〈土佐龍〉 四万十ヒノキの名付け親は 次々と商品を生み出す 「木の料理人」

土佐龍からつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

四万十ヒノキの名付け親

最後の清流「四万十川」。
高知県津野町に端を発し、蛇行を繰り返しながら、土佐湾に注ぎ込む。
流域の年間降雨量は、東京の2倍、大阪の3倍にも達し、
空からの雨の恵みが豊かな天然林と広大な針葉樹林を育んできた。
この流域で生まれたヒノキは、いま「四万十ヒノキ」とよばれている。

赤みを帯びた四万十ヒノキ。独特の心地よい香りが辺りに立ち込めていた。

名付け親は、土佐龍の創業者で社長の池龍昇さんだ。
約30年前。同じヒノキでも育った環境や地域によって、
その成分が大きく異なることに気がついた。
「雨の多い四万十川流域で育まれたヒノキは油脂分が多く、
水をはじきやすい。とても使いやすいんです」

製材された四万十ヒノキは、南国・高知の空の下、ゆっくりと時間をかけて乾燥されていく。

建材にも木工品にも、どんなものにでも使える、
この四万十産の良質のヒノキの存在をもっと知ってもらいたい。
その強い思いから、池さんは清流四万十川の名前を冠した。

 

「私は木の料理人」と語る土佐龍の池龍昇社長。新しいアイデアを次々と生み出してきた。

森から木工製品まで、すべてを循環し、 つなげるプロジェクト 「YAMAMORI PROJECT」前編

山形の森を、まちにおろす

YAMAMORI PROJECTはその名の通り、
山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを行っている。
一級建築士の井上貴詞さんと、
家具製作に携わる須藤 修さんのふたりによって、立ち上げられた。

ことの発端は須藤さんのある体験だ。

「数年前から、“県産材を使いたい”という声が増えてきました。
あるとき、“県産材の天板でテーブルをつくりたい”というリクエストがあったので、
市場に行ってみたら、テーブルをつくれるような県産材がなかったんです。
ではどこにあるのだろうと思って、
林業、製材業など訪ね歩いたら、たくさんあるにはあったのですが、
パルプや木材チップ用の木材でした。
せっかく技術を持っている日本の木工業界なので、そういう活用だけでなく
加工して循環をつくれたらいいのにと感じたんです」(須藤さん)

それぞれの業種がバラバラになってしまっている状況に、
「林業家、製材屋、デザイナー、加工業、売り手、買い手までつなげれば、
うまく循環できるのではないか」と須藤さんは思い、
井上さんに声をかけ、デザインユニットLCS(ルクス)を立ち上げた。
Link、Cycle、Surviveの頭文字だ。
その活動のひとつがYAMAMORI PROJECTである。
山形県の「みどり環境公募事業」にも採択されている。

須藤修さんと井上貴詞さん

須藤 修さん(左)と井上貴詞さん(右)。色が揃ったのは偶然の産物。

活動を始めるにあたって行政の助成事業などを調べてみると、
たくさんのことが行われていることがわかった。
素晴らしい取り組みがたくさんあるのに、
「山」で終わっていて、「まち」に下りてきていないと感じた。
だから一般市民に伝わっていない。山とまちをつなげる動きを目指し、
一日で山からものづくりの現場までめぐる現状のツアー、
YAMAMORI TRAVELがつくられた。

紫金園

第9回目のYAMAMORI TRAVELで訪れたぶどう園、紫金園。

山の自然とものづくり、そして文化をめぐる

YAMAMORI TRAVELのひとつのフォーマットは、
県内の里山を舞台に、まずはその日の山の歴史や文化を勉強する。
そして実際に山へと登り、植生などを見て触って感じる。
最後に木を使ったプロダクトをつくるワークショップを行う。
これまで9回開催された。
記念すべき第1回目は2012年の7月、山形市の千歳山へ登った。
以降、米沢市の斜平山(なでらやま)、真室川町の砥山(とやま)、
鶴岡市の鷹匠山(たかじょうやま)など、
各市町村からひとつの山を選ぶ。山コレクションのようでおもしろい。
山形には35の市町村があり、もちろんそれをすべて制覇したいという。

木工のワークショップの様子

木工のワークショップでは、糸のこぎりやベルトサンダーを使うことも。

「ひとから入ります」と須藤さんは言う。
まず彼らが会いたいと思うひとがいて、訪ねていく。
「ひとがおもしろいと、いい素材といい場所がついてくるように思います。
毎回、初めて会うひとたちばかりですが、準備段階からとても楽しいんです。
つながっていくことで、まずぼくたちふたりが学んでいる。
始める前から、“今回はヤバいよ”って毎回思ってますよ」と須藤さんは笑顔で語る。
こうして場所とプランが決まっていく。

山という自然とものづくり、そして文化の側面が
YAMAMORI TRAVELには欠かせない。
山のふもとにある神社やお寺に話を聞きにいくことが多い。

「同じ山形県内ですが、市町村をまたぐだけで、ぜんぜん違ってきます。
土地が歩んできた歴史と積み重ねがあって、いまがあります。
それを各地で感じますし、毎回感動するものをみつけます。
それらをなんとか伝えたいと思うんです」(井上さん)

〈ヒノキカグ大正集成〉 家具でヒノキの可能性を高めて、 森に返していく。

ヒノキカグ大正集成からつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

切って、つなげて、形にする森林組合

四万十川が流れる高岡郡四万十町。ここには壮大なヒノキの森が広がっている。
「四万十ヒノキ」と呼ばれており、油脂分を多く含み、
ほんのりピンク色でツヤもいい、耐水性があって、加工もしやすく、
なかなか優秀な木材といわれている。
その四万十ヒノキの伐採・運搬から、集成材加工、デザイン、製造までを独自に行い、
オリジナルブランド「ヒノキカグ大正集成」を確立したのが
「四万十町森林組合大正集成工場」だ。

ほんのりとしたピンク色が四万十ヒノキの特長。

木は、切ったものすべてが使われているわけではない。
市場価値が低い木は、切って運び出してくるだけでもコストになる。
となると、切った木を森に放置するしかない。そして、森は荒れていく。
その現実を目の当たりにした同組合は、「少しでも山の活性化になれば」と、
平成元年に集成材の加工工場の操業を開始した。
市場価値の極めて低い木材をカットし
良い部分をパッチワークのようにつなげて再生するのが集成材。
加工段階で出る木屑や端材もムダにすることなく
木質バイオマスボイラーの燃料としてすべて利用。
森にあるすべての木に、新たな価値を生み出した。
製造した集成材は、当初住宅メーカーなどへの販売が中心だったが
安価な外国産に対抗できず、それだけでは採算がとれなかった。
そこで最終製品まで手がけることで、集成材に付加価値をつけようと計画。
「形にする森林組合」が始動したのだ。

職人たちの休憩スペースにはオリジナルのイスが並ぶ。ここから新しい家具のヒントが生まれるのだろう。

森から切り出された四万十ヒノキ。木皮や木屑などは木質バイオマスボイラーに利用される。

たくさんのプロジェクトが、 まちづくりのきっかけに。 「ディスカバーリンクせとうち」後編

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尾道観光のハブとなるONOMICHI U2

ディスカバーリンクせとうちは、「第一にまちのため」を考え、
尾道を中心に多種多様な事業を展開している。

まずは、空いていた倉庫を改装したONOMICHI U2。
海沿いにはウッドテラスもあり、自転車が通りやすく、
散歩するだけでも気持ちがいい。
内部ももともとの天井の高さを保ってあるので、広々とした空間だ。
ここにカフェ、バー、レストラン、グロッサリー、ベーカリー、
自転車ショップ、そしてホテルもある。

尾道は実は「通過型」の観光地であった。コンパクトなまちゆえに、半日観光して、
その後は宮島へ行ったり、四国へ渡ったりと、宿泊しない観光客が多い。
「通過型」から「滞在型」へ変化する必要がある。
そのために、衣食住が完結する施設をつくりたかった。
そこでオープンさせたのが〈HOTEL CYCLE〉である。
全長約70kmの瀬戸内しまなみ海道が国内外から注目されている。
尾道からいくつもの橋を渡って、愛媛の今治へ。
そこでこのホテルでは、自転車を持ち込んだままチェックインできるようにした。
フロント脇にも自転車置き場があり、
ほかにも施設内いたるところに自転車置き場がある。
なんと部屋のなかにも壁掛けの自転車ラックが設置されていて、
愛車を眺めながら眠りにつくなんてオツなことも可能。
当然ながら、サイクリストの宿泊客が多い。

「うちで1泊して、今治まで自転車で渡られる方がたくさんいらっしゃいます。
もっとすごい方は、朝、荷物をホテルへ置いて、往復140km走られてから、
チェックインされる方もいますよ!」というのは
OMOMICHI U2代表取締役の佐藤慎哉さん。

HOTEL CYCLEのエントランス

HOTEL CYCLEのエントランス。目の前に自転車を置ける。

ディスカバーリンクせとうちは、「よくもわるくも素人集団」という。
本格的なホテル経営の経験者がいたわけではない。
しかし、「ニーズにがちがちにとわられず、
素人だから思いつく遊び心も大切にしています」という。
でなければ、自転車ラックだらけだったり、
ロビーの真ん中を自転車が通過するようなホテルにはならなかっただろう。

場所の力は大きい。これだけの施設ができると、地元のひとからも注目されるし、
地元のひとにもお客さんとして来てもらわないといけない。
そして雇用を生むことも目標のひとつ。
ONOMICHI U2は大多数が地元採用だ。
だからこちらも素人ばかり。
販売員をやったことがない、ホールをやったことがない。
「でも、それはわかっていたこと。覚悟のうえなんです。
一般の地元のひとたちを巻き込んでいきたい」
それでも、雇用として、そしてお客様の立場で利用してもらうかたちとして、
尾道市民を巻き込んだ活動を展開していこうとしている。

佐藤慎哉さん

ONOMICHI U2代表取締役の佐藤慎哉さん。

〈KUMIKI プロジェクト〉 「手でつくる暮らし」を 取り戻そう。誰でも簡単に 家具がつくれるDIY木材キット。

KUMIKI プロジェクトからつながる森のはなし

岩手県は、森林面積1,174,000haを誇る本州一の森林大国だ。
林業生産高は全国6位。県では木材製品の生産促進や木質バイオマスエネルギーの
利用促進など、木材産業の育成強化に努めている。
今回は、そんな岩手県の中でも、森林面積が90%を超え、
「森林・林業日本一のまち」を目指す住田町から生まれたものづくりを紹介したい。

完成させるのは、キットを手にしたあなた! スギを使ったDIY木材キット

日本人にとって馴染みの深い木であるスギ。その学名をご存知だろうか。
Cryptomeria japonica(クリプトメリア・ジャポニカ)。
意味は「隠された日本の財産」。実は、スギは日本の固有種なのだ。

加工のしやすさから用材として使われ、室町時代から植林が始まったといわれる。
長い間、スギと人はお互いに支え合ってきた。
それがいま、建材としての需要低下や輸入材の増加から、
全国で放置されたスギ林が増え問題となっている。
全国の宮大工の源流といわれる気仙大工たちの故郷・岩手県気仙郡住田町でも、
それは他人ごとではない。

遠目には豊かに茂っているように見えても、実際は間伐されていないため光が入らず、植物が育たない「緑の砂漠」になっていることも多々ある。

地域材を活用し、美しい森を取り戻したいーー。
そんな想いから生まれたのが、「KUMIKI プロジェクト」だ。

板材はスギ、ジョイントは山桜、木ねじはカシ、補強棒はスギを使用。

その看板商品がこちらの「KUMIKI LIVING」。
パーツを組み合わせ、ボルトレンジで留め、木のねじで蓋をする。
この3ステップだけで簡単に家具がつくれるDIY木材キットだ。
板材は岩手県と秋田県のスギを、ジョイントは岩手県の山桜を使用している。
スギ材は軽いので、女性でも難なくつくることができると好評だ。

キットを使って自分でつくる、シンプルなスツール。30分ほどで完成!

組み立てると、こんなおしゃれなスツールに。
ちょっと腰掛けたり、読みかけの本を置いたり、いろんな用途に使えて便利。
将来的には天板と入れ替えてローテーブルになるなど、
変化する家具を目指していくという。

DIYワークショップから生まれたピクニックマット。

こちらは、気仙杉の木目や色味を生かした「ピクニックマット」。
公園でお弁当を食べたり、ベランダで本を読んだりと、
ぱっと広げればいつでもどこでもピクニック気分を味わえると評判だ。

KUMIKI プロジェクトでは、ピクニックマットをつくる
DIYワークショップを各地で開催し、
たくさんの人に“間伐材を活用する必要性”を伝えている。

第一に“まちのため”を考える。 「ディスカバーリンクせとうち」 前編

尾道を元気にするディスカバーリンクせとうち

ONOMICHI U2は、海沿いにある倉庫をリノベーションした施設で、
ホテルやレストラン&バー、カフェ、ベーカリーなどがある。
ウッドテラスは風が吹き抜けて、ただ散歩しているだけでも心地よい。
この場所は尾道駅の西側。尾道で栄えているのは飲食店などが並ぶ東側と、
古いまち並みやお寺巡りが楽しめる北側だ。
まだひとが少ない西側に流れを呼び込むことが、
「まちのためになる」という思いでつくられた。

ONOMICHI U2をはじめ、数々のプロジェクトを仕掛けている
ディスカバーリンクせとうちは、2012年、
地元出身の中学や高校の同級生など数人が集まり、会社をスタートさせた。
尾道もまた、人口の流出という問題を抱えていた。

ウッドデッキ沿いにあるカフェ

ウッドデッキ沿いにあるカフェでは、自転車に乗ったままカウンターでコーヒーなどが買える。

「広島は、繊維や造船、鉄工など、労働集約型の産業に支えられています。
しかし労働力はどんどん海外に頼るようになっていて、その流れが止められません。
このままでは広島の雇用もなくなり、まち並みも守れない。
いま動かないといけないと思いました」というのは代表取締役の出原昌直さん。

そう語る出原さん本人も、これを強く身にしみている当事者のひとりなのだ。
「私はいまも繊維産業に携わっています。この周辺は繊維の産地でした。
しかしわたしの仕事の現状といえば、労働力の安い海外で生産して、
主に東京などの都心部で売っています。まったく地元でものづくりしていません。
商売だけ考えたら、東京にいたほうがいいのです。
地元にいる意味がまったくありません」

尾道にいるのに、尾道と関わっていない現状をかえりみることで、
逆に危機感を感じることができた。

取締役の石井宏治さん、代表取締役の出原昌直さん、デザイン&コミュニケーション部担当部長の井上善文さん

(左から)取締役の石井宏治さん、代表取締役の出原昌直さん、デザイン&コミュニケーション部担当部長の井上善文さん。

「まちのため」至上主義!

幸いなことに、尾道はまだ観光が元気だ。そこでディスカバーリンクせとうちでは、
「観光を手段にして、事業と雇用を生む」ことを目標にした。

会社ができてからまだ2年半。それでも多くのプロジェクトが進行している。
ONOMICHI U2、せとうち 湊のやど、鞆 肥後屋、尾道デニムプロジェクト、
尾道自由大学、伝統産業プロジェクト、リーシングプロジェクト、
さらに来年1月からスタート予定のシェアオフィス「ONOMICHI SHARE」など、
羅列するだけでも多種多様。
幅は広くとも、メンバーみんながブレないように中心にすえている理念がひとつある。
「まちのためになるか」。

「利益だけを考えるのはやめようと話しています。
株式会社ではあるけれど、第一にまちのため。
次にその事業性をどのようにして出すか、みんなで知恵をしぼります。
利益だけを出そうとしても難しいのに、本当に難しいです。
やはりどうしても“こっちのほうが儲かる”という理屈で動いてしまいがちですが、
そんなときは“これはまちのためになるかどうか?”という根幹に
必ず戻ることにしています」

レストランスペース

レストランスペース。天井が高く開放感がある。

〈家具工房モク〉 山形で育った木を使い 自然な質感を生かした無垢の家具

家具工房モクからつながる森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
人里に近い雑木林では薪や整炭の材料としてコナラやミズナラが
かつては、人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

木と向き合い続けた日々

家具づくりを始めて、26年。
渡邊英木さんは、山形県山形市で「家具工房モク」を立ち上げ、
これまでダイニングテーブルやイス、つくり付けの家具など
オーダーメイドを中心に無垢の家具を手がけてきた。
さくらんぼの果樹園を有する実家の敷地で、鶏小屋だった建物を工房に、
築100年という蔵は、ギャラリースペースに改装したという。
渡邊さんが工房を始めてからずっとこだわっているのは無垢材。
工房の中にも、外にも乾燥中の木材が多数並んでいる。

渡邊さんの工房の様子。手前にあるのは、つくり途中のテーブルの天板だ。

「ここ数年、無垢材を希望する方は多くなった気がします。
本来の木に近いような天然オイル仕上げだと、
以前は傷つきやすいことがクレーム対象になることもありましたが、
それが、味わいだと思う人が増えています。
僕が木の家具づくりを始めた当初はバブル絶頂の大量生産の時代。
1点ものの無垢の家具をつくるなんて、ほとんど変わりもの扱いでした(笑)」
と渡邊さんは振り返る。

渡邊さんは、木材の仕入れから製造まですべてひとりでこなす。

世界的な木工家具デザイナー、ジョージ・ナカシマの家具に感銘を受け、
渡邊さんは、22歳のときに大学を中退して家具作家を志す。
山梨の工房で3年ほど経験を積んだあと、実家の山形に戻り工房を開いた。
「でも最初は食っていけないんで、大工さんの内装工事の
手伝いなんかをやらせてもらいながら、自分で家具をつくっていました。
当時はインターネットもないですから、宣伝活動もままならない。
とにかく展示会に出品して、自分の家具を知ってもらう。
私自身も有名デザイナーの家具の展示会にはよく足を運び、勉強しました」

渡邊さんが愛読していた『手づくり木工事典 保存版 ウッディ専科』(婦人生活社)。「当時ほとんどどの木工家が読んでいたんじゃないかな」

〈木村木品製作所〉 役目を終えたりんごの木に新たな 使い道を吹き込んで商品に

木村木品製作所からつながる森のはなし

青森県は、国内のりんご生産量の56%も占める、
いわずと知れたりんご県だ。
その中でも弘前市は、青森一の生産量を誇る。
その一方で、栽培面積の減少や
りんごの木の老齢化などの問題も抱えている。

しっとりした触感と風合いがりんごの木の魅力

りんごの生産量日本一の青森県弘前市。
晩の寒さが徐々に身にしみるようになってきた秋のころ。
いたるところにりんごの木が見られ、
ちょうど、真っ赤に色づいたりんごが木々を飾っていた。

訪ねたのは、この地に会社をかまえて40年だという木村木品製作所。
建物は、1階が木工所になっていて、
職人さんたちがもくもくと作業に勤しんでいる。

職人さんたちは、それぞれの持ち場で作業にとりかかる。使う工具もさまざまだ。

「用事のある方は2階へ」「事務所は2階です」
階段の立ち上がり部分にこう書かれたメッセージに従って階段を上ると、
そこには、木村木品製作所の社長・木村崇之さんが待っていた。

木村木品製作所は、ほかではあまり見ることのない、
りんごの木を使ったものづくりをしている木工所だ。
と言葉にすると簡単だが、実はりんごの木を商品にするのは
とても苦労の要することなのだ。

そもそも、木村さんがりんごの木を使うことになったきっかけは、
知人に「りんごの木を大量に廃棄処分しなくてはいけないが、
これを何かに使えないか?」と相談を受けたことだという。

訪ねたときも、木工所の前に丸太がごろごろと転がっていた。
「これ、ちょうど昨日伐採に行ってきたりんごの木なんです。
手入れをする人がいなくて10年も放置されていたらしいんですが、これは上物ですね」

伐採したばかりのりんごの木というだけあり、触れるとしっとりとしていた。

こんなふうに役目を終えたりんごの木を伐採しに出向き、
切り出しから乾燥までを自社で行っている。

たいていの場合、木工所は、決められた尺にカットされ、
乾燥までなされた木材を製材所から仕入れる。
しかし、りんごの木は流通にのっていないため、
自らチェーンソーを持って出向き、伐採から始めなくてはいけないのだ。

「製材屋さんに頼んだほうがどんなにラクか。
よく『りんごの木はタダなんでしょ?』と言われるんですが、とんでもない!
それ以上に大変なことが山積みですから。
『タダより高いものはない』とはよく言ったもので、
りんごの木にみんなが手を出さない理由がわかりますよ」
と苦笑する。

もともと水分の多いりんごの木は、乾燥がとても大変なのだが、
それがもっとも重要なことのひとつだとか。
外に並べて自然乾燥もしているが、
それだけで足りない分は、手づくりの乾燥室に入れる。

外で乾燥中の木材。これは弘前城の桜の木だが、ここにりんごの木が並ぶこともある。ちなみに、木村木品製作所では弘前城の桜の剪定木を使ったプロダクトも手がけている。

分厚いビニールシートが四方に敷き詰められた部屋に
木材が並べられていて、除湿機がかけられていた。
「こんなふうに何でも手づくりですよ。
でもこれ、けっこういいんですよ、
1日で除湿機の水受け容器がいっぱいになりますからね」
と木村さん。

厚いビニールシートをめくり、手づくり乾燥室を見せてくれる木村さん。中には、たくさんのりんごの木が眠っていた。

また、りんごの木は硬いので、加工するときは充分注意が必要だという。
切り出しを行っていた職人さんは、慣れた手つきで作業を行っていたが、
彼でも「こわいですよ」なのだそうだ。

慣れた手つきでりんごの木の箸用に切り出しを行う。押さえの板は手づくりのオリジナル。

〈北風木工所〉 300年の歴史を持つ 二本松民芸箪笥。 二本松城をつくった建築大工たちの こだわりを受け継いで。

北風木工所からつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9,754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、特に桐の生産量は日本一。
桐は軽くて湿気を通さないため、家具に使われることが多い。
二本松ではこの桐を使って、美しい民芸箪笥を300年もの間つくり続けている。

二本松のあだたら山の風景。

福島県を代表する城下町・二本松で、
脈々と受け継がれてきた建築大工たちの技。

子どもの頃、冬が近づくと母が箪笥から手袋を出してくれた。
母が父のもとへ嫁いできたときに持ってきた和箪笥。
飾り金具を引いて抽斗から衣類や裁縫道具を取り出す母の動作は美しく、
不思議と記憶に残っている。
その光景を思い出すと、洋室に合うチェストもいいけれど、
ひとつくらいは質のいい和箪笥を部屋に置きたい、と思う。
今回は、そうしたどこか懐かしく趣のある和箪笥のひとつ、
二本松民芸箪笥の魅力を紹介したい。

生命力溢れる木目と意匠を凝らした飾り金具が美しい二本松民芸箪笥。昔は娘が生まれると庭に木を植え、成長した木を伐採して箪笥を制作し、嫁入り道具にしたという。

二本松の箪笥づくりの起源は、
二本松藩の初代藩主・丹羽光重による二本松城の大改修にあるといわれる。
建物だけでなく城内の調度品も手がけた建築大工たちが、
その技を生かして箪笥づくりを始めたのだ。

表面には丈夫で耐久性のあるケヤキ、抽斗には吸湿性の高い会津桐を使うことが多く、
機能的なつくりをしていることが特徴。仕上げは丁寧で、職人の心意気が感じられる。

その心を脈々と受け継ぎいまに伝えるのが、
国道4号線沿いに店舗を構える「北風木工所」だ。
企画部長の北風哲夫さんは、子どもの頃から工場で職人たちの背中を見ながら育った。

現在は企画部長を務める北風さん。

「工場が遊び場のようなもので、隅っこで船なんかをつくっていました。
職人たちの姿を見ているうちに、自然と覚えちゃうんですね。
“習うより慣れろ”というけど、あれは本当にそうだと思います」

会津で育った桐は冬の厳しい寒さに鍛えられ、木目が緻密で堅牢になる。
吸湿性に優れているため、抽斗の材としては最適だ。
ただ桐材はアクを含むため、そのままにしておくとやがて黒く変色していく。
これを防ぐため、製材したら一度雨風にさらして“渋抜き”をする必要がある。
いまは分業が進んで製材所から木材を買うようになったが、
昔は二本松のあちこちで建物に桐材を立てかける光景が見られたという。

抽斗を取り出して接合部を見せてもらった。昔ながらのつくり方では、接着剤だけでなく木釘を使って留める。こうすることでより丈夫になるという。見えない部分までこだわりが光る。

注目される休校・廃校を 活用する事業の仕組み 「三好市の廃校活用事業」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-027' append=' はこちら']

休廃校活用の事業化

三好市は徳島県の最西部、四国のほぼ中央に位置する。
平成18年3月に三野町、井川町、池田町、山城町、
西祖谷山村、東祖谷山村が合併して三好市が誕生した。
徳島県のなかでも最も山深い地域だ。
一次産業の衰退に伴う過疎化が深刻で、高齢化率は約40%と極めて高い。

合併当初の人口は3万6千人。それが3万人を切るところまで来ている。
昔はタバコの産業で栄えたまちであったが、
産業が衰退したあと、新しい産業をつくることができなかった。
山や森を活用することができず、次第にひとは減っていき、
限界集落を飛び越えて、消滅集落に向かっている場所も多い。
日本の課題が集結したような地域である。

過疎化に伴い休校・廃校となる学校も多く、
三好市では28の休校・廃校があった。
三好市では2012年より休廃校活用の専任者を置き、取り組みを始めた。
いまその活用事業の仕組みが注目されている。

三好市の休廃校マップ

三好市の休廃校。市は28校のうち22校を活用のために提供した。そのうち9校で事業化が進んでいる。

全国の廃校の現実

三好市・地域振興課の職員、安藤彰浩さんは、
2012年の春、休廃校活用の辞令を受けた。
現在は休廃校等活用事業を進めている安藤さんにお話を伺った。

「28校の廃校のうち、22校の活用を進めています。
市長からは、そのうちひとつでもいいから成功事例をつくってほしい
と言われました。現在9つの学校で11の事業が動き始めています」
と安藤さん。廃校活用の提案を広く民間に公募し、
審査のうえで運営を任せる仕組みだ。

「最初の1年は本当に苦労しました。
飛び込みでいろんな会社をまわったりもしました」

しかしなかなか事業化は進まない。
「まずは廃校活用の実態を知らねばならない」と安藤さんは、
全国の廃校活用事例を見てまわることにした。
農山漁村交流の全国セミナーに参加したり、
全国の活用状況を把握するために視察を行った。
調査をすると多かったのはなんらかの「関係性・コネクション」で
廃校活用を委託しているというケース。
しかしそれではなぜその事業者を選定したかの説明ができない。
活用事業がうまくいっているところはほんの一握りだと感じた。
行政が多額の税金を投入して施設を改修し、
第三セクターや指定管理に出しているものなどは問題が多かった。

〈おおのキャンパス〉 地場の木材を使って、 木工クラフトの里づくりを目指す

おおのキャンパスからつながる岩手の森のはなし

本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ha、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)220,000,000㎥。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。 

本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。

大野木工の原点は、「一人一芸」運動。

岩手県北部に位置する洋野町大野地区(旧大野村)。
この地で暮らす者にとって、長い間、「出稼ぎ」は当たり前の生活だった。
自然豊かな土地だけに、主要産業としては、農業が挙げられる。
しかし、北上高地の山間にあって耕作地は少ないうえに、
オホーツク海気団から吹く冷たく湿った北東風「ヤマセ」により
夏の低温と日照不足を避けられない土地。地域全体として稲作、畑作ともに
適地とはいえず、比較的荒地でも行える酪農に頼るほかなかった。
現在では、大野の酪農は本州では広く知られるほど成長したが、
かつては小規模な農家が多く、安定した現金収入を得るためには、
1年を通しての出稼ぎという手段が一般的だったのだ。

1980年に大野村で興った「一人一芸」運動は、
当時のそんな状況を変えるために始まった。
運動の中心にいたのは、当時、東北工業大学の教授で
工業デザイナーとして活躍をしていた故・秋岡芳夫氏。
氏は、大野村を現地調査し、地元にアカマツやトチ、ケヤキなどの
木材資源が豊富なことと、出稼ぎにおける職業として大工が多いことなどから、
木工製作を中心とした新しいまちづくり「一人一芸の里」の実現を提唱したのだ。
秋岡氏といえば、地域で埋もれていた工芸品に知恵と技を加え、
すぐれた生活用具にリファインして都市生活者に紹介する「モノモノ」運動の提唱者。
大野での「一人一芸」運動でも、木材という土地の資源に脚光をあてながら、
地元に新しい技術と価値観を根づかせることで、
木工クラフトをはじめとする新たな産業の創出が可能になると考えたのである。

大野の周辺には大野木工の原料となるアカマツの林が広がる。

大野村では、秋岡氏のこの提案に沿って「大野村春のキャンパス80」を開催。
各界で活躍する講師の指導により、木工ろくろ、ホームスパン、
竹細工や地域の素材を用いた乳製品の加工、
郷土料理などを内容とするワークショップが催され、
本格的に「一人一芸の里」づくりがスタートしたのである。
ちなみに、道の駅をはじめ大野木工を製作する木工房や産業デザインセンターなど、
18の施設からなる現在の「おおのキャンパス」は、この「大野村キャンパス」が原点。
ものづくりと地域資源の再発見の場として、活動の幅を広げてきた。

おおのキャンパスは道の駅や産直を含めた複合施設。大野木工を手がける木工房も併設されている。

この「大野村キャンパス」を語る際に秋岡氏とともに忘れてはならないのが
同じく工業デザイナーであり、木工作家である時松辰夫氏。
秋岡氏より誘われて大野を訪れた時松氏は、
1980年より2年間にもわたって活動の拠点である九州を離れて大野に滞在し、
地元に発足した工芸グループに木工ろくろを主とした木工技術を、
まさに手取り足取り伝授したのである。
ちなみに秋岡氏と時松氏の指導のもとに進められていたクラフトマン養成塾は
3年で独立し、生業として成立させることを目標に掲げていたという。
現在でも、おおのキャンパスでは大野木工のクラフトマン育成を行っているが、
3年間を研修のひとつのスパンとして活動を続けている。

工房の風景。独立を目指し、ろくろ技術の向上に励むのは、富張菜々子さん。刃物の研ぎ方ひとつで作業のしやすさがまったく異なってくるそう。

〈わらはんど〉 ストーリーのあるおもちゃで、 こどもたちが木に触れる きっかけをつくる。

わらはんどからつながる青森の森のはなし

森林面積が約66%を占める青森県。
スギ、ヒバ、ブナ、アカマツなど多様な樹種が分布する県でもあるが、
このうちスギの人工林面積が一番多くを占めており、
その利用拡大が課題となっている。

子どもたちにとって木が身近にある環境を

朝、9時。ウィーンと木を削る音があたりに響いている。
ここは、青森県弘前市にある「わらはんど」。
青森県産の木材をできるだけ使っておもちゃをつくり、
販売までを手がけている会社だ。

木工所に足を踏み入れると、職人さんたちが各々の作業にもくもくと取り組んでいた。

「わらはんど」とは、津軽地方の方言で「子どもたち」という意味。
子どもを指すわらべ(童)とハンド(手)をかけ合わせた造語でもある。

「いまって、木に触れなくても生きていけますよね。
だからこそ、大人が子どもたちに木に触れさせる機会を増やし、
『木っていいね』と思ってほしいです」
こう話すのは、わらはんどの代表を務める木村崇之さん。

わらはんどが誕生したきっかけは、
県産材をもっと有効活用しようと集まった仲間たちと
東京おもちゃ美術館の内部空間の施工を行ったこと。
それが評判を呼び、いまにつながっているそうだ。

まず見せてもらったのは、スギを使った積み木。
「スギってやわらかくて、軽い木なんですね。
それが加工しにくいという弱点にもなり得るんですが、
ぼくらはその弱点を強みに変えた商品づくりをしています。
やわらかいうことは、ぶつかっても痛くないし、
軽いということは落ちてきても痛くない。
スギは子ども向けの商品に向いていると思うんですよ、ぼくは」

1ピースの厚みは、やや厚めにしているそうだ。木村さん曰く「厚めなら積むのが早くて達成感がすぐ得られるでしょ(笑)。それに安定もしますよね」

このように、スギの特徴を生かして商品づくりを行うことは、
木村さんのこだわりのひとつにすぎない。
もっともっといろいろなこだわりが詰まっているのだ。それをご紹介しよう。

廃校を使った地域の拠点づくり。 株式会社ハレとケデザイン舎 「三好市の廃校活用事業」前編

三好市は徳島県の最西部、四国のほぼ中央に位置する。
徳島県のなかでも最も山深い。高齢者の割合は40%。

東京でデザインの仕事をしていた植本修子さんは今年の春、移住を決めた。

「東京で働いていた会社の上司が三好市の職員の方と知り合ったのですが、
三好市には20以上もの廃校があって、
その活用方法を募集してると聞いたことがきっかけなんです。
ちょうど私には3才の子どもがいて、
子育ての環境にいいんじゃないか、ということで。
来てみると自然が気持ちよくて、
こんなところで子どもを育てたら、どんな子どもに育つのかなと
想像したらワクワクしちゃったんです」

そして、移住を決めた理由は9年前に廃校になった
旧出合小学校との出会いだったという。
植本さんは実際に昨年の秋に旧出合小学校を訪れ、
廃校の活用の企画を考えてみることにした。

「具体的に廃校活用のアイデアを考えはじめたら、
いろんなことを思いついて、止まらなくなっちゃって(笑)」と植本さん。

「廃校のそれぞれの部屋の写真を撮って、この部屋をこんなふうに活用しよう、
ここはこう使おうといろいろ考えているうちに楽しくなってきました。
気持ちのいい庭があって、ウッドデッキをひいたらどんなだろうか、とか」

廃校といっても地元のひとが体育館を使ったり、運動場を使ったり、
草刈りをしてあったり。怖い感じはしなかったという。

「わたしはここパワースポットじゃないかって思っているんです。
それほど気持ちがいい場所なんです」

9年間眠り続けていた小学校にふたたび明かりを灯そうと決意した。

旧出合小学校に作られたウッドデッキ

ウッドデッキにて。親子でお菓子教室。

植本修子さんと植本綾子さん

ハレとケデザイン舎の植本修子さん(左)と植本綾子さん(右)の姉妹。写真提供:ハレとケデザイン舎

マチトソラとの出会い

関東で育ち、それまで地域と深く関わることがなかった植本さん。
引っ越してすぐに、三好市の地域活性化に取り組むNPOマチトソラを紹介された。
マチトソラは三好市にある空き家や地域に残る伝統文化の活用に取り組むNPO。
タバコ産業で栄えたまちの古民家再生やマルシェやアートイベントを行い、
都市からの若者の移住促進や若者の雇用、
住んでみたいと感じるまちづくりをしている。

「かつて旅館だった建物で歓迎会をしてくれたんですけれど、
地域を盛り上げようとがんばっている若者や、
まちづくりをしていこうという地域のひとと
いっぺんにつながることができたんです」と植本さん。
小さなまちであるからこそ、地域の動きにすぐにつながっていけるのが嬉しい。
また移住者や仕事づくりのプラットホームとなるNPOがあることも
大きな助けとなったという。

3月に移住して3か月ほどは地域のイベントに顔を出し、
交流することに費やした。
そこで人脈をつくり、一緒に廃校活用を進めてくれる仲間をリクルートした。
7月からいよいよ廃校に入り、工事を始めた。
可能な限りセルフビルド。
地域のひとや行政の助けもあってアイデアはかたちになっていく。
1か月で廃校は「再生」した。

再生した出合小学校

再生した出合小学校。写真提供:ハレとケデザイン舎

〈くだものうつわ〉 山形で育つ果樹でつくられた ナチュラルな木の器

くだものうつわからつながる山形の森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
かつては、人里に近い雑木林ではコナラやミズナラが
薪や整炭など人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

金山町に広がるスギの山々。(撮影:ただ)

果物王国の資源を生かして

山形県上山市に工房を構える果樹木工の「くだものうつわ」は、
可愛らしいその名の通り、果実の木で製品をつくっている。
ピンクのような少し赤みがかかったさくらんぼや、
ナチュラルな木肌の色をしたラ・フランスなど、樹種によって色もさまざま。
くだものうつわでは、必ず使われた果樹の名前が裏に刻印されているので、
どの果物の木がどんな色をしているのか、選ぶのもとても面白い。
ボウル、お椀、カトラリー、スツールなど、かたちは20種以上。
工房に併設されたギャラリーにはたくさんの木工品が展示販売されている。

仕入れた原木によって、お皿の大きさも大~小サイズに分けられる。お椀は小2,940円~、トレイ小4,150円~。ウレタン加工を施しているので、扱いやすく食洗機もOK。

山形県が、日本有数の「果物王国」と知られるように、
上山市にもたくさんの果樹園がある。
果物を育てるためには定期的に果樹の剪定や間伐が必要。
さらに、果樹の寿命は30~40年だと言われていて、
くだものうつわでは、役目を終えた木や伐採された枝、幹を活用しているのだ。
地元の農家から原木のまま提供してもらい、工房で製材。
さくらんぼ、ラ・フランス、柿、りんご、すもも、くるみなど
およそ8~10種を扱う。

山形県民にとって馴染み深いさくらんぼの木。果物を育む役目を終えたあとは、器へと加工されていく。

取材に訪れた日も届いたばかりのさくらんぼの原木が
小さく伐り分けられ、積まれていた。
本来なら廃棄されてしまう木材が、魅力的な器に生まれ変わっていく。
「果樹の間伐材を使うことになったのは、
ある先生との出会いがきっかけなんです」
とくだものうつわの代表を務める鈴木正芳さんが教えてくれた。

くだものうつわの代表・鈴木正芳さん。

長年建具職人として腕をふるっていた鈴木さんが、
果物の木を使って器をつくり始めたのは今から約8年前のこと。
当時、建築様式の変化とともに建具の受注は減っていくばかり。
「このままじゃいけない。なんとかしないといけないなと考えていたんです」
そんなとき、大分にある「アトリエときデザイン研究所」を主宰する、
工芸デザイナーの時松辰夫さんに出会った鈴木さん。
時松さんのつくる木の器に惹かれ、彼の指導を受けることになった。
その際、剪定した果樹を生かした器づくりを提案されたのだという。
「時松先生が視察に来られたときはちょうど3月の果樹の剪定の時期。
畑には、伐採された木がごろごろ転がっていて、
それを見て“山形は宝の山ですね”と言われたんです。
考えたこともなかったですが、地元の特徴を出せるし面白いなと思いました」

工房の様子。器に挽いていくろくろが2台。訪れた日は納期が迫っていると、急ピッチで作業が進められていた。

ろくろで挽くところ。木を回しながら、ろくろ鉋と呼ばれる刃物をあて、丸くなめらかな器になるよう削っていく。

赤羽〈まるます家〉 うなぎに鯉のあらいに、 冬にはスッポンなどの鍋ものも

イラストを拡大

明るい時間から、ほろ酔い気分。

とにかく明るい。引き戸は開け放たれたままの
秋の初めのこの日の入店時間は、午後3時、おやつの時間。
朝の9時から開いてる「鯉とうなぎのまるます家」表には、
お持ち帰り用の鰻がケースに並び、さばくまな板台や焼き場も。
うな重を食べるお昼ごはんの客は引いて、呑み助の時間で熱気むんむん、
運よく座れていつも満席状態。
角地にあるこの店は、出入り口がふたつ、コの字カウンターもふたつ。
直角ボックスのテーブル席を背にカウンターを陣取れば、
けたたましいぐらいに目に飛び込んで来るのが赤文字の短冊メニュー。
薄いグリーンのテーブルとそこにニョキニョキ立ってる名物「ジャン酎」の
水色ラベルの1リットルボトルも店内の明るさに一役たっているよう。

キョロキョロ、壁という壁に貼られたメニューの中から今日のアテを選び抜かねば……。
人は「始めました」という言い回しに弱いもの、
「きのこおろし始めました(自家製)」は則決定。
流れで土瓶蒸し、ここで、頼まなかったことはないかぶと焼きなど。
フライものは、値段に合わないボリューム満点。
鯉のあらいに、冬にはスッポンなんかの鍋ものなど、選び放題のメニューがうれしい。
ジャン酎モヒートでお願いすると例のボトルがドン! 氷の入ったグラスがドン! 
小皿に乗ったライムとミントがついてくるので、
自らマスターになったつもりでモヒートを作ります。
ジャン酎の正体は、酎ハイのジャンボ瓶。結構お強いお酒ですが、
ライムとミントの爽やさで、気がつけば、継ぎ足してるから驚きです。

〈伊達クラフトデザインセンター〉 素材の短所を補い、 長所を生かして魅力ある商品に。 私たちは、木の料理人。

伊達クラフトデザインセンターからつながる福島の森のはなし

北海道、岩手に次いで広い面積を持つ福島県。そのうちの71%、
実に9754㎢は森林で覆われている。これは全国で4番目の広さだ。
針葉樹よりも広葉樹の占める割合が高く、人口林率は35%。
針葉樹では、スギ、アカマツ、クロマツ、広葉樹ではナラ、クヌギが
多いことが特徴。桐の生産量が日本一を誇ることでも知られる。
豊かな福島の森から生まれるプロダクトを紹介したい。

風評被害に苦しむ福島県の林業を応援しよう。
県を越えて、若手事業者が集まった。

「ものづくりを通して木の良さを伝え、地域材の活用を進めよう」
そんな想いから、関東で木に関わる仕事をしている若手4人が集まり、
魅力ある木工商品を次々生み出している。……という噂を聞いて、
福島県北の伊達市を拠点に活動する、伊達クラフトデザインセンターを訪れた。

白井木工所代表取締役の白井貴光さん。

迎えてくれたのは、メンバーのひとりである白井貴光さん。
伊達市で木製建具や家具を製造する白井木工所の4代目だ。

白井さんが仲間と一緒に伊達クラフトデザインセンターを設立したのは、
2013年のこと。東京大学で開かれた、
地域材の利用を促進するための勉強会がきっかけだった。

白井木工所の工場でのひとコマ。

「人工林は間伐など定期的な手入れを必要としますが、
安価な外材に押されて国産材が売れなくなったことなどから、
森に人の手が入らず荒れてしまっています。
はたから見ると、林業家と木工所は近い関係に見えるかもしれません。
でも、意外とお互いのことを知らなかったりするんです。
私たちのように川下に近い事業者も、川上である林業の現場のことを考えて
木材を選ぶ必要があることを勉強会で学び、実践することにしました」

メンバーは、千葉、栃木、東京で家具・建具を製造する企業の社長や専務たち。
伊達を拠点としたのは、原発事故の影響で苦境に陥っていた福島県の林業を
応援するためだ。震災後、福島県の林業産出額は億単位で減少している。

「でも、福島県木材協同組合連合会が定期的に県内の製材所の検査を実施していますし、
事業者側も独自に厳しい基準を設定して自主検査しています。
調べてみたら、安全性は問題ないことがわかりました。
それなら、私たちのような事業者が積極的に使うことで、少しでも復興に寄与できれば。
4人の意見が一致して、福島県産材を活用した商品開発に取り組み始めました」

精緻で美しい組子細工が楽しめる置物。

そうして生まれた商品のひとつが、写真中央の「伊達KUMIKO」。
組子細工の伝統模様をインテリアアイテムに仕上げた商品で、
福島県産のスギ・ヒノキを使用している。

組子細工とは釘を使わずに木と木を組み合わせてさまざまな模様を表現する伝統技術。
障子や欄間の装飾として使われてきた。
1000分の1ミリ単位の精度で加工するため、紙1枚入る隙間もないという。

熟練した職人による匠の技が光る技術だが、
洋風の家が増えたいま、職人がその腕を振るう機会は減っている。

白井さんは、「現代の名工」と認定された父から組子細工の技術を受け継いだ。

「歴史ある技術を自分たちの代で途絶えさせてはいけないと思ったんです。
後世に受け継ぐために、いまの時代に合うよう、リデザインしました」

洋風の玄関やリビングに置いても違和感のない佇まい。
木の柔らかな風合いと職人が織りなす緻密で美しい伝統模様が
身近に楽しめるとあって、好評を得ている。

丸みのあるデザインで女性にも好まれている、木製ぐいのみ。

みずからの“つくる”で 地元を盛り上げる若手クリエイター。 「淡路島の場づくり」後編

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樂久登窯とヒラマツグミが語る、淡路に溶け込むF.B.I.

淡路島に異世界のようなキャンプ場をつくりあげた
〈First class Backpackers Inn〉(以下F.B.I.)。
キャンプ場の営業はシーズンとなる4月から10月まで。
しかも建築を開始した当初、主なスタッフは大阪から出向いていた。
そんな状況であっても、淡路島という地に溶け込んでいる。
彼ら自身の努力はもちろん、淡路島在住の若いクリエイターとの交流も盛んだ。

F.B.I.での夜のパーティ

F.B.I.には夜飲みに来るひとも多い。

樂久登窯(らくとがま)の西村昌晃さんと、建築士事務所ヒラマツグミの平松克啓さん。
ともに現在F.B.I.がある地、かつての船瀬海水浴場であった場所が
売りに出されているという話を聞いて、可能性のある場所だと思っていた。
そんなとき大阪からF.B.I.スタッフがやってきた。

「うちのカフェにふらっとF.B.I.のスタッフが遊びにきたんです。
そうしたら、船瀬海水浴場でキャンプ場をやることになったと言うんです」と西村さん。

そこから知り合い伝手に、平松さんに話が届き、
構造設計などを担当することになった。

平松さんの通常の業務とは異なり「僕たちの出番はほとんどなかった」という。
「自分たちの手でつくってみたいということで、僕たちは構造設計だけして、
あとは調整役でした。最初から“地元のひとたちとやりたい”という気持ちが強かったので、
電気、基礎、大工などを調整しました。
ほとんど船瀬周辺の職人さんたちでできあがっています」

手作業で建てていたときの様子を平松さんはこう語る。

「F.B.I.はちゃんとした会社。
でも当時、大の大人が毎週末淡路島まで来て、作業していました。
夜はお酒を飲んで、楽しそう。果たして遊んでいるのか、仕事しているのか。
楽しみ方がすごかったです。草刈りすら奪い合いしていましたからね(笑)。
そういった仕事への姿勢からは、新しい価値観を教えられました」
それはもちろん、現在ビジネスとしてキャンプ場を成り立たせているからこそできる話だ。

一方、西村さんも、F.B.I.に協力しつつ、地元への意識に驚く。
「地元には地元のルールがあるので、その都度相談に乗ったりしていました。
彼らは地元へリスペクトを払うべき、ということに理解のあるひとたちで、
溶け込み方はすごいですよ。住んでもいないのに、地元のお祭りに出ています。
そんなこと普通は考えられませんからね」

地元への入り口となる キャンプ場、海に面した First class Backpackers Inn。 「淡路島の場づくり」前編

場所の力に導かれて、キャンプ場開業

淡路島の海沿いを周回する道路から、さらに海へと降りていく小道。
道路沿いにわかりやすいサインがあるわけでもない。
クルマはなんとかすれ違うことができる。
道の先に海が開けてくると、波がおだやかな船瀬海岸。
そこに〈First class Backpackers Inn〉、略してF.B.I.というキャンプ場がある。

F.B.I.は3つのキャビン、ひとつのティピ、さらにレストランやバーが併設されていて、
初心者にもやさしいキャンプ場だ。本格的にテントでキャンプするもよし、
バーベキューをしながら、キャビンに泊まってもよし。
それぞれの楽しみ方があるが、海が目の前で風が心地良く、
静かで落ち着くという環境のすばらしさに、誰もが感動することだろう。

〈BILLY〉と名付けられたかわいいキャビン内

〈BILLY〉と名付けられたかわいいキャビン内。アメリカンログハウスなテイストだ。

ここは、もともと船瀬キャンプ場というキャンプ場だった。
現F.B.I.のスタッフは、この場所が気に入り、利用者として大阪からよく訪れていた。
5年前、船瀬キャンプ場が閉まることになり、
なにかの縁で彼らのところに話が巡ってきたのだ。
「キャンプ場をやらないか?」
キャンプ仲間だった全員が手を上げた。

キャンプ場をつくったことも経営したこともない。
だからこそ、自分たちの手で建ててみようとなった。
キャンプが好きで、しかもこの場所を愛していたから、なんとかなると思ったのかもしれない。

現在はレストラン&バーがあるメインの建屋とキャビンが3棟ある。
すべて自分たちの手で組み上げた。
とはいえ、淡路島を中心に活動している建築家のヒラマツグミに構造設計をお願いし、
それをもとに地元の大工の棟梁とともに、自分たちは大工見習いのごとく働く。

カウンターでモヒートを準備中

モヒートに使われるミントは敷地内で育てている。

「ペンキ塗りから草刈り、土木工事まで、すべて自分たちの手でやりました。
もともと道具が好きで、手作業が好きなメンバーが集まっているんです」と言うのは、
F.B.I.の河野貴志さん。

「最初はすごくヘタクソ。大工見習いにすら、なれるまでは難しかったですね。
でも棟梁の“きよっさん”のもと、みんなにこにこ楽しそうに作業していました」

そんな作業を進めていたあるとき、台風がきて、
ほぼ完成間近のキャビン4棟が地滑りで壊れてしまうというできごとがあった。

「キャンプ場というものは、自然を相手にしているんだなということを
まざまざと突きつけられました。最初にわかって良かったです、これも運命だねと」

奥に見えるのがピンクの〈CANDY〉

奥に見えるのがピンクの〈CANDY〉。ハンモックタイ枕など、チルな雰囲気。手前の〈PEANUTS〉はウッドテラスが気持ちいい。

〈天童木工〉 家具業界の常識を覆す技術を開発! ふんわりとした木肌が可愛い 国産スギの家具。

天童木工からつながる山形の森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など昔から山の恵みと人々は密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景と言われるブナの天然林面積は日本一だ。
かつては、人里に近い雑木林ではコナラやミズナラが
薪や整炭など人々の暮らしの燃料源として多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の「金山杉」、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の「西山杉」などの産地をはじめ、
多く植林されているがどこでも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

金山町に広がるスギの山々。

日本全国のスギの山の救世主、現わる?

山形県天童市に本社を構える「天童木工」は世界中で愛される家具メーカーだ。
薄くスライスした木の板(単板)を重ねて自由な造形をつくりだす「成形合板」。
北欧で生まれたこの技術を日本で最初に取り入れ、
これまで天童木工の高い技術は、数々のデザイナーたちをうならせてきた。
柳宗理デザインの「バタフライスツール」は、
昭和31年に発売され、いまもロングセラー。
時代を超えて愛される名品を生み出してきた同社が
2014年に発表したのは国産の針葉樹を使ったシリーズだ。
特に自社製品の家具には山形県産材を取り入れ生産を行っている。

従来の天童木工の家具と大きく違う点は、「木目」。
人肌の色に近い針葉樹のスギやヒノキはとてもやわらかい雰囲気を持つ。
真っすぐのび、はっきりとした木目を纏ったチェアやテーブルは、
天童木工のモダンなデザインと融合され、
ナチュラルだけれど、品があってどこか愛らしさもある。
2014年4月に発表後は反響がたちまち広がり、
現在、注文などの問い合わせが殺到しているという。

現在、針葉樹シリーズは、テーブルやチェア、コートハンガーなど40種ある。脚のカーブが愛らしいテーブルは 51,000円(税別)。

スギを使ったソファとテーブル。肘掛けの木目も美しい。天童木工では座面の張り替えなど家具のメンテナンスも随時受け付けていて、一生使える家具づくりをめざしている。ソファ1人掛 139,000円~(税別)、テーブル 105,000円(税別)。

家具としての魅力もさることながら、反響が大きかったその訳は、
国産の針葉樹、特にスギを家具に使用したという点!
しかも、活用に皆が手をやいていた間伐材も含まれる。
一般的に家具に使われる木材は、ブナやナラなどの広葉樹。
天童木工でも、これまですべて広葉樹を扱ってきた。
スギは、広葉樹に比べて軟らかく、
強度や加工の面から見ても家具には不向きなのだ。
そんなスギを使おうと思った背景には、現在の日本の山の状況がある。

〈石巻工房〉 ワークショップ発信のデザイン。 D.I.Y 精神で自分なりの 家具をつくる。

石巻工房からつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

木の表情を生かすシンプルで頑丈な家具。

石巻の海のすぐそば。
潮の香りとともに、やわらかな木の香りがいっぱいに広がる工場で、
5、6名ほどの若いスタッフが、時々笑い声をあげながら家具づくりに精を出している。

ここ、石巻工房が誕生したのは、東日本大震災の4か月後、2011年7月。
津波の傷跡が深く残る石巻に、クリエーターやデザイナーが集まって工房を開いた。
目的は、地域の人々の就労の場と、交流の場をつくること。
ワークショップやイベントなどを開催しながら、
地域の盛り上げ役として、今年で4年目を迎えている。

干物工場だった建物を改修して工房として使っている。

石巻工房が作る家具は、作りが簡単かつ頑丈で、機能的なものばかり。
ワークショップなどを通して市民が考案し、
デザイナーがブラッシュアップしたものもある。
一見、驚くほどシンプルだが、それこそが石巻工房の狙い。
屋外でも室内でも気にせず使えて、気に入らない部分があれば、
自分で切ったり、削ったり、色を塗ったりして使える。
そんな柔軟性のある家具を目指し、新しい製品をつくり続けている。

まっすぐカットした木材をビスで固定する。石巻工房の家具は、このスタイルでつくられているのものが多い。

石巻工房のプロダクトは色もオイルも塗らない。
木の色味や年輪、フシなどが、そのまま家具の表情として現れてくる。
「木は生き物。揃っていないのは当たり前ですからね。石巻工房のテーブルは、
天板が同じ色で揃うことは、まずありません。でもそれが、製品の味になるんです」
代表の千葉隆博さんは、棚を片手に、そう話してくれた。

千葉さんは、震災前はその道20年の寿司職人だった。

〈沓澤製材所〉 伝統ある企業が挑む、 秋田杉ブランド第二世代を担う 製品づくり。

沓澤製材所がつながる秋田の森のはなし

杉はスギ科スギ属に分類された、日本特産の樹木。
秋田の杉は、木曽ヒノキ、青森ヒバと並んで、日本三大美林として知られている。

その「秋田杉」は、実は2種類ある。
ひとつは「天然秋田杉」。樹齢200年以上の、天然の森で育った杉のこと。
節のない、美しい木目が特徴の大変希少な木で、昔もいまもとても高価なもの。
特に平成24年以降は国有林の伐採が終了したため、
ますます手に入りにくいものになっている。

これに対し、人工林で育まれているのが「秋田スギ」。
間伐を行うため、材木に使える樹齢が60年くらいと、天然木に比べ若い木を使う。
そのため、天然秋田杉よりもぐっと安価な材木として、
住宅用などに多く使われているのだ。
木目の優美さなど、天然秋田杉にはかなわないところも多いが、
天然秋田杉の枯渇が叫ばれるいま、秋田スギの育成・加工が
今後大きな課題になってくることは間違いない。

そこで今回は、秋田スギを使った新しい生産システムで
製材および桶樽をつくる、大館市の株式会社沓澤製材所をご紹介。
沓澤製材所は昭和2年に創業し、80年以上の歴史を誇る伝統ある企業。
米代川沿いで秋田スギの山林経営をするところから始まり、
製材事業、桶・樽の生産など、秋田スギと天然秋田杉を使った
トータルなものづくりに取り組んでいる。
いったいどんな現場で、それらが行われているのだろうか?
沓澤俊和さんに製材所を案内していただいた。

沓澤製材所の歴史

沓澤製材所は、地域の豊富な木材資源を使った和樽のメーカー
「沓澤樽丸店」として営業を始めた。
しかし和樽の市場は既に存在していたため、どうしても後発に甘んじてしまう。
木材の調達も、業者と強いつながりがある先輩の後になってしまう。
そうすると和樽をつくることすらおぼつかなくなってくるのだ。

そこで考えたのが、材料の供給から自社で行なうこと。
自らスギ人工林を所有し、育成管理すること。
そして和樽のみならず桶製品の製造技術、製材の技術、集成材の技術の
総合メーカーになることだった。
これら一連のことが評価され、平成25年度農林水産祭にて
内閣総理大臣賞を受賞している。

こちらが沓澤製材所の社有林。

伐採し、原木の搬入を行なう。

〈栗久〉 丁寧な暮らしの憧れアイテム。 優美な木目の天然秋田杉で つくられる「曲げわっぱ」。

栗久からつながる秋田の森のはなし

秋田県大館市の「曲げわっぱ」メーカー「栗久」。
大館市に数多くある曲げわっぱメーカーのなかでも、
ひときわ人気が高いつくり手である。
人気の秘密は、「グッドデザイン賞」などに輝くモダンなデザインもさることながら、
使い心地を第一に考えた高い機能性にある。

栗久がつくるのは、北国の女性の肌のように真っ白で、細かくて
真っすぐな木目を誇る天然秋田杉だけを使った曲げわっぱ。
それらの木は、秋田県北部の白神山地、米代川流域の森で生まれている。

曲げわっぱのルーツは江戸時代にさかのぼる。
大館城主・佐竹西家が、秋田杉を生かして
下級武士の内職として奨励したことにより、産業として成立した特産品。
栗久六代目の栗盛俊二さんはその背景を教えてくれた。

「青森に十和田湖があるでしょう。あそこは昔、火山だったの。
火山が噴火して、白神山地に火山灰が降り積もったの。
その火山灰の土壌で育ったのが、天然秋田杉。
この火山灰を栄養にして育つから、秋田杉は色が真っ白なのよ。
それにね、秋田は寒いから木がキュッと引き締まって、年輪が詰まるの。
暑いところだと年輪が大きくなってね、こんなに目が細かくならない」

そして、天然秋田杉にはもうひとつ秘密が。
「栗久で使う天然秋田杉の長さは六尺(約1.8メートル)くらい。
そこにひとつも節がないんだよね。
節がある板は、曲げると節のところで折れちゃうのよ。
そうすると曲げわっぱはつくれない。
こういう節がない木は、自然にできるものじゃない。人間がつくったものなの。
どうやるかというと、植えて10年ぐらい経ったら、
上の枝だけ残して下の枝を払う“裾刈り”をする。
それを200~300年成長させると、10メートルも20メートルも節がない木ができる。
普通の木は30センチおきに節ができるものだから、全然違う」

そんな天然秋田杉は、かつては冬に伐採し、春になってから、
雪解け水を利用して山から下ろしていた。
「山から下ろしたら、米代川と長木川で木を運ぶ。
その合流点が大館。そこから最終的に日本海側の能代まで運ばれる。
能代まで運ばれない木材が大館で陸揚げされて、
細工物で使われるようになった。
だから大館の曲げわっぱは色が白くて具合がいいってことになったのよ。
秋田には3つの大きな川があるんだけど、
秋田杉って呼ばれるのは、この米代川でとれるやつだけなの」

天然秋田杉に支えられる大館の曲げわっぱ

「曲げわっぱ」は、秋田県大館市で約400年にもわたり
継承されている伝統工芸の秋田県の特産品。
天然秋田杉を薄く削いだ板を曲げてつくる、円筒形の器や箱のこと。
秋田杉特有の明るく優美な木目を生かした見た目もさることながら、
機能性にもすぐれていて、曲げわっぱのおひつでご飯を保存すると、
朝炊いたお米で夜におにぎりが握れるというくらい。

「秋田の自然に感謝してます。杉はジャポニカ・シーダーといって、
日本にしかない木材ですから」
今回は大館のまちなかにある栗久の工房を訪ね、
六代目の栗盛俊二さんにお話をおうかがいした。
栗盛さんは、お爺さんが樺細工の問屋。
お父さんは樺細工の職人、おじさんが曲げわっぱ職人という職人一家育ち。
現在は職人であり、多数の従業員を抱える栗久の社長として精力的に活動。
大館の職人のDNAを受け継ぎ、次世代に伝えるつくり手である。

たしかに、きめのこまかい年輪。

いま、秋田の国有山では道路の維持費がかさむために天然秋田杉の伐採を見合わせている。「ぜひ昔の方法を取り入れてでも、天然秋田杉が欲しいんだ」と栗盛さんは語る。

〈わいどの木〉 青森県の木である「青森ヒバ」。 すぐれた力を持つヒバの すべてを使い尽くす。

わいどの木がつながる森のはなし

青森県は、森林面積が県土全体の約66%を占めている森林県。
青森県の木にもなっている青森ヒバは、
わいどの木がある下北半島や、津軽半島に多く分布している。
近年は、保護の観点から植栽や間伐を行いながら、計画的に供給されている。

どうやったら青森ヒバのよさを伝えられるか、それがすべての原動力

本州の最北端に位置する青森県の下北半島。
そのてっぺんにほど近いところに、
青森ヒバを使ったものづくりにこだわる木工所「わいどの木」はある。

迎えてくれたのは、わいどの木の社長・村口要太郎さん。
「うちのものは100%青森ヒバだよ。
ほかの木だったらやってないね。わいは、青森ヒバにほれ込んどるから」
と言いきる要太郎さん。
奥さんの節子さんに言わせると「頭の中はヒバのことばかり」なのだそうだ。

「おい、笑え!」と節子さんに声をかけて笑わせようとしてくれた要太郎さん。そのかいあってのこの1枚。

要太郎さんがそんなにもほれ込み、
青森ヒバに絞ってものづくりをしている理由はいたってシンプル。
青森ヒバの効能がすばらしいから。それをもっとみんなに知ってほしいからだ。

特質すべき効能は、殺菌・抗菌効果と、消臭・脱臭効果。
つまり、カビやシロアリに強く、不快な臭いをとってくれるということ。
わいどの木では、一般建築材の製造販売と並行して、
これらを生かした商品づくりも行っている。

たとえば、「ヒバ爆弾」という面白いネーミングの商品がある。
これは、製材するときに発生するおが粉を円筒状に固めたもので、
押し入れや下駄箱などに入れておくと、臭いや湿気がとれる。
はじめは燃料にしようと考えていたそうだが、
ヒバの消臭効果が利用できるのではないかと思いついたのが、ことの発端。
「木工所で働いている連中にこれを渡し、
その上に小便をしてもらい、その臭いを自らかいでもらったんだよ。
そうしたら、なんとまったく臭わなかったんだ」
そこから、これならば消臭グッズになり得ると確信して誕生したそうだ。

一番手前がおが粉。製材時の端材は、チップにしたり削ったりして枕の中身などに使い、無駄なく活用する。

実は、青森ヒバは社寺仏閣の建材として使うことが多い。
それは、こうした効能があることに加え、数百年という長い年月を経て成木になるため、
木目が緻密で美しく、風合いがあるからだ。
それゆえに、高価なものと思われがちだ。

「社寺仏閣の建材に使うのは、幹が太く、まっすぐに伸びた、
樹齢200年はとうに超えているだろう一級のもの。
では、それ以外の曲がったものはどうするのか。
同じ200年の年月を経た木なのにって話だよな。
うちでは、青森ヒバはどれも区別なく使うよ。
加工しにくい部分があるならば、チップにするなど、
何か別のかたちにすればいいだけのことだ。
消臭効果は変わらないのだから、それを布に入れたら自然な消臭剤だよ。
無駄なく使ってあげれば、曲がったヒバもきっと喜ぶべ」

製材時に出た端材はチップにするなどして有効活用する。このチップは臭い取りに抜群。

「よし、こっちへこい」と
要太郎さんが案内くれたところにあったのは、輪切りにされた青森ヒバ。
木皮から内側に5センチほど入ったところまでは、やや茶色みを帯びている。

実物を見せながら、わかりやすく説明をしてくれる要太郎さん。

この部分はカビが生えてしまうので、商品には使わないのだという。
しかし、それは決して捨てずに、製材された木を乾かすときや、家庭での燃料にする。
無駄にしない精神は、こんなところにも感じられた。

端材を燃料にして木を乾燥させているため、工房の煙突からは煙がもくもく。