連載
posted:2017.9.28 from:岩手県西和賀町 genre:暮らしと移住 / 食・グルメ
sponsored by 西和賀町
〈 この連載・企画は… 〉
岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000 人の小さなまちです。
住民にとって厄介者である「雪」をブランドに掲げ、
まちをあげて動き出したプロジェクトのいまをご紹介します。
editor’s profile
赤坂 環
あかさか・たまき●フリーライター。岩手県盛岡市在住。「食」分野を中心に、県内各地を取材・原稿執筆。各種冊子・パンフレットの企画・構成・編集も行うほか、〈まちの編集室〉メンバーとして雑誌『てくり』なども発行。岩手県食文化研究会会員。
credit
撮影:奥山淳志
自然豊かな西和賀町の中でも特に山深い、南本内岳ふもとの本屋敷地区。
西和賀町湯田出身で、巣鴨養蜂園のオーナーである髙橋正利さんは、
春から秋にかけてここに数十箱の西洋ミツバチの巣箱を置き、はちみつを採る。
冬はミツバチを千葉県で越冬させ、自身も東京・巣鴨の自宅へ。
平日は千葉に通ってミツバチに給餌したり様子を確認し、
週末は販売担当の娘さんとともに都内のイベントに立つ。
西和賀と東京を行き来しながらの、娘さんとの二人三脚の日々に、苦労は少なくないが、
それ以上にやりがいや楽しさがあり、幸せも感じる。
今から10数年前、「銀座ミツバチプロジェクト」に参加して
養蜂を勉強したことをきっかけに、趣味として自宅で日本ミツバチを飼い始めた。
そのうち、「多い年には15キロも採蜜できた」ほど、養蜂の腕前は本格的に。
一方で同じ頃、退職後の生き方を模索するようになっており、
「ふるさとの西和賀は森が豊かで養蜂に向いているので、生業にできるのはないか」
と考え始める。
ただ、採蜜量が少ない日本ミツバチだとビジネスとしては難しい。
そこで、プロジェクトで知り合った養蜂の仲間たちに西洋ミツバチの養蜂のやり方を教わり、
3年前、東京消防庁を早期退職して養蜂園を立ち上げたという。
「自分ひとりでやるのだから、徹底的に質の高さにこだわったはちみつをつくりたい」
そう考えた髙橋さんは、「隔王板(かくおうばん)」を使った採蜜方法を取り入れた。
隔王板とは隙間の空いた板で、これで巣箱を上下に仕切り、
上の蜜採り専用箱と下の子育て専用箱に分ける。
身体の大きい女王蜂は上の箱に移動できないので、
上の箱に卵やさなぎ、ハチの子などが混ざることはなく、
また働き蜂ははちみつを上に貯める習性があるので、
上の箱には純粋なはちみつだけが貯まるという仕組みだ。
手間がかかり採れる蜜の量も少なくなるが、
ピュアなはちみつをつくるためにあえて選んだという。
また、せっかくピュアな蜜を採っても、
巣箱のある現場や屋外でそれを絞るとほかの昆虫が混ざる可能性があるので、
絞る作業は、巣箱がある場所から車で15分ほどの屋内作業場で行う。
これもまた、純粋で質の高いはちみつをつくるためのポイントだ。
Page 2
実際に、作業所で蜜を絞るところを見せてもらった。
貯蜜枠についた蜜巣を切り取り、遠心分離器にかける。
一般的には3回ほど回すそうだが、髙橋さんは1回のみ。
そのほうが、できあがるはちみつの糖度が高いからだという。
遠心分離器から漉し器を通って出てきたはちみつを見て、思わず「わあ、きれい!」と声が出た。
まるで、うっすら色が着いた水のようで、透明感があり美しい。
隔王板を使わない場合は、この時点でハチの子などが混ざっている可能性があるので、
加熱殺菌しなくてはいけないが、髙橋さんのはちみつの場合はそれが必要なし。
そのため、はちみつ本来の風味や栄養価が加熱によってとんでしまうことなく、
そのまま含まれている。
「どうぞ、なめてみてください」と髙橋さんに促され、口に含んで再び驚く。
香りも味もしっかりしているのに、喉ごしがさらりとしていて、後味はすっきり。
そのままゴクゴクと飲めてしまいそうなほどだ。
漉し器から出てきたはちみつを、髙橋さんが糖度計で測定したところ、80度以上を超えていた。
「私は糖度80度以上のはちみつだけを商品化しています。
外国では、糖度が低いはちみつを煮て糖度を高め、商品化しているそうですが、
それでは花の香りやミツバチの酵素がとんでしまう。
私が非加熱処理を一切行わない理由はそこにあるんです」
もうひとつ、髙橋さんが気を配っているのが、巣枠の管理だ。
巣箱の中の巣枠には、「巣虫」とよばれる蛾が卵を生むことが多く、
これがかえると幼虫が花粉を食べるので、最終的に採蜜できなくなる。
卵を完全に死滅させる方法はいくつかあるのだが、
できるだけ化学物質に頼りたくない髙橋さんは、
採蜜後の巣枠を冷蔵コンテナに保管するというやり方を選択。
ミツバチにも人間にもやさしい方法で、問題を解決している。
「ミツバチに刺されて大変ですが、それでもやはり貯蜜枠を引き上げて
蜜がたっぷり入っているのがわかったときが一番うれしい」と髙橋さん。
今年は低温で思ったように蜜が集まらず苦労しているが、
ふるさとでスタートした第二の人生はまだまだこれから。
養蜂家として、ふるさとの住民として、さまざまな夢をふくらませている。
information
髙橋正利さん
1956年西和賀町湯田(旧湯田町)生まれ。高校卒業後、東京消防庁に就職して消防士として働く。2006年に「銀座ミツバチプロジェクト」の一期生として養蜂を学び、2014年巣鴨養蜂園を設立。
◎あなたにとって「ユキノチカラ」とは?
新しい命をつなぐひととき。私たちにとって雪の季節は、春の産卵に備えるミツバチたちの、健やかな成長を待つ時期です。来春への願いや祈りを、ユキノチカラに込めます。また、私と家族、ふるさとと東京をつなぐ大切な時間でもあります。
Feature 特集記事&おすすめ記事
Tags この記事のタグ