〈きこりの店〉 木それぞれの個性と パワーを製品に変えて、 たくさんのひとの手へ

きこりの店からつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9,754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、人口林率は35%。
針葉樹では、スギ、アカマツ、クロマツ、広葉樹ではナラ、クヌギが
多いことが特徴。桐の生産量が日本一を誇ることでも知られる。

表情豊かな福島県の森。

自分たちで伐った木を、自分たちで売る。それが「きこりの店」。

福島県南会津郡南会津町。
ほのかに色づきはじめた広葉樹が生い茂る国道352号線を車で走っていると、
大きな木彫りのフクロウと目が合った。

「お客さんがチェーンソーでつくってくれたんですよ」と話すのは、
「きこりの店」スタッフの小椋淳美さん。
ここは、株式会社オグラが経営する、木材と家具・小物の店だ。

お店の目印となるフクロウ。

「小椋」という姓は、滋賀県の木地師集団が発祥といわれる。
その一部が会津地方に移り、木地師の技法を広めた。
小椋さんの先祖も、伐り倒したブナやトチを手挽きお椀などに加工し、
会津若松市内の漆器問屋に卸していたという。

昭和20年代から広葉樹の伐採・製材を手がけるようになり、
平成4年から住宅建築を行う「幸林ホーム」と
木材や家具・小物を製造販売する「きこりの店」をスタートした。

「きこりの店」で人気があるのは、無垢一枚板や、
樹皮がついていた部分を平滑にせず残した耳つきの家具。
自然そのままの野性味溢れる魅力に惹かれ、県外から訪れる人も多い。

「木材は節や虫穴があると等級が低く、値段も低く取引されてしまうんです。
木材の伐採は大変危険な仕事ですが、
命がけで伐ってきたものが安く扱われるのは悔しい。
それなら自分たちで伐ったものを自分たちで値段をつけて売ったらいいんじゃないか。
それが小売りを始めた理由です」

木材の魅力を語る小椋淳美さん。

〈滴生舎〉 岩手の豊かな森林資源と 伝統文化から生まれる浄法寺漆器。

滴生舎からつながる岩手の森のはなし

本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ha、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)220,000,000㎥。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。

浄法寺に広がる漆の林。漆を採集したら伐採し、再び若芽を萌芽させ、次の漆の採集に向けて育成する。

本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。
今回から、岩手県の森林資源の豊かさと、
木に関わる暮らしをプロデュースする人たちの活動をご紹介しよう。

初夏の森で行う漆掻きの作業。初夏に採れる漆は「初辺」と呼ばれ、拭き漆などで用いられる。

国産漆の産地「浄法寺」

岩手県二戸市浄法寺は浄法寺漆器の産地として知られる。
しかし、輪島や会津などの一般的な漆器の産地とは大きく性格が異なっている。
それは、ここ浄法寺が生漆の国内最大の生産地であることに深く関係している。
漆器はかつて、西洋から「japan」と呼ばれていたように日本を代表する伝統工芸だった。
この地位は現在においても変わりはなく、
蒔絵、沈金、螺鈿などの独自の技術を用いた漆芸の世界は
日本の美意識の核を担っていると言っても過言ではないだろう。
また、日常においても漆器は身近な存在だ。
過去はもちろんのことだが現在においても
漆塗りのお椀を珍しいと感じる日本人はほとんどいないことだろう。

こうした歴史ある手仕事だけに、しっかりとした伝統が守られていると思われがちだが、
現代の経済システムに乗らざるを得ない漆器製造の現場は、そう簡単なものではない。
まず、国内工場でつくられているものはある意味優良。
人件費の安い海外工場で製造されるものも少なくない。
また、国内生産であっても、木地が本来の木材ではなく、
プラスチックだったりすることもある。

さらに漆器が漆器たる所以となる漆については、
正直なところ、我々が一般的な暮らしのなかで触れることができる漆器に
国産漆で塗られたものを探すほうが難しい。
現在、国内で流通する生漆の約98%が中国やベトナム産。
国内産漆はある意味、貴重を通り越して幻とも言える存在に近い。
もちろん、外国産漆がすなわち悪と決めつけるつもりはないが、
日本の風土に育まれてきた国内産漆は、外国産に比べ、
より堅牢で美しい質感を持つとされる。

また、高価で貴重な国内産漆があるからこそ、
日本の漆器文化が守られるという側面もある。
たとえば、わざわざプラスチックの木地に高価な国産漆を塗る塗師が存在しないように、
貴重で美しい質感を生み出してくれる本物の漆があるからこそ、
木地段階から吟味を重ね、漆を何度も塗り重ねて
本物の漆器をつくるという世界が継承されるのだ。

2020年にむけてのブランド戦略  世界に誇るヴィジョンとは? 「めがねのまち鯖江」後編

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めがねの歴史

鯖江のめがねは明治38年(1905年)に増永五左衛門が農閑期の副業として始めた。
少ない初期投資で現金収入が得られるめがね枠づくりに着目したという。
全国から職人が集まり、若者が腕を磨くことで分業独立が進んだ。
戦後の高度経済成長の中ではめがねの需要も急増し、産地として大きく成長した。

来年で鯖江めがね110周年。
国産のめがねフレームのシェアは96%。
鯖江でめがねにかかわるひとは5308人。
事業所数は531件。
実に働いているひとの6人に1人がめがね産業にかかわる。
(*平成20年工業統計調査より)

しかしここ数年、めがねのまち鯖江は大きな危機にみまわれてきた。
めがねフレームの輸出と輸入は2000年頃に逆転。輸出量は右肩さがり。
いまめがねは9割が中国製になっている。

「拡大志向と価格の競争では未来はない。結局は中国に持っていかれる。
鯖江めがねのブランド化が必要なのです」

そのためには“めがねのまち、鯖江の未来像を描くヴィジョン”が必要だ。
めがね産業の若手経営者が立ち上がった。

ボストンクラブ代表、小松原一身さん

めがねの聖地鯖江市に本社を構える(株)ボストンクラブ代表、小松原一身さん。めがね一筋36年。モノづくり、コトづくりを鯖江から発信をし、業界の活性化に挑む。めがね関連企業の若手経営者でつくるSBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)代表。

SBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)

SBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)の代表、小松原一身さんにお話を伺った。
SBWは次世代を担う若手経営者が集まって「鯖江めがね」を、
鯖江の確固としたブランドにしていこうと立ち上がった。

「ブランディングは一度きり。やるなら失敗はできない。
鯖江をめがね産地としてブランド化するために、
どのようなPRやマーケティングが必要かを学びあっています。
イッセイミヤケに在籍した滝沢直己さんや、ナガオカケンメイさん、
佐藤卓さん、grafの服部滋樹さんなど、外部の力も借りながら、
コンセプトをつくり、それをもとに2020年までのアクションプランを進めています」

めがねのまち鯖江の伝統を次の100年にむけて継承し、進化させ、
産地の持つネットワークパワーで、世界に誇るジャパンブランドになる。
そして、ひとも企業も、ともに成長しつづける「SABAE」を実現する。
それがSBWの描くヴィジョンだ。

小松原さんは語る。

「ひとつは鯖江を“地域”としてブランド化していくということ。
たとえば“今治タオル”はタグをつけると2倍の値で売れるという。
“鯖江”を“今治”のようにブランド化をしていきたい。
まず産地である鯖江のひとにコンセプトを理解してもらおうと思っています」

そのためのアクションプランとして、
ブランド認証の基準づくりも考えているという。

「SABAE MEGANE JAPANの認証制度と基準づくりをしていきます。
時計で言うとジュネーヴシールのようなものかもしれません」

ジュネーヴシールとはスイス政府及びジュネーヴ州によって
規定された基準に基づいた品質規定における最高級スイス時計の証。
産地が認定する技術とクオリティでブランドの求心力を高めるのだという。

「そして来年はめがね生誕110周年。鯖江市政60周年。
なんらかのかたちで“めがね博”をやりたいと考えています」

国内での認知とブランド化が現在進行形。
今後はグローバル発信し、世界での認知を高めたいという小松原さん。
鯖江の若手経営者たちは動き始めた。

江戸時代のめがね

めがね会館に陳列されている江戸時代のめがね。

富山・魚津港 後編

謎の魚ゲンゲと、桜色の甘エビ。

引き続き、富山の港町、魚津からお届けします。
前回、お会いした漁協の浜住博之さんの案内で、
甘エビ漁を営む魚住義彦さん繁子さんご夫婦のお宅を訪ねました。

浜住「今回は無理言ってすみません」

テツ「すみません」

母「上がってください、どうぞ」

テツ「おじゃまします」

応接室へ通していただき、今回の取材内容を説明した。

母「たいしたもんできないよ~。ゲンゲと甘エビだけ、それだけ」

テツ「はい、十分です、ありがとうございます! 
ところで、ゲンゲというのを初めて聞いたのですが、
どんなものなんでしょうか???」

父「この辺りでよく獲れる魚でね、私の船でもたーくさん揚がってましたよ」

代々続く漁師の家に生まれたお父さん、自然と海の世界に入っていったそう。

父「生まれつきの漁師でね、10歳から海に行ってたんだよ。いまは陸まわりの仕事でね」

現在は、息子さんが漁師として後を継いでいる。
お父さんは息子さんが捕ってきた魚を、浜で氷詰めをして市場に出しているそう。

テツ「息子さんは、甘エビとゲンゲを獲るんですか?」

母「うん、そうそう」

テツ「昔からよく食べられていたのでしょうか?」

母「そうやよ~。吸い物でも煮付けでも、なーんでもおいしいよ。
寄せ鍋にしたら最高だよー! 
おかずの支度が面倒になったら、大きい鍋にゲンゲをぶつぶつと切って、
そこへ、白菜、糸こんにゃく、豆腐入れて食べると、
子どもたちも、だまぁ~って、口でチューチュー吸って、歯のところに骨だけ残るのよ、
それをパッと出してね、これやったら、ほかなんにもいらんね~って言うよ」

ゲンゲの話になった途端、お母さんのテンションが急上昇。
そんなにもすごい奴なのか、ゲンゲ。
しかも、チューチューで、骨をパッとって、いったい……。

母「そんで、余った汁にうどん入れて、またチュチュッと食べてね」

お母さん、相当ゲンゲがお好きなよう。

ゲンゲ(幻魚)は富山湾に棲む深海魚で、体長は20センチほど。
色は薄灰色で、全身がヌルヌルとしたゼラチン質で覆われている。
身は白く透き通っており、適度な脂がのっている。
漁村では昔から味噌汁や吸い物の具として使われていた。
いまでは、天ぷらや立田揚げなどでも食べられている。

テツ「お母さんはもともと、魚津のご出身なんですか?」

母「(ニヤリ)ぜぇ~んぜん違うの、北海道」

テツ「あら、じゃぁお父さんに見初められて、はるばる富山にお嫁入りを?」

母「うん、そう、っていうことかね。ハハハハ」

父「まぁ、なんていうか、ついてきた格好でね。エサ投げたら、食いついてきたの」

母「ぼけーっとしとったから、イカの針にくっついてきた」

ワハハハハ。

テツ「おふたりは、なんだかお顔立ちが似てらっしゃいますね」

母「おんなじ魚食べとるから」

ワハハハハ。

テツ「毎日お魚は食べるんですか?」

母「いや、朝昼晩」

おっと!

テツ「朝は干物ですか?」

母「いやいや、刺身」

なーんと、うらやましい~。

母「浜行ってきて、獲ったもんと物々交換したりしてね」

うわ、その交換会に混じりたい。

母「2、3日食べないとね、あ~、刺身食べたいな~ってなるのよ」

体に染みついているのですね。

母「そうすると、ちんこいのでも何でもいいから貰ってきて、
ご飯の上にバーッとのせて食べるとおいしいよー」

やはり、お母さんは魚の話になると熱がこもるようだ。

父「ガパーんて食べるんだよ、食べ方があんだよ。ガパーんて食べんだよ」

ギャハハハハ。

母「さあ、そろそろ作ろうか? お父さんゲンゲね!」

お父さん、にやりと嬉しそう。

父「よっこいしょー」

待ってましたとばかりに膝をポンとひとつ叩き、キッチンに移動。

オープンデータ×電脳めがね。 “日本のシリコンバレー”の挑戦。 「めがねのまち鯖江」前編

めがねのまち鯖江がつくるウェアラブルデバイス

鯖江市は国産めがねの96%を生産しているというめがねのまち。
めがね枠製造歴は100年を超え、日本のめがねづくりの歴史と言える。
人口6万人程の市で、就業人口の6人に1人はめがね産業に関わる。

そこにいま新しい動きがある。
オープンデータ化を鯖江市が進めているのだ。
「めがね+IT=ウェアラブルデバイス」を打ち出して、
ハイテックで新たなビジネスモデルやまちづくりが進んでいる。

地域のコミュニティがアントレプレナーシップを育んできた。
伝統的なものづくりのまちから電脳データシティへ。
いま鯖江は、「日本のシリコンバレー」と言われはじめている。

VRヘッドセットOculus Rift(オキュラスリフト)

めがねのまち鯖江は電脳めがねのまちに生まれ変わりつつある。VRヘッドセットOculus Rift(オキュラスリフト)。視野角が110度とひろく首の動きをモーションセンサーが拾いクイックに反応する。鯖江には電脳めがねを利用したソフトやアプリの開発者が集まり、新たな産業が生まれつつある。

ウェアラブルデバイスとは、腕や頭部など、
身体に装着して利用することが想定された端末(デバイス)。
この秋、Appleの腕時計型ウェアラブルデバイス「Apple Watch」が発表されたが、
ほかにも数多くのメーカーによって、リストバンド型、指輪、めがね、衣服など、
さまざまなアイテムが登場してきた。
そのなかでもグーグルやエプソンなどが開発を進める
めがね型のウェアラブルデバイスは、一般の注目度も高い。

めがねにセンサーやカメラなど、コンピュータの一部が組み込まれ、
GPSの位置情報や行政が提供するオープンデータにアクセスすることで
さまざまなサービスが受けられる。
ウェブ検索をはじめ、内蔵されたカメラを使い写真や動画を撮影したり、
天気や時間、乗換案内などの情報収集などができ、
ライフスタイルを大きく変える可能性もでてきた。

iPhoneやAndroidスマートフォンを利用して設定などが行える。
2016年までには60億ドルのマーケットに成長すると見られており、
テクノロジー系の企業はこぞって新しいデバイスの開発を進めている。
その台風の目になっているのが「鯖江」なのだ。

福野泰介(ふくのたいすけ)さん

株式会社jig.jpの代表取締役社長の福野泰介(ふくのたいすけ)さん。グーグルグラスを愛用している。jig.jpでは自治体向けの「オープンデータプラットフォーム」サービスを提供開始している。

鯖江のITのキーパーソンのひとり、
株式会社jig.jpの福野泰介さんにウェアラブルデバイスを取り巻く状況をお聞きした。

「はっきりしたことは言えないんですが、
グーグルグラスは『Made in Japan』という記事を見たことがあります。
国内めがねの95パーセントは鯖江産なので、
そう考えるとおそらく鯖江のどこかでつくられているという予測が立ちます。
守秘義務があるので、どこのメーカーがつくったというのは明らかにされていませんが」

スマートフォンなどと違って、めがね型デバイスは身体へフィットする装着感などが重要。
色、形、デザイン性などファッションの要素も大きい。
ひとつのめがねができ上がるまでに250もの工程がある。
その工程のひとつひとつに熟練した技と最先端の技術が注がれている。

ほかのデバイスと違って、エンジニアとめがねデザイナー、
めがね職人が連携して制作する必要がある。

琵琶湖のブラックバスを食する。 「滋賀県の獣害利用」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-021' append=' はこちら']

食用として日本に持ち込まれたブラックバスが繁殖した琵琶湖

滋賀県の真ん中に悠々と水を湛える関西の水がめ、琵琶湖。
ここには50以上もの魚種が生息し、豊かな生態系を形成している。
そのなかには、もともと日本にはいなかったブラックバスやブルーギルという外来魚も
同じく生息している。これが琵琶湖の生態系を崩しているとされている。

もともとは昭和初期に国の政策で、
食用や釣り用としてアメリカから持ち帰って放流し、日本に広まったもの。
繁殖力が強く、魚食性のブラックバスは、どんどん全国に増えていった。

2000年頃から、滋賀県ではブラックバス駆除を強化している。
ブラックバスの駆除のための漁を行うのは、もちろん琵琶湖の漁師だ。
年間約300トンものブラックバスが駆除されてきた。

琵琶湖の生態系を取り戻すために、漁師は奮闘している。
滋賀県高島市の若手漁師、中村清作さんは3代続く漁師一家で育ち、
日々、両親とともに琵琶湖の魚に向きあっている。
父親の代からブラックバス漁にも積極的に取り組み始めた。
たとえばあるダム湖にブラックバスが増えてきたとなれば、
中村さんに相談がきて技術提供をしたり、サンプル提供の依頼がきたりと、
その腕に信頼が置かれている漁師だ。

中村清作さん

高齢化が進んでいる琵琶湖の漁師のなかで、若手の中村さんは未来へつながるアクションを考える。

中村さんの「刺網漁」を見せてもらった。まずは網を湖に広げていく。
その網に“刺さる”ようにかかった魚を、丁寧に手で取り外していく。
秋からがブラックバス漁の最盛期だ。
年内は毎日のようにブラックバス漁にでるという。

もちろん自然相手の漁なので、獲れる日もあれば獲れない日もある。
「去年は少なかったです。補助金が余ったので、返金しました」という中村さん。
去年は年間約150トンに減少した。
しかしこれは「順調にブラックバスが減ってきている」と捉えることもできる。

ブラックバスを手で取り外していく

長さ35mの網を50枚。かかったブラックバスを、すべてひとつひとつ手で取り外していく。

この日は約50kgのブラックバスが獲れた

この日は約50kgのブラックバスが獲れた。最高で450kg獲れたこともあるという。

富山・魚津港 前編

それは、東京の魚津から始まった。

4月の中旬、コロカルの撮影で富山へ行くことになった。
富山といえば、何と言ってもホタルイカ。
子どもの頃からホタルイカが大好物で、旬になると
魚売り場に並ぶそれを見ては、ついごくりと喉を鳴らしてしまう。
そのホタルイカ漁のメッカである富山に、ずっと行ってみたかった。

撮影は1日で終わるとのこと。
ならば、延泊して美味しいものにありつきましょう。
さて、どうリサーチしたものかと考えながら、帰り道をぼんやりと歩いてると、
目に飛び込んできた「魚津」という居酒屋の看板。
おっと! 魚津といえば、富山の港町ではないですか。
20代の頃からちょくちょく寄らせてもらっているこのお店。
旬の魚と日本酒が、とびきり美味しい。
ひょっとすると、富山の有力な情報をお持ちなのではあるまいか。
お店の方と特に顔なじみというわけではないが、ダメもとで聞いてみよう。

富山のお酒を始め、各地の日本酒が味わえます。旬のお刺身とぜひ。「魚津」 住所:東京都杉並区荻窪5-29-11 TEL:03-3393-4629 詳細はこちら

ガラガラガラ~。
店員「いらっしゃいませ!」
威勢のよいお出迎えに、少々気まずさを覚える。

テツ「すみません、あの、飲みに来たのではなく、ちょっと伺いたいことがありまして」

店員「???」

テツ「今度、富山にいくことになったのですが、
美味しいお料理を作ってくださる方をご存知ないでしょうか」

店員「……ちょっとお待ちくださいね」

ご主人が厨房から出て来てくれた。

テツ「突然すみません。
今度富山に行くのですが、郷土料理を教えてくださる地元の方を探しておりまして」

一瞬きょとんとした表情を浮かべたご主人。
腕組みをしながら、ぐるっと考えをめぐらせてくださっている様子。

ご主人「電話してみるよ」

どこへ?

ご主人「あー、東京の魚津です」

しばらく会話が続いた後

ご主人「はーい、ありがとうございますー」

電話を切る。

ご主人「吉田鮮魚店ってとこに電話したんだけどね、
漁協に電話したらいいって、話通しとくからって」

電話番号を書いたメモをご主人から手渡された。

!!!

なんというスムーズな展開!

テツ「ありがとうございます!」

思い切って開けてよかった~、魚津の扉を。
その後、ご主人オススメの宿など、富山情報をたっぷり教えていただいた。
お礼を伝えて店を後にする。

後日、魚津漁協に連絡をしてみると、地元の方を当ってくださるとのこと。
どんな出会いがあるのやら、いよいよ楽しみになってきた。

鹿肉をカレーとして活用する 滋賀県のCoCo壱番屋の取り組み。 「滋賀県の獣害利用」前編

捕獲した鹿の肉を、おいしく「いただく」ということ

全国にチェーン展開しているカレーショップ、ココイチこと「CoCo壱番屋」。
滋賀県のココイチでは、他県とは一風変わったカレーを販売している。
それが鹿肉カレーだ。

滋賀県内12店舗のフランチャイズを担当する株式会社アドバンスは、
地産地消に貢献できそうなオリジナル商品の開発に取り組んでいた。
「まずは滋賀県内で困っていることがないか、調べてみました」
というのは、アドバンスの川森慶子さん。
「たくさんの農家や林業の方が、獣害で困っているという情報を見つけたのです。
なかでも鹿害(ろくがい)に注目しました」

鹿は、植林したひのきなどの苗木や、山から降りてきて農作物も食べる。
春に田植えをしたばかりの苗の穂先も食べる。
一度田んぼに鹿が踏み入ると、そのまま育てたお米は獣くさくなってしまうという。

アドバンスの川森慶子さん

このプロジェクトに対して強い熱意がこちらにも伝わってくるアドバンスの川森慶子さん。

年間400頭の捕獲をしている獣美恵堂

平成22年当時、滋賀県には3万数千頭のニホンジカが生息していたが、
平成24年時点では47,000〜67,000頭に増えているといわれている。
しかし滋賀県でのニホンジカの適正生息数は約8000頭とされ、
年間16,000頭の捕獲を目指している。被害額は約1億7000万円にものぼる。
捕獲は、地元の猟師たちにお願いすることになる。

今回、鹿猟に同行させてもらった日野猟友会は、
滋賀県蒲生郡にある日野町で猟をしている。
まず鹿の被害にあった農家などは、町に被害状況と場所を報告。
そして町から日野猟友会に駆除の要請がくる。

この日の猟は、山から犬によって平地に追い出された鹿を待ちかまえて撃つという手順。
どこから出てきても対応できるように、けもの道のある場所などから推測しながら、
数名が数百メートルおきに銃を持って待ちかまえる。
途中、無線などで連絡を取り合いながら、鹿を待つ。
遠くで銃声がした。我々が待ちかまえていたところとは別の場所に鹿が出たようだ。

持ち場などを確認

猟の前に、それぞれの持ち場などを確認しあう。

視線は鹿が出てくる遠く先に

待っている間も、仲間からの無線に耳をすまし、視線は鹿が出てくる遠く先に。

日光〈ニュー和加奈〉 名物の大きな唐揚げ、ナス焼き、 茶碗蒸しをのんびりと

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知らないまちの、知らない居酒屋。

「高速道路の入り口までになかったら、あきらめよう」
日光江戸村で撮影のお手伝いをしていたお仕事の帰り道。
数日間のロケ弁当しか口にしていなかった3人が乗った車の中での会話。
せっかく遠いところに来たのだから、最後においしいものでも食べて帰ろうと。
飲食店の閉店時間が迫る中、国道を走る車は、
高速道路の入り口までもうすぐのところで、ぼんやり明かりが灯った看板を発見! 
「ニュー和加奈」と書かれたお店は、ちょうちんもぶら下がって、居酒屋の佇まい。

車から駆け下り、縄のれんをくぐって、
店主に尋ねると、カウンターなら大丈夫ということ。
どうやら、ひとりできりもりしている様子。
この店主の顔を見て、二言三言のやりとりで、
ここはいい店なんだと確信した私は、
ええ感じよ、と車を停めてから友人たちと再び入店。
店内は、カウンターのほかはお座敷。けっこう広く、
連ねた机の上には、宴の後の皿やコップが置かれたまま。
団体客が帰った後の店内は、がらんとしています。
座敷の端っこで地元の草野球の(草野球というのは私の妄想ですが……)
メンバー3人がビールと酎ハイ片手に飲み会。
そのお客さんの注文の揚げ物を揚げる音が店中に響いています。

つくり手も使い手も 幸せになれるプロダクトを目指す。 「Lalitpur」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-017' append=' はこちら']

ヒマラヤの恵みがたっぷり込められた、Lalitpur

オーガニックスキンケアブランドのLalitpur(ラリトプール)は、代表の向田麻衣さんが
Coffret Project(コフレ・プロジェクト)での経験(前編参照)などから、
ネパールの女性の雇用促進をひとつの目的として立ち上げたブランドである。
まずは「ネパールで立ち上げるにしてもどんなものがいいのだろうか?」
というところからスタートした。
そこでたどり着いたのが、
ネパールが世界に誇るヒマラヤ山脈に、豊富に生えている高山植物。

「標高が高いため、日光をたくさん浴び、
農薬が一度も使われたことのないきれいな土で育った植物は、
その他の地域で育った植物よりも効能が高いことも科学的に証明されているんです。
これは宝だと思いました」

こうして、高山植物を利用したオーガニックスキンケアブランド、
Lalitpurの立ち上げへと歩き出した。

どんな植物があるか。そこからどんな成分が採れるのか。
実際に商品に配合したらどうか。安定供給できるか。繰り返し、研究開発した。
そのなかでいくつかの原料を採用する。
たとえば現在Lalitpurのバームに入っているシーバックソーンという植物の実は、
オメガ7という抗酸化作用のある成分が含まれている。
欧米ではアンチエイジングを目的にサプリメントとして取り入れる人も多い。
そのほかにも肌細胞の再生・修復を助けてくれるジャタマンシー、
ネパールの国花であり
筋肉や関節の炎症を和らげてくれるアンソポーゴンといった植物。
さらには標高3000m以上のヒマラヤ山地に棲息するヤクという動物から絞り、
豊富なビタミンや8種類の必須アミノ酸が含まれ、
高い保湿効果のあるヤクミルクなどが使われている。

すべてピンクで統一されたデザイン

石けん、バスソルト、バームなど、すべてピンクで統一されたデザイン。封をしたように見える結び目がかわいい。写真提供:Lalitpur

そして中心となる石けんづくりだ。
石けんのつくり方はいろいろな方法があるが、
向田さんが選んだのはコールドプロセス製法。
ケン化(石けんづくりで欠かせない過程)で自然に起こる熱以外は、
一切、火を加えない。この方法だと有効天然成分が残りやすいのだ。

次はネパールで石けんをつくるノウハウを持っている工房を探した。
彼らの技術と、日本側の技術を融合させて
オリジナルの商品を生み出さなくてはならない。
品質が良いことはもちろん、
「Lalitpurが伝えたいストーリーにふさわしいものをつくろう」と、
繰り返し試作を重ねていった。

名古屋の年に一度の晴れ舞台、 〈みなと祭〉を大フィーチャー。 『ぶらり港まち新聞』 No.09 なつ号

愛知県『ぶらり港まち新聞』

発行/港まちづくり協議会事務局

ぶらり港まち新聞【09】なつ号は、名古屋の港まちの年に一度の晴れ舞台、「みなと祭」を大フィーチャー。まちの人に愛される「みなと祭」をつくる地元のひとたち、大掛かりな屋形、祭りを盛り上げるリーダーの存在などをお伝えします!

ぶらり港まち新聞

http://www.minnatomachi.jp/shinbun/

発行日/2014.8

オーガニックスキンケアブランド Lalitpurの原点、Coffret Project。 「Lalitpur」前編

化粧が精神的ケアにつながる

ネパールでつくられる
オーガニックスキンケアプロダクトを展開するLalitpur(ラリトプール)。
その代表の向田麻衣さんの活動の原点は、
2009年にスタートしたCoffret Project(コフレ・プロジェクト)にさかのぼる。

15歳のときに、ネパールでNGO活動をしていた高津亮平さんの講演会で
話を聞いてネパールに興味をもった向田さん。
17歳になり、アルバイトをして貯めたお金で1か月間ネパールに滞在した。
そこで出会った多くのひとや文化は向田さんの心を惹きつけたが、
当時の「ネパールの支援をしたい」という思いを遂げることは簡単ではなかった。

その後、大学に進学し、就職活動の時期になって将来をじっくり考えたとき、
やはり高校生のときに興味を持ったネパールを思い出し、何か関わりたいと思った。
就職活動を無事終えた向田さんは、残された半年間の学生生活で、
大学の奨学金を得て、フィールドワークに出かける。まずはトルコだった。

さっそく現地の女性にニーズ調査を開始。
最初は、雇用を生むことや、大きな支援になりそうなものを探っていた。
そのなかで“どんな仕事をしたいの?”と聞いたところ、
“いろいろやりたいことはあるけど、アナタのそのポーチの中味が気になる”
という返答があった。
化粧に興味がある女性が、思ったよりも多いことに気がついた。
そこで一度、簡単なワークショップを開催してみた。
女性たちにメイクをしてみると、表情がどんどん変わってくる。

そんな反応を見ていると、化粧が精神的なケアに繋がるのではないか、
という思いが自然と頭に浮かんできた。
こうしてCoffret Projectは、精神的なトラウマを抱えた女性たち、
たとえば刑務所に服役していたひとや
人身売買の被害にあったひとなどを中心に広げていった。
トルコに始まって、フィリピン、インドネシア、ネパールと開催していく。

お化粧の仕方を習うネパールの女性

お化粧の仕方を習うネパールの女性。初めて見る化粧品や道具も多い。写真提供:Lalitpur

現在拠点とするネパールでは、
十代の少女を中心に人身売買が横行している国でもある。
売られた少女たちは国境を越えインドの買春宿に連れて行かれ、
強制労働をさせられる。宿にいる間は、
「ここを出たらあなたたちは生きていけない、価値のない人間だ」と
言い聞かされているために、自信や尊厳が奪われた精神状態にあることが多い。

「はじめは無表情だった女の子たちも、化粧が終わったときに鏡をみると、
少しだけ微笑んだり、変化が生まれます。そういうことを積み重ねていくことで、
凍りついた心が溶けてゆくように感じます」と向田さんは語る。

みんなが化粧をした自分を「かわいい! きれい!」とほめてくれる。
どんどん自信も増してくる。

「それまで一度も声を聞いたことがなかった女の子が
最後に英語で“Thank you”と言ってくれたり」と、
うれしい反応が次々と返ってくるようになった。

Lalitpur代表の向田麻衣さん

新たに始まるメンズ商品や、アメリカ展開など、活動の幅を広げているLalitpur代表の向田麻衣さん。写真提供:Lalitpur

パッチワークキルト作家と 酒蔵の女将を兼ねて。 「山口怜子さんの衣・食・住」後編

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酒蔵の女将として、キルト作家として

山口怜子さんは、主婦であり、江戸天保三年から続く造り酒蔵の十代目女将。
そして前回お伝えした温泉地熱を利用した食品づくりなど、
食のプロデユーサーとしてさまざまな顔を持つ一方で、
実は、海外でも高く評価されているパッチワークキルト作家でもある。
パッチワークとは、布と布を縫いつなげ、一枚の布にする技法。
布地の有効利用のために、余った布や端布をつないでつくったのが始まりと言われている。
布地に綿をはさんで縫いあわせたものをパッチワークキルトと言う。
パッチワークキルトは17世紀のアメリカで西部開拓の移動によって全米に広がった。
山口さんがパッチワークを始めたのはいまから50年前。
尺貫法を使った日本キルトというパターンを開発したのがきっかけだ。

「母といっしょに家庭に眠る古い着物や帯などを刺し子風に縫いつなげていたのね。
それがとても面白かったみたい」

山口怜子さん

江戸天保3年から続く造り山口酒蔵所の十代目女将。山口怜子さん。酒造や家庭の古着を使ったパッチワークキルト作家としても知られる。

山口さんのパッチワークキルト作品

山口さんのパッチワークキルト作品。縫いあわされた布のストーリーが作品として開花する。

1982年には、アメリカのナショナルキルト連盟に招待された。
歴史あるアメリカンキルトの世界で、
日本ならでは古裂を素材にした独創的な刺し子風キルトは
驚きをもって受け入れられたという。
全米の著名なキルト作家の作品が集まるなかで、受賞作品は9点。
そのうち最高賞であるブルーリボン賞は3点にのぼり、ワシントンD.C.にて公開される。
これをきっかけに、山口さんのキルトは、世界中で注目され、
各国大使から招待されるようになった。

山口さんのこだわりは家庭の古布を使うこと。
「デザインするのは私なのだけど、生徒さんにお家にある布を持ってきてもらうのね。
その布にはひとつひとつに物語がある。そこからデザインが生まれる。
それをもとに一緒につくっているんです」

それぞれの思い出を縫いつなげていくキルトは、
「日本の家族を綴るキルト」と言われる。
海外から注目されると、後追いするように日本の新聞社、雑誌社が注目するようになった。
その後東京をはじめとする日本国内の巡回展、米国・中国への出展など活動のフィールドを広げている。

キルト作家として2009年には、福岡県文化賞・創造部門を受賞した。
その多岐にわたる活動はすべて「衣」「食」「住」へとつながっている。

竹をモチーフにしたパッチワークキルト作品

竹をモチーフにしたパッチワークキルト作品。

温泉地熱食品と地熱たべもの研究所。 「山口怜子さんの衣・食・住」前編

地熱を利用した食品づくり

熊本と大分の県境にある岳の湯温泉。
ここは地熱の里と呼ばれ、集落一帯は、湯煙と蒸気に包まれている。
この温泉の地熱を利用した食品づくりをしている山口怜子さんを訪ねた。

山口さんは、福岡県久留米市の山口酒造所の十代目女将。
世界的なパッチワークキルトの作家としても知られる。
衣・食・住、暮らしのエキスパートだ。
現在、熊本県阿蘇郡小国町の岳の湯温泉で地熱を利用した
「地熱たべもの研究所」で、蒸気を利用した食品の開発を進めている。

地面から吹き上がる地熱の蒸気

地面から吹き上がる地熱の蒸気。蒸す、煮る、炊く、乾燥させる、地熱の利用法は多様。

「昔からここの地域のひとは、地熱を利用していたの。
縄文時代から地熱を使って料理していたんじゃないかな」

山口さんは、大分県の山村、大山町に生まれた。
近くに杖立温泉があり、蒸気が出ているエリアに育った。

「子どものころ温泉では皆、温泉卵をつくっていたけど、
母は温泉にほうれんそう、大根とか、野菜を持っていって、
茹でて台所で食べていたのね。
ゆであがったものに鰹節をかけて食べるのが大好きだったの。
ガスで煮炊きをするより、地熱を使えば簡単だし、美味しい」

地熱たべもの研究所のある小国町岳の湯は
休火山である涌蓋山(わいたさん)の山麓に位置し、
周辺は日本有数の地熱地帯。多数の温泉も湧いている。
近くには九州電力大岳発電所、八丁原発電所といった地熱発電所が存在する。

普通、日本で地熱の蒸気が吹き出す場所は限られている。
地熱が出る場所の多くは国内では国立公園の中が多いので開発が遅れている。
地熱たべもの研究所の周辺は安全な地熱ゾーンとして利用できる希有な場所である。

地面から噴出する地熱の蒸気をバルブで調節し、それを利用している。
大地のエネルギーを利用した、究極のエコクッキングだ。

集落のあちこちの地面から蒸気が噴出している

集落のあちこちの地面から蒸気が噴出している。温泉ではなく、蒸気そのものが吹き上がる希有な場所。ここに地熱たべもの研究所がある。

青森といえばこれ! 〈じゃっぱ汁〉 洗練のカンタンレシピ。

今回ご紹介するのは、『日本の食生活全集2 聞き書 青森の食事』
に掲載されている青森県の食事。
青森県はかつて、一年の半分が雪に埋もれていたところ。

津軽地方で最も馴染みのある魚が「鱈」。
陸奥湾の鱈は、産卵のために来るので脂がのってとってもおいしいんです。
昔の津軽のひとたちは、鱈を雪の上で引いて歩き、
身を締まらせてさらにおいしくする工夫をしていました。

鱈にはどこも捨てるところがありません。身は刺身や焼き魚に。
たらこは塩漬けや、生のまま醤油と酒で味付けしたものを
二、三日置いてご飯に乗っけて食べたり。
白子は「タツ」と呼ばれて、豆腐やネギと一緒に味噌汁に。
新鮮なものは熱湯をくぐらせる程度の刺身にもします。

そして今回ご紹介するのが、
鱈の頭部、中骨、肝臓などを材料にして作られる鱈のじゃっぱ汁。
「じゃっぱ」とは残りものや屑を意味する「雑把」のこと。
津軽の郷土料理の中でも、ダントツの人気メニューです。

津軽では魚のアラを味噌で煮込むことが多いのですが、
三平仕立ての塩汁で食べられることもあります。
しおりさんのレシピでも、塩味をご紹介。

「『聞き書 青森の食事』に、ところによっては
塩味も食べると書いてあったので、せっかくなので塩味にしてみました。
調理のコツは、あまり塩を効かせすぎないこと。
ちょうど良い塩梅の一歩手前、
ちょっと薄味くらいの塩味にすることです」

また今回は、お手軽に作っていただけるように
現地で使われる魚のアラを使っていません。
本格的な味にするために、魚のアラを使う場合の
コツも教えていただきました。

「魚のアラを使う場合は、鍋に入れる前に塩を軽く振って20分ほど置き、
さっと湯どおししてから氷水につけ、
水気をふきとって使用すると生臭さが消えます。
そうして血の臭みやウロコなどをとってあげることで、
上品なじゃっぱ汁ができますよ」

地域の若者のコラボレーション 食・ものづくり・自然 × ソーシャルデザイン。 「TSUGI」後編

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「かわだ くらしの晩餐会」で地域の魅力を探す

福井に移り住んだ二十代の若者7人のプロジェクト「TSUGI」。
「ものづくり」や「地域の魅力」を発見する、
さまざまなコラボレーションが生まれ始めている。

地域の魅力探し、そのひとつが「食」。
6月15日、21日と2週に渡って、「かわだ くらしの晩餐会」が開催された。
福井新聞の「まちづくり企画班」の担当者と一緒に企画を進め、
TSUGIが全体のデザインディレクションを担当した。
福井県内の各地を回って、
その土地の文化を活かし発信するイベント「FUKUI FOOD CARAVAN」。
その一環として行われた、体験型の食のイベントである。
テーマは「食、ものづくり、自然」。
これまでのTSUGIの活動のなかでも、もっとも力をいれたイベントのひとつだ。

FUKUI FOOD CARAVAN vol.02「かわだ くらしの晩餐会」の動画。制作は福井新聞社「 まちづくり企画班」とTSUGI。映像はホオズキ舎の長谷川和俊さん。「食工房野の花」代表の佐々木 京美さんとTSUGIによる食空間プロデュース。越前漆器の器と木彫りのスプーンを使って地域伝統の食を味わうイベント。

鯖江の若者コミュニティづくり

TSUGIの事務局、ディレクターの新山直広さんにお話を伺った。

「福井の魅力は〈食〉ということで、
福井の地域を巡りながらその土地の魅力を
掘り出していこうと考えていくキャラバンなんですが、
漆器の里である河和田では、まず器を自らつくるところからはじめよう、と。
下塗りを越前漆器の職人さんにやってもらい、参加者に上塗りをやってもらう。
自分でつくった器で食べてもらいました」

イベントは2週に渡って行われ、最初の1日目は
木のスプーンづくりとお椀の漆塗りの体験。
1週間後の2回目に手づくりしたスプーンとお椀を使って、
地域伝統の食を味わう晩餐会を開催した。

その素敵な動画を見ていただければ、
河和田の「食」と「暮らし」の魅力を感じることができる。
なにより集まるひとたちの笑顔がイイ。
素晴らしい「コミュニティ」が息づいている感じが伝わってくる。

「かわだ くらしの晩餐会」

「かわだ くらしの晩餐会」では越前漆器の若手である中野知昭さんと酒井義夫さんの協力で、器づくりからスタート。写真提供=TSUGI

関西から福井県に 移住してきた20代による デザイン+ものづくりユニット。 「TSUGI」前編

ものづくり&デザインユニットTSUGI

TSUGIとは関西から福井に移住した20代7名による
ものづくりとデザインのユニット。
木工、眼鏡づくり、デザイン、地域活性や自然環境NPOなど
それぞれが地域で仕事をしながら、
ものづくりをテーマとしたイベントの企画をしている。

TSUGIという言葉は「次」「継ぎ」「接ぎ」「注ぎ」という
4つの「TSUGI」から生まれた言葉だという。
伝統の知恵を「受け継ぎ」、若者たちと地域を「つなぐ」、
そして「次(NEXT)」をつくる。
「“次”の世代である若者がものづくりや文化を“継ぎ”、
新たなアイデアを“注ぐ”ことでモノ・コト・ヒトを“接ぐ”」
という思いが込められている。

鯖江は越前漆器、越前和紙、そして、眼鏡など、ものづくりのまち。
拠点となる「TSUGI Lab」は鯖江市河和田地区にある錦古里漆器店を
セルフビルドで改装した。
福井を面白くしていきたい、そんな若者たちが集まり、
そこから食のカフェイベントや割れた器を修繕する金継ぎワークショップなど、
鯖江を面白くするプロジェクトが生まれている。

「TSUGI Lab/ツギラボ」

「TSUGI Lab/ツギラボ」ものづくりに関心のある若者が集まることのできるアジトだ。

きっかけは河和田アートキャンプ

TSUGI代表の永富三基さんにお話を伺った。
普段は鯖江で漆器の木地づくりをする「ヤマト工芸」で木工職人として働いている。
大学卒業と同時に関西から移住してきたIターンの24歳だ。

永富三基さん

TSUGI代表の永富三基さん。

永富さんをはじめ、関西の若者たちが、なぜここ鯖江に移住してきたのだろう。

「きっかけは河和田アートキャンプでした。
2004年の福井豪雨の被災地支援のアート活動です。
そのとき地域のひとと交流して、縁ができました」

河和田アートキャンプとは
2004年の福井豪雨の被災地支援をきっかけにスタートした地域振興イベント。
「芸術が社会に貢献できることとは何か?」という問いかけから始まり、
全国32大学の学生が参加。
毎年夏、鯖江市の河和田地区で行われ、現在約800人の若者たちが参加している。
TSUGIのメンバーもこのキャンプの主要なメンバーとして地域に関わった。

川崎〈三ちゃん食堂〉 明るいうちに行きたいこの 食堂ではついつい長居してしまう

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いつもはハシゴ酒な私も、ついつい長居。

明るいうちに行きたいと思う店で思いつくのが「三ちゃん食堂」。
食堂とつくのだから、昼時は、大混雑。
暖簾をくぐって、引き戸をガラガラガラ。
中は、奥行きもあるけっこうな広さ。
ズラリと縦3列に並んだテーブルの上には、
あらゆるメニューの皿やどんぶりがのって隙間がない状態。
テーブルに向き合って1列に約10個の丸椅子が並ぶのだから圧巻風景。
メニューが張りめぐらされた壁に向き合うカウンター席を足して、ざっと60席。
めしを喰らっていると表現したほうが似合うようなこのお店には、
昼休憩の時間はなく、閉店時間20時と早い。

昼時が終わった昼下がり、はたまた、まだ明るい宵の口に、
椅子取りゲームができそうな、その丸椅子を陣取ると、
いつもはハシゴ酒の落ち着かない呑み方をしている私もついつい、長居してしまいます。
ワイドショーのテレビが流れる騒然とした店内の居心地のよさがあるのです。
何度か訪れているのだけれど、まったく眺めていて飽きないメニューの数々。
ラーメン、餃子の中華メニューからカレーライス、小鉢の酢の物、さしみ、天ぷら。
毎回、あれ、こんなメニューあったっけ? と、
目を細めてしまうのです(愛しさと入り口近くの席からは遠いので……)。

日本の食文化の豊かさを WASARAにのせて。 「WASARA」後編

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世界で使われる日本のカタチ

日本の美意識や感性が込められた紙の器、WASARA。
パーティやケータリングなどのシーンにおいて使用される機会が多い。
日本国内のみならず、そうしたニーズが高い海外からの反響も大きい。

クリエイティブディレクターである緒方慎一郎さん(SIMPLICITY代表)は、
「WASARAを通して、日本の食文化を世界に発信していきたい」と話す。

和食が世界で食べられるようになり、より浸透していくなかで、
料理だけでなく、食べ方や作法も含めた日本の食文化を伝えたい。
言葉で説明しなくても「日本のクオリティと食文化からくるデザイン」であることが、
わかるようなものづくりを目指した。

角皿と竹製カトラリー

パーティなどのシーンで活躍することが多いWASARA。竹製カトラリーにはスリットが入っており、WASARAのフチに差し込むことで固定できる。(写真提供:WASARA)

パーティやケータリングというシーンは、それ自体がコミュニケーションの場。
そこで活躍するWASARAは、コミュニケーションを潤滑にする役割を担うこともできる。
片手にWASARAを持つ。話題のきっかけにもなるし、日本の紹介にもなる。

「食材や料理に合わせて器を選ぶことは、日本人にとって当たり前の行為です。
五感で食を楽しみ、季節の移ろいや自然の美しさなどいろいろなものを感じ取る。
たとえ使い捨ての紙の器だとしても、そういった日本の豊かな食文化を守りたい。
それを世界に伝えていきたいと思っています」

日本の食文化の豊かさをWASARAにのせて、世界にも広めていく。
そこには、新たな発見と可能性が満ちていた。

「あるとき、海外の方が2種類のWASARAを組み合わせて
カップ&ソーサーとして使っている場面に出会いました。
このような使われ方は開発段階では想定していませんでしたが、
それを見たとき、WASARAは成功したと感じました。
WASARAには“こう使わなければいけない”というルールはありません。
本当に大切なのは、日本のものが違う文化圏に渡ったときに、
新しい使い方や解釈を通じて、その土地の暮らしにきちんと根付くこと。
WASARAの使い方は、私たち日本人よりも海外の人のほうが上手かもしれません(笑)」

“使い捨ての器”のイノベーション。 「WASARA」前編

環境にやさしく、こころを潤す「紙の器」

日本ならではの感性から生まれた紙の器、「WASARA」。
その製品哲学には、古来より自然と共存することで育まれてきた
日本の精神、技巧、そして美意識が込められている。

WASARAを生み出したチームのひとり、
クリエイティブディレクターの緒方慎一郎さん(SIMPLICITY代表)のお話を伺った。
緒方さんはWASARAのほかにもプロダクトブランドを手がけ、
みずから和菓子店や和食料理店を経営している。
食を通して日本の文化を広めたいという思いがあるのだ。

「文化というのは食ありき。
私たちの生活の根源は、“生きていくために食べること”だと思います」
と緒方さんは語る。

SIMPLICITY代表の緒方慎一郎さん

SIMPLICITY代表の緒方慎一郎さん。建築、インテリア、プロダクトなど、多岐に渡るディレクションやデザインを手がける。(写真提供:SIMPLICITY)

「その土地にあるものをどう調理して食べてきたか。
日本には日本の、フランスにはフランスの食文化がある。
その国の風土や文化を最も色濃く反映しているのが食ではないでしょうか」

食文化には、料理自体はもちろん、器や空間など多くのことが関わっている。
それらすべてをトータルで考え、ときにはイノベーションすることによって、
初めて次の時代にきちんとしたものを残すことができるというのが緒方さんの考えだ。

「現代における日本の文化創造」をコンセプトに
自社店舗の経営や、ホテルやレストランのデザインを手がけてきたなかで、
目を向けたのが、使い捨ての紙の器だった。

ワインカップやコーヒーカップ、丸皿などWASARAのラインナップ

パーティやケータリングなど、さまざまなシーンで活躍するWASARA。手前は2012年よりラインナップに加わった竹製のカトラリー。(写真提供:WASARA)

使い捨て食器の概念を変える

ケータリングやパーティ、バーベキューなどで、
使い捨ての紙皿や紙コップを使ったことがあるひとも多いだろう。
われわれの生活に深く浸透しているといってもいい。
しかし緒方さんは違和感を感じていた。

「食べるという行為のなかには、器にさわった手の感触や口当たりも含まれるはず。
しかし、既存の製品に、そこまで配慮されたものはなかなかありませんでした」

そんな思いを抱えていたからこそ、
WASARAのディレクションを手がけることになったとき、
「日本人ならではの感性が反映された紙の器をつくりたい」というイメージは
すでにできていた。

日本のファッションブランド が仕掛ける、 サステナブルなビジネスとは? 「TEGE UNITED ARROWS」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-009' append=' はこちら']

アフリカの職人が自立するために

ユナイテッドアローズとエシカル・ファッション・イニシアティブ
(Ethical Fashion Initiative、以下EFI)が組み、
2014 S/Sから始まったブランド「TEGE UNITED ARROWS」は、
アフリカでものづくりを進めている。

「ぼくたちにとってはいいものづくりができるし、
お客様も面白いプロダクトを手に入れることができます。
そして現地にお金が落ちる。すごくいいプロジェクトだと思いました」と、
ユナイテッドアローズでこのプロジェクトを進めている
栗野宏文さんは始めた理由を話してくれた。

マサイの女性たち

栗野さんたちを歌と踊りでもてなしてくれたマサイの女性たち。(写真提供:EFI)

現在サブサハラと呼ばれるサハラ砂漠以南の地域では、
石炭や石油、ダイヤモンド、ウラニウムが採れることから、各国に注目されている。
それら資源を乱獲するよりは、
現地に産業を興してお金を回すプロジェクトが生まれたほうがいい。

ユナイテッドアローズとEFIの取り組みには、特に女性の社会進出を促す側面がある。

「ゴミを拾ったり、木を伐採したり、
さらには血を売ったりしてお金を稼いでいる現状があります」

EFIの庭野和子さんが、教えてくれた現地の現状はつらいものだ。
その悪循環を止める糸口がEFIの活動といえる。

「一時的にお金をあたえるような援助ではなく、職をあたえ、自立を促すこと。
現地ではまだ女性の地位が低いのですが、
仕事を持つと家族や地域に尊敬されるようになり、
やがてコミュニティの長になっていきます。
するとそのお金で子どもを学校や病院に行かせることができたり、
携帯電話や銀行口座を持てるようになります」と
実際に起こっている事例をあげてくれた。

仕事をしていくことでこのような好循環が待っているということを、
彼女たちは気づいていないということが問題だという。
だから自分たちにとっていかに良い影響があるかと、
身をもって知る機会をつくる必要があるのだ。

糸を紡ぐ作業中

ブルキナファソの木陰では糸が紡がれている。(写真提供:EFI)

千葉・ちっこ豆腐丼

前回の続き「ちっこ豆腐 後編」をお届けします。

ここまでのあらすじを[yahoonews text='へい']少々。[/yahoonews]

以前この連載で[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-005"]「やん米」を教えてくださった、鈴木俊子さん。[/ff_textlink_by_slug]
その鈴木さんからご連絡をいただき、千葉の南房総へと向かいました。
訪れた先は、鈴木さんのご友人である前田善治さん、みつさんご夫妻のご自宅。
前田さんは、18歳で始業し、今年で実に60年という来歴の酪農家さん。
子どもの頃からよく食べていたという、[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-008"]ちっこ豆腐を作ってくださいました。[/ff_textlink_by_slug]
ちっこ豆腐とは、牛乳を煮立て固めたもので、
千葉の酪農家さんのあいだで親しまれてきた一品。
濃厚な乳の香りとほわほわの食感、優しい味わいに包まれたひとときでした。

今回は、ちっこ豆腐を丼に仕立てていただきます。
作り手は、お母さんから鈴木さんへとバトンタッチ。
では、前田家の台所へと戻ります。

母「としちゃん、タマネギあるからやってみてよ」

お母さんから鈴木さんへ、ちっこ豆腐丼のリクエスト。

鈴木「じゃ、ちいとば鍋貸してもらえる?」

母「いいよ、いいよ、ほれ」

鈴木「玉ねぎなんかもある?」

母「あるよあるよ、ほれ」

着々と準備が整い、調理スタート。
聞けば、おふたりは高校の同級生とのこと。
としちゃん、みっちゃんと呼び合う仲。

母「あそこのお子さん、どうしてる? なんて子だったか、ほら」

鈴木「ああ、あの子、あの、右曲がったとこのね、ね」

なんて塩梅で、うわさ話に花を咲かせるおふたり。