〈杉生〉 家具から柱まで、家まるごと 自慢の三河材でお届け。

杉生からつながる愛知の森のはなし

愛知県の区域面積の4割を占める約2200平方キロが森林で、
その大部分が、県北東部の三河山間地域に位置している。
三河では戦後を中心に植林が盛んに行われ、
県森林面積の6割がスギやヒノキなどの人工林。
その多くが森林資源として伐採に適した時期を迎えている。
近隣に大消費地を控え、大きな港にも恵まれていることから、
東海エリアの木材集散地としても活躍。
木材の流通・加工の拠点として、木材・木製品出荷額は全国トップクラスを誇る。

木漏れ日がさしこむ奥三河のスギ林。

「森林からの恵みを、直接お届けします」

三河材は鮮やかな赤身の色合いと、狂いの少ないおとなしい木質が特徴。
古くは、1340年の式年遷宮の材として、伐り出された記録も残る。
江戸時代初期には、江戸城や駿府城の御用材として、
明治から昭和初期には、「三河板」というブランド材として重宝されていた。
建材として東京を中心に出荷していた、“関東おくり”と呼ばれる好景気を迎え、
昭和40年代には県内で1000を超える製材業者があったが、
近年では、その8分の1ほどに減ってしまった。
一方、先人が育ててくれた山には、伐り頃のスギがたくさん生えている。

色鮮やかな表情を見せるスギの木肌。

そこで6社の製材所を中心に、設計士や建築家などが集結し、誕生したのが杉生。
製材して市場や問屋に卸すのではなく、
「森林からの恵みを、直接お届けします」を合い言葉に、
三河杉の特徴を生かした木製品の企画・開発・販売までを手がけている。

およそ2000立方メートルの材木が積んであるストックヤード。ざっと家100棟分。

「森は、つくる、守る、使う、戻すというサイクルで育まれてきました。
いま使えるものは、資源として無駄なく使うことが、
また森の環境を守ることにもつながるんです」と語る、社長の峰野成彦さん。
製材所の次男として奥三河で生まれ、
山や製材所を遊び場として育ち、幼少期から木に触れてきた。
地元の木に対する想いはひとしおだ。

ストックヤードで木材のチェック。持っただけである程度の含水率がわかるという。

「三河には太さ、長さの揃ったクセの少ない80年生のスギが豊富にある。
その三河杉のよさを知ってもらうためには、
まずは使ってもらわないと話になりません。
ウチでは、なるべくお客さんの選択肢が増えるよう、
構造材から化粧材、下地材、家具、建具まで、
家一棟まるごとの部材を商品化しています」

近頃の多様な住宅デザインに合わせ、厚さや幅など豊富なサイズを取り揃えている。
コスト的にはロスになるようなものでも、三河のスギを使える資源として送り出す。
あらゆるニーズに応えたいという思い。
複数の製材所と連携しているからこその強みでもある。

一度に4つの面を加工し、床材や壁材などへと仕上げていく。

オリジナル家具やオーダー家具を担当する女性職人。

丸太からをいろいろなサイズの部材をとることで、
木材のロスは少なくなっているという。
製材であまった木からも角材や木を積むときに挟む桟木をとる。
その端材はチップにして製紙会社へ。
チップ用の粉砕器にも入らない、細かな端材は
オガ屑にして近隣の酪農家に提供し、敷藁として活用してもらっている。

三河杉の魅力を語る峰野成彦社長。

〈obisugi design〉 地域の人の手で、未来へとつなぐ 地域の財産。

obisugi designからつながる宮崎の森のはなし

日本一の杉景観と称される飫肥杉(おびすぎ)の人工林。
ぐるりと見渡す限り、手入れが行き届いて美しく
まっすぐに空に向かって伸びている立派なスギの木立。
ところどころに、未来のこの美しい景観を担うであろう
植林されたばかりのスギを見ることができる。
宮崎県の森林面積は、県土の76%を占めている。
なかでもスギの生産量は全国有数で、宮崎県産材として
杉丸太生産量が過去23年連続、日本一を誇っている。

展望所から一望する飫肥杉の人工林。見渡す限りスギが続くこの景観は、宮崎県の林業地を代表するもの。

地域の経済と密接に関わる、飫肥杉

樹脂分が多く、成長が早いため、しなやかでやわらかい飫肥杉。
江戸時代初期に、飫肥藩財政の窮乏を救うために
山林原野にスギを植林したのが、飫肥杉のはじまりといわれている。
400年以上ものあいだ、この地域の貴重な財源であったわけだ。
飫肥杉が持っている特徴から、木造船の材料として重宝され
「囲炉裏端にいるだけで、商売が成り立つ」と言われたくらい
昭和後期まで日南市の経済と活力を支えていた。
しかし、船の材料としてFRPが台頭すると
とたんに飫肥杉の船の材料としての需要が減り価値が下がっていくとともに
地元の経済と活力に対しての危機感がつのっていた。

飫肥杉と地域の経済は密接につながっている。地域にとって、守るべき財産でもある。

先人たちから受け継いできた、飫肥杉の人工林。
歴史、経済、景観など、あらゆる観点からみて、
地域にとってなくてはならない、大切な存在である。

「飫肥杉を生かして、日南市を活性させよう」

いまから約8年前、最初に声を上げたのは、日南市役所だった。
その声に賛同した地元の企業が集まり
業種を超え、なにができるか知恵を出し合った。
飫肥杉を材料にして、商品をつくることはできる。
ただ、つくった商品を売るだけでなく、飫肥杉の魅力を伝えると同時に
日南市という地域を発信することが大切だと考えた。
そこでたどり着いたひとつの方法が
東京で活躍するデザイナー、商社との協同プロジェクトだった。

obisugi designプロジェクト発足当時から関わる、日南家具工芸社の代表・池田誠宏さんと、工場長・長渡正次さん。

〈G.WORKS〉なめらかで、 ふくよかで、あたたかい。 龍神杉のふところの深さに 触れるイス。

G.WORKSからつながる和歌山の森のはなし

かつて、紀伊国(きのくに)と呼ばれた和歌山。
その由来は“木の国”で、古くから木の神様が住むところとされてきた。
高野山や熊野三山など、ふかい森に包まれた聖地があり、
南方熊楠を虜にした那智原始林など、広葉樹が茂る天然林も現存する。
一方で、県土の77%を占める森林のうち、61%は人工林。
いまかいまかと出番を待つスギやヒノキの宝庫ながら、
木材の需要低迷や価格低下により、森林の荒廃は続く。
そんな現状を打開するべく、県は企業とともに森林保全に取り組む事業、
「企業の森」を全国に先駆けて開始。
子どもたちの林業体験、温泉施設を中心とした木質バイオマスの利用促進、
さらに色つやがよく、木目が美しい紀州材の魅力を伝えるなど、
幅広い活動を行っている。

ものづくりの原点に立ち返った家具づくり

和歌山県のほぼ中央に位置する田辺市龍神村。
ここは、高野・熊野の二大聖地をつなぐ、
まるで背骨のような山岳地帯のなかほどにある山村。
森林率95%と、驚くべき自然に恵まれた場所だが、
その71%は人工林。植林される樹木の多くがスギだという。
紀南の温かい風と寒暖差の激しい山の気候に育まれたスギは、
木目の詰まりが良く、その強度と美しさから建材にも最適。
「龍神杉」なる優秀な木材として、知られている。
そんな龍神杉をふんだんに使った家具づくりを行うのが「G.WORKS」だ。

龍神村生まれの松本泉さんが、ふたりのお弟子さんとともに1点1点家具をつくり上げる。

椅子の型紙だけで、こんなにたくさん。定番だけでも10数種類がある。

G.WORKSの家具は、すべて受注生産。
定番のテーブルやチェストなどもあるけれど、
「一番の得意」と、代表の松本泉さんがささやかに胸を張るのは、イス。
シンプルなフィットチェアに、ロッキングチェア、スツールやベンチなど
種類はさまざまだが、すべての座面と背面に使われているのが、龍神杉。

工房裏で乾燥中の龍神材。湿気を多く含む龍神の木は、天然乾燥ではなかなか水分が落ちず、数年前から乾燥機も導入。

「樹種によって適した発育環境は違うけど、
スギは多雨多湿で寒暖の差が大きい場所で良質なものが育つ。
龍神は、まさに絶好の環境。山あいの厳しい気候に耐えながら、
じっくり育つから、身が引き締まっているというか。
それでいて、スギ独特の削りやすさがあって、
手間をかければ自由な形がつくれるんです。
昔は輸入材を仕入れたこともあったけど、地元でものづくりをするなら、
やっぱり地域の素材を使いたいと思って。
林業をやっている仲間がいるので、いまは彼らから原木を買ったり、
隣村の製材所から木材を仕入れたりしています。
地域のつながりから生み出す。
いつしか、それがものづくりの原点のような気がしてきました。
スギは、たっぷり使っても圧迫感がないし、肌触りなめらか。
桜などの広葉樹でつくった座面は、硬くて冷たいけど、
スギは、ふわりとして温かい。
僕のなかでは、椅子をつくるのにぴったりの木ですね」

座面は数枚の材を接ぎ合わせた後、ベルトサンダーなどでなめらかに削り、さらにのみを使って手作業で微妙な凹凸つくる。

本の使い方、出版から提案する 新しいライフスタイルビジネス。 「コンテンツワークス」前編

自分の読みたい本を一冊からでもつくってもらえるサービス

コンテンツワークスはオンデマンド出版のリーディングカンパニー。
絶版本の復刻サービスから始まり、
さまざまなスタイルを叶える個人のフォトブックサービスで知られている。

いま高齢者のインタビュー本や地域ジャーナルなど、
オンデマンドを使った新しいライフスタイルを提案する会社へと進化してきている。

オンデマンド出版とは、ユーザーの注文に応じて印刷・製本をする
オーダーメイド型の出版方法。書店で売られる本と異なり、
自分の出したい本や自分の読みたい本を一冊からでもつくってもらえるサービスである。

荻野明彦さん

コンテンツワークス。代表取締役社長の荻野明彦さん。

コンテンツワークスの起業は2001年。
ブック・オン・デマンドによるコンテンツの販売の先駆けとして始まった。
代表取締役社長の荻野明彦さんは
オンデマンド業界では一番の経験と知見を持っているひとりといわれている。
そもそもの起業のきっかけについてお聞きした。

「もともと大手コピー機メーカー、富士ゼロックスの社員だったんです。
ゼロックスの社内プロジェクトから始まり、
大手の出版社とで合弁で会社が生まれました。
私はMBO(マネージメントバイアウト)で会社の社長になりました」

荻野さんからみた出版業界の変化はどのようなものだろう。

「日本で1年間で7万点の書籍が出版されますが、その多くが絶版になる。
絶版本をなくすためにオンデマンド出版を進めてきました。
はじめはコミックや文芸書、
やがてロングテールというビジネスモデルが出てきました。
一冊が1万冊売れるのではなく、
一冊ずつ1万種類の本を売るビジネスモデルなんです」

書店の店頭は毎月刷新される。
売れ筋でないものは3か月ほどで書棚から消えていく。
書店から消えていき、絶版になったものを
Webで再び購入できるようにするサービスだ。
少部数でも末永く売れ続ける良質の書籍をWebで提供するというわけだ。

〈上野村森林組合〉 地域資源の付加価値を高める ものづくりで村と森を元気に

上野村森林組合からつながる群馬の森のはなし

東京から100km圏内と恵まれた立地条件にある群馬県は、
総面積の3分の2を森林が占めている。その広さ、約42万5000ヘクタール。
森林面積、森林率ともに関東地方随一の「森林県」だ。
森林の4割にあたる人工林のうち75%は民有人工林で、
伐採して利用可能な40年生以上の森林が3分の2を占めている。
なかでも、その7割を占めるスギは1ヘクタールあたりの蓄積量が
500㎥を超えていて、活用がこれからの課題だ。
一方、群馬県の西南端に位置する上野村は、
森林の6割をケヤキやシオジ、トチといった広葉樹林が占める貴重なエリア。
「木工の里」として知られ、県内でも先駆けて地域材の活用に力を入れてきた。
今回は、そんな上野村にある森林組合の取り組みを紹介したい。

間伐が進み、太陽光が地面まで十分に届くことで豊かに育っている群馬の森。

地域資源を生かして過疎から脱却!

人口1300余人。群馬県内で最も人口が少ない自治体である上野村は、
南は埼玉県、西は長野県と接し、
標高1000mから2000mの険しい山々が連なる山岳地帯にある。
広い村土の94%は森林で、人々は昔から森とともに生きてきた。
この緑豊かな上野村で、森から木を切り出して製材し、乾燥、加工、製品化から
販売に至るまで一貫した木工品づくりを行っているのが、上野村森林組合だ。

工場と製材所が併設する組合の敷地内には、村内で伐採されたさまざまな種類の木が積まれている。

工場をのぞくと、若い職人たちが慣れた手つきで製材をしたり、
木工品の加工に精を出している。
「あの職人は東京出身、こっちは福岡出身なんですよ」
そう紹介してくれるのは、木工課課長の仲澤佳久さん。
自身は上野村育ちだが、ここで働く職人のうち6割以上はIターンの若者だという。
正直、驚かされてしまう。だって、ここまでの道中は山また山。
コンビニはもちろん、買い物をするような場所すらなく、
人家は村の真ん中を流れる川の両側にわずかに点在していただけだったから。

「美術大学や職業訓練校でデザインや木工を学んだ職人も多いんですよ。
平均年齢は30代」と仲澤さん。
皆さん、木工業に就くために、上野村に移住してきたそうだ。

朴訥な人柄の仲澤さん。上野村で生まれ育ち、高校は県外に進学して、卒業と同時に村に戻って森林組合に入った。当時、木工の技術は見て覚えたそうだ。

工場の中には若い女性職人の姿もちらほら。新卒者も多い。

そもそも森林組合の主たる業務は素材生産。
では、なぜ上野村森林組合は木工業を始めたのか。

「もともとは、全国的にも有名な黒澤村長が
村の事業として開始したんですよ」(仲澤さん)

この「黒澤村長」とは、1965年から2005年までの10期40年にわたって
上野村の村長を務めた黒澤丈夫氏。村長在位年数は全国最長で、
村の産業振興や1985年に同村で起きた日航ジャンボ機墜落事故の際の
迅速で的確な対応など、多大な功績を残した名物村長として知られている。

木工業は黒澤村長が力を入れた産業のひとつ。かつては関西方面への丸太素材の販売が中心だったが、加工・販売まで一貫して手がける新たな産業にシフトした。

〈WISE・WISE〉 素材に正面から向き合うことで 生まれたKURIKOMA

WISE・WISEからつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

スギのベテランたちがつくるKURIKOMA

全国の地域材を使って家具をつくっているWISE・WISE。
東北大震災がきっかけで生まれたのがKURIKOMAシリーズだ。
震災1か月後、被災地を訪れたWISE・WISEの佐藤岳利社長は、
「中長期的にみて、これからは仕事がほしい」という現地の声を聞いた。
家具というジャンルでできることは、
地元の木を使って、地元の職人さんにつくってもらうこと。
そうすれば雇用が生まれ、100%現地にお金が落ちる。
そこで会いに行ったのがスギ専門の製材所、栗駒木材だ。

「実際に行ってみたら、すばらしい製材所でした。
おもに建築材をつくっているのですが、防腐剤を使っていません。
乾燥も木の皮や端材を熱源にした薫煙乾燥。
重油を使わず、木のエネルギーだけを使用していたのです」

栗駒木材では、製材、パルプ、ペレット製造などに関わっている。

このとき栗駒木材の大場隆博さんに
「この人の仕事をつくってあげてほしい」といわれて、
ちょうどかたわらで作業している職人がいた。

「それまでは、“東北を救う”というような漠然としたもので、
ある意味でひとごとだったのかもしれません。
でも、この人を救うんだと思うと、すごくリアルかつクリアになりました」

とはいえ栗駒木材は製材所であって、木工技術はない。機械もない。
しかもスギは家具には不向きといわれる木材。
そこでスギの間伐材を使った家具を研究している榎本文夫さんに話をもちかけた。

榎本さんはすでにプロトタイプをつくっていた。
スギをタテとヨコでサンドイッチ状態にする
CLT(クロス・ラミネート・ティンバー)という、建築で使われる技術を応用したもの。
栗駒木材では、野地板という建築下地用の板をつくっていたので、
「これならできるかもしれない」と思った。
その板をプレス機械でくっつける。
そのパネルがイスのサイドの部分になり、座面と背面でパネルをつなぐようにした。
そうして開発を進め、KURIKOMAラインが立ち上がった。

もともとスギを見る目は超ベテラン。スギに対する愛情や思いは強い人たちだ。
現在では、「サスティナライフ森の家」という別会社を立ち上げ、
5人の専従スタッフがKURIKOMAのイスとテーブルの製作にあたっている。
生産が追いつかないくらい好調だ。

背柱、座面、脚を一体化させ、強度をもたせた。

野毛〈ゴールデンもつ〉 ひとり呑みでも飽きない 小鉢メニューも大充実

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おじさまワールドでも居心地いいのです。

「野毛のちかみち」
そう書かれた看板が掲げられているのは、地下への階段。
桜木町駅の改札で待ち合わせたお姉さんふたりは、
土曜の午後のみなとみらいへ行きます! 的なデートな装いなのに、
この階段を降りていただく。そう、今日は、野毛をご案内。
看板の絵がピエロなのは、野毛は大道芸のイベントが有名だから~などと
案内係らしく説明を加えて、地下道から直結「ぴおシティ」のビルに入り込む。
たちのみ屋、居酒屋、カウンターラーメン店に純喫茶などが、このフロアーにて商い中。
お客は、みごとにおじさまワールド。
このビルの上階には、競輪と競馬の場外馬券場があって、
みなさんそちらを楽しんでからの1杯だったり、続行中だったりするらしい。

このフロアにある「ゴールデンもつ」も競馬、競輪好きの方々の憩いの場所。
広めの店内の壁には、4つの液晶テレビで馬と自転車の映像が映し出されて、
みなさんレースが始まると食い入るような真剣なまなざし。

〈straw farm〉 子どもが自由な発想で、 安心して遊べる木のおもちゃ

straw farmからつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
鮮やかな色と香りが特長の「土佐ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

「ものづくりをしたい」。その思いに帰る

高知県東部、安芸市の長閑な住宅地に豊かな木の香りが漂っている。
昔懐かしい佇まいの工房で乳幼児向けのおもちゃをつくる
「straw farm(ストローファーム)」。

オーナーの萩野和徳さんは大阪出身で、以前は新聞制作の仕事に携わっていた。
「高校生の時に宮大工になりたいと悩みながら、別の道に進んだんです。
でも、やっぱり『ものづくり』が好きで、その仕事がしたかった」
退職し、職業訓練学校へ通いながら大工の技術を取得。
「田舎も好きだった」ことから、両親のふるさとである安芸市にIターン。
親戚が暮らしていた建物を工房にし、平成12年に創業した。

「木を使ったものづくり」とひと口に言っても選択肢はいろいろある。
工房や自宅の修繕を自らの手で行った萩野さんだけに
大工か? 家具づくりか? と生き方に悩んだ。
そして、最終的に選んだのは「木のおもちゃ」。
その選択には「ものづくりで生きていく」という萩野さんの覚悟が垣間みられる。

straw farmオーナーの萩野和徳さん。ものづくりの話になると表情が輝く。

「いまの日本において国産木で家をつくることは、本当に少なくなっている。
それに、家具づくりにはすでにたくさんの匠がいるから
自分が新しく参入したところで勝負はできない。
でも、木のおもちゃはライバルが少なかった。それがスタートの理由です」
取材だからといってキレイごとでごまかさない正直で真摯な萩野さん。
その性格は製品にも表れている。

自身にもかわいい子どもがいるから、
子どもに安全なものを持たせたい親の気持ちがよくわかる。
だからこそ、製品の安全性には絶対の自信を持つ。
使う木材は高知県産のヒノキ、桜、ケヤキなど。
研磨をしっかりかけて、子どもの柔肌を傷つけないなめらかさに。
着色はせずに、亜麻仁オイル(クリア)でコーティング。
赤ちゃんが舐めても、少しの不安も抱かなくてすむ。

「お子さんがこんなふうに遊んでいたとか、
親御さんから『安心して遊ばせられる』とか、
感想の電話やはがき、製品レビューをいただけるのが嬉しい。
自分が楽しいし人にも喜んでもらえることが、ものづくりの魅力ですね」

優しい光りの中で仕事をする。作業中はおしゃべりも封印し、真剣そのもの。

第1話・塩屋の洋館

第1話
塩屋に息づく
洋館をご紹介

グレアムさんの神戸日記、
第1回は塩屋に息づく洋館をご紹介。
山と海に挟まれた風光明媚な塩屋のまちには、
19世紀に外国人が移り住んで
いくつもの洋館を建てました。
さて、グレアムさんのお気に入りは?

土地の自然、文化、ものづくりを 楽しく学ぶ山歩きツアー 「YAMAMORI PROJECT」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-031' append=' はこちら']

土地の文化を、土地のひとに聞く

朝9時、山形県南陽市の赤湯駅から車で10分ほどのぶどう園「紫金園」に
30人ほどが集まっている。
ここは盆地なので、霧がたまりやすく、朝もやのなかといった風情だ。
これから始まるのは、
YAMAMORI PROJECTが行っているYAMAMORI TRAVELの9回目。
目の前にある、斜面をブドウ畑が覆っている
十分一山(じゅうぶいちやま)を登っていく予定だ。

YAMAMORI PROJECTは、一級建築士の井上貴詞さんと、
家具製作に携わる須藤 修さんによって立ち上げられ、
山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを行っている。
その一環として取り組まれているのがYAMAMORI TRAVEL。
前編でも紹介したように、各市町村を代表する山の文化を勉強し、植生を学ぶツアーだ。

といっても、小難しい勉強や本格的な登山が待っているわけではなく、
ハイキングのようなもの。おいしいランチやデザートがついていたり、
ワークショップ形式で木工製品がつくれたりと、
自然のなかで楽しむことができるような仕掛けになっている。

井上貴詞さんと須藤修さん

井上貴詞さん(左)と、須藤 修さん(右)による朝のごあいさつ。(撮影:編集部)

この日集まったのは、県内を中心に30名程度。常連さんも少なくない。
リピーターになりやすいほのぼのとした空気なのだ。
ツアーを仕切る須藤さんの挨拶のあと、全員が輪になって簡単な自己紹介。
そして早速、紫金園の須藤孝一さん・龍司さん親子による話が始まった。

南陽市はぶどうの産地で、この周囲にもぶどう狩りができるぶどう園がたくさんある。
十分一山は、斜面に沿うようにしてぶどう畑が広がっている。
その理由を参加者に説明してくれた。

「水はけと日当たりがよく、寒暖の差があるので、ぶどう栽培には適している土地です。
しかし石が多く、土を掘っても大きな石ばかり出てきます。
だから立ち木は難しかったんだろうと思います。
ぶどうはつる性なので、育てやすかったのかもしれません」

ほかにも、気候の話、金が採れた話など、土地の話をしてくれる。
これから登る山もだんだん身近に感じてくる。

家族で経営されている4代目・須藤さん夫婦

家族で経営されている4代目・須藤さん夫婦。

次は紫金園のぶどう酒工場へ。
本人たちも「いつからあるかわからない」という手動“ぶどう絞り機”は、
樽の内側がおいしそうなくらいのぶどう色。
長年にわたって染み込んできたエキスに違いない。
栽培、収穫から醸造や瓶詰めまで、家族の手で行われている。
これから山を歩くため、みなワインの試飲は控えめだったが、
ぶどうジュースの試飲には感激の声があがる。実に濃厚なのだ。

紫金園のぶどう酒工場の樽

染み込んだ色の濃さが年代を物語る。

〈協同組合ウッドワーク〉 「産地認証スギ」から家具を つくり出す建具職人たちの挑戦

ウッドワークからつながる新潟の森のはなし

新潟県はその約7割にあたる86万ヘクタールを広大な森林が占めており、
木材の供給をはじめ、県土の保全や水源の涵養、心の癒しや休養など、
県民の生活に大きな役割を果たしてきた。
一方、高齢化や森林管理の担い手の減少に伴い、
管理の行き届かない森林が増加しているのも事実。
こうした状況を踏まえ、県では森林・林業・木材産業分野の推進計画を策定し、
森林の多面的機能の発揮や林業の持続的かつ健全な発展に向けた
さまざまな取り組みを進めている。
近年はスギ材の生産が盛んで、雪国の厳しい環境で育った強くたくましいスギを
「越後杉」としてブランド化し、全国に発信する動きも見られる。

積雪量が多い新潟県に広がるスギ林。山の斜面のスギは、日本海側特有の湿った重い雪により根元に強い負荷がかかって「根曲がり」となり、加工は難しいが丈夫とされる。

建具職人による家具づくりのはじまり

新潟県南西部に位置し、日本海に面する上越市。古くから陸海交通の要衝として栄え、
市の中央部を流れる関川、保倉川に広がる平野を取り囲むように山々が連なる。
こうした環境のなかで“森に還る家具”をキーワードに、
スギの間伐材を利用した家具づくりを行っているのが協同組合ウッドワークだ。

ウッドワークの組合員は、市内全域に分散する4社の建具職人たち。
もともと上越市は地場産業として木製建具産業が発展し、
最盛期には建具組合に200社を超える建具屋が加盟していたそうだ。
しかし、他地域の産業と同様、平成に入るころから徐々に
後継者不足や技術者の高齢化などが深刻化。
さらにアルミ製の建具やハウスメーカーの既製品などが市場に登場し、
追いうちをかけるようにバブル経済が崩壊して、
多くの建具職人たちは廃業を迫られたという。
そこで平成3年、打開策として組織されたのが、ウッドワークの前身で、
建具組合の青年部を中心とした「上越木工活性化研究会」だった。

「これからは、建具一本やりでは通用しないと感じました」
こう話すのは、当初からのメンバーで、
現在、ウッドワークの代表理事を務める米山 均さん。

「研究会では建具の基本に立ち返り、何か木製品をつくってみようと考えたのです。
市内の山に入ってみたところ、あちこちにスギの間伐材が放置され、森は荒れ放題。
間伐材を利用して何かしなければ、と思いました。
節が多い間伐材は細い建具には向きません。でも、家具なら使えるのではないか。
こうして建具職人たちの家具づくりが始まりました」

平成6年、研究会というゆるやかなつながりから組織を変え、
資金を出し合って仕事を分け合う協同組合としてウッドワークを設立した。

米山さん(左)と、家業を継ぐ息子の優也さん。当初は24社いたウッドワークのメンバーも、後継者問題などでいまは米山さんたちを含め4社しかいない。

〈土佐龍〉 四万十ヒノキの名付け親は 次々と商品を生み出す 「木の料理人」

土佐龍からつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

四万十ヒノキの名付け親

最後の清流「四万十川」。
高知県津野町に端を発し、蛇行を繰り返しながら、土佐湾に注ぎ込む。
流域の年間降雨量は、東京の2倍、大阪の3倍にも達し、
空からの雨の恵みが豊かな天然林と広大な針葉樹林を育んできた。
この流域で生まれたヒノキは、いま「四万十ヒノキ」とよばれている。

赤みを帯びた四万十ヒノキ。独特の心地よい香りが辺りに立ち込めていた。

名付け親は、土佐龍の創業者で社長の池龍昇さんだ。
約30年前。同じヒノキでも育った環境や地域によって、
その成分が大きく異なることに気がついた。
「雨の多い四万十川流域で育まれたヒノキは油脂分が多く、
水をはじきやすい。とても使いやすいんです」

製材された四万十ヒノキは、南国・高知の空の下、ゆっくりと時間をかけて乾燥されていく。

建材にも木工品にも、どんなものにでも使える、
この四万十産の良質のヒノキの存在をもっと知ってもらいたい。
その強い思いから、池さんは清流四万十川の名前を冠した。

 

「私は木の料理人」と語る土佐龍の池龍昇社長。新しいアイデアを次々と生み出してきた。

森から木工製品まで、すべてを循環し、 つなげるプロジェクト 「YAMAMORI PROJECT」前編

山形の森を、まちにおろす

YAMAMORI PROJECTはその名の通り、
山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを行っている。
一級建築士の井上貴詞さんと、
家具製作に携わる須藤 修さんのふたりによって、立ち上げられた。

ことの発端は須藤さんのある体験だ。

「数年前から、“県産材を使いたい”という声が増えてきました。
あるとき、“県産材の天板でテーブルをつくりたい”というリクエストがあったので、
市場に行ってみたら、テーブルをつくれるような県産材がなかったんです。
ではどこにあるのだろうと思って、
林業、製材業など訪ね歩いたら、たくさんあるにはあったのですが、
パルプや木材チップ用の木材でした。
せっかく技術を持っている日本の木工業界なので、そういう活用だけでなく
加工して循環をつくれたらいいのにと感じたんです」(須藤さん)

それぞれの業種がバラバラになってしまっている状況に、
「林業家、製材屋、デザイナー、加工業、売り手、買い手までつなげれば、
うまく循環できるのではないか」と須藤さんは思い、
井上さんに声をかけ、デザインユニットLCS(ルクス)を立ち上げた。
Link、Cycle、Surviveの頭文字だ。
その活動のひとつがYAMAMORI PROJECTである。
山形県の「みどり環境公募事業」にも採択されている。

須藤修さんと井上貴詞さん

須藤 修さん(左)と井上貴詞さん(右)。色が揃ったのは偶然の産物。

活動を始めるにあたって行政の助成事業などを調べてみると、
たくさんのことが行われていることがわかった。
素晴らしい取り組みがたくさんあるのに、
「山」で終わっていて、「まち」に下りてきていないと感じた。
だから一般市民に伝わっていない。山とまちをつなげる動きを目指し、
一日で山からものづくりの現場までめぐる現状のツアー、
YAMAMORI TRAVELがつくられた。

紫金園

第9回目のYAMAMORI TRAVELで訪れたぶどう園、紫金園。

山の自然とものづくり、そして文化をめぐる

YAMAMORI TRAVELのひとつのフォーマットは、
県内の里山を舞台に、まずはその日の山の歴史や文化を勉強する。
そして実際に山へと登り、植生などを見て触って感じる。
最後に木を使ったプロダクトをつくるワークショップを行う。
これまで9回開催された。
記念すべき第1回目は2012年の7月、山形市の千歳山へ登った。
以降、米沢市の斜平山(なでらやま)、真室川町の砥山(とやま)、
鶴岡市の鷹匠山(たかじょうやま)など、
各市町村からひとつの山を選ぶ。山コレクションのようでおもしろい。
山形には35の市町村があり、もちろんそれをすべて制覇したいという。

木工のワークショップの様子

木工のワークショップでは、糸のこぎりやベルトサンダーを使うことも。

「ひとから入ります」と須藤さんは言う。
まず彼らが会いたいと思うひとがいて、訪ねていく。
「ひとがおもしろいと、いい素材といい場所がついてくるように思います。
毎回、初めて会うひとたちばかりですが、準備段階からとても楽しいんです。
つながっていくことで、まずぼくたちふたりが学んでいる。
始める前から、“今回はヤバいよ”って毎回思ってますよ」と須藤さんは笑顔で語る。
こうして場所とプランが決まっていく。

山という自然とものづくり、そして文化の側面が
YAMAMORI TRAVELには欠かせない。
山のふもとにある神社やお寺に話を聞きにいくことが多い。

「同じ山形県内ですが、市町村をまたぐだけで、ぜんぜん違ってきます。
土地が歩んできた歴史と積み重ねがあって、いまがあります。
それを各地で感じますし、毎回感動するものをみつけます。
それらをなんとか伝えたいと思うんです」(井上さん)

宮城の海の幸! 初めてでも簡単にできる 〈ほやめし〉レシピ

郷土食を日本の隅々から掘り起こし、記録した名著
『日本の食生活全集』全50巻(農文協)から
料理人・後藤しおりさんが現代の家庭でもおいしく
カンタンに作れるよう再現したレシピを
お届けしている本連載。ぜひ一緒に作ってみましょう!

宮城は全国8割を占めるほやの一大産地

今回ご紹介するのは、『日本の食生活全集4 聞き書 宮城の食事』
に掲載されている宮城県の食事から。
宮城県の特産物である「ほや」を使った「ほやめし」です。

そもそも「ほや」をご存知ない方も多いのでは?

「ほや」の別名は「海のパイナップル」。
見た目は植物のようだけど、脊索動物という種類の
れっきとした動物なんです。片方の角から水を吸い込んで
水中のプランクトンから栄養を吸い取り、
もう片方の穴から水を排出して生きているという不思議な動物。
新鮮なほやはフルーティな、サフランのような、独特の磯の香り。
皮から内蔵まで、まるごとおいしくいただけます。
でも、すごく傷みやすいので、なかなか東北以外に
出て行くことがありません。
まだそのおいしさを知られていない、隠れた名物なんです。
宮城で採れるほやも、国内よりも韓国への輸出のほうが多いのだとか。

気仙沼のマスコットはほやのこどもの「ほやぼーや」。

そんなほや、宮城県ではよく食べられています。
北上丘陵ではそばのだし汁にしたり、船型山麓では
年越しに「ほやなます」を作ることも。
三陸で採れたとれたては格別で、本の中にも
「海で殻をはぎ、海水で洗って丸ごと食べるのが一番おいしい。
一人でどんぶり一杯ぐらい食べられる」と書かれているほど。

そんなおいしいほやを、ぜひ宮城県以外の人にも
食べてもらいたい! ということで、しおりさんが
「ほやめし」のレシピを作りました。
福島出身のしおりさんにとって、ほやは身近な存在。

「実家が寿司屋なので、父がよくほやをさばいてくれていました。
子どもの頃は見た目のインパクトで全く食べられなかったのですが、
大人になっておいしいと感じるようになったんです」

地元の若い人にとっても、ほやは調理するのに戸惑う
食材ですが、しおりさんが調理しやすいレシピを
作ってくれました。

「今回は炊き込みご飯にしました。ほやの殻でとった出汁で
ご飯を炊くので、ほやのおいしさを存分に味わえます。
初めてほやを味わう人にも食べやすい炊き込みご飯ですよ」

見るからにとっつきにくそうなイメージのほや。
処理方法も詳しく説明します。ぜひ作ってみてください!

〈ヒノキカグ大正集成〉 家具でヒノキの可能性を高めて、 森に返していく。

ヒノキカグ大正集成からつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

切って、つなげて、形にする森林組合

四万十川が流れる高岡郡四万十町。ここには壮大なヒノキの森が広がっている。
「四万十ヒノキ」と呼ばれており、油脂分を多く含み、
ほんのりピンク色でツヤもいい、耐水性があって、加工もしやすく、
なかなか優秀な木材といわれている。
その四万十ヒノキの伐採・運搬から、集成材加工、デザイン、製造までを独自に行い、
オリジナルブランド「ヒノキカグ大正集成」を確立したのが
「四万十町森林組合大正集成工場」だ。

ほんのりとしたピンク色が四万十ヒノキの特長。

木は、切ったものすべてが使われているわけではない。
市場価値が低い木は、切って運び出してくるだけでもコストになる。
となると、切った木を森に放置するしかない。そして、森は荒れていく。
その現実を目の当たりにした同組合は、「少しでも山の活性化になれば」と、
平成元年に集成材の加工工場の操業を開始した。
市場価値の極めて低い木材をカットし
良い部分をパッチワークのようにつなげて再生するのが集成材。
加工段階で出る木屑や端材もムダにすることなく
木質バイオマスボイラーの燃料としてすべて利用。
森にあるすべての木に、新たな価値を生み出した。
製造した集成材は、当初住宅メーカーなどへの販売が中心だったが
安価な外国産に対抗できず、それだけでは採算がとれなかった。
そこで最終製品まで手がけることで、集成材に付加価値をつけようと計画。
「形にする森林組合」が始動したのだ。

職人たちの休憩スペースにはオリジナルのイスが並ぶ。ここから新しい家具のヒントが生まれるのだろう。

森から切り出された四万十ヒノキ。木皮や木屑などは木質バイオマスボイラーに利用される。

たくさんのプロジェクトが、 まちづくりのきっかけに。 「ディスカバーリンクせとうち」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-029' append=' はこちら']

尾道観光のハブとなるONOMICHI U2

ディスカバーリンクせとうちは、「第一にまちのため」を考え、
尾道を中心に多種多様な事業を展開している。

まずは、空いていた倉庫を改装したONOMICHI U2。
海沿いにはウッドテラスもあり、自転車が通りやすく、
散歩するだけでも気持ちがいい。
内部ももともとの天井の高さを保ってあるので、広々とした空間だ。
ここにカフェ、バー、レストラン、グロッサリー、ベーカリー、
自転車ショップ、そしてホテルもある。

尾道は実は「通過型」の観光地であった。コンパクトなまちゆえに、半日観光して、
その後は宮島へ行ったり、四国へ渡ったりと、宿泊しない観光客が多い。
「通過型」から「滞在型」へ変化する必要がある。
そのために、衣食住が完結する施設をつくりたかった。
そこでオープンさせたのが〈HOTEL CYCLE〉である。
全長約70kmの瀬戸内しまなみ海道が国内外から注目されている。
尾道からいくつもの橋を渡って、愛媛の今治へ。
そこでこのホテルでは、自転車を持ち込んだままチェックインできるようにした。
フロント脇にも自転車置き場があり、
ほかにも施設内いたるところに自転車置き場がある。
なんと部屋のなかにも壁掛けの自転車ラックが設置されていて、
愛車を眺めながら眠りにつくなんてオツなことも可能。
当然ながら、サイクリストの宿泊客が多い。

「うちで1泊して、今治まで自転車で渡られる方がたくさんいらっしゃいます。
もっとすごい方は、朝、荷物をホテルへ置いて、往復140km走られてから、
チェックインされる方もいますよ!」というのは
OMOMICHI U2代表取締役の佐藤慎哉さん。

HOTEL CYCLEのエントランス

HOTEL CYCLEのエントランス。目の前に自転車を置ける。

ディスカバーリンクせとうちは、「よくもわるくも素人集団」という。
本格的なホテル経営の経験者がいたわけではない。
しかし、「ニーズにがちがちにとわられず、
素人だから思いつく遊び心も大切にしています」という。
でなければ、自転車ラックだらけだったり、
ロビーの真ん中を自転車が通過するようなホテルにはならなかっただろう。

場所の力は大きい。これだけの施設ができると、地元のひとからも注目されるし、
地元のひとにもお客さんとして来てもらわないといけない。
そして雇用を生むことも目標のひとつ。
ONOMICHI U2は大多数が地元採用だ。
だからこちらも素人ばかり。
販売員をやったことがない、ホールをやったことがない。
「でも、それはわかっていたこと。覚悟のうえなんです。
一般の地元のひとたちを巻き込んでいきたい」
それでも、雇用として、そしてお客様の立場で利用してもらうかたちとして、
尾道市民を巻き込んだ活動を展開していこうとしている。

佐藤慎哉さん

ONOMICHI U2代表取締役の佐藤慎哉さん。

〈KUMIKI プロジェクト〉 「手でつくる暮らし」を 取り戻そう。誰でも簡単に 家具がつくれるDIY木材キット。

KUMIKI プロジェクトからつながる森のはなし

岩手県は、森林面積1,174,000haを誇る本州一の森林大国だ。
林業生産高は全国6位。県では木材製品の生産促進や木質バイオマスエネルギーの
利用促進など、木材産業の育成強化に努めている。
今回は、そんな岩手県の中でも、森林面積が90%を超え、
「森林・林業日本一のまち」を目指す住田町から生まれたものづくりを紹介したい。

完成させるのは、キットを手にしたあなた! スギを使ったDIY木材キット

日本人にとって馴染みの深い木であるスギ。その学名をご存知だろうか。
Cryptomeria japonica(クリプトメリア・ジャポニカ)。
意味は「隠された日本の財産」。実は、スギは日本の固有種なのだ。

加工のしやすさから用材として使われ、室町時代から植林が始まったといわれる。
長い間、スギと人はお互いに支え合ってきた。
それがいま、建材としての需要低下や輸入材の増加から、
全国で放置されたスギ林が増え問題となっている。
全国の宮大工の源流といわれる気仙大工たちの故郷・岩手県気仙郡住田町でも、
それは他人ごとではない。

遠目には豊かに茂っているように見えても、実際は間伐されていないため光が入らず、植物が育たない「緑の砂漠」になっていることも多々ある。

地域材を活用し、美しい森を取り戻したいーー。
そんな想いから生まれたのが、「KUMIKI プロジェクト」だ。

板材はスギ、ジョイントは山桜、木ねじはカシ、補強棒はスギを使用。

その看板商品がこちらの「KUMIKI LIVING」。
パーツを組み合わせ、ボルトレンジで留め、木のねじで蓋をする。
この3ステップだけで簡単に家具がつくれるDIY木材キットだ。
板材は岩手県と秋田県のスギを、ジョイントは岩手県の山桜を使用している。
スギ材は軽いので、女性でも難なくつくることができると好評だ。

キットを使って自分でつくる、シンプルなスツール。30分ほどで完成!

組み立てると、こんなおしゃれなスツールに。
ちょっと腰掛けたり、読みかけの本を置いたり、いろんな用途に使えて便利。
将来的には天板と入れ替えてローテーブルになるなど、
変化する家具を目指していくという。

DIYワークショップから生まれたピクニックマット。

こちらは、気仙杉の木目や色味を生かした「ピクニックマット」。
公園でお弁当を食べたり、ベランダで本を読んだりと、
ぱっと広げればいつでもどこでもピクニック気分を味わえると評判だ。

KUMIKI プロジェクトでは、ピクニックマットをつくる
DIYワークショップを各地で開催し、
たくさんの人に“間伐材を活用する必要性”を伝えている。

第一に“まちのため”を考える。 「ディスカバーリンクせとうち」 前編

尾道を元気にするディスカバーリンクせとうち

ONOMICHI U2は、海沿いにある倉庫をリノベーションした施設で、
ホテルやレストラン&バー、カフェ、ベーカリーなどがある。
ウッドテラスは風が吹き抜けて、ただ散歩しているだけでも心地よい。
この場所は尾道駅の西側。尾道で栄えているのは飲食店などが並ぶ東側と、
古いまち並みやお寺巡りが楽しめる北側だ。
まだひとが少ない西側に流れを呼び込むことが、
「まちのためになる」という思いでつくられた。

ONOMICHI U2をはじめ、数々のプロジェクトを仕掛けている
ディスカバーリンクせとうちは、2012年、
地元出身の中学や高校の同級生など数人が集まり、会社をスタートさせた。
尾道もまた、人口の流出という問題を抱えていた。

ウッドデッキ沿いにあるカフェ

ウッドデッキ沿いにあるカフェでは、自転車に乗ったままカウンターでコーヒーなどが買える。

「広島は、繊維や造船、鉄工など、労働集約型の産業に支えられています。
しかし労働力はどんどん海外に頼るようになっていて、その流れが止められません。
このままでは広島の雇用もなくなり、まち並みも守れない。
いま動かないといけないと思いました」というのは代表取締役の出原昌直さん。

そう語る出原さん本人も、これを強く身にしみている当事者のひとりなのだ。
「私はいまも繊維産業に携わっています。この周辺は繊維の産地でした。
しかしわたしの仕事の現状といえば、労働力の安い海外で生産して、
主に東京などの都心部で売っています。まったく地元でものづくりしていません。
商売だけ考えたら、東京にいたほうがいいのです。
地元にいる意味がまったくありません」

尾道にいるのに、尾道と関わっていない現状をかえりみることで、
逆に危機感を感じることができた。

取締役の石井宏治さん、代表取締役の出原昌直さん、デザイン&コミュニケーション部担当部長の井上善文さん

(左から)取締役の石井宏治さん、代表取締役の出原昌直さん、デザイン&コミュニケーション部担当部長の井上善文さん。

「まちのため」至上主義!

幸いなことに、尾道はまだ観光が元気だ。そこでディスカバーリンクせとうちでは、
「観光を手段にして、事業と雇用を生む」ことを目標にした。

会社ができてからまだ2年半。それでも多くのプロジェクトが進行している。
ONOMICHI U2、せとうち 湊のやど、鞆 肥後屋、尾道デニムプロジェクト、
尾道自由大学、伝統産業プロジェクト、リーシングプロジェクト、
さらに来年1月からスタート予定のシェアオフィス「ONOMICHI SHARE」など、
羅列するだけでも多種多様。
幅は広くとも、メンバーみんながブレないように中心にすえている理念がひとつある。
「まちのためになるか」。

「利益だけを考えるのはやめようと話しています。
株式会社ではあるけれど、第一にまちのため。
次にその事業性をどのようにして出すか、みんなで知恵をしぼります。
利益だけを出そうとしても難しいのに、本当に難しいです。
やはりどうしても“こっちのほうが儲かる”という理屈で動いてしまいがちですが、
そんなときは“これはまちのためになるかどうか?”という根幹に
必ず戻ることにしています」

レストランスペース

レストランスペース。天井が高く開放感がある。

〈家具工房モク〉 山形で育った木を使い 自然な質感を生かした無垢の家具

家具工房モクからつながる森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
人里に近い雑木林では薪や整炭の材料としてコナラやミズナラが
かつては、人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

木と向き合い続けた日々

家具づくりを始めて、26年。
渡邊英木さんは、山形県山形市で「家具工房モク」を立ち上げ、
これまでダイニングテーブルやイス、つくり付けの家具など
オーダーメイドを中心に無垢の家具を手がけてきた。
さくらんぼの果樹園を有する実家の敷地で、鶏小屋だった建物を工房に、
築100年という蔵は、ギャラリースペースに改装したという。
渡邊さんが工房を始めてからずっとこだわっているのは無垢材。
工房の中にも、外にも乾燥中の木材が多数並んでいる。

渡邊さんの工房の様子。手前にあるのは、つくり途中のテーブルの天板だ。

「ここ数年、無垢材を希望する方は多くなった気がします。
本来の木に近いような天然オイル仕上げだと、
以前は傷つきやすいことがクレーム対象になることもありましたが、
それが、味わいだと思う人が増えています。
僕が木の家具づくりを始めた当初はバブル絶頂の大量生産の時代。
1点ものの無垢の家具をつくるなんて、ほとんど変わりもの扱いでした(笑)」
と渡邊さんは振り返る。

渡邊さんは、木材の仕入れから製造まですべてひとりでこなす。

世界的な木工家具デザイナー、ジョージ・ナカシマの家具に感銘を受け、
渡邊さんは、22歳のときに大学を中退して家具作家を志す。
山梨の工房で3年ほど経験を積んだあと、実家の山形に戻り工房を開いた。
「でも最初は食っていけないんで、大工さんの内装工事の
手伝いなんかをやらせてもらいながら、自分で家具をつくっていました。
当時はインターネットもないですから、宣伝活動もままならない。
とにかく展示会に出品して、自分の家具を知ってもらう。
私自身も有名デザイナーの家具の展示会にはよく足を運び、勉強しました」

渡邊さんが愛読していた『手づくり木工事典 保存版 ウッディ専科』(婦人生活社)。「当時ほとんどどの木工家が読んでいたんじゃないかな」

〈木村木品製作所〉 役目を終えたりんごの木に新たな 使い道を吹き込んで商品に

木村木品製作所からつながる森のはなし

青森県は、国内のりんご生産量の56%も占める、
いわずと知れたりんご県だ。
その中でも弘前市は、青森一の生産量を誇る。
その一方で、栽培面積の減少や
りんごの木の老齢化などの問題も抱えている。

しっとりした触感と風合いがりんごの木の魅力

りんごの生産量日本一の青森県弘前市。
晩の寒さが徐々に身にしみるようになってきた秋のころ。
いたるところにりんごの木が見られ、
ちょうど、真っ赤に色づいたりんごが木々を飾っていた。

訪ねたのは、この地に会社をかまえて40年だという木村木品製作所。
建物は、1階が木工所になっていて、
職人さんたちがもくもくと作業に勤しんでいる。

職人さんたちは、それぞれの持ち場で作業にとりかかる。使う工具もさまざまだ。

「用事のある方は2階へ」「事務所は2階です」
階段の立ち上がり部分にこう書かれたメッセージに従って階段を上ると、
そこには、木村木品製作所の社長・木村崇之さんが待っていた。

木村木品製作所は、ほかではあまり見ることのない、
りんごの木を使ったものづくりをしている木工所だ。
と言葉にすると簡単だが、実はりんごの木を商品にするのは
とても苦労の要することなのだ。

そもそも、木村さんがりんごの木を使うことになったきっかけは、
知人に「りんごの木を大量に廃棄処分しなくてはいけないが、
これを何かに使えないか?」と相談を受けたことだという。

訪ねたときも、木工所の前に丸太がごろごろと転がっていた。
「これ、ちょうど昨日伐採に行ってきたりんごの木なんです。
手入れをする人がいなくて10年も放置されていたらしいんですが、これは上物ですね」

伐採したばかりのりんごの木というだけあり、触れるとしっとりとしていた。

こんなふうに役目を終えたりんごの木を伐採しに出向き、
切り出しから乾燥までを自社で行っている。

たいていの場合、木工所は、決められた尺にカットされ、
乾燥までなされた木材を製材所から仕入れる。
しかし、りんごの木は流通にのっていないため、
自らチェーンソーを持って出向き、伐採から始めなくてはいけないのだ。

「製材屋さんに頼んだほうがどんなにラクか。
よく『りんごの木はタダなんでしょ?』と言われるんですが、とんでもない!
それ以上に大変なことが山積みですから。
『タダより高いものはない』とはよく言ったもので、
りんごの木にみんなが手を出さない理由がわかりますよ」
と苦笑する。

もともと水分の多いりんごの木は、乾燥がとても大変なのだが、
それがもっとも重要なことのひとつだとか。
外に並べて自然乾燥もしているが、
それだけで足りない分は、手づくりの乾燥室に入れる。

外で乾燥中の木材。これは弘前城の桜の木だが、ここにりんごの木が並ぶこともある。ちなみに、木村木品製作所では弘前城の桜の剪定木を使ったプロダクトも手がけている。

分厚いビニールシートが四方に敷き詰められた部屋に
木材が並べられていて、除湿機がかけられていた。
「こんなふうに何でも手づくりですよ。
でもこれ、けっこういいんですよ、
1日で除湿機の水受け容器がいっぱいになりますからね」
と木村さん。

厚いビニールシートをめくり、手づくり乾燥室を見せてくれる木村さん。中には、たくさんのりんごの木が眠っていた。

また、りんごの木は硬いので、加工するときは充分注意が必要だという。
切り出しを行っていた職人さんは、慣れた手つきで作業を行っていたが、
彼でも「こわいですよ」なのだそうだ。

慣れた手つきでりんごの木の箸用に切り出しを行う。押さえの板は手づくりのオリジナル。

〈北風木工所〉 300年の歴史を持つ 二本松民芸箪笥。 二本松城をつくった建築大工たちの こだわりを受け継いで。

北風木工所からつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9,754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、特に桐の生産量は日本一。
桐は軽くて湿気を通さないため、家具に使われることが多い。
二本松ではこの桐を使って、美しい民芸箪笥を300年もの間つくり続けている。

二本松のあだたら山の風景。

福島県を代表する城下町・二本松で、
脈々と受け継がれてきた建築大工たちの技。

子どもの頃、冬が近づくと母が箪笥から手袋を出してくれた。
母が父のもとへ嫁いできたときに持ってきた和箪笥。
飾り金具を引いて抽斗から衣類や裁縫道具を取り出す母の動作は美しく、
不思議と記憶に残っている。
その光景を思い出すと、洋室に合うチェストもいいけれど、
ひとつくらいは質のいい和箪笥を部屋に置きたい、と思う。
今回は、そうしたどこか懐かしく趣のある和箪笥のひとつ、
二本松民芸箪笥の魅力を紹介したい。

生命力溢れる木目と意匠を凝らした飾り金具が美しい二本松民芸箪笥。昔は娘が生まれると庭に木を植え、成長した木を伐採して箪笥を制作し、嫁入り道具にしたという。

二本松の箪笥づくりの起源は、
二本松藩の初代藩主・丹羽光重による二本松城の大改修にあるといわれる。
建物だけでなく城内の調度品も手がけた建築大工たちが、
その技を生かして箪笥づくりを始めたのだ。

表面には丈夫で耐久性のあるケヤキ、抽斗には吸湿性の高い会津桐を使うことが多く、
機能的なつくりをしていることが特徴。仕上げは丁寧で、職人の心意気が感じられる。

その心を脈々と受け継ぎいまに伝えるのが、
国道4号線沿いに店舗を構える「北風木工所」だ。
企画部長の北風哲夫さんは、子どもの頃から工場で職人たちの背中を見ながら育った。

現在は企画部長を務める北風さん。

「工場が遊び場のようなもので、隅っこで船なんかをつくっていました。
職人たちの姿を見ているうちに、自然と覚えちゃうんですね。
“習うより慣れろ”というけど、あれは本当にそうだと思います」

会津で育った桐は冬の厳しい寒さに鍛えられ、木目が緻密で堅牢になる。
吸湿性に優れているため、抽斗の材としては最適だ。
ただ桐材はアクを含むため、そのままにしておくとやがて黒く変色していく。
これを防ぐため、製材したら一度雨風にさらして“渋抜き”をする必要がある。
いまは分業が進んで製材所から木材を買うようになったが、
昔は二本松のあちこちで建物に桐材を立てかける光景が見られたという。

抽斗を取り出して接合部を見せてもらった。昔ながらのつくり方では、接着剤だけでなく木釘を使って留める。こうすることでより丈夫になるという。見えない部分までこだわりが光る。

注目される休校・廃校を 活用する事業の仕組み 「三好市の廃校活用事業」後編

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休廃校活用の事業化

三好市は徳島県の最西部、四国のほぼ中央に位置する。
平成18年3月に三野町、井川町、池田町、山城町、
西祖谷山村、東祖谷山村が合併して三好市が誕生した。
徳島県のなかでも最も山深い地域だ。
一次産業の衰退に伴う過疎化が深刻で、高齢化率は約40%と極めて高い。

合併当初の人口は3万6千人。それが3万人を切るところまで来ている。
昔はタバコの産業で栄えたまちであったが、
産業が衰退したあと、新しい産業をつくることができなかった。
山や森を活用することができず、次第にひとは減っていき、
限界集落を飛び越えて、消滅集落に向かっている場所も多い。
日本の課題が集結したような地域である。

過疎化に伴い休校・廃校となる学校も多く、
三好市では28の休校・廃校があった。
三好市では2012年より休廃校活用の専任者を置き、取り組みを始めた。
いまその活用事業の仕組みが注目されている。

三好市の休廃校マップ

三好市の休廃校。市は28校のうち22校を活用のために提供した。そのうち9校で事業化が進んでいる。

全国の廃校の現実

三好市・地域振興課の職員、安藤彰浩さんは、
2012年の春、休廃校活用の辞令を受けた。
現在は休廃校等活用事業を進めている安藤さんにお話を伺った。

「28校の廃校のうち、22校の活用を進めています。
市長からは、そのうちひとつでもいいから成功事例をつくってほしい
と言われました。現在9つの学校で11の事業が動き始めています」
と安藤さん。廃校活用の提案を広く民間に公募し、
審査のうえで運営を任せる仕組みだ。

「最初の1年は本当に苦労しました。
飛び込みでいろんな会社をまわったりもしました」

しかしなかなか事業化は進まない。
「まずは廃校活用の実態を知らねばならない」と安藤さんは、
全国の廃校活用事例を見てまわることにした。
農山漁村交流の全国セミナーに参加したり、
全国の活用状況を把握するために視察を行った。
調査をすると多かったのはなんらかの「関係性・コネクション」で
廃校活用を委託しているというケース。
しかしそれではなぜその事業者を選定したかの説明ができない。
活用事業がうまくいっているところはほんの一握りだと感じた。
行政が多額の税金を投入して施設を改修し、
第三セクターや指定管理に出しているものなどは問題が多かった。

〈おおのキャンパス〉 地場の木材を使って、 木工クラフトの里づくりを目指す

おおのキャンパスからつながる岩手の森のはなし

本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ha、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)220,000,000㎥。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。 

本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。

大野木工の原点は、「一人一芸」運動。

岩手県北部に位置する洋野町大野地区(旧大野村)。
この地で暮らす者にとって、長い間、「出稼ぎ」は当たり前の生活だった。
自然豊かな土地だけに、主要産業としては、農業が挙げられる。
しかし、北上高地の山間にあって耕作地は少ないうえに、
オホーツク海気団から吹く冷たく湿った北東風「ヤマセ」により
夏の低温と日照不足を避けられない土地。地域全体として稲作、畑作ともに
適地とはいえず、比較的荒地でも行える酪農に頼るほかなかった。
現在では、大野の酪農は本州では広く知られるほど成長したが、
かつては小規模な農家が多く、安定した現金収入を得るためには、
1年を通しての出稼ぎという手段が一般的だったのだ。

1980年に大野村で興った「一人一芸」運動は、
当時のそんな状況を変えるために始まった。
運動の中心にいたのは、当時、東北工業大学の教授で
工業デザイナーとして活躍をしていた故・秋岡芳夫氏。
氏は、大野村を現地調査し、地元にアカマツやトチ、ケヤキなどの
木材資源が豊富なことと、出稼ぎにおける職業として大工が多いことなどから、
木工製作を中心とした新しいまちづくり「一人一芸の里」の実現を提唱したのだ。
秋岡氏といえば、地域で埋もれていた工芸品に知恵と技を加え、
すぐれた生活用具にリファインして都市生活者に紹介する「モノモノ」運動の提唱者。
大野での「一人一芸」運動でも、木材という土地の資源に脚光をあてながら、
地元に新しい技術と価値観を根づかせることで、
木工クラフトをはじめとする新たな産業の創出が可能になると考えたのである。

大野の周辺には大野木工の原料となるアカマツの林が広がる。

大野村では、秋岡氏のこの提案に沿って「大野村春のキャンパス80」を開催。
各界で活躍する講師の指導により、木工ろくろ、ホームスパン、
竹細工や地域の素材を用いた乳製品の加工、
郷土料理などを内容とするワークショップが催され、
本格的に「一人一芸の里」づくりがスタートしたのである。
ちなみに、道の駅をはじめ大野木工を製作する木工房や産業デザインセンターなど、
18の施設からなる現在の「おおのキャンパス」は、この「大野村キャンパス」が原点。
ものづくりと地域資源の再発見の場として、活動の幅を広げてきた。

おおのキャンパスは道の駅や産直を含めた複合施設。大野木工を手がける木工房も併設されている。

この「大野村キャンパス」を語る際に秋岡氏とともに忘れてはならないのが
同じく工業デザイナーであり、木工作家である時松辰夫氏。
秋岡氏より誘われて大野を訪れた時松氏は、
1980年より2年間にもわたって活動の拠点である九州を離れて大野に滞在し、
地元に発足した工芸グループに木工ろくろを主とした木工技術を、
まさに手取り足取り伝授したのである。
ちなみに秋岡氏と時松氏の指導のもとに進められていたクラフトマン養成塾は
3年で独立し、生業として成立させることを目標に掲げていたという。
現在でも、おおのキャンパスでは大野木工のクラフトマン育成を行っているが、
3年間を研修のひとつのスパンとして活動を続けている。

工房の風景。独立を目指し、ろくろ技術の向上に励むのは、富張菜々子さん。刃物の研ぎ方ひとつで作業のしやすさがまったく異なってくるそう。