」
これ、親には相当おもしろいのだが、第三者にはまったく無意味、
おもしろくもなんともない。
やっぱり、ここは小倉百人一首のかるたとかを買い与えるべきか。
アマゾンで見てみたら3000円も出せば買えそうだった。
でも、相手は5歳、わがままが服を着て歩いているような、そんな女の子。
絵づらが楽しくないと言ってまったく手を出さない可能性が五分だ。
春の訪れのわりに懐も寒いとあって、まだ購入には踏み切れていない。

近所の人からもらった梅にネコヤナギっぽい枝を添えて。陶器の壺の中を見てみたら瓶が立ててあり、枝の根元のところを差し込んであった。

我が家の庭で調達した梅。1本の樹に紅白の花がつく梅の老木で、村で咲いている梅よりも1か月ほど開花が遅い。

「自然のアイビーを見つけた」と言って生けていた山の蔦。こういうのを“野趣あふれる”と表現すればよいのだろうか。

我が家の床の間にも。が、こちらはハンティングしたものでなく、どこかのJAで買い求めたものらしい。

TOYOOCOME! 豊岡に来て、暮らして。 その1:豊岡市ってどんなまち?

コロカルでも大きなテーマのひとつである、「移住」。
都市部で暮らす人が、ローカルでの暮らしを選択する理由や、
実際に暮らし始めた人がどういう実感を持っているか、
考えてみたけど実現できなかった人の障害になったものは何? 
など移住をめぐるあれこれを探っていきます。
今回は兵庫県の豊岡市。
ここでは、いまコロカルも加わって移住戦略プロジェクト、
〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉を2015年からスタートさせました。
まずは、3回にわたって豊岡のまちの魅力や、
先輩移住者の仕事や暮らしぶり、気になる行政の取り組み、
市長の考える“移住”についてお伝えします。その第1弾は、豊岡市ってどんなまち?

豊岡市・徹底解剖!

兵庫県の北東部に位置し、面積が県で一番大きな豊岡市。
日本海と中国山地の山々、壮大な自然に囲まれたダイナミックな地形に、
夏は海水浴、冬は神鍋高原でのスキーやスノーボードを楽しむ観光客が多く訪れます。
都市部でもそのおいしさに評価が高い但馬牛や、
キング・オブ・冬の味覚の松葉ガニ、
米(特に、減農薬・無農薬の〈コウノトリ育むお米〉はブランド米として有名!)
など豊かな食に恵まれています。
あちこちに田んぼや畑が広がり、コウノトリが舞う。
そんな情緒ある光景に、日本の古き良き田園風景を重ねる人も多いでしょう。

そんな豊岡市は、2005年に1市5町
(旧豊岡市・城崎町・但東町・出石町・日高町・竹野町)が合併。
観光業、農業や漁業、鞄産業が市の基幹産業となっています。

あなたのその鞄もMade In TOYOOKAかもしれません

まちの中心である豊岡地域は、日本一の鞄の産地。
そのルーツを調べると、なんと神話の時代に遡ることに。
新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、
柳細工の技術が伝えられたとの伝承が、712年の『古事記』にあります。
豊岡鞄のルーツは、その柳細工でつくられたカゴだと言われており、
奈良時代には、奈良の正倉院に上納された記録もあります。
柳細工でつくられたカゴは柳行李(やなぎごうり)と呼ばれ、
やがて把手がついて、鞄に進化。
素材の多様化とともに豊岡の地場産業として大きく成長しました。

市役所のすぐ近くにあるカバンストリートには、
豊岡鞄のショップや修理屋さんや鞄のクリーニング専門店など
関連のお店が軒を連ねます。代々続く鞄の聖地ならではの充実度です。
また、鞄のパーツショップや職人を育成するスクールを併設した、
〈Toyooka KABAN Artisan Avenue〉など、生産地ならではの拠点もあるのです。

修理専門店には、持ち込まれた鞄が山のように待機しています。

連載2回目では、豊岡移住後に鞄職人として働き始め、
いよいよこの春自らの店と工房をオープンさせるという
中野ヨシタカさんにお話をうかがいます。
中野さんの目に、豊岡というまちはどう写っているのでしょうか。

コウノトリと人々がともに生きるまち

そして豊岡といえば、国の特別天然記念物のコウノトリの里としても有名です。
中心地から少し足をのばせば、
悠々と空を飛ぶ白く美しいコウノトリに道ばたでも出会えるような環境。
豊岡の人々にとって、今では“当たり前”の光景ですが、
この光景が見られるようになったのも、実は最近のこと。
一度は絶滅したコウノトリでしたが、
1989年に飼育下繁殖(人工繁殖)に成功して以来、
毎年増殖に成功し、2005年にはコウノトリ野生復帰計画における
最初の5羽の自然放鳥を実施。その後自然下での繁殖も順調に進み、
現在78羽のコウノトリが豊岡の空を舞っています。
それでもなお絶滅の危機にあるコウノトリの野生復帰の拠点であり、
保護・繁殖活動を行う〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では、
その美しい姿を間近で楽しむことができます。

繁殖に成功してからというものの、
コウノトリを一度絶滅させた過去を繰り返さぬよう、
コウノトリと共生できる環境づくりを、市民が率先して行っています。
例えば、コウノトリに害を及ぼさないよう、
農薬を極力用いない農法を使ってお米をつくったり、
コウノトリが道を歩いていたら、そっと道を譲ったり、
冬場でも田んぼに水を張って餌となる小動物がいる環境を保ったり。
そんなコウノトリへの気遣いは、小学生からの環境教育のたまもの。
各小学校にあるビオトープやコウノトリの郷公園での課外授業で、
生態系やコウノトリと人の共生に関して、全員が学びます。
「コウノトリにやさしい地域は、ここで暮らす人に対してもやさしい」
そう思いませんか?

〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では間近でコウノトリを見学できます。両翼を広げると2メートルにもなります。

城崎温泉のもうひとつの顔

『城の崎にて』で志賀直哉によって描かれた城崎は、
どこか静かでもの哀しい雰囲気がありましたが、
現代の城崎温泉は活気に満ちた西日本有数の温泉観光地です。
昨年は海外からの観光客が増加し、
21か国以上から、3万1400人もの外国人旅行者が訪れたそう。
「日本の文化を体験しに城崎に来ている」。そんな旅行客が増えています。
コウノトリ但馬空港からバスが運行、京都や大阪から電車で2時間強。
このショートトリップ感も人気の秘密です。
旅館などでは、後継者問題や従業員不足問題など課題は抱えているものの、
結婚を機に東京からIターンして奥様の実家の旅館を継ぎつつ、
新規事業として飲食店と、さらに地ビールの開発・販売まで始めた人がいたり、
豊岡市で暮らしたい人、働きたい人を受け入れる場所でもあります。

城崎温泉の中心を流れる大谿川と柳並木。雨の中のそぞろ歩きも風情があります。

電車を待つわずかな時間でも浸かれる温泉。城崎駅前の誰もが利用できる足湯です。

また、2014年にオープンした〈城崎国際アートセンター〉は、
アーティスト・イン・レジデンスとして舞台美術の創作の拠点となっています。
国内外からコンテンポラリーダンスをはじめとする
さまざまなアーティストが訪れ、滞在しつつ制作に励みます。
その成果発表のひとつとして、アートセンター内のホールや
まちなかでインスタレーションを行うなど
地元の人にも楽しい、国際的な活動が行われています。
豊岡市は、小中学生を対象にコミュニケーション教育にも力を入れており、
性別や年代を超えて、対等な関係の中で自分を主張し、
他者を理解できるコミュニケーション能力の育成を図ることを目的に、
演劇的手法を用いた先進的な授業が行われています。

城崎国際アートセンター(KIAC)。photo by 西山円茄

2018年からは英語教育を幼稚園から開始するようにし、
市内の全小学1、2年生にもALT
(Assistant Language Teacher:外国人による英語授業の補佐)の授業を行う計画です。
“海外からの観光客やアーティストと英語でコミュニケーションできる”
小学生や中学生が、豊岡市で育つという将来はもうすぐです。

この豊岡教育改革に関しては、中貝宗治市長に詳しくお話をうかがいました。
連載3回目でご紹介します。

きょうのイエノミ 旅するイエノミ コーヒー割りと、 北海道産サフォークラム

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、
手軽で簡単、しかもちょっとした旅気分が味わえる
日本各地のおいしいものと三浦半島の旬の食材を使った、
和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

ようやく春の気配が漂い始める時期となりました。
新しい出会いや別れなどのイベントも多く
自宅に人を招く機会も増えてきそう。
きょうのイエノミは、おもてなしにも良さそうな
ちょっと目先を変えたおつまみが揃いました。

サラダ感覚でいただける生春巻きに、ライム風味のセビーチェ、
メインは北海道産のラムをハーブと一緒に熱々に焼いて。
「合わせるお酒もコーヒー割りなんてどうかしら」
料理研究家の飛田和緒さんも少々春気分?
心が浮き立つ季節らしいイエノミになりそうですね。

実は飛田さん、ものすごくコーヒーが好き。
でもいまは子育て中で毎日がとてもあわただしい。
愛用の手回しミルでコーヒー豆を挽いてゆっくり味わう。
そんな機会がなかなかありません。

そこで思いついたのがコーヒー割り。
余った豆をガラス瓶に入れて、ホワイトリカーを注ぐ。
3~4か月もたてば琥珀色をしたコーヒー酒のでき上がり。

「果実酒のノリで、豆が余ったときにつくっておくの」

これを夜のホッとする時間にちびちび味わうそうですが
どんな料理にでも合うので、イエノミにもお薦めなんだとか。

今日のように何人かでいただくときは
冷ましたコーヒーで甲類焼酎を割ると、簡単で手間いらず。

「普通のお酒より飲みやすいから、驚く人も多いわよ」

コーヒー割り? と思ったものの
恐る恐るいただいてみると、そのおいしさにびっくり。

コーヒー独特のコクや風味がバージョンアップした
「大人風味」の贅沢なコーヒーという感じで、
未体験の人に薦めたくなるのもこれならわかる。
気の張らないおもてなしにはぴったりかもしれません。

●ローカルな逸品〈北海道・肉の山本の北海道産サフォークラム〉
希少な国産ラムをハーブと特製ソースで

飛田さんはずいぶん昔からの羊好き。
今のようにスーパーで売っていない頃からのファンなので
食べたくても、羊肉を手に入れること自体が大変だったそうです。
その悩みを解消してくれたのが、北海道の友人の手土産。

「ブランド品じゃない、無名のラムなのに驚くほどおいしくて」

それからはずっと、この〈肉の山本〉から取り寄せるように。
お気に入りの生ラムは100g280円からというお手頃価格なので
たっぷり食べたい飛田家にはもってこい。
骨付きラムはローストやコンソメで煮たシチュー、
薄切り肉なら中華風のしゃぶしゃぶや炒め物に。
シンプルで簡単な料理でも間違いなくおいしいし

「しかもご馳走感が出るからありがたいわ」

今日は奮発して、北海道産サフォークラムを用意。
塩胡椒して、フレッシュなタイムと一緒にフライパンで焼いただけですが
ふかふかと柔らかく旨みの濃いラムはもちろん
飛田さん特製の〈羊用ヨーグルトソース〉も絶妙なおいしさで
イエノミがすっかりレストラン気分に。
これ、すぐにでも家で真似したくなりますね。

ところで、きょうの北海道産サフォークラム
実はとても希少なものらしいのです。

「日本の羊肉は99.6%が海外からの輸入品ですからね」

そう教えてくれたのは〈肉の山本〉で羊肉担当の菊地勝也さん。
幼い頃から、おうち焼き肉といえば羊だったという生粋の道産子ですが
家で食べていたのは「ロール」と呼ばれる冷凍輸入もの。
名物ジンギスカンなどで、羊を食べ慣れていそうな北海道でも
道産の羊肉はまったくといっていいほど一般には流通していません。

「でもせっかく羊を扱うなら、北海道ならではのものをと思って」

道内のあちこちを巡って信頼できる牧場を探し当て
世界的においしいと定評あるサフォーク種を
餌にまでこだわり、特別に飼育してもらっているそうです。

ただし非常に量が少ないため、あまり宣伝はしたくないんだとか。
羊は豚と比べると産まれる仔の数が圧倒的に少ない。
それでなくても、いまの北海道では牧場の経営が非常に難しい。
だからいっときのブームに乗るのではなく
「時間をかけてゆっくり広めていければ」と
“羊はクセがあって食べにくい”と先入観を持つ道外の人に
そのおいしさを気長に伝えていきたいと考えているそうです。

ちなみに、もうひとつの看板商品〈生ラム〉はオーストラリア産。
出荷までに1度も冷凍していないので、嫌な臭みが全然ない。
ただ、賞味期限がどうしても短くなるので
お客さまの手元にどれだけ余裕を持たせて届けられるか。
それが菊地さんの腕のみせどころ。

デリケートな商品なだけに、苦労も多いようですが

「僕が家で食べるなら、この生ラムですね」

なぜなら手軽にたっぷりおいしい羊を食べたいから。
サフォークラムはもったいなくて自分では食べられない。
「大切な人への贈り物にします」という菊地さん。
羊LOVEな飛田さんとは、きっと話が合うと思いますよ。

〈肉の山本〉(北海道/千歳市)の北海道産サフォークラム

●お取り寄せデータ

住所:北海道千歳市流通3-2-9

電話:0123-23-7617

FAX:0123-22-2132

営業時間:9:00~17:00 日祝・水休

http://www.29yamamoto.jp

※北海道産サフォークラムは1パック(220g)2740円+消費税
生ラムは400g(タレ付き)で1800円+消費税~

※サフォーク種の羊といえば〈ひつじのショーン〉。
顔と手足だけが真っ黒な羊はイングランド原産。肉質が優れていることで知られている。

●「羊用ヨーグルトソース」のつくりかた

プレーンヨーグルト適量にオリーブオイル、塩、クミンシード、
すりおろしニンニクを入れてよく混ぜる。最後に刻みパセリをふる。

●旬のおつまみ〈野菜たっぷり生春巻〉
春が旬のレタスを主役にしたサラダ風

もうすっかりおなじみとなったベトナム風の生春巻ですが
自分でつくるという人は、まだまだ少ないのでは?

「それはもったいないわ」と飛田さん。

ライスペーパーさえあれば、とても簡単にできるし
中身だってなにを巻いたっていい。

「うちだと残ったおかずをみんな巻いてしまうわよ」

思いっきり大胆だけど、これ、いいアイデアだと思いませんか。
きょうはサラダ感覚の生春巻きなので、中身は生野菜ばかりですが
これも冷蔵庫に余りがちなものを上手に利用して。
レタス、キュウリ、大根とありふれた野菜も切って巻くだけで
ぐっとスペシャルな感じがするから不思議です。

注意点は破れやすい皮の扱いと巻き方だけ。
つい中身を詰め過ぎて、不格好になってしまいがちなので
ふんわりではなく、きつめにしっかり巻いたほうがきれいだし食べやすい。
片手で簡単に食べられるので、
飛田さんちではBBQの定番おつまみだそうですよ。

野菜たっぷり生春巻

●つくりかた

レタス、キュウリ、大根はせん切りにする。

水をさっとくぐらせるか霧吹きでライスペーパーを柔らかく湿らせる。

2に大葉を並べ、その上に1を控えめに載せてきっちり巻く。

ニョクマム(またはナンプラー)、砂糖、水、レモン汁を合わせる。

4のタレに刻んだナッツと赤または青唐辛子少々を加える。

※お好みでパクチーを巻くかタレに加える。

※ニンジンやセロリなど、中身の野菜はなんでも大丈夫。

※冷蔵庫で冷やす場合はきっちりラップをかけて皮が乾かないように注意。

●簡単おつまみ〈タコ、海老入りのセビーチェ〉
ライム風味が爽やかなラテンな魚貝入りマリネ

酸っぱい料理が大好きな飛田さんは
ペルーやメキシコのセビーチェが大のお気に入り。

「メキシコを旅したときは本当に食べまくったわね」

現地の味を再現したくてあれこれ試し、こんな感じ? と定番になったのが
きょうのタコ、海老入りのセビーチェです。

絶対欠かせないのは玉ねぎとピーマン、青唐辛子とパクチー。
魚貝類はそのときにあるものならなんでもOK。
それにトマトとアボガドをプラスして
レモンではなくライムを使うと、ぐっと本場の味に近づくそうです。

いつものマリネとは違う、どこかラテンな感じが新鮮だし
玉ねぎを紫玉ねぎに替えれば色合いも美しい。
おもてなしの一品としても喜ばれそうですね。

タコ、海老入りのセビーチェ

●つくりかた

青唐辛子をみじん切りにする。

紫玉ねぎは薄切り、ピーマン、トマト、アボガドは食べやすい大きさに切る。

タコをひと口大に切り、海老は背ワタをとりさっと塩ゆでして殻をむく。

ライムを絞った果汁に塩少々と1を合わせておく。

全部を和えてしばらく冷蔵庫でなじませる。

盛りつけてからパクチーを載せる。

※タコ、海老の他、お刺身の残りの白身魚、マグロ、ホタテなどを使ってもおいしい。

※冷蔵庫でなじませる時間は30分ほど。好みに合わせて加減する。

●きょうの和酒 極上〈宝焼酎〉25°
プレミアム焼酎がコーヒー割りを極上の味わいに。

今ひそかに人気を呼んでいるコーヒー割り。
作家の椎名 誠さんが愛飲しているという噂もあり
オリジナルの〈コーヒー焼酎〉を提供する店も増えているとか。
このコーヒー割りを手軽においしくイエノミするために
ぜひお薦めしたいのが、極上〈宝焼酎〉です。

ロックやハイボールでいただくときはまろやかに。
ミックスベースにしたときは割材の風味を生かしながらも存在感がある。
そんな焼酎にしたいという一念で試行錯誤を続けた成果が
樽貯蔵熟成酒3%というブレンド比率。

まろやかな口当たりと、ほのかな甘い香り、すっきりした後味が
特にコーヒー割りとは抜群に相性が良く
ペットボトル入りブラックコーヒーと合わせて割ると
驚くほどおいしいコーヒー割りを簡単に楽しめます。

割り方は1対1(ハーフ&ハーフ)が基本。
この新しい楽しみ方、ぜひイエノミでも体験してくださいね。

極上〈宝焼酎〉25° 900ml 紙パック

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/takarashochu/

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KAZUWO HIDA
飛田和緒

1964年東京生まれ。8年前からレーシングドライバーの夫、娘の花之子ちゃん、愛猫のクロと南葉山で暮らす。東京時代の便利な生活から一変し、早起きが習慣に。ご主人が仕事で留守がちなため、仕事はもちろん、買い出しやお弁当作りにと忙しい日々を過ごしている。毎日の食卓で楽しめる普段着の料理が得意。高校3年間を長野で暮らした経験もあり。

漁師のことは漁師に聞け。 もう一度、漁師を身近な存在に フィッシャーマン・ジャパン 後編

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漁師のたまり場となるTRITON BASE

三陸で、水産業を盛り上げようと活動している〈フィッシャーマン・ジャパン〉。
漁師のイメージアップや商品販売、
さらには都会で漁師直送の食材が食べられる〈FISHERMAN BBQ〉、
水産業に特化した求人サイト〈FISHERMAN JOB〉などの活動を通して、
水産業全体の底上げを図ろうとしている。

そのひとつが〈TRITON PROJECT〉である。
それぞれの浜(港)に、漁師たちの拠点となるような
〈TRITON BASE〉を設置する場づくりだ。
現在はTRITON ONAGAWA、TRITON13、TRITON UTATSUの3つが稼動している。
どれも古民家をリノベーションし、ウッドを基調にしたモダンな内装になっていて、
若者にも受け入れてもらえそうだ。

3つのBASEには統一したコンセプトはあるが、それぞれ地元の漁師たちが管理している。
〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事であり、
ワカメ漁師の阿部勝太さんが管理するTRITON13は、石巻の十三浜にある。
3部屋あり、現在はひとりがワカメ漁師として在住している。

「もっと漁師を雇って、まずはこの3部屋を埋めたいですね。
この部屋から漁師を始めて、給料が上がってきたり、結婚したりして、
このTRITON BASEを巣立っていく。そしてまた新しい人が入居する。
漁師が住んでいるということに意味のある交流の場にしていきたいと思っています」
と言う阿部さん。

〈フィッシャーマン・ジャパン〉の発起人でもあり、
事務局を務める長谷川琢也さんも言う。
「期間雇用しかできない漁師さんも多いんです。
だから漁の時期に合わせて、何月から何月まではTRITON ONAGAWA、
何月から何月まではTRITON UTATSUみたいに、
“ローテーション漁師”のような取り組みをしたいという想定も含まれていますね」

十三浜のTRITON13では、地域のおじいちゃんやおばあちゃんが来て、
一緒にバーベキューすることもあるという。
地元の人と移住者の自然な交流が生まれているようだ。

「移住や定住に必要なのは、住居とコミュニティだと思っています。
TRITON BASEは、拠点であり、起点です。
ここに住みながら漁師になって、巣立っていく。
先輩漁師が顔を出したり、僕みたいなのが遊びに行ったり。
そうした交流を通して、ちょっとずつ地元に根が生えていく場所にしたい」(長谷川さん)

現在、4つ目のTRITON OSHIKAを荻浜に施工中。
ここは漁師ではなく、フィッシャーマン・ジャパンが管理する
フラッグシップのベースになる。
コミュニティをつくるというのは、漁師にとってあまり得意なことではないかもしれない。
でも場所があれば自然とやりやすくなっていくのだろう。

しっかりとした仕事が待っている。具体的に漁師を学ぶ

〈フィッシャーマン・ジャパン〉は漁師の学校にも取り組み始めている。
第1回目が、2月12〜14日にかけて、〈牡鹿漁師学校×TRITON SCHOOL〉として開催。
漁師の仕事を学ぶ2泊3日の短期研修プログラムである。
〈宮城県漁業協同組合石巻地区支所〉とTRITON PROJECTが、
これまで牡鹿半島で〈牡鹿漁師学校〉の実績があった
筑波大学の貝島桃代研究室と組んで行われた。
その牡鹿漁師学校のプログラムを下敷きに、上記3者で、プログラムが練られた。

リラックスしたひとときの休憩が、漁師たちのホンネが聞ける貴重な時間。かたわらには缶コーヒーがお約束。

「直接、漁師さんにコンセプトや必要性を話しにいって、
興味を持った方たちにお願いしました。
そして漁師学校としてやりたいことと、私たちが知っている漁師との、
最適な組み合わせを考えていきました。漁師さんと一緒につくりあげた感じはあります」
と言うのは、宮城県漁業協同組合石巻地区支所の三浦雄介さん。

当の漁師たちも、将来に対しての危機感は持っていたようだ。

「私も正直意外だったんですが、みんな担い手の必要性を感じていて、
好意的かつ協力的でした。
“急に来ても漁師の仕事ができるわけでもないし、わかるはずもないから、
一度体験してもらうのはいいことだ”という反応だったんです」(三浦さん)

〈牡鹿漁師学校〉を主宰する筑波大学貝島桃代研究室の佐藤布武さんは、
何度か漁師学校を行っているが、普段は、ひとつの浜で行っている。
今回はいくつかの浜を飛び越えながら行われたことに特徴があるという。

「今回は、普段は分断されている浜に横串を通して、
いろいろな浜を横断的にやってみようと試みました。
また、教科書をつくったんですが、そのために取材が必要。
いろいろな地域を回ることができて、それぞれの特徴や浜同士の交流など、
こちらとしてもいい勉強になりました」(佐藤さん)

筑波大学で建築デザインを学んでいる、貝島桃代研究室の3人。(左から)佐藤布武さん、菊地純平さん、栗原広佑さん。

実は知らずに食べているかも? 愛媛県を代表する栗の産地 西予市城川町で育つ〈城川栗〉

生まれ育った地元で加工され、各地へと旅立つ城川の和栗

愛媛県の山間部、伊予市中山町で育てられた中山栗が使われたスイーツを
前回ご紹介しましたが、
中山町と並んで愛媛県を代表する栗の産地として知られているのが西予市城川町。
四国山脈と支脈に囲まれたこのまちには、
全国でも珍しい地元産の栗を収穫直後に加工できる施設があるのです。
今回は城川町で城川和栗の生産から、
栗製品や業務用製品の製造・加工を手掛けている株式会社城川ファクトリーをご紹介します。

緑あふれる城川町にある加工場。

取材で訪れたのは製造と加工を行う城川自然農場の第二加工場。
こちらでは栗だけではなく、柚子やたけのこ、梅などを使った製品もつくられています。
「この工場ができたのは10年くらい前ですね」
と教えてくれたのは工場長の伊勢本友和さん。
「お客さんからの受注に対して対応できるように、
力を入れて城川和栗をアピールしていこうと現在のかたちになりました」

工場内の様子。機械だけでなくより品質を高めるために一部手作業で行われます。

こちらの工場で主につくられている栗製品は、製菓の材料などに使用される栗のペースト。
「オーダーによって多少は配合が変わってくるのですが、
添加物はいっさい使用しておらず、本当に栗と砂糖だけです」と伊勢本さん。
栗といえば秋の味覚というイメージがありますが、
城川和栗の収穫時期が終わるのは10月の第1週頃と意外と早め。
そして収穫したばかりの栗には風味はあるものの、甘みがないのだそう。

「収穫をしたら、低温の冷蔵庫で加工をするまで生栗を寝かせるんです」
と伊勢本さん。この寝かせる作業によってでんぷん質が糖分へと変化し、甘みとなっていくのです。
寝かされた生栗は加工前に洗われ、ケースごと蒸し器へ運ばれます。

城川和栗からつくられた栗ペースト。添加物は一切使用されておらず、原料は栗と砂糖のみ。

栗が蒸し上がるとまず機械で皮が剥かれ、さらに渋皮も取られてから裏ごしされ、
窯で砂糖と一緒に炊かれてペーストへと加工されていきます。
「それを袋づめして冷凍するんです」

こうして完成した栗のペーストは、事前注文者の元へと出荷されていくのですが
「城川の栗は、東京や大阪の都市部のお店をはじめとして、
百貨店や空港などにも展開しているんです」
と企画開発の村田博史さん。
味わいに定評のある城川和栗、気づかないうちにそのおいしさを楽しんでいるかもしれません。

見学させていただいた工場から歩いて行ける距離にあるのが、
城川ファクトリーが運営する道の駅〈きなはい屋しろかわ〉。
こちらでも城川和栗を使った製品が販売されているというので訪ねてみました。