連載
posted:2017.4.19 from:徳島県三好市 genre:活性化と創生 / エンタメ・お楽しみ
PR 三好市
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。富山県出身。エココミュニティや宗教施設、過疎地域などで国籍・文化を超えて人びとが集まって暮らすことに興味を持ち、人の住む標高で営まれる暮らしや心の在り方などに着目した旅行記事を書くことが多い。現在は、エコツーリズムや里山などの取材を中心に国内外のフィールドで活動中。
photographer profile
Tetsuka Tsurusaki
津留崎徹花
つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。東京での仕事を続けながら、移住先探しの旅に出る日々。自身のコロカルでの連載『暮らしを考える旅 わが家の移住について』『美味しいアルバム』では執筆も担当。
“四国のへそ”に位置する徳島県三好市では、
夏と冬の2度、〈うだつマルシェ〉と〈四国酒まつり〉が開催されている
(夏の酒まつりは小規模開催)。
両イベントが行われるこの1日は人口2万7564人の三好市が
毎年、いきなり人口密度が高くなるという。
第16回うだつマルシェと第18回四国酒まつりが同時開催された
2017年2月18日は、なんと2万3000もの人が訪れたのだ。
「あら、東京から来たの? じゃあ、これ食べていきなさいよ」
到着早々、うだつマルシェ出店者のお母さんのつくったお餅をぱくりと試食。
なんと! もっちりつき立ての滋味深きおいしさよ。
「あんも手づくりなのよ〜」「へえ〜おいしいです!」
と、思わず頬も緩むようなやりとりをしながら、
うだつのまちを、イベント地図片手に歩いてみる。
連載第1回で訪れた三好市池田町のうだつのまち並みで開催されている
〈うだつマルシェ〉の賑わいについては以前から耳にしていたが、
いきなり出会った地元のグループ〈一輪一房〉のお母様方の
元気のいい笑顔と“おせったい”に、遍路文化の息づく徳島らしさを感じてほっとした。
池田町で繁栄した、刻みたばこ産業の歴史を感じさせる
うだつのあがっている家が立ち並ぶ本町通り沿いには
骨董品などの古いものやクラフト、フードなど
素材や製法にこだわったものを提供する“小商い”の出店が立ち並んでいる。
どよめきが起こったので、その方向へ向かったら、
大道芸人がパフォーマンスをしており、
周囲にはたくさんの人だかりができていた。
うだつマルシェの1日に合わせて、ちんどんや大道芸、ワークショップ、
映画上映などのイベントが開催されているのだ。
まるで、四国の真ん中の山あいのまちに、
ワンダーランドができたかのような賑わい。
子どもならずとも、大人も心が躍る。さあ、何を食べよう?
77店舗の出店中、食べもの関係の出店は31店。
ひとつしかない胃袋で食べられるのは多く見積もっても3つばかりだろう。
一食も無駄にできまいと、お店を探すことに集中すると、
ほかではお目にかかることのないような特別感があるものが揃っていることに気づく。
個性あふれる出店者は、地元徳島をはじめ大阪や四国中から集まっているという。
工夫を凝らして丁寧につくられた商品をマルシェで売ると
お客さんの反応がじかに伝わるので、つくり手のメリットも多い。
大阪の寝屋川から車でやってきている〈七穀ベーカリー〉は、
ココナッツオイルで揚げた豆乳ドーナツが売りの出店者だ。
うだつマルシェだけではなく、高知のヴィレッジやおやつ神社など
人気のイベント常連の、知る人ぞ知る人気の出店者だ。
店主の山本洋代さんは、うだつマルシェの魅力をこう語る。
「まず、四国が大好きなので、四国のイベントには積極的に参加しています。
マルシェに参加することで出会える人たちがいて、
仲良くなった出店者が紹介してくれたりもします。
うだつマルシェは、地元の人や家族連れが多くて、のどかでいいですよね」。
確かに、見渡すと子どもがあちこちで駆け回っていた。
出店しているお店は大半が個人商店で、
どちらもこだわった素材を使っている職人気質のお店揃いだ。
そんななか、〈四国酒まつり〉の会場から流れてきた
酔っ払いが陽気に挨拶しながら歩いてくる。
知り合い同士で肩を組み、わきあいあい。楽しそうだ。
同じ通りでは、ご近所さんたちが立ち止まって挨拶していたり、
通りを子どもが駆け回っていたり。
ピースフルなひとときに、普段のまちの様子を想像した。
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うだつマルシェは、2011年11月から始まり、すでに16回目。
本町通りに住み、長くまちおこしに尽力してきた黒木公子さんが
当時、地域おこし協力隊で三好に赴任したばかりの
吉田絵美さんに「マルシェをやってみましょう」と声をかけた。
第2回は、「せっかくだから酒まつりの人にも来てもらったら」という
黒木さんの提案により、2012年2月の四国酒まつりにあわせて同時に開催した。
相乗効果もあり、イベントの来場者数がこの頃から増えてきたという。
四国酒まつりは阿波池田商工会議所主催、
一方、うだつマルシェは黒木さんが会長のうだつマルシェ実行委員会が主体となっていた。
会議の席を同じくし、意見を出し合ったのもあり
2017年現在は、夏と冬の2回開催が続いている。
初回は無事に終わり、2回目からは出店者を一般公募しした。
その頃から、食べ物系、ものづくりクラフト系が半分ずつという
出店者のバランスができあがったという。
「当時はクラフトフェアが今ほどはなかったんで
出店者にとっても、出店のいい機会だったかもしれません」
三好に来る前は、東京のインテリアショップのバイヤーをしていた吉田さん。
そのセンスを生かし、四国中あちこちの現場に出かけて
ここぞという出店者をスカウトして回ったという。
そういった人たちが山あいのまちで開催される
うだつマルシェの層の厚さを支えているのだ。
吉田さんは、地域おこし協力隊の任期後、結婚して一児の母となった。
現在は徳島市に住み、マルシェで培った人脈やノウハウを生かして
「ナガヤプロジェクト」を始め、日々忙しく暮らしている。
そんななか、「立ち上げから携わっているのだからできることを」と
出店者とのやりとりなど離れていてもできることを、ボランティアで行っている。
「子育てもあるので、時間はあるとはいえないのが本音ですが
ゆうても、年に2回ですからね。
できることはしたいと思っています。
3年間の協力隊生活で、つながりがたくさんできたので
それもありがたく、自分にとって池田での経験は今も役立っています」
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午後一番、〈四国酒まつり〉会場から流れてきた人たちは、
三好にある3つの酒蔵へと足早に向かっている。
この日は、蔵を開放する日でもあるからだ。
我々は、うだつ通りからすぐのところにある〈三芳菊〉の蔵を訪ねた。
朝から行列を成していたそうだが、昼下がりになってもやはり列は続いていた。
ロックで型破りな“変態酒”というお酒を醸す三芳菊には、
全国からのファンがやってくる。
今年も、例にもれず東京をはじめ、関西、四国からファンが足を運んでいた。
「昔は蔵ごとに蔵開放をしていたんですけどね。
そのうちに四国酒まつりも合わせてやろうということになりました。
最初は200人くらいが来てくれていたと思うんですけど、
今では、1800枚のパンフレットを蔵で配布してなくなります。
ということは、2000人以上の人が来てくださっている。
四国酒まつりもそうですが、そろそろこのイベントの規模としては
1日開催が限界にきている気がします」
というのは、三芳菊酒造株式会社の馬宮亮一郎さん。
東京から戻り、5代目を継いだ馬宮さんは、
時代にあった酒を自分でつくろうと試行錯誤し、
“閉じたも同然”だったという実家の酒蔵を立て直した。
そういう馬宮さんだからこそ、時代の変化に順応していかないと
四国酒まつり、うだつマルシェ合わせてのイベントも
今後続けていくことは難しいと指摘する。
「冬のイベントに関していえば、商工会議所、うだつマルシェ、市役所、
自分たちがそれぞれやっているんだ、という気持ちが強い。
どこかお互いの敷居を超えていない感じがあります。
その背景には、池田は昔、たばこ産業で栄えていたこともあり、
住民にはそれぞれプライドがあるからなんです」。
生まれ育ち、一度は出ていった場所だからこそ、
今ある問題が見えてくるという馬宮さんはこう続けた。
「自分が東京に出て行ったとき、そして24年前に戻ってきたときと
何かムードが違ってきていることは確かなんですよね。
例えば、こんな田舎に移住者の人が増えている。
秋には、ラフティングの世界大会が三好で開かれます。
みんなが、もしかして、このまちはいけるんじゃないかと
思い始めているんじゃないかな」
馬宮さんは、継いだときは倒産寸前だった三芳菊が今に続いている理由として、
時代の変化に合わせたことを話してくれた。
例えば、販路を人口の多い東京にも持ったこと、
ラベルを若者にも受け入れられるようにしたこと、
これまでの常識を超えた酒づくりを行ったことなど、
前例のないことばかりに取り組んだという。
現在は、冬になると遠方からお客さんが
わざわざ泊りがけでやってきて酒づくりを手伝うようになった。
それが可能になったのは、
カジュアルなカフェ&ホテル〈ココクロス〉が目の前にできたからもある。
時代が流れ、周囲の環境もどんどん変わっていく。
そこで、今ある環境をどう自分のなかにとりこんでいくか、
いつも考えていることが大事なのだ。
今後イベントを未来につなげていくには、
横つながりの交流の場を持つことが大事だと言った。
「自分の代で終わるわけではないので、次の代にバトンタッチしないと。
娘が6代目を継ぎそうなんです。だから、蔵も、まちも大切に残していかないとね」
と、馬宮さんは、うれしそうに微笑んた。
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