子どもがふれることで 伝統産業がよみがえる! 和える(aeru)前編

ジャーナリストから始まったaeru

“0から6歳の伝統ブランド” 〈aeru〉は、
産着や食器などの乳幼児向けの日用品を展開するブランドだ。
矢島里佳さんが大学在学中に立ち上げた。

矢島さんは、小学生の頃から将来はジャーナリストになりたいと夢を描いていた。
大学に進学してすぐに、OBOG訪問をし、
新聞記者やニュースキャスターの方に会いに行った。
そして、自分は何を専門的に伝えたいのかということを考えなければならないと感じた。
そこで中学・高校時代に、茶華道部に属していたことから、
自身が日本の伝統に興味を持ち始めたことに気がつき、
伝統産業を専門にするジャーナリストになることを思い立つ。
企業へ企画書を持ち込むと、それが採用され、
大学1〜3年生の間、若手職人を取材し、雑誌で連載記事を書いていた。
こうして日本の伝統産業の現状を世に広く伝えてきた矢島さんだが、
メディアを通して伝えているだけでは、現状打破が難しいことを痛感することになる。

「3年間連載してきても、伝統産業が衰退していくことを止めることはできず、
むしろ廃業する人は増えていくばかりでした」

伝統産業が衰退する根本的な原因を考えてみると、
現代の生活様式に合わなくなったことがあげられる。

「今は核家族化が進んで、親子3世代で住むことは珍しくなっていますよね。
昔は、おじいちゃん、おばあちゃんが伝統的な日用品を使っているところを見ていたり、
子どもたちも一緒に使って育つ中で、自然と伝統が引き継がれていたのだと思います」

つまり、子どもの頃に、大人が使っている“ホンモノ”にふれる機会が
少なくなったことが原因のひとつだ。
子どもの頃に、大人が使っているものがうらやましく、
同じものを使いたがった経験がある人も多いだろう。
なんだか大人が使っているものは、いいものに見えた。
実際にいいものだったのかもしれない。

「そもそも、子どもの頃に、伝統産業にふれる機会がほとんどないから、
大人になっても知らないので、興味を持つきっかけがないのです。
若い人が伝統産業に興味を持っていないわけではないということを、
自身の実体験を通して感じました。
その魅力を感じたからこそ、次世代につなげたいと思ったのです」

こうして、赤ちゃん・子ども向けの伝統産業品を生み出すという
アイデアが固まっていった。

和える代表取締役の矢島里佳さん。

ものを通して、想いを伝える

aeruはプロダクトを展開するブランドではあるが、
矢島さんの想いが、“伝える”から“つくる”に移り変わったわけではない。
“伝える”という芯のジャーナリズムはまったくブレていないのだ。

「書いて伝えるだけではなく、
ものを通して、子どもたちに伝えるという方法もあることに気がつきました。
ものを売ることそのこと自体は、私たちの会社のミッションではありません。
ひとりでも多くの子どもたちにこれらが贈られて、先人の智慧が自然と伝わっていくこと。
伝わった結果として、売れるという状態になっていることが自然だと思うのです」

間接的ではなく、直接的に子どもたちに伝統産業品にふれてもらう。
そのときは意識的ではなくても、手のなかで大切に持ち、使っている感触を得られれば、
感性はきっと育まれていくはず。
その感性があれば、大人になっても伝統産業品をきっと選んでくれるのではないか。
それは、職人に仕事を生むことにつながる。

「問題解決をしたくて始めたのではなく、
先人の智慧が次世代にしっかりとつながっていってほしいという願いから、
aeruは誕生しています。
そんなaeruは、“三方良し”の考え方を大切にしています。
aeruらしい生き方や働き方、心地のいい暮らしを生み出していきたいです」

近江商人の心得ともいえる“三方良し”は、売り手良し、買い手良し、世間良しという
サステナブルな社会。単なるプロダクトのプロデュースではなく、
その先の循環を見つめる姿勢を大切にしているのだ。

みんなから愛される 島であり続けるために。 石垣島〈USIO Design Project〉

「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」連載第2弾は、
デザインの力を通して石垣島の魅力を再発見する、
沖縄県石垣市主催の〈USIO Design Project〉。
本プロジェクトに関わって2年、
ロフトワークのシニアクリエイティブ・ディレクターの寺井翔茉がご紹介します。

USIO Design Projectとは?

プロジェクト名の〈USIO〉の由来は、海の〈潮(うしお)〉のこと。
異なる海流がぶつかる〈潮目〉は、豊かな漁場になるというエピソードと、
島の象徴である美しい海のイメージを重ね、
デザインのチカラを通して“外の視点”と
“島で生まれるモノ、働くヒト、育まれる知恵”がぶつかり、
新しい豊かさを生みだしたい!そんな想いが込められています。
プロジェクトは2013年秋より約8か月をかけて、
石垣島の島内で生産される10の名産品を対象に、
新しいパッケージデザインの公募と商品化を行いました。
リデザイン公募へは国内外204名のデザイナーが参加し、
約2か月という短い公募期間にも関わらず、
世界中から431点のデザインが寄せられました。

みんなから愛される島であり続けるために

USIO Design Projectは、いわゆる〈地域活性化プロジェクト〉ではありません。
むしろ、活性化しすぎた地域の中で“自分たちの良さ”を見直すためのプロジェクトです。
石垣島は沖縄本島から400km、台湾から270km離れた場所にあり、
車で一周すると2時間程度の島。
もともと人気の強い島でしたが、2013年3月の新空港開設とLCCの就航により、
島民4万8,000人の島に年間100万人の観光客が訪れるようになり、
ますます島は賑わうようになりました。
一方、急速な観光者数の増加に戸惑う住民と、
都会と同じレベルのサービスを求める観光客の間で、
これまで想定していなかった観光客とのトラブルも起き始めたそうです。
2013年は石垣島にとってターニングポイントであり、
そのような状況の中で始まったのがUSIO Design Projectでした。

「観光バブルの中で、このまま求められるものに応えるだけで良いのだろうか?」
「たくさんの人が石垣島に来てくれて人気者になることはありがたいが、
自分たちらしさを見失ってしまわないだろうか?」
「そもそも石垣島らしさ、八重山らしさって何なんだろうか?」

大切な島の環境をキープしたままで、みんなから愛され続ける場所であり続けるために、
今までとは違う視点で考えてみること。これがこのプロジェクトの目的でした。

その“今までと違う視点”として
“デザイン”という考え方を全面に持ってくることにしました。
デザインする対象の魅力を、きちんと深く理解しなければデザインはできない。
デザイナーは“魅力を引き出す目利き”になってもらう必要がある。

これがUSIO Design Projectが“今までと違う視点”としてデザイナーを起用した理由で、
そのプロセスとしてより多くの人が参加できる“公募”というかたちを採用しました。

きょうのイエノミ 旅するイエノミ すだち割りと、京都の湯葉佃煮

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、
手軽で簡単、しかもちょっとした旅気分が味わえる
日本各地のおいしいものと三浦半島の旬の食材を使った、
和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

残暑を飛び越して、いきなりの秋到来。
おいしそうなサンマが店頭に並び、すだちもまさにいまが旬。
豊かな実りの季節がすぐそこまで来ているのですね。
料理研究家・飛田和緒さんの家にも、徳島からすだちが届きました。
和えもの、サラダ、スープ、そばに鍋料理。
なんにでもしぼってかけて、秋ならではの贅沢をたっぷり楽しみます。
きょうのイエノミでも、すだち割りをまず用意。
上品な香りと酸味のおかげで、身体もしゃきっとするそうです。

おつまみの主役は、大皿に盛った熱々の焼きとり。
子育て中でなかなか外食できない飛田さんにとって
焼きとりを家でもおいしく食べたいという思いは、かなり切実だったとか。
そういえば、焼きとりを“家で焼く”ことって案外ないですよね。

逆に、自分では絶対つくれないし真似しようとも思わない。
「どれだけ手間をかけているか、食べるとよくわかるのよ」
それが、京都〈北郎〉の湯葉佃煮〈お豆の旅〉。
“ちりめん山椒”は、好みの味でつくるようになった飛田さんですが
こちらは、いただきものを食べて即座に店へ電話をし
お取り寄せするようになってから、もう10年以上になるそうです。

●ローカルな逸品〈京都市・北郎の“お豆の旅”〉
祇園生まれの色白美人に思いをこめて。

きょうのイエノミの名脇役が、この〈お豆の旅〉。
湯葉とちりめんじゃこ、椎茸と山椒が淡くふっくらと炊き上げられ
佃煮というよりも色白な、楚々とした風情が印象的です。
「お茶漬けやごはんのおともでも、もちろんいいけれど」
お酒のおつまみとしても絶妙な塩梅なので
ちょこちょこつまみだすと止まらなくなってしまうとか。
たしかに、細かく切られた湯葉がしっとりと柔らかく
なんとも優しく繊細な味わいです。
「だから、もったいないと思いつつすぐ食べてしまうの」
取り寄せをお願いするときの電話でのやりとりからも
ていねいに愛情こめてつくっている様子が伝わってきて
どんなお店なのかしらと、ずっと思っていたそうです。

その〈北郎〉は明治45年創業の創作京料理の店。
〈お豆の旅〉の名づけ親は、ごひいきだった喜劇王の故・藤山寛美さん。
同封されていた紹介文でそこまではわかっていましたが
ご主人のお話が聞きたくて、京都祇園の店に電話してみました。
でも〈お豆の旅〉の生みの親、名料理人として知られたご主人
北村元一さんは、3年半前に65歳で亡くなられていたのです。

替わりにお話してくれたのは、北村さんの妹、荒川文子さん。
「創作が本当に得意でして。兄の料理のおいしさは忘れられませんね」
“いちじくの胡麻だれ”のように、北村さんが考案し
他の店に広まったオリジナル料理も多いのだとか。
ぐじ(甘鯛)を描いた包み紙のデザインや
名調子で綴られた〈お豆の旅〉の紹介文も
北村さんが全部自分で考えたそうです。
〈お豆の旅〉は、京料理だと脇役になってしまう湯葉を
なんとか主役にしてあげたいと、修業時代から考え続けて完成させたもの。
もともと〈北郎〉は、創業当時湯豆腐の店だったこともあり
湯葉はおいしいのに不憫やなと、3代目の北村さんは思っていたのかも。

いまは、お姉さんと荒川さん、荒川さんの娘さん
女3人で〈お豆の旅〉と姉妹品〈ふたり旅〉をつくっています。
それは闘病中の北村さんに、これだけは続けてほしいと頼まれたから。
自分は治る。そう最後まで信じてはいたものの
「やはり格別な思いがあったんやなと」
いまでも店の台所で〈お豆の旅〉を炊いていると
お兄さんが横にいるような気がするのだとか。
料理を通じて人と人をつなぎ、多くの人に慕われていた北村さん。
〈お豆の旅〉を店の料理としては出さず、持ち帰り専用としたのも
いろんな人の食卓に届けられたらええなと思ったからだそう。
“お豆が湯葉となり旅を続けるうちに
 椎茸や山椒、ちりめんじゃこと巡り逢い
 佃煮となったのでございます“
軽やかに楽しげに、口上を告げるご主人の思いとともに
日本全国の食卓への〈お豆の旅〉はこれからも続くはず。
食べた人の幸せな記憶として生き続けるのでしょうね。

〈北郎〉(京都市/祇園)の〈お豆の旅〉

●お取り寄せデータ

住所:京都府京都市東山区祇園花見小路富永町116

電話:075-541-0816

FAX:075-541-0900

営業時間:10:00~14:00の間が確実 日祝休

※〈お豆の旅〉230gは3240円。来店時は事前予約を。

※JR京都伊勢丹や京都髙島屋などでも購入できる。115g1620円

●便利な常備菜〈にんじんのカレーマリネ〉
にんじんをたっぷり食べたいときに。

にんじんは寒くなるにつれておいしくなる。
でも、もてあまして余らせることってありませんか。
そんなときこそ、常備菜つくりのチャンス。
飛田さんのお薦めはバターで少し甘めに煮たグラッセかこのマリネ。
「普通のマリネでも十分おいしいけれど」
カレー粉を少しだけ入れると、にんじんが苦手な人でも大丈夫。
スパイスがほんのり香って、目先が変わる上に食欲もそそる。
ピクルスと合わせても、良いおつまみになるそうです。
「ウチはね、夫がとにかくカレー好きだから」
缶入りのカレー粉は必需品で、これがとても便利なんだとか。

つくりかたはごく簡単ですが、注意するのは塩加減。
必ず水気をしぼるときに味見をする。
しょっぱいようなら、さっと洗ってください。
ぱりぱりと心地良い歯触りで、あっというまに食べてしまうから
ちょっと多めにつくっておくほうが良さそうですよ。

にんじんのカレーマリネ

●つくりかた

にんじんは皮をむき4~5cmの長さのせん切りにする。

1に塩少々をまぶしてしんなりするまでおく。

2の水気をよくしぼってボウルに入れる。

白ワインビネガーとカレー粉少々を3に入れて30分ほどなじませる。

プルーンを粗く刻んだものを4にふる。

※白ワインビネガーがなければ好みのお酢で大丈夫。

※3の段階で味見をして、しょっぱければ軽く水洗いする。

※プルーン以外に、レーズンやパセリもよく合う。冷蔵保存で日持ちは約5日。

●旬のおつまみ〈焼きとり〉
焼きたて熱々の幸せをおうちでも。

飛田さんの家族はみんな焼きとりが大好き。
焼きたてを買って、お店の前のベンチでよく食べていたそうです。
「でもね、あるとき発見してしまったのよ」
それは、鶏肉コーナーの隅にあった、焼くだけでいい焼きとり串。
なんだ、こんな便利なものがあったのねと
おウチ焼きとりに目覚めた飛田さんは
焼きとり専用の細長い七輪まで買ってしまったほど。
「やっぱりおいしいの、本当の焼きたてで好きな食べ方もできるし」
なかでも、自家製にんにく味噌と柚子胡椒との相性は抜群。

実は、その発見前にも何度か試みてはいたけれど
小さく切った鶏肉を串に刺すのはやはり難しいし手間もかかる。
飛田さんでも上手にできなかったそうです。
「ま、これも焼くだけだから料理研究家としてはどうかしら(笑)」
そういいつつ、アスパラやししとうも串に刺していく飛田さん。
なるほど、これなら色合いも美しいしおもてなしにも良さそう。
炭火でなく、フライパンや魚焼きグリルでも問題なし。
フライパンで焼くときは皮の方から焼くと油なしでもひっつかないそうです。

味付けはシンプルに塩だけにしておいて
あれこれ好みの調味料でいただけるのも、家ならではの楽しみ。
もちろん、すだちをしぼってさっぱりいただくのも良さそう。
焼きとり串を見かけたら、ぜひ試してみてくださいね。

焼きとり

●つくりかた

アスパラをししとうの長さに合わせて切る。

1を竹串に刺す(鶏肉が刺さった串に刺してもいい)

焼く前に2と「焼きとり串」に塩をふる。

グリルパンかフライパンで3を片面ずつじっくり中火で焼く。

つまんで鶏肉がしまってしっとりしていたら焼き上がり。

にんにく味噌、柚子胡椒、七味、一味唐辛子などでどうぞ。

※スーパーなどで売っている「焼きとり串」(鶏肉が刺してあるもの)を利用して。魚焼きグリルで焼くときは、串の持ち手部分にアルミホイルを巻くと焦げない。

※にんにく味噌は味噌にすりおろしにんにく少々を混ぜる。味噌に皮をむいたにんにくを埋めたものを常備しておくと便利。スティック野菜につけたり、炒めものの味つけなどに幅広く活用できる。

●きょうの和酒 宝焼酎25度
秋の夜長はすだち割りとともに。

すだちをさんまの相棒だけにしていたらもったいない!
ピュアな甲類焼酎&炭酸水とも抜群の相性なのです。
すっきりまろやかでクセのない宝焼酎のハイボールに
ぎゅっとしぼると、最初に香りがふんわり広がって
上品な酸味で宝焼酎の甘味もひきたててくれる。
つややかな緑を目でも楽しめるように
スライスか、櫛型に切ってグラスに入れてもいい感じ。
まさにいまの時期ならではの「旬割り」ですね。
すだち割り片手に、ゆっくり秋のイエノミを楽しんでみてください。

宝焼酎25度 600ml

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/takarashochu/index.htm

profile

KAZUWO HIDA
飛田和緒

1964年東京生まれ。8年前からレーシングドライバーの夫、娘の花之子ちゃん、愛猫のクロと南葉山で暮らす。東京時代の便利な生活から一変し、早起きが習慣に。ご主人が仕事で留守がちなため、仕事はもちろん、買い出しやお弁当作りにと忙しい日々を過ごしている。毎日の食卓で楽しめる普段着の料理が得意。高校3年間を長野で暮らした経験もあり。

最終回:鴨方町の生活

前回の連載から半年ぶりの更新である。
この半年でいろんなことがあった。
長女チコリの無軌道ぶりは相変わらずで、
この夏、部屋の柱に激突して額から流血、ひと針縫うケガを負った。
ぼくが初めて縫合処置を受けたのが9歳だから、
男子であるぼくの記録を5年も上回ったことになる。
次女のツツは春と夏にそれぞれ肺炎で入院、
まったくハラハラさせられっぱなしだ。
でも、4月から始まった保育園生活では、
保育園がイヤでイヤで2年間毎朝ごねまくったチコリとは対照的に、
入園1週目から先生も驚くような順応力を披瀝。
保育園の中庭で別れのタッチを済ませ、
ぼくに背中を向けてすたすたと歩くその後ろ姿には、
いまや頼もしさすら感じさせられる。
サブは春にリードをつけたまま元浜倉庫から逃亡。
リュウくんや優子さんまでもがさんざん探し回ったにも拘らず、
まる1週間も戻ってこなかった。
さすがにもうダメだろうと諦めていたら、
タカコさんが保健所のホームページでサブの写真を発見。
逃亡3日目に、通報によって元浜倉庫から目と鼻の先で捕獲されていたのだった。

ぼくはこの半年、一度も髪を切ってない。
夏になってからはヒゲも剃っていない。
体重も少し落ちたので、風貌が少し変わった。半年あれば、人は風貌も変わる。

鴨方町に引っ越して2か月が過ぎた。
例の築50年の家はなんとか無事融資がおり、4月に売り主への支払いが終わった。
融資の額は1000万円にも満たないが、結構な苦労を強いられた。
その気苦労のせいゆえに、銀行からまた融資を受けようなんてとても思えない。
畢竟、この家はぼくにとっての「終の住処」か。

支払いが終わってからはほとんど毎週末、鴨方町に通った。
とにかくやらなきゃいけないことが山とある。
といっても、家のリフォームを自分たちの手でやるようなトレンドめいたことはしない。
みんながみんなそんなことしていたら工務店がつぶれてしまう、
大工さんが食べられなくなってしまう。
なんでもそうだけど、その筋のプロたちに任せた方が早いし、
仕上がりは断然キレイだ。しかしモノにはすべて予算がある。
リフォーム以外のことはすべて自分たちでやることになったのは、
すべて予算の都合上のこと。庭木の伐採・剪定、畑の草刈り、
ぎっしり裏山を覆った笹竹の駆除。切っては燃やし、刈っては燃やし……。
その作業はいまもって続いていて、
1時間でも空いた時間があれば〈ARTE POVERA〉のダンガリーシャツに袖を通し、
長靴を履いて作業にいそしんでいる。おかげで引っ越す頃には、
村の人たちの何人かとすでに付き合いのようなものができていた。
作業中に「おい、頑張るのお」と声をかけてくれるのだ。
自分たちが作った野菜や果物をもらうのは珍しいことじゃないし、
最初に友人になったユウゾウさんからは、
「これ使やあええが」と草刈り機までもらった。
この村ではどの家も草刈り機を複数所有しているのだとか。
なるほど、村では朝7時を過ぎたとたん、
草刈り機の2サイクルのエンジン音があちこちでなり始める。
近くでラジコンの大会でもやっているかのようだ。
ちなみにこのユウゾウさん、齢七十を超えているが、
野良仕事の戦力はぼくよりもはるかに上だ。

地場産業+情報産業で イノベーションを起こす 情報科学芸術大学院大学(IAMAS) 産業文化研究センター 小林 茂教授

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新しいイノベーションの創出〈コア・ブースター・プロジェクト〉

岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)。
情報科学技術と地域文化を結びつけ、
産業界と連携するさまざまなプロジェクトを行っている。
前回はIAMASが行っている地域の連携や共創について取材した。
今回はIAMASの新しいイノベーションの創出について、
小林 茂教授にお話をうかがった。

IAMASでは県内外の企業・団体とさまざまな連携を行っている。
高度な技術を共同で研究開発する一方、
社会の期待となるようアイデアを創造している。

小林さんはそのコーディネートや商品開発などを行ってきた。
具体的にはどんなプロセスで進んでいくのか。

ものづくり拠点としてのイノベーション工房。3Dプリンターやレーザーカッターなどの工作機器を完備している。

「岐阜県内には製造業を中心に多様な地場産業があり、
同時に情報産業にも力を入れている。
それらをかけ合わせることで
イノベーションを起こしたいと考えた行政からの発案として、
FAB 施設のようなものをつくることで、地場産業と情報産業を混ぜ合わせ、
イノベーションを起こす拠点にできないか、という提案があったんです。
それを受けて2012年にデジタル工作機械を備えた市民工房〈f.Labo〉を
立ちあげたとき、見学者だけで1000人以上がやってきました。
ワークショップを通じて多くの市民が利用し、
ある企業がデジタル工作機械を使って素早く試作品をつくり、
それを元に特許をとったような事例はいままでもありましたが、
単に工房を開いているだけで異業種が混ぜ合わされることはありませんでした」

どうしたら混ぜ合わせられるのか。ただ施設だけつくってもだめ。そのためには
「いままで一緒にやるようなことがなかった人たちが
コラボレーションすることが必要」だと小林さんは考えた。

そうしてできたのが〈コア・ブースター・プロジェクト〉だ。

コア・ブースター・プロジェクトのパイプライン。地場産業と情報産業に参加を呼びかけてチームをつくる。フィールドワーク、コンセプトづくりから、プロトタイプづくり、量産型のデザインまで策定し、最終的にはクラウドファンディングで商品化するところまでをIAMASが中心となるチームでファシリテートする。図版提供:IAMAS

「ビジネスの種は、いろんな人と人が出会うなかで生まれてくる。
でもそれを商品などのかたちにして、
世の中まで送り出そうと考えると時間も労力もかかる。
途中で失速して消えていくパターンも見てきました。
だったらちゃんと世の中に出すところまでをブーストしようと。
そのやり方がコア・ブースター・プロジェクトというものです」と小林さん。

思いついてから、1週間くらいで企業に声をかけ始めた。

「最初に、それまでにIAMASやf.Laboとつながりのあった
岐阜県内の地場産業の中でものづくり系の人々に参加を呼びかけました。
そして、スマートフォンのアプリやウェブサービス、
基幹システムの開発など情報産業の人です。
新しいことを始めるので集まってください、と」

2013年に最初の企業説明会を行った。
プロジェクトマネージャー、デザイナー、ソフトウエアやハードウエアの開発者など、
十数社、30人ほどの人たちが集まったという。

「参加の意思を示したところには、その人が
何ができて、どういう目的で参加したいのか、どのくらい予算を動かせるか、
権限はどのくらいかなど、ひとつひとつヒアリングに出かけました。
それぞれどこと組めるか、利害関係などを調整して、
それをもとに5つのチームをこちらでつくったんです」

小林さんたちは、それぞれのチームにインプットになるような
技術のハンズオンやフィールドワークを提供し、
各チームがコアとなるアイデアを見つけ、
アイデアを統合し、コンセプトをかたちにしていくところまでをサポートした。
そうして現在、第一弾として商品化まで進行しているのが、
傾けることでほのかに底面が光り、
お酒を飲む場面に彩りを添える酒枡〈光枡—HIKARIMASU〉だ。

IAMASが主催したコア・ブースター・プロジェクトから生まれた、傾けることでほのかに底面が光る酒枡〈光枡-HIKARIMASU-〉。地場産業と情報産業の出会いから生まれたIoTの製品。写真撮影:井戸義智

地域にクリエイティブな力を 実装したい! 情報科学芸術大学院大学(IAMAS) 産業文化研究センター 金山智子教授

奥美濃ソウルトレイン

この夏、岐阜のローカル線の車両がクラブさながらの空間になった。
岐阜の情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が
長良川鉄道とコラボレーションして
〈奥美濃ソウルトレイン〉と名づけた特別列車だ。
列車内にスピーカーやDJブース、照明などが設置され、
クラブミュージックにアレンジされた郡上・白鳥おどりで
非日常の祝祭空間を演出する。
さらに、地面を蹴る動作に合わせて光る踊り下駄〈蛍駄(KETTA)〉を、
郡上発の下駄ブランド〈郡上木履〉の協力のもと制作した。

これまでもローカル鉄道をひとつの空間メディアととらえ、
岐阜県内の鉄道事業者と連携して
さまざまなプロジェクトの実践を行ってきたIAMAS。
ローカル鉄道+クラブカルチャーに加え、
地域の伝統産業+先端的技術の融合の事例である。

FabCafeのものづくりとローカル、 グローバルコミュニティの つくりかた

「ロフトワークのローカルビジネス・スタディ」シリーズがスタート!
株式会社ロフトワークは、オープンコラボレーションを通じて、
Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの
“デザイン”を手がけるクリエイティブ・エージェンシーで、
ローカルに関わるプロジェクトも数多く手がけています。
ロフトワークは、「クリエイティブの流通」をミッションに2000年に渋谷に創業、
現在100人近くのメンバーで、京都や飛騨にリノベーションしたオフィスを(これから)構え、
石垣島のプロジェクト、日本の良さを海外に発信するプロジェクト……など、
さまざまなプロジェクトを手がけています。
第1弾はロフトワークが運営するカフェ〈FabCafe〉について、
ロフトワークの広報の石川真弓がご紹介します。

2012年ロフトワークは、日本で初めてのデジタルものづくりカフェ〈FabCafe〉を
渋谷にオープンしました。
2015年夏現在、FabCafeは、気がつけば台湾からスペイン、タイと、
海外4か国・5店舗に展開する、
各都市でたくさんのクリエイターが訪れる人気のスポットとなり、
現在はフランスやシンガポール、アメリカなどで、
FabCafeを新たに立ち上げる話が現在進行中です。

最初に渋谷に立ち上げたFabCafeは、
今年の夏、店舗面積を2倍に拡大リニューアルしたばかり。
今ではレーザーカッターだけではなく、3Dプリンターなどの
新しいデジタルファブリケーションマシンが増え、カフェやフードメニューも増え、
メンバーも増え、イベントやワークショップも週に何件も行われるようになって、
多様な人が集まる「クリエイティブなプラットフォーム」としての役割を
果たせているようになってきたんじゃないかと思います。

FabCafeは、デジタルなものづくりカフェでもあり、
ローカルなクリエイティブコミュニティでもあり、
それらのコミュニティのグローバルなネットワークでもある。
もし、「レーザーカッターがある渋谷のちょっとおしゃれなカフェ」だけだったら、
ただの流行りのカフェで終わってしまっていたかもしれません。

アートで東北支援する 〈リボーンアートフェスティバル〉 小林武史の「つくる」後編

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震災後の復興のなかで

音楽プロデューサー小林武史さん。
小林さんはいま新しいプロジェクトに着手した。
その名も〈リボーンアートフェスティバル〉。
“アート”で“東北支援”する音楽&地域再生のイベントである。
いったい何を“つくる”のか。小林さんにその概要を聞いてみた。

「東北でアートフェスティバルをやろうというのは、構想からいうと3年になるんですよ。
アーティストはいろんな循環のなかで、宇宙でも何にでも、
つながりでつくれる自由を持っているわけじゃないですか。
その場所に来て、祭りの中のひとつの作品として、
そこにメッセージを込める役割を担える自由がある。
僕はそういうことを取り戻す場所、取り戻すきっかけになる祭りにしたいと思ったんですよね」

その背景には東北の“復興”とはなにか? という問いかけがあった。
3年の沈黙のなかで、小林武史さんは着々とその構想を膨らませていく。

「震災後、僕ら〈ap bank〉としても東北でボランティア活動を続けていたのですが、
アベノミクス以降、特に復興需要によって
仙台市とかめちゃくちゃ景気のいいまちに変貌するわけです。
日本で一番景気がいい、土地もどんどん上がっていくし……。
だけど、ちょっと離れて石巻とかでは、人口流出が止まらない。
人口流出というのはもちろん過疎のまちはどこも世界的な問題です。
都市に集まろうとして地域が疲弊していくっていうことがあるにしても、
それでもやっぱり10年くらい早回ししたって言われるくらい
カーブが急上昇していっているんですよ。
いまもそうなんですよ。福島のことを言い出したら、
これはまた全然違う話になるレベルで人口流出が起こっているわけですが」

そういうなかで“復興”ということを声高に言ってみて、
何が“復興”なのか? ということになるでしょう。
だから僕らは新潟の〈大地の芸術祭〉という北川フラムさんたちが行う
地域づくりの芸術祭の因子を僕らはもらって、
地域を足下から支えていく芸術祭をしたいと思ったのです」

〈大地の芸術祭〉は越後妻有の里山を舞台に開催される芸術祭。
その総合プロデューサーの北川フラムさんも今回、
〈リボーンアートフェスティバル〉の顧問として参加されている。
地域とアーティストが協働してこの地域の魅力をあらためて発見し、広く発信することで、
多くの人々がこの地域のことを知り、そして訪れる、そんな芸術祭を目指すという。

〈ap bank〉は、音楽プロデューサーの小林武史と、Mr.Childrenの櫻井和寿に、坂本龍一氏を加えた3名が拠出した資金をもとに、2003年に設立され、〈ap bank fes〉などさまざまな活動を行ってきた。そして2017年、東北を舞台にした芸術祭〈Reborn-Art Fes〉を石巻市と共に行う。写真は〈ap bank fes11〉 写真提供:ap bank

太陽の光と循環のフェスティバル

「“太陽の光と循環”ということが僕らのテーマになっています。
そもそも地球の自転だって何だって、太陽のおかげでしょう」と小林さん。

「ピカピカ光る都市があるけれども、その影みたいな場所にも命は宿っているし、
むしろ本質がそこで失われていないと言えることがたくさんあるんですよね。
太陽生物としての営みが、都市のピカピカでない影の部分に宿っている。
それが現代アートとか世界のいろんな感性とつながっていったり、
音楽とつながっていくことによって、人の思いや人のつながり、
感性のつながりができるんじゃないか。そういうことをやろうとしているわけです」

〈Reborn-Art Fes〉は「人の生きる術を蘇らせ取り戻すことにある」という。
それを〈Reborn-Art〉と名づけ、食や住や経済などの生活の技、アートや音楽やデザインの美の技、
地域の伝統と生活の叡智の技などとして、
さまざまな領域における〈Reborn-Art〉を発見—再発見しようという試みである。

2011年つま恋で開催された〈ap bank fes11〉での竹あかり。電気のピカピカではない、ほのかな光が会場を包んだ。〈ap bank fes11〉ではイベント収益金のすべてを東日本大震災の復興支援に充てている。 写真提供:ap bank

東北とのつながり

そもそもの東北とのつながりはどんなところからだろうか。
「2009年の新潟の震災で〈ap bank〉が炊き出しに行きました。
その時のチームやノウハウが〈ap bank〉や〈kurkku〉にあったから、
2011年の311の直後、1週間も経ってないうちにとにかく石巻に入ったんです。
最初は南三陸の気仙沼・石巻に入ったんですよ。でも石巻が一番複雑に傷んでいて。
石巻専修大学がグラウンドを開放してくれたので、ピースボートと組んで支援をしました。
僕らはそこで100人くらいでテントを張って、何か月間か東京からバスを出して、
ボランティア活動を支えていたりしていたんですよね。それが縁です。
若い人たちを中心にいろんな新しい復興のトライアルがあったんですよね。
なかでも〈ISHINOMAKI 2.0〉というチームがには地元の人もいますし、
東京に住んでいる人たちも絡んでいたりします。
松村豪太くんという代表理事がわれわれのフェスティバルを地域で支えるリーダーになったんです。
自分たちが主体となってやっていくという思いに、まずに火が点いた。
つながりをつくりながら、僕らの思いを相談していった。それは行政でも同じですけど、
復興して、仮設住宅からちゃんと住めるようになっても、
そのあとどのように暮らしていくのかという問題があります。
あとは外とどのようにつながっていくのかということが、絶対に問われてくるから、
そこに対して僕らがいま考えている構想が、
すごく有効なのではないかということを言っていたわけです」

牡鹿半島の浜の交流会での小林武史さん。地域とのつながりから〈Reborn-Art Fes〉がつくられていく。 写真提供:ap bank

牡鹿半島の浜の交流会では、採れたての牡蠣やあら汁など地元の豊富な魚介類がふんだんに振る舞われた。 写真提供:ap bank

“依存型”から“循環型”へ 食や農を通して感じる命のつながり 小林武史の「つくる」前編

小林武史さんが見る「いま・ここ」

音楽プロデューサー小林武史さん。〈ap bank〉による環境プロジェクトに対する融資のほか、
2005年からは野外音楽フェス〈ap bank fes〉を静岡県つま恋にて毎年開催。
2010年には、農業事業を実践する法人として〈株式会社 耕す〉を設立するなど、
活動の幅を広げている。
ap bank やレストラン・カフェ・バーの〈kurkku(クルック)〉など、
社会へのメッセージを発信し続けていた小林武史さん。
しかしこの数年、メディアへの露出を控えていたという。
今年に入って2017年東北でのアートフェス開催の発表など、次の動きが見え始めた。
小林武史さんの「つくる」とは何か。数年の沈黙をやぶって小林武史さんの今をお聞きした。

取材にうかがったのは7月15日。いみじくも安倍政権の「安保関連法案の強行採決の日」。
インタビューのマイクをむけた瞬間に小林武史さんはまずそのことから語りはじめた。

「今日は強行採決の日にたぶんなるんですけど、じつはこの流れ、
すでに12年の終わりに安倍自民党が衆議院議員選で圧勝したときから始まっていたんですよね。
原発のことがあって、経済とか大きな力に依存していく流れに対して、
あれだけ問題が露呈したのだから、みんなが自分たちの責任ある社会を
みんなで自治していくような流れがあったとは思うんですけど。
それは期待もあったけど、それまでの民主党の流れも含めて駄目なんだろうなと、
みんな何となく思っていたのでは。
やはり“我々に任せてください”という安倍自民党の強い言葉、アベノミクスへの期待、
経済第一というあの流れに、
町工場とかシャッター商店街の人たちが疲弊し悲鳴があったのは事実です。
あの段階で、アベノミクスを国民が選ぶというのは理解できます。
下までしずくが落ちるというトリクルダウンの期待がありました。
しかし株価だけ上がって、金融の資本主義になると
世界レベルでタックスヘイブンをフル活用で、
いよいよ本当に金持ちはさらに金持ちになって、貧富の差は開く。
だからあそこでもうちょっと“脱依存”の社会という方向になればと思っていたのが、
おそらくそう簡単ではなく難しいんだと感じます。
やっぱりこういったん沈黙するしかないみたいなところはあったんですよね。
アベノミクスは強い抗鬱剤みたいなもの。本当はそういうものを与えても、
根底を変えなければやっぱりその場しのぎかもしれません」

根底を変えること。依存型の社会から脱け出すこと。
小林武史さんは、足下を堀る“耕す”活動を開始した。

耕す木更津農場 写真提供:耕す

代々木VILLAGE。小林武史さんを中心とした株式会社kurkkuがコンセプトプロデュースを担当し、デザイン、内装、レストランなどを各界の日本を代表する方々が手がける、“こだわり”を追求した拠点。 写真提供:kurkku

知リ100×コロカル お蚕さんをさわる

今回の知リ100は「さわる知リ100」!

〈知ったつもりにならないでリアルにさわってみたい日本の100〉
略して〈さわる知リ100〉が始まりました。
“さわるって、冒険”を合い言葉に、日本全国のさわれる体験を、
さまざまな年齢、性別の人がレポートしています。

〈コロカル×知リ100〉のシリーズ第1弾では
北海道・円山公園で鷹匠体験をしてきました。

あれから1年半。今回の体験は、「お蚕さんをさわる」。
繭やお蚕さんやサナギをリアルにさわって体験してきます。
コロカル編集部から体験者「サワラー」として任命されたものの、
虫が大の苦手な私、海老原。
企画倒れする可能性が高いのでは……? と一抹の不安が。
まずは見た目に慣れなければと思って画像検索で「蚕」「蛾」「サナギ」を見ても、
う〜ん、だいぶ厳しい!
でも、画像で見るのと、リアルで見てさわるのとでは違うはず! ですよね!? 

こうして訪ねたのは、高崎市の〈群馬県立日本絹の里〉です。
JR高崎駅から車で30分。群馬の蚕糸業の歴史や技術を知る展示や、
糸織り体験、染色体験ができ、蚕や繭とふれ合うことができる施設です。
案内をしてくださったのは、展示案内役の原 登喜雄さん。

群馬県立日本絹の里にやってきました。

絹産業と言えば、記憶に新しいのが、
2014年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録。
富岡製糸場が創業を開始したのは明治5年ですが、
その質の高さから海外への輸出も軌道に乗り、
海外貿易の目玉として発展していきます。
しかし戦後、和装需要の衰退や、安価な外国産の絹製品の流通、
化学繊維の台頭、桑畑の減少などの複数の原因により、
8万軒あった群馬県内の養蚕家も、いまでは142軒に。
ただ、教育のために蚕を飼育している小中学校もいまだにあり、
身近に感じている人もいるのではないでしょうか。

かつて生糸を製造した製糸会社による輸出用の商標(パッケージ)が展示。現存する企業は2社のみなのだそう。おしゃれなデザインが目を引きます。売店ではポストカードも販売中。

〈RAW SILK〉。日本語にすると、〈生糸・生絹(きぎぬ)〉ですね。このように商標を挟んで輸出されていたそうです。

「蚕はとてもおとなしい生き物です。歩いて遠くへ行かないし、
蛾に成長しても飛びません。
だから、エサを得るために、子孫を残すために、
人と共存しないと生きていけない生き物。野生には帰れないのです」と、原さん。

そして人間も、蚕と共生関係にありました。
成長が早くすぐに現金に換えられる蚕は一家の家計を支えてくれる存在でした。
だから感謝と愛情を込めて、
蚕のことをお蚕様(おこさま・おかいこさま)と呼ぶのだとか。
敬称に加えて“お”をつける。
「自分の子どもでさえ“お子様”とは言わないのに。
それだけ蚕は特別だということですね」と原さんは話します。

日本絹の里では、絹の伝来から栄華を極めた明治時代の富岡製糸場の様子、現代の絹織物の技術などを解説、展示しています。

チームで新しい東北の食をつくる カフェ・カンパニー後編

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農家と企業を結ぶ〈東の食の会〉

全国でたくさんのカフェや飲食店を経営しているカフェ・カンパニー。
前編でお伝えしたとおり、食の業界がチームを組んで向き合っていくことで、
開ける未来があると考えている。
食業界はすそ野が広い。農業、流通食品、外食など、多岐にわたる。
それらがバラバラに活動しているよりも、
みんなで考えていけば、解決していける問題も多いだろう。
そんなチームを目指し活動を始めていたところに、東日本大震災が起きた。

「震災が起きて、いきなり待ったなしの状況になってしまいました。
原発事故は別にして、遅かれ早かれ全国で起こり得る問題が、
東北で一気に噴出したわけです。
特別なつながりがあったわけではありませんが、まずは東北で始めようと思いました」
と話すカフェ・カンパニーの楠本修二郎代表取締役社長。

東の食の実行会議にて、カフェ・カンパニーの楠本修二郎代表取締役社長もディスカッションを牽引する。

こうして立ち上がったのが〈東の食の会〉。
代表理事は楠本さんと、オイシックス代表取締役社長の高島宏平さんだ。

「農家と企業をダイレクトに結ぶプラットフォームです。
細かいことを抜きにして、競合他社が一緒に参加してくれています。
なでしこジャパンでも、侍ジャパンでも、日本人は世界を目指すと団結しますよね。
そんな発想で地域を考えると、違うおもしろさが見えてきます」

東北には、ものづくりのすぐれた人がたくさんいる。
しかし、必ずしも発信力が強いわけではない。しかしそれは補い合えること。

「最近話題のポートランドやブルックリンは、スモールビジネスが活況ですよね。
ものづくりの人たち自身が、ブランディングが上手なんです。
ところが日本人は、ものづくりの人であればあるほど職人気質で、
“そんなことは関係ない”というようなスタンスだったりする。
それはずっと昔から日本人の血に流れている美学だし、誇らしい側面でもある。
それならば、日本人はチームプレイすればいいんです。
ものづくりの人、デザイナー、キュレーター、コーディネーターなどが
ワンセットになって、もっと連携していけるようにしたい」

具体的には、商品開発やイベント開催、参加企業による食材利用などが進んでいる。
商品開発では、
トップクリエイターがお米のブランディングをするというような事象が起きている。
大きなヒットとなったのが2013年9月に発売された〈Ca va?缶〉だ。
オリーブオイルに浸けて洋食にアレンジしやすいという要因のほかに、
なんといってもこれまでのサバ缶にはない、黄色が目立つ派手なデザインと、
思いついたとしても自ら避けてしまいそうな大胆なネーミング。

「こういった議論自体、これまであまりなかったんです。
特に地方だと敵対関係になりがちで、議論を諦めていた。
A vs Bではなく、AもBもイエスと言えたらオールイエスですよね。
そういうことができるのが、デザインやクリエイティブの視点だと思います。
矛盾と思われているものを、“矛も盾も素敵じゃん”と思わせること。
それも妥協ではなく、意見を闘わせた結果、
高い位置で両者がすっと落ちる瞬間があるはずです」

昔からあるものづくりに、
デザインやコミュニケーションなど現代的なアプローチを加えて成功に導く。
それがチームで行う醍醐味だろう。

東の食の実行会議にて。(左から)オイシックスの高島宏平代表取締役社長、キリンホールディングスの磯崎功典代表取締役社長、小泉進次郎復興大臣政務官。

コミュニティを つくるためのカフェ空間 カフェ・カンパニー前編

スタイルがコミュニティをつくる

〈WIRED CAFE〉などのカフェをはじめとして、
いまや全国に86店舗を数える〈カフェ・カンパニー〉。
代表取締役社長の楠本修二郎さんは、2001年当時、
〈コミュニティ・アンド・ストアーズ〉という社名で、
東急東横線渋谷駅の高架下に複合店〈SUS〉をオープンした。
そしてもうひとつ、〈スタイル・ディベロップ〉という関連会社があり、
2社を融合させて現在のカフェ・カンパニーとなった。
元の2社の社名、それぞれからわかることがある。

「カフェであれ、なんであれ、コミュニティをつくっていくことが、
考え方の基本にあります。もうひとつは、スタイルをつくること。
このふたつが、車の両輪になっていて、どちらが欠けても真っすぐ走りません」
と楠本さんは言う。

コミュニティ形成というフレーズは最近ではよく謳われていることだが、
10年以上前からカフェ・カンパニーはそれをコンセプトにしていた。
会社説明のパンフレットにも、表紙に大きく書かれている。
“style makes your community”と。

「いまでこそ、いい意味での“暑苦しいおせっかい”みたいな風潮が増えてきたと思います。
しかし90年代は、シャッター通り商店街という言葉も出始めてきた時代です。
やはり商店街が元気なまちは好きなんですよね。
最初につくったSUSも、高架下に商店街のようなにぎわいを復活させようという
発想なんです。だから1店舗ではなく、3つの業態を入れた複合店にしました」

みんなのアニキのような存在の楠本修二郎代表。

そうはいっても、カフェ・カンパニーの店舗にレトロ回帰主義な雰囲気はない。
むしろ、時代を先取りしてきた存在だ。

「未来の若者に向けた価値提案をしたい。
僕が始めた頃はインターネットがどんどん伸びてきた時代。
たとえば最初にやったカフェは、iMacを窓際のカウンター席に並べました。
ただ当時のiMacはすごく大きいから非効率極まりない。
でも無理してでも5台くらい置きたかった。
1台では意味がなくて、5台がずらりと並んだなかで食事する。
いまとなってはナンセンスですね(笑)。
でも、空を飛び交うコミュニティが形成されていくほど、
同時にリアルな場所での共感が大事になってくると思っているんです。
自分がこだわるスタイルをとことん突き詰めていくことが、
結果的にいろいろな人たちの共感を呼びます。
そういう意味では、食はわかりやすい。
“これ、おいしいよね”と五感でシェアできるものだし、
そういうものがコミュニティをつくっていきます」

スタイルに共感したものが、コミュニティをつくっていく。
そしてそのコミュニティがまたスタイルを生む。
これが「style makes your community」という言葉の意味だ。

MORIUMIUS(モリウミアス)

雄勝で始まる、MORI(森)とUMI(海)、そしてUS(明日・私たち)

石巻市雄勝。平成の大合併で町から市となり、宮城県の北東に位置するまちだ。
名産は雄勝硯(おがつすずり)。国内90%のシェアを誇る硯石が採掘され、
書道で使う硯に限らず、食器や装飾品などさまざまな品に加工される。
また、海の幸山の幸も豊富で、海ではカキやホタテ、ホヤ、銀鮭の養殖、
平野ではササニシキが育つなど、第一次産業がまちの支えとなっている。
そして、ここもまた東日本大震災の大きな被害を被った地である。
約600棟あった沿岸部の民家は津波にさらわれ、
まちの8割の建物を倒壊させた。高台への移転は難航しており、
人口は震災前の4分の1にまで減ってしまったのだという。

そんな雄勝の東の先端にある旧桑浜小学校は、
2002年の閉校までのおよそ90年間で500名以上の卒業生を送り出してきた
歴史ある小学校である。少子化により閉校となったその桑浜小学校を、
「体験型宿泊施設」として蘇らせ、2015年7月18日にオープンを迎えるのが、
〈MORIUMIUS〉だ。

読んで字のごとく、MORI(森)とUMI(海)、
そしてUSには明日と私たち(US)がかけられている。
数日間にわたる集団生活を通して、
農業体験、林業体験、漁業水産体験といった第一次産業の職業体験ができる。
ガイドはそれぞれの分野の地元のプロフェッショナルたち。
一次産業従事者との交流を通じて、“食育”、“教育”から
さらに深いところへ踏み込んだ、子どもたちにとって忘れられない体験になるだろう。
施設内には食事や宿泊場、風呂も完備。
小学生から中学生を体験の主な対象としているが、
企業研修やゼミ合宿、アーティストによるレジデンスなどの
大人たちの利用にも対応している。

運営団体である、公益社団法人〈sweet treat 311〉理事の油井元太郎さんは、
豊洲のキッズパーク〈キッザニア〉を日本で展開した会社の立ち上げメンバーだ。
“子ども”と“職業体験”というキーワードをここ雄勝で拡張させた。
ただし、キッザニアと大きく異なるのが、
MORIUMIUSは宿泊施設を有する複合的な体験施設であるということ。
建物の大規模修繕も初めてのことだった。
「2013年4月にこの学校を取得してから、
利用についてのワークショップなどを経て大規模な改修作業が始まりました。
まさにイチからの改修です」
建築家・隈研吾氏はじめスタンフォード大の学生などがデザイン企画をしたり、
フィールドワークでは、90年間木造校舎を支えてきた力強い梁を見て、
隈氏をはじめとする建築関係者は、
その立派さや当時の雄勝の職人の技術に驚いていたのだという。
MORIUMIUSでも耐震補強もなされたうえで、梁を生かした設計となった。

約2年間の大プロジェクトには4500人を超すボランティアや企業・団体の協力があった。
地元の大工さんの指導のもと、解体の手伝いや、左官の手伝い、
屋根に用いた硯石の加工など、地域住民とうまく連携し合い、
完成の日を迎えた。
「循環」というのもひとつのテーマ。
浄化された水を更にきれいにするビオトープなど
サステナブル(持続可能)な社会を学ぶというのも意識している。
「子どもたちにはさまざまな体験を通じて自然の循環を学び、
その中で生きる力を身につけてほしいですね」と油井さんは話す。

公益社団法人sweet treat 311理事の油井元太郎さん(写真左)。代表理事の立花 貴さん(写真右)。立花さんは東洋経済社の「新世代リーダー50人」に選出された。

平屋造かと思いきや、2階部分もある。かつて校長室だった2階は、休憩室(サロン)のような役割に。

学校の面影を残す。卒業制作の彫刻や黒板もここが旧桑浜小であった記録だ。卒業生でなくてもここが懐かしい場所に思えてくる。

90年にわたって子どもたちを守ってきた梁や柱は現役続行。

数々のプロジェクトを 通して鎌倉の輪が広がる。 カマコンバレー後編

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夢を達成するためのクラウドファンディング

“この街を愛する人を、ITで全力支援!”をテーマに
鎌倉で活動しているカマコンバレー。
これまでに、さまざまなプロジェクトを展開してきている。
もちろんプロジェクトを発足し、回していくには最低限の資金が必要になる。
しかしカマコンバレーは、ほぼボランティアによって成り立っているので、
大きな資金源があるわけではない。
おもしろいのは、それらを運営するための資金を募る手段すら、
自分たちで生み出してしまったことだ。
それが鎌倉限定クラウドファンディング〈iikuni〉だ。

「一昨年に行われたプロジェクトの資金を集めるのに、
クラウドファンディングを利用してみようという話になったんです。
しかし今後もカマコンバレーが活動していくのに、
資金集めは必要になってくるだろうと思い、
クラウドファンディングのシステム自体を自分たちでつくってしまったんです」
と話してくれたのは、iikuniを担当しているカマコンバレーの古田智子さん。

一般的に、クラウドファンディング自体の数も増え、認知度も上がり、
活用する人も増えてきた。
そのなかでiikuniの大きな特徴としては、鎌倉に限定しているということだ。

「鎌倉に住んでいたり、働いている人は、地元愛=鎌倉愛が強いと思います。
iikuniでのチャレンジを見て、
“こんな人たちがいるんだ”と応援したい気持ちになると思うんです」と古田さん。

現状では、まだカマコンバレーのプロジェクトや会員からの支援募集が多い。
カマコンバレーが運営しているので、月1回の定例会でもプレゼンや告知ができる。
すると会員同士でつながりやすい。
地域限定にすることで、口コミも広がりやすいのだ。

「知り合いの知り合いくらい辿れば、誰かはつながっています」と古田さんも笑う。
通常、達成しやすいものには傾向がある。
しかし地域が鎌倉に絞られていると、愛情があれば達成しやすいのかもしれない。

ウェブサイトの情報だけを見て、飛び込みで来る人は少ないという。
そのあたりもローカルらしさ。

「クラウドファンディングは字義的には、たしかに資金調達媒体です。
しかし私たちはローカルに根ざしたものなので、
それを強く打ち出さなくてもいいかなと思っています」というのは
〈関心空間〉CEOで鎌倉在住の宮田正秀さん。
iikuniのユニークさと情熱を教えてくれた。

「夢が達成されることを支援したいのです。
iikuniとしては、主にクレジットカード手数料などをいただくだけで、
利益は追求していません。その立場も一貫しています。
どちらかというと仲間のようなもの。ちょっとリードするとしても、
マラソンランナーの横について走るコーチのようなものです。
そのくらいの関係性を目指しています」

なるべくきめ細やかなサービスを目指している。だから一緒にじっくり考える。

「一緒に進めていくという気持ちで臨んでいるので、
ときには、“そのアプローチでは支援は広まりませんよ”とか
“そのリターンはよく考えましたか? ”などの苦言を呈することもあります。
軽い気持ちで“出してみたら?”という無責任な姿勢ではありません。
これなら達成できるはず、とチャレンジを練り上げていきます」

こうした積み重ねのおかげで、高い達成率を誇っている。
実は、他にもたくさんの問い合わせが来ているという。
しかし思いつきであったり、ビジネス的な資金調達など、
iikuniに馴染まない場合は、断ることもあるという。
ただクラウドファンディングというサービスを運営しているのではなく、
これもすべて鎌倉という地域の活動であることを忘れない。

このように、クラウドファンディングという仕組みをつくるだけではなく、
運用法も同時に考えていかなくてはうまくいかない。
そうしたノウハウを、ほかのローカルにも伝える動きも生まれてきている。

宮田さんがそのノウハウの一端を教えてくれた
「プロジェクトを持ってくる人に対して、
どれだけつながりがあるかインタビューするところから始めます。
運営者がどれだけ地域の人脈を持っているかが鍵になります。
ヒアリングするシートも結構細かいですよ。
やろうとしていることよりも、“どうやったら支援の輪が広がるか考えていますか?”
と問います。人から支援を受けるということがどんなことなのか、
真剣に考えてもらえるように、話し合って考えを深めていきます」

すでにいくつかの地域で、iikuniをモデルにした
ローカルクラウドファンディングの動きは始まっている。
まださまざまな可能性を秘めた仕組みなのだ。

きょうのイエノミ 旅するイエノミ 梅干し割りと、淡路島のハモ

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、
手軽で簡単、しかもちょっとした旅気分が味わえる
日本各地のおいしいものと三浦半島の旬の食材を使った、
和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

まだまだうっとうしい天候ではあるけれど
海開きの便りも次々に届き、いよいよ夏本番という感じですね。
料理研究家・飛田和緒さんにとっては
梅雨入り後から始めた梅仕事やらっきょう漬けなど
毎年恒例の保存食作りがひと段落し、ようやくほっとできる頃。
去年10kgほど仕込んだ梅干しも、残りはもうわずか。
今年もおいしくできるといいなと思いつつ
大好きな梅干し割りでイエノミを楽しむことが多いとか。
少々バテ気味でも、これですーっと身体が軽くなるそうです。

きょうのおつまみは、らっきょう漬けを使った和えものと
直売所で買った夏野菜がもりもり食べられる常備菜。
そして飛田さんが、いちどお腹いっぱい食べてみたかったというハモ。
「まさにいまならではの“お楽しみ”って感じでしょ」
確かに、ハモは梅雨の水を飲んでおいしくなり
7月の京都・祇園祭でも欠かせない魚として知られていますが
きょうは玉ねぎと合わせた淡路島風の鍋で楽しむ予定です。
この「ハモすき」は、関西では有名な夏ならではの名物鍋。
今回のお取り寄せは、飛田さんも初めての試み。
「初めてのチャレンジだけど、かなりおいしそうじゃない?」
こんなワクワクできるイエノミもたまにはいいですよね。

●ローカルな逸品「兵庫県・新島水産のハモ」
ハモ&玉ねぎが絶妙な淡路島的マリアージュ。

いまでこそ「ハモ好き」を自認する飛田さんですが
東京育ちなので大人になるまではなじみがなく
「ハモと聞いても、ふーんって感じだったのに」
20代後半からの京都通いでそのおいしさに目覚めたとか。
「ついこの間も、思わず新幹線に飛び乗ってしまったの」
林間学校に行く花之子ちゃんを見送った東京駅で
そういえば今日明日は空いている! とショートトリップを決行。
本当にひさびさの京都で旬のハモ三昧を楽しんだそうです。
ただ子育て中の飛田さんにとって京都はやはり遠い。
そこで思い切ってハモを淡路島から取り寄せてみたのです。

届いた箱のなかには、立派なハモが丸々一匹分。
頭やあら骨、うきぶくろ、いまの時期ならではの卵と、
淡路島産の素麺とタレまでセットになっていて
「こんなの見たことない!」と飛田さんも興味津々。
骨切りが済んだ透明な身は、湯引きして梅肉を添えれば極上のおつまみに。
ただ、きょうはその誘惑をはねのけ、全部贅沢に鍋でいただきます。
淡路島風「ハモすき」のつくり方はとってもシンプル。
うどんつゆ程度に味付けした出汁に、櫛形に切った玉ねぎをどっさり。
ひと口大に切ったハモも入れて、ふんわり身が開けばまさに食べ頃!
トロトロの玉ねぎとふわふわ熱々のハモを
ちょい甘めに味が変化した出汁と一緒にいただきます。
「京都のハモと松茸の鍋も上品で好きだけど」
こんなにたっぷりハモをいただくのは初めてかもと、飛田さんも満足気。
「最後の締めが、太めの素麺なのもおもしろいわね」
よーく出汁を吸った素麺がこれまた絶品。
これから真似しようかなといいつつ、針生姜をパラリと加えたりと
初めての「ハモすき」を存分に楽しんだ飛田さんでした。

この「ハモすき」、実は、淡路島名物を集めたような鍋。
「ハモがおいしくなる頃にちょうど玉ねぎの出荷が始まるんです」
そう教えてくださった「新島水産」の新島芳実さんは
極上の赤ウニでも有名な由良漁港にある水産卸売り会社の3代目。
「ハモすき」はいまでこそ夏の淡路島の名物料理になっていますが
もともとは漁師町の鍋というか、ごく身近な食材の組み合わせ。
「たまたま合わせてみたら、おいしかったんやろうね」
淡路島の玉ねぎは甘いことで知られており
その甘さを活かした出汁が、淡泊なハモと絶妙に合う。
締めの素麺だって、天保年間からつくられていたという隠れた特産品です。
たまたまとはいえ、さすが古来からの「御食国」(みけつくに)。
朝廷に食料を献上していた淡路島の風土はとても豊かなんですね。

7月の由良界隈では1kgを越える大きなハモがよくあがる。
「ただ、京都の料理人さんは小ぶりなのを好むかな」
というのも、京都では湯引きで食べるのが一般的。
大きいと手間がかかり、料理の腕前の差も出やすいそうです。
逆に、この大きめサイズが鍋にはぴったりで、淡路島では喜ばれる。
しかも食べるときに気になりがちな、骨と皮もすごく柔らかいんだとか。
「だから骨切りの音もじゃっじゃっと軽快やもんね」
骨が固いとじゃりじゃりと聞こえるそうです。
ちなみにハモは顔を見ればおいしさがわかるんだとか。
「なんちゅうか、ちょっとブサイクでずんぐりむっくりというか」
そんなハモは骨が柔らかで食べてみるとおいしい。
「顔がすーっと細面でスマートなのは骨が固くて口に当たるんです」
なるほど、ハモは美人さんの方が手ごわいんですね。
なんだかハモに親しみがわいてくると思いませんか。

『新島水産』(兵庫県/洲本市)の淡路島産極上ハモ

●お取り寄せデータ

住所:兵庫県洲本市由良町由良2581

電話:0799-27-1786

FAX:0799-27-1723

営業時間:8:00~16:00 不定休

Webサイト:http://www.awajisima.jp

※淡路島産極上ハモは900g(約3人前)5616円~(6~10月限定)

※食事処「磯焼亭」を併設(11:00~14:30、要予約、不定休)。
事前予約でハモすき、ハモしゃぶ(4700円~)も楽しめる。東浦店、大阪・福島店もあり。

●旬の常備菜「夏野菜の揚げびたし」
食欲がない夜もこれがあれば大丈夫。

ひとくち食べて、思わず歓声があがったのがこちら。
しっかり味が染みてコクもあり、いくらでも食べられそう。
「これ、野菜を素揚げして出汁に浸すだけだから、本当に簡単よ」
うーん、でもその素揚げが面倒と思う人も多いかも。
「じゃ、少なめの油で思い切り大量に揚げればいいじゃない」
すると、もったいないと思わずに油が捨てられる。
すぐに周囲を拭いてしまえば、掃除にてこずることもない。
「要は油をこまめに処理さえすれば、揚げることって面倒じゃないの」
慣れればこんなに楽でおいしい調理法はないわ、と飛田さん。
「もっと家でも気軽に揚げましょうって訴えたいほど」
その手始めとしてもお薦めなのが、この夏野菜の揚げびたし。
つゆのまま素麺にかけてもおいしいし
食欲がないときでも野菜をたっぷりいただけるから夏バテ知らず。
出汁に浸す時間によって味の変化も楽しめるから
多過ぎる? と思うくらいたっぷりつくってちょうどいい。
たぶん、あっという間になくなってしまうはず。
漬け出汁をあれこれ工夫しながら、ぜひ試してみてくださいね。

夏野菜の揚げびたし

●つくりかた

ナスはヘタを落としてひと口大に切り、水に5分さらしてから水気をふきとる。

ガクの部分をくるりとむいたオクラと甘長唐辛子はフォークで穴を開ける。

ズッキーニ、パプリカをひと口大に切る。

高温(180度)の揚げ油で食材を123の順番でこんがり揚げる。

4を熱いうちにたっぷりのめんつゆにつけて味をなじませる。

※漬け汁のままひと晩冷蔵保存すると味がよく染みる。日持ちは冷蔵庫で約5日。

※かぼちゃやインゲン、ししとう、ピーマンなどでもおいしくできる。

※お好みでワインビネガーなど酢を加えるとマリネ風に。

※めんつゆ(約3カップ分)のつくりかた。

本みりん1/2カップを中火で煮たて、火を止めてから砂糖大さじ1~2、醤油1/2カップを混ぜてひと晩おく。

これに濃い目にとった出汁2カップを加えるとできあがり。瓶で1週間程度冷蔵保存できる。

●旬のおつまみ「トマトとらっきょう、切干大根の和えもの」
オツな味わいの秘密はらっきょう漬け。

飛田さんはらっきょう漬けが大好物。
特にいま頃だと、塩漬けしたばかりのものがおつまみに最適で
甘くない炭酸割りのお酒などに合わせるとポリポリと止まらなくなるそうです。
「そのためだったら面倒な皮むきも苦じゃないわ」
流し台の前でひたすら薄皮をむく作業は確かに大変ですが
飛田さんは「らっきょうの会」と称して
友人とおしゃべりしながらの楽しみに変えてしまいます。
とはいえ、せっかく漬けても余ってしまう不安が…
「それはね、ピクルス感覚で料理にどんどん使えばいいのよ」
たとえば、このトマトと切り干し大根との和えもの。
薄切りにしたらっきょう漬けがちょうどいい味のアクセントとなり
なんともオツなイエノミ用おつまみに早変わり。
もちろん手軽な市販のらっきょう漬けを使っても大丈夫。
要は、おいしい味付けの玉ねぎだと思えばいいのと、飛田さん。
納豆や冷ややっこの薬味や、チャーハンや餃子のたねに混ぜてみたり。
「カレーの付け合わせだけじゃ、ホントもったいないわよ」
また、らっきょうが苦手だと思う人ほど自家製がお薦めだとか。
「とりあえず、水に粗塩とほんの少し酢を入れて粗漬けしておくの」
漬けて2~3日もすれば塩がなじんでおつまみにできるし
塩抜きすれば自分好みの味に漬け直して2年は保存できる。
甘酢、はちみつ、醤油、味噌、ハーブ、ワインなど
味のバリエーションはお好みで。
なるほど、これなら今年はもう間に合わなくても
来年の梅雨時にチャレンジしてみたくなりますね。

トマトとらっきょう、切り干し大根の和えもの

●つくりかた

切り干し大根は流水でもむように洗い、たっぷりの水に10分ほどつけて戻す。

水気を絞った1を食べやすく切る。

トマトはさいのめ切りに、らっきょう漬けは薄切りにする。

23を合わせオリーブオイルと酢少々で和えて味をなじませる。

※味を見て塩気が足りないようなら薄口醤油少々を加える。

●きょうの和酒 宝焼酎25度 すっきり梅干し割りで夏にぴったり。

そろそろ寝苦しくなってくる季節ですが
湿気と暑さで、知らず知らずのうちに疲れていませんか?
そんなときこそ、梅干しの出番ですよ。
梅干しの酸っぱさはクエン酸由来なので、心身の疲れをとるのに有効。
また適度なしょっぱさも、汗をかく時期には最適です。
今回は昔ながらの塩と紫蘇だけを使った梅干しを用意し
宝焼酎を炭酸水で割った焼酎ハイボールに加えていただきました。
しゅわしゅわとさわやかで飲み飽きないうえに
酔いざめ良好なのがうれしいですね。
この宝焼酎は、大正元年に発売され100年以上愛されている日本を代表する焼酎ブランド。
すっきりまろやかな味わいで糖質&プリン体はゼロ。
いよいよ本番を迎える暑い夏のイエノミで
味わいすっきりの梅干し割りをつくって楽しんでみてください。

宝焼酎25度 600ml

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/takarashochu/index.htm

profile

KAZUWO HIDA
飛田和緒

1964年東京生まれ。8年前からレーシングドライバーの夫、娘の花之子ちゃん、愛猫のクロと南葉山で暮らす。東京時代の便利な生活から一変し、早起きが習慣に。ご主人が仕事で留守がちなため、仕事はもちろん、買い出しやお弁当作りにと忙しい日々を過ごしている。毎日の食卓で楽しめる普段着の料理が得意。高校3年間を長野で暮らした経験もあり。

すべては鎌倉のために。 ITを使った参加型支援 カマコンバレー前編

“まちに住む”ために、自分たちができること

鎌倉を愛するIT業界が集まっているから〈カマコンバレー〉。
そんな名前で活発に活動している団体がある。
シリコンバレーをもじったものだが、まったくといっていいほど方向性は異なる。
冗談とも思える名前だが、活動に対してはいたって本気なのだ。

鎌倉には、東京から移転してきたIT系の会社がいくつかある。
東京時代からそれぞれ面識があったが、やがて1社が鎌倉に移転し、
そのシェアオフィスに東京の知り合いを誘い……ということを繰り返し、
のちにカマコンバレーを結成することになる7社(カヤック、グローバルコーチング、
ランサーズ、テトルクリエイティブ、村式、ジャンプスタート、小泉経営会計)が
鎌倉に揃った。

「普通に考えればIT企業同士は競合ですが、みんな鎌倉が好きで移転してきた会社。
仕事を奪い合うより、仲良くなったほうが鎌倉で活動するのに健全だと思ったんです。
それなら、みんなの得意な能力であるITの力を使ってなにかやろう、
というところから始まりました」と教えてくれたのは、広報の北川幸子さん。
北川さんは、テトルクリエイティブの社員である。
カマコンバレーは、いろいろな企業で本職を持つ人たちの共同体なのだ。

素朴な疑問が浮かぶ。
カマコンバレーは、東京から移転してきた企業を中心に立ち上がった。
しかし東京では生まれなかった。なぜだろう?

「東京から鎌倉に移転して、“まちに住む”ということを楽しむようになったと思います。
東京にいるときは、極端に言うと“仕事を充実させること”がいい生活であり、
そこに地域性は入り込んできませんでした。
しかし、みんな仕事だけをする生活に違和感を感じてきています。
特に鎌倉には、仕事と生活のバランスをうまくとっている人たちがたくさんいます。
その“ワークライフバランス”を良くするために、地域と密着して営みに関わり、
地域を盛り上げたいと思っています」と北川さんは言う。

2020年の未来デザイン。 マルチプル社会にむけての やさしい革命。 HAKUHODO DESIGN 永井一史さん 後編

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デザインの力〜これからのデザイン〜『考え』のデザイン

日本を代表するアートディレクターのひとり永井一史さん。
永井さんの考える「デザイン」とは何かお聞きした。

「デザインって『形』のデザインをみなさん意識されると思うんですが、
僕自身デザインをいろいろと経験していくうちに、
『形』の前にある『考え方』というのがとても重要だと思うんです。
『考え』のデザインと『形』のデザイン。そこには相互関係があって、
『形』を生み出す前にまず『考え方のデザイン』が
これからの時代に特に重要じゃないかと思うんですね」

では「考え」と「考え方のデザイン」はどう違うのか?

「デザイナーでなくても、考えることはすると思うんです。
それと『考え方のデザイン』の違いは、最終的には形とどうつなげていくか。
その『考え』自体が社会にどんな意味を持って、何をもたらすのかということを、
ちゃんと考え抜くことが『考えのデザイン』だと思うんです。
ある種、アイデアルというか、デザインが本来的に内在している理想に向かう
ということが思考にビルトインされていること。
それが僕にとっての『考えのデザイン』なんです」

社会にある課題の解決や企業にとってのイノベーション、
シフトを促す「考え方」そのものをまずデザインするという。

「いろいろ山積する課題にも
デザイン自体が役に立てるんじゃないかなと信じているんです。
そういう場面でこそ、どんな形にするかの前に『考えのデザイン』自体が重要で、
これからの時代はデザイナーの役割も
『考えのデザイン』を提案するほうへシフトしていくのではないかなと思うんです」

永井一史さん。(株)HAKUHODO DESIGN代表取締役社長。

雑誌『広告』REMIX

永井さんのこれまでの数々の仕事のうち、
「考えのデザイン」がよくわかるのが、
博報堂の雑誌「広告」の9代目編集長(2008年〜2012年)としての仕事だ。
永井さんが担当していた時代の「広告」誌は、
「次の社会がどうなっていくのか?」「人々の価値観はどう変わるのか?」を、
一貫して追求してきた。
「我々が望む未来の社会像をできるだけ具体的に描いてみようと考えた」という。

「僕が編集長になったタイミングって、リーマンショックの直後だったんです。
なので、これは本当に世界は変わるなって思って、
じゃあどう変わるのか? を僕の編集テーマにしたんです。
これは会社から言われたことではなく、すべて自分の好きに編集させてもらった。
そこは博報堂のえらいところですよね(笑)」
「リーマンショック以降、資本主義の是非自体が問われ、価値観ががらっと変わった。
働いている人は普段は忙しく業績をあげなければと頑張っていた毎日のなかで、
見過ごしていたり、目に入っていなかったものが一挙に見えてきた。
人の気持ちも変わっていきましたよね」

永井さんは、この変化が
「表層的なものじゃなくて、大きな地殻変動だと思った」という。

「一番大きな地殻変動をとらえて、社会に関心あるテーマを、関心ある人に届けていく。
デザインというものは、より良い暮らし、豊かな暮らしっていう考え方が
一番ベースにある。だから僕の場合、個人的な問題意識だとしても、
そこには常に『デザイン』というキーワードが通底しているんです。
雑誌の編集というより、新しい価値観のデザイン。
そんなことを考えながらやっていました」

2008年〜2012年、永井さんが編集長を務めた博報堂の雑誌『広告』。そのなかでも特に印象的な「新しい幸せのものさし」(2009年4月)「日本の発想力」(2009年 7月)、「2020年をデザインする」(2009年 11月・1月合併号)など、現在の仕事にも通じる「考えのデザイン」がまとめられている。

未来をつくる デザインとブランディングの力。 HAKUHODO DESIGN 永井一史さん 前編

デザインの力であらゆる課題を解決する

HAKUHODO DESIGNは博報堂グループの、
デザインによるブランディングの専門会社。
企業・商品ブランドの戦略立案から、スタイル規定、シンボルデザイン、
パッケージ・空間デザイン、コミュニケーション展開までの
一連のブランドソリューションを提供している。

HAKUHODO DESIGNのホームページにはただひとこと、

「デザインの力であらゆる課題を解決する」

とある。ほかになにも書かれていないシンプルなページだ。

この会社を立ち上げたのは日本を代表する
アートディレクターのひとり永井一史さん。
今回「未来をつくる」というテーマでデザインやブランディングについて
永井一史さんにお話を伺った。

永井一史(株)HAKUHODO DESIGN代表取締役社長。1985年多摩美術大学卒業後、博報堂に入社。2003年、HAKUHODO DESIGNを設立。企業・商品のブランディング、ソーシャル、コミュニケーションデザインなどの領域でデザインの可能性を追求し続けている。2007年、デザインによる社会的課題の解決に取り組む「+designプロジェクト」を主宰。2008~11年、雑誌『広告』編集長。毎日デザイン賞、クリエイター・オブ・ザ・イヤー、ADC賞グランプリなど国内外受賞歴多数。ADC会員、JAGDA会員。2015年度グッドデザイン賞審査委員長。

表現の面白さ以外のコミュニケーションのかたち

「もともと美術大学を卒業して博報堂に入ったんです。
いろんなクライアントの仕事をしてきました。
最初にいたチームは“表現で突破する”というチーム。
ロジックではなく、面白いことを考えたひとが一番というチームで。
それは刺激的な毎日でした。
具体的には日清カップヌードルの『hungry?』とかをつくったチームです。
会社のなかでも元気あるチームだったので、いろんな経験ができました」

しかし永井さんのなかで少しずつ変化が起きる。

「自分の思考性のなかに、もう少し瞬間的な表現の面白さ以外の
コミュニケーションのかたちがあるのではないか、という気持ちが芽生えたんです。
瞬発力はなくても、確固たる関係性を築くとか、継続性とか。
そんなとき、1997~98年ころブランディングという考え方が欧米から入ってきた。
いわゆる第一次ブランドブームです。

当時はブランドという概念が入ってきたんですが、
企業はどうやってブランドを扱っていいかわからなかったんですね。
企業価値が大切ということがわかってきていたのですが、
具体的なやり方がわからなかったので、
自分たちがブランドづくりのお手伝いをしたんです」

博報堂のなかでもブランドのコンサルティングの専門家や
マーケターのひとが社内で集められた。
博報堂としてブランディングの提案に対応できるようにするためである。

「博報堂としてもそれまでの知見・仕事を束ねていって、
ブランディングのノウハウをまとめあげていく時期でもありました。
そのなかでマーケだけでブランディングをやるんじゃなくて、
デザイナーをひとり入れなさい、という社長の命があり、
僕はデザイナーとしてアサインされることなったんです」

現在使っているブランディングのメソッドや方法論はこの時期につくられ、
博報堂デザインはデザインによるブランディングの専門会社として
2003年に設立された。

つくるひとと食べるひとをつなぎ、 食文化を現代につむいでいく。 奥村文絵さん 後編

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土地にある食を活かした商品開発。

奥村文絵さんは、フードディレクターという仕事をしている。
つくるひとと食べるひとをつなげる活動だ。そこで重要となるのが、
食文化をどのようなビジョンで伝えていくのか、ということ。
それはたとえばこんなこと。

「ある和菓子屋さんには、“その地域の在来種であるもち米を使って
大福をつくりましょう”と提案しました。
在来種は本来、その土地に一番適した品種だし、他にはない個性と物語があります。
安定した消費量をつくれば、農家のやり甲斐も生まれる。
お互いにチームを組みながら、土地の文化や歴史を商品として伝えることができる。
消費者が何気なく払っているお金が、地域の食文化を支えることになります。
志をもった生産者にひとりひとりが投資する感覚で、
私たちも食べながら、未来の希望ある食づくりに関わっている。
そういう有機的なつながりが生まれると嬉しい」

〈ごはんの学校〉にてプレゼンを熱心に聞く奥村文絵さん(右から2番目)。

おもに企業のブランディングという仕事のなかで、
企業や地域の歴史、技術、人材を活かしながら、さまざまな分野の専門家とともに、
メニュー開発だけでなく、店舗設計やC.I.、パッケージ、ウェブ、PRなど、
トータルで幅広い商品開発を企画し、ディレクションしていく。
そのときに奥村さんは、プロジェクトが終了したあとも、
彼らが開発を持続できる仕組みづくりにも気を配る。

「かつて料理は、家庭、学校、地域など、ひととひとの間にあるもので、
お金に換算するものではありませんでした。
けれども現在では、食べることすべてが商品になりつつあります。
都会の生活には、水一滴、葉っぱ一枚にも値段がついている。
100円で食べる生活と、1,000円で食べる生活では、あきらかに食べ物の質が違う。
食の世界が大きく変わりつつあるなかで、
売れる商品をつくればいいという短絡的なモノづくりの時代は終わり、
食の未来をデザインする、という発想へ向かっています」

ごはんの学校で習うフードディレクション。

そうした変化を捉え、希望ある未来に対応していくためにも、
奥村さんが取り組んでいるものに、〈ごはんの学校〉がある。
これは料理教室にはあらず。食をテーマにしたカタチを考える学校だ。
奥村さんが普段行っているフードディレクションを、
全6回の事例研究やディスカッション、演習などといった
ワークショップ形式で体験しながら、食に特化したデザイン的思考を深めていくもの。
そこで教わるのは、プロセスの大切さだ。

「ごはんの学校は、食の未来をどうデザインしていくか、を参加者全員で考える場所。
味だけを考えるのではなく、食の背景にある歴史や文化をふまえて、
つくる人と食べる人の役割をデザインする、という発想で商品開発してみよう、
というワークショップです」

こういうビジョンをもった仲間たちが、
各地で食の企画や商品開発を担ってくれれば、食の未来は明るい。

「プロジェクトのために東京からその土地に行って、打ち合わせをしてまた帰ってくる、
という仕事のやり方にも疑問がありました。
一年に一度のチャンスしかない食ですから、提案後にそれがどう育ち、
どんな姿で発展しようとしているか、地元にいないとわからないことも多い。
東京から出張で行くだけで、その土地を元気づけることが本当にできるのかな、
と自問してみるうちに、
それぞれの場所に知恵や発想、技術に長けたひとたちが
たくさんいることに気づいたんです。
今では、地元の人たちをプロジェクトの中心に据えて、
丹念に意見交換しながら、モノづくりを進めています」

ごはんの学校には、食に関係する仕事のひとから、まったく関連のないひとまで、
学生、社会人を問わずにさまざまな職種や業種のひとが集う。
それでも、みんなで共通のテーマについて話していかなくてはならない。
それ自体がいいレッスンとなる。

「実際の食の現場でも、職人、農家、デザイナーや営業マン、経営者が、
ともに話し合う場面は多々ありますが、職人気質が下地にある業界ですから、
話すことも聞くことも苦手な人が大勢います。
ディレクターは、その真ん中に立って、まだないかたちを想像させ、信頼を生むことで、
ひとと資本を動かしていく仕事。
真剣に伝えて理解してもらうことが企画の入り口なんです。
だから、ごはんの学校では、ディスカッションが学びの基本です。
みんな最初は自信がないけれど、回を重ねるごとにどんどん上手になっていきます」

ひとをつなげる フードディレクターという仕事。 奥村文絵さん 前編

自分の部屋をレストランに。フードディレクションの原体験。

フーデリコの奥村文絵さんは、フードディレクター。
食に関する仕事にはフードコーディネーター、料理人、店舗オーナー、
デザイナーとさまざまあるが、フードディレクターとはどのような仕事なのだろうか。
それをひも解くのに、奥村さんの中学生時代にさかのぼる。

「中学生のころに、よくレストランごっこをしていました。
友だちを招いて、そのひとのためのフルコースをつくり、私の部屋で食べるんです。
料理本を見ながら、今日はどれをつくろうかとあれこれ考え、
買い物から始まって、料理に合わせて親が大事にしまっている食器を出してきて
組み合わせる。それからベッドや勉強机、本棚のある狭い部屋の真ん中に、
ガーデンチェアとテーブルを置いて、テーブルクロスを敷いて食卓をつくり、
リビングにあったスタンドで、ちょっとムーディにしたりして、
毎回、自分の部屋をレストランのような空間にしたんです」

そう原体験を語ってくれた。中学生にして、これが思いのほか奥深い。

「食べることが大好きな家族のなかで育ちましたが、
うちの台所の食卓で食べるのと、レストランで食べるのとでは、
時間や空間の感じ方がまったく違ったんです。
みんなの意識がテーブルに集まる。
いつもの家族なのに、どことなくお互いを尊重しあう会話になって、
そのたびにちょっと大人に近づいていくような感覚がありました。
つまり、食を介して、ひととの関係も変わるということに興味があったんです」

だから呼ぶ友だちは「もっと話してみたい友だち」だ。
ふたりで向き合ってゆっくりと食事をする。すると、いつもと違う会話が生まれ、
学校では見えてこない相手の表情や心情が滲み出てくる。
悩み多き年頃にテーマはいくらでもある。いつの間にかとっぷりと陽が暮れ、
スタンドの明かりを挟んで、話も関係性も深まっていく。
「味を追求する欲求というよりも、ひととの関係が変わることが面白い」と、
食を介してひとの関係が近づくことを意識し、体感してきたのだ。

Foodelcoが主催する〈ごはんの学校〉で講評している奥村文絵さん。ごはんの学校の詳細は次週。写真:山平敦史

奥村さんは、大学を卒業後、東京デザインセンターに勤務していた。
併設のイベントホール担当者として、
その時期にグラフィック、建築、インテリア、照明など、
ありとあらゆるジャンルのトップに立つデザイナーとの仕事に恵まれた。
その経験を通じて「自分を表現するジャンルがあるだろうか」と見つめたときに、
「食かもしれない」と思いついたという。

「食と言っても、自分が興味があるのは、料理人ではなく、
食から広がるコミュニケーションでした。
当時、フードコーディネーターという仕事が出始めていて、それが一番近いと思い、
右も左もわからないなかで、とりあえず弟子入りしました」

そこからレシピ開発や広告撮影の仕事が始まった。
「ひたすら明太子を成形したり、お弁当やお中元のカタログ撮影をしたり」する日々。
そのなかで少しずつ、コーディネートだけでなく、
コンセプトワークやディレクションを行うようになっていった。

Foodelcoが展開していたオリジナル食品ブランド〈800 for eats〉。
(現在は終了)写真:山平敦史

ウォールアートの力で 持続可能な国際支援 インド×アート×学校 ウォールアートプロジェクト後編

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インド×アート×学校 ウォールアートフェスティバル

インド先住民ワルリ族の伝統的な家を再生するノコプロジェクトは、
インドの学校をアートで支援してきた
NPO法人ウォールアートプロジェクトの活動から生まれた。
今回はその母体となった国際的芸術祭「ウォールアートフェスティバル(WAF)」と
ユニークな参加アーティストについて紹介したい。
芸術祭開催の目的は、現地の人々にアートの力を伝えること、
そして学校で開催することで教育の整備につなげていくことだという。
NPOウォールアートプロジェクト代表のおおくにあきこさんにお話を伺った。

「インドでは、識字率は50%前後という地域もあるんです。
教育の機会が保障されていないのが実状です。
アートを通じて、学校に通っていない子どもたちとその保護者に
学校に足を運んでもらうきっかけづくりをしてきました」とおおくにさん。

ウォールアートフェスティバルは2010年、
インドの最貧困地域のひとつと言われる北東部ビハール州で始まった。
発展途上地域の学校の壁をキャンバスに、壁画を描く芸術祭だ。
これは日本とインドのアーティストが10~20日間滞在し、
現地での交流を通じてアートをつくり上げるというもの。
最初の3年間北東部ビハール州にて開催したのち、
2013年、2014年は、ワルリ族の人々が暮らす
インド西部、マハラーシュトラ州、ターネー近郊のガンジャード村で開催された。

WAF2010年。教室内の壁4面と天井に描かれた 淺井裕介さんの作品。写真:中川十内

WAF2014年。加茂 昂さんの作品。1982年東京生まれ。絵画を単体で展示するだけではなく、複数枚並べたり重ねたり、絵を掛けた壁にじかにペイントするなど、絵画のインスタレーションという独自のスタイルも展開。2010年東京芸術大学大学院を卒業し、現在は絵画を中心に制作を行っている。写真:吉澤健太

アートで村人たちが一体となっていく

インドの貧困地区とウォールアート。そもそもの接点はなんだったのだろうか。

「きっかけは東京学芸大学で教育を学んでいた学生たちが、インドの現地を訪れたことでした。
満足な校舎のないインドの私設の学校に学ぶ場をプレゼントしたいと
お金を集めて学校を寄付したことから始まります。
学校を建てたあと、そこに子どもたちが集まってきた。でも、運営費はまったく足りない。
学校は建てて終わりではなく、運営していくために、
広く存在を知らせて、公的な整備を働きかけるために発信していく必要があると考えました。
校舎の白い壁を利用して、ウォールアートフェスティバルを開催すれば、
いつか現地の人々に開催をバトンタッチすることもできるのでは、と考えたんです」

日本人現地コーディネーターの浜尾和徳さんが、村に住み込み、
村の有志たちと実行委員会を組織した。
インド人と日本人、そしてアーティストと村人たちが一体となって芸術祭をつくっていく。
アーティストが学校の壁をキャンバスに壁画を制作する様子は公開され、
子どもたちは制作に打ち込むアーティストの姿を目の当たりにする。
その結果、開催した学校で通常より50人〜100人入学者が増える実績を残しているという。

開催地の人々との交流から生まれた、新しい未来を考えるコミュニティづくり、社会彫刻としての「ノコプロジェクト」。写真:NPO法人ウォールアートプロジェクト

WAF2012。淺井裕介さんの作品は現地で採集した土と水だけで描かれる。 泥絵は、消すことで再び土に戻る。描いた絵は、一定期間ののち再び白い壁に戻る。写真:三村健二

前回伝えたノコプロジェクトもここから生まれたプロジェクトだ。
WAFに参加のワルリ画家との出会いをきっかけにワルリの村とのつながりができた。
そこから壁の絵だけでなく実際に伝統的な家を建ててしまうというプロジェクトが生まれた。
プロジェクト自体がプロセスも含めた社会彫刻作品である。

ワルリの村で行われたWAFに参加したアーティストのひとり、遠藤一郎さんは言う。
「ワルリの村には無駄な物がない。生活のなかでゴミが出ない。
そういう循環のなかに生きている」
現地の人々にアートの力を伝えると同時に、
ワルリの伝統的な生き方を参加アーティストも学んでいくと言う。

WAF開催の目的は、現地の人々にアートの力を伝えること。そして学校で開催することで教育の整備につなげていくこと。WAF2013大小島真木さんの作品。写真:吉澤健太

高須賀 千江子さん。自然光ダンサー。横浜生まれ。即興ソロダンサーとして、ウォールアートフェスティバルに出演。現在は出雲市に在住。出雲神楽を学んでいる。写真:高嶋敏展

きょうのイエノミ 旅するイエノミ 緑茶割りと、東京のちまき寿司

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、
手軽で簡単、しかもちょっとした旅気分が味わえる
日本各地のおいしいものと三浦半島の旬の食材を使った、
和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

早くも夏到来のような日差しがふりそそぐ今日この頃。
新緑がまぶしく爽やかな風が吹くこの季節を
料理研究家・飛田和緒さんはずっと待ちわびていました。
というのも、ひどい花粉症からようやく解放されるうえ
自分とご主人の誕生日がどちらも5月の初旬。
「いまさら祝うという年齢じゃないけれど」
イエノミにもちょっとした「お楽しみ」を添えてみたりして。
それは昔から大好きだったちまき寿司となめろう。
どちらも懐かしい想い出の味だそうです。
淡い緑色が美しい空豆と緑茶割りも準備すれば
新緑の季節にぴったりなイエノミになりそうですね。

自他共に認める「酢飯好き」な飛田さんですが
「思い起こせば、このちまき寿司が原点かも」
何枚もの笹の葉にそっとくるまれたひと口大のお寿司。
なんておしゃれなんだろう! と幼い飛田さんは感動したそうです。
いまは亡き祖母に連れられて出かけた
三味線や日本舞踊お披露目会の華やいだ雰囲気のなかで
手土産によくいただいたのがこのちまき寿司。
「こども目線でも、ものすごく特別な感じがしたのね」
あの晴れがましい気分を思い出したくて
いまでもちょっとした節目のイエノミには
このちまき寿司が食べたくなる飛田さんです。

●ローカルな逸品「東京都・有職のちまき寿司」
特別な席にふさわしい雅な東京のお寿司

「笹ってなぜか特別感があると思わない?」
さっそく紐をといて広げてみるとなんとも良い笹の葉の香り!
マスや海老のピンク色に玉子の黄色、鯛やアジの鼈甲色。
「こどもの頃はね、ピンクのマスばかりを狙っていたけれど」
いまではもちろんどれも全部好き。
「それも断然おつまみとしていただきたいの」
小ぶりなお寿司は和酒とも相性抜群。
特にこのちまき寿司は酸味もまろやかでちょうどよい塩梅。
おにぎりやご飯じゃ気分が「締め」になってしまうから
お酒の相方は酢飯じゃなきゃという飛田さんは
ご両親が住む長野・飯山地方の郷土料理
「笹寿司」も大好物で、笹が手に入ると家でもつくるんだとか。
こちらは笹の上にひとくち大の酢飯を載せて
甘く煮た椎茸やクルミの佃煮、錦糸卵、野沢菜漬けなどを
「酢飯の上にちょこんと置くだけ。簡単でしょ」
なるほどこれならイエノミ用にトライしてみたくなりますよね。

後日ちまき寿司のことを詳しく知りたくて
電話をしてみるとなんとお店は超繁忙期の真っただ中!
ちょうど端午の節句前だったのです。
「今日も2000本を仕込んだところですよ」
忙しい合間にお話してくださったのは、店主の横田雅房さん。
なんでもちまき寿司がいちばん売れるのはお正月前。
また行事やイベントがある時期も大忙し。
「特に5月は端午の節句、母の日と続きますからね」
園遊会や楽屋見舞い、お茶事向けの注文も多く
やはり晴れがましい席にぴったりな縁起物のよう。
「それだけにつくるのは神経を使いますよ」
特に難しいのが酢飯だとか。
だから毎朝必ず「シャリの味見」をするのが横田さんの大事な日課。
「ちまき寿司を考えた創業者は大変なアイデアマンでして」
日本古来の伝統的な“なれずし”と江戸前の握り寿司を合体させ
邪気を払うといわれるちまき型にアレンジ。
つくってから一晩寝かせて味をなじませるので
「お手元に届く頃がちょうど食べどきになるように」
ことさら酢飯の味加減には気を使うんだそうです。

ところでどうしても気になるのが、あの青々した笹の葉。
あんなに香り高いのは、なにか特別な秘密がある?
「あー、あれは一度ゆでたものだからですよ」
そうしないとあの笹独特の香りは出てこない。
以前は乾燥した葉をゆで戻して使っていたけれど
技術の進歩で、10年ほど前からはより色鮮やかになっているんだとか。
これをベテランの職人さんたちが勘で2枚か3枚を選び
頃合いの大きさに包んでイグサの紐でしっかり巻くそうです。
また変化といえば、定番以外の季節ネタ。
「6、7月は鮎、8月はスズキ、9月には軽くあぶったサンマとか」
この季節限定ネタは横田さんのアイデアで
旅先でも市場に寄って、ネタ探しをするのが楽しいようで
最新作は長崎の市場で出合った冬が旬のメダイ。
「実は私もちまき寿司を酒の肴にしていまして(笑)」
そう打ち明けてくれた横田さんの密かなチャレンジ。
本当にちまき寿司LOVEな気持ちが伝わってきましたよ。

『有職(ゆうしょく)』(東京都/港区)のちまき寿司

●お取り寄せデータ

住所:東京都港区赤坂2-2-21 永田町法曹ビルB1

電話:03-3560-7577

FAX:03-3560-7578

営業時間:9:00~17:00(日曜~15:00)年始休

Webサイト:http://www.fukutsuchi.co.jp/

※伊勢丹新宿本店、小田急百貨店新宿本店、玉川高島屋S.C.店、三越日本橋本店でも販売。

※ちまき寿司は1本432円。定番5種類と季節物で常時6種類。

※4月中旬~10月中旬は20本篭入りのみ全国配送可能。

●便利な常備菜「なめろう」
房総半島の漁師の味を手軽にイエノミで。

飛田さんにとって「アジのたたき」といえばなめろう。
「これは、祖父が母に教えた料理なの」
親戚が銚子にいるからなのかもねといいつつ
手際良くアジを3枚におろしてトントンと包丁でたたきます。
自称画家のお祖父さんは無類のお酒好き。
自分で魚屋から魚を買ってきて
朝からなめろうをお供に良い気分でいたことも。
「だから幼稚園の頃から私も一緒に食べていたみたい」
あつあつのご飯にのせて海苔で巻いて。
そんな幼い日々を思い出しながらのきょうのイエノミです。
いま思えば味噌が入るから、こどもでも食べやすい。
しかも、残ったら焼いたり揚げたりつみれ汁にしたりと応用が効く。
「魚もアジでなくてもいいし、スーパーの見切り品でもおいしく食べられるから」
どうせならたっぷりつくってねと飛田さん。
「なによりまな板の上で完結するのがいいと思わない?」
手早くできてすぐに幸せな気分になれる。
祖父の気持ちがしみじみよくわかった飛田さんでした。

なめろう

●つくりかた

アジは3枚におろし中骨をとり皮をむく。

生姜、長ネギ、ミョウガ、大葉を粗みじんに切る。

1を包丁で粗くたたき、2と味噌を加えて混ぜる。

3をさらに軽くたたくとできあがり。

※刺身を使うと楽ちん。イワシ、マグロ、カツオなど魚はなんでも良い。

※多めに作って冷凍保存を。つみれにしたり大葉にはさんで揚げたりと便利。

※味噌の分量は味見しながら加減。好みで醤油、みりんを。

●旬のおつまみ「空豆のてんぷら」
緑の宝石のような空豆の色と形を愛でる。

子どもの頃はあんこ以外の豆類が嫌いだった飛田さんですが
いまではたいへんな豆好きに。
「なぜかしらね。自分で料理をするようになったから?」
大人になり、ごく自然に豆独特の風味が好きになったそうです。
いまの時期なら空豆やグリーンピースをさやから取り出す。
そんな地道な作業も、おいしさにつながるようで楽しめる。
いまが旬の空豆を主役にしたおつまみにとつくったのが
このなんとも愛らしい空豆のてんぷらです。
つくりかたは衣にくぐらせてさっと揚げるだけ。
とっても簡単ですが、1粒ずつ揚げるのが少々面倒かもと飛田さん。
「でもそうしないと、すぐ鍋のなかでくっついちゃうから」
もちろんくっついても何の問題もないけれど
あえて1粒1粒をていねいに揚げて
ちょっと高級な天ぷら屋さん気分を味わってみる。
あっという間に食べてしまうともったいないから
緑茶割りと一緒にちょこちょこつまむのがいい感じですよ。

空豆のてんぷら

●つくりかた

空豆をさやから出して皮をむく。
天ぷら粉を水で溶く。
1を2にくぐらせ170度の油にひとつずつ入れて揚げる。
浮きあがってきたらすくい、塩をぱらりとふる。

※シンプルに塩でいただきたい。飛田さんはさまざまな自然塩で味わいの違いを楽しんでいる。空豆はむきたての新鮮なものを使って。

●きょうの和酒 宝焼酎 25度 お茶の風味を活かしたまろやかな緑茶割り。
(今回から甲類焼酎の魅力をシリーズでお伝えしていきます)

新茶の季節にぜひ飲みたいのが緑茶割り。
お茶処・静岡では「静岡割り」と呼ばれて
さまざまな居酒屋で多くの人に親しまれています。
つくりかたに特にレシピはないのですが
炭酸が入らないだけにアルコールをきつく感じやすいのでご注意を。
焼酎はごく少なめ(全体の4%ぐらいが目安)にして
おいしい緑茶を氷の上からたっぷり注いでくださいね。
まろやかで飲みやすい緑茶割りにしたいなら
ピュアでクセのない宝焼酎がおススメ。
緑茶の香りが引き立ち、食事にピッタリのすっきりとした味わいに仕上がります。
たまにはイエノミでもおいしい新茶をていねいにいれて
緑茶割りの美しい色と風味をゆっくり味わってみてくださいね。

宝焼酎25度 600ml

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/takarashochu/index.htm

profile

KAZUWO HIDA
飛田和緒

1964年東京生まれ。8年前からレーシングドライバーの夫、娘の花之子ちゃん、愛猫のクロと南葉山で暮らす。東京時代の便利な生活から一変し、早起きが習慣に。ご主人が仕事で留守がちなため、仕事はもちろん、買い出しやお弁当作りにと忙しい日々を過ごしている。毎日の食卓で楽しめる普段着の料理が得意。高校3年間を長野で暮らした経験もあり。

ワルリ族の伝統的な家を 建てることで見えてくる 「懐かしい未来」 ウォールアートプロジェクト前編

木と石と牛糞でつくられた家!?

2015年インドの先住民ワルリ族の村に、インド人棟梁のもと23人の日本人が集結。
木と石と牛糞でつくられた伝統的なワルリの家を建てた。
5年にわたりインドの学校で芸術祭を開催してきた
NPO法人ウォールアートプロジェクトの新しい取り組みだ。
現代人の多くが忘れている「何か」を取り戻す試み、それが「ノコプロジェクト」。

ノコプロジェクトを主宰するのが、おおくにあきこさん。
フリーランスライターとして、女性雑誌を中心に、インタビュー、旅行、ブックレビュー、
アートレポートなどを執筆してきた。
海外派遣やアートの記事執筆の経験を生かして、アート×学校×支援をキャッチフレーズに
2009年、NPO法人ウォールアートプロジェクトを設立。
インドの農村地帯で芸術祭を開催してきた。

おおくにあきこさんに「ノコプロジェクト」についてお話を伺った。

「ノコとは現地の言葉で『もう十分です』という意味なんです。
日本人23人、インド人15人が総力を結集し17日間で家を建てました。
インドの先住民ワルリの家は、木と土と石とゴーバル(牛糞)でできています。
ワルリ族はみな自分たちで家を建ててきたので
誰もが家の建て方を知っているんです」

そんな彼らとともにワルリの伝統的な家を建て、
そうすることで、ワルリの伝統的な暮らしを学び、
その体験からさまざまな智恵を学ぶ試みがノコプロジェクト。
現代の日本人が学ぶべきことがたくさんある、とおおくにさんは言う。

みなで建てた家を拠点に学び合いの場をつくっていこうとしている。

インド・マハラシュトラ州・ターネ−(パルガル)県に住む少数先住民族ワルリの家。セルフビルドで建てられる。材料は木と土と牛糞と瓦。

インドでは牛は聖なる動物。ワルリの伝統的な家はゴーバル(牛糞)が欠かせない。家の壁やアースオーブン、燃料にも使われる。

先住民ワルリの暮らしのすばらしさ

おおくにさんは先住民ワルリの暮らしのすばらしさをこう語る。

「清らかで穢れのない美しさがあるんです。
まるで日本の禅寺のような静かな美しさです。
そこにはひとが手でつくったものが使い込まれていて、今も使われている美しさもあります。
そういう昔ながらの暮らしが生きているんです」

そんなワルリの村もどんどんコンクリートとレンガの家に変わってきている。
レンガを焼くために木が切られ、自然が破壊されているという。
もともと自然のリズムのなかに生きてきた彼らの暮らしが崩壊しつつあるのだ。

そんななかでおおくにさんたちは、彼らの伝統的な家を再生し、
そこを拠点にした新たな学び合いの場をつくっていこうとしている。

「家づくりや伝統的な農業や養蜂などを通じて、失われつつある彼らの文化を学び、
いっしょに身体を動かし、細胞レベルで私たちの未来を考えていきたい」のだという。

ノコプロジェクトでは「循環」を学ぶ。土と藁と牛糞でアースオーブンをつくる。アースオーブンで食事をつくり、排泄物や残飯をモバイルコンポストトイレで肥料とし、農業に使う。
料理をするときに出た排水もバイオジオフィルターを通じて畑に循環する。

DINING OUT (ダイニング・アウト)日本平

食を通して地域の魅力を掘り起こす。
プレミアム・レストラン「ダイニング・アウト」が人気の理由。

美食の国ニッポン。でもまだまだ知らないニッポンだらけ。
本当に美味しいものは地元でしか味わえないものばかり。
時間と労力とお金をかけて味わいに出向くことこそがプレミアムと言えるだろう。

「ダイニング・アウト」はそういった意味でも特別なレストランだ。
ひとつの地域の厳選食材で、一流のシェフが腕によりをかけてつくる料理を、
最高のロケーションでいただく。ディナータイムでの開催のため、
遠方からの人は現地で宿泊しなければならない
(パッケージツアーがあり、大抵の参加者は利用している)。
しかも、当日体験するまで情報は制限されているものだから、
いったいどんなロケーションで、どんなすばらしい体験ができるのだろうかと、
参加者はみな胸を躍らせて開催を待つしかない。
たった一食の食事のために!? と思うことなかれ。
この“わざわざ”感がダイニング・アウトの人気のポイントなのだ。
なんと言ってもこの機会を逃すと二度と再現できない。
そんな数日限りの極上の野外レストラン、それがダイニング・アウトだ。

ダイニング・アウトが初めて開催されたのは、2012年の秋。
場所として選ばれたのは新潟・佐渡だった。
能堂を前に繰り広げられた壮大なレストランは成功を収め、
メディアに紹介されたり、参加者の口コミで評判が広がっていった。
食を通じてその地域ならではの新しい魅力を伝えるために、
著名なクリエイターをパートナーとして招聘し、
自治体や賛同者とともにつくりあげていくというスタイルはこの頃から変わらない。

過去には、広尾<ア・ニュ・ルトゥルヴェ・ヴー>の下野昌平シェフ
(「DINING OUT YAEYAMA 2013」を担当)や、
赤坂<TAKAZAWA>の高澤義明シェフ
(「DINING OUT SADO 2013」・「DINING OUT SPECIAL SHOWCASE」を担当)など、
世界からも熱い視線をあびているシェフらを起用してきた。

もともとは、博報堂DYメディアパートナーズによる社内の新規事業であったが、
“食を通じて地方に残された美しい自然や伝統文化、歴史、地産物などを
再編集し新たな価値として顕在化させ、地域経済の活性化を目指す”
というコンセプトや、“良質な時間を提供する”、“驚きの体験を提供する”
という点で共感した高級車ブランドLEXUS(レクサス)が、
第2回目からパートナーとして参加しており、
よりダイニング・アウトの世界観やブランド認知も深まってきた。