お米とエタノールから 地域の循環も生みだす。 「ファーメンステーション」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-035' append=' はこちら']

奥州市の農業とエタノールの循環

ファーメンステーションは、岩手県奥州市で、
お米からエタノールを製造している会社だ。
この取り組みは、当時の胆沢町の行政や米農家からの
“休耕田や耕作放棄地をなんとかしたい”という思いに端を発している。

エタノールをつくるうえで、当然ムダは少ないほうがいい。
そのうえ地域の課題解決や循環ができ、ビジネスとしても成り立つ。
そんな環境への配慮や地域循環の理念が念頭に置かれている。

ファーメンステーションの事業としては、
お米からエタノールをつくって販売すること、
そしてオリジナルブランドの消臭スプレー「コメッシュ」や
石けん「奥州サボン」の製造・販売である。
しかしそれ以上の波及効果が地元にもたらされている。
それはこんな循環だ。

米農家がお米をつくる

ファーメンステーションがお米を原料にエタノール、消臭スプレー、石けんをつくる

残渣をにわとりの餌にする

卵は地元でパンやお菓子に使用される

鶏糞は田んぼの肥料になる

このように、地元のみで、すべてが1周しているのだ。
この循環は「♪米im♪My夢♪Oshu♪(マイムマイム奥州)」という枠組みとして
取り組まれている。

「♪米im♪My夢♪Oshu♪(マイムマイム奥州)」の循環イメージ図

写真提供:OSHU LIFE

〈河津製材所〉 小国杉の森に新たな価値を。 ふるさとの未来を考える ものづくり。

河津製材所からつながる、熊本の森のはなし

県土の6割を森林が占める熊本県。天然林が多いのは、天草地方だ。
海と山の景観が背中合わせに広がるこの一帯には
シイやクス、カシなどの広葉樹が生い茂る。
スギやヒノキといった人工林が多いのが阿蘇地方と球磨地方。
県全体で約15品種のスギが植えられ
建築用材や建具、家具材など、幅広く利用されている。

しかし、木材価格の長期低迷と高齢化により、林業の担い手は減少している。
人工林のうち多くを占める間伐対象林の間伐は、緊急課題のひとつだ。
さまざまな恩恵をもたらす森林を次世代へつなぐため
県では「県民参加の森林づくり」を掲げ、森林整備にあたってきた。
林業と木工業との前向きな連携もスタート。
学校や公共施設だけでなく一般住宅でも県産材を使った家づくりに注目が集まる。
また、子どもたちを対象とした木育イベントも盛んだ。

アヤスギやヤブクグリなど、木目がまっすぐでやわらかく、加工しやすいスギが植えられている。

小国杉を育む森

熊本県の北東部にある阿蘇郡南小国町は隣りあう小国町とともに
小国杉の産地として知られている。
阿蘇外輪山の麓に広がるこの一帯で人工造林が始まったのは江戸時代のこと。
以来、小国の林業は250年以上にわたって脈々と受け継がれているのだ。

標高400~800メートルの山間のまちは、九州にありながら夏も比較的涼しい寒冷地。
冬には氷点下になることもあり一面を雪が覆い尽くす日も多い。
さらに、年間を通じて降雨量が多いのも特徴だ。
こうした環境によりゆっくりと時間をかけて育つ小国杉は
堅木で色目が薄く、目の詰まった美しい木材となる。

伐採後、枝払いなどをした小国杉は山中で、4メートル丈のぶつ切りにする“玉切り”という作業を施され、市場へと運ばれる。

ギュッと目の詰まった小国杉。淡いピンクやオレンジ色の色目も特徴だ。

小国杉のやさしい色味を生かす〈Wood Blind〉

熊本県阿蘇郡南小国町の「河津製材所」。
小国杉の特徴を生かした伝統工法「浮造り(うづくり)加工」などを得意とし
壁やフローリングといった内装材を数多く手がけている。

冬の朝陽を受け、もうもうと蒸気を上げるのは
伐りだして間もない丸太だ。
風に乗り、ほのかな木の香りが漂ってくる。

山主から買い上げた木を丸太の状態で乾燥させ、さらに板にして4か月天然乾燥。ゆっくりと時間をかけて含水率を低くすることで、木が持つ風合いを残し、割れや変色を防ぐ。

13人の社員のなかには、傍らで農業をしている人も多く、田植え休暇なども。小国の暮らしに寄り添う製材所だ。

祖父の代から続く製材所を父とともに支えるのが専務の河津秀樹さん。
建築系の専門学校へ進学した河津さんは卒業後、
店舗デザインを手がける会社へ就職した。
「いずれは製材所を継がねばならないというのもわかっていましたが、
正直なところ、将来への不安もありました」

17年前、後継者として実家へ戻った河津さんはあらためて小国杉の魅力に気づき、
その風合いを生かした加工品を手がけるようになっていく。

河津製材所の3代目、河津秀樹さん。小国杉の特徴を生かした「マネできないもの」をつくりたいと語る。

代表的なプロダクトのひとつが〈Wood Blind〉。
節がなく、色合いのいい柾目の板を使った木製ブラインドだ。

「小国杉特有の淡いピンクやオレンジ色を生かした無垢のブラインドです。
無機質な空間にもぬくもりを添えてくれるので、都市圏の方にも好評です」
と、河津さん。

スラット式の横型とバーチカル式の縦型があり、公共施設や病院施設のほか、
戸建住宅やマンションなど一般消費者からのオーダーも多い。

スラット板を組んだブラインドは、完全オーダーメイド。窓サイズに応じた注文が可能だ。

地元の人たちの暮らしを包むやさしい光。小国町の庁舎には幅2メートルほどの大きな〈Wood Blind〉が掲げられている。

〈飛騨産業〉伝統の 曲げ木が生かされた圧縮技術で スギ家具の可能性を広げる

飛騨産業からつながる岐阜の森のはなし

岐阜は県土面積の82%が森林で、全国2位の森林県。
平成18年度から間伐を強化し、毎年1万5000ヘクタール以上の間伐が実施されている。
木材としては、スギがもっとも多く、14万3000立方メートル生産されている。
次いでヒノキが11万立方メートル。
ヒノキは国内シェアの5.4%に上り、全国7位の生産量である。
製材工場の数は減少傾向だが、それでも314工場があり、
全国で2位の工場数となっている(平成22年)。
ただし1工場あたりの原木消費量は、全国平均の3分の1程度で、
小さい加工規模の工場がたくさんあることがわかる。

環境への配慮から生まれたものづくり

木工のまちとして名高い飛騨高山。その地名を冠する飛騨産業の歴史は、
日本の林業や木工業の歴史をそのまま体現しているかのようだ。
1920年(大正9年)の創業以来、曲げ木の技術を利用して木工業に勤しんでいた。
飛騨にはブナの木がたくさんあり、もともとは県産の木材を使用していた。
しかし戦後の高度経済成長を通して木がどんどん伐り倒されたことで、
国産の木は不足し、70年代後半からは外国産材を使用するようになる。

緑豊かな地に工場がある。

2000年に就任したのが岡田贊三社長。もともとは、ホームセンターを経営していて、
フロンガス製品や水質汚染が強い洗剤を店内から撤去するなど、
環境保全には強い関心を持っていた。
家具メーカー出身ではない岡田社長は、就任当時、一般的なイメージと同様に
「飛騨産業というだけあって、飛騨の木材を使っているはず」と思っていた。
さらにせっかく買った外国産材も、節があると捨ててしまっていた現状を知った。
一本の丸太から家具として使用されるのは、多くても25%程度だったのだ。
経営的にも環境的にも、それはムダ。
そこで生み出されたのが〈森のことば〉シリーズ。“節こそが主役”なのだ。

節がある木材も大胆に使用した〈森のことば〉。(写真提供:飛騨産業)

「節のある部分は、当時はワルモノ扱いで、
一流の家具に使ってはいけないという一方的な思い込みがありました」
と話すのは営業企画室室長の森野敦さん。

営業企画室室長の森野敦さん。味のある修理工房の前にて。

節のない柾目がいいと思うがあまり、木が持つ個性や自然の造形美を無視していたのだ。
ある意味“素人”の岡田社長だからこそ、やり切ることができたのかもしれない。
2001年に発売された〈森のことば〉は大ヒットとなり、
現在でも飛騨産業のトップシェアを誇る製品となっている。

大きな音が出る木材をカットする部署ではイヤーマフが必須だ。ブランドロゴのカラーでもある黄色で統一。

イスの背用の曲げ木材を製作。

御殿場・みくりや蕎麦

代々受け継がれてきた、家庭の味。

昨年のはじめ、大学の同窓会に出席した。
久しぶりに再会して互いの近況を報告し合あうと、
東京から離れて地方で暮らしている友人が何人かいることがわかった。
そのうちのひとりがナガイちゃん。
ナガイちゃんの生まれ育った場所は富士山の麓、静岡県は御殿場市。
大学卒業後に東京で数年暮らしたあと、
御殿場へ戻って実家のそばで暮らしているという。
ふむふむ、御殿場か〜、美味しいものがありそうな予感。

テツ「御殿場って、どんな郷土料理があるの?」

ナガイ「うーん、何だろ~。母親のほうが詳しいから聞いてみようか」

テツ「ぜひ、お願いします」

数日後、ナガイちゃんが連絡をくれた。

ナガイ「みくりや蕎麦っていうのがあるんだけど、知ってる?」

テツ「いや、初耳です」

ナガイ「近所のおばあちゃんが、それの名人なんだけど」

テツ「それ、教わりたい!」

ナガイ「いいよー、母親に言っておくー」

わーい! 
同窓会が開かれたおかげで、「みくりや蕎麦」なるものに出会えることとなった。

ーーー

迎えた当日。
新宿から高速バスに乗り一時間半、御殿場へ到着。

テツ「こんにちは~」

母「あ、いらっしゃーい!」

張りのある声で元気いっぱいに出迎えてくれたのは、
ナガイちゃんのお母さん、永井すみ代さん

母「どうぞどうぞ、上がって」

奥の居間へとおじゃますると、おばあちゃんがふたりお茶をすすっていた。

母「こちら近所のおばちゃん、佐藤ちゑさん」

ゆっくりと、上品に会釈をしてくれた。

母「で、こちらがうちのおばあちゃん」

永井いささん。
割烹着にもんぺ姿。
昔ばなしに出てくるような、典型的な優しいおばあちゃんという雰囲気。
こういうおばあちゃんに憧れていたの~、心が躍る。

〈きまま工房・木楽里〉 林業家が始めた、木製品を つくることができるみんなの図工室

木楽里からつながる埼玉県の森のはなし。

埼玉県の森林面積は1213平方キロメートル。
県土の3分の1が森林で、県西部の秩父連山とこれに続く丘陵地、
洪積台地に広く分布している。
山地は土壌が肥沃で木材の成長に適しているため、
長い間スギ、ヒノキの植林が続けられてきた。
特に飯能市を中心とした西川林業地域は人工林率が80%に達し、
優良材の生産地として全国的にも有名だ。
今回は、この地域から生まれる西川材製品の物語を紹介したい。

どこか懐かしい里山の景色が広がる埼玉県の西部地域。

木材の有効活用、林業のPR、収入源の確保。3つの動機を満たせるのは、木工だった。

最寄りの東吾野駅で降りると、あるのは山々と川だけ。
都心から1時間強にある場所とは思えない自然豊かな環境だ。
川沿いを20分ほど歩くと、「きまま工房・木楽里(きらり)」の看板が現れる。

国道299号線に面していて、とても目立つ。

木楽里は、木製品を自分でつくることができる工房だ。

工房使用料は、会員になると1時間1200円、1日3500円ほど。
そこに機械加工料や材料費が加わる。
打ち合わせをして材料選び、機械加工・仕上げ加工を行い、組み立てるという流れで、
スタッフが技術サポートやアドバイスをしてくれる。

子どもが夏休みの自由工作をしにくることもあるそうで、
取材時も近所の女性が「おかげさまで親戚の子が賞をとりました」と
うれしそうに賞状を見せにきていた。

「ここで初めて木工をするとか、
初めてカンナやノミに触れるっていう子も多いんですよ」
と目尻に皺を寄せるのは、木楽里のマスター、井上淳治さん。
ここでは「とっつぁん」のあだ名で親しまれている。

「実は不器用なんですが、だからこそ木工が苦手な人にアドバイスできるんです」と井上さん。

井上さんの家は、江戸時代以前から代々続く林業家。
正確な歴史は不明だが、このあたりの住所も井上なので、
相当古くからこの地にいたと予想される。
自身も林業に従事する井上さんが木楽里を始めた背景には、いくつかの要因がある。

「木材はキズや虫食いががあると、市場でけなされるんですよ。
それは仕方ないんです、きちんと品質確認することも買う側の仕事だから。
でも悔しくてね、大事に育てた木がけなされるばかりで褒めてもらえないのは」

欠点のある木でも、いいところを見つけて自分で有効活用してやりたい。
それがひとつめの動機だ。

「ふたつめは、木のPRをしないといけないと思ったから。
昔はプラスチックがなくて周りのものがほとんど木でできていたけど、
いまは木離れが起こって、木の良し悪しがわかる人がいなくなった。
このままではいつか林業が立ち行かなくなるという危機感がありました」

林業家という枠を超え、木材に関わる。

ただ良い木を育てることに集中していればよかった時代ではもうない。
林業家自身がもっと木の魅力を伝えていく必要があると考えるようになった。

「最後は、経営のこと。中山間地が林業だけで回っていたのは、
実は高度経済成長期だけなんです。
それ以前は、養蚕と薪炭との3本柱で成り立っていました。
養蚕のスパンは毎年、薪炭は15年、林業は40年以上。
短期的なもの、中期的なもの、長期的なものを組み合わせることによって、
蚕に病気が発生したり、林業不況が訪れたりしても、
ほかのもので食いつなぐことができるというわけです。
賢いやり方ですよね。私も、林業を続けるためには
林業以外の収入を確保しないといけないと考えました」

木材の有効活用、林業のPR、収入源の確保。
この3つを満たせるものに取り組みたいと考えた結果、
行き着いたのが木工だった。

〈吉野杉工房〉 人の手で育まれた美しさ 吉野杉ならではの味わい深い木工品

吉野杉工房からつながる奈良の森のはなし

日本一の多雨地域である紀伊半島。
そのほぼ中央に位置する奈良県の林野率は77%。
大仏や平城京などで知られる古都だが、ここは森の都でもある。
そんな県下に広がる森は95%が民有林で、先人によって育まれた
立派な人工林が広がっている。
人工林率が全国的に見ても高く第7位。

奈良県産材のなかでも有名な吉野杉は、
人工林の三大美林のひとつにもあげられるほど美しい。
またヒノキの人工林も多く、清潔感のあるピンク色が特徴である。
そういった特性を生かした製品も多いものの、
近年、県産材の生産・販売は年々下降傾向にある。

高いポテンシャルを持つ奈良の県産材だが、苦戦を強いられているのも事実。
そんななか、吉野杉で家具や小物の生産・販売をすることを目的に
村営の吉野杉工房は開設された。

奈良の森は、杉とヒノキが中心。年輪の幅が狭いこともありシロアリにも強いそうだ。

大切に育てられているからこその年輪を生かして

吉野杉の最大の特徴は、その年輪のきめ細やかさ。
通常、1ヘクタール当たり2000~3000本の植林に対して、
その3倍以上植えるのが、吉野流。
こうすることで1本の苗に、行き渡る栄養分を制限することができる。
そして、横への成長を遅らせつつ、縦に延ばし、
何度も間伐を繰り返すことにより均一な成長を促せる。
これが美しい年輪の秘訣であり、手間がかかる理由でもある。
そのため材木の値段も少し高値にはなるが、
この木目を利用してできあがった製品の味わいは格別だ。

スギの成長をわざと遅らせることで、年輪の幅が狭くなる。そのため強度も高い。

吉野杉工房では、テーブルや本棚などの家具もオーダーメイドでつくっているが、
特徴がよりわかりやすいものといえば、トレー、お椀、木皿などのキッチン用品。
整った木目が柄になるようにカットされた材を貼り合わせ、
さらに加工してできるのが、柾波木芸品。
盛器、盛皿、角トレー、菓子器、コースター、バインダーなどが揃う。

「この木目の綺麗さが人工林の、つまり手をかけてやる
吉野杉の良さですね。綺麗でしょ?」
と川上村生まれ川上村育ちで、この地を知り尽くす
地域振興課の森口尚さんは、丸太を触りながり誇らしそうに笑う。

吉野杉工房の働き手は、現在3名。うち1名は、隣にあるアーティストを受け入れるレジデンスの住人が、週に3日ほど手伝っている。

薄く切った板をボンドで貼り合わせて、模様をつくっていく。

貼り合わせたものをカットしたのがこちら。すでに製品の原型が。

こういう組み合わせもあり。これをある程度の大きさにカットして、中をくりぬいてお皿にも。

経年変化で味が出る、吉野杉の楽しみ

やはり木工品は経年変化が楽しい。
とくに吉野杉は美しい年輪を生かした柄に、経年変化の色づきが加わり
さらに味わい深くなる。使えば使うほど、いい色が出てくるのだ。

事務所のトレーは20年もの。赤みがかった経年変化がとても綺麗。

森口さんに長年大切に使う秘訣について聞いてみると
「乱暴すぎるのは良くないけれど、そんなに気を使うこともないんです。
むしろ、木なので割れるということ、それさえ理解していただければ、
素材としてとてもいい。
たとえば家の構造材でも、割れるということがありますが、
だからといって問題があるということもありません」

木に対する理解も深く、工房の職人さんと話し合い、常に新しい商品づくりに余念なしの森口さん。

森口さんのお話をうかがいつつ工房の様子を観察していると、
この仕事がとても魅力的なものに見えてくる。
地元の木を知り、つくり、伝えていく。
その土地に住む自分たちが、その土地でしかできないことをする。
当たり前かもしれないが、自然体のスタンスの魅力。
それが地元の仕事の創出にもつながっているし、
すでに地元のみならず東京方面からの移住者もちらほらと。
川上村、ひいては、この地方の中心産業である吉野杉を使う製品づくりに
今後も注目していきたい。

〈エコアス馬路村〉 「森の村」の風景を バッグとして持ち歩く

エコアス馬路村からつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

新しい魚梁瀬杉の可能性をカタチに。

森林面積は村の96%、まさに山々に囲まれた森の村、高知県安芸郡馬路村。
高知県県木指定の「魚梁瀬(やなせ)杉」に代表される良質の木材産地として、
古くから林業がさかんな地域である。
豊臣秀吉の時代、土佐藩主・長宗我部元親が献上したことから、
この地域で伐り出される魚梁瀬杉は良質の木材として全国に名を轟かせることとなる。

美しい木目と淡紅の色合い、清涼感あふれるスギの香り。
高級建材だけではなく、まったく新しい魚梁瀬杉の可能性が
カタチになった製品がエコアス馬路村にある。
「monacca」だ。“モナッカ”と発音する不思議なかたちのバッグは
どのようにして生まれるのだろう。

魚梁瀬杉の名刺ケースから取り出したのは、同じく魚梁瀬杉の名刺。

「遠いところまでよくおいでくださいました!」と
出迎えてくださった総務企画課 山田佳行さんの名刺に驚く。
“本当に木?”と目を疑うほど、まるで紙のように薄く加工された魚梁瀬杉。
折り曲げても剥がれないよう工夫されている。
かつて紙が普及する以前には、記録媒体や仏具、包装材などとして、
薄く加工された木の板「経木」が使用されていた。
木を薄く加工する技術は昔から暮らしのなかに生かされてきたものであり、
この技術から着想し、馬路村の製品の多くは展開されている。
monaccaをかたちづくるのも、もとはこの薄い板なのである。

特製の機械でわずか0.3~0.5ミリほどにスライスされたスギ。

第3話・ 塩屋のちいさなカレー屋さん 「ワンダカレー」

第3話
塩屋のちいさなカレー屋さん、
ワンダカレー

グレアムさんの神戸日記、
第3回はグレアムさんが通う、
塩屋のちいさなカレー屋さん
「ワンダカレー」をご紹介。
まちのひとに愛される名物シェフ、
「ワンダさん」ってどんな人?

お米からエタノールをつくる 発酵ベンチャー。 「ファーメンステーション」前編

休耕田からできる安心安全という高付加価値なエタノール

お米からエタノールを製造し販売する「ファーメンステーション」。
会社を立ち上げた代表取締役の酒井里奈さんは、
食品メーカーや化粧品メーカーなどの化学系企業出身というわけではなく、
もともとは銀行や外資系証券会社に勤めていたという、異色の経歴をもつ。
銀行員時代に国際交流基金に出向していた酒井さん。
NPOに支援している同法人で仕事をするなかで、
社会問題を解決するビジネスの存在を知り、
「いつかは自分の思い描くテーマでこのようなビジネスに関わりたい」と思っていた。

あるとき、生ゴミからエネルギーをつくることができると知って発酵に興味を持つ。
当時勤めていた証券会社を辞め、東京農業大学応用生物科学部醸造学科に入学。
「日本人の食生活に欠かせない酒、みそ、醤油などはすべて発酵食品。
発酵は微生物によって行われています。
そんな微生物の働きを取り出すと医薬品になったり、環境技術にも応用できるのです」
と、発酵の面白さを語る酒井さん。
発酵・醸造という日本の伝統文化は、
バイオテクノロジーへとつながっていると気づいたのだ。

その後、岩手県胆沢町(当時。現在は奥州市)が取り組んでいた、
お米からエタノールをつくるプロジェクトに関わるようになり、
コンサルタントとして実証実験に参加するようになる。

酒井里奈さんと村上美穂さん

代表取締役の酒井里奈さん(右)と奥州ラボで働くスタッフの村上美穂さん(左)。

胆沢地区の航空写真を見せてくれた。
農地エリアと住宅地エリアが大きく分断されておらず、
広大な農地のなかに家屋が点在している。
つまり自分の家の、目の前に田んぼをつくることができる。
これは散居と呼ばれ、水が豊かな水田エリアの特徴のひとつ。
胆沢は、富山の砺波、島根の出雲と並んで日本三大散居のひとつに数えられている。
「えぐね」と呼ばれる防風・防寒のスギを家の周囲に植え、
春には水面がきらきら光る水田のなかに点々と家がある美しい里山の風景を生みだす。

しかし、水を湛えた田んぼに混じって、茶色の田んぼが多く見られる。
これは休耕田、もしくは耕作放棄地。胆沢の田んぼの3分の1がそれで(転作田を含む)、
全国平均でも同様の割合である。
地域によっては大豆や小麦に転作するケースもあるが、
胆沢はその作付けに向いていない。
なにより“お米をつくりたい”という米農家のプライドや気持ちも大きく、
同時に、美しい散居の風景も守っていきたいという思いがあった。

そこで胆沢町は、
海外のとうもろこしやさとうきびからつくるバイオエタノールの例を参考に、
海外視察にも積極的に出かけ、実証実験を始めた。
5年前に発酵ベンチャー「ファーメンステーション」を立ち上げていた酒井さんは、
この実証実験にコンサルとして参加し、実験終了にあわせて事業を引き継いだ。

お米からエタノールをつくる機械

お米を何十キロも入れた状態で、手動で作業する。

〈辻製作所〉 デザインの力で スギを生かしたMIYABIO

辻製作所からつながる福岡の森のはなし

1年間の平均気温が16.0度、年間降水量は1690ミリという
おおむね温暖な気候の福岡県。
福岡は県下一の繁華街・天神界隈から車でわずか10分足らずで海が見えることもあり、
自然豊かなイメージがある。全体的に平地部が多いが、
大分県境にある英彦山・釈迦岳山地、佐賀県境に広がる脊振山地は
いずれも標高1000メートルを超える大きな山塊を形成し、
福知、三郡、古処、耳納、筑肥の各山地は標高700~900メートルの山々を連ねる。
実は、九州最大の人口を擁しながら、福岡は県土面積の約半分が森林なのだ。
広葉樹の大半は天然林のシイ・カシ類、タブ類。
針葉樹の多くはスギ、ヒノキの人工林で、一部天然林と人工林にマツなどもある。
民有林の人工林は約90%がスギ、ヒノキ林であり、
そのうちの70%が利用期を迎えている状況だ。
こうした現状の中、近年、地元の「九州大学」では建築を学ぶ学生らが中心となり、
県産材利用の取り組みをスタート。
空き家の再生を通して自然と共に暮らすライフスタイルを提案する
「糸島空き家プロジェクト」をはじめ、その動きに注目が高まっている。

福岡県下の森林面積に対する森林率は約45%と全国平均よりも約20%ほど低いが、人工林率は約66%と全国よりも約20%高い。

“家具・木工のまち”で4代。

家具・木工のまち 大川―――「辻製作所」がある大川市は、
いつからかそう呼ばれるようになった。

約480年前、九州きっての大河「筑後川」の畔に広がる大川では、
それまで培っていた船大工の技術を生かし、
「指物」と呼ばれる、釘などの接合道具を使うことなく
木と木を組み合わせていく家具・建具づくりが始まった。
以降、時代の流れとともに技術は磨かれ、さまざまなデザインが生まれていくなかで、
その生産高は日本一に。名実ともに“家具・木工のまち”となる。

「大川市に数多ある他の家具メーカー同様、船大工がルーツです。
辻製作所という会社になってからは、初代が桐ダンス、2代目が和洋ダンス、
そして現在はソファ、テーブル、イスが生産数のほぼすべてを占めています」
そう教えてくれた辻直幸さんは4代目。大手自動車部品メーカーの営業職に就き、
退社後は実家に戻り、いまは営業課長として広報も務めている。

やさしいトーンの声で、物腰もやわらかな辻直幸さん。ただし、製品の魅力を語るときは言葉に熱がこもり、真剣な表情に。

〈オークヴィレッジ〉 お椀から建物まで。 木をトータルに使ったものづくり

オークヴィレッジからつながる岐阜の森のはなし

岐阜は県土面積の82%が森林で、全国2位の森林県。
平成18年度から間伐を強化し、毎年1万5000ヘクタール以上の間伐が実施されている。

木材としては、スギがもっとも多く、14万3000立方メートル生産されている。
次いでヒノキが11万立方メートル。
ヒノキは国内シェアの5.4%に上り、全国7位の生産量である。

製材工場の数は減少傾向だが、それでも314工場があり、
全国で2位の工場数となっている(平成22年)。
ただし1工場あたりの原木消費量は、全国平均の3分の1程度で、
小さい加工規模の工場がたくさんあることがわかる。

コツコツ木を植えながら、会社をつくる

岐阜県の高山駅から20分程度、クルマを走らせた緑豊かな敷地に
オークヴィレッジはある。
しかしこの場所には、「かつてはまったく木が生えていませんでした」と
代表の稲本正さんは語る。
オークヴィレッジは今年40周年。40年前に荒れ地同然だったこの場所に会社を構え、
40年かけてコツコツと木を植えてきた結果、
現在のような森と社屋が融合したような心地よい雰囲気になった。

ショールームにてトレードマークの作務衣を着た稲本正代表。

数人で農家の納屋を借りて家具づくりをはじめたのが1974年。
木工で有名な飛騨で技術を学び、自給自足の工芸村を目指した。
農業や織物、養鶏もした。
実は30歳頃まで原子物理を研究していたという稲本さん。
オーストリアのエルヴィン・シュレーディンガーという
物理学者の著作『生命とは何か』にあった
“唯一、植物圏だけが、地球をきれいにする”という一節に感銘を受け、
森での生活をスタートさせた。

敷地内にさまざまな樹種を植えている。

〈宮崎椅子製作所〉 デザイナーと職人とでつくりあげる オンリーワンの椅子。

宮崎椅子製作所からつながる徳島の森のはなし

豊かな森に囲まれている徳島県。
森の恩恵を受けてきた歴史は長く、鎌倉時代に木材を都へ搬出していた記録もあるほど。

県土のうち森林率は75%と高く、スギやヒノキの人工林の割合は全国屈指。
そのスギの半数以上は、間もなく樹齢50年となり
徳島県は全国よりも一足早く、間伐から「主伐」の時代を迎えることになる。

そこで県ではさまざまな林業施策に着手。
生産・加工・利用の三本柱を強化する「次世代林業プロジェクト」や
木の利用を全面に押し出した全国初の条例も制定。
これから迎える主伐の時代だけではなく、
10年先、さらに未来の森も見据えて動き出している。

徳島県の山間地域。木は暮らしのなかで身近にある存在。

鏡台椅子からダイニングチェアに

明治以降、鏡台産業が盛んだった歴史を持つ徳島県。
水軍の船大工が持っていた高度な技術を生かし生産され始めた鏡台は
工程ごとに分業制で、各分野に専門の職人がいたという。

1969年に創業した宮崎椅子製作所も、もともと鏡台椅子の下請け製作工場だった。
木取りから木地加工、組み立て、布張りまでイスづくりのすべてを
一貫して社内で行い、優れた技術を持つ職人は大勢いた。
しかし「自社製品を持たなければ先はない」と考えた二代目の宮崎勝弘さんは
家具デザイナーの村澤一晃さんや小泉誠さんとの出会いを機に
オリジナル製品づくりをスタートさせた。

現在は25名の若き職人が働いている。加工や組み立てなど各工程に分担して作業している。

第2話・アボカドがない!

第2話
アボカドがない!

グレアムさんの神戸日記、
第2回はグレアムさんが暮らす塩屋の商店街から。
小さな商店街には魚屋さん、八百屋さん、
いろんなお店やさんがあるのですが、
アボカドを売っているお店が見つからなくて…

〈杉生〉 家具から柱まで、家まるごと 自慢の三河材でお届け。

杉生からつながる愛知の森のはなし

愛知県の区域面積の4割を占める約2200平方キロが森林で、
その大部分が、県北東部の三河山間地域に位置している。
三河では戦後を中心に植林が盛んに行われ、
県森林面積の6割がスギやヒノキなどの人工林。
その多くが森林資源として伐採に適した時期を迎えている。
近隣に大消費地を控え、大きな港にも恵まれていることから、
東海エリアの木材集散地としても活躍。
木材の流通・加工の拠点として、木材・木製品出荷額は全国トップクラスを誇る。

木漏れ日がさしこむ奥三河のスギ林。

「森林からの恵みを、直接お届けします」

三河材は鮮やかな赤身の色合いと、狂いの少ないおとなしい木質が特徴。
古くは、1340年の式年遷宮の材として、伐り出された記録も残る。
江戸時代初期には、江戸城や駿府城の御用材として、
明治から昭和初期には、「三河板」というブランド材として重宝されていた。
建材として東京を中心に出荷していた、“関東おくり”と呼ばれる好景気を迎え、
昭和40年代には県内で1000を超える製材業者があったが、
近年では、その8分の1ほどに減ってしまった。
一方、先人が育ててくれた山には、伐り頃のスギがたくさん生えている。

色鮮やかな表情を見せるスギの木肌。

そこで6社の製材所を中心に、設計士や建築家などが集結し、誕生したのが杉生。
製材して市場や問屋に卸すのではなく、
「森林からの恵みを、直接お届けします」を合い言葉に、
三河杉の特徴を生かした木製品の企画・開発・販売までを手がけている。

およそ2000立方メートルの材木が積んであるストックヤード。ざっと家100棟分。

「森は、つくる、守る、使う、戻すというサイクルで育まれてきました。
いま使えるものは、資源として無駄なく使うことが、
また森の環境を守ることにもつながるんです」と語る、社長の峰野成彦さん。
製材所の次男として奥三河で生まれ、
山や製材所を遊び場として育ち、幼少期から木に触れてきた。
地元の木に対する想いはひとしおだ。

ストックヤードで木材のチェック。持っただけである程度の含水率がわかるという。

「三河には太さ、長さの揃ったクセの少ない80年生のスギが豊富にある。
その三河杉のよさを知ってもらうためには、
まずは使ってもらわないと話になりません。
ウチでは、なるべくお客さんの選択肢が増えるよう、
構造材から化粧材、下地材、家具、建具まで、
家一棟まるごとの部材を商品化しています」

近頃の多様な住宅デザインに合わせ、厚さや幅など豊富なサイズを取り揃えている。
コスト的にはロスになるようなものでも、三河のスギを使える資源として送り出す。
あらゆるニーズに応えたいという思い。
複数の製材所と連携しているからこその強みでもある。

一度に4つの面を加工し、床材や壁材などへと仕上げていく。

オリジナル家具やオーダー家具を担当する女性職人。

丸太からをいろいろなサイズの部材をとることで、
木材のロスは少なくなっているという。
製材であまった木からも角材や木を積むときに挟む桟木をとる。
その端材はチップにして製紙会社へ。
チップ用の粉砕器にも入らない、細かな端材は
オガ屑にして近隣の酪農家に提供し、敷藁として活用してもらっている。

三河杉の魅力を語る峰野成彦社長。

〈obisugi design〉 地域の人の手で、未来へとつなぐ 地域の財産。

obisugi designからつながる宮崎の森のはなし

日本一の杉景観と称される飫肥杉(おびすぎ)の人工林。
ぐるりと見渡す限り、手入れが行き届いて美しく
まっすぐに空に向かって伸びている立派なスギの木立。
ところどころに、未来のこの美しい景観を担うであろう
植林されたばかりのスギを見ることができる。
宮崎県の森林面積は、県土の76%を占めている。
なかでもスギの生産量は全国有数で、宮崎県産材として
杉丸太生産量が過去23年連続、日本一を誇っている。

展望所から一望する飫肥杉の人工林。見渡す限りスギが続くこの景観は、宮崎県の林業地を代表するもの。

地域の経済と密接に関わる、飫肥杉

樹脂分が多く、成長が早いため、しなやかでやわらかい飫肥杉。
江戸時代初期に、飫肥藩財政の窮乏を救うために
山林原野にスギを植林したのが、飫肥杉のはじまりといわれている。
400年以上ものあいだ、この地域の貴重な財源であったわけだ。
飫肥杉が持っている特徴から、木造船の材料として重宝され
「囲炉裏端にいるだけで、商売が成り立つ」と言われたくらい
昭和後期まで日南市の経済と活力を支えていた。
しかし、船の材料としてFRPが台頭すると
とたんに飫肥杉の船の材料としての需要が減り価値が下がっていくとともに
地元の経済と活力に対しての危機感がつのっていた。

飫肥杉と地域の経済は密接につながっている。地域にとって、守るべき財産でもある。

先人たちから受け継いできた、飫肥杉の人工林。
歴史、経済、景観など、あらゆる観点からみて、
地域にとってなくてはならない、大切な存在である。

「飫肥杉を生かして、日南市を活性させよう」

いまから約8年前、最初に声を上げたのは、日南市役所だった。
その声に賛同した地元の企業が集まり
業種を超え、なにができるか知恵を出し合った。
飫肥杉を材料にして、商品をつくることはできる。
ただ、つくった商品を売るだけでなく、飫肥杉の魅力を伝えると同時に
日南市という地域を発信することが大切だと考えた。
そこでたどり着いたひとつの方法が
東京で活躍するデザイナー、商社との協同プロジェクトだった。

obisugi designプロジェクト発足当時から関わる、日南家具工芸社の代表・池田誠宏さんと、工場長・長渡正次さん。

〈G.WORKS〉なめらかで、 ふくよかで、あたたかい。 龍神杉のふところの深さに 触れるイス。

G.WORKSからつながる和歌山の森のはなし

かつて、紀伊国(きのくに)と呼ばれた和歌山。
その由来は“木の国”で、古くから木の神様が住むところとされてきた。
高野山や熊野三山など、ふかい森に包まれた聖地があり、
南方熊楠を虜にした那智原始林など、広葉樹が茂る天然林も現存する。
一方で、県土の77%を占める森林のうち、61%は人工林。
いまかいまかと出番を待つスギやヒノキの宝庫ながら、
木材の需要低迷や価格低下により、森林の荒廃は続く。
そんな現状を打開するべく、県は企業とともに森林保全に取り組む事業、
「企業の森」を全国に先駆けて開始。
子どもたちの林業体験、温泉施設を中心とした木質バイオマスの利用促進、
さらに色つやがよく、木目が美しい紀州材の魅力を伝えるなど、
幅広い活動を行っている。

ものづくりの原点に立ち返った家具づくり

和歌山県のほぼ中央に位置する田辺市龍神村。
ここは、高野・熊野の二大聖地をつなぐ、
まるで背骨のような山岳地帯のなかほどにある山村。
森林率95%と、驚くべき自然に恵まれた場所だが、
その71%は人工林。植林される樹木の多くがスギだという。
紀南の温かい風と寒暖差の激しい山の気候に育まれたスギは、
木目の詰まりが良く、その強度と美しさから建材にも最適。
「龍神杉」なる優秀な木材として、知られている。
そんな龍神杉をふんだんに使った家具づくりを行うのが「G.WORKS」だ。

龍神村生まれの松本泉さんが、ふたりのお弟子さんとともに1点1点家具をつくり上げる。

椅子の型紙だけで、こんなにたくさん。定番だけでも10数種類がある。

G.WORKSの家具は、すべて受注生産。
定番のテーブルやチェストなどもあるけれど、
「一番の得意」と、代表の松本泉さんがささやかに胸を張るのは、イス。
シンプルなフィットチェアに、ロッキングチェア、スツールやベンチなど
種類はさまざまだが、すべての座面と背面に使われているのが、龍神杉。

工房裏で乾燥中の龍神材。湿気を多く含む龍神の木は、天然乾燥ではなかなか水分が落ちず、数年前から乾燥機も導入。

「樹種によって適した発育環境は違うけど、
スギは多雨多湿で寒暖の差が大きい場所で良質なものが育つ。
龍神は、まさに絶好の環境。山あいの厳しい気候に耐えながら、
じっくり育つから、身が引き締まっているというか。
それでいて、スギ独特の削りやすさがあって、
手間をかければ自由な形がつくれるんです。
昔は輸入材を仕入れたこともあったけど、地元でものづくりをするなら、
やっぱり地域の素材を使いたいと思って。
林業をやっている仲間がいるので、いまは彼らから原木を買ったり、
隣村の製材所から木材を仕入れたりしています。
地域のつながりから生み出す。
いつしか、それがものづくりの原点のような気がしてきました。
スギは、たっぷり使っても圧迫感がないし、肌触りなめらか。
桜などの広葉樹でつくった座面は、硬くて冷たいけど、
スギは、ふわりとして温かい。
僕のなかでは、椅子をつくるのにぴったりの木ですね」

座面は数枚の材を接ぎ合わせた後、ベルトサンダーなどでなめらかに削り、さらにのみを使って手作業で微妙な凹凸つくる。

本の使い方、出版から提案する 新しいライフスタイルビジネス。 「コンテンツワークス」前編

自分の読みたい本を一冊からでもつくってもらえるサービス

コンテンツワークスはオンデマンド出版のリーディングカンパニー。
絶版本の復刻サービスから始まり、
さまざまなスタイルを叶える個人のフォトブックサービスで知られている。

いま高齢者のインタビュー本や地域ジャーナルなど、
オンデマンドを使った新しいライフスタイルを提案する会社へと進化してきている。

オンデマンド出版とは、ユーザーの注文に応じて印刷・製本をする
オーダーメイド型の出版方法。書店で売られる本と異なり、
自分の出したい本や自分の読みたい本を一冊からでもつくってもらえるサービスである。

荻野明彦さん

コンテンツワークス。代表取締役社長の荻野明彦さん。

コンテンツワークスの起業は2001年。
ブック・オン・デマンドによるコンテンツの販売の先駆けとして始まった。
代表取締役社長の荻野明彦さんは
オンデマンド業界では一番の経験と知見を持っているひとりといわれている。
そもそもの起業のきっかけについてお聞きした。

「もともと大手コピー機メーカー、富士ゼロックスの社員だったんです。
ゼロックスの社内プロジェクトから始まり、
大手の出版社とで合弁で会社が生まれました。
私はMBO(マネージメントバイアウト)で会社の社長になりました」

荻野さんからみた出版業界の変化はどのようなものだろう。

「日本で1年間で7万点の書籍が出版されますが、その多くが絶版になる。
絶版本をなくすためにオンデマンド出版を進めてきました。
はじめはコミックや文芸書、
やがてロングテールというビジネスモデルが出てきました。
一冊が1万冊売れるのではなく、
一冊ずつ1万種類の本を売るビジネスモデルなんです」

書店の店頭は毎月刷新される。
売れ筋でないものは3か月ほどで書棚から消えていく。
書店から消えていき、絶版になったものを
Webで再び購入できるようにするサービスだ。
少部数でも末永く売れ続ける良質の書籍をWebで提供するというわけだ。

〈上野村森林組合〉 地域資源の付加価値を高める ものづくりで村と森を元気に

上野村森林組合からつながる群馬の森のはなし

東京から100km圏内と恵まれた立地条件にある群馬県は、
総面積の3分の2を森林が占めている。その広さ、約42万5000ヘクタール。
森林面積、森林率ともに関東地方随一の「森林県」だ。
森林の4割にあたる人工林のうち75%は民有人工林で、
伐採して利用可能な40年生以上の森林が3分の2を占めている。
なかでも、その7割を占めるスギは1ヘクタールあたりの蓄積量が
500㎥を超えていて、活用がこれからの課題だ。
一方、群馬県の西南端に位置する上野村は、
森林の6割をケヤキやシオジ、トチといった広葉樹林が占める貴重なエリア。
「木工の里」として知られ、県内でも先駆けて地域材の活用に力を入れてきた。
今回は、そんな上野村にある森林組合の取り組みを紹介したい。

間伐が進み、太陽光が地面まで十分に届くことで豊かに育っている群馬の森。

地域資源を生かして過疎から脱却!

人口1300余人。群馬県内で最も人口が少ない自治体である上野村は、
南は埼玉県、西は長野県と接し、
標高1000mから2000mの険しい山々が連なる山岳地帯にある。
広い村土の94%は森林で、人々は昔から森とともに生きてきた。
この緑豊かな上野村で、森から木を切り出して製材し、乾燥、加工、製品化から
販売に至るまで一貫した木工品づくりを行っているのが、上野村森林組合だ。

工場と製材所が併設する組合の敷地内には、村内で伐採されたさまざまな種類の木が積まれている。

工場をのぞくと、若い職人たちが慣れた手つきで製材をしたり、
木工品の加工に精を出している。
「あの職人は東京出身、こっちは福岡出身なんですよ」
そう紹介してくれるのは、木工課課長の仲澤佳久さん。
自身は上野村育ちだが、ここで働く職人のうち6割以上はIターンの若者だという。
正直、驚かされてしまう。だって、ここまでの道中は山また山。
コンビニはもちろん、買い物をするような場所すらなく、
人家は村の真ん中を流れる川の両側にわずかに点在していただけだったから。

「美術大学や職業訓練校でデザインや木工を学んだ職人も多いんですよ。
平均年齢は30代」と仲澤さん。
皆さん、木工業に就くために、上野村に移住してきたそうだ。

朴訥な人柄の仲澤さん。上野村で生まれ育ち、高校は県外に進学して、卒業と同時に村に戻って森林組合に入った。当時、木工の技術は見て覚えたそうだ。

工場の中には若い女性職人の姿もちらほら。新卒者も多い。

そもそも森林組合の主たる業務は素材生産。
では、なぜ上野村森林組合は木工業を始めたのか。

「もともとは、全国的にも有名な黒澤村長が
村の事業として開始したんですよ」(仲澤さん)

この「黒澤村長」とは、1965年から2005年までの10期40年にわたって
上野村の村長を務めた黒澤丈夫氏。村長在位年数は全国最長で、
村の産業振興や1985年に同村で起きた日航ジャンボ機墜落事故の際の
迅速で的確な対応など、多大な功績を残した名物村長として知られている。

木工業は黒澤村長が力を入れた産業のひとつ。かつては関西方面への丸太素材の販売が中心だったが、加工・販売まで一貫して手がける新たな産業にシフトした。

〈WISE・WISE〉 素材に正面から向き合うことで 生まれたKURIKOMA

WISE・WISEからつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

スギのベテランたちがつくるKURIKOMA

全国の地域材を使って家具をつくっているWISE・WISE。
東北大震災がきっかけで生まれたのがKURIKOMAシリーズだ。
震災1か月後、被災地を訪れたWISE・WISEの佐藤岳利社長は、
「中長期的にみて、これからは仕事がほしい」という現地の声を聞いた。
家具というジャンルでできることは、
地元の木を使って、地元の職人さんにつくってもらうこと。
そうすれば雇用が生まれ、100%現地にお金が落ちる。
そこで会いに行ったのがスギ専門の製材所、栗駒木材だ。

「実際に行ってみたら、すばらしい製材所でした。
おもに建築材をつくっているのですが、防腐剤を使っていません。
乾燥も木の皮や端材を熱源にした薫煙乾燥。
重油を使わず、木のエネルギーだけを使用していたのです」

栗駒木材では、製材、パルプ、ペレット製造などに関わっている。

このとき栗駒木材の大場隆博さんに
「この人の仕事をつくってあげてほしい」といわれて、
ちょうどかたわらで作業している職人がいた。

「それまでは、“東北を救う”というような漠然としたもので、
ある意味でひとごとだったのかもしれません。
でも、この人を救うんだと思うと、すごくリアルかつクリアになりました」

とはいえ栗駒木材は製材所であって、木工技術はない。機械もない。
しかもスギは家具には不向きといわれる木材。
そこでスギの間伐材を使った家具を研究している榎本文夫さんに話をもちかけた。

榎本さんはすでにプロトタイプをつくっていた。
スギをタテとヨコでサンドイッチ状態にする
CLT(クロス・ラミネート・ティンバー)という、建築で使われる技術を応用したもの。
栗駒木材では、野地板という建築下地用の板をつくっていたので、
「これならできるかもしれない」と思った。
その板をプレス機械でくっつける。
そのパネルがイスのサイドの部分になり、座面と背面でパネルをつなぐようにした。
そうして開発を進め、KURIKOMAラインが立ち上がった。

もともとスギを見る目は超ベテラン。スギに対する愛情や思いは強い人たちだ。
現在では、「サスティナライフ森の家」という別会社を立ち上げ、
5人の専従スタッフがKURIKOMAのイスとテーブルの製作にあたっている。
生産が追いつかないくらい好調だ。

背柱、座面、脚を一体化させ、強度をもたせた。

野毛〈ゴールデンもつ〉 ひとり呑みでも飽きない 小鉢メニューも大充実

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おじさまワールドでも居心地いいのです。

「野毛のちかみち」
そう書かれた看板が掲げられているのは、地下への階段。
桜木町駅の改札で待ち合わせたお姉さんふたりは、
土曜の午後のみなとみらいへ行きます! 的なデートな装いなのに、
この階段を降りていただく。そう、今日は、野毛をご案内。
看板の絵がピエロなのは、野毛は大道芸のイベントが有名だから~などと
案内係らしく説明を加えて、地下道から直結「ぴおシティ」のビルに入り込む。
たちのみ屋、居酒屋、カウンターラーメン店に純喫茶などが、このフロアーにて商い中。
お客は、みごとにおじさまワールド。
このビルの上階には、競輪と競馬の場外馬券場があって、
みなさんそちらを楽しんでからの1杯だったり、続行中だったりするらしい。

このフロアにある「ゴールデンもつ」も競馬、競輪好きの方々の憩いの場所。
広めの店内の壁には、4つの液晶テレビで馬と自転車の映像が映し出されて、
みなさんレースが始まると食い入るような真剣なまなざし。

〈straw farm〉 子どもが自由な発想で、 安心して遊べる木のおもちゃ

straw farmからつながる高知の森のはなし

太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
鮮やかな色と香りが特長の「土佐ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。

間伐が進み、上からは太陽の光、下からは新しい命が芽吹く高知の森。

「ものづくりをしたい」。その思いに帰る

高知県東部、安芸市の長閑な住宅地に豊かな木の香りが漂っている。
昔懐かしい佇まいの工房で乳幼児向けのおもちゃをつくる
「straw farm(ストローファーム)」。

オーナーの萩野和徳さんは大阪出身で、以前は新聞制作の仕事に携わっていた。
「高校生の時に宮大工になりたいと悩みながら、別の道に進んだんです。
でも、やっぱり『ものづくり』が好きで、その仕事がしたかった」
退職し、職業訓練学校へ通いながら大工の技術を取得。
「田舎も好きだった」ことから、両親のふるさとである安芸市にIターン。
親戚が暮らしていた建物を工房にし、平成12年に創業した。

「木を使ったものづくり」とひと口に言っても選択肢はいろいろある。
工房や自宅の修繕を自らの手で行った萩野さんだけに
大工か? 家具づくりか? と生き方に悩んだ。
そして、最終的に選んだのは「木のおもちゃ」。
その選択には「ものづくりで生きていく」という萩野さんの覚悟が垣間みられる。

straw farmオーナーの萩野和徳さん。ものづくりの話になると表情が輝く。

「いまの日本において国産木で家をつくることは、本当に少なくなっている。
それに、家具づくりにはすでにたくさんの匠がいるから
自分が新しく参入したところで勝負はできない。
でも、木のおもちゃはライバルが少なかった。それがスタートの理由です」
取材だからといってキレイごとでごまかさない正直で真摯な萩野さん。
その性格は製品にも表れている。

自身にもかわいい子どもがいるから、
子どもに安全なものを持たせたい親の気持ちがよくわかる。
だからこそ、製品の安全性には絶対の自信を持つ。
使う木材は高知県産のヒノキ、桜、ケヤキなど。
研磨をしっかりかけて、子どもの柔肌を傷つけないなめらかさに。
着色はせずに、亜麻仁オイル(クリア)でコーティング。
赤ちゃんが舐めても、少しの不安も抱かなくてすむ。

「お子さんがこんなふうに遊んでいたとか、
親御さんから『安心して遊ばせられる』とか、
感想の電話やはがき、製品レビューをいただけるのが嬉しい。
自分が楽しいし人にも喜んでもらえることが、ものづくりの魅力ですね」

優しい光りの中で仕事をする。作業中はおしゃべりも封印し、真剣そのもの。

第1話・塩屋の洋館

第1話
塩屋に息づく
洋館をご紹介

グレアムさんの神戸日記、
第1回は塩屋に息づく洋館をご紹介。
山と海に挟まれた風光明媚な塩屋のまちには、
19世紀に外国人が移り住んで
いくつもの洋館を建てました。
さて、グレアムさんのお気に入りは?

土地の自然、文化、ものづくりを 楽しく学ぶ山歩きツアー 「YAMAMORI PROJECT」後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-031' append=' はこちら']

土地の文化を、土地のひとに聞く

朝9時、山形県南陽市の赤湯駅から車で10分ほどのぶどう園「紫金園」に
30人ほどが集まっている。
ここは盆地なので、霧がたまりやすく、朝もやのなかといった風情だ。
これから始まるのは、
YAMAMORI PROJECTが行っているYAMAMORI TRAVELの9回目。
目の前にある、斜面をブドウ畑が覆っている
十分一山(じゅうぶいちやま)を登っていく予定だ。

YAMAMORI PROJECTは、一級建築士の井上貴詞さんと、
家具製作に携わる須藤 修さんによって立ち上げられ、
山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを行っている。
その一環として取り組まれているのがYAMAMORI TRAVEL。
前編でも紹介したように、各市町村を代表する山の文化を勉強し、植生を学ぶツアーだ。

といっても、小難しい勉強や本格的な登山が待っているわけではなく、
ハイキングのようなもの。おいしいランチやデザートがついていたり、
ワークショップ形式で木工製品がつくれたりと、
自然のなかで楽しむことができるような仕掛けになっている。

井上貴詞さんと須藤修さん

井上貴詞さん(左)と、須藤 修さん(右)による朝のごあいさつ。(撮影:編集部)

この日集まったのは、県内を中心に30名程度。常連さんも少なくない。
リピーターになりやすいほのぼのとした空気なのだ。
ツアーを仕切る須藤さんの挨拶のあと、全員が輪になって簡単な自己紹介。
そして早速、紫金園の須藤孝一さん・龍司さん親子による話が始まった。

南陽市はぶどうの産地で、この周囲にもぶどう狩りができるぶどう園がたくさんある。
十分一山は、斜面に沿うようにしてぶどう畑が広がっている。
その理由を参加者に説明してくれた。

「水はけと日当たりがよく、寒暖の差があるので、ぶどう栽培には適している土地です。
しかし石が多く、土を掘っても大きな石ばかり出てきます。
だから立ち木は難しかったんだろうと思います。
ぶどうはつる性なので、育てやすかったのかもしれません」

ほかにも、気候の話、金が採れた話など、土地の話をしてくれる。
これから登る山もだんだん身近に感じてくる。

家族で経営されている4代目・須藤さん夫婦

家族で経営されている4代目・須藤さん夫婦。

次は紫金園のぶどう酒工場へ。
本人たちも「いつからあるかわからない」という手動“ぶどう絞り機”は、
樽の内側がおいしそうなくらいのぶどう色。
長年にわたって染み込んできたエキスに違いない。
栽培、収穫から醸造や瓶詰めまで、家族の手で行われている。
これから山を歩くため、みなワインの試飲は控えめだったが、
ぶどうジュースの試飲には感激の声があがる。実に濃厚なのだ。

紫金園のぶどう酒工場の樽

染み込んだ色の濃さが年代を物語る。

〈協同組合ウッドワーク〉 「産地認証スギ」から家具を つくり出す建具職人たちの挑戦

ウッドワークからつながる新潟の森のはなし

新潟県はその約7割にあたる86万ヘクタールを広大な森林が占めており、
木材の供給をはじめ、県土の保全や水源の涵養、心の癒しや休養など、
県民の生活に大きな役割を果たしてきた。
一方、高齢化や森林管理の担い手の減少に伴い、
管理の行き届かない森林が増加しているのも事実。
こうした状況を踏まえ、県では森林・林業・木材産業分野の推進計画を策定し、
森林の多面的機能の発揮や林業の持続的かつ健全な発展に向けた
さまざまな取り組みを進めている。
近年はスギ材の生産が盛んで、雪国の厳しい環境で育った強くたくましいスギを
「越後杉」としてブランド化し、全国に発信する動きも見られる。

積雪量が多い新潟県に広がるスギ林。山の斜面のスギは、日本海側特有の湿った重い雪により根元に強い負荷がかかって「根曲がり」となり、加工は難しいが丈夫とされる。

建具職人による家具づくりのはじまり

新潟県南西部に位置し、日本海に面する上越市。古くから陸海交通の要衝として栄え、
市の中央部を流れる関川、保倉川に広がる平野を取り囲むように山々が連なる。
こうした環境のなかで“森に還る家具”をキーワードに、
スギの間伐材を利用した家具づくりを行っているのが協同組合ウッドワークだ。

ウッドワークの組合員は、市内全域に分散する4社の建具職人たち。
もともと上越市は地場産業として木製建具産業が発展し、
最盛期には建具組合に200社を超える建具屋が加盟していたそうだ。
しかし、他地域の産業と同様、平成に入るころから徐々に
後継者不足や技術者の高齢化などが深刻化。
さらにアルミ製の建具やハウスメーカーの既製品などが市場に登場し、
追いうちをかけるようにバブル経済が崩壊して、
多くの建具職人たちは廃業を迫られたという。
そこで平成3年、打開策として組織されたのが、ウッドワークの前身で、
建具組合の青年部を中心とした「上越木工活性化研究会」だった。

「これからは、建具一本やりでは通用しないと感じました」
こう話すのは、当初からのメンバーで、
現在、ウッドワークの代表理事を務める米山 均さん。

「研究会では建具の基本に立ち返り、何か木製品をつくってみようと考えたのです。
市内の山に入ってみたところ、あちこちにスギの間伐材が放置され、森は荒れ放題。
間伐材を利用して何かしなければ、と思いました。
節が多い間伐材は細い建具には向きません。でも、家具なら使えるのではないか。
こうして建具職人たちの家具づくりが始まりました」

平成6年、研究会というゆるやかなつながりから組織を変え、
資金を出し合って仕事を分け合う協同組合としてウッドワークを設立した。

米山さん(左)と、家業を継ぐ息子の優也さん。当初は24社いたウッドワークのメンバーも、後継者問題などでいまは米山さんたちを含め4社しかいない。