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水の都大阪、
ミズベリングシティへの道
ミズベリング前編

貝印 × colocal
「つくる」Journal!
vol.038

posted:2016.2.9   from:大阪府大阪市  genre:活性化と創生

sponsored by 貝印

〈 この連載・企画は… 〉  歴史と伝統のあるものづくり企業こそ、革新=イノベーションが必要な時代。
日本各地で行われている「ものづくり」もそうした変革期を迎えています。
そこで、今シーズンのテーマは、さまざまなイノベーションと出合い、コラボを追求する「つくる」Journal!

writer's profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photo

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

大阪のまちを真の“水の都”に。ミズベリングの挑戦

全国に広がる水辺のソーシャルアクション〈ミズベリング〉。
〈ミズベリング(MIZBERING)〉とは、“水辺+RING”の造語。
水辺の豊かな時間を見直し、
水辺好きの輪を広げて、水辺のムーブメントを創造していく活動だ。

そのトップランナーといわれるのが、“水都大阪”といわれる大阪。
昨年10月には〈ミズベリング世界会議〉が大阪で開催された。
大阪では官民連携で10年かけて水辺を生かしたブランディングを進めてきた。
今、2020年に向けて〈水と光のまちづくり〉として都市再生を目指し、
①シビックプライドの向上、②滞在型観光集客、③経済活性化という将来像が設定され、
大阪が誇るべき資産である水の回廊
(土佐堀川・堂島川、木津川、東横堀川、道頓堀川)を活用して、
都心を再生するまちづくりが進められている。

そのキーパーソンが大阪府立大学 観光産業戦略研究所長の橋爪紳也さん。
大阪府・大阪市の特別顧問として“水際の賑わいづくり”の
中心的な役割を担ってきた橋爪さんに、
お話をうかがった。

“水都”といわれる大阪。巨大なアヒルのパブリックアートがシンボル。提供・水と光のまちづくり推進会議

「大阪はかつては“水の都”として栄えてきました。
明治の後半にはパリやヴェネチアと比較され、“東洋の水の都”と呼ばれました。
大正時代になると近代的な産業都市として発展します。
人口も世界で5位、6位を争い、“大大阪”の異名を持ちます。
海に近い川沿いには紡績や造船など各種の工場が展開し、
“東洋のマンチェスター”と讃えられました。
対して都心の水際には、美しい美観が誕生します。
行政はパリを意識した水上公園を整備、
民間は米国の大都市にあるようなビル群を川沿いに建設していきます。
ところが戦後、高度成長の時期にその評価が衰えてきたんです。
もともと大阪にはまち中に運河が張り巡らされていて、
掘り割りも縦横にありました。“水網都市”と呼んでいいと思います。
しかし治水のことがあったんでしょう。
川には高い堤防がつくられて、まちから川は見えなくなったんです。
川の上に高速道路をつくり、
また工場排水で汚れた掘り割りは順次埋め立てられていきました。
従来は都市のにぎわいの中心であったはずの川筋から、
人の心もライフスタイルも離れていったんです」
それを「元に戻すのではなく、今日の生活様式に応じた
魅力的な都市空間として再生したい」と橋爪さんは言う。

大阪府立大学 観光産業戦略研究所長の橋爪紳也さん。水都大阪のキーパーソン。

今橋爪さんは海外のさまざまな水辺の先進事例を調査したうえで、
大阪の現場でかたちにしている。

「川筋に人々の暮らしがにじみ出るんです。
海外に行くと夕方になると川に面したテラスのレストランにに人が出てきて
食事やナイトライフを楽しんでいる。
セーヌ河もテムズ河も産業用に開発した川沿いのエリアを、
この10年ほど手を入れて魅力的な観光地にしているんです。
都市の暮らしが川筋で展開される。
ミラノやバーミンガムなどの産業都市でも、水辺の都市再生が注目されました。
都心再生の重要な機能が水際の再生なんです」

そのためにはどんなことが必要なのか?

「基本的には規制緩和です。
水辺は、河川空間であり、公園であり、使い方のルールが限定的に決まっていました。
日本の各都市は水害と闘ってきた歴史があります。
まずは治水、防災が優先されるのは当然でしょう。
しかし発想が変わりました。
治水を整えたうえで、河川法が緩和されて河川空間を
民間のレストランや物販の店やイベント空間として使えるようになったんですね。
大阪はそれにいち早く手をあげて、事業を始めたんです。
河川空間を民間が飲食店や物販が使う方向で規制を緩和、
3年〜5年など期間を定めた指定管理で事業者を公募しています」

大阪の水辺の魅力を使いこなし、まちで楽しみをわかち合う、〈水都大阪フェス〉を2011年、2012年に行った。 提供:水都大阪パートナーズ

1998年の大阪と2005年以降の道頓堀。川に向かってまちは開き、ウッドデッキで歩けるようになった。提供・水都大阪パートナーズ

1998年の大阪と2005年以降の湊町リバープレイス。夕暮れになると人々が水辺に集まるまちとなった。提供・水都大阪パートナーズ

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大阪の歴史に“水”あり

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最良の大阪

「都市とはみんながあこがれ、新しいものに挑戦する場所。
新しいビジネスが生まれ、新しい楽しみ方を若者たちがつくっていく。
新しいまちが生まれ、新しい文化が生まれ、その担い手が生まれてくる。
絶えず変化する。それが都市のダイナミズムなんです」
かつての大阪はそうだった、と橋爪さんは言う。

北浜テラス。河川空間占用準則の特例。2008年に川沿いのテラス仮設社会実験を行った。現在は12店舗に拡大。提供・水都大阪パートナーズ

大阪のまちをプロデュースする〈水都大阪〉のあゆみ。提供・水都大阪パートナーズ

水都大阪パートナーズ

一般社団法人水都大阪パートナーズは、
〈水と光のまちづくり〉を推進する民間事業者として2013年設立され、
行政や企業と連携しながら事業を進めている。
水都大阪パートナーズの理事で、ランドスケープデザイナーの忽那裕樹さんは
〈水と光のまちづくり構想〉において、実際に水辺の空間をデザインしたり、
水都大阪フェスなどのイベントをプロデュースしてきた。
忽那さんにランドスケープデザインについてうかがった。

「都市計画を碁盤の目にようにつくると、どの都市も似てくるけど、
山の地形と川の流れは同じ場所はない。
昔から水辺は洪水もあって危ない場所なんだけど、
そのたびにリセットされて新しいまちができる歴史がある。
可能性が広がる楽しい場所。
危ないけど、安全を担保したら、色のついてない色っぽい流れがあるんです」

水都大阪パートナーズの理事、ランドスケープデザイナーの忽那裕樹さん。

忽那さんが注目しているのは、“川から見た水辺の風景”である。

「大阪は船で巡るまち。そんなまちにしたいと思います。
もともと大阪というまちはそうだったんです」

すると、忽那さんは江戸時代の大阪の地図を取り出した。

「昔の大阪は大和川と淀川によってできているまちでした。
江戸時代の大阪は水路と運河が縦横に走り、まさに水のまちでした。
5キロくらいの範囲に水路が巡っています。
大阪は世界的にもめずらしい“水の回廊”というべきまちなんです」

現在の大阪が位置する上町台地は、
古代には“難波潟”と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地だったという。
半島が突き出ていて、そこに大阪城をつくった。

江戸幕府は大阪を直轄地(天領)とし大阪城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多いまちとなった。こうして水の都として復興した大阪は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、“天下の台所”と呼ばれて繁栄した。提供:水都大阪パートナーズ

「波が速いということで、浪速(なみはや、なにわ)、
難波(なにわ)という名前が定着したという説があります」

大和川が北に流れ、その堆積物の上にまちができた。
洪水が多かったので大和川の川筋を人為的に変えてまちができた。

「埋めた土地だから“梅田”と呼ばれたとも言われています」

交通も川、運河が中心という。京都から大阪まで淀川で下り、
そこから熊野街道で熊野への参詣道があった。
そうして江戸時代に東から西へとまちができた。
東西に本町通りなど“通り”をつくり南北に御堂筋、堺筋などの
“筋”をつくったのだという。

「私たちは昔のような東西の軸を水と緑を軸に再生していきたいと考えています。
大阪は戦後の開発の地盤沈下で3メートル下がったと言われています。
建物は川に背を向けるように建てられました。
それを再び川に向かって開かれたまちをつくろうと考えているんです。
元禄時代、大阪には3600隻の舟があったと言われていたそうです。
今でも大阪には17個の船着き場があるんです。
いまは川には船を10分しか係留できない。
それを規制緩和したりしてもらって、大阪にきたら船で観光してもらう。
できれば大阪と京都を昔のように船で結ぶというのもいいと思います」

「2020年には大阪にきたら船に乗らなければ大阪に来たことになれへん」
そんなまちにしていきたいと忽那さんは考えている。

規制緩和するとどんなことが可能かを示した提案書より、“西の剣先パース” “本町橋パース” 。にぎわい創出と交流のための具体的なアイデアと法改正の提案が図化されている。資料提供:水都大阪パートナーズ

新しい夜景

〈水と光のまちづくり〉のもうひとつのポイント、“光” とはなんだろうか?
再び橋爪さんにお聞きした。

「大阪では、この10年ほど、光のまちづくりを進めています。
世界中の都市で、夜景のつくり方が様変わりしているんです。
LEDが普及、プロジェクターの技術も進歩しました。
すばらしい夜の魅力を創出するべく、世界中の都市が競い合っています。
私たちは、川沿いに新たな美観を生み出そうと、
公共空間のデザインを工夫しました。
橋梁だけではなく水際の堤防を対岸から見てきれいに演出、
また船からの視点を意識して公園の景観をつくるといった発想は、従来なかったんです。
公園の照明は歩く人の安全の確保が大切だし、
そもそも堤防を夜も美しく見せるという概念はなかった。
川沿いのアートも歩く人に対するパブリックアートでしかありませんでした。
河川空間全体をアートにするという発想はなかったんです」

大阪の“光の首都にする”。水都大阪での実践である。
後編では大阪の水辺やまちを変えていく“アート”の力をレポートする。

大阪の水辺一帯を“カンバス”に見立てて多彩にアート作品を展示する〈おおさかカンヴァス〉。提供:水都大阪パートナーズ

『光のまちをつくる水都大阪の実践』橋爪紳也+光のまちづくり推進委員会編著。(創元社)水と光のまちづくりのコンセプトから技術的側面までを解説。

後編【アートで都市の可能性を開放する、おおさかカンヴァス ミズベリング 後編】はこちら

information

ミズベリング

http://mizbering.jp

ミズベリングジャパン

2016年3月3日@ヒカリエホール

https://www.facebook.com/ミズベリングジャパン-1504645429830775/

水都おおさか

http://www.suito-osaka.jp/

大阪府/水と光のまちづくり推進会議

http://www.pref.osaka.lg.jp/toshimiryoku/suito_auth/mizuhikarikaigi.html

株式会社E-DESIGN

http://www.edesign-inc.com/

KAI presents EARTH RADIO

2月のオンエアは、〈ミズベリング〉特集。水都大阪の取材とミズベリングミュージックをお届けします。

2016年2月23日21:00〜22:00

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