キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 その1: キャンピングカーを借りてみる

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ
(彼女のコロカルでの連載「美味しいアルバム」はこちら)。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
4回シリーズの第1回は「キャンピングカーを借りてみる」。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】はこちら

我が家が移住を意識するようになったワケ

東京で生まれ育った私と夫と、4歳になる娘の3人で暮らす我が家。
長年暮らしてきた東京を離れ、自然豊かな環境に身を置きたいと、
数年前から移住を意識するようになった。
ひとつのきっかけは、旅先で出会った人たちの暮らしを目の当たりにしたこと。
自分たちで土を耕し、自分たちが食べるものを自分たちでつくり、
それを瑞々しいうちに食卓で味わっていたり、
とてつもなくおいしい山の水を、自由に使える環境もある。
そうした生活を見ていたら、わくわくと心が騒いで仕方がなかった。
いつかは自分たちも土を耕し、
自ら育てた米や野菜を食べながら生活していきたい。
その目標に向かい、休日には家族でいろんな地域をリサーチしに出かけている。

そんな我が家の動向を知るコロカルの編集者から
「こんな企画があるんですけど、行きませんか?」と資料を差し出された。
それが、長崎県の「キャンピングカーによるラクラク移住先探し」というもの。
長崎県への移住に関心がある県外在住者を対象に、
キャンピングカーを低料金で貸し出しているという。

長崎県は移住先としても興味があった。
以前コロカルで五島列島の新上五島町を訪れたとき、
燃えるような赤い夕陽が、海に沈んでいくのを見た。
その光景はあまりにも美しく、その場に立ち尽くしてしまった。
今思えば、あの夕陽を目にしたことも
移住を考えるようになった理由のひとつだと思う。
マンションの隙間に見え隠れする東京の夕焼けを見るたびに、あの夕陽を思い出す。
長崎では今日もあの美しい光景が広がっているのに、
自分はそれを毎日見逃している。
そう思ったら泣けてきた。
もしあの土地で暮らすことができたらと、自分の生活を重ねてみたりしていたところに、
願ったり叶ったりな企画が舞い込んできたのだ。
「行きます!」と、その場で答えていた。

というわけで今回は、仕事を休めない夫を東京に残し、
移住先候補を探しに、4歳の娘と長崎を訪ねてきました。

三陸から始まる 1000人の“フィッシャーマン” をつくるプロジェクト。 フィッシャーマン・ジャパン前編

フィッシャーマン1000人できるかな

日本は海に囲まれているから、昔から水産文化が豊かに根づいている。
いろいろな地域に行くと、各地に名産の海鮮料理があり、
新鮮な魚をおいしくいただける。
しかしその魚を獲る漁師は、
20年前の約32万人から減り続け、現在では約17万人。半減に近い。
特に、20〜30代の漁師は2割にも満たない。
国内の水産物の生産額も半減している。
日本人は魚が好きという定説からすると不思議に聞こえるかもしれないが、
このような現実があるのだ。

そんな現状を打破したいと動き出した団体がいる。
世界三大漁場ともいわれ、漁業が盛んな三陸エリアで、
2014年に立ち上がった〈フィッシャーマン・ジャパン〉である。
現在、事務局を務める長谷川琢也さんは、
東日本大震災後にヤフーの復興支援室勤務として石巻に移住し、
〈復興デパートメント〉や
水産物を取り扱う〈三陸フィッシャーマンズプロジェクト〉などを立ち上げた。
そんな長谷川さんと、石巻の漁師、阿部勝太さんの出会いがきっかけだった。

フィッシャーマン・ジャパンのメンバー。(右から)発起人の長谷川琢也さん、アートディレクターの安達日向子さん、プロジェクトマネージャーの島本幸奈さん、写真家の平井慶祐さん。

「僕が、ヤフーの復興関係の仕事で石巻に来たのが2012年。
その直前に(阿部)勝太に会いました。
初めて会ったときから、震災からの復興だけでなく、その先を見据えていましたね。
彼から“これをきっかけに漁業に変化を起こすような挑戦をしていきたい”
という話を聞いたんです。
でも、いきなり東京から来たよそ者と、20代の若い漁師で始めるのは簡単ではなくて、
ゆっくりと仲間を増やしてやっていこうと思いました」と、
出会いを話してくれた長谷川さん。

「僕は漁師だし、長谷川さんも水産物の取り扱いに力を入れていたので、
自分たちの仕事を通して、いろいろな水産系の仲間に出会うことができたんです。
彼らと話すと、みんな同じような問題意識を持っていたり、
やりたいことが似ていることがわかりました」と言うのは、
一般社団法人〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事を務める阿部勝太さん。

石巻市の十三浜でワカメ漁師をしている阿部勝太さん。漁業生産組合〈浜人(はまんと)〉を立ち上げる。(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)

ふたりの思いに共鳴して、若い仲間が集まっていき、
長い構想期間と地ならしを経て、フィッシャーマン・ジャパンが立ち上げられた。
その原点には、ふたりの漁師の言葉が強く残っていると長谷川さんは言う。

「勝太と、もうひとり理事を務める漁師の鈴木真悟。
彼らの言葉がすごく心に響いています。
震災をきっかけに、漁ができなくなって、土地から出ていってしまったり、
漁師を辞めてほかの仕事をしている仲間がたくさんいて寂しいと言うんです。
そんな人たちも、自分たちががんばっている姿を見れば、
戻ってきてくれるのではないか、と。
そこなんです。みんな地域に根を張っているんですよ。
代々続く太い根があって、1回離れても戻ってこられる。
よそ者にとって、うらやましくて、すごく惹かれる話でした」(長谷川さん)

カキ剥きの実習なども行われている漁師学校。詳細は後編にて。

石巻の美しい漁場。

えひめで、働く、暮らす、育てる。 〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉 イベントレポート

“仕事”からイメージしてみる、えひめ移住

自分らしいスタイルで働きたい、地域活性の活動に興味がある、
より良い環境で子育てをしたい、充実したセカンドライフを送りたい……など、
さまざまなかたちで地方移住への関心が近年高まりつつあります。
でも移住を決断するまで、考えたり決断しなければいけないことはたくさん。
そして多くの人が一番悩むと思われるのが
「日々の暮らしを支える“仕事”をどうするか?」ということ。

でも“仕事”をまず切り口に、移住した後の生活の魅力を考えてみるというのは、
実はイメージしやすい検討方法のひとつ。
そんなアイデアのもと、“仕事の選択からえひめ移住をイメージしてみる”をテーマに
開催されたのが〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉
愛媛県の職の魅力、そこから見えてくる暮らしや環境を紹介する、
地方への移住や愛媛県へのU・J・Iターンを考えている方に向けたイベントです。

2月14日(日)・21日(日)・27日(土)の3日間に分けて、
農業、福祉、サービスなど、多彩な職種の愛媛県の企業が一堂に集結する
〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉。
今回は2月14日(日)に開催されたフェアの様子をお届けします。

フェアの開会の挨拶をする、愛媛県企画振興部長の門田さん。

第1回目となるこの日のフェアに参加されたのは、20代から60代の方々。
ご夫婦で参加された方もいれば、お子さんと一緒に会場へいらした方も。
受付後は〈おせっかい人〉と呼ばれるスタッフに引き合わされ、
フェア開始までの間にどんなことに興味があるのか、どの参加企業と面談したいか、など
簡単なヒアリングが行われます。

愛媛県企画振興部長の門田泰広さんによる開会の挨拶に続いて行われたのが、
東京・有楽町にある〈ふるさと回帰支援センター〉で
愛媛県専任の移住相談員である〈えひめ移住コンシェルジュ〉の松岡朋枝さんによる
愛媛県でのライフスタイルの紹介。
温暖な気候による暮らしやすさ、住環境が充実しているので
通勤・通学時間が全国で一番短いこと、
そして全国で2番目に仕事の平均時間が短いことなどから、
仕事をしながらも自分の時間や家族との時間を持ちやすいといった、
愛媛県だからこそ送れる生活の特長を紹介。
また県内には自治体の移住担当窓口以外にも、NPOなどで移住を支援している団体があり、
移住をサポートする体制を整えているという、頼もしいひと言もありました。

愛媛県への先輩移住者である冨田さん。東京に住まれていた頃は、広告代理店に勤務されていたのだそう。

続いて行われたのが先輩移住者として、
震災をきっかけに東京から愛媛県伊予市に移住した先輩移住者の冨田敏さんによる経験談。
自然が多く、子育てがしやすいことや、地域の方々とのやりとりについて紹介。
移住後の暮らしに関するリアルな声ということもあり、
どの参加者も真剣に聞き入っているのが印象的でした。

そして冨田さんを司会に行われたのが、この日フェアに参加した企業9社の紹介。
その職種は農業や福祉にはじまり、宇和島のバス会社や老舗旅館までと実にバラエティ豊か。
また各企業における仕事の内容だけでなく地元に関する紹介も行われ、
ひとくちに愛媛県といっても沿岸部や離島など海と縁のある地域から、
ウィンタースポーツ施設が整った高原まで、地域によって環境がいかに異なるかを実感。
“仕事”だけでなく、環境という面でも幅広い選択肢があるのも
愛媛県ならではの魅力かもしれません。

フェアの参加企業の紹介は各社のPRムービーと共に。

参加者の皆さんが座られているのは、みかん畑で使用されるコンテナ。座面が広いせいか、思いのほかいい座り心地。

各社の紹介が終わった後は、参加者と企業との面談がスタート。
面談といっても採用面接のような重苦しさはなく、
“まずは話を聞いてみたい”というスタンスでも参加できることもあり、
和やかな雰囲気につつまれていた会場。
待ち時間中はケータリングコーナーでジャコ天やみかんジュースなど
愛媛県ならではの軽食を楽しめたり、〈おせっかい人〉に追加でヒアリングもしてもらえたりと、
リラックスした雰囲気の中で移住に関する情報を得られるフェアでした。

会場には、たくさんのみかんも。愛媛県ならではの、うれしいおもてなし。

会場内のキッズスペースには、愛媛県で育った木でつくられたおもちゃや、愛媛県出身アーティストのMAYA MAXXさんの絵本が。

この記事を読んで愛媛県への移住に関心を持たれた方もいるかもしれませんが、
人生における大きなライフイベントとなる移住。
移住先を決めるときのポイントや準備、移住までの流れなど、
気になることはたくさんあると思います。そこで次のページでは、
今回のフェアにも参加されている相談機関の方々にうかがった話をご紹介します。

穏やかな生活

2月最初の回覧板は、下旬に行われる遺跡の現地説明会の案内だった。
出所は「岡山県古代吉備文化財センター」。
去年の秋からだったか、県道沿いの、バイパスの架橋工事予定地の近くで、
ヘルメットをかぶった大人数が
赤っぽい地面の土にへばりつくようにして作業する姿を目にするようになった。
素人のぼくにもすぐに遺跡の発掘とわかる光景だった。
今回の回覧板で、その遺跡が「和田谷遺跡」と呼ばれていること、
約1300年前の奈良時代から鎌倉時代の掘立柱建物や
緑釉陶器が発見されていることが初めてわかった。
とくに歴史好きというわけじゃないけど、
うちから近いところにそんなものがあるというのは悪い気はしない。
その説明会にはたぶん行かないと思う。
でも、ひとりで散歩がてら近所にある遺跡を訪れて、
しばし土地の歴史に想いを巡らせるような、
そんな気持ちに余裕のある生活がしてみたいなと、
今回の回覧板を眺めながらそう思った。

「気持ちに余裕のある生活がしてみたいな」と思うのは、言うまでもない、
いまの生活に気持ちの余裕がないからだ。
子どもがいる人には少しはわかってもらえると思うが、
5歳と2歳の娘がいると気持ちの余裕は根こそぎ奪われがちだ。
朝も夜も慌ただしいことこのうえない。
25メートルプールを、息継ぎなしのクロールで
折り返し折り返しずっと泳いでいるようなこの感覚、この生活……。

益子在住の陶芸作家の個展を見る機会があった。
打ち合わせがあったカフェの隣だったのでたまたまだったわけだが、
すごく印象に残っている。
というのも、そこに彼の生活を紹介した雑誌の記事が展示してあり、
その暮らしぶりがなんとも素敵だったのだ。
奥さんとふたりの静かな田舎の生活。
質素で、静かで、穏やかで。そしてなによりぼくの心をぐっとつかんだのが、
彼らと一緒に暮らす犬だった。
優しそうな性格が表情に現れている白いシェパードと柴犬が、
彼らの生活に自然に溶け込んでいるように見えた。

メスの柴犬、ハティが我が家にやってきたのは2月1日だった。
児島の事務所からの帰り道、山道のちょうど峠を越えたところでハティがいた。
おばちゃんが一緒だった。でも、散歩するようなところではない。
迷ったか捨てられたかで長く山にいたのだろう。
骨が浮き出るくらいにガリガリで、首輪がなかった。
おばちゃんは見過ごせなかったに違いない。
自転車を降りて犬に寄り添ってはいるが、
これからどうしていいのかわからなくて困っている様子が
手にとるようにわかった。ぼくとタカコさんは声もかけず素通りして、
次女のツツが通う保育園に直行しピックアップした。
ツツの後はチコリの保育園だ。
でも、なんとなくさっき見た光景がぼくもタカコさんも気になっていて、
ぼくから「戻る?」と聞くと、「うん、戻ろう」と。
はたして彼らはまだそこにいた。
おばちゃんは中南米かどこかの外国の人だった。ぼくたちが犬を車に乗せると、
おばちゃんは「ヨカッタ、ヨカッタ」と言って泣いていた。
ハティという名前は、直後にピックアップしたチコリが車中でつけた。
友だちがもっている人形の名前からとったらしい。
そして我が家に戻り、サブとハティを同時に眺めているときにふと思い出したのが、
あの益子の陶芸作家、2匹の犬と一緒のあの穏やかな暮らしぶりだった。

ハティは少しずつ体重を増やしながら、
六条院の我が家の暮らしに慣れていっている。
普通の柴犬よりもさらに小柄なのだが、獣医さんによると5、6歳の成犬らしい。
サブの百倍しつけができている犬だった。
ちゃんとおすわりもするし、お手もする。
散歩しても、サブのような悪鬼の振る舞いは一切なく、
リードにテンションがかかることがない。
上品かつ軽やかに歩を刻むその姿はプリンセスのようである。
だが、この愛らしいハティちゃんにはひとつ大きな問題があることがわかってきた。
噛むのだ。おもにぼくを。なにがきっかけかわからない。
突然スイッチが入って、悪魔の本性をぼくに向ける。
男嫌いなのか、サブに対してもキツい。
そして、つい数日前のこと。
そのときも、なにかの拍子でサブに牙を向けて吠え立てた。
サブは困った顔で、クーンと泣くばかり。
「まあ、まあ、ハティちゃん、そう怒るなよ」
と、間に入ってカラダを撫でようとしたそのとき、ぼくの左腕をガブリ。
牙がぐいっと肉に食い込んだ。3度目だ。
前の2度は笑って許したが、3度目はない。
ぼくは右の拳で子鹿のようなハティの顔面にパンチを入れた。
立ち上がったぼくの脚を間髪入れず咬もうと飛びかかってきたところに、
サブにも入れたことのない強烈キックを。
それでも牙をむき出し飛びかかってきたハティに2度目のカウンターキック。
そして初めてひるんだところ、
二三歩助走をつけて飛び蹴りぎみの3度目のキックをお見舞いした。
しばし無言のにらみ合い……ハティは低い姿勢でぼくをねめ上げながら
アゴをがくがくさせ、ぼくは肩で息をしながらハティを見下ろし、
3度目のキックは絶対に余計だったなと、
そして益子的な穏やかな暮らしが始まる前に終わってしまったと感じていた。

あれからハティとぼくはスキンシップで関係の修復に努めているところだ。
あの日の経験はお互い忘れようもなく、
どちらかが突発的な動きをちょっとでも見せると素早く身を引き離す
いびつなスキンシップではあるんだけど。

だいぶん太って愛らしくなってきてハティちゃん。ハティは「ハリエット」の愛称だと友人のアメリカ人が教えてくれました。ちなみにサブも本名は「サブロー」です。

サブがこの位置まで来るとハティが吠える。吠え立てているときのハティは要注意だ。でも、この2匹も徐々に距離が縮まっているような気がする。

アートで都市の可能性を開放する、 おおさかカンヴァス ミズベリング 後編

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アートで都市の魅力を創造する

全国に広がる水辺のソーシャルアクション〈ミズベリング〉。
大阪では“水都大阪”として官民連携のまちづくりを進めてきた。
なかでもアートを効果的に使った戦略を展開している。

大阪府都市魅力創造局 文化・スポーツ課 主任研究員 寺浦 薫さんにお話をうかがった。

「なにも起こっていないエリアでまずはアートで“こと”を起こして、
エリアのポテンシャルや可能性を引き出していければと考えています。
ヨーロッパでは盛んに取り組まれている都市再生の手法ですが、
まずアートでエリアの新しい魅力や可能性を引き出し、
その後そこに民間の投資などを呼び込んで活性化する仕組みです」

「都市開発系と都市環境をつくるアート系とが連携・協働して一緒にやっていく、
そんな動きですね。
アートはすぐに予算が削られがちですが、都市の再生や活性化の動きと並走し、
補完関係にあるような取り組みを進められれば、と考えています」

きっかけは橋下徹前知事の時代に“水都大阪”を盛り上げようということで、
部署を横断したチームがつくられたところから始まる。

オランダ人アーティスト、フロレンティン・ホフマン氏により2007年に製作されたラバーダック。公共の河川や海などの水辺をバスタブに見立てたパブリックアート。提供・水と光のまちづくり推進会議

「大阪府・大阪市・経済界が協働して2009年に開催を予定していた
〈水都大阪2009〉というイベントがありました。計画もほぼ固まっていた2008年、
前府知事の橋下さんが突然、“計画を認めない。府独自でプランをつくる”と、
いわゆる“ちゃぶ台返し”をしたんです。
橋下前府知事からは、都市の魅力をアップする“ハード整備”と
“賑わいづくり”を同時に進めるプランをつくるべきという指示があり、
都市整備系の部局と文化系部局とが協働しないと前に進めない状況が生まれました。
プランには橋梁のライトアップや護岸のウォールペインティングも含まれ、
そこで初めて河川室などの土木系部局と文化課(現在は文化・スポーツ課)とが連携して
ハードとソフトを一体的に構想していくチームが組まれました」

アートと市民協働を柱とした水都大阪2009が成功を収めたあと、
そこで培われた人的ネットワークなどを糧として、
行政課題などをクリエイティブに解決する拠点
〈大阪府立文化芸術創造センター(enoco)〉を2012年に開設。
enocoでは、現在も、都市整備部局や文化・スポーツ課などと連携し、
ハードとソフトが一体となって都市を活性化する事業を引き続き展開している。

「例えば、木津川に遊歩道をつくる事業では、
従来ですと一定の資格を持った大手企業しか参入できず、
また入札金額だけで内容が決まってしまう仕組みでしたが、
それを河川室と協働してつくり変え、地域の想いを要件に入れたうえで、
誰でも参画できる開かれたデザイン・コンペとしてスタートさせました」

木津川遊歩空間アイデアデザインコンペ

土木と文化が組むことで、都市の魅力を創造する仕組みが生まれた。
それにともない行政と住民が一緒になってまちをつくるスキームづくりも進んでいる。

「護岸整備を確実に行い、人々の命を安全に守ることは何より大切ですが、
それと同時に、それらの土木インフラをいかに愛着を持ってたくさんの人に使ってもらえるか、
という視点もこれからの都市には必要です。
維持管理と活用も住民と一緒にやっていかないと、行政だけではお金も人も足りない。
通常、護岸は行政が管理するのですが、
木津川で整備を進めている遊歩道設備は行政主導ではなく、
より多くの地域の人々に管理し、活用してもらう。
花や果樹を植えたり、好きなように使ってもらえるよう、仕組みづくりを進めています。
住民は自分が知らない間にできあがってしまったインフラ施設には
愛着を持って関わってはくれませんよね? 
木津川の場合は設計の前の段階から地域の方々と一緒につくっていきましょうと、
地元でワークショップを何度も行って、
そこに住む人がこんな遊歩道があるといいな、愛着が持てるな、
という想いを集約し、デザインコンペの条件として盛り込んでいったんです」

そこに住んでいる地域の方でも学生でも自由に応募できる、開かれたデザインコンペを実施。
誰もが参加できる土木インフラのコンペは注目を集め、全国から40件もの応募があった。
その結果、20代の建築家、岩瀬諒子さんの案が選ばれた。
人と人を結びつけ、関わり続けられる機能としての“だんだんばたけ”のある遊歩道だ。
地域の交流拠点としての可能性を大きく期待させるデザインである。
(3月に一部共用開始予定)

木津川遊歩空間アイデアデザインコンペの最優秀アイデア提案。岩瀬諒子さんの「だんだんばたけでハマベをつくる-立売堀のマーケットプレイス」©Ryoko Iwase 提供:大阪府

水辺をもっと楽しい場所にするための規制緩和

大阪では水辺を楽しい場所に変えていこうという
さまざまな取り組みが官民協働で行われている。
規制やルールがいろいろとある河川空間ではあるが、一方で緩和の動きも進んでいる。

「かつては河川敷での営業行為の禁止など規制がいろいろとありましたが、
現在では河川法の準則などを活用することで、
水辺を活性化する仕組みにいろいろとトライすることは可能です。
例えば法律が施行される前から存在していた京都の川床は別にして、
新たに川床を設けることは河川法上は禁止されていました。それが河川法準則の緩和により、
現在は仕組みさえ整えれば設置可能です」

ミズベリングでは河川法についてまとめている。

「準則を活用し、行政が特区指定をしたエリアを対象に、
協議会を設け、地域の合意を得たうえで占用主体を公募で選ぶ、という手続きをふめば、
河川敷でも川床を設置したり、カフェなどの営業行為を行ったりすることは可能です。
しかし一般的にはその“気運”をつくっていくのがなかなか難しい」

大阪ではそれができるのだという。

「大阪では自主的にそういった動きを進めていこうとする人がたくさんいるんです。
“水辺で気持ち良くお酒を飲みたい!”、その一心で協議会までつくり、
民間主導で川床を次々と設置している〈北浜テラス〉の動きがあったり、
民間のアイデアで水都を活性化させようという〈水都大阪パートナーズ〉が
〈水都大阪フェス〉を毎年開催する一方、
〈中之島GATE〉で魚市場と食堂を常設で運営する事業者を誘致したり……
おもしろい動きが次々と生み出されています。
また、それらをサポートする行政側にも、
意欲的に新しい仕組みに挑戦する河川専門の職員がいたり、
と本当におもしろい人たちが水都大阪にたくさん関わっています」

もともと大阪にはそういう“気質”があった、と寺浦さんは言う。

大阪府都市魅力創造局 文化・スポーツ課 主任研究員 寺浦 薫さん

水を浄化するボールを使ったNANIWAZA(ナニワザ)によるアート作品『GREEN to CLEAN』。一般に川にモノを投げ入れる行為は厳しく禁止されるが、川の中に打ち込むゴルフボールを水質浄化に効果があるとされる材料で特別に開発するなど、環境に配慮することを条件として、河川管理者や公園管理者と協議し特別に許可を得た。おおさかカンヴァス2012より。提供:おおさかカンヴァス推進事業

室戸の黒糖の物語

室戸で丹精込めてつくられる黒糖は、夫婦の愛の結晶

備長炭や、歴史的なまち並みで知られる室戸市吉良川町。
吉良川にはふたつの川が流れている。
西の川と東の川と呼ばれ、名前の通りそれぞれが吉良川の西と東を走り海へ行く。
かつて台風の時には氾濫をし、道路を寸断して孤立集落をつくったこともあるという
やんちゃな川だが、その美しい水質は、室戸の豊かな生態系と農業を始めとした
基幹産業を支えている。

その東の川の再奥にあるのが日南(ひなた)集落。携帯の電波も入らない秘境である。
荒々しい波が打ち寄せる沿岸部とはまったく違って、山の裾野でのどかな田園風景が広がる。
このあたりはシキビ(シキミ・墓前に供える木)の組合があるそうで、
言われてみるとそこここにシキビの木が植わっているのが見える。
東の川のほとりにポツポツと立つ民家と、果てしない田園風景。
“ひなた”という名前にふさわしい、穏やかであたたかな雰囲気が集落全体から伝わって来る。

その日南で、伝統的な製法で黒糖をつくっているのが山川ご夫妻だ。
ベニヤでつくられた手づくり感のある製糖小屋に入ると、
朝の日の光と、小屋の中に6つある巨大な桶から立ち上る湯気が、
それはそれは幻想的な雰囲気をつくり出していた。

山川ご夫妻の製糖小屋。旦那さんであるテツオさんが材料を集めてご自身でつくった。

2メートルはあろうかというひしゃくを動かす手を止めて出迎えてくれたのがテツオさん。
奥さんのユリエさんと共に、毎年サトウキビを植え、収穫し、そしてこの製糖の日を迎える。
笑顔に人柄が滲み出るおふたりに、黒糖のつくり方を教わった。

妻のユリコさん。後ろにあるサトウキビはすべてふたりが種まきから収穫までを担ったもの。

ユリエさんの後ろに並ぶサトウキビは、すべて自分の手で植え、収穫したものだ。
よく見ると、長いサトウキビと短いサトウキビがある。

「長いのは海岸沿いの、高岡っちゅう集落に植えたやつ。あそこは日が昇ってから、
夕日が沈むまでずっと日が照っちゅうでしょう。
おかげに潮風も強いき、サトウキビが強くなろうとして太るのんかしら。
日南は奥やきね、日が短い分、あんまり長くならんのよ」

サトウキビを絞る。時には地域おこし協力隊など地元の人が手伝ってくれる。

バボボボボボ、と煙を上げだしたのが、数十年前の動力エンジン。
このエンジンの力で、サトウキビの圧搾機を動かす。
左側から機械にサトウキビを押し込む。
そうすると、強い力でプレスされてぺっちゃんこにされたサトウキビが右側から出てくる。
押し潰して絞り汁を下からジャージャー出すという仕組みだ。

動力エンジン。「もう古いき、気分屋さんでねえ。なかなか動いてくれんときもあるがよ」とユリエさんは言う。

この作業、簡単そうに見えて、意外と骨が折れる。
サトウキビ1本は、重いものだと2キロほどある。
加えて、圧搾機への入り口はなかなか狭く、力を入れて押し込まなければいけない。
サトウキビを押し込むテツオさんとユリエさんの口からは、
力んだ時に出る「ムッ」という息が漏れる。

飛騨への移住で感じたこと 〈株式会社 飛騨の森で クマは踊る〉後編

こんにちは。ヒダクマの森口明子です。
前回の記事に続き、2回目の連載の機会をいただきました。
せっかくの機会なので、田舎暮らしに興味のある方や
飛騨に興味のある方もいらっしゃるかもしれないので
飛騨の暮らしなどについてもお話させていただきます。

飛騨との出会い

私の飛騨移住のきっかけは、タイミングと出会いと、
前回でもお話したとおり飛騨という土地が持つDNAやパワーに惹かれたことは大きいですが、
最終的に移住に至った理由は、自分が向かいたい方向が
ヒダクマの事業内容やビジョンと沿う点が多く、一緒に歩んでいけそうな気がしたからです。

伝統の文化や芸術を世界に広がる技術やアイデアと融合し、
新しいかたちで次世代へつないでいくこと、オープンな場を持つこと、
そして社会に還元できる持続的な取り組みであること。
伝統の文化を次世代へ発展するという取り組みは、
前回の記事でご紹介した、組木という知恵と技術の結晶をテクノロジーと組み合わせて
発展させていく事業であり、
場づくりはFabCafe Hidaという拠点を持つこと。

飛騨のカフェの平均的客数は平日10人、休日20人というから
都会とはまったく条件が違うわけですが、
都会にはない飛騨の特別な空気感と、
先に見える光景がとてもユニークだと感じました。

例えば、海外から訪問したデザイナーや建築家が、飛騨の職人や大工の方たちと、
木を中心にああでもないこうでもないと談義し、
工具やデジタルファブリケーションの機材を使いこなして実験を繰り返す脇では、
おじいやおばあ、子どもたちが
おいしい水でつくられた食べ物を囲みながら
興味津々にその活動を覗き込んでいるといった光景を想像すると、
その異色な雰囲気がまるでひとつの惑星のように思えてきます。

いろんな人がひっきりなしに出入りする活発な”ヒダプラネット”。
移り住むもよし、夏だけ住むもよし、ひと月ステイもよし。
受け入れてくれる土壌、風土、ひと、環境がある。
そんな環境をFabCafeを中心に生み出していきたい、と。

飛騨に移住したのは2015年6月15日。すべての荷物と住民票を手にいざ飛騨へ。
到着した日は朝の5時。不動産屋のお兄さんを待つあいだ、
ガラガラとカバンを引いて気の向くままに歩いていると
丘の上に悠然とそびえ立つ神社の鳥居が見えました。その圧巻な存在感に引っ張られ、
まるで瞬間移動したかのように、気づいたら鳥居の下にいました。

深い息を吸い込んでから、
飛騨到着の日記でも書こうかと柱に腰掛けてパソコンをカチャカチャ打っていると、
みるみるうちに飛騨の女性たちが増えていき、あっという間に集団に。
その日は女性による“草刈りの日”だったのです。

そしてあるひとりの女性が「お嬢さん何してるの?」と聞いてくれたので、
「今日から飛騨びとです。よろしくお願いします!」と言うと、
そのおばちゃんはとてもフレンドリーにお話してくれました。
それ以来、私は何かにつけて無意識にこの神社にいます。瞬間移動茶飯事。
時には夜中にまで行く始末。
(夜の神社には魑魅魍魎がうじゃうじゃいると言いますが、いうなれば彼らも仲間です(笑))

距離の限界と可能性

飛騨の生活は他地域とのコミュニケーションがなかなか骨が折れます。
会議は遠隔で、インターネットの調子が悪いと途切れるし、映像の質は不安定、
何よりもその場の雰囲気から読み取れる空気感や熱量の伝達に
インターネットの限界を感じます。人は対面しているときに無意識で無数の信号を発し、
空気中に投じられるそれらの暗号を読み取り解読しているんだな、と思います。

そして当然のことながら、コトは東京で起きてます。
人が集まれば集まるほどコトは起き、そこを中心につながりが生まれ、発展していきます。
ライブストリーミングなどはまだまだ大変な作業で莫大なコストがかかります。
地方の活性化が叫ばれる中、田舎でコトが起きていないことが
移住につながらない要因のひとつだとも感じます。

今後、都心の波が田舎にも広がっていく流れの必要性を感じます。
例えば、東京で行った都会に住む人同士のトークショーやイベントが、
東京と飛騨に生きる人との組み合わせによってもたらされる違った結果や発展。
複数の地方をツアーのようにまわることで、その地域特性と融合して生まれるマジック。
ツアー後には日本全体にその波紋が広がり、ひとつの新たな連携ができたら、
と考えるとワクワクしてきます。

暮らしぶり

ここに暮らしていると、毎日神々しい山や大自然を享受できることはとても幸せです。
空気もきれいだし、水もおいしいです。
当然のことながら水は全ての源泉であり、食べ物がとっても美味しいのです。
でも特に美味しいと感じるのは、米、餅、味噌、イワナ、野菜、ふきのとうや日本酒など。
飛騨の名産は今話題の荏胡麻や朴葉でその深みを味わうと、
ぐーっと細胞が目覚める感覚を味わえます。

でもやはり感じるのはやはり自分は都会人であるということ。
時に、「都会っぽさをなくさなきゃ溶け込めないよ」。とアドバイスされます。
半分理解しつつも、完全に都会さをなくすことは必要ないとも感じてます。
完全に溶け込んでしまっては新たな風を吹き込めないから。
でもこれまでに存在することのなかったポジション、中途半端なスタンスに立っていると、
普通に通り過ぎるはずの風が強く当ることもあります。

飛騨は多くの人が家族暮らし、とりわけ移住組みは家族ごと移住しています。
豪雪地帯の冬は雪下ろしや雪かき作業に追われ、車は滑りやすいなど、
日常的に困難が伴うため、支え合える、協力し合えるパートナーがいることは
理にかなっていると感じます。
都会ではひとりでも楽しく暮らせる環境が整っているしある意味自由を享受できますが、
田舎でのひとり生活は修行に近いものを感じます。(笑)

そして冬は冬眠しているかのようにまちが静かになります。
街のひとは寒いので外を出歩くことはあまりありません。
ただ、そんな飛騨も北半球とは違い、冬でもさんさんとお日様が照ります。
雪景色を太陽が照らすと、とても美しく幻想的な景色にあやかれます。

飛騨のひとはクリエイティブ!

飛騨にはDIYの血が色濃く流れています。家、家具、道具、米、野菜など
あらゆる生活に必要なものをささっとつくってしまうのです。
そもそも不便な環境だからこそ生活必需品は
自らの手を動かして生み出していくしかなかった歴史背景があります。
だから技術も知恵もある!
街を歩くと、あちらこちらでそんな”つくり手”や”職人”たちを目にすることができます。

知られざる愛媛県の銘産 中山栗のおいしさを生かした 〈アステリスク〉のモンブラン

中山栗のおいしさを活かす〈モンブラン・クレメ〉の秘密

柑橘類、柿、イチゴ、キウイ……さまざまな愛媛の銘産をこれまで紹介してきましたが、
実は栗も愛媛の銘産のひとつ。愛媛県ならではの日照時間の長さと水はけの良い土壌は、
上質な栗を育てるのにも適しているのです。
今回は愛媛県の山間部、伊予市中山町で育てられた
中山栗のおいしさを楽しめるスイーツをご紹介。

2年に1度アメリカで開催されている製菓の国際コンクール〈WPTC〉をはじめ、
数々の世界大会での受賞歴を持つ和泉光一さん。
そんな彼がオーナーシェフを務めるのが東京・代々木上原に店舗を構える〈アステリスク〉。
中山栗が使われているのは2012年の開店以来、
お店の人気商品であり続けている〈モンブラン・クレメ〉です。

まず目を引かれるのが、この〈モンブラン・クレメ〉の高さ。
「9センチくらいあるんじゃないかな? お店の箱の高さのマックスが9センチなので、
これ以上高くすると箱の天井に当たってしまうんですよ」と和泉さん。
「かなりの量の栗を使っていますね。
つくるときは“(栗の)グラムは計るな”って言っています(笑)。
個人店では都内で一番、栗のペーストを使っているでしょうね」

ほかの生洋菓子と並ぶと、その高さが一層際立ちます。

抹茶や餡など、安易に和の素材を使わないというポリシーを持つ和泉さん。
和栗を使った〈モンブラン・クレメ〉のレシピの研究と開発には
相当な時間をかけたのだそう。

「モンブランのフランスのスタイルは確立されたもので、
甘いメレンゲにちょっとバニラの効いたマロンペーストをしぼって……と、
すごく一個で完成されているんです。
海外の栗と和栗とでは香りも違うので、
それをそっくり和栗に置き換えるのは“ちょっと違うな”と僕は思って。
メレンゲベースにする方は、
お砂糖をあまり入れない軽いシャンティ(甘みを加えた生クリーム)をしぼって、
上に濃い味を持ってくるんですけど、和栗だとどうしても風味のパンチが弱いんですよ」
と和泉さん。
「そこで脂肪分の軽い生クリームをあえて使わず、
脂肪分38%くらいの生クリームにお砂糖と、
もともとちょっと甘みのあるマスカルポーネチーズを加えたんです。
このシャンティをしぼることによってクリーミーさをアップさせたので、
“クリーミーな”という意味の〈クレメ〉を名前につけました」

生洋菓子だけでなく焼菓子、チョコレート、コンフィチュールなども並ぶ店内。そのどれもが芸術品のような美しさ……!

こう聞くと、食べ終えた後に胃が重くならいかと心配になる人もいるかもしれませんが、
その心配はまったくもってご無用。ほくほくとした和栗のペーストとクリーム、
そして土台のサクサクした香ばしいメレンゲがあわさった瞬間、
口の中に広がるのは実に程よい甘さ。クリームの口溶けの良さも手伝って、
食べる手がついついとまらなくなるおいしさなのです。

「メレンゲも普通は乾燥焼きさせるんですけど、
日本人はメレンゲの甘さが得意じゃないと思うんですよ。
なので高温の120℃でメレンゲを焼ききって、
中のお砂糖をキャラメリゼ(カラメル化)するんです。だからあまり甘みがない。
あと、ヨーロッパの栗が持つスモーキーな香りが、
メレンゲの中から出てくるようなバランスにしました」

外からも厨房の中がうかがえるスタイルに、お店としての誠実さを感じます。

ただおいしいものを組み合わせるのではなく、
口にしたときの味わいを徹底的に考えて誕生した和泉さんの〈モンブラン・クレメ〉。
開店まもないころに、新聞社で行われたモンブラン調査では見事一位を獲得し、
瞬く間に話題の存在に。
そして今でも〈アステリスク〉のトップセールスをほこる存在なのだそう。

モンブラン好きのみならず、スイーツ好きの心もわしづかみにする
〈モンブラン・クレメ〉。
その素材に愛媛県産の中山栗が使われるようになったのは、
レシピとの相性の良さだけではなく、ひとつのストーリーがありました。

水の都大阪、 ミズベリングシティへの道 ミズベリング前編

大阪のまちを真の“水の都”に。ミズベリングの挑戦

全国に広がる水辺のソーシャルアクション〈ミズベリング〉。
〈ミズベリング(MIZBERING)〉とは、“水辺+RING”の造語。
水辺の豊かな時間を見直し、
水辺好きの輪を広げて、水辺のムーブメントを創造していく活動だ。

そのトップランナーといわれるのが、“水都大阪”といわれる大阪。
昨年10月には〈ミズベリング世界会議〉が大阪で開催された。
大阪では官民連携で10年かけて水辺を生かしたブランディングを進めてきた。
今、2020年に向けて〈水と光のまちづくり〉として都市再生を目指し、
①シビックプライドの向上、②滞在型観光集客、③経済活性化という将来像が設定され、
大阪が誇るべき資産である水の回廊
(土佐堀川・堂島川、木津川、東横堀川、道頓堀川)を活用して、
都心を再生するまちづくりが進められている。

そのキーパーソンが大阪府立大学 観光産業戦略研究所長の橋爪紳也さん。
大阪府・大阪市の特別顧問として“水際の賑わいづくり”の
中心的な役割を担ってきた橋爪さんに、
お話をうかがった。

“水都”といわれる大阪。巨大なアヒルのパブリックアートがシンボル。提供・水と光のまちづくり推進会議

「大阪はかつては“水の都”として栄えてきました。
明治の後半にはパリやヴェネチアと比較され、“東洋の水の都”と呼ばれました。
大正時代になると近代的な産業都市として発展します。
人口も世界で5位、6位を争い、“大大阪”の異名を持ちます。
海に近い川沿いには紡績や造船など各種の工場が展開し、
“東洋のマンチェスター”と讃えられました。
対して都心の水際には、美しい美観が誕生します。
行政はパリを意識した水上公園を整備、
民間は米国の大都市にあるようなビル群を川沿いに建設していきます。
ところが戦後、高度成長の時期にその評価が衰えてきたんです。
もともと大阪にはまち中に運河が張り巡らされていて、
掘り割りも縦横にありました。“水網都市”と呼んでいいと思います。
しかし治水のことがあったんでしょう。
川には高い堤防がつくられて、まちから川は見えなくなったんです。
川の上に高速道路をつくり、
また工場排水で汚れた掘り割りは順次埋め立てられていきました。
従来は都市のにぎわいの中心であったはずの川筋から、
人の心もライフスタイルも離れていったんです」
それを「元に戻すのではなく、今日の生活様式に応じた
魅力的な都市空間として再生したい」と橋爪さんは言う。

大阪府立大学 観光産業戦略研究所長の橋爪紳也さん。水都大阪のキーパーソン。

今橋爪さんは海外のさまざまな水辺の先進事例を調査したうえで、
大阪の現場でかたちにしている。

「川筋に人々の暮らしがにじみ出るんです。
海外に行くと夕方になると川に面したテラスのレストランにに人が出てきて
食事やナイトライフを楽しんでいる。
セーヌ河もテムズ河も産業用に開発した川沿いのエリアを、
この10年ほど手を入れて魅力的な観光地にしているんです。
都市の暮らしが川筋で展開される。
ミラノやバーミンガムなどの産業都市でも、水辺の都市再生が注目されました。
都心再生の重要な機能が水際の再生なんです」

そのためにはどんなことが必要なのか?

「基本的には規制緩和です。
水辺は、河川空間であり、公園であり、使い方のルールが限定的に決まっていました。
日本の各都市は水害と闘ってきた歴史があります。
まずは治水、防災が優先されるのは当然でしょう。
しかし発想が変わりました。
治水を整えたうえで、河川法が緩和されて河川空間を
民間のレストランや物販の店やイベント空間として使えるようになったんですね。
大阪はそれにいち早く手をあげて、事業を始めたんです。
河川空間を民間が飲食店や物販が使う方向で規制を緩和、
3年〜5年など期間を定めた指定管理で事業者を公募しています」

大阪の水辺の魅力を使いこなし、まちで楽しみをわかち合う、〈水都大阪フェス〉を2011年、2012年に行った。 提供:水都大阪パートナーズ

1998年の大阪と2005年以降の道頓堀。川に向かってまちは開き、ウッドデッキで歩けるようになった。提供・水都大阪パートナーズ

1998年の大阪と2005年以降の湊町リバープレイス。夕暮れになると人々が水辺に集まるまちとなった。提供・水都大阪パートナーズ

旬を迎えた愛媛県産フルーツが 見た目も美しいスイーツに。 〈パティスリー キハチ〉の レイヤーケーキ

〈紅い雫〉〈紅まどんな〉〈はれひめ〉が主役のえひめスイーツ

愛媛県産のフルーツを素材に取り入れたスイーツを
都内の飲食店約16店舗で楽しめるイベント〈えひめスイーツコレクション2015〉。
昨年11月にスタートしたイベントですが、
2月末までの期間中に味わえるえひめスイーツはまだまだあります。
今回は2月16日まで〈パティスリー キハチ〉にて発売中の、
愛媛県産フルーツを使ったレイヤーケーキをご紹介します。

今回取材で訪れた〈パティスリー キハチ 東大島〉。

路面店でもあり〈パティスリー キハチ〉のセントラルキッチンも併設されているここで、全店舗で販売される洋菓子が製造されています。

〈パティスリー キハチ〉を代表するスイーツのひとつが、
ふわふわのスポンジで5種類のフルーツを巻き込んだ〈キハチトライフルロール®〉。
このロールケーキをはじめ、さまざまな季節の果物を素材としたスイーツを
つくり続けてきた〈パティスリー キハチ〉によるえひめスイーツは、
〈紅い雫〉〈紅まどんな〉〈はれひめ〉などの愛媛県産フルーツやクリーム、
スポンジ生地などが層(レイヤー)を織りなす
美しさとおいしさを同時に楽しめる3種類のレイヤーケーキです。

パティシエの外薗栄敏さん。

このレイヤーケーキをつくるにあたり、愛媛県を実際に訪れて果物をセレクトしたのが
パティシエの外薗栄敏さん。
「以前から自分たちで産地を回り、生産者さんにお会いする機会はあったのですが、
2014年9月から後輩のパティシエと一緒に定期的に産地を回っています。
それこそ北は山形から、南は熊本まで」
〈紅い雫〉〈紅まどんな〉〈はれひめ〉をセレクトした理由を訊ねると
「それはおいしかったから、それだけです(笑)」と実に明快な答えが。

〈苺のティラミス 紅い雫〉(税込584円)。カップに入っていることにより、持ち運び中にかたちが崩れる心配もないので、手土産などに重宝しそう。

おいしい愛媛県フルーツとの出会いによって生まれた3種類のレイヤーケーキのうち、
一番人気があるというのが〈苺のティラミス 紅い雫〉。
この連載でもご紹介した愛媛県オリジナル品種のイチゴ〈紅い雫〉、
コーヒーを染み込ませたチョコレート生地、マスカルポーネムース、ビスコッティ、
生クリームを層にしてティラミス仕立てにしたスイーツです。

ひとくちいただくと、コーヒーとチョコレートの風味にベリーの味わいが負けておらず、
〈紅い雫〉のみずみずしさも楽しめるおいしさ。
「中に入っているイチゴとラズベリーのジュレも効いていますからね。
メインはフルーツなので、フルーツに合うように
生クリームは脂肪分が高いものを使っています。
大体7〜8種類の脂肪分のパーセンテージが異なる生クリームを
フルーツによって使い分けているんですよ」

そして驚いたのがクリームやムースに負けていないイチゴの甘さ。
コンポートされているのかと思いきや
「乾燥しないように艶だしはしていますが、何もしてないんですよ。
他のふたつのレイヤーケーキに使っている柑橘もカットしたものを、
そのまま使っているだけです」
糖度が高いことで定評のある愛媛県産フルーツですが、
その甘い味わいをあらためて実感させられました。

〈ズッパイングレーゼ 紅まどんな〉(税込648円)。旬のおいしいフルーツを使うため、期間中に〈紅まどんな〉から〈甘平(かんぺい)〉へと種類が変わります。

続いていただいたのが〈紅まどんな〉、フロマージュブランのムース、
柑橘の果汁を染み込ませたスポンジ生地、生クリームを層にした
〈ズッパイングレーゼ 紅まどんな〉。
これまでさまざまなフルーツを取り扱ってきた外薗さんも
「本当にゼリーみたいですよね。この不思議な食感はすごいです」
と話す〈紅まどんな〉を使ったレイヤーケーキ。
ムースと一緒に果実が舌の上でとろける食感と甘い味わいに、
初めて〈紅まどんな〉を口にする人はきっと驚いてしまうはず。

「〈紅まどんな〉の旬が終わってからは〈甘平〉に変わるので、
レシピの配合もちょっと変えると思います。
最近の愛媛県の柑橘は糖度が高いのですが、この〈甘平〉もそうで、
全体のバランスを考えて、あえてフロマージュブランのムースで
酸味を足すくらいに甘いんですよ」と外薗さん。
プチプチとした大粒の果肉と強い甘みが特徴の〈甘平〉が使われるズッパイングレーゼは、
〈紅まどんな〉のものとはまた違ったおいしさになりそうなので、
こちらもあわせて楽しみたいところです。

“つくる人”を増やすための 発酵デザインワークショップ 小倉ヒラク 後編

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温度管理が重要な麹づくりワークショップ

東京・吉祥寺にある〈タイヒバン〉という飲食店に、エプロンをした人たちが集まっている。
そこに登場した発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。
いきなり「みなさんエプロンとかしてきてくれるんですけど、
ホントはいらないんですよね(笑)」と冗談を言って場を和ます。
ここはヒラクさんが定期的に開催している「こうじづくりワークショップ」。
各地で似たようなワークショップは開催されているが、
ヒラクさんのワークショップの特徴として、
都心向けで、座学がしっかりしていることが挙げられる。

「“中目黒あたりのひとり暮らしの人が、キッチンの冷蔵庫にしまえる”
というコンセプトでやっています。
この場でつくれたとしても、再現性がないと意味がないので、
“麹菌とは?” という座学もしっかりとやります。
あとは、味。味噌にしか使えないのではもったいない。
僕が教える麹は、甘みを引き出しているので
甘酒、パンなどにも使えるおいしくて万能な麹です」

発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。お酒はワインが好き。

ワークショップは、まずは『こうじのうた』のアニメーションを見て、
お勉強からスタート。
ヒラクさんがプロデュースした麹のことがわかる歌である。いわば麹のPV。

次に実際の麹づくりにとりかかる。まずはお米を蒸すところから。
木の蒸し器にお米を敷き詰めていきながら、
作業における具体的な細かい注意点なども教えてくれる。
40分後に蒸しあがる。失敗の原因は、この段階が多いという。

「お米は炊くのではなく、蒸しているのです。
一粒、食べてみてください。思ったよりかたいでしょ。
普段のお米を炊いたつもりでかたいと思ってしまって、
ここで蒸しを延長してしまう人が多いんです。
ベストは、芯が残っていないけど、最大にかたい状態です」

米を蒸し器に入れていく。端もきっちり入れ込むことが大切だ。写真:編集部

蒸し上がりまで40分、お待ちあれ。写真:編集部

これは「ひねりもち」と呼ばれる作業。
指先でお米をつぶして、おもちみたいにべたっと伸ばしてみる。
芯が残っていないことを確認。
その蒸したお米を、布巾の上にあけてお米をほぐしていく。
目指すのは、一粒一粒が切り離されている状態だ。
その上に種菌をヒラクさんがかけていく。

蒸しあがったお米をほぐしていく。写真:編集部

種菌をかけるヒラクさん。写真:編集部

そしてお米は発泡スチロールの中へ。
一緒に70℃のお湯が入ったペットボトルを入れて、保温する。

「発泡スチロール内部の温度をデザインすることが重要です」

約48時間後に麹は完成する。
ヒラクさんがこれから48時間のうち、12時間ごとの目安の温度を教えてくれた。
だんだんと温度は上がっていくようだ。
最初の24時間が重要で、そこでうまく温度を保つことができれば、
後半は、麹が発酵していって自然に温度は上がっていくはずだという。

「旨みが出る温度と、甘みがでる温度は違うんです。
僕は両方を最大限に引き出すことができる温度をデザインしているので、
すごくおいしい麹ができますよ」

そのためには4〜5時間に一度、
ペットボトルのお湯を温かいものに交換する必要がある。

「麹は生き物だから、すべてが同じではなく、少しずつ違うんです。
それぞれ家などの麹を育てる環境も違うし、
今回も、失敗する人たちが数人は出てくると思います。でもしょうがない。
麹づくりとは、料理のワークショップではなく、
生き物を育てるワークショップですから」

麹は生きている。だから自分の目で見て、肌で感じて、手をかけるということ。
ポイントさえ押さえれば、難しいことは何もないように感じた。
むしろ、このワークショップを終えて、家に持ち帰ってからが本番。
忘れずに、面倒くさがらずに、きちんと麹に向き合うことができるか。
会社に持っていって机の下で育てている人もいれば、
たまたま旅行の予定があって、麹を持って旅立った人もいるという。
愛情をこめて、手をかけた分、“いい子”に成長するのだ。

「ヒモがついているのでハンドバッグのように持ち歩いて」とヒラクさん。

ひとりひとりの発泡スチロール箱にコメントを書きながら、当日の感想を聞く。

キウイの概念が変わるかも!?  見た目の美しさもおいしさも、 とびきりの〈レインボーキウイ〉

キウイ生産量が日本一の愛媛で育つ、魅惑の味わいの〈レインボーキウイ〉

これまでご紹介してきたように、さまざまなおいしい果物が生産されている愛媛県。
その中で日本一の収穫量を誇りながらも、
あまりそのことを知られていないのがキウイフルーツ。
キウイといえばニュージーランドというイメージが強いので
「北半球でも栽培できるの?」と思われる人も多いかもしれませんが、
実はキウイの原産地は中国。また国内では愛媛県のほか、
福岡県や和歌山県などの地域でも生産されています。

そんなキウイですが大きく分類すると、3つの種類があります。
ひとつ目は〈ヘイワード種〉と呼ばれる緑色のもの。
ふたつ目は〈ゴールドキウイ〉などの名前で知られる黄色のもの。
そして3つ目が、まだあまり知られていない赤いもの。
この希少な存在である赤いキウイ〈レインボーキウイ〉を生産している高橋農園を訪れました。

高橋農園の高橋賢一さん。楽しそうに話してくださる様子に〈レインボーキウイ〉への愛情を感じます。

愛媛県の東部に位置する西条市で
十数年にわたり〈レインボーキウイ〉を育て続けている高橋賢一さん。
以前は会社勤めをされていたそうですが赤いキウイと出会い、
その味わいに感動して専業農家となったという経歴の持ち主。
園地に到着して間もなく
「〈レインボーキウイ〉を見るのは初めて? まぁ、まずは食べてみてください」
と高橋さんに言われ、まずは試食をさせていただくことに。

半分にカットした〈レインボーキウイ〉。鮮やかな赤と黄緑色のコントラストの美しさに、まず心を奪われます。

「これは柔らかくておいしいと思うな」と、
高橋さんが半分にカットしてくれた〈レインボーキウイ〉。
まず驚かされたのは、黄緑色の果実の中央にかけて広がる鮮やかな紅色。
その美しい実にプラスチックのスプーンをあてると、
力も入れていないのにスプーンがスッと実の中に入っていき、
こぼれんばかりの果汁が実からあふれてきました。

とにかく柔らかくてジューシーな実。皮に産毛がないのも〈レインボーキウイ〉の特徴。葉っぱがすれるだけで皮にすり傷ができるほどデリケート。

そして、さらに驚かされたのが、その何ともいえない特別な味わいと舌触り。
緑色のキウイによくあるピリッとするような酸味や繊維質の固さが全くなく、
中央の白い部分でさえ柔らかい果実。そんな果実からあふれでるのは、
まろやかで濃厚な甘みとトロピカルフルーツを思わせる風味。
緑のキウイとは全く異なる、桃やマンゴーを思わせるような味わいに感動していると
「みなさん、色々な果物の味を連想されますね、
中には杏みたいな味わいと言った人もいました。
それで7つの果物の味があるということで〈レインボーキウイ〉という名前にしたんですよ。
ちょっとこじつけですけどね(笑)」と高橋さん。

7つの果物の味だけでなく、果物7つ分の甘みもあるのではないかと思ってしまう
〈レインボーキウイ〉ですが、今年は特に糖度が高いものが実ったのだそう。
「この間、糖度を計ったら23度ありました。
緑のキウイだと12度くらい、〈ゴールドキウイ〉で14度くらいで、
おいしいメロンだと14〜15度くらいなんですよ。
〈レインボーキウイ〉は小さなお子さんも、どんどん食べますね」と高橋さん。

一度食べたらキウイの概念が変わってしまいそうなおいしさの〈レインボーキウイ〉ですが、
突然変異によって生まれた品種なのだそう。
そんなこともあってか、高橋さんが栽培を始めた当初は栽培のノウハウも確立しておらず、
まさにゼロからのスタート。
そんな高橋さんが全身全霊をかけて育ててきた〈レインボーキウイ〉の園地を
拝見させていただきました。

摂氏0度の朝

「おまえ、それはちと遅いんじゃないか?」と、
そんな非難やご指摘を覚悟の上で言わせてもらうと、
このように回覧板をテーマに書くことになって、
わが町・鴨方町六条院には二種類の回覧板が存在することがわかってきた。
ひとつは一般的な回覧板。
地域の催しなど伝達事項が文具店やホームセンターで売られている
普通のバインダーに挟まれ回ってくる。
そしてもうひとつがJAの回覧板だ。
A4サイズ、二つ折りのビニール製の専用バインダーで、
表紙部分には「回覧板」と「JA六条院」の文字がプリントされている。
日本列島を大寒波が襲った1月の下旬のその日にやって来たのも後者、
JAのそれだった。内容は、廃農薬回収のお知らせと果樹苗木の注文書。
果樹の種類は桃、ぶどう、柿、りんご、梅。
それぞれに細かく品種が分かれており、最多は桃で17品種にも及ぶ。
去年はご近所さんからありとあらゆる野菜をいただいた。
さすがフルーツ王国といわれる岡山だけあって、
いただいた果物も実にいろいろ、
イチゴに桃、スイカ、ぶどう、梨、柿、キウイ、リンゴなどなど。
あの中にはこの回覧板でJAに発注した苗木から育てられた分も
少なからずあったにちがいない。
いずれにしても、それがJAであろうがなかろうが、
近所の人たちからもらったものはことごとく美味かった。
幸い畑もあることだし、今年はいくらか自分でも作ってみようと思っている。

回覧板には定められたルートがあって、ぼくが次に回すのはAさん宅と決まっている。
この家、なかに入ったことはないんだけど、
どの部分をとっても懐かしい匂いがある。
築年数で70〜80年は経っているだろうか。
焼杉(杉を真っ黒に焼いた壁板)と泥壁の外観で、
アルミ製のサッシを入れるようなリフォームも一切施していない、
いわゆる昔ながらの日本家屋だ。
回覧板を回すのに、この家以上にふさわしい家もない。
トイレとお風呂が離れているつくりも、懐かしさに拍車をかけている。
しかもそのお風呂というのが五右衛門風呂、毎日薪で炊いているのだ。
夏の夕方、野良仕事の疲れを癒しているのだろう、
まだ陽も高いうちに細い煙突の先から白い煙をたゆたわせている光景を目にすると、
ぼくまでほのかに幸せな気分になったものだ。

五右衛門風呂こそないのだけれど、かくいう我が家も昔ながらの日本家屋である。
築80年の平屋の母屋の南側に2階建てをごっそり増築したつくりで、
その増築が50年前というからすべてにおいて古い。
しかし、昔の日本の家というのは、そらおそろしくなるほどよくできている。
夏の日中、外気温は35℃以上もあるというのに、
家のなかに入ると鍾乳洞のようにひんやり。
おかげで去年の夏はエアコンなしでも涼しい顔でいられたのである。
そしてその古い日本家屋で迎えた初めての冬……。

「あ、これしもやけだ」
風呂から上がり、足の爪を切るのと同じ体勢で足の指を見ていたタカコさんが言った。
あまりにも久しく聞かない言葉だったので、
ぼくはしもやけがどんな症状なのかまったく思い出せなかった。
「しもやけって、どんなんだっけ?」
「なんかね、むずむずしてかゆくて、ちょっと痛いのよ」
さほど深刻でない痛手のうちの、まさにこれくらいのものに対して、
同情よりも小意地の悪さが打ち勝ってしまうのがぼくの性格である。
でも、それがえてして諍いのもととなり、
大きな痛手となって返ってくることがままあることを学習しているので、
言葉は同情を装ってみるのだけれど、
それはやはり言葉の上っ面だけのものなので、意味もないものが付属していたりする。
たとえば、薄っぺらい無意味な笑いとか。
「そうなんだ、へへへ大丈夫?」
それから2日後のこと。チコリとツツを風呂に入れていると、
なにやら左の足の指先がむずむずする。
かゆいといって掻くほどじゃないんだけど、うっすらかゆいような。
風呂から上がって、むずむずする部分を見てみた。
人差し指と中指にあたる部分の爪の下あたりが赤くなっている。
「タカコさん、あのさ、これってなんだろうね?」
「ああっ! それ、しもやけじゃん!」
「やっぱり……へへへ」
古い日本家屋で迎えた初めての冬、ぼくたちはそろってしもやけになった。

昔の日本家屋というのは本当によくできている。
でも、それは冬にはあてはまらない。
昔の人は冬になるとみんな沖縄に行っていたのだ。
そう思えるくらい、昔の日本家屋は冬に対して無防備なのである。
JAの回覧板がやってきた1月のその日の朝、
我が家のリビングの気温計は0℃だった……。

リビングからの光景。室内の天井と空間を間仕切る建具をほとんど取っ払ってしまったので、当然暖房効率は悪い。さらに、1階部分の床の半分以上を土間に、おまけに一部2階の床をぶち抜いて吹き抜けにしているので、暖房を目一杯きかしても室温が二桁になる日はまずない。

ブームからムーブメントへ。 発酵デザイナーがデザインする社会 小倉ヒラク 前編

ソーシャルデザイナーから発酵の世界へ

発酵デザイナー。そんな不思議な肩書きで仕事をしている小倉ヒラクさん。
一体、発酵の何をデザインするのだろう。
そもそもは何でもこなすインハウスデザイナーだった。

「ある企業の中で、パッケージや広告、会報誌のダイレクトメールなど、
いろいろなデザインを担当しました。
8年ほど前にその会社から独立したのですが、
もちろんすぐに仕事があるわけではありませんでした。
そんなとき、知り合いから“ヒマなら、秋田で困っている農家のおばちゃんがいるから
話を聞いてあげて”という話がきたんです。
その農家で“こういうチラシをつくってみたら”とか解決策を提示してみました。
すると、その農家の知り合い、またその知り合いから、
わらしべ長者のように仕事がやってきたんです。
気がついたら、東京ではまったく仕事をせず、地方で長靴ばかり履いている。
一次産業とか生態系を取り扱っていて、
どんどん普通のデザイナーのキャリアから逸れていきました。
本当はオリンピックのロゴとかつくるようなデザイナーに
なるつもりだったんですけど(笑)」

今ではトレンドともいえる地域デザイナーの走り。
その流れで、ソーシャルデザイナーとして活動していくことになる。

“発酵ウェア”である藍染めのオーバーオールを着ている小倉ヒラクさん。

「当時携わっていたのは、林業関連、田んぼの生態系、
オフグリッドの都市計画などのデザインです。
まだソーシャルデザインという概念すらほとんどないような、黎明期でしたね。
まわりにもそんなことをやっている人はほとんどいませんでした。
しかし現在の状況を見てみると、
数年前からソーシャルデザインというものも普及しているし、
僕よりも才能がある人たちがたくさんいるから、
僕がプレイヤーにならなくても、任せておけば大丈夫だと思ったんです。
正直に言えば、社会に役立つことよりも、自分の好きなことを極めてみようと。
自分にしかできない、長く続けられることをやっていきたいと思いました」

それが発酵の世界。
会社から独立し、ソーシャルデザイナーとして働き始めたと同時に、
発酵の世界にも興味を持っていった。
それは自分の体へのインパクトがきっかけだった。

「体が強くなくて、アレルギー、アトピー、喘息なども持っていて、
免疫不全だったんです。
しかもがんばって仕事して、がんばって遊んでしまっていました。
あるとき、発酵学の神といえる小泉武夫さんにお会いしたんです。
会った瞬間に“免疫不全だね。顔を見ればわかる”と。
続けて“納豆、みそ汁、漬け物を食べたほうがいい”と言われました。
言われた通りにしてみると、どんどん治っていったんですよ。
そこから発酵学に興味をもち、以来、360度ハマっています」

〈こうじづくりワークショップ〉が定期的に開催されている吉祥寺の〈タイヒバン〉。店頭にはあるこちらはなんと堆肥! が、まったく臭くはありません。写真:編集部

いつもの食材で、新しい料理を。 にし阿波の食材を使った クッキングステージ

急傾斜地でのサステナブルな農業

徳島県の山間部。徳島空港からも、高松空港からも距離がある
“にし阿波”と呼ばれる地域=三好市、つるぎ町、美馬市。
標高が高く、しかも急峻な傾斜地に人は住み、昔から独特の農業が行われてきた。
このような高地性集落の伝統農法は、
ススキを肥料にする“コエグロ”など集落内の植物資源などによる循環型農業が行われ、
食に対する関心の高まりとともに注目されてきている。

そのにし阿波を舞台に開催されたのが世界農業遺産推進協議会の主催による
〈世界農業遺産を目指すクッキングステージ〉。
料理研究家の松田美智子さんが現地を訪れ、生産者と直接ふれあいながら、
料理を考え、現地の人たちに食べてもらう企画である。

取材チームは、まずは農業の現場として三好市にある落合集落を訪れた。
ここは「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されている。
最近では、茅葺き屋根の古民家空き家をアレックス・カーさんのディレクションのもと
リノベーションし、〈桃源郷祖谷の山里〉という宿泊施設として再利用もされている。

“コエグロ”を利用した傾斜地農村の風景。

いつもたくさんの見学者を迎えている南敏治さん。

その地区長である南敏治さんが、急傾斜地における農業の特性を教えてくれた。
「傾斜地なので、少量ずつしかつくれません。
だから必然的に少量多品種生産になります。
かつては20種類以上の雑穀をつくっていました。
いまでもキビとヒエは種も採っていますよ」

同じ集落でも、民家の高低差が390メートルあるという。
だから上部と下部では、多少DNAの異なる作物をつくっているということになる。
同じ集落内でも、さらに多品目になっているのだ。
しかも集落内で採れたススキを肥料にするので、無農薬のうえにサステナブル。

落合集落を反対側から見ると、山の傾斜に人が住んでいることがわかる。

にし阿波エリアの大切な穀物であるそば米。

さらに約10名が暮らしているつるぎ町の猿飼集落を訪れた。
秋になると、斜面いっぱいにそばの花が咲く。
しかし25〜30度の急傾斜!
スキー場を思い出してほしい。上から見たら、30度がどれだけ急斜面に感じるか。
ここでそばを育てている西岡田治豈(はるき)さんは、
「風通しがよかったので、傾斜地によくそばが育った」と語る。
当然重機は入れないので、昔ながらの農機具で、人の手による作業が行われている。
それなりの広さがあることはもちろん、この急傾斜に畑を持つことは、
受け継がれてきた技術があるからこそできることだ。

急斜面にみっちりと生えているそばの花。

つるぎ町の猿飼集落、その急斜面でそばなどを育てている西岡田治豈(はるき)さんと節子さん夫婦。

この大根を干していくと、松田さんも初めて見たという大根1本干しに。

おいしさも見た目も、まさに格別。 パティシエたちを 魅了するイチゴ〈紅い雫〉

甘さもかたちの美しさも一級品。優秀イチゴの育て方

寒い季節に、その鮮やかな色合いで食卓に華を添えてくれる果物イチゴ。
柑橘類の印象が強い愛媛県ですが、実はイチゴの栽培も盛ん。
〈あまおとめ〉、〈紅ほっぺ〉、〈さがほのか〉、〈さちのか〉といった
さまざまな県オリジナルの品種のイチゴが生産されています。

その中でもここ数年、話題となっているのが
〈えひめスイーツコレクション2015〉にも登場した〈紅い雫(あかいしずく)〉。
愛媛県の農林水産研究所が10年の歳月をかけて開発し、
2014年にデビューしたばかりの新品種のイチゴです。

甘酸っぱい味わいの〈紅ほっぺ〉と、
甘さに定評のある〈あまおとめ〉がかけあわされて誕生した〈紅い雫〉。
約1万株の中から選別に成功したという優良品種なのだそう。
そんな〈紅い雫〉の特徴のひとつは、〈あまおとめ〉よりもさらに高い糖度。
しかもただ甘いだけでなくほど良い酸味もあり、
これまでのイチゴになかった深い味わいを備えていて、
そのおいしさに惚れ込むパティシエさんも多いのだとか。

〈えひめスイーツコレクション2015〉で提供されたタルト。お尻から先端まで、美しい紅色に色づくのも〈紅い雫〉の特徴。

〈紅い雫〉のもうひとつの特徴が、その美しい見た目。
厳冬期は色づきがやや悪く、どうしても白い部分が残りがちな〈あまおとめ〉に対し、
実の全体がまんべんなく赤く色づく〈紅い雫〉。
そしてその名の通り、まるで雫のような美しいかたちに実るのだそう。

味よし、見た目よしで人気の〈紅い雫〉ですが、
生産者にとってもうれしい特徴も兼ね備えているのだそう。
その特徴を知りに、西予市宇和町で〈紅い雫〉を生産されている
酒井敏幸さんの園地を訪ねました。

都会の市場・ ファーマーズマーケットから 見えてきたコミュニティのかたち メディアサーフ コミュニケーションズ 後編

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ファーマーズマーケットの立ち上げに携わって

都市を耕す、メディアサーフコミュニケーションズ。
青山国連大学前〈Farmer's Market @ UNU(以下、ファーマーズマーケット)〉や
南青山の〈COMMUNE246〉、〈青山パン祭り〉など、
さまざまなイベントやメディアを仕掛けている。

今回は創業メンバーの田中佑資さんに、
活動を通じて見えてくる社会像をお聞きした。

メディアサーフコミュニケーションズの創業メンバー田中佑資さん。

ファーマーズマーケットが始まったのは、2009年の9月。
その立ち上げから関わっているのが田中佑資さんだ。
ファーマーズマーケットは、
農家さんが直接野菜や果物を売る、都会の中の市場である。

「海外とかの文化的な都市には必ず市場がある。
東京にもあったらいいんじゃないか、ということで始まりました。
僕自身、もともと農業にも食にも興味を持っていました」

野菜、果物、花などの産直品やジャムなどの加工品、
パン、コーヒーなど、1回の開催ごとに100店舗ほどが集う。

毎週土日に開催しているが、簡単なことではない。

「月に1~2回だとどうしてもイベントになってしまう。
毎週開催していくことで、コミュニティが生まれます。
最初から毎週、出店されている方もいらっしゃいますし、
毎回いらっしゃるお客さんもいます」

さらに〈青山パン祭り〉のような企画も連動している。

「2014年から〈AOYAMA FOOD FLEA〉という動きもつくりました。
食の多様性をテーマにして、会場で同時開催しています。
そちらは職人にスポットをあてて、全国のパン屋さんが集まる〈青山パン祭り〉、
コーヒーのロースターの方が集まる〈Tokyo Coffee Festival〉、
日本酒の蔵元さんを集める〈AOYAMA SAKE FLEA〉などをやりました。
会場を提供している国連大学の意向とも一致して進めています」

毎週末、“村”ができる。
食と農を通じて出会うコミュニティがある。

国連大学前で毎週開催されるファーマーズマーケット。写真提供:メディアサーフコミュニケーションズ株式会社

田中さんたちは日ごろから関東近郊の畑を訪れ、生産者さんたちと対話し、
消費者との架け橋をつくることを進めている。

「農家さんはこだわっていればいるほど、
自分でお客さんを見つけなければならない。
なぜかというといま農産品の“規格”というのが、
大きな価値観になってしまっているんです。
“色”、“かたち”、“大きさ”が野菜や果物の価値を決めてしまいがちですが、
“規格”ではない大切な思い、例えば無農薬であるとか、
在来種であるといか、そういうこだわりは流通が小さくて評価されないんです」

だから、農家さんの“こだわり”と都会の消費者の“こだわり”を直接結びつける。

「都市に住んでいると、農家さんと触れ合うだけでもおもしろい。
おいしくて、癒される。新鮮なものも買えるし、値段も高くない。
それに直接やりとりをしたほうが楽しいじゃないですか。
効率的にやるなら今の流通でもいいのだと思いますが、
出会いを求めているのなら、こういう“交換”のやり方が一番いい。
“こういうものをあなたに食べてもらいたい”、
“食べたい”、という関係ができればいいと思う。
それが僕が思うファーマーズマーケットなんです」

ファーマーズマーケットのコンセプトは“野良”。
そこに目指す社会の姿も見えてくる、と田中さん。

「“野に良い”というのはどういうことなのだろうか。
すべての生活の原点はそこにあるんじゃないかと考えました。
つまり、野良があって、農家さんがいて、食事ができるということ」

都市のなかにあって、その流れを意識したコミュニティをつくっていくこと。
そのベースとなっているのがファーマーズマーケットなのだ。

ファーマーズマーケットでは野菜だけでなく、花屋さんも出店。ほかにパン、お酒、コーヒーなども出店している。2014年からは食の多様性をテーマ に〈AOYAMA FOOD FLEA〉も併催している。
写真提供:メディアサーフコミュニケーションズ株式会社

話題のパン本も出版。都市を “耕す(Cultivate)”集団  メディアサーフコ ミュニケーションズ 前編

“メディア”をつくるだけでなく、
“メディア”をサーフして“コミュニケーション”をつくる

目黒区青葉台のワークスペース みどり荘に
〈メディアサーフコミュニケーションズ〉を訪ねた。
青山国連大学前で毎週末行われている〈Farmer's Market @ UNU〉や
南青山のコミュニティ型空間〈COMMUNE246(コミューン246)〉、
2015年は10月に開催され、盛況を見せた〈青山パン祭り〉など、
さまざまなイベントやメディアを仕掛けている、今注目の若者メディアチームだ。
さらに、都市の野良仕事カルチャーを発信する雑誌『NORAH(ノラ)』を発行したほか、
最近では話題のパン本『CRAFT BAKERIES』もクラウドファンディングで刊行を実現させた。

創業メンバーの堀江大祐さんにお話をうかがった。
まずはメディアサーフコミュニケーションズという会社はどんな会社なのか。

メディアサーフコミュニケーションが企画・運営し、2009年9月より青山・国連大学前で開催されている〈Farmer's Market @ UNU〉。そこで日本各地からパンの名店が集う〈青山パン祭り〉が行われた。写真提供:メディアサーフコミュニケーションズ

「メディアサーフコミュニケーションズの構想は
元IDEE、現在は流石創造集団株式会社の黒﨑輝男さんが
10年くらい前から考えていたことです。
当時まだ本や雑誌など紙媒体がおもしろかった時代。
でもこれからはWebやSNS、映像やイベントなど、表現方法はいろいろあって、
それを組み合わせることによってより効果的な状況も生み出せるし、
伝えたいことによってメディアも選べるはず。
だからメディアをサーフィンするように有機的につないでいくことをする会社を
つくろうと考えたんです」

“メディア”をつくるだけでなく
“メディア”をサーフして“コミュニケーション”をつくる会社。

「僕はもともと黒崎さんのIID(世田谷ものづくり学校)での学びの場
〈スクーリング・パッド〉の学生だったんです。
そこでスクーリング・パッドの書籍の編集を手伝わせていただいて、
その流れで2008年にメディアサーフコミュニケーションズを立ち上げるときに参加しました。
最初はほんと仕事がなくて、毎月イベントをやったり、
そのコンセプトをもとにフリーペーパーをつくったりしていました。
そのうちに〈Farmer's Market @ UNU〉が始まって、
それが広がっていったんです。
会社の多くの力を〈Farmer's Market @ UNU〉や〈COMMUNE246〉に割いています。
僕は会社の中ではメディアづくりや、
あとは紙媒体やWebなどの制作系の仕事をやっていますね」

メディアサーフコミュニケーションズ内のプロジェクトチーム〈Bread Lab〉が運営する〈青山パン祭り〉。土日で約2万人を動員する。もともと2011年に世田谷・三宿エリアで始まった〈世田谷パン祭り〉から発展した。写真提供:メディアサーフコミュニケーションズ

都市を耕す

〈Farmer's Market @ UNU〉のコンセプトを発信しているのが季刊誌『NORAH』。
これまでに紙媒体『NORAH』を5冊出しているほか、連動するWebサイトも立ち上げた。

「NORAHとは都市を耕す、ということなんです」

Culture(文化)の語源はCultivate(耕作)にあるという。
土を耕し、豊かにすることで、生まれ育つものを収穫し、楽しむということ。
それがNORAHだ。

「野良って、野を良くするって書くのだけれど、
それが僕たちのコンセプトをよく表していると思っています。
そして〈ファーマーズマーケット〉を
都市のなかに根ざしたものにしたいと思ったので、
催事的にやるだけではなく、メディアをつくることを考えました。
メディアというと最近はまずウェブマガジンになるんですが、
紙媒体としてかたちに残るものにしたいということで、季刊の紙媒体にこだわりました」

年4回発行する季刊誌『NORAH』とWebサイトは連動している。
エディター自ら掘り起こしてきた情報をWebサイト上にストックし、
その中から多くのユーザーの関心と意見を集めたトピックや、
今伝えるべきテーマをさらに掘り下げて雑誌に編集している。
野良的な感性を磨き、野良的な生活を志向する、そんなコンセプトブックだ。

「食や農に興味がある人だけでなく、
ファッションやデザインに興味がある人にも
“いいな”と思ってもらえるものにしたいと思っています。
海外の農家さんって野菜や作物にこだわるだけでなく、
家に行ってもインテリアも音楽も本も趣味がいい。
ライフスタイルそのものがかっこいい人が圧倒的に多いんです。
日本の農家さんでもやっていることや思想がかっこいい人はいらっしゃる。
でも趣味や生活まで羨ましいと思える人は数少ない。
日本の農家さんも憧れられる、
“生き方としてのファーマー”というものを発信していけるといいなと思います」

次は“種”の特集で、3月に出版予定だという。

メディアサーフコミュニケーションズの季刊誌『NORAH』。

2万人に愛される〈青山パン祭り〉から生まれた〈Bread Lab〉が送る、パン好きによる、パン好きのためのパンの本『CRAFT BAKERIES』。

森を活かして 伝統技術を進化させる 〈株式会社 飛騨の森で クマは踊る〉前編

Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がける
クリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする
「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。
5回目は、ロフトワークが今年5月につくった
株式会社 飛騨の森でクマは踊る(通称 ヒダクマ)について。
東京から飛騨に移り住んだヒダクマの森口明子が語ります。
2回にわたるシリーズのうち、今回はなぜ飛騨で林業なのか、ヒダクマとは何かについて。
2回目は飛騨移住に至った理由とその後の奮闘記をお届けしたいと思います。

飛騨と聞いて、何を思い浮かべますか?

日本の原風景が残る景色、江戸時代のような城下町の風景、山に囲まれた雄大な自然、
飛騨牛、おいしいお味噌、地酒……。
そもそも飛騨市はどこにあるのかというと、岐阜県最北端に位置し、
富山と高山に挟まれた山深い地域です。

飛騨高山は観光業で成功し外国人にも人気のある旅行スポットである一方、
飛騨市は人々の暮らしが伝統文化の中に息づいている地域です。
「飛騨の匠」とは優れた木工職人を称える総称で、歴史的に見ると、
その職人の技術を都づくりに活用するために中央政府が税を免じてまで
木工職人として京へ派遣し、神社仏閣や平城京、平安京などの造営に貢献し
日本建築士の黄金時代の一翼を担ったと言われています。

飛騨への移住

私自身が、最初に飛騨の地に降り立ったのは2月のとても寒い時期でしたが、
雪景色が幻想的な風景を生み出していました。2度ほど来ると、
”秘境”たらしめる美しさに感動すると同時に、
その美しさを継承し続けてきたなりの難しさも兼ね備えている土地だとも感じました。
良く言えば文化の色濃いまち、でもまちの持続性という観点からすると、現代や都会、
そして世界とのつながりを持って次世代に繋いでいくには、
その趣深い伝統や精神などが足枷になりかねないな、と感じたのです。

しかし、飛騨古川祭りを見たり、何度か通うたびに
自然と土地の持つエネルギーに惹かれていったような気がします。
飛騨古川祭りは、あの武満 徹氏が賞賛し
飛騨古川のために音楽を作曲されたというのも納得の
強いインスピレーションを受けるお祭りです。
まるでスルメイカのように、通えば通うほど味わい深いエネルギーを感じ、
最終的に東京からの移住を決意しました。

林業にテクノロジーとクリエイティブで向き合うヒダクマ誕生

飛騨は市の面積の9割以上を占める森林の中でも広葉樹の割合が7割と、
全国でも広葉樹の豊富な地域です。飛騨市と、林業・地域再生を手掛けるトビムシ
ロフトワークの3社が手を組み、広葉樹の活用を通じて地域活性を目指し、
〈ヒダクマ〉が生まれました。

私は飛騨に移住してヒダクマで働き始め、
何もかもが新しい環境で日々奮闘しているのですが、その話はまた改めて。
ヒダクマは、日本の課題である林業にテクノロジーを駆使して向き合い、
クリエイティブな解決を図り、伝統の知恵や技の伝承のため、
データをオープンにして世界中のクリエイターたちと共有し、
新しいかたちやプロダクトをつくり出すことを目指しています。

森づくり

ヒダクマの正式名称は〈株式会社 飛騨の森でクマは踊る〉。
社名にこめられたメッセージは、クマも踊り出すような健康な森にしよう、という思いから。
森を守ることとは、森を放っておくことではなく、
100年後を見据えた未来の森プランを共有し検討し実行していくことです。
第一次産業である農業や漁業と比較しても取り組みが難しいと言われる林業は、
日本では他の国に比べて国産材使用の流れに遅れをとっています。

例えば、日本もフィンランドも国土の面積に占める森林面積が9割ほど。
でもフィンランドは自給率126%、かたや日本は28%、フィンランドは輸出していますが、
日本は大量に輸入しているのです。
世界に誇る森を持っていながら輸入して資産を有効活用できておらず、
自然災害などさまざまな問題を引き起こしているのです。
飛騨は世界に誇る日本有数の木工技術が集積したエリアで、
高い技術を持つ家具メーカーがひしめき合っているのにも関わらず、
多くの家具メーカーが輸入材を利用。
これほどの資源を目の前にしながら驚愕の事実ですが、現実は厳しい。
そうならざるを得ない構造自体を変えていかなくてはならないのです。

こういった状況に危機意識を持つ人たちの間で、
森という資産を経済的に有効活用しようという動きが出始め、
針葉樹林は活用され始めています。
そんな中、ヒダクマがフォーカスしているのは広葉樹の活用です。

広葉樹というのは、私たちの暮らしにも身近なクリ、クルミ、サクラやケヤキ、キリ、
ミズナラ、ブナ、ホオ、ミズメ、トチ、カツラ、サワグルミなど、
地球上には針葉樹が約540種が存在、広葉樹はなんと約20万種。
広葉樹は育ちが遅く(針葉樹が伐期50年と言われる一方、広葉樹は70年と言われている)、
木の幹が太く曲がっていたり枝や節が多く扱いずらいため市場価値を持たず、
線路の枕木や燃料の薪や製紙用のチップとしてしか利用されていません。

しかし、よく見ると樹種によって色も木目も触り心地も匂いもすべて違う、
広葉樹は個性的な”生き物”であるということに気づきます。
それらを価値化してプロダクトにしていこう! というのが
ヒダクマの取り組みなのです。

以下の写真は飛騨の広葉樹のうち、”栃の実”でよく知られるトチの木を利用し、
東京のデザイナーの設計により、コンクリートを流し込んだカウンター材を
ロフトワークの新しいコワーキングスペース〈FabCafe MTRL〉に導入した例です。
仕上がりはとても自然です。
ただし広葉樹は育成に時間がかかるので、
広葉樹の人工植林も同時に対応していく必要はあります。

ヒダクマは飛騨市が現物出資している森などをベースに、テクノロジーを活用し、
森にある木の樹種、色、樹齢そして森全体の環境状況などをデータ化し、集積する。
さらには製材所にある木材もデータ化し、
オンラインで建築家やデザイナーが発注できるようなシステムを目指しています。
また、マーケットに出たあとの利用状況、
木材の経過観察し特徴などをデータ化することで知見を貯めていきます。 

飛騨の広葉樹のトチを東京の〈FabCafe MTRL〉のカウンター材に。

デザイナーにより、コンクリートを流し込んで完成したカウンター。

全読者を覚えられる コミュニティサービスを目指して 東北開墾 後編

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顔が見える1500人

『東北食べる通信』は、2013年7月に始まったサービスだ。
毎月、食材とともに冊子が届く。
ただし、おいしい食材を届けることが目的ではなく、
その生産者の背景を冊子で知ってもらうことが主目的なのだ。
発行元である〈NPO法人 東北開墾〉の代表理事である
高橋博之さんが掲げた読者数の目標は1500人。
現在ではこれを達成したが、以降、自分たちの読者をどんどん増やしていくよりも、
同じ仕組みを全国に横展開していく手法を選んだ。

「各地域に同じ取り組みをする仲間を増やしていって、
それぞれが1000人、1500人と読者を獲得していったほうがいい」と高橋さんは言う。

地域によって採れる食材に特徴もあるし、課題も異なる。
外に向けて、自分たちの地域をアピールしていきたいという目的もあれば、
まずは地域内で魅力を再確認していこうという目的もある。
「どこの消費者と、どうつながりたがっているか」によるのだ。

高橋さんが設定した1500人という読者数。
実は刃物メーカーである〈貝印〉の社長が、
社員約1500人の名前や出身地を覚えているという話を聞いたからだそうだ。

「僕も全読者を覚えられるコミュニティサービスにしたいと思ったので、
1500人に設定しました。規模でしか成果を測れないのが、近代社会の病。
それは古い時代の価値観だし、自然を破壊して成り立つ豊かさです。
とはいえ、たった1500人の読者で世の中を変えることができるのか?
横展開することで、同じような規模のコミュニティが全国各地にたくさんできれば、
それは可能だと思います。
ひとつのコミュニティの消費者を15万人にするより、
1500人の、価値を理解し末長く応援してくれる消費者と関係性を築きたいのです」

小さなコミュニティがたくさんあったほうが、個性的で、独自で、多彩だろう。
効率は悪いかもしれないが、きっとそのほうがおもしろい社会だ。
全国に26誌(発行中20誌)を数える『食べる通信』。
それぞれの食べる通信の編集長や運営母体もバラバラ。
個人もいれば、株式会社、NPO法人、漁協というのもある。
でも同じような課題を抱えているので、意見交換もできる。
横でつながっている仲間になる。

〈東北開墾〉と〈日本食べる通信リーグ〉の代表理事である高橋博之さん。

自ら発信する仕掛け

『食べる通信』に続いて
ウェブメディア『NIPPON TABERU TIMES(日本食べるタイムス)』を
立ち上げた(運営は〈日本食べる通信リーグ〉)。
全国の農家や漁師自身が書き手になっているので、
フィルターのかかっていない、現場のリアルな声を読むことができる。
『食べる通信』は消費者の意識を変えてきた。
同時にそれが生産者へフィードバックされることで、生産者の意識も変えてきた。
その延長として、『NIPPON TABERU TIMES』はよりダイレクトなツールになる。
『食べる通信』では、一度紹介されたら基本的には終わり。
それ以降は自分たちで発信していってほしい。その受け皿となる。

「農家はこれまで“もの言わぬ民”と言われてきました。
消費者の目から見えなくなった巨大な流通システムを整理するだけではなく、
生産者も自ら発信していかないといけません。
これまではものだけ出して終わり、自分たちの価値を発信してこなかったわけです。
そうして時代の変化に取り残されてしまいました」

『NIPPON TABERU TIMES』では、
自分たちの育てている野菜や採っている魚のこと、日々の仕事の内容はもちろん、
「自然の猛威」というカテゴリーでは、一次産業の難しさを赤裸々に語っている。
そんなことを書けるのも、書き手が実際に体感していることだから。
言葉に嘘がない。

さらに農家の発進力を高めていく画期的なシステムが
〈KAKAXI(カカシ) PROJECT〉だ。
農地に設置するデジタルデバイスで、気温や湿度、日照時間を記録してくれる。
さらには樹液流量や土壌水分などの計測も可能だ。
太陽光のみで稼働し、Bluetooth経由でスマートフォンにデータを転送してくれる。
それらのデータはクラウドにアップ可能なので、
消費者はそのデータにいつでもアクセスできるのだ。
さらに、消費者はその野菜を使った料理をアップすることで、
生産者はもちろん、消費者同士の横のネットワークを形成することもできる。

消費者が生産者と同じ目線を持つことができるツール。
現在はアメリカで実証実験を終え、来年から日本での導入を予定している。
概念的な意味での“可視化”を超えた、“リアルな可視化”。
言葉にして伝えたり、宣伝が得意ではないという農家でも、
このKAKAXIなら自分たちのありのままを伝えることができる。
生産者と消費者が、より直接的関係性を持つことで、
農業の価値を高めることになりそうだ。

きょうのイエノミ 旅するイエノミ スパークリング清酒と、 金沢のかぶらずし

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、
手軽で簡単、しかもちょっとした旅気分が味わえる
日本各地のおいしいものと三浦半島の旬の食材を使った、
和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

いよいよ冬本番、温かい鍋料理が恋しい季節です。
料理研究家・飛田和緒さんの家でも鍋は年末年始の定番メニュー。
おせち用に出回り始めた鴨ロースを使ったクレソン鍋に
水煮缶を使った手軽な豆のマリネサラダ
いまだけのお楽しみ、金沢の〈かぶらずし〉を並べてみると
ちょっと華やいだ雰囲気のイエノミに早変わり。
シャンパングラスのスパークリング清酒と合わせると
お正月のおもてなしにも良さそうですよ。

「うん、ホントにうれしい、ひさしぶりだもの」
きょうの飛田さんがテンション高めなのも
大のお気に入り、金沢・髙木糀商店のかぶらずしが届いたから。
「これ、12月と1月だけしか販売していないのよね」
なにかとあわただしい時期だけに、取り寄せる間合いが難しい。
しかも、そう数多くはつくっていないので
タイミングを逃すと、また1年待つことになるのです。
「もう最初に食べたときから、どんぴしゃって感じで」
世の中にこんなおいしいものがあるんだ!
そう感動した初めての出会いは10年前に訪れた金沢だとか。
以来、ずっと食べられる時期を心待ちにするという
飛田さん好みのかぶらずしってどんな味わいなんでしょうか。

●ローカルな逸品〈石川県・髙木糀商店のかぶらずし〉
金沢の風土と人の力が育んだ伝統の味

金沢ではおせち料理でもあるという、かぶらずしは
滋賀のふなずしと同様、伝統的な“熟れずし”の一種です。
切り分けてみると、カブの間からブリの切り身がちらり。
ひとくちいただくと、うーん、ふかふか、しゃくしゃく!
上品で柔らかな甘みに、とろりとしたブリの塩気がほどよいアクセント。
とびきり上等で分厚い千枚漬け×ブリという感じ?
「そうでしょ、驚くほど繊細なお味なの」
いつもあっというまにひとりで1個食べちゃうと、飛田さん。
その気持ちも、これならよくわかる。
特に日本酒のアテにすると、さすが米麹の発酵食品、抜群の相性ですね。

このかぶらずしをつくっている髙木糀商店は
天保元年創業の老舗で、金沢の〈ひがし茶屋街〉のすぐ近く。
ちょうどかぶらずしの仕込みが終わった時期に訪れた飛田さん
「香箱ガニ目当てで行った旅だったのに」
味見させてもらったかぶらずしのおいしさの方が衝撃だったとか。
「桶を片づける、冬仕舞いの光景も見せていただいて」
作業場と住まいが一体になった江戸末期築の町家や道具など
古いモノを大事に手入れして使っている様子が
ものすごく飛田さんの印象に残っているそうです。

電話をしてみると、お店はまさに忙しさの真っただ中。
お正月のかぶらずし用に糀を買い求める人も多く
12月になるとスーパーにも専用の糀売り場ができるんだとか。
「私の実家でも、祖母や母が必ずつくっていましたね。
でも今年は、まだ冷え込みがいまひとつ弱くて
さあ、かぶらずしをつくろうという感じにはならないかも」
そう笑いながら、若奥さんの髙木真利子さんが応対してくれました。
いま髙木糀商店で販売している、かぶらずしも
もともとは、お世話になった方へ御歳暮として配っていたもの。
それを10年前に商品化したのが8代目の若旦那・竜さん。
廃業も仕方ないとご両親が考えていた家業をあえて継ぎ
味噌も木桶で仕込むなど、こだわりを持つご主人だけに
糀を使った郷土料理・かぶらずしへの思いは人一倍深いようです。

というのも、かぶらずしは家ごとに味わいがそれぞれ違う。
「塩加減やブリの厚さでも、全然違ってくるみたいですよ」
だから髙木家では、樽を開けるごとに必ずみんなで試食。
小さなお子さんふたりも、おいしい、おいしいと食べるそうです。
「私自身は小さい頃、そうは思えなかったのに」
ウチのはクセがなくて食べやすいんでしょうねと、真利子さん。
その秘密が、かぶらずし専用に米糀からつくった自家製甘酒。
カブも去年から加賀野菜で定評ある農家さんのものに切り替えたとか。
ブリとカブを別々に塩漬けし、それを合わせて甘酒でまた漬ける。
完成まで2か月弱もの時間をかけて、ゆっくりじっくりおいしくなるのです。

それにしても、こんなに手間がかかるものをつくる家が
いまでも多いという土地柄にあらためてびっくり。
なんでも金沢には“鰤起こし”という言葉があって
11月から12月にかけて、雷とともにあられまじりの冷たい雨がふる。
それが冬に入る前の合図だと、真利子さんに教えてもらいましたが
その言葉からもブリへの格別な思いが伝わってきます。
寒くなるほどにおいしくなる日本海のブリと畑のカブ
このふたつを合わせて発酵させるとは、なんと斬新な発想でしょうか。
先人の知恵と工夫を、金沢の人たちは大事に守り伝えている。
糀は、そのおいしさに欠かせない存在なんですね。

〈髙木糀商店〉(石川県/金沢市)のかぶらずし

●お取り寄せデータ

住所:石川県金沢市東山1-9-3

電話:076-252-7461

FAX:076-251-5501

営業時間:9:00~19:00 無休

Webサイト:http://takagikouji.com/

※かぶらずしは1個1500円(税抜)。注文は電話かファックスで。

※12月~1月の期間限定商品で、数に限りがあるのでご注意を。

●旬のおつまみ「鴨とクレソン鍋」
鴨とクレソンの絶妙な相性を試してみて

寒くなってくると、飛田さんはそわそわし始めます。
「そろそろ鴨肉が近所の店に入荷するのよ」
鴨ロースの塊を買ったら、まずつくるのがこの鍋。
定番の鴨×ねぎにクレソンをどっさり加えるのが飛田さん流。
どうやらクレソンは、小さい頃の想い出の味だそうです。

「ウチの父って山歩きが好きな人なので」
サンショウウオを探そうなんていいながら山に連れて行かれ
丹沢や北アルプスなどの沢で、クレソンを摘んだのだとか。
「火を通すともりもり食べられるし、自然と大好きになったの」
なるほど、意外な組み合わせにも思えますが
いただいてみると、この鴨とクレソンが本当に合う。
しかも鴨のダシがよく出たおつゆがとびっきりおいしい!
コツとしては、鴨とネギを前もってさっと焼いておくこと。
またクレソンは葉と茎に分けておくこと。
「葉はしゃぶしゃぶの要領で食べるといいわよ」
簡単なのにおいしいし、ご馳走感もある。
飛田さんでなくとも、鴨のシーズンが待ち遠しくなりますよ。

鴨とクレソン鍋

●つくりかた

クレソンは葉と茎に分け、食べやすい大きさに切る。

白ネギは長さを揃えて切る。

鴨ロースを薄切りにして、塩、胡椒をふる。

2と3をグリルパンで焼き目をつける。

土鍋に昆布出汁を入れ、薄口醤油と塩少々でうどん出汁程度に味つけする。

4と1の茎部分を5に入れて煮る。

食べる直前に1の葉部分を入れてさっと煮る。

※グリルパンがなければフライパンで。いったん焼くことでネギと鴨が香ばしくなる。

※昆布水(ポットに水と昆布を入れて冷蔵保存)をつくっておけば手軽にできる。

※鴨挽肉を団子状にして入れるとさらにおいしくいただける。

●簡単な常備菜「豆のマリネサラダ」
水煮缶を使うとぱぱっと完成!

飛田さんは毎日食べたいくらいの豆好きですが
ご主人はなぜか“豆の食感”がダメなんだとか。
ただしペーストにしたものや、カレーの具材としてなら大丈夫なので
手軽に使える豆の水煮缶は飛田家の常備品だそうです。
この水煮缶とツナ缶を利用したサラダは、本当に簡単。
きょうはヒヨコ豆とキドニービーンズを使いましたが
彩りのきれいなミックス豆や大豆などお好きな豆でどうぞ。
注意すべき点は、ただひとつ。
あらかじめ、豆やツナの塩加減を確認しておいてくださいね。
お好みで、細かく切ったハムやピクルスを入れたり
ドレッシングとあえてみるのもおもしろい。
豆料理は面倒だし、あまり好きじゃないと思っている人ほど
ぜひ試してほしい、アレンジ自在でハマる常備菜です。

豆のマリネサラダ

●つくりかた

ヒヨコ豆、キドニービーンズの水煮缶をザルで水切りする。

紫玉ねぎを細かくみじん切りにする。

1と2をボウルで合わせ、ツナ缶を丸ごと加える。

3に塩、胡椒、オリーブオイルにワインビネガー少々を加える。

4をよくなじませる。

※マヨネーズやヨーグルト、香菜のみじん切りを加えてもおいしい。

※ツナ缶は水煮でもオイル煮でもOK。日持ちは冷蔵保存で約3日。

●きょうの和酒  松竹梅 白壁蔵「澪」(みお)スパークリング清酒 
軽やかな泡と飲み心地は、お正月やハレの席にぴったり

美しいブルーのボトルですっかりおなじみ
スパークリング清酒「澪」は、お米と米麹だけでつくられた和酒。
おせち料理はもちろん、どんなお料理とも相性が良く
飲み心地も軽くさわやかなので、特に女性にはお薦めです。
今度のお正月は、おいしいおつまみとシャンパングラスを用意して
おめでたい気分で「澪」を楽しんでみませんか。
日本の伝統行事は、やはり和酒で祝いたいものですね。

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://shirakabegura-mio.jp/

profile

KAZUWO HIDA
飛田和緒

1964年東京生まれ。8年前からレーシングドライバーの夫、娘の花之子ちゃん、愛猫のクロと南葉山で暮らす。東京時代の便利な生活から一変し、早起きが習慣に。ご主人が仕事で留守がちなため、仕事はもちろん、買い出しやお弁当作りにと忙しい日々を過ごしている。毎日の食卓で楽しめる普段着の料理が得意。高校3年間を長野で暮らした経験もあり。

まるでゼリーのような食感! フルーツ好きが憧れる柑橘 〈紅まどんな〉

温室育ちのヒロイン〈紅まどんな〉

2016年の没後100周年、2017年の生誕150周年に向けて再び脚光をあびている夏目漱石。
そんな夏目漱石の代表作のひとつが、愛媛県を舞台に描かれた『坊っちゃん』。
この作品においてキーパーソンとなるのが
「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」であるヒロインのマドンナ。
数々の男性が憧れる人物として描かれたマドンナですが、
このヒロインから名づけられた愛媛県オリジナル品種の柑橘〈紅(べに)まどんな〉も
注目されているのをご存知でしょうか?

取材に訪れた10月下旬、既に紅く色づいていた〈紅まどんな〉。この実がもう1か月ほど樹上で成熟すると……。

実も皮も、こんなにビビッドなオレンジ色に。皮と果肉が入った袋が、さらに薄くなっているのもわかりますか?

まろやかな甘みとなめらかな果肉の〈南香(なんこう)〉と、
果汁たっぷりの〈天草(あまくさ)〉をかけあわせて誕生した紅まどんな。
生産されているのは愛媛県内のみ、
さらに出荷されるのが12月のたった1か月という希少な存在でありながらも、
冬の贈答品として人気が高い果実です。

その人気の秘密は、これまでの柑橘類にはなかった、
まるでとろけるゼリーのような柔らかな食感。
真っ赤に色づいた皮も手でむけるほど薄いのですが、
手でむこうとすると果肉に指がささってしまうほど柔らかく、
オレンジのようにカットしていただくことがすすめられているほど。
ちょっと面倒に感じる人もいるかもしれませんが、一度その甘くてみずみずしい、
とろける食感を体験すれば「これは余すところなく、味わいつくしたい…!」
とカットするひと手間すら、食べる前の楽しみに変わってしまうはず。

皮は果肉からするりとむけ、種もほぼない〈紅まどんな〉。果肉が入った袋は口の中にあるのに気付かないほど薄く、食べやすいのもうれしいポイント。

柑橘の新たな味わいをもたらした、まるで洋菓子のように繊細な食感の紅まどんなが
一体どのように育てられているのかを知りに、
松山市で紅まどんなの生産を手がけている田中伸誠さんの園地を訪れました。

紅まどんなを育てている田中さん。以前は伊予柑やポンカンといった柑橘も生産していたのだそう。

「紅まどんなの皮はみかんより薄いんじゃないかな。
手でむけるけど意外とむけないのよ、皮が薄過ぎて。
あとみかんを食べたら、普通は袋が口の中に残るでしょ? 
あれがまったくないんですよ」と話しながら、
昭和50年頃に造成されたという山に設けた、南向きの園地を案内してくれた田中さん。
山の勾配を利用したビニールハウスの横には露地栽培の紅まどんなの樹も何本かあり、
そちらには実のひとつひとつに袋掛けがされていました。
しかし愛媛県全体で生産される紅まどんなのうち、
8〜9割がハウス栽培されているものだそう。

ハウスの横で露地栽培されていた紅まどんな。陽当たりの良さもあり、こちらの樹にも大きな実が。

「紅まどんなは皮が薄いのもあるんですが、水分に弱くて」と教えてくれたのが、
取材に同行してくださったJAえひめ中央農業共同組合の髙木真司さん。
「皮に雨が当たったり水分がつくと柔らかくなるというか、溶けてしまうんですよ。
皮が緑の間は大丈夫なんですが、色づいて紅がついてくると果皮全体が弱くなってしまう。
ハウス栽培の場合は雨の心配はないのものの、
朝晩の温度差によって実が結露してしまった場合は、
ハウスの中に風をまわして早く乾かしたりするなどの工夫が必要なんですよ。
でもハウス栽培の方が露地栽培より積算温度が保てるので、
より良い品質のものが育ちますね」

美しく丸く育った実。春先に昼夜の温度差があるとデコポンのようにコブのある実になってしまうので、昼も夜も温度管理が欠かせないのだそう。

そしてハウスの中を案内してもらい驚いたのは、その実が想像していたよりも大きいこと。
「大きくするのには難儀するね。6〜8月が実が一番大きくなる時季で、
特に6〜7月にかけてしっかり摘果しないと、こんな大きな実にならないんだよ。
大体、葉っぱ100枚に対して実を1個生らすんだけど、
ちょっと欲張りすると実が小さくなってしまうんだな」と田中さん。

「10個の実を生らして、最後に1個にするくらいは摘果しているんですよ」
と補足してくれたのが髙木さん。
「この1本の樹だったら、500個くらい生っていた実を
最後に50個だけ残した状態ですね」

選りすぐられた紅まどんなたち。長い期間をかけて、じっくりと樹上熟成されていきます。

まさに選りすぐられた実だけが育てられる、紅まどんな。
その選りすぐりは、4月下旬から5月上旬にかけて花が咲くころから始まるのだそう。
「枝先に芽が出て、その先に花がつくんだけど、紅まどんなはだいぶつく品種で。
花をつけすぎると摘果に手間がかかるし、細かい葉しか育たないから
つぼみの剪定をしていかないといけない。
でも、これが思うようになかなかいかないんだな」と田中さん。

園地を奥さんとふたりで管理している田中さん。かつて習っていた生け花によって、枝振りを見極める目が養われていたという奥さんいわく「剪定の作業が一番好きですね。結果がついてくるから楽しいんですよ」

「葉の大きさで大体はわかるけど、これはもう経験しないとできないことだね。
今はJAえひめ中央の指導体制がしっかりできていて、指導員が講習をしてくれる。
でも樹、園、土がそれぞれ違うし、その年のお天気もある。
なかなか教科書通りにはいかないけど、それがまたおもしろいところでもあるんですよ」

この春先の時季も、かたちのよい実が生るように温度管理が欠かせない紅まどんな。
夏にかけて実が肥ったら、あとは皮に水分がつかないように気をつけながら、
完熟するのを待つだけ……とはいかず、温室育ちの紅まどんなたちに
手塩をかける期間は、まだまだ続きます。

携帯電話と小津映画

10年ほど前の話。とあるドイツ人の映画監督にインタビューしたときのこと。
どういう経緯かまったく憶えていないんだけど、
ともあれぼくが携帯電話を持っていないという話になった。
「それは素晴らしい! 不便は感じない?」
「まったく感じないですね。仕事で付き合いのある人たちからは“携帯を持て!”
とうるさく言われますけど」
彼は「そうだろう、そうだろう」とでも言うようにうなずいて、
それから低くはりのある声でこう言った。
「インターネットが普及して格段に便利になったという。
でも、このごろじゃだいたい午前中の時間がメールのチェックと返信で終わってしまう。
いまの時代、テクノロジーの進歩が生活に豊かさをもたらすというのは幻想だ」
このインタビューからほどなくして、
母の介護で岡山と東京を行ったり来たりするようになり、
家族との連絡用にやむなく携帯電話を買った。ちょうど冬のいまぐらいの時期だった。
小さな手提げ袋を手に、複雑な思いで中目黒のボーダフォンのショップを出たのを
いまもはっきり憶えている。

ときは現在、いまのいま。目の前になんの変哲もないバインダーがある。
挟んでいるのは4ページにわたるA4の書類。
内容は今年10月に浅口市鴨方町の体育館で開催された『原爆と戦争展』の
簡単なレポートと、会場に来た人たちからとったアンケートの紹介……。
さて、目の前にあるこれがいったいなにかというと、
ぼくが住んでいる鴨方町六条院T村が所属する町内会の回覧板なのである。
東京では回覧板なんて見たこともなかった。
倉敷の実家に戻ってからは2か月に一度ぐらい回ってきただろうか。
しかし、ここT村では回覧板が毎週のように、
多いときには週に2度も回ってくる。
回覧の内容はというと、地域の催しの案内だったり、町内会の報告事項だったり。
浅口市の配布する冊子も回覧板と一緒に定期的に回ってくるし、肥料や農薬、
野菜の苗などの注文書も回ってくる。
いつだったか、町内会で購入した備品の領収書だけが
バインダーに挟まれた状態で回ってきたこともある。

浅口市には今年の6月に都窪郡早島町から移った。
浅口に地縁があったわけじゃない。浅口のなにに惹かれたというわけでもない。
たまたま見に行った古い家が気に入って、
たまたまその家が浅口にあったという話(移住の経緯は『児島元浜町昼下がり』で)。
地味な岡山県内にあって、さらに地味な土地である。
市の人口約3万5000人は、東に隣接する倉敷市の12分の1以下。
地元の名産は、そうめんに日本酒とやっぱり地味め
(水揚げ量は少ないが寄島の牡蠣の美味さは別格!)。
輩出した有名人をウィキペディアで調べると、
「明治以降」という広いくくりにもかかわらず、
知っているのはお笑い芸人の春一番しかいなかった。
それでも、浅口は実によいところだと言いたい。
多島美の瀬戸内の海の素晴らしさはいわずもがな、
山間部には山陽地方特有の明るさと温かさがある。
そしてぼくが住んでいる六条院は、山の風情がたっぷりな環境のわりに海が近い。
山に憧れる海育ちのぼくとしては理想の土地だったりするのである。

やってきたものは次に回さなければならないのが回覧板である。
長居させてはいけない。できるだけ迅速にルートで
定められた次の家に持って行く。まったくたいした手間じゃないのだ。
でも、こう頻繁に回ってくると、気持ちの上で少々面倒になってくる。
一度はタカコさんにやわらかく毒づいたこともある。
タカコさんは倉敷市児島にある元浜倉庫焙煎所の焙煎人。
ぼくのパートナーであり、幼いふたりの娘たち、チコリとツツの母親だ。
「まったく意味がわからんね、なんでこんなにしょっちゅう回ってくるかな」
すると彼女は間髪入れずこう言った。
「隣の家に行くことに意味があるんじゃない? 
とくにお年寄りがたくさん住んでいるうちみたいなところだと」
とんちんかんなことを言うのが7割、2割がまずまずまとも。
残りの1割で、このようにぼくがたんなる阿呆のように思えてしまうことを
さらりと言う。ともあれあの日あのとき以来だ。回覧板の見方が劇的に変わった。
いまでは立派な回覧板シンパだ。
しばらく間が空いたりすると回覧板を心待ちにしていたりする。
なにより、こんなにアナログで面倒なシステムが細々と残っていることが嬉しい。
街に出ると、みんながみんなうつむいてスマホをいじくりながら歩いている
こんな時代だから。

冒頭に登場してもらったドイツ人の映画監督は、
小津安二郎の映画に心酔していることで知られている。小津の映画はいい。
いま見返すとさらに映画がまぶしいばかりだ。時代もよかった。
小津がもしもいまの時代に生きていたら、
映画を撮っていないんじゃないかとぼくは思う。ただただ、美しくないという理由で。

鴨方町六条院に移ってきて半年が経過したが、いまも周辺のなんでもない景観を見てきれいだと思う。写真は毎朝のサブの散歩道。朝の光を浴びた景色が好きだ。曇っていると、さすがに冬は寒々しいんだけど。

ちょっとずつうちの家族を紹介。これから登場頻度がもっとも高くなることが予想されるのが長女のチコリ。とにかくいろいろとやらかしてくれる。この夏には無意味に暴れて床柱に額をぶつけ、プロレスラーなみに流血。4歳にして人生初の縫合処置を受けた。左に写り込んでいるのは心霊ではなく次女のツツ。

共感で生まれる、 つくる人と食べる人の 「友だちづくり」 東北開墾 前編

食べ物から関係へ。マーケットからコミュニティへ

『東北食べる通信』から始まり、今や全国に26誌(発行中20誌)を数える
『食べる通信』のネットワーク(2015年12月現在)。
生産者などから通信販売で食材が届くサービスは増えている。
『食べる通信』も同じように、毎月食材が届くサービスだ。
しかしメインは食材ではなく、冊子である。誤解を恐れずに言えば、食材は付録。
おいしい食材を届けることだけが目的ではなく、その背景を伝えることが主な目的なのだ。
2013年7月に始まったこの取り組み。
『東北食べる通信』は〈NPO法人 東北開墾〉が発行、
そしてそれを全国に展開しているのが〈一般社団法人 日本食べる通信リーグ〉。
ともに代表理事を務める高橋博之さんに、始まりの思いを聞いた。

〈東北開墾〉および〈日本食べる通信リーグ〉の代表理事・高橋博之さん。

「東日本大震災が起こったあとに、多くの日本人が気づいたこと。
それが早くも風化して“なかったこと”になりそうだったので、
日本の社会を土から変えていこうと思い、〈東北開墾〉を立ち上げました」

この東北開墾のなかで、さまざまな取り組みを行っているが、
大きな事業となるのが『東北食べる通信』となる。
高橋さんは、まず経済成長一辺倒のやり方に疑問を呈する。

「政界では、農業で海外進出などと攻めの農業を推進しようとしていますが、
それだけが答えでしょうか?
地方を回っていると、そうではない答えを求めている人にたくさん出会います。
今のままの経済成長では、その先には未来がないことを、
みんななんとなく気がついているんです。
特に地方では、高齢化・過疎化が問題ですよね。
そうなると何が問題になるか?と問うと、ほとんどの答えは経済の話。
でも考えてみてください。経済成長ばかり追い求めた結果、高齢化・過疎化したんです。
生産性の高いものは都会に出ていき、
生産性の低い、命を相手にしている一次産業が地方に残っているんです」

しかしこれは考え方によっては大転換ともいえる。
成長ではないところに価値を見出すということは、
私たち近現代社会には経験がないことだから。だから不安を感じるのは当たり前。

「批判をするのは誰でもできるので、その答えをみんなで考えていきたいんです」

『食べる通信』やほかの東北開墾のプロジェクトもすべて
人とつながり、考えをつなげていくものばかりだ。

「“失われた20年”なんて言われますが、日本は消費が飽和した社会です。
もう物が売れる余白が残っていません。
だから伊勢丹やビームスなどさまざまなところが、
“コミュニティを売る”と公言し始めましたよね。
そうしたなかで、安いから買うのではなく、物の成り立ちを理解し、
ストーリーに共感して、地域、つくり手、社会が良くなることに
貨幣で参加したいという人たちも増えてきました。
このような消費者に希望を持っています」

このような指向の消費者を、生産者と結びつけることが『食べる通信』の役割だ。
今は消費者と生産者がすごく離れてしまった。なぜだろう。

「例えば、産地が自然災害で困ったり、お米の暴落のニュースを聞くと、
そのときは心配に思うけど、翌日には忘れてしまいます。
なぜなら困っている生産者の顔が思い浮かばないから。
農家や漁師の親戚もいないし、友だちもいない。だからジブンゴト化できないんです」

こうした日本の課題のもと、『食べる通信』のキーワードは共感と参加。
それを生み出す仕掛けになっている。
おいしい食材を食べる。味、見た目、値段という価値判断は、すべて消費者側の意見だ。
生産者の人柄、現場、哲学、地域などの魅力は、まったく伝わっていない。

「消費者は共感しないと参加しません。だから友だちになればいいと。
つまり『食べる通信』は、友だちづくりサービスなんです。
『食べる通信』に書いてある生産者の話を読んでから食べると、
理屈抜きにおいしくなりますよ。
舌でしか食べていなかった消費者が、頭でも食べ始めるんです」

こうして共感が生まれてからが、『食べる通信』のおもしろいところ。
通常の通販サービスは、生産者と消費者が直接的につながることはない。
そこに通販業者の存在意義があるのだから、ビジネスの観点で考えれば当たり前のことだ。
しかし『食べる通信』では、フェイスブックグループで直接的につないでしまった。
すると消費者(読者)から生産者に対して、
「ごちそうさま」「おいしかったです」などのコミュニケーションが自然に生まれる。

「生産者もふだんは少人数や家族経営しているところが多いので、
ネット上とはいえ、このような言葉を直接かけられると報われます。
“農家をやってきてよかった”
“顔が見えるこの人たちのためにもっとうまいものをつくろう”と、
意欲向上につながるのです」

火鉢を前に熱く語り出す高橋さん。

また、『食べる通信』をパスポートのようにして、生産者を訪れる読者も増えているという。
作業を手伝い、お酒を呑む。すると友だちになる。
友だちになると、東京などの都市で周囲にクチコミで宣伝する。
さらには読者の職業も多様なので、
それぞれの専門職の立場から(営業、マーケティング、デザインなど)、
愛のあるアドバイスを送るケースも生まれる。

「食べ物とお金という交換可能な関係から、
つくる人と食べる人という交換不可能な関係に変えたい。
売るものを“食べ物”から“関係”に変える。
売る場所を“マーケット”から“コミュニティ”に変える。
プレイヤーも、生産者だけではなく消費者も加わること。これが目標です」

このようなかたちで読者に届く。(写真提供:東北食べる通信)