連載
posted:2016.6.14 from:岡山県浅口市鴨方町 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
コロカル連載、『マチスタ・ラプソディ』『児島元浜町昼下がり』の著者・赤星 豊さんの新連載。
岡山県浅口市鴨方町に引っ越した赤星さん。“町内会の回覧板”をテーマに地方都市での日々の暮らしを綴ります。
更新は「回覧板が届いたとき」。気長にお待ちください。
writer's profile
Yutaka Akahoshi
赤星 豊
あかほし・ゆたか●東京でライター・編集者として活動した後、フリーマガジン『Krash japan』を創刊。 広告制作会社アジアンビーハイブの代表を務める傍ら、岡山市内でコーヒースタンド〈マチスタコーヒー〉を立ち上げる。 マスターとして奮闘するも、あえなく2013年に閉店。2015年、岡山県浅口市に移住。
車のなかではラジオでなく、もっぱらCDを聴いている。
今週のCDをセレクトして、小洒落たケースにきちんと並べて……なんてことは
生まれ変わった次の人生でもたぶんない。
車の収納やシートの上のあちこちに10枚ほどをほぼ置きっぱなしだ。
そんなCDのなかに、友人のタナカさんが貸してくれた
70〜80年代ポップスのコンピレーションがある。
バラードというくくりはあるもののセレクトは無節操で、
ヒット曲を右から左に並べたような雑な構成だけど、
どういうわけかしばらくこのCDを入れっぱなしにしてある。
6月のその日の朝も、このアルバムを聴きながら車を運転していた。
2曲目に入っているのがジャーニーの『Open Arms』。
生まれ変わった次の人生では
ドン・ヘンリー イーグルスの声で生まれてきたいとかねがね思っているが、
スティーヴ・ペリー ジャーニーも悪くない。
しかし、この曲に関しては声の魅力うんぬんより、
やっぱり彼の歌唱力に尽きる。この人、ほれぼれするくらいに歌がうまいのだ。
そして、曲の余韻は3曲目のイントロで完全にかき消される。
ワムの『Careless Whisper』。実はジョージ・マイケルは嫌いじゃない。
なにより、同い年のうえに生まれ月も同じという理由で、
ほかのどんなアーティストよりも親近感がある
(映画界ではジョニー・デップがそうです)。
でも、『Careless Whisper』はいただけない。
この曲がかかっているときだけは絶対に事故を起こしたくない。
想像してみてほしい。接触した相手の車が大破して、
慌ててかけよった車からこの曲が流れているシーンを。
エアバッグに血がべったりついて、鼻が折れ曲がってうめき声をあげていたとしても、
ぼくなら「大丈夫ですか!」と声をかけながらこみあげる笑いをこらえきる自信がない。
6月のその日の朝、チコリとツツを保育園に送ったあと、
ぼくは笠岡まで海沿いの道をドライブして銀行へと向かっていた。
保育園の帰りに娘たちとよく立ち寄る青佐海岸の少し手前、
車中の曲が例の『Careless Whisper』に移った直後だった。
片側一車線の県道のほぼ中央に黒っぽい塊を見つけた。
一瞬でそれが亀だとわかった。
首を精一杯伸ばして必死で道路を渡ろうとしている。
ぼくはすぐに車を道の脇に寄せた。前後とも視界に車はなし。
車から降りて、無謀な横断を試みている亀にかけより甲羅に手をかけた。
超ビッグなヤツだった。軽自動車のハンドルぐらいはあった。
ぼくはスピードを出した車が突然現れやしないかとヒヤヒヤしながら、
同時に開け放した車の窓から聞こえる『Careless Whisper』を
誰かに聞かれやしないかとやきもきしながら、
海側に広がっている原野のような茂みに足を踏み入れたそのときだった。
この亀クン、お尻の側から大量のおしっこを一気に吹き出した。
コップ一杯ほどもあったかもしれない。
避ける間もなく、まともに下半身に浴びた。お気に入りの麻のパンツが台無しだ。
それでもぼくは道路に出ちゃいけないと、茂みの奥のほうまで行って放してやった。
銀行での支払いよりも着替えである。
ぼくはまっすぐ家に帰ってパンツを脱ぎ、洗面所のシンクで手洗いした。
外で洗濯物を干していたタカコさんが入ってきて、
パンツを洗っている下着姿のぼくを見た。
「どうしたの?」
「どうしたと思う?」
「また漏らしちゃったの?」
「おいおい、オレいつお漏らししたよ?」
「じゃあどうしたのよ?」
「ちょっと長めの話になるんだけどね−−−−」
案外短く伝えることができた。
「そんなことがあるのねえ」
「東京じゃまずないね。今年は恩を徒で返される年だな」
言いながら、パンツを干そうと外に出た。
「赤星さん、竜宮城に連れて行ってくれるかもよ」
タカコさんはそう言ってひとり笑った。断言しよう、ヤツはウミガメじゃない。
サイズはデカいが、普通に池にいるヤツだった。池に竜宮城は、ない。
倉敷で亀の本を書いている人がいる。著者は古書店〈蟲文庫〉の田中美穂さん、
タイトルは『亀のひみつ』(WAVE出版)。
この本のなかに登場する、彼女が飼っている亀の一匹に、
「児島にいる知り合いが犬の散歩中に保護した」という紹介がなされている。
その「知り合い」というのがなにを隠そうぼくのこと。
あのときはまわりに放すような場所がなかったので、
救いを求めるかのように彼女のもとに届けたのだった。
そういえば、彼女には拾った子猫を数日預かってもらったこともある。
なにかと動物系の困りごとで助けてもらっている田中さんなのだが、
冒頭のCDを貸してくれたタナカさんとは別人である。
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