〈わらはんど〉 ストーリーのあるおもちゃで、 こどもたちが木に触れる きっかけをつくる。

わらはんどからつながる青森の森のはなし

森林面積が約66%を占める青森県。
スギ、ヒバ、ブナ、アカマツなど多様な樹種が分布する県でもあるが、
このうちスギの人工林面積が一番多くを占めており、
その利用拡大が課題となっている。

子どもたちにとって木が身近にある環境を

朝、9時。ウィーンと木を削る音があたりに響いている。
ここは、青森県弘前市にある「わらはんど」。
青森県産の木材をできるだけ使っておもちゃをつくり、
販売までを手がけている会社だ。

木工所に足を踏み入れると、職人さんたちが各々の作業にもくもくと取り組んでいた。

「わらはんど」とは、津軽地方の方言で「子どもたち」という意味。
子どもを指すわらべ(童)とハンド(手)をかけ合わせた造語でもある。

「いまって、木に触れなくても生きていけますよね。
だからこそ、大人が子どもたちに木に触れさせる機会を増やし、
『木っていいね』と思ってほしいです」
こう話すのは、わらはんどの代表を務める木村崇之さん。

わらはんどが誕生したきっかけは、
県産材をもっと有効活用しようと集まった仲間たちと
東京おもちゃ美術館の内部空間の施工を行ったこと。
それが評判を呼び、いまにつながっているそうだ。

まず見せてもらったのは、スギを使った積み木。
「スギってやわらかくて、軽い木なんですね。
それが加工しにくいという弱点にもなり得るんですが、
ぼくらはその弱点を強みに変えた商品づくりをしています。
やわらかいうことは、ぶつかっても痛くないし、
軽いということは落ちてきても痛くない。
スギは子ども向けの商品に向いていると思うんですよ、ぼくは」

1ピースの厚みは、やや厚めにしているそうだ。木村さん曰く「厚めなら積むのが早くて達成感がすぐ得られるでしょ(笑)。それに安定もしますよね」

このように、スギの特徴を生かして商品づくりを行うことは、
木村さんのこだわりのひとつにすぎない。
もっともっといろいろなこだわりが詰まっているのだ。それをご紹介しよう。

宮城のおやつといえばこれ! 食べごたえずっしりの ナチュラル蒸しパン 〈がんづき〉レシピ

郷土食を日本の隅々から掘り起こし、記録した名著
『日本の食生活全集』全50巻(農文協)から
料理人・後藤しおりさんが現代の家庭でもおいしく
カンタンに作れるよう再現したレシピを
お届けしている本連載。ぜひ一緒に作ってみましょう!

宮城の子どもを育てた素朴なおやつ

今回ご紹介するのは、『日本の食生活全集4 聞き書 宮城の食事』
に掲載されている宮城県の食事から。
宮城県は、東北6県のなかでは降雪量も少なく、穏やかな気候。
豊かな穀倉地帯の北部、リアス式の三陸海岸、
古くから人々が定着し、平穏な生活を営んできた南部と、
田畑や海からの恵みを受け、自給自足の生活を送ってきました。

そんな宮城の郷土料理から選んだのは、
素朴な甘さにほっとする、郷土菓子の「がんづき」。
地元のネイティブの発音で言うと「がんづぎ」ですね。
東北出身のしおりさんにとっては懐かしい思い出のおやつです。

「がんづき」とは何でしょう?
簡単に説明すると、宮城県と岩手県の一部で良く食べられる
小麦粉をつかったお菓子。
ういろう状と蒸しパン状の二種類があり、
前者はすあまのような砂糖の甘さ、後者は黒糖や味噌の優しい甘さ。
いずれもずっしりとした食べごたえが特徴です。
「たばこ」と呼ばれる休憩やお茶請けなど、
折にふれて食卓に上ります。
宮城のスーパーや個人商店のお菓子コーナーには、
サランラップにくるまれた「がんづき」が
お饅頭と並んで販売されているのが日常の風景。
あまりにも生活に馴染んでいるので、宮城県の人は
全国区のお菓子だと思っている人も多いんです。

今回しおりさんが作ったレシピは、蒸しパンタイプ。
すごく簡単で食べごたえもバッチリです。

「がんづきは、小さい頃から大好きなお菓子。おばあちゃんが、
上にたっぷり黒ごまを乗せたものをよく作ってくれました。
蒸しパンは、その時の気分でささっと作れるのがいいところ。
これまではマーラーカオや、プレーンな蒸しパンにローズマリーと
岩塩を降ったものを作っていましたが、
これからはがんづきがたくさん登場しそうです」

見た目も素朴でかわいらしい、頻繁に作れる「がんづき」レシピを
しおりさんが開発してくれました。
それでは作ってみましょう!

廃校を使った地域の拠点づくり。 株式会社ハレとケデザイン舎 「三好市の廃校活用事業」前編

三好市は徳島県の最西部、四国のほぼ中央に位置する。
徳島県のなかでも最も山深い。高齢者の割合は40%。

東京でデザインの仕事をしていた植本修子さんは今年の春、移住を決めた。

「東京で働いていた会社の上司が三好市の職員の方と知り合ったのですが、
三好市には20以上もの廃校があって、
その活用方法を募集してると聞いたことがきっかけなんです。
ちょうど私には3才の子どもがいて、
子育ての環境にいいんじゃないか、ということで。
来てみると自然が気持ちよくて、
こんなところで子どもを育てたら、どんな子どもに育つのかなと
想像したらワクワクしちゃったんです」

そして、移住を決めた理由は9年前に廃校になった
旧出合小学校との出会いだったという。
植本さんは実際に昨年の秋に旧出合小学校を訪れ、
廃校の活用の企画を考えてみることにした。

「具体的に廃校活用のアイデアを考えはじめたら、
いろんなことを思いついて、止まらなくなっちゃって(笑)」と植本さん。

「廃校のそれぞれの部屋の写真を撮って、この部屋をこんなふうに活用しよう、
ここはこう使おうといろいろ考えているうちに楽しくなってきました。
気持ちのいい庭があって、ウッドデッキをひいたらどんなだろうか、とか」

廃校といっても地元のひとが体育館を使ったり、運動場を使ったり、
草刈りをしてあったり。怖い感じはしなかったという。

「わたしはここパワースポットじゃないかって思っているんです。
それほど気持ちがいい場所なんです」

9年間眠り続けていた小学校にふたたび明かりを灯そうと決意した。

旧出合小学校に作られたウッドデッキ

ウッドデッキにて。親子でお菓子教室。

植本修子さんと植本綾子さん

ハレとケデザイン舎の植本修子さん(左)と植本綾子さん(右)の姉妹。写真提供:ハレとケデザイン舎

マチトソラとの出会い

関東で育ち、それまで地域と深く関わることがなかった植本さん。
引っ越してすぐに、三好市の地域活性化に取り組むNPOマチトソラを紹介された。
マチトソラは三好市にある空き家や地域に残る伝統文化の活用に取り組むNPO。
タバコ産業で栄えたまちの古民家再生やマルシェやアートイベントを行い、
都市からの若者の移住促進や若者の雇用、
住んでみたいと感じるまちづくりをしている。

「かつて旅館だった建物で歓迎会をしてくれたんですけれど、
地域を盛り上げようとがんばっている若者や、
まちづくりをしていこうという地域のひとと
いっぺんにつながることができたんです」と植本さん。
小さなまちであるからこそ、地域の動きにすぐにつながっていけるのが嬉しい。
また移住者や仕事づくりのプラットホームとなるNPOがあることも
大きな助けとなったという。

3月に移住して3か月ほどは地域のイベントに顔を出し、
交流することに費やした。
そこで人脈をつくり、一緒に廃校活用を進めてくれる仲間をリクルートした。
7月からいよいよ廃校に入り、工事を始めた。
可能な限りセルフビルド。
地域のひとや行政の助けもあってアイデアはかたちになっていく。
1か月で廃校は「再生」した。

再生した出合小学校

再生した出合小学校。写真提供:ハレとケデザイン舎

〈くだものうつわ〉 山形で育つ果樹でつくられた ナチュラルな木の器

くだものうつわからつながる山形の森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
かつては、人里に近い雑木林ではコナラやミズナラが
薪や整炭など人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

金山町に広がるスギの山々。(撮影:ただ)

果物王国の資源を生かして

山形県上山市に工房を構える果樹木工の「くだものうつわ」は、
可愛らしいその名の通り、果実の木で製品をつくっている。
ピンクのような少し赤みがかかったさくらんぼや、
ナチュラルな木肌の色をしたラ・フランスなど、樹種によって色もさまざま。
くだものうつわでは、必ず使われた果樹の名前が裏に刻印されているので、
どの果物の木がどんな色をしているのか、選ぶのもとても面白い。
ボウル、お椀、カトラリー、スツールなど、かたちは20種以上。
工房に併設されたギャラリーにはたくさんの木工品が展示販売されている。

仕入れた原木によって、お皿の大きさも大~小サイズに分けられる。お椀は小2,940円~、トレイ小4,150円~。ウレタン加工を施しているので、扱いやすく食洗機もOK。

山形県が、日本有数の「果物王国」と知られるように、
上山市にもたくさんの果樹園がある。
果物を育てるためには定期的に果樹の剪定や間伐が必要。
さらに、果樹の寿命は30~40年だと言われていて、
くだものうつわでは、役目を終えた木や伐採された枝、幹を活用しているのだ。
地元の農家から原木のまま提供してもらい、工房で製材。
さくらんぼ、ラ・フランス、柿、りんご、すもも、くるみなど
およそ8~10種を扱う。

山形県民にとって馴染み深いさくらんぼの木。果物を育む役目を終えたあとは、器へと加工されていく。

取材に訪れた日も届いたばかりのさくらんぼの原木が
小さく伐り分けられ、積まれていた。
本来なら廃棄されてしまう木材が、魅力的な器に生まれ変わっていく。
「果樹の間伐材を使うことになったのは、
ある先生との出会いがきっかけなんです」
とくだものうつわの代表を務める鈴木正芳さんが教えてくれた。

くだものうつわの代表・鈴木正芳さん。

長年建具職人として腕をふるっていた鈴木さんが、
果物の木を使って器をつくり始めたのは今から約8年前のこと。
当時、建築様式の変化とともに建具の受注は減っていくばかり。
「このままじゃいけない。なんとかしないといけないなと考えていたんです」
そんなとき、大分にある「アトリエときデザイン研究所」を主宰する、
工芸デザイナーの時松辰夫さんに出会った鈴木さん。
時松さんのつくる木の器に惹かれ、彼の指導を受けることになった。
その際、剪定した果樹を生かした器づくりを提案されたのだという。
「時松先生が視察に来られたときはちょうど3月の果樹の剪定の時期。
畑には、伐採された木がごろごろ転がっていて、
それを見て“山形は宝の山ですね”と言われたんです。
考えたこともなかったですが、地元の特徴を出せるし面白いなと思いました」

工房の様子。器に挽いていくろくろが2台。訪れた日は納期が迫っていると、急ピッチで作業が進められていた。

ろくろで挽くところ。木を回しながら、ろくろ鉋と呼ばれる刃物をあて、丸くなめらかな器になるよう削っていく。

赤羽〈まるます家〉 うなぎに鯉のあらいに、 冬にはスッポンなどの鍋ものも

イラストを拡大

明るい時間から、ほろ酔い気分。

とにかく明るい。引き戸は開け放たれたままの
秋の初めのこの日の入店時間は、午後3時、おやつの時間。
朝の9時から開いてる「鯉とうなぎのまるます家」表には、
お持ち帰り用の鰻がケースに並び、さばくまな板台や焼き場も。
うな重を食べるお昼ごはんの客は引いて、呑み助の時間で熱気むんむん、
運よく座れていつも満席状態。
角地にあるこの店は、出入り口がふたつ、コの字カウンターもふたつ。
直角ボックスのテーブル席を背にカウンターを陣取れば、
けたたましいぐらいに目に飛び込んで来るのが赤文字の短冊メニュー。
薄いグリーンのテーブルとそこにニョキニョキ立ってる名物「ジャン酎」の
水色ラベルの1リットルボトルも店内の明るさに一役たっているよう。

キョロキョロ、壁という壁に貼られたメニューの中から今日のアテを選び抜かねば……。
人は「始めました」という言い回しに弱いもの、
「きのこおろし始めました(自家製)」は則決定。
流れで土瓶蒸し、ここで、頼まなかったことはないかぶと焼きなど。
フライものは、値段に合わないボリューム満点。
鯉のあらいに、冬にはスッポンなんかの鍋ものなど、選び放題のメニューがうれしい。
ジャン酎モヒートでお願いすると例のボトルがドン! 氷の入ったグラスがドン! 
小皿に乗ったライムとミントがついてくるので、
自らマスターになったつもりでモヒートを作ります。
ジャン酎の正体は、酎ハイのジャンボ瓶。結構お強いお酒ですが、
ライムとミントの爽やさで、気がつけば、継ぎ足してるから驚きです。

〈伊達クラフトデザインセンター〉 素材の短所を補い、 長所を生かして魅力ある商品に。 私たちは、木の料理人。

伊達クラフトデザインセンターからつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、人口林率は35%。
針葉樹では、スギ、アカマツ、クロマツ、広葉樹ではナラ、クヌギが
多いことが特徴。桐の生産量が日本一を誇ることでも知られる。
豊かな福島の森から生まれるプロダクトを紹介したい。

風評被害に苦しむ福島県の林業を応援しよう。
県を越えて、若手事業者が集まった。

「ものづくりを通して木の良さを伝え、地域材の活用を進めよう」
そんな想いから、関東で木に関わる仕事をしている若手4人が集まり、
魅力ある木工商品を次々生み出している。……という噂を聞いて、
福島県北の伊達市を拠点に活動する、伊達クラフトデザインセンターを訪れた。

白井木工所代表取締役の白井貴光さん。

迎えてくれたのは、メンバーのひとりである白井貴光さん。
伊達市で木製建具や家具を製造する白井木工所の4代目だ。

白井さんが仲間と一緒に伊達クラフトデザインセンターを設立したのは、
2013年のこと。東京大学で開かれた、
地域材の利用を促進するための勉強会がきっかけだった。

白井木工所の工場でのひとコマ。

「人工林は間伐など定期的な手入れを必要としますが、
安価な外材に押されて国産材が売れなくなったことなどから、
森に人の手が入らず荒れてしまっています。
はたから見ると、林業家と木工所は近い関係に見えるかもしれません。
でも、意外とお互いのことを知らなかったりするんです。
私たちのように川下に近い事業者も、川上である林業の現場のことを考えて
木材を選ぶ必要があることを勉強会で学び、実践することにしました」

メンバーは、千葉、栃木、東京で家具・建具を製造する企業の社長や専務たち。
伊達を拠点としたのは、原発事故の影響で苦境に陥っていた福島県の林業を
応援するためだ。震災後、福島県の林業産出額は億単位で減少している。

「でも、福島県木材協同組合連合会が定期的に県内の製材所の検査を実施していますし、
事業者側も独自に厳しい基準を設定して自主検査しています。
調べてみたら、安全性は問題ないことがわかりました。
それなら、私たちのような事業者が積極的に使うことで、少しでも復興に寄与できれば。
4人の意見が一致して、福島県産材を活用した商品開発に取り組み始めました」

精緻で美しい組子細工が楽しめる置物。

そうして生まれた商品のひとつが、写真中央の「伊達KUMIKO」。
組子細工の伝統模様をインテリアアイテムに仕上げた商品で、
福島県産のスギ・ヒノキを使用している。

組子細工とは釘を使わずに木と木を組み合わせてさまざまな模様を表現する伝統技術。
障子や欄間の装飾として使われてきた。
1000分の1ミリ単位の精度で加工するため、紙1枚入る隙間もないという。

熟練した職人による匠の技が光る技術だが、
洋風の家が増えたいま、職人がその腕を振るう機会は減っている。

白井さんは、「現代の名工」と認定された父から組子細工の技術を受け継いだ。

「歴史ある技術を自分たちの代で途絶えさせてはいけないと思ったんです。
後世に受け継ぐために、いまの時代に合うよう、リデザインしました」

洋風の玄関やリビングに置いても違和感のない佇まい。
木の柔らかな風合いと職人が織りなす緻密で美しい伝統模様が
身近に楽しめるとあって、好評を得ている。

丸みのあるデザインで女性にも好まれている、木製ぐいのみ。

みずからの“つくる”で 地元を盛り上げる若手クリエイター。 「淡路島の場づくり」後編

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樂久登窯とヒラマツグミが語る、淡路に溶け込むF.B.I.

淡路島に異世界のようなキャンプ場をつくりあげた
〈First class Backpackers Inn〉(以下F.B.I.)。
キャンプ場の営業はシーズンとなる4月から10月まで。
しかも建築を開始した当初、主なスタッフは大阪から出向いていた。
そんな状況であっても、淡路島という地に溶け込んでいる。
彼ら自身の努力はもちろん、淡路島在住の若いクリエイターとの交流も盛んだ。

F.B.I.での夜のパーティ

F.B.I.には夜飲みに来るひとも多い。

樂久登窯(らくとがま)の西村昌晃さんと、建築士事務所ヒラマツグミの平松克啓さん。
ともに現在F.B.I.がある地、かつての船瀬海水浴場であった場所が
売りに出されているという話を聞いて、可能性のある場所だと思っていた。
そんなとき大阪からF.B.I.スタッフがやってきた。

「うちのカフェにふらっとF.B.I.のスタッフが遊びにきたんです。
そうしたら、船瀬海水浴場でキャンプ場をやることになったと言うんです」と西村さん。

そこから知り合い伝手に、平松さんに話が届き、
構造設計などを担当することになった。

平松さんの通常の業務とは異なり「僕たちの出番はほとんどなかった」という。
「自分たちの手でつくってみたいということで、僕たちは構造設計だけして、
あとは調整役でした。最初から“地元のひとたちとやりたい”という気持ちが強かったので、
電気、基礎、大工などを調整しました。
ほとんど船瀬周辺の職人さんたちでできあがっています」

手作業で建てていたときの様子を平松さんはこう語る。

「F.B.I.はちゃんとした会社。
でも当時、大の大人が毎週末淡路島まで来て、作業していました。
夜はお酒を飲んで、楽しそう。果たして遊んでいるのか、仕事しているのか。
楽しみ方がすごかったです。草刈りすら奪い合いしていましたからね(笑)。
そういった仕事への姿勢からは、新しい価値観を教えられました」
それはもちろん、現在ビジネスとしてキャンプ場を成り立たせているからこそできる話だ。

一方、西村さんも、F.B.I.に協力しつつ、地元への意識に驚く。
「地元には地元のルールがあるので、その都度相談に乗ったりしていました。
彼らは地元へリスペクトを払うべき、ということに理解のあるひとたちで、
溶け込み方はすごいですよ。住んでもいないのに、地元のお祭りに出ています。
そんなこと普通は考えられませんからね」

地元への入り口となる キャンプ場、海に面した First class Backpackers Inn。 「淡路島の場づくり」前編

場所の力に導かれて、キャンプ場開業

淡路島の海沿いを周回する道路から、さらに海へと降りていく小道。
道路沿いにわかりやすいサインがあるわけでもない。
クルマはなんとかすれ違うことができる。
道の先に海が開けてくると、波がおだやかな船瀬海岸。
そこに〈First class Backpackers Inn〉、略してF.B.I.というキャンプ場がある。

F.B.I.は3つのキャビン、ひとつのティピ、さらにレストランやバーが併設されていて、
初心者にもやさしいキャンプ場だ。本格的にテントでキャンプするもよし、
バーベキューをしながら、キャビンに泊まってもよし。
それぞれの楽しみ方があるが、海が目の前で風が心地良く、
静かで落ち着くという環境のすばらしさに、誰もが感動することだろう。

〈BILLY〉と名付けられたかわいいキャビン内

〈BILLY〉と名付けられたかわいいキャビン内。アメリカンログハウスなテイストだ。

ここは、もともと船瀬キャンプ場というキャンプ場だった。
現F.B.I.のスタッフは、この場所が気に入り、利用者として大阪からよく訪れていた。
5年前、船瀬キャンプ場が閉まることになり、
なにかの縁で彼らのところに話が巡ってきたのだ。
「キャンプ場をやらないか?」
キャンプ仲間だった全員が手を上げた。

キャンプ場をつくったことも経営したこともない。
だからこそ、自分たちの手で建ててみようとなった。
キャンプが好きで、しかもこの場所を愛していたから、なんとかなると思ったのかもしれない。

現在はレストラン&バーがあるメインの建屋とキャビンが3棟ある。
すべて自分たちの手で組み上げた。
とはいえ、淡路島を中心に活動している建築家のヒラマツグミに構造設計をお願いし、
それをもとに地元の大工の棟梁とともに、自分たちは大工見習いのごとく働く。

カウンターでモヒートを準備中

モヒートに使われるミントは敷地内で育てている。

「ペンキ塗りから草刈り、土木工事まで、すべて自分たちの手でやりました。
もともと道具が好きで、手作業が好きなメンバーが集まっているんです」と言うのは、
F.B.I.の河野貴志さん。

「最初はすごくヘタクソ。大工見習いにすら、なれるまでは難しかったですね。
でも棟梁の“きよっさん”のもと、みんなにこにこ楽しそうに作業していました」

そんな作業を進めていたあるとき、台風がきて、
ほぼ完成間近のキャビン4棟が地滑りで壊れてしまうというできごとがあった。

「キャンプ場というものは、自然を相手にしているんだなということを
まざまざと突きつけられました。最初にわかって良かったです、これも運命だねと」

奥に見えるのがピンクの〈CANDY〉

奥に見えるのがピンクの〈CANDY〉。ハンモックタイ枕など、チルな雰囲気。手前の〈PEANUTS〉はウッドテラスが気持ちいい。

〈天童木工〉 家具業界の常識を覆す技術を開発! ふんわりとした木肌が可愛い 国産スギの家具。

天童木工からつながる山形の森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
かつては、人里に近い雑木林ではコナラやミズナラが
薪や整炭など人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

金山町に広がるスギの山々。

日本全国のスギの山の救世主、現わる?

山形県天童市に本社を構える「天童木工」は世界中で愛される家具メーカーだ。
薄くスライスした木の板(単板)を重ねて自由な造形をつくりだす「成形合板」。
北欧で生まれたこの技術を日本で最初に取り入れ、
これまで天童木工の高い技術は、数々のデザイナーたちをうならせてきた。
柳宗理デザインの「バタフライスツール」は、
昭和31年に発売され、いまもロングセラー。
時代を超えて愛される名品を生み出してきた同社が
2014年に発表したのは国産の針葉樹を使ったシリーズだ。
特に自社製品の家具には山形県産材を取り入れ生産を行っている。

従来の天童木工の家具と大きく違う点は、「木目」。
人肌の色に近い針葉樹のスギやヒノキはとてもやわらかい雰囲気を持つ。
真っすぐのび、はっきりとした木目を纏ったチェアやテーブルは、
天童木工のモダンなデザインと融合され、
ナチュラルだけれど、品があってどこか愛らしさもある。
2014年4月に発表後は反響がたちまち広がり、
現在、注文などの問い合わせが殺到しているという。

現在、針葉樹シリーズは、テーブルやチェア、コートハンガーなど40種ある。脚のカーブが愛らしいテーブルは 51,000円(税別)。

スギを使ったソファとテーブル。肘掛けの木目も美しい。天童木工では座面の張り替えなど家具のメンテナンスも随時受け付けていて、一生使える家具づくりをめざしている。ソファ1人掛 139,000円~(税別)、テーブル 105,000円(税別)。

家具としての魅力もさることながら、反響が大きかったその訳は、
国産の針葉樹、特にスギを家具に使用したという点!
しかも、活用に皆が手をやいていた間伐材も含まれる。
一般的に家具に使われる木材は、ブナやナラなどの広葉樹。
天童木工でも、これまですべて広葉樹を扱ってきた。
スギは、広葉樹に比べて軟らかく、
強度や加工の面から見ても家具には不向きなのだ。
そんなスギを使おうと思った背景には、現在の日本の山の状況がある。

〈石巻工房〉 ワークショップ発信のデザイン。 D.I.Y 精神で自分なりの 家具をつくる。

石巻工房からつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

木の表情を生かすシンプルで頑丈な家具。

石巻の海のすぐそば。
潮の香りとともに、やわらかな木の香りがいっぱいに広がる工場で、
5、6名ほどの若いスタッフが、時々笑い声をあげながら家具づくりに精を出している。

ここ、石巻工房が誕生したのは、東日本大震災の4か月後、2011年7月。
津波の傷跡が深く残る石巻に、クリエーターやデザイナーが集まって工房を開いた。
目的は、地域の人々の就労の場と、交流の場をつくること。
ワークショップやイベントなどを開催しながら、
地域の盛り上げ役として、今年で4年目を迎えている。

干物工場だった建物を改修して工房として使っている。

石巻工房が作る家具は、作りが簡単かつ頑丈で、機能的なものばかり。
ワークショップなどを通して市民が考案し、
デザイナーがブラッシュアップしたものもある。
一見、驚くほどシンプルだが、それこそが石巻工房の狙い。
屋外でも室内でも気にせず使えて、気に入らない部分があれば、
自分で切ったり、削ったり、色を塗ったりして使える。
そんな柔軟性のある家具を目指し、新しい製品をつくり続けている。

まっすぐカットした木材をビスで固定する。石巻工房の家具は、このスタイルでつくられているのものが多い。

石巻工房のプロダクトは色もオイルも塗らない。
木の色味や年輪、フシなどが、そのまま家具の表情として現れてくる。
「木は生き物。揃っていないのは当たり前ですからね。石巻工房のテーブルは、
天板が同じ色で揃うことは、まずありません。でもそれが、製品の味になるんです」
代表の千葉隆博さんは、棚を片手に、そう話してくれた。

千葉さんは、震災前はその道20年の寿司職人だった。

〈沓澤製材所〉 伝統ある企業が挑む、 秋田杉ブランド第二世代を担う 製品づくり。

沓澤製材所がつながる秋田の森のはなし

杉はスギ科スギ属に分類された、日本特産の樹木。
秋田の杉は、木曽ヒノキ、青森ヒバと並んで、日本三大美林として知られている。

その「秋田杉」は、実は2種類ある。
ひとつは「天然秋田杉」。樹齢200年以上の、天然の森で育った杉のこと。
節のない、美しい木目が特徴の大変希少な木で、昔もいまもとても高価なもの。
特に平成24年以降は国有林の伐採が終了したため、
ますます手に入りにくいものになっている。

これに対し、人工林で育まれているのが「秋田スギ」。
間伐を行うため、材木に使える樹齢が60年くらいと、天然木に比べ若い木を使う。
そのため、天然秋田杉よりもぐっと安価な材木として、
住宅用などに多く使われているのだ。
木目の優美さなど、天然秋田杉にはかなわないところも多いが、
天然秋田杉の枯渇が叫ばれるいま、秋田スギの育成・加工が
今後大きな課題になってくることは間違いない。

そこで今回は、秋田スギを使った新しい生産システムで
製材および桶樽をつくる、大館市の株式会社沓澤製材所をご紹介。
沓澤製材所は昭和2年に創業し、80年以上の歴史を誇る伝統ある企業。
米代川沿いで秋田スギの山林経営をするところから始まり、
製材事業、桶・樽の生産など、秋田スギと天然秋田杉を使った
トータルなものづくりに取り組んでいる。
いったいどんな現場で、それらが行われているのだろうか?
沓澤俊和さんに製材所を案内していただいた。

沓澤製材所の歴史

沓澤製材所は、地域の豊富な木材資源を使った和樽のメーカー
「沓澤樽丸店」として営業を始めた。
しかし和樽の市場は既に存在していたため、どうしても後発に甘んじてしまう。
木材の調達も、業者と強いつながりがある先輩の後になってしまう。
そうすると和樽をつくることすらおぼつかなくなってくるのだ。

そこで考えたのが、材料の供給から自社で行なうこと。
自らスギ人工林を所有し、育成管理すること。
そして和樽のみならず桶製品の製造技術、製材の技術、集成材の技術の
総合メーカーになることだった。
これら一連のことが評価され、平成25年度農林水産祭にて
内閣総理大臣賞を受賞している。

こちらが沓澤製材所の社有林。

伐採し、原木の搬入を行なう。

〈栗久〉 丁寧な暮らしの憧れアイテム。 優美な木目の天然秋田杉で つくられる「曲げわっぱ」。

栗久からつながる秋田の森のはなし

秋田県大館市の「曲げわっぱ」メーカー「栗久」。
大館市に数多くある曲げわっぱメーカーのなかでも、
ひときわ人気が高いつくり手である。
人気の秘密は、「グッドデザイン賞」などに輝くモダンなデザインもさることながら、
使い心地を第一に考えた高い機能性にある。

栗久がつくるのは、北国の女性の肌のように真っ白で、細かくて
真っすぐな木目を誇る天然秋田杉だけを使った曲げわっぱ。
それらの木は、秋田県北部の白神山地、米代川流域の森で生まれている。

曲げわっぱのルーツは江戸時代にさかのぼる。
大館城主・佐竹西家が、秋田杉を生かして
下級武士の内職として奨励したことにより、産業として成立した特産品。
栗久六代目の栗盛俊二さんはその背景を教えてくれた。

「青森に十和田湖があるでしょう。あそこは昔、火山だったの。
火山が噴火して、白神山地に火山灰が降り積もったの。
その火山灰の土壌で育ったのが、天然秋田杉。
この火山灰を栄養にして育つから、秋田杉は色が真っ白なのよ。
それにね、秋田は寒いから木がキュッと引き締まって、年輪が詰まるの。
暑いところだと年輪が大きくなってね、こんなに目が細かくならない」

そして、天然秋田杉にはもうひとつ秘密が。
「栗久で使う天然秋田杉の長さは六尺(約1.8メートル)くらい。
そこにひとつも節がないんだよね。
節がある板は、曲げると節のところで折れちゃうのよ。
そうすると曲げわっぱはつくれない。
こういう節がない木は、自然にできるものじゃない。人間がつくったものなの。
どうやるかというと、植えて10年ぐらい経ったら、
上の枝だけ残して下の枝を払う“裾刈り”をする。
それを200~300年成長させると、10メートルも20メートルも節がない木ができる。
普通の木は30センチおきに節ができるものだから、全然違う」

そんな天然秋田杉は、かつては冬に伐採し、春になってから、
雪解け水を利用して山から下ろしていた。
「山から下ろしたら、米代川と長木川で木を運ぶ。
その合流点が大館。そこから最終的に日本海側の能代まで運ばれる。
能代まで運ばれない木材が大館で陸揚げされて、
細工物で使われるようになった。
だから大館の曲げわっぱは色が白くて具合がいいってことになったのよ。
秋田には3つの大きな川があるんだけど、
秋田杉って呼ばれるのは、この米代川でとれるやつだけなの」

天然秋田杉に支えられる大館の曲げわっぱ

「曲げわっぱ」は、秋田県大館市で約400年にもわたり
継承されている伝統工芸の秋田県の特産品。
天然秋田杉を薄く削いだ板を曲げてつくる、円筒形の器や箱のこと。
秋田杉特有の明るく優美な木目を生かした見た目もさることながら、
機能性にもすぐれていて、曲げわっぱのおひつでご飯を保存すると、
朝炊いたお米で夜におにぎりが握れるというくらい。

「秋田の自然に感謝してます。杉はジャポニカ・シーダーといって、
日本にしかない木材ですから」
今回は大館のまちなかにある栗久の工房を訪ね、
六代目の栗盛俊二さんにお話をおうかがいした。
栗盛さんは、お爺さんが樺細工の問屋。
お父さんは樺細工の職人、おじさんが曲げわっぱ職人という職人一家育ち。
現在は職人であり、多数の従業員を抱える栗久の社長として精力的に活動。
大館の職人のDNAを受け継ぎ、次世代に伝えるつくり手である。

たしかに、きめのこまかい年輪。

いま、秋田の国有山では道路の維持費がかさむために天然秋田杉の伐採を見合わせている。「ぜひ昔の方法を取り入れてでも、天然秋田杉が欲しいんだ」と栗盛さんは語る。

〈わいどの木〉 青森県の木である「青森ヒバ」。 すぐれた力を持つヒバの すべてを使い尽くす。

わいどの木がつながる森のはなし

青森県は、森林面積が県土全体の約66%を占めている森林県。
青森県の木にもなっている青森ヒバは、
わいどの木がある下北半島や、津軽半島に多く分布している。
近年は、保護の観点から植栽や間伐を行いながら、計画的に供給されている。

どうやったら青森ヒバのよさを伝えられるか、それがすべての原動力

本州の最北端に位置する青森県の下北半島。
そのてっぺんにほど近いところに、
青森ヒバを使ったものづくりにこだわる木工所「わいどの木」はある。

迎えてくれたのは、わいどの木の社長・村口要太郎さん。
「うちのものは100%青森ヒバだよ。
ほかの木だったらやってないね。わいは、青森ヒバにほれ込んどるから」
と言いきる要太郎さん。
奥さんの節子さんに言わせると「頭の中はヒバのことばかり」なのだそうだ。

「おい、笑え!」と節子さんに声をかけて笑わせようとしてくれた要太郎さん。そのかいあってのこの1枚。

要太郎さんがそんなにもほれ込み、
青森ヒバに絞ってものづくりをしている理由はいたってシンプル。
青森ヒバの効能がすばらしいから。それをもっとみんなに知ってほしいからだ。

特質すべき効能は、殺菌・抗菌効果と、消臭・脱臭効果。
つまり、カビやシロアリに強く、不快な臭いをとってくれるということ。
わいどの木では、一般建築材の製造販売と並行して、
これらを生かした商品づくりも行っている。

たとえば、「ヒバ爆弾」という面白いネーミングの商品がある。
これは、製材するときに発生するおが粉を円筒状に固めたもので、
押し入れや下駄箱などに入れておくと、臭いや湿気がとれる。
はじめは燃料にしようと考えていたそうだが、
ヒバの消臭効果が利用できるのではないかと思いついたのが、ことの発端。
「木工所で働いている連中にこれを渡し、
その上に小便をしてもらい、その臭いを自らかいでもらったんだよ。
そうしたら、なんとまったく臭わなかったんだ」
そこから、これならば消臭グッズになり得ると確信して誕生したそうだ。

一番手前がおが粉。製材時の端材は、チップにしたり削ったりして枕の中身などに使い、無駄なく活用する。

実は、青森ヒバは社寺仏閣の建材として使うことが多い。
それは、こうした効能があることに加え、数百年という長い年月を経て成木になるため、
木目が緻密で美しく、風合いがあるからだ。
それゆえに、高価なものと思われがちだ。

「社寺仏閣の建材に使うのは、幹が太く、まっすぐに伸びた、
樹齢200年はとうに超えているだろう一級のもの。
では、それ以外の曲がったものはどうするのか。
同じ200年の年月を経た木なのにって話だよな。
うちでは、青森ヒバはどれも区別なく使うよ。
加工しにくい部分があるならば、チップにするなど、
何か別のかたちにすればいいだけのことだ。
消臭効果は変わらないのだから、それを布に入れたら自然な消臭剤だよ。
無駄なく使ってあげれば、曲がったヒバもきっと喜ぶべ」

製材時に出た端材はチップにするなどして有効活用する。このチップは臭い取りに抜群。

「よし、こっちへこい」と
要太郎さんが案内くれたところにあったのは、輪切りにされた青森ヒバ。
木皮から内側に5センチほど入ったところまでは、やや茶色みを帯びている。

実物を見せながら、わかりやすく説明をしてくれる要太郎さん。

この部分はカビが生えてしまうので、商品には使わないのだという。
しかし、それは決して捨てずに、製材された木を乾かすときや、家庭での燃料にする。
無駄にしない精神は、こんなところにも感じられた。

端材を燃料にして木を乾燥させているため、工房の煙突からは煙がもくもく。

〈きこりの店〉 木それぞれの個性と パワーを製品に変えて、 たくさんのひとの手へ

きこりの店からつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9,754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、人口林率は35%。
針葉樹では、スギ、アカマツ、クロマツ、広葉樹ではナラ、クヌギが
多いことが特徴。桐の生産量が日本一を誇ることでも知られる。

表情豊かな福島県の森。

自分たちで伐った木を、自分たちで売る。それが「きこりの店」。

福島県南会津郡南会津町。
ほのかに色づきはじめた広葉樹が生い茂る国道352号線を車で走っていると、
大きな木彫りのフクロウと目が合った。

「お客さんがチェーンソーでつくってくれたんですよ」と話すのは、
「きこりの店」スタッフの小椋淳美さん。
ここは、株式会社オグラが経営する、木材と家具・小物の店だ。

お店の目印となるフクロウ。

「小椋」という姓は、滋賀県の木地師集団が発祥といわれる。
その一部が会津地方に移り、木地師の技法を広めた。
小椋さんの先祖も、伐り倒したブナやトチを手挽きお椀などに加工し、
会津若松市内の漆器問屋に卸していたという。

昭和20年代から広葉樹の伐採・製材を手がけるようになり、
平成4年から住宅建築を行う「幸林ホーム」と
木材や家具・小物を製造販売する「きこりの店」をスタートした。

「きこりの店」で人気があるのは、無垢一枚板や、
樹皮がついていた部分を平滑にせず残した耳つきの家具。
自然そのままの野性味溢れる魅力に惹かれ、県外から訪れる人も多い。

「木材は節や虫穴があると等級が低く、値段も低く取引されてしまうんです。
木材の伐採は大変危険な仕事ですが、
命がけで伐ってきたものが安く扱われるのは悔しい。
それなら自分たちで伐ったものを自分たちで値段をつけて売ったらいいんじゃないか。
それが小売りを始めた理由です」

木材の魅力を語る小椋淳美さん。

〈滴生舎〉 岩手の豊かな森林資源と 伝統文化から生まれる浄法寺漆器。

滴生舎からつながる岩手の森のはなし

本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ha、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)220,000,000㎥。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。

浄法寺に広がる漆の林。漆を採集したら伐採し、再び若芽を萌芽させ、次の漆の採集に向けて育成する。

本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。
今回から、岩手県の森林資源の豊かさと、
木に関わる暮らしをプロデュースする人たちの活動をご紹介しよう。

初夏の森で行う漆掻きの作業。初夏に採れる漆は「初辺」と呼ばれ、拭き漆などで用いられる。

国産漆の産地「浄法寺」

岩手県二戸市浄法寺は浄法寺漆器の産地として知られる。
しかし、輪島や会津などの一般的な漆器の産地とは大きく性格が異なっている。
それは、ここ浄法寺が生漆の国内最大の生産地であることに深く関係している。
漆器はかつて、西洋から「japan」と呼ばれていたように日本を代表する伝統工芸だった。
この地位は現在においても変わりはなく、
蒔絵、沈金、螺鈿などの独自の技術を用いた漆芸の世界は
日本の美意識の核を担っていると言っても過言ではないだろう。
また、日常においても漆器は身近な存在だ。
過去はもちろんのことだが現在においても
漆塗りのお椀を珍しいと感じる日本人はほとんどいないことだろう。

こうした歴史ある手仕事だけに、しっかりとした伝統が守られていると思われがちだが、
現代の経済システムに乗らざるを得ない漆器製造の現場は、そう簡単なものではない。
まず、国内工場でつくられているものはある意味優良。
人件費の安い海外工場で製造されるものも少なくない。
また、国内生産であっても、木地が本来の木材ではなく、
プラスチックだったりすることもある。

さらに漆器が漆器たる所以となる漆については、
正直なところ、我々が一般的な暮らしのなかで触れることができる漆器に
国産漆で塗られたものを探すほうが難しい。
現在、国内で流通する生漆の約98%が中国やベトナム産。
国内産漆はある意味、貴重を通り越して幻とも言える存在に近い。
もちろん、外国産漆がすなわち悪と決めつけるつもりはないが、
日本の風土に育まれてきた国内産漆は、外国産に比べ、
より堅牢で美しい質感を持つとされる。

また、高価で貴重な国内産漆があるからこそ、
日本の漆器文化が守られるという側面もある。
たとえば、わざわざプラスチックの木地に高価な国産漆を塗る塗師が存在しないように、
貴重で美しい質感を生み出してくれる本物の漆があるからこそ、
木地段階から吟味を重ね、漆を何度も塗り重ねて
本物の漆器をつくるという世界が継承されるのだ。

2020年にむけてのブランド戦略  世界に誇るヴィジョンとは? 「めがねのまち鯖江」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-023' append=' はこちら']

めがねの歴史

鯖江のめがねは明治38年(1905年)に増永五左衛門が農閑期の副業として始めた。
少ない初期投資で現金収入が得られるめがね枠づくりに着目したという。
全国から職人が集まり、若者が腕を磨くことで分業独立が進んだ。
戦後の高度経済成長の中ではめがねの需要も急増し、産地として大きく成長した。

来年で鯖江めがね110周年。
国産のめがねフレームのシェアは96%。
鯖江でめがねにかかわるひとは5308人。
事業所数は531件。
実に働いているひとの6人に1人がめがね産業にかかわる。
(*平成20年工業統計調査より)

しかしここ数年、めがねのまち鯖江は大きな危機にみまわれてきた。
めがねフレームの輸出と輸入は2000年頃に逆転。輸出量は右肩さがり。
いまめがねは9割が中国製になっている。

「拡大志向と価格の競争では未来はない。結局は中国に持っていかれる。
鯖江めがねのブランド化が必要なのです」

そのためには“めがねのまち、鯖江の未来像を描くヴィジョン”が必要だ。
めがね産業の若手経営者が立ち上がった。

ボストンクラブ代表、小松原一身さん

めがねの聖地鯖江市に本社を構える(株)ボストンクラブ代表、小松原一身さん。めがね一筋36年。モノづくり、コトづくりを鯖江から発信をし、業界の活性化に挑む。めがね関連企業の若手経営者でつくるSBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)代表。

SBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)

SBW(サバエ・ブランド・ワーキンググループ)の代表、小松原一身さんにお話を伺った。
SBWは次世代を担う若手経営者が集まって「鯖江めがね」を、
鯖江の確固としたブランドにしていこうと立ち上がった。

「ブランディングは一度きり。やるなら失敗はできない。
鯖江をめがね産地としてブランド化するために、
どのようなPRやマーケティングが必要かを学びあっています。
イッセイミヤケに在籍した滝沢直己さんや、ナガオカケンメイさん、
佐藤卓さん、grafの服部滋樹さんなど、外部の力も借りながら、
コンセプトをつくり、それをもとに2020年までのアクションプランを進めています」

めがねのまち鯖江の伝統を次の100年にむけて継承し、進化させ、
産地の持つネットワークパワーで、世界に誇るジャパンブランドになる。
そして、ひとも企業も、ともに成長しつづける「SABAE」を実現する。
それがSBWの描くヴィジョンだ。

小松原さんは語る。

「ひとつは鯖江を“地域”としてブランド化していくということ。
たとえば“今治タオル”はタグをつけると2倍の値で売れるという。
“鯖江”を“今治”のようにブランド化をしていきたい。
まず産地である鯖江のひとにコンセプトを理解してもらおうと思っています」

そのためのアクションプランとして、
ブランド認証の基準づくりも考えているという。

「SABAE MEGANE JAPANの認証制度と基準づくりをしていきます。
時計で言うとジュネーヴシールのようなものかもしれません」

ジュネーヴシールとはスイス政府及びジュネーヴ州によって
規定された基準に基づいた品質規定における最高級スイス時計の証。
産地が認定する技術とクオリティでブランドの求心力を高めるのだという。

「そして来年はめがね生誕110周年。鯖江市政60周年。
なんらかのかたちで“めがね博”をやりたいと考えています」

国内での認知とブランド化が現在進行形。
今後はグローバル発信し、世界での認知を高めたいという小松原さん。
鯖江の若手経営者たちは動き始めた。

江戸時代のめがね

めがね会館に陳列されている江戸時代のめがね。

富山・魚津港 後編

謎の魚ゲンゲと、桜色の甘エビ。

引き続き、富山の港町、魚津からお届けします。
前回、お会いした漁協の浜住博之さんの案内で、
甘エビ漁を営む魚住義彦さん繁子さんご夫婦のお宅を訪ねました。

浜住「今回は無理言ってすみません」

テツ「すみません」

母「上がってください、どうぞ」

テツ「おじゃまします」

応接室へ通していただき、今回の取材内容を説明した。

母「たいしたもんできないよ~。ゲンゲと甘エビだけ、それだけ」

テツ「はい、十分です、ありがとうございます! 
ところで、ゲンゲというのを初めて聞いたのですが、
どんなものなんでしょうか???」

父「この辺りでよく獲れる魚でね、私の船でもたーくさん揚がってましたよ」

代々続く漁師の家に生まれたお父さん、自然と海の世界に入っていったそう。

父「生まれつきの漁師でね、10歳から海に行ってたんだよ。いまは陸まわりの仕事でね」

現在は、息子さんが漁師として後を継いでいる。
お父さんは息子さんが捕ってきた魚を、浜で氷詰めをして市場に出しているそう。

テツ「息子さんは、甘エビとゲンゲを獲るんですか?」

母「うん、そうそう」

テツ「昔からよく食べられていたのでしょうか?」

母「そうやよ~。吸い物でも煮付けでも、なーんでもおいしいよ。
寄せ鍋にしたら最高だよー! 
おかずの支度が面倒になったら、大きい鍋にゲンゲをぶつぶつと切って、
そこへ、白菜、糸こんにゃく、豆腐入れて食べると、
子どもたちも、だまぁ~って、口でチューチュー吸って、歯のところに骨だけ残るのよ、
それをパッと出してね、これやったら、ほかなんにもいらんね~って言うよ」

ゲンゲの話になった途端、お母さんのテンションが急上昇。
そんなにもすごい奴なのか、ゲンゲ。
しかも、チューチューで、骨をパッとって、いったい……。

母「そんで、余った汁にうどん入れて、またチュチュッと食べてね」

お母さん、相当ゲンゲがお好きなよう。

ゲンゲ(幻魚)は富山湾に棲む深海魚で、体長は20センチほど。
色は薄灰色で、全身がヌルヌルとしたゼラチン質で覆われている。
身は白く透き通っており、適度な脂がのっている。
漁村では昔から味噌汁や吸い物の具として使われていた。
いまでは、天ぷらや立田揚げなどでも食べられている。

テツ「お母さんはもともと、魚津のご出身なんですか?」

母「(ニヤリ)ぜぇ~んぜん違うの、北海道」

テツ「あら、じゃぁお父さんに見初められて、はるばる富山にお嫁入りを?」

母「うん、そう、っていうことかね。ハハハハ」

父「まぁ、なんていうか、ついてきた格好でね。エサ投げたら、食いついてきたの」

母「ぼけーっとしとったから、イカの針にくっついてきた」

ワハハハハ。

テツ「おふたりは、なんだかお顔立ちが似てらっしゃいますね」

母「おんなじ魚食べとるから」

ワハハハハ。

テツ「毎日お魚は食べるんですか?」

母「いや、朝昼晩」

おっと!

テツ「朝は干物ですか?」

母「いやいや、刺身」

なーんと、うらやましい~。

母「浜行ってきて、獲ったもんと物々交換したりしてね」

うわ、その交換会に混じりたい。

母「2、3日食べないとね、あ~、刺身食べたいな~ってなるのよ」

体に染みついているのですね。

母「そうすると、ちんこいのでも何でもいいから貰ってきて、
ご飯の上にバーッとのせて食べるとおいしいよー」

やはり、お母さんは魚の話になると熱がこもるようだ。

父「ガパーんて食べるんだよ、食べ方があんだよ。ガパーんて食べんだよ」

ギャハハハハ。

母「さあ、そろそろ作ろうか? お父さんゲンゲね!」

お父さん、にやりと嬉しそう。

父「よっこいしょー」

待ってましたとばかりに膝をポンとひとつ叩き、キッチンに移動。

オープンデータ×電脳めがね。 “日本のシリコンバレー”の挑戦。 「めがねのまち鯖江」前編

めがねのまち鯖江がつくるウェアラブルデバイス

鯖江市は国産めがねの96%を生産しているというめがねのまち。
めがね枠製造歴は100年を超え、日本のめがねづくりの歴史と言える。
人口6万人程の市で、就業人口の6人に1人はめがね産業に関わる。

そこにいま新しい動きがある。
オープンデータ化を鯖江市が進めているのだ。
「めがね+IT=ウェアラブルデバイス」を打ち出して、
ハイテックで新たなビジネスモデルやまちづくりが進んでいる。

地域のコミュニティがアントレプレナーシップを育んできた。
伝統的なものづくりのまちから電脳データシティへ。
いま鯖江は、「日本のシリコンバレー」と言われはじめている。

VRヘッドセットOculus Rift(オキュラスリフト)

めがねのまち鯖江は電脳めがねのまちに生まれ変わりつつある。VRヘッドセットOculus Rift(オキュラスリフト)。視野角が110度とひろく首の動きをモーションセンサーが拾いクイックに反応する。鯖江には電脳めがねを利用したソフトやアプリの開発者が集まり、新たな産業が生まれつつある。

ウェアラブルデバイスとは、腕や頭部など、
身体に装着して利用することが想定された端末(デバイス)。
この秋、Appleの腕時計型ウェアラブルデバイス「Apple Watch」が発表されたが、
ほかにも数多くのメーカーによって、リストバンド型、指輪、めがね、衣服など、
さまざまなアイテムが登場してきた。
そのなかでもグーグルやエプソンなどが開発を進める
めがね型のウェアラブルデバイスは、一般の注目度も高い。

めがねにセンサーやカメラなど、コンピュータの一部が組み込まれ、
GPSの位置情報や行政が提供するオープンデータにアクセスすることで
さまざまなサービスが受けられる。
ウェブ検索をはじめ、内蔵されたカメラを使い写真や動画を撮影したり、
天気や時間、乗換案内などの情報収集などができ、
ライフスタイルを大きく変える可能性もでてきた。

iPhoneやAndroidスマートフォンを利用して設定などが行える。
2016年までには60億ドルのマーケットに成長すると見られており、
テクノロジー系の企業はこぞって新しいデバイスの開発を進めている。
その台風の目になっているのが「鯖江」なのだ。

福野泰介(ふくのたいすけ)さん

株式会社jig.jpの代表取締役社長の福野泰介(ふくのたいすけ)さん。グーグルグラスを愛用している。jig.jpでは自治体向けの「オープンデータプラットフォーム」サービスを提供開始している。

鯖江のITのキーパーソンのひとり、
株式会社jig.jpの福野泰介さんにウェアラブルデバイスを取り巻く状況をお聞きした。

「はっきりしたことは言えないんですが、
グーグルグラスは『Made in Japan』という記事を見たことがあります。
国内めがねの95パーセントは鯖江産なので、
そう考えるとおそらく鯖江のどこかでつくられているという予測が立ちます。
守秘義務があるので、どこのメーカーがつくったというのは明らかにされていませんが」

スマートフォンなどと違って、めがね型デバイスは身体へフィットする装着感などが重要。
色、形、デザイン性などファッションの要素も大きい。
ひとつのめがねができ上がるまでに250もの工程がある。
その工程のひとつひとつに熟練した技と最先端の技術が注がれている。

ほかのデバイスと違って、エンジニアとめがねデザイナー、
めがね職人が連携して制作する必要がある。

琵琶湖のブラックバスを食する。 「滋賀県の獣害利用」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-021' append=' はこちら']

食用として日本に持ち込まれたブラックバスが繁殖した琵琶湖

滋賀県の真ん中に悠々と水を湛える関西の水がめ、琵琶湖。
ここには50以上もの魚種が生息し、豊かな生態系を形成している。
そのなかには、もともと日本にはいなかったブラックバスやブルーギルという外来魚も
同じく生息している。これが琵琶湖の生態系を崩しているとされている。

もともとは昭和初期に国の政策で、
食用や釣り用としてアメリカから持ち帰って放流し、日本に広まったもの。
繁殖力が強く、魚食性のブラックバスは、どんどん全国に増えていった。

2000年頃から、滋賀県ではブラックバス駆除を強化している。
ブラックバスの駆除のための漁を行うのは、もちろん琵琶湖の漁師だ。
年間約300トンものブラックバスが駆除されてきた。

琵琶湖の生態系を取り戻すために、漁師は奮闘している。
滋賀県高島市の若手漁師、中村清作さんは3代続く漁師一家で育ち、
日々、両親とともに琵琶湖の魚に向きあっている。
父親の代からブラックバス漁にも積極的に取り組み始めた。
たとえばあるダム湖にブラックバスが増えてきたとなれば、
中村さんに相談がきて技術提供をしたり、サンプル提供の依頼がきたりと、
その腕に信頼が置かれている漁師だ。

中村清作さん

高齢化が進んでいる琵琶湖の漁師のなかで、若手の中村さんは未来へつながるアクションを考える。

中村さんの「刺網漁」を見せてもらった。まずは網を湖に広げていく。
その網に“刺さる”ようにかかった魚を、丁寧に手で取り外していく。
秋からがブラックバス漁の最盛期だ。
年内は毎日のようにブラックバス漁にでるという。

もちろん自然相手の漁なので、獲れる日もあれば獲れない日もある。
「去年は少なかったです。補助金が余ったので、返金しました」という中村さん。
去年は年間約150トンに減少した。
しかしこれは「順調にブラックバスが減ってきている」と捉えることもできる。

ブラックバスを手で取り外していく

長さ35mの網を50枚。かかったブラックバスを、すべてひとつひとつ手で取り外していく。

この日は約50kgのブラックバスが獲れた

この日は約50kgのブラックバスが獲れた。最高で450kg獲れたこともあるという。

富山・魚津港 前編

それは、東京の魚津から始まった。

4月の中旬、コロカルの撮影で富山へ行くことになった。
富山といえば、何と言ってもホタルイカ。
子どもの頃からホタルイカが大好物で、旬になると
魚売り場に並ぶそれを見ては、ついごくりと喉を鳴らしてしまう。
そのホタルイカ漁のメッカである富山に、ずっと行ってみたかった。

撮影は1日で終わるとのこと。
ならば、延泊して美味しいものにありつきましょう。
さて、どうリサーチしたものかと考えながら、帰り道をぼんやりと歩いてると、
目に飛び込んできた「魚津」という居酒屋の看板。
おっと! 魚津といえば、富山の港町ではないですか。
20代の頃からちょくちょく寄らせてもらっているこのお店。
旬の魚と日本酒が、とびきり美味しい。
ひょっとすると、富山の有力な情報をお持ちなのではあるまいか。
お店の方と特に顔なじみというわけではないが、ダメもとで聞いてみよう。

富山のお酒を始め、各地の日本酒が味わえます。旬のお刺身とぜひ。「魚津」 住所:東京都杉並区荻窪5-29-11 TEL:03-3393-4629 詳細はこちら

ガラガラガラ~。
店員「いらっしゃいませ!」
威勢のよいお出迎えに、少々気まずさを覚える。

テツ「すみません、あの、飲みに来たのではなく、ちょっと伺いたいことがありまして」

店員「???」

テツ「今度、富山にいくことになったのですが、
美味しいお料理を作ってくださる方をご存知ないでしょうか」

店員「……ちょっとお待ちくださいね」

ご主人が厨房から出て来てくれた。

テツ「突然すみません。
今度富山に行くのですが、郷土料理を教えてくださる地元の方を探しておりまして」

一瞬きょとんとした表情を浮かべたご主人。
腕組みをしながら、ぐるっと考えをめぐらせてくださっている様子。

ご主人「電話してみるよ」

どこへ?

ご主人「あー、東京の魚津です」

しばらく会話が続いた後

ご主人「はーい、ありがとうございますー」

電話を切る。

ご主人「吉田鮮魚店ってとこに電話したんだけどね、
漁協に電話したらいいって、話通しとくからって」

電話番号を書いたメモをご主人から手渡された。

!!!

なんというスムーズな展開!

テツ「ありがとうございます!」

思い切って開けてよかった~、魚津の扉を。
その後、ご主人オススメの宿など、富山情報をたっぷり教えていただいた。
お礼を伝えて店を後にする。

後日、魚津漁協に連絡をしてみると、地元の方を当ってくださるとのこと。
どんな出会いがあるのやら、いよいよ楽しみになってきた。

鹿肉をカレーとして活用する 滋賀県のCoCo壱番屋の取り組み。 「滋賀県の獣害利用」前編

捕獲した鹿の肉を、おいしく「いただく」ということ

全国にチェーン展開しているカレーショップ、ココイチこと「CoCo壱番屋」。
滋賀県のココイチでは、他県とは一風変わったカレーを販売している。
それが鹿肉カレーだ。

滋賀県内12店舗のフランチャイズを担当する株式会社アドバンスは、
地産地消に貢献できそうなオリジナル商品の開発に取り組んでいた。
「まずは滋賀県内で困っていることがないか、調べてみました」
というのは、アドバンスの川森慶子さん。
「たくさんの農家や林業の方が、獣害で困っているという情報を見つけたのです。
なかでも鹿害(ろくがい)に注目しました」

鹿は、植林したひのきなどの苗木や、山から降りてきて農作物も食べる。
春に田植えをしたばかりの苗の穂先も食べる。
一度田んぼに鹿が踏み入ると、そのまま育てたお米は獣くさくなってしまうという。

アドバンスの川森慶子さん

このプロジェクトに対して強い熱意がこちらにも伝わってくるアドバンスの川森慶子さん。

年間400頭の捕獲をしている獣美恵堂

平成22年当時、滋賀県には3万数千頭のニホンジカが生息していたが、
平成24年時点では47,000〜67,000頭に増えているといわれている。
しかし滋賀県でのニホンジカの適正生息数は約8000頭とされ、
年間16,000頭の捕獲を目指している。被害額は約1億7000万円にものぼる。
捕獲は、地元の猟師たちにお願いすることになる。

今回、鹿猟に同行させてもらった日野猟友会は、
滋賀県蒲生郡にある日野町で猟をしている。
まず鹿の被害にあった農家などは、町に被害状況と場所を報告。
そして町から日野猟友会に駆除の要請がくる。

この日の猟は、山から犬によって平地に追い出された鹿を待ちかまえて撃つという手順。
どこから出てきても対応できるように、けもの道のある場所などから推測しながら、
数名が数百メートルおきに銃を持って待ちかまえる。
途中、無線などで連絡を取り合いながら、鹿を待つ。
遠くで銃声がした。我々が待ちかまえていたところとは別の場所に鹿が出たようだ。

持ち場などを確認

猟の前に、それぞれの持ち場などを確認しあう。

視線は鹿が出てくる遠く先に

待っている間も、仲間からの無線に耳をすまし、視線は鹿が出てくる遠く先に。

日光〈ニュー和加奈〉 名物の大きな唐揚げ、ナス焼き、 茶碗蒸しをのんびりと

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知らないまちの、知らない居酒屋。

「高速道路の入り口までになかったら、あきらめよう」
日光江戸村で撮影のお手伝いをしていたお仕事の帰り道。
数日間のロケ弁当しか口にしていなかった3人が乗った車の中での会話。
せっかく遠いところに来たのだから、最後においしいものでも食べて帰ろうと。
飲食店の閉店時間が迫る中、国道を走る車は、
高速道路の入り口までもうすぐのところで、ぼんやり明かりが灯った看板を発見! 
「ニュー和加奈」と書かれたお店は、ちょうちんもぶら下がって、居酒屋の佇まい。

車から駆け下り、縄のれんをくぐって、
店主に尋ねると、カウンターなら大丈夫ということ。
どうやら、ひとりできりもりしている様子。
この店主の顔を見て、二言三言のやりとりで、
ここはいい店なんだと確信した私は、
ええ感じよ、と車を停めてから友人たちと再び入店。
店内は、カウンターのほかはお座敷。けっこう広く、
連ねた机の上には、宴の後の皿やコップが置かれたまま。
団体客が帰った後の店内は、がらんとしています。
座敷の端っこで地元の草野球の(草野球というのは私の妄想ですが……)
メンバー3人がビールと酎ハイ片手に飲み会。
そのお客さんの注文の揚げ物を揚げる音が店中に響いています。

こぼれるような鮮やかさ! 米と雪の国、秋田の 〈なすの飯ずし〉レシピ

郷土食を日本の隅々から掘り起こし、記録した名著
『日本の食生活全集』全50巻(農文協)から
料理人・後藤しおりさんが現代の家庭でもおいしく
カンタンに作れるよう再現したレシピを
お届けしている本連載。ぜひ一緒に作ってみましょう!

秋田の発酵文化が生み出す、彫りの深い風味。

今回ご紹介するのは、『日本の食生活全集5 聞き書 秋田の食事』
に掲載されている秋田県の食事から。こぼれるような紺色のナスと、
黄色の菊の花が彩り鮮やかな「なすの飯ずし」です。

見た目はかなりのインパクト。
噛みしめると、お米の甘みとジューシーなナス、そこに菊の花の
苦味がアクセントになって、味わったことのないおいしさが溢れ出ます!

このメニューが生まれた秋田県は「米と雪の国」と呼ばれるところ。
豊富に採れる米と、雪による湿り気によって、
独自の発酵文化がもたらされたところ。
半年間雪に埋もれる生活によって、素材の貯蔵技術が高度に発達しました。

数年前に全国的に大ブームになった「米こうじ」は、
秋田においては江戸時代から作られていて、
秋田ではお馴染みのものなんですよ。

そんな秋田をテーマにしたレシピを作るとなったら、発酵食は外せません。
郷土食の連載を始めたときから、しおりさんはずっと
「発酵食を作りたい」と熱望していました。
そして、「聞き書 秋田の食事」のカラーページで見つけた
この料理から目が離せなくなってしまったんです。

紺碧のナスに乗ったお米、鮮やかな黄色の花、そして赤い唐辛子。この華やかな発酵食を作ってみたい!

そもそも発酵食は手間がかかるもの。普通であれば、
飯ずしは2ヶ月から3ヶ月もの間発酵させなければなりません。
でもそのタイムスパンは現代の家庭では非現実的。
そこでしおりさんは短期間でも手軽に作れるメニューを開発しました。

「発酵食は、日本人の知恵が沢山つまった保存方法だと思います。
その時期にたくさんとれる旬のものを、一年中楽しめるように、
手間暇かけてつくりあげる。
そんなところに惹かれたんです」(しおりさん)

それでは作ってみましょう。

つくり手も使い手も 幸せになれるプロダクトを目指す。 「Lalitpur」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-017' append=' はこちら']

ヒマラヤの恵みがたっぷり込められた、Lalitpur

オーガニックスキンケアブランドのLalitpur(ラリトプール)は、代表の向田麻衣さんが
Coffret Project(コフレ・プロジェクト)での経験(前編参照)などから、
ネパールの女性の雇用促進をひとつの目的として立ち上げたブランドである。
まずは「ネパールで立ち上げるにしてもどんなものがいいのだろうか?」
というところからスタートした。
そこでたどり着いたのが、
ネパールが世界に誇るヒマラヤ山脈に、豊富に生えている高山植物。

「標高が高いため、日光をたくさん浴び、
農薬が一度も使われたことのないきれいな土で育った植物は、
その他の地域で育った植物よりも効能が高いことも科学的に証明されているんです。
これは宝だと思いました」

こうして、高山植物を利用したオーガニックスキンケアブランド、
Lalitpurの立ち上げへと歩き出した。

どんな植物があるか。そこからどんな成分が採れるのか。
実際に商品に配合したらどうか。安定供給できるか。繰り返し、研究開発した。
そのなかでいくつかの原料を採用する。
たとえば現在Lalitpurのバームに入っているシーバックソーンという植物の実は、
オメガ7という抗酸化作用のある成分が含まれている。
欧米ではアンチエイジングを目的にサプリメントとして取り入れる人も多い。
そのほかにも肌細胞の再生・修復を助けてくれるジャタマンシー、
ネパールの国花であり
筋肉や関節の炎症を和らげてくれるアンソポーゴンといった植物。
さらには標高3000m以上のヒマラヤ山地に棲息するヤクという動物から絞り、
豊富なビタミンや8種類の必須アミノ酸が含まれ、
高い保湿効果のあるヤクミルクなどが使われている。

すべてピンクで統一されたデザイン

石けん、バスソルト、バームなど、すべてピンクで統一されたデザイン。封をしたように見える結び目がかわいい。写真提供:Lalitpur

そして中心となる石けんづくりだ。
石けんのつくり方はいろいろな方法があるが、
向田さんが選んだのはコールドプロセス製法。
ケン化(石けんづくりで欠かせない過程)で自然に起こる熱以外は、
一切、火を加えない。この方法だと有効天然成分が残りやすいのだ。

次はネパールで石けんをつくるノウハウを持っている工房を探した。
彼らの技術と、日本側の技術を融合させて
オリジナルの商品を生み出さなくてはならない。
品質が良いことはもちろん、
「Lalitpurが伝えたいストーリーにふさわしいものをつくろう」と、
繰り返し試作を重ねていった。