連載
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
editor’s profile
Yu Ebihara
海老原 悠
えびはら・ゆう●コロカルエディター/ライター。生まれも育ちも埼玉県。地域でユニークな活動をしている人や、暮らしを楽しんでいる人に会いに行ってきます。人との出会いと美味しいものにいざなわれ、西へ東へ全国行脚。
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撮影:水野昭子
こも豆腐、朴葉味噌焼き、赤巻きかまぼこ、揚げ漬け、明宝ハム、漬け物ステーキ。
飛騨の食は個性豊かだ。飛騨地方と呼ばれる、飛騨市・高山市・下呂市は、
富山からの食文化も影響を受けていて、かまぼこをよく食すのも特徴だ。
少し味が濃いこれらの料理に欠かせないのが地酒。
県内で50蔵あるなかで、そのうち飛騨市が3蔵、高山市が7蔵、下呂市が2蔵。
計12蔵が飛騨高山地域に所在している。
そんな飛騨の料理と酒が気軽に食べられる店、東京・御茶ノ水の居酒屋〈蔵助〉にて、
4月某日、「第41回 蔵の会」が行われた。
「蔵の会」とは、東京岐阜県人会が発端の、東京在住の岐阜県民、
あるいは、岐阜にゆかりのある人が集まる会だ。
1時間ほどの催しのあとに行われる懇親会では、
岐阜の酒蔵が毎回1棟参加して、これぞという自慢の酒を振る舞い、
みな岐阜の郷土食に舌鼓を打つ。
飛騨高山地域は〈ひだほまれ〉という酒造最適米があるうえに水がおいしいため、
酒蔵の数も多いが、この日参加した天領酒造は1680年創業の老舗中の老舗酒蔵だ。
9代目の上野田又輔さん自らがお客さんにお酌をする。
見る見る間に手元の盃が空になると、また次のお酒をなみなみと注いでくれる。
ひやおろし、純米、純米吟醸、と飲み比べも楽しい。
「普段の営業の蔵助では、ひやおろしや新酒が人気ですね。
清潔で品質管理もしっかりしていて規模も大きい。すてきな蔵ですよ!」
と、上野田さんの隣で同じくお客さんのお酌をしながら語るのは、
〈蔵の会〉主催で、蔵助オーナーの仲谷丈吾(なかたに・じょうご)さんだ。
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高校までを飛騨市で過ごした仲谷さんは、
卒業後は東京のシステム管理会社に就職。カフェのアルバイトなどを経て、
2005年にスープ店を立ち上げたものの
「これがうまくいかなかった」のだという。
ところが、心機一転、飛騨の食に特化した店に業態替えすると、
事業が軌道に乗り始める。
御茶ノ水の現在の地に〈飛騨居酒屋 蔵助〉を立ち上げたのは2010年。
最初のスープ店の失敗から、見事5年で復活を果たした。
「飛騨の食に救われたと思いましたね」と仲谷さん。
「飛騨牛と酒から世界が広がった瞬間だった」と話す。
37歳の現在は蔵助のオーナーのほかに飛騨市の市議会議員も務め、
飛騨と東京を往復する毎日だ。
蔵の会の成功のカギを仲谷さんに聞くと
「“酒”をキーワードに岐阜県人交流会ができたのがよかったと思うんですよね」
と返ってきた。
この日の40名のなかには、岐阜や飛騨の出身者で蔵助の常連などもいたが、
「出身者ではないしまだ行ったこともないけれど、
飛騨の酒が好きでなんとなく岐阜や飛騨との縁を感じている」
というお客さんもいたのだ。
飛騨ファンが“出身者・居住者”という枠を超えて広がっていく。
そのことが目に見えるのがこの蔵の会だ。
「ただ、こうした交流会でもビジネスでも、
やりたい人に思い入れがないと続かないということも感じています」
と話す仲谷さん。
「蔵助の役割として、東京で活躍している飛騨人に光を当てて、
ビジネスや人材交流を盛んにし、
地元と東京をつなぐということがしたいと思っています。
東京でやる気のある飛騨人や、飛騨に思い入れのある東京人を探してサポートをし、
適材適所で生かせる柔軟なシステムづくりをしていきたいですね」
これを仲谷さんは「愛郷心をつなげる」と表現した。
県人会から端を発した蔵の会だが、
もっともっと小さなコミュニティをつくろうとしていた。
「5月に“東京神岡会”を立ち上げようと思っていまして。
そのキックオフにも来ませんか?」
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飛騨市神岡町と言えば、
「Super KAMIOKANDE(スーパーカミオカンデ)」という名前を
思い浮かべる人も多いだろう。
ノーベル化学賞を受賞した小柴昌俊東京大学名誉教授の研究チームが
ベースとしていた実験場である。
国内外から研究者が頻繁に訪れるまちではあるが、
飛騨市の4町のうち神岡町は一番人口の減少が激しく、
高齢化率は平成27年時点で42.19%と高い。
明治時代から鉱山のまちとして栄え、昭和半ばには各世帯にテレビがあり、
まちなかに映画館ができ、町内には小学校が4校あるほど活気のあった様子を聞くと、
今の神岡は少し寂しい。
5月に蔵助で行われた「東京神岡会」のキックオフ集会は、
10名ほどが参加した。
この日の議題は「神岡 桃太郎ゴールドトマト」の農園をつくるための、
クラウドファンディングの実施についての説明会だった。
このプロジェクトを先導するのは、
神岡の30代から40代の若手が主体の
合同会社MASK(Make A Smile Kamioka)のメンバーだ。
仲谷さんは顧問というかたちで経営についてアドバイスを送っている。
誰かが行政側からサポートしないと、と仲谷さんは感じていた。
行政を利用すれば間口が広がり、町民の理解も得られやすい。
そこで行政と民間のクサビ役を買ってでたのだ。
仲谷さんは市議会議員(行政のチェック機関)なので
そのバランス感覚にすぐれているのかもしれない。
仲谷さんが切り出す。
「古川町でトマト農家を営むトマト名人・坪根邦一さんの農法による
神岡ゴールドトマトのつくり方を完全マニュアル化し、
町内のいたるところにある耕作放棄地で
60代以上のお年寄りでも栽培できるようにします。
そして我々若い世代が指揮をとって売り先を開拓していきます」
ただし、神岡にはその「若い世代」が少ない。
「そこで、東京神岡会のみなさんには、クラウドファンディングの参加以上に、
神岡とゴールドトマトの宣伝部長になっていただきたいのです」
いわばその決起集会となった今回の東京神岡会。
実は、メンバーを見ると神岡町出身の人もいたが、
元鉱山関係者という人が半数を占めている。メンバーに話を聞くと、
皆口々に、神岡での生活がいかに豊かで楽しかったかを懐かしそうに話す。
「神岡のまちは鉱山のまちとして支えられていましたし、
鉱山で働いていたというプライドを持った人が多いのです。
うまくみなさんの思いをかたちにしていきたいですね」と仲谷さんは話した。
この集会の前からすでに仲谷さんは水面下で動き出していて、
農業の経験はないものの、ビニールハウスを建てるのも率先して行ったり、
雪を溶かすために灰をまいたりというような日々の世話も
「まずはやってみようという精神で」自ら実践してみた。
手をかければかけるほど感じられる甘みとうまみとミネラル感。
この鮮やかなオレンジ色のトマトに仲谷さんは
神岡の未来を救う可能性を感じたのだという。
クラウドファンディングの目標金額は40万円。
成功した際のリターンは育ったゴールドトマトや野菜になる予定だ。
今回の参加者のひとりは
「飛騨と東京の2拠点でがんばっている人というのに感銘を受けたんです。
自分の人生かけていいかなと思えるほどのバイタリティがある人だと思う。
お金は出すから実行して! と言いたいですよ(笑)」と信頼は厚い。
神岡の応援をしつつ、実は仲谷さんの応援会でもあるのだ。
今後は3か月に1回くらいのペースで報告会をしつつ、
現地見学ツアーなどを通しての新規のファンの獲得も重要になってくる。
「誰かが裏で汗かかないと事業の成功はない。それを僕がやるんです」
という仲谷さん。実行の男と飛騨の快進撃に注目だ。
profile
JYOGO NAKATANI
仲谷丈吾
1980年生まれ、岐阜県飛騨市神岡町出身。
24歳の時に東京で飲食店開業。当初スープ店をオープンするも上手くいかず、1年で飛騨の郷土料理が売りの居酒屋へ業態変え。関東在住の飛騨出身のお客様、飛騨の食材に助けられ、改装、移転を経て、東京御茶ノ水で『飛騨居酒屋 蔵助』を経営中。3 年前に地元飛騨市へ U ターンし、飛騨市議会議員選挙へ出馬。現在地元飛騨でドローンイベントも計画中。
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飛騨居酒屋 蔵助
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