連載
posted:2016.2.23 from:宮城県石巻市 genre:暮らしと移住 / 活性化と創生
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
歴史と伝統のあるものづくり企業こそ、革新=イノベーションが必要な時代。
日本各地で行われている「ものづくり」もそうした変革期を迎えています。
そこで、今シーズンのテーマは、さまざまなイノベーションと出合い、コラボを追求する「つくる」Journal!
writer's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//
日本は海に囲まれているから、昔から水産文化が豊かに根づいている。
いろいろな地域に行くと、各地に名産の海鮮料理があり、
新鮮な魚をおいしくいただける。
しかしその魚を獲る漁師は、
20年前の約32万人から減り続け、現在では約17万人。半減に近い。
特に、20〜30代の漁師は2割にも満たない。
国内の水産物の生産額も半減している。
日本人は魚が好きという定説からすると不思議に聞こえるかもしれないが、
このような現実があるのだ。
そんな現状を打破したいと動き出した団体がいる。
世界三大漁場ともいわれ、漁業が盛んな三陸エリアで、
2014年に立ち上がった〈フィッシャーマン・ジャパン〉である。
現在、事務局を務める長谷川琢也さんは、
東日本大震災後にヤフーの復興支援室勤務として石巻に移住し、
〈復興デパートメント〉や
水産物を取り扱う〈三陸フィッシャーマンズプロジェクト〉などを立ち上げた。
そんな長谷川さんと、石巻の漁師、阿部勝太さんの出会いがきっかけだった。
フィッシャーマン・ジャパンのメンバー。(右から)発起人の長谷川琢也さん、アートディレクターの安達日向子さん、プロジェクトマネージャーの島本幸奈さん、写真家の平井慶祐さん。
「僕が、ヤフーの復興関係の仕事で石巻に来たのが2012年。
その直前に(阿部)勝太に会いました。
初めて会ったときから、震災からの復興だけでなく、その先を見据えていましたね。
彼から“これをきっかけに漁業に変化を起こすような挑戦をしていきたい”
という話を聞いたんです。
でも、いきなり東京から来たよそ者と、20代の若い漁師で始めるのは簡単ではなくて、
ゆっくりと仲間を増やしてやっていこうと思いました」と、
出会いを話してくれた長谷川さん。
「僕は漁師だし、長谷川さんも水産物の取り扱いに力を入れていたので、
自分たちの仕事を通して、いろいろな水産系の仲間に出会うことができたんです。
彼らと話すと、みんな同じような問題意識を持っていたり、
やりたいことが似ていることがわかりました」と言うのは、
一般社団法人〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事を務める阿部勝太さん。
石巻市の十三浜でワカメ漁師をしている阿部勝太さん。漁業生産組合〈浜人(はまんと)〉を立ち上げる。(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)
ふたりの思いに共鳴して、若い仲間が集まっていき、
長い構想期間と地ならしを経て、フィッシャーマン・ジャパンが立ち上げられた。
その原点には、ふたりの漁師の言葉が強く残っていると長谷川さんは言う。
「勝太と、もうひとり理事を務める漁師の鈴木真悟。
彼らの言葉がすごく心に響いています。
震災をきっかけに、漁ができなくなって、土地から出ていってしまったり、
漁師を辞めてほかの仕事をしている仲間がたくさんいて寂しいと言うんです。
そんな人たちも、自分たちががんばっている姿を見れば、
戻ってきてくれるのではないか、と。
そこなんです。みんな地域に根を張っているんですよ。
代々続く太い根があって、1回離れても戻ってこられる。
よそ者にとって、うらやましくて、すごく惹かれる話でした」(長谷川さん)
カキ剥きの実習なども行われている漁師学校。詳細は後編にて。
石巻の美しい漁場。
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フィッシャーマン・ジャパンは「新3K=カッコいい、稼げる、革新的」を掲げ、
「2024年までに、三陸に多様な能力を持つ新しい職種“フィッシャーマン”を
1000人増やす」ことをお題目にしている。
フィッシャーマンを「新しい職種」と呼んでいるところがポイント。
フィッシャーマンという言葉を、
漁師だけでなく、水産業に関わるすべての仕事と定義している。
漁師はもちろん、水産加工業、流通、資材関係、魚屋、漁協など。
さらには、そこに携わるデザイナーやカメラマンなどもまたフィッシャーマンなのだ。
では、フィッシャーマンが1000人増えると、どうなるのだろう。
「実際に1000人増えたら、誰かが何かやりたいというときに、大きな力になります。
漁師って強がってしまって、経済的に苦しいこととか言えないんですよ(笑)。
でも実際、シケ続きでやばいときもある。
そんなときに、とりあえず相談できる仲間が1000人できる。
田舎の漁師は地域の縛りが強いから、
通常は自分たちの浜(港)以外の漁師とは飲み会くらいでしか会わないし、
利害関係になるようなことは話さないのですが、
そうした浜の関係性を越えて、横串で貫いた仲間たち。
いろいろな地域に味方ができるわけです」(阿部さん)
「そもそも子どもが憧れる職業にしたいという思いがあります。
漁師自身が、自分の子どもに対して“漁師を継ぐな”と言ってしまう現状なんです。
日本が大量生産して経済大国になっていく過程で
置いてきてしまった魚や漁師に対する敬意。
そうしたものが、少しずつ復活していくと思うんです。
同じ思いのフィッシャーマンが1000人いれば、確実に変わります」(長谷川さん)
家業だったからなんとなく漁師になってしまった、という人もいると思う。
でも、ポジティブな気持ちで漁師になった人ならば、
プライドを持って仕事に臨むだろうし、そのすばらしさをみずから伝えていくことだろう。
そうすれば漁師が憧れの職業になっていく。
ただの1000人ではない、パワーを持った1000人のフィッシャーマン。
フィッシャーマン・ジャパンでは、魚をさばく実習も行っている。詳細は後編にて。(写真:編集部)
「ただし、多種多様な人を巻き込まないといけないと思っています。
農業には、いろいろな人たちが入っているのに、水産業はまだまだ。
最初は、僕と勝太のふたりで新幹線で話したことに始まり、
その後、石巻駅前の居酒屋で若手漁師が5、6人集まり、
今年の新年会は30人くらい集まりました。
それも魚屋がいて、漁協職員がいて、アートディレクターも、写真家もいる。
そうした多様なメンバーが同じテーマで盛り上がっている。
その光景を見て、いけるかもしれないと」(長谷川さん)
「水産業界を変えるなんて言ったらおこがましいけど、とにかくできる範囲でやる。
既存のやり方は否定しないけど、もしそこに不満があったら、僕たちのやり方もある。
そういう選択肢を増やしておくことが次世代に向けて、僕たちができることだと思います。
多少なりとも、逃げ道になればいいと思っています」(阿部さん)
漁師実習にて初めてナマコを獲った参加者。詳細は後編にて。
フィッシャーマンを増やすこと。それは水産業を守ること。
さらにそれは全国の漁師町の風景を守ることにつながる。
「ここには海があり漁師がいる。
それがきちんと産業として、文化として密着していれば、
石巻らしい風景を残せると思います。
日本の風景がすべてロードサイド的になっていきつつある。
取って代わられてしまうものは、寂しいですよね」(長谷川さん)
「自動車産業とかIT産業を誘致するというような活性化の手段もあるけど、
それはここじゃなくてもできますよね。
でも漁師や水産業は、ここでしかできない。海があるまちでしかできない。
それならば地域に根づいた産業を伸ばすことが大事だと思います。
たとえば被災地に大手自動車工場でもできれば、雇用も生まれるし、
コンビニもコーヒーチェーンもできて、便利になるでしょう。
でも、ほかと一緒になってしまって、ここらしくない。
ちなみに今、一番近いコンビニまで車で25分ですからね(笑)」(阿部さん)
「石巻に来て、強く感じていることがあります。
それは日本人らしさとは何か、ということ。
我々は小さい島国で、海に囲まれて生活してきました。
そうしたなかで、日本人らしさが失われるときは、漁を辞めたときなのではないかと。
日本人らしさって、海なんじゃないかなと思うんです」(長谷川さん)
消費量が減っているとはいえ、やはり魚が好きな日本人。
海とともにある漁師たちの生活に、
もっと真剣に向き合う必要があるのかもしれない。
そして今年もまた、3月11日を迎える。
「震災から5年経って、余裕が出たというより、やるべきことが明確になりました。
まだぜんぜん家も建ってないし、5年経った今でもまだ、
前に前に進まないといけない状態です。
でも、いつまでも東北の応援というロジックに乗っかるわけにはいかない。
これからが本当の勝負。
“おいしかったからもう一度食べたい”と純粋に思ってくれるように、
僕たちもがんばっていかないといけません」(阿部さん)
まずは漁師自体のイメージアップ。
若い漁師もいて、稼げる職業であるということ。
その次は水産業に関わる仲間を増やすこと。
漁師はもちろん、水産に理解のある意欲的な人が多く関わっていけば、
水産業に刺激を与えることができるだろう。
漁師は60代がまだまだ現役。
フィッシャーマン・ジャパンの漁師たちは30代が多いので、
あと30年は走り続けられる。そのための、仲間づくりだ。
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