連載
posted:2014.10.15 from:秋田県大館市 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
writer profile
Akiko Saito
齋藤あきこ
さいとう・あきこ●宮城県出身。図書館司書を志していたが、“これからはインターネットが来る”と神の啓示を受けて上京。青山ブックセンター六本木店書店員などを経て現在フリーランスのライター/エディター。Twitter
栗久からつながる秋田の森のはなし
秋田県大館市の「曲げわっぱ」メーカー「栗久」。
大館市に数多くある曲げわっぱメーカーのなかでも、
ひときわ人気が高いつくり手である。
人気の秘密は、「グッドデザイン賞」などに輝くモダンなデザインもさることながら、
使い心地を第一に考えた高い機能性にある。
栗久がつくるのは、北国の女性の肌のように真っ白で、細かくて
真っすぐな木目を誇る天然秋田杉だけを使った曲げわっぱ。
それらの木は、秋田県北部の白神山地、米代川流域の森で生まれている。
曲げわっぱのルーツは江戸時代にさかのぼる。
大館城主・佐竹西家が、秋田杉を生かして
下級武士の内職として奨励したことにより、産業として成立した特産品。
栗久六代目の栗盛俊二さんはその背景を教えてくれた。
「青森に十和田湖があるでしょう。あそこは昔、火山だったの。
火山が噴火して、白神山地に火山灰が降り積もったの。
その火山灰の土壌で育ったのが、天然秋田杉。
この火山灰を栄養にして育つから、秋田杉は色が真っ白なのよ。
それにね、秋田は寒いから木がキュッと引き締まって、年輪が詰まるの。
暑いところだと年輪が大きくなってね、こんなに目が細かくならない」
そして、天然秋田杉にはもうひとつ秘密が。
「栗久で使う天然秋田杉の長さは六尺(約1.8メートル)くらい。
そこにひとつも節がないんだよね。
節がある板は、曲げると節のところで折れちゃうのよ。
そうすると曲げわっぱはつくれない。
こういう節がない木は、自然にできるものじゃない。人間がつくったものなの。
どうやるかというと、植えて10年ぐらい経ったら、
上の枝だけ残して下の枝を払う“裾刈り”をする。
それを200~300年成長させると、10メートルも20メートルも節がない木ができる。
普通の木は30センチおきに節ができるものだから、全然違う」
そんな天然秋田杉は、かつては冬に伐採し、春になってから、
雪解け水を利用して山から下ろしていた。
「山から下ろしたら、米代川と長木川で木を運ぶ。
その合流点が大館。そこから最終的に日本海側の能代まで運ばれる。
能代まで運ばれない木材が大館で陸揚げされて、
細工物で使われるようになった。
だから大館の曲げわっぱは色が白くて具合がいいってことになったのよ。
秋田には3つの大きな川があるんだけど、
秋田杉って呼ばれるのは、この米代川でとれるやつだけなの」
天然秋田杉に支えられる大館の曲げわっぱ
「曲げわっぱ」は、秋田県大館市で約400年にもわたり
継承されている伝統工芸の秋田県の特産品。
天然秋田杉を薄く削いだ板を曲げてつくる、円筒形の器や箱のこと。
秋田杉特有の明るく優美な木目を生かした見た目もさることながら、
機能性にもすぐれていて、曲げわっぱのおひつでご飯を保存すると、
朝炊いたお米で夜におにぎりが握れるというくらい。
「秋田の自然に感謝してます。杉はジャポニカ・シーダーといって、
日本にしかない木材ですから」
今回は大館のまちなかにある栗久の工房を訪ね、
六代目の栗盛俊二さんにお話をおうかがいした。
栗盛さんは、お爺さんが樺細工の問屋。
お父さんは樺細工の職人、おじさんが曲げわっぱ職人という職人一家育ち。
現在は職人であり、多数の従業員を抱える栗久の社長として精力的に活動。
大館の職人のDNAを受け継ぎ、次世代に伝えるつくり手である。
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機能があるから伝統が残る
美しい曲げわっぱをつくるために、材料にこだわりはあるんですか?
と尋ねると、
「材料を選り好みするっていうのはないよ。伝統工芸っていうものは、
原材料が集まったところで職人さんがつくるものだから。
材料と人の流れの集積があって、産地ができあがる。
仕入れたもので、工夫しないと」
と答えてくれた。
曲げわっぱは戦後、プラスチック製品に押されて消費が低迷していたが、
その状況が一変したのは震災後だった。
「東日本大震災以降、弁当箱とおひつの売上が極端に上がったんです。
たくさんの人が被害にあったのを見て、
みんな他人ごとじゃないと思ったんでしょう。
気を引き締めて、お弁当ぐらいは自分でちゃんとしよう、
ということだったのかもしれないね」
そうして、生活を見つめなおすシンボルとして再評価された曲げわっぱ。
しかし曲げわっぱの魅力は、単なる懐古趣味ではない。
栗盛さんは、伝統工芸品は機能がないと残らないと言う。
「日本は湿気が多いところ。おひつというのはご飯の湿気を取って、
おいしく保ってくれるものなんです。
戦後、母から子に伝えられなくなって忘れられていただけで、昔は当たり前だった。
お寿司屋さんがご飯のお釜から直接お寿司を握ったりしないでしょう?
それと同じで、ご飯を炊いたらおひつで保存するのは当たり前のこと。
栗久のおひつはさらに工夫をして、
蓋を分厚くして水滴がご飯に落ちないようにするのと、
隙間にご飯がこびりつかないよう底を丸く加工しているんですよ」
それらはお客さんの要望に沿って、利便性を追求した結果。
「すべてのものは一回つくったから完成品ではない。
いろんな人の意見が入って、集約していいものに変わるんです。
デザインの賞もいただきましたが、それはあくまで結果。
ものづくりに簡単なものはないけれど、難しいものは努力すればいい。
努力を嫌がる人は“すごいものをつくったね”とは言われません。
でもつくるものに貪欲なら、自然とずっとつくり続けるものですからね」
つくったものに対する責任を持つのは自分だから、適当なものはできない、
と語る栗盛さんの姿は職人魂にあふれていた。
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伝統工芸を支える絶えまない工夫の数々
それでは、曲げわっぱ工房の中身をちょっとだけご紹介。
工場のいたるところに、栗盛さんの工夫がたくさん詰まっている。
曲げわっぱは手で曲げるものなので、普通につくると形状が安定しない。
なので形を統一するための型をつくるのだが、成形用の素材は価格がすごく高い。
ある時、栗盛さんは、入院した友人のお見舞いがきっかけで、
骨折などを固定するギブスの素材に目をつける。
これにより低価格で型をつくることが可能になった。
曲げわっぱのぐい呑を6000個受注したときのこと。
当時の工場の規模ではとても生産できず、工具を買うと100万円以上かかる。
そこで栗盛さんが考案したのが、ボール盤を改造した自作マシン。
下に向かって穴を開ける主軸部分の回転に着目し、主軸の上部で加工を行えるようにした。
ボール盤の価格は1万円以下ということで、省力化だけでなくコスト削減もできた。
「昔の職人さんは師匠の仕事を見て盗め、って言ってたけど、
私はもう教えちゃうんです。
だって、一番大事なのは手でやってることじゃなくて、
頭の中で考えてること、工夫する考え方だから。
いったいどうすればできるのか? を考えてほしいんです」
栗久の工場内は、みな真剣かつ和やかな雰囲気。
栗盛さんの作業を見つめる若い工員さんの尊敬の眼差しからも、
栗久のものづくりの哲学が次の世代に伝わっているのを感じた。
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木のある暮らし 秋田・栗久のいいもの
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